徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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5/31(土)曇天→降雨 法人第1回管理職会議

2:00起床。人間ドック判定総括x1,SARSデータ集め、送付、他。5:20病院着.回診とか。8:10人間ドック診察x5。9:00人間ドック結果説明。10:00-12:30外来。13:30管理職会議会場に。14:00-17:30法人第1回管理職会議+懇親会。SARSについて求められ発言した。病院へ戻り、回診とか再度。机上で一時微睡む。20:20帰宅、21:30就眠.

発言者は結論を先に述べよう。会議は「時は金なり・・・」である。
 本日の管理職会議は各方面からの意見を聴くことが出来て有意義な会であった。
 あらかじめ指定されていた各発言者は周到な準備をしてきており理路整然と意見を述べた。しかし、発言者の指名人数が多すぎた。また、各発言者が言いたい項目を盛り込みすぎるものだから指定時間内には到底終わらないし、途中経過を聴いているだけでは、どうまとめて、何を結論にするのであろうか、よく解らない発言もあった。
 結果として会議時間は大幅に伸び、更に問題であったのは指定された発言者以外からの発言を聞く時間を全く持てなか?ことである。これでは会議としては明らかに機能不全であり、一方的な放送と同じだ。やはり、運営準備に問題があったと言わざるを得ない。せっかく関係者が一堂に会すのだから発言は双方向性でありたい。
 
 せっかくの機会、もっと多くの方々の意見を聞ける有意義な会にしたいものである。それには、指定発言者を絞り込む、発言が複雑な内容であるならあらかじめ要旨をプリントして配布し発言時間を守る、発言者は何時中断されても良いように結論を先に提示する・・・の工夫が議長にも発言者にも必要である。

 とはいうものの、私の発言が果たして何分かかったのか?時計を見るのをすっかり忘れていた。私も一翼を担ってしまったかな??かなり発言をはしょったので言いたいことを半分程度に切りつめたのだが・・・・。今日のSARS関連の発言内容は後に別項に掲載しておくこととしよう。



5/30(金)晴天 仙台:東北大学関連病院協議会

2:00起床。人間ドック判定総括x1,SARSデータ集め、送付他。5:20病院着.回診とか。出張で外来なし。退院患者総括他10:58こまち、14:00-16:15東北大学関連病院協議会、勝山館にて。一般事業報告の後、埼玉県病院事業管理者 武 弘道氏の講演 「日本の病院の現状と経営改善策」。最近このような演題の講演が増えている。JRの関連で中座し16:38こまちで帰秋。19:30病院着、回診とか。新幹線内では良く眠り,仙台・秋田間殆ど一瞬でワープしたようなもので苦にならず.20:45帰宅21:30就眠.

公用車でパチンコの秋田県千葉副知事。遂に辞任(2)
 千葉副知事は公用車でパチンコ店に出掛けていた問題の責任をとり、知事に辞表を提出、受理された。今回は慰留されなかったようであるが,残念ではあるが妥当な判断だと思う。
 副知事は「公用車でパチンコ店に4、5回は行った」と認めたが、調査では理髪店にも公用車を使っていたことなども明らかになった。県秘書課は「多忙な知事が理髪の間、公用車を待たせるのはやむを得ない」と判断していると言う。

   本日の地元紙の社会面にはこの問題が大きく取り上げられており、県民からの厳しい声も紹介されていた。その日,一旦慰留され辞意を撤回した副知事はその時点ではあまり問題点を感じていなかった様子であったが、世論が彼を追い込んだ形になった。辞任の理由について「県政の信頼失墜を招いた。心身ともに疲労の極みに達し、職務遂行の自信がなくなった」と述べているが、最初「タクシーで行った」と嘘をついたことを含め,先の食料費問題で失墜した県政がの深いところでは何ら改善されていなかったことを世に呈した責任はとても大きい。

 今回の事件は副知事の個人的な感覚の欠如ならばまだ良いのだが,私はそうは思っていない。だから見方を変えれば,まだ改善し切れていない県政の腐敗の実態を再度露呈してくれたと言う意味で副知事はある種の働きをしたことになる。食料費問題で露呈した失態を機に,会計上で表現されるような問題行動は確かに無くなったのであろうが,あの食料費問題を半ば当たり前のことと何とも思わないで長年続けてきた県職員の考え方,感覚のずれは,殆ど改善されていないのではないか??と思う。これは私の杞憂であって欲しい。これを機会に更に県政が良い方向に行くことを期待したい。

 被災された方にとっては天災であり,不幸なことであったがちょうどその時間,千葉前副知事はパチンコで大当たりFIVERしていたのではないか。彼にとっては極楽確変状態から地獄へいざなった天災であるが,内容は100%人災でもある。納税者である秋田県民にとっては実は良い地震であった。
 VIP用の行動マニュアルって無いのだろうか?要刷新。


5/29(木)快晴・暑い 総合内科運営会議(欠)  療養病棟診療部会議 県医師会感染症等危機管理対策委員会 
2:00起床。人間ドック判定総括x1,SARSデータ集め、他。5:20病院着.8:10人間ドック診察.9:00-13:30外来+人間ドック結果説明.総合内科運営会議は外来関連で出席できず。要人入院対応。書類処理、17:00-18:00療養病棟診療部会議 18:00-19:45県医師会感染症等危機管理対策委員会。病院、病棟。家内発熱等で体調不良で帰宅したらしい。21:00帰宅22:00就眠.

公用車でパチンコの秋田県千葉副知事。知事は厳正に処分すべきだ
 26日の三陸南地震発生時、千葉秋田県副知事が秋田市内で公用車を待たせてパチンコをしていたという意外な事実が表面化した。
  副知事は20:00に知人と会食予定であったが17:15に退庁、時間つぶしのため公用車でパチンコ店へ行き秘書と運転手を待たせてパチンコに興じていた。18:24に地震、県災害対策部の設置を知った同19:15まで続け1時間以上も遅れて登庁した。 新聞によると、公用車を使ったことについて千葉副知事は「もう2度とやるわけにはいかない。認識が甘かった」と陳謝。「タクシーを拾った」等の嘘は「秘書を巻き込みたくないとの思いから、ついつい言ってしまった」などと述べたらしい。これが直接の談話か、記者が脚色したのか否か分からないので何とも言えないが、これも何処をとってもひどい内容である。
辞職を願い出たが寺田典城知事に慰留され撤回した。

 それにしても副知事とは実に暇なものだと驚いた。しかも、知事が韓国出張で不在で種々の行事を代行した日である。それだけの時間があるのなら何か他にやることはないだろうか。
  暇とは関わりなく、かつて食料費問題で前の知事が追い込まれた秋田県庁の腐敗体制がまだ改善していないことが示された形で、これはとてつもなく大きい。しかも管理責任のあるトップである。納税者である県民に対して説明できる論拠はあるのだろうか。しかも腐敗を改善させることを公約した寺田知事が今回の副知事の不祥事を処分しないと言う方針にしたのは納得できず、遂に寺田知事にも錆が出てきたらしい。
  私は県医師会と秋田県の協議会である医療行政懇談会の場を通じて知事も、副知事にも若干面識があり、両氏に好感を持っているが今回の問題の処理は実にまずい。政治家にせよ何であってもその座に長く居座ると初心を忘れ、徐々に変な方向に走り始めるのが常であり反省をしていただきたい。それにしても県民はおとなしい。怒りの声がさっぱり挙がってこない。もっと怒るべきである。

 それにしても、不測の事態の発生は、普段なら明らかにならない事まで表に出してくれる。それなりの立場にいる人間は注意が必要であろう。


5/28(水)快晴  ABS出演   アイバンク来訪 印鑑証明再発行

2:00起床。人間ドック判定総括x1,SARSデータ集め、他。ABS出演準備.5:10病院着.9:00-13:30外来。書類処理15:00-16:00ABSラジオ放送用収録。アナウンサーと二人だけで机上のMDレコーダーに。病院にアイバンク事務局来訪、先日の評議員会の議長としてのサイン。明朝までに印鑑証明が必要とのこと、登録カード不明で自宅に戻り市役所で新規に登録、20:00病院に、回診他、21:00帰宅21:30就眠。

私企業の合理化と市役所のサービス拡大
 本日はABSラジオ放送用のSARS関連情報を収録した。この番組には10数回出演している。従来はアナウンサーと二人でスタジオに入るが、ガラスで仕切られた隣のコントロールルームにはディレクターと録音機器操作員が一人ついて収録していたが、今回はアナウンサーと二人でスタジオに入り、机上のポータブルMDレコーダーを操作して収録した。合理化の波がここまで影響している。マスコミ関連や放送局などは一件華やかな企業に見えるが、経済状況の影響はもろに受けているようである。要するにスポンサーあっての民放であるが、地元の経済の低迷で苦労している様子の現れである。

 2週ほど前に秋田県アイバンクの評議員会があり,たまたま議長をつとめた。その議事録は登記するためにサインと印鑑証明が必要で、県のアイバンク事務局の方が病院に来訪した。書類自体は問題なかったが、私の印鑑証明の登録カードが何故か見つからない。1ヶ月ほど前に用いた後どこかにしまい込んだらしい。一方、登記の期限が明日というので些か焦ってしまった。私のせいで登記が出来なくなったら大変である。本日中に何とかして印鑑証明を取っておかなければならない。もう17:00近い。先ず、秋田駅前の市役所サービスセンターにでかけて相談、登録カードなしでは何とも出来なかったが、種々の方法について親切に教えてもらった。その後、自宅に戻りカードをもう一度探したが見つからず。教えられた通りに市役所本庁に出かけで旧証明抹消、新規登録、発行を、何とか明日に間に合わせることが出来た。市役所が市民サービスのために駅ビル内に出張所を開設していること、本庁の各種証明書等の発行が19:00迄出来ることを初めて知ったが、とても良いことであり本日はその恩恵を十分に受けた。秋田駅前の市役所サービスセンター職員、担当してくれた本庁の職員は共に十二分親切、言葉遣いも良く、実に感じが良かった。市役所が本来あるべき姿に変わっていることを体感できた。

 華やかな企業の厳しい合理化、一方、本来あるべき姿に変貌しつつある市役所の双方に触れた日であった。われわれ私的病院はこの双方を実現していかなければ明日はない、と考えた日でもあった。


5/27(火)快晴 総回診(欠) 仙台出張取りやめ(新幹線不通) 県健康対策課来訪 医師会打ち合わせ 医局カンファレンス(欠)
1:00ちょっと早めに起床,人間ドック判定総括x1,医師会・病院書類、画像変換処理、.起床時間が早いと比較的ゆっくり出来るのが良い、が,やや眠い.5;10病院着.8;10人間ドック診察x4.9:00-12:30外来.13:00県健康対策課と秋田市保健所員来訪,SARS初期診療病院体制への参加についての依頼。総回診は出席不可.16:00医師会打ち合わせ。医局カンファレンス(欠)にて病棟業務。20:30帰宅。21;30就眠.

岩手・宮城中心の地震 新幹線他に被害 予定の仙台出張中止

 就眠時にはそれほどの被害と思われなかったが早朝ラジオからは次々と被害状況が報告されていた。結局,自分も経験したのだが,地震直後から一般電話,携帯電話共に不通となり情報の蒐集が旨くいかなかったのであろう。結局,会議後病院に戻り状況を確認する方が早く,確実であった。病院は建物の継ぎ目に若干の解離や段差が生じた程度で人的被害等はなかった。

 これは阪神淡路大震災の時も感じたことであったが,その日も早朝出勤であったが,車のラジオで大地震が生じたことは聞いたが,それほどの被害が出るようなニュアンスに思えなかった。出勤後一日外部の情報に接することのない状況下で業務をこなし,夕方医師会に出かける際のタクシーの中で,初めてあれほどの大惨事になっていたことを知り驚くと共に,何らかの情報源を常に用意しておくべきと考え,それ以来私は常にラジオを携帯している。実際このときには通信網が被害を受けたのが原因で復旧までには週単位の時間を要したが,この間,アマチュア無線が大活躍して情報を発信したという。また一般住民にとてはラジオが必需品であったと言っていた。

 昨日は通信会社が被害でダウンしたのではなく機能的に飽和状態でダウンしたようである。
これもほぼ全家庭に電話があり,更に多くが携帯電話を持つ時代がらの現象である。
 惨事の時に通信網が途絶することは危機管理上大きな問題であるが,このようなときに回線を空ける配慮を一般市民に期待するのは殆ど効果がないだろう。むしろつながらないことで一層パニック状態になりうることに繋がりかねない。情報収集にはラジオが一番だが,双方向性の通信という意味では何らかの他の手段が必要である。県の防災無線等はうまく機能したのだろうか。

 秋田では大きな被害はない
ようであるが新幹線が動いていない。結局は朝まで復旧しなかった。本日は仙台でSARSの協議会が予定され,私も出席の予定であったが,急遽取りやめ外来診療を通常に行った。医師会事務局員の話では新幹線の切符の払い戻しを急がなければならないと言う。私は,運休なのだから手続きは後でも出来るものと思っていたが,こんな時にでも新幹線の払い戻しが出発時間前でなければならない・・というのはおかしいことである。真相を確かめてみたい。


5/26(月)県防災の日 快晴 管理会議 魁新聞来訪 長副会議 県医師会広報委員会  震度4

2:00起床、人間ドック判定総括x1,主治医意見書、紹介状返事など。5:10病院に、途中医師会に夜も守衛さん起きて無くて書類預けられず。人間ドック資料作成x2,他.8:00新体制での2年目の管理会議。SARS問題で時間取られる。9:00-13;50外来、15:00-15;40さきがけ新報社記者来訪SARS.16:30-18;00長副会議、18:30-19;50県医師会広報委員会。開始直前の18:25地震あり、震度4程度、病院・病棟に電話つながらず。委員会終了後病院に。被害状態確認、大きなものはないとのこと。21:00帰宅、21:30就眠.

岩手・宮城中心に大地震 偶然にも日本海中部地震20年のこの日、また
 本日18:24東北地方を大型の地震が襲った。幸い津波はなく、地震自体からも大きな被害はなかったようでホッと胸をなで卸している。この時間丁度県医師会の会議室で会議準備をしていた。主に横揺れのみ、約1-2分、震度は体感上4程度と考えられた。地震は局所の問題ではない、震源はどこか??が問題である。間もなく三陸方面中心、震度6程度との情報を得た。津波の心配はないと言う。
 おさまるのを待って病院に電話を入れたが不通、携帯も不通であった。いつもは電話が直接的被害を受けなかったときに数10分たってから通話困難になるのだが、今回は直後に通じた電話は数分以内に通話不能になった。今は大部分の人が持っており子供から大人まで一気に自宅等に連絡に使用したために回線が飽和したためであろう。

 偶然にも本日はあの日本海中部地震から20年のその日である。
 79/83人の死者が津波の犠牲になった。秋田県は5月26日を防災の日に指定しているが、もうかなり風化している。あの日の昼休み、私は秋大第三内科の医局で独り残って何かの仕事をしていたが、激しい揺れと共に医局内の大部分の本棚は倒れた。慌てて廊下に飛び出したが、壁片面に整然と置かれていたロッカーは、倒れはしなかったものの前の方に移動し、上のものは落ち廊下は物品が散乱した。
 実験室の方からは警報音が鋭く鳴って炭酸ガスボンベが倒れて培養器からはずれ、大量のガスが噴出、試薬が棚から落ちて、と実に大変であったが実害はそれほどではなかったのが幸いであった。しかし、短時間に襲ってきた津波が、男鹿や能代で悲劇をもたらしていた。
 この時の記憶を秋田県民は決して風化させてはならない。

 今日の揺れは最近にしては大きかったが、日本海中部地震の時のに比べれば比較にならないほど小規模であった。余所の地域の情報もラジオを通じて知ることが出来てやっと安心できた。郷里の岩手の方でも実質的被害はあまり大きくはなかったようだ。札幌、横浜の子供達からも電話があったらしい。長男も無事とのこと・・・で、一安心して眠りについた。


5/25(日)快晴。FF tennisは中止  ABSラジオ出演 

1:30やや早めに起床、人間ドック判定総括x1,岩崎仙台検疫所所長の講演内容を医報用に改変.途中座位で短時間何度かまどろむ.午前中やっと原稿完成、医師会に送付。その他校正数編。12:00病院に。家内はTOIEC試験を受けに県立大学に。15:00-15:50ABSラジオ生放送でSARS問題解説。18:00帰宅.Vn,CD等、残務処理。21:00就眠。週末は医報原稿に大部分の時間を費やした。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(14)
猫の旅立ち,最期の別れの時間を持てた奇跡
 鳴き声もか細く,やせ衰え,毛並みももういつもの面影はない。目はくぼみ,生気はなく,光も乏しかった。近くに行くまでもなく,死出の旅路にある状態であることは私にもはっきりと解った。今までの2週間何処にいたのだろうか。自分の死の場所時又ところでじっとその時を待っていたのだろうが,私の声を聞きつけて,最後の力を振り絞って外に出てきたのだろうが,私の声を判断出来るとすれば恐らく居間の床下であったのかもしれない。

 そのころ私の家には長男の結婚式に出席するために大阪の叔父夫婦をはじめ10数人の親戚縁者が各地から集まってきており,おおぜいの声が入り乱れ相当にうるさかったはずであるが,その中に私の声が混じったのを聞き分けて出てきたのだろう。
 近寄ってみるとうすく開いた目にうれしげな様子は感じ取れたが,目を開けているのだけでも苦痛なのであろう,すぐに目を閉じた。ネコの外見上では嘔吐した様子もなく,排泄物で汚れても居ない。おそらくもう食べたり排泄したり出来る状況ではなかったのかもしれない。今までなら,毎日,会うたび毎に何度も何度も抱きしめてはスキンシップを交わしていたが,その時の姿では抱き上げるだけで死んでしまいそうな,そんな感じがした。
 私も側に横になりいつものように手を握り,時々名を呼びながら静かに話しかけ,しばし時を過ごした。様子には何となく安堵の雰囲気は感じられたが,あくまでも静かであり,私がぎゅっと手を握るとそっと爪を立てて応じるのが常であったが,もうそのような力も無かったのかもしれない。なされるままであった。

 そのうちにせめて水くらい私の指先から飲ましてやりたいと考え,握った手を離した。特に様子に変わり無くこのまま待っているだろうと台所に水を汲みにわたしはネコの脇をそっと離れた。
 コップに水を汲んで戻る途上,家族の誰かに話しかけられすぐには戻れなかった。約10分ほどであろうか,ネコが横たわっていた場所に声をかけつつ戻ったが,もうそこにはネコの姿はなかった。唖然として周りを見回したが何処にも居ない。懐中電灯を持ち出して床下を照らしてみたが,姿は見えない・・・・。
 このときを最期に私は彼女を二度と見ることはなかった。


5/24(土)晴れ  秋田県保健対策協議会感染症部会+SARSに関する連絡会議

2:起床。人間ドック判定総括x1。介護保険主治医意見書+指示書x2.医師会関連作文, SARSデータ集め、他。5:10病院着、回診。8:00人間ドック診察x4、9:00-9:40人間ドック説明x3。10:30-13:00外来。13:30-15:00ViewHotel秋田県保健対策協議会感染症部会.15:10-16:30ViewHotel SARSに関する13病院連絡会議.18:00迄病院残務処理ほか。16:30帰宅、Vn他。20:00就眠.

ショパンは私にとってモーツルト、シューベルト等とほぼ同列
 ワルシャワの水上公圏内のカジュニキ宮殿の小ホールで待つことしばし、小柄な、とある音楽大学教授が燕尾服に蝶ネクタイ姿で現われ、いきなりショパンのマズルカの一曲を弾き出した。2000年9月の話である。弦楽器の音色を好み、平均律の鍵盤楽器のピアノをあまり好まず、聴く機会もあまり求めなかった私にとって、純然たるピアノソロのコンサートは恐らく始めてであったが、本当に驚いた。一寸気障に表現すればショパンの音楽が身体全体を貫いた感じで、一気にショパン好きとなった次第である。

 私にとってのピアノ音楽は弦楽器を伴っている室内楽、協奏曲では十二分に楽しんでいた。弦楽器と共に奏でられるピアノの音色はとても好きである。勿論数多くのレコードの中にはバッハ、モーツアルト、ベートーヴェン等のピアノソナタのうち有名なものは数10〜100枚は所持しているが、殆どは一度針を通しただけである。ショパンと一言えば、耳に快いだけの甘い音楽という先入観を持っていたと言っても嘘ではなかった。

 このミニコンサートはポーランドの二日目の夜である。その日のワルシャワ市内の観光では、大転換しえた元社主義国の近代化の姿、近隣諸国との確執と侵略・略奪の歴史を遺跡・記念碑等で見ることが出来たし、子供の頃から教科書等で何度も何度も見たキュリー夫人の家、コペルニクスの像も、とても印象深かった。
 その観光の間にガイドさんの口からはショパンの名前が何10回も出た。パリで客死したショパンは常に祖国のことを思い続けていたこと、望郷の念が人一倍強かった彼のために妹さんが心臓を祖国に持ち帰り、ワルシャワの旧市街の聖十字架寺院の入口左側の柱面にまつられている・・・などなど。ワルシャワでは何でもかんでもショパンかね、遠来の客人にもっと伝えたい他のことはないのかね・・・・とも思った次第である。
 その影響もあったであろう、その夜に、ショパンの祖国で、古い宮殿の中の小さなホールで数10人だけの少人数で聴いた彼の音楽から受けた印象は強烈であつた。

 それ以来、わたしはショパンをモーツァルト、シューベルト等とほぼ同列に並べている。


5/23(金)晴れ AKT収録 医師会打ち合わせ(キャンセル) 法人理事会

2:00起床。人間ドック判定総括x1、 SARSデータ集め。秋田医報用原稿校正、5:20病院着。回診他、 9:30-12:30外来 。来週仙台出張2件入り細部調整。13:30-14:00 AKTニュース用収録,内容はSARS。岩崎仙台検疫所長のSARS対策講演を医報掲載用に改変作業に集中。17:30-19:30法人理事会。提起種々で久々に長時間.20:30帰宅.21:00就寝.

特技が「引きこもり」?,どう言うこっちゃ??
 法人内情報紙に「日報○○○」と言うのがある。先日の特集は今春当法人に就職した方々を紹介であった。彼ら,彼女らは外来病棟等でもう一緒に業務をこなしているが,身辺に漂う緊張感,新鮮味などとても良い。業務上で時間を共有しているといえども,名前や出身地等のプロフィルなど全く知らなかったのでぱらぱらと眺めていた。いろいろな記載があって面白い。さすがに時代がら,現代っ子だねと思える記載が見られる。若い職員の入職は本当に職場の宝だ。

 最も私の興味をひいたのは特技欄に「引きこもり」と書いていた看護師の新人がいたことである。これは珍しい。職員の自己紹介の中ではじめて記載されたことばであろう。「引きこもり」を特技にしていると言うことはどのようなものであろうか。

 実は私も「引きこもり」的人間であり,自分を維持するために「引きこもり」が必須である。これはなかなか理解してもらえない。おそらく,私の持っている雰囲気からはどちらかというと陰気っぽい「引きこもり」のイメージを感じ取れないからだと思う。

 本当のところは私はいわゆる「小心者」。だから対人間関係の中では常に不安と恐怖の中で生きており,必死に外界に自分をあわせている状態である。場合によっては自分を捨てて対応するしかない場合もある。だから自分以外の誰かと一緒にいるとすごく気疲れするし,対話すると常に心に小さな傷を負ってしまう。時にはネコの存在すらうとましいことさえある。その傷をいやすには私にとって「引きこもり」が絶対に必要である。

 昨年から職場でもうまく引きこもれる環境を得て,ちょっとオーバーだけれども「水を得た魚のような」状態にあり,ストレス解消がかなりうまくいっていおり業務処理の能率は上昇した。それまでは正直なところ大変であった。病院では,外来と回診以外の時間はコーヒーを入れに行くとき以外は部屋から出ることはほとんど無く,もっぱら引きこも
っている。果たして,特技が「引きこもり」と言うことはどんなことなのだろうか?


5/22(木)曇り、 病棟再編委員会最終回 県医師会番組ドクター会議

2:00起床。人間ドック判定総括x1、 SARSデータ集め。緩和医療関連書類整備。5:20病院着。回診他,人間ドック診察x5、 9:00-12:30外来 。16:00-17:30中通病院病棟再編委員会の最終回として反省点など検討。18:30-19:45県医師会TV・ラジオ番組ドクター会議,席上出席の放送局とSARS取材2回ほど追加。紹介状書きなど遅れている.20:30帰宅.21:00就寝.

今日もSARS・・・我が国の医療機関は危機的状況一歩手前にある 
 SARSは香港を中心に未だに猛威をふるっている
。潜伏期の短さから古い感染は考えられ無いことから,未だに新しい感染者が増えていることになる。従って,中国で現在行われている感染防止対策は完全ではないことを示している。

 空気感染や渡り鳥などを介する感染症の完全予防はもとより不可能であるが,人間を介する感染症予防の方法は国という単位で考えれば鎖国のみである。しかし,現代社会においては国際間の微妙なバランスの下に各国が成り立っているのであり,鎖国はあり得ない。すなわち完全防御は極めて困難であることが示される。残された道は検疫の能力の増強と疑い例,可能性例の早期発見と隔離しかない。

 先日の台湾のバカ医師の日本観光旅行は,疾患への意識が乏しいヒトに対する検疫の無力さをさらけ出したし,最も大切なはずの検疫所職員のおおいなる怠慢のもと,疑い例,可能性例の早期発見と隔離対策に関する初動活動の不備をもさらけ出したことになる。昨日は八戸港沖に停泊中の貨物船の乗組員が体調不良を訴えたことから仙台検疫所が動いた。結果的に感染の可能性はほとんど無いことが解り,ほっと胸をなで下ろしたところである。それだけ現在は国際交流が盛んだと言うことであり,それだけ新しい感染症が入ってくる可能性が大きくなっている。

 全国の医療機関は,また見たこともないSARSの渦中にいつ引き込まれるか解らない不安の中にいる。正しい判断が出来るのか,院内感染は大丈夫か,患者がSARS であった場合にどう対応するか,その後の患者減の問題,不完全防御下で診察した際の休業の件など・・・・悩みはつきない。それでも,はじめから何らかの疑いとかがあって受診してくる,あるいは相談してくる患者はそれなりの対応が出来るから良い。

 問題は台湾のバカ医師のごとく,自分でなんらSARSと思っていない楽観的なヒトは,ちょっと風邪ひきました・・と言って医療機関に受診するだろうし,医師も当たり前に診療し上気道炎と判断し治療するであろうが,その患者がもし後日SARSと判明したら・・・と考えるだけで恐ろしい。どうしようもない現実が待ち受けている。
 
 どうします?医療関係者の皆様方は



5/21(水)快晴→小雨  中通病院友の会理事会 医師会理事会  

2:00起床。人間ドック判定総括x2、 SARSデータ集め。5:20病院着。回診他 9:00-12:30外来 。14:00-15:30中通病院友の会理事会,16:30-18:30医師会理事会.協議事項が多数。SARS関連で討論。療養病床回診20:30帰宅。21:00就眠。忙中座閑無。

医療関係者が情報音痴は困る 情報は与えられるものでなく求めるものなのだ
 SARSに関しては厚労省から,日本医師会から絶え間なく情報が送られてくる。それらを秋田県の担当も県医師会の担当も適宜選択し県内の各医療機関,各郡市医師会に送っているほか,秋田医報にも適宜掲載している。勿論,厚労省,秋田県,日医,県医師会もホームページを利用して可及的早く情報を公開し利用出来るようにしている。現状では情報にはほぼ事欠かないほどである。

 しかし,先日県北部のある医療機関の事務長がSARSに関して,「情報が少なくて判断出来ない,どう対応したらいいのか解らない・・」と述べたという。私はこれを聞いて正直がっくりきた。一般の人ならいざ知らず,医療機関の責任のある立場の人間の言葉とすればあきれるしかない。SARSは今世紀になって始めて迎えた大事件である。大げさに言えば,ひとたび対応を謝れば人類は危機的状況にもなりうる重大な問題である
 我が国はまだSARSの発生はないが,中国を始めアジア諸国と濃厚な関係にある我が国に未だに発生がないのは奇跡的な幸運状態にすぎない。秋田県も中国をはじめとしてSARS蔓延地区との交流は企業や行政を中心に決して少なくない。だから,鎖国でもしない限り,いつ身近なところでSARS疑い例が発生するかもしれない。こんな状況の中医療機関の責任者の一人がそのような発言することは信じられないことでもある。

 医療機関はSARSに関していま大きな問題点に対峙しようとしている。医療的対応の方法論の問題,従事者への二次感染予防対策の問題,風評による患者減による病院経営上危機的状況を迎えうる可能性,場合によっては退職者も出るかもしれない,・・・と言うことである。

 情報は河の水のごとくに流れている。少なくとも医療関係者は積極的に利用してほしい。風邪で通常のごとくに診察した患者が数日後にSARS患者との接触者だったと解ったとき,それ以上の蔓延を防ぐ手だての基本は10日間の休業しかないのだ。これはどんな医療機関にとっても大きな危機になる。


5/20(火)曇り-晴れ  医師会打ち合わせ 医局歓送迎会

2:00起床。家内帰ったばかり。人間ドック判定総括x2、 紹介状返事x1.SARSデータ集め。5:20病院着。回診他,8:00人間ドック診察x5.9:00-13:00外来 。14:00総回診(欠席)。療養病棟回診,事務処理。15:30-16:15医師会打ち合わせ,17:15県健康対策科来訪SARS新局面への対応について。18:15弥高会館にて医局歓送迎会。おもしろい新人何人か入職している。20:00中座し病院業務に。21:00帰宅。21:30就眠。

在宅医療を豊かに,実りあるものにするために医師,看護婦は発想の転換を(2)
 ヘルパ-による喀痰の吸引行為はすでに在宅医療の中ではかなり行われているのが現状である。はっきり言えば,現在の法律に照らした場合医療法違反行為である。だから私は看過出来ない。

 日本ALS協会の署名運動や現状を聞いた坂口厚労相の指示で、厚労省はようやく今年2月に検討部会を設置した。しかし、その議論では、日本看護協会や看護学の専門家の委員が、「喀痰の吸引行為は危険でヘルパ-には絶対に認められない」と主張した。側の傍聴席では、車いすのALS患者が、ボランティアの学生らに頻回に吸引してもらいながら熱心に聴いていたという。傍聴している患者や家族からは「結局、医師や看護師は職域・職権を守ろうとしている」との批判の声があがった。部会は13日の最終会合で、「在宅のALS患者に限って,ヘルパーを家族の延長とみなし、個人的に行うもの」として、吸引を認める内容の報告書をまとめるとのことであるが,施設入所者は対象から除かれるほか、吸引を必要とする他の疾患の患者や、吸引以外の医療行為については言及されないらしい。


今回の検討会の報告書は全くの現状追認に過ぎず,一歩前進は認めるもののバカな結論である。だいたい厚労省の委員会に求められるような方々の大部分は現状を全く知らない,机上の理論家,評論家でしかないし患者たちが言うように職権利擁護論者である。90のメリットを放棄して10のデメリットを声を大にして述べる連中だ。日本医師会はこの場合どのような対応したのか見えてこない。

 私は「喀痰の吸引等の相対的医療行為は疾患を問わずホームヘルパー等にやらせて良い」と言いたい。ただし,だれでもできるような医療行為を、資格や疾患によって阻む理由はないはず・・・と言う安易な考えではない。第3の医療の場として在宅医療を認め,数々の法を整備したが,そのときに医療法の改訂も遡上にあげるべきだったのである。それを怠ったために在宅ケアが主眼であったはずの介護保険は,法をおかさなければ殆ど機能せず結果的に施設重視になってしまったのだ。いま秋田市周辺で約1500人ほどが施設に入所待ちである。

 医療関係者は古い発想にとらわれず,あるべき姿を考えるべきだ。


5/19(月)曇り→雨 管理会議 長副会議 法人評議員会 

1:30やや早めに起床。SARSデータ集め。早く起きただけ時間はゆっくりして良いが,体調は全体に腑抜けの感じで不調.風邪気味か?5:20病院着。回診他,8:00管理会議.9:00-13:00外来。16:00-16:50長副会議,17:30-19:30秋田View Hotelにて法人評議員会。19:45病院業務処理若干.21:00帰宅,そのまま就寝。

在宅医療を豊かに,実りあるものにするために医師,看護婦は発想の転換を(1)
慢性の気管支炎などでは喀痰が大量に喀出されるが,体力が弱ってきた方々はそれを自力で出すことが出来ない。従って吸引ポンプにつないだ管を介して「吸引」しなければ呼吸機能がおかされる。従来から吸引は「医療行為」とされ、医師や看護師以外に認められていない。「医師でなければ医業をしてはならない」という医師法の定めが根拠だが、実は、医療行為の項目を列記した明文規定はない。介護保険導入で、在宅療養の流れが進み、ホームヘルパーやボランティアが介護に幅広く携わるようになった。厚労省は、吸引を始め、点眼や湿布の塗布、血圧測定などを「危険性がある」として医療行為とみなし、ヘルパーらが行うことは違法」としている。家族が行う場合は、「業」としてではないため「黙認」(厚労省)されているが、介護現場ではヘルパーらの手をあてにしているのが実情で、医遼行為と介護の境をめぐる問題がクローズアップされてきた。
 
  今回,認められた筋委縮性側索硬化症(ALS)患者の在宅介護ではこれが認められた。ALSは全身の筋肉が動かなくなる神経の難病で、進行すると、食事や会話、自発呼吸さえできなくなる特異な疾患である。30分-1時間おきに喀痰の吸引が必要になるために,在宅療養の場合、家族の肉体的、精神的負担は極めて大きい。
 この現状は決して看過出来ない問題である。私は先に養護学校の医療行為はどうあるべきかをまとめたがその責任上ホームヘルパーの吸引について考えてみた。


5/18(日)晴れ FF tennis 

2:00起床、人間ドック総括x1。新聞2週間分チェック。医師会医療モニター会議原稿短縮と校正,これが大変な作業であった。ほか種々、検食など。8:30病院に移動、回診他11:00頃まで.11:30帰宅。夜半に呼ばれ出勤したという家内も帰宅、今日も徹夜に近かったらしい。レッドバロンに来てもらいハーレー,ビラーゴ250を車検と修理に出す。直ってきても乗る余裕があるだろうか。13:00-16:40FF tennis、6-1,7-5,6-3,6-2と前回の雪辱.19:00-21:00Vnなど.21:30就寝。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(13)
猫の旅立ち
 この猫は13歳であった。最近の猫の寿命は概してもっと長いらしいが,ワクチン,バランス食などのない当時としては長命であったと思う。小学校一年生の夏から高校卒業までの13年間,いつも一緒に過ごしてきた。子育ての最中の母親としての働きは感動的であったし,私が虫垂膿瘍の穿破による腹膜炎で開腹した小学生期、・・.せめて15歳頃までは生きたい、と思ながら、猫に「おれが死んだら一緒にあの世に行って欲しい・・」といつも頼んでいたことなどが懐かしく思い出される.病弱な私の側にいつも寄り添い、母親のようなやさしい目で私を見守りつつ,みずからの身をもって私に生老病死についていろいろ教えてくれた,いわば親代わりの猫である。この猫の生きる姿勢からいろいろ学ばされ,私の人生観,医療観にもかなり影響している。

 晩年は私が机に向かっている間は,いつも勉強机の上に敷いた小さな座布団の上や私の膝の上で過ごしていたが,ここ一年ほどは体力が落ち,机にもまともに飛び上がれないようになっていた。得意な木工の腕を生かして猫のためにハシゴなどを作ってやったり,・・いろいろ思い出がある。この猫について語らせたら一週間は話し続けるだろう,と思うほどであるが聞く方がバカくさいだろうから一部しかしゃべっていない。炭火のこたつの脇で暖をとっていた猫が一酸化炭素中毒になり意識消失,呼吸も弱くなりかけていたとき,鼻から息を数回吹き込んだり,生まれた子供を処分した後乳腺が腫れ上がるが,代わりに吸ったり乳房をもんだり・・・いろいろある。
 私が下宿して居なくなるたびに元気が無くなると母親から聞いていたが,ついに死の旅立ちしたらしいとの連絡があり,くるべき時が来たのかと心の中で慟哭し,諦めた。 

 2週後の5月の連休は兄の結婚式があり帰省した。結婚式に出席するために客人も多数家にいて歓談していたが,居間の窓の下あたりからか細い猫の鳴き声がした。何と,居間の脇の木陰に痩せ衰えた猫が横になっていた。私は深く驚き,感動した。


5/17(土)晴れ リハビリ病院当直

2:00起床、HDD判定総括x2. その他。自由人家内4;30帰宅,今日は重症患者への対応のためらしい。 5:40病院着.回診,資料作成x2、8:10人間ドック診察x4。10:30-12:30外来。紹介状返事など。14;00-15;30産経新聞来訪,SARSについて取材に応じる。病棟懸案処理他。16:45リハビリ病院へ当直に。そのまま仕事継続,新聞チェックetc。20:30就眠。

あきれた台湾人「バカ医師」,蔓延地区でもこんなレベルだったのか
 日本を旅行後、台湾で新型肺炎を発症し,自身が勤務する馬偕記念病院で隔離治療を受けている台湾人医師がおり、我が国の対策は新局面を迎えた。これが単なるパッセンジャーならあり得ない事でもないが,
流行地の住民であり,更に医師であり,しかもSARS患者を診察している病院のスタッフであり,来日が観光目的,発熱したのに受診もしなかった,というので驚く。確かに,法的には今回の旅行は問題ないであろうが,医療常識の面から,倫理的面も含め私はどうしようもない「バカ医師だ」と言いたい。

 この医師は大阪府、京都府、兵庫県を観光。医師は日本滞在中に熱を出し、すでに発症していた恐れがあり,国内で感染を広げた可能性も捨てきれない。医師は我が国にいる間に受診すべきであた。医師が帰国時搭乗した関空発台北行きの日本アジア航空便に同乗した日本人9人について厚労省は外務省と協力して所在確認を急いでいる。国内航空会社は疑いのある症状の乗客は客室最後部の座席に隔離することなどを定めているが、この医師は出国時に異常は認められなかったらしい。だからといってこの医師の行動は非常識である。

 日本から北京入りしたSARS援助隊は今月11日に到着し16日夜帰国したが,健康診断を受けた後10日間は自主的に自宅などで待機に入ったが,これが医療従事者の当然の行動様式である。

 この医師を感染源とする患者が出ないことを望むが,これで我が国のSARS対策は新しい局面を迎え,危機管理対策の実効が問われる事になった。これは良い経験でもある。メキシコの諺に「悪いことも良いことのためにやってくる」と言うのがある。マイナス場面での経験をプラスに生かすなら無いよりは良い。その発想で秋田県の対策も理論的なものでなく実技を中とした実際的なものにするように,もう一歩進める必要がありそうである。


5/16(金)秋田曇り→小雨 東京雨 日医医療関係者対策委員会 

2:00起床、人間ドック総括x1。医師会医報原稿校正。紹介状返事、連日更新のSARS関連情報収集その他等.超自由人家内5:00帰宅。興に乗って勉強してきたとのこと。自分の健康考えて欲しい。5:20病院。回診+出張時申し送り記載。9:00病院発,中央から空港まで秋田道経由。10:00JAS Airbus A300-600,搭乗率90%ほど。13:00-16:00日本医師会医療関係者対策委員会。18:10ANA,777搭乗率70%ほど。19:15秋田着,20:10帰宅,21:00就眠。


成功の技法―起業家の組織心理学    中公新書
田尾 雅夫 (著)
価格:¥760
 最近は不況のあおりを受けて企業の経営は至難の状況にあり、リストラ、倒産のニュースが次々と入ってくる。卑近な例では景気停滞が続く中、新型肺炎の感染拡大による観光客減が新たな追い打ちをかけ、観光業を中心に、世界の観光・旅行業で約517万人が失業すると推計している。これのあおりはわが国にも及ぶであろう。

 この時代、起業マインドは重要ではあるが、アイデアをまとめ、立ち上げ、業績を維持することは至難の技で、失敗も多い。
 ところが起業が盛んな業界がある。これは医療界、とは言っても病院は総病床規制のために新規には開設は出来ないが、診療所は規制が無い。そのためにいま開業ラッシュである。診療所の開設も立派な起業ではあるが、他の業種とは全く異なり、人がその周辺に居住している限り一定の需要があり、安売り競争もない。だから一般業界の起業とは比較にならない。とは言え、
起業家である以上、性格などの属性、カリスマ性、環境、運など、幅広い要素が必要ではある。

 本書はそのような企業家の要素について分析した本であり、空港の書店で偶然手にした。私は、診療所経営に乗り出すつもりは100%無いのだが、企業家意識については興味を感じていたので購入した。

 内容的には上記の企業家に求められる特質について、企業に成功した人、失敗した人の要因を蒐集、分析し紹介しているが、それぞれの項目に目新しさがあるとは言えない。著者は、先天的な性格、外生的な環境を重視している。その論法、内容は興味深いし、恐らく著者の分析は正しいのだろうが、そんなに要件が揃った人間などいるはずがないと思う。条件が揃っていないときにどうすべきかという提言はほとんど無いから、指導書、実用書にはならない。

 言えるのは、これらの要件を診療所を開設しようとする私が知っている医師達に当てはめてみた場合には、これらの要件が揃っていない人達の方が多い。要するに診療所経営には起業マインドなど必要もない世界なのだ、と感じ入った。
 むしろ、起業マインドは勤務医に欲しい要件である。


5/15(木)晴、 医局会  アイバンク評議員会  療養病棟診療部会

2:00起床、医師会医報原稿校正。同僚医師の原稿校閲。主治医意見書、紹介状返事その他等.5:20病院。机上は書類の山。9:00-13:30外来。14:30-16:10アイバンク評議員会、議長を務める。17:00-18:30療養病棟診療部会。20:30帰宅、21:00就眠.忙中坐閑無し。

産業廃棄物(2) 
厚労省は産業廃棄物について、認可以外の廃棄物を投棄する違反事例が後を絶たないことは、「よく認識はしている・・・が」といっているのをどこかで読んだことがある。役所はいったん許可を出すとまともにフォローなんかしない,ことが起こったときに重い腰を上げ,責任転嫁の論旨を組み上げる。

 だから,「安定型最終処分場」でさえも,有毒物質が垂れ流しになっている可能性は,あっても少ないなどと考えるより,その可能性は高いと思うべきなのである。
 「管理型処分場」の場合では,一般廃棄物専門の処分場の話とはいえ、東京のある処分場では防水シートの破損により汚水漏れ事件が起きている。卑近な例では能代の産業界器物処分場でも起きている。だいたいゴムシートなどでガードが完璧という判断はどのような根拠に基づいているものか,私などはじめから信用していない。ゴムは物理的にも,化学的浸食にも必ずしも強くはないと思うし,ゴムの経年変化はどう評価しているのだろうか。たった,1.5センチ程度の厚さのゴムに命を預けているようなもの。いったん許可が出れば安全だと思うだろうし,疑問無く,集中的に投棄するだろうし,結果的に破損時に生じる問題点は,地下水汚染という形をとるためにとてつもなく大きくなる。しかも,地球の自浄作用は期待出来ないだけの濃度の物質が溜め込まれている。
 すべての最終処分場を遮断型にすれぱよさそうなものだが、コスト面を考えると、そう簡単にはいかないという。遮断型だって,信用出来るであろうか?地下の構造物は地震にも安全だと言われていたが,先の大地震の際には地下鉄が被害を受け従来の考えが否定されたばかりである。
 ならばどうするか。・・・考えが及ばないうちに,ならば放射線廃棄物は??医療廃棄物は??特に感染性廃棄物は??と問題点が増えていく。多くのヒトにとっては廃棄物,ゴミ処理問題は他山の石,ゴミを増やす生活を続け,知らず知らずのうちに罪を重ねている。
 
 産業廃棄物,大気汚染・・・ヒトに例えれば慢性腎不全,呼吸不全状態だ。決定的治療はない,予防あるのみ。地球は病んでいるし悲鳴を上げている。



5/14(水)58歳初日 晴れ 東京曇り 日本医師会感染症危機管理対策協議会

 
1:30起床。紹介状・返事x2、退院時総括等.5:20病院着、回診+出張時申し送りなど記載。入院患者は何とか落ち着いている。8:40-10:00外来、10:10病院発,中央から空港まで秋田道経由。11:20ANA,搭乗率40%ほどで快適。12:羽田,14:00-16:15日本医師会感染症危機管理対策協議会。担当理事の説明,熱意十分も回りくどくて閉口した。18:10ANA,後ろ半分は雄物川中学校修学旅行で占拠。搭乗率80%ほどで脇の席が空いていて快適。19:15秋田着,19:50帰宅,21:00S

58歳を迎えた
 本日は私の誕生日でこの一年無事生きた。何をやってきたのかなと思っても以外と何もやってきていない。ただひたすら日常の業務を淡々と,かつ余裕無く過ごしてきただけだ。

 かねてから何かの時のためのアリバイ証明のためにと,どの時間帯に何処でどんなことをしていたのか程度の記録だけはつけ続けてはいたが,それすらないと自分がどんなことをして過ごしてきたのかなど全く思い出せない。このホームページを開設してからの約1年半は,このミニ随想も書いているので,一日一回はこのために30分ほどは呻吟することが生活の一つの節目とオアシスになっているし,毎週日曜日には昔のことを思い出す時間にもなっているので少しは中身が濃くなったような妙な自己満足感を味わっている。 
 余所の方々から見ればくだらない努力と思われるではあろうが,「継続は力なのだ」という言葉は私の好きな言葉の一つであるし,・・・とこの一年間364日書き続けてきた。また,それらが記録に残るから,ちょっと読み返すとその日のことが思い出されて,以前よりは良い過ごし方をしているように思える.

 この自分の経験から,高齢者等の講演の際,自分の生活記録,出来れば自分史を作ってみることを薦めている。なかなか良いものである。


5/13(火)晴れ  総回診(欠)  県感染症サーベイ(延期) アイバンク打ち合わせ
                  医師会打ち合わせ 医局カンファ
2:00起床,紹介状2部、退院総括、医師会モニター会議校正ほか.家内は締め切りすぎた依頼原稿に集中、徹夜している。5:15病院、回診他、8:05人間ドック診察x5、9:00-13:30午前外来.14:00病棟総回診は出席できず。15:00医師会打ち合わせ+アイバンク打ち合わせ等々。20:00帰宅、21;00就眠.

産業廃棄物 
 ペットボトル飲料も世界中で用いられているとすれば廃棄物としても大変な量になるだろう。私も遂に買ってしまったが、私は秋田県医師会感染性廃棄物検討委員会の委員でもあり、環境問題にも興味があるので放置できない問題である。本日、東北3県で産業廃棄物に対して独自の税金の設定、1000円/1トンが認められ、県外からの搬入に関しては事前協議をすることが出来るようになった。これは環境維持の面からは小さいながら朗報の一つである。

 産業廃棄物とは、企業活動から生まれるゴミ、たとえば、廃油、廃酸、泥炭、建設廃材などを示す。これらには水銀、カドミウム、六価クロム、砒素、シアン、PCB---その他もろもろの物質が含まれている。産業廃棄物のかなりの部分は猛毒。それらは「産業廃棄物最終処分場」で埋め立てられる。この処分場をめぐ?、全国各地でこの7年間に200件以上の紛争が起きている。しかし、肝心のところがあまり知られていない。自分の居住区に近くなければゴミ問題は対岸の火事問題でしかない。

 産業廃棄物最終処分場には全く異なる3タイプがある。
 「安定型産業廃棄物」は金属くずなど、性質が安定していて、生活環境に影響を及ぼす思れが少ないと考えられている廃棄物対象に地中に穴を掘って埋められている。有害物質が発生しない前提なので当然、下水汚染対策、浸出水対策は何もされていない。
 「管理型処分場」は有害物質を含むゴミも扱う。そこでは地下水汚染を防ぐために15mmほどのゴムのシートが敷きつめられている。
 「遮断型処分場」は猛毒ゴミを扱い、同じ埋め立て式だが、地下水汚染を防ぐために底と壁面は15cm以上のコンクリートで囲われている。さらに、同じ厚さのコングり-トで蓋をし雨水が染み込まないように、屋根まで設置する。

 しかし、発想自体を変えないと何ら問題は解決しない。客が来たので慌てて押入にいろいろ詰め込むのと同じ程度の発想でしかない。


5/12(月)曇り 管理会議 長副会議

2:00起床。総括書他、施設入所申し込み書類記入.5:20病院に。8:00管理会議.先週より司会担当、事前のチェックがより深く必要になった。9:00-13:00外来、混雑。13:30人間ドック結果説明2名。病棟、机上事務的処理。16:30-17:00長副会議。20:00帰宅21:00就眠。

ペットボトルの茶初めて購入 
5/9のSARSに対する厚労省主催研修会に出席したが、この日会場近くのコンビニで初めてペットボトルの茶を買った。「釜茶」とか言う銘柄、169円。私にとっては初めての経験。研修会の会場でちびちびとすすりながら講義を受けた。なかなか良いものである。ここ数年、若い人たちはペットボトルの茶を持ち歩いたり持ち込んで来るのがほぼ当たり前のようになっている。会議などの時に飲んでいる人も見かけていたが、携帯電話とは異なりそれほど悪い印象は受けることはない。席にあらかじめ備えられている事も多くなってきており新しい文化なのだと思う。で、保守的な私も遂に買ってしまったというわけ。(東京が意外と暑かったこともあるが)

 私がまだ一度も買ったことがないのは娯楽系、漫画系の週刊誌で、例外は「週刊FM」だけ。あの編集のコンセプトが嫌だからであるが、多分珍しいのではないかな?そういえば病院の部屋が一人になってからこの一年、窓のカーテン、ガラス戸を一度も開けたこともないし、換気扇や冷房のスイッチを一度も入れたこともないと思う。更にいえば院内のエレベーターには荷物運び以外では15年以上は乗っていない・・・と、次々と思い出される。

 お茶は缶のもあるが、ちょっと手を出す気になれない。緑茶は何故かペットボトル向きである。不思議なものだ。今はすっかり当たり前になったが開発段階では安定した品質を維持するのにかなり大変だったとのことであった。

 講演の中で北京、上海等で開催されたSARS関連の会議の状況もスライドで紹介されたが机上にはペットボトルのお茶が配布されていた。勿論ウーロン茶なのであろう。ヨーロッパでは水が売られていたし、ペットボトルは今や国際的に普及しているようだ。



5/11(日)
晴れ  アンサンブル

2:30起床、退院総括書、主治医交代したばかりであり、入院経過も長く作成に難渋。SARS関連文書作成など.9:30Vnなど,10:30-14:00病院、回診他。14:00遠来の客人あり、フルートを交え19:00までアンサンブル.急遽決まった会であったので各人とも準備不足は否めなかったがまずまず楽しめた。19:30夕食, 20:30就眠。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(12)
仙台での浪人生活:いとことの共同生活
 4月中旬、仙台にて浪人生活を送ることになったが、実際には自分一人であったらどうしていたのか解らない。この仙台での浪人生活の決定の背景には、同じ歳のいとこの存在と開業医であるその父親のアドバイスもあた。このいとこは昭和20年に生まれた同い年3人のうちの一人で、もう一人は幼くして舞鶴の海岸で命を失ったことは先に記載した。

 このいとこと幼少の頃から仲良く、中学まではおのおの別であったが盛岡一高から3年間は同じクラスで過ごした。何につけても私よりは勝っており、クリネットの名手でもあり、成績も常にトップクラス。現役の受験では弘前大学医学部に合格していながら大学にオーケストラがない事を理由に進学せず共に浪人生活に入る事になった。私にとって彼をライバル視はしたことはなかったが、その存在は励みになっていたことは確かである。

 4月上旬、このいとこと同じ下宿に住むこととなり、共に仙台市に引っ越した。連坊小路という場所で、仙台一高の真ん前。季節柄、応援歌練習など聞きながら自転車で20分ほどの距離の文理予備校に通学した。予備校の初期の模試などの成績は彼ほどではなかったがまずまずで希望と共に準備に励むことが出来たが、約10日後に長く連れ添ったネコが失踪したというハガキが母から届いた。予想していなかったわけではないが、現実になって大きなショックを受けた。


5/10(土)晴れ 中通総合病院「卯月の会」

2:30W、人間ドック関連処理、紹介状作成他、5:00重症患者の一人に状況変化ありとの連絡、急ぎ病院へ.死亡された。8:10人間ドック診察x5。9:00ドック説明x2。10:30説明x1。10:40-12:20 外来。種々業務処理15:30帰宅、Vnなど。18:00-21:20中通総合病院「卯月の会」でビューホテルへ。70数名ほどの出席で大盛況。老健施設長中心に言葉を交わし親交を深めた。21:30帰宅。22:30就眠.

国立保健医療科学院白金庁舎講堂 医学教育には良い環境??(2)
 昨日講義を受けた教室は驚くほど古い建物であり、歴史の長さ、医療界の移り変わりがにじみ出るような感じである。古い神社や寺、教会等からを訪れた際に受ける厳かな気分にも似た、不思議な雰囲気に浸ることが出来た。恐らくこの建物の中では当時猛威をふるっていた結核、赤痢、疫痢などの感染症に対する研究などがなされていたのだと思うし、熱心に討論されていたのであろう。
 
 当時はこれらの疾患は診断が出来ても有効な治療手段が無く、医療関係者は慚愧の思いで患者さん方と対峙していたのだろうと思う。一方、これらの感染症の診断を受ける事は近近の死をも意味していたが、当時の患者達はそれなりに自分の運命を受け入れていたのではないかと思われる。正確な言葉は忘れたが、結核の治療に一生携わったある先人の言葉、「
時に治し、しばし癒し、常に慰む・・・」は医療人としての諦観と生き方の指針でもあった。当時の医療は科学としての一面の他に、人生哲学の分野も兼ねていたような気がする。私はこの言葉が大好きだし、日常の医療の拠り所にしている。

 今、医学教育は超近代的校舎、講義室、先進的教育ツールを用いて効率的に行われる。そこには病に悩み、不安におののく患者の気持に直接結びつくようなものは何もない。あるのは、冷徹な分析の科学的手法のみである。
 明治、大正時代の患者の不安、いかばかりであったかと思うが、一方では運命を享受する、享受しなければならない現実は一つの慰めであったのかもしれない。しかも、貴賤貧富、老弱男女を問わず、誰に対してもこの事実は平等であったことも慰めの一つであったはず。現在の患者達も基本的には何ら変わる事はなく不安におののいているであろうが、医師らが哲学を欠いた状態で生命科学を発展させたことが医療に大きな不平等生をもたらしてしまっている。この不平等生こそが患者の不安をいたずらにかき立て、大きく煽っている因子の一つである。

 医療人は今一度、先人達の苦悩の歴史、患者達の苦悩の歴史を学ぶ必要がある。近代医学は忽然と姿を現したのではないのだ。かつ、患者の不安はむしろ強くなってきていることをも学ぶべきである。医療・医学は科学である側面と同じほど大事な人生哲学の分野でもあることを医療人は忘れてはならない。

 古に医学教育がなされた場に行って、SARSの講義を聴きながら感じたことの一部である。



5/9(金)晴天 医師会打ち合わせ・法人理事会・7A離散会(すべて欠席)
厚労省「SARSに関する医療機関に対する研修会」

2:00起床、昨日急遽出張に決定したので紹介状、退院総括など期限のあるもののみ処理急ぐ。5:20病院着、種々処理,回診,申し送り記載。9:00秋田空港に旧道から,10:00JAS Airbus A320-600型機,混雑無く7割方。席も周りに誰も居ないところを指定。快適に飛行。13:00-17:10厚労省「SARSに関する医療機関に対する研修会」(国立保健医療科学院白金庁舎講堂)に出席。それほど新しい内容ではないが底上げ的には役だった。18:50JAS にて帰秋,MD-81型機,20分ほど出発遅れあり。20:40病院着,机上整理。21:30帰宅、組合総合病院の看護師4名家内と共に来訪,22:00就眠。

国立保健医療科学院白金庁舎講堂 医学教育には良い環境??
 未だに猛威をふるっているSARSに対する研修会が厚労省主催で国立保健医療科学院白金庁舎講堂で開催された。開催場所は目黒にあり駅からも近くはなく,地方から行くのには必ずしも便利の良いところではない。私は10年ほど前にAIDSの研修会を3日間にわたって東京大学医科学研究所で受けたことがあるが,この講堂はその隣にある建物の中にある。普段は立ち寄ることのない方向でそれ以来始めてであったので,若干の懐かしさも覚えつつ駅から会場まで歩いた。

 建物の由来はよく知らないが,おそらくは明治時代に建てられたのもで,あまりの古さが災いして記念碑的に残され,医療関係の研究や講義,研修会などが今に至るまで綿々と続けられているのであろう。壁は汚れ,階段の手すりやステップはすっかりすり減っており,古の医学関係の,北里氏や野口氏等の記録映画で見るような雰囲気である。講義室の作りも超クラシックな階段教室。机と椅子は作りつけで,これもすり減って歴史を感じる。

 かつて医療・医学関係者がこの建物の中で研究とかを行い,講義も受けたのであろう。当時は感染症とのたたかいの最中で,有効な治療法もそれほど無かった時代であった。この教室で最もカレントなSARSについての講義を受けたのだが感染症と解っていても隔離と院内感染予防対策が主で,自然治癒を待っているだけあり情報は豊かにあるものの,医療内容的にみれば当時の感染症対策と全く同じ状況で何と無くタイムスリップしたような感じを受けた。

 このような由緒ある建造物はいつまでも残しておきたいものだ。時に全国の医学部に解放して特別講義でもやったら,良い意味で効果があるような気がする。
http://www.niph.go.jp/


5/8(木)晴れ、総合内科検討委員会 臨時長副会議 

2:00起床、紹介状、退院総括。5:20病院、種々処理。9:00-13:00外来混雑。13:30人間ドック結果説明x2+新患1名。県のSARS対策関連で明日急遽東京出張に。病院業務の調整に走る。16:00-17:00総合内科検討委員会17:00-19:00臨時長副会議。20:30帰宅、21:00就眠。大学時代の友人より懐かしい電話あり.

コンピューター会社、ソフト会社は責任を果たせ。
 「クラリスワークスv4.4」から「オフィス2001 for Mac」に変更したもう一つの理由は、比較的小さな(?)会社から出されるソフトは見るべき特徴があってとても便利だが、会社自体がいつの間にか消滅してしまっていることもあるし、ソフトが販売中止になったり新しいOSにバージョンアップしていなかったり・・と様々である。実際、「クラリスワークス」社は倒産してしまった。
 私が最大に被害を受けているのはPaperPortと言うソフトで、これを用いてここ数年新聞のスクラップを作っていたのだが、このソフトはOS8.6以降に対応していないし、する気もないらしい。そのために過去からの蓄積が新しい機種では継続できないばかりか閲覧さえ不可能である。

 電子的に資料を処理するとスペースの点とか検索の点で利便性は高いが、時の流れと共に利用できなくなるのではどうしようもない。コンピューターソフト会社はユーザーに対して責任を果たせ、と言いたいが実際には会社の存続すらままならない時代、ソフトの選択・利用もユーザーの自己責任でやらなければならないだろう。だとすれば大手のソフトを選択せざるを得なくなる。最近インターネットで検索が可能になりスクラップの価値は減ったが、割り切れないものを感じる。

 ソフトのみならずハード面でも実は同様である。マックのデスクトップは別だが、パワーブックの比較的古い機種は内蔵電池の交換が出来なく、内蔵電池が切れた際には基盤全体の交換になる。1000-2000円の電池交換で4-5万円!!こんなバカな!!!と古い機種を愛好する私は頭に来る。電池は消耗品のはずで交換できないコンセプトはおかしい。合理的な米国の考えが生きていない・・と考えたが、電池切れの段階で買い換えを迫る、こっちが真の合理性なのかな??今更マックとは縁が切れないほど深入りしてしまったので何ともならない。最近2-3台ばらして交換に挑戦しているが、まだ成功には至っていない。



5/7(水)雨 県医師会常任理事会

2:00起床、人間ドック再検査結果等.療養病床から転院していく患者の紹介状。5:20病院、種々処理。9:00-13:30外来はGW後ということで混雑。患者・医師共に拷問のようなもの。13:30人間ドック結果説明x2。病棟対応に時間。17:30-20:00県医師会常任理事会+特別委員会。20:15帰宅、21:00就眠。忙中閑なしで最近不整脈継続しており、やや気がかり。

「クラリスワークス」から「オフィス」に移行 機能が豊かで楽しいが、重い!!
 マックを使い始めてこの方、主要ソフトは一時的に「EG Word」次に「EG Word pure」を持ちいた時期もあったが、大部分は「クラリスワークスv4.4」を用いてきた。軽くて気軽だったからであるが、この5月から90%ほどを「オフィス2001 for Mac」に変更した。
 クラリスワークスとオフィスはコンセプトは同じ統合ソフトであるが内容的には雲泥の差がある。前者は機能が大きく簡素化されている。オフィスのうちプレゼンテーションでは「PawerPoint」、スケジュール管理やメールソフトとしては「Entourege」を使用していたが、文書の「Word」、表計算の「Excel」は私の単純作業には機能が豊かすぎて無駄であったからである。
 
 乗り換えの理由は

 今となってはこの豊かな機能は実に楽しく、新しい世界が開けた様なものだ。しかし、入力時、バックアップ時、一瞬遅れるのが気になってならないが、いずれは慣れるであろう。一部は今しばらく「クラリスワークスv4.4」を残さなければならない。外来の患者予約等に用いているのは1993年発売のPB180cでOSは7.6。このような「オフィス2001 for Mac」が動かないマックがまだ数台、身の回りで補助的ながら現役として頑張っているからである。

5/6(火)晴れ 管理会議 AKT収録 医師会打ち合わせ(-)、長副会議、医局会

1:00起床,人間ドック総括x1.3:50担当患者2名不調で早めに病院着、そのうちのお一人死去。8:00管理会議、本日から司会担当。9:00-13:30外来。16:00 AKT放送用の収録、16:45-18:00長副会議、18:00-19:00医局会.療養病床の定期処方、紹介状、20:30帰宅21:00S。多忙な一日。

わが家の今年のゴールデンウイーク:
 子供達が独立したのでゴールデンウイークと言っても特に何を計画すると言うわけでもない。家内は朝はのんびりしているが,通常勤務とほぼ同じに夜半まで殆ど病院で過ごしているし、私は連休を当て込んでため込んでいた仕事を病院と家で淡々とこなしているだけ。それでもこの開放感は大きな心の余裕となる。
 今年は幸い(?)休日がとびとびで土日月が休日と、それほど通常と差がない。休日としては分断されて楽しめなかったかもしれないが,患者を多く、かつ重症例を受け持っている立場では大いに助かった。特に輸血関連では幸いであった。

 見直してみると,多忙であったがその合間を縫って通常やりたいと思っていた細々としたことことがいろいろ出来た。長女・長男も一時的に帰省して初日はややにぎやか。
 今日は外来の看護師さん,患者さんからゴールデンウイークはどうでしたか??と頻繁に聞かれたが,私からは「多少はゆっくり出来たネ」と。それ以外答えるものは何も無し,質問者は不可解な顔をするだけ。

 ほんとに私は何をしていたんだろうかと思う。ちょっと見直す。

 4/29家のTV回線の配線。午後病院,夜は義妹の「退職ご苦労さん会」に出席。
 4/30早朝,患者さんお一人の重症化と死去でスタート、療養病床開設準備等に集中。
 5/1療養病棟発足,外来入院共に多忙。残務処理多数。
 5/2外来入院共に多忙。県医師会で書類山積みで処理.
 5/3ハーレー2年振りに陽の下に、久々に楽器練習。午後は重症患者の対応中心に病院,夜はリハビリ当直。
 5/4は午前病院,午後FF tennis,夜間来客とまあ,午後はゆっくりしたか。 
 5/5早朝,患者さんお2人重症化でスタート、更に日直で対応は終日ハードであった。
 
 まあ。こんなもんだった。でも並べてみれば,多少は自宅で過ごす時間も長かったのでVnも弾けたし,それなりにいろいろやれたと思う。今年も超ミニスケールの楽しみ方だったね。


5/6(月)こどもの日 晴れ  日直 病棟拘束
 
2:30起床。人間ドック総括x1他。書類2,3処理.4:00-6:00寒気とか身体に違和感あり再び横になり微睡む。かなり改善,7:00担当患者不調で急遽出勤。その後,夕方までずっと対応。日直業務は特に求められなくて助かった。人間ドック総括x1,紹介状,友の会ニュース校正・加筆他。レセプト関連書類2,3処理.療養病床患者家族と面会。19:30帰宅、今晩は重症患者で呼ばれるだろう,早寝する。20:30就眠。

大学医学部はやはり「在日日本人」養成所か(2)
 日本医師会の委員会の休憩時間に、ある委員と雑談したことでいろいろ考えさせられた。

 例としてあがった20代後半の女医の勤務態度はわれわれ古い感覚の人間から見て到底容認出来るものではないし,その報酬も聞いて驚いた。この勤務条件は,とある国立大学の医局が提示したもので、そこではまず平均的な額とのこと。その条件下では,月のうち10日間働けば私の月収を超えてしまう額である。

 例え、そのような報酬であっても医師が不足している現状や、医師の特殊な技能,若い医師の置かれている環境から見て実際にはやむを得ない部分もあろう。 大学病院の医師のうちかなりの部分は大学院学生であり,研究生などで無給どころか自らお金を支払って働いている状況にある。彼らには修練、勉強、研究のためには時間が宝であり、一方では家庭を維持していかなければならないと言う重要な一面もあるだろう。
  問題なのは、そのような勤務体系、報酬を当たり前と考える事にある。そして,その環境に甘んじてしまうこと。この現実に問題点を感じていないとすれば相当に社会通念からかけ離れている。在日日本人だと言われてもやむを得ない。医師一人を養成するのに4-5千万円はかかると言われるが、国民は多額の税金を使って在日日本人を養成している事になる。果たして国立大学に,各医師にそれだけの自覚があるのだろうか。自分の努力だけで医師になれたと思っていないか。税金を使ったのなら,自分の資質を社会への還元しようとする意識が欲しい。

 私が2年間の岩手県医療局に勤務した後、秋田大学内科医員として勤務したとき報酬は実に1/7に減ってしまった時のことを思い出した。週一回市内の病院の外来を手伝い、月のうち1-2回は近隣市町村の診療所等をに出かけて収入を得ていた。そのような構造は当時からまだ何も変わっていないようであるが、変わったのは報酬の額と社会人としての良識の程度なのだろうか。

 来年度から新卒医師の臨床研修が必修化される。その中で最ももめているのはどこから人件費を捻出するかであり,まだ正式には決まっていない。今更,人件費の問題が出てくると言うことは,国は今までは若い医師を,安いただ働き同然のマンパワーとしかとらえていなかったことを示している。
 若い医師も,育てた国民ももっと怒らねばならない。その怒りが,物事を正常化するのだ。日本人はおとなし過ぎるよ。



5/4(日)曇→晴れ FF tennis 来客

2:30当直室にて起床、人間ドック総括x2, 紹介状返事等.持参の事務処理、新聞に目を通す。6;00ころ3階病棟より電話、対応。7;15ころ検食、8;30-11;30病院、回診、雑用種々あり。12:00帰宅。13:00-17:15梅林園。4-6、6-3、6-4、6-1。今日も負ける、今年は不調だ。17:50帰宅, 19:00-21:15来客。22:00就眠。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(11)
ついに来た大学受験、予定通り不合格。
 高校3年の卒業時は私の医学部進学3年計画の2年目だったから始めから大きな期待は抱いていなかったが、私は東京大学でなく、新潟大学と弘前大学医学部を受験した。昭和39年3月の話である。当時、国立大学は一期、二期校とに2大別されており旧帝国大学を始めとする比較的古い伝統のある大学が一期校となっていた。新潟大学と弘前大学を選んだのは、もしかすれば・・・との気持と、比較的盛岡から近いという地理的な点からである。

 結果は、両方とも不合格。新潟大学の入試問題はそう難解ではなかったが、もっとも得意とし確実に点数を稼ぐと意気込んでいた理科のうち化学部分で、ここだけは出ないだろうとヤマから外していた「亀の甲の分子化学」(いわゆるベンゼン環を中心とする有機化学)が出されて目算が狂ってしまったのも失敗の一つの因子であった。弘前大学の試験問題はひねりもなく比較的単純であったが、それだけ広範な、バランスの良い力が試されたことになる。かなりの高い得点であったと思うが、結局は募集人員の範囲の順番には届かなかったのだろう。ただ、気持の上では補欠合格の知らせもあるかもしれないという夢はしばらくの間抱いていた。


さて、今後はどうするか??盛岡一高には進学できなかった卒業生が集まって自主的に勉強し合う教室もあるが、ただがむしゃらにマイペースで頑張って自己満足しないように、かつ客観的な指標を得るために、経済的面では何とかなりそうだったので私はあえて仙台の文理予備校を選択した。
 家を離れるにあたり、もっとも気がかりであったのは、常に私の側に寄り添い、私の全てを支えてくれた13歳のネコがめっきりと体力が乏しくなってきたことであった。このネコは私が下宿するたびに明らかに元気がなくなるために土曜毎には帰宅して共に過ごしていたが、これからはそうはできなくなるからである



5/3(土)憲法記念日 晴天 リハビリ当直 

2:00起床、人間ドック総括x2, 紹介状返事等.持参の事務処理、時折のVnをはさみレセプト処理一部など。本日から3日間は休日なるも療養病床は連日拘束、本日リハビリ当直、5日は日直と予定はびっしり、されど心には余裕あり。10:00車検切れていたハーレー2年振りに陽に当てる、錆がすごく箔が付いてきた。エンジンはかからず車検どうしようか。13;00ころから病院より頻繁に電話。13;30-17;00病院、種々雑用あり。17:05リハビリに、新聞2週間分に目を通す。20:30就眠。

大学医学部は、やはり「在日日本人」養成所か
 日本医師会の委員会の休憩時間に、関東で病院を経営している委員と雑談した。その時の話題のいくつかは私の立場や業務内容にも多少関連していることなのでにいろいろ考えさせられるものがあった。

 3年ほどその病院に勤務した、ある診療科の医師が一昨年今ころ出身地である北海道の病院に移るために退職したという。その医師は自分の出身でもあるある国立大学の医局からの紹介医であったので大学の医局に新たな医師の派遣を要請したが、最近は人的余裕がないので外来診療だけの応援しかできないという。もともと小さな規模の病院なのでその点は問題がないが、新たに派遣されてきたのは目下子育て中の20代後半の女医で、週2回勤務、午前中だけという条件。そのために月から金までの連日を月木の週2回に縮小したが、子供が熱を出したとか、いろいろな事情で診療開始時間に遅れてくることも、僅か1-2時間の診療で帰宅することも希ではなく、遅刻しても早退しても院長には挨拶も無し、・・・といろいろ続く。休まないで来てくれるだけでも良いのかもしれないが、とかなりあきれかえっている様子。報酬は○万円!!とのこと。
 私どもの病院なら講師〜助教授の一日勤務並に相当する額だ。これは大学医局が提示した条件で、その科ではこれでも平均的だそうで、これ以下では派遣は困難とバッチリ言われたとのこと。これまで3人ほどの医師が交代したが、殆ど同じ様な医師が来たと言う。しかも他の曜日は何れも開業医のところでパートで働いているらしい。病院にとってこの条件下での診療の維持は経営上はメリットはそれほど無いが、患者に対する責任上からも欠くことが出来ないので続けているが、これが時代なんでしょうかね・・・と結んだ。

 私も同じ様な経験しているので身にもつまされたが、こんな条件で大学が医師を養成し、教育していることは、「大学とは医育機関ではなく、在日日本人養成所ではないか」と感じた次第である



ここでの用語「在日日本人」に付いてはコラム 「在日日本人」 を参照してください


5/2(金)晴天 医師会打ち合わせ


2:30起床、人間ドック総括x2, 紹介状返事等.「秋田医報校正数種」5:30病院に。事務処理、回診、10:30-13:00外来新患補助、10数名。13:30人間ドック説明。15;00県医師会に、書類山積み、懸案事項若干。療養病床関連等処理、20:30帰宅。21:30就眠.

アメリカ、特にニューヨークの平均寿命がのびている
 アメリカの平均寿命も延びつつあるが、特に、ニューヨークの住民の平均寿命が此処数年で急速に延びている。男女平均で77.6歳となり、全米平均を7ヶ月上回ったと市の当局が発表した。女性が80.2歳で男性は74.5歳だが、10年前に比べて女性は3.2歳、男性は実に6.7歳の延び、だという。平均寿命が延びた原因は若者が死ななくなったためであるが、その事情はアメリカらしく殺人事件とエイズによる死者が大幅に減少したことが男性の寿命の延びの第一の原因とされている。

 我が国の平均寿命の延びの原因は、第一に平和であり若者が戦争で死なないこと、少子高齢化、少子化の中でさらに周産期や乳児期の死亡例が少ないことに起因している。第二次世界大戦では日本人の平均寿命は何と17歳も短縮したが、アメリカの場合にはしょっちゅう戦争をしているが、それが平均寿命短縮に繋がらないのは本土が直接攻撃を受けたことがないのと、自国民の安全を第一に考えて作戦を展開していることにある。

 今回のイラク戦争ではアメリカは絶大なパワーを世界中に示し、アメリカ自体が世界の脅威国になってしまったことを世界中に示したが、アメリカとて今後の少子高齢化で経済の維持が少しずつながら困難になっていく可能性がある。文明の爛熟によってむしろ競争力を失ってくるのが資本主義国社会の世の常であるが、アメリカでは現在まではその傾向は見えてこなかった。その理由の一つは医療と社会保障費の抑制であったが、それでも我が国よりもさらに高比率に予算をつぎ込めているのだからすごい。でも、これからは、そう上手くいかないように思うが・・・。


5/1(木)快晴、療養病棟発足

2:00起床。人間ドック総括処理x2等。5:20病院着、回診等業務種々。8:30療養病棟で診療部長として開設の挨拶。9:00-13:00外来。13:30HDD説明x2。病棟関係業務、管理室整備進める。20:30帰宅21:30就眠.忙中閑なしの一日。

「インデンバング」って何だ?? 高齢者にカタカナ語は難しい
 外来での話。80歳ほどのご高齢の夫婦で来院している患者さんが、今度「インデンバング」と言うところに申し込みたいんですが、どんなモンでしょうか??、と言う。  何だろ?インデンバングって。

 高齢者の方の外来診療は決して楽ではない。話がうまく通じないことも多々ある。何度か聞き正していくうちに老人ホームのようなもの、あるいは老健施設のようなものであることが解ってきた。しかし、そんな格好いい名前の施設を私は知らない。息子さんのいる埼玉にでも引き取られていくのかな、と思ったが、どうも秋田市内にあるらしい。それ以上聞き出そうとしても埒があかず秋田市内の施設一覧表にもない。電話交換にも聞いてみたが解らなかった。

 ハッと気づいた。「インデンバング」でなく「リンデンバウム」でないのか?その後はさらさらと話が進み,意向は理解した。私の勤務する病院の協力施設としての「特別養護老人ホーム リンデンバウムいずみ」のことである。この間約10分、何度か「インデンバング」でなく「リンデンバウム」だよ、と大声で教えたが相変わらず「インデンバング」・・・と言う。無駄したね。
  で、この夫婦、診察終了後も待合室で「インデンバング」・・と言っているのが聞こえる。要するに上手く聞こえていないのだからやむを得ない。私どもが何とはなしに使っている外来語混じりの日本語、これは高齢者には辛いのかもしれない。そういえばもう一つ協力施設に「ケアハウス スプリングヒル」というのもあるが、きちんと通じているのかな?

 日本語の良さは、話している間にも、字、特に漢字を見てもイメージがさっと湧いてくるから通じるのだろうと思う。カタカナ語はその点は全く駄目。高齢者にとっては理解も覚えるのも困難と思う。いまカタカナが驚くほど氾濫している。若い人の感覚と高齢者のそれとは異なることを自覚して運用しなければならない。
 今日発足した療養病棟ではカタカナ語は使わない方向で行こうと思う。

 子供の時にデビューした「美空ひばり」は英語の素養はそれほど無かったらしいが、英語の歌を実に上手に歌い、見事に発音しているのに驚かされる。要するに彼女は耳が良いのだ。だから、見事に発音できるのだと思う。聴力、視力が弱った方々にはこの日本語の乱れ(?)は気の毒である。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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