徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


4/30(水) 晴れ

1:30病院より電話。患者さん呼吸循環状態悪化。1:45病院着,・・・。4:30お見送りして帰宅,風呂そのほか済ませいつものごとく5:30病院着.後はいつもパターン。SARS更新用データ送付。「すこやかさん」用作文完成,9:00-14:00午前外来、紹介患者等あり後半混雑.14:30人間ドック説明1名.その後は院内業務,明日からスタートする療養病床準備等。ここ数日は医師会関連の行事無し。20:20帰宅21:00就眠。多忙。忙中閑無し。

運転のマナー 実は私も問題あり
 千秋公園桜開花時に医師会の駐車場が占拠され大変であったが,ドライバーのマナーにはいつも問題を感じる。私の家の近くの交差点では,赤信号時に書店やコンビニ,ラーメン屋の駐車場を通って右左折するドライバーもかなりいる。これは明らかに私的財産への不法侵入である。そんなにしてまでドライバーは何を求めているのだろうか,・・・と考えること自体バカくさい。

 しかし,実は私も大いに問題のあるドライバーの一人である。私の場合は,特に早朝の信号無視,一方通行路の逆走が主で,余所の土地を利用して走ることはしていない。結果として信号無視したことになるのだが,無視しているのではなく,信号への抵抗であり,一方通行指定へ逆らっての逆走である。何故ならば,誰もいないところで何の役にも立っていない状態の信号や一方通行の存在は実に非人間的なものであり,私にとって大きなストレスになっているからである。ただし,100%安全と判断したときだけの敢行で,誰にも迷惑になっていないはずである。

 交通信号は絶対的なものでなく相対的なものであるべきだろう。同じ場面で同時にその道路を使用するものがいるときの優先の指示が信号であると思う。何で,誰もその道路を走っていない時間帯に,赤で私は止まらなければならないのだ。
 勿論,違反を問われた際には持論を展開するつもりはなく,社会通念に従う覚悟の上である。

    実は昨朝,1:30am病院に呼ばれた際,病院近くの市内のメインストリートを通る時,はるか遠方に車のライトが見えて,ちょっと拙いかなと思いつつ赤信号を無視したのだが,なんとその車はパトカーであった。恐らくよそ見をしていたのであろう。運が良く助かった!!。もう少し厳密に判断して実行しなければと反省した次第である。


4/29(火)みどりの日 快晴→夜間は雨  義妹退職ご苦労さん会

2:00起床。人間ドック総括処理x2等。TV回線二階に配線。12:00-16:30病院にて回診事務処理。18:00-20:30約30年間教職でこの3月退職した義妹の退職ご苦労さん会。今後は寺の内儀さんとしての人生とのこと。酔って会場隅で若干微睡んだ。21:00帰宅,21:30就眠。

桜散る 葉が無いのに何故あんなに咲けるのか
 今年は桜が開花し始めてから雨天や寒い日が続いたためか,いつもよりはやや長めに咲き続けた気がする。かなりの木々で散り始めてはいたが,天候に恵まれた日曜日など,千秋公園等にはかなりの人出があったようである。昨夜からの驟雨が徐々に激しくなり,今朝の出勤時には毎日私を楽しませてくれた路傍の桜の様相は一変し,葉が出始めていた。日本人には独特の観桜の習慣があるが,この雨は秋田市民の気持ちに一区切りつけてくれるだろう。

 私は桜をみていつも不思議に思うのは,何故葉っぱが一枚もない状態であれほどの花を一斉に,誇らしく咲かせることが出来るのか??と言う点である。葉がない状態で咲くからあれだけ美しく栄えることは確かである。しかし,人間を喜ばせるために美しく咲くのではないはずである。植物は葉で光合成を行いエネルギーを得る。だから他の花の多くは葉が十分に生い茂った段階で,十分に準備が出来てから開花するのだろう,と思う。が,桜の場合はどうなっているのであろうか。確かに,前年秋から冬にかけて花芽が用意されているようであるが,さりとてあれほどの花を一斉に咲かすにはかなりのエネルギーが必要なはずである。前年度に十分何かを蓄えていたのか??逆に,何故一斉に咲いて一斉に散り始めるのであろうか。その間数日だから季節的変化で散るのでは無かろう。開花用に用意された何かが数日で枯渇するからでは無かろうか。
 
 桜は一斉に散ると驚くほどの早さで葉が生えそろう。これも不思議である。葉と散りつつある花との共存の1週間ほどは美しさはそれほどでないが,その後の葉桜,その密集した深い緑の葉の色調,これも美しく風情がある。わたしは葉桜の時期も好きである。


4/28(月)晴れ 管理会議 ABS収録 長副会議

2:00起床。人間ドック総括処理x2等。
5;30病院.回診等。8;00管理会議,9;00-14:00外来他。15:00ABS収録、16:30長副会議。療養病棟患者データ作成、主治医決定、後発品への置換準備。20:15帰宅。21:00就眠。

日本人は危機管理意識が乏しい,薄い,と言われるが・・
 リスク、危機管理という言葉そのものはもうすっかり一般的になつてきているが、それをどう自分の身辺に生かしているかという点ではまだまだのようである。例えば飛行機で出張すると落ちる可能性はゼロではないし、近頃はテ□も心配だ。しかし、こうしたリスクを負ってまで行くわけであるが、実際には、リスクと得られるメリットを勘案していくのではなく、リスクを忘れて,あるいは軽視していくところに問題がある。

 何か大きな事件,事故が生じた際に各界の評論家等が意見を求められるが,必ずと言っていいが「信じられない!!」「考えられない事故だ」・・等と述べられる.御巣鷹山に日本航空のジャンボ機が墜落したとき,10数年前のスペースシャトルの爆発事故,この度のコロンビアの空中分解事故でもそうであった.
 私はこのようなコメントを見るにつけ逆に驚いてしまう.交通機関の場合は速度が増すにつれ危険度が増していく.私は飛行機は低い確率とはいえ落ちることが運命づけれているものだと思っているし,東海地震もいつかは生じるであろうが,その際は新幹線に乗っていればおそらくは助からないだろうと言う,ある種のあきらめ気持ちで利用している.勿論,商業運行の交通機関は安全対策は出来た上でとなっているはずであるが不測の事態には対応は困難である.もっとも,乗ってしまうと個人的には何とも対応できない.飛行機ならば安全姿勢を取ることくらいであり,あとは何とも出来ない.その緊急事態が乗客の生命維持が可能な範囲でおさまることを望むだけ.

 考えてみれば生活そのものが何でもリスクのもとになる。国民性なのか日本人はもともと危機管理は不得手な様である.そればかりか危機管理の対策をとるのをいやがる傾向にあると思うし,その方面への投資も忌避する様である。安全,平和に慣れ過ぎている結果かもしれない.われわれは知らず知らずのうちに大きなリスクにさらされているのである。どうせ避けられないリスクの中にいるのなら積極的にリスクの勉強をしてみるのも面白い。きっと新しい途が拓けて来るだろうと思う。

 危機への準備は危機がやや遠い間が良い機会である.危機可能性があまりにも近くなってしまうとパニック状態となり正常な判断が出来なくなる.例えばSARSは感染症であるだけ個人の危機管理の知識やノウハウが生かせる分野であるが,私のところにきた電話相談数件をみても100%考え難い状況の方からの心配の相談である.不安に駆られると自分にとって都合悪い様に情報を選択し,更に不安になっている.
 
 
私ども医療関係者がSARSについて一番心配しているのは病気そのものではなく,可能性のある患者さんが国内とか県内に発生した際に,住民の方々が不安になってパニック状態になることである。その方がずっと恐い。危機管理体制は住民達が冷静に対応しているくれることを前提に構築しているからである。


4/27(日)快晴 FF tennis 

2:00起床。家内と長女がこまち最終で帰宅。人間ドック総括処理x2等.作業療法士会挨拶再校正,ホームページに投稿等。8;30-10:30病院.事務処理,回診等。13;00-16:30梅林園,7-5,6-4,7-5と雪辱。17;00-19:00重症患者回診,事務処理他。20:00帰宅、21:30就眠。

高校生活余談:受験勉強に専念、鳩との別れ、新婚の担任の話
 私の高校生活の方向性は先の担任とのミーティングの話題に集約されると言っていい。
とにかく残りの2年ほどは「医学部進学3年計画」の遂行にひたすら走った。それ以外の記憶や想い出はほとんど無い。
 3年になってからは、長年飼ってきた鳩も全て近所の子供達に分け与えるなど、身辺の整理を進めながら私はひたすら受験勉強に走った。3年の夏頃には一つだけ笑えるような思い出がある。

 盛岡一高はいわゆる修学旅行はない。理由はかつて何10年か前に修学旅行生が乗った列車が転覆事故に遭い、何10人かが死傷したことがあるらしく、それ以降中止になったのだというが詳細は知らない。その代わりに各クラス毎に自由に計画出来る、いわゆる遠足調の一日が設定されていた。
 私のクラスはその年、小岩井農場に出かけた。林野や牧場、名物(?)のジンギスカン鍋などを楽しみ帰路に就いたが、われわれの小グループ数人は駅に行く途中、林野に入り込んで道に迷い、駅前の集合時間に間に合わなかった。汗びっしょりで駅に到着したときには既に他のグループは数分前に全員列車で盛岡に向かったあとであった。駅の伝言板には担任の教師の書いた紙切れが貼ってあり、「○○君達へ 家庭の事情で早く帰る。学校に戻ったら連絡せよ」と書き置きがあった。2時間ほど後一列車遅れて高校に着いたところ、教室の黒板に「
○○君達へ 家庭の事情で早く帰る。学校に戻ったら自宅に連絡せよ」と書いてあった。これで一件落着ではあったが、担任教諭の気軽な無責任さをみんなで笑ってしまった。
 この教諭は3年のクラス替えから新しく担任になったもので、2ヶ月ほど前に結婚したばかりの新婚ほやほや状態。何かにつけてほやほやムードを身辺に漂わせてみんなを刺激していただけに、この行動は予想はしてはいたが、「まあ何と無責任な!!」と思ったものである。それ以外、彼に関してはほとんど記憶に残っていない。受験指導の際に何を話したかも思い出さない。「東大医学部を受験したら??」と言った教諭の名前は未だに忘れ得ないが、この担任はもはや名前も思い出せない。昭和38年の時のことで、あれから40年にもなる。今はどうしているのかね?

 時は流れ、3月、遂に受験の時期を迎えた。


4/26(土)雨→晴 秋田県作業療法士会創立20周年記念大会
2:00起床。人間ドック総括処理x2等.作業療法士会挨拶等検討。家内不在なので今朝も早めに、5:00病院着.事務処理・回診等。8:10人間ドック診察x5、9:00人間ドック説明1、16:00秋田温泉に。秋田県作業療法士会創立20周年記念大会へ会長代行として出席.全国作業療法士会会長の講演は夢うつつに聴いた。18:00祝賀会、中座し20:00帰宅、21:00就眠。

名言!!「医学は生命をまもり、作業療法は生命を豊かにする。」 
 本日、秋田県作業療法士会創立20周年記念大会へ県医師会長代理として出席した。日本医師会の医療関係者等委員会のメンバーの一人として、私にとっても作業療法士を知るために良い機会であった。
 
 作業療法士、理学療法士等が技量を発揮するリハビリテーションの領域は、特に高齢化社会に置いては極めて重要な領域といえるが、その実体や真の価値は医師の間ですらもまだ十分には知られていない。

 彼らに対する理解を困難にしている一つの因子として、その名称に当たり前すぎる、「作業」という言葉を使っていることにあるような気がする。われわれが「作業」と言う言葉に抱くイメージは、土木作業、手作業、農作業など、健常な人たちの肉体的、労働的な意味合いが強い。しかし、作業療法士の指す「作業」と言う意味はそれとは異なり、「日々生活で行われている一群の活動や課題で、人間が生きて行なう全ての行為、行動、活動(精神的、身体的)、動作など」と言うことらしい。具体的に言えば、寝る、起きる、話す、トイレにいく、風呂に入る、体を洗う、新聞を読む、歩く、仕事をする、運転、ドラ子供と遊ぶ、などなどなどなど・・人間としての生活の行為、行動全てを指すようである。これらが「作業」なのだ、と言われても正直なところピンと来ない。

 作業能の低下は、種々の病気や病気の際の不適切な安静の強要等で障害され、今まで意識せずに行なっていた日常動作ががうまく出来なくなることであるが、この状態からの治療に関してはその方面を研鑽した一部の医師以外には全くお手上げの世界である。
 医師自らが何も出来ないと己の限界を知っているのであれば、その分野の専門家に相談すればいいのだが、相談相手について知らなければ話にもならない。そういう医師が多い中で現在の高齢者医療がなされているところに問題がある。

 以下は私の持論であるが、我々が身につけた先進的技術と知識を応用した近代的な医療技術は,はたして高齢の患者さん方に本当に役立っているのか,局限すれば近代医療とは,ともすれば寝たきり患者製造業ではないのか,と自問自答する事も少なくない。
個々の患者に全人的治療をしようと考えたときに,病気による障害,あるいは病気に随伴して二次的に生じてきた障害を,正しく評価して、人間として,その人なりに生きていけるように,そこまで治療計画をたてなければ考えなければならない。そういう医療を真の意味での現代的な医療と言うべきであり、求めなければならない方向性である。場合によってはその患者の状態を「人生の終末期」と評価する方向も必要と思う。

 今日はコ・メディカルの一業種である作業療法士の会合に出席し、いろいろ考えさせれた。私は日常診療の中に於けるリハビリの重要性を理解しているつもりであったがまだまだ不足なようである。それを確認しただけでも良かったと思う。コ・メディカルの方々とより一層前向きに連携を考えていきたいものだ。否、行くべきなのだ。


4/25(金)雨 県健康対策課来訪 秋大眼科医局訪問 法人理事会 医師会打ち合わせは中止

2:00起床。人間ドック総括処理x2等.県医師会ホームページ用ニュース検討等(SARS関係)。家内学会で不在なので早めに病院に。4:45病院着.事務処理・回診等。9:00人間ドック説明x1、14:00県健康対策課来訪「天然痘テロ対策関係」。紹介状返事x2 等.16:00-16;30秋大眼科医局長と面談。いろいろ考えさせられた。その帰路医師会打ち合わせのために会館前まで行ったが渋滞で時間がとれず中止。17:30-19:00法人理事会。20:30帰宅21:30就眠。

中国の新型肺炎拡大 
 中国衛生省は25日、北京市、山西省、内モンゴル自治区に続き、天津市と河北省でも感染者数が二けたに達し、感染が北京から周辺地域へと次第に拡大していると発表した。
 感染拡大を食い止めるため、患者の隔離は勿論,住民の自宅待機、団体旅行やイベントの中止,小中高休校,大学生の帰省禁止など「荒療治」に乗り出した。市警察は主要道路で車両の検問を開始、人の流入を制限し、人の移動や接触を強制的に抑え込んでしまう作戦をとっている。しかし,結果は逆で,首都脱出を図る人々が空港に押し寄せ大混雑となっていると言う。北京を離れる人の多くは地方の故郷に帰るとみられ、人の移動に伴って新型肺炎ウイルスが北京から中国全土に拡大する恐れも出てきた。
 かつてヨーロッパでペストが流行したとき,隔離から免れようといち早く国外に脱出した裕福な人々を介してペストがヨーロッパ全土に伝播していったことを思い出させるが,市民のパニック心理が高じてそんなことにならなければいいが,と私は心配である。

 市民の間で広まる買い占め騒ぎについて北京市当局は生活必需品の供給量は十分にある,と述べ、心理的動揺の鎮静に努める一方,商店で食料や野菜が実際に不足して来た事態を受けて北京市当局が大量の食品を倉庫から市場に放出、他省からも供給を受けて対応していることを明らかにした。
 そろそろ中国は北京を中心に市民の生活が尋常ならないところまで至り始めているようである。そうなると疾患の伝播とは別に我が国に交易を通じた影響も出始めることが危惧される。衣料品,電子製品なども大事だが,最も危惧されるのは野菜,穀類等をはじめとする食料品の供給事情である。我が国の食糧自給率は先進国で最も少ないが,それでも成り立ってきたのは微妙な国際的バランスの上に立って各国の利害が一致していたからである。このように国民の生活自体が影響受けるような病気の流行は国際間のバランスの崩壊を招くから安穏とはしていられない。

 日本の各省庁とかがSARSで共調路線をとって対策していないことを私は不思議に思う。SARSに対して,あるいはその間接的な影響について国を挙げての危機管理体制を敷くことが必要と私は考える。SARSを病気の面だけでとらえてはならない。今はそういう時代なのだ


4/24(木)快晴、 療養病棟スタッフミーティング 臨時長副会議 AKT収録

2:00起床。人間ドック総括処理x2等.AKT収録(SARS関係)検討、5:15病院着.事務処理・回診等。9:00-13:30午前外来、13:30人間ドック説明x1 、14:00療養病棟スタッフミーティング、問題点続出。16:00-18:00臨時長副会議。18:00-19:00AKT収録。準備時間とれなかったが何とか終了。20:00帰宅、20:40日本消化器病学会出席の家内駅に送る。21:30S。終日多忙・・・であった.

偉い人は早出ナンだそうだ(2) 「早起きは三文の得」
 アメリカで会社や病院、政府関係者等は地位が上がればあがるほど早朝に出勤すると言う。日本では重役出勤という逆の慣習がある。

 私は子供の頃から朝は比較的早いほうであった。祖父が生活の規律に厳しかったこともある。比較的自由に時間設定できる大学生活でも授業がないから、休日だからと言ってゆっくり起きると言うことはあまり無かった様に思う。早起きには岩波文庫の「フランクリン自伝」から強烈な刺激を受けたことも影響している。
 そうは言っても今みたいな2:00am起床の生活パターンになったのはここ10年ほどで、宮古病院や秋大の頃、中通総合病院勤務後しばらくは深夜に就眠し、6:00am頃起きるパターンであったと思う。

 子供たちが大学受験の準備をしていた頃、ちょうど私も医師会の理事になり多忙となったためにしばらくは21:00就眠、0:00頃起きて4:00頃まで仕事をして再び眠る2分割のパターンをとっていたが二度目に起きるのが結構つらく、起こす役目の子供達からもクレームがあったのを機会に、21:00ころ就眠2:00起床にしてみたところ自分に合っているようで以後ずっとこのパターンを維持している。
 深夜起きていることの一番のメリットは電話とか邪魔が入らずにこの時間を自由に使えることにある。もっとも、家内は自由人だから時々徹夜まがいの生活をするので、このときはじっと我慢、我慢である。
 出勤時間は業務量で決めている。午前午後、夜の医師会委員会等のスケジュールはそのままに種々の業務が増えているからその処理は早朝しかない。そのために早く出勤するようにしているが、最近はずっと5:00前後である。これがなかなか良い。外来時間の前にかなりの処理が出来る。入院患者の把握も出来るからゆったりと外来が出来るし、午後は比較的自由に業務をこなせるし、予定外の業務が入ってきても柔軟に対応が出来る。最近はインフルエンザ、SARS問題などで緊急のTV取材などもあったが何とか対応できたのもこの生活パターンのお陰である。

 早起きのメリットは枚挙にいとまがないほど沢山ある。今以上に誰しもが早起きだったと思われる時代に「早起きは三文の得」とはよく言ったものだと実感している。いまは夜更かし、遅起きの時代だから、早起きの価値は更に大きくなっている。それを楽しんでいる私は幸せ者だね。


4/23(水)晴れ→雨  医師会理事会 秋大眼科教室訪問 

1:30起床。人間ドック総括処理x2等.5:15病院着.事務処理・回診等。二つのTV局とSARS取材に関して検討。9:00-13:00外来混雑、13:30人間ドック 説明x1。TV用に急遽散髪に。17:00院長と共に秋大眼科に。アポ取っていたにかかわらず空振りに終わる。初めての体験,どうなって居るんだ??17:30医師会理事会に遅れて参加.19:15-病院に。 20:30帰宅、21:30S。

偉い人は早出ナンだそうだ
 聖路加国際病院の日野原理事長は現在91歳、活力ある超高齢者としてマスコミにも頻繁に登場している。彼の活力はたいしたもんだと日々感心しているが私は彼が未だに理事長でいることに対しては必ずしも是とは思っていない。名誉理事長の肩書きでも十分活躍できると思うし、それほどあの病院には人材がいないのかと思う。一方ではあの病院では副院長の一人は看護師であるなど、先進的人材登用を行っている事から見て、人材不足とか古い体質のせいではなさそうである。
通常は高齢になるほど物事に対して柔軟に対応する能力を失っていくものだが、彼の講演や著作を見てもそうでないのも、すごいと思わせる一面である。

 この理事長でいることに関しては数ヶ月前にここにちょっと書いたことがあるが、それから数日後に日野原氏から私に手紙が来た。まずい!・・・と一瞬思ったが、開けてみたら日野原氏の監修した何かのシステムの紹介で、内容的には関連会社の名前で出せばいいようなダイレクトメールであり、ホッと胸をなで下ろした。考えてみれば,私のホームページなんて目にとまる可能性なんてゼロに近いよね。

 彼の生き方の中では、50歳代で「よど号」ハイジャックに遭遇してからは「第二の人生だと割り切ったら積極性が出てきた」と言うこと、アメリカで会社や病院、政府関係者等は地位が上がればあがるほど早朝に出勤するということを目の当たりにして自分も取り入れたとのことで、彼は数10年間、7時頃には病院に出勤して業務をやっているという。あと、午前2時頃の就眠時間までの時間を無駄にしない生き方、これには感心する。「95歳になったら若干暇になると思うから正式にゴルフを習いたい・・・」とある雑誌のグラビアで言っていた言葉である。イヤハヤ、驚くばかりである。

 私なんざ、彼の足下にも到底及ばないと思いながらも、早朝起床、出勤、時間を無駄にしない生活などでは私とも若干の共通点があるな・・・、などとちょっぴり勝手に親しみをも感じている存在である。いつまでもお元気で活躍して欲しいものだ。


4/22(火)快晴・寒い 総回診 医局カンファ(ブルガダ症候群) 県医師会広報委員会

2:00起床,人間ドック総括x2、etc.5:15病院、回診他、 午前外来9:00-13:30.総回診。療養病床患者検討他.17:30医局カンファレンスは循環器担当。致死的不整脈の話題、不整脈をかかえた身だけに身近に感じる。18:30-20:00県医師会広報委員会.20:30帰宅21:00就眠。

ドライバーのマナー 観桜の気持と乖離
 秋田県医師会館は千秋公園の脇にある。公園は市内に於ける桜の名所でもある。医師会のある一隅は県の脳血管研究所、成人病医療センター、衛生検査研究所、総合保険センター等県の施設が集合しているために敷地も、駐車スペースもこの区域にすれば比較的広い。だから、この季節、公園に観桜に来る人たちの車が押し寄せる。今日は広報委員会の他に特に委員会等がないが駐車場は満杯であった。それ以上に各地から委員会のために集まってくる委員のうち数人が側まで来ているのに駐車できずに遅れてきた。この季節、行事の設定を考え直さなければならないようだ。

 県の管轄下にある施設であり、県民は納税者でもあるわけだからこれらの施設の駐車場を開放することには意義はあると思うが、なにぶん駐車の仕方が悪い。駐車の白線等全く無視を始め常識的に車を停めるべきでない歩行者用のスペース、生け垣の脇まで乱雑に置かれる。中には奥の車をどうやって出すのか心配になる置き方もある。もっとも仲間内で来たのなら良いだろうがそうでなければトラブルになるのでは???・・と心配になる。また、確認できなかったが、救急車の通路は大丈夫なのかと心配になる。花を愛でる気持と駐車のマナーの間に大きな乖離があるように思えてならない。

 基本は駐車場が少なく、かつ、ドライバーのマナーが劣悪であることに由来しているがそのことばかりを言っていても何も解決しない。難しい話かもしれないがこの時期の夜間、駐車場にガードマン等配置しては如何だろうか。
 この時間、家内も看護師さん数名と共に千秋公園で観桜したというが駐車はどうしたのかね??
 そういえば、3日前の当直の日、当直医師用の駐車場が占拠されて、私もしばし対応に困った事を思い出した。ドライバーのマナーはだんだん悪くなっていくような気がしてならない。


4/21(月)晴、やや寒い 管理会議  市企画課員来訪 医師会打ち合わせ

2:00起床、人間ドック総括x2。SARSデータ整理etc。5:30病院へ、回診など。8:00管理会議. 9:00-14:00外来、何故か大混雑。14:00-15:00秋田市企画課員来訪。秋田市との姉妹都市であるランシュウ市との医療研修交流事業についての対応策検討。16:00-17:00医師会打ち合わせ。人間ドック1/4程度を新しく赴任した医師にお願いした。若干負荷が軽減されそう。20:00帰宅.21:30就眠。

SARSはある一面からみれば,やはり,エイズよりも恐ろしい病気
 SARSは政治的に、経済的に世界に大きな打撃を与えている。
 米ウオールストリート・ジャーナル誌は4/31に「中国を隔離せよ」とヒステリックな社説を掲載した。中国政府が情報公開をためらっていることに対する不満を表現したもので、内容は世界各国が中国と香港との交通を遮断すべきであるというものだ。
 中国では新政権が発足したばかりであり全人代も開かれようとしていた2月頃から患者がで始めていたが、新政権のスタートを中国の「新時代へ飛躍の時」として祝賀的に迎えようとし、SARSの現状を隠し続けた。今,北京市を始め住民,国民の現政権に対する批判は激しく生じている。今までと全く異なる方向からの政府批判である。疾患がはびこっているという点では現実には不幸な状態を招いているが、この疾患がもしかして中国の政治を良い方向に変える切っ掛けになるかもしれない。むかし、ヨーロッパでペストが蔓延したが、その度毎に古典的階級制度を強いていた国々は一気に民主化に向かって変容を遂げていった。今はその当時に比べて変化の流れは速い。革命的な効果があるかもしれない。

 同様にSARSの蔓延はアジアを中心に経済界にも深刻な打撃を与えている。旅行業界、航空業界に大きな痛手を与えている。特に航空業界はアメリカの同時多発テロやイラク戦争に伴うテロの危険のなか厳しい状況を迎えている。アジア便は搭乗率20-30%程度ともされる。それだけではない。シンガポールでは国家はじまって以来の危機と位置づけて対策に奔走している。

 わが国も直接的に、間接的に種々の影響を受けていくであろうが、わが国での最も恐るべきは疾患自体ではなく国民のパニック状態の様な気がしてならない。そのために,疾患等に対する正確な情報の開示、広報活動はもっとあっても良い。ニュース報道のみでは恐怖感を募らせるだけだ。


4/20(日)終日降雨 FF tennis中止 ケーブルTV室内配線の変更

2:00起床、よく眠った。人間ドック総括x2、ドックスケジュール表作成。新聞チェック。紹介状など作成。7:10検食、8:30病院に移動、残務処理、10:30帰宅。愛用のCD プレーヤーといただきもののソニーのプレーヤー2種アルファペックスに修理に出す。共に10-20年ビンテージ物、直るかな??テニス中止になり懸案のケーブルTV室内配線の大幅な変更に終日費やす。かなり便利になったが一部機能喪失。18:00-20:00病院にて残務、21:00就眠。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(9)
私を変えた言葉の一つ
 高校1-2年の担任はU教諭、当時30歳後半か40歳程度であったと思う。東大卒の国語教師でであった。特に優秀な教育者との印象は持つことはなかったが,何かにつけて東大卒を鼻にかけているような言動がみられ,私は不快な気分と,ここまで誇りに思えるなんて東大とはそれなりにたいしたところのなのだろうと感じていた。「東大卒が,何でこんな片田舎の高校の教師なんかしているんだ。もっと別な道に進めなかったのかね。こんなところで高校生に自慢話してなんになるんだ・・」というのが彼に対する当時の感想であった。

 高校も2年になると進路指導が始まる。
 ある春の夕方,私の順番が回って来てその担任と面接した。しばし世間話した後,私の成績表を前に出し本論に入っていったのだが,進路希望を尋ねられた。私は疑問なく,淡々と「医学部,しかも国立の・・・」と述べたのだが,それを聞いた担任の反応は実におもしろかった。最初は私が話したことは理解できなかったらしく,信じられないといった風な,笑顔ともとれない複雑な表情を浮かべた。その後,絶句し,しばし対話が途切れた。
 
U教諭 (満面の笑みを浮かべて)「国立と言っても,具体的にはどの辺の大学を志望しているの?」。
私 「
親が無職(中学時代参照)だし,経済的事情があるので,国立なら何処でも・・・」。
U教諭 「フーン,まだ決めていない??フーン,・・・そんなら
いっそ東大医学部でも受験してみてはどうかね??どうせ同じ結果なら良い思い出になるよ・・」。
私 「・・・」。
U教諭 
君には,無理だね,国立の医学部は」。
私 「
・・・・そうですか。いっさい可能性はないですか??」。
U教諭 「
・・・,無理でしょう,国立の医学部は・・・」。とにべもなく答えた。

 これがその時の会話,約5分間。私の人生はここで決まったようなもの。この会話のわずかな時間の間に私の心にはとてつもなく大きな目標が形成された。「私は国立大学医学部を目標にする。担任の言うことも一部は本当だろうから,後2年で足りない,本日から3年計画で行こう。U教諭には今日彼が見せたようなヒトをバカにしたような笑顔で結果を報告するぞ・・・。」


4/19(土)雨 リハビリ当直

2:00起床、SARS情報収集、改訂版作成 ?医報投稿用原稿作成etc。 5:20病院着.7;00
回診、8;10人間ドック診察x5、9;00説明x1。病棟用Macのモニター17インチに入れ替え、調整、視認性大幅に改善。やはりモニターは可能なだけ大きいのが良い。10:30-13:00外来。残務処理、医報原稿送付その他、16:50リハビリに移動、当直業務に。一週間分の新聞チェック。20:30S就眠。

「マッハの怪鳥」コンコルド遂に引退
 B747、777やA340と言った超大型機が活躍する時代であるが、超音速旅客機「コンコルド」は誰にとっても特別な印象を持つ航空機である。そのコンコルドが本年10月をもって商業運行から引退すると発表された。寂しいかぎりである。初飛行から34年のモデルで8機ほど製造され商業運行に就いているが、後継機はない。
 今となっては古さは否めないが、離着陸時には視界確保のために機首部分が下の方にスイングする特徴があり大型の鳥類の姿を彷彿とさせる一方、その勇姿には超音速旅客機の誇りが感じられる。商用機唯一のデルタウイングの独特の外観は、経済性の悪さや機体の古さを越え、航空ファンでなくともこころを引きつける機能美、魅力にあふれている。

 コンコルドはマッハ2以上で飛行する。通常の旅客機がマッハ0.8程度で飛行している事からみて如何に早いか解る。そのために窓も掌程度しかなく、触ると熱いのだそうだ。離着陸時の騒音はかなりなもので、そのためにロンドン-パリ間でしか商業運行をしていない。サミット時とかには日本にも飛来している。実際に乗ってみるとそれほどの騒音でないらしい。恐らくマッハ超ではエンジン音はきこえなくなるはずである。

 2002/7のコンコルド墜落のシーンが脳裏をよぎる。地上にいて巻き添えでになった7人を合わせて計114人が死亡した。私は新聞の写真でしか見ていないが、あのエンジンから火を噴きながら飛びあがった映像は全世界に衝撃を与え、これでコンコルドも永遠に飛ぶことはないのではないかと思われたが、関係者の情熱に支えられて再発防止の改修がなされ復活していた。
 しかし、騒音が激しいこと、航空需要低迷、期待の老朽化と修理費用の高騰、その他の事情もあり運航終止がささやかれていたが、遂に、エールフランス、英国航空共に引退を決定してしまった。

 私はまだ実物を見てはいない。パリのドゴール空港では駐機中の機体を見れるのではないかと期待していたが残念ながら見ることは出来なかった。
 飛行機はどれも美しい。贅肉が一切無いからである。その中でもコンコルドの機能美は白眉であった。寂しいかぎりである。


4/18(金)曇  ISO企業評価説明会 病棟再編委員会、医師会打ち合わせ(欠)

2:00起床、人間ドック判定総括x1.再検査報告書.紹介状返事、メール返事 他、 5:30病院着、回診他。ドック説明なしで若干余裕。療養病床患者一覧作成。10:30-12:30新患補助、13:00臨時長副会議。14:00-16:10御所野テルサにてISO14000収得関連説明会に参加。実際、病院評価との関連は薄くよく眠った。14:30-18:00病棟再編委員会、先ず一段落のイメージ。20:30帰宅。21:30就眠.

また迎えた桜の季節 盛岡市の石割桜はどうなっているのかな?
本日午後、病院機能評価の一つともされるISOの説明会があり市内近郊まで出かけた。病院周辺の桜がきれいに咲き始めている。病院周辺にはチリポリとではあるが桜の木が多く、比較的若い木なので実にきれいである。私は花見などにわざわざ出かけることは嫌い、-----否、桜が嫌いなのではなく鼻見が嫌いなだけ-----であるが通勤途上の桜はじっくりと楽しむ。と、言うよりは一年の節目を最も大きく感じるからである。新年を迎えるときの気持よりも遙かに大きい。

 昨年の桜の満開の時も考えたが、この一年間自分は一体何をしてきたのか?と思う。日々怠惰になることなく精一杯に過ごしてきたとの実感、満足感はあるが、まとまったことは何一つ出来ず過ごしてしまった様な気もする。そういえばハーレー、一度も乗らなかった。錆を落として今年は乗りたいものだ。・・・いろいろあるなぁ。

 桜と言えば子供の頃から親しんできた銘木、盛岡の石割桜は今どうなっているのだろうか??この季節盛岡に出かける機会もなく数10年見ていない。私の子供の頃から枯れてしまう危機にずっとあった老木である。約350年の樹齢らしく、周囲は2mほどの巨大な花崗岩の真ん中付近のひびに落ち込んだ桜が石を割りながら成長したと伝えられ、岩手県人の心情や、ねばり強さの象徴的存在だったと思う。ずっと樹木医が苦労しているとも聞いていたが、まだ健在なのだろうか、訃報には接していないが心配である.


4/17(木)晴れ 県SARS対策講習会   「すこやかさんin Akita」対談

2:00起床、人間ドック判定総括x1。秋田医報用の投稿原稿作成送付ほか。5;30病院着.回診その他.療養病床患者30人ほど。9:00-13:30外来。15:00-17:20県SARS対策講習会、ビューホテル。300人ほど集まる。岩崎氏の講演、途中眠ってしまったがポイントはつかめた。県の説明の時にはどんな質問がでるのか緊張した。18:00-19:40県医師会広報誌「すこやかさんin Akita」対談。20:30帰宅、21:00就眠.座る間も無かった一日。

空間の余裕は内科医には必須 実感できない都市部の事情(2)
 約一年ほど前には東京女子医大医局に戻る派遣医師が私にPerforma 6410(180)を置いていってくれた。今までは医局でのメイン機種として活躍した。置いていく理由はやはり医局の狭さで、もはやデスクトップ型は無理とのことであった。お二人の医師が同じ理由を挙げたと言うことはもう都市部の大学などでは個人的なスペースがないか、あっても自分の肩幅程度とのことである。とても実感がわかないが、そんな環境で果たして医師として仕事が出来るのか驚いてしまう。

 内科医師にとって最も重要なのは、患者の訴えを聞き、十分観察し、病態を考えてまとめあげる事だと思う。特にレントゲンとかの画像上明らかな病変無く、検査成績にも明らかな異常を示さない疾患を診る機会が多い私にとっては教科書、文献を読む時間も必要になる。更に書くべき書類も少なくない。従って私にとって時間と空間は必須である。私はかつては勉強しなくなったら医師を止めると公言していたが、実は今のところ多忙すぎて勉強時間がとれないのが悩みの一つである。

 自分にとって満足とは言えないまでも恵まれているのは空間が豊と言うこと。それで助けられているところが大きい。病院の自室はかつては二人で使用していたが、立場上、来客等も多くなったので昨年7月から一人にさせて頂いている。片袖の事務机を横に3ヶ並べ必要に応じて使い分け、仕事上では高能率となったし、ものを考えるにも良い環境である。

 今は、外来の診察机の狭さは閉口している。シャウカステンを持ち上げてスペースを確保するなど工夫しているが、他の医師はほとんど気にならないらしく苦情を聞いたことがないのが、私にとっては別の驚きでもある。理事会の席も人数の割に狭く、時に肩が触れ合うほど近く実に苦痛であるが苦情を聞かない。実に不思議千万である。
 新幹線や飛行機の中、隣に座られれば苦痛が数倍増し、空席だと途端に嬉しくなる。さらに知り合いが同席するともう耐え難く、車両を変えたくなる。・・・・やはり、私の方がおかしいのだろうね、多分。


4/16(水)快晴 pm予定なく,ずっと引き籠もる

2:00起床。紹介状の返事・対応に手間取る.医報投稿原稿,そのほか若干処理。5:30病院着、回診他業務.9:00-13:00外来、その後ずっと自室に引き籠もり院内、対外的業務、県医師会関連業務遂行、主治医意見書,訪問看護指示書ほか懸案事項多数処理.満足した。22:00帰宅.21:00就眠。

空間の余裕は地方の宝なのかもしれない  とても実感できない都市部の事情
 先月当院を退職したある医師から高価で機能的ないろいろな物品を大量にいただいて恐縮している。Power  Mac  G3,iMac,プリンター2機種,19インチのCRT,オーディオセット一式,レントゲン診断時に用いるシャーカステン,自宅用の家具他である。ご本人が購入した時には,100万円以上の(もしかすればその倍ほどはかかったかもしれないような)驚くばかりの高品質の製品である。CDプレーヤーはしばらく用いられていなかったらしく,機械部分からオイル漏れがあるなど一部機能しないのもあるが私にとってはすべてが,自分のものより高級かつ先進的な製品ばかりである。これで私の医局ばかりでなく自宅の環境も大きく様変わりした。
 医局の机上のメインのコンピューターはPerforma 6410(180)と15インチのCRTからG3(400)と19インチに代わり,プリンターもStylwrighter 2200からEpson PM3000Cになり,機能的には革命を迎えたようなものである。

 彼が私にこのような高価な,現役で十分使える品をプレゼントしていったのは,第一にこれから住む住宅事情,勤務先の医局のスペースの問題だと言っていた。第二には私が古い製品までも大事に使い切っている状態をみてくれていて,それなりに評価してくれていたからだと思う。そうは言ってもこれほどの高価なものである。いただくことにかなり複雑な気持ちと躊躇はあったが,「是非,先生に使って欲しい・・・」との一言で私もいただく決心をした。

 東京近辺に勤務している友人他からも,住宅事情,勤務先の個人のスペースの狭さの話は聞いていたが実感としてはピンと来ていなかった。ある友人は院内の個人のスペースはロッカーだけで,机はなく全員が使う広いスペースだけなのだそうだ。そんな環境で医療ができるものなのか,驚いてしまう。
 それからみれば,秋田は,わたしの環境は夢のようなものなのだと思う。



4/15(火)快晴 秋田県感染症情報検討委員会 県医師会打ち合わせ 大学医局訪問 医局MC

2:00起床,HDD判定総括なし、SARS県医師会情報第3版作成。自分のホームページにも掲載。5:10病院着、回診等,新入院患者も落ち着いている。8:00人間ドック診察4名.9:00-13:45午前外来+HDD説明2名.14:00ー15:00秋田衛生検査研究所にて感染症情報検討委員会,今年度から委員に。15:00-15:30大急ぎで医師会書類チェック,15:30-16:30院長と秋田大学第一外科学教室に挨拶回り。医局カンファ。20:00帰宅21;30就眠。
 
意見の対立は当然。しかし「坊主憎けりゃ袈裟まで・・」の発想を捨ててこそ
 今,春闘が盛んである。国際的に不透明なこの時勢に加えて日本のこの経済の低迷,実に暗い話ばかりである。さらに医療界は国の政策のあおりを受けて大変な状況にある。病院は総じて2-10%もの減収に悩んでおり,私の勤務する病院も例外ではあり得ない。

 毎朝,労組は職員や患者向けに決議文など,パンフレットを多数配布している。それを読む限り経営陣は全くの悪者扱い,バカ扱いである。「理事の給与を下げろ!!」等々,ソフトな表現あり,ハードなのもある。読んでいて笑みがこぼれるのから汗がでるのまで様々である。「理事の給与を下げろ」との要求などは親しみが持ててとても良い。それで責任から解放され,事態が解決するなら私ならとっくにやっているね。そうそう,経営陣になったってほとんど報酬など上がらないと言うことを主張するのを忘れていた。一方,責任は比較にならないほど大きい。むしろ私などそれなりの年齢を迎えたから年々収入は下がっているんですよ,みなさん。

 交渉の接点を作ることは労使交渉の戦術として当然。しかし,ビラや労組関係の意見は対立構造の増幅戦術である。いま言えることは,この厳しい時に内部で対立なんかしている暇も,経済的余裕もないということ。今の医療界が迎えている問題点はとても複雑。狭い接点の積み重ねからは何も解決できないほど複雑である。点での交渉と言うよりは面での交渉が必要である。そのためには交渉には論理性が必要になるので互いに勉強が必要だ。成り立たないほどの要求を掲げて迫るのは戦術としては得策ではない。立場の差を認識するだけで,かえって進展はしない。

 それと日本の悪しき考え方,文化の一つである「坊主・袈裟」の感覚,これを捨てなければ交渉は進展しない。他人が同じ考えを持っていると仮定するだけで気持ち悪い。意見の違いは当然,それを戦わすのはむしろ良いこと何だが・・・それが後々まですべてに尾を引く,そのことが私は嫌なだけだ。


4/14(月)晴れ 管理会議  秋田市企画室来訪 長副会議

1:30起床、時間的には不十分。脱力感で全身ボーとする。HDD1名総括。広報誌のインタビューの準備、その他.5:40病院着。回診その他、8:00管理会議.9:00-13:00外来。途中寝不足か寒気あり。16:30長副会議。終日体調良好ならず。19:45帰宅、21:00就眠。昨年のいま頃は桜満開であった。

行き場の無い虚弱・寝たきり高齢者 死によって救われることもある
 本日午前、私宛に紹介状を持ってある老人保健施設から94歳の男性患者が搬送されてきた。肺炎をしょっちゅう生じ、日常的にも喀痰の吸引が頻回に必要で施設でのケアのレベルを遙かに超えており,かつ今まで診てくれた病院から拒否されたので何とか私の勤務する病院で治療して欲しいという。
 紹介状から読みとれる内容は確かにそのようなレベル。どう対応しようかと考えながら救急室に向かう。そこにいたのは四肢が堅く拘縮して小さくなったお爺さんが静かに搬送用のベットで寝かされていた。話しかけてもつねっても反応はない。数ヶ月前からこんな状況で,栄養は臍の横から胃に管を入れてそこから人工栄養でやってきているとのこと。

 紹介してきた老人保健施設は秋田市の南の郊外にある秋田市の代表的な病院の脇にあり,脳梗塞の発症時から,側の病院に数回入退院を繰り返してきており,ついに今回は入院を拒否され,主治医が困って私宛に紹介してきたのだという。

 この一人の患者についてだけでもいろいろ考えさせられる。
 ヒトが生きていること,生きることとは何だろうか。医療とは何か,どこまで患者の人生に関与していくべきなのか,人生を変えうるものなのか? 福祉とは,日本の医療行政の生き方は果たして正しいのか??各病院は患者に対してどこまで責任を負うべきなのか。患者・家族が,主治医が希望しているのに医療提供を拒否して良いものなのか??

 この方は,診断名も沢山ついていた。でも私の感覚からはもうそんなことはどうでも良い状態である。人生の終末期を迎えた状態である。この方が受け入れられる最も相応しいのは介護であって医療ではない。それ以上に,来るべき時が来た際には「あの世」であろうと思う。娘さんが一人ついてこられたので初対面ながら私はこの件について説明し,患者さんの生きていく上での援助の範囲の医療のみを行う旨述べた。当初は初めての医療機関で,初めてあった主治医に何を言われるのかと緊張していたのであろう,表情も硬かったがすぐに私の説明に納得していただけた。むしろ彼女の表情からは安堵した,というような様子が読みとれた。

 医療は受ける側がその意味を理解できて,自ら求めて受けるものでなければならないと思う。そうでなければ医療は拷問である。どんな人間にも人権がある,それを差別なく大事に,という考え方を私はとらない。死を間近にした人間は死によってのみ本当に救われるのだ。この大事な救いを,決して健康人の考え方でもてあそんだり,奪ってはならないのだ。



4/14(日)雨→曇り→晴れ 県議会議員選挙 FF tennis. 来客
2:00起床、HDD判定・総括x2。感染症危機管理関連改訂版作成、モニター会議話題作成。熱帯魚フィルター掃除など。13:00-16:00梅林園FF tennis。2-6、6-4、4-6、5-7と今期初勝負から黒星,その兆しはあったが遂に世代交代か。園の梅は2分咲。16:30-18:30病院残務。19:00投票に。19:00-2100来客、夕食後22:00就眠す。多忙であった。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(9)
下宿を2回経験する 完全に音ノイローゼに
 1年の冬は嫌なバス通学をしたが、担任の奨めもあって2年の秋口から冬期間は盛岡市内に下宿することになった。とは言っても家には鳩もネコも居て世話しなければならず毎週土日は家で過ごした。
 2年の冬は北山と言うところの古い家で70歳ほどの老婆が生活の糧を得るために下宿をおいているところで知人の紹介があった。岩手大学農学部8年生の強者、盛岡工業高校生、盛岡工業高校の夜間部生の4人。当時は一人部屋の下宿はむしろ珍しいくらい。私は工業高校生と一緒に8畳住まい、とは言っても襖を開ければ一部屋になる構造で4人で共同生活したようなもの。ほぼ同年代?の他人との生活を通じ反面教師的内容から前向きまでの種々の刺激、多様な価値観の存在を知ることが出来た。
 3年の時の下宿は南部藩城跡の、いまは公園となっている下の橋付近であった。40歳ころと思われた未亡人が二人の子供を育てるために5-6人の下宿人を置いていた。当時は自宅に下宿人を置いて生活の糧を得ることは比較的珍しくはなかった時代である。学生やサラリーマン達もアパート暮らしで自炊生活などしているのはホンの一握りであった。今回は中学生の長男の隣の、一応ドアを閉めれば独立した6畳ほどの部屋であった。そのために他の下宿人、多くは大学生、と直接接することはほとんど無く、その意味では快適であったが、この長男が部屋にいる間中ずっとラジオをならしていて私は音の暴力に苛まれた生活となった。注意しても止めるわけでなく、この時の生活を通じて私は音に極度に敏感になってしまい、それが未だに続き私を悩ませている。私はずっと嫌煙権ならぬ嫌音権を主張し続けているが、その時のルーツはここにある。


4/12(土)終日雨  県SARS対策に係わる協議会 来客

2:00起床、人間ドック総括x1他、家内3:00帰宅。ホント良く続くね。5:40病院着、事務処理,8:10人間ドック診察x5。9:30人間ドック説明x1。10:00-10:30電話医療相談、10:30-12:30外来10人。13:00-14:40県SARS対策に係わる協議会.病院関係者からいろいろ参考になる意見が出された。15:30帰宅。客人あり。人間ドック判断などトロトロと仕事こなす。21:00就眠。

SARS対策で多忙であった10日間
 SARSが「新感染症」に指定されてから私の周辺は一気に慌ただしくなった。県の感染者対策が大幅に動き出したからである。県では健康対策課が担当しているが担当者は医療関係者ではないし、現在県庁内には医師免許を持つ医務官は居ない。本当は保健所長をもっと有効に活用すべきだと私は思っているが、なんか上手く機能しないらしい。だから、県では県医師会に意見や医療面での対応を求めてくる。私は医師会で感染症危機管理も担当なので頻回に意見を求められる。血液疾患を中心に多少勉強し、感染症対策には身近な立場であるのことが若干幸いしているが、通常みる事のない感染症に対する対応なので私にも辛い内容でもある。その面では、事務系の担当官は良くやるものだといつも感心する。

 県医師会で感染症を担当してから「0-157感染対策」「インフルエンザ対策」「炭疽菌によるテロ対策」などに何とか対応した。さらに「コンピューター2000年問題」も担当してきたしてきたが、その度に危機管理が少しづつ身近になってきている。その面では今回が一番順調に進んでいる様に思える。
 このような危機管理の担当を担うようになってから感じることは、一人で考えているよりはとにかく人を集めて相談することだと思う。「医師会内の感染症委員会」「県の感染症部会」での意見交換も随分役に立ったし、本日の医療現場の担当者の「連絡会議」でも役立つ意見が沢山交わされた。

 実際に、もし、発症間近の、病原体を排出している感染者が蔓延地域からわが国に向けて空路向かったとすれば、丸一日あれば秋田県に到着する。だから、この時代、海の向こうの国の疾患であろうと対岸の火事のように悠長に構えてはいられない。国内で感染者が発生したとき、秋田でもその対応が迫られる。
 しかし、秋田県の実情は厳しかった。感染拡散予防に重要なのは患者の早期発見と隔離であるが、県内にそれに見合う十分な機能を持つ施設がないからであり、陰圧の結核病床をもつ医療機関は法的な制約もあって受け入れに消極的な意向であったからである。だが、厚生連の2病院が入院医療を引き受けてくれることが決まってから話はトントン拍子にだ。その面では2病院の関係者には感謝、感謝である。

 そうは言っても、危機管理対策など如何に頑張っても完璧と言うことなどはない。秋田で、わが国で確定例や可能性例が出ないことを願いつつ、耳を峙てて祈るような気持で過ごしている、と言うのが隠さざる本音である。


4/11(金)曇り-晴天 医師会打ち合わせ(欠) 法人理事会

1:20起床、人間ドック総括x1他、家内4:00帰宅。良く続くね。5:40病院着、事務処理,G3にインストールその他。10:30-13:00新患補助外来数人のみ。13:30人間ドック説明1名.療養病棟関連業務で医師会打ち合わせ時間確保できず.大きな懸案事項なし.17:30-19:00法人理事会。20:30帰宅.21:30就眠.

秋田市医師会総会(2)総会のあり方など徒然。
 会長の性格が反映し、実にゆったりした活動方針説明の後、私は東京便の時間が迫っていたこともあり、以下の3点について多少意見を述べた。

1)総会のあり方の検討を要す。会計の説明は大幅に簡素化を。その時間を何かの企画に用いよう。
2)準会員の設定のみでは医師会の活性化は図れない。勤務会員の持つ問題点等の解決に配慮した活動が無ければ何にもならない。病院問題検討委員会などの立ち上げが必要。
3)代議員の選挙は無駄。予備代議員の筆頭者を代議員に格上げすればいい。そのことは定款の改定ですぐにでも出来る。

 総会のあり方として私が考えているのは会員の意見交換の場にすること。年二回の総会に相応しい話題を公募してパネルディスカッション形式で討論会をやればいい。会計は確かに重要ではあるが、既に資料として配付されている。枝葉まで説明は不用。必要と思う会員はその場で質問すればいいから執行部からの説明は根幹のみで良い。会計の信任は執行部の信任と表裏一体である。
 総会の7-8割の時間を会計に用いるから会員は参加しないのだ、と言うことを最大の原因と認め対策を。
 
 準会員精度の新規導入はそれだけでは何も活性化に繋がらないだろう。大体、会費が安ければ入るという発想で入る会員に何を期待するのか?印刷物を配布すれば読む??勤務医が医師会に関心を持たないのは勤務医の抱える問題点を何も取り上げていないからだと思う。

 代議員は予備代議員を含めてきちんと選挙で選ばれている。しかも代議員と同数の予備代議員まで選んでいるから補欠選挙はもともと不用。
 ついでにもう一つ、裁定委員には若人も選ぼう。いまの年代の方々では次の選挙までには何人かは欠けてもおかしくないよ。


4/10(木)我が家の火災記念日  晴れ-超快晴、秋田県感染症部会+記者会見

1:00起床。人間ドック2名判定総括。SARS対策等データ蒐集他.県医師会版の情報提供第二報作成、アップの手続き。患者重症とのことで5:00家内帰宅。毎日大変な生活だ。もう若くもないのだから自分の健康面にももっと配慮して欲しいと思う。 
入れ替わりに出勤、5:20病院着。回診そのほか。9:00-13:30外来。人間ドック説明x1。本が増えたので机上を多少模様替え。G3にPaperPort インストールしたらシステムクラッシュしたらしい。又総入れ替え必要。17:00県庁で感染症部会、その後記者会見に同席。20:00病院に、21:00帰宅、夕食21:30就眠.

火災記念日
 昭和27年の本日、田植え準備中の農家の籾殻焼きの火が強風にあおられて舞い上がり、民家のわらぶき屋根に着火、結果的に11軒消失した。当時、我が家は祖父が医院やっていたが、この火災で形ある物はほぼ全て失い、さらに祖父自身の医院継続、医業継続に対して意欲が若干萎えてしまった。結果として、医師になるコースで準備中であった長兄は念願かなって工学系に方向転換することが許され、周り回って私が医師の道に進むことになるなど、我が家にとっては大きな転機を迎えた大事件である。そうは言っても、あれから約半世紀たった。消失した家で育ち独立していった伯父、叔母各一名が盛岡市で存命中であるが、直接的な影響を被った我が家の家族のうち残っているのはもう私と兄の二人だけである。

 私が小学校に入学した年に生じた古い話であるが、その時の情景の全てを鮮明に思い出すことが出来る。この火災はしばらくの間は地域の人たち、家族の心に大きな傷を与え、様々な人間模様に触れながら私は育った。いま、ここにある自分はこの火災にまつわる種々の経験、方向転換の結果であり、感無量である。
 4/10は誰にも語らず、一人静かに過ぎし日を想う、私にとっては最も重要な記念日の一つである。
0411



4/9(水)小雨 総合内科運営協議会(欠)、臨時長副会議(欠)、 医師会常任理事会 

1:00起床。家内3:00頃疲れ果てた様子で帰宅。連日の重症患者対応のためと。HDD判定総括x2.他。5:20病院着、7:00回診、9:00-13:20 外来、予約患者少ない日で比較的楽。人間ドック説明x1。14:00中心静脈栄養カテ挿入に手間取り結局入らず
。総合内科運営協議会、臨時長副会議はいずれも時間的に重複し欠席。17:30-19:30今期執行部初常任理事会、順調にスタートした。SARS対策等話題提供。20:30帰宅、21:30就眠。多忙な日であった。

秋田市医師会総会。たった20数名で提案が承認・決定される!?
 3月下旬の土曜日、法人の管理職会議終了後、県医師会代議員に立候補し無投票当選が決まっている当院の院長と秋田市医師会の総会に出席した。50分ほど遅れての出席であったが、議事はまだ補正予算の説明の最中であった。私は会計の報告や予算の説明の詳細には殆ど興味はない。半分耳を傾けながら会場を見渡すと、一般会員の出席はは20数名。総会員数約500名ほどを擁する秋田市医師会の総会としては何とも寂しい限りである。しかも、いつも同じ顔ぶれ。前の方に座っている執行部の方々と同数程度でしかない。実際には200名前後のハガキによる委任状の提出があるために、会は規約上は成立すると言う。

 50-200名程度の会員しかいない他の郡市医師会の総会であってすら総会にはもっと出席者が多いと言うから、秋田市医師会の総会が、完全に形式的化した行事以外の何者でもない。

 補正予算案の説明が終了し、採決になり出席者全員の賛成の挙手で案は承認された。要するにたった20数名の意志表明によって提案が決まることなどあって良いものだろうかと思う。
 各会員個人は多額の会費を支払っており、いまの医療のあり方、医師会のあり方、医師連盟との関連等について不満や関心は小さくない。それでもこれだけしか出席してこないのは総会のあり方自体に問題があるからである。
 
 このままでは医師会活動は形骸化する。いまの執行部には総会のあり方の検討を望みたい。


4/8(火)曇り 総回診 医師会打合せ 健康対策課来訪 医局カンファ

0:30起床,昨夜の感染症等危機管理委員会の討議で承認された内容を文章化し秋田医報に投稿、さらに県医師会ホームページにアップ。郡市医師会、各会員に情報提供するための作文に集中す。何とか間に合わせた。5:30病院、回診他、8:00人間ドック診察3名。9:00-13:00外来、13:30人間ドック説明1名。14:30-15:30総回診に合流。医師会打合せ+健康対策課来訪、医局カンファ(変形性膝関節症、股関節症の手術療法)。20:00帰宅、21:00就眠。

事故の際、海と山で異なる救助費用の請求、何故なんだ??
 春を迎え山や海に出かけることも多くなっていく。都会に住んでいても常に危険が潜んでいるが、ストレスからの解放を求めて出かける山や海も安全とは言えない。しかも、重大な結果になることもある。
 音楽家の事故死と言えば、古くは演奏旅行の途中航空機事故での死亡が多かった。日本に向かう途中に事故死した高名な音楽家も何人かいる。最近では航空機事故による死去はほとんどなくなった。私がショックを受けたのは、身近な、ちょっとしたところでの事故死の例である。偉大な才能が若くして失われたという報に接するのは辛いことである。もう20年も前のことになるだろうか、テルアビブの海水浴場で水泳中に死亡した指揮者のイシュトバーン・ケルテス氏、ウイーン郊外のちょっとしたハイキングコースで足を滑らして頭を打ち死亡したウイーンフィルハーモニー管弦楽団の名コンサートマスターの事故死の報は忘れることが出来ない。

 事故死の確率と言えば、水難事故死の率は、山岳遭難で死ぬ率の約3倍なのだそうだ。平成11年の遭難事故データによると、山の遭難で死ぬ割合は22%、それに対し、海や川では60%だったとのこと。これは水難では第一に呼吸の維持が困難になる為で納得がいきそうなデータである。ところが不思議なのは、山岳遭難でレスキュー隊とかが出勤した場合、費用はすべて遭難者またはその家族に請求されるが、水難救助は、国の管轄なので請求はゼロなのだそうだ。この違いは一体何なのだ?


4/7(月)曇り 管理会議 長副会議 医師会感染症等危機管理対策委員会 

1:30起床。人間ドックx1、紹介状他、医師会の例の重症肺炎(SARS)に関しての感染症等危機管理対策委員会関連書類準備。他2,3処理.家内は徹夜した上で4:30頃患者急変で飛び出していった。5:45医師会に校正済み書類届けてから病院に。8:00管理会議.9:00-13:30外来。混雑、13:30人間ドック説明。今晩の委員会用原稿作成に集中。16:30予定の長副会議手術がのびて中止、幸いであった。18:30-20:00県医師会感染症等危機管理対策委員会。ホットな討論がなされた。明日投稿とか会員に種々伝達することに。今夜は眠れそうもない。20:30帰宅、21:00就眠。

秋田にもLED信号機誕生
 秋田市の南バイパスが1ヵ月ほど前に完成した。昨日テニスの帰りに初めて通ってみた。従来は秋田市浜田のから病院に向かって市街地を通るとかなり渋滞しストレスであったが新バイパスは実に快適に走る。ほとんど立体交差だから市の中心部の合流点まで信号も少なくてとてもいい。これなら、テニスの最中に病院に呼ばれてもそう問題なく戻れそうだ。
 市の中心部の合流点に信号をみると何かが違う。よく見ると発行面が完全に平らであり、その面にあたかも蜂の巣のように小さな模様があり、その一つ一つが発光しているようだ。これはおそらく電球式の信号でなく最近視認性と消費電力の少なさから注目されているLED信号機のようである
 車両信号用としては既に全国で1500基あまりの導入実績があるらしいが、LEDを使った信号機は高輝度で逆光下でも視認性が良く、消費電力が15ワット/1台と著しく少なく環境にも優しいとされている。全国の信号機全てをLED式に交換した場合、CO2排出量を年間28.4万トン削減することができ、7500万本の植林をしたのと同じ効果が発揮できるという試算もあるくらいである。導入費用が15−20万円高く、それが導入の妨げになっているが、基本的にはメンテナンスフリーと言われているので結局は利点の方が大きいようだ。
 秋田でも信号機更新時には予算の範囲でLED式を採用する、との方針だと伝えられていたが現実に見て是なる判断なのだ、と感じた次第である。



4/7(日)曇りときどき晴れ、風強し Fit納車 今季初テニス 病棟拘束 

2:00リハビリ当直室にて起床、人間ドック判定総括x2,紹介状3,NPなど種々。8:30帰宅.Fit納車ほか。13:00-15:30梅林園,家内は重症患者で欠。Miss LANとペアでF夫妻とテニス,6-4 6-4で負けた.4ヶ月ぶりのテニスで低レベル.初日なので早めにあがる。新七号線バイパスを通過してみた。16:00-18:00病院.18:30帰宅,21:00就眠。

自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(8)

自信を持って書いた作文が悪い見本として壁に

記憶に鮮明に残っているのは国語の試験問題で、ある文章に対する感想文が出た時のことだった。早とちりだったのか、インスピレーションが湧いてさらさらと書き上げて自信を持って提出した。かなり良い評価をもらえるものと期待して心待ちにしていたが、成績発表の日に真っ赤に添削された私の答案が「悪い見本」として廊下に張り出されてしまった。(勿論、誰の答案であるかは解らないようにしてあったが。)
  要するに国語教諭の期待する答案でなかったらしい。この時の期末試験の総合点はこの国語の赤点数のために自分としての最悪記録となり、全校での順番は279番/400名であった。私にとってこの記録的な279と言う数値は今は好きな番号になっており、この近くや279を途中に含む番号が割り当てられると何となく良いことが起こるような気がしてならない。

 一年時の担任は入学後徐々に成績が低下する私を心配してくれ、長距離自転車通学は無理があるだろうと寮に入ることを勧めてくれた。寮は規律上十分な勉強時間確保できない可能性があるために下宿することとした。


4/6(土)晴天  県健康対策課来訪 リハビリ当直

1:30起床、HDD判定総括x2他。医師会関連文章校正。6:00病院着、比較的時間あり。紹介状返事x5など¥各種残務処理10:30-12:00外来。13;30県健康対策課来訪。種々処理。。17:00リハビリ病院に当直にトランク引っ張って移動 .新聞1週間分処理22:00S.

新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)(2)国の対策は甘い!!!
 新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)について県医師会としても具体的に対策を開始したが、まず現状をまとめてみた。国際的大問題である側が国の対策は後手に回っている。高速移動の時代、蔓延地区からまる一日で県内に移動できる時代、いつ患者や疑い例が県内に出現するか解らない状態にある。秋田県の健康対策課の担当者は困惑し、県医師会担当である私に頻回にアクセスしてくる状況。
 まず、以下が本日までの現状である。要ご注目
!!

患者数(WHO4/2発表)

2223人,死亡78人、死亡率は3-4%、約半数が中国広東省。空気感染は否定的で上下水道か??と推定している。(空気感染の可能性を支持する意見もある)。

WHOの対応(4/2)

WHOは中国・広東省と香港への渡航を延期を求めた世界規模の勧告を出した。
自由な渡航は、感染拡大の原因になりかねないためで感染症対策で広い地域を対象に渡航延期の求めは極めて異例。

日本の現状(4/4現在)

疑い例は19例、可能性例3例、確定例0例。

日本の対応

外務省「渡航の是非検討」に一ランク上げた。
厚労省;法的に「新感染症」と位置づけ。受診の際の感染防止措置発表。HP上で情報提供。各地に医療体制確立を求めている。

東北各県の状況;

当県と大差なし。
一類感染症対応医療機関;全国で22床分、東北地方では山形県に2床のみ。しかし運用経験無く、他県からは受け入れ難いとの意向。

秋田県の対応

厚労省の指示を受けて健康対策課中心に県内医療体制の確立に奔走中。しかし、新感染症に対応できる医療機関はなく対策は暗礁に乗り上げている。今後、厚生連を中心に折衝を開始している。
患者や疑い例の搬送は保健所で行う予定だが、受け入れ病院が決められない状況。

秋田県内医療機関の現状と対応

一類感染症対応医療機関;
なし。今回の肺炎はこれに当たる。
二類感染症治療機関;
9病院が指定されている。しかし、陰圧の新感染症に対応できる病室や設備を有し十分に対応できる医療機関はない。陰圧の病室は国立療養所道川病院、公立米内沢病院にあるが、何れも受け入れには消極的。

県医師会の対応

情報収集と各郡市医師会感染症対策担当者に情報を提供中。
明後日(4/7)、急遽県医師会感染症等危機管理対策委員会を開催し、医療体制構築に関して検討する予定。


4/4(金)晴天 県健康対策課来訪 医師会打ち合わせ(キャンセル) 臨時長副会議 7A病棟歓送迎会

1:30起床、HDD総括1人分、入院患者レセプトチェック、症状経過報告作成x3他。5:40病院着、回診。入院患者留守中に種々の変化あり。紹介状など事務的処理多数。10:30-13:00新患補助+再来.午後は書類、総括・紹介状他。県医師会感染症等危機管理対策委員会を急遽月曜日に開催とした。15:00県健康対策課来訪、16:30-18:00臨時長副会議 18:30-21:00 7A病棟歓送迎会 21:30帰宅、就寝.

予断ならない新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)はエイズ以上の脅威 
 外務省は4/4、アジア中心に広がりつつあるSARSへの対策として、感染者の出ている台湾、シンガポール、中国・山西省、マカオ、ベトナム・ハノイ、カナダ・トロントの六地域の在留邦人や渡航者に対し「十分注意してください」とする危険情報を出した。外務省の危険情報は四段階あるが「十分注意」は最も低いレベル。広東省、香港には3日に一ランク上の「渡航の是非検討」とする危険情報が出ており、不要不急の渡航延期を勧告している。

 バカな注意だ。どうやって注意するのか??呼吸するなと言うのか、手を使うなとでも言いたいのか。ちなみに、タイ政府は流行地域からの入国者に対して2週間の外出禁止措置を取っているが基本的にはこのような対策は正しい。何でわが国の対策はこんなに手ぬるいのだ!?タイの厚生省はエイズ対策で苦い経験があるだけ敏捷に対応している。見習うべきである。

 SARSの病原体としてコロナウイルスがあげられているが、これらは一般的には感染力や病原性は少ないとされてきたウイルス群である。新型だとすれば誰も免疫を持っていないことになり、ペスト以来の人類の生存を脅かす感染症になりうる。感染経路はまだ十分には解っていないが、感染様式は飛沫感染によると思われる。

 もし、発症前の、病原体を排出している感染者がわが国に向けて空路向かったとすれば、機内で乗客のかなりが感染し、それを知らずに全国に散らばっていくだろう。その時点で恐らく国内は大変なことになる。現に2週間ほど前福岡便に患者が登場していたらしいとの報告もあるが、本日まで国内で発症したとの報告が無い。潜伏期から見て大丈夫なようだ。しかし、高速交通網の発達した現代、僅か一昼夜あれば病原体は全世界にばらまかれる可能性がある。感染地域との不用な往来を禁止するのが第一、もし感染者と接触した可能性があるなら移動禁止措置は重要である。

 日本国内で感染者が発生したとき、秋田でもその対応が迫られる。しかし、実情は厳しいものがある。感染拡散予防の第一は患者の隔離であるが、県内にそれに見合う十分な機能を持つ施設がない。だとすれば、次のレベルの感染症対応病院という事になり、県内で9病院が指定されているが建造物としての機能には感染防御の機能は何も備えていない。 医療関係者保護の方策としても医療用のマスクが300人分ほど、防御用のガウンは100着程度しか備蓄がない。

 私は県医師会の感染症等危機管理対策委員会の担当でもあるのでこれ以上は黙っていられない。明後日に急遽対策会議を開催し今後の活動を検討する事とした。



4/3(木)福岡 曇りー快晴 温暖 秋田 快晴  日本内科学会最終日

1:30起床、持参の古新聞一週間分目を通しスクラップ作成。荷物がぐっと軽くなりそう。メール10数件あり4:00頃まで対応。若干微睡み、友の会ニュース用の原稿に着手。8:00朝食、9:00-12:00学会場に。パネルディスカッション「発作性心房細動の臨床」。これは自分も不整脈で悩んでいるだけに役だった。HAMの臨床内科学会100周年記念講演「北里柴三郎」の生涯、を途中まで聴講。中座して12:15会場発バス→福岡空港。13:10ANA→羽田。15:25JAS→秋田に。17:00病院着。書類の山.20:30帰宅21:00就眠.

日本内科学会。福岡往復の飛行機はガラガラ、実に快適な移動であった
 日本内科学会は3日間広い分野の新知見に触れることが出来るので最も好きな学会である。だから医師になってこの方、全国何処でもあろうと大きな障害がなければ出席してきた。この間は朝から夕まで会場で、しかもいつも最前列付近に席を取り聴講する。昼休み時間は広い会場にポツンと残りゆっくり本を読む。病院からの呼び出しもなく、年に何日か得られる至福の時である。

 今年は福岡市であった。今は直通便はなく秋田7:50の朝1便で出発、羽田経由で12:00過ぎには福岡に着いた。帰りは13:10福岡発で17:00には病院に到着、実に便利である。かつては夜行列車で、その後には新幹線で、ある時は秋田からYS-11で伊丹に、更に新幹線というコースでも行った時もあった。羽田福岡便はANAの777-300型福岡羽田便は747と共に大型機種、しかも搭乗率30%程度とガラガラ。いつも後部座席を指定するので周辺は特に閑散としている。こんな時は多少揺れようと、遅れようとそれ以上にいい気分。実際に帰りは出発便が遅れ、羽田ではANAのお嬢さんが近道を案内してくれた。秋田便は往路767-200型、復路はJASのAirBus320-600型であった。

 往路は富士山のほぼ真上を飛行した。中腹に輪状に白雲を抱き、頂上は雪に覆われているが河口付近は真っ黒。太陽光線との関係で白黒写真で見るような壮大な景色が展開した。昭和40年頃BOAC機が空中分解した時の状況がに似ているな・・と思いつつ景観を楽しむ。復路は富士山の遙か南側を通過、遠くに姿良くほぼ全景を見ることが出来た。これはカラーの世界。
 福岡では学会場とホテル、コンサート会場をタクシーで往復しただけ。実に単調、良い時間を過ごした。
 ここ数年変わったことはホテルの支払いの中に電話料が占める割合が高くなったこと、メールでどんどんと仕事が入ってくるようになったことである。
 いつもは一切買うことはないが、今日は業務代行してくれた女医さんに土産として明太子を買った。



4/2(水)福岡 曇りー雨→快晴 やや寒い 日本内科学会二日目

 2:00起床。メール10数件あり4:00頃まで対応するも難しいのもあった。退院患者の保険関連書類作成.6:00-7:40微睡む。朝食後8:40学会場にタクシーで急ぐ.●9:00-11:30パネルディスカッション「再生医療」。かつて造血幹細胞を研究対象にしていた私にとってなかなか聞き応えのある内容であった。●リンパ系腫瘍の臨床●プリオン病●多発性筋炎・皮膚筋炎の診断と治療●冠動脈インターベンションの現状と問題点●EBMに基づいた病院感染対策●下垂体機能低下症の最近の知見●レジオネラ感染症の動向と世界の現状。後2題あったが中座しホテルに戻る。レジオネラ感染症はすごく役に立った。18:30-20:45市民公開講座「医療と音楽」西村由紀江コンサートに。21:00夕食22:00就眠。

西村由紀江コンサート 日本内科学会市民公開講座「医療と音楽」
 私は名前も曲も聞いたこともなかったが西村由紀江というピアニスト・作曲家のトーク&コンサートが市民公開講座として企画されており会場もホテルから近いので行ってみた。既にステージに向かって左側は満席で右側前列から3列目に陣取った。プログラムには曲目等一切なく何が演奏されるか解らない。地元出身のアナ?の司会で進行。学会長まで挨拶に来ていたし、国立小倉病院副院長がトークの相手として舞台に上がった。医療と音楽とのタイトルに沿ってアロマテラピーを始めとして代替医療、その中の音楽療法の意義についての対談が行われた。

 西村由紀江氏は3歳頃からピアノを始めたが、人見知りが激しくて友達が出来ずピアノを友として育ったのだという。そのために感じたことをそのまま曲に出来る様になったらしい。今では年間60回ほど演奏会をこなし、TV等コマーシャルで彼女の演奏や曲がかなり日常流れているとのことである。
 スタイル良し、表情良し、笑顔良し、実に美しいヒトである。演奏中の表情良し、目の前でペダルを踏む足も美しい。
 最近の若手の演奏家は聴衆に語りかけてくれて面白いが、たいていはトークが始まるとがっかりすることの方が多い。彼女の話術はなかなかである。ピアノの後ろ側、丁度私の数m先にトークの席が設けられたのでその間中、ずっと見とれてしまった。
 演奏された曲は7割り方は自作のバラード風の作品、結構楽しめた。他にショパンの「革命」の一節、ドビュッシー「月の光」。エーデルワイスを「悲しみのエ・・・」「怒りのエ・・」として感情込めての演奏。演奏技巧も優れていると思った。
 特筆すべきは「日本昔話」の語り。ピアノを演奏しながらの語りは効果が何倍にも上がる。「猿の生き肝」が演じられたがとてもよかった。普通は老婆の雰囲気で語られるが、若いおねえさんの語りも捨てたものではない。最後に副院長の歌で「早春賦」。彼もアマとして種々の賞を得ている方。すごい!セミプロである。今もプロについて習っているらしい。最後は「上を向いて歩こう」で締めくくった。

朝、4:50、これを書いている時にNHKラジオから彼女の曲が流れてきた。偶然だね。



4/1(火) 秋田快晴 博多小雨→快晴 日本内科学会初日

1:30起床,ドック総括なし。余裕を持って医師会・病院関連書類など処理、懸案の退院総括完成。福岡出張前にやるべき業務2.3あり4;30病院着。玄関先には既に10数名の患者や家族が5:00を待っていた。直ぐに回診、が、患者は全員熟睡中、当然だね。留守中の治療指示書き中心に。それでも時間不足。キャスター付きの旅行バックに机上の仕事、新聞など乱雑に詰め込み、マック、キーボードも持って6;40-7:20中央インターより空港へ。空港付近は濃霧で幻想的。7:50-8:50秋田→羽田。9:40-11:30羽田→福岡。地下鉄経由福岡駅に。タクシーにてアークホテル博多ロイヤルに。荷物預け近隣ホテルのレストランにて軽く昼食、14:00チェックイン、文章書き若干、国際会議場に。●肝細胞がんの臨床●糖尿病の動脈硬化●消化吸収●糸球体腎炎●睡眠時無呼吸症候群を聴講。18:00中座してホテルに。種々業務処理21;30就寝。

久しぶりの福岡 ネコを抱き微動だにしない外国人
 福岡は何年ぶりだろうか。5年ほど前には血液関連学会で来ている。福岡は現在130万人都市にまで成長し、九州ばかりでなく我が国の南の玄関として国際的にも活気があると言われている。学会場となった福岡国際会議場は市の外れにあり、最近オープンされたばかりの近代的な巨大な建物である。秋田から空路福岡に向かい、このような素晴らしい会場に直接はいった印象から、市民の姿からも、我が国がとても経済的に厳しい状況にあることはうかがい知れない。一方、携帯ラジオのニュースや論評はイラク戦争の戦況、日本経済の低迷状態を毎回毎回報じている。

 学会終了後にホテルに戻る前、近辺を散歩してみた。新しい商店の脇に営業を諦めたと思われる商店がひっそりとたたずんでいる。市井には不況の陰が迫ってきているようだ。小さな公園があり、名前は解らないが草花が盛んに咲いている。周辺の桜は今満開である。公園のベンチに外国人の男性が一人、アラブ系?と思われる顔立ちの若者が先ほどから全く微動もせず座って居る。ロダンの「考えるヒト」の雰囲気である。服装は乱れ、見るからに貧しそうである。膝の上にはやせこけた一匹のネコがしっかりと抱かれている。微動だにせず目もうつろである。私が側を通っても興味も示さない。彼は今、同じ境遇にあると思われるネコとスキンシップを通じて対話しているのだろう。遠い故郷のこと、今日明日の生活のことを考えているのかもしれない。巨大都市福岡も彼らにとって十分の生活の糧を得る場所ではなくなってきているのかもしれない。そう言えば、すれ違う若者どもの視線も心なしか鋭い。値踏みされているような印象を、危険な雰囲気さえ感じられ、暗くならない内にとホテルに戻った。

 ラジオでは路上で通り魔的に刺され死亡した事件、重傷を負った事件が報じられている。

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