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今年(1990年)の4月、内科学会総会で評論家・草柳大蔵氏の「日本人の死生感」 と題した講演があった。
折しも医師であった実兄が数ケ月前に慢性呼吸不全急性憎悪で亡くなったと言う。その入院から死に至るまでのエピソードを中心に据えて、主治医の一人として治療に当たった患者の長男、および家族達の経時的な心情の変化も紹介してくれた。
最終的に人工呼吸器を装着し延命を計ったと言うので、人工呼吸器などによる延命治療に批判的な、当たり前の結論に落ち着くのだろう、と予想しつつ聴いていたが、人工呼吸器による10日ほどの延命は家族の死の受容のためにとても重要な役割をはたし、死の瞬間を余裕をもって迎えることが出来て良かったという。その上で、この様な一定期間の人工的な延命治療は、日本人の今後の死生観に好ましい影響をもたらすかも知れない、とまとめていた。この点に関する考え方の是非は別にして、この様な経験の積み重ねが、わが国における臓器移植の発展のために次第に良い影響をもたらしていくのではないか、という印象を受けた。また、通常、死とそれほど近い環境にない方々の死に対する驚き、感動、悲しみなどが淡々と語られる様は実に印象的であった。我々は死に臨した家族の悲嘆には日常的に接してはいるが、冷静に親族の話をじっくりと拝聴する機会はそれほどあるものでなく、いろいろと考えさせられる内容であった。
話の途中、医師のモラルや行動などにも言及する部分があり、彼は医師を「在日日本人」と表現した。会場は一時ドッと笑いで包まれたが、どちらかと言うと空虚な笑いであった。会場に居合わせた医師の多くは、彼の表現に納得出来る心当たりはあるものの、医師以外の口から、しかも権威ある学会場で語られたことに気恥ずかしさや戸惑いがあったためであろう。
「在日日本人」とは聞き慣れない語句であるが、その意味はおわかりだろうか?
彼の意見によると、医師は年齢に不相応に高い社会的地位と報酬を受け、周囲からもチヤホヤと機嫌を取られ、対社会的な苦労もなく、日本で育ち、日本の教育を受けながら、日本人としての最低限の社会的常識すらわきまえていない特殊な集団なので「在日日本人」の表現がふさわしいとのことであった。この表現は彼自身のオリジナルであるか否かは判らないが、私も日頃から医師は仕事の上では別として、社会的にはたいした評価を受けていない集団と感じているが、その状況を良く言い当てていると思う。良い表現をしたものだと私はいたく感心し、時折引用させてもらっている。
最近、医局に多くの医師を迎え、個性豊かな方々も増え、医局も活気が出て面白くなってきた。個々の医師の考え方や仕事の進め方が多様なのは至極当然であって、取り入れるべき点も多い。しかし、試行錯誤しつつ、長い時間をかけて積み重ねてきた当院のやり方もある。良い意味で早く同化し、その上で持てる力を十分に発揮して欲しいものである。
(1990)