日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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9/30(月)晴れ 管理会議 長副会議 中通総合病院倫理委員会
1:30起床。人間ドック判定総括x1、メール返事多数送付.5:50病院着。事務処理,回診.8:00管理会議.9:00-13:30外来 、超混雑、月曜日の連休が2回続いた影響。外来前半は不整脈多発して不快な中で進めたが切れ目で若干微睡んで改善した。午後は患者病状検討、紹介状準備、16:30-18:00長副会議。病院の今後の行き方の私案を一部提示した。問題点多数。18:00-20:00役職上委員長として対応する。初めての分野の経験で緊張したが略良好に進行、懸案事項5件について検討した20:50帰宅。ハードな一日であった。何もせず、出来ず21:30S。
義母死去(1)。あわただしい日々
義母死去し一週間経過した。週末に各地から来秋した方々も離秋され、初七日も迎え、我が家はやっと静けさを取り戻しつつある。
私はこの週は外来、ドック、病院行事、医師会委員会など全て予定が詰まっており、午後の火葬に立ち会った以外は種々の行事に参加出来なかったが、心理的には圧迫感、慌ただしさがあった。昨日は日本医師会関連の東京出張となっていたがキャンセルしたのでそっくり葬儀に参加出来た。この間病棟業務のカバーをしてくださった諸先生方、お悔やみの言葉をかけていただいた医師会や職場の方々には心から感謝いたします。
義母は4月に心房細動を基礎疾患として広範な脳梗塞を発症した。私は当初予後極めて不良と判断したが救急や脳神経外科を中心とする優れた初期治療の結果、一命を取り留め、胃ろうも造設し、寝たきり状態から車椅子にて短時間は過ごせる程度まで回復していた。最も大きな問題点は主に夜間に大声を発することで、時に強力な鎮静を必要とした。予定では9/23に秋田組合総合病院を退院、我が家で在宅ケアをする予定となっていたが、数日前から誤嚥によると思われる肺炎を発症、呼吸不全に陥り、退院予定の日の早朝に死去された。間接的には鎮静が悪化因子になった可能性は否めないがやむを得なかったと思う。5ヶ月に渡り治療を担当して下さった病院関係の方々、病床脇で介護に当たった方々に感謝致します。
これで私の両親、義理の両親の4人共死去したが、全員秋田組合総合病院で、主治医である家内のもとで最期を迎えた。身内の治療を担当することは大きなストレスになるだけ家内にも心から感謝の意を表したいと思う。
9/29(日)雨→晴時に小雨 義母初七日 FF tennis
1:30起床、人間ドック判定総括x1. 新聞スクラップ、0:00埼玉の石井夫妻車で離秋。5:30札幌の小松夫妻車で離秋。10:00義母初七日読経、私は欠席。プリメーラパンクする。11:30長女夫妻離秋。13:00-16:30FF tennis。vs次男シングルは1-6.0-6.2-6と完敗。ノータッチエース10本で高価な対戦であった。F夫妻とは6-1。20:00まで自宅で総括、病院問題等業務。20:30S。
自伝:0歳から小学校卒業まで(10)
小一の秋の密談.兄から長男としての権利と義務の委譲を受ける
私には11歳ちがいの兄がいる.名前は正明、昭和9年生まれ.祖父は長男(私どもの父)が医師の学校に入りながら挫折したことから孫の正明が医師になり家業を継ぐことに大きな期待をいだいていた.正明もその意向を受けその気になって準備していたようであった.
昭和27年4月に我が家が火災にあったが、この年、正明は岩手高校2年生在学中で翌年の東北大学医学部の受験に向けて盛岡の親戚宅に下宿しながら受験準備中であった.火災にあって殆ど丸焼け同然になった事で、既に70歳を迎えていた祖父は将来を嘆き、正明に対し自由な道に進んで良いとの許可を与えたらしい.
消失した自宅も立派に完成し、全てがやっと一段落したある夜、久々に盛岡から帰宅した正明は私を一室に呼んだ。具体的な言葉一つ一つは忘れたが、「自分は祖父から許可が出たので医学部に行かず好きな工学部に進む.父からも了解を得ている.自分は長男としてのすべての権利をおまえに委譲する.今後はお前が長男の立場で親をみて、出来ることなら医師になって家業を継いで欲しい」、と言う意味のことを述べた.
当時、長男は次男などとは比較にならないほどの破格な扱いを受けていたし、完成したばかりの家もくれるという、それに両親と共にここに何時までもいられる、・・これらの条件は年端の行かない僅か小学校一年の私にとってとって何ら問題のない魅力的な話であり、私は二つ返事で了承した.その日の情景はいまでもはっきり記憶にある。
祖父母、両親も健在の状態では長男としての権利と義務を委譲受けたからと言って、具体的には何が変わるわけではないが、私が高校生、大学生になった頃から徐々にいろいろな負荷がかかってくることとなる.
9/28(土)雨 時間年休とる 義母:葬儀+法事 お膳に挑戦、後悔す
1:30起床、人間ドック判定総括x1. 再検査結果報告.5:20病院着。人間ドック資料作成x1、回診他。8:10人間ドック診察x5、9:30札幌から帰省の次男迎えに空港へ。高速経由自宅に。12:00秋田市上新城「昌東院」にて義母葬儀。14:00-16:00同院にて義母の送る会。 17:00帰宅、若干酔い、かつ満腹にて18:00-22:00S、それでも眠くて23:30再度S。
義母法事 贅沢なお膳に挑戦、がつがつ喰らうが食べきれず寝込む
義母葬儀は降りしきる雨の中、参列された方も多く、厳かに、かつ粛々と進められた。私はここ数年来正座が苦手になったので始めから胡座をかき、かつ間仕切りの障子に寄りかかって、寝不足だったので不遜ながら微睡みながら過ごした。経の進行にあわせて時折数分単位の正座を要求され傍らの子供らに起こされたが、正座は実に辛くてその度に眠気が吹っ飛んだ。
その後寺の本堂で50数人の出席のもと義母の送る会が催された。一般的に秋田の冠婚葬祭は私の郷里の岩手に比べてお膳や料理はとても派手である。今日の膳もそれはそれは豪華絢爛でそのボリュームは私の夕食数日分かとも思えた。喪主の義兄および義妹達の考え方であろうが、私は日常から「食べきれないほどの食の潤沢、贅沢・・・」については気をいためており、義母のための宴とは言えども決していい感じはしなかった。
私は、つまむ程度の朝食を摂ることもあるが、基本的には一日一食夕食のみで過ごしているが、概して大食である。果たしてこの膳の上の食品を無駄にせず、全部食べることが出来るか、挑戦してみることにし、ひたすらガツガツと食べに食べ、空いた器を膳の上に積み上げた。が、80%ほどで満腹のためにダウンし別室にて休んだが、大部分の方々は半分も手を付けられていなかった。
一般論として実に無駄である。我が家から家族だけでも6人、お手伝いの小母さん(義母の実妹)とその娘も参加したので、持ち帰った8人分の食品は我が家の食卓の上に山の如く積み上がった。私一人なら一ヶ月分はゆうにありそう。このうちどれほどが無駄なく口にはいるのか、と思うと落ち込む。
くだらん挑戦によって満腹で寝込んだ私も時間を無駄にした。
9/27(金)快晴 法人理事会 義母:お逮夜
2:00起床、人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:50病院着。回診、9:00人間ドック説明2名。10:10から外来。秋田市の基本検診7-8名+再来数人、新患4人ほどで全体的にはそれほど混雑せず13:30終了。病院問題懸案事項検討など.17:00から義母お逮夜、が、あえて出席せず.17:30-19:45法人理事会.後半中通総合病院の今後の行き方についての対応の遅れに厳しい意見もあった.担当している私自身がそう思っている内容.残務21:00帰宅。横浜在住の長女夫婦、長男帰秋.聞くところ家内も逮夜に出席しなかったらしい.私が言うのも何だけれど、ホンと、あの方は自由人だね.Vn、22:00S .
「山上に山あり、山また山.学問の世界は無限に深いが、浅い知識で芽を摘んではならない.ある書簡への返事.
ある病院の検査室より書簡があり返事した.その内容.
<検査室>お忙しいところ申し訳ありません骨髄の標本をお送らせていただきます。以前に当院のAA先生が相談した赤芽球の輪状鉄染色(+++)の鉄芽球性貧血の方です。
<私の返信>この方の病状はずっと気になっていました。一般論ですが助言を受けて対応した患者さんについてはその後の経過を報告して欲しいのですが、そういう習慣は育っていないようで残念です。
<検査室>今回鉄染色が(-)で、血液専門の秋大3内に問い合わせしました。その結果(+++)が(-)になることは絶対にあり得ない。染色の仕方が悪いか、標本を取り違えたかのどちらかです,とのことした。
<私の返信>それは厳しい返事ですが、そういう対応はおかしいと思います。私自身は今回の鉄染色では消失しているもと予想していました。検査は出てきた結果に驚く事もありますが、基本的には結果を予想して行うものです。
学問をする人達あるいはその環境にいる人達には、先ず自分たちが如何に狭い範囲の知識しかないか、と言う事を自覚して欲しいと思います。学問を重ねることでかえって徐々に井の中の蛙になってしまっているとすれば勿体ない事です。折角、予想外の、病態を考える機会を目の前に提示されたのに。
学んできた知識を、前向きの発想、哲学に繋げるのでなく、単なる知識にしかしていないなんて悲しいことです。私なら、このケースの相談を受ければ「(+++)が(-)になることは自分の知る範囲ではありません。しかし、この症例の場合、染色の仕方が悪いか、標本を取り違えたかのどちらかの可能性も残るので再検討してください。もし本当なら学問的に検討をする価値があります」と答えるでしょう。
「学んでも学んでも、更に学ぶべき事がある事は法外の幸せである」・・・.私は日常の医療を通じいつも感謝と感慨にひたっています。この気持ちが勉強する私のエネルギー源でもあります。
<検査室>午後から前回分と今回分そして対照の3枚を染色し直しましたがやはり同じ結果になりました。担当の先生に話ししたところVitB6欠乏ならありえるということを論文にて読んだ、とのことでした。検査結果も血色素13.5gで、骨髄に異型細胞は見られません。患者の全身状態は良好だそうです。どのように解釈したら良いのでしょうか?
<私の返信>多分、私の返事がカルテに貼ってあると思います。VitB6欠乏症ではないと思います・・・・。
9/26(木)雨→快晴 県医師会医療廃棄物検討委員会
2:00W,人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.6:00病院着。回診、8:10人間ドック診察1名。本日の予約外来が一月前の出張時の手違いで9:00-10:30の時間帯に通常の倍の人数を予約したので、時間差があまり出ないように8:35から外来を開始した。全体的にそれほど混雑しなかったために待ち時間上でも大きなトラブルもなく12:30に終了した。13:30人間ドック説明2名.療養型病床導入など病院問題懸案事項検討など.18:60-19:45県医師会医療廃棄物検討委員会.20:00帰宅。誰もおらず、猫も出てこない。21:00S。
今回も骨に着色。火葬でいつも不思議に思う
一昨日は義母の火葬であったが、骨をひろうときにいつも不思議に思っていたことがある。(と言ってもせいぜい6-7回くらいしか経験していないが) それはほんの一部の骨にであるが うっすらと何らかの色が着色すると言うことである。 炉から出されたばかりの、未だ熱い白骨は独特の白さがあり故人の姿との対比の中でとても新鮮な印象を抱くが、今回は上腕骨の一部、大腿骨の一部が淡いピンクに着色していた。
実母の時には紫、父親の場合には黒色であった様に記憶している。おそらく棺の中に入れられた故人の愛用品などから出た色素のためと思うが、必ずしも入れた品の傍の骨でないところに着色するのがとても不思議に思う。義母の場合は晩年好んで作っていた御殿鞠を何個か入れたと言うがその中の色素が原因かも知れない。
もう一つ、これは一般論的な疑問であるが、身体に蓄積された脂肪は火葬の際にはエネルギー源として燃焼に補助的に働くのか、逆に邪魔なのか?私がずっと疑問に思い続けている事項である。
9/25(水)雨時々快晴、晴れ。名誉院長を送る会
2:00起床。人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等処理、スクラップほか.5:40病院着、人間ドック資料作成x1他。回診他。9:00-13:30外来.新聞各種書類スクラップ、廃棄他。18:00-20:00View Hにて瀬戸名誉院長を送る会。20:30帰宅、義母葬儀関連にて来客あり。21:30就寝.
瀬戸名誉院長を送る。法人の歴史的記念日に!!!
秋田には、47年の長きに渡ってひたすら地道な医療を展開し、「秋田のシュバイツアー」とも称された立志伝中の医師がいる.言わずとも知れた瀬戸泰士現中通総合病院名誉院長その人である。
昭和30年4月に独り来秋,中通診療所を開設し、47年の長きに渡って医療、経営など多方面に手腕を発揮され、本年5月に法人会長、理事長、中通総合病院院長を辞した瀬戸泰士名誉院長は、新執行部に自主性と責任を発揮出来るようにと配慮され、自ら秋田を去られる事になった。本日市内のホテルにおいて「送る会」が催され、出席者約300名、盛大に催された。お送りする立場から,また送られるご本人から傾聴すべき貴重な挨拶が交わされ、法人・病院の歴史を示す貴重な写真等が提示されるなどの演出もあり、終始和やかに進行した.決して順風満帆だけではなかった法人・病院の過ぎし日の歩みも示され感無量であった。
瀬戸泰士中通総合病院名誉院長は法人・病院の運営につい数ヶ月前まで並々ならぬ情熱を傾けていたが,すべての役職を辞す決意をされてから秋田を去ると言う決断まで含めて,私はその瀬戸際に示された潔い姿勢を尊敬の念を込めて評価したいと心から思う.
と,同時に,本日以降,新執行部に科せられた重責を改めて思い直した.この厳しい医療情勢の中,今までの発想と同じくしては病院・法人は存在し得ないだけに職員一丸となって難関に立ち向かっていかなければならないと,決意を新たにした.同時に,昭和60年のある日の夕方,院長室を訪れ「大学医局を辞すので働かせて欲しい」と申し出た時の情景を懐かしく思い出した.
ちなみに「瀬戸」とは狭い海峡を示す言葉であり、その地形のイメージから種々の熟語、言葉が作られている。例えば「瀬戸際」。これは狭い海峡と海との境目を示し、そこから成功・不成功の分かれ目、と言う意味が生まれた。「瀬戸際政策」と言う言葉もある。これは「危機寸前まで強攻策を採り、全面戦争も辞さないと言う姿勢を示すことによって相手国に対して優位に立とうとする外交政策(日本国語大辞典)」、等々である
9/24(火)晴れ曇り雨 管理会議 総回診・医局会(欠) 県医広報委員会 義母:火葬
2:00起床,人間ドック判定総括x1、スクラップほか.5:50病院着、人間ドック配付資料作成x1他。回診、患者家族と面会。8:00管理会議、月曜日の休日が2週続いたため本日開催。9:00-13:20外来.13:30人間ドック説明x1。14:00-16:00秋田市斎場に。義母火葬。待ち時間は自宅で業務。16:20病院にて業務.18:30-20:00県医師会広報委員会。「TV健康なんだかんだ」本年分概要決定。20:00帰宅、帰省した子供達も一端戻り、家には誰もおらず猫のみ私の帰りを待っていた。21:00就寝.
市の斎場に10数年振りに訪れた。いい感じに様変わりしていた
秋田市の斎場は自宅から1Kmほどの小高い山の近くにある。何度かここで知人、親戚等を見送ったが、最近は業務とかで参列する機会が少なく実父の火葬以来だから約20年振りで訪れたことになる。一昨年死去した義父の時は出張が重なって見送ることが出来なかった。
本日の義母の火葬では20代後半と思える若い黒衣の女性が一家族に一人終始ついていて細やかな配慮、介助をしてくれ、参列者は戸惑うこともなく一連の行程を静かに、淡々と進むことが出来た。これはこの場で不快な経験した私にとっては大きな驚きであった。
20年前 父の火葬の際には小汚い作業服を着た中年男性の係員によって進められたが、その作業員は少なくとも悲しみにひたる家族知人の気持ちなどわきまえない不遜な態度であった。私は持参の蝋燭に火を点そうとしていたが、その係員から口汚い口調で咎めを受けた。勝手に火を点しては駄目らしい事を言っていたようだが、最初は何を言っているのか理解できなかった。同じ事を伝えるにも、注意するにも言いようがある。私は一瞬その態度に対して抗議しようとしたが、周辺には悲しみに沈む、他のご家族も大勢おられたし、ぐっと我慢した。約一ヶ月後、市役所の担当に電話にて状況のみ説明し善処を求めた。
今日まで斎場の近くを通る度に、斎場のことを思う度にその時のことが思い出されないことはなかった。今日も斎場に入るまでそのことを考えていたがが、今日は気持ちがサッと気持ちよく吹っ切れた。
9/23(月)秋分の日 快晴 第56回東北医連総会・学術大会 義母:納棺の儀
1:00組合総合病院よりTEL 起床,4人全員で病院に.1:20義母死亡確認。長男宅に安置。枕経など。4:00帰宅。4:30-6:00就寝。8:00H Viewに.9:00-15:00第56回東北医連総会・学術大会。総合司会担当したが長丁場で気疲れした。総会、セッション2002「少子化。高齢化に対し、いま何が出来るか」、特別講演「遺伝子治療の今後」、特別講演「民家の姿から見た世界」。全体的には成功裡に終了した。予約を取って準備したが実際には昼食が30食ほど余った。勿体なくて心痛む。16:00病院にて業務処理19;00帰宅。義母関連行事には出席せず。自宅で独り業務処理。Vnなど。20:30就寝。
写真家小松氏の講演「民家の姿から見た世界」
本日の東北医連総会の特別講演「に写真家小松義夫氏が登場した。氏は「K2」登坂時の記録映画や写真集によって、また途上国を中心とした住宅や人間の生活記録を通じて人とは何かを問いかけている写真家として知られている。本日は写真集から、主に自然に順応しながら必死に生きている国々、民族、住民を中心に100枚程度の写真をスライドで提示しながら人、文化、生活についての考え方を述べた。
私自身、全く思いも馳せることの無い、想像すら出来ない未知の文化圏の生活を写真を通じて垣間見ただけであるが、全て人工的な文化の中に身を任せて、その異常さ、ストレスを自覚しながらも何も出来ず、せず、生きている私はのことを反省しつつ、深く感銘を受けた。
いま国際化、グローバリゼーション・・等の言葉がもてはやされているが、それらはごく一部の先進国にとっての都合のいい問題であり、これらのキーワードとは全く無縁な文化圏の中で、むしろ人口でみれば多くの人々が必死に生活していることを痛感させられた。
この講演を拝聴しながら、彼の被写体になっている住民のほぼ全ては食糧事情も劣悪で時には餓死者が出るような文化の人々であった.1時間ほど前に感じた、残った昼食、飽食日本・・我々の在り方は果たして生物動物としてあまりにも不自然でないのか?だが、実際どうするべきなのか、良い案は出てこない.
9/22(日)曇り・晴 FF tennis 東北医連広報担当者連絡協議会 第56回東北医連総会・学術大会合同懇親会
2:00起床、人間ドック判定総括x2、総括その他処理。本日の司会の下準備等。10:00-12:00FF Tennis。13:00-14:45回診他、15:00-17:15東北医連広報担当者連絡協議会、広報に関する話題が豊富で盛り上がる。総括困難。広報誌「すこやかさん in Akita」、パンフレット「いま日本の医療は」は絶賛を受ける。18:00-19:30第56回東北医連総会・学術大会合同懇親会。日医からの来賓もあり二次会に出席するも、途中でポケベルで病院を経て9:00帰宅、そのまま就寝。am1:30 療養中の義母、死去す。享年83歳。
自伝:0歳から小学校卒業まで(9)
虚弱で何度か死にかける。お花畑への散歩、あれは臨死体験
一体どうしたのだろうか?と思い、しばらく校門から中を覗いていたが、門をくぐって校庭に入ろうとしたがどうしても足が前に進まない。とても足が重くどうしても前に進むことが出来なかった。何度も何度も試みてもどうしても進まない。そうこうしているうちに遠くからかすかに母親が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返っても母の姿はなくどこから呼ばれているのか解らない。随分遠いところからの声のように聞こえた。「まずい所を見つかってしまった?見つからないうちに帰らねば・・・」と、来た方向に向かって歩き始めたら全く問題なく歩けた。数歩歩いただけで突然場面は自分が寝ていた部屋にうつった。今度の場面は薄茶色に着色されていた。側にいる家族達は前の場面と異なり落ち着きの無い様相で動き回っているが、その顔はのっぺらぼうで誰なのか特定できない状況である。自分が居なくなったことでみんなが動き回っているように感じられ、すごく悪いことをしたような気がしてしばらく自分の傍らに立っていたが、いつしか体の中に戻ったようである・・・・・・終わり。
これが、そのときの体験の概要であるが、実際何なのか解らない、時に臨死体験されたと言う方々の体験記などを見ることが出来るが、不思議なことにみんな似通っている。私は、一定の条件下で見る夢のようなものでないかと考えている。
(立花隆は多くのデータを集め「臨死体験」なる本を出しているが、私は未だ本のさわりだけしか読んでいない。)
9/21(土)快晴 日医医療政策シンポジウム(欠)
2:00起床、人間ドック判定総括x2他、6:10病院着.人間ドック配付資料作成x2他、回診.8:10人間ドック診察x5、9:00人間ドック説明x2。10:30-12:30 外来、入院1名。17:00帰宅、熱帯魚フィルター掃除、Vn、若干業務、21:00就寝.
日医医療政策シンポジウムに出席予定であったが、私の出張が頻回で業務に支障が生じているとの批判があること、病義母の呼吸状態その他を勘案して出席を取りやめ、通常業務に。横浜在住の長女、見舞いに帰秋した。
NHK19:00ニュース不快! 事実だけを伝えよ。
私は通常はTVは殆ど見ない。基本的に肌に会わないと言うか、好きになれない所がある。今日は夕食時久しぶりにNHK19:00のニュースを見たが極めて不快な思いがした.トップニュースは勿論北朝鮮の拉致問題で次々と新しい事実が報道されてた。外務省が情報の公開を遅れたことが関係者の言う通り気配りであった?、としても結果的には失態であったと思う。
事実の報道自体には問題を感じたわけではない。私が不快に思ったのはニュースの構成が殆どドキュメンタリー風に編集され、NHKの一方的な、低次元の主張が濃厚に表現されていると言うことである。被拉致者の家族の様子、表情、怒りのコメントが頻繁に、長時間にわたって挿入され、彼らの叫びそのものがあたかも日本人総意の世論であるかのような置き換え、あるいはそう感じなければおかしい、と思わせるような、しつこく、お涙頂戴調、浪花節調の低次元の編集である。こんなのが毎日毎日、テレビで何度も繰り返して放送されているのかと思うとぞっとする。
マスコミは先ず、判明した事実だけを淡々と伝えるべきであり、安易に自分たちの考え方、とらえ方をニュース等には入れるべきではない。特にTVは影響力が大きいので一考すべきだ。
今日放送したようなニュースの編集の大筋は日本人なら誰でも納得するであろう、安っぽい、常識的正義感を展開しているに過ぎず、大衆迎合、ゴマすりであって自身の首を自分で絞めているようなものだ。こんな編集ならない方がよほどマシである。主張したい点があるなら別番組、別項目でじっくりと展開すればいいのだ。
私は日常からマスコミ関係者は思い上がっている、あるいは立場を誤解している、と感じている。
9/20(金)晴天 医師会打ち合わせ
2:00起床、人間ドック判定総括x1。退院総括x1.5:50病院着、回診、事務処理他。10:30-13:00外来。秋田市の基本健診受診者中心に10数名。13:30人間ドック結果説明x1。16:00医師会打ち合わせ.事務局は明後日(日)からの東北医連総会の準備で大忙し.私も土・日共に司会の役目が当たっている.特に土曜日、何としようか。混迷状態。20:00帰宅21:30就寝.
小泉首相の決断を支持する.慎重に二国間の諸問題を解決し国交正常化を
この度の小泉首相の北朝鮮訪問によって二国間の激しいせめぎ合いを繰り返してきた拉致問題は急展開を迎えた.北朝鮮は拉致であったことを初めて認め、全員の名前と生死についての資料を提示した.8人もの方が既に死亡、との思いがけない結果を聞かされ絶句した首相は当事者の家族の深い悲しみ、国民の心情、与野党からの激しい反発が走馬燈の如く頭をよぎったに違いない。会談中止も当然考えたと思うが、結果的に前向きに対応していく姿勢を選択した.
私は首相の決断を高く評価する。拉致問題は最大の懸案であったが、これこそ国家間の問題の犠牲者である。首相が席を立ったら二国間の関係は今以上に悪化し、国民の北朝鮮に対する怒りと憎しみの気持ちだけが一人歩きし、かなりの年月正常化はあり得なくなる。その結果、同様の犠牲者が今後も繰り返される可能性がある。拉致も不審船も、ミサイル問題・・も、である。時にはもっと忌まわしい事態にも発展する
可能性すら否定できない。
驚くべき事実が次々と明らかにされたが、冷静に受け止めるべきだ。それらの検証と評価は慎重に進めるべきだが、二国間の今後のあり方とは一線を画して考えるべきである。体制、国家の立場でものを考えれば常に犠牲になるのは一般の国民だ。日本国民のために、北朝鮮の国民のために、アジアの人々のために首相の決断を評価したい。
拉致によって思いがけない生き方を強いられた全ての方々、特に、若くして命を失った方々無念を思い、そのご家族の心情を思うととても辛い。言葉がでない。
国とは何か、人間社会とは何なのか、人とは何なのだろうか、・・・と思いをはせるこの頃である。
9/19(木)晴れ 医局会
2:00W。人間ドック判定・総括x2、紹介状返事等.5:40病院着、回診ほか。9:00-13:30午前外来.13:30人間ドック説明1名。14:00医局会に参加、重要な病院の今後の在り方についての話題提起され討論。院内LANへの調整、私のマック、プロも手間取るが何とか繋がる.マックは難しいとのこと.各種書類その他処理.Dr A.I 来訪.午後は比較的余裕が持てたが、東北医連の広報部門どう運営すべきか未だまとまらない.20:00帰宅、21:00就寝。
政府の特別規制緩和対策に医療関係者から出たアイデアに驚く(2)
日医はこの政府の特別規制緩和対策は医療面における規制緩和が済し崩し的に進められる危険があるとして対策委員会が設け検討を進めていた.その視点は評価出来る.先頃委員会の見解が発表されたが、基本的な考え方として「構造改革推進本部が提案募集をしている構造改革特区全てに反対するものではない。・・その中に医療に関する部分を含めることには原則として反対する。」とある.要するに他の分野の規制緩和は良い、が、医療関連部分の規制緩和は駄目、と日医はいつもの如く頑なな態度である.折角対話する接点があるのにこれでは話にならない.表現、進め方が下手だと思う.
一方、先端医療に関しては「先端医療特区は、一見、医療の発展に資するもので容認してもよいと思われるが、混合診療の問題、外国人医師の問題、医療安全についての責任の所在の問題等が含まれているので、軽々には容認することができない」としているが、矛盾を含む論旨である.しかも、ここに挙げられた規制緩和要求の各項目が医療関係者から提起されていると言う重大な事実に関しては特にコメントはない.
医師会は一般住民に対しての広報活動が下手だとよく言われる.しかし、今回は日医の主張が医療現場に殆ど伝わっていないことを示しており、新たな広報対策を考えなければならないだろう.その一つは、いつも日医がやる如く「言語道断、検討の余地もない」と切り捨てるのではなく討論のテーブルに乗せることであろう.何であれ、組織、国家が頑張れば頑張るほど煽りを食らうのは一般人である.
9/18(水)雨→快晴 医師会理事会
2:00起床、人間ドック判定・総括x2、紹介状等.総括。5:40病院着、回診ほか。9:00-14:10外来は退職したN Dr担当分の患者集中し混雑。途中で人間ドック結果説明をはさみ対応。疲労す。15: 30-17:20県医師会理事会.懸案事項多数。病院にて主治医意見書、訪問看護指示書、総括など20:00帰宅21:00就寝。
インフルエンザ、医師会と市町村との一括契約、私が担当しているが、難問が種々生じてきている。
義母、来週から我が家で在宅ケア開始予定で誠意準備中であったが、広範な誤嚥性肺炎を発症した。主治医の意見では厳しいかも知れないとのこと。今後の経過が危惧されてならない.
政府の特別規制緩和対策に医療関係者から出たアイデアに驚く(1)
現在、政府の構造改革推進本部は経済の活性化を図るために「地域ごとに特別に規制緩和を行う」として種々のアイデアを募集していたが、この度中間とりまとめが発表された。この中には医療分野の規制改革について「株式会杜の医療への参入「混合診療の容認」「外国人医師による医療行為の許容」「看護師等非医師員による医療行為の認可」など、医師法、医療法、健康保険法等の根幹部分をなす部分の規制解除も挙げられている。
これらのアイデアの多くはかつて政府の諮問機関である経済界人を中心に組織された規制緩和検討会から出されていたものとほぼ同一であり、日医を始めとして各地の医師会はこぞって反対してきた項目であるから、そのもの自体は今更何も驚くには足らない。
驚くべきことは、これらの項目が規制緩和策として東京大学を始めとする2、3の医療機関から出されたと言うことである。例え医師会が反対しているとしても医師各人・各医療機関には多様な考え方があって当然である。従って、公に、慎重に検討を進めていくべき重大な内容であり、時間をかけて討論すべきである.今回の規制緩和対策は政府が関係機関に相談無く、特別に許可を与える可能性がある政策である.この政策にこのような重大な課題を地元医師会にも相談無く提起したと言うことは、ほぼ直訴に近い、抜け駆け的行為であり、医療界内の足並みの乱れを対外的に示すことになる。
医師会の広報活動がうまく効果を上げていないことは往々指摘されているが、会員にさえ十分伝達されていない現状を突きつけられ、私はガックリ来た.
9/17(火)曇り・雨 総回診(欠)、「週刊あきた」来訪 医師会打ち合わせ 長副会議 医局カンファ(欠)
2:00起床,人間ドック判定・総括x2.5:40病院着、9:00-14:20午前外来、一月前の盆明けの影響と連休の影響モロに受けて大混雑.総回診は時間とれず不参加、15:00県医師会館で「週刊あきた」社と医療関連記事の連載について打ち合わせ。広報としては良い機会と思う。前向きに対応したい。16:30-17:10医師会打ち合わせ.17:50-19:00長副会議。MC出席できず食事のみ。総括書など、20:00帰宅、21:30就寝。
小泉首相訪朝、安堵と混迷の予感
首相の訪朝の結果、拉致被害者を含めて8人の死亡が明らかになった。子供や兄弟が拉致された家族にとって厳しい結末となった。
会談で金総書記は遺憾と謝罪を表明したと言うが、犯行は一部の特殊機関によるものとし詳細は闇のまま残された。首相は国家犯罪に抗議した上で日朝平壌宣言に署名したと言う。
今回の首相訪朝は外務省が約1年前から準備したという。北朝鮮は国際社会との協調路線を目指し始めたように見えるが、本質から変わったのだろうか。現体制を維持するための駆け引きの方法論上のの変化かも知れない。だとすれば小泉政権はむしろ大きな課題を背負うこととなった。
それでも、今回の動きは高く評価すべきと私は思う。動きがなければ進展も退歩もない。問題は今後である。懸案事項がありすぎるし、日本人の感覚では理解できない論旨を展開して来る国である。詳細の詰めの段階で再び決裂する事態は十分に考えられる。過去に何度かあったではないか。しかし国は熱意を持って前向きに対応し、情報は公開して欲しい。
時をほぼ同じくしてイラクが国連の査察を無条件で受け入れると表明した。
安堵と混迷の予感と感じた日であった。
9/16(月)振り替え休日 晴れ→曇り・夜半雨 アンサンブル二日目
3:00起床。人間ドック判定・総括x1。書類2,3処理。9:00-15;30休憩はさみつつ長時間Duo.「Spring sonata」中心に小曲数曲、私にとっては至福の二日間であった.下手な私のVnに長時間伴奏をつけてくれたM Drはかなり疲労したはず.並の言葉ではとても感謝しきれない.16:30駅に送り病院へ.書類処理ほか、19:30帰宅、そのまま21:30まで就寝。夕食、22:30-2:00再びS.
貴乃花
昨日も勝ったとのことで7勝2敗.これは驚くべき結果だと思う.トップあるいはそれに近い地位を占めている場合の弾き際は自ら決めるべき、との考えを私自身はとるが一年以上の休場にもかかわらず自ら進退について後ろ向きの発言をしなかった横綱に対して私は何故だろうかとの疑問を持ち続けてきた.
横綱審議会が提言という形で進退を問うたのを機会に今場所に再起をかけ土俵に上ったと聞く.正直なところ数日以内に負けが先行し引退のコースを辿るのではないかとの予想していたが、今朝も新聞を見て驚いた.何と優勝争いの中に留まっている.
貴乃花には再起の力と自信があり、目立たない様に下準備しながら虎視眈々と時機を窺っていたのだろうか?そうだとしたらたいしたものである.一方、連日稽古をしている他の力士は何故横綱に勝てないのか?力関係から見て不思議である.一日稽古を休むと後退を自分で自覚し、二日休むと同僚や評論家が気づき、三日休むと愛好者にも分かる、とされる厳しい世界である.
貴乃花の実力に驚くべきか、他の力士のの不甲斐なさを嘆くべきか、相撲は一般のスポーツと異なって閉鎖社会による興業であるからとクールに疑うか、私には未だわからない.
9/15(日)敬老の日 曇り・快晴 FF tennis アンサンブル
2:00起床、人間ドック判定・総括x2、等.6:00病院着、回診他種々処理。9:30帰宅、10;00-13:10梅林園FF tennis、vs第2チーム6-2、6-4,6-3。14:00-22:30M Dr迎えてアンサンブル、Trio、duo。独りの練習とは比較出来ないほど楽しいが、準備不十分な所ではどうしてもこけてしまう。実に難しいものだ。いつもの如くT Dr中心にMozart談義が盛り上がり、良い刺激となった。22:00S。
自伝:0歳から小学校卒業まで(8)
自分が外から抜け出した。不思議な体験は、単なる夢なのだろうか?
気がついたら、自分自身が身体から離れて何故か高いところから自分を見つめていた。ぐったりと無表情で顔色の悪い、いかにも腺病質様な自分が布団を厚くかぶって寝ている。周囲には家族達が数人居たが、具体的に誰が居たのか、その人達の表情とかは全く覚えていない。ただ、静かな、凍り付いたような動きのない、灰色の情景であった。
次の場面は、突然、小学校の校門の前にいた自分である。きちんと足がついていて歩いて行ったようだが、動きは軽く、すごく楽に動き回ることが出来た。自分が通学している小学校であるが、いつもと様相は全く異なり校庭は一面黄色のお花畑になっていた。全く隙間無く、びっしりと生えている不思議な光景でにすっかり変わっている。花は菊のように見えたが、コスモスみたいな花のようにも思えた。一つ一つの花のことは良く解らない。鮮やかな、明るくい黄色で場面全体がとても明るかった。(続く)
9/14(土)快晴 中通病院友の会天王支部講演
2:00起床、人間ドック判定総括x1。講演準備、その他.5:30病院着、人間ドック資料作成x1、その他。回診。講演最終準備,液晶プロジェクターとの相性確認。9:30帰宅。天王町グリーンランドへ.10:40-11;50講演「高齢者に相応しい医療」。12:30帰宅、Vn、微睡み、Vn・・・と明日のアンサンブルの用意.21:30就寝.
本日の飛行機小話(2)復路のANA機,座席不足による遅れ!!!
復路の18:40ANA 満席とのことで気持ち若干落ち込む.連休前だし当然かも,と納得.出発間際に「座席が不足したので最終便に乗り換え可能な方を募集します.協力金として1万円差し上げます」とアナウンスがあった.最終便は約1時間後だから時間に余裕を持っている方には悪い話では無かろう.私は予定通り搭乗し,キャビンも通常に閉じられたがなかなかスポットから移動せず,結局は予定から15分ほど遅れた.理由は協力した方々の荷物の積み替えに時間が取られたからとのことである.そうとすればかなり迅速な処置なのだと感心した.一つ一つのコンテナには誰の荷物が収納されているかは記録されるが,奥のコンテナーに入ったとすれば荷を出すにはかなりの出し入れ作業が必要なはずだから.
何で座席が不足したのか?座席数の少ない機材に変更になった訳でもないので,過剰予約または重複予約であったのかもしれない.コンピューター時代になってかなり少なくなったが,私もJRの指定席で経験がある.
今度は山形上空付近から小刻みにかなり揺れ始め,珈琲がコップから零れるほどであったが,機は実にスムースに秋田空港に接地した.
9/13(金)秋田晴れ東京曇り 日医医療関係者対策委員会
2:00起床、人間ドック判定総括x2。紹介状2部.5:30病院着、人間ドック資料作成x2。回診、留守中のオーダー確認など.8:50秋田空港に。10:00JAL 80%ほどの搭乗で後部は空席が多数で快適。12:30-16:00日医医療関係者対策委員会。准看護士問題巡って議論盛り上がる。ANA18:40にて帰秋。実際には20分遅れ.20:25高速経由にて帰宅21:30就寝.
本日の飛行機小話(1)JAL機内のトイレで煙反応が出た!!
10:00JAL 80%ほどの搭乗で定刻に出発.私は常に最後部を希望して座席を取る.空席があるときには比較的乗客の密度が低く快適であることと、あって欲しくないことだが何かのパニック状態が生じたときにあの人の密度の中で慌てたくないからである.どうせダメでも少しばかり空間的には余裕が欲しい.私は飛行機と、運行システムを100%信頼はしていないから、それなりの覚悟で利用しているつもりである.
東京に近づくにつれ気流の関係で小刻みにかなり揺れた。山形上空付近で横にいた客室乗務員が何やら電話でパイロットからの指令を受けている様子.声を潜めての会話であったがどこかで煙の反応がでているらしいことは類推できた.航空機内の煙の反応は重大事のはずだが、特に彼女らには慌てた様子はない.そのうちトイレから20歳前後の、結構スタイルの良い女性が出て来て10mほど前の座席に座ったが、乗務員はトイレを調べている様子.しばらくしてから「トイレでタバコを吸われた方がいらっしゃいます.危険防止のため・・・」と放送があった.
「馬鹿な女だ!!、方々にセンサーがあってトイレなどでタバコなど吸えばすぐに分かるのだ.・・・」と思ったが、感心したのは絶妙な放送のタイミングであった.逃げ場のない密室の中で個人が不用意に特定されないような配慮と考えられ、感心した.
小刻みな揺れで眠くなった。微睡みながらオッ今度の揺れは大きいぞ..と思ったらすでに羽田に着陸していた.
7/18(木)晴・夜間雨、
1:30W、人間ドック判定総括x2,NP スクラップ、医師会関連作文等。5:40病院着、人間ドック診察x4、9:00-13:00外来。人間ドック結果説明x1。以降は淡々と業務処理。「すこやかさん」原稿脱稿。介護保険主治医意見書、院長から21プロジェクトに答申の「当院における療養型病床の導入の是非」など検討進めた。時間がゆっくり流れた気分快適だが、机上仕事6時間以上集中し「エコノミークラス症候群」になりそう。明日は東京出張。20:00帰宅21:00S.
日本の医師を「在日日本人」と評した作家の草柳大蔵氏死去
作家の草柳大蔵氏が7月に自宅で 間質性肺炎のために死去した。本人の意志に沿い近親者で密葬を済ませ,お別れ会などはしなかったと言う。
草柳氏は横浜市生まれで東大法学部卒業後、故大宅壮一氏に師事して文章の技術を学び、サンケイ新聞記者を経て作家・評論家として独立。丹念に歩き回って蒐集したデータをもとに時代を説く手法で、ルポルタージュにも新境地を開いた、と評価されている方である
私が氏に感心を持ったのは10数年前の日本内科学会総会における特別講演を聴き、二つの点でいたく感心し驚きもしたからである。一つは日本の医師を「在日日本人」と表現したこと。もう一つは末期状態の腎不全の兄が呼吸不全に陥り、二週間ほど人工呼吸器装着等の濃厚治療のあと亡くなったことに対して「否定的でない」感想を述べたことであった。穏和そうに見える表情から淡々と発せられた厳しい言葉は、迫力こそ乏しいものの含蓄十分で私の心に深く浸透した。
詳細は不明であるが、間質性肺炎で、しかも自宅で死去したというが、呼吸不全による症状は強くはなかったのだろうか。講演のあと長い時間を経たが、今、人工呼吸器装着等の濃厚治療に対して「否定的」感想を持つに至ったのであろうか。いづれあの世で会うことがあったら聞いてみたいものだ。ご冥福をお祈り致します。
コラム 「在日日本人」
9/11(水)曇り・晴 インフルエンザ接種:県、秋田市担当者と打ち合わせ 県医師会常任理事会
1:30起床。人間ドック判定総括x2. 介護保険主治医意見書x1、書類処理、5:30病院着.人間ドック資料印刷x2。回診その他。9:00-13:00外来、やや少な目。書類処理多数、医師会「すこやかさんin Akita」原稿作文ほか、etc。16:40今期のインフルエンザ接種に関して県医師会と自治体の一括契約に関して秋田県、秋田市担当者と打ち合わせ.今期のみ秋田市は特例的に対応すべきかな.17:30-19:00県医師会常任理事会、比較的スムースに進行、早めに終了.19:30帰宅、この時間だと結構道路は混んでいる.本日午前に輸血のために入院した方の回診忘れていた.TELにて陳謝した.21:00就寝。
医療は果たしてどれだけ役に立っているのか
9/10(火)晴れ 総回診(欠)医師会打ち合わせ、モニター会議 医局カンファ
2:00起床,人間ドック判定総括x1. 書類処理、5:40病院着.人間ドック資料作成x1.6:30回診他、8;00人間ドック診察x4.9:00-12:30外来、お盆の4週間後ということで少なかった.13;30人間ドック診察x1.14:00-16:00県医師会モニター会議。話題は「在宅医療」「ワクチン」.16:00-16:50医師会打ち合わせ。医局カンファ(欠)。医局長休祭日の日直の件で来室.業務量評価の上でなら承諾.過小評価によるDuty割当なら断りたい、と伝える.20:30帰宅。Vn 21;30就寝.
医療は果たしてどれだけ役に立っているのか
医療が、あるいは私が医師として患者さんに何をしてあげているのか、私は殆ど無に近いと思っている。近代医療の技術を駆使して患者さんを最低限のレベルで生かすことは出来るが、基本的に元気に生かすことなんて出来ない。元気になるのは医師の力ではなく、結局はその患者さんの持っている予備能によって大概の結果が決まってしまう.むしろ近代医療の大きな罪として生老病死に対する、生物として謙虚で純粋な感覚を奪ってしまったことの方を嘆いてる(続く).
9/9(月)雨→曇り 管理会議 県エイズ委員会 長副会議
2:00起床、人間ドック判定総括x2. 書類処理、5:20病院着.人間ドック資料作成x2.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-13;00外来。人間ドック説明無し。16:00-17:35秋田県エイズ委員会、県医師会の立場で副委員長に指名される。17:50-19:30長副会議。懸案多数。20:00帰宅21:00就寝。
綱渡り的毎日.振り返りの時間が取れないのが辛い
最近対応すべき仕事量が多くて処理に大変である。私的なスケジュールも若干はあるが病院、医師会の行事や業務で眠る時間さえも惜しいと思うことの方が多い.更に、まあ次々と毎日新しい懸案事項が飛び込んで来るものだと思う。
本来、私は瞬発力、集中力に欠けており、どちらかというとのんびり、だらだらと物事を処理するのが好き。その為、懸案事項は少しずつ計画的に進め、最後まで追い込みなどしないタイプである(あった).逆に見れば、実際に取りかかっているか否かは別としても四六時中何かに負われている気分で毎日を過ごすことになり、学生の時から時間をもてあました事などの記憶は殆どない.要するにスカッと切り替えが出来ない、と言うことで、要するに、あまりいい性格ではないのです.
しかし、ここ7年前に県医師会の役員になってからは様相が一変し、自分で配分するなどの余裕は失われ常に時間に追われる身になった.それが現在の寺田体制になり、総務庶務担当になってからは一入である.医師会活動は報酬ほぼゼロのボランティア活動に等しいが、やるべき業務は限界がない.やれどもやれども限界がないことは逆にいえば幸せなこと、贅沢なことでもあるのだが・・・大変である.
9/8(日)超快晴 FF Tennis 義母在宅ケアの準備で自室を提供する準備開始
1:30に5F入院患者不調にて起こされ対応.やや早いが本日も多忙にてそのまま起床.人間ドック判定総括x2,溜まっていたNP整理,医師会書類処理,作文など種々.その後リハ病院自体は平穏なので検食後中通病院へ移動.7:30回診、オーダー書き他処理。9:30帰宅。10:00-13:00FF Tennis.vs A team 6-4,他は2敗.
午後若干休息後,寝たきりの義母を引き取るため私の書斎を空ける作業を4人の孫たちを集めて一気に進めた.Tnnnoy GRFは孫の一人が使うことに.オペラ等のAV用に使っていた古い大型TVと工作用の作業机は廃棄.机やバックアップ用のマックは2Fに。ン熱帯魚水交換.18:00頃一応終了,夕食 Vn etc 21:00就寝。
自伝:0歳から小学校卒業まで(7) 虚弱で何度か死にかける。臨死体験?
小学校入学後も相変わらずやせ形で、虚弱児であった。特に気道系が弱く、小児喘息でいつも咳をしていたし加えて胃腸系も弱かった。正月は子供にとっては楽しい時期であるが、殆ど健常な状態で迎えたという記憶はない。当時、抗生物質などは数種しかなかった時代で使用も超慎重であったが、最終的にはクロラムフェニコール(クロロマイセチン・三共)のお世話になった。何故かいつもこれを服用すると不思議なほど病気が軽快した.私にとっては貴重な、貴重な薬品であり、祖父がなかなか処方してくれなかったときには夜中に診療所に忍び込んで薬棚からくすねてこっそり飲んだりしたこともある。
小学3年の頃、高熱が長期間持続し、脱水から全身状態も悪化したことがあり、そのときは祖父も遂に諦めたらしく、お手伝いさんの一人を津軽のどこかに派遣して「いたこ」を通じて祈祷した事がある。そのとき「いたこ」のお告げは「今月の30日には床離れが出来る」と言うことで、遣いのお手伝いさんは喜々として帰ってきたとのことである.「いたこ」がくれたという何かをしみ込ませた3cm四方ほどの紙を茶碗に浮かし、湯冷ましを注いで毎日飲まされた。不思議なことに、徐々に軽快し、お告げから数日ほど遅れたものの起きて暮らせるようになった.
その時の病気の状態は覚えていないが、いわゆる臨死体験した方々が例外なく話す「自分自身が身体から離れて、黄色い花が一面に咲いているお花畑に迷い込んだ」という経験をした。このことはなぜか今でもほぼ覚えている(続く).
9/7(土)曇り,晴れ リハビリ当直
1:30起床、寝不足感。人間ドック判定総括x 2,その他.患者さんの家族との面会予定あり、5:30病院着、事務的処理、6:00病棟回診他、8:00人間ドックx4、9:00人間ドック説明x2。10:30-12:30外来。13:30入院患者さん不調に、結局死亡された.15:00-16:00来客他、17;30帰宅、Vn etc.夕食後20:00リハビリ病院に当直に.21:30就寝.
人は「喰い」、動物たちは「食べる」(2)
折しもヨハネスブルクで開かれていた「環境開発サミット」が閉幕した.深刻さを増すアフリカ問題を念頭に置いてこの地で開催されたものである.採択された実施文書は句読点、形容詞の置き方を巡って紛糾し、無駄に時間をかけた、玉虫色の労作となった.要するに、またもや先進国のエゴ、人間の欲望のごり押しが目立つ結果になった.集まった196ヵ国の重鎮達の一部の方々は所持品を奪われたりしたそうだが、ヨハネスブルク周辺の貧困、貧富の差、人種差別、治安の悪化、・・・を見て何を悟ったのか、今後自国の政策にどのように生かすのか、その方が文書よりも重要である.
我が国の食料自給率はカロリーベースで40%以下となった.諸外国から食材をかき集め、贅沢に「喰らい」、気に入らないからと言って無駄に廃棄している.宴席の食品は35%ほど、日常生活の中でも18%の食材が捨てられているという.国民全体に食品に対する感謝も謙虚さも失ってしまっただけでなく、我が国の食料の大量輸入は諸外国の食糧事情を悪化させ、食材の値段を高騰させ、結果的に食糧事情に悩む途上国の国民の首を絞めている.さらに、同時に自らの首も絞めていると言う危機感を感じる人も、叫ぶ人は少ない.我が国の食料事情は政治的手段として如何様にも扱うことが出来る.日本を締め挙げるのに最早、ヒロシマ・ナガサキは不要である.
一方、食材を種にしたお笑い番組などいかに多く放映されているか、垣間見るたびに不快になる.
これほど優れた知識、哲学・・を持つ人間ども、特に先進国の「喰う」という欲望は結局は動物以下の存在でしかない.
ヨハネスブルクからの私へのメッセージである.
9/6(金)雨→曇り 大曲中通病院友の会支部講演 秋田県難病医療連絡協議会
1:30起床、人間ドック判定総括x1.講演用意.5:30病院着、人間ドック事務処理後6:30から回診他。9:20こまちにて大曲に.10:45-12:00講演「高齢者に夢と希望を」.内容的には大笑いしてもらえるようにアレンジしたので出席者には十分楽しんで??頂けたと思う.12:35こまちにて帰秋.各種書類処理、主治医意見書x3、要意見書x4など.16:00-19:00秋田県難病医療連絡協議会、医師会代表ということもあり副会長の指名受ける.神経難病の診療ネットワークを中心に意見交換.病院にて残務処理、回診。20:30帰宅21:30就寝.
人は「喰い」、動物たちは「食べる」(1)
6年前私を県医師会の執行部に登用してくれた藤原会長の葬儀の後、「偲ぶ会」の席で挨拶に立った菩提寺の住職が「動物たちは喰うのですが人は違います.・・・それでは、有り難くいただきましょう」と述べ、会食が始まった.全くその通り、当たり前のことをうまく表現するものだといたく感心した.
しかし現実は全く逆であり、人は欲望のままに「喰い」、搾取を重ね、人の持ち分まで食いつくす.潤沢に得られる環境では「食」に対する感謝の気持ちなど無きに等しくなっている.「食」は国の経済力の影響を大きく受け、文化として成り立ち、食行動において個人の自覚は失われていく.我が国では、子供達の教育の過程で農業、漁業の体験学習、屠殺場、食肉産業の見学等は必須にすべきである.その一方で、飢えに苦しむ十数億の人間がこの同じ地球上にいることも教えなければならない.
今、先進国では人は過剰に「喰らい」、余剰カロリーをどうやって諸費するか、そのための健康産業もまた盛んになっている.
自然界の動物たちは、感謝の気持ちはないかもしれないが私から見れば「いただき、食べている」と思う.動物たちは確かにガツガツとわき目もふらずに食べるが、それは空腹であり、生存競争をかけた弱肉強食のなか、強者に奪われるかもしれず、次に食べる機会が得られるか分からないからである.自分が餌になる可能性すら低くない.
しかし、彼らは量的にも質的にも生きるためにも適量をわきまえており、決して矩を越えず、無心で謙虚である.
「偲ぶ会」終了時、テーブル上には沢山の食品が乱雑に残された.このような催し、結婚式、日常の宴席などの際、目の前に並べられた食品は食べるためではなく単なる宴のアクセサリー、添え物に過ぎなくなっている.情けない.
9/5(木)快晴、臨時長副会議 在院日数21プロジェクト会議
1:30W。ここ2ヶ月以上、やや早めに起床するようになって来ている.人間ドック判定総括x2。紹介状への返事、プロジェクト準備等.5:30病院着、6:30から回診他。最近病棟の患者さん経過不良で何かと心配である.8:10人間ドック診察x5。9:00-13:30外来。13:30人間ドック説明x1。14:30-15:30本日も臨時長副会議、それだけ院内流動的な部分が多い。16:00-18:00在院日数21プロジェクト.紹介状書き、その他19:30回診、20:00帰宅.21:30就寝.
平均在院日数は短縮し要件をクリアしたが・・・
私どもの病院は病床2床に一人の看護師の2:1基準を取得している。この場合、本年10月から平均入院期間を21日以内にしなければならない.これをクリアするのは、虚弱な高齢患者を沢山抱える当院にとって決して容易なことではないが、全職員の取り組みが功を奏し、無事条件は満たし申請要件は整い,あとは申請が残っているだけ。プロジェクトの責任者として正直なところホッとしている.ただ、これからの季節、21日以内の維持のために更に更に厳しい対応が求められてくる事になると思うとやりきれない気持ちも同居している.
一方、ここ2ヶ月ばかり院内の諸事情で業務量が増え、私は1:00-2:00頃起床と睡眠時間が短くなり、5:30頃出勤,20:00前後の帰宅となり,私の在院時間は確実に延びている。その間,家では何度か風呂に浸かり、病院の自室ではBGMを流しつつ業務を進めるなど,若干の息抜きはしているが,人間ドック、受け持ち患者のこと,外来患者関連の書類処理,院内業務,医師会業務・・と休息時間は殆どとれない.週休も昼休みも無い.いつまでこんな生活が続くかな?と思う一方,新院長の気苦労を思えば物理的に多忙な事を愚痴るなどは、まだまだ贅沢なレベルなのかもしれない.
9/4(水)快晴 秋田県社会福祉協議会 臨時長副会議
1:30起床。人間ドック判定総括x2、他。5:30病院着.回診等。9:00-13:30外来。後半混雑。15:00-16:15秋田県社会福祉協議会.時間通りに進行、終了。16:45-18:00臨時長副会議,診療科体制問題。18:15-18:45新装開店した千秋会館で夕食,20:30帰宅。疲弊した、そのまま21:00就寝。
病院隣の千秋会館レストランに行ってみた.
本日は、春先に広範な脳梗塞症を発症し生命予後まで危ぶまれたが,寝たきり状態で安定した義母の今後の在宅ケアの相談に親族で集まるというので私の夕食は無いことになった.
それならば、と8/28からレストラン新装開店したという病院隣の学校共済会館の千秋会館に行ってみた.家事その他一切切り盛りしてくれている石井さんの旅行とかで食事が用意できないとき、年に1-2回は利用することもあったが、殺風景な学生食堂調レストランが見事に和風レストランに変身しており和服姿の従業員が丁寧に迎えてくれて心底驚いた.ただやはり、ロビー等がそのままだし、以前の状態を知っているだけに違和感が拭いきれない.和服の従業員の表情も心なしか硬く全体が浮き上がっている感じである.メニューはなかなか凝っている.好物のオニオンスライスサラダがあったので二人分と冷しゃぶサラダをいただく.オニオンスライスサラダがなかなか美味であった.
改装等の場合は一部だけというのはなかなかしっくりこない物である.せめてその階全部とかであれば調和上ではいいと思う.いずれ、時間が解決していくのであろうけれども.
家内が病母を引き取って世話したいという.その気持ちは大事にしたいが、如何にホームヘルパーさんなどの社会資源を有効に用いても、家内も私も、石井さんも今以上に大変になるだろう.私の書斎を介護用にいろいろ改装しなければならないようだ.
9/3(火)曇り-晴れ 総回診 医師会打ち合わせ 拡大外来診療部会+医局会
1:30起床,眠い。人間ドック判定総括x1、 紹介状返事x1.NP scrap.家内今帰宅したので安心してやや早めに出勤5:30病院着.回診、その他。8:00人間ドック診察x4、9:00-13:30外来、朝から冷や汗など若干あったが、患者の切れ目で10分ほど熟睡し、体調が戻った。13:20人間ドック説明x1. 14:30-15:45総回診に合流.16:00-17:00医師会打ち合わせ.17:30-19:00拡大外来診療部会+医局会、出席者多数、諸問題討議。20:30帰宅。21:30就寝.
県立男鹿水族館閉鎖 カムルチー、ピラルクーは何処へ?
35年の歴史を持つ県立男鹿水族館が解体新築のために先月末閉鎖された。開館以来延べ1000万人以上が入館したという。子供が小さい頃に数回入館したが、混雑さえしていなければ心休まる空間であった。人混みを避け、私がいつも長時間見ていたのはカムルチー、ピラルクー等の大型淡水魚である。男鹿水族館のは中国産とされ、他で見れなかったほど特別大きかったように思う。最後に見たのは10数年前であるが、悠然と水槽の中を泳ぎ回る姿はしっかりと目に焼き付いている。
大型の亀4匹は沖合10数Km迄運ばれ30数余年ぶりに海に戻されたという。上手く生きていけるのだろうか、心配である。277種類3800匹ほどは他の水族館に引き取られたというが、あのカムルチー、ピラルクー、巨大なトドなどは何処に引き取られて行ったのかな??
男鹿水族館の悲しい出来事はやはり日本海中部沖地震であろう。駐車場にいた観光客何名かが亡くなったが、繰り返し放映されたあの映像は津波の恐ろしさを日本全国に発信した。あの記録も決して忘れることは出来ないが、現水族館が残した貴重な遺産となった。
9/2(月)晴れ 管理会議 長副会議
2:00起床。人間ドック判定総括x1、メール返事多数送付.5:20病院着。事務処理,6:00入院患者家族と面談。回診.8:00管理会議.9:00-13:00外来 。人間ドック説明 x1。患者病状検討、講演準備、16:30-18:00長副会議,19:00Au関連の訪問者仙台よりあり.20:00帰宅、21:00就寝。多忙な一日であった.
●メインアンプPioneer M4、遂に再起不能に
気に入って用いていたオーディオアンプのPioneer M4が10日ほど前に突然電源が入らなくなった。見るとヒューズが切れている。同規格ヒューズに交換しても一瞬で切れるので電源系統の制御が利かなくなっている可能性がある.ある販売店を通じて工場に送ったが修理不能で返送された。部品の調達が不可能のため、と言うことで、残念ながらそのまま販売店で有料廃棄してもらうこととした。往復の送付料金、診断料、有料廃棄料で20000円の請求であった。この製品は昭和60年製、サイズは大きく重量は40Kgもあった。当時珍しい純A-classで、30W+30Wの小出力であったがさすがに音質は緻密で力強くTannoy GRFを機嫌良くならしてくれた。
これのペアであったプリアンプYAMAHA C-1は同じ頃作られた複雑な回路を持つ高機能アンプであったが、回路の一部ずつ機能障害に陥り5年ほど前に再起不能になっており、安価なプリに取って代わられていた.遂に私のオーディオ歴の中心を占めていた機器が共に寿命を迎えた.プリ・メインあわせて小型車1台はゆうに買えるほどであったが、私自身がオーディオに関して考えを変えたので、もう2度とこのような高価なオーディオ機器は購入しないだろうと思う.過ぎ去った日々を思い、感無量でもある.
9/1(日)快晴 日直+病棟拘束 FF tennis(家内のみ参加)
2:00リハビリ当直室にて起床、人間ドック判定総括x1. 新聞スクラップ、9/6の講演準備、資料作成ほか種々。朝食検食後7:30病院に移動。本日は当直に引き続いての日直である.通常は考えられない組み合わせであるが月が変わるときにまれに起こる.前月後半の予定を勘案せずに翌月のを作成すると時にこうなる.どうせ何時かは当たるのだからと割り切ることにしよう.人間ドック資料作成x1、回診、病棟拘束業務若干。講演準備。13:00-17:00外来担当。20名ほどで従来の経験で最も少ない。20:00まで業務処理し帰宅.21:00就寝。
●日本人間ドック学会 講演がとても面白い
日本人間ドック学会は必ずしも学問的に格調が高くはない。また私自身、専門医資格を取るつもりもないが、一泊ドックを一手に引き受けている立場で業務に取り入れるべき何かが得られるはずと考え、ここ3回ほど連続して参加している。
この学会で面白いのはまず会長講演である。会長は人間ドックに力を入れている地域の病院の院長が担当する。従って、一般の学会とは異なりそうアカデミックではないが、長年地域医療に深く関わってこられた方々だけに患者本位の医療の視点から講演される。残念ながら今年は直接は聴くことは出来なかったが、抄録から見ると長野県の医療福祉の現況を分析し語ったと思われる。
次ぎに面白いのは、作家、芸能人、有名人を招聘しての公開講座である。本年は(1)小林照幸氏「予防は最高の治療ー日本における有害危険生物対策を考える」(2)浜美枝氏「これからの食と農をみつめる」(3)佐々淳行氏「これからの危機管理」(4)熊沢悦郎氏「性と健康ー中高年者における性の意義」を聴講出来、いろいろ感慨を持った.
直接医療に深く関わっていない方々が医療問題を語るとき、普段気付くことのない問題点がさらけ出されるのが、聞く側から見て辛いこともあるが、それだけ新鮮にひびいて来る。
女優としては今まで「石井めぐみ」「由美かおる」「浜 美枝」と3人聴いたが何れも最前列、数mほどの距離で、鼻下を長くして息づかいも聴いてきた.なかなか良いもんだ.なお、一言追加すると、私は学会はいつも最前列に席を取って聴講しているのですョ.
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(人間ドック)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、人間ドック報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、人間ドック受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来と人間ドック受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |