日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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10/31(木)雨→曇り 郡市医師会広報担当者連絡協議会
0:30起床、入院患者不調とのことで緊急連絡、出勤した.手当の甲斐なく結局は死亡された.3:00帰宅、人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:30病院着。6:00亡くなられた方の帰宅を見送る.回診、8:10人間ドック診察1名。9:00-13:00外来。療養型病床導入など病院問題懸案事項検討など処理.18:30-20:00県医師会郡市医師会広報担当者連絡協議会.20:30帰宅。生活パターンの乱れから終日眠かった.21:00就寝
エイズの脅威 世界で、日本で、秋田でも
エイズの脅威が強調されてから久しいが,我が国では予想に反して急増は免れているためにエイズ問題は対岸の火災のごとくの印象でしか語られていないが,世界的には著しく広がりを見せている.
NIC(米国情報協議会)はCIAの諮問機関であるが,この度エイズ感染の増加率が高い5カ国(インド,エチオピア,ナイジェリア,ロシア,中国)をあげ,アメリカのみならず世界の安全と平和がエイズ蔓延によって脅かされる可能性があると指摘した.
これら5カ国では現在500-750万人が感染していると予想されているが,これらの国が世界に占める人口は40%もあり全世界的視野で見ても決して安心できる状況では無いという.これらの国だけで2010年までに1400-2300万人に膨れあがるだろうとされているが,これは5カ国以外の地域の国の感染者総数を超える驚くべき数値である.
エイズはこれらの国においてば経済のみならず政治や軍事構造にも強い影響を及ばすと考えられる.医療費の増加で軍事費の削減にも繋がるだろうとの予測ある.
ロシアでは徴兵年齢世代ではドラッグ使用によるエイズ感染で数人に一人が不合格になっていると言われているし、エチオピア,ナイジェリアでは感染者は公式には370万人,350万人とされているがNICでは300-500万人,400-600万人と予想している.
日本では年に4回感染者数が発表になるが、その度に記録が更新されている.秋田でもここ1-2年の間に感染者数が倍増している.まもなく身近な病気の一つになってくるのだ.
10/30(水)雨時々晴れ。医療の安全委員会 郡市医師会長協議会+懇親会
2:00起床。人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等処理.昨夜入院の高齢患者不調にて4:50病院着、回診、処置種々他。人間ドック資料作成x1他。9:00-13:30外来。 Metropolitan Hにて15:30-16:40医療の安全委員会、引き続き郡市医師会長協議会+懇親会。18:30同患者不調にて中座、病院に。20:30帰宅。21:00就寝
おじいさんの古時計
何故か解らないが,いま,おじいさんの古時計が大ヒットしている.奇をてらわない当たり前のメロディが良い.リズムもゆったりとして良い.更に,この高齢化のなか,一つの人生の理想的な「天寿を迎えての静かな死」が歌われていて心和ませられる.
ところで,先日原文を取り寄せてみたら,「90年,チクタクチクタク・・」であった.この歌が作られた当時の寿命のせいかと思ってみたが,日本語訳を作るとき90年だととても歌いにくいが、百年だと歌いやすい.逆に,原語の場合,本当のところ切れの良い100年と言いたかったとしても「one hundred years」では歌うときに辛いものがあり,「ninty years」だととても歌いやすい.その為にねじ曲げたのだろうか?
まあ,くだらんことを考えたりしたが日本は世界一の高齢国でもあるし,この歌詞に加わった+10年はお国柄丁度良いのではないか,と妙に感心したりしている.
何やらかにやらありましたがこのWeb siteもアップしてからまもなく一年目です。よくもまあ続いたものと自分でも感心しています.来訪いただいている方々には深く感謝いたします.今後ともよろしくお願いします.
10/29(火)曇り雨 総回診 県医師会打ち合わせ 医局運営委員会と話し合い
2:30起床, MacG4の動作環境設定。なかなかスムーズに動く。人間ドック判定総括ほかは出来ず.5:50病院着、人間ドック判定総括・資料作成x1他。回診。9:00-13:20外来.13:30人間ドック説明x1。14:30-16:00総回診に。16:10-17:00県医師会打ち合わせに.17:30-19:00医局運営委員会と病床区分について協議。新入院あり。20:00帰宅。21:00就寝
竹中バッシング。大臣はひるむな
小泉改造内閣で金融庁長官も兼ねるようになった竹中大臣に注目が集まっている。彼はいかにも評論家のように淡々とした話しぶりで他人事のように重大な事項、危機的状況を話すために、何か大きなことを一発やるのではないかと市場関係者が不安を募らせている。
我が国は方法論はどうあれ早く不良債権を処理し、経済を立て直さなければならないのは自明の理である。それをやろうとする担当者が非難されるということ自体、不思議である。竹中バッシングは問題の先送りをしようとする経済界の一部の連中の作為的行動に見える。経済界では不良債権処理の前に、このどさくさの、問題の先送りの間に、持ち株とかを放出してしまおうとしているのではないか、としか思えないものがある。大臣はひるむな・・とエールを送りたい。
昨日、医局運営委員会と病床区分についての話し合いがもたれたが、先方の出席者は少なくせっかくの機会が十分に生かせなかった。我が国の経済は危機的状態、病院医療・経営も危機的状態。何も対策せずにいることが一番平穏なように感じられるのだろうが、そのことが国も病院をも決定的な破局に向かわせることになる、そのことすらまだ十分理解されていない。
10/28(月)雨 管理会議 長副会議
2:00起床、メイン機種として繁用してきたPM7200、昨日までは何とか起動したが、今朝は数10回試みるもついに起動せず。ついに寿命を迎えたらしい。本日新型機種が届くというので安心して永眠したのかもしれない。サブ機種にて支障なく業務を進める。人間ドック判定総括x2、退院総括その他処理。5:00病院着。回診他業務.8:00管理会議.9:00-13:15 外来、大混雑。13:30人間ドック結果説明x2。骨髄穿刺検査ほか、16:30-18:00長副会議.20:00帰宅、20:30新しく購入の中古のMacG4届く、21:00-23:00就寝家内帰宅を機に起床,G4セットアップ。種々インストール、ほぼ前のと同じ環境に整えた。古い周辺機器多数無用になった。順調に機能する。本日のこの文章から新機種にて。0:30再び就寝
シンクロナイズドスイミング/クラッシックバレー,非情な芸術だ.
先日,Duo Prima演奏会を聴きに行ったが,二人とも痩身で身長は高く,似たような体型で,お揃いのドレスでVnを演奏したが,二人の音色,演奏スタイルに殆ど差がなかった.各々別のフレーズを演奏しているので身体の動きは別だが,その動きは全体的に見て調和が良くとれ,それなりに完成された美しさもあった.
こんな時に良く比較し考えるのがシンクロナイズドスイミングやクラッシックバレーのデュエットや大勢での演技である.私には非情な,非人間的にしか感じられず見ているのが辛いこともある.それぞれの場面での技術,華麗さ,ダイナミックさは当然であろうが,動きが完全に一致していることが求められる場面は演技のうちのかなりの時間帯を占める.複数,多数の人間がぴたりと動きを一致させる事は結果として美しいが,個々の独立した人間が個性を捨てて形を合わせる事に何の意味があろうか.結果として合えばいいのだ.バレー「白鳥の湖」は私も大好きだが,主役の見事な舞踏のバックで踊っている大勢の白鳥たちの演技が一糸乱れずぴったりと合ったとき,私にはすごく空しく気の毒に感じる.
私は芸術,スポーツを解さない,違いの解らない人間の一人なのかもしれない.
10/27(日)終日雨 FF tennis(中止) 病棟拘束で終日病院
2:00起床、家内が新幹線に遅れないで無事帰っており安堵する.人間ドック判定総括x2、総括その他処理。病棟拘束で7:00病院に出勤。回診他拘束の業務、院長よりの諮問に対する答申案作成.総括,紹介状その他,結局終日業務をこなす.18:15帰宅、Vnその他,家内も終日病院で過ごしほぼ同じに帰ってきたばかりだが,急患にて18:30再出勤,22:30就寝
自伝:0歳から小学校卒業まで(14)
ネコが引っ越してきた.私に生老病死のすべてを教えてくれた大事なネコ.
(先週の続き)
あまりにも可愛く愛嬌もあり,私は一目で気に入ってしまった.両親とか祖父母に見せたくて家人に断って抱っこしたまま家につれて帰ったが,家族は何故かあまり喜ばなかったしほめなかった.家が新しいことも理由の一つかもしれない.縁側で日向ぼっこさせながらあやしたり,煮干しを砕いて与えたりしてから返しに行った.私は毎日放課後にはそのネコを目的に友人宅を訪れた.
数日後,多分休日だったろうが,庭で冬用の薪を割っていたところ,側で「ニャー」と鳴き声とともにネコがこちらに近づいてきた.私を目当てに道路をわたり,小橋を渡り遊びに来たのだろう.この日を機会にネコは飼い主の家と我が家を毎日往復することになり最初は外とか縁側とかであったが,次第に私の側で過ごす時間が増え,台所や居間まで上がってくるようになり,当初喜ばなかった家族も次第に受け入れるようになった.
飼い主の方でもあきれていたが聞いてみたら,飼うのを許してくれたので家族の許可を取ったがそのときの条件は
○台所,居間より奥には入れない,
○生まれるだろう子猫は自分で処分すること
の2点であった.それでも許され名実共に我が家のネコになった.
ネコといえども義理は欠かない様である.前の飼い主の家で新しくネコを飼うまでの間二年間ほどは毎日訪れていたという.
10/26(土)快晴→曇り→雨 秋田県連看護交流集会
2:30起床、人間ドック判定総括x2他、家内も留守なので早めに出勤、5:00病院着.人間ドック配付資料作成x2他、回診.8:10人間ドック診察x4、9:00人間ドック説明x2。10:30-12:30 外来、13:00会長による看護交流集会基調講演聴講に看護学校へ。15:00病院に、18:00帰宅、Vn、夕食、20:30就寝
人災 セネガルの痛ましいフェリー事故。(付)地震と我が家のミニ人災
アフリカのセネガルの沖で1034人乗りのフェリーが強風と大雨のために沈没したと言うニュースが断片的にある雑誌に掲載されていた。救助されたのは僅か64人だったというから大変な事故である。詳細なデータがなくてよく分からないが、このフェリーは定員が500人で、船も元々海洋用でなく湖用だったとの記載あるから驚く。完全に人災である。
それにしても湖用の船をどうやって海に流用が出来たのか、不思議である。実際に湖で使われていたものならどうやって海まで運んだのか?湖と海では運行条件が大きく異なるだろうから当然波や風に対する防御構造も異なるだろうから結果は始めから予想可能である.実に危ない話である発展途上国の交通機関には時にこれに類似したことがあるようだから旅行中は注意が必要になる。そういえば、途上国ではないが、20年ほどカナダ旅行の際に氷河を見に行ったがそのときの山岳運行車両の運転手は明らかに酔っていて運転が実に乱暴であった、ことを思い出した。
一昨日の地震は秋田の魁新聞でも取り上げられていたが、被害届けは皆無とのこと。しかし、我が家では長押にかけていた額縁が落下し、ガラスを始め枠組みが一見再生不能なほど破損していた。義母の在宅ケアのための準備の際気軽に長押にかけていたことが災いし、更に畳からフローリングに換えたための悪条件が重なったために派手に壊れてしまったものである。ミニ人災である。何としてでも修繕するぞ!.
10/25(金)曇り・雨 医師会打ち合わせ 法人理事会 Duo Prima演奏会
2:00起床、人間ドック判定総括x3。最近余裕が無く人間ドック処理に追われる.退院総括x1.5:40病院着、人間ドック資料作成x2。回診、事務処理他。県医師会医報用原稿2部完成,メールにて送付.最近は夕方には最終原稿となって校正が来るからすごい.10:30-13:00外来。秋田市の基本健診中心に20数名。13:30-14:00人間ドック結果説明x2。原稿一部送付.16:00医師会打ち合わせ.17:30-19:30法人理事会+病床区分学習会。終了後アトリオンにDuo Prima演奏会の後半を聴く。21:00帰宅21:30S.
Duo Prima演奏会
Duo Primaは磯絵里子,神谷未穂の従姉妹同士のVn duo.今25歳程度かな??.共にソリストとしても結構認められつつある新鋭演奏家である.幼いときから一緒に遊び,学び,桐朋学園大学を卒業,磯はイーゴリ・オイストラフ氏に,神谷はジャンジャック・カントロフ氏に学んでいる.
楽譜か何か購入した際に入場券をもらい聴くのを楽しみにしていた演奏会であった.が,急遽理事会が延びほぼ諦めかけていたが,19:30に終了したので後半だけでもとアトリオンホールに急いだ.
二人とも痩身で身長は高く,遠くからは区別しようもないほど体型が似ていて驚いた.お揃いのドレスであたかもフランス人形がVn演奏しているような雰囲気.次に二人の音色,演奏スタイルなどに殆ど差がないのにも驚いた.演奏した曲はVnの名曲からと映画音楽その他を組み合わせた聴きやすい演奏会であった.実際に聴けたのはモンティ作曲「チャールダッシュ」シモネッティ作曲「マドリガル」モーツアルト「トルコ行進曲」映画狂乱のモンテカルロから「モンテカルロの一夜」.なかなか良い演奏であった.
最近の若手の演奏会はスピーチが入ることが多くてこれも又良いものだが,演奏の質とは異なりマイクを握ると「そこらのお姉さん」と同じで軽くて薄くて,「現代っ子」そのもの.もう少し格調が高ければ演奏と良いバランスがとれたように思う.
キャッチフレーズは「由紀さおり・安田和子姉妹に続け」だそうだ.彼女らの影響で「トルコ行進曲」を演奏しているという.
いかに個々人が優れていても今は同じ程度の演奏家が目白押しである.ソロ活動だけでは自ずから活動の場に限界がある.二人がVn duoと言う新しいジャンル始めたと言うことはいい発想だと思う.この付加価値で演奏のジャンルも広くなり,聴衆の幅も広がるわけだから今後とも伸びていくだろう.
我々の病院も新しい付加価値を創造し,開拓していかなければならない重要な時期だ.
10/24(木)晴れ 在院日数21プロジェクト委員会
2:30W。人間ドック判定・総括x2、紹介状返事等.5:40病院着、回診ほか。9:00-13:30外来.各種書類その他処理.Dr A.I 来訪.16:00-18:00在院日数21プロジェクト委員会.院長よりの諮問についての答申案検討.20:00帰宅、21:00就寝
不思議な大揺れ、1発のみ.今朝の地震
今朝5時丁度頃,そろそろ仕事を閉めて入浴でもして出勤しようかと思った矢先にドドーンという大きな音と共に一瞬の激しい縦揺れが来た。地震の様である。17インチのCRTが一瞬大きく揺れ,熱帯魚の水槽は水は外に漏れるほどではなかったものの大きく波打った。揺れは一発で後揺れはなかったが,今までの経験では突然の揺れの後はその後に大きな横揺れが来て大事になる!と感じられたので直ぐにストーブを消し、風呂のボイラーのスイッチを切り揺れに備えたが,何故かそれ一回切りの揺れのみであった。
???.こんな経験はあまりないので飛行機でも落ちたのか,隕石でもか??と外を見回したが真っ暗で何もなし。数分後からラジオでは地震情報を流し始めた。やはり地震だったのか.秋田県沖を震源とし深さは20Km,秋田市は震度3とのこと。何でこんな1発タイプの揺れがり得るのか,大いに疑問ではあるが,蓄積したエネルギーが無事放出されたのだ,良かった良かったと喜ぼう.では,出勤しようか.今日もいろいろ予定があるぞ(AM5:30).
10/23(水)雨→晴 医師会理事会、拡大長副会議
2:30起床、人間ドック判定・総括x1、紹介状等.総括。5:40病院着、回診ほか。9:00-13:10外来。15: 30-17:20県医師会理事会、中座して病院へ戻る.17:30-20:00長副会議。20:20帰宅。DDW出席で家内「あけぼの」にて横浜に発つ.駅に送り再度病院へ、骨髄標本顕鏡など22:30帰宅22:50就寝超多忙であった一日。
日本医師会は大改造を要する(2)+広報活動について
今回の代議員会の話題は80-90%は医療制度改革、診療報酬改定に集中した。各地の地域医療を担っている会員、代議員から不満の意見が飛び出した。日医の判断は基本的には会長の責任であるが理事会で承認を得て進められているはずであり、理事として連なっている各ブロック推薦の都道府県医師会長達は何をやっていたのであろうか。少なくとも常任理事以上に地域の会員の意見、反応を身近に感じているはずだ.理事会では彼らは何をしているのであろうか、黙って聞いているだけなのだろうか??
残りの話題の中で中心的であったのは広報活動のあり方である。前回の4月の会長挨拶の中で意義を大きく取り上げ、刷新を図るとの方向性を提示したが、半年を経た今まで大きな動きは無い。私は日医の広報は方針変更を要すると思う。
会内広報としての「日医ニュース」はあまりにも旧態依然で日医の印象そのもの。カラー化は勿論のこと、デザイン、見出し、記事の文体、フォント等、1000号以降は紙面を全面刷新してほしい。今のままでは読まない会員の方が多い。デザイン、レイアウトは専門家へ依頼してはどうか。勤務医問題を論じるより病院問題を論じるページが欲しい。
対外広報を考えたとき、国民の大多数は少なくとも健康であり、その人達は医療問題、医師会活動等に関心は薄い。その人達をターゲットにした高額の費用をかけたマスコミを利用した広報活動は無駄に近い。また、細かい出版物などによる広報活動は雲の上のイメージの日医のものなど読む人は居ない.より住民に近く、医療を通じて顔が見える、県医師会レベルの,郡市医師会のレベルの活動の方が効果的なことが多い.日医は企画を中心とし、全国都道府県医師会、郡市区医師会に共同歩調をとってもらいながら地道に広報を行い、時には一大キャンペーンを展開するのが良いだろう.
10/22(火)快晴 日本医師会107回臨時代議員会
2:00浅草ViewHにて起床,紹介状、病床区分画像作成、新聞スクラップ大量整理.医報用原稿数種進める。モニター会議原稿初稿。7:00BF、9:00Tax日医会館へ。10:00-17:00日本医師会107回臨時代議員会、医報報告用の原稿書きながら徴候。深刻な話題が続き進行が遅れ中座、羽田空港へ。18:40発、急に搭乗取りやめの乗客の荷物を降ろすために20分ほど遅れたが、迷惑な話だ。秋田に近づくに連れ大揺れ、20:00秋田空港着。同行の常任理事の車に同乗、副会長秋田駅に送り21:00帰宅、22:00就寝
日本医師会は大改造を要する(1)
本年4月の診療報酬改定は全国の医療機関にとって収入減となり大打撃となったが、本日の臨時代議員会は各地からの代議員による厳しい質問が相次ぎ、会長挨拶をはじめとして現執行部の答弁は守勢に回り苦境に立たされた。
私は日医には構造的欠陥があるように思われる。私の立場からみて病院問題に十分な見識がないことであり、このままでは勤務会員に対する求心力は萎えてしまうしそうなったら日医はおしまいだ.そのためには会員を一律に扱うのではなく病院会員、開業会員、そのほかの会員に分けて登録し、各々に活動させ、各々から執行部を形成することも一法であろう。
常任理事の構成には人材確保が第一だが今の構造ではダメだ.人材は見つからないだろう.一方法として理事の構成を考えることだ.今は理事は何しているのか??各地の医師会長を持ち回りで据えるようなことは止めよう.ここに各地から若い人材を送り込むこと、理事経験を十分させて人材を常任にすればいい.
10/21(月)秋田→東京雨 東北医連打合会(東京)
1:00起床。昨夕に引き続き人間ドック判定・総括x1。紹介状。出かける前に処理しておくべき事項多く早めに出勤、4:30病院着 .玄関前には既に10数人の待ち患者または家族が立っていた.申し送り事項作成。意見書印刷x4、人間ドック資料作成x2。9:00-12;30外来。13:45病院発空港へ会長とともに公用車。15:00JAL。がらがらの最後列で前10数列誰もおらず気分良し。ただし大気の状況悪く離陸から着陸の間終始大揺れ。こんな時は寝るに限る。浜松町からTaxにて17:30東京グランドパレスホテル着、ロビーで若干業務処理。3台目の2400快適に作動。18:30-20:30東北医連打合会+懇親会。明日の代議員会は波乱が予想される、とのこと。21:00Taxにて浅草ViewHへ。そのまま就寝
松食い虫の被害が目立つ。根本的対策は無いのだろうか
私どもが週一回テニスを楽しむ梅林園は秋田市が管理する自然公園の様な所で自然の利を生かし適度に造園された眺めが素晴らしい。また、季節には名の如く植林された梅が良い花を咲かせる。雑木林も緑が美しく目を楽しませてくれる。ただ、周辺の松林は、ここ数年松くい虫の被害が目立ち始め、一部が枯れているものまで含めると20-30%が被害木に思えるほど。このままでは早晩総てが被害を受けるのではないかと心配である.松食い虫そのものについて詳しくはないが、被害木は伐倒処理されると聞くが、他に根本的対策は無いのだろうか?あるいは市の方でやっているのだろうか.今きっちりと手を打てば被害を食い止められるはずだ。
予防と対策について私はとても心配しているが、一方、被害木の有効利用も考えられている.秋田県立大生物資源科学部では被害木を原料に下新城のキャンパスに隣接する松林内で、被害木30本分で炭の窯出作業を行い200Kgほどの木炭を作ったという。八郎湖の水質改善等に用いるらしい.秋田キャンパス周辺の松林は、ここ数年松くい虫の被害が目立ち始め、伐倒処理された木は放置されているという。実際にはまだ1-2%程度らしい.このため森林科学講座、自然生態系科学講座担当の2教授学生有志が、県秋田総合農林事務所などと連携し、被害木を有効活用するプロジェクトに乗り出したのだそうだ。
確かに被害木の有効利用も大切であるが、発想が小さい.その前に有効な予防対策、治療対策をとってほしいものだ.
10/20(日)曇り FF tennis 雄和国際ダリア園へ立ち寄る
2:00起床、人間ドック判定・総括x2、等.6:00病院着、回診他,種々処理。9:30帰宅、13:
00-16:10梅林園 FF tennis、vs 第1チーム7-5、6-4,6-2。17:00-17:30雄和町の国際ダリア園に寄る。空腹で脇の売店のソフトクリーム歩き食いした。10数年振り,美味かったね。その為かやや寒く、その上日没で暗くてダリアの花は十分楽しめなかった。来年春庭に植えるために球根数種類分注文す。園の近くのスイス風レストランにて夕食。高速経由で帰宅。家内は義母の「ふだらく」にて実家に。明日から東京出張.主治医意見書4人分処理など,業務処理すすめた。20:30S。
自伝:0歳から小学校卒業まで(13)
ネコが引っ越してきた.
私が小学一年になったばかりの4月に火災に遭い、殆どを消失したが家の新築も終わり落ち着き始めた秋のある日、50mほど離れた同級生の家に遊びに行ったら縁側に小さなネコが陽だまりを楽しんでいた.可愛い!!、抱き寄せても怖がらない.実に愛らしい子ネコであった.やっと足腰もしっかりしたばかりのように見えた.聞くところ2ヶ月ほど前に親戚で生まれたのを貰ってきたのだそうだ.(続く)
10/19(土)快晴 新潟大学学士会秋田支部総会・講演会・懇親会
2:00起床、人間ドック判定総括x1。その他.PM7200は最小限の機能で何かと違和感あり、ソフトも限定される.5:30病院着、人間ドック資料作成x1、その他。回診。8:10人間ドック診察x4。9:00人間ドック説明x4、10:30-12;30外来。残務処理、医療行政懇談会抄録作成.新入院患者に対応。18:00-21:00新潟大学学士会秋田支部総会・講演会・懇親会に院長と共に初出席。講演は心筋炎の臨床。懇親会では日赤や診療所、医療施設等方々と懇談す。21:30帰宅、そのままS.
小泉首相のアイデア?「規制改革特区」は面白い、が、医療にはなじまない。
7月23日に政府の諮問機関の総合規制改革会議の中間取りまとめが公表された。我が国では確かに法による規制が多方面に渡ってネットワークのごとく張り巡らされ、それが経済活動が停滞している一因だとの考え方は事実だろう。そのために、特定の地域に限って規制を解除し、新たな規範で事業等を推進させ活性化を図るという「規制改革特区」の構想は注目していいと考える.
ただ、その「特区」の規制の選定基準の項には「生命・身体,健康、公序良俗、消費者保護等に関する規制であるという理由によって対象外とすべきではない」と書かれており、これは大変なことである.要するに、経済的活性を図るためには「健康や命」を守るために行われていた規制も外しても構わない・・との考えである。
政府の呼びかけに応じて全国から提出された数100件にものぼる案件を見ると,医療と何らかの関連のありそうな提案が86件もあり驚く.具体的に挙げられているのは「医師以外の医療従事者への医療行為の拡大」「株式会社の病院経営の容認」「・・・」など、日本の医療レベルを維持するために行われ大いに役に立っている根本的な規制の解除である。
落ち込みつつある我が国の経済を活性化するためといえども、国民の「生命・身体,健康」を犠牲にするような経済活性化の考え方は容認出来ない.「生命・身体,健康」等は憲法が補償している国民の基本的人権に関わることであり,これが二重の規範を持つということは理解も容認も絶対にできない問題である。
規制緩和によって更に改善が期待出来るものであるならば,それなりの手続きを経て全国一律に施行すべきである.そのためには拙速はさけるべきであり、回り道もやむを得ない。
10/18(金)晴れ 運営会議メンバーとの学習会 医師会打ち合わせ
2:00起床、人間ドック判定総括x2。紹介状2部.PM7200はOS8.0にて駆動は可能.最小限の機能から回復に.5:30病院着、人間ドック資料作成x2。回診、8:50秋田空港に。人間ドック資料結果説明x1。9:40-13:00外来補助.基本検診中心に33名。14:00-16:00病院運営会議メンバーとの病床区分を巡っての学習会。療養型病床群導入を中心に議論進む.十分の時間が与えられたのでほぼ満足。16;30-17:00県医師会打ち合わせ.20:00帰宅21:30S.
ガン以外の患者さんの終末期医療は
医療が、あるいは私が医師として患者さんに何をしてあげているのか、積極的な治療面では私は殆ど無に近いと思っている。患者さんを元気に生かすことなんてどんな近代的医療の力を駆使しても出来ない。すべて、患者次第.
特に高齢者の医療に際して悪性の疾患でなくとも治療の限界を迎える事は多い.人は生まれた以上必ず死を迎える.だから死そのものではなく、どんな時期に、どのような死を迎えるのかが問題であり、重要である.死を迎えるに当たって日本では不治の病があり、耐え難い苦痛があり、余命幾ばくもない患者のうち本人の意思が確認できれば積極的な治療を止めたり、安楽に死を迎えさせる医療が認められるという判例がある.
それまでの過程では必要であっても、実際に死を迎えるに当たって医療が必要になることは少ないが、今は濃厚に関与しすぎていると思う.死の直前まで2000Calもの栄養の点滴が続けられていることはまれではない.
私は出来るだけ医療が関与しない自然の死に近い状態を作っているつもりであるが、個々の患者にの死に立ち会いながら、いつもこれで良かったのか、もっと良い死を迎えさせることは出来なかったのか??と呻吟する事が多い.
今夏からベルギーでは安楽死法が施行されている.世界で3番目、しかしその内容はやはり対象者がガン患者の終末期医療が対象になっているようである.私はガンでない患者にも終末期と言うべき状態はあると思うし、このような方々への治療の指針が欲しいものだとも思う.個人的には正しいと思う方向性は持っているが、決して医師個人の考え方のの問題ではないと思う.それだけならあまりにも患者が気の毒だ.
10/17(木)晴、 院所長会議
2:30W、人間ドック判定総括x1,新聞 スクラップ、自宅のメインのマック不調.OS8.6では起動せず.業務に支障来したがバックアップ機器使用しで何とか進める.医師会関連業務等。5:40病院着、人間ドック診察x4、9:00-13:20外来。13:30人間ドック結果説明x1。その後医局会に出席.Mrs K来訪.以降は淡々と業務処理。介護保険主治医意見書など.18:00-19:40明和会及び関連法人院所長会議。話題は中通病院関連に集中.実り少ない会議.20:30帰宅21:00S.
東京出張以上に大変であった鹿角
月に2回ほどは日本医師会関連の出張で上京するが、一昨日の鹿角出張はそれ以上に時間がかかりかつ体力的にも難儀であった.講演開始予定時間が11:00.JRで行こうとすると6:30頃秋田を出なければならない.実際には秋田から同会に出席する老人クラブの事務局長さんの車に同乗して出かけた.約3時間.実に大変な距離である.帰りは12:09発のJR にしたが大館で15分待ちで15;30頃秋田に着いた.1時間の講演に6時間の移動時間であった.
鹿角地区からは県医師会代議員会議長、理事がお一人ずつ、月に1-2回県医師会の業務で秋田に来られるが、本業の医療を持った上でであり、実に大変なことである.秋田県も広い.秋田にばかり居るとつい種々の発想が秋田市中心になりそうになるが、心して考え直さなければならない.秋田県民があまねく県内におられる.そのことを忘れて秋田県の地域医療を考えるならば妙なことになってしまう.
同じ様に、日本医師会、厚労省が陥りやすい考え方として東京中心、大都市中心の論理があるが、秋田には秋田の生活に密着し調和のとれた良い医療が展開されている.これは都会の論理で乱して欲しくない宝でもある.全国一律の考え方は、ものによっては地方にとっては厳しさがひとしおに感じられる.小泉首相の進める医療制度改革も拙速のあまりその傾向が目立つ.
10/16(水)雨・晴 鹿角講演 ベルリンso「未完成,メンコン,英雄・・」
2:30起床。人間ドック判定総括x1. 講演準備、4:30病院着.人間ドック資料印刷x1。5:30回診,患者全員熟睡中,その他。7:00病院発,県の老人クラブ事務局長の車に同乗鹿角へ-10:00着。11:00開始予定の講演、祝典が長引いて若干短縮,12:00終了,12:09JRにて帰秋15:20病院着.机上は書類の山。19:00-21:30ベルリン交響楽団演奏会.長すぎて疲れた22:00帰宅、夕食22:30就寝
ベルリンso演奏会「未完成,メンコン,英雄・・」
県民会館で上記の演奏会があった.曲は「未完成,メンデルスゾーンVn協奏曲,英雄」,アンコールは大サービスで「メンデルスゾーン:間奏曲,ハンガリ−舞曲No5,6,フィガロ序曲」.ベルリンsoは1966設立された新しい楽団.指揮は1950年イスラエル生まれのLior Shambadal,Vn soloは1954モスクワ生まれYuru Braginsky.私にとってはすべて初めて聞く名前が連なる.
ベルリンsoは旧東ドイツにもあったがこれとは異なる楽団.
指揮者は実に腹の大きい肥満者で,常時上を向いて腕を張り上げ威勢の良い指揮.腹がつかえて下を向けないからだろう.あそこまで激しく動かなくても音楽はしっかり鳴るのに,ご苦労様.運動と仕事を兼ねているのかもしれない.アンコール曲の紹介,拍手への感謝はきちんとした日本語であった.どんなに聴き慣れた曲でも演奏会では新しい発見があるものだが、全曲標準的な演奏でそれなりに楽しめたが新発見はあまり無かった.
Vn soloのYuru Braginskyはシェリングが高く評価し名器ガリアーノを贈ったとされる演奏家でCD録音も多い.音は良かったが音量が小さかった.聴いた場所の関係かもしれない.
名曲を並べた長丁場の演奏会.私は適宜微睡んだが,終わってみれば,自分にとってはどれか一曲で十分であったな,と感じた.90%ほど入りの聴衆の反応・拍手・歓声はとても大きかったが,何故?と,感じたほどである.
10/15(火)晴れ 総回診 秋田県感染症部会委員会 長副会議 医局カンファ
2:30起床,人間ドック判定総括x1. 書類処理、6:00ミニトラキ自己抜去患者あり再挿入.6:40病院着.人間ドック資料作成x1.6:30回診他、9:00-13:00外来、14:30-15:00総回診一時参加.15:30-17:15秋田県健康対策感染症部会、17:30-19:00長副会議.医師会打ち合わせは時間取れず無しに。医局カンファ(欠).20:30帰宅。Vn 21;30就寝
多少落ち着きを取り戻していたが・・・拉致問題
北朝鮮による拉致事件は意外な方向に、一部は良い方向に進展している.これも国交正常化を前提にしてこそあることと、今更ながら今回の小泉判断は評価されるべきである.若い死亡者が多かったなどの意外な結果が発表されて、国交回復を前提にした議論など許せないとの意見もあるがこれは正しくない.正しい方向に歩み始めたからこそ判明したことと割り切り前向きに対処して欲しい.
多少落ち着きを取り戻していたが、マスコミの拉致問題の報道の在り方は全くお涙頂戴調で耐え難い.家族の悲しみ、気持ちは関係者以外は到底推し量ることすら出来ないが、家族の感情や意見を重視するあまり国の方向性が変わるようなことがあってはならない. 昨日の一時帰国の会見ですら個人的感情の範囲に踏み込みすぎる.淡々と事実だけを伝えて欲しい.それで十分なのだ.
10/14(月)快晴 体育の日代休日 リハビリ病院当直
1:00起床、人間ドック判定総括x2. 書類処理、6:20病院着.人間ドック資料作成x2.他。9:30帰宅。熱帯魚フィルター清掃、Vn,CD,Recordなど楽しみつつ仕事。書斎の機能が戻りつつある。メインのマック不調で起動せずサブにて進める。明日システム入れ替えか予定。17:00病院。19:00-22:30Dr Mと会食NGH.リハビリ着21:00、21;30就寝
10/13(日)超快晴 FF Tennis
1:00起床.やや早いが時間的に十分、そのまま起床.人間ドック判定総括x1,新聞整理,しかし途中で違和感、眠気あり、再度4:00-6:00S改善。7-10日ごとに訪れる寝不足蓄積による周期的不調かと思う。講演準備他。医師会書類処理,作文Vnなど、種々.Tannoy GRF隣から戻ってきた。長く用いたPioneer M4が再起不能で、風呂場で用いていた旧式の管球アンプにて駆動、略OKに鳴った。何れメインアンプ購入の予定。13:00-16:00FF Tenni就寝相手チーム元気なく6-4、6-2,6-4.17:00-20:00電巧堂,回診、夕食、Vn etc 20:30就寝
自伝:0歳から小学校卒業まで(12)
祖父耕陽の想い出
明治18年生まれの厳格・謹厳そのものの人であった。若いときの頃の話は殆ど記憶にはない。東北大医専出身とのこと。専門は産婦人科であったという。一時、花巻市で開業したらしいが、望まれて出身地近くの乙部地区に居を構え再度の開業をしたらしい。母ハナも花巻出身なので、この開業が因となって嫁いでくることになったのだろうか。
いかに厳格・謹厳そのものであったかと言うことについては、父親である耕栄達の兄弟6人が集まればその度に、日常如何に恐ろしい思いをしていたのかと言うエピソードを毎回毎回懐かしんでるのをよく聞かされたものである。私にとって恐ろしい思い出はそれほど多くはないが、何かの折りに、光も暖房もない蔵に丸一日閉じこめられたこと、日本刀を抜いて追いかけられたときのことははっきりと覚えている。前者の場合、破れかぶれの気持ちで米びつの米を全部床に撒き散らすなどありったけの悪さをして反抗した。更に激しくとがめられるかと思ったが何故か不問であった。後者ではイナゴを採ってくる約束を忘れて遊びほけ、帰宅したところ罵声と共に日本刀を片手に祖父が飛び出してきたので頭の毛が弥立つほどの恐ろしさを味わった。一目散に逃げたが、その時はどのようにして許されたのか覚えていない。
私にとっての祖父は生後間もなくから、幼少時の鼻の外傷の治療、小学の頃の病気などで大恩がある。医師である祖父の手にかからなければわたし自身が生き得なかったのではないだろうか。往診はより若い頃は大型バイクのインディアン、馬等でこなしていたが、晩年は近所のオート三輪を雇って幌付きの荷台に載って、冬場には馬そりに乗ってこなしていた。私は頻回に夜間の往診に連れて行かれたが、当時の患家の様子や亡くなる方の様子は深く脳裏に染みついていった。今の私の医療観のルーツになっている事を日々自覚している。
経済的にも豊かであったために趣味も多かった。謡曲を好み朝5時頃から座敷に正座して連日30分ほど。時に呼ばれて強制的に聴かされたが、正座しての付き合いは実に辛いものであった。囲碁もいっぱしの腕前らしく週に何人かと対戦を楽しんでいた。音楽にも趣味が広く、ゼンマイ式の蓄音機、管球式の蓄音機、SPレコード等が沢山あった。これらは私の小学校時代の遊び道具であった。大型バイクのインディアンも趣味の一つだったらしい。これらは殆ど今の私の生活の一部になっている事柄そのものである。成長過程で受けた種々の影響は忘れられることなく成長してから自然と追い求めるものの様である。その意味では、単にDNAを受け継いだだけでなく、祖父は今わたしの中で脈々と生き続けている。
わたしが小学5年の秋、鬱血性心不全で死去した。享年73歳であった。
在りし日の福田耕陽
10/12(土)晴れ 秋田県医師会設立55周年記念医学大会
2:00起床、人間ドック判定総括x 1,その他、5:30病院着、事務的処理、6:30病棟回診他、8:00人間ドック診察x5、9:00人間ドック説明x3。10:30-12:30外来、入院1名。13:30-16:00秋田県医師会設立55周年記念医学大会.物故会員黙祷、各種表彰、受賞者講演、高階航氏の記念講演「遊び学入門」、16:00-18:30表彰、受賞者を囲んでの懇親会。18;30帰宅、若干酔ってそのまま就寝
廃屋と化していた旧我が家。一抹の寂しさを味わう
私は盛岡市から約15Kmほど南に位置する田舎出身である。現在は盛岡市乙部という地名になっているがここで私は大学3年ほど迄住んだが、経済的に破綻して他人の手に渡り、両親は盛岡の北に位置する郊外に小屋を購入し移り住んだ。敷地1000坪、建坪200坪ほどから敷地80坪、建坪25坪ほどへの極端なダウンサイズは私にとってはショックであったがやむを得ない判断であったし、高齢の両親にとっては健康維持のためにも良かったと思う。更に、私にとってはしがらみの多くからの解放を意味していたので受け入れやすかった。
秋田に移り住んでから約30年、年に一度だけのお盆の墓参だけは欠かさず続けており、必ず自分が育った家の前を通り一瞬過ぎし日の事を想うのだが、今年は驚いた。
旧我が家は無惨にも廃屋化し、僅か一年の間に様相は一変していたからである。確か盛岡市で燃料関係の会社を経営していた社長が購入してくれたはずであるが、この経済状況のなかで破綻したのか、あるいは高齢化のなかで住み続けられなくなったのかのどちらかであろう。門柱から玄関先迄の通路は草ぼうぼうで車や人が通ったらしい様相もない。何があったのだろうか。
生まれてから成人までの間過ごした思い出の多い家、間もなく更地にされるかも知れないと思うと感無量である。買い戻しも不可能ではない、と一瞬頭をかすめたが、この地、この家は私だけ一人がノスタルジアを感じる地にしておく方が関係する誰のためにも良い、と迷いを吹っ切った。
10/11(金)晴れ 全国公衆衛生担当理事連絡協議会
2:30起床、人間ドック判定総括x1.講演用意.5:30病院着、人間ドック事務処理後6:30から回診他。9:00病院発空港に.10:00JAL、快適なるも羽田近辺では一時的に大揺れ。12:45日医会館着。13:00全国公衆衛生担当理事連絡協議会。主たる話題は「医師、医師会と禁煙運動」。この中で同時通訳が付いた 講演 Sir David Simpson 「医師・医師会は今何をなすべきか」とそれに続くQ&Aが内容的に良かった.浜松町で本種々購入、18:40ANAにて帰秋、満席。11:30頃浜松町でチェックインしたが後方は既に取れず、久しぶりに前方の座席。20分ほど遅れて20:00秋田着。20:30帰宅21:30就寝
秋田空港で見た久しぶりに見たジャンボの勇姿
空港駐車場から歩きながら見えたのはJALのジャンボ。何で秋田空港に??JALはこの時間帯は大型機としてもせいぜい3発の1011までなのに珍しい、機材ぐりでもつかなくて来たのかな、ジャンボは2年前のヨーロッパ便以来だな・・、と思っていたらビルから見たらなんとジャンボの陰に767-200も駐機していた。ジャンボは秋田経法大付高が修学旅行でのチャーターの便とのこと。定期便の10分ほど前に力強く離陸していった。
ジャンボは数年前までは秋田にも頻回に飛来していたが、最近では滅多に見られなくなった。便数が増えたためで、最近は大型機よりも、搭乗率が稼げて燃料効率の良い767や777が中心になった。乗客にとっては便数が多いほど便利であり、搭乗率が確保できれば経営上でも利点が多いからで、これは全世界的傾向である(とある大規模病院が今迎えている将来構想の基本的方向性選択の際の判断の参考にもなるかも知れない)。
私はジャンボのスタイルが大好きである。背筋をピンの伸ばした勇姿が何ともいえない。羽田等ではあまり感じないが、秋田空港のように駐機が少なく自然に囲まれた地方空港の滑走路上にいる時の姿は実に美しい。特に、JALの白を基調としたデザインは特に良い。久しぶりにしばし見とれていた。近々JALはJASと合併しJAL sustemsに変わり、機のデザインも変更になる。基調の白はかわらないがあの鶴のマークは消え、新しく太陽をイメージしたデザインとなる。寂しいが、新デザインもまた良い。鮮烈である
10/10(木)快晴、臨時医局会(将来構想学習会1) 長副会議(学習会2)
1:30W。人間ドック判定総括x2。紹介状への返事、学習会準備等.5:40Taxi病院着、人間ドック資料作成,6:30回診他。8:10人間ドック診察x1。9:00-12:40外来。13:00-14:30臨時医局会(将来構想学習会1)業務部からの説明を中心にQA.19:00-21:00臨時長副会議+α.方向性の確認。21:30帰宅.22:00就寝
ミーシャが帰ってきた
最近、北朝鮮問題、経済低迷、医療制度改革など、暗い話題が多かったが、3年連続、今年の同時二人のノーベル賞受賞は最高の朗報である.お二人の発想の大きさ、ポイントを逃さない閃き、実践力・・凄いことだと思う.日本中に秋晴れの気分をもたらしてくれた.
我が家でもいい話がある.とても小さいことだが、平凡な市民にとっては喜びってこんなモンですよ.行方不明になっていたネコのミーシャ、おばさんの飼い猫でほぼ我が家の住人の一人の地位を獲得している元野良出身の猫、が約2週間の長きに渡って行方不明になっていたが、10/8深夜に衰弱しきった状態で帰ってきた.このネコは黒っぽくておなご振りも良くないが、珠を転がすような美声の持ち主であるが、声はすっかりかすれ切って失踪前とは似ても似つかぬ濁声になっているし、やせこけている.何があったのか、きいても彼女は語てくれない.ただひたすら眠り体力の回復を図っている.
実は私は猫はあまり好きでない.ミーシャは抱き上げたことはまだ一度もない.今回もホット安堵はしたが触ってもいない.無事帰還したことは喜んでいるのだが、彼女に対してはうまく表現できていない.この猫の美声が、あまりにも美しく、心にグサッと来るものがあって私には耐えられないからである.
私は抱き上げたネコは今まで2匹のみ.昔、小1から高校卒業まで一緒に暮らしたネコ、これは私にとっては別格のネコである、と今同居している老ネコ、本名マルスランナ・ランドスト・フクダ、通称ナンナン、これも立派な野良出身、だけである.ナンナンは本名を呼んでも通じないし、時々すり寄ってくるが抱っこしても喜ばないので私にとっては好都合でもある.
ネコは時々、年に何回か、1週間程度いなくなる事は良く経験していたので最初の一週間は別に心配もしていなかったが、それ以降はさすがに気にかかっていた.無事の帰還を心からホッとしている.今度はことわってから出かけるよう指導しておくことにしよう.
10/9(水)快晴 県医師会常任理事会+東北医連総会慰労会(榮太郎)
2:30起床。人間ドック判定総括x2、他。5:30病院着.回診等。9:00-14:00外来,それほど混まなず後半は間欠的に時間がとれた。明日の病棟編成学習会他の準備など.16:45-18:15県医師会常任理事会.時間通りに進行、終了。18:15-20:00東北医連総会慰労会(榮太郎),20:30帰宅。21:00就寝
医療機関の冬(2).〜医療機関の冬は国民医療の冬でもある.〜
来年8月には病院の性格付けを決めて申請しなければならなくなっている.今までのように大小様々な医療機関がそこに受診してくる患者を自由に,勝手に診療していればいい,と言うわけでなくなる.要するに慢性期の病気を中心に診るか,急性期の患者を中心に診る病院か,を意思表示しなければならなくなる.
1970年代以降,診断・治療を中心に肥大化の一途をたどった日本の医療は今経済的に国民の求めに耐えきれなくなった。そのための医療政策の方向転換であるが,実際に地域医療を預かっている我々医師にとってはあまりにも拙速すぎる変化である.
日本が十分に,余裕を持って医療を,福祉を検討出来た時期は過去に明確に存在した.将来の少子高齢化社会の到来は数10年も前から予想されていたので,まだ諸外国よりも高齢化率が低かった昭和60年代から平成初期頃がそれに相当する.先進諸外国が自国の高齢化のために種々投資をして充足を図っていた時期に,その弱みに乗じて日本は方々で稼ぎまくっていたのだが,当時から現在の苦しい状況は十分に予測されていたにもかかわらず時の政府は選挙の票集めのために国民を目先の餌で釣り,何ら手を打って来なかったのだ.要するに政府は国民を騙し続けていたのだ.今,小泉首相はそのときの負の遺産を強力に調整しているのだ・・・と私は理解している.
それにしてもやはり拙速すぎるのと,中小規模病院の切り捨ての方向性だけが目立つ.
今の改革のもう一つの問題点は,前向きの評価や保護の光を大規模病院中心に当てるやり方,と言うことである.経営基盤のより弱い私的病院にとってはやりたい医療の追求をそっちのけに経営を主眼として医療の内容を決めなくてはならないなど,重大な岐路に立たされている.我が国の医療は,自由な発想で医療を展開し,少ない余裕の中から自己投資をして展開して来たことでどれだけの恩恵を受けたのか,正しく評価して欲しいものだ.特に秋田において我々の法人が果たしてきた業績は評価してし過ぎることはない.近隣の病院がやっと近付いてきて横並びになったに過ぎないのだ.
10/8(火)曇り-晴れ 総回診 医師会打ち合わせ
1:30起床,眠い。人間ドック判定総括x2、 紹介状返事x1。やや早めに出勤5:30病院着.回診、その他。8:00人間ドック診察x5、9:00-13:30外来、混雑. 14:30-15:45総回診に合流.16:00-16:30医師会打ち合わせ。20:30帰宅。21:30就寝
医療機関の冬。(1) 〜私的病院は独自に冬支度を急げ〜
秋田県には大学付属病院1、県立病院3、自治体立病院12、公的病院扱いの厚生連9病院がある。このうち県立病院は秋田市周辺に集中しているが、他に秋田市には大規模病院として秋田赤十字病院、中通総合病院がある。各地域の自治体病院は市立秋田総合病院は別格であるが自治体の規模に応じ一般に小規模であり、県内各地の中核的病院機能は厚生連病院が担っている。
秋田厚生連では6病院の改築計画を進めていたが今見直しが迫られている。要するに患者の減少によって医療機関の経営状況が軒並みに悪化したためである。小泉内閣が強力に押し進めてきた医療制度改革の影響がじわじわと出始めている。来年度からは患者の窓口負担が大幅に増加するために受診抑制は更に生じる事を考慮すれば、今、医療機関は季節に例えれば晩秋にあり間もなく厳冬が来る。しかも二度と春を迎えられずに、このまま氷河期になる可能性が大きい。
「小泉首相は何も実績を上げていないではない!!!」、と言われているがそんなことはない。医療改革だけは確実に進めている。内容的には改革でなく改悪と言わざるを得ないけれども。
地域の中核病院の位置にある厚生連病院ですら経営状況は良くない。ましてや各地で頑張っている私的病院の置かれている立場はより深刻である。ましてや秋田市の場合、人口30万の市には大学病院を除いても400床以上の大病院が4病院集中しており、事態は深刻である。
なかでも我々の特定医療法人中通総合病院の置かれている立場は厳しい。秋田市周辺の医療が未成熟であった時期までは、私的病院の優位性を生かし、一次医療から先進的医療まで総合的に展開し市民の支持を得てきたが、振り返ればそれだけ物理的空間に余裕は乏しく、抱える職員数も多く、付属施設も多くなっていった。時代と共に秋田周辺の医療レベルがほぼ横並びとなり、更に医療の冬を迎えた今、過去の光り輝いた路線は光を失いつつあるばかりか、むしろ大きな負担になりつつある。医療機関は総じて厳しい時代に向かっているが、中通総合病院はその歴史のなかで最も深刻なな岐路に立ったと言える。我々は今、私的医療機関の優位性を今一度発揮して冬に向かって準備を開始しなければならない。ただし冬ごもりの考え方になってはならない。
10/7(月)朝は霧→晴れ 管理会議 高等看護学院講義 長副会議
2:00起床。人間ドック判定総括x2、メール返事多数送付.5:20病院着。事務処理,回診.8:00管理会議.9:00-13:00外来 。患者病状検討、14:40-16:10中通高等看護学院講義・造血疾患病理学、16:30-18:00長副会議,18:30千秋会館で夕食.20:30帰宅、21:10就寝
看護学院講義 看護師の教科書は何故こんなに難解なのか
明和会では高等看護学院を併設し看護士養成に寄与している.私は赴任以来そこで血液内科学、内分泌病理学、造血疾患病理学等を担当してきている.
講義は看護学生にとって恐らく苦行に近いものではないかと予想する.但し、寝る程度の余裕のある苦行で、苦行に耐えかねて救いを眠りに求めるのだろう.私にとっても苦行だから多分そうだろうと考えている.問題点をあげてみれば、第一には医学部分のカリキュラムの発想がミニミニ医学部的だからであることで実際には殆ど役に立っていない.第二に教科書を医学部の教官に書かせていることで、医学書の一部がそっくり掲載されている.看護学の立場からとらえ直した発想から医学関連の教科書を編集し直すべき.第三に講義を裏付ける実習時間が全くないこと、などである.医師と看護婦は自ずから立場が異なるのだから教育そのものが別な発想からスタートすべきである.
昨日の講義も学生に基礎知識を確認するためにいろいろ質問したが、殆ど正確な返事が得られない状態であった.学生にとって、もしかしたら90分に渡ってお経を唱えに来た坊さんに見えていたのかもしれない.よく寝られたね、今年も.
10/6(日)曇り FF tennis 夕方来客
3:00リハビリ当直室にて起床、人間ドック判定総括x1. 医師会関連作文、9/7の看護学校講義準備、資料作成ほか種々。結構冷えて電気ストーブ傍らに置いて業務、検食後7:30病院に移動。人間ドック資料作成x1、回診。11:30帰宅。13:00-16:15FF tennis 、vs第一ペア9-7と辛勝、先週の後遺症の右大腿屈側痛再発して不十分であった。17:00-19:30来客、歓談す.21:00就寝
自伝:0歳から小学校卒業まで(11)
権利と義務の委譲を受けるも、対外的にはなかなか通用せず
少しずつ負荷を感じ始めたのは高校生の頃からで、まず、私が中学3年の時に父親が何ら前触れもなく役場を辞めてきたことで大きなショックを受けた。定年まで数年を残していた。当時公務員の定年は55歳で、確か2-3年は残っていたと思う。村の収入役とか助役を務めた経歴がむしろ仇となって歴代の村長とはそりが合わなかったらしく勤務自体がかなりストレスになっていたらしいこと、更に合併で村が大きくなり人間関係も複雑になっていたらしいことなど、日常から雰囲気で感じていたのでやむを得ないかと納得は出来た。
多少の退職金とか恩給の支給があったので生活上の勝算は父親なりにあったと思うが、実際にこれから高校進学、大学を経て医師になろうとしていた私にとっては極端に道が狭まってしまった?そのころは大学医学部の実情などは良く解らなかったが祖父の薦めもあって、また両親も年老いていくために近辺にいる方が望ましかろうと岩手医大への進学も視野に入れていたからである。それが、少なくとも国公立大学以外は考えられなくなった。
結果的に、運良く新潟大学に入学できたが、そのころは両親の体調、特に母親の体調が優れず徐々に家の外回りの維持や買い物などが苦痛になり始めていた様子が見られた。その為に数日間であっても大学の休み期間には直ぐに帰省し家の手伝いをしていた.夏期冬期休暇にも殆ど自宅で過ごし、それなりの孝行息子を演じていたし、これも私の義務と思っていた.
家族間に置いては私と兄の立場が変わったことは、古い考えの母を除けば比較的容易に受け止められたが、親戚の方々にはなかなか通用しなかった.長男の立場を放棄して家を出たにもかかわらず、彼は何時までも我が家の長男であり、私は影の薄い次男坊であり自尊心をいたく傷つけられた.当時の世代にとってはやはり「家」「長男」は特別の存在であったと言うことである
10/5(土)快晴 病棟拘束 リハビリ当直
2:30起床、人間ドック判定総括x1、退院総括、紹介状作成.5:30病院着。人間ドック資料作成x1、6;00入院患者家族と面会病状説明.回診他。8:10人間ドック診察x4、今年も秋田市長受診、通常診療は市立病院に移したが、人間ドックは今後も当院で、と評価しておられた。担当者としては嬉しい一言であった.9:00人間ドック説明 x3。10:30-12:30外来。拘束業務種々17:30帰宅 。19:00-20:30就寝21:00リハビリ病院へ、若干業務。22:00就寝
「臨死体験」、脳の角状回が関与 スイスで解明
私も体験したことのある「臨死体験」は医学的には殆ど解っていないなかったが、脳の一定の個所を刺激すると患者が「臨死体験」することを偶然見つけたと言う。以下はそれに関する記述の一部である。
『ジュネーブ大学病院神経科のオラフ・ブランケ博士は、てんかんの女性患者(43)を治療中、右大脳皮質の「角状回」部を電極で刺激したところ、その度に患者が「自分の体から抜ける」ような情景を体験したと言う。角状回は、体や空間の認識、論理的な順序づけを統御する、脳の中でも複雑な部分出、ここに異常がある患者は、ズボンをはいてから下着をはいたり、手や足が体とつながっていないと感じたりする、という。臨死体験は、脳のどこかの神経細胞で、情報伝達の途切れや誤りが起きているのが原因ではないかとみられているが、特定の部分が関与していることを示唆する結果は珍く、専門家は「説得力がある」と評価している。』
私は臨死体験とは脳の機能障害の過程で見る夢のような現象と考えていたが、それにしては、その体験談が地域や文化を問わずほぼ共通していることを不思議に思っていた。もしこの発見が本当なら長い間抱いていた疑問の一つが解けることになるのだが・・・・
10/4(金)曇り→雷鳴、降雨、雹→快晴 医師会打ち合わせ
2:00起床、人間ドック判定総括x1、人間ドック再検査返事x1等.5:50病院着。回診.9:00人間ドック説明x3、10:00-13:00外来. 秋田市の基本検診にて超混雑。14:30 業務部員と療養型病床等について打ち合わせ.16:00-17:00医師会打ち合わせ。医師会関連原稿2部完成送付.20:00帰宅。21:00就寝
新紙幣は偽札対策?? もっと偽造させても良いじゃないか??
今回、樋口一葉、野口英世等が新登場して新札が出るという.新しい雰囲気が醸し出されて新鮮みがあって良いかもしれない.ただ私には疑問点が一杯ある.新券を作る第一の理由が偽札対策にあり、新しい技術を用いて作り難くすると言う.技術の進歩を応用するするのは良いことだが、新券の製造費用、全国にあふれんばかりに存在する自動販売機、乗車券発券機、キャッシュコーナー・・・の改造費用は設置する会社の責任で改造しなければならないから億単位の費用支出になると関連している各会社は悲しい悲鳴を上げている.一方、自動販売機の心臓部を作る会社は思いがけない受注になりそうと嬉しい悲鳴を上げて技術開発にいそしんでいる.
私には新券の発行は景気対策の意義の方が大きいような気がしてならない.こんな姑息的な対策ばかりしていて本当に大丈夫なのか??と心配になる.
ところで、偽札は確かに存在自体困るかもしれないが、偽札を大量に流通させて儲けた話は聞いたことはない.もっと大量に流通させれば逆に流通経路から犯人を挙げることも出来るのではないだろうか.偽札で買い物され被害を受けた方々には国で100%保証してもさしたる出費にはならないだろう.
単純に考えて偽札対策が主眼ならやらない方が絶対に安上がりだ、とケチな私は思う.
10/3(木)曇り→晴れ、プロジェクト21小委員会
2:00起床、人間ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.昨夜の患者の診察のため5:20病院着。回診.8:00人間ドック診察x3、9:00-14:00外来. 超混雑。予約患者の待ち時間が延び気の毒。入院1名肺炎。 16:00-18:00プロジェクト21小委員会、病棟編成等について検討。回診.20:30帰宅。21:30就寝
川崎協同病院「気管チューブ抜去、薬剤投与死亡事件」
川崎協同病院「気管チューブ抜去、薬剤投与死亡事件」とは私どもと同じく全国民医連に加盟する川崎協同病院において平成11年11月2日に重度の喘息発作で心肺停止状態で来院し16日に気管内挿管チューブ抜管、鎮静剤、筋弛緩剤投与、その後に死亡した例で今春に新聞紙上をにぎわせた.
10/1の医局会の話題の一つに上記がとり挙げられ討議した.この件について内部調査資料を読んでも不思議なことばかりである.
当該患者の主治医である医師は時に論文も発表している呼吸器専門家とのことであるが、この件に関しては全体にバランス感覚を欠いた対応が目立つ。
第一に患者の予後に対する判断。ほぼ脳死状態と家族に説明したとのことであるがその判断はどうしたのだろうか、殆ど個人の経験的、感覚的判断のように見える。
第二に患者が死亡するであろうとの前提で気管内挿管チューブを抜いたことであるが、患者が苦しみ始めたために各種の鎮静薬を投与し、それも効果乏しく最終的には筋弛緩剤を静注した。気管内チュ?ブを何故抜いたのか、抜いて状況が悪化したのであれば再度挿管して安定させ、状況を再判断すべきであろう。
第三になかり慌てて次々と薬品を投与して居るが、用いている薬品は全て私にとっても身近な薬品であり使用頻度も低くはない。ましてや呼吸器専門医であれば尚更であるはずなのに、その使用について他の医師から教えてもらっているのも不思議である。
第四に患者の家族に対してそのような説明をして事を進めたのか。
第五に何故3年間もたってから衆目にさらされる事態になったのか・・・。
患者さんが死亡される状況は医学的にほぼ理解も予測も出来るが、家族にとって身近な方の死は別物でなかなか受容できないものである。私が患者さんの最期を看取るときに心がけていることは、患者さんを出来るだけ自然の状態に戻してあげることと、苦しみだけはとってあげることである。それ以上に重視しているのは家族にその死を受容していただくことであり、それも主治医の重要な仕事であり、そのプロセスには十分な時間を費やしている。
10/2(水)雨曇り→晴れ→夜間雨
2:30起床。人間ドック判定総括x2、他。5:30病院着.回診等。9:00-13:30外来。後半混雑。午後は公的な大きな世予定はない.患者家族との面会説明など.明日のプロジェクト21の検討課題のまとめ中心に、診療科体制問題等検討。20:15帰宅。入院患者呼吸状態不調の連絡あり種々対応し21:30就寝義母死去(3) 実に良い日に旅立ちした.私は評価し、感謝している.
(昨日の続き)
それでも私は同意した.「なんとかなるさ」、「やってやろうじゃないか」の気持ちと、「病状の変化で予定通りに来るとは限らないサ」との開き直りであった.結果として後者であったが私は持てるものすべてを提供する決心と具体的準備を進めたことで家族の一員としてやれることはやり得たとの満足感がある.
お彼岸に彼の岸へと旅立った義母は良い日に瞑目してくれたと思う. 残る親戚縁者、関係者に義母が残してくれた最大の心遣いだ、と評価している.
最後に、義母の妹の石井恵美子さんは30年来我が家の家事、子育てを一手に引き受けてくれている方であるが、今回の在宅療養でも主役になるはずであった.彼女の存在無くしては我が家での在宅療養などあり得なかっただけに、心から感謝したいし、やらないで済んだことを共に喜びたい.
私は一切の私物が撤去され、和室の畳からフローリングになった住人の居ない「義母」の部屋で毎夜Vnを弾き故人を偲ぶのが日課となっている.部屋の改造で響きがとても良くなったからである.
10/1(火)雨,台風接近 総回診 医師会打ち合わせ 医局会
1:30起床,眠い。人間ドック判定総括x2、 紹介状返事x1.新聞 scrap.6:00病院着.回診、その他。8:00人間ドック診察x5、9:00-13:30外来. 14:30-15:45総回診に参加.16:00-17:00医師会打ち合わせ.17:30-19:00医局会、外来点数変更。川崎協同病院筋弛緩剤投与死問題など.20:30帰宅。21:30就寝
義母死去(2)。在宅ケアをする予定で引き取る意向を示したとき正直言って二つの点で問題を感じた.
義母死去し一週間経過し私の生活は通常に戻った。
日常から寝たきり状態下で生きることは望まないと発言していた義母は、4月に致死的、あるいは運良く助かっても寝たきり状態と予想される脳梗塞を発症した。一命を取り留めたばかりでなく車椅子にて短時間は過ごせる程度まで回復した.9/23に退院、次女である家内が引き取って我が家で在宅ケアをする予定となっていたが退院予定の日の早朝に死去した。
私は日常から意志を直接確認した方が望まない治療はしない様にしているが、気持ちに変化が見られるようなとき、親族の誰かが治療を望めば治療せざるを得ない.義母の場合も私自身は積極的治療の適応とは思っていなかった.結果として最近まで生きられたが、この間利害を共にする方々の思惑の違いが表面化してハラハラさせられることも少なくなかった.
次女である家内が引き取る意向を示したとき正直言って二つの点で問題を感じた.
一つは私自身への負荷である.朝2時から5時半までは自宅で仕事をしているが、この時間帯は私にとっては至宝の価値がある.この時間帯に私は起きているだけ何かあった際には関与せざるを得なくなる.これは時間に追われる自分にとっては決して好ましいことではない.
もう一つは我が家で引き取ることで取り巻きの方々の利害関係がより顕在化、かつ深刻になり、微妙なバランスの上に成り立つ人間関係が決定的に崩壊するかもしれないとの予感である.
(明日に続く)
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(人間ドック)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。 月〜土曜は6:00頃出勤、人間ドック報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、人間ドック受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来と人間ドック受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |