2022年6月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
6/15(水)風つよし小雨 午後飯川病院
1:00起床。自炊など各種データ整理。4:30外周り特に風害なし。8;00ダリア本植え一気に終了。今年は18株。散水など、特に問題なし。生着するだろう。11:50バス飯川病院、歩行なし。新聞入力、微睡など。14:00勤務。師長と面談、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計10205歩
季節の話題2022(8) 家庭菜園・園芸(1) ダリア
ダリア栽培について今年はなかなか意欲が湧かない。マンネリか、私の老化か??
本日までかかってダリアを昨年より減らし住宅の前スペース4辺のうち2辺に減らし、鉢植え4ヶで合計31株植えた。全体的に作業は遅れ気味である。
ダリア栽培は今年まで10余シーズン経験しているが、今年は初めて関連図書で文献的考察を加えた。
それによるとダリアの本シーズンは9月以降だから仮植えの時期は4-5月にこだわることはないらしい。梅雨明けしてから植えてもいいらしいし、長く発芽した株は数cm残してカットして植えればいい、とのこと。すでに成長した株は大胆に切り戻しをすればいいらしい。また真夏は遮光し、水やりと追肥は控えるとのこと、これは私の発想にはなかったこと。
球根の保存は難しい。まだ試行錯誤的である。得られた結論はひどい状態でないなら積極的に仮植えしてしまえ、と言うこと。昨秋掘り起こした球根はダンボールに入れ今年は2Fの一室で越冬させた。4月14日昨年よりひと月遅れで状態を確認したが、一部は過乾燥状態、一部はすでに発芽するなどいろいろであった。
一昨年からは仮植え手法を導入した。今年もこの手法をとることとし、5月1日、昨年より3週遅れで花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。この際、分類していた紙のメモ散逸した。だから咲いてみないと内容はわからない。もし来年もやることがあったら木片とかにメモ札を作ろう。昨年と同じ轍にハマってしまった。反省!!!
5月15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、本日までかけて順次本植えにした。
我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年も遅れたがなんとかここまで来た。
(庭の南側のダリヤコーナーの現状 成長の早さは様々)
各々はいずれも見事な花を咲かせる。土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。
ダリアは短期間に急速に成長するから茎は中空で風に弱い。特に大輪の花は自立さえできないのもある。支柱をうまく使う必要がある。
強風が予想されるときには支柱を追加し、ビニールテープで根元から花の位置までグルグルと簀巻き状態にして枝折れを防ぐ。
ダリアの世話は休日が中心であるが、休日は飯川病院の日当直に当たることが多い。その日が良い天気だと心穏やかではない。
6/14(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床,いつもと同じ、4:30可燃ゴミ4袋提出、2往復。6:40バス飯川病院。8:45-13:15中通病院外来。約25名で疲弊、13:30飯川病院へ、14:00-18:45飯川病院ボランティア。入院患者対応なし。ディンブンチェック入力、自炊、家内女医の会、19:20バス帰宅、夕食、21:00就寝、歩数計10814歩。
少子化2022(9) 米起業家マスク氏が日本の少子化にツイッター
2022年5月8日に、ツイッターへの投稿で日本の出生率低下への危機感を表明し、何も手を打たなければ「日本はいずれ消滅する」、「日本の消滅は世界にとって大きな損失になる」と訴えた。直感が鋭く、物事の本質を見抜く力を備えている人。イーロン・マスク氏のツイートが日経紙に掲載され、日経の編集委員の大林氏がそれに沿った解説記事を掲載した。
内容的には少子化について、私が言いたいことと同じ方向なので、私の総括代わりに原文のまま引用させていただいた。
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「あたり前のことをいうようだが、出生率が死亡率を上回るような変化がないかぎり日本はいずれ存在しなくなるだろう。これは世界にとって大きな損失となろう」by Eilon Musk,on 8/May。
シリコンバレー発でこれを報じた日経電子版の記事は、この週に読まれた記事のランキング首位だった。
ツイートのきっかけは、1年間に総人口が64万4千人減ったという人口統計のニュースだ。共同通信が英語で配信した。
1億2500万人あまりが暮らす国について、この統計だけで「存在しなくなる」と述べるのは飛躍があると思うかもしれない。だが死亡が出生より多ければ、日本の消滅が避けられないのは事実である。
1人の女性が生涯を通じて産む子供数の推計値、合計特殊出生率は新型コロナウイルス禍初年の2020年が1.33だった。出生率が1.3を下回る状態を多くの人口学者は超少子化と呼ぶ。03〜05年の3年間、日本は超少子化だった。将来人口を推計する国立社会保障・人口問題研究所(社人研)はこのころ、衝撃的な見通しを出していた。
04年の出生率1.29が将来にわたって不変、かつ海外との人の移動がない、などと仮定した場合、日本の総人口はおよそ200年後に1千万人を切る。そして2340年に100万人を、2490年に10万人を割り、3300年には列島が無人になる。
日本消滅の可能性は当時、内閣府の有識者会議でも取り上げられた。小泉純一郎首相は少子化対策に傾注した。端午の節句を控えた05年4月、官邸前庭で泳ぐこいのぼりを見上げた首相は、子ゴイが1尾しかいないのに気づき「1人はまずい。3人は産んでもらわないと」とつぶやいた。官邸職員は慌てて子ゴイを増やしていた。
出生率はその後、回復に転じ12〜18年は1.4台を保った。だがここにきて再び低下基調が鮮明になっている。コロナ禍が若者から出会いの機会を奪い、婚姻数・妊娠数・出生数が軒並み減ったのは周知の事実だ。コロナが人口動態におよぼす不確定要因の分析・解釈に時間を要し、政府は今春に出すはずだった新しい将来推計の公表を1年先送りしている。
じつは、出生減にはコロナ前から弾みがついている。15年までの年間減少率は平均1.1%で推移していたが、16年以降3.5%に急伸した。この主因について日本総合研究所の藤波匠・上席主任研究員は「若い世代の出生意欲の減退」を挙げる。
それ以前の少子化の背景には、産みたいけれども子育て環境が十分に整っていないなどの理由で出産をためらう若い夫婦の存在があった。だが10年代半ばを境に、産みたいという意欲そのものが下がりはじめた。これは、待機児童を減らそうと保育園を増やしたり、父親にも育児休業の取得を奨励したりする、従来の少子化対策の効きが鈍ってきたことを意味しよう。
対策のバージョンアップが必要だ。出産意欲減退の背景には、さまざまな要因がからんでいるとみられるが、はっきりしているのは若い世代の就労・収入環境の悪化だ。現在40代後半の大卒男性の平均実質年収は、10年上の世代が40代後半だったときよりも約150万円少ない。さらに世代が若返れば実質年収はもっと低くなる傾向がある。
これを映してか、男が結婚相手の条件として考慮・重視する項目のうち「経済力」をあげた割合は、1992年の27%から15年に42%へ上昇した(社人研調査)。藤波氏は「男女問わず若者が結婚をイメージしにくくなり、子供をもつことへの一種の諦めが広がっているのでは」とみる。
戦後のドイツはナチスの国家主義と人種差別への嫌悪から、国による出産奨励をタブー視する空気が強かった。その点では、戦前戦中に「産めよ殖やせよ」と出産報国を国民に迫った反省が先に立つ日本と状況が似ていた。だが02年以降に家族政策相に就いた2人の女性政治家がタブーを打破した。シュミット氏(在02〜05年)とフォンデアライエン氏(同05〜13年)。フォンデアライエン氏は言わずと知れた現欧州委員長である。
「家族に多くの子供を、社会に多くの家族を」と呼びかけたシュミット氏は、ワークライフバランスの実現に腐心した。フォンデアライエン氏は育児休業の使い勝手を高め、保育所の大増設を敢行した。11年に1.36だったドイツの出生率は、16年に1.6へ急伸した。
日本は戦後の1947〜49年の第1次ベビーブーム期、毎年270万人程度が生を受けた。団塊の世代だ。ベビーブームに陰りが出たきっかけの一つが、49年に議員立法で改正された優生保護法(今の母体保護法)によって経済的な理由による人工妊娠中絶が合法化されたことだった。
産むのはやめようという個人の価値観を無理に変えさせるのは乱暴だ。しかし若い世代の困窮が命の誕生に対する諦めを誘っているなら、それを取り除くのが政治の責任である。マスク氏のツイートを日本の指導層のどれだけが真っ向から受け止めたか。
出生減に歯止めをかけ、反転させるには、真に効く対策を練り直し、計画的に実行する長期思考が不可欠だ。まずは若者を取り巻く経済環境を好転させることである。
(日本経済新聞 2022.5.30)
6/13(月)晴れ 健康クリック 飯川病院
2:30起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。6:40バス飯川病院。9:00-11:30健康クリドック13名+結果判定12名。11:45飯川病院へ、微睡、14:00勤務、医療事務新人の紹介あり。入院患者対応。15:30千秋公園ハトとコイに給餌、バス砂山までブックオフ
7冊購入、17:30散水。19:30帰宅、夕食。20:30就寝。10196歩。
少子化2022(8) 移民受け入れ or 7000万人時代を迎える準備を
私は、人口減下では秋田市の現在の大病院はいずれも将来的に病床過剰になる、という視点で早くから人口減に対して注目していた。
出生率の低下原因に関して20項目程度の要因は挙げられる。
その内の代表的要因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持ち、子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。
■妊婦や子連れに対して世間の目は一般的に冷たい。何でだ??
■社会が人口減問題に目覚めていない。何でだ??
■妊娠・子育て期間中の母親はひたすら忍従を強いられる。何でだ??
■子供ができるまでは共同作業であろうが、子育てに夫の協力も得られ難い。何でだ??
■社会もそれをサポートしてくれない。これでは女性は大変である。何でだ??
■子育てという困難を女性のほぼ全てが自覚しているはずなのに、喉元過ぎれば・・・と関心を持たないし、発言もしない。何でだ??
■現在の子育ては、苦労や負担の一方通行であり、子供からの見返りはほとんどない。
■特に教育費負担が大きい。一子あたり2000万とも言われる。
この、子供がいなくともそれほど困らないという考え方、子育ての負担を負いきれないと考えに対してどのように対処していくのか、また、「結婚、出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8程度に改善すると試算した」というが、これこそが至難事項である。どう対応するのか。
私は、日本の人口危機をあらゆる策を総動員したとしても日本の人口数を維持する事はもうできない。
出生率の目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきであって政府が口を出すべき問題ではない」、という考え方は、第二次世界大戦前までの日本ならいざ知らず、近年では定着した考え方である。だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。
例え、ドラスティックな環境整備、経済的支援をして、妊婦、出産前後の女性を保護し、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、微々たる効果しか期待できない。
だから、人口問題は解決しない。解決策はただ一つ、子宮の輸入、すなわち移民受け入れである。
だから、移民受け入れをしないならば、7000万人時代に見合う社会を構築するよう発想の転換を考えたほうがいい。これについても政府には具体策はないようだ。手をこまねいていれば日本は消滅する。
6/12(日)晴れ 家内認知症学会 病院でデータ整理 千秋美術館
1:10起床、新聞チェック。この作業はネコのプチに邪魔され、微睡を含め5:00近くまでかかった。8:00庭、畑のケア、散水。鉢植え整理、草刈10回目。庭の樹木の枝払い。ねぎ苗植える。11:30暑いので作業終了。認知症学会ランチョンセミナー出席の家内同乗飯川病院に。データチェック、録音。微睡。千秋美術館写真展「野鳥の一瞬」観覧、画集2冊購入。千秋公園コイハトにオヤツ。ナカイチでコーヒー。ブックオフ広面店4冊購入。19:00夕食。20:30就寝、歩数計9010歩。
少子化2022(7) 第二次ベビーブーム直後から危機の予想があったのに
約60年前の、第二次ベビーブーム直後から日本の人口問題に危機の指摘があった。 しかし、政治家、産業界、教育界の誰しもが軽くコメントする程度でアクションを起こさなかった。ここまで放置しといて、今更慌てても、少子化、出生率の減少、人口減はどうにもならない、と思う。
国の機能を維持するために最も重要な項目なのに、各界があまねく影響を受ける重要な事項なのに、半世紀もの間特に対策を取らずに現在まで静観してきた。その結果、合計特殊出生率は2021年に1.30となった。出生数は81万1.604人と過去最少を記録した。
人口増を図ることは文明文化の発達と時代の流れと自然の摂理に逆行することになるために簡単ではない。どんな政策を行っても理想的に改善するとは言えないが、我が国の場合は「半世紀もの間無策のまま静観してきて、既に不可逆的事態に突入」した。これは自民党をはじめ政治家が負うべき責任である。
10年ほど前、人口問題で著名な実績のある米国の某学者が「話し合うだけで何も対策しない日本。日本は自然消滅の道を選択した。世界の人口問題関連識者は日本の将来を興味深く、かつ心配してみている・・・」と論評したことがある。
国にとって少子化は社会の全ての分野に影響を与える。
政府、自治体、経済界が今更ながら騒いでいるが、もう遅い。
今回の参議院選でも出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない・・・、と各党が主張している。政治家たちは完全にずれている。
人口増政策は、安倍政権が2014年人口減対策の考え方をまとめた文書に、出生率1.8を「目指すべき水準」と記した。これに対し「出産の押しつけだ」等とメディアは騒ぎ、政権の方でも「数値目標ではない」と躍起になって説明していた。「出産の押しつけだ」などと騒ぐ方がおかしい。出生率1.8など掲げてもそのために子供を産もうという女性がいるのだろうか。まさか!! と思う。実際には2.2以上が必要である。
国力の維持は人口数の維持が基本である。ところが当時政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌ててもね、と思う。
まず、なんで7000万人程度ではダメなのか。そうなると日本はどうなるのか?
50年後は国としての機能が維持困難となり、100年後には国家として機能不全に陥ることになりかねない。食糧生産、エネルギー確保、社会保障、教育、防衛など枚挙にいとまが無い。
私はかねてから人口問題に関心があったから凡そのことは理解しているつもりであるが、厳しい現実が待っている。
6/11(土)晴れ 家内認知症学会 終日園芸関連
1:10起床、自炊データ整理、随想読み、徒然など。映像データ整理。8:00外仕事、可燃ごみまとめ、草刈り9回目。キウリ初収穫一本、枝のガイド、トマト支柱に固定、散水。ダリア本上準備のための穴掘り。午後は微睡から、樹木の脇芽を切除、西側の灌木排除。バラに支柱追加。17:30バスにて駅、18:02長崎屋、ブックオフにて7冊購入、クーポン活かす。19:00家内の迎えあり帰宅。読書、データ整理若干。19:30夕食、21:00就寝。歩数計11659歩。昨年頂きダリア本植えでダリア全て終了。
少子化2022(6) パラサイトシングル(PS) なかなか抜け出せない環境
「PS」と言ってもそれぞれのケースに事情があるはず。
自由気ままに自分の生活を謳歌している者、自営業を営んでいる親と同居し家事を手伝う者、また、介護や心的援助、世話を前提に同居している者、労働力を家族に提供している者もいる。親への実質的貢献を果たしている者もいる。
一方では、親の方も年を経るに沿って心理的に「PS」者に依存していく。また、「PS」者の同胞にとっても便利な存在でもある。
青年層の自立困難は国際的に見てもどこの社会にも見られる。そしては各社会ごとに特徴ある対応がなされている。
日本では,国や社会が支えると言うより「若い世代を親の世代が援助する社会システム」を採用していると見ることができる。
余談だが、これが背景にあるから、日本特有の特殊詐欺の被害が痕をたたない。
特殊詐欺の被害が、2020年「8年連続で300億円超」と報じられていた。秋田では1億円の被害者も出た。被害者の多くは高齢者で息子や孫を騙って電話が来たりするとそれだけでパニックになる。特殊詐欺と言うより特殊家族依存状態、と言うべき関係が背景にある。
「PS」の増加に伴う緒問題は,その社会システムの機能失調として捉えて,それに社会全体で取り組む必要がある。
私は「PS」は若者の未婚化、晩婚化の原因になっていると感じている。診療を通じて「PS」者の増加を実感できる。
独身のまま親と同居している男女が、居心地の良い家を離れたくないがために婚期を遅らせている??
親と持ちつ持たれつの生活を享受している「PS」者にとって、結婚して独立し子供を作るということの意義は、人生にとって意味あることとわかっていても、親の元を離れることが厳しい生活環境に踏み出すことにもなり得る。
「PS」者の増加は、若者が未婚化、晩婚化した結果生じた現象であるが、「PS」者は結婚し難いという事実もある。要するには、未婚化の結果であると同時に原因である。
親の家から出る理由は、大きく分けて、進学、就職、結婚、その他となる。 「その他」の理由で家を出る割合は5%程度と極めて少ない。
未婚であるということが、「PS」の前提だから、未婚率が高まれば、「PS」は増大する。未婚率の上昇と「PS」者増は相互に連関関係にある。
「結婚」は、今までの生活を捨て、新しい生活に入るという激変をもたらすイベントである。 経済的的問題だけではなく、人間関係や自己実現機会など、 結婚に伴って、さまざまな生活の要素が変動する。結婚後の生活がより満足のいくものなら、結婚に踏み切る可能性が高いだろうし、逆だったら、結婚をためらうだろう。
「PS」者の生活満足度は高いとされている。だから、結婚は「PS」者にとって苦悩のスタートともなり得る。よほど恵まれた相手、「星の王子様、お姫様」に出会えれば別であろうが、「PS」生活に区切りをつけるのは恐らく困難であろう。
「親のことが心配・・で・・」といえば理屈が通るからである。
6/10(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:30飯川病院起床,新聞文献、徒然など。7:45徒歩駅に、8:11こまち。9:10大曲往路徒歩中通病院外来。書店訪問。15:30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チェック入力、自炊、散水、録音。19:00帰宅夕食、20:30就寝。Σ9785歩。
少子化2022(5) あまり目立たないがパラサイトシングルの影響
「パラサイト・シングル(PS)」と言う言葉がある。一時流行語にもなった。「親に寄生して生活している未婚者」を示すが「寄生」などとあまり侮蔑的に定義すると若者に対する非難になる。「親と同居して生活し続けている未婚者」とソフトに考える方がいい。
そんな男女は今や約1.000万人に達していると言う。これだけの若者が「都合のいい甘え」で親と同居しているはずがない。
「PS」の背景は若者個人の考え方というよりは時代と文化、さらには家族構成、社会構造の変化、比較的リッチな親世代と厳しい若者の就労、等に伴うさまざまな理由があるだろう。
「PS」が、もたらす社会的影響は決して小さくない。もっと大きな社会問題として捉えていいのだが、それなりにバランスが取れた状態だから社会の関心度は低い。
「PS」について、若者に主眼を移す社会保障、就労状態改革などを通じて、親への依存状態から個人が自立する制度を整える必要など、対策は多角的に論じる必要がある。
日本は近年、格差がいよいよ深刻になり、若者が自立したくても出来難い社会になった。 もはや未婚のまま親元を離れられない大勢の人のことを「PS」などとは呼び難い。 しかし、本稿では分かり易いために「PS」と呼ぶことにする。
彼らの存在は、もはや一家庭の、個人の問題ではないという事実を痛感させられる。ややもすれば「自立」という言葉が、「自己責任」と変換されてしまう可能性もある。
この辺のことを広く論じるのは私にとっては荷が重いが、「PS」が少子化の一つの原因になっている、と言う視点で考えることはできるような気がする。
「PS」は親との同居で、食住に不自由せず、自分の収入は自分で使えるという比較的自由な生活を送るが、一旦「PS」生活が始まると、「この快適さ、生活水準が落とすのが嫌・・・」という理由で親に寄生し続け、なかなか抜け出せなくなるのが実情である。彼らも親も、いつまでもこんな状態がいいとは思ってないが、そのうち親の方も子供の「PS」生活に慣れ、許容し、依存してくる。
30歳を過ぎても親元に同居して、生活を維持あるいは謳歌する気ままな独身男女の「PS」。未婚化・少子化現象、自立した一人暮らしではとてもやっていけない低収入の若者がいる、という発想から始めなければならない。
決して甘えの心理から「PS」状態にあるのではないことを、社会が認識しなければならない。
6/10(木)快晴 グリフィス命日 午後飯川病院+当直
1:30起床,文献整理。いつもの如し。8:00園芸と畑外仕事、畑は根の固定、キウリつるガイド。10:50バスほどの八丁、徒歩保戸野新橋鯉に給仕、千秋公園鳩と鯉にも。飯川病院、微睡。14:00勤務、入院患者対応。17:00当直業務、18:00検食、21:30就寝。Σ9419歩
少子化2022(4) 婚姻件数がピーク時の半分以下 出生率1.30は当然
直近の婚姻件数がピーク時の半分以下と日本では結婚自体が減っている。
人間ドック、日常診療を介しての未婚の若い男女の増加が、外来診療を通じては未婚の娘、息子を抱えて悩んでいる中高老年患者が増加しており、結婚しない若者達の増加を実感する。
厚労省が公表した人口動態統計(概数)によると、2021年の婚姻件数は戦後最少の約50万件だった。婚姻件数が戦後最少を更新するなど、若者の「結婚離れ」が進んでいる。
かつては男女とも9割超が1度は経験する人生の節目の大イベントだったし、それに伴い子供の数も多かったが、現在は男性のほぼ4人に1人、女性の6人に1人が「生涯未婚」とされる時代を迎えている。
婚姻数のピークは1947~49年生まれの団塊世代が25歳前後となった1972年で年約100万件であったが、その時の半分以下の水準。
少子化による若年層の減少だけでは説明できない現象で、急減している。
これじゃ、一人の女性が生む特殊出生率が下がっていくのは当然である。さらに、もう子供を産める女性の数が減ってしまった今、出生数の向上など望み得ない。ここが問題なのだ。
日本人の結婚に対する価値観は、この40年間で大きく変化した。
国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳までに一度も結婚しない人の割合を表した「生涯未婚率」は、1980年に男性が2.6%、女性が4.5%。それが2020年には男性が25.7%、女性が16.4%にまで上昇した。
仕事でのキャリアアップなど、結婚よりも、自分の時間を大事にしたいといった価値観が広まっている。さらに、かつては地域や職場の世話好きな人が縁談を持ってきたが、今や「おせっかい」扱いでハナから相手にされない。
一方、海外の先進国の若者との比較では、数値上では我が国の若者は結婚への意識は高い。
OECD加盟の7か国を対象とした5年ごとの意識調査は以下の如く。
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2018年度の調査結果
■「結婚する方がよい」は、
米国(52.7%) > 日本(50.9%) > 英国(47.4%) > 韓国(46.1%) > 独(45.9%) > 仏(41.5%)。
■「結婚しない方がよい」は
日本(35.4%)で、7か国中最も低かった。
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上記から見て、日本人の結婚への関心は依然として高いともいえる。
それなのに直近の婚姻件数が急減していると言うことは若者達の生活環境が変化し、結婚できない状況があるものと思われる。非正規就業、低賃金などである。
直近の婚姻数減少は上記の状況にCOVID-19の感染拡大も追い打ちをかけた。外出や会食の自粛で、結婚につながる出会いや、交際の機会が失われた影響も否定できない。
6/8(水)快晴 草刈6回目 午後飯川病院
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。8:00草刈り6回目、その後農道部分に初めて除草剤まく。結果やいかに。10:50バス通町、ブックオフドンキ店5冊購入。疲れて12:22バス飯川病院、乗車時ほかの高齢者転倒、助けおこすも大禍なし。14:00勤務。微睡、新聞チェック、録音。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ12855歩。
少子化2022(3) 全国と秋田県の現状
(1)全国
厚労省の人口動態統計で2021年出生数は8万1604人で、統計開始以来最少となった。 前年から2万9231人減少。 80万人の大台割れが目前に迫った。
推定では、出生数が8万人台前半まで減るのは2027年としていた。50年ほど早く少子化が進行しており、社会保障の担い手不足などの対策が急務だ。
女性1人が生涯に産む子どもの合計特殊出生率」は1.30(前年比0.13減)で6年連続減。 婚姻件数は50万1.116組(同2万4.391組減)で、戦後最少となった。
死亡者数は戦後最多の143万9.809人。 出生から死亡いた人口の自然減少は62万8.205人と過去最大に上った。
産んだ母親の年齢は30~35歳が2万2.435人で最多。前年比では40-44歳が4万8.516人 増え晩産化がうかがえる。 第一子出生時の平均年齢は30.9歳だった。
都道府県ごとの合計特殊出生率は沖縄1.80>、鹿児島1.66、>宮崎1.6>・・・>東京1.16>、宮城1.15、>北海道1.20の順。
(2)厳しい秋田県
厚労省によると、2021年に県内の出生数は4.335人(昨年比?164人)だった。15年連続の減少で過去最少を更新。全国で3番目に少なかった。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率は1.2で全国40番目。
死亡数は前年より640人多い16.019人(昨年比+640人)。 出生数から死亡数を引いた人口の自然減は11.684人で、人口1.000人当たりの自然増減率は-12.4と全国で最も減少率が高かった。
死亡数のうち、がんによる死亡者は人口10万人当たり439.5人で2年連続の全国ワーストとなった。脳血管疾患による死亡率も全国で最も高い167.4だった。
自殺者は前年より5人多い177人、人口10万人当たりの自殺率は前年比0.8増
の18.8で全国7番目だった。200を下回ったのは、4年ぶりとなった70年に続き2年
連続。県が自殺対策計画の最終年度(2022年) 目標に掲げる「自殺者180人以下、自殺率1.93以下を下回った。全国平均(16.5) より高かった。
婚姻数は2.618組(昨年比-170組)。 離婚数は1.043組(昨年比-170組)。婚姻率、離婚率も全国で最低だった。
本県の統計結果を受け、佐竹知事は「短期間で出数婚姻数の減少に歯止めた
かけることは難しい状況。 若年女性の県内定着、同帰の促進に一層取り組む。若い世代の出会いや結婚に対する前向きな意識の醸成を図るほか、引き続き出会い、結婚から妊娠、出産、子育てと切れ目のない支援による少子化対策を進めていく」とのコメントを発表した。
少子化が秋田県内スポーツに大きな影響を及ぼしている。合同チームの結成や大会の開催形式の変更など、環境が大きく変化。指導者や保護者らは子どもたちが好きなスポーツに打ち込めるようにと知恵を絞っている。
部員や団員の減少により、中学校の部活動やスポーツ少年団で、従来の枠組みでの活動が難しくなっている。 少子化に直面する運動部活動などについて、国や行政、統括団体はどのように対応しようとしているのか、見えない。
6/7(火)降雨のち晴れ 中通病院外来 眼科受診 飯川病院ボランティア
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ降雨のため廃棄せず、まとめのみ。6:40バス飯川病院へ、8:45-13:30中通外来+眼科受診3年ぶり。緑内障白内障共に中等どの進行が見られ、前者は点眼薬追加。後者は手術適応なるも経過観察となる。13:15飯川病院へ、18:00頃まで散瞳の影響で目が役立たず。18:00データ整理・新聞チェック開始。自炊など。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8680歩。
少子化2022(2) 21年の出生率1.30は当然の結果 少子化対策空振りも当然(2)
(8)「男性は仕事、女性は家事育児」という古くからの性別役割分業、親が負担を背負いがちな子育て環境が絡み合った社会構造がある。日本の女性が家事・育児に割く時間は男性の5.5倍。しかし、両性に責任あり。その歴史は長く簡単には改善しない。
(9)コロナ禍で在宅勤務が普及した。男性も家事育児に参画しやすくなったはずだが、内閣府の21年の調査では、家事・育児の時間が増えた割合は女性が44%で、男性の38%を上回った。この傾向は数10年は解消しないだろう。
(10)子育て支援にかかる国の家族関係支出は2019年国内総生産(GDP)比で1.73%にとどまり、出生率が高いスウェーデン(3.4%)やフランス(2.88%)に遠く及ばない。十分な予算が割かれないまま子育ての社会化が進まず、家庭で女性が負担を背負う構図が浮き彫りになっている。
(11)女性の育児負担はキャリア形成、昇進遅延につながり、女性の低賃金の要因となる。正規、非正規と同じ雇用環境にあっても男女で賃金格差があり、課長級、部長級など同じ役職でも格差は目立つ。
(12)希望と現実の数字との乖離は大きい。人口動態統計で世代別の出生率をみると、20代後半女性は結婚や出産の希望をかなえられず出生率は0.53で、30代になっても子どもを持たなければ、少子化はさらに加速する。
(13)キャリア形成、出産前に女性が置かれた不利な環境の改善を急ぐ必要がある。女性活躍推進法に関するこの夏の省令改正で、大企業は賃金格差の情報開示が求められる。企業は働き方改革はもちろん、出産前後など早めにキャリアを積んでもらうよう取り組む必要がある。
(14)米国やフィンランドではコロナ禍でも21年の出生率が前年から上昇した。若い世代の「子育てしても大丈夫」という安心感の表れ。出生率が0.84と深刻な状況に陥っている韓国も「子育てにお金がかかり過ぎる」状況を重く見て、2022年から0〜1歳児の親に月約3万円の手当を支給し、2025年までに約5万円に拡大する。
我が国では中学校卒業までの児童を養育している場合、基本的な条件では、児童1人あたり月額で10,000円(3歳未満は15,000円)が支給される。
就学児をもつ親に児童手当として韓国と同程度の手当てをしなければ出生率の解消には向かわない。
(15)出生率が1.30を割り込む状態は深刻な「超少子化」とされる。このまま続くとすると、日本は100年後には国家としての機能が大きく障害されると考えられるが、政治家も学者もメディアも国民も危機感は乏しい。
2966年10月5日に日本人の子どもの数は1人となる。
(16)日本にも「社会が結婚から子育てまで伴走する」という強いメッセージと、それを裏打ちする政策が欠かせない。女性の自立を支え、若い世代が安心して子育てできる社会につくりかえなければ、出生率の改善は永遠に望めない。
コメント:それでも出生率の大幅な改善は望めない。人口減のスピードが若干遅くするだけ。
私は悲観論者である。究極的に見て、少子化の改善がなければ今問題になって努力している温暖化対策、SDGs等のあらゆる努力が水疱に帰すだろう。私はもう良いが、次世代、次々世代の若者達が気の毒である。
6/6(月)曇り、強風、午後から降雨 健康クリニック 飯川病院
1:30飯川病院で起床,いつものごとし。録音データ整理ほか。読書ほか。7:00検食。9:00-11:30健康クリニック、ドック13名。結界判定12名。新年度2ヶ月経って通常の数に戻ってきた。11:45飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ5345歩。
少子化2022(1) 21年の出生率1.30は当然の結果 少子化対策空振りも当然(1)
厚労省が6月3日発表した2021年の人口動態統計によると、1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.30と6年連続で低下した。
毎年この数値が発表されるごとに少子化、出生率などについての議論がメディアを賑わすが、もう我が国の少子化は改善することはないのに、政治家もメディアも国もまだなんとかなるとでも思っているのだろうか。唯一の改善策は、極言すれば「子宮の輸入、すなわち移民受け入れ」しかない。
政治家はやむを得ないとしても、日本を代表するメディアがこの調子で論評しているのはもう罪悪に等しい、と私は思う。
日本の女性に出生率向上が期待できない背景についてダイバーシティエディター 天野由輝子氏の記述を参照し、それに私の意見を付け加え以下のようにまとめた。
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(1)出生率向上は大事である。現在は1.30であるが、人口減少をくい止めるためには2.20以上の出生率が必要。出生率が下がる大きな要因として、子どもを持ちたいという若者の意欲の減退がある。
(2)少子化に歯止めをかけるには、「女性の賃金水準が低く、家庭のなかで家事・育児の負担を背負う状況を解消する」ことも欠かせないが、こんな対策では出生率の大幅な改善は期待できない。
(3)「結婚する自分がイメージできない」、今の若い女性達はいう。婚姻率は低下し続けている。未婚化は少子化と結びつく。同統計によると、人口1000人に対する婚姻率は19年に4.8だったが、20年に4.3、21年は4.1まで落ち込んだ。
(4)既婚者でも「子どもを持ちたい」、「育てたい」という意欲も低下。出生動向基本調査によると、ここ30年間で夫婦が持つ予定の子どもの数は減り続けており、15年は2.01人と過去最低だった。
(5)「結婚せず仕事を続ける」と答える未婚女性は増加している。「結婚しても子どもを持たずに仕事を続ける」とあわせると25%を占める。「未婚女性の1/4が『出産する人生を想像できない』と考えている。これじゃ少子化は当然。
(6)国は2010年、若い世代の結婚や出産への希望がかなった場合に実現する「希望出生率」を1.8とはじいているがその数字自体が甘すぎる。どんな統計に基づいているのか??
(7)経済的な要因。2015年の出生動向基本調査では、妻が30〜34歳の夫婦が理想の子ども数を持たない理由として8割が「子育て、教育にお金がかかりすぎる」と答えた。実際、若い世代ほど年収水準が低い。一人の子供が大学を卒業するまでに約2.000万円とする試算もある。
(続く)
6/5(日)曇り寒い 飯川病院日当直 レセプト点検
1:00起床、通常の作業、読書ほか。自炊データ整理。8:30家内に同乗、飯川病院に。9:00日当直に就く。午前は新聞チェックと3日間のスクラップ入力。微睡、午後は散水、外来分レセプト点検、チェリビダケ指揮ブルックナーNo9のデータ化、画像、録音データチェック、整理。12:00、18:00検食、22:00就寝、歩数Σ4463歩
退職12年目 退職時の感想(5) 仕事がある、外に居場所がある意義
退職して11年経った。
退職後は「準引きこもり状態」になりたい、と言いながら、いったん組織の外に出たら、「社会」からも必要とされず干されてしまう。そんな恐怖感が常にあった。幸いに退職後も継続的に働く場が与えられた。
いろいろな理由で多くの人達が退職していくのに接してきた。当たり前のことだが、病院から去っていく方々の様子はさまざまだった。ちよっと真似をしてみたいと思う様な、後を濁さない爽やかな「引き際」もあったが、そう多くはなかった。やはり何事においても 、死も含めて「引き際の美学」は感銘を与える。
私は「職を辞めたら後を振り返るな。 職場のためにも自分自身のためにも」と言うある方のエッセイを読み、納得した。だから、現役の時と同じ職場にいるのであるが、特に発言もせず病院の発展をじっと見守っている。
人は生きていくのに社会の中で自分の「居場所」が必要で、そこを起点に社会との接点を持つのがいい。「居場所」と言うと一般的には心身を休める家庭というのがイメージされる。家庭は心を休めるにはいいが、それだけでは非生産的で不足である。心身を整えて仕事場に出ていくことが活力維持としても、刺激としても私にとって重要である。
COVID-19拡大を受けて急激に広がったテレワーク。 これがストレスの元になっているとも聞く。ストレスや不快感を頻回に感じたとアンケートに答えた人が70%にのぼっている。「ルールやノウハウ」がないままにテレワークが始まったことで行き違いが起きているのだろう。家庭の構造がテレワークにふさわしいとは言えず、公私の区別が曖昧になるのも一因になっている。
私どもの業務は診療は患者との対面が基本であり、書類などは門外不出で、テレワークに向かないから仕事がある日には出勤することになる。これが社会から受け取る情報のためにも大いに役立っている。
退職するまで医師として過した45年はやはり長い半生であり、心のゆとりが無いままに業務に追われた年月であった。退職したら自由の身になり、あれもしたい、これもしたいと楽しみにしていたが、いざその時が来ると、急に生活を変えることは、心に穴をあけるのに近いと納得した。実際、私の場合は現役の時と同じ仕事内容で年毎に軽減していったから移行はスムーズであった。
クリアに変わったのは給与面であったが、これは業務内容から見て当然である。社会とつながる充実感を得ながら続ける仕事としては十分である。それよりも、頭と体を動かすことで得られる、実感を大切にしたい。
今年も仕事を与えられ、畑や園芸が出来ることを感謝しながら過ごさなければ、と思う。
6/4(土)曇り時どき降雨、午後快晴 園芸草刈りなど
1:00起床。文献チェック、録音データ整理、蓄積データ整理、その他いつもの如し。8:00草刈り5回目、畑、庭の東側、ガレージ他掃除、枝豆直植え。キウリの支柱補強都枝の固定。ダリア仮植えで発芽し始める。微睡、新聞チェック、読書、書斎整理、音楽関連録画確認視聴。19:00夕食、20:30就寝。11530歩。敷地内ウロウロだけでこれほどの歩数。
退職12年目 退職時の感想(4) 仕事がある、ということの意義
退職12年目を迎えて、改めて働く、ということについて考えてみた。
結論は、私は温室の中で過ごしてきた。恵まれていた、と言えよう。それなりに努力し、真摯に業務をこなしてきたが、振り返ってみれば私は世の荒波に揉まれた経験が少ないと言う点で私の劣等感の一つになっている。
それを一番強く感じたのは田舎の中学の同級会であった。みんな別々の世界で、強くたくましく生きて来たという自信が各人の表情から読み取れた。一方、新潟大学医学部の同級会ではそんな感覚には至ることはなかった。
もし私が若い頃に、「働くことに、仕事に意義を見出せない、いや、まったく魅力を感じない」、という現在の一部の若者達と同じ考えを持っていたら、どんな人生を描いたか、全く自信がない。生きるためには努力はしたであろうが、自分の軟弱な性格から見て何度も壁に突き当たっていた可能性は否定できない。
就職したり、働く意欲がない若者が増えているようだ。
何でだろうか。もちろん、それは、ごく一部の若者だろうし、多くは、仕事に意欲を持ち、 日本社会を変えたいという大志を抱いているだろう。 いや、それ以上に社会の仕組みが変わって若者の置かれている現状は私が若い頃とは全然違う。厳しさを増しており、若者は先が見え難いプレッシャーの中で喘いでいるのだろう。だから、一方的に批評はできない。
各人の生き方はその人の自由だし、「働きたくない」というのも、その人の自由だ。そうは言っても、現実には生きていかなければならない。そのためには収入が必要。収入がなければ生きる上の「糧」と「自由」はどうやって手に入れるのだろう?
人は社会の中で自分の「居場所」が必要で、そこを起点に社会と関係を持たなければならないが、これについてはどう考えているのだろうか?
小中高、大学、そのほかの学業を通じて、私たちは自動的に「居場所」を与えられてきた。 学業は大変だけど、入り口のところさえパスすれば、あとは、受け身でいても、ずっと、自分の椅子が与えられる。
2020年度の大学進学率は過去最高の54.4%になった。これに短期大学、専門学校、高等専門学校を合わせた高等教育を受けているのは83.5%。女性の大学進学率増加が目立ち、全体を押し上げている。少なくとも20歳近くまで、あるいはそれ以上の年齢まで大部分の若者は「学生」として保護されている。
卒業したら、 次の居場所は、自分でアクションをおこさなければ得られない。仕事に就くことは自分の次なる「居場所」の設定なのだと私は思う。
社会と自分とを結ぶ「居場所」がないということが、 どんなに恐ろしいことか。
一言で言って、「居場所」がなければそこに生きる「自由」も得られない。
私自身、この歳になるまで「居場所」を失くしたことはなかったが、常に潜在的に不安と恐怖感を持っていた。その不安感が私を助けていた。保身のための消極的な生き方でなかったのか?
自分で言うのも何だが、嫌な性格と思う。
6/3(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:00起床,文献本読み。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。9:10大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。午後の駅は混雑。15;30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チェック。家内は勉強会、18:32バス帰宅、夕食は家内を待って20:20、21:00就寝。歩数計9609歩。
退職12年目 退職時の感想(3) マイナンバーカード申請に手こずる
退職時に各種の手続きに難航した。その近辺の事務処理を思い出すのも辛いが、最近手こずっていつのがマイナンバーカードの申請である。
3月30日に私、家内、賄いの石井さんに対して「マイナンバーカード交付申請のご案内」という封書が届いた。今まではあまり必要性を感じていなかったが政府も普及を図っているようだし、健康保険証としても、そのほかの手続きに使用できるということであった。言われてみれば三人ともいつ人生の終焉を迎えるかもしれず火葬などの際にも求められる可能性があるので今回申請しようと考えた。
私は多くの手続きを無視する方であるが、今回はちょっと前向きの捉えてみた。
私が三人分の手続の大部分を代行したのであるが、2回受理できないと返送されて、6月上旬の時点でうまくいっていない。現在3回目に挑戦しているところである。
今回の申請は、令和3年10月31日時点でマイナンバーカードを持っていない75歳以上の方に、QRコード付き交付申請書がお送られたものである。
申請方法として以下の二方法が提示された。
(1)マイナンバーカードの申請には、スマートフォンやタブレットによるオンライン申請が便利です。 顔写真データをご準備のうえ、同封の交付申請書にあるオンライン申請用QRコードを読み取ってください。
(2)郵便によりマイナンバーカードを申請する場合には、ミシン目で交付申請書を切り離し、事項をご記入のうえ、同封の返信用封筒をお使いください。
まず(1)を試みたがうまくアクセスできず、数日間何度か試みて諦めた。私は概してオンラインの手続に難渋する方で、どちらかといえば嫌。早々に諦めた。
ついで(2)の方法を試みた。記載すべき内容は簡単でありこれには間違いはないと思われるが、顔写真に関して、●正面を向いていない、●背景が真っ白でない、●顔以外のスペースが狭すぎる、●やや暗すぎる・・・・などとのクレームがつけられて返送されてきた。
私の目ではそれほど悪くはないと思われるが、判定する立場では受け入れられないだろうと納得し、撮影し直して添付したが今日の時点で私の分だけ受理不可として戻ってきた。家内と石井さんの分は受理されたのだろうか??それもまだわからない。
感想として、判定が厳しすぎるのではないだろうか、と思った。ちょっとやる気がなくなった。こんなに厳しければ申請の時点で頓挫し諦める申請者も少なくないと思われた。
試しに、診療を手伝ってもらっている中年女性のカードを見せてもらった。彼女は市役所の申請コーナーで手続し、写真も撮ってくれたという。それを見ても私が添付した写真は決して規格から外れていない、と思った。
私の感想はあくまでも感想であってクレームのつもりはない。各種の申請手続きが不得意な者の愚痴のレベルであるが次回の足がかりのために一言述べた。
6/2(木)降雨 午後飯川病院
1:30飯川病院起床,午前フリー、新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。7:00検食。読書。11:30徒歩ブックオフ広面店、3冊購入、いきなりステーキに初めて入り昼食、14:00飯川病院勤務、入院患者処置。録音データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計10099歩。
退職12年目 退職時の感想(2) 退職には難しい手続きが待っていた・・・
退職する手続きは難しかった。11年前の苦労を思い出した。
私は社会常識に疎かった。給与明細書にはいろいろ書いてあるが、深くは見たことも考えたこともなかった。全て無関心、信用していた。
退職は簡単だ、と思っていた。私物を片づけ、たんに職場に行かなくなればいい、その後のことは人事課がやってくれる。 そう思っていたが、甘かった。実に甘かった。
人事課で退職関連の説明してくれる、という。 説明が必要なほど複雑なことなのかと訝りながら説明を聞いた。
まず、退職後の健康管理の説明を受ける。退職後の私の身体を心配してくれているのだ。日本は素晴らしいね。でも、健康のことは運にまかせるしかないと心に決める。
婚活、就活、終活の仕方、遺書の書き方、寺や墓の選び方、死亡届の出し方、相続についての説明はなかった。
引き続き、退職金、年金、健康保険の説明があった。社保?国保?選べという。なんで??というレベルで聞いていた。
説明を聞いて、社会の経済的仕組みの複雑さが分かる。退職金にしても算出方法が複雑な上に、算出の基礎になっている項目の意味と金額が分からない。いくら複誰でも、 中学生でも理解できるレベルでなくてはならないはずだ。私にも三割は理解できるはずだ、と思ったが実際にはわからなかった。言葉の意味も、説明に使われる単語も分からず諦めた。 計算する人を信用するしかない 。
年金はさらに難解だった。 いくらもらえるのか、皆目分からない。 年金には色々な種類があるが、もし複雑に転職を繰り返していたら、年金をあきらめるしかないところだった。 受給手続きの仕方も分からない。もしかしたら、わざと難しくして支給を減らそうとしているいるのかと勘繰ってしまった。退職後一定程度の収入があると支給が停止されることなど、退職後何年も知らなかった。慌てて年金機構に相談したが、停止が戻ることはなかった。
年金や保険の手続き代行ビジネスがあればそこに頼みたいほど。 ただ、代行業者に依頼するにも複雑な手続きが必要になり、その手続きを代行してくれる人を探すことになってしまう。 それほど複雑である。
健康保険も複雑だ。 退職者医療制度とか任意継続組合員制度とか、難解な制度が何通りかある。こういう難解な制度で世の中がよく動いているものだと思う。
説明を聞いて、分かり難いということだけはよく分かったが、それで終わりではなかった。 退職の手続きが必要だ。 何をするにも書類は必要だが、退職も例外ではない。相続にも、入学にも、生まれたり死んだりするにも、墓に入るにも書類がいるのだ。
書類を10枚以上提出した。苦労して記入した。数日後、記載漏れと書類不添付を指摘され、再提出ということになった。
退職までに手続きをすませられるかどうか不安になったが、なんとか間に合った。
勤務中に居眠りするのに書類がいらないのがとてもいい。眠気が飛んでしまう。
6/1(水)快晴 散髪 ブックオフ土崎店 午後飯川病院+当直
1:00起床,データ整理。午前畑庭見回り、ほぼ順調。家人に送られ10:00散髪3Q理髪、ブックオフ土崎店、8冊購入、12:30バス飯川病院。入院外来患者対応、本読み、自炊データ整理。17:00当直業務、18:00検食、20:30就寝。歩数Σ4679歩。
退職12年目 この11年の感想(1) 振り返ればパラダイス期間を過ごしている
2011年5月末日社会医療法人明和会を退職した。
「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性社会害の一人」、「もう私は医師として有用な役割を果たしていない、必要ともされていない」・・・などと発言してきた私は、現在も嘱託医師として働かせていただいている。
ちょっと言っていたこととやっていることと矛盾しているので内心忸怩たるものがある。ただ、秋田県は相変わらず医師不足、加えて法人も医師不足である。かつて共に働いた内科医師も次々と定年で退職したが、その中の6名が嘱託医師として働いている。
明和会からいつ労働契約解除されても良い状態である。
飯川病院の方は病身の院長が在任している間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第で明日のことはわからない。飯川病院では作業員としては有用の評価らしい。
診療以外に患者、スタッフと言葉を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、私としては自由時間が豊かな、とても有意義な、日々を過ごさせてもらっている。人生の最終コースに入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。
私は最近、加齢や体調不良もあって体力も低下し意欲が乏しくなった。週に何回か歩行する時間をいただいている。
こんな私であるが、私は学資負担はほとんどなく税金で医師になったから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
近況。
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■ホームページ:更新が負担になった。まだ更新を欠かした日はないが今後、更新できない日が増えていくだろう。
■徒歩通勤:体調不良もあって全コース歩行は月に数回しか出来ない。その分、日々こまめに歩いている。目標は1万歩。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく北海道が終了する。焦らずゆっくり歩きたい。
■通勤の交通手段:運転免許を返上したので往路はam6:40バス。復路は家内に同乗。
■岩手県への復興資金:収入減で減額したが続けている。
■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊などなど。長年の蓄積あるからやめられない。
■読書欲が亢進。
■園芸:野菜、花壇づくり。負担になりつつある。
■体調不良:ちょっと無理すると動悸息切れがある。職員健診で再検査項目が数項目あったが、再検査では幸い許容できるレベルだった。筋力は相当落ちてきた。
■視力低下;iPad、パソコンの画面を舐めるように見ている。
■体重コントロール:難渋。ブタ!!みたいだ、と言われても腹も立たない。ブタに悪いとは思う。
■終活:嫌になったが、コツコツと進めている。
■緊張感の少ない生活:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ時間などが増えた。
■などなど・・・・。
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まあ、いろいろある。
今は最小限の業務しかできないが、求められる責任の範囲で果たしていければいい、と思っている。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |