徒然日記
2022年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



5/31(火)曇り午前から降雨 外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:40-13:15中通病院外来。13:30飯川病院、ボランティア、微睡、読書、新聞、文献読み、19:00通町書店経由帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8697歩。
国会の質疑を聞いて(2)   国会にふさわしくない質疑も
 岸田首相がかなめの疑問には答えず、お定まりの説明に終始するだけでは、とても議論は深まらない。野党の「問う力」も物足りなかった。

 ロシアのウクライナ侵攻に対する岸田首相の対露経済政策のは確かに早かった。
しかし、これはEUや米国に追従しているからであって日本独自の部分は少ない。

 今回、野党と対立する恐れのある「出入国管理法改正案」の提出を見送ったが、まだ2週間も会期が残っているのに、死者まで出ている入管行政の議論をしないのは何故だろうか。そんなに立法のスケジュールが密なのか??
 首相は「スピード感を持って・・」ともいうが、そのイメージはない。「後回し」感が勝る。

 国会に相応しくない質疑もある。
 「首相にとってしあわせとはなんでしょうか??」、「先ほど答弁されたことに関して首相の決意を述べてほしい」、「・・・」など、国会の場で語る必要もない応酬が見られる。それに対して首相は「私にとってのしあわせとは・・・」と淡々と述べていた。私なら「そのような質問には、あるいはご要望は、国会の場ではお答えできません。もっと大事な議論を!!!・・・・」と答えるだろう。

 総額2.7兆円の補正予算の1.5兆円は、支出時に国会の議決を必要としない予備費である。衆参2日ずつの予算委員会で型通りの審議に終わりそう。

 ロシアのウクライナ侵略や厳しさを増す東アジアの安保環境を受けた安全保障・防衛政策には説明回避が目立った。
 諸物価高騰では補助金を考える、というが財源についてもなんら語らなかった。

 審議の充実には、野党第1党である立憲民主党の責任も重い。現政権の政策に対する厳しい吟味をおろそかにせず、論点を明確にすることが求められる。

 国会の会期は残り2週間。党首討論も行うべきだ。

5/30(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。6:40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック11名+結果判定10名。11:415飯川病院、微睡、読書など。14:00-18:00飯川病院勤務、入院患者対応。18:00徒歩でドホーテブックオフ 7冊購入、家内に拾ってもらい17:10帰宅・夕食、21:30就眠。Σ9722歩。

国会の質疑を聞いて(1)   岸田首相は「受け止め」、「後回し」が得意の方
 私は国会の質疑応答を聞くのが好きである。NHK-AM第一放送、いつの間にかR1と称するようになった、を常時蚊の鳴くほどの音量で鳴らしているので適宜音量を上げて聞く。

 第208回国会は、2022年1月17日からの通常国会である。会期は6月15日までの150日間の予定。
 夏の第26回参議院議員通常選挙を控えて、COVID-19対策やロシアのウクライナ侵攻、物価高対策の成否が問われる重要な国会となる。だから面白い。
 物価高騰の「緊急対策」に使う予備費の積み増しなどを盛り込んだ今年度補正予算案が討議されている。間も無く衆院本会議で可決する予定となっている。

 「防衛費増額」,「子ども政策予算の倍増」と予算拡充を強調する岸田首相は、肝心の財源を語らない。首相は日米首脳会談で、バイデン米大統領を前に、防衛力の抜本的な強化に向けた「防衛費の相当な増額」を表明した。それについては、「防衛力強化の内容と金額、財源の3点セットでしっかり議論を行っていく」とし、質疑の中では具体的には語らず、今後の課題と位置づけた。また国債頼みになるだろう。

 時に質疑が噛み合わず空回りしたりすることもある。聞いていてイライラする。激しい応酬になることもある。昨日の共産党小池氏の防衛問題に対する質問は熱気を帯び、首相を激しく攻めたてていた。その際も岸田首相は檄することも無く、早口にもならず淡々と答弁していた。
 少なくとも安倍元首相、菅首相の答弁とは一線を画する落ち着きである。同じような質問が各党から繰り返されるのは聞いてて不快だが、それに一つ一つ答えていく総理の心中はいかほど苛立っているのか、と思う。意外と、お顔は能面に近い無表情であるから、あまり感じていない??と思うこともある。

 岸田首相は自ら「聞き上手」であるとしているが、決して「説明上手ではない」ように感じる。冷静で理路整然としているような印象であるが、パターン化し、一定の論旨から外れることは少ない。要するに、核心にせまるような答弁はしていない。のらりくらりが多い。だから、揚げ足を取られることも少ない。

 岸田首相が答弁で「認識しております」、「謙虚に受け止めます」 「引き続き考えていきたい」という言葉を頻用する。 質問内容を受け止めているだけで本心を明かさない。
 7月の参院選まで無難に乗り切れば、今の野党相手なら勝てる、という戦略がにじみ出ている。

5/29(日)晴れ 飯川病院日直 畑に支柱
1:30飯川病院で起床、本読み、文献チェック。10:30回診に来た家内に同乗帰宅。11:00畑に支柱立て。のど自慢後微睡、14:00支柱に茎枝を固定、一安心。16:30録画チェック、視聴。18:30散水。19:00夕食、20:00就寝。Σ8400歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(10)  東北絆祭 ブルーインパルスを窓から見た。
 東日本大震災からの復興を願い、 東北6県を代表する夏祭りが集う「東北絆まつり」が5月28日、秋田市八橋運動公園で2日間の日程で開幕した。 2016年まで東北各県で開かれた「東北六魂祭」の後継行事。COVID-19の感染で開催が途絶えていたが、COVID-19対策の緩和もあって今年は久々開催となった。

 新型コロナウイルス感染予防策の一環でパレードの観覧は事前申込制とした。会場入り口では検温が行われ、手ゆびの消毒も促した。2日のまつり全体の来場者は主催者発表で4万万5千人。ちなみに2015年の東北六魂祭りは秋田開催で山王大通りがパレード会場となったが25万人の来場者があった。

 ソユースタジアムでは2万人の定員に対して一日八千人に抑えられた。28日昼にはブルーインパルスの飛行もあった。夕方に始まったパレードには約900人が出演し、秋田竿燈まつりをはじめ6県の祭り華々しく共演した。

 「東北絆まつり」は東北6県の実行委員会の主催。

 私は飯川病院の日当直が当たっていた。
 会場に行く気は起きなかったが、もしかしたらブルーインパルスを見れるかもと期待していた。
 私は関心があって書籍(武田頼政著:ブルーインパルス 文春文庫)や画像としては何度か見たことがあるが実際にはまだ見たことはない。6機編成で3回ほど窓から短時間垣間見ることができた。編隊飛行は実に力強く迫力があった。

 ブルーインパルスは航空自衛隊の曲技チームである。1964年、東京オリンピックの開会式で、青空に「五輪マーク」を描く妙技で、その存在感を強烈にアピールした。超音速練習機T?2を使った2代目ブルインパルスが発足した1982年、浜松基地航空祭で7万人の観衆の前で演技中の1機が墜落しパイロットが死亡するという惨事があった。
 空軍の曲技飛行は、一国の軍事的抑止力や国力(経済力や技術力)を跨示することにある。他方で、現実の空中戦闘では行わない密集隊形などを演じる「命がけ」の世界でもある。

 私は飛行機自体は乗りたくはないが、現実には乗らざるを得ないかった。200回ほどは利用しただろうか。それだけに飛行機についての興味は尽きず、今でも勉強を続けている。

 窓から垣間見たブルーインパルスの勇姿は素晴らしかった。

 ちなみに、自宅で見た家内はスクランブル機と誤解し、〇〇国が攻めて来たのでは??と恐ろしさを感じた、という。早とちりも甚だしい。

5/28(土) 曇り 飯川病院日当直 東北絆祭のブルーインパルスを見た
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。8:30家内に送られ飯川病院に。9:00日当直業務に就く。入院患者は落ち着いている。新聞チェック、自炊3冊。読書、微睡など。12:00、18:00検食、13:40-14:00東北絆祭のブルーインパルスを窓から見た。6機編成で3回ほど横切った。読書三昧、20:30就寝。歩数Σ3346、部屋に篭ったきりで運動不足。
COVID-19(2022)オミクロン株(9)  成人はME/CFSに、学童・若者はうつ病になることも
■ME/CFS
 後遺症が残った方のうち、専門病院で筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS) と診断されたケースもある。 
 ME/CFSは、重症急性呼吸器候群(SARS)などのウイルス感染後に集団発生した過去がある。 運動すると悪化する特徴がある。
 ME/CFSでは場合、感染後に強い体の痛みや激しい倦怠感が続きほぼ寝たきりになったり、職場復帰が困難だったり休職を余儀なくされる場合もあるらしい。
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 ■うつ症状
 小学校高学年から中学生の1~2割にCOVID-19感染症が改善した後でうつ症状が見られたことが5月5日、国立医療研究センターの調査で分かった。

 調査は2021年12月、無作為抽出の郵送と、任意のインターネットで実施。小学5年生から中学3年生の子どもとその保護者計約5.400人から回答を得た。
 その結果、郵送では小学5~6年生の9%、中学生の18%に中等度以上のうつ症状が見られた。インターネットでは小学生の18%、中学生の22%と高かかった。

 また、自分にうつ症状が出ても「誰にも相談せず自分で様子を見た」と答えたのは、小学5~6年生で25%中学生で58%と、学年が上がると抱え込む傾向があった。

 保護者への郵送調査では、自分の子どもにうつ症状が出た場合「病院は受診させず様子を見る」が20%だった。
 同センターの森崎研究部長は「コロナの長期化でストレスが高い状態が続き、保護者も余裕がない可能性がある」と指摘。 いらいらしている、朝起きられないなどサインに気付いたら「まずは子どもの話を聞くことが大切。必要と感じたら、保護者はためらわず相談や受診をさせてほしい」と話している。
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 2020年3月ごろから、オンライン診療も含めて3.800人以上の患者を診察してきた東京のヒラハタクリニックの平畑医師によると、患者が訴えるだるさ、倦怠感はひどく、歩けなくなり、トイレに行くのがやっとという人が大勢いるとのこと。
 それまで元気だった人が突然動けなくなり、いつ治るかが分からない。想像を絶する苦痛の様子。複数の患者の自死を経験した、という。

 国立国際医療研究センターの調査で、感染した患者の25%が、半年後も後遺症があったとのデータもある。

 感染後のうつ状態を含め、COVID-19後遺症は広範な症状であり発症メカニズムはまだわかっていない。しかしながら、所定のワクチン接種を受けた人の後遺症の発症は半減するという研究もあることは疫学上重要な知見である。

5/27(金) 雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア   
1:00起床。早朝から降雨、こういうのを恵みの雨。大地を潤し植物を育てるから恵雨というらしい。文献、自炊データ整理、読む。5:00ゴミ出しは降雨のために出さず、準備のみ、7:30Taxi、8:11こまち。大曲駅病院降雨のためにTaxi。9:00大曲外来。書店訪問 15:30飯川病院、疲弊微睡、19:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ6224歩数。

COVID-19(2022)オミクロン株(8)  病態不明、厄介な後遺症
 私は第一線の医療には参加していないためにCOVID-19感染者を診療することはないが、先日、その後遺症も考慮しなければならない患者??が受診した。結果的にはうつ状態と判断したが、罹患前からある症状なのでCOVID-19関連性は否定的であった。

 COVID-19後遺症は、感染が回復した後も色々な症状が数カ月以上続き、他に明らかな原因のない状態全般を指す。

 症状のうちには、感染の早期から続くものや、途中から生じるものがある。 だるさや筋肉痛などの全身症状や、せき、息切れといった呼吸器症状のほか、記憶、味覚、嗅覚の異常などがある。 うつ状態に陥り、倦怠感等で社会復帰できず日常生活に影響する例も出ている。

 厚労省研究班の研究班は、COVID-19症で入院した人のうち約10%は、退院から1年たった時点でも後遺症を抱えている、との調査結果をまとめた。
 COVID-19感染症が中等症以上だった約700人を分析した結果から明らかになった。最も多い症状は筋力低下で、分析対象者全体の7%ほどだった。京都市で開催中の日本呼吸器学会で4月23日発表した。

 その中で、研究班の代表の横山高知大教授は、「時間と共に症状を訴える人の割合が減っているものの一部の方々には後遺症が長期間残っている。後遺症には確立した治療はなく、感染しないことが重要」と指摘した。 後遺症のことも配慮し、感染対策の徹底とワクチン接種を呼びかけている。

 研究は2020年9月~21年7月に中等症以上のCOVID-19感染で入院した人を対象に、その後の状況を調べた。経過を把握できた693人のうち、退院の1年後も医療機関を受診し、後遺症の可能性と確認された人が9.8%いた。

 主な症状別は以下のごとく。複数の症状を訴える人も見られた。

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●筋力低下         7.4%
●呼吸困難                   4.4%
●関節痛                       4.0%
●だるさ                       3.5%
●思考力・集中力低下 3.5%
●嗅覚異常                   1.6%
●味覚異常                   1.0%
●CT検査データがある人のうち、1年後に肺にも影 5.1%

※厚生労働省研究班

5/26(木)快晴 当直明け午前フリー  午後飯川病院 畑のために早退
 1:00飯川病院起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄、微睡も。午前は病院で業務、12:00-14:00院長会議、留守役。14:00入院患者処置、その後年休扱いにしてバスで帰宅、陽が翳るのを待ってネギ、里芋を植えた。雨がしばらく降らないので土がひどく乾燥、固くて難渋する。18:30なんとか終了。19:00夕食、20:30就眠、9493歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(7)  マスク着用基準(2) 一人で屋外での感染はゼロなのに
 マスクに関して、着用ルールを示してほしいという意見があり、着用が求められる場面を政府が個別に例示した。

 我が国では、なんでもかんでも指針、マニュアルである。マニュアルは思考停止の道具である。
 マスクの装着の国の指針?? まあ「親方日の丸」的、「長い物には巻かれろ」的思考、借り物の知識で正義を叫ぶ「同調圧力」的思考を好む人が多い日本人の特質・・・を考えると、マスク装着に指針、マニュアルを求める気持ちはわからないわけではない。

 2年ほど前の写真で、鳥取砂丘を一人で旅行していた観光客がしっかりマスクをつけていたのを見てがっくりきたことがある。これぞ日本人の特質を象徴している、と思った。現在でも屋外で一人でいる時もほぼ100%の人がつけている。

  オミクロン株は重症化しにくく、ワクチンを3回接種した人も増えたし、熱中症の頻度も増える。このことから「外で一人でいる時にも必要なのか」という声や、顔を隠す社会が子どもの発達に悪影響があるのではないか、と心配する声もあった。

 本当はマスクの機能を知って自分で考えればいいのだが、国民の声に弱い岸田首相内閣はマスクを外せる場面を具体的に示そうと判断した。

 基準としては「屋外か屋内か」、「人と2m以上離れているか」、「会話はあるか」、という要素の組み合わせで8パターンに分けた指針を公表した。

  要するに、屋外では、近くで会話する場合を除けば装着は不要。 例として、散歩やど、ランニング、徒歩や自転車での移動など。例えば電車の中では、引き続きつけるようにとしている。

 屋内でも3蜜でない図書館や美術館などでは、会話しない状態での読書、鑑賞時には外せる。

 しかし、この指針を見る限りマスクを外す人が増え、感染が再び広がってしまうことは避けたいという政府の弱腰の本音が見えるようだ。

 商業・娯楽施設といった屋内での一律着用も不要だろう。映画館やクラシックコンサートなど、もともと「会話のない」静かな空間なら、徹底した換気を条件に外して構わないのではないか。咳エチケットとしての配慮は当然必要。

 公共交通機関の利用でも、飛行機や新幹線では乗り降りする際を除き、マスクの有無で感染リスクに大きな差はないだろう。この辺はしっかりとした疫学調査があるのではないか。

 マスク着用は2020年春に「新しい生活様式」として手洗いや「3密」対策と併せ感染予防の要になった。なんでマスクが感染防御に効果があるのか、などについては若干の基礎的、科学的知見があったが、2年が経過したいま、最新の疫学的知見から見直すべきであろう。

 私は、換気が悪い閉鎖空間の、3蜜状態では会話の有無にかかわらず着用すべき、と思う。会話のない広い空間では不要。ただ、ひたすら正論を吐く社会の「同調圧力」が働くような環境ならトラブル回避のために着用するのが良かろう。対応が面倒だから。

 6月以降、外国からの訪問客が本格的に入ってくる。ルールが具体的でないと、観光地などでトラブルを招くだろう。

 医療機関や老人保健施設等では施設の方針を明確にしておくべき。

 COVID-19問題とは別に、人の鼻や口からはいかに無数の粘液粒が飛び出しているかを認識することが先決である。会話しながらの調理など、私には辛いシーンである。

5/25(水)快晴 午後飯川病院勤務   COVID-19ワク接種担当   飯川病院当直
 1:30起床。早朝は新聞・文献読みと座作業中心に。8:00畑花壇に散水、ダリアの仮植え10株ほど。DIY店煮てネギ、里芋、枝豆を購入、明日植える予定。11:00家人に送られ飯川病院、院長ゾンタの昼食会で外出。留守役。14:00-15:00 COVID-19ワクチン接種担当、外来入院患者対応、美術系読書中心。17:00当直勤務、18:00検食、20:30就眠、Σ6251歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(6)  マスク着用基準(1) 私は基本的につけない
 COVID-19対策の行動制限が解かれて2カ月になる。
 感染は急拡大することなく落ち着いている。そうは言え世界の感染者は5億人を超え、死者は620万に達した。国内の感染者数は5月13日現在840万、死者の累計は3万人に達している。

 オミクロン株は弱毒化の傾向にある。
 厚労省は5月13日、茨城、石川、広島のデータに基づき、第6波の重症化率を公表した。 それによると、60代以下は1%未満、70代は2%、30代は4%超 、30代以上は6%超。 デルタ株が主流の昨年7~10月時の状況より大きく下がっていた。

 重症化リスクが低く、不顕性感染も多く見られるオミクロン株では、感染者数に焦点を当てた対策は実態を必ずしも反映しない。重症者中心の疫学調査に転換すべき、と考えられるが、この3年間の疫学的蓄積は重要であり、今視点を変えてしまうことには抵抗もあるだろう。

 最近、高齢者の3回目のワクチン接種率も8割を超えた。仮に感染者数が増えても重症者は少ないという傾向は強くなっている。
 我が国ではPCR陽性と判断された時に感染者と判断して毎日蓄積しているが、陽性者はなんらかの症状があったり、クラスターの濃厚接触者として検査を受けているのであって、無症状の感染者はこの数倍は居るのではなかろうか。従って、大幅な行動制限による感染防止対策は意義が乏しくなる。

 WHOは立場上慎重な判断をしている。新たな変異株が出現した場合など世界の公衆衛生リスクは依然として非常に高いとしている。

 欧米先進国国では日常的にマスク文化はない。
 マスク着用はCOVID-19対策として法的に強制されていたが、最近はほとんどの国で解除された。
 国内でもそろそろマスクを外せないかとの声もあり、国民の関心は高い。 

 マスクの着用云々の前に再確認しなければならないのは、人間の行動に関連して生じる鼻や口から排出される粘液粒の飛散状況である。
 特にCOVID-19、インフルエンザ感染などでは重要な意味がある。

 人は静かに呼吸をしている限りは鼻や口からの粘液粒の排出はほとんどないと考えられている。しかしながら咳嗽、くしゃみ、会話、摂食中などには粘液粒の排出が大幅に増えることがわかっている。特にクシャになどでは数mも飛散する。

 マスクはそのような時に粘液粒を飛散させないような機能がある。しかしながら、その機能は完全なものでなく、不織布で粘液粒の捕獲もするが、空気の流れを変えて遠くに粘液粒を飛ばさない効果の方が大きい。

 一方、マスクは病原体の吸引抑制効果はそれほど期待できない。顔面とマスクの隙間から空気が出入りしているからである。
 このマスクの低機能を考えればマスク着用の条件などは自ずから決まってくる。

 私は、他人の目を意識して着用するが、一人の場合は通常はマスクをつけない。

5/24(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床、畑、花壇ダリアに散水。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院着。8:45-13:00中通外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡、入院患者対応なし。文献読み、読書など、散水。家内はWeb学習会、19:50帰宅、夕食、21:00就眠、歩行計Σ9126歩。

新年度(2022)スタート(2) 5月の日当直から これでも時間外労働で寄与している 
 私は医師として最小限と思われる勉強は続けていて、医療の時代の流れにヨロヨロ・ヨタヨタと付いていっていると思ってはいるものの、救急患者などへの対応力は100%失ってしまったといえる。こんな私が医療の前面に出ることは社会にとって迷惑どころか犯罪行為である。

 今担当している通常業務は、■月曜午前:人間ドックの診察と結果判定、■火曜午前:中通総合病院外来、■月曜午前午後:大曲中通病院の外来、■月曜水曜木曜午後:飯川病院の診療、がメインである。
 外来では長く経過を見ているおなじみの患者が中心で新患は殆ど診ない。

 飯川病院は入院患者30-40人ほどの療養型病院で、勤務日以外もボランティアとして院長の診療の補助をしている。花の世話などが中心で、医師としての働きはあまり期待されていない。

 飯川病院の時間外勤務、即ち日当直業務においてはそれなりに寄与しているのではないかと考えている。
 下記の表は大型連休があったためにやや特殊だが今月の私の担当表で当直8回、日直7回であった。他の月はこれより若干少ない。日当直医の業務は入院患者の緊急時の対応が主である。拘束感はあるが今の私には適している、と言えよう。


(飯川病院の時間外勤務の担当表2022年5月 私の担当以外は秋田大学、赤十字病院、中通総合病院の医師が担当)

 医師不足の秋田県、法人等にとってこの程度の業務量ながら、医師免許を有しているものとしてまず相応しい寄与度だと自認している。特に子育て中の若い医師たちに余力を与えていると思われる。

 最も多忙であった時期に比較すれば1割程度の業務量であり、高齢医師の晩年の姿としては恵まれた業務環境にあると言えよう。

5/23(月)くもり快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床。歩数計電池交換、データ整理、読書etc。6:40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック9名、レ線判定6名。11:15飯川病院、検食。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、微睡。15:30-17:30許可得て歩行に、千秋公園、久保田新橋、ひらのや書店。家内はゾンタ、19:00バス帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ15053歩。

こころと体2022(57) いじめ(25)   厳しい学校、教師の立場(4)   実は私も辛かった 
 前出の書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」の購入のきっかけは、当時私も多忙を極めていたから厳しくなってきているという噂のある教育界の労働実態を知りたい、と思ったからである。

 本書の内容には共感できたが、自分の置かれている立場に比較して「まだ大した事ないじゃないか・・・」、と感じたものである。

 ただ、この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になって今に繋がっている。貴重な文献となっている。

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 ■なりたて医師の頃、岩手県宮古市の県立病院に2年間勤務したが、医師不足のためにほぼ病院で寝泊まりし、洗濯などのため宿舎に帰るのは週1-2回程であった。勤務時間などはほとんど意識の外にあった。

 ■その後13年秋田大学内科に勤務したが、当初は固定した給与もなく日雇扱い。週末には地方の病院の当直などで生活を維持した。結構忙しく、19:00頃に一旦帰宅し、子供を寝かせつけてから再度出勤し、22:00-2:00頃まで病院で過ごした、という生活パターンであったが、流石に無理で住み込みのお手伝いさんを得てその後は業務に集中できた。
 数年後助手になって給与なるものをいただいた。
 当時の大学は無給医局員(?)の労働力で成り立っていたし、地方の病院のいくつかは大学からのバイト医師で維持されていた。当時の大学医学部は、権威を背景に向学心にもえた若い医師の労働力を搾取する、ブラック企業そのものの体質であった。

 ■中通総合病院では徐々に業務が増え、管理者になった頃は、院内の会議等、入院患者40名ほど、外来診療週5回ほどを担当し、週2回の人間ドックを担当していた。さらに県医師会の常任理事、副会長を務め、日本医師会の委員会のメンバーでもあった。また、県の各種の委員会の委員あるいは委員長を務め、感染症の分野ではTV出演も頻回、講演も頻回であった。また、会議等の東京出張が月に3−5回あり、原稿の締め切りにも追われた・・・。

 この時期には、通常の勤務時間では到底対応困難で、am1:00-2:00頃起床し持ち帰りの業務をこなし、5:30頃出勤、21:00帰宅を目標にしていた。休日は半日以上は病院で業務の処理を行い、年間を通じて完全に休めたのは数日程度だったと思う。
 この頃の息抜きは医師会関連の東京出張、学会出張であった。この時は新幹線車内、空港、ホテルで残務をこなしたが、病院を離れられることが最大の息抜きになった。
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 私のこの激務は私の融通のなさの蓄積結果である。他の医師と仕事を分担し合うのを嫌い単独行動を好んだので徐々に業務が増える一方であった。
 私の性格が招いた、自己責任的と言えるが、もうその当時の状況に戻るのはもちろん不可能だが、思い出しても辛さが再現される。

 私は、教員が置かれている実情について詳しくはないが、門外漢の一人としてその厳しい実情に対して共感できる部分がある

5/22(日)曇り時々晴れ 飯川病院日直 
 1:00起床、データ整理。徒然、昨日に引き続き9:00日直業務に就く。読書中心。微睡。15:00-16:30院長来院、許可得て外出散歩、広面ブックオフ 10冊購入。新聞チェック入力、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。Σ8520歩。

こころと体2022(56) いじめ(24)   厳しい学校、教師の立場(3)   教育界の自浄能は??
 教師の就業環境が厳しいことは最近になって知られたわけではない。私が教師の苦境を知ったのは、書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」によってである。出版直後に購入したもので、当時私も多忙を極めていたから内容的には共感できた。
 この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になった。

 この書籍の内容を目次から小項目で紹介する。
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第一章 学校の先生は休めない・・
 ●教師は一日何をしているか ●朝から目が回る ●昼休みもない ●放課後が消えつつある ●先生は一日も休めない ●授業の合間に何をしているのか ●いまだに学校は手書きの世界 ●掃除は、子どもや教師の仕事? ●食育給食の指導まで ●教師の一年間の仕事は超過密スケジュール ●対外行事が多過ぎないか?  ●夏休み・冬休みも指導がある●「職員作業」という雑役、出張もたびたびある ●飼育実習の生き物はほっとけない ●「年間指導計画」作成。●集金作業も・・・

第二章 子供たちも忙しい
 ●参考になるが省略・・・
第三章 今の学校はどんなとこ?
 ●全国一斉学力テスト ●取り組むほど真の教育から離れる ●個人情報保護法が壁に ●世論と教育 ●・・・・・

第四章 これからの提言
 ●人の繋がりの希薄化 ●教諭のストレスの構造 ●・・・・・
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 項目のみを抽出しただけでも目を引く。
 しかも、その内容が今の教師の置かれている立場とほぼ共通、またはむしろ悪化している様に思われる。

 要するに、10数年前に出版されたの書籍の内容と比較しても厳しい状況はほとんど改善していない。現場で働く教師、学校の管理者、教育委員会、文科省などはこの厳しい現状に無策のまま現在を迎えている。
 その結果が教育界の現状である。
 
 教師の就業環境が厳しいことは最近になって知られたわけではない。私が教師の苦境を知ったのは、書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」によってである。出版直後に購入したもので、当時私も多忙を極めていたから内容的には共感できた。
 この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になった。

 この書籍の内容を目次から小項目で紹介する。
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第一章 学校の先生は休めない・・
 ●教師は一日何をしているか ●朝から目が回る ●昼休みもない ●放課後が消えつつある ●先生は一日も休めない ●授業の合間に何をしているのか ●いまだに学校は手書きの世界 ●掃除は、子どもや教師の仕事? ●食育給食の指導まで ●教師の一年間の仕事は超過密スケジュール ●対外行事が多過ぎないか?  ●夏休み・冬休みも指導がある●「職員作業」という雑役、出張もたびたびある ●飼育実習の生き物はほっとけない ●「年間指導計画」作成。●集金作業も・・・

第二章 子供たちも忙しい
 ●参考になるが省略・・・
第三章 今の学校はどんなとこ?
 ●全国一斉学力テスト ●取り組むほど真の教育から離れる ●個人情報保護法が壁に ●世論と教育 ●・・・・・

第四章 これからの提言
 ●人の繋がりの希薄化 ●教諭のストレスの構造 ●・・・・・
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 項目のみを抽出しただけでも目を引く。
 しかも、その内容が今の教師の置かれている立場とほぼ共通、またはむしろ悪化している様に思われる。

 要するに、10数年前に出版されたの書籍の内容と比較しても厳しい状況はほとんど改善していない。現場で働く教師、学校の管理者、教育委員会、文科省などはこの厳しい現状に無策のまま現在を迎えている。
 その結果が教育界の現状である。

 最近は、学校の労働環境はブラック企業あるいはそれ以下の悪条件であるという評価がほぼ定着している。その結果とし、教員志望者、臨時職員の希望者が減少し、昨年の集計で全国の公立小中学校、特別支援学校で計2.600人の教員が不足していることがわかった。

 教員不足の理由として、団塊世代教員の大量の退職による若返り、それに伴う産休育休取得者の増加、精神疾患による休職者が年間の5.000人ほどと増加していること、さらに、教員志望者の減少がある。2020年度の小学校採用試験の競争率は過去最低の2.6倍であった。

 現場の問題点がこれほどで厳しく、かつ長期間に及んでいながら学校の管理者、教育委員会などはなんら問題改善提起してこなかったのではないか、と思ってしまう。門外漢の私の目から見て、そう思うが、内部にいる関係者にとっては別の考え方があるとは思う。

 多分、学校の管理者たちは、より若い時には教育環境の問題点や不満を感じていたと思われるが、管理者になって発言力が増すとその解決に尽力するのではなく、不満の抑制に向うのはなぜだろうか、と思う。
 これが人間までを変えてしまう組織の怖さである。

5/21(土)曇り晴れ 飯川病院日当直 
 1:30起床、データ整理。徒然、など。庭畑に散水。8:30家内に飯川病院へ。9:00から明日の夕方までの長丁場の日当直に就く。新聞チェック、入力、微睡。この間になぜか腰痛出現。安静保持、読書三昧、データ整理。12:00検食、その後座学、新聞入力、データ整理、読書。18:00検食、21:00就寝。Σ4450歩。昨年ダリアを本植え。キウリ・ナス・トマト苗購入。今年遅れているわけではない。

こころと体2022(55) いじめ(23)   厳しい学校、教師の立場(2)
 教育現場の生の声に耳を傾けて、学校・教育現場を、「いじめ」問題の解決が可能な状態にすることが大事ではないだろうか。学校・教育現場の問題点をこのままにしたままいくら学校・教育委員会を叩いても、子どもの命と尊厳を守ることはできない。

 ただ、学校は閉鎖的であり、私どもが直接教師が、学校が置かれている実態を知る事は出来ない。

 先日、名古屋大学大学院教授で教育社会学者内田了教授らが行ったオンラインによる教育現場の実態調査が報告された。これも参考になる。

 その内容の一部を以下に示す(順不同)
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■教師の約1000人が解答を寄せた。
■連日10時間ほど勤務しているが、その間、半数の教師が休憩時間が全くない。 
■時間管理の考え方がなく、辛い。
■持ち帰り仕事は平日平均1時間。 
■月80時間以上の時間外業務が65%と異常事態。
■土日出勤は当たり前だがそれは申告しない。部活のみならず、日常できなかった残務をこなしている。
■学校管理者から時間外勤務時間の修正を求められる。 
■教員の長時間労働がもたらしている現象として子供への影響が深刻である。いじめの対応ができているか自信がない。子供たちの表情読めない。授業の準備ができていない。
■国の給特法(※参考)が問題で、残業という概念がない。時間感覚が失われている。
■ほぼ全員が教員の仕事自体には魅力を感じているが、回答者の6割が辞めたいと思っている。
■教師は子供のために頑張って当然という教育者へ期待する古くからの文化が根強い。昔はゆとりがあって可能と思われたが、今の厳しい教育環境とあっていない 
■などなど・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――
 
※参考:給特法 第三条 教育職員の教職調整額の支給等(1960年)
教育職員(校長、副校長及び教頭を除く。以下この条において同じ)には、その者の給料月額の4/100分に相当する額を基準として、条例で定めるところにより、教職調整額を支給しなければならない。
第三条の二 教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない。


 この調査の結果から知れることは教師は授業と日常業務で手いっぱいで時間的にも心理的にも余裕がない、という事実である。

 従って、整えるべきだと思う点は、大きく二点。

第一は、学校の働き方改革。
 学校が「ブラック職場」であることは、報道されているが、教師はとても忙しい。授業と日常業務で手いっぱい。だから、「いじめ」問題に取り組む時間が確保できていない。
 給特法によって、残業代も支払われない。このことが、管理職の勤務管理の甘さを生んでいる。
 こうした多忙な状況で「いじめ」問題が発生すると、状況の確認、報告、保護者への対応など膨大な業務が負荷される。教師たちに気持ちがあってもやりきれず、対応が遅れたり、場合によってはいじめを認めたがらないといったことにつながっていく。

第二はいじめ問題に対応する専門スキルを持った人材を配置するなどの対策。

5/20(金)晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:45起床.書類、文献チェック。徒然。5:00可燃ごみだし。7:40Taxi駅東に。8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。9:10大曲中通病院外来。復路の新幹線7割方と久々混雑。書店訪問、15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ7961歩。

こころと体2022(54) いじめ(22)   厳しい学校、教師の立場(1)
 「いじめ」が明らかになった場合、新聞紙上などでは学校側が悪い、という論調の記事が並ぶ。たしかに、マスコミ報道を見る限り、「いじめ」の存在自体を認めたがらず、仮に認めたとしても法にのっとった的確な対応をしない学校・教育委員会が多いように感じる。

 私もそういう印象を持つが、実態はどうなのかと思う。

 「いじめ」に関して前回と前々回記述したが、文科省の立派な指針があるにもかかわらず、また、平成25年「いじめ防止対策推進法」が施行されたにもかかわらず、「いじめ」の件数は減少していない。

 文科省の集計によると令和2年度の「いじめ」認知件数は約52万件、 1000人当たりの発生件数は約40件。
 内容としては、悪口や仲間はずれが8割近くを占めており、けがを負わせるといった暴力や金品を奪うような「いじめ」は、比率としては少ない。
 令和2年の小中高生の自殺件数は、415件で、調査開始以来、最悪の結果をなっている。 全例が「いじめ」関連自死かは不明であるが、深刻な状況である。

 「いじめ」が起きたとき、「学校や教育委員会の対応が悪いのはなぜなのか」、「なぜ学校が問題を解決できないのか」について原因を考える必要がある。また、学校側に対応ができない原因があるならばできるように体制を整えるのが必要である。 

 これを考えるときに以下の調査結果が参考になる。
 特定非営利活動法人代表である森田志歩氏のアンケート調査の抜粋を示す。
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■2021年11月、全国の100の教育委員会、150の学校にアンケート調査した。
■教育委員会71%、学校73%から回答が得られた。
■「いじめ相談があった際の対応」
  子どもに寄り添い対応したい 61%。
■「いじめ問題への対応が遅れる原因は何か?」
 「保護者との話し合いが難航し、関係がこじれる」43%、
 「日常の業務が多忙で時間が取れない」30%。
 「保護者の訴えと学校報告、状況が異なるので、確認などに時間がかかる」
 「通知やガイドラインの種類や量が多すぎる」など。
■「学校・教育委員会は、いじめや重大事態だと認めてくれない理由?」
 「該当児童の主張が異なる」60%。
 「学校・教育委員会に捜査の権限がないので、状況の把握には限界がある」 
 「認めた場合業務が増える」
 「中立の立場の第三者機関は必要」87%

―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 この様な調査は意外と少ない。
 このアンケには「いじめ」に関して重要な学校現場の問題が提示されている。
 この状況ではいくら学校・教育委員会を叩いても、「いじめ」から子どもの命を守ることはできない。

5/19(木)曇り 院長受診あり終日飯川病院勤務 
1:40起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ。8:30家内に同乗、飯川病院、院長受診で終日勤務。微睡、読書など、14:00院長帰院、15:00許可得て外出、千秋公園、旭川の鯉に給餌予定なるも現れず。代わりに鳩に若干。バス長崎屋GOで5冊購入、復路は徒歩飯川病院。19:15帰宅、夕食。20:30就寝。歩行計Σ8856歩。
こころと体2022(53) いじめ(21)    立派な文科省の指針(2) 実践できないのは学校側の事情か
 文科省の指針(1)に以下の文章が続くが、やや長いので抄述した。

いじめに関する取組のポイント
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 ■いじめは、その件数以上に、いかに迅速に対応し、その悪化を防止し、真の解決に結びつけることができたかが重要。
 ■各学校及び教育委員会は、相互の連絡・報告を密にしつつ、いじめの発生等についてきめ細かな状況把握を行い、適切な対応に努める。
 ■校長のリーダーシップの下に、教職員の役割分担や責任の明確化を図るとともに、密接な情報交換により共通認識を図り、全教職員が一致協力して指導に取り組む実効性ある体制を確立する。 
 ■校長、教頭、生徒指導主事等は、いじめの訴え等に基づき、学級担任等へ対応を指示したり、情報を伝達する。情報があった場合には、その対応状況等について、逐次報告を受けるなど、その解決に至るまで適切にフォローする。 
 ■いじめの訴え等を学級担任が一人で抱え込むようなことはあってはならず、校長に適切な報告等がなされるようにする。 
 ■実践的な内容を持った校内研修を積極的に実施する。 
 ■いじめを大人に伝えることは正しい行為であるという認識を、児童生徒に持たせる。
 ■いじめを告げたことによっていじめられると考えている児童生徒を徹底して守り通す。
 ■いじめられる児童生徒を守るための方法の一つとして、就学すべき学校の指定の変更や区域外就学を認める措置を講じることについて、時機を逸することのないよう留意すること。 
 ■学級活動や児童会活動などの場を活用して、生徒自身がいじめの問題の解決に向けてどう関わったらよいかを考え、主体的に取り組むことは大きな意義がある。 
 ■いじめを行った児童生徒に対しては、心理的な孤立感・疎外感を与えることがないようになど、一定の教育的配慮の下に、いじめの非人間性やいじめが他者の人権を侵す行為であることに気付かせ、他人の痛みを理解できるようにする指導を根気強く継続して行う。
 ■いじめを行う児童生徒に対しては、一定期間、校内においてほかの児童生徒と異なる場所で特別の指導計画を立てて指導することが有効な場合もある。一定の限度を超える場合には、いじめる児童生徒に対し出席停止の措置を講じたり、警察等適切な関係機関の協力を求め、厳し い対応策をとることも必要である。特に、暴行や恐喝など犯罪行為に当たるようないじめを行う児童生徒については、警察との連携が積極的に図られてよい。 
 ■上記の措置を講ずることについて、教育委員会や保護者との間に、日頃から十分な共通理解を持っておくことが大切である。

 ■以下にも同様の記載が続く・・・・(省略)。 
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 立派な指針と思うが実際にいじめの発生件数、重大事例の報告数を見る限り効果をあげていない様な気がする。

 教育界にはこの指針が実行できないなんらかの事情があるのではないだろうか。
 特に教師の多忙が問題ではないだろうか。

5/18(水)曇り晴れ ダリア一部植える 午後飯川病院勤務 COVID-19ワクチン接種担当
 1:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前はダリア5株ほど本植。11:50バス飯川病院。14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応。新聞チェック、そのほかデータ整理。読書。18:00テイクアウト夕食、18:30-20:15家内はWEB学習会、20:45帰宅、21:30就寝。歩行Σ9926歩。

こころと体2022(52) いじめ(20) 立派な文科省の指針(1) されどいじめは減らず

 文科省は学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組を以下の指針にまとめている。とても立派な文章であるが、この指針後もいじめは減少していない。重大事例も減少していない。
 教育界は勉強不足でないか??

 以下に指針を示した(行政文章風で堅いので表現を一部変更した)
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基本的認識
 いじめについては、「どの子どもにも、どの学校においても起こり得る」ものと十分認識し、以下の点を踏まえ、適切に対応する必要がある。

1.「弱いものをいじめることは人間として絶対に許されない」との強い認識を持つ。 
   どのような社会にあっても、いじめは許されない、いじめる側が悪いという明快な一事を毅然とした態度で行きわたらせる必要がある。いじめは子どもの成長にとって必要な場合もあるという考えは認められない。また、いじめをはやし立てたり、傍観したりする行為もいじめる行為と同様に許されない。

2.いじめられている子どもの立場に立った親身の指導を行う。 
 子どもの悩みを親身になって受け止め、子どもの発する危険信号をあらゆる機会を捉えて鋭敏に感知するよう努める。自分のクラスや学校に深刻ないじめ事件が発生し得るという危機意識を持つ。 なお、いじめの件数が少ないことのみをもって問題なしとすることは早計である。 

3.いじめは家庭教育の在り方に大きな関わりを有している。
   いじめの問題の解決のために家庭が極めて重要な役割を担う。いじめの問題の基本的な考え方は、まず家庭が責任を持って徹底する必要がある。家庭の深い愛情や精神的な支え、信頼に基づく厳しさ、親子の会話や触れ合いの確保が重要である。

4.いじめの問題は、教師の児童生徒観や指導の在り方が問われる問題である。 
 個性や差異を尊重する態度やその基礎となる価値観を育てる指導を推進する。道徳教育、心の教育を通してかけがえのない生命、生きることの素晴らしさや喜びなどについて指導することが必要。 

5.家庭・学校・地域社会など全ての関係者がそれぞれの役割を果たし、一体となって真剣に取り組むことが必要である。 
 いじめの解決に向けて関係者の全てがそれぞれの立場からその責務を果たす必要がある。地域を挙げた取組も急務である。 

   (1996年7月 児童生徒の問題行動等に関する調査研究会議(報告))」より 
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 以下により具体的な指針が続くが、やや長いので(2)に抄述した。

5/17(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア
2:45起床、文献チェック、読書。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。新聞チェックと入力。8:40-13:00中通病院外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡。読書、19:30帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計8287歩。

77回目の感謝の日(4) 寿命・生命力について
 私は新生児期、幼少期に何度か「いのち」の危機があったらしい。医師の家庭に生まれてなければ生きられなかった、と良く言われた。その医師である祖父も匙を投げ、恐山のイタコに相談したこともあった、という。
 
 それほど虚弱であった私が何故かここまで生きてきた。
 確かに、幼少時虚弱であった人が長生きした例は必ずしも少なくない。貝原益軒などはその代表で84歳でその生涯を閉じたが、彼のエネルギッシュな老後は、人生100年時代の今だからこそ見習うべきところが多い。辞世の句は「越し方は一夜ばかりの心地して 八十あまりの夢をみしかな」である。

 最近、私は「短命で終わるような特別な遺伝疾患を有していない個々人は、130-140歳ほど生きられる生命力を携えて生まれてくる」、と考えている。これは私のオリジナルではなく、これに類似した内容の記述が何かのエッセイにあって、当初は必ずしも注目していなかった。虚弱であった私が何故ここまで生きてきたのかと考えるとき、なるほどと思える様になってきた。

 人としての寿命に大きな影響があるのは、生まれた時代、どこで生まれたか、戦争などである。日本の現在の平均寿命は男82歳、女88歳である。一方、アフリカのシエラレオネは男55歳、女57歳である。栄養、衛生、医療、内戦などが関与している。

 我が国は国民が「いのち」の危険にさらされる可能性がとっても低い安全な国で世界的に見て長寿国である。それだけ特に高齢者の健康不安が強く、その不安に乗じた健康法などがメディアを占拠している。その内容といえばなんら苦労せずに目的を得ようとする甘い誘いだけである。

 一般的に健康法というのは沢山あるが、私から見て有効と思われる健康法にはまだ出会ったことはない。逆に、不健康法と言えるのは無数にある。
 ■体にいい食べ物などはない。偏食せず地産地消の食材を摂るのが一番。
 ■体にいいサプリメントなどは一つもない。
 
 ■タバコ:不健康を求めるなら吸うべし。
 ■過食・肥満・運動不足:不健康を求めるなら身体を重くすべし。
 ■心身へのストレス、睡眠不足:確実に不健康になる。
   
 健康法というのは、自分の寿命を延ばそうという考え方で種々の方法が考えられているが、個々の方法が寿命を延ばしているかは判断のしようがない。ただ一つ栄養摂取過剰が生物の寿命に関連しているとの動物実験があるだけ。しかしながら、飽食社会の日本人の寿命が世界一であることはこの研究の総合的価値を減じている。

 一方、人の寿命は疫学的に見て130−140歳ほどに設定されていると推定できる。貴重な時間であるが、その時間を誕生後の生活の歪が細胞を傷をつけ老化を進める、という考え方の方が私には身近である。

 持って生まれた時間的財産を傷つけない生き方の実践が結果的に個人の寿命を伸ばすと考えられるが、そのことだけを意識せずにやりたいことを追求する、その方が結果的にいい人生になるのではないだろうか。
 

5/16(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:20飯川病院起床、各種データ整理。徒然、読書。9:00-10;45健康クリニックドック7名+レ線判定は先週済でなし。11:00飯川病院に、早いので散歩に、ブックオフ広面店往復。14:00-20:30勤務、入院患者対応、読書。家内はZoomで学習。20:45帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ9591歩。

77回目の感謝の日(3) 寿命について:人としては??細胞レベルでは??国レベルでは??
 喜寿の祝賀会の招待、敬老会、後期高齢者医療制度に移行などが続くと否が応でも高齢者になってしまう。確かにもう77年も生きてしまった。新生児期、幼少期に何度か命の危機があったらしい。それほど虚弱であった私が何故かここまで生きてきた。
 私は、ヒトは短命に終わらざるを得ない遺伝疾患を有していない個々人は、130歳ほどの生命力を携えて生まれてくるのだ、と考えている。

 この機会に細胞の、ヒトの寿命、日本の国としての組織の寿命について若干考えてみた。

 記録にある長寿者は、最高は122歳で死去したフランスのカルマンさん、現在の世界最高齢者は日本の田中さんで118歳である。この数十年で100歳を超える人の数は増加し全世界で50万人近くにもなるという。

 人間は何歳まで生きられるのだろうか。
 専門家の間には、細胞の劣化と疾患のため、人間の寿命には限界がある、とする。しかも集団にも寿命があるとする。
 人口減の中、日本はどこまで国を維持できるのか。
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(1)ヒトの胎児から分離した細胞は試験管の中で数ケ月はは活発に増殖するが、その後は増殖しなくなり、10ケ月目には例外なく死滅するという。要するにヒトの個体に寿命があるように細胞自体にも寿命があることが示唆されている。
(2)ヒト個体としてとしては130歳??
(3)ヒトの集団にも寿命がある。2004年の平均寿命、出生率がそのままだと仮定すると図の様なコースが推定される。驚くべき結果である。
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 (人口問題研究所の人口推計 これを背景に増田著「地方消滅」がまとめられた)

 このコースを辿れば、わが国の将来はどうなるのであろうか。 図に見るように、2004年の1億2779万人をピークとして、人口は急激に減少に向かう。3200年には、たった1人になり、3300年には統計上では誰もいなくなってしまう。

 日本が国として維持していけるのは、せいぜい、あと100年、ほどであろう。現に、もう方々で人口減による社会的歪みが顕になって来ている。なのに誰も焦っている様うには見えない。
 いずれは、日本はどこかの国から人的、物的援助なくして、国としては存在しえない。

 実際この様なコースを辿るかは定かではない。この統計には反論も少なくない。
 日本の為政者たち、社会を担う若者たちが途中で発想を変えれば多少の修飾はあるだろうが、大きな視点で見れば間違いはなかろう。私はそう思う。

 行き着く先はまだわからないが、あと100年ほどで国家としての崩壊が始まる。もう各所で始まっている。

5/15(日)快晴 飯川病院日当直
1:40起床、早朝は本読み、文献チェック。8:40家内に同乗飯川病院に。9:00-9:00日直業務に就く。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。12:00、18:00検食、微睡挟み読書三昧、蓄積データ整理。21:00就眠。Σ5130歩。

77回目の感謝の日(2) 喜寿とは?? 子供の成長儀式の方が大きな価値あり
 今年、正月早々に、秋田市医師会から喜寿の祝賀会の招待が届いた。準引きこもりの私は当然欠席とした。
 振り返ってみれば、2020年9月には敬老会の祝い品が届いた。2021年には後期高齢者医療制度に移行するとの知らせが届いた。
 これだけ「お前は年寄りだ!!」という宣告が続けば否が応でも高齢者であることを自覚せざるを得ない。

 さて、歳祝いとは何か? と改めて考えてみる。
 42歳「大厄」、60歳「還暦」、70歳「古希」、77歳「喜寿」、80歳「傘寿」、88歳「米寿」、90歳「卒寿」、99歳「白寿」、100歳「百寿」、108歳「茶寿」、111歳「皇寿」などがある。

 平均寿命が30歳程度であったであろう古い時代に、ここまでの節目の祝いが作られたということは、エリート級の長命者は少数ながら居た、ということだろう。確かに、古くから長老、古老と言われる人々がいて、ボケることもなくそれなりに社会に役立っていたようである。

 一般的に歳祝いとされるが、42歳の「大厄」の頃は家族が目にする身近な死であった。これでも平均寿命よりは長く「死なないで、もうちょっと頑張れ」のイメージがある。それ以降の歳祝いは「良く生きたな!!! もういいんじゃない??」であろう。だから60歳「還暦」までは18年も間隔がある。この間に死ぬべき人は死んだだろうから、その間の危機を乗り越えたという事で祝ったのではなかろうか。

 高齢者の節目などはそれほど重要だとは思っていない。
 医療がしっかりしていなかった古き時代は、母子ともに出産のハードルを乗り越えるだけでも大変で、無事生まれても新生児や幼児は天然痘や消化不良でばたばたと死んでいった。天然痘の死亡率は20-50%と、当時、麻疹と並び子どもや若者の命を奪う2大感染症であった。奈良の大仏建立のきっかけの一つがこの天然痘流行である。

 そのため、天然痘を無事に乗り越えたときに、はじめて誕生を祝い、名前をつけた地方もあった。また、麻疹を乗り越えて初めて一人前、と評価する風習もあった。

 天然痘、麻疹を乗り切ったとしても一人前に成長するまでに、命を脅かす様々な感染症が多数あった。現代医療の発達した中で生きる我々とは次元が違がっていた。だから、子どもの成長にあわせた祝い事が重い意味をもったのである。みんなわかって神社にお参りしているのかな??

 代表的通過儀式を拾ってみると以下のようなものが挙げられる。

# 帯祝い。妊娠5か月目の戌の日に、腹帯を巻く。
# お七夜。誕生7日目の祝い。
# お宮参り。男児は生後31、32日目、女児は32、33日目。
# お食い初め。生後100日目。
# 初誕生祝い。満1歳の祝い。
# 初節供の祝い。女児は3月3日、男児は5月5日。
# 「七・五・ 三」の祝い。三歳は乳児から幼児への成長の祝い、五歳は男児から子どもへの成長 (袴着)の祝い。七歳は女児から子どもへの成長(帯解き)の祝い。
# 「十の峠」の祝い。
# 「十三詣り」の祝い。
# 「成人式」の祝い。

 医療が発達していなかった当時、いつ急にいのちが奪われるかわからない時代、親・親族たちは常に不安を抱えて子育てしていたと考えられる。
 これらの通過儀礼の一つ一つが神への感謝と、その後の子どもの健やかな成長の祈願という、大きな意味を持っていた。

 高齢者の節目なんて・・と言えるだけ現代人は長寿に恵まれ過ぎている。
 馬齢を重ねる事がどれほと目出度いか、私には分からない。
5/14(土)降雨 飯川病院午前日直 77回目感謝の日
1:45起床。文献等データ処理、本読みなど。自炊数冊、8:30家内に同乗飯川病院、午前日直業務。微睡若干、新聞チェック入力。自炊などほとんど時間取られる。降雨なので午後も病院で休息兼ねて過ごす。18:00ブックオフドンキ店6冊ほど購入帰宅、クーポン無駄にしないで済んだ。保戸野の寿司店経由帰宅、19:00私の誕生日祝って小宴夕食、20:45就寝。歩行Σ4357歩。

77回目の感謝の日(1) 行けるとこまで、自然体で生きてみるか
 本日77回目の誕生日。
 現役で働いている時は自分の誕生日などはほとんど意識することなどなかった。65歳で現役を退いて、以後は細々と嘱託医師として働いている。当初は自転車のクロスバイクを楽しむなどの余裕があったが、70歳を過ぎた頃から体力が落ち始め、気力も減退しつつある。
 私にとってはこの歳まで生きながらえることなど想定外であったが、生きられたことは嬉しいことである。さらに嬉しいのはこの先2-3日は当面生きられそうなことである。
 今後の生き方は昨年と同じだが、ここまで来たのだからもう少し真面目に生きて、年齢に伴う変化を楽しんでみようかとも思い始めた。

 毎年のことだけれど、以下のような姿勢で生きている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
(1) 私の社会的使命は終わった。法人にとっても些細な価値しかない。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定する。
(2) 家族間ではちょっぴり存在意義はあるだろう。自由に、ホンネで生きよう。
(3) 残り時間が不明。今さら焦ってもしょうがない。意の赴くまま、気ままに生きよう。
(4) 自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。五感を生かして生きる。
(5) 長時間の歩行は心機能の低下(?)、腰痛などで出来なくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送っている。
(7) 終活を一層進める。
(8) 過去に自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて準引きこもりを続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。微睡を楽しむ。
(10) より中性的になったから、ジェンダーなどについて改めて考察したい。 
(11) 心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になった。人の気持ちがわかってきた。物事をじっくりと味わうことができる様になった。多様な考え方を受け入れたい。さりとて人の言葉に左右されたくはない。
(13) 同年代者の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは寂しい。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然の一員と思える様になりたい。
(15) いい詩には無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできれば継続したい。
(17) COVID-19の今後、国際社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族も総じて元気であるし、まずは良い77歳のスタート日になったと思っている

5/13(金)曇り午後若干降雨あり 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:50起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミ提出。7:30Tax、飯川経由駅に,こまち。往復ともガラガラ。往路徒歩、9:10大曲中通病院外来、15:30飯川病院ボランティア。散水他、微睡、読書、新聞データ化、19:20帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ8775歩。

こころと体2022(51) いじめ(19) 組織と隠蔽(2)
 「いじめ」関連自死事件になると世間の関心を呼び、校長、教育委員会長などは全校集会で説明せざるを得ないし、マスコミの質問攻めもあり、記者会見を開かざるを得なくなる。
 この過程で種々の発言が見られる。この場合、初期の会見の場合は、上から目線の、被害者のことよりも加害者の擁護、学校組織の擁護優先を考えてのことだろう、信じられない発言が飛び出すことがある。
 その代表的なのは、某中学校校長が述べた「世間の論理と教育者の考え方は違いますから・・・」という信じ難い発言である。この発言がその校長個人の問題から来たものであれば学校管理者として欠陥人間であろう。それと社会人としての常識知らず、勉強不足である。
 
 組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。
 医療人もそうであるが各界に長く存在していると、特により専門的集団の場合自然とその組織人としての雰囲気が身につく場合がある。

 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時を遡るのか。
 ちょっと時を遡れば、日産、神戸製鋼所、スバル、東芝、三菱、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題が、最近では日野自動車、三菱重工の原発部品の規格改ざん、日大理事長の不正などなどが明らかになっている。今回の知床観光船事故も同様である。

 これらの一部は30年以上前から不正が行われていて、組織ぐるみで隠蔽していた例もある。

 閉鎖的組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。その組織を維持するためにそこにだけ有用する常識、それは一般社会では非常識なこともあるのだが、管理者はかなりの強い意志でそれらに対峙しなければならない。
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 ■ 情報が得られる時代である。別企業の不正などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正と隠蔽が絶えない。企業人は何かが狂っている、としか言いようがない。
 ■ 企業の要職にある方も、私人としては道徳心もあり、倫理観もあり、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまう。企業の持続エネルギーはそれほど凄い。人を変えてしまう。
 ■ わが国には企業を罰する風土が乏しい。電通の過労自殺関連違反でも罰金50万円のみ。責任体系は明らかにされない。
 ■ 企業人には、「不正に関わっても直接自分が利益を得るわけではない」から罪は問われないだろう、と考える。だから、後ろめたさは乏しくなる。
 ■「上司や同僚もやっていた、だから・・・」、と不正を看過する。「看過して何も言わない」、は個人の道徳心の域値を下げる原因となる。
 ■ ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせ、組織内では徐々に不正は成長していく。
 ■ 人間は弱い。最初は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくするようになる。
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 利潤を追求する一般企業は組織を存続させるのが第一の命題であって教育界とは自ずから異なっているが、上記の組織の問題点の一部は両者に共通している様に思える。
 教育界の場合は、専門家としてのプライド、面子の維持、同業者の擁護が背景にあると思われる。

5/12(木)快晴  午後飯川病院 健康クリニックドック判定 
1:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。8:30-10:00草刈り4回目、南側3/4終了。読書三昧。10:50バス駅まで、11:20追分線にてブックオフ土崎店、8冊購入、13:30飯川病院、14:00-15:00勤務、クリニックにて結果判定、入院患者対応など。微睡、新聞チェック、入力、読書。家内ネット講演、19:45帰宅、夕食、21:00就眠。歩行Σ12830歩、草刈中心に。

こころと体2022(50) いじめ(18) いじめ統計は当てにならない 日本の統計の弱さ
 「いじめ」に関する文科省の統計は当てにならない、と思う。統計に重要なことは、より正確なデータの収集であること論を待たないが、そこの設定が非論理的で、統計処理ができないレベルである。
 近年、「いじめ」の発生数は年々増加傾向にあるが、それとてどれだけ信憑性があるのか、なぜ報告数が顕著に増えたのかもイメージは膨らむが正確に評価できない状態にある。文科省がこの様な調査を指示したときに問題点を指摘されなかったのだろうか。

 日本の統計データは、政治家、官僚によって軽視されていて政策が非科学的になる傾向がある。
 私が最も残念に思っている統計軽視は、我が国の少子高齢化、人口減少の対策に表れている。半世紀も前に厳しい将来が予想されていたのに、政治家の誰もが真面目に取り上げないで、その影響が顕著になった今に至ってから人口減、人口減と騒いでいることである。
 この背景は、我が国の政治家、官僚が統計の重要さを理解する視点を欠いているからである。

 最近の霞ヶ関の統計軽視の問題点として、
(1)2018年に厚労省の毎月の勤労統計の不正と組織ぐるみの隠蔽工作、
(2)2021年には国交省の不正と隠蔽工作が明らかになった。後者では隠した結果、事態は悪化し当時の国交省幹部ら計10人が処分された。
(3)文科省の「いじめ」問題の統計。この場合は不正とか隠蔽ではないが統計の原則を無視した発想と思う。

 視点を変えて、我が国の政策に統計が何故軽視されて来たかの実情を考えてみたい。

■霞が関で統計軽視が起きる原因。
 従来から政策決定過程や制度改革で統計データが重視されていないこと。政府はEBM (証拠に基づく政策立案)を重視すると言うが、かけ声だけのようでCOVID-19対策は非科学的であった。
 背景の一つには官僚の人員不足もあるが、それも統計軽視の表れといえよう。

■統計軽視:官僚はなぜ???
 政策や制度は統計データなどに基づき再検討される必要があるが、官僚はその手法が苦手なようである。政策や制度は本来不完全な状態でスタートする。だから、途中で経過を実測しながら見直すべきであるが、この様な手法は、過去の政策の批判にもつながりうるので我が国の政界では馴染まないらしい。

■統計軽視:政治家はなぜ???
 政治家にとっては、次の選挙で勝つことが最優先。だから、政策は概めて短期志向。数10年後に迎えるであろう危機に関しては統計的に明確に示されていても興味を示さない。だから、「三本の矢」や「地方創生」、「全世代型社会保障」のような目玉政策を次々と打ち出す。こうした政策の評価や分析に統計的視点が欠かせないが実際にはほとんど行われていないようだ。課題の解決にどれだけ寄与したかわからないため、目玉政策は「やっている感」を出すだけになっている。

■政官は劣化しているのか???
 官僚の役割は政策を検討することであるが、それには専門性が重要。しかし、部長級を含めほとんどの官僚が、政治家や業界の根回しに奔走している。社会は複雑化しているので、より高い專門性が必要であるが、エコノミストやITの専門家は不足している。

 今回は横道にそれたが「いじめ」統計を考えるにあたって、日本の政官の統計の扱い軽視についての問題点をまとめた。

5/11(水) 快晴 午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。8:30-9:45草刈り3回目、南側約半分。樹木若干枝おとし。10:50バス駅まで、裏道通ってブックオフ広面店、途中疲労してスターバックスで休む。12:45飯川病院に。微睡。14:00COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応ほか。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ14225歩、疲れた。作業服半袖に、黒のサマーセーターに衣替え。

こころと体2022(49) いじめ(17) 組織と隠蔽(1)
 「いじめ」に関して私はいろいろ情報を収集している。
 しかし、私の情報源はほとんど新聞記事、関連単行本から得ている。私は自ら動いて情報を直接集めているわけではない。だから、私の知識や考え方には自ずからバイアスがかかっている、と自認している。こういう問題点を自認していることはいいことだ、と考える。

 新聞記事、関連単行本からの情報では確かに、学校管理者、教師、教育委員会組織には隠蔽体質があることを認めざるを得ないと思っている。
 大阪の高校体罰自殺事件でも、大津市の中学生「いじめ」自殺事件にしても、学校組織の中枢にいる教師、教育委員会は組織の体面を維持することに腐心し、隠蔽を図っているように見える。その後のいじめ事件が多く報告されてきている。最近の旭川での自死事件でも組織的な隠蔽工作が指摘されてる。

 そうとは思っているが、新聞記事、関連単行本では「いじめ」という言葉に強度に敏感である。加えての組織的な隠蔽に対しても同様である。両者とも「いじめ」+「隠蔽」に中心的に視点を置いて編集されている。先に「結論ありき」の論調で「いじめ」を取り上げていると感じるからである。メディアは「いじめ」の社会的問題点を強調する姿勢が見られるが、方向性として過剰でないか??その行き方には問題を感じざるを得ない。

 2020年の全国の小中高校と特別支援学校で認知されたいじめの件数が61万件と5年連続で過雲最多を更新した。深刻な被害が生じる「重大事態」は2割も増え723件となったが、文科省は学校の積極的な把握が進んだ結果と評価。一方、専門家は被害者の訴えから顔を背ける学校もあるとして「氷山の一角」と警鐘を鳴らす。

 この数値を見る限り「いじめ」は隠蔽されているとは思えないが、「いじめ」自殺事件などの個々の例をみると相変わらず隠蔽の影が見え隠れする。

 「いじめ」はなぜ隠されるのか??
 
 ■文科省に発生調査報告が求められているがこの報告内容自体が問題である。
 これは内容的に一定の定義がない不確実な情報収集であって統計的に結論を出せるような内容ではない。都道府県毎の「いじめ」発生報告数には30倍以上の格差がある。
 
 ■学校からのデータと子供たちの実感との間に乖離が大きい。 
 H17年に学校から報告された「いじめ」の発生件数は全国平均で1000人あたり1.5人(0.15%)。一方、小中学生に直接アンケートを取ると30-50%が「いじめ」にあったと答える、とされる。この乖離の背景がなんなのか。
 直接比較は困難だが、こんなに乖離が大きいデータとは何なのか。

 ■学校からの報告には恣意がある。
 学校で「いじめ」が起きた時、それを報告するか否かは事実上学校の自由裁量になっている。建前上は「いじめ」が定義されていてこれに該当する限り報告義務があるが、その判断権が学校にあり、判断の適否をチェックするシステムがない。それゆえ、常識的に見れば「いじめ」が起こっている場合でも、定義を厳格に解釈して「報告するような事象ではない」という隠蔽が、日常的に行われる。

 要するに文科省は発表する統計は信憑性が乏しい。
5/10(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。6:40バス飯川病院,8:45-13:00中通総合病院外来、混雑中等度しかし疲弊。14:00ー19:00飯川病院勤務、微睡、読書、データ整理。19:30帰宅。夕食、21:15就眠。Σ8259歩。

こころと体2022(48) いじめ(16) 社会の規範を教えるべき
 「いじめ」は、遊び感覚で行われ、関係者は強烈な快感を伴う。それは学校で起こりやすい。学校は生徒達の個性や才能を無視した集団生活の強制される特殊な場である。
 
 小学校から中学生になり、自分でも大人への一歩前進を意識し、親も、社会も子供たちに一層成長を期待する時期である。今までは濃密であった(?)親の庇護から徐々に離れようとしていく。
 親との会話は乏しくなり、次第に友人との交流を求めていく。それだけでなく、親や大人の世界に批判的な姿勢を向け、反抗的になり、「うざい」と言った捨て台詞を繰る様になる。

 この様な成長過程と一定期間無理やり学校という特殊な、不自由な環境に押し込められるとを経て、学校では学校別の、あるいはクラス別に「特異な空気」がクラス毎に形成されていく。各クラスではそこでしか通用しない仲間内の「規範」が自然と生じてくる。また、多感で個性豊かな40-50人の生徒が一枚板であるはずもなく、そこには小グループが形成されていく。この際問題なのはいわゆる悪ガキグループが自然と作られる事である。

 「いじめ」は個人単位で行われることはほとんどなく、悪ガキグループによって行われる。このグループが狙いを定めた生徒を脅かし、痛めつける。このグループは自分たちがやったことを誇るなどの戦略的なふるまいをする。

 一方、今「いじめ」の対象になっていなくとも、いつ何どき自分が足をすくわれるかもしれない環境の中で安全を確保する身のこなしかたは、通常の大人以上に「大人」である。そこには「いじめ」を見ていても黙認するという方法をとるのが一番であろう。

 この時期は親の影響も希薄になる。だから、社会的常識を教えてもらう機会は大きく減少する。この時期には一般社会のルールを学ぶ機会は大きく減少する。学校がカリキュラムの一環として教えればいいのであるが、そんな機会は得られているのだろうか。私にはわからない。

 言ってみればこの時期の子供たちは、知識と常識を、さらに良識も希薄な時期である。だから、クラス別に「特異な空気」が蔓り、メンバーはその中に組み込まれていく。このような仲間内の「規範」に背を向けることはおそらくは子供たちにとって危険なことなのであろう。

 「いじめ」は新聞等のメディアにぎわすような異常性の強い犯罪に近似していると思われがちだが、そうではない。100%異なっている。

 もう少し成長して大人になれば、快楽の部分はもっともらしく理由づけされて、コントロールされ、表面に表れなくなるかもしれないが、中学生の頃はそのような配慮はできない。だから、いったん「いじめ」が始まり、そこで適切な対処が施されないと、それ以降は両者が顔を合わせている限り、ずっと続いてしまい、内容的にエスカレートしやすい。

 ここで重要なのは、暴力的行為、金銭奪取等は明らかな犯罪行為であることを教えなければならない、ということ。

5/9(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
1:30起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:40バス飯川病院、新聞チェック、自炊3冊ほか。9:00-10:10健康クリニック、6名だけ。10:30-11:50許可を得て歩行に、ドンキにて古書6冊購入。12:00ボランティア等、微睡。14:00勤務。入院患者対応。文献チェック、読書。データ整理など、19:30帰宅夕食、20:30就寝、Σ10975歩。

こころと体2022(47) いじめ(15) 学校は不自然な環境

 「いじめ」には強烈な快感が伴う。
 そんな「いじめ」はなぜ学校の中で生じるのか。

 現行の義務教育の学校制度のもとでは、生徒達は年齢と、地域割りの中で強制的に集団生活を強いられる。

 小学校高学年、中学、高校は多感な時期の少年少女達が、個々人の性格や能力と関係なく集められ、一日数時間集団生活が営まれることになる。

 多感な時期の子供達は親の庇護から独立し、世界が広がっていく重要な時期である。
 学校が市民社会の常識や秩序、人間としての生き方をも学ぶ場であれば問題は少ないのであるが、そこにはほぼ閉鎖的な、独特の「学校的」環境と秩序が存在している。

 これを広く具体的にピックアップすることは、私にとって時間的にも、能力知識から困難であるが、「学校的」秩序は、生徒達、校長等の学校の管理者、教師、教育委員会があまねく影響を受けている、という事だけに留めたい。

 ただ、そこは「いじめ」事件が生じた際に世の識者らが評論するように、無秩序でもなく、人間関係が希薄でもなく、人間が「幼児化」したわけでもない。

 ただ、「学校的」な秩序が存在し、そのなかで生徒も教員も「学校的」な現実感覚の中で生きている、という事。

 本来ならば、個々の少年たちの特質に合った自由な環境で、社会に巣立つ準備ができればいいのであるが、無理やり捕獲されて園に収容される動物のようなものである。個性的な動物達が共に生きていくには雑多に押し込められては生きていくことは出来ない。それなりの独立した環境が用意され、ヒトによって世話されなければならない。その状態でやっと生きていくことができる。

 この動物園よりも劣るような、十把一絡げの環境が少年たちに提供される「学校」が、問題である。

 「いじめ」の事例は、自由に逃れることができない環境と、そのなかで蔓延っている一般社会と異なる「学校的」な秩序の存在をくっきりと描き出す。

 無理やりに押し込められた閉塞環境内で、生徒たちは「濃密」に付和雷同して生きなければならない。そのため、学校、クラスではではそこでしか通用しない仲間内の「規範」が自然と生じてくる。
 さらに、数人単位の仲間という集団が形成されていく。
5/9(日) 快晴 草刈り2回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。午前は病院でゆっくり過ごす、11:45バス帰宅。のど自慢楽しむ、微睡、14:00-16:00草刈り2回目、北側農道、畑一部ほか。ボタン咲く、バラの世話。16:00書整理、音楽関係録画チェック、ウイーン風景、ハプスプルグ家と音楽。N響定期ブルックナーNo4など。19:00夕食、20;30就寝。Σ9655歩。22:00家内函館から帰秋。

こころと体2022(46) いじめ(14) イジメの本態は遊び だから根は深い
 イジメについての考察を続ける。
 イジメの本態は遊びで快感を伴う。人の重要な感情の一つだから、根は深く対策は困難。

 ■大阪府寝屋川市の路上にロープを張り、ミニバイクで通行中の77歳女性を転倒、負傷させたとして私立高校2年の少年を殺人未遂で逮捕した。少年はこう供述した。「転んだ人をみて楽しもうと思っていた。ニュースになるほど大事になるとは思いませんでした」。実際、現場近くで女性が転倒する様子を友人と笑いながら眺めていた、という。

 路上にロープや針金などを張る危険で卑劣な行為は後を絶たない。犯罪関係の識者は「顔を見られたり反撃されたりする恐れが少なく、直接暴行を加えるのに比べて罪悪感を抱きにくく、心理的ハードルの低い犯行形態」と話している。「悪ふざけでした」では済まされない。昭和59年に東京都葛飾区の道路に張られたロープで転倒したオートバイの17歳男子高校生が死亡している。
 私もバイク乗りだった。他人事ではない。

 ■横浜で中学生5人を含む少年グループが次々と浮浪者を襲い、13人に重軽傷を負わせ、3人をなぶり殺しにする事件が起きた。1982年(昭和57年)12月から翌1983年にかけ、神奈川県横浜市内でホームレスが次々に襲われた。10人ほどの中高生ら少年が深夜、横浜の山下公園や横浜スタジアムにたむろしているホームレスを次々に襲撃。

 少年たちがホームレスを襲ったのは、全て「遊び」のためであった。少年たちはゲームに飽きると、夜の山下公園や横浜スタジアムに移動し、ホームレスの頭を蹴り上げたり、腹を踏みつけるなどしていたという。その後の調べで、「遊び」としての浮浪者襲撃は8年前から子どもたちの世界では「常識」になっていた、という。加害者の一人は「遊んだだけ」と強く、はっきり言った、という。

 ■某中学女子生徒はイジメ関連の事情聴取で、以下のことを述べた。クラスで「仮死ごっこ」という遊びが流行ったんです。どちらかが気絶するまで闘わせる遊びなんですが、私はひょっとしたら死んでしまうんじゃない? やめなさいよ、と止めました。そしたら男子が「死んじゃったら、それはそれで面白いじゃん?」というんです。バカバカしくなって止めるのをやめました。

 ひとりの教員が「ほんとに死んじゃったら遊んでいたみんなはどう思うんだ?」と問うた。これに対し、別の生徒が「あっ、死んじゃった、それだけです」。「みんな、殺すつもりはないんです。たまたま死んじゃったら事件になったんです(内藤朝雄 イジメの構造より引用)。

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 上記の例には、命に対する感覚が麻痺した、あるいは十分に教えられていない少年期の子供達の心理状況が伺われる。人間関係の希薄化の中で生老病死に対する体験、感覚が育ってないのだろう。

 なぜイジメやDV、虐待がクセになるのか・・・。そこには嗜虐による快感が伴うからである。だから、容易には止められない。人間同士が、相手をいたぶることで快感という果実をもつ。だから、嗜癖性を持ち、容易にエスカレートしていく。

 考え抜いた憎しみの感覚でなく、軽い「遊び感覚」であることがイジメの本質であり、対策の困難さを表している。
5/7(土)快晴 飯川病院日当直
1:30起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。昨年台所の水道蛇口故障したが修理。6:00-7:30畑にDIYで購入した苗を植え付け。8:30バス飯川病院、9:00日当直に就く。微睡。新聞データ化、読書、微睡その他。12:00家内も会員であるゾンタクラブの業務で函館に。ハイビスカスさらに2本玄関に出す。散水他。昼検食、午後読書、データ整理微睡など。17:55検食、20:30就眠。5787歩、運動不足。

わが家のGW(2022) いつもの如く淡々と過ごした
 今年のいわゆるGWは祝日と週休二日制で長かった。2日間の勤務日があったが気持ちの上では4月29日(金)-5月8日(日)の11日間であった。

 私はこの間、この間5月2日、5月6日は通常の勤務日で、5月3日(火)は飯川病院の日直、5月3日(水)は日当直、5月7日(土)は日当直が当たったので自宅では過ごせたのは半分程度であった。

 毎年連休終了時には、天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録している。まだ最終日ではないが、今年も踏襲した。
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■4/29(金)昭和の日 晴れ午後から降雨 連休初日
1:30起床、文献検索、5:30可燃ゴミまとめのみ提出なし。9:00古いコンポスト改造、園芸の廃棄物の処理に有用に改造した。早速枝の処理すすめた。14:00降雨、微睡、新聞チェック。歩数計11039歩。

こころと体2022(43) いじめ(11) 大津事件に賠償命令 学校・教育委員会・加害者と保護者の責任
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■4/30(土)快晴 連休二日目 草刈1回目
1:30起床、文献検索。読書。8:30草刈1回目、東側だけ。バラのケア、庭掃除、枝処理など。12;00家内に同乗、飯川病院、新聞チェック、入力、自炊3冊・データ処理、微睡、ハイビスカス外に移動。読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。歩行計9888歩。

こころと体2022(44) いじめ(12) 校?や教育委員会の責任が分かる2冊
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■ 5/1(日)降雨 GW3日目 ほとんど座学と読書、微睡
1:40飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理など。のど自慢楽しむ、微睡。ダリア若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。歩行計5238歩。

季節の話題2022(6) 秋田にも春がきた 庭先の花たちが萌えている
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■ 5/2(月)降雨午後から快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院勤務
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。6;40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック6名だけ+結果判定11名。飯川病院へ移動、それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。14:00-19:00勤務、入院患者対応、許可得て15:30から1時間歩行に。歩行計12199歩。

季節の話題2022(7) 秋田に夏がきた 花たちが萌えている

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■ 5/3(火) 憲法記念日 晴れ一時雨など不安定 GW4日目 飯川病院日直
 1:40起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ+庭木裁断材提出2往復。7:30家内に同乗飯川病院へ。8:00飯川病院日直。座学など、新聞チェック。午睡後読書、散水、17:30迎えあり帰宅、読書。歩行計6572歩。

憲法記念日に思う(2022)(1) 日本は軍隊を持つ国
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■ 5/4(水)みどりの日 快晴 GW5日目 飯川病院日当直 
1:30起床。データ入力処理、随想読み、新聞処理。徒然。8:30家内に同乗飯川病院、9:00日当直に就く。外来レセプト検討、新聞チェック、文献読み中心。微睡、12:00検食。入院患者平穏。文献読み中心。 歩行計4886歩。

憲法記念日に思う(2022)(2) 平和憲法でも有事には対応できる

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■ 5/5(木)子供の日 快晴 GW6日目
 0:50飯川病院起床。随想読み、新聞処理。徒然など。9:00-10:30徒歩にて帰宅、暑さもあって疲弊。休養読書、14:00DIY、胡瓜、ナス、トマト等の苗購入、網戸代わりのアクリル板購入。歩数11976歩。

子供の日2022(1) 秋田県の子どもの割合、9.5%、11年連続全国最低
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■ 5/6(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、GWというのに先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲往路徒歩、秋田駅病院間Taxi。15:30飯川病院ボランティア。入院患者処置あり。Σ8840歩。

子供の日2022(2) 高齢者には席を譲り、高齢者は社会保障の一部を子供に
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■ 5/7(土)快晴 飯川病院日当直  GW7日目
1:30起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理。6:00-7:30畑にDIYで購入した苗を植え付け。8:30バス飯川病院、9:00日当直に就く。微睡。新聞データ化、読書、微睡その他。12:00家内函館に。ハイビスカスさらに2本玄関に出す。散水他。昼検食、午後読書、データ整理微睡など。5787歩、運動不足。

わが家のGW(2022) いつもの如く淡々と過ごした
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■5/8(日)快晴 GW8日目 草刈り2回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。午前は病院でゆっくり過ごす、11:45帰宅。のど自慢楽しむ、微睡、草刈り2回目、北側農道、畑一部ほか。ボタン咲く、バラの世話。16:00書斎整理、音楽関係録画チェック。Σ9655歩。22:00家内函館から帰秋。
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 今年もGWは飯川病院の日当直で時間が取られ、本も7冊ほど読めた。この間検討すべきと決めていた事項、自分の死亡時の具体的手続きの改訂版をまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。

 何と言っても、今年のGWはCOVID-19の世界的流行3年目であるが今回は全ての制限が解除された状態で迎えた。

 今年もいつも郷里で過ごす長女一家が来秋できなかった。
 私は緊急事態宣言が出たからといってもともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。

 私にとって、今年も内容的にはゴールデンじゃなくシルバーウイークレベルだった。
5/6(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、GWというのに先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲往路徒歩、秋田駅病院間Taxi。15:30飯川病院ボランティア。入院患者処置あり。微睡、19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ8840歩。

子供の日2022(2) 高齢者には席を譲り、高齢者は社会保障の一部を子供に
 子どもの数がまた減った。
 総務省の推計では、全国では、15歳未満の子どもの数は前年より25万人少ない1.465万人だった。減少は41年連続で、ピーク時の1954年から半減した。この傾向は子供を産める女性が減少してしまったから将来的にも改善することはない。

 子どもの数は減少しているからその分育つ環境は改善しているかというと全く違う。
 虐待や貧困、いじめなど、子どもをめぐる状況は一層厳しくなった。しかし、子供に関しては整理すべき課題はあまりにも多い。学校、勉強、友人、遊びなど、などである。
 子どもがのびのびと成長できる環境を整えることは、少子化の最中にある国家の最優先の課題の一つだと思う。
 政府は子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁」を2023年4月に設置する方針だ。厚労省や内閣府などに分かれていた関連の部署を統合し、少子化対策も担う。

 関連の部署とは、就学前の子どもの例を挙げればイカの如くである。
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 ■「保育園が厚労省」
 ■「幼稚園が文科省」
 ■「認定こども園」が内閣府
 ■ その他にも、法務省や警察庁などに及ぶ問題などあり
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改革すべき点の一つである。

 与党も「こども基本法案」を提出し、国会審議が進んでいるが、私は何を今更、の感は否めないが、無いよりは遥かにいい。いい組織であればなおさらである。

 子どもは未来の担い手であり、日本が安定して成長していく基盤となる。子どもの権利を守り、政策を充実する必要性は高い。
 先にも述べたように子供が育つ環境は一層悪化している。年間の自死者数も500名近い。国立成育医療研究センターが昨年12月に実施した調査によると、小学校5〜6年生の9%、中学生の13%に、中等度以上のうつ症状がみられた。大人自身がゆとりを持って接すれば、子供のストレスを軽くすることも期待できよう。しかし、大人の社会環境も厳しい。
 ここをなんとかしなければなるまい。

 「こども家庭庁」でなにが変わるのか、何を変えようとしているのか、新聞報道を見る限りまだ見通せない。これは「デジタル庁」とて同じ。

 日本のGDPに占める家族関係の支出は1%台で、3%超の英国やスウェーデンより低い。さりとて原資には限りがある。「全世代型社会保障」など耳あたりはいいが、全分野に等しく予算をばら撒くことはできない。
 岸田首相は国会で「将来的に倍増を目指したい」と述べたが、具体的な中身は示していない。調整はうまいが、具体策を持たないのが首相の特徴とも言えるが、これではダメだ。

 高齢者向けの社会保障を効率化しながら、部分的には高齢者に我慢を要請しながら、いかに子どもに財源を振り向けられるかが重要になる。

 日本は先進国のなかで、育児・家事の負担が女性に著しく偏っている。これも少子化や育児不安の大きな要因になっている。長時間労働を是正し、男性の育児を後押しする必要がある。若い夫婦が共に働きながら子育てできる環境整備は重要。企業の役割も小さくない。

 憲法には国民の義務として「労働」を挙げているが、言い換えれば国民の働く環境を整備するのは国家の義務である。非正規雇用が当たり前になりつつある労働環境はこのままでいいのだろうか?
5/5(木)子供の日 快晴 
 0:50飯川病院起床。随想読み、新聞処理。徒然など。9:00-10:30徒歩にて帰宅、暑さもあって疲弊。休養読書、14:00DIY、胡瓜、ナス、トマト等の苗購入、網戸代わりのアクリル板購入。19:00夕食、20;30就眠。歩数11976歩。

子供の日2022(1) 秋田県の子どもの割合、9.5%、11年連続全国最低
 総務省の都道府県別人口推計(2021年10月1日時点)によると、秋田県の総人口に占める14歳以下の子どもの割合は9.5%、11年連続全国最低となった。県人口94万5千人のうち、子どもの数は9万人だけ。

 子どもは前年同期から3千人減り、10年前の2011年との比較では3万1千人減少した。子どもの割合が10%を下回っているのは全国で本県のみ。ちなみに沖縄県は17.9%。

 私は人口減少問題は無策のまま半世紀も放置してきたから、すでに完全に不可逆レベルに達した、と考えている。今更どんな手を打とうと人口減少は止まる事はない。

 国立社会保障・人口問題研究所は、2045年時点の県人口を60万2千人と推計。このうち子どもは4万4千人で、割合は7.4%まで低下するとしている。
 県内の子どもの数は1950年の約50万人がピーク。当時は人口に占める割合が40%であった。その後、高度経済成長期以降に多くの若者が県外に流出。93年には子どもの出生数が死亡者数を下回る「自然減」状態となった。

 子供の減少は社会・経済・地域の生活などすべてについて大きな影響を持つ。すでにその影響が各所に顕になってきている。その影響を受けない分野はない!!!!

 その割には国民の関心を呼んでいない。
 政治家は選挙で集票できない話題だから取り上げなかったし、マスコミも取り上げてくれなかった。一番確率なデータを把握している人口問題の専門家は半世紀も前から現状の姿を予測していたが、声が小さかった。科学的データを無視し続けた政治家もマスコミも、今や人口減の影響をモロに受けている。

 秋田県の子供の将来を語る際「出生率」とかではなく、子供の育成環境を改善する方法を考えなければならない。

 少子化とともに「子供たちが育つ環境は豊かになってきたか?」という点で見ると、今を生きる子供たちは従来にない困難を抱えた環境にある。

 幼児期、成長期に良好な育成環境が与えられること、教育環境を提供することは子供達の可能性を広げる。子供が豊かに育つ環境を如何に提供できるか、財政を確保して社会全体で子育て支援の方法を共有したいものである。

 これは、全世代の国民の大部分が納得できる政策であることは論を待たない。子供は国の宝である。数でダメなら質で高めよう。

 その中で「こども庁創設」は唐突感が否めなかったが、価値ある政策と思う。
 従来、わが国の社会保障などは若者に薄く高齢者に厚く采配されてきた。選挙の投票者が高齢者中心であったから、どうしても高齢者に甘く傾く。逆に、そのことが若者の政治離れに結びついた。

 ところが、少子高齢化がここまで進み、わが国の将来に懸念が出てきて、やっと高齢者から子育て世代へ社会補償の傾向を変ることが求められてきた。私は、今更ながら観はあるが、子供は宝である。高齢者の何倍も大切にしてほしい、と願っている。

 今、こどもたちが育つ環境を考えたときに、こどもたち自身にも、育てる世代にも、社会構造そのものにも、問題は多々ある。あまりの多さにに目が眩むほどである。
子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた

5/4(水)みどりの日 快晴 GW5日目 飯川病院日当直 
1:30起床。データ入力処理、随想読み、新聞処理。徒然。8:30家内に同乗飯川病院、9:00日当直に就く。新聞チェック、文献読み中心。微睡、12:00検食。入院患者平穏。文献読み中心。18:00検食、21:00就寝。 歩行計4886歩。

憲法記念日に思う(2022)(2) 平和憲法でも有事には対応できる
 戦争は非常事態ではあるが、国際的に認められた正式な外交手段の一つである。とはいえ、今回のロシアによるウクライナ侵攻は従来にない新しい形の戦争というべきであろう。

 どんな事態を迎えても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。個人の感情としては分からないわけではないが国民の命を守るべき政治家がそう考えていれば、そんな人には国を任せられない。

 戦後、米軍が作った憲法は良くできているが9条の理念、文面に無理があった、と思う。軍国主義の否定と米国由来の自由と民主主義の考え方で日本人のアイデンティティが混乱をきたした時期に押し付けられた憲法としては価値ある考え方であっただろう。
 文面上無理があったから、日本特有の(?)解釈問題が顔を出す。有事にはどうするか。
 ロシアのウクライナ軍事侵攻を受け、日本国憲法の「平和主義」をめぐる議論
が活発になってきている。日本の安全保障を心配する声も出ている。

 憲法9条は原則として武力行使を禁じている。 しかし、「急迫不正の侵害があ
った場合の防衛はできる」と政府は解釈している。
 政府は、1956年の鳩山一郎首相の答弁から、
 ■「急迫不正の侵害」
 ■「他に手段がない」
 ■「必要最小限」
の要件を満たせば、日本の領域外での武力行使も違憲にならないとの立場をとってきた。

 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 ずっと現憲法でやってきて「それほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない」、「自民党の思惑と国民の思惑は全く一致していない」。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 私も憲法改正は必要であるが、急ぐ必要はない、と思っている。

5/3(火) 憲法記念日 晴れ一時雨など不安定 GW3日目 飯川病院日直
 1:40起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ+庭木祭壇材提出2往復。秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。7:30家内に同乗飯川病院へ。8:00飯川病院日直。座学など、新聞チェック。12:00昼の検食。午睡後読書、散水、17:30迎えあり帰宅、読書・19:00夕食、21;00就眠。歩行計6572歩。

憲法記念日に思う(2022)(1) 日本は軍隊を持つ国
 我が国の憲法は制定後76年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。不戦の誓いを成文化した条文を持つからだ、と多くは考えているのだが、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている。

 この76年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると俄に改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は岸田首相に変わったこと、新型コロナ禍のために論議は低調である。ほとんど話題になっていない。

 憲法9条で戦争放棄が以下の文章で謳われている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 憲法9条、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 実に立派な条項だ。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法のためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係、外交努力など、がそうさせてきた。しかしながら、本年2月26日以降事情は一変した。
 平和は「平和!!!、平和!!!」と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら、自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、防衛機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

(参考資料) 世界の軍事費上位10カ国
――――――――――――――――――――-
01 米国     8010億ドル
02 中国     2930億ドル(推定値)
03 インド    766億ドル
04 英国     684億ドル
05 ロシア    659億ドル
06 フランス   566億ドル
07 ドイツ    560億ドル
08 サウジ   556億ドル(推定値)
09 日本     541億ドル
10 韓国 502億ドル
( SIPRI調べ)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。
 
 安倍元首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向であった。
 私もこれについては正しい判断だと思う。

 今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここに極だっている。軍隊を持たない我が国は「同盟の美名の元で米国の属国」に甘んじている。自衛隊は災害救助隊ではないのだ。

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張するが9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。

 私はそう思っている。

5/2(月)降雨午後から快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院勤務
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。6;40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック6名だけ+結果判定11名。飯川病院へ移動、それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。14:00-19:00勤務、入院患者対応、許可得て15:30から1時間歩行に、古書広表展4冊購入、19:30帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計12199歩。

季節の話題2022(7) 秋田に夏がきた 花たちが萌えている
 4月24日には私の生活環境の桜がほとんど散ったことで、私に夏が来た。
 花燃ゆる季節になった。わが家の木々、草花は「椿」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「梅」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。
 それ以外にも以下がとても美しい。

(通勤路の芝桜)

(通勤路脇のライラック)

(飯川病院脇の川端公園の八重桜が見事)

(飯川病院で育てているハイビスカス 口紅のイメージ)

(飯川病院で育てているクンシラン アマリリスより清楚)
 
(飯川病院で育てているアマリリス カルメンの口紅のイメージ)

5/1(日)降雨 GW3日目 ほとんど座学と読書、微睡
1:40飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理など。のど自慢楽しむ、微睡。昨年ダリア球根仮植え、今年は2週以上前にすみ。若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5238歩。

季節の話題2022(6) 秋田にも春がきた 庭先の花たちが萌えている

 私は除雪を意識して季節を分類している。
 2月18日に今季最後の、14回目の除雪であった。
 2月19日私にとって春が訪れた。今年の除雪は例年より頻回であって辛さを感じたが、やっと除雪から解放された。
 3月を迎えても気温は低くなかなか雪が解けない。庭や畑にはまだ雪が残っていた。こんなことは珍しい、
 3月半ば過ぎに庭や畑の雪も消失したので徐々に外仕事を始めた。

 4月12日秋田市で桜の開花宣言があったが4月15日には各所の桜が一気に満開となった。私の通勤路脇の桜もほぼ満開、通るたびに季節感を味わっている。
 「なんで花は美しく咲くのだろうか?誰のために!!!」は私はずっと考えているがいまだに考えがまとまっていない。一歩踏み出すと「なんで桜はこんな一生懸命咲くのだろうか??」。私はつくづく呆れている。なにもこんな精一杯、樹々全体で一斉に、火がついたように咲くこともないだろう。

 ほとんど一つのクローンからなるソメイヨシノとに備わった宿命といえども、見ず知らずの人類まで、こんな美しい姿をさらけ出すのは何故なのか。桜は一生懸命頑張り過ぎて可哀想に思う。落ちこぼれの樹々があってもいいじゃないか。花だけが先行して咲くので見ていて疲れる。あんまり桜がきれいだから、ちょっとけなしてみたくもなる。

 4月16日(土)に回診を終えた家内の希望もあって10年ぶりに千秋公園で花見をした。最近の共通の標語は「来年は一緒に見れるかわからん・・・」である。ここ2年はCOVID-19のために観桜会は開催されていなかったが、人出も、屋台も結構出て雰囲気だけは楽しめた。千秋公園の桜は古い木が多いためか寂しい様子である。

 にもかかわらず、私にとってとても印象が良かったのは、普段はお年寄りしか見ることのない環境で過ごしているのだが、その日の千秋公園ではどこから湧いてきたのか、と思うほどの大勢の若者で活気があったことである。高齢者の数はむしろ少なかった。

 千秋公園の桜は古い木が多いためか各樹々の花はやや寂しい様子である。旺盛に咲く樹々では一本あたり十万個もの花をつけるとされるがここの桜はその6-7割程度かな、と思う。そのため、市では桜のオーナーを募集している。慈善団体の秋田ゾンタクラブは、家内も会員であるが、1-2本寄贈している。

(秋田ゾンタクラブの寄贈桜とプレート)

 4月24日には私の生活環境の桜がほとんど散り、私に夏が来た。しかし、時にはまだ寒い。徐々に園芸、畑、の作業を開始した。
 花燃ゆる季節になった。わが家の木々、草花は、「椿」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「梅」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。
 いい季節になったが、花々たち以上に萌え上がる「名も無い草たち」との対話が始まる。4月23日、今季初の草刈りをした。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
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