2022年4月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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4/14(木)曇り 午後飯川病院
1:20起床、文献読みなど数件。ダリア発芽状況など確認。10:50バス、通町から徒歩山王経由ドンキ。古書店5冊購入。徒歩病院へ。午後は飯川病院勤務。入院患者対応なし。座学、新聞チェック。音楽録画。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開。歩行計11050歩。
音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(2)
ブルックナーの交響曲は時折テンポが急に切り変わるが、チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はすべてのフレーズをスムーズに繋いでいく。
ヘッドフォンで再現される遅いテンポ、繊細な音に耳を傾けていると時間という概念が消え、全てが一体化して鳴り響く。ブルックナーの音楽は壮大な建造物に例えられることが多いが、チェリビダケの手になると演奏は雄大な自然そのものに化けてしまう。
このライヴが行われて2年後にチェリビダッケは世を去った。
おそらく老いが進むにつれ彼自身の体内時計のテンポが一層遅く刻まれる様になったのであろう。それに伴ってさらに演奏テンポが遅くなったと思われる。
高齢指揮者の晩年の演奏は一般的に遅くなる傾向があり、それが古潭の境地などと評され珍重されるが、コンサート会場で直接聴いている場合、演奏の録画を観る範囲ではそれなりにその演奏に入っていける。しかし、レコード、CDなどで音だけを聴くと緊張感のない、だるく、遅いだけの演奏になっていることがある。だから、概して高齢指揮者の演奏は私は好まなかった。
チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はテンポが遅いが、緊張感を失うことはない。長年一緒に演奏してきたからなせる技と境地であろう。
チェリビダケの練習は異常に厳しいとされる。そのために楽団から嫌われ関係が長く続かないという経緯は有名である。読売日本交響楽団の招きで対日した際には通常1−2分しかかからない音合わせに30分もかけたという逸話も残っている。ミュンヘンフィルは彼の資質に共鳴し総監督として迎え、長い付き合いがあったからこそなし得た演奏というべきだろう。
超スローテンポで全曲を貫徹、これはチェリビダッケ晩年の表現であるが、私はこの曲以外の録音はそれほど好んでいるわけではない。尤もこの曲ほど聴き込んだのはないからそう結論づけるのは早計なのかもしれない。
何で私がチェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番を異常に好むのか??それは、私自身がこの曲が「この世とあの世の接点、端境域にある」ように感じてこの曲を特別に好んでいること、多くの演奏を耳にしていることによっているから、と思われる。加えて、私の体内時計が刻むリズムが老化によって遅くなってきているから、だと思われる。
最近、私は会話にしても歩行にしても全体にスローテンポになっていることを自覚する。また。何かに取り掛かるにしてもその前に若干の時間が必要になった。さらに、やるべきことを後回しにする傾向も出てきている。
このような変化を背景に今回チェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDを購入した。今まで所持してきたアナログ録音が劣化して聴き難くなってきたからでもあるが、さらに彼らの演奏に浸ってみたいと考えたからでもある。
4/13(水) 曇り 午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 COVID-19ワクチン担当
1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 14:00-16:00 COVID-19ワクチン担当。
14:00飯川病院、入院患者対応。新聞データ化、自炊3冊。19:00帰宅夕食、20:30就眠。歩数計4540歩。昨年、リハビリ病院を通じてデロンギヒーター2ケ、古いガス台、犬のケージ廃棄した。今年はiMac27x2対象としたい。
音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(1) 遅いテンポに酔える日々
今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。前者の印象は前述した。
私は独墺系のロマン派の音楽を好んで聴く。その中で私の好みはマーラー、ブルックナーが中心である。両者の作品の演奏データは優に50種を数える。ブルックナーが6割、マーラーが4割というところ。
ブルックナーの交響曲は0番から10曲あるが、私の好みは8番>9番>7番>5番>6番>・・・と続く。8番の演奏データは15種類。愛聴するデータは、カラヤン>ギュンター・バント>チェリビダケ>インバル>朝比奈隆>ジュリーニ>ヨッフム>シャイー>バレンボイム>・・・・と続くが、最近はチェリビダケを聴く機会が増えてきている。
チェリビダケは1912年ルーマニア生まれ。1996年没。1945年のドイツ敗戦直後、戦後、一時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)の首席指揮者に就任した。
フルトヴェングラーの死後、BPOは後継者としてカラヤンを選出する。チェリビダケはその後各地で演奏を行い、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団、1979年からミュンヘン・フィルハーモニーの総監督を務めた。 日本には読売交響楽団の招きで2回客演で来日した他、ミュンヘン・フィルと複数回来日している。
チェリビダケは、「音楽は空間および時間と一体として存在するもので、それらを切り離すことは不可能、つまり、音楽はホールで、一回きり。録音などは、一切ダメ」という考えを表明している。そういう一方で、イタリア、スエーデンなど、各地の放送交響楽団の役職を兼ねるなど、ちょっと矛盾している。それがむしろ嬉しい。
そんなユニークな考えをもつチェリビダケの演奏は、逆に聴きたくなる。彼の録音は非正規という形で次々にリリースされた。だからCDカタログ上では多数認められる。中には客席の足元に置いた録音機で??と思われる海賊版もあった。
チェリビダケのブルックナー交響曲第8番は、種々の録音が繰り返しリリースされた。その中でリスボンでのライブ盤はベストセラーであったが、先般、遺族の許可を経て、初めて正規のCDとして「復活」を遂げた。第8番はおおよそ80分ほどかかる大作だが、チェリビダケの手になるとの105分を要する。
水久に終わらないのでは、と感じられる遅いテンポで奏られる。だから、聴くときはそれなりの準備が必要である。ながら聴きには向かない。
それぞれのパートに明確な輪郭を与えつつ、透明感をもって音が重ねられる。強奏部分でも、音量が上がるというより、音圧が厚さを増しながらみるみる広がっていくような感じである。
ブルックナーの作品が、チェリビダケとミュンヘンフィルによって生まれ変わった。豊かな音に囲まれながら過ごす時間は、私にとって至福のひとときの一つである。
4/12(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア 飯川病院当直 秋田桜開花宣言
1:20床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院へ。8:45-12:15外来。診療の合間を縫って私自身の胸部レ線、心電図、採血をチェック。2月の職員検診で心電図に異常が加わり、慢性腎不全に近いデータが得られたための再検。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡読書、新聞データ化、自炊4冊ほど。17:00当直業務に就く。18:00検食、20:00就眠。Σ7936歩。
音楽談議2022(3) オーケストラの伝統にこだわらない配置で新しい響き デアリング東京オーケストラ
廣津留すみれ氏が独奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のバックを務めたデアリング東京オーケストラは2013年に西脇義訓氏らにより設立された。従来のオーケストラの常識にとらわれることなく「空間力」を生み出すことを基本理念に、新たな響きの創造を目指している。
「デア・リング」の名称は、先進性、独創性、開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作「ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen 」からとったもので「リング」は「輪」や「和」にも通じることからこのオーケストラの基本理念を示す、という。
全員前向き配置、曲によっては一部の演奏家は後ろ向き、立って演奏するなど従来のオーケストラにはない試みをおこなっている。オーケストラは通常、指揮者を中心に演奏者が半円形に並び、指揮棒に合わせて音を奏でる。これが最良の方法だと考えられている。
演奏者は指揮者を見るだけでなく、コンサートマスターの指示も視界にとらえ、さらにはパートのトップと隣の奏者の音や動きにも合わせ演奏しなければならない。
だがこうした縛りから解放されれば、もっと自発的に生き生きとした演奏ができるのではないか。演奏会毎に新たなフォーメーションを試み、知見を蓄えていった。
オーケストラは室内楽の拡大したものとよくいわれる。小編成で演奏するときのようにほかのパートをよく聴けば、室内楽の感覚でオーケストラでも演奏できる。 ホールを楽器として響かせる「空間力」を高めていったことで、新しい色彩や、香りが生まれてきたと感じている(西脇氏)。
オーケストラのメンバーは、東京芸大、桐朋音大等を卒業した若手のプロの演奏家により構成されている。この若さで伝統にこだわらない新しい試みに協力しているという。オーケストラは当初録音に特化して2013年にスタートしたが、公演を望む声が多くあり、2018年にデビュー・コンンサートを行った。同年の毎日新聞で、「演奏会の響きは、柔らかさ、色彩、音楽的な豊かさにおいて、驚異的な革命であった」と評された。
設立者の西脇義訓氏は今回初めて知った方。基本は録音関係のプロらしいが、指揮者としても研鑽を積んでいる、とのこと。1948年名古屋市生まれ。木琴、チェロを習い慶応義塾ワグネルソサィエティ・オーケストラにチェロで在籍。
1971年、日本フォノグラム(株)に入社。録音プロデューサーとしてサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団などの録音・CD制作に携わる。
指揮はスイスの名指揮者Mコルボの薫陶を受けたという。
すでに10枚ほどの録音をリリースしているが、廣津留すみれ氏とその恩師のジョセフ・リン氏を独奏に迎えた2つの録音以外は全て氏の指揮によっている。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)
4/11(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
1:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:40バス飯川病院着、9:00-10:30健康クリニック。新年度で少ない。受審者8名、結果判定8名。10:45飯川病院、検食後微睡。14:00-17:00飯川病院勤務。入院外来対応なし。花壇にパンジー追加で植える。19:30帰宅夕食、20:30就眠。Σ8272歩。
音楽談議2022(2) 廣津留すみれ:メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、シャコンヌ
廣津留すみれ氏が演奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のCDを購入した。バッハの「シャコンヌ」との組み合わせ。録音は2021年9月だからつい先日。
私は同曲が欲しかったわけではない。私の愛聴曲であり、10種以上の録音データを所持している。ホンの一部、自分でも譜面をなぞったこともあった。
何で今回購入したのか??ソリストとオーケストラに興味があったからである。
氏は2021年4月10日放送の「題名のない音楽会(テレビ朝日)」に出演し好演したのを観て私は興味を感じ、記憶の隅にちょっとだけ残してあった。それが音楽雑誌か何かでCDを出した、とあったので早速購入した。
(1)まず氏のキャリアに興味を持った。
ソリストの廣津留すみれ氏は大分県生まれ、幼少時からバイオリンを習い、母親から英語の教育を受け、公立高校在学中にイタリアで開催された国際音楽コンクールで優勝。2012年9月ハーバード大学に現役入学、学士課程を優秀な成績で卒業、次いでヴァイオリンを極めようと、ジュリアード音楽院の大学院に進学した。
卒業後ニューヨーク市でエンターテインメントを担う音楽コンサルティング会社「Smilee Entertainment」社を立ち上げ、そのまま同市に在住し、ヨーヨー・マとの共演に加え、ゲーム音楽の作曲やプロデュースを行った。事業の才能もありそう。
2020年に、コロナ禍により帰国。著述や講演に加え、TV番組への出演、成蹊大学および「秋田の国際教養大学」の講師に就任している。
氏の歩んできた過程、なし得た結果など私はひたすら驚くしかない。
(2)氏は秋田の「国際教養大学」の特任講師に就任
国際教養大学特任助教授の渡辺玲子氏は秋田で時にコンサートを行うが、廣津留氏にもその活動を期待したい。
(3)廣津留という姓
詳細は不明であるが大分でも氏の周辺にしかおらない稀中の稀な姓らしい。私も一発で覚えた。そのような希少な一族の中からこのような才能豊かな方が出てくるなんて、これも驚きである。
(4)演奏
私には名盤、名演奏という考え方はない。演奏を批判することも好かないし、出来ない。提供された音楽にひたすら同化し楽しむだけ。
これはライブ録音であった。しかも指揮者なしの指揮振りで行われたとのこと。演奏そのものは流麗で素晴らしい、と思った。バッハのシャコンヌは心に深く染みた。聴いていて心地良い。聴いている時間、しみじみと幸福感を味わった。
ライナーノートによるとこの演奏会はジュリアード時代の恩師ジョセフ・リン氏が出演する予定で廣津留氏も再会を楽しみにしていたが、リン氏がコロナで来日できなくなった。廣津留氏に代演のオファーが来たのは演奏会の1ヶ月ほど前、しかも録音収録付き。曲目をメンデルスゾーンに変更してもらうことを条件に快諾した、という。
それでこの結果、これも大したものである。
(5)ジャケットの写真
実に可愛いいし、優しい表情に写っていると思う。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)
4/10(日)快晴気温上昇 倦怠感にて外仕事なし
0:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。7:30入院患者死去。9:00-10:10歩行にて帰宅、疲弊し天徳寺まで迎え依頼。新聞チェック、のど自慢後座学中心。微睡若干、16:00書斎で音楽録画見る。19:00夕食、、20:30就眠。Σ11400歩。
音楽談議2022(1) 10年りにCDを購入した
今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。前回購入は2013年の「いきものがかりのバラー丼」であった。
今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。
CDは1982年に発売された。しかし2000年代以降はインターネットによる音楽配信などが増加し、2010年以降は配信データのハイレゾ化による高音質化があって、音楽ソース媒体としてのCDの売上は減少してきている。
CDの年間販売数は、1998年の3.2億万枚をピークに漸減し続け、2018年には1.37億万枚と、20年間で半分以下まで減少している。インターネットを通じた音楽配信は2009年に900億円に成長してきたが、こちらも予想に反して普及はそれほど伸びていない。
CD販売減少の背景には、音楽を聴く機会が減っていることがあるらしい。若い人たちは趣味や遊びも多彩になって、音楽を聴く機会が減ったのであろう。
私の場合はここ20年は聞くことから読むことに興味の主体が移った。
さらに、CDを買わなくとも音楽を入手する手段がふえてきたことがあると思われる。
■低価格なレンタルの普及
■音楽データとしてパソコンに入れられる
■無料で聴ける配信型の音楽ソースの普及
■ダウンロード販売の増加
■などなど・・・
私もかつてはCD販売増加に貢献してきた。私はレコード派であり、CDは補助的立場であったがそれでも優に500枚以上は購入していた。しかし、2010年以降は興味が薄れ、CD販売減少に貢献してきた。
この22年間で購入したのは「いきものがかり」の1枚、それと今回購入した3枚だけである。しかもその間、ほぼ全CDをパソコンでMP3化し本体は廃棄した。レコードも全て廃棄した。
レコードは再度注目され販売量も増えつつあると言うが私は興味がない。CDはレコード以上に悲しい運命を辿りそうである。デジタル音源だから容易にデータ化することが出来るが、この先進性がCD販売減少の背景の一つになっていると思う。
音源としてのCDの価値は決して減じていない。通常のCDより音質が良いSACDと言う規格品もある。
私もはアップルの音楽配信サービス会員になっているが、そのシステムがよくわからず聴きたい曲を探し出せない。だからほんの少ししか利用していない。
それで今回購入に至ったもの。
4/9(土)快晴 飯川病院日当直
1:50起床。読書、データ整理中心。8:30家内に送られ飯川病院、日当直に就く。新聞チェック、月刊誌など自炊数冊分入力。酸素飽和度低下した入院患者対応。12:00検食、午後院長出勤あり、院長に送られ広面古書店に、数冊購入、帰路は徒歩、わらび餅購入。それ以降は座学に集中。18:00検食、20:00就眠。歩数計6308歩と意外と伸びない。
こころと身体2022(31) GG(4) 子供の日に「少年少女の主張」を
少年たちの様子を観察するのは楽しい。ただ、私にとってそうある機会ではない。
私の偏見?なのだろうか、今の少年(少女も含む)たちは一般的に落ち着きが乏しく、心に余裕がないように見える。その大部分は少年たち自身の問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我の発達が未熟な立場の子どもが、一番最初に時代の変化の洗礼を受けていからだろう。
私が感じるに、今の子供たちは両親にとって贅沢なおもちゃ的存在、ペット的存在なのではと感じられる。育児には細心の注意が必要であり、とても費用がかかる。だからか、一般的に過干渉に見える。
少年たちにとって、必要なものは何だろうか。
特に年少の少年たちにとっては「遊び」の保障であり、年長の少年たちにとっては「自由」の保障、将来への「迷い」なのではないだろうか。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が大事、と思う。
「遊び」を介した人間関係の構築や確執、両親の「やさしさ」を経験しなかった子どもが将来どんな大人になっていくか、心配である。
一方、中学生や高校生になると自分の置かれた環境に対する評価もできるようになる。自立していく過程で、彼らは大人に向かって言いたいことが多数あるのではないだろうか。
■親にあらゆることをコントロールされ押し付けられるのは嫌だ。
■親の顔色を伺って生きるのは嫌だ。
■親から自立して別の家に住みたい。
■異性と付き合いたい。
■クラブ活動で青春を燃やしたい。
■友達同士でカラオケなどしたいが、親が許さない。
■将来への希望が見えない。自分は生きていても意味がない。
■・・・・・・
まだまだあるのだろうが、私にはよくわからない。
つまり、いつも親のいう事に従って生き、親が決めたコースに乗って正しく、まっすぐ生きる。自分は素直な子のふりをし、人前では作り笑顔をし続ける。
だけど、そんなんじゃ、青春とは言えないのでは?
青春とは、人の顔色を伺うものではない。将来やりたい事を求めて悩み、挫折し続ける時期でもある。
私ども大人は子供たちの声を聞く機会をもっと持つべきでないだろうか。
私はいつもNHK第一放送を、最近ではR1放送というらしいが、いつも微かに流し続けている。TVほどではないがラジオでもバラエティ番組というべき内容の時間が多い。勿体ないことである。NHKには世代のギャップを埋めるような特集も折々に組んでほしい、と思う。
4/8(金) 終日曇り寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:45起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、8:11こまち、本日から新幹線可能に、9:10大曲中通病院外来、往路徒歩、復路タクシー。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。昨年iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計9720歩。日本内科学会MM分登録終了。 昨年Suica使用開始。
こころと身体2022(30) GG(3) 懐かしい少年時代の自由と余裕(1)
「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GG」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。
私は現役を退いてからは働いている年代の方々、青年期の方々とはほとんど声を交わすことがなくなった。老年期を迎えてそのことに満足と一抹の寂寥感、それと若い方々の考えがわからないという不安を感じている。若い方に融通性とか包容力を感じることができず、何か怖い。
私は3人の子供を育てた。業務が多忙だったこともあり、できるだけ頑張ったつもりではいたが、子供たちと十分コミュニケーションを取ったとは思っていない。子育てをやり直したい、と考えたこともある。にもかかわらず子供たちはそれなりに成長してくれた。その点では感謝している。
現役を退いてからは時間的に余裕ができた。
その頃から何人かの孫が誕生した。これを機会に「0歳から、子供はどう精神的に、知能的にどう発達するのか、どのように言葉を学んでいくのか??、などに興味を持ち、文献を集め、勉強する準備を始めた。しかし、残念ながらこの試みは身を結ばなかった。その理由は、時にしか会うことがない、いわゆる外孫であったことで、十分な観察ができなかったからである。
私にとって幼児期や少年期は、懐かしく感傷的に心によみがえる。敗戦後の復興期に、少年時代を過すことのできた私はある意味でとても幸せであった。その記憶は時々ふと、鮮やかなイメージとして浮んでくる。
遠くで太鼓や笛の音が聞こえ、心が浮き立った隣町の神社の祭り、ボールが見えなくなるまで毎日遊んだ草野球など、次から次へと想い出すことがでる。かつては、学校がひけてもずいぶん長いこと校庭で遊んでいたし、道路ですら立派な遊び場だったし、近くの川では泳げた。日の暮れるまで外で遊んで時々叱られた。恵まれた自然と、友人と時間的余裕と自由があった。
ところが今は、学校の校庭は放課後はクラブなど一定のもの以外は使用できず、早く校内から去ることが求められ、道路は危なくて遊ぶどころではない。各家々はみんな一つ一つが閉鎖的に孤立して、上品で、内に夫婦の不和とか経済的困難とかいった問題があっても知ることができない。何らかのそんな要因が生じれば、少年たちの心はその影響をモロに受けるだろう。
私はこの歳になって童謡を聴き、絵本も購入して読んでいる。かなり少年の心を持ち続けている方だと思っているが、時折世の中を老人の視点から固定的に見ていることに気づき愕然とすることがある。
これじゃダメだ、とも思う。
4/07(木)晴れ 飯川病院
1:15起床。新聞・文献チェック他座学中心。午前は枯れ枝処理10:50バス、通町山王ドンキ店、3冊購入、飯川病院。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19;30帰宅夕食、21:00就眠。歩数計11950歩。
こころと身体2022(29) GG(2)成人の日に「青年の主張」、敬老の日に「老人の主張」を
かつてNHKの番組の一つに「青年の主張」というのがあった。
たしか毎年の成人の日の当日だったか翌日だったかにラジオ番組で放送されたと思う。「NHK青年の主張全国コンクール」はNHKが1956年から毎年成人の日に開催し、以降毎年放送された。ラジオでは第1回から毎年中継していたが、テレビでの中継は1959年からである。
1990年から表題を『NHK青春メッセージ』として装いを一新。それまで設けていた主張テーマを廃して自由にアピールを発表する事が出来るようになった他、年齢制限も緩和され、当該年度に満15〜25歳になる青少年に広く門戸を開放した。2003年に終了した。
私は子供の頃からこの番組が好きだった。青年たちの夢が力強く語られ、それを聴きながら自分の将来についても考えたものであった。
思えば、あのころは世の中全体が若者社会だった。
若者たちの気力で溢れていた。老人も引きづられて元気だった。
政治も産業もマスコミも文化もコマーシャリズムも、ターゲットは若者だった。
若者が日本の文化を動かしていたといっても過言ではない時代だった。
だから人々は若者の発言に注意深く耳を傾け、これからの世の中の移り変わりを、その主張の中に見ようとしていた。
あれから何年たったであろうか。
ふと気がつくと世の中はいつのまにか老人社会ということになった。
日本は少子高齢化社会となり街に高齢者が溢れている。我が国の65歳以上の高齢化率は、1950年が4.9%であったが、以降一貫して上昇が続いており、1985年に10%、2005年に20%を超え、2018年は28.1%となった。
これから先、この比率は恐ろしいまでに増えていく。さらに、人口自体が減少し始めている。
民主主義社会では選挙の意義は大きい。多数を占める老人が世の中を動かす時代になってきた。政治家は身の安全を図るために老人に甘い政策を掲げたそれがシルバーデモクラシーである。これは決していいことではない。
その結果、老人たちは世の中に甘え、若者たちは夢を失ってしまった。
いま老人たちは何を考え、何をしようとしているのか。その主張に耳を傾けなければならない。要するに老人を甘やかすと日本は活力を失っていく。
それにしても老若世代間の対話が少ない。互いに何を考えているのかよくわかっていないのではないか、と思う
私は「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」の中でつくられてきた溝を埋めるために「老人の主張」を敬老の日に復活させてほしい。最近の社会の考え方は「敬老」から「軽老」の日に向かっているようにもみえ、「嫌老」「棄老」の言葉すら見つけることができる。これは他の世代が高齢者についてよく知らないから生じている現象である。
同じことは青少年にも言える。成人の日付近に『NHK青春メッセージ』を復活させ こどもの日付近には「少年の主張」を組んでほしい。
4/6(水)曇り晴れ 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
1:30起床。文献検索、徒然ほか。ラジオの電源修理するも主電源が切れなくなって失敗再挑戦することに。10:50バス、通町から山王経由ドンキホーテへ歩行、古書3冊購入、バスで飯川病院に。12:30ボランティア。新聞チェック、14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応。データ整理、本読みほか。昨年家内用にiPad mini5落札するも結局私が使用している。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数9114歩。
こころと身体2022(28) ジェネレーションギャップ「世代間格差」について(1)
「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。あくまでも「差異や、認識の違い」があることを指す言葉で、その善し悪しを示す言葉ではない。
GGは、職場や家庭だけでなく日常生活のあらゆる場面で発生する。何気ない会話の中でも、異世代に通じない!という言葉や考え方は意外と多い。
我が国には和暦がある。和暦には西暦にはない一定の年代区切りを示す優れた機能がある。今の日本人は、大部分が昭和世代と平成世代に属すが、その間でGGが起こりやすい、と考えれば理解しやすい。さらに、令和に突入した。令和世代はまだ子供しかいないが、近い将来には、3世代にわたる新GG時代が生じてくる。
人は育ってきた時代の考え方を身につけながら成長し、活動し、やがて老いていく。この間、如何に「人間」について、「人生」について勉強しようと、頭では理解していながら、深層にある考え方はなかなか変わることがない。
私はそういう意味では「人間」について、「人生」について勉強している方だと自認している。時代別の社会の考え方の変遷についてもわかっている方だと思うが、私は「昭和の古い人間」というカテゴリーから抜けきれない。私は考え方の深層に「昭和」を引きずって生きている。
私は、世代間の格差がなくなることは絶対にあり得ないことだ、だからGGはあって当然のもの、と考えている。GGの解消は、極言すれば古い人間に引退してもらうか、消滅してもらうしかないが、そんなことは望みようがない。
世代間に見られるGGは、世代間の対話の減少、世代間の交流減少が原因しているように思われる。若者は若者の社会で生き、高齢者も高齢者だけの社会で生きていて、その間のコミュニケーションが大きく欠けているような気がする。
日本は少子高齢化、人口減のためにGGが拡大していくであろう。これは互いに不幸なことである。
だから、GGを埋める手立てを考えなければならないと思う。
4/5(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:45-14:00外来。混雑なし、されど書類等あり疲弊。14:15飯川病院、微睡など。ボランティア。やはり火曜日は疲弊する。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩行計7026歩。現在の歩数計、使用開始後8.9年、3.287日で3.000万歩、2.4000Kmに達した。
こころと身体2022(27) 歩数計積算データを眺める 運動不足解消に生かす
2013年4月に私はクロスバイクによる通勤を諦め、徒歩通勤を開始した。条件によってはバスも利用している。
その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬が日本地図を作るために海岸沿いに歩いた足跡を、日本一周約18.000Kmをゲーム感覚で地図を作りながら進んでいくというもの。
現在、日本二周目の途上にあって東京から北上、北海道は後1.000Kmを残すだけとなっている。
歩数計、「新・平成の伊能忠敬」は2022年4月時点で以下のデータを示した。
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■使用開始後、3.287日目(8.9年)
■Σ歩数3.000万歩(平均9.128歩/日)
■歩行距離2.4000Km(平均7.3Km/日)
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2020年4月14日、沖縄を含む日本一周を達成した。
その時のデータは、■2.565日(7.03年)目、■総歩数Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)、■歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)であった。
この歩数計は到達目標がとても遠い。時間もかかる。実際、購入した方々の何%ほどが達成するのか??と思う。購入者の1割にも満たないのではないか??
私は当時この歩数計を気に入り5ヶ購入し、家内や子供たちに配った。しかし、1年経った頃聞いてみたら利用し続けていたのは私だけだった。
まあ、そんなものだろうと思ったが、私が9年近くも使い続けてきた背景を考えてみた。
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■ 「継続は力なり・・」という意識、持論があった。
■ 最大の理由は死ななかった、あるいは大きく健康を害さなかった。
■ 紛失せず、決定的な故障なし。
■この8年間、毎日 2:00amに歩行数を確認しブログに記録し続けた。
■ 歩数からその日の運動量を推定、翌日の生活に役立てた・・・などなど。
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連日の歩数は、日当直の日は病院の部屋にこもるから3.000歩程度、雨天などは通勤はバスを利用、座学中心で座りっぱなしなので6-7.000歩、雪が消えた3月以降は外仕事と歩行で10.000-15.000歩程度となっている。
いつまで積算できるのか、楽しみである。
4/4(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック10名。結果判定なし、飯川病院に移動。歩行ドンキホーテ往復、本3冊購入。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院勤務、入院患者対応、花壇に花植え付け、今季初散水。19:30帰宅・夕食、21:00就眠。歩行計12250歩。
JR東日本「泉外旭川駅」オープンから一年 乗客数は予想の1/2程度とまずまず
JR秋田奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、2021年3月13日に開業し、1周年を迎えた。
泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した駅で無人駅。隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。
秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用ができない地域となっていた。
新駅は泉、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。
秋田市は鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停を設置した。
市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、利用者数アップの仕組みを検討している。
高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。
市の試算、その根拠になった調査、データなど私にはわからないが、1日当たりの乗客数は2.118人と試算。開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。
2月に市が行った調査によると、利用者は平日が平均1.124人、休日が510人と当初の想定を大きく下回っている。秋田の地方紙である魁新聞は利用者が当初見込みの1/2以下という現状を厳しく論じている。しかし、そうだろうか?
市は、長年にわたって日常の移動に車やバスを使ってきた地域住民が列車を利用するようになるには一定の時間がかかると説明している。さらに、COVID-19の影響で、イベントや会食の機会が減ったことなども伸び悩みに影響したとしている。
私は、乗降者数が当初予想の半数ほどに止まっている現実はほぼ妥当、と評価している。今まで鉄道がない状況でも、それなりの方法で移動していた住民が駅ができたからといって直ちに列車に切り替えられるものではない。私も移動の手段が増えたことを喜んでいるが、まだ一度も利用していない。
それと、足腰が弱った高齢者にとっては、例えば自宅から駅までの数100mの移動、駅構内の移動も結構辛いという現実もある。現に、通勤時間帯と休日に利用状況を見学に行って見たが、高齢者はほとんどいなかった。一方、通勤時間帯は別とすれば、路線バスの乗客はほとんどが高齢者である。
まちづくり構想に新駅をどう関連づけていくかは大事である。
市はこれまでバス利便性を高めるために一回乗車あたり100円の高齢者パスも発行し喜ばれてきた。その成果も出ている。
住民は利便性の向上を評価している。駅開設の結果を数字の上だけで評価してはいけない。普及には時間がかかるのだ。
4/3(日)快晴 故三浦亮元教授お別れ会
1:45起床飯川病院で起床。データ整理 9:00-10:00歩行帰宅、秋田工業高校まで迎え依頼。コナカ、ハッピーにてスラックス、ポットの花、肥料、除草剤購入。NHKのど自慢楽しむ。13:00-14:00微睡。以降外仕事、主としてバラ対策。故三浦亮元教授お別れ会は欠席。書斎にこもり整頓と音楽関係録画視聴、19:00家内帰宅夕食。21:00就寝。歩行計13255歩。
こころと身体2022(26) 私は何者か?(4) 列車を乗り越したが、最高に運がよかった
3月16日(水)深夜に起きた地震により東北新幹線は不通となった。秋田新幹線はその影響で運行本数を減らして秋田・盛岡で運行となった。私は週一回金曜日に大曲出張で往復秋田新幹線を利用しているが、運が悪いことに私が利用する便は往復とも間引かれてしまった。
そのために3月18日(金)以降、奥羽本線の普通列車を利用している。出発時間は新幹線とほぼ同じ、乗車時間は10数分ほど長い60分ほどである。
4月1日(金)朝、途中までiPadで読書していたが大曲駅近くで睡魔に襲われ眠ったらしい。車内放送で「次は後3年駅・・・」と言っており驚いた。乗り越しである。大曲を過ぎていた。とりあえず次の「後3年駅」で降り対策を考えることにした。
しかし、奥羽分線は上り下りとも1-2時間に1本ほどしかないから列車で戻るには無理があるだろう、タクシーで大曲に戻るしかないが、田舎の駅でありタクシーも横手市から呼ぶことになるだろうから時間がかかるだろう、と考えていた。
結局、今日は診療応援にはならないかもと半ば諦めているうちに「後3年駅」に着き降車した。なんと!!! 向かい側のホームに向かって逆方向の普通列車が静かに近づいてくるではないか!!!
・・・・・と言うことで、大曲中通病院には予定時間から40分ほど遅れただけで到着し業務に大きな傷を負わせないで済んだ。大曲に戻るチケット代金は無料であった。
今回の乗り越しは、逆方向の列車と同じ時間に停車するという偶然の機会に助けられた。まるで松本清張の列車トリックを用いた作品「点と線」の如くだ、と思いながら病院に向かった。
これまで私の乗り越しは何度かある。何も睡魔に負けた。
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能代の病院の診療応援の際、睡魔に襲われ急行列車で乗り越し、二ツ井駅で降車した。この時は約2時間遅れて病院に着いた。外来診療には間に合わず、病棟回診だけで済ませた。
仙台の会議に向かった際、睡魔に襲われ新幹線で乗り越し、大宮駅で降車した。急いで戻ろうとしたが、下りの東北・秋田新幹線は満席での席が取れず仙台に戻ったのが4時間後。当然会議には間に合わず、そのまま秋田まで帰った。
その他若干
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■宮城・福島県沖の地震について
3月16日23時34分頃、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震があった。同36分頃にも、震度6強が観測された。気象庁によると地震の震源は福島県沖、震源の深さは約60キロ、M=7.3と推定され、最大1mほどの津波注意報を発表した。
震度5強は岩手県、山形県。
震度5弱は、青森、岩手、秋田、山形、福島、茨城、栃木、新潟各県で観測された。
震度4は東京都内でも観測されている。
東北新幹線では営業運行中の車両が白石蔵王駅近くで脱線、東北自動車道で路面に亀裂が入るなど大きな被害が発生。大規模停電や断水も相次いだ。
新幹線は17両のうち16両が脱線しており、さらに線路や高架橋に1000箇所ほどの損傷が見られ、復旧は4月中旬の予定という。
上記の事故で東北新幹線は不通となり、秋田新幹線は運行本数を減らし盛岡・秋田間の運行となった。
東北新幹線事故は人身事故にならなかったのは幸運であった。
私は自分が何ともできない巨大システムに身を委ねるのを恐ろしいと思っている不安症である。例えば、東京都庁、航空機、新幹線、地下鉄、青函トンネルなど。現実には利用しないで過ごせないから利用はするがその度に内心穏やかではない。困った性格である。
4/2(土)快晴 飯川病院午後日直・当直 外来レセプト点検
1:30起床。本読み、データ整理、飯川病院日直、8:30回診に行くと言う家内に同乗、飯川病院、日直・当直に就く。土曜日当直は1本日から終日となる。微睡、新聞チェック、12:00検食、読書、14:00-15:30外来レセプト点検、以降は読書三昧。18:00検食、20:30就眠。歩行計3448歩。
こころと身体2022(25) 私は何者か?(4) 電子化データに集中する変人か??
私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。
早朝1:00-2:00から1日がスタート、19:00の夕食までの間、診療、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力と分類に割いている。そう言っても、体力不足で午後に1時間ほどの微睡を取り、さらに天候時間を見ては歩行訓練と称して散歩に出、外の作業をこなす。
現在、収集しているデータ、作業は主に以下のごとく。
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(1)連日の作業 蓄積、処理
■ 新聞、学術、専門誌等などの有用記事の切り抜きと電子化。
■ 上記の分類作業。
■ 日常生活の記録。
■ 運動量のチェックのために歩数確認。
■ 福田の雑記帳記述とブログにアップ。
■ NHKラジオ深夜便録音連日3時間分と聴取。
■ NHKラジオ聴き逃しサービスから「歌謡曲」、「宗教の時間」、「浪曲、落語、各種古典演芸その他」の聴取と録音。
■ 上記作業のデータ確認と分類。データはiPadで読み、ヘッドフォンで聴く。
(2)週数回程度
■ 雑誌、書籍の購入、裁断と電子化(自炊)作業
■ 音楽関係の放送を録画蓄積、その視聴と分類。
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私は幼少の頃からガラクタ収集癖をがあった。ガレージの2Fは所狭しとなっていたが、終活のために大量処分ガラガラ状態にまでなった。今は書籍、文章類、音楽関係の電子化データの蓄積と処理とその利用に集中している。
電子化データは脳機能の低下のためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。だから基本的に忘却はない。
(1)はデータとして毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。
重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。処理後の新聞書籍はすべて資源ごみとして再利用のコースに乗せて廃棄する。
情報収拾、それらの確認作業には時間がかかる。辛い作業であるが、私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。
私が生きている世界はとても狭い。世間知らずである。
一方、興味を持っている世界は広い、だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。
時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う、が思い当たらない。
何かを選択することは何かを失うことでもある。
毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすこと、と納得するしかない。
私が存在したことは、家族以外にとってはもう価値はなかろう。引きこもりの成果である。
私が蓄積した情報やデータ、作ったデータは、私以外には不要だろう。その機会を迎えたら自分で消去し、スッキリ旅立ちたい。骨も残す必要も感じないが、家族たちはどう判断してくれるか。それが心残りになるのかも。
4/1(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:30起床、データ整理、文献読みなどいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみ提出、7:35Taxi駅に、8:06奥羽線、乗り越し、運良く帰りの汽車に乗れた。9:50大曲中通病院、徒歩不可。15:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩行Σ6738歩。
新年度(2022)スタート 今年度就労予定とコメント
本日は新年度スタート日。
本日から私の就業契約も改訂になった。昨年度とほとんど同じ。
今年は明和会からは継続の声がかからないかも、と思っていたが、新院長より健康である限り嘱託医師として複数年お願いする、との伝言があった。また、飯川病院の応援医、ボランティア医としても働くことになった。有難いことだが、健康上の懸案がありいつまで続くかは不明。
以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。全体的に業務上軽減されているが、終日フリー日は無くなった。飯川病院の土曜日午前外来が大学の都合にて終了になったため土曜午前も当直医の領域になった。そのために私がかなり担当することになるだろう。
今年度の就労予定
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午前 午後
月曜 健康クリニックドック診察、結果説明 飯川病院勤務。
火曜 中通総合病院外来。 飯川病院ボランティア。
水曜 (飯川病院ボランティア) 飯川病院勤務
木曜 (飯川病院ボランティア) 飯川病院勤務。
金曜 大曲中通病院 大曲中通病院
土・日曜日・祭日 月2-4回飯川病院日直または当直
平日 月1-3回飯川病院当直
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上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。
せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
自覚的には心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。
日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、複数回微睡をとることが多くなった。寝過ぎ??
その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
「無の境地」に至る過程?? イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。
こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要。「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |