徒然日記
2021年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/28(日)寒波緩む 快晴 終日申告関連自分分終了
1:10起床、本読み。データ整理。確定申告は一月延びたが早めに終えたい。終日申告にかかりっきり。午前8:00日曜討論、女性問題。琵琶湖マラソンのため、NHK「のど自慢」なし。19:00夕食、20:30就寝。Σ4043歩。

災害2021(4) 福島・宮城で震度6強の地震(4) 新幹線の耐震研究の現状
 地震国の日本では巨大地震のリスクは避けて通れない。人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。

 ■東日本大震災と新幹線の被害
 東北地方太平洋沖地震は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に発生した大地震。 最大震度7、マグニチュードは9.0で、日本の観測史上最大規模で、地震そのものによる被害のほか、巨大津波で岩手、宮城では壊滅的被害が生じたほか、福島では世界的規模の原発事故が発生した。

 新幹線に関しては、内陸部も構造物や軌道の変状のほか、電化柱に傾斜や倒壊が多発するなど、今までに経験のない被害が発生した。また、東北新幹線仙台駅付近を走行中の新幹線は緊急ブレーキが作動したが脱線した。2004年10月23日に発生した中越地震による脱線事故以来 、2回目の脱線事故となった。今回も乗客乗員に、死者・負傷者は1人も出なかった。

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JR東日本の新幹線の地震対策について。

 1978年の宮城県沖地震では建設中の東北新幹線で構造物に被害が生じて耐震設計法が発展する契機となった。
 1995年の阪神淡路大地震、2004年の中越地震を経験して、以下のプロセスごとの目標を定め対策を実施してきた。

 ■「地震時に列車をいち早く停止させる」、
 ■「地震を受けても地上構造物を大きく損傷させない」、
 ■「脱線しても被害を拡大させない」、

 東日本大震災の地震でも、地震時に列車をいち早く停止させるシステムは複数の列車で機能した。高架橋柱、橋脚の耐震補強工事により構造物に顕著な損傷は発生しなかった。また中越地震の脱線の教訓から導入した列車脱線時の車両逸脱防止ガイドは、比較的低速での脱線ではあったものの機能を果たした。

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東日本大震災後の取組み
 ■ 列車緊急停止の検知体制を強化するため地震計を増設、2012年に緊急地震速報を新幹線早期地震探知システムと接続。
 ■ 耐震補強では、地震被害のリスクが高い高架橋柱、橋脚の補強は、首都圏、 仙台圏は終了。
 ■ 残る高架橋柱、橋脚のうち、強い地震動で被害が生じる恐れがあるものの対策を前倒しして実施。
 ■ 電化柱、駅やホー ム天井の耐震補強、
 ■ 中越地震の教訓である列車脱線時の 車両逸脱防止対策の地上側工事も引き続き実施。
 ■「車両の走行安全性上で問題となる共振現象が生じることが想定される場所を明らかにする」研究を進めている。
 ■ 車両側の対策として、より大きな揺れ受けても脱線しにくくする方策についても研究中。
 ■ 車両の脱線を抑制するには、車体-台車間の左右動ダンパの減衰力を高めることなどを研究中であるが、実用化に向けた車両での評価を検討予定。

 上記のごとくの対策について一つ一つの意義は理解できないが、結果として安全機能は高まっていると評価すべきだろう。

 しかし、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震では東北新幹線の地上設備に大きな被害が生じてしまった。


2/27(土)曇り小雪寒波 終日申告関連
 1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前から申告関連。まず家内の分から、ほとんど座りっぱなし。昨年の夕方MacBook Air2019製届く。準備していた移行アシスタントでMacBook Air2017からデータ移行。19:00夕食、21:15就寝。玄関から一歩も出ず。歩数Σ3740歩のみ。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 意外と大きかった新幹線の設備損傷
 JR東日本は2月26日に、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震で被った東北新幹線の被害状況をまとめた。

 被害は福島の新白と岩手の一関間で確認されたが、乗客の安全に関わるものはなかったと言う。これは偶然の賜物ではないか??と思う。
 
 具体的被害
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 ■ 電柱の折損20本 ひび割れ40本。
 ■ 架線は6本断線、架線関連の金具が550箇所で破損。
 ■ 高架線の柱は損傷10本、梁に60ヶ所の損傷。
 ■ レールのズレは220ヶ所。
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 JR東日本は東北・上越新幹線の電柱20.000本のうち、2028年度までに約5.000本を補強する工事を進めてきた。本年度末までに2.200本の修理を終える予定で、今後さらにペースを上げることを検討する、としている。

 東北新幹線は13日の地震で運転を見合わせ、2月14日からは栃木の那須塩原ー盛岡間で終日運休した。復旧に合わせ徐々に運転を再開していたが、2月24日から臨時ダイヤで全線再開した。応急処置の箇所もあるために、運行本数を8割に落とし、減速して運行すると言う。

 今回の福島・宮城両県で生じた震度6強の地震では、発生時刻が23:10分頃と、新幹線がほとんど走行していない時間帯でよかった。走行していた新幹線は品川駅のホームに入ったところで停電し、緊急停止し乗客は約30分間、車内に閉じ込められた、という。

 JR東日本は被害状況をまとめた時点で、乗客の安全に関わるものはなかった、と評価しているようであるが、それは違う、と思う。

 その視点で、過去の大地震と新幹線被害について調べてみた。

 ■ 阪神・淡路大震災
  阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した。マグニチュードは今回と同じ7.3であった。この時は走行中の新幹線はなかったが、神戸市内の新幹線の設備も壊滅的な被害が生じた。もし走行中の新幹線があれば大変な事態が生じた、と推定される。偶然の賜物であった。

 ■ 新潟県中越地震
 新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した。新潟県中越地方を中心とした地域で観測史上最大震度7で、マグニチュードは6.8。揺れは阪神・淡路を上回る。東京発新潟行き「とき325号」の7・6号車を除く計8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車に向けて約200 km/hに減速して走行中であったが、早期地震検知警報システムによる非常ブレーキが作動し停車した。列車は、8両が脱線したものの、軌道を大きく逸脱せず、逸脱した車両も上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走し、横転や転覆、高架橋からの転落を免れた。
 また、脱線地点がトンネルや高架の支柱などに被害がなく、ほぼ直線で、対向列車がなく二次事故が起きなかったことなどの幸運が重なり、乗客乗員155人に、死者・負傷者は1人も出なかった。
 なお、日本では、営業中の新幹線の初脱線事故であった。
 人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。


2/26(金)曇り小雪寒波再来 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄。7:25Taxi駅に、8:11こまちは通常通りに運行、8:55-11:35大曲中通病院外来。病院駅間は往復Taxi。中央交通案内所で遺失したこう持ち川受け取る。駅病院徒歩、飯川病院ボランティア、看護室の椅子修理。19:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ8124歩。

総務省官僚接待問題(2) 疑念の解消前に移動や処分は隠蔽工作
 総務省官僚接待問題の関与は、報じられた4件だけではなかったようだ。
 政策判断に影響はなかったのか、総務省は徹底的に調査する必要があるが、同じ穴のむじなたちによる身内の調査ではダメだろう。第三者による調査が必要である。

 解せぬのは首相の対応。
 首相は小泉政権で総務副大臣、第1次安倍政権で総務相を歴任し、総務省内に強い影響力を持つ。大臣時代はこの長男を大臣秘書官に起用した。総務省官僚からみれば、その背後に首相の存在が見えるだろう。

 安倍前政時代には夫人がしゃしゃり出た。
 安倍政権時代、森友学園、加計学園、桜を見る会をめぐる一連の問題に共通するのは、身内を含め首相と親しい人たちが便宜を受け、官僚までがそれを支えた疑いがある。

 首相の威光を背景に、一般人には考えすら及ばない影響力を行使していたのだとしたら、政治や行政への信頼は揺らぐ。業者との馴れ合いは長期政権の持つ癒着構造である。首相はそのことを重く受け止めるべきだ。

 それにしても、国家公務員倫理規程にもとる接待がこれほど横行していたとは驚く。一晩の会食が一人7万円以上だったと言うが、いったい何を食べ何を飲んだのか??

 官僚と業界のなれ合いは過去から繰り返し批判されてきた。
 国政の中で有名なものだけでも
 ■ 1988年リクルート汚職
 ■ 1998年大蔵省汚職
 ■ 2007年防衛省汚職
 ■ 2017年文科省汚職

 そのほかにうやむやに処理されたが、関西電力微増収賄事件が目新しい。

 行政はこのような供応を通じてかなり歪められてきているのではないか。このような供応の効果がなければ企業側も投資しないし、官僚側もわかった上で受けているだろう。
 内部の一通りの調査で、その疑いを拭い去ることはできない。省の幹部の国会答弁はのらりくらりとしていたが、週刊誌側が会食の際の長男や前局長の発言を録音したとする音声をインターネット上で公開すると、前局長は出席や発言があったことを認めた。それまでの国会答弁は「虚偽」だった。これだけでも罪は大きい。

 総務省が、菅首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」との会食に関する調査結果を公表し、加えて、幹部たちの移動を発表した。

 週刊文春が報じたのは、総務審議官2人と情報流通行政局長ら4人による4回だったが、他にも8人が19回の接待を受けていた。
 谷脇氏らの「親会社を利害関係者とは思わなかった」という説明は、およそ常識に反する。
 省は11人の倫理規程違反を認め、近く処分する方針を示しているが、多くの疑問点が残されたままである。
 この人事異動は隠蔽工作の一つであることは明らか。これで幕引きは許されないが、不十分な調査の中で早期に処分を行うことも隠蔽工作の一つである。


2/25(木)換気若干緩む午後快晴 飯川病院
 1:00起床。文献・データ整理、読書。昨年は暖春だった? 花壇用の水道ホース出し連結、ボタンの鉢を外に出すなど。今年はまだまだ程遠い。午前は座学中心、読書文献中心。11:50バス飯川病院。新聞チェックなど。14:00-18:45飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅、19:15夕食、21:15就寝。Σ7211歩。昨年COVID-19一斉休校へ。何も全国一律でなくとも良かったのでは??

総務省官僚接待問題(1) 省の接待供応土壌=福島の汚染土 除染すべきだ
 菅首相の長男が総務省官僚接待問題に関わってきたことが明らかになった。

 放送行政を所管する総務省の総務審議官ら幹部4人が昨年10-12月、衛星放送や番組制作を手がける東北新社に勤める首相の長男らから高額の接待を受けていたことが、週刊文春の記事で明らかになった。手土産や帰りのタクシーチケットも受け取っていたとされる。
 この接待がちょうど菅首相氏が首相になった時期と重なったのは偶然なのだろうか。
  
 これが問題になった時に、菅首相は「長男とは別人格である」とのべ、自身の職務との関連を否定していた。その姿勢は正しくない。総理である父親を持った職員の利用価値は会社にとっては格段に高まったことだろう。こんな答弁では菅首相の政治信条まで疑われかねない。

 総務省は国家公務員倫理規程に違反する可能性があるとして、人事院の国家公務員倫理審査会とともに調査を始めた。違反する可能性??これで違反していないとすれば規定そのものが何も効果を発揮していない、ことになる。

 国家公務員倫理規程は、
 ■「利害関係者から供応接待を受けたり、金品を受け取ったりすることを禁止」。
 ■「自分の分の費用を支払う会食は認められる」。
 ■「1回1万円を超える場合は事前の届け出が必要」。しかし、幹部らが届けを出したのは、週刊文春の取材を受けた後だった。

 4人のうちの1人、秋本情報流通行政局長は衆院予算委員会に出席し、東北新社側の負担で会食をした事実を認めたが、「当時は利害関係者が同席しているとは思わなかった」、「何を話したか記憶にない」、と釈明した。高額な接待が利害関係なしに行われるとは、総務省側は何を考えているのか?「記憶にない」? こんなことを忘れてしまうなど、日常業務はできているのか?

 今になって費用を返金したというが、調査中を理由にその金額を明かすこともなかった。

 行政の公平性・中立性への信頼を傷つける事態である。なぜ接待に応じたのか???
 総務省内部には、私どもが知り得ない供応の文化があるのではないか??

 原発事故では目に見えない形で、環境や土壌の放射能汚染が残っている。放射線は目には見えないが、計測計(ガイガーカウンター)で知ることができる。供応カウンターなる計測器を総務省に持ち込み建物全体、職員各人を測定してみればいい。高濃度の汚染されている事実が可視化できるかもしれない。そういう機器の開発が望めれる。需要は大きいと思われる。
 汚染が確実になったら大規模に除染すべきである。


2/24(水)寒波終日降雪若干 申告開始
1:00 起床。文献・新聞チェック。飯川病院は休むことに。昨年MacBook Air2017にiMac27 2012のアプリケーションを上書き、約6時間要した。今は入手できないソフト読取革命が使用可能になった。午前から申告開始準備、書類の準備だけで大変で一日かかった。新聞チェック、読書多数。19:00夕食、21:30就眠。Σ4020歩。

水泳の池江璃花子さん(2) 当時の桜田五輪担当相の発言が物議を醸した
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。心からお祝いしたいし、応援したい。

 病気を公表した池江選手について、当時のオリンピック・パラリンピック担当大臣の発言に対し、ネット上で不用意な発言との批判の声が相次いだ。

 ちょうど2年になるが、つい先日、東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言が女性蔑視の発言として問題にされ、結局辞任に追いやられたばかりで、このことを関連して思い出した。

 NHKやテレビ朝日系などの報道によると、桜田氏は2月12日、池江選手が病気と診断されたことについて、「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手ですから、本当にがっかりしています」などと記者団に対し発言。さらに、「早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい」と労いの言葉も伝えたが、「オリンピック担当大臣としては、オリンピックの水泳の部分には、非常に期待している部分があるんです。 一人リードしてくれる選手がいると、みんなその人につられて全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりが若干下火にならないか、心配しています」と述べた。

 私は、桜田氏は、池江選手に対する期待の大きさ、体調を気遣うことを正直に表現したのだ、と思う。また、五輪担当相としての当然の感想を述べたものである、と捉えた。

 しかしながら、桜田氏の発言は、一部の方々には選手の健康よりも東京オリンピックの成功の方に関心がある発言にも聞こえたらしい。私はそれだっていいじゃないか、と思う。

 この発言がメディアに取り上げられると、TwitterなどSNS上では「配慮に欠ける言葉」などと批判の声が相次いだ。

 森氏の時にも感じたが、正直な感想とか、心情を述べたことに対して過剰に反応する現代の世相の方がまずい方向にあると思う。

 桜田氏のこの発言は間も無く収まったが、氏は2019年4月10日、東京都内で行われた高橋比奈子議員のパーティーで、「復興以上に大事なのは高橋さんでございますので、よろしくお願いします」と発言し問題になった。桜田はその日のうちに大臣の辞表を提出した。「被災者の気持ちを傷付けるような発言をして申し訳ない。発言の撤回だけでは十分でないと思うので辞表を提出した」と記者団に述べた。その日のうちに辞表は受理された。

 辞任後、安倍首相の「任命責任は私にあります・・・」という言葉の軽さも問題になった。私はこちらの方がはるかに問題と考えた。
任命責任は私にあります!!!(2) 桜田国務大臣の更迭


2/23(火)天皇誕生日 曇り寒波 飯川病院日直 
1:00起床,文献読み、新聞チェック、昨年MacBook Pro2009蘇生試みるも不可だった。購入か。8:30仕事混んでいると言う家内に同乗、飯川病院、9:00日直に就く。微睡、MacBook Air2019を購入。家内の迎えあり19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ5512歩。

水泳の池江璃花子さん(1) 選手として復活 
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。確実に力をつけてきている。とても素晴らしいことで、心から応援したい。

 池江さんは1919年2月12日、自身のツイッターでやんごとない重病であることを公表した。
 池江さんは、個人11種目とリレー5種目の日本記録を保持している有能な水泳選手で、このニュースは各方面に衝撃的に伝えられ、メディアで大きく取り上げられた。

 NHK-TVを始めメディアの当時の取り上げ方は好意的な視点からであるが、やはり過剰だと思った。
 池江さんには競技選手であることから降りて、ゆったり、療養に集中してほしい。それが私の最大の願いであった。病気の池江選手はそっと見守ってあげよう
 私は、内心ハラハラしながら池江さんに関する報道情報を集めていた。少ない情報であったが、彼女が受けている治療内容を具体的に想像できるだけに、心配もしていた。

 池江さんは公表時のツイッターを通じ「未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすればなおる病気でもあります。今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、さら強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張つていきたいと思います」、とのコメントを発表した。本人の気丈なコメントが救いであった。

 池江さんは1年余経過した19年5月に「治療は当初考えていた時より、数100倍ないし数千倍辛いです・・・」と、時に弱気になる心情を吐露していた。その苦痛は類推できた。それらを乗り越え、病気を克服し、夏には退院に至った。病状は安定したという。
 闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。東京五輪は事実上断念、2024年のパリ五輪への出場・メダル獲得を目標としていることを明らかにした。病に対しても挑戦していく気力と、小学生の頃から歩んできた足跡にに対する自信が自身を支えたものと思う。

 翌20年8月には1.7年ぶりにレースに復帰、その後も着実に力をつけ、2021年2月7日競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。2月21日の東京都オープン女子50mバタフライで25秒77で優勝した。療養期間中に体は10Kg異常減少したが、最近は3Kgほど戻っている、という。

 最近出場している競技大会のニュースは池江選手の成績を大きく報じている。これも過剰であるが、同じ病で闘病中の方々に夢をもたらす意義はあろう。
 しかしながら、池江選手を報じるに当たっていまだに「病から復帰の・・・」の説明がつき、予選を含め池江選手よりも上位の入賞者の選手名や記録などは報じられていないなど、恣意的に取り上げられている。
 競技などの場合、注目選手を報じるのはいいが、成績は公平に扱われるべきである。病気であった、という説明はもう外してあげたいものだ。


2/22(月) 曇り小雨温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。本日はネコの日。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック13名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ6480歩。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 福島第一原発被害状況(2月14日pm2時時点) 
 ○2021年2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とする地震(マグニチュード7.3)が発生した。

 私は、地震といえばとにかく廃炉過程で不安定な状態にある福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。
 当然、いつ生じるかもわからない巨大余震に対して盤石の体制を敷いているものと思っていたが、地震計の故障の放置、火災報知の誤作動、若干ながら水の漏洩などが認められている。たまたま今回はこの程度の地震で済んだもののさらに大きい地震の発生はないとは言えない。

 原子力規制委員会は22日、今月14日時点での地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けた。

 ■東京電力 福島第一原発の地震計去年7月に故障するも修理せず。今回の地震データが記録できていなかった。報告受けた原子力規制委員会は、故障を把握しながら修理をしていなかった東京電力に理由や経緯の報告を求めた。
 地震計は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置した。7月の大雨などで故障を把握していたが修理していなかった。「地震の詳細な記録が取れなかったことは反省すべきで、対応に問題がある」などとして、すぐ修理を行わなかった理由や経緯などについて報告を求めた。

 ■福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所において、現時点で、外部への影響を及ぼすような異常はなかった。しかし以下の所見が得られた。
  午後11時08分 免震棟1階南側渡り廊下で火災警報発生
  午後11時10分頃 物揚場排水路モニタの指示値が低下。環境への影響はなし。
  午後11時20分 大型休憩所で火災警報発生。原子力警戒態勢発令
  午前0時07分 免震棟1階南側渡り廊下の火災警報は誤作動を確認
  午前2時8分頃 5号機および6号機の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認計約1,600cc。溢水の継続はなく、外部への影響なし。
  午前3時50分頃同施設内の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認(約600cc)漏えいした水は、堰内にとどまっており、外部への影響はなかった。その後、連結弁を閉め、当該タンクを隔離したが、漏えいはタンク下部フランジ5箇所から継続している。

 ■福島第二原子力発電所
  午後11時08分 1〜4号機使用済燃料プール水位高/低 警報発生
  午前0時47分 1号機使用済燃料プールからの溢水を確認(約160ミリリットル・堰内)
・2号機原子炉建屋5階ダクトチェンバーから水の漏えいを確認(約90ミリリットル)
 ・サイトバンカ建屋プールからの水の漏えいを確認(約1.4リットル)

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 上記は地震翌日の時点での速報である。さらに詳細な評価は間も無く行われるというが、対策をより盤石にしてほしいものである。

 とくに、原発事故は巨大地震とその後の地震で壊滅的状況を迎えているのに、地震計の修理をしていなかったのは見逃せないと思う。事故後10年を迎えてたるみが出ているのではないかと危惧する。


2/21(日)温暖曇り
1:00起床、早朝は文献関連。データ整理。午前カウンター室の天井ブラインド、ネコにより乱されたが修理、結構難渋する。ネコ用のビューわにライト設置、ミラーの安定化。包丁研ぎ5本ほど、評価は高い。昼近くまで蓄積データ整理、読書。昼NHK-TVのど自慢見る。今年最初の会。微睡ご新聞PDF化。書籍自炊。19:00夕食、21:00就眠。Σ3140歩。平穏な1日。

わが国のエネルギー政策2021(5) 日本の原子力行政は??(1) エネルギー基本計画の変遷
 この10年間、原発政策は「迷走」と「その場しのぎ」を重ねた。

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 ■ エネ計画をめぐる一計画経過

??2003年10月 初のエネルギー基本計画策定。原発比率を高めて50%以上に。
??2010年06月 民主党政権が計画改定 原発14基以上新増設計画
??2011年03月 東京電力福島第1原発事故    
??2012年09月 民主党政権30年代 原発稼働ゼロ目標   
??2012年12月 安倍政権発足  
??2014年04月 計画改定一原発を重要なベースロード電源と位置付け、ゼロ目標と決別
??2015年07月 30年度電源構成見通し策定。原発20-22%、再生可能エネ22-24%。
??2017年08月 内閣改造 エネルギー基本計画改定
??2021年10月 菅内閣 二酸化炭素の排出量実質ゼロ 原発は利用
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 ■ 福島第一原発事故以降の電力関連の主な出来事。

??2011年3月11日 東日本大震災と東電福島第一原発の事故が発生
??2011年3月14日 東電が計画停電を初めて実施
??2012年5月国内 全原発が一時停止
??2012年7月関西電力大飯原発3号機が再稼働 政府が東電を実質国有化
??2012年9月 民主党野田政権が2030年代に原発稼働でゼロをめざす政策
??2012年12月 民主党から自民党に政権交代。安倍内閣が発足
??2014年4月 政府が原発を重要なベースロード電源と位置づけた
??2016年12月 政府が高速増殖炉もんじゆの廃炉決定
??2019年10月 菅首相が温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロ目標表明。
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 菅内閣の新戦略は原発に関しては通産省の圧力で「可能な限り依存度を低減しつつも、引き続き最大限利用していく」とおかしな日本語で表明。

 自民党は嘘で固めた原発政策を推し進め、原発事故の惨禍を経験しても、原発に依存したエネルギー政策を進めるのは一体なんだろうか??経済優先のためは明らか。

 再度なんらかの災害が生じた際の対策は技術的に確立したのか??、
 事故の際の住民の避難など確立したのか?
 福島第一原発は偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 そんなことは起こりえない?原発神話は姿を変えてまだ生きている??

 現在、建設中を除く33基の原発で、再稼働しているのは9基。新造は7基予定??
 原発政策も思うようには進んでいない。福島第一原発事故を経験した以上、その前に設定した計画は当然見直すべきで、可及的に依存度を減らすべきだと思う。 
 エネルギー政策の基本は無駄を防ぐことにあるのだが、節電の呼びかけなど最近聞いたことはない。


2/20(土)曇り 温暖  
1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前午後微睡はさみ蓄積データ整理、読書、データ化など。15:00町内会ゴミ廃棄ケージ確認、ガレージ清掃、レガシー電気確認。16:00久々書斎に。18:00全豪オープンテニス女子決勝見る。大坂なおみ優勝。スポーツ観戦などは数年ぶり。19:00夕食、21:15就寝。Σ3134歩のみ。

わが国のエネルギー政策2021(4) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(3)
 偶然と幸運が重なり原発事故被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 日本自体が政治的に、社会的に混乱し、崩壊してしまう。住民の避難が出来たとしても時間がかかり、多くが大量に被曝する。これはSF的物語ではなく、その一歩手前まで危険が迫っていた現実問題である。

 欧米から来日していた人たちはこぞって国外に脱出し、その感覚に呆れたものであるが、その時点では正しい判断だった、というべきである。
 日本人が、福島近辺の住民たちに正確な情報がもたらされていなかった。

 現在、地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。現状を伝える情報はそれほど多くはない。その中から一部をまとめてみた。

 ■ 水素爆発した1、3、4号機の現状
 最初に水素爆発を起こした1号機はガレキの撤去がかなり進んでいる。建屋が壊れてしまった4号機は、大きなカバーが付けられ、核燃料もすべて取り出されている。同じく水素爆発で激しく損壊した3号機は鉄骨が吹き飛び、原形を留めない見るも無惨な姿に。3号機の核燃料の移転は困難を極めたが、クレーンの改良とかで大幅に進み、残りは20体ほどまでになったという。

 ■ 巨大津波が直撃した建屋
 原子炉建屋の海側の施設は鉄骨が曲がるなど津波の爪痕が残っていた。原発の敷地内で出た廃棄物は外への持ち出しが制限されている。新たなスペースを作るのも難しいため、そのままになっている。
 使用済みの手袋やマスク、軍手なども敷地の外には持ち出せない。これら汚染物質、汚染土を30年以内に県外に搬出することになっているが、現実を見ない政治的な決断で、受け入れ先などの見込みは全くない。
 私は全国自治体に放射性廃棄物を広く受け入れてもらうことは無理だ、と思う。苦渋の判断だと思うが現地での保存がいいと思う。

 ■ 絶望的な状況を奇跡的に回避できた原発事故
 原子炉では核燃料を冷やすための水がどんどん蒸発し続け、メルトダウンが発生し、核燃料が溶け落ちてしまった。高温になった核燃料と水が反応して水素が発生、地震から25時間後に1号機、その後3号機も水素爆発を起こした。1号機と3号機は爆発で建屋が壊れたものの、さいわい格納容器には大きな破損がなかった。

 しかし、爆発を免れた2号機が危機的な状況だったという。2号機は核燃料の入った格納容器の圧力が異常に高まり大爆発の危機が迫っていた。もし爆発すれば放射能がまき散らされ、東京を含む東日本に人が住めなくなる事態にもなり得た、という。そういう事態が生じたら日本が崩壊してしまったかもしれない。

 原子炉冷却系の停止が確認された後、水位が低下、メルトダウンに至り、これと同時に水素が発生した。減圧に時間がかったが、2号機では原子炉建屋上部側面のパネルが1号機の水素爆発の衝撃で開き、水素が外部へ排出され、原子炉建屋の爆発が回避されたと推定された。偶然の賜物であった。

 一方で、1, 3号機では、ある程度放射性物質を取り除いてから格納容器の外へ気体を放出する「ベント」が成功したが、2号機ではベントすることができず、格納容器から直接放射性物質を含む気体が大量に漏洩したと推定される。

 ■ 福島第一原発の今後
 福島第一原発の事故から10年目、3号機の燃料棒の取り出し作業が昨年から始まったばかり。現在残りは1500本以上。すべて移し終わるにはあと10年かかるという。

 1号機から3号機に残る、溶け落ちた燃料棒、燃料デブリの取り出しは10年目の今も、放射線量が高すぎて格納容器には人が入れないため、ロボットを使った調査が続けられてきた。
 こうした廃炉作業がすべて終わるのは約20年から30年後とされている。

 しかし、その間に先週と同じ程度の、あるいはそれ以上の規模の地震、津波が発生したら、10年前の状況とは異なるとは思うが、再び地獄の状況が再来しないとは限らない。


2/19(金)曇りやや寒い 大曲中通病院外来は休診 終日飯川病院ボランティア
0:50起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に・・の予定であったが、こまちは間引き運転で診療時間に間に合わず休診とした。検討開始時間が遅かった。家内に同乗飯川病院、9:15-19:00飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ6199歩。

わが国のエネルギー政策2021(3) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(2)
 2月13日23:10ころ、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震が発生した。地震の規模はM7.3。大震災の余震の一つと考えられる。
 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。

 今年は東日本大震災発生から10年目にあたる。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災。
 この時に起きた巨大な津波は、福島第一原発を飲み込んだ。世界最大レベルの原子力事故が起きた福島第一原発。最初から立地条件設計などに判断ミスがあり人災と考えられる。メルトダウンなど深刻な事態の対策を熟知している現場人、学者もいなかった。原発は「危険物質」、「嘘」、「安全神話という思考停止状態」で出来ていた。それを知ったのは原発事故が生じた日からである。

 偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。
 
 ■ いまだ人が住めない街「帰還困難区域」
 福島県富岡町。第一原発から約10キロ離れた場所。3年前に避難指示が一部解除され、人が住むこと許されたが、その近くは9年前から誰も住まなくなった場所「帰還困難区域」がある。

 帰還困難区域に残る住宅のテーブルの上にはお皿やコップなどが残され、食事中に地震に遭い、慌ただしく逃げた様子がうかがえる。9年前は田んぼだった場所には、雑草や木が生い茂り荒れている。

 ■ 原発に入るために
 帰還困難区域では、除染作業にあたる作業員の姿も見られる、という。
 福島第一原発では、原発従事者ではない一般人の被ばく量を1日100マイクロシーベルトに制限している。今では、敷地内のほとんどで私服や簡単な装備で動けるようになったが、事故直後は完全フル装備の従業員たちが行き来していた。
 軽装を許されるようになった理由は、放射能で汚染された土を取り除き、一面モルタルで覆ったからで、土が舞い上がることがなく体内汚染が少なくなったから、という。

 ■ 汚染水問題
 事故後、原子炉建屋に入り込み、放射能に汚染された汚染水問題は未解決である。対策として原子炉建屋を囲むように、土の中に凍土遮水壁や海側遮水壁を設置して、海へ漏れ出ることを防いでいる。
 汚染水に含まれる放射性物質の大部分は取り除かれ、“処理水”として敷地の中に保管されている。タンクの数は約1000基、量としては東京ドーム1杯分、にもなる。敷地が処理水タンクで埋め尽くされるまでのタイムリミットは約2年半しかない。
 処理水に今の技術では取り除けない「トリチウム」が残っている。政府は、@基準値以下に薄めて海に流す、A蒸発させて大気に放出するなどの方法を模索しているが、結論は出ていない。
 これらの汚染水の地震安全対策は心配である。


2/18(木)曇り小雪寒波  終日飯川病院勤務
 1:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。8:40家内に同乗飯川病院、院長受診のために終日勤務、外来患者対応、入院患者2名死去、見送り。入院患者対応。結構多忙。文献新聞そのほか。家内講演会あり、Taxi19:00帰宅、夕食、21:30就寝。7245歩。
大坂なおみセリーナ破り決勝に。東京五輪・パラリン組織委員会会長橋本聖子氏に。

災害2021(2)  地震(2) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(1) 
 私は、東日本北部の地震といえば福島、第一原発が心配である。すべての原発が心配とも言えるが、安全基準に沿って建造された原発はそれなりに安全と思われるが、2011年3月11日に地震と津波によって破壊された福島第一原発は心配が残る。

 宮城、福島で13日夜に最大震度6強の揺れを観測した地震で、原子力規制委員会は14日、東日本にある原発や原子力施設で異常は確認されていない、と発表した。

 集めた資料では以下の記載が見られた。
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 ■ 福島第一、第二原発ではプールから少量の水溢れた。
 東京電力福島第一原発1-6号機(福島県大熊町、双葉町)では、東電によると、5、6号機の使用済み核燃料プールから水が溢れ出たが、外部への影響はない、と言う。

 ■ 5、6号機の滞留水を貯蔵しているボルト締め型タンクの下部から水が漏れているが、堰内に留まっている。

 ■ 免震重要棟や大型休憩所で火災警報が出たものの、火災は発生していなかった。

 ■ 東電福島第二原発1-4号機(富岡町、楢葉町)は廃炉作業中。規制委によると、1号機使用済み核燃料プールからごく少量の水が溢れたが、水位の低下はなく、核燃料の冷却に影響はない。

 ■ 東北電力女川原発1〜3号機(宮城県女川町、石巻市)は運転停止中で、異常は確認されていない。

 ■ 東海第二原発(茨城県東海村)も運転停止中。震度5弱の揺れを観測したが、異常は確認されていない。

 ■ 東北電力の東通原発(青森県東通村)と、日本原燃の使用済み核燃料の再処理工場(青森県六ケ所村)も稼働しておらず、いずれも異常は確認されていない。
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 私は上記のニュースを見て半分安堵したが、心配は続く。

 プールやタンクから少量であるが水漏れした、と言うが、今回はたまたま震度6強で、規模はM7.3、津波なしの規模だった。これは幸運である。東日本大震災以降、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は2011年4月以来のことで希との評価である。しかし、そうだろうか。
 なお、地震調査委員会は今後1週間は同程度の地震に注意が必要、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 2012年1月1日、震度4の地震で原子炉から排出された水を一時貯めて置くプールの水位が下がったことがある。当時は施設がガタガタだったと思われ、今は対策は強化されているだろうが、一般論として何があるかわからないものである。原発は暴走すれば人智ではコントロールできない。

 だから、限りなく安全を追求しなければならない。


2/17(水)暴風雨はやや小康 飯川病院ボランティア  職員健診
 0:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。11:50バス飯川病院。飯川病院ボランティア。患者対応無し。15:45職員検診、時間的にはスムーズ。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計:Σ8942歩。

災害2021(1) 福島・宮城で震度6強の地震 
 2月13日23:10ころ、私は熟睡中であったが、震度4程度と思われる地震で覚醒した。私はラジオを抱いて寝ている。いつもの如く、すぐにラジオのスイッチを入れたが、福島・宮城で震度6強!!!!で、さいわい津波が無いと言う。ひとまず安心した。

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を目前にしての強い地震だった。気象庁によると、震源地は福島県沖で震源の深さは約55キロ、規模はM7.3と推定される。大震災の余震の一つと考えられる。

 
 (意外と広範囲であった地震域 秋田魁より借用)

 東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は11年4月以来。
 なお1週間は同程度の地震に注意が必要という。地震調査委員会は今後の長期的な地震活動について、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 夜間の地震は現場の情報がよくわからない。
 1995年1月17日未明の阪神淡路大地震のときは、直後のニュースはそれほどの被害は報じられなかったが、夜が明けてからは悲惨な状況が次々と判明した。2016年の熊本地震は21時頃であったが同様であった。

 今回の場合も、翌日以降のニュースで両県や関東などで150人超の負傷者が確認され、鉄道や高速道路に影響が出ている。東北新幹線は不通になり、秋田新幹線は盛岡秋田間で1日5本臨時列車が走ることになった。
 秋田新幹線は一時運転を見合わせていたが、15日に盛岡―秋田間で減便して運行再開。全線で運転再開するには10日前後かかるとみられる。福島県相馬市の常磐自動車道では道路脇の斜面が崩れ、上下線で通行止めとなった。

 東北と関東などでは一時最大90万戸を超える停電があった。また約3万6千戸が断水した。

 大震災以降に積み重ねてきた防災の備えが十分機能したか、新たに浮上した課題はなかったのだろうか。

 福島県では70カ所の避難所が開設され、最大203人が身を寄せた、と言う。COVID-19対策として相馬市では入り口の消毒、検温を徹底したほか、各世帯ごとにテントで間仕切りを設け、定期的な換気も行った。避難者からは好評だった。

 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。


2/16(火)暴風雨 強風で歩行難 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業歩行にヘッドランプまだ必要。強風下6:47バス飯川病院、8:35-13:40中通外来23名ほど。14:00-19:00飯川病院。微睡、というか昏睡状態。途中で入院患者対応。16:30まで再度微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ8227歩。

COVID-19(2021)(16)  私も私立秋田総合病院でのクラスター発生の影響を受けた
 本稿は1月22日の掲載原稿であるが、諸般の事情から非公開としていたものである。クラスターが終焉したと考えられるので、改めて再掲する。
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 私がボランティアとして働いている飯川病院に1月15日am10:30秋田市立総合病院から転院患者があった。寝たきり状態、喀痰も多い90歳近くの高齢者であった。通常の患者として引き受けたものである。この時点では秋田市立総合病院でもCOVID-19はまだ騒動にはなっていなかったのだろう。

 1月16日夕方、飯川病院のスタッフのご家族から秋田市立総合病院でCOVID-19の院内感染が発生したらしい、と情報があった。転院してきた患者に直ちに簡易キットで抗原を調べたところ陽性であった。
 <a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b_s.jpg" border="0"></a>
 (COVID-19抗原検査キット。もちろん陽性は当院で初めて)

 当該患者に如何に対応すべきかを検討し始めた時点で、市立秋田総合病院の病診連携室から電話があり「転院した患者は、COVID-19陽性患者の同室であったため感染の疑いが濃厚なので、明日午前に当方に再転院させて欲しい」と言う内容であった。実にありがたかった。当院の「抗原検査が陽性」が出たことを伝えたところ、素早い検査実施に驚いていたそうである。

 この患者は寝たきりの高齢者で喀痰が多く頻回に吸引が必要であった。看護師、看護助手達は手袋とマスクは着用していたがフェイスシールドを用いないでケアをした。
 翌日17日、10:30に患者は完全武装の秋田市救急隊によって搬送されていった。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/80/15e30a5bfc3949e5dff6cf243a597dc2.jpg" border="0">
 (搬送してくれた秋田市救急隊の装い。ほとんど隙の無い厳重な予防衣姿で来院した)

 患者退院後、部屋を消毒し一件落着となった。
 この患者はわずか2日の滞在であったが病院機能に大きな後遺症と教訓を残した。

 以下の問題点が生じた。
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 ■ フェイスシールドなしで口腔ケア、喀痰吸引をした看護師、看護助手7人は18日のPCRは陰性であったが濃厚接触者として14日間の自宅待機が命じられた。
 ■ スタッフが少ない療養病院での7名もの休業は病棟運営上厳しかった。
 ■ 院長は接触者として勤務は通常で良いこととなった。
 ■ ボランティア医の私は接触者の家族として経過観察者の一人となった。
 ■ 新規入院患者は受けず、外来は原則処方のみとした。
 ■ 他の医療機関、中通総合病院、秋大病院からの外来応援医、日当直医師はお断りした。
 ■ 外来、日当直はスタッフ、患者とは接触しない状態で私が全て担当した。休日は全部の日当直を担った。
 ■ 私が担当する18日の健康クリニックのドック、19日の中通病院の内科外来、22日の大曲中通病院の外来は、スタッフ、患者と接触しない状態で診療したが、25日の健康クリニックのドックは事務長名で休業を命じられた。

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 患者が入院してから1月22日までに8日経過している。感染の平均潜伏期間は5.8日と言われている。今のところ院長をはじめスタッフたちに健康障害は認められず、院長の抗原検査も陰性で、あと一週間観察が必要ではあるが、当院ではクラスター発生はなんとか回避できたと思いたい。

 それにしても未知の、未経験の感染症の医療は実に大変である。
 わずか一人の患者、しかも入院2日だけでこれだけの影響を受けるのだからクラスター発生が相次いだ岩手県の鶯宿温泉病院、300人もの感染者が出た北海道旭川市の旭川厚生病院の状況はどうなっているのか??予想だにできない。


2/15(月)終日小雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック14名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-18:20勤務、入院患者対応、18:35バス帰宅。
19:10帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ9235歩。

COVID-19(2021)(15) 秋田2病院に生じたクラスターは1ヶ月の経過で終焉した

秋田県内の2病院に生じたCOVID-19クラスターは1ヶ月の経過で終焉した。
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 ■ 市立秋田総合病院では1月16日以降クラスターが発生した。医療機関のクラスターは県内初。関連感染者は今月5日までで計52人。
 発生後は一般外来と救急外来、小児救急外来、新規入院などの受け入れを停止。
 院内では複数の病棟で感染が確認された。市立病院のスタッフは集中的に対策を進め、状況を改善させた。
 初回のPCR検査で陰性、2回目以降で陽性が判明したケースが相次いだ。6度目の検査で陽性が判明した人もいた。COVID-19の検査は100%正しく陽性と判断できるものではない。
 外来や救急の受け入れ休止の影響について「市立病院の患者が市内の他の総合病院を受診するケースが増えているが、医師や看護師らがオーバーワークになるほどではない」とした。

―――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 秋田県横手市の市立大森病院では先月20日に最初の感染者が確認され、一般外来や救急外来などを休止。今月2日までに職員や入院患者ら計15人が感染した。16日に、最後の陽性者確認から2週間が過ぎたとして「院内集団感染終息」の宣言を出した。
 感染予防策を強化した上で、15日から一部の外来診療と人間ドック、新規入院の受け入れを再開していた。22日に外来全般と救急外来、手術などを通常の体制に戻す。
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 ■ 医療従事者への誹謗中傷
 県内病院で発生したCOVID-19のクラスターに関し、県医師会小玉会長は16日、「医療従事者への差別行為や誹謗中傷がやまない」として防止を呼び掛けた。
 県内では先月、市立秋田総合病院と市立大森病院でクラスターが発生。病院関係者によると「院内に入っただけで感染する」などの誤った情報が広まったほか、「どうして医療関係者の家族がスーパーに買い物に行くのか」といった苦情が寄せられた。
 小玉会長は16日の記者会見で、住民から病院にクレームが寄せられる例などがあったとし「院内感染が起きると、医療機関が悪いという意識を持たれる。医療機関も被害者であるという点を認識してほしい」と強調した。
 COVID-19のワクチン接種開始に備え、県医師会と県看護協会、県歯科医師会、県薬剤師会が協定を結んだことも報告。「全ての医療従事者が総出で接種に取り組む。県民には安心して受けてほしい」と述べた。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 「院内感染が起き、死亡者が出たりすると、医療機関が悪い」という意識を植え付けたのは従来からのメディアの報道姿勢の結果である。私は県医師会役員として感染症対策を担っていたが、メディアに対して報道姿勢の改善を何度も申し出たが変わることはなかった。COVID-19蔓延で社会がこれほど混乱したことでメディアの報道姿勢が変わってきたことは喜ばしいことである。COVID-19に対する無知が偏見、差別行為、誹謗中傷に結びついている。メディアの報道に一層期待したい。


2/14(日)終日曇り時々はれ 飯川病院日直  
12:20起床、ラジヲは5:00過ぎまで地震の関連ニュース。夜が開けるとともに地域の被害情報が入ってくる。文献・本読み、その他いつものごとく。8:30家内に送られ飯川病院に9:00-19:00日直業務。文献・本読み、12:00NHKニュース、情報処理、19:00帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計:Σ6349歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(6) 撤回発言 川淵氏への禅譲 やはり老害
 森氏は4日「五輪・パラの精神に反する不適切な表現だった。深く反省している」として発言を撤回し謝罪した。辞任は否定した。
 ところがこの時の態度が良くなかったとして撤回、謝罪会見はむしろ火に油を注ぐ結果になった。

 私は政治家や重要なポストにある方の発言を撤回させるべきではないと思う。撤回でなく修正させ責任を残すべきである。撤回しても発言内容は今の時代記録が残るが、責任が消えてしまう。

 森氏は発言を撤回し、一応頭を下げ陳謝した。これで一件幕引きか??ところがそうはならなかった。
 発言も軽いが陳謝の言葉も態度も軽かった。こんなレベルでは許されない。優秀な人材だって表舞台に立てば、口をひらけば勇み足が生じる。本音で話せば特に叩かれやすい。しかも、しつこく過剰に叩かれる。

 政治家の発言はどうしてこんなに軽いのか。
 安倍首相は閣僚が不祥事を起こすたびに「任命責任は私にあります」、と何度も何度も言った。私は首相の言葉も軽くなった・・、と感じている。任命責任の実体がない。

 森氏の発言内容は何れ撤回することになろうが、撤回させてはならない。修正がいい。

 森氏は辞任したが最後にまたミスを犯した。ポストの私物化である。辞任にあたり盟友の(?)川淵氏に会長職を禅譲しようとした。各メディアはあたかも決まったごとくに報じた。この動きにクレームをつけたメディアはなかったように思う。これに官邸から疑義が出され白紙に戻った。菅首相は常識的判断をした。

 森氏は何を考えたのか?川淵氏も。
 やはり、老害である。好意で受けようと納得しかかった川淵氏を含め、ポストの禅譲など全時代的遺物である。森氏の発言事態は私は深刻に考えていなかったが、会長職の禅譲に関しては納得できない。
 森氏は晩節を汚して去った。

 もっとも、小渕首相の死去に伴い森氏が急遽首相に指名されたが、その時も密室の会談の結果であった。当時自民党重鎮であった青木、森、村上、野中、亀井の五人が集まり、後継首相は森喜朗を決定した経緯があったことを思い出した。森氏の思考回路はその時のままである。


2/13(土)快晴 温暖 福島沖震源の震度6強の地震発生
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪0cm。午前中に電気配線居間そのほかの電気配線改良。午後は微睡の後ずっと座学。多くを学べたが運動不足になる。新聞の入力。19:00夕食、21:30就眠。自宅から一歩も出ずに過ごす。歩数は伸びない。歩数計Σ5045歩。23:00過ぎ震度4程度の長周期??の地震、福島沖震源マグニテュード7以上らしい。福島・宮城では震度6強と!!! 幸い津波警報はなし。福島の汚染水は大丈夫か??以降ラジを聴きつつトロトロ。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(5) 人間だもの、と言えないか
 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 色々な解釈ができるが、この発言は個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、私にとっては日常的レベルであるが、女性を尊重していることは知られているから問題にされない。

 だから、私はこの発言は、「女性は競争意識が・・」などと個人的見解に多少の問題点はあったとは感じるが、内容的には一般論であって女性の尊厳を踏みにじるような表現が用いられた、というわけでもない。しかもチャチな内容の意見、と思う。グチの一端のような気持ちで吐露したのだろう。ただ、TPOが悪かった。

 森氏の発言に関して、稲沢裕子昭和女子大特命教授が自分のことと名乗りを上げた(朝日新聞2月8日)。氏のコメントは概略を示せば、「私が入ったことで会議が長引いたでしょう。女性だからといって競争意識などない。自分は意見を述べるために参加している。今回の会長の発言には驚いたが、女性理事は19年以降5人に増えた。今回の問題では男性からもおかしいとの意見が聞かれた。ジェンダーギャップの解消がなぜ必要なのか考えるいい機会になった。今は感謝している」。
 とてもマイルドな前向きのコメントだ、と思う。

 発言は「女性に対する侮蔑なのだ」、との意見もあるが、このように大袈裟に捉える必要はないだろう。「人間なんだもの・・」、「森氏なんだもの」と捉えられないか。

 今回の発言は森氏だったから炎上した・・とも取れる。
 我が国の風土として、意見の交換や討論に関して意見の違う相手に対してその人間性まで否定するような姿勢が見られるのは残念。私は国会討論を好んで聴くが、野党側の発言は往々にしてその雰囲気である。答弁に立つ閣僚の、あるいは総理の胸の内はいかばかりかと思う。

 人間同士価値観が違うことを認め合った上で意見の違いを指摘し合い、その差に関して調整を図るべきである。相手の人間性まで否定すべきでない。

 森氏の発言内容は軽いと思うが、常々会長に関して問題を感じていたメディアや識者、ネットフリークの方々が飛びついたのではないだろうか。

 メディアに登場する人たちは全員正論を吐いた。正論が並び始めたら森会長も逃げ場はない。辞任に追いやったのは「正しいことが好き」、「間違ったことは許すべきでない」という狭い価値観の極端な意見である。
 「正論が幅をきかすにつれて世の中は次第に窮屈に、刺々しくなっていく(福澤徹三)」。
 相手を糾弾するときは逃げ場を与えて置くべきである。


2/12(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:20起床。文献チェック、徒然など。7:25Taxi駅。8:11こまち、大曲道路は歩行に難。9:10-12:10大曲中通病院外来、混雑し他の仕事できず。13:30市内は徒歩、13:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7347歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(4) 会長辞任劇 これでいいのか私は疑問
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。(中略)規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害が出た!!!!」、「女性蔑視と騒がれているが、なんでだ??意見や感想のレベルの発言ではないか」とそれほど気にも留めていなかった。
 しかし、その後の進展には驚いた。この問題は私の目から見て異常に炎上した。この状況下では森氏はいずれ会長から退かなければ解消しないだろうと思った。

 私は森氏が辞任すること、遅まきながら組織が刷新することには異論があるわけではない。森氏に関しては就任時から、また、もはや年齢的にも会長職に適任とは思っていないかったからである。日本はそんなにも人材不足なのか、と呆れたくらいである。ただ、この辺の詳細はよくわからない。

 私が森氏が会長辞任に追い込まれた発言、および周辺の流れに関しては、以下のように考えている。
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 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 私はどのような状態で、どのようなニュアンスを含めた発言であったか、録音や映像などは見ていない。実際はそれが大事なのであるが、活字に切り取られた内容を見る限り、女性蔑視に結びつくような内容ではない。これは個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、女性を尊重している私にとっては日常的レベルである。

 ■ 上記の内容を口に出したことが問題なのか??
 このような発言が問題にされるとしたら、我が国の言論の自由はどうなっているんだ!!!と、私は思う。そこまで言わなくとも、日本はこれほど寛容性のない社会になってしまったのか。

 ■時流として女性蔑視に関して、ジェンダー問題に関して、世の中が神経質になっている。このこと自体は将来に向けて前向きな方向としていい事だとは思う。しかし、時に過剰な反応が見られるのは確かである。

 ■性差に関しての私の感覚は、男女平等とは男女の持っている特質をそぎ落として互いに近づけることではないと思う。むしろ逆で、両者の特質を最大限尊重し、相いれない存在としてとして認め、その特質から派生する諸問題を容認するなり、溝を埋める努力することだ、と思う。
 私は男女はずいぶん違うものだ。もしかすれば別な種類の生き物でないかとすら思っている。

 ■ 女性登用が大きな話題になっている。国際的にも問題になっている。議員に○%、委員にに○%、閣僚に○%・・・の議論はまだ早いと思う。現状では女性登用を外力で高めることは男性の登用の阻害である。男性の登用阻害、と言われないようになるには女性側に求められる資質は少なくない。我が国は遅れをとっていると思うが、我が国には男女が織り成してきた独自の文化、歴史があるのだ。

 ■もし、私の性差感覚が、また、今回の森氏の発言に関する評価が一般的感覚から大きくずれているとするなら、私自身が森氏と同格の「性差感覚」、「女性蔑視感」、加えて同じ「老害レベル」と認めざるを得ないだろう。


2/11(木)建国記念日 曇り、晴れ  終日読書、微睡とグダグダ
1:20起床。いつもの如く。午前午後とも微睡をはさみネコとの対話、読書三昧、グダグダ過ごす。一度も玄関から出ず。19:00夕食、20:45就寝。歩数計:2367歩数、最少記録に近い。これも身体が求める事、素直に従う。午後、森五輪組織委員長辞任が伝えられる。後任にさらに高齢者が取りざたされている!!!

書評 北原みのり著 「毒婦」 朝日新聞文庫 2012年 首都圏連続不審死事件(2)
 首都圏連続不審死事件の木嶋被告とは、どんな人物なのか。
 決して美人とはいえない容姿ながら、性的機能に優れた肉体と結婚をちらつかせ13人もの男を手玉に取れた理由とは何か。男たちはこんな女になぜだまされ、1億円以上もだまし取られたのか。

 3人の男性を練炭で殺害したとして死刑判決を受けた木嶋被告。
 彼女に対しては誰しもが大なり小なり興味を持つだろう。



 裁判は100日に及んだ。この本は「木嶋佳苗100日裁判傍聴記」との副題を持つ。貴重な裁判記録になっている。
 彼女の出廷時のファッションまでもが話題となり、自身の優れた性機能にについて赤裸々に語った。
 本書は裁判の傍聴に加え、故郷・北海道別海町や事件関係者への徹底した取材を通して木嶋被告の内面に迫郎とした渾身の一冊と言える。

 著者は「木嶋被告のことを考えていると、色んな風に考えが広がる。女と男のことを考える。女目線、男目線の違いを考える。私たち女は、男に何を求めているのか。なぜ、一般の男たちは佳苗に苛立つのか。ある種の女たちは佳苗に惹かれ、ある種の女たちは、佳苗を憎むのか・・・・」。女である著者の感想である。木嶋に同情的な記載や、被害者男性を冷笑するような女目線の記載もある。

 木嶋被告は自分の“デブ・ブス”を認め、それに抗うことはなかった。彼女には見てくれ以上の身体的な能力が自分に備わっていることを自覚してそれを十分に利用した。一方、“ブス女”とあざける男たち。一般的に考えると誰でもそんな感想を持つだろうが、木嶋は、そんな男たちを嘲笑う。
 
 著者は彼女の生い立ちや人間関係を調査することによって、心の闇を探ろうと必死になっている。しかしながら、最終的には木嶋個人に問題があるという論調になっていく。

 木嶋は実はどこにでもいるありふれた女性の一人だったかもしれない。普通の人々が抑え込んでる欲望を多くもち、その欲望をなんの悪びれもなく堂々と解き放つ行動力は何からきているのか。普通の人が生きてる社会の価値観の枠で理解しようとするのは難しい。

 この事件に、ネット社会が果たしている役割は大きいと思う。木嶋は、何故無防備にネットで交信し、その記録を残したのか。木嶋は被害者に送ったメールで、最初からお金の要求をし、肉体関係の話題をチラつかせている。メールの効果は大きかったのではないか。加えて、練炭を残してあるのも不思議。誰が見ても同じ犯人像が浮かんで来るはず。

 救いと言えば、殺害された三人の方々は睡眠薬と一酸化炭素の中で死の恐怖など全く感じることなく、幸せ感を味わいつつ絶命したのではないか。数多くの殺人事件は被害者に苦痛や恐怖を強いることが多いのに、彼女は直接手を下さない巧妙な方法とった。それだけ罪悪感は乏しいのだろう。最高裁まで無罪を主張した。

 彼女は死刑が確定し、獄中で過ごしている。獄中で手記・自伝小説「礼讃」もまとめ上げた。
 確かに並みではない人間であるが、木嶋の人間像を怪物にしてしまったのはメディアの興味本位の、大衆への迎合報道のなせる技だった、と思う。


2/10(水)小雪比較的温暖曇り除雪10回目 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞・文献などいつもの如し。新積雪なし。8:30-9:30除雪10回目。12:12バス飯川病院、ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。ラジヲ深夜便インデックス欠損補充。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ10323歩。

社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件 首都圏連続不審死事件(1)

 私は社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件を調査し報告する追跡調査本、ノンフィクション作品を好む。入手できるものは積極的に集めている。ただし、限られた狭い視点からの一つの見方であることは常に念頭において読む。
 ある作家は、「作家の使命の一つは時代の記録にある」、と言っていたが、有難いことである。私は事件ごとに社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。

 首都圏連続不審死事件とは、2007年から2009年にかけて発生した連続不審死事件。
 2009年埼玉県富士見市の駐車場内において当時41歳の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であった。
 容疑者として木嶋佳苗(当時34歳)が浮上したが、木嶋には他にも多数の愛人がおり、その愛人の何人かが不審死を遂げていた。また、逮捕時に同居していた40代男性から450万円を受け取っていた。

 2010年1月木嶋は数件の殺人罪、詐欺罪等で立件された。

 殺人罪、詐欺罪等で被害者の方々
(A)53歳男性不審死(起訴)死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約計1700万円提供。
(B)80歳男性不審死(起訴)自宅が全焼。焼死体近くに練炭数個が置かれ、死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約190万円提供。
(C)41歳男性不審死(起訴)レンタカー内で一酸化炭素中毒死。木嶋に約470万円提供。

 その他、自宅の風呂場で死亡。死因不明。木嶋に約7400万円提供した件を含め2件の不審死、数件の詐欺罪がある。

木嶋佳苗について
 北海道別海町生まれ育ち東洋大学経済学部中退。
 木嶋は一度も働いたことはないが、男性から騙し取った金で家賃約22万円の高級マンションに住み、ベンツを乗り回していた。また『吉川桜』という偽名を用い「ピアノ講師、フードコーディネーター」と名乗っていた。

 19歳で愛人契約を男性と結び、他の女性とは違う性の奥義を極め、男性に癒しや活力を与えることが自分の仕事と感じるようになり、自分の特別な性的魅力に男性がお金を支払うのは当然で金銭をだまし取ることに罪悪感はなかった。結婚話が具体化するようになると相手を殺害した。睡眠薬と練炭を用い流血は一滴もない。被害者は何も知らず死

 木嶋の手記及び小説は「礼讃」の題で2015年(平成27年)行された。
 ブログは2014年より本人が拘置所で書いたものを、支援者がブログ更新している。

 獄中結婚を3回繰り返している。

 刑事裁判
 殺人3、詐欺・同未遂6、窃盗1について併合審理となった。

 検察側は状況証拠の積み重ねで木嶋の犯行を十分立証できると強調。
 さいたま地方裁判所は検察側の主張を全面的に認め、木嶋に死刑判決を言い渡した。木嶋側は即日控訴し、二審でも上告したが認められず死刑が確定した。
 木嶋は戦後15人目の女性死刑囚となり、同時に史上初の第一審・裁判員裁判による女性死刑囚にもなった。
 現在、木嶋は死刑囚として、東京拘置所に収監されている。

 この事件は結婚詐欺、多額の金銭の授受、木嶋の華麗な生活が興味をひいたが、それ以上に木嶋の肥満や特異な風貌が話題になった。女性の目からは「なんで自分より劣るこんな女が・・・」と思っただろうし、男性の目からは別な意味で興味を持ったのであろう。


2/9(火) 夜間降雪15cm、除雪は明日に 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床、文献、本読み他、降雪24-5cm。5:00可燃ゴミまとめ、提出。除雪迷うも明朝に。6:47バス飯川病院。外来は中等度なるも疲弊。13:00飯川病院、午後微睡、読書など新聞データチェック、入力。入院患者対応。19:16帰宅夕食、20:30就寝。Σ9742歩。

音声でコントロールできる多機能スピーカー  Amazon Echo Show5を購入
  最近、各社から音声アシスタントに対応したスマートスピーカーが発売されている。「Amazon Echo」や「Google Home」、「Mac HomePod」などである。

 私はTVよりはラジオを好む。そうは言っても聴くのは99%NHK AM第一放送とNHK FM放送だけである。今まで用いてきたラジオが不調になってきたので、思い切って5インチのタッチスクリーンを搭載したAmazon Echo Show 5(¥9,980)を購入した。これはAmazon社の製品の中では廉価品に相当する。思い切ったのは値段とかではなく、新しい世界に一歩踏み入れた、ということ。

 電源とWi-Fi環境が必要で、「アレクサ」と呼びかければ機器としての機能が起動し、以下のことが出来る。
 例えば「ニュースを流して」と言えばNHKラジオニュースにつながる。誰の声でも反応する。

 基本的な操作はすべて話しかければ済む。触る必要がないから置き場所も選ばない。
???????????????????????????????-
 ■音楽の再生。
 ■ネットラジオ、ラジコを通じて広範なラジオ局、番組を聴く。
 ■YouTubeを見る。
 ■音楽サービス、映画などはAmazon Music、Prime Videoを介して視聴出来る。
 ■予定表の作成と表示。
 ■アラーム、タイマーの設定。
 ■天気や交通情報など。
 ■簡単な調べ物、検索など。
 ■ニュースを聞く。
 ■計算をする。
 ■カメラを搭載しているのでビデオ通話にも対応。
 ■照明などスマート家電のコントロール。
 ■などなど・・・・、私はまだ不勉強にして全機能を掌握していない。
???????????????????????????????-
 音楽に関しては、モーツアルトの「レクイエム」かけて、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」・・・・にも応じるし、ブルックナーやマーラーの楽曲も簡単に聴くことができる。YouTubにある音楽や楽曲もほぼ自在である。
 音質は小型だけに限界はあるが、BGM的に使うには十分である。今までのラジオから見て雲泥の差である。Amazon Echo5から発せられる返事は、人工的なものであろうが、生きているかのような自然な女性の声でストレスにならない。
「Amazon Echo Show 5」を入手してからまだ10日と短いが、私の事務机のスキャナーの脇にセットしている。
 
(画面サイズはiPhoneよりやや大きい程度。オプションの電池を基部につけてポータビリティを高めている)

 使ってみた感想は「音声でさまざまなことに応じてくれる」というスマートスピーカーとしての機能がとても面白い。ソフトウェア、ハードウェアとしての能力は高いと感じた。

 「とりあえずラジオを聴く。音楽をかける・・」という生活だから、この廉価版の製品でも自分にとっては十分である。
 新しいものになかなか踏み出せない保守的な私は、ちょっと距離を置いていたのであるが、今まで使っていたラジオとは比較にならないほど面白い。
 生活の幅が広がった。自宅の
居間で一人で過ごす時は大活躍している。期待以上の1台といえる。

 「おやすみなさい」、「おはよう」などと声をかけてもいい返事が帰ってくる。それも楽しい。今後、私どもの生活の中にこのような人工知能を用いた製品が増えてくるであろう。


2/8(月)終日降雪 昼頃暴風雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。2:00歩数計電池交換。起床大雪予報に反し殆どなし。除雪不要。6:47バスにて飯川病院へ。その後に降雪激しくなった。9:00-11:15健康クリニック、受診者14名、結果判定14名、結果説明2名。健康クリニックから飯川病院移動時は激しい暴風雪に。目も開けて居れないほど。寒かった。本読み、データ化などいつものごとく。検食、微睡、読書。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。夕食、21:30就眠。Σ8203歩。
2
東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(3) 森会長の実力
 ■ 彼はどんな力があるのか?? ?-政界、外交、スポーツ界に幅広い人脈を持つ
 森氏は、首相退陣後も派閥「清和会」の事実上のトップであり、小泉を首相にし、安倍、福田も清和会出身である。今でも力はあるのだろう、これでは菅首相も意見できない。
 政界だけではなく、アフリカに太い人脈があり、プーチン大統領との仲は良く知られている。
 スポーツ界では、日本ラグビーフットボール協会の会長として2019年に日本で行われたラグビーW杯招致に尽力した。

 ■ 女性への差別的発言
 森氏の女性差別発言も少なくない。
 今回の発言の他によく知られているのは、2003年に鹿児島で開かれた「全日本私立幼稚園連合九州地区大会」での発言。「子どもを沢山つくった女性を、将来国がご苦労様でしたと、面倒を見るのが本来の福祉。ところが子どもを1人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃいかんけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって……税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ・・・」。

 今回の発言もそうだが、こんな考えの人間が長年、この国の政治をリードきた。

 ジェンダーに関して国際的評価は追って知るべし。世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数2020」(2019年)で、G7の中で最下位の121位というのは当然であろう。

 ただ、私も少子化、非婚化に関しては憂えている。森氏と同じ。
 また、女性はもっと力を伸ばし、社会進出を勝ち取らなければならない。女性委員○%、女性議員○%と目標を掲げ、数的に無理やり登用の機会を作るやり方では、今回の森氏の様な発言が飛び出すであろう。私は今回の発言は女性蔑視とは捉えていない。過剰な反応だ、と思う。

 ■ なぜ組織委員長を辞められないか
 本人の弁では、職務を纏うするよう誠心誠意尽くしてきた・・と言っている。著作「遺書」にもそう記述しているそうだ。この働きについては私どもが知ることは困難である。ただ、報道を見る限り変な発言の方が多いような気がする。まともな発言は取り上げられないからだろう。
 多分利権もある??五輪は肥大化し過ぎている、と思う。利権の調整と配分が出来るのは森氏しかいない・・などとも言われている。この辺のことは全くわからない。

 ■ すでに東京五輪は中止へと舵を切り始めている、と思う。COVID-19問題も未解決。ワクチンができたのは朗報だが、世論のほとんどが「やるべきではない」、と士気が萎んでいる。


2/7(日)比較的温暖 
 1:00飯川病院で起床。新聞文献処理、徒然、録音データ処理、など。微睡若干。10:30歌人の迎えあり、MavValu経由で帰宅。以降は新聞電子化、読書。微睡など。道路は融雪状態、19:00夕食、20:30就寝。Σ4256歩。読書三昧の一日。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 今回の五輪は復興の意義を強く押し出し、「オールジャパン体制」でいく、とされたが、組織委員長に森元首相を据えたことでオールドジャパン体制」になった。私はこれが第一の問題と思っている。招致の時はあれほど若者のアスリートたちの活躍が目立ったのに。

 私は超高齢者の活躍を是としない。個人的に活躍されるのは容認できるが、組織の場合は、老齢化が問題で若返りが必要、との考えに立つ。老害を感じるからである。老害の具体的な問題点はいろいろあるが、より優秀で機能的な中高年の登用の道を絶っている事実だけでもほぼ十分であろう。
 私はその面で組織の内規に沿って、いや内規に縛られない立場ではあったが、それを利用してスッパリ引退した。引退後は自身の能力を恥じて対社会的にはほぼ隠蔽生活に入った。

 人はその育つ過程の社会の影響をもろに受け、心身ともに身につける。身についた時代感覚は学習によっては乗り越えることもあろうが、表層がカバーされるにすぎない。それが高齢化とともに徐々にはげ落ちてくるものなのだ。私もそうだ。

 組織委員長に76歳の元総理を会長に据えたのは、いかにも時代遅れだった。五輪は6年後だというのにこんな方を押す方も、受ける方も、認める方も異常である。
 森氏はもともと失言が多い方である。私は首相就任以降のことしか知らないが、彼の言葉は実に軽い。本当に軽い。

 ただ、今回、自ら「五輪精神に反する」と認め、「老害」と公言したことは評価するが、辞任の意がない事にはがっかりした。

 「身内」のJOCも菅総理も批判する素振りは見せるが、積極的に非難する人間は誰も出てこない。IOCのバッハ会長、政府関係者、都知事も容認してしまった。そのこと自体が老害の現れである。組織には人脈があるから言うべきことも言えないからである。森氏が発言した時にIOC関係者の誰もが問題を指摘できなかった。
 にも関わらず、2月9日には、一転して、IOCは「森会長の発言は極めて不適切で、IOCが取り組むアジェンダ2020での改革や決意と矛盾する」などと厳しく批判した。世論の高まりを受けて、周りの雰囲気を見てからの同調発言であった。

 五輪のボランティア者からも辞退者が出ている。

 今回の発言は「五輪の、日本の、世界の恥」として長く記憶されることになるだろう。

 森氏のどこに、周囲を納得させる力があったのだろうか。

 「ノミの心臓、サメの脳みそ」と揶揄された森氏はわずか1年という短命政権で終わった。
 森氏を辞任に追い込んだのは、数々の失言や暴言もそうだが、2001年2月の「えひめ丸」事故だった。ハワイ沖を航行していた日本の高校生の練習船が、アメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され9人が死亡した。
 森氏はゴルフ中で、連絡が入ったが、その後もプレーを続けた。この危機管理意識のなさが国民の怒りをかき立て、支持率8%、不支持率82%という前代未聞の世論調査の数字が出て退陣に追い込まれた。史上最低の総理とも言われた。

 老害のもう一人の立役者は二階幹事長である。
 今回の森発言に関しても的の外れたコメントを出し、火に油をそそぐ結果となった。完全に時代からずれている。


2/6(土)近畿緩む 飯川病院日当直 孫お泊まり
1:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。午前は座学一般。11:30家内に同乗飯川病院に。12:00日当直に就く。12:00検食、新聞データ化、本読み、データ整理。微睡。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ4325歩。当直時は読書三昧できるのがいい。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(1) 私は氏の感覚を非難できない
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、次のような見解を口にした。
 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。女性は競争意識が強く、1人が手を挙げて発言すると自分も言わなければと思うのだろう。規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 元首相であった森氏の女性蔑視発言である。当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害がまた出た!!!!」とそれほど気にもとめていなかったが、6日の19:00NHKニュースは7分間にわたってこの問題を流し、もっと報道すべきことがあるのでは、とその時間配分に頭にきた。翌日から新聞に大きく取り上げられた。紙上での炎上である。メディアにとっては待ち望んでたニュースであろう。

 私は女性の立場を、どちらかといえば過剰に尊重してきた。私自身が男尊女卑的感覚を濃厚に持っていることを自覚していたからである。

 現役時代には森氏が感じていた内容と同じ感想を持っていた。
 数々の会議を司会したがその時間調整には常に苦労した。私は発言者に対して「先に結論を述べ、その後に説明を加えるよう」と求めていた。男女にかかわらず論旨がはっきりしない発言者は少なくないが、やはり時間がかかるのは女性の発言に多かった。

 しかし、私は森氏のように思っていたことを正直に口にはしない。私の場合には司会者としての特権で発言者をコントロールできたからである。他の方が司会されているときはイライラしたこともあった。

 森氏は翌日会見し、「差別や男女平等に則った五輪精神に反するものだった」と謝罪、発言を撤回したが、会長職の辞任は否定した。

 私は発言を謝罪し撤回するという風習には反対である。それで許されることはあり得ない。自らの判断で説明の機会を設け、納得されなかったら進退を明らかにするのがいい。発言の内容にもよるのだが、辞任を念頭に置かない謝罪は初めから責任を回避している。

 7年前に組織委が設立された際、政府主導で森氏に会長就任を要請した。何としても五輪を開催したい安倍首相の意向であった。菅首相は「あってはならない発言」と述べたものの、森氏の謝罪で事態の沈静化を図ろうとしたのだろう。

 私は男尊女卑的考え方から抜けられない。だから、極力口には出さない。しかし、ついぽろっと出てしまうことがある。だから、不用意に口に出した森氏をは配慮不足と思うが、心情は批判できない。

 ヨハネによる福音書第8章「姦通の女」についての記述がある。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると集まった群衆は一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。
 森氏についてこの話を思い出した。 


2/5(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪9回目
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に、ゴミ運搬に今季初ソリ使用。降雪3-4cm。5:30-6:30今期除雪9回目。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線90分遅れていたが実際には30分遅れで前の号に乗れた。秋田駅病院間は歩行難Taxi、強烈に寒い。14:45-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ11300歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の転倒 今回もディバッグに助けられた ミカンにも
 1月30日、中旬に秋田市の市立病院で発生したCOVID-19クラスターの影響で、飯川病院が大学にお願いしていた派遣医が来院できなくなったので私が代診することになり、8:40のバスに乗ろうと道を急いでいた。

 昨夜は冷えていたが積雪は1cmほど、うっすらと道路表面を覆っていた。
 自宅からバス停までの半分のあたりにコンビニがあり広い駐車場がある。そこで全く予想外に靴が滑って一瞬両足が宙に浮き背中から転倒した。今回の転倒は前回のよりは衝撃が大きかった。
 しかし、背負っていたディバッグがその衝撃を吸収してくれたようで、局所的にダメージは受けず、すぐに立ち上ることができ、歩行もできた。
 滑った原因はブラックアイスバーン状態の面にうっすらと雪が積もっていたために視認できなかったためである。
 
 今回もディバッグに助けられ怪我しないですんだ。
 ディバッグにはiPhone、 iPad mini 、ハードディスクのほか、ガラス瓶に500mlのお茶、日刊紙3紙を入れていた。さらに今朝は出がけにテーブルの上にあったミカンを入れていた。

 病院についてからこれらを出して状態を調べたが、iPhone、 iPad mini 、ハードディスクはしっかり機能した。助かった。
 茶のガラス瓶は割れていなかった。
 ただ、ミカンは袋の中で10ケ全てが破裂していた。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/23/39e0d603d40c485815c27f1cdf1af7f3.jpg" border="0">
(皿に並べた破裂ミカン グチュグチュに潰れた数ヶはミカンの気持ちを考えて除いた)

 私はこの時期になると突然ミカンが食べたくなる。実がパンパンに張っている様な、旬の時期にはまず食べない。今の時期になると実が縮むためか皮と実の間に隙間ができ、ブヨブヨになるが、この状態のが美味しい。しかも、大きな実よりは適度に酸っぱい小粒のがいい。

 今回の品は和歌山県産の小粒であった。助けられた。
 当日は午前外来に次いで日当直でもあった。感謝の気持ちを込めて全部を食べた。美味しかった。


2/4(木)降雪約15cm さらに日中15cm 除雪8回目  飯川病院
1:15起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪朝まで15cm、9:30-10:30今季8回目除雪。12:12バス飯川病院、バス停でホワイトアウトと状態、横殴りの雪と寒気ですっかり冷えた。石像になるかと思った。12:40飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、本読みなど、微睡。19:10帰宅、夕食、21:30就寝。歩数12051歩。昨日はこの時期に初除雪

季節の話題2021(3) 秋田の雪(3) 再度強烈な寒気、降雪、バス待ちの間に雪像に
 ここ数日寒気が緩み、秋田市内の道路の雪は、歩道はまだ除雪不十分で歩行でき難いが、車道はほとんど雪がないほどになった。

 ほっとしたものの秋田県内は昨夕から再び冬型の気圧配置が強まり、県内広範囲で暴風雪となった。なんで今期の冬は週の単位で寒暖が激しく入れ替わるのか??昨日一昨日は最高と最低の温度差が10℃もあったのに??

 県南の横手市では積雪が通常の250倍にもなる196cmとなり、1979年に統計を始めて以来最多を更新した。 
 秋田市でも午前7時までの12時間降雪量が27cmで2月の降雪量の記録を早々に更新した。風も強く八峰町八森で最大瞬間風速23.8m、にかほ市で29.9m、能代市で22.0mがを観測した. 
 県内の交通網も大きく乱れた。秋田道、日本海沿岸東北道も数時間通行止めになった。 
 東日本秋田支社によると、羽越線や奥羽線、北上線などで運休した。 
 秋田市は4日、市内で積雪が40cmを超えたことに伴い道路豪雪対策軍部を設置した。

 私は本日は午前はフリーであったために9:30-10:30今季8回目除雪を行った。強風で飛ばした雪が私の方に飛ばされてくる。除雪中に衣服に雪が付着し、雪まみれになった。

 12:10のバスで飯川病院に向かったが、正午頃から天候が急悪化、強風、前方が見えないほどの激しい降雪となり、路上の車は前がほとんど見えなかったのだろう、超ノロノロ運転となった。したがってバスも大幅に遅れバス停で30分ほど立ち尽くしていた。雪が横殴りに降ると目も開けていられないし、ウエアには雪が厚く付着するし寒い??? ほとんど石像と化して立ち尽くしていた。

 昨年まではこのような自然との戦いはまずなかった。昨年までは厳しい荒天の場合は古い車を引っ張り出して用いていたからである。
 昨秋、運転免許返上したために悪天候の厳しさをもろに体感することになった。
 かなり厳しい状態であったが、運転免許返上を後悔した事がないから不思議である。車に頼らずに天候の厳しさを身体にもろに受けながら生活していることにある種のエクスタシーさえ感じられる。幼少時の感覚が思い出される。それも嬉しい。

 とにかく、今年の天候は例年と異なっている。でも、もう確実に春の息吹が近づいていることが実感される。
 
 (2月1日am5:30 当直の朝に飯川病院の自室から見た朝の空 春の息吹が感じられる美しい景色であった)


2/3(水) 寒波再来小雪 午後飯川病院ボランティア アマゾンECHO購入
 1:30起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。午前自宅で座学。
11:50バスにて飯川病院。検食、12:30-18:30ボランティア。19:30郵便局本局経由帰宅。夕食、21:00就寝。Σ7328歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。

家庭菜園・園芸2021(2) 今季最後の収穫 ネギ(2)  私は徹底して手抜きで栽培
 ネギは白根を食べる長ネギが代表的。根深ネギは冬が旬の野菜。暑さ、寒さ、乾燥にはよ強いが、湿害に弱い。

 根深ネギの栽培は種からだと苗作りに45〜50日と時間がかかる上、成長は遅い。白根部分を長く伸ばすために、植え溝を深く掘り、定期的な追肥と土寄せ作業が必要とされるなど結構栽培は困難。しかしながら、未収穫で畠に残しておいたネギは寒さに耐え、味は甘味を増して格別である。

 ネギは育苗床を準備してタネを撒いて育ててもいいが結構手がかかる。私は種苗店で苗を購入して畠に植えている。いつもは下仁田ネギ、横倉ネギを購入しているが今季は入手できず、種名は不明である。

 長ネギの場合、追肥は約一ヶ月ごとに株元に行い、根元に3−4回土盛りして白身を長くする必要がある。倒れるほど伸びすぎた場合、葉先をハサミなどで剪葉する。
 これらの作業は素人にとっては楽ではない。だから、私は追肥も土盛りもやらない。全て自然任せである。ただ、ネギは生育が遅いために雑草が追い越していくことがあるから草むしりばかりは欠かせない。

 真夏はネギにとっては休眠期??で成長はほとんどない。秋口になると元気を取り戻す。ある程度の大きさになればいつでも収穫できる。今はネギはいつでもスーパーなどで購入できるから急にネギが欲しくなったときに緊急的に収穫する。

 他の作物は収穫時期が決まっているが、ネギの場合は春先まで収穫できる。今季は畠が厚く雪に埋まったが掘り出すと青々として元気であった。
 数日前に最後の収穫を行った。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/10/7db80d40ddc05202af3e9c02aaa89d97.jpg" border="0">
 (今季最後となったネギ 追肥も土寄せもやっていないから全体に小ぶり 白根部分は細め しかし、味は最高であった)

 次季は葉ネギや小ネギも栽培してみたいが、欲張りは自分の首を絞めることになるし、もっと楽をしたいし・・・、と複雑である。


2/2(火)小雪やや寒い 中通病院外来 飯川病院
1:00起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ集配所に。6:47バス飯川病院。8:45-14:00外来。警察からの患者の病状良い合わせあり準備に難渋す、疲弊。14:15飯川病院-19:00勤務、入院患者対応。また微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ10633歩。

家庭菜園・園芸2021(1) 今季最後の収穫 ネギ(1)  

 私は18歳まで盛岡市の郊外で育った。
 田舎だけに敷地は広く1000坪もあって、不相応の庭園があり、池には鯉が泳ぎ、松やかえで、けやきなどの樹木の一角では野鳥が営巣していた。
 住宅は医院を含め火災前には400坪もあったが、昭和27年の火災で200坪程に減築した。
 家の周囲の畑には果樹が実った。リンゴ、ナシ、モモ、カキ、クリなど。
 畠は家で食べる程度であったが、各種の野菜が植えられていた。耕し、種を撒くときには近所の農家の方々に依頼したが、草取り等のメインテナンスは不十分ながら母親、ときに父親が担ってた。

 私は母が33歳で生まれた。だから中学生の時はもう50歳前後で、現代のお年寄りとは異なりもはや初老老人であった。私はそんな母親の姿をみかねて、勉強の傍、時間があれば手伝っていた。新潟大進学後も連休があれば帰省し、手伝った。
 この家屋敷は私が22歳の頃、メインテナンスが次第に困難になったこともあり手放し、盛岡に50坪ほどの宅地、30坪ほどの小屋を構え、労力的には解放された。

 昭和48年に私は秋田に転居したが、子供の時の環境を再現したくなるものである。やや広めの敷地を構えた。
 65歳でハードであった現役から退いたが、少しづつ野菜作り、園芸にも時間を裂くようになった。田舎暮らしの時の経験が大きい。

 畑の栽培の対象は標準的なキウリ、ナス、トマト、枝豆、落花生、ネギなど。
 園芸としてはダリア を栽培し、果樹としてはリンゴ、モモ、カキ、クリ程度である。
 畠の作業、園芸などは嫌いではないが好き、とはいえない。できればやりたくない・・と言いながら、春になり陽射しが強くなるとるとどうしても始めてしまう。5月の連休の頃から始める。一旦初めると水やり、草取りとか日常的に世話が必要で手を抜けない。

 私の野菜作りは一切の追肥や駆虫剤などは用いない。太陽と土壌、水の力だけに頼っている。面倒だからである。
 台風などの風対策は入念に行う。さもなければ根こそぎ持っていかれる。

 9月になると私の野菜作りの意欲は急速に萎えてしまう。秋野菜、冬野菜は手をつけない。時折、必要に応じてネギを収穫し鍋物の時に用いるだけ。

 この時期から座学中心になるのであるが、ダリアが最盛期を迎えて手がかかるようになる。

 数日前に雪に埋没して頭だけ出していた最後のネギを収穫して舌鼓を打った。雪中野菜の例に漏れず甘みが増して美味であった。


2/1(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
2:10飯川病院起床、新聞、本読11:45飯川病院へ、微睡、データ整理。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6211歩。

徒歩通勤2021(1) 2回目の日本一周 岩手徒破終了青森に至る
 私は車が嫌いである。だから先走って2020年9月運転免許を返上した。

 1990年(45歳)に子供達も大きくなり、一人での移動が多くなったので5人乗りの車を利用するのは無駄と考え、バイクのヤマハビラーゴ250ccを購入、次いで1991年2月(46歳)にハーレーダビッドソンFLSTOF1340ccを購入した。長く利用したが60代後半になって重いバイクの取り回しが困難になり、2012年(68歳)換金して東日本大震災の義援金に充てた。

 2011年(67歳)ドロップハンドルのクロスバイクで通勤していた。2012年(68歳)高校生と接触して転倒、その後腸閉塞、脳塞栓を発症し、ついで右下腹部にヘルニアが出たために自転車通勤は諦めた。

 2013年4月以降、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくというものであった。

 2013年4月(69歳)に開始し、2020年1月(75歳)日本一周を達成した。
 その後は2回目の日本一週にトライしているが、2021年1月末に郷里の岩手県を通過し青森県に至った。今回は2回目の中間報告である。

 (東京の日本橋を再スタート10ケ月経過、やっと岩手県を終了した)

 2013年の開始当初は新しい試みに燃えて、やる気満々、さらに私も若かった。その頃1日25.000歩、20Kmにも達したことがあった。しかし、加齢とともにやる気が減弱、体調不良もあって2019年春(74歳)から全コースの徒歩通勤を止め基本をバス通勤にした。
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 ■ 2020年1月日本一周達成時の最終的積算データは以下の如く。
経過期間:2.290日目、6.8年。総歩数:Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 ■ 2020年4月沖縄一周を達成した時点の最終的積算データ。
経過期間:2.565日、7.03年。総歩数:Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)。歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)。
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 ■ 2021年1月30日 岩手県2回目歩破時点の最終的積算データ。
経過期間:2.850日、総歩数:Σ2.683万歩 (平均9.414歩/日)。歩行距離Σ21.464Km(平均7.53Km/日)。
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 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。今の所がっくりと1日歩数が減ったわけではないようである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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