徒然日記
2007年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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10/31(水)晴れ 外来 秋田県医療的ケア連絡協議会
 
1:30起床。ドック総括x2他。5:15病院。6:30回診等病棟業務。7:00患者家族面談。8:00救急カンファ、8:45-12:40外来、中座して13:30-16:00県立総合プール会議室で医療的ケア連絡協議会。16:30病院に、書類処理。20:45帰宅、21:30就寝。

看護師不足2007(1)  依然続いているのだが、何故沈静?
 昨年の今頃は、医療界は看護師不足の話題で大変であった。
 看護師は2005年12月の厚労省の「第6次看護職員需給見通し」で2006年度の時点で41600人の不足、2010年ですら不足が追い付かず16000人不足との見通しであったが、その解消策も行われないまま、突然の7:1看護の新設であった。

 わが国の薄い看護体制の改善がやっと手がつけられたか、と思う前向きの評価の一方、養成数を変えずにこの施策を行ったら看護師不足を来すのは当然で、昨年はこれに関するニュースが世の中を駆けめぐった。東大の教授達が全国津々浦々の看護師養成校に訪問して募集したのもこの時期であった。私も日本医師会代議員会で個人質問の中で取り上げた。

 厚労省の昨年11月のデータでは、2007年度の国立大学病院の看護師の内定数は2006年度の2倍に当たる4509人、国立病院は417人増の3868人であった。実はこれでも国立大学では募集人員から見て911人も足りず、国立病院も632人不足している。

 全国の大規模病院、代表的な病院はこの国立大学、国立病院の看護師大募集の影響を大きく受けた。日赤病院の2007年度の内定数は募集に比べて1983人も少なく、私立大学病院は1796人、済生会は1072人も不足した。

 だから、国立大学、国立病院、日赤他の病院は当然今年も大募集を行っている。その影響は地域の私的医療機関、中小規模の医療機関がモロに受けてしまう。考えようによっては2006年度以上に厳しい状況となる。恐らく、地方の一部の医療機関は病棟閉鎖などで対応せざるを得なくなるだろう。

 なのに、世の中平穏である。これほど医師不足、看護師不足で地域医療は崩壊しつつあるというのにあたかも看護師不足は昨年だけで解決したかの如くの雰囲気である。勿論、人事等の当事者は必死に頑張っているのだろうが、なかなか見えてこない。 

 秋田県でも看護師数は不足している。しかし、県は養成校に対する補助金を打ち切る方向にある。これが実施されると養成校の運営は一層困難になり、経営基盤の弱い養成校は休校せざるを得なくなる。

 私は若い看護師や卵達に、機会ある毎に「秋田県民の健康は秋田県人が守ろう」、と呼びかけている。勿論、これだけでは不足で、看護師のライフステージに応じた「やりがいの提供」、「子育て支援策」の実施等の具体策が必要となる。ところが、これもまた、言うは易しいが、立案、実行は決して易しくない。


10/30(火)晴れ,患者家族面談 外来 法人常務会 インフルエンザワクチン安定供給対策委員会 医局カンファレンス(欠) 対策会議
2:00起床。ドック総括他。5:20病院着.6:20回診、7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。14:45-16:00法人常務会。16:30-17:20インフルエンザワクチン安定供給対策委員会、中座し帰院、17:30
-18:10、18:30-19:45対策会議。ドック判定総括、退院総括。21:10帰宅。21:45就寝。

介護難民が増えていく 
療養病床の廃止、再編問題
 政府は2011年末で介護療養病床の廃止を決定した。
 療養病床を老健施設等へ転換する施策を進めているが実質的進展はみられない。厚労省は先に「医療機能強化型老人保健施設」と呼び、更にこれを「療養病床から転換した老人保健施設」すなわち「転換型老健施設」と名称を変更した。マア、名称などどうでも良いのだが、こっちの方が分かりやすい。

 高齢者医療の提供体制は目まぐるしく変わる。何故、今「転換型老健施設」を作って無理矢理移行しなければならないのだろうか? 
 その理由は、既に介護療養病床の廃止は国会で決定しているから、何としてでも、例え、同じ機能のものを創設してまでもやりきらなければならない、と言うことなのだろう、と解釈する。この「転換型健施設」の機能は「夜間対応や看取り機能を強化し、医師のオンコール、他の医療機関の医師の往診も可能」としているが、この役割は何も目新しいものでなく、今の介護療養病床の機能と大差ない。現在の介護療養病床をそのまま残せば解決する問題である。

 現場を知らない厚労省の連中が立案し、現場を知らない議員達で議決するから後でつじつまを合わせるのに苦労することになるのだ。

 また、「転換型老健施設」の創設は基準の異なる老健施設の並存となり煩雑となる。診療報酬もまだ未解決で先行きも不透明である。転換型施設等に積極的に転換するほどのメリットは何処にあるか、全然見えてこない。だから、早々と転換を表明など出来るわけがない。

 また、転換型老健施設の療養室の面積は一床当たり8平方m以上を満たす必要がある。これは今の基準よりも広い。低い診療報酬の中で増改築などしての転換は土台無理だから、大幅に病床数を削減しなければ適合しない。だから、転換しても経営は困難となる。施設に入れない老人は増加し、介護難民が増えていく。

 これらの施策の目的は医療費の軽減にあり、厚労省は介護療養病棟の廃止により医療費4000億円減と介護給付費1000億円増の差引3000億円の削減効果を見込んでいる。結果として医療費は若干減るものの介護給付費は増加し、国民の介護保険料は増加するだろう。

 団塊の世代はこの施策の影響をモロに被ることになる。国の医療・福祉政策を良くして行くには国民のパワーが必要である。


10/29(月)曇り・雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床、ドック判定ほか文献整理。5:10病院着、6:00回診他、7:45-8:30管理会議、8:45-14:30外来. 16:00-16:30療養病棟判定会議。16:30医師面談。17:00-20:00長副会議。21:00帰宅。夕食、21:45就寝。

秋田県健康福祉部と県医師会との医療行政懇談会 
 秋田県医師会と秋田県の健康福祉部は年に2回、懇談の場をもうけている。秋田県の医療の維持、発展に両者の協力が欠かせないからである。約2時間の懇談の後、会費制で質素な情報交換会もある。

 医療行政に携わっている県庁の方々は特別な医療・福祉関係の訓練や教育を受けたエキスパートでは無い。定期的人事移動で数年ごとにメンバーが替わっていく。県の行政の守備範囲は極めて広い。時には医療福祉と全く関連の無かった部署から移動してくる方もおり、新しくこの分野に配属された方々は一から勉強し直す事になる。

 私は県の医師会の役員になってから感染症危機管理、障害福祉、医務薬事関連部門等を通じて県との対応をずっと身近に感じてきたが、これほど多忙に働いているのかと感心してきた。端から見て感じて抱いたイメージと全然違っていた。特に最近は県庁も職員数を減らしている様であり、一方では厚労省から次々と新しい指示が飛び込んでくるから一層大変そうである。

 私にとって特に身近な部署である健康推進課のうち感染症等の危機管理を担当する部署は実質2名+αで対応している。インフルエンザあり、新型インフルエンザあり、ノロウイルス感染、0-157感染、麻疹あり・・と目まぐるしく対応している。とても事務職のみで対応できるものではない。出来ることであれば秋田県も医療職の職員を採用して配属する事が望ましいが現実的には困難である、だから県にとって県医師会との連携が必須である。

 県医師会の立場にとっても、系統的に機能的に秋田県の医療を支えていくのに行政とのタイアップは欠かせない。

 要するに医療行政懇談会はお互いが求め合っている情報交換の場であるという事であり、懇談会と言えどもその位置づけは高い。
 次回の医療行政懇談会は来月13日に開催される。その場で私は「がん診療連携拠点病院」と「新しい循環器医療供給体制」の二つについて質問をする予定である。良い情報交換が出来ることを期待している。


10/28(日)東京・秋田快晴  日本医師会第117回臨時代議員会
2:00浅草View起床、持参の新聞チェック、ドック判定総括x1。文献整理、徒然など。8:45日医会館へ。9:30-16:日本医師会第117回臨時代議員会。
大過なく順調に進行し予定通りに終了した。18:00JAL MD-90、シートは何故か前方のクラスJ、静かで広く快適であった。後方が良いというガチガチの考えを変えなくてはなるまい。19:05秋田着、19:45帰宅、夕食、20:45就寝。

暴風雨の中の着陸、実にスリリングであった 
 10月26日夕方、小笠原諸島の南方で突然台風20号が発生した。通常、台風は赤道付近で発生するもので、進路予想を聞きながら心の準備も出来るのであるが、こんな事もあるのかと驚いた。これも温暖化に関連した異常気象の一つなのだろうか?

 秋の台風の特徴はスピードが速いことがあげられる。折しも翌10月27日は東北医連打ち合わせ会議のために15:00発のANAを予約してある。当日午前の予報を聞くと夕方から関東地方は暴風圏に入る予定となっている。これは拙い事にもなるかな?と思いつつ空港に向かった。秋田は小雨であるが平穏な天候である。

 機種はB767-600Rで、カウンターの表示は満席だという。とはいえ私の席は4列シートの通路側で、両脇が空いておりその点では快適であった。こんな嵐の時は事前に着陸できなかった場合の進路変更等についての説明があるものだが一切無かった。

 上空に達してからの機長のアナウンスによると、高度8000m、秒速50m程の逆風の中を時速800Kmで向かっているとのことで若干の遅れが予想されるとのことであるが、着陸についてのコメントはなかった。羽田は横風用の滑走路もあるから地方空港とは違うのだろうと理解した。

 羽田に近づき高度を下げ始めた頃から大揺れ状態となった。窓の外は雲で翼の先端すら良く見えないほどで海面は一切見えない。今どんな状況なのかはフラップの下げ音と車輪の下げの音から類推するだけである。そのうち前方スクリーンの左隅に滑走路の光が見えた。機はかなりの雨と横風を受けて機種を右に向けて進んでいることが予想された。通常より速めのスピードで、いつもより若干きつい降下かなと思える状態で、通常の着地時点をかなり過ぎた所に着地した。エアブレーキ、逆噴射はきつく、身体が前のめりになるほどであった。

 実にスリリングなフライトであった。空港ビルからは強風と横なぐりの雨の中、出発便が5-6機、整然と離陸順番を待っており、何事もないように次々と飛び立っていくのが見えた。大したものである、と改めて感心した。


10/27(土)秋田曇り→東京暴風雨  病棟拘束 中通看護学院戴帽式 東北医連打ち合わせ会議+情報交換会
2:30起床、ドック判定総括x1. 再検査結果報告。5:20病院。6:00回診。8:00心肺停止状態の患者あり救急外来へ。10:00-11:30中通看護学院戴帽式、祝辞。13:30仙台より来客、14:00病院発空港へ、15:00ANA B767-600R、満席なるも私の両側の席は空。関東地方へ台風20号が接近し、風雨の中の着陸。大したものだと感心。京急線で日本橋へ、東西線に乗らずタクシーで直接グランドパレスに。18:30-20:30東北医連打ち合わせ会議+情報交換会、浅草Viewへ。21:30就寝。

中通看護学院戴帽式 2回目の出席、祝辞
 本日は法人立の中通看護学院戴帽式であった。昨年、初めて戴帽式に招待され、祝辞を述べた。今回は2回目だったから物珍しさはなかったが、昨年同様に厳かな雰囲気の中で良い気分を味わった。

 昨年、式の進行をじっと見ながら、改めて何故戴帽式では「周囲を暗くする」のか、「何故ロウソクなのか」の意味を考えた。学院長の祝辞の中で暗闇の中でのロウソクの光はナイチンゲールが夜に患者を見回るときの姿を表しているのだとのことであったが、私は、この暗闇は、「病に悩む患者の揺れ動く不安な心」を、一筋のロウソクの光はそこを訪れる「看護師の心」を表し、患者にとっては「希望の光」なのだ、と解釈した。

 折しも私は本年8月1日に泌尿器系の手術を受けた。術後鎮痛剤の使用をせずに過ごしたので襲ってくる痛み中、深夜に懐中電灯を片手に私の状態を確かめに訪れた看護師さんの姿を私は寝たふりしつつ逆にじっと観察した。多くはマスクを付けているので目元だけしか見えないのが残念であったが、みんな良い雰囲気である。不安で眠られない患者達は本当に安心するのではないだろうか。看護記録には準夜、深夜とも「熟睡中」と書かれてあった。

 昨年、祝辞の準備のために若い看護師数人に聞いたところ、「毎日の業務に追われ、戴帽式の時の感激なんかはとっくに忘れました」と予想外の返事が返ってきて戸惑ったが、こんな事は祝辞では言えない。だから祝辞の中では、内心ちょっと心苦しかったが、先輩達は「戴帽式の時の感激は到底忘れられません」と述べていた、とねじ曲げて話した。この時の挨拶内容は後に「院長室の扉の隙間から」に掲載する。

 なお、戴帽式の雰囲気とは直接関係ないが、私は病院でも自宅でも日中から窓のカーテンを引き、部屋の照明を点けずにスポットライトの下で過ごしている。私にとって明るい室内環境はとてもストレスだからである。


10/26(金)雨 医師面談 ドック診察 長副打ち合わせ 法人理事会  ノロ対策拡大診療部会議   

2:30起床、ドック判定総括x1.徒然他。5:10病院着、6:10回診他。7:10患者家族面談。病棟書類処理業務。8:00救急カンファ。病棟書類処理業務。入院患者対応、14:30ドック診察、17:00長副打ち合わせ。17:30-18:30法人理事会。18:30-19:00ノロ対策拡大診療部会議に合流。21:30帰宅。22:00就寝 。

キャッシュディスペンサー そんなに独り占めしないでよ
 本日の午前,病院のキャッシュコーナーで。

 私の前にほぼ中年になりかかっている女性がピッピとボタンを押している。間もなく私の番だろう、次のヒトのために早く終わらねば、とカードを握りしめていたが、なかなか終わらない。何と、通帳を10冊近くも目の前に重ねている!! まさか、それ全部はやらないよね、と思っていたが次から次とピッピッピで、なかなか終わらない。

キャッシュディスペンサーは,次々と入れられる通帳に必死で記帳している。記帳は結構時間がかかる。「預金もしないでこんなに沢山、ただ記帳のみですかい?後には何人か待ってますよ。良いんですかい?」と言っているようにも聞こえる。そう聞こえると言うことは聞く者がそう思っているからである。

 月末ということもあり,私の後にも4人ほど並んで順番を待っている。ディスペンサーには安全のために後の状態が分かるように大型の鏡がついている。操作している本人は後の状態が分かっているはずである。逆にこちらからは本人の顔が見えることになる。無表情に次々と、悠然とやっている。えらいものだと関心、次いで諦めの境地となった。

 待つこと約10分、やっと終わった。一言「お待たせしました」言うかな?とも思ったが、われわれを一瞥しただけで去っていった。見事である。
 私は単純な作業だったからワンアクションで1分もかからずに終了した。

 こんな時どう考えるべきなのか? ある時には若い女性の事務員が会社の通帳の処理をキャッシュコーナーでやっていた。この時は諦めて出直した。自分の番になったらどんな使い方をするかは本人の自由であると言うのが正当論なのかも知れないが、混んできたら一端止めて順番を譲るとかの配慮をするのが私の正当論である。しかし、これは押しつけは出来ない。

 一昔前には公衆電話で似たような思いをしたものであった。くだらん会話を聞きながらじっと待ったものだが、その時もほぼ全員女性であった。ある時、一端終わったものの、そのまま新たに掛けようとしたので注意したことがある。この時は後に並ばずにムッとした表情で憮然と去って行った。もともと重要な電話でなかったのだ。

 私は、いまだに女性の心理が分からない。


10/25(木)晴 外来 療養病棟診療部会議
2:00起床、ドック総括、他、5:10病院着。6:30回診など。8:45-15:00外来、超混雑。患者にとっても私にとっても辛い時間であった。15:00AB担当者来訪。17:00-17:45療養病棟診療部会議。21:00帰宅、夕食、22:00就寝。

オールド・ボロ・ハーレー(11) 17年目で初のメカ不調

 今年で17年目になる私のバイク、オールド・ボロ・ハーレーがブレーキが不調となって修理に出し、一昨日戻ってきた。この17年間で初の修理である。
 一般的にハーレーはオイル漏れや電気系統のトラブルが頻繁だと聞いていたが、私のはたまたま丈夫な車体にあたったのか、走行のメカは故障知らずであった。購入後今まで消耗品としてバッテリー3度、タイヤの交換を1度、1/年のオイル交換を行って来たが、それ以外は2年毎の車検のみで修理コストは一切かかっていない。外見維持のために経費をかけるとすれば相当な金額になっていたと思うが、私の場合は錆びようが一部の部品が無くなろうが機能的に関係なければすべて無視してきた。だから、外観はすごい状態である。

 今春乗り始めた頃から、前輪ブレーキのレバーの戻りが悪く、時々引きずるようになっていた。何度かレバーを握り直すと正常化した。だから、ブレーキワイヤの錆とかで引っかかりが出来たのであろうと予想したが、面倒なので修理に出さなかった。

 通常、私は前輪ブレーキをメインに、後輪ブレーキは補助的に用いているが、今年はやむなく後輪ブレーキを中心に、前輪を補助的に用いて来た。やっとその運転感覚に慣れたばかりであったが、今度は後輪ブレーキの不調である。後輪ブレーキを思い切り踏み込んでも殆ど効かない状態になった。320Kg程の重さのバイクに私が跨って走ったときの物理的エネルギーは大変なもので1系統のブレーキでは安全に走らせることは出来ない。

 不調な前輪ブレーキをこまめに使い何とかディーラーに持ち込んだが、呼称の原因は前輪はワイヤの劣化、後輪はブレーキシステムへの空気の混入であったという。大げさな修理にならないで済み、機能的には完全に元に戻った。これでまた安心して乗れる様になった。

 しかしながら、実に残念なことであるが、もう早朝の通勤には寒くて利用できない。日祭日の昼の通勤に例外的にしか用いることができない季節になった。
 今年1年は何となく開放感の少ないバイクライフであった。来年こそは、と夢を託し間もなくガレージの隅で冬眠させる事になる。


10/24(木)晴 外来 友の会理事会 常務会 県医師会理事会 院内エイズ委員会(欠) 長副会議
2:00起床、ドック総括、他、5:10病院着。6:30回診など。8:45-13:50外来、14:00-15:00友の会第一回理事会、中座。15:00常務会。16:30-17:45県医師会理事会、中座。18:00-19:30長副会議、21:00帰宅、夕食、22:00就寝。

「千の風になって」が広く知られ、ヒトの死が一層軽くなっていく
 2004年6月のある早朝、ラジオ深夜便「こころの時代」新井 満氏が「私のお墓の前で  泣かないでください  そこに私はいません  眠ってなんかいません・・・・」と続く、詩「千の風になって」を紹介しながら2回にわたって登場した。この詩についての由来など、私は全く知る由もないが、その時、初めて耳にしたこの詩はとても素晴らしい、と思い、6月25日の徒然に感想を綴った事がある。

 しかし、あれから3年経ち、「千の風になって」は独唱曲、合唱曲などに編曲され、あるテノール歌手の歌ったCDはミリオンセラーとなっているという。 

 この詩は人の死を取り上げていながら暗いイメージはなく、身近な方を亡くした方々にとっては亡くなった方へのいろいろな感慨、思い出があってなかなか死を受け入れられないのは当然であるが、その心を幾分でも癒す事が出来るかもしれない、優れた詩だと思う。

 個々人にとってはそれで良いと思うが、この詩が、この詩や歌があまりポピュラーになることには些か問題があるように思えてならない。

 それは「人の死」を一層軽んじる事にならないか?という危惧である。
 最近、高齢の患者の死去の際に家族が集まってくることは少ない。ましてや未成年者、学童期の子供達が祖父母の死の瞬間に立ち会い見送る機会は極めて少なくなっている。多分人の死は忌まわしいものであり、子供達には見せたくない、と言う悪しき風潮なのだと思う。

 ある新聞によると、最近は子供達の作文などに「おじいさんは一月前に、千の風になって旅立ちました」などとの記述が頻繁に見られるようになり、葬儀の際の挨拶や弔辞などにも登場するようになっているという。人の死を厳粛にとらえ、その死を考える事はいのちの大切さを知ることになり、人生を知ることにつながる。その大切な機会を親たちが自ら奪っている。死が若い世代にとってあまりにも軽くなっている。その風潮形成に一役かっているような気がしてならない。

 かつては「ヒトが死ぬと星になるんだよ・・」など言われたこともあるが、風よりはまだ厳粛であった。しかし、星について知識が豊かになった子供達にはもう通用しないようだ。


10/23(火)晴 患者家族面談 外来 秋大実習「地域医療の現場に学ぶ」 プライマリーセミナー 医師面談
2:00起床。ドック判定総括、病院沿革まとめ、他
Q&Aの準備。5:10病院着、6:10回診、処置種々他。8:45-13:55外来。10:00、12:30と家族面談を挟む。14:00-15:45秋大実習「地域医療の現場に学ぶ」の講義。17:30-18:45医局プライマリーセミナー:急性腹症と急性肝症候群。統括科長面談。21:20帰宅、22:00就寝。

YAMAHAサイレントドラム この発想で是非サイレントマフラーを
 先日、秋大心臓血管外科教授を中心とするThe Yamamoto bandから練習の誘いがあった。ここ3年ほど、この季節になると練習が始めている。忘年会の余興用の気軽なアンサンブルである。私もその中に混ぜていただいているが、私のヴァイオリンはどちらかというと異分子的存在である。だからこそ結構楽しい。最近は時間が無くて殆ど楽器を触っていないから、触る良い機会でもある。

 劣化した弦を補充するために先日楽器店に立ち寄った。店内中央に変わったドラムセットが置いてあった。見るとYAMAHAサイレントドラムとある。ちょっと叩いてみたが十分に消音され、楽器らしい音は一切しない。しかし、ヘッドフォンではリアルで見事な音を聞くことが出来る。勿論、アンプを通して通常の楽器としても用いることが出来る。見事な発想の楽器であると感心した。

 YAMAHAはサイレント○○という楽器を多種類作っている。これらの楽器のみで演奏者、聴衆全員がヘッドフォンをあてた、外には音のしないサイレントアンサンブルやオーケストラも結成できそうである。

 私がサイレントドラムを敲いた瞬間、感じたことは車にサイレントマフラーがあればいい、と言うことである。
 今、若者中心にかなりの車に改造マフラーが取り付けられている。太めのマフラーの先端から、低域の「ド・ド・ド・・」とかなりの音を立てている。エンジンを吹かすと「バリ・バリ・・」と大きな音を発している。
 一方、2サイクルエンジンを積んだバイクは甲高い排気音で、「ヒュン・ヒュン・・キーン」と甲高い音を立てる。運転者は悦に入っているだろうが両者とも第三者にはとても迷惑である。これらをサイレントマフラー化し、車ではカーステレオを通じて、バイクならヘルメットの中に排気音を激しく放射すればいい。音を楽しむという面では今のシステムより一人で数段楽しめるはずである。しかも、誰にも迷惑をかけない。

 YAMAHAはサイレントシリーズのノウハウを十二分に持っているし、楽器メーカーであると共にバイクメーカーでもある。YAMAHAがその気になれば世の中を静かに出来るサイレントツールを通じて超優良企業になりうる可能性を秘めている。
 世の中は喧噪すぎる。私は嫌音権主張者の一人である。


10/22(月)快晴  管理会議  完全管理者と打ち合わせ 家族面談 療養病棟判定会議  長副会議
1:30起床、ドック判定総括x1、医学生実習用資料検討。5:30病院。6:20回診他業務.7:45-8:25管理会議、10:00-11:00リスクマネージャーと打ち合わせ、家族面談。16:00-16:40療養病棟判定会議、17:00-20:10長副会議。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。

赤福、お前もか!!   何と、比内地鶏も?? 秋田の経済に悪影響が及ぶのでは?
 三重県伊勢市の「赤福餅」は創業300年の老舗で、また不正が明らかになった。製品を一時冷凍して出荷調整し、残った製品を再包装し、製造日を印刷し直して出荷、店頭で売れ残った製品も再使用していた。また、一部は生産ラインに戻して再利用し、一部は原料として子会社に販売していた。製造日の誤魔化しは少なくとも34年前からとのことで、三重県が無期限の営業禁止処分にした。

 私は、赤福に関しては、またか!!と言う程度であまり大きく驚かなかったが、大館の食品加工会社「比内鶏」が肉や卵のくん製製品を廃鶏などを利用しながら比内地鶏と偽装していた問題には心底驚いた。偽装内容もさることながら秋田の業者と言うことに驚いた。22日の同社の記者会見によると、偽装は全23商品中半数の12種で、偽装は約30年前から行われ、一部製品では製造期日も1週間遅くしていた、という。

 比内地鶏を扱う大手の卸会社は約10社あるが同社は売り上げランクでは上位の部類に入るという。確かに空港とかの売店で同社の商品を見かけたことがある。比内地鶏の仕入れ価格は1羽1000円程度、廃鶏は50円もしないとのことであるが、同社は養鶏業者から後者を無償で提供を受けていたと言うから計算上はボロもうけしている事になる。この偽装は雪印、白い恋人、ミートホープなどよりも悪質なような気がする。

 秋田の経済は低迷している。この鶏偽装発覚が日本の三大地鶏として全国に知られている比内地鶏の名の下に行われていたから秋田のイメージを大きく損ない、更に経済の低迷に拍車がかかることが心配である。
 細々ながら、良心的に生産を続けている同業者が受ける影響は計り知れないものがある。


10/21(日)雨のち快晴 病棟拘束
 2:30起床、ドック判定総括x1、その他書類処理。文献整理。5:30病院、8:30救急カンファ。11:00帰宅。自宅で業務他。17:00-19:30病院。修理終了のハーレーを受け取り20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

何故、客は到着すると一斉に席を立つのか
 
空路は条件さえ良ければ快適である。10月16日の東京出張は往路の券がとれずこまちで上京、帰路は空路で帰ってきた。比較してみればやはり空路の方が楽だ。こまちが満席だったから特にそう感じた。 

 私にとって空路がより快適である条件はいろいろあるが、まず満席でないこと、後方の通路側の座席で、かつ隣のシートが空いていることである。ガラガラだとその程度に比して快適であるが、特に経営が不振だとされるJALの場合、これでペイするのかと心配してしまう。加えて気象条件が良く、揺れが少ない方が良い。

 私は人の密度をかなり気にする。だからより空いている後方の座席を選ぶ。加えて座席が狭く窮屈、足下も狭いので窓際や真ん中の席はイヤで通路側を選ぶ。プレミアムシートは私には贅沢だし、前方にあるから好まない。

 10月19日の出張は往復とも空路であり、共に満席であった。良かったのは後方、通路側の座席を確保できたことだけであったが、往復とも到着後に隣の席の方々に早々に立たれ心理的にプレッシャーであった。往路は4列シートの、復路は3列シートの通路側であった。特に復路では窓際の男性は頭上が低いために頚を曲げ、身体を捻ってずっと立っていた。真ん中は中年の婦人であったが、何で立たないのだ?と言うような目で私を見ていたが、無視して本を読んでいた。私が立っても何も解決する事はないのだ。だから座っていて欲しかった。

 何で飛行機がスポットに到着すると乗客は一斉に立ち上がるのか?私には理解できない心理である。早く立ち上がっても通路は乗客で一杯で荷物を出すのも困難である。早く立ち上がっても早く降りれるわけではない。大型機の場合、到着から降りるまで5分ほどもかかることも希ではない。一斉に立ち上がった状態というのは落ち着きが無く実にイヤなものである。

前方の乗客から順番に整然と席を立って降りればいいのに、といつも思う。


10/20(土)雨 病棟拘束 ドック診察+結果説明 No18秋田県病院大会 秋田県ドクターヘリフォーラム2007+情報交換会
2:30起床。家内不在で3:20病院着、6:30回診、8:00ドック診察、8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明。書類処理他。14:00-15:00第18回秋田県病院大会、JAビル、「病院経営における事務職・看護職の役割」、中座して県庁に移動。15:30-16:50秋田県ドクターヘリフォーラム2007。19:20-21:20講師を囲んでの懇親会。21:50帰宅。22:30就寝。

呆れたヒーロー達の我が儘(2) 彼らは世相の変化を映す鏡だ
 相撲協会、JBCは両者ともトップの力士や選手の人気に依存し、彼らの暴走を見て見ぬふりをしていた。それを良いことに両者の我が儘やり放題が次々とエスカレートしてきた。これらの行動がマスコミを通じて興味本位に報道されているので社会、特に若者達に与える影響が危惧される。加えて政治家の金銭問題などの不祥事、言い逃れの答弁等も世相形成に与える影響は大きいものがある。

 今回の件をあげるまでもなく、世相はかなり変わってきた。結果としてクレーマーが増加などに影響がでている。類似した事象は私の周辺にも数多く見られるようになってきた。

 優れた日本人論として評価が高いルース・ベネディクト著「菊と刀」の一節に「日本人の恒久不変の目標は名誉である」、「西洋は罪の文化、日本は恥の文化である」、とも指摘している。
 確かに、「ご先祖様に顔向けできないようなみっともないことだけはするな」、「お天道様は見てるよ・・」、「親の顔が見たい・・」などなど、私どもの年代は子供の頃に、祖父母や親にそう言われて育ったものである。「恥」、「潔さ」を尊ぶことが重要であるとされ、社会や組織にそのもの行動の規範があり、それが良い意味で抑止的に働いていた。今は親の世代にも組織にも問題があり、若者が何か不祥事を起こしても親や責任者を呼ぶとむしろこじれてくる。だから、「親の顔など見たくない・・」などと冗談半分に語られる。

 「衣食足りて礼節を知る」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」などの格言等は責任ある立場にあれば、その器量が厳しく問われる、と言う趣旨の格言であろうが、若い世代にはその意味は通じないようである。我が儘の陰に「そんなら辞めてやる」という武器を隠し持っているだけに、対応は困難である。

 恥を知る感覚が失われつつあるのは残念だが、そう言う私も端からはそう言われているかも知れないし、世相の変化に荷担しているのかもしれない。これも自省の機会にせよ、と言うことなのだろう。


10/19(金)秋田・東京晴れのち雨   日本医師会病院委員会  法人永年勤続者表彰式(欠)
2:30起床、家内不在なので3:10病院。ドック判定総括、その他。6:20回診・病棟業務。8:00救急カンファ。9:00病院発空港へ。9:55JAL A320-600満席。13:30-16:00日医病院委員会。18:00JAL MD-90満席。30分遅れ、19:30秋田着、20:15帰宅、夕食、21:00就寝。本日は久々往復とも満席で快適でなかった。

呆れたヒーロー達の我が儘 確実に社会に悪影響を及ぼす(1)
 朝青龍問題が一応落ち着いたと思ったら、今度はボクシング界の亀田選手の問題である。共に最高位にある力士や選手の我が儘やり放題の問題が浮上してきた。

 朝青龍は本場所で優勝を飾った後、腰の疲労骨折など全治6週間の診断書を提出し、角界の重要な公式行事である地方巡業を横綱がすっぽかした、さらに、師匠の知らないうちにモンゴルに帰国し、サッカーに興じていた。横綱の名誉を著しく棄損した朝青龍と、朝青龍をきちんと指導してこなかった高砂親方の責任が重大であることは論をまたない。イヤ、それだけでない。角界自体が常軌を失しているのではないか??
 その診断書は正しいのか?私はここにも問題があると思っている。全治6週間の診断書がでるような身体で優勝を飾れるということも疑問である。そんなに対戦者はひ弱なのか?八百長?虚偽の診断書?など疑問が湧く。サッカーに興じていたことも、その後突然精神疾患に罹患したのも、それの医学的判断も二転三転し、果たしてまともだったのだろうか?第三者的立場の精神科医の診断を受けたのだろうか?

 私はあまり好きでないから詳細は知らないが、角界に関して疑問だらけである。それに追い打ちをかけたのがリンチ事件である。死者が出たというのにあの対応は何なのだ?

  一方、日本ボクシングコミッション(JBC)は、数日前、18歳の亀田大毅選手を1年間のボクサー資格停止処分とした。世界フライ級タイトルマッチで挑戦者の亀田選手が対戦者を抱き上げて投げるなどの反則行為を繰り返したことが処分の理由だ。勿論これだけでなく、今までの蓄積があっての処分とのことである。ボクシングについても私は実は詳細を知らない。今回の亀田選手についての興味はボクシングそのものに関してでなく、若者気質という観点からの興味だけである。

 共に人気を失い斜陽傾向にある団体であるが、相撲協会は朝青龍の人気に依存し、JBCは亀田一家へ依存し、両者ともトップクラスの力士や選手の暴走を見て見ぬふりをして許していた。それを良いことに次々と我が儘やり放題を繰り返した放題本人達は勿論のこと、相撲協会、JBC自体にも問題がある。当の本人達を処分すればいいというものではない。総括と反省が必要である。

 これらに対して私が関心を持つのは、このようなヒーロー達の行為は確実に世の若者達に悪影響を与える、と危惧しているからである。


10/18(木)晴れ アキレス切断4周年 外来 産業保健センター運営協議会
2:30起床。ドック判定・総括x1、徒然他。5:00Taxi病院、6:20回診ほか病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来。16:00-19:00産業保健センター運営協議会。病院、21:40帰宅、夕食、22:20就寝。

上小阿仁村の核廃棄物処理問題(2) その後国は方針変更したが・・
 日本は現在、国のエネルギー政策に沿って電力の30%以上を原発に依存している。国と各電力会社の宣伝で原発には安全性に対する不安は残るものの、一般的に原発はクリーンだという印象が根付いている。確かに温暖化という面で見れば化石燃料よりは勝る点はある。実際には処分困難な放射性廃棄物はどんどん増えてくる。こちらの方はあまり宣伝してこなかったために殆ど知られていない。放射性廃棄物の処分は原発推進と表裏一体の国が責任を持って解決すべき課題である。

 放射性廃棄物は危険性が高い。国はこれをガラス状に固めて50年ほど保管貯蔵冷却したうえ、地下300m以上の安定した岩盤地層に半永久的に埋める方法を採用している。国は高レベル放射性廃棄物の最終処分場の必要性や安全性について、国民の理解を求めてくるべきであった。

 多額な交付金で最終処分場の候補地を募るという応募方式は国の責任の放棄である。かつて、高知県の某町が初めて応募したが、町長の独断が批判されて辞職、次の町長選で反対派候補が当選して応募が撤回された経緯がある。上小阿仁の場合も村長が誘致に固執していたら同じコースをたどっただろう。その意味では町長の判断は賢かった、と言うべきであろう。

 上小阿仁の騒動の後、政府は国が全国から候補地を選び、調査の実施を申し入れる方式の導入を決めた。これは当然の方針変更であるが、従来からの応募方式も併存させた事は実に中途半端である。一本化し国の責任を明確にすべきであった。

 これからは国が各地区に調査に入ってくことになるが、何よりも、国のエネルギー策に対する国民の理解と信頼と同意が前提である。その上で、何故その地域が候補にあげられたのか、根拠を明確にする必要がある。それを欠くと各地で住民による反対運動が生じ、かなり難航することが予想され、核廃棄物問題はいつまでも宙に浮くことになる。

 疑問なのは、果たしてこの政策を推し進める事が出来るほど国内の地質は十分に知られているのだろうか、と言うことである。柏崎刈羽原発は安全な地層の上に建設されたとの事であったが、その後の調査では疑問視されているようである。こんなことではダメだろう。


10/17(水)快晴 外来 医師面談2件 郡市医師会長協議会+情報交換会  
 2:20起床。ドック総括。5:10Taxi病院着、6:10回診、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来+ドック診察+結果説明。医師面談2件。16:00-18:00郡市医師会長協議会、18:00-20:00情報交換会。。20:45帰宅。21:30就寝。

上小阿仁村の核廃棄物処理問題(1) 良い問題提起になったが、一件落着??
 本年7月末、突然秋田に核問題が降って湧いた。高レベル放射性廃棄物の地下処分場誘致を検討するという秋田県上小阿仁村村長の構想が明らかになったためであるが、村民の猛反対に押されて瞬く間に立ち消えとなった。

 新聞報道の範囲からであるが、十分な準備をした計画とは思えず、強い反発を受けた。軽率だったとの批判がわき上がった。果たしてそうだろうか?村は近接自治体と合併せず独自の道を選んだ。しかし、山間部の小規模自治体の財政状況の厳しく、窮余の一策として全国の自治体が敬遠する地下処分場建設に名乗りを上げようとしたものである。交付金目的だけというなら不純な動機だが、首長としての発想としては理解できる。

 原子力発電の使用済み燃料の再処理の過程で、放射能レベルの高い廃液が出るが、これをガラス原料に混ぜ合わせて固めた物を、地下300m以上深く埋設する。これは現状で最も安全な最終処分方法とされている。この廃棄物は約1600本あり、青森県六ケ所村の日本原燃に貯蔵されている。

 これらの処分を避けるわけにはいかないので、政府は平成14年から候補地を公募している。勿論、多額の交付金を付けてである。しかし、どこも反応していない。我が国は唯一の被爆国であり、国民には漫然とした核アレルギーがあるから首長はなかなか手を付けることは出来ない。自分の首を絞めることになることが必定だからである。

 県知事も不快感をあらわした、県民の声も皆反対であった。ただし、マスコミは反対者の声を過剰に報道し世論操作に荷担した可能性も否定できない。村民も同様に反対であった。村長はこれほどの反響は予想していなかったのでないだろうか。勿論、地質学的検討とか、安全性の説明など欠いた状態での突然の発表だったからこれらの反応は当然であった。

 私は村長の考え方を支持したいが、サッと引っ込めたことは残念だったと思う。準備不足は原子力に関して素人の村長には当たり前である。十分な準備は調査容認の方向性の確認の後に科学技術庁とかを含めたその道のプロでなければ無理である。

 県民の多くはこのニュースを、ゴミとして捨てられる折り込み広告がたくさん挟まって配達されてくる新聞、大型テレビとかを通じ、電灯もエアコン等リッチに用いながら知っただろうと考えられる。月々の電気料は気にするだろうが、電気器具のスイッチを入れるときに原子力発電所のある地域の住民のストレスを意識したことなどあるのだろうか。

 大地震でも心配ない、とされた柏崎刈羽原発が中越沖地震で被害を受け、微量とはいえ放射能が漏出した。住民の気持ちは如何ばかりだったのか?国は住民避難の措置まで考えていたとされるが、そのような不安・恐怖を考えたことがあるのだろうか。


 私は今のようなエネルギー政策を容認していくならば、立地条件などを満たすところはどこでも埋没処理を引き受けるべきだと考えている。勿論、交付金の有無などとは関係なく、受益者負担の立場からの意見である。


10/16(火)秋田晴、東京曇り雨 患者家族面談 日本医師連盟執行委員会
2:00起床、寝不足。ドック判定総括x1、徒然など。5:10病院、6:30回診、7:00患者家族面談。外来なし。10:55こまち東京へ。16:00日本医師連盟執行委員会。20:00ANA B767-300満席。21:45帰宅、夕食、22:30就眠。法人常務会、医局カンファは欠。

ドクターヘリ(2)秋田はドクターヘリをどうするのか?
 去る6月19日、「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法が成立した。これにより遅々としていたドクターヘリの全国配備に拍車がかかることになった。それを受けて、と言うことであろう、途中経過は全く知らないが、何故か秋田で、10月20日に県庁にて「秋田ドクターヘリフォーラム2007---安全・安心な,新しい医療体制の構築を目指して----」が開催される事となった。

「フォーラム2007」では以下の講演を3題聴講できる。
■秋田県防災ヘリ“なまはげ”の医療活動の現況(秋田赤十字病院救急救命センター長 藤田氏)
■本邦におけるドクターヘリの現状?特に医学的効果について(日本医科大学千葉北総病院救急救命センター教授 益子氏)
■ヘリコプター救急のシステム設計と運動論(認定特定非営利活動法人 救急ヘリ病院ネットワーク理事長 国松氏)。

 私は秋田県救急・災害検討委員会委員長の立場で国松氏の講演の座長をつとめることになっている。
 演者の国松氏は1994年から警察庁長官に就任されたが、翌年、3月に自宅マンション前にて何者かに狙撃され、一時危篤状態に陥りながら復帰された方である。國松氏は警察庁長官退官後に何者かに憑かれたようにドクターヘリの実現化に尽力されたとされるが、恐らく自分の体験が背景にあって救急医療の恩恵をより広く、多くの人々が受けられる状況が必要と感じられたのであろう。 

 今年4月現在のドクターヘリの配備数は1道9県11機だけである。昨年度の出動回数は4444回で、救命効果は明だとのことである。無いよりはあれば良いという事では誰しもが一致しているが、問題は、運用は民間に委託するが、それでも一機あたり年間1億6千万円以上といわれる運営経費が問題になって各県は二の足を踏んでいるとのことである。実際には国が半分を負担するので県は8000万円強の費用負担となるが、それでも昨今の地方自治体の財政事情で導入を躊躇しているところが多い。

 秋田県では今20年度からの医療計画を策定している。救急救命センターまでのアクセス時間はワースト3とのデータもある。いろいろなハンディを背負っている秋田では需要は高い。「救急医療用ヘリに関する特別措置法」が成立した事をどう盛り込んでいくのか,興味が持たれる所である。
 私も秋田県の医療審議会、秋田県救急・災害検討委員会の席でその旨で発言したいと考えている。


10/15(月)快晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議   
1:20起床。ドック判定総括x1。早朝のバイク通勤、短パン通勤は一週間前で終了とした。5:10病院。6:30回診、病棟業務、7:45-8:20管理会議。8:45-14;40外来+ドック結果説明と混雑。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-19:50長副会議。21:50帰宅。夕食、22:30就寝。

ドクターヘリ(1)  「秋田ドクターヘリフォーラム2007」
 ドクターヘリは、救急車とは異なり単に患者を搬送するのではない。医師がヘリコプターで患者の元へ向かい、初期治療をしながら救急救命センターに搬送するシステムで、1970年  にドイツ で開始された。

 秋田県は広い。都道府県の救急救命センターへのアクセス時間は、国際医療福祉大学川口教授のデータによれば、秋田県は約85分と長崎、鹿児島に次いでワースト3となっている。調査の詳細なデータは見ていないが、長崎、鹿児島共に離島をかかえた県であることを考えると、秋田県は如何に救急搬送が困難な地域であることが分かる。これは県域が広大であることに加え、交通網が未整備であること、積雪の影響もあることなども影響していると考えられる。しかし、より広大で、同様あるいはそれ以上の積雪のある北海道や岩手県のアクセス時間は教授のデータによるとより短い。

 秋田県には防災ヘリコプター「なまはげ」を有しており山岳や海難事故の救助活動に就き、時に救急患者を搬送している。しかし、患者搬送の面ではその目的の構造でないために何かと不便な様である。このような中、秋田県は救急医療をどう発展させていくのか、ドクターヘリ導入の予定があるのかまだ見えてこない。

 ドクターヘリの先駆的導入が進んでいるドイツでは、国内に73機の専用機が配備されており、国内何処にでも要請から15分以内に到着できるシステムになっているとのことで、ドクターヘリ導入後、交通事故の死者が1/3に激減したとのデータもある。

 あればより理想と言うものを何でも次々に導入すればいいというものではない。ドクターヘリの導入には、コストの問題、マンパワーの問題、システム化の問題など解決すべき点は多い。だからといって、討論・検討の遡上にあげないわけにはいかない。

 来る10月20日に秋田大附属病院、秋田県の共催で「秋田ドクターヘリフォーラム2007---安全・安心な,新しい医療体制の構築を目指して----」が開催される。私は秋田県救急・災害検討委員会委員長をの立場で座長の一部をつとめることになっている。

 他にもいろいろな会が重なってしまったが、より多くの方々が参加され、有意義な会になることを望んでいる。


10/14(日快晴 病棟拘束 
4:00起床、ドック判定総括x1、書類処理。7:30病院へ、8:30救急カンファ、重症患者回診。11:00帰宅。ドック判定総括など書類チェック。17:00病院、19:20帰宅、夕食、20:00就眠。家内が体調不良で臥せっているのでほぼ終日居間のパソコンに向かっていた。

過去最高の77人の医師・歯科医師が行政処分 医道審議会は機能している??
 厚労省は9月27日、医道審議会の答申を受け、医師・歯科医師計77人の行政処分を発表した。 

 刑法により罰金以上の刑が確定した医師に下される行政処分は、「免許取り消し」、「医業停止」、「戒告」の3つに分類される。都道府県が対象者をヒアリングし、処分対象者の弁明、反省の程度などを踏まえつつ、厚労省に報告し医道審が年に2回、非公開で処分を決定する。今回から戒告も行政処分扱いになった。

 「免許取り消し」は強制わいせつ致傷、準強姦、詐欺、補助金などに係る法律違反で6人、1カ月から3年間の「医業停止」は61人、その中で業務上過失致死処分は9人であった。「戒告」10人は道路交通法違反や業務上過失傷害、関税法違反、廃棄物の処理及び清掃に関する法律違反などだった。

 「医業停止処分」は本来は医療行為を指導する目的であるが、診療現場から長期間離れることで医療技術の質が低下して復帰が難しくなるために、今回から戒告処分を新設した。

 医道審議会は厚生労働省設置法 第6条第1項に基づき設置され、30人以内の委員により構成され、医師 、歯科医師 、理学療法士・作業療法士などの免許取消・停止などの行政処分を行う会である。委員は日医会長、日歯会長、学識経験者から、厚労大臣が任命される。医道審議会は年2回開催されているとのことであるが、虎ノ門病院小松医師によると1件あたり僅か5分程度の審議だという。要するにより軽い処分は都道府県の担当部署の判断で、他は厚労省事務局が判断し医道審議会では実質的検討はしていないのではないかと思われる。私も数年前に医師会役員の立場で県のヒアリング結果に対して参考意見を求められたことがある。最終的判断はその場の判断と同じであった。

 もっとも刑事処分が確定してからの行政処分だから基本的には一定の基準で機械的に判断されているに過ぎないのだろう。
 本来行政処分は刑法判断とは独立して行われるべきである。現在の医師行政処分制度は基本的におかしい、と言わざるを得ない。


10/13(土)快晴 病棟拘束 ドック結果説明 就職内定者との懇談会 医療法人改革関連講演会
2:50起床。本日の会の挨拶文作成作他。5:10病院着、6:30回診他、病棟関連事務処理。8:30救急カンファ、9:00ドック結果説明。10:00-13:00就職内定者との懇談会。17:30-19:00第48回秋田県臨床整形外科医会学術講演会に参加、日医今村常任理事講演「医療法人制度改革」聴講。20:00帰宅、夕食、22:50就眠。0:00-2:30病院、患者死去。3:00帰宅、就寝。

第二回就職内定者懇談会(3)改めて、看護とは?
 私は医療行為を「大きなリスクを回避するために小さなリスクを与える」ものだと定義し、医療安全上の立場から時折引用している。

 今回の挨拶文を考えていく上で改めて看護師とは何をするのかを考えてみたが、なかなか良い定義文はない。
 ならば、法的にはどうなっているかを見ると、1948年交付の「保健婦助産婦看護婦法」で「看護師とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくは褥婦に対する療養上の世話、又は診療の補助を行うことを業とする者」(平成11,13年改正)で、一方、「准看護師」とは、「都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者をいう」、とある。古い条文は「・・を業とする女子」と記載されていた。近年男性の看護師が増えてきたこともあって改訂されている。

 看護業務を語る場合、その業務範囲はあまりにも広いので一言でまとめるのは困難であるが、私は看護師とは「患者のいのち守り、人として生かす職業であり、その技術である」、とまとめてみた。

 生命には漢字で書く「命」とひらがなで書く「いのち」の2種類がある。その違いを明快に分けることは出来ないが、医師は漢字で書く「命」を、看護師はひらがなで書く「いのち」を対象にしているように思う。

  健康な私どもは何時でもストレスを回避する行動が出来るが、患者はその自由を奪われ、性格にもよるが、容易にパニック状態に陥り、悲観したり、うつ的になったり、ヒステリックになったりするものである。看護の仕事は診療介助も大事であるが、疾病その他で心身双方に数々の障害を抱えた患者に対して的確な生活援助を行う事によって、生きていることの満足感、実感を呼び戻し、闘病意識をも高める仕事だと考えられる。例え、死に至る患者でもその瞬間まで前向きに生きていただく様な生活援助が出来るプロ集団、それが看護師なのだ、という事にしたい。

 今月下旬に看護学院の戴帽式があり祝辞を求められている。また、来月は看護師交流集会の講演がある。上記の定義を元に話を展開してみることとする。


10/12(金)横浜快晴 第69回日本血液学会+第49回日本臨床血液学会2日目 法人理事会+懇談会  
2:30ナビオス横浜にて起床、ドック総括、新聞チェック、本読みなど。家内は高熱で臥せっているとのこと。7:00葉っぱとコーヒー食。9:00学会場に。シンポジウム「血液疾患と感染症」。学会はここまで、13:00羽田に向かう。15:30JAL A320-600R帰秋、17:30法人理事会。19:30-21:30懇談会。22:30帰宅、23:00就眠。

第二回就職内定者懇談会(2)私的看護学校にもえげつない就職勧誘が及んでいる
 国民の健康を守る義務は国にある。従って、医師や看護師の養成は本来は国が責任を持って行うべきである。国や県、自治体が運営している看護大学、看護師養成所もあるが、かなりの数の医師会立、私立の看護師養成所がある。自ら養成しなければ看護師の需要を満たせないからである。この面でも国は責任放棄している。養成校の公私の割合はどうなっているのか、最近の資料は持ち合わせていない。

 我が国の歴史の中で医師と看護師が充足したことはない。

 戦後の看護師不足を切り抜けるために国は何もしなかったため1951年に医師会が働きかけて准看護師が誕生した。1967-1979年は看護師よりも准看護師の方が多かった。その後公私の看護師養成所が林立した。50年代に国立大学2校に衛生看護学科が併設、60年代に聖路加看護大学が発足し、看護師を大学教育でも養成する時代を迎えた。

 そんな中、法人立中通高等看護学院は、1970年2年課程夜間定時制の学院としてスタートし、1980年に3年課程を併設、1988年に2年課程を閉じて定員50名の3年課程の看護学院となった。現在までの卒業生は1100名で法人内の医療施設はもとより、県内、全国のさまざまな施設や分野で活躍している。当初は卒業生の大部分は法人に就職していたが、時代と共に徐々に進学者や県内外の医療機関に就職する卒業生の割合が増えてきた。これは法人にとって頭が痛い問題となっている。

 公的母体の養成校は別であるが、私立とか医師会立の養成校は学生の授業料ですべてを賄うのは不可能であり、運営経費の負担が増大して四苦八苦している。国や県からの補助金は不十分ながらあったが、徐々に減額され、秋田県は来年度から補助金カットを目論んでいる。そうなると運営不能に陥る養成校が次々と出てくることになるだろう。

 このように各養成校の設立母体は身銭を切って看護師を養成しているが、その第一の目的は自前での看護師養成であり、間接的には地域医療への貢献である。

 ところが昨年から首都圏の大学病院は看護師大募集を行い、秋田県にまで、医師会立、私的養成校にまでえげつなく就職勧誘活動を展開し、教務への申し込みはもとより、看護学生にダイレクトメールなどを送って来ている。今年は県内の医療機関も大募集をかけ、看護学生達はの心は浮き足立ち、迷っている、と言うのが現実である。
 このような募集はえげつないと批判できても、阻止できない。モンスターの弱いものイジメに等しい。自前で養成してみろ、と言いたい。
 こんな背景も就職内定者懇談会を開催する理由の一つである。


10/11(木)秋田晴・横浜快晴  第69回日本血液学会+第49回日本臨床血液学会初日
2:00起床、ここ数日寝不足状態。ドック判定x1。徒然。5:10病院着、6:30回診他業務。8:00救急カンファ、9:00病院発秋田道経由空港へ。9:55JAL AirBusA320-600型。搭乗率70-80%だが後部は50%程と余裕、快適。13:00パシフィコ横浜着、第69回日本血液学会+第49回日本臨床血液学会のプレナリーセッション4題、シンポジウム「悪性リンパ腫病態・治療研究の進歩」を聴講。18:00ホテル、ナビオス横浜着。20:00夕食、 21:00就眠.

第二回就職内定者懇談会(1)会の本音は看護師不足対策
 来る10月13日は第二回就職内定者懇談会が予定されており、15分間ほど院長としての挨拶が予定されている。挨拶といえこれだけの時間が与えられたと言うことは通り一遍の形式的なものでは持たない。何らかのまとまった話題を提供する必要がある。本日は血液関係の学会で横浜のホテルで過ごしている。時間がいつもより豊かそうなのでその準備にあてる事とした。

 この就職内定者との懇談会は昨年から開催され、今回は第二回目となる。就職内定者と言っても対象者は就職が予定されている既卒の看護師と、来春卒業見込みの看護学生であり、そのうちの大多数が私どもの法人立の中通高等看護学院生である。

 当日は私の挨拶に次いで中通総合病院脳外科科長と総看護師長の講演、昼食を摂りながら若手看護師をまじえたグループ懇談、が計画されている。

 この会が催された理由は、第一の目的は、これはあくまでも立て前に近いのであるが、卒後の職場として当法人を選んだものの、実際にはまだ不安や迷いがあるだろうから、職場の指導的立場の看護師、中堅の看護師、若い看護師と懇談することによって、不安を少しでも取り除いて欲しいと言うことである。

 第二の目的は、実はこちらがメインであるが、内定者の全員に来年度就職して欲しいからである。今、看護師不足が原因となってわが国の医療は崩壊しつつあり、全国の医療機関は看護師集めに必死である。おそらく内定者にも県内外の医療機関から就職の勧誘があったと考えられるし、卒後の就職が内定した学生にもしつこく就職の勧誘が来るほどである。中には信じがたいほどの好条件を提示してくる医療機関も少なくない。そんな状況の中、あえて地元の秋田で、われわれの法人で看護の職に就こうと決断した学生をサポートし、法人として感謝と歓迎の意を表明し、一人も欠けることなく入職して欲しいから企画された会である。


10/10(水)曇り 外来 院内感染症対策委員会 医師会常任理事会+委員会
 
2:50起床。さすがに眠い。時間乏しく慌ただしく、ドック判定総括x1のみで出勤。5:10病院着.6:30回診他病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来。16:00院内感染症委員会。17:10県医師会館へ。17:30-19:00常任理事会。19:00-21:00県医師会医事紛争対策委員会。病院に戻り業務持参、22:00帰宅、22:30就寝。

私用で東京へ(3) 多彩な表情を持つ趣味人が集まった
 10月7日は新潟大学46年卒同級会で、浅草の料亭で開催された。
 揃った全員の顔の表情を見ると、4人の教授、病院長、副院長、診療所の院長など肩書きは様々であったが、何れの方々もいい年の取り方をしている様な柔和な雰囲気を漂わせていた。もっとも、そういう環境の方々だから集まったという見方も出来る。

 勿論、歳のせいもあり、また、同級会という非日常的なところに昔の知己が集まったと言う気楽さもあるだろうが、私は60歳を越えてパリパリの現役の厳しさからそろそろ心理的にも、肉体的にも、また社会的責任という面からもそろそろリタイヤし始めて来ていることがこの表情に表れているように感じ取った。この会に私が初めて出席したのは7-8年前であったがその時の印象とは全く異なる。全員がまだシャープな現役医師の、厳しい表情を漂わせていたものである。

 勿論、仕事上の話題では、「何でこんな年になってもこんなに多忙な生活を強いられているのか」、と言う発言も数人からあったが、その中にさえも余裕が感じ取れた。一方、かなりの時間を自分のために使えるという、私から見て実に優雅で羨ましい条件下で仕事をしている方々もおられた。マア、医師としてそれぞれの立場で35年も働いた結果であるから、人それぞれの境地、環境に達して当然でもある。

 趣味の点でもいろいろ語られた。かなりの方々がゴルフをやっているようである。ずっとフルートを吹き続けていると言う整形外科医、バラの栽培、改良に情熱を傾けている外科医と眼科医、蕎麦打ちでは地域でかなり名をなしているという某教授、野菜作りに勤しんでいる東北地方の院長、風呂場にかなりのオーディオ装置を取り付けて楽しんでいると言う耳鼻科医、BMWの新車にしようか迷っている外科医など、様々であった。

 私も、何時かは時間を得てやりたいと思っていて出来なかったことをいろいろやるぞ、と意気込みだけは十分である。しかし、今のところまとまったことは何にも出来ない。
 今回の同級会では友人達から、私にも何れは来るであろう、時間がゆったり流れるような環境下での人生の楽しみ方、過ごし方を教えていただいた。
 あまり早く時間が過ぎるのも困るが、その時が来るのが楽しみである。


10/9(火) 曇り 管理会議 外来 常務会 療養病棟判定会議(欠) 医局会 長副会議
 2:00起床,ドック判定総括x1. そのほか書類処理、徒然、5:20病院着.6:30回診他。8:00管理会議。8:45-14:20外来、14:45-16:15法人常務会,16:00からの療養病棟判定会議は対象者8名と言うも欠。17:30-18:30医局会。18:30-21:00長副会議。0:15帰宅、1;00就寝。終日多忙であった。

私用で東京へ(2) 今年の同級会は外科医系医師の苦悩
 10月7日は新潟大学46年卒同級会で、浅草の料亭で開催された。10数回目とのことであるが、私は5回目の出席である。昨年は新潟で開催されたが強風で特急いなほが遅れに遅れ、会場に到着後わずか10分で閉会となった。だから、今年は遅れまいと、十分間に合うようスケジュールを立てたので、書店で十分に時間を作ることが出来た。

 当日は超快晴の中でゴルフがあって参加者は日焼け状態で集まってきた。夜の交歓会は出席者30人ほどであった。大多数は固定のメンバーであるが、卒後36年振りに会えた友人も数人居て、懐かしく、楽しい時間を過ごした。5年ほど前に亡くなった一名を除き、同級生が死亡した話はなく、幸いまだほぼ全員しぶとく生存している様である。

 出席者全員が一言ずつスピーチした。2年前は新潟中越地震についてが圧巻であったが、今年は中越沖地震について数人から語られた。被災地の方は一瞬、「またか!!」、と思ったとのことである。新潟在住者は地震に対して一種の達観状態にある様である。
 全員初老期だからがんを患って手術を受けた話、ステントを入れた話、孫が可愛いくしょうがないことなど、話題はいろいろであった。

 その中で今回圧巻だったのは、外科系の方々から語られた麻酔医不足の話題であった。新潟県内の代表的病院も麻酔科医が不足して緊急手術が出来ないとか、自分はメスを置きもっぱら麻酔をかけているとか、派遣麻酔科医の報酬が高額過ぎること、東京では麻酔医の派遣事業所が100箇所以上もある、と言うことなどである。
 医療崩壊は全国の共通の話題である。


10/8(月)体育の日 東京・秋田とも雨  午後病棟拘束 入院患者家族面談
3:00浅草ビューホテルにて起床、本数冊読む。入浴+微睡など、9:00葉っぱとコーヒー朝食。9:45ホテル発、有楽町の三越経由、空港へ。13:05ANA、珍しくB777。フライトスケジュールではB767-300の予定だったはず。多分、秋田からの国体選手帰省のための大型機の配備だろう。お陰で後部座席はガラガラ、終始ガタガタ揺れたが快適であった。14:30秋田着。秋田道経由で自宅へ。15:30病院へ出勤、回診他業務処理、16:30-17:15家族面談。19:00帰宅、夕食、20;30就寝。

私用で東京へ、丸善書店のスケールに驚き興奮、10数冊購入
 10月7日は私用で夫婦揃って東京に出た。共に早朝から病院で業務を済まし、自宅から高速経由で11:00発ANAに急ぐ。空港は国体から帰郷する若者で大混雑。機種は269席のB676-300で満席。多くの乗客は広島、長崎、鳥取、高知、鹿児島などのロゴの入ったカラフルなウインドブレーカーを着用、機内は久々若々しい雰囲気に満ちあふれた。窮屈で嫌なのだが、たまにはこんな雰囲気も悪くはない。

 浜松町で駅と直結している行きつけの本屋に寄っていろいろ探すが、なかなか目当ての本が無い。ならばと、家内の案内で東京丸の内の「丸善」に移動した。

 流石に丸善である。私は初めて入ったのであるが、そのスケールに圧倒され、感激してしまった。目当てのジャンルの本の陳列場所を探すだけでも大変で階を変えながらウロウロした。書籍の数はザッと見ても浜松町の書店の数10倍はある。すっかり目がくらんでしまった。
 あれも読みたい、これも読みたい・・・で、全部で10冊ほど買い込み、更に家内も数冊買い込んだから手提げバッグとリュックは本でずっしりと重くなった。そのため、この後二日間の移動は全てタクシーと言う、ケチな私にとっては考えられない贅沢な事になってしまった。

 それにしても、大型の書店に行くと何でこんなに幸せな気持ちになるのか、本の背表紙を見ているだけでも楽しい。読む時間のあてもないのに、大量の本を買い込む、その心理は分からないが、つい買ってしまう。本の形をした夢を買っているのだ、そんな気分である。

 秋田では大型といえるレベルの書店は殆ど無いから、ネット販売も便利である。ネットの場合は求めるジャンルの書籍が一気に検索できるなど、それなりに便利で、たまには利用はしているが、届いた本を見て気抜けすることも少なくない。やはり本は実物を手にとってパラパラとめくりながらどれにしようか考えるのは至福の時間でもある。
 
 今までは浜松町の書店で満足していたのだが、これからは丸善の方に足が向きそうである。時間がいくらあっても足らない。会議や帰路の飛行機等におくれないように時間配分しなければならない。新しい悩みになりそうである。


10/7(日)晴れ 前半病棟拘束 新潟大46同級会(浅草)   
 2;00起床.ドック総括、5:00病院に。6:30回診他。8:30救急カンファ。9:10帰宅。10:00自宅発秋田道経由空港へ。11:15ANA、767-300国体で帰郷の選手役員等で満席。12:30昼食。浜松町の書店、東京駅の丸善にて書籍10冊ほど購入。16:00浅草ビューに。18:30浅草の懐石「瓢庵」にて新潟大46同級会。30名ほど、盛会。二次会は睡魔で家内を残して早々に失礼、22:00就眠。

あきれた県の「新たな循環器医療提供体制構想」とパブリックコメント募集(3)
 秋田県では「新たな循環器医療提供体制」として「県立脳血管研究センター」と「秋田県成人病医療センター」を統合し、「成人の心疾患と脳卒中に総合的に対応できる高度専門病院(新センター)」を作るというものである。

 「県立脳血管研究センター」は世界に通用する輝かしい臨床的、研究的成果を挙げてきている。一方、財団法人である「秋田県成人病医療センター」は循環器病を中心とした高度医療を提供してきている。両者には誰しも認める実績がある。この計画はこれらを統合して疾患予防、健診、一次から三次医療、リハビリまで広範に担おうというものである。医療のあるべき姿を大胆に実現させると言う構想で、計画を単独に見れば十二分に素晴らしい。同じ医療圏で医療を担っている立場でも、そう思う。

 しかし、この前文にある如く、本県の「脳卒中」「心疾患」の三次医療は両機関が担っている、という記述は誤りで、県民に大きな誤解を与えてしまう。実際には県内のどこの地域の基幹病院、秋田市内の救急患者を受け入れる病院はこの分野の医療に責任を持って対応している。その実情の正しい説明がなければこれら、両センターとそれ以外の医療機関の治療に大差がある如くの印象を与えてしまう。その結果はアンケートに反映される。
 次に、この様な医療構想は患者や医師、医療関係者の流れに大きな影響を与える。この計画の煽りを受けて地域の医療機関から専門医がいなくなる可能性もある。だから、まず秋田市内、県内の医療関係者に対して公聴会を開くなどの過程を経ることが必要である。更に、この構想は県内の医療環境に大きな影響を与えるから県の医療計画にも関連してくる。医療審議会にも提起し検討すべきである。
 何れはこの様な会はもたれるであろうが、その頃には構想の域を超え、県民の意向を取り入れた実施計画となって提起されてくるだろう。それからでは遅すぎるのだ。

 私は県健康福祉部内の「県立病院改革推進室」なる部署の業務の進め方におおいに問題を感じる。ただ、県立の施設と財団法人が統合することは不可能ではないが、実際には県立脳血管センターをまず独立法人化しなければならず、まだまだ高いハードルが存在する。だから、まだ間に合う。これからでも上記の過程を踏んで欲しいと思う。


10/6(土)快晴 病棟拘束 入院患者家族面談 バイク修理
2:00起床、ドック総括他、本読み。6:30盛岡出張の家内を駅に送り出勤。7:00回診、8:30救急カンファ。患者関連書類処理。14:00-15:00入院家族面談、15:30ハーレーがブレーキ故障し修理に。19:30帰宅、夕食など。20:30就寝。

あきれた県の「新たな循環器医療提供体制構想」とパブリックコメント募集(2)
 アンケート内容は以下の如くであるが、このアンケートには種々の問題点が内在する。

 まず、構想の実施が決定したがごとくに作られていること、アンケート内容は、医療の理想を求める誘導的な質問内容になっているので、医療に関心があればあるほど誠実に回答することは困難である。一方、県民にこのまま問えば、結果は見るまでもなく予想できる。県ではこのアンケート結果をパブリックコメントとして基本計画づくりに反映させる、と言うことであるが、こんな誘導的な内容では片手落ちである。
 やや長いが引用する。質問は脳卒中と心疾患は別々に扱われているが一緒にした。

アンケートにご協力下さい
1と2、脳卒中、心疾患の急牲期医療について

現在の秋田県の脳卒中、心疾患の急性期医療の現状をどのようにお考えですか。
  ア 満足(安心)    イ ほぼ満足(ほぼ安心)    ウ 普通
  エ やや不満〔やや不安〕   オ 不満〔不安〕

 「やや不満(やや不安)、不満(不安)」とお答えの方にその理由をお尋ねします。  
  ア 救急病院まで遠方または交通の便が悪い
  イ どの病院が良いか分からない   ウ 治療の結果が不満(不安) 
  エ その他

 3、「県立脳血管研究センター」と「秋田県成人病医療センター」を統合する新センター構想について、新センターに期待する具体的な体制、医療機能は何ですか(複数回答可)
  ア 24瞬閏体制の脳卒中と心疾患の救急医療体制
  イ 高度専門医療の提供体制
  ウ 災害発生時等の医療機能
  エ 急性期から回復期までの一貫したリハビリテーション機能
  オ 最良の医簸を提供するための臨床研究機能
  力 ヘリボートを活用した全県からの重症患者の受入体制の確立
  キ 入間ドック、脳ドックなどによる健康管理機能,
  ク 県内の医療機関との連携・支援機能
  ケ その他

 4、新センター構想に対するあなたのご意見をお聞かせください。
    ア 期待する       イ どちらかといえば期待する
    ウ どちらかともいえない(わからない):
    エ どちらかといえば期待しない   オ 期待しない
    力 その他

 「ア-力」を選んだ理由をお聞かせください。


10/5(金)快晴 秋大学生臨床実習打ち合わせ 社会情報センターインタビュー ドック診察 がん診療連携拠点病院関連連絡会議
2:00起床、ドック判定総括x1.今夕のがん診療連携拠点病院関連連絡会議用資料作成。5:10病院着、6:30回診他病棟業務。8:00救急カンファ。9:30秋大阿部教授来訪、秋大学生臨床実習打ち合わせ。10:30-11:20社会情報センターMDB員来訪、インタビュー。14:00ドック診察。18:00-20:10がん診療連携拠点病院に関わる連絡会議。21:30帰宅、夕食、21:30就寝。

あきれた県の「新たな循環器医療提供体制構想」とパブリックコメント募集(1)
 秋田県では「新たな循環器医療提供体制」として「県立脳血管研究センター」と「秋田県成人病医療センター」を統合した新センターを整備する計画を持っている。私はこの構想があることは知っていたが、その検討の進捗状態、構想の詳細などの情報は県民や医療関係者に知らされてきておらず、私もつい最近まで知らなかった。今も詳細は分からない。

 調べてみると、県ではこの計画の推進のために県健康福祉部内に新しく「県立病院改革推進室」なる部署を立ち上げた。かなりの力の入れようである。既にその構想はかなり具体的に進んでいるらしい。

 先日、10月1日県の広報誌「かだろ」に、この計画の基本構想の概要を県民に周知し、本県の脳卒中と心疾患の急性期医療に関する県民満足度を把握するために、新センターの構想と県民からのパブリックコメント募集の記事が掲載された。寄せられたコメントは基本計画づくりに反映させる、と言うことである。

 私は、この掲載文を見て驚くと共に呆れてしまった。

 その掲載記事の序文と構想は次のようなものである。

 本県の三次救急医療のうち、「脳卒中」は県立脳血管研究センターが、「心疾患」は秋田県成人病医療センターが担っています。県では、隣接する両センターを統合し、県内の死亡原因2位、3位である「心疾患」と「脳卒中」に総合的に対応できる高度専門病院(新センター)の基本計画づくりを進めています。

 その構想は「成人の脳と循環器を対象とする高度専門病院」で、具体的には
■ 脳卒中・心疾患および関連する疾患の治療
■ 脳卒中・心疾患の予防、診断、治療についての研究
■ 脳卒中・心疾患、生活習慣病予防の検診
■ ヘリポートの設置による全県からの迅速な搬入
■ 脳卒中・心疾患の三次救急医療施設として高度・専門的な医療の提供
■災害時の迅速な医療の提供
 皆さんのご意見をお知らせください。
(分かりやすくするために表現を若干変更した)

 -------とある。構想内容は素晴らしく大変結構なことである。健康不安をかかえている県民にとっても素晴らしい構想に見えるだろうから、これに異議を唱える県民、秋田市民は皆無であろう。しかし、である。私ども医療関係者から見るとおおいに問題のある構想、と言わざるを得ない。


10/4(木)快晴→夜間雨  外来  県がん診療計画推進委員会+分科会  郡市医師会感染症担当理事連絡協議会
2:00起床。ドック判定総括x1他。5:15Taxi病院着、6:20回診他、病棟関連業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来+ドック診察+結果説明。16:00-18:15 県がん対策推進計画検討委員会+分科会、中座。18:30-20:00郡市医師会感染症担当理事連絡協議会。21:30帰宅、22:00就寝。

羽田空港の手荷物検査場で突然キレた老人
 9月16日は東京出張であったが、2日目の会議が早めに終了し15:15羽田発JALにて帰秋した。その際、手荷物検査場では、私の次に70歳ほどの一見品の良い紳士風の細身の方が並んだ。

 私は無事通過したが、その老人のバックが引っかかったらしく、係員が「中に液体の入った容器があるようです。バッグを開けて確認させていただいて良いでしょうか?」と話かけた突端にその老人は一気に怒り出した。係員からバッグを奪うように取り自分でバッグを開け、中から手のひら大のビンを取り出した。見ると何かのスプレーであった。老人はやおら若い男女二人の係員の顔面に向けてスプレーを噴射した。側にいた私にも若干かかったので緊張したが、化粧品の臭いで心配なさそうでホッとした。10mほど離れた所に居た警備員がすぐさま走ってきて老人を羽交い締めにしスプレーを奪い取った。老人は驚いた様子で始めは抵抗していたが直ぐにおとなしくなり、憮然とした表情でスプレーを拾い係員に手渡した。
 この間、若い二人の係員は呆然と、ただなされるままに立ちすくんでいた。老人の予想外の変化を理解できなかったようである。加齢臭対策用に持っていた芳香剤のスプレーであっても彼の行為は立派な傷害行為である。

 高齢の方が突然キレる事は秋田大学の定年間近の教授にもあったし、それほど高齢でない助教授にもあった。こんな時には手がつけられない。落としどころを用意せずに突然のキレるからそんなに長続きしないし、実害もない。途中で何かを言うと一層エスカレートするから黙っている方が良かった。突然のキレの結末はどうしても中途半端な、気まずい、陳腐な思いで終わる事になる。キレた本人は憮然とした表情で立ち去るのが常である。病院の待合室でも待ち時間が長い、とキレる方が時折いる。別にキレなくとも言いたい用件は十分伝わるのに、実にバカらしい。ホントにバカである。

 ところで、検査で引っかかった手荷物を簡単に本人に渡すのは良くない。実際に危険物だったらどうなるのか?原則的に係員が中を調べるべきである。


10/3(水)快晴 外来 ドック診察 県医務薬餌課員来訪 初期研修医との懇談会
2:30起床。ドック判定総括x1他。医事法等若干読む。5:10病院着.6:20回診等病棟関連業務。8:45-15:00外来、15:00県医務薬事課員来訪、県ガン対策推進計画関連。19:00-21:00臨床研修医との懇談会。21:30帰宅、22:00就寝。

一瞬「ハエ取りリボン」を連想した. 今もある?
 私が担当している外来に通院してくる80数歳の患者がいる。気位も高いが、独立心も強い方で、10年ほど前に半世紀ほど共に暮らしたご亭主を、何の理由かは分からないが離縁し、以降は自宅で気丈に一人暮らしをしている。さすがに最近は体力、気力の衰えは隠せなくなったが、意地と気位はしっかり維持されている。

 この方が本日の外来を受診したが、特に何も言わなかったがいつもより起居動作が鈍く、かすかに顔をしかめるような表情をする。どうしたのか?と問うと「一昨日の夜、休もうと思ってベットに横になった時に灯りを消すのを忘れて、紐を引こうと立ち上がった時に転んで腰を打った」という。ならば、「ベットの中から点・消灯出来るよう紐を十分長くしたらどうか」と助言したところ、「天井から長い紐がブラ下がっていると邪魔で何ともなりません・・」と答えた。

 これを聞いた瞬間、全く脈絡無く、突然「ハエ取りリボン」のことを思い出した。
 昭和30年代、私が中学、高校生の頃は上下水道も無く、家畜も多かったために春後半から秋口にかけて家中でハエが飛び交っていたものである。いろいろのハエ取りの道具が工夫されていたが当時最も繁用されていたのは「ハエ取りリボン」であった。長さ70-80cm、幅3cm程の粘着剤をベットリと塗った茶色いリボンで、安く安全、臭いもなく、小バエを減らすためにとても便利で、何処の家でも天井から数本吊していたものであった。
 最大の欠点は、夜などに不用意に歩いてリボンに触ると、頭や顔、衣服などにベットリとくっついてしまうことであった。私は丸刈りだったから良いものの、母やお手伝いさん、祖母などは髪にくっついて取れず大変苦労したものである。くっついたから離そうと引っ張ったりすると取り付けたピンが外れてリボンが落下し身体にまとわりつく。リボンを取り去ってもハエの死骸と粘着液が顔や頭に残ったものである。そのためにいつもベンジンを身近に置いていた。

 この「ハエ取りリボン」が1-2本天井からぶら下がっているだけで確かに随分不便な思いをしたものである。不自由な身体では確かに細い紐が下がっているだけで何かと不便だろうと、心から共感できた。この婆さんにはリモコン操作できる天井灯を紹介したいと思ったが、「そんな贅沢なもの、今更・・」と答えるに決まっている。だから、止めた。

 昭和39年に家を出てから以降は「ハエ取りリボン」一切見ることはかった。今日突然思い出した昔懐かしい「ハエ取りリボン」はいまだにあるのだろうか?


10/2(火)晴れ  外来  法人常務会  No1職種間セミナー小児血液疾患の現況   
2:30起床。ドック判定総括x1、他いつもと同じパターン。5:15病院着.6:15回診、定期処方箋発行等。病棟業務。9:00-14:00外来+ドック説明x1。14:30-16:30法人常務会.18:00-19:30第1回職種間セミナー「小児血液疾患の現況」。21:00帰宅、夕食、21:50就寝。

今、病身の安倍氏を批判するのは酷だ(2)彼に特有の美学を感じるが・・
 近隣の中国、韓国との関係修復に勉めた安倍総理の功績は大きい。関係悪化の原因となった靖国神社参拝について、安倍氏は積極的立場だったが、就任後は自説を曲げて参拝を控えた。結果として温家宝首相を迎え、首脳の相互訪問を再開させた。

 そのほか、国民投票法をつくり、教育基本法の改正、防衛省昇格も実現した。政治家としては短期間にこれだけの業績を上げたことは特筆すべきであるが、国会運営は強硬で、なしえた結果より成立過程で首相のイメージを悪くした。

 彼は就任直前「美しい国」を著した。よくまあ時間があったものだ。私は最初にこの本を見たときに、何で「美しく平和な国、日本」としなかったのか?と思った事を思い出す。彼は政治家としては特有の美学を身につけている方だと思う。ロマンもある。だから「美しい国」と言う名にしたのだろう。ただ「美しい」だけでは国政を仕切っていくのに不足なのではないか?と思ったものである。彼の発言は官房長官時代は主張点が結構しっかりしていた。首相就任後はかなり歯切れは悪くなった。責任を背負うとそうなるのだが、やむを得ない。

 首相としての采配は個人的美学やロマンでは駄目だ。彼の美学に基づいた数々の施策は、むしろ生活苦、不安にあえぐ国民意識とのズレを浮き彫りにし、首相としての資質に疑問を抱かせることにもなった。

 彼の美学が最も発揮されたのは辞任意向の表明記者会見であり、病院内で行った総辞職時の記者会見であった。健康上、ほぼ限界にあったのに最後まで隠し通そうとしたのも彼の美学、ロマンであったのだろう。しかし、個人の美学で国政を仕切られたのでは国民との距離は広がっていく。辞任発表の記者会見で彼は健康上の問題点を一切口にしなかった。これも彼の美学だったのだ。総辞職直前の会見でやっと事実を明らかにしたが、彼の表情には最早生彩はなかった。

 彼を追い打ちする論評はまだまだ続くだろう。こんな状態では、また、病気の性質から健康回復までにはまだまだ時間がかかるだろうが、元気になったら何時の日か胸中を語って戴きたいものである。


10/1(月)晴れ 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
2:10起床。ドック判定総括x1他。5:10バイク病院着、後輪ブレーキ不調。6:30回診、病棟業務。7:45-8:30管理会議。8:45-14:00外来。16:00-16:40療養病棟判定会議、17:00-19:40長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

今、病身の安倍氏を批判するのは酷だ(1)
 安倍内閣が総辞職し、禅譲を期待していたであろう麻生氏は総理辞職の責任を問われて失速、伏兵的存在であった福田氏が一気に浮上し、大差で自民党総裁となり、福田内閣が誕生した。小泉、安倍、福田とこの三代の自民党の総裁選は何かおかしい。候補者の掲げる政策よりも熱気、人気、次期を睨んだ派閥のコウモリ的行動によって決められている様に見える。

 順風満帆のスタートであった安倍総理は最終的にはひどい状態で政権を投げ出した。本人もこんな短命で、こんな結末で終わるとは全く想定外のことであったと思う。最終的には健康問題であったが、そのことを隠したために記者会見では意味不詳の辞任説明となった。この会見の辞意説明が一層彼を追いつめることとなった。

 身体的には「機能性胃腸疾患」と言うことであるが、心の中では「断腸の思い」だろう。

 私は、彼をどちらかと言えば暖かく見守ってきた。数々の失策、判断ミスはあったが、まだ若い総理として一つ一つ経験として積み重ねて行く過程としてとらえていた。参議院選挙の後の続行の判断は数ある選択肢の一つとして有り得るのか、それにしても大きな責任を自ら買って出たものだと正直驚いた。

 しかし、このことが結果的に彼を追いつめた。

 総理としての彼の業績は評価するべきは少なくないと思う。結果的に前代未聞の驚くべき終わり方をしたが、強烈なストレスに耐えかねて身体が異常に反応し、いわゆる心身症的状況に陥っていたと見るべきだし、それで最後の数日間で突然気力を失った、のだと思う。この最期の過程は個人の意識とかやる気とかで越せるものでないだけに、やむを得なかったと容認したい。

 彼は総辞職の日に病院で記者会見を開き、自身の言葉で関係者及び国民に迷惑をかけたことを詫び、初めて自身の口から辞職の最大の理由が健康問題であったと語られた。しかし、この会見ですら批判の対象になっている。

 安倍氏はもう一国会議員でしかない。次の政権が発足した以上、もう過去の人なのだ。今は彼を一私人としてそっとしてあげるべきだと私は思う。総理としての評価を今すると「若すぎた総理」、とか「彼の美学論、精神論」などどうしても無用の因子が入り込む。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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