2007年9月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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9/30(日)快晴 病棟拘束
2:00起床、ドック判定総括x1。4ヶ月振りのテニスで全身の筋肉痛あり、5:00-7:45再度就眠。これでかなり軽減,そのまま自宅で業務、13:30病院へ。退院総括、主治医意見書など机上書類処理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。
国の脱温暖化対策は温暖すぎる-?大型TVは省エネ対策が進んでいると言うが・・・
日本は京都議定書作成の段階では温暖化対策で世界から支持を受けたが、実効性のある対策はあまり実施されず、CO2排出抑制目標達成にはほど遠い結果のままで終始している。これでは、日本は実はやる気がなかったのか、と見なされかねない。
先日、国連で地球温暖化対策を話し合う会合が持たれたが、先進国の発言は積極的義務化派と、各国の自主性を重んじる消極派に大きく色分けされた。積極派は欧州各国、消極派は米豪、カナダと日本である。
今年の洞爺湖G8サミットでは、世界の温室効果ガス排出を2050年までに半減させる目標を真剣に検討することが、わが国の提唱で合意され、かつ、脱温暖化を国連の機構のもとで進めると確認した。これは評価できるかも知れない。
京都議定書が作られてから日本では真剣な省エネ対策、CO2排出抑制対策を行ってきたのだろうか。確かに「クールビズ」運動は徐々に浸透してきた。しかし、真夏に都市部のビルにはいるととても寒くて上着を離せない。これでは「クールビル」である。私の知らないだけなのかも知れないが、日本の脱温暖化策が定まっていないか、あいまいな姿勢をとり続けているように思えてならない。
今回の会合で、わが国が力点を置いて主張したのは、省エネ関連の一層の技術開発が大切、ということであった。確かに、産業界に目標値を課すという枠組みは必要であろう。しかし、国民に生活の発想を変えるよう求めることは更に大事なことではないだろうか。
液晶TVの先進的メーカーのシャープはTVの大画面化と薄型を進めている。また、省電力化も進めている。社の宣伝の一文には「現在の40-50インチの液晶TVの消費電力は技術開発でかつての30インチと変わらないまで少なくなっています。だから消費電力を気にせずお楽しみ頂けます。・・・」である。利潤を追求する企業の生き方として誤りではないから、この考えでドンドン省エネ化の技術開発を進めて欲しいものであるが、消費者としては「ならば、30インチの消費電力は更に少なくなっているはずだから、やはり30インチにしよう」と言った発想が出来るように指導する必要がある。
国だけでなく企業に義務を課すこと、国民に省エネ感覚をつけさせる指導を軽視している限り、目標設定してもことは進まない。
9/29(土)快晴 病棟拘束 わか杉国体初日 山田カップテニス大会
2:00起床、新聞チェック、情報収集。5:10病院着、6;30回診他。病棟業務。書類処理、12:45-16:00太平山リゾートでテニスの山田カップ争奪戦に参加。閉会を待たずに16:30病院に戻り、業務処理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。
国体本大会が開幕 開催県が総合首位になるのは実に不思議
第62回国民体育大会「秋田わか杉国体」が本日29日開幕した。来月9日までの日程である。天候にも恵まれ、良いスタートになったと思われる。
本県では昭和36年以来の大会となる。36年国体は選手団等への歓待が話題になり後に「まごころ国体」と称された、とのことである。この国体は私が高校一年生の頃で、そのあたりのことは全く分からない。私が秋田に初めて来たのは昭和46年であったから10年も経っていたにもかかわらず未だ国体の名残がまだ方々に見られていた。それだけこの時の国体は経費をかけて準備をし、県全体の道路や諸施設が作られたのであろう。今回は県の厳しい財政事情から新しい施設とかは特別作らずに既存のものを上手く利用した、とのことである。
この国体期間中、4万超の人が全国から訪れる。秋田全体の活気が増すことであろう。昨日の国体ドクターズミーティングから病院への帰路、秋田キャスルホテルの前で大勢の人だかりがあり,警備の警官も一定間隔に路上に立っていた。天皇皇后の来秋に関連しての警備と、歓迎のために市民が集まっていたのだという。秋田市内でこんな人だかりを見ることは極めて希なことである。若い選手団と思われる若人が市内を闊歩している。天皇に関する話題も方々で聞かれる。秋田が何となく元気を取り戻したように感じられる。
36年国体では秋田は天皇杯で2位だっただけに、今回はぜひ天皇杯を獲得したいと関係者は頑張っている。事実、天皇杯の獲得も夢ではないレベルに達している、とのことである。
とはいうものの天皇・皇后杯を大部分開催県が獲得することに私は異常性を感じてしまう。各地で活躍している県出身の選手を裏技で県の選手に登録するなどの手法も用いられているという事を耳にする。その真偽は私には分からないが、40数年ごとに日本一あるいは近似の成績を上げるという事の裏には、地道な選手強化以外の何かがなければならないだろう。
どちらにせよ、秋田に活気がよみがえることは良いことだ。国体を切っ掛けに県力が上向いて欲しいものだ。
気がかりなのはこの間の救急患者対応である。秋田市内の救急医療はほぼ良好に運営されているので問題は生じないとは思っているが、思いがけないことも起こりうる。不用意な投薬はドーピングに引っかかる。先日は当院救急外来に某大臣が受診した。つつがなく診療を終えてお帰りになった、と報告を受けてホッとした。
9/28(金)雨 入院患者家族面談 ドック説明+診察 国体ドクターズミーティング 法人理事会 医療安全学習会
2:00起床、ドック判定総括x1等.5:10病院着。6:20回診+病棟関連業務.8:00救急カンファ。11:30入院患者対応と面談。13:30ドック診察x5+結果説明。15:00-16:40わか杉国体ドクターミーティングに出席、中座して帰院。17:00法人理事会。17:45「医療安全」全職員学習会。講師坂総合病院佐藤敏昭氏+慰労。21:50帰宅。22:15就寝。
「目があれど見えず、耳があれど聞こえず・・」(2)聴き、改めて無学を知る
本日夜は「医療安全」全職員学習会であった。看護師、コメディカルを中心に会場がほぼ一杯になった。医療行為の最前線に経つ看護師達の方々の関心が高いのは当然でもある。ぜひ、あらゆる機会を得て学習して欲しいものである。
中堅以上の世代の医師は何人か出席していたが、残念だったのは最もこの方面の知識や経験が乏しく、「医療安全」に特に関心を持って欲しい研修医を含めた若手世代の医師の参加が少なかった事である。
若手医師は医療行為において先輩医師の庇護下にあるために自覚が少ないのかも知れない。もし、そうだとすれば始めから聞く耳を持たない、と言うことであり、これは医療関係者にとってはとても危険なことである。ケアレスミスの多くは身近な同僚とか先輩が発するちょっとした注意、ポイントを聞く耳を持たないことから発生している。
本日の講演で話された内容は、講師の表情を含め、文献では到底学ぶことが出来ない貴重な内容であっただけに、とても残念であった。
「聞くと言うことは即ち学ぶこと」であり、学ぶにつれて逆に自分が如何に「知らなかった」と言う事実を知る事でもあり、そこから新たに学ぶ動機、切っ掛けを得ることでもある。「知っている」と言う自分独りよがりの思いこみによって聞く機会を失うということは「選択的難聴者」であり「危険を抱えている」と言うことと同義である。
「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、「百聞をせずに、一見することでわかった積もりにする」、とても危険な現代の情報化社会の軽薄さにまず気づく事、自分の無学に気付くことである。
多くの方々のの考えを聴くことは、一層知識を堅固にし、誤った考え方を矯正していく貴重な機会である。決して自ら五感を捨て去ってはならないのだ。
9/27(木)晴のち雨 診療科医面談 外来 内科病棟診療部会議(欠)医師面談 療養病棟診療部会 院内緩和医療学習会
2:30起床、ドック判定総括x1。5:10病院着、6:20回診、病棟業務。8:00-8:30消化器科医師と外来診療検討。8:45-13:50外来、内科病棟診療部会議は出席できず。16:00-17:00医師面談。17:00-18:00療養病棟診療部会議。19:00-20:30院内緩和ケア学習会、フォーラム秋田、埼玉医療センター精神腫瘍学、大西教授の講演、盛会であった。21:10帰宅、夕食、22:00就寝。
「目があれど見えず、耳があれど聞こえず・・」(1) 謙虚に拝聴することの意義
私は今月初頭から本日にかけて、東北医連総会、全日本民医連院長会議、全国病院学会秋田大会、県医師会創立60周年記念大会の講演会、それに本日の緩和医療学習会も含め20数名ほどの講師の講演を拝聴する機会を得た。
何れも内容は医学界、医療界に関連することであるから、その演題名から予想される講演内容について、熟知しているものから、わずかに聞きかじった程度であまり興味も湧かないような話題まで広範囲であった。しかし、折角与えられた機会であるので関連の講演会には全部に出席した。
私の基本的な考えとして「ァ、それについては良く知っている」という先入観を極力持たず、機会があれば出来るだけ話を聴く機会を作っている。 知っていると言うことは、逆に自分のスタンスがずれていると言う可能性もあることだから、これを出来るだけ矯正する必要がある。このことに気づいてから私はよその方のお話を聞くことに、見聞することに対して随分謙虚になったような気がする。
知識の矯正、スタンスの矯正は勿論文献からも不可能ではない。だから求めて本を読むわけであるが、この場合はどうしても自分の価値観を基本にした姿勢で対峙することになる。これに対して、講演の場合は演者の視点での話題の展開に身を委ねることであり、自分と違う価値観との対峙である。この時に大きな価値があるのが講師の表情であり、起承転結の話題の設定であり、強調点であり、話術でもあり、用いられる言葉である。これは文献、書物からは絶対に得られない価値である。
要するに、「知っている」と言う思いこみ、価値判断は「目があれど見えず、耳があれど聞こえず・・」 と言う勿体ないことを五体満足の恵まれた身体を自ら放棄するようなものである。
多くの講演は一度聴くだけでは勿体ない、反芻したい部分は必ずある。だから、私は録音を録りながら聴く。勿論、不用意に寝てしまったときのバックアップのためでもある。
9/26(水)晴れ 外来 県医師会理事会 秋大大西教授就任祝賀会
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:10バイク病院着、この時間の走りは冷えてかなり厳しい。6:20回診、病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-15:15地獄の如くの混雑外来。疲弊した。16:30-18:20県医師会理事会。18:30-20:00Castles秋大消化器神経内科分野大西教授就任祝賀会。中座、20;15帰宅。21:00就寝。
「特定健診・特定保健指導」(3)健康観・死生観
生活習慣病予防のための生活指導は実際には効果は乏しい。職業柄、生活指導は随分熱心に行っているが、大きな成果は期待していない。実際のところほぼ匙を投げている。指導で一番効果的な台詞は「ならば、好きなようにしなさい」である。半ば強迫である。
最近は業務に準備の隙間を作れないために全てお断りしているが、かつては県内方々の地域住民や企業の依頼で健康に関する講演や講話をしてきた。医師は診察に訪れた患者だけを対象に診断治療をしていてはだめで、疾病予防のための知識啓発は重要だとの視点に立っているからである。
その際に、私は「健康維持のために、あれも駄目、これも駄目・・」と言う論旨では行わなかった。「一人一人が、自分の行動に責任を持つ事。誘惑の多い現代を健康的に生きるには自制が必要。それが出来ないのであれば、自分は生活習慣病で死ぬのだ、と言う気概を持って自制などせずに堂々と好きなように生き、死ねば良い」と述べてきた。だから、私の演題は「不健康に生きるには」である。
日本は、恐らく世界的に見て健康維持の面で最も恵まれた国だと思うが、国民の健康不安も世界一だと思う。中年以降の殆どの方は「健康追求病」にかかり、「健康不安神経症」的である。飽食、運動不足で身体は悲鳴を上げているのは確かだが、生活を変えることそっちのけで医療機関を受診し、検査を求め、数値に一喜一憂し、投薬を求める。
こんな方々は受診前にしなければならないことが多々あるが、一方では医療機関もこのような患者をも診療対象にしなければやっていけないという苦しい事情もあって互いの思惑は一致し、双方で手を取り合って医療経済をダメにしている。私はこのような患者への対応で連日疲弊している。これも地域への貢献の一つさ、と割り切り、空しく笑うしかない。
総じて言えば、都市部の高齢者は生き生き、コロコロで遊び歩くのも積極的である。「まだ死にたくない」、というが、意外と心血管系の疾患でコロッと死ぬ。一方、田舎の爺ちゃん婆ちゃん方は質素で謙虚、「もう何時死んでも良いです・・」と淡々と言いつつ畑作業を楽しみながら、徐々に枯れて行く。それでてなかなか死なない。
私に言わせれば、どちらも完成品、良い人生なのだ。「特定健診・特定保健指導」の成果や如何に。
9/25(火)雨のち晴れ 外来 AB来訪 法人常務会 医局プライマリーセミナー(中止) 長副会議
1:30起床。ドック判定総括、メール返事他.5:10病院着。事務処理,6:20回診、他。7:45-8:30管理会議.8:45-14:10外来。14:15秋銀来訪。14:45-16:15常務会。17:30-18:50長副会議。21:00帰宅。21:30就寝。
「特定健診・特定保健指導」(2) 国民は生活指導など何処吹く風
平成20年度からの新しい「特定健診・特定保健指導制度」は制度の意義には見るものがあるが、私は実効性は殆ど無いと思う。今でも外来を通じて、あるいは人間ドックを通じて毎回はげしく生活指導をしているがその効果は殆ど無い。
高血圧患者は相変わらず高塩分食を摂り、高脂血症、糖尿病患者は相変わらずコロコロとデブである。血糖高値、データ悪化で顔が曇るのはその時の一瞬だけで次の受診時にはそのショックをしっかりと乗り越えて明るい表情で受診する。
私の生活指導は決して緩くはない。出来れば私が担当している外来から姿を消して欲しいという願望を込めての指導だから厳しい。嫌みをたっぷり含んだ言葉を浴びせかけ、時には机を叩いての指導である。しかし、しっかり次の私の担当日に外来を予約していく。生活指導という意味では、効果があまりにも乏しく、外来で私はむなしく時間を浪費している。これを、他の機構で、看護師や保健師が担ってくれ、しっかり追跡捜査をしてくれるならとても有り難いが、外来患者が減るわけでなく、私にも集団指導、個別指導の当番が割り当てられるならむしろ負担増でしかない。
ろくに歩きもせず、でっぷり肥ったまま大型の車で帰宅して、エアコンほかエネルギーを多量に消費し、脂肪分豊かな食事をとりながら、消費電力もバカにならない大型TVで「地球温暖化のニュース」や「飢餓関連の特集番組」を見ても、何ら自分の生活を方向転換するわけでもない。しかし、これが当たり前の人の姿である。人は基本的にそれが可能な環境にあれば快楽・怠惰に流れやすい様に出来ている。内緒であるが、私の最も身近な人間もこれに近い。これにしっかり抵抗できる人は根本的にどこかおかしい、どちらかというと変人に一歩近いような印象を持つ。
確実に生活指導の効果を上げるには、健康診断受診勧奨、生活指導に従わない対象者にペナルティを課すのが一番である。
一口500円ほど何らかの形で徴収するようにしたら確実に効果が上がるだろう。国が本気でやるのなら、ここまで考えて欲しいものだ。
9/24(月)振り替え休日 快晴 病棟拘束
2:00起床。ドック判定総括x2他.5:10バイク病院着。事務処理,6:20回診、他。8:30救急カンファ、11:00帰宅。助手席の窓が閉まらないデルソルを修理工場に。13:30午睡若干。16:00患者吐下血あり出勤対応+書類処理。20:00帰宅、夕食、21:10就眠。
「特定健診・特定保健指導」(1) 私はメタボリックシンドロームと言わない
平成20年度から従来の老人保健法に基づいた健診に代わり新しい「特定健診・特定保健指導制度」が始まる。これは国が医療費抑制のために疾患の治療から予防に視点を大きく移すことを示している。
そのポイントは3点である。
■健診・保健指導にメタボリックシンドロームの概念を導入
■ 糖尿病等の生活習慣病患者、予備軍を25%削減
■ 医療保険者に健診・保健指導を義務化
最近、何処の学会、講演会等に行ってもとにかくメタボリックシンドロームが花盛りで、多方面からが話題の中心になっている。やっと日本語で「内臓脂肪蓄積症」「内臓脂肪症」ともいわれるようになって来ている。私はそれらの名称を用いず「デブ」と言っている。勿論デブにも種類があることを分かった上である。
厚労省も普及に一生懸命である。確かに、メタボリックシンドロームは数々の合併症を持つことからその予防と治療は大きな意義がある。
話を変えると、禁煙運動は別の意味から盛んであり、喫煙者は徐々に追いつめられている。彼らは「そんならデブはどうなのだ!!」という。たばこと肥満、特に内臓脂肪症は本質的に異なる点が大きいが、健康を害し、医療費を消費することは同じである。だから、彼らの叫びには一理ある、とも言いうる。
昭和30年代に実施された国民皆保険制度は、今持続させうるか否かの重要な時期にある。特に財務省は高騰する医療費の抑制に必死であり、厚労省も経済的締め付け論の一部には抵抗しながらも、医療費抑制策を繰り出してこざるを得ない状況にある。
平成20年度から施行される「特定健診・特定保健指導」は医療の主眼を治療から予防にシフトさせることによって国民皆保険制度を堅持させるためと言う。その方法論としては健診受診率の向上と健診後の生活指導の徹底で基本は「メタボリックシンドローム対策」と言えよう。確かに、国の方針として「デブ対策」とは絶対に言えない。こんな事を口に出したらその人は更迭必須である。私も患者から責められているが「メタボリックシンドローム」では言いたいことが伝わらないもどかしさがあるからやはり「デブ」と言っているのだ。
確かに、疾病予防対策重視は良いと思うが、医療機関や健診機関にとってはまた業務が増えていく。
一方、肝腎の国民の健康に対する意識改革が乏しい状況にある以上、そんなにこの制度が効果を上げるとは期待できない、と私は思う。
9/23(日)秋分の日 快晴 病棟拘束 全日本病院学会秋田大会2日目 秋田県医学会総会・県医師会設立60周年記念医学大会+懇親会
2:00起床、ドック判定総括x1、新聞チェックほか。6:30バイク出勤、回診、書類処理ほか。8:30救急カンファ。9:30死亡患者見送り。10:00-12:00全日本病院学会秋田大会2日目講演聴講。12:00秋田県医学会総会に。来賓の方々と昼食後病院にて業務。15:00-15:50県医師会設立59周年記念医学大会、閉会の辞担当。受賞者講演は何れも時間を守らず、記念講演は窮屈になった。17:50懇親会、中座し19:10Taxi帰宅、20:30就眠
講演会場はマイクの音響調整が大事
この週末は沢山の講演を聴講できた。
秋田市でこの週末、第49回全日本病院学会大会秋田大会が開催された。学会長は本荘第一病院の院長である。会長の御配慮であろう、数日前に私に招待参加証とプログラムが送られてきた。学会が秋田で開催されることは知っていたが参加予定にしてなかったが、講演内容がとても魅力的で参加することとした。
9月21日(金)午前には関連の「第8回人間ドック研修会」があり、■特定健診について、■勤労者の健康管理-糖尿病の予防、■勤労者の健康管理-生活習慣病、特に高血圧の予防、を聴講。
9月22日(土)は午前に全日本病院学会の講演、■日医唐澤会長講演■厚労省医政局講演、■松山幸弘氏「医療改革の方向と民間病院の選択肢」、■シンポジウム「勤務医不足下の医療」、を聴講。
9月23日(日)は全日本病院学会の講演■小松秀樹氏「医療を崩壊させないために」を聴講。次いで秋田県医学会総会■シンポジウム「秋田県からメタボリックシンドロームをいかにして撲滅するか」の一部、午後は県医師会設立60周年記念医学大会の受賞者講演■高血圧の治療■大腸の内視鏡的診断と治療■重症膵炎の集学的治療、特別講演■自治医科大学小児科桃井教授「発達障害と遺伝子」、を聴講。
個々の講演内容はそれぞれであったが、それとは別に、全日本病院学会の会場となった秋田View
Hotelの音響の低域が豊すぎて聴き取りにくくとても残念であった。特に、9月22日(土)第一会場午後のシンポジウム「勤務医不足下の医療」の講師は多くの内容を短時間で早口で述べたためにスピーカーから流れる単語が折り重なり、こもって苦痛であった。
総合保健センターの音響もやや低域が豊で気にはなったがそれほど不快なレベルではなかった。
全ての講演は録音してあるが、これをクリアに聴くためにグラフィックイコライザーを購入しようかと考えている。
9/22(土)雨のち曇り 病棟拘束 全日本病院学会秋田大会
2:00起床、ドック判定総括x1ほか。5:20バイク病院着、着いた途端に降雨。6:20回診他病棟業務。8:30救急カンファ失念。9:00全日本病院学会秋田大会会に出席。日医病院委員会メンバーも数名来秋。開会式、講演3題聴講。12:30-14:45病院で業務。15:00-17:30シンポジウム「勤務医不足下の医療」、出席者少。19:30帰宅、夕食。20:30就眠。23:30病院、患者死去。2:30帰宅、再度就寝。
頭を下げた瞬間、多数のシャッター(2)マスコミの多様性
記者会見の意義は小さくない。良い意味を含めて大きな話題があった際には、当事者の方から会見を設定して社会に対して説明すべきである。勿論、陳謝が必要ならばすべきである。ただし、陳謝の対象はあくまでも対マスコミではない。社会に対してである。
何かの問題、不祥事が生じた際に、マスコミ各社からのさみだれ的に取材を申しこまれる。この場合、対応が大変なのでむしろ記者会見を設定する方がいい。ただ、その時点まで分かっている範囲の事実を整理し、周到な準備をして臨むべきで、求められる場合には時期を変えて再度設定するのも良い。
先日の様な記者会見場での様子を見ているとマスコミ側の興味・ポイントは問題点を正確に報道するというよりは、代表者が揃って頭を下げる瞬間の報道にあるように思えてならない。これでは「現代版見せしめ・さらし首」でしかない。
お詫びあるいは陳謝のために頭を下げるのは社会に向かって行う。それをメディアが媒介する、のだと思うが、この点を両者とも誤解しているのではないだろうか。私にはそう思えてならない。
陳謝する側はマスコミの権威(?)・影響力が脅威であり、マスコミ側は正義の味方、社会の監視人、なのだと誤解している。会見の場では多くは両者の思惑に大きなズレがあるから端から見ていて大きな違和を感じざるを得ない。例え、社会的に問題のある不祥事の記者会見であっても不快感が残る。
私はTV報道を演出が過剰で正確さを欠き、論評も十分に推敲されていないなどを感じるためにあまり評価していない。
新聞は週末に、3大新聞と地方紙1紙他に目を通す。新聞は社会面の報道と学術面、社説、論評面との間に大きな解離がある様に思えてならない。特に最近は医療関係について解説する記名記事により本質をつくような優れた記述が増えてきている、と思っている。
ただ、最近はこのような記事はあまり読まれていないのだそうだ。
9/21(金)快晴 大曲中通病院地鎮祭 人間ドック研修会 ドック診察面談
2:00起床、ドック判定総括x2ほか。5:10バイク病院着。回診その他。8:00救急カンファ。医師面談、9:30-12:30No8人間ドック研修会(View)。午後は対外的予定なく書類処理に集中。21:00帰宅。夕食、21:50就眠。大曲中通病院は本日の地鎮祭を迎え、着工した。
頭を下げた瞬間、多数のシャッター(1)「現代版さらし首」だ
最近、ちょっとしたことで記者会見が行われるようになってきた。中にはこんな程度の話題まで会見するのか、と思う内容のものまである。特に、会社や企業、組織体に何らかの落ち度、失敗がある際に会見を開くのは当たり前になっているようである。
勿論、トップクラスのメンバーによる公式見解の発表と公開の意義は決して小さくない。ただ、内容によっては文書の公開でも良いようなものまである。記者会見の多くは、恐らく当事者から前向きに計画されたものではなくマスコミからの強い申し出、あるいはマスコミ各社からのさみだれ的取材申し出に対して対応上やむなく行われているようである。
先日、夕食時にニュース番組を観るともなく流していたらこのような場面が二つ続いた。一つは自殺者が出た高校の校長の記者会見、もう一つは「悪天候のため・・」と書くべき文書を「悪天皇のため・・」と記載して配布した何処かの県、秋田?だったように思うが、の関係者であった。後者に関しては大戦前の日本ならまだしも今なら、そこには全く悪意のない単純なワープロミスであり、チェックに問題があった事は問題であるとしても、会見など開く必要はないだろう。
気になったのは、説明しているときにはそれほど動きのない、真面目に聞いているのか分からない様に見えるマスコミ席の方々が、関係者が頭を下げ陳謝する場面になると突然動きだし、一斉にシャッターを切る、という事であった。
マア、マスコミの方々には通じないだろうが、記者会見等で必要なことは如何に会見の内容を正確に報道することであって、頭を下げる瞬間を報道することの意義はそれほど大きくないはずである。残念だったのはその日のニュースの構成は内容よりも頭を下げる瞬間を報道することに主目的があるような構成であった。
ここまで来れば、報道と言うより「現代版さらし首」でしかない。
9/20(木)快晴 外来 法人常務会 秋田県医療関係団体連絡協議会
2:00起床,ドック判定総括x1他、5:10バイク病院着。6:30回診、病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、混雑。15:00-16:15法人常務会。17:00県医師会へ。17:30-18:15秋田県医療関係団体連絡協議会打ち合わせ。21:10帰宅、夕食、21:45就寝。
私は、院外で患者さんとお会いしても無視します(2)
私が患者と外で会った場合に無視、またはせいぜい無表情のまま黙礼程度としている理由は、■医師-患者という関連で、診療の場でのみ成り立つ関係である。■日常生活の中では私と知己である事は何も意味を持たない。■各自プライバシーがある。■病院外では私は偏屈な一個人であり、人とのお付き合い、対話は基本的に苦手である。
あえて理由を挙げれば上記の如くになるが、要するに私が身勝手に決めつけていると言うことである。
診察室の中では、時間に余裕があれば、職業柄かなりの対話に耐えられる。外来の始まり頃で気力が漲っている場合でも、5-6時間ほど立って疲弊しきった状態での診察でもそれほど大差なく対応できていると思う。しかし、内情は、外来診療の後半は午後のスケジュールを意識しての焦りもあり、疲れのためもあって連日の外来診療はかなりのストレスとなっている。
しかも、後半に受診される患者ほど、一般的に手のかかるデリケートな方々で、時間もかかる。毎回いつもと同じ不毛な会話が繰り返される。これらの方々に対し、すべて、優等生的対応に終始しなければならず、そこでの対話に私は本音を一切出すことはない。このような状態が続くと、時には私の身体が勝手に反応して不整脈、全身の熱感、発汗、軽度の嘔気すら伴うこともある。それでもこの対話は治療の一環だから、私としては平然と維持しなければならない。
私にとっての外来診療はこんなもので、とてもストレスである。だから、ひとたび診察室を離れた場合、出来ることであれば患者とは対話は避けたい。待合室や院内で患者から声がかけられると無視できないだけに一層辛い。だから、外来への往復も出来るだけ待合室を避けるルートを取る様にしている。
せめて院外では、患者-医師と言う関係をかなぐり捨てたい。だから、私は院外では患者に出会ってもあえて無視させていただいている。これは私が診察室ではずっと押し殺し決して出すことのない本音の一部である。
書簡への返事のハガキに詳細はホームページで、と書いた。これがハガキに書けなかった私の返事である。
9/19(水)晴 外来 患者家族面談 N95マスク装着実技訓練
2:00起床。ドック判定総括x2。5:20バイク病院着。6;10回診他。7:00患者家族と面談、8:00救急カンファ。8:45-15:00地獄様の外来+ドック結果説明面談。15:30
N95マスク装着実技訓練。この間に入院介患者死去し対応。16:00ドック診察。20:45帰宅、夕食、21:40就寝。
私は、院外で患者さんとお会いしても無視します(1)
先日ある患者さんから書簡があった。
「10日ほど前に駅で先生をお見かけし、声をお掛けしましたがそのまま改札の方に向かわれました。きつい表情をされており、無視されたのかとも思い、とても・・・」と言う内容であった。勿論、直ぐに不快な思いをさせたことを詫びる内容のハガキを差し上げた。
これは9月2日の夕方、東北医連総会で青森出張からの帰路の秋田駅でのことである。その時、この患者さんが駅構内でおられたことに気づいていたが、視線が合わなかったので私はあえて無視して通り過ぎた。声をかけられたことは分からなかった。この患者さんは初老の女性で、高血圧の治療に月に一度木曜日の外来を受診されている方で、礼儀正しく、健康管理に関する意欲も十分で、清楚な方である。外来では血圧測定など最小限の診察と生活指導、時に世間話など交わすが数分で診療を終える、私にとって手のかからない患者のお一人である。
多分、診察室の中での私のイメージから見て対応に違和感を覚えて、その気持ちを表したのであろう。
原則的に私は職務上での付き合いの方、特に患者には、相手の気持ちを考え、私の言葉や表情で傷つけないよう配慮し、出来るだけソフト対応するよう努めている。しかし、最近は外来が超混雑し、疲弊し、あるいは午後のスケジュールなどに追われ、時に、拙かったかな??と思う瞬間がないわけではないが、院内での私の態度、接遇等を直接非難されたことはまだ無い。
自分で言うのも何であるが、誰も評価してくれないから自分から敢えて言うのであるが、私は患者さん方への対応、接遇などの面では悪くない方の医師だと自認している。裏では何と言われているかは、分からないが、だからこそこう言える。
ただし、これは私自身の資質に由来するのではなく、学習して身につけた職業上の技術の一つである。このところが誤解されている。
9/18(火)曇り 管理会議 外来 秋田市救急医療協議会 療養病棟判会議 医局MC
県医師会委員会(欠)
長副会議
2:00起床,ドック判定総括x1ほか.5:10病院着、6:00回診、7:45-8:15管理会議、8:45-13:45外来。法人常務会は延期。14:00-15:40秋田市救急医療協議会。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:30-18:30医局カンファ:脳外科の救急。18:30-20:00長副会議。県医師会紛争委員会は出席できず。21:30帰宅、22:00就寝。
快気祝い(怪奇祝い)(2) 替え歌
胡蝶蘭
療養病棟は濃厚な医療は出来ないが、一般病棟では得られない、特色のある看護、介護が提供される。訓練部門スタッフによるリハビリテーションの効果もあって当初の予想以上に回復し、明るく元気になる患者も少なくない。高齢者の方々にとって療養病棟は貴重な療養空間だと思う。しかし、政府・厚労省は介護型療養病床を35万床から15万床に減らそうとしている。このプランには到底賛同できない。
病棟では季節の節目節目等にいろいろな「お楽しみ会」も企画される。つい先日は100歳を迎えた患者さんの誕生会が行われた。こんな時、時間があれば私も参加する。病棟のスタッフはこの方面でもいろいろ才能を発揮する。
そう言えば、NHK日曜昼の人気番組「素人のど自慢」ではグループで登場する出場者のかなりの部分が老人介護保険施設のスタッフである。この方々は演技力も豊で目を楽しませてくれるが、歌唱力の面から合格者は滅多に出ない。
当日ケーキを切る段階で用意した替え歌が歌われた。
《ゲゲゲの鬼太郎風、怪奇(快気)祝いソング》 一 フフ 不思議です 妻を横目に二時起床 楽しいな楽しいな バイクで早朝 Ope(手術)の後の痛みもない 二 フフ フルタイム 会議に出張 書類書き 苦しいな 苦しいな ファックス大好き たまには (先生の)声も聞きたいな 三 フフ ご夫婦の 貴重な時間のお招きに 感謝して これからの更なるご活躍 健康を願ってます フフ これからも 宜しくお願いいたします フフ 復活祭 みんなで祝おうフフフのフ みんなで祝おうフフフのフ 乾杯 !! |
マア、これが秀作であるかは何とも言えないが、私の生活のかなりの部分を言い得ている事は確かである。みんなで歌われ気恥ずかしい感じであった。感謝感謝である。
今回、ケーキの他に胡蝶蘭を一鉢いただいた。これは見事な鉢であった。全部で33の花が咲いている。かなりの出費だったのでは?とかえって恐縮した。自宅で観ているだけでは勿体ないので翌日病院に運び、薄暗い院長室のテーブルの上でライトアップされて鎮座している。私も楽しんでいるが、ドアの隙間から廊下を通る方々の目も楽しませている。
9/17(月)敬老の日 台風12号の影響で終日雨 病棟拘束
2:00起床,ドック判定総括、朝方から微熱感、鼻汁、倦怠感あり。いつもの風邪だろう。5:00病棟よりコール、患者不調にて出勤。8:00帰宅。10:30-19:00病院、紹介状、退院総括、DPC書類など。20:00夕食、20:45就寝。
快気祝い(怪奇祝い)
先日、9月9日夕方、入院部門で私にとって中心的場所である療養病棟の看護師方を自宅に招待し、私の快気祝いなるものをやった、と言うか、やっていただいた。
私は友人・知人・職務上の関係の方々の入院の際など、原則として見舞いをしない。否、しないというのは正しくない。見舞いの気持は何らかの形で表すが、訪室は原則的にしない。全く訪れないことが不自然な場合にはドアの外から声をかけるが、入室はしない、と言う方が正しい。患者の立場になっている方を訪問することでよけいな気遣いをさせないためである。私は私的なおつきあいをしている方は殆ど無く、多くの方々は公的な立場でのお付き合いだから、私的な姿に接したくない、接すべきでない、と言う考えでもある。しかし、この割り切り方はいろいろ誤解の元にもなっている。
私の場合は、病気は100%私的なものだし、せめて治療中は公的な表情、立場を捨てマイペースで過ごしたい、という理由でもあった。それに、院内外の関係諸氏に迷惑をかけたくない、と言う気持もあった。それで面会謝絶をかかげた。
ところが、面会謝絶にした事、見舞いを断った事は意外と尾を引くもので、意外と社会通念上迷惑なことなのかもしれない。
復帰後も病棟でこの辺のことが時折話題になったので、我が家で快気祝いを兼ねてコーヒーパーティをすることとし、参加した6人と家内の手作りの夕食を頬ばりながら歓談した。とても良い会であったが、彼女らは土産として見事な胡蝶蘭とケーキなどを持ってきてくれ、むしろ散財させてしまった、と恐縮した。
家内は家内で失敗作の料理で持てなしてしまったと反省しかりであった。
見事なケーキで美味であった。ケーキにイチゴはつきものであるが、そのイチゴにまで細かな細工がしてあった。それが人の顔であったから手を付けるのに多少気後れしたが、気を取り直して頬ばったが実に美味かった。
「怪奇祝い」とミニパネルに書いてあったのがまた嬉しかった。
9/16(日)東京晴れ・秋田雨 夜間病棟拘束 第1回全国民医連院長会議(二日目)
2:30京王プレッソイン神田にて起床、持参のドック判定総括x1、新聞5日分チェック+本読み。7:00無料サービスの朝食、9:00-12:00第1回全国民医連院長会議(二日目)で12:10終了。浜松町の書店にて新書他数冊仕入れ空港で読む。15:30JAL
AirBus
A300-600。搭乗率60%程度、後方席は30%とガラガラで快適。16:40秋田空港着、17:15病院着、回診他。19:30帰宅、21:00就寝。
新時代のホテル??驚くほどシンプルでコンビニ的であった
今回の出張は二日間にまたがる会議で久々東京に宿泊することになった。
宿泊希望ホテルとして第一希望の秋葉原ワシントンホテルが満杯のために「京王プレッソイン神田」というホテルが割り当てられた。会場からそう遠くはないが、都内は地図があっても高層ビルのためになかなか目的地につけない。結局タクシーの世話になった。
「京王プレッソイン神田」は小規模のビジネスホテルという感じで外観は質素、ロビーは明るく清潔感がある。フロントには若い女性が二人立っているだけ。
驚いたのはチェックイン時に全ての精算を済ませておくシステムで、室料を支払った後はフロントでは金銭の授受は一切しないように徹底的に簡素化されていた事である。
お茶・カミソリ・歯ブラシ等はフロントの脇のカゴから自由に取っていけばいい。飲食物は自動販売機があり、電話・ビデオの利用はすべてプリペイドカード式となっている。カードの未使用分は簡単に精算出来るとのことである。宅配便発送の取扱いは着払いのみの受付と徹底している。
従って、チェックアウト時にはフロントに寄る必要もなく、カードキーを回収ボックスに投げ入れるだけなので、待ち時間ゼロ、何にも乱されることなくスピーディーに出来た。
居室は狭い方の規格なのだろうが、私にとっては大した問題ではない。ペアガラス窓で外の喧噪は少なく、冷蔵庫はサイレント型で室内は随分静かであった。これはとても良かった。更に、パン、コーヒー、オレンジジュースだけであったが、質素な朝食は無料サービスであった。
要するに一言で言えば、コンビニ調の印象のホテルである。これで人件費を徹底して削減しているとのことで、一泊7700円と都心の中のホテルとしてはとても安かった。
ここ数年、宿泊を伴う東京出張の際には浅草ビューホテルに決めている。だから、他の施設に宿泊すると驚くことばかりである。2年前には、あるワシントンホテルでフロントに寄らずに自動精算機で宿泊代金を支払うシステムに驚いたが、今回はより徹底した簡素化に驚いてしまった。時代の流れなのだろう。
9/15(土)秋田.東京快晴 病棟拘束(一部) 第1回全国民医連院長会議(初日)+情報交換会
1:20起床、ドック判定x2、他。5:00バイク出勤、6:30回診、病棟業務.10:00病院発秋田道経由空港。11:00ANA
AirbusA320満席なるも隣空席で快適。秋葉原UDXなる不思議なビル。14:00-21:00第1回全国民医連院長会議(初日)+情報交換会、途中退席、京王プレッソホテル神田に移動宿泊、21:30就寝。
安倍首相(3)仮定:無理して倒れたのなら時局は変わっていたかも
昨日、安倍首相が慶応病院に入院した。
驚くべき辞意表明であった。政権を投げ出したと言われてもしょうがない状況である。政権を投げたと評論される内閣は戦前にはあった。動乱期の昭和14年の平沼内閣は8ヶ月で「欧州の天地は複雑怪奇」と言う言葉を残し政権を投げだした。戦後の政治の歴史にはない。
国の最高指導者として考えられない無責任さだ、と各方面から口汚く責められている。お膝元の自民党議員ですら厳しい論評をしている。選んだのは自分たちだというのになんたることだろうか。国民の期待感は大きかったとは言え総裁になるべき人物を見誤ったのは彼ら自身のはずである。一部の国民は就任を心配してみていたほどで、批判する先におのおのその総括をすべきだ。
体調不良で入院中の彼に対し、多分、主治医からそのような処置はされていると思うが、今は一切外界の情報から遮断すべきである。マスコミを通じた彼への批判に首相が接したら病気はむしろ悪化する。在任中に体調不良あるいは急病で職責を返上あるいは継続できなかった首相はざっと挙げてみると、池田、大平、小渕氏らであるが、この時は比較的スムーズに次の政権に移行したように記憶する。勿論、病気としての質、重症度は全く異なるが、安倍首相の場合はストレス障害であろうから、同等以上のものがある、と私は思う。
仮定であるが、安倍首相が、もし、辞意を表することなく職務を続けた場合には、恐らく力尽きて緊急入院になったかもしれない。その上で辞意を表したならば世間の扱いはかなり異なっていたのではないかと思う。麻生氏の評価にも大きく影響しただろう。
そこまでせずとも、会見で「体調不良で気力も失せ、これ以上は職務を遂行できない」と述べるべきだったと思う。事実そうだったはずである。だからこそ口に出せず、首相は辞任の理由として、テロ特措法の延長が困難になったことをあげたのだろう。政策遂行が困難になったため辞任で打開を図る、という論旨ならば誰も到底納得できない。だからあまりにも無責任、と騒然となったのだ。
彼は参議院選挙で大敗を喫したが意を決して政権にとどまった。そのことも結局自民党も認めたのではないか。
その後の政局の運営は全て首相にとって四面楚歌的状況となった。これではよほど強い精神力を持っていなければやっていけない。今、多発している適応障害の一つで、「キレた」あるいは「立ち去り型サボタージュ」と言われるタイプだ。
今の彼を救うには責めない事と職務からの解放である
9/14(金)晴れ ドック診察 法人理事会 次期総裁に福田氏浮上
2:00起床、ドック判定総括x2他.5:10病院着、6:10回診、事務処理他。8:00救急カンファ。机上書類処理。14:30ドック診察。入院患者対応。17:30法人理事会。21:30バイク帰宅、22:45就寝。
安倍首相(2)、在任中にもかかわらず一日で無視され、福田氏急浮上
昨日、安倍首相が慶応病院に入院した。永田町が騒然としたのは丸一日だけで首相はもうマスコミから殆ど姿を消えて、関心事はほぼ100%次期総裁に移っている。満身創痍、ぎりぎりまで頑張ってきた安倍氏はまだ総理であるのにもかかわらず、彼の影はもう殆どない。政治の世界は権力の世界であり、実に厳しいものである、求心力を失った権力者は一日にして消滅する。
昨夜の夕食時のニュースでは次期総裁選立候補者は額田氏一人、麻生氏がこれに続くと言う様相で、小泉元首相を含む6-7人が候補者としてノミネートされていた。その中では麻生氏が一歩先んじているかの如くの様相で、福田氏は可能性のある何人かのうちの一人と言う扱いであった。
しかし、今夜帰宅してニュースを見たら、大展開していた。額田氏は候補を取り下げ、8派閥から協力を取り付けた福田氏が立候補し、数の論理から見てほぼ決定したが如くの状況になっていた。麻生氏は大急落である。本来ならば頓挫した首相の政策を受け継ぐために閣僚の中から出ておかしくない状況なのに、安倍氏と同じ穴の狢として政治を混乱させた責任の一端を問われている、のだそうだ。
先の総裁選は安倍コール、今度は福田コールである。何かおかしくないか??
自民党の総総裁選とはいえ、総裁は首相になるわけだから第一に必要なのは政策論争である。しかし、今の総裁選には国民は不在である。こんな事で良いのだろうか?
で、安倍氏であるが、「人は二度死ぬ」という言葉がある。「肉体としての死」と「業績の死」である。
並の政治家は二度の死は同時に訪れるが、著明な政治家は後者の面ではなかなか死なない。安倍氏の結末を見ていると、生きながらにして、まだ首相の座にありながら、の消滅である。しかし彼はまだ若い、政治家としての熟成はこれからである。一年に満たなかったとしても首相をつとめたという経験は、時には足かせになるだろうが、誰も経験できるものでないだけに将来の大きな糧になるはずである。
私は今後の安倍氏にも注目していたいと考えている。
9/13(木)晴れ 外来+ドック結果説明 患者家族面談
2:20起床。ドック判定総括x1、紹介状返事等.5:20病院着、6:20回診ほか。8:00救急カンファ。8:45-15:00ドック結果説明x2を含む外来であったが、超混雑、地獄のような外来。かすかに終了間際にはかすかに嘔気も。15:00患者家族面談。以降机上業務に集中。21:30バイク帰宅、夕食、22:20就寝。
安倍首相辞意表明(1)いろいろ言われているが、彼らしい幕引き
昨日、安倍首相が突然辞意を表明した。本日の新聞には「サプライズ」「裏切り」「無責任」「・・・」と大きな見出しが並んでいた。
人それぞれ感想はあるのだろうが、私はこの一年間に満たない短い期間に首相は疲れ果て、体調を崩し、突然気力が尽きた結果なのだろうと思う。痛々しい幕引きであった。首相としての重積が原因で体調を崩したとすれば、これ以上の継続は無理である。早く開放してあげなければならない。残念な結果になったが、彼の実績は小さくなかったと評価したい。
昨年4月中旬の文書に、「任期満了を迎える小泉首相の次は恐らく安部氏だろうが、彼は自民党のスターとして周囲から大切にされ過ぎていて、彼に首相のポストを勤め上げるのは力不足のように思える。彼が壁に突き当たったとき、追いつめられたとき、どの様なアクションを示すのか興味が持たれる。老練な小沢氏、若手の安部氏、一対一での国会でのやりとりが楽しみである・・・」などと記載したが、この間、一途の期待感と共に一体どうなるのだろうか、どうするのだろうか、とずっと心配し続けながら首相の動きを見ていた。
最初の内閣は従来の派閥中心の考えから見れば「お友達内閣」と批判されたが氏の経歴、実力からすれば理解できる布陣であった。ただ、その閣僚の中から不祥事が次々と生じたこと、彼に直接責任を負わすことが出来ない年金問題が急速に浮上し、社会問題化したことが彼を追いつめた。更に、首相の対応振りも批判の対象になった。そして迎えた選挙、大敗を帰し満身創痍の中、苦渋の選択であっただろうが自ら続投を選択した。
そして、組閣。党の実力者を多数登用した。一見、力強い再スタートが切れるかとも思われた。遠藤武彦農水相の更迭は首相抜きで進められたとされているが、悪化しつつある体調もあって、彼は内閣をリードしきれない、と自覚し最終決断したのであろう。
彼の一年に満たない首相としての評価は「乏しい決断力、ひ弱」というイメージである。一方、国会運営などでも不自然な強硬さも目立ったがこれは表裏一体のものである。私は首相としての実績は決して悪くなかったと思われる。特に外交面で小泉前首相がもたらした歪みを次々と消していった事は大きく評価すべき実績である、と思う。
9/12(水)首相辞意表明 晴 外来 県感染症評価会議 院内感染対策委員会(欠) 医師会常任理事会
2:00起床、ドック判定・総括x1、5:00病院着。5:30-6:30研修医と懇談。6:45回診ほか。8:00救急カンファ。8:45-13:45外来+ドック診察。14:00県環境衛生センターで感染症評価会議。この復路安部首相の辞意を聞き驚く。17:00医師会へ。17:30-18:00県医師会常任理事会。病院業務若干、21:45帰宅、22:30就寝。
「しっこ」(3)「ジョンQ」を思い出し、進む日本の医療崩壊を憂う
この作品の前にもアメリカの健康保険会社の暗部を描いたハリウッド映画「Mrインクレディブル」というのもあるとのことであるが、私はつい先日まで知らなかった。何時の日か触れてみたいものである。
アメリカの医療事情を取り上げた映画「ジョンQ 最後の決断」は2003年に話題になった。この作品は近所で開業されている先輩医師からいただいたビデオで見た。もうあれから4年も経つのかと改めて時の過ぎ去る早さを自覚した。
この映画の内容と主題は,公的医療保険の無いアメリカで重い心臓病を持つ息子の治療をめぐって苦悩する家族を中心としたのドラマであった。ほんのワン・カットであったが「日本の様な公的医療保険」の必要性を説いたヒラリー・クリントンも出演している。
すさまじいアメリカ社会の現実の一部を見て驚くと共に、日本の国民であること、日本の医師であることの喜びも感じ取ったことを思い出す。
しかし、である。
今わが国の地方の医療は国民皆保険の中でも崩壊しつつある。保険制度はあれど医師不足、看護師不足で医療を提供できない状態を来している。総体的にはまだアメリカほどではないが、患者として、あるいは地域の医療関係者として見れば「しっこ」で表現された医療環境並あるいはそれ以下の現実がそこにある。日本国民として守られるべきはずの基本的人権はごっそりと剥奪されている。そんな国民が増えてきている。
医療崩壊、人権剥奪は黙っていては一層悪くなるだけである。
安心して医療を受ける環境を整える事も医療関係者、特に医師の重要な責務の一つである、と改めて思った。
9/11(火)同時多発テロ6年経過
晴れ 外来 法人常務会 患者家族面談 県医師会感染症等危機管理委員会
2:00起床,ドック判定総括x1、その他。5:10病院着、6:30回診、入院患者30名、定期処方発行。8:45-14:20外来。14:45-16:40常務会、旧千秋会館。17:30患者家族面談x3。18:00県医師会へ。18:30-19:50県医師会感染症等危機管理委員会、新型インフルエンザ対策GL(Ver2検討)。21:20帰宅、22:00就寝。
「しっこ」(2)患者も医師も国民皆保険の恩恵を知る機会に
私は娯楽的映画を好まない。だから映画監督のMムーアについてもそれほど知識はない。主に新聞の文化欄の記事から知るだけ。彼は、映画という媒体を使ってユーモアたっぷりに論旨を展開しつつ、何も知らない、自覚の乏しい人達に社会問題への関心を向けさせる手法をとるとのことである。
勿論、彼の作品は論旨の展開があまりにも一方的過ぎる、些細な問題を大袈裟に誇張、アメリカ医療の良い面を全て捨て去っている、などとの批判もある様だ。しかし、センセーショナルな作品であればこんな批判は生じてくるのが当然である。事実を淡々と語りあげても、凡人の心に何も火を点すことは出来ないから、フィクションの世界ではひねった視点、誇張ある表現などの手法を導入するのは当然だ。厳しい社会の事実は何処にでも転がっているのだが、直接の関係者でなければ誰も関心を向けないし、注目しない。TVの画面で取り上げても、表層的興味、茶飲み話の糧になるだけである。
今、日本の医療はアメリカナイズ、即ち市場原理化されつつある。しかし、国民も医療関係者もそれほど注目もしていないし、発言もしない。両者とも国民皆保険のぬるま湯にどっぷり浸かり、恩恵も、問題点も感じていない。特に医療関係者の無関心振りは驚くばかりである。日本の医療関係者は国民皆保険があるからそれほど苦闘することなく成り立って来たし、それが徐々に締め上げられて行く。その末期がこの「しっこ」に描かれた世界である。だから、医療関係者には是非見ていただきたい、と思う
この映画は10月6日からイオン秋田・TOHOシネタウンで公開される。
9/10(月)雨 管理会議 院内巡視 長副会議
2:30起床。ドック判定・総括x1。メール返事送付数件、書類処理,5:10病院へ、6:30回診他病棟業務。7:45-8:25管理会議、10:00-10:45安全管理者と打ち合わせ。11:00入院患者対応。病棟業務。療養病棟判定会議は対象者無し。17:00-20:00長副会議、21:10帰宅、夕食、21:45就寝。
「しっこ」って??(1) 医療関係を扱ったアメリカ映画の題名
排尿障害に長期間悩み、最近手術を受けたことも関連し、私の感受性が高まっていることもあるのだろうが、最近新聞や雑誌などの排尿関連記事とかによく目がいくようになった。ところが一般記事の中にも最近「しっこ」と言う見出しの記事がよく登場するようになって自然と目が惹かれる。
「しっこ」といえば育児の最中には頻回に口にする、どちらかと言えば幼児用語的なのだが、最近は高齢者の失禁とか尿漏れなどにも用いられている。確かに「しっこ」と言う方が何となく明るく清潔感を伴う雰囲気がある。日本では「しっこ」といえば誰でも『排尿』を連想するだろう。これは自然で当然である。子供の時にも毎日毎日何度も何度も言われ、子育ての最中に何度も口に出し、動物を飼えば排泄の世話で大変だし、高齢になってからは尿閉とか失禁とかの事が頭から離れなくなる。常に、人は「しっこ」「しっこ」から逃れられない。
ところが、今話題になっている「しっこ」は尿とは直接関連のない、映画の題名である。「ボーリング・フォー・コロンバイン」で銃社会の問題点を、「華氏911」でブッシュ政権を痛烈に批判した作品などで一作ごとにセンセーショナルな話題を提供しているアメリカのマイケル・ムーア監督がアメリカ医療の実態を取り上げた作品である。
何で題名が「しっこ」なのか?と思った。シッコ(SICKO)とは病気、病人または精神障害という意味で、適当な日本語訳は無いとのことで敢えてつければ「狂気の米国医療の実態」、と言うところだろうか。
アメリカの医療制度は日本のような国民皆保険制度ではない。国民一人一人が自分にあった保険会社に加入する仕組みになっている。一見自由に見えるこのシステムの実態はわれわれ日本人には到底信じられない殺伐とした、金儲け主義者から成り立っている(李 啓充著:市場原理が医療を滅ぼす?アメリカ医療の失敗、医学書院、に詳しい)。
市場原理に貫かれるアメリカの医療界には「国民の、県民の健康維持のために・・」と日本なら政治家も、医師会も、医師他の医療関係者なら誰でも金科玉条の如くに口にするこの言葉はない。アメリカの医療は国民のためにあるのではなく、企業のためにあり病人は金儲けの対象物でしかない。
世界で最高の保健医療制度を備えた国、それが日本である。それなのにわが国の医療は政治家、経済界の誘導で急速にアメリカ的市場原理主義に近づきつつある。
この映画はアメリカで見られる以上に、わが国の国民に広く見られるべき作品の様に感じられる。私は是非見たいと思っている。
9/9(日)快晴 病棟拘束 快気祝い(1)
2:30起床、ドック判定・総括、新聞チェック、本読み。6:00Taxiにて病院へ、8:30救急カンファ。11:00帰宅後ドック判定・総括、新聞チェック継続等々。18:30-21:15療養病棟スタッフ6人来訪、快気祝いをしていただいた。散財させてしまったようで恐縮した。21:50就眠。
DPC準備病院として、馴染みの乏しいICD10疾患分類で悩む(2)
ICD(International
Classification of Diseases and
Problems)は「疾病及び関連問題題の国際統計分類」の略称でWHOが作った病名分類である。世界各国の傷病の状況を比較する目的で作成され、そのうちICD-10は1990年に作成された10回目の修正版である。
わが国ではこれに準拠した「疾病、傷害及び死因分類」が作成され、DPCにおける病名にも採用されている。
今まで私どもは慣用として「急性肺炎」とか「うっ血性心不全」、「胃がん」とかの診断名を記載してきて、業務上何ら問題はなかった。しかし、これらの病名の中でも、例えば「うっ血性心不全」一つとっても急性心不全か慢性心不全、右心不全か左心不全か、重症度はどうか、治療への反応はどうかなどいろいろの因子があるから患者を一定の条件下に分類しなければ臨床的統計の作成は意味をなさない事になる。
ICD分類はより一層進んだ考え方に基づいていることは明らかで、これからは自分たちの仕事の結果をより客観的に分析し世に情報提供する必要があるだろう。その際にもこの分類は必須となる。
ICD-10の傷病名は私にとって馴染みが無かった。だから日常で使用するには不便極まりない。第一、日常用いている診断名が無いこともある。
また、いちいち分類表を用いてICD-10の診断名と捜すのも困難であるが、これについては標準病名返還ソフトがあって、院内のオーダリング用のパソコンにもインストールされている。最近これを使い始めたが、これがまた操作が複雑である。
ここ10日間ばかり、DPC、ICD-10と言う横文字に悩まされ続けカルテ総括が停滞気味で、新しい悩みが増えた。
9/8(土)晴
暑 病棟拘束 散髪 秋田市内研修医合同カンファレンス
2:30起床、ドック総括x1他。5:00病院着、6;30回診そのほか。10:30病棟患者対応。14:00散髪、17:00-21:00秋田市内研修医合同カンファレンス+情報交換会(View
H)。21:30帰宅、軽食、22:00就寝。
DPC準備病院として、ICD10による疾患分類で悩む(1)
各病院が持つ医療レベルの評価として、単純に、備えている設備、マンパワー、疾患毎の患者の死亡率を比較すると言う方法も無いわけではないが、実際にはこの比較は殆ど意味を持たない。なぜならば、各病院は地域において存在意義が異なり、その能力に応じて患者の傷病の程度や種類が全く異なるからである。
この病院医療の比較のために、FetterらがDRG(Diagnosis Related
Groups)と言う方法を開発した。これは、患者を入院期間、用いた医療費などの項目を用いて患者をグループ分類し、より均一な患者群を母集団として死亡率等の医療内容の評価をより客観的にしようとするもので、画期的なメソッドと評価されている。
日本ではこのDRGの考え方を取り入れ、独自のDPC(Diagnosis Oriented
Combination)が開発され、2003年度から一部の病院でDPCに基づいた包括払いが試行されてきた。
日本の医療機関は経済的に余裕がない運営を強いられていることから、このDPCの医療費の包括払い額の内容と、その包括額に上乗せされる病院別の調整係数にのみ関心が集中しやすい。勿論、これの経済的メリットは到底無視できるものではないが、DPCは従来はブラックボックス的であった医療情報の透明性を向上させ、さらに医療の標準化、均質化につながっていく、と高く評価されている。厚労省の強い指導もあり、将来的には、急性期疾患を中心に医療を担う病院は全てDPC化される、と考えられる。逆にDPCを導入せずに急性期病院として存在し得なくなる、と考えられる。
私どもの病院も今年度からこのDPC準備病院としてエントリーしている。
今のところは準備病院なので私どもが行った医療行為は従来からの「出来高払い方式」によって行われるが、同一患者についてDPCの資料も提出しなければならない。その作業は医事課職員に大きな負担になっているが、われわれ医師にとって大変なのは診断名のICD10分類である。
9/7(金)台風9号通過雨・風 QP
KK員来訪 ドック診察
2:00起床、ドック判定総括x1他。5:20病院着、6:20回診その他病棟業務.8:00救急カンファ。11:00 QP
KK員来訪、経管栄養剤について情報提供。11:30入院患者対応。14:00ドック診察。以降は総括、意見書、診断書と格闘、10数人分処理したが机の上の書類の山は低くならず。20:50帰宅,夕食、21:30就寝.
体臭について(2) 会議の後、香や伽羅を焚く
毎週月曜日は17時から院長室のテーブルを囲んで10人ほどのメンバーで2時間ほど長副会議が行われる。会議中は特別何も感じないが、終了して一端部屋を出て戻ってくると、入った瞬間にやはり強烈な臭いが残っている。臭いはその最中には鈍感になっているからそんなに感じることはないが、一端別な空気を吸った後は感覚が戻るのであろう。
締め切った10坪ほどの部屋に、中年のメンバーがこれだけ集まり、これだけの時間過ごすとこんな程度に臭いが残るのか、と正直驚いてしまう。若いメンバーが同じ程度院長室に滞在することはないから比較する手だてはないが、やはり世に言う「加齢臭」なのだと思う。
そんな時は第一にすべき事は換気だろうが、私は窓を開けたときに聞こえてくる街の喧噪、病院のエネルギー部門が発てている低音の持続音が入ってくるのが臭い以上に不快なので、まれにしか換気はしない。換気扇の持続音も嫌いなのでスイッチを入れたことはない。手軽な、スプレータイプの消臭剤、芳香剤などもあるようだが前者は信用できないし、後者は私にとっては芳香ではなく、人工的な変な臭いでむしろ嫌である。
他人の臭いには敏感であるが、私自身が「加齢臭」を持っているのかは自分では判断できない。家族を含め誰からも指摘されたことはない。しかし、多分それなりにあるだろうと思って10年ほど前から時折線香タイプの香を焚き、時に電子香炉器なるもので伽羅を中心とした香木を焚いてあるかも知れない臭いを置換している。
私は仏教関係の書籍を好むし、寺を訪れるも仏像を見るのも好きである。そのため香とか伽羅木の臭いは仏教的な雰囲気があって心まで安らぐ、私にとっては芳香である。
つい先日、香を焚いて良い気分になった後廊下に出たら、ある医師が「院長室付近で先ほどから変な臭いがする。焦げ臭いようだが、漏電とかしてませんか??」と言ってきた。「香を焚いていた」と返事したが、俄には理解して貰えなかった。
香とかの私にとっての芳香が他の方には「変な臭い」に感じられる事もあるのだ、と認識した。だから、その後はなるべく人のいない時間帯に焚くようにしている。
9/6(木)晴 暑い 台風9号近接 外来 マッチング調整会議 県医師会維持紛争対策委員会
2:00起床、ドック判定総括x1他。5:15バイクで病院着。6:30回診+病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-14:30外来。医局カンファレンスは欠。16:00-16:45新臨床研修制度マッチング調整会議。18:30-20:00県医師会維持紛争対策委員会。21:45帰宅、22:15就眠。台風9号が近接しフェーン現象で夜まで異常に暑い。
体臭について(1) 「加齢臭」「おやじ臭」「男臭い」などなど
人はそれぞれに固有の体臭を持っているが、これが年齢と共に強くなっていくらしく、中高年の体臭
は一般的に「加齢臭」と呼ばれている。この呼び方のルーツは体臭を研究した化粧品メーカーの資生堂
で、2000年頃から用いた単語と言うから比較的新しい呼称である。
「加齢臭」は40歳代以降に強くなり、別名「おやじ臭」ともいわれる事から男性に強いような印象を持つが、実際には性差は無いらしい。これと別に「男臭い」と言う言葉もあるが、これには男の体臭と、男っぽい雰囲気の二つがある。前者を歌った曲に「ミカン」という歌謡曲がある。大竹しのぶが「あなたの部屋を訪れたら、男臭かったのでミカンを一つ置いてきました。食べないでください・・・」と可憐に歌っている。
自分で自分の臭いを感じ取ることは少ないが、人は他人の臭いには敏感である。加齢臭は清潔・不潔とは直接関連しないとのことであるが、臭うと言うことは不潔であると言うことと同義に感じてしまうだけに、その指摘は相手にかなりのキズを負わせることになり得るから話題にし難い。だから他人から、あるいは家族からすらハッキリと指摘される事は少ない。だからといって自分に体臭がないと言うことではない。逆に、自分が臭うという思いにとらわれる「自己臭症」
といわれる心の病にまで発展する場合もある。体臭や口臭を苦にして私が担当している内科外来を受診した方も10数人に上る。
結構人は、「臭い」
に敏感なものだと思う。実は私も身体から発する音と共に臭いにはかなり敏感である。しかし、自分が臭うか否か、感じたこともないし、指摘されたこともない。
私は人と一定以上近づく事を極端に嫌う。通常はあまりないが航空機、新幹線で隣の席に座られると、時間が長いだけに落ち込む。指定席でも隣の空いた咳をさがしてウロウロすることもある。都内のJRなどはひどく近接するが多くは一時的で気が楽である。この時、鼻をすすったり、咳、痰がらみの音を発する人が側に来ると身の毛もよだつが、「臭い」もイヤなものである。
最近、外来の担当が変わったためにあまり頻回には担当しなくなったが、私の診療補助をしてくれるそれほど若くもないあるの看護師は打ち合わせなどの時に異様に近くに立つ癖があった。とても良い「におい」がする方であったが、圧迫感があるためにあまりよらないで・・、と注意したらあまり側に来なくなった。ちょっと勿体ないことをした。
9/5(水)曇り雨 外来 県身体障害者福祉専門分科会・審査会 脳卒中・循環器疾患医療供給体制についての懇談
2:00起床。ドック判定総括x1.総括・紹介状等処理、5:10バイク病院着.6:30回診その他。8:00救急カンファレンス、8:45-14:40外来。15:00-16:20県身体障害者福祉専門分科会・審査会。18:30-21:30脳卒中・循環器疾患医療供給体制についての懇談。22:00帰宅,22:30就寝。
医師不足対策(15) 過酷な勤務医の労働環境
政府・厚労省は、長年、低医療費政策を押し進め、医師が増えると医療費が高騰するという論旨で医師養成数を抑制し続け、医師に過重労働を押しつけて来た。今、勤務医は過重労働に耐えかね、医師の誇りや使命感を失い、病院から立ち去りつつある。
病院勤務医にほぼ共通する労働実態は以下の如くにまとめられるだろう。更に、院内のポジションによる個別の対応が求められる。
問題になった社会保険庁の職員の労働形態と比較して見たいものである。
■ 始業前は各診療科のミーティング、カンファレンス、抄読会など
■ 午前中は外来、検査、手術、などの診療。
■ 午後は入院患者の診療、臨床研修指導、院内会議やカンファレンス、など。
■ 夜は院内外の会議、カンファレンス、講演会・研究会など
■ 2-4回/月の時間外勤務
■ 休日・夜間の呼び出し、時間外出勤
■ 多数の、詳細な記述を求められる書類の処理
■ 患者や家族への病状説明
このような多彩な業務をこなしているために、日本病院会の調査では96%の勤務医が法定勤務時間を超えて働き、当直医の90%が翌日も通常勤務をしていることが示されている。勤務医は疲労困憊し、安全な医療の提供すらおぼつかなくなっている。
更に、医療費増の責任の一端を医師に負わせ、市場原理主義導入が医療界を救うが如くの論旨を展開し、医療費削減に血眼になっている。
医師の誇りや使命感の維持には周辺のサポートが必要である。徐々に厳しくなっていく展望の持てない労働環境、低い評価と低賃金などのもとで医師はアイデンティティを失い、病院医療に魅力を失い、欝的心境となって病院から立ち去る医師が増えつつある。一人が去れば残った医師の労働条件は更に過酷になっていく。病院は八方手を尽くして医師を求めているが、多くは徒労に終わっている。
次に待っているのは病棟閉鎖、外来診療の縮小である。病院の自助努力だけでは最早住民の健康を守っていくのは困難になってきた。
9/4(火)晴れ 外来 法人常務会 医局会
1:30起床,ドック判定総括x1。書類処理他、5:10バイク病院着.6:30回診、定期処方他、8:00救急カンファ、8:45-14:25外来。14:45-16:20常務会。17:30-18:45医局会。21:10帰宅、21;40就寝。
医師不足対策(14) 厚労省はわれわれ医師を何と考えているのか(1)
われわれ医師、医療関係者には「地域住民の健康を守る」あるいは「救急患者を診る」という強烈な使命感と責任感が備わっている。法的には医師には「応召義務」が科せられているが、そんなものは判断の役になど立っていない。そんなものによって動いているのではない。
昼夜をいとわず苦しむ患者の傍らにそっと寄り添い、医療を展開してきたのが医師の姿であった。
このことは共に働く医療関係者ならば、あるいは入院、あるいは家族の付き添い等を通じて医師、医療関係者の熱意、働く姿に触れた患者や家族の多くが感じていた、と思う。かつての記録からこのように読み取ることが出来る。血の通った医療の体感である。
医師の、医療の説明にこのような概念的な記述はエビデンスが無いからあてにならないとするならば、その指標の一つとして諸外国の医療事情と日本の医療事情を比較してみるのが良い。
人口あたりの医師数はOECD加盟先進国の中でわが国は最低であり、日本は2/1000人ほどであるのに対してOECD加盟国の平均は3/1000人である。諸外国は人口比あたり日本の1.5倍の医師がいる。各国の異なる医療事情を考慮してもこの差は歴然たる差、絶対的な差である。
日本では国民皆保険制度が敷かれ患者はフリーアクセスが可能である。そのために、患者数は多い。一人の医師が担当している患者数はOECD加盟国の数倍、アメリカの医師の何と8倍の患者を担当している。その一方で、医療費をGDPあたりでみるとOECD加盟先進国の中で最低である。そして、医療制度、医療提供体制の効果、アウトカムとして、日本の国民の平均寿命、平均健康寿命は世界一である。勿論、日本の医療のシステムにも改善すべき点は多い。
これらの数値を見ればわが国の医療は最低限の費用のもとで最大の効果を上げている、ことが分かる。何故それが可能であったのか。それは、医療関係者は低報酬に耐えてきたということを示している。その説明には国民皆保険の実態を視察に来たヒラリー・クリントンが帰国間際に残した言葉を引用すれば十分である。彼女は日本の医療制度、医師の働く姿を「聖職者以上の奉仕、自己犠牲の上に成り立っている制度であり、アメリカには到底適応できない・・」と表現した。私も全く同感である。
ところが最近、政府・厚労省は更に医師に大きな負荷を課そうとしている。
この動きは危険である。もうわが国の医師達は十二分の、イヤ、それ以上の負荷を負っておりこれ以上の義務の押しつけ,期待の押しつけは無理であり、危険でもある。もう既に始まっているが「地域医療崩壊」以前の「医師崩壊」と言っても良い「医師の意識の変化」を加速する。
9/3(月)雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 泌尿器科医師と面談 長副会議
0:45病棟より電話、病院へ。患者死去、見送りなど。3:00帰宅。ドック判定総括その他。5:00再出勤.6:30回診他、7:45管理会議.8:00-13;30外来。書類処理他。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-20:10泌尿器科医師と面談、引き続き長副会議。20:55帰宅、夕食、21:40就寝。
情報の国際化、グローバリゼーションを実感
私はホームページの更新など出来ない。技術的にも時間的にも無理である。僅かにブログ部分だけは何とか入力できる程度である。それで、ホームページの維持管理、連日の入力は関東在住の某氏に委託している。早朝にメールでデータを送っておけば、多くは当日の朝のうちにアップされていた。
その管理者が先月末から海外に出張している。着任するまでは現地のインターネット状況も、情報管理の状況も不明であり、更新作業が出来ないのではないかと危惧されたが、着任数日後には通常の如くにアップされていた。特に大きな問題はなさそうで安堵した。その後、更新作業は若干停滞しているようであるが、時差とか、仕事上の事情とかに依るものであろう。現地の事情は私には分からないから国内にいるときよりはゆったりと待つしかない。
それにしても、関東にいるときと海外にいるときと全く同じようにメールのやり取りや情報の交換が出来ることは驚きである。この面では相手が町内にいようと国内の何処かにいようと、海外にいようと大差は無い。海外の場合には時差との問題が若干あるだけである。
3年ほど前に、ボストン在住の医事評論家の李先生に県医師会主催の会で講演をお願いしたことがある。その時はメールで都合を打診したところ数時間後には返事があった。更に2-3回のメールの往復をしたが、私が変な時間に起きていることも幸いして直ぐに返事が来て、話はとんとん拍子にまとまり、以後の打ち合わせもスムーズに進んだ。この時が私が情報ネットワークの威力を体感した最初であった。
私は語学がダメだから、海外在住の日本人であっても手紙や電話でやり取りしていた時代にはいろいろ困難があった。手紙の外書きだけでも大変であったし、目的の相手にまで電話が通じなかった、と言う辛い経験も複数回ある。今は殆どストレスなく情報交換が出来る。良い時代になったものである。
9/2(日)晴、後半病棟拘束 東北医連総会(青森)
2:00ホテル青森で起床、ドック判定総括、新聞チェックなど。7:00葉っぱとコーヒーで朝食、再度業務。9:30-15:00東北医連総会。西島、武見氏挨拶、日本医師会長公演「国民医療の現況と日本医師会の取り組み」。午後はシンポジウム「勤務医の視点と地域医療」。15:45特急「こまくさ」にて帰秋、19:00病院、重症患者対応、20:00帰宅、夕食、20:45就寝。
昨朝は術後一月目の朝でもあった
昨年同日の日記記載の中で自身の身体的不安材料として、■腰椎ヘルニアによる腰痛症の再発、■不整脈による脳塞栓等の合併症、■燃え尽き症候群、■寝不足による交通事故、■そのほか・・・、を挙げ、2年目も出来ることなら無事でありますように、と願った。しかし、そうはいかなかった。
私には長期間抱えてきた健康上の懸案事項がもう一つあったが、まだ限界を迎えるには間があると思っていために項目としては挙げていなかった。それが、予測に反して限界を迎えており、8月1日に膀胱頚部切除+膀胱憩室切除術を同時に受けた。下腹部切開と内視鏡手術の双方であったために全身麻酔も初めて経験した。
術後経過はすこぶる順調で8日に退院、14日から通常勤務に復帰した。この間の経過は「未体験ゾーンへ旅を・・」としてまとめている。未体験ゾーンとして予め3項目を挙げたが、これに加えて「当院の看護を受けた」ことも1項目として、感謝を込めて加えておく。
この一ヶ月、私が45年間ずっと憧れ続けていた、「抵抗感のない排尿」を毎回味わっている。これは私にとっては「記憶にない、未体験の感覚」であり、感激ものである。術後まだ間もないから下腹部のキズの一部はまだ痛いし、膀胱はいささか過敏で容量はまだ小さくやや頻尿傾向であるが、これは時と共に更に改善していくだろう。私一人でしか味わうことの出来ない全くプライベートな感覚であるが、生きていく上での楽しみが一つ増えたようなものである。
私の治療に当たって下さったスタッフ達、業務を代行してくださった方々には本当に迷惑をかけたと思うし、お世話になったと心から思う。改めて感謝したい
9/1(土)快晴 午前病棟拘束 東北医連総会初日(青森)
2:00起床、ドック判定総括x
1他。3:40家内帰宅、最近またすっかり自由人になった。5:10病院着、6:30回診その他。8:30救急カンファ、退院総括、診断書関連書類など。12:43業務資料を大量に持参し、特急「かもしか」にて青森に。狭い座席に閉口。15:15着。16:00から予定の保険診療、広報関連の委員会傍聴は欠席し持参の資料整理、ドック判定総括など。18:00-19:45合同懇親会、20:30就寝。
院長就任3年目を迎えた
今朝、私は院長就任3年目の朝を迎えた。
まる2年経過したが、こんな厳しい医療環境のもと、新米院長としてよくやって来れたものだ、と思う。初年度は、就任間もなく激しい腰痛に悩まされたし、不整脈も頻回に生じることもあり、私の健康状態から一年も持たない事態になったら責任上大変なことである、と心の隅で危惧しながらの毎日を過ごしていた。無事何事も起こらずに2年目の朝を迎えた時にはホントに心から安堵したものであった。
今日は3年目の朝である。まる2年、曲がりなりにも責務を果たしえた事で気持の上で若干ながら余裕も湧いてきた。
医療環境は更に悪化し、地域医療の実情は急速に氷河期に向かっている。秋田市も例外ではない。病院の運営の面から見れば、この一年でより一層難かしくなっている。それらに対応するためにオーダリングの導入、新看護体制の取得、DPC準備病院へのエントリー等、数々の施策が実施された。これらの推進に法人の本部、病院の長副会議のメンバー、看護部門、担当各部門のスタッフの働きはとてもなく大きい。
その他、日常の診療においてはいろいろなトラブルもあった。地震に例えれば中震、軽震、余震と言えるようなことが何度もあった。何とか乗り切ってきたが今後も厳しい医療環境は続いていく。
今の私の望みは、いつものことであるが、もう少し時間的余裕が欲しいことであるが、残念な事にますます少なくなってきている。
外来はオーダリング導入の影響もあって患者が増え続けている。これも悩みである。ドック、病棟、療養病棟を中心とする入院患者数には著変ないが、患者の入れ替わりが早く、診療に関連した事務的処理、書類は増え続けている。院内の会議、県関連の委員会や医師会業務もある。それに、学習の時間も必要である。
この一年も、従来と同じく早朝起床、出勤のパターンは変わらないが、帰宅時間は20:30-21:30頃と最近若干ながら遅くなっている。これはオーダリング導入の結果、院内のパソコンでしか処理出来ない書類処理業務が増えたからである。
業務の節目節目に短時間ながら録り貯めたラジオ深夜便「こころの時代」を聴いたり本を読んだり、息抜きの時間を適宜混ぜている。だから、やっていられる、と思う。
病院、医師会、その他、家族達も含め多くの方々にこの一年支えていただいた。心から感謝したい。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |