徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(水)秋田快晴 東京曇り やや寒い 東北医師連合会打合会
 1:30起床。家内帰宅。退院患者関連書類作成など.5:10病院着。いつも解錠されている職員口が開いていない。やむなく正面口に廻る。5:20の時点でも開いていない。傍らにいた守衛さんに聞いたら契約では5:30 だという。本当か??ならば通常の解錠はどういうことか?6:30回診病棟業務。出張前申し送り。8:50-12:20外来。12:45迎えあり空港に。14:10久しぶりのANA。乗り慣れたボーイング機は何となくホッとする。実際には天候の割には大揺れした。若干の時間ありホテルに向かう。18:30-20:45ホテルグランドパレスで東北医連打合会+懇親会。21:15浅草ビューに移動。22:00就眠。

日医会長選挙(3) 急展開 いよいよ明日に迫った
 今回の日医会長選挙は今後の日本の医療、日医自身のためにも重要である。4候補が次期会長のポストをめぐって選挙運動を展開し、公明な選挙は日医の新しい行き方を予測させるものとして私は大きく期待してきた。しかし、桜井、宮崎の両候補は突然植松候補のキャビネットに入ることで立候補をしなかった。もう一人新たな立候補者が出たが、事実上、青柳、植松の一騎打ちと言うこととなった。
 これで出身母体、支持組織から単純に見れば東北北海道九州医連が推薦する青柳候補は一気に劣勢に立たされたが、この様なプロセスを是としない良識ある代議員の票は期待できるだろう。ただし、全国から集まってくる代議員は老人クラブの会合かと見まがうほど高齢者が多い事が問題。高齢の方々には新しい発想は期待できないと言う問題点が壁となるだろう。明日はどうなるのか?青柳陣営の票読みは困難らしい。
 
 代議員会の前には定例の東北医師連合会の打合会が開催される。夕方から打合会が開催されたが、その席に会長候補の2名、代議員会議長候補の方々が支持者、キャビネット候補者と共に訪れ、打ち合わせは何度も中断した。これも馬鹿らしい習慣である。明日の選挙の席で候補者に若干の時間を与え、その後に投票すればいいのだ。

 明日は実に重要な日であり、楽しみな日でもある。しかし手続き上、選挙は数時間を要すると思われているだけに身体的には苦痛が強いられそうだ。


3/30(火) 曇-快晴 定期処方日 県医師会打合せ 医局カンファ
2:00起床,ドック総括なし。しばらく講演の予定なく若干余裕が生まれた。溜まっていた病院関連書類など処理、懸案の退院総括、紹介状など。5:10病院着。6:30-8:50回診、定期処方40枚発行。紹介状など。9:00-13:30外来、混雑。14:00入院患者家族と面会。患者処置種々。15:00県医師会。帰路ラミー、モンブラン万年筆修理に出す。17:30医局カンファ、診療報酬改訂は出張予定のために出席出来ず。病棟種々業務処理
21:00帰宅、21;30就寝。

回転扉の事故 報道姿勢に疑問 
 東京のある有名なビルで回転扉に頭を挟まれて幼児が死亡した。これは悲惨な事故であり、あってはならない事故、繰り返してはならない事故で、再発防止を厳重に行うべきである。事故にあった家族の受けた衝撃のことを思うと言葉に詰まる。

 この事故の後、NHKラジオのニュースでは殆ど連日このニュースが各時間帯のニュースのトップで報道されている。本日3/31も3:00,5:00、6:00共にトップで報じられている。内容的にはビルの所有管理会社と回転扉の製作会社でセンサーの感度を上げた上げない、言った言わないなどのやり取りが毎日小出しに報じられている。
 事故が生じたことは事実でありそのことはより早く、より正確に報道されなければならないが、問題はどう対応していくかである。はっきり言って、暴露報道である。事故の関係者、自動扉、回転扉の製作、設置・・・などで関係していない方々にとっては対岸の火事である。要するに興味本位のニュースに過ぎない。これがNHKの連日のトップニュースとは・・・、と驚く。もっと国民が知るべき重要な情報があるのではないか??

 この事故、報道側の調査活動を通じてに全国各地で回転扉にまつわる事故が掘り出されてきている。その意味ではもっと安全対策を講じられてしかるべきであったとは思う。しかし、どんなに対策しても用いるのが人間であり、年端の行かない子供達のことを考えると事故は無くならない。そんな構造をしている。

 回転扉に関して私自身通過するときにいつも恐怖感に駆られる。キャリアバックなどを曳いているときなどは尚更である。何のためにこんな扉があるのか??疑問である。例え自動であろうと人力によるものであろうと構造的に見ればどんな回転扉でも、四肢や手荷物などを、いたずらっ子達の場合では頚や頭が挟まれてもおかしくない構造している。行動が鈍くなった高齢者などには緊張を強いる扉であろう。こんな回転扉を何のために設置するのか??ビルのデザイン、イメージ、効率化・・なのか。

 私は自動扉すら怖い。センサーが鈍かったのだろう、閉まりつつある扉に身体を打ち付けたこともある。だから、今回の事故の後、院内の自動扉の機能を再点検するよう発言した。当院の自動扉は小さな子供にも正確に反応するのだろうか?自動扉の前で転んだ場合など、身体を挟まれたりしないのか??報告を待っているところである。


3/29(月)晴れ 管理会議 本荘講演「結核・エイズ」 長副会議
昨夜は23:30起床。本日講演分の画像の準備が不十分で追加作業のため。1:00に家内帰宅。21:00頃患者が急変し病院に行っていた。ドックx1名分。5:30病院着。回診+出張準備。8:00管理会議。9:00-12:00外来、途中で交代.12:50特急いなほにて本荘。本荘保健所に。14:00-15:15感染症予防のための地域組織活動者研修会で講演「消防署員が身につけておかなければならない感染症の知識について」。主に結核について、一部エイズ。15:42-16:15特急いなほ。16:30-18:15長副会議。病棟患者数人不調に、対応。20;30帰宅、21:00就寝。3.5時間睡眠では流石に眠かった一日。

患者さんの前でのスタッフ間の世間話は要注意!!
 先日の患者さんからの投書があった。「患者のいる前で看護師と救急隊員が世間話を・・・」と言う短いもの。ウン、これは重要な内容である。ヒトが3人揃ったときの関係はよほど親しい間柄でなければ実に微妙なものである。特にその内の二人がより親しい関係にあるとか同僚であるとかの場合は尚更である。
 ヒトは「無視される」とか「軽率に扱われる」と言うことにはかなり敏感なものである。そのためには、それほど濃厚である必要はないが、最小限の程度の気配りが必要となる。この件についてはスタッフに十分注意を喚起したい。

 実は今春私も講演に行ったときに同じ経験している。交通不便なところで駅から40分ほど車で送迎してくれたのであるが、迎えに来てくれた若い女性と運転手さんが最初の挨拶の後はもっぱら職場のこととか、日頃感じているようなことをボソボソと話し合っている。私が後席にいることを意識してか流石に話し声はそう大きくはなかったが、私は全く無視された。私自身は最初こそ、秋田くんだりからJRで2時間もかけてわざわざ来た講師に対しては・・・とちょっと不快感を持ったが、そうであればそれなりに、と常に携帯しているMDで好きな音楽を聴いて過ごした。帰りも同様であったので、十分に音楽を楽しめたという思いがけないメリットはあった。

 私自身は、動きのとれない状態で世間話をし続けること自体好きでないのでむしろ良かったと思っている。しかし、配慮の欠如は私の好みとは別問題である。当院でもそうであるが、職場での対人間関係の教育が必要である。


3/28(日)快晴 講演「医師と患者の良い関係」 
1:30起床、ドック処理x1。講演準備その他。9;00病院へ、総括、講演準備2回分ほか。12:45病院出発。13:30-15:30講演「医師と患者の良い関係」。16:30一19:30病院にて残務。入院患者は比較的落ち着いていた。19:45帰宅。Vnなど、20:00就眠。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(35)
内科系では血液内科に興味を持つ
 私が学んでいたときには新潟大学には4つの内科学講座があった。
 第一内科は血液学の松岡松三教授で当時DICについて先駆的であった。第二内科は木下康民教授で亜急性腎炎の概念をうち立てていた。第三内科は市田文弘教授でウイルス性肝炎で先んじていたと思う。神経内科は椿 忠雄教授でSMON、新潟水俣病の分野で脚光を浴びていた。
 個々の教授について、教室の運営や研究等について詳しくは知らないので言及は控えたいが、私がこの4人の、巨匠と呼びたくなるような教授の講義に出て感じたのは、学者としての迫力と威厳と男のロマンを感じたことである。
 ベットサイド、臨床講義では第一内科の血液疾患の患者達から大きなインパクトを受けた。今覚えているのは急性白血病の3人の少年少女のことである。カルテを見る限りでは厳しい状況のことが書かれてあって、生命予後も相当悪い状況あると思われた。学生として受け持たせていただいた時はたまたま小康状態にあった時期であった。当時の私とほぼ同じ年の3人患者は、自分が白血病に罹患しており、間もなく生を終えるであろう事を薄々と感じていたようであるが、あくまでも明るく、実習生の私の下手な手技による検査にも良く耐えて協力してくれた。私は、この同じような年代の青少年が自らそれほど先は長くないと悟っていて何故この様に明るく振る舞えるものであろうかと感心し、かつ感動した。第一内科の実習が終わって約1ヶ月ほど後にたまたま病棟を訪れた際、3人中2名は既に死亡退院されておりショックを受けた。この時の経験がずっと尾を引いており結果的に私は血液学の分野に進むことになったのだろうと思う。


3/27(土)曇天ー晴れ 気温は低い 新潟大学関連会議(欠) 法人管理職会議
 1:30起床、人間ドック総括x1、本日の管理職会議発言準備、明日の講演準備進める。5:20病院着。回診他。本日は新潟出張が予定されていたが法人管理職会議のために取りやめ。そのために外来なしで、この時間遅れていた講演準備に充てた。14:00-16:40法人管理職会議。機能評価について報告。17:00病院にて患者家族と面談。19:35帰宅、21:00就寝。

当院は次年度中に日本医療評価機構の認定を受ける(2)管理職会議での発言要旨
 (1)の一部に続けて以下の如く述べた。
 われわれほどの規模の医療機関は持っている機能や医療レベルの実績等を常に社会に向かって情報を発信していかなければ成らない、要するに、社会に対して、住民に対して説明義務があると言うこと。今後はそう言う時代なのだと言うことを自覚しなければならない。

 従って、当院にとって例え受審までの過程が遠く茨の道であっても、絶対的に避けて通ってはならない道であると判断する。

 
当院で医療評価機構を受けるメリットは以下の如くである。
●医療機関が自らの位置づけを客観的に把握でき、改善すべき目標もより具体的・現実的になる。
●医療の機能について、医療機関のあり方について具体的な改善方策の相談・助言を受けられる。
●地域住民、患者、就職希望の人材、連携医療機関へ当院が一定の水準以上の医療機関であることを公表できるので、患者が安心して受診できる医療機関として地域における医療の信頼性を高める事が出来る。
●恐らくは、職員の自覚と意欲の一層の向上が図られ、経営の効率化が推進される
●医療評価にを受けていること、認定されることは医師の初期研修必修化における病院の要件に成る可能性があるし、研修医によって選ばれる病院になるための要件の一つとなる。
●今年はターミナクケア病棟開設の要件として機能評価機構の認定が条件となった。将来、診療報酬上でも評価される方向にある。

 受審のためのチェック項目は約600項目にものぼる。委員会ではその全てについて対策の方向性を確認した。当院が受審に向けて改善すべき点、準備し無ければならないことは途方もなく多く、認定までの道のりはとても遠い。しかも、プライバシーの保護等の分野、アメニティの分野に関しては決定的とも思えるような構造的問題点もある。
 受審に向けて実績として残しておくべきデータ、すなわち退院2週間以内で総括が100%であること、などは新年度より直ちに目に見える形でスタートさせる。

 用意すべき書類等は8月末頃までに準備し、12月末まで職員教育を含めた受審準備を進めたい。実際の作業は委員会メンバーを中心に各部門で作業部会を造りそれを集約していく方法をとる。

 最後に強調しておきたいのは、受審に決定的に必要なのは全職員の受審にかける意気込み、一人一人が社会へ貢献する場としての中通総合病院をより良くしていこうと言う意欲、である事は論を待たない。この場を借りて、全職員の協力を要請したい。


3/26(金)曇天 寒い一日  県身体障害者福祉分科会 法人理事会
 1:30家内帰宅で起床、ドック総括x1、主治医意見書、紹介状、医師会関連作文他。5:20病院着。回診他入院患者関連書類処理。10:30-13:30外来、ドック診察x3、結構混雑。15:00-16:30
県身体障害者福祉分科会。17:30-18:40今年度最後の法人理事会。20:30帰宅、21:00就寝。

当院は次年度中に日本医療評価機構の認定を受ける(1)
 我が国の医療の整備は量から質へ転換し始めている。そのため医療機関に対する厚労省からの締め付けは徐々に厳しさを増している。 この動きは一つの区切りとされる平成18年度まで面々と続くであろう。

 当院はかつては地域に先進的で良質の医療を提供してきたと自己評価してきたし、それが職員の働く意欲のルーツとなっていた。が、周辺の医療機関が充実してきたために当院の優位性は影を潜めた。それに伴い従業員の働く歓び、自らのアイデンティティも薄れてきたようだ。当院の職員は、一人一人が日常の業務を通じて社会のために、秋田の医療に大きく貢献しているにもかかわらず、今、いろいろな集会の際に話題になることは、ただただ多忙による余裕の無さであり、自らの位置づけに対する自覚は失われ、社会に寄与しているのだという歓びは聞こえてこない。特に多忙を極める看護師、なかでも中堅どころ以上のスタッフの表情はその厳しさを反映しているようだ。

 確かに、今、病院運営は困難な時代を迎えた。全ての私的医療機関は厳しい締め付けのなか如何にして良い医療を展開していくのか模索の毎日だと言っていい。当院も例外でない。それどころか厳しい運営を強いられている。
 
 当院が一層飛躍するために何をすべきかと言う点では、第一に医療機関としての将来構想を自ら造り挙げなければならない。それには自己評価も必要であるが、今の時代自己評価、自己満足では済まない。まず、第三者の評価を積極的に受けるべきである。

 日本医療機能評価機構の審査受審のための準備委員会が発足し昨年から検討を続けてきたいたが、今月初頭の委員会で来年度中、2005年3月頃の受審を決定した。逆算すると具体的な書類審査は1月頃から行われる予定である。


3/25(木)雨-曇 総合内科診療部会 療養病棟診療部会 会議のための打合せ
2:00起床。人間ドック等処理.管理職会議用項目検討。医師会医報報告校正。家内ついに帰宅せず。
そう若くもないのに大丈夫か??5:20Taxiにて病院、昨夜帰宅時と同じ運転手さん。「先生方の生活はどうなってるんですか??」と不思議そう、かつ、心配してくれた。回診、病棟業務。9:00-14:00と外来混雑。13:45-14:45総合内科診療部会。医師同士、医師-看護師間で話がかみ合わず何か変だ。17:00-18:15療養病棟診療部会。痴呆患者のケアで大変。18:30-19:15会議のための打合せ。20:30帰宅。21:00就寝。

日医会長選挙(2) 呆れた急展開 やはり医師会の常識は社会の非常識か??
 4/1に迫ってきた今回の日医会長選挙は今後の国民の医療、日医のためにも重要である。現在まで、青柳、植松、桜井、宮崎の4候補が次期会長のポストをめぐってそれぞれ運動を展開してきた。前3者は日医副会長、大阪府医師会会長、日医常任理事として華々しく活躍して来た強みと出身地域のバックアップもあってほぼ互角かと思われていた。宮崎候補は医系の参議院議員であった方である。4氏による公明な選挙は日医の新しい行き方を予測させるものとして私は一定の評価をしてきた。

 昨日入ってきたニュースによると、桜井、宮崎の両候補は植松候補の副会長としてキャビネットに入るとのこと。桜井、宮崎の両氏が立候補するか否かはまだ解らないが多分降りることになるだろう。両氏は医師会活動に於いて有能な人材が各候補のキャビネットとして分散するのが惜しまれること、自分たちの支持者の意見も入れて自ら考えの近い植松氏に協力することにしたのだという。
 これで事実上、青柳-植松の両氏の選挙となり、一気に植松候補が優位に立ったことになる。医師会の選挙は公職選挙でもないのだから手続き上は問題なかろうが、何か変だ。何処かの首長選挙において対立候補を助役にすることを条件に立候補を思いとどまらせたと言う事件が問題になっているのと似ている。

 全国の医師会員、勤務医の多くは無関心であろうが、は何と感じているのだろうか。代議員は??意外とこの経過に納得出来ない、と憤りや疑問を感じる私のような代議員はいるのではなかろうか。代議員は個人の資格で投票するのだから、選挙緒結果はまだ解らない。かえって混沌としてきた様に思える。

 4月1日は実に重要な日であり、楽しみな日でもある。やはり在日日本人的集団か??


3/24(水)快晴 医師会理事会+新理事会打合せ+懇親会 法人理事会(欠)
2:00起床。人間ドック等処理.医師会医報報告関連若干進める。4:00家内帰宅、院内で2-3時間寝てきたらしく疲れた様子はない。5:20Taxi病院着、回診+病棟関連業務9:00-14:15外来+人間ドック説明2名。外来は混雑。新入院3名受け持つが療養も40人だから些か大変。16:30-17:30現医師会執行部最後の理事会.17:30-18:00来期担当の新理事会打合せ+懇親会。中座して
18:45病院に。20:50Taxi帰宅。21:30就眠。

居間の
ミニコンポにサブウーファーを付けてみた 効果抜群
 私は病院の自室、自宅でも殆どの場合、CD、MD、FM放送と適宜選択して音楽を小さな音量で鳴らしながら業務を進めている。移動の時はMDまたはポケットラジオを聴く。一回しかない人生、もう限られた時間しかないのだから一つのことだけで時間を過ごすのが勿体ない。病院では25枚入れのCDオートチェンジャーも用いているので中座しないで済み、とても良い。残務処理中心に早朝から夕方まで自室で過ごす土曜などは10枚ほどのCDが連続で回転していることも希でない。

 音楽に加えて、更にAMラジオを同時に鳴らしていることも多い。AMラジオは私にとって重要な情報源だからであるが、時折挿入される音楽が実に邪魔である。音楽抜きの情報提供放送が無いのが私にとっては残念である。

 「ながら音楽」なので音量はそう上げない。業務に集中すると聞こえなくなる程度の絞った音量としている。装置は居間ではケンウッドのミニコンポ、医局では20年ほど前のソニーのラジカセに若干の工夫を加えているだけの簡単なもので、共に机上に置いてある。最近、自宅の音が低音不足であることに若干不満を持ち始め、サブウーファーを購入して取り付けてみた。YAMAHA製の1万円+αと廉価、簡単な装置で主に200ヘルツ以下の部分を再生してくれる。これの効果は予想以上であって今までの音と一変し、実に聴き応えのある音となった。聴くジャンルも幅が広くなり、より大編成のオーケストラ作品もむしろ静かな音で聴けるようになった。
 医局にもサブウーファーが欲しくなったが、これは我慢することにしよう。

 いま、モーツアルトの弦楽五重奏曲集K515がいい音で鳴っている。ウーファーからの音が加わった低弦の響きが実に心地よい。業務処理も気分良く進んでいる。側ではラジオ深夜便「こころの時代」で聴覚障害を持つ子供達への教育に関わった新潟のある教師の話が流れている。なかなかいい話だった。


3/23(火)快晴 温暖 法人評議員会 医局カンファ(睡眠障害) 報道関係者との懇談会
2:00起床,ドック総括x1、 紹介状返事等。5:15病院、回診、病棟業務。9:00-11:40外来、中座して12:00-13:30明和会評議員会View H+昼食会に出席。新入院患者対応,、講演準備ほか。18:00医局カンファレンス(睡眠障害)で中座した。自室の天井から水漏れあり。階上のトイレでバケツから水を溢れさせたのだという。本、書類、コンピュータ類には実害無し。19:00-21:10県医師会と報道関係者の懇談会。広報担当としての最後の仕事になるだろう。21:30帰宅 Vn 、22:00就寝。

ヴァイオリニストの西崎崇子氏
 
私は弦楽器の協奏曲を特に好む。購入したCDとかレコードもこのジャンルが絶対的に多い。最近、主立ったヴァイオリン協奏曲は日本人ヴァイオリニストの西崎崇子さんが東欧のオーケストラと組んで録音したナクソスレーベルのものを聴いているが、聴く度ごとに感心する。
 世界的に有名で、多数の素晴らしい録音を残した演奏家は数多いが、多くの録音は録音時期も異なり、バックのオーケストラ、指揮者もその都度別の組み合わせである。そのために出来不出来の差はあるし、録音状態も一枚ごとに異なっている場合が多い。多いと言うよりは殆どそうである。

 その点はこのナクソスレーベルの西崎崇子さんの録音はすごい存在である。我が家で有しているのは10枚に満たないが、カタログを調べてみると20数枚あるみたいだ。4大協奏曲そのほかの協奏曲を同じく見合わせ、同じ録音状態で聴けるだけでも価値は高いが、録音状態も良く、完成度もすこぶる高い。
 演奏はどちらかというとゆっくり目、じっくりと歌いあげるタイプで私の好みでもある。当然の事ながら技術上の問題点など全く感じることもない。

 彼女は我が国では演奏活動をやっていないようだし、メジャーレーベルのと録音もないようで、あまり知られた存在ではないがすごい実力者なのだと思うし、多くの録音を彼女に託したナクソスにも感心してしまう。日本人の演奏家の中でも録音の数は群を抜いているだろうし、もしかして世界中のヴァイオリニストの中でも主要な協奏曲を同じ組み合わせで録音した最初の演奏家かもしれない。

 彼女は1944年名古屋生まれで私より1歳年長。4才で父親の手解きを受け、鈴木慎一教室の第一期生となったとのこと。 桐朋学園高校を昭和36年に中退しジュリアード音楽院に入学、ジョセフ・フックス、 アイザック・スターンにも師事したという。現在は香港政庁音楽院マスタークラスの教授として活躍されているらしい。

 相当の実力者である事は、ジュリアード最高名誉フリッツ・クライスラー賞、ニューヨーク・コンサート・アーティストギルド優勝、レベントリット国際コンクール第2位、香港レコード金賞、ナショナル・フェデレーション・ミュージッククラブ第一位、シカゴ名誉市民等の賞を受けている事などからもうかがい知ることが出来る。

 今も自室のMDでブルッフの協奏曲を聴きながら業務を進めている。


3/22(月)快晴  管理会議 県医師会打合せ 長副会議+α  
2:00起床。ドック処理x1。5:10病院着。回診等入院患者関連業務。8:00管理会議。9:00-13:30外来。14:30県医師会打合せ。16:30-19:30長副会議+関連の打合せ。20:30帰宅。21:00就寝。

ケアにおけるマッサージの効用 真の手当とはこういうこと
 数週間ほど前に6-7年前からお世話してきた高齢の男性患者さんがお亡くなりになった。ここ2-3年は在宅のケアが困難とのことで、ある施設に入っていたが転倒して頭蓋内血腫を発症、当院で手術を行ったが、年には勝てず術後全身的に衰弱されて寝たきり状態になっていた。ここ数ヶ月は時に誤嚥のために時に窒息状態になったり、肺炎を生じたりして危険な状況を何度も迎えていたがついに限界の時期を迎えた。家族や親戚の来訪も少なく、寂しい療養生活であったと主治医の立場では感じていた。

 その最後の夜、寝入りばな病棟の看護師から、呼吸も心臓も止まりそうですと電話があり、来るべき時が来たかなと眠い目をこすりつつ病院に向かった。通常はこの様な場合、静かに息を引き取られるのが通常であるが、着いてみると、何と病室には家族・親戚??が10数人も集まっており、娘さんやお孫さんが患者さんの手足を一生懸命マッサージして声をかけている。そのためか呼吸は比較的しっかりしており、血圧も上昇し、脈もしっかりしている。少なくとも私が電話連絡を受けたときの心電図、呼吸等のモニター記録に比較してもずっと良い状態に戻っている。

 これは恐らくは家族達による一生懸命のマッサージの効用だと思われた。結果的にはその後2-3時間後患者さんは息を引き取られたが、ご本人にとってもご家族にとっても良い時間を共有したものだと思う。これこそ、本当の手当と言うべきもので、薬石以上の効果があるものだと感心した。
 とはいえども、普段から、患者さんと声を交わすことが出来る状態の時にこそ、ご家族の方々がもっと頻回に見舞いに来られ患者さんと触れていたなら如何に良かったのか、とも思った。

 患者さんの痛む患部にソッと手を当てることによって痛みが和らぐことは自身も経験しているし、昔から言われている手当の効用である。これは人間的な感情ではないようで、動物でも同様なようだ。生まれたときから備わっていて最後まで残る原始的な、かつ重要な皮膚感覚なのだろう。
 隣のネコが10年ほど前に最後を迎えたとき、全身痙攣が何度も何度も生じたが、ソッと背に手を当ててマッサージしていると痙攣がおさまり、その間は痙攣が生じなかった。飼い主の手当を受けつつ死んだが、この時も手当の重要さに驚いたことを思い出した。


3/21(日)晴れ  
2:30起床。ドック、新聞チェック、紹介状3部など。次の日曜日の講演準備など種々.10:00車のディーラーに。昨年購入したHONDA Fit 4WDの12ヶ月点検。16:00-21:00病院にて業務。21:30ミニ同級会??出席の家内を拾って帰宅。途中通町の喫茶店にてコーヒーを楽しむ。商売気の感じられないマスターの煎れるコーヒーは流石。22:00帰宅22:30就眠。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(34)
 病理学は北村教授の姿、生き方に感じ入った
 最初の病理学の講義の日、ちょっと早めに講堂に出かけた。黒板には前の講義の内容であろう、よく解らない単語や図が書かれ、そのままになっていた。中程に席を取り講義を待っていたが、10分ほど前に薄汚れた白衣を纏ったやせ形の、貧相な感じの初老の爺さん・・と表現すべき男性が入ってきてじろっと周辺を見回し、黒板を消し、チョーク等を整え、教壇の周辺を片づけてた。長年この様な仕事をしてきたのだろう、一つ一つの動作に無駄が無く、私はずっと見続けていた。なぜか今でもその場面を鮮明に思い出す。当時、各医局や研究室には秘書や小間使いをする方々が1-2名ずつ居たものであるが、一般的に基礎系では年輩の男性が一人で、臨床系では若い女性が数名は居たように思う。
 講義時間となり同級生達で講義室は満杯になったが、爺さんは落ち着いて片づけをしている。やがて彼は一旦講義室を出ていったが間もなく戻ってきた。教授を呼びにでも行ったのか、と思っていたが、彼はそのまま教壇にあがりしわがれ声で、淡々と病理学の講義を始めた。何と、彼は病理学第一講座の北村教授であったのだ。
 講義内容は今から見れば形態学中心の古典的な病理学であったが、毅然とした威厳を伴っており私はすっかり魅了されてしまった。彼の毅然とした態度は病理解剖の際にも発揮された。学生の間に教授が担当する病理解剖を数体分見学できたが、臨床側に対しててきぱきと質問し、鋭く問いつめる場面もあった。私は当時は深く感心したが、病理学的考えと臨床側との考えの間には広い溝があるものだと感じた。


3/20(日)春分の日 病棟拘束 秋田晴れ→東京雨→仙台快晴 
青柳日医会長候補激励会(東京) 東北医連理事代表者会議
(仙台)
1:00起床、ドックx1 etc. 5:30Taxi病院。ドック受診者への書簡作成。APTT延長を伴う手術予定患者への対応、コメント作成。回診他病棟業務。8:50病院発医師会公用車にて空港へ。羽田からの便の到着が遅れたために40分ほど遅れて出発。13:00帝国ホテル着、13:30-14:20青柳日医会長候補激励会へ出席。急ぎ14:53「はやて」にて仙台に移動。17:00-19:00東北医連理事代表者会議。次年度の体制、予算他検討。懇親会の後19:38「こまち」にて帰秋。22:30帰宅
23:00就眠。

日医会長選挙の重要性。日医にとっても、国民にとっても、そして、医療機関にとっても・・・
 本日は一日中移動していたような日
。例年であれば土崎の休宝寺にて講話を行う予定となっていたが今回上記の予定が入ったために急遽お断りしてこちらの方に向かった。講話は外旭川病院の嘉藤先生にお願いしたとのことであるが、もしかすれば私の講話よりずっと良かったのかも知れない。

 それはさておき、今回の日医会長選挙は重要な選挙である。この混迷する政治・経済のなかで医療情勢は激動し、かつ、先が読めない厳しい状態にあるが、この時期に誰が日医会長に就任するのか、は日本国民の医療のために重要な問題である。現在4名の方が立候補されているが、今までに青柳候補が属する北海道医師会長、前大阪府医師会長の植松候補、現日医常任理事の桜井候補が選挙運動の一環として来訪したが、何れの方々も次期会長として・・・は別にしてそれなりの主義主張を持ち魅力的な方々であった。選挙は10日後の4月1日に行われる。私も県医師会選出の代議員として1票を持っているから距離を置いて静観しているわけには行かない。

 本日の激励会は自民党の代議士も何名か来られ、実に盛会であったと言うべきであろう。青柳氏のキャビネットも初めて公表された。現執行部からも何人かが選ばれており、一気に若返る戦陣であり、私と日医の委員会で一緒に仕事をした羽生田氏が副会長候補として入っているのは大きな魅力と言えよう。

 今日の激励会は仙台への移動のために僅か1時間もいられなかったが、出席して心の隅にあった一抹の迷いが払拭された。日医、国民、そして、医療機関の将来を任せられる候補を確定した。4月1日は実に重要な日であり、楽しみな日でもある。


3/19(金)晴れ 講演:秋田県農業試験場
2:00家内帰宅を機会に起床、ドックx1、他、本日の講演準備 、5:30病院着、道路は昨夜の雨の後の冷え込みで表面が薄く凍り付いており車が微妙に滑る状態。駅前交差点で右折の乗用車が目の前で歩道に乗り上げた。回診、関連業務他。ドック処理、10:30-13:00外来。14:00病院発で雄和町農業試験場に。15:00-16:35講演「健康で長生きの意義について」。回診、処置若干。18:30-21:00病棟の送別会、21:15帰宅、21:30就寝.

医師と患者関係(2) 研修医の指導体制に里親制度は良い試み
 昨夜、病棟看護師の送別会があって出席した。席上若い看護師の側から先輩の「指導者」についての感謝の気持ちが何度も語られた。当院における新人の看護師の指導体制について私が直接触れる様な機会はなく殆ど知らなかったが、一定期間はマンツーマン体制を敷いているようである。この期間は双方とも比較的濃厚に影響を請け合うものらしく「指導者」側にもいろいろな悩み、指導の困難さがあるらしい。この悩みや困難さがあると言うこと自体、この制度の意義があるのだろうと感心した。

 研修医の指導のことを振り返ってみれば、当院では研修医に対しては全ての先輩医師が関わって指導している。医療の技術面ではこれでまず十分な研修成果が得られていると評価出来るが、果たして医師としての資質の育成や、倫理面での教育、理念研修などは誰が責任を持っていしているのか不明瞭であったと言わざるを得ない。今年から当院では研修医をマンツーマンで見守りかつ指導する「里親制度」が行われるようになった。これは初期研修体制の構築の中でとても良い試みだと思う。

 医学の歴史は数千年前まで遡ることができるが,何時の世にも変わることなく求められてきたことは「心ある医療」であったと言いうる。いつの時代にも、本当に何かに取りつかれたような問題のある医師が、極めて少数ながら居たし、その人達の「心ない医療」が社会に、医療界に大きな影響を与えてきた。そのたびに「心ある医療」は何かと、問い直されてきたのである。医業は多くの職業のなかでも、人を危険にさらす可能性の高い職業であり、時には生命に直接関わる重大な状況下で業務を行わなければならない。職業倫理を問われてしかるべきことでは最右翼にあるものである。従って、職業倫理等を直接指導する体制、出来るスタッフの育成は重要であるが、この部分が今の卒後教育の中ではスッポリと大きく抜け落ちている分野だと思う。

 昨夜は看護師の指導体制の一部にを垣間見ていろいろ考えさせられた。


3/18(木)降雪 寒波 医局会 秋田県保健対策部会
2:00起床。ドックx1名。3:00過ぎ家内帰宅。5:10病院着。昨夜からの雨が雪に変わり2-3cm。回診他病棟業務。9:00-13:30外来。13:30--14:30医局会。15:00-16:30秋田県保健対策部会。。残務処理、明日の講演準備若干他。20:10帰宅21:00就眠.

医師と患者関係(1) 紀元前4世紀と現代と何ら変わらぬ問題点が存在している
 日本医師会の第8次生命倫理懇談会は3月16日、望ましい医師と患者の関係について提言した報告書をまとめた。医療の専門分化が進むなかで、医師が「病気を診て人を見ない」という病気重視の姿勢に傾くことの懸念を表明し、大切なのは医師・病気関係ではなく医師と患者の信頼関係であり、患者一人一人の意思をきちんと理解したうえで、自己決定の助けになるような選択肢を示していくことを医師の役割の一つに位置づけた。

 患者との関係でもっとも重要な「信頼」を得るには、医師はその場その場において「最善の治療を行うということに尽きる、と指摘。医師が患者との対話のなかで、正確な診断と、考えられるいくつかの治療法を説明したうえで、患者が一番納得できる決定を共に探っていく「インフォームドチョイス(説明と選択〕」が不可欠であるとしている。
 
 患者の意識を改革する必要性も示している。患者の期待があまりにも高く、医療者側に落ち度がないにもかかわらず訴訟にまで発展するケースが増加していることを憂慮している。「今日の医学・医療は非常に高度で、かっ専門分化が進んだため、かっての医療形態とはかなり異なる・・・」とし、「この点について国民一般の意識改革と理解を求めていかなければ、医師と患者は何時もすれ違いを繰り返し、医療現場には常に誤解と混乱が絶えない」との認識を示した。

 上記がその概要であるが、内容的には常識的提言で、何ら新しいものはない。こんな提言を繰り返していかなければならないところに医師と患者の難しい関係があると言うこと。この内容と言葉は異なるもののほぼ同じ事は紀元前4世紀に既にヒポクラテスによって語られている。要するにその当時からこの様なことを書かねばならなかったほど、医師と患者の関係に問題が生じていたと言うことである。


3/17(水)晴れ 夜半降雨
家内帰宅で1:30起床。ドック1名、紹介状2名、転院患者の退院時総括など.5:20病院着。回診他、9:00-14:00外来。来訪者数名の予定以外に大きな行事なく退院総括、主治医意見書など懸案事項多数処理出来た。第一回目の桜開花予報が出た。例年よりも1週間から10日ほど早いという。困るヒトも大勢いるだろう。20:00帰宅21:00就眠。

5000万円を1700万円に値引き!! 驚く医療機器の値段 何を信じればいいのか??
 日本の医療費は先進諸外国と比較すれば、医師等の技術への報酬等は極端に低いが、薬品や医療材料、医療機器は著しく高額と言う特徴がある。 
 例えば、心臓ペースメーカーが諸外国で20万円程度、同じ製品がわが国では60-100万円。このことは時にマスコミにも取りあげられている。厚労省でもこの問題は若干検討し始めているようではあるが、随分時間がたつが、まだ具体的成果が見えていない。

 先日当院で購入を検討した先進的な超音波装置、価格が5000万円以上と超高額で、しかるべき部署で慎重に討議され、購入が決定されたらしいが、実際に報告された購入価格は実に値段の約30%、1700万円だとのことで心底驚いた。購入価格が安かったことは法人にとって良いことなのだが、まともな製品にこんな値引きが行われているとすれば問題である。欠陥品でないのか??本当に新品か??展示品??デモ用貸し出し機器、何らかの理由で処分したかったのではなかったのか??そんな疑問が湧いてくるが、どうやら新品らしい。

 こんなバカなことがあっても良いのか、と思う。そう多く売れる機器と思えないから、利益を無視しての販売なんて考えられない。こんな値段で販売してもそれなりのメリットはあるのだろう。とすれば、どういう価格設定なのか、始めから上げ底設定と言うことになろう。何処でどの様に設定されているのか??

 私的医療機関は余裕がないから医療機器の購入の際の値引き交渉はかなり激しいらしく、私的病院に納入してもそれほどの利潤はないのですよ・・・と業者は言う。公的医療機関等では一般に値引きは少ないらしい。購入に税金が投入されている事を考えるとそれも気分が悪い。

 個々の製品を問題にしても始まらない。日本の医療機器の値段、重ねて薬品の値段のあり方は再検討すべきである。医療関係者のマンパワーへの評価も含めて、日医総研あたりで検討してもらってはどうか、と思う。日医会長選挙後に提起してみたい。


3/16(火)快晴 鹿角ケアマネ研修会講演 医局カンファ(欠) 
2:30起床,ドック1名分、紹介状2部ほか.5:20病院、回診、他。9:30病院発。ダイヤ改正で目当ての列車30分繰り下げとなっており書店に、数冊買い込む。10:15大館。11;50大館着、公用車にて鹿角市役所。地域の活力以上に立派な建物のイメージ。中学生の頃に建った岩手県庁を眺めたときにも同じような感慨を持ったものだ。13:00-14:40講演「高齢者の人生と支援」.かつて病棟で働いていた看護師さんと10年振り??に会う。16:43-17:30普通列車。医局カンファは残念ながら欠。20:20帰宅。賄いの石井さん四国旅行で留守。冷え切った家にネコが独り留守していた。21;00就眠。

ハンセン病者の宿泊拒否したホテルが廃業宣言(2)差別観は残虐な感情だ
 ハンセン病の患者がホテルから宿泊を拒否されたニュースには驚いたが、そのホテルが県の営業停止の処分の直前に廃業宣言した。何故なんだ??社は廃業の判断について、最大かつ最善の謝罪方法であると説明する。

 昨年11月同ホテルによる宿泊拒否の事実が明らかとなり、ホテル側はいったんは謝罪したものの、親会社社長が「宿泊拒否は当然の判断」と開き直った。この発言は撤回され、再び謝罪し療養所と「和解」したものの「県にも責任がある」と主張。県は熊本地検に旅館業法違反で刑事告発し、行政処分することとしたもの。ホテル側はその直前に廃業宣言したことになる。

 ホテル側が廃業宣言したことで一般からの葉書や電話による抗議や中傷は療養所や県にも及んでいる。ホテルの廃業は、社会に根強くある元患者に対する差別観が患者達に向くことを狙ったさらなる差別でハンセン病元患者に対して中傷であるという推測もあるようだ。しかし、一企業が一部の部門をそう簡単には縮小出来るものではない。影には営業上の駆け引きもあることであろうからそれらを全く知り得ない立場からは言及は避けたい。

 結局、この問題は国民全体にハンセン病への理解がまだほとんど得られていない状況を反映している。「差別」はする側にとって嗜虐意識を満足させるという人間にしかない残酷な感情だ。だから、社会に根ざした差別観などは薄れていくのに相当な時間がかかるものだ。場合によっては社会の構成メンバーの代替わりさえ必要とすることもある。


3/15(月)晴れ 管理会議 長副会議 
2:00起床,ドックx1、介護保険意見書、紹介状2枚、総括他各種書類記入処理.5:10病院着。回診、重症者数名。8:00管理会議.9:00-14:00 外来+ドック説明1名、16:30-18:00長副会議。19:30賄いの石井さん四国旅行で不在のために早めに帰宅。何故か家内も帰宅。彼女もやれば出来るんだ21:00就寝。

ハンセン病療養所入所者の宿泊を拒否したホテルが、廃業宣言(1)
 ハンセン病の患者がホテルから宿泊を拒否されたというニュースが飛び込んできた時は驚いた。まだ、こんなことがあるのか?? しかし、更なる驚きは「本音を言う社会から攻撃を受けた・・」と言う支配人のインタビュー記事。この人が言いたかったことはどんなものだったのだろうか、新聞記事からはそれ以上のことははかり知れなかったが、深い差別の心が潜んでいる言葉だと思った。
 この問題は一部は旅館業法という法律に違反する事件であるが、それ以上に人間観、人権の問題である。また、今回の事件で改めて国の責任、および関連する医師達の責任、ひいては医師会の責任を痛感させられた。2年前までハンセン病患者は国の施策によって隔離されていた。すなわち、国の施策が差別を助長し、国民の中に誤解と偏見を植え付けでしまっていたのだ。
 その施策の背景には、当然ハンセン病の専門家と言われる医師達の存在があったはずである。その方々はかなり古くから感染性の有無、隔離政策が不要なことを知っていたはずである。知らなかったとしたら勉強不足のバカである。医師達は国に対してどう働きかけたのか??彼らには罪の意識はないのか??厚労大臣が謝罪したと言う陰に隠れて、自らを安全な域に置き、今でも安穏と医療を続けているのだろうか。専門家達がどの様な考え方を持ってきたのか、きちんと総括して欲しい。それが彼らに残された義務である。ハンセン病がマスコミに取り上げられるとき患者さん達はよく登場している。しかし、専門医が登場した場年は見たこともないし、見解を述べたのに私は触れたこともない。

 残念なのは日本医師会が、患者さん方の人権をおかす一翼を担ってきたのに、何ら見解を発表しなかったこと。その意味では私も罪人の一人である。


3/14(日)晴れ 
0:30リハビリ当直室にて起床、ドック判定総括X2、紹介状3人分など種々処理。講演用スライド画像大量に処分と整理。次週の講演準備。7:15検食、8:30頃病院に移動。11:30帰宅、家内は早朝に病院に出かけたらしい。Vn等、注文していた居間用のスーパーウーファー届いておりセット。音域がかなり広がり快適に鳴る。午後、ガレージの奥からヤマハ250ccのバイク「ビラーゴ」を出し点検。クラッチ、ブレーキ共に昨年修理済みで十分乗れる。次週講演2件予定、準備。18:00-19:30微睡む。20:30夕食、21:00就眠。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(33)
基礎系では病理学と法医学に興味を、内科系では血液内科に興味を持つ
 大学の講義はオーケストラ関連でやむを得ず若干休んだ他は殆ど皆勤と言っていい状態であった。朝は寝坊することなく連日殆ど6時頃には起床し、実に規則正しい毎日を過ごしていたから8:00頃に大学に向かうことは何ら苦痛ではなかった。また、講義にでることが最も効率の良い勉強方法だと信じていたから、例え居眠りしていたしていたとしても講義にはでる方がいいと考えていたからでもある。最も、専門課程3年目からは岩手県医療局の奨学金の貸与を受けたことで卒後すぐに病院勤務することが決まったためによりまじめに勉強しておくべき必要性を感じたこともある。
 当時はコツコツとノートを執ったものである。今の自分なら多分、ノートパソコン、デジカメ、録音機を持ち込み、講義録はインターネットで友人達とやり取りしたのではないかと思うが、当時はとにかくノート執りであった。コピーすら当時は湿式で能率も悪く、値段も高く学生にとっては高嶺の花であった。私のノートは一部の友人たちによく利用されたものであった。

 多くの講義の中で私は基礎系では病理学と法医学に興味を持ち、内科系では特に血液内科に興味を持った。

 法医学への興味は実はひょんな事で深まっていった。法医学の講義は第一時限で8:30から始まるが、開始の時間には数名、時に1-2名のこともあり後ろの席に座るわけにはいかず、毎回一番前の席に座ることになった。講義は少人数の中で始まるために最初の頃は対話を交えながらの講義となる。そのために教授と若干ではあるが親しくなってしまった。そうなると講義にも自然に身が入ることになり、難解な部分を含めかなりの部分を理解できた様な気がする。


3/13(土)晴天 県医師会薬物乱用防止研修会 リハビリ当直 
家内帰宅と同時2:00起床、ドック他、5:40病院着.回診、紹介状、入院カルテ整理他。10:30-12:20外来。13:15入院患者家族と面会、病状説明と退院のお勧め。15:30-16:50県医師会薬物乱用防止研修会。出席の予定はしていたのだが業務処理中に動員がかかった。全部で10数名。当直がなければずっと聴いていたい内容であった。17:00リハビリに当直へ。 20:00就眠.

朝10時までに仕事は片づける-- モーニング・マネジメントのすすめ
高井 伸夫 (著)かんき出版 価格: ¥1,400
 同一著者による本「3分以内に話はまとめなさい--できる人と思われるため」私にとってはすごく役だったが、その本の帯に紹介されていたので取り寄せてみた。その動機は、著者に対してなんか自分と同じ事をしている人という親近感を抱いたこと、早起き生活を論理化してくれるのではないか、私にとってもっと工夫すべき事、取り入れるべき事も書かれているのではないか、と言う淡い期待であった。

 読んでみた印象は前著書ほどのインパクトはなかったと言うのが正直なところ。中身はやや薄い。朝早く起きれば時間が長く使えるからとても良い・・・と当然のことを書いていて、参考になる人もおられるであろうが、私には物足りない。ただ、時々いい話は述べられており、面白い部分もある。

 私の場合には日祭日も含めて朝8時半までにはその日の内にやっておかなければならないことを終えるようにしている。連日、9;00-14;00頃まではドックや外来関連の業務が固定して入っており、午後も入院患者さんへの処置、家族との面会等をはじめとして病院、医師会、県の関連の会議など、スケジュールも大抵は埋まっている。予定がない時には未処理の業務の消化のために割り振っている。しかし、その日の外来患者によって、午後から夜までずっとかかることもあるし、40人ほどの入院患者は高齢者が多いから状態も毎日毎日変化する。加えて、突然の来訪者や不測の事態も生じる事も少なくない。それらにフレキシブルに対応するため、午後は出来るだけ余裕を持たせなくてはならない。だから、起床時間は1;00-2;00頃とせざるを得ない。私にとってはこのような生活パターンしか選択肢がない中で暮らしている。自分の性格も含めて自分に合っているからストレスもない。本当のところ、これでも時間が足りない。しかし、もう削る部分など無い。

 著者は、朝10時までに一仕事終えるには、早朝出勤だけでなく、仕事の濃密化・スピード化が不可欠として著者は様々な工夫を凝らしてはいる。頭に浮かんだことは必ずメモにし、社員出社後、それを書面化させて配るとのこと。また、会議の代わりに「個別ミーティング」を活用し、5分程度で正確な状況把握と的確な指示をするという。朝型の生活を送りながらも、夜のつき合いは可能。失礼でない範囲の最小時間で切り上げるなど、夜型人間とつき合うコツも紹介する。

  ただ絶対に誤解してはならないのは、朝型人間がより優れているわけではないと言うこと。朝は遅いがやるべき事をきっちりとやっている人は大勢いるし、このパターンの方の人の方が遙かに多いのだ。要するに、朝方の人は生活のパターンが単に朝の方にシフトしているか否かだけのことで、人はみなそれぞれだから自分のパターンにあった方法を上手く利用して充実した時間が持てれば良いのだ。

 ・・・・と言うことで、自分のパターンが出来ている人には単なる読み物に、生活を変えようと模索している人には若干参考となる程度。大体こんな本を読んで早起きを実行するような人は3日坊主になることが多いだろう。やるべき人はこんな本読まなくたってしっかりと自分の生活パターンを確立しているのだ。


3/12(金)晴れ 医師会打ち合わせ(欠) 法人理事会
2:00起床、ドック他処理、紹介状、総括。5:20病院着、回診、事務処理他。受け持ち患者さん死亡された。10:30-13:00外来10数人のみ。1345ドック診察4名。医師会打ち合わせは午後の業務多忙でキャンセル、大きな懸案事項なしと。主治医意見書など対応多数。17:30-20:40法人理事会。年度末で来期の事業計画など話題多数。21:00帰宅。21:30就眠.

スキャナーの蓋を取り外したらすごく便利になった
 スキャナーは随分便利なもので私は使用頻度は高い。新聞のスクラップを始め各種の書類等を取り込んでいる。ヒュレットパッカード社のScan-Jet4Sはモノクロで、書類とかの取り込み専用で一枚ずつしか取り込むことしか出来ないが動作は早く数秒で完了、極めて有用、生産中止も間近であったために中古品合わせて4台購入したが、全台が頻用されている。ただ、古いマックでしか用いられない。この様なタイプの製品は既にカタログから消えてしまっている。残念である。

 一枚ずつしか処理できないと言うScan-Jet4Sの弱点はフラットベットスキャナーがカバーしてくれる。雑誌や本や厚手の原稿をそのままスキャンできるが、持っている2台はいずれも機能は十分であるが、モノクロの場合でも動作がのろい。更に、不満なのはカバー。これは本体に蝶番でしっかりと固定されているために一台は1cm以上、もう一台は2cm以上の厚さの本のスキャン時に不便する。無理に蓋をする曲がってしまう。先日、前者の方のフラットベットスキャナーの蝶番をはずしてみた、と言うより破壊した。その結果、どんな厚手の本、百科事典でも取り込むことが出来るようになった。
 最近の製品も見てみたがどれもしっかりと固定されている。何で取り外し自由のカバーにしないのか??ユーザーとして理解に苦しむ仕様である。

 厚手の本のスキャン時には本の綴じ側がどうしても浮いてしまってうまくいかない。その際には鉄アレイが役に立つ。5Kg,3Kgのを随時組み合わせて重しにしてスキャンするが、流石に13Kgを乗せたら動作しなかった。設計時に10Kg以上もの加重なんて考えもしなかったであろうから当然である。いろいろな製品も使い慣れると不便を感じるようになる。その際,、ちょっとした工夫が思わぬ効果を上げることがあって私は改造するのが好きである。ただし、その過程で再起不能にしてしまった製品も少なくはない。思い出すと心が痛む。


3/11(木)温暖 晴れ 仙台エイズ・肝炎感染予防講習会(欠)労組学習会「賃金の話」 
 夜半に病棟からのコールで再出勤。患者さんは2:30頃静かに静かに息を引き取られた。この間ドック総括他の机上処理進める。お見送りして4:00帰宅。病院前のタクシーおらず探しながら通りを10分ほど歩く。強風だが風が暖かい。家には家内帰っており一安心。入浴他、再度出勤、5:20病院着。回診他、9:00-13:30外来。机上業務中心に過ごすが、昨夜は2時間も寝れなかったのでさすがに眠い。18:30-20:50中通病院労組主催の学習会「賃金の話し・成果主義賃金と賃金体系」を聴講する。講師の声がバカでかくて助かった。論理的と言うよりアジ演説。一部は勉強になったが、結局は何を言いたいのか最後まで全く解らなかった。20:30帰宅、夕食21:30就眠。

長嶋氏、脳卒中 
 3月4日から東京女子医大病院に入院しているプロ野球巨人の長嶋茂雄元監督(68)は脳梗塞と思われる所見があり、右半身に軽いマヒがあるとのこと。救急搬送の時点では意識が混濁していたというが現在は意識はあり、話にも応じているという。病状は生命に危険を生じる程度ではない、と発表されているのがせめてもの朗報。私も隠れた長嶋ファンであり、心が痛む。早い回復を・・と願っている。ただ、この経過から予測するに、恐らく五輪監督については続けるのは難しいだろう。これを機会に名誉職に留まり実務からは離れるのが良い。
 
 長嶋氏の脳梗塞発症のニュースはメディアに大きく取り上げられ、多くの方々には驚きの声を持って迎えられた様である。国民的英雄というよりはどちらかというと愛されているアイドルである。明るさを失わない表情と笑顔がとても良い、見てくれと一致した言動が良い、シャープでない様に見えるのがのがとても良い。彼の一言一行は明るい話題の元になるし、一挙一動は絵にもなる・・・・等々。多分、これは推測だが、彼に悪しき感情を抱いているヒトは直接の利害関係にある一部の関係者を除いて居ないんではないかとさえ勘ぐってしまう。それほど魅力的なヒトだ。

 彼の病気は患者さん方にもある意味では良い影響を与えている。それほど高齢でもなく、スポーツで鍛えた強靱な身体、更に現在は健康に人一倍気を遣って自分を律していたと言う。そんな彼ですら脳梗塞に・・・と言う驚きと共に、人生を考えるきっかけを提供したようである。神経質な患者さんもしんみりと彼のことを語る。有名人の病気、かつては、昭和天皇の場合でも、小渕首相の発病の時にも同じように良い影響を与えたと感じたものだが、時の経過と共にすっかり薄れてしまった。

 自分の身内や友人の発病は一部の患者さん方には悪しき影響を持つが、有名人とは言っても所詮は遠いヒトだ。むしろ適当な距離が幸いして良い影響になる。本来ならばヒトは身近な生老病死を通じて自然の摂理を学ぶ必要があるのだが、その役割も有名人が代行し、メディアが介在するようになってきた。これも時代か・・・。


3/10(水)快晴 県感染症評価委員会(欠) 長副会議 県医師会委員会
1:30起床。ドック1名分。退院総括、紹介状他.ついに家内帰宅せず、大丈夫かね、ホント。5:20病院着、回診他.8:50-14:30外来。超混雑、途中で県健康対策課から連絡入る。14:00から県感染症評価委員会であった。外来混雑していてすっかりど忘れしていた。しかしまだ患者さんが数名残っており、欠席とさせていただいた。机上と病棟の業務処理。17:30長副会議。18:10中座し県医師会の委員会に。20:00終了、帰宅.21:00就寝。23:15病棟より連絡、患者不調、再出勤した。

15年以上も前、私は学術集談会で禁煙を取り上げた
 今は社会的に禁煙の運動が盛んで、喫煙者はさぞや肩身が狭いことであろう。私が勤務する病院でも一昨年あたりより急激に禁煙運動が盛り上がり、紆余曲折を経ながらも4月の新年度から全館禁煙になる。間もなくである。

 私はやっとここまで来たか、と言う感慨も持つ。

 私は現在の病院に勤務して間もなく、第16回秋田民医連学術集談会なるものの運営委員を押しつけられた。丁度カモが外から入ってきた、と単純に割り振られただけであったであろうが、その時、パネルディスカッションで「医療機関内における禁煙」を取り上げた。医療関係者としてこれほど健康に悪影響ある生活習慣を民医連の医療機関として放置しておくべきでない、との視点からであった。実はこれは私のオリジナルではなく、大曲中通病院で禁煙運動を進めていたある医師の姿勢に共感したからである。

 実行委員会の中でもこの話題でパネルディスカッションを催すことには否定的意見の方が多かったが、実行委員長の権限で押し切った。しかし、民医連秋田県連の理事の一部は私に対して強行に内容変更を求めてきた。「秋田民医連学術集談会ではこんな小さな話題を取り上げるべきではなく、国や県の医療、民医連医療のあるべき姿を論じるべきだ」との趣旨であったが、それでも私は押し切ってしまった。

 パネルディスカッションの前に全職員に対してアンケート調査を行い、一医療法人の職員の意識調査行い貴重な結果が得られた。その結果は中通病院医報30(1):10-27,1989に掲載されているが、後に「労働の科学」という雑誌から依頼され、再編して投稿した。

 パネルディスカッション自体は盛り上がって良い討論が出来たとは思うが、この試みが当法人内の喫煙にいかなる影響を及ぼしたのかについては、恐らく全くゼロに近かったのであろう。その頃はまだ社会全体が甘すぎた。要するにわれわれのは、時代を10数年早取りしていたのだ。

 過去に秋田民医連学術集談会で喫煙問題を取り上げた事などもう覚えている職員も居ないだろうが、当法人はこの分野でも先進的一歩は踏み出していたのだ。


3/9(火)寒波ゆるみ快晴 医師会打ち合わせ 医療評価機構受審検討委員会
初期研修指導医委嘱状交付
1:30家内帰宅で起床,ドック1名分総括、紹介状2部.5:20病院着、男鹿市・仁賀保町とかでは昨年の今ころ20-30cm積雪あったから、3月の降雪は今年だけ異常ではない。回診他。9:00-13:00外来、13:30ドック説明1名分。15:00-15:40医師会打ち合わせ、16:00-17:10初期研修指導医委嘱状交付ほか。ドック後の下血の患者さんを見舞う。20:40帰宅。21:00就寝。眠い一日であった。

15年以上も前、私はナースキャップ廃止を提起したが・・・
 わたしが担当している療養病棟は昨年5月から発足したが、看護師の服装は従来の白衣のイメージを打破し、機能性を重視したピンクのスラックスも導入した。これがまた白衣姿の時とまた違ったいい雰囲気で、私も看護師達も気に入っている。この制服着用は強制ではないから通常の白衣姿で勤務している看護師もいる。一度も袖を通していない看護師も何人かは居るようである。どちらかというとベテラン側に多い。まあ、タイケイとか、いろいろ事情はあるらしい。
 ピンクの制服時にはナースキャップは着けていない。これはとても機能的で良いと思う。私はやっとここまで来たか、と言う感慨も持つ。

 私は現在の病院に勤務して間もなく、看護委員会なるものの委員を押しつけられた。医局から誰もなるヒトがいないので丁度カモが外から入ってきた、と単純に割り振られただけであるが、その時以来、看護婦問題についても些かは勉強してきた。その継続の中でここ8年ほど日本医師会の委員会で看護問題、特に准看問題を扱っている。

 看護委員会で、私は看護師の業務の機能性を高めるためにナースキャップの廃止を提案したが、並み居る古い時代感覚の看護師、看護師長から猛烈な反発を食らって簡単に却下された。全く通用しなかったと言っていい。当時委員会を構成していたメンバーは中堅どころでどちらかというと頭が堅い方々で、看護交流集会の運営でもいろいろ提起したが、ついに殻を破ることは出来なかった。提起が早すぎたのだ。

 ナースキャップは、のり付けをして形を保っているため、細菌が付着しやすいことや、いろんなところに引っかかったりして仕事がしにくいなど不便な点が多く、先進的な医療機関では古くから廃止を求める声が上がっていた。その一方で、ナースキャップにあこがれを抱いている看護師も依然多い様である。そのために当院でも院内全体としてどうするのかに関しては未だにコンセンサスは得ていないらしい。

 私は日常業務のなかで白衣を着ない。白衣はまとわりついて邪魔で全然機能的でないからである。患者さんの処置などで汚れそうなときはガウンを着る。同僚やコ・メディカルの方々がボタンをはめずに「だらしなく着用」しているのも厭だ。基本的に白衣は不要。
 私が白衣を着用するのはTVのインタビューを院内で受ける時だけである。本当は着たくないのだが、着なければ医者らしく見えないだろうし、ヨレヨレのYシャツやズボンが隠れて丁度好いという大きなメリットもある。だから、私の白衣はここ数年洗濯にも出していない。


3/8(月)晴れ、寒波若干緩む 管理会議 長副会議(中止)
2:00起床。ドック1名分、主治医意見書。講演準備開始、資料検討他、5:20病院着。重症患者若干良いか?安堵。8:00管理会議.9:00-12:30 外来、混雑せず。病棟患者治療処置など。机上業務。16:30予定の長副会議、院長別会議出席のため延期。坐位にて多少微睡む。机上の懸案事項の処理進む。20:30帰宅21:00就眠。

幼児虐待 ヒトには他人の目が必要
 最近、若い両親から虐待を受けている子供が随分増えているとのこと。家庭内の虐待や折檻は外に知られることは少なく、実態は良く知られていないらしい。事態を疑う様な情報がある場合でも、教師や他人、近所の住民にとってなかなか踏み込めないものであるし、首尾良く親と面会は出来ても、「躾の範囲」と言われればそれ以上の対応は一般に困難である。実際にそうであろうと思う。
 最近は虐待ばかりか、若い両親に殺害される子供の事件が頻発している。呆れた世相であるとは思うが、基本的に人間のもともと持っている弱さが表現されているのだろうと思う。ヒトは周囲から見られているという感覚が行動を規制している部分は大きい。今は核家族、近隣とのつき合いも乏しく子供の養育は密室で行われていると言っていい。他人ばかりか、血縁縁者の目さえも届かない環境である。

 ヒトはヒトとの間で学びとり、その中から自らの行動の規制を学び取る。ヒトとの関係で、特に生老病死を通じてそこでヒトとしての資質が育成されていく。そこで育まれるのが倫理観なのだと思う。親自身も子供の養育を通じて子供から学び取るものは大きいはずなのに、子育ての苦労を学びの機会ととらえられないのだろう。

 親から虐待されている子供達の気持に想いをはせると耐え難い心境になる。
 私にはその様な厳しい経験はないが、親から受けた小さな傷は心には残っている。私の母親は大正12年生まれでとても古い考えのヒトで、まず子供を誉める事が下手な人であった。特に勉強に関してはそうで、そうできの悪くなかった私であっても、それほど誉められたことがなかったような気がする。小学校のときの通知表を誉めてもらえると思い喜び勇んで家に帰リ母親に見せると「なんね。4があるじゃない」と思わぬ答え。ガックリ来た。虚弱児の私が体育で5なんてとれる分けないじゃないか!!!   一事が万事こうで、自分の産んだ子であるのにもう少しやさしく誉めても良いじゃないか・・と思ったものである。ただ私に救いがあったのは幼少の頃は同居人も多く、みんなのやさしい目があったから。
 ただ、今から考えると母親も子供を誉めたくてもうまく表現出来なかったのではないか?実際には十分に誉めていたのだ・・・そう後になって思ったのは、自分も子供達から誉めることができない親だと批評されるからである。私は十分に誉めて来たつもりなのに。
 そう言う不器用な母であったが、私は母が好きだった。母親が私に対して十二分に愛情を持っていることを微塵も疑ったことは無かったように思う。それが子供の自然の気持なのだ、と思う。虐待されている子供の気持ちも、親に対しては何ら変わることはないだろうと思うと、実に悲しい。これに匹敵する悲劇はあるのだろうか、とさえ思う。


3/7(日)晴天 寒気やや緩むも夕方から再度寒波
 1:00起床、新聞チェック,ドック総括x2,紹介状など種々.徒然記載.本日は講演の準備等は数編分あるが、対外的予定無くゆっくり過ごす。9:00過ぎよりVnなど、10:30ー14:00病院にて回診、残務処理、帰宅。再度Vn練習。16:00-18:30来客、Vn練習等アンサンブルも楽しむ。19:30外食「ル・シャトレ」に、20:00帰宅、20:30就眠。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(32)
スパゲッティ・ミートソース余話
 スパゲッティ・ミートソースなるものを初めて食べて驚いたが、この時のエピソードを機会に食事を始めとして生活自体に対する考えがより広い方向に変わっていった。今から見れば当時の私は視野が著しく狭かったと言うべきだろう。
 そのルーツは経済的には若干恵まれてはいたものの、岩手の田舎の、極めて保守的な家に育ったこと、祖父母が生存中は二人の考え方、価値観で家の全てが切り盛りされていたこと、祖父は蓄音機やSPレコード蒐集、戦後米国製のオートバイのインディアンを購入するなど新しもの好きな一方で、食生活に関しては実に質素であったこと、実際に家事炊事をしていた母も超保守的人間であったことがそのルーツかも知れない。
 小学校5年のとき我が家にもTVが入りいろいろなことを知ることが出来るようになったが、当時は世の中の種々の事象、事件、文化などすべてが自分達の生活に関係のない遠い世界の物事の様にしかとらえることが出来なかった様に思う。我が家にとって知識としては若干入ってきたものの、生活上の変化は殆ど無きに等しかった。

 結果的にはミートソースを食べてみたことは私にとっては発想を変える良い機会になった。「あら、こんなモノ私でも作れるワヨ」と言ったF嬢と数年後に家庭を持つ事になるが、そんなことになろうとはその後数年、卒業間近までは考えもしなかった。しかし、あの日のことを今でも鮮明に覚えているところを見れば、あの時、彼女自身にも何らかのインパクトを受けていたのかもしれない。確かにその後卒業までの間に何度か手料理をご馳走してもらいその度に腕前に感心したが、家庭を持ってからは彼女の料理を食べる機会はあまりない。要するに、当時、私は食品に対して無知だったし、寮の食事で常に腹が減っていた状況にあったので、結果的に餌で釣られてしまった、と言うことになろう。250円のミートソース様・・・と言うべきか・・・。人生は良くワカランものだ。

 だから、子供達3人が進学のために親元を離れていく際には、私自身の経験を元に、少なくとも食品で大きなショックを受けない様に、餌で釣られないように、それなりの生活費を送ったが、振り返ってみればもう時代も違うのだ、少なくとも私と同じ轍を踏むことは考える必要もなかったのだ。反省反省!! 子供達も自分の誕生のルーツが250円のミートソースであったと知って何と思うかな??でもそんなものだよ人生は。私の人生観、結論は「人生は、人生は、良うワカランものだよ、ホント」だね。明日のことなんてワカラン、だから楽しいのだ。


3/6(土)曇天   中通病院友の会理事・協力者合同会議+懇親会 ,県医師会第125回定例代議員会+懇親会
 2:00家内帰宅と同時に起床、ドック総括x1、紹介状、退院総括、徒然日記。今後の講演の画像処理.家内就眠と同時に出勤、5:10病院着、道路の表示板では氷点下6℃と厳しい寒さ。回診,紹介状など。10:00友の会理事協力者の会,病院側と友の会側から互いに要望を出し合って協議した。懇親会13;30迄.その後病院にて業務。15;30-17;00県医師会第125回定例代議員会+懇親会。今回は選挙があり、今後2年間今まで同様に常任理事、日医代議員を務めることとなった。比較的円滑に議事が進行して安堵。19;20Taxi帰宅,20;00就眠.

企業の危機管理(2) 医療機関の説明責任 
 医療機関における診療、検査、治療などの医療行為は、受診申し込みとそれを受けた時点で患者-医療機関の間で法的に診療契約が結ばれ、それに則って行われる。だから、両者の関係があくまでも基本であることは論を待たない。しかし、医療機関は受診に訪れた患者さんに対してだけでなく、地域や社会に対しても安全な医療を提供するという義務、責任を負っているのだから、もともと医療機関は情報公開はすべきなのだと思う。例えば、私は医師会活動や日常の病身連携を介しての情報がかなり入ってくるからあまり不便を感じていないが、一般の診療所の医師の方々、ましてや患者さん達はその医療機関にどんなキャリアを持つ医師が居るのか、殆ど情報がないに等しいだろう。だから、医師の名簿のみならず専門分野、キャリアなどを院内にきちんと表示することは最小限の義務だろうし、一歩進めて医療機関のホームページ上での公開も必要だと思う。病診連携でも患者の病院選びのためにも有用になるはずである。この点はまだ医療界は保守的すぎる。勿論、公開には一定の基準は作るべきではあるが。

 医療機関は社会的責任を負っているのだから、不測の事態が生じた際には、患者との関係にとどまらず、社会に対しても説明責任があることになる。私も実はこの点では最近まで考え違いをしていた。患者本人や家族、関係者に十二分に礼を尽くして説明し納得了解さえ得ていればそれで良いのではないか、診療契約のなかでは解決しているのだから、何もマスコミの取材陣の前で頭を下げる必要など無い!!、と考えていた。しかし、先日、日医で行われた田中正博氏の「医療機関の危機クライシス」に関する講演を聴講してから考えが一気に変わってしまった。

 要するに、あの厭な雰囲気の記者会見は、医療機関が社会的責任を果たす場であり、院長クラスが社会に対して説明責任を果たすための場なのだ。 そう考えたら、肩の荷がスッと軽くなったように思う。
 一般の方々はマスコミ報道を通じて状況を知り、判断するので記者会見は情報提供の重要な場だということとなる。 だから、不幸にも不測の事態が生じたら、経営陣は迅速に意思決定し、組織のトップが全面に出て説明するのは当然と言うことになる。
 これからは医療機関の対マスコミ対策は院長クラスの重要な業務の一つに位置づけられて行くであろう。


3/5(金)曇り 寒波 県医師会打ち合わせ(欠) 第50回秋田県感染症研究会「SARSの臨床」(欠)
1:20起床、ドック総括1名分他、5:20病院着、夜間積雪数cm、底冷えし道路はよく滑る。回診他、各種書類処理に集中。10:30-12:45新患補助外来。13:45ドック診察5名.再度書類書き、講演準備他に集中、県医師会打ち合わせも取りやめた。18:30感染症研究会に出席予定も中止して机上業務遂行。20:40帰宅、21:10就眠.床上に大量に並べられていた未処理書類・カルテがかなり減って部屋が広くなった。尻に褥創が出来そうな一日を過ごした。

企業の危機管理の甘さが目立つ(1)  拙かった養鶏業者の対応
 企業の危機管理の甘さを露呈する事件や不祥事が相次いでいる。京都の養鶏場のトリインフルエンザ関連の対応も実に拙い。危機に陥った時、企業はどう対応すべきか、トップの役割はどうあるべきなのだろうか。トップにいる人たちはあらかじめ対応の基本を決めておかなければならない。
 企業のみならず医療機関の信頼を大きく左右するのは、危機そのものではなく、危機が生じた時、どう対応・対処したかによって決まってくる。どの様な企業体においても、医療機関においても、危機は何時でも生じうることであると言う前提に立つべきである。

 危機の原因の大部分を占めるヒューマンファクターは最小限にする必要があり、そのための努力は怠ってはならないが、それでもゼロにはなり得ない。むしろ、それまで危機が生じていなかった場合ほど潜在的な危険性は増していると言っていい。どうしても油断につながる。それが人間というものなのだという前提が必要。特に今回のトリインフルエンザウイルスの場合にはウイルスが野鳥と共に空から運ばれている可能性もあり、農場側の責任はゼロではないが小さいはずである。しかも、この様な場合の鶏の処分には市価の3/4の保証まで付いているという。しかし、危機管理上の穴はトップの判断ミスで大きく拡げられてしまった。

 危機が生じた際に、その対応を誤れば企業、医療機関の存続にもかかわってくる。特に不特定多数の消費者が被害者、亜被害者となりうる食品業界の場合には、その影響はとてつもなく大きくなる。被害に遭う可能性のない消費者にすら大きな影響を及ぼす。すなわち、各企業体は同じ業界に対しても、一般社会に対しても大きな責任、すなわち、社会的責任というものを負っているのだ。雪印乳業がその最たるものであったと言えるし、今回の養鶏業者の姿勢も基本的には同一である。食品に関しては国産品はより安全なのだという、別に事実に乗っ取ったわけではない、漫然とした安心感を私は抱いていたが、やはりブルータス、お前もか・・と言うことを露呈された。

 医療機関の場合の危機は、これらの企業体とは些か異なるものの基本の部分では大きくは異なっていないことを関係者は認識する必要がある。


3/4(木)曇り、寒波 医局MC(欠)、総合内科病棟診療部会(欠) 秋田県保険対策協議会成人保健部会
2:00起床。ドックx1。メール対応、退院時総括、徒然など記述。5:20病院着。積雪5cmほど。誰もまだ通らない新雪を踏みしめて通るのはいい気分だ。回診他、9:00-13:30外来。医局カンファと総合内科病棟診療部会は物理的に出席不可。16:00-17:50秋田県保険対策協議会成人保健部会、みずほ苑、主に検診部門の討論。19:15回診。22:00帰宅。21:30就寝.

下火になったインフルエンザ。トリインフルエンザとSARS対策で緊張は続く 
 ここ1ヶ月半ほど猛威をふるったインフルエンザは秋田を含めて全国的には下火になりつつある。今年は疫学的調査に参加している医療機関からの報告数は、猛威であった平成11年に匹敵する発症数が記録されている(資料は県健康対策課提供)が、比較的静かに推移し、学級閉鎖のニュースも少なかった。

 今シーズンは、SARS対策の一環としてワクチンの生産・供給量や検査キット、治療薬も約1500万人分と十分に用意され十分情報伝達されたために、安心て流行期を迎えられたと言うこともあろう。さらに昨秋以降、中国のSARSの散発、米国のBSE問題、更に、トリインフルエンザ問題がマスコミを賑わしておりニュース性が相対的に低くなったこととも関連するかも知れない。

 昨年の今頃は診断キットも治療薬も不足して、外来でいろいろトラブルを生じたことが思い出される。出来るだけ検査しないで済ませよう、治療薬も本当に必要そうな、より重症な方にだけ処方しようと配慮したが、患者さん方の要求とのずれがあって喧嘩沙汰になりそうなやり取りすら生じたものであった。今年はゆったりと診療できた。

 ただ、今年の特徴の一つはワクチン接種をした方も結構罹患したと言うこと。私が診ている療養病棟の高齢者も数人罹患したがその内の半数はワクチン接種をしていた方である。印象としては矢張り軽く経過したように思うのでワクチンの効果は十分ではなかったが一定の効果はあったのであろう。今年のワクチンのウイルス株と実際に流行した株との関連については何れ発表になるが多少のずれはあるのかも知れない。

 最近B型インフルエンザの発症が県内で確認された。もう爆発的な発症にはならないであろうが、今後もしばらくじわじわと続くと予想される。トリインフルエンザの問題はまだまだ続くであろうがヒト-ヒト間の感染は無いことが救いである。養鶏業者、行政関係者達の心境はいかばかりかと思う。京都の養鶏業者の対応姿勢は良くない。これは責められてしかるべきだ。

 明日は啓蟄である。春めいてきたところに雪が舞っているが、SARS対策に関連している私どもは、さすがに昨年とは違うけれども、まだまだ油断は出来ない、緊張感の中で日々を送っている。


3/3(水)曇り雪 寒波  県医師会常任理事会 
 2:00起床、ドック1名分そのほかいつもの如く処理.時間が足りない。5:20病院着.降雪数cm。回診他、9:00-14:00外来後半混雑。友の会関連処理、医師会分残務。17:30-20:00県医師会常任理事会+委員会+書類チェックと打ち合わせなど諸々.20:40帰宅.21:10就眠。

第9回M-M(Medical Management Meeting) 研究会(3)企業のメセナ活動について思う
 今回の講演会はT薬品の主催である。旅費、宿泊費まで負担していただいた。会社ではかなりの出費を余儀なくされたはずだ。しかもこの会で自社製品の宣伝的意味合いはゼロではなかったが極めて小さなものであった。この場合、ゼロであること自体、社会的には容認されることではない、だから私の感覚からは絶妙なコントロールであったと評価したい。

 私は今まで企業の主催するこの種の講演会を忌避してきた理由はそこにある。わざわざ時間をかけて出かけていっても企業色の濃厚な企画を聴講することを押しつけられ、かつ、講演等の演者すら内容的に宣伝まがいの偏った講演をすることが多いからで、聴くに堪えないものが少なくない。

 T薬品は何の目的でこの様な講演会を主催しているのか?もう9回目にもなるというこの会は、恐らくは直接的、経済的効果は殆ど無いと思う。だからこそ何のためか??企業のイメージアップなのか??。内容的に満足できたために、逆に私の中ではまだ理解し得ていない部分として残ってしまっている。

 今回、大阪からの帰路、私は企業による芸術振興活動・援助活動すなわちメセナ活動、言い換えれば「利益の社会還元」活動、について想いをはせてしまった。
 
 企業メセナは、特に1990年以降、企業の広報・宣伝や社会貢献、なおかつイメージアップのために存在したように思われるが、この10年間、やはり大きく変貌した。かつては企業が後援した展覧会、講演会、オーケストラや室内楽、時にオペラの演奏会すら存在し、そのお陰で私も安い価格で良い演奏会を何度か楽しませて戴いた。その様な会は、最近は一切無くなった。何故か?、それは、企業自体と、文化芸術の動きの双方に変化が生じたためと考えられる。企業にかかわる変化は当然長引く不況であり、メセナ活動を中止あるいは縮小した企業は決して少なくはない。こんな状態ではたとえ続けようと企業の上層部が考えたとしても総会とかで問題にされる可能性がある。一方、寄付を受ける側の芸術文化の側にも問題はなかったのであろうか。単なる経済的バックアップだけの範囲でしかとらえていなかったのではないか??。はたして企業とタイアップして新しい文化振興のための基盤を十分に根付かせる努力をしたのだろうか??私は疑問だと思う。それが欠けていたことが、現在の急速な衰退につながったのではなかろうか。根ざしたものになっていれば代替の方法だって出てくるはずである。この不況は芸術文化とは何か、についての関心 さえも呼び覚ます。

 今、薬品業界も厳しい状況にある。企業再編・合併も盛んで新しく会社名を覚えるだけでも大変である。そんな中、この様な企画を提供してくれたT薬品の今後についても興味を覚えた次第である。


3/2(火)寒波襲来 降雪 県医師会打ち合わせ(欠) 県保健対策部会感染症部会+SARS専門委員会  医局会(欠)
1:30起床,ドックx2。紹介状返事、レセプト3枚.家内はICU当直で不在、早めに出勤、5:05病院着、回診他、午前外来+ドック説明2名で9:00-14:00終了、急ぎ県庁に。14:30-16:30SARS専門部会、議長をつとめる。主にSARS対応マニュアル。シミュレーションで判明した問題点を反映させた。引き続き16:30-19:00県保健対策部会感染症部会。トリインフ、SARS、インフの他秋田県感染諸対策マニュアルの改訂版について検討。長丁場の会で疲弊した。県医師会打ち合わせ、医局会は物理的に出席不可。20:30帰宅、積雪5-6cmでスリッパでは冷たい。まだ天候甘くはないね。21;00就寝。

恐怖感を感じた、新横浜駅通過の超特急「のぞみ」
 先月中旬病棟スタッフの結婚式で横浜に行った帰り、帰秋のこまちに乗るために新横浜から新幹線で東京駅に移動したが、ホームで待つ間に上下線各1本の「のぞみ」が通過した。すさまじい轟音と共に1本の列車の通過はホントに一瞬の出来事である。恐らく250Kmほどは出ていると予想される速さ。私は恐怖感を感じてしまった。
 最近長女から、3月の友人との九州旅行が空路なので恐い恐いと言うメールが入る。彼女は徹底して飛行機嫌いなようで、新幹線で行きたいらしい。私はその気持ちは良く解る。心理構造がよく似ているのであろう。
 私は超高層ビル、大型建造物、飛行機、新幹線、高速道路、高機能の自動車・・・・などなど、人の英知によって作られ運用されている大型、高機能のシステムは潜在的に恐い。いやそれだけでなく、東京、大阪等の大都市自体にも言いようのない恐怖感を覚える。

 潜在的に巨大なシステムは恐いが、別に私がその何かの事故やトラブルに巻き込まれて死ぬこと自体を恐れているのではない。ただ漫然と怖い、要するに不安症なのだ。多分、各方面の専門家は安全設計、安全計数などからむしろ安心なんだろうが、私はそんなことを知らない。だから、出来るだけ近づかないのが原則だが、そんなことは言っていられないから割り切って利用するしかない。先日の大阪のホテルは20階だったが怖かったね。
 
 20数年前に羽越線遊佐駅で私が乗った特急列車が脱線し駅のホームに激突したことがあったが、数10Km程度とそう速く走行しているわけでもなかったのに座席から放り出されるほどのすごい衝撃であった。その時のことを合わせて考えてみた場合、新幹線の場合には大変なことになると思う。想像すら出来ない。現実には滅多にないことなのだろうが、車輪にトラブルは生じないのだろうか、地震の場合にはどうなるんだ??と考えればきりがない。新幹線だってシートベルトが必要でないか??

 私は新幹線の方が飛行機より安全とは感じられない。だから、娘には、車以外なら、何だって同じさ・・と返事しておく。車は、いつも言ってるように、私にとっては最も信用できない乗り物なのだよ。


3/1(月)曇り 管理会議 長副会議 県健康対策課来訪
1:00起床。ドック、日医委員会関連。5:10病院着。回診他、8:00管理会議、珍しく話題少ない.9:00-13:00外来。紹介状他院内業務処理。16:30-18:00長副会議。18:00-18:30明日の会議打合せに県健康対策課担当者来訪。主たる対策がSARSからニワトリ問題に移った感じ。新入院患者不調にて対応。20:30帰宅.21:00就眠。

私的病院はただ日常的に医療をやっているだけでは駄目だ!!   
第9回M-M(Medical Management Meeting) 研究会(2)
 司会を務められた紀伊國献三(きいくにけんぞう)氏について、一見70歳はゆうに超えているようにお見受けし、私は大変失礼なファーストインプレッションを抱いてしまったが、討論では見事な司会ぶりをなされて感嘆した。ちょっと反省したので、若干検索してみたところ、現在笹川記念保健協力財団理事長で東京女子医大の客員教授。国際医療福祉大学医療福祉学部医療経営管理学科教授でもあった方。現在はリタイアされたのではないかと思われるが「病院管理学」がご専門とのこと。何冊かの著作や対談集もあるようで、興味を覚えてしまった、と言うのが実感。

 基調講演の厚労省栄畑氏は大きく分けて「わが国の医療の現状と評価について」「医療を取り巻く社会経済環境の変化」「医療供給体制の改革の方向」「厚労省の医療改革のビジョンについて」について話題提供した。内容を一言で言えば、特に病院は今後経営が更に厳しくなっていく。一方では医師の資質の向上、安全対策、患者への情報提供の促進、IT化の推進等が求められていくが、これについての財源は基本的には国に期待してはならず設立母胎ごとの自助努力でしかない、と言うことに尽きる。
 特に私的病院にとっては、暖かな医療の提供が第一であることは論を待たないが、反面、クールな判断力が必要で、そのクールさを患者に感じさせないと様なサービス供給システムを兼ね備えていかなければならないだろうと感じ入った次第。

 二つの病院の院長の話はただただ驚嘆するのみ。それもそのはず、経営姿勢として、その実績の面からも全国的に注目を浴びている代表的病院だから当然である。姿勢は勉強になったが私どもの病院ではそう簡単には取り入れられない高度な内容が多かった。遠い世界の医療機関のようにも感じられたが、グッと親しみを感じられたのは「医局を動かすことが一番大変です・・」とお二人の院長がひっそりと心情を吐露した場面。何処の病院もこの点だけは共通しているようだ。安心して良いのか悪いのかは別にして・・・。
 200床以下の医療機関のあり方については、お二人とも今後更に厳しくなっていく。売りになる特徴を徹底して発揮出来るか否かがキーポイント。それが出来ないなら療養化しかないだろうと討論のなかで強調していたのが印象に残った。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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