徒然日記
2023年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



5/31(水) 曇りのち晴れ 午後リハ病院
1:30起床。いつもの如く。徒然など。文献など。8:20園芸中心。ダリア本植え終了。畑に支柱たて、キウリの枝固定。9:40DIY サンデー、トマト・サトイモ補充、新たにさつまいも苗購入。除草剤散布。13:00バス中通リハ病院、新聞チェック、文献読み、14:30カンファ、15:30家族面談。19:30帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8035歩。

ラジオ・TV番組『NHKのど自慢』(2) リニューアルで失ったものも多い
(3)司会は二人体制に 鐘は地域の音楽家に
 2013年から司会を担当していた小田切アナから、廣瀬智美アナと二宮直輝アナが隔週で担当するようになった。77年の歴史という超長寿番組で、2人体制も初めてなら、女性アナが司会を担当するのも初めて。

 小田切アナはエンターテインメント部門を得意とするアナウンサーとして高く評価されているが、今後は“後進の育成”も期待されているという。
 小田切アナはCOVID-19に罹患もなく、10年間一度も休むことなく出演したという。司会者は各地の特徴を理解し番組で紹介するために週の後半は早めに開催地に入り、その地を番組で紹介する役目もあった。考えてみれば非人間的なスケジュールである。

 その意味では、2人体制なら、どちらかに不測の事態が発生しても、もう1人が出演することができるし、週の後半の出張も隔週ならよりストレスが少ないだろう。

 生番組だから司会に大きく委ねられるのは時間配分。
 そのほかにも生ならではの小さなパプニングが起こるのも面白い。
 中には鐘に気が付かず歌い続ける高齢者も稀にいるし、出場者の中には過緊張で本来より遥かに遅いテンポで歌うことも稀でなかったが、バックバンドが必死に歌についていくのも面白かった。こうしたバックバンドの粋な計らい、司会者の絶妙な計らいも今後は見られなくなってしまう。

 同様のことは鐘担当の秋山氏にも言えること。
 秋山氏は21年間番組に出演し、トレードマークの笑顔で番組の顔のひとつとなっていた。氏はこの間週末には家を空けてきた、ということになる。これも大変なことであった。やっと解放された。ご苦労様と伝いたい。
 鐘は4月以降は各地のオーケストラの打楽器奏者が担当している。

(4)そのほか 変更点
 NHKにとっても視聴者が登場する大切な長寿番組である。
 視聴率は低迷傾向にあったが、出場希望者は減少傾向がない。毎回1000人以上の応募があるという。

 ?番組のロゴも視認性を高めるものに変更。
 ?テロップのフォントも変更。
 ?出演者は舞台上に座り、順番が来ると中央の入場口から登場するように変更。
 ?舞台の背景が派手派手の色調に変わった。そのために出場者の服装の色調と競合する時もある。私は背景は単純なものがいいと思う。
 ?などなど・・・・

 ラジオ・TVの視聴者参加番組『NHKのど自慢』は今後も続いて行って欲しいものだ。



5/30(火)曇りのち晴れ 外来
1:30起床。いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出準備のみ。8:20家内に同乗リハ病院。8:40-12:25中通病院外来。13:00中通リハ病院、微睡、読書、新聞、文献読み、新入院あり対応。19:00通町書店経由帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計7135歩。

ラジオ・TV番組『NHKのど自慢』(1) 久々リニューアル 伴奏がカラオケになった
 私はTVを好まずラジオ派である。
 TV番組の中では19:00からのNHKニュースは必ず見るようにしている。帰宅が遅くなり間に合わなかった場合には録画で見る。次に視聴の機会が多いのは日曜昼の『NHKのど自慢』で、通常は新聞記事の切り抜き作業をしながらみていた。

 2023年4月2日の放送分から『NHKのど自慢』が大幅に刷新され驚いた。
 舞台配置はやや複雑に、バックの壁紙模様はとても派手になった。司会はアナウンサー2人が交代制となり、テーマソングは葉加瀬太郎が演奏、伴奏はカラオケとなり、鐘は地元オーケストラの打楽器奏者が行なうことになった。

 「のど自慢」の放送開始は1946(昭和21)年。驚くべき長寿番組である。私は子供の時から主にラジオでこの番組に親しんできた。

 この番組は時代に合わせてリニューアルしてきた。1970年からは伴奏がアコーディオンとピアノからギター、ベース、ドラム、ピアノ、シンセサイザーのバンドに変わるなどいい意味で充実した。

 しかしながら、今回の改変は愛好者の私からみても残念な点が多い。でも最終的には時代柄か?と思わざるを得ない。

 放送開始から77年が経ち、視聴率も徐々に下落傾向にあった。COVID-19の影響で2020年3月から何度も放送が中止となり、様々な問題点が浮上してきたことで刷新の機運が高まったらしい。

 今後20年、30年を見据え、持続可能な番組にするためには細かな手直しを常に行う必要があったことは確かである。リニューアルの少ない業界が滅びるのは歴史の鉄則でもある。まさに「のど自慢」がつづいていくために変わり続けていく必要があることは確かである。

 (1)出場者応募を往復ハガキからWEBでも可能とした。

(2)伴奏がカラオケ音源に変更になった。
 これはとても大きい改変である。
 生演奏のバンドを従えて歌うのだから、その満足感はカラオケ伴奏とはひと味違うことは言うまでもない。歌唱の主役は出場者であり、伴奏者はその個性に合わせて必死に伴奏をつけていた。まさに特別な瞬間が醸し出されていた。これがのど自慢の醍醐味であった。

 しかし、時代とともに伴奏の問題、伴奏者の問題が浮上した。
 現代のヒット曲の多くは、シンセサイザーに入力した音源を自動演奏させる“打ち込み”式が主流となっている。このような楽曲に生バンドが対応することは意外と困難という。
 出場希望者は毎回1.000人ほどの応募がある。その中から200組が厳選される。伴奏者は放送前日の土曜日に開かれる予選会で200組の歌を伴奏しなければならない。これに対応できるメンバーの人材不足も明らかとなってきた。
 伴奏メンバーは地域毎に数バンド確保されていて出番は数週間に一度というが、伴奏者を探すのがとても困難になってきている、という。

 そんな事情で伴奏がバンドからカラオケ音源に変わったということらしい。
 やむを得ないだろう。



5/29(月)降雨午後晴れ 健康クリニック 
1:30起床。本読み、文献チェック。データ整理。8:40家内に同乗リハ病院、9:00-11:50 健康クリニックドック11名+結果判定13名。12:00リハ病院、昼食、微睡、読書など。入院患者対応。19:10帰宅・夕食、20:30就眠。Σ5140歩。

ラジオ番組『Panasonic Melodious Library』 15年9ヶ月で終了
 私はTVを好まずラジオ派である。その中でも聴くのはNHKラジオで、民間の番組はこの番組一つだけであった。

 『Panasonic Melodious Library』は、小川洋子氏が中心となって2007年7月1日から2023年3月26日までTOKYO FMをキーステーションとして全国38局ネットで放送された。秋田ではFM秋田で聴くことができた。

 私は当初は番組の存在を知らず、自動録音で全番組をMP3で記録し始めたのは2012年からである。番組で年間50冊ほどが紹介されるから、500冊分ほど録音されていて私にとって貴重な資料となっている。私はそれをiPhoneに移し通勤時などに番組を聞いている。

 何故終了するのかは分からないが、番組の愛好者としてはとても残念に思う。 
 しかし、考えてみるとよく15年近くもつづいたことの方が驚異的である。この番組が元になって書かれた小川洋子著「心に響き合う読書案内(PHP文庫)」の序文によると、氏はこの企画が提示された時は尻込みした、という。
 確かに一週も欠かさずに作品を読み返し、放送原稿を作り、録音する作業は現役の作家には過酷であろう。氏は一回も欠かさず出演したほか、この間も数々の作品を発表し、芥川賞などの審査員、評論活動もこなしている。

 番組で取り上げた作品は、内外の作品、古典も現代作家も、恋愛小説も絵本も分け隔てない。その中に共通しているのは、「文学遺産として長く読み継がれてゆく本」、という一点のみだった、という。

 小川氏と、進行役の藤丸氏の会話は、雰囲気がとてもいい。小難しい話は一切出てこない。 最初から最後まで、本についての楽しい話が展開する。小川氏が醸し出すソフトな空気感のなせるわざは大きい。

 「メロディアス」という名を冠しているから途中でその作品やシーンにつながる音楽も楽しむことができる。番組中の楽曲は小川氏が毎週3曲選んでいるという。

 最終回の2023年3月26日の放送は第一回に放送された夏目漱石の「こころ」をもう一度紹介し、番組の最後を締めくくった。

 この番組により、 私が得た最も大きな収穫は、既読本を再読する機会を得たことである。本は再読してこそ価値が一層深まる。古い作品も年齢を重ねた私に、また新たな魅力を見せてくれる。またこの番組を聞いてから求めた書籍も少なくない。

 名作は生き続ける。しかも、人間よりもずっと我慢強く紐解かれるのを待ち続ける存在である。

 15年も頑張ってきた作家小川氏の労苦を讃えたい、と思う。


5/28(日)早朝から降雨
1:30起床、本読み、文献チェックなどトロトロ進める。4:30-5:30再度寝込む。座学中心。新聞チェック、のど自慢楽しむ。14:00家内に同乗リハ病院、新聞入力、微睡若干、18:40帰宅。19:00夕食、20:00就寝。Σ3994歩。

G7広島サミット(4) 中露の反応 チャットGPTで添削してみては??
 広島で開催されたG7サミットでは、ウクライナ情勢や核軍縮など世界の安全に関わる問題、気候変動や人工知能(チャットGPTなど)、国際保健やジェンダーといった人々の生活に直接影響する分野まで、実に多くの議題が俎上にのぼった。

 深刻なのは、G7が大国ロシアが始めた違法な戦争を、止める有効な手立てをとれない国際社会の現実である。
 頼みの国連安全保障理事会は、常任理事国ロシアの拒否権で機能不全に陥っている。新興国も加わるG20もロシアの反対で一致した方向性を示せない。

 だからこそ、自由や民主主義などの価値観を共有するG7の責務は重い。
 ロシアの違法な侵攻が続く限り「ウクライナを支援する」と首脳声明で言明したのはそれでも意義は大きい。

 今回、世界が新たな試練に直面したことが表面化した。
 かつて世界の6割を占めたG7の国内総生産(GDP)は今は4割となり、影響力の低下は覆い隠せない。G7だけで解決策を見いだすには、もはや限界がある。
 このため広島サミットでは、「グローバルサウス」と呼ばれる新興国や途上国との関係づくりに力点が置かれた。多様な国々のリーダーを招待し、サミット期間のほぼ半分を彼らを交えた議論に割いた。彼らの声に真摯に耳を傾け、G7が利害を超えて共通課題に本気で取り組む姿勢が必要となった。

 ロシアが核の脅しを繰り返し、核戦争が現実味をもっているこの時期に広島でサミットを開いた意味は大きかった。
 だが、「核なき世界」の理想に向けて現実を近づける具体的な筋道は提示できなかった。首脳声明では核抑止の動きが正当化されただけであった。

 戦争終結への具体的道筋など、大局に立った議論がなかったらしい。
 今回のG7サミットのもう一つの主役は中国だった。
 東・南シナ海や台湾をめぐる情勢、人権問題から、資源を武器に他国に圧力をかける経済的威圧まで、首脳声明の多くが中国への懸念表明に割かれた。
 しかしながら、今回は対抗一辺倒ではなく、「建設的、安定的な関係の構築」が首脳声明に盛り込まれ、気候変動など共通の関心分野で中国との協働がうたわれたのはいい傾向である。中国も国際秩序を共に構築する責任を自覚する必要がある。

 上記の如く、もはやG7だけで世界的課題が解決できないことは明らかである。

 G7サミット終了後、中露はそれぞれ声明を発表した。
 中国のそれは内政干渉だとして議長国である我が国を非難する内容が含まれていた。
 一般的にみて、自由主義国家と先制主義国家間で諸国間で飛び交う外交文書には、小学生でもわかるような屁理屈をあげて一方的に異を唱えるものが多い。今回も同様であった。小学生に添削してもらうのは流石に許し難いであろうが、今話題になっているチャットGPTに添削してもらってみてはどうだろうか。
 世界の平和に寄与するような見事な文章が出来上がる、と思われるのだが・・・。
 


5/27(土)曇りのち超快晴
2:00起床、ラジオ聴きつつネコ対応、再度寝込む。文献検索整理などトロトロ進める。
9:00外仕事開始、チェーンソー準備、中型のカエデの幹移動と切断、ダリア本植え三本。昼軽食とりつつ新聞チェック。読書、微睡など。DIY店にて培養土、サトイモ苗購入。畑としては元気のないトマト二本に支柱たて、サトイモ地植え、散水。16:00以降は身体休め、読書三昧、微睡。照ノ富士14日目に優勝。19:00家内帰宅で夕食、20:30就寝。歩数Σ7853。

G7広島サミット(3) グローバルサウス対策が重要

 いままさにG7が自らの足元の戦禍に苦悩している。昨年にはない緊張感が見られ、これも異例のことだ。

 昨年のG7ドイツで開催されたサミットでは議長を務めたショルツ首相は、「私たちは経済に関して分水嶺を経験している。物価高がドミノ状態にあって政策のかじ取りの難度は増している。COVID-19禍から回復途上た欧米の中央銀行は続々と政策金利を引き上げ、「G7ドイツサミットは利上首脳会議!!!」とまで言われた。

 G7ドイツサミットは対ロ制裁強化で足並みをそろえたが、ロシアも対抗し、エネルギーや穀物の価格高騰という副作用をもたらした。ニューヨーク原油先物相場も高止まりの他、3月国連食糧農業機関(FAO)が公表する世界食料価格指数も3月に過去最高を記録。 ウクライナからの穀物輸出が滞り、世界的な食料不足への懸念が話題の中心であった。今から見ると緊迫感が少ないG7サミットであったといえよう。
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 今回の広島サミットは発表された首脳声明は、ウクライナへの軍事面を含む支援の継続やロシアへの制裁強化などを約束した。「即時、完全かつ無条件の撤退」を求めるなかで、頻繁に言及されているのは「第三国」の存在である。
 声明はロシアに協力する国への懲罰を示唆する一方、戦争の余波で食糧難などに苦しむ国々との連帯を強調している。

 ここに、今回のG7が迫られたもう一つの課題が見える。「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国との関係づくりである。
 「グローバルサウス」とされる国々のうちでもロシアの侵略を国際法違反とみる国は多いが、G7が発動した制裁に加わるのは限定的で、今回の招待国インドやブラジルなども同様だ。紛争や貧困などにあえぐ国々の多くは、侵攻の善悪や自由に対する理念そっちのけに「G7 vs ロシア・中国」という対立軸に冷めた目を向けて静観しているか、強かに利を求めようとしている。

 G7はこれまでも途上国の重債務問題や開発支援などで関与をうたってきたが、ウクライナ戦争で学ぶべき教訓は、「法の支配による国際秩序を築くうえでも新興・途上国の協力が欠かせない」ことであろう。

 G7は今回の招待国との対話に謙虚に耳を傾けるべきだ。中ロを含む少数の大国が、世界を破滅させるほどの強大な核戦力を抱え、覇を競うことがいかに愚かなことか。
 核廃絶を求める広島の声は間違いなくサミットを通して世界に浸透した。
 これで終わりにせず、核廃絶に向け政治に何ができるか、いま一度考える時だ。



5/26(金) 日本海中部地震から40年 曇り    
2:10起床。文献、自炊データ整理、読む。5:00ゴミ出し一袋。7:40Taxi駅東に、8:11こまち。大曲駅病院は心機能保護のために往復Taxi。8:50大曲外来。長崎屋古書店訪問10冊以上購入、15:30中通リハ病院、病棟対応、18:00家内は患者を日赤に搬送。19:00Taxi帰宅、夕食、21:00就眠、Σ7231歩数。

G7広島サミット(2) 核兵器投下の犯罪性

 今回のG7広島サミットは最大の目標である民主主義の維持拡張の方向性を相対的に抑制しつつ、新興国の関心事である環境問題や食糧問題でグロりーバルサウスを巻き込み、新しい世界情勢の構築を目指すという方向を打ち出した。

 G7広島サミットにおいて、米国の存在感はいかにも希薄であった。バイデン大統領は議会での債務上限問題の難航のために出席が危ぶまれたが調整の上なんとか来日できた。しかし、広島でも会議に集中することができなかったらしい。

 米国にとって同盟・同志国を広げる外交はますます重要であるが、内政の混乱が米国の外交力に悪影響を及ぼすのは避けられない。
 その分の負担は議長国にかかった。日本の役割はかつてないほどに大きくなったが、岸田総理はうまくその役を果たしたかに見える。

 サミットはロシアの一層の孤立化を浮き彫りにする一方で、中国とは問題によっては話し合いの余地を残し、中国・ロシアの距離を離す方向で期待をにじませた。

 核の脅威が浮上している中、各国首脳とゼレンスキー大統領が広島に集結して討論し、原爆関係施設を訪問した意味は極めて大きい。岸田首相は開催地に広島を選んだことを含め、地の理を最大限活用して記憶に残るサミットを演出した。

 半世紀近い主要国サミットの歩みのなかで、今回ほど重大な使命が課せられた会合はないだろう。

 まず問われるのは、歴史の教訓を現在の世界にどう生かすかである。被爆地の証言を原点に、紛争を平和的に解決し、核戦争の破局を防がねばならない。

 各首脳らは広島平和記念資料館を訪れ、約40分間を過ごした。全員「神妙な表情」だったというが、何を思い、考えたのか。首脳らの肉声を聞きたい。
 各国首脳とも、この広島で見聞した惨状は決して過去のものとは言い切れない現実を直視できた、と思われ、意義はとても大きい。

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 ここで話題を変える。
 私は広島の記念館に3回、長崎のそれに2回訪問している。最初に訪問したのは20代後半の学会の時であった。前から日本の原爆被害については関心を持ってある程度は知っているつもりであったが、最初に広島の記念館を訪れた時は激しい衝撃を受け、それまでの無知を恥じた。
 以降、広島長崎の近くを訪れた際には足を伸ばし、記念館を訪れ、その度に衝撃を受けて来た。
 それ以降、なぜ日本が核兵器の標的になったのか?? など学び続けている。
 
 東京裁判ではその機会を奪われたが、日本の独立以降、経済的復興に酔いしれて無差別東京大空襲、原爆投下などの犯罪性を世に問わなかったことがその後の核問題に、現在の核問題にまでも影響している、と思っている。

 日本は原爆の被投下国としての主張だけではダメだったのだ。


5/25(木)快晴 
 2:00起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄、微睡も。8:00家内に同乗リハに。新聞チェック、病棟対応。読書。ひつは心臓リハに、千秋公園コイ。ナカイチ昼食。新聞チェックと入力。入院患者対応。紹介状用意。19:15帰宅夕食、20:30就眠、5784歩。

G7広島サミット(1) ついでに洞爺湖サミット会場の印象
 G7広島サミットは、2023年5月19日から21日に広島で開催された。参加国である仏米英独日伊加の7か国に加え欧州理事会議長と欧州委員会委員長も参加し、世界経済、地域情勢、様々な地球規模課題について意見を交わした。

 今回のG7広島サミットは、ウクライナのゼンスキー大統領の飛び入り参加もあって、大きな話題となり大きな余韻を残して終わった。参加した各国首脳の顔触れ、取り上げられた議題とタイミングの重要性、議長国日本の存在感からして、このサミットは日本の歴史上例を見ない国際会議になった、と評価できる。
 なお、1998年から2014年までは構成メンバーにロシアが含まれてG8サミットと呼ばれていたが、ロシアによるクリミア併合でロシアは参加資格を失った。

 ゼレンスキー大統領自身が広島に登場したことは大きかった。大統領がフランス政府専用機から地味な姿で単身で降りてきた。精悍な姿が印象的であった。氏は次々と外交を繰り広げ、外交力を実感させられた。

 議長国日本も長い下準備を重ね、持てる力を総動員した。成功裡に終わったサミットであったと言えよう。

 トランプ米大統領時代にはG7自体が分断の危機に陥ったが、広島サミットはG7を起点にして再起動を成し、外交の力で国際秩序づくりを目指す動きの始まったかのように見える。

 世界には大別して民主主義陣営と専制主義陣営、どちらにも属さないグローバルサウスと呼ばれる新興途上国がある。今回のサミットには主義主張よりは実利を強かに追求するグローバルサウスを代表するインドやブラジルなどの国々も招待され、ウクライナ問題以外の国際的課題についても意見交換を行った。

 これはグローバルサウスとの対話の積極的な推進者は議長国日本であった。サミット直前に岸田首相がアフリカ諸国を相次いで訪問したのもその一環である。日本政府の懸命の努力によってG7サミットはウクライナ問題一色になることなく討論は広範に及んだ。軍事的支援ができない日本らしい国際貢献であった。

 ゼレンスキー大統領がグローバルサウスの最初に会談したのがインドのモディ首相であった。インドは軍事面で伝統的にロシアとのつながりが深く、依然として大量の石油をロシアから輸入しているといわれているが、そんな中ゼレンスキー大統領があえてインド首相と会談したことは意味が小さくないだろう。

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 話題を変える。
 北海道洞爺湖で、2008年7月7日から9日の3日間、日本が議長国となってG8サミットが開催された。その時は福田康夫首相であった。環境、貧困、人権、アフリカの発展、軍縮、テロ対策などさまざまな議題が取り上げられた、とされたがよく覚えていない。

 私は2017年10月8日新潟大学の同級会で洞爺湖地方を訪問した。宿泊したホテルの近隣に洞爺湖サミット記念館があり見学した。館内には見学者が誰もおらず閑散としていた。既存の建物を改造して会場にしたと考えられ、意外と小規模な印象を受けた。館内には円卓があり、当時の出席者の写真によるパネル立像が添えてあったが、これも寂しい思いがした。

(洞爺湖町観光パンフから借用 G8のパネルがある建物全景と会議室)

 G8サミットの会場ならさぞや豪勢な・・と思っていたが肩透かしを喰らった感じであった。
 記念館の管理は洞爺湖町と思われるが、今となっては維持が負担になっていると思われた。


5/24(水)快晴 午後リハ病院勤務
 1:45起床。早朝文献読み、統一教会関連と座作業中心に。8:30ダリア本植え3本ほど。畑散水、庭のケヤキの幹を隅に寄せる、チェインソータイヤの下に挟まって出てこない。今日は諦め。10:50バス中通リハに、患者むかつきあり。発熱あり。薬品説明会;昼食、医局会、新聞チェック、病棟合同カンファ。評価会議。ゾンタにメール。入院患者対応。19:00帰宅、20:30就眠、Σ7339歩。

遊行期に生きる(11) 自身の死についての考察(9) 棺桶、葬式など

 (3)棺桶
 どうせ1-2日後には焼却するのだから贅沢品は不要。
 私の場合、あれば段ボール製ので良いが、調べた範囲では人間用のはないようだ。葬儀社のカタログでは3-100万円くらいのがあるようだが、私は一番安いベニヤ製のでいい。
 棺桶にはのぞき窓がついているが死んだ後の姿を見られるのは嫌。だから窓無しのを選ぶ。窓ありの場合は最初から開かないように固定してもらいたい。
 自分の棺桶を自作してはダメなのだろうか??持ち上げた時に変形しない丈夫さが必要であるが私の技術ならできないことはない。後で確認してみる。棺桶を自分の手で用意するなど格好いいじゃないか。

 (4)葬儀
 私は葬儀は不要と思っている。
 人の死は故人の立場によって社会的な死、親族内の死、家族内の死、個人の死などに分けられる。私の場合は個人の死に相当する。
 もはや葬儀は不要であるが、一応孫達への教育の機会にもなるから家族内の死ということにしておこう。
 だから、もし葬儀をするならば家族葬ということになる。

 その際、岩手の郷里にある菩提寺との関連はどう調整するのか?ご先祖からのお付き合いであるから、私の都合だけでことは進まない。

 秋田で家族葬を行う?郷里で行う?

 結論はまだ得ていないが私は後者がいい。
 今年の盆には3年ぶりの墓参ができそうである。この辺のことを今年は住職と話し合ってみようと思う。

 (5)墓石
 郷里には私が管理してきた代々の墓石がある。私の場合はこれでいいが、将来的には墓仕舞いすべきだろう。この問題については家内と次代に委ねる。

 (6)何よりも家族間の話し合いが必要
 私はかねてから葬式不要、と家内や子供達に話してはいたが誰も真剣に受け止めてはいない。しかし、昨年10月の消化管出血、今回の急性心不全はともにちょっと厳しい状況であったが、共に一週間で業務に復帰した。みんなピンときていないようだ。その後に判明した心臓の状況は決して安心できるものではない、と言うのに。

 いま、私は心臓に負荷をかけないように配慮してソロソロと生きている。一定以上の負荷(2.7METs以上)をかけることは主治医から固く禁止されている。

 退院後、畑仕事もそれなりにこなし、ダリアの球根の本植えも終了した。だから誰からもそんな状況と見られていない。焦っているのは自分だけのように見える。

 だから、今回は子供達には参考文献を提示して、その時を迎えても慌てないよう勉強しておくように指示した。
 やっと肩の荷を少し下ろしたような感じがする。


5/23(火)快晴 中通病院外来 
1:30起床。いつものごとし。5:00可燃ゴミ提出。8:20家内に同乗リハ病院着。8:45-12:30中通外来、やや疲弊。12:45リハ病院、微睡、入院患者対応。新聞チェック、入力、自炊、文献読み、読書など。19:00帰宅、夕食、21:00就眠、歩行計Σ7254歩。

遊行期に生きる(10) 自身の死についての考察(8) 葬儀社
 (1)葬儀社予約は済んでいる
 私は終活の一環として2018年5月に自分用に葬儀社を予約した。なんでこの時期に予約したのか?当時も体調が悪かったのか?思い当たらない。今となっては不明である。
 ただ、死亡直後から家族達が私的に、法的に進めなければならない手続きは少なくない。それらを全て家族で采配し処理していくのは困難だろうと思った。そのために当初の手続きを葬儀社に代行してもらおう、と思ったことは確か。

 現在、秋田には中央資本や、秋田のJAなどが運営する大手のセレモニーホールがかなりの数がある。その中では地味な印象の、秋田市に古くからある地元のH葬儀社とし、最も安い家族葬を予約した。その会員証は常に所持している。

 (参考) 家族死亡時の手続き一般的な流れ
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近親者への連絡 
死亡診断書取得 
遺体の搬送 
通夜葬儀の打ち合わせ

【市区町村役場へ届け出】
□ 死亡届(7日以内)・火葬埋葬許可証の申請(7日以内)
□ 国民健康保険資格喪失届(14日以内)
□ 介護保険資格喪失届(14日以内)
□ 世帯主名義変更(14日以内)
□ 死亡一時金請求(2年以内)
□ 遺族基礎年金請求(5年以内)
□ 寡婦年金請求(5年以内)

【年金事務所に届け出】
□ 年金受給停止手続き
  社会保険の場合10日以内
  国民年金の場合14日以内
□ 遺族厚生年金請求(厚生年金加入の場合5年以内)

【税務書に届け出】
□ 個人の所得税準確定申告(4ヶ月以内)
□ 相続税の申告(10ヶ月以内)

【家庭裁判所に届け出】
□ 遺言書の検認・開封(速やかに)
□ 相続放棄等の申し立て(3ヶ月内)
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 (2)遺体の安置場所、搬送
 私の最期は自宅か、老人施設か、はたまた病院で迎えるか??
 どちらにせよ遺体の安置場所として自宅はふさわしくない。スペースはあるが乱雑なので片付けるのは無理。だから、葬儀社の遺体安置所を借用しよう。その際、付き添いは不要。
 斎場までの搬送も個人では面倒、お願いする。これ以降は自前でできるだろう。


5/22(月)曇りはれ 健康クリニック 
1:45起床。データ整理、読書etc。8:40家内に同乗中通リハ病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名、レ線判定13名。12:00リハ病院、勤務。入院患者対応、微睡。、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ6537歩。

遊行期に生きる(9) 自身の死についての考察(7) 棺桶、葬式などについて一般論

 私は自分の死に関して色々考えている。
 
 最期はどんな状況で迎えるかわからない。
 死ぬ時はひっそりと行きたいものだ。

 さらに、私は葬式不要論者である。せいぜい、家族葬までなら納得できないことはないが、私のために他の方々がわざわざ時間を費やす必要はない。
 ただ、私の希望が通るとすればここまで。

 死んでしまえば全て家内や子供たちの判断で進められる。これは仕方がない。もう意思表示が不可能だから仕方があるまい。
 私は葬式不要論者である。だから、そのことだけ、予め故人予定者としての希望だけは述べておく。

 葬式をしない、との考えの人は少なくないが、実際に何もしない例は少ない。
 葬式は法的にその実施が規定されていない。だから、公的な戸籍抹消などを除くと葬式は絶対に必要なことではない。

 しかし、私たち日本人は死者が出れば葬式を行い、しかも相当な費用をかけて死者を弔っている。10年以上前の古いデータであるが、日本人の葬儀費用は平均231万円、英国12万円、韓国37万円、米国44万円となっている。

 死者が出た場合、なんの儀式もしない例は少ない。
 かつて「密葬」と言われた葬式は、「家族葬」と呼ばれるようになり、それを選択するケースが増えた。

 葬式にいくら費用をかけても、何も残らない。記憶の中には残るだろうが、祭壇は次のユーザーのために解体され、棺も、高価な120万円のもあるらしいが、1-2日後にはただの灰になる。香典も香典返しも果たしてそれが必要なのか、私から見て全てが無駄に思える。

 にもかかわらず、通夜と葬儀・告別式だけのために、一般の人でも多額の費用をかる。これはなぜか??

 私は機会があれば、葬式に関していずれ考察したいと考えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 ?なぜ日本人は贅沢な葬式をあげるようになってきたのか。
 ?人の死になぜ莫大な金をかけてきたのか。
 ?葬式の現状はどうなっているのか。
 ?今後、葬式はどう変化していくのか。
 ?戒名ってなんだ?
 ?・・・などなど。
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 いろいろ考えるべきことが多いと思う。
 しかし、葬儀などは突然降りかかる問題であり、つい慣習に従ってしまう。それが現状だろう。


5/21(日)曇り小雨時々晴れ 
 2:00起床、データ整理。徒然、読書中心。微睡。午前バラの枝処理の予定であったが降雨のために不可。データ整理、裏口の網戸にカンジキ調の鍵作成完成。12:00NHKニュース、のど自慢楽しむ。家内は休宝寺に。ガレージの赤外線センサーライトの修理完成。微睡、16:30家内に同乗中通リハ。患者は落ち着いている。新聞入力二日分ほか自炊数編、19:15帰宅。夕食、21:00就寝。Σ5250歩。

遊行期に生きる(7) 自身の死についての考察(5)  死=白骨=浄化=美のイメージ(2)

 美しい生身の人間も稀にはいるが、医師の立場では人の身体は決して美しい存在ではない。亡骸も同じだが、もはや感情がないから、生身の体よりは美しい。
 その点では美術品には美しいものが多い。初めから生身の人間でないから。

 火葬によって得られた白骨は最高に美しい。人間が到達できる究極の美しい姿と思う。死=白骨=浄化=美、私はそう思う。

 私は対人関係が苦手である。生身の人間は怖い。
 私にとっては人は死を迎えただけで浄化され、それまでとは別人になる。しかし、亡骸を残していては、浄化は不完全である。白骨化は究極の浄化であり、見た目にも最高に美しい。

 祖父、祖母、両親と実兄、義理の関係者たち、死亡したとの知らせを受けて、その度ごとに私は心から安堵した。家族として、人間としての善悪の評価、愛憎の感覚を含め、私との間で蓄積された、あらゆる感情が全て死の報告を受けた瞬間をもって別物に変わる。ある種の喜びの感覚さえ・・・、実は伴っているのだ。

 親族の場合は葬送のセレモニーが続くが、私の考え方から言えば、もう自分との間での別れは完全に済んでいる。本当は参列したくない。死者は一人で静かに旅立っていけばいいのだ。でも、恩もある方々だから、社会的通念、習慣には従う。

 他人であれば、死の報告だけで十分。白骨化されるであろう状況を予想して私との関係はそこで一旦消滅し、浄化される。故人に抱いていたあらゆる感情が白一色のモノトーンの感情に変化する。私との関係はここまで、という区切りの喜びを私は感じてしまう。

 それ以外の感慨は抱かない。死には悲しみの感覚がともなう?
 他の方がどう感じるのかは、私には知る由もないが、私には悲しみの感情は滅多に湧かない。
 私は知人の死の報告に接するのが好きである。どのような付き合いがあったとしても死別はいい。故人と私は、感情を共有しない潔い関係となるから。

 私は自身の白骨化も夢想する。私は火炎によって長い間蓄積してきた罪深い人生が浄化されるのだ、と心待ちにさえしている。
 太宰治は「人間失格」の中で「恥の多い人生を送ってきました・・」と吐露した。私の好きな言葉である。私はこの言葉を借用し「罪深い人生を送ってきました・・」と自分の人生を総括している。
 
 私の「罪深い人生」とは、社会的に糾弾されるようなことを示しているのではない。他人が眉をひそめるようなことは無かったわけではなかろうが、明らかに「罪」として問われるべき罪はない・・と思っている。
 私の言う「罪深い人生」とは、「本音と建前」を過剰に使い分けてきたことにある。

 誰だって同じだろうと思う。
 しかし、私自身は自分で許しがたいほど著しかった。だから浄化される日を心待ちにもしている。


5/20(土)快晴 G7広島サミット・ゼレンスキー来日 
 2:40起床、データ整理。徒然、など。8:30天候に誘われ庭に出る。仮植えしたダリアのうち白色分を地植え。五本ほど分株。玄関のラティスネコ対策完成。裏口の網戸ネコ対策完成、これで若干涼しく過ごせる。午後微睡、新聞チェック、読書三昧、データ整理。。19:00検食、21:00就寝。Σ7970歩。キウリ・ナス・トマト,里芋順調。今年遅れている。

遊行期に生きる(6) 自身の死についての考察(4)  死=白骨=浄化=美のイメージ(1)
 今は全国的に医療機関はCOVID-19で家族他の面会は原則禁止扱いとなっている。
 社会的には5類扱いになった。旅行者の入国制限などが解除されつつあるがウイルスはなんら変化していないから医療機関はそう制限を軽減できない。入院患者に感染するとクラスター化し大変な事態となるし、スタッフ達が感染しても人手不足で病院運営が困難になる。

 だから、消化管出血の入院(2022.10)の時もそうであったが、今回の入院(2023.5)も病棟内に家族達はおらず、加えて患者間のコミュニケーションも乏しく、極めて静かな入院生活であった。

 私は後期高齢者でいつ死んでもおかしくはない。今回の入院は急性心不全で、大事に至る一歩手前で適正な処置を受け改善した。
 今のところ行動制限はあるが、症状から見る限り順調ではある。
 病状が落ち着いてくるといろんなことが脳裏に浮かんでくる。

 こんな静かな病床なら「死ぬにはいい環境だった・・・」とも考えた。
 切羽詰まった状況を脱したから余裕を持って考えられた。
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 話題を変える。
 私は火炎が好きである。
 火炎の魅力は、何でも焼きつくすパワーである。強烈な熱と焼却力は私にとっては浄化力そのものである。火炎は実に美しく、潔い。だから、私は不要になった持ち物を全て自分の手で焼却処分しその失われる過程を楽しみにしていた。それが環境問題からできなくなって残念である。

 ただし、東京大空襲などの火炎、原爆などの火炎、都市の大火・・などの火炎は論外で賞賛しない。これははっきりさせておかねばならない。

 昭和27年、我が家は貰い火によって全焼、400坪ほどの家屋と蓄積のほとんどは数時間で焼失、再出発の過程を経験した。私のその後の生き方も影響を受けた。地域の中にあったしがらみから私は解放され自由になった。だから秋田で過ごすことができている。これは大きかった。
 私はこの火災を「喪失ではなく新たな出発のための浄化だった?」と捉えられるようになった。

 火災の数年後、小学校5年の時に祖父が死去した。
 その時、火葬場で白骨化した祖父に会った時、私は異様?な興味と感慨を抱いた。その変わり果てた姿は実に美しかった。その時から、私は死=白骨=浄化=美のイメージを抱くようになった。

 先に逝かれた方々の、亡くなったとの知らせを受けた時、私は白骨化したお姿を思いうかべる。もはや私にとって生身の人間ではなく、浄化し、虚像化した過去の人物となる。その瞬間から別人、かつ良き思い出の人となり、私の中で新しい交流が始まることとなる。


5/19(金)終日降雨 大曲外来 卯月の会いやたか 
1:45起床、書類、文献チェック。徒然。5:00可燃ごみだし。畑に散水。7:35Taxi駅東に。8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。8:55大曲中通病院外来。新幹線久々混雑。長崎や古書店経由、10冊購入、15:30-19:00リハ病院。病棟対応。19:00Taxi帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ6352歩。

遊行期に生きる(5) 自身の死についての考察(3) 自分の死をイメージする

 私はとても恥ずかしがり屋である。気も小さい。衆目の視線が怖い。
 なのに、現役の時には大勢の方々を前に挨拶とか講演をこなしてきた。インフルエンザの時期にTV出演も少なくなかった。これらは私にとっては針の筵のような辛い仕事であった。引退はこれらからの解放は大きな喜びの一つであった。

 私はかつて勤務していた病院の外来診療+αと現在は同法人のリハビリテーション病院で診療を続けているが、他の活動は一切行っていない。髪も髭もボウボウで見てくれも変わったし、ほとんど忘れられた存在になった。半ば死んでいるようなものだ。これぞ私の理想とするところであり、時とともに確実にそれに近ずいている。

 次にちょっとだけ注目されるのは死ぬ時だろうかな、と思う。とは言っても関心を持つのは家族ぐらいである。私は死ぬ時もひっそりと死にたい、と思っている。 

 2015年に実兄が死去したが、奥さんが外出中に死亡していたという。「まさか死亡するなんて・・」と嘆いていたが、私は電話を受けた時に、これぞ理想的な死に方だ・・と羨ましく思った。

 よくわからない習慣だが、わが国では「死に目に会う」ことの意義がことさら強調されてきた。今でもそうである。
 日常、施設や病院に預けっぱなしでロクに世話しない子供達ほど「親の死に目に会う」ことにこだわる。中には東京にいる子供達が来るまで人工呼吸器とかつけて延命させといてくれと家族から懇願されることがある。私はそれは「最大の親不孝となる」とお断りする。
 親孝行は親が元気なうちに、互いに感じ会えなければ意味がない。臨死状態で改めて会っても何にもならない。
 この辺のことは映画やドラマで美化され過ぎている。

 私は医師の立場で大勢の方々の死を看取ってきたが、死の瞬間などの意味は死亡時間の記録以外にはそれほどない。

 私はもう78歳であるが、この時代だから急病などの際にはなんらかの処置がされるだろう。今回がそうであった。今回は幸い改善した。お世話になった方々には感謝である。

 もうダメだろうと判断された際、あるいは慢性病で緩徐に朽ち果てていくような場面では、すべての医療的処置を中止して死ぬのを待って欲しいと思う。栄養も水分も、酸素も不要。それでも死ぬまでに時間がかかるようなら自宅に運んで欲しい。死を待つ家族には、番をする一人を残して日常と同じ生活をしていて欲しいと思う。

 そんな死に方を夢想してこの頃一人でほくそ笑んでいる。


5/18(木)快晴 リハ居室にWi-Fi設置
2:15起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ。8:30家内に同乗、飯川病院から機器移設、中通リハ居室にWi-Fi設置出来た。新聞チェック、読書など、10:30病棟対応、14:00心臓リハとして外出、千秋公園のコイとハトに給餌。ミルハスで昼食。チーズ過剰、胸苦等は生じなかった。19:15帰宅、夕食。20:30就寝。歩行計Σ6887歩。

遊行期に生きる(4) 自身の死についての考察(2) 死を憎まば、生を愛すべし・・・

 死は、年齢にかまわず、順序を待たずにやってくる。死は漠然と予想している如くに前のほうからだけ来るとは限らない。ちっとも気づかなうちに、背後に音もなく忍び寄って来ることもある。

 死なないで過ごせた人は人間の歴史上一人もいなかった。人には死があるということは誰でも知っている。だが、その死が、まさか、今日やってくるとは思ってもいなくても時には突然やってくる。その際は本人も、周りの人もびっくりである。

 辞世の句はその驚きをよく表している。
 ?つひに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを (在原業平)
 これが多くの人たちの本音だろう。   

 もう一つ。
 ?風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残を いかにとやせん ( 浅野長矩)
 これは私が最も気に入っている辞世の句。江戸城松の廊下で抜刀し、浅野は即日切腹となった。風に誘われて散る桜は名残り惜しいが、それよりも、切腹して散っていく自分が残念でならない・・・、と詠んだ。
 切腹の命が下って数時間、いろいろ考えるべきことがあっただろうがその間に作り上げた句だなんて信じられない。

 私は兼好法師の「死は後ろからも・・」を以前から知っていたはずだが、実感したのは今回の入院の時だった。それまでは、言葉はただの知識として、私の頭の片隅にあっただけだった。法師の思考力の実力を実感した。

 兼好法師の時代、死は日常の中に当たり前のようにあった。だから、兼好法師を貫いていたのは無常観だった。当時は軽い風邪でもあっけなく命を落とし、至る所に餓死と病死のむくろが転がっていた。鴨長明の「方丈記」の中にこの辺の事情が詳しい。

 だから、逆に「生を、日々楽しまないで良いものか」と述べ「死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや(第九十三段)」と言っている。
 あらためて、命というものを見直せば、 生きているということを、日々、一瞬一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しむのだ、 充実させるのだ。

 その兼好法師が死を迎えるにあたって詠んだ辞世の句は以下である。
 ?かへり来ぬ 別れをきてもなげくかな 西にとかつは 祈るものから

 自分は世をさるが、それはやはり悲しいことだ。ただ西方浄土に行けるよう祈りはするが・・・。

 師は「徒然草』第七段で、「四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と述べている。実際は死亡時推定年齢は七十歳。人生ってようわからん。


5/17(水)晴れ今年1番の暑さ?? 午後リハ病院勤務
 1:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。6:30先日購入分の里芋苗地植え。畑がちょっと余った。玄関ラティス等修理。ダリア5株ほど発芽しているがまだ本植せず。12:12バス、リハ病院。13:00勤務、入院患者対応。新聞チェック、そのほかデータ整理。読書。19:15通町書店経由帰宅、21:00就寝。歩行Σ5509歩。

遊行期に生きる(3) 自身の死についての考察(1) 死は前からならず後ろからも迫れり
 遊行期に生きるということは死への準備を怠らないということ。私は虚弱でとても生きられないだろうと思われていたが、中学生頃から丈夫になって、つい先日78歳を迎えた。人生とはわからないものである。

 加齢と共に自ら死の可能性が高まっていくことは十分理解しており、漫然と予想していた。それに関しての物心の準備はできていたはずである。

 しかし、先日5月5日に思いがけずあの世への入り口まで行って来たが、幸い入場を拒否されてしまった。その経験を通して、「死というのは必ずしも漫然と予想しているごとくに前の方から迫ってくるだけでなく、突然、背中を押されるように急にも訪れる」、ということであった。

 このことは兼好法師の徒然草にも記載されているが、いつの日か失念していた。今回入院中にフット思い出した。
 じっくり読み返してみた。
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 徒然草155段(原文)
 世に従はん人は、先づ機嫌を知るべし。ついで悪しき事は、人の耳にもさかひ、心にもたがひて、その事ならず。さやうの折節を心得べきなり。但し、病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついで悪しとてやむことなし。生・住・異・滅の移りかはる、実の大事は、たけき河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌をいふべからず。とかくのもよひなく、足をふみとどむまじきなり。
 春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪えずして落ちるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちつるついで甚だはやし。生・老・病・死の移り来る事、又これに過ぎたり。四季なほ定まれるについであり。
 死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
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徒然草155段(口語訳)
 世間に順応して生きようとする人は、まず時機というものを知るべきである。順序が悪いことは人の耳にも逆らい、心にもあわず、その事は成就しない。そのような時機を心得るべきである。
 ただし、病にかかり、子を産み、死ぬ事だけは、時機をはからず、順序が悪くても止めなくてもよい。
 発生・存続・変化・滅亡の四相が移り変わるという真に大事なことは、勢い激しい河がみなぎり流れるようなものだ。
 少しも滞る事が無い。すぐに実現していくものである。であれば、脱俗していようと、俗世間にどっぷりだろうと、必ずやり遂げようと思う事は、時機がどうこう言ってはならない。少しの用意もせずさっさと実行せよ。足を踏み留めてはならない。

 春が暮れて後に夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春はすぐに夏の気配を催し、夏の間から既に秋は通い、秋は秋であるままに寒くなっていき、十月は小春日和となり、草も青くなり梅もつぼみをつける。木の葉の落ちるのも、まず落ちて芽が出てくるのではない。内部から芽吹くのに押されて、古い葉が落ちるのだ。変化を迎える気というものは、内部で準備しているのだから、変化を待ち受ける手順はたいへん速い。

 生・老・病・死。これらが移り来る事は、又季節以上に速い。四季はそれでもやはり決まった順番があるが、死ぬ時期には順番がない。死は前からばかり来るものではない。いつの間にか、後ろに迫っている。
 人は皆死ぬことを知っていて、待っていても、それほど切迫した状態ではない時に、後ろから自覚なしにやって来る。沖の干潟ははるか遠いといっても、足元の磯から潮が満ちているのと同じである。


5/16(火)快晴 中通病院外来 午後リハ
1:55起床、文献チェック、読書。5:00可燃ゴミ準備だけ提出せず。一昨日購入の苗の内ナスを地植え。8:20家内に同乗、リハに。8:45-12:20中通病院外来。先週分は上手く対応されたようだ。カルテにて確認。自分の診療データ閲覧、リハに移動、文献整理、微睡。読書、病棟患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計6817歩。

遊行期に生きる(2) 私の2.7METs以内のソロソロ人生
 私は今回の心肺機能の評価から、2.7METs以内のソロソロ人生が安全との評価を受けた。
 これについての説明は省くが、要点は「年齢や基礎疾患によって、それぞれに応じた適正な運動が推奨されている」、ということ。

 「METs」という用語は「運動の強度を示す単位の一つ」で、例えば、「健康な18〜64歳では3METs以上の強度の運動を毎週60分程度が理想」などと表現される。

 安静にして座っている状態が1MET。また、エクササイズ(Ex)は「1METの強度の運動を1時間行った場合の運動量」である。
 これらの指標から、およその運動による消費カロリー数が計算でき「1METの運動は1時間(=1Ex)で体重1s当たりおよそ1kcalを消費する」ことを示すそうだ。

 私は2.7METs以下の強度の運動が安全とされた。

 (参考1)3METs未満の生活活動の例。 
 驚くほどの行動制限である。
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左の数字はMETs数を表す
1.8
立位(会話、電話、読書)、皿洗い
2.0
ゆ っくり歩行 ( 平地 、53m / 分未満 、散歩ま たは家の中 )、料理や食材の準 備 ( 立位 座 位 )、洗濯 、子どもを抱えながら立つ、洗車・ワックスがけ
2.2
子どもと遊ぶ(座位、軽度)
2.3
ガーデニング(コンテナを使用する)、動物の世話、ピアノの演奏
2.5
植物への水やり、子どもの世話、仕立て作業
2.8
ゆっくりした歩行(平地、遅い=53m/分)、子ども・動物と遊ぶ(立位、軽度)


 (参考2)3メッツ以上の生活活動の例

左の数字はMETs数を表す
3.0
ボウリング、バレーボール、社交ダンス、太極拳
3.5
自転車エルゴメーター ( 30-50ワ ット) 、自体重を使った軽い筋トレ( 軽・中 等度 )、 体操(軽・中等度)、ゴルフ(手引きカートを使って)
3.8
全身を使ったテレビゲーム(スポーツ・ダンス)
4.0
卓球、パワーヨガ、ラジオ体操第1
4.3
やや速歩(平地、93m/分)、ゴルフ(クラブを担いで運ぶ)
4.5
テニス(ダブルス)*、水中歩行(中等度)、ラジオ体操第2
4.8
水泳(ゆっくりとした背泳)
5.0
かなり速歩(平地 107m/分)、野球ソフトボール、サーフィン、バレエ
5.3
水泳(ゆっくりとした平泳ぎ)、スキー、アクアビクス
5.5
バドミントン
6.0
ゆっくりジョギング、バスケットボール、水泳(のんびり泳ぐ)
6.5
山を登る( 0-4.1Kgの荷物)
6.8
自転車エルゴメーター(90~100ワット)
7.0
ジョギング、サッカー、スキー、スケート、ハンドボール
7.3
エアロビクス、テニス(シングルス)、山を登る(約4.5 ~ 9.0kg の荷物)
8.0
サイクリ ング( 約20Km/ 時 )
8.3
ランニング(134m/分)、水泳(クロール46m/分未満)、ラグビー*
9.0
ランニング(139m/分)
9.8
ランニング(161m/分)
10.0
水泳(クロール、速い、69m/分)
10.3
武道・武術(柔道、柔術、空手、キックボクシング、テコンドー)
11.0
ラ ン ニ ン グ(188m/ 分 )、
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 ただ、私の2.7METs以内とする指導は貴重であるが、やや規制が強すぎるような気がしてならない。
 日常的には全体にソロソロ動いているが、自己責任のもと自分の五感を重視してちょっと動きを広げて畑や園芸などで様子を見ている。
 今のところ全くなんともないのが嬉しい。


5/15(月) 曇り降雨午後快晴 健康クリニック  
 1:20起床、本日から通常に職場復帰。ただし、月曜火曜の通勤はバスからしばらく家内に同乗して通勤することにした。昨日購入した苗の内キウリ、トマトを地植え。各種データ整理。徒然、読書。9:00-11;15健康クリニックドック12名+レ線判定10名。所長に挨拶。11:30そろそろとリハ病院に歩行。データ整理、入院患者対応、読書。19:00横田屋に食器返却、帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ5074歩。

遊行期に生きる(1) 私も遊行期に達したようだ

 このコラムは2001年から公開している。22年も経った。

 先日、78回目の感謝の日を迎えたが、その約10日前に突然急性心不全状態、呼吸不全状態に陥り、あの世の入り口にまで行ってきた。しかし、高齢化多死社会の今、空きがないとのことで入場を拒否され、すぐに戻されてしまった。そういえば、そんな歌が流行ったことがあったなア。

 自覚症状は間も無く改善し、今のところ症状は全くなく体調も悪くは無いが、次いで行われた心肺機能検査では厳しい結果が提示され、私の人生は新しいステージを迎えた。
 先の時間が読めないほか、行動的にはエネルギー消費を27METTs以内に抑えるソロソロ人生である。まあ、それでも恵まれていると言えよう。

 今のインドではどうなっているかわからないが、古代のインドでは 人生を4つのステージ、即ち、「学生期(がくしょうき」、「家住期(かじゅうき)」、「林住期(りんじゅうき)」、「遊行期(ゆぎょうき)」に 分ける、という考えがあった。

 私はこの世に生を受けて以来、これまで紆余曲折しながらも何とか「人生」を積み重ねてこられたのはすごく素晴らしいことであった、と自認し満足していが、ついに私は遊行期に至ったようである。
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 ?「学生期」は幼少から青少年にかけて、いろんな知識を学び、社会に出て生活できる準備をする時期。
 ?「 家住期」は一家を構え子孫を残す。
 ?「 林住期」は、社会的活動から身をひき、自由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期。
 ?「遊行期」は、人生の最後の締めくくりの時期で「死」に向かって準備する時期。身につけた知識と記憶を世間に返し、子供に還り、誕生した場所に戻っていく時期。
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 自然豊かで、広大、悠久の流れを感じさせる考え方である。
 当時は平均寿命も短かかったであろうから「学生期」「家住期」「林住期」の半ばにして、人生が終わることが大部分であったであろう。

 2021年の我が国の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳である。インド哲学が生まれた当時は「遊行期」に至るまで生きながらえることは誰もができることでは無かったであろうが、その時代にこのような人生のステージの分類が確立していたということは実に驚きである。

 現実の人の生き方は、社会が不安定で先が読めないというストレスにさらされている。ただ、現在のように、技術の進歩や政治・経済の環境が激変している時代は、いつの時代にもあったこと。

 大きな観点から人間を見れば、インド哲学の時代と何も大きくは変わっていない、と思う。

 現在はほとんどの人が遊行期まで生きられる恵まれた時代である。
 しかし、内省とか、個人の哲学が影が薄くなり、全て「他力に頼って生きているのでは無いだろうか??」、私にはそう思えてならない。

 考える、思考する、そんな時間が十分あるのに実にもったいない、と思う。
 私にとってこのコラムはそういう意味で、とても大きな意味がある。


5/14(日)曇り・降雨 78回目感謝の日 
1:40起床、78回目感謝の日、今回は特別感慨深く朝を迎えた。本読み、文献チェック。徒然記載、新聞チェック、のど自慢楽しむ。微睡短時間、14:30 DIY店にてトマト、ナス、キウリ、サトイモ苗、除草剤購入。降雨のため植え付けは後。16:00家内に同乗中通リハ。患者は落ち着いている。新聞入力、自分の入院データなど確認。中通リハ27iMacOSVenturaに更新。18:40感謝の日記念夕食のため横田屋経由帰宅。うめがったが感想。21:00就眠。Σ3389歩。

78回目の感謝の日 行けるとこまで生きてみる
 本日は78回目の誕生日、即ち感謝の日。
 現役で働いている時は誕生日などはほとんど意識することなどなかった。
 65歳で現役を退いて、以後は細々と嘱託医師として働いているが、70歳を過ぎた頃から体力が落ち始め、気力も減退しつつある。老化によるものと理解していた。

 ところが先日、私の健康状態に大きな転機が訪れた。
 5月5日に、ちょっと良い天気に誘われて草刈り等を頑張って過労状態にあったのであるが、書籍を購入しようと市内に出かけたが、突然心臓喘息状態で救急外来受診、入院治療を余儀なくされた。

 幸い経過が良く大事には至らなかったが、心肺残存機能検査では心臓に大きな負荷がかけられない状況と判定された。すなわち今後はソロソロと注意して生きろ、それでも場合によっては冠動脈閉塞によって頓死する可能性もある・・・などなど、が分かった。

 私にとってはこの歳まで生きながらえることなど想定外であったが、現に生きてしまった。しかし、前途に黒雲が立ち込めソロソロ限界が見えてきたようである。

 自分の体の問題点がわかってきたとはいえ、通常に動ける。
 だから、今後の生き方を大きく変えるつもりはない。ここまで来たのだからもう少し大事に生きて、残りの人生を楽しんでみようかと思う。

 毎年のことだけれど、以下のような姿勢で明日も生きよう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
(1) 私の社会的使命は終わった。私と言う個人よりも私に付随している医師免許は医師不足の秋田、法人にとってはまだ価値はある。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定する。
(2) 家族間ではまだちょっぴり存在意義はあるだろうが、私が担っている仕事を分散させなくてはなるまい。
(3) 残り時間が予測不能となった。今さら焦ってもしょうがない。意の赴くまま、気ままに生きよう。
(4) 自然、人生に一層深く味わいを感じる。五感を生かして生きる。
(5) 長時間の歩行は心機能の低下から出来なくなったが、2.7METTsの範囲で心臓を守りながら、こまめに動いて移動機能、下半身機能を維持したい。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送っているがもう少し続ける。
(7) 終活を一層進める。
(8) 過去に自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて準引きこもりを今後も続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。微睡を楽しむ。
(10) より中性的になったから、ジェンダーなどについて改めて考察したい。 
(11) 心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になった。人に腹を立てることが無くなってきた。物事をじっくりと味わうことができる様になった。多様な考え方を受け入れたい。さりとて人の言葉に左右されたくはない。
(13) 同年代またはそれ以上の年齢の方の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは辛い。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身も自然の一員である。
(15) いい詩には無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできれば継続したい。
(17) 新興感染症の今後、地球温暖化、国際社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族達も総じて元気であるし、ネコ達も元気。まずは良い78歳のスタート日になったと思っている。


5/13(土)快晴 
1:45起床。文献等データ処理、本読みなど。午前軽い外回り、ダリアの若芽出始めた。微睡若干、ダルマストーブ一台廃棄準備、新聞チェック。読書中心、午後も微睡、全体に平穏な一日。身体的症状なし。19:00退院祝って小宴的夕食、20:45就寝。歩行Σ3116歩。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(8)  私の行く末が定量化(?) 厳しい結果!!!(2)

 今回は心不全ということで循環器科への入院であった。
 循環器科の特徴の一つとして心肺の各種の機能検査が発達していることだろう。

 一時は呼吸苦で「来るべき時が来たかな??」とも思った。救急室の看護師の記録でも「喘鳴を伴う呼吸苦で重症感あり状態は良くない・・・」等の記載があるが、幸い、酸素吸入後は経過は思った以上に良好であった。

 それは私にとってとても良いことで「この世に戻ってきた」との感覚であったが、その後に行われた心機能の状況、データは思ったより良くない結果であった。

(1)胸部レ線検査、CT検査、採血検査
 ?救急室ではCOVID-19、インフルエンザの簡易検査。
 結果は陰性で一応これらは否定された。院内で対応する患者はほぼ全員検査するはず。特に急性の呼吸不全状態なので高齢者のCOVID-19は病態として否定しておかなければならない。

 ?救急室ポータブルで胸部レ線検査:全肺野すりガラス様陰影。
 ?胸部CT検査:やや心拡大あり。右肺上葉を主体に両肺野すりガラス様陰影。気管支壁肥厚、小葉隔壁の肥厚あり。胸水なし。心不全疑い。
 ?5/8病棟でのポータブル胸部レ線検査:すりガラス様陰影ほとんど消失。

 ?採血検査;CRP 0.06 CK 228 CPK-MB 14 と正常。BNP 265
肝腎機能に異常なし。電解質・糖代謝:異常なし 抹消血液検査、尿検査に異常なし。
(結構厳しい病態であったにも関わらず、採血では著変がなかった。とくに、BNPは軽度上昇しているだけ、心筋障害の所見は伴っていない。ならば何だったのか?? 不思議である。)
 
(2)心電図検査、心臓超音波、CTによる冠動脈造影、
 ?救急室心電図検査:心房細動+完全左客ブロック 心拍数約130/分。

 ?心臓超音波検査;(詳細省略) 心拍出量48%。(前回2022.3は62%)。
 (心拍出量は中等度の低下。救急室の病態では30%ほどと予測されたらしい。)

 ?CTによる冠動脈造影:左前下降肢に狭窄 70%??
 
(この狭窄像は予想していなかっただけにちょっとショックであった。今回の病態の主役だったかもしれない。今後どうするか??)

(3)CPX(Cardiopulmonary Exercise Training)心肺機能検査
 ?結果(詳細省略) : 心肺筋の総力として2.7METsと超低値。

 (日常生活の運動量は、歩行ならば時速2-3Km/時の速度で20-60分、1日1-2回、3-5回/週程度ならOK、と評価された。要するに今後はソロソロとゆっくり生きていくように、ということらしい。)

(4)勝手な自己評価
 回復後、退院後の状況から見て、上記の検査成績は実態より厳しすぎるような気がするが、まだ病直後であり、現状では素直にそれに従って生活して行くしかない。心臓もそれなりに対応してくれると期待している。


5/12(金)快晴 入院7日目 大曲中通病院外来(休診) CPX検査後退院
2:50起床。可燃ゴミ提出はOK?。今年は畑どうする??微睡、読書、新聞データ化、14:00トレッドミル。検査は難なく乗り切り、いい結果が期待されたが意外と余力はないようだ。主治医より運動負荷のレベル、2.7Mettsを告げられる。これはそろそろとゆっくりと生きろ、と言うこと。そのまま退院のコースへ。会計済ませ徒歩でリハ病院へ。多くのスタッフから無事退院できたことの祝福を受けた。流石に今回は嬉しかった。入院関連書類、新聞入力。19:20通町書店経由帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ4214歩。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(7)  私の行く末が定量化(?) 厳しい結果!!!(1)

 今回、病院到着後の私の動きを思い出してみた。
 玄関から救急外来までの動線についてそっくり記憶が抜けている。電話で迎えを要請したような気がするが急速に進んだ低酸素状態で意識を失ったのかもしれない。

 救急到着時は意識も朦朧とし、何が何だかわからかったが、酸素吸入後、利尿剤投与を受けた後は比較的速やかに意識状態も呼吸苦も改善に向かった。
 一般的評価の結果、原因は急性心不全に伴う呼吸不全ということで循環器科の入院となった

 あれほど厳しく具合悪い状況まで陥ったのだが、自覚症状も時間と共に改善しつつあった。入院後、夕食は全量摂取でき自分でも驚いた。

 私は全く運がいい星の元に生まれた・・と今回も感じ入った。しかし、検査結果は決して甘くはなかった。

 入院は個室が用意された。主治医はベテランのS医師。
 
 経過良好とのことで利尿剤の経静脈投与、点滴ルートは翌日昼には中止となった。酸素吸入はリザバー付きフェイスマスクで毎分10リットル投与されていたが酸素飽和度96-100%と改善しも翌々日には中止となった。

 入院後は約1週間にわたって、採血、胸部レ線の経過観察、心臓超音波による機能検査、CTによる冠動脈の動脈硬化の評価、CPX(Cardiopulmonary Exercise Training)という心肺機能検査を受けた。

 自覚症状から見ると経過は良好で上記の検査結果からは大きな異常は出ないだろうと考えていたが、心臓の状態はその甘い予想は裏切られ、結果が示されるたびに今後の人生の厳しさが提示された。考えてみれば何もない心臓でこのような事態が急に起こるはずもないのだ。

 ちょっとオーバーに言えば心臓に過負荷を与えないようにそろそろと生活しなければならなくなったということ。経過によっては一瞬に心機能が頓挫する厳しいコースも十分考えられるということ。

 経過に関しては上記の如くであるが、以下、私が理解できた範囲で現状について記述を試みる。



5/11(木)快晴 入院6日目 体調良好 冠動脈狭窄指摘
2:50起床。いつもの如くデータ整理中心、読書三昧。微睡、新聞チェック、8:00主治医とから冠動脈狭窄を告げられ、チョット落胆。今の所はステント治療までは不要だろうとのこと。明夕機能検査のうえ退院予定となる。救急受診時の汚れもの洗濯。朝昼夕食はいずれも完食、20:00就眠。歩行Σ1680歩。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(6)  いのちと医療(2) 口頭で自己紹介し合う意義

 今回、救急室到着時は意識も朦朧とし、一瞬何が何だかわからなくなったが酸素吸入後は比較的速やかに意識状態も呼吸苦も改善に向かった。
 胸部レ線撮影、採血が済んだ時点でその日の当番医であろう中堅どころの医師は私の耳元で「内科の〇〇です・・・」と自己紹介してくれた。私は弱々しく「福田です・・」、と答えたような気がするがはっきりとは覚えていない。
 でも、その医師の挨拶の言葉を聞きとても安堵した。医師は数人いたが、マスクをかけた状態では個々人を識別できなかったからである。

 実際に〇〇医師が全ての患者に自己紹介しているかは分からないが、医師の側から自己紹介してくれたことに素晴らしさを感じた。

 特に医療の現場では初対面の主治医と患者とが互いに自己紹介し合うと言うことは基本中の基本であろう。確かに患者側の個人名などの個人データの概略はすでにカルテが用意されて医療者側には明らかになっている。しかしながら、これらは一種のレッテルにすぎない。

 双方が互いに見つめ合い、口頭で紹介しあうと言うことはそれとは次元の違った意義がある。
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 ?第一に、人違いを防ぐ。
 姓のみ呼ぶのは患者の人違いを防止する方法として完全ではない。現に人違いが生じ誤った手術が行われ裁判沙汰になったケースがある。

 ?第二に、患者がフルネームで自己紹介するねらいは医師や看護師に対し、自分を人格を持った一人の人間として診てほしいというメッセージを伝えるという意味を持つ。
 そういう挨拶ができれば、患者は医師に対し萎縮した気持にならくなる。
 控え目に「お願いします」と言って医師の前でかしこまるのでは、対等の関係にはならない。はっきりと「福田光之です・・」とフルネームで挨拶をしてから座れば、医師側も威儀を正して、挨拶を返すだろう。その後の扱いにも変化が出てくるであろう。

 ?第三は、フルネームでのあいさつは、患者と医師の間に信頼関係を築く最初の扉を開く意味を持つ。
 双方とも名乗ることもなく、ずるずると面接の会話に入ったのでは、けじめがつかない。 双方が人としての人格を認め合う最初の機会を失った、ということ。

 ?第四は、担当医の氏名・専門分野は記憶に留めておくべきと言うこと。
 最近、医師や看護師をはじめ職員に所属と姓名を記したネームプレートを胸につけさせている。また、外来の診察室の入口には、その日の担当医の所属と氏名を掲げ、病棟のベッドにも担当医の氏名を表示するようになった。
 患者はそういう表示を見て、自分を診てくれる医師の氏名専門とをメモしておくべきである。

 私はドックに来た方々に必ず、「かかりつけ医はどなたですか」と尋ねる。すると、しっかりと覚えていない人が意外に多い。「日本の患者は医師の権威の前に、よくわからないから、おまかせします」と自己を投げ出す傾向がある。よりよい医療とは、患者と医療者が協力し合って実現していくものであるから、双方が相手の人格を確認し合う必要があり、氏名の確認はその第一歩である。
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 私は患者に専門領域や経歴を尋ねられた際には自分のHPを紹介している。


5/10(水) 快晴 入院5日目 午後CTによる冠動脈撮影
 3:10起床。文献チェックほかいつものごとし。今回の入院も自覚症状は速やかに改善した。この数日間の病室内における生活は、読む、聴く、考える・・・などなど実に豊かである。14:00CTによる冠動脈撮影。結果は未だであるが症状や経過から予想するに大きな問題はなかろう。朝昼夕食共に完食。21:00就眠。Σ1736歩。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(5)  いのちと医療(1) 患者に必要な主体性
 いのちが有限であるということからはできるだけ目をそらして、できるだけ楽して、効能不明のサプリメントとかに頼って健康と長寿ばかりを願う現代社会。こんな状況は、現在の物品が溢れるほどある物質文明の中、物品が増えれば増えるほど感謝の念が薄れるのと同じように、私たちは、いのちを粗末にしていることにつながっているように思える。

 いや、具体的に自分のいのちを粗末にしている人はそれほどいないだろうが、自分の五感を通じた自分のいのちに対する評価や感覚を感じることができなくなった状況は、いのちへの感謝と感覚を軽視していると同義ではないか、と思う。

 私は医師になって60年余、次々と変遷していく日進月歩の医療に適応しながら医療のあり方、医師患者のあり方を観察してきた。いやそれ以上に、先にまとめてみて自分でも驚いたのであるが、私もずいぶん多数の病気に罹患し、その都度適正な医療を受けて解決してきた。

 このような医師としての経験や患者としての経験を通じて考えたことから私にみえてきたことは、医療は過去の姿からはすっかり様変わりした。医療者は「もっと患者に情報を開示すべき」だし、患者は「主体性をもった新しいタイプの患者として育たなければ医療を自分にのために利用できなくなるのではないか?」と言う危惧である。

 患者はよく勉強し、自分を客観的にみなければならない。

 患う者という弱々しい立場を捨て、自分で病と闘い、医療を選択する「主体的な医療受益者=患者」になることである。受け身の立場で医療を受けるのではなく、自己決定権を行使する自立した病人の立場である。

 社会が好むと好まざるとにかかわらず、主体的な医療受益者が増えていかなければならない状況と私には思われる。主体的な医療とは医療者側と患者側の間の「合意の上での医療」として共に納得の上で進めなければならない、と言うこと。

 合意の医療の実現のためには、患者側は成熟し、「自己判断、自己決定」しなければならない。生物としてのいのちの限界をわきまえ、プロの医師にどこまで頼れるかを知らなければならない。また、病気ばかりでなく、自分の人生そのものにも主体性を育んでいかなければならない。

 成熟した患者が増えてくれば、医師もさらに勉強しなければならなくなるであろうし、患者の生命の質ということを現在よりもっと深く考えさせられるであろう。

 私は身体的内容はもとより、身体を支える精神的方面の医療上の意義について,身体的以上に深くも学ばなければならないと思ってきた。そのルーツは「気が小さく、いつも人の顔色を窺ってきた」ことから始まっているが、心理学を学び、私のいい面の特質の一つとなっている。


5/9(火)晴れ 入院4日目 中通病院外来(代診依頼) 
3:30起床。録音データ整理。文献他PDF化、徒然、微睡、読書、データ整理などなど。本日は検査等なし。15:00入浴。湯舟は我が家の2/3程度のサイズ。前の患者が終わった後清掃し、新しい湯を張るのだ、と言う。非効率だが、病院である以上やむを得ないかも。デイルームの机で新聞チェック。21:15就眠。Σ1711歩。病棟内散歩では伸びない。新しい処方4種のためか若干食欲低下を感じるが朝昼夕食共に完食。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(4) COVID-19による面会禁止

 2020年以降、COVID-19蔓延で多数の病や多く高齢者施設クラスターが発生し、以降面会が一切禁止になった。

 感染を防ぐためとはいえ、患者やご家族からは一切面会禁止はひどすぎないか? 人権侵害でないか、との意見が多数見られ、患者も家族も不安が増していることを痛感する。

 病院には免疫力や体力の低下した高齢の患者、若い患者も多數入院しているだけに、COVID-19に感染すると重症化する危険がある。また、医療従事者に感染者が出ると、患者さんに感染が拡がるだけでなく、濃厚接触者に相当する医療従事者も自宅待機を余儀なくされ、たちまち人手不足に陥り医療機関としての機能の維持も困難になる。外来診療も閉鎖せざるを得ず地域の患者にも、多大な迷惑をかけることになる。だから、医療機関としては最大の予防策を講じなければならない。

 病院や施設としては苦渋の決断で面会禁止にしている医療機関がほとんどである。

 昨日(2023年5月8日)からCOVID-19はインフルエンザと同様な5類感染症となった。COVID-19が5類感染症となったのは医学的、科学的、疫学的な立場からではなく、社会の機能を維持するための政治的決断である。
 治療に大きな進歩があったわけでもない。オミクロン株になってウイルスの毒力が若干軽減したものの5類感染症になったとしてもその危険性に変化は無い。5類感染症になったことで社会生活の中では数々の制限が撤廃されるが、これからは危険を察知し感染予防は自己判断で行わなければならない。私は、隣に居る未知なるひとは感染者かもしれないと考えて予防策をする積りである。

 病院や高齢者施設では5類感染症になったからと言って面会制限は続けなければならない。

 ただ、状況が長期化するなかで、オンライン面会を採り入れる医療機関も増えてきている。電話やTV電話で会話できたり、患者さんの様子を伝えることでも不安が軽減する。私が勤務している中通リハビリテーション病院では定期的に担当看護師から家族に連絡し、近況を説明することになっている。

 そうはいっても、面会ができないことで問題も生じている。
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?「会えない」ことが患者と家族に及ぼす影響。
 患者、家族共に家族間のコミュニケーションを奪われ、高齢者の場合は闘病意欲にも影響しうる。
?医療者と患者・家族との関係。
 病状が悪化傾向にあるとき、急変したとき、説明が十分に尽くされていないことが多く、情報不足から思わぬ誤解や医療不信を招く。
?特にCOVID-19に感染し死亡された場合は、医療機関によってはご遺体との面会さえかなえられなかった場合もあり、ご遺族の悲しみ、悔しさはいかほどのものか想像に難くない。
?火葬場によってはご遺族の入館が拒否されたり、過剰な対応もあったとされる。
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中通総合病院の面会禁止についての概要
 2022年7月23日より、私が勤務する病院でも入院患者や職員の感染防止対策の強化を行うため、面会を禁止とさせていただいた。
 その概要は病棟看護師の説明によると以下のごとくである。

【ご家族の方へ】
 体調のすぐれない方、発熱している方は入館禁止です。
 入館は、必ずマスク着用をしていただき、アルコール手指消毒に協力を。
 入館後は指定させていただいた場所以外の立ち入りはできません。

【重要:入院中の患者へ】
 入院患者が1階ロビーなど制限区域外に出かけて、ご家族等とお会いになることも禁。
 COVID-19感染症の検査を行い、陰性確認をさせていただいた上で入院となっている。感染を防ぐために協力を。

【差し入れについて】
 洗濯物や差し入れ品は、病棟の看護師にお渡しください。入院患者と直接会うことは禁じます。
 差し入れは衣類や生活必需品などに限ります。

【入退院時の迎えについて】
 1階またの廊下にコーナーがあります。そこで待機いただきます。
 ご高齢の方や車いす利用などの場合には、病棟看護師へ申し出を。

【などなど】
 そのほかにも詳細な取り決めがある。

 COVID-19の終焉にはまだまだ時間が必要である。その時期までは医療機関も患者も耐えなければならない。



5/8(月)曇り 入院3日目 健康クリニック(代理医師お願いした) 
3:30起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。8:30中通医局医局秘書室を通じて今週と来週の健康クリニック、中通外来、大曲の代行をお願いした。胸部レ線、採血採尿。結果は良かったらしい。酸素吸入中止となる。飽和度92ー98%と略良好。午後は心臓エコー、こちらのデータは1年前よりやや劣化していた。FF48%ほど。当然だね。20:30就寝、Σ1507歩。朝昼夕食共完食。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(3) 入院中の食事 病院食は美味しいよ

 ひと昔前とくらべれば、病院食は味も見た目も格段とよくなった。
 暖かい、あるいは冷えた状態で届けられる。それでも、自宅でのでの食事より病院食のほうがおいしいと思う人は、そう多くはいないであろう。

 しかし、私は遜色ないと思っている。もっとも、何度か入院の経験があるがいつも同じ病院なので病院間での比較はできない。
 食事の雰囲気もその判断に重要である。プラスティックトレイに、プラスチック食器・・・これだけでもずいぶん違う。

 病院から出される食事には、普通食と治療食とがある。
 普通食というのは、健康な人がふだん食べる食事とほぼ同じ内容のものである。 治療食は、心不全食、高血圧食、肝臓病食、藏病食、臓病食、糖尿?食、術後食(手術の直後の食事)など、それぞれの病気や重症度によって細かく分かれている。
 治療食は、当然、その病気の治療にプラスになるものを多くし、マイナスになるものは極力減らすように献立されている。
 今回、私がいただいているのは心臓高血圧食1800Calである。

 よく患者さんから病院の食事がまずくてしかたがない、なんとかしてくれないかと苦情がでていた。 本当にそう思っている方にはお気の毒、ごもっともであるが、そう簡単なな問題ではない。

 ここで健康保険から支払われる給食費に、ちょっと目を向けよう。
 食事に対しては患者が支払うのは一食460円である。実際には、材料費、燃料費、人件費、その他いっさいの諸経費をふくめて食事の準備にどれだけかかっているかは今の立場では知る由はない。不足分は健康保険で賄われる。

 ラーメン一杯が800円はする時代に一食460円しかし払っていないことを何と考えるか。この枠内の自己負担に見合うだけ安い病院食をつくらなくてはならない給食関連職種員は日夜努力している。
 食事の内容に大きく期待するほうが土台無理。しかし、そうとわかってはいても、すこしでもおいしいものを食べたいのが人情であろう。

 それでは、どうしたらいいのか?
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 ?第一の手は治療に専念し早期退院に持っていくこと。
 ?普通食が出されている人は、若干の副食物を自分で用意するか、差し入れをしてもらうといい。治療食が出されている場合には、それも許されない。
 ?それが叶わない時は早く食事になれること。不満が不満を呼ぶ。
 ?病院食を通じて、人間がどれだけ少ない食事量で生きられるのか考えてみるべき。
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 私は日本人の食事を考えてときに分不相応な贅沢をしている、と感じている。

 この背景には一日130円で耐え忍んだ6年間の経験が大きい。私は日常の食事は「一汁一菜+アルファ」でいいと思っている。
 日本人は自給率も悪いのに食べることにしか興味がないのか??・・・とさえ思っている。
日本人の食を考える(1) 日本人は食べることにしか興味がないのか?

私には食事以外に興味を引く分野が多々あり、とても恵まれている、と思っている。

 今回の入院も自覚症状は速やかに改善した。しかし、ことの重要性からまだ退院許可は下りないが、この数日間の病室内における生活は、読む、聴く、考える・・・などなど実に豊かである。

 朝中夕の3食は、「えっもうご飯なの??」という気持ちで迎えている。働きもせずに与えられている。いずれも完食でき、食事の面でも幸せ感を味わっている。


5/7(日) 曇り 入院3日目 殆ど無症状
2:20中通病院で起床。本読み、文献読み、徒然記載ほか。ほとんど無症状で体調は良好、酸素吸入さえなければ自宅や職場で過ごせるレベル。終日ラジオ録音データを聞き返し、読書、徒然記載、ゆっくり過ごす、20;30就寝。Σ1744歩。朝昼夕食共完食。明日はレ線や各種の機能検査が予定されている。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(2) 入院後は速やかに自覚症状が消失した 疾病歴まとめた

 私は15年ほど前から心臓に問題を抱えていた。基本は心房細動である。 

 それに昨年来、完全左脚ブロックが加わった。心房細動も最初は時折生じる発作性心房細動であったが、徐々に持続性になった。恐らく心臓に加齢または生活習慣による退行性変化が緩徐に生じていたのであろう。

 昨年3月の循環器科の定期チェックは経過観察のレベルでであったが、自分としては、人生の終末の一つの形として狭心症又は心筋梗塞?? あるいは鬱血性心不全??の確率が高いだろうと覚悟していた。

 従って、5月5日に生じた異常事態は発症当初は驚いたが「遂に来たか!!!!」と想定内にあったと言うこと。だから、自分としては迅速に判断出来たし、救急車でなくタクシーでも良いだろうと病院に向かったのであるが、実際には時間的には厳しかった。到着時気を失う一歩手前であった。

 私はあと数日で78歳になる。思えばいろいろ病気をしたもんだ、と思う。
 これを機会に、私の疾病歴を項目だけをざっと振り返ってみた。

 自分の疾病歴は以下の如くである。随分色々あったものだ、と思う。 
――――――――――――――――――――――――――――――
■1945年 出生、幼少時は虚弱・腺病質で戦時下でもあり育たないだろうと思われていた 
■1951年難治性急性胃腸炎で匙を投げられる。小学生3年の時 恐山のイタコに願掛けた
■1953年 盲腸周囲膿瘍 小学生5年
■2007年8月1日膀胱頚部硬化症(経尿道的切開)+膀胱憩室手術(腹部正中切開) 
■2007年頃から発作性心房細動自覚、2012年5心房細動の慢性化
■2008年肺がん疑い 器質性肺炎であったか?
■2011年緑内障・白内障の診断 点眼治療開始。
■2012年10月腸閉塞 内ヘルニアで腹腔鏡手術  
■2012年11月心原性脳塞栓 後遺症なく改善
■2017年5年ほどかけ右下腹部に鼠径ヘルニア増大あり、手術
■2022年10月大腸憩室から出血。内視鏡的止血術。輸血には至らず
■2023年4月鬱血性心不全(今回)

――――――――――――――――――――――――――――――
 今回のエピソードを含めて病院関係者からは大事に扱われていることを感じた。
 いかに感謝してもしきれないほどである。


5/6(土)曇り降雨 中通病院入院2日目 苦痛は殆どなし
3:30起床。ラジオ深夜便を聴きiPadで読書、徒然記載する。昨年畑に苗を植え付け。今年はなんとしようか。午前早めに主治医の回診あり。処方などについて説明あり。昼にテザリングにてインターネットに繋ぐ。読書と微睡、ラジオ深夜便。21:30就眠。1022歩と最低。入院中ベット上安静とトイレ歩行だけだから運動不足。朝食、昼食、夕食も完食。食事摂取できるということは体がそれほど悪影響を受けていなかったことか?昼食から普通食に。持続点滴中止。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(1) 昨日、遂に予測していた事態に陥った

 私は心臓に問題を抱えていた。基本の問題は心房細動である。 
 それに昨年来、完全左脚ブロックが加わった。循環器科の定期チェックは昨年3月に受けたが、その時点では経過観察のレベルであった。

 ここ数年来、自覚的には軽度の心不全状態にあるのではないか、しかも徐々に悪化傾向にある、と考えいつかはこのような状況を迎えるものと覚悟していた。その予防として自己判断であるが、日常生活を軽く制限することでなんとか凌いできたが、この連休の天候に惑わされて外仕事に精を出し過ぎ、ついに昨日その限界を越えてしまったと言うこと。

 具体的には心不全傾向として以下を感じていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 ?全体的には動悸、易疲労による気力の減退。
 ?階段昇降が辛くなってきた。
 ?長距離歩行が困難、せいぜい30分程度までと歩行可能距離が短縮。
 ?急足歩行ができなくなった。
 ?リクライニング椅子を倒しネコを胸に載せていると時に呼吸困難感が出る。
 ?前かがみ状態で作業しつづけると呼吸困難感だ生じる。
 ?腕立てや腹筋運動などの全身運動に耐性がなくなった。
 ?心不全の指標であるBNPは軽度高かった。
 ?・・・などなど
 ――――――――――――――――――――――――――――――――
 しかしながら、心不全の指標である兆候の一つである下肢の浮腫などはなく、主として左心の機能低下なのだろうと考えていた。

 症状や経過の推移については出来ることならばいつものごとく記録するつもりである。

 先に示したいのは、救急室受診前が最も辛く、歩行も困難で、意識も薄れかけていたが、大量の酸素吸入で1時間ほどで大きく改善してその後は全く自覚症状がなくなったことである。

 今回も短時間ながら死を意識したが、なんか今後も生きられそうである。
 私はツクヅク運がいいらしい。
 


5/5(金) 子供の日 快晴 草刈3回目 午後心不全にて緊急入院
2:20起床。文献検討、徒然。5:00家庭ゴミまとめ提出。昨日出した金属袋1ケ残っていた。サイズ過剰であったのか。13時半バスにて、通り町、徒歩長崎や、長崎や小書店にて15時ころに心不全悪化か、呼吸困難増悪、ついに来るべきものが来た、という感じ。タクシーにて中通病院救急受診、最終的には歩行も困難状態に陥った。到着時酸素飽和度60台だったらしい。酸素10L吸入で楽になった。採血レ線CTなど、COVID-19などではなく、想定の心不全と診断、循環器科に入院となる。夕食副食(全がゆ、炒り卵、付け合せ)は完食。こんな状態なのに食事ができたのは不思議であった。9時頃から就寝。結構熟睡できた。排尿3回。Σ6391歩、午前はかなり動いていた、ということ。

季節の話題2023(12)モクレンよ、フジよ、オオデマリよ、なんでお前達はそんなに一生懸命に咲くのだ

「なんで、君たちは、こんなに美しく一生懸命に咲くのだろうか。

 いま庭にはオオデマリ、フジが満開である。4月中旬にはモクレンが美しく咲いた。
 余りにも見事、声が出ないほど。
 わたしがグチャグチャ書くよりは画像で示すことにしたい。
 以下が今年の花達である。


5/4(木)みどりの日  快晴 草刈り2回目他 散髪
 1:50起床。随想読み、徒然などトロトロ進める。5;30金属系廃棄物提出、電池、蛍光灯、血圧計ほかで2往復。8:30草刈り2回目暑さもあって疲弊。8割終了、14:00草刈り再開するも隣家が家族総出で畑仕事しており中止した。16:00庭で散髪。衣服に髪付着対応に難渋。本日は病院に行かず、19:00夕食、20;30就眠。歩数11539歩。草刈り作業のため。

季節の話題2023(11)ボタンよ、君たちはなんでそんなに一生懸命に咲くのだ

 「なんで花は、君たちは、こんなに美しく一生懸命に咲くのだろうか?誰のために!!!」は私は物心ついた時からずっと考えているがいまだに考えがまとまっていない。

 桜について一歩踏み込むと、「なんで桜はこんな一生懸命咲くのだろうか??」。私はつくづく呆れている。なにもこんな精一杯、樹々全体で一斉に、火がついたように咲くこともないだろうに、と思う。

 ほとんど一つのクローンからなるソメイヨシノとに備わった宿命といえども、見ず知らずの人類まで、こんな美しい姿をさらけ出すのは何故なのか。

 桜は一生懸命頑張り過ぎて可哀想に思う。落ちこぼれの樹々があってもいいじゃないか。花だけが先行して咲くので桜色一色で見ていて疲れる。あんまり桜がきれいだから、ちょっとけなしてみたくもなる。

 今年は桜をまじめに見ないうちにあれよあれよと言ってる内に散ってしまった。談春で以上も早く咲いた他に、開花してからの強風と降雨が災いした。

 5月になって我が家のボタン、かつては10本もあったのだが継代に失敗、鉢植えから地植えにするのに失敗し半数近くにまで減少してしまったが、そのうちの3本が一斉に咲き始めた。

 余りにも見事、声が出ないほど。
 わたしがグチャグチャ書くよりは画像で示すことにしたい。
 以下が今年のボタンである。


5/3(水)憲法記念日 快晴 草刈り第一回目
2:30起床。ちょっと乗らず、データ処理、随想読み、徒然などトロトロ進める。8:30草刈り第一回目、南側半分、明日の金属類廃棄に向けて準備。11;30新聞チェック、午後微睡。台所の中型ゴミ箱の蓋の修理、見事に出来た。14:00家内に同情中通リハ、入院患者の様子見る。受け持ちの某患者の三女は約30年前に私が仲人をした方であった。当然当時の面影はない。達筆であったことを思い出す。新聞入力、19:00せきや経由で帰宅夕食、21:00就寝。 歩行計9886歩。

日本の危機と対策2023(10) 人口減(7) 外国人によって維持できている社会
 (1)純血主義のもと国家として衰退の道を選んだのは何時か、誰か??
 日本人は文化的に完全に島国根性である。島国だからこその良い面は今まではいっぱいあった。
 しかし、人口問題に関してはもう国内では解決できないレベルに達している。

 自国民内で人口を維持しようとすると、すでに出産可能人口が減ってしまったから出生率を今の倍以上の3.0以上にしなければ成り立たない。これは不可能。
 
 日本は一定の人口を維持し、国力を維持する道より、日本人による純血主義のもとで国家として衰退の道を選んでしまった。

 ところで、いつ誰が純血主義を維持し、座して死を待つという日本の将来の選択をしたのだろうか??
 閣議でもない、国会討論でも取り上げられたことは無かったはずで、私は指摘できない。この問題は、国民投票をしてもいいような重要な話題であったはず。

 (2)外国人の助けを借りて成功した角界。
 あれほど伝統にこだわる角界が外国人力士を導入した事は今となっても驚きであるが慧眼であった。いまの隆盛は外国人力士の活躍の結果である。もし純血主義にこだわっていたら、勝負は面白みにかけ、ファンは離れ、マイナーな世界になっただろう。

 それなのに、まだ外国出身力士に批判的であったり、日本人横綱の誕生を異常なほど熱望するなど純血主義のなごりは深く残っている。もちろん外国出身力士が持っている文化的土壌は角界の中では問題を醸し出しているが。

 (3)外国人の助けを借りて成り立つ介護・看護部門
 厚労省の2019年の発表によると、看護職員は2025年に約200万人必要と算出されてるが、看護職員の供給数は175〜182万人で、約6〜27万人程度不足すると推計されている。労働力不足を補う為に外国人スタッフの導入について、積極的に取り組み始めている。

 (4)問題があった労働力としての外国人技能実習制度
 国際的な人材獲得競争が激化する中、短期間の滞在しか認めない現行の技能実習制度を見直し、希望者は日本に定住できる仕組みを整えることは重要だ。

 技能実習は1993年に始まった。発展途上国の人材を育成する国際貢献が目的。最長で5年間、農業や製造業など86職種に従事できる。

 2019年の入国者のうち、ベトナムが91,170人、中国34,685人となっており、両国からの入国者で技能実習生の入国者全体の約7割を占める。両国以外ではインドネシアから15,746人、フィリピンから13,839人、ミャンマーから6,460人を受けいれている。

 名目は実習制度であるが、実態は国内の労働力不足を補完に利用されている例が多い。実習生への暴力や賃金未払いなど人権侵害が相次ぎ、国内外から批判されてきた。

 新しい制度では、明確に労働力と位置付け労働者としての権利を守ることで、日本で働く魅力を高めると期待される。新制度では一定の技能を獲得した外国人を特定技能制度へ円滑に移行させ、中長期の滞在を可能にすると言うもの。より幅広い職種で、高い技能を持った労働者の長期の安定雇用を可能にする制度設計を目指すべき。技能実習では認めていない家族帯同も認める必要がある。

 経済の低迷が続く日本は他国に比べ賃金が低くなっており、外国人の就労希望者が減っているとの指摘もある。労働者から選ばれる国であり続けるために、外国人の受け入れ体制を大きく転換させるべきだ。

 国立社会保障・人口問題研究所が将来推計人口を4月26日公表した。それによると外国人が占める割合を人口の10%と推定している。納得できる結果である。


5/2(火) 早朝一時雨、その後晴れ 中通病院外来
 1:40起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ廃棄。秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。6:40バスリハ病院へ。回診、新聞チェック。8:45中通病院外来。12:30中通リハ、微睡、14:00患者対応そのほか、新聞入力、項目分類ほか。19:30帰宅、夕食、21;00就眠。歩行計7504歩。

日本の危機と対策2023(9) 人口減(6) マスコミは人口減の根幹を報道していない(2)
 日本のように、ここまで少子高齢化が深刻化・固定化すると、国内の出生率だけでは対応不可能であることは歴史が証明している。
 ここまで出生率が低下して、その後、人口減少が止まるとされる0.21まで持ち返した国はいままで存在しないし、出生率改善の試みは数10年もかかるものであり、即効性の策はない。

 そもそも人口ピラミッド構成はその国の政策決定者たちに警鐘を鳴らし、 早めに手を打つことを促す目的で作られ、通常、他国はかなり早めに具体策をとった。しかし、日本の無策は非常に特殊であり、すでに回復不可能なところまで傍観し続け、不可逆状態まで陥っている。

 政策決定者たちの「近視眼的」対応が不思議でならない。世界では、日本はすでに没落過程にある過去の国と見なされている。

 日本の最大の課題が人口問題であることについての認識は、ほぼできている?? と言うよりは人口減の歪みが現実になった今、やっと気づき始めたレベル。

 人口減少によって、暮らしを支えてきた社会の基盤は次第にやせ細り、地域社会そのものを支えきれなくなりつつある。
 起こるだろうと想定していたことが、われわれの暮らしの周辺で現実に始まっている。各界で若い労働力が不足している。こうした中でも、どんなことがあっても「移民だけは絶対に受け入れない」という視野の狭い政策をいつまで続けるのだろうか?

 移民とは単に人口減少を補う 「労働力」というものではなく、日本社会にさまざまな貢献をする可能性を持つ人たちであり、現在の閉塞感を打破し日本を新しいステージへと導いてくれる。

 そこの最も大切な論点はマスメディア、政治家も必死に避けているようだ。

 私は若い女性を増やすことにしか解決策はないと考えていた。しかも、日本人だけでは実現し得ないところまで状況は悪化している。

  マスメディアだけでない。人口減問題を受け入れようとする立場から論じた書籍もある。なかなか容認し難い論旨であるが、・・・
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●藤波 匠 人口減が地方を強くする
●村上由美子 武器としての人口減社会 国際統計でわかる日本の強さ
●松谷明彦・藤正巌 人口減少社会の設計 幸福な未来への経済学
●山崎史郎 人口減少と社会保障 - 孤立と縮小を乗り越える
●吉川 洋 人口と日本経済
●日下公人 「人口減少」で日本は繁栄する
●平田オリザ 下り坂をそろそろ降りる


5/1(月)快晴夕方から降雨 健康クリニックドック 
1:30起床,文献チェック、随想読みほか。6;40バスリハ病院、回診ほか、9:00-10:00健康クリニックドック2名だけ+結果判定11名。リハ病院へ移動、それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。入院患者対応、19:30通り町書店経由帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計5624歩。

日本の危機と対策2023(8) 人口減(5) マスコミは人口減の根幹を報道していない(1)
 2015年、人口減のために「地方が消滅する」とする報告が出て世論に衝撃を与えたが、それほどの社会問題にはならなかった。それは、我が国のメディアが十分に、正しく取り上げてこなかったため、と私は思っている。

 そのために当時の朝日新聞の社説や記事を見直したが、問題の捉え方に深刻さを欠いている他に、人口減少の原因の根幹には一切触れていなかった。私は違和感を抱いた。

 我が国の人口減少は半世紀も前から予測されていたが、何ら具体的対策を取らなかったために少子高齢化がすっかり進んでしまった。高齢化も深刻な問題であるが、少子化の方がその何倍も深刻であるのに、この50年間のメディアの関心は少子化よりも高齢化にあった。
 
 少子化は高齢化より遥かに深刻である。

 出生率、出生数は極度に低下したから将来出産することが期待される女子人口がどんどん減少する。出産可能女子がここまで減少してしまえば、例えば、現在1.3程度の特殊出生率を2.5ほどまでに倍増させても人口減少を防ぎ得ない。しかも、若い夫婦が子供を産みたいと考えていてもそう出来ない社会的事情が多過ぎるから、出生率の改善は望み得ない。その事情は政治がつくってきた。

 政府は今に至って少子化対策に力を入れ始めた。「異次元」と言う名前が好きだね。

 50年遅れたツケを何とかしようとしているが、5兆円の少子化対策予算を組んでも出生率への影響は0.1程度と試算されている。当然だ。
 いくらお金をかけても子を産める女性が少なくなった以上人口減は何ともならないのだ。

 結局は子供を産める女性を集めることしかない。すなわち「移民の受け入れ」である。所が、日本では「移民」という言葉が出たとたん、 政治家は後ろを向き、 メディアはいっせいに慎重になる。

 ここ数10年、移民問題を正面切って論じた新聞はあっただろうか??私が知る限りは無いと思う。
 
 人口問題に携わる海外の文献に接すると、「日本はすでに手遅れだ」、「これだけの資料がはっきりしているのに誰も具体的な手を打たないのは不思議だ」という意見をたびたび目にした。

 日本国内で地方創生、子育て支援策など、まだ努力すれば大丈夫という夢想と、海外からのきわめて厳しい見方との間には大きなギャップがある。

 日本のひし形が大きく上方に広がった人口推計ピラミッドを、日本では「ビヤ樽」型と呼ぶが、欧米では国が滅亡するという意味を込めて、「棺桶」型と呼んでいる。

 人口減問題に関する新聞記事からは今も深刻さは窺い知れない。移民問題はあえて避けてきたとしか思えない。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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