徒然日記
2022年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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 12/31(土)大晦日 年末休暇三日目 飯川病院年末休暇+日当直
2:00起床、読書中心。いつものごとく、7:00コンポスト処理。回診に行く家内に同乗、飯川病院に。9:00日当直に就く。読書、微睡で過ごす。12:00昼検食、新聞チェック+入力、読書など三昧。ラジオの録音数件。データ整理、読書、微睡、また読書・・・・18:00検食、大晦日の年越し料理。20:00就寝。歩数計Σ3256歩。

2022年大晦日 飯川病院日当直  
 時間の経過は実に早い。本年もついに大晦日を迎えた。 

 最近やたらに睡魔が生じてくる。身体が求めているのだから・・と、業務の隙間があればできるだけ応じている。変則的な生活の歪みが関係しているのかもしれない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であったが、ここ数年来、「もっと無計画に、適当に生きてみたい・・・」と思い、今年あたりから「できるだけズルしたい」に進化した。
 手を抜けるところは抜きたいものだ、とウジウジ考える。今年は除雪を要するほどの積雪はなかった。これだけでも嬉しい。
 あらゆることに感謝の気持ちを抱きながら新年を迎えよう・・・などなど、思いながら今年も無事終わりそう。
 いま時計は23:30を示している。本年分の記述はここまでとし、ズルさせていただく。



(超豪華な本日の夜の検食 メニューは一口蕎麦、海老フライ、三色きんぴら、付け合わせ、フルーツ 他)

 この一年、ありがとうございました。


12/30(金)年末休暇二日目 飯川病院御用納
2:00起床、読書中心。6:00可燃ごみ集積処に。資源ごみ2袋、これで柿の木の枝葉処理終了。市の依頼を受けたごみ処理業者のスタッフの方々ご苦労様。午前、鉢のままの一部のダリアガレージに避難。11:30バス飯川病院、ボランティア。検食、微睡、新聞チェック+入力、読書など三昧。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ8897歩。

2022年この一年(3)  我が家の出来事  
 時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。
 私は、先に勤務していた法人の嘱託医として、また、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医、作業員として診療や花々の世話を細々と続けている。

 今年も、家族とネコ、自分との対話を中心に、準引きこもり状態で過ごした。
 ずいぶん本を読んだ。野菜を作った。ダリアを育てた。
 終活として庭の樹木類を伐採した。6月にケヤキ、11月に柿を伐採した。いずれも大きくなりすぎ隣家に色々影響を与え始めたからである。次いでに手がかかる灌木類も伐採した。庭がすっきりした。

 毎日の新聞、読書、文献整理その他などを通じていろいろ情報を仕入れ勉強し、データとしても蓄積した。無知であった自分を恥じながら、新しい史実、事実を学んで日々一人で感激している。

 家族たちの健康面を見てみると、病身の家内は大きなトラブルなくほぼ健康的に過ごしている。最高である。3人の子供たちも元気、5人の孫たちも何れも個性豊かにすくすくと育っている。年長の孫はでっかくなってジジイの背を超えそうだ。
 賄いの石井さんも弱ってきたがなんとか頑張っている

 この秋には、私に健康上のトラブルがあった。
 大腸憩室からの大量出血で入院治療をした。出血した当初は頻回大量であり「ついに来るべき時が来たか・・・」と覚悟したが状況を観察している間に出血の程度は減少傾向にあり、消化器科的精密検査、止血術を受け1週間経過観察で入院し回復した。

 おりしも入院翌日は秋田市外旭川地区の民生児童委員協議会での講演が予定されていて、私も人生最後の講演として準備万端であったが、キャンセルせざるをえなかった。私の講演歴は100回以上に及ぶがキャンセルは初めてのことであり、関係者の方々には多大な迷惑をかけてしまった。
 12月には2本目の抜歯をした。

 最近、体力・気力の衰えが顕著である。バランス感覚の衰えか筋力低下か、ふらつく。

 まだまだ読書欲は衰えていない。この一年間に新しく購入した書籍だけでも100冊を超えている。全部解体しデータ化しiPadで読む。よく読んだものである。

 家内が院長している医療法人飯川病院は今年度末で閉院する。私自身はそろそろ引退を希望するが、家内はまだ働く意欲があるようだ。家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。引退するなら同時だろう。

 我が家のネコたちはとても元気、毎日話題を提供してくれている。横浜で拾われた17歳の老ネコの「ユー」もなんとか頑張っている。

 私がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私が最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ一日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて締めたい。
 ありがとうございました。

12/29(木)比較的温暖降雪殆どなし 年末休暇初日 飯川通常 歯科受診  
1:20起床、昨年オリンパスPV-10不調、初期化改善せず廃棄とした。ネコ相手して医学文献、新聞などチェック。座学、データ移行。10:30家人に送られ歯科医院、今回の処置経過観察は終了、数ヶ月ごに。11:30飯川病院まで送ってもらえた。微睡、本読み、その他。14:00勤務、入院患者対応。読書。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ4078歩。

2022年この一年(3) 秋田県の10大ニュース
 一年を締めくくるいつもの時期が来た。
 国際的には? 日本国内では? 秋田県では? 我が家では? 
 何があったのだろうか。
備忘録的にまとめておく。

【1位】ミルハスがグランドオープン 秋田芸術劇場ミルハス開館9月3日オープンし、新日本フィル演奏会、ウクライナ国立バレー団による講演などが行われている。私は今のところ近づいていない。

【2位】県内、記録的大雨8月3日で初の顕著なる大雨情報を発令。4河川が氾濫。
【3位】サキホコレがデビュー あきたこまちと並走。
【4位】「西馬音内の盆踊」「毛馬内の盆踊」が無形文化遺産登録。
【5位】秋田の夏祭り、3年ぶりに開催 「竿灯祭り」、「西馬内盆踊り」、「大曲の花火」 などなど。入場者は211万8000人。
【6位】児玉前鹿角市長(74)逮捕、官製談合疑い 強欲さは年齢によらない??私も見習わねばならない一面。
【7位】東北絆まつり、来場者11万人。私は窓からブルーインパルス初めて見た。
【8位】新型コロナ感染者、県内累計10万人超える。 
【9位】サキホコレ「特A」に。
【10位】プロバスケットボールクラブ「秋田ノーザンハピネッツ」が初のCS進出。 

【番外】
?佐竹敬久知事は、記録的大雨で深刻な被害を受けた比内地鶏について「食感が硬い。 値段は一般の鶏肉の3倍だが3倍うまいかは分からない」 などと語った。
 知事として許し難い馬鹿な発言。「値段は3倍だが3倍以上美味い。是非、全国の皆様に食べていただきたい」 と言えないのか!!と思う。こんな知事の姿勢では秋田は活性化しない。私は鍋には比内地鶏、と思っている。時折購入している。


?県と秋田市は7月26日、 新たに1284人がCOVID-19に感染したと発表。 1日の感染者数としては初めて千人を超え。

?プロ野球日本ハムの吉田輝星投手 (金足農高出)が6月21日、秋田市のこまちスタジアムで地元初登板。 球場を埋め尽くした大観衆が沸いた。

?県調査統計課は10月24日、 10月1日現在の県人口を92万9915人と発表した。 3月に94万人を切ってから7カ月で93万人を割り込んだ。

?ロシアによる軍事侵攻が続くウクライナから避難した母子が5月9日、 秋田市に到着した。 避難民の県内への受け入れは初。

 (秋田魁新報社が読者から募集した2022年の秋田十大ニュースの記事を参照、一部改変した)。




12/28(水)終日小雪積雪なし 午後飯川病院 COVID-19ワクチン担当
 1:30起床。ネコ対応、徒然など。10:50バスにて飯川病院に、ボランティア。データ整理。14:00-15:30COVID-19ワクチン担当、新聞チェック、入力、座学他、19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ6655歩。

2022年この一年(2) 日本の10大ニュース
 一年を締めくくるいつもの時期が来た。
 国際的には? 日本国内では? 秋田県では? 我が家では? 
 何があったのだろうか。備忘録的にまとめておく。

【1位】安倍元首相撃され死亡
 安倍元首相が7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した。警察庁は現場の不手際と計画段階の不備が重なったとする警護の検証結果を公表し、要人警護の全面的な見直しが行われた。
 9月27日は日本武道館で安倍氏の国葬が営まれ、4183人が参列した。岸田首相は国葬を行うことを早々に決めたが、論拠に乏しく内閣支持率下落の一因にもなった。決断力の乏しいという評価に抗したのであろうが、岸田内閣の勇み足的、ゴリ押しであった。最長政権??自分達が力不足だった事が第一の要因。

【2位】知床観光船沈没事故
 北海道・知床半島の沖合を航行していた観光船が4月23日沈没し20人死亡、6人の行方不明となった。実態を見ると安全対策に重大な欠陥があり起こるべくして起こった人災と言える。

【3位】円安1ドル150円突破
 日米の金利差拡大を背景に10月円相場が一時、1ドル=150円台まで下落した。9月下旬から総額で約9兆円を投じた。円安で日本経済は混乱し、物価上昇が続いている。日銀はちょっと手を加えたがいまだに強気を崩していない。

【4位】旧統一教会 政治問題化
 安倍元首相の銃撃事件をきっかけに旧統一教会による高額寄付被害、人権軽視などが明らかになった。教会と政治家との接点も相次いで浮上し、所属国会議員179人との接点が判明した。内容的に、これまで問題にならなかったのが不思議である。

【5位】COVID-19 感染1日10万人
 「オミクロン株」が年明けから流行、第6波のピークを迎えた7月感染者数は初めて20万人/日を超え、感染者累計が1000万人を突破した。政府は9月、「全数把握」を見直し10月には水際対策も大幅に緩和した。

【6位】辞任ドミノ、閣僚更迭相次ぐ
 この2ヶ月で4人の閣僚が更迭された。政治家とはいかに「抜けた人材」が紛れ込んでいるのかが示された。清廉潔白は死語になった。閣僚として推薦する派閥にこそ問題がある。

【7位】五輪汚職、組織委元理事ら逮捕
 やったことは情けないが、総じて70歳代の高齢者が関与していることに驚く。

【8位】宮城・福島で震度6強、新幹線脱線
 新幹線の脆さが表出した。東北新幹線は乗客6人負傷、線路架線の被害は1000箇所以上。秋田新幹線は58日間にわたって運休減便などがあり、私も影響を受けた。さらに高速化が図られているが私は反対である。速度追求より安全対策である。 

【9位】サッカーW杯日本代表16強、野球界で大谷、村上、佐々木朗希活躍 
 サッカーのW杯カタール大会で、日本代表はドイツ、スペインに勝利、ベスト16となった。大リーグの大谷は104年ぶりとなる「2桁勝利、2桁本塁打」を達成した。ヤクルトの村上選手が56号を放ち、日本選手の最多本塁打を更新。佐々木朗希選手は完全試合を達成した。

【10位】藤井竜王 最年少五冠
 将棋の藤井竜王が2月10代での五冠を成した。

【番外】
?北京五輪 冬季最多メダル
?改正民法施行、成人年齢18歳に
?3歳女児、通園バスに取り残され死亡
?北ミサイル発射相次ぐ 
?山口・阿武町が4630万円誤給付
?夏の甲子園で仙台育英優勝、東北勢初 
?沖縄本土復帰50年
?などなど多彩な年であった。

12/27(火)曇り小雪午後快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:20起床。本読み、データ整理、徒然などゆったり過ごす。除雪なし。6:00可燃ゴミ集積所に提出。足元凍結滑って厳しい。6:40バスで飯川病院に。8:45-12:46中通病院外来、今年最後、混雑なし。13:00飯川病院ボラ、検食微睡後、歩行訓練、ミルハス、ナカイチへ。新聞入力、読書中心に。19:30帰宅夕食。21:00就寝。Σ11150歩。

2022年この一年(1) 世界の10大ニュース 
 一年を締めくくる時期が来た。
 国際的には? 日本国内では? 秋田県では? 我が家では? 
 何があったのだろうか。備忘録的にまとめておく。

一年を締めくくる時期が来た。
 国際的には? 日本国内では? 秋田県では? 我が家では? 何があったのだろうか。纏めておかないと焦点がボケるし記憶にも残り難い。
 備忘録的にまとめておく。

【1位】露、ウクライナ侵略
 ロシアのプーチン大統領は2月24日、国営テレビで緊急演説し、「特殊軍事作戦」と称したウクライナ侵略の開始を表明。
 ロシア軍は多方面から攻め込み、首都キーウの短期陥落とゼレンスキー大統領の失脚を狙ったが、ウクライナ軍の激しい抵抗で失敗した。ウクライナ軍は米欧からの軍事支援を受け、秋には本格的な反転攻勢に着手、2月以降に占領された領土の約54%を奪還した。露軍の死傷者は約10万人とされ、露軍は10月から、エネルギー施設を集中攻撃し、深刻な電力不足が市民生活に打撃を与えている。
 ロシア・ソ連は今まで日本への侵攻も含めて理不尽な侵攻をどれだけやったのか!!!

【2位】エリザベス女王死去(96歳)
 英国史上最長の約70年余君主を務めたエリザベス女王が9月8日死去した。国民にひたむきに奉仕した女王は、英国だけでなく、世界中の人々からも愛された。女王の国葬はウェストミンスター寺院で営まれ、約200ケ国から約2000人が参列した。日本からは天皇、皇后両陛下が参列された。

【3位】韓国雑踏事故158人死亡
 10月29日ハロウイーン前夜、雑踏事故が起き、日本人留学生2人を含む158人が死亡した。当日は10万人超の人でにぎわっていた。事故は全長40m、幅3.2mの通りで起きた。自分の命を守る行動は自分で考えなければ、と思う。

【4位】カタール W杯開催
 中東では初となるサッカーW杯カタール大会が11月開幕した。アルゼンチンがフランスをPK戦で破った。日本はベスト16を達成した。カタール大会は命の軽視を背景に営まれたという視点の方も注目が必要。

【5位】世界COVID-19 感染6億人
 米ジョンズ・ホプキンス大の集計によると、世界のCOVID-19の累計感染者数が12月、6.5億人を突破した。米国が約9400万人、インドが約4400万人。日本は10番目の約1800万人。世界の累計死者数は約650万人となった。

【6位】原油急騰100ドル突破
 ロシア軍のウクライナ侵略を受け、原油価格の主要な国際指標が急騰した。テキサス産軽質油の先物価格は3月、一時1バレル=130ドルを上回った。6月以降は下落基調となり、12月はおおむね70ドル台で推移した。この侵攻は全世界の人々に広く影響を与えている。このようなことは歴史上初めてである。もう戦争などしている暇などないのだ。

【7位】習氏3期目
 中国共産党の第20期中央委員会第1回総会が10月北京で開かれ、 習近平総書記の3期目政権が発足した。3期目政権で核戦力を意味する「戦略抑止力」の増強を掲げ、「台湾独立」に断固反対を盛り込んだ。しかし、私は共産党独裁から総書記独裁にシフトしていくが、同時に体制上は一歩危険に踏み込んだとみたい。ゼロコロナ政策の変更は重大な汚点となる。かつてペストの流行が中世の封建社会を崩壊させたが、極めて類似した現象上にある。

【8位】世界人口80億人
 国連は11月世界の人口が80億人に達したと発表した。最多の中国とインドだけで約28億人、アジア圏は約44億人と55%を占めた。世界人口は2058年頃に100億人を突破する見通しだ。貧困、飢餓、温暖化の増悪が問題になる。この点でも戦争などしている暇などないのだ。

【9位】上海都市封鎖
 中国最大の経済都市上海で3月28日COVID-19感染拡大を受け都市封鎖が始まり、日本企業の現地工場でも休業が相次いだ。6月に事実上解除されたが、中国の経済成長は大きく減速し供給網に影響を与えた。中国政府は厳しい「ゼロコロナ」政策を続けてきたが、12月COVID-19との共生を目指す方向に転換した。体制崩壊につながる可能性も。

【10位】マスク氏、ツイッター買収
 米テスラのイーロン・マスクCEOは10月米ツイッター社を440億ドルで買収した。その後混乱が広がっている。ツイッターなど関心がないから私的関心は乏しい分野。

12/26(月)終日降雪 積雪3-4cm  健康クリニック 飯川病院勤務  
1:30起床。本読み、本、書類自炊、徒然などゆったり過ごす。除雪なし、6:40バス飯川病院。9:00健康クリニック、11:45飯川病院。データ整理など。14:00-19:00飯川病院勤務。入院患者対応。微睡など読書、新聞チェック。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ6870歩。

飯川病院閉院は2023年(令和5)3月末で閉院する

 飯川病院は1970年(昭和45)、故飯川夫妻によって開院されたが、2023年(令和5)3月末日をもって閉院することとなった。

 かつては病床数40床の循環器科病院として地域医療の一端を担っていたが、1998年(平成10)以降は療養型病院となった。

 2010年(平成22)6月、飯川夫妻が高齢で引退されたために家内が院長に就任、2011年(平成23)年4月から小生も週3回午後に常勤的非常勤医師として勤務、他の3日はボランティアとして病弱な院長の業務を援助、また土日祭日は月に2−4回は日当直を担ってきた。

 しかしながら築後50年も経過し、建物の老朽化が進み、大型の設備など、エレベーターや患者の入浴設備なども機能的に限界を迎えつつあり、それらは修理不能とのことで、今は祈るような気持ちで建物や設備をを騙し騙し使っている状態にある。

 本年夏の法人理事会で本年度末をもって閉院と判断した。
 私は運営には参加していないが、妥当な判断と思う。


 (飯川病院の閉院はすでに広報されている)

 現在閉院に向けて各種の手続きが始まっていると思われる。

 来年度から私どもはどうするか?
 私どもには近隣の中通リハビリテーション病院から非常勤としての勤務の誘いがあった。
 院長は飯川病院の外来患者、入院患者を継続的に診て行くつもりのようである。
 しかし、この病院ではカルテは完全電子化されており、電子カルテを扱ったことのない院長は補助者がいないと何もできないだろう。そうなると私が補助者として傍にいなければなるまい・・・・。

 などなど考えている状態である。

12/25(日)寒波曇り降雪 
 1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。午前はデータ整理等座学で過ごす。午後は微睡後14:30書斎に籠り音楽関係の録画確認、鑑賞。東京都交響楽団ブラームスNo1、ラベルボレロ、他。休宝寺にて恒例の餅つきと懇親会は開催せず。19:00夕食、就寝。Σ3470歩。

季節の話題2022(32) 歩行時の安全に必須なスパイクアダプター
 私は降雪時や凍結路歩行時に転倒しやすい。いつも骨折や頭部外傷を起こすのではないか、と恐怖を覚えている。昨季は何とか2回の転倒だけで済んだ。

 滑りそうな路面を歩行する際には踵から踏み出すのではなく足低を均等に着地させる。こういうのをペンギン歩き、というらしい。それでも滑る。私は転倒予防のために降雪期になると防寒シューズにスパイクのアダプターをつけている。流石に幾分かは歩きにくいが、滑り難くなる。

 私は早朝に歩き回る事が多いから特に路面の影響を受ける。
 コンポストへの食材の廃棄、可燃ごみの集積場所への廃棄はam5:00頃から開始、除雪はam5:20頃から、出勤のためのバスに乗るためにはam6:30に家を出る。停留所まで10分、降りてから病院までほど10分ほど歩行する。

 この時間帯は最も冷える時間帯であり、路面は凍結している事が多いから歩行時には気が抜けない。特に危険なのは1cmほどの積雪が路面に積もった時で、路面の凍結状態を知り難いから特に危ない。
 
 私は3年前に運転免許証を返上した。そのために安易に車に頼ることができなくなった。運転も怖いが、冬季間の歩行も怖い。

 高齢者の転倒は、場合によっては大腿骨骨折や頭蓋内出血に結びつき、一瞬にして深刻な問題になることが多い。私は血液凝固阻止薬を服用しているために外傷による出血はより深刻である。頭蓋内出血は致死的にもなりうる。

 なぜ高齢者は転びやすいのか。
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 ?筋力の低下もあり、滑ってぐらっときた時に耐えられない。
 ?視力の低下があり足元をよく視認できない。段差、階段が分かり難い。
 ?雪の歩道、凍結した路面、濡れた路面、濡れた落ち葉、マンホールの蓋、橋の上などは特に危ない。
 ?すり足状態になっておりつまずき易い。
 ?股関節等体のあちこちにある「バランス感覚受容器」、「小脳機能」の衰えも関係。高齢者はよろめき歩行に近い。
 ?上記の様な個々の理屈以上に、高齢者は転びやすくなっているのだが、その認識が乏しくなっている。
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 転倒防止のために一昨年には滑り難さを売りにした防寒靴を購入したがそれでもダメだった。凍結した路上での転倒は、突然だから対処の方法がなく、無防備な姿勢で後ろに転ぶことが多い。特に、現在の道路事情は危ない。結構凹凸がある。ブロック等の突起物も多い。

 今季も、早々にスパイク状の靴底アタッチメントを2種類、数セット購入し適宜装着し始めている。これでも万全とは言えないが、装着しない状況とは結果が大きく異なっている。

(愛用のアタッチメント 右は前後にスパイクがあり、左はつま先中心にスパイク)

 ホームセンターには、数種類のスパイク状の靴底アタッチメント製品が売られていて、大体千円程度であるが、あまり普及していないようだ。

12/24(土)曇り降雪若干 積雪2-3cm  飯川病院午前日直 
1:30起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。ここ数日は記録的寒波降雪の予報、九州を含め全国的に大雪情報、北陸等では車の立ち往生など生じている。秋田市内は降雪はあるが殆ど積雪無し。昨季初除雪、今年は未だ。午前飯川病院日直。午後はそのまま座学、微睡などで過ごす。18:00迎えあり帰宅、夕食。21:00就寝。Σ3015歩。運動不足。

季節の話題2022(32) ズルと安全のために融雪剤も導入した
 師走を迎えた雑感として「心身が求めるままに、出来るだけズルしたい」と気持ちを綴った。その一環として春には除草剤を初使用したが、今冬は融雪剤を初めて購入した。

 私は雪対策としては除雪機で除雪している。
 今年は全国的に大雪に見舞われており、九州・四国・名古屋でも積雪があり、スリップ事故が多発している。北陸地方では交通が麻痺し立ち往生も生じている。

 一方、秋田市は連日大雪警報が発令されているが降雪は雨に変わる事が多く、積雪はせいぜい5-6cmであり、しかも比較的早く溶けてしまう。だから、今期はまだ除雪機を動かしていない。

 それでも、早朝には積雪と溶けた雪が一気に凍りつき滑って危ない。
 今期は3回ほど玄関先に融雪剤を散布した。効果が出るには時間が必要であるが、散布した場所は確実に融雪され、凍結部位も徐々に溶け転倒の危険は少なくなる。

 私の除雪機は雪意を飛ばすタイプだから圧雪には弱い。だから誰も通らないうちに、早朝に除雪するのであるが、除雪を要する面積が広く、道路の距離も長い。だから、隣近所への騒音の迷惑を考えてam5;20頃から開始する。時間に追われ細やかには対応できない。

 融雪剤は上手に併用すればかなり便利になりそうである。
 除雪に関してはやっと「ズルしたい」と言う気持ちに添えるようになりそう。いや、やはり転倒防止の目的の方が大きい。

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 ところで融雪剤とはどんなものだろうか。

 ?融雪剤はどんな時に用いるのか??
 私が子供の頃は融雪と滑り止めを兼ねて、ストーブやカマドから取り出した「灰」を雪の上に散布した。結構効果的であったが、今の時代「灰」など入手できない。

 融雪剤は、寒冷、多雪地帯では欠かせない交通上の安全対策の一つ。坂道や高速道路などでは適宜路上に散布されている。

 ?融雪剤の効果
 融雪剤には、雪を溶かす効果と凍結防止効果があるが、表裏一体でクリアには区別できない。

 ?融雪剤の成分
 代表は、塩化ナトリウムや塩化カルシウム、また塩化マグネシウムなど。純粋な水は凝固温度は0度であるが、食塩水などでは凝固温度が低下する。
 塩化ナトリウム:水溶液は氷結点が最大で−20度Cまで低下。
 塩化マグネシウム:水溶液は氷結点が最大で−30度Cまで低下。
 塩化カルシウム:水溶液は氷結点が最大で−50度Cまで低下。

?融雪剤が車に与える影響:金属の腐食を速める。

?環境への影響
 植物の生育にも塩害の影響があらわれる可能性があるので散布場所に注意が必要。
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 我が家では塩化カルシウムの融雪剤を購入した。玄関先の転倒防止の為に限定して使用する予定である。

(我が家で使用中の融雪剤 これで700円程度 大事に使おう)

12/23(金) 夜半強風日中降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランディア 積雪7-8cm
 1:40起床。データの更新・整理、読書など、2:40停電、八幡田中心の狭い範囲と思われた。5:30可燃ゴミ、資源ごみ廃棄。2Fからダルマストーブ下ろす際に階段踏み外しソフトに転倒、灯油抜いてあったので問題なかったが、反省。6:00復旧、徒然ほか。7:30Taxi秋田駅。8:11こまち、8:50大曲中通病院。今年最後の外来。激しい降雪、往復ともTaxi。15:10長崎屋古書店。16:30飯川病院。微睡など。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数Σ7240歩。気温高く雪は溶けた。

冬至2022 私には大きな喜びの日 柚子湯・カボチャ小豆粥考 
?「朝ぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪」百人一首 (坂上是則)
?「あやまたず 沈む冬至の 日を見たり」(後藤夜半)

 本日23日は冬至。
 冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行く。

 私にとっては冬至は元旦よりも大きな希望の日でもある。
 何で冬至を重要視するのか、というと、私の早朝の作業が結構多いからである。
 私は家事分担として料理関連は一切しない。一切口も挟まない。掃除、洗濯もほとんどしない。私は共同作業が嫌いであり、分担している分野に中途半端な関与を許さない。
 代わりに、外仕事、家のメインテナンスは私が担う。ゴミ処理も全て担う。

 私は1:00頃起床し、6:20に出勤する。そのために5:00過ぎになると朝の作業の開始である。火曜金曜は可燃ごみの日、5:30頃に集積所に向かう。10月末から1月末までは真っ暗闇の中の作業になる。自転車用ヘルメットを改造したヘッドランプの灯のもとで作業を進める。そして道路状況に応じて一輪車またはそりで集積所に向かうが、暗闇の中では足元が滑るから危ない。

 秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。本年の冬至は積雪が1-3cmと少なくまだ除雪機は動かしていない。
 実際の気温や天候は日照時間とは約2ケ月のズレがある。だから、冬至を迎えたとは言え秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。 
 今後、一週間単位で見れば夜が明けるの早くなることが実感できる。これが私にはとても嬉しい現象である。

 冬が長い北欧ではこの日を「太陽の力が再び力を持って来る日」として祝う。
 我が国でも、古くは冬至が1年の始まりの日だつたと言う。その気持ちはよくわかる。

 冬至といえば「カボチャと小豆」、「柚子風呂」である。
 柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるという。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつたと考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存できるカボチャは珍重されたのであろう。ただ、この時期まで保存されたカボチャは皮が硬く簡単には刃物が通らない。かつてはマサカリなどで破壊してから料理したものであるが、最近は私が電動のこぎりで裁断する。

 除雪のストレスに悩み、春を待つ心が誰よりも強い私にとって、冬至は一年の新しいスタート日でもある。
 私たちにとつては暖かさの実感はまだまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受け、開花し始めるのもある。

 私も暖かさを感じる春までの日々を雪と戦いながら歩んで行く。

12/22(木)冬至 曇り  
1:00飯川病院起床。いつものごとく、本日嬉しい冬至。明日から夜明けが少しずつ早くなる。天候自体は厳しくなるも気持ちの上では全く違う。文献読み。当直開けなるもそのまま病院でデータ整理。自炊を含む座学中心。14:00飯川病院勤務、外来入院共対応なし。19:30帰宅夕食。21:00就寝。歩数Σ2722歩。歩数は最低に近い。

こころと体2022(99)  人生二本目の抜歯(2) 出血も疼痛なく終了した
「歯科医は治療上で問題のある歯をやむをえず抜歯するのです」。私の主治医の弁である。

 私は今回の抜歯に備え3日前から凝固阻止剤を中止し不測の出血に備えた。
 抜歯自体は局所麻酔の効果もあって疼痛もなく簡単に終了、局所に2針縫合して終了した。抗生剤は処方されたが、疼痛は味わいたくで鎮痛剤はお断りした。
 抜歯後の出血は間も無く止まり、術後の疼痛もほとんどなかった。
 私はそのまま飯川病院に移動し、日当直業務に就いた。昼の検食は断ったが、夕の検食は通常に食べられた。
 3日後に経過観察していただいたが、問題なかったらしくそこで抜糸された。
 一応、長い間の懸案事項は数日間の休薬のもと、具体的にはほぼ一瞬で終了した。
 

 「抜歯せざるを得ない状況」とはどんな時なのだろうか?
 調べてみた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
?歯周病が進行して歯がグラグラ。
?虫歯が進行して、歯根まで浸食してしまった場合。
?治療歴がある歯の根が割れた場合。
?虫歯菌が歯の神経の空洞を通して、歯根の先端部で炎症を起こした場合。
?歯が異常な場所に萌出したために咬み合わせに参加せず、歯茎の炎症を繰り返すような場合。
?親知らずが隣の歯の虫歯や歯周病の原因になる場合。
?矯正治療のために歯を動かすスペース作りのための抜歯。
?などなど。
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 齲歯や歯周病は一種の感染症で、しかも自然治癒は期待できない。齲歯や歯周病が進行すると細菌が身体の中に侵入し、局所のみならず全身的トラブルを発症することがある。すなわち歯周病は慢性炎症の部位となる。

 健康上で歯周病などの「慢性炎症」の存在は全身的にもさまざまな病態に関連している。
 炎症が起こると体内で「サイトカイン」がつくられる。
 サイトカインは免疫系において重要である。サイトカインは液性免疫と細胞性免疫のバランスを調節し、ある特定の細胞集団の成熟、成長、および反応性を制御する。
 サイトカインは健康・疾病いずれの状態においても重要であり、感染への宿主応答、免疫応答、炎症、外傷、がん、生殖においても重要。
 サイトカインは炎症でダメージを受けた血管に入り込んで、全身のさまざまな病気のもととなるとされている。

 関節リウマチ、糖尿病、アルツハイマー型認知症、動脈硬化、脳梗塞、心筋梗塞、肺炎などは、いずれも慢性炎症の存在、サイトカインとの関連が濃厚とされている。

 「たかが歯周病」と安易に考えてはならないことが理解できた。
 今回、抜歯して身体上の懸案事項の一つが取り去られた。法外の喜びである。

 次は何が問題になるのだろうか。
12/21(水)曇り 飯川病院終日勤務+当直 
 1:45起床。ほか、ほぼいつもと同じに過ごす。大学受診の家内に送られ飯川病院。本日は9:00終日勤務と当直となる。微睡、新聞チェック、入力。外来対応数名。昼検食は家内に回しカップラーメンで済ます。14:00-15:30 COVID-19ワクチン担当20名、16:00-17:00歩行、文化創造館往復。千秋公園のお堀は凍結。当直につく、18:00検食。20:00就寝。Σ6174歩。

こころと体2022(98)  人生二本目の抜歯(1) 抜歯の意義について学び納得
 歯抜なんて!!! 、想像しただけでも目を覆いたくなる受け入れ難い光景が浮かぶ。
 私は30代の時に、進行した齲歯のため止むを得ず左側臼歯一本を抜歯したが、できるだけ歯は抜きたくないという信念でその後50年過ごしてきた。

 ところが、約1年前から右側臼歯がぐらついて来た。咀嚼時にも特に痛みもなく機能的には問題なかった。かかりつけの歯科医は数年前から受診のたびに抜歯をすすめていたが、私は抜歯ならいつでもできるし、凝固阻止薬も服用しているからと話し、遠慮がちに抜歯を延期してきた。

 本年11月下旬、定期経過観察で同医院を受診した。
 予想通り歯科医は私の年齢を考慮してこれ以上は待つべきでないと強く勧めてきたので今回はその方針を受け入れた。

 主治医は疼痛や出血が持続した際のことを考えて土曜の早い時間帯での抜歯をすすめた。12月17日は予定が入っておらず、am9:30に行うことで予約した。ところが、当日の17日は大学からの日当直医がCOVID-19感染のために来院できなくなったとのことで抜歯後に日当直することになった。午前日直の一部を院長に代行してもらい予定通り抜歯処置を受けることとした。

 私の歯並びは、特に下顎の歯については極めて悪い。とても人様にお見せできないほどである。記憶を辿ると、中・高校生の頃から徐々に悪くなった。多分、私は下顎後退症と言う一種の先天性の異常なのだろう。

 下顎後退症は下顎の骨の成長が悪く、上顎との間でアンバランスが生じるもの。
 私の場合は上下の前歯が6-7mmほど、指一本ほどずれており、上下の前歯が全く揃わない。だから、食品を前歯できれいに噛み切る事が出来ない。それ以上に問題なのは、下顎の歯並びが悪くなっている事である。歯牙の成長を受け入れるほど下顎骨が成長しないから、歯が互い違いに前後左右に曲がって生えている。

 主治医のS歯科医師は私が秋田大学で勉強中に知り合った。その後、現在までお世話になっているから、あれこれ50年近くになる。

 歯科医の立場では私の「親知らずは、放置した際に生じるであろう障害を考えれば抜歯しておきたい」、また「前歯も何本か抜歯したい」らしい。しかし、私は「具体的に問題が起きた時に対処していただきたい」、と言い続けている。

 しかし、その後50年も1本も抜歯する必要がなかったから、最近は何も言わなくなった。それ以上に、「先生の歯はいつ見ても感動しますな!!! 前歯などいつ抜け落ちてもおかしくないが、未だ全部付いてますね・・、奇跡でしかない!!!」と賞賛に似た言葉さえ聞かれるようになった。

 だから、安心してS歯科医師に治療を委ねられる。持つべきは「良いかかりつけ歯科医」である。

 それで、私は今回は抜歯の勧めを受け入れることにした。問題ある歯を残しておくことの弊害について勉強し納得したからである。


12/20(火)曇り時に晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア 歯科受診抜糸 
1:30起床、文献読み。データ整理、6:00可燃ゴミ出し、6:40バス飯川病院。8:45中通病院外来-12:50外来、疲弊した。14:00飯川病院ボランティア。微睡、15:30佐々木歯科医院、経過よく抜糸。古書店土崎店経由、19:00帰宅、21:00就寝。Σ7890歩。

食2022(3) 果物雑感:フルーツは好まない 地産地消の果物がいい
 果物という日本語の響きがいい。一部の人は「フルーツ」と言うが、「くだもの」と言った方が、甘くてみずみずしいイメージを表現できているな、と思う。

 言葉だけでなく、果物全般が好き。だからと言って好む範囲は狭い。人工的に味を調整した菓子よりはずっと好き。

 子供の頃は、果物は買ってくるものではなかった。ほとんどが地産地消、イヤ、自産自消であった。

 我が家は開業医ではあったが庭や畑は広く、収穫できる樹木、モモ、スモモ、ウメ、リンゴ、ナシ、カキ、クリ、ブドウなどなどが複数あった。

 もちろん専門農家のようには立派なのは成らなかったが、新聞紙を折って自家製の糊で作った袋をかけたりして大切に育てた。さらに、ご近所や患者さんからもいただくこともあって自宅で消費するには量も種類もほぼ間に合った。
 
 また、畑では大根や芋類などの根菜や一般的な野菜の他にイチゴ、スイカ、ウリ、トマトなど果物系の実を収穫した。

 その当時は、住み込みのお手伝いさん、看護婦見習いも2−3名いて大家族で、分担して誰かが適宜世話していて、私も適宜手伝った。
 私が退職後、樹木の世話や花造り、畑仕事に親しんでいれるのは高校卒業までいた盛岡近郊の田舎生活の経験が基礎になっている。

 夏には井戸水で冷やした自作のスイカ、今の時代から見ればほとんど冷えていなかったし甘くもなかったのだが、それなりに冷たさを感じながら食べたものだった。
 冬のミカンだけは静岡産のを箱で取り寄せていた。 冬の夜は、こたつにあたりながらミカンの連続食いをしたものである。手や顔がカロチン沈着で黄色くなるほど食べたものである。高齢者の健康に関する書籍には果糖は体に良くないからミカンは一日1ヶにしなさいと書いてあった。食べたきゃ10ケ食うべし、それが幸せというもんだ。

 子供時代の果物に関する記憶は幸福なものであった。ほとんどが自分も手をかけて育てたものという自負と満足感があった。たとえ形が悪くとも、口に入れた途端身体が捩れるほど酸っぱくても、ほぼ最高だ、と思っていた。

 秋田に来てからはほぼ全ての果物は家内や石井さんが購入してくる。買い求めた果物はあまりにも高品質で立派である。規格外のレベルまでしか作れなかった私など、スーパーや商店に行くと気後れしてしまう。高級な巨峰など一房2500-3000円!!!!もする。珍しい果物を目にしても高い!!!と思うばかりで私は買えない。

 最近の果物類で私がイヤなのはなんでも甘くなりすぎていることである。果物の真の価値は甘さではなく酸っぱさにあると思う。

 今も毎夕食後果物を食べているが中心はリンゴ、ナシでレパートリーは狭い。

 フルーツと呼んで抵抗ないのは南洋の果物である。毛が生えている丸い物体や、とても果物とは思えない紫がかった物体が売られているが、多くは油っぽくて石鹸のような匂いがする。偏見かもしれないが、食欲がわかない。
12/19(月)曇り小雪寒波 健康クリドック 飯川病院 積雪4cm除雪なし
 1:20起床、徒然、文献読み。6:40バス飯川病院。頻用しているオリンパスPJ-20の外部出力部分が故障。対応要す。9:00-11:30健康クリニックドック。13名+結果判定14名。11:45飯川病院へ。データ処理とか微睡とか。14:00勤務、入院患者対応。以降座学、ラジオ音楽番組録音、19:30帰宅夕食、20:40就寝。Σ6826歩。

食2022(2) 干し柿 自作するのは今年が最後 毎日1ケ食べる楽しみ

 干し柿は柿を乾燥させた食品で、日本を代表するドライフルーツの一つ。日本のほか広くアジアで作られている、という。

 干し柿に用いられる柿は渋柿で、乾燥させることにより、果実の呼吸が妨げられ渋柿のタンニンが不溶性に変わって渋味がなくなる。渋柿の甘さは砂糖の約1.5倍とも言われ、漬物などに甘みをつける目的で使用されることもあった。
 干し柿の表面には柿の実の糖分が結晶化した白い粉が付着するが、日本ではかつてこれを集めて砂糖の代用とした。
 他の乾燥食品と同様に古くは冬の保存食としてとても重要であった。

 日本での干し柿の歴史は平安時代で、串に刺した串柿となり、明治以後は現在のようにヘタを紐で結んでぶら下げる干し方が一般となった。

 家の軒先など雨露を避け、通風の良い場所に吊るして乾燥させる。乾燥は、天気の安定した時期に行うのが良い。乾燥から、十日前後で表面が乾いてくる。この時に、実をつまみ揉むことで、干し柿の味が違ってくる。さらに十日ほど乾燥させれば、完成する。
 完全に乾燥させずに、水分を十分に残して果肉がまだ柔らかい状態でも、渋味がなくとても美味しいが、この状態ではカビが生えやすく、長期間の保存はできない。

 主たる栄養成分は炭水化物である。水分が減っている分、高カロリーな食品となっている。子供の頃から、健康上一日に食べる量は1、2個にしなさい、と言われて育った。

 なお、「柿のへた」にはヒドロキシトリテルペン酸、タンニンなどを含み、煎じて飲むとしゃっくりやげっぷに効くとされ、今でも民間療法として用いられている。頑固なしゃっくりは全身状態が悪化した患者に発症し、難治性で不眠や食欲不振のために急速に状態が悪化することがある。「柿のへた」エキスが欲しくなることもあった。

 我が家では30年余も自宅の柿の実を味わってきたが、木が大きくなり過ぎ隣家の方にも影響が出始めた。次世代には対応困難だろうと考えて11月に伐採した。実に残念であった。

 ちょうど軒先に実を吊るし干し柿を作る時期は冬支度などで外仕事が増える時期でもある。仕事が一段落したときに、ちょっと疲れた時に、小腹が空いた時に、ぶら下がっている柿を1-2ケくすねて食べる楽しみがあったが、これも今期で終わりとなる。

 今年の干し柿の出来は、そのためかとても素晴らしい。1日1ケと制限して長く味わっていきたい。

(十分に熟成しいい味に仕上がった我が家の干し柿)

12/18(日)小雪曇り終日 抜歯後二日出血疼痛なし 積雪3cm 除雪なし
1:00飯川病院起床、抜歯後二日出血疼痛なし、プラザキサ再開する。本読み、徒然。10:30回診に来た家内に同乗帰宅。読書、データ整理。NHKのど自慢、新聞チェック、13:30微睡。。19:30グランマート経由帰宅、夕食、21:00就寝。Σ4214歩。

食2022(1) 65年ぶり再会、三島の名物「農兵漬」にはまる
 長女一家が今年の春から仕事上で静岡県三島市に関連を持つようになり、横浜と三島間を頻回に往復しているようである。

 三島市はかつては母方の祖母一家が住んでいた。ほぼ同い年の従兄弟もいた。私が中学2年の頃の夏休み期間に招待されて訪問し、数日滞在したことがある。16:00頃盛岡駅を鈍行列車で起ち、翌日の10:00頃三島駅に着いた。18時間もかかった。列車はほぼ満席で車内は暑苦しく、尻と腰が痛かった。今なら新幹線で盛岡からなら4時間余りで着く。

 三島市内には立派な国立療養所三島病院、樹木が鬱蒼とした植物園などが記憶に残っている。滞在中に台風が来襲し、近所を流れる河川が氾濫し祖母の住宅が一時床下浸水の危険に晒された。東海地方の台風の威力に驚いた。また、熱海の温泉地にも連れて行ってもらった。

 祖母の家の食卓には「わさび漬け」があったが、当時はあまり興味を感じず、「農兵漬」という名前を覚えたが、以後ほとんど忘れていた。

 数ヶ月前、長女とラインで近況など交換していて、突然「農兵漬」という「わさび漬け」を思い出した。65年前の記憶が脈絡もなく思い出された。名前以外は思い出さない。懐かしいものだから娘に最小単位の品を送ってもらった。

 「農兵漬」は粕漬けで、わさびも入ってかなり辛い。味は私の好みである。そういえば、三島はわさびの生産地。説明書によると、大根・きゅうり・白瓜を蜜漬けにし一昼夜寝かした後、伊豆産の本わさびを加え、兵庫県灘の清酒粕で練り上げた、という。
 野菜のコリコリとした歯応えと甘味、口に広がる酒粕の芳醇な香り、最後にツーンとわさびの辛味が鼻に抜ける。
 三島は民謡の農兵節が有名。この民謡にちなんだ名称を冠している。

 「農兵漬」は私を虜にした。秋田でも数種の「わさび漬け」が手に入るがこれとは一線を画している。

(私が取り寄せている「農兵漬」 ちょっと高いが止められない)

 「農兵漬」は120gと小さな単位しかないようだ。賞味期限は製造日より30日間と短い。本体は540円であるが送料は770円、と送料が異様に高い。私からみて500余円の中身に1300円の出費は割に合わない。8ヶまとめると送料無料となるというのでそのコースで責任を感じながら注文した。

 それが、現在3コース注文、24ケ目に箸をつけたばかりである。食がすすむ。
 今後どうしようか。次を頼もうか?いやこれほど「農兵漬」にこだわるのは・・・と迷っている。

 「農兵漬」と65年ぶり再会した。味が好みに合うだけでなく、母方の祖母の思い出、一家の思い出を懐かしみながら、箸が止まらない悩みと闘っている。

12/17(土)曇り寒波降雪 歯科医院受診抜歯 飯川病院日当直
 2:30起床、読書、徒然ほか。9:30佐々木歯科医院抜歯予定、止血後は飯川病院日当直につく予定。9:00買い物に行く家人に同乗、佐々木歯科医院に。9:30予定通り抜歯、プラザキサ木曜から中止しており出血は比較的簡単に止まった。10:30タクシーにて飯川病院、COVID-19にる交代と抜歯後の従事ということもあり病院チケット使用。止血用圧迫ガーゼは交換不要で済んだ。新聞チェックと入力、微睡、座学、読書三昧。データ整理、12:00昼検食はパス、院長に。18:00夕検食は通常に。やはり体調は若干不良。20:00就眠。歩数Σ4274歩。玄関先に融雪剤初使用。


季節の話題2022(34) 園芸畑作業は全て終了 降雪を迎える準備に
 今年の園芸は今月上旬のボタン、バラ、ダリア球根の採掘、乾燥作業で終了とした。畑は最後の里芋の採掘で終了となった。
 今年の作業をちょっとまとめてみた。
 
??雑草対応 除草剤導入
 我が家の雑草対策は電動草刈機による草刈りを基本にしてきた。これが年間10回ほども要し結構手がかかる作業である。省力を考えなくてはならない。今年初めて除草剤を使用してみた。結果は上々、来年から適宜応用し、省力に繋げたいと考えている。

(初使用した除草剤)

??ボタン
 我が家のボタンは基本は家内の領域である。鉢植えが8鉢ほどある。今年も見事な花をつけた。鉢植えでは花勢がやや弱く、冬季間は鉢を室内に運び入れたり結構手がかかる。今年はそれらの作業を回避するために花が終わった時点で全て地植えにした。やはり地植えは咲き方が一歩二歩も違う。来年の開花が楽しみである。

??バラ
 バラも家内の領域である。多忙なので増やさないから、地植えの数株しかない。剪定若干と散水のみであまり世話出来なかった。それでもそれなりにきれいに咲いた。自然の力は大きい。

??ダリア
 ダリアは試行錯誤しながら続けている。ダリアは9月-11月が見ごろであったが、充分世話できなかった。しかし、土壌と太陽、水の力は大きい。全株が見事に開花した。

(南側の一角のダリアの開花の様子)

 球根の掘り出しは油断していて初雪の後になった。12月8日寒風の中掘り出し、洗浄、乾燥して全作業を終え、来期に備えた。

(見事に成長した球根)

??樹木、灌木等の処理
 現在住んでいる小屋(しょうおく)は昭和54年に現地に新築した。その時にケヤキとか柿の木などの樹木を植えた。
 40年も経ち、柿の木を含む我が家の木々が大きくなり過ぎ、枝が隣家まで伸びた。私がいなくなる前に樹木の整理をしておかなければならない。

 今年は終活の一環として6月に樹齢40年のケヤキを伐採、これはプロに依頼した。11月に柿の木の伐採を自分の手で行った。そのために高枝用の小型チェーンソーを購入した。伐採した小枝の裁断にも活躍した。

 庭の木々は背の高い樹木だけでない。地を這うような、「いちい」、「ひば」などの灌木類も一面に繁茂している。今年はこれらの灌木類も撤去した。

 幹や枝を5-10cmに細断して袋詰めする作業は困難な作業であった。
 
(柿の枝 これの3倍ほどあったが降雪の前に何とか処理し終えた) 

??畑
 キウリ、トマト、ナスは豊作であった。枝豆、ネギは失敗しほとんど収穫できなかった。最後の収穫は里芋であった。十分世話した、との実感はないが見事な芋を収穫できた。

(最後の収穫の里芋 ヒゲ状の根が立派)

 これからの2ヶ月半は外仕事といえば除雪が中心となる。
その準備は整った。今季の降雪や如何に、気になるところである。

12/16(金)終日寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
1:20飯川病院自室にて起床、積雪5cm、徒然、文献読み。可燃ごみ前日に整理、故に廃棄なしだろう。7:45徒歩Ta駅に。路面滑るが融雪道路が嬉しい。8:11こまちで大曲。積雪10数cm。大曲は往復Taxi。8:50外来業務。多少難渋したが何とかこなす。15:30長崎屋古書店経由Taxi飯川病院。微睡など。新聞チェックと入力。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ6692歩。歩数計富山到着。石川まで113Km。データ:3202万歩、3542日、25618Km。

季節の話題2022(34)  気象に翻弄されつつ日常を送る楽しみ
 最近、私は気象について遅まきながら勉強を始めた。気象学、これもまた楽しい世界である。

 私は岩手の田舎育ち、子供の頃から自然と共に生きていた。自然観察も好きな子供であった。季節と共に移ろう山々の風情の様子、草花、天の川の観察、雲の観察などなど。全然大系だってなくて場あたり的なものであったが、いつもポカンと口を開けて上の方を見ていた子供と言われていた。

 私は中学は盛岡の私立の中高一貫校に進んだが、約2年間厳冬期を除き、また降雨や悪天候の日を除き片道16Kmほどを1.5時間かけて自転車で通学した。その際、途中で降雨に遭うか、風が強いか否かはとても重要であった。
 降雨時にレインスーツを着用していても漏入する雨と自分の汗でびしょ濡れであった。びしょ濡れで授業を受けたことも稀ではなかった。さらに、追い風は極楽であったが向かい風はペダルをこげどもこげども進まず地獄であった。

 そのため早朝に起床しその日の天気予報と自分の感覚で判断した。その際、私が重視したのは前日夜の天候、月の笠、西方向の空にある「青のファクター」すなわち青空の観察であった。しかし、かなりの確率で外れた。

 高校3年間も同様に過ごしたが、厳冬期には盛岡に下宿した。

 社会に出てからは車を購入したので風雨、風雪、風などからは解放された。車は便利であるが、自然との関わりは乏しくなる。

 1991-2011年、子供たちが成長したこともあって45歳の頃から、YAMAHAの250cc、Harley 1340ccの大型バイクも併用した。この時も天候の読みはとても重要であった。かなり読みが外れ、時折びしょ濡れになった。バイクはスピードが出るだけ濡れた場合の体力の消耗は厳しかった。

 その後はクロスバイクと呼ばれる自転車に、その後は徒歩通勤となった。
 2020年9月運転免許証を返上し、通勤はバスに集中している。風雨風雪時の車というシェルターがなくなり気候との付き合いは一層厳しくなった。

 畑や園芸も楽しんでいるが、これも風雪の読みが必要である。

 私は常にディバッグの中に折り畳み傘を携帯しているが、日常小雨程度では傘をささない。雨に濡れるのは慣れており、自然との対話の一つで決して不快ではない。

 このように私は天候とは濃厚に付き合ったが、自然の営みには従順であった。しかし、最近気象について大系だって勉強してみようと考え数冊の文献を購入して取り組み始めた。

 気象学、最近かなり進歩があり、知らなかった知見も多く、楽しい世界である。もっと深めてみようと考えている。


12/15(木)終日曇り小雪寒波 終日飯川病院+当直
2:30起床、積雪3-4cm,。文献読み。徒然ほか。可燃ごみまとめ済み、8:30院長大学受診のために同乗、飯川病院へ。9:00勤務、外来患者対応。入院患者対応なし。新聞チェック、PDF化。12:00検食読書微睡三昧。17:00当直業務に就く。18:00夕検食、20:30就寝。歩数計Σ3490歩。部屋に籠りきり。

季節の話題2022(33)  気象改変の理論、技術の歴史
 最近、私は気象について遅まきながら勉強を始めた。気象学、これもまた楽しい世界である。

 JRフレミング著「気象を操作したいと願った人間の歴史」を読んだ。10年ほど前の出版であるが文献として貴重である。著者は気象改変の歴史研究を専門にする科学史家。

 まず、歴史的な努力を紹介している。天候改変の試みの歴史として興味深い。
 ?先住民の雨乞い、?18世紀の大砲を使った降雨技術、?各種化学物質を蒸散させる方法、?更には20世紀、飛行機で粒子を播く人工降雨、?大気圏遥か上空で水爆を爆発させる理論まで紹介されている。

 次に、現在地球工学と呼ばれる地球規模の気象改変構想に切り込む。
 例えば「温暖化」に対抗するため、?宇宙に鏡を打ち上げ「日傘」にする。?硫酸塩を高層大気に散布し太陽光を反射させる。?海で藻を大発生させ二酸化炭素を取り込む。

 結果的に、空に影ができ、空が白くなり、海がどろっとして緑になるかもしれない。
 これらの構想には、ある種現実離れした滑稽さを感じる。気象改変の試みは、想定通り目標が達成されるのは稀だし、思わぬ副作用を伴う可能性を示す。

 ノーベル賞学者ラングミュアはハリケーンの進路を変えられると信じ、種々の理論を作り上げた。彼の理論はおそらく間違っていたであろうが、もし正しかったら人工的にねじ曲げたハリケーンの行き先の都市や国への賠償はどうなるのであろうか。そこまでは言及していない。

 大きすぎる工学技術は思わぬ所で破綻する可能性がある。原発事故を経験した私どもは理解し易い。気候を変えることなど困難と思われるが、十分な謙虚さと畏怖を持ちつつ効果的で公正な解決を実現できるかが問われる。

 局所的機構改変として第2次世界大戦中に英国空軍が開発した、基地の滑走路の霧や雲を消散させる装置「ファイドー」は有名である。
  爆撃機が英空軍基地への着陸時に消費する燃料は10~20ガロン。「ファイドー」はガソリンの燃焼熱により滑走路周辺の霧を消散させるものであったが、1機の着陸を支援するのに6千ガロンのガソリンを消費したという。全く割に合わない技術であった。

(一月ほど前の秋田駅の霧の様子 この程度でも着陸は困難だった、と思われる)
 
 北京五輪に際し、開催期間中を晴天にしようと、事前の降雨を促すためにヨウ化銀を小型ロケットで雲中に打ち込んだとされるが、効果はどうだったのだろうか。

 局地的な人工降雨は、渇水対策や砂漠化防止のためにも必要な技術であることは確かだろう。
 雲中に液体炭酸を散布する日本の実験はまだ続いているのだろうか??。


12/14(水)寒波強風小雪 午後飯川病院 COVID&インフワクチン担当
1:30起床、文献読み。読書。徒然ほか。午前は座学。11:50バス飯川病院、積雪3-4cm,待っている間寒し。14:00COVID-19&インフワクチン担当20名、家内ネット勉強会、夕食はTake out品。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ5268歩。

季節の話題2022(32) 降雪期は私には厳しい季節 気象予報士の元気さが辛い
 この冬は例年よりもやや気温が低く、降雪も多いとの予報が出ている。
 昨シーズンは雪が非常に多かった。あまりの雪の量で多数の農業用ビニールハウスが壊れ、農家は大変な苦労をしたというニュースが記憶にまだ新しい。
 
 この冬はどうだろうか。
 秋田では12月1-2日にかけて初雪が降った。ここ数日はまた寒波が来ている。朝の道路はガチガチである。

 秋田の冬は厳しい。だが、高校まで過ごした岩手内陸は雪こそ少なかったが気温は秋田より2-4度C低くもっと辛かった。その点は良いのだが、降雪量が多く加齢と共に除雪作業が辛くなってきている。

 私は盆を過ぎると秋の訪れを意識し、約4ケ月かけて雪を迎える心の準備を整える。道具の準備としては、12月11日に除雪機の準備を終了したばかりである。

 秋田市は最近マンションの新築が数カ所で見られる。少子高齢化で高齢者単独世帯が増え、除雪が困難になった比較的富裕な方々が入居するのだそうだ。私にはその考えは無いが、その気持ちは理解できる。

 その雪のつらさを何倍も上回る良いことは、秋田では季節を強く感じられることである。
 春になり気温が上がると、天気が良くなり周辺が緑に包まれる。私は秋田のベストシーズンは6-7月と思っている。
 COVID-19がまん延しようとも、世界で紛争が起きようとも、春になれば必ず桜が咲き、季節は確実に前進していく。これから約2.5ヶ月の辛抱である。

 ところで、私はNHK amラジヲをかすかな音でかけっぱなしである。
 最近はアナウンサーの活躍が目覚ましい。かつてはアナウンサーは原稿を正確に読み上げる技術が重視されていたであろうが、現在はキャスターとしても番組をうまく盛り上げてくれる。その際、若い女性の気象予報士もチームの一人として入っていて適宜新しい気象情報のニュースを提供してくれる。

 それは意義あることであるが、この季節になると気象予報士の元気さがストレスである。
 猛暑の夏も、厳冬でも、台風の襲来の時なども、NHKの気象予報士は常に元気溌剌、特に厳しい気象情報の説明の際には一層元気、歯切れ良く嬉々として話す傾向がある。

 各地方の現場では、その厳しい気象条件のもとでいろいろ準備し、悪天候と戦っているのだ。気象予報士はNHK放送センターでさわやかな環境のもとで解説しているから、悪天候の説明に全然実感が伴わない。時々、お見舞いの言葉も発せられるが、同じである。

 気象予報士はその研修過程で酷暑、厳寒の実体験などする機会があるのだろうか。
 秋田でも、強風の際には雪は横から降ってくる。バス待ちの間に衣服に着雪し、みるみる樹氷の如くになることなど体験したことがあるのだろうか。

 気象予報士の元気な声を聞くたびにちょっと落ち込むリスナーもいることを思い浮かべてほしいものだ。

 最近、私は気象について遅まきながら勉強を始めた。気象学、これもまた楽しい世界である。

12/13(火)曇り午後降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:430起床、文献チェックなど。5:30可燃ごみ処理、落ち葉などの二袋提出。6:40バス飯川病院。8:45-13:00中通病院外来。疲弊した。14:10飯川病院ボランティア、微睡読書、19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ10253歩。

マイナンバーカード2022(3) 有効活用の道 面倒臭い
 マイナンバーカードが誕生して6年。 人口の約4割にあたる約5000万枚が交付され、カードで出来ることは増えつつある。政府は2023年3月までに8000万枚の発行を目ざす。私もカードをやっと取得して内容を勉強中だが、はっきり言って有効活用するには私など高齢者にはハードルが高い。
 意外と用いる機会は無いかもしれない。

 カード周辺の用語だけ見てもなかなか分かり難い。
 ?|「マイナンバー」とは、行政の効率化や国民の利便性を高めるため、住民票を有するすべての人に付与される12桁の番号。

 ?|「マイナンバー通知カード」はすべての該当者に交付された紙の書類。カード申請時には返却する。

 ?|「マイナンバーカード」の取得は任意。その割には取得の勧誘がうるさい。希望者の申請によって交付されるカードで顔写真付きの本人確認書類として使える。そのほか、下記の(1)(2)の如く住民票の写しなどが最寄りのコンビニエンスストアで入手できる。 具体的にはコンビニのマルチコピー機を自分で操作して入手する。私はやったことはないが簡単にできるだろうか。自信がない。

 ?|「マイナポータル」とは、政府の情報サイトのこと。ここへのアクセスで医療機関を受診した際の医療費や処方の内容、医療費控除の情報など確認できる。確定申告に便利らしいが、詳細の理解困難。私には無理、放棄する。

 ?|「マイナポイント事業」 申請者一人あたり最大2万円のポイントを受け取れるキャンペーンであるが申請はネットでもできるが、私には困難に見える。私には無理、放棄する。

 ?|「マイナ保険証」 健康保険証とマイナンバーカードを一体化させた「保険証」。患者の窓口負担が増えることなど見直しを迫られていてまだ流動中。

 ?|「公的個人認証サービス」とは?
 インターネットを通じて申請や届出といった行政手続などやインターネットサイトにログインを行う際に用いられる本人確認の手段です。 外部から読み取られるおそれのないマイナンバーカード等のICカードに記録することで利用が可能となる。電子証明書には、署名用電子証明書と利用者証明用電子証明書の2種類がある。私には無理、放棄する。

 ?|署名用電子証明書・・・インターネット等で電子文書を作成・送信する際に利用(例 e-Tax等の電子申請)。「作成・送信した電子文書が、利用者が作成した真正なものであり、利用者が送信したものであること」を証明する。

 ?|利用者証明用電子証明書・・・インターネットサイトやコンビニ等のキオスク端末等にログインする際に利用(例 マイナポータルへのログイン、コンビニでの公的な証明書の交付)。「ログインした者が、利用者本人であること」を証明することができる。

 などなど用語はカタカナ語が多く、それらの意味の区別だけでも難しい。

(1)マイナンバーカードで便利になる主なサービス。これは便利そう。
――――――――――――――――――――――――――――
●顔写真付きの本人確認書類として
●住民票の写しなどをコンビニで取得
●確定申告がオンライン作成から送信まで控除証明書などの自動入力
●児童手当の申請などの行政手続きがオンライン
●マイナンバーカードの健康保険証利用
●マイナポータルの利用

(2)マイナポータルでできること ちょっと面倒そう。
―――――――――――――――――――――――――――――-
●行政手続きの検索と電子申請
●所得や年金などマイナンバーにひも付いた自分の情報閲覧
●e-Tax などの外部サイトとの連携
●行政機関などからの自分へのお知らせの確認
●行政機関間でされた自分の情報連携の確認

 マイナンバーカードは取得にも苦労したが、実際にの利用にはもっと高いハードルがあるようだ。無くても構わないカードである。もっと利便性を高めなければ特に高齢者の利用は広まらないだろう。

12/12(月) 祖父耕陽命日  晴れ 健康クリニック 飯川病院  
1:20起床、降雪0cm。文献読み。PDF化書類。6:40バス飯川病院。新聞休刊日。9:00-11:30健康クリニックドック業務、14名+レ線判定15名。11:40飯川病院、本読み、微睡、14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。リハビリ歩行、千秋公園、バス長崎や古書店、帰路は歩行。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。Σ歩数計Σ11219歩。

マイナンバーカード2022(2) やっと交付受けた 「顔が悪かったのか?」

 本年3月30日私、家内、賄いの石井さんに対して「マイナンバーカード交付申請のご案内」という封書が届いた。あまり必要性を感じていなかったが政府も普及を図っているようだし、健康保険証、確定申告時、ほかの手続きに使用できるということであった。
 言われてみれば3人ともいつ人生の終焉を迎えるかもしれず、火葬などの際、除籍にも求められる可能性があるので今回申請しようと考えた。

 私が3人分の手続を進めたが、最初の2回は3人分とも受理不可で返送されてきた。いずれも顔写真に問題が指摘されてきた。
 7月下旬に3回目に挑戦し、家内と石井さんの分はクリアし8月中に交付を受けた。

 私の分は3回目も写真が良くないとの判断であった。ちょっとすました表情で撮り直し9月に再再挑戦、9月下旬に交付可との連絡を受けた。この間私は4回申請し、6ヶ月要した。あとは急ぐことなし、と先日12月8日に交付を受けてきた。

 今回は、令和3年10月31日時点でマイナンバーカードを持っていない75歳以上の高齢者に、QRコード付き交付申請書がお送られたものである。

 申請方法として以下の二方法が提示された。
――――――――――――――――――――――――――――――
(1)マイナンバーカードの申請には、スマートフォンやタブレットによるオンライン申請が便利です。 顔写真データをご準備のうえ、同封の交付申請書にあるオンライン申請用QRコードを読み取ってください。あとは画面の指示に沿って進めてください。

(2)郵便によりマイナンバーカードを申請する場合には、交付申請書に必要事項をご記入のうえ、同封の返信用封筒で送ってください。
――――――――――――――――――――――――――――――

 まず(1)を試みたがうまくアクセスできず、数日間何度か試みて諦めた。私は概してオンラインの手続に難渋する方で、どちらかといえば嫌。早々に諦めた。

 次いで(2)の方法を試みた。
 記載すべき内容は簡単であったが、私の3枚の顔写真に関して、?正面を向いていない、?背景が真っ白でない、?顔以外のスペースが狭すぎる、?やや暗すぎる・・・・などとのクレームがつけられた。
 
 私の目では写真はそれほど悪くはないと思われたが、「ホントは顔が悪いのか?」とまで思った。顔は今更なんともならないからちょっと澄まし顔、笑顔を交えて撮影し直し、4回目でなんとかクリアできた。

 感想として、取得のキャンペーンの割には交付の判定が厳しすぎるのではないだろうか、と思った。

 受け取った後の感想として、有効利用するための手続きの壁が厚くかつ高過ぎる、と思った。これでは高齢者は活用が難しい、と感じた。

12/11(日)曇り時に晴れ 外仕事中心に 除雪機整備など
 1:00起床、文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。2F曄ステッパー改良。9:00外仕事、ガレージ掃除、園芸用支柱整理、除雪機整備、農具、電動農具等整理、車の雪対策、散水用ホース仕舞い。これで外仕事の大部分終了。後は資源ごみ廃棄のみ。12:00NHKニュース、のど自慢。新聞チェック、微睡。15:00書斎にて音楽関連の録画確認。N響定期公演、読売響など。19:00夕食、20:30就眠。歩数計Σ8403歩。

日米開戦81年(4) 「ポツダム宣言を受諾」前日8月14日夜間、 秋田が無差別爆撃の標的に
 土崎空襲が「ポツダム宣言受諾」前日の8月14日夜間に行われたが、調べてみると以下の地域で空襲がなされていた。

<<昭和20年8月14日から15日にかけての空襲>>
――――――――――――――――――――――――――――――-
?大阪府大阪市………8月14日12:30頃〜午後  
?山口県岩国市………8月14日午前中〜午後
?山口県光市…………8月14日13:20頃〜14:20頃  
?秋田県秋田市土崎…8月14日22:30頃〜翌15日3:30頃
?埼玉県熊谷市………8月14日23:30頃〜翌15日1:30頃
?群馬県伊勢崎市……8月14日深夜〜翌15日未明
?神奈川県小田原市…8月15日未明〜明け方
――――――――――――――――――――――――――――――-
 土崎空襲では250人以上が死亡,200人以上が負傷した。

 この頃、戦争終結について内外で対策が進められていた。
 8月9日ソビエトの満州侵攻を受けて、当時の鈴木貫太郎首相は最高戦争指導会議の冒頭で「ポツダム宣言を受諾する他なくなった」と述べ、「国体の護持」、「自発的な武装解除」、「日本人の戦犯裁判への参加」を条件に宣言の受諾の方針を示した。

 議論は天皇臨席の最高戦争指導会議で8月10日午前2時、いわゆる「聖断」が下され、3時からの閣議で正式に承認され、直ちにスエーデンとスイスに向けて送信された。また受諾方針については15日の勅語の発表まで公表を行わないことにした。この間の時間の浪費が惜しまれる。

 米国はこの「ポツダム宣言受諾」の電文を傍受した。日本がつけた受諾への条件にたいし米国国内でも意見が別れ,連合国側諸国間の調整も必要であった。連合国として日本への回答は8月11日正午にスイスに向けて打電され、8月12日午後0時45分に日本の外務省が傍受し「ポツダム宣言受諾」が受け入れられた事を知った。
 
 だから、米軍は8月11日正午の時点で爆撃中止命令を出せたはずであるがぎりぎりの時点まで攻撃し続けている。

 これは何故だろうか。

 トルーマンは「2発の原爆が戦争終結をもたらし、日米の多くの命を救った」,と自負しているが、その後も無差別攻撃をくり返したことは矛盾に満ちている。

 私は終戦直前の米国側の攻撃は、米国内の政治的事情によっていると思う。

 米国は莫大な予算を使って原爆を作った。これが日本に投下されなかったとすれば多大な無駄遣いとして大統領は大きな非難を受けたであろう。だから、もう反撃能力ををなくした日本にあえて原爆を投下した。もちろん対ソ、対スターリンの対策の意義もあったであろう。
 しかし、原爆が終戦をもたらしたという論旨は間違いであり、トルーマンは保身のために必死に原爆の意義の世論を作り上げたのだ。

 同じことは2900機とも言われるB29爆撃機の作成、大量の爆弾の製造にも言えた。だから米軍は出来るだけこれらの使用の実績を作らなければなかった。そのために8月11日から15日早朝にかけて行われた各都市の空襲は戦略的目的のない、余剰兵器の廃棄行為であった。

 ここでも米軍の非人道的、国際法的違反が繰り返され、貴重な人命が失われたが、東京裁判では取り上げられることはなかった。
 私は日本の貴重な人命は、原爆を含め兵器の廃棄過程で失われた、と思っている。

12/10(土)曇り時々晴れ 飯川病院日直 
1:00起床、本読み、医学文献読みなど。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院、9:00日直業務に就く。患者は落ち着いており、新聞チェック、座学、本読み、微睡など。12:00検食、午後もほぼ同様。読書三昧の午後。19:30帰宅夕食、20:45就寝。ほとんど歩行せず。歩数計Σ3310歩。

日米開戦81年(3) 秋田が無差別爆撃の標的になっていたかもしれない!!!!!!
 太平洋戦争末期、米軍が秋田市の中心市街地への爆撃を計画していたことが、日本の都市空襲を研究している山口県周南市の工藤洋三氏(77)の調査で分かった。

 氏は日本の都市空襲研究家。「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の事務局長、一次資料のリアルさを追求、これまで30回渡米して調査、以下の如くの本を20冊以上出版している。

 工藤氏の書籍の一例
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?米軍の写真偵察と日本空襲 写真偵察機が記録した日本本土と空襲被害 2011/01/01
?写真が語る原爆投下―ヒロシマ・ナガサキをもたらした側の全記録 2007/09/01
?大分空襲の記録―米軍資料 1999/07/01
?Okayama6.29ー米軍資料の中の岡山空襲 (手帖舎ブックレット) 1996/10/01
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 氏は「終戦があと1、2週間遅ければ、秋田市街地空襲計画が実行されていた可能性がある」と指摘する。

 氏は1998年、米国アラバマ州の空軍基地資料室で、1945年8月10日に立てられた戦闘計画書を入手。そこには爆撃の目標として 「AKITA/TSUCHIZAKI」の文字が記されていた。
 また10年ほど前には米国立公文書館で、45年7月24日に米軍が撮影したとする秋田、土崎駅周辺の航空写真を入手した。写真には、爆撃中心点として2ヶ所の記入があった。一つは秋田駅から西へ約900mの地点で、 現在北都銀行本店がある付近。二つ目は、土崎駅から南へ約600mの土崎港中央付近を示していた。 
   
 氏は「それぞれの地点を30から40機ほどの爆撃機で、 同日に攻撃する計画だった」と見ている。
 氏は今年8月、事務局長を務める調査研究団体の会報で、米軍撮影の秋田市の航空写真を公開し、「終戦によって空襲を免れた都市」として、秋田市中心市街地への爆撃計画を紹介した。

 市の資料に沿った計画か否かはわからないが、秋田市土崎港は8月14日22:30頃〜翌15日3:30頃までに渡って米軍の空襲を受けた。

 米軍は1945年6月から、攻撃の目標を大都市から地方の中小都市へと移した。人口の多い都市から順に無差別攻撃し、日本全体を一層疲弊させる目的だったとみられる。

12/9(金)曇り晴れ 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 1:50起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、資源と2袋提出。7:35Taxi駅に、8:11こまち。8:50大曲中通病院外来。大曲秋田もTaxi。長崎屋古書購入。15:30飯川病院へ、ボランティア。微睡、新聞チェック、19:15帰宅、20:30就寝。歩数計Σ8401歩。11月下旬からカルテ電子化、3週間休みだったから私にとっては本日初日。かなり勝手が違うもなんとか対応できた。

日米開戦81年(2) 太平洋戦争は経済防衛戦争だった
 太平洋戦争を語る多くの文献はほとんど例外なく「侵略」の歴史として語られている。 そして 戦後の「反戦」「平和」「自由」「民主主義」といった美辞麗句を並べ、史実の理解も乏しいまま、一元的に語られてきた。
 それで、敗戦後は近代国家に生まれ変わり見事に復興を遂げたのだから、後は臭いものには蓋と、一切の歴史をそうした枠内に追い込んできた。

 多分心ある歴史家達は忸怩たるものがあったであろうが、GHQの指導下に日本国民は洗脳され、そういう論調を取らざるを得なかったのだろう。その結果、日本人全体が、「太平洋戦争」に対してある種の加害者意識に囚われていった。これでいいんだろうか。知的退廃が取り返しのつかないほど進んでしまった、と私には思われる。

 当時、我が国は「ABCD包囲網」と言われる状況で軍備、貿易、特にエネルギー分野で八方塞がり状況にあった。これを打ち破るための外交は、アメリカ側から妨害され、悉くうまくいかなかった。だから、開戦は局面を変える切掛になる、と多くの人が思ったのは当然である。私は太平洋戦争は日本人が生き残るためにやむなく決断した「経済的防衛戦」だ、と思っている。少なくとも私が収集し、読んだ文献からそのように読み取った。

 これは一つに、いわゆる戦後の平和教育という歴史観が長らく支配し、戦争そのものを本来の歴史として捉えてこなかったからだと思う。

 先の戦争は4つの戦争、日中戦争(1937年)、日米戦争と日英戦争(1941年)、日ソ戦争(1945年)からなる。開戦直後閣議では日中、日米と日英戦争を併せて「大東亜戦争」と呼ぶことが決定したが、GHQ占領下では「大東亜戦争」との呼称は禁止され「太平洋戦争」と呼ばれることになった。
 
 4つの戦争ごとに性格は異なる。だから別々に論じられていい。日中戦争は侵略戦争の様相をもち、日ソ戦争は我が国から見て不当な侵略戦争である。したがって一つの名称で括ることは実態をぼかしてしまう。

 アジアの国々から「日本は侵略した。だから謝罪しろ」と政治的プロパガンダを伴って強く言われれば、現状では相手の言うなりに謝罪するしかない。相手の言うことを理解した上で、日本の行動の背景と成果をきちんと評価し反論する、あるいは賠償交渉を含め共通の基盤をつくる、そうした対応ができなくなっている。

 日本は過ぎ去ったことを水に流す傾向がある。背景には歴史の記録の軽視がある

12/8(木)曇り 太平洋戦争開戦日 ダリア球根処理終了 飯川病院 インフワクチン担当
 1:00起床、徒然、文献・画像・録音データの整理・処理など。8:30庭畑作業、寒い。ダリア球根採取11:00終了、入浴。これで残るはネギだけ。11:50バス飯川病院、微睡、14:00外来インフワクチン担当、入院処置。微睡、新聞、文献読みなど多数。18:00軽夕食、家内ネットで学習会、21:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9968歩。

日米開戦81年(1) 太平洋戦争とは一体なんだったのか??私にはまだ分からない
 今からちょうど81年前の1941年12月8日ラジオから開戦の第一報が流れた。真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まったことを報じた。実際には、真珠湾の2時間前に南方で侵攻が始まっていた。
 奇襲攻撃の成功は国民を高揚させた。識者の回顧録などを見ると、当時我が国は「ABCD包囲網」と言われる状況で軍備、貿易など八方塞がり状況にあったが、これを打ち破り、局面を変える切掛になる、と多くの人が思ったのは事実のように見える。ただ、当時新聞をはじめとするメディアが国民に適正な情報を提示されていたのかは疑問である。

 私は終戦の年に生を受けた。昭和の歴史は我が国にとって動乱の時期であった。私は昭和の歴史を第二次世界大戦を中央に置いて、今更ながら、遅まきながら、非力ながら勉強中であるが、開戦決定に実質的役割を果たしたキーパーソンの存在が見えない。

 「太平洋戦争とはいったい何だったのか」、戦後81年の月日が流れたわけだが、未だに我々日本人はこの問いにきちんとした答えを出していないように思える。

 8月15日の終戦記念日の式典。8:00の時報と共に合わせ一斉に黙祷を捧げる。それは「美しい光景」である。私も心の中で大戦中に日本を支えた当時の方々、犠牲になられた300万人超の御霊に哀悼の意と感謝の意を捧げている。

 しかし、私にはどうにも大戦を考えるに違和感を覚えてならない。
 広島平和記念公園にあ原爆死没者慰霊碑に記されている「安らかに眠って下さい。 過ちは繰り返しませぬから」、という碑文は 何を訴えたいのか、よくわからない。 この文に主語はない。 原爆を落としたのはアメリカなのに、原爆投下の他にも無差別殺戮なども人道に対する罪を繰り返してきたが、まるで日本が過ちを犯したかのようである。 どうして誰も変に思わないのだろうか。

 戦後81年、太平洋戦争は様々に語られてきた。
 私もずいぶん文献を読んだ。しかし、私の目から見て、太平洋戦争を本質的に総体として深く捉えた文献に巡り合っていない。

 「あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか??」、私はいまだに納得できる結論を持っていない。

12/07(水)曇り降雨 散髪 マイナンバー交付 午後飯川病院
 1:15起床、文献読み。なぜかファイト湧かずグダグダと過ごす。5:00頃からいつものペースに戻った。座学中心。8:00ダリア球根対応、とりあえず白い株から開始。9:30散髪、キタスカにてマイナンバー交付を受け、古書土崎店へ。7冊購入、11:17バスにて飯川病院、微睡若干、14:00勤務。COVID-19ワクチン接種担当19名。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8100歩。

こころと体2022(97)  怒りについて(5) 瞬発的怒り感情の抑制
 喜怒哀楽の感情のなかで、 「怒り」は最もやっかいなものの一つかもしれない。
 過去に受けた、自分にとって理不尽な言動への怒りが、今でもときどきよみがえる。思い出すとイライラ、ピリピリする。その当時、相手に伝えるべき抗議の気持ちも、怒りのあまり理路整然と伝えられないこともしばしばあったなあ・・と。

 怒りの感情、古い記憶でも発散した方がいいのだろうか? 私は必ずしもそうとはいえない、と思う。
 怒りがなくなると生きていても面白くない。怒りは制御すべき「悪感情」とはいえない。 怒りの感情と上手に付き合うことである。私にとっては、怒りを抱いた相手だからこそ記憶に残っている、と言う人物、人間関係が多い。いい思い出なんて影が薄い、ほとんど忘れている。長い時間が経った今なら「当時はかなり頭に来たが、まあいっか・・」と思えるようになったのだが。

 確かに、怒りを制御する訓練が必要かもしれない。

 私の場合、瞬発的に生じた怒りに対処するには、
――――――――――――――――――――――――――――――-
?呼吸を整える。 怒りのピークは6秒間とされるが、意識的にゆっくりと深く呼吸するだけでいきり立ちそうになる交感神経の働きが静まる。
?怒りが連鎖しないよう、可能であれば話を整えて早めにその場を離れる。
?さらに気を鎮めるために歩くのがいい。
?早めに不貞寝をする。しかも十分に寝る。目覚めると状況はかなり改善していることが多い。
?惨めになるしだけだし、家庭や場の雰囲気を暗くするからこの間の過程については誰にも話さない。
?落ち着いたら文章化する。感情を論理に置き換える。反省すべきは反省する。
――――――――――――――――――――――――――――――-
 これで大抵は落ち着く。

 上記の方法もネコから学んだ。ネコがどの程度の怒りを感じたか知る由もない
が、喧嘩で不利になった時、高いところに登ろうとして失敗した時などに、突然脈絡もなく毛繕いを始める。これでかなり気持ちが収まるようだ。その後はケロッとしている。
 羨ましい限りである。私もこれで行こう(アハハ笑)。

12/6(火)曇り 比較的寒 中通病院外来  飯川病院ボタンティア
 1:00起床、データ処理中心。可燃ごみ+資源ごみ枝葉一袋。6:40バス飯川病院。8:45-12:30外来、混雑ないが疲弊。入院費用の証明書発行。12:45飯川病院、疲れ果て微睡1時間余、14:00-19:00ボランティア。入院患者対応なし、19:20通町書店経由帰宅夕食。20:30就寝。歩数計Σ8188歩。

こころと体2022(96)  怒りについて(4) 慢性的怒り感情の抑制

 怒りの感情はネガティブなものでなく、自身を守るためのポジティブな、重要な感情の原点の一つである。しかしながら、怒りの感情は自分にとっても、人間関係にとっても決して気分のいいものではない。何とかコントロールしたいものである。

怒り、短気のコントロールのし方とは? 直し方は以下の如くだろうか。私が念頭に置いているのは以下である。
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1視野を広くし、寛容性を養う
 視野が狭い事は、生きている世界が狭くなる最大の原因。その為、寛容な心を養い、柔軟な考え方を身につけるには視野を広げる努力、すなわちいろいろな体験をすることが望まれる。しかし、実行は一般に困難。ならば、勉強で間接的視野を広げることも短気を直す方法の一つ。

 特に、先人達が残した言葉から学ぶのは近道になる。その際にはきちんとメモを取り、何度も何度も繰り返して読み心に刻み込む必要がある。
 小説などを読む、TV、ラジオも新聞もいいだろうがその際もメモを取り繰り返し学ぶことが必要である。

2悪影響を及ぼす人と距離を置いてみる。
 人間関係に由来するストレスは、社会的繋がり、家庭での繋がりを含め一般的には回避が困難である。その人の存在だけでも許し難い。それほどのレベルならば嫌な人間関係を少し整理してみるしかないが、友人関係と異なり決してうまくいくとは限らないところが辛い。

3他のこと、例えば趣味の世界に没頭する、スポーツなどで汗を流すのもいい。
 職場と家だけという狭い世界で生きていればストレス発散は一般的に困難でイライラを溜めてしまう。その為、そのイライラを発散する自分だけの方法を持つことが短気な性格の直し方の一つ。

4睡眠をたっぷりとる
 睡眠不足をはじめ、不規則な生活を送っていれば自然とイライラが募ってしまうもの。その為、ただ睡眠をとるのではなく良質な睡眠をとるように工夫が必要。浅い眠りはむしろはイライラを助長する。
 良い睡眠はただベットに入ればいいと言うものではない。睡眠についても学習、工夫が必要である。不可ならカウンセリングなどの医療に頼るのも方法である。

5孤独にならないよう気のおける相手と対話する
 怒りと孤独は最悪の危険な組み合わせである。
 世の重大犯罪、特に少年事件、若年者の事件は些細な怒りがスタートになっているが、それだけでは犯罪までは至らない。孤独は怒りを恨みにまで成長させる。
 ネットを通じた友人関係は、一般的に助けにならない。

6ネコと話す、スキンシップする
 私の場合の怒り感情の最大の癒しはネコとの対話、スキンシップである。小学校から高校まで13年間一緒に過ごした初代のネコには本当に助けられた。ここ30年は再びネコ達と同居しているが、大いに助けられている。
 話しかけても返事がないのが癒しになる。熟睡しているネコの手を握っているだけでも救われる。

(今いるネコたち このほかにさらに2匹)

12/5(月)曇り時々晴れ 健康クリニックドック 午後飯川病院
 2:10起床、歩行はできるが左膝がかなり痛い。文献・新聞チェック、読書。7:30昨日の転倒で歩くのは困難、家内に頼ん同乗し飯川まで。9:00-11:20健康クリニックドック、クリニックまでは歩けた。ドック15名、結果判断15名分。11:20飯川病院、11:30明和会本部スタッフ来訪飯川病院の今後について打ち合わせ。午後微睡など。14:00-18:45勤務、15:00入院患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ4492歩。

こころと体2022(95)  怒りについて(3) 怒りの要因
 私は人の感情や心の動きに関して興味を深く感じている。
 その際、万人に共通な一般論もいいが他人の心はわかるわけもないから、自分の感情や心の動き素材として考察する。

 人間には感情がある。もちろん動物にも一部共通する感情はある。その最たるものは怒りであろう。怒りの感情はネガティブなものでなく、自身を守るためのポジティブな、重要な原点に位置する。

 今まで「いじめ」「差別」「ひきこもり」などについて考察してきたが、「差別」「怒りと恨み」の感情は人間にとって誰にでもある当たり前の感情である。精神的発達の段階で「自己のアイデンティティが確立した結果」であり、生きていくのに必須な感情である。怒りは他者の排除につながる一方で、生きるためのエネルギーの源にもなる。従って、差別感やいじめなどは人がいる限り決してなくならない。その視点に立って対策をしなければ解決しない。

 人とは比較できないが、私は「怒りと恨みの感情を抱きやすい方だ」と思う。しかもしつこい。
 私が幼少のころ、父が「自分は執念深い男だ・・」と言っていたし、父の実印の外枠には蛇がデザインされていた。その影響なのか性格の遺伝なのか、私はしつこく、恨みの記憶はいつまでも忘れない。私は小学生の時に味わった屈辱を始めとして、最近まで忘れられない事象が数多く積み重なっている。

 それと共に、いや、それ以上に不快、かつ、自分を許し難いのは、そんな気持ちを隠して相手の人と一見何事もなかったように付き合ってきたことである。

 私は現役引退後はひきこもり状態にある、と言い、他人との付き合いは絶っている。深刻な悩みを抱えてひきこもっている方々とは比較できないほど甘い状態であるが、その背景の一つに怒り、恨みの記憶を眼前で再現したくないからである。

 この「怒り」の感情はいろいろなレベルの仕返し、報復、復讐に結びつきやすい。私は怒りの感情、記憶を自分の心の中にうまく押し留めてきたが、心理的に変な歪みの元になっている。

 怒りを感じやすい状態、短気になる原因とは? 簡単に考察する。
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1遺伝
 子どもの性格の約50%が遺伝子によっているとされる。しかし、性格の半分以上はほかの要素によって形成されるということ。父は「自分は執念深い男だ・・」と言っていたのを覚えているが、私もその素因を受け継いでいると思う。

2環境因子
 人格の土台はだいたい3歳くらいに形成され、10歳くらいまでに確定するといわれている。その頃の環境因子といえば家庭内の状況、特に両親との関係である。
 親の養育態度は子供の人格形成に深く影響する。例えば、父親や母親が短気なら子供も似たような性格になる。 虐待を受けた子供は成人になってDV事件を起こしたり、自分の子供を虐待する素因になる。

3身体心理的状況
 身体に不調があり心に余裕がなければ反応はより敏感、短気になる。睡眠不足も重要な因子となる。

4社会的、経済的要因
 社会的、経済的要因、差別感などを抱いている場合。

5強すぎる道徳心
 常に正論を吐く。寛容な心に乏しい。マナーを守れない人を絶対に許せない、など。道徳心に関しては少し柔軟な考えを持つ事も必要。

6などなど

12/4(日)寒波、降雨 飯川病院日直 外来レセプトチェック
 1:15起床、読書など。8:30回診出勤する家内に同乗飯川病院、9:00日直業務、新聞チェック+入力、微睡、12:00検食、14:00外来レセプトチェック、電子化。微睡。湯沸かし持ったまま足元狂い布団汚す。助手さんに交換依頼。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。 歩数計Σ4203歩。昨年転倒第1回目。

こころと体2022(94)  怒りについて(2) 怒りとは何か
 怒りは、人間の基本的な感情の一つで、様々な要因・理由で起きる。
 怒りは「危険にさらされている」という意識・認識に起因している。その場合の「危険」というのは、身体的なこと、有形なことがらに限らず、自尊心や名誉などの無形のことがらまで含まれる。

 怒りの原因は、年齢層ごとに異なる。幼少期は身体的なものが中心であるが、青年期や大人になると、怒りの要因は社会的なもの、人間関係に由来するようになってくる。大人では例えば、権利の剥奪、他人からの不承認、いつわり・欺瞞などといったものが怒りの要因となる。

 怒りは期待した反応が得られないとき、理不尽な対応を受けたとき、そして気持ちに余裕がないときに喚起されやすい。

 怒りの感情は、原因が意味を持つのではなく、本人の受け止め方やその時の心理状況によって決まる。同じような出来事に遭遇しても、それに対する反応の仕方は人それぞれ異なる。怒りという感情を生成しているのは、怒りを感じる本人自身の心の準備状態である。

 私は決して短気ではない、と思う。
 むしろ怒りの立ち上がりは鈍い方だ、と思う。自分の自己判断ではそうであるが、より客観的にはどう考えるべきなのか。
 某心理学者は短気な人の特徴として以下のような項目を挙げている。

 それを指標にして自己評価をしてみる。
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1:プライドが高く、切れやすい (プライドは中等度か。むしろ落ち込みやすい)
2:少しでも不快感を感じると即座に反応する  (私は鈍いのか、即座の反応は皆無に近い)
3:細かく、理屈っぽい (自身はそうだが、他人の前では発揮することはない)
4:自分を大きく見せたがる (若干その傾向があるが、有りのままでいい)
5:不平不満が多い (無い訳ではないが、それほどない)
6:熱しやすく冷めやすい (熱し難く、冷め難い、しつこい)
7:自分が一番かわいいと思っている (いいえ)
8:自分の考えが常に正しいと思っている (いいえ いまだに修行中と謙虚)
9:自分抜きで話が進む事を嫌う (別に構わん)
10:周囲の自分の評価が気になる (比較的気になる方だ、と思う)
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 上記から見て私は短気な方ではない、と今回再確認できた。

12/3(土)終日小雪混じりの雨 飯川病院日直 
1:45起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。データ整理中心。8:30回診出勤する家内に同乗飯川病院、日直業務、新聞チェック+入力、微睡、12:00検食、13:30降雨の合間を縫ってダリアの球根を掘り出そうと長崎屋古書店経由帰宅10冊ほど購入、されどダリア処理は降雨で不可であった。プリウスシフトレバーが走行中にニュートラルに戻る現象に対し異物排除、これで解決か??読書、微睡。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ4899歩。

こころと体2022(93)  怒りについて(1) 私は短気ではない
 最近、心理学関連、哲学、宗教の書籍文献を読む機会が増えてきた。
 私は自己肯定感が乏しく、ウソを重ねて他人に迎合してきた。この弱さは私の生きてきた過程で大きなコンプレックスの一つになっている。自分の「ネガティブ」な感情について改めてじっくり考えることの意義は小さくない。

 この年になってから、今更そんなことを考えて何になる??と言う考えもあるのだが、自分の人生を振り返ってみるのにとても面白いのだ。私は、他人の気持ちなど始めからわかるわけがない、と言う前提に立つ。検討の対象が自分であることだからこそいろいろなことが分かってくる。

 人間、年をとると怒りっぽくなるといわれている。確かにそのとおりだろう。年々、腹立たしいことが増えていく。見るもの聞くもの、腹の立つことばかり、と言うよりは「納得できないこと」ばかりなのだ。

 ただし、私の怒りの対象は自分よりより強く、より特権階級にある人間に限られる。弱い立場の人間にはほとんど怒りを感じない。弱い立場の人の怒りについては理解しようと努める。
 要するに、年をとると怒りっぽくなるのは自分の立場が徐々に小さくなってきたことの表れ、とも言い得る。

 すぐに怒る短気な人の心理状態はどうなっているのだろうか?
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?短気な人は実力がないのに、軽くあしらわれ、馬鹿にされることに潜在的恐怖感がある。だから、得られた特権を用いて人を威圧する事で自己防衛している。

?何でも人のせいにする。何か不都合な事があるとすべては自分以外に原因があるという考えを持っている人が多い。

?短気な人というのは、怒るのが癖になっていて怒るきっかけが自分でもわからなくなっていることが多い。
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 上記の3項目を自分に当てはめみていずれも当てはまらない、と自己評価している。だから、私は短気な人間とは思わない。

 私は何かに直面した時も、激しく、感情的に怒ることは少なく、理性的に捉え直して怒る傾向がある。

 私の怒りの気持ちはブログの中で表現することでより論理的になり、その過程で自分が癒されていく。怒りは一般的に時間と共に収まっていく。ただそれを待つよりも積極的に表現するのが望ましいと思う。ただ表現する方はいいのであるが表現された方は新たな悩みを抱えるかもしれない。
 ただ、私のブログは自分のために記述しているのであって他人には迷惑になることなどあり得ないと思っている

12/2(金)曇り小雨など 大曲外来休診 飯川病院ボランティア 
 1:45起床。積雪数cm、初雪にしては積雪多し。文献検索、読書、医学文献読み。靴はウオーキングから防寒靴に。6:00家庭ゴミ+柿の木の枝の袋収集所に。一輪車は難しかった。家人に送られ10;30歯科、バス待ちは30分ほど、寒かった。秋田駅でアキカにチャージ。13:00飯川病院ボランティア。患者対応なし、微睡、読書。19:30帰宅。21:00就寝。歩数計Σ8262歩。昨年はまだ積雪なかった。
師走2022(2)師走雑感 心身が求めるままに、ズルして過ごしたい 
 「出来るだけズルしたい」と気持ちを綴ったが、終活のために切断した柿の木の幹や枝葉の細断、廃棄作業に昨日までかかった。雪が降るまでに何とか済ませたかったからで多少焦って作業した。2週間かかった。「出来るだけズルしたい」と言いう気持ちに早速反してしまった。

 もう一つ残っているのはダリアの球根堀である。雪が降るまでに何とか済ませたかったが果たせなかった。雪の状況を見ながら出来るだけ早くやらねばならない。この作業までは「出来るだけズルしたい」と言う気持ちは諦めなくてはならない。

 その後は読書に集中したい。私は「出来るだけズルする」ことが多分最高の贅沢になるだろう、と楽しみにしている。
 ただ、読書は運動不足になる。高齢者の運動不足は重大な結果を生みうる。内臓疾患でコケるのはやむを得ないが、四肢機能低下で自活できなくなれば人様に迷惑をかける。「出来るだけズル」しないで運動機能を維持したい。

 最近、心理学関連、哲学、宗教の書籍文献を読む機会が増えてきた。自分の「ネガティブ」な感情について考えるためである。私は自己肯定感が乏しく、ウソを重ねて他人に迎合してきた。厳しい弱肉強食の世界に投げ込まれたら生きてはいれなかった。たまたま恵まれた世界で生きれたからなんとかしがみつけた。この弱さもコンプレックスの一つになっている。

 私も大なり小なり五欲に追い立てられてきた。チャチなレベルであるが人間の五欲から逃れられずミニ悪行??を重ねてきた。
 私の行為を具体的に明かすことはないだろうが、自らの過去を反省し、現役引退を機会に「終わった人」と、小さくなって生きている。 

 家内には一生かけて付き合ってもらった。感謝である。信頼している。「なんで、50年も同じ屋根の下で、暮らせたのだろう?」そんな小文がどっかにあった。

 私と一緒になって失ったものは小さくなかろうが、もう今更どうしてあげることもできない。良き人生を纏うしてもらいたい、と思っている。
 そのために、私は「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して今後も支えていく。ボランティアとして彼女の仕事を手伝っているが、私への評価は低い。「外来には出したくない、患者が減るから」、「病棟は任せられない、患者が死ぬから・・・」と手厳しい。
 私は彼女が言うほどひどい、役立たずの人間ではない。私にもプライドが残っている。それが私を支えているが、口に出すことは怖い。
 長年連れ添った同志であるが、まだ駆け引きは続く。

 年の暮れになると、人生の晩年を迎えると、いつも同じ思いをくり返している。私は進歩が乏しい。

12/1(木)秋田市に初雪 終日小雪 午後飯川病院勤務 インフワクチン接種担当
 1:20起床、新聞電子化。医学文献読み。午前は防寒対策。最近は寒い、バス待ち時の寒さに備え、衣服関連の冬支度。上は作業服からスキーウエアに。薄手のサマーセーターから毛糸のトックリセーターに、ズボンは薄手の作業服のまま。柿の木枝葉処理終了。右大腿屈筋に突然疼痛発生、いわゆる肉離れ?? 11;50バス、飯川病院。読書、文献読み、微睡。14:00勤務、インフワクチン接種。新聞チェック、入力。文献読書。積雪数cm滑る。19:30帰宅。夕食、20:20就眠。歩数計Σ9475歩。

師走2022 (1)師走雑感 出来るだけズルしたい 心身共にゆったりと過ごしたい 
 ついに師走となった。早いものだ。2022年を迎えてから早くも11ケ月経過した。
 「法師が忙しく、東西に走り回る」からこの月を師走と言った。年の暮れの慌ただしさを絡めて、12月の異称として親しまれている。ただ、街中で僧侶を見かけることはない。

 歳とともに時間が過ぎるのが早くなった。自身の体内時計が遅くなって物理的時間に追いつかなくなったため時間が過ぎるのが早く感じるのだ。例えて言えば新幹線から鈍行に乗り換えた様なもの。時間だけかかって時間的余力を失うから、焦るのだ。

 すべての動作が遅くなっている。とりわけ歩く速度が遅くなっている。

 そのため一層忙しく感じるのだが「忙」は「心を亡くすこと」。昔の人はよくぞ相応しい文字を創ったものだ。それから見たら現代人などなんでも横文字化である。
 最近、視力障害を「アイフレール」と呼ぶそうだが、視力障害ならわかるが、これではなんだかわからない。日本語の真の価値に気づかず、なんでも横文字化する安易な医師達もバカだが、すぐ擦り寄ってくる無批判なメディアもバカである。

 ここ数年、業務から大幅に解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。意外と自分は「実は勤勉でなかったのだ」と思い直している。私は忙しさに振り回されて「自分を見失っていた」、と思う。

 私は師走の慌ただしさが好きでない。私自身は淡々としているのだが、師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路のイルミネーション、商店街のクリスマスセール、お歳暮セール、新聞とじ込み広告も目や耳にウルサい。半ば親切、半ば脅迫である。

 私は歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも負担感で傷つく。私は頂き物があれば必ずハガキで礼状を出すがそれも面倒である。ただ、経済的活力の維持は社会にとって生物の「いのち」に劣らず重要であることがこのCOVID-19禍で示された。だから、私は御託を言わずに静かに見守っている。 

 私も後期高齢者に入った。体調はそう悪くはないが加齢に由来する小さな不具合はある。だから、今年はできるだけ心身に相談し、無理せずに、休息をとりながら生活するよう心がけている。

 今後は「心身」の求めに沿って「出来るだけズルする、ゆったりと過ごす」と思っている。本来ズルというのは「より少ない努力で大きな利益を得ること」なので「ズルい」のであるが、私のいうズルはなんら人に迷惑かけないチャチなものだ。「自分の気持ちを緩めるだけで、人に迷惑をかけない。」このチャチさがいい。

 本日、秋田市に初雪が降った。
 初雪の割には結構な量が降った。一気に除雪の季節がきた。気持ちが焦る。
 子規の歌に「いくたびも雪の深さを尋ねけり」、と言うのがある。私も何度も外を見て積雪の状態を確かめた。
 過去には「除雪するぞ、やるぞ」の気持ちで何度も確かめたのであるが、近年は「どこまで除雪しないで済ませられるのか」である。「ズルしたい」、「ズル出来ないか」の気持ち優先。
 私はより素直になった。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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