徒然日記
2022年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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 動物たちとの交流(3) 空腹のハトやコイを見て考える
 人間は、顔や頸部にある表情筋で、意識的に他者にその「感情」を伝えることができる。意識しなくても感情の状態は自然と顔に現れる。

 表情筋をもつ動物としては「類人猿」しか知られていなかった。その後の研究で、ラット、イヌ、ネコなど、多くの哺乳類が表情筋を持っているらしいことが示唆されている。これが科学的に感知されて体系化されれば、動物の感情をより深く知ることができるだろう。

 こうした私の考えはまったく科学的ではないが、 人間だけが感情を持っているのではない。そのことは言いたいし、一部の科学者も認めている。 そもそも感情とは、動物を特定の行動に駆り立てる心の動きのことである。飢えや渇きは感情ではないと思うかもしれないが、行動に突き動かす心の状態である。

 恐怖のような原始的な感情は特定の行動を促す。 だとすれば、昆虫からチンパンジーまで実に多様な動物が何らかの感情をもっているという考えも、それほど受け入れ難いものではない。 動物達の感情は原始的かもしれないが、高度な感情をもつ人間の視点で軽視してはならないだろう。

 動物の感情に関する研究の進展を望みたい。

 私はここ何年も通勤路である秋田市内を流れる旭川にかかる久保田新橋から食パンのミミを小さく切った餌を撒いている。最近は家内も興味を持ったらしくパンの購入や裁断に一生懸命である。20-40cmほどのコイが30匹ほど集まって喜んで食べてくれる。あの様子は喜んで、としか表現できない。与える側も嬉しくなる。

 もう一箇所、千秋公園のお堀のコイにも与えるが、同様に喜んで食べてくれる。
 ここではドバトや野生化した伝書鳩も20羽ほど集まる。ハトたちはかなり空腹状態にあるようだ。本当はハトへの餌やりは禁止されているが、コイへの餌をこぼしたふりして与えている。空腹のハトが必死についばむ様子、奪い合う様子を見てとても人ごととは思えないから、である。
 
(私の手にまで登ってくるハト 袋の中にパンがある)

 気がついてみたら、私は人間だった。当たり前のことなのだが、他の動物を見ていると当たり前には思えない。


9/29(木)快晴 午後飯川病院勤務 
 1:30起床。文献他。自炊準備数冊。ナス収穫、10:50バス、桜町下車、久保田新橋でコイに餌、千秋公園コイとハトに給餌。12:00飯川病院、入院患者対応。散水、19:10帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ11102歩。

動物たちとの交流(2) 動物たちは何を考えているのか? 研究の進展を望む

 動物の精神生活を探る科学研究は進みつつあるがまだまだ異論も残る。
 「 人間以外の動物の思考や感情を知ることは不可能に近い。だから 動物の行動を見て、その源に主観な感情があると考えるのは、ただの推測であって、 科学ではない」と言うのは、米カリフォルニア工科大学の神経生物学者D・アンダーソン。彼はマウスやショウジョウバエ、クラゲで感情と関連した行動を探っている。研究対象が悪いのではないか??私は思う。

 人間以外の動物を対象にして悲哀や共感と言った感情を調べるには「研究対象の動物を擬人化している」という批判をかわさなければならない。
 そのためには、 動物の行動から引き出した結果を実験で検証しなければならないと、米アラスカ・パシフィック大学の海洋生物学者で、タコを研究しているD・シールは話す。 氏の研究対象も適切でないのでは??私は思う。

 擬人化が科学的な思考に対する冒涜だとれば、動物にも感情があるのでは??と思っている私の方に問題がある??と言われるだろう。

 私は、動物の気持ちが伝わってくるような文献や動画、それに私が飼っている動物の姿を見ると嬉しくなる。

 ペットとしての代表格であるイヌ・ネコには喜怒哀楽があると飼い主の誰しも思っているだろう。
 それ以外では、たとえば、 以下を見ると自然と顔がほころんでくる。
――――――――――――――――――――――――――――-
?動物園のスイギュウがひっくり返ったカメを必死で助け起こす動画
?雪の積もった斜面をすべり下りたバンダがもう一回斜面を登ってすべった動画
?バナナを食べようとしたさるが、バナナを水路に落として、呆然とする表情
?カラスが何度もすべり台で滑っている動画

以下は自分の経験
?水槽の中の比較的大型の魚たち、金魚、コイ、タイガーオスカーなどが見せる空腹時の攻撃的表情。給餌後に見せる安堵の表情。
?水槽の水交換時、水深が浅くなるに伴ってみせる比較的大型の魚たちの恐怖の表情と水深が戻った後の安堵の表情
?飼い馬が見せる各種の表情。馬の感情は耳鼻、顔に現れた。
?・・・・・

――――――――――――――――――――――――――――-
 地球上で人間と共に生きてる生物たちが、本能に従って餌を獲る、種族保存の行動をする他に、悲喜こもごも日々を送っているのではないか??と思うだけで、何だかとても幸せな気分になる。


9/28(水)晴れ 午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、データ分類など。早朝寒くてフリースセーター着用。歴史関連本読み。午前は座学とダリアの世話など。10:40バス、警察署前で下車、千秋公園ハトとコイに給餌。飯川病院へ、14:00-15:15COVID-19ワクチン接種担当。録音データ整理。新聞入力、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8572歩。

動物たちとの交流(1) 動物たちには心があるのか? 何を考えているのか?

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
 これは川端康成著「雪国」の冒頭で、何かにつけて私が思い出す名文である。さりげない文章であるが、短歌や俳句にも匹敵する広がりを感じる。この名文には無限の発展性を感じる。
 私は、今、この文章を「ほぼ無意識であった乳幼児期の長いトンネルを抜けると、私は人間であった・・・・。」と表現したい。私は気がついてみたら人間だったのだ。しかもどこよりも素晴らしい日本に、しかも良い時代に生まれていた。

 このことに関して私はなんら選択などしていない。あえて言えば、父親の体から放たれ母親の卵子に向かって必死に移動し、同僚に打ち勝って私だけがうまく受け入れられたことぐらいであっただろうか。この当たり前の自然の織りなす事実に対し、私は自分が持って生まれてきた強運に対し深い慄きを感じざるを言えない。

 要するに、私は他の生物たちと何ら変わらない。気がついてみたら、たまたま人間であって、かつ私だったのだ。生まれてハッと気がついたら、私だった。だから、別の何かでもあり得たのだ。だから、他の生物と同格なのだ、と思う。

 そんなことを背景にしてきたわけではないが、私は幼少の頃からいろいろな動物に触れ親しんできた。生き物たちに対して優しい子供だった。遊びとしての殺生はなかったわけではないが、早々にやめた。動物から学んだあり方、生き方も少なくない。

 特に半世紀も前に死んだ初代のネコには感謝しきれない。安易な比較は自然の摂理に反することになるが、同時期に数年間飼育していたウサギと比較すれば雲泥の差があった。
 初代のネコからは「悲しみ」「喜び」「共感」などの心の動きを感じ取っていたからである。「何で、お前は人間でないのだ・・・」、私は何度も何度も話しかけた言葉である。

 最近では、「多くの動物には人間と同じくらい複雑な心の働きがある」という動物学者ドゥ・バールの見解を受け入れ始めた行動学者も出てきた。「違うのは、 人間は感情を言葉で表現できること。自分の気持ちについて話せること」、と彼はいう。

 こうした新しい見方が広く受け入れられたら、 私たちは動物との接し方や動物の扱い方を根本的に見直すことになるだろう。 「人間以外の動物にも感情がある、昆虫にも感性があるということになれば、動物をもっと倫理的に扱うべき存在となる」とドゥ・バールは話す。私もこの意見に賛成である。


9/27(火)快晴 安倍元首相国葬 中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:30起床、文献チェック、徒然など。5:10家庭ゴミ1袋だけ。6:40バス飯川病院、8:45-12:15中通病院外来、患者は少なかったが疲弊。12:30飯川病院、微睡検食、入院患者対応なし、読書、iPad128GBデータ移行整理、散水。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。自炊数冊。歩数計Σ10718歩。国葬は粛々と、大きなトラブルもなく終了したらしい。良かった。

ガス器具交換にまつわる雑感(2) 半導体等の流通不足 医療・自動車関係はまだ不足
 世界中で半導体不足が長期化している。
 医療機器に関しても問題は大きい。

 半導体生産不足、流通に関与している因子は以下の如くと考えられる。
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?パナマ運河での日本国籍貨物船の座礁。
?COVID-19の世界的流行で生産量の低下。
?COVID-19の中国のゼロコロナ政策による生産低下。
?COVID-19でテレワーク等で在宅時間が増え、ゲーム機やパソコンの需要増。
?COVID-19で感染防止で車を買う人も増えた。
?3月には福島県沖で震度6強の地震でメーカーの工場が被災し生産停止。
?・・・・・・・・
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 最近は、世界的に景気が低下し、半導体の生産流通は改善傾向にある。スマートフォンやパソコン (PC) などの出荷減による半導体需要の鈍化が大きな要因で問題は大きい。
 ただ、自動車に関してはまだしばらくは、車を完成させられない状況が続きそうだ。

 世界の医療機器産業でも半導体不足の影響が長期化している。
 非先端品の納期は1年ほど、一部半導体の供給は1年半以上も遅れていた。
 医療機器に使われる非先端半導体の製造ラインの生産は、儲からないために先端品のラインに比べて設備投資が遅れてきた。
 医療機器は調達面で不利な状況にある。自動車関連メーカーなどと比べると需要が乏しく、購買力が劣り供給は後回しにされているらしい。

 車の動作制御に使うマイコンは平均納期は依然として高止まりしているものの、2月から6月にかけ納期は短縮した。一方で、電気の制御に使うパワー半導体はEV向けなどで需要に供給能力が追いついておらず、構造的な需給の不均衡は解消に至っていない。

 車が買いにくくなっている。新車の値段も高くなった。品薄に加え、車に使われるアルミニウムやニッケルなどが値上がしている他に電子部品が足りず、作れる台数が減っている。
 新車を注文してから納車までに、3カ月から半年ぐらいかかることが多くなっている。最近、長女宅で車が必要となり新車を購入したが、納期まで5ケ月を要し、価格も随分高くついたようだ。

 新車が手に入らない影響で、中古車が値上がりしている。 中古車は普通、新車より安いが、今は新車なみの値段の車もある。車をほしい人が増えたが、新車が手に入らない。その影響で出回る中古車が少なく、車全体の回転が乏しくなっている。

 半導体不足はまだ続くようである。
 一般論としては知っていたが、私がその影響を受けるとは考えていなかった。我が家では居間の石油ストーブと風呂釜が耐用年限を越えていて故障しても修理できない。
 騙し騙し使っているが、これからの季節、故障されると困る。
 ひたすら幸運を祈るだけである。


9/26(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床、文献チェック。データ整理、6:40バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック13人。11:30飯川病院、読書、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他。講演準備など。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数8737歩。

ガス器具交換にまつわる雑感(1) えっ17年も使っていたの??
 我が家のガス給湯器、「 リンナイRUX-V1610SWFA-E」、が9月19日に全く予兆なく機能しなくなった。特に器具の外観には変化が見られない。
 私はこんな時にファイトが出る、とは言っても、相手は高熱を発する器具で、構造的にも器具内の中のガードもしっかりしており、私が手をつけられる部分はほとんどなく原因は不明であった。
 そのうちに器具に警告が出た。No36であり、使用説明書にはこの番号はない。多分重大な障害が生じているのだろう。

 早速、9月21日購入元の東部ガスKKに点検を依頼した。その点検結果は単純なものであった。「原因は特定できないが長期使用(17年間)による劣化のためでしょう。通常の寿命は10年程度です。発売後8年以上経過しているために故障部品の交換は不可能、器具全体の交換が必要」、とのこと。

 この器具は我が家として2台目である。その頃の記憶を辿ってみて、私はせいぜい5-6年程度の使用か??と考えていたが、前回の交換から17年も経っていたのかと改めて時間経過の速さに驚いた。確かに購入記録を見るとその通りであった。

 日常使用する器具だから早く交換しなければならない。同社製の同機能の器具を希望したところ入荷までには3ヶ月は必要だろうとのこと、であった。いま電子部品を用いる製品は軒並み流通が落ちているという。他にも湯を得る方法はないわけではないが、3ヶ月ものんびりはしていられない。

 代替方法はないかと申し出たところ、パロマ製の同等品なら会社に一台あり、すぐに納品可能とのこと。「良い時に故障しましたね」、と逆に褒められた。
 早速、翌日設置してもらい事なきを得た。
 対応は実に迅速であった。

 請求書を見たところ、器具の定価は163.000円、工事費その他35.080円であった。実際の請求額は値引きが約90.000円もあり、消費税込みで119.000円であった。

 担当者に、需要と供給のバランスから見て値引きが多過ぎるなどの意見は述べたが、会社としての方針でその内容は分からないとのことであった。

 今はあらゆる機器はマイコンで制御されている。
 半導体の供給不足で製品が完成できずに品不足にあるとは聴いていたが、実際はどうなっているのか、日本の種々の製品の生産や価格がどうなっているのか??改めて疑問を感じた。


9/25(日)快晴 飯川病院で座学中心  
1:10起床、結構寒い。データ整理、読書など、なかなか乗らずルチンワークも進まず。途中微睡、8:30回診とゾンタバザーで家内に同乗、久保田新橋でコイに給餌、病院経由であるべの会場に。9:30書店訪問、12:00新聞チェックほか微睡も、読書など、音楽録音、書籍自炊化、散水。18:30横田屋経由帰宅、19:00夕食。20;00就眠。歩数計5267歩。

季節の話題2022(26) 台風14号 我が家のダリア対策 被害なし

 先の台風11号は、秋田県に9月6日昼過ぎに最接近し、昼頃から夕方にかけて強風をもたらし、6日午後9時に北海道沖で温帯低気圧に変わった。台風は日本には直接上陸はしなかったが、接近に伴って、九州や西日本の一部の地域では強風による被害、交通機関にも影響が出た。私のダリアは秋田への接近が予想以上に早く、対策が間に合わず数本にダメージを受けた。

 それから2週間後、9月18日、今度は台風14号が列島を縦断し、秋田にも暴風雨で多少の被害をもたらしたが、20日午前、東北沖の太平洋で温帯低気圧に変わった。

 台風14号は「伊勢 匹敵するかそれ以上」とされ、「過去最強」だった勢力は、中国大陸の高気圧の影響で、九州最接近前に勢力が落ち始め、上陸後は一気に衰退した。
 気象庁が上陸前に命に関わる災害を想定した特別警報を出したこともあり、直撃した長崎市、九州地方で近くのホテルへ住民が避難する動きもあり、「事前の防災対応が被害の軽減につながった」と評価されている。

 1959年に5.000人以上の死者・行方不明者を出した「伊勢湾台風」は上陸事前の時の中心気圧が929ヘクトパスカル(Hp)。
 台風14号は南の海上で最盛期に910Hp、最大風速55m。最大瞬間風速は70mにまで急成長し、強さのカテゴリーは一番上の「猛烈」に該当。勢力を維持したまま上陸するとみられていた。

 変化が表れたのは18日未明。 中国大陸上空にある高気圧から台風に乾いた空気が予想以上に入り込み雲がばらけ始めた。台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結し、雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達する。上陸すると一般的に見て衰退する。

 18日後1時半ごろに通過した鹿児島・屋久島で930Hpを観測し、衰退の傾向がはっきりと出た。鹿児島市付近に上陸した18日午後7時ごろの気圧は935Hpで、観測史上4番目だった。
 台風14号は九州に上陸後、山陰・北陸を北上、勢力は急速に衰えた。

 台風14号に関して「最大級の規模」が予想されたが 「情報が大げさ、騒ぎする!!!」などとの批判もあった。しかしながら、力がどう衰えるかの予見は困難。その判断は難しく、不確実性がどうしても伴う。台風対策が以前より多くとられ、交通機関の計画運休、ホテルなどへの避難などが人的被害の軽減をもたらした。

 私も逐次ニュースを確認しながらダリアの被害をどう防ぐか5段階ほどの対策を練っていて、20日早朝、激しい雨に打たれながら2段階に当たる対策を施した。

(互いを連結したレベル2の対策 さらに風の状況に応じ、連結棒補強、花毎の簀巻き作成、株や花毎にネットを被せる、などの対策を考えていた)

 結果的に被害は全くなく溜飲を下げたが、それは対策が優っていたという訳でなく、台風の急速な衰退に依っていた。
 ただ、今後のダリア対策に道が開かれたことは確かである。


9/24(土)降雨午後から快晴 家内誕生日
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。読書、新聞チェック。午前も同様。微睡後、15:00孫たち3人来訪家内誕生日に。16:00ガレージ掃除のみ。書斎で音楽関連録画鑑賞。18:30家内誕生日を祝って外食、ルセット四人、なかなか快適、美味。20:30帰宅,21:00就寝。歩数計Σ6478歩。

辞世の句(6) 和歌・短歌(4)  辞世の歌は五感、自然への畏怖、無常感からなる

 今回、私のメモとかにある辞世の句を列挙した。その句ある言葉は以下の如くであった。
――――――――――――――――――――――――――――-
 糸瓜 夢 枯れ野 水 氷 かすみ 白魚 花山椒 別れ 西 世の中 行く道
昨日 今日 風 花 鳥 死 望月 ほととぎす  もみぢ葉 ふるさと
山川 山河 瀬の音
――――――――――――――――――――――――――――-
 分類しきれないが、底辺にあるのは自然現象の観察と、畏怖、無常感なのではないか、と思う。

 日本人の自然観と言えばはなはだ平明なようで、よく考えてみるとその実態がよくわからない。
 日本人がその環境「日本の自然」を如何に見て、如何に反応するか、ということである。われわれは通常は、便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的思考と言われるもので長所も短所である。しかしながら、この両者は実は一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。

 人類も、あらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然の懐に育まれてその環境に適応するように育て上げられて来た。例えば、青い空を見ればなんとなく快適で気分も明るくなる。森林の中ではなんとなく爽やかになる、などなどである。

 辞世の句にある自然の観察は自然に対する争いでなく 同化と言っても良い素直な感情である。

 自然観を考えるとき日本人の宗教心についてもちょっとだけ触れなくてならない。日本の宗教を「宗派宗教(創唱宗教ともいう)」と「自然宗教」の 二つにわけるとわかりやすい。宗派宗教とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人々がいる宗教のことであり、教祖と経典、教団によって成立している。

 これに対して後者の「自然宗教」 とは、教祖や教団を 持たず、先祖たちによって無意識に受け継がれてきた宗教観のことを指す。日本人の心の奥底には自然宗教が存在している、と考えたい。たとえ「無宗教です」という方でも敬虔な気持ちになる場所がきっとあると思う。日本人の宗教観についてはいつか考えてみたい。
 
 今日、宗教的思考が、科学の介入によって薄れている。これは自然を客観的にとらえ、自然を人間と切り離してしまったからである。科学の発達とともに、人間の欲求も膨らむ一方で、傲慢さ尊大さが増大し、人々は自然に対して利己的になった。科学に人間の傲慢さを諌める”教え”がないからである。知的欲求から科学がうまれ、それが今まで宗教が信秘性をもって語っていたものをいとも簡単に合理的に解明してしまった。万能と信じていた神を疑い、かつて謎につつまれた神秘性を持つものに畏れを抱く気持ちを持たなくさせてしまった。

 そういう視点で見た時、辞世の句には素直な自然観が感じられる。
 だから好きだ、と思う。

 今、情報が重視され、それらの多くはヴァーチャルな手段を介してもたらされる。しかも、スマホなどの、ひたすら便利な道具でそれほど苦労しないで得られる。
 私はそのようなものを介さないで五感を駆使して自然の姿から情報を収集したいものだ。


9/23(金)秋分の日 早朝降雨のち晴れ 午後外仕事
 1:00起床,文献、データ整理など。録音機配線の整理、略完成。5:30可燃ごみ提出、データ化した書籍の整理進める。午前は座学、朝ご飯、昼食は昨日のケーキの残り。微睡後午後は外仕事、草刈り24回目、ダリア周辺中心。伐採した小枝袋詰め整理。16:00から書斎で音楽鑑賞、N響定期のブルックナーNo4、読書など。19:00夕食。20:45就寝。歩数計Σ7188歩。

辞世の句(5) 和歌・短歌(3)
 先に続き辞世の句をランダムに列挙する。

 辞世の句には美がある。いや、美を求める芸術、絵画や音楽、優れた文学作品にも、辞世の句ほど切羽詰まってはいないが、私は死の影を感じとる。
 だから、作者と共感できるから、私は鑑賞し、読み、味わうのだ、と思う。
 
―――――――――――――――――――――――――――――
?何ごとも 夢まぼろしと思ひしる身にはうれひもよろこびもなし(足利義政)
?五月雨は 露か涙か不如帰 わが名をあげよ 雲の上まで(足利義輝)
?極楽も 地獄もともに有明の 月ぞ心にかかる月かな(上杉謙信 )
?残しおく そのみどり子の心こそ 思ひやられて 悲しかりけり(荒木たし)
?利休めは とかく瞑加のものぞかし菅丞相になると思へば(千利休)

?つゆとおちつゆときへにしわがみかななにはのことは ゆめのまたゆめ(豊臣秀吉)
?散りぬへき とき知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ(細川ガラシャ)
?嬉しやと 二度さめて一眠り 浮世の夢は 暁の空(徳川家康)
?曇りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く(伊達政宗)
?ほととぎす 誰も一人は淋しきに 死出の山路に われを誘へ(徳川光圀 )

?あふ時は かたりつくすとおもへども わかれとなれば のこる言の葉 (大石主税)
?形見とて何か残さむ春は花夏ほととぎす 秋はもみぢ葉(良寛)
?ふたつなき 道にこの身を捨小舟 波たたばとて 風吹かばとて(西郷隆盛)
?今日もまた 胸に痛みあり死ぬならば ふるさとに行きて死なむと思ふ(石川啄木)
?この世をばしばしの夢と聞きたいおもへば長き月日なりけり(徳川慶喜)

?知りぬべき ことは大かたしりつくし 今何を見る 大空を見る(与謝野寛)
?年々に わが悲しみは深くして、いよいよ華やぐ いのちなりけり(岡本かの子)
?今日もまた すぎし昔となりたらば 並びて寝ねん 西の武蔵野(与謝野晶子)
?たまきはる 命済みつつありむかう山川の瀬の音の静けさ(北原白秋)
?国のため重きつとめを果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき(栗林忠道)

?故郷の 乙女の千人針抱きしめ 春の盛りを大空に散る(橋正豊次)
?池水は濁りににごり 藤なみの影もうつらず 雨ふりしきる(太宰治)
?春の日の 草をしとねの夢さめず はや梧の葉に秋の風吹く(谷崎潤一郎)
?散るをいとふ 世にも人にもさきがけて いるこそ花と吹く 小夜嵐(三島由紀夫)
?友みなの いのちはすでにほろびたり われの生くるは火中の蓮華(川端康成)


9/22(木)晴れ 午前ガス給湯器交換 午後飯川病院
 1:20起床、新聞、医学文献他読む。徒然。9;00-11:30故障した給湯器交換作業、東部ガススタッフ。12;12バス飯川病院、微睡、14:00勤務、入院患者対応、散水、19:00通町書店経由帰宅、夕食。家内の誕生日ケーキ看護師たちより戴く。いちごの載っていない地味なホール。美味、20:30就眠。歩数計Σ7031歩。

辞世の句(4) 和歌・短歌(2)
 「論語―泰伯」に出て来る「鳥のまさに死なんとするやその声悲し。人のまさに死なんとするやその言うところ善し。」がある。孔子の弟子である曾子の言葉。
 人それぞれの人生は固有の完成品。辞世の句も同様で、私の拙いコメントなど不要。

 以下は、私のメモにある辞世の句の一部である。
 一つ一つ味わい深いが、ランダムに列挙だけしておく、
―――――――――――――――――――――――――――――-
?願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ (西行)
 
?恋しくば 南無阿弥陀仏をとなうべし 我も六字の中にこそあれ (親鸞)

?何事も ゆめまぼろしと思い知る 身には憂も喜びもなし (足利義政)

?そうかんは どこへと人の問うならば ちと用ありて あの世にと言え (山崎宗鑑)

?あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし (大石良雄 )

?我ゆくも またこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば (東条英機)

?さらばなり 苔の下にて我またん 大和島根に 花薫とき (東条英機)

?この世をば どりゃお暇に線香の煙とともに 灰さようなら (十返舎一九)

?石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ (石川五右衛門)

?手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が (河野裕子 )

?海ならず ただへる水の底までも 清き心は 月ぞ照らさむ(菅原道真)

?もみぢ葉を 風にまかせて見るよりも はかなきものは命なりけり(大江千里)

?手に結ぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ(紀貫之)

?かへるべき 梢はあれどいかにせん 風をいのちの身にしあらねば(平維盛)

?極楽は 十万億土とはるかなり とても行かれぬ わらじ一足(一休禅師)


9/21 (水) 快晴 やや寒い  COVID-19ワクチン担当
 1:30起床,新聞、文献読み、徒然記載などなどゆったり過ごす。ダリア世話、風対策解除、ほとんど被害なし。10:50バス、通り町→新国道前→バス長崎や古書店にて店舗受け取り書籍11冊購入→バス12;30飯川病院着、勤務、14:00-15:30COVID-19ワクチン担当。微睡。読書、家内はWeb勉強会、軽食で済ます。20:30帰宅、21:20就寝。歩数計Σ7731歩。

辞世の句(3) 和歌・短歌(1)
 人は死を前に最も敬虔な気持ちになると思う。
 人は生まれながらにして差別を持って生まれる。社会的には貴賎貧富、老若男女、健康不健康などなどあって、生きるのが辛く、悩みは尽きないのが人生であるが、死は全ての者にとって平等である。
 それが私が人間を観察するとき、語るときの最後の砦でもある。

 さらに、人はどんな死に方をするかも予測できない。死が直ちにくる場合、比較的時間がある場合など様々である。
 「死は時を選ばず、時を待たず、死は前からばかりではなく、ゆっくりと気づかぬように後ろからも迫ってくる」。
 そのことは虚弱な幼少期を過ごした私の実感でもあり、私の人生観でもある。

 人はその死に臨んで社会的な鎧を脱いで裸になる。何一つ持っていけない。だから死に臨んで発した言葉には裸の人間性が現れ、嘘や意地や誇張もない。その人の本当の姿が表現される。だから私は辞世の句など、賢者が最後に発した言葉が好きだ。

 当ブログは恐れ多くも吉田兼好の徒然草から表題を借用している。
 「徒然草のメインテーマ」は「死生観」である。所々に兼好は死生観をちらつかす。

 その兼好法師の辞世の句は以下である。
 ?かへり来ぬ 別れをきてもなげくかな 西にとかつは 祈るものから  (兼好法師)

 師は「徒然草』第七段で、「四十に足らぬほどにて死なんこそ、 めやすかるべけれ」と述べている。 人生五十年よりさらに短い四十歳が目標だった、という。死亡時推定年齢は七十歳であるが、はっきりとしない。彼が生きた鎌倉時代、庶民が四十歳まで生きるのは容易ではなかった。軽い風邪でもあっけなく命を落とし、至る所に餓死と病死のむくろが転がっていた。鴨長明の方丈記の中にこの辺の事情が詳しく描写されている。

 死は日常の中に当たり前のようにあった。だから、兼好法師を貫いていたのは、世捨て人に共通なのであるが、無常観だった。

 だから、「生きているということを、日々楽しまないでよいものか・・・」と述べ「死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや(第九十三段)」と言っている。「一瞬一瞬、人は生きている。その一瞬、一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しみ充実させるのだ」と。
 このことは、以下の句にも共通する。

 ?おもしろきこともなき世をおもしろく  (高杉晋作)


 人は誰でも、いつかは死が訪れることは知っている。だが、その死が、予測していない時にときに、突然やってくる。
 ?つひに行く 道とはかねて聞しかど 昨日今日とは 思はざりしを  (在原業平)

 もう一つ。

 ?風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残を いかにとやせん ( 浅野長矩)
 これは私が最も気に入っている句。江戸城松の廊下抜刀し、即日切腹となった。風に誘われて散る桜は名残り惜しいが、それよりも、切腹して散っていく自分が残念でならない・・・。

 切腹の命が下って数時間、いろいろ考えるべきことがあっただろうがその間に作り上げたなんて信じられない。


9/20 (火) 台風14号接近中降雨後晴れ 中通病院外来 飯川病院 
 1:30起床,文献、データ整理などなど。3:00降雨始まる、風やや強まる。5:00
雨具着て可燃ゴミ廃棄、ブリッジ式ダリアの風対策、びしょ濡れ。7:00家内に同乗飯川病院、新聞入力など。中通病院外来。外来12名、結構疲弊微睡、2代目のラジオサーバー届くもアンテナステなしであった。Web講演会あり19:40帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ9873歩。ブリッジ式ダリアの風対策大成功。

辞世の句(2) 俳句(2)

 俳人・斎藤 玄(1914年8月22日 - 1980年5月8日)の辞世の句も良い。氏は句集『雁道』で蛇笏賞受賞の知らせを患の床で聞き、授賞式を待たず、65年の生涯を閉じた。
 以下の3句は、歿後その句集に黒枠にかこまれて発表された辞世の句。
?死期といふ 水と氷の 霞かな
?白魚を すすりそこねて 死ぬことなし
?死が見ゆる とはなにごとぞ 花山椒


 私が日常から本を読んだ際に出てくる辞世の句を見つける度に拾って嬉々としてメモにためてある。今後もっと増えることを期待している。
 その一部。

辞世の句(2) 俳句(2)
 俳人・斎藤 玄(1914年8月22日 - 1980年5月8日)の辞世の句も良い。氏は句集『雁道』で蛇笏賞受賞の知らせを患の床で聞き、授賞式を待たず、65年の生涯を閉じた。
 以下の3句は、歿後その句集に黒枠にかこまれて発表された辞世の句。
?死期といふ 水と氷の 霞かな
?白魚を すすりそこねて 死ぬことなし
?死が見ゆる とはなにごとぞ 花山椒


 私が日常から本を読んだ際に出てくる辞世の句を見つける度に拾って嬉々としてメモにためてある。今後もっと増えることを期待している。
 その一部。

?月も見て われはこの世を かしくかな (加賀千代)
?来世は 待つべからず 往世は追うべからず (荘子)
?人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原 (葛飾北斎)
?ああままよ 生きても 亀の百分の1 (小林一茶)
?動かねば 闇にへだつや 花と水 (高杉晋作)
?腹痛や 苦しき中に あけがらす (山岡鉄舟)
?鼻水や 鼻の先だけ 暮れ残る (芥川龍之介)
?おもしろき こともなき世を おもしろく(高杉晋作)
?浮世の月 見過ごしにけり 末2年 (井原西鶴)
?梅で呑む 茶屋もあるべし 死での山(大高源吾)
?白梅に 明るよばかりと なりにけり(与謝蕪村)
?動かねば 闇にへだつや 花と水(沖田総司)
?世ハ森倫太郎トシテ死セント欲ス(森鴎外)
?湯豆腐や いのちのはての うすあかり(久保田万太郎)
?・・・・・・

 俳句の辞世句は世界が広がりすぎて味わうのが困難なこともある。


9/19(月)敬老の日 台風14号接近中快晴風 飯川病院日直 
1:30起床、文献、新聞入力他。音楽録音、自炊3冊。8:42バス飯川病院、9:00-19:00までの日直に就く。院内患者は平穏。微睡、読書、音楽録音鑑賞三昧で過ごす。12:00検食、午後もほぼ同様。19:00帰宅夕食、20:00就寝。歩数計Σ3817歩。運動不足、室内で過ごすのがもったいない快晴、快風。

辞世の句(1) 俳句(1)
 私は歌心などほとんどなく自分で詠むことはないが、読んで味わうことは好きである。
 その中でも、特に辞世の句とされる作品には作者の人生が込められており、心惹かれるものがある。

?糸瓜(へちま)咲て 痰のつまりし 仏かな(正岡子規)
 これは子規の死の10余時間前に詠んだ俳句である。
 正岡子規 1867年10月14日- 1902年9月19日没(享年34歳)で、本日が命日である。彼の命日は獺祭(だっさい)忌あるいは糸瓜忌といわれる。
 獺祭とは、獺(かわうそ)が獲物の魚を土手などに並べる習性があることから、知識人が書籍を部屋中に広げて思索にふけるさまを獺祭と呼ぶ様になり、子規自ら自身をそれになぞらえたとされる。

 私もかつては作文するときに文献や書籍を床に広げて作業したことがあるが、最近は文献書籍を全て電子化してiPadで読むから、4台のiPadを机上において参照しつつiMacで入力する。時代の進歩なのであろうが、進んだのは道具だけ。頭は縄文にとどまっている?

 子規の命日を獺祭忌と呼ぶのは小説家・太宰治を偲ぶ日を「桜桃忌」と呼ぶのと同じである。

 近年、子規に関する評論や伝記が相次いで刊行され私も若干所持している。
 子規は僅か36年で死去した。子規の生きざまと死にざまは、一段と鮮かに回顧される。
 この俳句が、永年病患に蝕まれ、死を10余時間後に迎える人の作品か、と訝しく思われるほど見事である。

 上記を含め、3句詠んだとされセットで取り上げられる。
?痰一斗 糸瓜の水も 間に合はず、
?をととひの 糸瓜の水も 取らざりき

 それにしても、これらの出来は素晴らしい。わが身を仏と言い切って死の向うから眺めている。

 この作品と同様、芭蕉の辞世の句、
?旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る も素晴らしい。

 辞世の句は味わいがある。


9/18(日)快晴 大型の台風14号接近中 家内は女医会で横手
 1;00起床。本読み、録音作業、早朝・夜間は結構寒くなった。読書、新聞チェックなどいつものごとし。10:00-11:30草刈り23回目、畑・農道中心。畑終い作業。のど自慢新聞記事チェック後微睡、15:00-16:30ダリアの暴風対策。まだ無風で実感つかめず。その後は読書、音楽録画チェック進める。19:00夕食、20:00疲れて就寝。Σ10287歩。

コンビニ雑感 芥川賞村田沙耶香氏の『コンビニ人間』を読んで
 第155回芥川賞(2016年)は村田沙耶香氏の『コンビニ人間』であった。氏は現役のコンビニ従業員であり、この作品からコンビニについていろいろ情報を得ることができた。もうあれから6年も経った。時間経過の速さに驚く。

 私は滅多にコンビニを利用しない。歩行通勤時のトイレ借用が主である。コンビニのトイレは清潔でとてもいい。コンビニで何かを積極的に購入することは稀であるが、トイレ使用の礼を兼ねてちょっとしたものを買うことはある。私はコンビニの存在と機能の便利さに助けられている。
 今の若者が住居を探す際、近所にコンビニがあることを最も重視するのだ、と言うがその考え方がわかる。

 コンビニは名前が示すように、閉店時間を気にせず気軽に利用できるのが一番いいところである。しかし、従業員の確保を含め関係者の苦労を思うとそうとばかりは言っていられない。24時間オープンをやめた店舗もあるようだ。私と共に働く看護助手の一人はコンビニで時折バイトもしているが、実際には客の少ない夜間帯にこそやるべき業務が多い、と言う。

 私がコンビニを訪れる時間帯は日中が多いために店内はあまり混んでいない。せいぜい数人、時に十人程度の客がいるに過ぎない。早朝とか夕方に側を通ると勤め帰りのサラリーマンや学生たちでけっこう混んでいるように見える。

 弁当などを購入する方にとってはコンビニは便利なんだろうな、と考えるものの、私は今のところ3食食べられる環境にあり、私は購入したことはない。

 何気なく店内を見回してみて奇妙な点に気がついた。
 すなわち、客に「若い男性の客が多い」こと。女性がいても若い女性である。客筋がスーパーやデパ地下とまったく違う。私も年に何回か家族の買い物に付き合ってスーパーなどに入ることがあるが、そこは主婦、中高年者が多い。

 スーパーなどとの客層の違いは価格が一般的に見て若干高いこと、扱っている品数の違いに由来する。だから自然と客層が違ってくる。コンビニはすぐに食べられる食品を扱っているし、スーパーは料理用の食材を中心に扱っている。だから主婦層がいないのだ。
 
 コンビニは便利さを求める男たちの、若者の世界なのだ、と思う。

 男たちの一部は女性客のいない店内で黙々とマニアックな官能本を手にして静かに笑みをもらす。最近はこのような書籍にはビニールが被せてあり、店舗で見れる本は少ないようだ。ひょっとしたら、男たちは女性客が少ないからこそ安心してコンビニに足を運ぶのかもしれない。店内に漂う空気はあくまで静かで、ゆっくりふわふわ。コンビニは男好みの空間なのである。

 時に、コンビニの前に座りこみ、飲みものとタバコを手にして話しこんでいる若者たちがいる。十人近くの若者がたむろしていることもある。 小心者の私は、この若者たちの前を通り抜けるのが怖い。 ジジイ狩りにでもあうのではないかとびくびくしながら、まさか日中にはありえない・・・、と虚勢を張って彼らの前を抜けて店の扉にたどりつく。 やはり、コンビニは男たちの世界である。

 コンビニの従業員の対応はすべてがマニュアル通りで味もそっけもない、と言われるが、決して不自然ではないのはすごい。おそらく毎朝の打ち合わせどきにミニ訓練を受けているのだろう。
 
 コンビニは、スーパーとはまったく違う存在でなればいけない。そうでなければコンビニの存在価値は乏しくなり世の中からはじき出されてしまう可能性がある。現に、短期間で閉店するコンビニも少なくない。
 どこの業界も厳しい。


9/17(土)晴れ 大型の台風14号接近中 飯川病院午前日直   
1:30起床。文献読み。画像データなど整理。8:30会心に行く家内に同乗飯川病院に。9:00-13:00日直業務、実際は19:00まで院内で座学、読書。音楽録音、新聞、単行本データ化、散水。19:30帰宅夕食。20:30就寝。歩数計5133歩。

音楽談議2022(7) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(5) ブルックナーについて

 ブルックナー(1824年- 1896年)は、オーストリアの作曲家、オルガニスト。
 幼少期から音楽的才能を示し、10歳頃には父に代わって教会でオルガンを弾くほどになった。1855年、リンツ大聖堂の専属オルガニストとして成功した。
 1868年にはウィーン国立音楽院の教授に就任した。それ以降、大部分のエネルギーを交響曲を書くことに集中した。

 作品の特徴として
?ブルックナー開始:第1楽章が弦楽器のトレモロで始まる手法であり、交響曲第2、4、7、8、9番に見られる。
?ブルックナー休止 :楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法。
・・・・など。

 1876年にバイロイト音楽祭でニーベルングの指環の初演を聴く。このときに今までの自らの作品を大幅に改訂することを決意し、第1番から第5番を大幅に改訂し、後に更に第1、2、3、4、8番が再度改訂された。

 ブルックナーは生涯を通じてローマ・カトリック教徒であった。
 恋愛には純朴であり、若くて綺麗な娘を見かけるたびに夢中になった。晩年に至るまで多くの女性に求婚したが、そのすべてが破局に終わり生涯独身で過ごした。何らかの性的嗜好の偏りがあったのではないか?と思われる。
 大酒飲みで、毎晩ビールを10杯は平らげていたという。この酒好きが晩年の病気の遠因にもなったともされるが、本人にとっては良い人生だったのでは?と思われる。

 ブルックナーは72歳で死去し、幼少から過ごしたリンツのザンクト・フローリアン修道院の聖堂にあるオルガンの真下の地下墓所に棺が安置されている。私は2000年、医療視察でドイツ、オーストリアを訪れた。修道院に入ることはできなかったが、外観を眺め、ブルックナーを思い敬虔な気持ちになった。

 ブルックナーは人物像と作品の偉大さが、あまりに乖離しているところが特異なところ。 40歳を過ぎて突如として書き始めた巨大な交響曲が、後期ロマン派の中でも最も重要な作品群になった。 その一方で、 弟子や演奏家の批判に左右されて、作品を頻繁に改訂したことも知られている。自己肯定感が乏しかった??
 ブルックナーの肖像画を見ても、素朴で質素な表情をしている。大作曲家としてありえないような面をいくつも持ちながらも、強固で不変な音楽性を備えていたと思われる。

 音楽史の中では、ブラームスと対立する存在として、また、長大な作品を作り続けた点でマーラーと比較されるが、私はブルックナーの音楽性により親しみを感じている。


9/16(金)晴れ 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 0:20起床。文献読み・徒然など。書籍自炊による電子化、電子データ整理。散水。
7:45徒歩駅に。8:11こまち12号、大曲徒歩、9:15外来、15:30-19:30飯川病院ボランティア。19:35帰宅、20:30就寝。歩数計Σ9444歩。

音楽談議2022(7) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(5) チェリビダケの意に反して

 チェリビダケはレコードで聴かれることを嫌悪した。ホールとは似ても似つかぬ部屋で、軽く聴かれることに我慢ならなかったらしい。氏にとって、「自分の真価は実演でしか耳にできないのだ」という信念があった。

 氏の持論の真意は本当のことわからない。
 私はかつてはタンノイGRF memoryを中心にオーディオ装置を組んでいたが今はない。就活として全部廃棄した。チェリビダケのブルックナーの交響曲CDがどんな音で鳴ったのか、ちょっと未練が残るが、時間は元には戻せない。

(ブルックナー交響曲3-6番のCD)

 私が今使用しているのはソニー製ポータブルCDプレイヤー、録音機としてローランド社「Edirol R-09HR」、再生にはオリンパス社「Radio Server Pocket PJ-20」とソニーのノイズキャンセリングヘッドフォンWH1000XM2である。
 まあ、良い音質なのだろうと、ほぼ満足している。

 これこそ、チェリビダケが嫌った「演奏されたホールとは似ても似つかぬ部屋(環境・状態・道具)で、軽く聴かれる(聞き流される)ことに我慢ならない。自分の真価は実演でしか耳にできないのだ」という信念に完全に反している。
 こんなチャチな道具で、氏が人生をかけて、丹精に、重厚に表現したブルックナーの交響曲、第3から第9までが、勝手に、頻回に聴かれていることを知ったら天国でがっくりしているであろう。

 この道具は睡眠時、入浴時を除けば、いつでもどこでも楽しむことができる。この点では大型装置にはない機能がある。私は、診療時以外の、歩行時、園芸作業時間、通勤時、読書時などには大概ヘッドフォンを装着している。外部のノイズをカットして、その上で各種の音楽などを流している。

 再生道具を記録しておく。

(左からR-09HR、ポータブルCDプレイヤー、WH1000XM2、PJ-20)
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 ?CD再生機:デジタル出力ができるソニーのポータブルCDプレイヤーD-E707、1998年発売。約25年完動している。
 ?録音機:Roland R-09HR。24bit/96kHzのリニアPCM録音ができ、録音機としては満足出来る。2007年発売の15年もの。今も十分機能している。
 ?再生機:Olympas Radio Server Pocket 。2011年発売の12年もの。先に用いていたPJ-10が故障、グレードアップした。ラジオも聞ける、マイクでMP3で録音も可。私はR-09HRの録音データを転送し再生機として使っている。再生スピード変更可、区間リピート可、イコライザー付きなど十分な機能も備わっている。
 ?ヘッドフォン:ソニー製2018年発売のWH1000XM2。特に不満はない。
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 なお私にはブルックナー交響曲各曲に対するコメントを語るほどの判断力、筆力はない。ただ、ひたすらチェリビダケ・ミュンヘンフィルの奏でるた音響の世界に没入し楽しんでいるだけ。
 私は、各種の音楽を楽しめる感受性が身についたことに満足している。
 


9/15(木)晴れ 健康クリニックデータ判定 飯川病院終日勤務+当直
1:45起床。本読み、文献若干,本読みなど。院長大学病院受診のため飯川病院終日勤務+当直。8:30家内に同乗、飯川病院着、新聞チェックと入力。外来患者あり、2日前のハチ刺されと。12:00検食、14;00-14:45健康クリニックデータ整理14人分、15:00院長帰院、入院患者対応、文、新聞チェックほか。微睡、読書進める。18:00検食、20:45就寝。歩数計Σ5737歩。

音楽談議2022(6) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(4) チェリビダケについて(2)

 チェリビダケが初めてベルリン・フィルの指揮台に立ったのは1945年8月。翌年2月には首席指揮者に任命されたことから見てよほど高く評価されていたのであろう。

 彼の鋭敏な耳は首席指揮者のフルトヴェングラーが満足していたベルリン・フィルに満足できなかった。氏はそのことを言いふらしたため、楽団の不満を買い、カラヤンと首席の座を争った際に破れたのも仕方がないことだった。口の悪さが災いした。

 出世街道から外れた氏は、オーケストラに異常なまでに長いリハーサルを要求、鋭敏な耳によって緻密なアンサンブルを築き上げることに執念を燃やした。 テンポは驚くほど遅くなり、表現は雄大になり、きわめて主観的な指揮ぶりになった。

 一方、彼はレコードを嫌悪した。
 レコードは演奏されたホールとは似ても似つかぬ部屋で、軽く聴かれることに我慢ならなかったらしい。氏にとって、「自分の真価は実演でしか耳にできないのだ」という信念。このことが、独特の演奏スタイルと相まって、氏を幻の(?)巨匠につくり変えた。

 人間、そんなに鮮やかに変身し得るものではないが、氏はカラヤンに敗れたことによって、本当の自分を発見した。 しかも、主観的ロマンティシズムという点では見事に昇華させた。
 金管の強さや色が千変万化する手練手管の面白さ、うねりの如く厚みのある表現は、並みの練習量ではとうてい実現不可能であろう。ミュンヘンフィルは氏の表現に共感したのであろう、長い時間をかけて氏と共に作り出す音楽は独特の境地に達した。氏が残したブルックナーの交響曲の録音は教会の大伽藍に鳴りひびくような壮麗な名演となっている。
 とりわけサントリーホールで収録された第7番、第8番は素晴らしい、と思う。

 (私が愛聴している第7番、第8番、第9番のCD 9番には練習風景、氏の謝辞も収録されている)

 氏の録音を聴いていると、氏の主張に矛盾がある様に見える。
 氏はスウェーデン放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団を母体にして活動を展開した。放送交響楽団は通常の演奏会のほかに放送用の録音も必要となる。そのために就任を嫌う指揮者も少なくない、という。指揮者はオーケストラがなければ無力である。氏はこれを引き受け、放送された楽曲がラジオ等で聴かれることには立場上理解を示していた、と考えられる。

 しかし、何度も聴かれるレコードには距離を置いた。そうは言えども双方の放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団には膨大な録音が残されていた。

 さらに来日時の演奏会は録音のほかに映像まで収録している。多分、氏は録音技術の発展を目の当たりにし、自己の年齢も相待って考え方が若干変わった、と推定される。また、ご遺族の方が録音の正規の発売に理解を示し始めているともいう。

 私は氏の遺産の一部をじっくり味わっている。実に幸運である。

9/14(水)快晴 散髪 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
1:30起床、文献若干,本読み。書籍データ整理。8:00畑仕舞い開始。10:30 3Qにて散髪、なぜか今までのうちで一番混雑。時間のある若者が多いのだろうか。土崎の古書店経由してバスで帰宅、購入なし。11:52バス飯川病院に。文献読み、新聞チェックほか。14:00-15:50 COVID-19ワクチン接種18名、散水。頭痛、後頭神経痛由来。19:15通町書店経由帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ9259歩。

音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(3) チェリビダケについて(1)

 チェリビダケ指揮のブルックナーを4月以降集中的に聴いている。
 きっかけは何もない。たまたまゆったりとしたブルックナーの交響曲を聴いてみたかったからである。氏の指揮した演奏を聴いていると他の指揮者の演奏も聴きたくなる。もちろん歌謡曲も聞く。だから私の耳は超多忙である。

 私は1970年から2000年にかけて集中的にクラシック音楽を聴いていた。音源は主としてレコード、FMエアチェックしたテープ、一部はCDであった。同時に音楽、演奏家に関する文献も収集し、耳と目から音楽を楽しんでいた。これらの音源・資料のほとんどは2010年以降終活の一環として廃棄した。

 チェリビダケに関する情報は元々あまり豊かではない。名指揮者の紹介本などにも取り上げられることは少なかった。氏が干されていたからであろう。ただ、CDなどはむしろ入手しやすくなっているようである。

 4月に交響曲第8番から聴き始めた。
音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲第8番(1) 遅いテンポに酔える日々
 その後に第7、第9、第6、第4、第5、第3番と入手できた。各曲が60-90分もかかるので大変である。ここまで来れば中途半端は落ち着きがない。現在、第0、第1、第2番の音源を探しているところである。

 氏についてもさらに知りたくなった。
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 氏は1912年ルーマニアで生まれ、1996年84歳で没した指揮者、作曲家。
 ピアノと作曲を学んだ後、 24歳頃にベルリンへ移り、ベルリン音大、 ベルリン大で音楽、哲学、 数学、心理学などを学んだ。 1945年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー、同年から1954年にかけて活動禁止措置を受けていた首席指揮者フルトヴェングラーが復帰するまで集中的に指揮した。 その回数は公式記録によれば、414回にも及んだ。 戦争直後の混乱期を支えた指揮者だった。

 1954年カラヤンが首席指揮者に決定したのに伴い、氏はベルリンを去る。その後、ヨーロッパの中堅クラスのオーケストラやブエノスアイレス、リオデジャネイロほかで活躍した。

 1962年、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者に就任、60年代はここを拠点に北欧各地のオーケストラを指揮している。
 1971年頃から、シュトゥットガルト放送交響楽団に首席客演指揮者として招聘され多数の公演を指揮した。
 1974年、フランス国立管弦楽団の首席指揮者に就任するが、 オーケストラの機構や音楽上の意見の相違を巡って意見が合わずシーズン中に辞任している。
 1979年、 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、次いで音楽総監督に就任、この楽団をヨーロッパ有数のアンサンブルに仕上げ、ヨーロッパ各国で多大な支持を獲得した。 殊にブルックナーの演奏は毎回多くの話題を集めた。

 来日は9回果たしている。
 ?1977年10月初来日、読売日本交響楽団を指揮した。 ラベル/マメール・ロワ、 バルトーク/オーケストラのための協奏曲、ベルク/ヴァイオリン協奏曲 (ソロ:ロゴフ)、ブラームス/交響曲第1番で絶賛を博した。
 ?1978年3月も同響を指揮、モーツアルト/ジュピター、ワーグナー/トリスタンとイゾルデより前奏曲と愛の死、 レスピーギ/ ローマの松ほかを指揮した。
 ?1980年4月にはロンドン交響楽団の来日公演にも同行、ブラームス/交響曲第1番 、ムソルグスキー・ラヴェル/ 展覧会の絵ほかを指揮した。
 ?1986年以降 ミュンヘン・フィルと6回来日、ブルックナーの交響曲を頻回に取り上げ評判を呼んだ。
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 私はミュンヘン・フィルとの来日の際、2回エントリーを試みたがチケットを入手できなかった。返す返す残念であった。


9/13(火)晴 中通病院外来、飯川病院ボランティア
 1:30起床。医学論文チェック他データ整理。書籍自炊データ整理、5:00ゴミ出し。6:40バス飯川病院、8:45-12:45中通病院外来混雑なし。14:00-19:00飯川病院、微睡。データ整理多数。読書、散水。19:15ドンキホーテ古書店経由帰宅、弁当で夕食、29:00就寝。歩数計Σ8992歩。

こころと体2022(71) ことばについて(4) 追記:私の乳児の観察は頓挫した

 2013年3月27日長女が里帰り出産した。

 大学卒業してから現役を退くまでの間は実に多忙であった。この間、三人の子供を育てたが、家内の親戚のおばさんと同居して家事や子育ての大部分を担ってもらった。子供たちはおばさんの娘二人、隣に住む家内の姉の息子三人の子供たちに囲まれてすくすくと成長した。そのために成長段階の詳細を観察できなかった。全体的印象は残っているが詳細のほとんど忘れている。
 子供たちの成長に深く関与できなかったことはわれわれ夫婦の心の傷になっている。

 私は小一から高校卒業までの13年間一匹のネコとピッタリと寄り添って暮らしてきた。この間、ネコの成長、行動の発達は素晴らしかったし、全く誰にも教わらなかっただろうが出産、子育てを上手にこなしていた。私はネコの成長についてはいつも驚きの連続であり、その姿から多くを学んだ。

 それが赤ちゃんの成長を観察しようと思いたったきっかけでもある。
 長女の出産は私が現役を退いた後で、時間的に若干の余裕ができていた。時にはミルクを飲ませ、おむつを代え、時にはお風呂に入れながら、赤ちゃんは何という不思議な生き物だろうと感心した。

 私は育児書は読まなかったが、赤ちゃんの知能や言葉の発達関連の本を数冊買い込み観察した。その時の印象を綴ってみたのが本稿である。

 出産育児は女性にとって人生における大変な負荷になる。最近の世論調査では子供は欲しくない、と答える若い女性の意見を見ることがある。手間のかかる赤ちゃんの世話を、もし無しで済ませられるならば、それに越したことはないと考える発想は、われわれ人間に、まったく別の認識世界への目を見開かせてくれる絶好の機会の目をつんでしまうことになる。

 社会に出て働く女性にとって、子どもを持つことは、確かにとてつもないハンディに違いない。身体を疲労させ、時間を拘束する。けれども子育てには、人間としての眼を成長させてくれる潜在的可能性が付与されている。
 私が、私からみて他人である家内のおばさんを家庭に入れることには心理的に大きな抵抗があったが、私自身の仕事、家内の仕事、それに子供たちの育つ環境を重視して妥協した。結果的にはおばさんの生活を含む4項目から見ればとても良かったと思っている。彼女の援助がなければ私の人生のコースは大きく異なったことだろう。ちなみに、そのおばさんは80歳を超え足腰がよわってきたが、今も賄い中心に働いてもらっている。

 最近のジェンダー関連の世相に対して全てを是とすることはできない。
 女性は社会のなかで単に「男性並み」になるのではなく、自らの性の特性を活かして活躍すべきなのではないだろうか。
 赤ちゃんに対して深い関心を持って出産、子育てに臨んだこと、赤ちゃんとのスキンシップの経験が、人間の理解そのほか全方向において大切なのではと、最近感じている。

 私の赤ちゃん観察は4ヶ月ほどで終わることになった。7月上旬娘一家は空路横浜に戻っていった。

 里帰り出産としてやや長めに秋田で過ごしたことになった。
 その理由は長女の出産前日に家内の大腸癌の肺転移が判明し、2013年4月26日第4回目手術として肺切除となった。なるべく長く長女と孫と過ごさせたいと考えたからであった。その時に感じた不安は杞憂となり、家内は今も元気に働いている。私にとっては最高の状況である。

9/12(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床、文献チェック。データ整理、6:40バス飯川病院。新聞チェック、9:00-11:30健康クリニックドック14人+結果判定14人分。11:45飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、15:00入院患者対応、読書他、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数5685歩。

こころと体2022(70) ことばについて(3) 大切な口元 幼児へのマスク社会の影響

 COVID-19感染症が流行して以来、私たちはマスク装着が常態化し、公共の場で素顔を見せないのが当たり前になってしまった。

 子供の発達、言語能力獲得のためには顔の表情、とりわけ唇の動きが重要である。赤ちゃんは母親の唇の動きを注視し、そこから状況を判断する。育児中に母親が家でマスクをしているとは考え難いが、研究者は最近の幼児たちは表情が乏しくなり、言語の発達が遅延してる傾向がありそうだと指摘している(明和政子 ラジオ深夜便 2022/07/09)。

 幼児は徐々に情報を得る部位を唇から顔全体に、さらに全身に広げていく。

 このマスク装着社会のあり方を、「匿顔」と呼ぶ研究者もいる。
 「匿名」はもともとネット社会で指摘された言葉だが、COVID-19禍で「匿顔」まで広がってしまった。
 もともと人間にとって「顔」は、コミュニケーション上極めて大きな役割を果たしている。それゆえ表情が見えない相手との意思疎通には、不安が伴う。
 文章だけのやりとりのメールよりは、音声のやり取りする電話が良いし、TV電話などの利用がテレワークの中でも有用である。コミュニケーションは、通常単に言葉のみではなく、表情や身ぶりなどのボディランゲージも含めた総合的なものだからである。

 日本人の私たちにとっては、冬のインフルエンザ流行期や春の花粉症時期などに多数の人がマスクをするのは季節の風物詩だが、諸外国、とりわけ欧米社会では理解されないらしい。

 欧米社会ではマスク装着への抵抗感は大きく、マスクは病気の予防ではなく、病人であることを宣伝している様なもの、なのだそうだ。 感染者数が減少している時期もおとなしくマスクを着けている日本人とは対照的である。鳥取砂丘を一人で歩いている旅行者がマスクをつけている写真を見て私は驚いた。

(2017年10月3日秋田魁新聞より借用。この頃はCOVID-19もなくインフルエンザも流行していなかったが、高校生はマスク着用が当たり前)

 なぜ、欧米社会ではマスクが嫌われるのか??
 要因の一つとして、言葉が違うからと言われている。話す時によりクリアである必要があるが、発音する口元を見ることで理解度が増すらしい。一方、日本人がそれほどマスクを厭わないのは、日本語の母音が多い特性から大人同士のコミュニケーションでは口元を重視しない文化気質があるためと思われる。

 日本人にとってコミュニケーション上で相手の真意やその場の「空気」を読み取るのは、「口元」よりは「目」である。
10月 県内の中学・高校は夏服から冬服へ衣替え


9/11(日)快晴 終日庭仕事 庭木にアメシロ確認 免許証返納2年経過
1:15起床、本読み。午前は草刈り22回目、午前午後とも南側に集中。庭木にアメシロ確認、庭師に駆除依頼。トマトキウリは終了。12:00NHKニュース、のど自慢後微睡、17:00書斎で音楽関連録画視聴。本読み。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ9401歩。草刈りの割には意外と伸びない。

こころと体2022(69) ことばについて(2) 赤ちゃんはどう言葉を習得するのか

 赤ちゃんは、生後二ヵ月を過ぎたころから、「アー」とか「クー」とか、意味は不明であるものの穏やかで柔らかな声をあげて、身のまわりの大人とコミュニケーションをはかろうとする。
 満一歳を迎えたころから、大人が意味を理解しうることばを発しはじめる。勿論、その後直ちに子どもがことばのみを発するようになるわけではない。先の原始的な声も併用される。

 その後、脳の成長とともに、子どもはことばに依存するコミュニケーションの範囲を急速に広めていく。

 この変化は、どのように進行していくのだろうか。とりわけ、子どもがはじめてことばを話しはじめるまでの一年間に、何が起こっているのだろうか。

 動物はふつう、種に固有の伝達体系を体得していく。
 例えば、赤ちゃんのそばにイヌやネコがいつも寄り添っていてもイヌやネコの鳴き声を真似しない。
 ヒトは言語を恣意的に選択して習得するわけではないだろうが、ヒトには言語獲得のために設定された、成長に伴って機能するプログラム、聴覚、視覚、触覚を介した能力取得が遺伝的に組み込まれていることは、疑いない。

 即断はできないが、 ヒトの赤ちゃんは、胎児の時期にすでに母親の声を覚えるトレーニングを積んでいるらしい。その学習は赤ちゃんがこの世に生を受けたのちから発揮される (正高信男:0歳児が言葉を獲得するとき 中公新書)。

 赤ちゃんが声を発する時にはコニュニケーションを求めている時である。だから発語した機会を逃してはならない。声をかけ、見つめ合い、マッサージをする、柔らかに揺らすなどで反応してあげるべき。

 積極的に声を出すようになった赤ちゃんは、一日の大半をミルクを飲んだり眠ったりして過ごす。赤ちゃんの聴覚は早くから機能していることは、外界の音で睡眠から容易に覚醒することから理解は可能である。

 赤ちゃんは母乳を飲みながらじっと母親を見る表情はとてもかわいい。生後半年頃から赤ちゃんの視線は母親のくちびるに注目する様になる。視覚が発達し始めたからである。母親の唇の動きはこの時期重要である。

 赤ちゃんは自分のくちびるでもコミュニケーションしている。乳首をくわえることは、母と子の基本的なきずなを築くスタートなのだといえる。
 母乳を飲む行為は数10秒ごとに短時間の休息をとるが、その時は何かを求めているような良い表情をする。お乳を飲む動作に変化をつけることで、新生児は母親に自己表現の何かを伝えようとしているのだろう。この機会を有効に活かしたい。

 母親の声かけは赤ちゃんの心と言葉の発達の鍵を握っている、と言えよう。
 母子関係で重要な時期と言える。


9/10(土)快晴 千秋花火大会 飯川病院日直 
1:30起床。蓄積資料整理。概ねいつもの如し。8:20回診に行く家内に同乗、久保田新橋、千秋公園経由で飯川病院。双方のコイとも食欲旺盛。9:00-19:00日直業務。入院患者は安定。12:00検食、微睡、読書、データ整理など。16:30千秋花火、散水しながら若干見る。一昨年、昨年は中止になっていた。19:30帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計Σ5017歩。

こころと体2022(68) ことばについて(1) はじめに 言葉の起源は求愛の歌??
 私どもは日常的に言葉を駆使して生活している。会話、読書、手紙、メールなどなど、ビジネスの場面でも私的なコミュニケーションの場面でも言葉から離れることはほとんどできない。

 しかし、言葉が及ぼす影響はとても広い。心に安息をもたらす言葉もあれば、人を傷つけ、心に障害を与え、時には人を死に追いやるほどの影響力があることもある。

 私は、できればこの言葉の力をよい形で使い、人間関係をうまくこなしたいと願っている。これは誰でも同じだろう。特にビジネスの場では一層重要だろう。しかしながら、言葉について十分考察してきたとは言えない。日常的に「???」と思いながら、私もそう深くは考えてこなかった。

 言葉は発する側とそれを受け取る側の双方の立場の関係から意味が全く異なることすらある。一見心地よいはずの甘い「愛語」と言われるような言葉ですら、使い方によっては相手を深く傷つけたり、自分の印象を悪くしたりすることもある。

 言葉を有効に用いるには私どもは何を心がけ、どこに気をつければよいのだろう。あまりにも日常的に用いているだけに意外と難しい問題である。

 私の言葉に対する姿勢は「言葉はいかに慎重に選んでも、不十分にしか自分を表現できない」、ということである。要するに言葉には「自ずから限界がある」、と考えている。だから会話が怖い。つい逡巡してしまう。
 特に、文書で伝えるときの限界は大きい。拙い文章力をカバーするのが対面での会話であるが、それとて難しい。

 もう一度基本に戻って、「言葉って何? 私は、私どもは日々、どんな言葉をどうやって使っているだろう」と考えてみるのは、悪いことではないはずだ。

 ところで言葉はどういう歴史を辿ったのか??
 今使っているような言葉が突然出現したわけではない。詳細はわからないが、鳥と同じように求愛の時の歌が起源であると考えられている。歌をうたって求愛する動物はいろいろいる。人間の祖先もおそらくはそんな動物だった、と考えられる。
 人間はいろんな事情があって脳が大きくなり、徐々に知能が発達した。置かれている状況に応じて、空腹の表現などいろいろな歌をうたえるようになった。
 そして、いろいろな歌といろいろな状況を結びつけて意思を伝達できるようになった、と考えられる。
 更に、人間の素晴らしさは得られた能力を蓄積し、かつ、他人からも学習し、それを個人のものとして止めるのではなく、次の世代に伝達できたことである。長い間かかったであろうが、意志の伝達方法として、言葉として確立していったのだろう。各文化圏に毎に特有の言語が発達した、と考えたい。

 人間社会の中で音楽は古くから芸術の一分野として確立した。
 私はなんで音楽を好むのかわからなかったが、言葉の起源まで遡ってみると納得できるような気がする。

9/9(金)快晴 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 2:00起床、新聞・文献他、本読み。書籍自炊化。5:10可燃ゴミ3袋提出。ナスの収穫、7:35Taxi秋田駅東口、8:11こまち、往路徒歩。9:15大曲中通病院、書店訪問、15:30長崎屋経由。古書店で取り寄せ分10冊購入、タクシー飯川病院、ボランティア。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計11086歩。

安倍元首相狙撃され死去(11) 国葬(5) 全て後付けの理由説明(2)


 各種世論調査で反対意見が賛成意見を上回る傾向が表れ、いまや国葬実施の賛否は国民を二分している。
 岸田首相は国民の考え方を読み見誤った。

 各種調査による反対意見は、最近では半数を超えている。以下が主な理由とされている。

○実施の法的根拠の曖昧さ、
○費用の国費負担、
○弔意強制の懸念など,

 首相は行政権の範囲内で国葬を実施できると主張。法的根拠として内閣府設置法などを挙げた。しかし、国葬であれば国会に諮って野党の意向も問うべき。法的に可能であるかは私はわからないが、こんな決め方なら自民党葬のレベルまでである。

 国葬の会場設営費など約2.5億円に予備費を充てたのは疑問であった。できるだけ安く発表したかっただけで、本来の形と言えない。その後、総額試算として16億円ほどを挙げたが、これとて根拠が乏しい。教団に倒れた元首相の国葬の外国要人の警備内容はどう変わったのか?問われることになろう。私は、一つ一つの根拠はないが、総額30億円に達するのではないか?
 やると決めたらケチることなく費用を捻出すべき。ケチるならやるべきではない。事後の報告が楽しみである。

 国葬で弔意が強いられる懸念が論じられている。弔意については「強制しない」とした。これもおかしい。国葬であれば国民に対し、政府機関に対し、弔意表明を求めるべきである。弔意表明の方法は国民一人一人に任せるべきとしても、である。

 この方針から見ても、全て後付けの理由で国葬の体裁を何とかして整えようとしているのが見え見えである。弱腰政府主催の国民から遊離した名前だけの国葬であることが明白である。
 不可能であろうが自民党葬への変更が望ましい。

 国葬に関する閉会中審査では野党の追及も弱腰であった。同じ言葉の繰り返しの首相答弁からは「なぜ国葬なのか」という疑問への答えは見えず、説得力を欠いていたが、これに対する野党側の切り込みも弱かった。

 「なぜ国葬でなければならないのか」について私はいまだに分からない。



9/8(木)晴れ 午後飯川病院 
1:00起床。文献検索、微睡など、書籍自炊準備多数、座学。11:50バス飯川病院。14:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、夕食、20:50就寝。歩数Σ6165歩。

安倍元首相狙撃され死去(10) 国葬(4) 全て後付けの理由説明
 岸田首相はすぐに国葬を決めたが、決断が早すぎた。
 おそらく、偉大な政治家の不慮の死を悼む気持ちが発想のスタートであっただろう。この点は評価したいが、勇み足と言わざるを得ない。

 9月7日午後、今月27日に実施の安倍元首相の国葬に関する閉会中審査が国会で行われ、岸田首相が決定の経緯や意義を国会の場で初めて説明した。時間的には十分とは言えなかった。NHKラジオで中継があり、私はそれを聞いた。

 首相はこれまでと同じ説明を繰り返しただけ。国民が抱く疑問解消に役立ったとは言い難い。

 岸田首相は安倍氏が亡くなって6日後の7月14日に国葬の実施を表明。その理由について、以下の4点を挙げていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――-
○「在任期間の長さ」、
○「震災復興、経済再生などの功績」、
○「選挙中の蛮行による死去」、
○「国際的な評価」
 
 私は安倍元総理が長期間重責を担い身体的ストレスに耐えたことは評価するが、それ以上の実効が得られたから続けられた。全て本人の希望と氏が抱える権力機構に依った。
 総理としての業績は評価すべき点は多いがネガティブな点もあった。長期政権であればこそ、の腰の座った政策が進められていたとは思い難い。

 民主主義の根幹である「選挙運動中の蛮行による死去」に関しては、それ以前に、問題のある団体との異様と思える結びつきで民主主義の根幹を汚し続けてきたことこそが問われるべき。選挙演説中の襲撃で倒れたのはその結果で、警備の問題もあった。教会と自民党との関係は濃厚である。党の姿勢として関係を絶たねば、汚れた党としていつまでも尾を引く。

 「国際的な評価」に関しては、各国の首長との直接対話の実績は結果として何をもたらしたかは評価し難いが、外交重視は大きな実績の一つであろう。1700件以上の弔意メッセージ、260もの国・地域からの葬儀参列の申し出があったとされるがこれは国葬の判断には関係がない。
 国葬の判断に大事なのは主権者である国民がどう考えるかが大事。

――――――――――――――――――――――――――――――――-
 上記の理由が私が国葬に賛同できない理由である。


9/7(水)晴れ ダリア風被害修復  飯川病院 COVID-19ワクチン担当
1:20起床。主として座学、途中微睡。午前ダリア風被害修復、11:50バス飯川病院。文献検索、画像データ整理、14:00-15:30 COVID-19ワクチン担当。対象者30名と多い。本読み他。新聞チェック入力ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ8843歩。

安倍元首相狙撃され死去(9) 国葬(3)
 この偉大な政治家の狙撃による不慮の死は悼んでも悼み切れないが、政治家としての死の意味づけは難しく、統一教会との濃密な関連がわかるにつれ「???」状態になってしまった。

 岸田首相はすぐに国葬を決めたが、決断が早すぎた気がする。
 内閣府設置法を根拠として、閣議決定により9月27日に日本武道館で国葬が営まれることとなった。国葬は戦後二人目である。葬儀委員長は現総理が、副委員長は松野内閣官房長官が務める。

 おそらく偉大な政治家の不慮の死を悼む気持ちのからの発想であっただろう。加えて、自身の政治姿勢の評価にも間接的に、寄与するだろうと思ったのであろう。
 国会での審議も経ずにあれよあれよと決まってしまった。
 こんな短時間に決められるものなのだろうか??

 日本人は不慮の死などに対しては大きく同情する傾向がある。大平総理の病死、小渕総理の病死の後の選挙は弔い選挙の様相を示し自民にとって順風となったことが首相の頭をよぎったのであろう。
 しかし、首相は国民の考えを読み間違った。国葬の決定直後から国葬がこれほど問題化し、自身の支持率にも影響するなどとまでは考えが及ばなかったであろう。

 安倍氏は長期政権を担ったが、任期の後半には権力行使が顕著となった。

 安倍氏は既に我が国における最高の従一位(じゅいちい)を与えられている。戦後4人目である。私はそれと自民党葬レベルでいいと思った。国葬として意味づけることによって、絶対に許し難い凶行とその背景をも共に神格化してしまう。

 集票によって立場が大きく変わる政治家に「品行方正」を期待してはならない。私は民主主義下の政治とはそんなものだと思っているし、政治家とはそんなものだと思っている。

  実社会は「品行方正」だけで成り立たっていない。
 東京五輪の疑惑など目を背けたくなるが、背けてはならない。
 政治家にとって、タテマエは表の顔、裏にホンネを隠している。それが立派な政治家の条件なのだ。だから、政治家は清濁の複数の顔をもち、TPOで使い分ける。政治家に「本心」の吐露を期待してはならない。

 私のこの考えが間違っているならば関係者の方々には謝りたいと思う。
 それでも私は政治に期待している。他の方法がないからである。だから、政治は参加と監視が必要である。

 国葬は、安倍氏がおこなってきた政治への批判を封じ、自由な言論を損なうほどの影響力がある。安倍氏の死を政治的に拡張的に捉えてはならない。政策や疑惑について検証する機会も失われよう。

9/6(火)雲ひとつない快晴 昼頃から強風  中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:30飯川病院起床、医学文献・新聞読みほか。徒然記載。当直で朝の可燃ゴミ廃棄提出できず。8:45-12:00外来。患者多くはなかったが疲弊。12:10飯川病院。昼頃から急に強風に、ダリア心配なるも手遅れか。検食、微睡。入院患者対応なし、微睡、新聞スクラップ入力、19:10帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ6579歩。書籍電子化。

季節の話題2022(25) 台風11号で我が家のダリアに被害が出た
 ノロノロと移動し、南シナ海で大型化した台風11号は韓国に上陸、その後速度を上げて日本海の中央部を北上した。
 台風は日本には直接上陸はしなかったが、接近に伴って、九州や西日本の一部の地域では強風による被害、交通機関にも影響が出た。
 携帯電話がつながらない、物流にも影響し遅延、福岡で街路樹が折れて道路ふさぎ、空の便は九州を発着する便など124便欠航、九州で計約3万5600戸が停電などが生じた、と伝えられている。

 秋田県に6日昼過ぎに最接近し、昼頃から夕方にかけて強風をもたらした。
 秋田地方気象台によると、6日の各地の最大瞬間風速は、秋田市22.2m。人的被害の報告はないようであるが、建物被害は、県と秋田市消防本部によると建物被害は秋田市で13件、横手市で2件。強風で屋根が剥離したり看板が落下したりする被害があった。
 台風11号は、6日午後9時に北海道沖で温帯低気圧に変わった。
 
 6日午前、外来終了頃から秋田市内は、急に風が強まった。
 我が家のダリアが危ないと思って焦った。支柱追加と紐で簀巻きにすべきであったが、業務上帰宅出来なかった。19:15帰宅、その時点で風はかなり治まっていたが、ダリア5-6本は折れ曲がり、いくつかの茎は既に折れていた。それでも病院で予想していたよりは被害は軽いようだった。

 ダリア以外に被害はなく、修復は明朝とした。

 九州、山陰地方の被害、県内の果物農家などの被害を考えると、私のダリアの被害など取るに足らない程度ではあったが、心配の気持ちは共有出来たと思う。

 今回の台風11号は南シナ海で発生しゆっくり移動しながら発達した。予測されたコースでは日本海を北上するとされていたし、速度から見て秋田に影響するのは7日以降と読んでいた。私のスケジュールは3日が日直、4日が日当直、5日が当直と続き、当直明けの6日は業務で帰宅できなかった。読みも甘かった。
 運も悪かった。COVID-19関連で大学からの当直医が来院できず、5日は急遽私が代行した。
 
 日本海に抜けてからは速度を急速に増し、風もあれよあれよと言ううちに高まり、私の予測は外れてしまった。

 多少の被害は出たが、病院で予想していたよりは軽く済んだ。

(折れたダリア)

 それにしてもダリアは弱い。何しろ二ケ月ほどで私の背丈に近くまで伸びるのだから茎は太いわりには中空で脆い。美しいが、自立出来ないほど大型の花を付ける。改良に改良が重ねられ、自然には無い不自然な花になってしまった。栽培するときには手がかかる。

9/5(月)快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院 夜は飯川病院当直
 2:00飯川病院起床。新聞・文献入力、データ整理。9:00-11:00健康クリニックドック14人+結果判定12人分。11:15飯川病院、検食後微睡ほか、新聞入力、14:00-18:50勤務、入院患者対応。許可得て外出、千秋公園ハトとコイに給餌。バス長崎屋へ、古書店10冊ほど購入。バスにて帰院。17:00当直業務に、18:00検食、20:30就寝。歩数8098歩。書籍自炊など。先週から飯川病院ではCOVID-19のクラスターが発生、患者二人、職員数人罹患。そのため大学からの派遣生きたらず、急遽当直に。

季節の話題2022(24) 温暖化と異常気象 関連がやっとはっきりしてきた
 ○2018年9月4日の台風21号の威力はすさまじかった。 関西空港を冠水させ、大阪の街を破壊して日本海へ抜けた。
 ○同年7月初旬には西日本豪雨が起きた。 西日本各地の短期の雨量記録をことごとく塗り替えた。広島での土砂崩れや岡山県倉敷市の真備町での浸水などによる死者・行方不明者は約230人。
 ○同年は夏を通じて全国で猛暑日が続いた。
 ○同年7月23日に埼玉県熊谷市で観測された41.1度が日本最高の記録である。
 ○2018年はまさに、猛烈な台風襲来、豪雨被害、長期間の熱波・・・、「トリプル異常気象」の夏だった。

 日本はいつの間にか「何10年に一度」の極端なことが、たやすく起きる国になった。こうなると、気象災害への従来の考えを変える必要が出てくる。

 熱波は死を招く。最近、TVの天気予報は「命に関わる暑さ」、「エアコンの積極利用を」と繰り返す。

 産業革命以降、世界の平均気温は1度上昇している。 「普通の異常気象」 が 「記録的な異常気象」になっている。 頻度も上がる。100年に一度の大雨の確率が、温暖化が進む中で50年に一度、30年に一度と高まっていく。
 2020年のロシア・シベリアを襲った熱波や2021年の日本の猛暑・・・など、異常気象が起きる度に研究者は説明に困っていた。

 ここまで来れば、誰でも「猛暑や豪雨は地球温暖化のせい」、「地球が温暖化しているから、異常気象が増えている」、「異常気象と温暖化には因果関係がある」、などと思う。しかし、気象専門家は「それぞれの異常気象の原因が温暖化だとは言い切れない」と最近まで温暖化と異常気象の関連について歯切れが悪かった。科学的根拠がなかったからである。

 しかし、歯切れが悪いと非難するのは見当違いだ。 猛暑や豪雨など個々の異常気象と温暖化の関係は、「わからない・・・」、と返答するしかなかった。本当にわからなかったのだ。

 ところが最近、異常気象と温暖化の関係をコンピューターで読み解く手法が実を結びつつある。新手法は「イベント・アトリビューション法」と呼ぶ。
 自然は気まぐれだ。気温ひとつとっても、温暖化か否か判断できないほど、データがばらついている。 ばらつきを膨大な回数の計算で封じ込めるのが新手法だ。計算を繰り返し、気温のゆらぎが山のような曲線のグラフに落ち着けば、一定の傾向が見えてくる。

 コンピューターで「温暖化がある地球」と「温暖化がない架空の地球」双方を再現した。その結果、温暖化と異常気象間に有意の関連性を示す結果が出た。我が国の気象研究者が学会に報告、以後、世界の研究者も一斉に声を上げ始めた。

 「温暖化ガス」は「増えなかった」とし、「海水温の上昇」は「無かったこと」にするなど、温暖化とおぼしき要因を引き去った地球の振る舞いを計算する。 「クールな地球」のグラフが「どれだけゆがんだか」をみて、個々の異常気象のリスクを温暖化がどれだけ押し上げたのかを推し量った。やっとはっきりしてきた。

 この新手法で新事実が明らかになった。

 しかしながら、自然は複雑である。観測データとの照合や計算結果の検証は今後も続けなければならない。


9/4(日)曇りのち晴れ 飯川病院日当直 外来レセプトチェック
 1:00起床、本読み、録音データ整理ほかいつもの如し。読書進める。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院、千秋公園コイとハトに餌。8:45飯川病院午前日当直に。入院患者は落ち着いている。12:00検食、実にあっさり。データ整理、読書三昧、微睡も。新聞データ化多数。15:00外来レセプトチェック。18:00検食。20:00就寝。歩数計3404歩。運動不足が辛い。

季節の話題2022(23)  「源氏物語」に見る紫式部の気象への関心度の高さ
「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」。

 これは「源氏物語」の冒頭。
 私がはじめて「源氏物語」を知ったのは、中学二年生の頃であった。子供文学全集にさっと触れられていた。そのあと高校の「古典」の時間に、断片的な授業を受けた。はっきりいって、「源氏物語」の印象は薄かった。鴨長明の「方丈記」などの方が生活感があってよかった。

 その理由は、その当時、男と女の永遠に変らぬ愛と哀しみなどは全くわからなかったのも一因。学校で教わる 「源氏物語」は一部で話の筋もよくわからぬまま終った。いかに名作といえども、一部分だけ途切れ途切れに読まされるのでは、興味が削がれるのはやむをえない。
 さらにいえば、光源氏を中心にした雅びな恋の話など、腕白ざかりの中学や高校生には女々し過ぎた。

 「源氏物語」にまともに興味を感じたのは30代以降だったような気がする。与謝野晶子の現代語訳であったが面白いとは言えなかった。

 ところで、作者の紫式部が、 さまざまな気象現象を物語の中で効果的に使っていることを指摘している方がいる。
 石井和子著「平安の気象予報士・紫式部」講談社α文庫2008年、を読むと、「源氏物語」のなか種々の場面で気象現象が有効に使われていると言う。 著者は、フリーのアナウンサーで気象予報士の資格を持っている方である。

 時雨、雪、 あらし……。場面ごとの天気は、情景とともに、光源氏や源氏を取り巻く女性たちの複雑なこころのなかを映し出し、また源氏の転機にはダイナミックな気象現象が用意され、物語が展開してゆく。読むほどに紫式部の鋭い「気象観察のセンス」に感心させられる。

 日本には、明治の気象観測開始以前の気温変動を表わす直接の資料がない。 平安時代の気象となると、断片的な資料を何とか寄せ集めて推理する以外に方法がない、らしい。

  紫式部が物語の中に描いた気象現象はどれをとっても正確で無駄がなく、気象予報士の立場で見るとその時々の天気図まで彷彿とさせる、と言う。

 「源氏物語」の中から推定できる気象現象を著者はいくつか挙げている。
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○光源氏を囲んで五月雨どきのいわゆる「雨夜の品定め」は、梅雨明け前夜であった。
○源氏と朧月夜の君との不倫発覚のカギを握ったのは、梅雨末期・明け方の大雷雨であった。
○「野分の帖」に出てくる台風は、 大木の枝が折れたり、家々の瓦が飛んだりする描写から、京都は少なくとも風速25m以上の暴風域に入っていたと考えられる。
○朧月夜の君との不倫発覚事件のもととなった夜明けの大雨については、最近「大雨は夜半に起こりやすい」という研究が学会で発表されたが、紫式部はすでにそのことを知っていたのではないか。
○源氏は朧月夜の君との事件がもとで須磨に退去するが、ここで大雨や雷による悪天が12日間も続く嵐に遭遇した。今で言う「寒冷渦」と言われる現象に近い。
 気象学ではまだ新しい「寒冷渦」であるが、紫式部が千年も前に物語の中に取り入れていることに驚くしかない。
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 紫式部には「平安の気象予報士」の称号を与えていいのではないか、と思われる。


9/3(土)晴れ時々降雨 飯川病院午前日直 
1:40起床。いつもと同じ。小説、録音データ整理。朝方ネコと共に微睡。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院、8:45-12:30飯川病院午前日直。その後も帰らず院内で過ごす。読書三昧。微睡三昧。18:45帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計4468歩。

季節の話題2022(22)  線状降水帯(2) 島国日本では予測困難

 2021年7月、熊本県南部に東西約280Kmにわたって積乱雲が次から次へと発生し、2時間で約500mmという激しい豪雨をもたらした。積乱雲が連なった線状降水帯は、約13時間にわたって上空に停滞。球磨川が氾濫し、特別養護老人ホームの入所者ら60人以上が犠牲になった。

 この線状降水帯は近年で最大規模だった。
 気象衛星ひまわり8号からも、発達した積乱雲がくっきりと撮影された。

 だが、気象庁は半日前の予報でも線状降水帯発生の危険性を広く伝えることができなかった。

 気象研究者は、線状降水帯発生を事前に予測することは「極めて難しい」と言う。 なぜか。

 (1)線状降水帯は、古くて新しい気象現象。 以前から集中豪雨をもたらすことが知られていたが、レーダーが発達して雨粒の動きも捉えられるようになるまでは、発生をリアルタイムに把握することも難しかった。
 線状降水帯は数10-数100Kmにわたるとはいえ、一つひとつの積乱雲は大きさが10-20Kmしかなく、直径1.000Kmにもなる台風と比べると気象現象としての規模は極めて小さい。 寿命も数時間と短い。
 今のところ、日本では動きも把握しにくい。にもかかわらず、時に台風以上の雨をもたらす。

 (2)予測が難しい理由のもう一つが、予測に欠かせない水蒸気量のデータが得られない点。線状降水帯をつくる積乱雲は、空気中の水蒸気量が多いほど発達しやすいと考えられている。しかし、海に囲まれた日本では、 積乱雲発生の数時間前の大気はほとんどが海の上にある。水蒸気量を計測できる観測点は離島に若干あるくらいで手薄。気象衛星では低空の水蒸気量は精密に計測できず、別のデータから推定するためどうしても精度が低くなる。

 (3)スーパーコンピューターによる予測も難しい。日本が誇るスーパーコンピューターの一つ「京」や「富岳」をもってしても詳細な予想を弾き出すのに2時間もかかる、という。だから、予測計算中に降水被害が発生してしまう。現在、事前データの計算法を変えてより短時間で結果が出るよう計算法を変えているという。費用も莫大である。ちなみに「京」全体を1時間使用すると約120万円、「京」全体をまる1日使用2800万円だという。

 気象研究者は、線状降水帯の発生予想を1時間でも短縮できれば、命を守る時間を確保できる、と研究に勤しんでいる、と言う。

 われわれ一般人としては日常からハザードマップなどを頭に入れておき、命を守る行動に結びつけることが肝要なようだ。

9/2(金)曇りのち快晴 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 1:30起床、文献他、本読み。徒然。7:35Taxi秋田駅に、8:11こまち、大曲市内往復測定痛Taxi、9:10大曲中通病院。書店訪問、15:00千秋公園でハトコイに餌。飯川病院ボランティア。新聞チェック。微睡。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8338歩。

季節の話題2022(21) へちま 大型台風接近中 線状降水帯(1) 
 窓際に植えられた糸瓜(へちま)はグリーンカーテンとして日除けにもなる植物である。丈夫な繊維が多く垢すりやたわしにもなる。また、へちま水は化粧水としても珍重されていた。

 糸瓜を読んだ俳句:吾が生はへちまのつるの行き処 柳原極堂

 (自分の人生はへちまのつるのように細く長く、行く処まで伸びたよな!! 極堂は青年期を正岡子規とともに過ごし、晩年には子規研究と顕彰に取り組んだ。上記の句は極堂の辞世の句)。

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 9月になった。台風が来る季節となった。現在、南シナ海で台風11号が発生し、大型化しながら我が国へ接近しつつある。ちょっと心配である。

 最近、気象のニュースで大雨に関する情報として「線状降水帯」の発生という言葉をよく聞く。
 線状降水帯は、18年7月の西日本豪雨や20年7月の熊本県の豪雨で次々に発生して一気に知られるようになった。積乱雲が風に流されたり、複数の積乱雲が横並びに並んだりした結果、同じ場所に大雨が長時間降り続く気象現象。

 最近は毎年起きている。最近だけの現象ではなく線状降水帯を衛星やレーダーで観察できるようになったからである。7月の梅雨期に多いが、茨城県で鬼怒川があふれた2015年9月の豪雨など、梅雨以外にも各地で起きている。

 夏空に大きく目立つ、もくもくと大きい入道雲は積乱雲とも呼ばれ、大雨のもとになる水蒸気が集まってできている。積乱雲は一つでも激しい土砂降りになるが、風向きなどによっては何個も発生し、 風に流されて同じ場所を次々と通ることがある。これが線状降水帯である。何時間も大雨が降り続き、川があふれたり土砂崩れが起きたりする。

 線状降水帯はなぜ最近頻回に使われるようになったのか?
 昔から集中豪雨の降る地域が帯のように線上に延びていることは知られていた。近年、雨粒の動きをレーダーでとらえられるようになり、線状降水帯の発生が、その最中や直後に分かるようになった。2022年6月からは、気象庁が「顕著な大雨に関する情報」として線状降水帯が発生した場合に発表するようになった。

 線状降水帯は、レーダーにて観察はできるが、風向きなどが少し変われば発生する場所や時間は変わるから、今の気象科学のレベルではまだ予測は難しい。

 予測発表が出たらすぐに避難する必要があるが、発表時点では既に大雨が長く降っていることが多く、予めハザードマップなどで避難について情報や周囲の状況を確かめ、命を守る行動をとることが必要。

 最近は気象が目まぐるしく、かつ激しく変化する。激甚化である。やはり温暖化が関連しているのであろう。
9/1(木)終日降雨 飯川病院午後勤務 
1:00起床,医学文献他読書、徒然。午前座学中心。11:50バス、飯川病院に。微睡など、14:00飯川病院午後勤務、入院・外来患者対応なし。座学読書三昧、19:15帰宅、夕食、20;30就寝。歩数計6005歩。

こころと体2022(67) 自己肯定感(10) 演歌歌手「氷川きよし」に見る自己肯定感
 私は歌謡曲が好き。氷川きよし(敬称略)の歌も好きでよく聴く。
 初期の作品よりも、2012年の「櫻」、2020年の「母」の熱唱が特に素晴らしい。また、2019年12月31日ラジオ深夜便の特集「母を語る」に出演した時、彼の子供時代のこと、一人っ子で母とべったりの甘えん坊だったことなど話された。母について話している間に感極まって涙声になったことで、私にとって印象深く忘れられないインタビューであった。
 また、幼少の時は自信を持てない引っ込み思案の子供で、人とのコミュニケーションなどは不得意であったらしい。一部は私の幼少期の姿ともよく似ており、それ以降、私は氷川きよしに親しみを感じ、注目してきた。

 紆余曲折を経たが、2000年に演歌歌手としてデビュー、デビュー曲がいきなり100万枚のセールスを記録し、男性演歌歌手として揺るぎない地位を築いた。当時、演歌は全体に下火となっていた時期でありながら、中高老年の女性から絶大な人気を得ていた。家族構造も変化し、女性達は寂しさを感じていたのだろう。男っぽい姿形の中に息子や孫達を重ね合わせ、好まれたのであろう。
 それとは別に彼の歌はじっくり聞くと声もよし、歌唱力もあり、なかなかいい。

 彼はデビュー20年を迎えた際、メディアの取材に以下のように答えている。
 「デビュー20年で歌手として成人を迎えたような気がします。今までは本当の自分を出さないようにしてきましたが、これからは・・・」と、含みを持たせるコメントで答えた。もともとその傾向は垣間見られていたようであるが、これ以降、氷川きよしはジェンダーレス(?)であることが決定的になったことでメディアで新たな話題を呼んだ。

 要するに、20年間本来の自分を隠して「男 氷川きよし」を演じてきていたのだ、という。「男らしさ強いられ、自殺も考えたこともある・・」とも述べている(デイリー新潮)。

 今後は、抑圧してきた自分を開放して、ありのままの姿で仕事を続けていく、演歌歌手としての路線変更ではなく、本来の自分の姿で仕事を続けていく、という宣言であった。
 彼のジェンダーがどんなタイプに当てはまるのかは私にはわからないが、彼ほどの人気歌手が自分の性までを曝け出したということは特筆すべきことである。

 何でこのブログ、「こころと体」の項目で演歌歌手「氷川きよし」の姿を引き合いに出したかというと、彼の中の自己肯定感に大きな揺らぎを感じ取っていたからである。
 ここからは推論であるが、人気絶頂ながら彼の外向きの自己肯定感は「自分を偽っていた」ことから、決して満足できるものではなかった、と考えられる。とても辛かったのであろう。

 これからは生き方を変える、という。今後は納得できる仕事を通じて内向きの自己肯定感も増していくだろう。 


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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