2020年11月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
11/30(月)曇り 健康クリニック 飯川病院
12:00小林よしのり作品27冊落札、1:45起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。6:47バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:50健康クリニックドック13名。12:00飯川病院。元中通病院脳外科科長来院、著作いただく。微睡。14:00-19:30勤務。入院患者対応。19:45帰宅、夕食。 21:15就寝。歩数計8076歩。
四季2020(18) 家庭菜園・園芸(11) 本年最後一本となった遅咲きダリアが美しい
我が家のダリアは連日30°Cを超えた盛夏には直射日光、強い西日のもとで葉も花弁も元気がなくなり変色していた。
10月に入り徐々に涼しくなり、開花する花は最盛期を迎えとても元気で綺麗になった。ダリアの観察は陽が昇る頃の朝がとてもいい。圧倒的な花の数、その汚れのない美しさを毎朝味わっている。
(左:南雪原、右:ナマハゲとかまくら)
秋田には全国有数の国際ダリア園のがあるが、そこの営業は10月いっぱいで終了した。この頃になるとダリアの花勢は急速に落ち始めるからである。私も国際ダリア園の動向を参考に作業している。
11/14(土)にまだ花開いている2本を除き球根をすべて掘り起こし、洗浄乾燥の過程に入った。支柱なども整理したが今年はダリアが見事だっただけに我が家の庭はとても寂しくなった。
昨今、雪がちらほら舞っているが、残った2本のうち1本はまだ健気に花をさかせている。その姿を見るとまだ球根を掘り出すには忍びない。まだ地面が凍結することはないだろう。健気に咲き続けようとする労をねぎらうと共に、私ももう少し愛でていきたい、と思う。
(雪がちらほら舞う中で健気に咲き続ける一本。未確認であるが、県農業試験場産のナマハゲと考えられる)
11/29(日)小雨、曇り Zonta Zoom会議補助 庭の落ち葉掃除一段落
1:30起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。Zonta Zoom会議条件設定など。11:00庭掃除続き。NHKのど自慢、パフォーマンス特集、楽しめず。微睡、Zonta Zoom会議なんとかうまくいった。14:30庭掃除続き。16:00座学に戻る、新聞スクラップ化、自炊数冊。19:00夕食。20:30就寝。歩数計Σ11816歩数。いつものスキーウエア準備。
不覚にも丸2年間、給与明細書みたことがなかった
私が嘱託として勤務する法人では2019年1月から各種の事務手続きがペーパーレスとなった。
身分が嘱託となってからは法人、中通総合病院の動きには関心が無くなっていた。各種書類の手続き方法が変わったことも、そういう予告があったような気がしたが、あまり意識せず放置しておいた。時折回ってくる書類はパソコンを用いない小数人のために残されているペーパー手続きに参加していたから具体的な不便はなかった。
例外的に、私にとっての大事件は2019年12月、約1年前の電子カルテの更新で、これは知らんフリすることもできず、事前の勉強会にも出席して何とか対応できるようにした。新システムは高機能なのだろう、実に複雑であった。しかも、週1回のみの外来だから習熟するのに苦労した。毎週火曜日の外来日には、壁に当たるたびにクラークを呼び教えてもらったが、時間がかかり、飯川病院の午後の業務にも間に合わないこともあった。約1年経過してかなり操作には慣れたが、今でも操作に困惑することが少なくない。
給与明細書もペーパーレス化していたらしい。
あらかじめ通達があったが、手続きするのをすっかり失念していた。だから、私にはこの2年間一度も給与明細書が届いておらず見ていなかった事になる。それに気づいたの1週間ほど前のことである。実に抜けていた。早速教えてもらった。
私にとっては、給与明細書を見る必要はそれほどなかったのも確かである。
給与にそれほど関心を持たなかったのは、給与は銀行振込で、毎月入金はあるらしいが、通帳、キャッシュカードは家内に召し上げられており、要求しなければ見ることができなかったからである。今も残高がどれだけあるか知らない。
給与についての思い出は、
■最初の赴任先の宮古病院では外来婦長が私の給与を全て預かってくれ、必要な時には婦長から適宜もらっていた。2年間奉職したが、退職時には驚くほどの額になっていた。
■岩手県医療局の職員から秋田大学に移った際、後者では日雇い医師扱いだったから給与は1割程度と驚くほど少なかった。初めていただいた袋をチラッとみてあまりの少なさに驚き、現金が入った給与袋を一週間以上も机上に放置し、隣の女医さんから注意された。
■大学で医局長の時、医局雇の実験助手二人に給与を支払うのを忘れ、激しく抗議されたことがある。その日のうちにローンとかを振り込むことになっており1日たりとも余裕がない、という。慌てて自分の口座から下ろして対応し事なきを得たが、美しい表情が一時般若の形相の如くになったことを今も忘れない。
11/28(土) 降雨曇り不安定 庭の落ち葉掃除
1:00起床、新聞文献チェック、PDF化などいつものごとく。午前座学。午後庭の落ち葉掃除、16:00書斎にこもる。音楽関連の録画視聴。読書、自炊など。19:00夕食、20:30就眠。Σ8039歩。
本 蓮池 透 著 「奪還 引き裂かれた24年」(2) 新潮文庫 平成18年(2006)
本書は2003年3月、まだ一日帰国した蓮池氏他の子供たちが北朝鮮に残っている間に書かれた作品。文庫本化は2006年。
家族会の事務局長であったから、書きたくともかけないことは多々あったと考えられる。
本の序盤は薫氏が拉致されるまでのこと、ある日突然失踪。何の手がかりもないまま20年が過ぎ、突然帰国してから変化した薫氏の心境について記載してあるが、これは肉親だから書けること。
この拉致事件が今に至るまで進展していないのは、日本が他国によって主権を侵されたことを自分たちの問題として共有できなかったから、もあると思われる。このような重大事件でも自分に関係しない国民は一般に無関心である。いや、それ以上に家族会の動きが目立つと非難する人も少なくなかった。
政治家もジャーナリストたち、外交の専門家たちも立場を越えて共有できたら、被害者の方がもっと早く帰国できたのではないかと思う。
恋人とともに突然いなくなった薫氏。家出なのか誘拐なのかそれとも失踪なのか。拉致などという言葉もまだ一般人にはなじみのない時代。警察も政治家も取り上げてくれなかった。同じように姿を消した人の家族と家族会を結成。今でこそ北朝鮮による拉致を知らない人はないだろうが、「北朝鮮による拉致」と認めてもらうまでの苦悩が語られる。苦しい心情が伝わってくる一冊。
それでも彼はかなり抑え気味に書いたのだろう。
拉致問題は5人の帰国、2004年5月22日小泉首相再訪朝、蓮池・地村夫妻の子供たちが日本へ帰国で大きな転機を迎えるかに思われたが、以後の進展は乏しい。透氏は徐々に考え方が先鋭化し、2015年講談社から『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』を出版した。しかし、この著書をめぐって家族会は蓮池透氏の強制退会を決議、事実上除名された。家族会も帰還家族と未帰還家族と立場が異なって一枚板ではなくなった。
残された家族の悲嘆と絶望、無為無策の政治家・警察・外務省への怒り、感動の帰国をめぐる異常な混乱、そして“洗脳”を解くための論争の日々。四半世紀にわたり最悪の国家犯罪と闘い続けた兄が、その経験を語り尽くした手記と評価できる。
11/27(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、本読み、医学文献チェック。5:30家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:11こまち。9:15ー12:00大曲外来。病院間は往復徒歩。秋田も徒歩。14:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、21:20就眠。Σ12753歩。
本 蓮池 透 著 「奪還 引き裂かれた24年」(1) 新潮文庫 平成18年(2006)
この本は「拉致と決断」の著者で拉致被害者の一人である蓮池薫氏の実兄の蓮池透氏によるもの。兄弟の著作を今回は互いに参照しつつ読んだ。
著者の蓮池透氏は柏崎市出身。東京理科大学工学部電気工学科卒。東京電力に入社、日本原燃に出向。同社燃料製造部副部長。2006年、東京電力原子燃料サイクル部部長。2009年に退社。
拉致ということ自体が世間的に知られていなかった時に、家族の方々が苦労して家族会を作った。正式には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」、通称家族会。氏は家族会の初代事務局長で拉致被害者を帰国させるために尽力した方である。
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拉致事件、家族会の経過
1997年3月家族会結成
1997年5月政府が「10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表。以後北朝鮮の拉致問題が表面化。
2002年9月17日小泉首相が訪朝、金正日総書記と会談。日本人13人を拉致したことを北朝鮮が認め、謝罪。
2002年10月1日蓮池薫、奥土祐木子、地村保志、浜本富貴恵、曽我ひとみの拉致被害者が帰国。
2004年5月22日小泉首相再訪朝。蓮池・地村夫妻の子供たちが日本へ帰国。
以後の進展は乏しい。
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蓮池透氏の著作には、拉致関連、東京電力原発事故関連で以下の著作がある。
■『奪還 - 引き裂かれた二十四年』 2004年、新潮社
■『奪還第二章 ―終わらざる闘い―』 2004年、新潮社
■『拉致―左右の垣根を超えた闘いへ』 2009年、かもがわ出版
■『私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として』 2011年
■『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』 2015年
■『告発 ~日本で原発を再稼働してはいけない三つの理由』 ビジネス社 2018
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2002年9月、蓮池薫氏の一時帰国が決まった際に、透氏は喜びとともに大きな不安を抱えていた。洗脳されたであろう弟にどのように接していいのか判断がつきかねていた。タラップから薫氏が降りて来た時にあまりの変貌さにショックを受け、薫氏の一挙一動から、やはり薫氏は洗脳されてた、と判断した。
薫氏は「私どもは北朝鮮から来た国交正常化のための使節団・・」、「朝鮮公民の一人として来日した・・」、「日本は朝鮮にいかに悪いことをしたのか」、「拉致自体は許している・・」、「自分は朝鮮公民として祖国統一のために尽くす・・・」、などの言葉が飛び出した。
やがて透氏と薫氏は互いの立場を巡って諍いを生じた。しかし、薫氏はなかなか意見を曲げなかった。
実際に薫氏が心を開いたのは幼馴染の友人と会い、郷里の思い出などを親しく話し合ってから、という。論理、思想のやりとりではなく郷愁が日本人としての薫氏の心を開いたのだ、と透氏は評価している。
11/26(木)曇降雨 飯川病院 院長の新型コロナ勉強会補助
1:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。院長の新型コロナ勉強会補助のために同乗して飯川病院。微睡、13:30院長の新型コロナ勉強会補助、スライドショウの条件設定不備であった。入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計6676歩。ラジオ深夜便聞き直し数篇。
本 蓮池 薫著 「拉致と決断」 新潮文庫 平成27年(2015) (2)
本書には見るべき項目記述はたくさんある。
それらについて広く言及することはできないが、特に洗脳教育、食糧難に関する部分の記述は目を離せなかった。
それは国連決議で物資が入手し難くなっている今でも続いていると考えられる。
3年ほど前、日本海に木造船が、時には死体を乗せたまま100槽近くも漂着したが、厳寒の中あのような粗末な船で食糧を求めて海に出なければならなかった背景が理解できたような気がする。飽食、食料廃棄の我が国とは次元が違う状態としか言いようがない。
この本の価値の一つは、北朝鮮の人たちの生活の細かな描写である。
上層部に対して対面を保つことだけに腐心する役人、統制社会の中で生きるために闇市で商売をする農民たち。抗日戦争の英雄視、対米戦争の危機感の煽り、スポーツ振興による高揚感など、あらゆる手段で国民に忠誠心を植え付ける国家像が描かれる。
国民はそれらをどう受け止めているのか。それについても圧倒的な現実感をもって語られている。
一方で、この本では敢えて書かなかった、と思わざるを得ない項目も多々ある。まだ北朝鮮に拉致されたままの仲間とその家族への配慮のための自制と考えられる。
氏は招待所でどのような生活をしていたのか、北朝鮮首脳部とどのような関わりがあったのか、横田めぐみさんと会ったのか、という肝心な点については記載がない。
氏の記述はあくまでもソフトで表現は冷静である。日本政府に対しても、北朝鮮に対しても不満はあるだろう。抑制の効いた文章から、氏の人となりと、拉致問題の一刻も早い解決への強い配慮が伝わった。
帰国後、氏は新潟の大学で教鞭を取る傍ら、日本各地で講演を行い、自身の拉致や帰国後のできごとを語っている。
氏の著作として他にも以下がある。機会があれば読んでみたい。
■「蓮池流韓国語入門」文春新書、2008年
■『私が見た「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』講談社、2009
■『半島へ、ふたたび』新潮社 2009年
■『夢うばわれても 拉致と人生』PHP研究所 2011
氏の兄はかつては「拉致家族の会」の事務局長であった。立場の違いから来たのであろう、帰国時から何かと両氏間には確執があった。それについて蓮池透著「奪還」に詳しい。
11/25(水)曇り 飯川病院ボランティア
1:30起床、本読み、徒然他。文庫本、医学文献自炊、整理、廃棄。11:45バス飯川病院。微睡、飯川病院ボランティア、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:30就寝、ラジオ深夜便聞き直し数篇。歩行計6743歩。
本 蓮池 薫著 「拉致と決断」 新潮文庫 平成27年(2015) (1)
私は終活の一環として古い蔵書を電子化するとともに、興味のあったものから順次読み返している。過去に読んだ本でもそれらを改めて読むと当時と違った一面から味わい直すことができる。多分、読み手としての私自身が変化したためだろう。
拉致を含め重大事件は新聞などを通じて概要は知れるが表面的なものでしかない。だから、フィクション、ノンフィクションなどの作品があればそれを通じて事件とその背景を見つめ直そうとしている。
本書も自炊、電子化したが、数年ぶりに改めて読み直した。
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現在、日本政府が拉致と認定しているのは17名。北朝鮮による拉致は1977年から83年にかけて発生した。
蓮池 薫氏は1978年7月31日、20歳の時、中央大学法学部3年在学中に、夏休みで実家に帰省していたところを友人の奥土祐木子さんとともに、柏崎市の海岸で北朝鮮の工作員に拉致され、24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされた。二人は約2年後に結婚、一男一女をもうけた。
拉致され、絶対的独裁国家で20数年を生きる。なんと不条理なことだろう。
本書は24年に渡る北朝鮮での生活記録である。
蓮池氏はそんな不運の中でも、自分が生きるために、そして家族のために、したたかに、強い意志をもって生きてきた。二人の子供たちには「事業で北朝鮮に来た元在日朝鮮人」と思い込ませ、子供の将来と安全のために日本語を教えない事とした。すなわち、蓮池氏は子供のために日本人としてのアイデンティティを捨てるしかなかった。
蓮池氏は暴力的手段で拉致されたが、北朝鮮では「招待所」に収容され、強制労働とかはなく、半客人扱い、軟禁状態で、洗脳のための学習の日々を強制された。
2002年10月15日、上部から一時帰国の命令が下り帰国することができた。帰国に関して氏は「正直、両親と再会できる喜びより、北朝鮮に残しておく子供の将来の不安の方が大きかった」と述懐している。
日本国内ではあらゆる発言に慎重でなければならなかった。北朝鮮には自分たちの二人の子供、他に拉致された被害者がいる。自分の発言によってどのような負の影響を受けるか分からなかったからである。
更に、このまま日本に止まれと言う家族たちとも戦わなければならなかった。
結果としてこのまま日本国内にとどまり子供たちの帰国を待つを言う選択をしたが、この決断は先が見えない。苦悩、不安はいかばかりかと思う。
結果的に、約2年ほど後に子供たちも送還され家族として共に暮らすことができ、本当によかったと思った。
11/24(火)曇り 外来 飯川病院 iPad mini4(2015)到着設定
1:00起床、献新聞チェックPDF化など。文献整理など。5:20可燃ゴミ45Lx3袋提出。6:47バスで飯川病院、バスは比較的混雑、8:45-13:45中通病院外来、混雑疲弊。14:00飯川病院、外来入院患者対応。その後読書、微睡など。19:20帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ9544歩。
iPad mini(2) 兄貴分のiPad proは時に凶器になる
私は書籍の大部分を自分でスキャナーにかけて電子化している。その目的は終活としての蔵書の処分である。等身大サイズの書架が10ケ近くあったが約10年かけて今は二つ程度になった。空いた書架は生活用品の棚と化した。
PDF化したデータは当初はパソコンで読んでいたが不便であるほかにパソコンの画面では文字の解像力も今ひとつであった。そこに息子の一人がiPad miniを新しくしたいので古いのをなるべく高い値段で引き取ってくrないか、との話があった。
私のパソコンなどの電子機器の半分ほどは息子たち、娘からのお上りである。私は保守的でなかなか新しい機種に飛びつくことはない。いつも安くはない取引であったが、私自身が脱皮できるチャンスと考え親子値段で支払っている。2015年頃の話であったが、私は一発でiPad miniの虜になった。何しろ字が綺麗である。
結果的にiPad Pro, iPad、iPad miniが揃ってしまった。さらに、家内用にiPad miniを一台購入したから都合4台揃った。
各iPad にはそれぞれ特徴がある。機能的にも差が多少あるが、私にとってはパソコン関連の電子機器は田んぼのあぜ道をボロ車で通るようなレベルだから、ポルシェのような高度の機能は不要。だから個々の製品の機能は問題にしない。
せいぜい画面サイズと重さだけが問題である。
私は視力が悪い。画面サイズはその面で重要。大きいほどいい。かつ毎日持ち運ぶから軽いに越したことはない。
画面サイズは、iPad Proが12.9インチ> iPadが10.2インチ>、iPad minが7.9インチ。
重さは、iPad Proが641g> iPadが495g>、iPad miniが300g.
重い機種は部屋に固定して置いている。飯川病院医局にはiPad Pro、自宅にはiPad。病院間や出張時の持ち運びにはiPad mini。特にiPad Proをディバッグにいれるとずっしりと肩に食い込む。
最近の読書は95%以上iPadで読む。その方が楽。その際、横になって読むこともある。横を向いたり仰向けになったり腕の疲労度で様々な姿勢で読むが、横になって読んでる場合は時折睡魔が襲ってくる。その時仰向けになっているとiPadが顔面を直撃する。重いiPad proが落ちてくると衝撃はバカにならない。
iPadに関しては、画面サイズは大きい方がいい・・とは言えない事情がここにある。
11/23(月)勤労感謝休日 快晴 飯川病院日直
1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。自炊5冊。レガシーの充電、8:42バス飯川病院。9:00-17;00日直。本読み、微睡など、病院玄関先のハイビスカス訓練室に避難。19:30帰宅。21:15就寝。歩行計Σ7798歩。。
iPad mini(1)、2012年製、自壊す
一昨日、11/21(土)6;00ころiPad miniで小説、随想などを読み、傍の小机において一休みして数分経った頃、何の前触れもなくiPad miniから一瞬「バン」と大きな音がして部品の一部が吹き飛んだ。
見るとホームボタンスイッチが吹き飛んでなくなっており、その周辺からガラス面に放射状に数10条の亀裂が入っていた。ホームボタンは数m先の床の上に落ちていた。ガラス面にこれだけの亀裂が入ったことはかなりの力が加わったのだろうと推定できた。
ホームボタンの場所の奥には小さなスイッチが見える。爪楊枝の先端で恐る恐る押してみたところ、起動した。機能的には問題なさそう。しかしながら、表面のガラス面からは細かなガラス片がパラパラとこぼれてきた。落ちるようなガラス片は私が爪楊枝で摘除した。
よく、スマホ、ノートパソコンの電池が劣化して膨化し、機能障害が生じたり、最悪の場合には発火や破裂を起こしたというニュースがあった。私のiPhone5が、また、ノートパソコンのMacBookのうち2台が晩年には電池が膨化した。いづれも機能的に古くなり引退を考えていた矢先で、これを機会に新型に買い替えた。
今回のiPad miniの自壊はこれとは全く異なる自壊である。過去の電池問題のように徐々に何かが進行してきたわけではなく、熱を持ったわけでなし、突然この状態になった。私のiPad miniは自壊するまで機能的にも、形の上でも何も変化はなかった。
早速、翌日Appleのサポートに電話して、写真を含め、ことの状況を詳細に報告した。担当した係の方の言うことには類似の事故は今までになかった、との事である。
自壊後も機能的に問題なかったことは電池関係のトラブルではなさそうである。しかもホームボタン周辺だけに傷が生じ、ガラス面の破損が発生したに過ぎない。この破壊のエネルギーは何だったのだろうか。ホームボタン周辺に強力なバネがあるわけではない。だから、私の範囲では原因が不明である。
いつもなら自分で分解して原因の把握を試みるのであるが、不完全ながらまだiPad miniとしての機能は残っているので分解するわけにはいかない。
さらに状況が進行するまで用い続けることとする。
iPad miniは私が持つiPad pro、iPad の中で最も使用頻度が高い。
自壊したiPad miniはガラス面が破損した状態で使うのは目にガラス片が入る可能性があり危険である。早速新規にiPad miniを購入した。都合iPadとしては5台、いや、4.5台となる。
自壊したiPad miniは2012年製の初期型である。書籍を読むには十分であったが、他の機能は限界を迎えていた。でも、処分するには惜しい。ホームボタンは接着剤などで、ガラス面は透明なテープで補強し、かつ木製のケースを大きめに作り、直接外力がiPad miniに及ばないように工夫し、書籍リーダーとして継続的に用いていくこととした。
(斜めから光をあてるとガラス面の亀裂が美しい)
今回の自壊で、結果的にiPad関連としては便利になったのが歯がゆい。
11/22(日)曇り晴れなど不定 庭の落ち葉対応
1:20起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、自炊5冊PDF化。新聞スクラップ、
10:30-12:00庭の落ち葉掃除、一部。NHKニュースのど自慢観る、微酔若干。14:00-16:00庭の落ち葉掃除、一応一段落。75L資源ごみ袋4け収集。16:00-19:00書斎の整頓と演奏会等の録画視聴、「運命」「田園」など。夕食、20:00就寝。歩数計10283歩。
私の食事観(12) 私の食癖(6) 添え物 香辛料(3) パスタとタバスコ
私はスパゲッティ料理は概して好きであるが、とりわけミートソースが好きである。
初めて食べたのは新潟大学の3年頃。
臨床実習仲間数人と外に昼食を食べに行った時が初めてである。某喫茶店で友人に倣って得体の知れない料理を半信半疑で注文してみた。それまでスパゲッティなるもの、ミートソースなるものの存在を全く知らなかった。
食べてみて、こんなに美味いものがあるものか!!! と心から感心した。友人たちはその喜ぶ様子を見て「この田舎者め・・」の目であった。近くにいた女性が「こんなものなら私でも作れる・・」とのたまわったが、私はにわかには信じられなかった。何しろ郷里を出るまでは家でスパゲッティなど食べたことはなく、外食といえばラーメンと蕎麦程度の経験しかなかったからである。
後日、私は歌にある「およげ鯛焼くん」の如く女性の医学生が撒いた餌に飛びついて釣られてしまったが、その時の料理の一つがミートソースであった。確かにうまかった。
パスタ料理はお陰で好きになったが、今でも時折夕食の食卓に並ぶ。ペスカトーレ、ボンゴーレなどいろいろ名前があるが、私にとって必要なのは添え物・香辛料としての粉チーズとタバスコである。
私は辛い味を好む。とは言っても調味料としてはタバスコ、胡椒、一味または七味唐辛子、それに和芥子または洋芥子程度しか知らない。
胡椒は当然ラーメンに、パスタにはタバスコである。
タバスコを欠いてはパスタ料理の存在自体が薄くなる。緑のボトル製品の他、味も様々あるらしいが私は区別などわからないからあまり気にしない。辛ければ良い。私の周辺ではタバスコが最も辛い香辛料だと思う。試しに直接口に含んでみたが口腔に火がついたような感覚で飲み込めなかった。
タバスコは、メキシコ・タバスコ州原産のキダチトウガラシの一種を使った辛味調味料だという。3年ほど発酵させた原液はもっと辛いらしく薄めて製品にしているようだ。米国に本社を置くマキルヘニー社が商標権を持つている。タバスコを日本料理にも、と推奨しているようだが違和感がある。私はパスタ以外に用いることはない。
タバスコも私はちょっと多めにかける。家族は嫌な顔するが、タバスコの辛味はえも言われぬ魅力がある。
11/21(土)終日小雨 iPad mini自壊す
1:30起床。いつもの如く資料整理中心。読書。6:00iPad mini2012年製、突然異音出して自壊する。機能的には維持されているのが救い。7:30オークションiPad mini4落札、2.7万円。9:30AppleとiPad miniについて情報提供とやりとり。昼食微睡ご庭の掃除、鉢の清掃、15:30-18:50書斎にこもり机上を整頓。演奏録画視聴。19:00夕食、21:30就寝。歩数計8107歩。
私の食事観(12) 私の食癖(6) 添え物 香辛料(2) ラーメン
今度はラーメンである。
(2)ラーメン メンマと胡椒、焼き海苔がなければ
私はラーメンが大好きである。ちょっとオーバーにいうと毎日、毎食でも良い。幼少の頃は近所に製麺所があったから朝から、何日も続けてラーメンを食べていた。母が作る、何もトッピングがない素ラーメンは母の味として味覚として残っている。
大学時代、私は貧乏学生であったがパチンコで結構小銭を稼いでいた。当時は球を一つづつ入れるタイプで重労働であった。多くは現金化せずに「明星チャルメラ」、タバコの「ハイライト」を持ち帰り寮で10円引きで販売し、寮生に喜ばれた。私のパチンコの収支は全体として黒字であった。「明星チャルメラ」は私の生活を支えてくれた。
当時はTVは白黒が主流で12-13インチで4万円ほどしたが、二日かけてパチンコで稼ぎ換金して購入した。3日目にはUHFコンバーターを狙ったが果たせなかった。こんなものである。世の中は甘くはない。
専門書、教科書として米国の有名な教科書がアジア版として安く買えたので利用したが、7割方はパチンコで購入した。
パチンコは研究を重ね真剣に対峙したが、給料をいただく頃になってから意欲がなくなり止めてしまった。
私はラーメンに関しては淡白、醤油味の「いにしえのラーメン」または中華そばと言われる等なのが好き。最近のはちょっと味が濃厚である。
ラーメンが出ると2-3口食べて味を楽しんで評価した後、やおらシナチクと焼き海苔を一面にトッピングし、胡椒を大量にふりかける。胡椒は瓶の小穴では足りず蓋をはずして直接ふりかけることも。
賄いをした方々は苦い顔でそれを見ている。「せっかく美味しくできたのに・・」、半ば馬鹿にされたように思うのだろう。
しかし、私は止められない。
ラーメンの汁も好き。体に悪いとはわかっているがほぼ飲み干す。こんなうまいものを残すなんて!!! 丼の底には胡椒が大量に残る。これも見ものである。
メンマは業務用スーパーで塩漬けのものをKg単位で仕入れ、塩抜きし我が家で味をつける。実に美味しい。
外食でラーメンを注文する場合、別会計でメンマを別皿でもらう。
チャーシューも美味い。ネギもほうれん草も美味い。特に私が栽培したネギ、取立てだから特に美味い。
私は夕食が何であるかは聞きたくない。
玄関に近づくとラーメンの匂いがするともう矢も盾もたまらない。もう待ったなしである。玄関に迎えに出るネコどもを蹴散らしても食卓に向かう。
大抵はもうラーメンは用意されて私を待っている。昂る気持ちを抑えつつ箸を取る。
この幸福感はラーメン独特のものである。
この丼いっぱいのラーメンとのひと時の幸福感は何とも比肩できない。「トランプさんに持てぬ幸せ吾持てり・・・」の心境である。
日本人に生まれてよかった。しみじみ思う。
11/20(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院
1:00起床、この頃から降雨、新聞文献チェックPDF化、自炊数冊、徒然他。6:00可燃ゴミまとめだけ。7:30Taxi秋田駅、9:00-12:00大曲中通病院外来。秋田も降雨で徒歩不可。
13:30飯川病院着、14:00-19:00ボランティア。19:15帰宅、夕食。21:30就寝。 歩数計Σ7920歩。
私の食事観(11) 私の食癖(5) 添え物 香辛料(1) カレー
私は特にオーダーしないが、夕食にカレー、ラーメン等の麺類、スパゲッティが出ると嬉しい。フライも良い。これからの季節鍋物もいい。
これらの場合は私は黙って淡々と食べるわけではない。
私は辛いのが好き。家族が嫌な顔するほど、添え物、香辛料を用いて自分なりの味を追求する。
(1)カレー 福神漬けとラッキョウがなければ
私はカレーが大好きである。ちょっとオーバーにいうと毎日、毎食でも良い。幼少の頃は母が大量の玉ねぎのみじん切りを茶色になるまで炒め、SBカレールーを中心に野菜中心のカレーを作った。当時は田舎では肉など滅多に入手できなかった。肉を手に入れるには自転車で15Km離れた商店まで行かなければならなかった。カレーに関しては私もかなり手伝った。だから、言いたい事はある。
我が家ではカレールーはバーモントカレーなどを用いているようであるが何を使っても味は悪くない。
私はまずカレーとご飯を2-3口食べて味を楽しんで感謝の意を伝えたら、やおら福神漬けと千切りにしたラッキョウを大量に、ほぼ全面にトッピングする。賄いをした方々は苦い顔でそれを見ている。半ば馬鹿にされたように思うのだろう。
しかし、止められない。
止むを得ない外食の際にもカレーを注文することがあるが、福神漬けとラッキョウをリッチに提供してくれるところはない。福神漬けは多少余裕を持って出されることがあるがラッキョウは小さなのが4-5ケ止まりである。これじゃ満足できない。それでもついカレーを注文してしまう。やはり、カレーが好きなんだね。
味は辛めのが良い。30倍のを食べたことはあるが、飲み込んだときにシャックリが出て食べられず早々に諦めた。食道下部粘膜の神経を刺激するのだろう。それでも胃袋と身体が燃えた。翌日には尻にも火がついた。身体が軽くなった気がした。せいぜい10倍までなら何とか楽しめた。
カレーは実に美味しい。しかし、カレーパン、カレーうどんなどは一切受け付けない。例外は野菜サラダをご飯替わりに用いる事はある。
カレーは福神漬けとラッキョウとともに純粋にカレーとして食べたい。周りからそんなの純粋でない・・と声が出る。
11/19(木)曇り寒波若干緩む 古書店 飯川病院
1:00起床、文献処理、徒然。午前は鉢植えをガレージに避難。11:00ブックオフ土崎店、20冊購入。12:58バス飯川病院へ。14:15健康クリニック結果判定14名分、14:00-19:10飯川病院。入院外来対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計13779歩。
私の食事観(9) 私の食癖(3) 食事所用時間(3) 犬食い(Eat like a pig)
私の食癖の一つとして、食事を楽しむと言う考え方が欠けていること、食事に時間をかけたくないこと、である。
自分は「犬食い」であった。英語では「eat like a pig」、「eat in an ill-bred manner」である。私の食事の例えに持ち出される犬や豚が気の毒である。かつて、我が家ではシベリアンがいたが、彼女の食い方を見ていると「犬食い」そのもので味など関係ないようにガツガツ、ほとんど丸呑みに近かった。彼女は新種の子孫8匹を残し、8歳で糖尿病で死んだ。
(晩年近くのハスキー犬 名はLuce Legate Rotary Limited。当時のデジカメは200万素子で、画面が粗い)
家族から私の早食いを指摘されていたが、そう大きく気に留めていなかった。しかしながら、「eat like a pig」と言われるようじゃ賄いの方が嫌がるのは無理もない。
私は他人と一緒に食事をするのが嫌い。
幸い、今はその機会はほぼゼロ。同席すると時間が持たない。現役だった頃、宴会の席で私の膳はすぐに空になる。ごまかしのためにほんの一部を器の中に残し片付けられるのを防いだが、間が持たなくてなんとも情けないことであった。私は宴会の中座の名人であったが、その理由の一つとして「食べるものがなくなったから・・」を挙げていた。本音は「話すことがなくなったから・・」であった。
私の早食い、犬食いを自覚したのは2012年11月の腸閉塞、脳梗塞の入院であった。
前者の場合は手術4日目から食事が出た。流動食から始まり一日ごとに一段階ずつ固形食になっていったのであるが、腸を切除したわけではなく腹部症状も全くなかった。食事は量的にも少なくて、流動食の場合は1分もかからずに、固形食になってもせいぜい3分くらいと時間がかからなかった。
後者の場合は入院翌日から減塩の心不全食・高血圧食が出たが1600Kcal/day程度、主食は茶碗にホンの少々で、かつ私の理想とする一汁一菜に近かった。この時もせいぜい3分くらいだったのではないかと思う。噛まず,味合わず、犬食い様に食べた。
食事が済むと廊下にある食器カートにトレイを返却するのであるが、いつも一番先の返却で、看護師達はまだ配膳を終えていない。看護師からは「今日は食事をされないのですか?大丈夫ですか?」と毎回声を掛けられた。「全量食べました・・」とちょっと恥ずかしげに答えたのであるが、聞いた相手はあまりの速さに驚いていた。
食事に時間をかけないのは長年の習慣である。「食事になんか時間かけている暇はない・・・」、今でもそう思うから、もうなおらないのだろう。
11/18(水)曇り晴れ温暖 飯川病院ボランティア
1:30起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。
11:00家人と作業服買いに専門店に。昼食回転寿司で軽く。自宅近所の停留所からバスにて飯川病院へ。13;00ボランティア。外来患者対応。家内勉強会、19:00Taxi通町書店経由帰宅。19:30夕食、20:45就寝。歩数計6601歩。
私の食事観(8) 私の食癖(2) 食事所用時間(2) 時間がかかりすぎる外食は嫌い
私の食癖の一つとして、食事に時間をかけたくないということがある。
前から家族からは早食いを指摘されていたがそう気に留めていなかった。
食事に時間をかけないのは長年の習慣である。何でそうなったか分からない。食事を楽しむために心しておきたいと思っているが、直ぐにはなおらないのだろう。
一般的には外食は楽しいのだろうか?
私は外食が嫌でたまらない、苦痛である。
私は料理を一切しない。冷凍食品の解凍、ガスで温める程度ならできる。今用いている炊飯器は重くて、かつスイッチが多すぎて炊けない。食後の片付けもしない。
こんなわがままが許されているのは賄いの方がいるからなのだが、それでいいのか?とも言われる。しかし、高校生の頃一時自炊した時期もあり、生きるだけの食事はなんとかできる。ご飯は鍋でもたける。あまり心配していない。
賄いの方々を休ませるために外食はいい方法であるが、できることであれば私は外れたい。
外食の場合、■わざわざ出かけるのが嫌、■レストラン等の慣れない環境が嫌、■食事が出てくるまでの待ち時間が嫌、■ 喧騒も嫌。近く人の話し声が嫌、■知人に会うのが最も嫌、■ フルコースなどの時間が無駄。フルコースでも定食様に全部一気に出して欲しい。■出てくる料理の多くは質的に口に合わない・・・と理由はいくらでも出てくる。
ここまで理由を挙げているので、流石に私とともに外食に行くことはないが、私が飯川病院の当直日にはみんなで外食しているらしい。
要するに、私は自分が構築した生活環境の中で淡々と生活するのが一番に向いている。
だからどこかに出かけることも嫌である。新型コロナ禍以降も私は何ら不便していない。ただ私の様な生活様式、考え方は社会をダメにする。
自分でも寂しい食習慣だと思う。
本で,TVで美味しそうな料理を見ると感心はするが特に食べたいとも思わない。料理や食事を取り上げたTV番組の大部分は不快である。
私にとっての外食はラーメン屋が一番良い。
11/17(火)快晴 中通総合病院内科外来 飯川病院
1:15起床。新聞・文献読みと本読み、専門誌自炊他諸々。6:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院。8:45ー13:00中通病院外来。14:00-18:15飯川病院勤務。入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9303歩。
私の食事観(7) 私の食癖(1) 食事所用時間は5?10分
私は食事にほとんど不満は言わないし、ネガティブな評価をしない。我が家の料理や献立に文句をつけることはなく、「美味い」、「美味い」と連発しながら完食する。これには嘘がない。しかし、これが評判が悪く私はショックをうけた。食事に関して気楽に本音を語れないのが辛い。
もう一つ、私の食癖としては食事に時間をかけない、ことである。
■ 夕食は可能な限り19:00前後に固定している。帰宅は飯川病院から我が家に向かうのであるが、病院の玄関を出た際にその旨を必ず家に連絡する。1日も欠かさない。20分後、直ちに夕食が食べられる様用意しておくように、との連絡である。
私は、靴を脱ぎ、作業服の上着を脱ぐとそのまま食卓の自席に座り直ちに箸を動かす。若干遅れる際には前菜だけでも出しておくよう依頼している。
私の夕食はたいていの場合主食を必要としない。副食とデザートだけ。
食事をじっくり味わって食べるということはない。呼吸もろくにせず、会話もせずガツガツを食べる。にも関わらず味はしっかり楽しんでいる。
夕食時にアルコールを飲むことは一切ない。それ以外も飲まない。
15分間だけ19:00NHKニュースを見る。それ以外のTVは見ることはない。
私が自席を離れた後、同居の家族たちはTV、晩酌を楽しみ団欒する。
私は、食卓の下で待っている5-6匹のネコどもと団欒するがそのうちに眠くなる。この時、私は1日の幕を降ろす。
■ 昼食はほとんどの場合、業務の一環として飯川病院の検食をいただく。
検食する食事は1日1600Kcalの高齢者用の昼食分である。だから少量。
(ありし日の検食。行儀悪く新聞読みながら食べた)
主食には手を付けず副食だけしか食べない。だから5分もかからない、
私が書く検食簿の記載は、たいていの場合「問題ありません、美味でした」とワンパターンであるが、ここにも嘘はない。私は恵まれている。
■ 朝食
5:15-6:00が私の朝食時間である。朝は結構忙しい。5:00ネコへの給餌から始まり、週三回ほどの公的な収集へのゴミだし、新聞牛乳取り込み、コンポストへの食品廃棄など。一つ一つは小さな作業であるが結構時間が足りない。通勤のバスに乗るために6:42に家を出る。降雪期には5:30から1時間除雪があり全て早めに、4:30頃から始める。
朝食は自分で適当に選び適当に食べる。
前日の夕食が残っていればそれの一部を、残っていなければ常に用意してもらっている皿盛り野菜サラダに胡麻ダレドレッシングをかけて食べる。主食は摂らない。10年来変えていない食習慣だから考えることもない。所要時間は5−10分程度か。
私の食事時間と食事内容はほぼ上記のごとく。
私は恵まれているからこれで満足である。
11/16(月) 終日晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。7:10バス飯川病院着、新聞チェック、9:00-11:50健康クリニックドック14名+結果判定14名分。12:00飯川病院。新聞、医学論文チェック。微睡。14:00-19:00勤務。入院患者対応若干。19:15帰宅、19:00夕食。 21:15就寝。歩数計9066歩。昨年バス待ちの寒気を防ぐために上下ヒートテック着用開始。今年はまだ半袖。風除室のシマジのためにもヒーター考慮しなければ。
私の食事観(6) コロナによって、温暖化によって食料事情は変わる
私は日本の食文化に恐れと将来への厳しさを感じている。
地球上には2019年の統計で77億1500万人生活しているが、食品の供給力は50億人分ほどで頭打ちになっている。理屈の上では三人に一人は飢えに直面していることになる。これが2060年には100億人に達する。
我が国は経済的豊かさで食品の奪い合い競争にまだ優位な立場にあるが、将来的には日本は厳しくなっていく。にも関わらず自給率は上がらない。
■ 発展途上国は豊かになりつつあり、人口増加もあって自国内の食材の消費が質的に量的に増えている。中国は大量の食料輸入国に。アフリカは3倍増になる。
■ 温暖化で気象変動は全世界的に激しさを増している。1度C上昇でも厳しい。食糧生産は質的、量的に変化つつある。
■ 海面上昇、干ばつ、砂漠化などによって食物生産可能地域が減少している。
■ 生態系の危機。農業、漁業などにも。
■ 世界的コロナ蔓延によって、食料供給国の一部では食材の備蓄が始まっている。
■ 世界的コロナ蔓延状況によっては食料生産にも影響が生じ得る。
■ 食材は兵器と同じく重要な戦略物質になる。RCEPやTPPなどの国際協調が望まれる。しかし、仁義なき争奪戦が生じる可能性がある。
■ 水不足が迫りつつある。食糧問題に直結する。
■ ・・・・・
まだその傾向は明らかになってはいないが、だから、日常食べられる自分の環境にこの上なく感謝している。
だから、私は食事にほとんど不満は言わないし、ネガティブな評価をしない。
あえて言えば、過度の塩味に関しては評価が酷しい。ほぼこれだけ、と言っていい。
こんな私は、我が家の料理や献立に文句をつけることはなく、「美味い」、「美味い」と連発しながら完食する。私は心からそう思って、出されたものは残さず食べるし、食事をいつも前向きに評価している。私は我が家の食事に関しては毎日ほぼ100%満足している、嘘はない、遠慮もない。
そんな私は、料理を作ってくれる方にとって都合のいい存在だと考えていた。つい先日まで。
ところが、確かめてみたところ、実は全く逆の評価で、私はショックをうけた。
特に、45年も食事を用意してくれている賄いの石井さんにはすこぶる評判が悪い。
何を作ってもいつも「美味しい」と言って素直に食べてくれるということは、「美味しかったよ」と言葉を発するゴミ箱に等しい、張り合いがない、という。料理は色々工夫しているが全部同じ評価で作る張り合いがない・・・のだそうだ。
予想外の返事であった。
言われてみればそうだろう。
「美味しい」という評価が喜ばれないという現実に驚いた。
11/15(日)快晴 飯川病院日直
0:30起床.医学論文読み,蓄積データー整理。自炊数冊。読書。微睡など思うがまま。8:42バス飯川病院。9:00-19:00日直。自炊準びほか。正午NHK TVニュース、のど自慢楽しみ、微睡読書徒然ほか。当直医の業務一部代行。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7319歩、日直はほとんど室内だけ。
私の食事観(5) またまた愚痴を綴る
従来から食事に関する話題は時折書いてきた。
今年も食事に関する雑感は以下のごとく綴った。これだけ食事に関心が高い、ということである。
????????????????????????
0207 私の食事観(1) 秋田に転居し食生活が一変した
0208 私の食事観(2) 私の食事に関するコンセプト 外食は大嫌い
0209 私の食事観(3) 食事の嗜好品化?? 際限のない欲望
0210 私の食事観(4) なんでも「美味しい」と言う私は嫌われている
????????????????????????-
まだ言い足りない。また、ちょっと食事について考えてみたい。
私は無趣味的人間である。特に食事、食品に関してはそう思う。
食事は「生きるため+α程度」でいい。そう割り切る私の感覚はどこかずれている。「+α程度」というのは私自身が食環境に恵まれていてどうしても「生きるため程度」を越してしまうから、そう言わざるを得ない。
今の世相は、大げさにいえば「日本人は食べることにしか興味がないのか?」と思う。私が「この程度なら・・」と思うレベルを質的に何倍も何倍も超えている。「自給率も悪いのに・・」と思う。世界の食材を食い尽くし、かつ無駄に廃棄している。
私は外食は嫌いである。華美だから。だから批判的に見ているのかもししれない。
私は食に関しては貧しい岩手の農村の片田舎で育った。昭和20年生まれで、母親も料理は保守的であった。私は新潟大学では6年間学生寮で一日130円の食費で、空腹を抱えた生活であったが、毎日定時に食べられることには無常の喜びを感じていた。そんな私は「ちょっと美味しい食事を・・・」という餌で秋田出身の女性に簡単に釣られてしまった。若い時にもっと良いものを食べていたら別な人生を歩んでいた。
昭和48年に秋田に転居し、食の豊かさに驚いた。
我が家の家事一般は、その年から家内のおばさんである石井さんが住み込みで手伝ってくれる様になった。これがまた料理上手で、作る量も半端でない。「こんなに山盛り作って!!! 町内に配るのか・・!!! 」、今でも時々いう。
これが秋田の食文化なのだろう。
私の両親は、孫を見に時折秋田に来たが、その際「まるで盆と正月が一緒に来たような食事。こんなの毎日食べているのか??・・・」と呆れていた。私は「顔から火が出る」ような気持ちを味わった。
私自身も我が家の食事内容に呆れ、「基本は一汁一菜」でいいのだ、といつも言っていたが、育ち盛りの子供もいて、私の言葉など通用しなかった。当時、近所にスーパーなどなく毎日曜毎に数キロは慣れたジャスコに買い出しに行った。常に石井さんと5人の子供を連れての買い物だったから「姉さん女房、子沢山のさえない男」、のイメージを振りまいた。かつ、大量に食材を購入するものだから「下宿屋でもなさっているの?」と問われたこともある。
私は、食事に関してはいつも感謝している。
■食べられることに感謝、■食品に感謝、■調理してくれる方に感謝、■その他にも感謝感謝、である。
11/14(土)曇り午後晴れ ダリア関連仕事
1:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像。いつもと同じ。9:30ダリアまだ花開いている2本除き球根掘り終了。支柱など整理。微睡後2:00再度外仕事。16:00新聞チェック。微睡。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ10802歩。
心理学を学ぶ(47) 「差別の心理」(16) 家庭で、学校で育つ差別感
私ども人間は、精神・心理面での「自己」によって、身体的には「免疫的不寛容」によって「自己」としてしっかりガードされている。
「自己」としての確立は「他者と異なる」ことの認識に等しい。言い換えれば「自分はみんなとは違うのだ・・・」の認識である。「自分はみんなとは違うのだ・・・」の認識の発見とその維持は、一番簡単な方法としては何かをきっかけに「他人を下に見ること」である。誤解でもこじ付けであってもいいのだが、「みんなを下に見ること=自分の優位性の確立」が差別感の発生のルーツであり、その感情が個人に向かえばいじめになる。
最近マスコミにおいて差別がよく話題になる。
そこでの論旨は、多くは「差別はよくないことだから無くそう」、「いじめを無くそう」などなど、結果として導かれる悪しき表面上の現状にだけが関心を読んでいる。
差別、いじめなどは人間の「自己の確立」にまで遡れるところに原因があるのだ、と深く掘り下げた記述はほとんど見られない。これらの抑制策が最も常識的対応として「人間は醜いものだ」、「残酷で冷たいもの」、「軽薄」・・・などとの論旨をみる。こんな考えのもとでは差別、いじめは無くならない。
私の結論は「差別感情は誰にでも必ずあるし、なくならない」、「いじめは複数の人間がいれば大なり小なり発生する。なくすることはできない」・・・に至っている。
差別感情は往々にして人を活性化する。差別感情は幸せ感をもたらす。
こう考えると、人は実に残酷な存在である。
その視点に立って「ならばどうするか?」の論点に向かねばなるまい。
家庭での子育て過程で、学校の教育過程で差別をするような指導や教育がなされていないのだろうか??私は危惧する。
家庭での家族間の対話など、多分、大人たちは差別感情ミエミエの話題で盛り上がっていることもあろう。子供達はそれを敏感に感じ取り、しっかりと身につける。親たちに、少なくとも子供の前ではそのような話題は控えるべき、との自覚はあるのだろうか。
私は最近の教育現場のことはよくわからないが、学校では知識、才能を伸ばす教育が中心であれば問題である。学校では、人はそれぞれ違うのだと多様性を教え込まなければならない。それが差別感を和らげると思う。
偉人の伝記など、並みの子供には受け入れ難い。偉人は例外中の例外の存在であることを教えるべきである。成績向上を第一に目指すなら差別感を作り出しているようなものである。
11/ 13(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、なんとなく体調不良、昨日のワクチンのせいか??5:30可燃ゴミ、前回受け取り拒否された金属類を細分化、一般ごみとして袋に入れて提出。7:35Taxi駅に、8:11こまち、大曲中通病院外来。体調?往復Taxi。秋田駅から徒歩。13:30-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ8586歩。
心理学を学ぶ(46) 「差別の心理」(15) 免疫的には他人を100%排除する
これまでの 「差別の心理」記載の中で言いたかったことは、
■ 人は心の動きとして他人と区別する「自己=自我」があり、
■ 更に、個々人は生まれつき平等ではないから置かれた立場に由来する差別感情が生じる。
■ その差別感情は個人の安全を守り、個人的アイデンティティとして生きるエネルギーでもある。
■ これを消滅させることはできない。
精神的・心理的に、人間は自我・自尊心の形成、それに由来する差別感情を持つことで自身を守っている。
精神・心理面で形成される「自己」は、他者に「不寛容」な「自己=自我・自尊」である。言い換えると、外部の別な存在である「他人・他者」に対してきわめて頑強な抵抗を示す。ただ、精神・心理面で形成される「自己=自尊心」は育つ過程の教育、環境などで修飾を受ける。だから一律でない、百人百様となる。
―――――――――――――――――――――――――――-
一方、身体的には絶対に他人を寄せ付けないという強固な免疫機構で守られている。この両者を対比して考えれば、人間はいかに他者を攻撃しながら自信を守っているのかがわかる。
要するに、私どもは、心理的には自我・自尊心の形成で、身体的には免疫的不寛容でガッチリと守られている、ということ。
―――――――――――――――――――――――――――-
人は、外来性の異物に対して免疫反応によって強烈に排除する機構が備わっている。この機構によって私どもの健康が守られている。
例えばウイルス感染が生じた際には1週間前後から免疫力が生じてウイルスが排除され、ウイルス感染は治癒に至る。簡単な単語で表せば自分自身は他者に対して「免疫的に不寛容」だからである。
免疫系において形成された「自己」は、
■ 他者に「不寛容」な「自己」である。
■ 言い換えると、外部から体内に進入してくる病原体、移植片などの「他者」に対してきわめて頑強な抵抗を示す。免疫系の「自己」である。
■ この場合の「自己」とは自分自身と一卵生双生児の同胞間だけで成り立つ関係であって、
■ 親子であろうと同胞間であろうと免疫学的には他人である。
このような「自己」は安定的で壊れにくいとされてきたが、近年色々解明されてきた。
現実的には「免疫的不寛容」状態だけではなく、「免疫的寛容」という一面もあり深い意味での機構は複雑である。しかし、免疫学的機構の解明とともに従来理解できなかった多くの疾患の解明が進んである。
一方、精神・心理面での自己についてはあまり知られていない。多くは「差別を無くそう」「いじめを無くそう」などなど、結果として導かれる悪しき現状にだけが関心を読んでいる。これらは人間の自己の問題に帰結する。
11/12(木) 終日雨 午後飯川病院 インフルエンザワクチン施行
0:30起床、新聞、文献PDF化など。午前はダリア球根堀一部、11:50バス飯川病院着。14:00勤務。ハイビスカス剪定、インフワクチン接種。自炊数冊準備。
19:00帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ10265歩。
心理学を学ぶ(45) 「差別の心理」(14) 今までの記述のまとめ
心理学を学ぶ「差別の心理」は14回目の記述となる。
以下にそれらの見出し題名のみ列挙してみた。
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0805 心理学を学ぶ(27) 「差別の心理」(1) 「偏見や差別」は生きるエネルギー源
0806 心理学を学ぶ(28) 「差別の心理」(2) 「偏見や差別」は社会集団にも生じる
0813 心理学を学ぶ(29) 「差別の心理」(3) 優位性の意識から
0814 心理学を学ぶ(30) 「差別の心理」(4) 自分の優位性、自尊心から
0819 心理学を学ぶ(31) 「差別の心理」(5) 自尊心=差別感 だから差別は無くならない
o820 心理学を学ぶ(32) 「差別の心理」(6) 「自分は常識人・・」、に由来する優越感
0827 心理学を学ぶ(33)「差別の心理」(7) 社会的立場に由来する優越感
0828 心理学を学ぶ(34) 「差別の心理」(8) 共同体帰属に由来する優越感(1)
0829 心理学を学ぶ(35) 「差別の心理」(9) 共同体帰属に由来する優越感(2)
1023 心理学を学ぶ(40) 「差別の心理」(10) 新型コロナと差別(1) 私の周辺では
1024 心理学を学ぶ(41) 「差別の心理」(11) 新型コロナと差別(2) 知識が差別行動を抑制
1025 心理学を学ぶ(42) 「差別の心理」(12) 新型コロナと差別(3)
1026 心理学を学ぶ(43) 「差別の心理」(13) 新型コロナと差別(4) 攻撃より寛容
――――――――――――――――――――――――――――――――
ずいぶん多項目にわたって記載したものである。私の好きな分野なので、筆が、キーボード打ちが進む。
これまでの記載の中で言いたかったことは、人は生まれ落ちて臍の緒が切られ、個人としての人生を歩みはじめる。世話を受けながら成長するが、心理的には自我の形成の過程を歩む。他人との間の違いを意識すること経て個人としての確立がなされる。要するに自我=自尊心の形成である。
自尊心の形成に加え、個々人が置かれた環境によって大きな価値観の違いが生じる。無垢の赤ん坊といえ、個々人は持って生まれた環境の影響を受けるから、この世に生を受けた瞬間から人間は決して平等ではない。この平等ではない立場が因となって差別感情が生じてくる。
だから、私は人間同士の差別感情はあって当たり前との結論に至る。その感情は生きるエネルギーでもあることから消滅させることはできない。しかし、それに由来する差別行動は教育、社会の目、法律などで抑制は可能である。
しかし、集団心理行動はなかなか抑制できない。
関東大震災では生命・財産に大きば被害を生じたが、第二の悲劇として差別感情による人身の錯乱があった。
11/11 (水) 曇り 古書店 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。データ整理など。ネコトイレ改修、11:00家人に送られブックオフ、10冊購入。13:30バス飯川病院。19:15帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計8940歩。
新型コロナ(83) 社会のあり方はコロナが変える
疾病の歴史上、明確に感染症との認識がなかった時代から地域封鎖は何度か行われてきた。ペストの例が最も有名である。
封鎖の意義を理解できずに強行突破した富裕層たちは世界中にペストを蔓延させた。多くの死体とともに漂流した幽霊船の話は私の子供の頃の読み物によく出てきて心躍らせたものであった。その歴史から学び取るべき教訓は多い。
今は新型コロナと共存せざるを得ない時代。命を守る一方で、経済再活性のために行動の抑制策は解除されつつある。しかし、何をやってもいいということではなく、自身が罹患しないよう自己規制が必要である。
少なくとも感染防御のためには3蜜を控えることしかない。他の防御に良いとされているもの、マスクなどは絶対効果はない。いや、マスクをしているから良いのだ、という安易な考え方がむしろ危険を呼ぶ。
欧米では、感染が再急増して変な状況にある。わが国でも同様である。詳細はわからないが、政治的に社会的、経済的活動の抑制を緩和したということは3蜜の機会が増すことである。最近の、TV、新聞等で垣間見る街頭の混雑の様子、個々人の行動様式など、私は危険を感じる。3密である以上に特定の個人と1対1の関係、よく「接待を伴う・・」とマイルドに表現されているが、不特定者同士の至近距離、スキンシップはもっとも危険である。
いま全国的にクラスターの発生が増えている。発生の環境因子の分析と対応が必要であるが、感染者の行動の是非についても分析してほしい。個人情報のために詳細は報告は得られない。感染した方々を非難はできないが、反省を促す要素は多々あろう。
人類の歴史上でスペイン風邪の経過を見てもそう思う。100年前のことであったが、収束に約2年かかり、その間5億人が罹患、3000万人以上が死亡したとされる。正確な記録はないようだ。なぜ収束したのか?よくわかっていないが、広範に罹患してしまったことで集団免疫が獲得されたこともあるし、ウイルスの変異もあろう。
新型コロナに積極的対応策はまだない。確立した治療薬もワクチンもない。基本は100年前と同じ。いや、当時より条件は悪い。
人間は都会に集中し、過密状態で旺盛に経済活動を営み、国際交流も盛ん。当時は交通は船舶、鉄道が中心であったが、今は航空機で1日で地球を半周できる。とても便利な時代になっているが感染症という立場では大きなハンディを背負っている。
今は急速な感染爆発を何としてもおさえなくてはならない。新型コロナ対策のために国の経済が破綻し、医療機関も破綻し、社会は泥沼化する。
感染爆発を抑える事が喫緊の課題として求められている。感染の抑制は流行を長引かす。2年余で収束したスペイン風邪よりも新型コロナの事態は深刻だと私は思う。
社会は短期収束を期待している。コロナ収束後の経済をどう立て直すか、などの論評も見られるが、まだまだ早い。今は感染抑制が第一である。オリンピック開催は無理だろう。その決断は経済を混乱させる可能性があるが、止むを得ない。
今後、新型コロナ感染がどのような経過を示すか、まだ明らかではない。
国の対策然り、教育界然り、産業界然りであるが、もっとスパンの長い状況を考慮して、ウイルスと共に生きるという、従来型の成長戦略あるのみという発想から離れ、新しい社会の構築を模索していかなければならない。
11/10(火)秋田初雪 早朝降雨のち快晴 外来 飯川病院
1:05起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:45可燃ゴミ提出。もう真っ暗闇の中の作業。ヘッドランプ改造要す。6:47バス飯川病院着。8:45-13:45中通外来。先週休日で混雑、疲弊。14:00飯川病院、疲弊して微睡やや長め。新聞、自炊数冊準備。19:10帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計10934歩。初雪、例年並みだが昨年より3日早い。
新型コロナ(82) 1月時点の予想と現況(5) 日米の政権はコロナが変えた
私は1月下旬に、過去の疫病の歴史から学んだ、「疫病は社会を変え、政治を変える・・・。コロナも・・・」と記載した。その後10け月経過し、ほぼそのような状況が日米で生じた。
■政治が変容するーーー実際に日本で変容した。
我が国で安倍政権から菅政権に変わった。
体調不良が主因と言われているが、私はコロナが大きな誘因になったと考えている。
1月以降、安倍政権は新型コロナ対策に対して数々の対応をしてきた。従来、経験したことのない新しい状況に対してそれなりに頑張ってきたとは思う。
武漢からの邦人帰国は大きな意味があった。
首相の対感染症の「緊急性、重大性の認識」に問題があった。感染症の専門家を集め、科学的判断意見をもっと参考にすべきであった。
私の目から見て、ダイヤモンドプリンセス号の対応をはじめとして、以降の対応は非科学的であり、場当たり的であった。
全国一斉の休校、緊急事態宣言の発令は、これだけ地域差が顕著な感染状況の中で判断の是非が問われたのは当然であった。
一律10万円の給付、アベノマスクの配布など安倍首相のコロナ対策は徐々に精彩を欠いて行った。徐々に安倍政権が発する対コロナ政策は影が薄くなっていった。有能な知事達の活躍が目立った。
このコロナ対策のミスリードが結果的にかなりのストレスとなり、病状の悪化につながり辞意につながったものと考えられる。
最近の我が国の感染状況は予断を許さないレベルである。
菅政権の対コロナ対策の方向性はまだ明らかではない。
■政治が変容するーーー実際に米国で変容した。
大統領選に臨んだトランプ大統領は、当初からのコロナ対策の軽視が重要な鍵となり支持を得られなかった。
米国は世界で最も感染者が多い。世界の感染者はついに5000万人に達したが、そのうちの20%を米国が占める。死者は30万ににも迫ろうとしている。
トランプ大統領のコロナ対策は当初から間違っていた。感情論でスタートした。非科学的であった。誰も提言できなかったのだろうか。
大統領自らも感染した。大統領に求められる危機管理能力は新型コロナだけではない。
にもかかわらず、選挙でバイデン氏とほぼ互角の支持率をえたのは驚きであった。
コロナ対策がもっと十分になされていれば、高年齢、押しが弱く、影の薄かったバイデン氏の勝利はなかった、と思う。
それにしても米国の政治基盤はどうなっているのだろうか。集会のたびに集まってくる支持者達、その反応はほぼ宗教的様相を呈している。熱狂である。トランプ教というべきである。支持者だけを集めて自説を誇示するだけの集会がなんと多かったことか。これではトランプ氏の考えが変わるわけはない。
などなど。疫病が政治を変えた。
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新型コロナ感染症の蔓延は世界的にあまねく共通する課題である。
しかしながら、その対策はバラバラである。いまこそ、大国の指導者が度量を示し、全世界的に責任を果たすべき時ではないか。WHOの存在意義も問われる。
11/09(月)曇り時々降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。新聞休刊日。6:47バス飯川病院、半袖では寒い。9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。14:00-18:45勤務。19:00通町書店経由帰宅、夕食。 21:00就寝。歩数計9773歩。
新型コロナ(81) 1月時点の予想と現況(4) 世界の感染者5000万人死者128万人。
新型コロナ感染症は我が国も国際的にも厳しい状態を迎えつつある。
我が国の感染者数は急増しつつあり、再度社会的抑制策が求められている。
■ 11月8日時点の国内感染者総数(死者)数。
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?変動した数値
??国内感染判明例 105.204人(死亡1.808人)
秋田県 67人
岩手県 29人
??空港検疫関連者 1007人
??入院療養中 6815人(重症183人)
??退院患者 95772人
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?変化のない数値
??ダイヤモンドプリンセス号関連 723人(13人)
??コスタ・アトランチカ号関連 149人
??チャーター機関連 15人
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全世界の感染者数
米ジョンズ・ホプキンズ大の集計では、11月10日世界全体の新型コロナウイルスの感染者は5000万人超、感染症死が世界全体で128万人超となった。WHOによれば、最近はインドや米国、中南米での死者が多く、1日当たり5000人前後に上る。
世界の感染者数、死者は増加傾向にある。しかも急増している。
感染の「第2波」に見舞われた日本では、8月以降も感染者数、死者数ともに微増傾向にあり、厳しい事態を迎えつつある。「第3波」を迎えたとの見方もある。
WHOは適切な対応を取らなければ死者は倍増すると警鐘を鳴らしている。現在のペースで増えれば半年後にも200万人に達する可能性がある。
いま何より求められているのは利害を超えた各国の協調である。こんな状態では東京五輪は望み得ない。
そうした中で我が国では全世界からの入国制限の緩和が開始される。
3カ月以上滞在する外国人が対象で、経済活動の再開が目的。しかし、世界の感染状況を見れば、安心できるタイミングとは言い難い。しかし、経済を動かすという社会的視点で見れば選択肢は乏しい。
その中で、欧州では感染拡大中。中でも感染者数が多いスペイン、フランス、英国で、経済活動再開の本格化とともに感染者が増えている。このため3国とも移動や飲食店の営業を制限した。
これは当然である。新型コロナ感染症に対しては、人的交流抑制、接触抑制、3密回避以外に効果を上げてはいない。
効果があると考えられている、手洗い、マスク着用、うがい、フェイスシールド、アクリルパネルの応用などは今できる対応の一つであるが、何にも絶対的効果はない。やらないよりはやったほうがいい、というレベル。
特効的治療薬とワクチンはまだないに等しい。
人的交流の再開は感染再増加の容認でもある。
今できることは、爆発的感染増加にならないよう、社会を、社会常識を再構築して中庸のレベルの人的交流で感染を低いレベルでコントロールしていくことだろう。
新型コロナに関して根拠なき楽観論は許されない。例えば、PCRを増やしても感染は抑制できない。
PCR検査が普及している諸外国でも感染抑制は出来ていない。コストと疫学的価値を考えれば意義は乏しい。
11/8(日)雨曇りと不定 ほぼ1日座学
1:30飯川病院、起床、新聞、文献チェック。自炊数冊化準備。9:42バス帰宅、睡魔に負けて微睡。次男一家がタイヤ交換で来たらしい。12:15NHKのど自慢見ながら新聞切り抜き作成、電子化。録音データ整理など。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計5832歩。
日本語2020(9):漢字、ひらがな、カタカナ、句読点などで世界一読みやすい
歳を重ねてくるにつれ、日本語に対する興味も増してきた。かつては多少間違った使い方があろうと無視してきた。自身が書いた文章等を見てもずいぶん間違った使い方をしてきていた、と思う。
同時に、最近は日本語の乱れにも気付く機会が増えた。かつては他の人に注意することなど無かったのであるが、最近は外来等で若いスタッフ達が妙な表現を使ったりしている場合、気になってソフトに注意している。
私たちは3種類の文字、すなわち、「漢字」、「カタカナ」、「平仮名」を駆使して日本語を書いている。これに加えて医学論文などは最小限ながら「アルファベット」も適宜用いている。外来語としてカタカナで表記するよりも原文に沿ってアルファベットをそのまま用いる方がニュアンスが伝わり易いことが多いからである。日本語は包容力が広く深い。
この様に3種類、ときに4種類の言葉を表している国は、私は無知にして判断材料は狭いが、恐らく日本語だけではないのだろうか。
漢字に関しては、他の国の事情は、
■ 韓国の事情はよく分からないが、ハングルと漢字は別々に使用されているらしい。両者を混在させて用いることはないとされている。公式な廃止はされていないが、独立以降、漢字教育は重要視されておらず、今では国民の多くが漢字を読めなくなっているとのこと。
■ ベトナムは漢字を廃止した。
■ 北朝鮮は公式に漢字を廃止し、国民には漢文の教育のみが行われている。
漢字、カタカナ、平仮名はそれぞれ辿ってきた歴史がある。私どもは、これらを適宜駆使して文章を書いている。この混在がとても心地よい。
現代人にとっては、漢字だけの文章は趣味の世界を除くと記述も読むのも不可能である。平仮名だけでも、カタカナだけでもとても読みがたい。カタカナだけで書かれた文学作品は谷崎潤一郎の瘋癲老人日記があるがとても読み難い。
英文の医学論文を読むときにページ一杯に変化の乏しいアルファベットがひたすら並ぶ。とてもとっつきにくい。英字新聞などもっともっと大変である。
この点、日本語は3種類の字体の混在がページ面に、新聞面に変化を与える。特に漢字の存在は、漢字自体に一見してわかる意味が込められているから、漢字中心に斜め読みしただけで文面の意味が大体分かる。
3種類の字体の使用は、言葉のニュアンスを伝えるのにもとてもよい。しかも、漢字をひらがな読み、カタカナのまま用いる方法もある。これによってニュアンスを使い分けることができる。私も「命」を「いのち」に、「心」を「こころ」、「ココロ」など適宜使い分けている。これで文面がかなりソフトになる。
日本語の良さを自覚して日本語を大切にしたいものだ。
11/7(土)降雨のち曇り快晴 飯川病院日当直
1:20起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。自炊5冊、木曜の金属廃棄は失敗、残されていたので回収した。次は工夫して一般ゴミとして出す。11:00雨中家内に同乗、飯川病院へ、12:00午後日直・当直に就く。患者は落ち着いている。12:00、18:00検食、20:30就寝。歩数計Σ4453歩。微睡を交え読書三昧で過ごす。孫が泊まりにきた、と。
日本語:日本語の中に浸透した変な敬語
文化庁は1995年度から、毎年日本語の乱れに関する調査を実施している。今年2-3月にかけて行われ、16歳以上の男女1994人が答えた。
2019年度と1999年度の比較では「日本語が乱れている」は約20%減り、逆に、「乱れていない」が約20%増えた。私の予想では年々「乱れている」が増えるものと予想しいていたが、調査結果は逆に減っている。
これに関する私の経験。
先日、「先にお送りした領収書に印鑑を押して当方に送っていただくのは可能でしたでしょうか?」と変な文面のメールがきた。「印鑑を押して送っていたけませんか?」の意味らしい。
「可能でしようか?」は今流行なのか。
同様に「・・・していただいてよろしかつたでしようか?」もよく聞く。これも過去形十疑問形にしている。不自然であり、「していただけませんか」で良い。
「・・方」も流行っている??例として「コーヒーの方でよろしかったでしょうか?」も流行している様だ。「ご注文のコーヒーに成ります」というのも変。待てば「そのうちにコーヒーになるのか?」と思う。
先日大曲中通病院での経験。
外来診察の前に毎回健康診断受診者の診察が数名回ってくるが、担当事務の方が毎回「健康診断の方、お願いしてよろしかったでしょうか??」と丁寧に尋ねてくる。前々から気になっていたのである日「ダメです・・」と答えたらとても困った表情で絶句していた。断られることなど考えずに尋ねたのであろう。「良いかどうかを尋ねたことは、相手に断る自由も委ねること。聞き方がおかしい、業務上の依頼なのだから、健康診断の診察をお願いします、と言えば良い」、と注意した。
この話はそう大袈裟に考える必要はなかったのかもしれない。20代の若手事務員が素性の知れない非常勤の高齢の医師に対して無理無理敬語を使おうと緊張した結果、だと思う。次からは「検診の診察をお願いします」と言います、と言っていた。
ある知識人が「耳障りのよい言葉」を使いましょう、と言つていた。最近では同じ読みで反対の意味の「耳障り」と「茸触り」の2種あるらしいが、「耳に心地よい言葉」と言えば良いのではないか?
最近の日本語の乱れを考えるときに「過去形十疑問形」にする日本語は実に不自然である。日本人から出たのではないのでは??とも言われている。コンビニなどでは外国人が多くバイトしているが、彼らが用いたのが広がった?とも見なされている。真偽は不明。
11/6(金)早朝降雨のち曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、データ整理。新聞処理。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅、こまち。徒歩病院へ。8:50-12:00大曲中通病院外来。復路Taxi。駅前の茶店でコーヒー。13:30徒歩飯川病院着、14:00-18:45ボランティア。19:10帰宅、夕食。21:00就寝。 歩数計Σ109740歩。
日本語:カタカナ語氾濫だけではない 日本語の中に浸透した新カタカナ語
文化庁は1995年度から、毎年日本語の乱れに関する調査を実施している。9月25日に昨年度分の報告があった。
各論は別にして、全体的に見て、2019年度と1999年度の比較では「日本語が乱れている」は約20%減り、逆に、「乱れていない」が約20%増えた。私の予想とは逆になっている。
同庁国語課は、スマートフォンやSNSの普及でブログなどで多くの人が文章を発信する機会が増え、素人が書いた口語に近い文章がかつてないほど大量に飛び交って、多様な表現に触れやすくなり、辞書などで本来の意味とされるものと違うと思っても受け入れやすいのではないか?
日本語への要求水準が下がり、寛容というより雑になった、とみる。
SNSでは、多少間違った表現があっても素早く返事をすることが求められ、吟味され機会がへり、こうあるべきだという意識が社会全体でゆらいでいることも影響したのでは? 某識者はコメントしている。
「インバウンド」など、本来の意味ではないが立派に通用している。
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文化庁が世論調査は、近年よく聞かれる「○活」、「〇〇ハラ」という新しい麦現についても調べている。5割以上の人が自分も使うし、8割以上が他人が使っても気にならないとした。日本語の中に浸透したいることが示された。私も「終活」を頻回に用いている。
近年、就職活動という言葉を頻繁に使うようになった結果、短縮した「就活」という言葉が広まった。何かのために一生懸命努力すればいい結果が生まれる、という前向きな感じがし、人に訴える力がある言葉として人気になったとみる。
その後、「婚活」、「終活」が登場した。
「〇〇ハラ」は性的嫌がらせ、セクシャルハラスメントから始まった様に思う。もともと冗談めいたニュアンスで交わされていた性的嫌がらせを「犯罪にも相当する重大な地位に高めた」言葉だつたと指摘する。「それは性的嫌がらせです・・」というよりは「セクハラ」という方がはるかに言いやすいし、軽薄でもなくなった。
「〇〇ハラ」は重要な概念だけにどんどん使われ、「セクハラ」は社会的地位をえた。その後に「パワハラ」などが次々に生まれ、平成以降に生まれた新日本語として重要な功績を果たし、日本語の中に根差した。
こう考えると、カタカナ語を目の敵にするまでもない、と思う。
11/5(木)早朝降雨のち晴れ 飯川病院午前ボランティア+午後勤務
1:00起床、文献・新聞チェックなど。新聞・文献入力、自炊数冊。読書など。6:00金属類廃棄物提出。11:00バス飯川病院着、ボランティア。14:00勤務、外来+入院患者対応。微睡、14:00-18:55勤務。19:10帰宅、19:30夕食、21:45就寝。歩数計Σ6893歩。
日本語:カタカナ語氾濫に思う。 もっと綺麗な日本語があるよ!!
最近、日常のなかにいわゆるカタカナ語が急に増え、宣伝文句などにも英語、カタカナ語が使われることが多くなって、違和感を覚えてきた。一見インパクトがあるような印象を与えるからなのだろうが、もっと心に染みる様な日本語があるのではないか??
カタカナ語氾濫は結構前からあって不快に思っていたが、この5年くらいで急に増えた。だから、もう今は違和感というより不快感に変わつてきている。
「ローカルコミュニティーエリア」「エイジフレンドリーシティ」(2)「デスティネーションキャンペーン」
なぜそう思うか?
自分はそれほど英単語を知らないわけではないのだが、最近の新聞は辞書を必要となっている。より高齢の方々、英語が不得意な方は困っていないだろうか。
もつと解りやすい日本語を選び、用いよ、と言いたい。
何でこれだけカタカナ語に置き換えるのか??
その理由はなにかというと以下が挙げられよう。
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■1 その英語に相当する日本語がなく、それを無理に日本語にすると元の意昧とは別の意味になってしまう。――-これはやむなし。
■2 英語で言った方が格好いい感じがする。――-大部分はこれだろう。
■3 日本語で言うとその意味が明らかすぎて口にするのも聞くのもつらい。
■4 カタカナ語で言うと意味が適当にぽやけてあまり現実味がなくなるから。
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■1 以外はやむない。
■2 は軽薄、不真面目、怠惰というか。マスコミも、識者も専門家も何考えているのかなと思う。言語学者は?
■3はセクハラ、パワハラなど。これは有用。
間違った置き換えもある。
例えば、インバウンドって何か?
外国からの訪問客を示しているらしいが、本来この言葉には旅行者という意味はない。誰かが誤って使い始めたのを、物珍しさもあって、ロクに意味も調べずに次々と広がってしまたのだろう。今はNHKも新聞も他のメディアも汎用、頻用している。
詩歌などで経験するのであるが、言葉が人の精神や行動に深く影響を及ぼしている。
私には難しいことはわからないが、言葉の乱れは人間関係にも影響し、社会全体も悪しき方向に向かわせないだろうか。残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖いhttps://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20170706
私はカタカナ語をできるだけ用いないように心がけている。適当な日本語を探してみつからない場合は呻吟した上でやむなくカタカナを用いている。
意固地になっている、と自身を思う。
11/4(水)降雨嵐 飯川病院ボランティア
0:30飯川病院起床。新聞・文献、録音データ編集他。徒然など。当直明けなるも天候不順のためそのまま飯川ボランティア、インフル予防注射など4名ほか外来患者対応。微睡、新聞データ化。19:00プリ同乗帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ5483歩。
?日本語:最近、辞書で調べたカタカナ語2020(6)
近年、日本語が「カタカナ化」される傾向が大い。私はとても残念なことだ、と思っている。
カタカナ語を好んで用いる方々は、かっこいい表現と考えているのではないか??と思う。これにメディアが、各界の専門家が、識者と言われる人たちが、無批判に便乗利用している。
最近のカタカナの氾濫は、異常でないか?
日本語に興味を持ち、できるだけ標準的な日本語を使いたいと思っている立場からは残念なことである。難解なカタカナ語は高齢者いじめにも当たる。
昨年10月以降、新聞紙上、あるいは雑誌、医学文献などを読んでいて、
■意味が取れなかった単語
■日本語表記できるのに無駄に置き換えられている単語、
■何でここでカタカナ語が使われなくてはならないのか?と疑問に思った単語を集めてみた。
1回目 2019年12月20日 24語老医のつぶやき2019(15) 最近意味がわからなくて辞書で調べたカタカナ語
2回目 2020年01月30日 38語老医のつぶやき2020(1) 最近、辞書で調べたカタカナ語(2)
3回目 2020年03月27日 24語老医のつぶやき2020(2) カタカナ語(3) 河野防衛相も疑問に思っている
4回目 2020年08月01日 34語最近、辞書で調べたカタカナ語2020(4)
今回は5回目。2000年8月以降本日まで以下の21単語を抽出した。
一つ一つの意味は省略する。
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アフターコロナ
ポテサラ
ステレオタイプ
バックパッカー
エスピオナージ
アーキビスト
ニューノーマル
スピンオフ
アディクション
アルゴリズム
ボーイズラブ
ラブフォビア
アドヴォカシー
アドヴォケイト
ホモフォビア
オワハラ
デジタルガバナンス
サステナブル
マルジナリア
オウンドメディア
11/3(火)文化の日 曇のち快晴夕方嵐雷鳴 飯川病院日当直 レセプトチェック
1:00起床。文献、新聞・徒然など。6:00家庭ゴミ、先週用意した6袋まとめ提出。8:42バス病院。9:05飯川病院日当直勤務に就く、入院患者は落ち着いている。12:00、18:00検食、16:00外来レセプト点検。18:00突然の嵐状態に。雷鳴と電光。30分ほど。20:00就寝。歩数計Σ7682歩。
当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」20年目のスタートを迎えた(3) 雑感その3
■ 人生100年時代というが、私はもう時間が乏しくなってきている、と実感する。先のことは誰にも、私にもわからない。
よしんば、もし生きながらえたとしても、身体機能、知的機能は必ず劣化していく。現実的に、視力障害が著しい。ちょっと先取りして運転免許証は返上した。
■ 「可能性が一番豊かなのは今日なのだ」、と考え、生活の時間配分、終活作業にも力を注いでいる。
■ 終活として、CDを全て電子化した。
今は書籍の電子化、すなわち自炊に集中している。
自炊作業にも火がついたが、同時に読書欲にも火がついた。最近は読書のための時間確保に四苦八苦している。自炊データはiPadで読む。じっくり読み返すのもあるが、虫食い的に拾い読みしているのもある。
また、古い書籍がたくさんあるのに、今だに書籍を購入し続けている。古本の場合は訪れる度に10-20冊単位で購入する。すぐ裁断、電子化する。この作業が終了したらまた購入である。
最近の青春小説は面白い。還暦で青春化したのかな??ジェンダー関連の感覚を得るために女流作家の書く評論、随想も読んでいるが面白い。
■ 現在、古くなった家財道具を解体して廃棄、趣味の木工用材料の廃棄に手をつけた。
■ 私は外来診療を除くと100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが辛く、嫌になった。ヒトと会話すると不快な後味が必ず残る。それが嫌。最近始まった事ではない、若い頃からそうだったがずっと耐えてきた。
生者との付き合いは文章、書面上なら耐えられる。私は、生者より死者が好き。改めて親しみを感じる友(?)となる。近年、知人がずいぶん亡くなった。
■ 私の文章は、私の文章とは言い難い
私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘する。だから、普段はパソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
かつては辞書を引くのが好きだった。今は辞書は滅多に利用しない。自動的に漢字変換されるからそれに任してしまう。なんか気持ちが悪い。
電気とパソコンと、他人の技術を利用して文章を作っているだけ。とても自分の文章とは言えない。この点はやむを得ないが、残念だと思う。
■ 私のブログは自身の日記的なもので、子供たちへの生存報告が大きい。
他の効用のひとつは、淡々とした生活の中にちょっとまとめてみようか、と思う話題が見つかること。言い換えれば、淡々・漫然とした暮らしの中でお宝探しをしているようなもの。
私は起承転結の形式が好きだからつい冗長になる傾向がある。
また、一つの話題を調べる過程でたくさんの枝葉が出て新たな果実がうまれてくる。それもまた楽しい。
自己満足の世界であるが、1日に一つ、その時々に浮かんだ項目をまとめる作業は実に楽しい。
ただし、確実にストレスの元にもなっている。
11/2(月)夕方まで降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。6;47バスにて飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名。判定14名。11:50飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。入院患者対応、散水ほかいつもと同じ。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ7711歩。
当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」20年目のスタートを迎えた(2) 雑感その2
20年目のスタート日の雑感その2。
(1-2)なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けているか? 何のため??あくまでも自分のための作業。
それには厳しい背景がある。
■継続は力なりーー私はこの言葉が好きで、継続のいちばんの理由なのだが、いじけた性格の反動でもある、とも考えている。だから、安易にやめられない。
■記録に頼らねば記憶が保持できない
私は内臓されている記憶装置が劣化して記憶の蓄積や保持が困難になった。記録がないと全て忘れる。忘れてしまえば、自分は無為に生きたことになる。このHPは、徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。
■忘却防止のため。
思うだけ、考えるだけでは考えはすぐ霧散する。だから気になったことはメモを作り、その中の一部を文章化しておく。文章化することで固定される。それらはハードディスクに電子データとして蓄積している。
その代わり頭は空っぽ。
■生活記録、小文は自史資料としても貴重
私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、読後の感想など。覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。これがとても有用。
新聞スクラップに関しては2008年から1日もかかさず作業しているから20万枚分。
何か調べたいことがあると、まず自分のデータに検索をかける。19年分6000項目以上もあるから役立つ。
それから新聞のスクラップに検索をかける。ブリタニカは昨年廃棄した。
■自分だけの、毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。昨年8月からは木曜午前の外来診療も無くなった。これで読書などに使える時間が増えた。読書量も増えた。読後感想も増えた。
■孫を含む家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。後者に関しては時にコメント。
■興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを新聞、文献、書籍を介して味わう日々である。
■自分の弱気、体力低下に抗する毎日
私は人と競争・抗争は好まない。対話も好まない。だから、他人と会話することもなくなった。現役引退後は隼引きこもり状態である。
対話はもっぱら7匹のネコども。
私の競争・対話の相手は私自身。抗する対象は私自身の弱気。
体力も落ち、気力も低下しつつある。徒歩通勤は片道60~70分であったが、昨年止めた。往路はバス通勤が中心になった。
最近はなんでも安易な方向に流れそう。それに抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱なども意識する。
このHPの更新はいつまで出来るか分からないが、私の気力、体力の総合的バロメーターである。
11/1(日) 曇り小雨終日、
1:30起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。10:00ガレージ整理廃棄準備。昼食軽く取り微睡、14:00-16:00ガレージ整理追加。可燃ゴミ10袋ほどになった。徐々に廃棄する。新聞チェック、自炊数冊。19:00出前寿司で夕食、新型コロナ関連の食事券で半額で済んだ。ちょっと違和あり。20:30就寝。歩数計Σ7358歩。
当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」20年目のスタートを迎えた(1)
当ホームページ「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満19年を迎えた。本日は20年目のスタート日となる。
抜粋版「雑記帳Blog」は満16年目、「インスタグラム」は3.5年程である。
20年目のスタート日の雑感。
変化に乏しい日々の積み重ね。毎年似たような感想になる。
(1)なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けているか? 何のため??
「継続は力」、この言葉が好きだから。この1年間、何とか連日で更新できた。まずまずとその達成を一人で悦に入っている。駄文は自分のために続けている。
記憶できなくなったから記録している、ということもある。
(2)私は意を決して始めた事はなかな止めない。
生活習慣として続けている項目を挙げれば、以下の如く。
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■ 生活記録は50年以上、うち18年間分がこの徒然として記述している。
■ 1:00amに起き出す早寝早起き習慣は約30年超。
■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は10年超。そのうち6割方聴いている。
■ 岩手へ復興資金寄付は9年。
■ 音楽番組録画の視聴8年。
■ 終活、特に書籍の電子化と廃棄は9年。今年から家財道具の整理に集中している。
■ 準引きこもり状態は9年。
■ 徒歩通勤は、5.5年続いたが一昨年健康上の支障があってやめた。
その後もできるだけ歩くように心がけ、本年1月伊能忠敬の足跡を追ったゲーム上で日本一周を達成した。そのまま2週目に入った。
本日で、徒歩集計開始後2768日経過し、歩数Σ2.609万歩、距離Σ20.873Kmに達した。現在、2回目の岩手県に達している。
■ 無精ヒゲ8年続けたが、新型コロナ対策のためにばっさり落とした。マスクが髭で浮き上がりマスクの機能が発揮できないからやむを得ない。
■・・・などなど。
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他人に全く影響を与えることのない一人だけの世界を楽しみ、自己満足にどっぷり浸っている。
ただ、最近「雑記帳Blog」の連日更新はちょっとあやしくなってきている。
加齢による意欲減退もある。
春から秋にかけては園芸・畑作業に時間を要する。今年はダリアの栽培に集中、見事に咲いた。
終活を兼ねた書籍や文献の自炊作業が読書欲に火をつけた。フリーの時間はほとんど読書に充てている。
自分に負荷している習慣をこなすのに1日24時間では足りない。でも、そんな考えはやめた。全体をミニ化し、休息を大事にしていく。
(3)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に・・・
最近、医学関係分野の勉強時間は少なくなった。もちろん最小限は維持しているが。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |