徒然日記
2020年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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10/31(土)晴れ ガレージ整頓、物品廃棄準備  
 1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。午前はダリア補修作業。午後はガレージ整頓、物品廃棄準備。15:00書斎整頓、ストーブ点火準備、廃棄物多数準備。16:30読書と微睡。音楽関連の録画視聴。データ整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ9642歩。

本 山田詠美著 小説「つみびと」中央公論社 2019 
 本書は虐待ー大阪二児置き去り死事件」からインスピレーションを得て書き上げた小説、フィクションである。
 
 著者の山田詠美氏は1959(昭和34)年生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞。1987年には『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞。1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞を受賞。現代を代表する人気作家の一人である。

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 本作のモチーフは、2010年の大阪二児置き去り死事件。
 参考文献として 杉山 春著のルポ「虐待」が挙げられている。本書はあくまで、作者目線の創作小説。悲惨な事件の報道では、娘が何故そこまでひどいことをしたのかは理解できなかったが、登場人物が巧みに関連つけら説明されている。双方を読めば事件の理解がしやすくなる。

 育児放棄などの母親たちにまつわる問題だけでなく、DV、性的虐待、子どもの人格否定、マザコン、性を媒介に関与する男たちの罪深さ、が多様に描かれている。

 ストーリーの構成として、■ 子供を放置した娘の母、すなわち祖母 ■ 子供を放置した当該の娘、■ 死亡した幼児、の3者の視点から事件までの経過が語られる。
 祖母と娘は子供時代から「自分は守られていて安心できる。」という感覚を欠く家庭での生活が描かれ、この辺から事件の芽が始まっているように思われる。

 今、フィクションという形で関係者が互いにつながった状態を読み、罪を犯した娘がその奥に何を抱えていたかを少しだけ理解はできたような気する。

 この物語を通じて、セフティーネットがない日本の社会の現実、「公助」がいっそう注目されるべきだが、日本人は他者を思いやる想像力を失い、冷たくなった。
 「自助」が「自己責任」と名前を変えて押し付けられるようになった。

 「真のつみびとは誰なのか」。
 虐待や貧困といった不幸は世代間連鎖する。人は生まれた環境によってスタートラインが各々異なる。
 苦境に陥っても助けを求める声を上げることもできず、ただ逃げまどい、あるいは立ちすくんで何もできない。犠牲になるのは、女性や子供という弱き者たち。

 著者は母親だけに責任があるのではなく、様々な負の連鎖が積み重なって事件が起きたと考える。虐げられて、精神に異常をきたした祖母、粗野な男達に、都合のいい女として利用されてきた母親の心の叫びが、著者の多彩な表現で描かれていく。

 こんな事件が生じた際に「自己責任」と責めることは簡単。しかし、それは何の問題の解決にもならない。 女性たちを責めて追い詰め、重い判決を下しても、何も変わらない。そこまで追い詰めた環境にこそ、そういう日本の社会そのものこそ第一の原因がある。

 このような悲劇を減らすためにはどうすべきなのか、
 筆者はこれまで語りえずにいたあらゆる事柄を言語化して、代弁している。


10/30(金)早朝降雨以後曇り雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30飯川病院起床。文献、新聞チェック、徒然。可燃ゴミ出せず残念。7:45徒歩駅に。
8:11こまち大曲、9:10-12:00外来、比較的暇。往復徒歩。秋田降雨でTaxi、13:30飯川病院ボランティア。19:30通町書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計11568歩。

本 杉山 春著 ルポ「虐待ー大阪二児置き去り死事件」ちくま新書 2013(2)
 風俗嬢のシングルマザーは男友だちと1力月以上も遊ぴ回り、その間1歳と3歳の子ども放置し、餓死させた、大阪でのネグレクト事件。

 事件1年ほど前に離婚したが、それまでの母親は、布おむつと母乳にこだわり、家事育児がんばっていると夫や義理の母親から高い評価を受け、地域の子育てサロンにも積極的に参加するなど孤立とは無縁の母親だった。

 著者はそれまでの母親像と、虐待死させた母親像の落差を埋めようと、母親がたどつてきた家族関係を中心に調査している。彼女の実母が失踪したり、交友関係に問題があったり、成長段階に問題があった、と類推できる。

 結婚後、彼女やその夫を巻き込んできた家族関係の厳しさ、さらには、ドロップアウトを許さない社会という背景を浮かぴがらせようとしている。
 誰でも同じ状況に陥っていたかもしれない。事件の詳細を知ったシングルマザ−たちの多くはそう思うだろう。本著作の問題提起はそれだけでもこのルポは成功を収めている。
 しかしながら、家庭環境に恵まれた人はなかなかこの母親の行為を受け入れないだろう。

 このルポと事件が私たちに投げかけたさらなる重要な視点は、風俗産業と貧困問題の性を介した深い結びつきである。
 市場規模が数兆円とされる風俗産業は、今や若いシングルマザーたちにとって収入を得て生活を維持するための職の重要な供給源となっている。
 ひとり親の貧困率はこの30年間ずっと50%を超えている。そんな中で、シングルマザーたちが良い母親でいようと弱音を吐かず働く。
 しかし その踏ん張りは時にもろい。だれで状況によっては崩れてしまう。
 さらに問題なのは、彼女たちのもとで、何十万もの子どもたちが危機にさらされていることだ。
 そんな現実に、誰も気づこうとしない。これこそ社会全体のネグレクトである。シングルマザー対応は喫緊の課題である。

 ネグレクトされ、餓死させられた子どもたちを取り巻く大人たちも同様におかしかった。
 離婚の際などに離婚後の母子の将来を采配してやる責任感がある大人がいなかった。慰謝料、養育費も話題になっていない。母親も父親も祖父母も誰も育てることができないと討論しながらも、現実に誰も向き合わない。子供たちが施設で暮らすことをアドバイスする者が誰もいない。不思議な、無責任な人たちの集まりである。

 その中で彼女はこれら家族たちには頼らない、との決心を持って生きていた。だがそのの決心は折れた。一方で、公的援助などに対する知識はあまりにも乏しかった。

 ■ 他者からの支援や援助をうまく受け止めること。
 ■ 困ったときに他者に自分から困っていることを発信すること。

 現代の奈落に落ちた母子の悲劇をとおして女性の貧困を間う渾身の書である。

 作家の山田詠美氏のがこの事件からインスピレーションを得て小説「つみびと」を上梓している。


10/29(木)曇り時々雨 散髪、古書店、午後飯川病院 当直
 1:30起床,新聞・文献チェックほかいつものごとし。ダリア花勢の衰え、世話。段ボールカット廃棄準備。10:30家人に同乗、土崎の3Qへ散髪。11:00BookOff飯島店、10冊購入、砂山より12:12 バスで飯川病院。13:00飯川病院。外来、入院患者対応。読書、17:00当直勤務に、18:00検食、19:45就寝。歩数計Σ8715歩。

本 杉山 春著 ルポ「虐待ー大阪二児置き去り死事件」ちくま新書 2013(1)
 私は社会を震撼させた事件の追跡調査書が好きだ。私は事件ごとに、社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。
 ある事件が生じた際、時間と共に報道されなくなる。調べても当時の資料が十分の入手できるとは限らない。その点、本書のような資料があればとても参考になる。ただし、読むにあたっては一人の著者の視点からの一つの解釈であることは忘れていない。
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 著者の杉山 春氏は、1958年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌編集者を経て、フリーのライターに。これまで、子育てや親子問題、あるいは子殺しなどをテーマに取材・執筆をしてきた。
 著書に、本書のほか以下のものがある。
 ■『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか』 小学館文庫
 ■『自死は、向き合える 遺族を支える、社会で防ぐ』 岩波ブックレット
 ■『家族幻想 「ひきこもり」から問う』 ちくま新書
 ■『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』?  朝日新書

 私は差別、DV、児童虐待、いじめ、女性の貧困などに興味がある。文献を通じて勉強中である。氏の作品は3冊所持している。読むごとに現実の厳しさを思い知らされる。

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 2010年夏、3歳女児、1.9歳男児の死体が大阪市内もワンルームマンションで見つかった。子どもたちは猛暑の中、エアコンもない部屋で、堆積したしたゴミの中で服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。子どもの体は腐敗し、一部白骨化していた。

 母親は離婚後二人を連れて大阪に。風俗店に勤務していたが、子どもに最小限の水と菓子袋を与えただけで放置し、客と遊び回り、その状況をSNSで元家族、友人たちに発信していた。母親は数日間子供の元に帰らなかったのはザラであった。調理道具は一切なく、コンビニやスーパーでの出来合いの食品のみを与えていた、という。母親が最後に部屋を出たのは遺体が発見される50日前だったという。事件が発覚するまで子供相談センターは十分関与できなかった。事件後センターには1000件ほどの抗議があったという。

 裁判で母親に殺意を認め懲役30年の刑が下った。この種の犯罪としても異様に厳しい判決である。

 なぜ幼い二人は命を落とさなければならなかつたのか、それは母親一人の罪なのか?? この点を明らかにするために著者は事件の経緯を追いかけ、母親の人生をたどることから原因を分析している。

 誰かがこの子どもたちに、母親に手を差し伸べるべきだったのだ。
 母親を厳罰に処す事が問題の対策になるとはとても思えない。


 10/28(水)曇り 飯川病院ボランティア
 1:30病院で起床,文献チェックなどいつものごとし。ラジオ深夜便聴きながら読書他。家内は5:00死亡ありtaxi出勤、家人に送られ11:00BookOffドンキ店経由にてバス12:30飯川病院、ボランティア。10冊購入、外来インフルエンザ2名、病棟10名。データ整理、読書。19:10Taxi通町経由帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ8714歩。

本 正高信雄著 「0歳児が言葉を獲得するとき」 中公新書 1990
 かつて「子どもの心理」について興味を持って文献で学んでいた時に、新生児の言葉の獲得に関する項目で参考にした書である。ちょっと古いが、同類の新しい文献が見つからないので再読してみた。

 著者の正高信雄氏は1976年大阪大学人間科学部行動学卒業、現在京都大学霊長類研究所教授。ヒトを含めた霊長類のコミュニケーションが研究分野。

 同氏の著書に以下のものがある。このうち何冊かは所持している。
 ■『ヒトはなぜ子育てに悩むのか』講談社現代新書
 ■『いじめを許す心理』岩波書店
 ■『ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊』中公新書 
 ■『考えないヒト ケータイ依存で退化した日本人』中公新書 
 ■『ヒトはなぜヒトをいじめるのか いじめの起源と芽生え』講談社・ブルーバックス
 ■『ウェブ人間退化論 「社会のIT化」は「サル化」への道!?』PHP研究所
 ■『ゲームキャラしか愛せない脳』PHP新書 
 ■『コミュニケーション障害 動物性を失った人類』講談社・ブルーバックス 
 ■ そのほか・・・・多数。
 
 私は虐待、いじめ、ヒトのコミュニケーション関連の心理に興味がある。一方、今でもゲームやネット、TVなどの映像による娯楽は受け入れることはできない。コミュニケーションツールとしてのSNS、Twitter、フェイスブックの意義もあまりわからない。この付近の私の考え方に近いように思える著作が多く、興味を感じている。

 本書は、筆者がご自身の研究テーマとして行ってきた、赤ちゃんがことばを獲得するまでの行動の研究、さらには霊長類のコミュニケーションに関する研究結果を、解説したものである。本書で扱っている「赤ちゃん」とは、喃語期、喃語とは乳児期の赤ちゃんが発する二つ以上の音からなる声、に入るまでを対象としている。この間に、喉頭部の形態の変化がある。クーイング、母音様の重要性、模倣などについて、実験成果に基づいて、論理的に解説している。

 子どもは、生後2け月頃から声を上げてコミュニケーションを図ろうとする。満1歳頃から大人が意味を理解できる言葉を発する。その後、言葉によるコミュニケーション能力を急速に発展させ、親を喜ばせるが、実際には生後間も無くから授乳を通じて母親とコミュニケーションを始めている。これは驚きであった。
 社会的動物をしてのコミュニケえーション能力がこれほど早くから備わっている生物はいない、と著者は実験結果をもとに提示する。

 新生児は視力が発達していない。意外と見えていない。視力が大人並みになるのは幼稚園期とされる。そのため、聴力を使って親とコミュニケーションをとる。
 赤ちゃんがどのようにしてことばを獲得していくのか。生まれてすぐ,お母さんから授乳してもらうときに既にことばの獲得への準備は始まっている、と著者は言う。

 例えば、母親の乳首を吸うパターンは一定のリズムがあり、赤ちゃんから能動的に刺激を与えている、という。おそらく遺伝子レベルでインプットされていると思われる。母親も意識するか否かはわからなくとも、赤ちゃんを揺らすことでこの刺激に応じていて、両者の間でコミュニケーションが取られている、という。

 新生児と母を対象に実験しているが大変だったと思われる。だから、他の一般の実験とは異なり実験対象数は少ない。その中から結論を導いていく技法には頭が下がる。このような研究はかなり地道な実験と観察が必要である。

 また赤ちゃんは乳を吸っている最中にも鼻を通じて呼吸が可能だとのこと。知らなかった。

 などなど、人間の言葉によるコミュニケーションは外から与えられた刺激によって発展するのではなく、赤ちゃん自身が能動的に求めて体得する機能であることが理解できた。その求めに十分応じてあげる必要がある。
 この本を通じて、あらためて、育児の面白さ、大切さを認識できた。


10/ 27(火)曇り夕方から雨 外来 飯川病院午後勤務 
1:30起床,文献チェックほかいつものごとし。6:00可燃ゴミ提出、雨にてレガシー。木片廃棄開始。6:47バス飯川病院着。8:45-13:30中通外来。内容的に混雑。14:00飯川病院、勤務、入院患者対応。インフ6名、15:30微睡、17:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ10267歩。

心理学を学ぶ(44) 「子どもの心理」(4) 子育ては親も育てる
 大学卒業してからおよそ15年もの年月、大部分を秋田大学第3内科で過ごした。診療と研究の領域は大人の血液疾患とその基礎的な研究であった。

 私はこの間3人の子供に恵まれたが、共稼ぎであった私どもに、住み込みで子育て、家事一般を担ってくれる人材が見つかった。家内の実のおばさんにあたる方である。だから、我々夫婦は育児の負担は軽かった。私は、父親としてかなり参加したと自負しているが、家内たちの評価は極めて低い。

 本当のことを言えばこの間、親としての責任感による子育て参加が主目的で、当時は子どもの発達に興味は抱いていたものの、時間的に余裕がなく、観察などは皆無で、おとなの疾患ばかりを対象に研究してきた。
 今から見れば新生児の発達過程を観察するいい機会が与えられたと思うが、自分の子供たちの育児過程ではその観察の機会を逸してしまった。

 それが赤ちゃんの発達過程に関心を抱いたきつかけは孫の誕生であった。
 新生児の発達過程に対する関心は急速に高まったが、次男の孫の場合は、同居してないいわゆる外孫に相当する。たまに来てくれて泊まっていくこともあったが、世話する機会も少なく、新生児期の発達過程を観察するには不適であった。

 たまたま、長女が里帰り出産で娘を生んだときに、家内が健康を害したこともあって産後4ケ月ほど我が家で過ごした。その間、嬉しいことに孫の成長過程を観察できた。泣き声を聞き、ミルクを与える、おむつを代え、おふろに入れるうちに、何という不思議な生き物だろうと感じるようになった。やがて、もつと本格的に勉強しようと考え、新生児の発達過程の書籍を数冊買い込んだ。

 世間では、子どもは欲しいが、子育ては大変だという女性の意見をよく耳にする。若い夫婦のあいだに子どもができた場合、近年は核家族での子育てになるから、負担の比重はなんといっても母親のほうに圧倒的に大きくなってしまう。
 しかし、手間のかかる赤ちゃんの世話を、もし、しないで済ませられるならばそれに越したことはないと考える逃げの発想は、われわれ大人にまったく別の世界への目を見開かせてくれる絶好の機会の目をつんでしまう。
 いまさらながらそう感じている。

 社会に出て慟く女性にとって子どもを持つことは心身体を疲労させ、時間を拘束する。けれども子育てにはさまざまの苦労を埋め合わせてなお余りある、われわれを人間として成長させてくれる可能性が付与されているように思う。

 それを巧妙に乗り切ったとき、女性は社会のなかで単に男性並みになるのではなく、自らの性の特性を活かして活躍できるのではないだろうか。それが真の男女共生社会となる。

 一人の子を育てることは、三人の子を育てることと同じである。
 親にとって、一人の子供を育てると言うことは、
 ■ 目の前にいる子供、
 ■ 理想の子供のイメージ像、
 ■ 自分の子供時代の像、
の三人の子供達の姿を通じて、親が自分自身の成長を一緒に楽しむ過程であり、いわば人生そのものの学習と言っても良いと思う。


10/26(月) 曇り快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 2:00起床。録音データ、画像データ整理、歴史本を読む。6:47バス飯川病院、9:00-11:45健康クリニックドック。14名、結果判定14名、説明1名、12:00飯川病院、検食微睡水など、14:00-19:00勤務。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計8714歩。

?心理学を学ぶ(43) 「差別の心理」(13) 新型コロナと差別(4) 攻撃より寛容
 秋田では新型コロナ感染者はまだ散発的発生で累計で60人ほど、岩手、鳥取に次いで少ない方に属する。
 一時はおさまつたように思えた新型コロナ感染は、決定的感染対策がないまま、経済活動再開の方を優先に舵を取ったから、感染への不安が再ぴ広がり、いろいろな場面において疑心暗鬼も発生してきているように思う。
 コロナ鬱も、関連自殺も増えている。そんな今だから家族や友人といった、不安を語れる存在の大切さが身に染みる。

 新型コロナ感染対策はやらないよりはやったほうがいいという相対的予防程度の予防策しかない。それでも、3蜜回避を基本にマスク着用、手洗い、アルコール消毒程度だから、社会生活の中で感染する可能性は常にある、と言っていい。

 だからといって、小さなコミュニティの中に閉じこもっていくばかりでは、どうにも明るい未来のビジョンを描けない。それ以上に、ウイルス以上におそろしい村意識、差別意識が育ってしまう。 

 いま、我々に必要なものは「ゆるす」いという寛容の気持ちじやないかと思う。
 ウイルスの存在自体にも「ゆるす」発想で見つめる必要がある。発生から間も無く1年経過しているが、決定的対策は何も見つかっていない。だから、ウイルスとの共存姿勢も必要であることがわかる。
 過去の疫病の歴史から学べる事は、人間社会がウイルス感染を乗り切るには、
■ 国民の大多数が感染し、免疫を持つ 
■ 有効なワクチン、治療薬の登場
■ ウイルスの弱毒化
■ ウイルスの自然消滅 ・・・・と、どれも決定的状態に至っていない。

 小泉首相の頃、自己責任という言葉が注目された。この自己責任論は年々肥大化し、あらゆるところで自業自得という言葉が散見されるようになった。いまの世相はまさにそうなってはいまいか。
 菅首相も自助・共助・公助を掲げている。これは正しいと思うが、自助を強調すれば差別につながりうる。

 疑心暗鬼になったり、自己責任論で他人を責めたりしてしまう前に、まず新型コロナウイルスを知ろう、人間社会を知るという姿勢が必要である。 

 コロナ感染者に対する差別的な言動が後を絶たない。人権を傷つける見過ごせない行いであるだけでなく、感染拡大を防ぎ社会経済活動を維持していくうえでも大きな障害になる。感染者の多い地域からふるさとに帰った人が、帰省した事情などお構いなしに批判される事例も見られた。

 集団感染を公表した高校、大学が理不尽な非難を浴びた。学校だけでなく、施設や企業などが感染者が出たことを明らかにするのは、人々に注意を促し、拡大を抑えるため。だが公表すると激しい攻撃に晒されるとなれば、事実を隠す方向に流れ、感染経路の追跡もできなくなる。

 感染する可能性は誰にでもあり、感染者を責めたところで何のメリットはない。他人を誹謗中傷する前に、まず自分を学べ。


10/25(日)終日降雨と風 工作用木片整理廃棄開
1:00起床。録音データ整理、書類整理、自炊数冊。午前は居間のストーブ点火準備、煙突修理、レイアウトの変更など。NHKのど自慢後、30年以上集めてきた工作用木片整理開始。19:00夕食、20:30就寝。歩数計4466歩。

心理学を学ぶ(42) 「差別の心理」(12) 新型コロナと差別(3)
 同調圧力と生き残り願望という二つの圧力が固着した日本社会で、新型コロナがもたらす差別の問題に対処するにはどうすればいいのだろうか? 

 道徳的な説得をしてもおそらく効果はあまりないだろう。病気にかかりたくない、感染したくないという感情は漫然とした恐怖感であり、意識しなくとも、湧き上がってくるものなので、それを抑えることは難しい。

 漫然とした恐怖感が生じるのは相手に対する無知、すなわち、新型コロナに対する知識不足が原因になっていることが多い。

 新型コロナの感染は誰でも罹りうる。自己責任とは言えない。もちろん不用意に3蜜の環境に近づく事を意識的に回避すべきであるが、蔓延してきた時点では誰でもそのような環境に紛れ込む可能性があり、100%防ぎえない。さらにそれを防ぐのは新型コロナに対する知識と感染者に対する情報である。

 新型コロナに関しては何か重大な局面が発生すると、その道の専門家がメディアに登場してコメントを述べる。しかし、そのコメントはメディア側の都合で断片的にしか取り上げられない。専門家が言いたい事の一部しか取り上げられていないことが多い。しかも、メディア側はよりセンセーショナルにまとめる傾向が強い。これでは知識よりも誤解、恐怖感を植え付ける。コメンテーターにとっても不満である。

 秋田県にも専門家が何人もおられる。秋田県では疾患多発地区の問題点をそのまま伝える必要はない。地元紙や地元のメディアに望みたいのは、秋田県の専門家を多く登場させ、秋田県の実情に即した情報提供をすべきである。

 メンタルの不調が他者への攻撃的な言動を増加させることはよく知られている。
 新型コロナによつてメンタルヘルスの問題はどの国でも深刻化している。かつて「一億総活躍社会」というスローガンがあったが、新型コロナに関しては「一億総不安社会」と言っていい状況である。
 そんななか注目されでいるのが、ネッ卜を使った遠隔診療である。心療内科における遠隔医療は、対面での診療と同等かそれ以上に効果的とする研究結果があり、我が国でも今後の普及が望まれる。 

 心療内科における遠隔医療の環境整備はコロナ起因の不安を軽減し、結果的に差別を減らすことに寄与するかもしれない。

 要するに、新型コロナ差別を少なくするには広くふさわしい情報提供が必要である。 


10/24(土)終日降雨と風 自炊多数と庭掃除
1:00起床、新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。自炊多数。午前は書斎中心に整頓不要物廃棄、14:00-16:30庭掃除、ガレージ整頓、の金属製品等の廃棄。その後は読書三昧、映像視聴はなし。ラジオで。19:00夕食、21:30就寝。 歩数計5626歩。

心理学を学ぶ(41) 「差別の心理」(11) 新型コロナと差別(2) 知識が差別行動を抑制
 コロナの対策は、蔓延状況にふさわしい判断がなされるべきであって、全国一斉の学校休校、緊急事態宣伝などには疑問に思いながら、私は引退した身であるからしょうがないと国や県が言い出した安全策に渋々従っている。

 世界中で新型コロナ禍が差別を加速させている。
 多くの方々は、新型コロナについて、マスコミのいいなりに全てを受身的に受け入れていて、独自の考えを持つレベルではない、ほとんど無知に近い。このことは大衆文化的に見ればやむを得ないことである。しかし、その無知が不安を呼び、不安が差別を生む、という負のスパイラルが生じている。
 日本は欧米諸国と比べ新型コロナの感染者数や死者数が少ないにもかかわらず、緊急事態宣言発令中も営業している店に貼り紙したりする様な差別行動が目立った。

 彼らの行動は自粛警察と呼ばれている。 

 自粛警察とは「世間のルールに反したものに対して、何ら責める資格もなく、法的根拠もなく、権利や人権も無視し、世間が事実上の処罰をおこなっている状況」である。

 日本のコロナ緊急事態宣言が、欧米のように国民や企業の活動を罰則付きで強制的に制限する措置を講じず、「お願い」による休業要請となった。欧米のマスコミなどはこんなことで効果があるのか?と総じてバカにしていた様であった。しかしながら、日本では欧米以上に一定の感染抑制効果を上げた。その要因として世間による同調圧力の強さを挙げる(参考:鴻上ほか 「同調圧力」--日本社会はなぜ息苦しいのか 講談社現代新書 2020年)。

 日本には、強く同質性を求める相互監視の文化があった。戦時中の「となりぐみ」の雰囲気は地域社会の結びつきの衰退とともに影を潜めていたが、コロナ禍によって再肥大した。 

 新型コロナというリスクは基本的に自己責任で乗り越えるべきだ。だから、要請に従わない人間に対しては、それを告発し、厳罰を加え、社会の安全を維持しなければならない、ということになる。

 3月下旬から4月中旬にかけて5力国、日米英伊中で行った一般市民調査をまとめた結果がある(朝日新聞Globe 7月11日)。その中で「感染する人は自業自得だ、と思う」は日本が断トツで11.5%を記録している。これは個人主義の米国の10倍の水準であった。さらに、「感染を避けたい」という考えが強い人は、外国人に対する排斥的な感情も強い傾向が見られるという。 
 
 教訓として、差別は人間の基本的感情に由来するからコントロールは困難だが、差別行動は無知に由来する、ということ。
 新型コロナに関しては、「差別を少なくするには病気、感染様式などに関するより正確な知識が必要である」をあげたい。 


10/23(金)早朝雨ほぼ終日 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
12:50起床、新聞文献チェック。文献その他整理、5:30可燃ごみ処理のみ提出なし。7:35Taxi秋田駅東口8:11こまち大曲、9:10-12:00外来。降雨往復Taxi。秋田もTaxi13:30飯川病院ボランティア。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計5626歩。

心理学を学ぶ(40) 「差別の心理」(10) 新型コロナと差別(1) 私の周辺では
 心理学を学ぶ「差別の心理」は今まで以下の話題で考察してきた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
0805 心理学を学ぶ(27) 「差別の心理」(1) 「偏見や差別」は生きるエネルギー源
0806 心理学を学ぶ(28) 「差別の心理」(2) 「偏見や差別」は社会集団にも生じる
0813 心理学を学ぶ(29) 「差別の心理」(3) 優位性の意識から
0814 心理学を学ぶ(30) 「差別の心理」(4) 自分の優位性、自尊心から
0819 心理学を学ぶ(31)「差別の心理」(5) 自尊心=差別感 だから差別は無くならない
0820 心理学を学ぶ(33)「差別の心理」(7) 社会的立場に由来する優越感
0828 心理学を学ぶ(34) 「差別の心理」(8) 共同体帰属に由来する優越感(1)
0829 心理学を学ぶ(35) 「差別の心理」(9) 共同体帰属に由来する優越感(2)
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
 上記の項目を検討した段階でも、今生じている新型コロナの差別に関してはかなりの部分納得ができる。
 これからは新型コロナと差別について考察する。

 私がコロナに関する差別感を直接感じたのは、3週間ほど前、バスの中でマスクをしていない私を不快そうに、非難をこめた目で激しく見つめ、抗議のためだろう、私の近くの席から遠い席に移っていった20代後半の女性の行動だけである。あの表情はすごかった。般若の形相であった。

 もう一つは、「先生の車は横浜ナンバーなんですね。秋田に住んでいますと表示してはどうですか?」と助言されたことである。私は横浜ナンバーだからといって特別気まずい思いをしてないが、そんなことまで意識する人がいるのだ、と感心した。

 他県のナンバー車には22年も乗っている。そのことを意識するのは年に一回の納税の時だけ。こんなプレートにそれ以外の役目があるか考えたこともなかつたが、いまさらながらこの薄い金属板にも意味があるのだと気いた。
 要するに、人を秋田県在住の人間なのか、否かを区別する記号だつたのだ。「お前は外様なんだぞ、忘れるな!!」と宣言された様な気がした。

 確かにコロナの緊急事態宣言後、世の中はそうなっている。外国からの客は入国が難しいだけでなく、国内の移動もままならない状況にある。 

 娘は横浜在で年に何度も一家で帰省していたが、4月以降は連休の時も墓参りの時も郷里に帰れなかった。何末年始に関してもどうなるかわからない。
 
 秋田県では感染経験者は50名ほどいるが、その全ての方々は入院対象となり、3蜜にならない様配慮した通常の生活環境では感染の危険は皆無に等しい。それでも、秋田では感染者の周辺で、医療関係者の家族などに誹謗中傷が生じている、という。

 感染者に対して、何らかの感情を持つことは人間である限り止むを得ないが、誹謗中傷の行動をするか否かは社会人としての次のレベルの問題である。


10/22(木)快晴 午後飯川病院 
 1:00起床,新聞・文献チェックほか。週末はて荒れるという。午前はダリアの風対策、紙紐用いて簀巻き状態に。11:42受診で石井さん迎えの車に同乗飯川病院、ボランティア、14:00-18:20飯川病院勤務。外来患者、入院患者対応、文献読み、データ集計。19:10帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ9162歩。

心理学を学ぶ(39) 発語できない恐怖・混迷の数日を体験
 私は話すこと、日常会話では問題をそれほど感じていなかったが、討論などで自分の考えをうまく表現することはそれほど得意ではなかった。どちらかといえば文章による表現の方が好きである。そうは言いながらも、多くの機会を頂き、多くの講演や発言をしてきた。
 そのことが今自分を苛んでいる。引きこもって外来診療時の最小限の会話以外は今はほとんど人と話すことはない。

 ともあれ、頭に浮かんだことを自由に口に出せる、ということは最高の贅沢の機能の一つである。かつてそのことを実感する体験をした。脳梗塞体験記
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 私は2012年11月4日(日)、突然脳梗塞を発症した。
 発症当日、前触れもなく、脳卒中と思われる症状が表れた。震度7以上の激しい地震かと思ったが揺れているのは自分だけで、周辺は平穏であった。当初は何が生じたのか、分からなかった。自分の体調に変調を来したためと理解出来た。意識がもうろうとしていたのであろう、詳しいことは記憶にない。

 気がつくと居間の床に座っており、驚いた家内が血圧を測っていた。この時点で右片麻痺が生じ始めたことを自覚し、家内は脳卒中と判断したようである。その後の記憶はない。家内が救急車を要請したらしい。  

 救急隊が到着した時点で再度気がついた。若干の質問に答えたように思うがことばにならなかったらしい。中通総合病院に搬送された。その後の救急車内の様子については記憶がない。
 当初は完全右肩麻痺麻があったが改善傾向は著しく、意識状態も改善した。
 ただ、発語に関しては、 簡単な会話は理解出来たが、 返答は困難で、伝えたい内容はあるのだが、ことばが見つからず、何としても話すことは出来なかった。自分が思っていることを表現出来ない感覚は実に不思議で、恐怖であった。

 言語障害はなかなか厳しいものである。言いたいことは明らかに準備できているのだが、表現できない状態である。家族に「パソコンの電源を落としておいて欲しい」と伝えるのに数10分を要した。
 その後の経過は順調、7日以降は会話はほとんど困難せずに可能となった。

 13日の外来から復帰した。診療補助の看護師も特に異常を感じなかったという。こんなに短期間に復帰できるなど、当初は医師としての復帰も危ぶんだだけに、全く考え難いことであった。
 それにしても、その時の脳卒中症状はほとんど後遺症無く改善し、本当に運が良かった。
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 口の機能として食べるという機能だけが優位に強調されている。
 新聞やTV,、ラジオ、雑誌、各種の広告パンフレットなどを見ていると、「日本人は食うことにしか興味がないのか??」と思うような状況である。しかしながら、口の機能としては「入れる」機能より「出す」機能の方が人間として重要でないかと思う。
 前者は生きるための栄養摂取に重要ということ、後者は社会的動物としてのコミュニケーション機能、すなわち言語能力である。最近、若い人中心に会話能力が落ちてきているきているようで、時には怖さを感じる。

 私は一時的であるが後者の機能を失ったが、失って初めて言語の重要性を理解した。それ以降、コミュニケーション手段としての言語の機能について関心を持って情報を集め学んでいる。 


10/21(水)快晴 飯川病院ボランティア
 2:30起床,風邪気味?ちょっと乗らなかったが文献チェックほかいつものごとし。資源ゴミ処理、10:46バス飯川病院に。終日ボランティア。検食、データ整理、読書。19:10家内は漢方勉強会なので通町書店経由Taxi帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ8315歩。

心理学を学ぶ(38) 「子どもの心理」(3) 子育て中の声かけの重要性
 この核家族化の時代、多人数が関わっての子育ては望んでも選択できない状態となっている。
 その中で、子育ての段階で大切なのは「見つめ合い」と「声かけ」だと思う。

 赤ちゃんは言語学習に関しても個体差、個性が強いようである。
 我が家の長男は約2年間近く「アー」「ウー」「ママー」程度しか発声しなかった。しゃべるのが早かった長女などに比べると格段の差があった。若干心配したが、言葉以外には問題を感じなかったから、また、言語発達は個体差が強いとされるから様子を見ていた。
 ところが、さらに2ケ月ほど経ったら言葉がいっぺんに、堰を切ったように噴出してくるようになった。内容的には理解不能のこともあったが、親の声かけから学習したのだろう、似たような言葉が次々と出てきた。それほど的外れのことではなかった。
 それまで発語していなかったが、心の中ではいろいろなことを感じ、言語化の準備を整えていたのであろう。知的発達は言語化ととも一緒に進むものだ、と思った。豊かな言語能力は知的能力に刺激を与えるのだろう。
 ほとんど喋らない時期にも、しつこく、懸命に声かけしていてよかった、と感じ入った。

 最近、駅の待合室などで子供が寂しげに親に話しかけて、あるいはむずかっているのにお母さんとおぼしき若い女性は全く無視、スマホをいじっているようなことも往々にして見受ける。また、家でもTVを子育て道具の一つとして利用している親が多いらしい。
  
 子育ての段階で「声かけ」と同じように重要なのは「見つめ合い」とさらに「触れあう」ることだと思う。

 私は2005年9月図らずも中通総合病院の院長を拝命した。人生って先に何があるか、本当にわからないものである。
? 私は医療に従事していると言う幸せを各人が喜びとして心から感じられる、活気のある病院にしたいと考え、就任の職員向けの挨拶としてあげたキーワードは「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」であった。どれも社会人として当たり前のこと。特に説明は要さないが、この三つがちょっと欠けている、そのために、予想外の早期離職などが生じていた、と常々と感じていたからである。
 言葉は重要であるが、会話を支えるのは「笑顔」であり、毎朝の「挨拶」を交わすことが重要である。職場の空気が変わることを期待したからである。


10/20(火) 晴天 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床、新聞入力などいつものごとし。読書中心、6:00可燃ゴミ集積所に廃棄、6:47バス飯川病院へ、8:45-13:45中通病院外来。混雑疲弊。14:00飯川病院。14:00-19
:00勤務。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8913歩。

心理学を学ぶ(37) 「子どもの心理」(2)  言葉が持つ力
 赤ちゃんは驚異的なスピードで言葉を学ぶ。だが、そのメカニズムは謎だらけ。
 幼少期の言語学習は能動的学習能力やその後の人間関係の維持にも深くつながっていく。言葉を習得するメカニズムを解明できれば、誰もがより公平に言語を習得できるはずである。

 私は、社会を震撼させた事件の追跡調査書を読むのが好きだ。入手できるものは積極的に集めている。事件ごとに犯人によって社会の歪みに対して行動を介して何かが「発信」されている。犯人も発信している。それが、言葉を介してうまく発信されればかなりの事件が生じないで済んだのではないか、と思う。最近読んだドキュメントの中での一例を挙げれば「秋葉原事件」加藤智大死刑囚が、言葉を介して他人と交わることができれば、あのような事件は起こさないで済んだのでは?と思う。
 人間は社会的動物である。言葉以外の言語でも、例えばボディランゲージと言われるもでも、意思を通じさせることができるが、やはり言葉の持つ意味は格段に異なる。

 私はある講演で「赤ちゃん」を「白ちゃん」と呼ぶべきだ、と話したことがある。聴いている方々は一瞬困ったような表情をしていた。確かに大泣きした時などは「赤ちゃん」であるが、一人の人間としての将来の成長、それを見守る親の立場を考えれば新生児は、私の目では「白ちゃん」である。
 要するに、身体的には両親からの遺伝子を受け継ぎながら、知的には、心理的には色のつかない無垢のほぼ白の状態で誕生したのである。

 だから、子育てとは白いキャンバスに毎日毎日色を塗っていく作業に等しい。
 最近の子育ては核家族の状態の中で、若い両親だけが関与している。だから価値観は両親だけの狭い範囲であり、キャンバスの色調は乏しいし、時にはモノクロであり、激しく偏移している場合もあろう。本来ならば、より多くの人が関与して多様な色調に仕上げていくのが望ましい。

 私は機会があって家内の親戚のおばさんとその娘二人と同居した。また隣家には家内の姉が住んでいて3人の子供がいた。我が家の3人の子供は常に7人の子供達にはさまれて育った。
 私は、この多くの人と交われる環境を、子供達に用意できた最高のプレゼントの一つと捉えて自賛している。子供達の成長過程に、言葉の習熟の過程に必ずやいい意味でのいい意義があっただろうと思う。
 
 私は幼少期には友人もなく、会話も乏しい寂しい環境であった。それを家族もわかっていて小学校1年の時にネコを飼うことが許された。以来13年、常に一緒にいた。そのネコに私はよく話しかけた。その対話、思い出は今でも私を癒してくれる。そのネコが去ってから60年になるが、自宅以外では今でも時々話しかける。
 自宅には話しかけねばならないネコが7匹もいて手が回りきれないからである。


10/19(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
1:30起床、文献新聞他チェック。この時間からだと余裕あり。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名+説明1名。11:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。歩数計Σ8209歩。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。

心理学を学ぶ(36) 「子どもの心理」(1)  
 21世紀に入り、私たちは子どもに関わる事件や問題が明らかになるたぴに心をいため、途方にくれ、あるいは怒り、あるいは戸惑う。
 いや、未成年の問題だけでなく、何か問題を起こした20-30代の若年層、さらに中年世代の人たち、幼少期に、子どもらしい環境の中で感性を育まれなかったのでは??と思う人たちがかなりいるように思う。
 幼少期からの問題点を初老期にまで抱え込んだのでは??と思われる方が起こした事象が多い。

 私は「子どもの心理」などを考える立場ではないが、子育て3人、孫5人と恵まれた環境にいる。だからこそ、一体どうすればいいのか、その解決の糸口はないか?と模索している。されど答えは出ないだろう。
 
 物や情報、そして人があふれる豊かな時代の中で、どうやって暮らしの中で個々人が生き生きと、自分らしく生きていくのか、私たちはこの答えの見つけ難い問いの真っ只中にいる。
 
 でも、このことは子どもも大人も同じ。私すら同じ。 
 人間関係の歪みや その苦しみに向き合わないなくてはならない。
 このことに向き台えぱ向き合うほど、考えることの大変さに、関わることのわずらわしさに、自分の判断で選んでいくしんどさに疲れ果ててしまいそうだ。

 しかも、その懸案を解決するために、一般的には、子ども達に一層濃厚に関わることで問題解決策を見出すのではなく、管理を強め、かかわりを閉ざし、規制することで、余計がんじがらめにしているのではないだろうか、と思う。

 その中で、相変わらず子どもたちは、いや大人たちも、同じようなかかわりの中で、自分らしさを発暉できないでもがいている。
 
 私たちは、それがどんなに面倒なことであっても、人は時代に順応し、人間同士のかかわりの中で人間になつていくのだ、という事をあきらめるわけにはいかない。
 今を生きるものとして、自分が自分で在っていいということを語る事のできる、人と人とをつなぐ言葉を持ちたい。

 人との関わりの中で自分らしく発言し続けていく力こそ、この時代を生き抜く力としてどうしても必要なのだと思うから、である。

 そういう中で、私は改めて子どもの遊びの持つ力と言葉が持つ力にに注目したいと思っている。 

 こんなことをつらつら考えている私は、決していい父親ではなかったし、いい爺いではない。だからなおさら考える。


10/18(日) 午前超快晴午後降雨 飯川病院日直 
0:30起床。自炊数冊、新聞電子化。徒然など。途中で微睡取る。8:42バス飯川病院に。9:00-17:00日直。入院患者は落ち着いている。新聞切り抜き他多数、読書。13:25-14:00微酔。書籍自炊準備。18:30帰宅、夕食、19:30就寝。歩数計Σ5836歩。

本 中島岳志著 秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日出版) 2011(3) 著者の意見など

■ 加藤智大への共感はなぜ広がるのか
 事件後メディアは一斉に秋葉原からの中継映像を流し、新聞も事件の記事で溢れた。私も当時何度か中継録画を見た。
  秋葉原事件が拡散するにつれ、犯人加藤に対する共感の意見も広がった。ネット上では、彼は「神」とも呼ばれた。

 週刊朝日はこの傾向を受けて、事件直後湯浅誠氏を司会に5人の若者と座談会を聞いた。
 ここで、参加者は次のように語っている。 
 参加者A:「加藤はたまたま通り魔をしましたが、自殺という手段もあつたと思う。僕は皆殺し願望も、自殺願望も経験があるので、気持ちはわかります。原因は特にこれとは言えないんですけど、学生時代以降失敗を繰り返す人生で、何をやってもうまくいかなかった。自分を惨めだと思っていると、他人の何げない一言にすごく落ち込むんです。」
 参加者B:「自分もこれを空想したことがある」などと発言している。

 ビジュアル週刊誌「SPA」は2008年7月1日号では、通り魔予備群たちの告白いという特集が組まれ 加藤に対する共感の声が集められた。そこには「次の犯人は私かもしれない」「加藤智大は生きる勇気をくれた」「彼は、ああすればいいんだと具体的に示してくれた」というような言葉が並んだ。 

 国家は合法的に暴力を占有する。非合法的な暴力は表出するとそれを抑え込もうとする治安維持権力が強化される。しかし、このような治安維持推力の強化によって加藤のような鬱屈を抑え込むことはできるのだろうか??加齢への共感が広がる現実に対応することができるのだろうか??と著者は問題を投げかける。 

 事件に対する共感の拡大は 被害者を二重に苦しめる。いくら加藤を憎み非難しても そんな加藤に共鳴する若者が次々に現れてくる。怒りと絶望感が消え去ることはない。

■ どうすればいいのか。 
 いつたい、どうすればこの事件を食い止めることができたのだろうか?? 
 ここで重要なのは加藤の人生の人間関係の中で、ほんの数人ではあるがホットな関係が築かれた瞬間があつた、ことを著者は強調する。
 言葉こそが他者への防波堤を穿つ重要な道具である。 
 人は言葉の産物として生きている。個人としても、集団としても。 
 加藤はそのことを熟知していた。ただ、そのような言葉は現実の世界ではなくネットの世界に存在すると考えた。リアルな現実と言葉とを分離きせた。だから、彼は友達がいるのに孤独だった。 
 加藤は他者との対面を軽視し不満を行動で示すという習慣を身につけた。彼は自らの言葉を小さな長方形の画面に叩きつけた。しかし、最初こそ注目されても、その意見が先鋒的であればあるほどいずれは飽きられ、離れていく。
 著者は、社会の困難を乗り切っていくには、対面による言葉を、生きるための道具として活用できることが有用としている。私もそう思う。しかし、今の社会は逆の方向に進んでいる。

 加藤智大には「殺人予防」「解」「解+―秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策」という3冊の著作があるようだ。本人の立場での事件の分析、一つの価値はあるようだが、私はまだ手にとっていない。


10/ 17(土)夜半からかなりの降雨 座学、書籍の自炊中心
 2:00飯川病院起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。雨上がり、9:30バスにて帰宅。午前・午後ともに座学。データ整理。微睡後、読書。新聞切り抜き。昨年書斎のストーブ設定初点火、今年はまだ。19:00比内地鶏入り新米きりたんぽ鍋、美味であった。21:00就寝。歩数計8159歩。

本 中島岳志著 秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日出版) 2011(2)
 加藤智大について、幼少期から犯行時まで詳しく記載されている。
 読み始めてまず異様に思えるのが、幼少時から高校進学までの間の、家庭内のしつけ、教育である。この環境は彼の性格に大きなひずみを与え、今回の事件の遠因をなっていることがすぐわかる。

 父は直接手をかけないが、母親は異常性格者なのだろうか。破綻しつつある夫婦関係からのフラストレーションを常軌を逸した教育、しつけとして子供に執拗に押し付けた。

 その結果、加藤智大は、実際の人間関係、友人関係の中では本音を言わない、理由の説明なしに突然キレるとか、種々の特質を持ってしまった。

 加藤は、別の環境ならもっと別な人生を送れる資質を持っていた。判断力、決断力、善悪を把握する時に必要な他者への共感、寂しさを受け入れるやり方、そういったありとあらゆる大事な感覚の大部分を潰されてしてしまった。しかしながら、対人関係において、思いがけず親切な対応を受けたときなどに涙を流すような感受性を失ってはいなかった。

 加藤の人生の中で、大きな影響を受けた項目を、著者は以下の項目を挙げて詳述している。
―――――――――――――――――――――――――――
母の激しすぎる教育と介入 ■ 内面を見せない性格 ■ 不満を言えず、すぐに行動でアピールする ■ キレやすい ■ 突発的な暴力性 ■ 勉強の挫折 ■ 学歴へのコンプレックス ■ 女性にもてない ■ 外見・容姿へのコンプレックス ■ バーチャル掲示板への没入 ■ 強い承認欲求 ■ 経済的困窮と借金 ■ 家族崩壊 ■ 職場放棄 ■郷里からの逃亡 ■ 先輩や友人への裏切り ■ 満たされない性欲 ■ 不安定就労 ■ 派遣切り ■ ネグレクト ■ 孤独 ■ 不安 ■ ・・・・
―――――――――――――――――――――――――――
 著者は、彼が無差別殺戮に至った要素は単一のものではなく、それは、25歳までの成長の経過の中で形成され、蓄積された複合的なもので、どれか一つが決定的な要因ではなかった、という。それで過大に思えるページを使って取材の結果を提示している。 

 また、郷里にも友人がいたし、ネット経由で知り合った女友だちも複数いた。仕事ものみこみがはやく、短期間で能力が認められ非正規から正規社員に引き上げられたこともあった。
 現代の日本社会が持つ空間と時代性。かつての、伝統的社会の身分制度や社会規範は、むき出しの承認欲求を抑制する装置でもあったが、いまやそれらは機能していない。彼はその中で何を主体的に選択し、何を社会から強いられたのか、その一つ一つの意味は極めて曖昧だが、誰にも襲いかかる現実でもある。 

 犯行数日前に書き込んだ「操り人形な毎日・・・」という謎の言葉を残して絶望した。
 この秀逸なルポは、彼の苦悩の輪郭を浮かび上がらせる。
 「同時代に生きる私は、加藤の中にわずかでも自己の影を見てしまう。加藤の痛々しさと、自分の痛々しさがオーバーラップする自分があるに違いない」。
 同様の事件を繰り返さないために、なぜ事件は起こったのかを考える姿勢が重要である。


10/16(金)快晴 当直 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:30起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、6:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、8:11こまち、大曲曇り。8:50-12:00大曲中通病院外来。駅病院間往復Taxi。インフワクチン接種で混雑、疲弊。14:00-18:45飯川病院ボランティア、入院外来対応。19:00Taxi帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ12628歩。本日当直代行する。

本 中島岳志著 秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日出版) 2011(1)
 私は社会を震撼させた事件を詳細に調査し報告する、本書のような追跡調査書が好きだ。入手できるものは積極的に集めている。ある作家は、「作家の使命の一つは時代の記録にある」、と言っていたが、有難いことである。私は事件ごとに社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。
 ある事件が生じた際、当初は大々的に報じられるが、時間と共に報道されなくなる。調べても当時の資料が十分の入手できるとは限らない。その点、本書のような資料があればとても参考になる。多くの方に読まれ、事件が風化しないよう望んでいる。ただし、限られた視点からの一つの解釈であることは忘れてはならない。

 古い本であるが、今回読み直してみた。
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 秋葉原事件は2008年6月8目、秋葉原の歩行者天国で生じた無差別殺傷事件。死亡7人、重軽傷10人。加藤智大が運転する2tトラックが赤信号を無視して交差点に突つこみ5人を跳ねた。その後、加藤は車から降り、通行人ら14人をダガーナイフで襲った。 
 加藤は警官に銃で威嚇され取り押さえられた。

 犯人加藤は青森県に生まれ、教育熟心、というか病的性格か?というべき母親のもとで厳しくしつけられた。口答えは一切許されなかったという。母親に進路を否定されたことで、高校では学習意欲を失い落ちこぼれた。 
 岐阜県の自動車整備の短大を卒業後、就業しても長続きせず、派遣や警備員として過ごした。
 犯行力時は静岡県に派遣されていたが、会社に対する被害意識を強めていった。加藤は実社会では十分な人間関係を結べず、不満や愚痴などをネットの掲示板友達にぶつけていたが、ネット社会でも次第に孤立し、生きる術を失い、他の事件を参考に無差別殺人を計画した。
 公判と判決:精神鑑定で完全な責任能力ありと認められ、起訴された。求刑通り死刑判決、弁護人は控訴したが却下となり死刑が確定した。 

 加藤が凶器に使ったダガーナイフは販売中止になり、2009年には銃刀法が改正され刃渡り5.5cm以上の剣は所持禁止になった。
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 この事件は、「派遣切り」「ネット掲示板」という言葉と、「加藤智大に対する高い共感」も示され、そのことも社会に衝撃を与えた。若者が安心して将来設計できないという就業状況は、日本が解決していくべき現代社会の病巣の一つである。

 著者の中島岳志氏は1975年大阪府生まれ。大阪外国語大卒業、京都大学大学院修了。本書執筆当時は助教であったが、2016年4月東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に就任した。

 本事件の鍵は、破綻しつつある夫婦関係からのフラストレーションを教育、しつけとして子供に押し付けた、病的性格と思われる母親にあると思われた。


10/15(木)快晴 飯川病院終日勤務 飯川病院iMac27OS Catarinaへ
 1:30起床。文献・新聞他電子化。いつもの如し。8:30家内に同乗、飯川病院終日勤務、院長受診などあり。外来・入院患者処置対応。本読み中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ11316歩。昨年半袖作業服を長袖に、ランニングシャツ着用。

四季2020(17) 家庭菜園・園芸(10) ダリアが最盛期を迎えた (4)東側の群
ダリアの観察は陽が昇る頃の早朝がいい。その汚れのない美しさを、私は毎朝味わっている。

 庭の南側の辺は、かつては住宅が建っていたところで、表層こそ土であったが、数cm下には瓦礫が埋まっており、耕作には向いていなかった。しかし、思いがけず8株の球根が26分割できたのでこの部分にも植えることにした。
 穴掘り作業は難渋したがスコップとツルハシで瓦礫を排除しつつなんとか10ケ程の植え穴を確保した。土が持つ土壌としての本来のパワーは期待できないために堆肥を深く埋め、培養度と腐葉土で株の周辺を囲み、かつ十分に水を補給し成長を待った。

 東側、北側に植えたダリアよりは明らかに生育が遅れ、かつ茎長も低いのは土壌のせいだと思う。そのために他の群よりは追肥を多めにやってきた。
 涼しくなった今、東側の群も最盛期を迎えている。

(黒鳥)

(夢舞台)

()

(炎冠)


10/14(水)晴れ 飯川病院ボランティア  
1:10起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本読み。午前はダリアの世話、写真撮影、庭掃除など。1150バス飯川病院ボランティア。19:10帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ7660歩。自炊数冊ほど。

四季2020(16) 家庭菜園・園芸(9) ダリアが最盛期を迎えた(3)  福田式簡易栽培法
 ダリアは酷暑、強烈な日照りに弱い。最近、急速に涼しくなり、開花する花はとても綺麗になった。ダリアの観察は陽が昇る頃の朝がとてもいい。その汚れのない美しさを、私は毎朝味わっている。

福田式栽培法のコツ

(1)追肥。
 ダリアは開花する頃に急速に茎長が伸び、長期間にわたって多数の花を咲かせる。肥料は適宜与える。球根を植える前に自分がコンポストで作った堆肥を元肥としてたっぷり土に混入する。後は成長の度合いを見て、月に一回ほど根元に発酵鶏糞または牛糞を土の上にばら撒くだけ。化学肥料は一切用いない。

(2)剪定、摘花。
 参考書を読むと、剪定して元気な茎のみ残せと強調している。脇芽かき・摘心・切り戻しなどであるが、私の場合は一切しない。必死に成長してきた枝や茎を除去するなど私には考えられない。これは畑の作物の場合も同じ。不利な結果が生じようとも自然体でいく。
 5月初旬に植えたダリアは初夏から咲き始め、夏の猛暑を耐えて、秋に最花期を迎える。今が最盛期と考えられる。咲き終わった花は次の蕾のために早めにハサミで摘除する。
 咲いた花は見頃を過ぎる前に、切り花にして楽しんでもいい。 私は病院の待合室に提供している。

(3)越冬。
 寒冷地では地植えの場合は霜が降る前に球根を掘り上げて乾燥させる。

(4)分球の時期と方法
 参考書によると、越冬中にも根が肥大して、茎の付け根にすべてくっついた状態で球根が増え、2~4月頃になると球根から発芽する、とあるが、私の場合は過乾燥なのか、球根が痩せ細り、昨年も今年も発芽しなかった。
 そのために、腐葉土中心の土の中に仮植えして3週間ほど待ち、芽を出させる。今年は、私自身がこの操作で生き返った。発芽点中心に切り分け直植えする。


(一切発芽せず、途方にくれていた時期の球根)


(仮植え3週間後、見事に発芽した。これは4分割して直植えした。純白の南雪原の株)

(5)病気や害虫
 ダリアは比較的丈夫。以下の如くの病気や害虫が発生する可能性があるが私は未経験。殺虫剤などは用いたことはない。
 病気として「うどんこ病 」「立枯病 」「灰色かび病 」など。
 害虫として「アブラムシ」 「ハダニ 」「ヨトウムシ」 「メイガ類」など。


10/13(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院 
 1:00起床、新聞入力などいつものごとし。読書中心、6:00可燃ゴミ集積所に廃棄、6:47バス飯川病院へ、8:45-13:45中通病院外来。混雑疲弊。14:00飯川病院。14:00-19
:00勤務。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ11652歩。

四季2020(15) 家庭菜園・園芸(8) ダリアが最盛期を迎えた(2)  東側の群
 東側の群は柿と栗の木の下に位置するので午前中の日照時間が若干不足するのがハンディである。花の質には影響がなかった。東側はちょっとカラフル。


(東側のダリア達 )


(たぶん、思春期)


(レッドライオン)


(思春期)


(不動心)


 ダリアは花の大きさだけでも様々で、3cmに満たないものから30cm以上のものまで。 背の高さは150cm以上のから50cm以下のものまで多様。大きな花、茎長が長いものほどメインテナンスに手がかかる。特に風と雨。台風などの場合、風対策が大変。世話する人間がパニック状態に陥る。

ダリアを育てるときに必要な準備は?
 ダリアは球根植物、種子からのも不可能ではないが、球根から育てるのが一般的。鉢でも地植えでも可。
 必要なものは、球根・土・肥料・支柱・紐・記録用ラベル
 元肥として緩効性肥料。

 ダリアの球根は、通販は1月頃-3月頃に入手できる。 私の場合はここ何年かは自家製の球根から分株して増やしている。だから種類は増えない。
 芽が出ていないものは植えても芽が出ない可能性があるが、貴重な株ならそれでも植えてみる。 今春の場合は、全株発芽ぜず困惑し、一時諦めかけたが、仮植えし水を与えたら発芽した。発芽確認後本植えで成功した。これでかなり自信がついた。

 球根の大小と花のよしあしは無関係。植えてみなければわからない。被せる土は5cm-10cmほどが目安。大輪種は株間60cmが目安だが、私はいつも間隔が狭い。 反省点の一つ。
 植た直後はたっぷりと水を与えるが、その後は発芽するまで水は不要。地植えの場合は、特別に雨が少なくない場合は別だが、降雨で十分。私は水のやりすぎ傾向がある。


10/12(月)曇り、夕方降雨 健康クリニック 飯川病院 
1:00起床。何時もと同様、書類書籍自炊、新聞、医学論文などチェック。自炊数冊。
8:42バスで飯川病院へ。ちょっと体調不良。9:00-11:15健康クリニック、ドック診察14名。結果判定レ線読み14名分。11;30飯川病院。検食、微睡。 14:00-19:00勤務。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ9696歩。書籍の自炊化5冊。

四季2020(14) 家庭菜園・園芸(7) ダリアが最盛期を迎えた(1)  北側の白中心の群 
 ダリアは江戸時代末期にオランダから渡来し、「天竺牡丹」と呼ばれ、愛好されて続けている。ダリアは初心者でも比較的育てやすい花であるが、あんまりポピュラーとは言えない。大規模なダリア園とかが新聞雑誌で紹介されているため、逆に一般の花愛好家も多少びびっているためかと思われる。
 しかし、私でも栽培できる比較的簡単な花である。

 ダリアは、メキシコなどでに自生する多年草。古くから世界中で栽培され、品種改良が重ねられて、今までに3万品種が作られた、という。
 ダリアに必要な環境は日当たりと風通し。日照不足と高温多湿を嫌う。特に30°Cを超える季節の直射日光、強い西日では葉も花弁も元気がなくなり変色する。
 最近、急速に涼しくなり、開花する花はとても綺麗になった。ダリアの観察は陽が昇る頃の朝がとてもいい。圧倒的な花の数、その汚れのない美しさを毎朝味わっている。

 今春、私は発芽させるのに苦労し一時諦めかかったが、思いがけず再生し、分株も上手くいったので、庭の3辺に分けて植えた。
 あまりにも見事なので各辺ごとに提示する。


(左:南雪原、右:名称不明 秋田県農協試験場提供株とかまくら)


(かまくら)


(橙 親愛)


(名称不明 秋田県農協試験場提供株)


10/11(日)快晴 飯川病院日直
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。書籍電子化、データ整理。8:40バスにて飯川病院に。9:00-19:15日直、当直医の業務一時代行。院内は平穏、読書、音楽観賞、データ整理など。散水も。19:30夕食、21:45就寝。Σ7497歩のみ。毎年この時期に開催される新潟大学医学部46会同級会は新型コロナのために中止となる。
 
運転免許証返納(5) 余波(2) ディバッグ雨対策 バスの本数増 古書店訪問減
 運転免許返上にて生活でいろいろ影響が出ている。

 ■ 雨の日のディバッグ濡れ防止対策
 近頃、背にはディバッグ、手にはキャリーバッグを引いて移動する方がめっきり増えた。両手あるいは片手が自由になるから便利かつ安全である。

 都会などではディバッグを背中にではなく胸に抱えている写真が目につくようになった。満員電車の中などではでは、背中のディバッグは立っていてもスペースを広く占拠する。対策として、ディバッグを胸の方に抱えればいい。私は前から実行している。

 私は雨の日にはディバッグを胸にかける。雨濡れ防止の工夫からである。
 私は常に軽く小さな折りたたみ傘を持っている。小さいサイズなので傘を用いても下半身はずぶ濡れになり、背のディバッグは傘の水滴もかかって濡れる。
 ディバッグには、iPad、iPhone、Hard diskのほか、新聞や書類、書籍も入っていてこれらは水分を嫌う。試しにディバッグを前に抱えてみると小さい傘でも水濡れ防止効果には有用であった。
 前に抱えれば、混雑した車内などでは、他人の邪魔にならない。席が空けば肩から降ろさずにそのまま座れるというメリットもある。

 今回、大きな傘、ディバッグの上からでも用いることのできる雨具を購入したので、かなりの雨でもディバッグを濡らさないで済みそうである。

 ■ 10月の改定でバスの本数が増えた
 秋田のバス網は徐々に縮小されかかっていたが、今回の時間改定で6:00-8:00間に一本増えて6本から7本になった。私が通勤に利用するバスは6:47発に固定しているが、降雪期などには混雑が若干改善されるかもしれない。

 ■ 古書店訪問回数減
 運転免許返納後に私が一番困っているのは古書店への訪問が不便になったことである。今までは適宜、週に1回程度は市内に3店ある古書店のどれかを訪問していたが、バスの便は必ずしも良くなくて気軽には行けなくなった。
 訪問するたびに、購入予定リストにある本を見つけ出して10冊単位で購入するのを楽しみにしていたが、それが出来ずにちょっとストレスになっている。
 これに関しては、バスの便を再確認してなんとかしようと考えている。

 通常の書籍は通勤途中にある書店で購入する。定期購読の雑誌類が多いが、適宜メールで注文し連絡が入ったら取りに行くというパターンで、矢張り週1回のペースである。こちらはさほど不便していない。


10/10(土)曇り晴れ  
 1:00起床。データ入力整理。早朝午前は体調すっきりせず座学中心でグダグダ過ごす。結構風強くダリア補強用す。録画で7け月ぶりのNHKのど自慢見る。12:30微睡、14:00ガレージ2F整理、古い蔵書発見、漱石芥川など。16:00書斎、録画で音楽関係見る、新聞データ化、自炊7冊、19:15夕食、20:30就寝。軽く喘息様になる。歩数計Σ7518
歩。

運転免許証返納(4) 余波(1) 大型で丈夫なビニール傘とポンチョ型の雨合羽購入
 9月13日(日)、秋田県運転免許センターで運転免許証を返納した。56年間の運転に終止符を打った。身分証明書として通用する運転経歴証明書の交付も受けたが手続きは簡単、1時間もかからなかった。
 
 運転免許センターは秋田駅から6Kmほど離れており、帰りには運転資格がなくなるので車で行くわけには行かずバスで行った。往路は曇りでであったが、復路は雨の中でバスを待った。

 私は自転車やバイクを好んできたから、小雨程度、短時間なら濡れるのをそれほど気にしない。でも、小型の折りたたみ傘は常にディバッグに入れている。
 センターからの帰路、雨はみるみる本降りになってやむなく傘をさした。しかし、この日は結構風もあって折りたたみの小さい傘だから上半身の一部しか効果なく、ディバックを含めズボンなど結構濡れた。

 従来、ひどい雨の日は車で出勤したが、これからは運転できないので雨対策が必要となる。大きなサイズの傘とディバックを背負った状態でも着用できる雨合羽、ディバッグ用の雨カバーは必需品となる。

 ■ 傘を購入した
 傘は、予てから購入するなら透明なビニール傘にしようと購入候補はかねてより決めていた。
 2017年6月6日ラジオ深夜便「ものづくりフォーユー」に「ビニール傘製造販売ホワイトローズ社社長須藤宰氏」が登場し、ビニール傘の意義について述べたのを聞き興味を持ったからである。

 氏によると、ビニールは完全な防水素材で、60年間ビニール傘啓蒙に勤めてきた、という。なぜ黒く、視界を遮るような傘を用いるのか?疑問だ、という。私もその通りだと思う。透明の傘は周りがよく見えるからである。3年も購入構想を持っていたが今回までその機会がなかった。
 氏の会社はワンコインのビニール傘に押されて経営は困難だ、という。皇室主催の園遊会の時に天皇皇后陛下が使うのも同社の傘。

 私は同社の数多い製品の中から「かてーる16」を選んだ。
 16本のグラスファイバーの骨は軽く丈夫であり、特許取得の逆止弁が風の通り道を作るため、風の強い日でもその影響は少ない、という。 素材は通常のビニールとは異なり三層構造で丈夫である。実行直径は約108cm、重さは約590gとやや重くできているが、この重さが風の時の安定性にもつながっている、という。手に持つグリップ部分は丈夫な木製である。私は日常的にもステッキ代りにも用いようと思う。コンビニで売っているビニール傘とは一目で違う重圧感があり、綺麗で、開閉もスムーズ。14.000円と値段が高いが、それだけの価値ある製品だと思う。

 ■ 雨合羽も購入した
 ディバッグ背負った状態でOK、自転車兼用のポンチョタイプの雨合羽である。
 運転免許返上後はバスで通勤している。小雨、中等度の雨の時には傘で十分であるが、強風や激しい雨の時には何と言っても雨合羽である。そのためにディバッグ背負った状態でもOK、自転車でもOKのポンチョタイプの雨合羽にした。雨合羽は傘にはない効果が確実に得られる。足元はぬれるが、フードもついているので顔もさほど濡れない。個人的にはこのタイプの雨合羽が一番便利である。雨の日の可燃ゴミ廃棄も車を使えず大変であったが、これで楽になる。2.800円であった。


10/9(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 体調不良鼻炎
 0:30起床、いつものごとし。5:00可燃ゴミ廃棄準備まで、7:35Taxi駅東口に、8:11こまち、大曲は往復徒歩、9:10-12:00外来、市内も徒歩。13:30-18:45飯川病院ボランティア。19:00帰宅、21:00就寝。歩数計Σ12398歩。

菅義偉氏(12) 菅首相(8) 日本学術会議任命拒否(3) 任命責任
 今回の日本学術会議任命拒否を任命責任の立場から考えてみたい。

 任命責任について安倍前首相は、簡単に「任命責任は私にあります」、と言った。今まで何度聞いた言葉なのか。どんな形で責任を取ろうというのか??全く見えない。結局何も責任を取らなかった。
 私は、首相の言葉も、責任も空気のように軽くなった・・、と感じている。
 しかも、首相も追求する野党も「任命責任」の意義を取り違えている。

 首相の任命責任とはなんなのか?口先だけでいいのだろうか。
 安倍首相は「任命責任を取るということは、めげずに職務を果たしていくこと・・」、と答弁している。それは全然違う。

 「任命責任」とは人事権をもつ者の重大な責任である。
 日本では、不祥事が起こった場合、別人とすげ替えて「任命責任は私にあります」と言えば一件落着する。実に便利な言葉であるが、そんなに軽いものではない。

 「任命責任」とは何か。

 誰かを任命する時に、その人の資質が職務に適合するかどうかについて、事前に十分に調べ、資質を認めて指名する要がある。日本における「任命責任」は、不祥事等の「結果責任」という意味で使われるがこれは間違いである。
 「任命責任」があるか否かは事前に十分な審査をしたか否かであって、事前に情報を得られなかった場合には任命者に「任命責任」は生じない。調べなかった場合は「業務怠慢・責任放棄」である。

 「任命責任」は任命者の職務の大きな責任事項であり、「任命責任」を問われたら任命者の資質が問われていることに等しい。安倍前首相は長期政権の中で何度「任命責任」を負ったのか。責任を伴わない「任命責任」を負う名人であった。

 不祥事などによる「結果責任」は任命者が負う必要はない。本人の問題である。この辺、我が国の考え方はおかしい。

 今回の日本学術会議任命拒否に関してみると、
■ 菅首相が6人の候補者を十分に審査し不適格者と判断したのであれば当然拒否していい。
■ 政治から独立した自由な活動や審議が認められている日本学術会議に関しては、基本的に会の推薦を優先すべきである。
■ その推薦に応じられないなら、理由を明確にして拒否すべきである。

 この問題に関心を持っている方は「総合的に、俯瞰的に判断した・・」との説明に到底納得できないだろう。

 この問題は、重要ではあるが若干騒ぎすぎの感がある。 


10/8(木)快晴 午後飯川病院勤務 体調不良鼻炎
 1:30起床、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。8:45-13:15中通外来。10:00-11:30畑の枝豆の茎根抜去、マルチを剥ぎ取る。残るはネギのみ。12:10バス飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ8848歩。

?菅義偉氏(11) 菅首相(7) 日本学術会議任命拒否(2) 任命拒否でなく、提言を拒否すべき
 日本学術会議は、105人からなり、総会、幹事会のほか、3つの部会(人文・社会科学、生命科学、 理学・工学)及び 30の分野別の委員会、組織運営委員会、課題審議のための委員会を組織し活動している。

 拒否された6人は憲法や歴史学などが専門。前政権の時代から「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案や安全保障関連法案などを巡り、批判または反対していた方々である。

 安倍前政権への批判姿勢が拒否理由だったのか。外からこの問題を見るとそうとしか考えられない。
 「政権の意に沿わない学者や学説は認めない」とのメッセージの現れなのか??多分そうだろう。

 首相は「法に基づいて適切に対応した」、加藤官房長官は「義務的に任命しなければならないわけではない」などと説明した。学術会議法は、「会議の推薦に基づいて首相が会員を任命する」と定める。
 法律上、上記の定めがある以上、任命を拒否する裁量権は首相にある、とは思う。ただ、任命を拒否する以上、その理由をはっきりさせなければならない。それができないのであれば早急に撤回し、6人を任命すべきである。そうは言っても任命拒否撤回は政権のダメージになるからそう簡単ではない。

 私は、以下のように考える。
■ メンバーの選定は学術会議に任せていいと思う。メンバーの選定は初めから学術会議の性格を変えてしまう。ここに首相が不用意に手をつけたことは勇み足であった。
■ 学術会議が出した提言を政治に取り入れるか否か、これは政府の判断でいい。科学者は政治家ではない。従来からも、表には出ていないので情報は少ないが、学術会議が出した提言を取り上げなかった事例は少なくないはずである。
 
 野党は「学問の自由に対する国家権力の介入」として国会の閉会中審査で追及する構えだ。そこまで問題の重大さを認識しているのであれば、尻切れとんぼにすることなく、諦めることなく、追求し続けるべきである。


10/7(水)曇晴れ、飯川病院ボランティア 体調不良鼻炎
 1:50起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。自炊数冊。自炊本再構築1冊。11:50バス、飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ10106歩。

菅義偉氏(10) 菅首相(6) 日本学術会議任命拒否(1)
 菅首相が日本学術会議が推薦した新会員候補105人のうち、6人の任命を拒否したことが大問題となっている。
 政権にとっての初の裁断だったであろうが、大きなブレーキになり始めた。

 推薦通りに任命してきた現行制度の下、拒否したのは今回が初めて。しかし、その兆しは前政権からあったとされる。
 ■ 学術会議の活動の多様性が失われれば学問研究の国民生活への貢献度も低下する。
 ■ 学問の自由が脅かされれば、市民の言論の自由にも影響を及ぼす。
 任命拒否を「学問の自由への大きな侵害だ」と学者達が批判し、反対するのも無理はない。

 普段は話題にもなり難い日本学術会議はどんなところか??
 国内の研究者らを代表する行政機関で「学者の国会」と呼ばれる。日本学術会議法は首相の所轄とはいえ、会議の「独立」を明記、科学や技術の振興などについて政府に勧告する権限を与えている。

 政治と距離を置く独立性こそが自由な研究と活発な議論を可能とし、豊かな学問を生み出す前提になっている。独立性を確保するため、政治側もまた、学術会議との距離を保たねばならない。
 独立性を重視するのは、先の大戦に科学者が協力したことへの深い反省があるからとされる。戦後発足した学術会議が政治と距離を取ったのは当然のことだった。こうした背景を振り返ると、任命拒否がいかに異例な事態なのかが分かる。憲法23条の「学問の自由」との関係で、適切な判断だったのかという問題が生じてくる。

 上記の理屈はよくわかる。マスコミをはじめ幅広く問題点が報道されている。ただ、私がよくわからないのは、従来どのような活動がなされ、国の施策にどのような提言を与えてきたのかの具体的な情報がない。だから、この学術会議関連のニュース、情報は隔靴掻痒の域を出ない。

 戦前戦中に学者が果たした諸問題、戦後の学術会議の活動状況を具体的に示してほしい。

 総論的には指名拒否問題の重要性は理解できるような気がする。
 学術会議にとって、官邸にとって任命拒否の意義はなんなのか、双方の説明を聞いても、見てもよくわからない。
 報道するマスコミもよくわかっていない?
 首相、官房長官の説明は説明の体をなしていない。


10/6(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床、新聞データ整理などいつものパターン。5:30雨の中違反覚悟でFit可燃ゴミ4袋提出、6:47バス飯川病院。8:45-13:20中通病院外来、14:00-18:30飯川病院、患者対応。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。書籍自炊。歩数計Σ12260歩。

菅義偉氏(9) 菅首相(5) 本 松田賢弥著 「したたか総理大臣菅義偉の野望と人生」
 私は約50年秋田に住んでいる。しかし、官房長官菅義偉氏について秋田県湯沢出身の方とはほとんど知らなかった。選挙に関しては決して無関心ではないが、氏が秋田出身であることを知ったのは数年前、閣僚名簿を見ていてたまたま知った。
 氏の選挙地盤は神奈川県である。通常は秋田県にとってそれほど重要な人間ではなく、特別に扱われていない。

 今回自民党総裁選に出て以降、秋田県出身の首相誕生と秋田県知事、秋田さきがけ新聞、郷里の湯沢地域で一気にフィーバーした。しかし、秋田出身の総理とは登録されない。

 私は菅義偉氏について知りたいと思った。9月16日首相指名選挙を経て第99代内閣総理大臣となったが、折良く9月28日に緊急出版として、松田賢弥著「したたか総理大臣 菅義偉の野望と人生」が出版されたのを知り早速書店で入手した。


 しかし、私はすっかり騙された。
 「したたか」という題名も当を得ていると考えてたが、「したたか」であったのは菅氏ではなく出版社の方であった。
 本書は、2016年に刊行された講談社+α文庫「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」を改題、新装刊したもの。そんな記述は表紙にも帯にも一切記載なし。
 書の最後のページに、3行だけこのことが記載されている。菅氏について新たな事実が明らかになるのは「編集部による6Pの前書き」だけでそれ以外は、2016年の本と内容は全く同じ。

 菅氏の総理大臣就任への便乗刊行としか思えない。一種の詐欺行為である。私は騙された。

 第99代内閣総理大臣菅義偉の、2016年までの足跡を知る一冊と割り切ればそれなりに価値はある。菅本人へのインタビューや永田町関係者らの徹底取材をもとに描いた評伝である。
 内容は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――-
はじめに 菅総理、誕生す(この部分の6Pみが新記述)
第一章  血涙の歴史の落とし子
第二章  集団就職の世代
第三章  小沢一郎と菅義偉
第四章  権力闘争の渦中で
第五章  安倍政権の中枢で
第六章  権力を体現する政治家
―――――――――――――――――――――――――-

 人物評伝としては、良く出来ている。菅官房長官の経歴を分かりやすく、興味深く解説した好著である。

 法政大学法学部に入学。学費を稼ぐために皿洗い、ガードマン、新聞社の雑用係、カレー店の盛り付けなどのアルバイト生活を続けた。
 官房長官として地道な仕事ぶりをしてきたが、新元号「令和」の発表で国民の人気が高まった。これは平成の小渕官房長官もそうであったが政治というのはそんなものである。「ミー・ハー」的人気が政治家としての在りようを変えていく。

 コロナ対応等、政府の代弁者として常に菅官房長官の姿が全面にクローズアップされていた。安倍前首相の意向も在り、二階幹事長の働きで各派閥の調整が図られ、岸田・石破両氏はなすすべはなかった。

 本書で過去の政治家との対話を知ることができた。過去の出版物を改題しただけなので内容は古いがそれでも白日の下に出てくる歴史は意味がある。

 騙されて購入したが、記述内容には満足した。

 最近の新聞広告によると10万部近く売れているという。この本が、2016年出版の古い本の装丁を変えて前書きだけを加筆して緊急出版したものであることを気付いている方はほとんどいないだろう。本の表紙を見直しても、新聞広告を見てもそんなことはわからない。「騙す方も悪いが、騙される方はもっと悪い・・・」、本書はこんな記述で始まるが、この本にふさわしい、当を得た記述である。


10/5(月) 曇り時に降雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 2:30飯川病院で起床。文献、新聞チェック。データの電子化。9:00-11:15健康クリニック、ドック診察14名。先週分の結果判定レ線読み14名分。11;45飯川病院。検食、微睡。 14:00-19:00勤務。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ6703歩。書籍の自炊化。 

新型コロナ(79) トランプ新型コロナに感染、入院治療、退院

■10月2日トランプ新型コロナに感染??のニュース流れた。
 10月2日、ネットの速報にトランプ大統領が新型コロナに感染したという記載があった。時差があり、速報なので詳細はわからないが、たぶん本当だろうと思った。

 彼は初めから新型コロナを軽視していた。
 国際的に感染蔓延の初期から、トランプ大統領は「米国では抑制されている」と明言し明確な初動抑制対策を取らなかった。米国の蔓延は急速に増大し、7月には米国の感染者数は世界で最も多くなり、中旬になってトランプ大統領がマスク着用を渋々推奨した。
 トランプ大統領の政策は打算的、直感的、感情的であり非科学的である。米国で死者は20万人にも達しまだ増加の過程にある。

■トランプ新型コロナに感染、入院した。
 トランプ大統領は新型コロナに感染し、軍の病院に入院した。病状は一時酸素吸入を必要とした。高齢であり予断できないと思われた。治療として未承認の抗体療法、抗ウイルス薬レムデシビル(Remdesivir)も用いられた。さらに2度目に血中酸素濃度が低下した3日には、抗炎症作用のあるステロイド剤デキサメタゾン(Dexamethasone)も追加された。酸素補給が必要な中等症と重症患者に勧められる薬だが、軽症者の場合は逆に危険なこともある。「世界最高水準の医療」とされるが「何でもかんでもやりましょう」のレベル、結局何が効いたのかわからない。

■トランプは3日間で退院した。
 ホワイトハウスに戻り、報道陣に健在ぶりをアピール。ツイッターで「新型コロナを恐れるな」と発信した。
 幸い、大事に至っていないからいいものを、今後再悪化の可能性もゼロではないだけに彼の行動は軽率と言わざるを得ない。完治しないままの職務復帰は周囲への感染拡大の恐れもあり、看過できない。

 周辺では既にメラニア夫人をはじめ、ヒックス大統領顧問、マクナニー大統領報道官、報道担当のスタッフ、与党共和党議員らが相次いで感染している。政府中枢での感染予防対策はどうなっているのか?
 トランプ氏は通常マスクをせず移動し、選挙集会ではマスクを着けない多数の支持者の参加を容認していた。これではあまりにもコロナ対策軽視と言わざるを得ない。

 米国の新型コロナ感染者は約741万人、死者は約20.9万人。感染者・死者のいずれも世界の20%以上を占める深刻な状況だ。これでも一定数の支持率を得ているから米国の政治風土は不思議である。

 米大統領は常に「核のボタン」を身近に置く。治療薬デキサメタゾンは精神障害の副作用もある。彼の行動は世界が注視している。

 米大統領が新型コロナ感染を軽視することなく、まず自国の感染を収束へ向かわせる責任を果たしてほしい。


10/4(日)終日降雨 飯川病院日当直 外来レセプト点検
1:00起床。何時もと同様、書類書籍自炊、新聞、医学論文などチェック。8:30講演会に出席の家内に同乗飯川病院へ。9:00日当直業務に就く。患者対応は求められず。自炊準備数冊、新聞チェック、読書中心で過ごす。12:00、18:00検食。15:00-16:30外来レセプト点検、21;00就寝。歩数計Σ5065歩、日当直ではほとんどの時間を机に向かって過ごすから、意識して院内をうろうろしても歩数が伸びない。運動不足。

新型コロナ(78) 1月時点の予想と現況(3)
 私は悲観論者である。感染長期化に関して過去の感染症の疫学から以下の危惧を感じ取って、1月の下旬に以下のごとくに予想した。
 あれから9ケ月、現状はどうなっているのだろう。ほとんど過去のペストやスペイン風邪と同様の経過をたどり社会的文化的に大きな打撃を受けている。新型コロナウイルスへの直接対策はできていないのでやむを得ない。経済が活動が旺盛なだけ生じている障害は小さくない。
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■社会
  雇用維持困難、テレワーク発展、商業活動低迷(観光旅行関連 飲食業界、交通産業 航空 鉄道 バスタクシー)、通販拡大、葬送関連業低迷。
  社会安全の維持に関して(不安、パニック状態、拘禁ノイローゼ、詐欺横行、うつ病など増加、自死の増加など) 
  SNSデマ横行、差別の横行

  概ね、残念なことに上記の予想はその通りとなっている。経済関連の落ち込みはリーマンショックのレベルをはるかに越えている。原因が一時的なものでなく持続的だから当然でもある。
 医療関係者、感染者に対する偏見差別的行動は眼に余る。

■文化
  文化産業の衰退(音楽、美術館、 図書館、地域の祭り中止など)
 概ね、上記の予想はその通りとなっている。一部壊滅的状況まで。芸術家たちは大変な状況にある。徐々に再活動の動きは見られるが遅々としている。

■医療・医療破綻
  診療形態の変化、電話診療の普及。
  新型コロナワクチン・治療薬の開発促進。
  消毒薬不足 マスクなど医療機器、呼吸器・ICU医師不足、救急崩壊、入院機能崩壊
  命の価値観、死生観の変化
  蔓延地域の医療機関は大変苦労している。全国的に受診抑制の動きがあり、医療機関の経営運営は困難を迎えている。
 国際的にワクチンの争奪戦が始まっている。ワクチンは「世界の公共財」である。途上国にも行き渡るような配慮が必要である。

■国民生活
  健康維持困難、家庭内暴力など。

■教育
  休校などで学力低下。自宅学習・通信教育の開発。

■政治
 政治が変容する。
 我が国で安倍政権から菅政権に変わった。新型コロナ対策の批判を浴びたことも病状悪化の一因になった可能性がある。
 トランプ大統領の支持率低迷にコロナ対策の軽視が一因として挙げられる。米国は世界で最も死者が多い。20万人にも達している。大統領が自らも感染しては危機管理能力が疑われる。多分、トランプ政権ハイ割ることになるだろう。

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などなど。

 新型コロナ感染症の蔓延は世界的にあまねく共通する課題である。しかしながら、その対策はバラバラである。いまこそ、大国の指導者が度量を示し、全世界的に責任を果たすべき時ではないか。WHOの存在意義が問われる。


10/3(土)当直明け 快晴午後降雨 トランプ新型コロナに感染入院 
 2:30飯川病院起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、自炊準備。新聞チェック。9;00バス帰宅、新聞データ化、ダリア世話。日差しも和らぎ最近の開花は美しい。新聞、医学論文などチェック、自炊。13:30-15:00書斎の整頓、ガレージ2F整理など、廃棄物多数。以降は書斎にて音楽関連の最近の録画鑑賞、読書中心、19:00夕食、21:00就眠。歩数計Σ10807歩。

新型コロナ 新型コロナ(77) トランプ感染(2) 1月の予想と現況(2)
■トランプ新型コロナに感染、入院した。
 トランプ大統領の新型コロナ感染は本当で、軍の病院に入院したという。病状はそれほど重症ではないようであるが、情報は錯綜している。一般論として、高齢であり予断できないと思われる。

■新型コロナ感染症について。
 ウイルスはβコロナウイルスの一つ。感染者の多くは無症候か軽症のため、感染者の同定と隔離による封じ込めは困難。たとえ、PCR検査を増やしても決定的効果はない。
 社会活動を強力な活動制限すると、時間はかかるが感染抑制は可能である。しかし、社会活動が人間を生かしているので協力な抑制は非現実的。だからと言って、集団免疫が出来ないうちに活動制限を無制限に解除すると、再び大流行が起こり得る。現実にヨーロッパ、特にパリ周辺の感染拡大は深刻な状況になっている。

 長期の社会活動制限は社会や経済の崩壊をもたらす。活動制限は社会的に痛し痒しで、状況に応じてブレーキを踏んだりアクセルを踏んだりのコントロールを断続的に行う必要がある。活動制限には休業に対する保障が必要である。国も資金不足に陥っているが、地方自治体の経済は逼迫しており休業要請は安易にはできない。

 日本の行動制限は緩い。だから、若者中心に期待に反する行動が見られる。今は全国民が感染抑制を担う当事者として自覚が必要となる。
 日本の将来は一人一人の良識にかかっている、と言っても過言ではない。休業だ保障だ、だけでは不完全、

 新型コロナ感染は長期化すると予想される。
 私は悲観論者である。感染長期化に関して以下の危惧を感じ取って1月の下旬に以下のごとくに予想した。
 あれから9ケ月、現状はどうなっているのだろう。

1月時点の予想と現況(2)
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■新型コロナ疫学 
  感染蔓延抑制無策なら世界的に感染者は1000万人以上、死者2-4%。一国で抑制し得たとしても、このグローバル社会、感染者の入国は抑制困難。
  国際的に蔓延対策の足並みの乱れが憂える。
  感染者は3000万人以上、死者100万人に達した。WHO予測では地球上の全人類の10%が感染しうると予測している。
 米中の諍いは感染状況を悪化させる。新型コロナ感染は世界規模であることから諍いなどしている暇はない。ワクチンの争奪戦も見ちゃおれん。ワクチンの成否はまだわからないが、途上国にも均等に配布しなければ世界的抑制は望み得ない。

■経済 
  国内経済破綻ーー企業家計への休業補償、収入減補償拡大、赤字国債発行に次ぐ発行、国の税収激減、大企業の能力低下、地方経済低迷・活力低下
  国際経済破綻ーーユーロ圏 イタリア ギリシャ イランも危ない。エネ産業低迷 大恐慌、リーマンショック以上の経済危機。新興国の経済破綻、没落
  上記の予測は全て当たっている。改善傾向は微々遅々としている。

■食料危機
  国際的ーー食糧生産の低下。食料自国主義から流通量低下。 
  国内ーー食品輸入量の低下 食品流通不足
  今のところ大きな変化は見られていないが、中国では備蓄を開始した。食料自給率の低いが国は早急な対策が必要であろう。


10/2(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア 本日当直
1:10起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に。8:11こまち、往復路徒歩9:10-12:00大曲中通病院。秋田徒歩、業務用スーパー、ゴマだれドレッシング、白だし購入。重い。13:30飯川病院ボランティア。患者対応。17:00当直に就く。18:00検食、21:30就寝。歩数計Σ12989歩。

新型コロナ 新型コロナ(76) トランプ感染(1) 1月の予想と現況(1)

■トランプ新型コロナに感染??
 ネットの速報にトランプ大統領が新型コロナに感染したという記述があった。速報なので詳細はわからないが、たぶん本当だろう。

 彼は初めから新型コロナを軽視していた。
 国際的に感染蔓延の初期からトランプ大統領は米国では抑制されている、と明言し明確な初動抑制対策を取らなかった。米国の蔓延は急速に増大し、7月には米国の感染者数は世界で最も多くなったが、中旬になってトランプ大統領がマスク着用を渋々推奨した。
 トランプ大統領の政策は直感的、感情的であり非科学的である。
 9-10月になり大統領選挙が近ずいたが、氏の選挙対策は多数を集める集会が中心となっている。大統領が感染したというニュースは、まだ詳細はわからないが、それほど大きな驚きはない。

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1月の予想と現況(1)
 私は1月下旬に、過去の疫病の歴史から「疫病は社会を変え、政治を変える・・・」と記載した。その後9け月経過し、ほぼそのような状況を蹴てきた。

 地域封鎖は歴史上でも何度か行われてきた。ペストの例が有名である。
 封鎖の意義を理解できずに強行突破した住民たちは世界中にペストを蔓延させた。その歴史から学び取るべき教訓は多い。

(1)疫病は社会の在りよう、身分制度、政治を変えた。
(2)病気に対する古い考えもあらためられた。病気は神の罰などではなく、現実的な何か別の原因があることを人々に教えた。
(3)おぼろげながら伝染病についての考えが現われた。
(4)患者を隔離するという試みの効果は不十分ではあったが、とにかく公衆衛生の下地が出来た。
(5) 疫病は戦争も終結させた。

 人間の歴史上でスペイン風邪の経過を見てもそう思う。後者は100年前のことであったが、収束に約2年かかり、その間5億人が罹患、3000万人以上が死亡したとされる。正確な記録はないようだ。
 現在も新型肺炎に積極的対応策はまだない。治療薬もワクチンもない。基本は100年前と同じ。
 いや、100年前以上に、人間は都会に集中し、過密状態で旺盛に経済活動を営み、国際交流も盛ん。当時は交通は船舶、鉄道が中心であったが、今は航空機で1日で地球を半周できる。とても便利な時代になっているが感染症という立場ではハンディを背負っている。

 今は急速な感染爆発を何としてもおさえなくてはならない。国の機構が破綻し、医療機関も破綻し、社会は泥沼化する。
 感染爆発を抑える事が出来れば、素晴らしいことであるが、結果として流行は長引くことになる。

 社会は短期収束を期待している。コロナ収束後の経済をどう立て直すか、などの論評も見られるが、まだまだ早い。今は感染抑制が第一である。
 今後、新型コロナ感染がどのような経過を示すか、まだ明らかではない。
 国の新型肺炎対策然り、教育界然り、産業界然りであるが、もっとスパンの長い状況を考慮して、しかも新型コロナウイルスと共に生きるという、新しい発想を考えて欲しい。


10/1(木)快晴 11:00飯川病院勤務に 
 0:30起床。文献・新聞他。自炊数冊。早朝寒くてガスストーブ初点火2院長運転免許更新のため外出、10:50バス飯川病院、11:10-18:45勤務、入院患者対応。19:10帰宅、夕食、21:00就寝。自炊3冊ほど。歩数計Σ9613歩。

新型コロナ 新型コロナ(76) 久々新型コロナについて 世界の現状
久々新型コロナについて考えてみる。前回は8月12日であった。

■ 10月1日時点の国内感染者総数(死者)数。
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?変動した数値
  ??国内感染判明例    86505人(死亡1598人)
    秋田県        58人             
    岩手県        24人
  ??空港検疫関連者     1007人
  ??入院療養中     5351人(重症140人)
  ??退院患者    79370人
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?変化のない数値
  ??ダイヤモンドプリンセス号関連  723人(13人)
  ??コスタ・アトランチカ号関連   149人
  ??チャーター機関連        15人
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 米ジョンズ・ホプキンズ大の集計では、4月10日に死者が10万人を超えて以降、1ヶ月で15万人程度増える状況が続いている。世界全体の新型コロナウイルスの感染者は3000万人、感染症死者が世界全体で100万人超となった。WHOによれば、最近はインドや米国、中南米での死者が多く、1日当たり5000人前後に上る。

 いま何より求められているのは利害を超えた各国の協調である。こんな状態では東京五輪は望み得ない。
 依然、拡大傾向にある感染被害を重く受け止めなくてはならない。

 WHOは適切な対応を取らなければ死者は倍増すると警鐘を鳴らしている。現在のペースで増えれば半年後にも200万人に達する可能性がある。

 感染の「第2波」に見舞われた日本では、8月以降も感染者数、死者数ともに微増傾向にあり、いまだ気は抜けない。

 そうした中で全世界からの入国制限の緩和が開始される。
 3カ月以上滞在する外国人が対象で経済活動の再開が目的。しかし、世界の感染状況を見れば、安心できるタイミングとは言い難い。しかし、社会的視点で見れば選択肢は乏しい。

 世界各国も感染防止策と経済活動との両立を迫られている。
 その中で、欧州では「第2波」が拡大中。中でも感染者数が多いスペイン、フランス、英国で、経済活動再開の本格化とともに感染者が増えている。このため3国とも移動や飲食店の営業を制限するなど再び規制強化を始めた。

 これは当然である。新型コロナ感染症に対しては、人的交流接触抑制、3密回避以外に効果を上げてはいない。
 効果があると考えられている、手洗い、マスク着用、うがい、フェイスシールド、アクリルパネルの応用などは今できる対応の一つであるが、絶対的効果はない。やらないよりはやったほうがいい、というレベル。
 特効的治療薬とワクチンはまだないに等しい。

 だから、人的交流の再開は感染再増加の容認でもある。
 今できることは、爆発的感染増加にならないよう、社会を、社会常識を再構築して中庸のレベルの人的交流で感染を低いレベルでコントロールしていくことだろう。
 
 新型コロナに関して根拠なき楽観論は許されない。例えば、PCRを増やしても感染は抑制できない。コストと疫学的価値を考えれば意義は乏しい。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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