徒然日記
2018年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(土) 終日降雨 書斎整理、廃棄物多数
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。せっかくの休日であるが降雨のために外仕事が出来ない。ほぼ終日室内で過ごす。オーディオ機器廃棄、書籍、CD大量廃棄。BR disk視聴「N響定期:2回分」。19:00夕食。20;40就眠。歩数計Σ8772歩。

書評:西部邁著「生と死 その非凡なる平凡」新潮社 2015年4月
 いま、私は終活の最中である。人として死に方を考えながら残りの生き方をじっくり考えることも終活の一つのありようと考え、楽しんでいる。
 最近、私は自殺、自死の意義について内外の文献等を集めている。私は決して自殺、自死を礼賛するものではないが、全否定するものでもない。その程度の最期の自由はあって然るべきである。

 西部邁氏1980年代初めから保守論客として存在感を発揮し続けてきたかたであるが、1月に「多摩川で入水」という興味ある死に方を遂げた。いろいろな考えがあって然るべきであるが、自分一人で死ねば良いものを、西部邁氏はマトモな社会人二人を自殺幇助と言う形で道連れにした。点で許し難い。途中までの論旨とかの展開は納得できるが、晩節を汚してしまったと思う。

 自死を考えるなら誰でもできる。それを実行に移したと言う意味で、氏はわれわれに対して大きな問題提起をした。最大の教訓は、ヒトは思っているだけでは死ねない、何らかの外力が必要なのだ、という事だろう。

 しかしながら、そんなことは分かっていることで、氏の自死からの教訓は私にとってはそれほどない。
 死に対する考え方が氏と近いからである。

 社会的には自死は悪、ととらえられている。私はまだそんなことを個人に押しつけている社会のほうが悪い、と考えている。
 死はあらゆる苦痛、苦悩からの解放であり、安息の獲得と思う。
 むしろ、現代の死が、家族の価値観、他人の価値観、社会の価値観で、安易に医療に委ねられ、不自然な形で心肺が停止するまで生きながらえなければならない現実の方に疑問を抱いている。

 西部邁氏は社会に認められた死の方法がないために「自裁死」と格好つけた自死を選んだ。死んだ本人は多分満足しているかも知れないが、格好の悪い死に方であった。死に至るまでの、意識を失う迄の過程は辛かっただろうし、やはり氏の自死も不幸な選択の一つである。安楽死が許されていれば、苦痛無しに静かに意識を失うことが出来たはずである。
 最近、高齢者医療の中で、延命治療や過剰医療を排した自然死、平穏死、尊厳死など取りざたされている。一見格好いいが、私はそうは考えない。
 どんな名称を付けたにしても、全て社会からはめられた枠の中で、その時を待つだけの死であり、個人の自由は無い。死刑と本質的に同じ社会による緩慢な懲罰である。

 私は、当初は氏の思想にはあまり興味が湧かなかったがいろいろ読んでいるうちに納得できる部分も多くなってきた。死を意識してからの入水死を遂げるまで20年以上だったと言うが、その過程を類推するのも面白そうである。

 氏は著作の中で、家族、特に夫婦の大切さを説いた。自宅で末期がんの妻をケアし「保守思想とは妻の看病をすること」と述べ、その死後は自身を「半死者」と呼んだ。

 この書籍の中ではpp150ほどから自身の病気と妻の闘病に関する記述が増える。
同級生だったらしい夫人を8年の介護の末、看取った話が中心になる、興味深く読んだ。
 病院、医師、看護師、東洋医学、鍼灸、モルヒネによる譫妄、娘や自分が受けた数々の罵詈雑言、コロシテとの哀願、安楽死や無理心中、無残な死顔、散骨計画、墓不要主義などについての話題がつづく。ちょっとしたこと西策を巡らす西部氏のこと、各項目について深い洞察を加えている。その語り口は時に辛辣である。そのほとんどは医療関係者の一人である私にも納得いくものである。しかも、そのいずれも私が普段記述していることと大差が無い。

 類推するに、氏を自死へと至らしめたものは、自身は妻が受けたような、不本意な延命治療や施設で介護など受けたくない、そんな死に方は「屈辱死」以外の何者でもない。だから自分はその前に自死を遂げるのだ、という判断であった、と思われる。
 ある意味では当たり前の発想で肩透かしであった。哲学者、思想家といえどもその前に、一人の人間であった。


6/29(金)早朝降雨午前から快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ処理、降雨にて提出せず。7:30Taxi駅へ。8:11こまち、9:10-12:00大曲外来。駅往復徒歩、暑くて疲弊した。13:30飯川病院勤務、微睡。BR diskながら視聴:「これでわかった世界のいま、2本」。19:00Taxi帰宅。夕食、20:30就眠。歩数計Σ12382歩。

書評:須原一秀著「自死という生き方」覚悟して逝った哲学者 双葉新書 2009年
 いま、私は終活の最中である。今まで収集した書籍や音源、庭木なども対象に身辺整理を進めている。終活の対象はまず物品が対象になるが、自分の死に方を考えながら残りの生き方をじっくり考えることも終活の一つのありようと考える。

 最近、私は人の死に様を考えるときに自殺、自死の意義について勉強を始めていて、内外の文献等を集めている。私は決して自殺、自死を礼賛するものではないが、全否定するものでもない。私にとっての可能性?勿論ゼロとは言い切れない。

 私は「いのちは自分のもの、死ぬ権利もある」と思っている。安楽死を含め「死に方を選べる社会が到来すればいい」と思う。わが国では社会的にコンセンサスは得られないだろう。高齢化社会、多死社会を迎えやっと生きる事の意義が問われ始めてきたレベルである。
 一方、生物学者の池田清彦早大教授は、「いのちは自分の所有物ではない。だから、死ぬ権利はない」と述べている。
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 わが国には自殺自死の歴史が積み重ねられている。出版物も多い。
 まだ途中までしか読んでいないが、モーリス・パンゲ著「自死の日本史」には以下の例を引いて日本人の精神論を展開している。

 ■ 安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位尼 ■ 鎌倉幕府滅亡時の6千人余の武士の切腹 ■ 千利休 ■ 浅野内匠頭 ■ 大石内蔵助と四十七士 ■ 西郷隆盛 ■ 乃木希典 ■ 芥川龍之介 ■ 太宰治 ■ 川端康成 ■ 特攻隊の心情 ■ 三島由紀夫
 この著作は読み進めるのが楽しみである。
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 資料検索の過程で「須原一秀」という哲学者を知った。
 氏は65歳で神社で頸動脈を切ったあと首を吊って自死を遂げた、とされている。
 著作等を通じ自死を礼賛し、そのとおり死んだという点はすごいと思う。 その著作を取り寄せて読んでみた。

 須原氏は、本著作の中で「死の受容」について考察した精神科医、キューブラー・ロスの例を挙げ、人は老化すれば変わりうるので、そうなる前に対応せよ、と述べる。
 また、割腹の三島由紀夫、飛び降りの伊丹十三、刑死したソクラテスの例を挙げ仔細に検証している。氏はこの三者は迫り来る老醜への嫌悪から死に向かった、と断言する。

 須原氏は「中高年の男女よ、心身の衰えを自覚したら、躊躇せずに自殺せよ」と呼びかけており、自身がどう考えていたかわからないが、私は須原氏が挙げた3人が、迫り来る老醜への嫌悪から自死願望を持っていたとは到底思えない。3人には死ぬべき別な事情があったのだ、と思う。 

 では、須原氏自身は何で死んだのか。本当に老醜を嫌っていたのか、哲学者が加齢の意義をどう考えていたのか?
 頸動脈を切って首吊り自殺した、とされるが動脈を切ってから首吊りができたのか?とも思う。「老醜」、「自殺」について考察しすぎて自らを心理的に追い込んだのかも知れない。しかし、実際に自殺という行動にうつした哲学者の思考過程は、論旨に乱暴な部分は多々あるものの、一つの考え方として容認出来るし、自ら実践したという点でひたむきさ、迫力がある。

 しかしながら、私の立場から言えば、加齢による精神・身体の変化は不幸なことではなく、そのことを味わう事に人生の意義があり、楽しみだ、とおもう。従って、老醜を嫌悪して自ら元気なうちに命を絶つという行動には直接的には結びつかない、と思うから須原氏には同意できない。

 少なくとも私たちは、死を思う行為から遠ざかるべきではない。そのことを教えてくれる著作である。


6/28(木)朝夕小雨中間に晴れ 外来 飯川病院 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。畠収穫キウリ4本。8:10家内に同乗飯川病院。8:45-12:30中通病院外来+ドック判定総括14名分。12:45院長横浜、13:00-18:50飯川病院勤務。入院患者処置、散水。BR disk視聴:「そこまで言って委員会」視聴。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ6638歩。

ベルリン交響楽団演奏会(2) 厳しい台所事情から日本で1ヶ月以上に渡る長期滞在
 ベルリン交響楽団は、1966年西ベルリンで設立されて以来、音楽の激戦地ベルリンにおいてベルリンフィルと共に半世紀に亘り市民に支持され続けている。

 1997年、5代目の首席指揮者に就任したリオール・シャンバダール氏は海外ツアーやレコーディングなど精力的に活動を広げ、ベルリン交響楽団の新時代を築き上げる。
 ベルリンでの音楽祭はもちろんのこと、ロンドン・プロムス、エディンバラ、イスタンブール、フランダース、カイロなど世界の主要な音楽祭にも参加する。

 地元ベルリンのコンサートでは、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなど、古典の交響曲をプログラムの中心にもってくることにより、耳の肥えた聴衆を拡大してきた。このオーケストラの強みは、シャンバダールの元、確固たる演奏様式が備わっていることである。これは現代音楽が中心になっているベルリンフィルと対局する動きである。

 ベルリン・フィルハーモニーホールで定期演奏会を続けているほか、ベルリン音楽アカデミーと共同で様々な教育的ブログラムを実施している。このプロジェクトは、ベルリン交響楽団のあらゆる活勣の中でも特筆すべき点と言われている。

 予供のための教育ブロジェクトを促進すべく、フィルハーモニーホールで子供の為のファミリーコンサートを行い、楽器を紹介したり、学校を訪れて演奏している。

 然し乍ら、2003年に市の財政緊縮の為、ベルリン交響楽団への助成金が打ち切られ、団員全員が解雇される事態となった。しかし、翌年からまたプロジェクト・オーケストラとして活動を開始した。現在、ベルリン交響楽団のメンバーは正規団員、エキストラを合わせて約80名である。

 月に―度、日曜日にフィルハーモニーホールで定期演奏会やファミリー・コンサートを、またカンマームジークザールで毎年2回ジルヴェスターコンサートを催している。
 しかし、ベルリン交響楽団の収人だけでは食べていけないので各メンバーが学校で教えたりしている。
 さらに、ツアーで外貨を稼ぎ、その一部を楽団の運営費に当てる。

 2014年よりベルリン市より助成金2万ユーロ支給されることとなり、宝くじ(ロト)基金も2-3年前から出ているなど、2004年より続いた苦しい台所事情は10年経った頃から、ようやくベルリン交響楽団の活動が安定してきている。

 2002年より今回で7回目の日本ツアー、そのうち秋田には6回訪れ、私はその全てを聴いている。来日時のスケジュールは毎回一ケ月以上滞在し演奏を続けている。
 その背景には苦しい台所事情もある、ことを理解した。

 多くの日本のオーケストラも厳しい運営が続いているようである。音楽を好む一人として何も力になってあげられないが、せめて秋田公演の機会があれば聴衆の一人として支えていきたいものである。


6/27(水)降雨強風 社会福祉関連高齢者巡回2件 午後飯川病院ボランティア
 0:30起床、ディバッグ病院に忘れプリ往復。文献チェック,本読みほか、新聞データ化。午前中早くから降雨と強風、一部黄瓜の支柱強化。10:00社会福祉関連高齢者巡回2件13:00雨の中レガシー飯川病院、ボランティア。アップルと電話相談。午後より天候回復、新幹線再開。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数Σ11572歩。庭の昨年灌木類処理開始。

ベルリン交響楽団演奏会(1) 能代での演奏会を聴く
 ドイツの首都ベルリンに拠点を置くオーケストラ・ベルリン交響楽団の「スペシャル・サンクスコンサート」が6月24日、能代市文化会館で開かれた。
 指揮はイスラエル出身の首席指揮者リオール・シャンバダール。いつもの如くなじみ深い名曲が披露された。

 曲目は
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  ■ シューベルト交響曲第7番「未完成」、
  ■ ラフマニノフピアノ協奏曲第2番、
     独奏 エフゲニー・ミハイロフ
     アンコール チャイコフスキー「金平糖の精の踊り」
     グリーグ「山の魔王の宮殿にて」
  ■ チャイコフスキー交響曲第5番
  アンコール ビゼー「アルルの女」からファランドール
         「カルメン」より「第3幕への間奏曲」
          ブラームス 「ハンガリー舞曲第1番」
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 この日は約70人が演奏、北秋田市出身能代高卒の米倉森さん(30)もクラリネット奏者として舞台に立った。

 私は一部の表現に驚きながら、主たる三曲を十分楽しんだ。楽しんだ・・ということにはトロトロ寝を含む。微睡しつつ名曲の演奏を聴くのは私にとって贅沢な、かつ至福の時である。

 同楽団は1956年に当時の西ベルリンで設立。今回で7回目の来日。私は今回で6回目、来日楽団としては一番多いが、指揮者も同じ組み合わせで6回目とは驚きである。指揮者と楽団の日本公演に対する好み、利害が一致していることだろう。

 私のファイルから過去を検索してみると、今回以外は秋田県民会館。今回は工事中なので能代にまわったのか??
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 ■ 2002 6月 シューベルト「未完成」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、ベートーベン「英雄」

 ■ 2004 6月 ベートーベン「エグモント」,同「交響曲第7番」、ドヴォルザーク「新世界より」

 ■ 2008 9月 シューベルト「未完成」、ベートーベン「運命」、ドヴォルザーク「新世界より」

 ■ 2010 6月 エルガー「威風堂々」、ベートーベン「交響曲第7番」、ショパン「ピアノ協奏曲第一番」独奏ブーニン

 ■ 2012 6月 ベートーヴェン「交響曲第6番田園」、メンデルスゾーン「交響曲第4番イタリア」、同「ヴァイオリン協奏曲」独奏イリヤ・カーラー

 ■ 2018 6月 今回
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 楽団は7回目の来日で日本にも、秋田にもなじみ深い。

 今回はわざわざ出かけるので、S席で聴いた。座席が狭くて閉口した。
 指揮者は姿も相変わらず。ちょっと身長が縮んだような印象である。どうやって靴下をはくのか、ズボンをはくのか、聞いてみたい。
 コン・マスは体格が抜きんでて大柄、楽器が小さく見えた。いつも名曲を並べ、著名なソリストを同行してくる。超有名曲のオンパレードで、理屈抜きに感謝である。本当は不協和音が続く現代曲も一曲くらいほしい。

 来日公演のパンフレットをみると、毎回1ヶ月以上日本全国を巡回している。来日楽団としては異例である。遠くドイツから一月以上も日本で公演し続けるのは一体何なのか?
 今回はその件についても資料を集めて見た。結果として、運営費用の件が大、ということがわかった。


6/26(火) 快晴午後曇り 外来 飯川病院
 0:30 起床。新聞、音声データ整理.書類処理、7:30徒歩飯川病院着。 8:45-13:00中通病院外来。混雑ではないが対応困難患者で疲弊。14:00-19:00飯川病院、患者対応、静脈確保、微睡。BR diskながら視聴:「そこまで言って委員会:ストレス社会」視聴。19:30帰宅、夕食、20;30就眠。歩数計12326歩。

ハラスメント2018(4) ハラスメントは一体どれだけあるのか
 現在、実際どのような「ハラスメント」が流通しているのだろうか。最近日本語が軽くなってきて若い世代を中心に連日のごとく新語が生み出されて行くのではっきりした数値は上げられないと思うが、私が蓄積しているファイルに検索をかけてみた。

 以下のが検索に引っかかった。
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■ カスタマーハラスメント ■ セクシャルハラスメント ■ コミュニケーションハラスメント ■ マタニティハラスメント ■ 妊活ハラスメント ■ ヌードルハラスメント ■ アルコールハラスメント ■ アカデミックハラスメント■ ジェンダーハラスメント ■ スモークハラスメント ■ ペイシェントハラスメント■ ペットハラスメント ■ ドクターハラスメント ■ モラルハラスメント ■ スメルハラスメント ■ エイジハラスメント ■ ソーシャルメディアハラスメント
・・・
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 まだまだあるが、定義もはっきりしない適当なのも多い。わざわざ列挙することもないのでここまでとする。

 ■ 家庭内暴力、■ ドメスティックバイオレンス、■ 学校のイジメ、■ 指導関連のイジメ、■ 職場のイジメ問題などもハラスメントそのものであるが、これらは自殺や犯罪的行為にまで及び得る重大な内容であり、一般的にはハラスメントに含まれない。最近のアメリカンフットボール悪質タックルの背景はパワーハラスメントに相当する。

 「セクシャルハラスメント」という言葉は、1970年代にアメリカの フェミニストたちが言い出した造語で、日本では1986年に起こった「?船橋駅ホーム転落死事件」がきっかけで使われた。
 事件の概要は、女性が酩酊男性に絡まれそ、拒絶しようと押したら、男性がホームに転落して電車に轢かれてしまったというもの。女性の支援団体が「セクハラ」という言葉を使いだした事を嚆矢とする、とされている。
 「セクハラ」が普及したのは1989年に出版社勤めの女性 が、上司を相手に「セクハラ」で裁判を起こしてから、とされる。

 「セクハラ」は性に関連した嫌がらせ全般を指す。
 一般的には男性から女性に対しての嫌がらせが多いが、社会的に優位にある男性から男性に対して、あるいは女性から男性による性的嫌がらせも少なくない。
 人間が複数いて、そこに地位とか職務権限とかの何らかの格差が生じた際にはいじめや各種の嫌がらせは「あって当たり前のこと」であって、メディアや有識者が「あってはならないこと・・」などとコメントしているが、私は「あって当然」との立場を取る。
 特に社会的に高い地位にある中高年がものがその視点に立っていないから、対策が後手後手に回る。特に男尊女卑の文化が長かった日本においては性別はそれだけで立派な格差である。加えて社会的地位の差はそれを助長する。

 また日本では性的なトラブルは公にしない、隠しておくべきという風潮があったことも性的嫌がらせの実態を不明にしていたが、ハリウッドの「mee too」運動がきっかけとなって国際的関心ごとに発展している。


6/25(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。7:25徒歩病院着。9:00-11;00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ。13:00-14;00微睡、14:00勤務。院内電気系統点検のため2時間停電。入院患者血管確保2名うまく入らず。19:30帰宅夕食、20:30就眠。歩数計11939歩。

ハラスメント2018(3) ハラスメントという言い方が問題の本質さ歪めている
 最近は何でもカタカナ語に置換するのが流行っている。
 私を含めて高齢者は困惑している。こういうのは「高齢者いじめ」、エイジハラスメントとはいわないのか。日本語が不快になる。メディアは格好が良いと思うのかカタカナ語で氾濫している。
 医学界もそうだ。なんでメタボ?? デブの方がずっといい。

 2014年の6月ごろ、TV番組が外来語多用で理解できないという理由で精神的苦痛を負ったと、岐阜県の71歳の男性がNHKに対して慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。
 私もカタカナ語の反乱については快く思っていない。
 日本語に該当する言葉や概念がないため、別の言語をカタカナ表記することで取り入れるのであれば全く問題はないが、すでに確立された日本語があるにもかかわらずわざわざ外来語に置き換えるのはいかがなものか!

 カタカナ語に置き換えれられているのは英語が多い。私は英語は得意でないという自覚があるから今でも学んでいる。だから、カタカナ語に置き換えられても実害は無い。しかし、不快である。秋田市の標語の一つに「エイジフレンドリーシティ」と言うのがある。「高齢者に優しい街」の方がずっと優しげである。秋田市は高齢者いじめの街、という事になる。

 現代の日本語語彙分類では 、ある資料によると和語33%、漢語49%、外来語18%といとなっている。外来語は適性に用いられるのであれば、文章や会話をより豊かにするという考えを否定しないが、多用すると問題と思う。
 そんなに外来語は格好いいのか? そんなにステータスが高いのか? そんなにカタカナ語は洒落ているのか? 日本語って恥ずかしいのか? ・・・何ちゃって、と思う。

 私は毎日ミニ随想を書いて、日本語をこよなく愛している。外来語の使用を最小限にしてほしいと願わずにいられない。

 近年、「ハラスメント」という言葉を聞くようになった。
 セクシャルハラスメントが一番問題になっているが、どうして「ハラスメント」と言い換えねばならない?? 「性的暴力」、「性的嫌がらせ」ではだめなのか!!! こっちのほうがずっと本質をついている。カタカナ語にすると語彙が弱まる。

 なんでハラスメントにこんなに種類があるのか!!!! 言葉が軽いから、誰でも簡単につくれる、同意出来るから、である。

 実際どのような「ハラスメント」が世間に認知されているのだろうか。


6/24(日)快晴、午後から小雨 午前飯川病院日直 午後ベルリン交響楽団 
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。5:00散水他。8:30バスにて飯川病院、午前日直。11:00来客あり。12:00家人と車で能代に、昼食摂り14:00-16:30能代市文化会館ベルリン交響楽団演奏会。18:00帰宅、データ整理若干、19:00夕食、20:30就眠。歩数計13270歩。 

映画2018(3):「万引き家族」(2)
 この映画を見ていると、最近新聞で報道されたおぞましい記事が浮かんでくる。社会的には、生活扶助費の削減計画、子どもの貧困、児童虜待、年金不正受給などもあった。

 子ども虐待のニュースに接する度に、胸が締めつけられる。世界一安全な国で高齢者が大事にされすぎている日本で、6万人以上の子どもが虐待され、最悪の場合、死に追いやられている。「言うことを聞かなかったから」、「しつけのつもりで」・・・と、抵抗できない非力な子供を痛めつける親がいる。どの場合も悲惨だが、最近明らかになった東京目黒の5歳児の虐待死の子供が書いた、両親にうったえる文章は胸をうつ。これが5歳児の文章なのか・・・!!!

 これらのニュースを見聞きしたときに抱く感情と、この「万引き家族」が描き出す世界は大きく異なる。
 貧しく、狭い家には所狭しと物が置かれ、5人の家族はその隙間で密着して暮らしている。だからなのだ、と思うが、この家族には不思議な結束がある。

 そんな環境ながら、父親と息子は、集合住宅の廊下に出され、寒さで震えている女の子を連れて帰る。女の子はその日から男の子の妹になる。そのあたりから、だんだんこの家族とされる数人の集まりがどう言う関係、結びつきで成り立っているのかが、見えてくる。

 貧しく、社会からほぼ孤立しているという痛みを知る者だけが感知できる、言葉にならない感情を互いに共有している。また、その痛みを知る者だけが持ち得る強さで、彼らは互いに支え合っている。女の子を受け入れたのは善意でも正義でも同情でもない。自然と手をのぱしてしまうからだ。

 彼らにとっては万引きすることはおなじことだ。困っている者に本能的に手をさしのべるように、自分たちにも手をさしのべる。そんな感覚だろう。

 同じ空気を吸い、匂いを吸い、皆んなで鍋をつつき、花火の音に耳をこらし、絵本を読み、旅行に出かける。それが絆の元なのだが、その暮らしに次第に亀裂が入り始め、それぞれの道へ離れていかざるを得ない。

 こんな家族の物語を、どれだけの人が共感出来るのか?
 多くの方々にとっては自分に関係の無い、貧層の社会の底辺にいる家族の物語として興味本位にみるか、いろいろだろう。

 私は医療の現場で働いている。
 家族の死に臨んで、厳しい介護に臨んで、家族間の対応を観察していると、経済的に豊か、高学歴の家族ほど理屈で考え、判断はクリアである。別れもサバサバしている。貧しく恵まれない生活を送ってきた家族は感情的ではあるが、より親身であり、絆は強いように思われる。

 映画「万引き家族」は後者の関係のはずだったが、結局は社会の常識で判断され、崩れ去っていく。
 意味ある作品とおもう。
 カンヌ国際映画祭での判定・評価陣は、異文化である日本の状況、しかもその底辺の生活者のの表現を通じ、その価値を見出したわけだが、その能力は大したものだ、と考えた。


6/23(土)快晴 
1:30起床、新聞、文献など。午前・午後畑と庭の対応。添え木追加、水及び追肥の為の穴掘り、追肥。午後微睡、夕方からは書斎にて蓄積データ大幅に整理。新聞処理、本読み三昧19:00夕食、21:00就眠。BR disk視聴「N響定期公演、Beethoven Sym 8+7 ブロムシュテット」,「題名のない音楽会」。歩数計10128歩、敷地外に一歩もでず、外作業のため。

映画2018(2):「万引き家族」(1)
 カンヌ国際映画祭で是枝裕和監督の「万引き家族」が最高賞(パルムドール)を受賞した。

 映画については私は初心者である。映画祭などについてまったく不案内であるが、カンヌ国際映画祭はベネチア、ベルリンと合わせて3大国際映画祭と称されていらしい。近年は第一線の監督の多くがカンヌを目指している、という。そんな映画祭で最高賞を得たということがどんな凄いことか。

 昨日、大曲中通病院の診療応援の帰りに秋田駅に隣接するルミエールで観た。2月の「君の名は。」に次いで今年2本目の映画。
 これだけ新聞紙上で話題にならなければ私が見る機会は無かっただろうと思う。

 私は何か芸術を鑑賞する際には予習などしない。先入観なしにまず見たものから判断する。その為には複雑な構成、主張などある作品の場合には作者や監督の意図を感じ取れないこともある。後付けで資料を見て納得することも少なくない。
 是枝監督の作品をどう受け止めれぱいいか、一回見ただけではよく分からなかったが、家族の姿を通して見えてくる「社会」の方に焦点があるように思う。

 「万引き家族」は、ウソや小さな犯罪を重ねながら生活する一家の物語。誰にも顧みられず生きる底辺の家族の姿が描出される。

 登場人物たちは、都会の片隅でひっそりと身を寄せ合って生きる数人。
 家の持ち主の祖母(樹木希林)、父(リリー・フランキー)と母(安藤サクラ)、その妹(松岡茉優)、息子(城桧吏)が、乏しい収入で日用品を万引で補いながら暮らす。
 父はある日、体に傷やあざのある幼い女の子(佐々木みゆ)を連れ帰り、娘として育てる。

 ぼろぼろの平屋での貧しい暮らし。それでも、家の中には確かな安心感が漂う。彼らは閉じられた家庭の中で淡々と生きている。幼い女の子を連れ帰ったのは打算などでは無い。そうせざるを得なかったのだ。
 それが、後半部で、ある事件により、それぞれのメンバーの関係性が明らかになってそれぞれがばらばらになっていく。

 出演者たちの演技が見事。私にとっては樹木希林以外は全部初耳の人達。特に、樹木希林、安藤サクラの演技は見事であった。前者は演技していると言うよりは画面に映っている淡々とした姿だけで意味があった。高齢に達した俳優は数多い。その多くが存在感を増して居る。淡々としていながら強烈な主張を身に纏っている。そこを監督は見逃さない。

 安藤サクラは本当の主役なのだろうが、逮捕され取り調べ室で手で涙をぬぐう場面は見事であった。
 風俗店で働く松岡茉優は美形であった。私は働いているシーンを見ても何をしている場面なのか理解できなかった。すっかり遅れている。
 リリー・フランキーは初めて見たがベテランなのだろう、安定した演技であった。
 子役の城桧吏、佐々木みゆの表情も良かった。


6/22(金)快晴 大曲中通病院外来 映画:万引き家族 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、5:00可燃ゴミ出し。7:30Taxi飯川経由駅に、8:11こまち。9:15-12:00大曲外来,往復徒歩。秋田駅そば、ひさびさに。15:00-17:00ルミエール映画、万引き家族。飯川病院散水ほかボランティア。新聞チェック。19:00Taxi書店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計15023歩。CD iTune化数枚。プリウス修理、フロントドライブシャフト交換。

ガス発生酵母?? 膨らんだ菓子を思い切って食べてみた
 私は袋に密閉されたジャムと、密閉されたどら焼きが膨化した現象を3回経験した。

 初回は未開封時常温保存可とある賞味期限1年以上のジャムであり、後者のどら焼きは冷蔵冷凍すべきものであったが、不用意に机の上に放置していた。保存法を守らなかった私が悪かった。

 初回のケースは2011年5月、暗い食品庫に常温で並べていた10ケほどの未開封品10袋のうち一袋だけがいまにも破裂しそうなほど膨張しているのを見つけた。
 私は消毒不全によるガス発生細菌の増殖と考えた。
 
 製造販売会社に電話して状況を報告したところ、責任者が来訪した。私は公的検査機関に依頼して実態を調べて欲しいこと、必要に応じて保健所に届けるよう述べた。
 社では、翌日に秋田県総合保健事業団に当該商品を送付し、原因の解明を依頼した。後日、丁寧な挨拶状とともに調査結果の報告と今後の対策の報告があった。

 検査機関による見解は以下の如くであった。
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■ 人体に影響をおよぽす、食中毒菌などについては陰性。
■ 秋田県食品衛生等指導基準の10万ケを上回る生菌が検出された。
■ 生菌は酵母菌で、ガス発生による袋膨張の原因と考えられる。
■ ・・・・・・
――――――――――――――――――――――――
 私は上記の対応、社の今後の消毒対策の変更方針に満足した。社のためにも良かったと思った。

 2回目のは生どら焼きで2016年5月、一応店に届けた。どのような対応したのかは分からない。

 3回目はつい一月ほど前。今度は自分で内容を確かめてみようと考えた。


 寝静まって誰もいない食卓に、破裂して内容が飛び散る可能性があるために新聞紙を広げ、10mlの注射筒に極細の針を付け中のガスを抜きとり、次いで袋を手で加圧しながら排気した。
 不快な腐敗臭かと思ったが、予想に反して甘い、芳香のある匂いが部屋に広がった。袋を大きく開けて見たが、中のどら焼きは若干表面が水っぽいかな?と思ったが大差はなかった。

 このような芳香なら食べて害はなさそうだ。1回目の時は人体に食中毒菌などについては陰性であったと言うし、多分大丈夫だろうと考え恐るおそる味わって見た。微少なかけらほどから食べ始めたが、あとはかぶりついた。結局は1ケ丸ごと美味しく完食した。

 私は消化器系は結構丈夫で、多少の変質やカビなどは気にしないが健康を害したことはほとんどない。今回も何ら生じなかった。

 決して他の方には勧められないが、ガスが発生していると考えると先入観としていい気持ちではなかったが、意外と大丈夫かもしれない。

 私は賞味期限など気にしないで何でも試食し、完食するが、今回もいい経験した。ただ、次も都合よく行くかは分からない。慎重にかまえたい。


6/21(木)雨曇りのち快晴 外来 飯川病院 
1:00起床。録音他各種データ整理。小雨のため7:30家内の車に同乗飯川病院。8:40-13:20中通病院外来+ドック判定14人分。13:45飯川病院、午睡。14:00-18:45飯川病院。外来入院患者対応。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計7551歩。CD iTune化多数。

北朝鮮2018(10) 米朝首脳会談(5) 南北、米中首脳会談で非核化は困難になった
 とにかく両国は歴史上初となる会談を開き、共同宣言までこぎつけた。
 明らかな前向きの展開があった。

 喫緊の危険は回避された、といっていい。しかし、北朝鮮と米韓の緊張緩和はかえって非核化の道を見え難くした、と思う。
 米朝関係が緊張状態にある時は中国もロシアもなかなか行動には出難かったが、緊張が解けつつある今、中露ともに北朝鮮に急接近しつつある。北はそれを背景に今後の交渉に打って出て来るだろう。
 特に、北朝鮮と中国の融和が進んでいる。すると、非核化へのエネルギーが抜けて行く。

 一時、南北境界線には約1000発の核が置かれて北朝鮮のみならず周辺ににらみを利かしていた。
 北朝鮮は自国の非核化だけでなく朝鮮半島の非核化を条件に持ち出してきた。
 これは周辺の国々に困難な問題を提起する。

 米はこれに関しては安易な約束はしていない。
 朝鮮半島の非核化には韓国の核を公開し撤廃する条件が含まれる。米韓とも韓国に核がおかれているかを戦略上明らかにしてはいない。明らかにしなければ、北だって明らかにしない、北朝鮮はそこの問題点をついている。

 朝鮮半島の非核化は六者協議でも、あいまいな部分を残して各国が使って来たことばであるが非核化には核兵器の公開、査察を受け入れるかになるが、これは困難である。

 軍事演習は信頼獲得のため中止するだろう。トランプが思いつきで(?)述べたことだが、大統領の発言を反故には出来ない。
 在韓米軍の削減はあり得るのかと言うことは地域の軍事力のバランスの再調整が生じてくる重大な問題である。

 北朝鮮は慢性的な電力不足状態にあり原子力の平和利用にははこだわるはずである。
 平和利用の核は放棄しない。北朝鮮にはアジアで有数のウラン鉱脈はあり、コレは北朝鮮の大きな財産である。これの放棄はしない。濃縮ウラン関連の技術は手放せない。

 トランプは世界の安全に対して寄与したという雰囲気さえまとまればいい、という立場であり、階段の目的は達した、後は内容は実務者協議という事になる。

 北朝鮮はあまり知られていない事であるが、憲法の序文には核保有国である、と明記されている。いったん核兵器を持った国を、どうすれぱ非核化できるのか。
 国内政治状態は決して一枚岩ではない。完全な非核化について軍組織が妨害してくる可能性はありうる。

 I非核化には検証が重要で不可欠である。
 AEAが求める核査察は3段階からなる。
■ 施設を申告させ、場所を明らかにする特定査察。
■ 施設に監視カメラなどを付け、平和目的かを定期的に監視する通常査察。
■ 監視によって疑惑が浮上した場合に行う特別査察。

 北朝鮮には無数の地下施設があるといわれる。すべての核施設を確認することすら難しいという見方が強い。

 いずれ、北朝鮮の非核化は難しい問題を含む。


6/20(水)曇り昼より降雨・風 飯川病院ボランティア   
 0:30起床。データ整理、本読み。5:00庭と畑見廻り、散水。10:50降雨でバス、飯川病院へ。11:20-19:00院長受診のためボランティア。本読み、データ整理、19:30夕食、21:00就眠。座学中心で歩数計5468歩。CD iTune化多数。

家庭菜園・園芸2018(2) オオデマリ ボタン バラ ダリア
 今年は庭のオオデマリの花が見事だった。
 数年前に植えたもの。実も種もつけないのに何でこのように見事な花を咲かすのか??不思議である。

(オオデマリ)

 鉢植え、地植えのボタン、バラの管理は家内が主役で、私は従たる立場であるが、結構うるさく指示が出て大変である。
 両者とも今年も見事な花をつけた。

(鉢植えのボタン 名称不明)

(地植えのボタン 名称不明)


(地植えのバラ 名称不明)

 ダリアは栽培のきっかけは家内であったが、いつしか栽培の主役は私になった。
 今季は4季目。

 初年度は、球根は雄和にある国際ダリア園から10株入手した。このうち8株が成長して開花した。
 霜が降りる前に球根を掘り出した。球根は植えた時の何倍にも増えているだろうと期待したが、予想に反して小さく、弱々しかった。数日乾燥させ、新聞紙で包み、凍結させない様に書斎の隅で越冬させた。
 5月初旬、乾燥した球根は掘り起こした時の半分以下ほどに縮み、あたかも鉛筆の如く、哀れな姿となっていた。

 2年目。弱々しい球根で発芽が危惧されたが、これら8株のうち5株が成長し、初年度よりも見事な花をつけた。掘り出した球根は前の年よりは太くて立派に成長していた。
 3年目は、5月初旬に保存してあった球根を確認したところ、そのうちの4株ほどは半分に分割しても良さそうであったので、かねてからダリア栽培を希望していた知人に差し上げた。開花は見事であった。

(3年目のダリア 名称不明)

 今季は4年目である。種類が減ったので国際ダリア園から新種7株入手、我が家の株も一部分割し7株として14株を植えた。本日の段階では全部発芽して元気に成長している。今年は畑でなく花壇に植えたから開花が楽しみである。

 花の栽培は開花も楽しいが、そこに至るまでの成長過程の観察も楽しみである。


6/19(火)快晴 外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:30可燃ゴミ、ネコ対応、7:25徒歩で飯川病院着。8:45-12:30中通病院外来、予約患者少なく12:00終了。飯川病院へ、微睡。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計15857歩。CD iTune化多数。

?家庭菜園・園芸2018(1) 家庭菜園の喜びは何なのか?
 2011年から小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。
 勤務があるので、水曜午前と週末に天候と相談しながら適宜作業する。

 今年変わったことといえば、昨年に終活を兼ねて庭の樹木を大幅に少なくしたために、庭に花とかちょっとした野菜を植えるスペースが生まれたことである。そこに庭師にお願いしてアスファルトを一部剥がし、黒土を入れた。
 昨年まではダリア栽培は南側に隣接する農家の畑の一部を借用し植えていたから、咲いてもなかなか楽しめなかった。今年は生まれた新しいスペースにダリア中心に花を植え、余ったスペースにはボタン、キウリ、トマト、ダイズを植えた。

 西側に隣接する畑は通常どおり今年も借用し、ねぎ、トマト、キウリ、大豆、落花生を植えた。

 昨年は腰痛のために作業が2?3週遅れ5月17日に植えつけしたが、今年GW中に少しずつ作業した。植え付けは時間差収穫を狙って各々の1-2週間ずらした。枝豆はカップに栽培、6月に入ってから本植えし、予定の植えつけは全て済んだ。今後はメインテナンス中心となるが、今年は追肥、虫の駆除も工夫してみる。

 私の畑は草ぼうぼうである。腰痛予防の為に細かくは草むしりはしない。立って草を刈れる立ちガマで時折処理する。さらに繁茂したら電動草刈機で刈り取る。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/50/3cc1b0f84dc62a57f82afb50430cd3f4.jpg" border="0">
(今朝の畑の様子 手前のムネが元倉ネギ、次がダイズ、3列目がナス、キウリ、落花生。奥はじゃがいも)

 今の所、キウリを2本ほど枯らしてしまったがそのほかはまず順調に生育している。

 先日16日、初めてキウリが一本だけとれた。サラダにしたが美味しかった。
<a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9f/9029b904460f57ec796d01aa67b7ae65.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/9f/9029b904460f57ec796d01aa67b7ae65_s.jpg" border="0"></a>
(何だこれ!!興味を示したプチ)
 
 5月下旬になってから気温は全般に低く、雨が多く日照時間が少なかった。梅雨入りしてからの方が暖かくて日朝時間も長い。私も今でも早朝などガスストーブで暖を取ることもある。

 畑を作る作業は決して楽ではない。休日が作業の中心であるが、休日は高頻度に日当直に当たる。その日が良い天気だと心穏やかではない。

 私の野菜つくりなど、小規模で食糧生産などとは一切いえない。一時的に我が家の食卓に上る程度である。そんなときは食事が一層美味である。
 小規模家庭菜園などコストの面でも割りに合わない。苗木は高いし、腐葉土、肥料、添え木なども全て買わなければならない。肥料の一部はコンポストで自作しているが、全体でみれば赤字である。スーパーで買うほうが安い。
 ただ、その作業を通じた副作用として、天候問題、農漁業問題、食料自給率、世界の食糧不足、温暖化にも関心が向き、私の視野が広くなっていく。

 そんなところが私の畑作業の喜びにつながっている。


6/18(月)快晴 健康クリック 飯川病院 大阪地方で震度6弱
1:00起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。5:00畑に散水。7:25徒歩飯川病院着。8:00大阪地方で震度6強、4人死亡。9:00-11:00健康クリドック14名。11:30飯川病院へ、微睡、14:00から業務、入院患者対応。玄関のピロティにハイビスカス5鉢移動、固定。今年はどんな花になるか。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。13887歩。CD iTune化多数。

iPhone8購入(2) 終活の最中、音楽プレーヤーとして有用
 Appleが世に出した音楽プレーヤーは2001年であった。
 ソニーのウオークマンも音楽を身近にしてくれたが、AppleのiPadは「音楽を持ち運ぶ・・」というコンセプトで、その機器の内臓メモリー容量の大きさは発売当初から衝撃的で、瞬く間に世界的に普及した。

 その後、製品のラインナップは増え続け、iPod mini、Shuffle、Nano、Touchなど多くのバリエーションが生まれた。その各々が個性的な機能を有していた。
 
 私は昨年まではiPod shuffleを6個用いて来たが、昨年発売中止となった。現在販売が続けられているのはiPod touchのみと製品が少数に収斂されてきた。ユーザーから見れば愛用の品が生産中止になることは驚きと悲しみを伴うが、企業としては合理的な流れである。

 iPod touchは現在6世代目が入手できるが、私のは4世代目で、その容量は当時としては大きい方で64GBもある。
 iPhone8は256GBの容量である。いま終活の一環としてCDをデータ化しながら廃棄していて、現時点で半分程作業を終えている。これだけの容量があれば私のCDのデータをすべて入れる事ができる。

 終活中と言いながらiPhone8を購入するなど矛盾している。高齢になってからなんか贅沢な買い物したようで後ろめたい。しかし、以下の点を考慮して決めた。

■ 私にとってデータ化した音楽を再聴するのにサイズ、重量、機能など最適の製品と考えた。
■ Blu-toothを介してノイズキャンセリングヘッドフォンWH-1000XM2を用いると喧騒の中でも快適に音楽を聴くことができる。
■ 電話がかかって来た場合にもヘッドフォンを外さずに対応できる。
■ 不思議なことにiPhone8購入にあたって新たな支払いは発生しない。
■ 今回、通信容量を最小限1GB/月に制限したので機器の分割値段を含めても今までより2000円程少なくなる、という。
■ 古いiPhone5は電話機能を外してラジオ代わりなどに流用している。


(WH-1000XM2、やや細長いiPhone8、小ぶりなiPod touch、iPhone8が入って来た箱)

 新製品を入手してかえって安くなるなど、よくわからない点もあるが、従来、ろくに内容を吟味せずにショップの勧めに沿って契約して、10年以上も無駄な経費を毎月払い続けていた、ということ。この点で私はバカだった。


6/17(日)曇り、晴 飯川病院日直 
1:10起床、随想読み、徒然など。データ整理。8:30バス。9:00-17:00飯川病院日直、データコピー、死亡患者見送り、散水など。微睡。19:00帰宅、夕食。20:30就寝、歩数計7813歩。快晴の日の日直はちょっと勿体ない。CD iTune化。

iPhone8購入(1) 通信機器としてより音楽プレーヤーとして有用
 私は携帯電話がまだそれほど普及していないとき、2000年より前から用いて来たからそろそろ20年になる。当時はポケットベルが全盛の時代で、ポケットベルが鳴ったときの連絡用に用いていた。
 当時、携帯電話はアナログ方式で、大きく、重く、バッテリーも弱く丸一日で電力不足になったし、契約料金も年間7万円ほどと安くはなかった。それに、携帯が通じる地域が限られていて秋田市郊外ではほとんど繋がらず、公衆電話を探さなければならないこも少なくなかった。
 その頃を思い出すと隔世の感がある。

 その後、携帯電話は一気に普及し、わずか20年に満たないが、携帯電話、スマートホンは社会や文化のみならず、人のあり様、人間関係にさえ様々な影響を及ぼした。

 私は2008年12月に携帯電話からスマートホンのiPhone3Gを購入し、更に12年11月にiPhone5にした。
 先日、iPhone8に買え替えた。

 私は電話が嫌いである。同様に人断ちからメールのやり取りも好まない。だから私はiPhone5もろくに使っていなかった。それに、ところ構わずにスマートホンに集中している人たちを見るのも嫌いである。歩きスマホでぶつかったのも3回ある。いずれも避けれなかった私の方が悪いと言いたげな不満そうな表情で「すみません・・」の一言もなかった。スマートホンは人間の良識も変えるようである。

 だから、通信機器としてみれば5年ほど用い、いまは旧式となったiPhone5に特別の不満は無かった。
 ただ、並行して用いてきた音楽プレーヤーのiPod touchの容量が、私の終活の一環としてCD廃棄と同時に進めているデータを収容するのに不足になってきたために、十分な容量と通信機能の双方を備えたiPhone8に音楽プレーヤーの中心を移すことにした。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f7/6a57fab082a3dbfbace19c2de3bfa8c8.jpg" border="0">
(廃棄準備中のCD400枚ほど。ケースから外すとかなりコンパクトに。だからコンパクトディスクと言われたのだろう。これでまだ半分程度だが、最終的に全部iPhone8に収まる予定)

 したがって、今回のiPhone8はスマートホンと言うよりは音楽プレーヤーとしての購入である。筐体の色は赤にした。この真っ赤なiPhone8は持つのも気恥ずかしいが、購入するとAppleから世界のエイズ基金に一定の寄付がなされると言う。私はかつて県医師会で感染症担当をしていた事がありエイズには関心を持っている。それが赤のiPhoneを選んだ理由である。


6/16(土)快晴 家内東京日帰り 
0:30起床、文献・新聞チェック。データ、本読み。6:40家内送り駅往復。午前・午後ともに花壇、畑対応。バラ、野菜に支柱追加、樹木エダ伐採、キウリ初収穫一本、昨年は6月25日だったから10日早い。散水。夕方は書斎にこもり弦楽四重奏数曲聴きつつデータ整理。19:00夕食、21:30就寝。歩数計15270歩。

北朝鮮2018(9) 米朝首脳会談(4) 米朝の動きによっては北朝鮮でクーデターも起こりうる
 とにかく両国は歴史上初となる会談を開き、共同宣言までこぎつけた。トランプは場合によってはサインしないかも・・と言っていたが前向きの展開があった。

 共同声明では、
■ 体制の保障、
■ 安全の保障、
■ 朝鮮半島の非核化、
■ すみやかな交渉 などが盛られた。

 共同声明の内容は、しかしながら、大した内容はなかった。トランプは時間が無かったためで、今後の実務者協議に期待すると述べた。マラソン競走ではなく、長距離の障害物競争のスタートラインに付いた、というレベルである。非核化の道は険しく長いと思われる。

 私は、トランプの思いつき的発言による拙速を危惧していた。
 米政権内での準備が間に合わず北朝鮮に押し切られそうな雰囲気すらあった。途中でトランプ側から米朝首脳会談の中止を通告し、北朝鮮が慌てて折れてきた、というシナリオを作りなんとかバランスが取られた。

 結果として、充分な非核化の約束は取り付けられなかったが、交渉決裂と言う最悪のシナリオだけは回避された。 
 会談の中で、トランプ側は具体的な譲歩はしていなかったが、記者会見の席上で米韓軍事演習を止めてもいい、との発言が出た。これはアジアの安定に大きな影響を及ぼしかねない重大な発言であった。実は、これは中国側から要求されたものだったらしい。

 非核化交渉に関しては米側にとって得られたものはほとんどない。非可逆的な非核化、に相当するほどの材料は北朝鮮は示しておらず、米側はひとつも手に入れられなかった。

 北朝鮮は核を手放す気があるのか??

 北朝鮮は一般的に思われている程の金正恩の独裁体制ではなく、軍隊、戦略部門などが結構力をもっており、決して一枚板ではない。その情報が外に出ていないだけである。金正恩は「色々な障害を乗り越えてこの場に来た・・」と語ったが、意味深である。
 金正恩は非核化していいと思っていても、軍隊、戦略部門、核やミサイルの開発部門が強く抵抗する可能性がある。
 
 私は、有りえない事だとは思うが、北朝鮮軍によるクーデターの可能性もちょっとは危惧している。


6/15(金)晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞文献、徒然など。5:30可燃ごみまとめのみ。7:30Tax駅に、8:11こまち。9:10大曲中通病院外来。駅病院間往路徒歩、復路はTaxi。13:30-18:45飯川病院ボランティア、外来入院患者対応、19:00Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8157歩。CD iTune化。

北朝鮮2018(8) 米朝首脳会談(3) 北朝鮮の約束反故、米への脅し、対話路線へ急転換 
 北朝鮮の資金調達疑惑を追及していた米国は、マカオの銀行が不正に関わっていたとして北朝鮮の資金が凍結され、北朝鮮はこれに猛反発した。
 これ以降、弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、2006年10月についに初の核実験を行った。
 6者協議は2007年2月、協同声明の覆行と引き換えにエネルギー支援をするとの合意文書を採択。
 北朝鮮は2008年6月、海外メディアを招いて寧辺一の原子炉運転のための冷却塔を爆破して見せた。ブッシュ政権は10月に北朝鮮へのテロ支援国家指定を解除した。北朝鮮は「危機を最高潮に高めれぱ米国は交渉に出てくる」との考えに至った。

 北朝鮮は直後にミサイル開発を巡って国際社会と対立。「核なき世界』を掲げて始動したオバマに見せつけるかのように、2回目の核実験を強行した。

 正恩時代になって核・ミサイル開発は加速した。2013年2月からの4年余間に核実験を4回実施。核兵器は小型化し、威力を増したとみられている。米本土を攻撃できるICBMの完成が現実的となり米世論も、急に緊迫感が高まった。

 17年1月に誕生したトランプは、最重要の外交課題にすえた。9月の国連演説では、挑発行為をやめなけれぱ「北朝鮮を完全に破壊する」と警告した。正恩も「史上最高の超強硬対応措置を断行する」と双方の挑発は昨年まで続いた。

 トランプは11月空母を近海に派遣、原子力潜水艦も水上に姿を見せ、巡航ミサイル「トマホーク」を搭載した多数のイージス艦も加わり、異例の規模の大艦隊が北朝鮮に圧力をかけた。軍事衝突への緊張は高まった。
 一触即発の中、北朝鮮は新型ICBM「火星15」の発射実験を強行。正恩氏は今年1月1日の新年の辞で、米本土を攻撃できる核弾頭搭載のICBMの実戦配備を宜言した。

 北朝鮮は、核兵器の関発と並行して弾道ミサイルの開発を進めた。核弾頭だけを持っていても使い物にならない。敵地まで届くミサイルと結び付いて初めて脅威となる。その照準は日本よりさらに遠い、太平洋の向こうの米国が最終目標だった。

 1970年代半ぱ。第4次中東戦争に空軍を派兵した見返りに、ソ連製の射程300Kmの短距離弾道ミサイル「スカッドB」を受け取り、解体して研究に取り組んだ。
 1980年代半ばには製造を始め、中東諸国に製品や関連技術として輸出。外貨の稼ぎ頭ともなった。
 1990年代にノドン、テポドンと射程を伸ばしたミサイルの性能は、2011年12月の正恩氏の権力継承後、さらに上がっていく。
 2017年7月、射程13,000Km以上でワシントンも射程に収めるとされるICBM「火屋14」の試射に成功。11月に同レベルの射程の「火星15」も発射した。ただ、ミサイル
に搭載する核弾頭が、大気圈に再突入した際に燃え尽きないようにする技術は開発途上とみられている。

 本年1月に入ってからなぜか急速に対話軟化路線に展示た。
 この背景は何だろうか。

 国際的な経済締め付けの影響と、米国とほぼ対等な立場で交渉ができる状況になった、と言う自信を得たことと思われる。


6/14(木)霧雨のち晴れ 外来 飯川病院 iPhone8購入
0:30起床,文献整理。7:30徒歩飯川病院、雨でちょっと濡れた。8:45-12:50中通病院外来+ドック判定総括14人分。13:15飯川病院、微睡。入院患者対応、15;30-17:00外出、iPhone8購入、手続きが面倒。当直医を待ち19:00帰宅、夕食、21:30就寝。CD iTune化すすめる。Σ13450歩。

北朝鮮2018(7) 米朝首脳会談(2) 北朝鮮と米、北朝鮮と核
 北朝鮮は米朝首脳会談に先立って、核実験場を海外メディアに公開して爆破し,一定の姿勢を示した。

 米国側は即核兵器撤廃を前面に出してきた。これに対し北朝鮮は第一に体制保証の確証であった。核についてはあくまでも段階的な非核化で、その進行度に合わせて制裁緩和、経済支援などを得る構えであったことは明らかである。

 トランプ側は共同声明の中で、早々と体制保証をしてしまった。北朝鮮から非核化についてなんら具体的は方策を確認する前に北側に重大な約束をしてしまった。これはトランプの勇み足である。トランプは中間選挙を控え、なんらかの具体的な成果が欲しかったのだろう。

 北朝鮮と米国、核開発の流れを振り返る。

 朝鮮半島は、第2次大戦後からずっと核の脅威を受けていた。
 1948年、米ソ対立のはざまで韓国・北朝鮮が相次いで建国。50年の初夏に朝鮮戦争が勃発し、国連軍の司令官マッカーサーは北朝鮮の後ろ盾になっている中ソに対し核の使用を提言した。トルーマン大統領の反対で現実にはならなかったが、北朝鮮が核の脅威を肌で感じるには十分だった。

 北朝鮮の核開発は、1950年代から始まった。
 1970年代に中ソが米国と相次いで関係を改善、後ろ盾を失い、独自に「自らを守るための核開発」を急ぐようになった。
 北朝鮮はひた隠しにしたが、米国などの偵察衛星が核開発の動きをとらえた。
 
 1990年代に入り、疑惑解明のための国際原子力機関(IAEA)の査察と、特別査察を拒否し、核不拡散条約(NPT)から脱退した。

 クリントン米大統領は、核施殷への空爆準備を命じた。「第1次核危機」といわれる。しかし、「北朝鮮の反撃で米韓の死傷者は50万人以上」とも想定され、保留になった。
 1994年訪朝していたカーター元大統領は金日成主席から核開発を凍結する意向を告げられた。
 同年10月に米朝は「枠組み合意」を結び、日米韓などが軽水炉原発や重油を提供する約束をした。しかしその約束は反故にされた。

 2002年10月、北朝鮮が密かに進めていたのは、枠組み合意とは異なる濃縮ウラン型による核開発であった。

 米国は合意に基づくエネルギー供給を全面停止。北朝鮮は核施設を再稼働させ、NPT脱退を再宜言した。対北強硬路線のブッシュ米政権との間で「第2次核危機」は起きた。
 だが、ブッシュはアフガニスタン、イラクヘの作戦に追われ、北朝鮮の核に対処する余裕はなかった。
 仲介役を務めることになった中国は、南北朝鮮と日米中ロによる「6者協議」を北京で開催した。
 2年余りの交渉で、2005年9月、共同声明の採択にこぎつける。北朝鮮は「すべてのの核兵器と核計画の放棄」を約束し、引き換えに米国が北朝鮮攻撃の意図はないと確認した。米朝が国交正常化のための措置を取るとも約束した。

 だが、この合意は履行されなかった。


6/13(水)早朝まで降雨、午前から晴れに 飯川病院ボランティア 
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。5:30畑見回り。粗大ゴミ廃棄準備、クローゼットの整理など。9:30飯川病院院長から手伝いの要請あり出勤。10:00損保会社のスタッフ來訪。15:00入院患者対応、CD iTune化。16:30帰宅、畑に大豆を直播きし、大きく伸びたキウリ、トマトを支柱に固定。これで今年の植付け作業はすべて終了、あとは成長を見守るだけ。17:30BR disk視聴「N響定期公演、ベートーヴェンP協奏曲4番ほか、ブロムシュテット、独奏はM.J.Piris」。19:00夕食、21:00就寝。Σ8679歩。
 
北朝鮮2018(6) 米朝首脳会談(1) トランプの勇み足も少なく、小さな一歩でよかった
 米国と北朝鮮の首脳がシンガポールで会談し、共同声明に署名した。朝鮮戦争後初の会談で歴史的な価値があるが、新たな歴史を刻んだとみなすような内容はなかったようだ。

 両首脳が核問題を対話によって解決する意思を示したことは歓迎したいが、わたしはむしろ、トランプの勇み足も少なく、小さな一歩でよかった、と思う。
 会談の焦点は北朝鮮の完全な非核化、朝鮮半島の緊張緩和であるが、それに結び付くには、小さなスタートでしかなく、まだまだ遠く険しい道のりが予想される。

 両首脳は会談後、共同声明に署名した。
 声明は以下の如くまとめられる。
――――――――――――――――――――――――――――-
■ トランプ大統領が北朝鮮の安全保障面での体制保証を確約
■ 金委員長が「朝鮮半島の完全な非核化」に取り組む不動の意思を再確認。
■ 米朝は、平和と繁栄を求める両国民の願いに沿って「新たな関係樹立に取り組む」。
■ 朝鮮半島で安定した平和体制を構築すべく共同で努力する。
■ 米朝の新たな関係構築は「朝鮮半島や世界の平和と繁栄に寄与する」。

――――――――――――――――――――――――――――-

 両首脳は会見後、
 ■ トランプ大統領は「重要で包括的な文書だ」とし、「新しい歴史をこれからつくっていく」、「完全な非核化には時間がかかるが、プロセスが始まれば終わったも同様だ」と表明。将来の自らの平壌訪問に意欲を示すとともに「金委員長を適切な時にホワイトハウスに招待したい」と語った。
 ■ 金委員長は「過去を払拭して新たな出発となる歴史的文書だ」と評した。
 ■ 金委員長は帰国後、直ちに非核化のプロセスに取り組む、としているが、核放棄への具体的な工程表などは一切示されていない。
 ■ トランプ大統領は「時間がなかった・・」と連発したが、思いつき的発想で会談に同意し、一時は断ったが、米国の準備状態は進んでおらず、全くそのとおりだっただろう。

 2017年に北朝鮮は弾道ミサイルを15発発射した。そのうちのいくつかは大陸間弾道ミサイルで飛距離からだけみるとアメリカ本土にも届きうる規模となっている。その度毎に両首脳は世界が呆れるほど幼稚な言葉で罵りあっていた。

 そんな両者とも豹変した。
 
 日米韓に脅威を与え続けてきた北朝鮮は、2018年初頭から急に軟化の兆しを見せ始めた。一体なにがあったのか。国際的連携の中で行なわれた経済的締め付けが有効であった、と思う。

 北朝鮮の外国への出稼ぎ労働者は数万人で、ロシア、中国、遠くはアフリカ諸国までも及び、北朝鮮の外貨収入を支えて来たが、国連の指導もあって徐々にその規模は縮小され、労働者は続々と帰国した。
 秋には信じられない様な低装備の漁船が次々と我が国沿岸に漂着した。私のファイルから99件の漂着が確認される。こんな漁船で漁に出るのは命懸けであろう。これも経済的締めつけの表れだった、と思う。2018年初頭の軟化路線のあと、1隻も漂着していない。

 主な軟化路線としては、
■ 五輪を介しての韓国との接触を開始し五輪に選手団と応援団を派遣した。
■ 五輪に妹を韓国に派遣し、対話を重ねた。
■ 3月金委員長が北京を訪れ、習近平国家主席と会談した。中国側の発表によると、金氏は「平和と安定の維持を望み、朝鮮半島の非核化に尽力する」と語ったという。
■ 4月下旬、南北首脳会談が板門店で行なわれ、米朝首脳会談開催への道筋ができた。
■ などなど・・・。


 6/12(火)降雨 外来 飯川病院 米中首脳会談
1:15起床,新聞・文献チェック、他。6:00降雨の小康をねらって可燃ゴミ集積所に45Kgx2袋提出する。7:20小雨、家内のクルマに便乗飯川病院、8:45-13:00中通外来予約数のわりに多忙。13:30飯川病院、14:00から勤務、入院患者対応、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ6381歩。CD iTune化。米中首脳会談がシンガポールで行なわれた。

?終活2018(8) ゆったりと過ごす価値ある日々の生活
 私は21:00頃就寝し、起床はam1:00頃で、早朝をマイペースで過ごしている。人とずれた時間に起きて気ままにやっている。

 だが、歳とった今は流石に疲れるので、午後の勤務、ボランティアが始まる14:00前に飯川病院で1時間余午睡をとる。一日2回の分割睡眠、失う時間も無いし、人に気遣う必要もないから心のおもむくままである。この午睡の楽しさ、心地よさ、を知ったのは退職してからである。

 超(?)朝型にしたのは現役のころ。
 当時は連日20:00前後の帰宅であったが、疲れもあって夕食を摂った後すぐに就寝した。家に持ち帰った仕事をこなす為に早朝に起きてこなし始めたのがこの習慣の始まりであった。最初の頃はam4:00頃の起床だったが、業務量に応じて起床時間を徐々に早めていった。
 この徒然日記を始めたのは2001年であったが、そのころの記録を見るとam2:00ころの起床、am6:00前には出勤していた。

 忙しい毎日を送っている時は時間をどうやって生みだすかを考えていた。
 得た結論は、子ども達も成長し手がかからなくなってきたこともあって、早朝の静かな環境を活用し、混雑を避けて出勤して、回診等を済ますなど、周囲とリズムをずらす事であった。これによって他の人と時間的に競合する事は少なくなり、業務の間にも僅かであっても自分の時間を生み出すことができた。

 現役を退いてからは必ずしもこのような生活パターンを続ける意味はなかったが、リズムを周囲とずらすことで時間の自由度が増す心地良さから現在に至るまで続けている。就寝時間は前と同じだが、起床時間は23:30-2:00頃と寧ろ早まった。午睡の時間が取れているからこれで睡眠時間は十分である。

 もう歳だから「朝の笑顔、夕べのしかばね」という状況になりうる。1日当たりの自分の時間は、単純計算で現役時代の倍くらいはある。それも体調を崩したら、死んだらその時点で終わりになる。そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、一層味わい深い。大切にしたい。
 
 もう、それほど未練もない人生であるから、マイペースでゆったりと過ごせれば良い、と考えている。
 ゆったりと過ごす日々の生活、これは私にとって重要な終活の一つである。


6/11(月)曇りのち雨 健康クリニック 飯川病院
1:10起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り、風の被害は無い。
7:30徒歩飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名。雨若干、11:30飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ11709歩。CD iTune化。

終活2018(7) 移ろい行く時間を深く意識出来る楽しみ
 この季節、桜が散るころまではわが家の周囲の住宅団地の庭は土があらわであったが、いまは緑に囲まれて生気に溢れている。この変化は激しく、かつ力強い。秋の移ろいはつるべ落としと称されるが、逆の意味で変化がすこぶる速い。

 秋田へは昭和48年血液学を学ぶために2年間住まった岩手県宮古市からから転居してきた。2年間ほど借家住まいしたのち、現地に小屋を建てた。
 当時は子供会のグループがあって、毎朝不供たちが誘いあって並んで登校したものだ。

 今は、私の身近ではその登校風景もなくなった。少子高齢化そのものである。我家の子供たちも中年になり、親も70代中ばにさしかかっている。

 子供たちの集団も小さくなり、登校の孫を見送っていた老人達も消えていった。
 時間の移ろいを感じる季節である。

 今、私は6Km程の距離を徒歩通勤しているが、その通勤路から1軒、2軒、3軒と空き家が目立ってきた。年代を経た門扉の中は雑草がはびこっている。

 その一軒の家から、ほぼ毎日、同時刻に散歩に出て来るお婆さんがいた。小雨の日も、恐らく足腰の鍛錬のため歩いているのだろう。時どき立ち止り、腰を反らせていた。会うたびに目礼する程度で言葉を交わしたことはなかったが、今春その家の玄関に忌中のお知らせが貼ってあった。今、その家には住む人も無く、庭には雑草がはびこっている。

 歩行者道路で会う度ごとに、私に鼻をむけてきたラブラドールを連れていたやさしげな表情のお爺さんも、ちょっと聞き分けの無かったラブラドールも、今年はまだ会っていない。私の視野から消えてしまった。

 ある本に「木も老ける」、「山も老いる」とあった。なるほどと思う。
 川も木も、石だって老いる。ましてや、私だってそうだ。

 もう今更焦ってもしょうがない。残りの時間で出来る事も少ない。そのために私も2年ほど前から気まま路線に切り持えた。
 生活を縮小し、仕事を選んでいる。つい先日、葬儀屋を予約してきた。

 思えば、現役のときから約30年、am1:00頃起床し、持ち帰った仕事をこなしていた。私は寝不足人生であった。四六時中眠い状態で働いていた。夜の帰宅時に信号待ちで運転席で寝込んだことも数回ある。パーキングブレーキを引く癖をつけていて良かった。

 いま、73歳だから「朝の笑顔、夕べのしかばね」で、いつこけても止むを得ない。しかし、1日当たりの自分の時間は、単純計算で現役時代の倍くらいはある。それも体調を崩したら、死んだらその時点で終わりになる。
 そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、一層味わい深い。


6/10(日)曇り快晴若干風強し 飯川病院日直 
 1:00起床、通常の作業、読書ほか。5:00花壇、畑に散水。8:30バスにて飯川病院日直業務に。蓄積データバックアップ作成。新聞チェック、読書など。午後発熱患者3名あり対応する。CD iTune化。17:00業務終了だが迎えを待って待機。19:15帰宅、夕食。21:00就眠。歩数Σ4509歩、歩数計忘れて出勤、朝夕の作業のみの計測。

終活2018(6) オーディオ関連の機器廃棄
 終活を意識し始めたのは5年ほど前からである。

 かつては重厚な音を求めそれなりにオーディオ機器に投資をし数々の危機を集めていた。しかし、私が機器による音質の差を区別して聴き取ることができないボケ人間であることがわかり、発想の転換をしてオーディオ機器のグレードアップをやめてからもう20年以上も経つ。

 その間に古い機器は経時的劣化で壊れ始めた。
 これ以降の機器の補充は安価な卓上ミニステレオセットとした。

 故障を直して使う機会もゼロではない、と未練がましく残してあった古い機器も最早これまで見限り、今年になってから廃棄し始めた。
 今まで、オーディオタイマー、FMテューナー、レコードプレーヤー、イコライザーアンプ、プリメインアンプ、カセットデッキ、MDデッキ、管球式メインアンプ、などなどを廃棄した。
 廃棄は小さく薄いものは秋田市図書館に設置してある電子機器廃棄コーナーに、大型のものは秋田市の有料の粗大ゴミ回収廃棄システムに依頼した。

 書斎のオーディオラックが実にスッキリした。
 同時に、鳴る音も軽くスッキリした。聴くことができる音楽ソースはグッと狭まり、Blu-rey、パソコン、iPod touch位となった。今私の書斎では卓上型のミニスピーカーが比較的小音量で良い音で鳴っている。

 廃棄したレコード、CD、再生装置・・・計算すればどれだけ投資したか今となってはわからないが、住宅に次ぐ費用をかけた分野である。
 ずいぶん無駄な投資をした、との反省は常に持っているが、音楽鑑賞が私の人生に潤いを与えてくれ、豊かにしてくれた事は否定できない。決して無駄ではなかった。

 だからこそ、思い出深い危機を自分自身の手で廃棄のルートに乗せたかった。

 まだ、スピーカーが3-4セット残っている。ぜんぶ古く、1960年代から80年頃の製品である。ダイナコ25XS、ローラセレッション・ディットン25、タンノイGRFメモリー、そのほかパイオニア、ケンウッドのセットもある。これらはセッティング場所から移動させるのも一人では困難なのでまだ廃棄の予定にはしていない。

 まだ、スピーカーが3-4セット残っている。ぜんぶ古く、1960年代から80年頃の製品である。ダイナコ25XS、ローラセレッション・ディットン25、タンノイGRFメモリー、そのほかパイオニア、ケンウッドのセットもある。これらはセッティング場所から移動させるのも一人では困難なのでまだ廃棄の予定にはしていない。
 
 GRFmemory

 ヒロシ、わたしは好きな芸人の一人であるが、彼のネタに「終活で、家財道具を廃棄しすぎて、生活ができなくなりました・・」と言うのがあるが、私は再生装置を廃棄し過ぎて、これらのスピーカーを鳴らすことが出来なくなった。ついでにヒロシ、もうひとつ、「最近、絶滅危惧芸人のリストからも・・消えました・・」、なかなかペーソスがあるネタである。


6/9(土)曇りのち晴れ 庭仕事・畑中心 
1:15起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。早朝5:30昨日購入のネギ畑に植える。午前は庭と農道の草刈り、午後は微睡後カップで成長した大豆を畑に植えつけ、落花生植えつけ。庭掃除など。19:00夕食、21:00就寝。17,557歩、敷地から一歩もでなかったのによく動いた。

終活2018(5) お宝発見 レコードの陰で忘れていたCDの存在
 終活を意識し始めたのは5年ほど前からである。
 今年の終活の重点は、■書籍の廃棄、■オーディオ関連の機器廃棄、■オーディオソフトの廃棄、とした。

 これらは暫時、秋田市の可燃ごみ、粗大ゴミの日に棄てているが、レコードは一枚一枚に思い出が残っているためになかなか廃棄が進まない。内容を確認しないで10枚単位ずつ棄てる。だから今まで捨てられたかは把握していない。最近、レコード再生に興味があるという若者が見つかったので、彼に提供するためにしばらく廃棄はしていない。

 代りにここ3け月ほど前からCDの廃棄を始めた。
 私はつい数年前までレコード派であり、CDはあまり購入しなかった。それでも、気に入ったレコードと同じ演奏でCD化されたものなどは適宜購入した。そのほかに家族が購入したり知人から頂いたのもあって500枚以上もあるだろうか。本当は欲しい人がいればさしあげたいのであるが、探すのも面倒だから5-10枚と毎日廃棄している。

 CDは他のアナログメディアと異なり、MP3化してデータとして残せる。だから、比較的大事なものはMP3化しながら廃棄している。音楽ソースはその中に人間の歴史や英知が、更に芸術家の表現が詰まっているから、単なるプラスチックの塊とは違う。アナログメディアの廃棄時には罪の意識に苛まれたが、CD廃棄は罪の意識は軽い。

 まだCDは廃棄を開始したばかりであるが、CDラック20段ほどの半数がカラになった。まだまだ作業は続く。

 CD廃棄作業を通じて気付いたことは、開封されていないCD、ほとんど聴かれていないCDが多いことである。私が好むブルックナーの交響曲8番などは10種類もあった。こんなにあったとは廃棄し始めるまでは手に取ることも無く、忘れていた。

 最近は大型の再生装置が老朽化して不調になり、レコードは殆ど聴かなくなっている。聴いていないCDを廃棄作業と並行して出来るだけ聴いて見ることとした。

 かつては時間があれば録音したラジオ深夜便、画像としては録画したBlu-reyを視聴していたが、最近はCDからMP3化した音楽を集中して聞いている。

 思えは1970年代は余暇はほとんどの時間をレコードによる音楽鑑賞に充てていた。重厚な音を求めていたが、家族にとってはさぞやうるさかっただろうと反省している。そのため、今はもっぱらヘッドフォンで音をたてないように聴いている。


6/8(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア ネギ苗追加購入  
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に。8:11こまち、病院・駅間は往復徒歩。9:10-12:05大曲中通病院外来、13:45-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応、散水。駅前苗屋にて預託してあったネギ購入、ついでに落花生の苗2本。19:15Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計14816歩。CD iTune化。

「森友」をめぐる決裁文書改ざん報告書  私もミニ森友類似問題を経験した
 財務省は6月4日「森友」への国有地売却を巡る決裁文書改ざんの調査報告書を発表した。当時理財局長だった佐川氏が改ざんや交渉記録廃棄の方向性を決定したと認定、佐川氏他20人を処分した。
 2016年、国有地が評価額より8億円余り安い約1億3400万円で森友学園に売却され2017年2月に問題が表面化した。売却の経過事態もまだ分からないが、この事件の主眼は大型値引きから公文書改ざんに移っていった。

 調査報告書は、一連の公文書改ざんの不祥事は理財局の内部で行われた、と結論付けたが、今回の調査は財務省の身内による調査結果にすぎず、国会でさらに調査する必要がある。これを幕引きにしてはならない。

 国有地が評価額より8億円余りも安い値段で売られたのは更地になった土地の下にはガレキやゴミが埋まっていることがわかり、その撤去費用として減額されたとされるが、その理論的根拠がわからないままである。

 ところで、解体工事後の更地がガレキで埋め尽くされている、ということは解体業者と注文主との思惑の違いから結構あるようである。

 我が家の敷地の一部には古い家が建っていたが、平成21年夏に解体され、更地化して戻ってきた。

 更地になったところは家内の趣味で庭園化するつもりで種々の樹木を植樹したが、石やガレキに阻まれなかなか適当な穴が掘れないことが分かったし、植樹したあとも順調には育たなかった。最初は業者に植えてもらったが、私が退職してからは自分でも鍬やスコップをふるい植樹を試みた。しかしながら、鍬やスコップでは不可能でつるはしを用いて石やガレキを除かなければ先に進めなかった。

 結局、このままでは庭園などおぼつかないので平成25年6月中型ダンプ30台分の黒土と入れ替えた。

 ちなみに、先の住人と解体業者との契約がどのようになされたかは私は一切関与していないので分からない。しかしながら、現状を考察すると、解体で出たコンクリート片などはそのまま現地に埋め戻したと思われた。もし、そのような工事であることが予め分かっていれば、私の方の費用追加負担で「良質土による埋め戻し」にできたのに、と悔やまれた。

 森友問題を見る度に、我が家で経験したガレキ問題が思い出されてならない。スケールは全然違うからミニ森友問題と私は称している。


6/7(木)晴れ 外来 ドック総括 飯川病院
 1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:45中通病院外来+健康クリニックドック判定14人分。14:00-16:00勤務、入院外来補助。データ整理、など。19:00夕食、20:30就寝。歩数計13188歩。BR disk視聴なし。CD iTune化。

墓なんて不要である(5) 日本人の遺骨に対する考え方
 私は生きている人が嫌いである。怖いから・・。特に若い人達が怖い。
 生きている人からは往々にして嫌われ、時に非難されるが、亡くなった人はもうそんな事はしないだろう。死んで骨になれば心がないから安心。私は故人に対して生きていたときに比してはるかに深く親近感を覚える。
 だから私は骨になった人の方が好きである。

 さりとて私は骨に、遺骨に特別の価値を認めない。
 ただし、これは100%個人的な見解である。死者を弔う行為は人間として貴重なものであり、異論はない。死者を弔う行為自体の考え方も、しかしながら私は希薄なほうなのだろうと思う。

 日本人は、中世以降は遺体を火葬したうえで、その遺骨を大事に保存して敬意を払うということを基本にしてきたが、これが欧米人の目には奇異に映る、と民俗学者の山折哲雄氏は述べている。欧米では「魂は神に召され、天に昇っていく。残された肉体は骨も含めて単なる入れ物に過ぎない」とのこと。このように遺体の扱いに関しては民族間でかなりの違いがある。

 そもそも日本には、火葬のない時代から死者をいったん土葬とか鳥葬とかで白骨化の過程にさらし、その後に遺骨を丁寧に洗って埋葬しなおすという、遺骨を尊重する文化が存在したらしい。骨が尊重されるようになるのは、藤原道長の時代の前後からだと山折氏はいう。一条天皇は1011年に火葬され、その骨が寺に安置されたといい、その所に詣でるものが多くなった、とある。
 このように、11世紀を境にして、遺体を火葬したうえで、その骨を寺の墓地に安置して詣でるという、今日と同じような遺骨尊重の葬送文化が、庶民の間でも定着してたと思われる。

 この遺骨尊重の文化の成熟過程で日本人の遺骨に対する考え方が強まったものと考えられる。

 日本人の遺骨にこだわることは理解できる。

 第二次世界大戦の激戦地であった疏黄島は1945年、日本本土への爆撃を目指す米軍と、抵抗した日本軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。日本の戦死者は約2万1900人、米軍も6821人死亡した。
 日本は、島が返還された1968年から遺骨収容を本格化させた。これまでに1万355柱を収容した。2011年度からは年約10億円をかけ、重機で握削してくまなく探している。78歳のある遺族は「最後の一人が戻るまで、私たちはあきらめない・・・」と語る。

 海外での戦没者は軍人軍属が約210万人、民間人が30万人。このうち復員兵らが持ち帰ったのは932,000体分、なお113万人分の遺骨が帰っていない。70代の別の遺族は「先祖のお墓に父の骨を収められればこれ以上の親孝行はない・」と語る。

 しかしながら、もう戦後70年も経過した今、どこでも遺骨発見は困難を極め、硫黄島でも年間数10人分だけ、海外の戦没者は年間1400人分だけである。本当に日本人の遺骨なのか、DNA鑑定の手法を用いても個人の特定は困難を極めている。

 厚労省は今も遺骨の収容事業を続けている。

 ご遺族の心情は大事にしたい。しかしながら、ここまで調査・発掘・帰還に意義はあるのか??慰霊の行事ではダメなのか?と思う。私自身の骨の価値を認めない私のホンネである。


6/6(水)晴 午後飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前フリーで散水他、畑仕事。その後はネコ用のバリア作成、ネコ室掃除など。午後、AU店にてiPhone8予約、通り町から徒歩にて飯川病院へ。外来対応、本読み、データ整理。19:10夕食、20:30就寝。歩数Σ14013歩。

墓なんて不要である(4) 秋田市合葬墓受け付けは市民不在のお役所仕事
 私は、この世に生を受けた事自体も是としたくない。今では何ともしようがないが、つくづくそう思う。ましてや積み重ねて来た自分の人生そのものも是としたくない。ただ、3人の子育ては良かったと思う。
 今、私は誰からも見えないような透明人間になりたいと念じている。退職後はそう思って可能な限り社会的な付き合いを回避して来たから、もう他人からは存在も忘れられつつあり、希望に近くなって来た。
 今後は、更に不浄な体が焼かれ、白い、カラカラの骨になるのを楽しみにしている。そのときが私の願いがほぼ叶う時である。どんなにすっきりするだろうか。

 その私の骨であるが、何も価値を認めない。だからゴミと同様捨てられても構わない。

 一般的には骨を収める墓の存在は小さくない。ただ、私は墓を個人で、あるいは個々の家で墓を有しそれを代々維持していくのは今後は無理だ、と考える。

 そんな中、県内で初の合葬墓を秋田市が建立した。
 いい時代が来そうである。私も賛同する。

 しかし、その募集関連のニュースを見てあまりの不公平なやり方に驚いてしまった。
 合葬墓は、4月2日に募集をはじめた。その日は予想外の応募者が殺到して午前で募集を締め切った。2回目の募集しは5月22日に予定された。

 方法は、先着順で募集体数(500体)に達した時点で終了予定。整理券は午前7時30分から配布、と言う。こんなバカな、不公平だ・・、と私はおもった。

 現実には徹夜で並んだ方々がいた。最も早い人は前日17時半から並んだと言い、22時には40人ほどに、当日の4:30時点では約200人。結局、市は受け付け開始時間を2時間早め、募集を締め切った。

 受付方法が市民に公平でない。絶対的に配慮不足である。お役所仕事そのもの。先着順??病気などで並べないかたはどうする??応募者の大部分は高齢者なのだ。私は仕事で行けなかった。
 今後同じ募集するなら郵送で募集、公開で抽選会を行うべきである。
 
 私が担当する外来の患者に4:30から並んで確保できたのがお一人、6:00頃着いてダメだった人がお二人いた。明暗が分かれ、後者の方々は暗い表情していた。私も落ち込んだ一人である。

 自治体や市が何かを公募する場合、納税者である県民、市民に普く公平でなければならない。広報に載せたから公平??少なくとも先着順は最悪の方法である。市役所は何考えているのだ??

 秋田市民は大人しいのか??その場で暴動が起こってもおかしくない。地方紙などを見ても今回の募集についてのクレーム、提言の投書などは、私が見た範囲では認められなかった。激しい意見が出ると思ったのだが、肩透かしであった。
 私はすでにおわった人、透明人間だから心の中で思うだけ。無責任人間である。


6/5(火)快晴 外来 飯川病院
0:30起床,いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。7:35徒歩病院着。8:40-12:10外来、12:10飯川病院、14:00-18:45勤務。入院患者対応。新聞、文献読み、
19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計12534歩。BR disk視聴なし。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(3) スポーツ界の特殊性
 大企業、一流企業の不正は経済的視点の、過当競争から由来する事が多い。

 スポーツ界の不正には企業の不正とは異なる側面があるようだ。
 その面から見れば、角界は異常な社会である。

 その特殊性を分析してこれ以上、教育とスポーツをおとしめぬよう日大は自浄作用を発揮すべきである。異常なタックルを受けた選手も試合に復帰出来たらしい。大きな怪我でなくて良かったと思う。
 今回の事件に関しては、他の選手からも詳しく事情を聞く必要がある。恐らく信じ難い事象もでてくるだろう。監督の異常な指導の内容もあきらかになるだろう。

 この情報化の社会、学ぶ機会、情報を得る機会は相当あったはずである。
 大学関係者、アメフト関係者は、恐らく日大のアメフト部の現状を知っていたと思われるが、「自分とは関係ない」、「他山の石」、「対岸の火事」の論理で無責任に見て見ぬ振りをしていたのではないだろうか。
 実情を知っていたと思われるコメントも見受けられた。知りながら自分は何もしていなかったが、無責任にも後付けで「自分はこう考えていた・・・」などと調子の良いコメントも見受けられた。

 私はスポーツ部については不案内であるが、今回の事件の経緯を読んで感じた特殊性は以下の如くである。

 ■ 大学スポーツ部の活動の位置づけは自主的課外活動扱いである。実態とは異なるが大学のチェックが及び難い状況になっている。
 ■ 選手と指導者の過度に密着した人間関係。
 ■ 完全なる閉鎖社会形成。
 ■ 選手と指導者の絶対的な上下関係。
 ■ 強大な権限が一部の監督指導者に集中、あらゆることに采配できる。
 ■ 大学のスポーツ部は通常の選抜方法によらないから浮いた集団でもある。これも完全なる閉鎖社会となる一因。
 ■ いじめや嫌がらせ横行。さりとて選手は立場上辞められず、陰湿化していく。
 ■ 勝利一辺倒のマスコミ報道。

 予防方法としては、
 ■ スポーツ部を一元的に管理する機構を作る。
 ■ 活動ごとに日誌等の報告書提出。
 ■ 機構に外部者を一定程度いれる。
 ■ 意見の具申、内部告発を妨げない。

 ところで、今年は野球にとって何かの節目だろうか。
 新聞には甲子園を中心に過去の試合等が掘り起こされて再編集され、連日掲載されている。私にとっては過去の試合など興味も無い。紙面がもったいない。
 それにつけても過剰練習、差別、いじめなど論じられることは一切ない。高校野球が教育的視点を中心にクリーンになされてきたとは思っていない。そのへんの記事こそ若者を守るために重要でと思う。


6/4(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。7:30徒歩で飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック。ハードディスク関連でIO-DATA社の相談窓口に、14:00電話やっと繋がる。14:00-18:20飯川病院勤務、16:00Apple社の担当者と対応。MacBook Airについては解決。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。Σ12158歩。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(2) 組織は不正、虚偽、隠蔽が必要? 魔界だね
 日大は教育機関である。その組織の中での不祥事である。
 企業の不正とはまた次元が異なる。教育界をあげて大きく捉えるべきだ。しかし、教育界、教育者からの批判、発言は少ない。同じ穴の狢だからか??

 日大は年80億円を超す私学助成を受けている。理事の不祥事や法令違反が確認された場合、補助金が不交付、または減額される。

 これを回避するため、監督が反則行為への指示などを否定しているのだとすれば、大学としての責任は重大。監督の行為はその日の指示だけを取り上げても無駄である。長年の蓄積の結果があの日に出たにすぎない。
 監督の言葉には虚偽と隠蔽が感じとれる。
 日大は第三者委員会で真相を究明するという。

 またまた第三者委員会ですかい??
 なんでも不祥事や問題が生じると最近は第三者委員会で・・・という事になる。内部調査委員会よりは良いが、その構成、権限が問題である。桝添前都知事の第三者委員会はほとんど身内で構成された。いじめ問題で学校や教育委員会を中心に進められた第三者委員会の結論は私から見て充分でない。もっとも隠蔽の壁を打ち破る調査権も与えられていないから止むをえないかもしれない。第三者委員会への協力に反した者は処罰対象にしても良い、と考える。

 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時を遡るのか。ここ数日でも神戸製鋼、スバルの不正が新たに明らかになっている。

 ちょっと時を遡れば、日産自動車、神戸製鋼所、スバルの不正、東芝、三菱自動車、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題、廃棄カツ横流し問題・・・と私の情報ファイルを開くとすぐに出てくる。

 日産自動車、神戸製鋼所、スバルなどの不正は30年以上前から行われていたと言い、組織ぐるみであった。

 組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。
 ■ 別企業の不正の例などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正が絶えない。企業人はバカか??バカとは言えなくても何かが狂っている、としか言いようがない。
 ■ 企業の要職にある方も、私人としては道徳心もあり、倫理観もあり、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまう。企業の持続エネルギーはそれほど凄い。人を変えてしまう。
 ■ わが国には企業を罰する風土が乏しい。電通の過労自殺関連違反でも罰金50万円のみ。経産省の統計では2015年通年の国内売上高は、5兆9249億2700万円。蚊の一刺しにも及ばない。
 ■ 企業人には、「不正に関わっても直接自分が利益を得るわけではない」から罪は問われないだろう、と考える。だから、後ろめたさは乏しくなる。
 ■「上司や同僚もやっていた、だから・・・」、と不正を看過する。「看過して何も言わない」、は個人の道徳心の域値を下げる原因となる。
 ■ ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせ、組織内では徐々に不正は成長していく。
 ■ 人間は弱い。最初は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくするようになる。


6/3(日)快晴 温暖 午後飯川病院当直補助 レセプト点検  
1:30起床、本読み、文献チェック。午前から家内は秋大循環器科教授就任関連で種々多忙、16:00飯川病院、当直医補助し、この間にレセプト対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ11265歩。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(1) アメフト問題を考える
 いやになる程企業会の不祥事が続き、連日の如く報道されるている。政治の世界でも森友加計問題で国会での応酬が続いている。新聞を開くのが苦痛の日もある。

 今年はさらにスポーツ界の不祥事も続いている。

 勿論、この中には個人的問題のもあるが、多くは組織的問題であった。
 団体競技が多いスポーツ界においては、組織を作ることなしには成り立たない事もある。組織は切磋琢磨するにも重要であるが、構成する人間の考え方、倫理観を駄目にしていく場でもある。もちろん全てではないが。

 ■ ドーピング問題はロシアの組織的な問題と、最近明らかになった競泳選手の個人的な?問題があった。
 ■ カヌー競技では他の選手に対して薬物混入した問題があった。
 ■ レスリングの伊調選手のに対するパワハラ問題で強化本部長が辞任した。
 ■ 角界は昨年から引き続いて、横綱日馬富士の暴行傷害事件、貴乃花親方の理解不能な行動、大砂嵐の運転問題、土俵上で救命処置での問題など。伊之助問題もあった。角界の事件対応は一般に鈍くて重い。かつて「医者の常識は社会の非常識」と言って医師が責められた事もあったがかなり改善されつつある。角界の常識はいまでも世間の非常識といっていい。

 そして今回のアメフト問題である。スポーツ史上、前代未聞の不祥事である。

 アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で、日大の選手がボールをパスした後、無防備な関学大の選手に背後からタックルして負傷させた。
 日大選手が、反則行為は「相手を潰せ」という同大の内田監督とコーチの指示だったと告白した。「潰せ」は負傷させる意味と受け止めたという。
 これに対し内田監督とコーチは「ケガをさせる目的で指示していない」などと釈明。危険なタックルの責任は、意図を誤解した選手にある、との姿勢である。被害者側は警察に被害届を提出し受理された。選手の発言は、監督やコーチが日常的に行っているパワハラへの悲痛な叫びに聞こえた。

 政治も、産業界も、角界も自己擁護、組織擁護に懸命で醜悪な事態である、としか言いようが無い。

 日本最大規模の有力大学が、組織防衛のため将来ある学生に責任転嫁しているようにみえる。
 内田前監督が大学経営の中枢である常務理事の要職にあることと無関係であるまい。日大は年80億円を超す私学助成を受けている。理事の不祥事や法令違反が確認された場合、補助金が不交付、または減額される。


6/2(土)快晴 温暖 
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。午前、アップルと外付けHD認識について電話相談。HD側に問題??再度月曜予定。午後畑、草刈り、樹木枝落とし。家内らは三楽園バラ園見学に、まだ咲いていなかったという。夕方以降は文献整理、読書中心。BR disk視聴:読売日響演奏会再度見る、春の祭典他。19:00夕食、21:00就寝。歩数Σ12011。

退職8年目 私は労働意欲が薄れて来た 「人はなぜ働くのか」今更ながら思う
 私は退職後労働意欲が徐々に薄れて来た。年齢のせいだろうか。かつてのハードな状況がもたらした燃え尽き的な現象であろうか。

 「人はなぜ働くのか?」、昔はこんなことを考えもしなかったし、こころにそんな余裕も無かった。
 仮に、自分の個人的な喜びや楽しみを得ることを遊びとすれば、遊びだけでは生きていけない。一方で、働くことは他人の楽しみ、生きる事に奉仕することである。
 働いたことに対する見返りが得られるとは言っても、労働から直接的な喜ぴが得られるとは限らないが、それはやむを得ない。ましてやその労働環境も様々である。加えて働く事が嫌になったとしても、生きて行くためには働かざるをえない。

 本当に望む様な職業に就いている方はそれほどあるとは思われない。
 私は幼少の時から医師になる方向で育てられ、医師になった。あまり疑問を感じたことはなく、辛かったが嬉々として過ごしてきた。しかし、退職間際から医師であることがつくづく嫌になってきた。いまさらどう出来るというものでもないから惰性で続けているに過ぎない。私にとって医師を続けているのが一番楽だからやっているということ。

 いま国会では盛んに労働改革法案が審議されている。いまさら私に関係があるとは思えないが、その動きには注目している。

 我が国は過重労働が当たり前になっている厳しい状況にある。
 2016年11月朝日新聞の書籍紹介に以下の5冊が紹介になっていた。
 私も一部購入し、読んでみた。

 ■ 厚生労働省の「平成28年版過労死等防止対策白書」の一部を読んでみた。秋田市立図書館で見ることが出来た。日本の労働社会の問題点が凝縮されている。
 ■ 森岡孝二著、岩波新書「雇用身分社会」は労働環境が劣化していることを明らかにしている。
 ■ 中澤誠著、ちくま新書「ルポ過労社会」は過労社会を捉え、改革案を装った労働者不在の政策に警鐘を鳴らしている。
 ■ 川人博著、岩波新書「過労自殺第二版」は問題提起、事例紹介だけでなく、「自殺予防の10筒条」など具体的な対処法まで示している。
 ■海猫沢メロン著、大和書房「頑張って生きるのが嫌な人のための本 ゆるく自由に生きるレッスン」。

 いま、国会は「働き方改革」が論争になっている。一般的労働者の立場を十分汲んでいるとはいえない。国による「もっと効率的に働かせるには・・法案」である。
 働き方を論じる前に、過重な業務で過労死が生じる様な社会がおかしい、との立場に立たねばならない。
 国民の生き方、基本的人権の擁護の意義が再論議されるべきだろう。


6/1(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床。文献、新聞など読む。書斎のパソコン調整。5:00ゴミ出し、7:30Taxi、8:11こまち。駅病院往復徒歩。9:00-12:15大曲外来。13:30飯川病院、駅前で元倉ねぎ苗予約。14:00-18:30ボランティア。秋銀スタッフ來訪、散水他。19:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ12798歩数。CD iTune化。

退職8年目初日 もうこんなに時間がすぎたのか 
 本日は退職8年目初日となる。ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。

 今も社会医療法人中通総合病院で週4日、午前、一部は午後も内科嘱託医として働いている。ウイークデイの午後は近隣の飯川病院で過ごす。このうち勤務は月、火、木で、院長の補助しながら診療や院長の趣味である花の維持などの雑務を手伝っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になる。朝は7:30前後から飯川病院で過ごし、中通総合病院、健康クリニックに出勤している。だから、まだ一日12時間は病院で過ごしている事になる。

 飯川病院の勤務とボランティアで求められる業務は多くはない。だから、午睡も、読書も、音楽も聴ける。私にとっては至宝と言うべき時間で、今を、今後を大切にしたい。飯川病院の院長には感謝している。

 「組織に年寄りは不要」、「社会的使命は終わっている」と自認している私から見れば、中通総合病院からはいつ契約解除されても良い状態である。もう私はそれほど必要とされていない。当然でもある。飯川病院は院長が働いている間だけ、出来れば補助したい。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、自身はとても有意義な日々を過ごしている。診療担当時間が少なくなった分、適宜、図書館、美術館、博物館などを訪れている。

 私は最近働く意欲が乏しくなった。
 かつては身を粉にして働いた。私の日々はざっと記録してあり、1日どう過ごしたか、何を考えていたのかを振り返ることができる。貴重な蓄積であるが、もうその当時のことは思い出したくもない、考えたくもない。
 退職後、社会について、政治・経済について、労働について学んでいるが、この年になってヤット日本の労働環境の厳しさが分かってきた。

 日本国民の義務は憲法に定められている。納税、教育、労働である。
 だから、労働せずには生きてゆくわけにはいかない。しかも、私は税金で医師になったようなもの。だから社会に対して恩義がある。
 
 今この国民の義務と、社会に対する恩義と、働く意欲減退のジレンマの狭間にいる。

 まあ、いろいろあるが今年度も何とか責務を、最小限のことしかできないが、果たしていければいいと思っている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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