徒然日記
2018年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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5/31(木)曇り夕方から降雨 外来 飯川病院 
 1:30起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。7:25歩行飯川病院着。8:45-13:00外来+紹介状、人間ドック判定総括14名。微睡、14:00-17:50飯川病院、19:10帰宅、夕食、21:30就眠、15022歩。CDをiTune化。

現代人に必要な「いやし」(13)  キラキラネーム??
 私はペットと人間の関係について興味があり資料を集めている。ペットを通じて社会の変化、人間の変化、自身の心情の変化、が読み取れるからである。

 私がキラキラネームブームや傾向は知っていたが、注目したのはある4人の兄弟の名前が新聞に紹介されたのを見てからである。
 4人兄弟で、上から幸虎(たから)君、龍煌(りゅうあ)君、頼瑠(らいる)君、澪流(れいる)君、夢妃(むうあ)さん。子供が誕生した時、生まれて初めてのすばらしい贈り物として両親が考え尽くして命名したのだろう。しかし、両親はどういう発想だったのか?多少疑問である。子供の名前を書くのに大変で無かったか?日常的に呼ぶのが難しく無いかったか??成長してからの人間関係で困らないか・・・などなど思ってしまった。この4人とお母さんはもうこの世にはいない。

 キラキラネームがいつことから目立ってきたのかわからないが、20年ほど前だろうか。内科の診察に訪れる若い患者にはまだみることは少ないが、大学の合格者などの名簿はフリガナがなければ殆ど読めない。
 ペットにも最近キラキラネームが目立つ様になってきた。
 新聞や雑誌で「かわいい家族達」などとして写真で紹介されるコーナーがあるが、私はその写真には興味が無いが、「家族」としての名前に興味を持っている。ペットの世界でもキラキラネームが目立つようになった。

 家族の一員であるペットと飼い主の距離感はネーミングにも影響して来ている。
 拳(パンチ)、ウルル、アショア、友絆(ユズ)、マロン、励生(レオ)、志音(シフォン)、光音(ライオン)、オリーブ、オスカー、オセロ・・・、最近の名前である。

 むかし、イヌはポチ、ネコならミケが代表的だった。童話にも登場している。動物保険のアイペット損害保険が契約者が申告した愛大・愛猫の名前を調べたところ、ポチは312位。ミケは2392位だったという。

 動物は名前を付けることで、ぐっと身近な存在になる。ぺットと人の距離か縮まれぱ、名前も自然と子どもの名前ににじり寄ってくる。

 ペット名が多彩化する背景にには、ペットそのものの変化がある。純血化が進み、購入費用も安くないから、もあろう。日本ペットフード協会の調査では、イヌの9割近くがが純血種なのだそうだ。

 我が家のネコはみんなタダ。タダにキラキラネームはそぐわない。

 ちなみに我が家のネコの名前は、古くは、タロ、ナンナン、ミーシャ。現役の七匹は、ユー、小さい方、プチ、鉄、雪音、グリ、縞ジロウ。
 これらのネコは私の人生に、キラキラでなく、鈍い光を与え続けてくれている。


5/30(水)早朝雨のちはれ不安定 本日フリーで外仕事
 0:40起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。午前午後共、畑・花壇に散水、DIY店にて園芸用小物、草取り用鎌など購入、草刈・草むしり、枝豆ポットに植える。キウリなどにタナを組む。ネコ部屋ラティス、網戸修理。17:00BR disk視聴「読売日本so:Mozart Cl con他、Stravinski 春の祭典」。19:00夕食、20:30就眠、Σ12986歩。

現代人に必要な「いやし」(12)  ネコで癒される??(1)
 私はペットと人間の関係について興味があり資料を集めている。ペットを通じて社会の変化、人間の変化、自身の心情の変化、が読み取れるからである。

 「空前のネコブーム』が続いている。
 日本ペットフード協会が昨年発表した推計飼育数でネコがイヌを初めて上回った。ネコの年間の経済効果は2兆円を超すという試算もある。

 メディア、ネットにも連日、愛くるしいネコの映像があふれ、見るものを癒やしている。私は、いま7匹のネコと同居している。これだけいると癒されるどころか世話が大変で、よそ様のネコの写真をみても特に感心することもない。それに他の猫を見ても全然かわいく感じない。

 このネコプームはどのように捉えられているか。
 某新聞社のアンケ調査がある。回答者1733人は男性56%、女性44%。
 「ネコが好きですか??」との設問に「はい」と答えたネコ派が「いいえ」とした非ネコ派を上回ったものの、差はわずかだった。男性で「好き」が46%、女性は60%。どちらかというと女性に好まれる傾向があるようだ。

 ネコとのふれあいを熱っぽく語るネコ派の附帯意見。
 ■悲しい時やつらい時、体をピタリと寄せてなぐさめてくれる。
 ■かわいいということ以外は何の役にも立たないけど、いてくれるだけで幸せ。
 ■ネコの魅カはいくつもある。勝手気ままなネコの生き方に引かれる。
 ■取っ組み合いのけんかをした時、飼いネコが間に入ってきた。
 ■ネコはさほど手がかからず、一人暮らしの年寄りにうってつけ。 
 ■後ろ姿がいい。つやつやした毛並みのネコがじっと座っている後ろ姿の、愛らしく高貴なこと。

 非ネコ派の附帯意見。
 ■目が嫌い。夜に見るとゾッとする。
 ■犬は盲導犬、警察犬、救助犬として役立っている。ネコが何に役立つのかを聞いたことはない。
 ■花壇や畑をきれいにすると、必ず近所のネコがやって来てふんをし、土を掘り起す。一番頭に来るのは種をまいたばかりの時だ」。
 ■さかりのついた野良ネコの鳴き声は安眠妨害。
 ■ネコが薄目を開けているのは、辺りの様子をうかがっているようで嫌。
 ■すりすりと寄ってくるのも気昧が悪い。

 などなど。
  クールな意見として、ぺット問題は騒ぎ過ぎ!!!、うるさい・・・というのもあった。私もどちらかと言うと騒ぎ過ぎ、そう思う。


5/29(火)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献入力、データ整理etc。6:00可燃ゴミ3袋提出。7:15徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通外来、13:10飯川病院、微睡、14:00-18:30勤務、入院患者対応。CDをiTune化。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計Σ11508歩。

現代人に必要な「いやし」(12)  人はペットでなぜ癒される??(2)
 私はペットと人間の関係について興味を持って資料を集めている。ペットを通じて社会の変化、人間生活の変化が読み取れるからである。

 10年以上前は「ペットはどんな存在?」と尋ねると、「子どもに近い・・・」と答えた人が約9割ほど。つまり、あくまで本当の子どもや家族とは区別されていた。
 最近は「うちの息子・娘」、「家族にほかならない」と直接言い切る方が大半となっている。家族のあり方が多様化するなか、ペットが動物のレベルを超えて堂々たる存在惑を持つようになっている。

 年配の方ではペットといわず「孫」という人も多い。孫のように甘やかし、丸太のように太ったり、成人病になったイヌやネコと暮らしている高齢者も多い。
 自分の孫が可愛くない筈はないのだが、今は別居して外孫が多いし、息子や嫁の手前孫との付き合いは遠慮せざるを得ない。ジジババと寄ってきた孫も成長に合わせジジババから離れて行く。お小遣いやお年玉等のお金の供給源としての関係になっていく。祖父母にとっては息子や娘を育てる過程で、将来は孫との交流を楽しみにしていたはずであるが、淋しく厳しい現実をむかえることとなる。オレオレ詐欺は日本に特有のとされているが、「日本のジジババに特有の心理」が背景になっている。
 その気持ちをペットに向ける事は自然の流れ、ともいえる。

 家族と言っても家族間では複雑な人と人とのかかわりがある。一見平穏で幸福な家庭に見えてもその内情を見れば問題を抱えていない家庭は無い。数多くの家庭争議や事件が生じ、その時点で明らかになる。単に外に出ない、出さないだけ。家族間でも、問題解決の為にときに正面から向き合う努力をしなけれぱならなくなるが、そんなときにペットがいれぱ、家族間の葛藤を和らげることもあるだろう。

 よく、「子はかすがいである」と言われるが、親には子供の養育に関しては責任と言う負荷が重荷になる。ペットへの責任はそれからみればはるかに軽いだけに、実際の、癒しに関しての役目はむしろ大きいような気がする。
 子は成長に応じて様々な価値観を持つようになり、新たな家庭内の争いの原因にもなり得る。しかし、その対応は簡単では無い、その点はペットは成長もせず、常に一定の、安定した存在である。ペットはあるときは「我が子や孫」であっても、事情が変われば突然「モノ扱い、邪魔者」になる可能性がある。ペットの素晴らしさの一つは究極的には「モノ扱い」になる可能性を秘めている所にも由来している。

 私の父は中年に達するまで厳格な祖父を超えることができない存在であった。
 地方公務員として定年近くまで勤務したが、職場も家庭もかなりストレスだったと思われるが、帰宅時には馬小屋にかならず立ち寄り、一定の時間を過ごしてから玄関を開けていた、という。後日、父の同級生であり、我が家の菩提寺である江岸寺の住職から私が直接聞いた話である。馬と会話していた、という。
 家庭が備えていたはずの情緒的安息化横能を、馬が一部ながら代替していたのだろう。 


5/28(月)快晴  健康クリニック 飯川病院
1:10 起床。新聞チェック他資料整理、ディスクバックアップetc、いつもの如し。5:00畑、庭に散水等。7:15徒歩飯川病院。9:00-11:30健康クリニック。12:00飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ11278歩。CDをiTune化進む。

現代人に必要な「いやし」(11)  人はペットでなぜ癒される??(1)
 私は動物が好きだ。 何故好きなのだろうか。
 人間と違って、動物はそのものから逸脱することが無く、いつまでも同じだから、小さい存在だから、寿命が短いから、安心して付き合える事かな??
 私が共に暮らしたことのある動物を思いつくままにあげれば、ウマ、次いでイヌ・ネコ、ウサギ、ハト、ジュウシマツ、ベニスズメ、熱帯魚、コイ、金魚、小型のはコオロギ、スズムシまでで、常に何かと一緒に暮らしていた。動物から大いに癒やされてきた。

 今は7匹のネコと同居している。これだけいると癒されるどころか世話が大変である。

 私は動物が好きだが、私は一定の距離を開けた関係がいい。その意味ではイヌとの付き合い方は難しい。

 私はペットと人間の関係について興味があり注目してデータを集めている。ペットとの関係の変化を通じて社会の変化が読み取れると思うからである。

 2012年のデータでは、イヌまたはネコを飼っている所帯は全所帯の25%、ネコが975万匹、イヌが1153万匹、一か月当たりの餌代はネコが5263円、犬が7460円となっていた。
 2017年の一般社団法人ペットフード協会が発表したイヌとネコの全国の推計飼育数をみると、ネコが953万匹(前年比2.3%増)に対し、イヌは892万匹(同4.7%減)となっている。1994年の調査集計開始以来、初めてネコがイヌを上回った。なお両者の推定値が異なるのは別の組織の推定値だからで、直接の比較はできないが、傾向は知ることが出来る。

 後者のデータでは、イヌの飼育数は一貢してネコを上回ってきたが、差は年々縮まっていた。イヌは3年連続で減少し、ネコは2年運続で増加している。

 イヌが減少した事情は、90年代後半以降の小型犬ブーム時に誕生した犬が寿命を迎え、飼い主も高齢化し、新たな犬の「飼い控え」傾向が生じている。イヌはしつけや散歩が必要なため、ネコに比べて負担惑が大きく、敬遠されつつあるのだろう。

 最近は、ペットと人の関係がやや濃密になりすぎるのではないか?と思っている。
 背景には核家族化、高齢者単独世帯の増加など、人間関係が希薄になっていく中、愛情の転嫁が生じているためと思う。
 イヌを室内で飼うようになったことの影響も大きい。

 新聞や雑誌などのではペットとの生活を投稿している方が多いが、読んでいて鳥肌がたつほど濃密すぎて気持が悪い。
 ただ、他人がペットでどの様に癒やされようが、私があれこれ口出しすべき事柄ではない。何の問題もない。

 でも、ペットだけの写真ならまだしも、一緒に写っている飼い主の表情はどっか抜けていて、見るのも辛い。
 それにしても最近のペット達、飼い主よりもはるかに自信タップリ、立派な表情をしている。ペットの地位向上、人側の地位低下が見てとれる。


5/27(日)快晴 飯川病院日直 
 1:00起床、データ整理。徒然、など。5:00畑、庭に散水。8:30バス飯川病院に、日直。問題ある患者数名有り対応、散水他。ハードディスク内のデータ整理中心。17:30迎えアリ帰宅、食の行事で交通規制。CDをiTune化。18:10-19:00MacとiTuneについて対応、解決する。買いものの家内の迎えで帰宅、食の行事で本日も交通規制。夕食、21:30就寝。Σ7259歩。

現代人に必要な「いやし」(10)  現代人は死をいじ繰り回すから不安が高じる
 医学が発達した現代では、自然に死ぬことが難しくなっている。
 修飾された死は余りにも不自然、人工的なだけに、自分の場合どんな事になるのか、一般的には予想が付かない。この事が現代に生きる者に不安を醸している。

 日本人はマスコミを通じて、すっかり「不健康は悪しき事」、「健康はもっとも重要なのだ」と洗脳されている様だ。生老病死の生命現象のうちのネガティブな方だけに囚われて、一喜一憂している。

 生物の死に臨んで、人間の場合でも、もはや不自然な延命や医療など不要である。
 もしやったとしても、もたらされる成果は「死ぬる過程にある本人の不幸の延長」だけである。それを世話しなければならない我々の仕事は実に虚しい。死を受け入れる事ができない家族達の願いは、「死ぬる者に実は悲惨、残酷な現実」をもたらす。本人の意識がなくなって肉体的寿命が来ても、家族の希望と医療人の身勝手さから、無駄な延命治療が行われている。満足するのは、実は親不孝の子供たちだけである。背景に年金問題が絡んでいることがある。
 誰のための医療か??家族のため??医療人の自己満足のため??そこに本人の立場など考慮されない。

 どんなシテュエーションにションにおいても「健康」の重要性が説かれる。本当に「健康」って重要なことなのだろうか。「健康」でない人は不幸なのか??そんな事はない。一番大切な事は、生まれた環境にどう適応し、与えられた時間をどう生き、どう死ぬか、を自分自身で考え、時に運命に抗い、いろいろ実行していくことだろうと思う。
 
 「生老病死」は逆らえない自然現象であって、より良く生き、老い、病気を通じて死への過程をつぶさに体験すれば、死への過程をしっかり見つめれば、実はおもしろい人生になる、と思う。そんな状態であれ、何れは死ぬのだ。

 「死」を忌むべきものとして避けるのではなく、死は誰しも避けられないれない到達点である。死に興味を持つと死が怖くなくなる。いや、それ以上に、早く死んで見たくなる。しかしながら、死んだら全てが終わりだからそう急ぐ必要がない。じっくり味わえばいいのだ。その過程を書き残すともっといい。

 現代人にはいろいろな意味で「いやし」が必要である。
 最近は、家族であっても子供達や孫たちはもう癒しにならないようである。別居している家族は基本的に他人と同じ。理屈で、血の繋がりでつながっているだけ、と考える方が割りきれる。

 最近、注目ペット、AIロボット、宗教の癒やし効果は何に由来するのだろうか?


5/26(土)晴れ夜は降雨 飯川病院日直   
 0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。早朝はレガシー電気系統チェックと充電、庭と畑の見回り。9:00アップルと電話対応、iTuneデータ移行について。うまく行かず持ち越し。11:45レガシー飯川病院日直に。微睡、CDをiTune化。19:30帰宅、食の行事で交通規制。夕食、21:30就寝。Σ10400歩。

展覧会2018(5):千秋美術館「ピカソ展 フランス国立図書館版画コレクション」
 私は画集を眺めるのが好きである。

 新潟大学の学生であったときに、初めてピカソの複製画に出会ったような気がする。それは「これが絵画なのか?なんで評価がこんなに高いのか」理解できず、私にとっては「事件」だった。それ以来、ピカソに「困感」させられ、それが今まで続いてきた。

 ピカソは長命であった為に作品数が著しく多い。
 関連性が乏しいバラバラの主題と様式を展開させているだけの画家に見えた。

 ピカソは生とエロティシズムを超越して、20世紀最大の傑作絵画の一つとされる「アヴィニョンの娘たち」に到達した。確かに、この絵をじっと見ていると女性たちの美しさが湧き出してくる、様な気がしてならない。こういったのを名作と言うべきなのだろう。

 それもつかの間、次々と変化変容を繰り返しながら、ピカソはさらに未踏の実験へと向かう。

 そしてあの神話的大作「ゲルニカ」が誕生した。
 パリでゲルニカ空爆(1937年4月26日)の一報を受けたピカソは、パリ万国博覧会のスペイン館で展示される予定の壁画を製作していたが、急きょテーマを変更してゲルニカ空爆を題材に取り上げ、縦3.5m、横7.8mの大作を一月余で完成させた。大作「ゲルニカ」の存在でゲルニカ空爆が広島長崎の原爆投下と共に、永遠に人類に記憶されることになる。
 このように有名な作品は画集とかで見ることが出来るが、それでも全て網羅できるわけではない。
 多数の作品群の一部ではあるが、今回の様なテーマを絞った展覧会を通じて観る事が出来るのは嬉しいことである。

 入場時の資料として、出展されたリスト票をもらうことができた。
 しかし、観る者としてはコレだけでは不足である。作品そのものの画像は望み難いが、会場内にパネルで掲示してるピカソの生涯とか、作風の変遷を記述した説明文くらいは資料として作成してもいいのではないだろうか。字数が多く、字も小さい。とても会場内で十分に読むことは出来ない。

 スタッフに聞いたところ、1日わずか100人程度の入場者数だと言う。実に勿体ない。


5/25(金)晴のち雨 大曲外来 飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ提出。7:30Taxiにて駅に。8:12こまち、徒歩病院往復。9:10-12:00大曲中通病院外来。秋田は雨模様、13:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30Tax帰宅、21:30就寝。歩行Σ12166歩。BR disk視聴なし。CDをiTune化。

展覧会2018(4):千秋美術館「ピカソ展 フランス国立図書館版画コレクション」
 秋田市立千秋美術館で「ピカソ展 版画をめぐる冒険 フランス国立図書館版画コレクション」が開催されている。会期は4月21日(土)-16月3日(日)。一般1,000円であるが、私は年間パスポートを購入しているので一回毎の入館料は不要である。会期中は何度でも鑑賞出来る。


(秋田市広報に掲載されたお知らせから一部)

 この企画が秋田で実現したことは素晴らしい。秋田にいながら鑑賞できる展覧会はそれほど多くはない。見逃す手はない。

 5月23日(水)は午後から飯川病院ボランティアで、その出勤途中で秋田市立千秋美術館に立ち寄った。

 20世紀最大の巨匠といわれるバブロ・ピカソ。
 その70年以上におよぶ創作活動において2000点近くの版画を制作しており、銅版画、リトグラフなど、技法や素材も多岐にわたる。
 本展示会では、フランス国立図書館のコレクションからピカソの版画作品に光をあて、彼が影響を受けた、レンブラントやゴヤなどの巨匠たちの作品も合わせ100点が展示されている。
 今回の、100葉に及ぶ作品の多くは私は初めて見る作品であった。

 私はピカソの作品を見る度に、いくつかはこれは芸術と言えるのか・・?と疑問に思うのであるが、それは見る側の私の理解力が乏しいためらしい。

 新潟大学脳研究所教授の日本医事新報4475号、2010年に掲載された「ピカソの相対性理論」という論文を読んで考えを新たにした。
 以下に私が理解した教授の論文の後半の要旨である。
――――――――――――――――――――――――――――――
 近代物理学が大きく揺れた20世紀、絵画の世界においても同様の現象か起きる。
 神を中心とする世界から人間中心の世界への変革を遂げたルネッサンス時代は、デカルトの原点のように、基準となる点を定めた具象絵画が主流であった。神からヒトへの視点の移動である。ダ・ヴィンチの絵には、最初の構図を決定するために打ちつけた釘の痕跡が見つかるという。そこから糸を四方に仲ばすことで絵の中心点を確保した、という。

 視点を限定せず、いろいろな角度から見たものを一つの画面に描く画法はキュービズムと言われる。言うまでもなくピカソらによって広められたものである。

 物体を一つの視点ではなく複数の視点から見つめ、その本質を描こうとしたピカソは、いわば、絵画における相対性理論の提唱者でもあった。
 多くの現点から見たものを同一の画面上に描くという作業は決して抽象ではない。実際に体験したものの蓄積からなる認知行動が基本であることを理解した上で、十本の指だけでも無限の数を数えられる形而上的思考能力を獲得したヒトの脳活動は、芸術の分野におにおいても同様の高次機能プロセスを要求するようになった。

 キュービズムの絵画は、見る人の脳における高次の認知プロセスを通して、初めて具象化される。

 拙象画への道を開いたにもかかわらず、ピカソをはじめとするキュービズムの巨匠たちは自分達の絵があくまでも具象画像であるとのこだわりを捨てなかった。それは、「複雑系科学は曖昧である」との不当な批判を避けるために複雑系科学者が実存する条件の設定にこだわったように、「感覚だけでよい」という短絡した概念の誕生を危惧した、彼らの小さな抵抗だったのだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――

 うーん、なんとなくわかった気がした。今回の展示会を通じて、私の勉強不足を痛感した。


5/24(木)曇り後快晴 外来 飯川病院 米朝会談中止に
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、7:25徒歩飯川病院着、8;40-13:00中通外来+クリニックドック。13:15飯川病院、入院患者対応。BR disk視聴なし。18:30バス帰宅。19:15夕食、21:00就寝。歩行計Σ14012歩。CDをiTune化。

車のEV化と自動運転(2) 消費者はツンボ桟敷に置かれている
 ガソリンなどの化石燃料を用いる自動車は20世紀に入って急速に普及したが、エンジン車への規制を強める動きが世界で広がり、EVが次世代の本命侯補になりつつある。
 加えて、自動運転の技術も急速に進化し、遠くない将来、操作がほとんどいらないクルマが登場する、とされているようだ。

 本当だろうか??私は双方ともにその道は厳しく長いと思う。

 自動車は人間の暮らしを支えるのみならず、自動車産業はその国の経済力の基本を成している。日本の経済を支える重要な産業だけに、EV化、自動運転車化の動きは社会に大きな変化が生じそうだ。日本のEV化はプリウスと言う名車をもちながら、いやプリウスが世界的にフィットした為に、逆に世界の足並みから遅れを取っている。
 わが国は民間、行政がタイアップして、車、電池だけでなくインフラ整備や社会的ルールの整備がを進めて行く必要がある。

 世界的にEV化の背景にあるのは、地球温暖化対策への意識の高まりである。米国の一部の州や中国がEV化を普及させる政策を進めていたが、英仏が新たに2040年までにガソリンとディーゼルエンジン車の販売を禁止する方針を打ち出した。諸外国は思い切った決断をする、と思う。

 EV化は電池の性能向上やコスト低下が背景にある。EVでは新しくベンチャー企業のテスラが台頭し、掃除機・扇風機で有名なダイソンも参入の構えで、車はエンジンからモーターヘの移行が加速しようとしている。
 
 EV化の鍵は電池にある。今や世界的に自動車用のリチウム電池の開発競争が行われている。パナソニックは米国のテスラと合同で米国で巨大な生産設備を持っている。
 日産はかつてはリーフ用電池を自社生産していたが、ここまで電池生産の企業が広がってしまうと自社で生産する必要が無くなっていることで、最近自社の自動車用電池の生産は終了させた。
 技術の革新でリチウムやレアアースの車一台あたりの使用量は減少しているが、世界規模で生産量が著増しているので争奪戦がかつてより激しくなって来ている。

 一方、自動運転では業種を超えた開発競争が激しい。
 人工知能(AI)や情報通信の技術を武器に、米国のグーグルやアップルなどが参入し、自動車産業に挑む。

 日本の車は、燃費の良さや価格の手ごろさ、故障の少なさ、アフターサービスの良さなど総合的な技術力で国際競争を生き抜いてきたが、EV化で構造が単純化し、AIによる自動運転化は、今後はこうした強みを発揮しにくくなる。

 EV電池、ガソリンスタンドに代わる充電設備の普及は当面、政策支援が必要と思われる。

 最後に購入を決めるのは一般の消費者である。
 消費者にとっては、夢の車であっても高価であっては困る。これが現実である。消費者はツンボ桟敷に置かれている。


5/23(水)快晴 飯川病院ボランティア 千秋美術館「ピカソ版画展」
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前は各種データ整理、花壇、クリーニング店など。軽く昼食摂った後クロスバイクで通り町コーヒー店、千秋美術館「ピカソ版画展」、1年間パスポート購入。13:30飯川病院ボランティアに。微睡、新聞チェック、BR disk視聴:「アメトーク:大谷翔平」。歩行Σ10136歩。音楽ソースをiTuneデータに。

車のEV化と自動運転(1) 企業生き残り策中心でユーザー不在
 車のEV化と自動運転は世界の趨勢のような気がする。すくなくとも2016年後半から、新聞を中心にメディアでの記事が著増している。「自動車は100年に一度の大変革の時代を迎えようとしている」などと大騒ぎである。私のファイルにもEV化と自動運転技術的の記事が蓄積し始めた。
 
 この動きはなぜなのだろうか??
■ 化石燃料の枯渇 
■ 地球温暖化 
■ 高齢者の危険運転など
■ 高度のAI技術的の進歩
■ ・・・・・・

 理屈を並べれば幾らでも出てくる。それもあろう。しかし、私は以下のように考える。

■ ガソリンエンジン車の機能は十二分に成熟、もはや改良の余地なし。
■ 如何に付加価値を付けても一台当たりの儲けが頭打で企業の成長が望めない。
■ 各メーカー共に現状のクルマづくりでは抜きんでることができない。企業として行き詰まり状態。
■ ・・・・・・

 そんな各社の事情が背景にあると思っている。

 そのために、実際に購入し利用するユーザーの立場が殆ど無視されている、と感じる。
 EV化と自動運転技術的論議の中に現実にクルマを購入し、運転する側の事情などほとんど入っていない。

 私のことを言えば、EV車と自動運転車はいらない。
 実際には時代の趨勢に乗って、比較的初期型のプリウスを用いているが、私にとっては日常そんなに走らないからハイブリッド車である必要は必ずしも無かった。

 いま、車を必要としているのはまずは高齢者である。高齢者の自動車事故が増えている印象であるが、実態は不明である。たしかに自動運転車などあれば事故が減るだろうが、高齢者にとっては走るルート、目的地のセッティングが困難で、自動運転車の方が危ないような気がしてならない。危険防止のアシスト機能程度でも良いのではないだろうか。
 それ以上に、EV車、自動運転車の値段にユーザーとして耐えられるだろうか。

 今車を必要としているのは発展途上国の国民である。この人達に必要なのは安いクルマである。
 こう考えると、高邁な目標を掲げても、いまメディアが取り上げている程の需要はないのではないか、と思う。将来的方向性は間違ってはいないだろうけど。

 EV車と自動運転者論議にはユーザーの姿が見えない。


5/22(火)快晴 外来 飯川病院
0:45起床、文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。4:30畑・庭散水、4:20可燃ゴミ提出、ナス畑に植える。7:20徒歩飯川病院着。8:40-13:20外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院。花壇散水。19:15@@@帰宅。夕食、20:30就眠。BR diskながら視聴:「そこまで言って委員会:世界の南北問題」。音楽ソースをiTuneデータに。歩数計14312歩。

カシオデジカメQV-10Aと老ネコ「ナンナン」 その命日に思う 
 カシオは5月9日、コンパクトデジタルカメラ事業から撒退すると発表した。カメラ付きのスマフォに押され、年間の出荷台数はピークの1割以下の55万台に落ち込んでいた。今後は監視用カメラなど企業向けにシフトしていくと、との事。
 カシオが「QV10」で市場に参入したのは、デジカメ創生期だった1995年。それまで10万円台であったが、破格の6万円台であったことが支持され、デジカメブームの火付け役となった。
 しかし、最近のデジタルカメラの環境は厳しく、日本のメーカーの17年の出荷台数は計1330万台で、5年前の2割以下となった。オリンパス、ニコン両社も中国での生産を終了する、と発表した。

 私は1996年頃、機構、機能に興味があってカシオのQV-10Aを入手した。この製品はデジタルカメラ市場が発展するキッカケとなった先進的技術を取り入れた名器だった、と思う。

 以下の特徴があった。
■ 画素数は30万画素。
■ 単3電池4本で駆動。
■ レンズ部分が回転し自撮りもできた。
■ 内蔵のメモリーだけで96枚撮影可能。
■ その場で撮影画像を確認できる液晶パネルを背面に世界で最初に採用した。
■ 画像をパソコンに取り込める機能をつけた。
■ 6万5,000円という、低価格であった。

 我が家の一代目のネコは私が小学入学直後から高校卒業まで13年間共に過ごした。当時もカメラを所持していたが35mmフィルム自体も高価、現像、焼き付け引き延ばし値段も高価で、気軽には撮影出来なかった。
 一代目のネコの写真は13年の生涯を通じて数枚しかない。私の心残りの一つであった。その内の一枚はスマホの待ち受け画面で毎日見ている。

 二代目のネコ愛称「ナンナン」、本名「マルスランナ・ランドスト・フクダ」は野良であったが、厳冬のある日にわが家で引き取った。美しい表情を持つネコであった。
 
 「ナンナン」はカシオのQV-10Aの格好の被写体であった。機会ある毎にその姿を記録した。費用が一切掛からないし、パソコンに画像を取り込むと枚数の制限もなかった。

 カシオのQV-10Aは「ナンナン」の生涯を抜きには語れない。私はのちに300万画素の名刺サイズのカシオデジカメも購入した。その後はiPhoneのカメラだけ使用している。

 今では古い思い出となったが、2010年5月22日、「ナンナン」は推定年齢20歳で死んだ。2年ほど前から,昼夜逆転、奇声をあげて徘徊していたが,徐々に老衰状態に近づきつつあった。顔面に腫瘍もできていた。ただ、幸いなことに痛みはあんまり無いらしい。
 自分の分身のごとくに「ナンナン」を可愛がっていた横浜在住の長女が前日に最後の世話のために帰秋し、数時間見守る中、長女の膝の上で静かに息を引き取った。夕方、わが家の一角に丁寧に埋めてお別れした。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/49/da7819b6e5393433b2fcf4f9c6eb3a58.jpg" border="0">
(15才頃のナンナン QV-10Aの画像でなく2台目のデジカメの画像)
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/86/51d98d788153b7ff73c8ae187fba3fc6.jpg" border="0">
(晩年のナンナン 私の脇で辞書をまくらに瞑想中 iPhone4で撮影)

 晩年は世話が大変であったが、QV-10Aの画像ともにいろいろ楽しい思い出を残してくれた。ただ、QV-10Aの画素数は30万であり、現在の800?2500万画素のスマホ、コンパクトデジカメの画像とは比較にならない。シャープさに欠けた写真も思い出のひとつである。


5/21(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 葬儀屋に訪問
 1:00起床、各種データ整理。徒然。5:00畑に散水。7:30徒歩飯川病院着。新聞・画像処理。9:00健康クリニックドック。11:45葬儀屋訪問、会員登録する、13:00飯川病院。検食後微睡。14:00-19:00勤務。入院患者対応、花壇に散水、ナスタチウム植える。19:15帰宅。夕食、21:30就眠。BR disk視聴:「そこまで言って委員会:女性活躍問題」。歩行Σ15037歩。音楽ソースをiTuneデータに。

終活2018(4) 全集もの、今となればなかなか廃棄できない
 私は物欲が強いわけでもなく、木工用の木片以外の収集癖も強くないと思うが、文学全集、レコード全集にどうして興味を持つようになって来たのかな、と思う。

 記億にある眼り最初に接した全集は、記憶が定かで無いが、小学生の頃に大阪の従兄(?)から貰った「少年少女文学全集」の30巻ほどのセットであった。
 その存在感は圧巻であった。これで日本や世界の名作を子ども向けに編集し直した作品に触れた。個別に作品を購入することなど不可能な程の多彩な作品が含まれていた。毎日毎日読むことに集中した。その中にかなりのスペースを割き収録してしてあった「千夜一夜物語」は記憶の隅に残っている。
 この全集はどこにいったのか。私が処分したとの記憶はないから、1965年頃に自宅を売却したときに多くの家財道具と共に廃棄されたのであろう。この全集の存在はその後のわたしの読書癖に影響を及ぼした。

 私が全集に興味をもった理由は、個別の作品に触れているうちにより広い作品に触れてみたいと言う意欲が生じたからであった。

 ハイドンの交響曲、110作品以上あるとされているが、その中でも90番以降に名曲が多い。しかしながら散発的であるがそれ以前の曲にも優れた曲が少なくない。全曲聴きたいと思い、入手出来る曲は積極的に取り寄せたが、実際には半分ほどで頓挫した。カタログ上でも見付からずそれ以上はどうしても入手出来なかった。ハイドンの交響曲全集は後日A.ドラティ指揮による全集、レコードで50枚ほどと記憶している、が発売されたが、その頃はほかの作曲家に興味が移っていて入手しなかった。今なら同全集はCD33枚のセットで入手できる。今なら他の演奏家の全集も数セット発売されている。好い時代になった。

 私が最初に購入したレコード全集は「ブルックナー交響曲全集」であった。
 交響曲8番、9番をとおしてブルックナーの曲に親しんだが、そのうちに全交響曲作品を聴いてみたくなった。当時個別にも入手不可能では無かったが全集として編集されたセットを購入した。全集で購入すると親しめない曲も含まれる。これがいい。個別に集めた場合などには入手する事も考えないだろう曲も含まれ、この中に私の琴線に触れるような曲が含まれることが少なくなく、これが全集ものの魅力である。逆に全集に含まれる演奏では満足出来ない場合には個別に追加入手した。結果として、全集3セット分のレコード、CDが書架にならんでいる。

 レコードを積極的に鳴らしていたときには何とも思わなかったが聴かなくなった今はその存在がプレッシャーになっている。

 個別の作品、単品のレコードを廃棄する時には未練が残らないように内容を確認しないで10枚単位で棄てているが、全集の多くは立派なカートンボックスに入っているためになかなか廃棄の手がのびない。何時どうやって廃棄するか思案中である。


5/20(日)超快晴なるも寒い 主に外仕事 散髪
2:00起床、早朝は本読み、文献チェック、新聞処理、音楽鑑賞など。若干オーディオ配線工夫。午前は樹木枝落とし。細断。NHKのど自慢後、午後きうりナストマト萎え追加分購入、飯川分のナスタチウム購入。畑に植える。夕方散髪後BR disk視聴:らららクラシック「カラス」、題名の無い「展覧会の絵」、読書。19:00夕食、21:00就眠。Σ14202歩。

終活2018(3) レコード、CD廃棄 全集ものに燃えていたが、今となれば・・・
 私は小学生の頃から好きになり徐々にハマっていったのは第一には音楽であった。下手な楽器を鳴らした事もあったが、やはり音楽鑑賞がメインであった。

 その音楽ソースとして集め、溜まりに溜まったてきたレコード、CDを終活の一環として廃棄を進めている。大型の再生装置は既に廃棄し終わった。オープンリール、高音質のVHSヴィデオテープ、カセット、MDなども廃棄し終わった。

 いまはミニステレオやiPod touchを通じて、主にヘッドフォンで小規模に楽しんでいる。

 かつて私は「全集」という言葉に弱かった。何らかの集中した分野があるとそれに関連した全作品を味わってみたくなる。

 「全集」と言う文字を新聞広告等で見ると黙って見過ごすことができない。古本屋を歩いているときも、つい「全集」の2文字に目が惹きつけられる。

 しかし、文学関係はそれほど購入しなかった。学生の身では高額すぎて購入出来ず、給与をもらうようになってから「日本文学全集」、「世界文学全集」を入手していたが、頒布毎に届けられてもほとんど読む時間がないことに気付き購読をキャンセルした。

 レコードに関しては「モーツアルト大全集」が一番大型の全集である。LPレコードで
160枚ほどのセットである。「バッハ」、「ベートーベン」全集にも食指は動いたが、あまりにも大型のセットやなのでその後は作曲家別でなく、ジャンルごとの選集にした。例えば「〇〇作曲交響曲全集」、「〇〇作曲弦楽四重奏曲全集」・・・である。ジャンルごとの選集としてかぞえると数10セットになる。「ベートーベン交響曲全集」は6セットになる。


 全集のどこがいいのか。まず名前がいい。なにしろ「全集」である。「全作品を網羅している」、それが良い。実際に入手して調べてみると決して全作品と言うわけではない事がわかるが、そう言い切るところがとても好い。あたかもここに全てが揃っているというその気分。聴く前からとても豊かな気持ちになる。

 それから全集は、始まりと終わりがはっきりしているのが好い。私の時間などいつとぎれるか分からない有限の持ち時間の身だけに、ずっと続くのはかなわない。「ここまで」という区切りがあるのがいい。そこに希望もある。


5/19(土)終日雨 雨読・座学中心
1:00起床。まだ降雨続いている。昨日は個人的には実感が無いが県内でかなり被害が出た模様。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。午前午後共に外仕事不可。居間のオーディオ回路再点検、CDをiTuneデータに読込に集中。機能性たかまる。新聞処理。終日読書、データ処理に。19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ8637歩。家を一歩も出ないのにウロウロだけでこの歩数!!!

四季2018(9)秋田市の24時間雨量、観測史上最大の155.5ミリを記録。
 秋田県内は18日、大気の状態が不安定になり、全域で記録的な大雨に見舞われた。同日22:00までの秋田市の24時間雨量は、観測史上最大の155.5ミリを記録。同午前10:00時現在、秋田市周辺の8市町では計16.562世帯に避難勧告が出された。県は同日、災害対策本部を設置した。

 気象台によると、22:00まで秋田市の新城川、太平川、猿田川、五城目町の馬場目川、三種町の三種川、上小阿仁村の小阿仁川の6河川で氾濫危険水位を超え、住家の床上浸水が五城目町で1件、床下浸水が潟上市で1件、三種町で4件、五城目町で3件。

 交通機関も乱れた。秋田新幹線こまちの上下線14本が運休した。

 秋田県内は19日18:30までに全て解除された(秋田魁新聞電子版)。
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 私は18日(金)は大曲中通病院の診療応援であった。
 前夜から降雨が続いていたが8:11発のこまちは定刻に運行された。降雨の程度は時間と共に激しくなっていて新幹線の運行が心配であったが、大曲駅発12:31の下りのこまちは定刻に到着し、驚き、関心した。
 秋田駅到着時には雨足が激しく強くなり、徒歩で飯川病院へ移動することは無理があってタクシーを利用した。
 飯川病院では激しい雨音を聞きながらずっと作業していて、この間ラジオのスイッチを切っていた為に県内各所で、秋田市内及び近隣地区で厳しい状態になっていることを知るよしもなかった。

 自宅への帰路、秋田市中心部の旭川の水位が川べりまで20-39cmほどの所があり、大変な事態が迫って
いる事を認識した。さいわい、この時間になったら降雨のピークは過ぎたようで雨足は弱まりつつあった。
 翌日19日は家内が急遽東京に出かけることにしていたが、始発から秋田新幹線は秋田盛岡間は運休となり予定が狂ったがやむを得ない。我が家ではこの程度で済んだが、水田などの被害を受けられた方の心情ははかりしれない。

 大仙市と秋田市では昨年7、8月にも大雨で雄物川が氾濫している。この時に佐竹知事はゴルフに興じていて危機管理の不味さが露呈した。今回はこの様な事態はなかったようである。

 最近、地球温暖化の影響なのか予想外のゲリラ的豪雨ば各所で生じるようになって来ている。従来の治水対策の現界の認識と見直し、緊急時の避難方法など見直す必要があるだろう。


5/18(金)終日降雨秋田市は観測史上 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。6:00降雨の間隙を縫って可燃ゴミ提出、されどびしょ濡れ。7:25Taxi駅に、8:12こまち、徒歩不可。9:10-12:10大曲中通病院外来、13:30飯川病院ボランティア。18:45Taxi帰宅、19:00夕食、21:15就眠。歩行Σ12709歩。本日歩行積算開始後1864日目、総歩行数1.791万歩、14.329Kmに。

現代人に必要な「いやし」(9) 科学の発達は人間を不安にさせる
 フランケンシュタイン・コンプレックス(以下FCと称す)という言葉がある。
 フランケンシュタインを小説の中で生み出した作家メアリーが生きた時代、約200年前のことであるが、科学はめざましい進歩を見せた。そうした社会を背景に、「最高の知性が最悪のモンスターを生むかもしれない不安や、倫理のゆらぎ」が既に表現されている。

 FCとは、創造主、いわゆる全能の神に成り代わって「人間が人造人間やロボットといった生命体類似のもの創造することへのあこがれ」と、その「作られた被造物によって逆に人間が滅ぼされるのではないかという不安と恐れ」が入り混じった複雑な感情・心理のことである。前者の真理は科学者達の、後者の真理は一般社会人の心情と取れよう。

 人造物に対する人間の潜在的な恐怖が、「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」のロボット3原則を生み出した、とされる。
 従来の考え方、コンピューターの在り方、ロボットはこの3原則の範囲にあったといえる。手塚治虫の漫画「鉄腕ロボットアトム」はこの範囲で描かれ、アトムは人間の優しい友であった。

 しかし、自分で自発的に学習する能力を備えた人口知能AIの登場は現代人にFC様の心情を与えている。
 AIは人間の友となりうるか??私もまだ分からない。

 ■ AIを搭載した労働ロボットが人間の働く場所を奪ってしまわないか??
 ■ AIを搭載した兵器は事の善悪を判断して味方を攻めて来ないか?
 ■ AIを搭載した兵器は、星新一的に言えば、人間を滅ぼすことにならないか??
 ■ AIが小説を書く??作曲する??
 ■ AIが診断を行う??治療する??
 ■ AIが・・・、と枚挙にいとまがない。

 新たな可能性を広げる一方で人間を従属させかねないAIへの戸惑いや不安も、近年広がっている。AI 3原則はまだ出来ないか??

 大正期の作家夏目漱石は「人間の不安は科学の発展から来る」と、小説「行人」に書いた。科学者であり、作家でもあった寺田寅彦も同様のことを述べている。
 アインシュタインは「人間自身とその運命への関心が、つねに、あらゆる技術的努力の主たる関心ごとでなくてはなりません。私たちの頭の創造物が人類にとって呪いではなく恵みになるようにするためです・・・・」。しかし、皮肉なことにこの言葉から14年後、彼の理諭を原拠とした原子爆弾が広島と長崎で炸裂した。この残された言葉は重要である。
 湯川秀樹も戦時中に海軍の原爆研究に参加していたが、戦後平和運動に力を注いだ。最近その心情を物語る??日記が明らかにされた。まだ全てが公開されていないが戦中戦後の科学者の立場の変遷を物語る貴重な資料になりそうである。

 私は科学者は同時に詩人、文学者、著述家であってほしい、と思う。

 iPS細胞の発見と応用への進歩は素晴らしいが、病む方々に異常な期待を抱かせ、同時に不安を醸している。メディアの夢ばかりを強調した取り上げ方は異常である。不安のもと。iPS細胞の臨床応用はマラソンにたとえるとまだ100mも走っていない。
 
 こんな時代、どう不安を取り除くのか。


 5/17(木)早朝から降雨 外来 飯川病院
0:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:40家内に同乗飯川病院、8:45-13:00外来+ドック判定。14:00-18:20飯川病院。18:30バス帰宅、19:00夕食、21:00就眠。BR disk視聴なし。歩行Σ13101歩。CDの廃棄のiTune化進める。

墓なんて不要である(3) 私の場合は葬儀も不要
 私は自分が死んだ時のことを毎日考えている。考えているより想像して楽しんでいる。一部はまだ決めていない事もあって緊急に考えなければならない。
 一方で、ほぼ同じ立場にある家内の時のことは考えたくもない。

 私はうじうじ死ぬ場合もあるし急死もあり得る。どちらにせよ死んだあとは生きているときと一変して遺体は邪魔物扱いで、周囲はその後の処理を待ってくれない。病院や施設で死んだ時はに「はやく遺体を引き取ってほしい」と言われるはずである。

 私の場合は自宅に引き取るのは不可能ではない。自宅のクルマで運ぶのが一番だが、面倒くさい。何処かの葬儀社に依頼してどっかの安置所におかれたい。この辺の所をあらかじめ決めておかなければ家族は途方にくれる事になる。

 そろそろ具体的に葬儀屋を決める。

 その後のことは私はマイペースでやろうと思っている。
 私には口をはさんできたりする親族は一人も居ない。通常から家族が集まった時に私の場合はマイペースでやることを宣言しているし時折このコーナーにも記載している。

 私は準備がいい方だと思う。
 私は葬儀の喪主を自分でやりたい。
 喪主になったのは両親の時の2回であるが、そのときは準備不足のまま、周りもうるさくて思うようには出来なかった。いちおう、社会通念にそって当たり前の葬儀を営んだ。はっきり言って葬儀の関連行事は私にとっては無駄と思えるものばかりであった。

 自分の時は勝手にやらせて頂く。それで残る家族は気楽になるはず。「自分はまだ元気」であるが、最近は「朝の笑顔、夕べの屍」を念頭に暮らしているから準備を急ごう。

 私の死を知らせなければならない個人は、兄嫁一人だけ。
 私がうじうじ死ぬか急死するか分からないが、前者の場合は予め自分で必要な所に連絡する積りである。そのなかに弔問とかは一切お断りする旨も記載する。

 私はひっそりと死にたい。ひっそりと骨になりたい。私の骨はゴミと同等の扱いでいい。 
 どんなにかすっきりするだろうか。


5/16(水) 晴 飯川病院ボランティア 
 0:10起床。文献チェックほかいつものごとし。早朝- 午前、庭の花、畑に散水.アメシロ疑いのツル排除した。ダリア発芽確認。庭木一部繁茂しすぎ裁断。ダリア周辺の花を除去す。11:50バス、飯川病院ボランティアに。院長外出。微睡。患者は落ち着いている。18:30散水、知人から預かったアンプ修理し返却。19:30帰宅、夕食、21:15就眠。Σ11403歩。CDの廃棄のiTune化進める。

墓なんて不要である(2) 秋田市の合葬墓 まず郵送で募集を
 県内の公営募地として初の合葬墓を秋田市が平和公園につくった。骨は骨つぼから取り出し直接埋葬する。1500柱を収骨できる規模で永代使用料は一柱当たり1万7千円、という。私も応募したい。

 【使用対象者】
■ 申請者の本籍または住所が秋田市であること。もしくは故人の死亡時の本籍か住所が秋田市であったこと。
■ 生前申請の場合、申請者の本籍か住所が秋田市で、かつ申請時に満65歳以上であることで、申請者が亡くなった時、埋蔵を行うかたの同意が必要。

 合葬墓は、4月2日に募集をはじめた。
 その日、収骨可能な1500体分に達する可能性が高まったとして、午前で募集を締め切った。市役所3階に設けた申込窓口は市民で混雑し、手続きを終えるまで6時間近く待たされた人もおり、市の対応のまずさに不満の声が上がった。

 市総務諜によると、受け付けを開始した午前9時の段階で、窓□には200人ほどの列ができた。予想より多くの申請者が来訪したため、誘導する職員が不足。当初の窓ロを3つから5つに増やしたが、正午ごろまで混乱した。 立ったまま待ち統けて気分が悪くなった人もいたという。同課は受け付けの整理券を591人に配った午前11時すぎ、受け付けを締め切った。何体分を受け付けたかは集計中という。

【再受け付けは5月22日8時30分〜からだという】
 当日は先着順に受け付け。募集体数(500体)に達した時点で受け付け終了。整理券は市役所1階市民ホールで午前7時30分から配布。申請場所は別室。

 ■ こんなバカな・・・・
 ■ 初日に明らかになった問題点が何も改善されていない。始めから諦める人も出るだろうし、再受け付け日もまた大混乱するだろう。
 ■ 受付方法が市民に公平でない。絶対的に配慮不足である。お役所仕事そのもの。
 ■ 市民が公平に参加出来る方法への変更が必要。
 ■ 前回の募集も不公平な決定。だから、前回分もちゃらにしてゼロから再募集すべき。
 ■ 整理券は市役所1階市民ホールで午前7時30分から???ーーーこんなに早く対応出来る方は限られる。居住地によっても差がでる。 
 ■ 病氣で不調、並べないかたはどうすれば良い??応募者の大部分は高齢者なのだ。
 ■ 5月22日は火曜日。仕事がある人の都合は??少なくとも私は行けない。
 ■ 先着順は公平でない。
 ■ まだまだアルが省略・・・・

【どうすればいいのか?】
 郵送で募集、公開で抽選会を行うべき。

 死ぬ時も医療機関、施設の奪い合いがある。戦いに敗れて在宅か??
 もっと後になれば火葬場の奪い合いにもなりうる。ドライアイスで待たされる??
 最後に、埋葬場所の権利獲得も奪い合いとは!!!
 わが国の、他人を蹴落とす競争社会は、死んだ後も続く。

 それを、お役人が助長している。私にはこう思えてならない。


5/15(火)晴れ 外来 飯川病院
1:30起床。文献他PDF化、徒然、6:00可燃ゴミ出し。7:40徒歩飯川病院着,8:45-12:50外来、13:10飯川病院、14:00ー18:30勤務、入院患者対応、この間秋銀スタッフ來訪、メガネ修理終了で受取り。19:15帰宅。夕食、21:15就眠。Σ14363歩。CDの廃棄のiTune化進める。

墓なんて不要である(1) 秋田市の合葬墓 不公平な申込方法にあきれる
 私は死者を弔い、その人物を偲ぶことは一定の意義を認めるが、それは最も近しかった人同士の事でいい。私は大規模な葬儀のセレモニーなど興味も無いし参列する気もおきない。
 ましてや、遺骨にそれほどの価値を感じない。したがって、骨を納める墓なんて不要である、との考えに立つ。

 自分もそろそろかも・・と準備しつつあるが、私の骨はゴミと一緒にどこかに捨ててもらって結構である。

 私は無宗教ではない。宗教には、とくに仏教には興味と関心がある。しかし、敬虔な仏教徒ではない。代々の先祖の供養は曹洞宗の教えに沿って営んできた。曹洞宗には親しみを感じる。
 実際に私が責任を負うべき、代々の家族達の骨を納めた墓は盛岡の郊外にある。そのお寺には私も幼少の頃から出入りし、いろいろとお世話になった。私の宗教観形成にも大いに役立った。

 また、この墓は父の兄弟達の心のよりどころであったし、両親亡き後は私と兄の家族が年に一回集う場所でもあった。時は流れ、兄も死去した。
 いまは私ども夫婦と我が家の3人の子供たちとその家族が集う場所となっている。

 墓はたしかに残る者の心を繋ぎ止める無形の意義があった。骨を納めてあるということに起因する気持だろう。しかし、家族にとって家系のシンボルとしての意義はあると思うが、私にとって骨の存在はどうでもいい事である。

 私には同い年の従兄弟がいた。3歳の時に舞鶴の浜で事故で死亡した。
 彼の骨は我が家の墓に仮納骨されていたが、私が中学生だったか高校生のときだったが忘れたが、叔父が大阪に墓を作ったとの事で分骨の行事を行った。
 私は、その時あまり気持ちの良い作業では無かったが、暗くて狭い納骨口から手をいれて骨どうの中を手探りで骨のような固形物を捜したが、手が届かず何も得られなかった。翌日、小さな杓の柄を曲げた道具で探ったところ黒い土の塊と共に、ヘビの脱け殻が持ち上げられた。骨らしき形のものは無かった。埋葬してから10数年間経っており、墓の中で風化してしまったのだろうと理解した。
 叔父夫婦は土の塊を大事に持ち帰り、大阪で埋葬した。
 
 こんな経験を通して私の墓に対する考え方も変わった。時代とともに社会の墓に対する考えも変わった。私は、個人で、あるいは個々の家で墓を有しそれを代々維持していくのは今後は無理だ・・と考えるに至った。
 私までの代ではなんとか墓を維持してきた。しかし我が家の3人の子供たちに墓をゆだねるには抵抗がある。実際には、私と家内が入ってなお暫くは子供たちによって維持されるであろうが、いずれはそれも期待できなくなる、と考える。

 そんな中、県内で初の合葬墓を秋田市が建立した。
 墓など要らない、いずれは我が家も墓じまいしなければ、との考えにたつ私も過渡的考えとして合葬墓に興味を大いに感じた。
 しかし、その募集関連のニュースを見てあまりの不公平なやり方に驚いてしまった。私も応募したいと思ったが、働く身では物理的に不可能であった。


5/14(月)降雨のち晴れ  73回目の感謝の日 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど。7:40降雨のために家内に同乗飯川病院に。9:00-11:00健康クリニックドック。11:15飯川病院。微睡。14:00-19:00勤務、入院外来患者対応。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。CDの廃棄のiTune化進める。Σ6749歩。

73回目の感謝の日 まだ運良く生き延びています
 今年も無事に5月14日を迎えられた。73歳になった。私はここまで生きられるとは思っていなかっただけに感慨深い。
 数人の方から祝いのメールをいただいた。感謝に堪えない。ありがとうございました。

 前日の13日には出勤していた病院のスタッフと誕生ケーキを楽しんだ。私にとっては初めてのことである。また本日は記念に、と真っ赤なフンドシを戴いた。巷では若者の間でブームなのだそうだ。

 もうここまで来ると先々の事は全て運であるが、一日の無事を願い、不用意な事故に遭わぬよう心がけている。バランス感覚低下による転倒は私にとって要注意事項である。

 懸案事項の一つであった右下腹部のヘルニアは昨年9月に手術を受けた。同時に不明の腹痛も消失した。腹痛はヘルニア嵌頓の一症状であったのだろう。手術して良かった。この2-3年、右下腹部を抑えながら歩いたり動いていたのが嘘のようにおさまった。

 私は、可能な範囲で社会との関連を絶っている。
 私には自省すべき言動が数多くあり、今になってそれを恥じている。私以外の方々は何一つ意識されてはいないだろうし記憶にも残っていないと思うが、口を開くと同じ過ちを繰り返すからなるべく他の方々との接点を持たない様にしている。自分の過去は自分の中でも徐々に消えつつある。

 私が本当に消える日までの生き方は昨年と同じだが、以下の如く過ごすつもりである。

(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、堅苦しくなく、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 移動機能を維持する。
(5) 診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。
(6) 終活 ・・・、かな。しかし、遅々として進まない。

 矛盾する気持ちでスッキリしない部分もあるが、家族も元気であるし、まずはいい73歳のスタート日だと思っている。


5/13(日)曇りのち快晴、夜間雨 飯川病院日直
1:20起床、若干腰に緊張感あり、疲れか。本読み、文献読みほか。8:38バスにていいか病院、日直勤務、終日データ入力整理中心。昼休憩時私のためにミニケーキパーティー、CDの廃棄のiTune化進める。18:30迎えアリ帰宅、19:00夕食、手巻き寿司。21:00就眠。9060歩数。

わが家のゴールデンウイーク(2018) 好天に恵まれ懸案をいろいろ処理できた
 今年のゴールデンウイーク(GW)は、巷では4月28日(土)-5月6日までの9日間としている。私はこの間中通総合病院外来1回と飯川病院ボランティア出勤1回、日直2回当たっていた。それでも開放感があった。ところで、NHKはGWという表現は使わず「大型連休」という事に気付いた。何故だろう。

 今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。
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■ 4/28(土)快晴 GW初日 飯川病院午後日直
午前:庭花壇の整理など。
午後:飯川病院日直、
歩行計:15.270歩。
徒然日記:今年から主たる服装は作業衣にした
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■ 4/29(日)昭和の日 快晴 GW2日目 
午前:花壇の整理など。
午後:NHKのど自慢後DIYショップに。脚立、金属網、庭箒、苗木購入。
夕方:庭の一角にキウリ、ナス、トマト植えた。文献整理,データ整理など。
歩行計:16.044歩。
徒然日記:北朝鮮2018(4) 南北首脳会談は非核化をいっそう困難にした!!!
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■ 4/30(月)快晴 GW3日目 
午前:プリウスの底面のカバーの固定修理、タイヤボルト交換、自宅の裏側の草刈、キウリ、ナスの植え付けなど。
午後:飯川病院で種々の座学、データ処理。CDの廃棄のiTune化進める。
歩行数:14.044歩。
徒然日記:北朝鮮2018(5) 南北首脳会談が米朝会談に及ぼす影響は大きい
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/1(火)快晴終日 外来 飯川病院
午前:中通病院外来、
午後:飯川病院、CDの廃棄のiTune化進める。
歩行計:11.675歩。
徒然日記:四季2018(8)秋田の今冬は寒かった 鉢植えを10ケほど枯らしてしまった 
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/2(水)超快晴夕方から降雨 ダリア植えつけ、飯川病院ボランティア
午前:ダリア植えつけ。分株と新規購入で場所不足。一部鉢植えに。庭の雑草刈り入れ。
午後:飯川病院ボランティア、CDの廃棄のiTune化。
歩行計:13.333歩。
徒然日記:記憶減退と相貌失認(1)
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/3(木)憲法記念日 降雨終日 GW5日目 飯川病院日直
午前:飯川病院日直、来客あり。
午後:飯川病院日直、外来レセプトチェック、CDの廃棄のiTune化。
歩数計:9.199歩。
徒然日記:記憶減退と相貌失認(2)
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/4(金)みどりの日 降雨時折晴れ GW6日目 飯川病院日直医補助 
午前:晴れ間を見てダリア植付け4鉢追加。
午後:日直代行。CDの廃棄のiTune化。
歩数計:Σ8.901歩。
徒然日記:ハラスメント2018(1) 財務次官セクハラ問題
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■ 5/5(土)子供の日 快晴 GW7日目 
午前:オーディオ装置点検、再生に苦労、最低限調整し知人にあげた。
午後:書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:武満作品など」「読響:ローマの松、パガニーニ関連作品」、
夕方:F杉一家来秋。家族全員12人揃い、外で焼肉パーティー。
歩行計:Σ8.541歩
徒然日記:ハラスメント2018(2) セクハラ問題(2) 痴漢は男性側が、セクハラは女性側が不利
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■ 5/6(日)快晴 比較的寒い GW8日目最終日 
午前:F杉一家離秋。納戸に棚増設、
午後:のど自慢、キウリネギ購入、畑に植える。
夕方:BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分。ネコ室の網戸修理。
歩行計:12.050歩。
徒然日記:憲法論議2018(1) 平和憲法はイメージだけが先行している
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 昨年はGW間の腰痛は結構きつく辛かった。歩数は体調のバロメーターになるが平均歩数はわずかに6.680歩と明らかに運動不足を示していた。
 今年は腰痛も無く天候に恵まれた為に日中の大部分の時間を外仕事に宛てた。GW中の平均歩数は12.117歩と昨年の倍動いた。ほとんど自宅の敷地から出なかったが家の周りをウロウロしていた。
 
  5/5の子供の日は孫4人含め家族総勢12名が集まった。まあ、家族が一緒に過ごす時間を持てたので良いGWであった。
 内容的にはシルバーウイークレベルだったけど。


5/12(土)快晴 
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。午前は知人のミニオーディオシステムのネコに食いちぎられたと言うスピーカーコード修理。変わった接続方法で若干苦労した。午後、微睡後庭掃除、ダリア、バラ関係。夕方からネコ室ラティスに怪我防止用網かけ。かけ画像データ処理など。疲弊し若干腰に。19:00夕食、21:30就眠。11530歩、家から一歩も出ずウロウロしただけ。 

展覧会2018(3):県立美術館「北斎の富士冨嶽三十六景と富嶽百景」
 北斎は、あらゆるものを描き尽くそうとし、晩年、銅版画やガラス絵も研究を試みたようである。また、油絵に対しても関心が強かったが、長いその生涯においても、遂に果たせなかった。

 その気概は臨終のエピソードにも現れている。
 北斎は卒寿の90歳にて臨終を迎えた。臨死にあたり「天、我をして十年の命を長らわしめば・・・、天、我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・・」、と言ったという。

? 辞世の句は、「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原」で、あの世にいったら、人魂となって夏野原をふわりふわりと散策しよう、と北斎らしい句ある。松尾芭蕉の「たびに病んで 夢は枯野を 駆け巡る」と共通の心理と詠っているが北斎のは明るい印象をうける。
? 私は、医師として、多くの高齢者の長生き願望が強い事に日常から襞癖しているが、北斎の時間を無駄にしない、意欲溢れる人生模様に触れると長生きもアリかな、と思う。

 北斎は1999年、アメリカ合衆国の雑誌「ライフ」企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインされている。

 北斎は93回転居した、と言う。すごい数であるがどの様に記録していたのだろうか。北斎が転居を繰り返したのは、彼自身と、出戻り娘のお栄とが、絵を描くことに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していた、と言う。あらゆるものを美しく描き尽くそうとした北斎、身の周りは美しく保持できなかった様だ。そう言う欠陥を同時に持っているからこそおおごとを成し得たのだろう。
?
 北斎の代表作として知られる富嶽三十六景、なかでも「神奈川沖浪裏」が特に有名である。ゴッホが画家仲間宛ての手紙の中で賞賛したり、ドビュッシーが交響詩『海』を作曲したりと、その後の西欧の芸術家に多大な影響を与えた。
 襲いかかる爪の如く波頭が崩れるさまは自然の驚異を感じさせる。快速を誇った押送船が3艘大波に揉まれ、船乗りは身動きもできず船べりにしがみ付いている。波間に小さく描かれた富士、人と自然の関係を厳しく示唆している。

(画集の中の「神奈川沖浪裏」、「凱風快晴」のページ)

 今回の展示は140景にも及ぶ富士が展示され、いささか食傷気味となった。
 北斎の絵には適宜人物が描かれている。それらの表情は生き生きして生活感がにじみ出ている。旅人の傘がいい味を出している。
 全部一同に見ると、「神奈川沖浪裏」、「凱風快晴」は素晴らしい作品であるが、決して傑出しているわけではない、全体がすばらしかった、としか言いようが無い。


5/11(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 県立近代美術館「北斎展」
0:30起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミ提出ふた袋。7:20家人とともにフィット大曲に。9:10-12:15大曲中通病院外来、横手の県立近代美術館「北斎展」、展示数が多く疲弊。16:30-19:00飯川病院ボランティア。19:15タクシー書店経由帰宅。夕食、20:30就眠。Σ6727歩。CDの廃棄のiTune化進める。

展覧会2018(2):県立美術館「北斎の富士冨嶽三十六景と富嶽百景」 
 秋田県立近代美術館で北齋展が開催されている。会期は4月21日(土)-6月17日(日)。この企画が秋田で実現したことは素晴らしい。見逃す手はない。

 5月11日(金)は大曲中通病院勤務で、横手は大曲から約20Kmと近い。外来終了後横手市まで足を伸ばした。

 江戸後期の画家・葛飾北斎(1760?1849)は当時としては長寿で、浮世絵師としておよそ70年にも及び活躍した。北斉の卓越した描写力、ユーモアあふれる発想力は江戸の庶民に愛されただけではなく、ゴッホやモネ、セザンヌにも影響を与え、今なお時代や国を超えて世界中の人々を魅了している。

 今回の展覧会では北斎の多彩な表現の中でも「富士」に焦点を当て、代表作として知られる「冨嶽三十六景」と、その後より多くの図版を持つ版本として出版された「高嶽百景」を一堂に紹介ている。

 「冨嶽三十六景」は有名な「神奈川沖浪裏」、「凱風快晴」をはじめとして、表富士36図と裏富士10図の全作品を展示、また和とじ本のため全作品を展示することが難しかった版本「冨嶽百景」も、1図ずつ額装している。一同に見る限り私の目では傑作か駄作か全く区別つかなかった。

 また、会場には富士を中心としたパノラマ模型が置かれ、北斎が訪ね歩いた場所、そこでどのような絵が描かれたかを知ることが出来た。

 私は日本画、西洋画とも多数の画集を持っている。また、展覧会に行った際には鑑賞できた作品を忘れないためにも、画集を求める。画集が残ってないと展覧会自体の存在を忘れてしまう。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/7f/50919c2498f3b40a58216f170270927a.jpg" border="0">
(今回求めた画集:富嶽三六景、富嶽100景。全作品が掲載されている。折々の富士の様子がすばらしい。)

 秋田にいながら鑑賞できる展覧会はそれほど多くはないから、日常的にはどうしても画集に頼らざるを得ないが、画集の世界と展覧会は全く別物である。私は審美眼がないから作品がホンモノかレプリカなのか余り問わない。作品のサイズから受ける印象だけでも異なってくる。

 北斎は森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。超多作家である。寝る暇を惜しんで製作したのであろう。死に臨して死に切れなかったのであろう。作品の数からもその気持ちを知ることができる。
 若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。

 北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨峰であったが、達者な描写力、速筆は「北斎漫画」の中にも見ることが可能である。さらに、読本・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、「北斎漫画」を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。
?
 「北斎漫画」を含む展覧会は2016年県立近代美術館で開催され、私も学ぶ所が多かった。
<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20160518">秋田県立近代美術館「江戸の遊び絵づくし」展(1) 浮世絵に対するイメージが一変した</a>
<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20160519">秋田県立近代美術館「江戸の遊び絵づくし」展(2) 初めて接した遊び絵というジャンル</a>
<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/e/746ff1f3ecc8528368711d8c0bf0cd66">秋田県立近代美術館「江戸の遊び絵づくし」展(3) ついでに春画も学んだ</a>


5/10(木)早朝降雨後晴れ、寒い 外来 飯川病院
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。
7:45降雨、家内出勤に同乗。8:45-13:45外来+ドック判定。連休明けで混雑、疲弊。14:00飯川病院、秋銀スタッフ来訪、ETCをJCBに。入院外来患者対応。18:00クロスバイク帰宅、やや暗く灯りが必要、19:00夕食、21;00就眠。歩数8889歩、933Kmの愛媛終了高知に入る。CDの廃棄のiTune化進める。

徒歩通勤2018(2) 愛媛県を通過し高知に入った 
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東北、北海道、北陸、九州を終了した。広島県を12月28日に終了、四国愛媛県に渡った。



 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。

 本年5月10日時点までの積算データ
■歩行開始後 1.857日目、
■総歩数 Σ1.783万歩、
■歩行距離 Σ14.268Km。

 愛媛県終了までのデータ、
■一日平均歩数 9.615歩、
■一日平均歩行距離 7.68Km。
■日本一周の目標の75%の地点に到達。

 最低1日10.000歩を目標にしていたが9.615歩若干不足であった。
 愛媛県は桜の開花の季節までに終了できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが2週間ほど遅れてしまった。

 昨年9月上旬にヘルニアの手術を受けたが、その前はヘルニアの疼痛で、その後しばらくは術後の疼痛の為に充分歩行出来なかった。また、秋から冬にかけては、今年になって春を迎えてからも天候不順で歩行出来る機会は少なかった。
 最近は自身の「ひやみこき」で歩くファイトが出ずにペースが落ちている。

 愛媛県の海岸線は瀬戸内特有の複雑な地形、長い半島などがあり886.3Kmと意外と長く5ヶ月もかった。

(赤が愛媛県)

 愛媛県は私にとってはなじみの少ない土地であるが、NHKのど自慢の開催地、高校野球の代表校、歌謡曲に登場する地名とかで若干知っているに過ぎない。
 海岸線を通過したのは新居浜市、今治市、松山市、伊予市、宇和島市程度である。

 高知県の海岸線は647Kmと意外と長い。
 7月いっぱいで通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にした。


5/9(水)曇り 午後飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。9:00午前庭の草刈り四半分ほど。11:20入浴など。12:50バスに遅れクロスバイク飯川病院へ。14:00-18:50ボランティア。散水など。楽天ETCキャンセル。19:20帰宅、夕食、21:40就寝。 歩行計11767歩。 CDの廃棄のiTune化進める。

現代人に必要な「いやし」(8) 医療不安は検査やデータでは除けない
 私が長く勤務し、今も外来診療の一部を担っている病院は各診療科の専門医が揃っていて、各診療科同士の壁も低く、治療や診断が困難な患者でも大部分が解決できた。この点ではとても仕事がし易かった。

 然し乍ら、専門家の対応は高度であるが故に欠損も多い。一人の人間としての扱いよりも、どうしても臓器別の判断が中心になってくる。

 一例のみから全てを語れないが、傾向は知ることができる。
 かなり厳しい消化器系の愁訴を持つ50歳代女性患者が来院した。大学病院め秋田市内の総合病院を転々とした患者で、当院の診療を希望しているので消化器科で対応してほしいと消化器内科に院内紹介した。2週間ほど後に私の外来に戻されてきた。科長からの返事は、「食道から肛門まで、一部は推定ですが、検査の結果異常ありませんでした。症状は相変わらずあるようですが、以後当科への受診は不要です・・・」とあった。ずいぶん集中的に検査されたものである。いままでの病院には黙って勝手に転院してきたのだから紹介状も持ってこなかったから、消化器内科としては検査せざるを得なかったのだろう。
 このような説明を受け患者の愁訴は改善するどころかさらに悪化した。

 方々の病院であしらわれたように、またもや当院でも同じような扱いを受けた。「当科への受診は不要」とは、ほかの総合病院の専門家の診療姿勢も含めていかがなものか?検査に異常が無ければ病気でないのか??それでも医師なのか??

 私は、この患者は長い経過で心因要素が大きいとして精神科への受診が適当のように思えたが、本人はなんとしても精神科には受診したくない・・と頑なにいう。
 初診でたまたま私に回ってきただけの関係であり愁訴も私が得意とする分野ではないが、他に適当な医師もいないのでやむなく私が経過観察する事とした。

 患者は私の外来に毎月通院して来たが、受診のたびに自覚症状は薄紙を剥ぐ様に徐々に改善した。初診から10年経ち、今はとても元気である。私の外来に通院不要となんども言ったが聞き入れず通って来る。
 この間、私が患者に対してやったことはと言うと、血圧は測定したが胸部・腹部に一度も聴診器を当てていない。採血検査などもほとんどやっていない。
 何をしたか・・というと、医療に直接関係のない分野の世間話が中心であった。

 疾患がみつからなくとも症状だけ続く状態は稀ではないこと、私に受診する前の数年間の経過をみても人生を大きく左右する様な疾患はないと断言出来ること、私自身「朝の笑顔、夕べの屍、は生きるものの真の姿。それを決めるのは運のみ・・・」と思っていること・・・などなど話した様に記憶する。

 最近の医療医学全体が高度の技術や検査機器、情報で占められてユーザーの知識が追いつかない事もある。ユーザーにとってはほとんどの情報がブラックボックスである。異常が無いと言われても異常が無いとの結果だけで「それでも私は苦しいのです・・・」なんとかして欲しい。しかしながら、ほとんどの場合取り合っても貰えない。

 私は、血液免疫系は若干詳しい状況にあるが、臨床医学全般に関しては並以下の医師でしかない。ただ私が思っている事は「検査で異常がある患者の対応はそう困難ではない。検査に異常がなく、愁訴が続く様な患者に対してこそ内科医の力が発揮される分野である・・」との考えを持っている。

 現代医療においてこそ「いやし」が必要である。


5/8(火) 晴れ 外来 飯川病院  
 1:00起床,文献チェック、随想読みほか。5:00可燃ごみ提出、7;30徒歩飯川病院着。 8:45-13:30外来、連休明けで混雑、疲弊。13:45飯川病院、14:00-19:00勤務外来入院対応、帰宅、19:10夕食、21;00就眠。歩行計13889歩。CDの廃棄のiTune化進める。

現代人に必要な「いやし」(7) 医療不安は聴診器では除けない
 私は定期的に通院して来る患者には通常胸部や腹部に聴診器を当てる事はない。
 ただ、血圧はかならず自分で測る。その時は水銀式の血圧計を用いるから聴診器を用いる。血圧は自動血圧計で測ったとか、看護師が計ったのかはどうでも良く、どんな状態で計ったのかを確認しなけれ評価出来ないから、自分で測定する。直前に測って来た、と言っても参考にしない。

 何らかの症状を訴える患者、様子がいつもと違う患者、新患患者にはじっくりと聴診器を当て病態を判断する。
 私の診療に不慣れな患者は、或いはたまたま私の外来へ回ってきた患者は診察室に入ると上着やシャツを上げて聴診するのを待つ。私以外の外来では聴診が当たり前なのであろう。その様な時は聴診をサービスする。「聴診器一つも当ててもらわなかった」、とかつては患者からもよく言われた。いまでも時に同僚から指摘を受ける。直接言われた事はないが、私の診療は評判が悪い様だ。
 
 定期的に通院して来る患者の場合は、待合室に顔をだし、患者の様子をざっと観察する。不調そうな患者、何かを訴えそうな表情をしている患者がいれば予約順にこだわらず繰り上げて診察する。
 多くは順番どうりに診察室に誘うが、待合室での様子、返事の様子、顔色や表情、椅子からの立ち上がり、歩いて来る様子など、それらがすべて患者の病状の評価の参考になる。それらがしっかりとしている場合、いつもと変わらない場合などは長身するまでも無い。

 診察室では、症状や不安などについて聴取しながらまず血圧を測る。聴診しない場合でも血圧を測定することで最小限のスキンシップは保たれる。

 あとは会話である。
 私から「最近の様子はどうですか??」と笑顔で、これが結構辛いのであるが、静かに水を向ける。これで大概会話がスムーズに始まる。聞き慣れた悩みや症状、不安の気持ちであっても黙って聞き続け、途切れるのを待つ。途中で若干の質問を挟んだり、相槌を打ちながら患者の言い分を整理しながら十分に聴く。

 私との会話を通じて、患者の悩みや不安が自分の中で整理され、自分で納得できるようになる。その後いつものようの処方をだし電子カルテを閉じるが、多くの患者は納得しきった様子で診察室を出る。
 中には短い診療時間に治らないような深刻な内容を訴える患者もいる。そのような場合は後日の予約を取ったり、待てない様な場合は当日の最後に回って貰い、再度じっくりと、ときには1時間も対応する。

 これが私の診療の様子、治療の様子である。私の治療の基本は黙って患者の言い分を聞き続ける、ことである。精神科医でないから、聴くだけ、である。
 この様な外来診療は、患者には癒しになっている様であるが、私にとってはストレスの元である。


5/7(月)降雨 昼から晴れ 健康クリニック 飯川病院
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。雨にて家内に同乗、8:10飯川病院着、9:00-10:45健康クリニック、8名。11:00飯川病院に、検食、読書、微睡、14:00-18:45飯川病院勤務。文献チェック三昧。CDの廃棄のiTune化。17:00玉屋でレンズ調整。楽天ETC解約。19:00帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計8640歩数。

憲法論議2018(2) 戦争を絶対にしないという平和憲法はおかしいのではないか
 現憲法は米国の押し付け憲法と言われるが、そんなことはない。日本人も関与して作られている。短期間に作ったのに、内容的にも問題はない。70年以上も通用してきたのだから評価すべきである。

 「日本を取り巻く環境の変化への対応」、「自衛隊と憲法間のギャップの解消」は、9条を改正することによってごまかしのない形になる。

 私は、現状の平和憲法のもとで我が国を作り上げ、安全を守って来た先人に感謝しつつも、改憲すべき時期を迎えている、と思う。
 意見としてはそう思っているが、高齢でこれから先にのことに責任を持てない。だから、もし、憲法改正が国民投票になったら、私は1/2票でいい。

 平和憲法制定時の理念を守ったまま、国民の生命・財産を守り、国を守ることは出来る、と思う。だからこそ9条は改正し、明快にしておかなければならない。

 戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった。
 9条の非武装平和主義は憲法作成当時としては価値ある考え方であっただろうが、憲法発布してまもなく朝鮮戦争が勃発した。手薄になった米軍の機能をカバーする目的で警察予備隊がつくられた。自衛隊の前身である。

 今後も、将来的にも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・(憲法前文)」と悠長に構えているわけにはいかない。 
 戦後憲法の平和主義と米国の傘の下で日本は大した努力もなしに平和的な歴史を重ねてきた。他力本願の不自然な姿を日本はずっと容認し享受してきた。有事の際に日本としてどう対応すべきかについてもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。
 米国がすべて問題を処理してくれるとでも思っているのであろうか。戦わない我が国に代わって米軍が血を流すとは考えられない。

 主権国家の自衛権は固有の権利であり義務でもある。今の日本国憲法は他国からの脅威に対しても、戦ってはならないことになる。何しろ憲法によって戦争が出来ないことにされているからである。戦争を紛争とでも置き換えて対応するのだろうか?

 これはおかしなことである。


5/6(日)快晴 比較的寒い GW8日目最終日 
1:00起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。9:00書斎整理、廃棄物まとめ。11:30F杉一家離秋。のど自慢、納戸に棚増設、キウリネギ購入、畑に植える。BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分視聴し。ネコ室の網戸修理諦め、居間との間にラティス設置。19:00夕食。20:30何かのアレルギー?咳嗽と呼吸困難あり早々に就寝。
就眠。歩行計12050歩。

憲法論議2018(1) 平和憲法はイメージだけが先行している
 我が国の憲法は制定後72年経過しているが、世界的にも平和憲法して評価が高い。

 この間、日本国憲法は一度も改憲されていない。
 一方、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議か盛んになる。

 憲法9条で戦争放棄が謳われている。実際この憲法制定後我が国は戦争に巻き込まれていない。

 憲法9条は、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
?2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 実に立派な条項だと思う。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはにこの平和憲法があったためではない。世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係など、がそうさせてきた。さらに、わが国も情勢に対応しながら自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、軍拡を進めてきた。
 平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、憲法に平和主義条項を盛り込む事は世界の常識で、 8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「必要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっているデータもある。この背景には改憲論者の安部首相の支持率低下がある。

 平和の維持は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 安倍首相は9条に関して現実的考えを持っているの。9条で自衛隊を合憲化したいと述べた。
 これは正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。

 改憲論者の主な主張は、
■「米軍主導でない自主憲法」願望。
■「日本を取り巻く環境の変化への対応」。
■「自衛隊と憲法間のギャップの解消」。

 改憲論者は時代と日本を取り巻く環境の変化に適合するように改正すべき、という。

 改憲反対論者は、
 9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。

 あくまでも平和を志向するのは当然であるが、同時に、国民の生命・財産を守り、国を守る行動力を持つことがどうして問題なのか?
 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。私はそう思っている。


5/5(土)子供の日 快晴 GW7日目 
 1:20起床。早朝読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理など。午前早くからレコード関連の装置点検、故障していて再生に苦労、なんとか最低限に調整した。10:00知人來訪、レコード関連のハード・ソフト提供する。うまく生かしてくれれば良いが。午後は微睡の後、書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:武満作品など」「読響:ローマの松、パガニーニ関連作品」、18;00家族全員11人揃い、外で焼肉、コップ一杯のビールで泥酔、早々に就眠。歩行計Σ8541歩

ハラスメント2018(2) セクハラ問題(2) 痴漢は男性側が、セクハラは女性側が不利
 福田財務次官がセクハラ発言で辞任した。
 当然である。

 いじめ、嫌がらせは、立場の違う人間が複数いて、何らかの格差が生じた際に生じる。セクハラは一般的には男女間で生じる。性別は立派な格差である。特に男尊女卑の文化が長かった日本においては。加えて社会的格差はそれを助長する。日本では、日常の中にものすごい性差別がすり込まれている。それが明らかにされていない。

 痴漢行為は女性からの場合もあるとされるが、一般的に女性が被害にあう。この場合の両者の関係は性別という格差だけで、たまたまそこに居合わせたと言う関係で成り立つ。社会の目は加害男性の方に向く。社会の目は時代がら最近は特に厳しいようである。
 一度痴漢行為の嫌疑を掛けられたら逃れることは困難なようだ。痴漢行為には物証が残らない。あるのは被害者の言葉だけである。否定すべき証拠が無い。家庭も社会的立場も失いかねない。痴漢行為を疑われた男性が駅の危険な場所に逃げこみ転落死した例も報じられていた。

 セクハラの場合はコレと異なる。セクハラは男女間で生じ、社会的格差がそれを助長する。セクハラはこの社会的格差があるために痴漢の場合とは逆に被害者女性にその目が向けられる。

 一般的に、女性はセクハラ被害を受けたときに相談や告発するまでに、すごいハードルがあるのが一般的である。今回のケースでも被害者には大きな葛藤があったと思われ、やむなく新潮社に持ち込んだものと考えられる。

 セクハラ相談は一般的にハードルが高い。相談する相手が男性上司のことが多く、相談すること自体がリスクを負う。
 例えば下記の如く。
■おおごとにしてはいけない。
■内容的に恥ずかしい。
■セクハラの範囲を超えたのでは?と疑われる。
■女性の尊厳を傷つけられ、プライドが傷つく。
■そのような状況に身を置いたこと自体が誹られる。
■自ら女性であることを売りにしたのでは、との疑われる。
■男性上司は相談されても取り合ってくれない。
■性的な誘いにもっと毅然と対応すべきだった、と誹られる。
■相談したことで働き難くなりうる。嫌がらせを受ける可能性もある。職を失う可能性もある。
■・・・・

 テレビ朝曰の女性記者は、いま渦中にあって怯えているかも知れない。
 会話の録音を録ったこと、新潮社に提供したことを含めて誹る意見もあるようだが、そのこと自体が正当防衛に値する行為だ、と思う。私自身も録音機器を常に携帯している。
 テレビ朝曰は女性記者をしっかり守って欲しい。今後の配置などについて、本人の希望を聞いて対応して欲しい。女性記者が告発したことで社会が変わろうとしている。これは社会問題であってテレビ朝曰一社の問題では無い。

 福田財務次官はバカだった。女性記者の告発は大きな意義を持つ。二人で社会を変えるきっかけを作った。


5/4(金)みどりの日 降雨時折晴れ GW6日目 飯川病院日直医補助 
0:30起床、文献読み。データ整理。6:00可燃ごみ提出。秋田市職員連休中なのにご苦労様。午前は晴れ間を見てダリア植付け追加、自己流で4鉢作る。15:00家内に同乗、通町から徒歩で飯川病院。15:30-19:15日直代行。院内患者は落ち着いている様子。来客あり歓談。CDの廃棄のiTune化。19:30迎えの車で帰宅、夕食。21:00就寝。Σ8901歩。

ハラスメント2018(1) 財務次官セクハラ問題
 福田財務次官がセクハラ発言で辞任した。社会的立場を鑑みれば今回の辞任は当然である。
 福田の名を汚した・・という点で無関心ではいられない事件であった。

 ハラスメントとは「嫌がらせ」のことで、特定、不特定多数を問わず相手に対し、意図的に不快にさせることや、実質的な損害を与えるなど強く嫌がられる、道徳のない行為の総称である。日本語のまま「嫌がらせ」という方が本態を示していると思うが、何でもカタカナ語で置き換えるから内容が伝わり難い。私も、不快であるが止む無く「ハラスメント」を用いる。

 いじめ事件や各種のハラスメントは、人間が複数いて、そこに地位とか職務権限とかの何らかの格差が生じた際には「あって当たり前のこと」であって、メディアや有識者が「あってはならないこと・・」などとコメントしているが、私は「あって当然」との立場を取る。特に社会的に高い地位にあるものがその視点に立っていないから、対策が後手後手に回るのだ、と思う。例えば、今回の事件に関連して下村大臣、麻生副総理の発言、某TV局の責任者の発言などはそれを如実に示している。

 福田財務次官はセクハラ発言疑惑を全面否定する反論を公表した事でかえって世論の反発を招いた。その反論の内容は保身が中心で、上から目線で、被害にあった方への配慮は皆無であった。こんな姿勢であれば辞任はやむを得ない。振り返ってみれば遅きに失した感は否めない。
 事務方のトップにある次官のセクハラ退出劇は前代未聞だ、という。今迄はなかったわけでなく、問題が外にでなかっただけだろう。
 
 今回の事件が明らかになったきっかけは週刊新潮の報道である。
 取材に訪れた女性記者に「胸触っていいか?」などと発言を繰り返したという。女性記者は上司に相談したもののとりあってもらえずに自ら新潮社に事実を申し出た、という。

 週刊新潮のサイトでやり取りの音声データが公開されたものの、財務省は疑惑を否定、逆に名誉毀損の訴訟準備を進めていると発表した。更に、女性記者に名乗り出て調査へ協力するよう要請した。

 これに対し世論は反発、野党だけでなく政府・与党内からも批判の声が出て、福田財務次官は追い込まれての辞任表明となった。

 官僚は、特にその最高の地位にある次官は道義的にも清廉潔白が求められる。
 ただし、次官に昇進したからと言ってそういう人間になるわけではない。人間の本性には変わりは無い。社会的地位によって自己を厳しく律する事が求められる、と言うことである。福田財務次官は職務上は極めて有能だったとの評価があるが、自分をコントロール出来なかったという意味で、道義感にかけている点でいびつな欠陥人間だったと言う事である。

 福田財務次官の辞任は当然である。


5/3(木)憲法記念日 降雨終日 GW5日目 飯川病院日直
1:00飯川病院起床。文献等若干処理。画像収集処理。8:40雨で歩けずレガシーで出勤。9:00-17:00日直業務、10:00来客あり歓談。読書若干、午後は外来レセプトチェック、CDの廃棄のiTune化。18:30プリウス帰宅、夕食、20:00就眠。歩数計9199歩。BR diskながら視聴:そこまで言って委員会「セクハラ、女性問題」。

記憶減退と相貌失認(2)
 私は視力が極度に低下している。
 そればかりでなく記憶力も極端に落ちている。日常的にはそれが前面に出ないように話題を選び展開させる。だから、仕事上でも生活上でも私はそう不便していない・・・と、言いたいところであるが、自分としては綱渡り的生活である。ただ、それを自覚しているだけいいのかの知れない。

 私のスマフォやパソコンはメモだらけであり、比較的重要な内容はハードディスクに納めている。記憶でなく記録化である。

 さらに私は人の顔を覚えるのが苦手である。よく家人から指摘される。ただし、顔以外の特徴によって人物を区別して理解できる、からそう不便は無い。こういったのを相貌失認というが、私にはその傾向もあるようだ。

 相貌失認とは、家族や友人などよく知っている人の名前や特徴を聞いても、顔つきを思いだせない、イメージできない、写真をみてもそれが誰であるかわからない状態を指す。脳障害による失顔症の一つとされ、1947年ドイツの神経学者によって疾患としての概念が確立した。

 相貌失認は高度の認知症でも生じる。認知症が進行すれば自分の家族も認識できない状態に陥ることは高齢者医療に携わっているとよく見る現象である。

 私の場合は小さい頃からだから認知症に伴ったものではなく、また、その程度は軽い。しかし、私の記憶にある多くの方々の顔はのっぺらぼうで特徴的な目鼻がついていない。写真をみてやっと思い出す事が多い。世の中には美人は多いから、勿体無い話である。
 ところが、不思議なことにこんな私でも名画に描かれた顔は明瞭に記憶している。実生活のなかの人物の風貌の記憶のされかたや記憶する場所が異なっているのかも知れない。

 家内との対話の中で誰かの話題がでると、そのひとの名前とか人物については分かっていても、殆どの場合顔つきを思い出せない。心の中では焦っているが、日常的にはそんなに実害は無い。
 私は、名刺をいただく機会が多かったが、名前だけの場合はほとんど役だっていなかった。いつも名刺には顔写真がついていれば良い、と思ったものである。
 仕事上ではカルテがあるから困る事はないが、病院の廊下や街中で声をかけられたときには、誰であったか認識できないのが大部分である。分かったフリして会話するのは辛い事だし、罪悪感も覚える。

 今回メガネ店でスタッフの記憶力に驚き感心したが、これを機会に自分自身の記憶力と願望失認の傾向について振り返って見た。私には到底出来ない技能である。


5/2(水)超快晴夕方から降雨 ダリア植えつけ、飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。7:00ダリア植えつけ。分株と新規購入で場所が足りない。一部鉢植えとする。培養土100L購入。庭の雑草刈り入れ。12:00通町から徒歩、コーヒー店、金物店、メガネ店経由して13:00飯川病院に、ボランティアに就く。19:00書店経由で帰宅、夕食。20:20就眠。歩行計13333歩。高知まで59.9Km。CDの廃棄のiTune化。

記憶減退と相貌失認(1)
 私は視力が極度に低下している。2月下旬の職員検診の視力の項目には両眼とも0.1以下と記録されている。検査時一切判断出来なかったからもっと悪いのだろう。それでも、日常的にはメガネを用いずにぼやけた視野の世界を楽しんでいる。先日の満月は月が10ケほども見えてとても美しかった。

 例外的にメガネ着用するのは車の運転時だけである。車の運転は家族に控えるように言われており、その機会はほとんどなくなった。
 だから、仕事上でも生活上でも私はそう不便していない・・・と、言いたいところであるが、階段や冬道などでは、特に暗くなったあとでは、よく見えず危険を感じることもしょっちゅうである。バスの行先表示が見えずに乗れなかったり間違えて乗ったこともあった。

 本年2月1日に雪道で滑って2回転倒した。
 その日は一週間ほど前から秋田は寒波がつづき、降雪もあって道路は硬く凍結していた。
 朝、中通総合病院に出勤途上で、両足が雪道にとられて後向きに転倒した。氷結状態が良く見えなかった。
 夜、帰宅時に飯川病院の玄関先の10段ほどある階段で滑って転倒した。転倒は危ない場所であったが、今回もディバッグが腰や背中への衝撃を吸収してくれ、大事には至らなかった。ディバッグのポケットには外用の眼鏡をソフトケースにいれていたが、レンズが両方とも破れていた。このとき破れたのであろう。

 私は着用しても良く見えなくなった古い眼鏡を4ケ程所持し、TPOにあわせて適宜用いていた。一つ減ったのでちょっと不便していたものの、車に乗る機会も少なくその補充は喫緊のも問題ではなかった。GWに入って時間の余裕ができたのでボランティア出勤の途上で病院近隣のメガネ店に、フレームを生かして安く修理出来ないか、相談して、その日は一応見積もりをとってみようかと思い立った。この店で3年前の四月にその眼鏡を購入し、その後一度も訪れていない。

 入店してカウンターの椅子に座った途端に「福田さま、いらっしゃいませ・・」と声が掛かった。私はネームカードなど着けていないので驚いた。レンズが破れた事情を話したら、更に「このメガネは運転免許更新のためでしたね・・」とも言われた。

 私はこの店で購入した事は覚えていたが、その間のやりとりなどは全く忘れていた。その時担当してくれたスタッフであろうが、その顔も記憶になく、このやり取りは記憶減退と相貌失認を自認している私にとって驚くのものであった。それだけ私の印象がよかったのか、或いは悪かったのか?何か気に触ることでも言ったのか、目立つような服装をしていたのか・・。特に記憶も無い。

 私は、そのときは見積もりだけのつもりであったが、購入価格の半分ほどと提示されたので即座に修理を申し出た。スタッフの記憶力に感心したからである。


5/1(火)快晴終日 外来 飯川病院
0:30起床、文献検討他。新聞チェックなど。6:00可燃ゴミ提出。7:35徒歩飯川着、8:45-13:40中通病院外来、14:00飯川病院、微睡若干と入院患者対応。20:00当直医遅れて来院、帰宅、夕食、21:20就眠。歩行計11675歩。CDの廃棄のiTune化進める。

四季2018(8)秋田の今冬は寒かった 鉢植えを10ケほど枯らしてしまった 
 私の周辺の桜もほとんど散って、緑の若葉に取って替わられつつある。
 私のにとって夏が訪れた。暖かい日々になる。今夏も太陽を十分に浴びて過ごしたいものである。

 連休に入ってから晴天が続くので自然と庭先とか畑で過ごす事が多くなった。
 特に、今年は知り合いの造園業の方にお願いして自宅の南側、東側に花を植えるスペースを拡げた。昨年夏に私が二ケ月ほどかかって灌木類を整理したスペースを利用した。
 いままではアスファルト化していた部分を1mx10mほど剥がし、20−30cmほどの深さで土を入れ替え、花壇として使える様にした。

 その新しいスペースにキウリ、トマトとダリアの球根を10本分ほど植えた。
 ダリアは昨年までは隣家の畑の一部を借用して栽培していて鑑賞にはちょっと遠過ぎた。今年は新しい株も7本仕入れたし、自宅からも見える所だし、成長が楽しみである。また、私が育てて来た球根はちょっと増え過ぎたので、鉢植えで育ててみる事にした。

 ついでにふじ棚をつくり、ノーゼン桂の支柱をリニューアルしてもらった。

 ところで、今年の冬は寒い日が続いた。玄関の風除室に寒波を避けるために君子蘭、シンビジウム、香港カポックなど10鉢ほどを避難させておいたが、そのうち半分程枯らしてしまった。時折水をやっていたが過剰で凍ったのかも知れない。
 地植えの植物と違って鉢植えの場合は、人間が責任を持って細かく管理してあげないとこんな事になるのだろうと再確認した。かつて大き目の水槽でハスを栽培していて見事に繁茂した事を喜んでいたが、真夏のある日に当直のために水管理ができなかったため、一晩で枯らしてしまった経験がある。このときはショックだった。

 今回枯らした君子蘭、シンビジウム、香港カポックの鉢をバラしてみた。
 根が鉢の中に所狭しと繁茂していた。どこに行ったのかわからないほど土が少なくなっていた。生きるために水分や栄養を求めて根が成長したものと考えられた。それほど厳しい環境を私どもが強いていた、ということ。さらに追い討ちをかけてしまった。
 
 (鉢の中は殆ど根が占拠していた)

 今回、ダリアの鉢植えを作るが、細かく配慮していきたい、と思っている。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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