徒然日記
2014年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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5/31(土)快晴   
 0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。7:00花壇、畠に散水、10:00-12:00花壇の草刈り、植木の下刈り。14:00-16:00外仕事再度、16:00以降は書斎の整理。ペルゴレージ、チマローザ等のレクイエム3曲聴く。気持ちが休まる。19:00夕食、20:30就寝。Σ3628Km。

体毛考(1):生える場所によって差別される気の毒な臓器
 私には、髪の毛などの体毛が過不足なく生えていて不満は一切ない。あえて不満を言えば髪の毛とヒゲが伸びてきて定期的に刈り取らなければならないこと位である。怠け者の私にとってはその対応が実に面倒くさい。 

 ただ、考えてみれば、いや、別に考えなくても良いことではあるが、体毛側に言わせてみれば、同じ一人の個体に生えているのに、生える場所によって全く別の扱いを受けている、これは何なのだ!!! 不平等でないか?基本的毛権の侵害だ、と思っているに違いない。いや、必ず思っているはずだ。

 同じ毛なのに、人間の毛は、毛髪、耳毛、鼻毛、脇毛、胸毛、陰毛、脛毛、ヒゲ、眉毛、睫毛、指毛・・などとこと細やかに名前をつけられているが、これは差別をする為に付けているとしか思えない。これらの名称はきちんと広辞苑にも載っている。

 一方、ネコなどの場合、頭の毛、しっぽの毛とか大雑把には言うが毛髪、尾毛など明確な分類や名称はない。ネコの体毛の名前など広辞苑にも載っていない。動物の場合の体毛は何処に生えていてもほぼ平等に扱われている。人の毛よりなんと幸せなことか。

 ところで、何でわれわれには毛が生えているのだろうか。保温のため??

 地上で暮らす哺乳類の中で人間は体毛がとても少ない。かつては全身毛に覆われていたとされるが本当だろうか。私はそんな人に会ったことはない。僅かに「雪男」の絵として残っているだけ。人間の場合、「雪男」の様な毛むくじゃらの時代が本当にあったとする根拠や事実はあるのだろうか?

 体毛は人間の歴史のかなり早いうちに大部分が退縮してしまった、とされているが本当だろうか。人の場合、新生児は若干の頭髪以外は殆ど毛がない状態で、あっても産毛の状態で生まれてくる。人間の発達段階で全身の毛が退縮したのであれば、胎児の一時期毛むくじゃらの時期があるのではないだろうか。

 頭髪、眉毛、睫毛以外の体毛は性徴と密接な関連があり、成熟にするにしたがって、必要なところに生えてくる。
 人間の場合の体毛は保温の為ではない、種の保存の為にある。


5/30(金)晴暑い 大曲外来 飯川病院ボランティア 歯科治療
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。7:40Taxiにて駅に。8:10こまち、駅から徒歩。9:10-13:00大曲中通病院外来。徒歩駅に、13:37こまち。14:30飯川病院、軽食に近隣のミニレストランに。16:30-17:30歯科治療。徒歩自宅。19:00夕食、20:15就寝。歩行Σ3621Km。

作家 渡辺淳一氏が死去された(2) 死をきっかけに改めて氏の作品に触れたい
 作家の渡辺淳一氏に関して、その作品についてWikipediaを検索してみた。私の予測は大幅に外れそこには多数の作品がリストアップされていた。小説、歴史・伝記小説、随筆などここの作品を上げることは不可能なほどの数で驚いた。

 角川書店 が1995-1997 年にかけて頒布した渡辺淳一全集は24巻もある。その後も作品を発表しているからその数は驚くばかりである。映像化された作品も30本もあるようである。氏はその筋の評価では粋な遊び人だったともされる。どんな生活ぶりだったのだろうか、と改めて思う。

 氏は1970年には「光と影」で直木賃、80年には「遠き落日」で吉川英治文学賞を受けている。
 私にとっての氏の最高の作品はこの「小説・心臓移植」であるが、実際その後の作品はあまり読んでいなかった。徐々に氏の作品が「エロス」の方向にシフトしつつあったことも距離を置いた理由の一つであった。同じ医療関係であることで、解剖学的、生理学的知見、精神心理学的知見が表現されることに一種の気恥ずかしさがあったからである。

 「失楽園」、「愛の流刑地」、「ひとひらの雪」などで男と女の性愛の世界を描き続けた。実際に本を手に取ったり映像を見たことはまだないが、名前は知っている。氏の作品には「無影燈」、「白き手の報復」、「麗しき白骨」、「麻酔」など医療関連の題名が多い。

 荻野吟子の伝記小説「花埋み」は既に読んだが、野口英世の伝記「遠き落日」、乃木希典夫妻の生涯を綴った「静寂の声」、与謝野鉄幹・晶子夫妻を取り上げた作品もある。

 エッセー作品はでのベストセラーも多い。「鈍感力」「欲情の作法」などがある。

 氏は人間の愛と性を描き続けた。嫌らしい情痴小説と言われたこともあるようであるが、「エロス」には「生きる」エネルギーとともに「死」の影がつきまとう。氏は作家としての生涯を通じて、その点を表現し続けたのではないだろうか。

 私にとっては強烈な存在感があった作家である。氏の死を機会に上記に上げた作品を中心に読んでみたい、と考えている。
 今なら氏の言いたかったことが分かるかもしれない。


5/29(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床.文献等資料チェック、7:55徒歩飯川病院着、花に散水、回診など、8;40-12:30中通外来。13:00飯川病院。死亡患者あり家族面談、見送り等。入院患者対応。録画でNHK特集「廃炉への道その1」観る。19:15帰宅、夕食、 20:20就寝。Σ3605Km。

作家 渡辺淳一氏が死去された(1) 初期の「小説・心臓移植」をむさぼる様に読んだ
 この4月30日に作家の渡辺淳一氏が前立腺がんのため自宅で死去された。享年80歳であった。

 私は自分以上の年齢の方の訃報に接してもそれほど驚くことはない。氏の場合も「お亡くなりになったか・・」と淡々と感じただけであった。一方、自宅で死去された、と言う事には興味を引かれた。最終的な状況は分からないが、作品が「エロス」を描いた氏らしい最後かな、と思った。「エロス」には「生きる」ことと濃厚に関連しており、「生きること」の究極の到達点は「死」だからである。覚悟なさっていたのであろう。

 私は学生の時に氏の存在と作品を知った。
 1968年8月8日に日本初の心臓移植が札幌医科大学で実施された。

 私は当時新潟大学医学部の学生であった。この心臓移植成功にいたく興味を感じ、心を踊らせながら新聞や文献、図書館の資料などで綿密にフォローしていた。40年以上も前の事であるが、当時の事はいまでも鮮明に覚えている。当初この心臓移植手術は世界で8番目と言う事もあって脚光を浴び、日本中が注目する事となった。しかしながら、移植後3ヶ月ほどで患者が死亡した。

 患者の死を機会に一気に倫理上の問題点、隠蔽工作などが明らかになり、社会的にもバッシングたの対象になった。
 この18歳の患者の病状が心臓移植の適応患者ではなかった可能性も発覚、溺死したとされる21歳のドナーの蘇生自体もかならずしも適切な処置をほどこしていたわけではないことなどが明らかになった。

 和田教授は大阪の漢方医らによって二人のいのちを奪った罪で刑事告発された。結果的に不起訴となったが、この一連の経過は和田心臓移植事件と呼ばれ、わが国の心臓移植は大幅に遅れ、第2例目が行われるまで31年を要した。

 当時、氏は札幌医科大学の整形外科の講師で、69年に「小説・心臓移植」発表したが、学内の反発が強く辞職を余儀なくされ、上京して専業作家となった。
 「小説・心臓移植」は後に「白い宴」と改題された。また、当時、北海道新聞は治療の推移を熱狂的に報道したが、後に報道姿勢を振り返った書籍を出版した。これも手に入れ隅々まで、何度も何度も読み返したものである。また、後に移植学会、病理学会でも種々の検討が行われたが、その学術論文も多数読んだ。

 私にとっての氏の最高の作品はこの「小説・心臓移植」であるが、実際その後の作品はあまり読んでいなかった。「小説ダブル・ハート」、小説「 リラ冷えの街」、 伝記小説「花埋み 」程度であった。徐々に氏の作品が「エロス」の方向にシフトしつつあったことも距離を置いた理由の一つであった。

 今回氏の訃報を聞いて 小説「花埋み 」を読み返してみた。見事な完成度の高い作品である。


5/28(水)晴れ 外来 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。文献・本読み他、いつもの如し。7:55徒歩飯川病院へ,花壇に散水。8:45-13:00外来。ドック結果総括、13:00-18:20飯川病院。午後に快晴、録画でNHK特集「にっぽん微笑みの国の物語 イザベラ・バード」観る。秋田も通過している、どんな記録が残されたか、興味を持った。18:45車帰宅、花壇畠に散水。19:00夕食、20:00就眠。 伊能歩行計Σ3593Km。

社会保障は消費税増税でよくなるのだろうか?(2) 10%へ消費税増税後も疑問である 
 8%になった消費税増税分、5兆円は社会保障のために回される事になっているが、一般会計に組み入れられるのと何ら違いが無い。

 消費税率は、法律では来年10月に10%に引き上げると定めている。最終判断は「経済状況の好転」を条件としているが、この引き上げで更に2.8兆円が国の増収となる。
 一方、国は社会保障を厚くすると言いながら以下の様な緊縮策を計画している。すべて実行されれば3.5兆円軽減することになる。要するに消費税は上げるが社会保障は一層薄くする、と言う事だから、政府の消費税増税に関する説明はやはり欺瞞と言うべきでなかろうか。
―――――――――――――――――――――――
■70−74歳の患者負担1割→2割。
■入院給食の自己負担化。
■一定所得ある利用者の介護保険自己負担1割→2割。
■介護保険施設の食費住居費補助縮小。
■年金の特例水準解消。
■年金のマクロ経済スライド縮小。
―――――――――――――――――――――――

 税率が10%に上げるのは、今年7-9月期まで一の国内総生産(GDP)の成長率が伸びている事が条件である。消費税増税法案の付則では、成長率を「名目3%、実質2%」としている。これは決して楽なハードルではない。だから消費税10%にはならない可能性がある。

 私は消費税増税は社会保障改革のためには直接役に立たないと思う。だから、社会保障の面からは8%であろうと10%でもかまわない。

 ただ、再増税をやめる場合の影響は大きい。政府は「税率10%」を前提に、構想を練っている。従って、10%へのアップをやめる場合は、想定より少ない財源で予算配分を考え直さなくてはいけない。社会保障への影響は小さいが財政健全化と言う意味では問題の先送りになる。

 国の財政を考えれば、再増税は避け難いが、景気が失速しては元も子もない。
 安倍首相はアベノミクスの成果でいい気分にあると思う。しかし、消費税増税はアベノミクスのブレーキ役になりうる。首相の悩みはまだまだ続く。

 どちらにせよ,消費税増税と社会保障改革は目的と結果の面で乖離が生じている。


5/27 (火)曇りのち快晴 外来 飯川病院
0:45起床、文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。7:55徒歩病院着。8:40-12:10外来、比較的余裕。13:00-18:30飯川病院。19:10バスと徒歩帰宅。夕食、20:30就眠。 Σ3573Km。

社会保障は消費税増税でよくなるのだろうか?(1) 消費税増税分はどこに行く?
 消費税増税の大義名分は「消費税の増収分5兆円はすべて子育て・医療・介護・年金といった社会保障のために使われる」であった。野田総理の時に消費税増税案が国会を通過した。野田総理の説明は熱を帯びており、消費税増税 → 社会保障の充実、と言った図式で論じられていた。

 安倍政権では消費税増税を実施した。安倍総理の説明は様変わりしている様な気がして聞いていた。消費税増税 → 社会保障の充実ではないのではと思わせたが、政府公報では相変わらず消費税増税によって財源が確保されたり、充実するかのように宣伝している。

 その説明は本当だろうか??
 ■消費税増税分のお札や小切手に色でもついていて消費税がどのように社会保障の経費として使われるか分かるのであれば、政府の言う事をフォローして納得と、安心の納税が出来るのだが・・・。

 現実にお金には色がついていない。だから、この面での追求は出来ない。

 ■もう一つは、増税分5兆円が、従来の社会保障費にそっくり上乗せされるのであれば、納得出来る。しかし、社会保障費の総額は殆ど増えていない。すると、消費税増税分はどこに行くのか??

 ■消費税増税収入5億円の使途の8割以上に相当する4.2兆円は、「年金の国庫負担分2分の1の恒久化」として約3兆円、「既存の社会保障の安定財源確保」として1.3兆円振り向けられる事になっている。なるほど、消費税増税分は確かに社会保障に回される事になる。しかしながら、これらの経費は増税前から別の予算が組まれてすでに実施してされている分である。従って、これが単に消費税に名前が置き換えられただけでないか。

 要するに、消費税増税分が名目上で社会保障のために回される事になるが、それまでその名目で用いられた経費がそっくり一般会計に戻されるから,実質的には消費税増税分が社会保障費に名目上で置き換わっただけで一般会計に組み入れられるのと何ら違いが無い、ということになる。

 国の財政は複雑でよく分からない。そうは言えど、政府の説明は欺瞞と言うべきでなかろうか。


5/26(月)曇り 健康クリニックドック+結果説明3名 北税務署 飯川病院 
 1:00起床、新聞チェック他。徒然。8:00徒歩病院着。回診他。健康クリニックドック担当。11:50-13:45北税務署に、家内の修正申告提出。14:00-19:00飯川病院。19:15帰宅。夕食、20:30就眠。伊能歩行計3560Km。

マンガ「美味しんぼ」問題(4) 福島、本当のところはどうなんだ
 国の原発事故対策は見えてこない。国は福島に対して、住民に対して歯に衣を着せた様な事しか表明していない。方針もコロコロ変わり地域では不信が広がっている。福島の今後についてあまり本音で語ったのを聞いた事はない。本当のところはどうなんだ、とおもう。

 今回の「美味しんぼ」問題は、マスコミのあおりでバカらしい盛り上がりを見せた。私が「美味しんぼ」の中で最も注目したのは、作品中に実名で登場し、「福島はもう住めない、安全には暮らせない」、「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います』、などと述べた福島大学荒木田准教授の発言内容と姿勢である。

 氏は2年前から原作者らから取材を受け、体験や持論を伝えるなかで、この発言もした,と言う。昨年末に氏は、「福島全体が住めないと読者に受け取られるおそれ」から、「自分もここで暮らしており、使わないでほしい」、「福島で暮らさざるを得ない県民感情に配慮した表現」を求めた。これに対し、編集部は「作品は作者のもので登場人物のものではない」と説明。氏は「作品の中身の是非まで言う立場にない」と最終的に伝えたという。 氏は5月20日、こうした経緯には触れず、「美味しんぽをめぐる議論が世間の対立を激化させている現状に心を痛めている」との見解を公表した。

 氏は今回の一連の経過の中で恐らく厳しい立場になった、と推測するが、発言を撤回する事なく心情だけコメントした事は素晴らしいと思う。氏は本音で見解を述べたのであろう(氏の発言は「美味しんぼ」と新聞から得た)。

 私も原発事故に関しては心を痛めている。事故後ずっと事故処理等の経過を追って来た。福島県民や被災された方々、避難を余儀なくされている方々の気持ちには到底なり得ない。そんな立場だから,不遜であるが、私は現時点では以下のように考えている。

■福島第一原発の事故による高度汚染地域,帰還困難区域は国と東電が買い上げて国有地にしてはどうか。住民の代替地は国が責任を持つ。
■40数年かかるとされる廃炉行程も放射性物資を再度バラまく危険を伴うから、より広範囲の安全地帯の確保が必要。
■除染は地域の放射性物質の移染にすぎない。拡散した放射性物質、移染で集められた土壌等の中の放射性物質が発する放射能は人工的な操作では弱める事は出来ない。自然減衰に待たねばならない。中間貯蔵場物質は他に分散させず、処理施設建設は高度汚染地域に集めるべき。
■今まで原発で生じた核のゴミは貯蔵能力を超え,各地に分散されてプールで冷やされている。これらの処理場も国内に分散させず汚染地域に建設すべき。処理工程自体も危険を伴うし、無害になるまでの減衰を待つなら約10万年貯蔵を必要とする。ガラス固化の耐久性も解決していない。これらの貯蔵についても福島を候補にする。
■・・・など。


5/25(日)曇り時に晴れ 主に外仕事,家内分申告書再検討
0:20起床、本読み、文献チェック、新聞処理、微睡など。7:00検食、9:00バス天徳寺まで、徒歩帰宅。PDF化したデータ再構築,新聞入力。13:00午後は畑仕事,人参、カブ、ハーブ植え付け。北税務署より再検討の連絡があった家内の25年度分申告書再検討、家内盛岡から帰宅、19:00夕食、20:00就眠。Σ3545Km。

自動販売機 改良が進んでいるようだが、あのガッチャンは何とかならないか
 わが国は自動販売機天国である。全国に600-700万台あるとされる。
 かつては利用する事は少なかったが、自転車や徒歩通勤してから私もジュースや茶の自販機をの使用頻度が増えた。とても便利であるが、使う度にあの「ガッシャン」と取り出し口に落ちてくるのは何とかならないか、と思う。

 この「ガッシャン」には何か目的があるのだろうか?考えてみても分からない。あえて言えば「購入の操作がうまく終わりました」と言う事を示すためだろうか。衝撃音が嫌いな私が不快に思う一瞬である。取り出し口にマットでも敷けばいいのに、そんな静かな自動販売機を見た事はない。

 自動販売機と言えば、私はジュースや茶の自販機を思ってしまうが、駅の券売機は毎週利用している。現在、私はキャッシュカードを召し上げられているので使えないが、かつては銀行のキャッシュコーナーは頻回に用いていた。私の使用範囲ではこんなところであるが、自動販売機は、缶・瓶・ペットボトル・カップ入り飲料・アイスクリーム・カップ麺・菓子パン・菓子・タバコ・雑誌・新聞などのほか、乗車券・入場券もある。食堂の食券など、ありとあらゆるものに及んでいる。驚くばかりである。

 使う機会は少ないが、対面でなく機器を操作して商品を購入する自動販売機は私は好きだ。対面来応は多かれ少なかれ何らかの不快感を持つ。素っ気ないのも不快だが、過剰にサービスの良いのも、例えば銀行の窓口など,も不快である。その点、自動販売機はいい。あの「ガッシャン」さえなければもっといい。

 ジュースや茶の自販機はかなり電気を消費するようである。原発一基分の電力を消費していると言われた事もある。確かに立地条件から見て電力を喰うだろうと思うが,現在はかなり改善しているらしい。3.11後も自販機は減っていないようである。

 自動販売機は営業の効率化や人件費の削減などのために導入される。古い話であるが、20年ほど前にフランス・オーストリア・スイス・ポーランド等を訪れたが、一台も見なかった様な気がする。飲料水等を売るミニ商店はたくさんあって若い娘、若くないもと娘だった女性が店番していた。日本で言えばタバコ屋の様な感じで、これで商売が成り立つのかと心配した。小さな経済活動に多くの住民が参加している、と言った非効率性が街の雰囲気を落ち着いたものにしているように思った。尤も、諸外国では自動販売機は3日ももたないらしい。それだけわが国の治安がいい事を示している。

 わが国では商店の店先にも自動販売機があるのが不思議である。閉店後に商売を代行させるなら分かるが,意外と自販機が客を呼び込むらしい。


5/24(土)快晴 飯川病院日当直 家内は盛岡に
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。午前中は書斎の図書、クローゼットの衣類整理。遅れそうになり12:00バスと徒歩で急ぎ飯川病院に。12:30日当直業務に。新聞処理、15:30重症患者家族面談。患者対応。18:00検食、19:00就眠。3535Km。

マンガ「美味しんぼ」問題(3) 閣僚、政治家の発言は福島に負い目があるから
 「ビッグコミックスピリッツ」4月28日号掲載の「美味しんぼ」で主人公たちが福島第一原発訪問後に鼻出血を生じ、前双葉町町長の「福島では同じ症状の人が大勢いる」の発言を掲載した。これに対して首相、閣僚、政治家、自治体までコメントを述べている。たかがマンガに対して何たる事かと思う。

 それは政治家は福島に負い目があるからだろう。人は痛いところをつかれると往々にしてこんな行動をとる。「たかがマンガ、コメントする必要もない・・」と一蹴すればよかったのだ。

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 菅官房長官は、「住民の被爆と鼻血の因果関係は考えられない」、「復興に水差す」、「根拠のない風評には全力を挙げて対応したい」,「放射性物質と健康被害について、正確な知識と情報を伝えることが不可欠」との認識を示した。この裏を返せば政府の事故対策の実態が見えてくる。コメントは間接的に原発事故対策の傷を広げてみせる結果となった。

■原発の安全神話に政府も加担、半世紀にわたって国民、地域を騙して来た。
■原発の安全対策,危機管理に不備があった。東電にも政府にも。
■事故後の対応、避難指示の遅れ、多くの隠蔽工作など、東電と国の無責任体質が明らかになった。
■政府、東電、安全委員会などあるが、誰が真実を語っているのか、何が安全かが分からない。放射能汚染に対する国民の根強い不安は政府に対する不信でもある。
■安倍首相は汚染水漏れについて「状況はコントロールされている・・」と風呂敷を広げ五輪招致に成功。しかし、港湾外で放射性セシウムが検出された。五輪招致が復興にが及ぼす影響が懸念されている。
■安倍首相が東日本大震災からの復興を最優先課題に掲げてきた。住民たちは政府の対応を冷ややかにとらえている。住民の帰還問題、除染、中間施設の方針も含め政府の方針がくるくる変わるから。
■安倍政権は、脱原発の世論を無視、原発推進路線に転換した。
■等など・・・・。
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 「美味しんぼ」はフィクションであり、内容的にはとるに足らないレベルだと思う。にもかかわらず、マスコミが騒ぎ、政府が騒いだ。結果として,関心が薄れかかっていた原発問題に対して多少ながら問題提起したと言う点では意味はあった。


5/23(金)曇りのち快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア 歯科治療
1:30起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。7:40Taxi、8:10こまち、徒歩。9:10-13:30大曲中通病院内科外来、14:30飯川病院ボランティア,16:30佐々木歯科医院。17:20院長不調で飯川病院に戻る。19:00帰宅、夕食、20:15就眠。

マンガ「美味しんぼ」問題(2) 放射線と鼻出血との因果関係
■鼻出血と被爆の因果関係は否定出来るし、因果関係の証明など出来ない。
 「美味しんぼ」のなかで、主人公の鼻出血に対して医師が「被爆と関係は医学的に見て否定的」と述べている。これは作者の本音でもあり、併記せざるを得なかった。作者の良心の現れだろう。

 事故直後ならいざ知らず、といっても現場で事故対応し外部被曝、内部被曝を受けたであろう関係者に鼻出血が多発した、と言う記述はこれまでの資料を見ても見つからない。ましてや、事故後3年経過して地域の放射線量が低減している状況で数日、短時間取材に訪れた主人公たちの内部被曝は、あったとしても極めて少ない。

 事故調査で何度も調査に訪れた放射線関係の専門家も鼻出血など生じていないし、その証拠もつかんでいない。それでも一部の専門家は、放射線を含んだ微粒子が直接鼻粘膜を障害した可能性があり、因果関係は否定出来ない、などの意見を述べているが、あり得ない。
 現場を訪れた何万人の中の一人に、たまたま生じた鼻出血に被爆との関係を結びつけるのは疫学的に見ても無理。私が少し学んだ血液学的知見から見ても、無理。

■震災瓦礫を受け入れた大阪の焼却場近くの住民が鼻血などの症状を訴えた。
 この瓦礫は福島からではない。その事もあえて明らかにしないでストーリーを展開させたのもフィクションの技法と読める。
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 この漫画のストーリーを面白く展開し読者の興味を引く上で、主人公が鼻血を出さなければ、元町長を登場させて「鼻出血が多数に・・」、「被爆したから・・」などとの発言がなければ、とても平板なものになってしまう。これらのエピソードはこじつけであってもフィクションとして必要だった。その視点からの作者の創作であった。
 「美味しんぼ」は私も初期から中期にかけてはよく読んできたが、そのような手法に満ちている。だから面白く読めたが、そのうちマンネリを感じた。今も続いていたとは知らなかった。

 わが国の漫画は殆ど、純粋な娯楽として発展してきた。その後、現実の出来事を素材に風刺的にとらえたなもの、空想を合体させて自由に展開させたたもの、といろいろあるが、基本はフィクションである。中には漫画でしか表現出来ない技法を駆使し、史実を追求してきたドキュメタリー的な作品まである。今や漫画は立派な文化となった。後世に残したい作品も枚挙にいとまがない。
 「美味しんぼ」は私の視点から見ればあくまで娯楽漫画である。
 
 私は漫画であれ、小説、実用書であっても、新聞や医学・科学関連の文献であっても、TVや映画であっても、学びの資料としてとらえ、利用している。そのために各作品の見極めが重要で、資料に読まれない事が重要である。漫画は私にとっては楽しい読み物である。
 
 私は漫画愛好家として、この「美味しんぼ」の鼻血に関する記述は娯楽以外の面からは、はなにもひっかけないレベルでの話題である。一般の読者にとってはどうだったのだろうか?私は漫画の愛好者は判断力があり、想像力が豊かな方々だと思う。だから、多くの読者は多分問題を感じなかったのではないかと推定する。にもかかわらず、今回、話題が沸騰しているのはマスコミの扇ぎ立ての方に問題があると思う。
 
 今回の「美味しんぼ」問題は、私の視点から見れば「ばか騒ぎ」でしかない。


5/22(木)雨 外来 ドックデータ整理 飯川病院
1:00起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:40降雨のためバスと徒歩病院着、。8:45-13:00外来。ドックデータ整理。13:45-19:10飯川病院。19:30帰宅、夕食、20:40就眠。歩行Σ3507Km。

マンガ「美味しんぼ」問題(1)マスコミ、政治家,関係者ともに騒ぎ過ぎでないか
 「ビッグコミックスピリッツ」で30年以上も続いている人気漫画「美味しんぼ」が東電福島第一原発事故をテーマにした。
 「訪問した主人公が鼻血を出した」事、「がれきを受け入れた大阪の焼却場近くの住民が鼻血などの症状を訴えた」などと、一般常識からは考え難い内容が含まれる。その後間もなく各方面から抗議が生じてきた。

 この件について、マスコミが騒ぎ立て、政治家、関係者達は過剰に神経を尖らせていると思う。マスコミの姿勢はSTAP細胞問題、佐村河内問題と同様に、火をつけ、火を煽って騒ぎ立てている様に私には見える。マスコミは「ビッグコミックスピリッツ」編集部を「表現のあり方について今一度みなおす」と表明するまで追い込み、溜飲を下げているだろう。

 その事の過程を私のファイルから追って見る。
■4月28日号で主人公たちが福島第一原発訪問後に鼻出血を生じ、前双葉町町長の「福島では同じ症状の人が大勢いる」の発言を掲載。
■5月7日双葉町が「鼻血などの症状を訴える町民が大勢いると言った事実はない。福島県民への差別を助長させる」と抗議文。
■5月9日石原環境相が「何を訴えようとしているのか、理解不能」と批判。
■5月12日発売号で前双葉町町長の「福島では同じ症状の人がいるのは被爆したから」の発言と、震災瓦礫を受け入れた大阪の焼却場近くの住民が鼻血などの症状を訴えた、と言う市民調査の結果を専門家が発言。
■5月12日福島県が「風評被害を助長するもので容認出来ない」との談話
■5月12日大阪市が事実無根と抗議文。
■5月12日菅官房長官が「住民の被爆と鼻血の因果関係は考えられない」と批判。
■5月13日根元復興相ら閣僚からも批判相次ぐ。
■5月17日安倍首相が福島で「根拠のない風評には国として全力を挙げて対応する」と発言。
■5月19日「ビッグコミックスピリッツ」編集部は同日号に「表現のあり方について今一度みなおす」との見解を掲載、さらに関係者、有識者の見解も掲載。

 ここで私なりに問題を整理する。
◎作品として食の問題に絡めて原発事故を取り上げた意義は大きい。
◎作品はフィクションに分類される。従って、必ずしも状況を正確になぞる構成でなくとも良い。
◎デリケートな問題を取り上げている事から、作品の内容が社会にどれだけ影響を及ぼすかは、関係者の良識と倫理観に負う。
◎内容には事実誤認があり、誤解を与える部分があった。それを関係者を登場させて語らせている。作者自身は放射線の所為とは判断していない様である。だから論点がはっきりしない。
◎これほどの事故があったのに、国民に対して放射線に対する広報・教育も不十分。
◎冷静さを欠く感情論の応酬になっている。政府関係者の関与には異和。政府が神経を尖らす原因は政府内にある。負い目があるからだ。
◎世間も、福島に,被災者に、避難者に遠慮しているのでは?だから、本音でやり合う論議が足りない。このマンガが今頃問題になる事事態がおかしい。
◎5月19日「ビッグコミックスピリッツ」の編集部の見解、関係者、有識者の見解もどうどう巡りで、得られる知見、考え方は乏しい。
◎その他、・・。


5/21(水)曇りのち雨 ナンナン3周忌 外来 飯川病院ボランティア
 0:10起床。文献チェックほか。8:00徒歩病院着。8:45-12:50外来、ドック総括。13:45-18:40飯川病院ボランティア。トピコで買い物。19:15帰宅。19:30夕食、20:15就眠。Σ3496Km。ナンナン3周忌であった。時の移ろいは実に早いものである。

四季2014(5)少年少女達の春 岩手日報のエッセイから
 岩手日報のコラム欄「ばん茶 せん茶」にほのぼのとしたエピソードの投稿があった。四季の移ろいとは直接は関係ないが、少年が人生の春先にさしかかった時期の話題である。
 投稿主は岩手県県南に済む67歳の男性。読んだ時は少女の話か、とおもったやわらかな文章である。その雰囲気も紹介したくて、全文を引用させていただいた。

 ちょうど今ごろの時季でした。
 私が中学一年だった昭和34年の話でございます。この年は今の天皇陛下そして皇后さまのご結婚が執り行われた年で、日本全体がお祝いムードでいっぱいでした。

 ある日、一緒に通学していた先輩からこんな話がされました。「下に毛が生えたら即刻届けを出さなければならない」。しかも、誰にも話すことなく一人で駐任所に届けなければならない、というのです。
 その時、自分は下の毛が生えておりましたので届けることにしました。しかし届けるといってもその方法が分かりません。先輩に尋ねたところ、紙に住所と年齢を書いて持って行けばよい、できればハンコをつくのが望ましいとのこと。
 ハンコは小学校の授業で作った物かありましたのでそれを使うことにしました。しかし朱肉がありません。親に朱肉を貨してくださいとは言えない状態で、本当に困惑しました。
 そこで気が付いたのが、自宅にあった自家製の梅干しです。赤い色は、まさに朱肉そっくりではありませんか。梅干しをつぶして朱肉代わりにし、生まれて初めての届出書が完成しました。

 自筆の届けですのでやはり緊張します。当時の駐在所は中学校から2〜3キロの場所にありましたので、歩いて放課後に持って行きました。
 ドキドキしながら差し出した届出書を、M巡査は何と両手を添えて受け取ってくださいました。その時の心境は今もって鮮明に覚えております。
 あれから60年もたってしまいました。あの時の届出書はどこへ行ったのでしょう。自分にとっては実に苦い思い出です。

 後で分かったことなのですが、代々受け継がれる先輩からのイタズラなのでありました。
 私にとっては、誰にも話すことができない実話を今ここに書く至福を感じております。(岩手日報2014年5月16日)



 悩みながら、一人で作った届出書を、M巡査は「何と両手を添えて」受け取ってくださいました・・・とある。ここがこのエッセイのかなめの部分である。地域のこども達に代々受け継がれてきたイタズラで、駐任所も協力していた,と思われる。もし、届け出を受け取ってもらえなかったとしたら、こども達の心には大きな傷として残ったのではなかろうか。
 当時のこども達の成長を地域全体で支えて来たような雰囲気にあふれており、懐かしく読ませていただいた。


5/20(火) 晴れ 外来 県産業保健総支援センター副所長来訪 飯川病院
2:00起床。文献他PDF化、徒然、8:00千秋公園ハトは食欲旺盛。8:45-12:50外来と回診。13:00県産業保健総支援センター副所長来訪、相談員についての打ち合わせ。13:30−18:50飯川病院。19:15帰宅。19:30夕食、20:50就眠。Σ3478Km。

四季2014(4)「希望の芽 春へと向かう いのちかな (小林 凛)」
 上記の句は、11歳の時に「ランドセル俳人の五・七・五 ―-いじめられ 行きたし 行けぬ春の雨」――と言う句集を出版した小林 凛さんが、今年4月に中学校に進学した喜びを歌った句である。

 園芸とかやり始めると、名も知らない草花を含め、植物全体に対してとても愛おしい気持ちになる。特にその生きる姿勢、仕組みについては知れば知るほど驚嘆する。尤も、いままで無知だったからではあるが。

 通勤路路傍にも多彩な植物が強く生きている。道路脇の家々のよく手入れされた庭の木々、花々も美しい。こんなことが味わえるのも園芸・畑作り、徒歩通勤の魅力の一つである。
  
 私はいわゆる雑草も愛おしく思う。

 植物は自分で大地から養分を吸収し、水と炭酸ガスのもと光合成によってエネルギーを産生して成長して生きる、より完全型の生物である。動くこともできず感情ももたないから対極にある人間からは軽視される傾向があるが、人間の方がある意味では不完全である。外からエネルギーのもとを摂取しなければ生きられない。植物は動物に備わっていない高度の機能を備え、動物を養い、人間が汚した地球環境を浄化してくれている。

 近年、「光合成」の研究が進んで来ている。植物は葉緑体にある色素分子に光を集める。色素分子が興奮して電子を放出、電子はいくつかのタンパク質に次々と受け渡されて最終的にはNADPHが作られる・・・、とそんなすごい事をやっている。これから先も解明されているが、私は不勉強でまだ理解出来ない。植物の生理の解明から「人工光合成」の研究が進んでいる。過酸化水素水の形で、液体でエネルギーを保存する方向で研究が進んでいるが、まだまだ道は遠い。

 人の英知で未だ実用に至ることの出来ない複雑な反応を、大小あらゆる植物が当たり前にこなしている。なんとすばらしい事か。畏敬の念がわいてくる。

 こんな植物をわれわれ人間は自分たちにとって有用か否かで分けて扱っている。有用植物とそうでない植物の扱いは雲泥の差である。名もない、いわゆる雑草に分類される草は厳しく扱われ、排除される。雑草と言えど必死に生きている。無用な扱いをすべきでない。

 私も庭や畠に雑草が生えてくると、やむを得ず刈り取る。本当は心が痛む作業である。私は庭木も、育てている野菜も剪定したり、収穫の効率を上げる為に芽を摘む事はしない。与えられた「いのち」を自然体で謳歌して欲しい、出来るだけのびのびと生きて欲しいからである。

 現実的には雑草などの除去はせざるを得ないが、植物全般にいとおしさを感じる事が出来るのは、幸せなことだろう。


5/19(月)快晴 健康クリニックドック診察+結果説明2名 飯川病院 
1:10起床、文献、新聞他処理。8:00徒歩病院着。9:00-11:10健康クリニックドック診察+結果説明2名。11:20-13:00入院患者対応、化学療法オーダー。13:30-19:00飯川病院。録画TVドラマ「神様のベレー帽〜手塚治虫のブラック・ジャック創作秘話」観る。19:30夕食、20:45就眠。Σ3465Km。

四季2014(3)新緑の季節,花咲く季節
 清々しい新緑の季節である。
 桜が散ると次々と花が咲き、地上、山々の木々は一斉に緑と化す。草萌える季節である。土の包容力、太陽の恵み、植物界の旺盛なエネルギーが感じられる。

 ここ数年私も家庭園芸・野菜作りをしている。

 飯川病院の玄関脇の軒下の花壇にも院長から依頼受けて、草木を植え、毎日散水して世話している。目立たない病院であるが花が欲しい。花があると落ち着いた雰囲気がでる。そばを通る方々に、私の姿は、「飯川病院はいい小間使いを雇ったものだ」,と映るだろう。

 わが家の庭の土壌が植樹や花を植えるのに適していない事が分かった。そこにはかつて家内の姉の住宅が建っていたが、数年前に転居し、住宅を解体し更地になって戻って来た。庭の面積が増えたので喜んだのであるが、がれきを埋め、そこに砂をかぶせた状態であった。そんな工法があるとは知らなかった。植樹を何度か試みたが、穴を掘るにも瓦礫を掘り出しながらだから難渋した上、植えてもなかなか生着しなかった。それで、昨秋、庭師を入れて約40cmほどの深さまで土を入れ替えた。なかなか大仕事で、人力では不可能な作業であった。
 今春、そこに「もみの木」、「リンゴ」、「バラ」などを植た。今回はうまく根付いたようである。いい気分で植樹の計画もいろいろ練っている。

 園芸や畠作りに関しては、家内がプランナー、私が作業員であったが、徐々に私が主役になりつつある。それなりに楽しい。
 私は田舎の育ちだから標準的な農作業は下手ながら一応出来るし、土いじりはそう嫌いではない。しかし、日中は勤務があるのでウイークデイは早朝、夕方の帰宅後に作業をしている。天候や私の机上作業の進み具合にもよるが、夜が白々と明けてくると自然と心がそっちの方向にむく。

 畠には「キウリ」、「トマト」、「茄子」、「ハーブ」を植えた。これから「人参」、「枝豆」などを計画している。

 いま、我が家には黒猫が一匹居る。夜中、早朝などこうるさくいろいろ要求してくる。それでも私は「いのち」を預かっていると言う大きな責任を意識する。だから、むげには扱えない。

 園芸、畑の草木、木々は言葉では何も言わないが、私にいろいろ要求してくる。私が「いのち」を預かっている、と言う点については動物と同じである。
 毎朝、木々の機嫌を伺いに外に出る。土いじりの楽しみの一つである。


5/18(日)曇り 畠仕事 飯川病院日直 一家離秋
0:30起床、いつもの如し。本読み、文献読みほか。N響定期、NHK音楽祭2013年の確認とインデックス作り。6:00畑仕事、キウリ苗補充、庭にリンゴの木植え。何となく歩くファイトがでない、8:02のバス利用飯川病院に。日直に就く。録画映画「陽暉楼」観る。16:00F一家離秋。18:15バス帰宅、19:30夕食、21:00就眠。Σ3453Km。

少子化対策2014(8)「若者に対する政策」の不在は問題
 少子化対策は国の重要課題であるはずだ。わが国の社会保障政策は、高齢者に対する保障は先進国並みであるが、現役世代に対する福祉が非常に貧弱である,と言う特徴がある

 これから長期的に政治をになう自民党のマニフェストに若者に対する記述は見当たらないようである。子供は国の宝,地域の宝である、とよく言われる。確かである。わが国の少子化対策は国家的根幹事業であるはずなのにどこが主導してやっているのか?よく分からない。少子化担当大臣はおられるようであるが、動きが見えない。

 いま、国が進めている雇用対策は若者世代の不安をあおっている。若者と言う貴重な国の財産を使い捨てにしている様に見える。これからの日本をになう若者に対して努力に報いられる様な政策を真剣に取り組まなければならないだろう。

 アベノミクスの第三の矢に持続的な経済成長の確立が言われている。総理は産業界に向けてメッセージを送り続けているが反応はない。

 経済成長の要因としては目立たないが、子育て支援、女性の労働参加、それらを成り立たせるための企業奨励金、男性の子育てや家事への参加、地域の子育て環境の確立などが必要である。子育て支援は経済成長の荷物でなく、経済成長に結びつく。

 少子化の要因は、■若年層が減少した事、■未婚化、■若年層の生活の不安定化、非正規雇用増加などが大きな要因である。この三要因は揃ってしまった。

 婚姻率は男性の収入にきれいに比例している。
 それゆえ、若年者の非正規雇用者こそ優先的に賃上げする必要がある。子育て補助と言う形でも良い。
 また雇用の場でも対策も子育て当事者しか念頭に置いていないのも問題だ。日本の育休制度は先進諸国の中では中クラス程度だが、育休取得中の社員の穴浬めが出来ず、他の社員の負担増で乗り切っている実情がある。これは子育て環境実態の評価に見えてこない。

 女性個人の育児と就業だけではなく、総合的な就業と次世代再生産すなわち子育ての両立が目指されるべきだ。


5/17(土)降雨午後晴れ 一家来秋 菜園仕事 
0:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。N饗定期演奏会中心の録画の再確認、インデックス作り。ノリントン指揮シリーズの演奏にはまる。14:08友人の結婚式に出席する長女一家迎えに。15:00やっと晴れたので家庭菜園,添え木立てる。一安心、この間4本枯れて補充した。午睡若干、データ整理他、19:00夕食、20:30就眠。Σ3440Km。

少子化対策2014(7) 国の活力の源なのだが、なぜ今まで・・・
 最近、特にここ2週間ほど、人口減と少子化が大きな話題になっている。

 民間研究機関『日本創世会議』は国立社会保障・人口問題研究所が昨年3月にまとめた人口推計データをもとに2040年の若年女性が2010年時の半分以下となる様な多くの市町村は全国に多数あり、そのような市町村は「将来的に消滅する・・」と推定した。

 上記のごとくの具体的推定値はなかったかもしれないが、この様な事態はとうに予測されていた。にもかかわらず、社会保障のあり方は論点は常に高齢者対策に終始していた。社会保障と言う言葉が若者向きに使われたことがあるのだろうか。

 今の社会保障対策と言えば、増え続ける社会保障費を如何に抑制するか、■高齢者医療費の自己負担の増加、■年金給付の支給額を如何に減らすか、等に終始していたと言って良い。

 ●社会保障を高齢者対策に集中する事は亡国の対策である。
 支出は際限なくのびていく。いくら保障を厚くしても満足させられない。さらにその間に少子化、高齢化、人口減に繋がっていく。要するに今の状況を迎える事になる。

 ●社会保障を少子化対策に集中すれば興国の対策である。
 国が右肩上がりに成長している時期であれば少子化対策と高齢者対策双方に対策出来た。しかし、近年の日本では双方は無理だ。社会保障財源は限られている。その中で、高齢者対策を薄くしてまでも、しかし、少子化対策、若者対策に抜本的と言えるがごとくの対応しなければならない。

 分かっていながら、それをやってこなかった。そして到達したのが今の姿だ。

 濃厚な子育て支援を伴う若者中心の社会保障対策に力を注いでいれば、若者の子育て意欲がある以上、おそらく出生率は上昇するだろう。その事で人口減に抑制がかかり、国力は維持される。国内消費は伸び企業にも活力が戻る。社会保障対策に関しても徐々に展望が開けていく。

 わが国の予算の裁量的経費の約半分が社会保障費である。高齢者対策を如何にやっても切り株しかない荒廃した山々に水を撒き続ける様なもの。植林をして若返りをはからなければ山々は再生しない。
 今から手を付けても30年に以上にわたる長期的対策となる。もう一刻の余裕もない。

 安倍総理はアベノミクスに、TPP、集団的自衛権の為の憲法改正に集中しているが、もうこれ以上少子化対策はさけて通ってはならないと思う。首相の支持率も安定している。今後3年間は多分国政選挙もないだろう。この時期こそ抜本的若者対策を行うチャンスである。


5/16(金)朝快晴。午前から降雨 大曲中通病院外来 歯科キャンセル
1:30起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:50家庭ゴミ。7:40Taxi秋田駅着。8:10こまち大曲に。徒歩病院に、9:10-13:15大曲中通病院外来、混雑。駅迄Taxi、こまち、秋田駅から自宅Taxi。本日は風邪気味にて飯川病院ボランティアなし。咳のために歯科キャンセル。15:30帰宅。新聞など。レクイエム聴く。19:10夕食、20:30就眠。Σ3431Km。

もっと分かりやすい日本語に(3)「フレイル」ってなんだ?
■フレイル
 日本老年医学会は、高齢になって筋力や活力が衰えた段階を「フレイル」と名付けた。 これまで筋力や活力の衰えは「老化現象」として見過ごされてきたが、統一した名称をつくることで医療や介護の現場の意識改革を目指し、予防に取り組む、としている。
 フレイルは『虚弱」を意味する英語「Fraile」から来ている。健康と病気の「中間的な段階」で、提言では、75歳以上の多くはこの段階を経て要介護状態に陥るとしている。

 米国老年医学芸の評価法では、@移動能力の低下,歩行スピードの低下、A握力の低下、B体重の減少(1年間で4−5Kg)、C疲労感の自覚、D活動レベルの低下、のうち、3項目が当てはまると、この段階と認定している。

 国立長寿医療研究センターの調査によると愛知県大府市に住む65歳以上の脳卒中などの持病のない高齢者約5千人のうち11%が「フレイル」に該当したという。

 フレイルの予防法は、京都大荒井教授によると、@たんぱく質、ビタミン、ミネラルを含む食事、Aストレッチ、ウォーキングなどを定期的に行う、B身体の活動や認知機能を定期的にチェック、C感染予防(ワクチン接態を含む)、D手術後は栄養やリハビリなどケアを受ける、E内服薬が多い人(6種類以上)は主治医と相談。(朝日新聞5月8日の記事をもとに構成)
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■サルコペニア
 高齢になるにつれて筋力が衰える現象はサルコペニアと言われていたが、筋肉量よりも筋力低下の方が重要な意味を持つことがわかってきた。2010年にEWGSOP(European Working Group on Sarcopenia in Older People)が、「サルコペニアとは進行性かつ全身性の筋肉量と筋力の減少によって特徴づけられる症候群で、身体機能障害、生活の質の低下、死のリスクを伴う」という定義を提案している。
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■ロコモティブシンドローム
 日本整形外科学会は、運動器の障害による移動能力の低下、要介護リスクの高い状態は「ロコモティブシンドローム」と呼ぶ事を提唱した。これが更に進行すれば「フレイル」状態となる。
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 日本の高齢者は、自分の状態を理解するために英語を学ぶ必要があるようだ。お気の毒に、何とかならないだろうか。しかも「フレイル」は日本老年医学会の提唱と言うから私は驚いた。「虚弱状態」でいいじゃないか。

 秋田市は高齢者に優しい街として、「エイジフレンドリーシティ」と称している。

 皆さん横文字が好きですね。


5/15(木)快晴・夕方から降雨 外来 患者家族面談 飯川病院
0:30起床、文献読み、新聞チェック他。8:00徒歩病院着。8:45-13:20外来、連休のあおりで混雑、疲弊。14:00-18:50飯川病院。19:20帰宅、夕食、20:30就眠。Σ3418Km。

もっと分かりやすい日本語に(2)「オノマトぺ」ってなんだ?
 医療で用いられる言葉は難解である。
 特に皮膚科領域の漢字名がすごい。「脂漏性皮膚炎」、「類乾癬」、「疣贅」、「扁平苔癬」、「粃糠疹」、「指掌角皮症」、「胼胝」、「鶏眼」、「類天疱瘡」、「掌蹠膿疱症」、「褥瘡」、「癜風」・・・。

 これらの漢字をじっと眺めてみると、皮膚の種々の変化を的確に表現している事が分かり感心する。かつて英語やドイツ語の教科書から日本語を作った関係者の漢字の知識は相当なものと思われる。こんなとき日本人でよかった、と思うが、カルテに記載する時は字画が多くて大変で、私は英語名を用いる。診断書等では和名で書かなければならず、大変である。

 漢字名ならまだ理解し易い。これがカタカナになると英語を知っていればそれほど苦労はしないが、一般の方々,特に高齢者には大変なはずである。ロコモティブシンドローム,サルコペニアなど、高齢者に多い病状だからなおさらである。整形で「横森の何とか・・」,「猿・・」と言われたが何ですか?といって内科にくる患者も少なくない。

 患者の悩みの多くが「痛み」であるが、客観的な患者はなかなか的確な表現ができない。

 医療者・患者間でうまく症状を伝え合うにはどうしたらいいか。そんな目的で行われた大規模調査の結果、痛みを「ズキズキ」、「ガンガン」、「ピリピリ」、「ジンジン」などで表現する「オノマトぺ」を使うと、相手によく伝わると同時に、痛みの種類の違いもうまく表していることなどが分かってきた。「オノマトぺ Onomatopee」はフランス語で「擬音語あるいは擬態語」の意味である。

 調査はファイザー社が昨年18万人を対象にネットで調査、8183人の記述を分析した。調査担当者は「言語学と医学の連携強化を進め、医療者・患者間の痛みの共通理解やコミュニケーションの向上を目指したい」と話している,との事。

 そこまで発展させたいなら「オノマトぺ」と言う名詞をやめて痛みを表現する「擬態語」と表現して欲しい、と思う。このままだと医療の中にまた変な用語が入ってくる。

 方言には疼痛を表すのに多彩な「擬態語」が用いられている。秋田でも「痛くはないがやめるんです・・」という表現が使われる。患者が体調を方言で説明した際、医師がそれを理解できないと対話が成り立たない。真に理解出来るのはその土地の医師だけであろう。「やめるんです・・」は「焼ける様な感じ」「ほてる様な」に近いらしいが、秋田人でない私には理解出来ていない。

 患者が何を表現しようとしているのか 私は自分の知っている「擬態語」を提示しながら対話を進めている。私の対話を「オノマトぺ」を用いている,と言われたら気持ち悪くて鳥肌がたつ。
 (参)もっと分かりやすい日本語に(1)「サルコペニア」,「ロコモティブシンドローム」


5/14(水)晴れ  69回目の感謝の日  外来 飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。8:00徒歩病院着。8:10入院患者回診、8:45-13:10中通病院外来、多くて疲弊した。ドック処理11名分。14:00-18:30飯川病院ボランティア。19:20バスと徒歩帰宅。19:30夕食、20:40就寝。 歩行計3407Km。

69回目の感謝の日 レクイエムを聴く日々 
 今年もなんとか5月14日を迎えられた。69歳になった。感慨深い。
 数人の方から祝いのメールがあり花束をいただいた。感謝に堪えない。

 一昨年は自分の不注意から、自転車による転倒、腸閉塞、脳梗塞を発症した。さいわいな事に何れも後遺症なく回復した。私に千に一つの幸運が与えられた。だから大事にしなければならない。今のところは再発の兆しはないが、爆弾を抱えている状態は変わりない。毎朝目覚めたときに四肢の動きは良いか、声は出るかなどを確かめ、一日の無事を願い、意義ある一日を過ごすよう心がけている。

 私はいま、自分の性格に沿った生活、素直に没頭出来る環境を求めている。まだ業務が多くて十分とはいえないがその方向上にある。可能な範囲でさらに求めていく。

 そのコンセプトは、昨年とほぼ同じだが、
■私の社会的使命は終わっている。最小限の診療以外には関与せず。

■自由に、ホンネで生きる。

■やりたいことをやる。やりたくないことは受けない。

■無為に過ごさない。

■移動機能を維持する。

■診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。

■死に支度、かな。

 近況としては、21:00前には就寝し、1時頃に起き出す。出勤準備に入る6時頃までの静かな時間は至福の時間である。

 静かな環境でレクイエムを中心に静かに宗教音楽を聴く。レクイエムは私自身のためにも聴く。少しだけ医学雑誌に目を通し、電子的に蓄積している文書・録音データを整理し、歴史、宗教、美術、文学などの書籍に目を通す。

 まだ業務に追われてはいるが、早朝の時間と、週末の二日間は私にとって素晴らしい時間である。日中は時間があれば園芸、畠作りもする。尤も、土日のどちらかは飯川病院の日当直等にあたる。
 とにかく時間が勿体なくて無為には過ごせない。

 まあ、本日夕方迄は意義深く過ご得た。
 理屈抜きに、この一年無事に過ごせれば最高、と思っている。 


5/13(火) 朝小雨・夕快晴 超混雑外来 飯川病院  
 1:20起床,文献チェック、随想読みほか。7;40雨のためバスと徒歩で飯川病院着。 8:45-14:10外来。大混雑、疲弊。入院患者指示だし。回診は明日に。14:30飯川病院、倦怠感強度、業務最小限こなし医局のソファで休む。19:10帰宅、19:30夕食、21;00就眠。歩行計3393Km。

映画「フレフレ少女」:盛岡一高の応援団を思い出しながら最後まで観てしまった
 『フレフレ少女』は2008年作の映画、監督:渡辺謙作 主演:新垣結衣。
 いわゆる高校青春映画と言うジャンルの映画である。放送を録画しておいた。

 ストーリーは以下のごとく。
 桜木高校のある女生徒が野球部一年の大型新人に一目惚れ。よこしまな気持ちで応援団に入部。たった二人の部員では何ともならず、何とか5人に部員を増やしたもののいまいちまとまりがなかった。不知火高vs櫻木高の練習試合で初めて応援したが、応援は観客の失笑を買った上、校旗を倒して試合の妨害をしてしまった。一目惚れした新人投手はこんな応援団にあきれて不知火高に転校してしまう。
 そんなとき、先輩の応援団団長の指導でGWに合宿訓練をする事になった。結果的に全メンバーの意思が統一され応援団としてのまとまりが出来上がった。桜木高校野球部は応援団の力もあって強豪不知火高を破り県大会で優勝、甲子園に出場出来る事になった。
 
 こんな内容の、ちょっとした高校部活動のサクセスストーリーであり、話のスジとしてはそれほど面白いとは思わなかった。

 しかし、途中で不知火高の「バンカラ応援団」の応援シーンを観たとき、私が卒業した盛岡一高の応援団と重なるものがあり、懐かしくて最後まで観てしまった。制作協力スタッフ表を見ると、埼玉県立熊谷高校、川越高校が、また日体大応援団の名がある。これらが協力して「バンカラ応援団」を演じたものと考えられた。

 盛岡一高の応援シーンは太鼓と肉声のみで、この映画以上に質素かつ統一性がある。その状況はYouTubeで見る事が出来る。高校入学当時は私はバカ臭い、時代錯誤と毛嫌いしていた応援であるが、次第に慣れた。いまは懐かしい思い出となっている。

 蛇足ながら、本日、5月13日は盛岡一高の創立記念日で今年で134周年を迎えた。この日には「創立記念大運動会」が恒例となっている。この中で、私の時代には「土人踊り」と称された新入生の裸踊りが行われる。1988年に人種差別ではないかと論争になり、「猛者踊り」と改称され存続していると聞いているが、おそらく、本日も行われた事であろう。私も一年の時に踊ったが、嫌だ嫌だと思っていたダンスも本番で全身黒く塗って「腰みの」を巻くとその気になって真剣に踊ってしまった。これも思い出として残っている。昭和36年の当日、実に寒かった。洗い場で塗料を落としたあとに浸かった銭湯の湯船は極楽であった。

 映画『フレフレ少女』は、私の古い記憶を呼び戻してくれた。


5/12(月)曇り小雨 健康クリニック 飯川病院
1:30起床,文献チェック、随想読みほか.8;00徒歩飯川病院着。9;00健康クリニックへ。11:00外来ドック終了。以降は病院医局で書類処理。13:00-18:45飯川病院、19:10帰宅。19:30夕食、20;15就眠。

自分のために書く(3) 私は徒然日記をなぜ毎日書くか(1)
 私は会話によるコミュニケーションが不得意である。なのに、会話が重要な内科医師になってしまった。失敗した。話すよりも文章で表現する方が好きである。
 中高校生の頃はメモ程度の日記帳をつけていたが、内容に固有名詞も多く、血気盛んな時期でもあり、殺してしまいたいなどとの生々しい表現を含んでいたので高校卒業の頃に焼却した。いま考えると惜しい事をした。

 次に生活記録を再会したのはほぼ30年前である。20年ほど前からは電子媒体に記録している。検索が出来るので便利である。

 すべて自分のために、自分の自己満足のために書いている。何で書くのだろうか。分からないが以下の事だろうか。

■具体的な時間を付けて生活記録を記録し始めたのは、秋田市の向浜公園脇で警察官の職務質問を受けたからであった。「10日前に何処で何をしていたのか?」、を聞かれたが十分答えられずあせった。無事解放されたが、これ以降、連日の生活記録は保身のためにも必要と自覚した。幸いにその後職質は受けていないが、この生活記録はいろいろ役立っている。

■誰のために書いているのかと問われれば、自分のため、次いで家族へのメッセージとしてである。私は両親を始め祖父母に関してほとんど情報がない。わが家は私が大学進学後に破産状態になったが、父が何を考えていたのか知る資料は一切ない。共に生きている間だけ、時の事象について親父が何を考えていたのかの一片を提示しておきたい。

■何故欠かさずに続けているのか?「継続は力なり」は好きな言葉だし、私の性格に合っているからだろう。極めてワンパターンの生活の中で、ミニ随想を書く時間は非日常的な思考が出来るから、自分をリフレッシュする自由な、貴重な時間でもある。

■時に記録を呼び出し見直す事もあるが、その時々どんな生活をしていたのか、何を考えていたのかを再確認出来るのも愉しい。

■「光陰矢の如し」と言われるが、時間の経過は驚くほどの速さである。私にとってこの記録がなければ、殆ど失われた日々となってしまう。要するに、私が存在しなかったのに等しくなる。この徒然日記を呼び出すと、毎日しっかりと地に足をつけて生きていた事がわかる。そんな効能もある日記だから続けることに意味を感じている。

■私の記憶保持力は驚くほど退化している。脳の代わりにハードディスクがしっかりと記憶してくれているから有り難い。ただ、入力に手がかかるのが難である。

■私の徒然日記とミニ随想は「愚痴の記録」であり、「学習ノート」であり、「備忘録」でもある。私はネットサーフィンなどしないが、10余年分の徒然日記サーフィンは時々している。


5/11(日)晴れ 
1:30起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。9:00庭師とともに仁井田のに。木々の
移転可能か否か検討。13:00-15:00庭の草刈り。録画でドキュメント「昭和の微笑み―夏目雅子」観る。殆どが初めて見る映像で感心した。19:00夕食。20:30就眠。歩行計3372Km。

知らなかった日本語・言葉2014(3) 相撲の地位の呼称の由来(2)
■十両:幕下の上位10枚目までの力士に対して年間10両の給金が支払われたので十両と呼んだ。現在は東西14人づつとなっている。十両は初めて給金を貰える地位である。

■三段目:番付表は5段になっている。その3段目に載る力士を云い、東西で各々100人ほどがいてしのぎを削っていると言う。

■序二段:下から数えて2段目に記載される力士。東西で数十人もいると言う。

■序の口:番付表の最下段に名前が載った力士を指す。  

■相撲:奈良時代の頃、争うことを「すまい」と言ったが、これが「すもう」になった。国づくりの頃から神事として「すもう」が行われていた。漢字の相撲は常用漢字として特例的に許されている。

■角界:中国の古い言葉、「角をつきあわせる様に戦う猛者」という意味で猛者を角力 と呼んだ。角力の集まりと言う意味で力士の集まりを角界と呼んだ。大正以前は角力協会が東西に二つあった。その東京角力協会、大阪角力協会が合併した時に「日本相撲協会」となった。
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 以上、聞きかじりであるが、いま迄漫然ととらえていた相撲界の序列に付いて整理が出来た(ラジオ深夜便14年1月20日1:00amをもとに要点を整理した)。

 相撲界の用語であった「序の口よ」は事の始まりの状態を示す言葉として、「段違いの強さ」は歴然とした実力の違いを示す言葉であるが、いずれも番付表の地位から由来した言葉である。

 いま横綱は3人であるがすべてモンゴル人である。幕内力士40人ほどの中に外国人が10数名いる。日本相撲協会は国際相撲協会にしてはどうか?と思ったりする。


5/10(土)朝方まで小雨後晴れ 
 0:10起床。読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理。11:00家内は犬の赤ちゃんを見に盛岡に。14:00明日バザーに出すコメをコイン精米。映画「日本沈没」観る。午睡、自炊データ処理など。20:00家内帰宅、夕食、21:30就寝、Σ3366Km。

知らなかった日本語・言葉2014(2) 相撲の地位の呼称の由来(1)
 NHKラジオ深夜便に1:00am台に月一回第3日曜日「知って得する大人の日本語」が放送される。NHKの杉原満チーフアナウンサーが解説する。2013年4月から始まって13回放送されたが、NHK秋田放送局の放送設備点検のために5回分放送がなくて聴けなかった。実に残念であった。

 私が知らなかった言葉が取り上げられて面白い。音声として聞き流すだけでは勿体ないので適宜メモを取りながら聴いている。

 間もなく大相撲夏場所が始まる。新横綱「鶴竜」が誕生してどんな横綱に相撲を取るのか期待を集めている。
 先日、上記番組で相撲の番付表の呼称の由来について解説があった。以下は聴きながら採ったメモである。

■横綱:江戸時代迄はなかった位。明治になって作られた。江戸時代は大関が最上位であったが、大関の中で最上位にいる大関のみが横綱と言われる太い回しを付けて土俵入りする事が許された。明治以降になって大関が増えすぎたがので、その上にさらに位を作った。その際、最も強い大関を横綱と言う名前にした。

■大関:難しい関門、関所を超えた者として、難しい勝負の関門を乗り超えて最上位になった力士を「関」と呼んだと言う。その「関」を勝ち取った力士と言う事で「関取」と読んだ。そのうちに「関取」は最上位でなくとも強い力士と言う意味で広く使われる様になった。いまは十両以上の力士を「関取」と呼ぶ。その「関取」のなかで最も強い力士と言う意味で大をつけて「大関」と呼ぶ様になったと言う。

■関脇:「関」の脇の位にいる力士だから、関脇と称された。

■小結:江戸時代、小口の結び目、先端の結び目の事を小結と呼んだ。現在ではその日の最後の一番を結びの一番と言うが、当時は最後の三番を「結びの三番」と呼び、そのうちの最初に登場するのを力士を小結と呼んだ事に由来する。

■前頭:本来は番付に載ったすべての力士を「前頭」と称した。「前」は前相撲を指し、前相撲のTop=頭を経験して昇進し、番付に載った力士と言う意味で前頭と呼んだ。

■幕内:将軍が相撲を観る時には、上位の力士だけが周囲に張られた幕の中で待機する事が出来た。幕の内部に入る資格を得た力士を幕内と呼び、入れない力士が幕下と呼ばれた。


5/9(金)降雨、一時晴れ 大曲中通病院外来 歯の治療
0:30起床、文献読み。7:35Taxiにて駅。8:10こまち、徒歩で病院、9:00-13:15大曲中通病院外来。病院→大曲駅徒歩。16:30歯科治療、17:30帰宅。19:00夕食、19:30家内不調と言う事で迎え往復。20:30就寝。Σ3358Km。

知らなかった日本語・言葉2014(1) 読めども読めども上達しない
 最近、日本語が乱れている、よく分からないまま間違って使われている、などと言われる。日本語の乱れを嘆く有識者は少なくない。

 私の書棚にあるこの筋の書籍はざっと見ても、
■知っているようで知らない日本語 (PHP文庫) 柴田 武
■日本語練習帳 (岩波新書) 大野 晋 (1999/1/20)
■面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本  鴨下信一・著
■日本語を反省してみませんか 金田一晴彦
■問題な日本語 北原保雄
■漢字の世界 他数冊  白川 静
■もっとコロッケな日本語を   東海林さだお
■名文章名表現辞典―作家250人はこう書いた (小学館文庫) 日本漢字学会
■文章の書き方  辰濃和男・著
■「サバを読む」の「サバ」の正体: NHK 気になることば (新潮文庫) (文庫)NHKアナウンス室 (編集)
■日本人の知らない日本語(1-4) 蛇蔵&海野凪子
■・・・・・・・
 改めて並べてみると随分読んだものだと思う。

 私も如何に日本語について無知であるかを気づかされている。毎日書いている「徒然日記」に間違った使い方をし、注意されてあわてて修正する事も少なくない。そんな事もあって、最近は言葉について改めて興味を持ち始めている。

 日本語を読み、日本語を聞き、日本語を書く事を通じて、日本語を味わう楽しく有意義な日々である。日本語は深い。漢字を含む日本語は深く読まずとも意味が通じる。仮名、カタカナだけの文章は重要なポイントが何処にあるのか分かり難い。

 ただ、日本語は手書きの際は不便である。日本語、特に漢字は□、△等の鋭角の図形の組み合わせである。画数が10以上の漢字も少なくない。その点、アルファベットはちょっと崩すと殆ど一筆書きのように,スピーディに書く事が出来る。GHQはかつて漢字を学ぶ時間は無駄であるとして、日本語をローマ字表記にしてはどうかと提言した事がある。
 そんな事態にならなくてとても良かった,と思う。


5/8(木)快晴 外来+飯川病院
0:30起床。文献等若干処理。画像収集処理。7:50千秋公園経由徒歩病院着。8:45-13:15外来、疲弊。13:30-18:45飯川病院。19:00車帰宅.夕食。20:00就寝。

わが家のゴールデンウイーク2014    今年のゴールデンウイーク(GW)は第一線を退いて3回目である。
 今年は、4月26日から5月6日の11日間をGW期間と言える。この間に平日業務日が4日間あり、4月26日-27日、29日、5月3日-6日と、土曜含め7日間が休日でフリーであった。このうち、4月27日、29日、5月4日、6日の4日間飯川病院の日直または当直勤務にあたった。だから、まるまるフリーであったのは3日間だけであった。
 要するに、11日間のGWのうち外来業務フリーが7日間、このうち日当直が4日間、だから休日は3日間のみであった。

――――――――――――――――――――
 今年は私にとっては大きな & 小さな変化があった。
 #1 4月下旬以降入院患者が0名となった。多分、今後は病院の配慮があるので継続的には入院患者を受け持たない事になるだろう。昭和46年に病院勤務になったが、以来、43年間の勤務医生活で初めて入院患者受け持ちゼロとなり、休日出勤・回診から解放された。だから、今年のGWは格別開放感があった。
 #2 盛岡のジーコ・フクダ宅で犬の赤ちゃんが5匹生まれた。そのために恒例のGW中のわが家への一家訪問はなかった。
 #3 横浜のF杉一家が1歳になった孫を見せに来訪した。この混雑の中の移動大変だったと思う。
 #4 家内は観桜が好きだが、私とのスケジュールが合わず半ばいじけて一人で角館に向かった。
――――――――――――――――――――
■4/26(土)●休日 除雪機等整備収納 草生津川上流に観桜徒歩草12Km
■4/27(日)●休日 飯川病院日直 家内は盛岡に 外食
■4/28(月)健康クリニックドック+飯川病院)
■4/29(火)●休日 飯川病院日直 家内は角館→秋田内陸線→鷹巣→秋田と観桜
■4/30 (水) 外来+飯川病院ボランティア 
■5/1 (木) 外来+飯川病院) 
■5/2 (金) 大曲中通病院  歯科治療。
■5/3 (土) ●休日 F杉一家来訪 
■5/4 (日) ●休日 飯川病院日当直  
■5/5 (月) ●休日 F杉一家 離秋 
■5/6 (火) ●休日 飯川病院日直 早朝と夕方に畠に苗をうえた。
―――――――――――――――――――-
 昨年のGWは通して家内が不在であった。それでも11人も集まった日もあった。今年は比較的静かで、私はデータの整理、映画・音楽鑑賞,外仕事などに集中できた。フリータイムは少なかったが、まあ、まあ、良いGWであった、と評価しよう。


5/7(水)晴れ 外来  飯川病院ボランティア 
 0:30起床、文献チェック他。7:50徒歩病院着、間違って作業服で出勤、白衣にてごまかす。8:45-13:10外来、混雑はしなかったが疲弊。13:30-18:20飯川病院ボランティア。徒歩とバスにて帰宅、19:15帰宅。夕食、21:00就眠。歩行Σ3330Km。

自分のために書く(2) 自分史はいただいても・・・困る  
 自分史とは何だろうか。何のために書くのだろうか。

 昨年7月、某新聞に掲載された自費出版をサポートする創栄出版KK(http://www.soei.cc)の広告が参考になる(表現は一部改変)。
■1 自分の生き方を冷静に見て、過去を振り返る事で、現在の自分を見る。
■2 自分でないと伝えられないない事を、子や孫、次世代に残す。
■3 特殊な体験(戦争・大震災)などを身近な事として残す。
■4 自分の生き様を通して、人間の真実を探り、尊厳と極める。
■5 時代と共に生きた人生のドラマの記録を、庶民の歴史の証言として後世に残す。
■6 自己を再発見出来るため、豊かな人生を築き、望みを与えてくれる。
■7 悔いのない生涯を送るための歴史を作る。
■8 自分を綴ると言う事は、自分を徹底的に見つめるから、正しいと信じていた事を貫き通す人間になれる。
■9 自分自身の文化を築く。
■10 他人と違う自分を発見出来る。
■11 自他を尊重する精神が生まれる。

 上記は重複する項目のあるが自分史を書く事の意義を幅広く網羅している。出版社の広告だから本にして残す事の意義を強調している。私自身は自分以外の誰の役にも立たないような本を作りゴミを増やす事に加担したくない。すべてお断りしている。
 私にとっての自分史の意義を考えるとすれば、■1の項目だけである。他の項目は自己陶酔,妄想のレベルで私には気恥ずかしい項目である。
 
 私は今までに10数人の方から自分史と言うべき立派な装丁の私家本をいただいた。いずれもハードカバーで、かなりコストをかけたと思われる。人生の集大成の意味があるかもしれないが、私の立場からは、無駄に見える。ご本人に代わってこども達がまとめたのもある。エッセイ集なら目を通す事もあるが、他人の自分史など,過ぎ去った過去の記録など、興味も持てないから読んだ事はない。自分史などは家族内だけで共有すれば良い。

 上記とは別にお二人の患者からワープロ原稿、手書きの原稿、自分で描いたイラストや絵手紙をコピーし、手作り製本した50ページほどの自分史をいただいた事がある。25部ほどをすべて自分で作りました、一部先生に差し上げます、とある。膠原病やがんの闘病記も綴っており,その中に私も登場していた。これはいただいて嬉しかった。すべてのページに、製本にも作者の人となりを偲ぶ事が出来た。コストも殆どかかってないだろう。そこまで暖かく感じられた。
 自分の思いを発信したい、と言う思いが満ちた社会をいま私たちは生きている。良き時代になったと思うが、その反面、ネット上では中傷誹謗なども飛び交っている。


5/6(火)振り替え休日 雲一つない快晴 飯川病院日直
0:30起床、文献検討他。新聞チェック。5:30畑に30本ばかし苗を植えた。腰痛あり、7:05バス利用にて飯川院着。8:30日直に就く。12:00検食。18:15車帰宅、庭に散水。19:00夕食、20:20就眠。歩行計3318Km。

自分のために書く(1) 自分史  
 功をなしとげた人が自分で書くのは自伝と言われる。私は数多い自伝の中「福翁自伝」、「フランクリン自伝」から大きな影響を受けた。

 1980年代以降、平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴った自分史の出版が大きなブームになっている。小口の自費出版を引き受ける出版社や印刷業者が増えて来たために比較的簡単に,廉価で出版できるようになったからでもある。ここ1−2年、高齢者の仲間入りした団塊世代の方々の出版が大きく増えている,と言う。

 私はブログを持っているためなのだろう、年に1−2件自分史や随想集など出版の勧誘のダイレクトメールが来る。私はブログは続けるつもりであるが、本を残す事には一切興味がないので、すべてお断りしている。

 これまで目立たずに、静かに人生を過ごしてきた人たちが、「自分の人生を本にしたい」、「本に書いて残したい」と積極的に思う様になった,と言う事。団塊世代の人々は高度経済成長の中でやみくもに働かされ、個人を殺した人生を送らざるを得なかった。この世代の方々はいつでも「団塊世代」と十把一絡げに扱われて来た。
 年齢を重ねて子育てを終わり、経済的にも若干余裕がでて来た今、改めて自分の人生は何だったのか、その思いを記録しておきたいとの気持ちが湧いて来たのであろう。

 人間は平等に時間を与えられているが、人生の受け止め方はそれぞれ違う。法然和尚の「月影の 至らぬ郷は無けれども ながめる人の心にぞすむ」,その心境にたどり着きつつあると言う事だろう。生きた証しとして残したいのか、身近な人に自分の人生を知って欲しい、という気持ちなのだろう。幸いな事に自分史の書き方、と言ったガイドブックも出版されている。

 日本人は人前ではあまり意見を言わない、世界的にも不思議な国民とされて来た。しかし、最近の若者はITと言う手法を得て、ほとんどがフェイスブックやSNSを使用して他の人たちと積極的にコミュニケーションを図っている、と言う。その中で、ブログは10%程度と少ない(総務省)。

 日本は、自分を本音でさらけ出す事などが過度に抑制されて来た。そんな特質が徐々に変わりつつあるのだろう。
 自分史は、自分を元気づけるために書くもの。書くという動作で、自分が何者かが分かってくるからだ。
 自分の半生を振り返り、何にとらわれて生きてきたのか、本当は何に関心があるのか、などを再認幟することで、明日からの生き方が変わる,と言う効能もある。
 私も、私自身のために書いた。


5/5(月)こどもの日 快晴午後降雨 庭仕事中心
0:00飯川病院で起床。徒然、録音データ整理など。9:00F杉一家離秋、駅に送る。車帰宅。物置整理。午後、畠用苗購入。リンゴ、もみの木の移植など。19:00夕食、20:45就寝。歩行計3310Km。

少子化対策2014年(7)秋田県の出生率はなぜ低いのか(2) こどもの日雑感
 今日、5日はこどもの日。ちょっと考えてみた。
 秋田県は子どもの割合が全国で最も低い県である。15歳未満のこどもは県人□全体の約1割しかいない。
 秋田県の出生数がピークだった昭和20年代前半には年間4万人以上のこどもが生まれたが、それ以降は減り続け、ここ数年は年6000人台である。随分減ったものである。

 こんな環境の中こども達はどんな気持ちでいるのだろうか。私は子供と言えば幼稚園時までの孫3人だけだからこども達と全くコミュニケーションはない。だから、資料でみるしかない。

 県のHP「美の国秋田」に記載されている資料よると、「子育て環境調査(平成22年10月)」では小学生4年以上の9割近くが毎日の生活を「楽しい」、「まあ楽しい」と回答している。私は否定的な回答が多いのではないかと思って資料を読んでみたのであるが、「楽しい」との回答が多かったのには正直驚いた。最高の救いであった。

 「毎日の生活が楽しい」との回答は年長になるに従い低下して行くが、これは成長の証でもある。「毎日の生活が楽しい」と思い続けられる環境づくりのためには大人が頑張らなければならない。家庭、地域、教育、企業、行政があまねく参加して担わなければならない。そんな風に活動しているのだろうか。大人はこども達に良き背中を見せているのだろうか

 本県の子育て支援策は全国でも進んでいる方である。ただし、お金の面では・・・である。
 子育て支援策としてこどもの医療費助成と保育料助成を合わせた本県の支出額は年約22億円、1人当たり1万8000円。経済的支援としては全国トップクラスであるが、それでも出生数減少に歯止めがかかっていない。この程度の支援は無いよりは良いだろうが、もう一人こどもを産もうとする気持ちに影響するものでは無いようである。
 結構多額の資金が使われているが、行政が考える子育環境の整備と、親が求める施策はかみ合っているのだろうか。この辺を検証してみなければならない。

 本県の経済面からの子育て支援策の主な対象は就学前や小・中学生で、経済的負担は高校、大学とこどもの成長ともに増える。私立高校・大学を卒業するには1500万円もかかるとの試算もある。勿論、大学卒業までの経費を県費で負担する事など考えられないが、県が奨学金制度を導入するなどは考えられないのだろうか。従来の子育て支援策で足りると考えてはならない。

 近年の出生数減少の理由の別な側面として、子育てと仕事の両立の難しさが挙げられる。育児休業の取得推進には、呼び掛けだけではなく、企業への支援策も考えなければならない。

 先の「子育て環境調査」によると、親の8割に子育ての悩みや不安がある。内容は経済的な問題の他、こどもの友人関係、いじめ問題など多岐にわたる。
 秋田県の出生率は全国で38番目と低い。育児には労ばかりではなく、楽しさと喜びが伴うものであることをもっと伝える必要があろうが、それとともに子育て環境の整備が伴わなければならない。


5/4(日)超快晴、飯川病院当直
1:30起床。文献チェック、本読みなどいつもと同じ。9:30物置の整理中心に。不明の農薬、古いスプレー缶などの廃棄、この過程で飛び散る緑のペンキを少量頭から浴びた。強い噴射力が残っていたのに油断した。13:30午睡若干、机上データ処理若干。16:00徒歩、千秋公園経由飯川病院に。17:00当直。業務に。パソコン関係の学習。18;00検食、19:30就寝。歩行Σ3304Km。

少子化対策2014年(6)諸外国は??
 人口問題は人間が確実に予想出来る数少ない事象である。

 欧米の先進国の人口問題は日本の先輩格であり良く研究されている。30年後の世界の人口問題は今なお流動的で各国ごとに事情が異なる。

 少子高齢化と言う意味では日本は世界一の先進国である。今は、これからはしばらく苦しい時期が続くが、それだけピークを迎えるのも早い。その後は新たな平衡状態に向けて社会構造も,経済の仕組みも変わっているだろう。新経済秩序はかつての華々しさは無くなるだろうがそう悪くないところで落ち着くと思われる。

 日本は何れ人口問題を乗り越えた唯一の先進国として世界をリードして行くはずである

 その日本を世界の国々が追いかける。他の国々はわが国に比較して遅れているだけで、人口問題の本質は同じで、ほぼ例外は無い。

 世界は人口問題に関しては早めに日本から多くを学ばなければ国力は著しく衰退して行く。日本は今が苦しいが、踏ん張りどころである。

■東アジア:現在、急成長している東アジア諸国でも、特に中国・韓国・台湾・シンガポールでは、20年後は日本以上の生産年齢層の減少と高齢者の激増が始まり、経済成長が望めなくなる。

■特に、現在世界第二位の経済力を達成した中国は、人口が多い他に貧富の差が著しく大きい。一人っ子政策の影響もあって生産人口は減少していく。いま豊かな経済力を有しているうちにこの問題の解決を図らなければ、将来の姿は暗くなる。中国は外向きに威力を誇示しているが、真の脅威は内憂の方にある、と思う。

■欧州は高齢者の増加は緩いが、生産世代の減少が進行する。

■北米では生産世代は今なお増加しつつあるが、高齢者も急増する。

 世界の人口問題の中で最大の誤算は高齢者の寿命の延長である。
 例えば、日本の年金制度はよく考えられたシステムだと思うが、世代間の受け止め方に大きな差がある。その原因は高齢者の寿命の延びの読みを誤った事に由来している。それに加えての少子化である。結果として給付する資金に陰りを生じてきている。給付のシミュレーションを繰り返しながら存続を模索しなければならない。

 人口問題は国のあり方を左右するほどの意義がある。早くから国の政策に組み込まなければならなかった。わが国の政治家はその認識が乏しかったのではないだろうか。


5/3(土)憲法記念日 午前快午後降雨
 1:40起床。文献整理,新聞チェックなど。4月分の録音データパソコン上で整理。午前は資源ゴミ収集と廃棄準備、11:00-13:00仁井田福島方面へ、植木関連で。17:00横浜一家来訪、一歳の孫がよちよち歩きしている。20:00夕食、21:00就寝。 降雨・寒いことで外出はスーパーの買い物のみ。歩行計3290Kmのみ。

少子化対策2014年(5)確実に予想出来ていたのだが、対策が甘かった
 人口問題は人間が確実に予想出来る数少ない事象である。
 自然現象、社会経済問題等予測しなければならない事は少なくないがどれも確実性に欠ける。最近の事象として、2011.3.11東日本大震災は誰が予測出来ていただろうか、2008年のリーマンショックは?そういえば、2001年の9.11の同時多発テロは 予想されていながら事件にはならなかったが2000年問題もあった。

 人間社会の歴史は予想も出来ない様な重大な事件・事象が目白押しであった。それらによって地球規模でも大きな影響を被ってきた。しかし、確実に予測出来る事象は多くはない。大抵の事は事が起こってから慌てて対策を講じている。それは先の事だからやむを得なかった。

 しかし、確実に迫り来ている大きな問題がある。それは、先進国を中心に見られる少子高齢化と、地球規模の温暖化、の二つと言っていい。特に前者の問題はわが国にとっては大事件と言っていい。

 国立社会保障・人口問題研究所は30年後のわが国の人口の予想を立てている。人口問題に影響する様な突発的的な大事件も起こりうるので、現実が予想のごとく進む保証は無いが、そこには驚くべき内容が示されている。
■総人口 1億2800万人→1億700万人(16%減)。
■高齢化率 23%→36%。
■生産人口 8173万人→5787万人(29%減)。
■65才以上年齢層 2948万人→3868万人(31%増)。
■75才以上年齢層 1419万人→2223万人(57%増)。

 秋田県はこの30年間最も人口減少が激しい県で、高齢化率は日本一である。だから、危機的状況にある代表県の様に見られる。秋田県民はこんなデータに慣れっこだから別に今更慌てる事は無いが、深刻な事態である事は間違いない。

 これに引き換え、首都圏は全国から生産人口層の流入が増えているから、秋田県とはかけ離れて安全地帯と考えられているが、30年後の実態は秋田県よりも深刻な事態を迎えると予想されている。

■首都圏:高齢者数の増加ペース53%、後期高齢者数は89%。生産人口数は24%。
■秋田県:ピークに達しつつある高齢者・後期高齢者は寿命を迎え早晩減少に転じ始める。ただし、生産人口も減少するからやはり深刻である。

 2011年度の首都圏の出生率は1.06と最も低い。ちなみに秋田県は1.35で全国38番目である。都会には子供を産まない中年層も集まってくるし、若者達は子供を産まないからで、そのまま高齢になっていく。人口流入が激しいだけ高齢者の絶対数も急速に増えていくと言う事である。

 この国立社会保障・人口問題研究所の人口予測を見ていると暗くなっていく。
 こんな事は遥か前から分かっていたのだが何で対策をしてこなかったのか、と今更ながら思ってしまう。


5/2(金)小雨 大曲中通病院外来 歯科治療 
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他。7:40Taxi駅に、8:10こまち。9:00-13:00大曲中通病院外来。14:30−16:00飯川病院ボランティア、16:30歯科治療。 18:00徒歩帰宅。新聞処理。19:00夕食、20:30就寝。歩行計3282Km。

韓国で陸・海・空の事故続く:地下鉄追突事故 旅客船沈没事故 アシアナ航空着陸失敗
 本日も韓国で大きな事故が生じた。
 昨年から続いている韓国の大事故の背景には、韓国の文化、風土、国民性が濃厚に関連している様に思える。いずれも痛ましい事故である。

■地下鉄追突事故:
 5月2日、本日夕方ソウルで地下鉄追突事故があった。未だ詳細は明らかになっていないが、200人以上が怪我をしていると言う。この事故では、未だ原因は明らかになっていない。韓国国内では交通機関の相次ぐ事故で安全管理への信頼が揺らいでいる。信号はどうだったのか、ATSは無かったのか?あるいは切っていたのかなどの疑問が上がっている。
 事故当時、乗務員は「車内は安全なので待機してください」と車内放送で呼びかけたと言うが、乗客の多くは車内放送を無視し手動でドアを開け線路へ降りて脱出したらしい。2週間ほど前の「セウォル」号の謝った乗員指示が被害を拡大したことが乗客の頭にあったからであろう。幸い、二次災害は無かったらしい。

■旅客船沈没事故:
 この4月16日、韓国の大型旅客船「セウォル」号が、韓国近海で転覆・沈没した。修学旅行中の生徒325人と引率教員14人の他、一般客108人、乗務員29人の計476名が乗船していた。目下救出作業が続いているが5月2日現在228人以上の死亡が確認され、なおそれ以上の行方不明者は74人となった。
 操舵士が考え難いほどの急カーブをきった事で、固定が不完全であった積み荷のバランスが崩れた為とされている。操舵がなぜなされたのかは明らかになっていないが、問題が次々と明らかになってきている。捜査本部は2日、運航会社の役員(59)と物流担当次長(44)の2人を、業務上過失致死容疑などで逮捕した。同事故では生存している乗組員は17人は全員逮捕されているが、乗組員以外が逮捕されるのは初めて。
 次長は4月16日午前に船が沈没する直前、過積載状態の運航を隠蔽するため貨物の記録の改竄を指示した疑いが持たれている。役員と次長の容疑は、過積載などによる危険な運航で船を沈め、多数を死なせた罪。
 捜査本部は2日、新たに同社の物流担当部長(56)を拘束したと明らかにした。セウォル号は日常的に過積載運航をしていた疑いが持たれている。仁川港湾公社の統計によると、昨年3月の就航以来、積載可能量(約980トン)の2-3倍の貨物を載せる事が度々あり、事故時は約3600トンを積載していたとされる。
 仁川港湾公社はこの実態を知りながら改善の指示を何ら出さなかったのだろうか。事故の元凶はここにもありそうである。
 韓国メディアによると、漁業船などが民間船が救助した人数がおよそ90人、海洋警察船が救助したのは15人の乗組員を含む50人ほどだったという。また、40以上の救命ボートのほぼすべてが使用不能で、乗員はそのことを認識していたらしい。

 次々と新事実が明らかになりつつあるが、この痛ましい事故は起こるべくして起こった人災であろう。

■アシアナ航空機事故:
 昨年7月、307人の乗客乗員を乗せた韓国のアシアナ航空のボーイング777機がサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗、3人が死亡、180人が怪我をした事故は国外での事故であまり蒸し返されてはいないが、これも韓国の航空会社である。着陸時に急減速、急降下し滑走路手前の土手に機体の一部を引っ掛けた。
 防げ得た事故とされている。韓国には年功序列を重んじる風土があり、機長・副機長間の意思の疎通がうまく行っていなかった事が一因とされている。


5/1(木) 雨のち曇り 外来+飯川病院
 1:30起床。文献チェックその他いつもの如し。8:00徒歩千秋公園経由病院。ドックの総括仕上げる。8:45-13:30外来+新入院回診他、14:00-19:00飯川病院。19:30夕食、20:30就寝。歩行計3271Km。

四季2014(2)私にとっての夏が訪れた  ついに、私にとって夏が訪れた。
 私にとっての四季は暦上のそれとは異なる。私は勝手に以下のように分類している。
■春 除雪が不要になる時期から桜が散るまで(約2か月)。
■夏 桜が散った時期から8月13日まで(約3か月)
■秋 8月14日から降雪時期まで(約4か月)
■冬 除雪が必要になる時から不要になるまで(約3か月)

 自分で季節をこの様に設定している理由は、
●桜が散った時期から8月13日までの約3か月間が最も好きな季節で、気温も右肩上がり、日も長くなるし、日差しも右肩上がりに強くなる。地面は緑に覆われ、山々も日々変身する。何処を見ても活力に溢れている。私自身が最も高揚する時期である。待ち望んで迎えた春、私にとっては夏を迎えるための明るい長調の序曲である。

●一方、冬は自宅周辺の生活道路の維持のために除雪を欠く事が出来ない。この事は私にとって自然と対峙する喜びとストレスの双方を与えてくれている。加齢とともに後者の方が強くなってきている。私にとって最も厳しい季節である。実りの秋、紅葉の秋、は私にとっては冬を迎えるための、暗い短調からなる間奏曲、準備期間である。
(今年は徒歩通勤路の桜は見事であった−保戸野の旭川沿い)

 ついに、私の夏が訪れた。良い季節である。一番忙しい時期でもある。もう庭にはもう雑草が生え始めている。旺盛は増殖力にあきれ、感動もする。本心は苅りたくないのだが、草刈りも始めなければならない。今夏は庭の樹草木にも力を入れてみようか。昨秋ちょっとだけ勉強したバラなども世話しようか、畠には何を植えようかといろいろ思案し始めたところである。この連休を有効に利用したいものである。
 昨秋はアメリカシロヒトリが発生し、樹木の枝を多数落とさねばならなかった。今年はどうだろうか。

 私の夏、今年も太陽を十分浴びて過ごしたいものである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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