2014年2月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
2/28(金)晴れ 寒波緩む 大曲中通病院外来
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ集配所に。7:30Taxi駅に、8:06こまち、8:45-13:00大曲中通病院外来、余裕若干。14:30飯川ボランティア、新聞、本読み。など。飯川病院のiMacのメール調整。19:15夕食、20:15就寝。Σ2776Km。
ソチオリンピック(2) 五輪には魔物が棲む? 総合的実力と言われるが・・
「オリンピックには魔物が棲む」といわれている。
競技自体は会場の慣れ不慣れ、雰囲気の差はあるだろうが、これに関してはほぼ平等のはず。だから、競技結果には総合的実力が反映されるのは当然であるが、世界の実力者同士であるからどの競技にも安定した、ダントツに秀でている選手はいると思えない。だから、微妙な判定のレベルでこの魔物が関連するのだろう。
魔物とは、やはりオリンピックと言う、全世界が注目する特別な競技会である事だろう。各種目個別の競技会は多々あるがこれほど注目を浴びる事はない。表彰式では国旗が掲揚される。だから国の代表と言う側面も持つ。選手たちの気持ちとは別のレベルで国民も期待する。地元も大騒ぎで当然プレッシャーは大きい。私は騒ぎ過ぎだと思う。選手が気の毒でならない。勿論、体調もあろう。
そんな中で日本選手は若手を中心にメダルを7ヶも獲得した。見事だと思う。
私が関心を持った2−3について以下の様な印象を持った。
■スキージャンプは第一に実力、第二は風か。
女子ジャンプでは、高梨選手が4位と予想外の成績に終わった。高梨選手のジャンプは与えられた条件のもと、技術的にもは完璧だった、と評価されている。飛距離に大きな影響するのは風の状況である。追い風は揚力を奪う。今回から風の状況を加味するウインドファクターが採用された。高梨にもポイントがプラスされたがメダルには届かなかったと言う事。
背負ったプレッシャーの大きさなど他の選手と比較出来るものではないが、高校生の彼女にはとてつもなく大きかっただろう。気の毒だと思った。彼女には若い。まだまだ時間がある。まだ伸び盛り。多分、ワールドカップ等の別の大会でさらに連勝して行くと思う。
男子ジャンプ銀の葛西選手。長野の日の丸飛行隊が多いに注目された時話題になっていた葛西選手とは同姓の別人だと思っていた。その頃から飛び続けていたとは。私は今回初めて気がついた。無知であった。現在41歳、オリンピックは7回目、22年間にわたって出場したと言う。第一人者としてそのレベルを22年間も維持出来た強靭な精神力、体力は大したものである。ワールドカップでは勝利を重ねながらオリンピックではベストが5位、7位とメダルには届かなかった。彼の場合も風に依る不運がついていたのだと思う。ソチは彼の実力を証明した。
■フィギア
浅田選手は初日は本人も、世界の誰も予想しなかったであろう16位であった。しかし、その後、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番に乗せたフリーでは自分でも今までの最高と評価するの演技が出来、笑みを通り越して涙々だったと言う。結果は6位。失意の16位が最高の演技をもたらしたと思う。立派な成績である。
浅田選手は2004年の初舞台から10年、韓国の金選手と表彰台を二分して来た。昨年4月、ソチを最後に引退する意向を示した。その頃の彼女の表情を見ると迷いがあって見るのも辛かった。ソチの練習でも同じ表情であった。そのため、私は彼女の演技は見ていない。
とにかく、ご苦労さまでした。
■悲喜交々
ソチオリンピックでは堂々とメダルに輝いた若手選手、一歩届かなかったベテラン選手たち、多くの選手が健闘し、私にも感動を与えてくれた。
私は次のパラリンピックを楽しみにしている。
2/27(木)晴れ、寒気緩む 外来+飯川病院
1:00起床。文献チェック他。本読み、徒然など。7:20病院着。8:40-13:10外来。14:00−18:40飯川病院、帰宅。路面には殆ど雪無し。文献新聞、自転車こぎなど。19:00
帰宅・夕食、20:30就寝。Σ2772Km。
ソチオリンピック(1) 選手の方々ご苦労さん メディアは騒ぎ過ぎ
2月7日から行われていたソチオリンピックは23日終了した。心配されていたテロがなく良かったと思う。
私は、正直なところあまりオリンピックに興味はない。だからこの間、毎日見ている19:00のNHKニュースのトップニュースが「物語」化した競技結果で占められ、新聞も大きく報道、ラジオ深夜便が実況中継になるなど、この期間は私にとっては好ましいものではなかった。
新聞も多くの紙面を割いて報道したが、見たくない記事は無視出来る。ラジオ深夜便はAM放送分が実況中継に回されたが、FMでは通常番組を聴けたから問題はなかった。
NHKの19:00のニュースは出来るだけ見るようにしているが、この間は不快な気持ちを抱きながらも、見ざるを得なかった。嫌ならスイッチを切れば良いのであるが、それは出来ない。オリンピック以外の国内外のニュースを見たかったためである。限られた時間のほとんどを「物語」化したドキュメンタリー調のニュースを流す意味はどれだけあるのか?疑問である。私はニュースに於いては枝葉を削ぎ落とし、結果だけを淡々と報じて欲しかった。NHKニュースは「物語」化しすぎる、と思う。
オリンピックは単なるスポーツの祭典ではなく、「物語」がもっとも作られやすい場の一つでもある。オリンピックへの出場選手は「個人」でなく、「国」、「国民」の期待を背負って出場している、とみなされる。具体的には分からないが経済的負担も小さくないはずである。にもかかわらず、私はあくまでも個人の問題にすぎないと思う。
メディアやそんな立場で長く活躍する選手、メダルが期待できる選手にこぞって「物語」を作り上げる。肥大化した「物語」を選手たちは、どんな思いで受け止めているのだろう。 一方、メダルをあまり期待されていない選手の場合は、思いがけがい結果を出した時から一気に「物語」化される。
私はスポーツ選手の気持ちはわからない。全く分からない。分かる訳はない。ちょっと分かる様な気がするのは自分との闘いだ、と言う事くらいである。選手の気持ちを一部ながら理解できるのは、同じ道を歩み、同レベルに達したものだけ・・・、と思う。記録や美技に立ち向かう選手にとって、作られた、誇張された「物語」は、戦いの瞬間には意味を持たないだろうと思うが、選手と言えども感情を持つヒトである。「物語」はある者にとっては直接的に、あるいは間接的に強いプレッシャーにもなっているだろう。メディアは選手に苦悩を押し付けている事になる。無批判にそれを受け入れる国民も同じである。
私たちは、メディアによって作られた、たくさんの「物語」に囲まれて生きている。「物語」は情報でもある。この情報化の時代、良いことでも悪いことでもない。ただ、肥大化した興味本意の「物語」は真の姿を見失しなわせていることは確かである。
2/26(水)快晴、寒気緩む 外来 職員検診 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。7:20病院着。8:40-13:15外来。13:30職員検診を受けた。14:00−17:30飯川病院、個人的な手伝い。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。
ジジババ・孫論(3) 育児は時代とともに様変わり
孫は確かに可愛い。私は孫たちを単に可愛いか否かではなく、その発達段階を観察し自分の目で楽しんでいる。孫たちの発達に取ってジジババの存在の意義は何なのか?そんな事を考えている。ジジババには孫たちと出来るだけ多く接しなければならない義務がある、とも考えている。
わが家の孫は4歳、2歳、間もなく1歳の3人である。前二者は盛岡に、後者は横浜在である。年に数回わが家を訪れる。前者は次男夫婦のサービスなのだろう、ちょっとした時にも機会を作ってくれる。後者は長女の息抜き帰省の様である。先方にはジジは滅多に出かける事はないが、ババは時折会いにいっている。
私は孫たちにたまに会うだけだから会う度毎にその成長ぶりに驚かされる。私にこんなに驚きを感じさせる対象物が3人もいるのに十分観察しないのは片手落ちで勿体ない。そんな目で私は孫たちをとらえている。
私も一応3人の子供を育てた。当時の子育てと今はかなり様相が異なっている。私は自分の育った環境から考えて、出来るだけ、大勢の、子供たちが多い環境、さらに出来れば親族たちの中で育てられるのが理想だと考えていた。
私自身は比較的大勢の大人たちの中で、大事にされて育ったが寂しい子供時代だった。私は小学一年から高校卒業まで一匹のネコと心身とも戯れながら暮らした。中高生のころは離れで二人で?暮らしたが最高の安らぎであった。このネコの生き様から教わった事、特に生老病死について教わった事は大きい。死別してから50年以上も経つが、未だにそっと声をかけ、心の中で戯れている。
そんな中、私ども夫婦の勉強のために、子育てのために秋田で過ごす事となった。縁あって家内のおばにあたる石井さんとその子供たちと同居し、隣家には義姉と3人の子供たちがいた。こんな環境の中でわが家の子供たち3人は成長した。喜怒哀楽もそれなりにあったようだが、子供たちもいい環境で育った・・と思っているに違いない。私も満足している。
ひと世代異なった今、盛岡、横浜では核家族の中で子育て中である。核家族の中で育つ子供は、人とのふれあいをどう構築して行くのか、さきざき環境にどう対応して行くのかなど、ちょっと気にかけながら、観察して行こうと思っている。
2/25(火)曇り・晴れ 寒波緩む 外来+飯川病院
1:00起床。新聞・文献など読みつつゆっくり過ごす。7:15病院。8:45-13:45外来、14:00-18:50飯川病院。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。Σ2758Km。
診療報酬改定2014(2) 医療現場に新たな混乱が生じかねない
診療報酬は公的保険医療の公定価格である。
医療は自由主義経済の中、規制緩和、自由競争が許されていないほぼ唯一の業界である。その公定価格は国によって2年ごとに改定されるが、これは良き医療の発展のためではなく、厚労省が意のままに医療機関を繰るための道具としての「アメとムチ」的意味合いが強い。
要するに、低医療費政策で医療機関を締め付けておいて、「空腹でやせ細った馬の鼻の前に人参を吊るす」様なものである。医療機関は合点が行かなくとも、吊るされた人参の方向に進まざるを得ない。厚労省は財務省の意向を受けながら方向性を決定する。だから、改訂は厳しい内容となる。患者のために良い医療を提供したい、と医療機関側が孤高の道を選択したとすれば、医療経済の狭間の中でたちまち立ち行かなくなる。結局、医療機関は厚労省の言いなりにならざるを得ない。
日本医師会はこの方針をのんだのだろうか。
今回の改訂に類似した例は、2006年度診療報酬改定で見られた。このとき、高度医療の充実を目的に、厚労省はより高い診療報酬を設定し急性期病床への転換を促した。各医療機関はこの方向に進めば飢え死にを免れる事が出来るとし、全国の大規模病院から中規模病院はこぞって急性期病床へ転換した。その時の認定条件は看護体制の強化、在院日数の短縮であった。
結果として看護師の争奪戦も激化。あおりで看護師が集まらず、各地で病棟の削減や閉鎖に追い込まれる例も生じた。
紆余曲折はあったが急性期病床は全病床の4割まで増加、この事が国の医療費を圧迫する結果となり、在院日数の短縮の結果、急性期治療を受け快方に向かった半健康的患者は行きどころを失い「医療難民」化した。
急性期病棟を抱えた医療機関は、患者の入院期間を短縮する必要があったが、それだけでは病床利用率が低下するためにより多数の患者を受け入れる事になった。その煽りを一気に受けたのが急性期病院の勤務医であった。医師一人当たりの受け持ち患者数は増加し、医療の質向上も叫ばれたこともあって一気に労働加重状態となった。これが医療崩壊に結びつき、社会問題化した。
未だに地方では医療崩壊の状態から立ち直っていない。
国の医療政策の見通しは完全に誤っていたと言えよう。その総括もなく、反省もなく、誰も責任も取らず、今回の診療報酬改定では急性期病床の基準厳格化で約9万床を削減すると言う。
この方針転換で新たに混乱を招く懸念は拭えない。
2/24(月)曇り 外来+飯川病院
11:30起床。録音、文献本読み、文書整理、徒然他。積雪2−3cm、5:20高熱患者対応。7:00検食8:15中通病院移動、8:45-12:30外来、徐々に患者減らしつつあり、カルテの電子かによる効率向上で時間的に余裕生じた。14:00-18:30飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ2753Km。
幼稚園生活発表会(2)孫からみたジジ・ババ論 親の重圧から逃るオアシスに
まあ、なんであれ孫に接する時間がある事はとても良い事だと思う。孫は確かに可愛い。血縁関係など分からない孫たちは、たまに接するだけのジジババはどんな存在なのだろうか。我が家の孫たちはひげ面のジジを何だと思っているのだろうか。興味がある。私は孫たちを単に可愛いか否かではなく、孫たちとは出来るだけ接しなければならない義務がある、と考えている。
とはいえ、私は孫たちのペース、活動力に到底対応出来ず疲弊してしまう。辛いのだが、孫たちとは時間を作って接しなければならないのだ、と思っている。
子供が2歳3歳と年齢を重ねていくと、親の「しつけ」が始まる。当然の事である。しつけにおいては「けじめ≒がまん」などの言葉と威圧が子供を縛る。子供は本来自由にしていたいものであり、威圧などして欲しくないはずである。核家族での子育て、狭い住宅の中で親とべったりの生活の中で育てられる現代っ子。親も大変であるが、子供の側も大変だろう。
絶対に逃れられない親子の関係の中で、「しつけ」を介して親と子供は強い緊張関係にある・・、と私は感じている。これは子供の側から見れば大変な事と思う。この年代の子供の行動の基本は甘えだから、いろいろな要求をして、表情をして、いろいろな仕草を仕掛けて、どうすれば緊張関係から甘えの関係に切り換える事が出来るか、年端も行かない子供は常に探っている。親の緊張関係から逃れようとしている。子供の「赤ちゃんがえり」現象はその駆け引きの結果だろうと思う。
子どもを親の重圧から解放し、自由な感覚のなかで過させる時間がなければ子供は重圧に負ける。そのときに必要な条件は、親と子の間に第三者が介在する事だろう。この際、他人の関係では駄目である。ジジババである事に意味がある。
自分の両親とジジババの間で交わされる親密な人間関係が、自分に向けられる視線と同一である事を子供たちは見抜き、そこに安心感を得てジジババを含めた三角関係が構築されて行く。しかも、両親とジジババの子育ての考え方の違いも見抜く。ジジババからも親と共通のしつけの言葉が発せられても軽い。威圧なんて殆どない。しつけに関する責任もないからである。子供にとっては救いのはずである。しかし、ここで必要なのは、両親とジジババの子育ての考え方が同心円上にある事である。勿論、両親が同心円上の中心である事は論をまたない。この中心点の軸が狂っていてジジババによる甘やかし放題、おやつの買い与えなどが表面化すると、特に女同士の諍いの原因になり、子供は大人の顔色をうかがうようになる。
孫とジジババの人間的関係の構築には両親とジジババ間の関係がホットであるとの前提が重要である。少なくとも孫の前では互いに誹りあう事などはあってはならない。要するに、良き子育ての前には「敬老の精神」がなければならないと言う事である。
こんな事を考えながら、内心ではホントかいな、と思いながら私は孫と接している。
2/23(日)盛岡秋田とも曇り小雪 飯川病院当直
1:10つなぎ温泉ホテル「大観」にて起床。徒然、新聞切り抜きなど。落語と読書。7:30朝食。10:00手作り村、家内大量にワイン買い込む。午後イオン内のトイザラスで孫たちを遊ばせる。14:18こまちにて帰秋、混雑。17:00飯川病院当直に就く、18:00検食、19;15疲れて就寝。Σ2746Km。
幼稚園生活発表会(1)年長組、これでも『幼稚園」児なの?
本日、2/22(土)は 孫の幼稚園の生活発表会ということで、声がかかった。声をかけてきたと言う事は「出来れば来てほしい」と言う事だろう。その場にジジババがいる事だけでも意味があるだろうと考えて参加した。付録につなぎ温泉の一泊が用意されていた。
秋田は朝方から吹雪で降雪も激しかった。秋田発7:12こまちにはぎりぎり間に合った。全席完売と言う事であったが、幸いに盛岡までは座れた。盛岡は雲一つない快晴、道路脇に若干の雪が残っているだけ。2時間前は雪と格闘していただけに秋田の気候によるハンディキャップは小さくない。しかし、秋の豊かな実りのためには我慢我慢。
孫は4才で「X幼稚園」の年少組である。幼稚園の発表会は幼稚園の講堂?で行われた。大勢の園児達の黄色い声に触れるのは久々であったが、心地よく耳に響いた。本当に黄色である。声に色を付けた先人の知恵には感心する。
10:00-11:45の2時間弱、歌あり遊戯あり、小さな演劇ありであった。会は整然と進行した・・と言いたいが、実際にはそうではなかった。園児の様子はというと、個性豊かに行動する子が何人かいて担任の先生は実に大変そうであった。見ていた両親たちもハラハラしていたであろう。孫は私どもを見つけて壇上から盛んに手を振っていた。これだけでも来た甲斐があったと思った。
職員の方々の事前の準備、園児の練習、当日の運営など実にご苦労なことであった。
会が終わった後、園児たちは親たちと待ち合わせて一緒に帰ったが、何れの子供たちも緊張がとれて満足げ、かつはつらつとした様子がとても愛らしかった。
年長組はあと一月後には小学生である。年少・年中組とは明らかに異なる成長ぶりであった。劇や歌う曲目などは自分たちで選択し、内容も考えたのだそうだ。ここまで成長した子供たちを育成する施設が「幼稚園」というのも必ずしもそぐわない様な気がした。
全員で昼食をゆっくり摂り、16:00頃つなぎ温泉ホテル大観に到着した。家内は疲れていたのであろう、2時間ほど深く眠ってしまった。私はインターネットも繋がらない非日常的環境で読書三昧で過ごせたのがよかった。
私は風呂好きである。温泉地では私は夜から早朝にかけて誰もいない浴場に通い7-8回も入浴するのであるが、部屋と大浴場の間が驚くほど遠くて4回しか入れなかった。これは残念な事であった。
2/22(土)秋田降雪 盛岡快晴曇り 幼稚園生活発表会に
1:00起床、文献・本読み、7;12こまち盛岡に。満席だった。10;00−11:45盛岡市内の某幼稚園で生活発表会、要するに学芸会のミニ版、を見る。孫はそれなりに頑張った。午後はつなぎ温泉ホテル「大観」。日常とは異った環境でゆったりとした時間が流れた。録音の落語を聞き、読書三昧で過ごした。19:30夕食、20:30就眠。
診療報酬改定2014(1) 医療費抑制に舵を切ったとされるが「死に場所難民」が生じる
中央社会保険医療協議会がまとめた14年度診療報酬改定は、超高齢社会到来を象徴する「25年問題」を見据えた改訂と言われている。
「25年問題」とは戦後1947年−9年生まれのいわゆる団塊の世代が全て75歳以上の後期高齢者となる年である。
日本の高齢化問題は、進行の速さを意識した準備段階から、もはや巨大な高齢者絶対数への対応をどうするかに焦点が移った。
視点を変えると高齢者を支えるより若い集団が少なくなり、例えて言うと「胴上げ型」から「騎馬戦型」へ移らざるを得ない。高齢者医療は人手も金もかかる。今の医療体制では物理的にも経済的にも早晩対応できなくなる。
14年度診療報酬改定は、このような背景のもとに改訂された、と言うがそのコンセプト自体は特に目新しい事ではない。
■1 病状が安定した患者を対象に、在宅復帰を目指す回復期病床を増す。
■2 36万床と供給過剰となっていて日本の医療費を押し上げている重症患者向けの急性期病床を約9万床を削減する。
■3 上記を柱に「病院完結型」から、住み慣れた自宅や地域で患者を支える「地域完結型」へ誘導する。
■4 そのために、複数の疾患を24時間体制で総合的に診る主治医への報酬を新設する。
確かに、患者の8割が病院で亡くなる時代である。にもかかわらず、多くが本音では自分の家や地域での最期を迎えたいと望んでいることは、末期の患者を扱った経験のある人々が抱く実感であろう。
しかし、 ■1 −■4を実行するには、もっと細やかな医療供給体制、看護・介護体制、福祉分野の充実が伴わなければ全然現実的ではない。この方針のままでは「死に場所難民」が生じる可能性がある。
それには、介護職員、ケアマネージャー、福祉分野の従業員等の報酬を上げ、一旦志した道に見切りをつけて現場を離れていく若者を支援しなければならない。
■1 −■4は方向性としては間違っていない。しかし、東京のど真ん中で導きだされた方針は、高齢化日本一、広大な面積、冬場の厳しい気象条件の秋田で実行していくには乗り越えなければならないハードルが目白押しである。
2/21(金)曇り 夜間降雪4cmほど 大曲中通病院外来
1:50起床。文献チェック、徒然など。夜間降雪4cmほどで除雪せず。7:30Taxi駅に、8:06こまち、病院着。8:45-13:00大曲中通病院外来、14:30帰宅。録画映画「歓喜の歌」後半見る。 新聞チェックPDF化他。19:00夕食、20:00就寝。
佐村河内守作曲 交響曲第一番(3) ドラマされた作品 聴こえずとも聞こえる
佐村河内守氏作曲 交響曲第一番『HIROSHIMA』を始め、氏の作品の大部分がゴーストコンポーザー新垣氏が作曲したというニュースは社会を驚かせたが、変な方向に発展せずに沈静化しつつあるのは喜ばしい。
■原作佐村河内守・作曲新垣隆 交響曲第一番『HIROSHIMA』とすれば良かったのに。
佐村河内氏は曲想を新垣氏に伝えそれをもとに作曲されたと言うから上記のごとくにすれば良かった。佐村河内氏には関心を引く様なめずらしい姓名を始め、音楽家として注目を浴びやすい身体的背景があった。これを巧く利用する性格も備わっていたと言うことだろうか。
私は新垣氏が18年間にわたって100%陰に隠れて作曲を続けたのは何故だったのか、何故今になって公表したのか、不思議に思う。収入源の一つであったのだろうか。氏の友人の一人は氏を「誠実で、控えめ、とても優しい、しかも、素晴らしい耳と手を持つピアニスト、ピアノ教授」、「他人から誹られるような人ではない」、「音楽家として国際的に見ても超一級の折り紙がつけられるでしょう」、などと好意的コメントを寄せている。氏はこの事件の責任を取って大学を去る事となったらしい。
■芸術作品は複数の関連者で作られている
作曲家はすべて自前で作曲しているという前提はどこから来ているのだろうか。古い時代のよく知られた作曲家は伝記上で知る限りにおいては一人で作曲している様に書かれているが、弟子にも書かせていたことはあり得ることだと思う。
作曲家の池辺氏は「この業界では共同制作は珍しくない」と述べている。歌劇「竹取物語」を作曲した指揮者の沼尻氏は「歌手が歌う部分は自分で、オーケストラパートは一部アシスタントに依頼した」と明かしている。
■ドラマ化で「聴こえない音楽が、聞こえ得て来る・・」作品
佐村河内氏の全聾、被爆2世などの背景、これらを巧みに利用した企業、過剰に騒ぎ立てたドラマを作り上げたメディアなどなどが関わったことで、通常なら接する機会のなかったであろう音楽愛好家に聴く機会をもたらした。これは前向きの大きな効果であった。CDは15万枚近く売り上げたが、このようなジャンルでは驚異的売り上げ、と評価されている。
私も放送予定表に「 魂の旋律−音を失った作曲家」とあったことがきっかけでNHKのドキュメンタリーを見た。この表題がなければ見なかったと思う。佐村河内氏の苦痛や苦悩の取り上げ方には疑問を持ったが、その際に流された楽曲には聞き入った。しかし、番組を見た以上、曲の魅力を純粋に聞き取ったとは言えない。私もちょっと影響を受けた。
「音楽とTV番組や本で知った彼の壮絶な半生が重なり、涙が出ました。CDで何度も聴き感動しています・・・」これは番組で紹介された若い女性の弁である。
上記のコメントは、事の善悪とは別に、交響曲第一番『HIROSHIMA』 はメディアが作り上げた佐村河内氏の人生の「ドラマ」である事を示している。そのような見方、聞き方をする方々にとっては「聴こえない音楽が、聞こえ得て来る・・」のだろう。今の聴衆は企業やメディアの広告、登場する評論家の評価に影響を受けて選択し味わってと考えられる。 それはそれとして良いこととと思う。
私はこの作品を純粋に音楽作品として聴いてほしいと思う。しかし、もはや「現代の日本のベートーヴェン・偽りの交響曲」のレッテルを抜きに聴かれる事はないだろう。残念な事である。
私は違いが分からないから、この曲にまつわるドラマはあってもなくても違いがない。
2/20(木)曇り・降雪、寒波 外来+飯川病院
0:30起床。いつもの如く。降雪なし。7:15病院着。昨日出来なかったドック関連業務処理。8:45-13:10外来。13:50-18:40飯川病院、患者対応。19:00夕食、20:30就寝。 Σ2726Km。
書評:新田次郎「八甲田山死の彷徨」新潮文庫 1971年
わが国の近代歴史を勉強中であるが、日露戦争への過程を読み進める中で、1901年日露戦争直前に陸軍の無謀な計画で冬の八甲田雪中行軍を行い遭難し、210名中199名が死亡するという冬季軍訓練における大事件が生じている。日露戦争を直前にした緊張状態の中、陸軍にとって酷寒の中での戦闘対策、訓練は喫緊の課題であった。
そんな中、雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から38名が参加した。両隊とも出発した初日から厳しい困難に遭遇し、うち青森歩兵第5連隊が遭難した。
青森隊隊の指揮を執っていた神成大尉は秋田県出身、犠牲者の中では岩手県人が多数を占めたなど、私にとっても身近な問題であった。
遭難の要因として、■気象条件:演習当日は、北海道で史上最低気温が記録されるなど、例年には無いほどの寒さだったといわれている。この事件は不可抗力であったとの判断がある。しかし、引き返す機会は何度かあったが、それをしなかった背景には人的要因が大きかった。■冬の山岳に対する認識不足、稚拙な装備、■集団として指揮系統の混乱、■極端な情報不足など:両連隊は、日程を始め、お互いの雪中行軍の実行計画すら知らなかった、■厳しい軍の規律:未経験な上官に対してさえ、冬山の経験ある兵ももの言えず、死の危険の前にもなす術は無かった、■極限状態の中、僅かな食料、火の火照りさえ階級優先であった、などがあげられている。
この作品は上記の事件を扱ったフィクションで事実と異なった部分も多い。両隊の計画は個別に立案され、両隊の指揮官同士の交流も無かったし、青森隊の大尉と少佐の描写もかなり脚色されている様である。作者は小説の形をとることで犠牲者に対する敬意を表現したのだろうと思う。
読み進むにつれて長年にわたる登山家としての経験を持つ新田氏の筆力に知らず知らず引きずり込まれていくる。
■見事な自然描写である。咆哮する風の音、厚く重く灰色の空と雪煙、骨まで凍らすような寒気。読んでいて寒くなる。この中で人間は小さな存在に過ぎない。
■雪中の死の彷徨の中、極限状態のなか、あるものは発狂し、あるものは眠るように倒れ、追い詰められてゆく様子が迫ってくる。死を前に兵士たちが出身地ごとに異なった表現で母を呼ぶ描写、何とも言えない。
■凍死に向かっている兵士たちの描写。仲間の介護、救援隊が仮死状態の兵士の組成を試みる場面などとてもリアルで胸を打つ。
■現代と異なる陸軍の階級制度の中で行われた行軍である。極限状態の中においてさえも軍の規律は個人を超えていた。結果的に階級の差はそのまま死傷率の差になって表れていた。
■人間、命、国家、組織、軍、戦争について、改めて思いを馳せることになった作品である。
読んでいて、内容的に不快な思いを抱きつつ、一気に読み進めた。
発売当初も読みかけた事があったが、何故か頓挫していた。
2/19(水)曇り、寒波 外来
0:30 起床。新聞・文献など。7:15病院着。8:45-13:50外来、混雑。2:00飯川病院に立ち寄りバスにて15:15帰宅。新聞・文献、録画映画「歓喜の歌」一部見る。19:00夕食、8:30就寝。Σ2719Km。
電子カルテ(4) 外来の能率が向上した 私は診察日を減していく
私が嘱託として勤務する病院は数年以上かけて電子カルテ化を進め、昨年12月の新病院オープンを前にして完全に電子カルテに移行した。病院業務の電子化は病院にとっては巨大な経費と入力する医師達の発想の転換を要するが、その割りには経済的メリットは小さい。しかし、業務の機能向上と将来性では絶対に避けては通れない。
私も導入に前向きであったが、もう歳である。パソコンについても詳しくないから完全移行当初はとても緊張した。しかし、3か月経った今では私の範囲の業務では極めて便利で、もう後戻りは出来ない。
患者との対話の時間をより長く確保出来るようになったし、私の外来担当日を減らす事も可能になった。
■電子カルテは基本的にWindows仕様であり、ソフトそのものも私にとっては違和感がある。更に問題は入力するキーボードの違いである。病院のは大型で重く、キー数も多い。各キーは背が高く、ストロークは深い。手慣れたマックのキーボードとは感触が大きく異なり、ミスタッチが多い。でも慣れるしかない。
■私から見て省略しても良いと考えられクリックは少なくない。最低でも6−7回、検査とか輸血などのある患者には50回ほども要する。改善して欲しい。
■電子化に際して、処方日数等を長期化する事などで各診察日の患者数を減らした。この対応は電子化後の効率を考えれば杞憂であった。逆に外来業務に時間的余裕が生じた。4月以降外来担当日を週3回に減らす予定である。
■電子カルテの入力、予約票、処方箋の発行も医師が行う。だから、具合が悪い患者以外は診療補助も必要なくなった。介助は必要な場合に呼ぶ。患者の呼び入れ、診察後の案内も医師が行う事となったが、私の場合人を介さずにマイペースで出来るのがいい。患者毎に最低2回椅子から立ち上がり若干歩くが、ちょっとした運動になる。
■外来に筆記用具は不要となった。逆に、資料をたくさん入れたiPad miniは外来の必需品となった。
■・・・。
2/18(火)曇り、外来+飯川病院
0:30起床,文献、本読み他、降雪無し、路面はガチガチ。7:15病院着、患者関連書類など8:45-12:45外来。余裕があり。書類処理等、13:45-18:30飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:00就寝。 Σ2711Km。
藤原歌劇団 歌劇「椿姫」公演(2) 秋田県関連の出演者が多数登場した
思いがけない演奏会形式であったが、考えてみればこれが自然なのだと思う。アトリオンではこの規模のオペラの上演は無理である。
今回の公演は「アトリオン25周年記念」の特別企画だったらしい。そのために秋田の方々が多く参加していた。
合唱は藤原歌劇団から6名のみで、50名ほどは「アトリオン25周年記念祝祭合唱団」の方々、合唱指揮は秋田の音楽文化形成に大きな実績を持つ川口洋一郎氏。バレーは秋田市で教室を開いている川村泉舞踏団の3名、管弦楽は東京フィルであったが、管楽器セクションに秋田なまはげオーケストラの6名がエキストラ参加していた。主要なソリストのうち2名は秋田出身者であった、などなど。
秋田の方々が参加する企画にも何度か聴いたが、このような企画のときはほぼ満席となる。参加者の関連の方々、友人・知人とかも誘われて聴きに来るためと考えられる。秋田の音楽文化は確実に層が厚くなり、充実して来ていると思われる。今後の発展が楽しみである。
歌劇「椿姫」 の実演に接するのは初めてであった。有名な割には上演される回数は比較的少ない。
私はヴェルディの作品は28曲をほぼすべて聴いているが、中でも「マクベス」、「オテロ」、「ドン・カルロス」、「リゴレット」等とともに最も好きな曲の一つである。この曲は特に名旋律揃いで、 曲として隅々まで知っているが、ストーリーは今回の日本語字幕を読んで初めて知った。私は通常、オペラをレコードで楽しむ際に対訳を見ながら聴く事を一切せずに、楽曲だけを純粋に楽しんでいるからである。それでも十分に楽しめる。
演奏そのものは十分に楽しめた。規模を絞ったオーケストラで、音色もちょうど良かった。数人のソリスト、代表的役柄の歌手は見事な声であった。特にビオレッタ役のソプラノの歌声はホールに響き渡り、合唱団の歌声はホール全体を震わせた。豊穣なアトリオンホールの音響は時には邪魔になるのだが今回は気にならなかった。
聴きごたえのある演奏会であった。
ただ、今回も「ブラボー」男が数名いて興を削いだ。不快であった。
アトリオンホールは客席の傾斜がやや緩く、前の席に体格の良い方が座るとステージが見難い。特に正面席ではそうである。不幸にして体格の良い方の後ろに座った方は右に左にと姿勢を変えて舞台を見ていた。このようなホールでは客席の椅子を一列ごとにずらして据えれば良い、と思う。
2/17(月)曇り・降雪 健康クリニックドック
1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。積雪2cm除雪無し。7:00病院着、9:00-11:00健康クリニックドック
、秋田銀行で事務処理。介護保険主治医意見書など。14:00−18:40飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ2704Km。
藤原歌劇団 歌劇「椿姫」公演(1) なんと演奏会形式であった
2月17日秋田市のアトリオンホールにて藤原歌劇団の歌劇「椿姫」公演が演奏会形式であった。
秋田市で歌劇公演に接する機会は殆どない。私にとっては2010年10月8日に「ウィーン一の森バーデン市劇場」が来日した際にアトリオンホールで「ラ・ボエーム」に接して以来である。
アトリオンホールにはオーケストラピットはない。この「ラ・ボエーム」の時は広くもないステージを2/3ほどを舞台に、1/3ほど間口で奥に楽団を配置していた。オペラそのものはヨーロッパの歌劇場で10数演目、ウイーン国立歌劇場、ミラノスカラ座、ドレスデン国立歌劇場などの来日公演等で合わせて30演目以上見たが、こんな舞台設定は初めてで全く予想外であった。
「椿姫」は「ラ・ポエーム」に比して楽団も舞台装置も大規模、合唱もつく。今回はどのように舞台設定をして配列して見せてくれるのか、半ば心配、半ば楽しみにして出かけた。
会場に入って唖然とした。何と!!! 舞台装置は一切なく、あるのは通常の管弦楽団の演奏会と同じ、ステージ両脇に日本語字幕スーパー用のディスプレイがあっただけで、この時点で演奏会形式であったのだ、と気づいた。
入場券、パンフレットを再確認したところ、小さく、ホントに小さく「演奏会形式」と記載があった。これでは早合点、粗忽ものの私には気付けと言う方が無理である。1月4日に指定席を購入、チケットは忘れないように壁に貼っておいた。本日昼にチケットで時間と会場を再確認したが、その時点でも「演奏会形式」と言う字句には気がつかなかった。(演奏会のパンフレット:演奏会形式の記載は目立たない。赤の矢印をつけた)
私にとっては楽曲を生で聴ければ良いので「演奏会形式」でも全くかまわないが、パンフレット、チケットの記述内容、デザインは一考を要する。
13:30開演、17:10頃終演予定ともあった。2時間程度の演奏時間のはずだが3時間半以上も時間を取っているのはヨーロッパの歌劇場のほどの休憩時間を取るのかと思わせた。この休憩時間を利用して舞台が入れ替わる。この事からも「演奏会形式」は予想もしていなかった。実際の終演は16:15であった。これなら夕方からの当直も十分可能な時間であった。通常は終演予定時間の記載はない事が多いが、今回はあったから逆に夕方の予定がくるった。時間表示も一考を要する。
演奏は藤原歌劇団、東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は菊池彦典氏。合唱は藤原歌劇団から6名とアトリオン25周年記念祝祭合唱団50名ほど、合唱指揮は川口洋一郎氏。バレーは川村泉舞踏団の3名、管楽器セクションに秋田なまはげオーケストラの6名がエキストラ参加。主要なソリストは佐藤亜希子氏、中鉢聡氏、須藤慎吾氏、納谷善郎氏ほかの藤原歌劇団員のメンバー。中鉢聡氏は湯沢の、納谷氏は仙北市出身でである。
2/16(日)夜半降雪、のち晴 積雪6ー7cm
1:20起床。新聞文献処理、録音データ処理など。夜半から積雪6−7cmほどで7:00−8:00除雪15回目。13:30−16:30アトリオンで「歌劇椿姫」。18:00帰宅。新聞・文献など。19:00夕食、20:30就寝。
Σ2699Km。
NHK会長就任記者会見(2)「会長として」、「個人」としての区別は疑問
私は役職がある場合にどんな発言であっても、その人の発言が外に向かってなされた場合は、役職を背景にした発言と見なすしかないと思う。あるいはそうとられても仕方がないと思う。
例外は、外に出ることはないだろう家庭内での会話程度だろう。メディアの求めで家庭生活やペットとの交流などを紹介した場合においてさえも、役職者であることから離れられないと思う。何となれば、役職や肩書きのない当たり前の立場のヒトにはトピック的に取り上げる価値はないからである。
NHK会長の今回の発言は「個人的」と断った、と言うが、会長としての発言と言わざるを得ない。だから籾井NHK会長の責任は逃れられない。
一方、NHK会長と言えども私人であって公人ではないから、その発言の重大性と言う点ではそれほど大きくはないと思われる。メディアは「いい鴨がネギを背負って来てくれた」的発想で騒ぎ過ぎでないだろうか。大体渋る会長にしつこく見解を述べてくれ、と迫ったのはメディアの方でないのか。
靖国参拝のときに方便として用いられるのは公人、私人の区別である。公人は一般用語であるが、法的には公務員や議員などのように、任命されて政治や国家に携わる様な職に就いている人間を指す。国会議員は特別職国家公務員、地方自治体の政治家は特別職地方公務員である。その人が、職務に就いている限り、公人であることからは逃れられない。
靖国の記帳の際に公職の職名を明記すると公人、そうでない場合は私人扱いされるというが、そんな訳の分からないことで区別は出来ないだろう。どこに行っても、何をしても公人として扱われることはやむを得ない。にもかかわらず下っ端の公人の参拝は問題にならないのに閣僚クラスなら問題、と言うのが矛盾している。
首相や閣僚の「靖国神社の参拝」という行為は、公人としての参拝以外の何者でもない。小泉元首相は玉串料をポケットから出し”私的な賽銭”であるという演出をしたが、公人がポケットマネーを出したと言うだけ。
この問題は何かチマチマして情けなくなる。
2/15(土)寒波・降雪5-6cmほど 飯川病院日直 除雪14回目
2:00起床。文献,新聞整理他、録音データ整理一段落、夜半から降雪。5-6cmほど。8:00-9:00除雪14回目、昨年は23回目であった。午前は本読み。12:02バスで飯川に、日直に就く。本読み、徒然など。19:00夕食、20:30就寝。
NHK会長就任記者会見(1)賛否両論だが、簡単に取り消した事は重大
各報道機関は、2014年1月25日の籾井NHK会長の就任記者会見において会長が記者の質問に対して「個人として」と断りを入れた上で以下のように発言したと報じた。内容は私が改変し単純化した。
■特定機密法案質問:「あまりカッカする必要はない」。
■竹島尖閣問題質問:政府が「右」と言っているのに我々が「左」と言うわけにはいかない。
■慰安婦問題質問:「今のモラルでは悪い」としつつ、補償問題は解決済み。「他の国にもあった」。
■会長就任会見の場であるとの指摘に対して;会長としては「発言を取り消したい」と述べた。
上記会見で籾井会長は当初見解を述べる事に難色を示していたが、記者側から強く促される形で、本人は「個人としてであれば」と断った上で意見を述べた。その後で記者から「個人というのはあり得ない」と言われ、「会長としてであれば取り消す」と言ったとの事である。誘導され、つい乗ってしまったと言う事。
私は慰安婦問題に関する返答は必ずしも間違っていないとの立場をとるが、喧喧諤諤状態にある。
この記者会見の発言に関して私は以下のように思う。
■発言の場としては相応しくなかった。
■「公」の資格がついた以上、「公人」・「私人」の区別は不能。どうやれば分けられる?「個人の見解」の前提は通用しない。籾井氏個人の見解なら誰も注目しない。会見したって誰も来ない。前提が間違っている。
■「個人の見解」を引き出した記者側の勝ちである。会長と言う立場、就任会見、見解内容、これはトピックである。飛びついて当たり前。マスコミってそんなものなのだ。「個人の見解なら要りません、報道もしません」と言える記者がいたとすればレアものである。
■政治家も時々これをやるが、一度言葉に出したら「発言を取り消したい」はあり得ない。間違いがあるなら「内容の訂正、修正」で行くべきである。間違いなければそのままとすべき。「言葉と言うものは一度声に出すと重くなる。文章になればなおさらである」。この重さを考えれば「取り消したい」は通用しない。不適切なら自ら辞任を、追われないうちに。
■何でも簡単にリセットボタンを押せば元に戻る、と考える軽薄なパソコン世代、ゲーム世代の申し子か?
■70歳、私に近い年代。もう歳だ。第一線から退いていい年代。
2/14(金)曇り 大曲中通病院外来
1:50起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に。7:30Taxi駅に。8:06こまち。8:40-14:00大曲中通病院外来、16:10帰宅、本読み、録音データ整理、録画で「孤独のグルメ」ながら見する。19:00夕食、20:30就寝。
Σ2685Km。
食べること(4) TVドラマ「孤独のグルメ」の魅力(2)
私はかつてはアンチTV派であった。例外は夕食時のNHKニュースと動物たち生き様を扱ったドキュメンタリーなど狭い分野であった。2年前に突然映画に目覚めた。当初は映画館で見ていたが行きつけの映画館が廃業したために映画をTVで見るようになった。徐々に見るジャンルが増えたが、自然もの、歴史もののドキュメンタリー番組が中心で、ドラマ系はまだ乗り切れない。私はまだTVの初心者である。
グルメ番組は特に嫌だが、今のところTVドラマ「孤独のグルメ」は気に入っていて、書斎での机上作業のときに流し見している。なんで嫌でないのか、と思う。私の好みにかなり合っているからだろう。そのポイントを挙げてみた。私もヒマだね。
(1)ドラマ仕立てについて
■場面設定が基本的に静かである。食堂内の人間模様も多少描かれるが喧噪でない。
■表現に作為的な、無理な誇張が無い。
■場面を見ていなくともつぶやき、話し声で表情や場面が推定出来る。
■つぶやきはなかなかいいセンスで的確な部位に挿入される。
■主人公一人とゲストが短時間出演。実在の店で撮影。経費をかけない超安あがり番組とおもうが、それを感じさせない。
(2)主人公の設定
■自由な生き方をモットーとしている。一人で個人輸入商を営んでいる。
■家庭も持たず悠々自適。
■人付き合いが悪い。いつも一人静かに食事を楽しむ。食事時の会話は好まない。
■酒は飲めない。甘党で和菓子等に目が無い。
■食事に対する信念はそれほどなさそう。第一は空腹を満たす事だが、美味しく、静かに食べようと街中をうろつく。
■選ぶ店は行き当たりばったり。大衆食堂が中心。店の雰囲気や客層を観察し楽しむ。喧噪に居心地の悪さを感じてしまう。
■気に入ったメニューを後先考えず次々に注文し、後悔する。しかし、絶対残さない。
■基本的には素朴な昔ながらの雰囲気、味を好む。
■混んでいる店は敬遠。
(2)主役の松重豊について
■俳優松重豊氏の演技力、個性、暗めの雰囲気によく合っている。
■食事の姿がきれいだ,姿勢が良い。服装もネクタイと背広。崩す事が無い。
■箸の使い方がきれいだ。口元もしっかりしまっていて不潔感が無い。
■時にがつがつとかき込むが、噛む、飲み込むなどの仕草も良い。実にうまそうに食べる。
■つぶやき、独り言はすべてナレーションで入れられるが、その表情がふさわしい。眉間のしわがつぶやいている。
私の好みによく似ているところかな?
2/13(木)曇り・寒波緩む 外来+飯川病院
1:20 起床。コンピューター関連学習。新聞、文献本読み。積雪1cmほど。7:10病院着、回診、8:45-13:30外来、手のかかる患者あり対応。院長と次年度の勤務に就いて打ち合わせ。14:00-18:45飯川病院。19:05夕食。20:30就寝。Σ2674Km。
食べること(4) 仏教の「五観の偈」に学ぶ
仏教関連の書籍を読んでいるときに仏教における食事のマナーとして「五観の偈(げ)」と言うのがあることを知ったのはつい数年前であった。
これは主に禅宗において食前に唱える五つの短い経文である。僧侶の食事作法の一つであるが、普遍性の高い内容であることから多くの分野で引用されている。本日これを学び直した。
五観の偈とは、
■一つ 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼の来処を量る。
■二つ 忖己行 全缺應供 : 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
■三つ 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
■四つ 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
■五つ 為成道業 因受此食 : 成道の為の故に今この食を受く。
左が経文、右がその読みであるが、かつての私には十分意味がとれなかった。解説によると、以下のごとくである。
■一つ 感謝の気持ち:他のものの生命に支えられ、犠牲の上に生かされている。食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝していただきます。
■二つ 反省の気持ち:自分の行いが、この食を頂くに価するものであるか、反省していただきます。
■三 正しい心を育てる気持ち: 心を正しく保ち、あやまった行いを避けます。形を大切にして、作法を重んじ、姿勢を正し、器を取り上げて、残さずいただきます。
■四は 健康:食は良薬です。身と心の健康を保持するが故にいただきます。
■五は 菩薩道の実践:限りなく仏になるよう精進努力するが故にいただきます。
栃木県那須郡黒羽町にある黒羽山 大雄寺の倉澤良裕住職は、「五観の偈」に関する講演の中で、次の三つにまとめ、心して食事を頂戴して欲しい、と説く。
■1 自分が生きるために、動植物の尊い生命を犠牲にしていること。
■2 動植物の尊い生命を無駄にすることなく、適量をわきまえて、感謝して頂く。
■3 食することで得られた生きる力を社会のために役立てる。
禅宗寺院の役職の一つに典座(てんぞ)というのがある。曹洞宗の開祖道元禅師はその著『典座教訓』で、料理すること自体が修行であると繰り返し説いている。
2009年7月のラジオ深夜便「明日への言葉」には天竜市・東谷山栄林寺櫻井孝順住職が2回にわたって「禅の心を料理で伝える」を話され、麦ご飯、質素な副食物を感謝の気持ちを持って頂くことで心が清められる、と話された。私は深く感銘を受け、その録音を繰り返し拝聴した。師は永平寺で典座として長く修行された方で、現在は檀家たちと定期的に食事会を催しながら道を説いておられる。師は「禅の心で家庭料理」を日本放送出版協会から出版されている。
私どもは誰しも生きるためには食べなければならない。生きるものにとって当然の行為であるが、食べるということは他の生物の「いのち」を奪うことに他ならない。仏教界の食に対する姿勢から学ぶべきは大きい。まだまだその足下にも及ばないが、常に感謝の念を持って食卓に向かっている自身を、誇りに思っている。
2/12(水)曇り晴れ 外来
0:20起床。いつもの如く新聞文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。コンピューター関係の学習。降雪なし。7:10病院、回診、8:40-12:50外来、比較的余裕。新入院対応など。15:00バス利用帰宅。録音データ整理、本読み。録画で映画「しゃべれどもしゃべれども」2回目視聴。「孤独のグルメ」も見る。19:00夕食。20:30就寝。Σ2674Km。
食べること(3) 私の食事信条とTVドラマ「孤独のグルメ」
私はグルメ番組は嫌いである。
その中でも特に食品をコケに扱う遊び半分の番組、高級食材を扱う番組、大食い競争、若い女性をキャスターにした食べ歩き番組、大騒ぎしながら食べる番組・・・は特に嫌だ。自分が食べる分を自分で支払っているならまだ許せるのだが、それでも食事に対する姿勢は許せない。登場人物は単に踊らされているだけだろうから、陰に隠れているディレクターに問題があろう。こんな番組が始まったら、とにかくTVを消す。憎しみの気持ちとともに。
私は日常過不足なく食べられる事にこの上なく感謝している。
私が食事に抱いている考えを簡単にまとめれば、■食べられる環境にあることにひたすら感謝、■中年以降は一日1−2食で十分、■食品として供される他の生物の命に感謝と自責の念,■食品を絶対に無駄にしない,■食事に不満は言わない、■食べる前にネガティブな評価をしない、■当たり前の廉価な食材が良い,■過度に贅沢な食事は喜びよりも罪悪感、■季節にあった食材を摂れば栄養バランス等配慮不要、■食事に時間をかけない,■外食は嫌、■薄味が良い。塩分に関してだけは気を配る・・・である。
いまグルメ番組が増えている。不景気な中で政策経費をかけずに手軽に作られることもあろう。
その中、いま私は家族から借用したBlue-rayにたまたま入っていた『孤独のグルメ』と言う番組を気に入って見続けている。既放送分も集め時間があれば流しながら見ている。これは久住昌之氏のマンガのドラマ化である。原作のマンガは18刷にも達するヒット作だと言うが私はそんな作品があることも知らなかった。
ドラマは俳優の松重豊が扮する個人雑貨輸入商の中年の主人公が、仕事の合間に思いつきで立ち寄った店で食事を摂る様を、ひたすらつぶやき音声と映像で追うだけである。主人公が訪れるのは都内の各所の、街中の実在の大衆食堂が殆どで、主人公が店やメニューに対し、感じたまま独り言をつぶやき,それに対応した顔の表情の変化、実にうまそうに食べる食事シーンが淡々と流れていく、だたそれだけである。
甘党設定である。食事だけでなくお菓子屋、ケーキ屋、パーラーなどに飛び込む事もある。
私は原則外食はしない。このドラマは外食のシーンだけで構成されている。だから、私が全くやらない生活、出来ない生活を描いている。私も街中を歩いているときなど、ふとパーラーなどに入ってみたいと思う事がある。それでも決断出来ず後ろ髪引かれる想いで店の前を立ち去るのが私の日常である。主人公が羨ましい。
だから、この番組に魅力を感じるのだろう。
2/11(火)建国記念日 曇り 除雪14回目
0:50起床。録音データ整理、本読み他いつもの如く。夜半に5cmほど。7:00-8:00除雪14回目。以降は終日自炊、録音データ整理、読書、音楽鑑賞、居間のパソコン配置変更など・・至福の一日であった。19:00夕食、20;30就寝。Σ2667Km。
電子カルテ(3) 文献に見る患者の反響
私が嘱託医として勤務する病院は昨年12月の新病院オープンを前にほぼ完全に電子カルテに移行した。
電子カルテについては2000年前半には医学雑誌にもいろいろ論文が掲載された。ちょうど端境期であった。この頃患者の感想の投稿も時折見られた。そのような記事をスクラップしていたのでそのうちのいくつかを挙げてみた。
■来院目的を聞かれ答えたが、医師の入力が遅くてイライラした。
■入力途中で医師に話しかけたら強い言葉怒られた。
■入力が単語レベルで、本当に記録の意味があるか疑問に思った。
■入力が遅いと患者も話したいことを言わず端折ってしまう。
■医師とのコミュニケーションの障害物ですね。
■目の前で間違いを訂正してくれるのでとても安心。
■横顔しか見ていないから医師の顔が分からない。
■事務系の入力補助者が付いている外来もあるが、その説明がないと不快。
■プライバシーへの配慮が足りないように思う。
■セキュリティが心配。
■自分の情報が軽く扱われているように思われる。
■医師が自分をどう見ているのか、分かっていい。
■患者のためと言うより医師のためのように思える。
■患者医師関係の構築が無ければ意味が無いのではないでしょうか。
■・・・・などなど。
電子カルテについては2000年前半当時は医師の間でも賛否両論であったが、同時に時代の流れに抗せないとの諦めがあった。私も病院勤務している以上何時かは導入する事になるだろうと考え、興味を持って文献など集めていた。
私は完全移行当初はとても緊張したが、今ではデメリットをあげるのが困難なほど気に入っている。
2/10(月) 晴れ曇り寒波 外来+飯川病院
1:10起床、新聞、本読みなどいつもの如く。積雪1−2cm除雪せず。7:10病院着、回診、8:40-13:00外来。院長と次年度の就業形態について相談。結論持ち越し。14:00−18:20飯川病院、19:00帰宅。20:20就寝。
都知事選(3) 都民は原発問題に拙速な結論を求めなかった
昨日東京都知事選挙が行われ、舛添氏が当選した。
投票率は46%。雪の影響もあったのだろう、前回より16%も低かった。上位4候補の得票数は、■舛添氏 211万2千票、■宇都宮氏 98万2千票、■細川護熙氏 95万6千票、■田母神氏 61万8千票であった。
この順序からは宇都宮氏、田母神氏の健闘が注目されなければならない。舛添氏は緩徐な脱原発方針、これに対して宇都宮氏、細川氏は即脱原発、田母神氏は原発推進であったが、上位2者共にそれ以外の広範な政策をあげていた。東京は当面原発問題よりも重視すべきと思われる数多くの問題を抱えているから、その視点で訴えた二人が票を集めた事になる。原発と言う面にだけ注目すれば、都民は白黒決着を求めず、広範な政策を掲げたの候補の方を選んだと見ていい。
都知事選はあくまでも東京都の都政を担当するリーダーを選ぶものであり、この面では単独政策と言っていい細川・小泉ラインが、ネームバリューを背景に脱原発の持論を述べた。原発政策はきわめて重要であるが、それだけで選挙に打って出たのははっきり言って東京都民をコケにしている。それに、高齢者同士である。間もなくコケそうな高齢候補に何を託せるのか。私は高齢者がしゃしゃり出るのを好まない。出口調査によると、20歳代の1/4は田母神氏に投票したと言う。
私は当初、舛添氏もあまりふさわしい候補でないように思っていたが、自民党都連、公明党等の組織をバックに選挙戦の中で次々と政策を明らかにした。■東京の魅力:世界一魅力ある都市にする、■少子化対策:待機児童4年でゼロに、■高齢者対策:都有地に特養建設、■防災対策:病妻教育徹底、■五輪:多摩地区にキャンプ地、■原発対策:都の再生可能エネ割合を20%に、などなどである。まずバランスの穫れた政策となった。政策の公汎な政策を掲げた候補間で消去法で選ばれたのではないだろうか。
今回の都知事選は原発に関して都民の考え方が問われたたわけではない。原発に関して最大エネ消費地としての自覚、考え方を問う住民投票とは異なる。この面では都民は選挙論争には乗らなかった。都知事選である以上やむを得なかった、と言えよう。
最大の電力消費地でありながら自らは何ら傷を負わず、福島新潟等他県の世話になっている東京。しかも、東京は節電などの行われているのか見えないし、その気もある様に思えない。あまりにも巨大な電力消費の中、都民は生活の便利さを享受ながら、自分がエネ問題にどう関わって行くか、それすら見えなくなっているのではないだろうか。
今回の都知事選では都民の原発への考え方が示されたとは読めない。私は都民は 脱原発を望んでいないのではないか、とさえ思う。
今年は山口県、愛媛、福島など原発立地圏の知事選がある。この選挙は原発の痛みを知り不安を持つ住民たちの考え方が如実に示されると思う。それに注目したい。
2/9(日)曇り後晴れときに降雪 飯川病院日直
1:30起床、医学文献、新聞チェックPDF化など。夜間積雪5-6cm、融けるのを期待して除雪なしで7:40バスにて秋田に、8:30飯川病院日直に、18:30家内に拾われて帰宅、新聞雑誌PDF化、19:00夕食。20:30就寝。Σ2657Km。
違いが分からない(6) MCカートリッジ 2年前の略新品 vs 20年前の使い古し
私はオーディオに身を入れていた時期があった。かなりの投資をしていたが、ある日高級品と普及品の違いが分からない事に気づいた。
アンプがその始まりであったが、結局スピーカーについても同様であった。アンプの場合、微力な電力をスピーカーをドライブするほどにまで増幅するのだから、純然たるエレクトロニクスの問題であって製品間でもっとも差が出ない分野だとおもわれる。にもかかわらずアンプは数万円から数100万円する。私も一時購入を考えていた日本のアキュフェーズの製品は最低でも29万円、最高は250万円である。ちなみに今私が用いている製品は5万円ほどの普及人であり、それも隣人が不要になったと言うのを安く買い取ったもの。これが結構いい音でなっている。私は今は高級品に対する興味は殆どない。
レコードの溝をなぞって微小な電気に変換するのがカートリッジである。音の入り口だけに各製品の差は微妙ながら確実と言われている。その中でダイヤモンドの針が摩耗すると音が変わると言われている。一般的には300時間とされている。私はカートリッジは1970年代からMC型のDENONのDL−103一機種に決めており、20年ほど前までに7ヶほど取り替え、そのうちの5ヶが手元に残っている。随分聴いていたものである。このタイプは針交換が出来ない構造だから、針が摩耗すればそっくり買い替えるしか無かった。
現役引退前後からまたレコードを聴き始めた。レコードは1000枚以上あり、私以外にとってはゴミ同然なので実に勿体ない。私にとってはCD以上に貴重品である。だから、時間がある限り聴いている。
問題はそのカートリッジである。すべて針は摩耗しているはずだし、20年も前のだから内部のダンパーなどは劣化しているはずである。2年前に1ヶ新品を買い求めて聴き始めた。随分息の長い製品である。途中で古いのはどうか?とふと思って聴き比べてみた。
結論は、2年前に購入し、針もまだそれほど減っていない略新品のカートリッジと20年前の使い古しとの間で差を感じとれなかった。これは驚きであった。一生懸命聴いていた時は針の摩耗を気にし、使用時間をチェックし、拡大鏡で針の先端の状況を確かめ、丁寧にゴミをとって大切に扱っていた。それなりに楽しかったのだが、今から見れば何をやっていたのだろうか、と思う。
違いが分からないのだから、もうDL−103を買い継ぐ必要は無くなった。古いのを順次使って行く。
いまレコードを楽しんでいる方は少ないと思う。DL−103は貴重な存在であるが、もうそれほど売れないと思う。ちなみに20年前の製品は14,000円、2年前は26,000円で購入した。いま新品を買おうとすれば36,750円である。
2/8(土)寒波 終日データ整理
1:00起床。徒然。ほかデータ整理。積雪は3cmで融けることを期待し除雪せず。午後家族のフィット事故で小破。トラブルにはならないだろう。居間の掃除他、午睡取る。Mac機能の勉強。19:30夕食。20:30就寝。
佐村河内守作曲 交響曲第一番『ヒロシマ』(2) マスコミの罪 踊らされる国民
佐村河内守氏と交響曲第一番『ヒロシマ』が突然話題にあがって来た。昨年、同曲と作曲家の人物像が劇的にマスコミに登場し、現代のベートーヴェンとその作品と話題になった。CDは20万枚も売り上げたと言う。これはクラシックと言われるジャンルの中では超ビッグヒットとなる。
それが、この曲は佐村河内守氏の作でなかった。ゴーストコンポーザーとして桐朋学園大学非常勤講師新垣隆氏が名乗り出て記者会見した。18年間にわたって20曲以上を佐村河内氏に提供していた、と明かし、かつ、佐村河内氏とは通常に会話が出来「全聾と感じたことはない」とも証言した。
昨年、NHK-TVの特集ドキュメンタリー『魂の旋律〜音を失った作曲家〜」を見た際に感じたことは、ここまで誇張した収録と異常状態を集めた編集で個人的事情までをあからさまに表現し放映する必要はどこにあったのか?ということである。今となれば、そう感じる。
これはNHKだけでなく、広くマスコミ界の問題だった様で、番組で佐村河内氏を取り上げた民放TV各社、大手新聞各社もこぞって訂正、削除などの措置をとった。
マスコミの有り様は本来こんなものである、と思う。
今回の事件については、■ある社が注目した事象に対して、報道各社とも遅れマジと次々と特集を組む。■マスコミ独特の粉飾技法を駆使し、ある事無い事を並べてドラマ性をかき立てる。■本人も加担?売ることしか考えないレコード会社はあの手この手で売らんとする。■虚飾の内容が一人歩きする、■ゴーストコンポーザーが現れた途端にきびすを返して大騒ぎ。■賞賛報道で儲け、バッシング報道でまた儲ける。■報道各社は簡単な扱いで訂正文掲載、口頭で謝罪、訂正記事などで済ます。自らは何も損失を被らない。
私はマスコミの有り様は本来こんなものである。
ゴーストコンポーザーとして18年も佐村河内氏に提供し、佐村河内氏の作として発表し続けた新垣隆氏はどのような方なのか?多少の金銭授受はあったと言うが、私には分からない。例えば、作曲佐村河内守、補作新垣隆とでもすれば問題は全くなかった、と思う。作曲家が、これほど壮大で長大な曲をゴーストコンポーザーの立場で作り上げ、自らは一切表に出ない状況は、作曲に要した時間一つとっても膨大な時間を要したと思う。新垣氏は芸術家の姿として、一度しか無い人生をどうお考えなのか?、人生観についても、私の理解を超えている。
私は縁の下の、目立たない仕事や役割を好む。表に出るのは好まない。しかし、果たした役割は何らかの方法で明確にしておきたい。彼ら二人にどんな会話があってのことなのか?私には分からない。
交響曲第一番『ヒロシマ』は妙なケチがついてしまったが、楽曲としては純粋に聴かれてしかるべきと思う。私は一部しか聴いていないが、名曲の一つだと思う。
2/7(金)寒波、曇り 大曲中通病院外来
1:00起床、徒然。新聞・データチェック。強風・寒波、積雪2-3cm、除雪不要。5:30家庭ゴミ集積所に。7:30Taxiにて駅に。8:06こまち、8:45−14:00大曲中通病院外来、15:45帰宅、本読み、新聞切り抜き。録画で映画「綱引いちゃった」前半。19:00夕食、20:30就眠。
佐村河内守作曲 交響曲第一番『ヒロシマ』(1) 虚偽・粉飾もここまで来たか!!
佐村河内守作曲交響曲第一番『ヒロシマ』が突然話題にあがって来た。昨年、同曲と作曲家の人物像が劇的にマスコミに登場し話題になったばかりである。そのお陰だろう、CDやDVDがかなり売れたと言う。
私の愛聴曲の中で邦人の作品は武満氏を中心に20数曲くらいあるが、その中で交響曲『ヒロシマ』と言う作品がある。15巻にも及ぶ「パイプの煙」シリーズのエッセイでも知られる作曲家團 伊玖磨氏が完成した最後の交響曲第六番である。私が聴いているのは自身の指揮で録音された貴重なレコードである。曲は3楽章からなり、演奏時間は50分前後。第3楽章にはソプラノの独唱が入る。モトになった詩は英国の某詩人による『ヒロシマ』が 用いられているためにこの名称で呼ばれている。広島青年会議所平和問題委員会からの委嘱で作曲、初演された。なかなか良い曲であり、私はもっともっと演奏されていい曲だと思っている。しかし、再演された記録はなく、レコードは廃盤になっている。
このような背景がある中で、昨年一気に話題になった佐村河内守氏の同名の楽曲に私は興味を持った。團 伊玖磨氏の作品がこれによって色あせることは決してない。むしろ共に論じられ、團氏の曲も再評価される機会があるのではないかとさえ期待していた。
NHK-TVのドキュメンタリーで楽曲を見、聴いた範囲では、・・詳しくは覚えていないが、マーラーの曲をイメージさせる壮大な曲、との印象を持った。何れCDでも求めようかとも考えていたのであるが、まだ果たしていなかった。あまりにも妙なふうに話題になったからちょっと気が引けた、ということもあった。
私がTVを見ていて奇異に思ったのは、佐村河内守氏の身体上の苦痛の表現であった。NHK-TVのなかで、何でここまで画像化して放送しなければならなかったのだろうか。風貌にも独特のものがあったが、それ以上に、発作的に生じる激しい頭痛・耳鳴りの発作にのたうち回る姿、その合間をねってよたよたと机に向かう姿、通常の感覚では理解できない姿であった。通常なら、通常の神経の持ち主なら、もう少し撮影用に小綺麗な身なりにしても良いのでは?と思うし、身体上の苦痛に苛まれる姿もあそこまで示さなくても良かったのでは?と思う。マスコミはそんなものだと思っているが、本人も納得して画像におさまったとすれば、異常な姿である。今となれば、そう感じる。
2月5日、この曲は佐村河内氏が作曲していないということが判明し関係者に衝撃が広がった。
CD・DVDの発売元は販売を自粛し、演奏企画関係者は予定していた全公演の中止を決めた。昨年のNHKスペシャルーで佐村河内氏の特集『魂の旋律〜音を失った作曲家〜」を放送したNHKは本人が作曲していなかったことに気づくことができなかった、と謝罪した。番組で佐村河内氏を取り上げたテレピ朝日、フジテレピ、TBS、日本テレビも放送などを通じて謝罪のコメントを出した。
私は日本の欺瞞虚偽もここまで来たか、とあきれる一方、すばらしい曲の一つであることを認めたいと思う。
同時に、マスコミの有り様について、マスコミに踊らされやすい国民について、さらに、音楽は純粋に楽曲だけで評価されるのではなく、先行する別なイメージで粉飾された姿で聴かされているのだ、と私は改めて感じた。
2/6(木)夜間降雪5cm、寒波曇り 外来+飯川病院
1:00起床。新聞チェック、徒然。降雪5cm、5:30資源ゴミ集積所に。そのまま13回目の除雪。7:10病院着、回診、8:40-13:00外来+人間ドック関連業務。14:00−18:20飯川病院、19:00帰宅。20:20就寝。Σ2645Km。
いわゆる「医療否定」の考え方(5) 「医療否定」本はなぜ売れる??(2)死生観も関連
日販によると近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」が昨秋売り上げの総合2位に入った。このような「医療否定本」が何で売れるのか、を考えてみた。一つの理由は医療不信、医師不信にある。
もう一つは「高齢者の医療観、死生観」の変化にあると思う。
この5年から10年の間に日本人は80歳から90歳間で生きるのが標準になってきている。「人生60年」の頃には一線を退いてから10年前後で死を迎えるのであって「まだ死にたくない」が希望であった。いまはTVとかに登場する矍鑠たる高齢者をちらちら見ながら、「ボケるのだろうか?いつ死ねるのか?そのときには楽に送ってもらえるのだろうか?」が最大の心配事、関心事になっている。子供たちも大変である。川柳に「親孝行したくないけど親がいる」、「親孝行し続けるには長過ぎる」などがある。
私は極論を言えば、慢性疾病や自然経過で生命力が下り坂にある高齢者にはもはや医療は必要ないと思っているし、亡くなった場合にも葬儀などは必要ないと思っている。
高齢者の死はもはや時代の変遷とともに「社会的な死」から「個人的な死」に変った。例えば「90歳」の高齢者の死は葬儀をしても参列者がいない。お知らせをいただいても弔う気持ちよりも、迷惑だと思う。
葬儀のルーツは何かというと、日本の農村社会の再編成に関連がある。16世紀頃農業は有力農民を中心に横並びの協同が必要な社会関係に変っていったが、この構造が長い間日本の社会の基本形となった。村落共同体にとって構成メンバーの死は決定的に重大な出来事であった。死者の働きをたたえ、遺体を丁重に処理し、葬列を組んでみんなで墓地に行き、墓を掘って埋葬する。その後には法事が続く。これらの一連の行為は、新たな人間関係の再構築の確認作業であった。共同体の構成単位は「家」であって、葬儀や法事はとても重要な位置づけであった。もう今は時代が違う。高齢者の死は純然たる「家庭内の問題」である。社会的には人間関係の再構築など何もない。
社会的には死についての考え方が大きく変わった。高齢者の死生観も変わってしまった。にもかかわらず医療の中身はどうだろうか。かなり変りつつあるが、それは医療経済の立場からの高齢者軽視の結果である。私は年齢に関わらずそのヒトなりの「個人」の生き方、死に方があってしかるべきでないかと思うし、医療はそれをサポートするものだと思っている。
今の医療は個々の患者は尊重されていると言えるのだろうか?
患者たちは医療制度、自己負担額、病院のシステム、主治医に対してすら内心不満を持っている。本心では「医者になんか掛かりたくない」のだが、さりとて医者通いをやめる勇気もない。こんな時にふと目に止まるのが「医療否定本」である。これを読んで「そうだそうだ」と溜飲を下げる。そして「明日はA病院か」、「来週はB病院か」と、カレンダーにつけた赤丸を確認する。もとよりこんな本を読んだからと言って通院をやめる気はない。それが当たり前の患者の姿である。
だから一部の信奉者の除き「医療否定本」には実害がない。
2/5(水)夜間降雪5cm、降雪 外来
1:00起床。新聞チェック、徒然。降雪5cm、除雪せず。7:10病院着、回診、8:40-13:00外来+入院患者家族面談。人間ドック結果処理。15:00バスにて帰宅、降雪7−8cm。除雪12回目、資源ゴミ廃棄準備、野良猫用シェルター作成。録画にて音楽関連番組観る。19:00夕食、20:20就寝。Σ2637Km。
いわゆる「医療否定」の考え方(4) 「医療否定」本はなぜ売れる??(1)医療側にも問題
大手出版取次の日販が昨年暮れに発表したデータによると、近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」と題する本が売り上げの総合2位に入った。近年「医療否定本」と言っていい類似の本も増えてきた。
比較的近刊の何冊かをピックアップしてみれば、近藤氏の何冊かの本の他に、 ■「大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す」、 ■「「スーパー名医」が医療を壊す」、 ■「絶対に、医者に殺されない47の心得」、 ■「医療幻想: 「思い込み」が患者を殺す」などなどである。逆の立場から書かれた本もある。■「「医療否定本」に殺されないための48の真実」、 ■「「医療否定」は患者にとって幸せか」、などなどである。
上記の本を私は2.3持っているが殆ど読んでいない。ちょっと読む気にすらならない。何からこの本の存在を知ったかというと新聞広告、新聞雑誌の書評などのスクラップデータから引き出し、確認したものである。これらの本にも良いことが、参考にすべき記述があるはずである。だから、挙げるのにちょっと力が出ない面もある。
それはさておきこのような「医療否定本」、その「関連の書籍」が何で売れるのか、を考えてみた。
医学の発展はとどまることを知らない。医療も同様で日進月歩である。その歴史、日本の文化的背景、患者の知識向上と権利意欲の向上が向上した。1999年の横浜市立医大の患者取り違え事件を嚆矢とする重大な医療事故が頻発した時代をへて、医療は安全性を含めて一層の発展を遂げた。
医療の高度化は診療の現場に客観性のあるデータの積み重ねを要求する様になった。触診や聴診は軽視され、大型の医療器械による頻回の検査、血液尿とかのデータが集められ、大切な医師と患者の対話すらコンピューターを介して行われるようになってきた。さらに、何にも異常データが見られない患者は、たとえ具合が悪くても「異常ありません」と切って捨てられ、診察医は患者に対してでなくコンピューターの画面に向かって「お大事に・・・」とちょっと頭を下げ、伝票を渡され会計に向かうよう指示される。「異常ありません」と「お大事に・・・」は相容れない言葉である。何をどう「大事にすれば良いのか?」口を挟む間もない。
このことは患者に、家族にとってみれば医療の姿が見えなくなってきたということである。すなわち、これほどの検査は「何のために」、「誰のために」なされているのかという疑問である。この疑問は医療不信、医師不信に結びついていく。患者にとって「一体何なんだこれは・・」の疑問は「医療否定本」で溜飲を下げることにも繋がっていく。
さらに重大なのは高齢化社会の到来である。これほどまで寿命が伸びでくると死ぬ心配よりも、生きることの心配の方が相対的に増えてきている。このことも「医療否定本」に関連している、と私は思う。
2/4(火)曇り・寒波 外来+飯川病院
1:20起床。本読み、文献チェック。7:15病院、回診など業務。 8:40-13:00外来。
14:00-18:45飯川病院。本読み、データ整理など。19:10帰宅、夕食、20:10就寝。計Σ2629Km。
違いが分からない(5) ワイン 1万円超 vs 290円
最近,私が「私は違いが分からない男」と言っているものだから家族もそれなりに対応するようになった。「どうせ違いが分からないんでしょう」と日常的に言われる。
私はここ2年以上も自宅で酒類を口にすることはなかったが、ほろ酔い加減の気分は嫌いではない。酔うと一晩無駄にするから嫌なだけである。秋口から食前酒としてワインをなめっている。飲んでいるのではない。夕食時に20mlほど。
何でなめり始めたかというと家内がワインの頒布会に参加しており、私の木工の作業コーナーの棚にワインがはびこり始めたからである。
私はワインの価値が全く分からない。ワインの歴史、文化、全世界中で楽しまれているようだから、人にとって価値あるものだろうと認め、納得するしかない。ワインの価値も分からないから値段で区別している。千差万別であるのに驚く。家内のリストを見ると5000円から2万円程度のを購入しているらしい。随分高いと思うが、ワインの中での位置づけはどうなんだろうか。分からない。
そのコレクションの中から私に向いているワインを選んでくれたが、美味いも不味いもなく黙々となめっているのが気に食わないらしく、そのうちに私用に2000円ほどのワインを買って来たようである。それでも黙々である。違いが分からないから評価のしようがない。
30年ほど前、子育ての最中は私もスーパー買い物に出かけたが、その頃の記憶として290円の国産ワイン棚に並んでいた事を思い出した。さすがに今は無いだろうね、と話題にした事がある。今でもあるらしい。先日ついに290円のを買って来た。一本はチリ産、一本は国産でペットボトル入りであった。さすがにコルク栓は使われていない。
味は?うーん、違いが分からない!! ここ数週間は290円ワインをなめっている。私には正直なところこれで十分である。それ以上に、290円で世界的文化の一端を味わっている満足感を味わっている。
決して家内の趣味をコケにする気はないが、この現実を知った以上、今後は家内のコレクションを提供してもらえそうはない。
2/3(月)曇り・晴れ 寒波緩む 患者死亡 健康クリニック+飯川病院
1:00起床。本読み、文献チェック。5:55中通総合病棟より患者急変の電話、6:20病院着、死亡確認。紹介状、総括など業務。9:00-11:00健康クリニックドック。13:45飯川病院、レセプトチェックなど。18:00帰宅、寒波緩み、駐車場や路地の路面シャーベット状。本読みなど。夕食、20:40就寝。
電子カルテ(2) 患者の反響は悪くないが、医師は大変
私が嘱託医として勤務する病院は昨年12月の新病院オープンを前にほぼ完全に電子カルテに移行した。
一般的に電子カルテを使用する外来は医師が患者の顔を見る事も少なくなり、話も聴かずに入力操作に追われていて診療がおざなりになる、会話も乏しくなったなど、患者の受けが良くない、とされて来た。どこの病院の事だったんでしょう。
外来では2年ほど前からオーダリングは行われていたが、私はモニターを患者と私の間に置き、一緒に見れるようにして来た。キーボード操作中でも患者の表情は確認出来たし、会話も問題なく出来た。処方内容や予約は画面を一緒に確認した。勘違いや間違いは極端に減った。少なくとも私の耳で直接患者の不満は聞いた事はない。診療内容は紙のカルテに、私は全部アルファベットで書いたので・・自分では英語のつもりだったのですが・・・、患者から直接見られる事はなかった。紙カルテはアルファベットが、電子カルテ上では日本語入力の方が効率的である。
カルテの電子化後に聞かれた患者の声をいくつか拾ってみた。ついでに感想を入れた。
■先生も大変ですなあ。よくてきぱきと入力できますねーーー生き残りのためにやむをえませんよ。だから、辛さ半分、便利さ半分です。
■一人の患者にマウス何回クリックするのです?よくできますね、私には出来ません。ーーー最低でも6−7回。検査とか輸血などのある複雑な患者には50回ほど。あなたがサクサクと処理出来るなら私は引退します。テキパキはあなたの診療を早く終わらせたいからです。
■記載内容を一緒に見れるのでいい。自分も診療に参加していると言う意識が高まりました。前はカルテに何を書いているか分かりませんでした。ーーー本当は文章を推敲したいのですが、先を急ぐのでリアルタイムには無理。これがずっと記録として残ると思えばとても恥ずかしいです、よ。
■これだと字が下手な医師でもでもいいですね。診察医が代わっても前の記録が見易い。ーーー誰の事ですか?私ですか? 確かに日本語で書いているのに日本語に翻訳してもらわないと読めない紙カルテがありましたね、かつては。
■電子カルテの方が安心感があります。セキュリティは大丈夫でしょうかーーー何で紙の方が安全だと言えるのです?誤解です。紙の時の方が遥かに危なかったのです。
■画像も検査結果も迅速に送られてくるのに感心しました。カルテやレントゲンが不明、として待たされる事は無くなったーーー確かに。
■自分の言う事がどう医師に伝わったかを確認出来ていい。前の先生、私を誤解していますーーーハア、そうですか?
■検査とか記載内容をプリントしてもらえますか。この前の診断書のプリントも下さいーーー私も写さなくて良いので楽です。診断書は書式に則った診断書としてでなく、単なるプリントととしてならあげます。扱いは自己責任です。
■・・・・などなど。
否定的な意見は全くなかった。上記以外は感心しました、驚きましたなどの感想が主で、概して好評であった。しかし、私にとっては大変になった。
2/2(日)曇り時に晴れ間 重症者対応 飯川病院日直
1:00起床。新聞・文献チェック。8:30飯川病院日直に。終日読書、12:00検食、データ整理で過ごす。18;00帰宅、19:00夕食、20:30就寝。計Σ2609Km。
電子カルテ(1) 私にとっては操作は難しいが、メリットは大きい
私が嘱託医として勤務する病院は数年以上かけてオーダリングシステムから徐々に電子カルテ化を進めて来た。この間は紙カルテと併用であったが、昨年12月の新病院オープンを前にしてほぼ完全に電子カルテに移行した。
私はホームページを持っていて毎日ブログも書いている。しかし、新しいIT環境にはついて行くのがやっとのレベルである。そんな私でも移行までにずいぶん時間をかけたこともあって何とか操作し、電子カルテのメリットを享受している。
電子カルテについては2000年前半頃は多くの研究論文、導入体験などの文章が医学雑誌が認められ、その是非をめぐってしばらくの間は喧々ガクガクであった。当時デメリット論もかなりあったが、時代性、将来性と言う点では反対論は劣勢であった。2000年後半になると全国的にも電子カルテ化が進み、医学雑誌や論文にもあまり取り上げられなくなった。電子カルテについてちょうど端境期にあったその頃、私どもの病院では電子化の機能を少しずつ高めていった。
私は病院業務の電子化については、自分が対応出来るか不安はあったが前向きにとらえていた。実際に導入されたオーダリングシステムは基本的にWindows仕様であり、マックしか使った事のない私にとっては違和感が大きく不便であった。そうは言えど慣れるしか無い。今でも電子カルテは修行中の身である。
私は1993年にワープロからマックに移行した。使用しているパソコンはすべてマックで20年になる。文章書きなどの分野はかなり使い慣れているが、歳のせいか応用力は全くない。それでも手放せない状態で、傍らにマックが無いと何も出来ない。
自宅では居間と書斎に2セット、職場では中通総合病院医局、大曲中通病院外来、飯川病院に各1セットと5セット置いている。その他、モバイル用に1機種、さらに最近iPod miniが加わった。これらはすべてDropboxを通じて同期され、常に同じ環境で作業を進める事が出来る。
マックは私の生活を変えたが、業務上でのオーダリングシステム・電子カルテシステムは私の業務を前向きに変えてくれた。これで外来診療の能率も大幅に向上した。故戦奮闘状態であるが、もう後戻りは出来ない。
2/1(土)曇り 比較的温暖 休宝寺訪問など
1:00起床。新聞、徒然他。除雪不要。蓄積文献整理・書籍製本。書斎掃除・整理。録画映画「ひみつのアッコちゃん」観るも下らん。頓挫。本読み。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2609Km。
徒歩通勤2014(2) 四国お遍路めぐり 88札所に到達
バーチャルゲーム上のことであるが、「四国お遍路めぐり1200Kmコース」を9月20日に始め、本日までかかって一周した。4ヶ月半を要した。ゲーム上の事であるが、体力も気力も時間も食う遊びである。達成感は結構ある。
徳島県鳴門の近くの第一番「霊山寺」から始め、香川県の終着の第八十八番大窪寺までのコースである。大窪寺には遍路の長旅を終えた遍路者が奉納した菅笠、金剛杖を納める賽杖堂がある。膨大な数になるとされており、それらは毎年春分の日と8月20日に山伏の修験者によって炊き上げられる。
四国霊場めぐりは四国を一周ぐるりと囲むように空海ゆかりの八十八の札所寺院を巡る旅である。これを歩数計と地図上で一周する。私の机上には四国全図と出版文化社発行の「四国八十八ヶ所周辺ガイド」が置いてある。そして、各霊場を通過するごとにその寺の由来等を学んできた。なかなか面白い空想上のツアーである。
明日からは2周目にはいる。二周目は遠方のためにろくに知らなかった四国の4県についてより詳しく調べてみたい。また、四国遍路は「同行二人」の旅とも言われる。一人で歩いていても常に弘法大師(空海)が一緒に歩いてくれるという発想である。私は弘法大師(空海)についてまだ良く知らない。大師についての関連本は数冊は入手している。それらを紐解きなが、宗教について考えゆっくり回ろうと思う。
弘法大師は町の乞食ですら笑うほどのみすぼらしい身なりで過ごし、石や糞を投げつけられたり、石郷の山では飢えに苦しんだなど書かれている。「宗教と貧」との関連は何なのか、豊かな現代における宗教はどういう位置づけなのか、などなど考えてみたい。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |