徒然日記
2014年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記


1/31(金)吹雪強風 こまちダイヤ乱れ 大曲中通病院外来 重症患者対応
 1:40起床、文献チェック他本読み。夜半から強風あり。6:00家庭ゴミ集積所に。7:30Taxi駅に向かう。8:06発こまち強風のため徐行、停止あり9:30に大曲着。9:40-12:00大曲外来、患者数少なく荒れるので早めに帰らせてもらった。13:21こまち20分遅れ。14:30中通病院で重症患者回診など対応、16:00Fitにて帰宅。新聞読みなど。19:00夕食、20:30就寝。

いわゆる「医療否定」の考え方(3) じっくり相談出来る主治医の意見を求めてほしい
 がんは「がんもどき」と「がん」に二大別出来ない。だから、現時点で「がん」の診断のもと十把一絡げに扱われて過剰治療がされている可能性はあるだろう。たとえ過剰治療であっても患者が元気で過ごせればそれで良いじゃないか。少なくとも治療しなくていい「がん」かどうかは診断の時点で見極められない。

 近藤氏は検診の是非にも言及している。確かに検診の過剰診断を示すデータはあるが、検診で発見された「がん」の治療成果は良好である。検診の問題点はあるものの現時点で検診を全否定することは出来ない。加えて、近藤氏は「がん」の治療成績の生存曲線は人為的に操作されている可能性があるとの意見をお持ちだが、科学的な根拠はあるのだろうか。疑問である。

 「がん」の治療は個別性が大きい。がんの性質、進展度もあるが、病気を抱える患者自身の状態も千差万別である。治療をする側の専門性の違いによっても選択肢に違いも生じている。病院ではより広い視点で治療を選択できるようカンファレンスを入念に行っている。残念なことではあるが、治療によって死期を早めることになる場合もあろう。同様に放置療法により助かる命も肋からないこともありうる。私は放置療法の方が良かったとするのは、一部の患者に当てはまるだろうが、広く「がん」患者に適応するのは危険だと思う。

 近藤氏は高名な方である。著書を通じて患者に混乱をもたらしている。さいわい私が相談を受けた患者はその後、手術あるいは放射線治療を受けられたし、化学療法を受けている。私が治療可能な「がん」に積極的治療を勧め、専門医を紹介しているのは治療効果のある「がん」が確実に存在することを目の当たりにしているからである。

 近藤氏の著書だけにとどまらず、最近はかなりの医療否定本が出版されている。特に、疾病で治療を受けている、あるいは受けなければならない状況にある患者は藁をもすがる気持ちで関連書籍を買い求めて読んでいることと思う。その際、患者は冷静に読み取るのではなく、見出しや記述の良いどこ取りをして勝手に解釈してしまう危険がある。相談に来られた方々の多くはそんな状態であった。

 この問題は患者が一人で考えていても解決できない。そのためには日頃から何でも相談できる主治医に相談すれば良い。さらに不安ならセカンドオピニオンを求めれば良い。
 病を抱える患者の人生は患者のものである。だから、患者の自己決定が優先されてしかるべきである。それには正しい情報をが十分与えられていることが前提となる。


1/30(木)曇り比較的温暖 外来+飯川病院
 0:30起床、新聞・文献チェック他。夜間積雪なし。7:30病院着。8:45-13:30外来、予約数は少なかったが時間がかかる患者にて混乱す。14:00-18:45飯川病院、19:15帰宅、夕食、就寝20:30。歩数計Σ2595Km。

STAP細胞発見はすごい ただしネズミ、先々のことは未知数
 マウスのことであるが、特定の機能を持った細胞を弱い酸性環境にさらすことで受精卵のごとくの多能性幹細胞に若返る事を発見した。東京理化学研究所とハーバード大学のチームの成果でSTAP細胞と名付けたが、研究発表の筆頭著者は30歳の研究所のユニットリーダーの女性であった。

 私は第三の多能性肝細胞の発見にも驚いたが、研究がiPS細胞とは大きく隔たっていること、研究のリーダーが若い女性である方により驚いた。多分、この方は今後マスコミに登場する機会は多いと思われる。マスコミはSTAP細胞などの詳細や科学的価値などはどうでも良いのであって、突然寵児に躍り出たリーダーについて、特に若い独身女性であることなどで、学問的分野とは別にあることないこと取り上げるだろうが、リーダーが不用意に傷つけられないよう、望んでいる。

 いま求められる再生医療の分野では多能性幹細胞の存在があって初めて可能になる。いままで3種の幹細胞が見つかったことになる。第一第二の幹細胞にもまだまだ解決すべき問題点は山積みである。マスコミは特にiPS細胞について浮かれ過ぎの報道ぶりである。

 最初に発見された多能性幹細胞は杯性幹細胞(ES細胞)と呼ばれるもので受精卵から作られる。従って成長すれば生命となるべき細胞を犠牲にして得られるためにヒトに応用して研究を進めるには倫理的問題があっていま研究が停滞している。

 第二の多能性幹細胞である人工多能性幹細胞(iPS細胞)は4つの一定の遺伝子を成熟した細胞の核の中に入れることで受精卵のごとくに逆戻りさせるもので、発見者の山中教授はノーベル賞を受賞した。再生医療分野での臨床応用の可能性が広く期待されている。国の研究補助もかつてないほどである。時折、血小板が明日にでも臨床に応用出来そうだとか、高齢者の失明の原因である加齢性黄斑変性症の治療に応用されるのも時間の問題とか、パーキンソン病や角膜損傷の修復にも応用可能・・、などとマスコミによって報道されるが、実際には臨床応用が軌道に乗るまでは越えるべきハードルは高い。 iPS細胞は胎盤には進化できないという謎の性質を持っているし、iPS細胞由来の培養細胞が移植された場合には「がん化する可能性」もあげられている。

 今回発見された第三の多能性幹細胞(STAP細胞)は生まれたばかりのネズミの細胞から取り出された。一般に細胞は成熟するごとに若返り能は乏しくなっていく。だから、次のステップはどうなるのだろうか?研究の進展が楽しみである。


1/29(水)曇り時に晴れ間 外来
 1:00起床。文献チェック他。徒然。蓄積データ整理。夜間降雪1−2cmで除雪せず。7:15病院着。回診他、8:40-12:40外来。秋銀来訪。15:00帰宅。種々データ処理、録画の政治討論会など聴く。19:00夕食、20:45就寝。歩数計Σ2595Km。

違いが分からない(4) 食事(2)カレーと小豆の違いが分からなかった
 私は従来は朝食抜きだったが、血液凝固阻止剤を服用し始めてから朝食を摂る様になった。
 この薬は胃腸障害の副作用があり空腹時服用には適さない。服用15ヶ月になるが幸い病気の再発の兆しなどない。次の発作があれば私が何となるか分からないから副作用があっても服用し続けなければならない。それで一日一食から二食に変更した。

 私は原則的に料理はしない。いざとなれば台所に立つ覚悟はあるがいまは必要がない。朝食は6:00amから一人で摂る。いわゆる孤食である。朝食は少量でよく、内容は淡白なのを好むが、それほど拘りがないから前日の夕食の残り物をチンして食べる。

 先日の事、カレーが残っているはずなのでそこにあった小鍋をガスのとろ火にかけ、昨夜私が食べきれなかったサイコロ状のステーキ片を数ヶ鍋に追加して暖めた。冷凍ご飯70gほどをチンして皿に盛り、用意出来たカレーソースをかけ、福神漬けを乗せて出来上がった。

 一口頬張った時点で、カレーではなく汁粉用の小豆であった事に気づいた。朝の出勤前の事でいろいろ準備もあり、台所で温まり具合を見ていたわけでなかったので口に入れるまで気がつかなかった。確かに温まって湯気を上げていたが、その割にカレーの香りが乏しいと思ったが、カレーなのだ、という思い込みがあったためかまさか別もの?とは考えなかった。

 味は・・・カレーの期待には遠く及ばなかったが、割り切って考えればそう悪くはなかった。朝食としては甘過ぎたし、皿盛りのご飯に小豆をかけ、さらに福神漬けを乗せたと言う不自然さはあったが、もともと汁粉には餅を入れるのであり、それがご飯であった、だけである。料理のバリエーションの一つと考えればあり得ない組み合わせではない。

 私の食事のコンセプトの一つに「食べられる食材は調理をして食べられなくなる事は無い」と言うのがあるから小豆ご飯は許容範囲であった。例外は小豆まみれになったサイコロ状のステーキ肉であった。どう擁護しても美味しいとは言えない味であった。肉の味と脂が小豆とが私の口の中で喧嘩していた。私はそのとばっちりを受けた形であったが、貴重な食材であるから牛さんに感謝しつつ有り難くいただいた。

 「違いが分からない人ね・・」、家族には驚かれ、呆れられた。


1/28(火)曇り・寒波・吹雪  外来+飯川病院
1:00起床。新聞チェック、徒然他。夜間降雪1−2cm。7:15病院着、回診他。8:45-12:30外来、検査等あったが比較的余裕。13:00秋銀来訪、14:00−18:15飯川病院。18:45帰宅、19:00夕食、20:25就寝。歩数計Σ2589Km。

違いが分からない(3)お茶、コーヒーなどの嗜好品も分からない 
 嗜好品とは、一般的には栄養をとるためでなく、その人の好みによって味わい楽しむ飲食物。茶・コーヒー・酒などを指すとされるが、私はもう少し広くとらえていいのではないかと思う。人間の基本的は感覚にあげられる五感、すなわち目・耳・舌・鼻・皮膚を通して感じ取れる快感で、心理的満足感、高揚感にまで至るものではないかと思う。

 自動車のスピード感,ハーレーダビッドソンを中低速で走らせた際のエンジン音と振動、風の爽快感なども同じ様な効果が得られるが、あまり大型の装置、動きのあるものなどは嗜好品とは呼ばれない。

 一般的には食品や飲み物、香を楽しむアロマ、ペットの手触りなどの範囲になる。この分野は趣味性が強い。静かに一人楽しめば良いのに専門的知識を備え、ウンチクをたれる方などもおられる。嗜好のレベルまで入り込んでこられるのは迷惑でこのような方には近づかない様にしている。

 私の嗜好品は、というと緑茶、コーヒー程度、一部は香なのかな?酒もタバコもやらず、人付き合いも殆どない私が比較的お金をかけている分野である。ただ、私は何も分からない、すべて家内が選んだもので楽しんでいるだけ。飲みたいときにコーヒーがあり、緑茶があればそれで満足する。

 コーヒーの銘柄、産地などはいろいろ知っているが、私が何を飲んでいるのか、全く区別出来ない。緑茶は100グラムあたり3−5000円と、比較的高いのを用いているらしいが、同様に区別出来ない。私はこの分野でも味音痴である。

 家内は自分ではあまり飲まないのに、茶など私にいろいろ用意してくれる。休日などは半ば強制的に飲まされる。出勤時には500mlのガラスのボトルに茶を入れて持たせてくれる。何かで間に合わないときには病院に届けてくれる。飲みきれず持ち帰ると機嫌がが・・・などなどちょっと押し付けがましい。だから、私はいつも水腹状態である。

 要するに、私の嗜好品としてのお茶などは、無いと寂しいが、家内の買い物フリークを満足させてる意義が大きいようだ。味など分からないからどんなものでも楽しめる。味音痴は食事だけでなくこの分野でも生きている。


1/27(月)曇り・寒波再来 夜間降雪5cm除雪11回目  外来+飯川病院
 0:20起床、新聞チェック、蓄積画像処理、一部廃棄、本読み、徒然。夜間降雪5cmで11回目除雪。7:15病院着。8:45-12:30外来、余裕あり。入院患者家族面談30分。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ2582Km。

いわゆる「医療否定」の考え方(2)「がん放置療法」は私もやっている
 近藤氏のがんについての考えのうち、がんには「本物」と「もどき」があるとの考えは理解出来る。ただ簡単に白黒を決める様に二大別は出来ないし、「もどき」などの名称も良くない。
 それと、治療をしてもしなくとも結果が同じと明快に言えるのだろうか。それに関する彼の論旨はちょっと難しい。それこそ一定の先入観で解釈した個人的感覚ではないか、と思う部分もある。

 がんそのものはかなり多様である。「乳がん」、「胃がん」、「大腸がん」など発生部位を診断名につけるが、同じ診断名であっても腫瘍の性格はピンからキリまである。患者にとって大事なのは「患者の人生にどう影響するか」あるが、それには「がんの悪性度」、「進展度」等の判断が望まれるが、採血や画像検査だけでそれを明らかにすることは一般的に困難である。

 近藤氏の言う「本物のがん」は悪性度が高度な群、「もどき」は悪性度が低く良性腫瘍に近似した性質のものと言い換えることが出来る。はじめからこのように表現すれば一般の方にもより正確に伝わり誤解も受けがたいのに・・、と思う。

 悪性度が高い群と低い群の間には広いグレーゾーンがある。診断時に転移を伴っていれば判断に迷うことはないが、転移を伴わない初期の腫瘍の場合には、多面的に検査しても良性腫瘍と悪性腫瘍の区別すら、クリアに決めるのは困難である。

 私の診療領域は主に血液疾患であった。血液学会の専門医、指導医は昨年返上した。近藤氏も睾丸のがん、血液領域の悪性疾患は抗がん剤で治る可能性があるので「がん放置療法」の対象から外れる、としている。

 血液領域の悪性疾患の種類は枚挙にいとまはないが、代表的なのは白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫等がある。私は診断がついたからと言ってすぐに私のもとで治療を開始する事はない。年齢を始めとする患者の背景、疾患の性格、考えられる経過、本人の希望などを勘案して他の専門医を紹介する。強い希望があって、私のもとで治療する際にも即抗がん剤だ、放射線だ、手術だなどと進める事はない。一部の患者については病気との共存の方がベターと判断して「放置療法」を選択することもある。

 私は他の領域の固形がんについてコメント出来ないが、近藤氏がの考えは受け入れ難く、一般論としての「がんは早期発見・早期治療がベスト」との考えに立っている。一部の患者については「放置療法」も選択肢の一つとなる、と考える。


1/26(日)夕方から寒波。降雪3-4cm 飯川病院日直
0:50起床、本読み、文献・新聞チェック。録音データ整理。8:20-17:00飯川病院日直。家内を駅に迎え17:40帰宅。新聞チェック、19:00夕食、20:15就寝。

いわゆる「医療否定」の考え方 (1)近藤氏の「がん放置療法」について
 大手出版取次の日販が昨年暮れに発表したデータによると、あの有名な近藤誠氏の「医者に段されない47の心得」が総合2位に入っている。近藤氏はがんには「本物のがん」、「がんもどきがん」があって前者は治療しても効果は限定的、後者は元々治療不要だから結果には変わりがない、と言う考え方で、「がん放置療法」と言う驚く様な考え方を一般の方々向きに提唱している。

 「医者に段されない47の心得」と言う題名の本は目を引きやすい。秋田でもかなり売れているのだろう、書店に行くと平積みになって手に取りやすい。私が担当する外来でも約10人ほどからこの本や、近藤氏のかつての著書、近藤氏以外の医師たちによるいわゆる「医療否定」関連本についての質問を受けている。その際の私の説明は「近藤氏を含めて、一部の、主流でない考え方を持つ医師達の意見。医療がかかえる問題点に一石を投じている側面はある。参考にするのはいいが、信じてはいけない・・・」と答えている。

 私は近藤氏の著作も2、3持っているがあまり深読みはしていない。ざっと流す程度である。なぜなら、近藤氏の考え方は賛同出来る部分もあるが、核心の点になると彼の意見は受け入れ難い。それどころか、このような本を介して患者が人生の選択をあやまる可能性もある「危険な本」と考えている。

 臨床医の誰しも、といっても「人我にあらず」だから、自分以外の事は分からない。私は一人一人の患者に対しては常にベストな治療を模索し、日々逡巡しながら診療をしている。たぶん他の臨床医も同様だろうと思う。
 「医師が日々逡巡している??」などと書くと「医療はそんなにあやふやなのか?」誹られるであろう。しかし「日々逡巡している」医師ほど良医だと思う。なぜなら、どんな疾患であれ白黒で割り切れるほど単純でなく、典型的なレベルから非典型的な病状まで多様である。ましてや患者一人一人の人生に重ね合わせて疾患を医療の対象として考えるとグレーゾーンばかりである、と言って過言ではない。

 少なくとも私の判断によって患者の人生をマイナスのコースに乗せる様な事はしたくない。だから、自分の能力を超えそうな患者は積極的によりふさわしい医師に替わるようアドバイスしている。

 近藤氏のがんについて言えば、がんには「本物」と「もどき」があるとの考え方そのものは間違っていないと思う。ただ、・・・・


1/25(土)温暖 家内盛岡、重症者対応 路地通行困難 市の除雪で解決 
 0:30 起床、新聞チェック、文献読み。昨日から寒波緩む。8:00家内駅に送るが、路地はFFのプリウスでは通行困難、横滑りで壁に接触。8:45-10:00重症者対応、プリ諦めバス帰宅。14:00横浜の一家来訪、14:00頃から市の除雪車によって路地は通行可に。録画「マッカーサー」関連の歴史学ぶ。19:00夕食、20:30就寝。 歩数計Σ2571Km。

降雪、除雪2014(4)雪は積った時より融け始めの方が難物 市の除雪に感謝
 1月25日、本日の県内は、南から暖かい風が流れ込んだ影響で気温が上昇し、3月上旬から下旬並みの暖かさとなった。秋田地方気象台によると、県内各地の最高気温は、にかほ市9.6度、由利本荘市8.8度、秋田市8.9度などで、平年を3℃ほど上回った。
 秋田市では雪どけが進み、18時現在の積雪は20cm。2日前の41cmから半減した(数値は魁新聞Web版を参照した)。

 私は早朝、盛岡に向かう家内を駅に送りがてら重症患者の対応のために病院に向かったが、わが家周辺の路地は路面の圧雪が一気に緩んだ。FFのプリウスで出たのが失敗で、緩んだ雪でハンドルが取られまっすぐ進まず、スリップで危うくスタックしそうになった。なんとか切り抜けたが、ブロック塀に若干ボディを擦った。無事もどれるとは思えず、病院に車を置いてバスで帰宅した。

 新しい積雪は除雪機で何とかなるが、解けて水を含みベトベトになった雪は私の除雪機は全く無力である。昼から人力で雪を排除しなければなるまいとと思っていたが、路地の長さを考えると気が遠くなる思いであった。準備して外に出たが、思いがけず、ホントに思いがけず、私どもの町内に市の除雪車が3台ほど入った。私はオペレーターにわが家までの小路もやって欲しいと申し出たが、その予定に入っているとの返事があった。有り難い事であった。

 今の所に住んで35年になるが、秋田市の除雪者のお世話になった、と記憶しているのは一度だけで、わが家の小路は狭い上に所帯数も限られているために除雪対象外区域なのか、と半ばあきらめていた。

 市の広報によると、昨年は10cmを超えても除雪車がなかなかこない状況で、市民からの苦情の電話は1.7万件を超えた、という。
 それを受けて、秋田市は今年の除雪態勢をかなり充実させた。市は10月に「ゆき総合対策基本計画」を作成、初期除雪に力を入れることにした。除雪車の登録台数を昨年より200台増やして約800台とし、全車にGPSを装備した。除雪に関する30名体制のコールセンターを民間に委託し、市民の需要に対応出来る態勢も敷いた。また、高齢者所帯に対する除雪頻度を週一回から二回にするなどの対策を行うこととした。

 そんな情報を得てはいたものの、「実際には雪の季節を迎えないと何とも言えないし、どうせ私のところなんかは今年も対象外だろう」とあまり期待していなかった。が、本日の除雪作業を見て今までとは異なる対応が行われていると実感した。

 路地はきれいに除雪された。日常的には私も頑張るが、困難と迎えたときに市の除雪が来てくれるとすれば先々大助かりである。今後の対応に期待している。


1/24(金)曇り温暖 積雪4−5cm 大曲中通病院外来 重症患者対応
 1:00起床、文献チェック他本読み。夜間積雪4−5cm除雪10回目。7:20Taxi駅に向かうも1時間かかり予定のこまち乗れず。9:30大曲中通病院着。道路はシャーベット状、9:30-14:00大曲外来、温暖で道路の雪が一気に融けつつある。中通病院で重症患者回診など17:00帰宅。新聞読みなど。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2563Km。

「サルコペニア」、「ロコモティブシンドローム」 もっと分かりやすい日本語に出来ないのか
 昨年、新聞数紙の健康欄に、私とっても耳慣れない「サルコペニア」という病状が紹介されていた。「サルコペニア」は簡単に言うと、老化に伴い筋肉の量が減り、身体能力の低下が生じてくる状態のことで、誰にでも起こりうる病態である。

 「サルコペニア」は、1989年にRosenbergという研究者によって「加齢による筋肉量減少」を意味する用語として提唱された。整形外科領域の用語であるが「サルコペニア」の明確な定義はまだなく、だから、診断基準も明快ではない。いま日本人に即した診断基準を決める研究が進められているらしい。この呼び名を新聞紙上で用いて一般の方々に栄養や運動の重要性を啓蒙していたが、高齢者にはピンとこないであろう。

 「サルコペニア」は当たり前に生じる老化現象の一つをさすのであるが、日本で、何でこんな小難しい横文字の用語を使わなければならないのか、私は疑問に思う。大体、こんなものに定義とか診断基準も必要なんだろうか。お暇な方なのだろうか? いま考えついたが「加齢筋肉退縮症候群」と呼んではどうかと思う。

 似た様な整形外科の医学用語に「ロコモティブシンドローム」というのがある。これは2007年に日本整形外科学会が提唱した名称である。学会が提唱したこともあって盛んに関連の講演会等が行われ、一般的な言葉になりつつあるが、何で日本の学会が横文字の名前で提唱しなければならないのか??大いに疑問である。「加齢運動器症候群」では駄目なのだろうか。

 私は日常診療において高齢者が重視すべきは、第一に運動能、移動能の維持と言っている。「加齢筋肉退縮症候群」、「加齢運動器症候群」の予防対策の重要性は理解している。その際、説明に横文字の名前など不要である。

 「症候群」も真面目に考えれば難しい用語であるが、一般の方々にも分かってもらえるようである。
 最近「夫原病」なる言葉も紙上に現れてきている。退職した亭主の存在がストレス源となってうつ的になる主婦が増えている。どなたかが「私が提唱しました・・」などと語っていたが、私から見れば不適切な名称だと思う。私は何年も前から「定年退職亭主在宅症候群」と呼んでいる。

 私は医学用語を用いる際に少しでもその名前に手がかりがある用語にすべきだと思う。特に加齢関係の用語は高齢者には理解されない。記憶もされない。「ロコモティブシンドローム」と聞いてNTTのドコモと関係あるのか?「サルコペニア」は動物園のサルと何か関係??と思うのがせいぜいである。介護福祉施設も「リンデンバウム』など横文字のが多いが、自分が入っている施設の名前をきっちり言える老人は少ない。

 そういえば秋田市には「エイジフレンドリーシティ構想」、県には「観光ディスティネーションキャンペーン」などもあった。何だこれは?


1/23(木)曇りのち晴れ 積雪4cmで除雪9回目 外来+飯川病院 
0:30起床、新聞・文献チェック他。積雪4cmで6:00-6:45除雪9回目。7:15病院着、回診。8:45-13:00外来,14:00-飯川病院、夕食19:30就寝。

787機、半年振りにバッテリ関連のトラブルが生じた 
 つい先日、2014年1月14日に、久しくバッテリートラブルがなかった787機から白煙が上がり、機体前部のリチウムイオン電池の損傷が確認された。

 2011年11月の初就航後、約一年間は大きなトラブルはなかったが、昨年の年末以降次々とトラブルに見舞われた。その中で最も重大なトラブルは電池からの発煙・発火であった。
 2013年1月7日ボストン・ローガン空港で、駐機中のJAL機の内部の電池から発火した。2013年1月16日宇部空港発ANA機が飛行中に煙感知のメッセージが表示され異臭もしたため、高松空港に緊急着陸した。

 アメリカ連邦航空局は、米国籍の同型機に対し運航の停止を命じ、世界各国の航空当局にも同様の措置を求めた。このため、世界各国で運航中の50機がすべてが運航停止となった。そのうち半数にあたる24機がANA機、JAL機であった。

 出火の原因として電池が熱暴走を起こしたと考えられた。このバッテリーはGSユアサ製で事故当初は電池に原因、との報道がなされたが、実際は必ずしもバッテリーが原因と判明していない。電圧等の制御システムが原因である可能性もあがった。不具合の真の原因は分からなかったがボーイングはバッテリーを何重にも保護する改良を行いアメリカ連邦航空局も安全が確保されたと認めた。同年5月末には全世界の50機の改修も完了した。

 国内では6月1日から定期便運行が再開された。この再就航の初便は羽田・秋田便であった。しかも、この便を家族の一人が利用した。

 その後約半年間はバッテリートラブルは発生していなかったが、つい先日2014年1月14日、成田空港で出発準備をしていたJAL機体から白煙が上がり、機体前部のリチウムイオン電池の損傷が確認された。ボーイング社は「787型機のバッテリーの改良の結果、設計通り機能した」との強気の見解を示した。

 そもそも787機のバッテリーは通常運行中は使用されていない。補助動力装置を始動する際、牽引されている時などで、エンジンが機能している時にはエンジンのパワーを利用して4つの発電機がすべての電気を供給する構造なのだそうだ。バッテリーの改良に関しては考えられ得る100項目以上について検討し、理論上では先に示した様な、火災事故に迄進展する様な異常が再発するとは考えがたい、との見解であった。

 本年1月現在、世界の787就航機数は115機で、うち1/3にあたる37機がANA機、JAL機である。  
 世界で最も就航機数が多いのが日本であるが、何で日本の航空会社の機体だけにバッテリートラブルが生じるのだろうか?
 不思議である。


1/22(水) 寒波・降雪 外来 除雪7・8回目
 1:00起床。新聞・文献チェック、徒然。降雪3−4cm除雪軽く7回目。7:15病院着、回診他。8:45-12:30外来。紹介状記載。14:20バス利用にて帰宅、文献チェック、16:30-17:30除雪8回目、19:15夕食、20:10就寝。Σ2549Km。

違いが分からない(2) オーディオ(1)かなり投資し、回り道した
 私は音楽が好きである。聴くのも楽器を弾くのも。

 中学生の時からちょろちょろとレコードを買い集めてラジオを改造したちゃちな装置ですり切れるほど聴いた。大学卒業を待って一気にソフト、ハード面に投資した。幸せだったね、半ば酔っていた。私が音質の違いが分からないことを自覚するまでは。

 いろいろ周辺の機器も揃えた。オープンリールテープデッキ、FMテューナー、CDも安くないのを揃えた。スピーカーは1971年に購入したデンマーク製のダイナコ25XS→1980年頃購入した1965年製の英国のCelesion Ditton25→1991年頃に購入した英国製のタンノイ・GRF memoryとアップした。大型のスピーカーの余裕は何とも言えない味がある。後2者はまだ現役である。

 アンプは何度か取り替え、プリがヤマハのC1、メインがパイオニアのA級アンプのM4に至った。すべて私にとって身の丈を超えた製品でかなり無理して購入した。オーケストラやソリストが、ブルックナーまでわが書斎に遊びに来てくれた、と思うような気分を味わっていた。

 ある日,プリアンプが故障した。秋田では修理不能で本社に送った。その間にC1の1割ほどの値段のテクニクスの廉価なセパレートアンプを借用した。これもなかなかいい音であった。C1が戻ってきた後,10日間ほどかけて両者を比較した。かなり差があるハズだと思って始めた試みであったが、予想に反して私の耳ではC1の優位性を見つけることが出来なかった。私は製品の魅力に酔っていただけで、「違いが分かっていなかった」。

 オーディオ遍歴約10年、何れはアキュフェーズのセパレートアンプを、と考えていたが、私はこの日から道をかえた。その後、C1、M4、CDなども決定的故障で代替わりしたが、代替品はすべて廉価品に取って代わった。それで満足している。

 昨年は左側のタンノイ・GRF memoryが不調に陥った。修理したいのであるが方法が見つからない。で、やむなく自作のミニスピーカーを一時的につないで聴いている。左が8cmのフルレンジスピーカー、右が38cmの2ウエイ、さすがに片方ずつならすと「若干」の違いは分かるが、セットで鳴らすと結構いい音で満足している。

 私はオーディオにかなり投資し、回り道した。機器に目を奪われた時期もあったが、私の原点はあくまでも音楽そのもので、音質がメインではなかった。だから、原点に戻っただけである。今でも書斎に入ればスイッチオン、出るときにオフ。壮大な曲も、オペラも、二胡のか細い音もいい音で鳴っている。

 いい経験した。決して無駄ではなかった。


1/21(火) 曇り・寒波若干緩む 降雪無し 外来+飯川病院
 0:30起床、文献・新聞チェック,PDF化。夜間降雪無し。7:15病院着。回診、紹介状等。8:45-13:10外来。14:00-18:40飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:15就眠。歩数計Σ2535Km。

違いが分からない(1) 食事(1) 何でも美味いといって嫌われる私
 ヒトの食事に対する考え方、感じ方は様々である。
 私は「その人、我にあらず」と言う立場だから、自身以外の事は分からないし、家族の事だって分からない。ましてや他人についてはそれほど関心がない。こんな私を自覚したのは医師になってからである。医師は患者の身体的問題以上に「こころ」も重視しなければならないから、とんでもない職業を選んだものだと悔やんだ事もある。が、成り切るためには勉強と現場の訓練あるのみ、と割り切った。他人の事に関しては「多分こうだろう・・」と推論して話を合わせるやや辛い毎日が続いている。

 食事に関しても私の感覚はかなりずれているのではないかと思う。
 私の食事に関する感覚は、端的に言えば楽しむ感覚は乏しくて、「必要だから食べる」という感覚に近い。食事は常識範囲のものが過不足なく提供されればほぼ満足である。今の私の環境はそんな状態にある。とても贅沢な事だ、と日々感謝している。勿論、たまに味わう「私にとっての贅沢な食事」は楽しいが、過度に贅沢と思う様な食事に対しては喜びよりも罪悪感を感じる方である。

 家族達からも私の食事に関してはいろいろ指摘されている。
 その中の一つが「何でも美味しい、美味しいと言って食べる事が最大の不満で、つまらない人だ」、と家内を始め、料理を作ってくれる側からの評価であった。特に、40年近くも我が家の食事を担当してくれた賄いの石井さんもそう考えていたと知ったのは数年前の事である。

 私の食事に関してこのように思われていた事はかなりショックであった。何でも美味しいと評価して、喜んで食べる私は、賄いをする方々から「食べさせるには最高の人だ・・」と評価されているものと「長い間信じていて疑っていなかった」からである。

 顧みればそうだったかもしれない。
 私が食卓で発する言葉は「うまい、美味しい」がその大部分であって、クレームは「ちょっと塩っぱいじゃないか」だけ、他には「量が多すぎる!!」、「ちょっと贅沢でないか?」・・と限られている。その上、味わって食べているんだか分からない速さでサッと食べ終わる。これでは時間をかけて食事を用意する側からは不満を感じるのもやむを得ない。

 反省すべき点もあるだろう。ただ、「うまい、美味しい」の言葉は私の本当の感覚、こころからの喜びの感覚であってそこにはウソは全くない。
 毎食、「うまい、美味しい」と自宅での食事を味わっている私は幸せものである。


1/20(月)曇り降雪若干 健康クリニックドック 外来患者対応 午後飯川病院
 1:10起床。本読み、新聞・文献チェック他。降雪若干除雪不要。7:10家内とともに出勤。回診、書類他。9:00-11:00健康クリニックドック。12:30-13:30外来患者1名対応。14:00−18:45飯川病院、19:10帰宅、夕食、いつもの如く20:15就寝。 歩数計Σ2529Km。

都知事選(2) 候補予定の細川・舛添を中心に
■二枚舌、捨て台詞
 政治家はとかく嘘をつく。本当のところは政治家は言葉ですべてを語らねばならない。素人とは違う、語った言葉は重くなければならない。
 舛添氏は、2009年衆院選で自民党が惨敗した後「いつまでもドロ舟に乗っていられない」と捨て台詞を残して出ていった。そんな男を自民党が推薦する??舛添氏個人に問題があるが、それ以上に自民党に問題がある。自民党も馬鹿にされたものである。氏を推薦できないと気炎を上げている小泉新次郎氏は筋を通している。

 細川氏は首相も議員も途中でほうり出した。彼は政権時代、原発推進派でなかったのか?細川氏をバックする小泉元首相も政権時代は原発を推進する政策を進めて来た。細川氏は2005年頃から脱原発についての意見を述べているようだ。小泉氏は昨年8月以降脱原発について積極的に発言している。

 政治家は言葉が大事である。決して二枚舌であってはならない。しかし、政策が、考え方が変わる事は十分あり得る。その場合、過去を総括し、論理的に説明する必要がある。

■金の問題 
 他の国の事は知らないが、政治には随分金がかかるものだと思う。なんとかしなければならない問題である。多くの政治家が金銭がらみの問題を起こしている。古くは田中首相のロッキード問題、細川首相も佐川問題であった。調べるとリクルート問題など、いろいろ出てくる。
 
 猪瀬氏は特洲会がらみの5000万円の不明の借金で知事の席を失った。説明するごとに窮地に陥った。
 細川氏は熊本県知事時代の佐川急便からの1億円の「借り入れ」問題で説明不能状態に陥り、あっさりと政権を投げ出した。9ヵ月の短命政権であった。当時の事はあまり覚えていないが、本人が辞任した事もあってか追求がうやむやになったままような気がする。しっかり解決済みなのだろうか。
 国民を、都民を馬鹿にしていないかなあ。追求が蒸し返されないか?それでまた混乱が生じるようでは困る。

 舛添氏は政党助成金の使途が不明と指摘している人もいるようだが、公的に指摘される様な金の問題はないのか? 

■政治的実績
 舛添氏は小泉内閣で、2005年に自民党の『新憲法草案」を起草した一人であった。 
 また、第一次安倍内閣で厚労相を務め、その間に介護保険料引き上げ、生活保護の母子加算廃止を正当化した。新型インフルエンザ対策で頻繁にTVに登場し顔を売ったことで注目され、将来の首相候補の一人とまで言われた。それで道誤った?

 細川氏は、1993年に首相に就任、小選挙区制を導入した。「国民福祉税構想」として、当時3割だった消費税の増税を突然打ち上げ、国民の批判を招いた。細川氏を応援する小泉氏は新自由主義政策を始動した。「普通に働き、普通に生きる」日本型雇用が崩壊し、格差・貧困を招き社会不安を増大させた。氏は自分は今でも正しい政策であった、と思っているのだろうか。


1/19(日)降雪10cm後晴 除雪 秋田ゾンタクラブ新春チャリティコンサート
1:30飯川病院で起床。新聞・文献チェック。録音データ、PDFデータ整理など。早朝から降雪。9:00帰宅、10:30まで除雪7回目。12:00−15:00秋田ゾンタクラブ新春チャリティコンサートでハープの演奏を聴く。家内への付き合い上やむなし。15:30−17:30飯川病院で音楽聴きつつ待機。18:00家内拾って帰宅、19:00夕食、20:15就寝。歩数計Σ2529Km。慌ただしい週末であった。

都知事選(1) 問題のある立候補予定者 細川、舛添氏
 猪瀬知事の辞任に伴う都知事選に候補者が顔を揃えた。
 現段階では 元首相の細川氏(76) 、元厚生労働相舛添氏(65)、元日弁連会長宇都宮氏 (67)、元航空幕僚長田母神氏 (65)あたりであるが、本日現在で、ドクター・中松氏 (85) 他、私が全く名前を知らない8名が立候補を表明しているらしい。

 2、3の項目に分けて細川、舛添氏を中心に都知事選を考えて見る。

■候補者の知名度、注目度
 選挙の多くは人気投票、イメージ投票である。あの国政の政権交代もほとんどムードで決まってしまった。マニフェストを読んで投票に望んだ有権者は多分一握りだったと思う。その結果、日本は多くのことを失った。良い勉強をしたと国民が思えるなら良かったと思うが、実際にはなかなか賢くならないようである。

 元首相の細川氏 、元厚生労働相舛添氏が知名度抜群である。特に細川氏のバックにあの小泉元首相がついているとなると政治的能力とは関連のないレベルで問題が大きいと思う。またもや危険な選挙になりうる。

 細川氏の「お育ちの良さ」はひ弱さも感じるが、そこに魅力に感じる都民も少なくなかろう。私には政治にかける覚悟を感じ取れない。金の問題で政権を投げ出し、ロクロ回しなど趣味に隠遁していた老人が、今さら何で?と思う。また、ご変心ですかい?
 私は、厚労大臣の時の舛添氏の言動に自信過剰、目立ちたがりや、傍若無人のイメージを持った。政治力は未知数と思う。
 都民は是非選挙公約を熟読して選挙に臨んでほしい。この二人以外に都政をゆだねられる人材がいるかもしれない。

■年齢因子
 一般論として、私は高齢者が組織の前面にたつことを是としない。たとえ飾り的名誉職であっても、である。日本の高齢化は別の意味で無視できないが、組織まで高齢化するのは問題で、老害である。かつて、日本医師会の代議員会に出席した際に「全国老人クラブ」の会合か?と評したことがあったが、最近は日本医師会は大幅に若返った。
 最近の不祥事、例えば、飛ぶ野球ボール、コミッショナー公表隠蔽、柔道会体罰関連不祥事、JR北海道、線路幅のデータ改ざん隠蔽、東電の原子力発電所の定期検査偽装・・・などなど、代表者は総じて高齢である。

 候補予定者の年齢が気になる。細川氏は76歳、宇都宮氏 67歳、舛添要一、田母神両氏が65歳で候補者は私の目から見てみんな「高齢者」だ。東京と言えば 2020年に一大エベントの五輪を控えている。まだ6年もある。こんな年寄りに任せていいのだろうか。第一生きているのかすら分からないじゃないか。
 こんな年寄りに懸案事項の多い都政を任せて大丈夫なのか。五輪をバネにした未来都市構想で都知事はビジョンを示してほしいのに、こんな年寄りでは若い都民にそっぽを向かれるのではないか。知事選と関係ないが、東京五輪の組織委員会会長に76歳の森喜朗元首相が就任するのもあきれた話である。 


1/18 (土)寒波・降雪 積雪2-3cm 重症患者・新入院患者対応 飯川病院日当直 
1:20起床。いつもの如く。古書、新聞文献PDF化。7:00-8:00除雪6回目。以降、文献読み、本読み、録音データの整理。11:30重症患者・新入院患者対応、家族面談。13:00飯川病院日当直に。検食2回、微睡。本読みなど。20:30就寝。 歩数計Σ2521Km。

降雪、除雪2014(3)屋根の命綱と除雪機
 秋田県内陸南部を中心に記録的な大雪となっている。地方紙社会面は県南部の豪雪と雪下ろし事故の報道を続けている。

 県の総合防災課によると、雪下ろし中の転落事故死8人に上っている。県は県内に「雪下ろし注意情報」を出してヘルメット、命綱を推奨している。実際に大曲で屋根の雪下ろしをみることがあるが、ヘルメット、命綱を付けているのを見たことはない。声かけだけではなかなか効果がないものである。

 ■命綱について 私の経験から
 積雪期を迎える前に、雪下ろしが必要になる屋根に幾丈かの命綱をあらかじめ設置しておくのが良いと私は思っている。
 これは私のアイデアではなく、私が育った岩手の家の屋根には一カ所だけ、命綱を結びつけられる金属製の拘が付いていた。新築の際に付けたのか、後に付けたのか私には分からない。祖父はアイデアマンだったから新築時に付けたのかもしれない。先見の明があったと思っている。

 盛岡市近郊は決して積雪が多い訳ではない。屋根の積雪はせいぜい30cm程度であり、雪は時折滑り落ちたから本格的な雪下ろしは必要なかった。
 しかし、我が家では1か所だけ屋根の雪下ろしが必要な場所があった。それは居間の薪ストーブの煙突が屋根の上までのびている箇所で、雪が滑り落ちると煙突が破損する構造であった。
 雪下ろしは軒から屋根のてっぺんまで幅1mほどで済んだが、その雪下ろしは小学生のことから私の役目であった。秋のうちにその拘に太めのロープを結び、軒下まで垂らしておいた。雪が積もってからはうまく結べないからであった。小さいころには父親に結び方など点検してもらっていた。それを腰に巻き、滑っても落ちない長さに調整しながら雪下ろしした。平屋で瓦屋根それほど高くはなかったが、その下には石灯籠とか庭石があって落ちれば危険であった。命綱を付けていても長靴がよく滑ったが落ちたことはない。それはしっかりした命綱があってのことであった。命綱がなければ子供には出来ない作業であった。

 この昔の思い出は懐かしいが、県南部の豪雪と雪下ろしは人ごとのようには思えない所以である。

 ■除雪機について
 もう一つだけ提言。豪雪地域でなくとも、秋田市程度の積雪地域なら、出来ることであれば一家に一台小型の除雪機を導入してはどうだろうか。私の町内でも高齢化が進んでいて腰痛とかで除雪がままならなくなった方が増えている(ようにみえる)。どこの家にも立派な車があるが、車に比べれば安いものである。
 私の場合、いまの場所に引っ越してから35年になるが、狭い路地が長いため、除雪機と私のやる気がなければ生活が維持できなかったと思う。
 除雪機様様である。


1/17(金)寒気 夜間積雪3cm 大曲中通病院外来
 1:00起床。文献・新聞PDF化。夜間積雪3cmと少なく、除雪せず。7:20Taxiで駅に向かうも渋滞で8:15駅着、いつものこまち間に合わず。ひと列車遅れて9:30病院着、大曲の雪はすごい。9:30-14:00大曲外来。15:30帰宅、録画「日本医療の100年」19:00夕食、20:30就眠。 歩数計Σ2516Km。

iPadの魅力にはまった  書籍リーダーとしてはiPhone、『Kobo』を駆逐した
 約一月前にiPad miniを手に入れた。
 写真や画像を楽しんでいる息子が一段と画質が良くなり、機能がアップしたRetina displayのiPad mini を購入する予定なので、下取り価格で是非・・、安くしとくから・・と甘い言葉をかけてきた。64GB、Wi-Fiモデルで2,7万。それが、私にとって有利なのか否かも判断出来なかったが、とにかく譲ってもらった。それが、実にすばらしい結果を私にもたらした。

 いろいろ多機能でまだ使い方を習熟した訳ではないが、読書の面で私の生活に革命的変化をもたらした。
 私の読書のかなりの部分を自分で自炊した書籍をiPad mini上で読むようになった。本の購入自体は電子書籍ではなく普通の書籍である。その方が幅広く選べる。読み始めて気に入った本はバラしてスキャナーで取り込み、電子化して、続きはiPad mini上で読む。既にiPad miniには数100冊の書籍を入力した。適宜呼び出して読んでいる。

 一昨年秋に私はiPhoneをバージョンアップした。これにも電子ブックリーダー機能があるが、こんな小さなディスプレイでは読む気がしない。半年前には楽天の電子ブックリーダー『Kobo』が手に入った。息子がiPad miniを買ったので無用になったのだそうだ。そのiPad miniがいま私の手元にきているminiである。

 『Kobo』は白黒のディスプレイで、軽く、充電も一月以上も不要であったなどの利点もあった。しかし、私の実力では自分で自炊した書籍をうまくiPhone用に変換出来ず、やむなく『Kobo』専用の電子書籍を購入して読んでいた。電子ブックリーダーってこんなものかと思っていたのであるが、iPad miniは、iPhoneや『Kobo』とは別世界の利便性があり、自分のものとして手に取った瞬間からすっかり気に入ってしまった。

 私のエレクトロニクス製品の多くは三人の子供たちからのお上がりである。私と家内のパソコンはマックであるが、現有のマックの7台のうち4台が息子から譲り受けた。やや古いが、大曲中通病院の外来、飯川病院の医局、中通総合病院の医局で不足なく機能している。

 私の最近の出で立ちは、子供たちが中高生の頃に着ていた派手派手のスキーウエアを着込み、口にマスク、耳にノイズキャンセリングヘッドフォン、目にサングラス、左手にiPhone、右手にiPad mini、左右の足首に歩数計、背にディバッグ、腹に脂肪である。端から見ると変にみえるだろうと思う。
 だから、マスクとサングラスは同時には使用しないようにしている。


1/16(木)夜間降雪2-3cm、寒波 外来+飯川病院
 1:20起床、文献・新聞PDF化。資源ゴミ、ソリに満載して集積所に。7:10車病院着。回診。 8:45-13:30外来,混雑して疲弊。14:00−18:15飯川病院、18:46帰宅。19:00夕食、20:30就寝。

降雪、除雪2014(2)屋根の雪下ろし対策への提言を2,3
 県内陸南部を中心に記録的な大雪となっている。
 県は14日に総合防災課内に災害警戒部を設置したが、格上げし県災害対策本部の設置を考慮中という。「昭和48年豪雪」以来40年振りの設置になるらしい。横手市では16日は午後5時現在、166cmとなっている。

 県は県内全域に「雪下ろし注意情報」を出している。総合防災課によると、雪下ろし中の転落事故などによる人的被害は死者8人、重傷32人、軽傷33人の計73人に上る。事故に遭った人は高齢者が多く、命綱やヘルメットを着けていなかったケースが目立つ。

 横手市では16日に市職員らが一斉除排雪をしたほか、市発注の公共工事を一時中止して雪下ろしを優先させるなど市民生活の安全確保に懸命だ、という。

 私はこの地域の方からみれば事情を知らないよそ者である。
 しかしながら秋田に来てから不思議に思っていることがある。実態は知らないが、横手市とか大仙市は有史前から豪雪があったと思われる。にもかかわらずこの地域の住宅、建物に豪雪を考慮しているのが極めて少ないように見える。この地区の建設業者は何を考えて設計し住宅を建てているのだろうか。私にはよく理解できない。

 横手市では路上に融雪溝が設置されていると言う。大仙市では融雪パイプが埋められていてそれなりの効果はあげているようだ。しかし、実態に即していないのではないだろうか。豪雪地区にふさわしい都市計画はないのだろうか。

 屋根の雪下ろしは次元が違う危険な作業である。県は県内全域に「雪下ろし注意情報」を出しているが、通り一遍の対策である。多くはヘルメットも命綱も付けないで作業しているように見える。高齢者の単独家庭などではプロに頼まざるを得ない。プロが手が回らないからすぐには来れない。だから、年寄も屋根に上らざるを得ない。年寄りは体力、バランス感覚が衰えているにもかかわらず、その自覚がない。あるのは変な自信と意地だけ。だから、ヘルメット等も付けない。だから、一層危険である。

 屋根の雪下ろしに関して提言2,3したい。
■積雪期を迎える前に豪雪にならないよう神仏にお願いしてはどうか。初詣などの機会を利用すればいい。ただし、効果は疑問。
■積雪期を迎える前に、既存の屋根にも後付けできる融雪パイプを設置してはどうか。これは福井県の県立の研究所で研究され、既に実用化されている。県のHPに載っている。それほど高価な装置ではない。自治体は補助金を出す価値はあると思う。
■積雪期を迎える前に、雪下ろしが必要になる屋根に幾丈かの命綱をあらかじめ設置しておく。これを伝って屋根に上がり、命綱として用いることによって作業の安全性が高まる。岩手の私の家では一本だけロープがついていた。雪下ろしは私の役目であった。
■新築する際には雪下ろし不要な構造にする。


1/15(水)夜間降雪無し  除雪6回目  外来
1:20起床、文献チェック他、読書、本、数冊に目を通す。6:00-7:00除雪6回目、昨日直あけのため出来ず10cmほど積もっていた。7:20車病院着、回診他。8:45-13:45外来、15:00帰宅、文献チェック他、古書PDF化数冊、録画観る、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2506Km。

降雪、除雪2014(1)降雪期の日当直は雪かきが出来ないので辛い
 今年は秋田市は雪が少なくて楽である。本日の段階で除雪機はまだ6回しかし要していない。昨年の同日はもう18回もやっていた。昨年の秋田市の降雪は異常であった。

 私は降雪期には毎朝5:00頃に外に出て朝の除雪の要否を判断する。7:00前には出勤したいので除雪が必要な朝は5:45頃から約1時間かけて生活道路を50mほど除雪する。それが降雪期の日課である。休日は降雪状態によっては午後、または夕方にも除雪する。 何かの都合で除雪が遅れることもあるが、私の除雪機は小型の雪を飛ばすタイプで新雪には強いが、圧雪には弱い。だから早朝に、車がまだ通らない時間にこだわって除雪する。 私が除雪する路地は私の車が最初に通る車である。除雪機を大きくするのも一方法であるが、小回りが利かないし、第一私の体力では操作が困難である。 
 今年はとても楽である。

 ただ、私は毎週の土日および月曜の振り替え休日のうち一日は飯川病院の日直または日当直が割り当てられる。自宅の書斎で一人静かに過ごすのを無上の喜びとする私が、週末の時間を病院に拘束されるのは苦痛である。秋田県の医師が不足しているので止むを得ないと私が日当直に就く意義は理解しているが、とりわけ降雪期は辛い。ひどい降雪の日は飯川病院の5階の窓からしんしんと降る雪の様子、路上の積雪状態を眺めながらやきもきしている。 今年はそんな日が少なくとても楽である。

 秋田県の降雪地帯と言えば平鹿郡横手市、仙北郡大仙市地方がよく知られているが、今年は平年の3倍ほどの降雪量で、連日地方紙社会面をにぎわしている。
 先週金曜日、大曲中通病院の外来診療に行った時も大曲駅前で驚いてしまった。昨夜降ったのであろう新雪が30cmほどもあった。病院までの2Kmほどの通りは通常は歩くのであるがとても歩ける状態ではない。

 いつも人影が少ない通りであるが、各商店の前には雪かきに大勢の人が出ていた。通りの脇に雪がはうずたかく積まれ、道が2/3ほどに狭まり、路面は凹凸がひどく、Taxiも走行に難渋した。上の方を見上げると、まだ9:00前だと言うのに、もう屋根に登って雪下ろしをしていた方もいた。

 私はいつもこの光景を眺めながら何とかならないか、と人ごとながらやきもきしている。


1/14(火)降雪 夜間積雪5cm 外来+飯川病院
1:00飯川病院起床、新聞チェック、文献、本読み。7:00検食、8:30病院着。回診他、8:45-13:30外来,14:00-18:00飯川病院、18:30帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2497Km。当直の翌日は除雪出来ず、明朝に。

2014年(6)内外のエネルギー事情(2)日本の新エネルギー基本計画 
国内のエネルギー問題は節電、電力自由化、原発再稼働に濃厚に関わっている。

■節電
 東日本大震災、原発事故の後あれだけ叫ばれた節電の意義は、もう忘れられたのではないだろうか?いま、我が国では原油輸入を増やし火力で電力をまかなっている。温室効果ガス排出量も増えている。貿易収支は赤字。なのにスイッチをひねればいままでと同じように電気を利用出来る。国全体で節電のコンセンサスがなければ原発再稼働の道に進んで行く。

■送電線問題 
 いま我が国では送電線の公益的利用と電力小売りの自由化の問題が論じられている。最も影響が大きいのは東京電力管内で東京都のエネルギー供給に中部電力、関西電力が参入してくる。電気は家庭用を含め2016年から全面自由化が予定されている。東京電力は一層厳しい状況におかれる。また通信機能付きスマート電気メーターは10年以内に実用化され、各家庭で、地域で無駄のない省電力化に結びつく予定だと言う。

■新エネルギー基本計画原案について
 原発再稼働についての論議が進められているが、汚染水問題、廃棄物問題、東電事故の補償問題も未解決の中で難しい判断が求められている。さらに都知事選においても細川・小泉陣営は脱原発を前面に押し出している。

 原発再稼働を軸とするエネ基本計画原案が発表された。この計画案が閣議決定されれば、日本のエネルギー政策の基本となる。福島原発事故後最初の計画案だけに極めて重要である。

 原案には原子力は「優れた安定供給性と効率性を有しており、運転コストは低廉で変動も少なく、運転時には温室効果ガスの排出もない。安全性を大前提にして引き続き活用していく。原発はエネルギー需給構造の安定性を支える基盤となる重要なベース電源である」と記載がある(一部改変)。この記述は2010年に定められた旧エネルギー基本計画と内容がほとんど同じである。東京電力の原発事故は日本のエネ政策に何ら影響していない。これだけの事故を生じていながらいいとこ取りの評価を並べている。これは問題でないだろうか。

 「原子力は安定」か??トラブルでしょっちゅう停止していたでないか。事故前の稼働率は全国で80%以下であった。
 「低廉」か??建設費用、ウラン購入費、ランニングコスト、事故予防対策費、 事故処理費用、 将来の核のゴミ処理費用を含めれば安価とはいえない。
 「温室効果ガスを出さない」のか??確かに直接排出しないが、事故で放射能放射能をまき散らした。さらに、1万トン以上にも達する大量の使用済核燃料と放射性廃棄物は処分方法がなく溜まる一方で置き場にも困っているのが現状。これでもクリーンエネルギーと言うのだろうか。

 現在、再稼働の審査は16基で行われ、規制委員会と地元の許可があれば段階的に再稼働する事になる。しかし、事故防止対策、事故処理も進んでいない現段階では地元の反発が予想される。

 国は世界的に見て最高水準の安全性追求していると言うが、炉心融解に至った際に炉心を封じ込めるコアキャッチャーと言う装置が欧米の原発で設置されているが、我が国では除外されたままである。あの中国の原発ですら装備している、と言うのに。

 原発の安全には、技術以外の要因、例えば人的・組織的人間関係、文化的要因、地震・津波の適正評価など広範な因子が絡んでくる。規制委員会は立地条件、技術面だけの評価しかしない。委員会が認めたからと言って安全と言えるのか疑問。あくまでも相対的安全性評価でしかない。

 新エネルギー基本計画原案については、まだまだ議論の余地がある。


1/13(月)成人の日 曇り・降雪5cm 除雪5回目 重症者対応 飯川病院当直
1:10起床。文献検討.徒然など処理。新聞記事のチェックDPF化など。6:00-7:00除雪。本読み、PDF化したデータの整理など。長女一家離秋。12:00−14:00重症患者対応、紹介状記載。17:00飯川病院当直、検食、20:00就寝。

2014年(5)内外のエネルギー事情(1)世界のエネルギー事情概観
 化石燃料のうち原油の占める割合は低下しつつあると言えども、世界の経済、安全保障などに大きく関与している。その意義は今年も失われないだろうが、若干の変化が見られそうである。

 原油価格は昨年は1バレルあたり100ドル以上の高値で推移した。世界各国の輸入価格は調べていないが、日本の平均購入価格は106ドルだったとされる。多分諸外国よりは高めに設定されていると思われる。原油輸入量は原発が停止以来大幅に増加した。日本の貿易赤字の中に占める割合は高い。この辺の事情は政府の新エネルギー政策の中で大きく論じられている。

 今年の原油の価格を推論すると、相変わらず 100ドル前後と高止まりになりそうである。

 価格の上昇要因としては、■世界の景気の持ち直しによる需要の高まり、■スーダン、リビア等の産油国の政治的混乱、内戦等による生産力低下、■日本の経済政策、為替レートの推移による高騰、■価格維持のための産油国の生産調整、が挙げられる。

 価格の下降要因としては、■イランの核開発問題の合意が大きい。これが進展すれば、各国の経済制裁が緩み、イラン産の原油の割合が増加してくる。■米国のシェール革命の推移。これによって若干安くなると考えられるが、そうなれば価格維持のための生産調整が行われるであろう。

 米国ではシェール革命が生じつつある。エネルギー確保と言う面では米国は燃えている。米国内の天然ガスの価格は我が国の価格の1/4程度にまで低下しているようだ。これの産業界に与える影響は大きく、企業の活力は高まり、雇用も改善傾向にある。米国の原油輸入量はかつては中東の産出量の60%も占めていたが30%に減少し、貿易赤字は緩和し景気も改善している。

 中東は「世界の火薬庫」といわれて政治的にも不安定であった。米国は中東の安全に関して積極的に取り組んで来たが、その背景は安定した原油の確保にもあった。原油の中東依存が減ることによって、中東の安全に関しても関心度は相対的に低下していくだろう。

 日本はいま再稼働申請されている16基の原発が再稼働したと仮定しても総電力量の10%程度であり、原油輸入に関する中東への依存は減少しない。タンカーの航路の安全確保などに一層の参加が求められる事になろう。

 日本のエネルギー確保は、国民生活、景気、国の活力、国際協調等に深く関わっている。


1/12(日) 曇り 降雪5cm 除雪5回目
 1:30起床、新聞チェック、文献・録音データ整理。6:00-7:00除雪5回目。DC電源確保のための工夫若干、ヘッドフォン改造。レコードを取り出す。カラヤンシリーズなど。日中降雪がないのが救いである。本読み中心で過ごす。19:00夕食、20:00就眠。

2014年(4)経済はどうなる? (2)国際的にみれば
 我が国の経済状態はアベノミクスによって出来過ぎの観がある。いつまでも行政主導では好調を維持出来ない。経済は国際的バランス、資金の流入状態によって大きく変化し我が国も当然影響を受ける。2014年の国際経済を概観する。

■米国の事情 
 世界経済は米国の景気によって大きな影響を受ける。昨年暮れ、米国金融政策が変更になった。中央銀行にあたるFRBが金利の緩和政策を量的に縮小する方向に舵を取った。実際には軽度の縮小で金融引き締め政策の転換と言うほどではない。経済政策が一定程度の効果を上げつつある事から、政策上の方向性の変化、節目の変化ととらえられる。結果的には米国の長期金利は上昇しつつあり、さらに上昇する事も見込まれる。これによって世界的にみて資金の流れの変化が生じてくる。

 米国ではいまエネルギーのシェール革命が起こっている。従来、世界の60%も占拠していた原油輸入は30%にまでになって来ている。これの経済に与える影響は大きい。製造業の国内回帰がおこりつつあり、投資が回復し、経済は復帰しつつある。米国の経済安定が世界に及ぼす影響は大きい。

■新興国への影響
 金融の流れを見ると、昨年までは先進国で余っていた資金が新興国に流入し、一部の新興国では経済ブームが生じていた。経済が過熱して過剰の設備投資等が行われていた国もあった。しかし、世界の金融の流れがシフトし、先進国堅調から進行国不振に再びシフトしつつある。このバランスの変化が先進国の景気を支える事になる。
 資本主義の中では共栄共存は困難と言うか、不可能だと思う。

■中国経済
 GDPで見て世界第二の経済力を持った中国、その地位はまだまだ続くだろうが、中国経済は大きな節目を迎えている。不安定さを抱えながらの表面的安定と言う形である。
 昨年は成長率が鈍化した。政府は財政政策を積極化、その結果7%前後を何とか確保している状況である。

 中国経済は成長パターンの節目を迎えつつある。諸外国からの投資が大きく鈍っている。第一は人件費の高騰であり、諸外国から見て投資の旨味は失っている。ベトナム、ミャンマーが中国に取って代わるだろう。採算を無視した国内投資の抑制も求められている。
 個人消費の喚起、農村の購買力を向上させる事が重要であるが、著しい貧富の格差を崩していくのか。高い成長率の背後で中国経済は厳しくなって来ている。 

■日本経済
 4月の消費税増税の影響は多分回避出来ないが、夏場頃には回復に向かう可能性が言われている。増税の影響を8割方相殺する経済対策が同時にとられるからで、企業の設備投資がゆるやかに回復するのではないかと予想されている。
 デフレからは脱却出来ると考えられるが、日銀が期待しているインフレ率2%は達成困難と考えられる。成長率は2013年は推定2.5%ほどであるが、2014年は1%台に落ち込むとの予想もある。
  
 日本経済は昨年はある意味では出来過ぎであった。しかし、経済政策のみでは底が浅く好調を維持する事は出来ない。あくまでも民間の活力主導でなければならない。2013年は国家主導の年、14年は民間主導に移行する年、であってほしい。


1/11(土)夜間降雪5cm超  除雪4回目  重症者対応
1:10起床。新聞・文献チェックほか。古書PDF化。6:00--7:00除雪4回目。9:00微睡。10:30-12:00から重症者対応。午後は録画で「孤独のグルメ」見ながらデータ処理など。19:00夕食、20:00就眠。歩数計Σ2481Km。 

靖国問題をどう考えるか(2) 靖国神社とは
  1869年新政府軍、旧幕府群で戦われた戊辰戦争軍人をまつるために建立された神社で、1879年に靖国神社と改称された。
 正規な神社となった後も神社行政を総括した内務省が職員の人事権を有し、同省と陸軍省、海軍省によって管理され、運営の主導権は財政を担った陸軍省であった等、神社としては特殊な存在ではあった。明治維新から太平洋戦争までの国事に殉じた軍人、軍属等を英霊と称して戦没者240万人余をまつっている。1946年に国の管理を離れて単立宗教法人となり日本政府との直接的な関係は無くなった。

 当時青少年は成長した際には軍人あるいは兵士として働くように、戦死したときには靖国にまつられると教育されていた、我々には伺い知れないが当時はほぼ当たり前の考え方であった。歴史的にみて負の考え方かもしれない。だからといって靖国の存在を否定するものではない。

 国のためにという大義のもとに、後ろ髪を引かれる思いで親兄弟、妻子から引き裂かれれ、仕事を捨て戦地に赴いた若者たちは何か精神的よりどころがなければならなかったはずである。送り出す側も同様であっただろう。戦地で命をかけて戦った仲間たちに生まれた連帯感での合い言葉「靖国で会おう」も分かる様な気がする。何か共通の寄り所がなければやっていけなかった、と思う。

 靖国神社は焼却されそうになったことがある。
 戦後に日本を占領したGHQは1945年靖国神社を焼き払う計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなった。GHQは高名な宗教者であった上智大学学長B・ビッテル神父らに意見を求めた。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務がある。靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言する」と述べ、結果として焼却は免れた。
 靖国を焼却しようとする考え方は戦勝国側の報復であり、英霊への冒涜であり、民族の否定につながる考えだったと思う。

 軍人が祭神とされることから、日本の首相の公式参拝に対して中韓が激しく反発し、中韓や米との外交問題がクローズアップされているが、これは副次的な問題である。A級戦犯合祀もふくめ、また靖国神社が歴史的に果たした役割について、日本の国民がどう考えるのかが本質的な問題である。
 靖国神社の意義を考えること、歴史を振り返ることはその時代感覚に戻ることではなく、正当に評価し、それを未来に結びつけることである。

 中韓米が反発するから首相は靖国神社を参拝してはならない、は短絡である。歴代の首相ごとに考えが異なることの方がおかしい。


1/10(金)降雪・寒波続く 除雪3回目、大曲中通病院外来
1:00起床。いつもの如くに読書他。5:45- 6:30家庭ゴミ廃棄+降雪5cm、除雪3回目、7:20Taxiにて駅に。8:06こまち。大曲は屋根の雪が50cmほどで驚く。9:00-14:00外来。15:30帰宅、こまち5分遅れ、積雪若干あれど明朝に。新聞、文献、17:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ2462Km。

靖国問題をどう考えるか(1)
 戦後半世紀以上経っているにも関わらず、中韓の反日感情は徐々に激しさを増している。数年前迄はそんな中でも経済交流は旺盛に行われており、政治的にも微妙な平衡関係が維持されて来ていた。しかし、両国とも政権交代を前に対日方針に大きな変化が明らかになって来た。

 多分、安倍首相を悩ませている外患のうちの最大の懸案事項は対中韓外交問題だと思われる。そんな中、安倍総理は前触れもなく靖国神社に参拝した。その後、両国との緊張の度合いは一気に高まったが、今回の靖国参拝は米国を始めとする諸外国の反発をも誘発した。いままでは通り一遍の外交論評で済ましていた国の政府要人が厳しい意見を発している。安倍総理は参拝の主旨を理解してもらえるよう外交方針を変更せざるを得なくなった。

 私は、首相の靖国神社参拝は非難すべきでないと思っている。これをいつまでも政治的カードに用いる中韓に問題があり、中韓の反応を見ていつまでもビビる我が国にも問題があると思う。

 私は歴史についてそれほど詳しくはない。だからいま勉強中である。安倍総理の歴史認識はその詳細を知る事は出来ないが、私は方向性は間違っていないと思う。その流れからは靖国参拝は当然の帰結になる、と思う。

 歴史は出来るだけ広い視点で見なければならない。どんな歴史的事象にもその時代の流れがあり、その時代の判断があり、その時代の評価がある。また、後日の再評価がある。歴史問題については、特に近世の歴史に関しては幸いな事に学ぶべき資料は豊かに揃っている。その気になればいくらでも勉強出来る。決して断片的に切り取って見てはならない。

 靖国問題は古くからの我が国固有の慣習や文化の問題である。死者に対する、国に尊い命を捧げた先人に対する敬畏の表し方の問題である。端的に言えば靖国があるから戦争したわけではない。
 多分中韓を始めとして諸外国の方々は日本人の死生観、死者を敬う気持ちを理解出来ないだろうと思う。首相は丁寧に説明して理解を得たい、としているが、困難だろう。

 それ以上に、慣習や文化まで政治問題とされ非難され干渉を受け、それにビビる我が国はどんな国なのだ?と思ってしまう。


1/9(木)今期一番の寒波 降雪若干  外来+飯川病院 
1:45起床。本読み中心。7:00車病院着。回診+病棟業務、8:45-13:00外来。13:40飯川病院、午後急速に冷え始め、降雪。17:30帰宅。新聞、本読みほか。19:30夕食、20:30就寝。歩数計Σ2462Km。

「うま年」は何で「午年」なのか:わが家の「馬」の想いで
 久々の午年である。うま年なのになんで午年と表記するのだろうか?

 中国の殷の時代、12年でもとに戻る木星の位置を記すために空を12に分けた。それが十二支で、「子」、「丑」、「寅」、・・・と続く。これに大衆のために人間生活と関わりの深い動物12種を当てはめた、と言う事らしい。だから、干支としては由来に則って「午年」を用いるのだ、との事である。

 私はいま迄あまり干支など意識する事も無かった。昨年迄毎年年賀状をしたためていたからその年の干支は意識していたはずだし、「うま年」も5回ほどは経験している訳だが、たんと記憶に残っていない。今年は改めて「午年」、「うま年」か・・と思っている。

 私が幼少のときわが家ではずっと馬を飼っていた。昭和20年代の事である。当時、馬は農家にとっては重要な労働力であってたいていの農家には飼われていた。わが家は祖父が医師で開業していて、往診用に飼っていた。だから農耕馬よりは一回り小振りで「道産子」と言われていた。別棟の馬屋に飼われており、馬屋の前の広場は私の遊び場の一つでもあった。

 馬は目がやさしい。性格は温和でとても人懐っこかった。わが家の馬は私の友達でもあった。いま考えてみると「人馬一体」、「ウマが合う」などの言葉がある様に馬とは気持ちが通じあえる様な気がした。だから、好きだった。朝夕の飼葉を与えるときは手伝ったし、時には祖父が鞍に乗せて馬を引いてくれた。馬の背で経験する高い視野の世界は、暖かく、適宜動くから、屋根に登ったのとは全く別の世界に感じられた。

 慣れた馬は怖くはないが、馬の後ろには決して近づいてはならない、としつこく教わった。馬の視野は350度もあり、真後ろ以外は見えるらしい。だから、逆に馬の後ろはとても危ない。馬も警戒心が強く、馬に蹴られて怪我を負い、リヤカーに乗せられて運ばれてきた患者を数人見た事がある。

 積雪期には馬にはまたがらず、近所の方が馬を引き、祖父は馬橇に乗って往診した。私も時には付いていった。馬橇には風雪をしのぐ程度の簡素な幌が付き、足を温めるために火鉢も付いいたが随分寒かった事だけ覚えている。

 私が小学校に上がる前にわが家の馬は余所に売られていった。時代の流れだろう、往診はオート三輪の荷台に変わった。
 私はいまでもあの「やさしい目」を忘れていない。


1/8(水)寒波降雪なし  外来 
1:45起床。本読み中心。5:30ペットボトル集積所に。7:00車病院着。回診+病棟業務、 8:45-14:00外来と入院患者家族面談。15:00帰宅、 週一回午後なしの貴重な日。録画:映画「いぬの映画」終了、「NHK新春オペラコンサート」観る。新聞、本読みほか。19:30夕食、20:30就寝。歩数計Σ2462Km。

我が家でノロ? 11人中二人で済んでよかった 
 12月に入ってから県内でノロによると思われる感染性胃腸炎患者が増加してしている。
 ノロ性胃腸炎はかつては冬期間の食中毒の代表で、カキなどの二枚貝を加熱調理せずに食べるなどで発生したが、最近の散発的発症例は食品由来は少なく、多くは感染経路が不明である。最近はよほど大きな食中毒事件でなければ報道されなくなって来ている。私も救急診療にタッチしていないから、実態はよく分からない。

 私は「突然吐いたらハイター処理を」、と語呂合わせをして言い続けているが、新年早々わが家でノロによると思われる胃腸炎が発症し、ハイターが役に立った。
 年末から年始にかけて子供達も帰省してきた。賄いのAさんと息子ちの犬一匹、わが家の黒猫一匹合わせ大人8人、幼児2名、乳児1名の11人と2匹が一堂に会した。
 新年3日夜間から、成人の一人が、4日昼頃からもう一人が発熱、嘔気・嘔吐、下痢を発症した。感染ルートなどは考えつかなかったが、突然の発症と状況から判断してノロ性胃腸炎と判断した。

 幸い、わが家の2階には居室3室とトイレがある。二人を別々に隔離して、トイレは二人の専用をし、端切れに次亜塩素酸ソーダを浸してデスポの布巾とした。幸い正月で、昨日の食事は「おせち」中心で、自前の料理は殆ど火を通したものだったから感染は拡大しなかった。特に孫達に感染しなかったのは良かった。私は自家製フルーツポンチを独占して食べていたので次は自分かと思って半ば覚悟して待機していたが、幸い48時間経っても発症しなかった。

 ノロ性胃腸炎は一度誰かが発生すれば便や吐物などを介して容易に二次感染する。家庭内では家族の手指を介して次々と感染するから極めて厄介である。予防は食品の加熱と手洗いである。そうは分かっていても、特に幼児や認知症の高齢者がいる家庭では対応が大変である。たまたまこの日は、旬を過ぎた老医が二人、現役外科医一人、他の医療スタッフもいて、「アーでもない、コーでもない」と相談しながら対策したのが良かった。
 私も家庭内での感染対応は初めてで良い経験になった。

 要するに、ノロ性急性胃腸炎は激しい症状を呈するケースから殆ど無症状のまで幅広い。だから、この季節、特に流行期は明らかに他の原因が想定される様な場合を除いて鑑別なんて出来ない。私はこの時期の急性胃腸炎はノロウイルスによる、として扱っている。今回もその原則に則って対応をした。
 二人も比較的軽く済んでよかった。


1/7 (火)夜間積雪は2cmほど 曇り 外来+飯川病院
 0:30起床、何時ものパターン。医学文献、新聞などチェック。5:30家庭ゴミ集積所に。今朝は除雪なし、7:00車病院、書類他。外来混雑。一週間も空くと電子カルテ操作に迷う。14:00−17:00飯川病院。18:00帰宅、録音データ整理等。18;55夕食、20:45就寝。 

2014年(3)経済はどうなる? 
 安倍首相は年頭会見で「収入アップという形で景気回復の実感を国民に届ける」と宣言した。確かに,今のところアベノミクスはほぼ順調に推移しているように見える。ただし中央での話、大企業の話である。中央の市場には楽観論が充満している。年初の株価は続落したが、暮れの高騰を受けた一時的リバウンド現象との見方が強い。

 年内に平均株価が2万円を超すとの予想も出始めた。ただ,この好景気現象は真実の姿なのだろうか。人為的な日銀の介入などによる金融調整の結果、米国の好景気に連動しての現象であって,真に日本の経済が好転しているのだろうか。私にはそうは見えない。日本の活力が充実し始めたのではないように思える。 米国が量的金融緩和の縮小を決めた。これで、大規模緩和を続ける日本円の価値が一層下がり、円安株高が続くとの観測が強まっている。

 だから,豊かな資金力を持つ一部の企業はマネーゲーム的結果として好調だけであって、新たな投資や取引の活性化が生じている訳ではない。賃金は上がらない。設備投資は増えていないのは、多くの生産拠点を海外に移しているからなのだ、という見方もある。しかし,海外拠点でも現地の賃金が上昇しつつあり、利潤をあげることが出来難くなっている。私は世界的に切り込んでいくアイデアの欠如か、と思う。

 安倍首相は「収入アップで景気回復の実感を国民に届ける」 という。しかし、楽観的な経済見通しには、地方の人々の存在がすっぽりと抜け落ちているのではないか。少なくとも秋田に住んでいる限りにおいては、楽観的な経済見通しは信じられない。新聞紙上などで提示される景気回復などのデータは、どこか別の国のことかと思えてならない。

 現実的に見て、2014年の日本経済は、4月以降再び厳しい状況にシフトして行く。消費税率が8%に引き上げられると、間違いなく消費は落ち込む。従来の3%、5%の時もそうであった。日銀の黒田総裁は「増税直後の2か月ほどは実質経済成長率は一時的に下がるが、その後は回復していく」と強気の見方をしている。そうだろうか、従来とは国民の購買力は違っているのではないだろうか。

 増税のショックは大きいだろう。これを和らげるには増税の意義をしっかり示す事である。税と社会保障の一体改革はどこに消えたのか。経済再建に回るようにも見えない。加えて、来年には10%増税の論議が始まる。
 いろいろあるが、私にはよく分からない。政府の思惑通りに賃上げが実現するか否かが焦点になる一年だろう。


1/6(月)積雪5−6cm、寒波 早退し除雪 飯川病院
 1:30飯川病院で起床。新聞、文献、雑誌など読み。5:00以降患者対応頻回、7:00検食、8:30中通総合へ、重症患者回診、対応、新入院対応。健康クリニック休診なので10:00-14:00年休、帰宅。今期2回目の除雪、昨年の今日は12回目であった。14:00−17:00飯川病院。17:45帰宅、映画「いぬの映画」一部。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2449Km。

マグロ初競り、福袋
 (1) マグロ初競り
 昨年の1月5日、東京・築地の魚河岸で、マグロー本に1億5540万円の値がついてマスコミを賑わした。二つの寿司チェーン店が競り合って毎年高値を更新したからであった。 私は私企業のバカらしいお遊びととらえたが、オーナーは世間の注目を浴びるための投資だったとコメントした。金持ち私企業のお遊びだから勝手にせい、と言うにはちょっと引っかかる。それにしても、お金はあるとこにはあるもんだ、と思う。

 日本は世界のマグロの1/4ほどを食べているとも言われている。恐らく全世界的に話題になったと思われるが、各国の人たちはどういう感覚でこのニュースを見たのだろうか。対象が食品だけに恥ずかしい行為だと思う。

 今年も5日早朝に初競りが行われ、大間産の230Kgの本マグロが736万円で、今年は5年ぶりに1000万円を割り込み、落ち着いた価格となった。今年は、競り合ってきた一方が、最高値競争に参入せず、早々に競り落とされた。バカ値がつかなくてとても良かった。

 (2) 福袋
 正月の初売りの際に福袋なるものも話題になる。縁起物として結構人気があるようだ。福袋はデパートなどで年始用商品として企画される、袋詰めの商品である。多くは赤い袋が用意され、値段の数倍ほどの商品が入っているとされる。今年も数100円の廉価なものから2400万円ほどまであったらしいが、多くは1万円程度らしい。

 福袋には何が入っているか伏せられ、ささやかな運試し的な要素もある。ただ、最近は入っている商品を明かした福袋もある。家電店、家具店などでは袋の中に商品の目録のみ入れてある場合もある。福袋は客寄せの目玉商品であると同時に、在庫処分的性格も有している。

 高度成長期には福袋に客が殺到する様子、数10分で売り切れたとかが報道されていたが、最近はそれほどブームではなくなったようで、売れ残ることもあるようだ。

 私はいままで一度も購入したことがない。福袋を購入する方々の考え方を理解できない。たとえ金額的にはかなり得だとしても自分にとって不必要なものを一品でも購入する気にはなれない。ご祝儀的、新年の運試し的遊び?? そんな発想は私にはない。

 今年の福袋のニュースで目についたのは、プリンス系列ホテルで一年間宿泊できる福袋を1000万円で販売したが、買い手がなかったという。スイートも利用できるとので、仮に最高の部屋に365泊したら通常の料金は1億945万円だから、実に9割引きであった。どんな方を対象に考えたのか? 売れなくとも損失にはならないプランである。

 家内は2日にデパートのチョコレート売り場で福袋を買ったようだ。1000円で袋の中に1500円分ほどの商品が入っていたらしい。


1/5(日)曇り・寒波 飯川病院当直 
 0:20起床。新聞、本読み、徒然など。倦怠感若干4:00ー5:00微酔。終日体調不良で自室で過ごす。15:00息子一家盛岡に。16:40飯川病院当直に。18:00検職、18:30就寝。21:00患者対応一件。歩数計Σ2441Km。

2014年(2)近隣国との外交はどうなる? 靖国参拝は間違っていない
 衆参両院選挙を経て、自民党の独走態勢を築いた自信だろう。 安倍首相は対話の努力より、「数の力」を背景に優位事を進めようという姿勢が見え見えである。その一つが特定秘密保護法の成立に向けてのプロセスであった。

 その方向は外交面にも現れている。中韓に対しては「対話の扉は常に開かれている・・」と言う一方、「領土問題は存在しない」と明言している。私は外交関係問題は相手国のプライドを傷つけない配慮をしつつ対話に持ち込まなければならない、と思っている。互いの政府が明言した政策は外交協議なくし訂正や変更はしない。協議を通じて対外的に、対国内に向けて納得出来る落としどころを探らなければならない。中韓では「日本は悪意のある国」と言う教育をしているだけにそう簡単には後ろには引けない。

 中韓対策は重要である。多分、首相を悩ませている最大の懸案事項だと思われる。

 首相はこれに対して直接対話でなく外堀から埋めていく方策に出て来ているようだ。首相は就任から11カ月の間に、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟全10カ国を相次いで歴訪した。これはとても目立つ行動の一つであった。前日は国会で答弁していたかと思うと、翌日にはインドネシア、マレーシアで記者会見・・と言った行動力に対して私は感心した。その、狙いは対中問題を外堀から埋る包囲網の構築にあるようだ。貿易を経済成長戦略の柱とする政策を推進しつつ、 ASEAN加盟各国と協力しながら中国の影響力をそぐ方針に違いない。

 それで日韓との関係が融和に向かうのであれば、それも一方法である。

 しかし、年末に閣議決定した安全保障関連計画に、尖閣諸島周辺での中国との対立を念頭に防衛力強化を担う部隊の創設を明記した。加えて、首相が靖国神社を参拝した。逆に、緊張の度は高まった様な印象も持つ。
 ただ、私は、首相の靖国神社参拝は非難すべきでないと思っている。これを政治的カードに用いる中韓に問題があり、中韓の反応を見てビビる我が国双方共に問題があると思う。

 4月には、オバマ米大統領が訪日する。首相が言う「積極的平和主義」には日米同盟なしではあり得ない。そのために、国家安全保障会議(日本版NSC)を創設した。特定秘密保護法はそれを補完するためのものだとしている。本来は前者の方をもっと説明すべきだった。後者がそれから離れて一人歩きして拡大解釈されてしまった事で法の焦点・趣旨がぼけてしまったと思う。

 多分、同盟があるとはいえ米国の影響力は次第に様変わりしていく。その中での対ASEAN対策、対中韓対策を安倍総理はどうするのだろうか。近隣諸国外交の動きからも目を離せない。


1/4(土)曇り・寒波降雪若干 重症患者対応 餅つき+新年会
 1:30 起床。昨年分の録音データ整理。13:30重症患者回診、検査オーダーなど。風邪か?体調不良者2名。この2名除き15:00休宝寺に。16:30-18:30餅つきと子供たちを主役にミニ新年会。17:30新聞チェック。19:00就寝。

2014年(1)少子高齢化の先進国であるわが国の医療社会保障はどうなる? 
 総務省が敬老の日に合わせてまとめたわが国の人口推計によると、65歳以上の高齢者が過去最高の3.186万人となり、初めて総人口の25%に達したことが明らかになった。自他共に認める少子高齢化の先進国となった。世界が未だ経験したことのないこの問題をどのようにして乗り越えていくのか、世界中から注目が集まっている。

 かつて戦後の復興が世界の注目を浴び「日本に学べ」「Japan as No1」「Look east」などの熱い標語や著作物が氾濫したことがあったが、今後すべての国が迎えることになる少子高齢化をどう解決していくのかは静かな注目を浴びている。

 少子高齢化は国力の衰退に間接的に関与しており、衆目を集める様な名案はない。政治も社会も「模索」を続けている。その方向性はかつての良き時代に比較して高負担となり、対応は抑制的となる方向にある。

 昨年8月6日には「社会保障制度改革国民会議」の報告書が安倍総理に提出され,今後の社会保障のあり方に関する以下の方向性が提示された。(政府資料:一部省略し表現変更した)。
<<総論・・骨子>>
■「病院完結型医療」から「地域完結型」へ。地域ごとに病床の機能分化を進める。
■「いつでも」から「必要な時に必要な医療にアクセスできる」に
■ フリーアクセスを守るために「かかりつけ医」を普及
<<医療保険制度>>
■ 2015年度から後期高齢者支援金の負担方法を全面総報酬割に
■ 紹介状のない患者の大病院の外来受診に初・再診料の定額自己負担を
■ 70〜74歳の医療費自己負担割合を2割に
■ 高額療養費制度における所得区分を細分化し、よリ細やかな応分負担に
■ 難病と小児慢性疾患について、対象疾患の拡大する

 今後,この報告書に沿って具体的に議論されていくこととなるが,その具体化の段階では,国の財政難を理由に市場原理主義、混合診療、民間医療保険の拡大などが再び浮上してくることになろう。

 社会保障は、国の政治・経済・社会とリンクしており、これから独立しての保障政策などはあり得ない。国民は「生命と健康」と「国の経済発展」の狭間で選択を迫られていく。国民は誰しも自分と家族の「生命と健康」が最大の関心ごとと思われる。だからこそ政治・経済情勢に無関心でいてはならないのだ。
 


1/3(金)年始休暇 曇り降雪1−2cmほど 
 1:30起床、BGM聴きつつ読書三昧、文献整理その他。文献、新聞チェック、読書、読マンガetcでのんびり過ごす。15:00男鹿から息子一家来訪。総勢11人+犬一匹。大所帯となる。19:00夕食兼ミニ宴会、20:30就寝。歩数計Σ2431Km。

年末年始の思いで:おせち料理、今昔
 12月中旬になると、家内はおせち料理にくるう。といっても作るわけではない。おせちセットの予約注文にである。
 私はあまりおせち料理を好まない。特にホテルやレストランのおせちは私にとっては目が飛び出すほど高額あるが、あまり食欲をそそるものではない。最近の私にとっては正月は単なる暦上の変化でしかないのであるが、マスコミの影響で否が応でも年越しの雰囲気にのせられる。家内はそれに乗って、ほれお歳暮だ、おせちだ、餅つきだ、年賀だと落ち着きないが、とても楽しげである。

 子供のころ大晦日といえば、月末にかけておせち料理作りに大わらわであった。私も動員されてきんとん用の栗むき、サツマイモを裏ごしするなど、年に1度の大掛かりなご馳走作りであった。かまぼこ等は買ったが、卵焼き、きんとん、黒豆、酢の物・・など自宅で作ったものである。立ち上る湯気の中で餅つきもした。当時年末は一家をあげて忙しかったのだ。

 大晦日は早めに風呂を沸かし、下着も取り替え、夕食は何時もより早かった。おせちとは別の、豪華な食事で一年の労をねぎらった。その際には我が家で大切に仕舞い込んでいた輪島塗のご膳セットが用いられた。早めに片付けし、ラジオの紅白、あるいはTVで紅白を観ながらこたつに入ってみかん食べて、そぱすすって除夜の鐘を聞いてから寝た。

 翌朝、元旦は、私は誰よりも先に起きて家の男性を代表した立場で「若水を汲む」と言う習慣に則って井戸水を汲み、神棚に供えた。その後はみんなでおせちを囲んで、正月に訪れる年神様をお迎えした。重箱に詰めたおせち料理への追加はせいぜい吸い物程度で、三日間ほどは母達は殆ど台所に立たなかったから、おせちは女性方の労力軽減に役立っていた様に見えた。

 私の田舎ではお節は大みそかには食べなかった。一方、江戸のころは日が暮れると大晦日にご馳走を食べてどんちゃん騒ぎしていたらしい。その際に食べる料理はお膳だった。わが家の習慣に似ていた。明治5年に太陽暦になってから一日の始まりは午前0時となったが、その前の太陰暦では太陽が沈むと一日が終わる。要するに、大晦日の夜はもう次の日の始まりで、新年の始まりであったからおせち料理を食べた、ということ。

 というわけで、おせちは女性の労力軽減にあるのだ、と信じて疑わない私は、新年の三が日は家内が取り寄せたおせちを黙々とつついている。確かに、集まって来る長女、息子一家にも手が付いていないおせちの重箱を出せば一応歓迎の料理になる。そう考えればおせち料理のセットは便利である。

 一体、何時頃からおせち料理はセット品を買う様になったんだろうか。


1/2(木)年始休暇 降雪3−4cm・寒波 息子一家・長女一家来訪
 1:30 起床、パソコンのデータ2013年から新しい14年のファイルに更新作業。これが結構大変である。徒然ほか。9:40息子来秋駅に迎え、12:30孫・嫁来訪。3時間ほど過ごして男鹿に。17:00-18:45重症患者回診と対応、患者関連書類処理。19:30娘一家迎えて帰宅。20:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ2426Km。

徒歩通勤2014(1)歩数計から見た現在位置
 昨年3月から私は自転車をやめ徒歩通勤にした。天候、体調などを勘案しながら無理ない程度で歩数、歩行距離を蓄積している。勿論、バーチャルの世界であるが、歩行数、距離から推定出来る地図上で現在位置を記録している。

 12月中旬の初積雪以降、路面凍結天候不順等があって車通勤やバス通勤に頼らざるを得ない日が続き歩行距離が伸び悩んでいるのが悩みである。

 ■日本一周コース
 昨年4月以降、伊能忠敬の歩いたとされる海岸線に沿って私も歩いている。2014年の始まりは歩数計Σ2423Kmから始まった。今、青森県の下北半島で、本州最北端の大間崎を超え、津軽海峡沿岸を陸奥湾に向かっているところである。青森県の海岸線は744Kmと長いのでまだ県に入ってから45%で、北海道まではまだ480Kmもある。今のペースでは3月初頭までかかりそうである。

 大間崎と言えば大間産のマグロが年頭のニュースを飾る。今期も年末にかけて300Kg超のマグロが水揚げされたと言う。1月6日に行われる築地初セリマグロは果たしていくらの値段がつくのか。昨年は大間産マグロー本に1億5540万円の値がついてマスコミを賑わした。バカな狂騒と思うが、そのマグロが捕れる大間はここにある。

■四国お遍路コース
 9月20日から「四国お遍路めぐり1200Kmコース」を同時に味わう事とした。歩数計上のバーチャルな体験であるが、歩数計が故障したのを機会に並行して開始した。
 
 徳島県鳴門の近くの第一番「霊山寺」から始め、現在990Kmで「65番三角寺」に向かっている所である。座右には大きめの四国全図と参考書として出版文化社発行の「四国八十八ヶ所周辺ガイド」を置き、各霊場に関する由来等を学んでいる。なかなか楽しい旅である。一周まであと200Kmほどだから今月いっぱいで到達の予定である。


2014/1/1(水)年始休暇 強風寒波降雪殆どなし 飯川病院日直
 1:30飯川病院で起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じ。6:50検食、正月らしい和風のメニューであった。9:00引き続き日直勤務に。入院患者に特変なく平穏。読書、データ整理、音楽などで優雅な勤務であった。17:00車で帰宅、車も少ない。録画した紅白楽しみながら新聞チェックなど。19:00夕食、20:00就眠。歩数計Σ2423Km。

2014年元旦 明けましておめでとうございます
 秋田地方は12月末日から正月にかけて、強風、寒波が続いているが、殆ど降雪はない。
 積雪がない状態での正月は何年ぶりだろうか。今年は雪が少なくあってほしい。厚い雲に覆われ殆ど姿が見えない初陽に向かって祈願した。

 私は早朝、いつもの如く0:30amから起き出していつもの如くのワンパターン生活が始まった。元旦から日直でのスタートとなった。何となく今年の就業状態を暗示しているようだ。

 じつは、今月から私は午前は中通総合病院外来、午後は飯川病院に勤務にする事になった。ホントの所、私はいろんな事をやりたいのでいま以上の自由時間が欲しいのであるが、ちょっと時間ぐりが厳しくなる。飯川病院の院長の体調が今ひとつと言う事なのでやむを得ない。

 2014年の初日を迎えるにあたって特別変わったことはないのだが、開放感は大きい。まあ、なんだかんだで始まった新しい年の初日。我が家は夫婦とも健康状態は完全とは言えないがまずまずの体調で迎えることが出来た。これは大きな喜びである。明日は娘夫婦・息子一家も来るらしい。それも楽しみである。

 私は、政治、経済、社会、芸術、歴史など不勉強であった。毎日少しずつ、特に近代日本史を中心に学ぶ事に大きな喜びを感じている。遅々としているが成果が少しずつ見えて来ている。いかに自分が視野が狭く無知であったか自覚する日々でもある。今年も同じ目標で行きたい。本欄も継続したい。

 こんな事も含め、今年一年がいい年になるよう,心から願っている。
 まずは新年のスタートが切れた事を喜びたい。


徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail