2008年5月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
5/31(土)強風曇り・雨 病棟拘束 法人管理職会議+懇親会 家内退職
1:30起床。ドック総括x1。14:30家内帰宅。5:20バイク病院着、強風であったが快適。6;30回診他。病棟業務他、8:30救急カンファ。14:00-16:20法人管理職会議、発言者も理路整然、時間をほぼ守って整然と進行。5分に制限された締めの挨拶担当。16:30-18:00懇親会。18:20-21:00病院残務、21:20Taxi帰宅、22:00就眠.
家内が退職した(1) 明日は早速野鳥を聴く会に参加
家内が本日付で37年勤務した病院を退職した。
長い間、苦労様でしたと労いたい。尤も、6月中は嘱託医として残務整理と受持患者の診療にあたることになっている。
1971(昭和46)年4月以降、1年間の宮古病院勤務、2年間の秋田大学病理学教室での研修の期間は業務から離れたから実質34年間である。この間、小児科、内科(宮古病院)、外科、消化器科、病理(秋田大学)、消化器科、総合内科(女性外来、緩和ケアなど)と所属や業務が変わった。
この間、業務の能率はどうだったか私には分からないが、ウイークデイの殆どは午前様であった。特に子供達が独立してからはいつ帰ってくるか、果たして帰ってくるのか分からないような生活で決して健康的と言えなかった。
かつて、院長に過労死予備軍でないかと私が問うたところ、普通の医師なら夕方に迄に処理するところを午前までかかってやっているのだから対象外、との返事を貰い私もそれで納得したほどマイペース人間である。だからバテもせず長い間、今日まで続いたのだと思う。
長い医師生活の中、齢を重ねていく中で若干考えることがあったのであろう、退職を初めて口にしたのは2005年秋口に病気が判明した際であった。私も本人が良いならそれも良しと思ったが、この時は進退を対外的に明らかにしないまま少しずつ業務に復帰し、そのうち退職はうやむやになっていた。
今回は、冗談半分であろうが、3月中旬に私が胸部レ線異常陰影で精査と経過観察中である、と告げた時に、多分それはガンだろうし、既に手遅れだろうから看護、ターミナル・ケアでもしよう、と退職を決めたのだ、と言う。本心ではなかろうが何かの切っ掛けが欲しかったのだと思う。笑うしかないが、それも良しである。
ここ一月ばかり主治医の退職の知らせを診てショックを受けたなじみの患者さん達への別れの挨拶や今後のアドバイスとかで大変だという。確かに、病や不安をかかえた患者にとって主治医の存在は生きていく上での拠り所であり、その医師が退職すると言うことは患者にとって大変な出来事ということであることは容易に推察できる。この方々が次の担当医にうまく引き継がれていく事を願うばかりである。
家内は病を得てから学ぶ意欲もむしろ旺盛になったように感じられるし、興味の視野も広がったようだ。明朝は野鳥と歴史の会とかに参加すると言っているが、何も準備していない。この調子だと徹夜したままの参加になりそうである。
この、時間感覚欠如人間、超マイペース人間、真夜中の女医、に会わせながらの生活は私にとっても子供達にとってもかなり大変なことであった。それが明日からどう変わるか、楽しみである。
5/30(金)快晴 人間ドック診察 面談打ち合わせ
2:00起床。ドック総括他。5:20病院着、退院書類準備。6:30回診他。8:30救急カンファ、机上処理、講演準備、14:00人間ドック診察3名、患者面談打ち合わせ。21:00帰宅、夕食、22:00就眠。
高齢者の多い外来風景(1)高齢者白書に見る実態
政府は20日の閣議で2008年度版の「高齢社会白書」を決定した。
それによると、昨年10月1日の65歳以上の高齢者の人口は2746万人で、21.5%となっている。高齢化率は既に2005年にイタリアを抜いて世界のトップに躍り出ている。この地位はしばらく崩れない。
前期高齢者は1476万人で11.6%、後期高齢者は1270万人で9.9%、後者の伸び率は前者をしのいでいる。
高齢者の要介護者数も増えており、前期が3.3%、後期が21.4%と差が著しい。この差は概念的に理解できるが、変化や実態を余り反映していない。70-75歳は元気だった方が中気にかかりやすい時期でもあるので、語呂合わせをかねて中期高齢者と言うのも作ったらどうか、と思う。
主な介護者60歳以上の老老介護は55.9%を占めている。・・・などと言っている私もまもなく高齢者になってしまう。
秋田の高齢化率は2006年11月で27.5%で、10年間で7.1%もアップしていたから今年秋に発表される統計で高齢化率は30%に届くかもしれない。
ご多分に漏れず、私が担当する外来の高齢化率は著しい。午前外来で50-65人程度、14:00-15:00頃までかかる。これが、単に人数だけならまだ良いのだが、高齢者の一般的特徴に加えて個人差が大きく、結構大変である。
かつての高齢者の通院は比較的時間的余裕があったが、最近は結構忙しいらしく、うまくこちらの予約日にはまらないことがも少なくない。
元気で外交的な老人は、近所つきあいとかカルチャーとか老年大学とかでスケジュールに余裕がない。
元気が乏しくなると自分がデイサービスに行く日を確保する必要が出てくるし、連れてきてくれる家族の都合もある。
老老介護の方の場合は、ヘルパーが来てくれる日とか、病人がデイサービスとかショートステイに出かける日とかの都合もあるし、巡回入浴車が来る日でだからダメ・・等々でなかなか決まらない。 一人暮らしの方は、その日は亡くなった連れあいの月命日でお坊さんが来るので外したい・・などという。
これら予約に都合良い日が一発で出てこないから、あだのこうだのとなかなか決まらない。 診察よりも予約や処方内容の調整や確認に時間がとられる。私は外来にでるたびに疲弊する。
5/29(木)秋田・東京小雨
第2回都道府県医師会「公益法人制度改革」担当理事連絡協議会
2:10起床。ドック総括x1、文献チェックほか。5:10病院着、徒然送付。6:00回診他。8:00救急カンファ。指示書、紹介状など。9:45病院発、10:50ANA
767-300後席は30%ほどと余裕。浜松町書店5冊購入。14:00-16:10日本医師会館、第2回都道府県医師会「公益法人制度改革」担当理事連絡協議会。法律その他、難しい話題である。18:05JAL
MD-90満席。19:10秋田着、18:00医療安全推進会議。20:00帰宅。夕食。21:00就眠。
航空券の値段の差 大きくはないが、ちょっと引っかかる
本日は医師会の所用で東京出張であった。終日小雨で概して静かな日であった。尤も、移動時間はずっとノイズキャンセルのヘッドフォンを付けていたからか?
空路は復路は満席で苦しかったが、往復とも揺れも中等度で概して快適であった。
JRで駒込に向かったが、車内の液晶ディスプレイの一つはシンガポール航空が5月20日から毎日一往復航空日本への乗り入れを開始したAirBus
A380についての無声の画像を切れ目なく流していた。その他、社内の吊り広告、壁にはパネルでの宣伝があり、随分広告に力を入れていると感じた。動画で見る限り、確かに全体的に余裕のあるレイアウトで、これなら疲労も少ないだろうと思う。
最高の売りはスイートルームで、ダブルのベットとソファのある個室である。高齢のご夫婦の長旅などにはこれも良いかもしれない。
シンガポール-成田間は所要時間7時間。個室のファーストシートは80万円、ビジネス席は40万円、エコノミーは7万円だという。スイートルームの値段は不明である。
とにかく物理的規模で見てもすごいスケールである。利用コストも10倍以上の格差があるようだが、この巨大な機体を一定程度の利用率を確保してうまく運用できるのだろうか?かなり心配してしまう。利用率が低迷し、かつ、大部分がエコノミー客ならペイしないだろう、と要らざる心配をした。
本日の出張は一月前に決まったが、航空券の申し込みを失念していたことに気づき、数日前に慌ててJTBに申し込んだ。危惧したが幸いなことに往復とも確保できた。ただし、往路のANAは特割り、復路のJALは割引無し、とのことであった。最終便のANAだと特割りで購入可能とのことであったが、2時間の差は大きいので、そのまま購入した。往路と復路の値段の差は約8千円であった。
航空券は特割り購入が当たり前になっているから、その値段が正規の値段の様に思いこんでしまっている。だから、正規の値段のチケットの場合、プレミアム値段のチケットを買わされたような、変な感覚を持ってしまう。
一年ほど前には急用が出来て新幹線からJALに乗り換え帰秋したが、このときは当日買いだから正規値段で当然と納得したが、今回は不注意で注文を忘れていたし、ANAなら特割り可、ということもあり、ケチな私はちょっと損したな、と思ってしまった。
ただ、特割りで得をしたと感じるのは良いのだが、正規値段では損したと感じてしまうようでは、モノの値段の在り方として健全でないのでは?と思ってしまう。
5/28(水)晴 外来 県障害福祉課員来訪 県医師会理事会 定款改定委員会
2:10起床。ドック判定x1、文献他。5:20病院着。6:20回診他、8:00救急カンファ。
8:45-14:20外来。15:00県障害福祉課員来訪、打ち合わせ。16:30-18:30県医師会理事会、中座。18:30-20:00県医師会定款改定委員会。21:45帰宅、22:30就眠。
両横綱のいがみ合い(2)International
Sumo
Society(ISS)にしては?
相撲はどれだけの力士がいるのか皆目見当はつかないが、新聞等で見ることが出来る上位幕内は数10人程度である。少しずつ入れ替わりがあるが殆ど同じであり、場所中の対戦相手も殆ど同じである。角界という狭い閉鎖社会の中で似たような生活をしている仲間同志であり、勝負以外の交流はあるだろうし、部屋を超えた親しい間柄もあろう。また、勝負の世界とはいえ基本的には競技と言うより興業である。一人一人が生活者でもある。
私は力士同志で星の融通し合いは無いはずはない、そんな世界さ、と思っていた。
先日の横綱同志のにらみ合いは、勝負の世界に生きる者の厳しさの一端を見たようでとても良かった。
勝負でも何でもそうだろうが、トップの地位に上り詰めること以上に、その地位を維持するには、それまでと比較できないほどの努力、エネルギーが必要であろう。われわれはその努力の姿を直接目にすることがない。
その努力の継続には個々人の性格もあるだろうが、わき出てくる激しいモチベーション、緊張感が必要である。ライバル意識、羨望、収入、栄誉、人気・・、など何でもあり得る。ライバルに対する憎しみの感情すらも必要である。
一月ほど前、世界女子テニスランキング1位のエナンが突然引退を表明したが、緊張感が何かを切っ掛けに突然萎えたとしか思えない。どんなに体力があっても、技術があっても、モチベーションの萎えは決定的である。潔い引退、これも良し。
トップの地位にいる者の心理状況など、他人、特に私などに分かるはずはないが、少なくとも、物わかりの良い、融通、体面を気にするような者には勝負の世界で地位は守れない。プロ野球の監督がきわどい判定に興奮して飛び出し、審判に食らいつく姿、時に繰り広げられる乱闘さえも、私はその世界で生きる者の当然の姿だと思う。
横綱は心技体ともに高い完成度が求められ、品格を持って正々堂々と努めるべきで感情など土俵の上で露わにすべきでない、などと本来勝負師が備えているはずの緊張感、心理状態をムリに抑制しているから不自然で面白くないのだ。格式、形を整えるのは良いだろう。しかし、勝負師としての感情までも抑制し、それが品格、品位だとするならば不自然だ。
幕内力士の15人が外国出身者だという。しこ名だけからは私には区別できない。日本相撲協会をInternational Sumo Society(ISS)とし、年に一回はInternational Open
Sumoとして外国人やアマチュアも出場できる場所にしたら如何か?
イヤ、ここまでやって純粋に勝負だけにすれば、日本の国技とされてきた相撲は消滅するか。
それにしても、ブルガリア人の琴欧州が古い日本の伝統、しきたりに順応してここまで到達したルーツは何なのか、興味がわく。
5/27(火)晴
外来 法人常務会 医師連盟執行委員会 医局カンファ(欠) 長副会議
2:10起床。ドック判定総括、文献、5:10病院、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:45-16:50常務会、17:30-18:15医師連盟執行委員会。18:25-20:20長副会議。夕食、21:40帰宅、22:00就眠。
両横綱のいがみ合い(1)さすが勝負師、と私は喝采を送る
数日前の日曜日、病院で業務の合間に金聖響氏の本をちょっと読み始めたら無性に曲を聴きたくなって早めに帰宅、自宅でレコードでベートーヴェンの交響曲を聴きつつ書類など整理した。やはり私は自宅では未だCDよりレコードの方がしっくり来る。心静かにゆったりと楽しめる。
18時少し前、NHKニュースを見るためにTVをつけたらちょうど千秋楽結びの一番であった。
朝青龍と白鵬は共に優勝を逃したがやる気満々、緊張感が漲っていた。良い一番になると期待充分、立ち会いのぶつかりはさすが横綱同士と思わせる激しいものであった。
勝負は思いの外短時間で決まった。引き落としか何か、私には決まり手はなど分からないが白鵬が両手を土俵につき四つんばいになった。その時、朝青龍がだめ押し的に白鵬の身体を押した。決して不自然な動きでわざとやったとは思えなかったが、白鵬が立ち上がった際に怒りをあらわに肩をいからせ一瞬にらみ合った。このときに白鵬の身体か肘が朝青龍にあたったらしい。それだけで両者は引き上げたが、アナウンサー、解説者は即座に「横綱らしからぬ見苦しい失態を演じた」、と解説した。
私は素晴らしい一瞬を見たといたく感じいった。
翌日の新聞等にもこの場面の評価が載った。総じて「後味悪い。横綱は品格を持って正々堂々と努めるべき。だめ押しは相撲の流れだが、白鵬の態度は良くない、理事長が注意してけじめを付けるべき」であった。が、私は違う。あの場面で、あの瞬間のにらみ合いだけで終わらせた事だけで横綱としての品位は充分保たれた、と思う。
私は大相撲においては常になれ合い、譲り合いが存在するのではないかと疑問に思ってきた。だから大相撲はそんなに好みではなく、関心度も低い。新聞で見る限りの印象であるが、千秋楽では8-6で勝ち越しが決まった力士と7-7の力士が対戦すると大抵後者が勝つ。これは統計を取ってみれば面白いと思う。
うがった見方かもしてないが、朝青龍が復帰した場所でいきなり優勝されたら、相撲界は何なのだ、他の現役力士は木偶の坊か・・と思ってしまう。良いところまで行きながら優勝を逃す、次の場所では優勝・・、私の予想の通りにコトが進んだ、と思っていた。今場所は星の数から見て朝青龍が勝つはず・・と思ってみていた。結果はそうなったが、その後のハプニングがとても良かった。
私は「もしかすれば、私の考えが間違っていたかもしれない」、と私は先日の睨み合いの場を見て一瞬思ってしまった。
5/26(月)晴 管理会議
外来 療養判定会議 法人評議員会
2:20起床、淡々と業務処理、新聞チェック、文献整理。5:00出勤。6:30回診、紹介状作成。7:45-8:25管理会議、8:45-13:30外来、16:00療養判定会議。17:30-20:00法人評議委員会、懇親会。20:30帰宅。21:10就眠。
後期高齢者医療制度と原油、食料品価格高騰 評議員会懇親会にて
---前段略---
さて、今の医療界での大きな話題と言いますと4月から実施されております後期高齢者医療制度です。
確かに、改善すべき点は多々ありますが、最大の問題点は国民の医療をどうすればいいのか、という最も基本的な論議を抜きに、世論の高まりを背景に政争の道具として使われていると言うことです。そこの論議は主に財政関連を中心に論議され、高齢者に対して暖かい医療を展開するためにどうすればいいのかという視点を全く欠いています。
今後、この問題がどのように進んでいくか皆目分かりませんが、私どもは高齢化率の最も高くなる地域の医療機関として、高齢者を大切にした医療を今まで同様に推進していく所存です。
もう一つ問題をあげるとすれば、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した投機筋の原油への投機、バイオ燃料問題に関連した穀物に対する投機による穀物価格の高騰で、世界経済が大きく揺れ動いていることです。
従来、「価格は需要と供給のバランスで決まる」という基本的な公式があったのですが、今は贅沢をしなければ充分まかなえる量の原油や食料がありながら、投機家の指一つの操作で巨大な資金が頻回に出し入れされ、結果的に原油や食料品の価格が急激に高騰しています。しかも、それがコントロール不能であること、明日の価格が予測できないことなどで、世界経済にとって不定の要素ばかりです。
特に、我が国は原油も食料も諸外国に大きく依存しているだけに、その影響は計り知れないものがあります。食料品、日用品の値上げのニュースには事欠きません。なのに、日本は何でこんなに平穏なのでしょうか。私には疑問に思えてなりません。
このような状況の中で、与野党が政権論争している暇はないと考えます。いかにして日本の経済を立て直すかを真剣に論争してほしいものと思います。
目を諸外国に向ければ、発展途上国の、特に恵まれない人々の生活はどうなるのか、心配でなりません。それと共に、私どもも含めて大規模な医療機関は大量のエネルギー、食材を必要とします。だから、私どもにとってもこの問題は決して過小に評価することは出来ません。
このような不安定な経済状態の中で医業を運営していくのは困難が予想されますが、私どもには長い歴史を背景にした、親身な医療、暖かな医療は住民から大きく信頼されているという、無形ではありますが、大きな財産があります。
この無形の財産を背景に、今年度は「納得・安心・満足する医療の提供」、「医師確保等後継者育成」、「中通総合病院新築を視野に入れた強靱な経営基盤の構築」を柱としてあげました。
この基本に沿って今年一年努力していきたいと考えます。
-----後略----
5/25(日)終日雨 病棟拘束 泉tennis(中止)家内ゾンタクラブバザー
2:30起床、新聞一週間分チェック。ドック関連、退院総括下準備、文献チェック。7:45病院。8:30救急カンファ、重症患者対応。以降、患者関連書類処理。17:30帰宅、レコードかけつつ業務。20:30夕食、21:15就眠。
緑映え、花の咲く季節 霧雨に濡れた木々がきれいだ
桜の季節が終わると緑の季節である。
早朝通勤時に見る山々の木々が徐々に緑深くなっていく。道脇の家々の庭先のツツジなどの花々が満開である。夜の帰宅時は千秋公園の堀端のツツジが、やや暗めのイルミネーションの中で白と赤のモザイクが控えめだがとてもきれいに映る。この季節、通勤の往復、いろいろ楽しみが増える。
今の我が家の庭、庭といえるほど手を加えているわけではないが、今緑と花が実に豊である。特にツツジが満開で何とも言われない、華やかさである。これらの木々、花々は賄いの石井さんの手入れによって維持されていて我ら夫婦はただ観るだけである。今はまだ手を付ける時間も余裕も殆どない。
私は、実は造園に関しては微々たるものであるが経験があり、興味もある。
私の父は昭和37-8年頃、まだ定年までの期間はあったが、当時の村長と酒の席で口論した翌日突然退職した。父の性格からして良くそれまで耐えたと私は評価しているが、それ以降彼の日常は先代が残していった庭園の維持管理で、今から思えば優雅な晩年だったと思う。
昭和27年に火災で一部ダメになったが、その少し前に岩手日報の名園シリーズの中で紹介されたこともあったほどで、先代はかなりの手間とコストをかけていたのだと思う。父はもう既にそのような経済的余裕はなかったためもあろうが、全部自分で手入れして維持していた。
敷地が千坪で一部に畑もあったが半分以上が庭で結構広かったし、小高い丘、池、大木もあって一人では到底無理で、小学生の頃から私も遊びや勉強の合間には手伝うという日々を過ごした。大学の時はまとまった休みがあれば帰省して手伝った。だから、庭の灌木、ツツジ、松などを剪定しきれいな半球形に形を整えることや、生け垣のヒバをきれいに刈り整えることは得意である。
あれから約40年、庭木には全く手を付けていないが観る目はある、と思っている。だから、余所の庭先の様子にも興味が惹かれる。私もいずれはそういう時間がもてるのだろうか、と思う。
本日、霧雨であった。我が家の庭の花々、木々がしっとりと濡れて美しい。夕方陽が照ったのでちょっと写真を撮ってみた。
5/24(土)曇り 病棟拘束 患者面談
シェナ・ウインド・オーケストラ演奏会(空席無し)
2:10起床。ドック判定総括x1,徒然。5:20バイク病院着.6:30回診他、8:30救急カンファ。11:00患者家族面談。9:45別患者の家族面談。14:00シェナ・ウインド・オーケストラ演奏会は空席無しで入場できず。19:45帰宅、夕食、20:30就眠。
シェナ・ウインド・オーケストラ演奏会、空席無しで入れず残念
本日午後、金聖響指揮シェナ・ウィンド・オーケストラの演奏会がアトリオンホールで予定されていて私はとても楽しみにしていた。吹奏楽だから満席にはなるまいと高を括っていたのが裏目に出て、チケットがなく入場できなかった。
ネームバリューの高いオーケストラ演奏会以外では、秋田では先ず満席になることなどないので、驚き、落胆した。秋田は吹奏楽が盛んであることから高校生達が大勢押しかけたのかもしれない。
シェナ・ウィンド・オーケストラ横浜のみなとみらいホールを拠点に演奏活動をしている吹奏楽のオケとのことであるが詳細は知らない。しかし、指揮者は佐渡裕氏、金聖響氏などを迎えていることなどを勘案すればかなりのレベルの楽団だと推察される。
私は弦楽器好きだからオーケストラと言えば管弦楽団を指すが、吹奏楽にも独自の魅力というものがあることは、2006年6月に約40年ぶりに聴いた新屋高校吹奏楽団のコンサートで教えられた。その後、機会があれば高校のクラブの定期演奏会でも聴くぞと思っていたが、多忙で実行できなかった。今回、有名なシェナが来ると言うことで楽しみにしていただけに残念であった。
楽しみにしていたのは指揮の金聖響氏を聴いてみたかったこともある。
金聖響氏は1970年生まれと言うから私が医師になった頃生まれた若手である。1988年、ニコライマルコ国際指揮者コンクールで優勝している。最近の演奏活動はかなり旺盛で評価も高いらしく「音楽の友」にも頻繁に登場している。オーケストラアンサンブル金沢と共にベートーヴェン交響曲シリーズを録音し続けていると共に、対談による「ベートーヴェンの交響曲」が講談社新書として出版されている。私が興味を持ったのは後者を購入して呼んだことがきっかけである。
隅々まで聴き込んでいる交響曲を、言葉で表現しているのがとても面白い。この本を読むとレコードを聴きたくなる。新しい聴き方で楽しむことが出来るのでとてもいい。今、この本は自宅の食卓の脇に常に置かれている。座右の書ならぬ「卓右の書」になっている。
また、取り出すレコードは1960年頃のカラヤン指揮ベルリンフィルの初回の録音である。数10回あるいはそれ以上も聴いた版でとても気に入っている版であるが、この本を読んだ後で、あるいは読みながら聴くと新たな発見がある。
今月30日には吹奏楽団の雄とされる「佼正ウインド・オーケストラ」が来県し、県民会館で演奏する。またチャレンジしてみる。
5/23(金)晴れ 健康クリニック代診 ドック診察 法人理事会
2:00起床。ドック判定総括x1,医報投稿文校正、徒然。5:15病院着。回診他。8:50-10:20健康クリニック代診。重症患者対応。13:30人間ドック診察、患者家族面談。17:00-17:45療養病棟診療部会議、重症者対応。17:30法人理事会、18:30-20:20野呂田衆議院議員スリランカ・ラトナ章受章祝賀会。盛会であったが、私とは別世界、懇親会は出ず20:45帰宅、21:00就眠。
「様」か「さん」か「様様」か(4)患者は弱者でも、強者でもない
ついつい先日までは「患者-医師」関係の中で患者は弱者だった、といわれても反論出来ないような状況にあった事は確かである。
診察時に「先生、カゼ引いたようです・・」と言った患者が「おまえ達にカゼかどうか分かるわけ無い。おれが診断する」とこっぴどく怒られたと言うエピソードなど、事欠かない。私から見れば、医師にカゼは確定診断できないし、治せない。患者の「カゼのようだ」という症状こそ、唯一の診断の根拠であり、時間が唯一の治療手段である事は決して少なくない。
しかし、世が変わり社会も変わった。患者の権利意識は急速に伸びて来ていた。
平成11年の横浜市立大学の患者取り違え事件が一つのきっかけで、都立広尾病院事件、女子医大カルテ改ざん事件など大規模・先進的医療機関におけるずさんな医療や隠蔽体質が次々と発覚し、マスコミはこぞって批判的に報道し続けた。これらの事件は確かに個々の当事者の確認作業などを怠ったという問題点は指摘できるが、その背景としては人手不足、医師・パラメディカルの超多忙な労務環境があったのだが、それらについてまで言及した報道はほとんど見られていない。隠蔽体質やカルテ改ざん等については言い逃れることはできない。
一般の方々にとって大規模な医療機関の内情は知る手だてが殆ど無く、マスコミ報道が唯一の情報源と言っていい。だから、マスコミの一方的な報道、興味本位に誇張した報道によって国民の医療機関、従業員に対する見方が一気に変わってきた。
これらの時期とほぼ同じくして、多くの病院では患者を呼ぶときに「患者さん」から「患者様」に変えた。この動きは「医療は患者と医療者の共同作業である」という立場をとっている私には理解できないことであった。「患者中心の、患者の立場に立つ医療」を医療理念としている私どもの立場でも、患者を患者様と呼ぶ必要は何もない。患者さんで充分である。医療関係者の側が不用意に遜ってしまったとしか言いようがない。
かくして、患者-医療者関係は逆転した。モンスター患者、クレーマーが登場してきた。
一例であるが、夜中に発熱した幼児を連れた親が「小児科医を呼べ」とか、「昨日の診察医の態度が気にくわない。説明に行くから往復のタクシー代を出せ」、「お宅の病院で誤診された。医者を出せ」、「子供の怪我が長びいて部活が出来ない。家に来て子供に謝れ」、「普段忙しくていけない。病状説明を日曜の昼頃にしてくれ」、「母を100歳でも120歳までも生かしてほしい。ここに入院させたままで・・」、「・・・、院長を呼べ」などと枚挙にいとまがない。
これらの例は話題に出しやすいレベルの、ホンの一部であるが、相談窓口の担当者は状況を説明し、納得していただけるよう、ねばり強く、真摯に対応している。気疲れし、時間もかかる難しい対応が余儀なくされている。この対応の結果は逐一私に報告される。
5/22(木)快晴 外来 県医師会委員会
2:30起床、ドック判定総括x1、複雑で手こずる。その他。5:20Taxi病院着.6:20回診・関連書類他。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、混雑せず。紹介患者検討。19:00-21:10県医師会委員会。21:30帰宅、22:15就眠。
ネコの食事 最近のネコは食卓に興味を示さない
私のネコ歴は小学から高卒まで一緒だった一匹と、今いる3匹しかない。だからそれほどの知識もないが、ネコの食事と病気に関して言えば大差がある。
今のネコは私どもの食卓に一切興味を示さず、たとえ焼き魚など、本来ネコが好むものを並べていても盗られることはない。これは驚きである。
マンガの「サザエさん」は戦後の日本の世相が記されていていつも懐かしさを感じるが、方々に食卓や魚屋さんの店先から魚をくすねた「泥棒ネコ」を追いかけるシーンが取り上げられている。
昔のネコは私が責任とるから、と無理矢理頼み込んで飼ったのでかなり教育・訓練した。そうでもしなければ厳しい祖父さんの機嫌を損じて何時捨てられるか分からなかったからである。
ネコは訓練しても効果はしれたものであったが、奥の座敷には入らなかったことと、私が飼っていた鳩を放していても一度も襲うことはなかった点では訓練の成果が確実であった。
食卓に関しては、私が見ているときには食卓に上るようなことは無いレベルにまではしたものの、私や家人が側に居ないときや目が届かない様なときには時折盗み食いされた。私はそれに気づいたときには、あえて知らないふりしてしばらく食べさせ、食べ終わる頃に頭と尻を叩きながら諫めたものである。こんな事が週に何度もあった様に思う。だから、食事時間には結構気遣いしたものである。また、食事時には私は時折、おかずをワザとこぼして食べさせた。魚などだけでなく豆腐なども結構食べた。
昔は果物、野菜などをのぞくと結構同じものを食べていた。蕎麦やうどんを始め乳製品、菓子類などにも興味を示し、側に寄ってきて待っていた。いつも一緒にいたという感じがあった。
今の3匹は食品に関してはキャットフードだけで、私どもの食品には一切興味を示さない。この対比は見事である。
どれだけキャットフードが美味しいものなのだろうか、と私の方で興味を持ってくすねて食べてみたが、生臭くて美味しくない。今のネコはこんなに不味いもので満足しているのか,むかしのネコの食事は多彩だったな、とあらためて懐かしく思いだした。
5/23(水)快晴 外来 院内感染症対策委員会 県医師会郡市医師会長協議会+情報交換会
2:10起床。ドック判定総括x1,他処理。徒然。5:10Taxi病院着。6:20回診、書類他。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、16:00-16:50院内感染症対策委員会。17:20-18:45県医師会郡市医師会長協議会、18:55-20:45情報交換会。21:00帰宅、21:30就寝。
「様」か「さん」か「様様」か(3)
ついつい先日までは「患者-お医者様」関係であったが、世が変わり社会も変わった。
このかわり目の中で、医療界も変わらなければならなかったのだ、と私は思う。しかし、この時期、医師達はまだ古き良き時代の名残の中に安住しており、改革の動きは無いとはいえないが決して大きくはなかった。すなわち、大学の講座制という枠組みが強固であり、大学の地域の医療機関に対しての医師派遣機能は大学にとっても、地域医療にとってもメリットがあり、若い医師達は不満があれど転勤の命に従い、耐えて研修・修行してきた。
学問的にも修行したが、同時に物言わぬ集団にも育ったのだと思う。死ねば過労死の定義に当てはまるような厳しい労働環境に置かれた医師達が自ら発言し、改善要求していくことが重要であったが内部からはそのような動きはほとんど見られなかった。
この間、徐々改善されつつあったとはいえ、医療界は社会とは隔絶された環境にあった。時代の流れと共に実際の医療の現場で患者対応を始め、医療事故等に至る種々の確執が目立ってきたが、これらは医療提供者側の論理で処理され、「医師の常識、社会の非常識」などと陰口をたたかれるようになった。
このような確執は弱者擁護の立場をとるマスコミにとって報道対象として格好の対象であり、受ける側の興味や不満とも合致し、「医師を、病院をバッシングすれば売れる」事から、誇大な表現、表層的内容で、なおかつ興味本位に医療問題は扱われてきた。
患者の権利意識の高揚自体はあるべき方向であるが、教育界等各方面でも見られるごとく権利意識があらぬ方向にまで伸びていってしまった。特に医療の分野は受療側と医療提供側とが価値観が一致することは困難な分野であるだけに、誤解や無理解に基づく過剰な要求が医師や病院に向けられて来ている。この背景はマスコミの報道姿勢にも問題があったが、われわれ医療人にも責がある。
5/20(火)雨 外来 法人常務会 医局カンファ 県病院協会通常総会+情報交換会
2:00起床,神尾真由子Vn協奏曲録画観る。ドック判定総括x1,医師会・病院書類ほか.5;10病院着.6;30回診。8:00救急カンファ、8:45-13:35外来。14:45-16:30常務会。17:30医局カンファ、18:30-19:40県病院協会定時総会、情報交換会。20:00帰宅、20;30就眠.
「様」か「さん」か「様様」か(2)医療崩壊のルーツの一つ
患者と医師の関係、患者と医療機関の関係については、権威主義的上下関係があって患者側が辛い思いを味わってきたと言う歴史があることは認めざるを得ない。これは明治政府が国策として権威主義的、謹厳的なドイツ医学を導入したことから端を発したと言われている。このことが今になって医療崩壊に結びついたともいえる。
要するに、ついつい先日までは「患者-お医者様」関係であった。
確かにこの時期、患者や家族は医師の診察を受けるだけでも大変で、単に経済的問題だけでない、躊躇もあったと思われる。患者はよく医師に怒鳴られていたものだという。しかし、一方、この時期の医師達は患者のために自己を捨て、身を挺して頑張るものであるという、感覚であった。「患者-お医者様」関係の中で当時の医師達はそれに見合うだけの使命感も備えていた様に思われる。
私は親族に医師の多い環境で育ったが、最も身近であった祖父の仕事振利から上記のように感じていた。貧しい家からは診察料はいただかなかった。勿論、私が成長期に接しえた医師はたかだか数人だけだから偏見とされてもやむを得ないが、私は偏見だとは思っていない。医療の原点だと思っている。私は医師になる過程で、また、医師になってから現在まで接した多くの医師達から医学的知識はいろいろ教わったが、より大きな影響は幼少の頃に接した医師達から受けている。
つい先日までは「患者-お医者様」関係で、医師達は一般の方々から些かかけ離れた特権階級的存在であった。何しろ、「白い巨塔」が関心を呼ぶ一方で「在日日本人」という医師をバカにした名言もあるほどである。こういう扱いを先日まで無批判に享受していたことに第2の医療崩壊のルーツがある。医師達がもっと民衆に近づき価値観と情報を少しでも共有していたら・・、と思われてならない。最大の問題はマスメディアとの乖離であり、結果としての大衆との乖離である。
世が変わり社会も変わった。医療内容もより発達した。国民皆保険制度も施行された。ヒトとヒトとの関係も変わった。その流れの中で「患者の権利宣言」に代表される新しい患者と医師関係が芽吹き、徐々に医療環境も整ってきた。
この状況でも勿論多くの、また種々のグレードの問題点は内在していた。これらの問題点はクールに、論理的に分析され、良い医療が根幹から求められるべきであった。この点では力を発揮すべきは日本医師会であり、医育機関だったのだが、何しろ構成メンバーが「在日日本人」の集団だから出来るはずもなかったのだ。
我が国では医療システムの根本な欠陥の改善という面はお座なりにされ、主に医療現場に働くものに発想の転換、精神論的改善を求め、医療機関に改善を求め、小手先の手段でお茶を濁してきた。だから、トラブルや不満が高じてくると医師や病院が避難のターゲットになってきた。
5/19(月) 曇り 管理会議 安全管理者と検討 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床。ドック総括、文献検討。徒然、5:15バイク病院着。6:10回診、7:45管理会議。10:00-10;30安全管理者と打ち合わせ。秋田銀行振り込み、病棟対応、机上業務。16:00-16:30療養病判定会議。17:00-19:20長副会議、20:45帰宅、夕食、21:30就眠。
神尾真由子氏(Vn)のチャイコフスキー国際コンクール優勝記念コンサート
神尾真由子氏は昨年6月、第13回チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝した。日本人としては諏訪内晶子氏以来17年ぶりの優勝とのことであった。
今朝、2:00起床したら家内が10月にサントリーホールで行われた氏の優勝記念コンサートの録画を観ながら仕事をしていた。私も音楽雑誌等で神尾氏について興味は持っていたのでそれを観ながらドック等を処理したが、次第に引き込まれた。曲は「チャイコフスキーの協奏曲」と「タイスの瞑想曲」。
指揮は師の原田幸一郎氏、バックは日本フィルで、私は演奏内容など評価は出来ないが見事で充分楽しめた。神尾氏は1998年に11歳でメニューイン国際Vnコンクール・ジュニア部門で最年少入賞を果たしたあと、既に国際的に演奏活動を行っており、コンクールの受賞歴、優勝歴も10以上あるようだ。昨年のチャイコフスキー国際コンクールは満を期してのエントリー、優勝と言うことになるのだろう。
使用した楽器は1727年製作のストラディヴァリで, サントリーKKより貸与されている。画面で充分に観察することが出来た。
日本フィルハーモニー交響楽団も本当に久々である。驚いたのは団員の7-8割り方が女性、しかも若い方々であったことである。コンマスは美人であった。どこのオケも最近女性の進出が多く、メンバーが女性で置換されつつとされていたがこれほどまでなっているとは・・。
かつて男性中心のオケに対抗してか、女性だけのグレースオーケストラというものもあったと記憶しているが、こんな状態だと時代に逆行して男性だけで再度オケを作りたくならないのだろうか。
アンコールで演奏された「タイスの瞑想曲」は一応私も楽しんでいる、イヤ、苦しんでいる曲なので一層す素晴らしく感じた。
シベリウスのVn協奏曲も録ってあるというので、後に時間を作って再度観てみたいものである。
5/18(日)快晴 病棟拘束 泉tennis
2:30起床、ドック判定総括x1。新聞チェック。徒然。文章校正。10:00-12:00泉テニス。13:00午睡。文献チェック、攻勢。17:00-20:00病院、紹介状、総括。20:30帰宅。夕食、21:10就眠。
「様」か「さん」か「様様」か (1)
医療現場の患者の呼び方は「様」か「さん」でいろいろ論議を呼んでいる。
2001年の厚労省の委員会が当時の国立病院に対し「さま」でお呼びするよう指導してからなのか、ほとんどの大病院では「○○様」で呼んでいるようである。マスコミに登場する医師達の多くも、講演会等で中央からお呼びする演者も「患者様・・患者様」と連発している。乳児の病気のことをTVで解説していたある小児科教授が「この小さな患者様でも・・・」と述べたのには思わず笑ってしまった。
しかしながら、患者側の7割近くが「様」で呼ぶ事には批判的だとされ、医師も様々な理由から批判的な意見の人が多いという。私は「さん」で呼ぶことを推奨している。だから、「患者様」と表現する医師が登場するたびに気恥ずかしくなる。しかし、当院ではかつて「様」にすることが論議されたこともあって、まだ「様」で呼んでいる部署もあり、なかなか統一が図れない。まあ、当院は患者対応のマナーはそれほど悪いわけでないから、そんなに目くじらを立てるほどの問題でないと割り切って時間をかけることにしている。
院長の意向で何とでも出来る診療所の実情を調べれば医師の考え方がわかる。実際そんな調査もある。それによると診療所ではむしろ「さん」で呼んでいるところが圧倒的に多いという結果であったという。
ある診療所で試しに「様」で呼んでみたら何となく患者の表情がよそよそしく、ぎこちなくなり、「いまさら何でですか、よそよそしい」と評判も悪く、すぐに元に戻した、というところもあるようだ。やはり、診療所はかかりつけ医として医師・患者関係が暖かく、よりスムーズであり、良い医療の原点でもある。そんなところで「様」づけはそぐわない事にもなる。
私は病院の医師であるが「様」で呼ぶことに抵抗を覚えるのもそのためである。
ところが、最近、大きな病院で、特に救急の現場で多いのだが、「○○様様」として扱われなければ満足しないようなモンスター患者が受診し、受付や救急診療の現場、苦情受け付け担当者を悩ませている。
5/17(土)快晴 病棟拘束
2:20起床。文献データ集め、徒然他。5:15バイク病院着。6:30病棟業務、8:30救急カンファ。それ以降は総括・主治医意見書等溜まって書類作成。足下が広くなった。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。
「現地の住宅より、姉歯設計事務所の強度偽装の方が良い」・・は息子の弁
中国四川省で12日に起きた大地震の画像が次々と送られてくる。街の建物の大部分が形もなく倒壊している。すごい被害である。
倒壊した校舎は四川省内だけで6898棟に上ることを省当局者が明らかにし、さらに、住宅都市農村建設省は倒壊・損壊建物が、四川、甘粛、陝西の3省で約515万戸に達したと発表した。四川省内では校舎の倒壊で確認されているだけで1900人の生徒が生き埋めとなったとのことである。
阪神淡路大震災の20倍という、予想外の、すさまじい規模の大地震であったことは確かであろうが、希に倒壊を免れた建築物もあることから、規模だけでない可能性も取りざたされている。
中国では、24万人の死者がでた唐山地震を教訓に耐震基準も強化され、地域ごとに決められた、とのことである。日本とは地盤が異なることもあって、日本の半分程度の強度になっているらしい。耐震基準は4段階で、学校の校舎は下から2番目となっていうことから耐震性の低さが被害を招いたとの指摘がある。さらに加えて、手抜き工事や違法建築の可能性も取りざたされており、当局は復興の段階で調査する、としている。
中国から輸出された物品が我が国や諸外国で問題になっている事実などから無責任な立場で推定すると、手抜き工事が倒壊の一因となっている可能性は高いのではないか、と思ってしまう。それと同時に、2005年11月に耐震強度偽造問題で表ざたになったビル・マンション設計の姉歯建築設計事務所の事を思い出した。名前が珍しいこともあって忘れられない事件であった。
上海、広州で仕事をしている長男がたまたま帰っていたが、今回の地震と倒壊、人災の可能性についてもかなりの衝撃を受けたらしい。数日前に広州に戻ったが、出発の前に「現地の住宅より、姉歯設計事務所の強度偽装した建物の方が安心な様な気がする」と言っていた。側で聞いていた家内が、「何か丈夫な家具で身の安全を図ればいいよ」と提言していたが、平屋とかならまだしも30階建てのマンションらしいから、その効果は期待できないだろう。災害が生じないことをひたすら祈る事しかできない。
四川省では死者が3万人に近いと言う。ここにどれだけの日本人がいるのか分からないが,邦人の被害は伝えられていない。日本に残っている家族は何ともしようがないだけに、安堵していることだろうと思う。
5/16(金)快晴 外来代診 ドック診察 法人理事会 県医師会医療安全研修会(欠) 家内送別会
2:30起床。いつもの如く。5:10バイク病院着。6:20回診他、8:00救急カンファ。9:00-13:00学会出張医の外来代診。秋田駅で往復福島往復分キャンセル。15:00ドック診察。17:30-19:20法人理事会。医師会の医療安全講習会は出席できず。「夫の看病のため」と言う名目で退職する家内の送別会。21:00帰宅、21:30就寝。
前知事の佐々木喜久治氏死去 私にとっても印象深い方
5月6日、前秋田県知事の佐々木喜久治氏が都内の病院で死去された。前立腺がんで、享年86歳という。葬儀は明日17日秋田市で予定されている。佐々木前知事は副知事を経て1979年に知事選で当選、以後連続5回当選した。5選後に発覚した県庁の食糧費問題で97年に任期を2年残し引責辞任した。
魁年鑑によると、秋田の民選知事としては蓮池公咲氏(昭和22年-26年)、池田徳治氏(昭和26年-30年)、小畑勇二郎氏(昭和30年-54年)、佐々木喜久治氏(昭和54年-平成9年)、寺田典城氏(平成9年-)となっている。秋田県知事は概して任期が長い。私が秋田に来たのは昭和48年で、現在に至るまでわずか3人の知事である。
一般的には知事と言葉を交わす機会などそれほど無いと思うが、私は短いながら寺田知事も含め3人の知事と会話する機会を持った。役得である。また、佐々木知事がもたれた医療構想に反対するという機会がきっかけとなって私が県医師会執行部に入ることにもなった。そんなこともあって佐々木喜久治氏の訃報を感慨深く受け取った。
小畑氏は当時既に知事を退いていたが病気の治療の際に大学病院で主治医団の一人として治療にあたった。小畑氏は秋田県の発展に尽くされたとのことで人望が高く、マスコミの取材攻勢も大変であった。
その際、一度、10分程度であるが佐々木知事に小畑氏の病状をご説明する機会があった。その時の事は今でも覚えているが、4-5人の部長級のスタッフと一緒であったが、威厳、威圧感を伴い、体格以上に大きく感じる様な方であった。厳しい病状に深い悲しみの表情を浮かべて聞いておられ、言葉少なく去って行かれた。
佐々木知事は自治省の官僚出身とのことであるが、そのことと関連してか、秋田県県南に自治医科大学の関連病院を誘致する構想を知事が持っているとのことで、その是非を検討するため県医師会内にプロジェクト委員会が発足した。そのときになぜか私も委員の一人として指名され、参加した。
構想そのものに無理があり、地域医療にとってマイナスになるために賛同できないという結論に達したが、私は報告書で「卒後研修のための病院が自治医科大学に必要なのか」 (秋田医報No955 平成5年12月) の部分を分担し執筆したが、この委員会に参加したことが機になってその後に県医師会の執行部に参加することとなった。
そういう意味で、佐々木前知事に対して私は畏敬の念と感謝の気持ちも抱いている。
5/15(木)快晴 外来 ドック結果説明
2:30起床。5:00バイクで病院へ。6:10回診他病棟関連業務。8:00救急カンファ。8:45-13:50外来と人間ドック結果説明。以降紹介状や総括と格闘。疲弊した。20:45帰宅.夕食、21:30就寝。
大災害が続く われわれも危機管理の準備、シミュレーションが必要だ
ミャンマーでは、今月2日夜から3日にかけて大型サイクロンの直撃を受けた。被害の甚大さが明らかになる一方で、各国からの救援物資はまともに処理されず、20%ほどしか被災者に届いていないと言う人災も明らかになっているし、各国の支援関係者が入国制限されている。
12日夜の軍事政権の発表では死者は約3万2千人、行方不明者は約3万人で、後者のほとんどは絶望視されている。また、死者の4割が子供と思われている。
被害の実態はまだ詳細には判明していないが、方々のニュースから見て想像を絶する状況のようだ。米当局者は死者が10万人を上回るとの見方を示し、国連は深刻な状況にある被災者が150万人以上に上るとの見通しを示している。
食糧や水の確保も困難で、感染症の流行も懸念されている。災害による直接的死を免れても、生存に厳しい状況に追い込まれ、WHOを始め世界中の関係者を苛立たせている。
この国の軍事政権はいつまで続くのだろうか。
そんな中、12日、隣の中国で阪神大震災の20倍という規模の大地震が起きた。
四川省を中心に50万棟もの建物が倒壊し、1万5千人以上の生命が失われ、さらに2万7千人ほどが生き埋めになっているという。地震発生と同時に、中国は兵士を大量に動員した。
昨年末の大雪の被害では対応の遅れが激しく批判されたこともあったが、今回の政府の対応は迅速であった。温家宝首相が現場に駆けつけ陣頭指揮をしている画像は豊に配信されているが、被災した現地からの情報は不十分で、連絡がとれない人は数万人にのぼるという。だから、まだまだ被害は拡大しうる。
日本は5億円の義捐金と地震などで多くの救出経験を持つ救援隊の派遣を申し出た。当初は救助隊の受け入れを断っていたが本日受け入れを決めたという。ミャンマーの入国制限とは意味が異なるのであろうが、特に今回は北京オリンピックも控えており、自力で危機を乗り越え、国力を内外に示したいという思いが大きかったのだろう。救出には多くの人手と一刻も早い救出が必要で、日本も阪神大震災の時に救助隊の受け入れを躊躇したという苦い経験があるが、救出のためには72時間が分かれ目だというから、もう後手になってしまったのかもしれない。
両国で現地の医療関係施設もおそらく機能を失うほどの被害を受けただろうと思う。スタッフもかなり死傷しただろう。そんな中で医師をはじめとする医療関係者はどう活動しているのか。
これに近いことが秋田で起こる可能性はゼロとはいえない。特に厳冬の災害は特に恐ろしい。この際、われわれはどのように行動すべきか。県医師会の感染症等危機管理担当者として新型インフルエンザ対策も大事だが、災害対策についても安穏とはしていられない、と思いつつ情報を集めている。
5/14(水)誕生日 曇り→雨 外来 JR中央地区安全フォーラム講演 ドック診察 県医師常任理事会
2:00起床。講演・校正関係終了、他。5:10病院着。6:20 病棟回診、関連書類。8:00救急カンファ、8:40-13:10外来。14:00-15:10 JR中央地区安全フォーラム講演。16:00ドック診察。17:30-20:00県医師会常任理事会。病院へ。21:00帰宅、21:30就眠。
63回目の感謝の日 記念に講演を引き受けた
本日は私にとって63回目の感謝の日,即ち、誕生日である。
昨年は20人ほどの方々から声がかかったり、カードやメールなどいただき気恥ずかしさと共に受けていたが、今年は誰からも声がかからず静かな一日であった。
祝福メールは3件、ANA、JAL、長女からだけであった。家では一応、軽く声がかかった。
ANA、JALはマイレージ会員に機械的にメール発送の仕組みになっているのであろうが、開いてみるとなかなか美しい花やケーキの画像などなかなか良い雰囲気のカードになっている。両社とも競い合っている状況がうかがわれる出来である。
誕生日など、この年齢になるとなんて言うこともない。だから、私はずっと感謝の日と呼んで来た。ただ、この一年は健康問題でも懸案を抱えたからちょっとは何時もと違う感慨を持って迎えた。
幼少の頃の虚弱さを考えると今生きているだけでも感謝であり、もう言うこともないが、従来と異なったのは総論的な感慨でなく、何時合併症を生じるかわからない不明の不整脈発作、昨年8月の入院手術、今春の不明の肺野の陰影が見つかって、多少ながら生きていることの意義や、偶然性について考えることが出来た年でもあった。
そんな3月のある日、JRから講演依頼があった。かつて講演や講話は病院や医師会にとっても広報になるから「断らない」立場で受けていて、年に30回ほどにもなったが、院長になってからは準備の時間がとれないので年3-4回程度に控えている。そのために依頼件数はどっと減少した。
JRの講演日時は5月14日であった。この日でなかったらお断りしたかもしれないが、「感謝の日」の具現になるだろうと考えて引き受けた。そのために演題は先方の希望に添って「これからを豊かに生きるには」にし、内容は健康維持、老化、死の準備について述べ、時々に自分の生命観、死生観も挿入し、ついでに秋田でも迫りつつある医療崩壊についても言及した。これは、自分自身に対する節目ごとのまとめにもなった。そういう意味では良い一日になった。
で、明日から新しい日がはじまる。どんな日々が待っているのか、楽しみである。
5/13(火)快晴 外来 常務会 医局会・MC(欠)
2:30起床、文献検討他。5:10バイク病院着。6:30回診他。8:00救急カンファ、8:40-14:30外来、混雑。14:45-16:20常務会、17:30医局会。21:00帰宅。21:30就眠。
臨床研修病院が削減される(2)これでは医師偏在は助長される
新医師臨床研修制度は、初期研修の場を大学病院から地域の研修病院に大きくシフトさせた。一部の地方では研修医の数が大幅に減少し、地域的な偏在を助長した。研修医の偏在のもとになったのは、研修病院の募集定員が研修医数の30%と大きく上回っていること、その受け入れ数が地域によって大きく差があったことが偏在を助長した主要な要因の一つである。
そのために臨床研修病院の受け入れ数を、地域的な偏在を是正する方向で適切に調整する方策が取られるべきである。この受け入れ数の調整は需要と供給の問題、地域の医療格差の問題、研修受け入れ可能数などがあって、必ずしも容易でないと思われるが、研修医の段階で偏在をこのままにしておいては、その後のいかなる医師確保対策も実効が乏しくなる事が危惧されるからである。
今回の改正では確かに研修医の受入数は減少するとは思われるが、偏在をむしろ助長すると考えられ、問題である。
医師の偏在解消には医師養成数の絶対数の増加が必要であるが、それには準備も含めて10年近くを要する。その間は現状の環境の中では医療崩壊が進行していく為に、緊急的に受入数のアンバランスの調整が必要というものであった。
2年以上研修医の受入がない病院の指定を取消すことは、むしろ地方の臨床研修病院の数を減らすこととなり、地方の医師不足を助長することにつながる事になる。現に、秋田県でも有能と思われる研修病院のいくつかが指定が外れる可能性がある。
また、指定基準を満たせば新規に研修病院として認定されるという制度は病院機能の向上に繋がり良い制度であったと思われる。ただ、これをあるがままにしておくと受入数のみが多くなっていくという矛盾をかかえる事となる。県なり地域で研修医の受入数の上限を決め、各研修病院に分配するという調整が必要であった。これも困難を伴う作業となるが、そのための協議機関は各県単位にあるはずである。
今回の臨床研修病院の指定取り消し、新規指定を認めないという方法は研修医制度にとっても、医師偏在の解消という点から見ても賛同できない。
5/12(月)晴れ 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議
2:30起床。ドック総括、文章校正など処理。5:10バイク病院、6:20回診他病棟業務。7:45-8:25管理会議.8:45-14:30外来。15:00JR講演担当者来訪、打ち合わせ。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:20長副会議。20:50帰宅,夕食、21:30就寝。
臨床研修病院が削減される(1)これでは医師偏在は助長される
昨年は私が出席したが、今年も秋田県主催の研修指導者研修会が行われ、当院からも3人の医師が受講した。
今回の講習の中で東北厚生局から、「指導者講習会未受講医は臨床指導者として認めない」ことが臨床研修の要件として導入される見込みであることが話されたという。要するに、指導医が居ない診療科へのローテーションは研修と認めない、ということである。
臨床研修の内容の改善のためにはやむを得ない処置と思われる。
今後も計画的に指導医資格を取ってもらわなければならない。しかし、これが3日間缶詰め状態で行われるため、医師不足の中、診療科によっては出席が困難である。一人科長の診療科や緊急事態へ対応が求められる麻酔科など実に大変である。
情報交換の場ではどこの病院でも臨床研修への対応に四苦八苦しており、大学関係者からは制度そのものを廃止すべきだとの意見も出されたという。しかし、厚労相の医道審議会ではこの制度を後退させる意向はないとされている。従って大学では制度をうまく利用する様に変容していく対策をすべきである。
私は、大学は初期研修を止め、研修病院とタイアップを深めながらいわゆる後期研修の受け入れ体制を整えるべきだと思う。県内の研修病院の院長は一人でも多くの若手医師が秋田大学で研鑽し、ひいては秋田県の医療が豊になることを望んでいると思われるが、秋田大学と県内の臨床研修病院間の連携はあまり良いとはいえないと思う。
これとは別に、今春「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令」と「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令の施行について」が改正された。これによって、「2年以上研修医の受入がない病院の指定取消し」と、「研修病院の新規指定は行わない」ことになった。
新臨床研修制度が引き金になって医師の偏在が助長したが、その理由は卒業生数よりも研修病院の定員が著しく多いことが一因であり、その是正が求められていた。それに対応するための措置と考えられるが、今回の改正では研修医受入数は減少するとは思われるが、偏在をむしろ助長すると考えられ、問題である。
5/11(日)快晴 病棟拘束 泉tennis中止 来客
2:30起床。文献整理。8:00出勤。9:30-10:20打ち合わせ、泉テニス中止。12:00帰宅、12:30来客あり。以降講演準備。家内パソコン、再度Macに戻すことにし、調整した。文献検討、講演準備など。21:30夕食、22:00就寝。
200年住宅構想(2) 計画的補修と発想の転換が必要、さらに・・
日本人の平均寿命は80歳以上にまで延びているが、日本の住宅は平均すると30年で建て替えられていると言う。私はもっと住宅は長く使われると思っていたからこのデータは驚きであり、200年住宅構想は評価できる。
一気に6倍もの耐用年数を持つ住宅が実現可能なのか疑問な点もあるが、その道の専門家の一人である三澤氏は地元産の材木を豊富に用いることで、例えば柱を太めにして密にする、ジョイントの金属、配管、配線等をそれなりに準備する、定期的メインテナンスをシステム化し、耐久年数の過ぎた部材を点検・交換し、住まいの若返りを行うことで200年持つ住宅を作ることが出来る、と述べている。
確かに、材料、建築方法から見てそういう考えは成り立つであろうが、建築費用、メインテナンス費用はかなりなものになるだろう。建築時の経済面のサポートにも新たな仕組みも必要となる。
住宅の寿命を劣化させるのは最大の因子は雨漏り対策という。特に最近の住宅は屋根のひさしが小さく、壁で雨を受ける仕組みになっている。外壁のコーティングやパネルを通しての「隠れ雨漏り」は判断も難しいだけ対策が遅れると劣化に直結し特に問題だという。他にもシロアリ対策などいろいろの対応が必要になるが、定期的な管理システムの構築と定期的にメインテナンスに費用をかけるという所有者の発想の転換が必要となる。
今回、我が家でも外壁補修と強化、再吹きつけ、屋根の塗装、シロアリ対策その他を行ったが、費用は新築時のこの家の値段の1/3ほどに登り、ケチな私から見て目が飛び出る額であった。昨日保証書を見たら外壁等の保証期間は2年となっていた。確か10年は・・といっていたはずであったが、機能的には10年は持つはずだが、保証期間は2年という意味らしい。10年なら私も安心して・・と考えて依頼したのだが、ちょっとあてが外れた。
これからの住宅は子どもや孫達が代々住み続けるとは限らず、次々とユーザーにバトンタッチされながら使われていく事になるが、新築にこだわらない発想と建築規格の保証、リフォーム対応も重要となる。
等々、いろいろ考えられることもあるが、政府の本当の思惑は真に環境や資源対策にあるのだろうか?住宅建設を経済政策の道具にしようとしているのではないか?という疑問もわいてくる。内需を高める事が一番の目的でないのか?
本当に国民のことを考えているのであれば、まずは、今ある住宅の寿命をいかに延ばすかの政策、キャンペーンも同時進行であるべきだ。
後期高齢者の医療を経済的面から締め上げる前に、終末期医療の在り方、死生観の育成が必要であるのと同じ事だ。
5/9(金)快晴 秋田養護学校訪問指導 「21世紀の医療を守る会」打ち合わせ ドック診察
2:30起床、文献検索そのほか。5:10バイク病院着。今朝も冷えた。6:30回診他。8:00救急カンファ。机上処理中心。11:30-12:45秋田養護学校訪問指導。13:30-14:20「21世紀の医療をまもる会」打ち合わせ。15:30ドック診察。書類処理。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。
「白鳥の主治医にもなって大変ですね」 写真入りの新聞記事の反響は大きい
先に秋田県小坂町の十和田湖畔で発見されたオオハクチョウの死骸から、4月29日に強毒性のH5N1型鳥インフルエンザウイルスが検出された。ウイルスが強毒性と分かり、地元では家禽類などへの感染や観光客への影響が懸念され地元のメディアで大きく報道され、県民にも不安が広まった。
私は県の新興感染症対策部会の委員長をしている立場で地元の新聞、TV局のインタビューと収録を受けた。
5月1日の地元紙の社会面に私がパソコンに向かっている写真と共にインタビュー記事が掲載された。私自身もこんな風に取り上げられるとは思っていなかったので些か驚いた。次に感じたのはもう少し柔和な表情をしている写真を用いて欲しかった、と言うことである。同時に普段こんな表情しているのかと反省もした。
当日午後、会議、集会等でも「先生、鳥インフルエンザで大変ですね」と何度も声をかけられたが、私は新聞を見てなかったので「何でこんなに声がかかるのか?」と思ったが、当日の朝刊に掲載されていたからであった。
従来から新聞の記事の中に私の意見などが掲載される事も少なくなかったが、通常は殆ど反響がない。TV出演の後、あるいは会議等の収録映像の中で私も映っていた際などには、外来で患者から「見ました」と声をかけられる事はある。しかし、今回は昨日の外来まで多くの患者から声がかけられた。ただし、私がインタビューで答えた内容にまで言及した方は皆無で「写真が新聞に載っていた」と言うことだけである。その中のお一人が「白鳥の主治医にもなって大変ですね」と面白い表現をしてくれた。
今回、写真付きの新聞記事のインパクトは実に大きい、と再確認した。
強毒型H5N1型鳥インフルエンザウイルスは1月に英国でハクチョウの死骸から検出されたほか、今月になって北海道で見つかった死骸からも検出され、数日前にはソウルでも発見された。全世界的に見れば野鳥の死骸等からH5N1型ウイルスが検出された事例は数10例報告され、一部では野鳥の大量死もあったとされている。
もう、渡り鳥や野鳥の間でウイルスが蔓延しつつあり、何時どこで見つかっても不思議ではない状況になったのであろう。
新型インフルエンザの発症も一層間近になりつつあることを心しなければならない。
5/8(木)曇り 入院患者家族面談 外来 市救急隊本部員来訪 CT再検
2:00起床、文献検索、その他。6:20福岡に発つ家内を駅東口に送り病院。6:30回診その他。7:00入院患者家族面談、8:00救急カンファ、8:40-14:30外来、混雑で、6時間近くで疲弊。日本の医療の非効率性は改善すべきだ。14:50市救急隊本部員来訪。患者関連書類、17:45-18:50書類検討。20:45帰宅、夕食、21:30就眠。
「エイプリルフールでした」、と笑いたい(6)CTでも白のようだが・・
本日3回目のCTを受けた。
放射線科医師の評価では「やや淡く・・」、呼吸器内科科長・呼吸器外科課長達の評価は「経過観察・・」とのことであった。
私としての結論は「やや一歩白に近づいている様だが、結論はまだ持ち越し、というところである。正直なところ、先日の単純レ線での結果から、もう少し大幅に白に向いているだろう、と推定して受けただけに、方向としては悪くない方向にあるとは言うものの、期待は若干裏切られた。うれしさ半分、些かガッカリというという感じである。
しかし、3月19日の初回のCT時には、悪性疾患である可能性はかなり高い、と判断し、密かに身辺の整理をし始めたが、その時点のことを考えれば贅沢な、喜ぶべき状態といえよう。安堵7割、というところかな?
原因はなんだろうか?体調は全く悪くない。何らかの炎症の病巣と考えたいが、それにしては病巣に変化が乏しすぎるような印象も受けるし、炎症性呼吸器疾患に伴う全身的な症状、局所的症状は一切無い。
2週間、4週間の間隔で3回CTを受けたが、変化が乏しい病巣であることがわかったので、次回は8週以上の間隔を開けてからにしよう。懸案事項の持ち越しであるが、3月中旬に異常陰影を指摘されてからの日々はそれまでより一層充実しているような満足感を伴っている。
いい意味の副反応であるが、おかげでこの緊張感を今後も持ち続ける事が出来そうである。
5/7(水)晴れ 外来+人間ドック結果説明 院内対策委員会
3:00起床。文献チェック。5:10病院着、6:30回診+病棟業務。8:00救急カンファ、8:40-14:00外来+人間ドック結果説明。17:30-19:30院内対策会議。20:45帰宅,夕食、21:30就寝。
わが家のゴールデンウイーク2008
我が家では子どの達が独立して以来、ゴールデンウイークだからと言って特別何か予定を組むわけではない。
今年、家族として変わったことと言えば長男が帰国した事、同じ病院で働いているものの私にとって消息不明状態に近い次男が一度来て夕食を共にした程度かな。
懸案であった私の胸部レ線所見は経過が良さそうだし、筑後29年の家のリフォームも終了し、外見は奇麗になった。亀裂とかも修理されて耐久性も高まったとのことで、何となく良い気分で連休を迎えられた。
身の回りで変わったことは、次男からMacBook(G4)を譲って貰い病院のメイン機種の機能が強化された。CPUの規格から見て処理能力は高そうだったが、感じられる速さは今までのMacBook(G3)に大差はない。最大の改善点はデュアルモニター化したことで、これは能率的である。これを機に富士通のScanSnapS300Mを購入し、書類や新聞の切り抜きをPDF化できるようにした。
私の業務は、連日の病棟拘束と、5月4日(日)に日直であった。4日の午前外来はその間殆ど席を立てないほどの混雑振りで、その間救急車が3台であった。このうち一名入院とした。同時間帯は別室で小児科が診療していたから混雑はしたものの大人だけだったので助かった。
前半は早朝から夕方まで院内で溜まっていた業務をこなした。後半の5日、6日は病棟業務、救急カンファ後帰宅、2時間ほど泉コートで家内とテニス若干やり、午後は家の中の書籍、文献、ガラクタの片付けを行った。久々室内が広く感じられるようになった。
昨年あたりのGWに比較すれば若干は余裕があったと思う。昨夏以来久々にレコードなど取り出した。何時聴いてもいい音がするものだと感心する。一方、私の時間的余裕度を測るバロメーターの一つは楽器の練習であるが、この連休中は一度も取り出せなかった。
家内はこの間、業務上では比較的余裕があったらしく、病院は隔日程度、畑に出たり、買い物したりゆったり過ごせたようである。
今年もこの連休の評価はゴールデンならぬシルバーウイークとしたい。
5/6(火)雨→晴 病棟拘束 泉テニス
2:00起床。ドック判定総括,徒然。5:15病院着、6:30回診,病棟関連種々処理。8:30救急カンファ。9:50帰宅、10:00-12:00泉コートでテニス。13:00-14:00午睡。以降自宅で書籍整理。講演準備、19:00夕食。20:00-22:00就眠。0:30再度就寝。これで私のGWは終了。
オールド・ボロ・ハーレー(12)18年目のボロ車 今度はオイルを吹きだした
今年で18年目になる私のバイク、オールド・ボロ・ハーレーが昨年秋に前後輪共にブレーキが不調となって修理に出した。購入してから17年間で初の修理であった。修理は無事すんだが、時期的に寒くなってきていたので乗り回さずそのままガレージの奥に仕舞い込んだ。
今年は4月中旬から天候を見つつ通勤に使用しているが、調子はなかなかいい。
今春初めて引っ張り出してバッテリーを充電、エンジンをかけた途端、エアクリーナー脇から大量のオイルが噴き出した。私にとって初めての経験である。手をこまねいているうちにエンジンを濡らしながら300ml以上は吹き出たようで、ガレージの床面がオイルだらけになった。黙っていては発火の可能性もあるのでエンジンを切って点検したが、特に亀裂とかは無い様であった。昨秋仕舞い込むまでは何ともなかったのに不思議であるが、これだけの大量のオイル漏れを来たしたのは何らかの重大な故障と考え、ついにこれも寿命かと一旦諦めかけた。
「ダメでもともと」と考え、ディーラーの馴染みのメカニックに相談したところ「長期間放置した車体ではオイルが少しずつオイルパンに落下し、空気で置換される。このときにエンジンをかけると内部のルートがオイルで満たされるまでの間エンジン脇から吹き出すことがある。多いときは1リットルも吹き出す」とのことであった。故障ではなかったようである。確かに、試走している間に吹き出しは停止した。この間どれだけ吹いたかわからないが800mlほどオイルの補充が必要であった。
今回も何とか復活した。今までもアクセルを不用意に操作し、キャブ脇からガソリンを大量に漏れだしたこともある。マフラーからはある時黒煙を吹いたし、間欠的に火を噴いたこともある。いずれも特に故障というわけでなくプラグの掃除とかで改善した。
乗り始めてから18年の間、いろいろなことが生じてその度ごとに何事かと焦ったが、結果的にメカを理解する機会になっている。もう吹き出すものは無いはずである。
何しろ経年車である。次は何が生じるのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。
5/5(月)子供の日 晴れ後雨・曇り 病棟拘束 泉テニス
2:20起床、ドック結果等。そのほか種々処理。6:10病院、回診その他病棟業務、8:30救急カンファ他、拘束として対応。9:30帰宅。10:00-12:00泉でテニス。一時午睡、家の片づけなど。17:00-19:20病院で業務。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。
寺田知事どの、ちょっとおかしくないですか?? ソウル便維持 vs 秋田内陸線維持
秋田県の寺田知事は任期後1年ほどである。最近は子育て税問題とか、副知事問題でいろいろ物議をかもしている。県の財政立て直しにも懸命であるが、医療・福祉の面ではあまり高くは評価できない。
ところで、なぜか秋田-ソウル便の維持には必死である。
これの理由が私にはよくわからない。「需要がないなら止めればいい,ソウル便なら別路線もたくさんある」、と思っている。ソウルと我が国を結ぶ路線は青森間を含め14路線あるが、そのうち秋田便の利用率が最低である。韓国では秋田の知名度は低い。07年度の秋田ツアーは1.500人程度、北海道ツアーは19.000人ほどだから全然問題にならない。大韓航空が運用しているが搭乗率70%以上なければ採算はとれないとされ、これ以上低迷が続くなら撤退もあり得るとしており、県、というか寺田知事を焦らせている。07年度秋田県は1億2.700万円補助して維持を図った。これまでソウル便に投資した額は12億円以上だという。今年も維持に必死であるが相変わらず目標に達していない。
知事は、ソウル便維持のために「ある程度工費を投入せざるを得ない」と言い続けている。
一方、「秋田内陸縦貫鉄道」は角館-鷹巣館を結ぶ第三セクター路線であるが、赤字経営が続き、存廃が議論されている。
知事は4月25日、「秋田内陸線トーク」を開き市民らと意見交換した。住民からは「内陸線は大事な生活の足。何とか残してほしい」と切実な声が上がったが、知事は「可能性があれば残したい。必要がなければ止めればいい。赤字を垂れ流すなら存続は無理。いくらお願いされてもそれだけでは維持できない」と厳しい対応をし、「維持するために地元でもっと活用してもらいたい」と述べ、さらに「市長をはじめ、市議が真剣に論ずる責任がある。仙北、北秋田の両市が全員協議会を開いて、徹夜で方向性を決めるくらいのことをやってもらいたい」と注文をつけた。
上記の情報は主として地方紙から得たが、「秋田内陸線トーク」で知事が述べた内容はソウル便に対する私の意見としてそっくり返したい。
ソウル便維持以上に問題なのは秋田の経済低迷問題であり、医療問題であり、人口減問題である。これらの解決のためにソウル便が何らかの寄与するとお思いなのだろうか?
5/4(日)みどりの日 晴れ 病棟拘束 日直・午前外来
1:40起床,ドック総括x1。講演準備など。6:00病院着、6:30回診他病棟業務。
8:30救急カンファ。9:00-13:00救急外来担当。ほとんど席を立てなかった。夕方まで退院総括、患者病態検討関連業務。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。
長寿高齢者医療制度 メタボリック症候群 患者様・・呼び名を変えただけでは
最近は中身がなんにも変わっていないが言い方を変えるのが流行っている。単なる語呂合わせ等の冗談のレベルならまだいいのだが、真面目に通用させるとなるといろいろ問題が生じてくる。本質にヴェールをかぶせるような言葉は私は好まず、まず用いない。いくつか列挙してみた。
「後期高齢者医療制度」→「長寿高齢者医療制度」。これは最も新しい。どんなに名称を変えてもその本態は全然変わっていない。この名称は総理が考えたらしいが、名前を変える時期が悪かった。問題点がいろいろ吹き出てからの変更なので、むしろ批判が高まった。該当する高齢者も自ら「後期」高齢者として扱われていることを自覚し、怒るべきだ。
「内蔵脂肪蓄積型肥満症」→「メタボリックシンドローム」。これは今流行の言葉で学会も、医療関係者も、医政関係者も頻用している。それ以上に、肥えた患者に浸透しており「メタボ」「メタボ」と頻用する。自分ではデブとは決していわないのに、気楽にのたまわる。私はまずいわない。ちょっと本態とは異なるが私は今でも「メタボでなく、デブですよ」と言い続けている。自分から気楽に「メタボ」という患者はにこやかであり、改善の動機づけは無理で、まず生活習慣を変えられない。
「患者さん」→「患者様」。これのルーツは知らない。こういう呼び方をする医療機関、医療関係者は何を考えているのか理解できない。「様」で呼ぶとその後に続く言葉が柔らかくせざるを得ないから、という院長もいたが、言葉だけ変えても患者を大事にしなければならないという本質は改善しない。この呼び方はモンスター患者、モンスター家族を生み、医療崩壊に寄与している。
「亡くなった」→「千の風になった」。子供達がだんだん使うようになってきている様だ。この前もラジオで「おじいちゃんは去年、千の風になりました・・」といっていた子供がいた。これでは「いのち」の意味を教えられない。
「月経」→「生理」。医学用語でもないのに最近は医師も医療関係者も使う。この前,新患で受診した高校生に「月経」の様子を尋ねたら通用しなかった。
気楽な言い換えは楽しい。「消費者」→「景気回復貢献者」、「公的資金」→「失政・失策穴埋め金」、「生命保険」→「死亡保険」、「粛々と」→「適当に」、「公職選挙法」→「好色選挙法」などまだまだある。
5/3(土)憲法記念日 快晴 病棟拘束 MacBook(G4)購入調整
2:30起床。ドック総括x1他。5:50Taxi病院、6:20回診、関連書類処理.8:30救急カンファ。午前は次男から購入したMacBook(G4)の調整、周辺機器の整理など。午後は患者関連書類処理、講演準備など。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。
生活保護受給者は安価薬で我慢せよ(2) 人命、人権軽視
我が国の国民皆保険制度は医療関係者には厳しい制度であるが、国民の健康保持のためには、WHOも高く評価したが、世界的に見てもベストな制度であろう。
しかし、制度発足以来半世紀経過した。この間、時代が変わり、社会も変わり、疾病構造も替わり、医療供給体制も変わってきたが、大幅な見直し、抜本的な改革はおこなわれておらず、経済的に限界を迎えている事は確かである。国民の合意のもとに何らかの手を加えなければならないことは明らかである。
なのに、国は姑息的方法を次々と繰り出してきている。後期高齢者医療制度、後発品使用勧奨しかりである。頓挫したが株式会社の病院経営、混合診療問題も同様である。小泉首相は行政改革を進める際に「健康や生命を対象としたものも例外とせず聖域なく進める」、と明言して強力に進めたが、もたらされた結果は地域医療の崩壊であった。
我が国には基本的な考えとして人命軽視の風潮があるようだ。特別な時代と言えばそれまでであるが、零戦は当時最高の飛行性能を誇ったが、それはパイロットの安全保守関連の装備を大幅に犠牲にしたことで到達していた。だから、ひとたび攻撃を受ける立場になったとき極めて弱かった。特攻隊しかりである。長寿高齢者医療制度にも同様の姿勢を感じることが出来る。
安全性も効能も保証の限りでない後発薬品使用を勧奨すること自体、国民の健康・生命を守るという国の責務の放棄でないかと思うが、それを生活保護者を対象に強力に進めようとした事は、厚労省や政府が明らかに命を差別しているという事の具現化である。
桝添厚労大臣は28日の参議院決算委員会で「そんなつもりはないかった。文章が誤解を生むような役所的内容であった」と答弁し、改訂を支持したが、5月1日になって生活保護者への後発薬品の使用の勧告を厚労省が取り下げた。
取り下げたことは大きな価値があるが、どう説明しようと、取り下げようと、この問題の陰に潜む決定的問題が解決したと考えることは出来ない。
県医師会は取り下げた今でも抗議する予定である。
5/2(金 )快晴 人間ドック結果説明 吉岡法医学教授医学部退官の会
2:30起床、ドック総括x1。事務処理。医療事故関連他。5:10病院着、6:15回診、患者関連書類。8:00救急カンファ、9:00ドック結果説明。以降は終日書籍の整理と廃棄、文献チェック。退院総括他処理。病棟患者対応。18:30吉岡法医学教授と歓談の会。21:00帰宅、21:15就眠。
生活保護受給者は安価薬で我慢せよ(1) 従わねば手当打ち切りも 厚労省通知に驚く
全額公費負担で医療を受けている生活保護受給者は、安価なジェネリック(後発)医薬品を使ってもらう様に受給者本人に指導せよ、という内容の通達を厚生労働省が都道府県などに送っていた。
さらに、後発品の服用状況を調査し、指導に従っていなかった生活保護受給者には、生活保護手当などの停止や打ち切りを検討せよ、としているなど極めて強い内容の通達である。要するに、医療機関に受診の際、受給者の方から後発薬を処方するよう医師に求めることを強要している。
これは人権の面でも問題だし、医師の業務に対する過当な干渉でもあり、我々として到底看過できない。
後発薬は価格が安いが、先発品と同等の有効性など得られるのか?まだ実はわかっていない。国は後発品の認可時には、溶解の速さや血中内の濃度が先発薬と同じかどうかだけで認可し、「有効性や安全性は先発薬と同等」としているが、臨床的有効性、安全性を証明する客観的データはない。後発品メーカーにそこまでの詳細な検討を要求していないからである。
国は医療費高騰を理由に近年安価な後発品の使用を勧奨してきたが、後発品の安全性、薬効等の情報不足から責任を持って処方に踏み切れないでいる医師も少なくないためなかなか進んでこなかった。そのため、使用促進のために数々の施策を繰り出してきた。後発品を用いない医師や医療機関は診療報酬の面で不利な扱いにもなってきている。要するに経済的締め付けによる普及の促進策である。
これは命の価値のランク付けであり、人権問題である。医師の処方権、裁量権の侵害でもある。
医療経済の面から見て、国民皆保険を堅持するためにも信頼できる薬品であれば医師が後発品を処方することの意義は否定しないが、投薬対象患者を色分けして効果も安全性も確立されていない薬品の選択を強要するようなこと、しかも患者の方に後発医薬品を選択する様強いることは絶対に許されるべきではない。
しかも、処方される薬品によって生活保護の変更、停止または廃止を検討するなどは、理解できないロジックで、弱者いじめ、命の軽視そのものである。
秋田県医師会は政府・厚労省に抗議する準備を進めて来た。
5/1(木)晴れ
外来 ABS取材 救急隊・4病院協議会
2:00起床、ドック判定総括、その他。5:10病院。6:30回診その他。8:00救急カンファ、8:40-13:20外来。14:00鳥インフルエンザ関連のABS取材、本日夕のニュースで放映される。18:30救急隊・4病院協議会(救急本部)。20:45帰宅、21:30就眠。
■ 医療崩壊(28)「厚生労働省第三次試案」(4)医師法21条改正が盛り込まれた
日医は「新たな死因究明制度に関する厚生労働省第三次試案」に関する都道府県医師会担当理事連絡協議会を4月24日日医会館大講堂で開催した。この案はまだ問題は残っているが、私はこの案に基づき「早急に制度化すべき」と言う立場である。協議会では以下の如くの意見も出た。
■司法関係者が出席していると言えオブザーバーであり、権抑的に対応すると保障・明言したとしても信用できない。
この点に関してもかなり論議が交わされ、刑事捜査抑制に関しては確実な保障が無いのではないか、と言う論旨の意見が相次いだ。調査委員会の結論が出るまでは警察の捜査が開始されない、遺族が調査委員会の結論を不服として警察へ刑事罰を主張しても、捜査機関は調査委員会の医学的な判断を尊重して、原則として捜査を開始しない、となっているが、これは医師会側からの希望的観測でないだろうか、との意見は一部妥当と思われる。
しかし、刑事訴訟法、刑法を改正しない限り、警察はたとえ調査機関の通知がなくても捜査する責務がある。遺族には訴える権利がありのだから、医療上の業務上過失事故を一切捜査しないとすれば法的に矛盾をかかえることになる。
要するに、医療安全委員会を理念の如くに運用するためには、刑法で医療の業務上過失致死傷罪を親告罪にし、医療安全調査委員会の意見がない限り、捜査機関は捜査に着手できないようにすることが必要と言うことになる。しかしながら、現段階でここまで進めるためには何年もかかるだろうし、その過程でこの「第三次試案」自身が否定されるか、消滅してしまう可能性がある。
現状では嫌欲的に対応するとしたレベルで法制化し、実際の運用を見ながら次の改正を求めていくしかない、と思う。
■報告書が司法に利用されるのは納得できない。
報告書は委員会の最終報告であり、内容そのものは関係者に、また、プライバシーに配慮しつつ一定の方法で公表されるべきである。従って報告書が訴訟の資料として用いられるのは制限出来ない。しかし、報告書作成過程で得られた資料については委員会は捜査機関に提出しない方針としているのでこれが守られる限りにおいては問題はない、と思う。
討論の中で更に改訂して第4案の作成を望む声も上がったが、これが医師会案であるならばそれも不可能ではなかろうが、これは基本的には厚労省案であり、その判断の主体は厚労省であり、それほど自由度は高くない。医療行為はこの論議をしている間も切れ目なく行われているのであり、第二、第三の大野病院の如くの例が生じないとも限らないからあまり時間はかけられない。水も漏らさないような完璧な法にすることは不可能である。運用上で不当な福島県立大野病院の医師逮捕・拘留の様なことが繰り返されない様に出来ればこの立法の目的の一つは達成される。
また、医師法21条の改正も明記して、医療事故死亡の届け出を警察でなく調査委員会に一本化する方向にある、としたことは重要で高く評価しなければならない。
担当である木下常任理事は厚労省案作成に深く関与し、会員への説明も激することもなく、ねばり強く行っている。頭が下がる思いである。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |