徒然日記
2006年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


12/31(日)(年始休暇三日目)曇・降雪5-6cm 病棟拘束 家内日直
2:00起床、体調回復しつつある。ドック処理x1、ほか淡々と処理。5:00病院へ。路面の2-3cmの雪と水が朝方の冷えで凍り付いたのであろう、鏡面状態で運転はスリリングであった。回診、事務処理、8:30救急カンファ、入院患者不調で対応。ほぼ終日机に向かっていたが馴れないシステムでの総括作成に呻吟した。非能率で疲れ果てた。18:30帰宅、20:00夕食。TV紅白歌合戦若干観て、21:30就寝。

1985年5月6日朝、ヨーロッパオペラツアーから帰宅、荷物置きそのまま中通病院に初出勤
 大学を辞すにあたり貯まっていた年休を利用して移動日を入れて2週間の行程のヨーロッパオペラツアーに参加した。医師としての方向転換のための気持ちの切り替えのためにも有意義だったし、連日連夜ドイツ・オーストリア圏の文化、歴史、音楽に触れることが出来てほぼ満足した。最大の収穫はヨーロッパ自体に関心が深まったことで、その効果は今に至るまで十二分に生きている。その意味ではかけた時間以上の、持続的な大きな収穫となった。

 5月5日午後に成田に到着、東京文化会館で時間を費やし、寝台特急あけぼので帰秋した。次の勤務である中通病院には6日朝からの出勤することになっていたから結構タイトな時間配分の旅程であった。

 6:30秋田駅に到着、家に戻り一風呂浴びて病院に向かった。そういえば車を何処に止めればいいのか、何時何処に行けばいいのか、一切連絡を受けていない事に気づいた。ホントに出勤して良かったのかな?と疑問もよぎったがこれは杞憂であった。
 生活環境や就業環境が変わるときには期待と不安とが入り交じるものであるが、初出勤時に受けた印象はどちらでもなく、今までに味わったことのない、得体の知れない居心地の悪さ、とでも表現すべき異様な印象、感覚であった。一時的な、個人的な感覚かなと思ったが、結果的に数年間も抱き続けたし、当時とは比較にならぬほど薄れてきているが、一部は現在に至るまで持ち続けている。一体何なんだろうかと今でも思う。

 追記 2006年を終えるにあたり、拙文をお読み下さった方々に感謝いたします。有り難うございました。


12/30(土)(年始休暇二日目)曇・降雪3-4cm 病棟拘束  高野先生葬儀
0:30起床、やはり風邪気味。ドック処理x1、新聞チェック2週間分、そのほか淡々と処理。母娘、長男、ネコ3匹熟睡したので4:30病院へ、6:30回診、事務処理、8:30救急カンファ、10:30セレモニーホール平安へ、11:00-12:20元秋田赤十字病院副院長高野先生葬儀。遺影のすばらしさに感動した。葬儀に参加する度に次は我が身かといつも思う。13:00AKT石塚氏来訪、秋大のがん抑制に関する番組に関して意見交換。回診他。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。

私の一年 9-12月 そして、まとめ
9月
 全く個人的な感覚であるが、9月1日で院長に就任二年目を迎え、私は肩の荷がどっと下りた。就任3ヶ月後に襲ってきた激しい腰痛では一時辞任も考えたし、前からあった数日間持続する不整脈の出現頻度が増加している。寝不足と疲労が主たる誘因と考えられるが、精査も治療もしていない。年二回の検診の心電図時はたまたま不整でなく、一度も異常を指摘されていない。合併症が何時何時生じるのか解らない状態であるがせめて一年は持たせなければ、と真剣に思って来ていたから、当面の目標は達成することが出来た。これほど長く何ともないのだから恐らく今後も大丈夫だろう。

 下旬には「病院満足度民間ランキング」で当院が秋田県のトップ、全国的にも上位であったことが報じられた。通常こんなものはアテにならないよ、と無視しているが、結果が良いとつい乗って喜んでしまうから勝手なものである。でも単純に喜ぶことにした。

10月
 日医代議員会で看護婦不足の中での新看護体制施行の考え方を日医執行部に正したが明快な返答はなかった。私自身も病院の立場もあるので些かは気後れしながらの質問であった。

 がん連携拠点病院の推薦については秋田市内の4病院の内から最小限一ヶ所、あるいはそれ以上の病院を推薦するよう県の最終決定前日まで県医師会を通じて折衝したが、結果的には秋田市内の4病院は要件を満たしているものの絞りきれないという信じ切れない理由で推薦しないとの決定がなされた。県が判断できなかったら前回国が認めた2病院を出せば良かったのだ。私はこのがん連携拠点病院の指定こそ当院にとって本年最大のエベント、力になると期待していただけに大きなショックを受けた。その後、あらゆる機会を利用して県の怠慢を指摘続けている。

 ちょうどこの頃、昨年3月に受審した日本医療評価機能から認定証が交付された。私どもは僅か一項目の指摘によって認定に至らなかったが、麻酔科の体制もあって再認定の手続きを急がずに締め切り近くに提出した。結果として次回の審査まで18ヶ月の余裕も同時に手に入れることが出来た。時間はかかったがこの受審を通じて病院の機能としてハード面、ソフト面で随分改革が進んだ。もう受審前の状況に戻ることなど考えられない。しかし、受審を通じて得た最大の収穫は職員の結束力とパワーの再確認であった。 

11月
 9月に隣の若者からオンキョウ製のプリメインアンプを買い取った。私自身、残り少ない人生、何とかして買い集めたレコードをもう一度聴き直すためにレコードを聴く装置を身近に組み立てたい、と思っていたから、ちょうど良かった。私は装置の質にはそんなにこだわらない。アンプが余ったと言うことだけで購入を決定した。

 メイン装置からフォノアンプを外してつなぐことでいとも簡単にレコードを聴けるようになった。やはりレコードは良い。ホッとするものがある。古いが大型のスピーカーから出てくる音は余裕があってとても良い。以後、毎晩、帰宅して寝るまでの約30分と早朝2時前後からレコードを引っ張り出してはかけている。時に混じるスクラッチノイズなど殆ど気にならない。至福の時間である。

 昭和46年からCDの時代になり始めた頃までの10数年間で1000枚以上のレコードを購入した。100枚程度は知人に差し上げたがいま大量のレコードを所持していること自体、大きな負荷になっている。家族達にとってはゴミ同然のようである。何となくその日の好みだけで次々と聴いているだけではしようが無いので、まずモーツアルトの22あるオペラ全曲を聴きなおそうと今チャレンジ中である。大体半分は聴いたが、ものの5分も聴かないうちに寝込むことが多く、さっぱり捗らない。されど、寝る前にほぼ毎日至福の時間が持てている。サブ用にオートマチックのレコードプレーヤーを用意しておいて良かったと思っている。

12月
 病院内では11月末から発生した「ノロウイルス感染対策」に奔走した。ノロウイルスは今ではどんな季節でも発症するが、基本的には冬期間に多い感染症である。吐瀉物、便には大量のウイルスが含まれ、強力な感染力があるから、介護者や医療従事者も高頻度に感染する。医療従事者を介しての院内感染は大きな問題になる。一行為毎の手洗い励行は感染防止の基本であるが、私も手を洗いすぎて手荒れを生じ、物を落とす頻度が増した。感染対策委員会は今年も特記すべき活動成果を上げたが、今回の全国的ノロウイルス感染の著増で自然界にばらまかれたウイルス量はかなり多いと考えられ、外来や病棟の運用について再検討が必要との教訓も得た。 

感想
 豪雪に明け、ノロ対策に終わったこの一年、あっという間に過ぎたと思うが徒然を読み返してみると、あるいは項目だけをざっと眺めてみても意義ある毎日の積み重ねであったと再確認できた。我ら夫婦、家族一同体調もくずさず、大きな波乱もなく過ごし得たことは大きい。だから、目を外に向けることが出来たし、些少であるが社会貢献も出来た、と思っている。

 地域も、病院も、医療界も、秋田県も、日本も、アジア地域も、世界も、それぞれ大小様々な懸案を抱えている。地球レベルで考えてみても同様である。
 来年一年はどのような年になるのか、楽しみである。還暦を過ぎると一日一日の重みは徐々に大きくなっていく。だから、日々を大切にしていく事しかない、と思う。


12/29(金)(年末休暇初日) 降雪若干 寒波 病棟拘束 
2:20起床。3:00過ぎ家内帰宅、今年後半はすっかり前のペースになった。5:00病院へ。道路は2-3cm冠雪。6:30回診、患者対応、総括・紹介状など処理。私が担当している患者20数名は一人も外泊出来ない。だから私の日常の病棟業務は通常と全く変わらない。8:30救急カンファ。徒然、総括書など。13:00帰宅、新聞チェック他、若干午睡。やっと年賀状に手をつけた。18:30夕食。若干酔って20:00には就眠した。若干風邪気味かな?

私の一年(2)5-8月
 5月連休後から当院では病棟部門からオーダリングが導入されることになり、4月から研修会等が開かれ着々と準備されてきた。私はこの時期には療養病棟に30名ほど、一般病棟に4-5名ほどの入院患者を抱えていた。オーダリングへのスムーズな移行のためには必要事項を事前に入力しておく必要がある。オーダリングに使用するコンピューターはIBM製で私の苦手なWindowsがベースになっている。キーボードの仕様もフィーリングも全く異なる。機器に不慣れであったことと主治医として担当している患者が多かったこともあって、今年のゴールデンウイークはほぼ全部この準備に充てた。これでかなり慣れることが出来たが失った時間は大きかった。オーダリングは来年3月頃のフル稼働に向け、毎月毎月機能が拡大されている。慣れるのに苦労しているが身に付いた部分に関しては紙ベースよりはずっと楽になっている。今後が楽しみである。
 5月25日には当病院の創設期から今まで奮闘されてきた中谷名誉院長が死去された。大御所のお一人を失ったことになるが、これも時代の流れ、時間の流れと受け入れるしかない。

 6月には法人管理職会議において医療法改正に伴う看護師の新体制、7:1看護について初めて紹介された。全国的視野に立つと問題の大きい制度であるが、医療機関の立場で言えば無視できない魅力のある制度である。私はこれに関しては日本医師会、県医師会の立場と医療機関の長としての双方から検討を開始し、情報を収集し、各々の立場で発言してきた。同時にDPCについての検討も開始した。ちょうどこのころ藤里町で幼児殺しの犯人が逮捕され、次々と驚くような異常な事実が明らかになっていった。

 7月は東北各地で皮膚科医の大移動があったらしく、当院でもその煽りをもろに受けそうになったが、何とか最小限の影響レベルで維持することができた。各地の医師不足、特に勤務医不足の影響は直ぐ足下にまで及んできている。
 7月下旬には地域がん診療拠点病院に関する衝撃が走った。当院と秋田組合総合病院が国の要件を満たしていながら、県の推薦姿勢の問題のために認定を受けられなかったからである。これは当院はもとより県医師会にとっても大きな問題であり、これ以降10月末の推薦に向け病院間の調整、県の担当部署との調整、折衝を続けることになる。

 8月上旬に日本病院協会主催の病院経営セミナーが二日間に渡って開かれた。この会に出席する迄の間、新看護体制とDPC導入、療養病棟について如何に対応するか私自身迷い続けていたが、この会の討論を参考に前二者の導入と後者の扱いについて私としては結論を得た。折しも、前月に引き続き8月に入ってからも当院の外来患者数は低迷し、病棟にも空床が目立ってきており、運営上厳しい状況になりつつあったことも決定の参考になった。16日にはがん診療連携拠点病院について病院間の調整の初会合を持った。病院間の調整は可能との良いフィーリングが得られたが、実際にはそのようには進展しなかった。


12/28(木)曇り 一応御用納め 外来 内科病棟・療養病棟診療部会
 2:00起床、ドック処理x1、総括、5:05病院着。6:10回診。7:55救急カンファ、8:40-14:45外来、内科病棟診療部会は欠。17:00-18:00療養病棟診療部会。主治医意見書、退院総括。一段落したところで院内を見て歩いたが、どこも静か。御用納めの雰囲気は
どこにもなく静かに淡々としていた。20:30帰宅、夕食、21:15就寝。

私の
この一年(1)
 私は過ぎ去った時間、出来事をしんみりと懐かしみ、そこに拘る気持ちなどはさらさら無い。日々、瞬間瞬間を大切にし、物事には真摯に対応して来ているつもりではあるが、ゆっくり見直し考え直す余裕もないためか、その大部分は記憶にも残っていない。要するに日々の歩み、出来事を記録して置かなければ、無かったに等しい、ただ働き、食べて寝る、また起きるだけ、の空しい時間の推移になってしまう。だから、日々の記録をとることの意義は私にとって次第に大きくなっている。

 この2006年の一年は自分にとっては一体どんな年だったのか?年の暮れを迎えるにあたってザッと思い出してみた。

1-4月
 1月は昭和48年の豪雪を上回る雪で明けた。12月から既に数10cmもの積雪があったが、1月4日夜から5日朝にかけては一晩で70cmほどの積雪があり、通常の交通手段はあてにならず、車も出せず、私は2時間かけて歩いて出勤した。この雪の影響は4月下旬まで続き、大小様々な雪害を秋田にもたらした。
 1月上旬のNHK-TV特集番組「日本のがん治療の地域格差を解消する」において、秋田県はがん死亡率日本一であること、がん診療拠点病院がないことがことさら強調され極めて低レベルである、と断じられた。このことがきっかけとなり、年末までこの問題に関わることとなる。つい先日,秋田県が推薦した4病院ががん診療連携拠点病院として認定されたとの知らせがあって一段落したが、県医師会の立場で、病院院長の立場では何ら解決していない。

 2月には家内が無事還暦を迎えた。前年は夫婦揃って故障続きであったこともあって、親戚一同からお祝いと今後の無事を祈っての良い会を催していただいた。有り難いものである。
 トリノオリンピックのニュースの度に「トリノ・・」が「鳥のインフルエンザ」のことの様に聞こえてきて私の神経がぴりぴりした。県医師会の感染症等危機管理の担当として県のマニュアル作りには結構深く関与していたものの、独自の活動が出来なかったことが心の負荷になっていたためである。
 日本医師会の介護保険主治医意見書ソフト「医見書」のVer2.5がMacOS10.3以降のバージョンでなければ動作しないことに異見を唱えたのもこのころであった。私自身はメーリングリストを通じたアドバイスもあってOSソフトと日本語入力ソフトを購入して何とか凌ぐ事ができた。ITに詳しい立場では、古いOSは切り捨てられてもやむを得ないのだそうだが、一般市販品ならいざ知らず、古い年寄りユーザーが多い日本医師会のオリジナルソフトだと言うことを考えれば、未だに納得できない。Intel-Macに非対応だと言うことは更に矛盾に輪をかけている。

 3月上旬に県医師会会長直接選挙が行われた。医師会活性化のために画期的な改革であった。とは言っても立候補者は一人であり、実際に投票が行われたわけではないが、私は会長に立候補した小山田候補の副会長予定者となり、結果的に副会長に就任した。病院の業務だけでも手に余るほどある中での医師会活動を続けることを危惧する声も少なくなかったが、会長を補佐して厳しい医療情勢の中で秋田全体の医療を考え、中央に問題を発信できる立場にいることの意義は私的医療機関の院長としてもとてつもなく大きいと考え、自らの意思で引き受けた。副会長として十分に働いているかは今の段階では何ともいえないが、日本医師会代議員として、病院委員会副委員長として意見は述べているつもりである。また、3月末の日本医師会会長選挙では植松体制から唐澤体制に変わったが、私は縷々考え前者に投票した。

 4月以降、医療界はマイナス3.16%もの未曾有の診療報酬削減と、介護保険給付療養病棟の廃止決定、新看護体制施行などの数々の衝撃の中での病院経営が強いられることになった。医療界全般に及ぶ問題とは言え、地方の私的総合病院にとっての影響は大きく、病院の運営はとりわけ厳しいものになった。


12/27(水)雨・比較的穏やか  外来 年末挨拶の訪問数件
 2:30起床、ドック処理x1、紹介状、総括。5:15病院着。6:10回診。7:55救急カンファ。8:45-14:30外来、混雑し大変。16:10病棟患者対応。21:00帰宅、夕食、注文通り牡蠣フライであったが、いつものスーパーには置いてなかったというし、いつもよりずっと安かったらしい。関係者はさぞや困っているだろう。21:45就寝。長男長女帰秋した。

ノロウイルス猛威(4)余話 手荒れで物を落とす様になった
 今年は豪雪で開け、ノロウイルスで暮れる一年と言えそうである。ノロは幸い12月末になって勢いは衰えてきたように思える。ホッと一段落であるがまだまだ気を抜くことは出来ない。

 この間、私が担当している病棟でも数人の患者が罹患し,若い看護師達も何人か罹患した。私自身が回診や患者の処置を通じてウイルスをばらまく様であってはならじ、とディスポの手袋を着け、更に「一行為、一手洗い励行」を行ってきた。トイレは勿論、病室のドアも足で押し開け、ノブなどはペーパータオルを介して回し、更に手を洗う等、結構大変である。だから、この間手洗いの頻度は日に10数回にも及んでいる。幸い私自身は発症していないし、多分感染源にもなっていないだろう。

 最近目に見えて困っているのは、カルテとか書類を上手くめくれなくなったし、モノをよく落とすようになった事である。過度の手洗いによって手の荒れ、と言うか指先の脂分とか湿気が失われたためと思われる。ボールペン等の筆記用具、クリップ等はしょっちゅう落とす。万年筆を使うときは不用意に落とさぬよう気遣いを要する。外来等でカルテをめくったり処方箋や伝票を記載するのは量が多いだけに能率も落ちている。

 対策としてハンドクリームや保湿剤があるが、べと付いて不快である上に、逆に滑りが良くなってモノを落としてしまう。対策として水で湿らせたスポンジを机上に置いて使っている。今のところこれが一番良いようである。

 ノロウイルスは病院機能にも大きな影響を与えただけでなく、個々の職員にも大小の影響を与えている。今回のアウトブレークによって自然界のノロウイルスはかなり増加したと思う。これからは絶えず患者が発生すると懸念されるが、これからはインフルエンザも流行してくるから両者が一緒になれば大変である。それまでには何とかもっと沈静化させたいものだ。


12/26(火)曇 外来 法人常務会 
2:00起床、ドック処理x1、総括、紹介状他、徒然。5:10病院着。6:15回診、7:55救急カンファ。 8:40-14:30外来、超混雑。14:40-16:法人常務会。20:45帰宅、夕食、21:30就眠。

「フクダミツユキさーん」と大声で名前を呼ばれる気恥ずかしさ
  私は時に、月に数回くらいか、睡眠中に激しい腓返りを来たす。ただ事でないほど痛い。やおら起きて、屈伸する、歩く、揉む、風呂に入る・・で大抵治まるが、希に芍薬甘草湯なる和漢薬の世話になる。手持ちが少なくなったので処方するために数日前自分のカルテを受け付けした。外来診療が半ばまで進んだ昼近く、その日の診療介助担当の看護師が待合室で「フクダミツユキさーん、いらっしゃいませんか?・・」と数回大声で呼んでいる。これは私のことである。更に丁寧に私にカルテを差し出しながら「フクダさんはまだ来院されていない様です・・」とのこと。至極真面目な表情、一片の疑問の様子も曇りもない、良い表情である。周りの職員、私の前に座っている患者さんは必死に笑いをこらえている。

 この看護師さんは外来配属になって2年は経つ。私の診療介助も20-30回にはなっているだろう。マア、普段から目立たないように、ひっそりと過ごしたいと念じている私だから名前が知られていないことなど個人の立場では何とも思わないが、同じ職場の看護師さんにも名前が知られていない様では業務上些か問題かな??と思ってしまった。それにしても大きな声で名前を呼ばれるのは気恥ずかしいものだ。昨年は書店でつい長居をし、出発便に遅れそうになった羽田で、全館放送され、さらに搭乗口で係員から何度もメガフォンで呼ばれてしまったが、それ以来の体験である。

 更に追い打ちがあった。この連休二日間のかなりの時間をかけてオーダリングの医師指示を入力したがその内容に問題があったとのことで、病棟から修正すべき項目を多数記載したメモが自室にファックスで送られてきた。長副会議の後で疲れ切っていて、ガックリ来たが、宛先として丁寧な字で「梅田院長さま」とあったのが和みとなってやおらファイトが湧き、帰宅前に再入力し終えた。ファックスの送り主はキャリア10年ほどのベテラン看護師である。

 私のひっそりと生きたいという姿勢が、少しは生きているのかな?・・と実感した月曜日であった。


12/25(月)曇り 管理会議 外来 療養入棟判定会議  長副会議
3:00起床、ドック処理x1、退院時総括、持参の業務を淡々と。5:10病院着、6:15病棟回診+定期処方、机上業務。7:45管理会議、8:45-14:00外来、ドック結果説明。16:00療養入棟判定会議、17:00-19:50長副会議、懸案事項多数。21:30帰宅。夕食、22:10就寝。

親孝行、するなら親が元気なうちに ベットサイドの情景
 「親孝行、したいときには親はなし」は平均寿命が短かった昔からの言い伝えであり、格言と言うべきものであろう。やっと幾ばくかの余裕が出来て親孝行が出来るようになった時にはもう親は生きていない、としんみりとした人生の味わいを感じる事ができる。

 ところが、これだけ寿命が延びるとこれをもじった川柳などが次々と生まれてくる。例えば、「親孝行 したくないけど親がいる」、「親孝行 するには親が長寿すぎ」などなどは直ぐに思い出される有名な作品であるが、これはしんみりどころか笑い話の世界である。

 最近、親孝行という言葉など若い世代から聞くことはなくなった。ほぼ、死語になったのかと思うほどであるが、私は高齢の方々の医療を担当しているので周辺ではまだこの言葉は生きている。聞く度に良い言葉だと思う。が、言う方の感覚はかなりずれている。

 今この親孝行を口にする世代はかつて「ニューファミリー」と称された、親と同居をしないことが当たり前という新しい価値観のもとに自由に暮らし始めた世代である。その方々が子育ても終わり、子供達も親元を離れていき、定年を迎える年代になってみて改めて親子の関係をしみじみと考え直しているのだろうと思う。大体、ヒトはなるべき年代にならなければ解らないことが沢山あるのだ。

 高齢の患者さんの具合が悪いから、もう間もなくだから、と連絡するとこれまた初老の娘や息子達が駆けつけてくるが、この時点に至って親孝行をしていなかった事を自省するらしく、私にいろいろなことを言ってくる。「どんなに高額でも良い薬を・・」「人工呼吸器をつけてでも・・」「このまま(入院したままでなら)100歳でも200歳になるまでも生きいて欲しかった・・・」等々である。普段見舞いにも来ないで初めて見る顔の方々ほど、しかも、暮らしぶりが良い様に見える方々ほど無理難題を言ってくる。50年間以上もその機会があったのに、何もせんといて最期の場面に主治医に気持ちをぶつけてくる。

 何を言われても、求められてももう遅すぎるのです。ここまで至った高齢の患者さんには医療上はもう打つ手はありません、と得々と説明しているうちに看護師が「先生、呼吸が止まりました」と告げに来る。
 親孝行なんて親が丈夫なときに、喜ぶ顔を見れる状態でなければ価値も意味もないのだよ。


12/24(日)晴れ 病棟拘束  患者2名死去 
2:00起床、ドック処理x1、総括、主治医意見書、徒然などいつもと同じ。5:20病院へ、重症患者対応のため。道路に雪はないが表面の凍結で横滑り状態。8:30救急カンファ、以降オーダリング入力に呻吟。13:30帰宅、13:45病棟より連絡あり再出勤、高齢患者死去。そのまま業務継続。20:00帰宅。夕食、21:00就寝。21:20病棟より連絡あり再出勤、高齢患者死去。0:00帰宅、就眠。   

マツダルーチェセダン(3)第二次オイルショックの影響いろいろ
  わが家の子ども達にとっても成長期にはこの車で過ごしたからそれなりの思い出はみんな持っていると思う。私自身も同様でいろいろ悩み、かつ楽しんだ。
 その中で第二次オイルショック時にどう乗り切るかをいろいろ考えた事が今となれば懐かしい。
 第一次オイルショックは宮古時代に迎えた。1973年に第四次中東戦争が勃発。翌年の国内の消費者物価指数は23%上昇し、「狂乱物価」という造語まで生まれ、トイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動が生じた。当時ガソリンは40-50円/L、灯油は18Lで250円ほどであったが、その後、各々100円前後、700円前後と高騰しこれが通常価格として固定した。当然、日本の経済は大打撃を受け、夜間のネオンなど自粛されたが、当時日本は力強い成長期にあり、この難関を見事に乗り切った。
 第二次オイルショックは1978年のイラン革命により、イランでの石油生産が中断したため、イランから大量の原油を購入していた日本は影響をもろに受けた。ガソリンは一時168円/L程になったが、間もなくイランも石油販売を再開し、数年後には価格下落に転じて危機を免れた。日本の経済は第一次オイルショックの経験もあってかそれほど打撃を受けることなく乗り切った。その頃のわが国の活力は今思い出してもすごかったと思う。

 この間、私は友人からマツダのシャンテという軽自動車を譲ってもらい、一人で移動するときはもっぱらこれを用いてしのいでいた。360ccでも結構良く走るし、小さい車は小回りも利いて運転も楽しいものであった。

 車が二台あると言うことは実に便利であり、それまで免許取得などに興味を持たなかった家内が免許を取得し、私は家内の送迎という時間的にも物理的にも不便であった生活から7年目にして解放されることになる。
 しばらくシャンテで路上運転を練習させ、家内用に降雪時の便宜を優先してスバルの4WDレオーネ1300の中古を購入した。当時は4WDはジープくらいしかなく、乗用車版は極めて少数で、今から見ると黎明期のメカで問題も多かったが、冬場の車としての機能はFRのルーチェとは比較にならないほど優れていた。
 マツダシャンテはその後ディーラーの若いエンジニアに貰われていった。
 各々車を持ち、送迎や待ち合わせ等の時間調整が不要になった意義はとてつもなく大きいが、これを機会に家内は「家内」から「自由人」に変身した。

マツダ・シャンテ (gazoo.com 名車列伝より)

ルーチェ・レガート


12/23(土)天皇誕生日 曇り 病棟拘束
 
3:30起床、ドック処理x1、総括、紹介状など、いつもの如く。5:00病棟より重症患者2名について
連絡あり出勤、対応。その後、回診、オーダリング入力他。11:00帰宅、年賀状準備開始。16:00再出勤、回診他。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。昨年の今、秋田市の積雪60cmで 12月としては記録的状況にあった。今年は嬉しいことに0cm

ノロウイルス猛威(3)県医師会「ノロウイルス対策相談室」発足で電話ひっきりなし
 県内のノロウイルス感染症は12月に入ってから急に増加した。本来であればこのような感染症の蔓延に関して県医師会感染症等危機管理対策委員会が何らかのアクションを起こすべきだろうが、事の推移が早くて対応し切れていなかった。まだ対応策を十分体得していない医療機関や施設から何度か対応策を相談されていたから、このような方々を対象に予防対策、蔓延防止対策の実技指導を伴う講演会を開催することも考えたが、各保険所が対応しているとのことであったのでそれに任せることとした。

 県医師会としては先の理事会において「ノロウイルス対策相談室」を設置することとなり、私と2名の理事が担当する事になった。立場上私が主担当となり、対応できないときに他の担当にお願いすることとした。対策相談室設置のことが22日の地方紙に紹介されたが、反響は随分あった。22日は9時から15時にかけてひっきりなしに、約20本の相談電話がかかってきて、私は病院の仕事どころではない状態となった。

 相談の多くは中年女性で、家族が罹患しているが何時から登校して良いか、勤務して良いか、とか、夕べから家族の一人がお腹の調子が悪いがノロでしょうか?と言った質問であった。旅館業の方から浴室ではどんな注意が必要なのか?と言うのも来た。

 ノロに関しての基本的知識は結構家庭内まで浸透している様に感じられたが、実際の行動に結びつく知恵までは至っておらず、トイレの始末や台所での注意などを聞いてみればまだまだ問題がある様に思えた。

 22日は私は幸い外来担当が無く比較的時間調整が出来る日であったので、各々の電話についてはじっくりと指導した。これが来週も続くようなら外来等でとても対応しきれないが、新聞を見ての電話なので多分来週はあってもパラパラだろうと思っている。
 
 県医師会の相談室設置は10年ほど前の「O-157対策相談室」以来で、その時も私が担当であったが、それなりの意義はあったと言えるだろう。


12/22(金)ワクチン接種係 県社会福祉審議会身体障害者審議会 法人理事会 
2:00起床。寝不足状態。ドック処理x1、総括。紹介状関連書類等。5:10病院、6:30回診他。7:55救急カンファ、8:15感染症対策会議。9:00以降ノロウイルス関連の相談電話20件ほど。この間11:00-13:00ワクチン接種10数名。15:00-16:00県社会福祉・身体障害者審議会。17:30-18:20法人理事会。。21:00帰宅、21:15就寝、21:45電話で再出勤、患者死去。1:30帰宅、就寝。その後も病棟4回電話。

ノロウイルス猛威(2)、県内で1000人超!!  大館の食中毒はパンが原因?本当?
 県健康推進課は21日、県内では今年11月以降、ノロウイルスの感染者は1059人と発表した。県内では17年度の821人が最多だったから、かなりの数に上っている。原因は何だろうか?ウイルス自体の変異も疑われているが解明は進んでいない。

 二枚貝を介しての感染は有名であるが最近のノロウイルスによる胃腸炎の原因に二枚貝は殆ど関係していない。殆どがヒトを介しての感染である。にもかかわらずマスコミはワンパターンに二枚貝だ、牡蠣だ・・と言い続けるものだから、業界は減収で大変な状況になっている。今こそ牡蠣を食べよう。ただし生食でなく、フライとか鍋とかで十分火を通す必要がある。社会は助け合いが必要なのだ。

  大館市の8小中学校の児童生徒ら約400人に急性胃腸炎症状が出た問題で、パンが原因と疑われている段階で私は地元の放送局のインタビューを受けた。どの様なパンが供給されているかも解らない状態であったが、調理パンを除くとパン自体から感染する可能性は考え難い、その判断には無理がある、とコメントした。

 一方、県は19日夕方、ほぼ同じ時間帯に13日の給食のパンによる食中毒と断定し発表した。パン等からウイルスは検出されなかったが、8校の共通食品の一つがパンで、工場の従業員1人の便からウイルスが検出されたため、原因食品と断定し、大館保健所は製造元を8日間の営業停止処分とした、とのことである。パンは、前日に同社が学校給食用としてコッペパン、食パンを約1500個製造した。パンが原因なら焼き上げた後の袋詰め間にウイルスが付着したと言うことになろうが、どの過程で付着したかは解明されていない。

 焼き上げた後の製造工程が解らないので私も何とも言えないが、判断過程にスッキリしないものが残る。県は十分に検証して欲しい。同じ事を繰り返すことだけは何としてでも防止したい。私は秋田県新興感染症対策委員会の委員長でもある。その立場から県の担当部署に対して何らかのアクションが必要かな、と考えている。


12/21(木)晴れ 外来 医務薬事課訪問(新型インフルエンザ関連)来客面談数件            
2:10起床、ドック処理x1。5:10病院。6:30回診その他業務。7:55救急カンファ、8:15感染対策ミーティング、8:40-13:25外来。13:30県医務薬事課感染症対策班員来訪。15:00 QP KK来訪、16:00後期研修関連医師面談。21:00帰宅、夕食、21:40就眠。この後病棟からの電話5回あり。

居眠り防止用の頭位センサー付き眼鏡発売!! 興味津々、是非欲しい
  本日夕食時に新聞をチェックしていたところ、「居眠り防止用の頭位センサー付き眼鏡」発売、と言う興味深い記事が目にとまった。私はあまりモノを欲しがる方ではないが、BOSEのノイズキャンセル機能付きヘッドフォン「クワイアットコンフォート2」に注目した以来の逸品のように思える。本当に機能が良ければ是非欲しい、と思った。
 これは関西に基盤を置くビジョンメガネKKの「My Do Bururu」と言う製品で頭が一定に傾くとフレームの耳かけ部分に内蔵された小型モーターが振動し居眠りを警告するという。反応角度は4段階に調整でき、値段は4万5000円なのだそうだ。

 私は居眠り人間である。積極的に何かをやっているときには睡魔など無いが、一度受動的立場になると間もなく激しい睡魔が襲ってくる。いや、睡魔が襲ってくるときはまだ良い、さほど眠気を感じてもいないのにフーッと意識が遠のいてしまう事が頻繁にある。
 だから、運転中、赤信号による停車時、講演会聴講、各種の式典、諸種の会議は実に苦痛である。長々としたコンサートもほぼ同じである。昨年の入社式では新人社員の目の前で寝てしまったし、先週は就職内定者との懇談会の席上で総師長の講演の最中に眠ってしまった。イビキもかいたらしく、恐縮したが無意識化の事であり、ご容赦願いたい。

 実際どんなモノだろうか。手に取って試して見たいが、どちらかと言えばフレームに内蔵ではなく、今ある眼鏡の耳かけ付近に装着できる後付の製品の方が良いと思う。耳元で居眠りを警告してくれれば大助かりである。
 本当に機能的ならば、私自身への投資として決して高くはない。

★ ビジョンメガネ 居眠り防止機能付き、業界初の眼鏡発売


12/20(水)曇 外来 県医理事会 
2:10起床、ドック処理x1、退院総括、紹介状など。5:15病院。6:30回診その他入院業務。6:45患者家族面談。7:55救急カンファ。8:15感染症ミーティング。8:45-14:30外来+ドック結果説明。16:30-18:45県医理事会。病院に戻り業務若干、21:30帰宅、夕食、22:00就眠.

21世紀の医療を守る県民の集い(3)県民へのアドバイス
 本年1月上旬のNHK-TV「わが国のがん治療の地域格差を解消する」と言う特集番組ので、秋田県の「がん死亡率は日本一」「がん診療拠点病院が無い」ことで秋田県のがん医療のレベルが劣悪であるという論旨で放送された。

 その直後に私のホームページに以下の如くの書き込みがあった。何度か引用しているがこれが原文である。なかなか厳しい内容であった。「この間の、NHKの番組を拝見したものです。あの番組で、秋田のがん治療のレベルの低さを、まざまざと見せ付けられた感があります。私がガンに侵されたなら、一番先にする事は、一分でも早く秋田から出て首都圏で診てもらう病院を探すことだと感じました。そういう意味に於いては、県と医師会の怠慢を暴露するに非常に有意義な番組と感じ取りました。間違いでしょうか?」

 その時は特に返事はしなかったが、「21世紀の医療を守る県民の集い」で私が序の締めくくりとして県民へのアドバイスを述べたが、それが上記のメールへの一般論化した返事である。

● 秋田県にはがん診療連携拠点病院の要件に合致した医療機関は複数ある。認定を受けられなかったのは秋田県民の立場や医療関係者の立場を無視した行政のエゴ的判断によっている。

● 秋田県のがん死亡率一位は生活習慣と検診受診率の低さが主たる要因であって医療レベルの問題ではない。

● 秋田県民はがん罹患率が高いので、その原因となっている生活習慣、即ち高塩分食、喫煙習慣を改善すべき。

● 秋田県民はがん罹患率が高いが検診の受診率は低い。がんは早期に診断されれば治癒する可能性が高いので、県民はドックや検診を受け、早期発見につとめる必要がある。

● がんが発見されたら主治医と病状や治療、その後のことをじっくり納得行くまで相談する。

● 納得し難い時、より高次の判断が欲しいときには先進的と思われる医療機関に積極的にセカンドオピニオンを求める。自らの命、健康を守るために遠慮は無用である。

● 秋田のがん医療は決して遅れていない。治療は患者、家族、医療スタッフとの共同作業だから、住み慣れた、家族のいる秋田で、秋田県民の健康を守るために頑張っている医療スタッフのもとで受ける。

 先日の「21世紀の医療を守る県民の集い」では医療関係者の熱意は十分伝わったと思うし、30分時間を延長して出席者との間で討論できて意義は十分にあった、と思う。立案者の一人としてホッと安堵した。この成果をどの様に引き継いでいくか、どの様にして県民の健康を守るために生かしていくか、が次の課題である。


12/19(火)曇り  感染症対策ミーティング 外来 ABS収録    法人常務会 医局カンファ(乳がん関連) 物流システム学習会
2:30起床、ドック処理x1。いつもの如し。冠雪2-3cm。病院5:15着、6:15回診その他。7:55救急カンファ、 8:15感染症対策ミーティング。8:45-14:00外来、混雑。14:00大館地区のノロ感染に関して夕方のニュース用に急遽ABS収録。14:30-16:00法人常務会、途中で患者急変。新入院対応、17:30-18:45医局カンファ、乳腺外科担当。18:50-20:45院内物流システム学習会、21:30帰宅、22:00就寝。

秋田市では昨年の今頃、積雪30数cm。今年はまだ1-2cm。
 今年は持続的な降雪はなく、路上の冠雪はあっても一過性で、殆ど無きに等しい。雪は私自身の生活にも大きな影響を持つだけに、いささか嬉しい日々であり天に向かって感謝している。

 昨年は暖冬の予想にもかかわらず、-40℃以下のシベリア寒気団が南下して国内をすっぽり覆うことが何度もあった。雪は12月10日以降降り続き、湯沢で51cm、横手で46cm、秋田で37cmなど、昭和48年豪雪を上回る状況を来し、この頃の徒然には私も駐車場から脱出するのに一苦労し、翌朝にはタクシーにしようか迷った・・・、等々とある。病院の横にある私の駐車スペースは排雪場所として召し上げられ,代わりに今の場所に移されたのもこの時期である。

 今年の1月5日の豪雪は県民の記憶に鮮明であり、しばらく消えることはないだろう。その時の衝撃があまりにも大きかったので、12月中からもうこんな状況にあったことの話題性は相対的に沈んでしまい、話題に上ることはない。

 しかし、自然現象の中の、特に天候の異常は突然来るものではなく、必ず何かの前兆を伴うものとされている。新年早々の豪雪も決して突然発来したのではなく、その兆候は一月も前から現れていたことになる。

 その点、今冬は多分それほどの積雪にならないで済むのではないか、と淡い期待を抱いている。私は雪の季節もそれほど嫌いではない。しかし、「へその緒付き胎盤」に例えて説明すると何とか解って貰えるような我が家の立地条件を考えると、特に細い道路の除雪のことを考えると若干気が重くなる。
 今は、私が早朝に雪を処理し、日中は隣の若者や賄いの叔母さんが処理してくれて何とか助かっているが、私がいなくなったらどうなるのか??私にとって心配の種の一つである
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12/18(月)曇・降雪若干 寒波  管理会議 感染対策ミーティング    療養病棟判定会議 長副会議
1:00起床、淡々と業務。ドック総括他処理.この時間に起きればさすがに余裕あって良いが、続けるには無理がある。5:20病院着。6:30回診他、8:00管理会議。9:30-10:30。感染対策チームと対策検討。事務処理。16:00-16:20療養病棟判定会議。17:00-20:20長副会議。21:50帰宅、夕食、22:30就寝。

21世紀の医療を守る県民の集い(2)がん死亡率日本一は何故??
 NHK-TVで「わが国のがん治療の地域格差を解消する」と言う特集番組の中で、秋田県のがん死亡率は日本一であることも秋田県のがん医療のレベルが劣っているというもう一つの根拠にされたが、この論旨は間違っている。

 がん死亡率は全死亡者数の中におけるがんによる死亡者数の割合を人口10万人あたりで表現したもので、数値自体の信憑性は高いが、ただそれだけの数値でしかない。
 秋田県のがん死亡率は10万人あたり337,2人で全国の258.2人に比して高く、堂々と日本一である。ただし、このことから医療レベルを直接論じることは出来ない。NHKの番組の論旨は間違っている。

 がんの死亡率に関連する因子をざっと挙げてみても、●県民はがんに罹りやすいのか?●高齢者が多いからではないか?●他疾患で死なないからではないか?●がん患者は必ずがんで死んでいるのか?●治療レベルには問題はないのか?など挙げられる。

 これに答えを出すことは現時点では残念ながら不可能である。それは全がん登録がないことによっている。ただ、これは秋田に限ったことではなく、日本のがん医療のレベルの問題点の一つである。

 秋田県では胃がん、大腸がんの登録がある。だから、この二つのがんに関しては死亡率に関連する因子の分析が可能である。

 それによると結論は●胃がんの死亡率も日本一。●高齢化等の因子を除いた年齢調整死亡率も日本一。●がん罹患率も高く、年齢調整罹患率も高率であった。●従って、秋田県民は胃がんになり易く、患者数は多い。●一方、胃がん罹患患者数の中における胃がんの死亡率は全国49.6%、秋田県は47.9%でむしろ低い。●胃がんの5年生存率は外来診断例が47.2%。検診診断者は80数%と全国的に見ても良好である。●大腸癌でもほぼ同じ傾向であった。

 従って、秋田県の胃がん、大腸がんの死亡率日本一の原因はがん患者が多いこと、である。これではいくら医療機関が頑張ってもダメである。

 がん死日本一を返上するには、
● 塩分・喫煙等の生活習慣を改善させてがん罹患率を下げること。
● 秋田人はがん罹患率が高いから、早期発見のための検診受診率を上げて治癒出来るがんのレベルで診断し、治療すること。
●全がん登録事業を進めること の3点に集約される。

 上記が、12月17日の21世紀の医療を守る県民の集いで、序として私が述べた内容である。


12/18(日)風雪・寒波 病棟拘束 21世紀の医療を守る県民の集い
2:00起床、ドック総括x1。新聞整理。本日の会の司会他の準備。9:30-12:00病院。12:10総合保健センターへ。13:30-16:30「21世紀の医療を守る県民の集い」。ほぼ3時間、司会者の脇で壇上にいたから疲弊した。新聞関連の面談後18:00病院に。19:30帰宅、夕食、20:15就寝。

マツダルーチェセダンを購入(2)トランクにも子供を乗せた  
 車のディーラーは一定数販売するとメーカーから報奨金を貰えるとのことで、あと1-2台程度でその定数に達しそうな場合にはディーラーまたは職員が購入したことにして販売手続きし、車はそのまま中古車市場に卸すといった方法もとったのだと言う。その際には目立たぬように他県のディーラーの中古車販売網に乗せたらしい。私の購入したルーチェはその扱いの車らしく、2週間ほど前の初登録、青森からの移動の僅か250Km程度の走行距離で新車そのものであった。これで、80万円ほどの値引きで購入できたから、マア、掘り出し物と言える車であった。

 当時のレシプロエンジン車に比較して13B型のロータリーエンジンを積んだ このモデルの静粛性は驚くほどであり、エンジンがかかっていることを忘れてスターターを回したことも何度もあった。更に、5段のマニュアル変速であったが、クラッチはオートマチックと同じ原理とのことで、ニュートラル以外のギア位置でもクラッチペダルを踏まずに停止することが出来た。このメカはスムーズな発進と振動の抑制、静粛性のためとのことであるが、燃料消費には確実に悪影響があっただろう。日常の使用では4-5Km/L程度で、70L満タンにしても盛岡往復でほぼ空になるほどであった。
 この車を所持していた時の心の傷は昨年のPrius購入の遠因になっている。
 殆どの装備は電動アシスト付きで種々のセンサーも搭載された先進的なものであったが、後にはこれ他の故障に悩まされることになった。

 5人乗りであったが、我が家では8人家族であったから、私と子供達だけの場合には何とかなったが、隣の子どもも乗るときとか、大人が複数の時には子供を二人トランクに入れて移動した。トランクは広く、ここに幼児用の布団を敷き、換気のために蓋を若干開けて内側から紐で固定して走った。子ども達も結構喜んでトランクに乗ったものであるが、今から見れば危険なことであったと自省している。当時からワンボックスカーと言われるものはあったから、それを選べば良かったわけだが、その頃のは商用車の乗用車バージョンで魅力が無く、日常の通勤には不適だったので選択肢外であった。


12/16(土)曇り 病棟拘束  県医師会医療安全講習会
2:30起床、ドック総括x1、紹介状他、徒然。5:15病院着。6:15回診他,8:25救急カンファ。9:00ドック結果説明。以後は机上業務処理に集中。16:00-18:30県医師会医療安全研修会。この日医参与の弁護士の講演は何時聴いても解り難く冗長だ。再度病院へ。20:20帰宅。夕食、21:00就寝。

21世紀の医療を守る県民の集い(1)「秋田のがん医療は誤解されています
 今年一年間、秋田のがんの医療のレベルについて県民が不安になるような事象が次々と続いたために急遽「秋田のがん医療は誤解されています」と言うキャッチフレーズのもとに開催する事になったものである。

 その誤解される事象とは、
 ● 1月初旬、NHK-TVで「わが国のがん治療の地域格差を解消する」と言う特集番組が放映されたが、その際、秋田県のがん死亡率は日本一であること、がん診療拠点病院が一カ所もないことがことさら強調され、秋田県はがん医療レベルが著しく劣っていると断じられたこと、である。この番組は県民、医療関係者は大きなショックを与えた。

 ● 7月、ガン診療連携拠点病院に秋田県が推薦した13病院は全て却下され、がん連携拠点病院を持たない二つの県の一つになった。このニュースも県民に対しやはり秋田県のがん診療のレベルこんなにも低いのかというショックを与えた。実際には中通総合病院と秋田組合総合病院は国の認定要件に合致していたが、このことは県から県民には明らかにされていない。

 ● 10月末、2回目のガン診療連携拠点病院の推薦に際し、秋田県は秋田大学、由利、平鹿、仙北の4病院を推薦し、事実上より充実している秋田市内4病院からは推薦されなかった。このことは多くの県民にたいし、秋田市内のがん診療のレベルはそれほど低いのか、と奇異な感じを与えることになった。前回と今回の県の推薦に対し、秋田県医師会は強く抗議した。

明日、13:30から県総合保健センターで「秋田のがん医療は誤解されています」と題した県民との対話集会を行う。私も理事としてコーディネーターを務める事になっている。これは秋田の「21世紀の医療を守る会」が主催するものである。この会は秋田県医療4団体、すなわち、県医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会の呼びかけで結成した会で、現在のところ50団体が加盟している。この会による催しは今回で3回目である。


12/15(金)曇  ドック説明・診察  ノロ関連緊急医局会  年末大交流会(中止) 秋大第三内科忘年会(欠)  野生動物と音楽の夕べ
2:30起床、ドック総括x1、退院総括準備。主治医意見書、徒然など、5:20病院着、6:20回診他。7:55救急カンファ、ノロウイルス感染者30名ほどといまだに猛威。近隣の仕出しやも伝播の原因に。8:15感染症対策朝会。9:00ドック説明。研修医外来診療指導担当。入院患者関連事務的処理。17:00ノロ関連緊急医局会、19:30-21:10野生動物と音楽の夕べ(アトリオン)途中から入場。途中退席し21:45帰宅、夕食、22:15就寝。本日予定されていた法人の忘年会である年末大交流会は急遽ノロ対策のために中止とし、時間が出来たが同様の理由で秋大第三内科忘年会も欠席とした。 

ノロウイルス猛威、秋田県庁も庁舎一斉消毒  吐いたら「ハイター」
 本日午後は「新型インフルエンザ」関連で、医療機関としての準備状況確認のために秋田県医務薬事課員が来訪することとなっていた。私も面談の席に加わる予定であったが、正午頃突然来訪が中止となった。秋田市内の仕出し弁当のノロウイルスの件で庁内が騒然となっているため、とのことであった。食中毒対策は秋田市保健所の管轄であるから県庁が慌てているのも不思議だが、仕出し屋は2000食も供給していたと言うから、他の保健所領域へも広がったのか?と考えていた。

 実は秋田県県庁で、当該の仕出し弁当を食べた職員のうち52人がノロウイルスによる食中毒が原因とみられる急性胃腸炎症状を発症したため、庁舎内で職員や来訪者が二次感染しないよう、庁舎を一斉消毒する事になったらしい。県では、県警など含む4庁舎のトイレや洗面所など100カ所以上を一斉に清掃、消毒する、とのことである。

 ノロウイルスなどによる感染性胃腸炎が今年は全国に拡大している。1989年の定点調査開始以来、過去最高となっている。青森と沖縄を除く45都道府県の293保健所管内で注意喚起の「警報」が出ている(厚労省)。大部分はノロウイルスが原因とみられ、症状は、下痢や嘔吐、腹痛などで、治療は一般的対症療法のみで積極的治療法はない。大概は数日で後遺症もなく改善するが、抵抗力の弱い乳幼児や高齢者では、死亡例も出ている。秋田でも最近ノロウイルスによる感染性胃腸炎に罹患したあと高齢者が一人死亡している。

 ノロウイルスは、カキなどの二枚貝を十分に加熱調理せずに食べるなどで感染する。それ以上に重要なことは、患者の便や吐物などを介して容易に二次感染することであり、家庭内だけでなく、医療機関、保育園や高齢者施設などで病児を介護する母親や家族、福祉施設の従業員、医療機関の従業員の手指を介して次々と感染を起こすから極めて厄介である。私どもの病院でも対策に苦慮している。

 各保健所などは手洗いなどによる予防を呼びかけているが、この時期、各家庭でも漂白剤として流通している次亜塩素酸ソーダ製剤を消毒剤として用意して置くべきである。吐瀉物、便にはウイルスを大量に含むから捨てるものはビニール袋に密閉し、捨てられないものはまず消毒剤に浸すことが必要である。
 私どもは、2年前にも院内でノロウイルス感染多発を経験したが、それ以降は「吐いたらハイター」と言い続けている。


12/14(木)曇り 外来 就職内定者との懇談会 オーダリング研修
2:00起床、ドック総括x1、紹介状返事他,本日の挨拶内容検討。5:10病院、6:10回診他。7:55救急カンファ、8:15感染症打ち合わせ、8:40-14:45外来、混雑。15:00-17:00法人就職内定者との懇談会。挨拶後総看護師長の講演の最中睡魔に負けた。イビキもかいて迷惑かけたらしい、反省す。17:45-18:45オーダリング研修受講。紹介状他、21:30帰宅、夕食、22:10就眠。

Prius談義(6)  9月下旬-12月下旬は15.5Km/L 気温の影響が大?
 Priusの9月下旬-12月下旬は660Km走行で15.0Km/Lであった。昨冬11月-3月は13.8Km/L、4-7月186Km/L、7月中旬-9月間20.5Km/Lであった。この一年間で2500Km走行し、給油は4回だけであった。

 この間一度盛岡往復した以外はせいぜい秋田空港往復だけであとは往復10Kmの通勤だけであるから、年間を通じて殆ど大差のない使用と言うことになる。カタログ上では30Km/L程、実走行で20Km/L程と言われているが、季節的に燃料消費量が大きく変化するものだと思う。積雪間はタイヤが別だから比較にならないが、気温の変化を大きく受けることが分かった。この傾向は従来用いてきた車にもあったがPriusではやや差が大きい気がする。尤も、前に用いていた車には精密な消費量計など付いていないから印象でしかない。

 この大きな差の原因はバッテリーの温度による効率差によっていると思われる。直接触ったことはないが、機構的にバッテリー周辺は通気が確保されるようになっているから充放電を繰り返している間にかなり発熱するのであろう。実際に時間が経つにつれてじわっと燃料消費率が良くなるから、バッテリーが熱くなって効率が改善していくためと思う。

 私の場合、走行する時間が5:00頃と21:00頃で、この時間帯は秋口になると結構冷えている。これも季節による差が大きくなる一因になっていると思う。どちらにせよ一回40リットルの給油で600-800Kmも走るのは大したものである。


12/13(水)曇り 入院患者家族面談 感染症打ち合わせ 被爆者検診+外来 県感染症評価会議 感染対策委員会 21世紀の医療を守る会打ち合わせ
 2:30起床、ドック総括x1、再検査結果報告他,5:15病院着。6:00入院患者家族面談。回診、7:55救急カンファ、8:15感染症打ち合わせ、8:45-13:45外来、混雑。14:00-15:00感染症評価解析委員会。16:00-17:15院内感染症対策委員会。18:30-20:00  21世紀の医療を守る会パネルディスカッション打ち合わせ。21:45帰宅、22:15就眠。

私の行動のルーツを考える(4)人との距離が近いと辛い
 私は人との距離を過剰なほど気にする。人は一人では生きられない、人の間で暮らすから人間なのだ、と言うことは理解している。人間関係にはほどほどの距離も必要と言われるが、多くの場合に職場の人間関係、友人関係とか親子関係とか心理的な親密度を距離に例えて表現しているを示すようだ。私の場合にもこちらの方の距離もかなり長く確保する方だが、それと同様なくらい物理的な距離も重要である。何故か他人が近くに来ると居たたまれなくなるし、自律神経系の嵐が来て体調も不調になる。過緊張状態になっているからだろう。

 だから、人が混雑する、密集する場所は苦手である。しかも移動の自由を奪われるときは一入である。例えばコンサート会場、こまち、航空機等の場合、時にはちょっとした拷問となる。

 私は飛行機に乗るときには、可能なだけ後部の通路側の席を確保する。最近予約時に座席が指定になってくるが、早めの予約の時ほど前方の窓際が割り当てられている。こんな席は私にとっては最悪である。だから、空港ではまず座席の変更を申し出ることから始める。新聞で空席情報を確認しておき、満席となっている場合には早めに行って手続きする。空席があるときには大抵後部座席は空いているから急がなくても良い。この件に関しては結構こまやかに行動している。

 後の席は安全性か何かでメリットがあるのですか??と誰かに聞かれたことがある。調べてみたがそんなデータはないようだ。生存者が居る航空機事故はケースバイケースで何処の席が安全かは決められないという。当然である。それに、私は飛行機事故の際に生き残ろうなどと考えているわけではない。みんなと一緒で良い。わずか1-2時間の間の苦痛回避のため、ただそれだけが理由である。
 カウンターでは後部の窓際、しかも隣の席が空いているところ、の3条件を希望する。3番目の条件は満席の時は諦めているが、それでも時に手にはいるから不思議である。満席情報は結構アテにならないようだ。


12/12(火)曇・寒  被爆者検診 外来  法人常務会   秋大第一内科忘年会 医局カンファ+感染症学習会(欠)
2:00起床。祖父耕陽の命日。ドック総括x1,退院総括、他いつもの如く、徒然。昨年積雪15cm、今年は積雪は無し。5:20病院着。6:20回診他.7:55救急カンファ、8:30-14:15被爆者検診+外来、混雑。14:30-16:30法人常務会、18:30秋大第一内科忘年会Castles、中座して21:00帰宅.21:20就寝。

私の行動のルーツを考える(3)毎日が余興だからこそ、余興が辛い
 先週から大学の医局、医師会、病院各部所の忘年会が続いている。あと数回予定されている。私自身は忘れてしまいたいこと等一切ないし、淡々と日を送りたい。もとより、他人数での会合は好みではない。しかし、年中行事だし、立場もあるから都合が付く場合には流れに逆らわず出席する。勿論、忘年会のメリットも大きい。大学医局の会には県内から主だった病院の院長または副院長も出席するので医療・病院に関する重要な情報交換の場でもある。

 各職場の会は親睦の意義がとても大きい。私は日常的に暗い部屋にこもっていることが多く、スタッフとの対話の機会は少ないと自認している。だから、良い機会と大切にしている。ただ、私にとって最も苦手なのは余興を求められたり、ゲームへの誘いである。特に若手が幹事の場合いろいろ趣向を凝らした遊びを用意してくれるが、どうしても場の雰囲気に乗れない。かつてはカラオケがあったもので私はこれが始まると早々に引き上げたものである。自己陶酔は自分一人でやればいいのだ。最近はよく解らないが、カラオケの機会は少なくなったような気がする。ブームが去ったのか?だから、逆に様々なバラエティがふえて、私には理解できない遊び、ゲームもある。

 私は自分の心とは別であっても、相手の立場を考えて大抵のことはお断りせずに受け入れる。それが私の弱いところであり、自己嫌悪の因となるところなのだが、余興に関してはここ二年ばかり「役職上、私にとっては毎日が余興の様なものだから、これ以上の出し物はありません」とやんわりとお断りしている。結構これが通じるから結構解ってくれているのかな、と思う。

 それじゃ、先日の大学の心臓血管外科の忘年会に楽器片手でイソイソと参加し「神田川」「無縁坂」など弾くのは何なんだ??と言われそうだが、あれは余興でなくアンサンブルなのだ、と襟を正して答えたい。まだ誰にも求められていませんが、余興として求められれば絶対やりませんよ、私は。


12/11(月)晴れ曇り 患者家族面談 管理会議 外来 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1他,総括、徒然。昨年は降雪5-6cm、今年はまだ積雪はない。5:20病院着。6:00入院家族と面談、回診.7:45-8:30管理会議.9:00-14:00外来、混雑。療養病棟判定会議なし。17:00-21:10長副会議。21:40帰宅.夕食、22:30就寝。

個人情報保護(3) 折り込みハガキ、カバーシール付きハガキ
 私はハガキが好きだ。特に絵はがきは手軽だから私信には頻用している。切手の消費量から見て年間50枚以上は書いている。私のは絵はがきに10円切手を5枚貼り、住所、名前の大きな印鑑を押し太めの万年筆で大きな字を書くから、文章は最小限ですむ。最近、ハガキを戴くことはぐっと少なくなってきたし、ハガキの有り様が変わってきて、今までのタイプのハガキは無くなるのでは?と心配している。

 二重三重に折り重ねソフトに接着されている業務用のハガキは増えている。このタイプには二種類ある。一つは、ハガキ大に折り込まれているが数倍の広さの面にかなりの情報を詰め込んだダイレクトメール、もう一方は請求書とか領収書など個人情報保護のためのものである。

 封書のダイレクトメールは殆ど開封せずにゴミ箱行きであるが、ハガキタイプは何故か開いてみる事が多い。封書より手軽だからである。請求書とか領収書などはかつて封書であったが、最近はこのタイプのハガキになった。企業や組織活動にとって経費削減と個人情報保護の両得があるから、と思う。

 返信ハガキ用のカバーシールが同封されているのが多くなってきた。私は未だに一度もこのカバーシールを用いたことはない。そんなに隠さなければならない用件や情報もない。

 これほど個人情報がうるさく言われていく中で、将来私信用途のハガキはどうなっていくのだろうか。私信のハガキなんて家中で誰が読んでも良い様な気軽さが良いのだが、将来はこれにもカバーシールを貼るようになるのでないか?と思っていた。

 先日、遂にカバーシール付きの私信を患者さんからいただいた。シールは薄い印刷で兼六園か何処かの庭園の風景が描かれていた。多分、個人用のシールとして売られているのだろう。ハガキの内容は四季の挨拶に礼と若干の用件であったが、シールを剥がすまで誰からなのか、何が書いてあるか分からず正直気持ちが悪かった。家族間の不和、いさかいの因になりそうな気もした。個人情報保護は過剰な方向に一人歩きしている、と思うこの頃である。


12/10(日)曇・時々晴れ 病棟拘束  
 2:30起床.ドック判定総括x1他、その他紹介状、徒然等多数処理。8:30漢方の勉強会に出席の家内を送って病院へ。以降ずっと病院業務。友の会便り掲載の新年の挨拶に6時間呻吟した。18:00若干買い物に付き合い再度病院へ。20:00帰宅、夕食、2:45就寝。

家族が増え、マツダルーチェセダンを購入(1) 

賄いの叔母さんが娘二人を連れて同居した頃、使っていたマツダグランドファミリア1300が不調となった。元もとマイナーなトラブルは繰り返していたが、ディーラーの修理工場の一人の技師が主治医の如くに担当してくれ、何とか使い続けていた。秋大病院に通勤するルートとして近道を選べば秋田高校脇を通り、手形山の坂道を上る必要があったが、ある日、エンジンの出力低下があり、あえぎあえぎ、やっと登ったが、この調子では困るので再度修理工場に持ち込んだ。今度は大がかりなエンジントラブルで解体修理が必要とのことであった。折しも、同居家族も増えて移動のためにやや大きめの車が必要、と考えていたので今回は諦めることとした。

 技師に事情を説明したところ、数日前に青森から入庫したルーチェセダンの新古車を勧めてくれた。陸送時に230Km走っただけの新車であるが、事情で中古車扱いなのだそうだ。

 東洋工業にはロータリーエンジンを搭載したルーチェと言う名の上級車はあったものの高級車のイメージを持つ車はなかった。成長期にあった東洋工業はこのルーチェに、当時のクラウンに匹敵するサイズと装備を盛り込み1977年にルーチェレガートとして発売した。この車は、縦型四灯と大きな長方形グリルを持ち、フォーマルな設計指向で作られ、優美な姿を持っていた。実力的には13B型のロータリーエンジンの効果でクラウンをしのぐ動力性能と静粛性を備えていたとの評価もあった。メーカーとしては官公庁、大型企業の公用車としての採用も視野に入れていたというが、東洋工業の車がその方面に採用されていた実績が皆無だったために、クラウン、セドリックに代わるまでには至らず、タクシーに採用されるにとどまった、とされている。

 どちらにせよ、私にとってはサイズ的にも値段の面でも願ったりの車であったので、迷わずその場で購入を決めた。良い車ではあったが、実際には雪国にはあまり相応しくない車であった。


12/9(土)秋田曇・東京降雨 寒 東京女子医大外科出張病院会議   秋大泌尿器科教室忘年会
 1:30起床、ドック判定x1他、いつもの如く。5:10出勤。6:30病院発。7:20ANAほぼ満席でやや不快。終止小刻みな揺れあり。10:30-12:00東京女子医大外科出張病院会議(日暮里ラングウッドホテル)。東京は5℃ほどで雨も降っており実に寒かった。15:20JALで帰秋、揺れはあったが20%ほどでガラガラ、快適であった。秋田空港付近の山々はもう雪に覆われていた。18:30-21:10秋大泌尿器科忘年会(Castles)に出席。21:30帰宅、22:00就寝。

万年筆の洗浄に便利 家庭用超音波洗浄器
 先日、帰省した娘が弁当箱程度の大きさの機器にメガネやイヤリングを入れてなんかやっている。見ると家庭用の超音波洗浄器である。娘はこれを職場の女性間で回し使いし、重宝しているという。ちなみに、5000円前後とのこと。

 超音波洗浄器というと、私も大学の研究室では連日使用していた。サイズは72cm大の水槽程度で、それに水と専用の洗剤を入れ、用いた実験器具等を浸しておき翌朝洗浄した。洗浄機能は満足すべきであったが、一回30分ほどの作動中、キンキンする高周波の音も発して不快であった。

 その後20数年間、超音波洗浄器について考えもしなかったが、10数日前に私の目の前に忽然と現れた。しかも、作動音も無く、超小型、軽量である。説明書を見ると、約42,000振動の超音波で、時計やメガネ、アクセサリー類を始め、貴金属、銀器やガラス製品、包丁、髭剃り、入れ歯まで、水に浸せるものなら何でも洗浄可能、とある。1回の作動時間は3分で自動停止する機構になっている。試しに私のメガネを入れて見ていたがみるみる汚れが落ち、ピカピカになった。効果が目に見え明らかである。

  万年筆の洗浄に用いてみてはどうだろうか、と考えた。
 私は万年筆を小・中学生のことから使ってきている。その頃のは父親からのお下がりで、さすがに捨てたが、30年ほど前からの製品はとってある。いただき物中心に10数本あるが、そのうちの半数ほどはインクが固着し使用不能になっていた。万年筆の命は書き味とインクの流れである。特に、赤インクを使用している最中に不用意に乾燥させた場合に固着しやすい。何度も温水につけて洗浄を試みたが果たせずに諦めていた。

 これらを取り出し洗浄してみた。既に十分洗ってあり外見は奇麗になっていたが、ペン先や脇から次々と青、黒、紫等のインクがしみ出してくる。古いだけに一回の操作では不十分で5-10回も繰り返し、全てが奇麗になった。全部が機能を取り戻した。超音波洗浄器の威力は確かであった。

 新しい悩みが出来た。10数本の万年筆が再生されたが、私がこれらをどれだけ使うことが出来るのだろうか?買いすぎたレコードと同じ悩みである。


12/8(金)曇り 感染対策会議 ドック診察 法人理事会 秋大心臓血管外科忘年会 療養病棟忘年会(欠)
2:00起床、ドック総括x1他、紹介状返事、徒然。5:00病院着。6:20回診。7:55救急カンファ。退院患者関連書類作成、病棟患者処置など。14:00ドック診察。16:00-17:00感染対策会議。17:30-19:00法人理事会。17:30-19:00法人理事会。19:00-21:30秋大心臓血管外科忘年会、アトラクションに出演。21:40帰宅、22:20就寝。

アメリカン航空便が緊急着陸 女性のおならと羞恥心が原因
 12月4日、ワシントン発ダラス行きのアメリカン航空便が、乗客からマッチの燃えた匂いがするとの通報があり、ルート途中にあるナッシュビル空港に緊急着陸した。
 乗客全員が飛行機を降り、検査犬などを導入して全荷物を検査し、事態収拾までに約3時間かかったとのことである(ロイター通信 12月7日16時22分更新)。

 荷物等に問題はなく、原因は、ある女性客がマッチに火をつけたためで、その理由は自分のおならの臭いを隠そうとしたためであった。実に単純で小さな行為が原因であった。航空機の中でマッチに点火するなど非常識きわまりないが、本来ならば笑話ですむレベルである。しかし、女性は事の推移に恐れをなし、その場で名乗り出なかったために大事にまで発展してしまったものである。
  その女性の行為を傍らの乗客が誰も気付かないほどガラガラだったのか?ならばおならの臭い程度は何ともないじゃないか、等と考えてしまうが、乙女心のなせるワザか?等々疑問も湧く。そう言えば女性の年齢などについては一切記載がなかったがまさかばあさんではあるまい。

 アメリカン航空のスポークスマンは「恥ずかしさと怖さのためで、女性に悪意があった訳ではなく、不測の出来事だったので、彼女は何ら罪には問われません」と話したという。ただ、女性は同じ便への再搭乗は許可されず、その後のアメリカン航空の利用も拒否された、と言う。
 そう言えば、しばらく前までは航空機内でも喫煙が許されていた。今から見れば随分危険な事が許されていたものだ、と思う。それだけ時代が変わったと言うことでもある。

 空港着陸料、燃料代金、機材繰りへの影響、各乗客が被った被害など合わせれば途方もない額になるだろうし、アメリカの風土では直ぐに損害賠償の話になりそうな事件のように思えるが、それにしても随分寛大な処置ですんだものだ、と驚いた。

 私は今から東京に発つ。午後直ぐに戻ってくるが、今日も快適はフライトであることを望んでいる。


 12/7(木)曇り・雨 外来 秋田県医療関係団体懇談会 
2:00起床、ドック総括x1他、楽譜検討と楽器練習、徒然など。家内帰宅せず。5:10病院着、6:20回診他。7:55救急カンファレンス。9:00-14:40外来、混雑。17:30-20:45秋田県医療関係団体懇談会+情報交換会、21:20帰宅、22:00就寝。

医療をご存じない方々が決める医療行政  関係者の生の声を聴く会が必要  
 昨年4月7日であったが、医療の情勢は厳しい局面を迎えつつあることから、霞ヶ関にて県選出の国会議員数名と県医師会の役員と懇談し、秋田県の医療現場の窮状を直接説明した。これは日本医師会の企画で、直接現場の声を国会議員に伝えることの意義は小さくないので、私もその中の一人として参加した。通常、数名の国会議員と一時間も懇談出来る機会が得られることなどは到底考えがたく、私にとっては2年前の坂口厚労大臣との昼食会と共に、大きな経験であった。 

 しかし、私が懇談できた秋田県選出の衆参4人の議員はお一人を除いて何れも医療問題には関心が薄いようで、かなり落胆した。一部の議員との懇談から全体を論じる事は出来ないが、こんな方々が、こんなレベルの感覚、知識で国会で医療・福祉を論じ、日本の医療の方向性を決めていることに正直なところショックを受けた。

 つい先日、その時の記憶を思い出す機会があった。
 12月5日に県議会議員と県医師会の懇談会が催された。年に一回、12月定例議会の初日に開催されている行事である。26人もの議員の方にご出席いただき盛大な会となった。県医師会側からの話題の提供の一つとして私は「がん診療連携拠点病院推薦に関する不可解な県の対応」について県医師会の立場から意見を述べた。この問題は県議会の9月定例議会一般質問でも、常任委員会審査でも取り上げられている。懇親会の席上、何人かの方々とこの件について話し合ったが、驚いたことに、議員の方々は正確な情報を与えられておらず、事実誤認、誤解の状態にあった。私はここでも衝撃を受けた。

 議員への情報は県の担当部署から与えられたのであろう。県の考え方そのものであった。その時、感じたことは、医療問題に関しては医療関係者の声を聴く機会を持って欲しいと言うことである。一方的な情報だけでは情報操作され、誤認するだけである。また、我々としても重要な案件が論じられている際には議会に意見を上申する必要があるように思えた。その意味では、県議会には是非とも医系議員を送り込まなければならない、と言う事でもある。

 今後、国が担ってきた医療行政のかなりの部分が都道府県に委譲される事になっている。要するに秋田県の医療の将来を決める判断は秋田県に委される部分が多くなっていくが、私は現状の意思決定機構のままでは問題が大きすぎる、と危惧している。


12/6(水)曇り・若干寒い 外来 ドック結果説明+診察 県医常任理事会+忘年会 
 2:00起床、ドック判定総括x1、楽器練習多少。徒然。5:10病院着.6:15回診他病棟業務。8:40-14:45外来+ドック結果説明+診察。外来が混雑し毎回午後の予定に食い込むのが悩みである。16:30県医常任理事会+17:30忘年会(三四郎)。21:30帰宅。左下肢こむら返りあり。22:10就寝。

「最新健康モーツアルト音楽療法」と称するCD(2)効能はホントかな? 
 いわゆる"音楽療法"とは、「音楽の力によって人のいろいろな病気を改善させたり、治療する方法」のことである。音楽が医学的、生理的な作用を持つことは何となく解るが、その効果は学問的に証明されていると記載がある。私は不勉強にしてよく知らない領域である。

 ピタゴラスも「音楽が人の精神の乱れを癒すこともできる」と言ったとされているし、ヒトラーは民衆の気持ちを一致団結させ高揚させるのに音楽を上手に用いたとされる。シベリウスの序曲「フィンランディア」の意義も大きかったとされているから、心理効果は確かにあるだろう。自分でも体感しているし、そのようにも思ってもいる。

 このCDの監修・選曲・解説は埼玉医科大学・保健医療学部の和合教授とのことである。教授の学説によれば、モーツァルトの音楽には特に3500Hz以上の高周波を豊富に含み、せき髄から脳にかけての神経系を効果的に刺激し、その結果健康を支えている生体機能に良い影響を及ぼすとのことである。
最新健康モーツアルト音楽療法」セットはCD6枚セットで、各CDには脳神経系疾患の予防〈老人性痴呆症、パーキンソン病、難聴など〉、 血液循環系疾患の予防〈高血圧、心筋梗塞、動脈硬化、脳梗塞など〉、 免疫系疾患の予防〈がん、感染症、膠原病、アトピーなど〉に効果がある、等々と記載されている。

 しかし、最初にこのパンフレットを見たときの私の印象は、あまりにも疾患名も効果も具体的すぎて「なんだこれは??」と言うレベルであった。更に、こんな広告が許されて良いのか、とまで思った。調べると、和合教授は著書として、「昆虫の生体防御」「動物免疫学入門」「アマデウスの魔法の音」「アマデウスの魔音の癒し」「モーツアルトを聴けば免疫力が高まる!」「モーツアルトを聴けば病気にならない!」など多数あるとのことで、ここまで並べられると詳細を知らないままに、「なんだこれは??」と言うレベルで印象を語りコメントすることなどできない。

 私は今週末、急遽東京出張になった。浜松町の書店で和合教授の著書を探しててみようと思う。それからまたコメントしたい。CDは、・・多分買わないだろう。ところで、私の悩みの一つである不整脈に効果的なCDは無いだろうか?あれば買うぞ。

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12/5(火)曇り 外来 法人常務会(欠)   医局会    秋田県医療審議会医療計画部会 県議会議員と医師会との懇談会 The Yamamoto band2回目練習
   
2:30起床、ドック判定総括x1他、紹介状返事x2、入院総括x1。5:10病院着、6:30回診、定期処方発行他。7:55救急カンファ。8:30-14:15外来、超混雑、午後の予定に食い込む。法人常務会は欠席とした。15:00-17:00秋田県医療審議会医療計画部会(ルポールみずほ)、18:00県議会議員と医師会との懇談会(Castles)、19:30-22:00中座しThe Yamamoto band2回目練習(Alve)へ参加。22:30帰宅、夕食、23:00就寝。

最新健康モーツアルト音楽療法」と称するCD(1) こんなのあって良いのか?? 
 ストレスの多い社会を反映してか、便乗商法なのか分からないが最近ヒーリング・クラッシック、ヒーリング・ジャズのようないやし系の音楽関係のアルバムが随分売れているようである。この嚆矢はグラモフォンの「カラヤンのアダージョ」と言う企画からだったような気がする。

 ブームであれ、誤解であれ、何はともあれ、人類の遺産とも取れる名曲の数々が多くの方々に聴かれると言うことは良いことであり、更にそれがストレス解消に役立つとすればとても素晴らしいことである。ただ、私の場合にはこのヒーリング系と言われる音楽の数々は美しい名曲とは思うが、今のところこれらによっては全く癒されない。私の場合には絶対的にベートーヴェンであり、中でも「エグモント序曲」、「三重協奏曲」が筆頭である。「ミサ・ソレムニス」も良い。

 先日大手出版社から本の紹介の中に混じってCDのカタログが入っていた。見ると「最新健康モーツアルト音楽療法」という6枚組のCDである。モーツアルトの一部の作品は確かにいやし系とも言える、心地よい響きがする。このCDの内容もドイツグラモフォン原盤を用いた、いわゆる名盤と言われる内容である。私は買い集め過ぎた音楽ソースを残りの人生をつかって聴きなおすことに意義と意欲を感じているので今は滅多にCD等を購入することはない。でも、私の持っているレコードやCDよりは録音も新しく、ちょっとは食指が動く選曲、演奏内容である。

 ただ、驚いたのはヒーリングどころか「音楽療法目的」とうたってあり、具体的疾患名,疾患群を挙げてその予防に効果がある、としている点には大いに疑問を感じた。
 例えば、名曲クラリネット協奏曲は免疫系疾患、がん、感染症、膠原病などの予防に効果がある、と説明しているが、根拠は何か?こんな事を強調して商売して大丈夫なのか?と疑問に思った次第である。


12/4(月)降雪・曇り 管理会議 院内巡回 ドック説明x3 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床.ドック判定総括x1.医師会館連業務が主。5:10病院着。6:30回診。7:45管理会議。10:00外来紹介患者2名診察。10:30安全管理者と院内巡視。13:30-14:10ドック説明x3。16:00-16:20療養病棟判定会議。17:00-19:30長副会議、比較的短時間であった。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

日医の知名度調査 予想通りの厳しい結果
 日本医師会(日医)は、10月末に自らに対する認知度のアンケート調査を行い、先日結果を発表した。
 調査は、10月に放映した日医のTVコマーシャル放送の前後で、一般市民の日医に対する見方がどう変わるかを把握する目的で、広告代理店に委託、全国の20〜69歳までの1,120名を対象に実施した。

 私は、確かに知りたいデータであるが、調査すれば恐ろしいほど厳しい結果になる、と予想していたが、結果は想像通りに厳しいものであった。

 日医の認知率、すなわち、「名前を知っている」は94.4%もあったが、「活動内容まで知っている」との回答は僅かに10%で、知っていると答えた人は殆どマスメディアを介して知識を得ていた。日医への「期待度」「信頼度」に関しては、いずれも否定的な意見が優勢であった。

 日医の活動10項目を示して知っているかを問うたが、「知っていたものは一つもない」とする回答が50.1%に上った。要するに多くの人達にとって日医の存在や活動内容などは興味の対象外で、マスコミ等で取り上げられたとき一瞥する程度と言うことである。

 この結果を受けて、日医の広報担当常任理事は、これからの広報活動、CMを見直し、1年もしくは半年ごとに事後調査を実施する、と述べた、と言うが、実際のところ数値で示せる様な効果は出ないだろう。

 国民の大多数は自称健康人である。この人達は日常的に保健福祉の仕組みにすら関心はない。家族の誰かが病気になって、自分の負荷になったときに初めて慌てふためく、そんなものである。ましてや、医師の団体で、東京にあるらしい「日本医師会」なんて、である。日常、診療を受けている患者ですら医師を主治医としては意識するが、医師会員であるか否かなんて考えることもない。だから、普段から日本医師会に興味を持って欲しい、と期待する方がむしろ虫が良すぎる、と思う。

 中央から発信される広報活動はどんなに頑張っても目に見える効果は期待できない。むしろ、「県医師会」、「郡市医師会」レベルの地域に密着した地道な活動の方が住民に浸透して行きやすい。その活動を通じて、日本医師会への関心も少しずつ高まっていくのだ、と思う。良い医療を地域住民に提供していく上で、地域の医師会活動の重要さは論を待たない。


12/3(日) 曇り・寒波・降雪   病棟拘束  タイヤ交換
2:00起床。ドック総括x1他、紹介状。レセプト関連。8:00病院へ、8:30救急カンファ。重症患者回診、11:30帰宅。隣に依頼してタイヤ交換2台。16:00病院再度、18:30帰宅、夕食。20:50就寝。終日モーツアルト幼少期の作品聴きつつ退院総括、「21世紀の医療を守る会」関連業務などこなす。

自伝  8人の子供達にパパと呼ばれた  充実していた子育ての時期 
 大学で勉強していた期間はちょうど子育ての時期でもあった。私どもは3人の子供に恵まれ5人家族となった。
 やがて、賄い・子育ての大部分担ってくれていた家内の叔母が通いでは何ともならない、と二人の娘と共に同居した。組合病院の官舎では手狭になったことなどがあって、昭和54年夏、54坪ほどのプレハブを建てて現在地に転居した。ここには既に数年前から家内の姉が3人の子供と共に家を建てて住んでいたから、同じ敷地内に大人4人、子供が8人住むことになった。

 私は幼少の頃は医院の従業員、お手伝いさんも含む大勢の中で育ったこともあって大所帯は嫌と言うわけではない。特に子育てには出来るだけ大勢が関わるべきだ、と思っており、いろいろな経緯はあったが、結果的に希望が実現できたことになる。男の大人は私一人であり、小中学生、から乳飲み子まで年齢は様々であったが、やがて子供達全員からパパと呼ばれる事となった。私も出来る限り自分の子ども達と分け隔てがないように接する様に努めた。だから、何処かに出かけるときなどは大勢の子どもを引き連れて出かけたものである。

 引っ越しして何年間かは近くにスーパーもなかったために、日曜毎に賄いの叔母さんと5-6人の子どもを引き連れて土崎のジャスコを中心に方々の店に買い出しに出かけたものである。私は今でもそうであるが、風采の上がらぬラフな姿をしているのが好きだったこともあって、「はるか年上の女房と子沢山の、生活苦にあえぐ哀れな男」と誤解されたらしく、店員や客達から時々憐憫の眼差しが私に向けられたような気がしてならない。

 ある時、医局の後輩と子ども7人を連れて2台の車に分乗して田沢湖スキー場に出かけた。子ども達を飽きないように代わるがわる交代させて分乗させたが、彼は全員にパパと呼ばれる私の立場、わが家の家族関係を最期まで理解できなかったようである。

 その頃からもう20数年経つ。懐かしい日々であった。今は若者達は各々独立し、叔母さんも別棟に移ったからわが家は夫婦二人になった。わが家の子ども達3人は機会があれば戻ってくるし、一緒に育った子ども達も私から見て義理の孫にあたると言うわけではないが、時折2世を連れて一家揃って顔を出す。
 これまたちょっとした至福の時間でもある。


12/2(土)曇り、雪 寒波  ドック診察 東北医連各県医師会長会議
 2:30起床.ドック総括x1、その他徒然など。車にうっすらと積雪あり、初冠雪。5:20病院着。6:30病棟回診、8:10ドック診察、8:30救急カンファ。9:00入院患者家族と面談、10:00外来患者対応。総括、紹介状など.14:02こまち、16:30-18:20東北医連拡大各県会長会議、仙台メトロポリタン。西島参議院議員も参加。18:38こまち。21:20帰宅。ドック総括など、23:30就寝。

モーツアルトのオペラを聴き直す(2)男女の仲についても早熟だった?
 モーツアルトの4作目のオペラは「バスティアンとバスティエンヌ」(K50)とされている。この作品は従来の作品と違って恋愛ものである。聴いていると登場人物の感情の推移が聞き取れる。勿論、演奏家達の技量による部分が大きいのだろうが、恋愛ものを11歳の子供が理解してそれなりの曲を付けた事も驚きである。

 ストーリーは羊飼いの娘バスティエンヌが、最近、恋入のバスティアンが冷たくなったと嘆き、バスティアンに気がなくなった振りをすることで嫉妬させようとした。バスティアンはバスティエンヌと仲良くしようといろいろ努力するのだが冷たくされる。やがて、互いに本心を確認し合い、二人はめでたく結ばれる・・・という他愛のないものである。

 このジングシュピールに分類される作品は序曲と16曲で構成され、子供が作ったオペラなのに理想的なオペラの原型が出来ていると高く評価されている。序曲はべートーヴェンの『英雄』の2発の和音に続く第一主題と同じ旋律が奏でられ驚かされる。モーツァルトの初期のオペラの中では、最も上演される機会が多く、ザルツブルクのマリオネット劇場の定番演目でもあるという。フムフムと納得できる曲である。

 余談だが,演奏に微妙なニュアンスの表現を求める際に、指揮者はいろいろ男女の心理を例えにするのだそうだ。

 イギリスの指揮者T・ビーチャムが当時10歳の神童ヴァイオリニストのメニューインを独奏者としてある協奏曲を取り上げた際、オーケストラに「この部分は、恋人をそっと抱き寄せ、初めてキスする時のような、そんな不安と高揚が入り交じったような気分で表現して欲しい・・」と要求したと言うが、側に子供が怪訝な表情で立っているのにハッと気づき、慌てて「ア、君は楽譜通りに弾いてくれれば良いんだよ」と取り繕った、というエピソードが残っている。神童メニューインが「そのような気分」を理解して演奏したか否かは記録には残っていないが、モーツアルトだったら見事に表現したのではなかろうか。


12/1(金)曇 病院解錠時間変更 21世紀の医療を守る会幹事会 県教育庁特別教育支援課員来訪面談

   2:00起床.ドック総括x1他、紹介状など。5:10病院着、6:30回診他。病棟関連書類他。7:55救急カンファレンス。事務処理、病棟患者対応など。13:00-13:30 21世紀の医療を守る会の幹事会。18:00県教育庁特別教育支援課員来訪面談、養護学校における医療的ケアの内容について。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。

モーツアルト22のオペラを聴き直す(1) 11歳の頃の作、何と早熟だったのか
 4月初旬から11月末まで、毎日曜日に4時間ほど友人夫妻とテニスを楽しんでいるが、これもついにオフになった。しばらく、若干生活のパターンが変わる。これを機に3月までの間に手持ちのレコードにあるモーツアルトの作品全曲を聴き直す事とし、まずオペラから手をつけ始めた。ただ、聴くと行っても早朝の2:00頃からの2時間程度と限られるから、随分時間がかかりそうである。

 30年ほど前、当時私はまだ大学で勉強中であったが、Phillips音源によるレコード150枚からなる「モーツアルト大全集」なるものを購入した。購入当時、一度は全部聴いたが、その後は取り出すレコードは一部だけに限られていた。名作は後にCDでも購入したので、特にこの全集内のオペラは殆どがまだ一回切りしか聴いていない。このまま私がいなくなるとゴミになるだろう。あまりにも勿体ないことである。今のうちにに聴くべし聴くべし、と思い立ったということである。

 モーツアルトは短い生涯の中に22のオペラを作っている.11歳頃から作曲し始めたと言うからスゴイものである。

 第一作はハイドン、アドルガッサーとの共作で、その中に「第一戒律の責務」(K35)という作品として残っている。ザルツブルグの大司教が30歳代のベテラン作曲家とともに11歳の神童モーツアルトに作曲を依頼したのだと言うが、実際にはモーツアルトが一人で作曲できるのかを疑っていたらしく、一週間音楽関係者の出入りを禁じた部屋にほぼ幽閉状態にして作曲させた、と言うエピソードが残っている。その部屋の中で彼はサラサラと流れるが如くに作曲し、周辺の人々を改めて驚かせたとのことである。この曲は「序曲」、「キリストの霊」、「神の慈悲」について9曲から成る。曲としては十分聴くに耐えるレベルだと聴き直して思う。それにしても11歳のモーツアルトがこの様な宗教哲学を理解し、それに見合う音楽をつけた事など、ホントに信じがたいことである。
 第二作はK118の宗教劇「救われたベトーリア」、第三作はラテン語の劇「アポロとヒヤキントス」とされている。後者はギリシャの神話に基づいている。これも理解したのか?と驚く。聴き直して感じることは、これら3曲は何れも、いまでも十分に傾聴に値する作品だ、と言うことである。

 また、この辺の中等度の編成の演奏による曲を聴く限り、レコードの音は私にとって実に心地よい。早朝、実に気分が良い。仕事も一層はかどる気がする。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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