2006年7月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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7/31(月)快晴 クレーマー対応 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議
0:30頃起床,1:00-2:00病院救急外来でクレーマーへ対応。中途半端なのでそのまま院内で業務。この時間から院内にいると時間的にはゆったり。ドック関連他院内業務。6:10回診その他病棟業務.8:00管理会議.9:00-10:00院内巡視。16:00療養病棟判定会議。17:00-20:00長副会議。20:30帰宅、21:00就眠。
想定外!!「がん診療連携拠点病院」(1) 県推薦13病院は全て指定見送り
厚労省の「がん診療連携拠点病院」の指定を推薦する検討会は7月28日全国の47病院の指定を承認した。秋田県は13病院を推薦したが、全病院の指定が見送られた。全国的には前からあった130病院ほどの「がん拠点病院」と併せ177病院となった。「がん診療連携拠点病院」が一カ所もないのは、何と本県と兵庫の2県だけと言う厳しい状況になった。
この「県推薦13病院指定見送り」のニュースは今年の1月初頭に放映されたNHKのTV番組と共に、県民に大きなインパクトを与えたと思われる。
その番組は半年以上経った今でも記憶に鮮明であるが、国内の「がん治療レベル」を論じる際に、代表的な負のサンプルとして秋田を取り上げ、司会のキャスターの表情も含め、あの手この手の演出を駆使し、秋田県には一カ所も「地域がん診療拠点病院」がない事を主な論点とし、不要に拡大解釈して作り上げた番組であった。観た県民の多くはこの内容をそのまま受け取って秋田県のがん治療のレベルの低さに愕然とし、がん治療を始め、その他の分野で日夜頑張っている医療関係者は事実と全く異なる内容に不快感を持った、と思われる。これは一般の方々の投書やメール、医療関係者の会合の中で頻回に話題にされたことからの推定であるが、恐らく間違ってはいないだろう。
県医師会では、この番組の後で前会長自ら新聞に投稿し、秋田NHKのTV番組に出演するなど、何故秋田県には「地域がん診療拠点病院」が無いのかについての理由や事情を説明し、がん診療に関する県民の誤解が解かれるよう努めてきた。
その余韻がさめやらぬ中での今回の厳しい判断である。
今回の判断は医療関係者、特に県に推薦を申請した13病院の関係者にとっても厳しいものであり、秋田県との間の太いパイプを通じ協力して県民医療を維持している、と自負している秋田県医師会にとっても大きなショックである。
私自身にとっても、全ての医療機関の指定が見送りになった事は想定外であり、指定申請をした病院の長として、県医師会の副会長として二重の打撃を受けた。
7/30(日)曇→晴 病棟拘束 県薬剤師会卒後研修会ワークショップ FF
tennis
2:30起床、ドック判定総括x1。紹介状返事、退院総括等など。7:30-9:45病院、回診他拘束業務、10:00-12:45県薬剤師会卒後研修会ワークショップ「後発品を考える」(総合保健センター)で講演と総合討論に参加。13:30-16:45梅林園のコートFF
tennis、6-2,6-2,6-1、6-4と完敗。最近は全く歯が立たなくなってしまった。17:00-19:00病院にて業務。20:00岩牡蠣中心の外食、21:00就寝。
自伝 秋田大学時代 中通病院院長室を訪問
夏のある夕方、予めアポイントを得ていたので直接中通病院院長室を訪問した。随分暗く、天井の低い病院で多少驚いた。院長室では瀬戸院長が私を迎えてくれた。
瀬戸院長は外科医で昭和30年僅か4床の中通診療所を開設し、500床以上の大規模病院にまで発展させた、秋田の医療界にとっては立志伝中の方であるが、私にとっては全くの初対面で、お顔を拝見したこともなかった、と思う。
瀬戸院長はやせ形でやや小柄な,50代半ばの方で外科医として毎日精力的外来、手術をこなされている臨床医、の様には見えなかった、と言うのがその日の抱いた第1印象である。しかし、ひとたび話し始めると気さくな話しぶりと共に歯切れの良い言葉で、話される論旨は実に明快であった。
来訪の趣旨はお伝えしていなかったのでどんな目的での訪問なのか訝られていた様子が窺われたので、「来春、第三内科を退職することになりました。臨床医としての勉強のやり直しをしたいので、出来ることであれば私を大学の医局からの派遣としてではなく、医師個人として採用して戴けませんでしょうか」と切り出した。その時の表情は忘れることは出来ないが、とても驚かれた様子であった。
その後の面談は面接的な内容となった。細かいことは忘れたが、何故中通病院を選んだのか、何故医局人事の中で動かないのか、その背景、医療観等について聴取されると共に、瀬戸院長自身もこれらについてのお考えをいろいろ話された。最初は私も随分緊張していたと思うが、院長の気さくな雰囲気、人柄でうち解けた気持ちで話し合う事が出来た。最後に、長期的にはどうするのか?との質問があったが「採用していただけるならば、最低3年間はお世話になりたい。その後のことは一切考えていない」とお答えし、その場で採用していただくことになった。
結果的に20年以上の長きにわたって働かせていただくことになるなど、当時は、瀬戸院長と面談したその日には露程も思っていなかっただけに、今でも人生は分からないものだ、と思ってしまう。
7/29(土)曇-晴 家内:日医男女共同参画フォーラム(大阪)に
2:00起床、ドック判定総括x1。そのほか。空路大阪日帰り出張の家内を駅に送り6:20Taxi病院着。直ぐに回診他。対外的予定無く終日患者関連の書類処理など。足の踏み場もないほど床に広げた未処理書類かなり減少、歩きやすくなった。13:30-14:20病院理髪店にて散髪。18:00出前夕食、19:45家内を迎えに空港へ。20:15IBEX便定刻に到着。20:55帰宅。軽食若干、22:00就眠。
書評:マンガ「毎日かあさん」
(単行本1-3巻)
西原 理恵子著/出版:毎日新聞社
私はマンガが好きだが、絵が単純できれいでなければ殆ど手に取らない。長編も良いが時間がかかるから、どちらかというとエスプリの効いた4コマ漫画の方が良い。
横浜在住の長女が帰省すると何冊かの本やマンガも持ってくる。私とは好みが異なるからむしろ私にとっては楽しみが大きい。今回彼女の帰省時、早朝目覚めてみたら上記のマンガが私の作業机の上にあった。一目見て絵のひどさに、こんなマンガもある?何だこれは?と驚き、完全対象外書籍と分類した。僅か2-3秒の即断であった。
数日後、就寝時、たまたま身近に読みたい本がなかった事もあり「毎日かあさん」を手にとって2-3ページ覗いてみた。目的は読むと言うより先日感じた印象をだめ押しし、週末に2階の物置にでも片付けようと思ったからである。が、事情、印象は数ページ読んだだけで180度変わってしまった。変わらないのは絵の下手さに対する不快感だけで、内容的にはすっかり引き込まれてしまった。そのうち絵のひどさにも味と意味を感じてきた。
この漫画は単に面白いだけではない。飲んだくれの亭主に三行半をつきつけ離婚、子供二人と共に生きる著者の日常生活、子育てと仕事の両立に困惑する日々、などを面白可笑しく綴っている。時に大笑いさせられるし、心があったまる話も数多くある。毎日の子育て生活の表現はスピード感があり、更に、挫折感が実に豊かに表現されているのが良い。子育て中の人はこれを読めば、多少のストレスなら吹っ飛んでしまうだろう。痛快さもあるし、自分のバカさ加減を筆者の中にも発見し、共感して安心する若い母もいるであろう。
この本が私を引きつけたのは、自分の子育て時代の、過ぎ去った過去を厳しく思い出させるからなのだと思う。いつの世にあっても子育てには経験豊かと言うことはあり得ない。最近の核家族化・少子化の中では取りわけそうだろう。私ども夫婦は還暦を迎えた今になって、出来ることなら子育てだけはもう一度やり直してみたいものだ、と話し合うことがある。子育てを通じて、子供も親も大なり小なりトラウマを背負うものだと思うが、これは当然のことでもある。ただ、私どもは子育てのかなりの部分を他人に委ねた、という大きな負い目を背負っている。幸い、子育てを託するに相応しい人が見つかり、一時は9人と言うこともあった大きな所帯の中で、結果的に3人の子供はほぼ問題なく育ってくれた。それでも子供達と交わす会話の中に時折親として反省すべき点を発見し、これで好かったのかと軽く落ち込むこともある。子育ては結果が良ければそれで良いとはいえない深い分野であり、やり直しのきかない厳しい分野である。
他にこのマンガの注目点として、厳しい観察眼と子供に対する愛しみが見える点、屈託のない子供達を中心とした明るい家の様子、突拍子もなく奇怪な行動をとる息子とかわいらしい娘、離婚しても離れられない困った夫、それらに囲まれて大変な日々の中でのささやかな喜びを見事に表現しているところ、などであろうか。
こんなひどい絵のマンガを毎日新聞が採用したことには驚きを禁じ得ない。子供については多少丁寧に描いているが、母親としての自分自身の描き方はこの上なくひどい。漫画家として子育てと両立して生きる方便として彼女が確立した超手抜き法?なのかと思ったりしている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/etc/riezo/
7/28(金)晴→雨
ドック診察x5 法人理事会 秋大第一内科渡辺教授歓送会 日医病院委員会と県医師会対策委員会(欠) 2:00起床、ドック判定総括x1.5:00Taxi病院着、6:30回診他新入院患者対応、事務処理。午後患者死去、見送り他。14:00ドック診察x5。17:30-18:10法人理事会、18:30-19:45秋大第一内科渡辺教授歓送会、中座し帰宅。20:00帰宅、20:30就眠。日医病院委員会と県医師会対策委員会は時間とれず。今日は東京行きをキャンセルしたが、お陰で時間がゆっくり流れた。
外来の飲み会、看護師は居らず、そこには「母親」と「女」が居た
最近は夕方から夜にかけての行事、会合が目白押しで、自宅で夕食を摂る機会は滅多にない。久々に空いた昨日夕方の時間帯に内科外来の納涼会が催されるとのこと、何故か声がかかった。私はアルコールが駄目だし、あまり人付き合いを好む方ではないが、院内の各所の会には声がかかれば可及的に出席するようにしている。が、多くは先約があって出席できない。内科外来の会は数年ぶりだろうか。
病院の近くの比較的新しい居酒屋、ウナギの寝床様の細長い場所での飲み会、看護師10人程度にその子供達が6-7人?医師2人が押し込まれ、人口密度の高い、賑やかな会になった。店は随分流行っていて隣のブースからは大声が絶え間なく聞こえ、喧噪の中での会となった。話はなかなか聞こえないほどである。私は飲むよりひたすら食べた。
新人の二人はさすがに未婚か?一部のベテラン看護師は子育て一段落と言ったところのようであるが、女の事はよう分からん、詳細は不明。看護師の表情でなく女そのものである。院内で見るのと全く別でとても素敵である。中間の年代の看護師は何れも子育て中のようだ。子連れの看護師は大変身して母親の表情そのものである。終止豊かな笑顔を見せていただけでなく、時折、母親としての誇らしげな、自信に溢れた表情も見せる。同僚の子を抱き寄せ頬ズリするなど、子供を間に挟んでのコミュニケーションも豊かである。
この会での楽しげな、表情豊かな様子を見ているとこの前行った様な「接遇向上全体学習会」など、全く不要である。明るく、表情豊か,のびのびとしている。看護師の服装に難があるのか、仕事が大変なのか分からんがとにかく全然違う。せめて半分で良いのだが・・・。
母子共々、この会はうたかたの楽しい一時だったと思う。ひとたび家に帰ればこの会で見せたような良い表情だけではないはずだ。漫画の「まいにち母さん」の如くの葛藤も修羅場も繰り返されているだろう。子供達をまじえたこの様な会もたまには良い。遠く過ぎ去った我が家の子育ての頃が思い出された。
7/27(木)晴 外来 県保険事業団員来訪 療養病棟診療部会 内科外来納涼会
2:30起床
、ドック判定x1、紹介状・返事x1等.5:20Taxi病院着。6:20回診他病棟業務。9:00-13:50外来.14:00医師面談、14:30秋田県保険事業団事務長他来訪、理事就任への挨拶他。17:00療養病棟診療部会、18:30-21:10内科外来納涼会。21:30帰宅、21:50就寝。
「IT化」指数、日本は首位から2位に 1位は韓国
国際電気通信連合(lTU)は、電気通信に関する国際標準の策定を目的とする国際連合の下位機関で、本部はジュネーブにある。世界各国の人々がどの程度、携帯電話やインターネットを利用出来る環境にあるかを180の経済地域について調べ、この度「世界情報社会報告書2006年版」を公表した。
情報通信や携帯電話・インターネット普及度、利用料金などを加味した「デジタル利用機会指数」の国別ランキングでは、日本は昨年までは首位であったが今回は2位になった。ブロードバンド普及率や携帯電話及びインターネットの利用割合は韓国が上であったから、と言う。インターネット接続がある世帯比率は韓国が72%、日本が56%。ブロードバンド普及率は韓国25%、日本15%だった。第3位以降はデンマーグ、アイスランド、香港、スウェーデン、英国と続き、米国は21位であった。下位にはアフリカ諸国が集中している。
2001年調査と比較して指数が大きく向上したのはインドで成長率73%と最大の伸びを示し、中国、ロシア、ハンガリーなどがこれに続いている。中国のブロードバンド普及率は比率としては2%に過ぎないものの、利用者数は約2600万人で、既に日本の約1900万人を大きく超えている。
世界的に「IT化」は大きなうねりで普及しつつある。私などは、利用している領域など狭く、ワープロレベルに毛が生えた程度でしかないが、自分のレベルに応じて少しずつ広くなっており、その恩恵を十二分に受けているし、先々が楽しみでもある。この面では有り難い、良い時代に生きている事を実感し、感謝している。
ただ、私が常に危惧しているのは子供の成長過程に「IT化」がどんな影響を与えるのか、と言うことである。わが国の子供達はいろいろ影響を受けているように思うが、例えば韓国での、儒教の精神に基づく人間関係の構築に関して私は多少の感心を持っているが、これがどの様に変化して行くのか、興味が持たれるところである。全世界の子供達が今後は「IT化」の影響を受けて育つだろう。
勿論、子供の成長過程にだけではない。各国独自の人間関係の構築、独自の文化、風習、政治形態などにどの様な影響が現れていくのか、興味もあり、恐ろしくもある。それが「IT化」の一部を享受して重宝している私の、もう一方の実感でもある。
7/26(水)晴れ ふれあい看護体験 外来+ドック診察+結果説明 秋田メディカルサービスKK総会 県医師会郡市医師会長協議会+理事会+納涼会
1:30起床。ドック総括、紹介状、主治医意見書他。講演準備。5:15Taxi病院.6:15回診、病棟業務。9:00-14:10外来+ドック診察x4+ドック結果説明。途中でふれあい看護体験挨拶。15:30-16:30秋田メディカルサービスKK総会。16:30-18:00県医師会理事会+郡市医師会長協議会。18:00-19:45納涼会。20:00帰宅、20:50就眠。
マーガリンやマヨネーズ、人工栄養剤とディーゼルエンジン どんな関係?
子供の頃にはバターなど高嶺の花、我が家では祖父さんの食卓にしか上らなかった。そのほかの家族、住み込みの看護婦、お手伝いさんとかのメンバーは安いマーガリンであった。時にくすねてなめる祖父さん用のバターは都会の味、外国の味がしたものである。ほろ苦い思い出である。
最近、わが家ではマヨネーズ、マーガリン共に殆ど食卓に上らない。子供達がいた頃には、時折食卓に出されていたようであるが、私自身はここ何10年も年に一匙二匙程度だけしか食べていない。家内は、脂過剰摂取は身体に良くないとマヨネーズを嫌悪しているが、これも理由の一つである。その一方で彼女はバターのブロックを小刀で切って舐める習性がある。言うこととやることと違うでないか、と思っていても平和のために言わない。理屈に合わんのが人生なのかもしれない、と容認する。私はバターは食卓にあっても恐れ多くておいそれとは手が出ない。子供の時の習慣が尾を引いている。
マーガリンやマヨネーズは菜種油が主たる原料であるが、バイオディーゼルブームのトパッチリを受けて品不足、値上げが始まっている。2005年の世界の菜種油生産量は約4,800万トンで、結構産地で消費され、輸出される量は10%強に過ぎないらしい。しかし、EU(欧州連合)は2003年に政令で植物油を原料とするバイオディーゼルの利用を促したため、徐々に菜種油の消費量が増え、昨年は食用油と燃料油の需要が括抗した。これが今後数年経つと、多分2010年頃には、EUのバイオディーゼル用だけで4,400万トンの菜種が必要になるとの見通しで、EUが全世界から大量輸入することが考えられる状況にある。
今まで燃料は化石燃料が中心だったが、今後は産油国と言えば農業国を指す様になるかもしれない。
日本は世界最大の菜種油輸入国だが、EUの輸入に足を引っ張られてマーガりンやマヨネーズの原料が不足し、大幅な値上げは避けられ無い様相を呈し始めている。
菜種油は人工栄養食材の原料にもなっているから心穏やかでない。食事を飲み込めず、鼻から胃に通した管や、胃に直接穴を開けて管で栄養補給を受けている高齢者は私の受け持ち患者だけで今19人であるから、日本全国では大変な数に上るだろう。この方々用の栄養剤用の原料が将来的にうまく入手できるだろうか、価格が高騰したら医療費等はどうなるだろうか、些か心配である。
7/25(火)晴れ 被爆者検診 外来 法人常務会 医局カンファレンス
市医師会永年勤続者+納涼会
2:30起床,ドック判定総括x1.講演準備その他を淡々と進める。5:15病院着、紹介状総括と格闘。6:10回診、定期処方ほか入力。病棟業務。9:00-13:50外来。14:00秋銀来訪。 14:30-16:30常務会。17:30-18:20医局カンファレンス:特発性食道破裂。19:00-21:10秋田市医師会永年勤続者+納涼会(Castles
H)。21:30帰宅、21:50就眠。
MD-90故障修理で1時間以上の遅れ(2)異常と分かっただけ良いのだ
今回のMD-90と同じようなことは、私の初海外出張の際、モントリオールに向かう全日空のジャンボ機で経験した。成田で離陸予定の時間になってもさっぱりその気配がない。機長より「エンジントラブルのために修理に1時間ほど必要です」とのこと。約8時間も、洋上を飛ぶのに大丈夫かいな、と心配したが、飛び上がってから故障が分かるよりは良かろう、と考えた。やがて機長から「修理が終了したので間もなく出発します」とのアナウンス。詳細な説明はなかったが、明るく確信に満ちた声に救われた。
私は検診やドックで「要精密検査」の判定を受け、ウジウジと悩み、心配のあまり眠られず、青くなって外来に受診した方々には、航空機の飛行前のチェックの話に例えて説明し「引っかかって良かったですね」という趣旨の説明をしながら迎える。すると大抵の方は初めはキョトンとするが、やがてホッとした安堵の表情になる。ここまでの時間、実に無駄したね、と互いに笑い合う。
「異常?」とチェックされて、精密検査を通じて再検査する機会を得たことは、異常なしと判断されて無事通過するより遙かに良い事なのだ。異常なしの判定は「本当に異常なし」、「異常なのだが誤判定」、「異常を疑わせる所見があるのだが気がつかれなかった、あるいは軽視、無視された」の場合も含まれるのだから、はっきり「異常あり」と判定されるのと大差がない。この辺のことは一般の方々には理解されていない。
例えば、王監督の場合、ドックは受けていたとは思うが、異常は指摘されていなかったようである。先日、秋田で講演された讀賣新聞の論説委員の方は検診の結果異常なしと言われた1-2ヶ月後に胃ガンが見つかっている。だから、「異常の疑い」とチェックされ、精密検査を受け、集中的に検討される機会を得たことは「異常なし」で通過するよりも遙かに良いことなのだ。更に精密検査で結果で「異常なし」との判定を受けた場合には、実際には大部分の方がそうだのだが、「本当に異常なし」なのだから心底喜ぶべきなのだ。そんな風に説明する。
だからドックの総合判定を担当している私は緊張の連続である。怖いのは「異常なし」の判定を下すときである。大部分が異常ないのだから本当に辛い。 先のジャンボの時も、今回のMD-90の故障修理で1時間以上の遅れたことも、故障と分かっただけでも良かったのだ。私にとっては秋田に早めに着いたら出ようと思っていた会合に出られなかったが、待合室で十分本を読む時間が取れたし悪くはなかった、と思う。
7/24(月)晴れ 管理会議 遊心苑スタッフ来訪 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床,ドック判定総括x1他。ジェネリック勉強。5:20病院着。6:00回診、病棟関連業務。8:00-8:45管理会議.9:00-14:00
外来。15:30遊心苑員来訪、今後の打ち合わせ。16:00-16:40療養病棟判定会議。16:30-20:30長副会議、21:10帰宅、夕食、21:45就眠。
MD-90出発前に故障発見修理で1時間以上の遅れ(1)待合室に不安よぎる
去る7/13(木)都道府県医師会個人情報保護担当理事連絡協議会なる長い名称の会議が日本医師会で開催され出席した。帰路は17:55発のJALである。午前中に浜松町でチェックインしていたので本屋に寄り、17:30過い紡垤膽爾貌・辰拭・海了・屬竜ー錣歪名錣魯棔璽ぅ鵐・・幼X・ぢで、沖止めなのでバスで機に向かう。いつもなら17:40頃からバスへの案内が始まるが、時間近くになっても係員が忙しく立ち振る舞っており、頻繁に無線で交信している。いつもと雰囲気がちょっと違う。
まもなく放送があり、「機材に不具合箇所が見つかったのでただいま修理中です。15分ほどお待ち下さい」とのことであった。その後も「10分ほどお待ち下さい」という案内が何度も繰り返され、結局1時間30分ほど遅れた。待合室では当初は各地へ出発する数100人ほどで混雑していたが、結局、秋田便の客だけが閑散とした待合室で待つという状況となった。
個人客は不安、かつ不満な雰囲でじっと待っているが、グループ客、団体客は反応が様々で、最初の頃はアナウンスの度にいろんな声が聞こえたが、1時間も過ぎてからは語り疲れたせいかグッと静かになった。話を聞くとはなしに聞いていると「大丈夫か?」が大部分、極端なのは「故障機なんかヤダ-」「落ちないか?」・・等である。だからといってその場を去るヒトは居ないから面白い。
私はこの辺は単純で、「離陸前に故障が見つかったのは見つからないまま離陸するのよりはずっと安全なのだ。ホントに駄目なら運休か代替機が用意されるだろう」と考えじっと待った。この間詳しい内容は語られなかったが、10分ごとに状況を説明するアナウンスがあったのはとても助かった。
結局、1時間半ほど遅れて離陸したが、秋田地方天候不順で、場合によっては羽田に引き返すという条件付きでダブルパンチであった。ホントに降りられないと夜行の寝台車も間に合わないだろうからどうしようか、とほんの少し心配したが、雨の中無事秋田空港に着陸し、ホッとした。
7/23(日)晴 病棟拘束 FF
tennis
2:30起床、ドック判定総括x1、総括、新聞チェック、本読みなど。パネリストの準備中心。13:00-16:00FF
tennis、4-6,4-6,2-6と敗退。今年は5勝7敗1分け、と昨年に引き続き劣勢。16:45帰宅。一時午睡、楽器練習等若干。19:30夕食、21:00就眠。
自伝 秋田大学時代(1973-1985) 一般臨床の再トレーニングを中通病院で、と考えた
大学を辞すことを決めた夏の時点では、40歳の節目を迎える前には何とか道を変えたいと思っていただけで、先々への具体的な計画があったわけではなかった。
ただ、一つだけ念頭にあったのは、先々どこの医療機関でどの様に働く事になろうと、今一度自分を鍛えなおさなければ臨床医として通用しないだろう、と考えていたことである。そのトレーニングのための医療機関として候補にあげ、考えていたのは市内にある中通病院である。
秋大第3内科では第1期卒業生の入局者以降、約半年間ほど大学病院内で研修期間を過ごした後、1-2年県内の大規模病院に臨床研修をお願いしていた。以来、毎年1-3名程度、合わせて20名近くが中通病院で研修を受けたことになる。毎年、研修を終了して帰局してきた若い医師達から研修病院の状況を聞く機会もあり、中通病院はインターン時代から若手医師の育成に力を注いできた病院とのことで、研修医の育成も他の医療機関よりは体系が整っていたような印象を受けていた。
私は秋田に移り住んでから13年ほど経過していたが、当時、私が中通病院について知っていたのは、私的医療機関であること、カリスマ的(?)院長がいるらしいこと、労働組合の活動が盛んで時折新聞紙上に名前を見ることが出来る事、民医連という組織に関連しているらしいこと、救急や時間外診療を通じて住民からの信頼はかなりあるらしいことくらいである。秋田駅近くにあるらしいが、どこにあるかもよくしらなかった。
私にとって中通病院に対する知識は上記の程度であったが、その後もいろいろ考え、もし、中通病院で私を受け入れていただけるなら、そこで一般臨床を勉強し直そうと決め、当時第三内科から研修に行っていた医師を介して院長との面談の機会を作っていただいた。
7/22(土)雨 病棟拘束 入院患者家族と面談 橋本五郎氏の講演聴講
2:15起床、ドック判定総括x1他、いつもの如し。5:20病院着.6;10回診他.7;00入院患者家族と面談。高熱患者数名あり対応、書類等処理。特定疾患患者の書類更新時期で大変。ジェネリック医薬品についてのパネラーの準備開始。14:45西武、15:00加賀屋書店へ、新書数冊購入。15:30-16:45秋田女医会の橋本五郎氏講演会聴講。17:00病院へ、高熱患者中心に再度回診対応他。19:30帰宅、夕食、20;30就眠.
服装は相手に対する礼儀だよ!!(3)スーツ、値段見て目が飛び出た、
私の何100倍も投資して来たであろう、現市医師会長の着こなしは確かにスマートである。型くずれしたり生地が疲れたりしたスーツ等を身につけているのを見た記憶はない。私とは別世界の価値観だと感心していたが、彼のお勧めの店とは言え、そこにぶら下がっているスーツ、私の目から見てそれほど良いものとは思えなかった。ただ、値段表は上手に織り込まれており簡単には確認できないようになっているのが不気味である。2,3着の値段表を開けてチラリと見てみたが確かに安くはない。私が平成10年頃に人生2着目のスーツとして仕立てたのと同じ程度、10分ほど前に入った洋品店のそれと比べると2-3倍である。最近は既製品も高級化して仕立てと優劣は付けられなくなった、と聞いてはいたが、私には判断力が無く違いが全く分からない。
社長風の出で立ちの方が私の腹囲を計り、なにやら話していたが、もう一人の社長風の方が奥の方から、何故か奥の方から、一着のスーツを持ってきた。色の好みを聞くわけでも無し、予算を確かめるわけでも無し、「これがよろしいでしょう。」の雰囲気である。黒に近い紺色で、かすかに縞模様が入っている、すっきりしたデザインであるが、それ以上のことは私には判断できない。
試着したら何故かぴったしである。「マア、こんなところで良いか」程度が私の印象で、あれこれ迷いながら試着するのは嫌だからこれに決めた。そばで家内が「ズボンを追加して作っていただく事は出来ますか?」等と言っている。「生地はありますが、あまりお勧めできません」という。その意味はその時には分からなかった。
ネクタイを1本サービスするというので、勧められるとおり黄色系にした。私は今まで無地のグレーや紺以外のを着用したことは一切ないが、私も老けたし、発想の転換も必要であろう、と考えたからである。会計は家内が済ましたが、伝票を見て目が飛び出た。漫画で表現すれば、かけていたメガネを飛ばすほど、であった。この瞬間、市の医師会長は予想以上にスゴイ人なんだ、と思ってしまった。
もしかしたら、今回はすごく良い買い物をしたのかもしれない。しかし、私にはまだ真価はよく分からない。先々のことは分からないが、次にまたスーツを購入するような機会が来たとき、多分無いかもしれないが、果たしてその時もこの店を利用するだろうか?等と考えながら、軽く落ち込んだ気持ちと共にその日は帰路についた。
7/21(金)雨 秋田県DV防止基本計画説明・講演会(欠)
2:00起床。ドック処理x1。特定疾患臨床調査個人票x4。5:30病院着。6:10回診、事務処理他。9:00ドック結果説明x1。13:30ドック診察、入院患者処置.13:30からの、私も作成委員であった秋田県DV防止基本計画mp説明・講演会は欠席とした。20:40帰宅.夕食、21:30就眠.
服装は相手に対する礼儀だよ!!(2)スーツを買う
装い、服装は私にとって興味の乏しい領域である。日常は出来るだけラフが良い。今は暑いから早朝や夜の院長室では短パンにサマーセーター、草履の出で立ちで、通勤時もほぼ同じである。来客とかがあり得る時間帯、勤務時間内には常識的にズボンに半袖Yシャツ姿でネクタイなし、スリッパ姿で、適宜靴下で調整する程度である。
対外的な場所には一応それなりに整えて行くが、最小限の基準を満たせば良いじゃないか、という感覚である。私の服装はそのレベルには達しているものと思っていたが、端から見ればそうではなかったらしい。普段から注目してくれ、直接提言してくれる仲間、友人は実に大切なものだと思う。
先日、勧められた店を目当てに家内と出かけた。[○○・バン]という語呂を目当てに探し、先ず入ったのは[○○・Ban]という店である。若い女性の店員が一人暇そうに居るだけ。ザッと見回したが、吊されているスーツは何れも良さそうだが、私でも納得できる範囲の値段が付いていて、ホントにここかな??という感じである。
この店名に似た名前の洋品店は他には無いのか?と尋ねたら、近くにもう一店ありますと教えてくれた。その名の方がうろ覚えの店名に近い。丁寧に礼を言ってそちらを目指した。[○○・Vin]は他店の陰に隠れて目立たない。先に、側を通っていたのだが気付いていなかった。
品揃えもそんなに豊ではない。空間の方が豊である。「??」と訝りながら入ってみたら、中年の、一見何処かの社長風の、と言っても良いような恰幅の良い、立派な出で立ちの紳士、私より遙かにご立派なお二人が、にこやかに、慇懃深く、私どもを迎えてくれた。
これだけで私はすっかり圧倒され、備わっていたはずの冷静な判断力は何処かにスッ飛んでしまった。
7/20(木)晴れ 外来 「接遇の基本と実践」全体学習会
2:00起床。ドック判定・総括x1、紹介状返事等.5:20Taxi病院着、6:10回診ほか、8:40-13:00外来.13:15-14:35全体学習会「接遇の基本と実践」。開始の挨拶担当。満足すべき内容であった。病院スタッフが本日の講演の如くの接遇のスキルを身につけたら病院の雰囲気が一変するだろう。入院患者対応、退院総括、紹介状作成など。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。
いつも同じ服装だね(某院副院長の苦言) 服装を整える事は相手に対する礼儀だよ(市医師会長の苦言)(1)
友人、知人達、主に後輩達であるが、私に公私双方に重要なアドバイスをしてくれる。有り難いものである。でも、私も天の邪鬼なのだろう、すんなりと取り入れることに抵抗がある。が、それじゃ進歩がないと、実は相手に感謝しつつ、謙虚に、さりげなく取り入れている。
私は子供の頃から服装なんか殆ど気にしない方で、子供の頃の写真を見ると夏など最小限の布きれをまとっていたレベルに近い。高校は当然だが、大学は卒業まで学生服で過ごした。100人の同級生の中でたったの2人だけだったと記憶する。スーツは昭和46年大学卒業時一着目を購入した。平成10年頃、医師会活動とかで着用の機会が増え、やむなく二着目を購入したが、この時はちょっと気張って仕立てにした。どちらもまだ現役である。私にとってはまだ結構良く見えるが、家内、まかないのおばさんなどの評価は、くたびれてる、型くずれしている、と散々である。確かに、裏地はボロボロ、袖に手を通すとき裏地の綻び入ってうまく手が出ないこともある。風が吹いて上着がめくれると裏地のボロが見えてしまう。ポケットの小銭や爪楊枝などはいつの間にか背中に回っている。両方とも合い着だから夏は辛い。一昨年から、長男のグレーのスーツを借用して夏場はこれを用いているが、ダブダブであるが風通しが良いから私は頓着しない。着れればいいのだ。
昨年暮れ、第三内科でかつて苦楽を共にしたメンバーと現教授が発起人となって私の祝賀会を開いてくれた。私は2着目の方を着用し、ネクタイも締め、靴下を着用、靴はいてカッコ付けた積もりで出席した。有り難く、身に余る良い会であったが、主催してくれた某病院の副院長が一言、「先生はいつも同じ格好だね。何とかならないの」と半ば呆れた表情で、小さくもない声で呟いた。「うん、これしかないから」と答えたものの、内心ちょっと拙かったかな?と感じ、心の隅に引っかかっていた。
一月ほど前、新たに市医師会長に就任した後輩が「先生、いろんな行事に出席してくれるのは有り難いけど、服装を整えてないと相手を軽んじていることになるんだよ・・」とだめ押しの一発を私に投げかけた。更に一言、「その気になったら、私がいつも利用している[○○・Vin]という洋服屋さんを薦めるょ。既製品中心だけど、ちょっと高いょ」と言う。後半を言うとき、「もしかしたら、先生には不向きな店かも・・」というような表情を伴っていたような気がしたのは私のいじけた気持ちのセイだったのだろうか。
7/19(水)晴れ 外来 県医師会顧問会議
2:00起床。ドック1判定総括x1など。新書若干読む。5:20バイク病院着。6:20回診、9:00-14:40外来。15:20病棟、骨髄検査、新入院患者対応。18:00-19:40県医師会顧問各氏との懇談会。20:00帰宅。20:30就眠。外来と病棟に時間がとられ終日多忙。
秋田空港の駐車場、タクシーは
来てくれないかな??
秋田空港に大抵ぎりぎりにつくために第一、第二駐車場は私にとってとても縁が薄い。いつも空港ビルから一番遠い第三、しかもより隅のところに駐車せざるを得ない。それは効率的移動のためには仕方がないと思っているが、体調が悪かったり、雨天で荷物が多いときなど僅か200-300mの距離であるが歩くのに大変である。
昨年秋の腰椎ヘルニアの疼痛がひどかったときには一歩一歩進める毎に左下肢に疼痛が走ったが、このときの移動は今思い出しても辛かった。若干の発熱を押して出張することもあるが、こんな時も歩きたくないものだ。本当に僅かの距離だが、この距離を歩くのが困難という理由のためにやむを得ずタクシーを利用したことも2回ほどある。こんな時は分不相応に贅沢なことをしている、と小さな、かつ、ケチな私の心に傷が付くし、出張旅費にも赤という色が付く。
雨の日が特に困る。いつも携帯している傘は軽くて便利だが小さい。だから、ひどい雨のときはリュックや下半身スブ濡れになる。パソコン等持参で荷物が多い時はキャスター付きのバックを利用するが、これを引っ張っての移動の際は特に困る。実際にはゴミ袋を被せるなど工夫をしているから濡れると言う実害は殆どないが、嫌なことに変わりはない。
幼児を連れての若いお母さん、荷物も多いし特に気の毒である。足腰不自由そうな高齢者の方々の場合も同様であるが、何とも手助けしてあげられない。駐車場までタクシーを呼ぶことは出来ないのだろうか?あるいは駐車場までタクシーに乗れないのだろうか?と思う。空港に客待ちしているタクシーは私の目から見て実に暇そうに見える。到着便の客がさばけた後に残ったタクシーは次の便まで何しているのかな??
秋田の公的病院の駐車場はとても広い。隅の方に駐車せざるを得なかった患者はそこまでタクシーを呼ぶこともあると聞いているほどで、何とも羨ましい話である。また、郊外の大型店の駐車場でも同じような事があるようだ。体調不良とか、大量の荷物があるとき等は無理のない話だと思う。基本料金で済むし、良いじゃないか。
秋田空港にも気軽に呼べるタクシーがあればいいと思う。
7/18(火)晴 管理会議 外来 法人常務会 秋田県病院協会と賛助会員との懇談会
中通総合病院高額医療機器共同利用運営委員会
1:30起床,ドック判定・総括x1他、紹介状、退院総括他.5:10病院、6:00回診+定期処方書き。8:00-8:40管理会議。9:00-14:00午前外来+ドック結果説明、14:30-15:30法人常務会。17:30-18:45秋田県病院協会と賛助会員との懇談会(Castles)。特別講演は赤穂市民病院院長,邊見公雄氏「命輝かそう秋田の医療人」、残念ながら中座。懇親会は欠席俊移動。19:00-21:00中通総合病院高額医療機器共同利用運営委員会(View)+懇親会。21:30帰宅、22:00就眠。
車の後ろに駐車されるのはとても迷惑(2)
せめて鍵を付けておくべき
3回目のそれは先週の東京出張の折であった。前回迄の経験に懲りて車を駐車場に浅く入れ、後ろには軽自動車でも置けない様にしておいた。それでも、もしかして・・と言う妙な予感があり数分早く部屋をでた。
案の定、私の車の後ろには出入りと思われる文具会社の小型車が置かれ、ドアもしっかり施錠されている。車の移動を放送してもらおうと携帯を手にしたときに運良く運転手が戻ってきた。前回の女とは異なり恐縮そのものと言った、声をかけるのも気の毒なくらいであった。何も言わないのは問題と考え、一言だけかけて出発し、何とか間に合った。
時間的に余裕がないから、こんな時に私が取り得る手段はタクシーにすることしかないだろう。時間の関係から高速経由にするとだいたい1万円前後となる。無駄な出費となるが、それでも実際はやむを得ない。帰路はリムジンにすると安いが時間的には大きく無駄となる。私にとっては打撃である。 こんな場合には車の持ち主にタクシー代金を、出来れば往復分を合法的に請求出来るのだろうか??ただ、個人所有の車の場合、運転者の特定が困難だろう。
先の道路交通法の改正から路上駐車は厳しく取り締まられるからこの様なことは増えるのかもしれない。それでも駐車場の車の後ろには例えスペースがあろうと不用意に駐車してはならない。もし、どうしても・・と言うならせめて鍵を付けておくべきで、これ常識と思うし、私なら最低限そうする。 職員駐車場といえども夕方まで車を動かさないという確証など何処にもないのだ。
7/17(月) 海の日 晴れ
病棟拘束
2:00起床。ドック判定・総括x2。書類処理。新聞チェック。残務多数処理。医師会館連校正作業に手間取る。楽器練習若干、午睡若干。16:00西武にて買い物後病院へ。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。この二日間でかなりの残務消化できた。
車の後ろに駐車されるのはとても迷惑なのだ(1)
病院で私に割り当てられている駐車スペースは縦長で、ぎりぎりに奥に詰めれば何とか2台置けないわけではない。だから、時には他所の車が私の車の後ろに停めていることもある。私は出勤後帰宅までの間、駐車場の脇を通るのは2週間に一回、法人理事会の時だけと言っていいが、時折、病院の工事業者の車が置かれているのを見ることもある。多分、私が気づいている以上に車を置かれている頻度は高いかもしれない。実際には、私の車の後ろによその車が置かれていても通常は実害はない。
私が出勤後に帰宅迄の間に車を用いることは少ない。せいぜい、年に10数回程度の東京出張の折りに空港まで自分の車で行く時くらいである。空港まで運転していくのは睡魔と闘わなければならず、危険だからとてもイヤだが、それが一番効率よく移動できる手段からやむを得ない。飛行機の出発時間の55分前に部屋を飛び出すとチェックイン終了時間の少し前にカウンター前に着く。
ところが、今まで3回私の車の後ろに車が置かれて飛行機に間に合わなくなりそうになり困惑したことがある。一度は医局の秘書担当の事務員、2度目は患者と思われる女性であった。この時は院内放送をして貰い何とか遅れずに空港について事なきを得た。不快かつ呆れたのは2番目の20代後半と思われる女性の場合であった。一言も挨拶もせず憮然とした表情で車に乗り込み去っていった。私は呆然と見送るだけであった。
他人に迷惑をかけても何とも思わないのか、あるいは表現が下手なのか、よく解らないが、どちらにせよ困った時代になったと思う。
7/16(日)曇・雨 病棟拘束 FF tennis(中止)
2:00起床。ドック判定・総括x1、途中までの紹介状他追記等。新聞10日分チェック、本読み若干。9:00-11:30病院。化学療法メニュー等作成、依頼、患者観察他。
13:00梅林園に着いたとたんに降雨、FF
tennis中止。家内の発案で山王テニスクラブにて見知らぬ方々と2セットほど楽しむ、3-4、3-4と敗退。16:00帰宅午睡若干。17:30-19:30ドックなど処理。19:30夕食、20:300就眠。
自伝 秋田大学時代(1973-1985) 自伝 秋田大学時代
昭和60年春、退職予定となる
この件については、更に2-3度、相談する機会を作ってくださり、その度に教授からは思いとどまるよう、強く慰留された。私にとっては身に余る程有り難いものであったが、教授に感謝しつつも、私が40歳を迎える5月前には道を変えたいと固辞し続けた。最終的には私の考えをご理解いただき、翌年3-5月頃に大学を退職するお許しをいただいた。
教授は退職後の私の身の振り方についてもいろいろ考えて下さるとのことであった。私は、この時点ではまず退職の許可をいただいてから自分でゆっくり考えることとしていたので、そのご配慮についても感謝の意をお伝えしてお断りした。
随分身勝手な、不肖な医局員と言うことになるが、私自身はインターン制度反対運動の時に大学医局制度についても問題を感じており、大学医局の人事については赴任する、あるいは赴任させられる本人にとっても、受け入れる医療機関にとってもあるべき正当な制度ではないと考えていたからで、この点については自分の意志を通すべき、と考えていたからである。
退職の許可はいただいたものの、その時点ではまだ先のことはそれほど深く考えていたわけではない。自分で診療所を開く道、県内の公的大規模病院への就職はまったく考えて居らず、自分の能力に見合ったどこかの医療機関に就職できればいいという程度と、ただ何となく考えていたにすぎない。最終的に働く場所が見つからなければ、能代で病院をやっている同級生に頼み込めば何とかなるのではないか、どこかの診療所への勤務等も悪くはない、とも考えていた。
大学を辞すことを決めた時点では、40歳の節目の前には何とかして道を変えたい、変えるべし、との考えが強く先行していただけでそれほど先々へのヴィジョンがあったわけではなかった。
ただ、一つだけあったのは、先々どこでどう働こうと今一度臨床医として自分を鍛えなければ通用しないだろう、と考えていたことである。
7/15(土)曇り→雨 病棟拘束 秋田県社保協講演会 秋田市医学集談会 秋大泌尿器科同窓会 民医連地協研修説明会
2:00起床、ドック判定総括x1。退院時総括予稿他.5:10病院着、6:00回診、申し送り。患者関連書類と格闘。10:00入院患者対応。14:40-16:00秋田県社保協講演会(文化会館):「県内の医師不足の実態に迫る」聴講。求められ若干発言。病院にて入院患者対応。17:30-18:25秋田市医学集談会(View)に参加、中座。18:30-19:40秋大泌尿器科同窓会「虚の会」(Castle)に出席、中座。19:50-21:10民医連地協研修説明会(View)に出席、乾杯の挨拶。医学生と歓談。中座して21:30Taxi帰宅、22;00就眠。
TOYOTA
Prius(4) 車種として四駆車も欲しい
昨年11月にTOYOTA
プリウスを購入した。車のコンセプトを気に入っての購入であったので、色やスタイル、装備品などはどうでも好かった。選ぶのも面倒だしと、9月下旬に数時間借用して試乗した、フル装備に近いその車をその場で予約注文した。要するにいつもの如く中古車購入である。
一抹の不安は使用されているニッケル水素電池の耐久性や交換時の費用等の情報がきちんと公開されていないことと、前輪駆動車だと言う2点だけであった。
前者は問題になるのは数年後だろうし、その時には私自身がいるかどうかも分からないし、車事情も変わっているだろうと勝手に考えて無視した。後者の点では、ここ数年は積雪期には自分の四駆のレガシーワゴンを家内に回し、私は家内の前輪駆動車ホンダデルソルに乗っていたが、道路状態によって多少不便はしたものの立ち往生することもなく何とか使えていたから、恐らく前輪駆動車でも何とかなるだろうと甘く考えた。
ところが昨年暮れから今年新年にかけての未曾有の積雪である。1月5日の朝は雪上車でもなければ何ともならなかったが、その後も何度かの降雪があり、その後遺症は1ヶ月以上も続いた。この間、道路事情のの良くない我が家の路地は深い轍とかが出来、前輪駆動のプリウスでは往来困難で、しばらくの間病院の近くに住む次男の四駆のレガシーワゴンと取り替えて使った。これで何とか事なきを得たが、もし今年の冬も降雪が多ければ真面目に考えなければならない問題である。
積雪地帯でプリウス購入を望んでいても四駆車仕様がなく二の足を踏んでいる人も少なくないと思う。軽量化を始め、徹底して低燃費を追求した結果の世界的低公害車プリウスである。四駆化による燃費の悪化はセールスポイント上、トヨタの立場では好ましいものでは無いのであろう。しかし、降雪地帯に住む我々から見ると、四駆化による燃費の低下はメカニズム上避けがたいことでもあり、四駆のプリウスの存在価値は決して小さくはならないと思う。むしろ、全世界の降雪地帯で飛ぶように売れるのでは無かろうか、と思う。是非作って欲しいと思う。
7/14(金)雨 医療器械店来訪 人間ドック診察 法人理事会
2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状2部、その他.5:10病院着。6:30回診、紹介状その他。9:00-9:40医療安全担当者と面談、10:30医療器械店関係者来訪。14:00ドック診察x5。14:30-15:30病棟業務ほか。17:30-18:30法人理事会、残務、20:55帰宅,21:30就眠.
TIYOTA
Prius(4) 4月-7月は800Km/43L
=18.6Km/Lであった
プリウスの特徴は、動力システムがハイブリッドでガソリンエンジンと電気モーターという組み合わせで、エンジンで充電するほか、減速時に運動エネルギーを電気エネルギーとして回収する構造を持つ、ことに尽きる。ガソリン消費はカタログ上では30Km/L程で、実際の使用でも20Km/Lは走るだろうと言われている。
私の場合、殆ど通勤のみの使用で往復10Km未満、遠乗りは月に1-2回の秋田空港往復40-50Km程度である。購入後200Kmほどは秋から冬にかけての車にとって条件の厳しい季節であったがガソリン消費量は12-14Km/L程度で、省エネ・低燃費を売り物にしているコンパクトカーに比較してそんなに著しい省エネにならないのでは?という印象を持っていた。
本日3ヶ月ぶりに給油した。前回の給油は4月20日であった。この間800Km走り、43L消費した。1Lあたり18.6Kmの走行である。今のハイブリッド車が、電池の寿命、リサイクルその他の経費、環境に与える影響までを含めて最終的にどれだけ省エネ、メリットになっているかは個人的には判断は出来ないが、ガソリンの消費量に関しては確実に寄与するようである。
ザッと私の車癧を思い出してみると、30数年前に使っていたマツダファミリアは1300ccエンジンで1Lあたり10Km、約20年前に使っていたマツダルーチェは3B型のロータリーエンジンで、4-6Km、10年ほど前から昨年までのスバルレガシーワゴンは2000ccのツインカムエンジンで6-7Kmで、共に満タンにしても300Kmで給油の要があった。それが、プリウスは一回の給油で800Kmである。今回は確かにすごい、と実感した。ちなみに、家内のスバルレガシーセダン2000GTは10数年使用しているが、ハイオクガソリンを250Km毎に給油するとのことである。これも罪深い車だが滅多に乗らんからマア良いか、と無理矢理納得しよう。
最近、ハイブリッド車は需要が一層高くなり、多くの機種に搭載されていくと言うが、構造を簡素にするために運動エネルギーの回収は行わず、家庭用電源からの充電の方法を取り入れるらしい。これはちょっと寂しい。車は加速時に燃料を大量に消費し、ブレーキ操作で運動エネルギーを熱エネルギーに返還して空気中に捨てている。両者は実に勿体ないことである。その点、プリウスでは加速時はモーターが補助的に手伝い、減速時には慣性力を電気エネルギーに変換する回生ブレーキで充電するから理にかなっている。更に、ルーフやボンネットに太陽電池でも組み込めば更に良いだろう、と思う。現状の電池のパワーでは僅かに1Km程しか走れないから、家庭用電源でフル充電してもタカがしれていると思うが、その辺は更に改良が進んでいるのだろう。
7/13(木)秋田終日雨 東京晴れ→雨 都道府県医師会個人情報保護担当理事連絡協議会 JAL
MD-901時間遅れ 秋大地域包括実習打ち上げ会(欠)
2:10起床、ドック判定総括x1、退院紹介状作成、5:10病院着。6:10回診他病棟業務、その他、9:40病院発、車の後ろに駐車され困惑、運転者は間もなく現れ間に合った。10:56
ANA
A321満席→モノレール→JRで駒込日医会館。13:30-16:30都道府県医師会個人情報保護担当理事連絡協議会、16:30逆コースで羽田へ18:55JAL
機材故障修理で1時間遅れ。悪天候で羽田に戻る条件下で20:00離陸、20:50秋田着、秋大地域包括実習打ち上げ会に出席できず。21:30帰宅、夕食。22:10就眠。
過密であった都道府県医師会個人情報保護担当理事連絡協議会
本日は「都道府県医師会個人情報保護担当理事連絡協議会」なる会が開かれ、出席した。一便遅らせて効率よく移動したため、10分ほど遅れて到着した。
私にとって唐澤体制になってから初の日医の会議である。会長の挨拶が聴けなかったのは残念であった。暑い最中汗だくで歩かずに、駒込駅からタクシーを使うべきであった。
膨大な資料が渡され、まず、参与である高齢の弁護士の講演から入ったが、歯切れはいつもの如く良くない。聴いていて苦痛あり。
続いての担当常任理事、担当事務局員の説明は超コンパクトで、歯切れ良く、耳で、目で追っていくだけで精一杯。2時間半の間、沈黙の時間は10秒ほどもなかったろう。息つく暇もないほどの、詰め込み過ぎとも取れる協議会であった。終わった瞬間ドッと疲れが出た。
2年前、植松体制発足後の私にとっての初の協議会は「日医医事紛争・自浄化活性化担当理事合同連絡協議会」であったが、その時には資料の説明が始まった途端に大きく落胆した事を思い出す。司会を始め、高齢の担当常任理事、その他の方々ゆったりとした、内容的にしつこい説明が延々と続いた。要領よく話せば5分もかからない内容を20分もかけて延々と説明した。話のテンポが私の感覚では半分以下で苦痛以外の何物でもなかった。圧巻は最後の副会長のまとめの挨拶で、閉会数分前に会場に現れるなんて、まとめをする資格はない。今から思えば、植松体制の先々が心配になる様な印象を受けた会であった。
本日の協議会の印象は上記と比較すると雲泥の差であった。聴いておられた副会長は終始姿勢も崩さず、居眠りすることもなく、最後のまとめも的確であった。
今日の会議一つからはだけから何とも言えないが、唐澤体制は、若さ、スピード感、歯切れ良さ、の点では満点との印象を受けた。
7/12(水)雨 週刊アキタ原稿投稿 外来 ドック診察 院内感染対策委員会 県医師会常任理事会
2:00起床。ドック判定総括x1.総括・紹介状などいつもの如く。5:10病院着.6:00回診その他入力。9:00-14:00外来。老健施設紹介状、書類処理。院内感染対策委員会は欠。17:00県医師会。17:30-20:00県医師会常任理事会,病院にて残務、21:40帰宅、22:00就眠。
何で病院の外来は待ち時間が長いのですか??(2)不真面目に答えると
外来の待ち時間については本当に私共も本当に心を痛めている。いろいろな方々からクレームが来る。最近、自ら「医療はサービス業」と称する医療関係者も少なくないことも関連しているのだろう。医療をサービス業だと思っている患者が増えてきている。そのような人達には我々の説明や対応は理解できないらしい。コンビニとかスーパーマーケット的便利さを病院に、あるいは救急外来に求めてきている。
私は「サービス精神」は必要だし、私もその気持ちは豊に持っている方だと思っているが、医療が「サービス業」だなんて些かも思っていない。かっこつけて言うと「健康危機管理業」なのだ。医療機関は人的にも、時間的にも全く余裕がない。持てる力を発揮して「良質で安全な医療の提供」を通じて住民の健康危機管理を行うこと、そのことこそが最高のサービスなのだ、と思っているし、強調したい。
何と言われても対応は困難で、現状では笑ってごまかすしかないこともある。あんまりしつこく文句を言ってくる人には、勿論相手を選んでの話であるが、私は以下のように、例を挙げたりして答えている。
●「眼科、乳腺外来」の場合、目玉もおっぱいも二つあるから時間がかかるのはしようがないです。これが真ん中に一つだけなら、待ち時間は半分になります。わが家の2匹のネコのおっぱいは合わせて16ヶありますから、健康管理している私も大変ですよ。
●「耳鼻咽喉科」は両耳、両鼻、のどと5カ所ですからここも大変ですよね。キリンなどの場合は喉が長くて更に大変でしょう。獣医さんはどうしているのでしょうね。
●「整形外科」はもっと大変ですよ。頸、胸や腰の背骨だけでも高齢者は弱ってきていて大変な上に、4本も手足が付いていて、更に先端が5本の指になってます。これにみんな関節が沢山付いてますから診るべきところが多くて、どうしても待ち時間が長くなります。ご理解下さい。
●「内科」、これは一番の原因は何と言っても高齢化ですね。こんな方もいます。「せんせ、さっきの血圧なんぼでしたか?」と終わってから2回も3回も戻ってくる患者もいる。別な患者の話、「今日はどうしたんです??」と聞けば「あれは、昭和20年の頃、苦労して育てた息子が・・嫁を貰ってから・」と人生の全てを語り始める。なかなか終わらん。結構元気そうだし終わるまで待てば一時間はかかりそうだ。途中で止めて「今日はホントは何が具合悪くて来たの??」と改めて聞くと「イヤ、別に、何処も悪く無い。血圧は買って貰いに来た・・」。このような方が混じるとドッと力が抜けて診察のペースが乱れ、能率が下がって、後の患者の待ち時間が長くなるのです。
結局、何処の診療科も同じでしょう。書き尽くせないから後略。
7/11(火)曇-雨 入院患者家族面談 定期処方 外来 ドック結果説明 法人常務会 医療案件委員会(欠) 医局カンファ
2:00起床。ドック判定総括x1.総括・紹介状など書類処理、5:20病院着.6:10回診他定期処方、7:00入院患者家族と面談。書類書き、9:00-14:00外来+ドック説明。14:00-16:40法人常務会。16:00からの医療安全委員会は欠。1730-18:20医局カンファレンス:精神科「新潟中越地震の医療支援の経験」。20:50出てみたら小雨であった。バイクで若干湿りながら帰宅。21;30就眠。
何で病院の外来は待ち時間が長いのですか??(1)真面目に考えると
院内各所に設置してある投書箱には「患者さんの声」としていろいろな意見が寄せられるが、やはり待ち時間に関連するものは少なくない。● は最近の投書にあった意見、◎は玄関ホールに掲示した返事である。
●「乳腺外来を受診しております。たいへん親切に応対していただいておりますが、待ち時間が長いので善処をお願いします。(外来患者)」。
◎「乳腺内分泌外来は、朝の検査(エコー、マンモグラフィ)が混雑するため、とくに待ち時間が長くなっており、患者さんに大変ご迷惑をおかけしております。
4月からは、朝の検査の待ち時間短縮のため、午前の診察時間を「前半」と「後半」に分ける等工夫をして検査時間を調整しております。また、エコーについては診察日とは別の日に予約で検査を受けられるようにしております。
以上のように、私どもも待ち時間の長さについては心をいためており、待ち時間短縮の工夫をいろいろ試みておりますが、まだまだ十分とはいえません。いま、予約制などについても検討中ですので、今しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。2006/7院長」
外来の待ち時間については私共も本当に心を痛めている。何故待ち時間が長くなるかというと、理由は簡単で、医師一人あたりの患者数が限界を越えているからである。また、投書にあったように「たいへん親切に応対している」と評価を戴くのはとても嬉しいことであるが、これも待ち時間が長くなる理由となる。
診療スタッフをもっと外来に投入できれば解決するだろうが、病院は多くの入院患者も抱えており、むしろ入院医療の方が主体だから、外来にこれ以上のマンパワーを割くのは出来ない、という事情もある。
「予約制導入」は待ち時間解消のために有用な方法であるが、決して妙薬とはなり得ない。複雑な病態を持つ患者が集まる診療科では予定通り診察が進行せず、時間あたりの診察できる患者数がむしろ減少する。患者にも新たな不満が生じてくるし、診察中の医師にとっても診察時間の遅れ、外来終了時間が遅くなることは大きな心理的ストレスになる。受け持ちの入院患者が不調だったり、外来終了後に手術ほかの予定を組んでいる様なときは診察医の立場、心理状況は地獄と化す。
また、予約外に訪れた患者を断るわけに行かないから診察する医師が別に必要になるなど、病院側の負荷はむしろ増える。
待ち時間が長くなる要因に患者の「待ち時間は出来るだけ短く。でも、自分の診察時間は出来るだけ長く」という患者の矛盾した欲求もある。診察としてはもう終了しているのにいろいろ相談事を並べてなかなか椅子から立たない患者もいて、診察を終わらせるために払う医師の苦労も大変なものである。
上記の如く、病院の外来診療は患者にとっても大変なことは分かるが、医師にとっても大きなストレスの場である。この辺のことは、しかしながら、なかなかご理解いただけない。私にとっても、火水木の予約外来はとても大変な三日間である。
7/10(月)雨のち晴れ オーダリング入院部門本稼働 入院患者家族面談 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1.
書類処理数編。5:10病院着.6:15回診他、7:00入院患者家族と面談.8:00-8:40管理会議.9:00-14;00外来。14:00-15:30病棟オーダリング入力に四苦八苦した。そのうち慣れるだろう。その時が楽しみでもある。16:00-16:40療養病棟判定会議、対象3名。16:30-19:20長副会議。20:40帰宅、夕食(青シソの餃子&豆板醤のピリ辛餃子)、21:30就眠。
新潟大学医学部関連病院病院長会議(2)教授会との懇談会から
「新臨床研修制度」発足して3年目であるが、発足前から、この会議を通じて新潟大学医学部の対応姿勢を興味を持って見つめてきたが、今年の教授会との懇談会に参加して新潟大学は大きく様変わりしつつある、との印象を受けた。
今までは、大学の医療界における権威とか、大学での研究の価値とか、大学院とか、博士号取得・・・とか、大学にしかない特徴を前面に押し出して、研修医、後期研修医に対して、「だから、諸君は大学に残るべきだ、大学に戻ってくるべきだ。その方が身のため・・・」と言う視点を強調していた。その陰には旧態依然とした医局制度の体制維持のために、と言うエゴイズムも見え隠れ、研修医達に具体的に如何に良い研修を保証出来るかの視点はあまり明らかではなかった。研修医の立場から見れば魅力に乏しいカリキュラムと言うことは、端から見ていても想像に難くなかった。
しかし、今年はそれが全く影を潜めていた。新臨床研修制度によって思うように大学には卒業生が残らなかったこと、期待していたいわゆる3年目以降の後期臨床研修医も少なかったこと、研修医に対する動向調査、意識調査等を通じて従前の方法では限界がある、と言うことを身をもって体験したことがルーツになっているのであろう。だから、今後は新潟大学医学部自体が自ら変身して光る存在でなければ人材は集まってこない、そのために大学は変わっていかねばならない、と言う姿勢で貫かれており、今までの違いに些か驚いた。
具体的アクションプランが示されたわけではないが、全国でも医師数が少ない新潟県の医療を改善して行くには、まず大学に有能な人材が集まってくることこそが第一である、との地域医療の充足まで考えた視点に私は今までにない、何か明るいものを感じ取ることが出来た。
これは秋田県にもそのまま当てはまる問題だと思う。
私は全国6番目の広大な面積の一方、人口10万人あたりの医師数が全国37番目という厳しい状況にある秋田県の医療事情を解決する唯一の方法は、秋田大学医学部を核とした医療連携ネットワーク、人材の交流しか無い、と考えているが、一方で、今の秋田大学にはパワーが乏しいようだ、何とか光って欲しい、結果として有能な人材が集まって来て欲しい、と思っている。
医学部教授会との懇談会ではその他、厚労省、文科省の考え方、新潟大学医学部とのやり取りなども話された。この中には医師養成数を増やす可能性など、注目すべきニュースもあった。
7/9(日)曇り、 病棟拘束 FF
Tennis
2:00起床、ドック判定総括x1、退院総括、紹介状x1、週刊アキタ原稿着手。6:00-10:00遊心苑往診患者数名対応。午前楽器練習多少、その他。13:00-16:10FF Tennis
6-2、4-6、7-5と敗退、17:00病院で業務。19:30帰宅、夕食(お赤飯、冷奴、MMサラダ)、21:00就眠。22:00遊心苑電話対応。2006ドイツW杯イタリアがPKでフランスを制す。
自伝 秋田大学時代
昭和59年初夏、教授に退職のお願いをした
昭和59年は骨髄移植の実施に向けて準備に没頭していたが、その一方で、その前の一年間いろいろ考え、既に決心していた大学病院での勉強に終止符を打つための自分の中ではいろいろ準備を進めていた。
大学を辞す理由として、当時は、以下のようなことを考えていたように記憶する。
●
本来自分は田舎医師の孫として生まれ、幼少の時から医師のイメージがそれなりに出来ていたが、大学病院の医師としての姿はそれからかけ離れていた。
●医師になる際にも、卒後も、大学にいる間もずっと税金のお世話になってきたが、そろそろ市井の一臨床医として社会にお返しすべきだろう。
●
もともと大学には数年間程度、血液の臨床を学ぶ目的で入局した。
●
医学部、医局とも創設期であったこともあり、スタッフの一員として比較的長く必要とされてきたが、卒業生も多数医局に入って人的には徐々に充足されてきた。
●
医局の人事の動きは自分のイメージよりも遙かに停滞していると感じていた。従って、自ら動く事の意義は小さくない。
●
特に研究面では10数年にわたり多くの機会を与えられながら十分に成果を上げたとは言えない。これ以上続けることは自分にとっても医局にとっても、対社会的にも無駄であるばかりか、むしろマイナスの要素となる。
●
準備中の骨髄移植の準備はほぼ順調に進んでおり、医局でも血液疾患の治療法としてのコンセンサスが得られ、後輩達の協力も得られてきた。
●
骨髄移植の協力スタッフ十分に力を付けてきており、私のリードが不要になりつつあった。
●
その他・・・。
もっとあったように思うが忘れてしまった。
この件については一切誰にも話していなかったが、この年の初夏の早朝に教授室を訪れ、今年度をもって教室を辞したい旨をお伝えした。教授はかなり驚かれた様子で、しばらく沈黙された後、有り難いことに、強く慰留していただいた。私はその時のお話から私自身がどの様な立場に置かれているかを改めて知る事が出来た。私にとってはそれは身に余る程有り難いものであった。その時には結論までは至らなかったが、私は10年以上にもわたって御指導を受けたこと、その間いろいろご迷惑もおかけしたことを含め感謝の気持ちだけは十分にお伝えしたかった。それが出来たかは自信がない。
7/8(土)曇。晴れ 病棟拘束 産業医研修会(欠)
2:00起床、寝不足感。ドック判定x1, その他、医師会広報誌用作文。5:10病院着、事務的処理、6:00入院患者家族と面談。6:30病棟回診、その他。退院総括他各種書類処理。以降は18:40までずっと山積みの院内業務処理、かなり消化できた。19:00バイク帰宅。来客あり、対応。夕食(キングサーモンの漬け丼)、20:30就眠.
竹皮草履をいただく、履き心地に満足
素足にスリッパというのが子供の頃から私の標準的なスタイルであったが、同僚医師から厳しい批判があってからは可能な限り靴下を着用するようにした。足が温まると私自身が機能低下するから、TPOを考えながらやっぱり靴と靴下を脱ぐ。外来ではズボンの裾を膝下まで巻き上げる。更にスリッパも脱いでひんやりした床の感触を足底で確かめながら外来をすすめる・・・。6月にこんな事を書いたら、ある患者さんから「先生、そんな格好で診察なさっていては患者の血圧が上がります!!・・・」等とメールをいただいた。その中に、「のちほど竹皮草履をお送りします。とても履き心地が良いものです」とあった。
私は自分で使うものにはかなりこだわる方だから、物品をいただくのはあまり好みではない。でも、せっかくのお申し出だし、草履なら興味もあるし、と思っていたら、数週前にわざわざ届けてくださった。
民芸品として所々でみられる素朴な、わら草履まがいの草履を予想していたが、それと全く異なる、民芸調ながら格調の高い高知県産の草履が2足入っていた。壁に吊しても絵になるような鼻緒は美しさも、素朴さも兼ね添えた立派な製品である。
一足は病院の室内履きに、もう一足は自宅の居間で履いている。最初は鼻緒が足に痛くどうなることかと思ったが数日履いた後は足になじんで来た。足底を竹皮が微妙に刺戟してくれるし、ややきつめの鼻緒が足の趾間を心地よく刺戟してくれる。ただ、フローリングや病院の床面ではやや滑りやすく、絨毯の床から移動するときは注意が必要である。
小学生の時はゴム草履を履いていたし、高校生の時は下駄履きで過ごしていた。今も桐下駄を一足持っているが30年ほど殆ど使っていない。和風の、鼻緒のついた履き物の味を忘れ、スリッパこそ我が履き物、と長く思いこんでしまっていたが、鼻緒のついた履き物の味わいを十分に思い出した。
昨日はほぼ12時間、殆どを机に向かって過ごしたが、足下のジメジメ感が無く、爽やかでとても心地よかった。こんな製品があったとは、と自分の視野のせまさも併せて再確認した。
○○さん、大変有り難うございました。
7/7(金)晴れ ドック結果説明 ドック診察 老健施設担当者来訪面談 患者家族面談 オーダリング説明会 五嶋 龍ヴァイオリンリサイタル(欠)
1:45起床、ドック判定総括x1、締め切り延期した「地域ガン連携拠点病院」にやっと着手。5:10病院着、6:30回診他.紹介状、主治医意見書など、14:00当院との連携希望の老健施設担当者と面談。16:00患者家族と面談、17:30-19:15入院オーダリング本稼働前の学習会。17:00からの五嶋 龍ヴァイオリンリサイタルは諦めた。21;30帰宅、夕食(回鍋肉、青椒肉絲、えびチリソース)、22:30就眠.
北朝鮮がミサイルの発射実験を強行
きのう未明から朝方、ちょうど私が日本海1号にて間もなく秋田到着か、と降りる準備を始めた時間帯、朝焼けがとても綺麗と、景観の移り変わりをのんびりと味わっていた頃に、北朝鮮が6発、最終的には夕方の1発を加えて7発もミサイルを発射したと言う。何で一気に7発も・・と驚くばかりである。明らかにデモンストレーションである。
午前からのラジオニュースは政府、防衛庁、秋田県庁は慌ただしい動きを報道していた。いずれもロシアに近い日本海に落下した、という。その一部は失敗によって落下したとの見方もあるが、それならば更に危ない事態である。この発射実験は近隣諸国への威嚇、全世界に対する冒涜行為である。核も持っていると言うし、日本列島が射程内に収まる中距離ミサイル、ノドンを200基以上配備しているというし、秋田は北朝鮮から至近距離にあるのだから心穏やかではない。
日朝関係はいろいろと微妙な段階を迎えている。先詰まり状態にある。今回の打ち上げは一つの切り札としての威嚇的行為であろうが、実質的には逆効果しかなかろう。このレベルの歪みで、いくら何でも、北朝鮮がわが国に向けて実弾を打ち込むことはなかろう。しかし、打ち上げに失敗したミサイルが落ちてくる可能性は皆無ではない。
常識が通用しない国に対して何を言っても始まらない部分はあるが、地道にねばり強く交渉を続けるしかない。時間はかかるだろう。ミサイルの発射実験凍結は米国に約束しているし、02年の日朝平壌宣言でもそれを確認している。今回の発射はこの約束をすべて反故にするものだからわが国は強硬にものを言える立場にある。政府は毅然とした態度で対応をして欲しい。
「誠意を見せてくれないと最後の手段を執ります」、と超ミニ・ミサイル??を用意しているが如くの雰囲気で病院や院長にクレームを付けてくる手紙やメールも、訪問者もある。面談後にそんな捨て台詞を残して席を立つ方もいる。身近な人間関係も国際関係もスケールは別にすれば似たようなものだ、つくづく思う。こんな時も共通である。時間をかけて対話することからしか、糸口は見つからない。
7/6(木)小雨-曇 外来 ドック結果説明 入院患者対応
2:30起床。寝台車も眠れないことはないが、やはり自分の布団は良い。ドック判定総括x1.紹介状返事他。5:15病院着、6:30回診その他、書類と格闘。9:00-14:00外来、混雑。16:00から病棟患者処置その他、書類処理。20:40帰宅、夕食(俺様Goldencurry)、21:15就眠。
新潟大学医学部関連病院病院長会議(1)「新臨床研修制度」3年目で新潟大学は大きく様変わりしつつある
7月4日(火)第32回新潟大学関連病院長会議総会に出席した。
新潟はそう遠いわけではないが、移動に不便である。効率的に移動するために12:48の特急「いなほ」で出発、30分ほど遅刻して総会に参加した。帰路は20:34新潟発快速で新津に移動、新津発7月5日(水)1:27amの特急「日本海1号」に乗車、5:25am秋田駅着、そのまま出勤とした。
新潟大学医学部関連病院院長会議に私は2002年以来皆勤している。かつては当院も新潟大学学士会と一定の関連があり医師の人事交流もあったらしく、その名残でまだ関連病院の中に名を連ねている。私が赴任して今までの20数年、大学関連の人事として医師が派遣されたことは無いから、この会に名を連ねている実質的メリットは乏しい。ちなみに秋田県内で関連病院となっているのは当院、横手公立、秋田赤十字、秋田組合総合の4病院である。
この会に私が皆勤する理由は、総会では新潟県内の県立病院を始め、各県における病院の医療事情、病院事情を知ることが出来るほかに、大学教授会との懇談会では文科省,厚労省と大学との間で交わされている最新の動きを聞くことが出来るからである。この面では秋田大学医学部と県医師会との懇談会で聞かれる内容とは段違いに濃密である。また、同級生が5人教授となっているので人事面で最後の手段として相談をかけられるかもしれないとの打算もないわけではない。
各回共に、やはり新臨床研修に関連した話題が中心となる。関連病院にとっても大学にとってもマンパワーの確保に大きな影響を受けるだけ当然でもある。
定期総会と教授会の話し合いの印象を各年毎にまとめると、以下の如くである。●2003年度:各病院とも経営はおしなべて大変●2003年度:次年度からの「新臨床研修制度」に大学のエゴ見え隠れ●2004年度:「新臨床研修制度」発足 大学医学部は人集めに必死●2005年度:「新臨床研修制度」2年目 後期研修医集めに必死●2006年度:「新臨床研修制度」3年目 新潟大学は様変わりしつつある。
今年度は聴いていて過去4年と全く異なった印象を受けた。「新臨床研修制度」3年目で新潟大学は大きく様変わりしつつある様だ。
7/5(水)快晴 早朝秋田着 看護協会講演 医療行政懇談会+情報交換会
5:00日本海1号車中にて起床。5:28秋田着.5:40病院着.6:20回診他病棟業務。本日の講演準備に集中。10:00最終稿完成、資料作成何とか間に合う。11:00-12:05県看護協会講演「日本の医療危機、秋田の医療危機」。昼食を戴き歓談。13:00帰院。15:30-17:30医療行政懇談会。重い話題で、会の成果について評価は難しい。17:30から懇親会。18:45中断し病院、20:50Taxi帰宅。21:30就眠。北朝鮮がミサイル発射
投書は「天の声」だが・・(2)本音で返事すれば(返事の一例)
いつも当院をご利用いただき感謝申し上げます。○○様が受診なされた際の様子は診療録から確認できました。診察医その他担当したスタッフも把握できましたので各々に面談しその時の状況を把握し、院長としての必要な対応は致しました。
「何度か中通総合病院で診察を受けてますが、医師の対応がよかった事がありません」とありますが、診察時に○○様が何度か不快な思いをされたことに対しましては重ねてお詫び申し上げます。
以下に私の見解を述べさせていただきます。
○○様の診療録を拝見させていただきました。今まで10数回ほど受診されておりますが、その内の大部分は救急診療帯の受診になっております。しかも、症状や病状、発症時間から見て大部分は通常診療帯に診察が十分に可能な状態と判断できました。今回も2週間ほど前からの症状で来院されておりますので同様に判断いたします。
私どもは24時間体制で診療を行っておりますが、「救急時間帯は夜間外来ではなくあくまでも救急患者の診療のための外来」で、通常の外来と同じとは考えておりません。これはどこの病院でも同じと思います。この点を一部の方々は誤解なさっているようです。当院では、どの様な方でも先ず診療し、病状等の状況を判断した上で、救急外来の受診について誤解を解いていただけるよう、お話しするように努めております。
投書には「内容的には救急はいつでも受け付けてますとうたっていながら、こないでくれと言う医師。日中いって仕事の都合で診察を受けず帰り、夜間いくと、今こられても困るとはっきり言いました。何の為の夜間受付なんですか。」とあります。当日、日中にも来院された様ですが、待ち時間が長そうなので帰り、改めて救急外来を受診された、とのことですが、これは救急外来の診療の意義からみて些かずれております。だから、医師はそのようにお話しされたのだと思います。これは正しい処置と考えます。
「看護士さんはいい応対なのに、医師がそんないい加減な人を雇っている、中通病院はどうなんでしょう。何様のつもりですか。大きい病院なのに、医師の教育ができていないとおもいます」に関しては、なかなか厳しいご指摘ですが、いい加減な医師は私どものスタッフにはおりません。
時代柄でしょうか、患者の中で「医療はサービス業」と考えていろいろ過剰なサービスを要求される方々がおりますが、私は「医療はサービス業」とは思っておりません。「住民の方々の健康上の危機管理を担っている」と言う視点・立場で仕事をしております。とりわけ救急部門についてはその性格が濃厚です。
どうか○○様には通常の外来と救急外来の別や意義をご理解のうえで、受診なさって下さいますよう、宜しくお願いいたします
7/4(火)雨 調査検討委員会 遊心苑 新潟大学関連病院院長会議
常務会(欠)医局会(欠)
2:30起床,ドック判定総括x1、5:10病院着。回診他。8:00-8:40調査検討委員会。9:00-10:30遊心苑、10:00-12:30病院業務。12:58いなほ新潟に。16;30-17:50新潟大学関連病院院長会議、若干遅れて参加。到着早々秋田県内の医療事情についての発言を求められた。18;00-19:30新潟大学医学部教授会との懇談会。19:30-20;00懇親会、中座、20:33JRで新津へ移動、ホテル新興へ、講演準備、23:00仮眠。1:10新津駅へ、1:30日本海一号乗車、就寝。
投書は「天の声」ととらえているが・・・ (1)たてまえ、で返事
患者さん及びそのご家族から投書や手紙、メールにていろいろの意見や提言、クレームが当院へ、あるいは院長あてに寄せられる。内容は実に多彩である。私はすべてに目を通し、どんな意見であっても「天の声」と考え、出来ることは積極的に取り入れている。広く患者さん方に知っていただきたい内容の場合、返事と共に玄関ホールに掲示している。また、住所や記名のある投書や手紙に対しては可能な範囲でご返事を差し上げている。
しばらく前に下記のごとくの投書があった。
「
何度か中通総合病院で診察を受けてますが、医師の対応がよかった事がありません。救急はいつでも受け付けてますとうたっていながら、こないでくれと言う医師。日中いって仕事の都合で診察を受けず帰り、夜間いくと、今こられても困るとはっきり言いました。何の為の夜間受付なんですか。看護士さんはいい応対なのに、医師がそんないい加減な人を雇っている、中通病院はどうなんでしょう。何様のつもりですか。大きい病院なのに、医師の教育ができていないとおもいます」
なかなか厳しい内容であるが些か問題もありそうな内容である。この投書には氏名の記載があったので診療録をから当日の診療の状況も把握できた。状況を調査し、翌日担当部署を介してご返事を差し上げた。その内容は、「まず、患者さんが当院の受診に際し、不快な感じを受けられた事を陳謝し、担当の医師に注意した事、ご意見、提言に対して重く受け止め、今後の診療に生かしたい」と言う内容である。
どちらかというとたてまえ的、通り一遍に近い返事と思うが、初回の返事としてはこの程度とした。この返事に納得できない場合には、再投書が来ると思われるので、その時点で内容的に一歩進ませる積もりである。
7/3(月)雨 管理会議 院内巡視 療養病棟判定会議 長副会議
2:30起床、ドック判定総括x1、講演準備。5:15病院着.事務処理、回診他。8:00-8:45管理会議。9:00-10:30院内巡視、給食・厨房分野。紹介状返事2通、16:00-16:45療養病棟判定会議、対象者6名検討。17:00-18:45長副会議。話題整理し比較的コンパクトに終了。20:30帰宅、夕食、21:20就眠。
新臨床研修制度雑感(3)卒前の臨床実習、秋大包括医療実習(3)
2004年から新臨床研修制度が始まった。この制度について各立場の方々からいろいろな評価が聞かれるが、私はとても良い制度だと思う。
この制度発足後、学生達の地域医療包括実習に対する目が変わってきたように感じる。制度前には明らかに学外の臨床実習を軽視していた学生が多かった。極端な学生は「この3週間はとても迷惑です。無駄なカリキュラムと思います」、とまで明言した。講義も真面目に聴かず、実習に割り当てられた時間の大部分を卒業試験、国家試験の準備に当てていた学生も決して少なくなかった。当時は、と言っても僅かに2-3年前であるが、大学病院の医療・教育至上主義的な考えが大学の教官にも、学生にも浸透していた時期である。
最近はこの実習期間は卒後の臨床研修を視野に入れた、卒業の後の進路、研修病院の選択の準備の一環としてとらえているようにも見える。私の印象では、実習期間中も従来よりは真面目に過ごしている様に思える。
新臨床研修制度の発足で大学病院以外での医療や研修の価値が一気に見直され、特に学生の考え方は様変わりした。その流れを読み切れなかった大学の研修カリキュラムは概して旧態依然としていて魅力に乏しく、「入ってくるはず」「残るはず」「戻ってくるはず」等の思惑が見え隠れしていた。これらの読みが次々と外れている、というのが現状である。地域包括医療の意義をなかなか認めなかった秋大の教官も少なくなかったと聞いているが、学外の医療・福祉の包括的実習の価値を評価できなかったばかりでなく、新臨床研修医制度の中で研修医がどう行動するのか、も読み切れなかったのではなかろうか。
学外実習に関して今後解決すべき課題もたくさんある。
教育に従事する医師にとって時間の確保が困難である上に、一定の教育能力が求められる。指導医は前もって教育という基本的概念を学んでおくことが必要である。そうすれば、教育の目標、指導医としての自らの役割などが明確になる。この指導医に対する教育の労は大学医学部が負うべきである。
教育能力という点で病院医師は大学人に比して、劣らない能力を持っていると言っていいし、教育に利用できる資料、材料、症例、経験は豊富である。ただ、時間と評価が不足している。
医学教育において日常の医療と十分に接することの意義は諸外国でも認識され、医学教育のテーマの1つとなっている。専門医がプライマリケアの能力をも身につけている事は勿論必要であるが、プライマリケアに従事している医師自身がプライマリ・ケアは医療の役割分担の中で、立派な専門性と位置づけを持っている領域なのだという確固たる認識をもつことが必要である。加えて、それに従事している方々への評価も重要である。今の日本では、これらが不足している。
7/2(日)降雨 病棟拘束 FF
tennis(中止)義父7回忌法要+会食
2:30起床、ドック判定総括x1。総括、紹介状、講演準備など。6:10病院、回診他患者対応、10:30帰宅、11:00-12:00上新城「昌東院」。12:30-15:00会食「ル・シャトレ」。16:30横浜に戻る長女を駅に送り病院に。17:00-20:00病院、新入院患者対応他。回診・事務処理など。20:30帰宅、夕食。21:30就眠。
自伝 秋田大学時代(1973-1985) 骨髄移植を実施する(3)移植後一時順調であった患者
この難治性重症再生不良性貧血患者の骨髄移植は高いリスクを伴うものであったが、移植そのものは全て予定通りに行われた。その後の基礎的検討でも十分量の幹細胞を移植できたことが確認された。
患者に予想される当面の危機は第一は拒絶反応で、移植された幹細胞が患者の骨髄に生着できないことであり、第二は生着してから骨髄が再構築され機能してくるまでの間の低免疫状態を無事切り抜けられるか否かである。第一、第二は共に危険であるがこれらが切り抜けられたあとは更に重大な免疫学的な危機(GVHD)も待ち受けている。先ずは当初の危機への対応である。慎重に慎重に対応したが、患者の病状や状態は予想した以上に平穏に推移した。
末梢血液の白血球数、血小板数は予想の如くに減り続け貧血は進行したが、2週間過ぎ頃から期待していた通りにいずれも少しずつ始めた。後に染色体分析で患者の血液細胞の大部分は男性型から女性型、即ち、骨髄提供者である姉由来であることが分かり、生着も確認された。まだ予断は許されないがこれで当面の危機は乗り越えられる見込みがついた。
患者は一ヶ月近く無菌室の中での生活にも耐えたが、この間ずっと無菌室を出たら、退院したら「ラーメンを思いっきり食べたい」と話されていた。移植後約一ヶ月後には無事退院できた。その後外来でGVHDの予防処置をしつつ経過を見たが、先行きは決して楽観は出来ない状況にある。「移植を受けて良かったです。ラーメン毎日の如く食べています」と言う患者の言葉、明るい表情に救われた。患者はその後、GVHDの徴候が現れ、当時考えられる対応は全て行ったが進行性に増悪、移植後約3ヶ月後に残念ながら死亡された。
私どもにとっては貴重な経験であった。この患者にとっては真の意味でどう言う意味があったのか、未だに考えることもあるが、私は結論を出せないでいる。
この方への移植の後、私はそれほどの時を置かず後輩に道を託して秋大第三内科を辞した。
20数年前のことを思い出しつつ記載したので記述は出来ないし、今から見て不正確なところもあると思う。その後、骨髄移植療法は第三内科で大きく発展している、と聞いている。この辺の詳細について私は殆ど情報を持たないが、その最初の過程に私がこのような形で関与できたことは、今の私にとって喜びの一つとなっている。
最近、難治性の血液疾患の方を第三内科に紹介したが、その返事に、最終的には骨髄移植で治療するか否かの検討に入っています、とあった。
7/1(土)雨
病棟拘束 山田カップテニス(欠)
2:10起床、義父7回忌法要のため長女帰秋。ドック判定総括ほか若干の業務。3:00過ぎBSにてウインブルドン中継、杉山がヒンギスに勝つ。5:15病院着.事務処理、回診他。あとは書類と格闘。12:45山田カップテニスは不参加。午後机上処理、講演準備、不調患者数名対応。18:30帰宅。アンサンブルフクダによるピアノ三重奏「モルダウ」初合わせ 19:30夕食、雑誌等。20:30就眠.
「山田カップ」は不参加 恵みの雨、と考えよう
本日午後、秋田赤十字病院、男鹿南秋テニス同好会との年に一回の交流試合「山田カップ」が予定されていたが、昨夜からの雨で危ぶまれていた。実際には小雨となり、予定通り行ったらしいが、実施についての不安要素も残っていたために私自身は昼前に不参加と決めた。短距離とは言え、バイクで郊外を走れる貴重な機会でもあり、楽しみにしていただけに実に残念であった。
一方、遅れていた書類、講演準備と原稿書きのために使える時間が得られて安堵した。
私の予定表は結構過密である。中には濃厚な準備を要する講演とか原稿もある。それらはスケジュールを見ながら少しずつ準備を進めている。大抵は1-2ヶ月間ほど前からコツコツと積み重ねていく。患者が重症化したり、予定外の仕事が飛び込んできて準備出来なくなる可能性が高いためで、最悪の状態であっても自己採点で70-80点程度の仕事はしたいからである。だから、いつも数本の原稿を同時進行で準備していることになる。セキュリティ対策が可能なZipを持ち運び,外来、病棟でも、出先でも空き時間があれば少しずつ手を加えていく。投稿原稿の場合は締め切りを調整してもらう事も不可能ではないし,校正の時に若干手を加える事が出来るから何とかなるが、講演などの場合は準備不足では主催や出席の方々に申し訳ないし、それ以上に自身にとっても辛いからである。
それでも準備状態は徐々に遅れていく。7月3日は「すこやかさん
in
Akita」の締め切り、5日は県看護協会での講演が予定されているがまだ準備不足状態にあり,前者は担当者にお願いして1週間延ばしてもらった。それでも時間が足りないし、不用意に締め切り日を動かすとその場は何とか凌げるが、次の仕事に影響してくる。
だから今朝の雨は私にとっては貴重であった。明日は義父の7回忌の法要のために定例のテニスも中止にしたのでその時間も使えることとなる。やっと何とかなりそうである。尤も、せっかくの得られた本日の貴重な時間の大部分は、病棟の患者対応等で失われてしまった。
時間的な閉塞感はまだまだ続く。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |