徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


11/30 (火)晴 郡市医師会長協議会 県議会議員との懇談会 拡大医局会議
2:30起床、昨日の委員会の煽りで今日は眠くなるだろう。ドック判定総括x1他、紹介状、入院総括。5:20病院着、6:00 ICUから回診へ、定期処方箋発行34枚他。8:10救急カンファ、対象患者無し。9:00-13:50外来、混雑.16:00-17:30View H 郡市医師会長協議会、17:30県議会議員との懇談会、中座して帰院、18:20-20:30拡大医局会議、21:30帰宅、22:00就寝。

ブランドイメージの維持 あのソニーですらも必死(3) 
 
最近ソニーの行き方を見ていると不思議に思う。洗練、最先端、高級のブランドへの回帰、復帰を模索しているようである。詳細は知りようもないが、確かにその様なイメージは私の中ではまだ十分に残っている。一方、量販店などでは同じブランドでミニコンポ等が大幅に値引きされて売られている。要するに二極分化しようとしているように見えるが、こんな状況は中途半端でないだろうか。

 二分化方針は他のメーカーでもしているが、その際、うまくブランド名を変えている。ナショナルがテクニクスというブランドで高級品を出し、パイオニアの高級オーディオはExclusiveシリーズとして目が飛び出る値段で売られている。一方、ナショナル、パイオニアのコンポは量販店の目玉である。私はソニーも高級化志向をするなら当然ブランドの確立が必要でないかと思う。ソニーはもともと量販品制作メーカーと言うより最先端技術を駆使した夢を売るメーカーだったと思う。トランジスタラジオ、テープレコーダー、ウオークマン、MDなどしかり。トリニトロンしかりである。ただ、最近はその面でのヒット商品がない。何を考えているのか、どんな行き方をしようとしているのか解らない。ソニーブランドは今や一般的メーカ-に近くなってきている。二極分化は良いだろうが、この価格崩壊の時代、高価格のものを出せばいいと言うものではない。多分通用しないだろう。

 一方、大衆を対象にしないで立派に?やっているオーディオメーカーもある。同様に詳細なんて知らないが、Accuphase社は私から見ればその道を淡々と進んでいるようにメーカーである。ハイエンドオーディオの世界は、芸術に魅せられた人々の趣味であり、深い領域だからその様な人達は投資をし、追求し、夢を購入する。Accuphase社は市場の流行には迎合せず、限られた専門店のみで製品を扱い、製品はロングセールであり、アフターサービスは万全。なんて書くと、私もAccuphase社の熱烈な信奉者でユーザーかと思われてしまうが、私は未だ一機種も持っていない。私も十分楽しむ時間があれば、追求する時間があれば、いつかはAccuphase社の製品を・・と夢を膨らませている。そこにソニーは登場しない。

 ブランドイメージの維持について、ソニーの名を借用して日頃感じていることを綴ったが、医療の世界も同じなのだ。


11/29(月)曇 管理会議 長副会議 県急性脳症原因究明プロジェクト検討委員会初会合
 
0:30リハビリ病院にて起床、ドック判定総括x1、主治医意見書、原稿、徒然他。7:10検食、7:45管理会議のために病院に。8:00管理会議、9:00-14:10外来+ドック説明x1、回診他。16:30-17:50長副会議、18:00-22:30県急性脳症検討委員会。22:50i帰宅、夕食、23:20就寝。

スギヒラタケ、腎不全、脳症の奇病  県急性脳症
原因究明プロジェクト検討委員会初会合
 新潟、秋田中心に全国で55例のスギヒラタケ、腎不全、脳症の奇病が報告されている。そのうち、秋田県では発症者は23人、死者は8人で、秋田県は原因究明プロジェクト検討委員会を立ち上げた。委員会は県内の脳神経内科や泌尿器科の専門家を中心に17人のメンバーで組織されたが、県医師会にも委員推薦を要請され、県医師会の感染症等危機管理担当として私が参加することになった。県は来年3月までに原因を解明したいとしており、 本日はプロジェクト検討委員会の初会合が開催された。

 本日、朝日新聞にスギヒラタケから中毒物質が実験的に検出されたとの報道がなされたが、大多数の患者、ほぼ全てと言っていい患者が食べているという事実はあるものの、今のところ原因がスギヒラタケかどうかは全く断定できない状況である。確かに、何も確証がない現在、スギヒラタケの関与を安易に結びつけて考えるのは科学的探究の妨げになろう、とのクールな意見もある。しかし、私は疫学的エビデンスは実験データ以上の価値があると思うので、原因または発症の誘因になっている可能性は濃厚だと思う。
 どの様な機序なのか?発病には患者側の要因が大きく関わっているだろう。発症までに1-2週間の潜伏期間があることなどは毒物としての直接の関与は考えられない。

 プロジェクト検討委員会の開催は18:00、終了したのは22:30。特別積極的に発言できる領域でないから検討の進行過程をつぶさに聴いているだけであったが、寝不足と、早朝からの業務の疲れ、いつもなら就寝する時間帯であることなどから睡魔と、空腹との戦いが寧ろ大変であった。何度も敗北して微睡んでしまった。


11/28(日) 小雨・曇り FF tennis中止 病棟拘束 NPO講演 リハビリ当直
1:00起床、ドック総括x1、本日午後の講演の最終準備。意見書他、9:00千秋会館で栄養関連の講義受講の家内を送り出勤、回診、書類処理多数。FF tennisは我が家3人とも都合付かず中止、今シーズンはこれで終了。13:30-15;30NPO講演、サンパル秋田、これで今年の講演はあと一つのみ。病棟回診、懸案処理。17:00リハビリ当直へ。19:00夕食,20:00就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (25)
長女誕生(2) 誕生後4日目頃まで娘に面会しなかったことを今でも責められる

 妊娠の過程は悪阻も一切無く極めて順調であった。月満ちて産休に入ったものの予定日を過ぎてもなかなか産気づかない。家内の場合、予定日の設定が困難とのことであったし初産であったから若干は遅れるとの予想はあったが2-3週間は遅れたように思う。4月10日の21:00過ぎから陣痛発現、病院に連絡を入れたところ当直婦長が丁度産婦人科外来の責任者であり、指示に従って入院した。私は特にやることもないので社宅で待つこととした。
 それほど心配もしておらず、熟睡していたが
朝6;00頃に病院から電話があり女児が生まれ、母子共に順調とのことであった。早速病院に出かけ分娩室で休んでいる家内と面会したが一大作業を無事なしえた安堵感が表情にあふれ、良い表情をしていた。出産はどちらかと言えば安産であったとのことで、それほど苦痛ではなかったと聞き、私は心から安堵した。

 生まれた娘は別室に居るとのことで、黒髪が豊かでとても元気とのこと。それを聞いただけで私には十分であった。看護婦の勧めを断り、私は日常業務に戻った。それから3日間ほど朝晩産婦人科病棟に家内を見舞ったがいつも子供は新生児室にいて、とても元気だという。
 初めて娘を面会したのは4日目ほどの昼である。初めて見る自分の娘は聞いて予想していた以上に髪が黒々として豊かで、皮膚に若干の黄疸色を認め、元気に手足を動かしていた。これが私に娘か、丈夫でいい子に育って欲しい、と心から思い、自然と手がでて、おそるおそる抱き上げた。実に軽かったし、ミルクの臭いがした。この、娘との初面会の儀式、この瞬間を無事迎えられたことで私はホッと安堵した。

 希望すれば何時でも面会は可能であったが、娘とはその日まで敢えて希望もせず、何時かは会えるさ、と面会しないでいた。父親として自分の子供に初めて会うのに若干の逡巡し、心が揺れ動いていたからである。その瞬間を迎えるのに若干の恐れがあったのかも知れない。
 親になるなんて初体験でもあり、気恥ずかしかったこともあるが、かねてから新生児というは私の感覚では全くの別の世界から来た異邦人であり、別種の生き物のような気がしていたからである。知人とかの出産に際して生後間もなくの赤ちゃんを見せられる事は何度かあったが、私は生後間もない子供を見て、正直なところ一度も可愛いと言う感覚を抱いたことはなかった。個性すら全く感じない。みんな同じに見える。にもかかわらず、嬉しそうな表情をしているその親のために、それなりのことを言わなければならない、と気持ちが焦ってしまう。で、心にもないことを言ってつじつまを合わせてきた。そんな経験を何度もしていたから、である。随分失礼なことを繰り返してきたものだと内心反省していたから、その瞬間を自分で、自分の子供との間で迎えるのを恐れていた、そんな気がしていたからなのだ。

 この娘との初面会が数日遅れたことを、娘と会うと時折話題になり、今でも責められる。心に傷を負ったのかな??「心からお前の誕生を祝福していたからこそ、会えなかったのだョ」、それが私の答えであり、真実なのだ。


11/29(土)予想外の暴風雨、曇り 病棟拘束    
1:30起床、外は嵐。ドック判定x1他、主治医意見書、紹介状、徒然他、5:15病院着.6;00回診、他.8;10ドック診察x4、8:45救急カンファ、9:00ドック説明x1。外来10:30-12:50。14:00患者家族と面談、業務各種+原稿校正作業。19;30帰宅、夕食、講演準備若干、21:30就眠.

ブランドイメージの維持 あのソニーですらも必死(2) 
 最近ソニーの製品を見ていると不思議に思う事がある。二極分化している。何で気付いたかというとポータブルMDのカタログを見ていたとき、何と18万円もする高額の製品が発売されている事に気付いた事が切っ掛けである。いたく、興味を覚えてスペックを確かめてみたら、数値上は2-3万円のものと大差ない。なのに何故18万円か?と言うとケースの造りにある様だ。通常の製品はアルミとかの板を加工して作るが、この製品はアルミの塊から高精度の削りだし法によって作り上げているのだという。恐らく、売れないだろうね。

 ソニーはTVブラウン管では画期的なトリニトロン方式を確立し発展させてきた。一般的なシャドウマスク方式に比較して数々の利点はあったと言うが、家庭用TVとして一般的ユーザーにはどれだけの利点があったかは解らない。しかし、カラーTVがまだ高価で値引きも少ないときにはちょっと高額なソニーのTVを購入する事はユーザーに些かの自尊心を満足させたものがあったのではないか、と回想する。しかし、コンピューターのCRTとしてはかなり優れていると私は思う。それで今私が使用している3個のCRTは全てソニーのトリニトロンで、性能には満足している。
 ところが時代が変わりTVも安くなって気楽に購入できるようになった頃からトリニトロンのブランド的価値はすっかり影を潜めた。方式による差、何処のメーカーであるかなんてどうでも良い時代になった。韓国製しかり中国製しかりの時代になったし、それ以上にTVの主流は液晶とかプラズマTVに移りつつある。各社はどんどんと汎用品を市場に送りだし販売に必死である。当初目が飛び出るような値段であった30-40インチの液晶TVも安くなって飛ぶように売れている、と言う。

 ところが、市場参入に些かの後れをとったソニーの場合、最近発表された製品は液晶かプラズマか私には詳細は解らないが、100万円クラスと他のメーカーに比較して約2倍と一線を画する値段である。値段に見あった利点があるから自信を持っての参入なのだろうが、この価格競争の中果たして通用するのか、はなはだ疑問である。恐らく、売れないだろうね。


11/26(金)曇、夜暴風雨 講演:第6回「広青苑・いこいの里」公開講座(五城目) 県医師会打ち合わせ(-) 法人理事会 
1:30起床、ドック判定総括x1。退院総括予稿x1.5:20病院着、6:20ICUから回診開始。8:10救急カンファ、事務処理、12:30迎えあり病院発五城目に。14:10-15:40講演。「広青苑・いこいの里10周年祝賀会」出席、中座して17:25病院着。17:30-19:00法人理事会。県医師会打合せは時間とれず。回診他、20:30帰宅、21:00就寝.

ブランドイメージの維持 あのソニーですらも必死(1) 
 
ブランドの確立、その維持は企業体にとっていかに大切なものであるかは三菱自動車の零落を見るとよく解る。何しろ、何を購入するにしてもユーザーには詳細なことは一切解らないから、あそこの製品なら信用できるだろうと、抱いているイメージを頼りにして購入せざるを得ない。高額なもの、最先端のものほどそうせざるを得ない。だから、良いブランドイメージを確立すると言うことは経済的基盤を確立する上で極めて大事なことである。これは、医療の面でも同じ。

 三菱自動車は、三菱でなければも既に成り立っていないのではないかと思われるほど悲惨な状況である。何しろ、東京三菱銀行が話題になってもあそこの経営体質は本当に大丈夫なのか??と思うし、三菱鉛筆で字を書いていても何となく芯が折れ易いんじゃないかな、と思ってしまうほどである。論理的根拠など一切無いのに、現実的にはこんな状況である。これも、医療の面でも同じ。

 最近のソニーの製品発表を見ていると、ソニー自身が廉価家電製品メーカーレベルまで落ち込んだブランドイメージの再回復のために必死な様である。業界内部のこと、エレクロトニクスの詳細は一切解らないがソニーの技術力、将来を見る目などは今でも恐らく最先端を行っていると言っていいのだろう。しかし、ソニーが音楽ソフト業界にまで進出した頃から急速な拡大路線に転じ、それと共に薄利多売の方向も取り始めたように思う。右肩上がりの頃は社の姿勢自体が評価され、ソニー伝説、ソニー神話とまで言われる様になった。しかし時代の変遷と共に巨大化したソニー自体が、生き残りを考えなければならなくなってきている。
 今ソニーは薄利多売家電メーカーとして荒波の中で生き残りをかけるのか、かつてのソニーのブランドイメージを大事にした「この分野、このレベルならばソニー」と言われるような、イメージの再構築を模索してあがいているように見えてならない。
 私は、ソニーのブランドイメージの再構築は現状の行き方の中では無理だと思う。それを求めるなら、幅広い分野を担うのではなく、何かの分野に特化した企業体に変身していく必要がある。会社を小さく分けるしかないが、大部分は消滅するだろう。本体はそれで生き残れるだろうが、新たな飛躍なんてあり得ない。もうソニーブランドはそれほどのインパクトはない。第一、時代が違う。消費者の指向も変わって来ているのだ。

 これは、医療の面でも同じ。ソニーという企業名をとある病院名に置き換えてみても、私が言いたい論旨は何も変わらない。


11/25(木)曇 保健所医療監視 療養病棟診療部会議 
 
2:30起床、眠い。ドック判定x1、紹介状返事等。5:20病院着、6:00 ICUほか回診。8:00患者家族面談、8:10救急カンファ、9:00-14:00外来、混雑.17:00-18:00療養病棟診療部会議。18:00患者家族面談、ICU回診など.20:30帰宅、夕食、21:00就寝。終日眠かったね。

歌謡曲(2)  歌手、歌詞にも感心
 歌謡曲は大部分3分以内、この中で3-4番の歌詞がつくから実際には一つの曲としての単位はせいぜい1分程度と短い。聴いているだけでは気がつかなかったが、単純なソナタ形式をとっているものは少なく短い楽譜の中、繰り返しの技法、間奏の入れ方など複雑に構成されている。

 この限られた時間の中で、歌手の個性を邪魔しないように陰に徹しながら、時には表に出ながら、伴奏は音色を変え、表情を変え、あの手この手の工夫を駆使しながら曲を盛りたてる。伴奏は合奏部分は少なく各楽器は次次と独奏部分を受け持ち、見事に次の楽器に受け渡す。なかなか見事なものである。バックのオーケストラはそれほど大きくないし、録音は古くてもなかなか優秀で音色、ステレオ感ともに下手なクラッシックの録音より遥かに良い、満点である。
 私は耳は、やはり、弦楽器の伴奏部分に惹かれてしまう。ヴァイオリンを中心にもの悲しく、時に明るく曲を奏でる。時には有効にスタッカートでのきざみが用いられ感情を盛り上げる。ヴァイオリンの独奏は永く謡われ続けられている多くの名曲に用いられ、実にしっとりと歌い上げる。効果満点である。伴奏中心に気を付けて聴いていくと、時にブルックナーの交響曲の開始の部分に匹敵するような良い響きがするし、時にヴェルディ的であり、時にモーツアルトのオペラ的表現ありで、歌謡曲を聴きながら突然クラッシックのCDに乗り換え聴き込む事もある。

 伴奏中心といえども、きこえてくるから歌も当然無視することは出来ない。歌手は個性的、実に上手いものだと感心する。まあ、当然のことだが。それに謡われる歌詞も良い。浪花節的感情を持つ私の心に迫ってくる名歌詞が次々と披露されてくる。「ひとりでいるのが好き、と言った言葉の陰で泣く・・・」、これは昨日聴いた曲の一節である。

 古い歌謡曲と最近のでは録音方法が異なるようだ。古いのは伴奏も歌手も一堂に集まっての録音だと思われるが、最近の録音の一部は予め録音済みの伴奏に歌手が重ね録音しているように思われてならない。比較的オーソドックスな伴奏の上にベテラン歌手は微妙にずらしを入れつつ感情を表現するが、指揮者付きの伴奏で同時に演奏されるならこの様な機械的な伴奏を付けるはずはない・・と思えるのが多数ある。デュエットだって必ずしも一緒に謡っていない、重ね録音か??と感じられるのが何曲かあった。経費節約か、多忙なスケジュールの調整が出来ないからか??
 等々、考えながら聴いているが、私の歌謡曲への興味もここしばらく尽きることはないだろう。


11/24(水)曇 県教育庁との話し合い(欠)+医師会理事会(欠)  
1:30起床、ドック判定・総括、紹介状等.総括、退院関連書類処理。5:20病院着、6:20回診、定期処方ほか。不調患者増加傾向あり。8:10救急カンファ、9:00-9:50外来、外来を中断し急変した救急患者に対応、主治医となる。そのため14:30から予定の県教育庁・県医師会との懇談、16:30からの医師会理事会は共に欠席。他にも紹介患者新入院あり、対応。書類処理など。19:30整形外科医と懇談、回診、22:10帰宅。22:40就寝。

歌謡曲(1)  歌手よりもバックの伴奏に興味
 小さい頃からのながら勉強、ながら仕事、の為であろう、私は放送を通じて音楽を始め、いろいろな音に親しんできた。やはり音楽は中心、その中では基本的にはクラシックと言われるジャンルの音楽であるが、実際には謡曲、歌謡曲、ポップス、民謡、浪花節・・・と何でも聴く。幽玄な寺をイメージするようなお経も良いし、寺の鐘も良い。また雨、雷、嵐、川や森が奏でる自然界の音も好んでいる。自分でもいろいろ録音してみたが、実際雷等の自然界の音はなかなかよく録れない。

 クラシック関連ではグレゴリオ聖歌からつい先日作曲されたものまで聴くし、興味を感じた演奏、曲目などは自分でもたまにはCD等購入するが、あまりそれに拘って集中的には聴かない。自分で購入できる範囲のCDなどどんなに集めても限られているから、どんなに良い演奏や曲と言えどもそれに拘泥すると、無限に近いほどの広がりのある世界を自ら狭めているようなもの、と考えるからでもある。
 最近、オーディオ機器を若干変えたこともあって、ここ1ヶ月ほどは集中的に歌謡曲を聴いている。歌謡曲と言ってもせいぜい昭和の時代のものまでで、それ以降のは殆ど聴かない、聴けない、聴いても面白くない、歌えない。

 歌謡曲は従来は小さなラジオ程度、TVで聴く、街でたまたま耳にする、のがせいぜいで一部の曲を除くと大型の装置などで聴いたことは殆ど無かった。それが、最近はヘッドフォンとMDで聴いている。ソースはFM放送の番組を録音したもの。手軽な装置であるが、これがなかなか良い。私にとっては歌手が歌う主旋律はどちらかというと添え物で、興味と関心と感心はバックの伴奏の方にある。
そう言う聴き方をすると予想以上に素晴らしい世界が広がってくる。


11/23(火)勤労感謝の日 晴れ→曇り→雨 病棟拘束
2:00起床。MDデッキ装着、ついでに食卓周辺の整理若干。ドック総括x2、入院患者カルテ書き。講演準備、その他。11:00頃から不要な書類整理・廃棄。書斎のオーディオの接続チェックし、現役機種を全部接続。15:30病院、回診、発熱者数名。紹介状など。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。終日業務と家中の整理で終わった。勤労感謝の日は休日と言うよりは勤労出来る環境に感謝して勤労に励む日なのだろう。

MDデッキを購入(2) これを機に旧オーディオ機能回復させたが・・・
 MDデッキを購入するなど、若干オーディオに関心が向いてきた。12月から3月はFF tennisも休みになり、自宅で過ごす時間が少し増えることも関連している。購入したデッキの調子も機能もなかなか良い。音質も少なくともポータブルMD器よりは良い様だ。今後、歌謡曲や講演など、録音したソフトが増えていくだろう。一枚に320分と長時間録音しているから内容のパソコン管理も必要となる。

 貴重な録音で廃棄していなかったカセットの内容をMD化するために今日は書斎のオーディオ装置の機能回復を試みた。ここ4-5年はCDとレコード以外は接続しておらず、接続も便宜的にやっていた。カセットデッキ、LD/CDプレーヤー、FMテューナーなどを正規につなぎ直した。これで昔の機能は代替戻った。改めてカセットも聴き直してみたが、結構良い状態で鳴った。特にキャンディーズがいい音で鳴ったね。早速MD化した。
 考えてみるとLD再生装置ももう手に入らなくなった。私の現有機種も本調子でない。30枚ほどと所持しているLD ディスクはそんなに多くはないが、オペラ中心のディスクは早いうちにDVD化しておかなければ持ち腐れになる。DVD関連機種は持っていないからどうしようか、新たな悩みが生まれてきた。しかし、すでに殆ど全てのソフトがDVDで発売されているから無駄な作業かも知れないとディレンマに悩む。そう鑑賞する暇もないだろうから、今のLD/CDプレーヤーが壊れた時に考えることにしよう、と今決めた。

 それにしても、音楽、映像の情報の記憶メディアの発達はすごい。別に収納スペースが無いわけでないが、コンパクトカセット、ヴィデオテープ、LD ディスク、アナログレコードなど、今から見れば大きすぎて何か空虚な存在に見えてくる。この前廃棄したフロッピーディスクは全部のデータはCD-ROM一枚に納まってしまった。MDに関しても新しい企画が発表され、既に市販されているようだ。今のディスクをそのままフォーマットし直すことで使用できるらしいが、記憶容量が数倍増えるらしい。
 私は「新しもの好き」ではなく手になじんだ古いものを好むが、この方面だけは私のポリシーは変えざるを得ないようだ。


11/22(月) 晴れ 管理会議 長副会議 MDデッキ購入 
 
2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状、徒然。その他。5:20Taxi病院着。6:15回診他。書類書き、8:00管理会議。9:00-13:50外来、明日が休日で超混雑。主治医意見書他作成。16:30-18:20長副会議。注文していたMDデッキ購入して22:00帰宅、夕食、21:00就寝。

MDの便利さをさらに楽しむため、MDデッキを購入
 身近、小道具の中で最も使用頻度の高い小道具と言えばやはりダントツにパソコンであるが、愛用という面ではBOSEのヘッドフォン、それに録再機能のポータブルMDだろう。後者は講演会や会議の録音、ラジオ深夜便の音楽や各界の人達が登場する「こころの時代」の録音及びその再生に大活躍している。このMDとBOSEの組み合わせは私に生活上に新しい潤いを与えてくれている。
 MDディスクは8x8xcm、厚さ2.5mmと小型、10gほと軽量のうえ長期間記録(75,80,160,320分)も可能、音質もまずまず満足出来る。私は大部分は320分で使用している。音源がFMなら音楽もまず大丈夫である。カセットに比較し決定的に良い点は編集が可能と言うこと。適当に録音して置き不要なところを自由に消去出来ること、ディスク内での移動も可能、など利点も多い。ポータブルMD購入後約一年は使い方もよく解らずあまり用いていなかったが、今夏からその利点に目覚め突然頻用し出した。

 カセットは丁度、私が大学卒業頃から急速に普及した。そのころから使っていたからもう30年間も使い続けて来た。機器もこの間発達し続け、驚くほど改良され、問題であったヒス音や音質も改善され、最近の機種ではそれなりに満足できていた。しかし、MDを頻用するようになって、もうどの面から見てもカセットの時代ではないと自認、数ヶ月前にカセットの大部分を何回かに分けて恐らく300本はあったと思うが、を処分した。惜しい貴重な録音もあったが聴いてみると音質が明らかに劣化していたので決断できたとも言えるからあまり未練は感じていない。残した重要な録音の20本ほどは後にMDにダビングしようと思う。

 MDも使い方に習熟してくるといろいろ細かく編集したくなる。その際、ポータブルMDはボタンも小さく、選曲も一発で出来ないなどの不便さを感じてきたのでデッキを購入することとした。
 その際の判断基準は小さい、安い、機能が単純で操作が楽、と言う点に置き、選択したのがONKYOのMDデッキ、MD101Aである。ティッシュボックスほどのサイズで3万円以下で買えた。

http://www2.onkyo.com/jp/product/products.nsf/pview/MD-101A(S)?OpenDocument


11/21(日) 快晴 病棟拘束 FF tennis   血液センター40周年記念市民公開シンポジウム-秋田県の血液問題を考える- 
1:00当直室で起床。ドック判定総括x1、総括、主治医意見書、紹介状返事等処理。7:15検食、8:30病院に移動、8:45救急カンファ、若干の業務後10:00帰宅。Vn etc若干。11:00-12:20再度病院にて業務、12:30市民公開シンポジウムの打合会+懇談、会食。14:00-17:40市民公開シンポジウム「秋田県の血液問題を考える」と特別講演「白血病の新しい治療法-末梢血幹細胞移植」。前者の司会を担当したが、なかなか良い企画で出席者も多く大成功であった。18:00懇親会、19:00病院からの呼び出しあり中座、対応、20:00帰宅、21:00就寝。FF tennisは次男家内のペアで6-2、6-4,6-2,6-4であったとのこと。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (24)
長女誕生(1) 私の減量に反比例して家内は体重増加
 秋から冬にかけて、私は順調に体重を減らしつつあったが、それに反比例するがごとく徐々のに家内の腹部はせり出し始めたが、なんと、全身的にもせり出し始めた。つわりなどの症状は全く無く、お腹の子供が求めるから・・何とか言っては食べ、食欲はどんどん旺盛になっていった。もう詳細は忘れたが、小鍋にプリンを作ってよく食べていたのは想い出す。あれだけの巨大なプリンを頻回に食べていては肥るのは当然である。彼女のつくるプリンはなかなか良い出来で、ダイエット中の私にとっては少々の味見だけで済ますにはかなりの気力が必要であった。このプリン多食は体重のことより子育ての段階で子供の卵アレルギーに関連してしばらくの間彼女を悩ます事になる。だから、その後は全く作っていない。
 手元のアルバムに妊娠前と出産間際に浄土ヶ浜のベンチに座って二人並んで撮影したスナップ写真はこの辺のことを雄弁に物語っている。変化は顕著であり、何ら説明など要さない。

 妊娠中は特に体調が悪くなったと言うこともなく、2月末頃まで元気で通常に働いていた。さすがに3月に入ると本人は特に何と言ってもいなかったが、ハタから見ていても大変そうで、主治医から正確な予定日は解らないが、そろそろ産休をとるようにとの提言があり推定予定日の4週間ほど前から産休に入った。妊婦の生活は実に大変なモノであると言うことを頭では知っていたが、共に暮らすことで実体験し、私の女性観はすっかり変わってしまった。絶対的男性優位の家庭に育ち、男尊女卑的発想がかなりあった私の心は、家内の妊娠、出産、子育ての姿を見てすっかり影を潜めた。

 産休に入ってから家内は突然編み物などを始めた。生まれてくる子供のために毛糸のチョッキ様のセーターや靴下を編んだ。出来上がったのは細かいことを言えば目が揃っていないなどいろいろあったが小さく可愛い作品が出来た。それを鴨居に2-3枚吊し、食卓脇の棚に小さな、本当に小さな靴下などが並べられるのを見て、私の気持ちにやっと、間もなく子供を迎えるのだ、親になるのだ、と言う実感が湧いてきた。


11/20(土)快晴  病棟拘束 リハビリ当直
2:00起床、眠い。ドック判定総括x1。再検査結果報告、紹介状。5:20Taxi病院着。6:20回診、8:10ドック 診察x3。10:30-13:40外来,土曜と言うのに混雑。14:00入院患者家族と面会。来週のNPO関連講演準備を開始。17:00リハビリ当直に。18:00夕食。業務若干、20:00就寝.

霧に覆われた秋田 摩周湖に思いをはせる
 昨夜、県医師会のIT化の状況についてヒアリング調査するとのことで名工大教授他が来秋された。総務とホームページ立ち上げに関わった立場、広報関連担当であった事から私も同席することとなった。18:15 ころViewホテルまで10数分歩いた。その時間帯、無風状態で、それほど寒いわけではなかったが、秋田市周辺は深い霧に包まれた。
 私は霧の早朝、夜の風景が大好きだ。とても幻想的だから。今夜の霧は深く、街灯やビルの照明、ネオンサイン、車のライトなど、総てが霧の中おぼろに柔らかい。ホテルの11階からの眺めも絶景であった。一方、郡部から参加した二人の役員は高速道路が霧で危険で徐行せざるを得なかったとのことで若干遅刻した。

 霧と言えば、私は最近、ちょっと「摩周湖」づいている。「摩周湖」と言えばイメージは霧である。行ったことも近づいたこともないのだが、
昨夕の霧の風景を見ながら、かつて何枚かの写真で見ただけで記憶も定かでない摩周湖のことを考えていた。先週、たまたま「てしかが自然史研究会」の細川音治氏の話をラジオ深夜便で聴き、いたく感心したばかりであったし、布施明の歌う「霧の摩周湖」にもはまっている。
 細川氏をリーダーとする「てしかが自然史研究会」は長い間の活動の実績を認められ、環境省から特別の許可を得て、普段は厳しく立ち入りが禁じられている摩周湖に船を浮かべ、湖の研究が出来る唯一の団体。貴重な調査結果を蓄積、報告している。先の深夜便の彼の話はとても印象的で、それ以降、私は摩周湖にいたく興味を感じている。
 「霧の摩周湖」は昭和50年代前半(?)の大ヒット曲であるが、私は今までそれほど集中して聴いたことはなかったが、同じくラジオ深夜便を録音していた中にたまたま入っていて、突然気に入って、今す毎日何回も聴いている。とても良い曲だ。特に、バックの伴奏が素晴らしい。

 阿寒国立公園の中にある摩周湖はアイヌの人々がカムイトー(神の湖)と名付け、まさに神の住む領域としてあがめてきた神秘的なたたずまいの湖という。透明度は41.5mとバイカル湖をしのぐ世界一の透明度を誇っている。最近は20数mと言う。標高は350 m、周囲約20km、最大水深212m。山の頂上にある火山噴火口に出来たいわゆるカルデラ湖。地形上、流入する川も流出する川もなく、有機物が出入りし難い。夏でも14℃前後と水温が低く、あらゆる生物が生息しにくい環境にあって、これらの要因から湖水に不純物の発生する条件が少なく、高い透明度を保っているとのこと。湖畔への立ち入りは、環境保護のため厳しく制限され、湖面に降りるには大臣の許可が必要だという。

 写真で見ると、確かに、実に美しい。大勢の画家はこの美しさを表現しようと試みているらしいが、満足出来る作品を描いたと自ら評したした画家はいないという。あまりの美しさに、キャンバスの上に表現仕切れないらしい。これほどまでに湖の美しさを紹介されると、私でさえ是非行ってみたいとの誘惑に駆られる。しかし、当地は観光地ベストテンで常に上位に入っいて、冬でも混雑すると言う事を聞くと、ちょっと気持ちが萎えてしまう。画集とか写真集などを探して取り寄せ、それで我慢するか・・等と思っている。


11/19(金)晴れ 八郎潟社会福祉協議会講演 知事表彰(欠席)医師会打ち合わせ 地域医療ネットワークヒアリング調査
2:30起床、ドック判定総括x1。紹介状2部.講演準備。5:20病院着。6:10回診他、書類。8:30病院発、秋田道琴丘インター経由で八郎潟に.意外と時間がかかる。10:30-12:00講演。担当者との懇談もあって13:30の知事表彰には間に合わず。高速道脇で仮眠とり、15:00県医師会打ち合わせ.16:00病院、主治医意見書他。18:30-21:30地域医療ネットワークヒアリング調査、名工大教授、日医情報担当者来訪歓談。22:00帰宅、22:30就寝。

赤ちゃんも「患者様」とは!!    時代の趨勢だが、私は患者を軽んじる事はしない
 現在、多くの医療機関は患者を呼ぶときには「患者様」と呼ぶ。私どもの病院は未だに「患者さん」で、院内放送でもその様に呼びかけている。勿論、意見はいろいろあって一部の病棟など「患者様」と呼んでいるところもある。こういうのは無理矢理統一することはないのでそれで良いと思う。
 私自身は「患者様」と呼ぶ事に大きな違和感を感じるのでまともに口にしたことはない。私は未だ確認はしていないが、先日の接遇改善学習会でもこの点について討論されたとい言うが、講師の方も「患者様」と呼ぶのが良いとの意見のようとのことである。もう世の中は殆ど「患者様」と呼ぶ様になっている事でこの趨勢は認めざるを得ないようだ。

 当院の受付と診察室で不快な思いをしたと言うある女性の患者は、その投書の中で「患者を患者様と呼んでいない、呼べないような駄目な病院だから、この様な失礼な医療行為が・・・」と記載があった。投書された方は「患者様」論議を持ち出してトドメを刺した積りなのだろうが、それとこれとは論点が全く違う。

 医療記事を始め、TV、ラジオなどでも医療者側の出演者の多くは「患者様」と呼んでいる.講演などでも殆どがそうだ。先日「小児医療の現状・・」に関するある大学教授の講演を聴く機会があった。生後間もない赤ちゃん、1-2歳の幼児を初め、全ての対象患者の説明の際に「この患者様は・・・」と言っていて私は居たたまれない気持ちになった。この様な機会は何もこの教授からだけではない。今の趨勢なのだと認めざるを得ない。しかし、・・・である。こんな状況だと「患者様」という呼称は、単に「患者さん」という単語を「患者様」に機械的に置き換えたに過ぎない、としか評価出来ない。

 日本語は将来どうなっていくのだろうか。特に敬語の使い方は乱れに乱れている。心が伴わない、耳障りが良いだけの敬語の乱発、リップサービスは相手を軽んじている事に等しい。医療は一つの目的のもと、病む方々と医療者側とが対等の立場で、共同して行う営みであり、それ以上でもそれ以下でもない.また、医療機関は営利企業ではない.利潤をもたらすお客様ではないのだ.

 最近、大学教授がよく「患者様」と連発する。これが真に医師としての自覚に基づいた、心から発した言葉であれば、大歓迎である。日本の医学教育は一変し、患者の立場に立つよき臨床医がどんどん輩出されてくるだろう。私も改めよう。しかし、単なる言葉の置換なら、「患者さん」の時代の医学教育よりもっとひどい事になるだろう。


11/18(木)晴 医局会 総合内科診療部会 患者サービス改善委員会 秋田市医師会班協議会
2:00起床、ドック総括x1.総括、紹介状、徒然、メール処理。5:20病院着。6:20回診他、8:10救急カンファ、9:00-13:50外来+ドック説明x1。13:50-14:30医療評価機構受審関連の協議があるために医局会に出席、説明。14:30私用で銀行来訪、対応。16:00-17:00患者サービス改善委員会。18:30-20:00Castles秋田市医師会班協議会。トロトロと眠りながら聞いていた。病院へ戻り明日の講演準備若干と業務処理。21:30帰宅。21:50就寝.時間に追われた一日。

ライブドアは楽天に破れて結局は二つの点で勝利を勝ち取った
 パリーグ球団への参加に最初に名乗りを上げながら、結局は資金面とかの比較で楽天との間で比較検討され、結局は選ばれなかったライブドアの企業成績がとても良いらしい。
 私なんざそれほど感心はなかったが、日本的感覚から、と言うべきだろうか、判官贔屓的感覚からなのだろう、後で名乗りを上げ、漁夫の利的に結果を得た楽天よりはライブドア側に何となく良いイメージが残っている。

 それ以上に大きい印象は、日本の経済界の新しい息吹であった。それまでライブドア、楽天など、私は聞いたこともない企業であったが、共にIT関連会社で業績を伸ばしているという。そんなにIT業界は景気がいいのか、何故あれほど若い経営陣がプロ野球を持てるほどのレベルの業績を上げられたのか、長期的将来的ヴィジョンを持てるのか、驚きであった。古くからあり日本の経済を牽引してきた大企業さえ売りに出そうとしているほど、企業の荷物になっているという球団を・・である。
 ライブドアが名乗りを上げたときの私が抱いた最初の印象は売名ではないのか??と言うことであった。企業内容を全く知らなかった事、IT業界こそ浮き沈みの激しい業界だと思っていた事で、赤字の続く球団など長期的に持てるはずがない、持ったとしても一時的なのではないのか?と感じていた。
 判定会議まではかなりの審査を受けたらしい。結果として僅差で楽天に破れたらしいが、双方とも十分にそのレベルに達していたらしくたいしたものである。

 ライブドアの企業業績が鰻登りだという。昨年同期の3-4倍はあるらしい。今回のエントリー、競合が大きな宣伝効果を果たしたからだろう。その面では大勝利である。それ以上に大きな勝利は楽天に破れたこと、でないのだろうか。要するに、宣伝効果以上の、とてつもなく大きな出費を余儀なくされる球団を持たなかった事、持てなかったことの意味は実は企業経営にとても大きな事なのだ、と私は思う。
 ライブドアは楽天に破れて、結局は二つの点で大きな勝利を勝ち取った、と言うべきだろう。


11/17(水)晴 県医師会常任理事会+懇談会 
1:30起床。ドック判定総括x1。講演準備、徒然ほか.5:15出勤、監査用カルテ整理ほか。6:20回診他。9:00-14:00外来+ドック診察x5+説明x2.主治医意見書、総括他作成。17:30-20:00県医師会常任理事会+懇談会。後者は重要課題2県について。病院にて業務21:20帰宅、21:30就寝。

ものを捨てる勇気(2) 今朝フロッピーディスク250枚処分
 まず今朝は出勤後机の中に入っているフロッピーディスクを処分した。1993のパソコン購入当時はデータの移動は主に1.4MBのフロッピーディスク。当時はこれでもかなりの用量のデータを持ち運べたし、蓄積出来た。購入したソフトもフロッピーであった。今からはとても信じ難い状況にあった。マックのOSなどは40枚ほどのフロッピーに分割されて来た。数年後からはデータも大きくなり、私は100MBのZipに乗り換えたために以後は殆どフロッピーは使っていない。それ以降も貯まりに貯まって事務机の引き出し一つにはおさまらないほど。しかも、バックアップはZip、CD-ROMにとったから殆ど使ってい無いし、今後も使うことはないだろう。重ねてみたら60cmほどになった。これを3つのブロックに分けて廃棄した。患者データが入っている分は病院で破壊処分して貰うこととした。それでもまだ数10枚残っている。
 今朝のこの処分行動は、使いもしないのに今日まで持っていた自分はバカだ、と再自認につながった。明日からのもっといろいろ廃棄するぞ、とやる気がでたね。

 モノを捨てるときのコツは、同じモノをまとめて一気に捨てること、捨てる対象は使わなかった期間のみを重視し一気に割り切ることで、中を確かめずに決断することにある。少なくとも私の場合には一旦中を確かめたら、惜しくなってまたもとの棚に戻るだろう。 定期的に届く数種類の医学関連月刊誌、学会誌などは10数年前から割り切って、3年間だけ書棚に置き、新しいのが届いた時点で古い順に廃棄する事にしている。

 個人的には、ホンネは自分で焼却処分したいが、これは今は出来ない。さりとて無駄になるのは惜しい。どんなモノであっても焼却出来ないのなら出来ればリサイクルに回したい。しかし、個人の立場では無理。きれいに分別してゴミとして出すしかない。リサイクルされるか否かは、その道の方々の判断に委ねようと、苦しいけど割り切っている。
 今日は出勤したら、まず、一年間開かれることのなかった製本済みの書類の廃棄に手を付けようと思う。


11/16(火)晴 県医師会うち合わせ(不可だった) 県個人情報保護審査会 医局カンファ「不整脈、急性冠症候群、脳卒中」
2:30起床,ドック判定総括x1. 書類処理、5:15Taxi病院着.裏口開いておらず10分ほど患者さんと待つ。冷えた。6:20回診他、8:10救急カンファ。9:00-14:00外来+ドック結果説明x1。入院患者大量吐血で対応。15:30-17:00県個人情報保護審査会に初参加.資料だけでも厚さ5cmほど、大変な委員会。説明を聞くだけでも大変である。17:30-18:45医局カンファ「不整脈、急性冠症候群、脳卒中」.一部だけの参加したが役だった。22:30帰宅。21;00就寝.

ものを捨てる勇気(1)
 まったく物が潤沢な世の中になった。本や雑誌、各種の情報誌、電子情報、その他、ものが届かない日はない。防ぎようがないほど届く。その上、読む時間もないのに書籍は良く買い込むから。
 ちょっと心を休めていると机の上が直ぐに一杯になって作業する広さが侵害される。最近は本箱、本棚だけでは足りずに自室の床の上は隅の方から壁に沿って本や書籍、書類で一杯で、床面積が狭くなってきている。暇を見ては捨てなければ居住空間が侵害されてくる。捨てなくてはならない。私の周辺の物品のうちで、家族であってすら役立つようなモノは殆ど無く無用の長物になると解っているだけ、今の自分にとって捨てることが緊急の課題の一つになっている。25年前に死去した母親の衣服等が入っているタンス、一度も開けたことはないが二階の居室に鎮座している。子供の時からあった客用の食器、盆、お膳のセットなどもある。これの処分は今の私の課題として心の重荷になっている。

 何でこんなにたまるのか、考えてみた。全て自分の不甲斐なさから由来している。いろんなジャンルでものを捨てきれないで苦しんでいるが、特に書類、書籍類には圧倒されている。殆どは在ることだけで、読んだ本は背表紙を見るだけで心の安息に繋がっているが、実際には殆ど使われていないし、開かれることもない。

 基本的には、モノを捨てれない性格で取りあえずとっておく。もしかしたら先々役立つのではないかと言う幻想を抱く。収納法、整理方法に長けている事、目的外のモノに変換して残った機能を利用工夫をすることが好き、壊れたモノを修理するのが好きだということもモノがたまる理由の一つだろう。さらにもう一つ、モノ自体以上にそれに纏わるエピソード、思い出などを大事にしている、という傾向があることだろう。

 過去にモノを集中的に捨てた時期がある。何度もあったが、その時点では若干落ちこむが実にすっきりしたものだ。またこの感覚を味わうべき時を迎えている。


11/15(月)曇り 管理会議 長副会議   講演:ノルバティス・ファーマ社
1:30起床、ドック判定総括x1。本日の講演構成、徒然、その他。5:20Taxi病院着。6:15回診他。書類書き、8:00管理会議。9:00-13:50外来、何故か超混雑。主治医意見書他作成。16:30-18:20長副会議。18:00-22:00Castles Hotelにてノルバティス・ファーマ社員対象に講演「生老病死と医療・薬剤」「医師から見たMR活動」。夕食を頂き、22:15Taxi帰宅、22;30就寝。

「どちらまで? いや、ちょっとそこまで」 「短パン姿」 「Vサイン」
 先日、外国人対象に日本語を教えている教師の方と県の委員会の場で若干話す機会があった。普段話している自国の言葉を、殆ど話せない、読めない外国人を相手に教えるのだからそれほど難しくないだろう、ほぼ誰にでも可能だろう、と私はその時点まで考えていたが、それは大きな誤解のであることが解り、無知を恥じた。確かにその程度の発想で日本語教師になっている、能力の乏しい教師も少なくはないが、外国人に日本語をしっかり教えるには日本人に日本語を教えるよりもはるかに困難で、幅広い能力が求められるのだという。

 しっかりとした日本語を学ぶための機会を得ている学生や社会人は、国や地域によっても異なるが、結構知的レベルも高く探求心旺盛なのだという。だから、教えている過程で「どうして?」「なぜ?」と鋭く、かつ、時には嫌になるほどしつこく聞き返してくるのだという。「フーン」と感心する傍ら、私自身の過去を振り返って見ると、私は外国語として英語と若干のドイツ語を学んだわけだが、恐らく一度たりとも「どうして?」「なぜ?」と教師に質問したことがあったのだろうかと考えてみたが、一度もなかったと思う。要するに私は単に単語、文章を学んでいたに過ぎず、「言葉」の陰に含まれる異文化とかに何ら思いをはせていなかったのだ。

 その教師は「日本語には微妙なニュアンス、機微が簡素な言葉に深く、時には浅く含まれるから、日本語を教えることは日本の文化を教えることなんです」と話してくれた。例として「どちらまで?」 「いや、ちょっとそこまで」このやり取りを諸外国の方々に理解させるのにとても苦労するのだとのこと。「何で、挨拶の中で何処にいくのかと尋ねる?プライバシーの侵害ではないか?干渉ではないか??」と。「いや、これは真面目に何処にいくのかを尋ねているわけではない・・・」と言ってもまず通じないし、到底理解して貰えないのだという。日本語が良く伝わらない、分からない状況下でのやり取りだから実に大変とのこと。

 この話の中で異文化というものの持つ意義を考えさせられた。先日イラクで殺害された日本人は「短パン姿」であったという。外国に写真を送るときには「Vサイン」をしているスナップ写真は禁忌であるとされている。実は私も「Vサイン」はとても嫌だ、嫌悪感を持つ。私にとっては受け入れがたい異文化的行為だ.


11/14(日)快晴 病棟拘束 FF tennis  
2:45起床.ドック判定総括x1。総括、病棟からの連絡は数件。今月から来月にかけての講演準備、Vnなど。13:00-16:00FF tennis、6-2、6-3。対次男チームには5試合とも0-3。16:30-17:30病院で業務。19:30-21:00ル・シャトレにて夕食、20:30就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (24) 
都合によりお休みします


11/13(土)秋田・東京晴れ No10MM研究会
2:00起床、ドック判定総括x1、総括・紹介状x1。5:20病院着、事務的処理、6:30回診他、出張準備。10:30病院発→11:20ANA、AB A321型機でほぼ満席、過密で不快→羽田。14:00-18:30赤坂プリンスホテルにて第10回「MM研究会」。18:50ホテル発→空港→19:55ANA  B767-300型機8割り方、後方座席でゆったり→21:00秋田着→21:40帰宅、22:00就寝.

第10回M-M(Medical Management Meeting) 研究会 目からうろこ
 本日、上記のセミナーを聴講した。これは T 薬品主催の会。前回から出席の機会を得た。重症患者、多くの懸案をかかえての出席は時間的には苦しかったが、演題は極めて魅力的。最短時間ルートを組み参加した。今回もまた目からうろこである。

 講演
内容は、(1)病院とコスト管理、(2)医療における原価計算、(3)新病院会計準則と病院経営情報、(4)原価計算を用いた病院戦略展開、(5)パネルディスカッション「医療の標準化と病院経営」。
 
司会は笹川記念保健協力財団理事長紀伊國献三氏、良い司会ぶりであった。
 演者は
(1)松村総合病院理事長・村松耕三氏、(2)京大医療経済学教授・今中雄一氏、(3)公認会計士・石井孝宣氏、(4)聖路加国際病院理事長・中村彰吾氏

 各演者の講演内容は演題に即した内容で聴き応え充分。集中出来たのは病院のマネージメントに直結する内容であった
(1)(4)(5)で、馴染みが無く理解困難な(2)(3)は大部分をMDに収録して、薄れた意識のもとでぼんやりと聴いていた。

 基調講演を担当した
松村氏はいわき市にある松村総合病院理事長であるが脳外科医。昭和63年に渡米したのを機会に、年間数100にも及ぶ病院の倒産の現状を目にして、日本の医療制度が将来的に米国的状況になることを予測していたと言うからすごい。1000床、600床の二つの基幹病院がある地域の医療環境のもと、医療制度の変遷を先取りした構想による判断なのであろう、360床から206床にダウンサイジングしている。その他にも、法人内の精神病院も同様に病床を削減、老健施設等に変えている。これはすごい決断である。
 
松村総合病院では自作のソフトのもとで、画像こそ扱っていないが、診療行為を全て電子化している。見た範囲では日常の医療業務に何ら問題ないほどの機能を持っているソフトで驚いた。医師一人あたりの働きや収益や人件費対費用効果は勿論、医療材料はどれがどの患者に使われたか迄しっかりと管理されている。
 この様な隅々までコスト管理され、無駄を廃し、救急患者も沢山扱っている状況ですら、病院経営自体は赤字であり同一法人内の高齢者施設等の黒字の補填で何とか維持出来ているという厳しい現状が示された。

 日本の病院の経営や管理は、その面での教育を一切受けて居らず、何の技量のない医師によってなされている。歴史的にはその流れで十分であったが、この医療情勢の中ではもう限界であろう。院長クラスは診療など100%放棄して
経営や管理を学ぶべきだし、周囲を納得させて自らそう言う構造に変えていかなければもうその重責を果たすことなど出来ない厳しい時代なのだ。日常診療に追われ、その方面の時間を全くとれない状況のままで副院長、法人の理事に就いている私などは、その面では全く不適格者なのだ、と自認した。


11/12(金)雨 医師会打ち合わせ(省略) 法人理事会 
2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状返事、徒然、主治医意見書処理。5:20病院着、6:20回診他.8:10救急カンファ。机上処理、10:30-14:00外来+ドック説明x2+ドック診察x4。医師会打ち合わせは時間確保出来ず略。17:30-19:30法人理事会、懸案多数で時間かかる。20:30帰宅、21:00就寝.

ペットボトルの茶(2) 味が薄くて好みとほど遠い だから貯まる
 何故、貰ってきたペットボトル茶が飲まれずに残っているかというと、私が異常なほどのお茶好きだから。私は幼少の頃から異常に茶を好み、湯飲み茶碗で顔面に大ケガをしたこともある。しかも、異常なほど濃い茶を好む。飲んだ後、上腹部不快、動悸など具合悪くなることもしばしば。それでも止められない。殆ど中毒に近い。

 大学医局で医局費を2倍とられそうになった。私の茶葉の消費が尋常でないから、との理由。さすがに実行はされなかったが、それほどである。何処に行っても異常と言われ、呆れられる。基本的に茶は熱くなければならないし、湯飲みの内側は白でなくてはならない。茶の色調も重要だから。湯飲みの底が見えるような薄い茶は嫌だ。

 だから、常識程度の薄い茶しかないペッボトル茶は基本的に嫌、だから貯まる。じゃ、貰ってこなければいいじゃないか、とも言われるが、これはケチな性格で勿体ないと思うから。自分で購入したのは東京出張時コンビニで買った1本だけ。

 やはり、日本茶は家で私のために煎れてくれる緑茶が一番。 私はタバコも酒も駄目、両方とも無用なもの。茶とコーヒーは好きで、これらにはかなり散財している。100g / 数千円のを4-5回で使い切る。急須から湯を吸った茶葉が溢れるほど大量に使い、一度で出し切る。客人はかなり驚く。更に、煎れる度に葉を新しくし、二番茶はまず飲まない、煎れない・・・などなど、私の茶に対する行為はなかなか理解されないし、余所では出来ない。だから、病院では緑茶を煎れたことは殆ど無い。味も私には合わない。私が医局で茶を入れると茶葉の多さにみんなが吃驚するだろう。

 好まないペットボトル茶を突然意識的に飲み出したのは、期限が切れたから。これら賞味期限が数ヶ月も過ぎたのを飲むとどうなるのか??と言う新しい興味が沸いたからで、好みが変わったのではない。


11/11(木)雨  秋田県健康づくり審議会感染症対策分科会 
1:30起床。寝不足状態。ドック判定x1等.講演準備j若干、紹介状2通、徒然。5:20病院着、6:20回診他。9:00-13:50外来、超混雑。16:00-18:20秋田県健康づくり審議会感染症対策分科会.インフルエンザ対策、天然痘対策、結核対策など検討。良い会議であった。病院にて業務。22:20帰宅.21:00就寝.

期限切れペットボトルの茶 賞味期限なんて気にしないが・・不味い
 最近会議等に出席すると、熱いお茶が提供される機会は減り、ペットボトルのお茶が用意されていることの方が多い。マンパワー削減の一方法としての合理化の姿である。味気ないが一方法の一つをして納得出来ないわけではない。

 私はその場で必ずしも飲むわけでない。その時は戴いて帰り書棚に並べる。部屋でもそれほど消費しないから貯まって20数本ほど並んでいる。これに賞味期限があるのを指摘され、無知を恥じたが、考えてみれば当然である。10本数ほど12ヶ月-3ヶ月も前に切れていた。古い順に並べたら確かに同じ名前の製品でも若干どす黒い色に変化している。
 身体に悪い、捨てるように言われたが、今?い順に飲み始めている。味も確かに悪くなっている。すすけたような?味に変わっているが、別に何と言うこともなし。私なら十分耐えられる。数日前から意識的に飲んでいるが別に体調に変化はない。

 私は、自分自身が賞味期限を過ぎた人間だから、賞味期限なんてあまり意識しない。自己否定に繋がるし、実害を感じたこともない。
 冷蔵庫の奥から出てきた4ヶ月以上前の納豆、1年以上前のチーズ、家族達は廃棄を勧めたが全部私が消費した。捨てるなんて勿体ない。体調も別に何ともなかった。圧巻は数年前の経験。大掃除の時に台所の隅から出てきた「賞味期限後24年」ほど前のソース。勇気を出して開栓、ちょっと苦く渋かったが全部私が利用した。歴史を食したという満足感の方が大きかった。体調に影響なし。

 期限切れペットボトル茶、アト10本ばかりあるが、全部飲むぞ!!  くだらないことだが、小さなチャレンジを楽しむ事にする。


11/10(水)曇 健康対策課と打合せ 医療行政懇談会+懇親会 病院対策委員会
1:30起床。ドック判定総括x1、他。5:20病院着.6:20回診等。8:10救急カンファ。9:00-14:10外来.15:00健康対策課と明日の感染症部会の内容と運営の打合せ。15:30-17:30医療行政懇談会、懇親会は中座.18:10-20:30病院に戻り対策委員会。21:00帰宅、夕食。21:40就寝。外来以降一日喋り続けた日。かくれ無口の私には辛かったね。

真っ暗闇の不安感、違和感  早朝の三日月、霧の中の朝日の見事さ
 いつものように起床、業務をこなしつつ、ラジオ深夜便を聞きつつ、静かな早朝を過ごした。
 4:30過ぎにいつもの如くに灯りをすべて消しての入浴。私は早朝起床から出勤までの間に数回、少なくとも2-3回、大体一回が2-3分程度であるが風呂を楽しむ。その際、雲や空を眺めるために窓を開け放して、灯りを消して真っ暗闇の中で入浴する。今朝、広い窓からは星が見える良い朝であった。外はかなり冷えてきている模様。ふと、目を住宅地に移してみると、いつも点々と見える家々の灯りが全てが消えていて一切の見えない。真っ暗闇である。これは希なことである。だから、星を除くと一切の光がない。奥深い山でキャンプの夜に経験出来るような希な状況である。この雰囲気を通常の住宅地で味わうと、違和感があり、不気味でもあり、不安感を伴う。
 これに近い状況は台風16号の影響で地域が停電したあの朝味わった。日常、当たり前に見える生活圏の灯りが、私にいかに大きな安堵感を与えていることか、実感する。
 
 まだ電気が無く、蝋燭やオイルランプのもとで暮らしていた時代の夜、人々はどんな気持で夜を過ごしていたのか、と思いをはせる。真っ暗闇の中、外を歩いていて遠くにほのかな光が見えたとき、どれだけ安堵しただろうか、と

 5:00、出勤時、朝はかなり寒い。東の空の深い紺青色と山々,尾根の木々の織りなす景観はいつもの如く美しい。西の空に浮かぶ三日月も。この時は私の気持ちは澄み切り、今日一日どの様に時間配分して過ごそうかとファイト満々である。

 6:30、回診のために病棟に上がる。既に明るくなっている。出勤時には霧は全くなく、空は澄み切っていたが、今は一面霧に被われている。東の空には上がって間もない朝日が霧の中にほのかに光っている。強い光の為にいつもは見詰められない太陽、今朝は霧の中で 乳白色のやわらかい光を放っている。大きく、丸い。母と共にいるような安息感が漂う。病棟のマックが起動する迄の2-3分、ずっと眺めていた。こんな良い瞬間は滅多に見られない。
 突然「◎◎さん、起きて!!  ご飯ですよ!!・・・」、深夜勤務の若い看護師さんの黄色い声が飛び交う。
 私だけの朝の心の散歩、はこの瞬間終わりを遂げた。


11/9(火)快晴 医師会打ち合わせ 公開カンファ 医療評価看護部学習会  
1:30起床,ドック判定x1、 紹介状返事x1。5:10病院着.6:10回診他定期処方箋。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来+ドック説明x1、入院患者対応.16:00-16:50医師会打ち合わせ。17:30-18:55医療評価看護関連感染症対策部分学習会+手洗いの実習。病診連携関連の公開MCは欠席。20:50帰宅。21:15就寝.

そろそろ細かい詰めの作業に入る  医療評価機構受審
 一昨日の長副会議では医療評価機構受審の過程の遅れについて指摘があり良い刺激になった。確かに指摘の通りで、今までは受審委員会を中心に各部門の進行に任せ、進捗状態を見守ったりしてきたが、そろそろ詰めの作業に変更しなければならない時期である。看護部門では本日も学習会を開くなど地道に進めている。

 責任者として若干の遅れを取ったとは思っているが、決して「座して死を待つ」ような時間の浪費をしてきたとは思っていない。作業ための時間の確保が極めて困難な中、間隙・・ではなく、隙間を見つけては作業をしてきた。担当次長の働きもあって外来のプライバシー確保のための改築のプランの概要も提示出来る準備が整ってきた。これからは私の方から具体的な改革を各部門に提示して実施を求めていく積もりである。ただ、隙間的時間確保しか出来ない状況は不安を通り越して恐怖感として私の前に横たわる。それは本音である。

 当院が受審する意義は、作業を進める過程で次第に大きくなってきている。良い医療を展開してきたとの自負は当院の職員の誰にでもあると思うが、基本的に運営がモノカルチャー的発想、同じ様な考えの仲間意識だけでやって来たために、すっかり井の中の蛙的に後れを取った部分もある。

 その原因は全て内部にある。だから、内部の人間だけの発想で改革の処方箋を作るのは極めて困難である。われわれにとって一番重要なのはしっかりした理念に立脚した長期・中期的計画なのだが、その前に、まず医療機関としての時代のスタンダードに近づくための作業としては医療評価機構受審を、仮に、短絡的にとらえても、その各項目の指摘は良い指針になる。指針が比較的しっかりしているだけ、受審のための改革の処方箋を書くことは決して困難ではない。最大の困難さは保守的考え、多忙すぎて余裕を欠いている各職員の現状にどう対応しながら進めるか、なのだ、と思う。
 改革は単に可能性の夢を追うのではなく、具体的な必要性の原理に立脚している必要がある。これなら変わるであろうと言う、期待感が受審には存在するし、認定の暁には大きな自信につながり、次のステップを求めていく礎になると期待している。


11/8(月)快晴 管理会議  長副会議  ファイザー・山之内ASCOT試験への評価
1:30起床。ドック判定総括x1、メール返事多数送付.5:15病院着。放射冷却で寒い。私の半袖・半ズボン姿にヘッドフォンの通勤姿は限界か。事務処理,6:30回診他.8:00-8:50管理会議.9:00-14:10外来、入院患者対応、評価機構関連。16:30-17:40長副会議,19:00ファイザー・山之内ASCOT試験についての評価聴取.20:30帰宅、夕食、21:10就寝。

人と人との距離 握手の距離 挨拶の距離
 新潟中越地震の被災者の方々の厳しい状況は見るにつけ、聞くにつけ実に大変なものである。特に学校等に避難している方々の状況は筆舌で表せるレベルでない。本日、未納と思っていた医局費が既納であったのでそのまま義捐金とした。今回はこれで3度目ほどの提供。どれだけ役立つか解らないが、私としては最も多い額になった。
 
 私は他人との距離をすごく重視する。側に人がいると緊張するし、不快になる。実は、知人の場合はもっと嫌だ。多分多かれ少なかれ誰でもそう言う傾向はあるのだろうが、私は特に敏感だと自分でも思う。満席の飛行機、新幹線は特に嫌だ。数人乗車のタクシーなど知人同志であるだけに耐え難い、苦痛の時間帯。
 飛行機の座席のレイアウトは非人間的と思う。その点は新幹線はまだ良いが、それでも狭く、近い。だから、横の席が空いているだけで嬉々としてしまうし、移れる場所があると勝手に移動する。先日、情報収集関連会社の方のインタビューを受けたが、広いスペースがあるのに近くに陣取られて閉口した。圧迫感があって冗談も言えなかった。その意味から見ても何時終わるか知れない避難生活は大変なストレスなのだろう。

 
人と人との距離は適正な距離というのがある。会議だってそうだ。日本医師会の会議、テーブルのレイアウトには余裕があるのに指定の席と席の間が何故か狭い。何度かお願いして席間の距離を開けて貰った。物理的な余裕がなければ良いアイデアなんて出ないのだ。法人の理事会の席も狭い。出席者が少ないとホッとする。
 握手の距離、挨拶の距離を考えてみても面白い。開きすぎた距離での握手、近すぎる距離での挨拶はハタから見ていて陳腐である。その意味では握手という習慣のない日本の挨拶はより淡泊な人間関係の中で交わされる習慣でとても良いものだと思う。相手が不自然に近づいてくると、辛い。


11/7(日)曇→超快晴 病棟拘束 FF tennis  
0:30やや早め、リハビリ当直室にて起床.ドック判定総括x1. HP関連作文、メール返事など多数処理。医療評価機構、薬剤部門やっと手を付ける。7:15検食、8:30病院に移動、8:45救急カンファ。9:00-12:00残務。12:30帰宅。Vnなど。13:30-16:00FF tenns、6-4,7-9と引き分けと最近劣勢。夕方からやや寒くなってきた。一昨年の今日は吹雪だった。19:00帰宅、残務多少、キャスターが壊れた家具修理。夕食、20:30就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (23) 
自伝 第一回福田式ダイエット3   1週間から10日目を過ぎると急に楽に   
ダイエット開始してから最初の一週間目から10日間ほどの大変さは空腹感もさることながら、全身倦怠感が日増しに増してくることと意欲低下が生じることであった。この様な過程を経ることは禅の本とか、宗教の断食の本とかから知っていたから、何とか耐えられた。この先に何らかの展望が期待されないとすれば極めて辛い状況と言える。ダイエットを試みる方は決して少なくはないが、その内の多くは挫折するが、大体この時期を超えられないのである。

 約一週間を経過すると激しい空腹感は不思議なほど失せ始め、意欲低下も消失し始める。この変化は急速であった。更に数日経過すると空腹感はほとんど辛くない状況になり、食品に対する興味も失せてくる。テーブルの上に美味しそうなお菓子などが乗っていても別に食べたいとも思わなくなる。精神的には高揚感、多幸感があり、何事にも積極的に取りかかれるようになった。体は体重の変化以上に急速に軽くなる感じがし、こういう激しいダイエットをやり続けていることに一種のエクスタシー的な満足感に酔ってしまう様な状況であった。体重計に乗ると面白いほど確実に減量してくる。大体半年で10Kgほど減量に成功したが、更に目標を59Kgに設定し、更に半年ほどかけて目標に達することが出来た。
 この間、体調は良好であったが、感じた異変は、皮膚の傷などがなかなか治らないことであった。ちょっとした擦過傷などがなかなか治らない、それどころか簡単に化膿する現象が見られ、止むを得ず数日間抗生物質を服用したこともある。多分、抵抗力、自然治癒力の低下が生じていたのであろう。重大な疾患に罹患しなくて良かったと思うし、短絡的発想ではあるが、一定レベル以上の食生活、栄養摂取が人の健康維持に重大な影響を持っていであろうことを体験出来たと思う。


11/6(土)曇→雨  家内帰国  病棟拘束  リハビリ当直3日目
1:30リハビリ当直室起床、ドック判定総括x1、退院総括、紹介状作成.徒然、7:15検食、8:30病院着。8:45救急カンファ。9:00ドック説明 x2。回診他。10:30-12:30外来.家内無事秋田空港に到着。次男は札幌に。14:000病棟面談。3日間帰宅していないので医局で入浴、業務処理、回診他。16;00からの医療安全講習会(県医師会館)は欠席。病院にて業務種々.17:00リハビリ当直。ドック判定総括x1、退院総括など。夕食、20:30就寝。

誕生花、花言葉とは??誰が決め、どうやってコンセンサスを得たのか?
 連日欠かさず(?)聴いているNHKラジオ深夜便、5;00amの終了間際の数分間に決まって「本日の誕生花と花言葉」が紹介される。今日11/7は誕生花は「マリーゴールド」、花言葉は「別れの悲しみ」、なんだそうだ。私はこれを聞いていていつも違和感を覚える。
 「誕生花と花言葉」は誰が、どんな資格でつくり、どんな方法でコンセンサスを得ているのか?私にとっては甚だ疑問である。少なくとも「誕生花と花言葉」選定国際会議や全国レベルの選定会議なんて聞いたこともない。なのにどうしてこんなのが決まっているのか??アナウンサーの紹介を聴いていると、全く疑問を感じているような雰囲気はない。私は正しいことを言っている、と言う堂々とした雰囲気である。人間社会の中でしっかりと決定がなされている、と言った雰囲気である。不思議である。

 これとは話が些か違うが、地球の隅々に至るまでの動植物を図鑑で見ると既に立派な和名が付いている。これは正直驚きである。これはどうやって付けたのか?これは正式に学会レベルで検討されたのだろうか?と思う。何時の間に、どうやって??。

 「誕生花」については解らないのだが、「花言葉」はその花からどの様な印象を受けたのか、と言うような記録がある故事・伝説・宗教・物語等から引用されて自然と作られてたらしく、世界各国で違っていて標準的な花言葉なんて無いらしい。そうならば日本でもいろいろなバージョンがあってしかるべきだが実際はないらしい。と言うことはコンセンサスがいつの間にか出来上がったと言うことか??

 果たして、世論の形成に重要な役割を担っているマスコミ、とりわけ天下のNHKがこんなあやふやなことを堂々と放送して良いのだろうか??この放送が、「誕生花」、「花言葉」の性格を歪めてしまわないのだろうか。


11/5(金)曇り→雨、家内韓国    リハビリ当直二日目         
1:30リハビリ当直室にて起床、ドック判定総括x1等、持ち込んだ種々書類、患者関連申請書などかなり処理できた。7;15検食、8:30病院着。回診、カルテ総括、紹介状など作成。10:30-14:20外来+ 基本検診結果説明+ドック説明x3+ドック診察x5。病棟患者処置。医師会打ち合わせは時間無く省略。18:30出前にて夕食。19:00リハビリ病院へ移動。禅関連の本若干、20:30就寝。
 当直医は8;30迄拘束されるために病院業務のスタートが3時間は遅れる。これは私にとっては辛い。今日は時間無く、窮屈な一日であった。

救援活動は災害を免れた地域の働きがポイント(3) 義捐金 支援物資
 昨年の今頃はSARS対策に連日頭を悩ましていたが、その際の基本はSARS患者を受け入れた医療機関の機能維持のために、周辺の医療機関がその医療機関の入院患者を如何に収容し、如何に外来機能を代行するかと言うことにあった。一人のSARS患者でも受け入れたらその病院の機能は完全に麻痺してしまう。SARSに集中するために他の業務を他に移さなければ全ての機能が麻痺してしまう。更に、如何にマンパワーを供給できるかにかかっていた。幸い、その様な重大な状況には至っていないが、その可能性は完全に消滅したわけではない。

 危機管理の基本は同じである。要するに、災害を受けた地域の安全の確保、ライフラインの確保、機能の復旧には出来るだけのその地域のかかえる懸案内容を周辺地域が代行し、被災地域をスリム化出来るか、にある。だから、災害の対応マニュアルは、難を免れ機能が維持されている幸運な地域、医療機関にこそ必要なのだ。

 新潟中越地震の被害の状況、被災者の状況を見て同情を口に出すことは誰にでも出来る。それだけでは駄目だ。自らが置かれている立場に応じて何らかのアクションが欲しい。地域では住民の生活維持だけでなく復旧のためにも多大な費用と生活物資、マンパワーが必要になっている。

 本当に心から被災された方々のことを思い、自らの幸運を喜ぶのであれば、口先だけ同情でなく、義捐金とかで具体的に救援の手をさしのべよう。この際、ボランテア、物的支援は意外と現場では迷惑な場合もあるのでしっかりと打ち合わせの上でないとダメだ。
 誰でも比較的参加しやすいのは義捐金の提供である。その際、後で悔やみたくなるだけ、出来るだけ多くの所持金をその場で提供しよう。
 額の多寡が問題ではない。自らが心に傷を負うほど提供した、と言うことが大事なのだ。余裕があるから出す、余った小銭があるから出す・・・こんなのは、無いよりは良いのかも知れないが、むしろ相手の心を踏みにじる、相手を見下すような、残虐で恐ろしい行為としての要素もあるのだと思う。ちょっと言い過ぎかも知れないが、発展途上国への物資の提供などの面でもつい感じてしまう。


11/ 4(木)曇り  家内韓国に 医療情報調査員来訪 患者サービス委員会 臨時長副会議 県医師会委員会 リハビリ当直         
1:30起床,ドック判定総括x1、主治医意見書等.5:20Taxi病院着。6;00医療情報に関する調査員来訪、インタビュー受ける。スケジュール取れずこんな時間に設定。6;30回診.書類処理、8;10救急カンファ。9:00-14:00外来。9;40患者死亡。14:20入院患者家族と面会、患者処置。16:00-17:00患者サービス委員会。17:00臨時長副。18:30-19;30県医師会に。19:45リハビリ病院に。家内の一言で本日から3日間連続当直に入る。夕食。20:30就寝。終日時間に追われた。

大災害時の救援活動(2)  災害を免れた地域の働き  義捐金
 私は大災害の場合、被害住民を他地区に避難させ、まず最小限の生活を確保することが基本だと思う。普賢岳、大島の噴火の際には全住民対象にその処置がとられた。大地震の際には事情が異なるが、少なくとも障害、病気をかかえる方、虚弱高齢者、強いては被害を受けた医療機関の入院患者は他地区に移して治療すべきであろう。

 ライフラインがダメージを受けた状態での生活はの困難さは大変なものである。特にトイレの問題は大きい。食料や水の供給は、物がないわけでないから何とかなる。
 東北北海道とかで厳寒期に大地震等生じた際には保温の問題がその瞬間から始まる。死に直結する大問題である。ライフラインがとぎれた状態でどうすればいいのか、良いアイデアは浮かんでこない。自身も家族も被害を受け、自ら生きることだけでも精一杯の時に、医療機関の職員であっても何処までよその人達のために働けるのか、その働きを期待して良いのか、到底予測できない。

 だからは大災害時の対策マニュアルは隣市町村、隣県で大災害が生じた際に、自分たちの地域としてどの様にアクションを起こすべきか、を決めておくべきである。この時に必要なのは如何に被災者の立場に立ちうるかと言うことに尽きるだろう。県に作られるであろう対策本部は非被災地に注目し、采配すべきである。(続く)


11/3(水)文化の日 曇・雨 病棟拘束 
2:30起床。ドック総括x1、秋田市基本検診判定数件他。医療行政懇談会要望書・発言準備、9:00病棟より患者不調の電話。9:30出勤、回診等。入院患者関連書類数件処理、紹介状、身体障害者申請用書類、医療行政懇談会準備、混合診療阻止関連業務。20:00帰宅、西武総菜中心に夕食20:30就寝。ほぼ終日業務処理。机上が若干広くなった。

大災害時の医療・看護・救援活動  災害を免れた地域の働きこそが重要(1)
 昨日は県医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会4団体の連絡協議会があった。混合診療問題への対応、処方箋・注射箋の関連の医療事故防止、医療の安全を求める方法とかを4団体として追求・推進することで合意が出来、有意義な進展があった。

 情報交換会では新潟中越地震の状況から災害時の医療や看護について看護協会から話題が提供された。実際秋田で起こったらどうなるか?  協会は県から災害時に活動を求められたが現状では何も対策が出来ていない・・どうすべきか?  と言うことであった。

 私は県医師会では感染症他の危機管理分野も担当している事からいろいろ考えているが、秋田市を中心に大地震、大被害が生じた際の対策については実際は何も考えていない。県とか市ではいろいろと考えているらしいが、立場上当然である。が、そう簡単なものではない。最小限住民の当座の生命や安全確保だけで良いと思う。その上で次のステップを発動すればいい。あらゆる可能性を考えて対策を構築していても、現実に起こってみなければどうなるかは解らない。

 私は大災害・・・これは人間を中心に考えるから大災害であって、自然や地球の立場から言えばより当たり前の姿に近づくための自然の営みに過ぎないのだ。人間による自然破壊は地球から見ればそれ自身が危害を与えていると考えたい。
 だから、大災害の時にはまず自然の営みの落ち着きを待つのが原則。これに抗おうとしてもムダ、焦っては危険なのだ。また、土砂崩れなどで大きく変化した状況を元に戻す、復興させようと考えるのは危険。崩れた状況がより安全な、より安定した状況と考えるべきで、元の人間に都合のよい状況に戻すことは寧ろ危険な発想だろう。


11/2(火)晴れ,  医師会打ち合わせ      健康対策課来訪  秋田県医療関係団体連絡協議会  病院接遇研修会(欠席)        
2:00起床。ドック判定総括x1、 紹介状返事x3、他、徒然など.5:20Taxi病院着.6:20回診。8:10救急カンファ、9:00-13:30外来. 14:00患者家族と面談+病棟処置種々。16:00-17:00医師会打合せ+健康対策課と「スギヒラタケ問題」検討。18:00-20:30秋田県医療関係団体連絡協議会+情報交換。病院接遇関連研修会は出席出来ず残念。20:50Taxi帰宅。21:00就寝.

国民皆保険 保険診療 自由診療 混合診療 特定医療費制度 何じゃこれは??
 長くつとめた坂口氏に代わって本年16年9月、尾辻秀久氏が厚労大臣に就任した。氏は昭和15年鹿児島県生まれ、当選3回、自民党参議院議員。 国民福祉委員会理事、党医療基本問題調査会副会長、党厚生労働部会部会長、党少子化問題調査会事務局次長、党脳死・生命倫理及び臓器移植調査会副会長などを歴任していることからみて医療・福祉問題にはそう遠い人ではない。

 尾辻厚労新大臣は就任当初の会見等では「混合診療解禁」に賛成と言っていたが、官僚から「混合診療解禁」に関する問題点の説明を受けるやいなや、「混合診療は問題がある。特定療養費で運用すべき・・・」と意見をコロッと変えた。要するに、小泉首相が強力に進めようとしている「混合診療解禁」が本質的に何を意味しているのか、大臣就任まで知らなかったのである。キャリアを買われて大臣にまでなる人にして、この程度の知識しかない。

 医師にも「混合診療」の意味するものについて正確に知られているとは言えない様に思う。保険診療部分に自由診療部分を上乗せしたものが「混合診療」で、患者のニーズに沿った医療が出来るようになる、との誤った、意図的な宣伝が隅々にまで行き届いている。NHKを始めとしてマスコミ各社は宣伝に荷担している。結果的に、一般国民はもとより、病院長クラスであっても、マスコミ並みの誤った知識しか持っていない方が多い。

 医師会は「国民皆保険の崩壊の危機」という立場から「混合診療」には強く反対している。しかし肝心の会員が十分に理解していない。だから、執行部だけが騒いでいるような印象がぬぐえない。
 確かに「混合診療」には小さなメリットはあるだろうが、その程度のメリットなら現状の特定療養費制度で対処できる。
 
 各人各様に、しかも誤って理解され得る一因には「混合診療」という名称が良くないことも関連している。その視点では「特定療養費制度」というのは更に分かりにくい。何しろ、国民皆保険を「こくみんみなほけん」と読む世代が増えているのだ。だから、本質がより解りやすいようなキャッチフレーズを作るべきだろう。例えば、「混合診療解禁反対」でなく「混合診療解禁は患者負担増大による国民皆保険制度縮小化システムです」などと、より解りやすく表示し、更に説明として「混合診療解禁」はWHOから世界一と評価されている国民皆保険制度を後退させ、保険診療を縮小し、徐々に自由診療への移行につなげるためのスタートラインなのだという事を強調すべきである。


11/1(月)曇→雨 管理会議 長副会議 TV講演会「医療経営と患者満足度」聴講
1:30起床、ドック判定総括x1. 退院総括、紹介状処理。徒然など。5:20病院着.6:15回診他、8:00管理会議、9:00-14:00外来. 15:00病棟処置種々。16:30-18:30長副会議.19:30-21:00TV講演会「医療経営と患者満足度」聴講。参考になる部分もあった。21:30Tax帰宅。夕食若干、それもそこそこにして21:50就寝.

HP開設三周年を迎えて
 当ホームページは、本日で開設三周年を迎えました。よく続けて来たものだと、自身でも思います。
 来訪してくださった方も、カウンター上では4万人ほどに至っておりますが、正直言って、その内の1万件ほどは多分私自身や我が家の家族と思われます。それを差し引いたとしても、多くの方々の目にとまって大変有り難く思っております。

 渋る私にHP開設を一生懸命勧めてくれたヒトがいて、自分自身のために、と恐る恐る始めた試みでした。開設当初よりも今は更に多忙になり、時間に追われ、時計をチラチラ見ながら細切れ状態で過ごしています。だからこそ自分自身を見失わないようにと、早朝4:30から出勤前の30分間、徒然日記に向かっています。時間もないので見苦しい雑文しか書けませんし、十分推敲も出来ません。誤字もそのままになっている場合もあります。

 小さな話題も文章化することによって私の中で一区切りになり、片づき、整理が出来ます。一日の生活記録を書きながら一日を振り返ることが出来るのも、良い習慣になっています。また、私自身は外来・病棟以外のほぼ全ての時間帯、ほとんど誰とも接することなく机上業務処理で過ごしていますが、アリバイ記録でもあり、時間的に追い込まれている状況の表現や主張、でもあります。だから、徒然日記とミニ随想は良い意味で私のストレス発散に役立っています。さらに、読んでくださる方が居られることは励みになっています。

 つい一週間ほど前に日本医師会の委員会に出席したのですが、関西のある委員の方が私が10数年前に書いた「中通病院の外来は・・・」という文章のプリントを持っておられ、その内容について2、3言葉を交わしたのですが、実際の所驚きました。中通病院医報はせいぜい300部ほどの院内誌で、それに掲載されたとしても何割の方が読むのか、恐らく10名程度かな??と思うのですが、HPに掲載することで思いがけない方の目に触れることもある、驚くべき時代に自分がいるのを自覚しました。これ以外にも、春には中学卒業以来、45年も会うこともなかった同級生からメールが来たり、全国各地から傷ついた鳩の治療についての相談が来たり、と私をいろいろ刺激してくれます。

 目新しいことは何も出来ませんが、今後も可能な範囲で、背伸びしすぎる事なく、地味に継続していきたいと思っております。
 今後ともよろしくお願いいたします。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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