徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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8/31(火)暴風雨(台風16号)医師面談 医師会打ち合わせ 医局カンファ 医師会定款改定委員会(延期)
1:30起床,徐々に風雨が強くなってきた。ドック判定総括x1、 紹介状返事x1.5:20病院着.6:30回診、定期処方箋その他45枚ほど。9:00-13:10外来、本日は台風の影響で比較的空いているが予約外来は殆ど影響なし。14:00医師面談、15:15医師会に.16:00病棟処置等.17:30-18:30医局カンファ、小児の心肺蘇生。20:30帰宅。21:00就寝.

台風16号襲来 暴風雨 今日来院の患者さんには「宮沢賢治」賞でもあげたい
 左後輪のブレーキが固着していた私の古いレガシーワゴンが昨夜修理されて戻ってきた。調子は良くなっている。今朝は強風、小雨の中、車での出勤。ボロと言えども車は有り難いものだ。Tシャツとテニス用のトランクスの軽装での出勤。
 台風16号は午前から午後にかけて秋田沖を通過するらしい。早朝はまだそれほどの風雨でないが、午前外来の患者が集まってくる頃には相当の風雨が予想される。そのために今日予定していた県医師会の委員会は交通事情から延期と決まった。
 今日の外来は多分暇だな・・、暇であって欲しい、たまには良いよナ・・、と思いながら外来に出た。確かに私の両隣の内科診察室はいつもに比べて遙かに患者は少なく担当医は些か時間をもてあまし気味。が、高血圧の予約患者、今日は48名中、何と43名来院した。5名は男鹿方面からの方でJRの関係で来院出来なかったのであろう。
 
 僅か1-2分の診察のために、こんな日には無理して来なくても良いのに、そのために若干余裕を持つように処方しているのだが、患者の皆さんはそう考えないらしい。 宮沢賢治の「雨にも負けず 風にも負けず」の詩を思い浮かべつつ診療した。賢治は当時病気をおして鉱山技師として仕事に奔走、上京中にひどく発熱し、遺書まで書き、やっとの思いで花巻に戻り病の床で死を覚悟し書き記したもの、と言われている。享年37歳。この詩を読む度事に、滝廉太郎のピアノ曲「憾み」が私の心の中で激しく鳴り響く。双方から、死に臨した若者の「壮絶さ」な心の叫びを感じ取る。

      「雨にも負けず、風にも負けず、欲はなく、夏の暑さにも、さらに台風16号の暴風雨にさえも負けぬ、丈夫な身体と心を持つ。そして、予約外来受診を決して忘れず ・・・・」 今日、この暴風雨下で受診された方々には「宮沢賢治」賞でもさし上げたいものだ、などと考えつつ、医師会の委員会が延期になって、少しだけ余裕が出来た一日を過ごした。


8/30(月)曇→雨→強風(台風16号) 管理会議  初期研修マッチング 長副会議 
1:30起床,寝不足。ドック判定総括x1、紹介状。5:20病院着。6:20回診他。8:00管理会議.9:00-14:30外来。16:00-17:00初期研修マッチング。17:00-19:00長副会議。懸案多数。20:30帰宅。夕食。21:00就眠。余裕なかった一日。

久々軽自動車に乗る 通勤用に欲しくなったが・・・ 
 私が主に使っているスバルレガシーワゴンは13年目ほどの年代車。何とか走るので不満はない。最近突然左後輪から異音と共に微妙な振動が出るようになった。車輪とボディーの一部が接触しているらしい。何かが走行中に挟まったのかも知れない、ならばその内に治るだろうと思って空港往復の際には高速も走っていたが、一月ほどたっても一向に改善傾向無く、10日ほど前に馴染みの町工場に修理に出した。代車には最初のは「三菱」の中古の軽自動車が来た。通勤に一回だけ使ったが、旧規格車でやはり軽だな、と言う感じ。3日目に「売れました」と言って更にスズキの「 Kei 」と言う名の軽自動車に替えていった。ここでは売り物の車を代車に貸してくれているらしい。

 このスズキの「 Kei 」は走行6000Kmほどの3年目の新規格車。これがまた良く走る車で今回の空港までの往復はこれを用いた。往路は眠くてアワヤという危険な思いをしたが、眠くなるほど余裕のある走りだったからでもある。復路は、空港駐車場で車を探すのに15分ほど手間取ってウロウロしたものの、眠気もないのでいろいろ走りを試してみた。6000rpmの回転数で130Kmほどまでそれほどストレスを感じずに一気に加速出来た。レッドゾーンは7000rpmなのでまだまだ出そうだがカーブも迫っていたのでそこまでとした。100Km前後では余裕を持って北インターまで走れたが、今の軽はすごい、と言うのが実感である。車幅は狭いが背が高く頭上のクリアランスは十分余裕がある。

 はっきり言って私のスバルレガシーワゴン2000cc より良い走りであった。一人だけの通勤程度では十分である。レガシーが修理不能であったらこれをそのまま買い取ろうかと思った次第。だが、私に古い車を押しつけて自分で新しいのを買おうと目論んでいる家族が3人ほど居るので実行は無理。
 幸い、今晩、修理終了してレガシーが戻ってきた。ブレーキが軽くかかった状態で固着していたとのことで、呆れた表情で「良くこんな状態で高速を走りましたね。火を噴いたかも・・・」と言って置いていった。部品交換で治ったとのこと。人生って紙一重なんですね。


8/29(日)雨 日医代議員会 FF tennis(欠席)
2:30浅草Viewにて起床、ドック判定総括x1、その他作文多少、収集画像整理など。7:00朝食.8:30会長と共にTaxi日医会館に。9:00-16:00日医第111回臨時代議員会。今朝と同様に、Taxi浜松町→モノレール→空港。空港出発ロビー内でパソコンデスク借用して若干業務。電気も使えるのでなかなか良い18;10  JAL,  AirBus A300-600Sと言う機種。8割方の搭乗。19:15秋田空港着、19:45自宅、夕食、20:45就眠。FF tennisは欠席したが福田チームは6-4、7-5、6-4だったという。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (15)
 私は超神経質な人間で、下らない事柄を不必要に気にかけ、何時までもウジウジ悩み、考える、決断力に欠け、何時も劣等感に苛まれている様なタイプである。我ながらホントに嫌になる。一方では、実際にはそんな性格だからこそ多くの壁を乗り切ってこれたとも言いうるから、評価している部分もある。

 家内は一見私とは対極にあるタイプである。本人に言わせればそうは言わないだろうが、私から見て性格は実におおらかである。概して行動は遅く、生活上では細かいことには拘泥しない、のんびりタイプである。一緒に暮らしてみると驚くほどの違いで、調整に困難を感じたこともあったが、普段から自分自身の性格を嫌だと思っていただけに良い教師に恵まれたようなもの。時々は何でこうなんだと頭に来たり、呆れたことも日常的であったがも、あまり細かいことには拘泥しない生き方から多くを学び取り、その雰囲気程度のレベルではあるが、自然に私にも身に付いていった。有り難いことである。

 ところが仕事とか学術的方面では二人の立場は全く逆である。例えて言えば、私は「木を見ず山を見る」タイプで、細かいことなんてあとで調べれば解る、と後回しにする。だから、学会準備など期限付きの仕事などは、推敲のレベルは別にすればそれなりに全体像は出来上がっており、焦ることは殆ど無かった。私は最期の追い込み、瞬発力を欠いているから期限が来ると簡単に妥協してしまう。
 家内は「木を見て山を見ない」タイプで何かに没頭すると周りのこと、期限のことなどそっちのけで次々と細かに調べ始め、どんどんと深みにはまっていく。期限が来ても出来ていたためしは殆ど無い。彼女の最終段階の頑張りはすごいものを備えている。ただ、一人では到底期限に間に合わないので大抵は私が手伝う羽目になるから大変である。これは最近まで改善されない。

 私との時間感覚はの差は、その溝を埋めることなんて出来ない、どうしようもないほどのレベルである。彼女に運転免許が無く、車も一台しかなかった時期には出来るだけ時間を割いて私が病院等に送迎したが、待たされること30分、1時間はざら、時には2時間以上にも及ぶことさえもあった。彼女が免許を取り車を用いるようになってから病院の駐車場で延々と待つことはなくなったが、今でも来るべき時間、約束の時間に現れる事の方が珍しい。これは現在まで30数年間、何ら変わっていない。兎に角、羨ましいほどの自由人である。

※研修医諸君へ更新しました※


8/28(土)秋田快晴→東京雨 東北医連打ち合わせ会議 
1:30起床、ドック判定総括x1. 5:20代車にて病院着、6:30回診他。8:45救急カンファ。ドック結果説明x2。出張じ申し送り等の準備。10:30-12:30外来。13:00病院発空港に。途中睡魔、2-3度センターラインオーバーなど。14:30ANA15分ほど遅れて離陸。676型、満席。18;30-20:00明日の代議員会に向けて東北医連打ち合わせ会議+懇親会。 20:45浅草View着。21:00就寝 。

最近寝不足気味 会議は辛い、運転は怖い
 最近寝不足気味。そのために日中もかなり眠い。自分で能動的に動いている時には別に問題ないし、能率も落ちているわけでもない。これが受動的立場になった時には一変する。
 昨日について言えば、午前職員定期健康診断を受けたが、心電図をとるためにベットに横になった途端、身が沈んでいくような感覚と共に一瞬とろとろとしてした。外来では患者の切れ目の数分間座位のまま熟睡、午後の県の会議、法人理事会でも説明を聞いている間は時折意識が遠のいていた。
 その他、いつも理髪の際には寝込んで迷惑をかけているし、医局会や医局カンファレンスでは後半は大抵寝込んでしまう。だから、司会とか積極的発言をする必要のない会議等への出席はハッキリ言って辛い。学会や講演会では可能な限り前の席を確保するが、それでも寝てしまうので演者に申し訳ない。

 本日は運転して空港に向かったが一瞬ながら2-3度眠ってしまい危険な思いをした。
 私にとってこのルートの片道20Km ほどの運転は、年に一回の墓参りのための盛岡往復を除くと最も頻度が高くかつ最も長距離の運転であり、最も怖い時間の一つである。空港リムジンは時間が早すぎる上に所要時間の面からも日帰り出張では無駄なので往復とも空路の場合には殆ど利用したくない。自分の車なら出発時間の一時間前に病院を出ると20分ほど前にチェックイン出来るし、復路では到着後30分で病院に着く。この効率性は私にとって重要である。しかし、やはり怖い。いつも寝込まないようにと緊張する。しかし、一般道を通る時、市内を抜けて空港道路に入り車が疎らになると緊張感が急速に萎えてくる。高速に入った時は対向車が無いだけに5-6分もするともう駄目になる。
 膝や腕をつねったりいろいろ工夫しながら維持するが今日は睡魔に負けることが何度もあって、路肩に入ったりセンターラインを超えたり、正直ぞっとした。ぞっとしてもその後数分たつとまた同じ。

 通勤の数分ですら時に眠い。やはり私にとって運転は恐怖である。最近、東京往復は全部JRにしてしまおうかと真面目に考えているが、空路の利便性も捨てがたく迷っている。


8/27(金)快晴、職員健康診断 県インフルエンザワクチン安定供給会議 県医師会打ち合わせ(略)法人理事会
1:30起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:20バイクにて病院着。6:20回診、院内紹介状、その他。8:10救急カンファ。9:15健康クリにて職員検診。10:30-12:50新患補助外来、15:00-16:45県インフルエンザワクチン安定供給会議。17:30-18:30法人理事会。県医師会打ち合わせは無し。事務処理ほかで20:30帰宅。21:00就眠。明日から日本医師会代議員会で二日間東京である。

県内の台風15号の被害甚大  塩害は我が家でもじわじわと進んでいる(2)
 我が家では毎日落ち葉掃除が大変である。台風通過後は緑の落ち葉が庭一面に落ちていたが、今落ちているのは汚く汚れ、枯れてしまった葉っぱである。賄いの石井さんが毎日掃除し袋に一杯詰め込んでガレージに並べている。見上げると八重桜、樅の木などの葉がみんな褐色に変色している。隣の家の庭の木々もしかりである。特に背の高い樹木に被害が大きいし、広葉・落葉樹にその傾向が大きい。地べたの草木、背の低い木々、針葉樹は比較的被害は目立たないが今後の現れてくるかも知れない。

 本日来院した男鹿の患者の弁では男鹿の山はかなりの被害らしく、今年は紅葉が見られないのではないかとのことである。通勤途中の街路樹、天徳寺の山の木々も総じて褐色に変わって、無惨である。

 もう一つの我が家の塩害は、ハーレーに来た。もう古くて錆だらけであるがここ一週間の間に一層錆が進んでしまった。ガレージの中に入れて置いたのだが海水を含む霧雨の影響であろう、クロームメッキの部分が全体に淡くくすんでいる。これが塩なのであろう。早く洗い落とさなければならないが、この週末は出張なので残念ながら時間がない。
 総二階建てだから下からは全く見ることが出来ないが、我が家の屋根も錆が進んでいるかも知れない。
 我が家でもいろいろ影響はあったが、甚大な被害を受けた農家のことを考えると比較にならない様な、ホンの小さな出来事に過ぎない、と思う。


8/26(木)快晴 県老人クラブ連合会講演 総合内科診療部会(欠) 初期研修マッチング+対策委員会 
1:30起床,ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:20代車の三菱の軽自動車にて病院着。6:30回診、院内紹介状、その他。8:10救急カンファ。9:00-11:15外来、その後病棟患者対応、13:10-14:30県老人クラブ連合会で講演,100名ほど、熱心に聴いていただいた。病棟患者対応、15:30-16:30初期研修マッチング。全員来て欲しい若者達が続く。病棟業務。 20:40帰宅、夕食、21:10就眠。

県内の台風15号の被害甚大  塩害は我が家でもじわじわと進んでいる(1)
 他県のことは解らないが、秋田県沿岸部及びその周辺地域、特に男鹿市、若美町、大潟村、本荘市ので台風15号の被害はかなりなものらしい。今回は単に強風や雨による被害と言うだけでなく、フェーン現象と高潮によって、海水を含んだ霧雨を沿岸にまき散らし、かつて経験したことのない潮風害(塩害)をもたらしている。

 今回被害を受けた地域の方々は私の担当する外来にも多数受診している。みんな表情が暗い。当然である。土崎港の警備に当たっているある患者の話では海水が強風に煽られて雨の如くに降り注いだという。本人も発熱して来院した。
 リンゴやナシ農家では強風によってひどいところでは7-80%もの落果があり、パイプハウスが吹き飛ばされたり破壊されるなどの被害がでた。落ちなかった果実も塩害の影響を受けており殆ど売り物にならないと嘆いている。著しく暑い夏で果物の豊作がほぼ目の前まで来ていたのだからショックは当然である。大豆、花栽培農家、稲作農家、野菜栽培農家も塩害で大変な状況だという。
 稲作に関して言えば、最も被害のひどい水田では稲穂が一面白く変わったと言う。20-30%以上の減収が予想されている。塩害は時間の経過とともに更に広がる可能性があり、なおかつ出穂が遅い「コシヒカリ」等の品種ほど被害が大きいらしい。 農業県である秋田の農家にとっては大変な状況である。

 平成3年9月28日に本県を通過し、強風によって農林業に甚大な被害を及ぼした台風19号も忘れることが出来ない。塩害についての記憶はないが、稲作に関しては既に収穫期に達していたため、被害は小さかったのだ、という。今回は出穂後20日程度の大切な時期の塩害で影響が大きいとのこと。


8/25(水)快晴 県医師会常任理事会
2:00起床,ドック判定総括x1、紹介状・返事x1、5:20バイクにて病院着、6:30回診、院内紹介状、その他。8:10救急カンファ、9:00-14:30地獄のような超混雑外来、入院1名、これで一般5名、療養担当41名!!! 物理的に維持困難になりつつある。病棟関連業務,各種書類処理。明日の講演準備着手。17:00-20:00県医師会常任理事会、病院にて若干業務21:10帰宅。21:30就眠。多忙であった。

書類処理に没頭、すっかり忘れていた昨日のN響秋田公演
 最近かなり業務に圧迫されている。その殆どが書類書き。本当に何とかならないかと思う。   早朝、ドック等の書類処理から私の一日の時間が始まる。
 病棟回診時にも、その日または数日中に完成しなければならない入院患者関連の書類の処理のことを考えるとゆっくり回診とかしている暇はない。いや、回診は欠くことはないがカルテ記載等をしている暇はない。カルテを数冊抱えて自室に戻り処理をする。連日の外来終了時には、紹介状や返事その他の書類が新たに加わる。医局で処理中にも次々と処理すべき書類が届けられる。

 回診、外来、会議時間等の時間を除くと多分私は90%ほどの時間を患者関連等の書類処理に追われている。決してオーバーではない。だから、期限にやや余裕のある仕事はどうしても後回しになる。医療機能評価機構受審関係の業務処理、どうしても手が着かない。 ・・・と、言いたいことは尽きない。

 昨日、20:45過ぎ、秋田県民会館前を通過した。県民会館からどんどんと人が出てくる。何か公演でもあったのか??としばらく考えていたが、そうだ、本日は「N響秋田公演」の日だったのだ。2週間ほど前にチケットを購入していたことも含め、すっかり失念していた・・とガックリ。「魔弾の射手」の弦のトレモロpppで演奏される不安をかき立てる部分、漆原朝子のブルッフ、とても楽しみにしていたのに実に残念。
 チケットを買っていても行けないことは多々あるのでなるべく私は当日券を買う。が、購入していながら失念していたのは久しぶり。数年前に文化庁後援のオペラ「椿姫」の場合は、ハッと気付いたときにはもう3週間も過ぎていた。その頃も忙しかった。 数日前までは今週の火曜夜はN響だ、と思っていたのだが、医局のカンファレンス中止の張り紙を見て書類に集中したのが失敗であった。

 いや、単なるボケの始まりなのかも知れない。それを認めたくないから、書類処理に関するグチから書いてしまった。


8/24(火)曇 医師会打ち合わせ+県健康対策課来訪 医局カンファ(中止)
2:20起床,ドック判定総括x1、紹介状2部ほか、5:25病院着。回診、定期処方・臨時処方40数枚発行、8:10救急カンファ。9:00-13:30午前外来、入院1名。14:30病棟処置諸々。16:00-17:10県医師会へ、打ち合わせ+県健康対策課との打ち合わせ。インフルエンザ、天然痘対策、HIVその他。17:30医局カンファは何故か中止。20:45帰宅、21:30就眠。

ある新聞広告に並んだ「82,84,84,87,87,88,90,91,91,97」の数字 これは何だ?? 
 秋田の地方紙、秋田魁新聞の夕刊第一面の最下段に、横一面に上記の如くの数字が大きい活字で並んでいる。夕食を摂るテーブルからやや離れたところに今置いたばかりで、メガネを外していたので詳細は解らなかったが目をひかれた。何だろうか。

 ある滋養酒の広告であった。タイトルは「天才薄命、とも限らない」。 下記の人達の死亡時の年齢である。()は生年。

 ゲーテ(1749)が82歳、ニュートン(1642)とエジソン(1847)が84歳、一休(1394)とヘレンケラー(1880)が87歳、ミケランジェロ(1475)88歳、ナイチンゲール(1820)90歳、ピカソ(1881)とファーブル(1823)が91歳、シャガール(1887)が97歳で死去していると言うこと。

 読みながら感じたこと若干。
●都合のいい数字だけ並べて。若くして死んだ偉人・天才はこれの何万倍もいるんだぞ!!
●このほかにも長命だった天才はいっぱい居るぞ、特に音楽の世界は多いぞ。その人達は無視するのかい?
●滋養酒を飲むと長生き出来るってわけかい? 関係ないね。第一、そのころお宅の会社まだ無かったじゃないか!だから、製薬会社や健康関連の広告って嫌なんだよな、身勝手なこじつけが多くて。
●へー、この人達も意外と長命だったんだ。知らなかったよ
●この人達は長命と業績とは関係ないね。若くして頭角を現している人ばかりだよ。それにしても良く生きたね。
●この人達は才能と努力で抜きんでていただけでなく、運の良さと生命力でもエリートだったんだな。生命力はワカランが、努力と運の良さには感心感心!!!
●なかなか良いことを教えてくれている広告じゃないか! 
●・・・・・。

 以上、本日の夕食のひとときの風景。養命酒製造KKの広告を見て感じたこと。私の心変わりの様子の一部。私もかなり身勝手だね。
 身勝手ついでに。次は「美人薄命って本当??」でも取りあげて欲しい。


8/23(月)曇→雨 管理会議 長副会議 
3:30起床,寝不足。ドック判定総括x1、紹介状。5:20病院着。8:00管理会議.9:00-13:30外来。重症であった高齢の患者さん静かに死亡。15:00病棟患者処置他、16:30-18:00長副会議、懸案多数。20:30帰宅。21:00就眠。余裕なく眠かった一日。

アトリオン室内オケ21回定期
 8月22日アトリオン室内オケ(ACO )No21定演があった。プログラムはモーツアルト「交響曲39番」、「フルート協奏曲第1番」、ベートーヴェン「交響曲第1番」、アンコールにはルロイ・アンダーソンの「ピチカート何とか・・」という曲。ソリストは藤井香織氏。指揮は大友直氏。今回から客演コンサートミストレスとして一定期間安部慶子氏がを迎えることになったらしい。今回はエキストラがあまり目立たない。

 全体を通じてそれなりに楽しめたが、印象を一言で言えば全曲とも音量が高すぎ、強奏部分で特に弦楽器の音が汚なく、兎に角「うるさ過ぎた」と言うこと。だから、「フルート協奏曲第1番」のソリストの独奏部分、カデンッア、その中でも特に消え入るような弱音で演奏された部分、が最も美しく、プロのフルーティストの音を堪能出来た。

 ACOは経済的に維持が困難というので私も協賛会員になって年間3万円賛助している。名簿に今まで肩書きを入れていなかったが今回から何故か入っていた。抜いて貰うことにしよう。
 地元のオケを維持していくために、もっと多くの方々の賛助があって欲しいものだ。


8/22(日)快晴 FF tennis(台風15号影響で中止) アトリオン室内オケサマーコンサート 患者不調で3回出勤
2:30起床、家内も昨夜別口で糖尿病と遺伝子に関する講演を聴いたということで伝達講習を受けた。ドック判定総括x2、主治医意見書他、文書作成など.7:00病棟より患者不調について連絡、出勤対応。8:45救急カンファ。10:30帰宅。FF tennisは梅林園のコートが台風15号の倒木等の被害で使用不能で中止。文書、Vn、文書、入浴・・・と交互に。13:45アトリオンに。14:00-16:20アトリオン室内オ-ケストラサマーコンサート。終了時に病院から呼び出し。別の患者不調で病院に。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。23:00-2:00別の患者死亡にて病院に。2:30再度就眠。

自伝 
宮古病院時代 1971〜73 (15)
 医学部の専門課程4年間はずっと同じグループで過ごし、卒業後の約1年も含め顔見知りになってから数えれば約7年ほどのつきあいの後で結婚し、共に暮らすようになったのだが、最初の数ヶ月は私にとっては実に大変な時期であった。互いの性格、考え方、感じ方が驚くほど異なっており、そのすりあわせに実に難儀した。やはり「結婚は人生の墓場」と称したとある偉人の小話は本当だったのか・・・と思い悩むことになる。

 私自身はどちらかというと男性側優位の過程に育ち、やや男尊女卑的傾向があったが、家内はどちらかというと女性側優位の家庭に育っている。だから、家庭内における立場に関する考え方が全く逆である。私のイメージの中にある女性のコントロールの方法論などまず通用しない相手であることがわかった。しかも二人の間における立場の中では自分の立場を私の予想以上に高く設定しているようである。このことは大学専門課程一年の時の研修制度改善要求の運動でもなかなか私どもの方針に同調してくれず、説得に苦労した経験から若干は予想していたが、いたく私のプライドを傷つけた。

 金銭感覚も全く異なっていた。幼少の頃は家が開業医であったこともあって当時としてはかなり豊かな経済状態の中で育った。祖父が死亡し廃業、父親が定年を迎える前に退職してきたことなどもあって、中学生の頃からは過去の蓄積で細々と食いつないで行く余裕が全くない経済状態に変わった。しかも途中で運用の失敗から資産も底をつき、土地や建物を処分し、盛岡郊外に小さな家を購入してそこに両親が住まっている状態に迄落ち込んでいたが、倹約すれば何とか暮らせるような状態。一方、家内の家庭は、父親が堅実なサラリーマンであり、定期的な収入がある家庭で育っている。私は金銭感覚はどちらかと言えば丼勘定的要素と、思い切ってお金を使えない、と言う二面を持っていたが、家内の金銭感覚は実におおらかで、あまり先のことを考えないで遣うタイプで、この点でも意見は合うことはあまり無かった。

 もう一つ驚いたのは性格のおおらかさと、独自の時間感覚であった。


8/21(土)秋田晴れ 東京快晴 地域医療連携ネットワークを考える会
2:00起床、ドック判定総括x1他いつもの如し、5:20病院着.6:30回診その他、8:45救急カンファ、主治医意見書、総括、紹介状、特定疾患関連書類処理。10:30病院発Taxiにて空港に、11:20ANA東京に。Aiabus A310満席。まだ家族連れが多く、幼児が騒ぐ。西麻布「香港ガーデン」にて昼食。14:00-18:30新高輪プリンスホテル「地域医療連携ネットワークを考える会」。懇親会に15分ほど出席、Taxiにて羽田に。19:55ANA秋田に。767-200型70%ほど。横3席を独占出来て快適。21:00秋田着、Taxiにて21:45帰宅。22:10就寝。

良い刺激になった第5回「地域医療連携ネットワークを考える会」(1)
 本日の東京出張は上記のセミナー聴講の為である。これは武田薬品工業KK主催の会。私は従来は製薬会社等医療関連会社主催の講演会に対して些か斜に構えていたところがあり殆ど参加してこなかったが、本年2月末に開催された同社主催の第9回M-M(Medical Management Meeting) 研究会に初めて参加する機会を得て、認識を一変させた。医師になって30年もたってからの心変わりである。
 今回はスケジュール等を調整し、喜んで参加した。

 講演は
●「チアゾリン系薬剤の新たなエビデンス」
     武田製薬工業KK 学術員
●基調講演「病・病・診・薬連携の新たな取り組み--ヒューマンネットワークと電子カルテネットワークの融合を目指して」
     千葉県立東金病院院長 平井愛三氏
●講演1「患者に受け入れられる地域医療連携」
     いいなステーション代表/HCRM研究会代表幹事 和田ちひろ氏
●講演2「在宅医療と地域医療連携--地域の中核病院に望むこと」
     新宿ヒロクリニック院長 英 裕雄
●講演3「地域医療連携の取り組みと今後の展望」
     松波総合病院院長 山北宣由氏
●パネルディスカッション「連携は何をもたらすか」


 司会はMM研究会の時と同じ笹川記念保健協力財団理事長 紀伊國献三氏。「病院管理学」がご専門とのことで、最近の医療情勢の話なども的確に交えながら前回と同様的確な司会、進行、まとめ役を果たした。
 基調講演を含め3人の院長の講演内容はそれほど目新しいものではないが、考えるだけならそれなりの立場にある人にとっては誰でも出来るが、それを実践に結びつけていると言う点ではその指導力は驚嘆に値するもので参考にすべき内容は多々あった。

 私が最も興味をひかれたのは和田ちひろ氏の講演。医療関係者ではないようなので帰宅後若干調べてみた。1972年生まれで95年慶大学文学部。同大学院政策メディア研究科修士課程修了。1998年より2002年3月杏林大学保健学部助手。98年にHCRM研究会(ヘルスケアリレーションシップ・マーケティング)設立し代表幹事。99年より3年間「こんな病院あったらいいな」(ナーシングトゥデイ・日看協出版会)を連載をしている、と言う。本日の講演でいたく興味を覚えたので取り寄せて読んでみることにする。


8/20(金)暴風雨→晴  初期研修マッチング  医師会打ち合わせ(キャンセル) 
1:30am起床、
ドック判定総括x1他。2:00am過ぎ暴風状況に。3:30am過ぎ停電。5:30am迄待つも電気は復旧せず出勤、5:50病院着、回診、事務処理他。8:10救急カンファ,10:30-14:30新患補助外来+ドック診察x5。14:30赴任予定眼科医師来訪、面談。15:30-17:00初期研修マッチングx4。医師会打ち合わせは連絡する間もなくキャンセル。医療要意見書x4など.17:30自宅の電気復旧したらしい。20:20帰宅、夕食,21:00就眠.

「UFJ銀行」問題が喧しいが・・・
 私は金銭感覚はずぼらでどちらかというと丼勘定が好き。経済問題などはまったく苦手で、病院の収支などの表を見る度に頭痛がしてくるし、この方面の知識もなくよく解らない。
 「UFJ銀行」は三和銀行と東海銀行が合併して設立したもの。 「UFJ」という名は「我が国を代表する総合金融グループ」という思いを込めた「United Financial of Japan」という言葉に由来する。伝統的銀行は実に古めかしい名前だけだが、新しい銀行は「トマト銀行」などと親しみやすい名称になってきた。とっても良いことだ。この面では「UFJ銀行」横文字の名前はすこぶる印象的であった。が、名前の由来とは裏腹に、合併しても業績の悪化は当初から予想されていた。
 簡単に言えば、通常企業合併で行われる(+)と(-)の合併でなく、(-)と(-)同志の合併であったのだ。その(-)とは言うまでもなく不良債権。「UFJ銀行」について言えば単に不良債権の額が巨大というだけでなく、その相手が「ダイエー」とかだから問題は複雑。
 不良債権というのは回収不能金のこと。常識的には担保を処分して返済と言うことになるが、この担保が今では著しく減価しているから、貸金にはもう見合わない。更に、担保が店舗や物件なので「UFJ銀行」側が強権を発揮して処分すれば相手側が仕事ができなくなる。だから、そのまま営業させて、利潤の中から少しでも回収していこうという戦略を採らぎるを得ない。しかし、相手の業績が絶好調ならまだしも、この方法では完済まで気が遠くなるような時間がかかるだろう。いわゆる、座して死を待つに近い状況に陥っている。

 対策はあるのだろうか?? イヤ、無いかもしれない。ならば、銀行も、企業体も、さらには社会全体も血を流さざるを得ない最も苦しい解決方法、即ち、倒産も止むなし、と考えるしかえない。ところが、ここに来て東京三菱と三井住友が更なる合併に名乗りを上げた。金融庁としては降って湧いた有り難い話、と言うことになるだが、これも問題は複雑。両銀行共に「UFJ銀行」そのものの魅力ではなく、「UFJ銀行」を取り込んだ方が日本一の銀行になる、その魅力からである、と言われている。
 経済の混迷というのは本当に難しいものだと思う。企業体の経営、医療機関の経営もしかりである。


8/19(木)晴れ  初期研修マッチング 
1:30起床、ドック判定・総括x1、紹介状等.5:20病院着。6:30回診。8:10救急カンファ。9:00-14:00午前外来.午後は書類処理,初期研修マッチングx4名。入院・外来患者各種書類その他処理に追われる。医療評価機構分担分の処理に費やす時間が取れない。20:20帰宅。珍しく家内も帰宅。夕食、21:00就眠.

台風15号 秋田市で最大瞬間風速41.1m   停電でパソコン大丈夫か?  
 台風15号は8月20日早朝本州北部を横断、9:00am時現在、青森市北東約70Kmにあり、中心気圧は980HP、最大風速30m,南東600Km以内と北西側370Km以内が風速15m以上の強風域となっている(NHKラジオニュース)。
 今朝8月20日、私は1:30amに起床、いつもの如くパソコンに向かっていたが2:00am過ぎより急速に風邪が強まり、瞬く間に暴風状況となった。庭先では植木鉢の倒れる音、転がる音がする。賄いの石井さんの力作が次々に倒れている。彼女は帰宅直前までの天候があまりにも平穏で読みを誤った様である。
 3:30am過ぎに停電した。パソコンのハードディスクは大丈夫かな??その後のラジオニュースでは最大瞬間風速41.1メートルを観測し、東北電力秋田支店によると、県内で約13万戸が停電したという。 
 5:30am迄待ったが電気は復旧せず、ホームページ交信用のデータ送付も諦めて出勤した。我が家の庭の植木の様子は惨憺たる状況であり、いつも携帯しているデジカメに記録した。私の居住区近辺では灯りは一切無く、信号機も機能しておらず、異様な感じがしたが、秋田市中心部、及び病院のある地域は停電が無く、全てが通常通りであった。現在時刻は、17:30pmであるが自宅への電話が通じないところを見るとまだ復旧はしていないのだろう。
 本日の外来には台風の影響を受けた患者も多数受診した。風の影響でガラスやトタン板で外傷を負って救急外来を受診した患者、停電で何も出来ないからと言って再来を受診した主婦、かかりつけの診療所が停電なのでこっちに来ました、といって笑った新患患者、それぞれ悲喜交々であった。

 今晩は電気が復旧するのだろうか、マックはうまく起動するだろうか? まだ気がかりである。


8/18(水)秋田雨 東京晴れ36度 秋田雨 日本医師会病院委員会
1:40起床。ドック判定・総括x1、特定疾患経過報告書等処理.かない2:00帰宅、3:00に患者重症で再出勤した。御苦労様。5:20病院着、回診、出張時申し送り票など作成。8:50病院発、空港に。10:00JALは視界不良で40分ほど上空待機中とのことで50分ほどの遅れで出発。AirBus A300-600型、お盆休暇帰りの家族連れ多数で満席で人口密度の高く不快。秋田→羽田→モノレール+JR→駒込→日本医師会館。東京は36℃とかなり暑さ。委員会にはギリギリの到着。13:30-16:30日本医師会病院委員会。18:10JALはAirBus A300型で搭乗率30%ほどとガラガラで快適。19:10秋田空港着、20:00 帰宅、夕食、21:00就寝。

「五つの心をもって、挨拶し、人に優しい・限りなく優しい」盛岡病院で絶句(2)
 8月15日、
独立法人国立病院機構盛岡病院のスタッフの親切な扱いに驚いた。2年ほど前にはウイークデイの午後に訪れたときにも医事課職員の中年女性の対応に好感を持ってはいたが、今回の経験は通常の診療時間帯であればまだしも、日曜日の体制の中での対応である。僅か2回の訪問で対応してくれた5-6名のスタッフの応対から感じただけなので何とも言い難いものはあるが、オーバーに言えば玄関先の「五つの心を持って」という病院全体の運営方針の現れと思いたい。勿論、スタッフ全員がこの様にいい感じであるとは言えないだろうが?れだけで病院全体が良いものに感じてしまう。尤も、新築後間もない新しい病院で、広く綺麗であると言うことも加味されての評価になる。

 いま、全国の病院では医療評価機構認定を受ける準備をすすめている。その準備過程では付け焼き刃的にではあろうがこれに近いような対応が求められていく。それだけでも大変なのに、この盛岡病院はまだ医療評価機構の認定は受けていない。病院独自の考え方でやっているようである。

 今春、大学病院を始めとして国立病院のほぼ全ては独立法人化した。いままでのような親方日の丸的発想は完全には無くなったわけではないだろうが、かなり厳しい運営が求められる様になり、各機関では患者を増やすために職員の応接応対の教育が盛んに行われていると聞いている。

 秋田市内の大規模な医療施設の投書内容を聞くと応接応対に関する苦情が何処でもトップらしい。われわれの病院もしかりであり、本年4-6月二ヶ月間の患者相談窓口への相談件数の約半数は職員の応接応対に対する苦情である。過去には高い評価を受けていた様に記憶するが、今では当院が早急に解決すべき重要な懸案事項の一つになっている。


8/17(火)雨 医師会打ち合わせ 医局カンファなし
1:30起床,家内はICU当直で不在。ラフマニノフのピアノ協奏曲2、3番、シュ-マンのヴァイオリンソナタを思いっきり大きくして聴きつつ、ドック判定・総括x1、紹介状、病院評価機構受審準備関連検討など。ネコと海苔を分けあった後、5:10病院着、6:30病棟へ。定期処方40数枚、回診等。9:00-13:30午前外来、後半予約外患者続き混雑.15:00県医師会書類チェック、夏期休暇で事務局は3人のみ残っていた。医局カンファなく、特定疾患関連書類処理数編、残務.20:30帰宅、夕食、21:00就眠。8/18は日帰り東京。

「五つの心をもって、挨拶し、人に優しい・限りなく優しい」 盛岡病院で絶句(1)
 8月15日、入院中の兄を見舞いに独立法人国立病院機構盛岡病院を訪れた。 正面玄関脇にはスタンド型の灰皿が2-3ヶあってその周りで入院患者が4-5人タバコを吸っていた。全館禁煙の対応策としてここに喫煙場所を設けているのだろう。正面玄関は休日なので施錠されていて開かない。患者の一人が「あちらの夜間出入り口からお入り下さい」と静かに、丁寧な言葉遣いで教えてくれ恐縮した。

 夜間出入り口には受付があって、日直業務であろう、20代の男女が書類を整理していた。来訪目的を尋ねられ、女性が机上のキーボードを叩きものの10秒ほどで病棟名病室が判明、すると男性職員が先に立ち「どうぞこちらへ・・・」と言う。新しい病院であり掲示板もしかりしていて迷うことはないので一応辞退したが、「私が案内します」と先に立ってを誘導してくれ、ナースセンター前では看護師に「◎◎さんにご面会の方です。宜しく・・」と伝えてくれた。戻ろうとした彼に、私は何故こんなに親切なのですか?、と問うたところ「ここは皆さんの病院です・・・」と半ば歯が浮くようなことを自然に、違和感なく答え、私は絶句した。
 面会時の注意を簡単に説明した後、看護師、これも20代、が「それではどうぞこちらに・・」と丁寧にベットサイドまで案内してくれた。

 呼吸器科病棟に入院中の兄の病状はそれほどでなさそうで安心、私はロビーに回ってみた。そこには、「運営方針−五つの心−」というパネルが掲げてあった。早速デジカメに記録し、今それを見ながら書いている。

 
  「運営方針−五つの心をもって挨拶し、人に優しい・限りなく優しい病院」
    「はい」という「素直な心」
    「ありがとう」という「感謝の心」
    「すみません」という「反省の心」
    「どういたしまして」という「謙虚な心」
    「させていただきます」という「奉仕の心」


8/16(月)晴れ 管理会議  初期研修マッチング  長副会議 
2:00起床。ドック総括x1。紹介状、書類2,3処理他、通常のパターンに戻る。5:20病院着.実質半日だけの休暇なのに、机上はカルテ、書類などの山になっている。6:30回診など。8:00管理会議、9:00-13:00午前外来、盆明けの混雑はまだ始まらない。14:00-15:00入院患者家族との面談、15:45-16:45初期研修マッチング2名、いずれも有能そうな若者。17:00-19:00長副会議。20:30帰宅。21:00就眠。多忙であった。
 
昨日
の享年と言う語句の使用は誤りでした 謹んで訂正させていただきます 
 昨日の徒然で叔父の年齢を「享年」90歳と書いてしまったが、まだお元気であり、この表現は甚だ失礼なこととなる。読んで戴いた方から指摘がありました。自ら無知を恥じ赤面の至りです。反省して訂正させていただきます。

本日はエルビス・プレスリー(享年42歳)の命日(1977)
 「享年」と言えば、私が強く興味を持っているアーティストの一人、エルヴィス・プレスリーは1935年1月8日に生まれ、1977年8月16日死去した。享年42歳であった。
 私が彼の何に興味を持つかというと、歌もさることながら、生い立ち、性格、死に様などの方向に、である。
 彼が生まれたミシシッピ州テュペロはアメリカ南部の貧困地帯である。父親も祖父もこれといった定職のない人達であったとされる。一家が1948年テネシー州メンフィスに転居、低所得者向け市営住宅に入居した。エルヴィスは専門学校卒業後クラウン電機のトラック運転手になり生活を支えていた。子供のころの食事は貧しく、そのころ食べたポテトサラダと、スライスバナナをはさんだピーナッツバター・サンドイッチが彼の生涯の好物だったと言う事は有名である。

 10代の彼は不潔恐怖症で、自分専用ののナイフとフォークを持ち歩いていたなど常人と異なるところを垣間見ることが出来る。また、強度の不安神経症でもあり、彼は表舞台では情熱を全身で表現出来る、飛び抜けた才能を有する不世出の歌手・芸術家であったが、常に歌詞を覚えられない、大きな失敗をするのではないかとの恐怖を抱いている事を周囲の親しい友人に漏らしている。
 彼の後半生はデメロールなどの睡眠薬、覚せい剤、鎮痛剤、ビタミン剤などの薬物依存症だった。
 死ぬ前の7年間に彼は実に千回以上の講演をおこなっている。平均35回/月で、移動を考えると寝る暇も無い位で、ワーカホリック状態だった。逃避と陶酔の世界だったのであろうが、結果的に精神的にも破綻を来たし、過食に走り、過労と肥満、重度の糖尿病のために死去している。

 私の中学、高校の頃の大スターである。今でも時折CDとかで彼の歌を聴く。しかし、彼の映像を見るとき、歌は聴いていない。彼は今一体どんな心境なのか、この舞台が終わったときに何を考えたのか・・・そちらの方に興味が湧いて、彼の表情をじっと見てしまう。


8/15(日)岩手雨のち曇り→秋田晴  南花巻温泉郷→花巻市内→盛岡→秋田
3:00ホテル「渡り」にて起床、ドック総括x1、紹介状返事、そのほか諸々、いつものパターン。 7:30朝食、9:30娘夫婦は一路横浜に発つ.10:00-12:00花巻市内若干見学。何処に行っても賢治・賢治・・。結局賢治の行きつけの蕎麦屋「Bush」(藪屋のこと)にて昼食と蕎麦購入。13:00盛岡の叔父宅に。父の弟で享年90歳とのこと。予想より元気。14:30独立法人病院機構(変な名称だね)盛岡病院入院中の兄を見舞う。こちらも事前の情報よりはいい状態。15:30秋田に向かう。途中から患者急変で家内の携帯頻回に鳴る。急ぎ病院に送り届けて18:30帰宅。残務少々、若干微睡む。家内帰宅で22:00夕食、22:30就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (14)
 秋田からの帰路、繋ぎに寄って一晩過ごし、翌日宮古に戻り、私は翌翌日から通常勤務が始まった。宮古病院の近くにある一軒建ての宿舎が割り当てられての実質的同居生活、振り返ってみれば新婚生活といわれる時期である。

 最初の数日は秋田や盛岡の互いの実家から送られた布団や着物などの荷物等の整理が大変であった。義母はそれなりに和服とかを仕立てて持たせてくれるなど、細やかな配慮をしてくれたようであるが、タンス等の家財道具は落ち着いてからその地で購入すると言うことでまだ一切揃っていなかった。台所用品は家内が学生時代に使っていたものをそのまま使用、今の生活から見れば、所謂、鍋一つ、釜一つの生活からのスタートに近かった様なものである。だから最初の一月ほどは生活用品の買い集めから始まった。
 それなりのステレオ装置はあったが、タンスなど所謂家財道具など一切無く、大概段ボール箱などで間に合わせで済んだの男一人の独身生活と異なり、家庭生活には実にいろいろなものが必要なものだと感心する一方、幼少の頃から若い女性が身近にいなかったと言うこともあり、化粧品の瓶一つ一つを始めとして、何から何まで私自身にとっては物珍しいものばかり、従来からとは全く異質の別世界での生活が始まった様なものである。
 その内、和洋タンス、食卓・・等が揃い一応形の上では通常の生活に落ち着くことが出来た。
 4月1日から家内も宮古病院の内科医として勤務が始まった。
 何でも好き勝手に出来た独身生活の時と異なり、人一人がいつも身近にいると言うことは相手に対していろいろ気配りも必要で、如何に大変なことかと解った時期でもある。


8/14(土)雨のち晴れ 週休日   繋ぎ→江岸寺→花巻
3:00「四季亭」で起床。いつもの如く仕事進める。ドック総括x1、紹介状とか若干。朝方、激しく降雨、本日の墓参りが思いやられたが一時的。8:00朝食。10:30出発、いつも通る近道通行止めで大きく遠回りして12;00江岸寺着。気づかなかったが今年は母親の27回忌にあたっていた。墓前の読経、本堂での読経、住職との歓談等で2時間ほどと、ゆっくり過ごす。14;30本家挨拶、こちらも失念していたが初盆であった。花月堂にて落ち合い一路花巻に。花巻温泉にはバラ園入場。全国的にも珍しいバラ園とのこと。更に南下、南花巻温泉郷に。ここは子供の時よく来た志戸平温泉の近く。ホテル「渡り」にチェックイン、宿泊。18;20夕食、20:30就眠。

墓前で家族が揃わなかった今年の墓参り 母の27回忌
 昨日から二日半の予定で墓参り等のために秋田を留守にしている。年に一回、この時期の盛岡市の隣町にある菩提寺への墓参は私共家族、兄の家族に根付いて来た行事である。それぞれに都合があり、全員が揃うことはまず無いが、7-8人は集まっていた。今年は我が家の長男次男共に仕事の関係で来れず、兄も体調を崩して入院中とか、従って今年は娘夫婦と4人のみでの墓参となった。ここ30年ほどのなかで最も少なかったが、徐々にこうなっていくのだろう。

 寺に行ってから解ったが、今年は母親の27回忌に中っていた。予想だにしておらずまたポカをやってしまった。私は実は、祖父母、両親の何周忌目とかの行事は一切行っていない。年に一度この時期にそれなりの読経をお願いするだけ。そんな感覚の人間である。実に親不孝な、先祖軽視・・とも思う。しかし、盆に、自発的に墓前に関係者が揃い、集う。このことこそ最高の供養だ、これで良いのだと私は信じて疑わない。
 ご先祖、両親など、私の場合はネコもそのメンバーの一人なのだが、私の記憶と心の中では亡くなった頃の面影のまま生きている。日常生活の中で、特に脈絡もなく、折に付けてそっと想い出す事は決して少なくない、その時、心の中でそっと対話する、それで充分。自分以外にとってはどうなのか、考えたことも確認したこともない。だから、自発的に集まってくるか否かだけ、それだけで良い。
 私は一応、家系上の代表者となっている。だから、時に親戚筋から何周忌の法要とかの連絡をいただく。これが当たり前のことだと思っているから、社会通念上の立場から、万難を排して出る。しかし、必ずしも心は伴っていない。だから、私は、家族の何周忌に中っていようと、誰にも声をかけない。

 秋の息吹は、早朝にはもう2-3週間も前から感じていたが、私の大好きな夏は盆の墓参りをもって終わりを遂げる。今年の夏は暑かったが、例年以上に短かった。


8/13(金)曇り、夏期有給休暇半日 秋田→繋温泉
1:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、5:20i病院着、6:15病棟回診、休暇中の申し送りなど準備。8:10救急カンファ、外来無し、10:00病棟処置、二日間留守の指示書などチェック、11:30帰宅、Vn練習。14:00娘夫婦と車二台にて一路繋ぎ温泉へ。17;00予約の「四季亭」着。昨年宿泊したホテル「紫苑」は何か営業上のごたごたが在ったという噂である。入浴、夕食。21:00就寝。

繋ぎ温泉郷 ホテル「紫苑」倒産の噂はちがっていた
 毎年の墓参りを兼ねての家族小旅行ではここ数年繋ぎ温泉に宿泊している。今年も同様で、娘の希望にてホテル「四季亭」に宿泊している。静かな朝、一人起き出してマックのキーボードをたたいている。時間がゆったりと流れる良い朝である。家にいる時と物理的にはなんにも変わっていないのに、朝ってこんなに静かで時間が豊かだったのか、と改めて感じ時間の流れを楽しんでいる。

 昨年はホテル「紫苑」に宿泊した。私自身「紫苑」は今まで3回宿泊した様に記憶する。宿泊の度にサービスも良く、満足感は大きかったが、一方ではその度毎に繋ぎという立地条件、地域の知名度を考えると規模が大きすぎるような気がしてならなかった。詳細は知り得ないが、昨年暮れから今春にかけて秋田の方にも経営上の何かがあってホテル「紫苑」営業を停止したらしい、という噂が聞こえていた。実際には、会社更生法は出しているものの、債権者の問題とか、何とか懸案はうまく整理されたらしく通常に営業されているという。

 私が子供の頃から感じてきたイメージは、盛岡近郊にある繋ぎ温泉や鶯宿温泉は寂れた小さな温泉郷であった。それが、新幹線開通と共に急速に発展した盛岡近郊のリゾート地として中央からの資本が流れ一気に近代化した。
 右肩上がりの日本経済のなかで作られた施設、急成長した施設の多くは今ありようが問われている。各施設単独でだけでなく、地域として広告活動、集客活動しているのだろうか。それとは別に各施設毎には時代の移り変わりをよく読み、時には先取りして手を打つ、その視点が経営には絶対的に必要なものだと思う。特に規模が大きい施設ほど読みと対策が重要なのだと思う。雫石スキー場しかり、安比スキー場もまたしかり・・・である、などといろいろ考えてしまった。

盛岡/つなぎ温泉/御所湖畔‥紫苑


8/12(木)晴れ 院内サービス向上委員会
1:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、自己免疫性疾患経過報告書x3処理など。自由人家内は5:00帰宅。大丈夫かね、本当に。5:20Taxi病院着、6:15病棟回診、8:10救急カンファ、9:00-13:00外来、13:30ドック診察x2、14:00医師面接。16:00-17:30院内サービス向上委員会。机上業務、20:00帰宅、長女の婿殿横浜から到着、夕食、21:00就寝。

エネルギー不足は世界の脅威 異常気象、産油国の内憂など
 エネルギー不足は勿論、中国の消費量の増加のみではない。イラク問題も含め、サウジアラビアとかの中東では政治的不安も尽きない。最近はサウジの石油施設を標的にしたテロも増える傾向にあるようだ。OPECの主要国であり埋蔵量、輸出量ともに世界第一位である同国の王政体制についての情報は多くはないが、そろそろ危うくなりつつあるようだ。あの忌まわしい9.11同時多発テロの実行犯のかなりのメンバーがサウジ出身だと解ったとき、私は心底驚き、サウジの政治事情について多少の勉強をしてみたものだ。

 ロシアはサウジと同規模の原油輸出国で、外貨収入のかなりの部分を占めているが、石油大手ユーコス社が最近大がかりな脱税事件を起こし、その事後処理やゴタゴタから、原油輸出がストップする不安が台頭している。同社はロシアの原油生産の約20%を担っているとされるから、現実となればその世界エネルギー市場に及ぼす影響は計りしれない。

 異常気象もエネルギー消費増大の一因となる。日本でも各地の平均気温が過去最高記録を塗り替え、エネルギー消費は高水葬を維持している。一方、記録的な集中豪雨が各地で生じるなどと異常だが、異常気象は世界的な現象となっている。中国北部や米国は干ばつで穀物生産への影響が懸念され、昨年猛暑で多数の死者を出した欧州は、今年は一転して冷夏となっている。バングラディシュでは国土の1/3が水没するという大洪水に見舞われ、首都ダッカは壊滅的で100数十万人が避難生活を送っている等々、枚挙にいとまがない。

 日本では夏が暑ければ、冬は寒くなる場合が多い。世界的エネルギー需要増の一方で上記の如くの供給不安があることから、今冬の灯油事情は、もしかすれば大変になるかもしれない。


8/11(水)晴れ 県医師会理事会+郡市医師会長協議会+納涼会
2:00起床。ドック判定総括x1. 総括・紹介状etc処理、5:20Taxi病院着.6:30回診、その他、重篤者1名。8:10救急カンファ、9:00-13:00外来.予約患者中心に混雑.16:00県医師会理事会+郡市医師会長協議会+納涼会.20:20帰宅.21:00就眠。

驚く中国の急成長 世界の脅威、だが内憂は尽きないはず
 実感はないとは言うものの、発表される経済的な指標は確かに上向きのようで、わが国の景気は何とか上向きになったと政府関係者はいう。しかし、最近、国際的に原油価格が急上昇して来ており、この高値の状態が続けばわが国の景気回復の傾向、希望は泡と消えうる状況になるだろうと予想されている。わが国の経済は如何に脆い状態にあるか解るというもの。 政府は内憂として出生率のますますの低下、後期高齢者増加に悩み、外患としては国際的経済の動向を見て悩み、中東の政治不安に悩んでいる。

 世界的エネルギ不足の第一の原因は13億の人口を擁し、世界経済を強力に牽引している中国の急速な発展だとみなされている。あまりの景気の過熱ぶりに、中国政府は主要業種への融資を規制するなど抑制策を行っているが、その効果も薄れ、再び生産部門の上昇傾向が強まっている。中でも石油需要の伸びは驚くばかりで、今年1-6月の原油輸入量は、何と前年同期比40.3%増の5600万トンだという。こんな急成長の速度、規模は世界の経済歴史上類を見ない、はずである。 これでも全然需要を賄い切れていないらしく、上海の電力不足からも明らか。上海市政府は、市内の工場に7-8月中に1週間休業することを義務づけた。上海の観光スポットでは、名物のライトアップができずに観光収入に大きな影響が出ているとのこと。また、猛暑でエアコンの売上げが大幅に増えていることが、電力不足にさらに拍車をかける形となっている。 また、モータリゼーションが進行しているのもエネルギー不足の一因。中国の自動車生産量が前年比13%増で、500万台を突破すると予想している。今、中国は世界第4位の自動車生産国であるが、意外と知られていない。

 中国のこの様な急速な成長は、何れ必ず新たな国内問題を醸し出してくると私は思う。その最大の問題は政治不安、個人の人権の目覚めによる民主化要求である。今、中国政府の指導陣はこの経済の急速な成長におののき、如何にして体制維持を図るべきか、真剣に考えていることだろう


8/10(火)快晴→仙台雨→秋田快晴 県感染症サーベイランス評価委員会(欠) 東北医連理事代表者合同会議 
1:30起床,ドック判定総括x1. 書類処理、5:15病院着.6:30回診、出張時申し送り他、8:10救急カンファ.9:00-11:30外来.入院1名。病棟重症患者家族と面談、12:30病院発、12:59こまち,15:28仙台着、15:30-17:00仙台ホテルで東北医連理事代表者打合せ会議、17:38仙台発こまち、19:58秋田着、20:15帰宅。こまち、和田駅で15分停車で遅れあり。函館吉田さん一家4人来訪。夕食、ドック処理x1、21;20就眠。こまちではモーツアルト他聴きながら購入した本をよう読み、よう寝た。

産経新聞のコラム「from」の「もっと尊敬しょうよ」を読んで(2)
 医療が建前論だけ、筋論だけで行われるとしたら殺伐としたものになり、患者は不幸に陥る。実際の医療現場では決してそんなことはなく、良い意味で良い人間関係の中で営まれている。だから、これだけの患者が医療機関を訪れ、利用しているのだ。診察室では暖かい言葉が交わされ、時に笑いが交わされ、診察室を出るときには患者の不安も軽減し、笑顔すら見られるのだ。

 医師と患者の関係から距離を置いて実情を知らない人達が、この建前論を展開する。
 患者の家族は、かつては患者とほぼ同じ立場であった。古い日本的家族関係の柵の結果としても、医療の面で患者と利害関係が共通し、患者と共に医療現場の中に一緒に居たから、医療の問題点、医療関係者の働きを目の当たりにしていた。そのことはいろいろの良い意味での生老病死についての自然の体感教育の場になっていたし、医療現場の問題点すらも肌で感じて貰えたものであり、われわれと共に悩んだものでもある。

 極論を言えば、かつては患者家族は医療における良い理解者であり、仲間でもあった。それが、医療の変遷、家族関係の変遷などを背景にすっかり様変わりしてきている。患者家族はわれわれ医療関係者にとって、時には対立関係になり易い難しい間柄になってしまった。その第一のルーツは、患者及びその受けている医療との距離感なのだと。国の方針上、病院の医療はアメリカナイズされ、家族による看護は出来なくなった。これを機会に医療における患者家族との関係が大きく様変わりしていった様に私には思えてならない。

 医療現場から距離を置き始めた患者家族は、出てくる結果だけからしか判断出来なくなって、過程のない原因と結果の2点からの話の展開であり、かつ、生老病死についての感覚・知識の欠如と、医療と医療機関に対する過度の期待感、幻想である。
 患者の知識や感覚の育成の背景にはマスコミの報道姿勢の問題点が大きい。かつ、医療関係者の対話不足の問題もある。


8/9(月)晴れ 管理会議 秋大眼科医局長と面談 長副会議
1:00起床、ドック判定総括x1.退院患者総括、紹介状他,5:10病院着.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-14;00外来。14:40秋大眼科教室へ打合せ。16:30-18:20長副会議。19:50帰宅、20:30就眠。

産経新聞のコラム「from」の「もっと尊敬しょうよ」を読んで(1)
 5月8日の産経新聞のコラム欄「from」に大谷由里子氏(人材活性プロデューサー)の「もっと尊敬しょうよ」という文が掲載されている。家族の方が事故で救命救急センターに入院、そこで真撃に医療に携わる人々の姿、ひたむきさに接し「いつからマスコミは医療人を叩くことが仕事になったんだろう」と疑問を呈し、更に、医療過誤を声を大にして言うジャーナリストに「一度救命救急センターに張り付いて見ろと言いたい」と提言している。

 有り難い提言である。私はここに引用した短い文章の中にだけでも多くの問題点が表現され、提起されている。大きく3点にまとめれば以下の如くだと思う。
 ●一般の方が医療の現場に接することがないのに初めからある種の悪しきイメージを抱いている。
 ●ジャーナリストは医療の現場を知らずに医療バッシングをしている。 
 ●医療者側も自らの働き、実情、苦悩をもっと外にアピールすべきだ。
と言う風に読みとれる。私はこの3点からだけでも言いたいことが次々と沸いてくる。

 これらの3点は互いに濃厚にリンクしている。
 この中で浮かび上がって来るのは、厚労省・政府の医療に関する一方的押しつけ姿勢、医師の資質、医師と医師会の関係、医療機関・医療関係者の弱腰、興味本位のマスコミ、医師会の広報活動のありかた・・・と言いたいことは尽きる事無く沸いてくる。

 この数年、医療関連の批判記事が新聞に載らない日はない。医療訴訟も鰻登りに増えている。医療訴訟に関連して昨年までに2-3回にわたって秋田地方裁判所が主催して裁判所、弁護士、各会の代表医師が集まって意見交換する会があった。私も医師会の立場で出席した。裁判所内部の見学、模擬裁判見学、弁護士達の意見等からいろいろ勉強になったが、意見交換の際にある若手の女性弁護士から「この種の会合は、医師・弁護士・裁判官の関係において事件の判断に悪しき影響を与えうるから安易に開催すべきでない・・」という趣旨の発言があり、誰からも反対の意見も出ず、唖然としたことがある。こんな視点で医療関係の懸案事項が処理されているのかと思い、思わず気持が暗くなった。建前論だけ、筋論だけでわれわれの仕事を評価しようとしているのか??、本音は不快、の一言である。


8/8(日)快晴 病棟拘束 FF Tennis 
1:00リハビリ当直室にて起床、ドック判定総括x1,総括紹介状新聞一週間分整理など種々.リハ自体は対応0件、十分仕事が出来たし本も読めた。7:15検食、8:30中通病院へ、8:45救急カンファ、対象患者なく9:30帰宅。10:00-13:00 梅林園にてFF Tennis、8-6、2-6と引き分け。1セット目は1-5から何とか逆転。最期は炎天下で私どもの方が戦意喪失、終了とした。最近は完全に押され気味出引き分けがせいぜい。帰宅後業務若干、16:00-17:00午睡。Vn etcの他。家内は夏期休暇とのことだが、相変わらず受け持ち患者の対応におわれている。外食、21:00就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (13)
 式は正午頃から始められた。
 寺の本堂で通常の葬儀と大差ないレイアウトの中で進められた。私は一応羽織袴を着込み、二代は和装で、正面の祭壇の前に住職が座り、その後に用意された椅子の座った。通常聴くのとは些か異なっているようであったが、何の意味か理解出来ない読経を聴き、住職の説法を聴いたあと、誓いの言葉なるものを手渡され読み上げた。その後若干の読経があり、式は終了したが、打合せも特になく全てがぶっつけ本番で随分緊張した。渡された誓いの言葉なるものはそれほど難しいものではなかったが、仏教用語が所々に配されており、意味が十分解らないまま、冷や汗を書きながら、何とか読み上げた。

 その後、本荘市の代表的な料亭である新山閣に移動、出席者全員で会食をした。
 更に、盛岡から参加の両親、兄夫婦、伯父夫婦、秋田の親族の何人かはそのまま新山閣に宿泊し、夜まで親好を暖め、翌朝それぞれ帰路に就いた。こんなところは小規模の会の良いところであった。
 私どもは秋田の二代の家で若干歓談後、午後の列車で盛岡に向かい、途中、盛岡近郊にある繋温泉郷で一泊した。翌火曜日から勤務に就いたように思う。特に新婚旅行など予定はしなかったが、途中での繋温泉郷での宿泊はそれに相当するのだろう。
 
やがて時がたち、住職も死去、新山閣も火災で焼失した。私の両親、義父母共に死去し、子供達も独立した。年に一回、盆の頃、家族全員が墓参りに集まるのが我が家の習慣になっているが、その際、繋温泉郷に一泊することが多い。今年は長男・次男はそれぞれ事情があって集まれないと言うが、娘夫婦とわれわれ夫婦で同様の予定を組んでいる。また数日後に当時を懐かしむ日が訪れる。 


8/7(土)快晴  リハビリ当直 
2:00起床。ドック判定総括x1他。5:30病院着、6:30回診、8:45救急カンファ。9:00ドック説明x2。主治医意見書等。10:30-12:30外来。総括・紹介状その他多数処理。17:00リハビリ病院当直へ。20:00就眠。

動物の免疫の勉強を若干してみた  フグ毒について無知を恥じる
 一部のフグが猛毒を持つということはよく知られている。本日、たまたま動物の免疫能に関する文献を読んでいたらフグ毒がフグ自身の免疫能に役立っているらしいとの記載に遭遇した。 フグは外敵から身を守るために毒を持ち、かつ、フグ自身が体内で毒を合成しているもんだとずっと思ってきたが、フグ毒は食物連鎖による蓄積結果だということは今日まで全く知らなかった。

 フグ毒のテトロドトキシンは青酸カリの1000倍もの毒性を持つとされ、熱でも分解せず解毒剤もなく、わずかな量でも人間を死に至らしめる。フグ毒の生成過程は未だ解明されていない部分が多いが、海底近くにテトロドトキシンを作り出す海洋細菌がいて、それらの細菌を食べる小動物から始まる食物連鎖によって最終的にフグの体内で濃縮され肝臓や卵巣に蓄えられるらしい。
 だからこの毒を持っているのは、フグ以外の魚にもいるし、フグでも種類や採集地域によっても 大きな差がある。だから、フグを水槽で毒のない餌で飼育すれば無毒のフグになる。しかし、実際の養殖は海に網の囲いをしたり、湾内を仕切って養殖している。その場合、海水の流れの変化などで多少は毒化する可能性はないのだろうか。

 養殖フグと天然フグとを同じ生け簀に入ると、養殖フグが天然フグに襲いかかり結果的に養殖フグが毒を持つようになると言う。フグは敵に襲われそうになった時に大きく膨らむが、この時テトロドトキシンを放出するというし、フグ毒は主に寄生虫付着による魚病の予防にも濃厚に関連しているとのことである。養殖の無毒フグを2群にわけ、一方に毒素を与えると体内にトキシンが蓄積されると共に免疫力が増強し、毒を与えなかった群に比較して生存率が明らかに高くなったと言う。

 人間にとってはフグ毒はフグを食料として考えるから不都合な物質であるが、フグにとっては生存に必須な生体防衛物質だという事になる。だから、人間の英知と都合で無毒のフグを作り出すと言うことはフグにとっては大変に迷惑なことであり、生存を脅かされる大変な問題である。同じ仲間である有毒の天然フグ達を襲ってまでも、テトロドトキシンを身にまとうことは彼らにとっては生きるために絶対に必要なことなのだろう。

   
私にとってフグ料理など高級すぎて、出された時などついびびってしまう。だから関心もなかったが、食材としての価値を高めるために無毒フグの作成などフグの本場では大がかりに試みられているのを知って心底驚いてしまった。今日は自分の無知を恥じ入ったが、同時に、人が自然の生態系に此処まで手を付けて本当に良いのだろうか。

※研修医諸君へ更新しました※


8/6(金)雨→曇り 竿灯祭り三日目  県医師会打ち合わせ 法人理事会
1:20起床、寝苦しく寝不足感あり。ドック判定総括x1.退院時総括中心に紹介状3件ほど.5:20車で病院着、事務処理、6:30回診他。8:10救急カンファ。主治医意見書等処理10:30-12:50外来。退院総括,15:00病棟処置,退院患者紹介状など。15:30県医師会打ち合わせ。17:30法人理事会,21;00帰宅。21:30就眠.

竿燈まつり最終日  使わなかった本日の桟敷席〔2000円〕の招待券
 竿灯祭り最終日。全4日間の行程が本日で終了。昨日の雨も祭りの演技終了後に降り出したから特に影響は受けなかったようだ。
 早朝5:00頃の出勤時には、多分宿泊した観光客であろう、高齢の夫婦と思われる二人連れがそれぞれディバッグを背負って、地図と思われる紙を片手に千秋公園や町中を散歩している。これは良い風景。午後、
15:30県医師会に向かったが、全国各地の色とりどりの大型バスが道をふさぎ、渋滞した。マア、やむを得ない。お陰で一眠り出来たよ。21:00の帰宅時、会場近くの交差点は大勢の歩行者であふれ、歩行者信号が赤になってもなかなか途切れず車がスムーズに動かない。これも、マア、やむを得ない。秋田の重要な風物詩だから、我慢我慢。

 秋田市にとって観光竿灯は経済効果も決して小さくない。平成12年度より「秋田竿燈まつり」も決算額が1億円を超えた、とのこと。殆どが会場設営のための経費とのことであるが、警備のための支出がかなり占めるようになってきているらしい。

 竿灯の歴史を資料で見れば、真夏の病魔や邪気を払う行事として宝暦年間には原型が出来ていたと言われる。文献的には、津村淙庵の紀行文「雪の降る道」(1789)に、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されている。その中に、「長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩く」と記されている(県立公文書館蔵「風俗問状答」)。
 今日夕方、横浜在住の長女が帰省し友人と一緒に竿灯を見に行ったが、佐竹市長が通常の開会の挨拶のあと、「Ladies and gentl emen,・・・・」と流暢に挨拶したと言うから、竿灯も国際化に向けて様変わりした様だ。チケットは彼女が友人から戴いたものだが実際は会場脇のビルの屋上から観たという。なかなか良かったらしい。

 蛇足ながら、エベント等で竿燈を呼ぶと、場所、人数によって違いはあるが1本30万円らしい。実際は最低3本からで、差し手が1本につき5人なので交通費、宿泊費、謝礼、竿燈の運送料、お囃子も連れていくと目が飛び出そう。結局来て観る方が安いことになる。


8/5(木)快晴→深夜帯に大雨 竿灯祭り三日目    対策委員会
 1:30起床。ドック判定総括x1。入院患者退院総括ほか。5:10バイク病院着、事務処理回診他。8:10救急カンファ。9:00-13:30外来。対策委員会文章改訂作業。17:00-18:00対策委員会。20:30帰宅.21:00就眠。多忙に過ごした一日。

異常気象?
・寝苦しい夜    涼風の吹く早朝、私の心はもう秋 寂しくなってきた
 今年はエルニーニョ様現象があるとのことらしく日本でも異常気象が続いている。新潟地方を襲った集中豪雨、台風の上陸数の増加、中国大陸からの黄砂など、が目立つ。数年前は冷夏であったが、今年は日本国中が猛暑に襲われて、気象台観測史上でも最高に近い猛暑の日々が続いている。
 気象庁によれば「異常気象とは、一般には過去に経験した気候状態から大きく外れた気象を意味し、台風や低気圧に伴う大雨や強風などの数日程度の激しい現象から、干ばつや日照不足など数ヵ月程度の現象が含まれる。また、それぞれの地点で過去30年間に観測されなかったような値を観測した場合」としている。この定義も最近では崩れてきている様だ。異常気象とは本来、数十年に1回発生する様な異常な気象状態であるが、あまりにも頻回となれば何をもって異常とするのか、もう古くからの定義は合わなくなっている。 地球温暖化と関連して天候は今後更に不安定になっていくのかもしれない。

 ここ10日間ほど夜間暑く、とても寝苦しい。私どもの居室にはクーラーなど近代的器機は無いから、扇風機を弱く回して寝ている。1:00-2:00amに起き出すのだがシーツなどぐっしょりで、何か寝足りない様な感じが付きまとう。
 それでも私は夏が好きだ。特に真夏の太陽と炎天下、それにこの熱さが好きだ。本音は何時までもこの暑さが続いて欲しいくらいだ。

 ところが、ここ数日、4:00-5:00am頃、急速に外気温が低下する様になって来た。起床時頃までの暑さが急速にひいていく。網戸から吹き込む風はひんやりと冷えてきた。私は真夏の間は腰にバスタオルを巻いた状態で机に向かうが、ここ数日、冷えた身体を風呂で暖めたり、シャツを着たり、いろいろやってしのいでいる。

 この早朝の気温の低下、秋の訪れそのものである。もう夏も終わりかと思うと無性に寂しい。今年も随分短かったな、と思ってしまう。勿論、日中はまだまだ暫く炎暑を楽しめる。しかし、早朝のこの涼しさを一旦味わうともう駄目。心はもう既に秋を迎えている。私にとって右肩上がりに暑くなっていくこの2ヶ月間は最高に良い季節でとても好きだ。 早朝に起きだして仕事をするようになってから、また早朝にバイクや自転車で出勤するようになってから、一層季節の移ろいが早く感じるようになってきた。
 今朝も急に降り始めた雨のせいもあるのだが、早朝の冷えを強く感じてしまった。往く夏を惜しんでいる今日このごろ、ちょっと寂しい気分。


8/4(水)快晴 竿灯祭り二日目 療養病棟医療評価受審説明会
1:30起床。ドック判定総括x1、 紹介状返事x1.他。5:20バイク病院着.回診。8:10救急カンファ。9:00-13:00外来。13:45-14:15療養病棟看護師対象に医療評価受審説明会。各種書類他処理.暫く手が付けられなかった評価機構の作業に再着手。20:00重症患者回診、20:40帰宅。21:00就眠。

秋田市女医会 小川宏氏の講演「うつ病を克服、自殺未遂、見舞客」(2)
 小川氏は長島さんとの交流をはじめ、長い間のアナウンサー時代の体験等も面白く語った。ただ、やはり氏も高齢期にあり、言語は時に不明瞭、論旨の組み立てにももろさが見られた。話す職業の方の老化というのは特に現実の厳しさを現してしまうようだ。この辺は聴く側で、聴き方の工夫、配慮をしてあげなければならない。

 
鬱病にかかった切っ掛け身内の裏切り、金銭的な困窮、奥さんに対する自責の念だったと言う。9年余りのこの病気とのつき合い方、生活なども語った。
 鬱病は治療で必ず治るが、勝手な判断で薬を止めると再発する、周囲の人達の励ましはもっとも辛いことの一つ。一番良いのは「見て、見ぬ振り」。頑張れと言われても、自分の意志では何ともならない状況、それが鬱と言うものだといっていた。マア、この辺は常識的範囲だが、闘病した本人の口から直接聞くことは良いことだと感じた。

 中では、自らの鉄道自殺未遂の朝の行動を詳しく話してくれた部分は圧巻的であり、傾聴に値した。本人でなければ解らない、葛藤、逡巡、挫折、虚脱、後悔、自責・・・の心境を語った、迫力があった。実行しなくて、出来なくてよかったですね。

 一方では、「見舞い」は寧ろ迷惑?でお金だけ送って、病室には来てくれないのが最も良い、と言っていたが、これは私の意見と同じ。理由や方向は全然違うのだが、結果は同じで共感した。私は殆ど病床に見舞いには行かない。特に、社会的なつき合い、仕事上つきあいの間柄の人には、端から非常識だ、と言われるほど、行かない。
 理由の第一は見舞いに行くべきほど親しい関係者がそれほど居ないこと、仕事上のつきあいはその範囲で限定していること、とかが理由。だから他人の私的なことなど先ず知らないし興味もない。知り合いの、患者としての様子や姿も私は知りたくないし、見たくもないし、聞きたくもない。それから病室の雰囲気が絶対的に嫌、特に女性患者の部屋には仕事以外のことでは特に訪問したくない。入院中の方々には廊下で偶然会うのが一番良い。その範囲だけで私にとっては十分。
 そうは言いながら、実は母親の時を含め、親族の入院の際にもあまり行かなかったものだから間接的にはいろいろ聞こえてきたりした。が、基本的には私は今後もあまり行かないだろう。

 こんな私でも仕事の場合は100%割り切って逡巡もなく病室に入って行けるから不思議だ。むしろ何故プライベートにはこんなに忌避するのか、私自身にも解らない。

 小川さん、今後もお身体をお大事に。

UTU-NET 「うつ」を克服した小川宏さんの体験 >>


8/3(火)晴れ 竿灯祭り初日 医療評価受審委員会 医局会 県医師会委員会 
1:30起床、ここ一週間ほど猛暑にて寝苦しい。ドック判定総括x1、総括、紹介状返事。夜半過ぎに帰宅の家内も徹夜でTV、読書など。5:20病院着、回診、定期処方40数枚発行他。9:00-13:00外来、14:00-15:00病棟で入院患者家族等面談3組。16:00-17:40医療評価受審委員会。17:30-18:10医局会一部参加、中座。18:30-20:00医師会委員会、病院事務処理他21:00帰宅。21:20就眠。

秋田市女医会 小川宏氏の講演「うつ病を克服」(1)
 
7月31日16:30-18:10、秋田市メトロポリタンホテルで秋田市女医会が招聘した小川宏氏の講演会が開催された。この会の講演会は通常は非公開であるが、今回は会場の状況の許せる範囲で医師会員他の出席も出来るということで、私は当日朝、家内を通じて申し込み、許可を得て出席した。

 小川氏は1926年、東京都生まれだから現在78歳ほど。NHKに入社、福島、山形など赴任後、番組「ジェスチャー」の司会などで15年間の活躍後、フリーに。フジTV系の「小川宏ショー」は17年間,4000余回にわたり放送されたと言う。現在は、司会、講演、執筆業で活躍中だとのこと。

 女医会の司会者による紹介のあと登壇した小川氏は私が知っている彼とは似てもにつかぬ風貌であった。彼がNHKの現役であった30-40代の頃の顔は何度か見たことはあるが、以降、一度も見ていなかったということ。講演の論旨もあちこちに飛び、細かい単語を間違えているなど、うまく進むかな??と言う心配もしたほどである。歴史、時間の流れは厳しいものだし、老化というものの厳しい現実を目の当たりにした。

 小川氏が自ら鬱の闘病体験を語ったTV番組「徹子の部屋」の一部が平成13年に再放送された直後から、病気に対する問い合わせが殺到、鬱が理解されていないばかりか、世間から偏見で見られていることを実感し、一人でも多くの人に鬱のことを理解してもらうために講演や執筆活動を始めたと言う。最近うつ病闘病に関する著作を上梓したばかりという。

 氏は平成3年秋、鬱病に罹患、翌1月末には遺書を書き、3月には自殺未遂にまで至っている。自殺を試みた日は、早朝4時ごろ目覚めた氏は、家から5-6分のところにある踏み切りの前に立ったと言う。が、いざ決行しようとしたときに誰かの「自殺は愚かものの行為なり」という言葉が脳裡に思い浮かび、思いとどまったと言う。その日、家族に連れられ、某大学病院受診、即日入院、約3ヶ月の入院生活を送っている。


8/2(月)快晴 管理会議 県教育庁福利課関連講演「定年退職後の健康管理」(横手)長副会議 
1:00起床,蒸し暑い夜だが明け方は急速に冷えた。HDD判定総括x1。講演準備若干。5:20バイクにて病院着。事務処理,回診.8:00管理会議.外来11:]00迄。12:02こまち。大曲へ。迎えのタクシーにて横手セントラルH。14:00-15:30県教育庁福利課関連講演「定年退職後の健康管理」。タクシーにて大曲に、16:29こまち。17:20-19:00長副会議1時間遅れて参加。病棟処理20:30帰宅、21:00就眠。

県教育庁福利課関連講演「定年退職後の健康管理」(横手地区)
 県教育庁福利課関連講演「定年退職後の健康管理」はこの季節に県北、県中央、県南と3カ所で開催される。30年近く教職に就いていた方々の退職後の生活について経済的・社会的な面から、医療保険や福祉の面から、健康管理の面から講義を受けるものである。随分しっかりとフォローされるものだと感心する。
 「医者の常識、社会の非常識」という言葉があって医師は社会的には小馬鹿にされているが、同じく教師もそう言われているらしい。その面も含めての定年退職後の生活についてのノウハウを講義を聴く会である。考え様によっては、必要なことなのだ。

 その日の構成は、1)退職手当・年金について、2)知っておきたい税情報、3)退職後の医療保険制度、4)退職後の健康管理のポイント、と言うことになっている?9:00からホテルに缶詰状態で講義を聴く、受講者にとって大変な会でもある。特に、前二者の内容は時代とともに補償額が少なくなっていっているとのことで、該当する方々にとっては心安らかならざるものがあるのだという。しかしこの辺のことは一般にはそれほど知られていない。退職後の医療保険制度にも特別なコースが用意されているようであるが、その詳細は戴いた資料からはうかがい知ることは出来なかった。

 この様なハードな中で生活習慣病の予防法、高齢者の健康管理などのノウハウを話しても殆ど退屈されるであろうと思って若干は医療漫談的要素も加えて話すこととしている。昨年まで私は県中央だけで、県北・県南は各地域から講師が選ばれていたが、今年は県南分も受け持った。

 本来、教師は話すのが商売、私は聞くのが商売。それが逆さまなのが面白い組み合わせである。本日は約80名ほどの方々が出席された。90分の私の話を一人も寝るようなこともなく、熱心に聴いていただけた。私の方は大いに満足し帰途についた。
 帰りのこまちは夏休みの雰囲気の青少年中心に混雑していた。そういえば、今は夏休みの季節なんだね、と気づいた次第。


8/1(日)超快晴 猛暑  病棟拘束  FF tennis  
2:30起床、さすがに眠い。ドック判定総括x1。紹介状返事、退院総括等など。9:00病院に、9: 30-12:50 FF tennis。6-4,7-5、途中で家内が炎天、猛暑の中で戦意喪失し、引き分けとして終了。13: 30帰宅。風呂に入る前に脱いだウエアは汗で数100gは目方が増えていたと思う。Vn、業務処理、家中の古い文献など若干整理。16: 00-18:50病院、入院患者対応ほか。家族4人揃い外食。20:30就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (12)
結婚式を挙げる
 宮古の一年は仕事に遊びにと無我夢中で過ごしたが、二代さんとのおつき合いの方も期が熟し、一年目の終わりに近い3月19日に本荘市の蔵堅寺と言う曹洞宗の寺で仏式にて結婚式を挙げた。
 実際には、結婚式そのほかのことに関しては、まあこれが私にとっては自然の流れだろう、と考えて観念もし、ほぼ全てをお任せしたので日取りや場所などの話は二代さん及びそのご家族のペースで進められた。私は2.3の希望を述べただけであったが、その概要が提示されたときに、内心、何で仏式なんだ??とも思ったが、蔵堅寺には家内の姉が嫁いでいたという事情もあって選ばれたものであった。当日のスケジュールの一切は住職夫妻の配慮で勧められた。ご住職様には大変にお世話になった。

 私自身は次男という立場もあり、兄は長男として先ず立派に結婚式を挙げたし、また、私事で多くの方々に迷惑はかけられないとの配慮で式やその後の披露宴など、小規模で行いたいとの希望を出した。このことをめぐっては自分の両親との調整はかなり困難したが、後日盛岡で私どもの方の主だった親戚を中心に2回目の披露宴をすることを条件に何とか折り合いを付ける事が出来た。この辺になると、常日頃おとなしかった老父母、特に母親の説得には随分手こずった事を思い出す。二代さん側にもその配慮をして頂き、全体に小規模の会にしていただいた。

 そのようなことで、私の方からの出席者は両親と兄夫婦、親戚代表として伯父夫婦、友人代表として当時秋田で研修中であった大学の同級生一人だけに絞った。宮古関連者は移動も大変であるし、業務も多忙だし・・・と言うことで誰も来ていただかなかった。この辺は私の非常識さの表現であったんだな、と今になって思う。

 結婚式の前日午後迄勤務し、夕方列車で秋田に向かい、その夜遅く秋田のホテルに宿泊、当日朝、盛岡から着いた両親達と合流し列車で本荘市に向かった。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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