日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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12/31(火)(年末休暇三日日)寒波・曇 午前午後日直初日
1:00起床、Bach ビオラダガンバソナタ集など聴きつつ人間ドック処理x2、紹介状、総括など。7:50日直勤務で病院へ。道路は新雪がなかったが圧雪状態で車がまっすぐ進まない感じで危険を感じた。回診、拘束医業務、午前外来補助20名ほど、午後10名ほど。まだインフルエンザは少ない。19:00例年の行事となっている市内のあるホテルに集合、夕食、明朝まで病棟拘束なので、なめるほどしか口にしなかったが少量のビール+ワインで悪酔いの雰囲気。寝不足もあるか?21:00帰宅し、そのまま就寝。
2002年大晦日を迎えて 紅白見損なった話で締めくくる
今年は紅白歌合戦をついに完全に観そこなった。私にとって紅白歌合戦は年末年始の楽しみの一つとして結構重要な位置づけの番組であった。幼少の頃は家族で花札ゲームしながら、あるいはその側で高熱を発して伏せった状態で、ラジオで毎年聴きいていた。小学5年の時に我が家でTVを購入、当然そのころはモノクロであったが、当時は珍しかったので数年間はその時間帯だけ隣近所の老若男女も集まってきて大勢で観たものである。私はどちらかというとTV嫌いで年間を通じて求めてみる番組は殆ど無いが、最近に至るまでこの時間帯だけは、たとえ当直であっても、TVのある部屋で過ごし、それなりに楽しんで満足して来た。ただ、ここ10年ばかりは本当のところはさっぱり楽しめなくなっていた。出演歌手の多くは初めて見る顔であり、歌われる曲は聴いたこともない曲ばかりで皆目解らなくなって来たためである。そうなると壮大な演出があるだけ馬鹿騒ぎ番組にしか思えなくなってきていた。物心ついてから今までの数10年間欠かしたことのない、私にとってのささやかな年末行事は今日ついに頓挫したが、特別の感慨はない。・・・等とわざわざ書いているところをみれば、本音のところでは一抹の寂しさを感じているのだろう。
2002年も最期の日を迎えた。国際・国内的にいろいろあり、特に国際的にみて経済の低迷、とりわけわが国の経済の低迷が問題になった一年であったと思う。そのために若い人たちの社会参加の機会が乏しくなり、活力が失われている状況に接するのは辛い。秋田の経済状況はより一層厳しい。商店街の雰囲気も大きく変わった。
日本の医療界も大きく様変わりした。医療機関は冬を迎えつつある状況である。医療機関が冬だと言うことは国民も医療面で冬の時代を迎えたことを示している。更に更に、厳冬に向かいそうな状況である。この艱難の打破するためには、これからは治療医学の持つ素晴らしさの一面を強調するのみでなく、それ以上に重要な治療医学の限界と現実を医療提供側と国民とが共有し、主眼を予防医学に移すことと、生老病死に医療がどこまで介入すべきかを改めて考え直す事だと思っている。ここ数年の私の講演の趣旨は、その視点から後者に関するものが大部分を占めている。
この一年間、義母の死去も含めいろいろなことがあった。それでも、我が家を中心にすえてこの一年を概観すれば、今年もまた、略安泰であったとまとめたい。自分も含め、家内も子供達もおのおのの立場で精一杯,懸命に過ごした一年だったと評価できること、これは何にも代え難いと思う。欲を言えば、みんなにもう少し気持ちの上で余裕が欲しいものである。これは来年に期待しよう。
最期にこの一年間、私どもを支えてくださった皆様方に心から感謝します。本当に有り難うございました。
12/30(月)(年末休暇二日日)終日降雪
2:00起床、Karl Susuke演奏 J.S Bach Vn sonate,Partitas など聴きつつ人間ドック処理x3、総括などこなす。タイミング失い本日は病院に行かず、終日自宅で業務処理することにした。熱帯魚水槽3ヶ分水換え、降雪10cmほどあり、今期初めて除雪機にて除雪、Vnなど。午睡多少。15:00民放でOzawa Seiji/Saito Kinen Orchの今年8月松本市での第九の放映あり、久しぶりにじっくり堪能した。いつもながらのエネルギーみなぎる好演だったと思う。20:30就寝。.
明日から二日間日直。昨年は外来結構混雑し30名ほど診察手伝いしたが、今年はどうだろうか。
この一年 腕ずく解決策の横行、テロの報復
昨年9/11の、あの忌まわしい同時多発テロ事件に続き、本年は国際的にテロのニュースが続いた。力と力の対決が始まると、その力に格差があればあるだけ弱者はテロに走ることになる。懸念されていた大きな事件がやはり発生した。「仏タンカー爆破」、「モスクワの劇場占拠事件」、「バリ島」の爆破など枚挙にいとまがない。今日のニュースでもチェチェン共和国で新たなテロ事件が発生し80人ほどが犠牲になったと報じていた。
アフガニスタンではタリバン政権が崩壊したが、ビンラディン氏はまだ潜伏している模様だ。イラク問題は一層厳しい状態にある。イラクが国連の決議に従う方針を選択し国連の査察を受け入れたが、それでも一発触発の緊張度は決して緩んでいない。査察によって得られた情報、イラクが提供した情報にアメリカ側は満足していないようだが、何か決定的カードを握っているのだろうか。ブッシュの強攻策を理解するには私は情報不足でよく解らない。ブッシュを決して独走させてはならないとは思うが、さりとて、どうすればいいのだろうか。
北朝鮮問題は小泉首相の訪問をきっかけに大きな転機を迎えた。その変化は驚くばかりであった。拉致事件を認め謝罪した。5人を期限付きで日本に戻したが、その後の両国の対応によって新たな困難を迎えている。5人をそのまま日本に残す方針の選択にたいし、私は当初は疑問を感じたが今となっては良かったのかもしれない。彼ら5人は国家権力、政治の犠牲者である。しかし、マスコミの彼らの取り上げかたには疑問が残る。どうしてそっとしてあげられないのか?拉致事件が明らかになるまでまともに取り上げて来なかったことに対する反動か?
北朝鮮は濃縮ウラン製造計画、すなわち核武装も認めたがこれも驚きであった。しかも今、凍結していた開発を再度稼働しようとしている。これは国家としてのテロ行動に等しい。米国主導でここでも国際的に封じ込めに動くであろうが、その犠牲になり生活が更に困窮するでであろう一般民衆のことを考えるとやりきれない。日本は拉致事件という切り札を手にし、被害者を保護している。更に、隣国という地の利もある。これらを有効に用いてより良い方向に進むよう力を発揮すべきだが、政府の方針はまだ見えてこない。
国内でもいろいろなことがあった。追求してみたい事象が一杯あるが、通り一遍のことしか解らないままにして置かざるを得ず、私としては不満である。
12/29(日)晴れ-曇(年末休暇初日)
2:00起床、単品のCD多数聴きながら人間ドック処理x2、総括など淡々とこなす。 今年もまた人間ドック処理に追われた一年であった。が、来年は人間ドックから解放されそうな朗報もある。降雪2-3cm。病院7:30着、道路はアイスバーン状態。回診、机上業務。11:00帰宅。居間、風呂場のオーディオの改造、Vnなど。午睡多少。小千谷市から取り寄せた生そば味わう。20:30就寝。.
昨年は休宝寺の住職が死去し、本年は義母が死去。 昨年は長老朝比奈隆90歳、シノポリ54歳、スターン80歳・・と訃報が続いた。今年はギュンター・ワント90歳が亡くなった他には、著名な音楽家の訃報は少なかったような気がする。
自伝 中学時代(1958〜61)(4)
自転車通学で体力・忍耐力が付く。岩手中学学校中退への方向が芽生える
盛岡の岩手中学校へのバス通学は自分にとってとても耐え難いものであった。バスの定期券の切れるまでの3ヶ月間はひたすら忍耐し、夏頃から自転車通に切り替えた。周辺から盛岡の実業高校には男子学生達は結構盛岡まで自転車通学していたが、私は従来ひ弱だったのでそれほどの自信があるとは言えなかったので、当時珍しい内装3段ギア付きの自転車を買ってもらった。かなり高額であったがバスの定期券購入を考慮すれば何とかなると親を説得した。
自転車で盛岡に向かうには朝7時に家を出る必要があり、片道16Kmほどで私の体力では8時半ちょっと前頃に到着した。当時は乙部と盛岡の間の北上川には橋がなく、未舗装の県道を向かう方法と、途中で村営の「渡し船」で北上川を渡り国道4号線の舗装航路を盛岡に向かうコースがあった。「渡し船」は両岸に貼り渡した太いワイヤに沿って100mほど真横に川を横切るタイプで、増水時には勿論運行中止になるが、渇水時には船が底をつくために岸までつけず30cmほどの一本橋を自転車を担いで20mほど渡る必要があり、当時の自転車は重く大変であった。時に踏み外して膝まで水につかることもあった。 往路は遠くから船の状況を確認してそれほど待ち時間無く乗れそうなときは国道沿いに、そうでないときには県道をひたすら走った。帰路は大抵は国道沿いに戻ったが、希には渡しの担当者が何故か不在だったり、船の補修等で渡れなくなっていることもあり、そのときは再度盛岡に戻るか、更に10数Km南下して紫波村にかかっている橋を経由して戻るかしかなく、一日50Kmも走ったことも稀ではない。
自転車通は天候によって影響をバッチリ受けた。もっと辛いのは向かい風である。通常の倍の体力を必要とする事もあり、辛くて涙が出たこともあったし、一日中ボーっとして授業に身が入らないこともあった。追い風の時は、特に舗装されている国道沿いを帰るとき、何ら苦労なくすいすいと走れ超快適であった。雨は風さえなければそれほど大きな問題ではなかったが雨具を着用していても結果的には自分の汗でびしょ濡れになった。もう一つは寒さで、雪が降る12月から3月にかけてはやむなくバス通学した。
ひ弱だった私はこの自転車通学で体力が付き、忍耐力が着いた。更に自転車通学を通じて親しくなった矢巾村出身のN君との会話を通じて次第に進路変更、すなわち別の高校に進学するために岩手中学を中退する方向に私の気持ちが変わっていった。
今では立派な橋がかかっており、当時のことを知る人たちも少なくなっている。最近は年に一度だけ、墓参りの時この道を車で走るが、当時のことが想い出されて感無量になる。
12/28(土)曇時々晴れ・寒波ゆるむ 一応御用納め 散髪
2:00起床、Ricccardo Muti,Philharmonia Orch, Verdi 「Aida」、全曲、その他。人間ドック処理x2、総括。降雪5cm。道路はアイスバーン状態。病院5:30着、回診、患者は比較的安定。机上業務に集中、一段落。8:10人間ドック面会診察x5、9:00人間ドック結果説明x3、10:30-12:40外来、土曜にしてはやや混雑。14:30散髪、ぐっすり寝込んで迷惑かけた。頭が軽くなったが寒さが一層しみる。17:00帰宅。帰路の道路はシャーベット状態でわだちが出来てむしろ危険。19:30来客あり。お子さんのピアノとユーモレスク合わせる。21:30就寝。.年の瀬を無事迎えて思うこと
年の瀬とは何ともせわしないものです。変則的週休二日制の当院にとって、週休二日をとっていない私にとって、本日は今年最期の通常勤務日でしたが、人間ドック関連業務処理、入院・外来など、業務量は十二分にありました。まあ、忙しいことは良いことかもしれませんが、外来終了して部屋に戻ってみると未整理の人間ドックカルテやレントゲン、外来・入院関連の書類、看護学校の答案、産業医関連集計表などどっさり届いていました。各部門共に良い年末年始休暇を求めて駆け込みで仕事をまとめ上げたのでしょう。この一年間ご苦労様でした。
私には医師会、病院の委員会関連の未整理業務や懸案事項の整理も多く残っています。年明けの予約外来の状況を見ると地獄のような外来が予想されるだけに、この年末年始の数日が勝負所のようです。今年一年、希望と幸運に満たされた方もおられるでしょう。一方、家族、知人との別離、倒産、リストラや病気などの苦しみを経験された方、いろいろでしょう。人生とは悲喜交々、理不尽さはつきものです。そうは判っていても、やっぱりやり切れなさが残ります。
帰省される方は御両親への孝養を怠りませんように。無理ならばせめて長い電話をかけてあげたいものです。故郷の老いた御両親は、貴方の声を聞くだけで、喜びと安堵にひたる事でしょう。
国内でも、国際的にもいろいろな事件が生じています。どうか身の回りの、毎日の危機管理を怠りなく。
12/27(金)曇り 降雪 寒波 法人理事会
2:00起床、Ricccardo Muti,Philharmonia Orch, Verdi 「LA Traviata」全曲聴きつつ人間ドック処理x1、総括など。本日締め切りの医師会委員会内容原稿の校正急ぐ.降雪7-8cm。さらに横なぐりに吹雪。本来なら除雪必要だが除雪機準備まだ出来ていない。道路はアイスバーン状態。病院5:30着、回診、患者は比較的安定。机上業務に集中、締め切り原稿完成し送付、一段落。10:50-12:40外来、本日は混雑せず。17:30-18:30法人理事会。20:00帰宅。長女・長男・次男共に帰省していた21:30就寝。.サウジアラビア
石油で潤っているイメージのサウジには何故か明るい未来が見えてこない。昨年9月の同時多発テロのハイジャック犯15/19人はサウジの中層階級出身であった。人口1600万人の約半分は未成年で若い国だが、20-24才の失業率は28%。70-80年代初頭にかけて石油で大儀けした頃に比べると現在実質賃金は半分程度とさえ言われる。多くのハイジャック犯を生んだ背景はここにある。一般的なイメージと異なりサウジは決して豊かな国ではない。従業員20人以上の企業は、最低30%が自国民でなければいけないという計画を実施しようとしているが、それだけアフリカ、アジアからの出稼ぎ労働者が多い証拠でもある。彼らは実務能力にすぐれ、しかもサウジアラビア人の半分の給料で働くと評判は高いが、出稼ぎ労働者の本国への仕送りは年間160億ドルにも達すると推定されている。国民の中にも資産を海外移転させる者が少なくないとされるほど先行きの見通しは危機的状態らしい。国家収入の3/4を原油売却から得ている同国にとって原油相場高は最も歓迎するところであるが、もし米国とイラクとの軍事衝突があって相場が急騰しても一時的であるだけに、その後の反落はこの国にとって何を意味するのか、考えるだけ厳しい現実が迫ってくる。化石燃料は後半世紀しか持たないとされるが、石油成金国から今のうちに、出来るだけ早急に転換しなければならない。
ウーン、どこかの企業体に似ている様な気がするニュースだなァ・・。実感、実感。
12/26(木)寒波降雪吹雪 長副臨時打ち合わせ
2:00起床、Beethoven Missa Solemnis全曲繰り返し聴きつつ人間ドック処理x2、総括。県医師会、今朝〆切の病院関連作文を急ぐ。病院5:30着、回診。作文完成担当部署に送付.9:00-14:00外来、超混雑。午後はずっと机上業務。明日〆切の医師会作文2編取りかかる.外は雪らしい。病棟診療部会議は中止.20:00帰宅、21:30就寝。.
ちょっとしたことで生活が大きく変わる
2週間ほど前、ミニステレオを購入した.居間の仕事場では私の右肘に位置する所には古い横型のMac 7200が鎮座し私のメイン機種として連日大活躍していたが老齢化し、遂に2ヶ月ほど前に機能を失った.購入した中古のG4は縦型なので別の離れたところに置き、7200はしばらくCRT置き台として用いていたが、この場所に購入したミニステレオをはめ込んだ.
これはKENWOODのCDミニコンAvino VH-7を、SOTECのAFiNA AV付属用にOEM生産したものらしい。.発売当初は販売価格が5万円もしたようだがSOTECの売り方が悪かったのか殆ど売れなかったらしく、ネットで9800円で売られていた.小音量時は純A 級アンプで増幅する機構のほか、随所にいろいろな工夫も見られ、結構満足行く製品で気に入って使っている
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右肘のところでCD入れ替えから何でも出来るので実に重宝である.居間には別に2セットのステレオがあるが、双方とも操作がおっくうだし、耳とスピーカーとの間にある程度の距離があるので音量を上げざるを得ず、時間帯を考えれば気楽には用いられなかった.そのため深夜帯はポータブルラジオでNHK「ラジオ深夜便」を主に聴いていたが、この2週間ばかりはため込んだCDを、特に複数枚に収録されている大曲を中心に、次々と聴いている.2:00-5:30迄の早朝の仕事が更に一層楽しくなったし、病院から帰るときの車中で明朝は何を聴こうか考えるのも楽しい.
残り僅からしいが、このミニステレオは超買い得、お勧め品である.
VH7PC関連のサイト
http://outlet.sotec.co.jp/monitor/vh7pc.htm
http://arena.nikkeibp.co.jp/buy/spot/20021024/102504/
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20020326/saki55.htm
http://www.toride.com/~keitwo/op-vh7pc.htm
12/25(水)曇→雪数cm 県医師会委員会x2、理事会
2:00起床、人間ドック処理x2、総括など。本日の委員会内容検討そのほか.病院Taxiにて5:30着、回診。9:00-14:30外来、連休前で超混雑。15:30-16:30県医師会医事委員会、リクレーション関連打ち合わせ、16:30-18:20県医師会理事会。病院へ戻り業務。20:00帰宅。21:30S.自由時間殆どとれず、睡眠以外の9割以上働いていた事になる.
巷はクリスマス。リニアモーターにとっても記念すべき日
今から5年前の1997年12月24日、山梨県のりニアモーターカーの実験線で時速500Kmの驚異的なスピードが記録された。これは安定走行ために設定された実験で、数々の懸案を見事にクリアし、実用化に向けて大きく前進した記念すべき成果が得られた日である。
わが国でリニアモーターカーの研究が開始されたのは1962年から。JRが採用したリニアモーターカー方式は、原理的には磁石同志の反発力と吸引力を利用するものであることは共通だが、これに超伝導磁石を用いる超伝導タイプであることに特徴がある。車体は約10cm浮上し、走行中には周囲との摩擦が一切無く、500キロもの速度で運転が可能になる。
リニアモーターカーの利点はいくつかある。高さ1m程度の側壁をもつU字形の中を浮いて走行するが、レールがなく脱線・仙覆が起こらず、安全性か高い事である。このことはオリンピックでよく見ることの出来るボブスレーを想定すると理解しやすい。次に、経済性にも優れていること。超伝導磁石は一度一定量通電すると少ない追加で半永久的に高い磁力を維持することが出来るらしい。走行のガイドに用いられる電気量も少なく電気代金は今の新幹線などに比べて大幅に削減可能である。
では、運賃は??となるが、設備投資を考えると安くはならんだろうね。そして、風切り音は別にすれば車両とレール、架線とパンタグラフなど、従来の方式では必須な構造が無いために摩擦音が一切ないこと。これは、エンジン音の聞こえない超音速飛行機に近い状態である。摩擦部分は故障が多く、新幹線等の故障の大半を占めるが、それらに関するメンテナンスも不要である。
とはいっても500Kmという未知のスピードである。どのような事故を想定しなければならないか、磁気が与える人体及び精密機械、磁気カードなどへの影響は??・・などと、まだまだ検討すべき点は多いが一歩一歩実用に近づいているらしい。
秋田新幹線のノロノロ運転をどうにかならないか・・と考えているうちに夢を見てしまったようだ。
12/24(火)曇-晴れ 管理会議 総回診(欠)県医師会打ち合わせ(欠)
秋田県要介護者・障害者歯科医療対策委員会、 県医師会倫理委員会
2:00起床、バッハ無伴奏Vnパルティータ全曲聴きつつ人間ドック処理x3、退院総括、紹介状など。委員会報告書そのほか.病院5:30着、回診。8:00-8:45管理会議、9:00-14:30途中で人間ドック結果説明2名含めて外来、連休後で超混雑。15:00-17:10ふきみ会館秋田県要介護者・障害者歯科医療対策委員会。18:00-20:10県医師会倫理委員会、テーマは「医療の安全と医師の倫理」。病院へ戻り業務資料トランクに詰め込み21:00帰宅。21:30就寝。.
本「ヴァイオリンはやさしく音楽はむずかしい」ルイ・グレーラー著
先日アンサンブル用の楽譜を購入する際、たまたま目にとまった本。私にとっては不満だが、本の題名も面白いし、いろんな楽器を奏でている猫を中心とした可愛い動物のイラスト(雨田光弘)も多数あり、つい購入した。著者は「NBC交響楽団」「シンフォニーオブザエアー」のコンマス等を務めたあと1960年以降日本に住み「日フィル」「札響」のコンマスを始め各種の活動で多くの若手も育て上げた著名なVn奏者である。
この本は軽妙なタッチ、文体で淡々と語りかける。2-3時間もあれば読み切れる、読みやすい内容である。その中で多くを占めているのが多くの指揮者の逸話である。しかも、著者の時代、彼のキャリアからからみて最も濃密に語られているのはトスカニーニ、ワルター、カンテルリ・・・と、私が音楽に興味を持ち始めいろいろな資料を集めて貪るように読んでいた頃の名指揮者達、名器楽奏者達の逸話、がふんだんに盛り込まれていることである。特にトスカニーニとギド・カンテルリに関する部分の逸話は私が知っているどんな話より、よりリアルに、より人間的に彼が語られている。私は必ずしもトスカニーニの演奏を好むわけではないが、音楽に対する真摯な姿にはいつも心打たれるものがある。
すてきな挿絵を描いた雨田光弘氏は「日フィル」に長く属し現在フリーで室内楽等で活躍しているチェリストであるが、絵筆の世界でも異才を発揮している。一芸に秀でるだけでも大変なのに、世の中には多才な方がいるものだと感心する。
12/23(月)振り替え休日 晴れ 「休宝寺」一周忌法要
2:00起床、ベーム指揮「魔笛」全曲聴きつつ淡々と業務。日医の委員会報告書そのほか処理.病院8:30-10:30重症患者数名回診他、11:00-12:00「休宝寺」一周忌法要、12:30からH Daiwaにて会食、12:50緊急呼び出しにて病院へ。受け持ち患者死亡、残務処理と見送りし15:30帰宅。一時午睡とり残務処理、Vnなど。21:30就寝。
高嶋ちさ子Vnコンサート(2)
彼女は4歳でピアノを、Vnは小学1年からで、5年から徳永二男氏に師事、毎日8−9時間は練習したと言う。桐朋高校にやっと入学できたが、ここは天才児の集まりか?と衝撃を受け、大卒後も自信つかず更にイェール大学大学院に学んだと言う。実に向学心旺盛なヒトのようである。シリーズで開催しているコンサート「銀座めざましクラシックス」はアナウンサーの軽部氏とのトークセッションと毎回豪華なゲスト陣で人気が高く、チケット入手が困難なほどと言う。
演奏自体は正当で技術的にも高いと感じた。それ以上に感心したのは奏者としての主張がはっきりと演奏に表現されている事で、その演奏を聴いていて随所に新しい発見が出来た。「才能が無くて・・」と謙遜しているものの、性格的にも音楽的にもソロ奏者としての道があっているのだろうと思う。
彼女の辿っている道は、聴衆が楽しめるように編曲ものを前面に押し出すなど、従来かの演奏家の道として正当とは言えないだろうが、時代にそった新しい行き方の一つのように思える。演奏者として十分活動した後の変容は好意的にとらえられる事が多いが、日本の聴衆は若いうちから変わった活動をしている演奏家にはある種のレッテルを貼りつける傾向があり、技術や音楽性も含めたマイナスのイメージを作ってしまう。
実は私もそうだったわけだが、であればこそ機会があれば実際に聴いて見るべきだ、と思った次第である。編曲されていない「タイスの瞑想曲」、K525は実に良い演奏であった。
その意味で、美空ひばりの作品、演歌等をVnで見事に演奏している幸田聡子氏も実演を聴いてみたい演奏家の一人である。
12/22(日)冬至 快晴 アンサンブル
2:00W、人間ドック判定総括x2、今年の講演はすべて終了したのでしばらくは病院と医師会業務に集中できる。秋田医報にも書くべき報告が5編もたまっているし校正原稿も2編ほど届いた。病院の委員会関連のまとめもしなければならない。年末に向けてますます忙しくなりそう。手始めに10月の「全国公衆衛生担当理事連絡協議会」の報告書に着手。
客人のM嬢も今回はよく眠れたらしい。9:00朝食、その後はパート練習、FlのT医師を迎え10:30-15:50昼食を挟んでMozart談義、曲としてはMozart Fl quartet KV285b, KV285を楽しむ。合わせるたびに新鮮な喜びはあるが「音楽」になりきれず「音が苦」の部分も。それでも楽しいから不思議なもんだね。16:50M嬢を駅にお送りし病院へ。人間ドック資料作成他、重症化しつつある患者の家族に病状説明。回診他,20:30帰宅、21:00就寝。
昨年親戚の「休宝寺」住職死去、明日は一周忌法要。
自伝 中学時代(1958〜61)(3)
第二の挫折「正明の弟」
この岩手中学は中高一貫の私立校である。11歳違いの兄も同校で学んだが、そのことが終始私を悩まし続けた。同校は県内各地からは地元の中学では飽き足らないと考える、それなりの学生が集まっていたが、盛岡市内からは逆の立場で高校入試を受けなくとも良い学校としてとらえられ、そういった目的の学生が進学して来ていた。従って学生の質、学力もピンからキリまでで、全体的に見ればグレードとしてはそれほど高いものではなく、私にとっては必ずしも満足すべきものでなかった。
創立何年の歴史があったのなどは忘れたが、創立以来進学の面ではたいした成果をあげていないが、7-8年前、同校は記念すべき年を迎えた。東京大学、東北大学に各1名ずつ現役で送り出したのである。しかし、その後は続く学生は現れず、またばったりと途絶えていた。その記念すべき年の事は同校の到達目標として、ことあるごとくに書かれ、語られ、聞かされた。その時、東北大学に進んだのが兄の正明であった。
私立学校は教師のタンオーバーもほとんど無い。従って兄正明を教えた教師達の大部分は残っており、兄を直接教えた教師達にとっては私は「福田光之」ではなく、あくまでも「福田正明の弟」であった。(授業中、私に平手打ちをくらわせた英語教師はより若い世代である。) 入学して数日後、私一人だけが何故か教頭室に呼ばれた。そこで話されたのは、「正明の弟」として「学校では君に大きく期待している、・・・」と言うことであった。その時点では田舎から一人だけ同校に進学したので、友人もおらず不安もあった時期であり、むしろ目をかけてくれるだけ有り難いと感じたし、その期待に応えたいとの気持ちも沸いてきた。入学試験のことは知らされていなかったが、その後発表になる成績の範囲では石鳥谷出身のH君、市内出身のM君と時に順番が入れ替わることもあったが何とかトップを維持していた。そのためか一層期待されたらしく、それが雰囲気として伝わってくる。一方では、H君、M君の真の優秀さを垣間見て、間もなく両君には敵わなくなると言う予感がしていただけに、「正明の弟」として見られていることは私にとっては次第に大きな煩わしさ、プレッシャーに変わっていった。
12/21(土)曇り 講演「高齢者の在宅医療」 アンサンブル
2:00W、人間ドック判定総括x1、講演準備は4:30終了し配付資料も作成、5:50病院着。人間ドック資料作成他、ICU患者見舞い。回診他,8:10人間ドックx5面会診察.10:00-12:30講演「高齢者の在宅医療」KK「虹の街」従業員研修会.長丁場であったが最後まで熱心に聴いてくれた.これで本年の講演はすべて終了。13:00病院に戻り、回診、事務処理。15:00来客ありアンサンブル、19:30までduo . Spring+小品、夕食後どっと疲れが出て21:00就寝。
高嶋ちさ子Vnコンサート(1)
めざましクラシックス in 秋田(高嶋ちさ子Vnコンサート)を聴いた.Vnの高嶋ちさ子は時折TVのトーク番組にも出ていると言うし、秋田でのチケットも発売早々売り切れたとのこと.秋田のコンサートでは滅多にないことである。Vn演奏以上に何かが期待されているのであろう。従って、人気先行型の音楽的にはそれほどで無かろうと、当初は無視していたが、前に湯沢とか盛岡で聴いた方の推薦もあり、AKT事業部からチケットを購入した。最期の数枚だったらしい。このため病棟の忘年会は参加できなかったが、先約だったからやむを得ない。
ピアノとのduoかなと思ったがピアノ五重奏+ボーカルとしての編成で、第一部はG線上のアリア、K525、Kanon、Tchaikoメドレー、タイスの瞑想曲、Vn協奏曲メドレー。翌日の講演のために後ろ髪引かれつつここまでで私は帰宅した。
高嶋は遠目には痩身で実にスタイルの良い美人に見えた.曲の合間には彼女のトークもあったが、声はどちらかというとだみ声に近い。トークは確かに面白く、人気が高いのも頷けた。
http://www2.cyberoz.net/city/chisa/jindex.html (写真引用:公式ページより)
12/20(金)曇 県医師会打ち合わせ 南中合唱部ミニコンサート 対策委員会 病棟忘年会(欠) めざましクラシックス in 秋田(高嶋ちさ子)
2:00W、人間ドック判定総括x1、再検査結果報告他,講演準備他、5:20病院着。人間ドック配付資料作成他、ICU患者見舞い。回診他,10:30-14:20外来+人間ドック結果x1。15:00-16:00県医師会打ち合わせ、16:15-17:30南中合唱部が病院外来ロビーでミニコンサート開催。全国レベルの高度の合唱を途中まで堪能。17:30-18:20対策委員会。19:00-20:00めざましクラシックスin秋田(高嶋ちさ子Vn コンサート)途中まで堪能。20:30帰宅、21:30就寝。
お勧めの本 長沼雄峰著「偏屈医者の落書き帳」 (ウーン、先を越された)
2ヶ月ほど前に病院医局秘書室に私宛に書籍が一冊届いていた。また誰かの自費出版らしい。最近は自費出版が盛んで年に数冊-10冊ほどが送られてくる。通常は「フーン、あの人も書いたか・・・」と感心はするもののパラパラとめくる程度で「機会あったら、後でゆっくり・・」と書架の一隅に鎮座する。が、今回は著者を見て驚いた。元秋田組合総合病院小児科科長の長沼雄峰氏の著書である。私は医師になてから間もなく家内を通じてその名を聴き、また、我が家の3人の子供達の主治医として、その後は医師会活動を通じて、特に秋田県医師会50年誌編纂では編纂委員会委員長を務めていただいたのでよく知っている。表題にもあるように自称偏屈医者といっているが誰から見ても十分に偏屈医師である。私も本当は長沼氏のごとく偏屈な性格は有しているが、同時に存在するバランス感覚でそれが発揮できず、忸怩たる思いで暮らしている。その意味では長沼氏は私にとっては羨望的存在である。
内容は一言で言えば「何事があっても決して譲ることの出来ない自身の医師としての良心を語る」と言うことになろう。読み続けるにつれ、彼の行動の、発言のルーツのいくつかをうかがい知ることが出来た。方々に宝のような言葉が出てくる。フンフン、納得納得!!!。要するに長沼氏と私はかなり共通のところがあるようだ。
本人は自費出版のつもりであったらしいが出版社の薦めで市販されることになったという。先日書籍のカタログを見ていたら何と日野原氏の著書と同列に扱われていた。それだけの内容があるから当然でもある。感心のある方には是非読んでいただきたい。フローラル出版1500円である。
「クソッ、やられた!!!・・・」が、私の偽らざる本音である。
偏屈医者の落書き帳―これだけは言っておきたい!(在庫僅少だそうです)
ISBN:493083144X
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9976269161
12/19(木)曇 医局会(欠) 病院見学 病棟再編成委員会
2:00W、人間ドック判定総括x1、再検査結果報告他,講演準備他、5:50病院着。人間ドック配付資料作成他、回診他,9:00-13:00外来混雑。人間ドック面会結果説明キャンセル。14:00-15:30病院見学に。そのため医局会は欠席。16:00-17:20病棟再編成委員会.外来患者の緊急手術あり、手術室に。20:30帰宅。21:00就寝。
米国の篤志家のはなし。 西友の払い戻し事件を想い出した
米国の話。クレジットの支払い(2万ドル)が出来なくなって、ネットで寄付を募ったところ11000ドルを越えるお金が集ったと言うミニニュースがある会社の広報誌に載っていた。「あなたには何の得もありません。ただ私を助けてくれたら、将来ほかの人があなたを助けてくれることになると信じています」と、正直に見返りのないことを訴えたことが奏功し、損得とは別の、純粋な好意が寄せられたのであろう。確かに米国は寄付とか募金に対する考え方はわが国とは異なる土壌があるようだ。それにしてもネット上に掲載された見ず知らずのヒトに何かしらのお金と提供するモノ好きもいるものだ、といたく感心した。これがマスコミに報じられれば米国でなくともマネをする者は出るだろう。しかし、日本ではこんな事でお金が集まるなんてまず考えられないように思える。
このニュースを読んで、逆に、レシートも確認しないで食肉代金を払い戻し、合計5千万円ほども支払った9月頃の西友の「食肉代金払い戻し事件」を想い出した。これが文化土壌の違いなのだろうか。
12/18(水)曇時々晴れ 臨時対策委員会
2:00W、人間ドック判定総括x1他,講演準備他、いつもの如く、5:50病院着。人間ドック配付資料作成他、回診他,9:00-13:30外来超混雑。人間ドック面会結果説明x3。18:00-17:00臨時対策委員会.20:30帰宅。
昨年の今頃、道路が鏡の如くで一寸した傾斜で横滑りして危険、との記載。今年は先の寒波の後は再び温暖な日々で道路脇の雪もほぼ消失した。
静かな殺し屋「糖尿病」もエイズに匹敵する文明病。
人間ドック(人間ドック)担当の立場から無視できないのは肥満と耐糖能異常者の多さであり、自覚症状が無く病識も欠いているために生活指導しても効果が乏しい。一日の中で人間ドックに費やされる時間が決して少なくないだけに毎日空しい気持ちにさせられる。
アジア地域はエイズと同様、糖尿病の多発地帯である。この地域焦点を当てて眺めてみる。今、アジアで糖尿病罹患者が実に多い。世界的に見て患者数のワースト5カ国をあげればそのうち4つをアジアが占める。インド3300万人、中国2300万人、米国1500万人、パキスタン90万人、そして日本は700万人。人口比からは日本が最も多い。世界で1億7000万人いて、アジア全体で8900万人と約半分が占め、2025年にはこれが1億人にも達すると予想されている。
アジアの糖尿病罹患者の増加速度には驚かされる。1990年には1.2%しかいなかったジャカルタでは2000年には12%。ベトナムの都市部ではまだ5%以下とは言うものの5年前の3倍に急増している。タイでも全体では4.8%であるが、都市部では7%にはねあがる。都会でのライフスタイル、特にハンバーガーなどのファ-ストフードを口にするようになり、更に運動不足になっていることが原因であるのはどこの国でも同じ。
因みにワシントンのワールド・ウォッチは世界の肥満人口が2000年には史上初めて栄養失調の人口を上回ったと報告している。
何故アジアでこれだけ多いのか??これは飢餓の歴史と関連し、身体は飢餓に耐える機構は十分に準備されているものの、歴史上経験のない「飽食、運動不足」に対しては全く無防備状態になっているため、と思う。
日本の状況は幸い異なっているが、上記内容の「糖尿病」を「エイズ」に置き換えても論旨が成り立つのが恐い。
12/17(火)総回診 医師会打ち合わせ 医局カンファ(欠)
2:00W、人間ドック判定総括x2他,講演準備,他いつもの如く、5:50Tax病院着。人間ドック配付資料作成x2他、回診.8:10-8:40人間ドック面会診察x5他,9:00-13:30外来超混雑。人間ドック面会結果説明x3他。15:00-総回診に合流、7A終了間際であった。16:00-17:00医師会打ち合わせ、20:20帰宅.21:30就寝。
寒い盛岡。新潟、宮古、秋田は暖かい。地球上ではどこが一番寒いのか?
一週間ほど前国内が寒波に襲われた。秋田も冷えたとは言えたかだか氷点下4-5度であった。私は盛岡近郊で育った。他の土地で暮らして感じたのは盛岡はダントツに寒かったと言うことである。私の経験では氷点下15度というのがある。当時は部屋も大きく暖房もちゃちであったが、それなりに順応して暮らしていたのだと今は思う。高校生の頃、部屋で石油ストーブを焚いても室温が氷点下5度ということもあった。こたつに入り、冷たい手は中途まで暖めた電気ポットでに掌をつけて暖めたものだった。
人間の居住区の気温を調べてみた。最も寒いのは、旧ソ連のシベリア北部にあるヤクート自治共和国のベルホヤンスク、およびオイミャコンで共に最低気温氷点下67.8度を記録している。両都市とも人口2000人以下の小都市で住民は主とLて鉱業や牧畜業などに従事している。ヤクート自治共和国は東シベリアの北緯約55度以北から北極圏まで延ぴており面積は日本の約10倍だが、人口は664000人と少ない。コケなど地衣類でおおわれた荒涼としたツンドラと、まばらで低いカラマツなどの林が果てしなく続く単調な地帯だと言う。ここでは冬の平均気温がつねに氷点下50度以下。シベリア高気圧の影響下にあり、風が弱くて天気もよく、放射冷却現象で冷えるからだと言う。
ここで思いをはせるのは戦争直後のシベリア抑留である。暖房もなく食料もろくに与えられない厳しい状況の中で多くの日本人が亡くなった。その過酷な生活の実体の一部は書籍で知ることが出来たが、そこには極端な寒がりである私には想像すら出来ない世界があった。
12/16(月)曇・雨 管理会議 長副会議 秋田県医療関係団体連絡協議会
2:00W、人間ドック判定総括x2他,講演準備,他いつもの如く、5:50病院着。人間ドック配付資料作成x2他、回診.8:00-8:45管理会議.9:00-13:30外来超混雑。年末年始のあおりが出始めている。飛び込みの懸案含め院内業務処理。16:00-17:45長副会議。18:00-20:00秋田県医療関係団体連絡協議会、懇親会中座し帰宅.20:30就寝。
感染性廃棄物中間処理場見学 アウシュビッツの焼却炉を想い出す
医療廃棄物には多くの危険物が含まれる。血液等に汚染された感染性廃棄物となれば尚更であり、その適正な処理は医療関係者の責務である。県医師会ではこれらが適正に処理されるように医療廃棄物検討委員会立ち上げ、調査や検討を進めている。昨日の日曜日は委員会として秋田市向浜と合川にある中間処理会社を訪問、医療廃棄物、感染性廃棄物の処理の現場を見学してきた。処理場のうち、前者は一般産業廃棄物も扱い、後者は医療廃棄物専用の処理場である。その立場からの処理方法に多少の違いはあったが、処理場に届けられた廃棄物はまず適正に処理されている様に思えた。
消却に関する環境基準はこの12月から一層厳しくなったが、両者はクリアしダイオキシンの発生などは基準を大幅に下回っている。設備を概観すると実際に燃焼している消却釜部分は20%ほどでしかなく、他の多くは焼却時に発生する煙から有害物質、有形物質を取り除く大規模な装置の他、排気の急速冷却によってダイオキシン再合成を防止する装置などが占めており、実際に排気されるのは大部分はクリーンな排気と水蒸気だという。大変な投資が必要であったとのことである。
この焼却設備見学の間中、2年前に訪れたポーランドのアウシュビッツの焼却炉ことが想い出されてならなかった。ここでは数万人の罪のない人々が次々と殺害され焼却された。昨日大型の焼却炉の中で燃えさかる火を見ながら、あの日、ガス室やあの焼却炉の前で受けた衝撃が私の中で再燃したが、この後もしばらくは燃え続けるであろう。その意味でも見学の意義は十分にあったと思う。
12/15(日)曇・時々晴れ 感染性廃棄物中間処理場見学
2:30リハビリ当直室W.人間ドック判定総括x2他、新聞スクラップ数日分。7:15検食、あらかじめ承認得ており7:30病院に移動、人間ドック配付資料作成、回診他。9:30-16:30県医師会医療廃棄物委員会の業務として感染性廃棄物中間処理場見学。向浜SU開発KK、合川環境KKへ。「一見は百聞にしかず」であった。ジャンボタクシーに6人乗車し全行程150Kmほどか、空間が広く車酔いもせず快適であった.17:00帰宅。机上仕事進める。21:00就寝。自伝 中学時代(1958〜61)(2)
英語教師に平手打ちを食らう
入学間もないころ、疲れ果てていたこともあろう、英語の時間にうっかり欠伸したところ若い教師と目がバッチリ合ってしまった。席は一番後列であったが教師は私に立つように命じ、つかつかと寄ってきて何も言わずに思い切り右頬を平手打ちした。彼の表情から何かはあるな、と予想してはいたが、とっさに避けようとした私の動きに教師の平手打ちの力も加わって反対側の頭部を激しく木製の扉に撃ちつけた。要するに2倍痛かった。
そのとき迄、私自身は親からですら直接殴られた経験はなく大きなショックを受けた。確かに授業中に欠伸をした私は悪かったと思うが、何故あれほど殴られなければならなかったのか、自分では未だに解らない。恐らく、たまたま他のことで教師の虫の居場所が悪かったのであろうとしか言えない。この時の出来事も一つの因子となり、2年後私はこの中学を中退することになる。その間の2年間はこの教師の授業があったが、教師と一度も目を合わせることなく徹底して無視し続けた。一方、この教師を見返すために成績を上げることが一番と考え、英語は特に力を入れて勉強したために常に成績は良かった。そのために教師の方からいろいろ話しかけられたが、常に最小限の返答のみで済まし続けた。教師にとってもからりストレスであったらしい事は後に担任から聞かされ、私は溜飲を下げた。
私のしつこさは既にこの時期には出来上がっていたらしい
12/14(土)晴れ・寒波やや緩む リハビリ当直 風呂改修1年
2:30W、人間ドック判定総括x2他,本年最後の講演の準備開始,他いつもの如く、5:50病院着.新雪はない.人間ドック配付資料作成x2他、回診.8:10人間ドック診察x5.9:00人間ドック説明x4、4人はさすがにストレス.10:30外来12:30 まで。13:30-15:00入院患者家族と面会。14:30帰宅、居間のパソコン周辺整理.16:30リハビリ病院にパソコン+周辺機器+ポータブルステレオなど持参で引っ越し.パソコンがZipを認識せず不便した.19:00夕食、新聞数日分処理、他21:00就寝。.
昨年,風呂改修工事終了し,この一年私の入浴習慣が一変した.
道路公団改革の政府民営化推進委員会.紛糾したことに興味
政府の道路公団の民営化推進委員会はもめにもめて最終報告を多数決で決め,委員長が辞任する事態にまで発展した.道路四公団は今まで採算性を考慮せず借金しながら道路を造り続けてきたので40兆円ほどの債務を抱えることになり破綻は明らかで,今までのあり方は続けられない.小泉首相がこの道路公団問題に手をつけたのも当然で,私は評価している.今までの政府や歴代の首相は何をしていたのか,そちらが問われないのはおかしい.この委員会の責務はこの問題点にメスを入れること.形の上では改革の方法が示されたものの,実際には紛糾した事の方が目立ってしまった.国民には内容はろくに伝わっていないと思う.首相が特殊法人改革の柱に位置づける道路四公団改革は、実のところまだまだ道は遠い.
一方、厚労省関連の委員会の実体に関しては,内容的に目立たないために新聞等で取り上げられることはほとんどない.日医の委員会に出席していると厚労省の委員会の実体を知ることが出来る.今までの委員会は「先に結論あり」で委員はその結論に沿った人物が厚労省から人選される.日医からも委員は必ず出るが審議内容に関しては常に多勢に無勢,多数決の前には歯が立たない.抗議のために席を立った事もあるが、マスコミにはたたかれた.少なくとも医療・福祉の分野の委員会で日本医師会側の主張が正当に通じてたことはない.
その視点で見た場合,今回の公団の民営化推進委員会の有り様はとても良かったと思う.ただ,この様な内容が多数決で無理矢理一本化したことが良かったかについては何とも言えない.両論併記で最終的には政治の場に持ち込まれるのも一方法であったと思う.
12/13(金)降雪寒波4日目 県医打ち合わせ(欠) 県身体障害者認定関連委員会(欠) 法人理事会
2:00W、人間ドック判定総括x2他、紹介状返事、主治医意見書など。新雪10cmほど、後ろ髪引かれつつ除雪せずに5:40に病院着、道路は圧雪状態.医局は寒い。人間ドック配付資料作成、回診他。患者関連書類作成、10:30-13:00外来.受付時間終了後に来院した紹介患者対応のために間欠的に17:00まで対応。そのために県医打ち合わせ、県身体障害者認定関連委員会双方を欠席する羽目になった。可能な限り対応するとしてきた私自身の外来業務のあり方を考えなければならない。17:30-19:00法人理事会、人間ドック、外来・入院患者の書類作成.21:00帰宅、車の上には約6-7cm、3日間置きっぱなしのレガシーには30cmの積雪.今晩もまた降るかな?23:00就寝。
秋田新幹線「こまち」は新幹線扱いされていない 悔しいね
東北新幹線が八戸まで延長され2週間が経過した。まさか雪で線路が滑っているわけでなかろうがJR東日本は順調な滑り出しで喜んでいる様である。開業間近に日本の新幹線網と称する地図が頻回に新聞等に登場したが、そこには無惨にも秋田、山形新幹線は記載されていない。整備新幹線は新幹線扱いを受けていないのだ。地元の我々から見れば何とも寂しい.
確かに広軌化されたとしても(国際的に見ればこれでも広軌でなく標準規格)、在来線線路脇を走っているから新幹線規格にははまらず、在来線の基準で考えなければならないから高速は出せない.時速300Kmもだせる「こまち」がなぜ田沢湖線、奥羽本線をのろのろ走るのか?一部には地形上の問題もあるが、これは危険だから出せないのではなく、「制動距離が600m以下」と言う在来線の規格に抵触するからであって、如何に高速で走れる能力を備えていても時速120Km以内でしか走れないのだ.ウーン、残念.最近成田エクスプレスなどは130-140Kmで運行しているが、これはブレーキ性能が高まったからである.
「こまち」をもっと早くするには緊急ブレーキ時に逆噴射装置等の補助装置を開発するしかないみたいだ.
だから、「こまち」とは何ぞや、との問いには「秋田から乗り換え無しで東北新幹線に乗り入れることの出来る在来列車」と言うべきなのだ.整備新幹線を選択したのは断腸の決断だったかもしれないが、経済的に余裕がない本県にとって次善の策であったが、良い選択であったのかもしれない.正規の規格の新幹線建設を望んでも実質的に不可能であったことは青森県の今回の巨額の負担額を見ればわかる.青森県は文字通り青くなっている.
12/12(木)降雪寒波3日目 祖父耕陽命日
2:00W、人間ドック判定総括x2他、紹介状返事、入院総括など。5:40病院着、道路は圧雪状態+新雪数cm.人間ドック配付資料作成、回診他。9:00-13:30外来、混雑.久しぶりに対外的予定のない一日.14:00患者家族面会.外来・入院患者の書類など作成.それでも終日種々対応に追われ実に多忙な日であった.20:00帰宅、車の上には約6-7cmの積雪.今晩も降るか21:30就寝。
昨年マックPB5300CSの1台目が、HDクリーンアップ中に寿命が尽きた.PB165Cに続き2台目.
冬支度する前に寒波と雪が来た!! 外国ではエルニーニョ現象
12/10から全国的に寒波に襲われている.秋田も最低気温は氷点下2-3度、初の冠雪状態である.そのため朝夕の車の掘り出し等、結構大変である.今年はいつになく私の冬支度が遅れている.車のタイヤ交換だけは早めに進めておいて良かった.今最も困っているのは除雪機の用意ができていないこと.先週の土日はそのつもりで予定していたのだが土曜は熱帯魚の水槽の汚れが進み魚たちの生命の危機が迫っていたのでそちらを優先した.夕方からは当直、肝腎の日曜は急性上気道炎のために終日体調不良で出来なかった.今朝程度の雪なら早朝自宅の敷地内と狭い道路数10mを除雪してから出勤するのだがやらないまま出てきたので何となく後ろ髪引かれる思いがしている.今週の週末もリハビリ当直や医師会の業務で産業廃棄物最終処理場の見学などあって時間がない.日本の今年の冬の気象はどうなるのかと心配している.
気象のことと言えば、世界各地で異常気象が報告され、農業等への影響が心配されている.エルニーニョ現象の被害を最も激しく受けているのはオーストラリアか??。同国は綿花輸出は世界で3位。6月末までの綿花年度の収穫は干ばつのため65%減が予想され、米作も70%減。一部地域では飲用水不足も懸念されている。小麦の輸出も世界で3位だが、これも今年の輸出が約半分になりそう。エルニーニョは来年の4月まで消滅しそうにないと予測されており破産する農家も出てきそうだと言う。本年5月には今年の経済成長率が3.75%との予測だったのが、3%に下方修正されたのは農産物の大幅な減産の影響という。
日本の食料自給率は極端に低い.全世界の気象とかの影響をもろに受ける.食糧政策には一考を要すると感じている.
12/11(水)降雪厳しい寒波到来 県医師会常任理事会+忘年会 中通総合病院年末大交流会(欠)
昨日から厳しい寒波、積雪10cmほど。2:00W、人間ドック判定総括x2他、紹介状返事x2、入院総括x1。5:40病院着、道路は本年初の圧雪状態。プリメーラのタイヤ新規購入したがロックしない範囲での制動力駆動力は十分であった。進歩を実感した.朝食として昨夜のMC弁当いただく。10数個無駄になっており実に勿体ない。人間ドック配付資料作成、回診他。9:00-13:30外来、混雑他、16:45県医師会常任理事会。17:30-20:00県医常任と事務局の忘年会。これは宴会嫌いの私にとっては唯一の忘年会となる。オレンジジュースで腹一杯。20:30帰宅、21:00就寝。.
人工的に操作されているインドの男女比、忌まわしいことだ。
一般的に子供の男女比は女子が若干多いと私はそう思い続けていたが、最近はそうではないらしく、その過程に医療が関与していると言われる状況だけに黙っては居られない。
地域別に人口の性比を見た場合に不思議なほど均衡が取れているが、南アジア地域は特別に女子が少なく男女比は100:94だとのこと。女子が絶対数としては7400万人少ないが、そのうちの5000万人はインドなのだそうだ。昨年の人口調査によると、インドのある州では6才以下の子供の男女比が男子の1000人に対して女子が820人、実に18%も少なかった。
インドでは結婚に際し、花嫁側は自分達の生活レベルからすれば目が回るような超高額の持参金を用意しなくてはならない風習があるため、女児が生まれた場合、悲観した親が赤子を殺してしまう例もあったようだ。しかし、これだけで男女比にこれほどの不均衡が生じることはないであろう。
原因は医療と教育水準が高くなって来たことにある、と考えられている。この国でも胎児の性別が判るようになり、女と判った段階で中絶するようになって来ているからだ、と言う。識字率の低さが問題になっているインドだが、教育水準の高い都会人ほど、出産前検査を悪用するケースが多いらしい。
インドは相変わらず男尊社会であるが、男性にとってパートナー探しが困難になり、最近では男性側が支度金を容易してまで花嫁を探しまわらねばならない状態にまで至っているそうだ。
こんなところで医療が関与しているのは残念なことである.
12/10(火)寒波・降雪 総回診(欠)
医師会打ち合わせ 県医療的ケア連絡協議会 広報委員会+AKT preview
2:00W、人間ドック判定総括x2他、紹介状返事x4、入院総括x1。5:40病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。8:10人間ドック診察x5。9:00-13:30外来、混雑.13:30人間ドック説明x2他、14:00皮膚科受診。14:15県医師会打ち合わせ。15:00-17:00県医療的ケア実践検討委員会。18:30-19:50広報委員会+AKT preview 。20:30帰宅、21:30就寝。終日種々対応に追われ実に多忙な日であった.
埼玉 愛生会のHP
先日知人から「すごい病院のホームページがある」と教えられて下記のURLのサイトへ行ってみた。とてもまじめと思えないがこんな発想もあるんだね
http://www.aiseikai.or.jp/
(注意1:このページを見るときは部屋を明るくして離れて見てください)
(注意2:BGMがなりますので音量を絞ってください)
12/9(月)管理会議 長副会議
2:30起床.咳そう、発熱、嗄声。人間ドック判定総括x2.秋田医報の最終校正に追われる。7割完成。5:30県医師会館に届けるも守衛起きておらず不可。人間ドック配付資料作成、昨日の新入院3名含めて回診。8:00管理会議。9:00-12:30外来、いつもより患者数少なめで助かった。pmは秋田医報の最終校正の残り分急ぎ完成、出版に間に合った。次いで長副会議用資料作成、何とか間に合わせた。16:30-18:00長副会議。20:00帰宅、21:00就寝。
鮭の遡上・・・と車の追突事故多発、何の関連ありや.
県南の象潟付近の河川に今年は例年の数倍の鮭が上ってきており地元の関係者を喜ばせているとのニュースが昨日の地方紙に出ていた。小さいことだが明るいニュースである。
鮭の遡上と言えばいつも想い出すのが大学卒業後最初の赴任地であった岩手県宮古市郊外の津軽石川のことである。この河口では毎年鮭の人工孵化を行っており稚魚の放流が盛んである。そのために毎年この季節大量の鮭が遡上してくる。宮古湾から津軽石川に入った後約1Kmの所で網を張って鮭がそれより川上にはいけない様にしてある.そのため川幅も30mもない津軽石川のその部分に鮭が集中する.この頃の鮭は表情を見てもわかるが川上に上ること以外は考えていない.従って我先にと頑張るものだから鮭の背の上に次々と鮭がよじ登る.一見川が盛り上がってくる如くにすら見える.漁師達は総出で産卵が始まる前に水揚げし処理していくのだが次々と押し寄せる鮭を処理しきれない.だから一部の鮭はその付近で産卵を始めてしまう.川底は一面ピンクに染まっていた.
この遡上を眺めるのに丁度良いところに橋がありこの上は鮭の見物客で黒山の人だかりである.国道47号線も近くを走っており下り線走行時には車窓からこれらの鮭を見ることが出来る.ドライバーは川を横切る橋の上の黒山の人を見てまず何事かと驚き、次いで川を見て鮭の大群に気づく.みんな気をとられてのろのろ運転となり、そして不注意なドライバーは先行車が止まったのに気づかず追突という羽目になる.さすがに人身事故になることはないとのことだが、鮭のシーズンを通して他県ナンバー車の追突事故が頻繁で、事故証明発行の警察官は日の出から日没までパトカーの中で待機していた.
12/8(日) 小雪 寒波若干 病棟拘束
2:30リハビリ当直室で起床.微熱感あり体調やや不良、ついに風邪ひいた。人間ドック判定総括x2他、再検査結果報告作成、紹介状。秋田医報校正2部、長編で大変。新聞スクラップ数日分。7:15検食、8:40病院に移動、人間ドック配付資料作成、回診他。病棟拘束の所用など。12:00帰宅.発熱咳そうあり、机上仕事のみとし、人間ドック3人分処理、Vn、レコード等でゆっくり過ごした。病院から電話にて内科関連の新入院3名ほどあった。病院に呼ばれるのはちょっとしんどい状況であったが、診察医が夜間の治療の指示をしてくれたので対応は明日からでよさそうで助かった。21:00就寝。
自伝 中学時代(1958〜61)(1)
最初の挫折はバス通学
盛岡の岩手中学校は兄も6年間通学した私立の中高一貫校で男子校ある。盛岡市のやや北側にあり、我が家から約17Km。私は体力がないためにバス通学以外は考えず、定期券を3ヶ月分購入した。当時の定期券は長期間購入すると割引率がとても大きかったから当然でもあった。
朝のバス時間は7:00と早い。6:00には起床する必要があった。ところが通学を始めて間もなく2、3の点でバス通学は自分にとってとても耐え難いものであることが解った。
一つは超混雑、天候でも悪いときには定員の2-3倍は乗せようと言うもので、毎日がJ R山手線並みの混みようであった。
もう一つが車内の学生と言えば殆どが女子高校生ばかり。女子学生の間に挟まって身体を密着させてのバス通学は大変なストレスとなった。何しろ当時の私は、今から見れば、井の中の蛙で自意識過剰、とてもは恥ずかしがり屋で同年代の女子には緊張してまともに話しかけられないほどの純情さを持っていた(!!)からである。今の自分からとても信じられないが、病的なほどであった。
更に、もう一つ。バスで立った状態で揺られると必ず右側腹部痛が生じたことである。恐らく手術の際の癒着が原因であ?だろうと思う。当時は道路は舗装などされておらず砂利道でかなり揺れた。そのために走行中は常につま先立ちで揺れによるショックを和らげる必要があった。バス通学がストレスになったと言えどもそう簡単には方向転換は出来ない。3ヶ月間はひたすら忍耐の日々であった。
12/7(土曜)曇り 友の会天王町支部講話 リハビリ当直
2:00起床.人間ドック判定総括x2他.本日の講演準備に集中。日常から貯めておいた画像と昨日取り込んだ画像何とか完成.便利な時代になった.スライドを用いていた頃は数日,時に一週間ほど前に原図を提出する必要があって業務が混んでいるときには大変であった.今は移動中でも,必要ならその場でも構成を変えることも出来る.
5:40病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。不在時の申し送りなど。9:15病院発.10:00-11:00講話「痴呆にならないために」.12:00Tax帰宅、いただいてきた昼食摂ったあと就寝。.14:00W,熱帯魚水槽掃除,フィルター掃除.冬に外で水道での作業は冷える.Vn若干。16:00病院に,回診等で1時間遅れ,業務,本,資料大量に持ち18:00リハビリに移動.業務21:00就寝。.風邪気味の上に大声で1時間話したのでのどが痛い.
我が家のネコ,ついに老眼になったか??
我が家のネコ(名はマスルランナ・ランドスト・フクダ,通称ナンナン,時にこの表紙を飾るネコ)は美猫である.一見アメリカンショートヘアの血が混じっているのではないかと思わせる毛並みと大きな目がポイント.薄暗いところで瞳がいっぱいに開いた状態では表情は一層美しく,見ていて飽きることはないし,心が洗われる.この点だけは小学校から浪人時代まで飼っていたネコに数段勝っている.私は基本的にはネコは好きでないが,これら二匹のネコにだけは何故か気を許している.
体内時計があるのか,柱時計を見てくるのか解らないが,ナンナンは朝5:00になると何処からとなく来て食卓の脇で鎮座している.一日も欠かさない.私と朝食を摂るためである.私は朝食は適当で,時には摂らないこともある.しかし,ネコと共に焼き海苔は数枚必ず食べることになる.最近,ネコの海苔への対応が若干変わってきたことに気づいた.食卓で小さく千切ってからそれやるぞと見せてると嬉しそうな表情するのだが,サッと口元に持っていっても上手に一発でくわえられないこともある.時には私が差し出した海苔で不用意に大きな目をつつく事もある.これは近いところの海苔が見えないためだと思う.瞳を見ても白内障ではなさそうなので安心したが,多分,13才??,野良出身なので本当のところは不明だが高齢ネコになったから多分そうだろうと思う.最近は与える海苔のサイズを若干大きくし,見せながら口元に運ぶ.
海苔で眼をつついた後は数日涙目になるが,そうなると更に一層美しい表情になる.
我が家の飼い犬も晩年は視力が低下したが,彼女の場合は白内障であった
12/6(金)曇 医師会打ち合わせ(欠)
2:00起床.人間ドック判定総括x2他、紹介状などで土曜日の講演準備若干しか出来ずいささか心配。5:40病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。9:15-13:30再来担当医師風邪でダウンで代理再来、いつもの患者も来院したので大混雑。ドック説明1名で14:10まで.雑務多数.Chi Dr来訪。医師会書類チェック・打ち合わせは時間とれずキャンセル.19:30やや早めに帰宅、夕食摂りながら明日使用のスライド、スキャン→パワーポイントにて作成。何とかなるか。21:00就寝。.昨年は帰宅時にフロントガラスに雪固着して難渋した、とあるが今年はまだ気候はマイルド。
エイズ感染者急増。対岸の火事ではない中国、アジアのエイズ事情
11/15(金)にH14年度東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議(国立仙台病院)あり出席。講演「HIV診療の現状と今年の進歩」「東北ブロックにおける病院連携とブロック拠点病院の現状」は双方とも特に治療の面で私にとっては勉強になった.
この会では取り上げられなかったが、最近発表になるアジア地域でのエイズ急増のニュース、経済的面から治療の恩恵を殆ど受けていないと考えられる感染者の現状は目を覆いたくなるほどだ。
アジア地域で今年エイズに感染した人は100万人。エイズによる死亡者は50万人になる(国連が発表)。タイ、ビルマ、カンボジアを除く多くの国はまだ発症率は低いものの、インドでは400万人の感染者がいるとされ、中国は売血等によって感染者が急増し、政府は感染者約100万人にも達する事実を認めたが、国連は125万人と推定しており、早急に防止策がとられないと2010年までに1100万人の感染が出ると予測されている。
アジア全体でも有効な防止策が講じられなければここ5年間で1000万人強が新たに感染すると予想されている。
一方では病院の感染者に対する医療拒否も問題になってきている。例えば、ジャカルタでは31%の感染者が治療を拒否されたことが報告されている。
エイズ関連の医療、医学、治療薬の進歩・恩恵を享受できる感染者は全世界的に見れば数%しかいない。われわれは極めて恵まれた環境の中で医療を展開できることを自覚しなければならない。今後アジア諸国との交流はより盛んになっていくだろうからわが国にとっても大きい問題とたらえるべきである。
12/5(木)曇 臨時長副会議
2:00起床.人間ドック判定総括x2他、土曜日の講演準備。5:40病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。9:00-113:30外来。ドック説明2名で14:10まで.入院2名.雑務多数.週刊アキタ原稿脱稿送付.17:00-17:30臨時長副会議,懸案事項多数.20:30帰宅、21:00就寝。.若干風邪気味か寒気あるようだ.
禁煙キャンペーン米国事情 女子の喫煙はやせるため?
米国では禁煙キャンペーンに年間数10億ドル費やされ、またもタバコ税が18州で値上げされた.それでも1日に初めてタバコを口にする未成年者は5000人近くで、その内の半数以上が習慣化するとされる.喫煙者の80%が18歳以下で吸い始めていることから子供達が何の切っ掛けで喫煙を始めるのか研究者達は注目し調査研究している.今わかっていることは14歳の女子は同じ年齢の男子よりも2倍も喫煙率が高いが、吸う理由はやせるためという.全女性の30%は肥満抑制のために喫煙していると推定されている.ニコチン中毒には長期間要するとされていたが、実際には数日間でなるヒトもいるらしく、特に女性にその傾向が強いという.子供達が喫煙者になる最大のリスクは両親の喫煙.
2ヶ月ほど前に日本医師会の公衆衛生担当理事連絡協議会があり、「国際たばこと健康研究所」所長 Sir David Simpson氏の「医師とたばこ:医師・医師会は今何をやるべきか」を聴く機会があった.講演自体は傾聴に値するものではあったが、質疑応答の中で
子供の禁煙が取り上げられたが、「実に困難な問題であり、寧ろ何も対策しない方が良い結果の場合もあるので講演の中では特に触れなかった。喫煙率の変化は子供が吸わないことではない。喫煙者が止めること。子供の禁煙に関する領域はまだまだ検討を要する、成功率の低い試みである。」と、腰折れの解答でガックリ来たが、事実困難な領域なのであろう.
タバコが存在する限り喫煙は無くならない.究極的にはこの世の中からタバコを無くすることしかないのだ、と思うのは簡単だが・・・せば、何とする??
12/4(水)曇→晴れ→曇 鹿角市社会福祉大会基調講演
1:30起床、人間ドック判定総括x2他、講演準備。5:10病院着、人間ドック配付資料作成、6:00から回診、出張時の準備、申し送り他。8:50寝台特急日本海にて大館に。大会関連の送迎あり、会場まで50分余。公用車はトヨタエスティマハイブリッド。乗った感じではハイブリッドのメリットは何かな?と思う。燃費は13Kmとすればこの種の車とすれば確かに良いだろうが。低速の時にはモーターだけでも走るのかな?と誤解していた。12:30-14:00鹿角市社会福祉大会基調講演.聴衆は120人ほど、90分熱心に聴いてくれた。14:54特急には3-4分の遅れて到着、間に合わず15:42大館発普通列車にて帰秋。回診、机上仕事に追われる.20:30帰宅、21:30就寝。終日移動に時間を要した日.明日締め切りの週刊アキタ原稿進まず。
便利すぎる東京出張(2)家族は私の出張に気づいていない
10月16日にも行ったが本日も鹿角出張。60分の講演に6時間の移動時間.秋田県も実に広い.
先月は東京4回往復した。この1年間は15回ほど上京したことになる。これらのうち、2回除くとあとはすべて日帰りである。
日帰りの場合には9:00 または10:00に病院を発つので、午前の業務は外来を除き通常通り。帰りは18:00前後のANAに何とか滑り込めるので空港から自分の車で行った場合には20:00には病院または自宅に戻れる。要するに通常の勤務帯と全く同じ時間帯で往復できてしまう。だから、家族にとっても入院患者にとって私が病院で仕事しようと東京にいようとさほど大差がない。
家族と言っても家内と賄いの石井さんの二人であるが、彼女らは私の東京に出張に殆ど気づいていない。だから、例えば私に交通事故とか何かがあって東京から連絡があっても「同姓同名の別人でしょう、家とは関係ありません」と答えるのではないかと思い笑ってしまう。
思えば随分便利になったものだと思う。かつて新潟大学の医局で研究していた同級生が東京の学会で発表終了後にすぐに帰り支度しているので、何でそんなに急いで帰るのだ??と聞いたら「今朝、細胞培養を途中までやって冷蔵庫に入れて来たから、これから帰って続きをやるのだ」と言う。とても驚き、いつか秋田も気軽に東京との往復が出来るようになって欲しいと感じたものである。それが最近やっと自分にとっても可能になったと実感している。
(当時は秋田新幹線もなく飛行機も旧秋田空港からのYS-11で3往復と不便だったから、私の東京出張は主に寝台特急「あけぼの」だった.)
12/3 (火)曇→雨 総回診 医師会打ち合わせ 医局会
2:00W、人間ドック判定総括x2他、紹介状、入院総括。5:40病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。8:10人間ドック診察x5他。9:00-13:30外来、混雑.人間ドック説明x2他、新入院回診対応.16:30-17:00県医打ち合わせ。患者家族と面会2件、18:20-19:30医局会議に遅れて参加。重要事項決定の際の情報提供について意見交換。20:30帰宅、21:30就寝。終日人との対応に追われた日.週刊アキタ原稿進まず。
県民意見提出手続き(パブリックコメント)制度低調。医局会で
政策決定前に県民の声を聞く県民意見提出手続き(パブリックコメント)制度が秋田県でも9月から試行されている。三つの計画や制度について意見を募ったが実際に寄せられたのは9件のみ。制度そのものの浸透や、情報提供の方法などの「下地づくり」に課題があるとされるが、果たしてそうだろうか、私には疑問である。
パブリックコメント制度は中央省庁では99年度に導入、26道府県でも実施されている。県のホームページや県政情報資料室、各地方部県民室や担当課で、計画案や関連資料などを公表。郵便やファクス、電子メールで意見を期間(1カ月以上)を決めて意見を受け付ける。参考となる意見は採り入れて案を修正し、反映できない意見はその理由を最終政策とともに公表すると言うもの。意見具申は9件と少ないながらも、電子メールでの応募が7件。だが、アクセス数は相当数あることからみれば意見具申は低調と判断できるようだ。
国民性なのか県民性なのか、一般的に我が国では個々人が一つ一つの懸案事項に対し意見をはっきりと表明することは少ない。決定事項には黙々と従いながら陰ではぶつぶつと文句を言う。意見があるなら機会あるごとに具申すればいいのだが、意見を言えるほどの情報すら提供してくれないからなのだと逆に言ってくる。
本日の医局会は久々盛り上がった。内容的には院長がコメントを述べるべき重要な内容であったために私はコメントを最小限に控えたが、その討議を聞いていて上記の県のパブリックコメント制度を思い出した。医局会の意見は情報提供が少なかったこと、意見収集の過程に難ありとの意見にまとめられよう。そのような意見が多数あったことから謙虚に認めざるを得ない点もあるが、私は逆に求めてくる姿勢も少なかったように思える。対立構造などあるはずもないし、意見具申の機会を我々の方から摘み取ってはいないはずだ。質問や疑問を簡単に箇条書きにして届けるだけでも良い。そのためにも私の部屋のドアは常に開けたままにしてある。
結果的に検討中の案は時間的に後方に修正せざるを得ないだろうが、その貴重な時間を各人ははどう生かし、意見をどのように反映しようとしているのだろうか。一定期間後にまた、情報が少なく何も出来ない・・・・と、我々がまた責められるのだろうか。
12/2(月)超快晴 管理会議 モニター会議 長副会議
2:00W、人間ドック判定総括x2、週刊アキタ原稿他。5:50病院着、人間ドック配付資料作成、回診他。8:00管理会議。9:00-13:30外来、混雑.新入院回診対応.15:30-17:30県医師会モニター会議。テーマは「病院・医療機関のバリア、身体拘束」。司会進行がとても難しかった。18:00-19:30長副会議に遅れて参加。協議題懸案事項多数。20:30帰宅、21:30就寝。
紺青の空、三日月、山・木々のシルエット。実に美しかった朝
最近業務量がやや多く出勤は徐々に早くなって5:30頃である。この時間帯は季節の移り変わり、その日の天候の影響をもろに受けて空の色、雲や朝日、霧などで時に素晴らしい、幻想的な景観を楽しめる。早起きの得の一つ。
今朝は超快晴で、無風状態。かなり冷え切っており息のたびに鼻に痛みを感じるほど。空気は限りなく澄み、朝日を迎える東側の一部だけはかすかに橙色に変わりつつあったが、空は一面深い深い紺青色。満天に無数の星がいつもより遙かに大きく、明るくみえた。やや東側の空には丁度形良くかけた三日月がまばゆく、明るく、空の紺青色との対比の中でとても美しい。いつもなら滅多に見ることのない三日月の影の部分も薄く、月の全体を見ることが出来た。建物、公園その他の木々、山並みはすべて真黒のシルエットととして紺青の空と調和し実に美しい。時間よ止まれ!!と心の中で願いつつ、10数分、車をいつもよりゆっくり走らせ自然の恵みを堪能した。この光の織りなす微妙な世界、絵画や写真ではとても表現できないと思う。覚えておくしかないか・・・と思いつつ記載した。
このようなときに思い出されるのは30年以上も前のタイのプミポン国王来日を記念してのN響の親善演奏会。たまたまTVで観ただけだが、そのとき両国の国歌演奏のあと国王の作曲した「組曲」が演奏されたが第一曲が「夜明け前(ネア・ドン)」。詳細は思い出さないが、今朝に似た景観を想定させるのもであった様に記憶する。R Strausのアルプス交響曲、ロッシーニのウイリアムテル序曲、グリーグのペールギュント組曲の導入、ブルックナーの交響曲の導入部の弦のトレモロとホルンも好いが、いずれも今朝の情景より更に数10分後の、より明るくなってからの自然界の朝の目覚めに相応しい曲である。
12/1(日) 快晴 秋田テニスクラブ
12:30早めにW、人間ドック判定総括x2、週刊アキタ原稿着手他。5:00-6:30一時微睡む。12:00-16:30病院.人間ドック配付資料作成x2他、回診.17:00-18:00秋田TCにてざっと汗流す。秋田TCはこの3月で閉鎖になると言う。残念である。18:30帰宅、夕食ほか20:30就寝。昨年のこの日、日医主導で小泉内閣の政策に抗するために「医療危機突破全国総決起集会」が異様な熱気の中で行われた。が、4月の厳しい診療報酬改定とそれに対する姿勢が問われ日医執行部への批判が一気に高まった。あのころの熱気は一体どこに行ったのか。
自伝:0歳から小学校卒業まで(18)
小学校卒業
虫垂炎・腹腔内膿瘍の手術後、徐々に丈夫になったらしく、その後の健康状態については殆ど記憶はない。この頃から伝書鳩を飼い、高校卒業までの8年間ほど鳩に異常に熱中した。
小学校の卒業の時期を迎えたが、中学は地元の乙部中学校ではなく兄と同じく盛岡市にある私立岩手中学校に進学する方向となり、受験勉強なるものを始めることになったが、このころは特に努力しなくても教科の理解に困ったことが無く、不合格になる可能性はないと考えて特別に勉強をしたという記憶はない。6年生の2月頃初めて入学試験なるものを受けたが、他の受験生は殆どが担任教師が付き添ってきており、みんな優秀そうに見え、私は異様なほどの劣等感、緊張感を感じた。今からみれば別に問題にすべきほどのものではなかったが、市内や県内各地から集まってきた同じ歳の子供達はより優秀そうで、洗練された印象をもった。今の子供達とは異なり、当時の田舎育ちは真に田舎育ちそのもので世間知らずだったと思う。本来なら小学生に受験なんてさせるべきではない、と今でも思う。
3月末の卒業式では小人数の学校であったから全員が直接校長から卒業証書を受け取ったが、私は総代として最初に壇上でにあがる栄誉(?なんてものでは無いが)を受けた。最初だから以下同文・・でなく、証書の全文が校長によって読み上げられた。そのときの校長は一人一人の卒業証書に贈る言葉を用意してくれたが、私だけが出席者の前で読み上げられてしまった。それには「・・・・であるが、貴君は字をもっときれいに書くように努めなければならない」と一言付け加えられ、多感な私は恥ずかしい思いをした。今でも字を書くごとにこの時の思い出が頭をよぎる。
子供の時の思い出は本当に生涯にわたって忘れられる事が無いものだとつくづく思う。
振り返ってみれば小学卒業まで大勢の家族の中で、自然の中でのびのびと走り回り、動物たちと過ごし、たまには勉強し、本もたくさん読めたし・・・、とても良かった、と思うが、我が家の子供達を含め、最近の子供達の育つ過程は本当にそれに相応しいものなのか?と常々考えてしまう。
(第二部 完)
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(人間ドック)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、人間ドック報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、人間ドック受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来と人間ドック受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |