2020年4月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
徒然日記バックナンバーへ戻る 徒然日記へ戻る トップページへ戻る
先月の日記 来月の日記
4/30(木)快晴されどやや寒い 午前飯川病院ボランティア 午後勤務
0:20起床。文献等若干処理。画像収集処理。8:45院長10:00から歯科受診というので車に同乗、飯川病院に。午前は留守のボランティア。13:30健康クリニックにてドック判定、5名分。午後は勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食。21:20就寝、歩行9550歩。
新型肺炎(36) 神話「ノアの箱舟」 小松左京「復活の日」に再注目
今新型コロナ感染症は全世界的に猛威を振るっている。
この時期に「ノアの箱舟」神話、小松左京「復活の日」を読むと、人類が滅びゆく過程を見るようで、絶望的な気分になってしまう。
(1)「ノアの箱舟」神話
今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は、経済効率のみを追求し、生物としての身の丈を超えた過剰な欲望を求める活動が背景になって必然的にもたらされた??・・・と、論旨を導けば幼少の時に読んだ「ノアの箱舟」神話に辿り着く。
「ノアの箱舟」の概要は以下のようなもの。
ある日、創造主の神は地上に増えた人々の堕落があまりにも醜いので、止むを得ず洪水を起こして滅ぼすことにした。 その際、最初の人類アダムの10代目の子孫である正直者のノアに命じて大きな箱舟を作り、ノアの家族とあらゆる動物達の番いを乗せて、自らが起こした大洪水から救出させた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていた全ての生き物は滅ぼしつくされ、正直なノアを中心に地球の人類、生物は再生され、地球に住む生物の環境は大きく改善した・・・・という話。
他にもこうした「大洪水伝説」や「大洪水神話」は世界中に存在しているという。
古代から、どんな時代でも、神の目から見れば「道に外れる」人間たちがいて、神は頭を悩ましていたものらしい。
今回の新型コロナウイルスも神が遣わしたものでないか?というイメージである。私は神などいると思っていないが、こんな時だけ不遜だが、つい思い出した。
(2)小松左京著 「復活の日」
小松左京(1931〜2011年)が1964年に発表した、細菌兵器と核兵器による人類の滅亡をテーマにしたSF小説。
今から50年以上前に書かれた作品、私は40年ほど前に読んだが、新型コロナ蔓延を迎えている今、再度取り出してみた。今読み返すことは有意義である。
人為的に作られたMM菌は実験では5度Cで異常な増殖をみせ、感染後5時間で98%のハツカネズミが死滅させる。この、ウイルス・細菌混合体が某国によって生物化学兵器として開発された。
この菌を搭載した小型機が冬のアルプス山中に墜落する。菌を入れた容器は割れていた。やがて春を迎え、爆発的な勢いで世界各地を襲い始め、風邪症状の後で多数の人がバタバタと死に始めた。
わずか2け月の間で徐々に死亡率が上昇、病院が患者であふれ、人が次々と死んでいく。死体の処理が間に合わず街中に死体が放置され、死臭が充満する地獄の世界が描写される。
人類の叡智を集めた防疫体制を打ち破り、数カ月で人類を滅ぼしたウイルス・菌複合体の前に、人類はなすすべもなかった。
生き残った人類は、南極にいた1万人だけ。しかも、女性が16人しかいない。南極の人たちはこの状況を乗り越え、カップルを作り、子育てし、人類を復活させる計画を作る。
「たかが風邪で人が死ぬ・・・」この一文を、新型コロナウイルスが蔓延しつつある今なら実感できる。
私は、究極的には人類を滅ぼすのは、恐らくは温暖化を背景に新たに発生した未知のウイルスだと漫然と思っていた。
今この時期に読むと、未知のウイルスの怖さ、人類が滅びゆく過程を見るようで、とても参考になる。
小松左京氏の半世紀前の作品とは到底思えない。医療崩壊の姿など、とてもリアルである。
今、詳細に再読中である。この連休中には読破したいと考えている。
4/29(水)昭和の日 小雨曇り午後快晴
0:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。データ関連処理進む。天候不順もあって終日微睡、読書、データチェックなど怠惰?に過ごす。19:00夕食。21:00就眠。歩行計6831歩。
新型肺炎(36) 地球は人の欲望の墓場と化す。
今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は、経済効率のみを追求し、生物としてのの身の丈を超えた欲望実現活動が背景になっている・・と思う。
過密な人口密度、人と物の移動が世界規模であまりにも自由かつ高速になつた。東京都内のJRの混みようを考えれば他の例を挙げるまでもなかろう。
今回の新型コロナウイルス対策は、3蜜状態を回避することしかなかったが、慧眼であった。
確実に成果を挙げている。しかし、それによって我が国も、各国の経済活動は激しく低迷、新たな問題が生じてきた。
しかしながら、今はこれしかない。だから、3蜜回避策を解放したら、感染は再び増加に転じていく。
私はかねてより、人間の欲望が地球を滅ぼすことになる、と思ってきた。
新型コロナウイルスの発生と感染爆発を具体的に予測していたわけでないが、私から見れば欲望追及の成れの果てとして考えれば、新型コロナウイルスの発生もその典型な一例と言える。
私の結論はいつも同じ。
際限ない人間の欲望実現と持続可能な社会、地球環境とは両立しない。結果としてそれで苦しめられる。
人と物の移動はもつと緩やかにした方がいい。
暮らし方も変えるべきだ。人間らしく生きることの大切さをもう一度見直したい。
しかし、地球上には多様な国があり、多様な文化があり、多様な経済状態がある。各国とも負けじとアクセルを常に全開にしている。そうでなければこの競争社会の中、存続し難い危機が訪れる。
だから、人類はいずれ欲望のために滅亡する。
2004年末随想 地球にとってヒトの存在とは何なのか?(1)(2)(3)(4)地球は人の欲望の墓場と化す。
4/28(火)秋日小雨模様 中通病院内科外来 飯川病院
1:00起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他いつもと同じ。6:47バスにて飯川病院。8:35-13:20中通病院内科外来、14:00-19:00飯川病院、入院患者対応、微睡、読書。19:20帰宅、夕食。21:00就寝。Σ12627歩、本当か。
新型肺炎(35) 岩手、秋田の感染者は何故少ないのか(2)
岩手県の感染者数が相変わらずゼロで推移していることは驚異的である。
その原因は私にはわからない。高速道路、東北新幹線の重要な中継地であり、県外からの訪問者も多いはず。なのに何故??
秋田県は16名のままこの2週間新たな感染者は出ていない。しかも、秋田県で見つかった感染者はほとんどが県外からの持ち込み例で、二次感染者はその家族に限定されている。秋田県で感染者が増えなかったのは感染者の行動範囲が限られていたこと、クラスター発生がなかったこと、老人病院や介護施設に感染が及ばなかったことが要因として大きいと考える。更に、すでに16名の感染は治癒しているだろうと考えられる。したがって、岩手県=秋田県=0と言いうる状況にある。今後のことは予測できないが、感染者を経験しているだけに秋田が優位な状況かもしれない。
なんで秋田で感染者が少ないか?それは空が広く、人口が少ないから、人間同士の過密状態が少ないからである。人口が少なく経済活動が少なめの県は概して感染者が少ないが、中には思いの外感染者が多い県もある。そのような県ではクラスター発生があり、病院、老人病院、介護施設に感染が及び次々と伝播しているから、と考える。
今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は効率のみを追求し、人間の身の丈を超えた旺盛な経済活動が背景になっている・・と思う。過密な人口密度と人と物の移動が世界規模であまりにも自由かつ高速になつたからである。例として東京都内のJRの混みようを考えれば十分であろう。
今までの疫病の歴史は、もともとは地方限定の風土病で野生動物のウイルスが、人間に感染し、人間同士で伝染し、船や陸路で広まったが、今回のコロナは超高速の航空機で運ばれ、わずか3力月で世界中に拡散した。このスピードは人間の英知の惹起と対応力を超えている。隠蔽工作もあって、結果として対策が間に合わなかった。今の段階で効果があるのは外出を避け、人混みを避け、他人との接触を避けることだけ。
この新型コロナウイルス感染症の恐ろしさは、生物としての人間のありようの限界を突いでいることにある。
現在は社会全体で感染爆発防止に取り組まなければならない重要な時期だが、政治や経済の識者たちが感染症を克服できれぱ元の状態に戻りうるという見通しを語っている。それは誤りであろう。元の状態に戻り得ないし、戻してはダメなのだ。
新型コロナウイルス蔓延の原因を考えて、社会の仕組みを、より人間的な、生物として身の丈に合ったものに変えていかなければ、絶対に収束しない。それどころか、収束しないうちに次の問題も発生する。
効率的な経済を目的に、常に右肩上がりの成長を念じていては、人間社会は疫病で崩壊する。
恐竜は隕石の衝突で絶滅した、という。彼らは一切対応できなかっただろう。
人間社会にとって隕石に例えられるものとして、原水爆問題、地球温暖化、飢餓、環境破壊などなどで徐々に破滅に向かっているが、これにさらに疫病が加わった。叡智ある人間は、破滅自体は避けることはできないが、そのスピードを変えることはできるはずである。
4/27(月)早朝午前降雨激しい 昼頃から快晴
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。降雨にてバス不可、レガシー飯川病院、9:00-10:30健康クリニックドック、新型肺炎の影響か、キャンセル多くて5名のみ。レ線判定2名。11:00-11:30Book-Off8冊ほど購入。飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務。入院患者対応、散水ほか。入院患者は平穏、読書、新聞チェック、HDデータダブルバックアップ開始。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩行計6717歩。
新型肺炎(35) 岩手、秋田の感染者は何故少ないのか
4月27日本日時点の国内感染者総数(死者)数は以下のごとくである。
―――――――――――――――――――――――――――――――
??国内感染判明例 13.606人(394人)
秋田県 16人
岩手県 0人
??ダイヤモンドプリンセス号関連 723人(13人)
??コスタ・アトランチカ号関連 148人
??チャーター機関連 15人
??空港検疫関連者者 139人(1人)
私がこの集計を上げるのは2週間振りである。
この間全国の感染者数、死者が倍増。
クルーズ船チャーター機関連者には変化がない。
クルーズ船コスタ・アトランチカ号関連が追加された。
昨日の段階で若干感染者数は減少傾向にあるがまだ厳しい状況にある。
世界で感染者は300万人超。50万人/週のペースで増加し続けている。
―――――――――――――――――――――――――――――――
秋田は4月15日以来新感染者は見つかっていない。岩手は0人のまま推移している。
県人口の推移が厳しい。県の活力も低迷している。しかし、新型コロナ感染症に関してはこのことがメリットになっているようだ。
総務省が14日公表した2019年10月1日時点の人口推計によると、秋田県の人口は96.6万人で、減少率は1.48%だった。減少率は7年連続で全国最高となった。
死亡数が出生数を上回る自然減少率は1.11%で、1%を超えたのは本県だけ。転出者が転入者を上回る社会減少率は0.37%。全国最高だった前年より0.07ポイント減少し、3番目だった。
年齢構成別では、65歳以上が35.9万人で全体の37.2%を占めた。14歳以下は9.5万人で9.8%。10%を切ったのは本県のみで、全国最低。少子化・高齢化率は高い。15-64歳は51.2万人で53.0%だった。
この数値は県の活力という意味では極めて厳しい現実を示している。
減少数、減少率ともに改善の兆しはない。この数値の背景は、若い世代が就職先がなく県内で生活できないことに由来している。そのため出生数が低く、高い高齢化率で死亡数が多く、自然増が期待できないからである。
新型コロナ禍が生じる前は、私は秋田県の人口動態は由々しきことととして注目していたが、新型コロナ禍後は秋田のこの現状は不幸中の幸い、と言える低い感染者数で推移している一つの要因になっている、と思っている。
全国的に新コロナ感染症に、住民も医療関係者も悩んでいるときに、秋田、岩手県の感染症の現状は今の所別世界のごとく静かである。
医療関係者として申し訳ないと思いつつも、また、明日から先のことはわからないと覚悟はあるが、今日までは秋田県在住の医師であることを十二分に享受させてもらっている。
秋田県・岩手県の関係者の方々、その一つ一つの方々を上げられないが、情報提供、感染防止に奮闘されている方々には本当に頭がさがります。
4/26(日)小雨午後晴れ
2:00飯川病院起床、文献検索整理,など。9:15レガシー帰宅、新聞データ化、読書など。午睡、ダリア球根チェック発芽不良で混迷する。一度植え替えしようか??レガシーガソリン補給、クリーニング回収、新聞データ化再度、19:00長男誕生日、夕食祝いの寿司、ケーキ。21:00就寝。歩行計6668歩。
書 沢木耕太郎著 敗れざる者 1979 文芸春秋社(2) 円谷選手の遺書
円谷選手の身についた律儀さが、自衛隊という組織の中の一人として、外圧、重圧がプライベートな感情を抑制し、彼をがんじがらめに縛り上げ、最終的に自死に追い込んだと推定できる。
自らの命を立つ時、恨み言など一切口に出さず、家族全員の名を挙げ、感謝の言葉と謝罪の言葉だけを認めた遺書は、見事に韻を踏んでいることを含め、彼の性格を表している。
若い家族たちに送った「立派な人になってください。」と最後の「幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」の一文が彼の立場と本音を正直に表している、と思う。
何度読んでも涙を禁じ得無い。
以下に遺書全文を引用する。
---------------------------------------------------------------------------------
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」
---------------------------------------------------------------------------------
沢木氏は「走れなくなつたからといってマラソンランナーが自死するものか?」、という疑問を抱き取材を開始して完成した。私も同じ疑問を持っていて、興味を持って読んだ。
私が抱いた結論は「走れなくなったこと」が自死の原因ではない、ということである。アスリートたちは自分の記録、選手寿命のことは常に自分と対話して苦悩しているはずである。
何も努力することなく、無責任に選手を追い詰めるファンやマスコミの論評は、時にはアスリートたちに力になるだけに、時には暴力的圧力を与える。
誰が選手たちの苦悩を理解できるのか??そっとしてあげればいいのだ。
4/25(土)降雨曇り 飯川病院日当直
1:00起床、文献検索。読書、居間のiMac27(2015)Wi-Fiつながらず。自分での対応に限界。10:00-11:30アップルサポートに相談するも解決ぜず、総入れ替えすることに。11:45レガシー飯川病院、日当直に就く、入院患者は平穏、読書、新聞チェック、デー整理、映画など。HDデータバックアップ。20:30就寝。歩行計3327歩ほとんど室内で。
書 沢木耕太郎著 敗れざる者 1979 文芸春秋社(1)
私は東京五輪の翌年、自死した円谷幸吉に関心を持っていたが、不勉強にして沢木氏のこの著書があることすら知らなかった。
JR広告紙トランヴェールに沢木氏の巻頭随想があっていつも楽しみに読んでいるのだが、先日、大曲出張の際の新幹線車中で2020年四月号に「ポツリポツリと」と題する小文を読んだ。
その時に沢木氏に「敗れざる者」という著作があるのを知った。私はまだ氏の著作を読んだことがないので急ぎ同書を取り寄せた。
「敗れざる者」は氏の初期の作品で、以下の6章から構成されている。
取り上げられたヒーローは()内に示した。
―――――――――――――――――――――――――――-
■クレイになれなかった男(カシアス内藤)
■三人の三塁手(長島 難波昭二郎 土屋正孝)
■長距離ランナーの遺書(円谷幸吉)
■イシノヒカル おまえは走った(競走馬イシノヒカル)
■さらば宝石(榎本喜八)
■ドランカー「酔いどれ心」(輪島功一)
――――――――――――――――――――――――――――
本書では、栄光にたどりつけない、あるいは、栄光を極めた後の暗転など、アスリートとして不器用であった人たちの生きざまを追っている。重要なところに注目した優れた書と考える。
私は「長距離ランナーの遺書」の項を繰り返し読んだ。
円谷選手は1964年の東京五輪に出場しマラソンで3位になった自衛隊体育学校所属の選手。
国立競技場にアベベに次いで戻ってきた円谷選手は息も絶え絶え、もう余力は残っていなかった。トラック半周の間にイギリスのヒートリー選手に抜かれ3位となったシーンは私にとっては最高に感動的であった。
銅メダルを獲得したことで一躍ヒーローとなり四年後のメキシコ大会にはさらなる活躍が期待されていたが、その年の1968年1月に「ご幸吉はもう走れません」という遺書を残して27歳で頸動脈を切って自死した。
彼の自死から約十年後、沢木氏は「走れなくなつたからといってマラソンランナーが自死するものか?」、という疑問を抱き取材を開始して完成したのが本書に含まれる一文であった。
遺族のうち父の幸七はすでに亡くなっていたが、母は健在で「ポツリポツリ」と夫と息子について話してくれた、という。
関係者の多くと会つていくうちに、彼の死には彼の性格を含め胸の痛む数々の理由があるらしいことがわかつてきた。
円谷は当初は名誉のためでもなく金のためでもなく、ただ走るのが楽しいから走っていた。走り続けた。ところが記録が伸びるに従って周りの態度も変わりいつの間にか走りが変質してしまう。「何か」を得るために走る、走らせられるようになってしまう。
円谷は七人兄弟の末っ子で、厳しい父親から、素朴で土着的、農村的倫理観の元で教育を受けたとされ、とても礼儀正しい人間として育った、とされる。旅行すれば両親宛にハガキを出し、脱いだものは必ず畳んだという。
この父親から受け継いだ律儀な性格が、目上の人の命令にはよく守ることも含め、円谷の五輪以降の生活に、考え方に大きな影響を与えたことが推定できる。
時代と立場は異なるが、ルバング島で30年に渡り一人で戦いぬいた小野田少尉と繋がるものを感じ取る。
4/24(金)小雨模様 大曲診療応援 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、3人だけ。雨模様病院往復Taxi、9:00-12:15大曲中通病院外来。帰路こまち一人だけ。13;20飯川病院、入院対応、静脈確保失敗、19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計6987歩。
四季2020(6) 桜散り私に夏が訪れた 庭先の花たちが萌えている
4月07日、私にもついに春が来た。
花の季節である。
3月15日昼に次男の孫たちとともにパンジー、デイジー、アマリリスなどを植えた。元気に成長し、花は綺麗に咲いている。
四季2020年(5) ついに、私に春が来た が、結構寒い
4月20日秋田市内千秋公園の桜が満開を迎えた。私の通勤路脇の桜もほぼ満開、通るたびに季節感を味わっている。千秋公園では例年であれば屋台が出たり観桜会などが開催されるのであるが、今年は新型コロナウイルスの世界的蔓延を迎え、緊急事態宣言も出て人出はまばらである。それに、ここ数日天候が悪く桜開花に伴う気持ちの高揚も中途半端である。
本日の段階で大部分散り、葉桜となっている。
今年の桜は寂しげであった。
わが家の木々、草花は、先週咲いた「うめ」を嚆矢として、今週になってから「椿」、「もも」、「こぶし」などの花が満開となり、一気に華やかになった。
(椿)
(梅)
(木蓮)
(桃)
(水仙)
なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。
ついに、桜の季節は終わった。私にとっては夏の始まりである。これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
いい季節になった。
4/23(木)曇り雨あられ 飯川病院
0:30起床、いつもと変わらず読書、データ整理など。11:50バス出勤。途中降雨あられな度でびしょ濡れ。14:00-19:00飯川病院。外来・入院患者対応。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。Σ6432歩。
新型肺炎(34) 一律10万円給付(3) わが国の経済は大丈夫か?
今回のバラマキが12兆円にもなり、国の財政が一層困難を迎えることは指摘しておかねばなるまい。
政府が4月7日に決定した対策では、減収所帯に30万円を給付するため約4兆円を計上したが、一律10万円の給付措置は単純計算で12兆円が必要になる。
年間の国家予算が100兆円程度、そのうちの半分近い財源を赤字国債発行で賄ってきた日本の財政は厳しい。10万円給付のために赤字国債発行が必要になるのではないか?
新型コロナ対策はまだ始まったぱかりである。はっきり言って今後の予定は読めない。何度も現金給付が必要になるかもしれない。
国債の前倒し発行がさらに求められる。しばらくは日銀の買い入れなどで消化可能であろうが、資金の多くを国債発行に頼っていては財政再建はおぼつかない。
急場しのぎと緊急策と分かつていても借金を増やし過ぎれは国際的に国債の格下げも視野に入る。
現在の危機的な経済状況を考えれば 財政再建や国債の格下げを今は問題にすべきではないとの意見が出てくるのは間違いない。予算を組む場合、平時の場合ですら政権は常にそんなことを言って国債を発行し続けてきた。しかし、今回を含め、いざという時に予算が硬直的になる理由は借金財政を続けてきたために余裕が少ない、ということを肝に銘じておくべきであろう。
私は経済問題に疎い。
だから日本の借金財政には漫然と危惧を抱いてきた。本当の日本の経済的国力はどうなっているのだろうか。読めない。
―――――――――――――――――――――――――――――
■借金財政を始めた大平総理の意向に反して、無反省のまま続けてきた歴代政権の思考には問題があった。
■借金財政は年々規模が大きくなった。1000兆円にも達している。誰が真の責任者なのか?時の内閣か??次々と総理大臣が代わっていくから各々には責任が問われない??
■日本の借金財政は諸外国のそれと違いほとんどが国内で賄われている。例えて言えば、金のない世帯主が豊かな家族から借金して家計を成り立たせているようなもの。外からの借金でないから安全なのだ、と言われてきたが本当か??平時ならそれもありうるが。
■日本の借金財政は妙な安心感と危惧感が交錯している。
■どちらにせよ、日本の借金財政は危機状況に入った。
■・・・・・などなど疑問は尽きない。
―――――――――――――――――――――――――――――
新型コロナ対策とその実行はまだ始まったぱかりである。
「いのち」の重要さはいわゆる生物学的なものではない。最小限の衣食住レベルを維持した上での「いのち」でなければならない。
経済活動の停滞に伴う国内需要急減の影響度合いは、業種や企業の規模によって異なつている。
一律給付でで国民に安心感を与えた後は、資金繰りが逼迫している企業に適宜必要な額を振り向けることが肝賢である。
10万円の支給で足りない場合、焼け石に水で足りるはずはないのだが、躊躇なく追加策を打ち出す必用がある。
生活苦から自殺者が増えるような事態は何としても避けねばならない。
4/22(水)小雨のち晴れ曇り、飯川病院ボランティア
2:00起床。新聞・文献データ処理,いつものごとく。自炊、趣味の園芸他数冊進める。10:15病院受診した従業員の迎えの車に同乗飯川病院へ。ボランティア。読書、微睡。画像データ処理。19:00帰宅、夕食。21:30就寝。Σ4036歩数。
新型肺炎(33) 一律10万円給付(2) 罹患の危険は一律公平、されど一律給付は不公平
新型コロナウイルスの感染拡大で社会不安が高じる中、「減収所帯に対象を限定した30万円の給付」がいつの間にか頓挫していた。
代わりに「所得制限を設けず全国民に一律10万円支給」へ唐突に政策変更が決まった。これは安倍政権の新型コロナ対応の問題点をついた公明党や野党の意見に押し切られ、ドタバタと決まったようである。
「一律10万円支給」は調べてみると辞退は可能らしいが、その考え方、効果などに数々の問題点が潜んでいる。
新型コロナウイルスの感染拡大で、国民一人一人がそれぞれの立場で影響を受け、不安で緊張した毎日を送っている。収入の道が閉ざされた方々も少なくない。いや、そんな甘いものではない。自由業、非正規労働者、学生など、かなりの数の人たちが収入が減っている。
一律に現金を給付する目的は、お金の支給だから生活費の補助の意味がもっとも大きい。
所得減少への対応は何よりも全国民の不安を解消する。だから、現金給付に乗り出すのは間違いではない。
しかし、一律に10万円現金支給は不平等政策だ、と私は思う。だから、この政策には諸手を挙げて賛成できない。「初めての、緊急事態の措置で、スピード感が必要だろう」と100歩譲るしかなかろう。
今回のコロナ禍では感染への危険は、もちろん居住区、職業によって差はあるが、全国民平等である。
しかしながら、感染拡大がもたらす生活苦は様々である。全く収入が変わらない人から無収入に陥る人まで幅広い。千差万別。この状況に関して平等な対応は果たして正しいのか。
10万円給付に関しては、各界からいろいろな声が上がっている。閣僚、副大臣などは受け取りを自粛、国会議員は一旦受け取った後で寄付する方向など。広島県知事は県職員から一斉寄付を募ろうとしたが、一夜で取り下げた。要するに収入が変わらない比較的豊かな人たちは遠慮がちである。
このこと自体が不要な給付が行われることへの現れである。
政治家は厳しい環境にある国民の声を汲み上げていない。本当に困っている人たちには10万円は焼け石に水。
ちょっと豊かな環境にある自分たちが辞退や寄付を行って制度の異常性を補おうとする考えが出ること自体が問題である。
均等に配布するなら富裕層には課税すればいい。辞退する方には国家への寄付金扱いとして評価すべきである。
多分、生活援助金は今後も何度か行わなければならないだろうが、次回からは均等配布など、安易な、国会議員の保身のための、人気取りのための、くだらない方法はやめるべきだ。
困っている人たちに重点的に、厚く対応すべきである。
4/21(火)小雨午後から快晴 外来 飯川病院
0:50起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。5:00可燃ごみ提出。ネコ給餌他、6:47バス飯川病院着、8:45-13:15外来、飯川病院へ、微睡、14:00-18:15勤務。入院患者対応。19:10書店経由帰宅・帰宅・夕食、21:30就眠。8005歩。
新型肺炎(32) 一律10万円給付(1) 不平等政策だが今回はやむを得ない
新型コロナウイルスの感染拡大で社会不安が高じる中、「減収所帯に対象を限定した30万円の給付」に代わり、「所得制限を設けず、住民台帳に記載のある新生児からお年寄りを含む全国民に一律10万円支給」へ唐突に政策変更が決まった。
新型コロナウイルスの感染拡大で、国民一人一人がそれぞれの立場で影響を受け、不安で緊張した毎日を送っている。収入の道が閉ざされた方々も少なくない。
緊急事態宣言が発令されたと言っても、都市封鎖などの強い行動制限をしていない分、わが国の対応は甘いとの批判も見られるが、在宅勤務や外出自粛といつた不自由を国民は強いられている。
一律に現金を給付する意味の一つとして、生活費の補助という意味だけでなく、外出自粛などに国民の協力を得やすくし、感染拡大を止める効果もある程度期待できよう。
所得の一時的減少への対応は何よりも全国民の不安を解消する一助になる。だから、現金給付に乗り出すのは間違いではない。
しかし、一律に現金支給は不平等政策だ、と私は思う。だから、この政策には諸手を挙げて賛成できない。「初めての、緊急事態の措置」と100歩譲るしかなかろう。
決まった以上、迅速に国民の手元に現金を届けることができるかどうか、政府の実行力が問われる。できるだけ早期に、5月初旬には給付を始めてほしい。
同時に予算が膨張し国の財政が一層困難を迎えることは指摘しておかねばなるまい。
政府が4月7日に閣議決定した緊急経済対策では、減収所帯に30万円を給付するため約4兆円を計上したが、一律10万円の給付措置は単純計算で12兆円が必要になる。
年間の国家予算が100兆円程度、そのうちの半分近い財源を赤字国債発行で賄ってきた日本の財政は厳しい。予算の組み替えで捻出できる額ではないだろう。10万円給付のために赤字国債発行が必要になるのではないか?
新型コロナ対策はまだ始まったぱかりである。はっきり言って今後の予定は読めない。何度も給付が必要になるかもしれない。
国民の生活は一人一人状況が異なっている。
だから、「所得制限を設けず、住民台帳に記載のある新生児からお年寄りを含む全国民に一律10万円支給」を基本理念にしながら、「給付辞退」、あるいは「国に寄付」する道を作って国の負担軽減を図ってはどうか??、と思う。
ただ、給付辞退にもそれなりのメリットがなくてはならないから、所得税の申告に際して一定の特典を用意する必要があろう。
こういう制度が準備されれば、現状では私はまだ働いていて収入があるから、国の負担軽減のために乗ってもいいと考えている。
4/20(月)曇り降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック、新型肺炎の影響か、キャンセル多くて2名のみ。レ線判定8名。11:00-11:30Book-Off8冊ほど購入。飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務。19:00帰宅・夕食、21:00就眠。歩数Σ6136歩。
心理学を学ぶ(9) 「美しい」とは何か(9) 「一目惚れ」の心理(4) 病気か??
「一目惚れ」は五感のうち「視覚」、「臭覚」、「聴覚」、「味覚」、「触覚」のいずれでも生じる。そのうちで一目惚れしやすい私の経験では「視覚」以外で惚れた、という経験はない。私にとっては「視覚」の持つ意味はとても大きい。
もう一つ無視できない因子に「言葉」がある。
心理学では人間が伝達する情報の中で「話す言葉」が占める比率はわずか7%に過ぎない、という研究結果がある。それは私にとっても同じで、ここ30年ほどラジオ深夜便を聴き続けているが、「ながら聴き」という状況ではあるがほとんど記憶に残らない。だから、目録を作り、連日録音し、印象に残った内容は聴き直ししている。
しかし、「文章」の伝達力は、それが何%に当たるのかは知らないが、作者の筆力によってその伝達力が全く異なったものになる。その開きに唖然とする。素晴らしい文章に接した場合なんとも言えないイメージが心の中に生まれてくる。「一目惚れ」ではないが登場人物に惚れ込むことがある。だから私は本を読む。
しかしながら、実際の人間関係の中、交渉事などでは初対面の相手であっても、見た瞬間に受けるイメージから上手くいくか否かについて直感的に分かることが多い。
一般的に、男性が美人(?)に、女性が二枚目の男に一目惚れをする場合、相手の性格やその他の要素は一切関係ない。それ以上に、「一目惚れ」を経て恋の真っ只中にいる人間にとつては往々にして「白も黒」も区別が付き難い状況になっている。これほど人間の感覚が狂うことは珍しい。だから、「一目惚れ」という現象に続く「恋愛感情」共に何か不明の病気に罹患している状況、としか思えない。
端的にいって外見の威力はそれほどまでに強力である。
私にとって2匹目となったのネコ「ナンナン」との出会いは強烈であった。私は目があった瞬間急病に陥った。実際には時間が経つにつれて分かってきたのは初代のネコとの違いであった。■美形さは「ナンナン」が優。■私とは距離を置いた付き合い。■気位が高く、不満を顔に表し、決して従順ではなかった。■時おり尿でマーキングされた。■・・・・。
「ナンナン」は2010年5月に大好きな長女の腕に抱かれたまま旅立った。20歳近くだったと思われる。
初代のネコとはイメージが異なっていたが、私は「ナンナン」を大事にした。しかしながら、大事にしていたのは「ナンナン」そのものでなく、初めて会った日の「美しい!!」との強烈な印象、初代のネコの思い出だったのだろう、と思う。「ナンナン」を介して実際には初代のネコを想っていた。それを「ナンナン」は敏感に感じ取っていたのだろう。
4/19(日)快晴 強風 ガレージ掃除ほか
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。12:00家内に便乗、休宝寺経由飯川病院、13:20-15:00友人医師来訪歓談。新聞データ化、読書、微睡など。19:00帰宅、夕食、21:30就眠。歩数Σ9777歩。
心理学を学ぶ(8) 「美しい」とは何か(8) 「一目惚れ」の心理(3) 私の経験(2)
ちょっとは違うが、「感動」=「一目惚れ」と無理やり代用させたい。その方が私の場合説明しやすい。
「一目惚れ」は一般的に、自分の理想として心で期待または熟成させていた人物や物品そのもの、あるいは類似のものが、■「思いがけず」、■「急に目の前に現れた」とき、■一気に気持ちが高ぶって感動してしまう感情、と言える。
一般的に「一目惚れ」は男女間、同性間で恋愛感情のスタートとなる心の動きとして説明される。しかし、人間関係だけでなく、趣味の世界でも「一目惚れ」は成り立つ。対象は無生物でもいい。骨董品など「一目惚れ」してつい購入してしまった・・・などがその例といえる。
私の場合の一目惚れの経験対象は、恥ずかしながら、ネコであった。
初めてのネコと死別して以来約30年、私は心の中で思い出としてずっと旧交を温めていた。実際にはその間もネコの面影を追い求めていた、という事。
ある日、窓の外でうるさく鳴いていたノラネコを追い払おうとカーテンを開けたが、ネコと目が合った瞬間、「似ている!!!」、「戻ってきたのではないか??」。心の中に衝撃が走り、心の中で何かがプツンと切れた。次の瞬間、私は後先を考えずガラス戸を開けていた。
見下ろした位置に折るように組み合わされた白い毛に覆われたちっちゃな手が見えた。しかし、ノラネコはガラス戸が急に開けられたことが思いがけなかったのか、私に対する警戒感なのか、不安げな様子で直ぐには中に入ってこなかった。
「・・・」私は言葉も出なかった。身動きどころか呼吸さえ忘れた私の前に、実体をともなつた思い出のネコがいる。何度も夢に見て、再開を強く願ったネコが、ほんのわずか手を伸せば届く距離にいる。
私だけが知つているその小さな身体は寒さなのか緊張のためなのか小刻みに震えていた。壊れそうな目をしていた。
もう、駄日だつた。たつた一瞬で私の30年間の蓄積は粉々に砕け散つた。あの最後の別れ以来、いつも口に出して名前を呼び「逢いたい」と心から思ったネコがそこにいた。
ひつたくるように家の中に招き入れた。そして「夢なら覚めないでほしい」・・・と思った。
これが私にとって2匹目目となったネコ、ナンナンとの出会いであった。
一瞬、目が合った時に私が受けた衝撃、感動は忘れられない。100%理屈、理性を超えた感情であった。
いま、つらつら考えてみてこれぞ「一目惚れ」の心理なのだ、と納得している。
ただ、不思議に思うのは、私が受けた衝撃、感動の対象は目の前にいるナンナンそのものでなく、1代目のネコの面影であった。
4/18(土)曇天降雨
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理。読書中心。曇天で外仕事なし、午前から書斎の掃除整頓、廃棄物処理。昼食後新国立劇場バレー団「白鳥の湖」鑑賞。微睡。読書、文献的考察、蓄積データ整理など。19:00夕食、21:30就眠。歩数計5371歩。
心理学を学ぶ(7) 「美しい」とは何か(7) 「一目惚れ」の心理(2) 私の経験
「感動」について考えるときに、類似の感情として大きな感動を伴う「一目惚れ」の心理に代用させたい。その方が説明しやすい。
「一目惚れ」は一般的に、自分の理想として心で期待または熟成させていた人物や物品そのもの、あるいは類似のものが、思いがけず、急に目の前に現れたとき、一気に気持ちが高ぶって感動してしまう感情、とされる。人間関係だけでなく、趣味の世界でも成り立つ。対象は無生物でもいい。
その視点で私の人生を振り返ってみれば「一目惚れ」を基にしたアクションを起こした経験は以下の一件以外皆無と言っていい。
その対象は恥ずかしながら、ネコである。
対人間関係という意味では、私は熱情、激情の乏しい人生だった。
――――――――――――――――――――――――――-
私が大きく感動を受け、アクションに繋がった「一目惚れ」の経験は以下の一件しかあげることができない。
私は小学校1年から高校卒業までの13年間共に暮らした一匹のネコがいた。白を基調とした三毛猫で表情は優しく、13年間いつも私の傍で一緒に過ごしていた。記憶に残る嬉しい、悲しいエピソードは数え切れない。
「なんでお前はネコなんだ!!!」いつもそう思って抱きしめていた。
私が浪人生活を送るために1964年4月に仙台に旅立ったが、間もなく母からネコが行方不明になったとのハガキが来た。最近とみに体力が衰えていたから残しておくのは後ろ髪引かれる思いだった。おそらく覚悟の死出の旅立ちをしたのだろうと納得した。
実際には5月の連休の帰省時に短時間再開したのであるが、それが最後となった。
私はそのネコの思い出を大事にし、以来30年間、いつもそのネコと共に生きていた。いつも話しかけ、嬉しいことはともに分かち合い、悩み事も相談した。口に出すとそれだけで落ち着いた。記憶は薄れることはなく、ネコのイメージは私とともに成長しつづけていた。
他のネコに対しては全く興味を感じることはなく、余所のネコに触ったこともなかった。
具体的期日は忘れたが、1991-2年ころであったと思う。2月で厳寒が続いていたが、我が家の居間の窓の外で数日前からノラネコと思われるネコの鳴き声が断続的に聞こえるようになっていた。当初は無視していたがあまりにもしつこく続くので追い払おうとカーテンを開けた。その瞬間、ネコと目が合った。そこには30年間暖め続けていた懐かしいネコの面影があった。瞬間、私の心の中に衝撃が走り、何かがプツンと切れた。次の瞬間、私は後先を考えずガラス戸を開けてそのネコを居間に招き入れていた。
これが私にとって2匹目目となったネコ、ナンナンとの出会いであった。
一瞬、目が合った時に私が受けた衝撃、感動は忘れられない。100%理屈、理性を超えた感情であった。
いま、つらつら考えてみてこれぞ「一目惚れ」の心理なのだ、と納得している。
4/17(金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献自炊。5:30可燃ごみ集積所に。7:35Taxi秋田駅。8:11こまち、本日は三人。9:10-12:00大曲中通病院外来。駅病院往復徒歩、こまち下り一人。徒歩13:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。13102Km。
新型肺炎(31) 感染拡大し収束が長引けばどうなる?
新型コロナ感染は長期化すると予想される。
私は悲観論者であるがその視点で感染長期化を見れば以下の危惧を感じ取っている。
このようにならないことを期待している。
-----------------------------------------------------------------------------------
■新型コロナ疫学
感染蔓延抑制無策なら世界的に感染者は1000万人以上、死者2-4%.
一国で抑制し得たとしても、このグローバル社会、感染者の入国は抑制困難。
国際的に蔓延対策の足並みの乱れ
■国際
自国主義の横行
政治形態の変化
新秩序形成
国際協調の流れの停滞
■経済
国内経済破綻
企業家計への休業補償、収入減補償拡大
赤字国債発行に次ぐ発行
国の税収激減
大企業の能力低下
企業家計
地方経済低迷・活力低下
国際経済破綻
ユーロ圏 イタリア ギリシャ イランも危ない
エネ産業低迷
大恐慌、リーマンショック以上の経済危機
新興国の経済破綻、没落
■食料危機
国際的
食糧生産の低下
食料自国主義から流通量低下
国内
食品輸入量の低下 食品流通不足
■社会
雇用維持 テレワーク発展
商業活動低迷
観光旅行関連 飲食業界
交通産業 航空 鉄道 バスタクシー
通販拡大
社会安全の維持
不安 パニック状態 拘禁ノイローゼ 詐欺横行 うつ病など増加。自死
SNSデマ横行 差別の横行
葬送関連業
■文化
文化産業の衰退 音楽 美術館 図書館
地域の祭り中止
■医療・医療破綻
診療形態の変化 電話診療の普及
新型コロナ ワクチン 治療薬の開発 消毒薬不足
マスクなど医療機器 呼吸器・ICU医師不足
救急崩壊 入院機能崩壊
命の価値観、死生観の変化
■国民生活
健康維持 家庭内暴力
■教育
休校などで学力低下
自宅学習・通信教育の開発
-----------------------------------------------------------------------------------
などなど。
検討すべき点はまだまだある。
4/16(木)晴れ 飯川病院
1:OO起床、書類PDF化、文献読みなど数件。11:50バス飯川病院。14:00-18:30飯川病院。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開近い。
歩行計9106歩。
新型肺炎(30) 感染収束に関与する因子
新型コロナウイルスはβコロナウイルスの一つ。
SARS、MERS、そして普通感冒の原因ウイルス2種の4種類が知られている。前2者は感染者の同定と隔離により封じ込めに成功している。一方、普通感冒は無症状であったり、軽い症状のみの場合がほとんどで、感染者の発見や封じ込めは不可能。新型コロナウイルスも、感染者の多くは無症候か軽症のため、感染者の同定と隔離による封じ込めは困難。
今後、新型コロナ感染がどのような経過を示すか、まだ明らかではない。
需要な要素の一つは、感染後に生じてくるコロナに対する抗体がどのようなものかにかかっている。多数の感染者が改善していることから見て抗体が生じていることは明らかであろうが、その抗体の性質がまだ明らかではない。
もし、抗体の持続時間が季節性インフルエンザのごとくに1年未満と短いと、新型コロナ感染は毎年流行を繰り返すと予測される。一方、抗体の寿命が数年と長ければ、いずれ感染は終息することになるが、それまでの間に人口の半分以上が感染するだろう。
感染症の一般的知識として、私の前提は、古い知識であるが、地域住民の70%に免疫があると集団感染は生じない、と考える公衆衛生学的判断が背景となっている。新型コロナ感染は、封じ込めが困難なので人口の半分以上が感染し、いわゆる集団免疫が確立するまで続く、と予想できる。
強力な活動制限で感染拡大を緩やかにすると、時間はかかるが感染抑制は可能である。しかし、集団免疫が出来ないうちに活動制限を解除すると、再び大流行が起こり得る。
しかも、長期の活動制限は社会や経済の崩壊をもたらす。活動制限は状況に応じて断続的に行う必要がある。
重篤化を減らすワクチン、治療薬の完成は新型コロナの抑制に価値が大きいと思われ、完成が待たれる。その開発に全力を尽くすととともに、長期の活動制限を強いられる方に対する経済的支援が必須となる。
日本の行動制限は緩い。だから、若者中心に期待に反する行動が見られる。今は全国民が当事者として自覚し、国の方針に協力が必要となる。
日本の将来は新型コロナの性質がまだ明らかでないため一人一人の良識にかかっている、と言っても過言ではない。
4/15(水) 曇り 飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。11:50バス飯川病院、飯川病院ボランティア、外来患者対応、花壇に散水。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計3415歩。
新型肺炎(29) 一般的に見込みが甘い 収束には年余とかかる
4月15日時点の国内感染者総数(死者)
―――――――――――――――――――――――――――――――
??国内感染判明例 8566人(189人)
秋田県 16人
??クルーズ船関連 723人(11人)
??チャーター機関連 15人
??空港検疫関連者者 125人
クルーズ船チャーター機関連者には変化がない。
昨日の段階で一日500人前後の感染者数が発表になるなど、まだ右肩上がりの厳しい状況にある。世界で感染者は200万人超。
―――――――――――――――――――――――――――――――
一般的に新型肺炎に対する見込みが甘い。
収束には年余とかかる。私はこのはびこる甘い状況判断を見ちゃおれん・・という気持ちでいる。
有識者の方々、現状の問題だけでなく、長期展望の予想もしてほしい。
産業界など大変な状況となっているし、国民への現金給付などにも影響する。長期的計画で考えないと国が破綻しかねない。
東京五輪開催は1年延期された。一年という延長は、しかしながら、短すぎて開催は無理だろうと思う。この判断が甘い判断のルーツになっているようだ。WHOの新型肺炎に関してはなんか変だ。
人間の歴史上で最悪の疫病であったペスト、スペイン風邪の経過を見てもそう思う。後者は100年前のことであったが、収束に約2年かかり、その間5億人が罹患、3000万人以上が死亡した。正確な記録はないようだ。
当時は疫病に関して公衆衛生的知見は少なかったが現在は違う、と多くの人は言うだろう。
しかし、現在も新型肺炎に関する知見はまだ乏しい。治療薬もワクチンもない。基本は100年前と同じ。
いや、その時以上に、人間は都会に集中し、過密状態で旺盛に経済活動を営み、国際交流も盛ん。当時は交通は船舶、鉄道が中心であったが、今は航空機で1日で地球を半周できる。とても便利な時代になっているが感染症という立場ではハンディを背負っている。
今は急速な感染爆発を何としてもおさえなくてはならない。国の機構が破綻し、医療機関も破綻し、社会は泥沼化する。
感染爆発を抑える事が出来れば、・・・素晴らしいことであるが、結果として流行は長引くことになる。
五輪は、私見だが、最低限2年延長にすべきであった。
秋田の竿燈祭り、そのほかの東北の夏祭りの中止も、つい先日決まったばかりである。秋田の他の夏祭り、土崎の港まつり、西馬音内盆踊り、大曲の全国花火大会の開催は危ぶまれているが中止が決まったというニュースはない。
社会は短期収束を期待している。コロナ収束後の経済をどう立て直すか、などの論評も見られるが、まだまだ早い。国の新型肺炎対策然り、教育界然り、産業界然りであるが、もっとスパンの長い状況を考慮して対策を考えて欲しい。
私は何も対策に寄与・貢献していないから言及する資格はないが、過去の疫病の歴史、年末から現在にかけての新型コロナ感染者の動向、死者の数、世界恐慌・リーマンショック等の経済上の事件などを見ていると、これでいいのか?と思う。
4/14(火)快晴ながら寒い 外来 飯川病院 沖縄含め日本地図完成
0:20起床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。居間のプリンター不調。6:00可燃ゴミ集積所に。6:47バス飯川病院。8:45-13:15外来。人数の割に余裕あり。安定している患者は90日処方に。14:00-18:30飯川病院。入院外来患者対応、19:00帰宅、夕食、21:00就眠。Σ8001歩。沖縄含め日本一周完成す。2565日、2411万歩、19292km。
徒歩通勤2020(3) 歩数計「新・平成の伊能忠孝」沖縄含め日本一周達成
2013年4月に徒歩通勤を開始した。その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくというものであった。
2020年1月17日、6.8年かかって日本一周を達成した。
---------------------------------------------------------------------------
■ 2020年1月時点の最終的積算データ。
2.290日目、6.8年。総歩数 Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離 Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
---------------------------------------------------------------------------
これで私の自己満足生活に達成項目が一つ増えた。
日本地図を完成したら、おまけに530Kmの沖縄一周のプランが用意されていた。伊能忠敬が沖縄を歩いたかは知らないが、せっかくの機会である。もちろんそのコースに乗る事とした。
そして、2020年4月14日、7.3年かかって沖縄を含む日本一周を達成した。歩数計には達成のメッセージが数種現れお祝いしてくれた。
(
(祝いのメッセージは5種類現れた。 その中の一枚)
---------------------------------------------------------------------------
■ 2020年4月時点の最終的積算データ。
2565日、7.03年。総歩数Σ2411万歩 (平均9.399歩/日)。歩行距離 Σ19292Km(平均7.52Km/日)。
---------------------------------------------------------------------------
この歩数計は到達目標がとても遠い。時間もかかる。実際、購入した方々の何%ほどが達成するのか??と思う。購入者の1割にも満たないのではないか??
私が達成できた背景を考えてみた
――――――――――――――――――――――――――-
■ 「継続は力なり・・」という意識、持論があった。
■ 死ななかった。あるいは大きく健康を害さなかった。
■ 紛失、決定的な故障なし。
■ 地図が出来ていくのを2:00amに日本地図を見ながら毎日確認した。楽しかった。
■ ・・・などなど。
――――――――――――――――――――――――――-
通常の、数値だけの表示の歩数計にはもう戻れない。
この歩数計は実に丈夫だし、電池交換時にも記憶されたデータはリセットされない。
コンピューターの容量にも余裕があり、積算できる歩数も1億歩もあるという。
電池部分の防水はOリングで確保されているが、ちょっと水や汗に弱い。少なくとも5年ほども用いることを考えれば生活防水程度はあったほうがいい。
明日は全国地図作り二周目のスタートとなる。am2:00に出発する。二周目は達成は無理。果たして何処まで行けるのか??
4/13(月)曇り 健康クリニック 飯川病院
0:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:47バス飯川病院着、9:00-11:15健康クリニック。年度始めのためか受審者少ない。11:30飯川病院、検食後微睡。14:00-19:00飯川病院勤務。入院外来対応。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。ドラマ版失楽園完結、全12編の大作に、故川島美登利の演技に感服。Σ8310歩。
心理学を学ぶ(6) 「美しい」とは何か(6) 「一目惚れ」の心理(1)
「感動」について考えるときに類似の感情として「一目惚れ」の心理に代用させよう。
「一目惚れ」は一般的に、自分の理想の異性が目の前に現れたとき、一気に気持ちが高ぶって好きになってしまう感情、とされる。確かに理想のタイプの人が目の前に現れたら、興奮と驚きから、一瞬にして頭が真っ白になりそうになる。このような感覚は人間関係だけでなく、趣味の世界でも成り立つ。対象は無生物でもいい。
しかし、現代ではこの説明は正しくない。同性間でも生じうる現象だから、異性に対する感情と限定してはならない。
私もどちらかというと「一目惚れ」しやすい人間だ、と思う。心の中では「一目惚れ」は毎日のごとく頻回に生じている。ただ、私は心の中だけの「一目惚れ」は「一目惚れ」と言わない方がいいと思う。アクションを伴わない「一目惚れ」はちょっと気に入ったレベルでしかないからである。
「一目惚れ」した結果、なんらかのアクション、例えば物品なら衝動買いしたとか、女性なら思わず声をかけてしまった・・・ような具体的な行動に結びついた時だけに限定して自分の経験を考えてみたい。
その視点で私の人生を振り返ってみれば「一目惚れ」を基にしたアクションを起こした経験は例外的な一件以外皆無と言っていい。
私の人生の中で高額な商品の購入は、土地、住宅、ヴァイオリン、ハーレー、車などであろうがいずれも衝動買いの経験はなかった。じっくり資料を調べて納得して入手した。
私の人生の中で「一目惚れ」を基にした女性との付き合いは皆無であった。その面のエキスパートに言わせれば「なんとつまらない人生なんだ!!!!・・・」と言われそう。私も悔しいがそう思う。女性に対してあまりにも臆病すぎた。しかしながら、これが私の実態である。
家内と一緒になってから48年になった。知り合ってから7年後、じっくり考えて選んだ。その判断は正しかったと私は思っているが、彼女はどう考えているのだろうか??謎である。
「つまらない人と一緒になった」と言われることはある。もしかして、彼女の人生の可能性を狭めてしまったのか??とも思う。
ここまでくれば、助け合って生きるしかないし、互いを将来の介護人として大切に、敬っていくことしかない。
熱情、激情の乏しい人生だった。
「美しい」を論じるために「感動とは」に逸れ、さらに「一目惚れ」に逸れてしまった。
4/12(日)午前降雨、午後晴れ
1:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。午前は座学中心。16:00-19:00日当直医と一時交代、座学、19:30迎えあり帰宅、夕食、21:00就眠。Σ5064歩。
心理学を学ぶ(5) 「美しい」とは何か(5) 感動が「美しい」を高める
「美しい」を感じることの前に心理的ショック、次いで感動が先行していると思う。私の場合はそうである。
だとすれば、「感動とはなんだろうか」、ということを先に考察しなければならない。
しかしながら、あらたまって「感動とは何か」を論じようとすると、それが余りに個人的な感覚なだけ、どこかとらえどころのない感じがあって、言葉に詰まる。
感動した時に私は往往にして涙腺が緩む。鳥肌も立つ。情動のスイッチが入るだけでなく自律神経系も影響を受ける。
感受性や共感性に欠けていれば「感動する」ことを理解すること自体難しいだろうし、自然の移ろいや、他人の情緒を理解・判断することも難しいだろう。それが分かる状態にある自分はとても恵まれていると思う。
私の場合、「美しい」は感動の心理を背景にしている。自分の中に「美しい」という言葉を浮かべていなくても、「美しい」と感じているという自覚を持つていなくても、感動した時私は「美しい」と感じているのだろう。
「美しい」の感情は咄嵯に出る感動を伴う言葉で、合理的分析心は伴わないのが普通である。
感動とは、知らず知らずに自覚してしまった自分自身の姿そのものである。そこには嘘はない。実際、何が起こつたのかはよく分からない心理だから戸惑いが生じてくる。
なぜ感動したのか分からない自分自身の心に対して説明が必要になって、なんとか合理的に理屈をつけようとする。
感動は日本語の頭として安易に、かつ、頻回に用いられる。
「美しい」も安易に用いられ私は嫌なのであるが、「美しい」には「美しさ」というより客観的な定義があるからまだ許せる。
感動は人から与えられるものでなく100%自分の心の中に湧き上がってくる心情で自身だけの心理である。他人から指示されて浮かべる心情ではない。
しかしながら、安易な枕詞として、例えば「 感動的な場面」、「感動的な本」などなどと押し付けがましい表現が見られる。これは私は正しい日本語とは思わない。
感動は形に表すのは困難な心情である。何か、似たような心理状況がないか??と探してみれば「一目惚れ」の心理にほぼ同じなのではないかと思う。
だとすれば、難しい感動を論じる代わりに「一目惚れ」について代用する方がいいかもしれない。
4/11(土)晴れ 庭のバラ処理中心に
1:00起床。本読み、徒然など。午前から外仕事。庭の野バラの切断、剪定したバラの枝裁断袋詰め。なんでこんなに棘があるのだ??微睡後午後も同作業、なかなか困難な作業、中腰のために腰痛発生。次男タイヤ交換に来訪。書斎にこもりN響定期公演、ららら、題名のない音楽会など。20:00夕食、21:00就寝。歩行Σ9952歩。
心理学を学ぶ(4) 「美しい」とは何か(4) 「美しい」は理屈では理解できない
私はコンサート、美術館などには頻回に行くが、基本的に一人で行く。興味ある企画展などの場合は家族と連れ立って行く場合はないわけではないが、でも決してその内容については求められてもコメントしたくない。家族たちもをれをわかっている。
私の場合は、一般的に本当に美しいものに触れ、感動した場合、鳥肌が立つし、言葉さえ出ない。その後はうつ的にさえなる。
今まで知り得ていなかった、過ぎ去った時間がとても大きなものを失ったような、気持ちが伴うからである。
さっと浮かんでくるような例を2-3上げれば、もう50年にもなるのだろうが、初めてアルビノーニのアダージョの存在を知った時、チマローザのレクイエムを知ったとき、大原美術館でエル・グレコの受胎告知を見たとき、ラファエロの数々の聖母像を知った時などである。
私が感じ取る美しさは決して視覚的なものだけではない。優れた著作に触れた場合にも感じられる。
私は感動を言葉で評価するのは嫌いだ。
美を、感動を、あるいは感じた落胆ですらも口に出すのは好まない。感動や個人的評価をさっさと心の奥にしまい込む。呼び出したくもない。
ただ、時間というのは厳しく無情なものである。時間の経過とともに感動の質が変わっていく。それを自覚するだけ悔しいが、ここで何らかの格好で記録しておきたい意欲に駆られてくる。美しいことを認識したこと、感動したことは代え難い価値がある。なんとしてでも記憶に残さなければならない。この行動がなければその時の感動は細切れになり、時には霧散する。
しかしながら、真の意味での感動を表現する力は私にはない。
美を感じることはその前にさらに重要な心理学的プロセスを通過することがわかる。それは感動である。感動の感情が先行するから美しいことが一層美しくなり深い意味を持つのだ、と思う。
だとすれば、感動とはなんだろうか、ということにも先に言及しなければならないことになる。
何かまとめきれずに泥沼化しそうなテーマに首を突っ込んだように思う。
4/10(金)昭和27年乙部大火 終日小雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:00飯川病院で起床。読書、データ整理中心。7:40出勤した家内の車で駅に、8:11こまち、9:10-12:15大曲中通病院外来、非混雑。徒歩不可、秋田は徒歩。14:00-19:00飯川病院ボランティア。帰宅、21:00就眠。歩数計6983歩。
新型肺炎(27) 「緊急事態」宣言発令(3) 秋田新幹線、ずっと一人の状況
―――――――――――――――――――――――――――――――
4月9日時点の国内感染者総数(死者)
??国内感染判明例 6255人(119人)
秋田県 13人
??クルーズ船関連 723人(11人)
??チャーター機関連 15人
??空港検疫関連者者 86人
クルーズ船チャーター機関連者には変化がない。
昨日の段階で一日500人前後の感染者数が発表になるなど、まだ右肩上がりの厳しい状況にある。世界で感染者は170万人。
―――――――――――――――――――――――――――――――
私は週に一度秋田-大曲間を新幹線で移動し大曲中通病院の内科外来の診療を手伝っている。
新型コロナ禍は秋田県内では13人の感染者陽性者が出ているだけであるが、高齢の患者たちを中心に漠然とした不安が広がっている。
秋田新幹線、私は8:12発の上りこまち14号に乗る。秋田始発なのであるが、結構人気がある便でビジネス客を中心に混雑し、時には空席がないこともある。新型コロナが中央で蔓延して来てから、特に3月上旬ごろから空席が目立ち始め、ここ数週間は、私がいつも乗る先頭車両はほとんど私一人だけになった。
帰路は、大曲発12:31または13:30のこまち23号または25号で戻るが、いつも利用する13号車はせいぜい2-3名しか乗客はいない。
先日の新聞でJR東北の減収は -75%にも及ぶとあったが、それが実感される。
そのほか大曲駅で見られた対策としては、
■大曲駅の一階エントランスには乗客や住民が集うことのできる広場があり椅子テーブル置かれているが、すべて撤去され、入り口のドアは風を通すために解放され、利用者はいなかった。
■2階の売店、チケット販売窓口、待合所も椅子がすべて撤去。各ホームを結ぶ通路には今までなかった椅子が少数置かれていた。
■新幹線ホームの待合室、待合コーナーは入り口のドアは解放され、利用者はいない。
■などなど、目に見える感染予防の対策が方々に認められる。
東京等で見つかる感染者はまだ右肩上がりに増加中である。経済・文化・交通の要所である東京の活力の源は人間の一極集中が背景になっている。新型コロナの感染制御は人間の接触にあることは明らかで、緊急対策の効果が不十分だと全国的に爆発的感染が生じるリスクが高まる。
地方都市でも感染対策は着々と進んでいる。
そうそう、私の住む町内会は年に何度か総会を開いて昨年の事業報告、今後1年間の予算等を検討するのであるが、本年度の総会は新型コロナを意識して中止となった。後ほど文書で懸案事項を回覧することになったという。現時点の秋田市でやや過剰反応と思われるが、私はその方向を支持した。
4/09(木)寒い曇りのち雨 飯川病院 急遽当直に
1:15起床。新聞・文献チェック他。11:50バス飯川病院。14:00-17:00勤務。入院患者対応。本日の当直医、発熱等の院内事情で来院不可で17:00当直に就く。18:00検食、19;30就眠。歩数計7347歩。21:00家族たちは外食、大昌園らしい。
新型肺炎(27) 「緊急事態」宣言発令(2) (付録)国民性の違い
「緊急事態」宣言は改正緊急特別措置法が法的根拠となる。
それには以下の2要件がある。
―――――――――――――――――――――――――
■国民の生命や健康に著しく甚大な被害を与える恐れがある
■急速なまん延により国民生活や経済に甚大な影響を及ぼす恐れがある
―――――――――――――――――――――――――
前者の要件は連日の感染者数の増加を見れば東京などではすでに満たしている。しかし、現時点で全国的なまん延とは言い切れない。小池知事は夜間の外出自粛を呼びかけた。
政府は東京で感染の爆発的拡大が起こるかどうかを注視した。
経済・文化・交通の要所である東京で爆発的感染が生じると全国的にまん廷するリスクも高まる。
WHOは新型コロナの潜伏期間は14日問と分折しているから「緊急事態」宣言発令14日後頃から発生者源の可能性が出てくる。
米国は3月下旬から4月にかけて感染者数が4日間で10万人から2倍の21万人を超えた。医療機関の機能は破綻しかかっており、トランプ政権は最悪の場合死者が24万人出る恐れがあると警告した。
米国の如く爆発的に増えれば、日本では医療体制を保つのは難しくなる。
日本医師会は4月1日国民に適切な医療提供できなくなる、医療危機的状況と表明、緊急事態宣言を出すべきと。
東京における医療機関の病床数は逼迫している。
―――――――――――――――――――――――――
■都は感染指定医療機関の12病院中心に140床用意。
■入院患者の急増をうけて一般の医療機関に協力を要請。620床を確保。
■入院患者は531人まで増加。
■軽症者は宿泊施設等に移動開始。
―――――――――――――――――――――――――
緊急事態宣言の実効性には様々な見方がある。
外国メディアは緊急事態宣言の内容を甘い、と評価している。
国家権力による行動規制ではなく、「お願い」であり、住民の自覚と、互いの監視による抑制を期待した内容で、あたかも戦時中の「となり組」の発想そのものと見ている。
この緊急事態宣言が有効に結果を出したならば、日本人に対する国際的評価は高まるだろうが・・・、とも。反応はクールである。
ジョークだが、在日外国人向けの安倍総理の説明はおそらく以下のようになるだろう。
■米国人には「外出をやめればあなたは英雄ですよ」
■英国人には「外出をやめればあなたは紳士ですよ」
■ドイツ人には「外出をやめる規則になってますよ」
■イタリア人には「外出をやめれば女性にモテますよ」
■フランス人には「外出をやめてはいけませんよ」
■日本人には「みんな外出をやめていますよ」
(参考資料 早坂隆 世界の日本人ジョーク集 中公新書ラクレ)
4/8(水)曇り晴れ 飯川病院ボランティア
0:30起床。文献検索、徒然ほか。11:07バス、珈琲店経由で徒歩で飯川病院に。ボランティア。新聞チェック、音楽データiPodに入力。データ整理、本読みほか。散水、17:20iPad mini5落札。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計7506歩。
新型肺炎(26) 「緊急事態」宣言発令(1) 矛盾した内容の印象
新型インフルエンザ等の対策特別措置法の対象に、今回新興して来た新型コロナウイルスを加える改正法が3月13日の参院本会議で成立した。
政府は蔓延の恐れが高く国民生活や経済に大きな問題が生じると判断した場合に、同改正法に基づき、首相を本部長とする対策本部で基本的対処方針をまとめ、専門家の意見を聞いた上で緊急事態宣言を出すか検討する。
「緊急事態宣言」が出ると国民の私権制限も可能になる。
実際に宣言を出す場合、都道府県を単位とする区域や期間を首相が示す。宣言が出ると都道府県知事が、住民の外出自粛や、学校、老人福祉施設などの使用停止、イベントなどの開催制限、医薬品、食品などの売り渡しなどを要請・指示する。従わない場合に罰則があるものもある。
我が国では4月7日に緊急事態宣言が出た。都市部を中心に感染者数が治らず右肩上がりに増加しているからである。首都圏を中心に関西、福岡の7都府県が対象になっている。
諸外国ではすでに発令されている国はあるが、外出すると罰金を取られたり、道路や店が封鎖される国もある。国民の私権制限も厳しい。
日本は「あくまでも、重要な用事以外は外出しないでほしい」というお願いのレベルで、罰則はない。だから対象地域の住民にとっては宣言前とそんなに大きく変わらない印象がある。しかしながら、いま国を挙げての対策を行わなければ国民の健康の維持に、社会機能の維持に危機が迫っているとの自覚が欲しい。
知事はコンサートなど大勢が集まるイベントの自粛要請に従わない場合、中止を指示できる。従わなくても罰則はないが企業名などが公表される可能性もある。
知事は臨時の医療施設を設けるため地主の同意がなくても土地や建物を使える、医薬品やマスクなどの保管を命じることもできる。物資を隠したり立ち入り検査を拒んだりだりすると罰金が課せられることもある。
自粛で仕事がなくなる人も出そう。その際の補償は経済再生相は一律に補償は難しい、との意向を示している。
宣言で店舗の営業や施設の利用ができなくなるの強制ではないとの立場で、レストランなどは客席を離すなどして営業を続けてほしいとし、職場にも通勤できると強調している。
最終的な責任はそれぞれの店舗や個々人が負う形になる。
各住民には「不要不急の外出は控えて欲しいと要請していながら、店舗の営業や施設の利用は続けて欲しい」というのは矛盾している。
休業補償については困難を伴うだろうが、きめ細かく進めていくべきだろう。
4/7(火)曇り晴れ 中通病院内科外来 飯川病院 新型コロナ緊急事態宣言
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:45-12:55外来。比較的余裕があった。13:15飯川病院、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者対応、その後再度午睡。やはり火曜日は精神的に疲弊するのであろう。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。歩行計8309歩。
四季2020年(5) ついに、私に春が来た が、結構寒い
2月下旬、私にもついに春が来た。
私は四季を勝手に分類している。
春夏秋冬それぞれに定義をつくっているが、春は「除雪が不要になった時から桜が散るまでの間」にしており、通常は約2か月程度続く。
通常は3月上旬付近で除雪が不要になる。その時から春で大型連休頃に夏になる。今年は異常に積雪が少なかったが、無理やり2月中旬いっぱいを冬にした。
春になると屋外の仕事、建物の外観のメインテナンスとか、畑とか園芸とかがスタートする。
基本的には机に向かっているのが好きな私は、掃除洗濯や料理関係の仕事は賄のお婆さんにお願いできているから、今のところ一切しない。その代わり、外の仕事は、ごみ処理、草刈りなどを含めほぼ全部私が引き受けている。だから、これからは忙しい季節となる。
飯川病院の玄関脇の花壇の世話も私の役目になっている。私はそのために雇われているのではないか、とさえ思う。
3月15日昼に次男の孫たちとともにパンジー、デイジー、アマリリスなどを植えた。ちょっと早かったような気がしたが、連日水やりをした結果やっと元気になり、花は綺麗に咲き始めている。
(意外と綺麗に咲き誇っている)
我が家の庭ではリンゴ、モモの剪定、バラの剪定も終え、一部植え替えも終了した。
鉢植えのボタンの世話を始めた。花芽が少しずつ伸びてきている。
ダリアはまだ球根状態で発芽状態はわからないが、今年植える場所に穴を掘り、自作した堆肥を土と混ぜ込み植える準備をしている。
畑は毎年近所の方からお借りする。本日見たら今年のために耕運機で土起こしされていた。
畑も始まる。キウリ、ナス、トマト、ネギはほとんど失敗がなく楽しめているが、昨年は枝豆は一本も収穫できなかった。何が悪かったのか私にはわからないからちょっと不安である。今年は別物を作ろうかとも考えている。
今年の春は新型コロナウイルスに気持ちを持って行かれている。
しかし、広がる青空のもと、日差しのもとではウイルス問題は消えてしまう。日光消毒のようなものだね。
4/6(月)曇りみぞれ、のち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:30健康クリニックドック7名と結果説明2名。年度始めで受審者は少なかったが後者で時間がかかった。飯川病院に移動。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。歩行計6965歩。
四季2020年(4) ついに、私に冬が来た 年間除雪回数
私は四季を勝手に分類している。
春夏秋冬それぞれに定義をつくっているが、冬は「除雪が必要になる時から不要になるまでの間」にしており、通常は約3か月程度続く。
通常は12月中旬付近で冬になる。
今年は2月6日まで除雪を要する様な降雪は一度もなかった。
2月6日朝、まとまった降雪があり、ついに、私に冬が来た。
しかしながら、除雪を要する降雪はその週の4日間だけであった。もしかすればまた降るかも、と思わせた日もあったので特別2月中旬いっぱいを私的に冬ということにした。
今季は特別な季節であった。これほど甚だしく少雪であると、嬉しさを通り越して気持ちが悪い。
秋田市の雪不足は体感上は過去と比較できないほど著しいが、比較できる毎年の統計は手元にはない。
秋田県の代表的スキー場の一つである田沢湖スキー場の雪不足も著しかった。
田沢湖スキー場オープンは50年前の1970年、秋田魁新報にはスキー場だよりが毎年掲載されてきた。先日、同紙に毎年2月18日時点の積雪量を拾ったデータ記事が掲載された。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d7/55cd0206a03005676066be71e3642d7d.jpg" border="0">
(秋田魁新報2020.2.19の記事の一部を引用させていただいた)
同紙によると、最も雪が少なかつたのは2016年で90cm、今年は100cmで、1979年と並び2番目に少ない。
10年毎のデータで見てもほとんどが平均170cmで推移してきたが、ここ10年の少雪傾向は明らな様に見える。
勿論、沿岸部にある秋田市の降雪と奥羽山脈の山岳地帯にある田沢湖スキー場の積雪状態をほぼ等しいと考えることには無理があるが、今年の傾向は共通であったとは言えよう。
記録的な暖冬・少雪の要因の一つは偏西風が平年よりも北側を蛇行したことで寒気の南下が防げられ、日本付近は暖かい空気に覆われやすくなったからと言われている。蛇行はインド洋の海面水温が影響してたとみなされている。海面水温が高くなると上昇気流が生まれ、中緯度を通る偏西風をさらに北に押しあげ、さらに偏西風は中国付近で南北に波打った、からという。
やはり、地球温暖化の影響による異常気象のひとつだろう、とおもう。
2月20日時点での我が家の除雪機稼働回数
―――――――――――――――――――――――――――
■2010年 13回 ■2011年 9回 ■2012年 14回
■2013年 21回 ■2014年 11回 ■2015年 7回
■2016年 2回 ■2017年 8回 ■2018年 5回
■2019年 2回 ■2020年 4回
4/5(日)晴れ曇りみぞれ まだ肌寒い
1:45起床。データ整理中心、本読み、文献・録音データ整理中心に過す。9:15華の湯にから帰路の家人に同乗帰宅。座学、12:1NHKのど自慢昨年のチャンピオン大会楽しむ。13:00微睡。14:30バラの枝処理試みるもみぞれであきらめた。15:30バス飯川病院、16:00-19:00当直医補助。19:30家内の迎えで帰宅夕食。21:00就寝。歩行計6958歩。
?新型肺炎(25) 冷たく無機質な数値の怖さ 志村けん氏が示した暖かさ
新型肺炎の国内感染者総数は昨日の段階で4151人。この統計表の数値は日々若干増減するが真偽は確かめようがない。右肩上がりの増加が続いている。
―――――――――――――――――――――――――――――――
4月4日時点の国内感染者総数(死者)
??国内感染判明例 4151人(94人)
秋田県 11人
??クルーズ船関連 723人(11人)
??チャーター機関連 15人
??空港検疫関連者者 65人
4月1日時点 全世界では感染者は100万人超に達したと推定されている。
―――――――――――――――――――――――――――――――
新型肺炎感染者は国内で4000人超、死亡者は間も無く100人に迫ろうとしている。現代の疫病としては恐ろしく大きな数値が毎日更新されていく。世界での死亡者数は3月末日で68万人と推定されている。
これら集計された数値のもとになっている一人一人の死亡者は、生前暖かい体温を持ち、かけがえのない個々人の人生、個性があったはず。肺炎に罹患し各人が味わったであろう苦痛と驚愕、死に至るまでの苦しかったであろう過程を思えば、いたたまれなくなり、私など言葉を失ってしまう。
それが、集計されて数値化されてしまうと上記の表の如くに単なる無機的な数字と化して、比較のための資料になってしまう。これは、何でも数値化してしまい比較の対象にするという現代の社会の在り方なのだが、その意義は分かるとしても、その数値の陰に何があるのか、ほとんど忘れ去られて、単なる数値の羅列になってしまう。それを多くの方が非感情的に受け入れている。統計数値の背景には個々の人生、感情、人間性などがあるのだが一切無視される。
私共医療関係者は診るのは暖かな体温を持つ患者である。若い医師たちは往々にして患者を症例と称することが多い。患者が症例に変わったら暖かい体温や血液の流れはなく、集計のための冷たい抜け殻になってしまう。まだ実務経験のない学生、経験が乏しい研修医が患者を症例と表現するような教育が大学教育の中で行われているとしたら、問題である。
コメディアンの志村けん氏が3月29日に新型肺炎のためになくなった。
新型肺炎の死亡者数を数値として眺めていた方々にとって、志村氏の死亡は個別に取り上げられた初めての方ではないだろうか。氏の死亡は19:00NHK-TVのニュースで大きく報道された。国民に大きなショックを与えるほど有名な方だったらしい。私自身は新聞か雑誌の紹介記事を通じてお名前程度しか知らなかったが、有能でかつ暖かい方という評価を受けておられた。氏の死は悼ましいことではあるが、病気で亡くなることは生物として生きるものの宿命でもある。氏が新型肺炎の死亡統計を見る上で果たした役割、数値に暖かい命の価値を付加してくれた役割は大きいものがある。
氏のご冥福をお祈りしたい。?
4/4(土)快晴・夕方から降雨 飯川病院午後日直・当直
1:00起床。本読み、映画、音楽など楽しむ。データ整理。孫たちの宿泊なしに。魅力がないからだろう。11:30家内に同乗、飯川病院午後日直・当直に就く。レガシー車検に出す。昨年この時期バッテリー交換したが半年しか持たなかった。12:00検食、新聞チェック、読書、音楽、映画三昧。18:00検食、21:30就眠。歩行計4480歩。
新型肺炎(24) 体調不良、自分もかかったのでは?と一瞬疑心暗鬼に
4/1(水)のことであるが、歯科治療終了し、11;47のバスで飯川病院へ移動、14:00-19:00予定でボランティアに就いた。
この頃から急速に体調悪化、体熱感、37.3度の微熱と強度の全身倦怠感発来、机に向かっているのも辛くソファで臥床して過ごした。
こんな体調不良は年に数回はあるが、多くは睡眠不足が蓄積した時である。今回は時節柄、まさか新型コロナ感染では?との考えが頭をよぎった。安静にしつつ経過を見ることとした。
19:15家内に同乗して帰宅、夕食をとったが、食欲は通常であった。毎夜のネコとのコミュニケーション交換も短時間に切り上げ20:15就寝した。
翌朝はいつもの如く2:30起床、体熱感も消失、体調かなり改善傾向にあるが、今ひとつ気力がわかない状態であった。それも午前のうちに解消した。
まあ、新型コロナ感染症ではあるまい。周辺にもそれなりの方はいない。もし罹っていても人に移さぬよう注意して暮らすことにしよう。
さいわい、私は連日生活記録をつけているから潜伏期に当たる2週間くらいの生活は記録と記憶を辿ればより詳細に再現できる。
少なくとも最小限の診療以外は他人と接触することもなかった。その記録は患者の来院記録、診療記録から全て確かめることができる。新幹線やバスの利用時間は固定しており、座席もほぼ固定している。見直してみてもここ2週間の間、換気の悪い狭い空間で他人と一緒に近接した状態で一定時間過ごしたという機会はなかった。他人との会話もなし。
一番非日常的であったのは当日の歯科治療ということになろうが、潜伏期間から見て考えられない。
私は若い時に職質を3回受けた。1、2回目は学生の時で大した職質ではなかった。
3回目は幼かった子どもたちを向浜の遊園地で遊ばせ、車の中で本を読んでいた時、車の前後を覆面パトカーに挟まれ、私は突然免許証の提示を求められ、刑事らしい男から約10日間のアリバイ、行動を追求された。有無を言わせない厳しい追求でうまく対応できず、連行されるのではないかと思ったが、この間に他の警察官が無線連絡し、私の素性が判明したためかまもなく放免された。私は心に深い傷を受けたが、一言の謝罪らしい言葉もなく去って行った。
これは完全に言葉と権威による暴力行為に相当する。一言も謝罪の言葉がなかったことは不満であった。この時以降、警察や司法へ不信感を抱くようになった。
平穏な毎日を過ごしている人間にとって約10日間の自分の行動をその場でスラスラと説明なんか出来ない。これ以降時間まで記入した記録をつけ始めた。その後は職質などはなかったが、今回ひょんな事から役立ちそうである。
4/3(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみ提出、7:35Taxi駅に、8:11こまち、先頭車キャビンに二人のみ。9:10-12:15大曲中通病院、往復徒歩。秋田駅飯川病院感も徒歩。14:00飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩行Σ10909歩。
新型肺炎(23) 新型肺炎知見の整理
新型肺炎はまだ不明の点が少なくないが、少しでも知見の整理しておくことは重要である。
■新型肺炎の進展と対策の流れ
2019年12月武漢市で肺炎患者の集団発生が報告。
2020年1月30日にWHOは公衆衛生上の緊急事態を宣言。
1月16日に日本国内初患者が報告。
2月1日に指定感染症に指定。
2月25日感染拡大防止策に重点を置いた政府の基本方針が提示。
日本国内、海外からの報告が連日で指針も多数発出されいささか情報過多の傾向もある。
■新型肺炎の進展
日本国内では4月1日現在で ??国内感染判明例2478人(死者69人)、
全世界では3月26日時点で ??感染者は30万人超。死者2万人と推定。
秋田では本日の時点で10名以下と少ない。しかし、医療従事者としていつ患者に遭遇するか予想もつかず、その際どのように対処すべきか不安を抱えているのが現状。
■コロナウイルス
ヒトに感染するコロナウイルスは4種知られており,感冒の原因の10-15%を占める。
コロナウイルスへの免疫は誰でも持っていそうだがこの辺のことは明らかにされていない。
動物にもコロナも存在する。
2002年中国広東省に端を発したSARSはハクビシンのウイルスに由来し8000人が感染、
2012年にはアラビア半島からMERS中東呼吸器症候群が報告され、ヒトコブラクダから人に感染することが判明した。
2019年12月から中国武漢市で発生した今回の原因不明の新型肺炎はCOVID-19と呼ぶ。宿主はコウモリと推定されている。
■新型肺炎の感染経路
飛沫感染が主体。接触感染も。密閉された狭く換気の悪い空間での他人との密着、会話が感染の中心らしい。
有症者が感染伝播の主体で無症状病原体保有者からの感染も推定されている。
■替伏期
1-14日間、5日程度で発症が多い。
発症時から感染性が高い。
広東省におけるPCR検査ではつ咽頭より鼻腔のウイルス量が多く、発症日から5日程度持続、10日前後で検出限界以下となつた。
■臨床像
多くで発熱、呼吸器症状、鼻汁・鼻閉など。頭痛い倦怠感など。消化器症状は10%以下。
初期症状は感冒に似ておりつこの時期にこれらとを区別することは困難。味覚障害嗅覚障害は特徴の一つと考えられている。
■重症化
一部は発症から1週間程度で重症化。さらに重症化する例では10日目以降に集中治療室に入室という経過をたどる。
重症化因子として、高齢、基礎疾患など。
40歳代までは重症化は少なくいとされたことが若年者の感染蔓延につながった、と私は考えている。
現状で前世快適に致死率は5%、中国でのデータからは80歳代の致死率は14.8%。
基礎疾患のある患者では明らかに致死率が高い。
4/2(木)曇り寒い 飯川病院
2:30起床、体調かなり改善傾向にあるが気力がわかない。一応起き出しルーティンのデータ整理など、文献チェック、読書他いつものごとし。途中で微睡、さらに体調は改善。11:47バス飯川病院。微睡ほか、14:00-18:45勤務、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:30就寝。Σ7223歩。
新型肺炎(22) 感冒などの患者の受診行動にも変化が見え始めてきた
新型肺炎の国内感染者総数は昨日の段階で2500人に迫っている。
―――――――――――――――――――――――――――――――
4月1日時点の国内感染者総数(死者)
??国内感染判明例 2478人(69人)
秋田県 7人
??クルーズ船関連 712人(11人)
??チャーター機関連 14人
??空港検疫関連者者 70人
3月26日時点 全世界では感染者は30万人超。死者2万人と推定されている。
―――――――――――――――――――――――――――――――
毎年、この時期はインフルエンザの流行が一段落し、老人病院、保健施設等でインフルエンザの集団感染、虚弱状態にあった患者が死亡した話題や総括で締めくくられる。
高齢者の死亡はその都度ニュースとして流されるが、私はもともと助けられない状況にある患者がたまたまインフルエンザ感染を機会に死亡したのだと思っている。
徐々に報道の姿勢は変わりつつあるが、医療機関側、施設側に重大な落ち度があるように報じられる。マスコミの姿勢には困ったものだ。マスコミはことの真意もかまわず、大げさにことを荒立ててボヤを火事だ火事だと騒ぎ立てる。
私は、ほとんどの健康人は感冒やインフルエンザに感染しても自然に改善するから、医療機関に受診しないことも選択肢の一つと思ってきた。特に救急病院への受診は控えて欲しいと思う。軽症な患者ほど待ち時間等に不満の声を上げる。それで命に関わるような重要な救急患者の診療に大なり小なり悪影響を及ぼす。
日本では健康保険証があればどの医療機関いにかかろうと原則自由。むしろ早期受診、早期診断、早期治療が推奨されてきた。その背景は日本医師会の考え方を始め色々あろう。
だから、インフルエンザに際し、感冒の場合も、ほとんどの患者が受診し、ほとんどが投薬を受けていると私は思っているが、無駄なことと思ってきた。
ところが、新型肺炎禍が患者の受診行動を変えつつある。
厚労省は今回の新型肺炎の流行に関し、風邪様の症状が出た人には仕事や学校を休んで家にいるよう求めている。一定以上の熱がつづき、合併症のある患者、呼吸困難感がある場合などは相談ンターに甲し出る。これが基本だ、と主張し始めている。これは災い転じていいことだと思う。
軽い症状の段階で病院に行くと、コロナに限らず感染症にかかるリスクが高いし、検査もできないし治療薬もないのでデメリットが大きい・・・・・という考え方が浸透しつつある。
世界のなかで相対的にコロナ感染者が者が少ない日本は、医療機関がまだ機能している。だが、この先は欧米に遅れて感染爆発が現実化するおそれがある。
無症状や軽症の人は自然治癒力に期待して自宅等で療養し、専門医と設備が整った感染症対応可能病院は重傷者に割りあてる必要がある。
さらに、電話再診、処方箋発行など、オンライン診療の機能を充実させ、使い勝手をよくするなどの工夫が必要となる。
ウイルスに効果のある治療薬が少なく、自力で治せる風邪についても決して軽視してはならない。
しかし、コロナ禍が自然治癒力を見直すきっかけになりそうなことは怪我の功名でもある。長い目で見て医療費の節約にも結びつくのではないだろうか。
4/1(水)雨 歯科受診 飯川病院ボランティア
1:30起床、いつものごとく。雨にて外仕事不可、10:30ドラッグストア経由で歯科医院へ。3年間開けての受診であったが意外と損傷少なく3回目の今回で終了、次は7月となった。11;47新国道からバス飯川病院、14:00-19:00勤務。入院患者対応。この頃から急速に体調悪化、発熱と強度の全身倦怠感発来、以降はソファで臥床して過ごす。まさか新形肺炎ではなかろう。19:15帰宅、夕食、食欲は通常。21:00就寝。Σ6579歩。ネコとのコミュニケーション短時間に切り上げ就寝。
新年度(2020)スタート 今年度就労と発想の転換
本日は新年度スタート日。
本日から私の就業契約も改訂になった。昨年度とほとんど同じ内容。
今年は明和会からは声がかからないかも、と思っていたが、本年度も嘱託医師として、また、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。
以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。いつまで続くかは不明。
――――――――――――――――――――――――
午前 午後
月曜 健康クリニックドック診察、結果説明。 飯川病院勤務。
火曜 中通総合病院外来。 飯川病院勤務。
水曜 (飯川病院ボランティア)。 (飯川病院ボランティア)
木曜 (飯川病院ボランティア)。 飯川病院勤務。
金曜 大曲中通病院。 大曲中通病院
土・日曜日 月1-3回飯川病院日直または当直。
――――――――――――――――――――――――
上記の勤務予定以外は、無計画的に読書などで過ごしている。
せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。
日々、充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
「無の境地」に至る過程?? イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。
こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。準備は必要だが「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈なのだ。
新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになる。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |