2020年2月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
2/29(土)曇り小雨 温暖
1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前から久々書斎にこもる。音楽関係の録画蓄積データ整理、視聴、読書、データ化など。ほとんど座りっぱなし。夕方、購入したMacBook Air2019製届く。準備していた移行アシスタントでMacBook Air2017からデータ移行。19:00夕食、21:15就寝。玄関から一歩も出ず。歩数Σ3469歩のみ。
新型肺炎(13) 突然全国一斉の休校要請!!!!
新型肺炎(COVID19)の感染拡大防止策として、文部科学省は全国すべての小中高校などの3月2日から春休みまでの臨時休校を各都道府県教育委員会に要請した。安倍首相の決断。
全国の休校要請は、いま頃になって開いた政府の専門家会議が新型肺炎感染の現状を「急速な拡大の瀬戸際」としたことから、首相が決断した、と強調した。
ただ、休校開始まで4日しかない。あまりに唐突な話である。新型肺炎への政府の対応が後手に回った結果、慌てて対応するもので、高まる対応への批判を払拭する狙いもある。
私は休校要請の意義はある、と思う。インフルエンザなどの場合は学級閉鎖、休校処置は頻繁に行われる。その意義は大きい。
しかしながら、新型肺炎(COVID19)の感染者はまだ国内で1000人前後、しかも、国内発症者は偏っている。医療的観察の最中にいる。
本県の小中高校などは全て休校することを決めたが、感染者がまだ出ていない本県で一律に休校することが必要なのか、私は疑問である。
(日経紙の記事から借用した)
安倍首相は決断に至った背景を十分に説明し、それに伴う社会の混乱に対する対策を早急に明らかにすべき。ただし、休校の決断理由は疫学的根拠に基づいた明快な説明でなければならない。「何もしないよりはいいだろう、的イメージの説明」では納得できない。
休校の意義、それに伴う影響は以下の通り小さくない。
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??学校では、閉じた空間に多人数が密集して長時間を過ごし、食事も共にする。リスクが高い環境であることは明らか。学校での感染リスクに備えることは、理解できる。
??子ども経由でお年寄りを含む家族に感染が広がることは防ぎたい。
??北海道などは、やむを得ない措置として一斉休校を決めた。現に多くの感染者が見つかったからで止むを得ない。
??首相の表明はかえって混乱と不安を招いている。
??現実的なリスクを、どんなデータに基づき、どう判断したのか。なぜ方針が急転換したのか。
??全国の学校が1カ月にわたり閉鎖されるとなると、家庭や社会に及ぶ影響は計り知れない。首相は、今回の措置に伴って浮上する諸課題をどのように想定し、いかなる手立てを用意しているのか。
??とりわけ低学年の学童がいる共働き家庭には大きな負荷がかかる。欠勤を余儀なくされる保護者が出る。
??医療従事者の欠勤は医療崩壊をもたらす。もともと医療にはマンパワーに余裕などない。
??企業では社員の欠勤に直面しそう。
??非正規雇用者は解雇や収入減に直面する。
??国家的措置によって、立場の弱い人ほど大きなしわ寄せを受ける。対策が急務。
??休校の意義の確認はどうするのか?またどう言う状態なら休校を終えるのか?
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首相の政治的決断はちょっと問題があった。だから、正しい評価が必要である。
2/28(金)曇り小雪寒波再来 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄。7:30Taxi駅に、8:11こまち、8:55-12:00大曲中通病院外来。病院駅間は往徒歩、復Taxi。駅病院徒歩、飯川病院ボランティア、19:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ11498歩。
新型肺炎(12) 政府の基本方針 やっと動き出したが遅かった
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2月27日の段階の感染者(死者)
??国内感染判明例 193人(4人)
??クルーズ船関連 709人(4人)
??チャーター機関連 16人
??検疫関連者者 10人
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新型肺炎(COVID19)の感染拡大に備え、政府は対策本部を開いて総合的な基本方針を決定した。
私はリアルタイムに判断すべき内容が国レベルでは遅れがちなことをウジウジと責めるのは好まないが、国内で初の陽性者が出たのが1月15日、それから1.5け月、クルーズ船DP号内集団感染と言う特殊な状況を抱えてしまったが、感染者は900人を超えた。
今後どこまで膨らむのかは見通せない状況である。
対策は後手に回った。
政府は遅まきながら、専門家会議を開き基本方針に以下を盛り込んだ。
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??今後1〜2週間が正念場、
??重症者への治療を最優先、
??集団発生を早期に把握して拡大を防ぐ、
??集団発生した地域では外出自粛を要請する、
??一般の医療機関でも治療に対応をする準備を、
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新型肺炎は、症状の軽い人が多く感染が広がりやすい一方、高齢者や基礎疾患のある人は重篤化しやすい。重症者の治療優先は当然だが、いまだに治療薬も見つかっておらず自己の免疫能が頼りとなる。
感染経路が不明な例も多数見られ、もはやいつどこで集団感染が起きても不思議ではない。患者が急増した場合、重症者への対応が手薄になる可能性がある。一般の医療機関でも治療に対応することも盛り込んだが、こうなると地域医療は崩壊する。なんとしてもそのような事態は防ぎたい。
感染への不安から、むやみに医療機関を受診するのはリスクを高めるだけ。現状では検査もままならない。軽症であれば原則として自宅で療養してもらうが、その判断に相談窓口が役立つ。
意外とウイルス以上に不安を感じた人間の方が怖い。
新型肺炎について多くの人が集う会などへの参加はリスクが高まる。すでに、さまざまなイベントが中止や延期になっている。今が正念場。
個々人が感染を広げないための行動を心掛けることが必要だ。ポイントは以下のごとく。意外と簡単なこと。
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??不要不急の外出は控える。
??不安だけで医療機関を受診しない。まず相談窓口に。
??マスクには感染を広げない意義ははあるが、予防の意味は小さい。
??手洗いの励行は意義が大。
??十分な睡眠や食事、体調管理に気を配る。
??などなど・・・・・
2/27(木)快晴 飯川病院
1:00起床。文献・データ整理、読書。花壇用の水道ホース出して連結。ボタンの鉢、ガレージから外に出す。11:45買い物に出る家人に同乗飯川病院。14:00-18:45飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅、19:15夕食、21:15就寝。ラジオ深夜便数編聴く。Σ3954歩。新型肺炎一斉休校問題。何も全国一律でなくともいいのでは??
アルメニアの指揮者ロリス・チェクナヴォリアン その息子がヴァイオリニストとして登場
ロリス・チェクナヴォリアン(1937年 - )は、イラン生まれのアルメニア人指揮者・作曲家である。
今はほとんどメディアの中に登場することはないから知名度は低いだろうが、私は約30年ほど前に発売されたボロディンの交響曲やハチャトゥリアンの管弦楽曲のレコードを通じて感銘を受け、将来に大きな関心を抱いていた。私の記憶にはその頃の強烈な印象が今までも残っており、名前を忘れたことはない。アルメニア地方の音楽を聴くたびに名前を思い出していた。
私はクラシック音楽を中心に音楽番組を週に数本分自動録画しており、機会を得て視聴している。そのライブラリーは300回以上の演奏会、収録された曲は数1000曲に及ぶ。自炊された書籍と同様、私の貴重な電子的財産の一つである。
数週間前に、読売日本交響楽団の録画リストの中に、Vn独奏者の一人にエマニュエル・チェクナヴォリアンの名前を見つけた。チェクナヴォリアンと言う名前は忘れもしない懐かしい名前である。調べてみれば彼はその息子であった。
父親のロリス・チェクナヴォリアンはイラン生まれのアルメニア人。テヘラン音楽院、ウイーンのアカデミーで学び、名指導者ハンス・スワロフスキーに師事している。同期にズービンメータがいる。イランやアルメニアの歌劇場などで活躍、アルメニア・フィルを指揮し、国民の意欲を鼓舞した数々の熱演、活動で知られる。
1979年に来日し、読売日本交響楽団を指揮した。1990年代には、アルメニア・フィルとともにハチャトゥリアンらの作品を立て続けに録音し、大きな評判を呼んだ。
ロリスはオペラや交響曲、協奏曲など、民族的なスタイルを取り入れた作品をたくさん書いている作曲家でもある。
今回、来日したエマニュエル・チェクナヴォリアンは指揮者ロリスの2世。ウィーン生まれ、24歳、すでにロンドン交響楽団、サンクトペテルブルク・フィル、マーラー室内管弦楽団などとの共演歴をもつ、今注目の若手ヴァイオリニストの一人である。
早速、録画を視聴してみた。演奏はY.テミルカーノフ指揮、読売日本交響楽団。曲はシベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲。端正な容姿である。
私には演奏の詳細を評価する力はないが、彼の音楽が情熱的で自由だというイメージを持った。ごく自然にテンポが揺れ、深い感情のドラマをみごとに表現する。緩徐楽章では、上品なウィットと現代的なセンスを聴かせる。非凡な音楽家だ、との印象を持った。
これからに期待できる逸材の一人だろうと思った。
2/26(水)晴れ 飯川病院勤務
1:00 起床。文献・新聞チェック。8:30家内に同乗、飯川病院。10:00院長受診のためにそのまま終日勤務に。院内患者は落ちついている。MacBook Air2017にiMac27 2012のアプリケーションを上書きした。約6時間要した。今は入手できないソフト読取革命が使用可能になった。飯川病院花壇の雪囲いはずす。19:10帰宅、夕食、21:30就眠。Σ6873歩。
全席のシートベルト着用義務化 ならば、後部座席のベルトもっと使いやすく
平成20年の道路交通法改正で全座席のシートベルト着用が義務化になった。道路交通法改正前は後部座席は着用の努力義務だったので、非着用でも違反にはならなかった。
後部座席のシートベルト着用は、改正道交法の第71条にある。運転するドライバーはもちろん、後部座席の同乗者にもシートベルト着用させないと運転してはいけない≠ニいうこと。違反した場合、一般道では口頭注意、高速道路では、行政処分として1点の加点となる。
後部シートベルト非着用時に起こる被害の代表は以下の様にまとめられる。事故の際は非着用時の何倍も危険である。 だから私も義務化には賛成である。
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??全身の強打
??車外への放出
??前席同乗者だけでなく、全員に被害が及ぶ
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後部座席での着用率は最近でも一般道で30%台、高速道路では70%台と低い。
タクシーの後部座席でも適用になる。違反はタクシー運転手課せられる。事故の際の賠償にも関連してくる。 ?
時速60kmでの衝突は14mの高さからの落下に匹敵するほど大きいが、さらに衝撃時に車が回転すると前後左右に振られ、車外に放出される可能性も13倍に上昇、致死率は4倍以上に。高速道路で死亡は、発生する死者の約1/6が車外放出で、その中の約7割がシートベルトを非着用だった、とのこと。
前席の背もたれは構造上、高速道の事故等では被害軽減は期待できない。上記のデータに関してはJAF mateを参照した。
後部座席のシートベルト着用の意義は明らかであるが、後部座席のシートベルトはその着脱が簡単ではない。
私は後部座席のシートベルトを締めるが、乗り慣れない車では着脱に困難を伴う。荷物を抱えているときには四苦八苦することもある。タクシードライバーによると、高齢者はなかなか装着できず、外すことも出来ず、下りて手伝わなければならない場合も少なくない、という。
義務化するのであれば着脱しやすい様にシートベルトの構造を改良すべきである。
根本的に設計を見直してもいいと思うが、最も簡単な改良としては、普段シートにほぼ隠れた状態にある受け口のバックルのベルトを長くすればいい。出来れば体の正面で着脱する様にすればより簡単にできる。それだけでいい。
法律とかで規制を強めるのであれば、その内容に応じた改良が必要である。国交省では自覚があるのだろうか。
2/ 25(火)晴れ 中通病院内科外来 飯川病院
0:30起床,文献読み、新聞チェック、MacBook Pro2009蘇生試みるも不可だった。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通外来。先週は地獄であったが本日は比較的余裕。13:00飯川病院、微睡、14:00-19:15飯川病院勤務。入院患者対応。MacBook Pro2009を諦め、MacBook Air2019を購入した。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ11998歩。3月14日予定の循環器学会中止になった。新型肺炎の影響身近になってきた。
新型肺炎(11) DP号(3) 厳密に考えれば陰性者の下船の判断はおかしい
DP号から2月19日から陰性者が暫時下船したが、この下船の判断はおかしい。
厚労省は19日、乗客乗員で新たに79人の感染が判明したと言いながら、検査で陰性であった乗客の下船を認めた。ここには大きな矛盾が含まれている。
19日に始まった下船では検査が早かった高齢者を中心に443人が帰途についた。すべての乗客の検体の採取は終えており、結果が陰性ならば残る乗客も21日にかけて順次下船させる。ホントに21日でいいのか??疑問が残る。
厚労省によると、乗客には今月5日から客室内で待機などの感染防止策を取ってもらっていた。この方々の感染防止対策が十分なものであれば、潜伏期間を踏まえた14日間の観察期間が19日で終わると考えるのは妥当であるが、そんなことを言えるほど院内の環境は良くなかった。
現に、19日新たに79人の感染が判明している。このことは船内で過ごした14日間に船内で感染したことを示している。すなわち、検査で陰性であった場合でも、院内にいた以上、その後に感染した可能性があるということ。
検査で陽性となった人と同室だった特別な人たちは、検査で感染が確認されなくても観察期間の終了日が延びるため下船は遅れるという。これは常識的判断で正しい。
私は、次々と新たな感染者が判明する環境ならば、厳密な意味では潜伏時間の終了日を決めるのは無理だ、と思う。
船内で新たな感染者が0人になった時点から14日後が正しい観察期間終了といこと。だから19日、21日時点での下船者からは陽性者がで得る可能性があった。
19日下船した乗客は各々横浜駅などに行き、公共交通機関で各地に帰宅した。下船前に検温や健康状態のチェックを受けたというがこれはあてにならない。
乗客には下船後2週間は発熱やせきなどの症状が出れば連絡するよう求めたほか、居住地域の保健所が健康状態を確認することになっている。
検査が陰性で下船した日本人から22日初めて陽性者が出た。これは予想されたことである。厚労省は23人を未検査のまま下船させるというミスをおかしたが、この女性は検査を受けており陰性であった。
下船の判断の誤りが表に出た、ということ。おそらく下船者から全国的に散発的に陽性者が出る可能性がある。
秋田県でも2名の方が帰郷している。この方達が感染していないことを望むだけである。
ところで、どなたがDP号の観察期間を決めたのか??下船を判断したのだろうか??
見えない。厚労省役人か??判断は間違っている。
2/24(月)晴れ 飯川病院日直
0:30起床、文献、徒然、その他。8:37バス飯川病院。自宅の家内用のMacBook Pro2009起動しないという。10年もの、永眠か?? 9:00-17:00日直。ラジオ深夜便聞き直し、データ入力等。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。Σ5655歩。
新型肺炎(10) DP号(2) 下船できない意味を誰も理解していなかった
DP号は1月20日に横浜を出発、鹿児島、台湾、沖縄を経て2月3日夜に横浜沖に停泊した。
DP号では乗員、乗客の集団行動や共用設備が多い。手すりや狭い廊下が多く、運航中に感染が広ったのであろう。
検疫官が乗客の部屋に来たのは4日朝、体温測定と問診票作成だけで2分ほどで終わった、という。検疫官はがそこまでしかやれなかったことに初動の問題があったように思う。
その時点で、船内に目立った混乱はなく、これまで通り乗客はレストランで食事をとり、ショーやコンサートを楽しんでいたらしい。クルーズ船などでは乗客に暇を持て余さないよう遊興をサービスするので、集団行動や共用する設備が多い。
17日の時点で延べ1723人を検査し、感染者は計554人に上った。船内でうなぎ昇りに感染者が広がった、と思われる。
米国は米国籍の乗客のうち検査で陰性を確認できた人を帰国させた。これはいい判断である。日米の感染対策には相当の違いが認められ、米国の方が一長がある。それ以上に、DP号の人口密度を減らすことの意義は大きい。
公海上にあった同船には、日本が感染拡大の対応を取る権限や義務はない。義務を負っていたのは船籍のある英国だった。集団感染の疑いがある船舶の受け入れには各国共に二の足を踏む。一般的にどの国も自国民がほとんど乗つていなかったり、遠方を航行している船舶には積極的に対応しない。
日本政府はDP号の着岸を拒否することもできた。しかしながら乗客の大部分が日本人であったことから受け入れたことはいい判断であった。これに関して英国の影が全く見えないのが不思議である。
しかし、受け入れた後の対応は問題があった。
感染者が出た以上、雑な感染対策をしても広がっていくことは予想されたが、厚労省は、「船中に閉じ込めておけば、国内の感染は防げる」と判断したらしく、「船内にとどまらせるのが最善策」と正当化につとめた。そして、この判断のもとに、乗客、医療従事者、自衛隊などの支援スタッフがウイルスにさらされた、と考えられる。
新聞紙上から知られる範囲からであるが感染防止対策がほとんどなされていなかった様である。
問題点をざっとあげれば、
????????????????????????????
??船内の人口密度が異常に高い
??船内の構造が感染防止から見て不適に見える
??乗員、乗客の集団行動や共用設備が多い
??レストラン、エベント会場で集団で過ごす時間が多い
??船舶に感染症や疾病蔓延防止の発想やマニュアルはあったか?
??一番の問題点は感染症専門家に助言を求めていないこと。感染症の専門家がDP号に乗船を許されたのは17日。 蔓延防止の助言は拒否?され、1日しか調査できなかった、らしい。
??などなど-----
私も当初はDP号の状況について関心を持って経過を見ていたが、感染が徐々にひろがった時点でもなんら積極的対策が取られていなかったことで危機感を覚えた。
2/23(日)強風晴れ曇り雪と一定せず
1:00井川病院にて起床、早朝は文献関連。データ整理。9:00レガシー帰宅、
午前は台所扉修理。昼近くまで蓄積データ整理、読書。昼NHK-TVのど自慢見る。午後は書斎にこもり、直積したN響定期公演を中心に試聴。微睡、新聞PDF化。19:00夕食、21:30就眠。Σ11747歩。平穏な1日。
新型肺炎(9) ダイヤモンドプリンセス(DP号)(1) 感染伝播をどう考えるか
香港で下船した乗客がコロナウイルス陽性だったことを受けて、検疫のため2月3日夜から横浜港埠頭沖に停泊している大型クルーズ船DP号について、横浜市は当初、埠頭に着岸して乗客が下船するのは5日以降になると発表した。
検疫などで乗客と乗務員の健康状態を確認するために下船予定を24時間延期したという。
船内には2666人の客と1045人の乗務員、約3700人がいる。
私はこのニュースを見たときに感染拡大防止のために随分都合がよくできた話だと感心した。
未知の感染者が発症したときに一定の場所に集めて経過観察することは理想であるが、実際には地域の住民が反対するために実行されたことはない。このために病院船などがあれば理想である。
古い話であるが、2010年宮崎県に牛の口蹄疫の感染が拡大した。当時私は県医師会で感染症担当していた。家畜の伝染病といえ、対策には共通のものがある。いろいろ勉強の機会があった。
口蹄疫(2) 最重視の種牛を洋上隔離にしては?
新任した東国原知事は非常事態を宣言し、発生地域内では不要の外出を控えるよう要請した。一方では、49頭の超エリート種牛を殺処分しないよう国に要請したが国はこれを拒否した。
口蹄疫は家畜の伝染病の中では最も伝染力の強い疾病で、ウイルスは自動車や人の衣服、靴などに付着して広がる。また、感染個体の体液、分泌物、糞便との接触の他、ウイルスが藁などの移動で運ばれ、更に塵により空気感染もするとされている。国境を越えて空気感染が拡がった例もある。しかも、藁等に付いたウイルスは夏4週間、冬9週間感染力を保つという。
これらが全て本当とすれば、対策は極めて困難である。口蹄疫感染拡大防止対策の困難さはヒトのインフルエンザ対策の比ではないほど困難である。
5頭のスーパーエリート種牛は20Kmほど離れた場所に隔離されているが、そのうちの1頭が感染し、結局は全て殺処分された。私は新聞に報じられた隔離の場所と隔離の施設の構造は不十分と思う。
本当に厳重に隔離するのであれば、重要な立場にある種牛は、それほど多数でないのだから船で洋上避難させるのがベストと考えた。そこは感染からの完全な隔離の場となる。
諸外国では局地的災害等における危機管理の一環として、大型の病院船を有しているところもある。あるいは客船を一時被災者の避難場所として提供するところもある。
これはとても良い方法で、この発想を口蹄疫対策に応用してはどうか、と当時考えた。懐かしく思い出した。
しかしながら、今回の新型肺炎に関してはDP号の経過は全く思いがけない裏目の方向に出てしまった。
2/22(土)曇り小雨 温暖 飯川病院日当直
1:20起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。昼近くまで蓄積データ整理、読書、データ化など。12:00雨でレガシー飯川病院に午後から日当直。昼検食から。録音ラジオ深夜便聴きつつデータ整理に週痛。Σ8069歩のみ。
新型肺炎(8) 武漢からのチャーター便帰国をどう考えるか
武漢からの帰国者を乗せた第5便が2月17日に到着し、これで希望者のほぼ全ての828人が帰国できた。
これらの運行には中国との折衝でかなり困難が伴ったというが、私はいい判断だったとおもう。
中国側はこの計画に当初難色を示した、とされ、武漢は封鎖され、武漢まで、空港までの移動もままならなかった、という。
この時期を逃すと邦人の感染者はいっきに増加し、生活機能が低下した武漢では治療用のベットもなく、十分な医療を受けられない事態に陥っていた、と思われる。死亡者もかなり出た可能性がある。そうなれば邦人を見殺しにした、と政府への批判は避けられようもなく、内閣総辞職もあり得たのではないか?とまで思っている。
帰国者について、当初は無症状者は公共交通機関で帰すという楽観論もあったが、検査で3人の感染者がいることがわかり、千葉県勝浦ホテルで待機させることとし、ついで潜伏期間を考慮した一定期間、隔離する方針に変更になった。市では医師や看護師の派遣も手配した、という。後々まで風評被害が生じると予想される今回の事態に受け入れを決断した市長ら、勝浦ホテルの関係者の判断も特筆されるべきである。実際は東京都からも受け入れ協力があったという。
2便以降は公的施設での待機となった。
勝浦ホテルでは15日以降消毒作業が始まり、3月1日から営業が再開される、という。
このチャーター便の帰国に関しては帰国者の受け入れにいろいろ難渋したらしいが、今後の我が国の危機管理上、意味ある経験であったと思う。自然災害にも応用すべきだが、特に感染症の場合の対応は重要になっていく。
チャーター便の帰国者から現時点で15人の陽性者がでている。
チャーター便の帰国者の対応にはいろいろ疑義も生じている。やはり、感染症の有識者の意見はどの程度あったのか?と思う。それが見えない。
私は今後に生かすべき点はあったというが、総じていい判断だったと思う。
大型クルーズ船の対応については問題はさらに大きかった。
2/21(金)小雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ。7:35Taxi駅に、8:11こまち、8:55-12:00大曲中通病院外来。病院駅間は往Taxi、復徒歩。院長の指示で検食なくなった。駅で軽食。徒歩、飯川病院14:00-18:30ボランティア、途中量販店でクロスLANケーブル、TimeMachine用にハードディスク1TB購入、ブックオフで吉村昭他の作品3冊購入。19:00Taxi、帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ11498歩。
新型肺炎(7) 日本の現状と医学・疫学的対応の問題点
私が本ブログで新型肺炎について考察したのは1月29日までであったが、それ以降、武漢から5便のチャーター機で邦人が帰国した。また、一方、2月3日には大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に接岸している。
その両者について、この20日間にいろいろ動きがあった。特に、後者では感染者が続々発生するなど問題が発生している。
また国内でも散発的に新型肺炎発症者、感染者が見られるようになってきた。
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本日時点で横浜市に停泊中のクルーズ船乗客乗員の感染者は621人になっているが、クルーズ船と中国・武漢市からのチャーター機での帰国者を除く国内の感染者は以下のごとくなっている。
2月21日時点での、国内の感染者は8都道県で100人を超えた。
??東京都:感染が判明したのは都内に住む60代男性、重症、老人保健施設の運転手。発症翌日の13日まで勤務。都在住の50代女性は11日に「さっぽろ雪まつり」を訪れていた。
??千葉市:60代女性教員は市立中学勤務。12日に風邪と診断され、19日に入院するまで出勤、試験監督などを務めた。同校は25、26両日を臨時休校に。千葉県内では他に30代女性と東京都在住の50代女性の感染が確認された。
??石川県:感染者の息子で10代の男子中学生の感染が判明。通う学校は3月5日まで2週間の臨時休校を決めた。
??北海道:感染が判明した9人は10〜80代の男女。うち60代男性は重篤。50代女性は看護師で、勤務先の病院で感染者と接触していた。
??相模原市:50代夫婦と20代の娘2人の家族計4人が感染した。感染者が出た相模原中央病院との関係は不明。
??熊本県:感染者の父親で50代男性と、同県在住の60代男性が感染、後者の方は「さっぽろ雪まつり」を訪れていた。
??和歌山市:済生会有田病院(同県湯浅町)の患者と同僚の40代男性が感染。
??名古屋市:感染者との接触者の調査で、40〜60代の男女4人の感染が判明。
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水際作戦はかなり厳しい場面を迎えている。
今後は感染経路の分かり難い市中感染が日本各所で起こってくると思われるが、現段階ではまだ蔓延防止には勤めなければならない。同時に次の段階に進展した際の対応指針が重要となる。
ところで、新型肺炎の状況報告に安倍総理、加藤厚労大臣の顔が見える。常識的なことしか言わないが、政府の新型肺炎の医療的・疫学的な専門家のブレーンはどうなっているのだろうか??見えないから政府の発表だけでは不安が募る。
古い話だし、今とレベルは違うが、かつてSARS、新型インフルエンザが問題になった時に、秋田県知事の危機管理対策の記者会見の場にはいつも私が同席していた。
公的発表は知事が行い、質疑応答は私も参加して答えていた。その当時、私は秋田県医師会副会長で、秋田県の危機管理部門感染症部会に委員として名を連ねていたからである。
県の感染症対策に医師会が濃厚にタッチしていたことで、県民に安心感をもたらした効能があった様に思う。
2/20(木)快晴温暖 飯川病院
0:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。11:40バス飯川病院ボランティア。本日の快晴は完全に春の息吹を感じる。14:00-18:00勤務。途中40分ほど健康クリニックに出かけ、ドック判定。入院患者対応、文献新聞そのほか。家内講演会あり、レガシー19:10帰宅、夕食、21:30就寝。11482歩。
帚木蓬生(4) インターセックス(2) 集英社文庫(2011)
本小説は冒頭部分で、2004年(平成16年)に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことで、同院産婦人科の医師が刑法業務上過失致死傷罪と医師法違反の容疑で2006年(平成18年)に逮捕、起訴された事件の裁判の様子から始まる。
この事件を詳細に記述した作者の意図が嬉しい。
この裁判を傍聴した主人公の女性医師と証言台に立った副主人公の院長はこの裁判の場ではじめてあう。
また当時はカルテ開示が問題になりつつ時代で、主人公と院長とのやりとりも懐かしい。
やがて主人公は副主人公の院長が経営する病院に引き抜かれ一緒に働くことになる。
しばらくして彼女は、病院の周辺、組織に奇妙な点があることに気付く。
副主人公の妻の不審な死をはじめとして、患者の不審死、スタッフ達数人が不審死を遂げている。その患者のうちの一人が主人公の古い知人の一人であった。
その不審死の裏には、院長が秘密裏に行ってきた胎児を用いての非合法的な移植医療の技術と、その知見に米国の不妊治療ビジネス大手の企業が密かに触手を伸ばしてきていて、病院スタッフの何人かが既に買収されて情報提供していることを突き止める。
それに気づいた院長は関係者を次々と消していく。
その最終過程で詳細を知りすぎた主人公も殺害されそうになった。
ある日院長に呼ばれたが、自分が無事院長室から戻れなかった場合に警察が動くように段取りしながら院長室で二人で対峙する。
その場で、主人公自身が染色体46XYを持ちながら男性にも女性にもなりきれないPartial Andorogen insensivity Syndromで、幼児期に10数回も体にメスを入れられた体であることを提示する。院長は治療を中断した後の素晴らしい成果に驚き、自身の治療方針が誤っていたことを自覚する。
既に逃げきれないと察して彼女を解放した後自ら命を絶った。
のちに院長の回顧文が主人公のもとにとどく。その中で自らも人工授精で生まれたことなどが詳しく記載され、自分が行ってきた非夫婦間の人工授精の制止ドナーの大部分は自分であり、自身の遺伝子を持った子供が数100人誕生していること、妻の死は保険金目当ての殺害であったことなど綴られていた。
また、次期院長に主人公を指名したこともあった。
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見事な構成であり、インターセックスそのほかの性分化異常症を勉強することもでき、ジェンダーの在りようについて考えさせられた。
性同一性障害については、日本で毎年千人弱は生まれていると言う。
人間の性、性別そのものを大きな謎ととらえて探求するミステリー書である。
マイノリティの苦悩についてもすごく勉強になった。エンタメというよりも、医療やマイノリティ問題を勉強てきた書である。
2/19(水)曇り時に小雨 飯川病院ボランティア 職員健診
0:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。11:50バス飯川病院。飯川病院ボランティア。患者対応無し。15:50職員検診、本日の最後の受診者で時間的にはスムーズ。iPhoneバックアップ帰宅時間までに終わらず。ラジオ深夜便数時間分聴く、19:30帰宅、夕食、21:00就寝。本日は帚木氏の「エンブリオ」「インターセックス」の読後感を書くために再読に時間を費やした。歩数計:Σ10189歩。
帚木蓬生(3) インターセックス 集英社文庫(2011)
いま帚木蓬生氏の作品群にはまっている。
確実におもしろい。さすが医師であり精神科医である。病む人の心情を描く点では卓越した表現を持つ。
最近、氏の「インターセックス」 を読んだ。これは実質的に「エンブリオ(上)(下)」の続編にあたる作品。
「エンブリオ」では主に出生前胎児の生殖医療を取り上げ「インターセックス」ではそのような特質を持って生まれた人々への出生後の対応を中心に描いている。
この「インターセックス」 は染色体異常、そのほかにより「インターセックス」、すなわち半陰陽と呼ばれている男性でもない女性でもない人たちの身体的苦悩、心理的苦悩を描いている。
文学作品的価値もさることながら、最近はわりに公にされてきたとは言え、社会的理解を得られ難い当事者の苦悩部分も描いてあり、その方々への暖かい扱いにも関心した。
「エンブリオ」では物語の主人公は先進的技術を身につけた院長であり、「異常をもって生まれてきた患者に対しては患者がものごころが着く前に医学的異常に対して積極的介入すべき」、と考える産婦人科医の院長が主人公であった。
この「インターセックス」では院長は副主人公的となった。
代わりに本作品で主人公格となったのは、インターセックスとして生を受けた人であっても「治療はあくまでも患者の自発性、自主性が明らかになってから本人の了解のもとに始めるべき」という治療方針を旨とする女性医師が主人公となる。
彼女は性染色体の異常により、男性でも女性でもない「インターセックス」と呼ばれる人たちへの治療を真摯に行っていた。
当然二人の治療方針は相容れないものである。
2/18(火)曇り時々雨 地獄のような外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業歩行にヘッドランプまだ必要。6:47バス飯川病院、8:35-15:40中通外来,40名ほど来院、新電子カルテへの不慣れもあって時間がかかった。16:00-19:00飯川病院。微睡、入院患者対応は院長が代行してくれた。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ10589歩。
帚木蓬生(2) エンブリオ(下巻) 集英社文庫(2005)
上巻は主人公の医療活動やその業績について、さらに決して明らかにできない秘密の研究業績の説明が中心であった。
場面は以下のごとく展開する。
??少女の人工妊娠中絶、掻爬された胎児はそのまま培養に持ち込まれる。
??水死した知人の剖検。卵巣が凍結される。
??パーキンソン病の某富裕老人の実子の中絶と胎児の脳処理。老人の脳に胎児脳の組織注入。
??男性浮浪者の腹腔内に移植した受精卵の観察と摘出処理。
??凍結受精卵の子宮内注入と妊娠成立。
??心臓移植児の移植心の再摘出と、人工妊娠中絶で得られた児の同胞の成熟胎児心を再移植。
??男女産み分けのための精子操作。
??そのほか----。
主人公がモナコの国際学会で男性腹腔内妊娠の研究成果を報告してから、評判が高まり海外からの患者を受けいれることになった。
同時に、自分の研究の情報が外部に漏れている可能性が浮かび上がり、主人公は調査を始める。米国の不妊治療ビジネス大手の企業が密かに接近してきていて、自分の病院スタッフの何人かが買収され情報提供していることを突き止める。
これ以降、本小説は生殖医療を扱った医療小説から主人公の周辺の関係者が次々と殺害されていくサスペンス小説の様相を帯びてくる。
基本的に「患者のため」、「患者の要望を叶える」、その姿勢は正しいが、「患者のため」を理由に何をしてもいいのかというと、当然そんなことはない。
倫理を無視して暴走する主人公の行き着く先は当なるのか?これから読むかもしれない方のためにはこれ以上は明かせない。
本書は、不妊治療、生まれ来る命と既存の命、現代の神の領域に近くなりつつある医療のあり方についていろいろ考えさせられる。生殖医療の暗部を鋭く指摘し、進みすぎた生命科学が犯す罪を描き出した長編小説。
とにかく、21世紀の最先端生殖医療とはここまでのものなのか、と素直に驚いたし、生命発生のメカニズムというものに人の手を加えることについての是非に関しても、作者の根源的な問い掛けを大いに感じた。
同氏の作品に「インターセックス」がある。
私はそれを先に読んでいたので、本書でもっと詳細に描かれるべきいくつかの殺人事件についての詳細は「インターセックス」に示されている。双方はセットになっており、双方を読んで完結する構成になっている。
2/17(月)曇り・雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。文書整理、徒然他。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:00健康クリニックドック12名。結果判定12名。11:15飯川病院。微睡、本読みほか、Time Machineのバックアップ10日以上かかりそう。14:00-19:00勤務、入院患者対応、胃瘻交換時に腹腔内へ??患者は救急外来へ紹介。19:40帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計:Σ5085歩。
帚木蓬生(1) エンブリオ(上巻) 集英社文庫(2005)
作家の帚木蓬生氏は1947年福岡県生まれ。東大仏文卒、九大医学部卒業の精神科医。
1993年「三たびの海峡」で吉川英治文学新人賞、1995年「閉鎖病棟」で山本周五郎賞、以降、柴田連三郎賞、新田次郎賞、小学館児童出版文化賞、日本医療小説大賞、歴史時代作家クラブ作品賞を次々と受賞している異才である。
私も帚木氏の作品は概して好きである。各作品ごとに取り上げるテーマがはっきりしており、医療関係者でもそれほど違和感なく描かれる医療の世界へ誘う筆力もある。
ドキュメンタリーではなく小説仕立てである。また、登場人物の心理描写の巧みさは精神科医でもあり、極めて卓越していると思う。
以下は私が読んだ作品であるが、まだまだ読んでみたい作品が並んでいる。
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??閉鎖病棟 (新潮文庫):精神病院がテーマ、
??インターセックス (集英社文庫):染色体異常、半陰陽を中心としたテーマ。
??安楽病棟 (集英社文庫) :痴呆病棟、終末期医療について。
??白い夏の墓標(新潮文庫) :細菌学、ウイルス学をテーマにしている。
??エンブリオ(集英社文庫):胎児から取り出した脳や卵巣を使っての移植手術、男性の妊娠も画策する。
今回はエンブリオを取り上げた。インターセックス と対をなす作品となっている。
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本作品、の主人公は、患者からの信頼も厚く国際的にも評価の高い産婦人科医。人為的に流産させた胎児から得た臓器を移植に用いたり、男性の腹腔内に移植し妊娠させる実験などを成功させ国際学会で発表する。
冒頭からいきなり胎児の臓器移植の場面。この手の行為は中絶や不妊治を除いてほとんど違法であるが、法律は追いついてない。せいぜい学会の倫理ガイドライン程度の規制しかない。学会のガイドラインもあくまで目安程度のもので、罰則もない。主人公は国内の学会に所属してないので学会の規制も受けない。実質、個人の倫理だけの問題になる。
私の感覚では、医療行為は基本は患者個人のためであり、個別の状態で何がベストかを真剣に考えべきであり、学会とかがその権威でクレームをつけたりするべきではないと思う。その意味で私は安楽死を認めたいと思う。そう考えると主人公の医療行為は医療が発展した時点では当然の帰結のように思える。
医学や実験の話、倫理の話など興味深いところは多い。これはあくまでも小説としても十分水準を行っている。とても魅惑的。医学の進歩には、過去に多くの暗い歴史があり、その上に現代医学が成り立っている。この小説のように、高度に分化し発展性が乏しい一般の臓器移植とは別に、分化の可能性が高いエンブリオを利用した技術がすでにどこかで研究、実験されていたとしても決して不思議ではない。
2/16(日)終日小雨 散髪
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。9:00-9:30散髪。文献・本読み、書斎整理、12:00NHKニュース、のど自慢楽しむ。満杯になったコンポスト攪拌と新規を一つ追加。情報処理、19:00夕食、21:00就寝。歩数計:Σ7720歩。
私の嗜好品観(6) コーヒー(3) 色々追求したが違いがわからず
興味や疑問を持つといろいろ検討したくなるのがわたしの流儀でもある。結局、コーヒーの魅力はなんなのか?本当に美味しいコーヒーがあるのか?一時、文献的に検討し、自分でも機器を入手して試してみた。コーヒーを淹れることに一時燃えていた家内の協力もあった。
??焙煎には手をつけなかったが、珈琲店の勧めの焙煎済みの豆を購入した。
??ミルは手動、電動と何種類か持っている。これで味が変わるとは思っていない。結果として電動が良かった。
??豆の種類も広く購入した。モカ、ブラジル、トラジャ、ブルマンなどの有名な銘柄は全て試してみた。一番の変わり種は動物の糞から再採取した珍しい「コピ・ルアクコーヒー」。
コーヒー:珍しい「コピ・ルアク」コーヒーを楽しんでいる
??豆は可及的に早めに飲んだ。
??抽出法、抽出器としては、パーコレーター、ドリップ器具数種、水出し抽出機、エスプレッソマシンなど。コーヒーメーカー2-3種など。
??コーヒーカップも大事、と考え自分用に数種用意した。
結果:私の工夫は身を結ばなかった。多少の差は認めたが、これだ、という「美味しいコーヒー」が見つからなかった。
結局、「私自身の味覚が鈍くて違いがわからなかった」のだとの結論を得た。
その後と今:コーヒーはスーパーで500g入りの粉を用いペーパーフィルターで淹れていた。未開封の粉の賞味期限が1年もあるというのも不思議であった。
その後はカップ一杯毎に淹れる簡易セットのドリップコーヒー、コーヒー店の12g入りの製品と、7g入りのイオン製の廉価な製品に落ち着いた。
この、コーヒーで私が経た過程は、「音きちがい」と自称し1970-80年代に高級な機器を揃えつつあった私のオーディオ遍歴が、故障したプリアンプの修理時に借用した最も安価な6.5万円のプリアンプとの音質の違いを識別できなかったことでガックリきて挫折した過程とそっくりである。
結局、「私自身の音感が鈍くて違いがわからなかった」のだ。
現在はミニコンポで、あるいはiPhoneとヘッドフォンの組み合わせで気軽に音楽を楽しんでいる。
違いが分からない(2) オーディオ(1)かなり投資し、回り道した?
要するに、私は味覚オンチであり、聴覚もオンチだったということ。
だから食事や料理にも関心が乏しいのかもしれない。
2/15(土)曇り iMac27不調
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪0cm。昨夜からiMac27 2015Late が不調にて修復を図るが200時間もかかるという結果で中断、その後更に不調に陥る。自分の能力では修復不可能。9:00を待ってAppleに電話相談、それを参考に修復、データを戻す段階でTime Machineのディスク自体にも問題判明。それ以降、ほぼ終日データ整理、19:00夕食、21:30就眠。歩数計:Σ3695歩。自宅から一歩も出ずに過ごす。歩数は伸びない。
私の嗜好品観(5) コーヒー(2) コーヒーに効能はあるのか?
私はコーヒーを「美味しい」と思ったことはないが、日常的に飲むのを止められない、習癖か依存症か、はたまた中毒か。それに、なんで飲みたくなるのだろう。
コーヒーにはカフェインが含まれ、そのために「中枢神経興奮作用」があると言われるが、私の場合はコーヒーを過剰に飲めば胃部不快感、嘔気が出るがるが、それ以外の作用を感じることはない。「さて、コーヒーも飲んだから寝るか」、これも習慣である。睡眠を妨げられることはない。私は鈍くできているのだろう。
コーヒーはなんで全世界で愛飲される飲み物なのか理解できない。
酒類と同じような、人類を狂わす何かの成分が含まれているのか??と思うが、この「中枢神経興奮作用」があるために世界的に広まっているのだ、と一般的には考えられているようだ。
ただ、私はコーヒー愛好家がわざわざ「中枢神経興奮作用」を求めて飲んでいるとは思われない。生活の中に当たり前のごとくに浸透しているから飲むのだ、と思う。
アルコールを飲めば比較的短時間に酔ってくる。タバコを吸えば、喫煙者の弁によれば「疲労時には安息作用があり、かつ意欲更新作用もある」、という。私には理解できないが、長距離トラックドライバーの場合、「タバコがあるから事故を起こさないで済んでいる」などという。
アルコール、タバコの愛用者はそのメリットについて熱く語るが、コーヒーにはこれほどの明らかな作用があるとは思えない。
「コーヒーと健康」を学術的に論じた論文は1000本にも及ぶ、と言う。一つ一つの論文については直接読んでいないからわからないが、そう決定的な内容のものはないからこれほど書かれるのだろうと思う。学者さんは暇だね。
コーヒーが持つ作用の大部分はカフェインによるものと考えられている。
その代表的「中枢神経興奮作用」は、??覚醒作用、??計算記憶の賦活化作用、などがあるとされる。
「そのほかの作用」として??骨格筋の運動亢進、??血圧上昇、??利尿作用、??代謝亢進、??胃液分泌作用、??コレステロール上昇、??大腸の蠕動更新など、がある。
ただし、どれも発現には個人差があり、かつ、持続時間も短く、激しい作用でないために、厳しいドーピング検査の対象にはなっていない。
慢性的作用としては、??糖尿病のリスクの低減、??各種ガンのリスクへの影響、??心臓血管疾患リスク軽減など、挙げられてい。細かく検討するには人の人生は長すぎて、かついろんなことがありすぎてクリアな結果は導き出せない、と思う。要するに、研究の仮説の立て方に問題があると思うし、全て加齢の影響と私は思う。
これだけ寿命が延びているのだから、いまさらコーヒーの健康への影響など検討しなくてもいいじゃないか。私の感想である。
2/14(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00飯川病院で起床。文献チェック、徒然など。7:40徒歩駅。8:11こまち、大曲往路徒歩。9:10-12:15大曲中通病院外来、混雑し他の仕事できず。13:45駅?飯川病院徒歩、ボランティア。16:00ブックオフ、帚木氏のエンブリオなど購入。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計10220歩。
私の嗜好品観(4) コーヒー(1)「美味しくない」が止められない、習癖か依存症か、はたまた中毒か
私はコーヒーが好きではない。さりとて紅茶やウーロン茶は嫌だし、他に好んで飲むものもないし、消極的ながら日常的に飲んでいる。だが、まだコーヒーを「美味しい」と心から感じたことはない。しかしながら止められないし、離せない。
私のコーヒー歴は記憶を辿ればインスタント・コーヒーから始まっている。輸入され始めたのが1960年代。ちょうど大学受験を控えた高校生の頃、机上にいつもインスタント・コーヒーの瓶を置いていた。銘柄は覚えていないが、ネスカフェだったと思う。決して美味い物ではなかったが、これが西洋文化なのか?と思った。勉強が進まずヤケを起こして空腹時に大量に飲んで嘔吐したこともある。コーヒーをもう60年も愛飲(?)してきたが、コーヒーに対する印象は初めから決して良くない。
喫茶店に入って本物のコーヒー(?)を初めて飲んだのが新潟大学1年の時、当時オーケストラの練習後「白鳥」という音楽喫茶で部員同士で懇親する習慣があったからである。週1-2回のペースであったが、乏しい生活費を削っての付き合いだった。それもあってかコーヒーは全然美味いと思ったことはなかった。
今でも毎日1-2杯は飲む。習癖か依存症か、はたまた中毒か?私にはわからない。
量的には緑茶に注いで2番目であるが、なんでコーヒーが全世界で愛される飲み物なのか理解できない。酒類と同じような、人類を狂わす何かの成分が含まれているのか??と思う。
それじゃ「なんでお前は飲むのだ?」と問われればそれに代わる飲み物がないからだ、惰性でもある、と答えざるを得ない。もちろん果物ジュースも牛乳も好むが、やはり何故かコーヒーは離せない。
牛乳は1.9L/週飲む。過剰であるが家内の采配で宅配で届くし、家族が誰も飲まないから止むを得ず私が飲む。なんか断れないしがらみがあるらしい。私はその犠牲者でもある。
緑茶やコーヒー、牛乳が胃に負担かなと思う時はグレープジュースである。
コーヒー、みんな本当に美味しい、と思っているのか?人に確かめたことはないが、はっきり言って疑問である。
なんとかコーヒーに近付こうと文献もずいぶん読んだ。コーヒーに関する学術的な論文、品種に関する文献、抽出法、愛飲家のエッセイ、小説などなど。小説の分野では、村山由佳氏の「おいしいコーヒーの淹れ方」、これはまだ未完であるが文庫本で18巻の大作となっている。
コーヒーは多くの成分が含まれる、とある。人の健康にどう影響するのかに関しては、適量であれば健康にも良いとの論調で語られている。私はそういうことには一切興味がないが、65年も愛用してきた以上、何らかの影響を受けているかもしれない。この際だから若干まとめてみた。
健康への影響に関しては、??善悪双方がある、??過剰は良くない、??適量は個人差がある、と言った常識的な話で締めくくられている。当然のことでなんら具体性はない。ただ言えることは生涯にわたって愛飲しても適量ならば体内に蓄積するような物質はなさそうである。
2/13(木)曇り、晴れ 飯川病院 当直
0:20起床。いつもの如く。11:40バス飯川病院へ。時間までボランティア、14:00-17:00飯川病院勤務。入院患者対応、データ試聴、「100分で名著シリーズ」のなかの「カミュ」、「河合隼雄」、「For teens 星の王子様」を見る。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計:5980歩数。
私の嗜好品観(3) 緑茶:「美味しい」、止められない、習癖か依存症か、はたまた中毒か
緑茶は「美味しい」、だから私は止められない。もう70年も愛用してきた。習癖か依存症か、はたまた中毒か?私にはわからない。
緑茶に関する成書を読むと、緑茶には多くの成分が含まれる、とある。結果として健康にも良いとの論調で語られている。私はそういうことには一切興味がないが、70年も愛用してきた以上、何らかの影響を受けているかもしれない。この際だから若干まとめてみた。
緑茶には、??病気予防効果、??ガン抑制効果、??生活習慣病予防効果、??認知症抑制効果、??感染症予防効果、??認知症抑制効果、??殺菌効果、??酸化予防効果などが挙げられている。
だから、お茶を愛用してきたお前は今日まで元気で生きてきたのだ、と言われれば、まさか!と思うが反論はできない。
代表的科学的成分は以下のようなものらしい。
(1)カフェイン
摂りすぎに注意のとされる成分。特に子供には要注意。カフェインはコーヒーが有名だが緑茶にも含まれている。
カフェインには集中力や記憶力の向上、偏頭痛の緩和、脂肪の分解促進、運動能力の向上、疲労回復、脳卒中リスクの軽減など様々な良い効果があるらしいが、実感はない。
カフェイン摂り過ぎには注意が必要とされる。極端な量を摂取すると、神経過敏や睡眠障害、顔面硬直、嘔吐、胃腸症状などがあらわれることもあるとされるが大部分は未経験。あるのは嘔気、胃部不快感、など。それをわかっていても私は飲む。
ちなみに、WHOによる1日のカフェイン摂取限度は300mg。緑茶のカフェイン量は100g程度の湯呑1杯あたり20mgほど。1日10杯程度は問題なかろう。私はこの範囲で収まっている。
どんなに濃厚な緑茶でも私の睡眠が乱されることはない。
(2)タンニン
摂りすぎ注意の成分。ポリフェノールの1種であるタンニンは、活性酸素の働きを抑えて老化を防いでくれる成分。そのほか、認知症や生活習慣病の予防、整腸作用、美白効果などでも知られる。通常のお茶の範囲では過剰摂取による副作用・害はないとされるが、鉄の吸収を妨げる効果は多少認められるようだ。貧血治療の際は緑茶飲用を控えるように指導した時代もあるが、私はそんな指導はしない。お茶が好きなら多少治療が長引いてもいいじゃないか。
(3)シュウ酸
緑茶には、尿路結石の原因となるシュウ酸が多少含まれている。シュウ酸が特に多い食品は、バナナやナッツ類、ココア、コーヒー、ほうれん草などで緑茶が飛びぬけて多いということではない。緑茶に限らず病的なほど偏った飲食は控えるべきなのは当然。食品は幅広く満遍なく食べるのが一番。
まとめとして、
私レベルの緑茶摂取なら問題がないということ。
ちなみに、私が飲む緑茶の選択や購入はすべて家内に頼りっきりだが、濃厚に出すために茶葉の消費は多い。月に4-6万円ほどになることもあるらしい。確かに、出し終わった急須を見ると茶葉が溢れそうなことも。また、コンポストに捨てる役目は私だが、茶葉の多さに驚くこともある。
私は無趣味人間、この程度の贅沢は許してもらおう。
2/12(水)快晴温暖 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献などいつもの如し。積雪なし。ペットボトル、市の集配に大量廃棄。11:40バス飯川病院、ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。ラジヲ深夜便インデックス欠損補充。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ10323歩。
私の嗜好品観(2) 緑茶:「美味しい」、止められない、習癖か依存症か中毒か
私は小さい頃からお茶好きだったらしい。3-4歳のある日、歩きながらお茶を飲んでいて座布団につまずいて前に転倒、茶碗で鼻を切った。鼻尖部がブラブラ、側鼻部の皮膚一枚で顔とつながっていたとのこと.医師の祖父が上手く縫い合わせたらしい。いまでも鼻尖部には大きな傷跡が残っている。もし、鼻がなかったら、または変形してついていたら私の人生は変わっていたことだろう。
病弱の、か細い私の命をつないでくれた祖父、鼻の治療のことも含めて、祖父にはとても感謝し切れない。
私とお茶の関係はこの話から始まる。
以来、いろいろ変わったが、ずっと私は日本茶を愛好してきた。常に身近に置いてあった。私の緑茶に求める条件は第一に「濃い」ことである。濃ければ茶葉のグレードはひどいものでなければそれほど気にしない。用いる茶用の茶碗は内側は白であることであるが、自宅ではもう30年近く同じ茶碗にこだわっている。
「宵越しの茶は飲むな」、とされ実践してきたが、缶入り茶、特に1996年のペットボトルのお茶が発売になった時はショックを受けた。しかし馴染めなかった。ペットボトルのお茶は会議等で机上に配布される様になり、日本のお茶文化が変わったが、私は満足できなかった。味が薄かったからである。
自分で初めてペットボトル茶を購入したのは2003年5月で、東京があまりにも暑く耐え難くてつい手を出した。その後いろいろ試してみた。「濃い茶」として売られた製品もあるがそれにも満足できなかった。2016年にはペットボトル茶の開発元の伊藤園からガラス瓶入りの茶(1000円)も限定販売された。興味は持ったが今一つであった。
以来20年近く、私が自分で購入したペットボトルのお茶はせいぜいまだ10-20本??ほどに過ぎない。
私の緑茶の条件は第一に「濃い」ことである。空腹時に濃いお茶を飲むと胃の不快感が生じるが、それをわかっていても止められない。習癖か中毒か依存症か?自分でもわからない。
茶用の茶碗にもこだわる。今気に入って使っている茶碗は30年ほどになるだろうか。曲線がよく手から離れない、落とさない。
日常的には、毎朝家内が濃く淹れたお茶を500ml1-2本持参している。家内は料理は滅多にしないが、ありがたいことにお茶を入れることにはかなりの拘りがある。基本は宇治、静岡茶らしいが、全国区の名だたる生産地の茶を取り寄せている。
2/11(火) 建国記念日夜間降雪のち曇り 除雪5回目
1:00起床、文献、本読み他、降雪4-5cm。5:00可燃ゴミまとめ、提出。除雪迷うも明日から気温が上がり溶けるらしいので雪の量を減らしておく必要がある。∴7:00-8:00除雪5回目。午前は書斎にこもり座学。午後微睡、読書など新聞データチェック、入力。19:00夕食、22:30就寝。Σ9664歩。
私の嗜好品観(1) 「美味しい」と思わないがさりとて止められない
食事の次は嗜好品である。
嗜好品とは一体何だろうか?嗜好品という言葉に明確な定義は存在しない。
一般的に通用する定義としては「栄養摂取を目的とせずに、人生に潤いをもたらすような食品や飲料で、喫煙を含む」だろうか。そこから色々派生して対象が広がっていくが、「趣味や嗜好を満足させるための、ちょっと贅沢な物品」か。
いわゆる違法なドラッグなどは含まれない。例えばチョコレートなども雰囲気としては嗜好品と言えないこともないが、食品、その中でも菓子に分類される。
要するに、食品とは「生命を維持するために摂取する食べ物や飲み物一般」を指す言葉であり、嗜好品は「栄養摂取を目的とせず、自分の生活を潤すために趣味嗜好的に摂取する物」を指す。嗜好品というだけにちょっと贅沢な雰囲気を伴わなければならないだろう。
食糧が飽和しているともいわれる現代日本においては、もはや嗜好品と食品の区分はあいまいである。
栄養を摂取するためだけに食事をしている、という人はよほど食に興味のない変わり者だろう。私はどちらかといえばそれに近い。子供の時に読んだSF小説にあったように錠剤を数粒摂取すれば一日分の栄養が取れるという便利な環境。それを今でも理想の一つとしている。食事の用意や食べることに時間をかけるのも嫌で、私の食事は単純な場合、例えば飯川病院の昼の検食は5分程度で終わってしまう。
四大嗜好品として「酒」、「茶」、「コーヒー」、「タバコ」が挙げられている。各々のを歴史的に見れば、食品とは別な意味で人間の文化に大きな影響を与えてきた。
私は「タバコ」は一切やらず、「酒」は年に1,2回、舐める程度。
主に「緑茶」と「コーヒー」、さらに食卓で料理に添加する香辛料、「胡椒」、「一味、七味唐辛子」、「タバスコ」である。私はピリッと辛い味が好きで大量に用いるが、それを見て料理人たちはとても嫌な顔をする。
「緑茶」と「コーヒー」は美味しいとは思わないが、体が求めるのか止められない。
だからその消費量は多い方だ、と思う。特に前者は家内が購入しているが、かなりコストがかかっている。後者は私が用意しているが、超安価に楽しんでいる。
2/10(月) 曇り寒波 健康クリニックドック 飯川病院
1:20起床、文献・本読みなどいつもと同じ。大雪予報に反し殆どなし。除雪不要。6:47バスにて飯川病院へ。本読み、データ化などいつものごとく。9:00-11:15健康クリニック。来年度の就業本年度と同じに。11:30飯川病院、検食、微睡、読書。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。夕食、21:30就眠。Σ7845歩。
私の食事観(4) なんでも「美味しい」と言う私は嫌われている
私は、食事に関してはいつも感謝している。
■食べられることに感謝、■食品に感謝、■調理してくれる方に感謝、■その他にも感謝感謝、である。
だから、私は食事にほとんど不満は言わないし、ネガティブな評価をしない。特に質的内容に不満は言わない。あえて言えば、過度の塩味に関しては評価が酷しい。ほぼこれだけ、と言っていい。これは健康面に対する配慮からでなく、生理的に濃厚な塩味を受け付けないからである。昼には飯川病院の検食をするのであるが、私は醤油・ソースなど一切調味料を用いない。それでもなんら困らない。主食以外完食する。検食の評価にはほぼ「問題なし、美味でした」と書く。嘘ではない。
こんな私だから、我が家の料理や献立に文句をつけることはなく、「美味い」、「美味い」と連発しながら完食する。私は心からそう思って、出されたものは残さず食べるし、食事をいつも前向きに評価している。
私は結構気むづかしい人間である。特に音に関しては異常である。食器がぶつかる音などは耐え難い。TVの音も同様。家族には煙たがられている、と思う。
そんな私であるが、こと食事に関して一切ネガティブな評価をしないことは、料理を作ってくれる方々にとってとてもありがたく、かつ都合のいい存在だと考えていた。つい先日まで。
ところが、確かめてみたところ、実は全く逆の評価であり、私はショックをうけた。
特に、45年も食事を用意してくれている賄いの石井さんにはすこぶる評判が悪い。稀に作ってくれる家内にも評判が悪い。
何を作ってもいつも「美味しい」と言って素直に食べてくれるということは、廃棄するたびに自動的に「美味しかったよ」と言葉を発するゴミ箱に等しい、張り合いがない、という。料理は色々工夫しているが全部同じ評価で作る張り合いがない・・・のだそうだ。
予想外の返事であった。
言われてみればそうだろう。
私は我が家の食事に関しては毎日ほぼ100%満足している、嘘はない、遠慮もない。
「美味しい」という評価が喜ばれないという現実に驚いた。
2/9(日)曇り寒波 積雪5cm除雪4回目
1:00起床。新聞文献処理、録音データ処理、など。積雪5cm∴7:00-8:00除雪4回目。微睡若干、その後は午後まで読書、データ整理。昼NHKニュース、のど自慢楽しむ。15:30レガシー飯川病院、16:00-19:00当直医の業務代行。帰宅道路事情悪い、19:45夕食、21:30就寝。Σ10384歩。
私の食事観(3) 食事の嗜好品化?? 際限のない欲望
食事に関しては、ほとんどの人は、栄養のこと、特に過剰摂取を気にしつつも、自分の好きなものを選んで食べているのではないだろうか。
「美味しいものを食べたい」、「食事を楽しみたい」と思って食事をするというのは、生きるための栄養摂取目的はもちろん兼ねているが、むしろ、自分の食欲、嗜好欲、贅沢欲を満たそうとする心の働きに近い。
食事は生きるためというよりは楽しむもの、となった。
だから、日本人の食行動は、もはや「嗜好品化している」といっても過言ではない。そう考えれば、私が「日本人は食べることにしか興味がないのか?」と言いたくなるルーツが理解できる。
だから地産地消でなく、世界中から魅力ある食材を輸入することになる。もちろん、食材輸出で国の経済が成り立っている国もあり、これは国際的にも意義があることに思うが、ちょっとね・・・、と私は思う。輸入食材の通販市場は活気を呈している。
今は食べられない物は無い?私は知らないが、内モンゴルのラクダのひづめ、スコットランドの伝統料理の羊の内臓のプディング、沖縄・久米島のヤギのお刺し身・ヤギ汁なども探せばあるようだ。
インドネシアをはじめ農業国各国では食糧増産のために森林が伐採され、畑に変わっている。
振り返ると、私が子どもの頃はまだ地球に優しい生活をしていた。
日本人は食糧資源をむさぼりすぎている。世界的に見ても、日本が消費し、廃棄している量は相当なもの。
しかも、今の農業はエネルギーを大量に消費する。保存にも輸送にも消費する。だから、温暖化にも寄与している。
食はあくまで地産地消が基本。
地産地消でない、異地の食材を食べられるのは人間だけ。
これからの世界の食糧事情を考えれば、より質素に、つつましやかに生きることが必要になってくる。なるべく産地に近く、冷蔵・冷凍・輸送コストがかからない食材を選びたい。本当はそれが一番贅沢な選択なのだ。
私は食に関してはそれほど貪欲ではない。それはすなわち私が食に恵まれていることの証でもある。そのことは常に意識していた上でのたわごとである。
2/8(土)終日曇り降雪 比較的暖かい 除雪3回目
0:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。昨日からの積雪5cmほど、湿った雪。気温から見てかなり溶けるだろうが、溶けた時の方が厄介である。∴7:00-8:00除雪3回目。終了間際にシャーボルトがまた折れた。再セットするのに手間取る。10本注文する。座学一般。午後は家内の傘の修理、箱の修理など。新聞データ化、本読み、データ整理。微睡。歩数計Σ9650歩。19:00夕食、20:30就寝。
私の食事観(2) 私の食事に関するコンセプト 外食は大嫌い
今の世相をみると、大げさにいえば「日本人は食べることにしか興味がないのか?」と思うほどである。メディアには美味しいものの情報があふれている。
また秋田市の繁華街には食事を提供するレストランや食事処が目白押しである。とは言っても、私は繁華街などを歩く趣味はないために正確なことは言えない。それでも外食産業はますます盛んだ、と思う。
尤も、個人経営の店は経営者の高齢化などで減少傾向にあるようで、ビルとかにテナントに入っている店が多い。
外食産業は庶民の経済状態を推し量るバロメーターになっている、とされる。だから今の世相は、日本の経済にとっては悪くない現象のだろう。
私の三食。
朝食は孤食。5:30頃当然誰も起きてこない。6匹のネコどもに餌をやったあと、朝食を冷蔵庫を探してそこにある何かを食べる。大部分はキャベツ中心の野菜サラダとごまドレッシングだけ。時にはチンご飯に生卵または納豆と贅沢することもある。大量に作った「おでん」などは無くなるまで私の朝食となる。先週は5日間連続「おでん」を温めて食べた。概して賄いのおばさんは大量に作る傾向がある。朝食の中身、質についてはほとんど頓着しない。食べられれば良い。
昼食は飯川病院の入院患者の普通食を検食する。ご飯抜きで副食だけ。概して質素。これが良い。院長は、私の家内なのだが、たまには自分の分の検食を私に押し付けて一人外食に出る。
夕食に関しては帰宅時間を連絡しておけばもう準備ができていて、玄関先から直接食卓に向かい、箸を持つ。夕食の中身についてはほとんど自分から注文をつけることもなく頓着もしない。用意されたものを粛々と食べる。カレー、丼物以外では主食は食べない。概して品数は多い傾向。家族たちはビール楽しむが、私は食後にアイスキャンデイ一本が楽しみ。
こんな状況だから私の外食の機会はほぼゼロ。なんで外食が混雑するのか理解に苦しむ。家族、特に家内は結構外食を好むので、私が飯川病院の当直の夜を狙って外食しているらしい。
私は他人がいるところでの食事は嫌だ。うるさい。
尤も、私が外食を忌避するのは家での食事が整っている、という恵まれた環境にあるからだ、と思う。共稼ぎとかの事情で夕食を用意でき難い家庭もあるだろう。それは理解する。また、外食を楽しみにしている家族も少なくないだろう。それも理解する。
私が食事に抱いている考えを簡単にまとめれば、以下のごとく。
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■食べられる環境にあることにひたすら感謝、
■食品として供される全ての生物の命に感謝、
■調理してくれる方に感謝、
■食品を絶対に無駄にしない,
■食事に不満は言わない、
■塩味が強いのだけは感覚的に受け付けない、
■食べる前後にネガティブな評価をしない、
■当たり前の、地産地消の廉価な食材が良い,
■旬の食材を摂れば栄養バランス等配慮不要、
■過度に贅沢な食事は喜びよりも罪悪感、
■食事に時間をかけない,
■・・・・・、である
2/7(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪2回目
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に、ゴミ運搬に今季初ソリ使用。降雪3-4cm。6:00-6:45今期除雪2回目。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線3分遅れ。秋田駅病院間は徒歩、強烈に寒い。14:30-18:30飯川病院ボランティア。18:40家内を新型肺炎講演会場に送りプリにて帰宅、途中渋滞。19:30夕食、21:00就寝。BRながら視聴:「そこまで委員会」歩数計Σ10590歩。
私の食事観(1) 秋田に転居し食生活が一変した
私は無趣味的人間である。特に食事、食品、嗜好品に関してはそう思う。
食事を、栄養摂取を主として生きるためにしている、という人は、よほど食に興味のない合理主義者なのか、どこかずれている? あるいは狂っている? としか言いようがない。
ただ、私を振り返ってみれば、私自身がそれに当たるのかもしれない。
今の世相をみていると、ちょっと大げさにいえば「日本人は食べることにしか興味がないのか?」と思ってしまう。それほどメディアには美味しいものの情報があふれている。私の目から見て過剰な贅沢品が並んでいる。
食べることは生きることであって、私もそれを軽視する気はない。ただ、生きるための食事のレベルを質的に超えている。私の目から見て日本の食事は何倍も何倍も贅沢だ、と思う。世界の食材を食い尽くしているのではないか?とも思う。
TVにはグルメ番組が多い。雑誌をみても食べ物の記事や広告が多い。新聞然り、折り込み広告見ても食べ物の広告がかなりを占める。それだけ外食産業が盛んだ、ということ。
ちなみに、私は外食は嫌いである。だから批判的に見ているのかもしてない。
私は食に関しては貧しい岩手の農村の片田舎で育った。しかも、昭和20年生まれで、母親も料理は保守的であった。私は新潟大学では6年間学生寮で一日130円の食費で、空腹を抱えた生活であったが、毎日定時に食べられることに喜びを感じていた。そんな私は「ちょっと美味しい食事・・・」という餌で釣られてしまった。
秋田に来て食事の豊かさにびっくりした。
昭和48年に秋田に転居し、以降、我が家の家事一般は家内のおばさんがである石井さんが住み込みで手伝ってくれる様になった。これがまた料理上手で、作る量も半端でなく過剰である。これが秋田の食文化なのだろう。
私の両親は、孫を見に時折秋田に来たが、その際「まるで盆と正月が一緒に来たような食事。こんなの毎日食べているのか??・・・」と呆れていた。
私自身も我が家の食事の贅沢さに半ば呆れ、「基本は一汁一菜」でいいのだ、といつも言っていたが、育ち盛りの子供もいて、私の言葉など大して通用していなかった。
私は食事に関して日本の食文化に恐れと将来への厳しさを感じている。
地球上には2019年の統計で77億1500万人生活しているが、食品の供給力は50億人分ほどで頭打ちになっている。理屈の上では三人に一人は飢えに直面する事となる。現にそうなっている。経済格差で食品の奪い合いで今の所我が国は優位な立場にあるが、将来的には日本も厳しくなっていく。
だから、日常過不足なく食べられる自分の環境にこの上なく感謝している。
2/6(木)昨夕+早朝から降雪約10cm 初除雪 飯川病院
0:15起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪朝まで10cm、6:30-7:30今季初除雪。11:30レガシー飯川病院、14:00飯川病院勤務、本読みなど、微睡、14:00-18:50勤務。19:10レガシー帰宅、夕食、21:30就寝。歩数8975本 。
四季2020(3) ついに、私に冬が冬が来た。
今朝、ついに、私に冬が来た。長い時は約3か月に及ぶ。
2013年は12月13日突然35cmの積雪で冬が始まった。2014年は12月16日であった。通常はこの付近で冬になる。
今季は特別な季節である。昨日まで私には秋であり、冬が来ていないかった。これほど甚だしく少雪であると、嬉しさを通り越して気持ちが悪い。
我が家へのアクセス道路、私はそれを「臍の緒・胎盤道路」と呼んでいるが、細い道路が50m以上あり、だから降雪にはすこぶる弱い。一旦積もらせ、車で踏み固められると除雪が困難になる。だから、私は早朝5:30頃から除雪を始めるが、除雪機がなければニッチもサッチも行かない。そのため除雪機はバックアップのために2台準備している。
古い除雪機は1985年HONDA製、HS55J型、5.5馬力、当時は最小の規格であった。丈夫で故障知らずであったが、徐々に故障するようになり、買い替えを考えた。
2台目は2011年型のHONDA製、HSS760n型、エンジンは200cc、5.6馬力、除雪機の規格としては2番目。作業灯、セル付きであるが、私は単純なメカを好むので当時出始めていたハイブリッド機構、その他のオート機構の無いシンプルなタイプにした。値段は旧機種購入時のちょうど2倍であった。
降雪期は除雪に手が抜けない。健康に注意し、緊張して朝を迎える。
私の生活は除雪を中心に季節が回っている、と言っていい。
最近の日差しには春の息吹が感じられるが、まだ大寒、そう甘いものではないだろうと思っていたが、ついに今朝初除雪した。私の通勤姿は今朝からいつもの次男が中学生の時に着たスキーウエアにしている。
昨日から降雪、強風、雷鳴などあり今朝5:00の段階で10cm+αほどの積雪となった。強風のために吹きだまりができて降雪量が判断できない。今朝は午前フリーなので6:30-7:30まで除雪を行った。
(今朝の積雪の様子 除雪機は2台目の方)
途中で除雪機の安全ピンが折れて旧式を持ち出しちょっと手間取った。
私の四季は除雪を中心に一年が回る。冬になってしまえば、もう迷いは無い。早朝から心は外に向かい、除雪を何としようかと考える。気力も充実してくる。
今年は降雪はどうなのか。来年3月上旬迄、私は雪と戦い、戯れる。
2/5(水) 曇り晴れ・比較的温暖 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。11:50バスにて飯川病院。検食、12:30-18:30ボランティア。家内患者重症にて居残り、プリウス19:00帰宅。夕食、21:00就寝。Σ8584歩。午後から寒い、全国的に寒い予定で秋田もついに雪か??
四季2020(2) 全国的に記録的な暖冬少雪、明日は降雪か??
全国的に記録的な暖冬少雪となっている。
気象庁は3日、1月の天気概況で、日本海側の降雪量が統計開始以降、最も少なかったとした。
秋田地方気象台によると、県内の1月の累積降雪量は秋田、本荘が平年比の10%と極端に少ない。このほか鹿角33%、角館18%、横手28%など、全県的に少雪となっている。
平均気温は全26観測地点で平年よりおおむね2度前後高く、大半が0度を上回った。
平年より2.7度高い1.1度だった横手など計11地点で統計開始後の最高を記録した。
それ以外の地点もほとんどが07年に次ぐ2番目の暖かさだった。
暖冬少雪だと、除雪や屋根の雪下ろしをしなくて済むから体力的にも金銭的にも助かると歓迎する声は多い。
除雪が最高のストレスである私にとっては極楽のごとく。また、冬野菜は豊作で価格も安定している。
一方で、弊害も出ている。観光やウインタースポーツ面で大きな影響を受けている。
森吉山の樹氷は生長が悪くやせ細っている。樹氷を通して木洩れ陽が見られるほどという。
雪祭りや冬のイベント、小正月行事の多くが、中止や規模縮小を迫られている。有数の豪雪地帯で知られる横手市が15-16日のかまくらに使う雪が足りず、市外から確保するなどの対応を余儀なくされている。冬の秋田の代表的な行事だけに、観光への影響が懸念される。
仙北市の田沢湖スキー場で22、23日に開催される予定のモーグルの国際大会「2020FISフリースタイルスキーW杯秋田たざわ湖大会」、という長い名前の大会も同様、駐車場の雪をかき集めるなど、対応に追われている。
鹿角市の花輪スキー場では来年と再来年の2月、2年連続で冬季スキー国体が開かれる。同スキー場で今年1月に行われた県高校、中学スキー大会は雪不足で一部会場を変更した。
日本では近年、大雨による洪水など大規模な気象災害が頻繁に発生している。地球温暖化が要因になっていると指摘する識者は多いが、まだ最終結論ではない。ただ、その一つの要因として人間社会の過剰なエネルギー消費が関連していることは否定できないだろう。いま生きている全ての人間がそのことを意識して生活する必要がある。
本日から約1週間、今季最高の寒気団が日本上空に居座り、明日は降雪が予想されている。やっと私にも冬が来るのかもしれない。
2/4(火)曇り晴れ やや寒い 外来 飯川病院
1:20起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ二袋集配所に。6:30レガシー飯川病院。8:45-14:00外来。新カルテで処方入力対応困難、疲弊。14:15飯川病院、微睡他、14:00-19:00勤務、入院患者対応。また微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ8582歩。
備蓄食品の中に乾燥しきった缶詰を発見した
私は缶詰が好きである。特に果物の缶詰はどうしても子供の時のことの思い出につがなる。昭和20年代後半の頃にはいくつかの缶詰の買い置きがあったが、病気にでも成らなければ食べさせてもらえなかった。私は病弱だった食べる頻度は多かったのだろう。密かな楽しみであった。
みかん、洋ナシ、黄桃・白桃など、どれも美味しかった。私は果物自体よりもシロップを飲むのが好きだった。勿論、今も果物の缶詰は好き。かすかに果物の味がついたシロップも好き。
我が家では非常食、保存食として缶詰をいくつか備蓄している。市販の各種の魚介類の製品が20ケほど棚に並んでいる。
そのほか、秋田では山菜採りが盛んで、地域によっては缶詰化してくれる会社があるようで、時折、自家製の缶詰をいただくことがある。一番多いのが、タケノコであるが、自宅で採れたマルメロなどの果物の缶詰をいただくことが多い。
缶詰は賞味期限、常識的な消費期限もあるが、基本的には保存さえちゃんとしていれば缶詰は腐らない、決定的には変質しない、と思っていた。特に、私は賞味期限・消費期限などは気にしない。
食品の賞味期限など気にしないが、私はくみ置きの水は飲めない
だから、我が家では缶詰の備蓄は10年以上もチェックしていなかった。
10日ほど前に久々備蓄品をチェックしてみたら、缶詰類を入れた箱の中に中身が入っていな軽い缶詰があるのに気づいた。クワイ水煮ホール、567g、固形物340g、中国製、賞味期限1998年10月、とある。完全に乾燥しているらしく振ってみるとカラカラと音がする。
長期保村している間に缶が腐食し、徐々に中身が蒸発した、と考えられた。保存箱のどこにも中身が漏れたようなシミとかはなかった。缶の合わせ目の上のレッテルが縦に腐食し一部脱落していたからこの部分から長い時間をかけて蒸発したのだろう、と当初は考えた。しかし、缶を開けてみて底に多数の小穴があり、缶を逆さまにおいていた為に内容が漏れることなく蒸発したと推定された。
中のクワイは完全に乾燥黒く変色し、若干クワイの形を残していた。
(缶の側面の接着部分 レッテルが劣化し一部脱落している)
(缶の底面に光を当てたら多数の子穴が確認できた)
(本当にクワイだったのだろうか?)
最近、ある社が発売した缶詰の何ケかが膨らんだ為に自主回収したとのニュースもあった。また、賞味期限が切れた果汁入りみかん缶を家で保管していたら爆発して中身が飛び出した、との報告もあるようだ。
結論としては、缶詰は普段の食事にも、備蓄に便利である。今回のようなことは例外もあるというレベルで捉えていいのではないか。
怪しい状況にある缶詰は食べない方がいい、だけである。
2/3(月)曇り降雨みぞれ混じり 健康クリニックドック 飯川病院
1:10起床、新聞、本読みなどいつもの如く。6:50バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック12名+CTR計測。11:25飯川病院へ、みぞれ混じりでびしょ濡れ。休息、微睡、データ整理。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6821歩。
私的徒然教育論(3) 教員の労働時間 中学6割、小学校3割の教員が過労死ライン??
ここ数週間、教育関連の文献や新聞記事を読んでいる。門外漢の私にも徐々に教育界の問題点が読めてきた。
教員採用試験の受験者は近年滅少ぎみである。学校が「ブラック職場」とみなされているから。このままでは、若者の教員離れはさらに進む。
近年、大量の教員が定年を迎え、新規採用募集者数は増えている。教育界の若返りのいい機会である。なのに、夢や能力のある、優秀な教員希望者が減っていては質が問題になる。
教員をめぐる職場環境の問題点は多岐にわたる。
同時に検討始めては解決につながらない。
まず、教員の労働時間をどうやって減らすか。
最近の調査でも明らかになっているが、日本の教員は中学で6割、小学校で3割の教員が、過労死ラインの月80時間を超す残業をしている、という。OECD加盟国の中でも際立って忙しい。しかしながら、授業にあてられる時間は他国より短い。
教員は授業以外の用事に追われているからである。
先般成立した働き方改革関連法で、企業の残業時間は月45時間以内とされた。学校もこれを原則とし、週休2日以上を確実に守ることを前提で仕事をどう回すかを考えるべきだ。
教員のかなめの業務は授業であることは論を待たない。授業とその準備に集中できるようにしなければならない。
■ 元々雑用はないだろうが、教員でなくてもいい仕事はあるだろう。それを削る。
■ 教員だけからなる環境は閉鎖的であり、多様な需要に応えられない。他職種員を入れ、肩代わりしてもらう。
■ 中学の先生は部活動の指導に携わる時間が長い。教員に代わる、専門の外部指導員の登用する。
■ などなど・・・・。
学校には文科省から次々と新たな課題が降ってくる。
小学校では、英語に続いて間も無くプログラミング教育が必修になる
開かれた教育の場として、地域や保護者からの要請があれば、むげな対応もできない。
だからと言って教員の仕事の範囲が野放図に広がらぬよう、歯止めとなる方法を考えなければならない。
もう、教員の心がけだけで解決できるレベルではない。
先般成立した働き方改革関違法で、企業の残業時間は月45時間以内とされた。
教師にだけ適用される時間外労働に関する法律も、考え方も見直す時期にきている。
本来の給与月額に4%分を上乗せするかわりに、残業代は支給しない現在のきまりは残業が少なかった1970年代の名残である。この制度がつい最近まで教員の超過勤務実態を不明瞭なものにしてきた。
文科省の試算では、働いた時間どおりに残業手当を支給すると総額は年9千億円に達するという。予算を組めないほどの多額であるが,逆に考えれば教員のただ働きで教育界が成り立っていることを示す。社会全体でこのことを認識し、その解消に本気で取り組むことが求められる。
義務教育期間は、子供達にとって最も重要な時期である。教育界の歪みのしわ寄せを受けるのは、未来を担う子どもたちである。
2/2(日)曇り 飯川病院日直明け
1:00飯川病院で起床、医学文献、新聞チェックPDF化など。9:30レガシー帰宅。午前は座学、読書、データ関連、自炊数冊、新聞、文庫本ほか文献電子化。昼はNHKニュース後のど自慢楽しむ。13:30-15:30ガレージ整頓、掃除、中央の支柱が劣化、一部切断、レンガにて固定、略成功。微睡、19:00夕食、21:00就寝。Σ5889歩。
私的徒然教育論(2) 教師志望者減=ブラック職場?
ここ数週間、教育関連の文献や新聞記事を読んでいる。門外漢の私にも徐々に教育界の問題点が読めてきた。
近年、教員採用試験の受験者が減少し、非正規教員も不足している、という。
学校現場ではベテラン教員が定年退職の時期を迎えている。そのため、正規教員の採用人数が膨らんでいる。にも関わらず、志望者の減少しているが、その原因は、残業代もない長時間労働が当たり前と考えられるブラック職場とみなされていること、給与を含め民間の就業環境の方に魅力を感じるようになっていることが理由だと言われている。
教員を大量に採用する時期を迎えることは分かつていたのに、また、教職にあるものが精神疾患に陥るなどのいろいろなサインを出しているにも関わらず、対策が後手に回ったため、と言える。
長時間労働の問題を解決し、教職の魅力を高めなければ教育の質も低下しかねない。
2020年度の採用試験の受験者は、全国で約9万8千人 2012年度の約12万2千人から約2万4千人減っていた。
競争倍率は、近年は採用人数が増えていることもあり 今年度は小学校が約2.8倍、中学校が約5.5倍と、2000年度の約12.5倍、約17.9倍から大きく落ち込んだ。
非正規教員の需要も拡大してきたが、非正規の教員のなり手も減つている
小泉政権が進めた規制改革のなかで、教員の人数や給与は自治体が決められるようになり、少人数学級などの取り組みが広がった。しかし自治体の財政は厳しく、多くの場合は安い非正規教員に頼ることになった。
その間、教員をめぐる職場環境は厳しさを増してた。「学力向上」、「いじめや不
登校の増加」、「保護者への対応」、「部活動の監督指導」、「報告書、事務処理業務の増加」などなどである。
社会や文科省からの要請にともない、学校の役割は膨らみ、教員の仕事も増えてきた。
これからの時代、学校教育の充実のために優秀な人材が求められるが、日本の教育行政は優れた人材を教職に引きけるための方策に無頓着で過ごしてきた。
教師の働き方の実態を調査したのは2016年で、小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が過労死ラインに達していた。
長時間労働の背景には時間外勤務の給与体系がある。教員の待遇の現在の骨格ができたのは1970年代、他の公務員より優遇することで人材を確保することにした。残業代を原則として出さず、給料に月額4%を「教職調整法」として支給することを決めたのも同時期であり、今になってみると明らかに矛盾を含んでいるが見直されていない。
見直しには巨額の予算が必要になるからである。
教職養成課程で学ぶ学生のかなりが労働環境の劣悪さ、低い給与体系から進路を変えている。
今のままでは教員に求められる仕事ばかりが増え、意欲ある志望者までが背を向ける。一度遠のいた人材を教育界に取り戻すのは容易ではない。
2/ 1(土)曇り雨 飯川病院日当直 レセプト点検
1:00起床。読書、徒然、データ整理。午前自宅で座学。コンポスト攪拌、居間のゴミ箱の修理。午後から飯川病院日当直。12:00レガシー病院に。新聞チェック、読書その他データ整理、16:00外来レセプト点検。18:00検食、読書など、21:00就寝。Σ7476歩。
私的徒然教育論(1) 教師志望者減が示すもの
なんか得体がしれないが、今の教育現場ではいろいろな問題が渦巻いているようだ。
生徒間のいじめ問題・・・、ばかりかと思っていたら陰鬱な教師間のいじめ問題もあった。不登校生も増えている。教師はブラック職業化しているのか、教員志望者は年々減少している。
私は教育関連業ではない。一時、大学医学部の教官だったことはあるが、今の教育界の実態は知らない。あるのは三人の子供の親だったということ、今は就学期の孫もつ爺爺だということ。後者の立場から親とは異なった立場で、間接的に、教育に関して無関心ではいられない。
身近に教職、元教職の方は何名かいるが、情報源にはならない。
今、学校や教師への不信感がうず巻いている。メディアが不信をあおっている。ボヤ程度の問題点にメディアが介入すると火災になる。
そんな背景があって、短絡的?な教育改革が性急に進められている。しかし、場当たり的改革は、決して教育をよりよいものにはしない。安倍総理は教育改革に意欲を燃やし、教育再生会議などを主催している。しかしどのような形で結果が出ているか、私はわからない。
学校や教師への不信感を煽るような情報がメディアで報じられるようになったのは、1970年代以降。それまで教育者はある種の尊敬の念などがあり、教育界は聖域扱いであったから、報道の標的になることが少なかった。しかし、「落ちこぼれ」や「不登校」、「いじめ問題」、「管理教育」、「ゆとり教育」、「保護者とのトラブル」などが明らかになってからは、メディアにとっては格好の「社会ネタ」だった。
その「ネタ」は次々と変化した。「校内暴力」が沈静化したら、次は「いじめ」や「体罰」がクローズアップされ、一通り報道・論評つくされると、次は「校則問題」・・・へ、といった具合である。
確かに、メディア報道を契機に事態が改碧した部分はあった。体罰はずいぶん減少した。「ブラック校則」も姿を消しつつある。
だが、そうした、メディア情報は二つの困った事態を生んでいる。
■一つに、少数の事件や事例がセンセーショナルに取りあげられること。
■一つは、この改善策を・・とやるたぴに、学校現場は余裕がなくなっていく。
メディアが注目するのは、信じられないような事件や、とんでもない不祥事ぱかりである。そういうニュースだけに触れると多くの人は「今の学校は……」という不信感を抱く。
大多数の学校が地逍に、それなりにうまくやっていることや、ほとんどの教員がまじめで職業意識に溢れていることなどは、「当たり前のこと」としてメディアで取りあげられることもない。だから、真の姿が人々にみえなくなっている。
「よりよい教育」を手探りしている目の前の教師には目を同けないまま、多くの人は学校を語っている。
1980年代の学校はは、ろくに教員も増員されないまま、次々と「改善」、「改革」の名のもとで、新しい試みの指示が上から降ってくるようになった。
その結果、教師の職務は多方面へ広がった。会議や研修や書類作りの仕事が増えた。トラブルや苦情への対処の時間も増えた。
教育活動そのものではなく、評価資料作成や評価のための時間も増えた。まじめで熱心な教師ほど、追いつめられる。近年の教員の精神病の増加は、おそらくその現れである。このままの方同では、さらに大量の教師が燃え尽きてしまいかねない。
私は最近の小中学校が置かれている立場はこれでいいのかな?と思っている。
詳細なことは門外漢である私にはわからない。ただ、教師志望者が激減していることが教育界の問題点を示しているように思う。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |