2019年9月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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9/30(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:00飯川病院起床、新聞・文献チェック。データ整理、7:10バスにて飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック12人+結果判定なし。11:15飯川病院、微睡ほか、読書、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、書籍自炊。19:15当直医来院待ち帰宅、夕食、21:30就寝。歩数6815歩。
表現の不自由展中止問題(2) 再開に向けての動きあるが
慰安婦問題や昭和天皇などを題材にした作品が物議を醸し、企画展「表現の不自由展・その後」が8月4日、開幕3日で中止に追い込まれた。
中止の理由として、抗議と脅迫、政治家の介入などなどが取りざされている。この展示会をめぐる混乱は、憲法に保障されている表現の自由に深く関連している。
中止になった最大の理由は、匿名の脅迫、すなわち、スタッフや入場者の生命に危害が及ぶかもしれないような内容も含まれていた、ことだった。最初の3日間は現場での抗議活動や妨害がなかった、とされる。攻撃の内容には最近の日韓関係の悪化、歴史認識、表現の自由の是非に関する激しい攻撃があったとされる。
「表現の不自由展・その後」が再開に向けて動き出した様である。
来場者から歓迎の声が聞かれた一方、愛知県が立ち上げた検証委員会が示した条件に関係者からは「現状で再開すべき。当初の意図と異なる形での再開は介入であり、検閲である」との反発もあり、また物議を醸している。
展覧会などは、社会の問題を芸術的視点から可視化するためにある。だから、企画展そのものは問題なかった。
県の検証委員会が25日にまとめた中間報告は、
■企画展をすみやかに再開すべき
■再開にあたっては、展示方法や解脱書、プログラムの改善、追加などを条件とする。
要するに、中止理由が匿名の不当な攻撃だつたのに、検証委員会の意見は安全確保の面よりも「不自由展の展示内容や方法に対する問題点」に向けられている。
結局、原点に戻って安全で安心な展覧会として準備の上で再開だろう。しかしながら、会の安全確保は準備から費用の面からも大きな困難をともなう。
ところが、文化庁は9月26日、この芸術祭に対して、既に内定していた補助金約7800万円を不交付にする、と発表した。愛知県が補助金を申請した際、審査に必要な情報が文化庁に申告されず手続きに不備があつたため、という。手続きに不備があれば訂正させた上で判断すべきであるが、その検討はされていない。文化庁の判断に批判が広がる可能性もある。
名古屋市長は少女像などの展示中止を要請し、一部の保守的議員もこの展示に批判的だった。
この少女像にどんな意味があるのか?
この少女像から何を受け取るかは人それぞれでいいが、私は、韓国側が慰安婦の象徴として思いを込め過ぎている人形にすぎない、とむしろ滑稽さを感じている。この像に対して同じ様な感覚で我々が韓国に対峙する必要はない。無視すればいいのだ。
9/29(日)午前降雨 飯川病院日直
1:15起床、録音データ大量整理。体調不良でなかなかファイトが沸かず。
本日急遽日直となる。8:30降雨ありレガシーで飯川病院へ、日直。9:10新聞チェック、12:00検食、ラジオでのど自慢。微睡。書籍自炊化。19:30帰宅、夕食。21;00就眠。歩数計11128歩。
表現の不自由展中止問題(1) 安全対策上、妥当だったと思うが雑音が多すぎた
慰安婦問題や昭和天皇などを題材にした作品が物議を醸し、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が8月4日、開幕3日で中止に追い込まれた。
中止の理由として、抗議と脅迫、政治家の介入などなどが取りざされている。この展示会をめぐる混乱は、憲法に保障されている表現の自由の実効性に問題を投げた。
確かに、私はわが国は言論の自由が乏しくなって「不自由で息苦しい」状態になってきていると思う。
展示の中止は、作家からは発表の場を、観客から鑑賞の機会を奪っただけでなく、芸術への政治介入など、予想もしなかった方向に飛び火し、様々な意見が飛び交っている。
「表現の不自由展・その後」に関しては開催前から多くの動きがあった。
開催に対する抗議活動は徐々にエスカレートし、恫喝と呼ぶべき電話も多かったといい、家族に危害を加えると脅された関係者もいた。結果的には中止せざるを得なかった、と思う。
会場にガソリン缶を持って行くと脅した疑いで容疑者が逮捕されたのは中止発表の4日後。他にも、近隣の幼稚園や小学校などにガソリンをまくと予告するメールもあった。関係者はこのまま続けたら本当に死人が出るのではないかと危惧した、とすれば中止もやむを得ない。京都アニメーションの悲惨な事件を二度と起こしてはならない。
ただ、企画展の関係者などに中止に至った過程などを十分な説明をしないまま判断したことなどの問題はあったが、それだけ緊急性があったであろう。
ネット社会を背景に、気に入らない発言や出版物、芸術的作品に対し、攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年強まっている。
政治家による露骨な介入が加わった。
■名古屋市長が「国民の心を踏みにじる」などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫った。その判断の根拠はなんだろうか?
■菅官房長官や文科相からも、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言があった。その内容は、「公的施設を使い公金を使うのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。ならば、行政の判断に不満があれば納税しなくても良いのか?
表現の自由は憲法に保障されている。緊急的中止はやむを得なかったとしても、補助金の非交付など、その後の対応は到底正当化できない。政治家の発言は、自由と表現の萎縮を招き、社会の活力を失わせる。
今回の表現の不自由展中止は各方面の表現者はもっと異議を唱えて良いし、各方面から検証されてしかるべきである。
9/28(土)晴れ 体調不良
1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。風邪の症状続く、熱感、鼻汁。読書、自炊と書斎の整理。新聞チェック。包丁ハサミ研ぎ10丁程。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ7350歩。ラグビー結果のみ確認、アイルランドに勝った。
家庭菜園・園芸2019(7) 我が家の庭の花たち 台風17号に耐えて
台風17号対策は自己評価で万全、ほとんど被害はなかった。
ダリア以外は何も対策しなかったが、風による枝折れ、茎折れなどの被害はほぼゼロに抑えられた。
台風後の我が家の花壇ほかの、現状である。
来週にはさらに大型の台風18号が接近するという予想もある。その際さらにどうしようか?思案中である。
9/27(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床,文献、データ整理などなどゆったり過ごす。5:00可燃ごみ提出、7:10バスにて飯川病院着。8:45-13:50中通病院外来、週一回になってから混雑して大変。人事と新労務契約結ぶ。14:00-18:30飯川病院、患者対応。書籍データ化進める。19:20帰宅・夕食。21:45就寝。歩数計Σ7742歩。
家庭菜園・園芸2019(6) 台風17号、準備万端でダリアの被害は限定的
気候変動の影響で雨も風も極端化の度を増している。いま起こっている災害は場所を変えてどこでも襲割れる可能性がある。秋田は直撃を受けることは少ないが、心しておかねばならない。
■昨年台風21号で関西空港が高潮で冠水し、広域で停電が起きた。
■本年台風15号は首都圏を直撃し、関東一円に交通網の混乱や停電建物被害をもたらした。特に千葉県の被害が大きかった。電力会社の被害想定の甘さや医療機関の電源問題、通信網の不通による情報孤立など様々な課題が浮き彫りになった
昨年の台風21号の教訓が共有できていれば、少なくとも関東の自治体などは構えることが出来たのではないか。初動体制が悪かったと評価されている。
災害対応のあり方を見直し、課題を次に生かす方策を考える必要がある。その一つ、地元の官民自らが検証委員会を作るべきである。
今は、有識者ら第三者による検証がほとんどで当事者による検証ではない。行政、鉄道、電力事業者、医療機関など各界が独自の振り返りをし、課題を共有すれば実効ある改善につながる、と思われる。次は我が身、と考えたい。
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身近な話。
秋田県内は9月23日、台風17号から変わった温帯低気圧が秋田沖を通過した。その影響で秋田市は中等度の強風に見舞われた。23日夕方から強が強まり始め、21時頃に強風が吹き荒れた。それでも地方気象台の発表では最大風速は21mだったという。
私は多少の園芸と畑を作っている。
胡瓜、トマト、ナスなど背が高くなる作物の場合は、成長を支えるためたくさんの支柱を必要とする。昨年までは、真っ直ぐな支柱だけで棚を作っていた。どんなに強化しても強風には堪え難い。今年からは真っ直ぐな支柱に、適宜大型のU字型の支柱を混ぜて丈夫な棚ができた。畑に関しては強風対策は必要なかった。
園芸としてはダリアを中心に栽培している。
昨年の台風21号は秋田でも強風に見舞われた。前の晩飯川病院の当直で翌日もそのまま勤務し続けたために風対策の追加ができず、夕方急ぎ帰ったときにはすでに遅しで地植えの10株が大なり小なり茎折れしていた。
ダリアは風に弱い。簡単に折れてしまう。6月に発芽して2け月ほどで私の背丈以上になる。だから茎の断面を見ると中空でスカスカ。これでは弱いはず。
今年は昨年の轍を踏まぬよう、15本ほどの地植えダリアに支柱を追加し、さらに根元から花の先端までビニールの紐でぐるぐる簀巻き状態にした。私として現時点での最大の対策となった。
結果は風による茎俺や被害はほぼゼロに抑えられた。
今後さらに大型台風が接近するという予想もある。その際さらにどうしようか?思案中である。
9/26(木)晴れ 午後飯川病院
1:30起床、新聞、医学文献他読む。徒然。12:07バスにて飯川病院、14:00-18:50飯川病院勤務。入院患者対応、書籍自炊化進める。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計Σ7651歩。
本 渡辺淳一著「夜に忍び込むもの」集英社文庫(2) 1997年10月 テーマは不妊
妊娠や出産は男女ともに重要なテーマである。
その意義が社会的には揺らいできていると感じるし、気楽に論じられなくなってきた。しかし、女性にとって、いくら社会的地位が向上し、社会進出が進んでも、生活が多様化しても、医療が進んでも、妊娠や出産は現実的な、あるいは潜在的な、永遠のテーマなのだろう。
とりわけ妊娠できない女性にとっては厳しい現実の中を過ごしていかなければならない。勿論、私には実感はない。
私は人として嫌いな人間はいっぱいいる。しかし、妊娠・出産・育児の面では絶対的に女性を尊敬しているが、そのことを表現するのも憚れるような変な時代になっている。
この「夜に忍び込むもの」のメインテーマは不妊である。
本作品の小説としてのあら筋は単純である。
42歳の妻子ある会社経営の主人公は、夫と家庭内別居状態の37歳の女性と付き合っていた。女性から「妊娠した、いま妊娠五ヶ月、生みたい」と告げられ慌てる。当たり前のパターンである。
主人公の堕胎の説得に女性はまったく応じない。女性の腹はどんどん大きくなる。主人公は金で解決しようと自宅を突然訪問する。そこで出会った女性のお腹はぺったんこ、妊娠などしていなかった。
妊娠は偽装だった。前半はここまでの展開。
後半は、不妊に悩むその女性の心境が吐露される。
本に関しては内容を詳細に記述すべきでないが文中から若干拾ってみる。
■どうしても子供が欲しかった、
■不妊に悩み、どうしても子供が欲しかったが、夫との仲は冷え切っていた
■夫が別の若い女性を孕ませていたことが分かった。
■なぜ主人公を騙したのか?妊婦として甘えたかった。
■不妊治療の酷さ辛さを面々と吐露する。人間と言うより生殖器として扱われ、深く傷を負った。
■現代医療の非人間性、不妊治療は辛くて根気がいる。
■不妊治療で通院などとは誰にも言えない。それが辛かった。
■病院3カ所、ほとんど同じ検査と治療、数え切れないほど通院。費用も莫大。
■最初は全身チェック、何回も血液や尿レントゲン写真や甲状腺検査、内診など。
■卵管の検査で造影剤や空気を入れられ、子宮の内膜、勁管の粘液検査など。
■何回も検査検査、そのあとホルモン療法。
■不妊治療は辛い。仕事なんか続けられない。
■子供のいる人を憎んでと両立しがたい。
■社会は差別でいっぱい。男と女、学歴、未婚か否か、子供のいるかいないかなど、息苦しい世界。
■・・・・・とまだまだ続く。
渡辺氏は、自分のエッセイの中で、当初は女性の立場からも小説を書いていたが、男である自分としてはやはり不向きであることが分り止めた。現に、女性作家によって書かれた優れた作品は多い、と自分に対して謙虚である。
結果的に氏は男にとって都合のいい女性像を描いた。
本書は不妊の女性が経験した不妊治療について語られているが、本書は女性作家には到底書けない内容だと思う。医師であり男性であることで、書けたのだ、と思う。不妊治療が不成功で、妊娠を諦めた女性の多くは体験として書けない内容だ、と思う。
氏は人間の愛と性を描き続けた。「エロス」には「生きる」エネルギーとともに「死」の影がつきまとう。氏は作家としての生涯を通じて、また、医師の立場でその点を表現し続けたのではないだろうか。最近やっと分かってきたような気がする。
9/25 (水) 快晴 飯川病院ボランティア 牛玄亭にて祝膳、
0:30起床,総長冷え込み。新聞、文献、徒然などゆったり過ごす。午前畑の仕舞作業若干のみ、10:30飯川病院から緊急呼び出し、家人に便乗病院へ。院長は病棟に集中、外来患者対応。そのままボランティア。19:00牛玄亭にて叶い誕生日を祝う。21:00帰宅、21:45就寝。歩数計Σ13329歩。
本 渡辺淳一著「夜に忍び込むもの」集英社文庫(1) 1997年10月
2014年4月作家の渡辺淳一氏が享年80歳で死去された。
私は学生の時に氏の存在と作品を知った。1968年8月8日、日本初、世界的には8番目の心臓移植が札幌医科大学で実施された。
私は当時新潟大学医学部の学生であった。この心臓移植成功にいたく興味を感じ、新聞や文献、図書館の資料などでフォローしていた。
当時、渡辺氏は札幌医科大学の整形外科の講師で、69年に「小説・心臓移植」発表したが、学内の反発が強く辞職を余儀なくされ、専業作家となった。
私にとって最もインパクトが強かったのが「小説・心臓移植:改題「白い宴」」であるが、その後はあまり読んでいなかった。氏の作品が「エロス」の方向にシフトし、彼の素晴らしい特質が失われつつあった、と感じたことも距離を置いた理由の一つであった。さらに、同じ医療関係として、作品の中に解剖学的、生理学的知見、精神心理学的知見などが詳細に紹介されており、読むたびごとに気恥ずかしさ、を感じたこともあった。
渡辺氏の作品は驚くほど多いが、作品は大別して、■1「恋愛小説」、■2「医学小説」、■3「評伝自伝」、■4「エッセーその他」、と分けられる。
■1として「失楽園」、「愛の流刑地」、「ひとひらの雪」など。
■2には「無影燈」、「白き手の報復」、「麗しき白骨」、「麻酔」など。
■3には荻野吟子の伝記「花埋み」、野口英世の伝記「遠き落日」、乃木希典夫妻の生涯を綴った「静寂の声」、与謝野鉄幹・晶子夫妻を取り上げた作品など。
■4では「鈍感力」、「欲情の作法」などがある。
私は氏の作品を好む。
特に、ここ数年は集中的に読んでいる。
氏の作品を好むのはエロティックな表現の部分もいいが、女性の描き方が素晴らしいことで、読みながらつい感情移入してしまうほどである。それだけ多彩な女性とのお付き合いがあったのだろう。
もう一つ特筆すべきは、小説の中で旅に出る場面が多いが、その土地の表現が素晴らしいことである。十分な下調べの賜物であろう。京都に出かける作品が多いが、季節ごとの京都の描写が素晴らしい。外国も同様である。一例として、「ひとひらの雪」ではオランダ旅行の描写、ウイーンへの紀行の場面は、私も経験あるだけに懐かしく読み得た。
別世界の事情にも詳しい。例えば、「愛の流刑地」では警察・検察の取り調べ、留置場の様子、裁判の様子が素晴らしかった。まさか自身で経験なさったのではなかろうが。
この「夜に忍び込むもの」は未読であったが、自炊の段階で出てきた作品。意味深な題名であるが、恋愛小説の範躊で、主題は女性の不妊問題である。
9/24 (火) 家内のBD 台風17号通過早朝から雨 外来 飯川病院
1:10起床,文献、データ整理などなどゆったり過ごす。5:00可燃ごみ提出、7:10バスにて飯川病院着。8:45-13:50中通病院外来、週一回になってから混雑して大変。人事と新労務契約結ぶ。14:00-18:30飯川病院、患者対応。書籍データ化進める。19:20帰宅・夕食。21:45就寝。歩数計Σ7742歩。
人生100年時代(30) 終活2019(5) 自炊本を iPadで読むは快適か?
自分で自炊した書籍は本と同じ様に快適に読めるか、と問われれば、否と答える。文字の輪郭は若干ながらボケる。スキャン時の文字鮮明度の条件設定を上げれば若干は改善する。だから書籍を直接読むより読みやすいとは言えない
この点だけは欠点としてあげなければならない。これが自炊本の宿命なのだ、とわかって利用する分には利点の方が多い。
私は低解像度で自炊しているが、そう読み難いと強調するほどでもない。近眼・老眼で視力障害が著しい私にとって
では文字を簡単に拡大できるのもいい。液晶にバックライトが装備されているので暗い部屋でも、車の車内でもしつかりと読める。
最大の利点は、本棚を埋め尽くす本を一掃し、パソコンやハードディスクに納め、iPad等のリーダーで気軽に読めること。電子化した本なら数百gの機器に数千冊を入れて持ち運べる。自分の本棚を丸ごと持ち歩き、好きなときに読める。パソコン等の知識があまりない人でも簡単に自炊できる。結果が目に見えるから自炊作業そのものは楽しい。
私は終活として、物理的に書籍を減らすことも大きな目的だったから、自炊の効用はとても大きい。書棚がどんどんカラになり整理棚化する。結果的に床に置いていた書籍なども整理され、部屋が、廊下が広くなった。
もう一つの大きな利点として、自分の読書歴、書籍の購買歴を振り返ることができること、埋もれていた本を発見でき、新たな読書意欲につながることである。
昨年は数ヶ月かけて所持している全CDのMP3化に集中した。CD本体は処分したが、音楽データ自体は一つも捨てていない。それらのデータはすべてiPhone8に入れて毎日持ち運びいつも聴いている。
その後、自炊に取り掛かったが、自炊で書籍の内容を保存したまま廃棄できる。新刊書を直ちに裁断することに抵抗はない。現に、私の読書量は自炊とiPad使用で大幅に増えた。
全ての書籍が自炊の対象になるわけではない。紙の本として保存しておいた方がよいものもある。
現段階ではA4サイズ以上の雑誌や図鑑は電子化し難い。また、絵本のように紙が分厚いものも不適。高級紙を使った特別装丁の書籍も不適。電子化すると紙の質感や印刷の雰囲気は伝わつてこない。私は展覧会会場で必ず画集を求めるが、画集は自炊から除外している。
自炊後の書籍は捨てるのが基本であるが、例外的に紙ベースとして残しておきたい本は再製本する。私はそう遜色ない状態まで戻すことが出来る。
iPad Proは700g前後と重い。持って読むには辛い。机で読むときには自作の書見台に乗せて読む。ベットでは枕にのせれば楽である。
(3種のiPad。左からiPad Pro、iPad2、iPad mini。前2者は長男のお古、miniは次男のお古。共に相当の値段で引き取ったもの)
9/23(月) 秋分の日 降雨朝から、台風17号日本海北上し風強し
23:30起床、まだ悪寒あり寒くて着衣なしは無理。文献、新聞他。6:00台風17号接近にに備えてダリア強風対策。午前は家事の補助、庭掃除若干。午後微睡後座学続ける。16:00から新聞文献など処理。19:00夕食。21:00就寝。歩数計Σ6822歩、外仕事のため。
人生100年時代(29) 終活2019(4) 書籍自炊に集中 古いが高機能スキャナー入手
書籍の自炊におけるプロセスは、■対象になる本の選別、■本の裁断、■スキャナーによる電子化、■それを読む道具とアプリケーション、■読む時間、である。
■スキャナーによる電子化
書類や本の取り込みについてはスキャナーを用いる。
スキャナーはフラットヘッドスキャナー、ドキュメントスキャナー、そのほかに分けられるが、書籍や書類の取り込みにはドキュメントスキャナーが向いている。
私は20年も前から紙データを積極的に電子化していた。2000年頃にはにヒュレットパッカード社のスキャナーを用いてきたが、2004年に何故か入手できなくなった。
富士通社は従来からScanSnapというスキャナーシリーズを販売していたがWindows対応のみであった。2005年にマックでも用いることのできる製品、S-300Mが発売になり私は嬉々として購入した。
S-300Mは2005年から2011年2月まで使用、約14万枚スキャンしたが、消耗品のゴムパッドが劣化し修理不能であった。やむなく改良型のS1300を購入、2015年にはS1300をもう1台追加し自宅と飯川病院双方で自炊作業を進めた。S1300は一度の処理できる枚数は10枚程度、処理スピードも遅く機能的には必ずしも満足できるものではなかった。
本年9月22日、すなわち昨日であるが、次男から富士通のS-500Mというスキャナーを使わないか?という話があった。いつもなら値段をつけて迫って来るのであるが今回は値段交渉はない。タダなのか??ただより高いものはないと言われるだけ心配が残る。
S-500MはS-300Mの後、間をおかずに発売になった古い機種であるが、機能的にはS1300よりは処理スピードを始め全ての点で優れている製品で、かねてから欲しかったがやや高価で、購入を諦めていたもの。早速、昨日から使い始めたが、自炊作業は一層はかどりそうである。
(上が昨日から使い始めたS-500M。下が激務に耐えて引退したS-300M)
(先日まで主役であったS-1300。昨日から脇役に)
■iPadとアプリケーション、iPhoneでも読めるが・・
iPadは画面のサイズ別に3機種用いている。iPad Pro(12.9インチ631g) 、 iPad(10.5インチ469g)、 iPad mini(7.9インチ298g) 。そのうち、iPad Proは持ち運びにはやや重く、寝転んで両手で支えて読むのは辛い。画面サイズを生かしてiPad Proは文章中心のデータを、 iPad minにはマンガ作品を中心に利用している。iPhoneでも読めないことはないが、画面が小さいから補助的でしかない。
自炊書籍を読むのに便利なリーダーソフトは数々あるが、私はComicGlass を用いている。パソコン用、 iPad用、iPhone用と揃っている。パソコンからのデータの読み込みも簡単、機器内でデータの移動は簡単で、電子書棚も簡単に作れる。書架に本を並べるより簡単である。本の時は書籍のサイズ等を優先して書架に収めていたが電子書架では外見上は一定のサイズになるために内容優先で並べることができる。これは機能的である。
■iPadとアプリケーション、iPhoneでも読める
iPadは画面のサイズ別に3機種用いている。iPad Pro(12.9インチ631g) 、 iPad(10.5インチ469g)、 iPad mini(7.9インチ298g) 。iPad Proは持ち運びにはやや重く、寝転んで両手で支えて読むのは辛い。画面サイズを生かしてiPad Proは文章中心のデータを、 iPad minにはマンガ作品を中心に利用している。iPhoneでも読めないことはないが、画面が小さいから補助的でしかない。
自炊書籍を読むのに便利なリーダーソフトは数々あるが、私はComicGlass を用いている。パソコン用、 iPad用、iPhone用と揃っている。パソコンからのデータの読み込みも簡単、機器内でデータの移動は簡単で、電子書棚も簡単に作れる。書架に本を並べるより簡単である。本の時は本のサイズ等を優先して書架に収めていたが電子化では一定のサイズになるために本の外観にこだわらずに、内容優先で並べることができる。
9/22(日)快晴 風邪気味でのんびり 次男からScaSnap S510Mもらう
1;00起床。本読み、まだ体調不良、早朝・夜間はけっこう寒い、ガスストーブ初使用。熱感と鼻水中心。読書、新聞などいつものごとし。書籍自炊進める。微睡取る、12:00NHKニュース、のど自慢、台風17号の風が気がかり。ダリア風対策、読書、微睡。本日の歩数わずかΣ4349歩。
人生100年時代(28) 終活2019(3) 書籍自炊に集中 iPad増設
かつては自宅の蔵書は専門書も含めかなりの量で、背の丈ほどの書棚が10ケ以上もあった。大地震が来て本が崩れれば逃げ場を失うだろうし、圧死する可能性がある。だから本の軽量化は常に念頭にあった。
私はもう長くはないだろうし、古い本などはどうせ見る機会はないのだし、家族にとっても無価値だろうから、終活として捨てたり売ったりすればいいのであるが、私は本の背表紙を見ているだけでも幸せな気分になる性分だから捨てられず、また、今だに書籍を購入し続けるものだから、増えすぎる本の処理に困っていた。
ところが、本をスキャナーで取り込み自分で電子化することで、保持と軽量化し、かつ背表紙も楽しめる方法があった。2011年以降、時間があればコツコツとこの電子化作業を進めている。この作業を何故か自炊というのだそうだ。
(私が参考にしているガイドブック)
自炊の対象になる本を書棚の奥から取り出す。この過程で、所持していることさえ忘れていた本や、懐かしい本、紛失したと思い込んでいた本も出てきて、驚いたり、喜んだりして悲喜交々懐かしんでいる。
取り込む前に本を裁断する。その頃は本をバラすことに抵抗があったがいまでは全く問題ない。一発で切断する専用のカッターも市販されている。我が家にもあるが、私は手元にある小さなカッターとハサミを用いて裁断する。能率が悪いが、この過程で書籍の内容を思い出すことができ、電子化してからの読書計画を立てるのに役立っている。
私は蔵書は多い方だろうけど、時間が無くて積読にしていた本が多く、書架に納めていただけの本も少なくない。悲しいことに線を引きながら深く読んだはずの本ももう殆ど忘れている。それらを取り出し電子化する。
その過程で次々と再読したい本が出てくる。
取り込んだ本は、かつてはパソコンで読んでいたが、ちょっとした隙間の時間にも読みたいから、ここ数年前からはiPadを利用して読んでいる。
3台のiPadには合計1000冊以上の書籍を入れたが、いくら入れてもiPadの重量もサイズも変わらないので便利である。日常、私的な図書館を持ち運んでいることとなる。別な本を読みたければ10秒程度で開くことができる。外来の合間にも、Taxi、バス、新幹線などで移動中にも、ちょっとした休息時間にも、さっと取り出して読む。だから、読書時間は最近相当増えた。増えすぎてブログ更新の時間を確保するのに苦労している。
なお、耳にはヘッドフォンを着けている。iPhoneからBluetoothを介して静かに音楽が鳴っている。
かつては、本はまず書籍としてそのまま読み、しかるべきのちに自炊し保存していたが、いまはそんなことにはこだわらない。購入した日にすぐ裁断しその日のうちからiPadで読む。
書籍の電子化は自分の過ぎ去った過去を振り返ることでもある。忙しいが充実している毎日である。
9/21(土)曇りやや寒い? 幼稚園運動会 飯川病院午後日直
1:00起床。新聞チェック・文献読み。画像データなど整理。悪寒あり風邪気味。午前稚園運動会家内送りそのまま飯川病院へ。午後は日直、座学三昧。新聞、単行本データ化、19:20帰宅、夕食。20:10就寝。歩数計8142歩。風邪気味続く。
内閣改造(3) 盤石さと新しさ
13人も新閣僚が入ったのに一見代わり映えがないように見える内閣改造であるが、その原因は菅官房長官と麻生副総理兼財務相の存在が大きかった。加えて、外相として世界中を飛び回り実績を上げた河野氏の残留も大きい。
入閣待機組の首相に近いベテラン議員を使った。何人かはいわく付きのメンバーであり普通はあり得ない人事で、長期政権のおごりなのか、国民軽視の姿勢がうかがえる。小泉(進)氏の起用で新鮮味も出した。
安倍首相今年11月に桂太郎内閣を抜いて歴代1位の長期政権になる。安倍氏の資質は大きいだろうが、長期政権を可能にしたのは菅官房長官と麻生副総理兼財務相の存在が関連している。不当発言が話題になる麻生氏は野党に追及されることで存在感を維持している。
最近、菅官房長官の存在が大きくなっている。
菅氏は森友・加計問題、統計改ざんなど幾多の問題を官邸主導で乗り切るたびに力を増している。
今回の組閣を見るに、安倍政権の終わりが話題になり始めているが、これまで表舞台に出ることなく責務を着実にこなしてきた菅氏が徐々に表に出て来るのではなかろうか。
時期首相候補として、人気だけで実績のない小泉氏は別にして、石破氏、岸田氏が挙げられているが、それ以上に菅氏の存在感が大きいような気がする。歴代の名官房長官はのちに首相になっている方が多い。意外と次期は菅氏かもしれない。
政権には、 ■年金問題、■社会格差の固定化、■人口減少、■原発事故汚染水問題、■財政再建、■社会保障、■対韓、■環太平洋安全、・・・・の諸問題か続く。
このうち、社会保障改革は難しい課題。首相は全世代型社会保障検討会議を設けると表明たが、短期間に改革を進めると社会が混乱しうる。
トランプ氏再選の場合、安倍氏に代わり得る人材が乏しいために安倍氏4選の声が党内から上がることも十分に考えられる。
9/20(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞チェック・文献読み・徒然など。書籍自炊による電子化、可燃ごみ廃棄。
7:30Taxi駅東口に。8:11こまち12号、徒歩病院、9:10-12:15外来、13:30-18:45飯川病院ボランティア、散水など。書籍自炊。日中悪寒あり風邪気味。19:15帰宅、21:00就寝。歩数計Σ13623歩。
内閣改造(2) 小泉(進)氏入閣は内閣のイメージアップに寄与
環境相の小泉(進)氏は38歳で、戦後3番目の若さで入閣。
閣内で首相への苦言を辞さない姿勢を貫けるか?? 実力はわからないが小泉元首相の息子であり、イケメンで人気抜群、アイドル並み。人気・話題性は大きい。まだ大きな実績はないが、その動きは時折報じられてきた。
今回は環境相としての政治手腕に注目が集まるだろう。原発事故の汚染水問題、核のゴミ処理問題など難題が山積みである。
これらをどうさばいていくのか。今後の活躍を期待したい。
氏は最近結婚した、という。奥さんになった方は私は知らなかったがかなり有名な方だという。互いに有名人なのにどこの週刊誌にもフォーカスされず、しかも、すでにお子様ももうけられたようで少子化にも寄与している。氏は意外と雲隠れ、隠密行動、秘匿に長けているかもしれない。結婚発表を首相官邸で発表し批判が出た。
氏は総裁選で石破氏を支持したこともあってこれまで首相から距離を置かれていたが、今回環境相に抜擢された。ただ、原発政策を推進する安倍政権では原発再稼働に反対の氏の主張とどのように折り合いをつけるのだろうか。
氏の資質に直接は関係しないが、私がいつも疑問に思うのは、各種のアンケートで「将来の首相候補No1」と言われてから久しい。今年の9月の日経新聞の世論調査でもトップであった。これは政治家としての評価ではない。ほとんど政治的成果もあげていないだけに、この小泉氏の人気は小泉元首相の子息であることとイケメンしかない、だろうと思う。
単なる遊びのアンケートなら笑って見過ごせばいいのであるが、私は選挙を基盤とした民主主義に限界を感じる瞬間でもある。選挙は一部の真摯な考え方を持つ方々を除き、大部分が「見てくれ」、「他にはない目新しさ」などで成り立っているように思えてならない。既存の与野党に革新性がないから「NHKから国民を守る・・」、「山本太郎・・」の議席獲得が可能であった。
いま、民主主義にはどんな意味があるのだろうか?
ただそんなことを論じてもしようがない。いまから100年前の世界において議会制民主主義はごくわずかの国にしか存在しない制度だった。それ以外の国ではどんな実態があったのか、民主主義からほど遠い政治の実態があつた。それを考えると選挙による民主主義は大きな価値がある。だから、選挙はたとえミーハー的要素があっても、それが大衆なのだと割り切りながら、制度としての議会制民主主義の枠を大切にしなければならない。
9/19(木)曇りやや寒い 飯川病院
1:15起床。文献若干,本読み。多少体調不良、寝不足か?ネコトイレ掃除多少改良、炊飯器周辺改良。書籍自炊データ数冊。散水ほか。12:07バス飯川病院、14:00飯川病院勤務、入院患者対応、文献読み、新聞チェックほか。文献、書籍自炊化進める。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ7265歩。
内閣改造(1) 入閣待機組処理内閣か?
第4次安倍再改造内閣が11日に発足した。
麻生副総理兼財務相と菅官房長官以外を入れ替える大幅な改造で、初入閣も第2次安倍内閣発足後で最多の13人となった。
閣僚の目玉は以下のごとく。
――――――――――――――――――――――――――――――
■女性閣僚は総務相の高市氏と五輪相の橋本氏の2人だけ。私は無理して女性を入閣させる必要はない、と思う。現時点では女性の適格者が不足している。無理に入れると男性議員の機会を奪うことになりかねないし、内閣の機能が落ちる。女性が胸はって活躍できる時代はまだ熟成していない。
■環境相の小泉(進)氏は38歳で、戦後3番目の若さで入閣。閣内で首相への苦言を辞さない姿勢を貫けるか、が問われる。実力はわからないがイケメンで人気抜群、アイドル並み。政治は入り口ではこんなもんだ、と思う。だからこそ手腕が問われる。
■外相は茂木経済財政・再生相、
■防衛相には河野外相。
■厚生労働相の加藤氏。
■経財相で社会保障担当を兼ね西村氏。
■その他はいわゆる「入閣待機組」から。
――――――――――――――――――――――――――――――
閣僚19人中17人を交代させ、うち13人が初入閣。中には森友・加計問題でいわくつきの方もいる。しばらくの間は閣僚不適切発言が飛び出すかもしれない。
今回の内閣改造のスローガンは「安定と挑戦」と言う。
首相は組閣後の記者会見で、新内閣が取り組む「挑戦」について、「全世代型社会保障への転換など内外の諸課題」を挙げた。社会保障に関してはぜひ成果をあげて欲しい。「憲法改正」論議は首相の先走りが見えるが、主権者たる国民に浸透していない。
自民党は11日臨時総務会を開き、党の執行部の人事を決めた。
二階幹事長と岸田政調会長、森山国対委員長は再任した。
幹事長代行に稲田氏、甘利氏は10月の消費増税後の税制改正を仕切る税制調査会長に決まっている。いずれもいわく付きの方であるが、有能な人材と期待されているようだから再度機会を与えることはいいことだ、と思う。
9/18(水)快晴 飯川病院ボランティア
2:00起床、寝すぎた感あり。昨日の外来の影響。文献若干,本読み。書籍自炊データ化。花の世話若干散水、床下収納庫の扉修理。12:07バス飯川病院に。ボランティア、昼食ないために正味期限1年以上経過の即席パスタ、美味かった。問題なし。文献読み、新聞チェックほか。書籍自炊データ化、19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ11249歩。
人生100年時代(27) 診療の自己負担は「割」でなく「%」で細かく論じよう
日本の財政の現状として、高齢化で医療や介護の給付費が膨張し、国と地方自治体の財政を悪化させている。
給付費の増加ペースが最も高いのが介護。伸びを抑えるには、2000年の制度開始から20年間も原則1割に据えおいてきた利用者自己負担を1割から2割に上げることが論議されている。
医療保険についても75歳以上の後期高齢者の窓口負担を現役並み所得者は3割であるが、それほど所得のない方の負担を原則1割から2割に上げることが必須と考えられている。
高齢者の医療費は税財源で賄うべきものであるが、約5割が国、都道府県、市町村からの公費、4割が現役世代の健康保険料から、1割が高齢者の保険料で賄われている。現役世代の健康保険料から召し上げるやり方は見直す必要もある。
国民健康保険、社会保険の自己負担が3割であることから見て、一般の後期高齢者の自己負担が介護でも医療費でも1割であることは問題があろう。2022年からは団塊の世代が暫時後期高齢者になって対象者ば貯蔵していく。こんな状況では制度の維持自体が困難となる。
日本の高齢者は蓄財も預金も多く豊か、とされている。特殊詐欺事件などを見ると呆れるほど豊かな人もいるものだ、と思える一方、高齢者の貧富は二極化しているように思われる。私の外来に通院してくる患者はどちらかというと豊かでない層に属す。
6月に話題となった2.000万円不足試算は高齢者の大多数に衝撃を与えた。試算は夫婦二人で95歳まで生きた場合、が前提になっていて単純計算ではじき出したものであるが、それまで生きられるか??健康な状態を維持できるか??など、不定の要素が多すぎて現実味は乏しい。高齢者はあまり声を上げていないが、不安要素は誰にでもあろう。
介護も医療費も、低所得者に配慮しながら、余裕がある高齢者には相応の負担を求めるべきである。
その際、〇〇割負担のごとく「割」で論じるとあまりにも大雑把になる。今の負担額は現役並み所得者は3割に、一般の後期高齢者は1割であるが、これらの端境域にある人にとっては大きな問題となる。これを「%」で表示し、所得に応じた負担額をより細かく設定すべきである。そのためにマイナンバー制度を用いればいい。
これから高齢者の生きる環境は経済的状況は、社会保障を含め厳しくなっていく。でも、高齢者の生きがいはお金だけではないはずだ。
9/17(火)快晴 中通病院外来、飯川病院
0:30起床。新聞・医学論文チェック他データ整理。書籍自炊データ化、5:00ゴミ出し。7:10バス飯川病院、8:45-14:30中通病院外来混雑疲弊。週一回外来になって混雑。14:20-19:00飯川病院、微睡後入院患者対応など。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9436歩。書籍自炊データ化。
人生100年時代(26) 敬老の日2019(2) 敬老から軽老(?) へ
日本の現状として、医療や介護は高齢化で給付費が膨張し、国と地方自治体の財政を悪化させている。これでいいのだ、と言う経済のMMTという考えがあるようだが、私は怖くて是とはできない。国でも焦っているように見える。
安倍首相は今回、医療・介護や年金改革、子育て支援策を検討する「全世代型社会保障検討会議」を立ち上げた。自らが議長に就き、年内に中間報告をまとめるよう西村担当相に指示した。それにしても新しいスローガンや委員会などを作るのが好きな首相だ。「一億総活躍・・」、「女性活躍・・」はまだ行きているのだろうか??総括はどうなっている??
検討会議は関係閣僚と識者で構成する。識者は経済財政諮問会議や社会保障審議会など政府審議会のメンバーから選ばれている。私はこれに日本医師会のメンバーも加えてほしい。医療費削減についての鍵は医師会が握っている。
団塊の世代が22年から順次75歳になる。
内閣府の推計によると、2018年度に約120兆円だった社会保障給付費は25年度に140兆円になる。財源としての消費税に頼るとすれば、ヨーロッパ並みに20%前後でも足りない、という意見もある。我が国の現状では現実的ではない。首相は7月の参院選前の党首討論で「今後10年くらいは上げる必要がない」と述べたが、選挙用の甘い言葉である。今の内からそんなこと言えるのか??検討会議ではどう出るのだろうか。2.000万円問題みたいに握り潰さないでほしい。
社会保障費としてもうひとつの主財源である会社員などの社会保険料は、医療・介護・年金を合わせた料率が30%を突破するのが時間の問題になっている。現役世代と経済界にとって重い負担になっている。もう限界だろう。
政権としては給付膨張を圧縮する「改革」でなく「改悪」が必要だ。厚労、財務両省と「22年危機」を乗り切る策を早急に固め、実現させなければならない。
高齢有権者に過度におもねず、負担・給付の両面について痛みを求める政策に変更しなければなるまい。
言葉は悪いが、「改革」から「改悪」に、「敬老」から「軽老(?) 」へのシフトは容認せざるを得まい。早く有効策を打ち出さないと「棄老」になる。
9/16(月)敬老の日 快晴 飯川病院日直
1:00起床。読書、書籍自炊、画像整理などいつもの如し。8:30バスで飯川病院出勤、8:50-17:00日直勤務、患者は落ち着いている。書籍自炊データ化進める。歩数計Σ9524歩。19:00帰宅、夕食、21:00就寝
人生100年時代(25) 敬老の日2019(1) 高齢化に関する統計と感想
本日は敬老の日。日本の人口の推移、高齢化率などについて再確認した。
■ 日本の人口:8年連続の減少
総務雀が昨年公表した2018年10月1日時点の人口推計によると、外国人を含む総人口は前年よ26.3万人少ない1億2644.3万人で8年連続の減少だった。
働き手の中心となる15-64歳の生産年齢人口は7545.1万入。比較可能な1950年以降では最低。人手不足などを背景に外国人は16.7万入増の222.5万人に上った。人手不足解消が喫緊の課題で外国入労働者の受け入れを拡大する改正入管難民法の施行により労働力を穴埋めする流れが強まりそうだ。
■ 少子高齢化率
65歳以上は3557.8万人で最高の28.1%。特に70歳以上が20.7%と初めて20%を突破し少子高齢化が鮮明になった。14歳以下は1541万人しかいない。
■ 秋田県人口の推移
総務省の入口推計18年10月時点では、県人口は98万1千人となり前年からの減少率は1.47%だった。減少率は6年連続で全国一。(ちなみに、19年3月1日現在の県人口は97万.5190人)で統計が発表されるたびに厳しい通じとなっていく。
死亡数が出生数を上回る自然現象率は1.03%。転出者が転入を上回る社会減少率は0.44%で、ともに全国一位だった。
■ 秋田県人口の年齢構成
65歳以上が35.7万入で全体に占める割合は36.4%。14歳以下が10%。15-64歳の労働人口は52.6万人だった。65歳以上の割合は全国最高、若年者は全国最低。高齢化の進行と人口減が進む本県の実態が浮き彫りとなった。
秋田県の人口はピーク時には150万人長であったが、県の調査統計化の発表では2009年6月1日の人口は1.09万人で110万人を切った。120万人を切ったのが1999年だから10年間で10万人減少したことになる。1年に1万人の減少、これは大きい。130万人から120万人に10万人減少するのに34年かかったことを考えれば急な減少加速と言うことになる。
■ 県の人口減対策
人口の維持あるいは増加は国や県の活力の維持に重要であるが、その方策は若者を増やすことしかない。年寄りに子を産め、死ぬなと言っても無理な話。私など高齢者医療を通じて「自然減」に寄与しているから無関心でいられない。
■ 若者が出て行くのは秋田で暮らせない、生きていくすべが無いと言うことである。知事は婚姻率、出生率を上げたいと言及しているが、まず、その年代の人たちに生きていける環境を提供することである。若者達へのアンケート調査などでは秋田が好きだ、秋田に住みたい、との答えが多い。彼らはそれでも出て行かざるを得ない。それが今の秋田の厳しい現状である。
我が国の人口減少を阻止する方法は唯一元気な子宮を増やすしかない。日本人の子宮の数はもう絶対的に不足している。出生率が3.0になればなんとかなるだろうが、すでに人口維持のために絶対的が不足している。女性のライフスタイルもかわった。かつて、柳沢という厚労大臣の発言は問題の急所を捉えていたが、すでにその発言の真意を冷静に受け止める時代ではなくなっていた。日本の少子化対策はその後とても影が薄くなった。
9/15(日)晴れ
1:00起床、電子データチェック、本読み。微睡など。朝に患者死去、確認。9:00レガシー帰宅。本読み中心。書籍自炊化進める。12:00NHKニュースとのど自慢、微睡など。15:00-16:30庭の草刈り5周目終了、これで一段落か。枝豆収穫したが実が入っていない、不作。夕食、21:00就寝。歩数計Σ8881歩。
第5回千秋花火大会、秋田元気祭り
秋田市内の千秋公園に隣接する広小路やなかいち広場周辺で聞かれた第5回千秋花火大会は9月14日(土)夕方から開催された。
主催者発表56.000人の観客が楽しんだ、という。花火の前にはディズニーリゾートのキャラクターによるパレードもあって観客を楽しませた。
6時からの千秋花火は 過去最多の3.000発が打ち上がった。今年のテーマは「千秋公園ー与二郎伝説ー」。飛脚姿で佐竹藩初代当主に仕えたとされる与二郎伝説を劇に仕上げた。キツネの形の花火や、与次郎の速さを表現した花火などが会場を沸かせた、という。
終盤にはお堀に100mの仕掛け花火「ナイアガラの滝」と、いかだから打ち上げられた「噴水花火」の共演があった、という。
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
(「ナイアガラの滝」と「噴水花火」のコラボ。あきた魁新聞9月15日版より借用)
私はいつもこの日は飯川病院の当直に当たっている。ビルが邪魔して全体像は見られないが、上がりきって広がった花火はその一部を見ることができる。
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
(病院の窓越しに時折見える花火)
この模様しは2015年にNPO法人「あきた元気倶楽部」が賛同者から開催資金を募るクラウドファンディングを利用して資金を集めた開催にこぎ靉けた。県や市は理解を示したが補助金などは出していない。
第2回目はふるさと納税の仕組みも活用し、納税額に応じた返礼品として5-200発の花火を持つことができる。第3回目は県の補助金もあったが資金繰りに苦労した、とされる。1500万円の目標は達成できなかったらしい。
市は中心市街地の活性化に努める姿勢を打ち出し、県と共同で200億円をかけて県民会館の場所に新文化施設を建設中であるが、箱物だけでは賑わいを作れない。民間の力があって初めて活性化が発揮される。
NPO法人「あきた元気倶楽部」は民間の力で魅力を生みだしたかつたとし活動を続けている。賛同者の思いが開催を継続させている、ともいえる。会場周辺で配布されたプログラムには「民間の力で、市街地に、元気を取り戻したい。」との一文があった。
人が集まり、店がにぎわい、街に活気があった中心市街地への再興の願いが込められている。
我が家では第4回目から、今年も10万円を協賛金として寄付している。座席も数人分いただくが、家内も私も現場に行く気はなく、毎回誰かに差し上げている。
9/14(土)晴天 飯川病院当直 千秋花火大会
1:00起床。蓄積資料整理。午前は読書、書籍自炊、データ整理など。午後はダリアの世話、庭木の枝を裁断など、16:00レガシーで当直出勤、千秋花火大会渋滞ひどし。17:00当直業務に。18:00検食、20:30就寝、歩数計Σ6570歩。千秋花火大会は昨年に引き続き協賛金10万円寄付、されど観にもいかず、座席は他所にあげた。病院窓から若干楽しめた。
人生100年時代(24) 国の財政再建(3) 改造内閣の再重要課題だよ
止まらぬ人口減少、膨大な財政赤字、我が国の課題は明確なはずなのに何ら具体的方策が示されず、経済に関しては拡張路線が敷かれている。政府がMMT理論を信じているが如くである。
日本はこれで大丈夫か、と思う。人口減に関しては自国だけでは解決は無理だが、だからこそ経済基盤の改善が必須である。
今回安倍総理は、内閣改造・自民党役員人事を行った。小泉進次郎氏を入閣させてイメージアップを図ったが、改造内閣に問われているのは、長期安定政権を生かした政策の実行力である。
経済再生や社会保障制度改革といった懸案に対応していく責任がある。
首相は改造後の記者会見で「新しい時代の国造りを力強く進めていく布陣、大胆な改革に取り組む」と強調した。
かつて第2次安倍政権は「経済再生」を掲げてスタートした。2013年1月に政府と日銀が発表した声明で、日銀は2%の物価安定目標達成に向けた金融緩和の推進、政府は成長力強化と持続可能な財政構造の確立を約束した。
確かに、6年半で企業収益や雇用情勢は好転した。だが成長戦略は道半ばだ。
黒田日銀総裁のもとで国債の大量購入やマイナス金利など異次元金融緩和を進めたが、2%の物価目標は達成できず、緩和の出口もまだ見えない。
14年4月に消費税を8%に上げ、10%への増税は2度延期したが、間も無く10%となる。
消費税率を10%に上げただけで問題は解決せず、増え続ける社会保障費を抑制していく改革が不可欠である。新設する「社会保障の検討会議」は高齢者の負担増にも踏み出す覚悟がいる。
2025年には「団塊の世代」がすべて75歳以上の後期高齢者になる。試算では現在約120兆円の社会保障給付費は、25年に140兆円を超える見通し、という。
安倍政権は当初20年度としていた国と地方の基礎的財政収支の黒字化目標の達成を25年度に先送りした。歳入と歳出の両面で改革を進めなければ、財政と社会保障の持続はおぼつかない。
安倍首相は11月に通算の在職期間で桂首相を上回る予定。長期政権の基盤のもとで、行ってきた経済運営、外交・安全保障、憲法改正といった諸課題の総仕上げと総括、今後のあるべき姿提示してほしい。
9/13(金)晴れ 大曲中通外来 飯川病院ボランティア プリウス12け月点検
0:50起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi、8:45-12:00大曲中通病院、往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア。散水他、19:00帰宅19:15夕食、21:30就寝書籍自炊化。歩数計14513歩。プリウス12け月点検問題なしと。
人生100年時代(23) 国の財政再建(2) 現代貨幣理論MMTを勉強してみた(2)
止まらぬ人口減少、膨大な財政赤字、我が国の課題は明確なはずなのに何ら具体的方策が示されず、政府の拡張路線に日本は大丈夫か、と思う。
MMTの考え方が正しければ日本の現状の経済状況にも救いはある。
ただ、MMTが成り立つためには、政府が必ず国債を償還してくれるという信頼が必要になる。借金の相手が他国だったりすると、そうした信頼は得られないかもしれない。
経済は水ものである。何が起こるかわからない。今後の経済状態、政治状況から信頼が失われる可能性は小さくない。その時に耐える力は弱くなっていると思うのだが・・・。
さらに、MMTではJGP(雇用保証プログラム)という仕組みをインフレ調整の役割として掲げている。「景気が悪化した時は政府が財政支出を増やして雇用を増やす、という方法である。そして景気が回復すると、雇用は民間へ移るから政府支出が減り、インフレは抑えられる、という。
しかし、私はやはり疑問がある。
経済が安定しているならまだしも、安定を欠いた時にも通用する理論なのか?
インフレ時における対応はそれほど効果があるのだろうか?
まして、不安定な国債情勢、景気停滞とインフレが併存するスタグフレーションに陥った場合は、機動的な対応ができるのだろうか?などなど。
大規模金融緩和などで物価や雇用を押し上げようとする金融政策に、限界論が強まっている。世界経済が難しい局面を迎えている。
今話題になっているMMTについて考えてみた。私の疑問は解けなかった。 もっと勉強が必要である。
9/12(木)快晴 午後飯川病
0:30起床。文献検索、新聞チェック、書斎整理、微睡など、石井さん腰痛、安静指示。書籍自炊多数、洗濯と乾燥、ダリア枝のまとめとくくり。ネコトイレ関連など。12:07バス飯川病院、入院患者対応。散水、当直医を待ち19:00過ぎにTaxi帰宅、夕食、20:50就寝。歩数Σ12122歩、書籍自炊化。
人生100年時代(22) 国の財政再建(1) 現代貨幣理論MMTを勉強してみた(1)
日本は少子高齢化状態にあり、社会保障を通じて経済上では厳しい状況にある。2020年度の予算概算請求を見ても社会保障を中心に膨張しつつある。このまま膨張路線で本当にいいのだろうか??疑問である。日本は経済的に破綻している、という見方もあるが、いや、全く逆の見方もって心配なしとの意見もある。NY州立大学ケルトン教授らの味方である。
■MMT(現代貨幣理論)という経済理論が最近、大きな注目を集めている。
一定の条件下にある国は政府債務を増やし続けても問題はないとする理論である。世界一の債務超過に悩む日本にとっては都合の良い理論であるが、経済に疎い私にとっては、直感的には疑問タラタラである。
MMTを簡単にいえば、「自国通貨」で債務が発生しても、それを「国内で消化できる国」、すなわち我が国の様な場合は、財政赤字や政府債務の大きさを気にせず、継続的に財政支出を増やしていい、というもの。
「国債を国内で消化できる国」とは、日本のように、国債の引き受け手となる投資家が国内に多数存在し、大部分を引き受けている国ということ。MMTはそうした国は、多額の借金をしても問題はないという。
数年前からギリシャは財政破綻状態にあるが、ギリシャは自国の通貨を持たず、かつ国債などを自国で処理できない状況で財政悪化とともに金利が急騰したが、日本はそうな らなかった。両国の違いはここにあると言われている。
■MMTの理論
MMT自体は1990年代に提唱されたもの。
MMTは、貨幣は政府支出によって生み出される。だから、税収の多寡に関係なく、制約も受けない。国債の償還時期が来たら、その分だけ新たに国債を発行すればいい。MMTではインフレは政府によってコントロールできるとしている。もし歳出増によってインフレが発生するなら、政府は歳出の削減や増税で、それを抑制すればいい、という。
要するに、過度なインフレが生じないように調整をすれば、政府は経済活性化のために財政出動を継続し続けても問題はない、と考えてもいい。
となれば、金利についても疑問が浮かんでくる。
国債発行を続けていれば、市場での需要が落ち、国債価格が下落し、金利上昇することにつながらないのだろうか?
しかしMMTでは、国債需給に大きな差が生じる場合は、中央銀行が代わりに買えばいいという考え方である。そうすれば国債を発行した分、中央銀行に買い取られていくから、金利が異常に高騰することは防ぎうる。現に、日銀は多額の国債を買い入れたが、物価は低下したまま、金利も低いままである。
簡単にまとめれば上記がMMTの基本理論で、これが正しいとすれば我が国の借金財政はそれほど間違っていないことになる。
しかし、私はにわかには同調できない。
9/11(水)降雨曇り不安定 夕方より晴れ 10:00飯川病院勤務
0:20起床。文献検索、画像データ整理、本読み他。9:30レガシー飯川病院へ。院長受診、10:00勤務、新聞チェックほか。微睡。入院患者対応。19:30レガシー帰宅。夕食、21:30就寝。歩数計Σ9639歩。書籍自炊化。
人生100年時代(21) 消費税(2) ふるさと納税も愚策
消費税は目的を持って上げるもの。複雑怪奇な軽減税率など問題が多すぎる。それに増税の意義も小さくなる。ここまで軽減するなら増税自体やめたら??
せめて、マイナンバーにポイン上乗せ策は白紙の戻すべきだ。
これと同じなのが「ふるさと納税」である。これも即やめるべき。
国民の義務を愚弄している。
税金の納付は、教育の義務、労働の義務と並び国民の三大義務である。
ふるさと納税はこの基本的な義務を汚してしまった。神聖な納税に「遊び、ギャンブル的要素」、「カタログショッピング的発想」を付加し、内容的には「ネット通販」にしてしまった。ふるさと納税の発想、考え方とも、最初からおかしい。ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ
総務省が過度な返礼品をに対し苦言を呈し、返礼品を寄付額の3割以下にするように通達を出した。私は返礼品はない方がいいがあるとしてもせいぜい寄付額の1割以下でいいと考えていた。ふるさと納税2017(3) 総務省は返礼品は3割以下に?? バカな結論だ
総務省が最初に警告を発してから4年、多くの自治体は昨年までに返礼品を見直したが、泉佐野市などは応じなかった。それで地方交付税を減額したところ国の判断は横暴だと提訴している。今回の国の措置はやむを得ない。6月からこれらの自治体に寄付しても税優遇措置は受けられなくなる。
日本は寄付文化が育っていない。
ふるさと納税の当初は「育ってきた地方への愛着と感謝」を基本としていたように思う。私はその気持ちで岩手県の東日本大震災の復興に毎月収入の2割程度寄付をしているが、返礼品は一切ない。達増知事名で礼状が一枚届くだけである。私の寄付金は1円もムダなく利用してほしい。もし返礼品があるなら、無駄だから寄付はしない。
ふるさと納税の利用者は年々増えて300万人を超えた。2017年度は寄付額が3600億円を超えた。
2018年度県内へのふるさと納税は19億円と過去最大。大館市が7億超、男鹿市が1億超という。
随分集めたものである。経済低迷の秋田県にとっては嬉しい結果であろうが、根本が間違っている制度だから私は是と考えない。
ふるさと納税の適正化を進める時期が来ている。
9/10(火)快晴 中通病院外来 飯川病院
0:30起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ廃棄提出。7:10バス徒歩飯川病院
着、8:45-13:30外来。患者多く疲弊、紹介状返事。13:50飯川病院。入院患者対応、新聞スクラップ、データ整理。散水。19:10レガシー帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ8731歩。書籍電子化。
人生100年時代(20) 消費税(1) マイナンバーにポイン上乗せ? 愚策だ
今年10月の消費税率引き上げに合わせ、政府は来年6月までキャッシュレス決済へのポイント還元を実施する。それ以降はマイナンバーにポイン上乗せする、という。
低迷するマイナンバーカードの取得を促すねらいもある。
しかし、消費税対策に便乗したばらまき政策になる。
マイナンバーカードを持つ人を対象に、スマホQRコードなどキャッシュレス決済でのポイント還元を新たに始める。入金額に、国のお金でポイントが上乗せされるしくみで、2万円の入金に5.000円分をつける案も浮上している。
マイナンバーカードは交付開始から3年半が過ぎたが、現在の交付枚数は1,800万枚弱で、取得率は約14%。12桁の数値は、税務署や自治体など行政サービスの効率化とともに、税や社会保障の公平、公正を実現する狙いで導入された。政府は「利便性の高いデジタル社会の基盤」と位置づけ、普及に力を入れる。
12桁の数値は、税務署の申告などの際に記載を要求され結構煩わしいが、記載は国民の義務だろう。
マイナンバーカードは写真つきの身分証明書としても使われ、公務員には一斉取得を進めている。カードを使い、コンビニで住民票を取るサービスも広がってきた。ほぼすべての医療機関で健康保険証として使えるよう、システムの整備も急ぐ。
なのに、なんでこれほどカードの取得率が低いのか?
要するに、必要性を感じない、個人情報の漏洩や紛失、盗難を心配するからである。
12桁の数値は国民一人一人に付与された固有の番号で生涯用いるもの。プライバシーの立場からも他人に見せられない。マイナンバーカードそれを記載したカードを、便利に使えるようにすることはその危険性を増す。印鑑登録した実印の管理以上に重要となる。
カードの普及を図るには、国民の懸念解消に努めるべきである。ポイント上乗せで国民の関心を引こうとするなど、論外、愚策だ。
消費税は目的を持って、覚悟を持って上げるもの。複雑怪奇な軽減税率など問題が多すぎる。それに増税の意義も小さくなる。マイナンバーにポイン上乗せは白紙から再考すべきだ。
これと同じなのが「ふるさと納税」である。国民の義務を遊びの手段にしている。ネット通販と同じにしている。これも即やめるべき。
9/9(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
2:00飯川病院起床、若干寝過ごし感アリ。新聞・文献チェック。データ整理、7:00検食、9:00-11:30健康クリニックドック14人+結果判定。11:30中通病院医局にて紹介状作成、13:00飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、19:15当直医来院待ち帰宅、レガシーのキー見つからずTaxi帰宅、夕食、21:30就寝。歩数7691歩。書籍自炊。
徒歩通勤2019(5) 愛知県通過し静岡県に
平成13年3月から徒歩通勤を始めた。間も無く6.5年になる。
歩数計「新・平成の忠孝」で連日歩行実績をチェックしている。
伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、江戸、すなわち東京を基点に、東北、北海道、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、再度本州に戻り岡山県、日本海側兵庫、大阪、・・・愛知を通過、8日静岡到着、神奈川まで524Km。これで忠敬が歩いた行跡が終わりを迎える。
(私が6年余使い続けてきた歩数計。本年3月故障したが同型品にデータを引き継ぐ事が出来た)
平成13年3月から本日令和1年9月8日時点までの積算データから分析してみた。
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■歩行開始後 2.346日目、6.5年。
■総歩数 Σ2.232万歩 (平均9514.5歩/日)。
■歩行距離 Σ17.859Km(平均7.61Km/日)。
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愛知県通過のデータ。
愛知に入ったのが7月9日、静岡に入ったのが9月08日。
■愛知県の海岸線は509Km、
■三重県通過の所要日数 61日。
■一日平均歩行距離 8.34Km。
■現在の位置 日本一周目標の95%ほど。
■神奈川まで524.2Km。日本一周の最終コースの県は神奈川のみ347.4Km。
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最低1日10.000歩を目標にしていたが、現時点までで9.515歩と目標には達していない。1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるために自信なく、基本をバス通勤にした。さらに、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを用いる頻度も増えた。その為、病院周辺をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。
通過した三重県は海岸近くの熊野市、志摩市、鳥羽市、伊勢市、津市、四日市市、松坂市など知っているが、私は三重県を訪れた記憶はない。
いま歩き始めた静岡県の海岸線は524Kmと長い。熱海、三島、沼津市は母方の家族が住んでいたこともあり中学生の頃訪れたことがある。
体調はまだ不良。1日8Kmの低ペースにして、65日、12月中旬に通過したいと考えている。
9/8(日)快晴残暑 飯川病院日当直 徒歩静岡到着
1:00起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如し。3:00孫の一人がなぜか起きだし寝ようとしない。大変であった。書籍の自炊進める。8:37バス飯川病院、900日当直。結構多忙にすごす。新聞データ化多数。読書三昧、12:00、18:00検食。21:40就寝。歩数計8493歩。静岡到着、神奈川まで517Km。
「道具は育てて使うもの」2019(2) 包丁を研ぐ、自らを研ぐ
私はちょっとした道具は自作するし、自分でメインテナンスする道具類も少なくない。
日常的にメインテナンスするのは包丁、ハサミなどの刃物類である。要するに刃研ぎである、
包丁をメインテナンスし見つめ直すことは料理に対峙する気持ち、感謝の念を磨くことでもあろう。私は料理は一切しないからその辺のことはわからない。
日本料理が見直されており、日本の包丁に熱い眼差しが注かれている。菜切り包丁、出刃包丁、刺身包丁、それから両刃の小さな万能包丁など、我が家では10種類ほど現役である。私が研ぎ始める様になるまでは、簡易型の研ぎ器や棒状のダイヤモンドシャープナーも使っていた。一時的には切れ味が回復するので便利であるが、切れ昧のよさを取り戻すには砥石で研ぐの絶対にいい。
諸外国では、意外と料理の道具として包丁の意義は小さいようである。ハサミが主流らしい。日本文化への理解とともに今後日本の包丁が必要とされていく。土産として購入していく観光客も多いと聞くが、手荷物検査はどうするのだろうか?
一方、日本の若い家庭などでは、まな板、包丁も持っておらず、ハサミの出番が多くなっているともいう。調理直前まで用意された魚や肉、カット野菜が店先に並んでいるのを見るとうなずける。
落として刃が欠けてしまつた時などはヤスリや電動グラインダーの登場であるが、切れ味が鈍った、と言われた時点で研ぎ直す。その判断は、トマトがスパッと切れなくなつた時、小口切りのネギが繋がり始めた時が頃合いと思われる。
自分でうまく研ぐにはやはり経験が必要。私は小学高学年の頃からやっていたから得意分野でもある。
砥石を取り出したら、洗い桶に沈める。
テーブルの上にタオルや布巾を広げ、砥石を固定し、水に十分酢けておいた砥石を置く。普段の手入れは中砥石(#240)と仕上げ砥石(#120)を使う。
中砥石の上で左手の指3本を研ぐ刃の裏にあてがい刃を前後させる。刃線をまんべんなく50回ほど研いだら裏返して軽くなぞるように研ぐ。両刃の洋包丁は両側をほとんど同じ様に研ぐ。次に仕上げの砥石もかける。
砥石に水をふりかけながら、30度ほどの角度と力を一定にして刃先を砥石に当てる。それが唯一のコツと思っている。こんなのは誰でもやれる。他の家庭ではどうしているのだろうか?
仕事が詰まったとき、考えがまとまらないときに、研ぎに集中していると、焦っていた心が自ずと鎮まってくる。そんな効果もある。
よく言われることだが、切れ味を取り戻した包丁でトマトをすぱつと切ったときの手応えは、包丁がよみがえり、料理上手になった気分になる、と言ってくれる。それを聞くのは嬉しい。
ところで、意外と大事なのは砥石のメインテナンスである。すり減って凹型になった砥石は有効に研げない。この様にならない様に満遍なく使用することは勿論であるが、それでも凹みは出来る。その場合は棒にサンドペーパーを巻き砥石をこすって平坦化する。これもコツの一つと思っている。
私が料理をすればもっといいメインテナンスをするのでは? と思うが、料理はできる限りやりたくない。
私が料理嫌いになったのは、田舎にいるとき、ニワトリ、キジ、野ウサギ、生サケの解体などをやらされたことと関連する様な気がする。生々しい記憶が残っている。多分やれば上手にできるとは思うが、・・・。
9/7(土)快晴猛暑
1:20起床。いつもと同じ。新聞、小説、録音データ整理。自炊数冊。朝方微睡、
午前は庭の小枝など片付け。コンポスト臭気対策で腐葉土で下部を囲む。かなり効果ありそう。15:00次男一家来訪、孫たちに大工の真似ことをさせた。うち二人が泊まり。19:00夕食、20:15就寝。歩数計6882歩。
「道具は育てて使うもの」2019(1) 郷里で用いた古い道具類を今も
私はちょっとした道具は自作するし、故障した機器などは大抵のものは自分で修理する、あるいは修理を試みる。
特に木工が好き。そのルーツは、小学1年のときに医院と住宅をかねた我が家は貰い火によって全焼したが、新築するまでの半年間私の遊び場はもっぱら建築工事現場であり、時には若い大工が色々教えてくれ、木工について大いに興味を感じ、初歩的な知識も得た。<a href="http://www.mfukuda.com/profiel/profiel.htm">Profile</a>
小学6年の時、2坪ほどのハト小屋を自作し、鳩たちに大いに喜ばれた。この鳩小屋は自分も入って掃除ができるほどのサイズであり、フンで汚れた床面は床板をひっくり返すことで、自然乾燥させるように工夫もした。
その後も色々発展させて金属製品にも、電気製品にも、オートバイにも手をつけられるようになった。ちょっと自信過剰になっていた。
つい20年ほど前の話であるが、新品ラジカセに外部出力機能を付加しようと試みバラしたが、もう昔の製品とは異なりプリント基板で回路がわからず失敗、再起不能な状態にした事もある。恥ずかしくて修理に出せず同じものを再度購入した。
19歳で岩手をさり、また、医師として現役時代は多忙で木工などできる環境になかったが、ここ数年そのための時間も確保できるようになった。最近、我が家の家具、テーブルや椅子なが劣化してきている。その一部は両親が生前盛岡で使ってきた椅子などもある。そのほとんどを私が修理している。私はその出来栄えに満足しているが、家族たちにはすこぶる評判が悪い。もっと良いものにリニューアルできる機会なのに、・・・と。私は使い続けてきたこと、傷がつき手垢がついているものの方に価値を置く。この発想は修理能力を持つからできるのだ、と思う。
昭和58年父耕栄が死去し、盛岡の家を引き払い、重要なものは秋田に移したが、その中に古い道具箱もあった。カンナ、カナヅチ、ノコギリ、ノミ、ペンチ、ドライバーなどなど多数の道具類があった。もう使えなくなったものもあったが、手になじんだ懐かしい道具類を捨てないで残してくれた両親に感謝した。ノコギリは刃研ぎ、刃の目立ても自分でやったものである。
今も好きでDIYショップの大工道具コーナーを覗く。魅力的な製品が展示されている。一部は買い換えたが、まだ大部分の道具は昔の古い道具を使い続けている。
「道具は使い込むうちに手に馴染んでくる」、言われる。一部は全くその通りだと思うが、実際には道具が変わるのではなく使用者が道具に合わせて変化していくのだ、と思う。
電動工具にも興味がある。流石に寄る年波には抵抗できない。私は馴染んだ道具があるから電動工具は2種しか持っていない。穴あけ用のグラインダー、電動ノコギリである。これだけでも作業が随分楽になった。前者にはヤスリなどもつけて用いることもある。後者は刃が回転するタイプでなく、通常のノコギリのごとく刃が往復するタイプの優れ物で、刃先を交換すると木工用、金属用、プラスチック用など多用途に用いることができ、とても気に入っている。
9/6(金)快晴暑い 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 歓送迎会
0:20起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi、9:10こまち、9:10-12:00大曲中通病院往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア。18:00飯川病院歓送迎会鍋カツ、21:30帰宅・就寝。歩数計14428歩。
情報と記憶2019(3) 情報過多は学習意欲を損なう?
勉強すればするほどわからないことが増える。この場合の勉強とは教科書的な記載事項に対する勉強ということではなく、自分の意思で枝葉を広げていくような勉強のことである。その際に必要なのは信頼できる情報である。
情報の活用について改めて考えてみる。
知識が蓄積であるのに対し,情報は流れとみなす考え方もある。確かに流動的であり、しっかりとした形がない。
受け手の私に、刺激を与えてくれる未知の知識を情報と呼ぶのが良いようだ。
情報を持つものと持たないものでは学習結果に大きな格差が生じ得る。また、情報が欠如していることにより利益を逃したり、回避できるはずの損害を被つたりすることもある。
逆に、情報発信も多大な損失を招きかねない。SNSとかツイッターとか便利な情報発信も可能になっているが、自分のためにも社会のためにも安易な発信は避けるべきである。情報はいわば、入手の方法や利用の仕方で良くも悪くも変わつてしまう怖いものでもある。鋭い武器にもなり得る。
情報社会と言われる中にあつて、私たちの周りには情報が溢れている。
今、メディアやネットに情報が溢れていて、検索にアクセスするだけで一定の情報が獲得できるが、そんな環境の中で学ぶという意欲はむしろ希薄になっているような気がする。便利に効率的に情報に迫れるとの錯覚に陥りつつある。
だが、これは勿体ない事でもある。断片的で表層な情報は入手できても、体系的かつ構造的な知の世界からは遠ざかり、「今、ここ、私」だけの関心領域で世界を掟えがちである。
私は歴史観を構築したいと格闘してきたが、非能率的であっても情報に真剣に向き会う姿勢は失いたくない。
一方で、生命科学が進化し、生命操作も可能となり、AIが人間の能力を超すかもしれないという時代に生きて、人間とは一体何なのかを改めて問い詰めなけれぱならなくなっている。50年ほど前に大学で学んだ知識を頼りにしては生きることができない。
人間が脳の進化の中で産み出した哲学と宗教の意味を再度深く考察し、自分の中で体系化することが必要であろう。
とは言っても、クールに考えればそんな努力しなくとも生きられるし、努力したからといっていい人生が待っているわけではない。結局はみんな同じところに行く。
情報を利用するにあたつては、再掲になるが、次のことに留意したい。
■ 過剰な情報は無に等しい。■ 形が無いから真偽の見極めが必要。■ 悪意の情報に操られてしまう危険性も。■ 受け手によつて別の意味を持つものもある。■ 必要情報有益情報の入手は自ら行勣して得る。
9/5(木)曇のち快晴 午前フリー 飯川病院
0:20起床,医学文献、新聞他、昨年3:00am北海道で震度6弱発生、甚大な被害全停電も。9:30-11:20草刈り、5周目ほぼ終了、ガレージ床掃除、疲弊した。腰痛あり。12:07バス飯川病院。14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:00帰宅、夕食。21;00就寝。歩数計13817歩。
日本語2019 変化する日本語「観」か「感」か
年齢を重ねていくと言葉、特に日本語の言い回しに関心が向くようになる。
日本語(3)日本語は進化する
最近、「価値感」と書かれた文章を目にすることがある。私は「価値観」であり、「価値感」は用いたことのない言葉である。とても違和感がある。
物事の価値判断を下す時の、物の見方を意味する価値観、私は自己の考え方を示す重要な重い言葉と思ってきたが、「価値感」の使用は実に軽い印象である。社会の変容を反映しているのだろう。
時間をかけて主体的に、自分なりの意見を吟味して確立した、重い「価値観」。それに対して、より簡単に他人に問いかけて誰かに反応してもらえるよう、あいまいで軽く、感覚的な表現に用いられる「価値感」。
この変化の背景には、文章で表現された時代から、誰でもカメラを持ち、映像中心文化、インスタ映えの文化などになってきたことで大きく変化してきた、と思える。そういう私も当ブログに映像を利用している。限られた時間で、私の表現力で到底表現しきれないから、つい頼ってしまう。
例えば、何かの文学作品が映画化された、としても、私は文章派であり基本的には映画は見ない。文章からは、私は想像力を駆使して無限の可能性を楽しむことができるのに対して、映像化した作品は、より直感的であり、誰かの価値観の押し付けであり、楽しめる範囲は狭まっている。映像から得られる印象は軽く「感」の印象である。
この傾向は今後もさらに進んでいくのではなかろうか。
確かに「感」がつく表現が身の回りに増えた気がする。大きさ重さに関する印象を示す「サイズ感」、「重量感」、古着古本などの評価に「使用感」などなど。これらは軽いけれども関係者にとっては重要な情報である。
「価値観」か「価値感」に差をつけるのではなく適正に用いればいいのだろう。
新しいことばが次々と生まれている。これには社会の変化が反映されているのだ、と思う。
9/4(水)晴暑い 草刈り 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献・新聞。医学論文など。10:00-11;20草刈り今季5順目の2回目。12:07バス飯川病院、ボランティア。微睡、データ整理。文献読み、録音データ整理ほか、歴史本他読む。19:00夕食、20:30就寝。歩数10925歩。
大曲花火大会
第93回全国花火競技大会(大曲の花火)が31日開かれた。
主催者発表で大仙市には約75万人の来場者でにぎわつた。市の中心部では関連イベントが開かれ 大勢の人で街が活気にあふれた。
街は午前9時から通行止めになった。混雑は午後3時ごろから本格化、JR秋田支社が増発した列車などを利用して全国各地から観覧客が訪れ、会場へと続く道が人であふれた。桟敷席に敷くシート、雨具、防寒具など、大きな荷物を持った人の姿が目立った。
関連イベントとして「大曲の花火ウイーク」が開かれた丸子橋付近の特設会場では親子連れが花火玉を模した衣装にくるまって記念写真を撮るなど、来場者の人気を集めた。
花火聞始の午後6時50分ごろには 観覧会場は大勢の人で埋め尽くされた。家族や友人らと歓声を上げながら次々と夜空に打ち上がる大迫力の花火を楽しんでいた。
(大曲花火大会前日9月30日8:45頃の同じ場所の風景。毎週金曜日に私はこの時間にこの場所を通るが、いつもは人通りはまばら)
大曲の花火は長岡のそれとは規模では若干劣るようであるが全国有数の規模を誇る。
雄物川河川敷運動公園において、例年8月最終土曜日に開催される大正時代からの行事である。2000年(平成12)からは、当大会と土浦の2大会に内閣総理大臣賞が授与されている。また、日本で唯一の昼花火の競技大会もある。
雨天順延がほとんど無いのもこの大会の特徴だが、昨年は台風21号の影響で雄物川が増水し、開催が直前まで危ぶまれた。今年も当日昼まで時折雨に見舞われたが、開催時間頃には曇天から晴天になって関係者、観客を喜ばせた。
人口4万人弱の大仙市大曲地区に約70万人の見物客が押し寄せる。
私も子供たちが小さかった頃何度か連れて行ったがその後は行っていない。現場で見る花火は腹に響く低音とともに実に素晴らしいが、私は人混み、交通渋滞に耐えられない。行く際には下りの特急あるいは新幹線を予約して出かけ、1時間ほどで秋田に帰り得たが、秋田から車で来た知人などは渋滞で6時間以上も要し、しらじらと朝が明ける頃に帰宅している。極楽の後の地獄である。
「ごみは持ち帰らないように!!!」と通常の観光地などと異なる指導がされる。かつてはごみを持ち帰る観客が帰宅途上で各所に捨てて問題となった。今ではごみは、主催者が処理するというが、ゴミは毎年100トンを超える、らしい。
9/3(火)曇り時に激しい豪雨 外来 飯川病院
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、7:10バス飯川病院着、 8:45-13:30中通病院外来、数・質ともに混雑、疲弊。13:40飯川病院、14:00-18:20勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数9047歩。書籍自炊化。
車社会の今日2019(8) 高齢者ドライバー問題(3) 私のポカ事故(2) 高齢者の、私の記憶
8月2日、私は夕方帰宅時に物損事故を起こした。しかも、加害者は私、被害者は私のディバッグ。毎日使う機器だから再購入、8.4000円ほどの出費となった。
私の不注意 今回の件は今後の日常の運転そのほかに必ずプラスにしなければならないと心に誓った。
■車の前方にしバッグを置いた。
■バック時にコーヒー缶を潰した。このことが意外と大きい意義がありそう。
■習慣的にギヤを「D」に入れたらしい。
■1mあまり前に進んだ。
■右フロントのタイヤが何かに触れ、その瞬間にディバッグを置いたことを思い出した。
■この間、せいぜい1分間くらい。
今回の出来事は私の単なる不注意なのか、加齢に伴う記憶障害なのか?痴呆関連なのか?考えて見なければなるまい。
やはり、私の記憶障害なのだろう。常々から私の記憶力はかなり障害があることを自覚しているためにハードディスクにデータとして納めているが、それを自分でダメにした、ということは実に皮肉である。
忘れた事項を必死に思い出そうとしている過程で「何を思い出そうとしていたのか?」ということを忘れてしまうこともあり、また、途中で何か懸案を思い出すと前の懸案事項を忘れる、といったことはしょっちゅうである。今回は缶コーヒーの気をとられてしまった。
人間の記憶ってどうなっているのだろうか?特に、私の記憶はどうなっているのだろうか?印象深いことなどは簡単には忘れないが、今回は日常的行為の一つだから忘れたのか?
記憶の研究は意外と進んでいない。特に高齢者の記憶障害については遅れている。
一般に広い意味での記憶といった場合,3つの段階が含まれ る。
▼与えられた情報を覚える段階であり,それを記銘という。
▼次に,覚えた情報を維持している段階があり,これを保持という。
▼覚えている情報を思い出す段階があり,これを想起という。
与えられた情報をよりよく記憶するために,記憶すべき事柄を声 に出して繰り返しつぶやいたり,頭の中で繰り返したりして強く記憶に刻み込もうとする。
また,記憶情報を思い出す場合に,直接情報を呼び戻すよりは関係のある何かの手がかりを先に想定し,その後に思い出す方が効率的に思い出すことができる。
私は通常持ち運ぶべきアイテムに番号を与え、番号を口に出して唱えることで忘れ物をしないようにしている。1はハードディスク、2はiPhone、3は歩数計、4ヘッドフォン・・・・であるが、この習慣でかなり忘れ物しないで済んでいる。
また。出勤時など誰もいないときは、1ストーブ、2ガス、3照明、4戸締り・・・などのために数を唱える。また一つ一つは指で差しながら「1のストーブOK」などと確認する。不注意、忘れ物を防ぐ(1)重要な「指差し・声出し確認」
私の記憶の状態を把握するために「記憶の研究はどこまで進んでいるのか?」を今後調べていきたい。
9/2(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:00飯川病院で起床。新聞・文献チェック。データ整理、9:00-11:30健康クリニックドック13人結果判定。松坂古書店、完全に閉店していた。12:30飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、当直医の来院待って19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数7639歩。
車社会の今日2019(7) 高齢者ドライバー問題(2) 私のポカ事故(1) iPad Pro Hard disk昇天
8月2日、私は夕方帰宅時に自分のレガシーでミニ事故を起こした。人身事故ではなく物損事故だけ。しかも、加害者は私、被害者も私。
その日、午前フリーで購入した腐葉土を2袋病院に運ぶために午後にレガシーで出勤した。
いつも置いている細長い駐車スペースに先客の車があったために、私は入り口付近にフロントを前方に向けた状態でバックで入れて後ろ向きに駐車した。帰宅時確認したら先客の車がなくなっていたために私の車が中途半端な位置に駐車している。数日車を用いる予定がないために奥にしっかりと詰めて駐車しておかなければならない。
バックして奥の方に移動するために、私は荷物で膨らんで重いディバッグを肩から降ろし車の前1mほどの路上に置いた。バックするだけだから前に置いても問題はないはずであった。
そろそろとバックしかけたところ後輪付近で何かグシャと異音がした。降りて確認したところコーヒーの缶を潰していた。「誰だこんなところに缶を捨てたのは・・・!!!」。そのままさらにバックすれば良かったが、車が前にスルスルと走った。1mほどだったがシフトが「D」に入っていた。何も考えずに習慣的に「D」入れたのであろう。
前方に自分のディバッグを置いていたのを思い出して車を止めたが、右側の前輪が軽くディバッグに接触していた。実害がなかろうと軽く考えて自宅に戻った。
しかし、翌早朝1:00過ぎに起き出して、いつものごとくパソコンを立ち上げ、ハードディスクをつないだが全く認識されなかった。外観上は全く問題が見られなかった。iPad Proも外見上問題なさそうに見えたが、ディスプレイの約半分が欠けていた。iPad mini、そのほかの電子機器は問題がなかった。軽く接触したと思ったがかなり衝撃を与えたらしい。
iPad Pro、ハードディスクは1日も欠かさず利用する重要機器である。前者はAppleにアクセス、修理の手配をし、後者はIO-DATA社から再購入の手配をし、8月6日には両者が手元に届いた。
ハードディスクはバックアップを取っていたので未整理のデータ3日間分ほど失われただけで大きな実害はなかった。iPad Proの機能も復元した。要した費用はiPad Pro74.304円、ハードディスクは9.900円であった。
私の不注意で思いがけない大きな出費となった。自分のディバッグを轢いた不注意と合わせ私はショックを受け、心に傷を受けた。情けなくて家族の誰にも言わずに極秘に処理した。
今回の件は今後の日常の運転そのほかに必ずプラスにしなければならないと心に誓った。
9/1(日)快晴 飯川病院日直 レセプト点検
1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。7:20レガシー飯川病院に。早く病院から離れたいとの当直医を代行し、日直に就く。入院患者対応、散水他。NHKのど自慢後微睡。レセプト点検、約1時間余。月いちの作業だがこれが結構ストレス。12:00、18:00検食。21:00就寝、Blu-ray視聴「ライオン」、ぶらぶら「藤田嗣治展」。歩数8361歩。自炊進める、美女小芝風花発見、データ化。
あおり運転(2) いじめ、虐待、DVなどと同じ心理構造
あおり運転などの危険行為に走るのはなぜか??
私は人間の心理として多少なりとも誰にでもある、攻撃性を背景にしている、と思っている。要するに、いじめ、虐待行為、DVなどと同じ心理構造に由来している、と思っている。いや、それだけではなく、可愛いという心理にすらも共通しているのだ、と思う。可愛いと感じられる心理は一見素晴らしそうに見えるが、実は残虐な心理である。あおり運転はそれに加えて車という特殊性が加わっている。
だから、「あおり運転はやめましょう・・・」では効果が無い。社会問題化して社会に共通の認識を持たせて抑止力を高め、罰則も厳罰化しなければならない。
あおり運転の心理をずらずらと列挙する。
■自分が誰かわかりにくい、匿名性の高い閉鎖空間にいることで、通常は抑制され隠されている攻撃的な感情が表れやい。会社名が入った車を運転している場合には生じ得ない現象。人は他人の目が届き難い状況では変身する。
■自分との関係が一時的にしか、一瞬しか生じない希薄な人間関係を背景に、他の運転者に対し強気になりやすい。知人同士ではあり得ない行為。歩行者に泥をふっかけてそのまま走り去る車も同じ。
■渋滞など、ノロノロ運転でストレスがたまる。そのストレスの発散方法が車内になく、欲求不満が高まっていく。エアコンや音楽など微々たる効果しかない。
■同乗者はその立場によってむしろ抑制よりも逆の作用に加担する。いい格好見せたい??心理も。
■あおり運転はちょっとした心理の変化で生じうる。だから全年齢層に生じうるが、一般的に高齢者は少ない。背景には加害者に幼児性を感じ取れる。
■現代は何事につけても自己中心主義で、不寛容な社会となっている。そういう人間が増えている。「多様性を認めよう」のキャンペーンは盛んであるが、「多様性が認められ難いから」。
■車格の差が原因になっている。自分が偉くなったような錯覚を来す。これは人の弱い部分の一つ。自分自身に誇りを持てればいいのだが、所持品とかで自分を高めようとする。より大型のトラック、高価格乗用車があおりをする。軽自動車で高級車をあおったという話は聞かない。今回の茨城県守谷市の常磐自動車道上り線でのあおり運転事件は借り物のBMBであった。
■劣等感が背景にあるほど、優越感を発揮できる環境下では攻撃性がより先鋭化する。車の場合、優越的になるのは簡単である。高級車を買えばいい。
■いじめ、虐待、DVなどと共通の心理構造が背景にある。可愛いと感じる心理の背景も優越感。基本は同じ。だから万人に共通の心理。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20181104">「かわいい」論(3) 私の「かわいい」感情の背景(2)</a>
■「次にあおるのは自分かもしれない・・」との自覚が必要。
■・・・・・・
まだまだあるがここまでにする。
上記の心の動きは大なり小なり誰にでもある心理である。
程度はイロイロであろうが誰にも「あおり運転ミニ」程度の経験はあるのではないだろうか。
当然私にもある。前を走っている車が極端にのろいとき、後続車の意図を察して欲しいと車間距離を詰めることくらいは私もやっている。ただクラクションを鳴らしたり、パッシングして威嚇したことはない。
私の運転はのろい。「あおりされ運転ミニ」程度は頻回である。
6月、私もドライブレコーダーをプリウスにつけた。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |