徒然日記
2019年7月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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7/31(水)曇りのち晴れ暑い 飯川病院ボランティア 
0:20起床、文献新聞整理。8:00収穫、散水。風除室に隔離していた「しまじろう」網戸を外して逃走した。書斎網戸ネコ逃亡防止装置作成のためにDIYショップでラチス2枚追加購入。12:30レガシーでダリアを持って出勤。飯川病院へボランティア,
19:15帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計積算11213歩。

家庭菜園・園芸2019(5) ついにダリア開花 存在感主張 している 
 ついに今年もダリアの開花期を迎えた。

 昨秋、越冬のために掘り出した球根は予想に反して、何故か小さく、弱々しかった。
 凍結させない様に新聞紙に包み書斎の隅で越冬させたが、5月初旬、球根は乾燥過剰状態でさらに小さくなり、あたかも鉛筆やサインペンのごとくにやせ細っていた。

 発芽が危ぶまれたので、自己流であるが外に並べ太陽の光を浴びさせ、一日一回球根に外から水分を与えてみた。半分諦めかけたが、3-5週間ほど続けたところやっと新芽が現れ始めた。新芽を確認した球根から適宜花壇に植えた。
 植えてから3週間ほどで全株発芽した。結果的にはあの弱々しかった球根からも全て発芽した。自然の力は予想外に偉大である。これは感激ものであった。しかしながら、昨年は14株であったが、今年は10株に減った。

 昨年から、庭先にスペースを作り栽培した。また、柿の木、栗の木によって日照がさまたげられた疑いもあって今春両者とも大幅に枝を落としダリアの日照を確保した。柿と栗の収穫は減るだろうが止むを得ない。ダリアを優先とした。

 今年は球根があまりにも弱々しく、どうなるのか危惧していたが、背丈こそやや低めであるが立派に花を咲かせた。各々の花がその存在感を主張している。私は、超低体重の新生児が立派に育ったような嬉しい感覚を味わっている。あと3株が蕾の段階で控えている。これも楽しみ。


7/20(土)快晴 園芸関連中心 
2:00起床。文献・新聞チェック他、貴重な週末を楽しむ。5:00畑庭散水、収穫。午前は11:00まで草刈、畑周辺。午後は14;00から草刈ほか外作業。庭中心。モモに枝の支え必要。19:00夕食。20:30就寝。14482歩。

人生100年時代(15) 年金問題(3) より健全な年金制度に向けて
 老後の生活を支えてきたはずの年金制度が、近年、高齢者の「不安」を呼び、若者の「不満」の種となり、歴代政府の「頭痛の種」になつている。何故だろうか。

 その謎の鍵は、「制度の難しさ」もあるが、年金に対する「国民の無理解、盲信と誤解」にある。その更なる背景は「お上に任せておけば・・・」的、「長い物には巻かれろ・・」的、親方日の丸的発想である。 
 
 一億総中流という、安定した社会を築くのに公的年金が果たした役割は大きい。 
 しかし、この年金制度の拡張、維持には右肩上がりの経済成長が必要で、経済が低迷し、人口減、少子高齢化と低成長の時代が訪れると成り立たなくなるのは自明の理である。

 はっきり言って、2000万円不足のニュースに驚いた人は年金に対して認識不足である。また、その影響力を恐れて報告書を受け取らないなど蓋をした今の内閣も間違っている。国民の意識を喚起し新しい時代に進むための材料にすべきである。いい機会を潰している。

 社会構造がここまで変化してしまうと、保険料率の引き上げや年金給付水準の抑制などが必要になった。
 一方、その時の状況に合わせてより良い方向に少しずつ変えていくしかない。

 社会構造がこれほど変化し、もはや不可逆的サイクルに入った日本社会では、本来ならば年金制度は抜本改革が必要となっている。しかし、抜本改革は言うのはやさしいが、一旦出来上がった制度はの改革は革命でも起こらない限り不可能である。

 国は今、我が国の年金制度をどう変えようとしているのか?年金受給者の私共は検証してみなければならない。

 国の年金改正点は大きく分けて3つある。そのコンセプトは定年後も長く働いてもらうことに尽きる。
 そのための社会の仕組みづくりを目指すというのが国の方針だ。
 いずれも近く公表される公的年金の財政検証の後で具体案を固め、2020年の通常国会に法案を提出する見通し、とされている。

 いかに改正点を示す。 


7/19(金)雨ときどき晴れ  大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床。文献など読む、録音データ整理。5:00可燃ゴミ廃棄、キウリナスはピーク過ぎた。 7:35Taxi、駅東に、8:11こまち、9:45-12:00大曲中通病院外来。復路徒歩。14:00飯川病院ボランティア。微睡、文献読み、新聞チェッ ク。19:30まで当直医来院を待ち帰宅。20:00夕食。21:00就寝。Σ11458歩。書籍自炊進める。

人生100年時代(14) 年金問題(2) 支払った分受け取れる、は誤解 働くしかないが・・・
 公的年金は1889年にドイツで、医療保険、労働災害保険に続いて生み出された。今年は130周年に当たるという。労働者の生活を支える目的で考案されたのが公的年金などの社会保険。
 社会保険は労働者が雇い主と共同で支払つた保険料を財源とし、働けなくなつた時に生活を支える、という思想に基づいていた。

 日本では先の戦争中に公的年金が始まつた。国民の勣労意欲を高め、戦争を遂行しようとする意図が透けて見えるが、戦時下によくこんな計画をなし得たものだ、と感心する。

 公的年金は社会の格差を縮め、労働者が安心して暮らせるよう、社会全体を安定させる仕組みとして、歴史的な傑作だつたと評価されている。多分そうだろうと思う。
 その、老後の生活を支えてきたはずの制度が、近年、高齢者の「不安」を呼び、若者の「不満」の種となって歴代政府の頭痛の種になつている。何故だろうか。

 その謎の鍵は、制度の難しさもあるが、年金に対する国民の無理解、盲信と誤解にある。 
 
 戦後、日本の経済成長の最中、田中角栄内閣が現役世代の収入の6割の年金を保障するなど、高齢者の年金水準はどんどん引き上げられた。都市化、核家族化で家族が高齢者を支えるのが難しくなつたのもあり、高齢者を社会全体で養う役割も果たすようにもなつた。 

 一億総中流という、安定した社会を築くのに公的年金が果たした役割は大きい。 
 しかし、この大盤振る舞いは経済が伸ぴて高齢者の比率も少ない時代だつたからこそ可能だつた。90年代以降、少子高齢化と低成長の時代が訪れると、一転して保険料率の引き上げや年金給付水準の抑制が必要になった。 

 従来は意識されていなかつたが、「支払つた保倹料に対して受け取る年金額の比率が世代毎に小さくなっていく世代間格差」が批判の対象になつた。若い世代ほど将来受け取る年金額が少なくなっていく構造である。
 しかし、社会全体で高齢者を養うという公的年金本来の役割を果たすためには、人口減少、高齢化、少子化の中では世代間格差は受け入れざるを得ない。年金の原資は空から降ってくるわけではないからである。
 
 公的年金は時代の変化によつて「豊かさの分配」から「痛みの分配」へと性格を変えたが、一般国民はいまだに古きよき時代の年金のイメージから抜け出せていない。確かに私の一世代、二世代前の高齢者、特に公務員がもらっていた年金の額には驚いてしまう。

 その落差が先月の老後資金2000万円不足問題で表面化した、と思われる。
 年金受給可能年齢に達した誰もが、自分の年金額を知って、その少なさに驚き倒れたのではないだろうか。年金が少ないからといって今更何の方策があるだろうか?

 投資??その素養がない人が突然手を染めるのは危険である。可能であれば働き続けるのがベストであるが今更職はない。


7/ 18(木) 快晴 夕方から降雨 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献等。6:30夕方からの天候を考慮しレガシーで飯川病院。 8:45-13:00中通病院外来。13:00飯川病院に、14:00-18:45勤務。15:30秋銀スタッフ来訪、ミサワ含む振込。今回から岩手と孫への振込減額。訓練室の観葉樹木伐採、レガシー自宅に運搬、帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計10395歩。書籍データ化。京都で放火30人超死亡。

人生100年時代(13) 年金問題(1) 長い物には巻かれろ、の国民性をあらわしている
 「長い物には巻かれろ」ということわざがある。権力のある者には、反抗しないで、おとなしく相手の言う事に従ったほうが、 問題も起こらず、自分のためにもなる、ということのたとえであるが、これは日本人の国民性の一面を正直に表している、と思う。

 権力が正当なものであればいい?そういうわけではない。民主主義と自由と平等という立場からすると、権力者を甘やかす危険な考えと言わざるを得ない。

 先月初頭に明らかにされた、「年金だけだと95歳の夫婦で2000万円不足する」という資産が明らかになってから一気に高齢者の社会不安が高まった。このデータ自体は、関心を持っている者であれば昔から分かっていたことであり、何ら目新しいものではない。夫婦二人が年金だけで暮らしていくと月5万円ほど不足になる、それが30年間で2000万円にもなる、という単純計算の結果である。

 この2000万円というのは平均的な一つのサンプルをあげて試算しただけで、多様性のある高齢者の経済状況を表していない乱暴な数値である、とされて、事実上の撤回に追い込まれた。これは問題である。

 定年後の生活費の不足はなんとなく分かっていて、工面が必要だが、具体的にどうしたらいいのか分からない、・・・が、国民のかなりの人数を占めている。
 金融広報中央委員会が3月に施行した18-79歳の全国男女2万5干人を対象に調査した結果では、定年退職後の生活費が心配が60%と最も高かった。このうち、必要額まで把握していと答えたのは50代は51%だつた。
 老後の資金計画を立てるには公的年金の受取額などを知る必要がある。自ら受け取る公的年金額を知る人は50代37%、60代70%だつた。加入している年金の種類や支給額、開始時期などを知らない人が50代で16%。

 国民年金、厚生年金として各人がかなりの額を収めているにも関わらず、実際の給付の問題を知らないということは、国の年金制度を「盲目的」に信用し、依存し、安心しきっているためではないだろうか。

 夫婦が老後を年金だけで30年間生きるとすると2000万円の貯蓄が必要であると試算した金融庁の報告書につき麻生金融担当相は世間に著しい不安と誤解を与え、政府のスタンスとも異なるとの理由で受け取りを拒否した。専門性が高い問題であるとして政府自身が専門家に委ねておきながら意に沿わぬ内容と見るやあたかもなかつたことにした。政府の都合を平気で優先させる暴挙である。

 政治とは、一定の期間だけ託された政府が、国民のために働くもの。
 委託者たる国民が受託者たる政府のこのような行動を許している限り、受託者は信託への裏切りを繰り返す。それが政治ということ。だから、権力に対しては常に監視を怠ってはならない。

 長い物には巻かれろ、ではダメなのだ。


7/17(水) 快晴暑い 飯川病院ボランティア
1:00起床。データ整理などいつもと同じ。8:30家内に同乗飯川病院。9:30-19:00院長不在の為に飯川病院ボランティア、外来患者、入院患者対応、撒水ほか。 19:00帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計9190Km。歩数計10306歩。終日座学中心、書籍自炊化すすめる。

家庭菜園・園芸2019(4)ノウゼンカズラが咲き、りんご、桃が沢山の実をつけた
最近の週末はいい天候の日が続き、自然と外での作業が増える。本ブログの更新が遅れ加減になるのが最近の悩みの一つである。

 それ分、今まで気づかなかった樹木等に関心が向く。

 現在我が家の庭を色彩豊かにしているのは、ダリア、バラ、ノーゼンカズラの花が中心である。

 ノウゼンカズラは古くから庭木として親しまれてきたつる植物である。夏の暑い盛りに、ひときわ目を引く濃い赤オレンジ色で、この時期は同様の花が少ないこともあってとても目立つ。花はひとつひとつは短命であるが、夏の間絶え間なく新しい花を咲かせる。

 私が育った岩手の片田舎の屋敷の庭には大きな樹木となったノウゼンカズラが庭の四方にあり、垂れ下がった枝に多くの花をつける。この暑い季節に燦然と咲き誇っていた。毎年倒れないように、枝折れしないように世話をしていたような記憶がある。
 今我が家にあるノウゼンカズラはいつ植えたのか記憶にはないが、幹の太さが7−8cmもあり、かなり樹齢がありそうだ。10数年の樹齢だろうか、今まではあまり手を加えずとも自立自生していたが、2年ほど前に台風で主要な大きな枝が二本折れ、このまま枯れるのではないかと危ぶんだ。庭師に依頼し、木のそばに太いアルミの柱を打ち込み、ロープで枝を釣り上げるようにした。その甲斐があって昨年から徐々に再生し、今年は見事な花をつけている。

 (見事に咲いたノーゼンカズラ すっかり甦った)

 今年の園芸の中では嬉しいことに、リンゴ、モモが多数の実をつけたこと。昨年までは何個か結実していたが収穫した記憶はない。今年は驚くほどの実の数である。

 特にモモは実の重さで枝がしなり、土に着きそうな状態にまで垂れ下がっている。早急に枝を支えなければ枝折れしそうである。今週末の仕事がまた増えた。

 (たわわに実ったモモ うまく熟すだろうか)

 実際に結実したが、リンゴ、モモともにこのまま順調に成熟していくかはまだわからない。共に農薬とか殺虫剤を散布しなければ虫が付くし、病気になりやすい。私は畑でも花でも無農薬派である。リンゴ、モモに関しても散布の予定を全くしていない。あくまでも自然に行くつもりである。どうなるか楽しみである。

 (たわわに実ったリンゴ うまく熟すだろうか)

 ついでに、ハナカイドウがサクランボににた小さな実をつけている。こちらは初めから食用にならないだろうから、気が楽である。

(実ったハナカイドウ 齧ってみたがうまくなかった)


7/16(火) 快晴暑い  外来 飯川病院
1:00飯川病院で起床、データ整理、本読みなど。家の可燃ゴミ廃棄はなしに。8:45-13:45中通病院外来、患者多数、14:00飯川病院、微睡。14:00-18:40勤務、19:00帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計6769歩。自炊化すすめる。

本 黒井千次著 「高く手を振る日」 新潮文庫 2012
 私もすっかり老境に至った。誰からも強制されず、誰にも遠慮せずに、自分の五感を使って感じるままに生活の設定をしていきたいものである。
 老境に至ったといっても全ての感受性が鈍ってきたわけではない。知識欲もまだまだだし、ロマンを求めて小説類も読む。私にだってときめきはある。ただし、ときめきだけで行動には結びつかない。本当はエロ爺い、と呼ばれてみたいのだが・・・。

 老境に達した主人公が登場する小説が結構楽しい。
 最近読んだものの中では吉村昭「死顔」、「碇星」吉村昭著 「怒星」 中央公論新社 1999年(1) 多彩な氏の作品に驚くなど。渡辺淳一「孤舟」
「孤舟」 渡辺淳一著 集英社(1)「定年退職亭主在宅症候群」をテーマにした作品、内館牧子「終わった人」
内館牧子著 「終わった人」 講談社 (2015年9月) 単行本 378ページなどなどがこれに近い。

 老境に達した作者が自然に発想がその方向に向くらしい。

 著者の黒井氏は1932(昭和7)年生れ。東大経済学部卒の作家。1970年「時間」で芸術選奨新人賞を受賞。1984年「群棲」で谷崎潤一郎賞、1995(平成7)年に「カーテンコール」で読売文学賞、2001年に「羽根と翼」で毎日芸術賞、2006年に「一日 夢の柵」で野間文芸賞を受賞している。受賞歴も華々しい。

 初老の男のときめきは、もう壮年期のように生臭いものではない。若者のように丈だけしいものでもない。そこには年齢相応の分別が加わつているから、どちらかといえば遠慮っぽい。少年時代の初恋のように初々しい。だから、この小説のごとく、想いが成就しないで終わってしまう。  
 この小説は、初老期の主人公の恋する心や心理を清潔に描いている。高齢化社会のなかで生まれるべくして生まれた小説といえよう。

 私は小説も沢山読むが、あらすじなどは数行程度の記述で表現できる。楽しいのはその間に展開される行動や心理描写である。

 本書の筋書きは妻を看取って十余年、人生の終焉を意識し始めた主人公の心理を描く。主人公は就活を始める。妻の古いトランクから、かつての大学のゼミ仲間の共通の友人であった女性の、若々しい写真を見つけ、心に火が灯った。
 それ以降の、恋に揺れる、老いの日々の戸惑いと華やぎを描く。

 この小説では携帯電話が重要な役割を演じている。個人同士が直説連絡できるツールは男女間の接近を突然容易なものにした。あまりにも容易で、社会が長い時間をかけて形成した男女間の抑制や分別が失われた、と言える。若い男女間の、子供を巻き込んだ事件が後を絶たないが、この背景に携帯電話、スマホとかの通信器具の便利さが関連している。この作品でも携帯を介して二人の交際が進展してゆく様子が描かれる。

 この小説は地味な内容にもかかわらず、出版された時に多くの読者に読まれ、共感を呼んだ、とされる。大きな杜会的間題を主題に据えてはいない。市井の生活者の普通の姿を描くことのほうが技術的にはるかに難しいが、それだけに読む者の共感を醸し出したのであろう。
 
 この小説にはもうひとつの脇役が登場する。ぶどうの枝で、たまたま拾って帰り花瓶に挿していたら根が生え始め、それを庭に植える。徐々に成長していく姿を介して主人公の心理に沿った役割を果たしている。

 いつであったか新聞の書評に取り上げられており、そのメモをもとに本を求めて読んだ。80歳に近い高齢男性の心理の描写が良かった。


7/15(月)海の日休日 快晴暑い 飯川病院当直
0:45起床、各種データ、特に自炊関係整理。8:30-10:30ダリア、ネギの周辺中心に草むしり。日差し強烈、暑くて汗ポタポタ。13:30自炊数冊、ダリアに支柱追加。畑花壇に散水、トマト初収穫。16:40バスにて飯川病院、当直に就く。花壇に散水。18:00検食、新聞チェック。20:30就寝。歩数計12653歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(4) 病の歴史に各界が演じた負の役割(3)日本の風土、社会
■日本の風土、社会が果たした負の役割(1)
 日本の社会は多様性を認め難い文化がある。ハンセン病に限らず、精神病など、差別が生じやすい。
 ハンセン病は国が優生学的政策を掲げたことで、遺伝病との誤認・誤解が広まった。また、世界の動向に逆行、1931年に感染の拡大を防ぐため全患者を強制隔離が行われた。しかも、警察官が患者を強制的に療養所に収容した。

 強制隔離政策の背景には、医学界の古い体質、妄信的な指導者、政治的判断があったが、社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れがあった。

 「らい予防法」が廃止されて20年、法による強制隔離はなくなったが、この回復者や家族までもが、今なお社会に蔓延る偏見に苦しんでいる。今なお1600人が社会に出られず療養所内で生活している。
 患者の人権侵害には、日本の古くからの文化的風土、医療界、政府、司法が大きく関与してきた。さらに、近代の日本社会が果たしている役割も小さくない。
ハンセン病(7) 差別化の背景に日本の風土・社会が果たした役割(1)

■日本の風土、社会が果たした役割(2)
 あらゆる時代、場所で、国、地域社会、学校、企業、病院、あるいは宗教団体も含めた組織が患者とその家族に対して行ってきたことは、まさに重大な人権侵害であった。今ですら、就業はもとより、教育、結婚、住宅や居住地を見つけることにすら、まだかれらの前には壁が立ちはだかる。

 施設内でも人権無視の扱いはあたりまえの事だった。国や県等から派遣されてきた医療従事者や管理者たちは施設内で激しい差別的行動、弾圧を続けた。患者は施設内での自由な行動も許されなかった。
 施設の医療レベルは劣悪で、患者たちは病人の介護や肉体労働に従事させられた。結婚は許されても、男性には断種、女性は堕胎を強要された。この実態は社会に知らされていなかった。
 「らい予防法」の廃止によって強制隔離は解かれた。病気が治癒した元患者が世間に出ても、施設以上の差別と偏見にが残っていた。肉親や親類にまでも迷惑を及ぼすことを恐れ、帰る故郷もなく、患者たちのかなりがその後も療養所内で暮らしている。
ハンセン病(8) 療養所はアウシュビッツと変わらぬ絶滅収容所であった(2)

 わが国のハンセン病に対する誤った政策は、数多くの過ちの中でも非人間的やリ方の最たるものだった、と思う。
今回の熊本地裁の判断に対し、安倍首相は控訴をしない方針を示し患者及び家族に陳謝した。英断であった。
 私がハンセン氏病について勉強した結果は(1)-(4)に提示したが、首相がハンセン病患者家族へ謝罪すれば良いというものではない。日本医師会、感染症学会、政府機関、司法をはじめとして多くの機関が自らの間違いを総括して改めて患者及び家族たちに謝罪すべき、と思う。


7/14(日) 快晴 庭の草刈り3巡目 
1:00起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。9:30畑、庭の草刈り、農道担当部分、今季3周目着手、11:00以降は暑さで継続困難。12:15NHKノド自慢。草刈り追加作業。微睡、飯川病院にハードディスク取りに、若干作業。19:00夕食、過食傾向。21:00就寝。歩数計13115歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(3) 病の歴史に各界が演じた負の役割(2)
 ハンセン病患者の歴史に司法が演じた負の役割も大きい。

■司法が果たした負の役割(1) 菊池事件裁判、死刑執行の記録から
 ハンセン病の差別化に司法が果たした役割も大きい。
 ハンセン病の患者は「特別法廷」で裁かれ、審理は事実上非公開で行われた。
 
 代表的な「菊池事件」裁判関連の史実は以下の如くである。
―――――――――――――――――――――――
 ハンセン病患者とされた男性が殺人罪に問われ、無実を訴えたが容疑者に対する取り調べも、それに引き続く裁判も、予断と偏見に満ち、本来被告人が持つ裁判上の権利も認められなかった。
 当時、ハンセン病はほとんど感染しないと判明していたが、非公開で開かれた特別法廷は、「消毒液のにおいがたちこめ、被告人以外は白い予防着を着用し、ゴム長靴を履き、裁判官や検察官はゴム手袋をはめて証拠物を扱い、調書をめくるのに火箸を用いた・・・」と言われている。
 決定的物証もないまま、ずさんな裁判で死刑判決がくだされ、上告も棄却され、1962年9月14日被告の死刑が執行された。
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ハンセン病(5) 差別化の背景に司法が果たした役割(1) 菊池事件の死刑判決と執行
 このような記録を見ると驚きを禁じ得ない。
 似たような患者扱いは1987年の国内初の女性のエイズ患者確認時にもあった。その時のセンセーショナルなマスコミの報道が因となって国内にエイズパニックが生じ、その後HIV感染者、エイズ患者に対する偏見差別が現在に至るまで続いている。

■司法が果たした負の役割(2) 「 違法であったが違憲ではない」変な説明。
 最高裁が「特別法廷」に関する検証を始めたのは2014年5月。病気などを理由に上申された61件のうち、最高裁が「特別法廷」を許可したのはわずか9件で認可率15%、ハンセン病の場合は96件中95件。明らかに差別的な扱いだった。
 最高裁は、2014年4月25日報告書を公表し、「患者の人格と尊厳を傷つけ、 一般社会での偏見・差別を助長した」と認め謝罪した。しかし、最高裁の結論は「法的違反はあったが違憲ではない」と変な結論であった。
ハンセン病(6) 差別化の背景に司法が果たした役割(2) 違法であったが違憲ではない??

 患者の隔離政策をめぐっては、2001年に熊本地裁が違憲判決を出し、判決が確定した際に「政府」と「国会」は速やかに謝罪した。三権のうち「司法」が謝罪するまでに、らい予防法の廃止から20年もかかった。

 ハンセン病関連の人権回復闘争は最高裁の謝罪によっても解決にならなかった。
 社会に一旦形成された偏見は消えゆくまでに長く長くかかるものである。原発事故の後福島に対する社会の偏見は今だに続いている。


7/13(土) 晴れ 飯川病院午前外来 午後畑仕事
0:30起床、録音データ他整理。5:00キウリ収穫。8:38バスにて飯川病院に。9:00-12:00大学循環器医不在のため午前外来、12:30園芸用ポール10数本購入帰宅、枝豆第二弾直植え、これで畑は植える作業は終了。午後室内配線の整理など。19:00夕食、21:00就寝。歩数計12332歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(2) 病の歴史に各界が演じた負の役割(1)
 2001年に小泉政権がハンセン病患者に対する賠償判決の控訴を断念した。卓見であった。
 今回はハンセン病元患者の隔離政策に関し、その家族への損害賠償を国に命じた熊本地裁判決が下ったが、安倍首相が控訴しない方針を表明した。小泉政権に続く画期的決断だ、と思う。

 ハンセン病がたどった歴史に一人一人が直接に、間接的に関与している。その経過をかつてまとめてみたので再掲しておく。

■国、医学会の果たした負の役割
 国は1907年、「らい予防法」を制定して患者を隔離した。全国13カ所の国立療養所に患者らを強制収容し、感染の広がりを絶つために堕胎、断種さえ強いた。
――――――――――――――――――――――――――――
 1907年、国は「らい予防法」を制定、全患者を国立療養所に収容した。
 1952年、WHOは隔離政策の見直しを提言。
 1960年、WHOは外来治療を提唱した。WHOの提言にも関わらず日本では妄信的な指導者の主張に沿って隔離政策を継続した。
 1996年、「らい予防法」廃止。隔離はこの年まで。
 2001年、熊本地裁判決が隔離政策の違憲性を認め、国は元患者に補償。
 2009年、ハンセン病問題基本法が施行。
――――――――――――――――――――――――――――
ハンセン病(1) 問題の根源は医学界にあった

■医学教育が果たした負の役割
 私はハンセン病について病理学、皮膚科学で学ぶ機会はあったが、通一遍の知識しかない。大学の教育は社会的な視点は欠如し、患者が差別され非人間的な扱いをされてきたことなどは一切教えられなかった。
 1996年、「らい予防法」が廃止されるまで国の隔離政策は続いた。この間約半世紀のプロセスを見ると、医学界の権威主義、妄信的な指導者、医師の社会的視点の欠如が改革を邪魔してきた。「らい」から「ハンセン病」への改称にも約半世紀を要した。
 現在は抗結核剤のリファンピシンを中心とした3種の経口薬品を用いて一年間治療する。治療中の患者数は全世界的には2008年で22万人、わが国では国内の療養所入所者数は2008年現在2717人、治療中の患者はほとんどいない。
 近年の日本国内の新規患者数は年間で0-1人、我が国ではほぼ根絶された疾病となっている。
ハンセン病(2) 私も再勉強してみた

■医療界、医師の無知と妄信、一部の権威主義の医療人が果たした負の役割。
(1)歴史的・宗教的要因、社会的要因
(2)知識不足から
(3)最近まで続く差罰
(4)国や医療界、法曹界までも加担した差別化
ハンセン病(3) なんでこれほどの差罰化が行われ、現在まで続いていたのか

■閉鎖的医学界、専門医学会や専門医が果たした負の役割 
 当時その道にあった方々には重大な過誤があったといわざるをえない。国の政策決定に深く関与していた医療人の誤りを指摘する声は以外と小さい。この間、医療関係者からのコメントは僅かしか見られない。ハンセン病問題は一般の医療人にはほとんど関心を持たれていない。
 1995年4月22日、日本らい学会会長中嶋弘氏は学会として絶対隔離政策に対する過ちを認め、患者、家族に陳謝している。
ハンセン病(4) 差罰化の背景に学会や専門医が果たした役割は大きい


7/12(金)早朝降雨午後晴れ  大曲中通外来 飯川病院ボラ  健康クリレ線判定
1:00起床、文献・新聞チェック他。5:00可燃ゴミ提出、びしょ濡れ。ネコ世話、7:30Taxi駅東、8:11こまち。雨にて病院間往復徒歩不可。9:10-12:15大曲中通病院外来。 14:00徒歩飯川病院ボランティア。16:14健康クリレ線判定、19:10Taxi薬店経由で帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9279歩。自炊。

ハンセン病患者家族への賠償判決(1) 国は控訴せず、異例の首相裁断
 ハンセン病元患者の隔離政策に関し、その家族への損害賠償を国に命じた熊本地裁判決について、安倍首相が控訴しない方針を表明した。画期的決断だ、と思う。

 政府内にはこの判決に対し「控訴すべきだ」との意見も強かった、と言う。しかし、安倍首相は判決を受け入れ、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」、と語った。

 誤った隔離政策によって患者たちの家庭が壊され、患者本人はもちろんのこと、家族は社会的に差別や偏見、その恐怖にさらされてきた。安倍首相はこれに対し重い判断を下した。
 
 言葉だけでは何ら意味を持たない。裁判の原告側は、首相との面会と謝罪を求めている。 救済の具体策作りを急ぐべし。

 判決では500人余に総額3億7千万円が賠償される。しかし、それ以外の家族にも広く補償する必要がある。
 判決は、大半の関係者に共通に認められる被害を土台として、患者の隔離で引き裂かれた関係が、親子や夫婦だったか、兄弟姉妹の関係だったかで類型化し、それぞれ一定額を加算する方法をとった。

 対象とする家族の範囲や、判決で、弁護士費用を除き1人当たり30万円〜130万円とされた金額など、私は低すぎると思うが、他にも具体的に検討すべき点は多い。

 問われているのは、政府だけではない。
 判決は、元患者の隔離という国策が、家族への偏見と差別という「社会構造」をつくったと。当時の政府、医療界を始め、就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などの被害をもたらした社会そのものにも責任がある、と指摘した。

 元患者に対しては、2001年に小泉政権が賠償判決の控訴を断念た。その時も英断であった。その後、補償に乗り出した、とされる。また、国や自治体はハンセン病への理解を深めるための啓発や学習に力を入れてきた、と言う。しかし、私からはよく見えない。

 実際に差別や偏見がなくなっていない。
 ■2003年に熊本県内のホテルが元患者の宿泊を拒否。
 ■2014年には、福岡県の小学校でハンセン病について誤った教育が行われ、児童が「友達がかかったら私は離れておきます」と作文に記していた。
 ■2016年に今回の提訴に踏み切るまで大半が匿名だった。
 ■などなど・・・。

 ハンセン病がたどった歴史に一人一人が直接に、間接的に関与している。その意味を一人ひとりが考えなければならない。


7/11(木)  快晴 外来  飯川病院
0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00ネコ対応など。バス7:10飯川病院着。8:45-12:45外来+ドック14名処理。13:00飯川病院、レ線判定忘れた。明日に。微睡、住友生命スタッフ来訪、生存確認。14:00-18:20勤務。患者対応、19:10バス帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8500歩。 書籍自炊。石井さん函館に。

人生100年時代(12) 高齢者はもっと自由に生きればいい
 高齢化社会となった今、自然に年を重ね、老いていくのが難しくなつている。
 昔の老人のような、社会の中で一定の役割を果たしながら老いに向けての人生観を作ってきた良さが失なわれている。古き良き分別を備えた老人(?)がいまいるだろうか?

 社会の中で高齢者は役割を失っている。糸の切れた凧のような半端な立場である。
 IT産業に代表される現代の新しい産業では、つねに新しい知識が求められる。かつてのような年と共に備わる知恵や経験が完全に蔑ろにされてしまう。その結果、老いの功績よりも若さの瞬発力、持続力が大事にされる。
 
 現代の社会では年功序列の型が失つた。老人の価値がどうしても低くなる。当然、かつて老人が尊敬されていた時代の型が失なわれた。

 これは最小単位としての家庭像の変化としても同様である。三世代が共に暮らした時代にあった家庭の持つ重要な庇護機能はほぼ失われてしまった。もちろん、マイナスの面もあったが、その良さを残すことなく、家庭機能は簡単に崩壊していった。

 親から独立して新所帯を持った次世代たちは、子育てを終わって子供達が離れていってしまうしまうと、老々夫婦の世帯として朽ち果てて行く。

 社会的にも同じである。定年になると突然社会から放り出される。歳にふさわしい生の形が、その役割が、見失われた。

 日本の高齢者は長い歴史の中で比較的厚い社会保障の庇護の中にいる。
 現役世代はこの担い手として寄与し、というか、搾取され、第一線を退いた後は社会保障の給付を受ける立場となる。かつては長い間社会に貢献しいてきたことに対しての慰労的な意味を含めての社会保障であったが、いまは、社会のお荷物として消費者の立場だけが強調さている。

 確かに、我が国が持つ少子高齢化の中では重要なことではあるが、高齢者は、健康、休力の維持、左は会参加の重要性ばかりが尊重される時代となった。もちろん、健康は高齢者の望みでの第一であるが、マスメディアは高齢者の健康増進の記事で一杯である。

 私が強調したいのは、老境になって初めて到達できる、豊かな心境の素晴らしさの再確認である。そこには年齢に伴う諦観も伴っていい。初老に至ってもときめきの心がある。無論、それはもう壮年期のようになまぐさいものではないし、若者のようにたけだけしいものでもない。そこに大入の分別が加わつているから、青春時代の初恋のように遠慮っぽくういういしい、懐かしい感覚となる。  

 私は一歩、二歩スキップして、自分が迎えるであろう最期の時を考えてみるだけでも、一層心が豊になるだろうと思う。


7/10(水) 快晴 暑い 飯川病院勤務 
1:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。外仕事は無理、8:00飯川病院から応援の要請ありレガシーにて出勤、院長外出、入院・外来患者対応する。昼微睡、自炊化すすめる。19:10バス帰宅、夕食、20:55就眠。歩数計14357歩。

家庭菜園・園芸2019(3) キウリ最盛期 ダリアが咲き始めた
 私の野菜つくりなど、食糧生産などとは一切言えない。我が家の食卓に一時期上る程度である。コスト面でも赤字である。スーパーで買うほうがはるかに安い。

(今朝収穫したキウリ 連日の食事がキウリ三昧 嬉しくもあり・・・)

 雑草の処理も大変。ただ、自然に触れる喜びもあり、天候問題、農漁業問題、食料自給率、世界の食糧不足、温暖化、太陽の恵み、土のめぐみ・・・にも関心が向き、私の視野が広くなっていく。いま土、土壌に関する書籍に取り組んでいる。

 今年は住宅の前のスペースにダリア中心に植え、余ったスペースにはキウリ、ネギを植えた。お盆頃にはダリアの前にネギの姿か見ものだろう。ダリアに十分陽がさす様にカキの木、クリの木を枝を大幅に落とした。その効果がいかに出るか楽しみである。

 花の世話も決して楽ではない。休日が作業の中心であるが、休日が雨降りだとがっかりするし、飯川病院の日当直に当った日が晴天だと心穏やかに過ごせない。

 ダリアは今季は5季目。
 昨秋、越冬のために掘り出した球根は予想に反して、何故か小さく、弱々しかった。ちょっとガッカリし来季を危惧した。凍結させない様に新聞紙に包み書斎の隅で越冬させた。

 5月初旬、球根は乾燥し半分ほどに縮み、中には鉛筆の如く、哀れな姿となっていたのもあった。乾燥過剰状態で発芽が危ぶまれたので、自己流であるが外に並べ太陽の光を浴びさせ、一日一回球根に水分を与えてみた。3-5週間ほど続けたところやっと新芽が現れ始めた。新芽を確認した球根から適宜花壇に植えた。昨年は14株植えたが今年は10株に減ってしまった。
 無事成長するか危惧されたが、植えてから3週間ほどで全株発芽したから開花が楽しみである。

 昨日、まだ一種類であるが、ついにダリアが開花した。「不動心」と言う種類で力強く且つ美しく開花した。他種の株も花芽が徐々に膨らみつつある。楽しみである。

(不動心)

 かつては樹木や草花までは私の関心は及んでいなかった。第一線を退いて初めて開かれた興味である。今は図鑑やカタログで楽しむほどになった。
 それだけ、かつては狭い世界で生きていたんだな・・・、と反省している。


7/9(火) 快晴曇小雨  外来 飯川病院 日本一周徒歩静岡県に到達
0:30起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:30可燃ゴミ提出。徒歩7:00バス飯川病院。8:45-13:00中通外来。飯川病院へ、微睡、14:00-18:20飯川病院。入院患者対応、19:10バス帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ10017歩。自炊進める。

徒歩通勤(4)2019 日本一周徒歩 三重県終了し愛知県に到達
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。間も無く6年3ケ月になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で連日歩行実績をチェックしている。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北、北海道、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、再度本州に戻り岡山県、兵庫県日本海側を経て大阪、本年1月7日和歌山県、3月14日三重県を通過、本日愛知県に入った。

 平成13年3月から本日平成31年7月9日時点までの積算データから分析してみた。
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■歩行開始後 2.290日目、6.3年。
■総歩数 Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。
■歩行距離 Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 三重県通過のデータ。
 三重に入ったのが3月14日、愛知に入ったのが7月09日。

■三重県の海岸線は948Km、
■三重県通過の所要日数 118日。
■一日平均歩行距離 8.03Km。
■現在の位置 日本一周目標の93%終了。
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 最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩、大阪・和歌山通過中は9.400歩、三重県通過中は9.900歩と目標には達していない。

 今年は全コースの徒歩通勤はしていない。1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるために自信なく、基本をバス通勤にした。さらに、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを運転して出かける頻度も増えた。その為、病院周辺はこまめに歩いて歩数を稼いでいる。
 
 通過した三重県は海岸近くの熊野市、志摩市、鳥羽市、伊勢市、津市、四日市市、松坂市など知っているが、私は三重県を訪れた記憶はない。地名の多くはNHKのど自慢開催地として、高校野球甲子園大会の代表校を通じて、かつての公害などの社会問題で知っていたに過ぎない。松坂市は長女の婿殿の出身地である。
 伊勢神宮にはいつか・・と思っていた時期もあるが、もう歳だし、諦める方がいいようだ。


(愛知県、名古屋市付近。引用フリーの地図から引用した)

 いま歩き始めた愛媛県の海岸線は509Kmと長い。
 体調はまだ不良で今一つ。1日8Kmの低ペースにして、64日、9月上旬中に通過出来れば良いと考えている。


7/8(月) 快晴暑い 健康クリニックドック  飯川病院
0:30起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、7:00バス飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名、レントゲン読み14名、結果説明1名。11:30飯川病院で文献読みなど、微睡。14:00-19:00業務。入院患者対応。Σ9951歩。19:30帰宅夕食、20:30就眠。自炊3冊。昨年ダリア4鉢開花、今年はまだ蕾。

人生100年時代(11) リバースモーゲージ(2) 国の事業としてやったら?
 今の高齢者は、一部の例外を除くと蓄財はそれほど多いわけではない。少なくとも年金だけで暮らしている夫婦が2−3000万円も蓄財しているとは考え難い。

 しかしながら、年金世代は多くの場合は蓄財が少なくとも住宅や不動産を所有していることが多い。これをリバースモーゲージとして利用すれば、生存中はそのまま住み続けることができ、かつ現金も得られるから、有効な方法となろう。

 わが国では核家族化が当たり前になってきている。
 新所帯を持った次世代は、例え親の近くで生活していたとしても、親が長生きして何時迄も住宅が空かないから多くの場合、自分たちで新居を建てる。ましてや遠方に分かれて生活しているときは尚更である。

 親世代は、何れは体力的に自宅で生活できなくなり、死亡したり、施設に入所する。そのために親の家は空き家化してくる。私の通勤路の傍らには徐々に空き家が増えている。次世代が家を持つ事はわが国のGDPを一時的に上昇させる効果はあるだろうが、空き家が増えて社会経済的には大きな損失となる。

 また、子供達には相続敬遠の動きもある。現金とか有価証券等は別であるが、自分たちが住まない親の住居や不動産なんかを相続しても何らメリットが無いからである。これも、かなり社会的に無駄になっている。
 子供達の世代は、自分の子供達の、要するに高齢者世代から見て孫たちの教育資金や住宅ローンを抱えて経済的余裕が無いのが一般的である。晩婚化もしているから定年間際まで支払いに追われ、蓄財する余裕などない。ましてや親を見る余裕など無い。親の不動産は親がそのまま老後の資金として活用すればよいという、一昔前とは異なった意識になっている。

 従って、親世代は子供達をあてにせず、自分たちの不動産を担保にして不足する生活費を賄えばいい。これがリバースモーゲージである。
 これを国が賄えば、国は一定の原資が得られるし、うまく運用すれば、社会保障費用や年金の維持に充てることが出来る。ただし、制度的に改変するべき点は少なくないが・・・。

 リバースモーゲージは高齢社会で収入がなく、社会的立場が乏しくなって有効な融資を受けられない世代にとってはいい方法だと思うが、今だに知名度は低く、あまり活用されていない。

 私はリバースモーゲージは我が国を救う手立てになるのではないかと思っている。


7/7(日) 快晴暑い 飯川病院日直 町内会役員会議
  O:10起床、読書、文献チェック。録音データ整理。微睡。自炊。8:340飯川病院日直
。患者は落ち着いている。映画「きみの膵臓を食べたい」2回目視聴、やっとストーリーを理解できた。19:00ケヤキの切り株運んで帰宅、そのまま 町内会役員会議20:00終了夕食。20:55就眠。歩数計89434歩。

人生100年時代(10) リバースモーゲージ(1) 国の事業としてやったら?
 先月上旬、現役を退いてから年金生活をしている夫婦が95歳まで長生きしたらどうなるのかの試算が発表された。
 2000万円ほど蓄財を取り崩さなければならないとあり、社会に大きな衝撃を与えた。実際には3000万円近くの計算になるはずである。これほど蓄財して年金生活をしている夫婦は極めて稀と考えられる。

 「家計の金融行動に関する世論調査 平成27年調査結果(金融広報中央委員会)」で見ると、貯金額の平均額は70代以上の世帯で1,350万円、一方で、70代以上で金融資産を持っていない世帯は2人以上の世帯で28.6%となっている。
 よく、「日本の高齢者は金持ちだ・・」と言われるが、私の正直な感覚では、随分豊かな人もいるものだと感心する一方、厳しい世帯はその何倍も多い、と思う。

 結局、長生きすると、収入面での改善は最早期待し難いため、生活が苦しくなったら、生活保護ということになる。国は年齢とともに細ぼって行く下層にある高齢者を何としようとしているのか。今まではそれに対する政策を明確にしてこなかった。事実をつかんでいたのに、先月まで話題にもしていなかった。これは隠蔽である。

 少子高齢化の中で年金制度は無くなる事はないだろうが、将来的には年金額が今の半額程度になる可能性がある。そんな状態で貧困化した高齢者に生活保護を広げたら国の経済は簡単に破綻する。困窮者は生活できなくなる。

 私はこの点での問題を解決する方策として、国がリバースモーゲージと称される、自宅を担保にした年金制度を併用すればいい、と思う。自宅を担保にして老後資金を借りることができる。年金生活で苦しい、現金が欲しい、さりとて収入の道はない、などの人に適応すればいい。

 自宅を担保にしてまとまつた金額を借りる事ができ、利息を払いながら家に住み続けられる仕組みである。不動産はそのまま所持しながら老後生活に不安・問題を抱える高齢者の資金調達手段として考えればいいと思う。

 現在、一部の保険会社などでリバースモーゲージ保険を販売している。保険会社も経営が苦しいために宣伝も乏しく知名度は今一つであるが、国が運用することで年金の原資が得られ、担保としての不動産は国有地になるから、国の資金不足はかなり解消するのではないか?

 リバースモーゲージは自宅の土地や建物を担保に入れて金融機関から融資を受ける点では住宅ローンと同じだが、返済の仕組みか大きく異なっている。住宅ローンが元本と利息を毎月返済するのに対し、リバースモーゲージは利息のみを毎月払うだけでいい。元本は生存中は返す義務がなく、死亡後に担保である土地や自宅を売却するなどして一括返済する仕組みである。 


7/6(土) 快晴暑い 室内配線再調整 畑・園芸
2:50起床、少量ながらアルコールの影響か。新聞・文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。9:30外仕事に、ガレージに電源設置、外の水道のホース水漏れ修理、キウリ・ナス多数収穫、ネギ周辺の草むしり、不慣れで数本ダメにした。12:10昼食、エアコン設置時に抜かれた多数のコンセントを床を這わせない状態で再連結。3時間ほど要した。本雑誌数冊自炊データ化。微睡。有機肥料散布。散水。19:00検食。20;30就眠。歩数計8774歩。

コンピューター関連機器の故障、不調対策の困難さ(2):電話が繋がっても!!
 電話が各社のサービス部門に繋がっても、直接担当者が電話口に出ることはなく、多くは音声ガイドである。
 これがまた面倒くさい。
 「修理の方は1番を、ユーザー登録の場合は2番を、・・・」と番号が次々と読み上げられ、それを選ぶとやっと修理担当部署に繋がる??と思っても必ずしもそうでもない。この時点でも数分待たされることもある。ここまで頑張ってやっと係りの担当者が出る。

 ここまでの間はなんとも対応できず、ユーザーの立場ではひたすら電話がつながるのを待つだけである。人の声となるとホッとする。
 担当者に対して「なんでこんなに電話が繋がらないのだ??・・・」と愚痴りたくなるが、愚痴ってもその部門の担当者でないからなんら解決しない。耐えるしかない。

 修理担当者のレベルも様々でがっかりすることも少なくない。その場で対応方法など色々教えてくれるが、多くの対応法は自分でも試し済みである。結局はこの段階では解決ぜず、当該の物品を修理センターに送ることになる。ここまでの道のりが実に長い。半日係、時には数日がかりである。

 修理を各会社のホームページを介してメールで質問することもできるが、これまた返事が遅く数日かかることもあるので私はもっぱら電話で相談する。

 こんな便利な時代になったのに、多くの社のサービス部門の対応の仕組みは最悪である。

 家電製品も頻回に故障する。私はほぼ例外なく市内の家電販売店で購入するから、修理の対応に困った事はない。

 もう一つ、コンピューター関連機器の故障ではないが、私が経験した困惑事例はJALのチケットの予約に関連してである。
 肝心の予約番号を失念し、その状態ではメールによる予約状況の確認は不可能、かつ電話も数日間に渡って何度も試みたが一度も繋がらなかった。最終的には搭乗できたが、冷や汗ものであった。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20180419">第115回日本内科学会総会講演会で京都(4) 雑観 JALの予約状況確認が困難</a>
 私が予約番号を忘れたことが原因であったが、JALの電話によるサービス部門の機能にも問題があると思った。

 各社のユーザー対応に関しては一考を要すると思うケースが稀でない。


7/5(金) 午前小雨 午後快晴  大曲中通病院外来  飯川病院勤務 飯川病院歓送迎会
0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。録音データ整理、5:00可燃ごみ集配所に。7:30Taxi駅に。8:11こまち、病院徒歩、橋の欄干に七夕飾り。9:10-12:00大曲外来。帰路歩行。暑い日。13:30検食、飯川病院勤務外来入院対応。 BR disk視聴:そこまで言って委員会:教育問題。18:00飯川病院歓送迎会、周りのアルコール量に圧倒された。とてもついていけない、次回から考えねば。21:15Taxi帰宅、直ぐに就寝。歩数計12846歩。掃除機故障再購入。

コンピューター関連機器の故障、不調対策の困難さ(1):電話が繋がらない!!
 私がコンピューターを導入したのは1992年であった。それまで毛嫌いしていたパソコンに踏みきったのは、エプソンのワープロの故障で、なかなか修理がうまくいかずやむなくパソコンに切り替えた。憶測であるが、この頃エプソンはワープロから撤退したこともあって、サービス体制を薄くしていたのかもしれない。

 ただ、コンピューターへ乗り換えは今となってみればメリットの方が遥かに多かった。今はエプソンのユーザー対応の拙さに感謝している。

 それから30年、時代の流れに合わせ・・・と言っても、難しくてついていけないこともあったが、私はパソコン、および周辺機器を次々とグレードアップし、仕事に趣味に、記憶力の補充に、日々の記録に頼りっきりとなった。
 今では、音楽視聴、読書、専門誌の勉強、美術鑑賞なども含め、全てパソコンと周辺機器によっている。現在、予備のを含め、パソコン8台を稼働し、いつでもどこでも利用している。この間、私の周辺から去っていった電子機器は数知れない。そのうちのいくつかは故障して修理を諦めたものもある。

 パソコンや周辺機器の故障に悩むことは結構頻回である。

 パソコンはマックしか用いていない。マックの場合は故障してもユーザーへの対応がとてもいい。不満はないというと嘘であるが、ほとんどない。

 周辺機器の場合は不満が大きい。
 全てではないが、対応にちょっと困惑したのは、ソニー、IO-DATA、エプソン、キャノン、など。

 一番困ったことは保証書やネットから探し当てた相談窓口の電話がなかなか繋がらない、あるいは一切繋がらない事である。

 昔のことに話を戻すと、ソニー、エプソン、キャノンなどは秋田市内にも取次店があって、購入もそこからで、故障の際はメーカーとユーザーの間の仲介を果たしてくれた。いつからかわからないが、パソコンや周辺機器はメーカーの直売センター、大型家電店、通販等で入手することが当たり前の時代になって、身近にあった販売店、代理店はほとんど姿を消してしまった。

 故障の際には各会社のユーザーサービスセンターで一元的に受けるようになっているが、これの機能が良くない。私の感覚では最悪に近い。

 対応はピンからキリまでいろいろであるが、最悪のをピックアップすると、最初から一切電話に出ない会社もあった。一旦繋がるものの音声案内で「ただいま電話が混み合っております。このままお待ちいただくか、後ほどお掛け直し下さい・・・」である。後者の場合、そのまま待つと10分、20分、・・それでも繋がらない。ここまで繋がらなければ電話代金も考えて諦めざるをえない。
 
 日時を変えて電話し、通じる迄に3日間、要した時間は延べ1時間近くかかったこともあった。(続く)


7/4(木) 降雨曇り午後快晴 外来 飯川病院 エアコン取り付け工事
1:30飯川病院で起床。新聞チェックし文献、歴史書を読む。自炊数冊、8:20中通病院着、8:50-13:00中通病院外来。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。文献チェック。19:30帰宅、夕食、 21:30就眠。歩数計9272歩。昨年、 14万枚スキャンしてくれたScan-Snap昇天す。

人生100年時代(10) 無駄な医療の指摘は医師が主体的に進めるべき
 いま保険診療で認められている個々の医療が現実にどう使われ、どんな効果を上げているのか、ビッグデータを活用して検証し、費用対効果で優位性のある結果が出てこないものは保険診療から外す、そういう具体的な検討に入るべき時期である。

 「Choosing Wisely」は良識ある選択、とでも役するのが良いのか。医療の無駄を廃するために2012年に米国で誕生し、国際円卓会議には21ケ国が参加するまでに拡大している。米国で75の学術団体が495項目に及ぶリストをあげた。その一つ一つは検証する必要があるが、日本ではその考え方自体が従来からの行ってきた医療の否定を含むために、普及は簡単ではない、と考えられる。
 私は臨床医各人が項目を検討し、その考え方を身につけるべきである、と思う。
 「Choosing Wisely」では多剤療法や過剰な医療の再検討が行われていくであろう。現実には現場の医師が作ってきた医療文化の結果だから改善していく道はイバラだろう。

 医療には「アクセス」、「質」、「費用」という重要な三要素があり、互いに相反する意義を含有しているから、同時に三要素を改善することはできない。「質」を保ってかつ医療費を抑えるとすれぱ「アクセス」を制限せざると得ない。このバランスをいかにとるか、どの項目を中心に据えるか、によって今後の医療が変わっていく。

 AIが医師の代わりになれたら、多分、人件費、無駄な医療を選別することで医療費の削減ができるだろう。AIは結果を示すことができるが途中のプロセスの説明はない。だから、患者の不安をくみ取り、解決に導くという医師の本来的な役割は担えない。今でも時折見られるが、AIで置換できるような医師なら初めから不要である。診療の補助により効率化、生産性を上げ、医療費の削減は可能とは思うものの、AIが医療の中で主流を占める状況は予想するだけで不快になる。

 人生100年時代を迎えるにあたって、どこまで公的医療でカバーすべきなのか、という難しい議論をする必要がある。
 長生きは本当に幸せなのか?という問いも自ら考える必要がある。尊厳死と言われ様な、死を待つコースに自分の最後を委ねるかいなかも含めて、考えるべきである。

 いずれにせよ、超高齢化社会では自立できない高齢者が増えていく。


7/3(水) 快晴 暑い 飯川病院ボランティア+当直 年金窓口相談所支給停止について
1:10起床。文献・新聞チェックなど。収穫、午前中にきうり等のつる処理、収穫など。11:50バスにて薬局経由、徒歩飯川病院。12:40飯川病院ボランティア。14:30秋田駅アルヴェ年金相談、支給停止額の問い合わせ。年金って不思議な仕組み。帰路暑くてパーラーに寄る。新聞データ化など。文献・新聞チェック、17:00当直勤務、18:00検食、21:20就眠。歩数計9230歩。

人生100年時代(9) 長命化時代の医療は無駄を排して
 健康寿命の延長が医療費軽減につながらないが、自分が健康になり人生を享受するため投資であると考えれば、基本は自分一の財布から費用を負担すべき。

 いま、我が国ではGDPあたりの医療費は11%ほどである。高齢者の経済状態が明らかになって、社会保障費も増えていく流れにあるときに、これ以上の負担は耐え難くなる、と思われる。

 我が国には国民皆保険制度があり、厚い補助が受けられている。医療費の自己負担は若年者で3割、高齢者は1-2割負担である。
 そのために患者の医療費に関する考え方は、イヤ、現場の医師の考えも狂っているとしか思えない。

 検査の頻度は一般に過剰である。全く無症状なのに、患者は年に1-2回全身的評価を含めて検査を希望する。MRI、CTをも希望する。それに応じる医師は良い主治医とされる。私も断りきれないことがあるが、拒否するのに疲れる。患者には「頻回の検査など不要・・」は通用し難くなっている。医師もデータデータを騒ぐから患者もそうなってしまう。

 このような検査は自費扱いにするか、人間ドックで代用してもらおう。
 また、薬が多すぎる。後期高齢者が、寝たきりに近い方も、20種類もの投薬を漫然と受けている例も散見される。これほどの投薬に患者が耐えているとすれば、基本的に丈夫であり、一つ一つの薬剤が体内で有効に働いていないことを示唆している。

 皆保険に関する専門委員会、政治家の考え方も、通院、投薬、検査に関して拡張路線上にある。私は無駄が多すぎると思う。現状の延長線上で考えると早晩破綻が来る。
 大事な医療には投資をするが無駄は排除する、と医療者自身が考えることが必要である。

 医療費を払うなら質の良い、効果の高い医療を受けさせたい。効果のない、あるいは効果が乏しい医療は行うべきではない。現在の医療のどこに無駄があるかは医師をはじめとする現場の医療者にしか判断できない。日本医師会は国民皆保険の堅持を主張している。しかし、皆保険を将来的に維持するために現場の医療関係者に提言することはなく、常に拡張路線上にある。

 フランスでは昨年、認知症薬を公的保険の対象から外した。費用対効果の面から効果が乏しいから、との理由と聞いている。
 私は、感冒とか軽い胃腸炎とかは保険診療から外すべき、と思う。
 また、検診とかで発見され、疾患としてまで至っていない脂質データ高値、血糖高値なども保険診療の対象外にしてもいいと考える。医療に乗せる以前にやるべき事、運動とか、禁煙、体重コントロールの方が重要であるが、受診すればまず投薬が始まる。このような場合、服薬は生涯続く。こんな無駄はない。


7/2(火)曇り、降雨 中通病院外来 飯川病院
1:00 起床。文献など読む。蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し。ネコ世話、畑収穫、ダリア開花間近。7:00バス飯川病院。8:45-13:00中通病院外来、院内紹介状複数名記載。13:10飯川病院、14:00-19:00勤務。19:30車帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7519歩。

四季2019(7)夏至 残念、今年も気がつかずに過ごした 
 自然の移ろいを楽しむ心境、辞世の句などを楽しむのも終活の一つ、ととらえてこの辺の変化に感受性を高めてきた。とは言うものの、今年も、私にとって重要な季節の節目である夏至を失念して経過してしまった。

 2018年は「6月21日(木)」、今年は「6月22日(土)」であった。すっかり失念していた。 サクランボと夕張メロンに気が取られていた。
 二十四節気は毎年日付が異なるのは日本人の生活に密着した暦だからである。夏至は、6月21日〜6月22日になる。
 北半球の日照時間が最も長くなる日で、高緯度の北海道では16時間40分程度、低緯度の沖縄では13時間50分程度である。

 最近はam3:00ころから東の空からしらじらと明けて来る。
 夏至近く、秋田の日の出はam4:11。冬至はam7:11で、夏至と冬至の頃とは約3時間もの差がある。

 冬至の日はうれしい これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ厳冬だというのに心が明るむ。
 一方で、夏至は嫌だ。まだ梅雨も明けていないのに、あとは明るい時間がどんどん短くなつてゆくばかりだから。悲観的、下向きの性格の私は半年も先の冬の訪れを今から思ってしまう。

 私はカンカン照りで汗だくで過ごす真夏が好きである。しかし、徐々に日照時間が短くなり、季節は秋に向かって変化する。実際には気候としては2ケ月遅れて変化する。8月14日には天候としてはまだ真夏であるが、私は秋の雰囲気を先取りし、気持ちの上では寂しくなる。

 夏至を失念して7月を迎え、いまになって慌てて夏至近辺の季節感を味わっている。

 二十四節気は半月毎の季節の変化を示しているが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候。二十四節気と同じく古代中国で作られた。二十四節気は半月毎の季節の変化を示しているが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候。二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は日本の気候風土に合うように改定された。
 七十二候には、気候の変化や動植物の様子が短い文で表されています。おおかたはその時期の「兆し」を伝え、繊細な季節のうつろいを感じさせ、実務的には農作業の開始時期などを示してくれる。

 ところで、2016年4月からラジオ深夜便で『ピアノが奏でる七十二候』という、意味不明なコーナーがあった。
ラジオ深夜便と共に過ごす2017(2) 『ピアノが奏でる七十二候』(1) https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20170106

 ピアノソロで1-2分程度の小品が週4日間放送される。作曲家でピアニストの川上ミネ氏が七十二候のそれぞれのイメージをもとに作曲した小品である。音楽は好きだが、作曲家が抱いたイメージを感じ取る程の能力も感性もない私にとって、何のためにこれだけの期間継続して放送しているのか??が、私の正直な気持ちである。はっきり言ってこの「ピアノが奏でる七十二候」は作曲者の独自の感覚で作られたもので、作曲者の意図が汲み取れなかった。「ピアノが奏でる七十二候」は私にとって邪魔な存在であった。それがこの3月で終了した。ほっとしている。ただし、小品一つ一つの魅力は十分にあった。せめて番組の開始でなく終了時に流してくれたら良かった。ラジオ深夜便はその時間が来たらすぐにその日の話題に入って欲しい。・・・と思った。

 なお、この小品集はCDで発売されている。


7/1(月) 曇り 健康クリニックドック  飯川病院
0:00起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。自炊3冊。
7:30徒歩飯川病院着、9:00-11:30健康クリニックドック診察13名、結果説明2人。12:00飯川病院に移動、微睡、14:00-18:45勤務、19:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ6227歩。

新年からもう6ヶ月も経った 時間の移ろいは実に速いとしみじみ思う
 「老後の一日は値千金に相当する」とはよく言われてきた言葉である。実感、実感。
 「朝の笑顔、夕べのしかばね」を念頭に置いて日々を過ごしているが、大きく健康を損なったらそれまで。そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、毎日が一層味わい深い。大切にしたい。

 新年を迎えてからもう半年経過した。私の記憶力はかなり劣化してきた。この半年間は具体的出来事の記憶としてほとんど残っていない。今ここに居ることは継続的に存在したことの証であるが、この徒然の記録、新聞雑誌から収集している毎日のスクラップなどをハードディスクから呼び出すと、毎日の出来事が、思索内容が思い出され、生きていた事が実感できる。

 ちょっと気力が萎えてきているが、そんな効能もあるから日々を記録し続けることに意味を感じている。

 私が費やしてきた人生は約2.5万日に相当する。実に長い。しかし、全体として眺めてもそんな長いという実感は無い。

 現役を完全に引退すれば、時間が全て自分の時間ということになるが、私はまだ勤務していて、ウイークデイは労働、拘束時間に今も12時間程度費やしている。8月から木曜午前外来がなくなり、勤務時間が減る。自由になる時聞が増えるので楽しみにしている。

 今は私は健康管理など何もしていない。今から健康管理しても先が伸びるか分からない。運がいいか否かだけに頼っている。

 確かに日々残り少なくなる時間は惜しい。
 心ある人は、時間の損失をもっとも悲しむ、と言う。私もちょっと前まではそうであったが、今はそう緊張した生活はしていない。思うがまま、流されるまま時間を失ってもそれほど気にしない。そんなゆったりとした気分で過ごしている。

 私は21:00頃就寝し、起床はam1:00頃で、早朝をマイペースで過ごしている。
 だが、歳とった今は流石に疲れるので、午後の勤務、ボランティアが始まる14:00前に飯川病院で1時間余午睡をとる。一日2回の分割睡眠、失う時間も無いし、人に気遣う必要もないから心のおもむくまま。この午睡の楽しさ、心地よさ、を退職してから知った。

 もう、それほど未練もない人生であるから、マイペースでゆったりと過ごせれば良い、と考えている。ゆったりと過ごす日々の生活、これは私にとって重要な終活の一つである。就活は物を整理することだけではなく、生き方を整理することでもある。
 もう今更焦ってもしょうがない。残りの時間で出来る事も少ない。そのために私も2年ほど前から気まま路線に切り持えた。ついでに葬儀屋も予約した。




7/30(火)快晴暑い 中通病院外来 飯川病院 保健所監査 
1:00起床,文献整理。本読み。雑誌データ化。5:00可燃ごみ提出。7:10バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:15飯川病院、14:00-18:45勤務、保健所監査の日とあってスタッフ達は緊張している。無事終了? 19:15帰宅、夕食、21:00就寝。積算8983歩。

我が家の猛暑対策2019 居間にエアコン設置
 秋田に居住してから46年になる。
 秋田は山あり川あり、海があり、自然が豊かである。山には秋田杉が整然と植えられている。
 天候にも恵まれている。降雨量も多い。稲作畑作が盛ん、食料自給率は117%と北海道に続いて高い。冬の最低気温はせいぜい-5~6℃程度、夏はせいぜい30℃と、郷里の岩手の片田舎に比較すれば過ごしやすい。

 近年、全国的に猛暑が話題になっている。一昔前までは炎天下での日射病が中心であったが、最近は屋内でも同様の状態になるから、熱射病と名前を変えたが、死亡する方も少なくない。
 そんな中、秋田はパラダイスと言っていいほど過ごしやすかった。北海道を含めて全国が軒並み33-35℃の時に、29-33℃ほどとワンランク低い。

 全国的に今年も猛暑列島である。熱中症死者も多数でている。
 19:00NHK-TVもニュースが異常気象、猛暑・酷暑で始まることが頻繁である。

 我が家の猛暑対策として、自然の風を利用してきた。ドア、窓を開放し、窓にはヨシズをつるし、さらに窓には遮光シートをつけ、光も遮って午後からの温度上昇を抑えた。この作業にはネコたちの自由外出防止の工夫も並行して進める必要があった。

 涼感は増したがたが、いつも風があるとは限らない。そんな時はやはり暑い。そうなると扇風機である。大型の、中型の扇風機を動かす。
 夏好きの私にとってはそれほど辛い暑さではない。病院の診察室ではエアコンを切って嫌われている。寝苦しい夜はあっても数夜程度で、ほとんど苦にならなかった。

 むしろ夏との別れが意識されるこの頃であり、寂しい。だから、惜しむがごとく炎天下で、太陽を浴びながら園芸畑などの作業をしている。

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 昨夏、ついに家族達が音をあげた。台所とつながっている居室にエアコンを付けてほしい、という。特に、火を使う調理の際耐え難い、という。確かにそうかも・・と100%の気持ちでなかったが、台所に立つ機会がほとんどない私には反対する資格はない。賄いのおばあさんは78歳、これ以上無視すると高齢者虐待にと言われかねない。
 
 (あたし達ももうダメ!! エアコン欲しいの、とプチとチー 私は聞こえないふり)

 6月下旬、やや大きめの15畳タイプのエアコンが居室に設置された。

 私がいないときには頻用しているようであるが、私がいる時は遠慮してスイッチを入れていないようである。

 私自身はまだ一度もリモコンのスイッチを入れていない。
 私が今年の猛暑を乗り切るのに、「エアコンを使わない・・」が新たな目標に加わることになった。

災害列島2018(4) 命に関わる猛暑はそれだけで自然災害


7/ 29(月) 早朝降雨昼晴れ  健康クリニックドック 飯川病院
1:30起床。文献処理他録音データ整理。5:00収穫。本日も暑予想。 7:10バス飯川病院着、9:00~11:30健康クリニックドック15名、11:45飯川病院、本読み微睡、14:00~19:00飯川病院、入院患者対応、散水。データ整理、19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数14536。

東京五輪(2) 1964年東京大会の思い出 のちに記録映画で堪能
 1964年、私が高校を卒業し、仙台で浪人生活を送っていた。高校卒業後1年の浪人生活を加えた4年計画で医学部進学を目指しており、予定通り新潟大学、弘前大学を不合格となったからである。

 あの当時の五輪フィーバーは今回のそれに比較できないほどの盛り上がりを見せた。日本全体が五輪開催に期待し、五輪が終われば新しい時代が来るはず、と全国民が開催を祝福していたように思う。新幹線も五輪に合わせて開業した。

 私は仙台の連坊小路にある下宿先から予備校に通っていた。
 五輪期間中は、食事時にニュース映像を垣間見る程度であった。日本では当時カラーTVは5万台と、まだ一般家庭には普及していなかった。東京五輪を契機に受像機の生産が急激に伸び始めたが多くの家庭では白黒で観戦していた。当然、下宿のTVは白黒であった。

 私は当時は五輪どころではなく、家の経済状態から見てもう後がない、と過緊張状態でにあったが、ラジオを聴きながら、得意のながら勉強しながら、五輪の雰囲気を味わっていた。開会式のNHKアナウンサーの実況中継は素晴らしかった。

 3月、私は「まぐれ中のまぐれ現象」で新潟大学に合格、同時に大村崑監督の東京五輪記録映画も完成した。私はこの映画に五輪観戦をかけていた。映画自体は駄作、名作かで揉めたが、私にはそんなことはどうでもよかった。新潟の映画館で観たが、美しいカラー映像で、その日の感激は忘れられない。

 その後10年経ち、レーザーディスクで発売となり、早速購入、何度もなんども観た。やがてレーザーディスクの時代が終わり、再生装置も故障、観る機会を失ったが、つい数年前に映画として放映され、それをハードディスクに録画してある。いま頻回に見ることはないが、映像はかなり鮮明に改善されていた。

 その中の注目はやはり優勝した女子バレー、マラソンの金のアベベ、銅の円谷の姿は忘れられない。

 東京以降の五輪、開催地は名前だけはなんとか記憶にはあるが、注目した競技そのもの、ヒーロー、ヒロインなど上げることは一切できない。TV観戦等もほとんどしなかった様な気がする。本ブログは開設して20年だからこの間5回ほど五輪が開催されたことになるが、検索をかけてもほとんど出てこない。関心が乏しいからであろう。

 私の五輪は1964年の東京五輪で足踏みしている。
 2020年の東京五輪の招致が決まった時には私は腸閉塞や脳梗塞を発症した直後でもあり、まさかそこまでは生きられないと思っていたから、あと一年に迫った東京五輪について記述できるのは法外の喜びである。


7/28(日) 曇天時折雨 暑い 町内役員会議
1:00飯川病院で起床、書類、読書などいつもの如く。9:29バスにて帰宅。野菜収穫。本日も暑くて外仕事には向かない。久々書斎にて、午前は新聞チェック、データ整理、本読みなど。NHKのど自慢。微睡、午後もほぼ同じ。BR録画にて「読売日響演奏会」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック;ウイーンのポルカ」楽しむ。Cクライバーの映像が懐かしい。データ整理、19:00町内会役員会議、20:00帰宅夕食、21:00就寝。歩数10950。

東京五輪(1) 1年を切った
 2013年に東京が招致に成功した五輪、私はほとんど関心を持っていない・・・、というと嘘になる。私は競技自体には関心がない、ということ。
 復興五輪という位置付けであるが、復興そっちのけに超肥大化した五輪、はっきり言って運営が心配であるが、準備状態はほぼ順調のように見える。

 誘致当初は「コンパクト五輪」構想であったが頓挫し結果的に肥大化した。とりまく環境は一層厳しくなっている。見ていて苦しい。

 問題点として感じているのは、
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■ 復興五輪の面影がない、■ 肥大化した大会そのものの運営、■ 競技チケットの第1次売り出し、■ 訪日観客やボランティアの問題、■ 関係者への情報伝達、■ 酷暑への備え、■ 日かげの確保、■ 飲料の提供、■ 救護体制など、■ 円滑な輸送、■ テロをはじめとする警備、安全確保、■ 期間中前後に異常気象との遭遇もありうる・・・、などなど。
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 幾重もの対策が必要だ。

 一年を切って聖火リレーの話題も多くなった。こんなの本当に必要なのか?疑問である。
 五輪組織委員会は、大会期間中の交通量を東京圏で1割、会場周辺で3割減らすことをめざす。「コンパクト五輪」構想が頓挫したことが、こんなところにも影響している。
 昨日からは、官民で在宅勤務や時差出勤などに取り組む大がかりな社会実験も始まった。本番時には首都高速道路を走る一般車両の通行料金を高くする措置も検討するという。物流は大丈夫か?

 これだけの大掛かりな企画の実行になると周囲に様々な迷惑が及び、不都合も出る。五輪開催の負の側面を認めて、見直すべき点は柔軟に見直す必要があろう。そんな姿勢が欠かせない。

 肥大化について。
 2013年に東京が招致に成功した後、6年間に夏冬計4大会の開催地が決まった。招致では、経費増大の不安にかられる市民の反対で撤退する例が相次いだ。五輪が手放しで歓迎された時代は終わった。

 IOCは最低でも数十億円かかる招致費用を抑えるため、活動期間の短縮を打ち出した。
 今回の五輪もコストを理由に方向転換した。コンパクト大会の方がコストがかかるらしく会場の分散と既存施設の活用へ方向転換した。肥大化への国際的な懸念を考えれば、必然の流れだろう。

 東京五輪に通じて、一層発展するだろうハードとソフトを今後に生かして欲しい。例えば、ITを駆使して輸送全体を管理する仕組みは、テレワークや時差通勤の本格導入は、日本の社会に求められる「働き方の改革の発展」につながる可能性がある。

 もう一つ、忘れてはならないのはポスト五輪の東日本大震災の復興の進展である。 


7/27(土) 快晴猛暑 お堂っこまつり 飯川病院当直
0:30起床、新聞や文献読み。データ整理。5:00収穫、庭畑散水。本日も暑予想。7:30横浜に出かける家内送り駅、その後病院。8:00-11:00高齢女性患者脳梗塞発症か、家族対応など時間取られる。暑くて外作業困難、机上作業、読書中心、自宅の不具合など修理。 微睡、結局外仕事ムリ。16:40バス飯川、当直業務に。18:00検食、20:00就寝。徒歩9107歩。

参議院選挙2019年(2) 秋田県の政治(4) また新人が当選
 秋田の参議院議員通常選挙では、2004年以降はマスコミ等で知名度が高かった2名のアナウンサーが当選、両名は結局は一期だけ。それ以降は元野球選手であった石井氏、元県議会議員の中泉松司氏が任を担って来た。

 3年ごとの参議院改選をその目で見れば秋田選挙区は3回連続タレント候補を送り出した。しかも、すべて新人、これでは秋田の声は国会まで届き難い。勿論、タレント候補、新人が政治的に適格でないなどという気は一切ない。今までの秋田県の参議院候補は知名度で選ばれている、と言っていい。今回の寺田静氏は「また寺田か!!」と思われるほど知名度は高い。どちらかといえばタレント候補的。

 今回の第25回参議院議員通常選挙は事実上新人の寺田静氏、再選を狙う中泉松司氏の一騎打ちとなった。

 寺田静氏は横手市生まれ、早大卒業、夫の寺田学衆院議員の秘書を10年近く経験、義父は元秋田県知事と参議院議員を歴任している。
 私は23回参議院選で元県会議員の中泉松司氏の出馬と当選を高く評価していた。当然再選させたい、と思った。

 結果的に寺田静氏が当選した。

 寺田静氏は
 ■ 知名度は「また寺田か!!」と思われるほど高かったが、野党陣営から統一候補として推薦受け一気に知名度を上げた。
 ■ イージスアショアの新屋配備に明確に反対。
 ■ 女性候補として政党色を出さずに母親感覚、主婦感覚を全面に押し出し顔を売った。女性票を多く獲得した。

 中泉松司氏は
 ■ 秋田市以外の知名度は低かった。
 ■ 一年生参議院議員は目立つような活動を割り当てられない。そのために前回選挙後の活動報告会も乏しかった。もともと押しが強くない性格らしく、県民に半ば忘れられつつあった。
 ■ 自民現職の立場上、国の方針であるイージスアショアの新屋配備に個人的意見は述べられなかった。
 ■ 党の重鎮たちの頻回の秋田訪問はむしろ劣勢であることを示していた?さらに、本人の主張を覆い隠した??
 
 なお、今回選挙後に知ったのであるが、中泉氏は家内の遠い親戚当たるのだという。

 選挙の方法として、選挙カーで候補者名を連呼するだけの宣伝は意味がない。選挙の雰囲気作りに寄与するだけ。TV、新聞等に政策主張の機会を増やすべきだし、場所時間をあらかじめ設定した街頭等での演説会の方がいい。


7/26(金)早朝降雨 快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア アルベ市民課
1:10起床,文献・新聞チェックその他。5;00可燃ゴミ集積所に、7:25Taxi駅に、8:11こまち大曲に、9:10-12:15大曲中通病院外来。往復徒歩不可、暑さと患者対応。新幹線車両事故あったらしい。1時間余遅れの便に乗って帰秋、アルべ市民課にて印鑑証明作成、イヤタカにてバニラとコーヒー。15:00-18:45飯川病院ボランティア。散水ほか。19:30Taxi帰宅、21:15就寝。徒歩11588歩。

参議院選挙2019年(1) 曖昧で争点を欠いた選挙
 参議選は与党が改選前議席に若干届かなかつたものの71議席を確保し、過半数を確保した。

 争点があいまいで盛りあがりに欠けた選挙は、50%以下の投票率。国民に選ばれた代表と言えるのか?と問われかねない。投票率を如何に上げるのかは政治の命運の握る。 
 与党側は守りに徹し、野党側は政策で攻めきれず、その隙を縫って新党が躍進した。既成政党の弱体化も印象づけた。 

 選挙後、「安定した政治基盤の上に令和時代の国造りを進めよとの力強い信任を頂いた」、安倍首相は選亭を概り返つた。何を言いたいのかわからない。結果的に、低投票率なら強いという安倍政権のいつものパターンがさらに極まつただけ。

 参議院選挙2019年の特徴を挙げると、
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ ダブル選の臆測が外れて緊張感が低下した??
 ■ 老後資金2000万円問題に端を発した老後の生活不安について、生活に直接関わる話題であるはずだが、選挙前の調査で、争点だと思う46.2%、思わないが47.8%と拮抗し、野党のもくろみ通りにはならなかった。野党側は一気に盛り上げようと騒いだものの、対案がなく、対策案も示されていなかったから当然。
 ■ 消費税率引き上げ反対は口では簡単に言えるが、野党間で政策のすり合わせ論議もされていないようである。野党は対策案も出せなかった。
 ■ 憲法改正でも具体的な対案を出すべきだつたと思うが、このにわか共闘では無理だろう。与党案もまだはっきりしていないだけに、野党側に求めるのは無理か。 
 ■ 立憲民主、国民民主、共産など野党5党による統一候補で挑んだ32の改選区では10勝22敗、2016年の11勝とほぼ同水準で結果を示せなかった。選挙の時だけ組んでも政策上一致がないと効果は上げられない。
 ■ れいわ新選組など新党が進出したのは野党の分裂が深まつた為ではないのか?新党の政策に課題はあるし、当選者は議員としての働きや意思表示も可能な状態かもわからないが、既成政党に投票したくない有権者の受け皿になつた。
 ■ 選挙区の投票率が50%を割り込んだのは1995年の44.52%以来戦後2度目。野党が与党に揺さぶりをかけられなかったから緊張感を欠き、多くの人が棄権してしまったのだろう。特に若者が低い。 
 ■ 投票率の低下を食い止めるため、投票時間の2時間延長や期日前投票制度の導入などが行われ、辛うじて50%近くを維持してきた。もう物理的には限界であろう。ネット投票の準備がまだ整つていないなど方法論的には打つ手がない。緊張感ある政策のぶつけ合いが今できる方法の一つ。 
 ■ 投票窟を巡っては合区して選挙区が隣接県と統合された鳥取・島根、徳島・高知の4県で過去最低に近い投票率を記録した。徳島は38.59%と全国最低だった。選拳制度で県民が無視されたことへの不満への意思表示でなかったのか?? 
 ■ 定数1から6までが混在する選挙区がある一方、比例代表の「特定枠」なども導入され、選挙制度そのものがなんだか分かり難い。


7/25(木) 夜間時折降雨 中通病院内科外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。7:10バスで飯川病院へ。8:45-13:00中通病院内科外来+ドック判定14名分、木曜外来後2回のみとなり、患者の振り分けに悩む。13:10飯川へ。本読み。撒水。19:30帰宅夕食、20:50就眠。歩数計10943歩。 書籍自炊化。

本 芦沢 央 「罪の余白」 角川文庫 2015(2)

 私は子育ても終わったし、現代の10代の気持ちを知る機会は無く、ほとんど分かっていない。その考え方の一部がわかったし、登場人物の人間像を通じて、自閉症、アスペルガー症候群など現代で問題になっている発達障害を抱えた人の考え方や行動様式も表現されていると思う。

 クラスメートを死に追いやった加害者側の高校生の、思春期特有の心の不安定さ、大人社会に対する無関心、潜む残酷さ、ある種の心の歪みにとらわれた少女の鬼気迫る心理描写も良い。
 父親の葛藤の表現も良い。 また、父親の同僚である女性の心理学教授は人の気持ちや空気を読めない女性だが、脇役としてこの作品の存在感に寄与している。

 こういった女子高生の陰湿ないじめが女性作家の手で描かれることで一層現実感を持って迫ってくる。中学や高校のいじめ問題は根が深く、息苦しい。特に女子生徒のそれは男子と比べものにならないほど、ややこしく、面倒くさい。昼食を食べるのもトイレに行くのもすべて行動を共にする。もし一人で行動した場合、残つていた仲間が自分の悪口を言っているのではないかなどと思つてしまうらしい。
 しかも今の時代は携帯電話、スマホのメールやラインなど、どこにいても逃れることができない。
 逃げ場は至る所にあるという大人の理屈は、当事者となつた少欠たちには通用しないのだろう。 
 女子高の描写から今の高校生はこんな人間関係で疲弊しているのか?場の空気感を必死で読まなければやっていけない女子高生の脅迫神経的な描写は興味深かい。

 個人的には事件の発生から集結に至るまでの間の登場人物の心理描写が優れている。この部分が評価できるので、スクールカースト、人を操る女子高生と心理学者との対決というあおりで興味をもった。


7/24(水)早朝雨、晴曇り暑午後 飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。午前フリー、ドライブレコーダー条件設定終了。計測開始。12:07草刈機ほか持ち飯川へ、ボランティア。撒水。玄関前の雑草刈り。散水など、19:30帰宅夕食、20:50就眠。歩数計12201歩。書籍自炊化。

?本 芦沢 央 「罪の余白」 角川文庫 2015
 作者の芦沢 央氏は1984年生まれ、女性の小説家・推理作家。2012年本書「罪の余白」で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2015年「許されようとは思いません」で日本推理作家協会賞候補。2018年「ただ、運が悪かっただけ」で日本推理作家協会賞候補、2019年「火のないところに煙は」で山本周五郎賞候補になっている。本作品は映画化もされており評判も悪くないようだ。


 社会問題として長く報道されていながら、中学生・高校生のいじめによる自殺事件が後を絶たない。新聞では詳細は報道されていないが、そのいじめは陰湿を極めているようである。
 いじめの被害者、我が子を亡くした親族の悲しみは如何ばかりかと心が暗くなる。

 私は、なぜこういった事件が後を絶たぬのかと憂い、情報を集めている。人間が社会生活を営んでいく上で「いじめはあって当たり前」との視点に立つことが重要と考えるが、学校側、教育委員会はそう考えておらず、隠蔽工作も後を絶たない。父兄からの申し出があっていじめ事件として検討をスタートさせている例はすくなくない。私は、いじめ自体は亡くする事はできないが、学校側及び教育委員会の対応は拙たないと思う。教育現場の古い体質こそ問題である。

 本書の話の筋は単純である。
 妻を亡くし、大切に育ててきた一人娘が、学校の校舎から転落死した。娘の死に疑問を持った父親は、娘の残した日記から、いじめの実態を知り、復讐を思い立ち、いじめの加害者を追いつめていく・・・というもの。
 この作品は、被害者側と、加害者側の両方の視点から描かれている。


7/23(火) 早朝から雨、午後晴れ暑い 外来 飯川病院
0:30起床、文献読みなど。5:15可燃ゴミ収集所に、畑庭収穫ほか。7:00バス飯川病院。新聞チェック。8:45-13:00中通病院外来。13:20飯川病院、微睡。14:00-19:15勤務、入院患者対応など。歩数計8676歩。19:10帰宅、夕食、 20:30就眠。

?情報と記憶(2) 情報は自ら選択して集める
 私の記憶をパソコン、ハードディスクに代行させるのに情報をインプットする作業は大変であるが、全て自分でインプットする。そのことが覚えるのに役立つ。他人が入れた情報を使うことも不可能ではないが、その場合は一つのプロセスを省くことになり、記憶から消えやすい。

 勉強すればするほどわからないことが増える。だから記載したいテーマにはにはそれぽど困らない。問題は毎日の時間の確保である。 
 いくら私的な文章といえども公開している以上は責任が伴う。情報はできるだけ集めて取捨選択し、再構築し、最後には文章の体裁も整えなければならない。

 情報の活用について改めて考えてみる。

 惰報とは何か?? 辞典を詞べてもいい定義は見つからない。情報の意味は多様で,受け手の考え方に依存しているので定義が困難なのだ、という意見もある。知識が蓄積であるのに対し,情報は流れとみなす考え方もある。
 受け手の私に、刺激を与えてくれる未知の知識を情報と呼ぶのが良いようだ。

 情報を受け取ることによって、私どもは環境の変転に対して自己を調節し、効果的に生きていくことができる。社会環境に適応するためには情報が必要である。情報を受け取ることによって、危険を回避し、効果的に生きていくことができる。すなわち、環境に適応するためには情報が必要である。

 情報を持つものと持たないものでは大きな格差が生じ得る。また、情報が欠如していることにより手に入るはずの利益を逃したり、回避できるはずの損害を被つたりすることもある。情報格差である。

 一方、情報自体が間違つていた場合は不利益につながりかねない。さらには誤つた情報発信も多大な損失を招きかねない。安易な発信は避けるべきである。情報はいわば、入手の方法や利用の仕方で良くも悪くも変わつてしまう。 

 情報社会と言われる中にあつて、私たちの周りには情報が溢れている。黙つていても飛び込んでくる。それらの情報の中から有益なものを見分けるのはどうすれば良いのだろうか。
 
 私は情報源を狭めている。
 新聞 >>ラジオ >書籍・文献 >>TV >ネットの順だろうか。 

 情報を利用するにあたつては次のことに留意したい。
 ■ 過剰な情報は無に等しい。■ 形が無いから真偽の見極めが必要。■ 悪意の情報に操られてしまう危険性も。■ 受け手によつて別の意味を持つものもある。■ 必要情報有益情報の入手は自ら行勣して得る。


7/ 22(月) 晴れ蒸し暑い 健康クリニックドック  飯川病院
0:00飯川病院で起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。自炊3冊。7:00検食、9:00-11:00健康クリニックドック診察14名、結果説明1人。11:15飯川病院に移動、微睡、14:00-19:45勤務、当直医の代行一部。20:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ5124歩。

情報と記憶(1) エビングハウスの忘却曲線 私の場合は多分もっとひどい

 この徒然原稿を書き始めて早19年近く、思えば長く続いたものだ。否、よくも生き長らえてきたものだ、と思う。

 現役の頃は多方面での仕事を抱えていたから、時間的調整がつかずに月に数回程度ブログの更新を休んだことがあるが、現役を退いてからの8年では今年5月30日の1回だけ。休んだのは全期間を通じてざっと見て1−2%だろう。

 ふり返れば、外科的手術を受けた3回は傷の痛みに耐えつつ入院ベットの上でもパソコンを広げた。脳梗塞を生じ、意識障害、右半身不随であった数日間は流石にリアルタイムの記述はできなかった。

 よく、「話題が続きますね」、と読んでくださった方から言われるが、この徒然は自分が疑問に感じたこと、調べたり勉強した結果を記してきたに過ぎない。それにちょっとだけ意見を加える。だから、新しいことを知りたいとの意欲はあるので今に至るまで話題は尽きる事はない。

 今の私が抱える一番の障害は、記憶障害である。しかし、なんでこんなに忘れやすいんだ!と嘆いても仕方ない。私の脳は微細な動脈硬化と大きな脳梗塞巣を抱えてそういう仕組みになってしまった。ひどい状態である。だから私は脳の記憶力には頼らずにパソコンのハードディスクに記憶の代行をさせている。

 徒然を一日一項目とすると6500項目ほどの話題が蓄積している。もう記憶しておくのは無理。だから、思い出すのもパソコンの検索機能に頼っている。
 そのほかに新聞スクラップが毎日50枚ほど蓄積する。10数年分ある。書籍の自炊は週に数冊程度電子化されハードディスクに収めている。

 記憶の勉強の最中、「エビングハウスの忘却曲線」について知った。ドイツの心理学者、H・エビングハウスが発表した「忘却過程の曲線」のこと。
 エビングハウスは、無意味な音節を記憶させ、時間と共にどれだけ忘れるかを数値化した。
 そこで出た結果は次の図表通り。
 

 この表は時間と共に、どれだけ記憶したことが失われていくかを示している。
 1時間後には56%忘れ、1日後には67%、6日後には75%、31日後には79%忘れるとのこと。
 しかし、このデータは「子音・母音・子音」からなる無意味な言葉を覚えさせた時の忘却過程であること。もしこれが、「意味のある言葉の記憶」なら、方法論的に客観的データは出ないだろう。

 エビングハウスの研究結果から分かることは何か。
■ 学んだ直後から物忘れは始まる。最初は一気に忘れ、次第にゆっくりと忘れるようになる。
■ 何かを学ぶ時、意味のあるもの、重要なものであったりした場合、暗記は楽で、忘却も遅い。
■ 学習に時間をかけると、記憶できる情報量も増える。
■ 復習を重ねるごとに忘れにくくなる。
■ 一度にたくさん学ぶよりも、時間をかけて何度かに分けて学んだ方が、学習効率は上がる。
■ 復習すれば記憶が保持される。

 ここまでの知識を踏まえ、私はどのように勉強したら忘れないで済むかを検討している。


7/21(日) 晴れ暑い 今年最高か? 参院選投票日 飯川病院当直 
1:30起床。読書、データ整理他。6:00散水、9:00午前は草刈。のど自慢楽しみ微睡。庭の作業追加で3周目はこれで7割方終了。モモに枝折れ防止用支柱立てる。14:30参院選投票日。15:00野球秋田決勝見る、中央と明桜、中央4-0から逆転される。結局決まらず飯川病院当直に。中央甲子園に決定。相撲は鶴竜優勝。18:00検食、19:30就寝。Σ14639歩。

人生100年時代(16) 年金問題(4) 年金制度破綻させないための工夫
 先に政府は「年金は100年は破綻しないから安心せよ」と国民に呼びかけた。それは制度の存続に関しては正しい主張だったが、国民はそうは受け取っていない。100年は生活を維持できる年金を保障する、ととったようだ。

 年金が破綻するときは国が消滅する時だろう。年金は給付額を下げることで制度上は存続可能であるが、年金で生活を維持することなど夢物語になるだろう。

 政府は年金額を維持できるように以下の改善点を予定しているが、救世主とはなり得ない。このような案は国民を苛むことにもなる。

■年金の繰り下げ受給の柔軟化。
 65歳を基準に70歳までだつた受給開始年齢の繰り下げの上限を75歳まで延ぱす案。受給開始を遅くすればするほど年金の受取額が増える計算になる。繰り下げを選ぶとその期間は無年金になるが、その間、働いて収入を得ながら生活すれば、将来はより多くの年金を受け取ることができる。国にとっても年金受給者にとっても一見利点が大きい。年金制度にとってそれほど良いことが無いようにも見えるが、年金受給前、あるいは、受給後に受給者が高齢のために早期に死亡してしまえば国がまるまる得することになる。

■在職老齢年金の減額制度の廃止。これは緊急に廃止すべき。
 現在、年金受給を受けながら働いている場合、厚生年金支給額が減額されたり、所得によっては全額支給停止になる。所得税、住民税等も減額されるのであれば納得できるが、これらは通常に課せられる。

 私はこの制度に納得できないし、憤りを感じる。
 私の場合は、もともと受給できる年金額は予想していた額より驚くほど少なかったが、厚生年金部分は約半額に支給停止になっている。この減額制度は年金の制度を維持するための仕組みの一つと分かっていても、納得し難い。現役時代に給与から、勝手に、少なからざる額を天引きしておきながら、かつ、引退後も働くことを求めながら、収入を得ると年金額が減らされる。
 何たることか!!!と思う。国による詐欺行為でないか??

 この制度は、高齢者の就労意欲を阻害する大きなファクターになっている。それなりの給与が保証されるなら別だが、収入も減る状況の中、無理して働いて年金額も減らされるとあっては働かない方が得と考えてもおかしくない。
 高齢者の社会参加を求めるならこの制度は即止めるべきである。

■短時間労働者への厚生年金の適用拡大。
 厚生年金の対象者を広げて厚生年金への加入を促し、老後の年金受給額も増やしてもらう狙い。
 短時間労働者の厚生年金加人は女性だけではなく高齢者の就労にも適応される。長く加入すれば老後の年金も増やせる。仮に60歳の人が月20万円の給与で5年加人すればそれまでの年間の年金額に約6.6万円、月にして五千円程度上積みできる計算となる。

 我が国の年金は人口減を容認してきた以上、給付減の方向に行かざるをえないのだ。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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