2019年5月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
5/31(金)午前曇り午後から降雨 大曲中通病院 飯川病院勤務 コンサート
1:00起床。文献、新聞など読む。5:30ゴミ出し、7:30Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往復徒歩。9:00-12:00大曲外来。13:30飯川病院勤務、14:00-18:20午後の勤務は本日まで。アトリオンバリトンコンサート。20:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ13333歩数。
今井俊輔バリトンコンサート 不快なバリトン男
本日、秋田市のアトリオンホールでバリトンの今井俊輔氏のコンサートが開催された。主催は秋田ゾンタクラブ。
今井俊輔氏は東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。2014年から東京二期会による本公演、ローマ歌劇場などのほか公演に主役として出演。また毎週月曜日「BS日本こころの歌」フォレスタのメンバーとして出演している。東京二期会会員、日本演奏家協会員。
ピアノは濱野基行氏。
そのほかに秋田在住の2名のソプラノ歌手、井島佐恵子氏、後藤純子氏が共演、アリアを披露し、後半ではオペラの二重唱を共演した。
演奏曲目は、
■ 山田耕筰 からたちの花 バラの花にをを込めて この道
■ 中田義尚 ネムの花 サルビア ほか
■ 瀧廉太郎荒城の月
■ そのほかオペラ、カンツオーネなど。
主催した秋田ゾンタクラブは、1919年に米国で設立され、今年記念すべぎ100同年を迎えた。現在世界で63力国30.000人の会員が活躍している。日本ゾンタクラブは1961年に設立され1.000人の会員。
このコンサート自体は見事な出来で十二分に楽しめた。
私にとっては半年ぶりの、久々のコンサートであった。
アトリオンホールに対する不満などそれほどないが敢えていうなら、
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■ やや過剰な残響、
■ ホールを出てから外に出るまでの混雑する。危険でないか?
■ 傾斜が少なく部隊がよく見えないこともある 椅子の配置をずらせばいい。
■ 客席のイスが小さい。臨席と近すぎる、足のやり場に困る。
■ 特定の人、クループの人からの「ブラボー」コール。不快。
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上記の不満はそれほど大きくはないが、最後の項目だけは私にとって小さくない。
今回はそのために中座して帰途についた。
私は演奏前に拍手をしないが、演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。遅れて、時には何度かのコールでやっと拍手である。
ここ数年、何人かが後部座席から即座に「ブラボー」コールを、何度も何度も発する様になった。しかも、とても良い声!!! 、すごくでかい声!!!である。 私はこの「ブラボー」が不快である。発せられた瞬間、余韻も冷めて気分は一気に地獄に堕ちる。演奏家を讃えて拍手をしたり叫ぶのは自由であるが、やるなら演奏家の近く、もっとも前の席でやればいいのだ。
私は、「ブラボー」コールが嫌で最近は演奏が終了すると即座に席を立ち、会場を離れる。いつも一番である。そのために後ろの通路脇の席に座る。私のささやかな防御である。
私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。
5/30(木)曇り夕方から降雨 外来 飯川病院
1:30起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。7:10バス飯川病院着。8:45-13:00外来+紹介状、人間ドック判定総括14名。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:30就眠、9042歩。
?福田の雑記帳Bulg(欠)
5/29(水)曇りのち晴れ 終日飯川病院勤務
0:40起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。畑庭に散水。7:10バス飯川病院着、午前午後共勤務、外来患者対応、午後は読書中心。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、Σ10986歩。
本 三田一郎著「科学者はなぜ神を信じるのか」講談社2018(2)
本書では、物理学がどのように発展してきたか、その発展の上で宗教がどのような役割を担ってきたかについて説明している。
筆者は「人間は神(の力)を持ち出さずに宇宙の起源を理解した。もはや神は必要がない」という発想こそが思考停止である」と述べる。このことこそ筆者の言いたいことの根幹だと思われる。
更に、「すべてを説明する科学的法則を人間が解明しても、その法則を作ったのは誰か?という疑問には答えられない。だから、神の存在を意識すべきだ」という結論は、果たしてそうなのだろうか。疑問である。カトリック教会の聖職者である筆者の目でまとめているからそういう論旨になるのではないのか。
また、本書の興味深い点は、物理についての豆知識が広く紹介されているところにもある。この本は、そのためにもとても有用と思える。 それぞれの科学者が語る神についての話は興味深い。
物理学者と宗教といえば、いや、政治家路宗教についても、私は限界を覚える。
「神をも恐れない姿勢」でマンハッタン計画に沿って大量破壊兵器である原子爆弾を作成したリーダーのロバート・オッペンハイマーを始めとして、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンなど著名な科学者、ハーバード大学やカリフォルニア大学など名門校の学生などが何を考えて計画を進めたのか、物理学の興味の前には、「神などの存在は忘れ去られていた」、としか言いようがない。
「現代物理学の粋を集めた」を宇宙開発計画に自らの命をかけて搭乗した宇宙飛行士のかなりのメンバーが地球帰帰還後に「神の姿を見た・神を感じた・・」と述べているのも興味深い。どういう意味なのだろうか?
米国人は比較的気楽に「Oh, my God!」というが、どんな気持ちで言っているのか?果たして宗教心か?
科学と直接関係無いが、政治家は「神について」何と思っているのだろうか。なんで殺戮などできるのか?それを黙って見過ごしている宗教家は何を考えているのか?
私は、特定の宗教、例えばキリスト教と人間の関係についてはまだ分かっていない。集団催眠術にかかっているとしか思えない。オカルトとどこが違うのだろうか、とさえ思う。
それを考えると日本の自然宗教観の方が、ずっと道徳的だとさえ思える。
5/28(火)曇り終日降雨 外来 飯川病院 トランプ離日
0:30起床1:00飯川病院から患者死去の知らせ、プリウスにて病院へ、見送りなど、4:00帰宅、新聞・文献入力、データ整理etc。ネコへの給餌、花壇はために散水。可燃ゴミ提出忘れた。7:00プリウスで再度出勤飯川病院着。8:45-13:00中通外来、13:10飯川病院、院長退院していた。微睡、14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就歩行計Σ9169歩。
本 三田一郎著「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスか らホーキングまで」講談社ブルーバックス新書2018(1)
著者が講演した際、「先生は科学者なのに、科学の話に神を持ち出すのは卑怯では?」 ある高校生から投げかけられた質問が契機となってこの本が生まれた。著者の三田氏は1944年生まれ、私と同年代。著名な素粒子物理学者で名古屋大学理学部教授を努められ、同時にカトリック教会の聖職者でもある。
私は生活上で宗教行事を利用しているが無宗教者と言っていい。しかし、自然宗教的な神羅万象を対象に宗教心はある。
無宗教はキリスト教社会、イスラム教社会ではまず到底理解されない、社会からネグレクトされかねない。
しかしながら、日本人の無宗教は真の無宗教ではない。
自然宗教、神道、創唱宗教など日本人の宗教文化の中における位置付けはとても大きい。
本書の構成を目次からたどる。
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第1章 神とはなにか、聖書とはなにか?第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神?第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
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聖書が教える「天地創造」の物語は科学が発展した今、もはや覆されてたのではなかったのか?? しかし、重要な発見をした科学者の多く、例えば、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらは神への思いを熱く語り、神の存在を強く意識していた、という。歴史的な業績を残した科学者300人のうち、8-9割の人間が神を信じていたらしい、ということも紹介す流。
物理学の仕組みや歴史を科学的に解明すればするほど、神の存在が限定化されていく。だが、多くの科学者は、新発見をするたびに「より神に近づけた」と考えていたことは極めて感慨深い。
私にとってはあまり考えたことがないジャンルの書籍で、いたく興味が持てた。
ただ著者はカトリック教会の聖職者でもあることから、論旨の展開に最初からバイアスがかかっている。自分は、科学分野の端くれに位置する立場であり、かつ、無神論者に近いと思っている。だから、この本のテーマには大いに興味を惹かれた。もし無神論者がこのテーマで書くとどのような内容になるのだろうか。
筆者は科学と神との関係を歴史を追って丁寧に説明する。
キリスト教の宗教史と科学の発展の歴史を絡め、神の領域が徐々に少なくなって来たものの、「神を信じる事は科学と矛盾しない」と、筆者はいう。
「神の存在を信じるということは、宗教や教会を信じるということではなく、それらを超えたところでの神の存在を意識するということだ」、という筆者の考え方にも説得力がある。
日本の無神論者の論理に近い説明、と私は感じとる。
5/27(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 トランプ国賓三日目
1:10 起床。新聞チェック他資料整理、ディスクバックアップetc、いつもの如し。5:00畑、庭に散水等。7:00プリウス飯川病院。9:00-12:30健康クリニックドック14名、レ線判定。12:45飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。19:30大学病院経由帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ11931歩。
トランプ国賓来日(3) 皇室外交の様子
トランプ米大統領の国賓としての来日の三日目は皇室の歓迎行事、午後は首脳会談が組まれた。
天皇・皇后両陛下が初の国賓を迎え、国際親善のスタートを切られた。
今回のトランプ米大統領の訪日は従来の国賓以上に長時間NHKTVで流された。皇室外交がこれほど長時間にわたって中継されたことはなかったように思われる。安倍首相の演出?が見え隠れする。
両陛下は留学など、豊富な海外経験のある初の天皇となる。通訳を介さずに大統領夫妻と接する両陛下の様子は新時代の世代交代の姿がうかがわれた。
歓迎行事後の会見は通訳が同席したが 陛下はほとんどが英語で、皇后とメラニア夫人のやりとりは全て英語だつた、という。
天皇は若い時代に2年間、英のオクスフォード大で学美、皇后は米ハーバード大卒で外交官の経験もある。天皇の政治関与が憲法で禁じられ何かと制約があるが、上皇ご夫妻とは一味違う国際親善の形が期待できるだろう。
多分、初の公式行事として天皇陛下は十二分に準備なされたのであろう。日米の親善の歴史を中心に丁寧に挨拶された。従来の天皇の挨拶よりは長かった気がする。トランプ米大統領の挨拶も同様であった。
国賓で迎えるか否か、は外務省が関係機関と協議し政府が閣議で決めるという。対象は外国の元首、国王や大統領で、天皇をはじめ皇室の最高ランクのもてなしを受け、皇居宮殿での歓迎行事や会見、宮中晩餐会も開かれる。
国賓に次ぐのは公賓、公式実務訪問賓客のランクもある。
国賓や賓客をもてなすのは国事行為ではないが、象徴天皇という地位に基づく公的行事とされている。
本日、天皇ご夫妻は皇居宮殿の車寄せで大統領を迎えられ、離日の際には宿泊先のホテルに出向いてお別れのご挨拶されると言う。丁寧な歓迎ぶりであった。
TV映像を見る限り皇后の表情もよく、私は安心した。これを機会に今後の経過が期待される。
午後の迎賓館での首脳会談は小人数で行われ、米中、日中の貿易問題を中心に結構ホットなやり取りがあったと伝えられた。8月以降、トランプ米大統領が豹変しないことを期待するが、今回の国賓来日で日本側が抱え込んだ荷物は小さくない。
5/26(日)快晴 外仕事中心 トランプ国賓二日目
1:00起床、データ整理。徒然、5:00畑、庭に散水。8:30草刈り、樹木枝下とし、横浜用コーヒー購入。書籍購入。釘材木購入、12;00ニュース、のど自慢楽しむ。13:00見舞い来秋の長女離秋、東側の窓に金網設置。ほぼ満足の出来。17:00トランプの相撲観戦を見る。本日は大学は見舞いなしに。19:00夕食、21:00就寝。Σ9629歩。
トランプ国賓来日(2) ゴルフ、国技館、居酒屋・・ ほぼ観光旅行?
2017年1月にトランプ米政権が誕生して以来の安倍と大統領の蜜月ふりは世界中のどの指導者と比肩出来ないほど突出しているように見える。ドイツのメルケル首相は安倍総理にトランプ大統領の付き合い方についてノウハウを尋ねたそうだ。
安倍総理はなんと答えたか明らかになっていないが、『愛犬の気持ちになって・・・』とでも答えたのだろうか。有名なジョークがある。米国人の愛犬家が日本のドックショーを見学した際、「素晴らしい。ところで米国の犬はいないのですか?」と問うたら、会の主催者は首相官邸に連れて行った、という。
トランプの心のうちはなかなか読めない。だから、安倍首相の努力ぶりは評価すべきだろう。トランプが選挙で勝利し、まだオバマが在任しているうちにトランプの私邸を訪問して親交を温め始めた。この首相の行動はトランプの心に小さな楔を打ち込む価値はあっただろうと思う。
天皇の代替わりの機運に大統領を国賓として招いたことは、日米両首脳の親密ぶりをこれ以上ない形で示すこととなつた。私はもう一度、安倍首相の努力は認めたい。
だけど、何かが違うのではないかと、違和感を覚えざるを得ない。
トランプは安倍首相が期待するほど日本に対して関心があるとは思えない。必ずしも日本に理解があるわけではない。そのことは就任直後のトランプの発言を見れば分かる。日本に対して、日米同盟の意義についてもほとんど知識はなかったように思われる。いちばんの関心は貿易不均衡である。
安部首相がここまでトランプ大統領を必要こする背景には、中国が台頭し、朝鮮半島外交も袋小路の現状にあつては おのずと米国に頼らざるを得ない。米国との同盟維持に日本の防衛面での生命線だから、という認識であろう。
日米同盟についてもいろいろな考え方がある。アメリカへの追従から離れて・・という意見もある。しかし、国政を預かる首相としては無責任な意見は吐けない。自助策を高めていく一方で、少しでも確実な、確固とした関係を追求せざるを得ない。
安部首相はそうした日本外交の限界を踏まえた対米外交を見事に演じていると言えよう。
ここまで徹底してトランプ大統領にすり寄っているのは、トランプは基本的にビジネスマンであり頑強に米国第一を掲げるから、明日のトランプの行動は予劇不能だから、対米外交の真価は大統領の日本に関する関心を如何に維持できるか、で試されるといえる。対中貿易問題を見てもトランプ大統領は実にクールである。
トランプ大統領は、日本の総選挙までは具体的な成果を求めないという意向を示した。明らかに安倍首相への選挙協力である。実質、3ケ月ほどの先送りに過ぎないが安倍首相にとっては大きな借りとなった。
まあ、ゴルフではそう問題にならないだろうが、相撲協会にとっては多数のSPを受け入れ、座席を用意し、短時間ながら主役の座を奪われてしまった。優勝が前日決まっていてよかった。トランプ大統領の表情は決して楽しげではなかったのが気になる。
居酒屋、都の中心部で接待するのはどう考えても迷惑だった、としか評価できない。
トランプ大統領の国賓としての招待は巨額の経費が動いた、と思われる。
5/25(土)快晴 草刈り等外仕事 トランプ国賓来日
0:20飯川病院で起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。散水。10:00コーヒー購入して帰宅。すぐに畑等に散水。草刈り等開始、途中でナイロンブレード、金網など導入。12:30秋田駅に見舞いで帰省の長女迎え、15:00-16:00大学病院に見舞い、草刈り、窓の一部にネコ逃走防止の金網張り、19:00夕食、20:30就寝、食の行事で駅前交通規制。Σ11814歩。
トランプ国賓来日(1) 誰が、シンゾウがセットした?不思議な訪問
トランプ大統領が国賓として本日来日した。1974年のフォード大統領以来7人目の来日である。
米国大統領が国賓として来日することは意義は大きい。しかし、今回の来日はその意図が汲み取れない。誰が、どのような目的でセットしたのであろうか??それが見えない。不思議な来日である。
この間に予定されている、一見過剰演出?から推定できるのは、おそらく安倍首相がセットし、トランプ大統領が自己の保身と対日交渉への「恩義」を売るために乗った計画だろうと思う。
私は、今回の異常な来日で日米関係、特に貿易交渉はむしろ困難さを増した、と感じた。
来日の大義名分はなんとでも作られる。
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■ 新時代、令和の初の元首としての来日
■ 新天皇即位のお祝いとして初の元首
■ 極めて稀な直行直帰の旅程
■ 一つの国に4日も滞在するなど稀中の稀
■ ゴルフ、国技館、居酒屋 ほぼ観光旅行に近い、
■ 強固な日米同盟を内外にアピール
■ 安倍・トランプのホットな関係もアピール
■ 共通の軍備の確認、先進兵器の売り込み
■ とってつけたような首脳会談
■ 対日貿易不均衡の是正に対し日本側に無言の、強力な圧力
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令和時代、新天皇即位後の初の元首として歴史に残るだろう。
大統領の通常の旅程は同一地域の各国を訪問するのが例であるが、今回は直行直帰の旅程、しかも4日も同じ国に滞在するなど異例づくめである。
なかなか打ち解けないトランプと一見良好な関係を維持している安倍首相の手腕に対して世界中の元首が大いに興味を感じている、とされる。その背景は御しやすい日本を相手に外交手腕の成果を内外に提示するためであろう。
本日来日したばかりなので詳細は不明であるが、自己中心的なトランプがなんでここまで譲歩して来日したか、大きな来日の成果を期待してのことであるのは明らかである。
私は興味と一抹の不安を抱えながら来日の推移を見ている。
5/24(金)曇りのち晴れ 大曲外来 午後飯川病院+夜間当直
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ提出。7:15プリウスにて飯川病院、徒歩で駅に。8:12こまち、徒歩病院往復。9:10-12:00大曲中通病院外来。秋田は曇り模様、13:30-17:00飯川病院勤務。17:00から急遽当直業務に。心臓血管外科医が緊急手術と、21:30就寝。歩行Σ11133歩。自炊進める。
清水潔著 「桶川ストーカー殺人事件-遺言」 新潮文庫 2004年(2)
私は事件を詳細に調査し報告する本書のようなドキュメンタリー書が好きだ。小説も読むが比較すれば少ない。
中には猟奇的な興味本位の作品もあるが、そんなのは読み進むとすぐに分かる。
社会の中で生じた多くの事件には必ず社会的な問題点があり、その分析を通じて社会に問題提起している。そこにノンフィクションの価値があるとおもう。
本書は読むだけの値があった。
重大な事件の背景には必ずと言っていいほど警察の重大な不手際があきらかになる。また、報道被害も小さくない。
今も警察の、市民を拒むかのような体質は依然として残り続けていると思わざるを得ない。未だストーカー殺人事件は後を絶たたない。警察は被害者や家族の訴えを拒むどころか、むしろ家族たちを苦境に追い込んでいることもある様だ。
警察がなぜ事件解決への動きを鈍らせたのか。暴かれた警察の闇が「事件」そのもの以上に空恐ろしい。その実態があきらかになった。
また、著者の報道によって「ストーカー規制法」が成立した。真実を追究する報道が国民にとっての利益となっている。
地方都市で起きた一つの事件が警察、マスコミ報道の歪みを浮き上がらせた。そしてその歪みがどのように生成されていったのかが筆者の地道な調査からよくわかる。警察発表があり、それを受け取り報道するだけの大手マスコミ記者、それを受け取る一般市民。警察の思惑でミスリードを誘えばいくらでも誤ったストーリーは描区ことができる。
警察の腐敗を実感できた一冊で、警察批判の書でもある。警察はある意味どんな凶悪犯よりも恐ろしい組織なのかもしれない。
警察には日々膨大な用件が持ち込まれる。本当は大変なのだと思うが、人命に係わる訴えを嗅ぎ分ける嗅覚を磨いて欲しいし、自分達の組織の置かれている立場に対して真摯になって欲しい、と願う。
著者の地道な努力と真実を嗅ぎ分ける臭覚、仲間のジャーナリストに恵まれていた事がどれだけ素晴らしいか、語るに及ばないほど価値があったことが示されている。
5/23(木)快晴 外来 飯川病院 家内手術
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、7:30プリウス飯川病院着、8;40-13:00中通外来+クリニックドック。8:30大学で手術開始、10:30終了したという。13:15飯川病院、外来入院患者対応。18:30大学病院経由帰宅。家内は全身麻酔後の経過良し。19:30夕食、休暇取っていた石井さん札幌から帰秋。21:00就寝。歩行計Σ7861歩。自炊数冊。
清水潔著 「桶川ストーカー殺人事件-遺言」 新潮文庫 2004年(1)
1999年10月の白昼、埼玉県桶川市のJR桶川駅前路上で21歳の女子大生が殺害された。この事件は当時の新聞報道で関心を持っていたが、時が経つにつれて報道も少なくなり、私の記憶も薄れていった。
数ヶ月前、他の事件のドキュメントを読んでいる中で当事件の詳細なドキュメンタリーがあることを知った。
本書の著者である雑誌記者が、警察よりも先に犯人を特定したことも驚きであったが、警察の隠蔽体質も明らかにし、かつ後に、著者の報道によってストーカー規制法が出来るきっかけになっていた。それを初めて知った。
事件前、ある男からしつこいストーカー行為を受け、殺されるかもしれないと恐怖におののく被害者が被害届を警察に訴えていたにもかかわらず放置され、本当に悲劇が起きた。あまりに酷い所轄の県警の対応だった。
本書は事件後から取材を始めた著者が、警察より先に実行犯を特定し、事件全体の構図を明らかにした。
著者はその過程で、警察の隠蔽体質をあばく。著者は桶川署の記者クラブにも属さないマイナーは会社の記者である。警察発表を無批判に垂れ流す大手マスコミの記者とは立場が違う。警察でははじめからミスリードの意図を持って記者クラブを介して発表すればいくらでも誤ったストーリーに誘導できる。警察に寄りかかった無責任報道を支えているのは、突き詰めると報道の自由、表現の自由を制限的にしか認めない警察と、物言わぬ購読者や視聴者ではないか。
事件が起きた当時、著者は写真週刊誌「Focus」の記者だつた。「Focus」は写真週刊誌の草分け的存在で1981年創刊、記事だけでなく写真を前面におし出すスタイルで芸能人や政治家のスキャンダルのスクープ写真を売り物に劇的に部数をのばした。しかしこの様な編集姿勢には批判もあり、2001年に休刊に追い込まれた。
「Focus」の記者は警察につめる記者クラブのメンバーから外されている。だから警察発表を直接聞くことも、質問することも許されていない。筆者の場合は一次情報を自らの取材によって入手する。決定的な証拠になる映像を撮影するためひそかにファインダーを覗き続けるカメラマンたちの苦労も記されている。
取材を進めていくと、事件は初めは通り魔事件とみられたが、被害者がストーカー被害に悩み、被害を警察に訴えていたことなどが明らかになつていく。
筆者は被害者が事情を打ち明けていた友人を探し出し、被害者の意思と人柄を知る。さらに両親にも会い、被害者と遺族の無念を晴らそうと執念の取材を続けることになった。一般的に事件の被害者家族は「報道被害」を被るのであるが、著者の人柄と真摯な取材姿勢で遺族の理解を得ることもできた。
真相を探つていく中で、著者の心も揺れ動いた。そのことが何度も記される。
答えのない迷路を進む不安、恐怖、いかり、意地、正義感などなど。迷いが生じたときにいつも立ち戻るのは事件の現場であり、常に胸に抱いていたのは若くして命を絶たれた被害者の思い、遺族の思いである。
5/22(水)快晴 飯川病院終日勤務
0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。8:00プリウス飯川病院出勤。本日は終日勤務。午前は各種データ整理、外来・入院患者対応。微睡、新聞チェック、そのほかデータ整理。18:45秋田大学病院経由で帰宅、入浴、19:00夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ7221歩。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10本ほど。
グリーン車 グランクラス 普通席 1-3等車(2)
かつてのグリーン車は特別豊かな人とかが乗るものというイメージがあり、私も最近までそんな目で見ていた。しかし、最近はグリーン車の客層にも変化が出てきた様に思う。
本年、4月下旬の平曰昼下がり、学会出張からの帰路、JR名古屋駅のぞみ号に乗ろうとしたところ結構混雑していて予想外にもグリーン車にも長い行列ができていた。滑り込んできたのぞみ号は指定席は完売とのことでほぽ満席と考えられた。
グリーン車も複数の車両があるが私と家内が乗車した車両は9割方の乗車率で、スーツ・ネクタイをしっかり着込んだビジネス客と思われた客に混じって、赤ん坊連れ、小・中学生の子連れの若夫婦、ラフな姿をした若い方々、若い女性のグループなど、多彩な顔ぶれで、むしろ高齢者は少なかった。
JR東海道の走るエリアは、より旺盛な経済活動があって豊かなのだろうか、グリーン車であってもほとんど普通車の雑踏とした雰囲気は変わりなかった。東北新幹線等のグリーン車は静かな雰囲気が漂っているが、それとはちょっと違うイメージである。かつての高根の花も、今では豊かになった層の乗客たちには気軽に利用できるレベルなのだろうと思う。しかし、ここまで気軽に利用されると普通車と変わりがなくなっている。
JR東海道のグリーン利用客はここ10年で4割ほど増えた、と鉄道関係の小冊子か何かに書いてあった。
私も最近、迫加料金を払つても混雑を遊けたい、座つていきたい、少しでも静かに、快適に、との気持ちが昔より高まつている。長距離侈動の時ほど車内ではくつろいで過ごしたい、と思う。
私は一人でグリーン席を利用することはまずないが、時折利用する東京・秋田間のこまちのグリーン席のメリットはその静けさにある。静けさとは、音だけではない。私は車中では必ずノイズキャンセリングヘッドフォンを着けているので走行音を含め、騒音は気にならない。私の言う静けさは客の出入りによる喧騒を含む。こまちは全車指定のために立ち席の乗客はめったにいないが、普通車だと時にそのような乗客が車両内に入ってくることもある。グリーン車ではそのような事はない。こまちの場合、車両幅が狭いためにグリーン席といえど座席間のスペースがそれほど広くなく、シートの質も普通車と大差ない。この静けさに価値がある。
さらに、3月下旬から盛岡・秋田間では車内販売もなくなった。静けさもいいがちょっと寂しい。
ここまでグリーンの利用が一般的になると、幹線新幹線などではさらにワンランク上の環境を求める声も根強くある、と言う。それに応えたのがグランクラスで、従来のグリーン車以上に広い座席や深く倒れる背もたれなど設備を充実させた。これがかつての1等車に近い雰囲気だ、と言う。
私は一度だけ函館北斗駅-盛岡間でグランクラスの経験がある。試しに乗ってみた。確かに豪華なインテリアであるが、私にとっては過剰で、むしろ落ち着けなかった。
地上では新幹線の快適さが求められているが、空の上ではやや狭苦しい座席配置のLCCが人気である。これはどうしたことだろうか??
5/21(火)終日降雨 外来 飯川病院 院長長期休暇で代行
0:45起床、夜半から久々の降雨。文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。5:20可燃ゴミ提出、7:00プリウス飯川病院着。8:40-13:00外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院。大学病院経由帰宅。19:15夕食、21:30就眠。歩数計7993歩。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し。
グリーン車 グランクラス 普通席 1-3等車(1)
列車による長距離を立って移動するのは辛い。だから長距離を移動するときは可能な限り指定券を購入する。
若かりし時、新潟-仙台間の準急「あがの」で盛岡へ帰省する時、ホームで十分座れる位置で待っていたのであるが、私の前の集団が乗り込むなり次々と荷物を座席に置き占拠、後から乗り込んだ仲間が座り、私は結局は座れず4時間以上立ったまま移動したことがある。この時の集団は新潟の某有名中学の教師の一団で、明らかに社会的に見て暴挙であった。これを機に、教育者集団への私の評価は陥落した。いじめ問題などについて私の教育者への見方は厳しいが、この経験がルーツのひとつである。
私はこの年代になってやっとグリーン車に乗る機会が増えた。家内と一緒に移動する機会が相対的に増えてきたからである。若い時から家内はなぜか原則的にグリーン車を利用していた。私は貧乏性で長い間利用できなかった。
1969年、国鉄時代にグリーン車が登場し今年でちようど50年, 私はずっとグリーン車は高嶺の花、贅沢感を持っていて特別豊かな人とかが乗るものというイメージがあり、最近まで気楽には乗れなかった。・・・というか、私は普通車で十分であまり困っていなかったからである。
座席のグレードについての変遷をたどって見た。
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日本の鉄道では1872(明治5)年の開業当初から外国に倣って等級制を導入、上・中・下の3ランクに分けた。
運震は上等は下等の3倍、中等が下等の2倍と大きな差かあつた。その代わり、座席や内装も等級ごとに豪華なものであった。
呼び名は後に1-3等車に変わり、1等車の乗客は戦前は貴族や政治家、高級軍人、文化人といつたいわゆる特権階級の人たちだつた。
戦後は身分意識が薄れ、値段の格差も縮小、椅子の座り心地や冷暖房の有無など等級による差も少なくなくなった。
その後、より速く、割安略のある飛行機との競争もあり、1等車の利用は低迷、国鉄経営の厳しさも相まって3等級は2等級になり、1等車に代わつたのが追加料金を設定したグリーン車であった。だからグリーン車は昔の1等車のイメージを引き継ぎ、特別なものという意識がどこか残つた。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
私が中学の時、修学旅行は北海道であったが、出発はひどい座席の3等車であったが、帰路は2等車であった。話すたびに驚かれるが、この間に3等車が廃止になった。3等車が2等車になっただけで実質は何も変わらなかった。
鉄道の歴史の小さな節目に遭遇しただけ。でもいい思い出になっている。
5/20(月)快晴風強し 健康クリニック 飯川病院
0:30起床、各種データ整理。徒然。5:00畑に散水。7:10バス飯川病院着。新聞・画像処理。9:00健康クリニックドック+レ線判定。11:45飯川病院に、検食後微睡。14:00-19:00勤務。入院患者対応、読書、自炊進める。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10。19:30帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ7043歩。
親戚付き合い(3) 降って湧いた相続の話 戸籍の重要性を認識した
大型連休が明けた今月8日夜、予想だにしなかった方からの電話があった。
60年近く(?)、会っても居らず、連絡も取り合っていなかった母方の従兄弟からであった。
私の母は1978(昭和53)年64歳で死去した。
それまで細々と続いていた母方の姻戚関係の方々との付き合いは、それほど間合いをおかず自然に消滅した。父方の姻戚関係との付き合いは私にとってはどんよりと重かったが、母方のそれは肩もはらない間柄で、年齢も近い遊び相手も何人かいて、私はどちらかといえば好きであった。
母の死を機会に付き合いが消滅したということは、我が家における母親の地位を間接的に表していた、と言えよう。
電話の主は私より若干年長であったが、歳が近く私が中学生の頃までは互いに行き来していた。特に中学3年の頃、当時居住していた静岡県某市を訪問したときのことは今でも明瞭に思いだす。当時、祖母も元気で、観光地として隆盛を極めていた熱海にも連れて行ってくれた。岩手のど田舎育ちの私にとっては、あたかも竜宮城にでも行ったような、夢の世界がそこにあった。また、台風がきて側の川が氾濫し住宅の玄関先まで冠水した記憶も鮮明である。
突然の電話の用件は何なのか、と訝りながらも、電話口で直ぐに打ち解け会うことができた。互いにまだ生きていることを互いに喜び合った。
用件に関しては相続に関連する内容であることは理解したが、先方の家族関係も不明な中で電話口で理解するのは到底無理で、従兄弟は後日秋田を訪問したいという。5月11日を約したが、直前、私は急に体調不良に陥り、到底迎えできる状況になく13日に延期した。
秋田駅に迎えたが、私の記憶にある中学生の頃の容貌は完全に消失していた。これは当たり前のこと、お互い様であるが、何となく亡き実兄の容貌の面影を備えていたから血縁者の絆が感じられた。
自宅で3時間ほど歓談した。
来訪用件は、昨年死去した母の妹叔母の遺産相続の件であった。生涯独身で過ごした叔母の死去にあたって、詳細不明の同胞もいて解析に難渋したようであるが、本来の相続人が次々と死去し、最終的には私を含む5人に絞られた、という。ここまで詰めて戸籍を明らかにした従兄弟の熱意には敬服した。相続以前の問題として、家系の流れを明らかにしたいということが熱意のルーツだったと言う。
私にとっては、全く想定も出来なかった、降って湧いたような話である。
相続の件はともかくとして従来情報が少なくて理解できなかった母親の周辺の人間関係を知ることができた。これは大きい。
この件についてはすべて従兄弟に一任するという私の意向を背景に、彼はさらに内容を詰め、早急に結論を出したいとのことであった。私は了解した。
この件に関する背景を考えてみた。
被相続者の高齢化、生涯独身、生前に高齢による判断力低下、戸籍にない同胞の存在などがあった。同様に、相続者の高齢化と死去・・・・などなど。
それにしても戸籍の意義は大きい。しかも、法の前ではそれが明解でなければならない。
今回の従兄弟の訪問は、私に数々の教訓をもたらしてくれた。
5/19(日)超快晴なるも風強し 飯川病院日直
0:40起床、早朝は本読み、文献チェック、新聞処理。5:00畑庭先に散水。8:38バス飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊進めた。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ7836歩。
親戚付き合い(2) 子供の結婚で生じた新しい姻戚とのおつきあい
子供達が結婚すると新しい姻戚関係ができる。
私はこの方々とのおつきあいの方法がわからず疎遠な状態で維持してきた。
基本的には次世代の家族たちが幸せであればそれで十分であるが、常識的にはには相手方とはどう接すればいいのか?慣習としてはどんな風になっているのだろうか。私にはほとんど知識も情報もない。
長女は1997(平成9)年に、次男は2008(平成20)年に結婚した。
長女の婿殿のご両親には2013年に16年振りで、次男の嫁さんのご両親にはつい先日お会いしたから11年振りであった。
長女の場合は、ご両親は三重県在住である。互いの両親を紹介し合うということで二人が居住していた横浜で、結婚式の2ケ月ほど前にお会いし歓談した。次にお会いしたのは結婚式の当日であった。
2013年に長女が生まれた。里帰り出産であったが、私どもの事情があって比較的長く秋田で過ごさせたために、初孫に早く会いたかろうと先方のご両親を秋田にご招待した。なんと16年も経過していた。間に孫を挟んで、老人同士で会話が弾んだ。その後はお会いする機会は得られていない。
次男の嫁さんのご両親は秋田県内在住である。結納で両親を紹介し合い歓談した。次にお会いしたのは結婚式の当日。
先日、4月下旬に次男のところで地鎮祭が催され、先方のご両親も出席され、昼食会で歓談した。なんとこちらは既に11年も経過していた。
勿論、双方の方々には盆暮には常識的のあいさつとちょっとした品々の交換、賀状の交換などは、家内がいつも手配してくれていた。
長女夫婦も次男家族も頻回に我が家を訪れているのであるが、当事者の彼らからも互いの両親が面談するような機会を作るような提案はなかった。私も新時代的?考えを持つ人間であるが、子供たちはさらに現代的な考え?をそなえているらしい。
外来で私の診療補助をする看護師4人に確かめて見たところ、いずれも孫の成長に関連する行事には双方のジジババを招待している、あるいは招待していた、という。我が家の現状を話したら驚いていた。
旧態依然とした私の両親世代から受け継いだ親戚付き合いは嫌であったが、新しく生じた姻戚関係までは忌避する気持ちはなく、これでいいのかと思いながらズルズルと過ごしてきた。私の心には小さなプレッシャーとなっていたが、お会いして肩の荷が少しだけ降りた。
5/18(土)快晴 よく働いた一日
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。午前午後共に外仕事不可。クリーニング屋、水撒き、草刈り、畑園芸用品購入、網戸・ラティス等修理、固定。居間の掃除。機能性たかまる。夕方から新聞処理。読書、データ処理に。徒然更新。19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ9166歩。
親戚付き合い(1) 前世代から受け継いだしがらみからの解放
私は岩手県のど田舎で育ったが、ど田舎だけに親戚関係の縛りがとても大きかった。それに、一族は昔の貴族院議員を始め、県会議員、町長など勤めたから、一応地元の比較的名家とみなされ、その為か一族はプライドが高い集団で、結構結束もあった。私の家はそこから派生した分家であった。
常に目の前に本家の影がちらついていた。私の祖父は私が小学5年の時に死去したが、墓石の高さは本家の墓よりも低くするよう厳命された、という記憶がある。そのように、本家は常に越せない存在であった。
私は長男である兄から小学校1年の時に、今思えば半ば騙されて、家督を譲られた。経過はともあれ、そのことは感謝すれど後悔はしていない。
私は戦後育ちなので、旧態依然とした親戚関係に関しては「面倒なこと、迷惑な関係」としか捉えられず、最小限ののみにしてきた。それでも、お盆には本家を訪問し、仏壇に線香をあげるということはつい数年前にまで50年近く、欠く事なく続けてきた。その本家の主人が死亡した際に私には報せがなく、葬儀にも呼ばれなかった。その現実を見てやはり時代の流れだろうと納得し、私の気持ちに完全に整理がついた。それを機会に私は盛岡周辺の親戚全ての付き合いをやめた。
残っのは実兄のみとなったが、その兄も2015年死去した。心に残っているのは年老いた兄嫁のことで、年一回墓参りを兼ねて訪問している。
盛岡関連の親戚付き合いに関しては常にどんよりとした重さが心から離れたことはなかったが、今は100%スッキリした。実害は何も生じていない。一体何だったのか・・と呆れるだけである。
盛岡関連でひとつ残っているのは墓の問題である。私の段階でケリをつけるか、次世代に任すか、まだ決めかねている。
秋田では家内の親戚縁者との、そう濃厚ではないホットな付き合いがある。1973年、秋田に越してきたが、越してきた当初、子育ての時期には本当に世話になった。感謝にたえない。
秋田の親戚も代替わりし、徐々に関連が薄くなりつつある。これも時の流れ、時代の流れである。
今後、残っていくのは親子関係だけになっていく。
5/17(金)快晴暑い!!! 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。6:00降雨の間隙を縫って可燃ゴミ提出、7:30Tax駅に向かう。体調不良にて1列車遅らせ飯川で待機、一層厳重な対策必要。9:12こまち、9:55-12:10大曲中通病院外来、往路は時間なくTaxi、復路徒歩。13:30飯川病院ボランティア。暑い!!!19:20Taxi帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ11887歩。本日歩行積算開始後2233日目、総歩行数2113万歩、16900Kmに。
確定申告・ふるさと納税2019(2)ふるさと納税制度は問題あり
税金の納付は、教育の義務、労働の義務と並び国民の三大義務である。
ふるさと納税はこの基本的な義務を「都市の寛容と地方の感謝に支えられる連帯の税制(福井県)」などと耳当たりのいい美句のもとに汚してしまった。
神聖な納税に「遊び、ギャンブル的要素」、「カタログショッピング的発想」を付加してしまった。ふるさと納税の発想、考え方とも、最初からおかしい。ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ
総務省が過度な返礼品をに対し苦言を呈し、返礼品を寄付額の三割以下にするように通達を出した。私は返礼品はせいぜい寄付額の一割以下でいいと考えていた。ふるさと納税2017(3) 総務省は返礼品は3割以下に?? バカな結論だ
総務省が最初に警告を発してから4年、多くの自治体は昨年までに返礼品を見直したが、泉佐野市などは応じなかった。今回の措置はやむを得ない。6月からこれらの自治体に寄付しても税優遇措置は受けられなくなる。
これが、ふるさと納税の基本的姿である。これを機会に健全な姿に向かう一歩としてほしい。
ここまでこじれたのは、寄付の申し込みと返礼品選びを仲介するサイトが過度に拍車をかけた面も否めない。これらの仲介サイトの事務手数料などが寄付額の一割にもなり、税金の一部がこれらの仲介サイトに回っている、とみられる。これも正しい姿ではない。仲介サイトのあり方も健全化に向けて考える余地がある。
日本は寄付文化が育っていない。
ふるさと納税の当初は「育ってきた地方への愛着と感謝」を基本としていたように思う。私はその気持ちで岩手県の東日本大震災の復興に毎月収入の2割程度寄付をしているが、返礼品は一切ない。達増知事名で礼状が一枚届くだけである。私の寄付金は1円もムダなく利用してほしい。もし返礼品があるなら、無駄だから寄付はしない。
ふるさと納税の利用者は年々増えて300万人を超えた。2017年度は寄付額が3600億円を超えた。今は返礼品目的に納税先が選ばれている。私が「カタログショッピング的発想」と言いたくなる所以である。
今回、東京都は制度への参加を申請せず、「住民サービスのための税金を地方に回す趣旨そのものに反対する」姿勢を示した。これにも問題はあるが、当然の姿勢でもある。
ふるさと納税の適正化を探る時期が来ている。
5/16(木)快晴 外来 飯川病院
0:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:10バス飯川病院、8:45-13:00中通総合病院外来+クリニックドック判定。13:30飯川病院。院長Petで外出、そのまま橋本五郎氏を囲む会へ。18:30バス帰宅、19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ11360歩。月刊誌の自炊進める。「アイドルと病」再読。
確定申告・ふるさと納税2019(1)間違ってより多くの国税還付を受けた
毎年3月15日は確定申告の締め切り日である。
源泉徴収や年末調整などの制度は、戦費調達の狙いもあつて1940年代に導入された。今回初めて知った。
税金を納付する事、払いすぎた税金の還付を受けることは納税者の義務であり権利である。
税金は税務署に厳しくとられる、というイメージが払拭できないが、我々は子供達の教育をはじめとして、公共サービスを行政に委ねている。その費用をまかなうのが税金である。税制への関心は持たざるを得ない。知れば知るほど納税の大切さは理解できる。
確定申告が必要なのは個人の事業主が中心である。私のような給与所得者は、源泉徴収で毎月の給料から税金を自動的に天引きされている。さらに、年末調整もあるから申告は自分にとって関係ないと思う人が少なくないだろうが、実際はそうではない。
医療費の自己負担額が一定額を超えた人や、要件を満たす寄付をした人、副収入がある人などがそれにあたる。
私の場合は、大学病院時代は日雇い勤務医で給与が少額で、生活費を稼ぐために休日をアルバイトで暮らしていたから、毎年申告した。一般病院に変わってからは給与はそれなりにいただいたが、盛岡から少額の地代収入などもあって申告を欠く事ができなかった。勤務医としての後半は、市や県の医師会の役員、日本医師会での委員会活動のほか、県の委員会等でも働いたので不定の副収入があった。岩手県の復興資金を送っているから確定申告は欠かせなかった。
確定申告手続きは結構面倒であった。初期の頃は書類を揃えて北税務署に行き申告、2010年頃からは市内に設置される申告場所で手続きした。いずれも混雑し、手続きが終わるまで2-3時間も要した事がありストレスであった。
2013年からはパソコンで申告が可能になって自宅でできるようになり、利便性が大きく改善した。私は家内の分も申告している。家内の場合は高額の医療費があり、かつ寄付行為も少なくない。
申告者の7割に還付、つまり納めた税金の一部が戻ることになるらしい。
私の場合は寄付が、家内の場合は医療費と寄付で必ず還付がある。だから、パソコンでできるようになってからは申告は結構楽しみである。
私は今年の申告で計算間違いを侵した。
間違いはわかってもすでにその資料は税務署に送付済みであるので自分で訂正できなかった。政務署の方の審査を待つこととした。4月になって税務署から決定通知が送られてきた。私の間違いは見逃されたらしい。多分、数万円程度なのか?
収めるべき税金をちょろまかしたことになったが、先方の審査もあったことだから大目に見てもらうこととした。
5/15(水) 晴 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。早朝- 午前、庭の花、畑に散水.ダリア発芽確認できた5株を植えた。体力退化を感じる。11:50バス、飯川病院ボランティアに。院長外出。微睡。患者は落ち着いている。病院花壇に朝顔、ヒマワリを植え散水。19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ12250歩。書籍自炊進める。
74回目の感謝の日(2) 五感を生かして余生を生きる
私には自省すべき言動が数多くあり、今になってそれを恥じている。
そうはいっても、私以外の方々は私が過去を自省していることなど考えもしないだろうし、私のことなど記憶にも残っていないと思うが、口を開くと同じ過ちを繰り返すからなるべく他の方々との接点を持たない様にしている。
私の拠り所の一つは、他所の方を傷付けることはとても少なかっただろうことである。それだけ、人間関係には心配りをしてきた。しかし、自分では随分傷を負った。人間関係に疲れた、ということでもある。
私にとって自省すべき言動・・・はほぼ自分だけの問題である。数多く自分の過去は自分の中でも徐々に消えつつある。これはボケの効能なのだろう。
私が本当に消える日までの生き方は昨年と同じだが、以下の如くに過ごすつもりである。
(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。今年の8月からより少なくなる予定である。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、堅苦しくなく、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。まだまだ人生には深い味わいを感じる。
(5) 移動機能を維持する。
(6) 診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。 徐々に少額になりつつあるが。
(7) 終活を一層進める。
矛盾する気持ちでスッキリしない部分もあるが、家族も元気であるし、まずは良い74歳のスタート日だと思っている。
5/14(火) 74回目の感謝の日 晴れ 外来 飯川病院
1:30起床。文献他PDF化、徒然、6:00可燃ゴミ出し。7:10バス飯川病院着,8:45-12:50外来、13:10飯川病院、14:00ー18:30勤務、15:00院長大学でCT撮影、入院外来患者対応。19:15帰宅。夕食、祝いとして寿司。21:15就眠。Σ7933歩。書籍自炊進める
74回目の感謝の日(1) まだ運良く生きています 時間感覚が一層くるった
数日前にNHK第一放送でたまたま本田美奈子の歌が一曲放送された。曲名はわからなかったが、見事な歌唱力である。急にもう一度彼女の曲を集中して聴いてみたいと思った。
私のMP3データに検索をかけたところ「AVE MARIA」が一枚抽出された。2003年にリリースされた本田のソプラノ・アルバムの第1作。クラシックへの志向を強めていた頃の本田の作品。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e9/e7a48f2a465f47525030fbda84ab582e.jpg" border="0">
収録曲は以下の如く
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1 流声〜プロローグ〜 (作詞・編曲:井上鑑)
2 アヴェ・マリア (作曲:カッチーニ)?3 私のお父さん〜歌劇「ジャンニ・スキッキ」(作曲:プッチーニ)?4 タイム・トゥ・セイ・グッバイ (作詞・作曲:F・サルトリ、
5 美しい夕暮れ (作曲:ドビュッシー)?6 ヴォカリーズ (作曲:ラフマニノフ)?7 グリーンスリーブス (イングランド民謡 )
8 ジュピター〜組曲「惑星」 (作曲:ホルスト )
9 私を泣かせてください〜歌劇「リナルド」( 作曲:ヘンデル)
10 シシリエンヌ(作曲:フォーレ )
11 ニュー・シネマ・パラダイス (作曲:モリコーネ)
12 タイスの瞑想曲(作曲:マスネ )
13 アメイジング・グレイス (作詞:J・ニュートン)
14 ベラ・ノッテ〜映画「わんわん物語」 (作詞・作曲:ペギー・リー)
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このアルバムでは意識的に高音域が使われているように思える。それに対して本田の歌は全くぶれるところがなく、見事な安定感がある。彼女の夭折が今更ながら惜しまれる。
次に私の自炊データに検索をかけたところ、前田忠明著「アイドルと病」メディアファクトリー新書(2010)が検出された。本書は若くして夭折した才能豊かな8人を取り上げ、特に病気との関連を中心に記述されている。
<a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/55/51a5b9d238f5ed306b47d8248faace37.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/55/51a5b9d238f5ed306b47d8248faace37_s.jpg" border="0"></a>
本書中に収録されている人物は、夏目雅子、堀江しのぶ、テレサ・テン、本田美奈子、飯島愛、川村カオリ、大原麗子、岡田有希子の7人。いずれも、若くして夭折している。彼女たちは“死に至る病”をどんな思いで受けとめ、最期の日々を送ったのか。痛々しい記録である。
今回通読してみたが、この中では特に、急性骨髄性白血病で死亡した夏目雅子と本田美奈子の二人の闘病の記録が印象的である。両人共に抗がん剤の副作用に苦しんだ姿がとても痛々しい。にも関わらず、両人共に体調が少しでもよければ、復帰に向けての準備を病室で進めていた、という。大変な気力の持ち主だった、と感嘆する。
購入時にも読んだはずであるが、私も高齢になって、いのちに対する感受性が徐々に高まっているためか、各人の病の受け止め方について、感じるところが多々あり、今回再読して深く感銘を受けた。
5/13(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど。7:40降雨のために家内に同乗飯川病院に。9:00-11:00健康クリニックドック。11:15飯川病院。微睡。14:00-19:00勤務、入院外来患者対応。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。CDの廃棄のiTune化進める。Σ6749歩。
余生をパソコンと共に2019(8) 本田美奈子の歌唱を聴き、闘病の様子を読む
数日前にNHK第一放送でたまたま本田美奈子の歌が一曲放送された。曲名はわからなかったが、見事な歌唱力である。急にもう一度彼女の曲を集中して聴いてみたいと思った。
私のMP3データに検索をかけたところ「AVE MARIA」が一枚抽出された。2003年にリリースされた本田のソプラノ・アルバムの第1作。クラシックへの志向を強めていた頃の本田の作品。
収録曲は以下の如く
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1 流声〜プロローグ〜 (作詞・編曲:井上鑑)
2 アヴェ・マリア (作曲:カッチーニ)?3 私のお父さん〜歌劇「ジャンニ・スキッキ」(作曲:プッチーニ)?4 タイム・トゥ・セイ・グッバイ (作詞・作曲:F・サルトリ、
5 美しい夕暮れ (作曲:ドビュッシー)?6 ヴォカリーズ (作曲:ラフマニノフ)?7 グリーンスリーブス (イングランド民謡 )
8 ジュピター〜組曲「惑星」 (作曲:ホルスト )
9 私を泣かせてください〜歌劇「リナルド」( 作曲:ヘンデル)
10 シシリエンヌ(作曲:フォーレ )
?11 ニュー・シネマ・パラダイス (作曲:モリコーネ)
12 タイスの瞑想曲(作曲:マスネ )
13 アメイジング・グレイス (作詞:J・ニュートン)
14 ベラ・ノッテ〜映画「わんわん物語」 (作詞・作曲:ペギー・リー)
?――――――――――――――――――――――――――――――
このアルバムでは意識的に高音域が使われているように思える。それに対して本田の歌は全くぶれるところがなく、見事な安定感がある。彼女の夭折が今更ながら惜しまれる。
次に私の自炊データに検索をかけたところ、前田忠明著「アイドルと病」メディアファクトリー新書(2010)が検出された。本書は若くして夭折した才能豊かな8人を取り上げ、特に病気との関連を中心に記述されている。
本書中に収録されている人物は、夏目雅子、堀江しのぶ、テレサ・テン、本田美奈子、飯島愛、川村カオリ、大原麗子、岡田有希子の7人。いずれも、若くして夭折している。彼女たちは“死に至る病”をどんな思いで受けとめ、最期の日々を送ったのか。痛々しい記録である。
今回通読してみたが、この中では特に、急性骨髄性白血病で死亡した夏目雅子と本田美奈子の二人の闘病の記録が印象的である。両人共に抗がん剤の副作用に苦しんだ姿がとても痛々しい。にも関わらず、両人共に体調が少しでもよければ、復帰に向けての準備を病室で進めていた、という。大変な気力の持ち主だった、と感嘆する。
購入時にも読んだはずであるが、私も高齢になって、いのちに対する感受性が徐々に高まっているためか、各人の病の受け止め方について、感じるところが多々あり、今回再読して深く感銘を受けた。
5/12(日)快晴 次男宅の地鎮祭
1:20起床、若干腹に緊張感あり、疲れか。本読み、文献読みほか。10:00飯川病院、11:30-15:00次男宅の地鎮祭、昼食会。武田さんと10年ぶりお会いし歓談。
その後飯川病院、読書、データ入力整理中心。18:30迎えアリ帰宅、19:00夕食。21:00就眠。5048歩数。書籍自炊進める
余生をパソコンと共に2019(7) 書籍をタブレットで読む(2)
終活の次の対象としているのは書籍である。
最近もかなり書籍を購入している。10冊/月のことも珍しくない。これは止められ無い。しかし、購入した本は書籍として書架の中に並ぶことは無い。
購入した本は直ぐに裁断し、スキャナーで読み込む。私のスキャナーは5年以上前の旧式で読み取り速度は遅いが何事にも鈍くなった私にとってはちょうど良い。500ページほどの文庫本なら10分程度で読み込める。最新式の機器なら2分くらいで読み取る。
読み込んだ電子データはパソコンに保存される。必要なデータをDropboxに入れ、iPhoneとiPodに各々に入れたComicGlassというソフトを介して読み込ませればiPhoneとiPodですぐに閲覧できる。iPhoneは画面が小さいので読書にはまず用いることはない。
現在、3種のiPadが手元にある。iPad mini(64GB)、 iPad2(64GB) 、 iPad Pro(250GB)で、全2者はOSが古く、動作が若干にぶい。しかしながら私の書籍リーダーとして考えれば十分である。3機種とも長男、次男が新機種を購入するというので私に回ってきた。結果的に高くついたが、親としてはやむ得ない出費だと思っている。
自炊したデータは優に1000冊はある。検索をかければ簡単に探し出すことができる。今、次々とこれらを3種のiPadに取り込んでいる。私の書庫からは書籍は消えたが、ComicGlass内の書庫の中に整然と並んでいる。
かつては自炊したデータはパソコン画面で読んでいたが、場所と姿勢が限定される。iPadは軽いから持ち運ぶのにも便利、読む姿勢にも制約はない。
あえて問題点を上げれば、書籍をそのまま読むときに比較して字のコントラストが若干甘くなるという事だろう。これについてはスキャナーの読み取り条件をいろいろ変えて検討中である。
タブレットで読む対象としては読書としての書籍だけではない。学術雑誌、医学関連書籍も、新聞スクラップも、写真などの画像も自由に読める。
加えて言えば、決してメインではないが、その気になれば音楽も聞く事ができる。WiFiを通じてネットにも繋がる。メールも出来る。
私が蓄積してきた医学上のヒントやポイントも確認できるから、診療の脇役にもなっている。
要するに、タブレットを身近に置くと、衣食住などの生きる基本以外のことのほとんどに役に立つ。
これからの残りの時間は、パソコンと共に、末端機器としてタブレットとともに過ごす事になるだろう。
そうはいっても、私に備わっている五感を使った感受性を軽視することが無いよう、日々心掛けたいものである。
5/11(土)曇り・快晴 午前から体調不良終日
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。午前来客を迎える準備しつつ10:00畑・園芸仕事に、しかし急に上腹部痛発来、以降夕方まで苦痛に喘ぐ。来客には後日ということに。予定のダリアなど一切できず。夕方には改善、19:00軽く夕食、21:30就眠。4517歩、半日寝たきり状態だからやむなし。11:59最終こまちにて家内金沢から帰宅。書籍自炊進める
余生をパソコンと共に2019(5) 書籍をタブレットで読む(1)
私は無趣味な人間で、アルコール、タバコも嗜まず、旅行や美食にも興味がほとんどない。人付き合いも嫌。あえていえば根暗、読書、音楽鑑賞や演奏かな、と思う。
音楽に関しては、昨年、私は終活の一環として、約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをパソコンを用いてMP-3化し、数100枚あったCDの大部分は廃棄した。だから、音楽鑑賞はオーディオ装置からほぼ全てをパソコンを中心とし、関連した装置で味わっている。
パソコンから直接聞くこともあるが、多くはパソコンのデータをiPhone8、iPod touch、iPadにコピーし、Blue toothを介してノイズキャンセリングヘッドフォンで聴いている。軽薄短小的システムであるが、それなりにいい音で結構満足している。
今となって見れば、社会に出てからしばらくの間、オーディオの世界にそうのめり込んだわけではないが、ちょっとだけ浸り、いい音を追求していたのは何だったのだろうか、と思ってしまう。
次の終活の対象は書籍である。
書架を眺めて見てつくづく思うのは、私の蔵書など、次世代に残す価値のあるものはほとんどない、ということであった。
私は自分で集めたもの、愛着を持っていたものは、家族の手を含め、他人によって処分されることなどは考えるだけも嫌。転売も嫌。自分の手によって可能な限り処分したい。全てを焼却処分したいのであるが、時代柄果たせない。資源ゴミとしてリサイクルに回すことしかないのが、極めて残念である。
書籍は2011年からスキャナーを通して電子化し、処分を開始した。要するに自炊である。かなり進んだ。書架はガラガラになり、単なる棚として役立っている。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ac/2ffcdde146a6d86a3a4b0b1dbfaa4af6.jpg" border="0">
(頻用中の富士通製スキャナーとiMac27。同型にこだわって使い続けこれが3台目、累積スキャンは5万ページに及ぶ)
書籍の自炊作業を通じて、積ん読になっていた書籍にも最注目している。購入当時にあまり興味を持てずにほとんど読んでいなかった書籍、当時感銘を受けていた書籍にも大きな価値を再確認した。
終活は自分の人生の終焉を意識して、人間関係をはじめとして有形無形の財産を処分していく、どちらかというと下向きの作業であるが、私の場合はその作業を通じて新たな価値を見出し、勿体無くてそう簡単には死なれないという新たな生きる意欲が湧いてきている。
私にとっての終活は生きるエネルギーの元になっている。だから楽しい作業である。
最近もかなり書籍を購入しているが、書籍としては増えていない。購入した本は直ぐに自炊し、3種のiPadで読むのが日常となっているからである。音楽鑑賞と同じようなコースになってしまった。
5/10(金)快晴 大曲中通病院 院長不在 飯川病院勤務 iPad pro入手
1:30起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ、提出せず。7:40Taxi駅に。8:11こまち12号 9:10-12:15大曲中通病院外来、デパートで菓子購入、種苗店にネギ苗予約、13:30-19:00飯川病院勤務。19:15Taxi、通町書店経由帰宅。夕食、20:30就眠。Σ8731歩。家族からused iPad pro入手。書籍自炊進める
自分にとっての物品の価値、価格(2) TVの「なんでも鑑定団」は番組の位置付けを明確に
1994年に始まつたTV東京の「なんでも鑑定団」は看板番組の一つで、一般人や著名人が自慢のお宝を紹介し「鑑定士が本物か偽物か、鑑定額はいくらか・・・」を示す番組である。鑑定結果の提示はとても歯切れがよく、所有者の100万程度の評価額に対して「全くの偽物で、5000円」とか、その逆もあって見るものを喜ばせている。
2016年11月の放送の「なんでも鑑定団」に出品された焼き物は現存する最高峰の茶碗の一つとされる「曜変天目」の本物と鑑定された。
「曜変天目」はどんな茶碗なのか??
12-3世紀に中国で作られたとされ、製法が一切伝わつておらず、日本にある2点と中国で発見された陶片のみしかない、とされている。
TV東京は4点目が確認された、と前宣伝を流し、徳島新聞が1面で報じ、徳島県は文化財指定を視野に調査に乗り出していた。番組の中の評価額は2500万円をつけた。
放送後、真贋を巡ってかなり話題になった。一番の疑問点は評価額の低さで、「曜変天目」ならば少なくとも億単位、と考えられ、2500万円ははじめから考え難いと言うものから始まったようである。
関係者の一部の方々は放送倫理・番組向上機構(BPO)に審査要請をしたとされるが、BPOは鑑定能力はない、と却下したらしい。
TV東京は見解を問われ「鑑定は番組独自の見解で、番組制作過程は一切答えない」とし、結果的には真贋はうやむやになっているようである。
確かに、BPOでは判断のしようがないだろう。しかしながら、番組製作局の姿勢は疑問である。自ら放送倫理に対する責任放棄で、メディアとして墓穴を掘っているようなものである。最小限、番組製作自体がそのような姿勢であることを明確にすべきだろうと思う。
単純に見れば、持てる者も持てない者も、双方ともに溜飲を下げられる、嗜虐性を楽しむ番組ととらえればいいのではないだろうか。コレクターの方々は楽しみいっぱい、不安いっぱいの気持ちで見ているだろう。
私は、よその方に誇れるような価値のある物品は持ち合わせていない。贅沢品は、ましてや骨董品などには一切興味がない。全部実用品のレベルである。
5/9(木)快晴 外来 飯川病院 院長日本消化器病学会で金沢
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。7:30家内出勤に同乗、北海道に帰る石井さん駅に送り出勤。8:45-13:00外来。連休明けであるが混雑せず、されど内容で疲弊。14:00飯川病院、院長日本消化器病学会で金沢、秋銀スタッフ来訪。入院外来患者対応。19:00プリウス帰宅・夕食、21;00就眠。歩数7689歩。まだ体調正常化ならず。
わが家のゴールデンウイーク(2019) (2) 10連休、私はシルバーウイーク
(1) からの続き。
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■ 2019(令和元年)/5/1(水)天皇即位の日 曇りのち快晴 GW5日目
2019(令和元年)/5/1 天皇即位の日。9:00飯川病院採血業務3名。iPad miniデータリニューアルと習熟。夕方は録画関連の操作、データ整理。歩行、令和初日なのでご祝儀、10000歩。
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■ 5/2(木)国民の休日 快晴されどやや寒い GW6日目
午前は文献等若干処理。画像収集処理。午後は借用している畑にマルチ敷手伝う。作業コーナー用電気スタンド修理。BR diskながら視聴:「N響伝説の名演 マタチッチ指揮ブルックナーNo8」、「ギドンクレメル:Beethoven Vn con」再視聴。歩行5130歩。
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■ 5/3(金)憲法記念日 快晴 GW7日目 飯川病院日当直
飯川病院日当直。8:38バスにて出勤。9:00から翌朝まで。院内患者は落ち着いている様子。新聞切り抜き、微睡、午後は某診療所医師来訪歓談。蓄積データのバックアップ、iPad2の習熟化、Σ5249歩。
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■ 5/4(土)みどりの日 快晴 GW8日目
10:00バス帰宅。DIY店にて畑の苗購入、キウリ・ナス・トマト・ネギ。午後からそれらを植えた。本格的な畑作業開始。夕方は書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:シェーラザード3種類」味わう、「読響:シェーンベルクーーグレの歌」、夕方、観光兼ねて山形経由でF杉一家来訪。歩行計Σ8541歩
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■ 5/5(日)こどもの日 快晴温暖 GW9日目 二人急性胃腸炎??に罹患
7:00am、古い冷凍タラコを試食し、8:00強度の腹痛、しぶり腹発来。かなりひどく救急受診も考えたが午後自然に回復。午後から客人が腹痛発来、救急外来受診となった。18;00家族全員12人揃い、外で焼肉パーティ、歩行計4398歩。
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■ 5/6(月)振替休日 快晴 GW10日目最終日 飯川病院日直
8:38バスにて飯川病院、9:00-17:00日直業務、11:30F杉一家離秋。12:00検食、読書、微睡、文献チェック三昧。歩行計7894歩。
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私は10連休のうち最初の二日間は学会で名古屋で過ごした。人出が多くて閉口した。飯川病院の日当直が3回あった。
5/5の子供の日は孫5人含め家族総勢12名が集まった。まあ、家族が一緒に過ごす時間を持てたのでかった。
ただし、私はこの日は急性胃腸炎にて七転八倒状態だった。
地方紙の秋田魁新聞によると、連休中県内交通機関の利用者が軒並み増加し、観光地もにぎわつた、と言う。私は救急医療機関の混雑を懸念していたが、予想に反して目立つた混乱はなかつたようであった。
私に取っては、内容的にはシルバーウイークレベルだったけど、10日間は気持ちだけはリラックスできて良かった。
5/8(水)快晴 飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。畑に散水など、10:40バス飯川病院へ。11:00-19:50ボランティア。入院外来患者対応。文献読み中心。14:00秋銀スタッフ来訪、いつもの事務処理。20:20プリウス帰宅、夕食、21:40就寝。 歩行計6722歩。まだ体調正常化ならず。
わが家のゴールデンウイーク(2019) (1) 10連休、好天に恵まれたが・・
今年のゴールデンウイーク(GW)は、天皇退位、新天皇即位の関連で図らずも10連休となった。
この連休は昨年11月の閣議で決定された。これにより4月27日(土)-5月6日まで10連休となった。
私は50年ほど医師として働いてきたが、病気・手術の際に10日ほど現場を離れたことはあるが、休暇として10日間もの時間を得た事はない。
私は、医療関係者として10連休を半ばあきれた気持ち、批判的な気持ちで捉えていた。
天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(3)
しかし終わってみれば、懸念したような混乱はなかったようである。
私はこの10間、最初の二日間は日本内科学会で名古屋市で過ごし、飯川病院の日直1回、日当直に当たった。それでも開放感があった。
今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。
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■ 4/27(土)名古屋快晴風強し GW初日 日本内科学会総会二日目
前日夕方から日本内科学会総会に出席のために名古屋に。宿泊は名古屋ストリングスホテル。
11:00-17:30日本内科学会総会二日目出席、認定医更新手続き。
歩行計8227歩。
半日ながら勉強できた日。
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■ 4/28(日)名古屋秋田快晴 GW2日目 日本内科学会総会三日目
日本内科学会三日目は有効に出席できないのでキャンセル。13:12こだま、こまちにて19:15帰秋。
歩行計8837歩。
名古屋駅、東京駅はまっすぐ歩けないほどの混雑。田舎者には辛い。
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■ 4/29(月)昭和の日 快晴 GW3日目
午前は録音データ整理など。
午後は微睡、この間不明の上腹部痛あり、熱感も。自転車整備、録画データ処理。
歩行数6030歩。
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■ 4/30(火)国民の休日 GW4日目 平成最終日 秋日小雨模様 飯川病院日当直
今上天皇退位の日。平成最終日。終日ラジオでその雰囲気味わう。
飯川病院日当直、午前はデータ整理。午後はレセプトチェック。入院患者対応、
歩行数Σ5563歩。
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5/7(火) 晴れ 外来 飯川病院
1:00起床,文献チェック、随想読みほか。5:00可燃ごみ提出、45L 二袋。畑に散水。7;10バス飯川病院着。 8:45-13:45外来、連休明けで混雑、疲弊。14:00-19:00飯川病院勤務、外来入院対応、帰宅、19:10夕食、21;00就眠。歩行計9411歩。まだ体調正常化ならず。
私はまだ医師として通用するのか?(9) 医師が、学生が患者を症例というのに違和感
医師が患者のことを示すのに患者というのが一般的であるが、時に症例という言葉を使うことがある。
数種の日本語辞典で「症例」を引いてみても「症例とは病気やけがの症状のこと」とあり、患者の呼び方の一つであることは示されていない。しかし、我々医療人は、特定の患者を示す時に症例と称することがある。
私は患者というべき時に、あるいは書くべき時に症例と表現された時に大きな違和感を持つ。
どういう時に症例と言われるのかと言うと、
第一は、病院と卒業間近の学生の研修マッチングの面接の時である。私が現役の時には研修を希望してきた学生全員と面談したが、その時に「どのような理由で当院での研修を希望するのか?」と質問する。それに対して10人中10人が「たくさんの症例を経験できるから・・、指導体制もしっかりしているから・・」とワンパターンで答えてくる。おそらく、研修マッチングのマニュアルにそのようにガイドされているからであろう。学生たち面接時の手法をかなり勉強している、と思う。
第二は、かなりのベテラン医師が医師としての過去を振り返るようなエッセイ等の中で使われている。散見される。
私は一般的に患者を呼称する時は患者というべきだし、特別な状況にある特定の患者を示す時は症例と称するのがいいと思う。
医療界の中で重要な位置付けなのは患者の病態の検討会や症例報告である。
症例報告は、患者の病態を記録することにおいて、最も古くから存在する。臨床診療から得られた新しい知識を普及させるための重要な手段である。
医師は、周知のものとは異なる症状、すでに知られてい無いような疾病の合併症、治療に対する異常な副作用や有害反応、あるいはよくある症状に対する新しい対処法など、従来とは異なる反応を示した患者の事例に遭遇する。これは医師としてストレスである一方、大きな喜びでもある。
私も症例報告は頻回に論文にしたが、溶血性貧血の分野で「The first case in japan」と冠した希な病態の症例報告を2件することができた。
このような意味で、特別な患者を呼称する際には私も症例を使う。それ以外の時は患者である。
患者を症例と安易に呼ぶのは上から目線的である。ましてやこれから実地研修で患者から教わらなければならない未経験の医師の卵にとっては「診察させていただく」という謙虚さが必要である。特別な目的を持って特別な患者を示す場合は使ってよかろう。少なくとも「症例をたくさん経験できるから・・」という表現は正しく無い。「患者をたくさん経験できるから・・」ならまだいい。
最近ベテラン医師のエッセイの中に症例という言葉が頻回に使われているを見て、かつて考えていたことを思い出した。
5/6(月)振替休日 快晴 GW10日目最終日 飯川病院日直
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。8:38バスにて飯川病院、9:00-17:00日直業務、11:30F杉一家離秋。12:00検食、読書、微睡、文献チェック三昧。19:00帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計7894歩。書籍自炊進める
私はまだ医師として通用するのか?(8) 家族の受診を機に救急医療について考えた
私が5月5日、食品に当たって急性胃腸炎で苦しんでいるときに、家族の別の一人(40代男性)も同様に腹痛に悩んでいた。
私の症状から遅れること6時間、朝から食欲減退はあったらしいが、14:00頃から上腹部痛が発来、様子を見ていたが徐々に増悪し、夕方には耐え難いほどになったということで、夜になって家内が付き添って市内の総合病院の救急外来を受診した。
急性胃腸炎、急性膵炎??などとも思ったが、この方は前日夜、子供を連れて寿司を食べに行っている。アニサキスか??とも思ったが私も不調であったので深くは関与しなかった。少なくとも私が食事に同行しなくてよかった。家族内で同一食品を摂り腹痛が発生した場合は感染性食中毒も否定できなくなり、ことは複雑になるからである。
救急受診から帰宅したのは翌朝2:00am頃、帰宅まで6時間を要している。疼痛は3本目の鎮痛剤が効いて改善し帰宅となった。原因に関しては明快な説明はなかった、という。
この間、採血検査、腹部CT検査、さらにもう一度造影腹部CT検査が行なわれている。腹部CT検査が2回も続けて行なわれているということは救急担当医がそれなりの危機感を持って、重症疾患を念頭に、診療していたことを示す。疼痛の激しさからは膵炎とか、大動脈解離も考えたであろうから当然の対応と評価する。
この間、一般的なアセトアミノフェン鎮痛剤、次いで鎮痙鎮痛剤が使用されているが約5時間ほどは症状が緩和せず疼痛に苦しんだという。問題はこの間、患者の症状の様子などを確かめに医師も看護師も患者の元を2時間近くも訪問しなかったことにある。
鎮痛剤を用いたならその効果は時間をおかずに確認されるべきである。鎮痛剤の効果が乏しいことも診断の助けになるからである。
最終的には3本目として投与されたオピオイド鎮痛薬(非麻薬)で症状は寛解した。
私のような老年医師が救急医療に関して現役の医師達をさしおいて指導出来ることは何もない。?ただ、私の感覚では救急担当医として最も大事なのは、来院した患者のトリアージである。超緊急状態にあるのか、緊急状態なのか、非緊急状態なのか、救急時間帯の対症療法だけで帰宅させて良いのか、の判断で、まず患者をみて大凡の見当をつけることである。具体的病名などは疑いとして寄せておき、その後に考えればいい。
今回の家族の受診に関して感じた問題点は、鎮痛剤が投与されているにも関わらず、その効果を確かめずに数時間疼痛を我慢させた状況においたことにあろう。
一般的には、医師の立場では原因究明が優先し、患者の立場では症状の寛解が優先する。この両者のお折り合いをつけるのが担当医師の務めであろう。
? 老医の立場では、救急診療では患者の症状を緩和することが第一だ、と考える。判明した検査結果などは逐次説明することも欠かせない。
5/5(日)こどもの日 快晴温暖 GW9日目 二人急性胃腸炎??に罹患
1:00起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00、いつから冷凍されていたのかわからない古いタラコを焼いたのを試食した。私の判断ではOKであったが8:00強度の腹痛発来。午後自然に回復。午後から客人が腹痛発来。BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分視聴。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計4398歩。18;00家族全員11人揃い、外で焼肉、私は体調考え不参加。
激しい急性胃腸炎で、私の「食あたりはしない」との自信が崩壊した
昨日、夕方に我が家の周辺、我が家の中にも変な匂いが充満していた。
結構強烈な匂いで、腐ったような、焦げたような、かつ何となく美味そうとも感じられる、表現が困難な匂いである。単純な私は、近隣の農家の方が畑に肥料でも撒いたのではないかと、さほど気にしていなかった。
この匂いは夕食の頃にはほとんど消失した。
実はこの匂いの元は我が家のオーブンから発していたことが翌日になってから判明した。
私は6:00am前に軽く朝食をとる。5日は休日でのんびりしていた。7:00am頃に賄いの石井さんが焼き「たらこ」のブロックを持ってきて「いつからあるかわからない古い古い古い「たらこ」が冷凍庫の隅から見つかって、一応焼いてみたんだけど食べてみる??」と持ってきた。
私は食品が廃棄されることを極端に嫌う。早速、一切れを口に入れて味をみたが、古さは感じられたが、異様な味はほとんどなかった。私が責任を持って食べるから取っておいて、と告げた。
ところが、8:00am頃から上腹部痛が発来し、急速に耐え難いほどに増悪した。急性膵炎??腸閉塞か??などとも思ったが、その後、しぶり腹状態となり、数回トイレに駆け込んだ。ここまでくれば食中毒が濃厚となる。しかも私だけ、ということは焼き「たらこ」に原因があった、と推定できた。
確かめてみると昨日の強烈な匂いはこの「たらこ」を焼いたときに出たものだったという。先に焼いた新しい「たらこ」では殆ど匂いはしなかった、らしい。賄いの石井さんはもともと嗅覚が弱い他に、風邪をひいており一層匂いを感じない状態だった、らしい。
試食してからそれほど時間が経っていないうちに症状が出たことから、感染型胃腸炎ではなく、毒素型だったのであろう。
それにしても腹痛は強烈であった。全身的に冷や汗が吹き出し、心臓は早鐘のごとくうち、立ち上がると顔から汗が滴り落ち、めまいがした。一時的に血圧等が下がっていたのであろう。さらに増悪すれば救急車要請か??とも考えたが、正午頃から状況の改善が見られ、夕方には殆ど問題ないほどまでに回復し、ことなきを得た。
夕方から我が家恒例の焼肉ガーデンパーテイが行われたが、今回は参加しなかった。
私は基本的に胃腸が丈夫なのだろう。期限切れの食材、多少不安を感じるような食材は一気に私が引き受けて消費している。食品廃棄はしたくない・・・の一心である。
それで50年以上もやってきた。今までは今回のごとくのトラブルは生じたこともなかった。ちょっと今回は無理した。本心では怪しいと思ったのであるが、「ここぞ私の能力を試すべきチャンス」、とチャレンジしたのが悪かった。
、
今回の経験を参考にしながら、・・・考えようによっては危なかったのであるが・・・今後も個人的に食品廃棄低減運動を続けていく。
5/4(土)みどりの日 快晴 GW8日目
1:20飯川病院で起床。早朝読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理など。10:00バスにて帰宅。一休み後、DIY店にて畑の苗購入、キウリ・ナス・トマト・ネギ。午後からそれらを植えた。本格的な畑作業開始、というところ。夕方は微睡の後、書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:シェーラザード3種類味わう」、「読響:シェーンベルクーーグレの歌」、夕方、観光兼ねて山形経由で舩杉一家来訪。歩行計Σ8541歩
四季2019(6) 庭先の花(2) みどりの日の朝の様子
わが家の木々は、毎週次々と最盛期を迎える。今週になってから「ハナカイドウ」、「ライラック」、「ドウダンツツジ」、「りんご」、「シャクナゲ」が満開となり、一気に華やかになった。次の開花候補として「フジ」が待っている。咲けばきれいだろう。
なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??少なくとも人間のためではなかろう。昆虫にも美的感覚があり、それで引き寄せられるのか??私の疑問は1-2週間では解けない。
「椿」:2週間前よりいっそうきれいになった。
「ハナカイドウ」、
「タンポポ」
「ライラック」、
「ドウダンツツジ」、
「りんご」
「シャクナゲ」
「フジ」:白いフジ。まだ咲き始め。
5/3(金)憲法記念日 快晴 GW7日目 飯川病院日当直
0:30起床、文献読み。データ整理。5:00可燃ごみ提出。秋田市から委託された業者の方々ご苦労様。飯川病院日当直。8:38バスにて出勤。9:00から翌朝まで。院内患者は落ち着いている様子。新聞切り抜き、微睡、11:55検食、午後は蓄積データのバックアップ、iPad利用の習熟化、17:55検食夕食。21:00就寝。Σ5249歩。
憲法記念日 私の考えは昨年から進展していない
我が国の憲法は制定後73年経過しているが、世界的にも平和憲法して評価が高い。
平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、憲法に平和主義条項を盛り込む事は世界の常識で、 8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。ただ、具体的にそれぞれを調べて知っているわけではない。
この73年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が若干ながら盛んになる。
憲法9条で戦争放棄が謳われている。
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憲法9条は、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
?2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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実に立派な条項だと思う。
しかしながら、戦後平和が守られてきたのはにこの平和憲法があったためではない。世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係など、がそうさせてきた。さらに、わが国も情勢に対応しながら自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、軍拡を進めてきた。いろいろな評価方法はあると考えられるが、我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?
憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者の安部首相の支持率低下がある。
平和の維持は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。
安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向である。
これは正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。
改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。私はそう思っている。
9条を改正することによってごまかしのない形になる。
戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「座して死を待て」、ということだろう。
戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。憲法作成当時としては価値ある考え方であっただろう。
有事の際に日本としてどう対応すべきかについてもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。
こんな状態で憲法改正を提起されては困る。これが私の現時点での感覚である。
5/2(木)国民の休日 快晴されどやや寒い GW6日目
1:00起床。文献等若干処理。画像収集処理。午後、借用している畑にマルチ敷手伝う。作業コーナー電気スタンド修理。BR diskながら視聴:「N響伝説の名演 マタチッチ指揮ブルックナーNo8」、「ギドンクレメル:Beethoven Vn con」。風邪気味か??19:00夕食。21:20就寝、歩行5130歩。
前天皇陛下退位を心から喜び、新天皇即位を祝いたい(2) 男性害・老害の社会を是正すべし
今回、皇位の引き継ぎの行事は全て新聞、ラジオを通じてフォローしている。しめやかに代替わりした。TV映像に関してはのちにまとめのドキュメント作られるであろうからそれを楽しみにしている。
新聞を見る限りにおいては、日本の皇室関連、及びその行事は時代遅れの旧体制、男性社会、老人社会の状況であり、不快に思った。言葉がふさわしくないだろうが、男性害・老害の社会である。
皇位継承の行事に際して女性の姿はほとんど見えなかった。
今回の皇位継承を機に一気に皇室問題に関心が高まったので新しい皇室観が生まれてくると考えられる。さらに広げて男女平等社会について検討を一層深める、いまがその機会である。
天皇の皇位継承権は、従来の男性天皇にこだわれば皇嗣の秋篠宮、その長男である悠仁さんの二人しかいない。いろいろな可能性がありうるが、このままでは天皇家が消滅してしまう可能性がある。
女性女系天皇に関する検討はなかったわけではない。
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■2005年小泉純一郎首相が設置した皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇、女系天皇に皇位継承を認める報告書をまとめた。だか 秋篠宮ご夫妻に男子悠仁さんが生まれ皇室典範改正の機運は急速にしぽんだ。
■2012年民主党の野田総理は皇室制度に関する有識者会議を立ち上げた。愛子さん、真子さん、佳子さんの3人が、結婚後も皇族の地位にとどまる女性宮家創設の足非が主な諭点だつた。
■自民党が政権に復帰し、男系男子の皇位継承の伝統に固執する安倍内閣の発足で議論は消えになつた。天皇退位特例法の付帯決議に盛り込まれた女性宮家ら創設を含む安定的な皇位継承の方策についても本格的な議諭は始まっていない。
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議論を疎んじ、都合の悪い話から逃げる。そんな姿勢がここにもあらわれている。
ここに至って問題になっている少子高齢化、労働力不足は識者によっては半世紀も前から予測されていたが、我が国の為政者は真摯に受け止める力量がなかった。対策が後手となりもはや再生不能状態に陥った。
私は皇位継承について早急に対策を練らなければ同じ轍を減る可能性がある、と思う。
私は単純に女系・女性天皇の存在を認めたい。生物学的にみれば差が殆ど無いし、人間社会が男女の共存で成り立っている。心身的に機能の差はあるが、生物として存在し続ける特質であって、ネガティブの差別を生む元になるのではない。にもかかわらず、男性社会が女性の地位を抑制してきた。
今こそ真に男女問題を考えるべきである。
2019(令和元年)/5/1(水)天皇即位の日 曇りのち快晴 GW5日目
2019(令和元年)/5/1 天皇即位の日。2:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。データ関連処理進む。9:00採血業務3名。9:30-10:00秋田駅往復、札幌までの指定席確保。11:00レガシー、書店経由で帰宅。iPad miniデータリニューアル。習熟。夕方は録画関連の操作、データ整理。自炊方針変更。19:00夕食。21:00就眠。歩行、令和初日なのでご祝儀、200歩足して計10000歩に調整した。
前天皇陛下退位を心から喜び、新天皇即位を祝いたい(1)
前天皇陛下は昨日で退位され、本日から新天皇が即位された。
退位後、天皇陛下は上皇、皇后は上皇后となり一切の公務から退く。皇太子妃が新しい皇后に、秋篠宮が次の皇位継承者である皇嗣になる。
私は、我が国の皇室制度に一定の意義と役割を認めているが、それほど強く興味とか関心を持っているわけではなかった。
ただ、高齢者医療を担っている立場として、高齢となった天皇の退位については感心はあった。とても大変な状態だろうと推察していた。
それが、2016年8月に天皇陛下が退位の章向をにじませるヴィデオメッセージを公表した。2012年に心臓のバイパス手術を受けられ、行事の所作を間違うことも目立つようになられた、とされ、高齢になり、憲法が定める象徴としての務めを全身全霊で果たすことが今後難しくなる、と訴えられた。いわゆる生前退位の意向の打診表明であった。
明治時代に作られた皇室の法律、旧皇室典範には天皇は終身在位と定め、逝去した時だけ代善わりすると決められていた。この法律にそつて大正、昭和の天皇は前天皇の逝去にともなつて即位し、喪に服しながらながらの代替わりであった。
戦後に作られた新しい皇室典範も規定は同じで、本来は上皇になられた陛下も存命中に退位はできないはずだつた。
政府関係者、皇室関係者が前天皇をここまで追い込んでいたと言うのは驚きであった。私はてっきり水面下では生前退位のことは検討されているものと思っていた。それが全くなかったらしい。高齢者を支える医師の立場から見ても信じ難いことであった。
その後、政府が検討を始め、今回一代に限つて退位を認める特別な法律が17年6月につくられた。退位は江戸時代後期の光格天皇以来202年ぶり。
元号も令和に変った。
1979年に元号法に「皇位の継承があった場合にのみ改める」と定めている。新天皇が即位した本日午前0時から令和の時代が始まった。
天皇はやっと退位された、私は心から喜びたいと思う。
しかも、昭和天皇が逝去して世代交代した前回とは全く雰囲気が違う。前天皇は昭和天皇の逝去にともなつて即位し、喪に服しながらながらの代替わりであった。それはそれなりに悪くない雰囲気でもあったが、今回は祝賀ムードの中でことが進められた。
メディアは騒ぎすぎだと思ったが、私は今回のほうがいいと思う。一代限りの枠を外して新しい伝統文化にしていくのががいいと思っている。
今回の退位に際して、皇室に対するニュースが満ち溢れ、皇室、天皇制度に対する関心も高まったと思う。朝日新聞の調査では皇室に関する親しみの気持ちを抱いているとの意見は76%にも及んでいる。
私は可及的早期に退位を、と思っていたが、色々曲折して昨日までかかってしまった。無事迎えられた今回の退位を心から喜んでいる。
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年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |