徒然日記
2019年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/28(木)曇り晴れ 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床。文献・データ整理、読書。6:47バス飯川病院。8:45-13:00中通病院外来+ドック結果判定。13:45-18:30飯川病院、入院患者対応。19:00バス帰宅、19:15夕食、21:15就寝。ラジオ深夜便数編聴く。Σ9760歩。

神谷美恵子著 生きがいについて 単行本 2004年 みすず書房
 神谷美恵子氏(1914-1979年)は、英文学から、医学へ、さらには精神医学から病跡学へ、自らの信じる道を貫いた。
 瀬戸内海に浮かぶ長島愛生園の初代精神科医長としてハンセン病の患者さんとの出会いや交流の実践と思索の日々を通じて、人間として、日常を生き抜く生活者としての側面から、生きる苦悩を解き明かしていく。
 氏は、そのすべてを「書くこと」で表現しようとした。
 病めるものに寄せる思いと実践のなかから紡ぎ出された言葉の数々は心にしみる。
 
 ハンセン病の患者たちと接するなかで、「同じ条件の中に居てもある人は生きがいが感じられなくて悩み、ある人は生きる喜びに溢れている。この違いはどこから来るのか。性格の問題だとか、育った環境とか心の持ちかたの違いだとか。こんな疑問を心に抱くようになったことが、本書の出発点となり、7年がかりで執筆した。
 そして、神谷氏の結論として、「ある人にとって何が生きがいになりうるかという問いに対しては、出来合いの答などはひとつもない」、と述べ、人間、言葉、自然との交流を通じ、大いなるものの声を聞き、「生きがい」と出会う様になるのだ、と言う。

 ドイツの哲学者V.E.フランクルはアウシュビッツで極限状態に置かれたが生還できた。置かれた立場の厳しさは比較のしようがないが、生きる苦しみの側にいたという観点では共通なテーマを扱っている。
 二人とも著作を「自分の」作だとは思っていない。「同志=患者=収容者」たちに学び、教えられ、一緒になってできあがった、と考えている。

 「生きがい」が失われた時には待つことが必要であり、この間はただ謙虚に寄り添うだけでいい。言葉はいらないかもしれない。なぐさめる為には言葉よりも沈黙のほうが勝っている場合もある。
 ひとたび生きがいを失ったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか??それは「待つこと・・」だ、と説く。
 神谷氏はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。

 「らいの収容所」の人たちもそれぞれ「生きがい」を持って野菜作り、文芸活動、音楽活動や、詩などの創作活動の力強い活動の数々を行なっている。どんなに疎外されても、「生きがい」を持つことは出来るし、重要なことだ、と改めて確認した。
 全てが発達した現代にあっても、人はかつての人々と同じ悩みで日々を生きている。つまり、この人間の内面についての諸問題は、どんなに技術や文明が発達しても、決して他人や他物から解答を得られる問題ではないということなのではないか。 この本にも、手っ取り早く生きがいを見つけて楽しく生きるための方法は書かれていない。

 巻末に添えられた「『生きがいについて』執筆日記」には、著者のこんな言葉が残されている。
 ■「どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、そんな文字で私の本は書きたい」。
 ■「体験からにじみ出た思想、生活と密着した思想が重要。しかもその思想を結晶の形でとり出すことが重要」。
 ■「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!!」。

 氏が心血をそそいで書き記した数々の言葉は、半世紀経ったいまでも古びるどころかいっそう光を増して、際限のないなやみと苦しみの中にいる人びとの、生きがいへの歩みを照らしている。

 ここで語られている長島愛生園の人々をそっくり「高齢者」と読み替えても著者の問題意識は少しも損なわれない。それどころか高齢者の生きがい論として、今日大きな意味を持つのではないか。そんな切り口で繰り返し読みたい名著である。


2/27(水)晴れ・曇り 飯川病院ボランティア ?
1:00 起床。文献・新聞チェック。午前は音楽録画のインデックス作り、N響定期公演関連は2018年分終了。12:07バスにて飯川病院、夕方までボランティア、入院患者の病状説明。書籍データ整理。18:30バス帰宅、19:10夕食、21:30就眠。Σ7374歩。約半年家出していたネコの「シマジ」捕獲。仲良く暮らせ。

精神科医・作家 神谷美恵子氏を知る
 最近、私は外仕事がないために冬眠状態であった。時間の大部分を座学、読書等に充てることができた。
 運動不足が気になるが、さりとて本を離すことができない。

 たまたま3週間ほど前に、他の本を介して精神科医・作家の神谷美恵子氏の存在を知った。

 早速、氏を知るために、まずは生前の神谷氏とも交流を持っていた津田塾大学教授の江尻美穂子著「神谷美恵子」清水書院1995、を購入した。本書は、らい療養所愛生園の医師として、多くのらい者を看取った神谷美恵子の生涯を描いている良書である。神谷氏の生涯のみならず、氏を育んだ家族たちのことにも触れている。

 これを介して神谷氏の生涯、医学的業績を知ることができた。また、文筆家としても有用な著作を残していることも。

 神谷氏の両親の媒酌人は新渡戸稲造である。美恵子も新渡戸から大きな影響を受けた。また、「銭形平次 捕物控」の作者野村胡堂の長男との交流があったというから、あながち岩手と全く無縁ではなかった様だ。
 父多門は内務省のエリート官僚として、外国との折衝を始めとした役職を歴任したため、一家はスイス、フランスなど頻繁に転居している。多門は東久邇宮内閣において文部大臣に抜擢され、美恵子は父の秘書としてGHQとの折衝および文書の翻訳作業などに従事した。

 1934年(昭和9年)に美恵子はオルガンの伴奏役としてハンセン病療養所施設の訪問に同行したが、ハンセン病患者の病状に強い衝撃を受けた。この時に自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした、と語っている。
 しかしながら、医学の道に進むことは周囲から反対され、1944年(昭和19年)女子医専を卒業したときには27歳になっていた。東京帝国大学精神科医局へ入局して、内村祐之教授のもとで、精神科医としての生涯を開始した。「戦時、戦後の東大病院精神科を支えた3人の医師の一人」、「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けた精神科医」、「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られるという。

 晩年の数年は十数回にわたる入退院を繰り返し、1979年(昭和54年)10月、心不全のため、65歳で死去した。

 私は医師の立場で2016年にハンセン病についても学び直したし、長島愛生園についても文献を集めて読んだが氏のことはつい最近まで知らなかった。忸怩たる思いである。
 そんな気持ちもあって、神谷氏の代表作である「生きがいについて」(2004)を購入し読んでみた。

 神谷美恵子氏の代表作は以下のごとくである。□は既読。
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□「生きがいについて」
■「人間をみつめて」
■「こころの旅」
■「遍歴」
■「本、そして人」
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 「生きがいについて」 は良書である。病むものに対して慈愛の眼差しを常に向けていたが、自身もガンを患い体調不調になったときに「私を皆さん方の仲間に入れてください」とのべている。医師と患者との関係を示す貴重なことばである。


2/ 26(火)晴れ 中通病院内科外来 飯川病院 
0:30起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:47バス飯川病院、8:45-12:30中通外来。比較的余裕。12:45飯川病院、微睡、14:00-19:15飯川病院。入院患者対応。19:30帰宅、夕食。21:00就眠。ラジオ深夜便数編聞く。Σ7132歩。

本「ママン愛人」河出書房新社 2013
 本書は急逝した佐藤亜有子氏の遺作とされる、■「ママン愛人」、■「死の花嫁」、■「蜘蛛」の3編が収録されている。
 前2作は最愛の息子、夫を共に自死で失った母と妻の立場から展開する。蜘蛛は孤独な老女の衰弱死がテーマ。6年前に病気で夫を失い、頼るものもない孤立した老女の姿が描かれる。
 前2作はアルコールの助けでやっと生きている状況であり、「蜘蛛」は孤独衰弱死を描く。
 死の影、うつ状態の影が3編の底辺に淀む。あたかもチャイコフスキーの交響曲「悲愴」の如くである。
 晩年の作というが、全編美しい文章で綴られる。

■「ママン愛人」
 16才の息子を自死で失い、夫とアルコール、向精神薬に支えられてやっと生きる大学教授の京子。
 一人息子は京子を「母とは呼ばず京子さん」と呼ぶ変わった子どもであった。16歳で自死した息子は「京子さん、いつか来て。僕は天国で待っているから・・・」と最後の手紙で綴っていた。息子の死後は、アルコール、向精神薬でやっと命を繋いでいる状況。
 教え子の一人が死んだ息子とそっくりであり、彼の姿に息子の影を重ねていくが、学生に思いを告げられた彼女は、夫に秘密で、彼と逢うようになるが行き場のない究極の恋に身も心も引き裂かれる。

 結局、自分が置かれた状況から離脱できず、抗精神薬、アルコールも過剰になって行く。結末は書かれていないが、死の匂いがする。

 この作品は筆者の幼少時からの体験がベースになり、近親相姦、息子の自死を契機にアルコール症となり人格が破綻して行く過程が語られる。筆者の自伝的作品と読み取れた。

■「死の花嫁
 「無精子症」の夫が「別な男性と家庭をつくってほしい・・」と短い遺書を残して飛び降り自死を遂げて5日目の様子から開始される。夫も本人も親戚付き合いもなく孤独な夫婦であった。
 従来、主人公はアルコールは嗜まなかったが、この日から突然に、ほとんど切れ目無くウイスキー、ワインを手にする生活となる。職も失った。
 外出はアルコール購入のためだけであり、10軒ほどある酒屋を順繰りに訪れ、異常な状態を気づかれない様配慮をして購入し続けた。
 ほとんど食事もとらず、身体は衰弱し立ち上がるのも困難な状態になった。精神的にも破綻した。
 ある夜、死んだ夫が枕元に現れ、今夜パーティがあるから迎えに来た、と告げる。主人公は正装し、夫の導きを信じて雨の中の路上に足を踏み出した。

 アルコール症となれば自分では離脱出来ない。人格が徐々に破綻して行く過程が語られる。筆者の晩年の様子を自伝的描いた、やはり自伝的作品と読み取れた。行き着く先は死である。

■「蜘蛛」
 6年前に夫を亡くした老女が主人公。食事は宅配を受けていたから外出することもなかった。老女が暮らすマンションのベランダに一匹の蜘蛛を見つけた。身近な唯一の生き物であった。老女は心の支えとして毎日霧吹きで水分だけは与えていた。
 やがて老女は衰弱死する。異変を察知した区の民生委員が警察、管理人立会いで内部に入ったら、予想していた様な異臭は無く、室内には花の様ないい香りが漂っていた。寝室には頭から足先までなにか白い繭の様な人型の物体があり触れてみると蜘蛛の糸であった。不思議なほど死の気配は無く、芳香は遺体を包むこの糸のせいと思われた。
 枕元には十円玉の大きさの蜘蛛が干からびて死んでいた。

 人は死を意識すると、死の恐怖よりもこの様なメルヘン的な考えにも陥るものなのだろう。
 この作品には医療、介護などは一切登場しない。だから成り立つメルヘンである。


2/25(月)晴れ夕方嵐 健康クリニックドック 飯川病院
0:30 起床、文献、徒然、その他。6:47バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック12名+画像12名判定。11:30飯川病院へ、微酔、15:30岩銀スタッフ来訪。19:00まで飯川勤務、19:00帰宅、夕食。20:30就寝。Σ8630歩数。BRなが視聴:「そこまで言って委員会:など」。

作家 佐藤亜有子氏を知る
 最近、私は季節柄外仕事がないために冬眠状態。座学に向けられる時間が多く、結果としてかなりの時間を読書にあてている。特に今年は降雪量が少なく除雪の作業も少ない。 
 ダリア関連の作業終了後は書斎にこもっている。新旧含め40-50冊は読んだっだろうか。運動不足が気になるが本を離すことができない。

 たまたま3週間ほど前に、他の小説を介して作家の佐藤亜有子氏の存在を知った。
 私は同郷意識はないといえば嘘であるが、学校などの同門意識はほとんどない。氏はたまたま岩手県出身で、私と同じ盛岡一高卒であった。ちょっと驚いた。

 氏に関してはあまり資料がない。Wikipediaを手がかりに孫引きとかで資料を集めた。氏は(1969年-2013年1月5日)は1989盛岡一高卒、1994東京大学文学部仏文科卒。
 東大仏文を卒業して陰鬱な小説を書いたので、大江健三郎と重ねあわせて持ち上げられた。

 1996年「ボディ・レンタル」で文藝賞優秀作に選ばれ、東大出身が書いた性愛小説として話題を呼ぶ。以後、SM純文学小説や『東京大学殺人事件』などの作品がある。
 1997年、「葡萄」で第117回芥川賞候補となった。

 2008年、5年の沈黙ののち、大学の医学系の研究者である父親から、姉と共に長期にわたる性的虐待を受けていたこと、精神を病んでいることをメインに描いた「花々の墓標」を上梓した。氏は、虐待による屈辱をバネにがんばって東京大学に合格した、と語ったことがある。

 自身のPTSDを乗り切るために性的な遍歴も繰り返した。後に夫となる人と出逢い、人生が好転するように見えたが、そうはいかず、2013年1月5日、アルコールを併用した急性薬物中毒のため東京都内の自宅にて死去。3ヶ月後の4月5日にその死が公表された。

 氏の作品は以下のごとく。□は既読作品。
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□「ボディ・レンタル」河出書房新社 1996 のち文庫
□「生贄」河出書房新社 1997 のち文庫
■「首輪」河出書房新社 1998
□「東京大學殺人事件」河出書房新社 1999 のち文庫
■「アンジュ」角川書店 2000
■「タブー」河出書房新社 2000
■「抱いて、そしてそのまま殺して」河出書房新社 2003
■「媚薬」河出書房新社 2003
■「花々の墓標」IFF出版部ヘルスワーク協会 2008
□「ママン愛人」河出書房新社 2013
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 私はまだ氏の作品は一部しか読んでいないが、これらに共通するのは「死」、「自殺企図」、「自殺」、「家族の自殺による喪失」、「アルコール性精神障害」・・・と私が興味を感じているジャンルである。氏の生い立ちから晩年の生活が表現されていると感じられ、作品に引き込まれた。作品は入手困難となっているが、求めて読んでみたいと考えている。


2/24(日)晴れ
1:00起床、早朝は文献関連。データ整理。午前は台所扉修理。昼近くまで蓄積データ整理、読書、重要録音音楽、「N響定期」の視聴、データ化など。昼NHK-TVのど自慢見る。BOZEスピーカーシステム修理、ACアダプターに主たる問題あり。16:00次男一家来襲、誕生日祝いなど。微睡、新聞PDF化。19:00夕食、21:30就眠。Σ8980歩。

日本の司法制度のあり方(3) 拘置所の環境は未決の被疑者には人権侵害??
 犯罪の嫌疑があり,逃走または罪証隠滅のおそれがある被疑者および被告人は,刑事訴訟法上の処分である勾留によりその身柄は刑事施設に収容される。この刑事施設が拘置所である。
 裁判所による有罪判決が確定し、自由の?奪を内容とする刑を執行するために受刑者を収容する施設は刑務所と呼ばれる。
 現在,拘置所は東京,名古屋,京都,大阪,神戸,広島,北九州の7都市に本所としておかれ、そのほか,106の拘置支所がおかれている。

 いま、重要な人物が小菅にある東京拘置所に収容されている。11月19日羽田空港で逮捕されたゴーン前日産会長である。あれから100日になろうとしている。

 拘置所には単独室と複数人用の共同室があるが、ゴーン前会長が人つているのは3畳ほどの単独室。室内にはトイレ、小さな机があるだけ。関係者によると、拘置所は全館空調だが、部屋ごとの冷暖房はない。廊下の空気を部屋に引き込んで循環させる仕組みとなつており、職員も寒さを感じる時があるという。法務省関係者も十分な暖かさではない、と述べる。当初、ゴーン前会長も「寒い」と話していたが、服が差し入れられた以降は寒さを訴えなくなった、と言う。

 拘置所の生活は午前7時起床、就寝は21時。
 起床中は横になることが禁じられる。急病で倒れたり死亡したりといつた異変に職員が気づけるようにするためだ、という。体調が悪くて横になりたい場合は「横臥許可」を得る必要がある。
 食事は三食。主食は米7割麦3割の混合米飯で、関係者によると前会長は食事には満足していない様子だという。
 シャワーも毎日は浴ぴられず、風呂は火、金曙日の週2回で一回15分間だけ。
  
 パソコンの使用も禁じられている。
 特捜部が捜査する事件の多くは、勾留手続きと同時に接見の制限が請求され、接見が弁護人だけに限られる。ただ、外国人の容疑者の場合は国際条約上、関係する国の領事と面会する権利がある。

 「東京拘置所」の環境は世界水準レベルだと語るが「日本の処遇は国際水準とは異なりひどい」との指摘もある。仏紙は拘置所の拘置所の個室の写真を紹介し「ゴーン氏はひどい拘置所に収容されている」と報じた。
 海外の拘置所は「自由」な処遇があるようだ。十分な資料はないが、オーストリアの拘置所にはキッチン付きの居室もあり、刃物は使えないが、自分で材料を購入して調理できる。3歳までの幼児と生活できる「母子のための居室」もある。

 拘置所の生活を記述した文献は結構あるが、最近読んだのは冤罪に問われた村木厚子氏の著書「私は負けない」 から知ることができる。

 私は罪状が未定の容疑者の勾留に関しては人権に問題があると思う。裁判で罪が確定していないうちは「推定無罪」の原則がある。捜査に必要な環境を確保するのは当然であるが、生活上の制約はもう少し緩くても良いのではないだろうか。 


2/23(土)曇り 温暖 飯川病院日直 
 0:30起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。昼近くまで蓄積データ整理、読書、重要録音音楽、「N響定期」の視聴、データ化など。12:00家内に同乗、飯川病院に午後日直。BR視聴:「そこまで言って委員会。死刑問題、天皇制などについて」。Σ5776歩のみ。

日本の司法制度のあり方(2) 真相発覚後のメディアの謝罪 県警の謝罪は??
 松本サリン事件においては犯人とされたK氏が受けた県警からの拘束時間、報道被害は甚大なものであった。

 被害者に縮瞳が有り都市ガス説ははじめから否定された。
 TVどでは各局とも、翌朝からガス中毒発生というを伝えた。
 新聞の第一報は翌日夕方、「有毒ガスで住民7人死ぬ」、「深夜の街に死の刺激臭」、「有機リン系の農薬による中毒などの見方が出ているが原囚は特定されていない」‘などの記事か並んだ。

 県警の初期捜査に過ちがあった。
 毒ガスか流れた駐車場の隣に自宅があり第一通報者となったあつたK氏に疑惑を集中し、見込み捜査を行い、事件翌日の6月28日、県警は、被疑者不詳としながらも、殺人の罪名でK氏の家に捜索を行ない、そのうえ、K氏の実名を記者会見で発表した。
 この県警の捜査の姿勢、報道は使われたガスがサリンであることが判明し、K氏が合成できないことがわかってからも執拗に続いた。1995年3月東京の地下鉄サリン事件が生じ、犯人から松本の事件も自分たちが起こしたと自白があり、K氏は逮捕直前まで追い詰められていたが、事件は急転直下に解決した。

 今から見れば長野県警の捜査ははじめから誤っていた、と言える。中間の操作姿勢も融通性を欠いていた。事件の大きさから見て、社会の及ぼす影響から見て初動捜査が間違うことはあり得たと思われるが、実現不可能との物的証拠が次々と明らかになったにも関わらずK氏に焦点を絞っていたことは反省すべきだろう。

 私は事件解決後に、警察、マスコミ各社がどう行動を起こしたか、そのことにこそ興味がある。

 被疑者は嫌疑が晴れて放免されても、失った社会的な立場、傷ついた心などはまず戻ることはない。マスコミの世論形成に及ぼす影響はとてつもなく大きいが、その責任感はとてつもなく小さいように思える。

 わが国の過去にもマスコミが国家権力に迎合した報道を行い、わが国を戦争に導くような世論形成に加担したという暗い過去がある。その過ちを自ら認め、国民に謝罪したという事実は私が調べた範囲ではないようである。

 「メディアは権力の監視役である・・」という言葉はメディア側からよく聞かれるが、警察からの発表を鵜呑みにして裏も取らず、誤った報道を通じて「自らが権力者の片棒を担いでいた・・・」、という自省の認識を持って欲しい。

 善良な市民が警察の誤った捜査とマスコミ報道によって真犯人に仕立て上げられる危険は常にある。

 折しも私は最近、「謝罪とは何か・・・」について考えていて、警察の誤認逮捕、マスコミの誤認報道についても、何故明快な謝罪がないのか疑問に思っているので、この事件は考える上で参考になった。
 実は、私も後で知ったのであるが、朝日をはじめとして中央紙は謝罪文を掲載し、日本のTV局、 NHKも謝罪したことになっているが、K氏が十分納得したのかはよく分からない。K氏は訴訟をしても良かったのではないか、と思っている。地元の新聞社は謝罪に対して頑なに抵抗したようである。

 平成8年の警察白書では松本サリン事件、オウム真理教事件を振り返った記載はあるが、松本サリン事件の初動捜査の過ちは記述されていない。長野県警の誰が、いかなる根拠で強制捜査と記者会見での発表を決定したかなどはウヤムヤにされている。組織的隠蔽があったとしか言えないように思う。


2/22(金)晴れ温暖 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミまとめのみ。7:35Taxi駅に、8:11こまち、8:55-12:00大曲中通病院外来。病院駅間は往復共徒歩。飯川病院13:45-18:30ボランティア、19:00Taxi、書店経由帰宅、19:15夕食、21:15就寝。歩数Σ14098歩。久々伸びた。

日本の司法制度のあり方(1) マスコミ報道被害について(1)
 最近、私は死刑制度について資料を集めて勉強している。遅々として進まないがその過程で色々な疑問点が浮かび上がってくる。

 まず、マスコミ報道のあり方についてである。

 嫌疑が濃厚な被疑者が逮捕された時点での報道にまず問題を感じる。
 嫌疑が濃厚であっても刑事裁判で、証拠に基づいて有罪が宣告されるまで、「被告人は無罪と推定されるべき」であるという原則がある。疑わしきは罰せずであるが、マスコミ報道は初めから犯人扱いの報道が多い。裁判で無罪が確定した後もマスコミは誤った扱いに対して謝罪する事もない。国からの謝罪もない。

 逮捕から始まって警察の調査、検察の調査と起訴不起訴の判断、裁判過程で、一般の住民がその詳細を知るのはほぼマスコミ報道を通じてである。その報道を通じて受けた印象や心象から社会的なバッシングが始まることが多い。報道を通じての社会的制裁である。

 今はどのような事件であってもほとんどリアルタイムで事件の報道がある。しかし、そのニュースは断片的であり、警察の発表をほぼ鵜呑みにした画一的内容になっている。大衆の多くはさらに情報に乏しく、マスコミ報道をそのまま受け入れてしまう。この時にメディアの報道姿勢は世論形成に大きな影響を持つ。大衆の一部は、メディアの情報を鵜呑みにして凶暴性を発揮し、被疑者やその家族たちを攻撃する。それが報道被害である。そんなことが繰り返されてきた。

 事件の代表例として松本サリン事件を上げたい。
 松本サリン事件は1994年6月に松本市の住宅街でオウム真理教の信徒が猛毒ガスのサリンをまき、8人が死亡、約600人が重軽症を負った。この事件の報道姿勢に対し高校生の目で見て納得できないとして自ら制作した長野県某高等学校放送部制作のドキュメンタリービデオ『テレビは何を伝えたか』がある。

 この事件の第一通報者であるK氏に対する「警察の強引な任意同行」と「熾烈な自白強要」と、「報道機関機関の過熱取材と誤報」については、2000年に映画『日本の黒い夏─冤罪』が作られ、2001/3月「日本の黒い夏―冤罪・松本サリン事件も出版された。K氏は夫人が瀕死の重傷を負っているにも関わらず十分な介護もできなかった。

 松本サリン事件実行には極めて専門的な知識が必要であって、第一通報者であるK氏のごとく「素人」では実行不可能であったが、長野県警は最初からK氏に焦点を絞り、確証を欠いたまま自白に追い込む警察の捜査手法が明らかになった。
 物的証拠がないまま、警察はK氏の逮捕を企図していたが、1995年3月東京の地下鉄サリン事件が生じ、犯人から松本の事件も自分たちが起こしたと自白があり、事件は一気に解決した。


2/21(木)快晴温暖 外来 飯川病院
 0:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。7:10バス飯川病院。8:40-13:10中通病院外来+ドック判定総括12名。飯川病院で微睡、14:00-18:00飯川病院勤務。入院患者対応、岩銀スタッフ来訪、文献新聞、BRながら視聴:「そこまで言って委員会:「スポーツ界不祥事」、「日韓問題、レーダー照射、徴用工問題など」。19:10帰宅、夕食、21
:30就寝。歩数計お遍路用使って再蓄積。7599歩。

老医のつぶやき2019(3) 「お医者さん」と呼ぱれたい
 医者不信、医療不信が強まる中で、医者は相変らず「お医者さん」と呼ぱれることが多い。
 私が若い時は「お医者さん」と呼ばれることは嫌いであった。

 「お」と「さん」この上もない敬称が冠されているが、そう呼ぱれても喜べなかった。巷では患者のことを「患者様」という風潮があるが、私はまずそう呼ぬことはなかった。個人を特定しないときは「患者」、個人を示す時は「患者さん」と呼ぶが、「患者さま」と呼んだことは一度もない。「お医者さま」と呼ばれるにいたつては何か下心があるのではと勘ぐり、気持ち悪い。だいたい、「患者様」から「お医者様」と呼ばれる患者医師関係なんて、私には気持ち悪くて耐えられない。

 どこからみても文句のつけようがない敬称で呼ぱれていながら何となく釈然としないのは、本心からの敬意をこめて呼ぱれているのではないことを、私自身が身にしみて感じているからだと思う。
 尊敬に値しないとわかつていながらあえて最高級の敬称を使うとそれは蔑視の意味になる。
 数々の不祥事が明らかになり何かと批判対象になりやすい官僚を嫌味を込めて「お役人さま」と呼ぶのと同じ。表面は恭順な態度をとりながら、腹の中ではバカにしている感情が見え隠れする。

 近代以前まで、洋の東西を問わず、医師の社会的地位は低かった。診断や治療が未開発で、外傷や皮膚病の対症療法がすべてで、疾病も充分治せなかった時代では、医師の医療行為よりは祈祷の方が評価されていたためであろう。当時は自然の摂理との諦観もあった。
 手を使つて治療する行為は一段と軽視され、ヨーロッパの中世では内科医はド夕夕ーと呼ばれたのに、外科医はミスターとしか呼ぱなかった。しかし近年では逆転し、特に著名な外科医はミスターという敬称で呼ばれる、らしい。

 どうして「役者、芸者、医者」がまとめてトリオとして呼ばれるようになったか、私は知らないが、三者に共通しているのは「心にもないことを言う商売」ということなのだろうか??確かに医師は言葉による指導も行うが、かつては癌の告知などは医師の保身の意味づけが強かったが、私の場合は患者が希望が持って生きられる余地を残して説明する。「嘘も方便」などと言われる所以はない。

 藪医者という言葉は子供の時は嫌だったが、今となればそう嫌いではない。最近、「藪医者」という言葉が消えた藪医者は患者と医者との対等な関係から生まれるし、「お医者さん」も同様である、敬意などいらないが親しみを込めて「お医者さん」と呼ばれるのは良い、と今は思っている。

 敬称は時代と共に変るもので、「藪井竹庵」も名医の代名詞になるかも知れない。


2/20(水)曇り 飯川病院ボランティア 職員健診
 0:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。7:10バス飯川病院。8:30職員検診、時間的にはスムーズ、心電図など忘れた。9:30飯川病院ボランティア。患者対応無し。院長受診、大学に。ラジオ深夜便数時間分聴く、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。いつものごとし。

老医のつぶやき2019(2) 傾聴を通じて自分が励まされる日々
今後、医療の中にもAIが導入されてくる、といわれている。多分そうであろう。
 医師が滅多にお目にかからないような希少な疾患の診断などにはかなり有用になろう。

 ただ、心理面ではどうなのだろうか。
 健康、健康不安について目の前の問題について、当事者が自身を高めて、唯よりもよくわかつていて、誰よりも適切な判断ができるのであれぱ、それで良い。医師なんていらなくなる。
 実際には、当事者だからこそ問題を正しく把握できず、当事者だからこそ週切な判断ができないことが次々に出てくる。それが生身の人間というもの。AI時代になっても、そんなことが続くのであろう。

 高齢者はしぶとく生き抜いてきた人生のエリートである。いろんな経験を積んでいる。それでも、今までの経験から一番よいと思うことをやつているつもりなのに、どうもいい結果が出ない。あちらを立てれぱこちらが立たない。どこかにうまく析り合いを付ける方法はないのだろうか、と悩んでいる。
 袋小路に入り込んでいると感じたとき、私のような老医の、時間にそれほど追われていない傾聴者の出番になる。

 問題を解決するためには、まず、問題そのものを客観的に見つめ直さなくてはならない。
 そこで知らない人間、知りすぎない人間が、素朴な質問を繰り出していく。当たり前だと思つていたことを「なぜ」と問われ、それについて考えることで思いこみに気づくことがある。

 新たに説明をするには、頭の中の整理が必要だ。
 やがて当事者が自分で答えを見つけていく。傾聴の価値はそこにある。傾聴するには特に決定的な答えを用意していなくても良い。

――――――――――――――――――――――――――――
 我々医師だって、自分のこととなれば心が折れるような懸案を抱えているものである。人関なら誰でもそうだ。折れない強靭な心を持つ人は、多分いない。
 周囲に弱音を吐けないこともある。たつた一人の孤独な戦いを強いられる。
 
 そんな時に、自分を励ますいちばん良い方法は「唯か他の人を励ますこと」である。
 ちょっとしたことでも良い。唯か他の人を励ませぱいい。言葉として口に出して励ましてみると、その言葉は、弱つている自分自身の心にも必ず沁みてくる。

 「頑張つてるね」、「いい感じじやないか、よくできているよ」、「疲れている?でももう少しだよ」、「・・・・」などなど。
 相手は誰でもいい。

 傾聴を通じて一番元気をもらっているのは、実は私でないか、と思う。


2/19(火)曇り時々晴 外来 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業歩行にヘッドランプまだ必要。7:10バス飯川病院、8:45-13:00中通外来。14:00-18:30飯川病院。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。

老医のつぶやき2019(1) 老医は人生を、健康を「気づかせる仕事」かな?
 私が医師になったのは1971年だからもう48年になる。半世紀にも及ぶ。改めて計算して見てその長さに驚いている。
もう十分老医である。急性期の疾患を対象にする総合病院ではお年寄りの医師は基本的に不要である。診療の機会は今後徐々に細まって行くだろう。そんな打診があった。

 学生の時に深く興味を感じ、ぜひ進みたいと思っていた血液学、免疫学などの分野を、秋田大学という環境を得て学ぶ幸運が得られた。駆け出しの医師の時には子育てと学問的研鑽が両立できた、実に幸せな環境であった。

 1985年、秋田大学を辞し秋田市内の総合病院に勤務した。なんで道を変えたのかはっきりは思えていないが、人間という不可解な存在、及び、疾病に対して、より科学的に追求しようとする方法論は、それで快方に向かうこともあり、そうでないこともあるが、そこに限界を感じたから、でなかったか?と思う。
 私の医療観には科学的であることは決して金科玉条ではなかった、ということである。

 総合病院に移ってからの医師としての仕事はとても多忙であったが、私が思う真の医療に近いものを学ぶことができた。また、病院として医師会役員としての活動の参加も命じられ、10年程度、医療行政も学ぶことができた。これまた幸せな環境であった。

 あまりにも多忙すぎたためと、体調不良も進行しつつあったことから60歳を前に道を変えようと考えたが、その機会を得るまえに偶然の経過で病院の管理を担当する事になった。私の資質から見て決して好ましい環境ではなく、一層多忙になったが、この間に経験したことは他の環境では絶対に得られなかったものであり、辛かったが実に有意義であった。

 そんなことを続けながら私はすっかり歳をとってしまった。
 私の過去の経験は自分でも法外に有意義で、他のコースでは得難いものばかりで感謝感謝・・と言わざるをえないが、2度と繰り返したいと思わない。
 だから、65歳で現役を退いてからは全てのキャリアを捨て、一介の高齢医師として過ごすことにした。

 今は老医として外来中心に、高齢患者を中心に診療を細々と過ごしている。
 意外と、いまの環境こそが、私がやっと着地できた、安らかな安住できる環境のように思えてならない。まだ嘱託医として世話になっているから考えが甘いところもある。そこから離れ、医師資格を返上すればどうなるのか?興味は尽きない。

 老医として今の私の役目は、傾聴力があることを生かした診療なのかな?と思っている。


2/18(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:00健康クリニックドック12名。秋銀に立ち寄り飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-19:20勤務、入院患者対応、19:40帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計:Σ5085歩。

日本の外交2019(7) 日露関係(2) 2島返還さえも困難になっている?
 新聞報道で見る限り、ロシア側には立場の違いを埋めて日ロ関係を正常化しようという雰囲気とは程遠い立場にあるような気がする。

 一方、安倍総理には焦りの姿勢が見られる。自らの任期や国政選挙の日程に合わせて結果を求めるような交渉をするならば、相手につけ込まれるだけで歴史に禍根を残すだろう。現に最近はロシア側が交渉のハードルをあげつつある。
 果たして総理が思うような成果が挙げられるのだろうか。
 
 1945年、日ソ中立条約に違反して対日戦争に参戦したソ連による北方領土占領は日本側が無効だ、と主張しているが、いまロシア側は、第2次大戦の結果、北方四島が正当にソ連領となったことを明確に認めるよう求めている。
 同様に、2014年のクリミア半島のロシア併合は、ロシアが自ら認めた隣国との国境を平然と踏みにじった行為である。国外のロシア系住民を守るためには自国軍の派遣も容認されるというのが、ロシアの勝手な理屈だ。

 ロシアと言う国はそんな国である。身勝手な解釈を平然と押しつけてくる。

 クリミア併合などの不法を巡ってロシアは現在米欧からの制裁を受けているが、そんな中で現在のロシアとの妥協を急げば、他国の目には、日本がクリミア併合を容認している、と映るだろう。

 安倍首相はプーチン氏に対し、2島が日本に引き渡されても米軍施設を置かない考えを伝えたとされる。だが国土の安全を守ることは我が国の主権にかかわる問題である。安易な約束をして交渉を進めるのはどうなのだろうか。

 日本を取り巻く国際環境は不透明さを増している。
 ■米国が自国第一主義に傾き、我が国との安全保障の内容は揺らぎつつある。
 ■一方、中国は軍拡を進めている。
 こんな環境だから、ロシアとの関係を安定させる意義は重要と考える。さりとて先方の出す条件を安易に受け入れてはならない。

 北方領土の返還運動の歴史。
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 ■今年は74年目となる。

 ■北方領土の返還運動が始まつたのは1945年12月のことである。連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官のマッカーサーに、国後、択捉、歯舞、色丹の4島の元住民が安心して生業に就けるようにしてほしいと要望したのが始まり。
 
 ■1956年10月の日ソ共同宣言では、両国が平和条約を結んだ後に歯舞群島と色丹島を引き渡すと明記されたが、択捉島と国後島には触れていない。共同宣言は、第2次世界大戦の日ソの戦争状を終わらせ、外交関係を回復させることが目的だつた。しかし、北方領土の問題で対立したため、共同宣言は棚上げとなつたままになっている。

 ■安倍首相はロシアのプーチン大統領と幾度も会談し、2018年11月、過去の共同宣言を基に平和条約締結交渉を加速させることで同意した。

 ■・・と、すれば、4島返還はほぼあり得ないのではなかろうか。2島返還すらも危うい。安倍首相は手玉に取られているのでは・・? そんな危惧すら持つ。


2/17(日)曇り 飯川病院日直 
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。バッテリー上がりレガシー充電かね出勤、8:30-17:30飯川病院日直。文献・本読み、書斎整理、14:00某診療所医来訪面談。17:30帰宅、情報処理、19:00夕食、21:00就寝。Blu-ray視聴:「昭和は輝いていた」シリーズに2本ほど見る。歩数計:Σ4084歩。

日本の外交2019(6) 日露関係(1) 平和条約・北方領土返還への道
 安倍氏はプーチン氏頻回に会談している。
 かねてから安倍氏は「私とプーチン大統領の手で平和条約・北方領土返還に終止符を打つ」と強調している。しかし、その姿勢が逆にロシアの強気を招いているのではないか。成果を急ぐあまり、日本と地域の平和と安定という条約の目的が置き去りになることを懸念せざるをえない。

 私は、最近の報道を見ていて安倍首相が「いつのまに4島返還から2島返還に方針が変えたのか?」と疑問を感じている。結局、北方領土4島返還はますます困難になってきているように感じる。さらに、ロシア側の主張を見ると、北方領土は2島すら返還されないのではないか、とさえ思う。

 外交の場合、交渉中に内情を明かさないのは定石だと思う。
 しかし、領土にかかわるこれほど大きな国策は首脳間交渉といえども方針を勝手に変更できる話ではない。国民に十分説明するのは当然の責務だ。

 安倍氏は昨年11月の会談で、1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速させることでプーチン氏と合意した。この宣言には、四島のうち、歯舞と色丹の二島しか書かれていない。
 交渉責任者に指名された河野外相は、「四島は日本固有の領土」としてきた政府の基本的な立場の明言を拒んでいる。これでは、日本が四島返還を断念したと思われても仕方がない状況だ。

 ロシアとの平和条約への道がこれで本当に開けるのだろうか。
 今までの経過を見ると、日本政府は過去、この問題について様々な妥協案で打開を探ってきた。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ■日本政府は戦後一貫して四島を求めてきたわけではない。1951年日本が米国など48カ国と署名したサンフランシスコ講和条約で、日本は「千島列島」を放棄した。その中には択捉と国後が含まれるというのが、条約批准を承認した国会の審議で外務省が示した解釈だった。

 ■1956年の時点でも、二島返還での決着を容認する意見が日本政府内になかったわけではない。だが、自民党は「四島返還」を党是とした。米国も「二島で妥結したら沖縄は返さない」と圧力をかけた。

 ■こうした状況の中、日本は、1951年に放棄した「千島列島」に択捉と国後は含まれていなかったという主張に転じた。その理由はわからない。

 ■ソ連末期は日本側は「四島一括返還」との要求を取り下げ、「四島の日本への帰属が確認されれば、返還の時期と態様は柔軟に対応する」との方針に転じた。

 ■ソ連崩壊後は「平和条約を結んで日ロ間の国境線を四島の北に画定できれば、島の引き渡しは別途合意できるまでは求めない」と、当時のエリツィン大統領に持ちかけた。
 この間も、日本政府は四島返還を「正義」と訴えてきた。

 ■日本が1990年代の平和条約交渉で柔軟な姿勢に転じたのは、新生ロシアが自由、民主主義、法の支配という価値観を掲げたからだ、と思われる。

 ■然し乍ら、いまロシア側は、第2次大戦の結果、北方四島が正当にソ連領となったことを明確に認めるよう求めている。これに対して、日本側は中立条約に違反して対日参戦したソ連による占領は不法で無効だ、と主張しているが、互いに相いれない考え方である。
 この点について、ロシアは歴史観から厳しい姿勢で迫ってきている。ラブロフ外相は、北方四島におけるロシアの主権をまず認めるよう求めた。「北方領土」という言葉にすら苦言を呈した。

――――――――――――――――――――――――――――――
 いま、日露問題は平行線上をウロウロしているように思われる。安倍首相の意向は空回りしている。


2/16(土)曇り寒波降雪若干 飯川病院当直医補助
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪2-4cmなるも除雪せず。それ以降、ほぼ終日データ整理、N響定期公演の記録、時折視聴しながら作せい、15;40バス飯川病院。19:00まで日直医補助留守番。録画データ試聴、「昭和は輝いていたシリーズの歌謡曲など」数本を見る。ラジオ深夜便数篇聴く、19:30帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計:Σ5550歩。

患者からの頂き物(2) 感謝の気持ちだけは大事にしたい
 患者からの金品の頂き物に関しては、かつては特別扱いを期待したような気持からであろう、より大げさなものが多かったような気がするが、時代とともに患者の権利が向上し、患者・医師関係も変わってきたからか、このような背景もなくなってミニ的になってきた。
 ただ、この話題は、贈る方も頂く方も明らかにし難いだろうから、真の実態はわからない。
 
 私の関連ではとてもミニ的で、100円ショップのキャンデイ2ケのみとか、稀にお菓子をいただく。
 共々、もう長く無い間柄である。患者を「生き仏」予備軍と考えれば、気持ち良くいただくのも供養の一つと考たい。

 変わった頂き物としては、患者が丹精込めて世話してきた庭木をいただいた。体力がなくなりもう世話できないから、「あとは先生に託します・・」と比較的大きなのを10本ばかり。これは、庭園業者にお願いし庭に移植した。
 私のために描いたと言う30号ほどの絵画、大きいし重いし、目立つから外来で受け取るわけに行かず、自宅にいただきに行った。その時ご馳走になった温かいぜんざいが美味しかった。

 いただきながら不都合とは失礼千万ではあるが、人目をはぱからず大きな派手な包みをよその患者がいるときに頂くのは、何とも辛い。

 頂き物が自宅に送られて来る場合もある。
 この場合は押したり戻したりの「やり取りの儀式」も無いから心静かに受け取る事ができる。持ち帰る手間も、人目を気にすることもなく、一番いただきやすい。自分の農場で採れた果物の場合が多いからひとしお嬉しい。

 いただいた際には、いつの場合でも、感謝の気持ちを忘れないようにしたい。私は対面で十分感謝の意思を示せなかった場合、あるいは自宅に送られてきた場合などには必ず自筆のハガキで謝意を示す。

 ある時期、マスコミの方と仕事をさせていただいたことがある。そのときの弁、「病院の先生方つて、もらい物を何とも思つていないようですね。ガンの手術で退院する時、お礼を持ち挨拶に行つて来ました。自分としては2,3回は押し問答があるものと思ったが、その先生は『あ、ども』の一言でさらりと受けとつた。すっかり肩すかしを食らいました」とのこと。

 大変耳の痛い話だつた。


2/15(金)曇り 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に。7:25Taxi飯川病院経由駅。8:11こまち、大曲は歩道なく徒歩不可。9:00-12:15大曲中通病院外来、13:45駅?飯川病院徒歩、ボランティア。14:30秋銀スタッフ来訪。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計9540歩。

患者からの頂き物(1) 嫌な「やり取りの儀式?」を私はしない

 私が勤務していた病院は患者から金品をいただくことを早くから禁じていた。私が勤務し始めた時にはその方向が決まっていた。今なら当たり前のことだろうが、当時のことと思えば、多分、先進的な試みだったであろう。先人方の慧眼に驚いたものである。

 古くて忘れてしまったが、その頃、新聞の悩みコーナーに、「お世話になった先生方にどんな物を、おいくらくらいの物を差し上げるのがいいのか?悩みます。」との投書があった。当時の患者が医師に対するお礼や心づけに悩んでいたことがわかる相談である。
 それに対しての解答者として指名されたのであろう、作家の渡辺淳一氏が、具体的に「アルコールなどの品々を2、3あげ、金額は〇〇ほど・・・」と回答をしたことがある。そのなかに、基本的に医師に対する心づけなど不要である旨を書いていなかったために、それを巡って賛否両論、様々な意見で、新聞の投書欄がこの件でしばらくもめた事がある。
 今ならさしずめツイッターとかSNS等で激しく炎上した事であろう。当時は意見交換は郵送が主でありノンビリしていた。

 確かに、当時は東京とかの大学病院などでは著名な医師の診察を受ける際などには、私から見て驚くような額の金品が用意するのがほぼ常識??とされていた。ただし、このような話には確証がない。
 さいわい、秋田ではこのような風潮はなかったように思う。ただし、これにも確証はない。確証を持って言えることは、私を含め、私の知る周辺では一切なかった、と言うことである。

 私は基本的によその方との間で金品のやりとりするのは嫌いである。私から誰かに差し上げるということは一切ない。考えようによっては礼を欠いていた、ともいえよう。面と向かってそのように指摘されたこともある。

 私的な関係者、親戚間での盆暮れのやり取りも私は完全に「no touch」状態で、家内がそれなりにやっているようである。請求書だけ私のところに来るが、私は最低年に2回金魚の目になる。目が飛び出す。

 最近は、外来で、それも稀であるが、女性の、高齢の患者からちょっとした頂き物をすることはある。菓子類が多い。それでも多少後ろめたい気がする。そんな時は「やり取りの儀式??」もせずに素直にいただく。頂くことも嫌だが、常識的に交わされるであろう、押したり戻したりの「やり取りの儀式」の方が私にとって最大のストレスだから、である。
 いただきものの多くは、気持ちだけをありがたく頂いて、周りのスタッフ達に食べていただいている。


2/14(木)曇り、晴れ 外来 飯川病院 
1:00起床。いつもの如く。降雪2-3cm,除雪なし。6:47バス飯川病院へ。8:45-13:15中通病院外来、混雑ないが時間だけかかった、疲弊。13:30-18:30飯川病院。録画データ試聴、「100分で名著シリーズ」のなかの「カミュ」、「河合隼雄」、「For teens 星の王子様」を見る。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計:5980歩数。

病気の池江選手はそっと見守ってあげよう
 競泳女子の池江璃花子選手(18)は12日、自身のツイッターなどで白血病と診断されたことを公表した。このニュースは各方面に衝撃的に伝えられ、メディアで大きく取り上げられている。
 都内で記者会見した日本水泳連盟によると、合宿中に体調不良を訴え、帰国した8日から入院、同病と診断された、という。

 池江選手はツイッターを通じ「未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすればなおる病気でもあります。今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、さら強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張つていきたいと思います」、とのコメントを発表した。

 本人の気丈なコメントが救いである。
 NHKニュースを始めメディアの取り上げ方は、今のところ好意的な視点からであるが、やはり過剰だと思う。その中にプライバシーの範囲に立ち入ろうとする視点が見え隠れする。多分、今後無責任な意見が飛び交っていくだろう。

 私は過去に、一応血液疾患の専門医として仕事をしてきたから池江選手の病状はかなり推定出来る。新聞等にも専門医がコメントを発しているが、必ずしも正しく伝えられていない。

 私はここまでの報道で十分だ、と思う。
 池江選手をそっとしてあげてほしい。池江選手にはゆったり、療養に集中してほしい。
 それが医師としての最大の願いである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
 私は親戚やお世話になった方々、或いは知人が病気され、入院した場合であっても決して見舞はしない。その方達との交わりはそこまで心を開いたものではないからである。私などに病室を訪問されたら嫌だろうと思う。

 私も膀胱頸部硬化症手術、脳梗塞、ヘルニア手術で入院を経験したが、いずれも面会謝絶扱いとした。入院している時の私の姿は普段の外ズラとは全く異質なものだから、である。


2/13(水)曇り 飯川病院ボランティア 
 0:30起床。新聞・文献などいつもの如し。積雪若干、除雪せず。院長多忙とのことで11:50バスにて病院、ボランティア。昨日の2回転倒が響いて全身の筋肉痛でそろりそろりと歩く。録画データ試聴、「100分で名著シリーズ」のなかの「V・ユゴー」「神谷美穂」「法華経」を見る。新聞、文献電子化。19:00プリウス帰宅、夕食、21:00就寝。Σ5376歩。

人口問題2019(6) 人口問題は尊厳死に似ている 
 日本の人口問題は知らぬ人は無いだろう。しかしながら、傍観的で危機意識がほとんどない。日本がやせ細っていくのをただ対策せずに見ているだけ。

 ミニ閑話休題:
 高齢者が、不治の病にて死の床にある場合、弱り果てて病人の心臓が止まるのを消極的にひたすら待つ。それを一般的には尊厳死というらしいが、日本の将来も尊厳死の道をとるのか? 私はそんな死なせ方をすることを尊厳死とは言いたくない。真に死に行くゆくの尊厳を守るなら、オット!! 私は死に行く人だからといってとってつけたような尊厳などと言う高貴な言葉を冠する必要はない。本当の尊厳は日常の生きる姿にこそある。人らしい尊厳は守られている?? コケるのを待つだけの死なせ方をすることこそ、「人間の尊厳の剥奪」である。
 人には死ぬ権利はあると思う。自分の死に方を、安楽死を含めて選択させることこそ、いわゆる尊厳死に最も近い死なせ方である。

 2016(平成27)年に発表された国勢調査によると、我が国の総人口は1億2709万人となった。5年前の調査と比べて96万2667人の減少である。100年近い国勢調査史上日本の総人口が初めて減少に転じた節目の年となった。
 全国の8割以上の自治体で人口が減少した。

 2017年に国立社会保障・人口問題研究所が発表した3パターンの人口予測を発表してたが、どのパターンを取っても人口減少は大同小異であるが、その中で「それほど積極的な対策を講じないままで様子を見る」に近い中位の推計では、2053年には日本の人口は1億を切り、2065年には8808万人になるという。これから約50年間で実に3901万人の日本人が減少することになる。

 しかも、人口減少に急速な高齢化が伴っているから問題が大きい。
 日本は既に15歳未満の人口割合は世界で最も低く、65歳以上の割合は世界で最も高い水準にあるが、これから8年後の2025年には、日本は5人に1人が75歳以上の後期高齢者が占める超高齢社会に突入する。

 これらは客観的に想定される未来図であり、感情論的な悲観論でもない。
 日本社会は、これから世界で誰も経験したことのないほどのすさまじい人口減少と高齢化を経験することになる。

 保守政権がずっと続いた。保守的社会では抜本的な変革はおこせない。抜本的な改革は得する、損する国民が双方に大勢発生するから、社会が混乱する。
 従来の延長線上で小さな改革を続けていれば社会的には安定が続く。しかし、そこには大きな落とし穴がある。将来が見えないからである。木を見て森を見ず、とはこの事も指す。

 人口減問題は日本にとって危機的問題だと思うが、語るだけで具体策は無きに等しい。国内でこれの解決策はない。もう遅い。
 保守政権がずっと続いた。保守的社会では抜本的な変革はおこせない。抜本的な改革は得する、損する国民が双方に大勢発生するから、社会が混乱する。
 従来の延長線上で小さな改革を続けていれば社会的には安定が続く。しかし、そこには大きな落とし穴がある。将来が見えないからである。木を見て森を見ず、とはこの事も指す。

 人口減問題は日本にとって危機的問題だと思うが、語るだけで具体策は無きに等しい。国内でこれの解決策はない。もう遅い。


2/12(火) 風雪寒い 外来 飯川病院 朝2回転倒
 1:00起床、文献、本読み他、降雪3-4cm。除雪迷うも行なわず。5:00可燃ゴミまとめ、提出。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来、途中病院の駐車場で2回転倒、左大腿屈側の筋過進展か?? 疼痛ひどいが関節は大丈夫らしく歩行に問題なし。13:30飯川病院。全身の筋痛、よたよたと飯川に、入院患者対応。義姉血管閉塞か?中通救急に受診させた。20:30帰宅、夕食、22:00就寝。Σ6369歩。

人口問題2019(5) 人口は日本人だけでは維持できないが、政治家は何と考えているのか?
 世界の人口学者は日本の人口減に関して「もはや手遅れ・・、日本はどうなるのだろうか!!」と固唾をのんで見守っている。
 ところが、当の日本人の意識はどうかというと、人口減、高齢化はありとあらゆる分野で等しく影響を受けるのであるが、どの分野からもその危険の指摘は乏しかった。
 人口や出生率のデータは景気などの一般の経済指標よりもはるかに信頼度が高い。もう何10年も前から日本の行く末の像が明らかになってきていたのに、政治家もほとんど積極的に取り上げて来なかった。

 政治家が正面切って人口や出生率を問題にするのは下向きの政策として言い出し難かったのは確かであろう。ましてや、外国人の助けを借りてこの難関を乗り切る発想は、特に「移民受け入れ」という言葉は禁句であったのではないだろうか。

 一方では、「現実を見ない希望的観測」が識者等から挙げられ、国民は何と無く納得しているようである。
―――――――――――――――――――――――――――-
■ 一人あたり生産性を上げれば経済は維持できる
■ AIやロボットの活用も見込める
■ 一億総活躍で、女性や高齢者も働けば大丈夫
■ 出生率が高まれば人口一億人は維持できる
■ ・・・・・などとの意見
―――――――――――――――――――――――――――-

 これは、例えが悪いが、過去に、近代的兵器を備えた米軍の本土上陸に立ち向かうために「竹槍」、「バケツリレー」をもって対抗する訓練をしていた時代錯誤の、ピントがずれた軍部の考え方に等しいレベルである。

 出生率が高まれば人口一億人は維持できるとする考え方は、「出産可能な女性が全員結婚して、2人以上の子供を持てば・・・」という夢のような理想が実現した場合に限られる。

 そういう夢のような方針を示しながら、政府は働き方改革と称して非正規労働者を増やして若者の社会的身分や経済的基盤を危うい方向にシフトし、社会保障の面では「子育て世代に薄く、高齢者層に厚い高齢者デモクラシー」と呼ばれるような状況を作り、少子化を加速してきたではないか。

 人口減に加えて高齢化は、この国が経済的活動が落ち込んで行き、国の基幹産業である製造業の競争力維持にも窮して、アジアの国々に追い越されてしまう。その結果、介護や年金などの社会基盤が立ち行かなくなる。
 東京一極集中を問題にしているうちはまだいいだろうが、そのうち東京に集中するメリットも乏しくなるから、有能者、志の高い若者は他の先進国、途上国に活路を見出すようになるだろう。悪循環ならぬ「最悪循環」が始まるかもしれない。

 日本は生き残りのために、純血主義では成り立たない。人口激減と正面から向き合い、「優秀な人を選抜して」外国人を受け入れる人材開国に踏み切らなければならない。
 そのためには、きちんとしたルールを作らなくてはならない。
 研修生や留学生のレベルで論じてはダメだと思う。


2/11(月)建国記念日 曇り寒波 
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。大雪予報に反し殆どなし。本読み、データ化などいつものごとく。家内の椅子の緩みを治す。午前から音楽データ整理3日目 、インデックス作り。19:00夕食、21:30就眠。Σ7694歩。

人口問題2019(4) 最重要課題の人口問題 その対策は誰が決めたのか??
 私たちが生きる日本。これから先、どんな未来が待っているのだろうか。

 一番の懸案事項は「人口減」、「少子高齢化」であり、世界一のキビシイ状況にある。しかし、ほとんど有効な手立てをしてこなかったから、日本は「何も対策しない純粋な標本」として、世界中の人口学者が行く末を注目している。

 今は国内の地方では産業がなく、暮らしていく手立てが乏しくなっているから若者たちは東京に集中する事でなんとかバランスを保っているが、国力が一層低下していくと国内移動だけでは生活を維持できる状況になくなる。有志ある若者の「出稼ぎ」供給国と化す??そんなことも予想されている。

 こんな先細り閉塞感に覆われる日本が、明るい未来を持つため、一大改革が必要となる。それには苦渋の選択であるが、外国人の移住を求めていく事である。

 日本人は従来の延長線上でのみ物を考える。なかなか抜本的な考え方に至らない。
■ 農耕民族である.
■ 島国であること。
■ 既に年寄り国家になっている。高齢者は自身の残された時間が乏しいだけに大きな改革を是としない。
■「高齢者デモクラシー」と言われる過保護状況

 日本の政治は従来高齢者に異常に厚かった。選挙で票が集まるから政治家の保身になってきた。それでももう限界が見え始めている。

 私は自民党の長期政権の中でつい最近まで外国人受け入れに対して消極的だったのは、
■ 過去の「日本人の移民」問題があり、
■現在日本各地で生じている外国人との共生のトラブル等が恣意的に異様に強調されている事もあるだろう。
■一体誰が決めたのか不明である。

 もう一つは少子高齢化に対しする見通しが甘かった事も原因の一つである。
■ 国会では労働統計不正問題がでもめているが、日本の為政者たちは数字に弱く、統計の見方をご存じないのでは?
■ 否、統計とまで行かなくとも「将来の人口推計」や、「出生率の推計」すら理解できなかったのではないか??
■ 社会に生じている事象を、社会の空気を読めない人たちではないか??

 その結果、
■ 2016年に日本の総人口は33万人も減。
■ 2020年代に620万人減少する、その後は、年間100万人のペースで減り、2060年には9000万人になってしまう。そんな統計がある。
■ 4割近くが65歳以上の高齢者が占める。
■ 週4000人が「孤独死」するという予測さえある。
■ 現在すでに農・漁業や小売業、サービス業、ものづくりの現場、そして介護と、あらゆる分野で人手不足の波が押し寄せてきている。
■ 日本のいたるところが、「限界集落化」のコースになっていく。


2/10(日)曇り寒波 
 1:00起床。新聞文献処理、録音データ処理、など。最近のN響定期公演録画のインデックス作成二日目。時折演奏を楽しみながらだから遅々として進まず。本日は2005年のザルツブルグ音楽祭公演「椿姫」を視聴してしまった。19:00夕食、20:30就寝。Σ7472歩。ガレージを往復しただけで殆どひきこもり状態で過ごす。

音楽鑑賞2019(2):埋もれていた中に「椿姫」を見つけた
 音楽番組は自動録画だからちょっと油断していると未視聴のまま次々と貯まる。時間を見つけては書斎で仕事を進めながら視聴しているが到底追いつかない。
 そればかりか、どんな曲が録画されているかすらもわかり難い状態に陥った。

 「N響定期公演」だけでも1805回から最近の1900回までの録画が未整理状態である。
 昨日からの3連休を使ってインデックスづくりに着手した。新発見がたくさん出そうである。苦しくも楽しみな作業になる。

 昨日、早速気付いたのであるが、2005年ザルツブルグ音楽祭の「椿姫」が録られていた。この演奏はすこぶる評価が高く、10数年経った今でも名演と話題になる。雑誌「音楽の友」でも話題になり、私も求めていたが半ば諦めていた。それがあった。

 私はオペラのうちでもVerdiの作品、その中ではとりわけ「椿姫」が好きで、レコード、CD、レーザーディスクなど10種類ほどのソフトを所持し、適宜楽しんできた。レーザーディスクはゼッフィレッリの演出、T・シュトラータスの盤が印象深いが、再生装置が入手できなくなってから10年ほど経つ。

 「椿姫」は、終始名旋律揃いで、映像がなくても十分に楽しめていた。CDではC・クライバー盤、ムーティ盤、マゼール盤を愛聴していた。

 でも、オペラは映像付きの盤が絶対に優位である。
 この奔放で悲劇のヒロインを演ずるには、歌が上手いと言うだけでは不足で、気品と美貌が備わっていなければダメ。しかも、主人公は最後は結核で死ぬから肥満体でもダメ。私は映像付きの盤は数種しか見ていないが、イメージがぴったりと合う歌い手の映像はそう多くはない。
?
 アンナ・ネトレプコが主演する「椿姫」は2005年ザルツブルグ音楽祭で上演され絶賛された舞台。
 ネトレプコのザルツブルグ・デヴュー、その演出の斬新さも注目された。

 キャストは以下の如く。
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 ■ウィーン国立歌劇場管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ■指揮:カルロ・リッツィ ■演出:ウィリー・デッカー
 ■ヴィオレッタ: アンナ・ネトレプコ ■アルフレード: ロランド・ビリャソン
 ■ジェルモン: トマス・ハンプソン
■等々・・・・多くの名手が出演している。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 舞台にはソファーと大きな時計が置かれるのみ。この時計が「刻」をあわわし、 ビオレッタの人生に残された限られた時・命をくっきりと浮かび上がらせる。この舞台上の演出も話題を呼んでいた。
 
 完成度が高い舞台の記録であった。合唱団、脇役まで含め素晴らしい出来、と思った。しかしながら、なんといってもネトレプコ、 登場は赤のワンピース、赤のハイヒール。 美声は芯のある強靭な声、しかも柔軟。時に臥位でうつ伏せに近い状況でも歌っても何も変らない。30代中頃というが、華やかな、見栄えのする美貌、年齢相応の、ほっそりとし過ぎない姿態、キビキビした動き。2幕以降の心象表現、死に向かう3幕の表現、見事だ、と思う。

 相手方のアルフレードを歌うロランド・ビリャソン。 真っ直ぐな、一途な青年を好演したが、若きカルロスゴーンを思わせる風貌がずっと引っかかった。
 トマス・ハンプソンが歌う「プロヴァンス」は聴かせた。

 この連休の前半はこの「椿姫」に救われたが、おかげでインデックス作りは思うようには進まなかった。


2/9(土)終日曇り降雪 除雪3回目
1:00起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。昨日からの積雪5cmほど、10:00-11:00除雪。微睡。新聞チェック、録音データ整理。最近のN響定期公演は1900回目を数えた。1800回まではインデックスあるもその後はなし。この3連休を用いて作成することに。歩数計Σ6801歩。19:00夕食、20:30就寝。

音楽鑑賞2019(1):すっかり変わった鑑賞法
 私は音楽が好きだ。

 昔はよく音楽会に行ったものだ。オーケストラ関連の秋田公演はほぼ全てを聴いた時期もある。カラヤン、アバド、クライバー、バーンスタイン、アイザックスターン、シノポリ等の演奏会、とりわけミラノ・スカラ座、ウイーン国立歌劇場等の東京引っ越しオペラ公演は業務を早めに切り上げ午後空路上京、22:30発の寝台特急あけぼのであたふたと帰るスケジュールで楽しんだ。
 今となれば懐かしい。

 最近はほとんど演奏会には行かなくなった。人が集まるところが嫌になったからで、かつ、狭い椅子で前席の方の頭を見ながら座っているのも嫌になった。昨年はベルリン交響楽団の能代公演一回だけだった。

 昨年春から終活を兼ねてCD廃棄の準備として全CDをMP-3化した。そのデータを聴くためにiPhoneとノイズキャンセリングヘッドフォンを更新した。iPhoneは256GBあり、MP-3データが全部収納できた。これからBlu-toothを介してワイヤレスで日常的に音楽を楽しんでいる。圧縮されたデータでありかつワイヤレスだからかなり音が劣化しているかも、と危惧していたが、実用的には十分満足できるレベルである。

 私のもう一つの財産は演奏会の録画データである。
 BS放送を直接ハードディスクに録画できるシステムを導入してから録音時間をほぼ気にすることなく録画できる。約10年ほど前から、NHKの「らららクラシック」、「N響定期公演を中心とする演奏会」、民放の「題名のない音楽会」、「読売日本交響楽団演奏会」は全て自動録画されてハードディスクに収まっている。そのほかにも放送スケジュールを見て追加的に録画しているのもあるからもう膨大なライブラリーになっている。

 自動録画だから次々と貯まる。時間を見つけては書斎で仕事をして視聴しているが到底追いつかない。どればかりかどんな曲が録画されているかすらもわからない状態に陥った。

 本日から3連休である。この時間を使って内容を掘り起こすことにした。
 作業を進めてみると貴重な演奏会が記録されていた。それらを一部聞きつつインデックス作りを始めた。
 
 大変な作業になるだろうが、新発見がたくさん出そうである。楽しみな作業になる。


2/8(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所。降雪3-4cm。7:30Taxi駅に。8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、歩行は危険、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線10分遅れ。秋田駅病院間は徒歩なるも強烈に寒い。14:30-17:40飯川病院ボランティア、外来対応。18:40Taxi帰宅、19:00夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「100分でめ名著:松本清張その2」歩数計Σ4388歩。

不祥事相次ぐ各省(2) 勤労統計調査の不正  その背景のそのまた背景
 厚労省の「毎月勤労統計」で不正な抽出が明らかになり、通常国会はこの問題で荒れ模禄である。事態が判明してから約一月になる。連日新聞報道があるが、よくわからない経過をたどっている。
 現政権のこの問題に対する解決の熱意が感じ難い。

 統計といえば、昨年には厚労省の労働時間調査でも不正が発覚した。
 裁量労働制で働く人には単なる労働時問を尋ね、一般労働者には最長の残業時間を尋ねた。質問内容が異なる調査結果を単純に比較して、「一般労働者の労働時間の方が長い」との結果を導き、安倍首相も国会で裁量労働制の意義を強調した。

 統計は、内容をよく理解しないで数値のみを額面通り受け取ると誤った解釈に導かれる。
 統計は、理屈が排除された数字によつて示されることで人の常識を麻痺させる。
 私がよく使う統計の悪しき例えとして「歯ブラシ・歯磨粉が売れるほど虫歯が増える」という論旨である。食生活の変化、歯磨きの意義を先に理解していなければ、数値だけを見ればそのように解釈せざるを得ない結果が示されることになる。

 統計の導入には母集団の均一性と数、調査内容の均一性などが先に考慮されて、統計処理に持ち込むか否かが判断されなければならない。結果のみを提示された人たちには、その統計が事前の適応をしっかり検討されたのか否かを判断することは不可能である。
 大事な統計が不適切な処理で進められた場合、それから導きされた結論は各方面に重大な影響を与える。

 今回の統計不正問題を総務省が調べたところ、56の基幹統計のうち24に不正や誤りがあつたというから驚く。

 首相は演説で、統計数字をいくつも登場させる。
 例えば、アベノミクスの評価、「児童扶養手当の増額、給付型奨学金の創設を進めた結果、ひとり親家庭の大学進学率は24%から42%に上昇した」、と述べた。
 朝日新聞の編集委員である佐藤武嗣氏はこれについて検討している。資料は5年ごとに実施している「全国ひとり親世帯等調査」の2011年と16年の比較。調査自体は約4千世帯だが、「進学率」算出元の母集団は260所帯弱で、統計的意昧が薄い、という。しかも調査時点では「給付型奨学金」は支給もされておらず、「扶養手当増額」も調査の3力月前に始まつたばかり。これらが進学率を押し上げたとは、とても言えない、と述べている(朝日新聞2月4日)。これをソックリ信じれば安倍首相は嘘を述べたことになる。国民の多くはこのデータのカラクリに気づけない。都合のよい数字のみをつまみ取り並べれば、人を欺ける、と氏は述べている。
 面白い分析である。私も勉強になった。

 これからはビッグデータの時代となる。おそらくあらゆる分野で数値が分析される時代が来る。
 一般的に、数値を扱う職種の方々は数値の処理には強いが、その数値が持つ意味の解釈、前向きの展望を語る能力は強いとは言えない、とされる。

 あらゆる悪しき結果は、社会が持つ問題点を直接または間接的に示していることが多い。 
 いじめ問題、セクハラ問題、児童虐待などなど・・・、今回の統計不正も、日本的政治土壌がもたらした悪しき結果と認め、国を挙げて対処しなければならない。決して部署部署の問題と矮小化してはならない。


2/7(木)曇り日中降雨夕方から雪 外来  飯川病院
0:45起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪2-3cm、除雪不要と判断。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来+人間ドック結果判定14名分。13:15-13:45健康クリニック胸部レ線チェック、疲弊。14:00飯川病院、14:00-18:50勤務。19:10レガシー帰宅、夕食、21:30就寝。BRながら視聴:「100分で名著:松本清張」。歩数計Σ7575歩。

不祥事相次ぐ各省(1) 勤労統計調査の不正  その背景と影響
 最近政府の機関の不祥事が目白押しである。
 森友学園関連の書類改ざん、各省トップのセクハラ事件などによる更迭、などなど、詳しく挙げればきりがないほどである。

 2007年には年金記録で、持ち主不明の記録が5千万件に上つたことは忘れることができない。
 それに匹敵するような不祥事がまた明らかになった。

 総務省の指摘を契機に厚労省が毎月行う勤労統計調査が、長年にわたり不適切に行われていたことが発覚した。
 厚労省の担当職員は以前から不適切であることを認識していたが、省内で問題化されることもなく長年放置されたという。

 我が国のように経済が膨張している国にとっては統計は「たかが統計」などとは言っていられない極めて重要な位置付けがある。
 そのために統計法が定められている。統計法は大きく分けると、●基幹統計、●一般統計、●そのほか統計類似のもの、に分けられる。基幹統計は政府の経済分析にも活用される。長年の不正の影響は大きく、国の統計調査全般に対する信頼を失墜させる。

 勤労統計調査は厚労省が都道府県を通じて実施している。各事業所の1人当たりの基本給や残業代などを調べ、賃金や労働時間、雇用の動向把握に役立てる。従業員5〜499人の事業所は抽出調査し、500人以上は全数調査すると定められている。だが厚労省は、東京都内の500人以上の約1400事業所については2004年以降、3分の1程度の調査で済ませていた。

 調査結果は失業給付や労災保険の算定基準など幅広い分野に用いられている。都内の事業所は比較的賃金が高いところが多いため、これによって平均給与額は実際よりも低く算出された。失業給付額などは平均給与額を算定基準としており、厚労省が試算したところ、過少支給の対象者は延べ1973万人に上り、総額で537億円に達した。

 厚労省がなぜ都内で全数調査のルールを守らなかったか現状ではわからない。1996年以降、調査対象を1割減らしていたという。
 また、厚労省は昨年1月分からは全数調査に近い結果が出るようプログラミングされた改変ソフトを導入し、処理していた。これはごまかしに上乗せのごまかし行為である。ことは重大、全容解明が必要である。

 厚労省は昨年、裁量労働制を巡る労働時間調査で不適切なデータを国会に提出し審議を紛糾させた。

 この不祥事は民主党政権時代にも行われていたがつい最近まで気づかれなかった。一部には気づいていたスタッフがいたというが、結局明るみにも出なかった。
 安倍政権では財務省の公文書改ざんを含め、官僚の不祥事が相次いでいる。モラルが著しく低下しているのではないか。信頼回復を図るには、調査を尽くして問題点を出し切り、責任の所在をはっきりさせることが不可欠だ。

 国際的に見ると、日本は統計先進国とされている。経済の専門家は統計データを用いて各国の比較を論じる。その場合、国際間の比較は協力開発機構(OECD)加盟国間に限定することが多い。OECDは、日、米、英、独、韓国など先進36力国が加盟していてその統計は信頼できるものとされている。ロシア、中国、インドは加盟していない。

 我が国のように経済が膨張している国にとっては「たかが統計」とは言っていいられない極めて重要な位置付けを持つ。

 現在国会審議で、日本の統計のあり方についての論戦が展開されているが、事の重大性に鑑みて、決して中途半端な幕引きをさせてはならない。

 あれほど問題視された森友加計問題は結局はうやむやにされてたのではないか?


2/6(水) 曇り晴れ・比較的温暖 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。新たな降雪2-3cm。除雪不要。居間の照明LED化。N響定期公演視聴しながらインデック作成。12:30レガシー、シーガルに立ち寄り飯川病院。検食、13:30-18:30ボランティア。19:00帰宅。夕食、21:00就寝。Σ5114歩。

政治家の発言は撤回させるな(2) 懐かしい麻生語録から
 麻生副総理兼財務相は面白い発言が多い。政界No1かな・・と思う。総理就任前から、総理になってから、副総理になってから私がファイルしているのを集めただけでも100近いのでは?
 多いから私は項目に分類してある。「セクハラ」、「ナチ」、「医師批判」、「少子高齢化」、「森友」、「武装難民」などなど。「ナチ」に関しては国際的にも批判を浴びた。大阪府医師会から抗議文が出たこともある。

<麻生氏の過去の主な失言>
 ほとんどが撤回され公式記録からは削除されている。撤回削除は良くない。せめて訂正にすべき。安易に撤回させずに、麻生氏は機会を得て真意を説明すべきである。

■「安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」(党幹事長時代、名古屋駅前の街頭演説で)2008年9月14日。

■「自分で病院を経営しているから言うわけではないが、医者の確保は大変だ。(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」(首相時代、全国都道府県知事会議で)同2008年11月19日。

■憲法改正について、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」(副総理兼財務相時代、東京都内の講演で)1013年7月29日。

■「何百万人を殺したヒトラーはいくら動機が正しくても駄目だ」、とナチスを擁護したとも解釈できる表現を使った。自民党麻生派の研修会で講演2017年8月29日。

■「90歳になって老後が心配とか言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていた」(同、北海道小樽市の講演で)2016年6月17日。

■「秘書への暴行が問題になった豊田真由子衆院議員は学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど、あれ女性ですよ女性」(同、新潟県新発田市の講演で)2017年6月24日。

■祭りの参加者は「ほとんどきちがいみたいな人ばかりだ」、と精神障害者を差別する表現を使った(愛媛県西条市で補選の応援演説)。

■福田財務省の問題に関し「はめられて訴えられている。福田氏の立場で考えないと・・」、「セクハラ罪はない。殺人とか強制わいせつとは違う。訴えられないと罪には問えない」2018年5月8日。

■森友関連書類改ざんについて。「個人の問題でなく、決して悪質ではない」2018年5月28日。

■少子高齢化について「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と地元・福岡県内での国政報告会で。本人は発言の一部だけ報道された、と憤慨していた 2019年2月3日。

■まだまだ・・・。

 安倍首相は大臣や副大臣らの問題行動・発言にそれなりに対処してきたが、こと副総理の件になると殆どコメントを発しない。放任状態である。それは、政権そのものが規律を欠き、セクハラ等に寛容であることを、広く宜言するに等しい。

 麻生氏自身は人間として守るべき規範をどう考えているのか。
 多分、麻生氏には人間として守るべき規範意識が完全に欠けている。だから、配慮のかけらもない振る舞いを平然と重ねられ、何で批判を浴びるのか理解できないのだろう。一種の病気でないだろうか。

 安倍首相が何で氏をかばい続けるのか。 それは簡単である。自民党総裁選で3選を果たすために、党内第2派閥を率いる麻生氏を味方につけておきたい。その思惑が、首相を沈黙させていることは明らかである。
 政治は綺麗事では済まない。その煽りは国民が負担する。国民がもっと賢しくならなければ主権在民なんて絵に描いた餅である。


2/5(火)曇り日中は晴れ 外来 飯川病院
0:20起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。6:00可燃ゴミ先週金曜突然の当直で処理できなかった分もあり二袋集配所に。6:47バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:00飯川病院、微睡他、14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:20就寝。Σ6967歩。

政治家の発言は撤回させるな(1) 機会を与えて持論を展開させろ
 麻生副総理兼財務相がまたまた面白い発言した。
 少子高齢化について「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と地元・福岡県内での国政報告会で、述べた、と言う。

 またか!!!
 「年を取ったやつが悪いと言っている変なのがいっぱいいる・・・」はかつては自分も言っていた。反省した上で言っている?・・・のだろうか。

 野党の批判を受け、麻生氏は「誤解を与えたとすれば、撤回する」,「不快に思われるなら、おわび申し上げる」といつもと同じように発言を撤回し、一応頭を下げ陳謝した。これで一軒幕引きか??

 発言も軽いが陳謝の言葉も軽い。こんなレベルで許すからダメなのだ。
 これまでも同じことを繰り返しているからこれが、本心・本音ではないのか。国の将来を憂えて本音を吐露したとすれば、私は評価したい。

 そもそも、子どもを産むか産まないかは、個人の自由な選択によるもので、政治家が口をはさむべきではない。一般的にはそうだ。しかし、そうだろうか??

 為政者たちは一般人と異なったレベルで人口問題、少子高齢化を憂いているはずである。その責任の上での、考えた上での本音から出た発言と評価すべきだろう。私は各議員たちが機会を得て本音で国が抱える懸案事項を語るべきだ、と思う。選挙は票を得んがための党の指示にそったリップサービスで本音ではない。多分、本音を語ったら落選は免れない。

 麻生氏の発言は、子どもを持てない人、持たない人への配慮を欠いている。それは確かである。

 麻生氏は14年末の衆院選の応援演説でも、「高齢者が悪いイメージをつくっているが、子どもを産まない方が問題だ」と、今回と同様の発言をしている。これが麻生氏の持論だ、とすればそれでいいじゃないか。

 今の若者は非正規雇用者が増え、低賃金から結婚や出産をためらう人達が多い。核家族化の中で子育てをしながら働ける環境は十分とは言えない。さらに、将来の教育費を考えたときに初めから子供を持つことを諦めざるを得ない。私は業務を通じて家庭環境も聴取するが多くの方々は子供は一人、三人以上は稀である。余裕のない子育て環境、教育費がネックになっている、と多くの方は語る。
 
 わが国が将来少子高齢化社会を迎えることは昭和30年代初頭から論じられ、危機が叫ばれながら、国は有効な対策を怠ってきた。座して死を待っていたようなもの。
 麻生氏が「子どもを産まなかったほうが問題」、と発言するなら「子供を産める環境を用意するしかない」。いいこと言ってくれたじゃないか。政治家としての責任をまとうしてほしい。

 それには発言を非難して陳謝させ、頭を下げさるのはもっとも安易な解決法である。麻生氏の政治理念を機会を与えて十分語らせたらいい。廃刊になった新潮45あたりが相応しかった。持論で墓穴を一層掘っていくようなら、政治家をやめればいい。


2/4(月)曇り時に晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:10起床、新聞、本読みなどいつもの如く。降雪2-3cm、除雪不要。6:50レガシー飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック14名+CTR計測。11:25飯川病院へ、休息、微睡、データ整理。紹介状作成。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6967歩。

日本の食文化の崩壊2019(6) 廃棄される恵方巻き 消費者の自覚が欲しい
 恵方巻は、節分にその年の恵方を向いて食べると縁起が良いとされる太巻き寿司のこと。「縁起を断ち切らない」ように切り分けず、無言で1本を丸かじりするのが習わしで、七福神にちなみ7種類の具材を巻き込むことが望ましいとされる。
 起源は不明で、江戸時代末期に関西で商売繁盛の祈願として始まった?ともされる。
 明治期以降廃れたが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が行った海苔の販売促進キャンペーンで復活した。
 90年頃よりスーパーやコンビニで販売されるようになり、宣伝も活発になり、節分に恵方巻きを食べる風習が全国に拡大した。

 我が国の国民は自己判断力に乏しく、生活の基本を忘れ、風評や流行に弱いように思われる。
 明らかに儲け主義から仕掛けられた下らない慣習に乗り易い。バレンタイン、ハロウインなど・・・。フラットな日常を好む私には予測も出来ない狂騒が展開される。
 私はお中元やお歳暮などの風習も好きでない。家内はお世話になった方々に・・・と言って盆暮れに生き生きと動き回る。私は人に物を差し上げるのも、自分が貰うのも好まないが、文句も言えずただ苦々しくしく眺めているだけ。その会計は後に私に回ってくるが、年2回私は出目金になる。

 なんら御利益もない、意味のない恵方巻に関しても売る方も買う方の行動を私は理解できない。
 ただ、売る方の視点では儲けの機会を逃す手はなかろう。その発想は理解できる。消費者が食品廃棄の視点などから賢くならなければならない。

 恵方巻きの大量廃棄問題は2017年にネット上で批判を呼んだ。
 農水省は、今年1月11日「資原の有効活用」のため需要に見合つた販売とするよう業界に文書で呼ぴかけた。
 これを受け、前年の実績分だけ予約販売とし、欠品が出ても追加販売しないようにした業者もある。しかしながら、多くは前年実績を上回る販売を目指す姿勢は変えていない。恵方巻が過去にどれだけ廃棄されたのかのデータもない。だから、対策の効果を検証するのは難しい。

 報道によると、一夜明けた4日に食品廃棄工湯を訪ねると、恵方巻の材料、売れ残って処分に回された恵方巻が大量に運び込まれていた。

(毎日新聞電子版から引用。一部変更を加えた)

 食品ロス問題を研究し、「賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書) 」などの著書もある井出留美氏は、3日夜に大学生の協力を得て首都圏のスーパーやコンビニ、百貨店計35店の店頭で閉店前の売れ残り数を調査したが、500本近く残つていた店もあつた、と述べている。

 賞味期限の短さが大量廃棄につながつている。翌日、恵方巻が安く売られていないか家族に、数件のスーパーで探してもらったが入手できなかった。私は恵方巻き自体に興味はゼロであるが、残れば廃棄されるであろう食品として、購入して食べるのも悪くなかろうと考えたが、協力できなかった。

 私は日本の食文化は崩壊していると考えている。食料自給率も低い。私を含めた消費者の自覚が必要である。

 全国チェーン店では「本部から前年以上に割り当てられ、廃棄を出さない為にスタッフで買い取った例もあったと言う。


2/3(日)曇り夕方から降雨 飯川病院日直 レセプト点検
1:00起床、医学文献、新聞チェックPDF化など。8:30レガシー似て飯川病院。10:30-12:00外来レセプトチェック。検食、新聞、文庫本ほか文献電子化。微睡、17:00-19:00当直医補助。19:30帰宅夕食、21:00就寝。Σ5565歩。

日本の食文化の崩壊2019(5) 祭の前に供養はしているのか?
 秋田県大館市特産の比内地鶏を堪能できる冬の恒例行事「比内とりの市」が1月26日同市比内町扇田の比内グラウンドで始まった。
 目玉の一つ、「千羽焼き」は長さ約15mの金属製の棒に刺した比内地鶏を炭火で丸焼きした。1羽4200円で販売、買い求める人の列ができた。比内地鶏の肉や野菜などが入った「かやき鍋」も1杯300円で人気を集めた。

 特設ステージでは、地元児童がスコップ三味線や踊りを披露。人間比内鶏永唱には、近隣のこども園の園児が参加。元気いっぱいに「コケコッコー」と叫び、会場を沸かせた。
 「比内とりの市」は、市とJAあきた北、大館北秋商工会でつくる実行委員会の主催で35回目だ、と言う。

 このような食材をテーマにしたイベントは日本各地で催されている。
 私が知っているのは数少ないが「さんま祭り」、「牡蠣祭り」、「イカ祭り」、「鮭祭り」などなど。中でも有名なのは「さんま祭り」で全国数10ヶ所で行われているようだ。有名な目黒の「さんま祭り」では7000匹ものさんまが無料で提供されるとのことで一大イベントとなっている。

 このような大量消費を促すようなイベントを私は決して是としないが、その地元の関係者にとっては、■ 季節の到来、■ 漁の始まり、■ 地元の景気付け、■ 宣伝、■ 販売促進・・・とそれなりの意義があるものと思う。だから是としないものの受け入れ、じっと見守るしかない。

 ただ、このイベントを見るたびごとに、多くの「いのち」が人間の祭り気分、自己満足のために失われていくことに悲しみの気持ちを抱く。祭の前に供養はしているのか?それだけは知りたい。

 金子みすゞの詩に大漁という作品がある。
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大漁
朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ。
はまは祭りのようだけど 海のなかでは何万の いわしのとむらい  するだろう。
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私だって多くの動植物の「いのち」を頂いて生きている。だからセンチメンタルな気持ちだけでは暮らせない。でも、私には食事のたびに「いのち」を頂いているということを常に意識している。だから決して食品を無駄にはしない。それ以上に、日々、私は「今日、これを食する資格はあるのだろうか?」と自問している。

 目黒では7000匹ものさんまが「無料で提供」される??それを知ったさんまたちは「私の一生って一体なんだった??一円の価値もなかったのか??」、と思わないか??

 金子みすゞの「いのち」に対する感受性は異様に敏感だ、と思う。これでは生き難い。現に26歳で自死した。読んでいて辛くなる。金子みすゞは現在の山口県長門市仙崎で生まれ育った。この地は古くから沿岸捕鯨がなされていたところである。この地で捕獲されたクジラは漁村民にあまねく分けられ、住民は自然の恵みに感謝した、とされている。驚いたことに、古い時代にはクジラ一頭一頭に戒名がつけられ、丁重に葬られた、という。この詩にはそんな気持ちが綴られている。


2/2(土)快晴  
1:00起床。読書、徒然、データ整理。午前・午後とも録画視聴しつつ18年以来の「らららクラシック」のインデックス作り。貴重なデータとなる。新聞切り抜き、ラジオ深夜便の録画データ移行。読書、19:00検食、21:00就寝。Σ6030歩。戸外に一歩も出ずパソコン生活。

インフルエンザ2019(2) 高齢者の死亡は防ぎきれない
 インフルエンザはインフルエンザウイルスに感染して発症する。通常の感冒とは一線を画する別疾患である。潜伏期間は約3日、突然39度近くの発熱や頭痛、関節痛、全身倦怠等の症状が急激に出る。同時にのどの痛みやせきなどの上気道炎のような症状も伴う。稀には発熱を伴わないような非定型的な患者もいるから厄介である。

 幼児や乳幼児は免疫がないために重症化したり、脳症を起こし異常行動を呈することがあるため見守りが必要。体力が乏しい高齢者は肺炎等を合併して死亡することも少なくない。
 治療は5日間服用するタミフルや一回吸入のイナビル、一回服用のゾフルーザなどがある。耐性を含めいずれも一長一短がある。治療選択は医師によるが、私は今年もタミフルを主に処方している。

 感染の洗礼を受けておらず、免疫が弱い幼児・学童はインフルエンザに罹患しやすい。
 同様に、高齢化や種々の慢性疾患に罹患し、あらゆる面で抵抗力が乏しくなった高齢者がインフルエンザに罹患しやすいのは自然の摂理である。医療をどんなに尽くしても救命できないこともある。
 後期高齢者の場合、インフルエンザ罹患を機会にもともとあった慢性疾患が悪化したり、摂食困難、誤嚥によって呼吸状態が悪化することが少なくない。後期高齢者の多くはギリギリの状態でやっと生きている。このような方は感染に対して実に脆い。インフルエンザに罹患すると急速に重症化し、往々にして死の転機を取る。このような方の死にとってインフルエンザ感染は死亡原因ではなくキッカケに過ぎない。
 後期高齢者でも全身状態が良く元気な方はもともと病院とか老人保健施設には入所しておらず、インフルエンザに罹患してもそれほど重症化せず、外来で十分治療可能である。

 病院とか老人保健施設で死亡患者が発生するとメディアは大騒ぎで、その施設・病院の対応の落ち度を探し出し、報道する。勿論、指摘事項のいくつかは謙虚に受け止める必要があるが、ウイルスの侵入は対策を如何に強めても、完全に防ぐことは不可能である。スタッフは通勤してくるし、人的交流を完全に立つことは出来ない。

 虚弱老人の多くは病院や施設に入所している。
 同じレベルで横並びの虚弱者を一ケ所に集めてケアするという発想は効率を第一に考えた危険な方法である。それを国が計画し、社会が認めた方法で広く普及している。ウイルスの侵入を完全に阻止できない以上、虚弱者が集まっている施設内で感染が生じることは阻止できない。結果的に高齢者が死亡することも阻止できない。まず、その前提を社会が認めなくてはならない。

 にも関わらず、病院長、施設長などは会見を開き、落ち度があるか否か評価もされていないのにメディアの前で頭を下げる。なんかおかしくないか?
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(秋田魁紙に掲載された県内某町長の謝罪会見。まるで町長に非があるよう。謝罪大国日本でよくみられるワンパターンの報道。このような写真の掲載は事態の理解を妨げることにもなりかねない)

 このような社会的背景の中、高齢者の幸せを願い日夜奮闘している現役のスタッフたちには敬意を表したい。


2/1(金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
2:45飯川病院で起床、徒然。データチェック。急な当直にて可燃ゴミはどうしたかな??7:45徒歩駅に。8:11こまち、大曲は道路凍結歩行危険、往復Tax。8:50-12:16大曲中通病院外来、帰路新幹線8分遅れ。駅からもTaxi、14:00-18:30飯川病院ボランティア。
19:15帰宅、夕食、21:00就眠。Σ6864歩。

インフルエンザ2019(1) 近年最大の流行になるか
 厚労省は25日、14?20日の一週間に報告されたインフルエンザ患者が1医療機関当たり53・91人と発表した。過去最多となつた昨冬の54・33人に次ぐ多さである。
 医療機関を受診したのは全国で約213万人(推計)で前週から50万人近く増えた。今シーズンの推計患者数は累計で約541万人に及ぶと考えられている。これは大変な感染者数である。

 1医療機関当たり30人以上となる「警戒レベル」は青森、秋田、島根を除く44都道府県に及んだ。
 都道府県別の1医療機関当たりの患者数は、愛知の81・86人>埼玉>70・03>静岡69・42人>茨城68・05人>福岡67・18人・・・と続いた。

 秋田県は28・06人と愛知に比較すれば半数ほど。
 入院は60代以上が多いが、10歳未満も目立つ。。
 大仙市の特別養護老人ホームで入所者とデイサービスの利用者、施設職員の計26人が感染し、97歳女性が肺炎で死亡。
 羽後町の病院では入院患者と職員の計40人が集団感染した。患者の82歳88歳が死亡した。

 幼稚園、学校の休校が前週の8から102に、学級閉鎖も446から4721に急増した。
 県内の死亡例は本日の時点で11人になった

 病院や施設ではウイルスを持ち込ませないよう外部からの面会を禁止するなどの措置を取っているが、結構すり抜けが多いのが悩みである。

 厚労省は、高齢者施設や病院を中心に注意を呼び掛けている。
 要は以下のごとく。
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 ■ 重症化の予防には第一にはワクチンが有効。ただし、ワクチンを接種したとしても、感染を防ぎ切れない。
 ■ 日本感染症学会は2012年、高齢者施設で患者が出た場合は、早い段蔭でタミフルなどの抗インフレンザ剤を予防投与するよう提言している。
 ■ 手洗いの励行。インフルエンザ手のひらや指の間などを丁寧に洗う。不用意に口や鼻に触らないことも重要。
 ■ 机やテーブル、ドアノブなど適宜アルコール消毒を行う。
 ■ せきやくしゃみの症状がある場合はマスクを着用。
 ■ 加湿器で室内を50?60%の湿度に保つ。
 ■ 施設や医療機関の職員も過労に陥らないように努める。栄養摂取、休養も大切な予防策となる。
 ■ ・・・・。
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(文中の患者数等は新聞記事、厚労省、国立感染症研究所のデータ等を参照した)


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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