2018年12月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
12/31(月)大晦日 曇り降雪若干 年末休暇三日目 当直明け
1:00飯川病院で起床。本読み、徒然などゆったり過ごす。9:45帰宅、録画BRで「N響定期公演:忘れ得ぬ、名演奏:スベトラーノフ、サバリッシュ再視聴」。午後は書斎の整理データ整理、新年に移行処理、録画BRで「N響定期公演:ベートーヴェンVn協ほか」、「音楽界の動き2014年」、「読響公演:シェーラザード」。12:00年越し蕎麦で昼食。午後次男と孫来訪。19:00お節料理中心に夕食。紅白最初だけ、人海戦術、過剰演出に耐えられずギブアップ、20:00就寝。Σ7919歩。
2018年大晦日 小雪ちらほら寒い いつもと同じく「感謝」 で締めたい
時間の経過は実に早い。2018年も大晦日を迎えた。
淡々と過ごし得た一年であった。
私は先に勤務していた病院の嘱託医、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医師として診療を細々と続けている以外は外との接触・交流・対話は一切ない。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に過ごした。
年毎の蓄積データの更新など。読書三昧、文献整理その他、文献チェックなど。新聞雑誌、文献等の活字体、録画映像、ラジオ番組の録音を通じていろいろ情報を仕入れ勉強した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を知った。
私は、昨年は右下腹部の鼠径ヘルニアと数週毎に現れた原因不明の腹痛に悩まされたが、9月に手術を受け経過は順調である。
この一年間は健康上のトラブルはほとんど無かったが、最近、体力・気力の衰えが顕著である。
終活は進めた。今年は特に音楽関係、書籍関係で大幅に進んだ。
自宅にあるCDほぼ全てをiTune化した。
また書籍の自炊も進んだ。
これらの作業を通じて音楽にも、読書面でも持てる財産の魅力を新発見した。音楽の再視聴と書籍の再読に明け暮れた年となった。その延長線上でこの一年間に新しく購入した関連書籍は100冊に近い。それらを自炊しながら書架に入れないように読んでいる。
家内は基本的に元気であるが、昨年末に大腸ガンが再発し6回目の手術を受けた。新年から業務に復帰したが、腹部の血管への浸潤処理のために術後下腿の循環障害が生じ、歩行や立位維持困難など日常生活にも支障が生じたが、副血行路の発達なのか徐々に改善してきている。実に嬉しい。
家族達は、総じて元気に過ごしている。孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。
私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。
我が家はのネコたちは今年、風除室住まいのネコから飼いネコに昇格した。彼らはとても元気、毎日笑いを提供してくれている。ただ、そのうちの1匹「しまじろう」が仲間との諍いで家出した。餌は与えているが、この寒空健康面が心配である。
私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
私の最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、いつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。
12/30(日)年始休暇二日目 曇り 飯川病院日当直 レセプトチェック
1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。除雪不要。8:30レガシー飯川病院日当直業務につく。データ整理中心に。本年分の蓄積データの更新作業。午前は読書中心。オネスティ終了。12:00検食、13;00-15:00.外来レセプト点検、午後は微睡を挟みつつデータ整理、18:00検食。19:00就寝。Σ8533歩。
2018年年末(5) 終活(21) 宗教 心理 自死 死刑 生老病死 尊厳死・安楽死
今年はずいぶん本を読んだ。
ジャンルとしては、オウム関連で宗教、高齢者心理と生老病死、尊厳死・安楽死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度など。三島由紀夫事件、西部邁の自死を中心として自死問題などである。
自分もそろそろ死ぬ時期を迎えるだろうと考えると、死そのものに興味がわく。
尤も、別に、何も考えなくとも死ぬときは死ぬのであってあらかじめ考えていても何にもならない。でも、自分にとっての初体験になるのだから私としては無視したくない。自身の過程を観察しながら、楽しみながら死にたい。
私は自分の命は自分のものであって、自由に扱っていいと考える立場である。
だから、私は自死も容認できる。疾患や衰弱での死亡に際しては過剰な延命治療の是非が問題になっていて、そのこと自体は良い方向性だと思うが、基本的には死に行く本人から自由を奪った状態で、生命が朽ち果てるのをひたすら待っているだけ。社会は実に残酷だ、と思う。極論であるが、本人の希望が確固たるものがあれば、安楽死を認めてもいいと思う。
「死ぬ権利」を認めようとしないから患者の一部は飛び降りたり、飲食を拒み、死を早めようとする。しかし、死までの過程は長く辛い。だから、死に関しては引力とか、温熱とかの他の力が必要となる。絶食死は興味があるが、その完遂は身体的苦痛を伴う。一般的にはほぼ不可能である。
今の医療の中では患者や家族から強い要望があつても、医師が自らの手で致死量の薬剤を役与して患者を死に導いた場合、法で裁かれる可能性がある。
自死するほど元気なら自死を選べるが、その体力が残っていない患者は飲み食いをやめる自由、栄養補給をやめる自由しかない。
心身ともに末期の状態になっても患者にこのような苦しみを口にさせる。医療はこれでいいのだろうか。
延命医療を中止する「尊厳死」の権利を法で定めるべきか否か。欧米ははぽ全ての国が尊厳死を法的に定め、近年、韓国や台湾でも法律ができた。日本では法整備の動きは鈍い。ましてや安楽死などまだまだ遠い話である。国として決めるにはまだハードルが高い。
私の場合には私の命の価値は豆粒一つでしかない。だから、「好きにさせてよ!!」、私はそう願う。
12/29(土)年末休暇初日 曇り 今冬初除雪
1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。夜間の降雪3-4cm除雪。ざっと初除雪、8:30上飯島駅付近、画家宅訪問30号作品寄贈受ける。孫の一人入院のため3人あづかり、16:00飯川病院。19:00-21:00サンビーム年一回の知人と会食。21:30帰宅。BRながら視聴:「西條八十」。22:00就寝。Σ9260歩。
2018年年末(4) 自身の行動の評価と総括
私は自己満足観を重視し、生活を楽しんでいる。
新年に立てた目標の達成状況をざっと自己評価した。
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■ 向上した項目あるいは計画を維持できた項目。
(1)時間を自分のために有効に使えたか――――――(→)達成度7割
(2)徒然日記の連日更新―――――――――^^―――(→)達成度10割
(3)新聞3紙の記事、雑誌記事を電子化ファイリング-(→)達成度10割
(4)月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る---------(→)達成度10割
(5)契約上の勤務達成度 ――――――――――-----―(→)達成度10割
(6)終活・身辺整理――――――――――――------―(→)達成度8割
(7)園芸・野菜作り・除雪その他の作業-----------------(↓)達成度7割
(8)隙間時間を読書に当てる-------------------------------(↑)達成度9割
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■ やや減退した項目。
(1)ラジオ深夜便 録音聞き直し----------------------(↓)達成度6割
(2)録画の映像、音楽映像視聴―――――――――(↓)達成度3割
(3)天候不順日をのぞく徒歩通勤----------------------(↓)達成度5割
(4)医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み------------------(↓)達成度3割
(5)階段昇降――――――――――――--――――(↓)達成度5割
(6)健康管理面への配慮、注意、努力----------------(↓)満足度5割
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■ 大幅に低下した項目。
(1)惰眠をむさぼらなかったか―――――――――(↓)満足度3割
(2)英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ――(↓)満足度3割
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上記の判断の尺度は客観性はない。自分の心の良心と邪心を鬩ぎ合わせて適当に判断した。
達成感、満足感は全般に低下傾向にある。
最近はやたらに睡魔が襲ってくる。読書や作業を3時間ほど続けると横になって休みたくなる。午睡の時間も長くなりつつある。身体が要求するから無理せずそれには従う。21:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活を今も続けていることも関係しているのかもしれない。しかし、変えるつもりはない。
私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、中身より継続することが主目的となり、本末転倒だと思うこともある。
昨年、こんな評価は今回を最後にしよう。来年からもっと無計画に、適当に生きてみることにする・・・と思ったが、今年もついやってしまった。
期せずして「継続は力なり」になってしまったが、来年は途切れてもいい。無理せず自然体でいきたい。
12/28(金) 寒波降雪 大曲中通病院 飯川病院
1:15起床。データの更新・整理、読書、徒然ほか。降雪4-5cm除雪不要。5:30今年最後の可燃ゴミ提出。7:15Taxi駅に、早めについてスターバックス。8:11こまち、8:50-12:15大曲中通病院、13:45-19:00飯川病院勤務。舩杉さん来秋。21:00就寝。歩数Σ9776歩。
2018年年末(3) 医学界の出来事
今年も残すところ数日となった。
2018年は医学界にとってどんな年だったのか?
私の医療面での情報収集能は明らかのに低下してしまったので、昨年に引き続きm3.comの年末記事を引用しながら振り返ってみた。
医師会員の開業医501人、勤務医526人の計1027人が回答した(一部改変)。
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(1)本庶京大特別教授にノーベル医学生理学賞
(2)東京医大女性差別など不正入試
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)AI、医療分野で実用化検討
(5)複数の大学で不正入試 文科省中間報告
(6)順天堂大学女性差別など不正入試
(7)大学病院など労働基準監督署の指導相次ぐ
(8)東京医大、44人を追加合格
(9)ゲノム医療、再生医療など最先端医療の推進
(10)医師の地域偏在、診療科偏在対策の動き
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東京医大の不正入試問題。前理事長と前学長が、前文科省局長の息子を不正に合格させた事に端を発し、長年にわたって女性や多浪の受験生を不利に扱っていた。計10大学で女性・多浪差別などの「不適切」な事例があったことが明るみに出た。
参考
●2017年医療界の主な出来事(医療維新による)。
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(1)2018年開始の専門医制度を巡る動き
(2)医師の働き方改革への動き
(3)2018年診療・介護報酬同時改定を巡る動き
(4)日野原氏105歳で死去
(5)小林麻央さん死去
(6)千葉大医学部学生に有罪、集団乱暴事件
(7)医師の地域偏在、診療科偏在を巡る動き
(8)京都医大、虚偽診断諸問題
(9)NHK糖尿病治療に睡眠薬推奨
(10)2018年薬価制度改革を巡る動き
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●医療界2016医療界の主な出来事(医療維新による)。
(1)オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
(2)大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
(3)全国がん登録がスタート
(4)新専門医制度の2018年度開始に
(5)診療報酬改定で多剤投与の見直し
(6)国際医療福祉大の医学部設認可
(7)HPVワクチン接種を巡る混乱
(8)過労死等防止対策白書が初めて公表
(9)B型肝炎ワクテンか定期接種化
(10)世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に
12/27(木)寒波風雪 中通外来 飯川病院 横浜長女孫と再帰秋。
1:00起床。いつものごとく、文献読みデータ整理。7:10バス飯川病院、8:45-13:25外来、14:00飯川病院勤務、外来患者病棟対応。16:30長女と孫再来秋、長女インフワク接種。横浜では入手難という。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。ラジオ深夜便ながら聴数時間分。歩数Σ6845歩。
2018年年末(2) 国内外の出来事
今年も残すところ数日となった。
2018年はどんな年だったのか、朝日新聞のランキング記事を引用しながら振り返ってみた(一部改変した)。
一つ一つは緊迫した出来事だったのにもう忘却されかかっている項目も少なくない。
私にとってこのような形で記録しておかなければ無に化してしまう。
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2018年国内10大ニュース
(1)西日本豪雨で死者220人超、台風、猛暑も
(2)森友問題で公文書改ざん発覚、佐川氏辞任
(3)日産ゴーン会長を逮捕、報酬過少記載の容疑
(4)オーム真理教事件で教祖ら13人に死刑執行
(5)北海遊地震で41人死亡、初のブラックアウト
(6)自民党総裁に安倍首相3選、改憲に強い意欲
(7)障害者の雇用水増し、国と地方で7000人超
(8)辺野古埋め立て承認撤回、国は土砂投入強行
(9)本庶佑氏にノーベル賞、がん新薬開発に道
(10)スポーツ界でパワハラ、選手らが相次ぎ訴え
(11)平昌五輪でフィギア男子の羽生が連覇
2018年も災害が頻発した。日本列島は災害列島と化した。北海道の地震は初のブラックアウトが生じ、電化社会のもろさが露呈した。
森友問題は、公文書改ざんを認める展開。障害者肩用では目に余る水増し。官の信輯は地に落ちた。
一連のオウム真理教事件は教祖らの死刑が執行され一つの節目を迎えた。
がんの新たな免疫療法を可能にした本庶氏にノーベル賞の栄誉。
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2018年国際10大ニュース
(1)初の米朝首脳会談、非核化と関係改善で声明
(2)米中が報復関税で応酬、貿易摩擦の収拾難航
(3)南北が3回の首脳会談、平和共存へ共同宣言
(4)元徴用工訴訟、日本企業に相次ぎ賠償命じる
(5)米がイラン核合意を離脱、禁輸など制裁再開
(6)中国で国家主席3選禁止規定撒廃、習氏1強
(7)サウジの著名記者、トルコの総領事館で殺害
(8)米中間選挙で民主党が下院奪還、ねじれ議会
(9)米を除くTPPが年内発効、保護主義に対抗
(10)米がINF廃棄条約の破棄を表明、ロシアを非難
(11)メルケル独首相か党首退任表明、求心力低下
2018年は、トランプ、習近平、プーチン、金正恩の動きに連動してせめぎ合つた。 その過程でグローバリゼーションは機能不全に陥り、従来の秩序や規範は瓦解した。
6月に実現した初の米朝首脳会談は、平和体制を構築する流れを生み出したかに見えたが、非核化と交渉は難航、南北関係と共に失速した。慰安婦、元徴用工をめぐる日韓関係の悪化は、先が見えない。
12/26(水)曇り 飯川病院ボランティア
0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。12:30バスにて飯川病院。ボランティア。入院患者肺炎ワクチンなど。19:30帰宅、夕食。21:30就寝、。Σ11677歩。BRながら視聴:「アナザーストーリー:韓国セオール号沈没」、「ぶらぶら美術館:横浜美術館、ヌード」。
2018年年末(1) 秋田県の出来事 過去3年の10大ニュース
クリスマス行事も終わった。今年も残すところ数日となった。
2018年はどんな年だったのか、秋田魁新聞12月26日の記事を引用しながら振り返ってみた(一部改変した)。
また、過去3年間のニュースもアップした。
身近な出来事だったのにもう忘却されている項目も少なくない。私にとってこのような形で記録しておかなければ無に化してしまう。
■ 2018年 秋田県の出来事ランキング 1-20位
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(1)金足農業旋風
(2)地上イージス
(3)ザギトワと秋田犬
(4)なまはげ来訪神 無形遺産登録決定
(5)記録的大雨 4万人に避難勧告
(6)バトミントン 長原・松本ペア世界選手権で金
(7)JA秋田おばこ巨大累積赤字
(8)全国学力テストで11回連続でトップ級
(9)ノーザンハビネッツ1部復帰
(10)県民会館閉館
(11)県人口97万9765人に
(12)横手市で今年県内最高の38、6度を記録。
(13)県内の14JAが統合を検討
(14)秋田港にクルーズ船観光客向けターミナル整備
(15)能代工高バスケ部元監督死去
(16)県の道路除雪予算が過去最高に
(17)2045年の県人口60万人となり、減少率が全国最大の41.2%に(?)
(18)由利本荘市の日本海東北自動車道で若者3人が事故死
(19)東北屈指の規模「ナイスアリーナ」が由利本荘市石脇にオープン
(20)本県「健康寿命」は男性71.21歳で都道府県別最下位、女性は74.53歳で33位
■ 過去3年の秋田県の出来事ランキング 1-10位
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2017年
(1)記録的大雨
(2)北朝鮮、男鹿沖にミサイル
(3)県人口100万人割れ
(4)佐竹敬久知事のゴルフ問題
(5)ブラウブリッジ秋田がJ3初制覇
(6)北朝鮮籍船漂着
(7)クマ目撃、千件超え
(8)よねたな、バドミントンSS初V
(9)衆院選小選挙区、自民独占
(10)ねんりんピック秋田開催
2016年
(1)鹿角・クマに襲われ4人死亡
(2)本県の3行事無形遣産登録
(3)大森山動物園で鳥インフルエンザ
(4)全国学力テスト、本県9回達続トップ級
(5)リオ五輪、本県関係4人出場
(6)金田勝年氏、法相就任
(7)軽乗用車が逆走、日本海東道で3人死亡
(8)豪風関に県民栄誉章
(9)県人口、101万人割る
(10)秋田市新庁舎完成
2015年
(1)東北六魂祭が秋田市で開催
(2)秋田市の太平物産偽装
(3)夏の全国高校野球で秋田商80年ふり8強
(4)金国学力テストで本県8回連続トップ級
(5)仙北市で源泉設備を調整中の3人死亡
(6)TPP交渉が大筋合意、県内にも波紋
(7)県の新PRキャラに「んだっち」
(8)鳥海山ろく線で乾電池車両がギネス記録
(9)湯沢市で深夜に住宅全焼、一家7人死亡
(10)本県の白殺率が全国ワース卜脱却
12/25(火)晴れ曇り 外来 飯川病院・サンタ姿で病室訪問
0:30起床、文献読み。データ整理、6:00可燃ゴミ出し、コンポスト処理。7:10バス飯川病院。8:45中通病院外来やや混雑、書類4種あり終了は13:30。疲弊した。14:00-18:45飯川病院勤務。入院対応、サンタ姿で病室訪問。BRながら視聴:「アナザーストーリー:ベトナム戦争と少女」、「昭和:安井かずみ&岩谷時子」。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8251歩。
クリスマス雑感 飯川病院にサンタ 家ではケーキ 私はオラトリオ数曲
12月24日の夕方から25日の夕方までの1日がクリスマス。ちなみに、クリスマスはキリストの誕生日ではないらしいが、慣習的にこの時期に祝うことになっている。
私は中学生の頃まで毎年サンタクロースからプレセントをもらっていた。私は中学生頃までサンタがいると信じて疑わなかった。
でも疑問はいくらでもあった。何で爺さんだけなのだ? 何人いるのか? 夏はどうしているのか? 火が燃えている細い煙突からどうやって入ってくる?? など分からない事ばかりだった。
やがて、何だそうだったのか、と納得した。
サンタがいると信じていたときは幸せだった。夢があった。
■ 25日夕方、飯川病院にサンタが来た。
25日夕方、飯川病院にサンタが来た。入院患者一人一人の枕元を訪問し、声を掛けながらリボンの付いたティッシュボックスを手渡した。悲しい事に、入院患者30数名の中で、サンタを、小さなプレゼントを認識できたのは10名弱に過ぎなかった。殆どの患者はほぼ無反応で、サンタは哀しげな表情をしてはそっと枕もとにプレゼントをおいて帰っていった。
たぶんサンタは日本の高齢化と延命治療について、自らを重ね合わせて複雑な感慨を抱いた事だろうと思う。
(このサンタ、どっかで見たような ヒゲは自前 今年のコスチュームは新品、トナカイ役も同伴)
■ 23日午後我が家でケーキパーティ 私は早々に避難
22日に家内主催の餅つきパーティが休宝寺を会場に開かれた。横浜から長女と孫が、弘前からは休宝寺の孫が出席するなど、良い会であった。私は一杯のビールで酔いつぶれ最初の15分ほど会場に居ただけ。
本来は秋田の親戚たちの懇親会であったが、徐々に子供達中心の会になった。子供達に古来の餅つきの様子を見せるだけでも値があるし、総出で丸餅、大福、のし餅を作る作業もインパクトがあったはずだ。子供同士の親睦にもなる。
集まった爺婆世代、親たち世代、孫たち世代を見てみると少子高齢化など、信じがたかった。
翌24日午後は我が家で孫達5人を中心にクリスマスケーキパーティが行われた。
私は孫たちの動きのスピード感、黄色い声についていけず、午後から飯川病院に避難した。夜帰宅したら私のためにケーキの一辺が残っていた。一片と言っても通常のショートケーキの2倍以上あった。家内は巨大なケーキを奮発したらしい。美味かった。
■ 私は25日の早朝、クリスマス・カンタータを一人静かに味わった。
クリスマス・カンタータはスイスの作曲家オネゲルの最後の作品である。
自らの死を意識しながら完成させた。全体は、「暗黒の時代」、「キリスト生誕」、「賛歌」に分けられる。
ミシェル・コルボ指揮、リスボン・グルべンキアン管弦楽団の盤で、久々に取り出した。バッハのクリスマス・カンタータ等の作品類似の静かな宗教曲かと思って20年以上前に購入したが、結構おどろおどろしい音楽である。
今週は久々、クリスマス関連の雰囲気を味わった。
12/24(月) 天皇誕生日振替休日 晴れ曇り小雪
1:00起床、徒然、文献読み。微睡ほか、庭掃除、落ち葉処理。12:00長女と孫離秋。庭掃除、落ち葉処理一段落。BRながら視聴:「N響公演アーカイブス:スベトラーノフ指揮チャイコ5番、サバリッシュ指揮ベートーヴェン7番ほか」素晴らしい遺産だと思う。19:00夕食、21:00就寝。Σ10312歩。
新幹線「こまち」 遅れ四題 おかしい!!! 秋田に定刻の10分前に到着した!!
私は毎週金曜日に新幹線で大仙市にある大曲中通病院に出張する。内科外来の診療応援の為である。
私は車も怖いが、新幹線も怖い。新幹線に限らず巨大なシステムは怖い。100%システム任せで自分がどのような状態なのか、理解もできないからである。現に昨年、東海道新幹線のぞみの台車亀裂問題があった。誰も気づいていなかった。亀裂が実際に破たんしていたら世界最大の大惨事になっていたことだろう。新幹線「のぞみ」台車亀裂(1) 何であの日、あの時間に、あの危機が
その点、秋田新幹線は最高速度120Kmだし、秋田-大曲間は片道40分だからちょっと気楽である。
往路は秋田始発なので滅多に遅れないが、降雪・積雪期になると東京駅からの距離が長いだけ、下りでは多少の遅れが頻回となる。それでも、せいぜい5-30分程度である。JRの技能は大したものだ、と感心する。また、遅れてくるということは安全のために無理していないことの現れと考えれば、容認できる。それでも悲喜交々がある。
ここ一月余りの間に私が利用する新幹線の遅れが数回あった。
■ 11月9日、下りが線路上の落ち葉のため速度制限したとのことで10数分遅れた。
こんなこともあるのかと感心した。初めての経験であるが、紅葉が美しい田沢湖高原を通過する列車ならではのことと思った。落ち葉の油脂成分で車輪がスリップする可能性があるのだ、と言う。四季2018(13)紅葉・落ち葉の季節 秋田新幹線も影響受けた
■ 12月7日、下り新幹線が 全国的な降雪悪天候のために約30分遅れた。
大曲はこの日吹雪模様で積雪10cm。遅れは想定内であった。
■ 12月14日 上り8:11始発のこまちが3分遅れて発車した。
この日は秋田市は寒波で降雪あり、道路はアイスバーン状態の場所もあった。道路の渋滞が予想されたためにいつもより15分ほど早めに駅に向かったが、改札に着いた時は8:11で発車の時刻であった。いつもなら入場を止められるのであるが、その日は「まだ間に合うのでお入りください」と言われた。先着の奥羽本線の列車が遅れたとのことで、それを待ち3分遅れで出発した。こまちの発車が遅れたことで業務に穴を開けずにすんだ。こまちが「小待ち」してくれた。
■ 11月21日 下り新幹線が10分早く秋田に着いた。本当か??と驚いた。
大曲中通病院内科外来終了後、歩いて駅に急いだ。いつもの通りだと大曲駅で10分ほど待って下りの新幹線に乗るのであるが、「間も無く列車が着くのでお急ぎ下さい」とのアナウンスがあり、私はホームに入ってきた列車に乗った。着席した後はノイズキャンセリングヘッドフォンで音楽を楽しみつつ本を読んでいた。車内放送ではいろいろ言っていたが注意を向けなかった。秋田で降車し、飯川病院まで歩いている路上でスマホのアラームが鳴った。これは目覚ましを兼ねてセットしていたもので、いつもなら秋田到着直前に車内で鳴る。
これはおかしい!!! 新幹線が10分早く秋田に着いた?? そんなことはあるはずがないと半信半疑であった。実際には、いつもの列車の一つ前の列車が約40分遅れて大曲駅に到着、私が知らずに乗ってしまったためであった。車内放送で「払い戻し」云々とも言っていたような気がした。
12/23(日) 天皇誕生日 夕方から雨、比較的温暖 飯川病院回診など
13:15起床、本読み、新聞PDF化、徒然。BRながら視聴:「読売日響:遠藤真理マルティヌーチェロ協奏曲」、「N響定期公演:ドビュッシー&ウオルフ:牧神、カルミナブラーナ」ほか。次男一家来訪。13:00-18:00飯川病院へ、患者対応。18:30帰宅。19:00?20:00孫サービスで回転寿し、18:15帰宅。21:00就寝。Σ8209歩。
冬至2018:私には大きな節目 柚子湯・カボチャ小豆粥考
昨日は冬至。冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行くのを感じ取れるのは嬉しい。
我が家の可燃ごみは週2回5:00-6:00am頃に私が集積所に出すが、10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業で結構大変である。除雪は5:30に始める。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元、足元を照らしつつ作業を進める。
秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。今年の冬至は昨年同様、秋田市はまだ積雪はない。それでも、冬至は一つの節目を越えることになり私はほっとしている。実際の気温や天候は日照時間とは約二ケ月のタイムラグがある。まだまだ寒いし、秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。
今後一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に早くなっていく。春を待つ私の心の拠り所になるスタート日である。
古代には冬至が1年の始まりだつたと言う。
冬至といえば「カボチャと小豆」が、「風呂には柚子」。
柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。この習慣は冬至と湯治の語呂あわせから来ているほか、柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるというミニ根拠かある。
一昨年は、風呂に入れるだけでは勿体無いと、美味そうだと考えて柚子の果肉を食べ、ジュースも作ってみた。香りは強烈で、酸味がきつくて飲用に、食用には適さないことがわかった。柚子風呂としては皮だけで十分であったが、果肉の利用できないからその後はまるまる数け浮かべている。
冬至にカボチャを食すと健康によいといわれている。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつた新しい習慣と考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存がきく、食昧などの点から珍重されたのであろう。
実際、カボチャには力口チンが多く含まれており、風邪など感染症への抵抗力を得られるというミニ根拠かある。
小豆粥は元来1月15日の小正月に食されていた。小豆の赤が冬季間の陰気・邪気を祓うといういうことから食されたものと考えられる。小豆は利尿作用などがあるので健康によいというミニ根拠かある。
この日を境に「太陽の力が再び力を持って来ることを祝う祭り」は冬の長い北欧では今でも盛んだという。私も一人、心の中で祝っている。
私たちにとつては暖かさの実感はまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受けているものがある。
木の幹の周りは雪解けか早く見られる所のひとつ。のぞきこむと、何かわからないが小さな芽が見られる。
暦上では間もなく今年も暮れる。来年がどのような年になるのか?
今年は夏から異常気象が続いており冬場に来てもどうなるのかちょっと心配である。
日が長くなっていく毎日、日毎に元気を出していく植物、私も一緒に春までの日々を歩んで行きたい。
12/22(土)快晴で温暖 餅つきパーティ
1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。昼食、微睡など。13:10長女と孫来秋、15:00所準備開始、17:00-21:00休宝寺で餅つきパーティ。21:30帰宅、就眠。歩数Σ9378歩。
老医のつぶやき(6) 主治医が怖い? 顔も見ずに画面で診察?
86歳高齢女性の新患患者のもう一つの弁。「・・・、主治医には怖くて話もできません。画面だけ見ていて診察もありません・・・」にも私は注目した。
「最近の医師は常にパソコンのモニターばかりを見ていて、患者の顔を見ながら話すことが少なくなっていること」に対する意見は頻繁に聞くようになってきた。
カルテも電子化された昨今、このようなクレームが頻発することに私は実に不思議なことと思う。
私はいい時代になったと満足しているし、患者とこの便利さを共有すればいい、と思う。
中通総合病院の私の診察机の場合、モニターは患者と私の間に配置されている。すなわち、患者と医師の間にモニターを置いている。だから、私からは患者とモニター画面を同時に見ることができ、患者からは医師とモニターを見ることができる。
診療も、診療録部分の記載も、検査結果も私と患者がモニターを見ながら対話する。「先生、漢字変換が間違ってますよ・・」、「ちょっとここのニュアンスがちがいます・・」、「血糖が高いですね、食べ過ぎました・・」、「処方のこれとこれは今日は不要です・・」、「次の予約は・・」などなど対話が弾む。画面を印刷して渡すことも頻回である。
私の診療範囲は慢性疾患の患者が中心である。だから、呼んだ時の返事の様子、診察室に入ってくる様子、患者の顔の表情、患者の話す内容、話すときの表情などは、私の診療では最も重視する情報である。身体所見、検査の数値よりははるかに役立つ。
だから、私には顔も姿も見ない診療は考えられない。
タウン紙等には新規開業クリニックの紹介記事が掲載される。建物も実に素晴らしいデザインであり、素晴らしい医療機器、アメニティが並ぶ。
医師の診察机、患者の座る椅子なども紹介されるがいずれも立派。しかしながら、多くは医師の正面に大型のパソコンモニターが鎮座している。これは私には理解できないレイアウトである。
人は、顔を、目を見ながら話すことで安心する。ましてや、不安を抱えて来院される患者にとっては不可欠である。顔の表情には嘘がない。
医療は人である医師が、人である患者を診るものであり、医師と患者の信頼関係があって成り立つものである。勿論、最初から信頼などある筈もない。しかし、不安の核心を共有できればその道は拓けていく。
主治医が怖い?そんな医師患者関係など今でもあるのか、と思う。
今回の多剤投薬を受けていた患者の訴えは、診療の基本を忘れてはいないか、と自省するきっかけとなった。
12/21(金)快晴温暖化 大曲中通病院 飯川病院
23:30起床、寝不足感あり、徒然、文献読み。5:30可燃ごみ提出。7:30Taxi飯川病院経由駅に。8:11こまちで大曲、9:10-12:00外来業務、駅病院間は往復共徒歩。新幹線10分早くついた!!!! 13:30飯川病院。19:00TAXI書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10771歩。
老医のつぶやき(5) 多剤療法(2)
それにしても86歳の女性患者に連日25剤の経口薬剤の使用は明らかに異常である。
私は各患者の病態そのものにも関心はあるが、それ以上に薬物療法には関心がある。医師の診療姿勢にも関心がある。
わが国の保険診療で用いられる薬物は、国が安全と保証して認可している薬品だから、医師が正規に用いた場合の副作用などの責任は個々の臨床医にはない。しかし、その使用量、適用疾患については厳しく制限されている。禁忌とされる薬剤の併用もある。
ただ、各患者に何種類の薬物を併用するかは法で制限されているわけではない。また、我が国では各患者が複数の医療機関、診療科を受診するのにも制限がない。だから薬物投与に関しては各担当医が注意してみないとその実態がわからないこともある。10年ほど前から「おくすり手帳」が用いられるようになってからはその実態がわかるようになってきた。これは大きな進展であった。
私はかつて新設なった秋田大学で血液学を学ぶ機会を得た。研究分野ではそのひとつが「薬物の造血障害」であった。薬物の副作用で死亡した患者の実態調査も行った。秋田県の行政の要職にあった方の診療にも当たった。そんな経過もあって、私は自然界にない物質を医師として患者に投与する、している、という現実に畏怖の念を禁じえない。薬物は私には怖い存在である。
私が主治医としてずっと治療している患者の併用薬は3-5種程度日が多いが、平均的には7-8種かもしれない。それは前主治医から継続して診ている患者がいるタメである。このような患者の多くは減薬に抵抗する。日本の患者は薬好きであると言われるが、その医療文化を作ったのは医師である。ただ、その背景には日本独自の事情もあった。診療報酬が低く抑えられているために医療機関の経営は厳しく、薬品の利ざやをあてにせざるを得なかった時代もあったからである。
私は日常的に患者の処方をチェックしている。今までの多剤併用は複数の診療科で複数の主治医からの処方で20剤が最高であった。それからみても25剤は異常である。
この方の場合は、各薬物の効果がどのように現れているか、元々の病態が不明なので今のところ判断はできないが、消化器系の副作用は明らかなようである。
私の予想としては、これだけ多剤を用いていることは、各々一剤ごとにはあまり薬効が現れていないだろうということである。薬効同士が体の中でバッティングしてもいなさそう。この患者にとっては幸運だったと言える。
この患者が紹介状を持って再来院するかはわからないが、もし私宛ての紹介状持参で来院したなら主治医として処方減から手をつけようと思う。
12/20(木)曇り晴れ 外来 健康クリニック 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。7:10バス病院着。8:45-13:50外来+ドック総括14名分。14:00-14:30健康クリニック胸部レ線判定。14:45-18:55飯川病院、入院・外来患者対応。17:00家内家で預かる孫のために帰宅。当直医来院まち19:00プリにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5735歩。
老医のつぶやき(4) 傾聴(2) 多剤療法 86歳の新患の女性しみじみ語る
約1週間前の外来での話。
86歳高齢女性の新患患者が私の診療を希望して来院した。新患担当医師も外来に出ており、私はもう新患を診ることは少ないのであるが、本人が強く希望されたとのことで私に回ってきた。
某有名総合病院の循環器科に長く通院してきた方である。主治医は循環器科の高名な方で、指導的立場にある方であるが、患者いわく、「何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増えるんです。最近食欲もなくて、飲み込んでも途中で引っかかり落ちていきません。痩せてきました。こんな状態を続けていいのでしょうか?
主治医には怖くて話もできません。画面だけ見ていて診察もありません。できることであればこの病院に転院したい。」というのが来院の趣旨であった。
何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増える、というのは従来からよくある話である。
このように長い経過を持つ患者に対してはまず傾聴、対話が基本である。
「なんで私の外来を受診したのですか??」と聞くと「先生は日頃から、自分自身が薬ですから、薬はそれほど使いません・・・」と言っている、ことをどこからか聞いたことがあり、「迷いに迷ったが受診しました」、と言う。いやはや困ったことになった、口から出まかせ言うものではないね、が最初の印象であった。
「おくすり手帳」を持ってきたと言うので見せてもらったら、なんとそこには25種類の処方のコピーが貼り付けてあった。これが数ヶ月前から継続して処方されていた。患者は一つ残らず服用してきた、という。
内容的には循環器用薬が5種類以上、抗不安薬2種類以上、消化器薬7種類以上、高脂血症薬、血栓予防薬・・・、と続く。
診察を一式終わらせたが、やや羸痩傾向にあるものの全身状態は悪くなく、心臓を含め局所的には問題はなかった。緊急的に治療方針を変える必要ない、と考えられた。
私の患者に対して述べたのは
―――――――――――――――――――――――――――――
■ 診察の結果からは緊急的対応は不要です。もう少し時間をかけてベストな対応を考えましょう。
■ 特に悪い状態と思えないので、検査などは本日は不要です。
■ 長くお世話になった主治医に、処方減とかの希望を述べられてはいかがですか?それが転院まえの基本です。
■ どうしても私どもの病院に転院希望されるのであれば病状を知りたいので紹介状をもらってきてください。
■ 紹介状を見て、私の手に余るような病気であれば、私から当院の循環器科にも紹介し、私と一緒に診療進めます。
■ ただし、私は一年契約の嘱託医なので4月以降も外来に出るかわかりません。健康状態から見てもいつまでか診れるか保証はできません。その際には適宜対応します。
・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――
患者は私の説明に納得し、27日に主治医の診察があるというのでその時に話してみます、と言って晴れやかな表情で帰っていった。
12/19(水)小雨小雪 飯川病院ボランティア
0:40起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。11:07バス、通町珈琲店、飯川病院、院長受診のために留守番。外来など。19:00帰宅・夕食、21:30就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:映画」、「今世界は」など。歩数計Σ8815歩。
終活2018(19) 人間関係を整理(2) 年賀状、ご恩があるからこそ
2013年の暮れから、毎年250枚以上も出していた年賀状をやめた。また、届いた年賀状は一切見ない。
今は嘱託医師として細々と診療を続けている。
私は、第一線を退いた者は、現役世代の誰に対しても、負担や迷惑もかけるべきでない、と思っている。だから、退職後は、診療以外は誰とも交流せず、会合にも一切出ずひっそりとマイペースで生活している。
私は現役の時には多くの方々から助けられた。その恩は忘れることはない。私の宝でもあった。これからも忘れることはないだろう・・と言えど、記憶障害が進んでいるから保証できない。そのことは意識しながらも、退職後はすべての方と距離を置いている。恩を忘れていないのに、忘れる前に、お亡くなりになった方も少なくない。
私は感謝を忘れたのではなく、恩があるからこそ、一切迷惑をかけたくない。
年賀状は60年以上も続けてきた。年賀状にはハガキ代金以上の無形の力がある。最大の効能は先方の方との関係を思い出し、懐かしみながら感謝の気持ちを再確認すること、であった。
名刺を並べてみても、交友録等の名簿を見てもこんな気持には絶対になり得ない。
しかしながら、割り切って考えれば、無くても何ら困らない習慣でもある。裏を返せば私の賀状が先方に迷惑になっている可能性もある。
印刷だけ、写真だけの賀状は受け取っても心が動かされることはない。
私は賀状には必ず自筆で一筆添えた。その縛りを自分に課していたので毎年準備が実に大変であった。
現役を退いて後は、いま迄蓄積してきた有形無形の、人的交流を含めて、私にとっての貴重な財産を手放しつつある。年末の年賀状もその一つである。年賀状の用意から解放された後は、心静かに年の暮れを迎えることができている。
挨拶もなくひっそりと賀状をやめた私の行為は、多分、非常識だろう。それを分かった上での判断であった。今でも40−50枚ほどの賀状が届く。申し訳ない気持ちになるが、一枚も見ないで封印している。
12/18(火)比較的温暖曇り 外来 飯川病院
0:40起床、文献チェックなど。まだ除雪不要でうれしい。5:00可燃ごみ処理、提出。7:10バス飯川病院。8:45-13:00外来。13:15飯川病院、14:00勤務、入院患者インフ対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:韓国問題」、「今世界は:ゴーン問題」。歩数計Σ12679歩。
終活2018(19) 人間関係を整理(1) 私の「見ざる・聞かざる・言わざる」
三匹の猿が、おのおの目、耳、口を両手でふさいでいる彫刻や置物は「見ざる・聞かざる・言わざる」 という古来からのことわざを示していることで有名である。
日本で有名な三猿は、栃木県・東照宮にある作品で、左甚五郎の作とされているが、日本各地で見ることが出来る。
「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」という意味がある。
同じような考えは西洋にもあり、シルクロードを経て中国に伝わり、更に日本には8世紀ごろ伝わってきたとされている。
「見ざる・聞かざる・言わざる」という言葉は、孔子の論語が由来という説もある。
孔子は「礼節に背くことに注目してはいけない。耳を傾けてはいけない。言ってはいけない。行ってもいけない」と、四つの戒めを挙げている。
私は、図らずも、いや、求めて「見ざる・聞かざる・言わざる」を実践している。
視力低下、騒音回避用へッドホン使用、日常会話する相手が居ない、から結果的にそうなっている。
視力は眼疾患のために裸眼では0.01程度。しかし、矯正せずあえてぼやけた外界の中で過ごしている。全てがぼけて見える。道や廊下ですれ違っても人物を識別できない。こんな状態が不便か??というと全く逆で、気を使うこともないし、楽しんでいる。世の中全体が綺麗に見える。眼鏡で0.8程度となるが、焦点があった状態はむしろ辛く運転するとき以外用いることはない。
聴力は検診の範囲では異常なしであるが、騒音ノイローゼためにほぼ常時ノイズキャンセリングへッドホンを装着している。だから話しかけられてもほとんど聞こえない。実に快適であるが歩行時、車の音が聞こえず若干危険である。
診療以外話す相手がいない。家族以外と話す事もない。寂しいか?いや実に快適である。
こういう状態に至って、私は従来受けていたストレスから回避できている。私は人に対して過剰に神経を尖らし、気配りしていた。今はこの状態を心から楽しんでいる。
ただ、孔子の言う「礼節に背くことに注目してはいけない・・・」の四つの戒めは正しいとは思わない。 孔子は格好良すぎる。これでは生きていても面白くないだろう。「遺言的、老害的思想」であり、私のごとくの凡人は到底実践できない。
私は「見ろ・聞け・言え・やれ」を基本にしていて、社会に対するアンテナを広げていろいろ収集をしている。いろいろ考えてもいる。ただ、自分の意見の表現方法としては会話という手段を用いない。私は性格的に弱く、意見交換や論争を好まないからである。
12/17 (月)寒波小雪 健康クリニック 飯川病院
1:00起床、降雪若干。新聞チェック、そのほか文献読み。PDF化書類。7:10バス飯川病院。9:00-10:50健康クリニックドック業務、14名。レ線判定。11:15飯川病院、本読み、14:00-18:30飯川病院勤務、外来対応する。聴く。BR録画「そこまで言って委員会:映画そのほか」 、「世界は今:ゴーン関連」、19:30帰宅、夕食、21:30就眠。Σ歩数計Σ8656歩。
師走2018 (3) 雑感 庖丁を研ぐ 鉛筆を削る
私は日常台所に立つことはまずない。料理は一切しない。しかし、もし、ほぼあり得ないことであるが、私が生き残った際にはなんとか糊口をしのげる程度の食事の支度はできると自負していて、その点では焦っていない。
しかしながら、台所の模様替えとか、棚の不具合、つり金具、照明、電気の配線などの対応は私の役目である。更に、取手とか鍋等の修理もやる。私の場合はそれに、包丁研ぎが加わる。
10代の頃から包丁研ぎは、私の役目であった。
そのときの名残で、いまでも庖丁を研ぐのが好きである。
包丁研ぎの道具としては簡易なものとしては包丁を溝に接して滑らすタイプの簡易型、ダイヤの粉を表面につけた棒状タイプのもの、電動型もある。簡易型も一時的には効果があるが、やはり砥石を用いるのが一番である。ただし時間的に余裕がないと出来ない。
私のやり方は、テーブルに新聞紙を広げ、その上に軽く濡らした布巾を置き、あらかじめ水に浸けておいた砥石を置く。
刃こぽれがあれば電動グラインダーに装着する荒砥石も必要だが、通常の手入れは、中砥石と仕上げ砥石で充分である。
片刃の和包丁の場合は、まず左手の3本の指を研ぐ刃の裏にあてがい、刃をゆっくり滑らせる。刃先を砥石に対して角度は30度ほどと一定にし、刃先に水をつけながら刃線に沿って50回ほど研ぐ、次に、裏返してなぞるように軽く研ぐ。
仕上げ用の砥石でも同様に研ぐ。
洋包丁の湯合は、両刃だから両側をほとんど同じ要領で研ぐ。
菜切り包丁、出刃包丁、刺身包丁、それから両刃の小さな万能包丁、と手持ちの包丁を何でも研ぐ。ハサミも研ぐことがあるが、一体型のは難しい。
庖丁研ぎは家人からの申し出に沿って行う。小口切りのネギが切れなくなった時、トマトの切れ味が悪くなった時などに声が掛かる。
家人からよく言われるが、切れ昧を取り戻した包丁を用いた場合、料理上手になつた気分になるらしい。出来上がった料理も一味違う・・・という。そう言われると嬉しい。
包丁は幼少の時から私が研ぐものと思い込んでいた。最近、庖丁研ぎの話題を聞くことがなくなったのは、カット野菜、調理済みの鮮魚、肉などがあって包丁やまな板をおかない家もあると聞く。スーパーの食品売り場を見ればそれもうなずける。
欧米では包丁の代わりに、はさみで何でも切るということを聞く。
包丁は料理の要である。上質のを求めるべきと思う。いい庖丁は研いでいても実感する。作りが違う。
研ぎ終わったらトマトを切ってみる。すうっと刃先が入り、包丁が蘇った実感がする。
今年の年末は包丁研ぎに追われそうな予感がする。
ついでに、私は鉛筆を削るのも好きである。
包丁にしろ、鉛筆にしろじっくり研ぎ、削ると私自身も研がれたようなフレッシュな気持ちになる。それがいい。
12/16(日)寒波多少ゆるむ、曇り晴れ 飯川病院日当直医補助
1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。14:00レガシー飯川病院に、日当直医補助19:00まで。病棟は平穏。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。BR録画「ローマの休日」、「がん免疫療法」。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計Σ8515歩。
徒歩通勤2018(13) バス通勤雑感 若者は何故座らない?
2012年春、自転車通勤を止め徒歩通勤にした。
徒歩の場合、片道で6-7Kmで往路は6:30前に家を出る。60-70分要する。
勤務終了時間は通常は18:00で、当直医の来院が遅れた場合などは19:00頃まで待つ。それから徒歩で戻るファイトは湧かず、通常は家内の車に同乗して帰るが、講演会等で都合がつかない時は私だけバス帰る。?
天候によってはバスを利用する。
2012年,35年振にバスに乗った。その頃まで秋田市のバスネットワークは知らなかったが、停留所は自宅からも病院からも歩いて10分ほどにあった。なかなか快適である。
私は車の運転が嫌いである。出来るだけやりたくない。自分で運転しないで移動できるのはなんと素晴らしいことなのか。長くバスを利用してこなかったのが悔やまれた。
秋田市では68歳以上の高齢者は「コインバス乗車資格証明書」を提示すると一区間100円で乗車できる。私は略現役で働いているので市に負担をかけたくなかったが、納税もしているし、市のプランに乗って高齢者のバス利用者を増やすのも貢献の一つだろうと考えて申請した。往復で200円、通常は640円だからかなりの割引となる。
ただ、思うに、高齢者福祉は重要であるが、高齢者を一括りにして対応するから財政上の問題が生じる。バスも高齢者の経済状態に応じてクラス分けしてはどうだろうか。
本年12月になって私の体調もあって徒歩通勤は小休止してバス通勤にする機会を増やした。家内に同乗しても通勤は可能であるが、時間的に遅すぎる。バスは6:47を利用する。
大きな問題点は感じないが、多少乗客のマナーに問題を感じる。
■ 乗車時、順番を守らない。
■ 2人分のシートの独り占めが結構ある。荷物は膝に置いて席を開けて欲しい。
■ 一方、若者や学生はシートが空いていても立っているが、空席があったら座って欲しい。降りる客が移動でき難く迷惑である。特に、最近は多くがディバッグを背負っているために降車時になかなか前に進めない。
■時代柄、大多数がスマフォを見ている。だから、声は一切聞こえず静かでとてもいい。
■降車時にいちいち現金を用意するのは面倒。Apple Payとかの支払方法を考えてほしい。ドライバーの事後事務処理も楽だろうし、利用者統計も集められる。
12/15(土)曇り小雪 晴読雨パソ生活
2:00起床、本読み、医学文献読みなど。午前は文献整理など入力。午後はダリア球根越冬用処理。ガレージ整頓掃除。BR録画:「読売日響:シェーラザード」、「らららクラシック」、「題名のない音楽会:女性トリオ」、「ロンドン響ラトル指揮:ラヴェル、コダーイなど」。19:00夕食。20:55就寝。晴読雨パソ生活でほとんど歩行せず。歩数計Σ3945歩、
スポーツ選手と貧血(2) エリスロポエチンを用いたドーピングもある
一般的に、特別な血液疾患をもたない若い女性の貧血の大部分は「鉄欠乏性貧血」である。だから「鉄欠乏性貧血」について学べば女性の貧血の大部分は正確に診断や治療が出来る。
成人女性、男性の貧血は様々ば原因が考えられるが、「鉄欠乏性貧血」の診療は多くは婦人科、消化器科で扱うことが多い。前者は月経過多、後者は消化管出血に続発するからである。この診療科の先生方には「鉄欠乏性貧血」について是非学んでほしいと思う。一般的に、私の立場から見て、貧血の診断治療は過剰に「鉄欠乏性貧血」とされ、無用に鉄剤の投与を受けている、と思う。
先日、某消化器科から紹介受けた「鉄欠乏性貧血」の患者の治療には「鉄剤の投与とエリスロポエチンの併用が必要です」、とコメントがあった。私は驚いた。
エリスロポエチンと言えば、スポーツ界にはエリスロポエチン単独、あるいは自己血輸血法と組み合わせた持久力向上法があることがも知った。
どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。ましてや、エリスロポエチン単独、自己輸血との組み合わせは医療行為であり、医師の参加が必要である。医師が関与していてもいなくとも医師法違反に問われる。
こんなことに関与している医師がいるとは驚きである。
今、スポーツ界でドーピングが問題になっている。
ドーピングは厳しいトレーニングの成果の上に、さらにもう一押し、力を加えてくれるものとされている。並の選手には不要である。
造血ホルモンであるエリスロポエチンを投与すれば、血液中の赤血球が増え持久力の向上につながるとされている。
ただ、私はその効果に対しては疑問を持っている。逆効果もありうる。
エリスロポエチンを用いたドーピングは単独投与法、自己血輸血法と組み合わせた方法がある、と言う。どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。
アスリートのドーピングは不道徳のレベルを超えて、私は犯罪行為だと思う。
それに協力する医師も、同じ穴の狢だ、と思う。
ドーピングとエリスロポエチン(1)医師の関与はないか??
ドーピングとエリスロポエチン(2) 効果は疑問だが、ドーピングは犯罪的行為
さらに、スポーツ界では持久力を増すために低酸素室の利用もされているという。鉄剤投与、エリスロポエチン投与と同じ効果も得られると言うが、確証は得られていない。これにも医師が絡む。低酸素室の使用中に体調不良となり救急搬送された例もある。
ここまで無理無駄なことをやって生身の人間が競うより、いっそのこと工夫に工夫を重ねたアスリートロボットに競わせればいいのに・・・、と思う。
12/14(金)降雨降雪 大曲中通外来 飯川病院ボラ 飯川病院忘年会
0:40起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、提出。7:25Taxi駅に、渋滞であわや遅れたかと思ったが、8:11こまちが接続列車待ちで3分遅れで出発、間に合った。9:50ー12:15大曲中通病院外来。往復Taxi。帰路のこまちは定刻。13:30-17:40飯川病院ボランティア。18:00-20:30飯川病院忘年会キャスル東天紅、Taxi帰宅、21:30就寝。歩数計Σ8345歩。
スポーツ選手と貧血(1) 鉄剤投与には医師の関与があるはず
高校駅伝の一部強豪校で貧血治療用の鉄剤注射が不適切に使われていたことが分かった。
日本陸上競技連盟(陸連)は、高校、中学、大学、社会人の競技団体に鉄剤注射の使用実態の調査を依頼することを決めた。
鉄剤注射は、持久力を高める効果があるとされる。それが使用の背景であるが、私はその効果には疑問を持っている。「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の場合は筋力の低下、持久力は低下するが、治療によって改善していく。その状態ならば鉄剤使用は間違いではない。
「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」がない場合の注射剤の使用は100%間違っている。その治療によって持久力が増すとのデータもない。
「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の判断、診断は「抹消血液検査」、「血清鉄値」、「不飽和鉄結合能値」、「血清フェリチン値」の測定で簡単にできる。
鉄欠乏状態のない正常人に鉄剤注射を不適切に投与すると、体内に過剰な鉄分が蓄積され、肝機能障害など、新たな疾患を引き起こす恐れがある。それは比較的簡単に生じる。
陸連は、来年12月の全国高校駅伝大会から、選手の血液検査結果の報告を義務付けるほか、身長、体重を報告させることも検討中だ。
私はそれにも疑義がある。単なる抹消血液検査で貧血の有無を見るだけでは体内の鉄欠乏の状態は正確には判断できない。
これに加え、日本中学校体育連盟、全国高等学校体育連盟、日本学生陸上競技連合、日本実業団陸上競技連合の4団体とも対策を協議していく、と言う。
陸連は、中高生時代に好記録を残しても、伸び悩んでしまう選手がいる背景には、鉄剤注射の使用があるとみており、若手選手の健康管理を総合的に推進する必要があると判断した。この判断も正しくない。
陸連には、全国から「鉄剤注射の使用が低年齢化している」との情報が寄せられていることから、調査対象を中学生にまで広げたい考えだ。読売新聞の取材でも、高校で鉄剤注射を打っていたという大学生の女子選手が、「中学で打ち始めた」と証言した。
はっきり言って、こんな馬鹿なことが行われているとすれば糾弾しなければならない。
言えることは選手や監督・コーチなどが「持久力向上のために鉄剤注射をして欲しい」と判断したとしても、そこには保護者の同意が必要であり、かつ、「鉄剤注射」の実施は明らかな医療行為であり、医師の指示がなければならない。
この場合の医師の判断であるが、病気でない選手に鉄剤注射を不適切に投与することは医学的に間違っているだけでなく、保険診療も認められない。
中等度ないし高度の貧血の際でも体内の鉄の欠乏量は2000mg+αで、この計算のもとで過剰投与にならないよう留意しなければならない。ましてや鉄欠乏を証明していない場合は危険である。
関与している医師は、恐らくは「鉄欠乏性貧血」について誤解している可能性がある。
恥ずかしながら私が40年近く前に書いた小文を併記しておく。鉄欠乏性貧血治療のポイント。
12/13(木)寒気ややゆるむ 雨夕方から降雪 外来 飯川病院
1:00起床、徒然。文献・録音データの整理・処理など。7:10バス飯川病院に。8:40-13:00外来+人間ドック判定13名、14:00飯川病院、勤務。外来・入院患者対応、新聞、文献読みなど。玄関先のツツジに屋根つけた。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7940歩。兵庫終了大阪に入った。昨年MacBookエアー注文。
徒歩通勤2018(12) 本日、兵庫通過し大阪に入った
平成13年3月から徒歩通勤を始めた。ちょうど5年半になる。
歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。
伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北に向かい、北海道一周、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、9月22日再度本州に戻り岡山県、兵庫県に入った。本日、兵庫県を終了し、大阪に入った。
平成13年3月から本日12月13日時点までの積算データ
■歩行開始後 2.072日目、
■総歩数 Σ2.007万歩 (平均9.686歩/日)、
■歩行距離 Σ16.059Km(平均7.75Km/日)。
兵庫県通過のデータ。
兵庫県に入ったのが10月31日、通過日12月13日。
■兵庫県の海岸線は308.95Km。
■兵庫県の通過所要日数 44日。
■一日平均歩数 9.000歩、
■一日平均歩行距離 7.22Km。
■現在の位置 日本一周目標の85%終了。
最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩と、目標に不足した。
兵庫県は12月10日頃に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが、3日遅れの13日に終了した。
兵庫県を通過している間は天候も悪く、歩行出来る機会は少な目だったことに加えて、体調不良のためにバス通勤にしたことも関連している。
通過した兵庫県は兵庫医科大学医学部内科に血液学関係の講座があった事から学会や研究会で何度も訪れた。もう古い話で学術的なことは忘れたが、私が昭和50年秋の日本臨床血液学会総会のシンポジウム「薬剤因性血液障害」でシンポジストとして登壇し「クロラムフェニコール・肝炎・再生不良性貧血」について述べた思い出の地域である。尤も、私の能力で選ばれたのではなく、当時の秋田大学第三内科の教授のお力のお陰であった。身に余るほどの機会を与えていただいたが、それだけに忸怩たる思いから逃れられない。
兵庫県の中では姫路市、加古川市、神戸市、尼崎市を知っているに過ぎないが訪問したことのあるのは神戸市だけである。市内は日本の文明の中でも諸外国との交流が盛んで街中にもエキゾチックな雰囲気が見られた。また、平野が少なく近隣の丘や山の中腹にまで住宅が広がっていたのが印象に残っている。
この地域が1995年1月17日にM7.3の激震に襲われ神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達した。私は震災後には神戸市を訪れていない。
(Yahoo地図から引用した)
いま歩き始めた大阪の海岸線は160.26Kmと東京、山形、富山に次いで際立って短い。
天候不順の季節、積雪で足元が危ないこと、加えて私の体調から1日6-7Kmの低ペースにして、1月上旬に通過出来れば良いと考えている。
12/12(水)曇り 飯川病院ボランティア
耕陽命日。1:30起床、文献読み。蓄積データ処理。午前データ整理、煙突修理、居間整理、12:07バスにて飯川に。ボランティア。外来対応、植木の冬囲いスタート。18:00院長は明和会年末交流会。プリウスにて18:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7151歩。昨年、MacBookPro17、2009年12月製造、起動せず昇天する。
四季2018(16)家庭菜園・園芸2018(8) ダリア冬眠に入る 今年の園芸作業は終了
いつもながら晩秋から初冬は日照時間がとても短く、季節の移ろいが釣瓶落とし的に推移し実に速い。
11月末頃から晴天の日がほとんどなく、なかなかダリア球根を掘り出すチャンスが得られなかった。12月5日と9日にわけて曇り空の下でダリアの球根を掘り出し、乾燥させた。
掘り出した球根は植えた時には各1本であったが、掘り出した時には一部を除き数ケに増えており、来年は分株できそうである。嬉しいが植える場所が足りなくなりそう。
(植え付け時の球根)
(7け月後、掘り出した球根。多房化したのが多いが、1本のまま巨大化したのもあった)
これで、元蔵ネギがまだ土中に埋まっているが、追い追い鍋料理の時に引き抜く事として、今年の菜園・園芸の外作業は本日をもって終了となった。
今季ダリア栽培は4年目である。3年で種類が減ったので国際ダリア園から新種7株入手、我が家の株も一部分割し7株として14株を植えた。今年はちょっと離れた畑でなく敷地脇の花壇に植えた。
今年のダリア栽培の反省点。
■ 新しく仕入れた株は栗と柿の木の下に植えた。早朝の陽は葉によって遮られるるであろうが、昼頃からは十分に日差しが得られるものと期待した。しかし、1シーズン観測した範囲では判断が甘かったようである。陽が陰ったであろう順にダリアの成長に大きく差がついた。日差しを十分に浴びたと思われる端の2株は私が経験したことが無いほどの速さで成長し、茎も十分太くなり私を驚かせたが、そうでない株は背も低く、全体に華奢な感じに育った。来季は終日陽に当たるよう考慮しなければならない。栗と柿の木の枝の剪定もその一つの候補となろう。
■ 株間の隙間が狭すぎた。
■今夏は日差しが強すぎて花が日焼けしてうす汚く咲いた。日差しが弱まってきた9月下旬からの花は見事、とても美しかった。
■ 台風21号は最近の台風の中では最大級の勢力とされ、9月4日夜から5日未明にかけて本県沖を通過、県内は激しい雨と暴風に見舞われた。瞬問風速は秋田市29.7mだったと言う。我が家のダリアは大きな被害を受けた。4日は19:15帰宅、雨の中で急遽ダリアに支柱を追加し、枝に紐をかけてまとめたが、その時点で地植えのダリア10本程のうちの半数は様々に折れ曲がり、いくつかは既に折れていた。前日から対策すべきであった。鉢植えダリア5鉢は、軒下に避難させたので被害はなかった。
■ 台風21号の直接の被害のほとぼりが冷めた頃から塩害によると思われる葉刈れ、枝刈れが生じ始め花勢は落ち込んだが、それに対して積極的対応は何もできなかった。
今年のダリアは教えられたことも多かった。7月-11月下旬まで私の目を楽しませてくれただけでなく、切り花として飯川病院の玄関先をきれいに飾った。自然の恵みに感謝!!!である。
(球根掘り出しの日まで咲き続けた一輪「不動心」 切り花として食卓の上を飾った) 。
12/11(火)曇り寒波 外来 飯川病院 靴底スパイク初装着
1:00起床、データ処理。5:30可燃ごみ処理、提出。その間も靴滑る。靴底スパイク初装着。7:05バス飯川病院へ。8:45-12:50外来。13:00秋銀経由、飯川病院。14:00-19:00勤務に。19:20帰宅夕食。21:00就寝。歩数計Σ7463歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。
四季2018(15)秋田にも寒波到来 早朝、図らずも尻出し姿で歩いた
今期、初冬のうちは比較的暖かかった。温かいうちに、と11月25日に車のタイヤ交換を済ませ、二台の除雪機の整備をして厳寒、雪の到来に備えた。
一昨日あたりから日本列島はすっぽりと西高東低型の気圧配置に覆われ、寒波が襲ってきた。北陸や山陰、北海道等の豪雪地帯では1mほどの積雪がニュースになっている。秋田も例に漏れず冷え始め、県南の雪が多い地方、横手や湯沢では1m近くも積もった、と言う。除雪、雪下ろし関連の事故、死者も出始めている。
秋田市内も初冠雪した、と言っても。まだ積雪2-3cm程度と、除雪が必要なレベルではない。
寒くなった。ここ2−3日で一気に冬が来た感じであった。
昨日10日は降雪であったが、これ以上は猶予ないと午後からはボタンの鉢の冬囲いを進めた。次いで、外の水道凍結対策、散水用ホースの収納など。車の冬支度として窓ガラス用融雪剤、車用雪かき棒、雪に埋まった時の脱出用のプレートなどを用意するなど、冬支度、雪対策を行った。
私も衣替えが必要になった。通勤着である作業服での通勤は耐え難い状況となった。
病院間の移動などで外を歩くことが多いので、ヒートテックの下着、丸首セーターを出し、次男が中学生時に着たスキーウエア、これは私には若干カラフルすぎるのであるが今更私用に用意する気もない、に変えた。防寒靴、手袋など用意した。
通勤路に積もった雪の一部は凍結してもう危険な状況になっている。昨年は4回ほど雪道で転倒したので、滑り難いとされる防寒靴に買い変えたが、それでも結構滑る。雪道での転倒は高齢者の、いや、私の人生を一変させる危険があるのでここ数年来使用している靴底アタッチメントも装着した。
昨日から冬用ウエアで通勤し始めたが、バスから降りて飯川病院に100mほどになった時に、何だか尻のあたりがスースーして冷気を感じた。また下着がずり落ちたのか?と考えしばらく歩いていたが徐々に歩きずらくなった。確認してみたら、冬用のズボンが大腿の半分ほどまでずれ下がっていた。後ろから見れば、白い下着を出して歩いている状態であった。慌てて振り返ってみたが、7:10ほどと時間が早かったからか、誰も後ろを歩いていなかった。
別にみられて困ることではないが、自分で一人恥じ入った。
原因はズボンの前ホックが外れ、次いでジッパーも下がってきたためであった。衣替えの朝だから起こったこと、と思いたい。
12/10(月)寒波終日曇り 健康クリドック 午後飯川病院
0:30起床、文献・新聞チェック、読書。防寒靴、手袋など。作業衣からスキーウエアに。7:10バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック。11:20飯川病院、微睡など。13:30秋銀スタッフ来訪、14:00-18:45勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8298歩。
天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(3)
秋篠宮が来年11月に打われる大嘗祭への公費支出に疑問を示された。
宗教色の強い大嘗祭べの公費支出は政教分離を定めた憲法に抵触するのでは、という意見であった。
この問題は平成の大嘗祭でも話題になつた。
政府は大嘗祭は宗教儀式と認めながらも、「憲法で皇位の世襲が明記されており、その儀式に国が関与するのは当然」、「大嘗祭は公的性略があるから公費を支出できる」と判断した。
政府はすでに閣議で決めたことと秋篠宮の発言の火消しに躍起になっている。問題は皇室関係者の意見を汲み上げながら決定したのかが問題になろう。秋篠の宮の発言を見る限り不十分であった様だ。
平成を踏襲して行われようとしている大嘗祭は本来の姿でないと皇族が考えているということ、重大な指摘である。
大嘗祭に際して造られる大嘗宮は、古くは祭りの1週間ほど前から建造を始め、3日ほどで落成。祭りの後は直ちに破棄された。そのため萱、黒木、草や竹などで簡素に作られた。
近代以降は天皇の権威を示すためか、大きな改変が加えられた。
大正、昭和の大嘗祭、大嘗宮をほぼ踏襲した平成の大嘗宮の建設費は約14億円、大嘗祭関連費は総額約25億6700万円に登った。
天皇のお立場は戦後大きく変わった。過去の天皇の権威とは全く異なる象徴天皇である。今上天皇は新しい時代の象徴としてのお立場から国民と共に歩むとの姿勢を貫かれた。その様な中、身の丈にあった大嘗祭をと言う意向は大事にしてあげたかった。
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皇太子が新天皇に即位する来年5月1日を祝日とすることが、11月13日の閣議で決定され、12月8日参議院本会議で、賛成219票、反対14票で可決、成立した。法の定めに従い、来年は4月27日の土曜日から5月6日のこどもの日の振り替え休日まで、10連休になる。
休日が増えることは、社会的にほぼ死んだも同然の私にはそれほど大きな影響はない。
しかし、一人の医療関係者としてみれば、10連休問題が健康弱者に及ぼす問題は小さくないことから、賛成できない。健康に問題を抱える方々にとっては、この期間、不安を抱えることになるだろう。
この間、医療機関だって困る。持てる病院機能は明らかに低下する。
スタッフの確保も困難になり、手術が組み難い、血液の入手等が困難になるなど、緊急事態に対応し難くなる。さらに、クリニックは休まざるを得ないから地域医療は混乱する。病院の救急患者は軽症者で混雑し、重症者への対応が困難になり、バックアップする緊急入院対応も手薄になりかねない。
リハビリテーション、施設介護、在宅医療の運営も困難になる。もちろん、医療機関内部ではスタッフの調整して対応に当たるだろうが限界もある。この10連休間、私は飯川病院の日当直が2-3回割り当てられるだろう。
内閣の方々、国会議員の方々は、健康弱者への配慮はしたのだろうか?
一方で、長期休暇を歓迎する人も少なくはないだろう。もちろん、他の分野でも問題は多々生じるだろう。それらを全部自助努力で乗り切れ、と言うのか。
天皇退位に関する政府の対応は、退位意向の表明以来、判断ミスを重ねてきた様に思う。
12/9(日)寒波、雲、積雪多少
1:30起床、新聞チェック、読書など。自炊2冊。午前はデータ整理。「NHKのど自慢」見る。13:30-15:30ボタンの鉢冬囲い。結構苦労する。車の冬支度、外の水道凍結対策など。通勤着、防寒靴など用意。19:00夕食、21:00就寝。 歩数計Σ7716歩。
天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(2)
退位の希望が述べられた後は天皇ご自身の希望などはどうであったのか明らかにされていない。
天皇をはじめとして皇室の方々の生の声はもっと伝えられていいと思う。
政府は30日、天皇陛下の退位と新天皇即位に伴うスケジュールを発表した。
「基本的な考え方や内容は前回を踏襲する」と昭和から平成への代替わりの前例にそって行われる、と言う。
新天皇の即位に伴う儀式は五つあり、いずれも国事行為として実施する。
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2019年02月04日 天皇陛下在位30年記念式典
2019年04月30日 退位礼正殿の儀
2019年05月01日 改元 剣璽等継承の儀 即位後朝見の儀
2019年10月22日 即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 饗宴の儀
2019年11月14-15日 大嘗祭
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19年5月1日即位に続き、皇室に伝わる剣や勾玉などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」、新天皇が三権の長らを前に最初のお言葉を述べる「即位後朝見の儀」が行われる。
10月22日には、内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」の他、パレー ドで国民に広く即位を披露する「祝賀御列の儀」が、同日以降、外国元首らを招待する「饗宴の儀」を開催する。国民の安寧や五穀豊穣を祈る儀式「大嘗祭」は11月14-15日。
「大嘗祭」は古代からの天皇即位の儀式。天皇が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭をといい,それを一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭である。今上天皇の大嘗祭は1990(平成2)年に秋田県南秋田郡五城目町で行われた。当時のニュースに若干記憶がある。
私は一つ一つの儀式の意味、また国事行事であることの意味もわからない。即位の礼・大嘗祭について、基本的に神事であり、政教分離の立場から国の公費で行うことは違憲であるとする説もある。私もそう思うが、詳細はわからない。判断出来ない。
秋篠の宮は11月30日に53歳になられたが、その会見で「宗教色の強い大嘗祭は公費ではなく、天皇、皇太子の日常経費の内廷費で行うべき」という意見を述べた。これは簡素にとの今上天皇、皇后の考えにも沿う。
かつて秩父の宮らの弟宮はマスコミに様々な意見を表明していた。天皇、皇太子が立場上、発言しにくい「皇室の意思」を代弁していたが、現在、秋篠の宮はそれに近い役割を担つているといえる。
政府は平成の大嘗祭をほぽ前回に踏襲し、公費である宮廷費で実施するとしている。その平成の大嘗宮は歴史上最大規模といわれた昭和の大嘗宮と並ぶもので、建設費は14億円超。大嘗祭関連予弊は約25億円。
大嘗祭は、かつては簡素のものであったが、近代以降、天皇の権威を高めるために大規模化された。秋篠宮と政府との間に大きなズレがあるようにも思える。「身の丈に合つた儀式」との主張が取り上げられなかったいう言葉は、さしたる議論なしに前例を踏襲することを決めた政府への懸念、を表している。
12/8(土)寒波小雪終日 初冠雪2-3cm ダリア球根堀など
1:10起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。新聞チェック、データ整理中心。外仕事に向かない天候なるも余裕なし、10:30ダリア球根堀、途中微睡、15:30終了。19:00夕食、21:00就寝。BRながら視聴「らららクラシック:(1)シューマン仲道。(2)月の名曲」、「題名のない音楽会:フィギアスケートに使用された音楽」,画像邪魔。「エルプフィル演奏会、ギルバート指揮、ワーグナー・ラベル・ブラームス」。歩数計Σ9764歩。ラジオ深夜便録音数篇聴く。
天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(1)
2016年8月8日、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように全身全霊をもつて象徴の務めを果たしていくことが、難しく・・・・」と天皇陛下が退位の表明をされた時、私は一日も早くそうされるように、と素直に思つた。あの誠意ある発表を聞き、多くの方々も、ごく自然にそう願つたのではないだろうか。
皇室、天皇制に関する憲法とか、生前の退位が困難なことは予想されたが、これほど時間がかかるとは正直思わなかった。陛下の退位希望の表明自体が憲法違反か否かから論議が始まったのは驚きであった。
人は誰でも加齢によつてさまざまな身体的な衰えを生じる。陛下のご高齢による体力の衰えはTV映像などから誰しも認めるところであろうが、政府も側近の宮内庁もなんら退位に関してアクションを起こさずにだんまりをし続けていたことには驚きを禁じ得ない。
もちろん、生前に退位されるということは歴史的に稀な事態であるし、社会的に影響が大きい事項だから簡単にオープン化できない。止むを得ない点はある。ただ私が集めた情報からは、水面下でも目立った動きはなかった様で私は驚いた。誰しも、天皇の御崩御を願っていた・・としか思えない。
私たちは加齢を迎え入れるべきである。
天皇は新憲法の下では神から人間になられた。だから、天皇は我々と同じ高齢者のお一人である。私はご本人が高齢に伴う心身の衰えから限界を感じられたのだから、その意向を受けて簡単に推移するものと楽観視して、推移を見守ってきた。
しかし、天皇の体調のことはそっちのけに天皇退位は憲法論議、宮内庁と官邸の問題として表面化し、有識者会議を経て1017年12月退位の日がやっと決定した。
自分の身の処し方として、私たちが軽やかに考えられる問題でなく、陛下の場合は極めて重く考えなければならなかった。それが象微のお立場なのだろうと妙に納得せざるを得ない。私たちが言う、当たり前の自由や選択とは別世界で象微であり続け、退位もなかなか思いのままにいかない・・・。そのことを考えると、息が詰まる。
生れながら個としての選択がほとんど認められない、逃れることが出来ない不自由さの中におられることが皇室の存在感であり、皇族、天皇として尊敬を集める背景である。もし就任も退位も民意でなされる様な環境であるなら天皇制は存在しえない。
その中で陛下は皇后とともに新しい時代の開かれた皇室を目指して来られた。
わたしたちに認められていて、天皇には認められていない「基本的人権の行使」をできるだけ速やかに、と願つてやまない。おふたりの、今後の自由や平穏を願わない人などいるだろうか。
私は今日までの推移を見ると納得できない点が多々ある。
■ ご本人の退位の意向がある、
■ 次の天皇になられる皇太子が控えている、
■ 多分、国民のほとんどが退位されることが自然と思っている。
■・・・・
この様な状況の中、退位の条件設定にこれほどの時間を取る必要があったのか??疑問である。
今回の退位問題は今生天皇だけの特例として退位をしていただき、その後時間をかけて法の整備をすればよかった、と思われる。
入管法改正案は喫緊の課題だから、まず法律を通してから内容を吟味するといった妙な内容であったが、私は生前退位に関してはこの方式をとればよかったのだ、と思っている。
退位の時期に関しては、その後は退位表明のあとはご希望はどうであったのか明らかにされていない。
天皇をはじめとして皇室の方々の生の声はもっと伝えられていいと思う。
12/7(金)小雨小雪 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献検索、6:00家庭ゴミ収集所に。7:30Taxi駅、8:11こまち。9:00-1210大曲中通病院外来。駅病院間は小雪のためにTaxi、帰路のこまち30分遅れ、強風のため。14:30-18:40飯川病院ボランティア。19:30帰宅。21:30就寝。歩数計Σ6419歩。BRながら視聴:「歴史秘話:足利義満」、「市川昭介」。
ネコ談義2018(6) 複数飼育のネコ 飼育方法としては誤りだった
いま、わが家には七匹のネコがいる。
先輩格のプチははじめから家ネコとして飼われ、約1年間の野良生活があったが家に入れてから時間はかかったが徐々に私どもに慣れてきた。プチは性格もやわらかく、いたずらも少なく、3-4ケ月後頃から私の膝に好んで乗るようになった。1年間野良だったなんて信じられないくらいである。
プチに遅れること3ケ月、風除室に親猫を含む仔ネコを6匹保護し、餌とトイレ、安全を確保した。
ネコ共にとって自分たちの空間に、毎日朝夕二回髭面のジジイが侵入し、食事中に背中をこすられたり触られたり嫌なことをされる、と思ったのであろう。私は親しみを込めて、食べ終わってからもスキンシップを試みてきたたが、ほとんど示し合わせた様に天井の棚の上に避難された。どうも私は彼らにとっては不快な闖入者だったようである。ネコハラ??髭面は役に立たなかった様である。
そんな状態で、仔ネコたちはとても落ち着きなく育った。里子希望者の方も何組か見にきたが、「可愛いけれど、活発すぎて飼うのに自信がない・・・」とやんわり断られた。そのうち一匹だけ里子に引き取られていった。
私はそのうち慣れるだろう、と2年以上この状態で世話してきたが、ネコどもとの交流はほとんどうまくいかなかった。夏季の猛暑、冬季の厳寒に際しては、昼間は居間を解放し、夜だけ風除室に入れていたが、昨冬からは我が家全部を解放した。
当初は人に慣れず、近ずくと逃げ回り、さらに、いたずらに閉口したが、徐々に人間にも慣れ、側に寄っても逃げなくなった。最近はネコ達ものびのびとした気持ちで暮らしている様に見えた。
ネコ談義2018(1) 厳寒のために風除室ネコを居間に避難させた
風除室にいるときは満足にはさわれなかったが、家に入れて約一年、全員が徐々に慣れ、餌と関係なく私のタッチやマッサージなどをゴロゴロと喉を鳴らして受け止める様になってきた。表情も柔和になってきた。最近では、プチ >>> 小さい方 > グリ > 鉄=雪音と私に近ずく様になり、時には私の椅子の下で順番待ちをすることもあり、二本の手ではスキンシップに足りなくなってきた。
こんな中、「しまじろう」に家出されてしまった。
私は小学校から最近まで、間欠的に一匹のネコとともに過ごして来た時期があるが、ネコがそんなに好きなわけではなかった。私は複数のネコを同時に世話するなどということは予想もしていなかったが、家内の「孕んだネコが不憫、産まれたら私がなんとかするから入れてやって・・・」の一言で世話し始めたのがきっかけである。その言葉の後半はウソであった。またまた騙された。
風除室に閉じ込めたのは、当時としては最善の選択と思って来たが、私とネコの関係構築、ネコどもに恐怖感を与えていたという意味では間違いであった。反省している。
いま、3年目であるがやっと私に慣れ始め、それとともに一層愛しく感じて来た。彼らはまだ若い。幸多かれ、と願っている。
12/6(木)曇やや寒い 外来 飯川病院
1:10起床、新聞。文献読み。労働問題の文献読む。6:50レガシー飯川病院。8:45-13:00外来+人間ドックデータ整理13名分。14:00-19:00飯川病院勤務、入院・外来対応、19:30帰宅。夕食、21:20就眠。歩数計Σ8986歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。BRながら視聴:「昭和は輝いていた:昭和3大女優、原節子、田中絹代、京マチ子」、「歴史秘話:日本刀」。
ネコ談義2018(5) 8月に「しまじろう」が家出した
風除室はネコ共にとって居住空間としては辛いだろうと考え、約一年前の厳寒期に居間を解放し、夏になってからは我が家全部を解放した。風除室ネコから飼いネコへの昇格である。ネコ共にとっては広々とした空間であり、ネコ自体ものびのびとした気持ちで暮らしている様に見えた。多分満足しているだろうと思うが、私にはネコの気持ちなどわからない。
居間に閉じ込めていたときは居間に作ったバリアをかいくぐり別室に侵入することに腐心していて、私の工夫は何度か破られ、その都度対策を強化した。とても考えられない狭い隙間をくぐったり、重いサッシを開けたり、とネコどもの知恵と技術も進化する。大したものである。
家全部を解放してからは、今度はいかに外に逃れるかに関心が集中した様だった。
折しも夏である。
特に今夏の暑さはただ事ではなかった。エアコンのない我が家では従来締め切っていた窓にも網戸をつけ換気を図った。この網戸が彼らの絶好のターゲットとなり、何度か外されたり破られて逃げられた。その度ごとに対策を強化し、やがて逃げられなくなった。
夏の間に数回逃げられたが、その日のうちに、あるいは翌日あたりには空腹を抱えて戻ってきていた。
しかしながら、8月下旬の最後の逃走で「しまじろう」だけが戸口までは姿は見せるものの家の中に入ろうとしなかった。確かにその頃仲間内で折り合いが悪く、いじめられている様に思われ心配していたが、「しまじろう」にしてみればかなりのストレスであったのかもしれない。
「しまじろう」はその後も時々我が家の周りをウロウロしていた。その度に私は餌を与えていたが、あれから3ケ月経過し、もう寒い師走を迎えている。餌の与え方を工夫しつつ家に入るよう誘っているが今日の段階では入ろうとしない。最近は自転車小屋の棚の上の座布団の上で過ごしている。やはり外の環境は生きるのに厳しい面もあるのだろう、家にいる時よりも表情がきつくなった。
私は毎朝自転車小屋を覗き、声をかけ「しまじろう」がいれば餌を与えている。風が当たらない様シャッターを閉めるなど対策しているが、大変だろうと思う。
我が家ではもう一匹外で暮らしているクロネコの「ゆう」がいる。「ゆう」は2005年生まれだから高齢ネコである。元々は家ネコであったが、やはり他のネコと折り合いが悪く家には入ろうとしない。「ゆう」は勝手口に1日数回訪れ餌をねだる。その度ごとに対応している。「ゆう」は長毛だからかなり寒さには強い様に見える。また、外で冬を越すのも何回も経験している。どこで過ごしているか直接確認はしていないが、それなりのノウハウもあるだろうと思う。
どちらにせよ「ゆう」、「しまじろう」を不憫とは思うが、ネコ同士の問題に介入できない。半分諦めつつ家に戻ることを願っている。
12/5(水)曇り 飯川病院ボランティア
0:30起床。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。午前は鉢のダリア球根最終保存。12:50バスにて飯川へ、外来入院対応。19:00帰宅、20:50就眠。BRながら視聴:「三橋美智也」、「浅田真央」途中まで、「原発事故 被ばくの実態」。歩数計Σ7122歩。
ネコ談義2018(4) 風除室ネコから家猫になって1年
わが家の「飼いネコ」が7匹になった。
1年前までは「飼いネコ」が2匹、「風除室ネコが5匹」であった。「風除室ネコが5匹」も3年も我が家にいるのであるが、立場上はずっと「半飼いネコ」状態であった。しかしながら、最近の厳しい気象状態から「風除室」に閉じ込めておくのが困難となり、1年前から我が家に同居となった。それで「飼いネコ」が2匹から7匹となったわけ。
全部が野良。だから素性はしれない。
先輩「飼いネコ」の2匹は2005年横浜で拾われたゆう(13歳)、2014年生まれで1年間野良で過ごしたのち2015年春から「飼いネコ」となったプチ(4歳)の2匹。
2015年生まれの元「半飼いネコ」はテツ、グリズリー、雪音、シマ次郎(何れも3才)とその母親の「小さい方」(年齢不詳)。もう1匹いたが里子に出した。我が家の周囲はネコ嫌いが多く、ネコにとって危険がいっぱい。だから、私はやむを得ず風除室内に保護しエサとトイレと安全な環境を与え、世話してきた。
全面ガラス張の風除室はネコの居住空間としては厳しいものがある。
夏場は陽を浴びると簡単に40度にも達した。だから、日中だけは居間を解放し何とか凌いできた。我が家はエアコンがないからネコと人間が喘ぎながら過ごしてきた。
厳冬期の風除室はさらに厳しい。風こそ当たらないがガラスの断熱性はほぼゼロで室内温度は外気温と大差ない。
2015年の冬は暖房マットを与え、2016年はコタツを用意した。
2017年の冬は冷え込みが半端で無かった。止む無く12月から居間を開放してストーブの下で一緒に過ごし始めた。
こんな経過をたどったが、ここまで来ればもう全員を「飼いネコ」として認めざるを得ない。だから、2017年暮れからはネコの話題になった際には私どもは「飼いネコ7匹います」と話すようにになった。
「飼いネコ」に昇格した当初は、悪戯盛りの仔猫であった。私の書斎には仏壇があり、台所には食品もある。頻繁にいたずらされたためにラティスとかで入れない様工夫してきたが、私の工夫は頻繁にウラをかかれ、互いの知恵くらべがしばらく続いた。
ところがネコどもを観察していると、行動に次第に落ち着きが見られるようになり、あまりイタズラしなくなってきた。要するに珍しくてイタズラに及んだのであろう。それで夏以降は、外には出さないものの、家の中は全室自由に出入りを許している。
我が家の猫たちの生活ぶりはインスタグラム、petit_zzlyで紹介している。
12/4(火)早朝雨 外来 飯川病院
0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。6:50レガシー飯川病院着。8:45-12:30中通病院外来。13:10飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。BRながら視聴:「廃藩置県」、「与謝野晶子と柳原白蓮」。19:10レガシー帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ7370歩。
師走2018 (2) 師走雑感 寛容・忍耐・奉仕
今年も師走を迎えた。
せき立てられるような、落ち着きのないこの時期、私はあまり好まない。この時期は一年を振り返る時期でもあり、結果的に腹の中に険しい感情をためやすい。心の中の毒がその量を増すときかもしれない。
人聞は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「毒」が形成されている。私どもは、いや、私は罪作りである。生きるために他の命を殺めた食品から逃れられられないし、生きるために社会に適合せざるを得ないから、心の中に常に他人に対して「毒」の感情を発生させている。
人には五欲があると言う。五欲とは【食欲】、【財欲】、【色欲】、【名誉欲 】、【睡眠欲】。朝起きてから夜寝るまで、私もこの五欲に追い立てられている。私はどちらかと言うと無気力人間であったから「他人を蹴落としても自分が・・・」と言う発想は乏しいが、それでもやっぱり逃れられず、様々な悪行?を重ねてきた、と思う。?
私も年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、自身を否定している。実際そんなことはできないが、今後罪を重ねない様に他人との間に距離を置いている。
同時に、私もずいぶん他人や家族に、やさしく接するようになつた。
私が家内には感謝を込めて、家内の人生を纏うしてもらうために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えている。
心に生じた「毒」を私はこの小文を書くことでクールに再検討し、その結果を記録している。しかしながら、言葉や態度に載せて外に逃がさねば生きていけない厄介な存在の人もいる。最近の日本はその様なクレーマーが増えた様に思う。
組織の中にはではクレームの専門担当者を置いているところもあるが、日々現場で侮しさで震えるような気持ちでクレームに耐えている人も多い。クレーム対象になりやすい業種は医療関係者>教育関係者>公務員・・・とされている。医労連の調査では、医療従事者の80%が患者や家族からクレームを受けた経験がある、と言う。
百貨店や小売店などで働く約5万人にアンケートで聞くと、7割以上が悪質なクレームを経験していた。暴言が最も多いが、説教や威嚇といつた行為も自立つ。5割がこのような理不尽な客が最近増えていると感じていた。
言つた側は忘れても、言われた側は長く尾を引く。日本中で一日に吐かれる毒の総量は、一体どれぐらいで、どれだけの方が傷を負っているのか、と想像すれば空恐ろしくなる。
人が暮らしていくうえで、モラルや常識の守備範囲がある。法律より広い。しかし、今、さまざまな場面で、人間社会の澗滑油というべきその守備範囲が狭まっているように思われてならない。
不寛容の時代である
12/3(月)曇りのち晴れ夕方から降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10レガシー飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ10196歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。
最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか
私は、演奏会、特にオーケストラの演奏会が好きで、秋田市内で聴ける場合はその知名度とは関係無く可能な限り聴いてきた。地元の青少年オーケストラ、秋田室内合奏団、秋田市管弦楽団は勿論のこと、大学の夏期休暇中に秋田を訪れる都内の大学オーケストラなども聴いてきた。先日2000年前後から集めていた演奏会のパンフレットを廃棄したが120枚ほどあった。ずいぶん聴いたものである。しかし、ここ2-4年は稀にしか行かない。
人が集まる場所を毛嫌いするのは前からあったが、最近、その傾向が特にひどくなった。とにかく人が集まる場所に身を置くことが不快になってきている。つい前までは、知人に会うことがストレスであったが、最近は座席で前の人の頭を見るのも嫌になった。話し声、喧騒も嫌で、人混みの中ではノイズキャンセリングヘッドフォンは離せない。
今年は、6月のベルリン交響楽団と昨日の秋田市管弦楽団のみである。
無理して演奏会に行っても不快なことがあってがっかりする。
■ 第一は演奏終了時のブラボーのかけ声。
昨日、秋田市管弦楽団定期演奏会があったが、第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの席から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、私は眠気も覚めたがすっかり興ざめした。実に迷惑である。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、よく響く低音で声もデカイ。いつも同じ人なのだろう。とにかく迷惑、やめて欲しい。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。本心は注意したいのであるが、度胸がないから耐えるだけ。なんで後ろで怒鳴る。前席でやればいい。
■ 第二は演奏前の注意事項の説明。
携帯電話の電源オフ、演奏中の出入り、飲食などに関する注意事項である。こんなのは常識である。会場入り口などに掲示するだけで良いし、さらに求めるならパンフレットに記載すればいい。
■ 第三は演奏前のプレトーク。
昨日の演奏会もそうであったが、指揮者等によるプレトーク。多くの場合は配布パンフレットに記載されているから100%ムダである。もし挨拶したいなら自分の言葉であっさりと。
■ 第四は演奏後の団員への労い。
例として2012年秋田県民会館で行われた小林研一郎指揮の東京都交響楽団を挙げる。プログラムはチャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第一番、交響曲第5番。演奏自体は見事なものであったが、交響曲第5番の演奏終了後に管楽器各パートのもとを訪れ首席演奏者から順に立たせて、驚いたことに全員に労をねぎらった。
確かに,団員をねぎらいたい気持ちは演奏内容からも見て取れたが、それを聴衆の前でやる必要はない。演奏上の責任者であるコンサートマスターだけで良い。あえて挙げるなら見事なソロを聴かせたバスクラリネット奏者だけでよかった。聴衆は其の間拍手を強要される。主客転倒である。団員への労いは控え室でやればいい。
■ 第五は観客の退場。
いろんな演奏会場で感じることであるが、観客がスムーズに会場を出れない。だらだらと進む。これが苦痛。緊急時、大丈夫なのか、と思う。
私は、通常は演奏終了直後に席を立つ。大抵一番目。そのために常に後方で通路側の席を確保する。
私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。
12/2(日)雲ひとつない快晴終日 秋田市管弦楽団演奏会
1:00起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。7:00検食、9:40バスにて帰宅。入浴、スクラップ電子化、データ整理。13:30秋田市文化会館。秋田市管弦楽団演奏会。16;15Taxi飯川病院、当直医補助、読書、自炊など。18:30帰宅、19:00夕食、21:30就寝。歩数計Σ11535歩。昨年は11/20から防寒靴、スキーウエア着用、昨年は寒かった。
秋田市管弦楽団演奏会創立50周年記念定期演奏会
本日12月2日午後,秋田市文化会館で開催された秋田市管弦楽団演奏会を聴いた。同楽団の演奏会は久々である。今回は創立50周年記念の定期演奏会とのこと。
当初は「シェーラザード」を取り上げるとのことで興味を感じていたが、時間の面で迷っていたが、同好の方よりチケットをいただいたので聴きに行くことにした。
演奏会の概要
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指揮:佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏:菅原 潤氏。
プログラムは
■ チャイコフスキー スラブ行進曲 Op31。
■ シャミナーデ フルーとと管弦楽のためのコンチェルティーノ Op107。
■ フンメル トランペット協奏曲(ピッコロ版)
■ リムスキーコルサコフ作曲 交響組曲「シェーラザード」Op35。
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指揮の佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏の菅原 潤氏はともに秋田市出身の方で、前者は行きつけの書店の関係者でもある。
「秋田市管弦楽団」は1968年創立。しかし、その歩みは順風満帆ではなかった。当初は秋田市の援助を受けていたが、演奏会の客足は伸びず、団員数も減少した。1983年秋田市の援助から離れ、その後、県外からプロの指揮者や演奏家を招いて指導を受け、徐々に来場者と団員も増えた。現在の団員は63人とのことである(魁新聞 12月1日)。
私は過去に自分もやっていたことがあってアマチュアの方々の演奏は興味がある。とは言っても、私は同楽団の演奏会を意外と聴いていない。時間的余裕がなかったからである。それでも10回目ほどだろうか、そのうちの2回分については徒然日記に記録を残している。
秋田市管弦楽団定期演奏会
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(1)
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(2)
私はやや早めに会場に出かけた。終了後迅速に席を立つ必要があり、後ろの通路脇の席を確保するためである。
前半の2曲は寝不足もあって夢見心地で聞いたが、後半の2曲フンメルの協奏曲、交響組曲「シェーラザード」は十分楽しめた。
第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの後から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、実に興ざめ、迷惑である。すっかり目も覚めた。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、とにかく迷惑、やめてほしいた。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。
不快、迷惑な演奏終了直後の「ブラボー」の大声
アトリオンホール「名曲のしらべ」を聴く
またもあのブラボー・コール
私は演奏前に拍手をしない。演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。何度かのコールでやっと拍手である。基本的には演奏終了後は静かであって欲しい。
私はこの声を聞きたくないので、今回は演奏終了後、間髪をおかず退席、当直医の補助のために飯川病院に移動した。
12/1(土) 降雨小雪曇り不安定 飯川病院日直当直 レセプトチェック
1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。12:15プリにハイビスカス枝切り、室内収納セット乗せて飯川病院に、検食。14:30玄関ハイビスカス対応。室内に。16:00外来レセプト点検。18:00検食、各種データ複製処理、読書、自炊など。20:30就眠。Σ9166歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:平成時代振り返り」。
師走2018 もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
師走である。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。
それにしても新年を迎えてからの時間、過ぎるのが早い。もう11ケ月も経過した。それだけ私自身が鈍くなって時間感覚が狂っているからである。
「ポール・ジャネの法則」がこの現象を説明している。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20161201">師走2016(1) 加齢とともに時間が早く感じる、は本当か??</a>
私は師走があまり好きでない。黙ってても何という事なく過ぎ去るのに、何かと慌ただしいからである。私は淡々と静かに過ごしたい。
「忙しい」の「忙」は「心を亡くすこと」と言われる。昔の人はよくぞ言ったものだ。よくぞふさわしい文字を創り上げたものだ。
ここ数年、多忙から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。
師走になると世の中が喧騒になってくる。
通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば親切、半ば脅迫である。私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも心に傷つく。
新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます市井が煩くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
世の中が見えない力で踊らされている。
駅前、街中のイルミネーション、評判は良いようであるが私は嫌だ。冬の夜はモノクロ写真のごとくの雰囲気が似合うのにカラーの世界である。
忘年会、今年は一回だけ飯川病院の会に出席する。業務の一環として出席する。私にはアルコールも不要、忘年すべきことなどない。記憶力が乏しくなった昨今、忘年会しなくとも自然に忘れていく。
人間には、濃密でない時間があってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない、静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢になる。
いつも似たような結論になるが、今年師走を迎えての感想である。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |