徒然日記
2018年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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10/30(火)晴れ夕方から雨 外来 飯川病院 
 0:40起床,文献チェックほかいつものごとし。6:00可燃ゴミ提出、雨にて7:10レガシー飯川病院着。8:45-12:30中通外来。13:00飯川病院へ。14:00-18:50勤務、19:00レガシー帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2回分。歩数計Σ9372歩。

順風満帆 読み方の変遷 かつては「じゅんぷうまんぽ」だったのに
 私は1885年後半に親戚の青年の結婚式の仲人を務めた。
 挨拶文の中に順風満帆という言葉を入れた。何度か読み上げて居るときに「じゅんぷうまんぽ」という読み方に違和感を覚え国語辞典を調べたところ「じゅんぷうまんぱん」が正しいことがわかった。式の前日の話である。

 私は中学の頃、何らかの本を通じて順風満帆という言葉を知っており、それには「じゅんぷうまんぽ」と振仮名があり、ずっとそのように記憶していた。それが間違いだったのか、といたく恥じ入り一人で赤面した。お祝いの席で、大勢の前で大恥を書かないで済んだ、と喜んだ。
 しかし、順風満帆と言う熟語をみるたびにかつては「じゅんぷうまんぽ」と読んでいたことを思い出し、長い間不思議な感覚を抱いていた。

 それがつい先日、文藝春秋本年10月号を読んでいて一気に解決した。
 国語辞典編集者の飯間浩明氏が「日本語探偵」と言うコラムで「順風マンパン」の読みが定着したのは最近、と解説していた。

 私の表現力では氏の言いたいことを言い表せない。
 少し長いが氏のコラムを引用する。
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 野村芳太郎監督の1974年の映画「砂の器」で、警視庁の課長が「順風満帆」を「順風マンポ」と発音する場面があります。映画ファンの間でも話題になり、「関係者は気づかなかつたのか」とネットに書き込む人もいます。

 「満帆」は、一般に「まんぱん」と読まれるはずです。なぜ、映画では訂正されなかつたのでしようか。

 理由は簡単です。1970年代には、「順風満帆」はまだ形が定まつたことぱでなく、「満帆」は「マンパン」「マンポ」の両様に読まれていたのです。
 ところが、その後、「順風満帆」は「マンパン」の読みとともに、どの国語辞典にも載るようになりました。「満帆」は「マンパン」と読むのが正しい、という考え方が広まりました。
 つまり、「順風マンパン」が定着したのは比較的最近です。以前はこれが唯一の「正解」ではなかつた、ということは知つておいてもいいでしよう。

 「順風満帆」は、戦前から使用例があります。ところが、戦前の国語辞典には「順風」しか載つていませんでした。辞書の編者は「順風満帆」や「満帆」を無視、または軽視していたのです。

 戦後も「順風満帆」を載せない辞書は多くありました。象微的なのは「広辞苑」です。80年代まで「順風満帆」の「満帆」の項目を立てませんでした。
 「砂の器」封切りの時点で、ほかに「岩波国語辞典」「旺文社国語辞典」「新潮国懸辞典」などが「順風満帆」の「満帆」を立てていません。映画の関係者が「マンポ」という読み方に疑問を持たなくても、不思議ではありません。

 NHKが80年に有職者を対象に行つた調査では、「順風満帆」を「マンパン」と読む人が約5割、「マンポ」と読む人が約3割でした。有識者の意見である点にご注意ください。「マンポ」も一定の支持を得ていたのです。
 「マンポ」は音読みの「満」と訓読みの「帆」が混ざつていておかしい、と言う人もいるでしよう。でも、日本語では音訓まぜこぜの読みは珍しくありません。「帆」のつくことぱでも、「半帆」(半分上げた帆)、「本帆」(船の中央に張る帆)は音訓まぜこぜです。

 ことぱには正解があり、その正解は昔から動かないと思われがちです。実際には、私たちが正解と考えているものは、案外歴史が浅いこともあります。場合によつては、複数の「正解」を認めるだけの度量を痔つことが必要です。
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 要するに、氏のご意見からみれば、私が子供の頃しっかり覚えていた「順風満帆」の読み方がいつの間にか変わった、という事。「じゅんぷうまんぽ」という読みも当時は間違いではなかったのだと納得できた。
 
 30年以上未解決のまま放っておいた懸案の一つが最近納得できた。
 日本語が日々変わって行くのだ、という事をあらためて理解した。
 日本語(3)日本語は進化する


10/29(月) 終日降雨  健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。録音データ、画像データ整理、歴史本を読む。PDF書類整理など集中。8:00雨にて家内に同乗飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック。11:30飯川病院、14:00-18:30勤務。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2回分。昨年みぞれ、すなわち初雪。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計7268歩。

幸福・不幸(7) 思い残す事はない死なんてあるか!!!
 幸福・不幸について考えても、全く結論めいたことが出てこない。まだ暫定的な結論すらも出ていない。

 ところで、死にあたって病床で発した最期の言葉として「思い残すことはない、満足だ。」と言って死んだとされるのは、捕物帳「銭形平次」の作者野村胡堂(1882?1963年)である。上記の言葉は書評家細谷正充氏が秋田さきがけ新聞のコラムに紹介していた。
 作家「野村胡堂」は本名は野村長一。音楽評論家としては「あらえびす」の名で活躍した。その記念館は私の郷里の隣町岩手県紫波町に平成7年初夏開館した。盛岡市の中心部から30Kmほど南、近くに北上川が流れ、北に岩手山が悠然とそびえる景勝の地に建設され、数々の作品や執筆資料、SPレコードや音楽関係の資料を総合的に展示している。私も数回訪れている。
 あらえびす記念館に併設する「あらえびすホール」は小さい体育館くらいでグランドピアノと、タンノイのスピーカー・ウェストミンスター中心としたオーディオ装置もある。マイスキーによるバッハの無伴奏チェロ組曲のレコードをかけてもらったが、実演よりもいい感じ(?)で複雑な気分を味わった。静かで、とても落ち着けるいい雰囲気がある。

 古今東西の有名人の死の瞬聞をつづった、山田風太郎著「人間臨終図巻」(1)-(4)は私の書棚にもおさまっている名著で、私が日本人の死を考えるにあたって資料として参考にしているが、この中に遺言として紹介されている。

 だが、この言葉、野村夫妻と親交のあつた藤倉四郎の著書「バッハから銭形平次」には、誰かが洩らした言葉が、胡堂が語ったようにされたのではないか??と記載されているそうである。細谷正充氏も、この意見に同感と述べている。

 私もそう思う。

 胡堂は新聞記者として活躍、銭形平次を通じて国民作家となった。かつ、家庭も円満であつた。こうした胡堂の人生を、多くの人が尊敬したか羨んだか、妬んだかわからないが、本人の言葉として相応しいので、いつの間にか定着したのではなかろうか。

 「思い残すことはない、満足だ。」・・と言って死ねるのは無理やり死を容認した人の諦めの境地の言葉だと思う。本心は「死にたくない」につきる。
 身体は死の間際まで死を受け入れる事を拒否し続ける。そのために死の間際に「死戰期」と言われる厳しい時間がくる。身体が生きることを諦めたときに「死直前の安息期」が訪れる。

 葛飾北斎は90歳で死去した。当時としては超超長寿であった。それでも彼は、「天、我をして10年の命を長らわしめば・・・。いや、天、我をして5年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・ 」と言って死んだ、という。辞世の句は、「人魂で 行く気散じや 夏野原」。
 これは極端な例であるが、いかに考えても肉体の衰えは避けようがないから死を受け入れざるをえない。「思い残すことはない、満足だ。」は止むをえないから、仕方無く、残る人に想いをはせて発する言葉である。

 意識がしっかりして、判断能力がある死の場合、「幸せだった」と言って死ぬ人は居ない。必ず心残りがあるものだと思う。


10/28(日)終日降雨 飯川病院日直
1:00起床。録音データ整理、2:00-4:00居間の、滑りが悪くなり不調のサッシ、原因は滑車にあった。他の戸と入れ替え、途中で硝子戸倒すも幸い破れず、怪我も無し。ちょっと不注意。それにしても重いものだ。8:30雨でレガシー飯川病院、8:45-17:00i飯川病院日直。18:30帰宅、19:00夕食、21:30就寝。歩数計11116歩。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2回分、「男女共生」。一昨年居間のストーブ初点火、昨年、今年は未。

幸福・不幸(6) 至福と言える以上の幸福を追求したら生きてはいけない
 幸福・不幸について考えても、全く結論めいたことが出てこない。まだ暫定的な結論すらも出ていない。

 一般的に言われている幸せ状態は「長い時間持続した幸せ状態」を示すことが多いようだ。だから、幸せになることは、幸せを持続させることだとすると、方法論としてどうしたらいいのだろうか。私は幸せ感は短時間しか持続しないものだと思っているから、幸せ感の持続なんて出来るのだろうか、と思う。
 幸せ感には常に不安が伴うものだと思う。これだけでも不幸なのだ。
 
 今の状態で幸せだ、と確信することができれぱ長期間の幸せ感の維持は可能かも知れない。その感覚を持続させればいいのだ。

 これが幸せ状態なのだ!!、と確信し、今の状態に満足しそれ以上望まなければいい。
 ただ、それは欲を無くすることである。それ以上の欲望が生じることのない状態が幸せ状態なのだ、ということ。
 結局は、活力が乏しくなって修行僧のごとくに達観した言葉を吐く先人の答えに行きつくが、もし仮に欲をなくすることが出来れば、食べたい欲求も捨てることになるから、死んでしまう。

 最大限譲歩して、生命維持に必要な欲だけ残して他の欲は捨てる事だとしても、欲望を無くせと言うのは不可能である。

 自分の幸せのために欲を無くすというのも、また一つの欲望だ。
 それは自死の論理に繋がる。私が自死を消極的ながら支持するのはここにルーツがある。自死の先には幸せが待っている。

 だから、人は生きる限り欲望とは付き合っていかなければならない。すなわち生きている限り幸福ではないのだ。寂しいとか、悲しいつて思うのもやつぱり幸福感が乏しいことで、欲望が無ければそんな悲しみさえ起こって来ない。

 まあ、こんなことを考えることが出来る生活を送っている私は幸せなんだろうと思う。私の過ぎ去った過去に比較すれば今はパラダイスといえよう。ただ、作文を終えてパソコンから離れると、厳しい現実が待っている。失われた時間と言っていい過去の時間と比べて今は幸せだつてことだから、なんか変な気がする。要するに幸せ感と言うのは絶対的なものではない、と言うこと。

 誰かの状況と比べて、幸福度の順位を決めるような事をしていたら幸せになれない。
 幸せになろうと欲を出さないことが幸せになる方法なのかな??それじゃ負け犬の考え方と同じだ。

 世界の、日本の「幸福度」も各県の評価とか、「豊かさは世界で何番目か・・」といったことはどんな意味があるのだろうか,「幸福度」の物差しとして、学歴、貯蓄、平均寿命、ひきこもりの数も加えるようだが、そんな物を組み合わせて幸福度がでてくる、という発想はどこからくるのだろうか。

「幸福」と「不幸」(1) WHOの「幸福度」の順位に意味あるのか??
「幸福度」の順位に意味あるのか??(2) 幸福とは 不幸とは何なのだ??

 私は恵まれているが、決して幸せな人生を送っているわけではない。ただ、ほぼ毎日味わう小さな幸福感は、一つ一つは実にくだらないが、不幸感との落差が大きいだけに喜びも大きい。


10/27(土)曇 時おり降雨 紹介状作成
0:30起床、新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。午前は座学中心、良く読んだ、データ整理もした。尻に褥瘡できそう。15:00中通総合病院に、紹介状作成、17:00飯川病院病院。19:00バス帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計6417歩。

幸福・不幸(5) ブータン国の国王夫妻のお姿に感心
 いつからか分からないが、私はずっと幸福とは何かを考えてきた。
 自分は恵まれた人生だとは思ってきた。恵まれた人生が決して幸福な人生だったのかと問えば、必ずしも結び付かない。もちろん幸福感はしょっ中感じてきたが、それは流動的、刹那的な、相対的な、長続きしない感覚であった。

 前からぼんやりと、幸せについて考えてきたが、今だに全然判らない。

 幸福についてより具体的に考えはじめたのは、2011年秋のブータン国王夫妻の来日であったような気がする。
 ブータン国は、国民誰しもが幸せ感を持っている「世界一の幸福国」との評価、実際は8番目であったのだが、国際情勢の中で決して恵まれているとは言えない国である。確かにワンチェク国王・ペマ王妃の表情や仕草からは、幸せ国からお出でになったと言う雰囲気は十分感じられた。私は国民単位でそう論じられることには、疑問に思っていた。誤解に基づくマスコミの喧伝でないのか??
異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(1) 好印象を受けた
異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(2) 内憂外患の中で高「幸福度」文化をどう維持?

 私にとって、ほとんどの思索は記録しながら発展させていかなければただの思索で終わってしまう。だからこんな風に記録する。

 幸せってよく分からないが、どうやら幸せって言うのはずっと続くことはない状況、と言うことまでは分かってきた。
 ああ幸せ!!と思ってもすぐにその感覚は時間とともに薄れてしまう。
 理屈だと、不幸な思いがあるから、幸せがあるのであつて、その二つは続きもので、悲しみも幸せを形作る大きな要因と言える。ブータン国には悲しみも大いにあるのだろうが、国民はそれを幸せに転嫁するという文化がある、と言う事なのだろうか?

 美味しいご飯を食べた時、飼いネコが笑つてくれた時などに幸せと感じることは、ある。
 幸福感というのはなかなかうまく記録できない感情である。一方、悲しさとか寂しさは記録しやすい。

 幸福感が入り込めないような時とはどんな時だろう。不幸としか言いようがない状態、幸福感が入り込めない状態が不幸なんだろう。

 不幸の最中に居るときは、いくら飯が美味かろうが、ネコが寄つてこようが、誰かが笑つてようが、心が動かない。でも幸いなことに人はそういう状況にも飽きるのか、適当に時間が解決してくれるように出来ている。悲しみをずっと持続させる、お気の毒と思わざるを得ない方々もいる。

 ある悲劇的な出来事が起こつて、不幸に陥っても、ずつと不幸ではない。ずつと幸せでいられないのと一緒である。ただ、幸福と不幸の持続時間を考えてみれば後者の持続時間は長い。

 もし、その悲劇的な出来事がずつと続いたらどうだろう。それはありえる。不運がつづくこともあるだろうし、ずつと保持される悲しみもあるだろう。

 幸福・不幸について考えて入れも、全く、結論めいたことが出てこない。暫定的結論も出ていない。それが今の到達点である。


10/26(金)晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
12:50起床、新聞文献チェック。文献その他整理、5:30可燃ごみ処理提出。7:30Taxi8:11こまち大曲、9:10-12:00外来。往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア、CD残りデータか4枚。19:00Taxi帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計12468歩。

日本人の食を考える(5) 孤食、私は好きだが・・

 孤食とは家族等と一緒でなく一人で食べる食事を言う。
 私は他人と食卓を囲むのが嫌いなので好きな言葉のひとつでもある。

(1)子供の孤食
 子供が育つ過程においては孤食が続くとコミュニケーションの欠如から社会性や協調性のない人間に育ってしまう恐れがある。また、孤食では正しい食習慣が身に付かなくなり、栄養面でも問題が生じる。

 人間は社会的生物と言われている。食事は家族単位で分け合って”共食”するのが通常の姿である。
 食事は生きる上で中心的な行動であり、コミュニケーションをとるためにも重要で、学びの場としての機能を持ち、子供の発達にも大きな影響を及ぼす。
 食が乱れると生活リズムが乱れ、生活習慣までをも脅かすことになる。
 これは肉体的なことだけにとどまらず、精神面においても情緒不安定になりやすいなど多くのデメリットを生み出す。
 成人でも孤食では、孤食でない人に比べてうつになる可能性が1.5-2.7倍高いようだ。

 子どもの孤食は貧困層の子供に多い。
 共働き家庭が増え、シングルマザーなどのひとり親世帯など、子どもがひとりで食事しなければならない状況は増えている。

 地域の子どもたちに温かい食事や居場所を提供する「子ども食堂」が全国で開かれている。多くはNPO法人や社会福祉法人、地域住民が主体となって運営している。食堂は2286カ所で運営され、都道府県別では東京が335で最も多く、大阪219、神奈川169が続いた。
 本県では本年4月の時点で12カ所ある。しかし、まだまだ足りない。

 子ども食堂の背景には子どもの貧困がある。
 厚労省の16年国民生活調査によると、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす18歳未満の子どもの割合を示す貧困率は13.9%で、およそ7人に1人となっている。特にひとり親の貧困などがある。
 しかし、食堂の多くは資金面、人手不足などの問題を抱えている。

(2)青少年の孤食 学習院大学の迎合は問題
 2013年6月7日の読売新聞の記事に、「学生食堂のテープルに仕切り」という見出しの記事が掲載された。これは学習院大学の学生食堂の記事。同大では、向かい側に座った人と目を合わせずにすむように約470席のうち100席をテーブルの中央を高さ約40cmのアクリル板で仕切った、と言うもの。

 私なら、学食のテープルにも仕切りが欲しいという要望は理解できる。私は大学寮の食堂でも誰もいない席を探していた。社会に出てからも机のまわりを本棚で囲って個室化し、そこで食べていた。

 だが、教育の場である大学が学生の要望に応じたことにはまったく理解できない。
 学生が社会に適応できる力を養成するのも大学の責務だ。コミュニケーションを養うのも教育だ。学食の席を一人用にすることは、教育の場ではやってはいけないことだ、と思う。大学が「孤食」を推進してどうする。


10/25(木)快晴 外来 飯川病院 
 0:00起床,新聞・文献チェックほか。家内のミニ講演準備でスライド作り。7:30徒歩飯川病院、8:45-13:15外来、複雑、ドック判定。14:00-18:20飯川病院。入院患者対応、文献読み、データ集計。19:10バス帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ14490歩。ねこ鉄の不調続く。

日本人の食を考える(5) 一日3食は高齢者には不要?(2)
 われわれは何で日に3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。

 主婦がうつ状態に陥る「定年亭主在宅症候群」をみても食事の支度は如何に大変であるかわかるもの。??
 25歳で家庭を持ってから平均寿命の85歳まで添い遂げたとすれば、その60年間に奥方が作る食事は、年に約1100回、実に6.6万回にも達する。男性はこの大変さを考えたことがあるだろうか。私なんぞ気が遠くなってしまう。??

 ところが同じ事が、高齢者の介護の分野でも生じている。これらの方々に対しても一日3食きちんと用意して食事の世話をしているが、一人では食事を摂れないから、家の方や、看護師が介助して食べさせる。これが実に大変な仕事である。口に入れても飲み込みに時間がかかるから一人あたり1回に30分以上もかかることは希ではない。急がせれば事故に繋がる。??
 もし、これらの患者さんが一日2食で良いならどんなに助かるのであろうか。

 勿論、世話する側の論理で勝手に3食から2食に減らすことは人権問題であり、簡単にやれることではないが、患者が日常からの習慣で2食でいい方であれば、また、栄養学的に、生理学的に活動性の乏しくなった高齢者方の食事の在り方を検討して、2食で充分との確証が得られれば、如何に良いことか・・・と思う。だから、高齢者は丈夫なうちから1日2回食にしておくべきである。

 何でヒトは活動している人も、寝たきりの人も一日3食なんだ!!!
??多分、検討すれば一日2食で充分という結果が出るはずである。

? 専業主婦の方々は一人で居る場合には昼は簡便な食事で済ましているようである。
? ところが最近ご亭主は定年を迎えて家で過ごす方が多くなった。それほど働きもしないのに長年の習慣であろう、あーだこうだと日常生活に口を出して煩い他に、3食をしっかり食べるから、主婦はその支度だけでまいってしまい鬱的になる。これを私は「定年亭主在宅症候群」とよんでいる。

 大体高齢者にとって一日に3食なんて、多過ぎるのだ。主婦が煩い亭主から何とか解放されようとスーパーやデパートに買い物に行こうとすると何もすることない亭主がついてくるのだそうだ。今、地獄の様な生活です・・と患者はこぼして帰っていく。 ? ? 定年亭主はせめて昼食だけは自分で賄うべきである。外食でも良いし、台所に立っても良い。嫌なら抜いてもいい。なんとなれば、亭主だけが生き残る可能性は多くないが、残ったら悲惨である。
 在宅にいる定年亭主は台所に立て、と言いたい。


10/24(水)降雨  飯川病院ボランティア
 0:30起床,文献チェックほかいつものごとし。8:30家内に同乗、院長受診・CTのため終日ボランティア、検食、外来・入院患者対応。データ整理、読書。19:10帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ7757歩。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2回分。

日本人の食を考える(4) 人は一日3食必要か?(1)
 最近、大げさにいえば日本人は食うことにしか興味がないのか?と思う。メディアには美食情報があふれている。

 生きるためには栄養摂取が必須である。それを軽視する気はない。食料が枯渇した時、自分で食べれなくなったら終わり。ただ、私の目から見て生きるための食事のレベルを質量的に遥かに超えている。口から食べられない人も生かされている。

 私はTV、新聞、雑誌などのグルメ番組、記事は嫌いである――というより嫌悪している。
 私は貧しい岩手の片田舎で育った。母親も料理は保守的であった。新潟大学では6年間学生寮で一日130円の食費で、空腹を抱えた生活であった。
 そんな私は、大袈裟に言えば一汁一菜で良いのであるが、秋田に来て食材の豊かさに、賄いの石井さんが作る夕食の多様さには驚きを感じている。45年も驚き続けている。「基本は一汁一菜でいい!!・・・」、と45年も言い続けているが、秋田人には効果は乏しい。

 日常、不足なく食べられる自分の環境にこの上なく感謝している。

 私は今後の食材確保に関して厳しさを感じている。
 いま地球上には75億人いるが、食品の供給力は50億人分ほどで頭打ちになっている。20世紀までは食料は増産できたが気象変動、砂漠化、温暖化などのもと、21世紀は食料生産量増加は難しくなっている。いまや食材は多国間の戦略物質と化した。国際的に食品の奪い合いで今の所日本は優位にあるが、将来的には日本は厳しくなっていく。食品を捨てる文化を何とも思わない??そんな考えは捨てるべきだ。
 
 農産物だけでなく、水産資源も厳しくなってきた。

 考えてみれば、われわれは何で3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。
? 確かに人工的な光のもとでは起きて活動している時間が長いし、一定の労働サイクルの中では一日3食は合理的なのであろうし、生物としての食欲を満たす意味もあろう。ただ、身体が求めているのではなく、社会や文化の変化が主たる理由だと思っている。??
 現代の栄養学は、人にとって真の栄養学ではなく、社会生活のパターンに迎合した栄養学だと思っている。大体、国民の1割が糖尿病及びその予備軍である日本では、「正しい栄養学の教えを実践していないからだ・・・」といわれればそれまでであるが、栄養学、食文化も誤っている、と思う。

 私は40歳頃までは3食摂っていたが、一日2食に変更した。50歳を過ぎてからは一日1-2食にした。2回の時は朝と夕、一食の場合は夕食のみであるが、それでも私自身は何ら困らなかった。65歳で現役引退したがその後は変則的に3食にしている。

? ヒトには成長期から枯れていくまでの間、それに相応しいライフスタイルがあるべきだ。活動が低下し、消費エネルギーが減少してくる老齢期には、運動の必要性や摂取すべき栄養等が著しく異なって良いはずである。しかし、これについて、大して論じられていないのが不思議でならない。


10/23(火)快晴 外来 飯川病院 
1:10起床,文献チェックほかいつものごとし。5:00可燃ゴミ提出、7:10ウオーキングシューズ忘れバスで飯川病院着。8:45-13:00中通外来。13:30-18:30飯川病院、勤務。入院患者対応。19:10帰宅、夕食、21:00就寝。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会「このままではなくなる、大学・漁業など」。歩数計Σ9138歩。福原愛引退。

キャッシュレス化(2) 日本は急速にキャッシュレス化に向かう
 我が国は現金志向が強い。
 日本は世界的にみて、銀行数もATM数も多く、現金の引き出しが容易で、治安も良好なので、多くの人が不安無く現金を持ち運んでいる。経済規模に対する現金流通残高の比率は、私は詳しくはわからないが、20%程度と突出して高水準だ、という。

 キャッシュレス化推進の背景として、大きく分けて以下の6つあたりが挙げられる。
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■訪日観光客対応。
 多数を占める中国や韓国からの観光客は、現金支払いのみだと諦めてしまう。VISAの詞査によると、小売店などで現金しか使えないことに不満をもつ訪日客の割合は約40%。政府が掲げる「25年に40%」という目標は2025年開催の万博を意識している。

■現金貯蔵や輸送のコストを削る。
 日本中に設置されているATMには現金輸送車で現金を充填している。現金輸送費やATMの設置など流通コストが年8兆円との試算もある。今後一段と労働力不足が進む中で現金の取り扱いにかかる人手を減らすことが課題。

■金融革新の狙い。商品やサービスを購入した際のお金の流れをビッグデータとして活用できれば、国では経済状況の把握に有用で、金融業では新たなビジネスチャンスが生じうる。現金支払いではデータとして残らない。データが蓄積しない現金社会は企業の育成に障害となる。

■不透明な現金のやりとりも難しくなり、脱税、贈収賄などの不正が減る効果もありそうだ。

■現金払いは小売店の負担も大きい。レジで現金の残高を確認する作業にかかる時問は1店醐あたり1日平均で2.5時間。人手不足の中見逃せない負担となっている。

■紙幣貨幣の製造負担も大きい。512億円もかかる。レジで現金の残高を確認する作業にかかる時問は1店醐あたり1日平均で2.5時間。人手不足の中見逃せない負担となっている。

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 「25年に40%」という目標を強引に達成するには、国の支援が不可欠である。政府はキャッシュレス化政策で以下の方法を打ち出す予定で検討を重ねている。

■QRコードを使った決済を提供する事業者に補助金を出す。
■中小の小売店には決済額に応じて時限的な税制優遇をする。
■また19年10月に予定する消費税率引き上げに合わせ、中小の小売店での商品購入時にキャッシュレス決済をした消費者に、購入額の2%分をポイントで還元することも検討。
■地方ではカードが使えない小売店なども多く、加盟店の拡大か課題。売り上げの一部を手数料としてカード会社に支払うため、導入に消極的な店も少なくない。経産省の調査では、42%の店舗が手数料の高さを問題視している。 

 国はキャッシュレス化を推進する立場だが、以下はどうなるか??
■おさい銭は??愛宕神社は2014年から電子マネー「楽天Edy」の端末でおさい銭を受け付けている。神社仏閣が大量の硬貨を銀行に持ち込むと手散料が取られる。
■冠婚葬祭では??
■デンマークでは、子どもの小遺いも電子マネー化し、お金を生活でほぼ目にしない世代が登場。金銭感覚の醸成をどうするかが問題。
■路上生活者、大道芸人など困らないか?もしかしたら彼らも末端機器を持つようになる??

 今回、アップルペイを使うようになってから経済の向こう側がちょっとだけ見えるようになってきた。


10/22(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:30起床、文献新聞他チェック。この時間からだと余裕あり。7:30徒歩飯川病院、9:00-11:45健康クリニックドック+胸部レ線チェック。12:00飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応。Blu-rayながら視聴:「このままではなくなる、大学・漁業など」。歩数計Σ12054歩。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。

キャッシュレス化(1) 私も携帯によるアップルペイを使っている
 日本は世界でも現金払いが主流の国だ。最近キャッシュレス化に関心が集まり、政府も推進の旗を振っている。

 私もここ数年クレジットカード決済をしている。現金支払いはバス代金程度で現金はほとんど用いていない。
 遅まきながら、数日前からiPhoneによるアップルペイを使い始めた。財布を出す手間、クレジットカードを出す手間が省け、会計時にiPhoneをセンサーにかざすだけだから、とても便利である。私は電話機能、メールなどほとんど使わないが、新型のiPhone8に変えたのは、音楽プレーヤーとして用いるためであった。
 しかしながら、この機種からiPhoneによる支払い、即ち、アップルペイが利用できるようになった。だから、早速使っている。

 経産省の椎計では、日本のキャッシュレス比率は2015年時点で2割弱と低い。一方、韓国9割弱、中国6割、欧米諸国半数近い。
 政府は昨年、この比率を27年に4割にする目欄を掲げた。
 キャッシュレス化の理由は、観光などで来日した外国人による国内消費が増えており、現状ではクレジットカードしか使えないところが多く、外国人の消費需要に対応出来ていない、という問題があるからである。

 キャッシュレス決済の手段は多様化している。
 クレジットカードのほか、即時に通帳講座から引き落とされるデビットカード、電子マネー、QRコード決済、それに携帯電話等によるクイックペイ、アップルペイなどがある。店舗側でもそれなりの器具の準備などが必要で経費がかかるが、売上の集計が不要、現金を預けに行く手間も不要になるなど、店舗運営のコストの削減や従業員の働き方の効率化、安全性にもつながる。

 キャッシュレス化は、国や企業側の論理だけでは進まない。今の現金決済で不自由を感じていない利用者には、その道を残し、サービス向上につなげるべきであろう。

 日本がなぜキャッシュレス後進国なのか? そのワケは、現金の持ち歩いても安全な国だから・・も一つの理由とされている。

 海外でキャッシュレス決済は銀行口座から代金を直接引き落とすデビットカードが主流であるが、日本ではほとんど使われてない。私も銀行からの勧めで持っているがまだ利用した事はない。

 利便性がより高く普及しているのは鉄道会社のSuica、コンビニのnanacoなどの電子マネーである。今後はスマホとQRコード決済が伸びて行くと考えられている。

 要するに、私は知らず知らずに時代の流れ、しかも最先端に乗ってしまった、という事。一方、家内は純然たる現金派で小銭で膨らんだ重い財布を持ち運んでいる。昨年、洞爺湖で財布をすられたが、それでも考えを変えない。もう一回財布をスラれれば考えを変えるかもしれないがその時の被害を考えるとぞっとする。


10/21(日)快晴 飯川病院日直  
1:00起床。資料、種々こなす。8:30病院で書類処理あると言うので家内に同乗飯川病院に。9:30-18:00日直。入院患者は落ち着いている。新聞切り抜き他多数、読書。13:25-14:00微酔。Blu-rayながら視聴:「そこまで言って委員会;3回分、歴史の回顧と事件など」。18:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9155歩。

余生をパソコンと共に生きる(10) パソコンと新聞 新聞週間で考える
 報道の使命と責任を再確認するという趣旨で戦後に始まったのが新聞週間(10月15〜21日)だそうだ。

 かつての新聞は国民の教育と称して上から目線で編集されていた。その為に日米開戦を世論が支持したと言うおぞましい任務を担ってしまった。この点を新聞界は深く反省しているし、読者も監視を怠るべきでは無い。その為の新聞週間は重要である。

 私は新聞好きである。かつては6紙を購読していた。今は自分の処理能力が落ちたので3紙にしている。
 私が新聞に期待するのはニュースではない。ニュースはMacを立ち上げたときに出るYahooの表紙の簡単なニュースのチラ見と19:00pmNHK-TVニュースで得る。それらを翌朝の新聞で確認する、これでまず充分である。
 
 新聞を好むその理由は情報の豊かさであり、私は新聞から情報を収拾する。私が集める情報の7割方は新聞からである。

 私は新聞は朝の時間を用いて飯川病院で読む。当日の新聞は朝日のみ。秋田さきがけ新聞と日本経済新聞は前日のを読む。後二者は家族も読むから一日遅れで持って行く。

 社会面、第2社会面、文化欄、エッセイ欄、国際欄・政治欄に移る。スポーツ欄は大谷のニュースがなければ無視、芸能面は無視、それからもう一度社会面から読み、有用な記事を切り抜く。前日分の2紙は資料収集が中心になる。大体毎日40−50枚のスクラップができる。それをスキャナーで取り込み電子化する。

 新聞を読んで思うことはその情報量の豊富さである。
 新聞は冷静、客観的、俯瞰的な視点を求められるだけでなく、それを正確に検証することまで求められる。各社のポリシー、ブランドが信用の拠り所となる。

 世間には、インターネットの情報かあふれているが、その信憑性が脆弱で、私ははじめから当てにはしていない。放送などのメディアの場合も録画もできるが再度見るに値する番組は少ない。
 新聞が他のメディア一番違うところは幾度も読み返せること。つまリ幾度も読み返すに足る正確で豊富な情報が掲載されている。

 最近の新聞の嬉しいのは文化面を中心とする記事である。私はこの面に価値を見る。本の紹介、展覧会の紹介欄、健康欄、科学欄 政治経済の解説記事などが充足している。
 専門性のある医学、科学、文芸欄、書評欄には専門家の依頼原稿が高頻度で取り上げられる。記者が記述した記事より当然内容が深く参考になる。

 今年の新聞週間が終わるに当たって私の新聞の利用法についてまとめた。
 電子化した新聞スクラップは2008年から蓄積されている。読みたい記事は検索で一発で出てくる。私にとっては新聞を読むにもパソコンが必須である。

 私は余生をパソコンと共に生きている。


10/ 20(土)快晴 座学、庭の落ち葉掃除など
 1:00起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。貴重な週末、早朝ファイトなしダラダラ過ごす。孫の発表会あり広面に家内送る。午前は座学。データ整理。微睡後、講演準備。午後は庭掃除、植木処理。書斎のストーブ設定初点火。学士会出席の家内Viewに送る。19:00夕食、21:00就寝。歩数計9416歩。

余生をパソコンと共に生きる(9) 「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソ」の生活
 私は晴耕雨読という言葉が好きだ。

 国語辞典によると晴耕雨読は「晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家にこもって読書をすること。悠々自適の生活を送ることをいう。」とある。これを私は「晴耕雨パソ」と置き換える。?
 私は生きるものとして、生きる姿勢の一つとして何らかのレベルでの食糧生産に関与していたいという気持ちがある。だから少しであるが野菜作り、園芸もやっている。それが、気候、災害など自然に対する関心、興味の因にもなっている。天気予報も大事だが五感で自分で判断せざると得ないこともある。オーバーにいえば、これぞ人間の自然と対峙する姿なのではないか?とまで思う。  

 最近、太陽光、水、土について勉強したいと思っている。これもささやかながら自分で土作り、肥料作りをしているからである。

 土の存在は地昧、どこにでもあるが、通常は土は土地として財産としての尺度が重要視され経済の対象になっている。私の興味はそんなことではない。植物を、食物を育てる雄大な力についてである。

 子どもの絵は、太陽は日本の子供は赤に塗り、欧米の子供達は白または黄色で描くという。ならば土は?土は何色に塗られるか。アフリカの中央部では赤く、スウェーデンでは白く塗るという。日本では茶色から黒に塗られる。岩石やその場所の地形、気象条件で、出来る土は異なってくる、という(森林総合研究所藤井一至氏)。日本の土は農耕に向いている。

 岩石が風化して砂や粘土となり、生き物の働きに有機成分の蓄積、すなわち腐植よって、長い歴史をかけて農業が営める土壌にとなっていく。土の熟成に微力ながら人間が手伝う必要もある。

 腐植とは有機物質が部分的に分解して土壌の一部になったもの。腐植は窒素などの植物養分の供給源として重要。また土壌中に水分,熱をたくわえ,微生物、小動物が土壌の物理的性質を改善する働きも大きい。最近、作物は工場生産し始めている。しかしながら土壌の抱擁力、機能はまだ人工物だけで代替することが出来ない。そんなところでミミズは育たない。

 こんな魅力のある、ロマンティックな物質を学ばないでいるのは実に勿体ない。
 私は晴れの日は外に出て土と対話したいと思っている。

 雨の日はパソコンの前で多くの時間を過ごす。これも法外の楽しみである。


10/19(金)小雨のち晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:30起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、5:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、8:10こまち、大曲曇り。8:50-12:00大曲中通病院外来。駅病院間往復徒歩。13:30-18:30飯川病院ボランティア、入院外来対応。19:00Taxi帰宅・夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴。歩数計Σ13355歩。

余生をパソコンと共に生きる(8) パソコンで音楽を聴く (6)CD取り込みほぼ終了
 私は無趣味な人間である。酒、タバコも不要、美食にも興味無し。あえていえば本、音楽関係かな、と思う。この方面だけは長年追求し続けてきた。
 私は不満はないが、家内は「つまらない人と一緒になった・・」と過ぎ去った人生を嘆いていた。だた、最近は私の存在が大きくなって来ているようである。老化とともに失いつつある身体的機能を補ってくれる便利な存在として、また、業務の補助者として、将来の介護補助者としての価値である。

 終活を意識し始めたのは5年ほど前。そのころ次々と思いがけない疾患に罹患した。幸い全て経過良好で今も生きているのであるが、その疾患を乗り越えた後、終活が私の大きなテーマとなってきた。

 今年の終活は書籍、オーディオ関連のをターゲットとした。

 本年3月からCDの廃棄を始めた。廃棄といってもCDは他のメディアと異なり、容易にMP3化できる。MP3化しておけば簡単に再生できる。だから、ほかのメディアと異なり廃棄への罪の意識は軽い。結果的にパソコンがCDプレーヤーに変身した。

 終活、と称してパソコンに手持ちのCDデータを全部取??込むことにした。
 私の旧式のパソコンiMac21にはCD・DVD読み取り装置が付いているので、私は1日10枚ほど「iTunes」へ取????込む作業をしている。

 私の手持ちのCDはせいぜい200-300枚程度と思っていたが、長男のCDが大量に出てきた。私と好みのジャンルが違い、Jazzも含まれる。私は興味をそそられそれを含めて全CDを取り込むことにし、10月上旬にほぼ終了した。

 取り込んだCDの枚数は数えていないから分からないが、パソコンデータを集計してみると1900時間分、休みなく再生しても80数日分にもおよぶ大量になった。

 終活の作業を通じて本と音楽において全く新しいジャンルにも目が開かれた。未読だった本、あまり興味を持てなかったCDの中に大きな価値を再確認した。

 就活は自分の人生の終焉を意識して、人間関係をはじめとして有形無形の財産を処分していく過程であるが、私の場合はその財産の中に新たな価値を見出し、そう簡単には死なれないという新たな生きる意欲が湧いてきている。

 いま、その喜びに浸っている。


10/18(木)快晴 外来 飯川病院 
 1:30起床。文献・新聞他。いつもの如し。7:15徒歩飯川病院、8:45-13:00中通外来。13:30飯川病院、14:00-19:10勤務、入院患者処置対応。Blu-rayながら視聴:「昭和は輝いていた、など」。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ11502歩。

コインランドリー初めて体験した
 我が家の洗濯機は乾燥重量で9Kgの洗濯物を一度に処理できる、と説明書にはある。一般家庭用としては大型に属するだろう。
 4人家族であるが、こんな大型が必要なのだろうか。

 私自身は身の回りのものを洗濯されることをあまり好まないが、家内とか家事手伝いの石井さんは洗濯が好きで、私からみればアライグマならぬ洗濯ババーズと言いたくなる。彼女らの希望があって大型のを購入した。
 自分の周りを綺麗にするのは良いだろうが、電力、水、洗剤などで地球を汚してどうするのだ、と私は言いたい。

 私も彼女ら不在時には洗濯を手伝うが、新方式の洗浄方式、全自動で機械の中で何がなされているのか分からない。言われた通りにセットしてスタートのスイッチを押すだけ。

 考えてみれば、私は家電製品からすっかり遅れをとっている。

 TVは電源on/offだけ、チャンネルは地上デジタルのNHK総合しか見ることが出来ない。大体秋田では他に放送局はいくらあるのか??興味がないから分からない。録画装置なども2、3セットあるようだが私には全く分からない。

 炊飯器、昨年購入したが、パネルが複雑すぎて私には操作無理、どうしても炊くなら土鍋を持ち出しガスで炊く。日常的には冷凍ご飯をチンする。

 そのチン、すなわち電子レンジであるが、これもコースが複雑で何だか分からない。800Wを選択し、1分ほどの加熱や解凍のコースしかわからない。
 オーブントースター、これは本来最も簡単な調理器のはずだが、全くのお手上げ。

 我が家では老人が3人いる。マットなどの敷物などで良くつまづくし、小さく軽いとマット自体がすべるから危ない。
 だから、今回マットを厚く重いのに変えた。


 足元は安全になったが、マットが汚れた時に何とすべきか??わが家の洗濯機に入らないわけではないがスペース的に余裕がなく、有効に洗えるのか分からない。クリーニングに出すと2000円らしい。

 そこで、コインランドリーに持ち込んでみた。
 コインランドリーは私にとって初体験である。10-27Kgまでの洗濯機、乾燥機が並んでいた。



 20Kg、700円のを選んでいれてみた。余裕たっぷり、40分で仕上がった。乾燥場所には困らないから乾燥機は用いなかった。

 なかなか良い。こんな便利な店舗が近所にあったのか!!!
 初めて経験して生活に余裕が広がった。数年前に精米機を初めて使った時と同じような感動を感じた。

 しかしながら、如何に洗濯の機会を少なくするか、私の生活目標のひとつであることは変わらない。


10/17(水)秋晴れ 飯川病院ボランティア  
1:10起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本読み。午前はダリアの世話、庭掃除など。11:50バス、飯川病院ボランティア。入院患者静脈ルート確保など対応。CDデータ化10枚ほど。まだチョロチョロと出てくる。19:10帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ7458歩。

台風24号の塩害 2004年以来の経験
 県内の沿岸部で、街路樹や公園の木々などの葉が枯れ、落葉が急速に進んでいる。本年10月上旬に日本海を北上した台風25号の塩害とみられる。
 秋田市近郊の山々の紅葉は毎年美しいが、今年はいつもと違う、紅葉が楽しめない秋になりそうである。

 秋田市保戸野にあるミニ公園の一本のいちょうの木は例年は見事な黄金色に輝くが、今年は無残な姿を晒している。私は雨さえ降らなければ毎日徒歩通勤していてこの公園を通過する。葉が黄色に色付くのを毎年、毎朝の楽しみにしていたので今年の姿はとても残念である。


(本年10月18日の姿。比較の為に11月6日まで待ちたかったのであるが無理と考えた)

(2017年11月6日の姿)

 見ると西側に面した方の木が無残な様子である。
 本年は気温が異常に暑く、日差しも強く植物にも色々影響を及ぼしたが、西側に面した方だけこれほど変化したのはやはり台風25号の塩害なのであろう。県内でも海に近い地域ほど葉が落ちた、というニュースもある。

 塩害は、強風に吹き上げられた海水の塩分が植物の葉などに付着することで起きる。被害は風向き、風が続いた時間に左右されるという。台風24号は雨量が少なく風が強かったため、植物に付いた塩分が雨で流れなかったことも被害が拡大した一因ではないかと推測する。

 リンゴやナシ農家では強風によってひどいところでは50%もの落果があり、パイプハウスが吹き飛ばされたり破壊されるなどの被害がでた。落ちなかった果実も塩害の影響を受け売り物にならないと嘆いていた。大豆、花栽培農家、稲作農家、野菜栽培農家も塩害があった、という。
 私の畑は収穫を終了しており問題なかったが、ダリアの葉っぱは塩の影響を受け、一部の株では元気が無くなった。

? 我が家では毎日落ち葉掃除が大変である。今落ちているのは汚く汚れ、枯れてしまった葉っぱである。
 我が家でもいろいろ影響はあったが、甚大な被害を受けた農家のことを考えると比較にならない様な、ホンの小さな出来事に過ぎない。

 1991年9月28日に本県を通過し、強風によって農林業に甚大な被害を及ぼした台風19号も忘れることが出来ない。
 2004年8月の台風15号による塩害は沿岸だけでなく内陸まで広範囲で確認された。その時は40mにも及ぶ強風や雨による被害だけでなく、フェーン現象と高潮によって、海水を含んだ霧雨を沿岸、内陸までまき散らし、私も初めての植物の塩害を経験した。

 今年の塩害は私にとって2回目である。


10/16(火)午前降雨、午後快晴 外来 飯川病院 
 1:30起床、歴史、新聞切り抜きと入力などいつものごとし。5:00可燃ゴミ集積所に廃棄、ネコ世話、出勤直前に降雨、家内に同乗。8:10飯川病院着、8:45-12:40中通病院外来。13:00飯川病院。14:00-18:30勤務、外来患者対応。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。Blu-rayながら視聴:「昭和は輝いていた、甲子園野球し」。歩数計Σ6709歩。

多様性の疎外が表出した事件(9) 障害者雇用水増し問題(2)
 一般論として障害者を雇うことによって、企業業績が下がるだろう、と言われているが、東京大学の大学院 特任研究員 長江氏の調査では、必ずしもそうではない。一方、障害者雇用の有無によって株価には差が出るとされている。
 障害者を雇うことによって企業の効率性が低下するという誤解は広く浸透している。

 企業・組織は100人の従業員がいれば、加えて2人の障害者を雇わなければならないことになっている。その為には人件費が一人あたり20万程度とすれば40万円掛かりましになる。未雇用の罰則的納付金は一人当たり5万円だから、ふたり分で10万円、だから雇用しないで納付金を払うほうが企業としては月30万円経済的には有利である。納付金払うほうが楽ということで、積極的雇用が進まない、とも考えられる。

 私は現役時代には秋田市、および郊外にある企業の数社の産業医をやっていた。いずれの企業でも車椅子の従業員が何名か雇用されていた。その会社では傷害者も仲間によく溶け込んで仕事をしていた。従業員の中に障害者が混じっていることは一見してわかった。

 官公庁の障害者雇用水増し問題が今まで明らかにされてこなかったのは何故なのだろうか??

 27の国の行政機関で計3.460人も障害者数を雇用していたことになっていたが、車椅子使用者とか、外見からわかる、あるいは機能的に多少問題があるように見える障害者は恐らくはじめから雇用の対象外にしてたために居なかった、と言うことであろう。

 そのために、診断書や手帳を確認することもないまま障害者として採用していた、と言う。だから、障害があるといっても誰が障害者雇の採用であるか判断できない程度の軽症者が多く、中には採用されてから無理やり障害者雇用に組み込まれた健常者もいる、といわれる。

 要するに外見から分かるような機能障害者ははじめから雇用対象外だったということ。これでは障害者雇用法の意味が完全に失われる。
 国が自ら決めた法を守っていないのは死刑制度にもある。法では死刑決定後半年以内に執行と決まっているが、そのように執行された例は近年には無い。

 今後の障害者雇用を円滑にするには、
 (1)非採用の場合には行政機関にも納付金を求め,しかもより高額にし、障害者の雇用が企業側にメリットになるような機構を作る必要がある。
 (2)雇用した障害者に雇用をチェックする任を担わせてはどうか。これで障害者雇用への監視はより性格になり今回のような事態は再発しなくなると考えられる。
 (3)雇用される障害者の障害のレベルを再検討する。
 これらのチェックでうまく機能するようになる、と思われる。


10/15(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:05起床。いつもの如くデータ整理、読書とか。久々徒歩、7:20飯川病院着。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック、結果説明に時間取る。12:00飯川病院へ。文献など。14:00-18:00勤務。入院患者処置対応。18:00帰宅、19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴なし。歩数計Σ12176歩。

多様性の疎外が表出した事件(8) 障害者雇用水増し問題(1)
 8月下旬、厚労相は障害者雇用の推進を担う筈の行政機関のうち、33行政機関のうち27機関で、計3460人を障害者数に算入し、雇用条件に辻褄を合わせていた、と発表した。

 障害者に対する差別観の現れと捉えられてもしょうがなかろう。
 
 国の指針に対する省庁の理解不足や解釈の誤りが原因で、障害者手帳や診断書による確認を怠っていたためで、雇用率を高く見せる意図はなかったと各省庁では説明している。

 またまた、嘘の積み重ねである。本当にそう言い切れるのか。なんとなれば、私的企業ではしっかりと条件を読みとって実行している。私は、並居る企業不正と同じ扱いにすべき重要事項である、と思っている。森友加計問題で嘘を積み重ねた経産省の実態と似ている。この辺は徹底的に解明すべきだ。

 厚労省の集計では、国の行政機関で働く障害者は昨年6月1日時点で約6900人、障害者の雇用割合は2.49%で、法定雇用率2.3%を達成しているとしていた。実にその半数以上が誤魔化しの雇用で、実際の障害者雇用は1.19%だった。
 
 外務省では8割以上、国税庁では7割以上が不適切に算定していた。

 民間企業は法定雇用率に達しないと、ペナルティ的に一人あたり5万円の納付金を課せられ、且つ、正しく算定しているかの調査も受ける。こうしたチェック体制を受ける仕組みは省庁や地方自治体にはない。

 「自己に甘く民間にキツイ」という公務員の実態の現れである。

 障害者雇用を促進すべき立場にある国の機関が、初めから障害者を雇うつもりは無く、不適切な算定を続けていた省庁は、障害者雇用の意義をなんと考えていたのだろうか??数字の上で法定雇用率さえ達成すればいい。そんなおざなりな意識が、問題の根っこにあったのではないか。

 いや、私は初めから障害者との共生の意識がなかった・・と読む。
 健常者は、私の意見では、「障害者の立場になって物を考えられないという障害をもつ」集団だからである。

 法定雇用率を遅くとも来年末までに達成するよう、各省庁は計画をつくるという。障害者雇用への向き合い方を「量(%)」だけでなく「質で共存する」の二面から、見直さねばならない。当然関係者の処分も行うのだろうね。


10/14(日)晴れ夕方から降雨 飯川病院日直
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。雑誌書籍切り抜き他。各種書類電子化、データ整理。8:37バスに乗り遅れ家人に送られ飯川病院に。9:05-19:15日直、院内は平穏、読書、データ整理など。当直医代行若干、19:45夕食、21:45就寝。Blu-ray視聴なし。音楽観賞、歩数計忘れて日直出勤してΣ5065歩のみ。

多様性の疎外が表出した事件(7) 「新潮45」廃刊 残念なことである
 自民党の杉田水脈衆院議員が7月18日発売の月刊誌「新潮45」に「LGBT支援の度が過ぎる」とのタイトルでLGBTカップルに関し投稿し、「子どもをつくらない」から「生産性がない」と持論を述べた。
 子どもがいなくとも国民としての活動は出来る。だから、この発言の趣旨は取るに足らない暴論に近いが、彼女が何を考えているのか、どの程度のレベルの議員であるか、自ら明らかにしたことは評価出来る。私はこよくぞ言ってくれた、と考えている。

 最近、我が国では言論の自由がなくなってきている、と危惧している。
 一つ一つの発言にあまりにも意味のない批判が生じてしまうから、怖くて発言出来ない。自由の萎縮である。個人的なバッシングが展開されるのは困るが、個々人の自由な発想は、例え世間一般の大多数の意見と異なっていても許されて然るべきである。いや、だからこそ発表する必要がある。

 私は意見をはっきり述べる、あるいは表現する人を好む。何も言わない人は何を考えているか分からない。私にとっては嫌で怖い存在である。

 「新潮45」はよくぞこの意見を掲載してくれた・・と思う。恐らく他の書籍は取り上げなかったにちがいない。
 よく政治家は舌禍の責任を取らされるが、多分本人にしてみれば政治家の信念を述べたのであり、結果は不本意なのだろうと思う。そんな場合、「新潮45」に弁明の意見を掲載してもらってはどうか。

 更に「新潮45」は9月号に「何がおかしいか・・」と言う表題で7人の論考を掲載した。これにもLGBT当事者や支援者のほか、作家や文化人、書店などから抗議の声が上がった。だからと言って休刊するなんて・・。休刊に至った経緯は不透明だ。

 言論機関の責任放棄でないか??議論の可能性をみずから閉ざしてしまった。疑問は尽きない。

 出版不況のなか、「新潮45」の実売部数も最盛期の約57.000部から約10.000万部に落ち込んでいた。これでは経営上で廃刊の候補になりうる。意外とそっちの方の理由の方が大きかったのではないか??

 言論の公共性とは何か、その分野でメディアが果たすべき役割とは何かを考え評価したい、と思う。
 「新潮45」そのものを購入したことはないが、新潮45編集部編さんの「殺人者はそこにいる13事件」などの単行本は5冊以上持っていて好んで読んできた。

 雑誌ジャーナリズムは、時に社会のタブーに切込み、発想の柔軟性、多様な企画力などで、社会に、出版界に足跡を残してきた。私はその点は評価したい。
 例えば、死刑囚をはじめとする受刑者の投稿を取り上げている雑誌「創」がなければ、彼らの声は社会に届くことはなかった。

 「新潮45」はひねくれた特集が多かった、だから存在価値は大きかった。
 廃刊は残念、と思う。


10/13(土)曇りのち晴れ 飯川病院午後日直 
 0:30起床。データ入力整理。午前けやき落ち葉庭掃除、ダリアのケアなど。コインランドリー初体験、クリーニング店にも依頼、11:55バス飯川病院日直に。本読み、音楽その他で静かに過ごす。当直医研究会のために遅れ若干代行、19:15帰宅。夕食、20:30就寝。歩数計Σ10247歩。

家庭菜園・園芸2018(8) 冬を迎える準備にはいる
 私の家庭菜園・園芸など大したことをやっていないが、今年はきうり、トマト、ナス、枝豆、ネギ、落花生を栽培した。10月に入ってネギを残し全て抜きとり、マルチカバーをはがして畑は終了した。あとは適宜夕食時のメニューにあわせてネギを抜きとるだけである。

 今年の収穫は、きうりがほとんど失敗に近く、いつもなら食べきれないのであるが20−30本しか取れなかった。農家の方に聞くと並作だったり壊滅状態だったり、様々であった。はやり気候のせいだ、と嘆いていた。
 
 トマト、ナスは平年並み。
 トマト好きの家内の弁では形は悪いが市販品より美味だと高評価であった。
 枝豆は豊作であった。盆過ぎから毎晩、茹で湯を沸かしてから畑に出て3−4株ずつ抜き素早く処理すると、ブランドの市販品より甘く、優っていた。

 落花生は私は初めて栽培した。外からは成熟度など全くわからないので恐る恐る抜き取ったら根には市販のピーナツよりひとまわり大きな繭型の実が連なっていた。一部をそのまま茹で、一部は乾燥後にフライパンで炒ってみたが、両方とも私は美味しく感じた。来年はさらに挑戦するつもりである。

(落花生 思った以上の数の実が取れた 実の形がいい)

 ネギは植え付けに失敗、そのために成長に合わせて土盛りできなかった。だから白い部分は15cmと市販品より半分近く短いがずんぐりと太く成長、鍋にするとシャキシャキと歯ごたえ良く、甘い。

(元倉ネギ ずんぐりと太い)

 我が家の庭の一隅には、桃、梅も植わっている。まだ少量しか取れないが春の楽しみである。来年あたりからリンゴが実をつけそうで楽しみである。

 秋の収穫で楽しみなのは栗と柿である。栗は見事なサイズで茹でて食べたり栗ごはんにした。
 これからは柿の収穫になる。渋柿を焼酎で晒し、一部は干し柿にする。届かないところの実は野鳥やカラスへプレゼントにする。これも楽しみである。

(栗の枝の上方にたわわの柿の枝が伸びる)

 今はカエデの葉が落ちる。掃けども掃けども一夜明けると庭が落ち葉で黄色くなる。あと2−3週間葉っぱとの対話になる。大変だが、こんな作業を繰り返しながら、私は冬を迎える心の準備を進めていく。

(一夜明けた落ち葉の状態 私は集めて庭の隅で腐葉土を作る)

 これからの季節、外での作業に割く時間がドット少なくなる。それ分、机に向かっての作業時間が増える。これからも至福の時間になりそうだ。


10/12(金)雨のち晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア  
 0:30起床、いつものごとし。5:00可燃ゴミ廃棄準備まで、7:30Taxi飯川病院経由駅に、8:11こまち、雨にてTaxi病院、9:00-12:00外来、晴れたので駅病院歩行。13:30-18:30飯川病院ボランティア。秋銀スタッフ來訪、21:00就寝。歩数計Σ9466歩。

家庭菜園・園芸2018(7) ダリア(3) いまがピークの見どころ
 昨年までは南隣の農家の方から4ムネ分畑を借用してダリアを育てていたが、今年から自宅の庭の一角にスペースをつくってそこに植えた。我が家に接していたとはいえ疎遠で時々見るだけであった。今年は昨年までよりは100倍も(?)頻回に観察し、鑑賞している。

 8月の段階での開花の様子は先に記録した。

 今朝の段階での各花の様子。8月の段階のときより一層大きく育った。

 今年は花が咲いても途中でしぼんだり、変色したのが多く、これは昨季までは経験しなかったことでガッカリしたが、大曲の外来に通院し、花や野菜作りについて私を指導してくれる方からの情報では、「今年は日差しがあまりにも強烈で気温も高い為に花自体が日照障害を受けている」という。予防策として日差しを遮るシートを用いればいいし、多分これから開花する分は改善が期待できる、とのことであった。

 あれから約1月経過し、丈もさらに大きく成長し、花もみごとに、多数、美しく咲いた。
 毎朝、夜が開けるのを待って会いに行くが、実に美しい。なんで花は美しいのか?改めて考えたくなった。

(南雪原・?偉大・夢舞台)
(南雪原)
(?偉大)
(名称未確認)

 ダリア栽培育成のきっかけは家内であったが、作業の主役はほとんど私である。家内は週に何回か、切り花として飯川病院の玄関先に飾っている。私の心は穏やかでは無いが、より広くみんなの目を楽しませていると考えれば納得せざるを得ないか。

 ネギを除いて野菜の収穫をほぼ終え、外仕事としてはダリアの世話に大部分の時間と労力を割いている。だから、思い入れも一入である。
 私のダリア歴は今季は4季目。今年は日照の影響で花が薄汚い時もあり、21号24号と2回の台風の強風で多くの枝が折れるなど順風とは言えなかったが、みごとに持ち直し、毎日私どもの目を楽しませてくれている。

 まもなくダリアの季節は終わる。寂しくなる。


10/11(木)降雨 外来 飯川病院 
 1:30起床、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。7:10降雨、レガシー飯川病院着。8:45-13:15中通外来。13:30-18:30飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ6109歩。一昨年書斎で足温器使用開始、昨年今年は未。

幼児の虐待死(5) なんとなく期待している「母性」「父性」とは何か(2)
 私は3人の子を育てた。私に十分な「父性」が備わっていたか家内に確認したこともないから正直自信はない。私も子育てにはかなり参加してきたと自負しているが、子育て担ってくれた賄いの石井さんに言わせると「役立たず」、「ダメおやじ」の域にあるらしい。

 私の「父性」は小学校1年から高校卒業まで共に過ごした一匹の雌ネコの子育てを介して教わった。
 彼女は生後半年から、衰弱し始めた12歳の年齢まで妊娠出産を繰り返した。私は約10年間で20回ほど出産と初期の子育てに付き合わされた。私にも弱みがあったから世話せざるを得なかった。

 出産が近くなると彼女は私につきまとって離れなくなる。母屋から離れた小屋の棚の中段にワラや古着を使って産床を作ってやり、私はその側でおにぎり持ち込みで産み終わるまで付き添った。離れるとついてくる。全部産み終わると彼女は子ネコの体を舐めたり授乳したりと母親としての忙しい日常が始まるから産床から離れられない。その時点でわたしは解放された。
 彼女の子育てはひたむきそのもの。私は出産の度にその責任感の強さに感動した。巡りめぐって私に育児における親としての責任感を植え付けられた。

 「父性」が先天的なものではなく「母性」と同じく後天的学習から得られるという考え方に賛同する立場であるが、私の場合の父性の形成は13年間共に過ごした一匹のネコの子育てを通じて養われた、と言っていい。

 さらに、私が子どもたちにその気持ちを純粋に持続的に感じることが出来たのは、賄いの石井さんの助けを十分に得て自分の精神状態をうまく保てたからだと思う。

? 「母性」に関しては胎動などを通じて徐々に体得するものと思うが、私には女の気持ちを理解できない。
 私たちが子どもを育てていけるのは、知識と理性があるからである。
 そしてその理性を保つことが出来る環境にたまたま恵まれてい、と思われる。

? 私が無防備に寝ている子に感じるいとおしさは、父親だからではないだろう。より強い力があるものが感じとる「守ってやりたいと言う感情」だろうと思う。対象は他人の子でも良いし、子ネコでも良い。自分の子であればさらに男親としての責任感が加わる。
?
 子を守りたいと思う気持ち、子をいとおしいと思う気持ちは、後天的に備わるものだろう、と私は思う。
 だから、子供虐待事件の実態を見るときに、親としての成長過程に問題を感じ取るし、また、子育て環境に経済的な、マンパワーに一定の余裕がなければ、子は危ない環境に晒されると思う。

 従って、年々増加傾向にある幼児虐待を防ぐには、情操教育、子育て世代への経済支援、子育ての社会化が必要である。
 今の日本ではこの全部が欠けている。?

 政治を担うものの、社会を見る感受性に問題がある、と思われる。


10/10(水)曇夕方から降雨 飯川病院ボランティア
 1:30起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。10:50バス、11:10-18:30飯川病院ボランティア。レガシーで通り町薬局経由で帰宅。歩数計Σ9377歩。昨年早朝書斎にストーヴ点火。今年はまだよさそう。CD取り込みコレで一段落か?

幼児の虐待死(4) なんとなく期待している「母性」「父性」とは何か(1)
 全国の警察が通告した幼児虐待件数は今年上半期で過去最多の3万7113人に上った。
 その内「身体的虜待」は6792人、「育児放棄」は3795人だった。

 本年3月、大阪で一歳の女児が泣き止まないと26歳の父親が毛布でぐるぐる巻きにしてクローゼットに押し込めて放置、死亡すると言う事件が発覚した。母親は外出中だったという。
 一見、いたいけな子どもを虐待するのが父親が多い感じであるが、最も多いのは実母で被害者の年齢は小学生が最多である。

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参考(1)虐待被害者の年齢は
■ 0-3歳未満18.8%■ 3歳-学齢前24.7%■ 小学生35.2%■ 中学生14.1%■ 高校生等7.2%
 
参考(2)加害者の割合
■ 実父29.0%■ 実父以外の父6.2%■ 実母57.3%■ 実母以外の母0.8%■ その他6.7%
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 幼児虐待の例を見ると、一般的にあるものと漫然と期待されている「母性」、「父性」って本当にあるのか??疑問に思って来る。

 「母性」、「父性」とは何か。私の立場から考察してみる。

 辞書には、女性の母親としての性質。母として自分の子を守り育てようとする本能的特質とされる。狭義には未熟な状態で誕生し、一定期間保護者の養育なしに生存できない生物の雌親に見られる養育行動の原理とみなされる本能のことで。色々な生き物に見られる子どもを守り育てるための本能的行動を指す言葉である。
?
 ただ、この本能は下等な生物の方が決定的に強い様に思われる。自然界であるかはわからないが、人工飼育されたパンダなどの哺乳類が育児放棄する例は稀ではない様である。

 より下等な昆虫や鳥類などの生物の場合は、その存在意義がが種の保存にあるために、遺伝子の中に本能として強く位置付けられているのだろう。そのために命を落とす場合も少なく無い。

 より高等の生物の存在は種の保存という意味づけは少ない。だから、少子化が生じてくる。
 人間の育児行為は、遺伝子に刷り込まれた本能的な行動というよりは成長過程で学習して体得すると考えられている。その様な体験や教育を受ける機会は、長い成長過程で得る機会が多く、通常の環境にいる若者の大多数が知識としては持っている。

 また、妊娠期間も長く、その間に個々人に即した教育やアドバイスが得られる。それらを通じて一般的に「母性」「父性」的知識と感情が備わっていく。知識として、新生児は弱い存在で十分の庇護がないと育たない脆弱であることの認識が基本になっていると思われる。

 「母性」の意識の発達には妊娠中の胎動から自然と深くなっていくし、「父性」は妊婦の体の変化、行動の変化を通じて庇護する感覚を通じて深くなっていく様に思われる。

 だから、この間の、親になる者の環境、すなわち両性間の関係、家族関係、経済状態、社会状態などに応じてレベルが異なってくる。
 要するに、私は「母性」「父性」本能ではないと思いたい。だから虐待などが生じうる。


10/9(火)雨午後晴れ 外来 飯川病院
1:00起床、新聞データ整理などいつものパターンに戻る。5:00可燃ゴミ3袋提出、7:10レガシー飯川病院。8:45-12:15外来、14:00-18:30飯川病院、患者対応。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。CD取り込み作業一段落か。歩数計Σ7965歩。第三内科後輩K氏訃報あり。

幼児の虐待死(3) 子供はかわいい存在ではないのか 「かわいい」論
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。ノートに書かれた幼い文字、文章を新聞で読んだとき、本当に5歳児が書いたのだろうか??と私は驚いた。頭から離れない。両親に対して、強い憤りを感じる。

(1)幼児の虐待の実態を調べた。
 全国の警察が半年ごとに集計している児童虐待の通告件数は今年上半期で過去最多の3万7113人に上った。昨年同期より2割も多い。警察庁は「社会の関心が高まり、通報や相談が増えた」としている。
 「心瑶的虐待」が全体の約7割を占め,「身体的虜待」は6792人、「育児放棄」は3795人、「性的虜待」は111人だった。
 保護者らを摘発した事件は641件で、そのうち殺人や傷害、暴行など身体的虜待が516件で約8割を占め、被害にあった幼児19人が亡くなった。

 幼児虐待の多くは密室内で行われるから発見が困難。
 背景として私は先に以下の要因を挙げた。

■産後うつ、
■社会保障が貧困、
■シングルマザー問題、
■母子家庭、
■父子家庭問題、
■望まれない、祝福されない妊娠出産、
■子連れのシングルマザーが新しい男性と関係ができた場合。
■・・・などなど

 幼児の虐待死を防ぐには、子育てシステムとしての教育と社会の改変が必要である。政治の重要性は言を待たない。

(2)子供はかわいい存在ではないのか?
 「かわいい」という言葉は今や国際語になって「Kawaii」結構通用するようだ。漫画やイラスト、アニメ映画等を介して日本の「かわいい」文化が浸透しているが、その単語が意味する適当な言葉が無いためにそのまま「Kawaii」が通用している。和英辞典を引いても「Cute」「Adorable」程度しか無く日本語の意味する「かわいい」のほんの一部にすきない。日本語の「かわいい」の意味もずいぶん変遷した。輸出された「Kawaii」は極めて幅広い文化的な意味を包含する。

 私がいま問いたいのは古い日本語としての「かわいい」である。
 広辞苑によると、もともとは保護してあげたくなる「不憫」なこと、あるいは「小さく美しいこと」などを意昧した。「かわいく幼いこと」は、無垢ゆえに誰からも攻撃されない存在を意味する。欧米の宗教画に見られる天使の無垢さと共通する。だから、接する者の方が憐みの気持ちになり謙虚になる。

 これは多くの人に共通の感覚であるはずだ。しかし、実態は必ずしもそうでは無いようである。

 虐待の背景には、人間的情感の発達問題、経済問題、夫婦間あるいは男女の関係が影響するようだ。

 人間の母性、父性とは本来備わってもいる情感だろうが、結構脆い者だ、と思う。


10/8(月)振替休日 新潟秋田雲一つない快晴、帰秋 
2:00新潟のホテルにて起床、読書などいつもの如く。4:00入浴、7;30朝食、8:21いなほにて秋田に、12:00秋田着、家内は病院に。ダリアに被害進んでいた。栗のイガなど庭掃除、16:00プリにて飯川病院、新聞チェック、CDとりこみ、読書。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。昨年はグランクラス初体験、今年は往復グリーンで快適。歩数計Σ9150歩。

新潟大学医学部46会同級会2018(2) 会とわれらの健康問題
 昨日10月7日は新潟大学医学部46会同級会であった。

 2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。

 最初は消極的参加であったが、2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のため、と理由づけしたが、2012年には私が腸閉塞、脳梗塞と連続して発症し手術を受けた事もあって、その後の会は我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

(1)同級会とわれら夫婦の健康問題

 勿論、因果関係はないが、同級会の前後にわれら夫婦は体調を壊す。

 ■ 2005年9月に家内は大腸ガンの診断を受け、犬山市で開催された同級会から戻ってすぐに開腹手術をうけた。すでにリンパ節の転移が認められた。
 私は院長を拝命して日が浅く、部屋の引越しや病院の創立記念の祝賀会で過緊張状態で過ごした為に激しい腰痛に見舞われた。MRIでヘルニアが認められた。犬山市の同級会の頃は若干改善していたが、長年の希望であったモンキーセンターの見学は興味半分、辛さ半分であった。

 ■ 2012年の同級会は秋田で開催された。その後に私はクロスバイクで転倒、腹部を強打、そのためか内ヘルニア嵌頓による腸閉塞発症、腹腔鏡手術を受け、さらに数週間後心原性脳梗塞を発症した。幸い双方とも後遺症無く経過した。

 ■ 2014年新潟・佐渡での会は、その直前に家内の再発が判明、10月初旬に手術を受けたために出席出来なかった。

 ■ 2017年洞爺湖の会直前に私は右側鼠径ヘルニアの手術を受け、若干残る痛みとともに参加した。
 家内は元気な姿を報告した後、間も無く再発が見つかり、12月下旬に6回目の開腹手術を受けた。

 ■ 2018年新潟の会。前回以降の経過報告。今のところ二人とも健康上で新しい問題点は生じていないが・・・。

(2)新潟の往復に私は初めて自らグリーン車を選んだ 老化が原因か??
 今回の往復は、13:00秋田発「いなほ」、帰路は8:21新潟発「いなほ」。家内が多忙というので最短の時間で旅行した。

 私は今回初めて自らグリーン車を選んだ。この年齢になるまで何度かはグリーン車を利用したことがあったが、いずれもやむなくの利用であった。

 今回はなぜか初めから普通車を選ぶ気持ちは無かった。
 何らかの心境の変化をきたしている。
 もっとも大きな理由は、もうそれほど生きられないから費用をケチってもしようがないと思うこと、人の顔とか頭を見たくない事、混雑する車両に乗りたくないこと、それに「いなほ」の席は2:1の3列シートで前席、隣席との間が広く各席ごとに仕切板があって他人の姿がほとんど見えない事、だった。通路を挟んで座ると最高である。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7c/cd1157db212ca5bd7dacbb66542f59c2.jpg" border="0">
(「いなほ」のグリーン車。座席の配置に余裕がありゆったり過ごせた。黄色、青、茶中心の色調なのになんでグリーン車と言うのだろうか)

 昨年は洞爺湖からの帰路、新函館北斗発「はやぶさ96号」で客席はガラガラであったがあえてグランクラスを初体験し、へーこんな車両もあるのかと感心した。
 グランクラス車両はわれらを含めて3名だけで快適であった。

 ただし、ケチな私はもうグランクラスを利用することはないだろう、と昨年の感想に綴っているが、この一年間で考えを変えた。また乗るかも知れない。

 家内はしょっちゅうグリーン車を利用しているし、横浜在住の娘一家も盛岡までは頻回にグランクラスを利用するらしい。この年になってやっと彼らに一歩近ずけた、ということか。


10/7(日)体育の日 秋田晴・新潟晴 新潟大学46会同級会 
1:00起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、新聞、医学論文などチェック。台風21合、まだ強風あり。秋田県内列車運行状況チェックしながら新潟行きのチャンスうかがう。11:00すぎにいなほ平常運航に。旅行準備など、13:00特急いなほ。16:30新潟着。会場のANAクラウンプラザホテル新潟に。旧ホテル新潟、宿泊はセットでなかったが何とか確保。18:45新潟大学46会同級会、懐かしい顔24名。元気でいるのを確認すれば十分。訃報は1名。台風の関係で10名キャンセル。21:30一次会、少量のアルコールで泥酔、中座、就寝。

新潟大学医学部46会同級会2018(1) 特急いなほ無事動いた
 本日10月7日は新潟大学医学部46会同級会で、1年ぶりに新潟に来ている。

 2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。

 最初は家内の付き添いという名目で消極的参加であったが、意外と楽しいので以降はほぼ皆勤状態にある。2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のためと理由付けたが、最近では我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

 2012年は秋田、2013年は開催なし、2014年 佐渡、2015年 松島、2016年 月岡温泉郷、2017年 洞爺湖温泉郷であった。

 今年の同級会は隔年に行われる新潟の番。産婦人科クリニック院長のO氏を幹事に、現在のANAクラウンプラザホテル新潟で開催された。

 私は旅行嫌いである。それでも学会、医師会活動で各地を訪問したが、現役を退いてからは旅行といえばこの同級会のみとなった。

 折しも台風24号が日本海を北上、熱帯低気圧となり風雨のピークは過ぎたが当午前も風が強く、羽越線が不通で出席が危ぶまれた。
 台風といえば2004年の犬山市の会は台風22号襲来で急遽中止になり、翌年に延期された。また、2006年の新潟の会は悪天候で羽越線が4時間も遅れ一次会は10分間だけの参加になったことがあった。

 午前11時過ぎになってネット情報に羽越線が通常運行になったとの表示が出たので急遽13:00の「いなほ」に新潟に向かい、定刻に到着した。

 会場となった「ANAクラウンプラザホテル新潟」は萬代橋の近くにあり、かつては「ホテル新潟」であった。なぜか宿泊がセットになっておらず一瞬焦ったがなんとか一室確保できた。値段は特別料金を請求された。

 記念撮影の後、17:00から会食を中心とした宴となった。出席者は新潟近傍、1部関東在住者を中心に25名で、10名の直前キャンセルがあったと言う。私も昼頃まではキャンセルを考えて待機していた。

 開会の辞は、キャンセルせずに秋田から駆けつけた、という意味で私にまわってきた。みんなの笑顔が見れただけで充分と述べ、乾杯した。料理は見事なものであったが、直前キャンセルは影響しなかったのか、心配になった。
 余興として大学腎研究所の元教授O氏のサックスの演奏があり楽しめた。余興のレベルは超えていた。
 
 物故者はお一人だけであった。我らの仲間はなかなか死なない。100人中5?6人か?

 みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会の良いところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。

 出席者の近況報告があった。ゴルフ、ペット、孫の話など、ハワイ大学に留学したとか、ポルシェで走っているなど。内容は様々でも利害関係は無く、肩が張らなくていい。
 私はいつもなら一杯のビールで泥酔して中座するのであるが今年は料理がうまそうだったからソフトドリンクで一次会は粘った。今回も席の周囲の数名と声を交わしただけだったが、とても楽しかった。

 翌日は家内の仕事が混んでいるということで8:21発の「いなほ」で帰秋することとした。


10/6(土)晴れ 台風25接近中
 1:00起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、新聞、医学論文などチェック。5:30微睡。午前旅行準備、掃除など、13;30一周遅れ放送NHKのど自慢本荘観る。先週の24号に続き台風25号接近中、大風の予想にてダリアを再度保護作業。音楽番組視聴;「ラララクラシック:白鳥&魔王」、「題名の無い:絶滅楽器バンドネオン」、「読売Sym:ドンキホーテ」など。19:00夕食、21:00就眠。歩数計Σ7693歩。

本 ドキュメント死刑囚 増補版 篠田博之著 ちくま文庫 2015(2)
 著者の篠田氏は学生運動に参加し、左翼リベラル的な立場で雑誌制作に携わってきた。月刊紙「創」の編集長であり、活動として獄中からの犯罪者と年余にわたって面会し、文通を繰り返し、「創」に犯罪者の生の意見を発表する場を与えるなど、異色の雑誌編集を続けている。
 本書はその活動をまとめた一冊であるが、各受刑者との対話の中でも「創」についてのやりとりが頻繁に出て来る。著者は各受刑者とかなりの信頼関係を得ていたようで受刑者の本音が各所に見られる。

 最終章で著者は「罪と罰」について以下の項目に分けて考察を展開する。
 この部分に割いた紙面はそう多くないのが残念な気がした。
―――――――――――――――――――――――
(1)死刑囚にとって死とは
(2)死刑囚と家族になること
(3)無期懲役と死刑
(4)黒子のバスケ脅迫事件
(5)事件に向き合う
(6)罪を償うとはどういうことか
―――――――――――――――――――――――

 本書のポイントをいくつか。

■著者は犯行・裁判・生い立ちなどの問題点を洗い出し精神鑑定の結果を紹介しつつ、犯行の背景を分析している。
■死刑囚の心に踏み込み、取材を重ねているので、受刑者の死刑についての考えの一部が理解できる。 
■人が怪物化していく過程の気づきの困難さ、それを押し戻したり矯正することが如何に困難であるか。気がつけば犯罪者の家族となり生活環境が一変する。
■家族関係の希薄さは確かに犯罪の温床となることは事実のようだ。
■親、親族の死などを機会に幼児などへ偏愛的性向が生まれる、こともある。
■孤独感、金銭トラブルと殺意の増悪。
■幼少期に受けた虐待、世間から阻害された経験は犯罪の濃厚な誘因となる。
■いかなる背景があっても、犯罪は犯罪。死をもって罪を償うべきとの考え方はあり、死刑制度は必要とも取れるが、死刑囚にとって死刑の意義は各人各様である。
■反省もない状況でただ、絞首されるケースもあり、死刑制度の意義を考えさせる。
■犯罪は社会に対する問題提起の一つとも取れる。必死に生きて行くなかで、うまくいかず、社会から疎外され、耐えられなくなって冷静な判断がつかずに犯罪をおかしてしまう。死刑囚を通じて社会悪を徹底して分析することにこそ裁判や死刑制度の価値がある。
■裁判過程でそれらの解明なきままこの世から死刑囚を抹殺するのは、国家として無責任でないか。
■裁判過程において当事者の声はほとんど常識的な裁判用語で置き換えられてしまい、被告の心が離れて行く。
■底なしの憎悪、悪意むき出しの手紙などを手を加えず示している。
■凶悪犯罪に社会はどう対処すべきか。著者の持論を展開。
■死刑制度による抑止力は、多くは無力のようだ。むしろ死刑そのものが目的となり犯行がエスカレートする場合もある。
■死刑囚になってからの更生は、困難のように見受けられる。
■死刑制度に賛同している者に、その先の世界を示すヒントを考える能力はないようだ。
■死刑が有効で重い処罰と考えるのはほとんど思考停止でないのか?著者はそう締めくくった。


10/5(金)晴 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に。8:11こまち、徒歩9:10-11:30大曲中通病院。飯川病院院長講演会出席で1列車はやく秋田に、実際は新幹線45分遅れいつもと同じになった。大曲、秋田ともTaxiで病院に移動。13:30飯川病院ボランティア。外来患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ10809歩。

本 ドキュメント死刑囚 増補版 篠田博之著 ちくま文庫 2015
 法務省は1018年7月、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した全13人の死刑囚の刑を執行した。

 特異的な死生観を持つ日本人において、死刑の位置付けは微妙である。その為に死刑反対論者は少ない。日本人は死ぬ事に、単に死ぬこと以上の意味を持たせる。いや持たせすぎる、と私は思う。

 私の考えでは、死刑は犯罪者に安息を与えることでもある。また、自分から死刑を望む人たちもいる。私は死刑反対論者ではないが、最近、死刑とは一体何なのか、資料や本を集めて学んでいる

 本書はその内の一冊。2008年の同名の著作に大幅に加筆して増補版として再発行された。著者の篠田氏は日本の編集者、ジャーナリスト。月刊「創」編集長、創出版社長。「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。月刊『創』は死刑囚の手記等を頻繁に取り上げている。

 以下の事件で死刑判決を受けた死刑囚について記述されている。
―――――――――――――――――――――――――――-
■宮崎勤 幼女連続殺害事件
■小林薫 奈良女児殺害事件
■宅間守 附属池田小事件
■金川真大 土浦無差別殺傷事件
■林真須美 和歌山カレー事件
――――――――――――――――――――――――――――
 上記の5人と接見・文通を繰り返した著者の記録である。

■宮崎勤は幼年時から手に障害を持っていたこと、家族関係が希薄の家庭に育ち好きだった祖父の死で何かが爆発し犯行に至ったらしい。幼女4人を殺めたが本人に少女の連続殺害の意識は乏しく、自分とは異なる主体が起こした事件であるかのような態度に終始し、被害者家族と自身の家族の生活を崩壊させたまま処刑を受けた。反社会性人格障害と判定。著作に「夢のなか」。

■小林薫も父親と不仲、一人の幼児を殺害したが残虐さから厳罰化が望まれ、本人も死刑判決を受け入れた。ただ、本人は殺人ではなく「睡眠薬が原因の過失致死」と主張し続けたが、裁判で主張しなかった。雑誌「創」に手記発表。早期の死刑を望み、執行された。反社会性人格障害と判定。

■宅間守の場合は、8人の幼児が犠牲になった。背景は「果てのないほどの社会、人々への憎悪」である。担当の弁護士すら無能と罵り、危害を加えんとする恫喝の言葉の数々。処刑を受けた。反社会性人格障害と判定。獄中結婚したが、早期死刑執行を望んだ。

■金川真大の場合は、2人殺害。自殺がわりの殺人行為。死刑判決を受け、早期の処刑を望み、事件後5年で処刑を受けた。 死刑を望む犯人に対する死刑執行に何の意味があるのか?と問い掛けている。

■林真須美の場合、4人死亡。状況証拠のみから死刑判決。林は一貫して無罪を主張している。

 著者の仕事に敬意を表したい。
 著者の持論は本書の最終章で展開されている。


10/4(木)雲一つない快晴 外来 飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞他。7:30徒歩飯川病院、8:45-13:10外来、13:15健康クリニックレントゲンよみ。13:45飯川病院、14:00-18:25勤務。19:10レガシー帰宅、夕食、21:00就寝。CD取込み多数、一段落ではなかった。歩数計Σ13474歩。

ふるさと納税2018 やっと見直しの緒についた
 今回の内閣改造で閣外に去った野田総務相が先月中旬、ふるさと納税制度の見直しを表明した。
 過度な返礼品を送っている自治体へは税制優遇の対象から外す方針だ。やっとここまで来たか、と思う。

 総務省は17年4月に、返礼品の金額を寄付の3割以下にすることなどを要請した。これもバカな要請であったが、今年9月時点で全国の約14%の自治体が従っていない。地元の特産物以外の商品を送る市町村も多い。私は返礼品の金額を寄付の1割であっても多すぎると思っていたが、今回は強制力を伴う。やっと改善されそうである。
ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ
ふるさと納税2017(2) 私は返礼品などいらない 

 これを機に同制度の本来の趣旨を再確認し原点に戻して欲しい。

 ふるさと納税は今年で10年になる。当初、年間の寄付額は100億円前後で推移していたが、2013年度ごろから増え始め、17年度は3653億円だった。
 寄付が増えた最大の理由は高額な返礼品で、自治体間で納税額を増やすために返礼品競争が過熱した。

 17年度に全国で最も寄付を集めた大阪府の某市は、肉やビール、宿泊券など1千種類以上の返礼品をそろえ、返礼率も最大で5割にのぼるという。もはや、ネット通販、カタログ通販的様相を帯びている。
 こうした自治体がある以上、優遇税制を見直すのはやむを得ない。

 納税は「教育の義務」「勤労の義務」と共に国民の3大義務として憲法に定められている。国民として果たすべき最重要課題である。
 それなのに、国・自治体が半ば国民の義務を「サービス券」や「オモチャ扱い」にした。それに納税者が踊らされている、と思っている。

 総務省は、税制などの専門家、地方団体の当事者らから意見を聞いて課題を洗い出した、と言うが、あるべき姿に戻すことも独自に決められないのだろうか。

 過度な返礼品以外にも、ふるさと納税には様々な批判がある。例えば富裕層に有利な点だ。所得が多い人ほど税金の控除額が増えるからである。

 ふるさと納税が日本の寄付文化を育んでいる面もある、との考え方もあるが、私は是としたく無い。自然災害の被災地には、返礼品がなくても多額の寄付が集まっている。
 私も岩手県には7年間月収入の約20%を送り続けているが、毎月知事名で礼状が届くだけである。それで不満は無い。何かその他が付いて来たら私は寄付をやめる。

 ふるさと納税はその名の通り、故郷や気になる地域を個人の自由意思で応援する制度である。
 今回の見直しで寄付額が減ったとしても、それが正しい道である。

 蛇足ながら、今の日本は、企業の不正の頻発などをみると社会全体が腐って底が抜けたようだが、ふるさと納税にもそれを感じざるを得ない。


10/3(水)曇りのち晴れ 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、新聞データ化、データ分類など。歴
史関連本読み。台風に備えて縛ったダリアの枝開放。12:07バス飯川病院-18:45ボランティア、外来患者対応。CD取込み多数。飯川のMac マウス不調で新型を注文。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ8173歩。

多様性の疎外が表出した事件(7) 杉田氏の投稿は評価できる
 社会の変化を受けて自民党は2016年5月にLGBT等の性習慣について、「性的志向、性自認の多様な在り方を受け止め合う社会を目指す」との基本方針を公表した。
 だが党内には伝統的性的考え方、家族観が根強く、上記の方針にもかかわらず不用意な発言して反発を招いた中堅から年寄り幹部の発言も多い。

 自民党の杉田水脈衆院議員が7月18日発売の月刊誌「新潮45」に「LGBT支援の度が過ぎる」とのタイトルでLGBTカップルに関し投稿し、以下の持論を述べた。
 この発言の内容は取るに足らない暴論に近いが、彼女が何を考えているのか明らかにしたことは評価出来る。

――――――――――――――――――――――――――――
■「子どもをつくらない」から「生産性がない」。
■「税金を使う行政支援は疑問」。
■「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのか」。
■「同性婚を認めれぱ、兄弟婚や親子婚、ペット婚や機械と結婚させろという声も出てくるかもしれない」
■「例外を認めてあげると、歯止めがきかなくなる」。
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 これに対し、党内外から「ナチの優生思想だ」、「人権意識を欠いた記述だ」と批判が上がっている。共産党の小池書記局長も会見で「無知、無埋解、悪意に満ちた偏見で悪質な発言」ときびしく非難した。      
 杉田氏は「ゲイだと名乗る人間」から殺害予告のメールが届いたとして赤坂署に被害届を提出した。

 杉田氏の寄稿に対し、LGBTの当事者や識者からも批判の声が上がる。

 私はこれに対して杉田氏はよくぞ言ってくれた、という視点で考えている。

 最近、私は我が国では言論の自由がなくなってきているのではないかと危惧している。
  
 変わった発言があると、特に政治家など、有名人の場合はすぐに批判や反論が展開され、いわゆる炎上状態となる。結果的に「発言を削除します・・・」、「発言を撤回します・・・」となる。実に口が軽く、尻も軽い。
 私は「発言内容の削除・撤回は認めるべきではない」と思う。「訂正」ならいい。その上でしっかりと機会を得て弁明すれば良い。なぜならば発言の背景には個人個人それなりの理由があるはずだ。個々人の意見は決して常識的な立場から押しとどめてはならない。むしろ言いたいことがあればその機会を与えるべきと思う。
石原環境相の「金目」発言:発言は修正すべきだが、撤回させてはならない
慰安婦問題2014(1) 朝日新聞の記事取り消しは許しがたい暴挙
丸川環境相の発言:間違い発言は修正すべきだが、撤回させてはならない

 同じことは文書でも言える。森友・加計問題では、特に前者では文書の改ざんが100け所近くも見つかっているが、文書の場合は不都合なところが生じたら消し去るのではなく日本線を引いで訂正すればいい。その際、訂正した原本は残したまま改定版を出せば良い。

 私は違った意見でも意見をはっきり述べる、あるいは表現する人の方を好む。それなりに付き合い方は難しいが、何も言わない人は何を考えているか分からない。私にとっては嫌で怖い存在だからである。

 自分と違った意見がでても神経質に反応すべきでは無い。寛容の気持ちを持って当座の怒りは押さえよう。じっくりその気持ちを熟成させてからじっくり反論すれば良い。
 その意味では新潮45の休刊は残念である。


10/2(火)まだ強風降雨 外来 飯川病院
 1:10起床、新聞・文献チェック、電子化、徒然など。5:10風雨の中家庭ゴミ出し。7:30家内に同乗飯川病院着、8:45-13:00中通病院外来、疲弊。大谷のウエア頂く。13:15飯川病院、14:00-18:30勤務。入院患者対応、次男から譲られたMacBook pro再設定。19:00帰宅、夕食
、20:30就寝。CD取込み多数。歩数計Σ7163歩。

多様性の疎外が表出した事件(6) 同性婚増加と憲法(2)
 キューバが最近同性婚を合法化した。私のファイルでは24ケ国となった。

 同性婚を合法とする国が増え続けている。
 17年6月のドイツに続き、地中海の島国マルタの議会も同年7月、同性婚を認める法案を可決した。
 国際レズピアン・ゲイ協会(ILGA)によると計23カ国が合法化している、と言う。
 一方、同性愛を違法として取り締まりを強化する国もある。LGBTの人権が危険にさらされている国もある。

 ドイツは野党を中心に同性婚容認論が高まっていたが、17年6月に離婚や養子の法的手続きで、同性カップルに異性婚の夫婦と完全に同等の権利を付与する法案を可決した。
 国民の9割以上がカトリックのマルタも可決した。

 同性婚は2001年、オランダが世界で初めて合法化した。
 以降、欧州を中心に認める国が増え、南アフリカやアルゼンチン、米国などが続いた。このほか、台湾は憲法解釈を担う司法院が17年5月、民法が同性婚を認めないのは違憲と判断し、アジア初の合法化に向かっている。

 一方、ILGAによると約70カ国が同性愛を「犯罪」と見なし、イランやサウジアラビアでは死刑が適用されている。インドネシアではゲイのカップルに公開のむち打ち刑が執行され、ナイジェリアでは同性婚の結婚式に関わった50人以上が起訴された、と言う。性週間に関しては国別で格差大きい。

 日本は先進7カ国(G7)で唯一同性婚の未整備国となっている。
 日本は同性婚を認めておらず、結婚に準じる「パートナーシップ制度」もでG7で唯一法制化していない。LGBTへの差別を禁止する法律もない。一方、自治体レベルでは同性カップルを結婚相当と認定する動きが広がっている。

 日本では渋谷区が15年、同性カップルをパートナーとして公的に認める証明書を発行する制度を初めて導入した。法的拘束力はないものの、世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、那覇市、札幌市が続いた。

 有名人が最近自分がLGBTであると告白するケースが増えている。
 LGBTには多種が含まれるからLGBTsという呼び方もある。LGBTの方々はいろいろ差別を受けやすい。
 私はせめて少数者と言う呼び方をやめた方がいいと思う。

 憲法の文面からからみると
13条 個人として尊重される
14条 あらゆる差別を禁じる 憲法の元では平等でなければならない。LGBTで差別されてはいけない。 
24条 婚姻は両性の合意のみで決めていいが、同性婚を禁じているわけではない。

 私はLGBTではない。だからその方々の気持ちにはなりえない。頭では理解しようとしている。憲法は、本当に困っている人のための法だから、自分に関係ないと距離を置くと 困っている人に想いを馳せない。いつか自分に降りかかってくる問題と立場の違う方々にも想いをはせて考えることが重要であろう。

 我が国では、役所に提出することで認められる法律婚は同性愛者には認められない。戸籍の問題、相続の問題、配偶者に優遇制度など。これらは今後の問題である。


10/1(月)台風24号接近 終日風降雨 健康クリニック 飯川病院 
 0:50起床。いつもの如く。3:30頃から雨足が強まり風とも強くなった。5:00明るくなるのを待ってダリアに紐かけ、ハチは避難。その後すぐに雨風弱まる。ダリア一輪に被害あった。7:10雨にてレガシー飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック業務14名。結果説明1名、飯川病院へ。歴史本など。14:00-18:30勤務、患者対応、CD取込み、文検、19:10帰宅、夕食、再度ダリア補強、21:00就寝。歩数計Σ5925歩。

多様性の疎外が表出した事件(5) 同性婚増加と憲法
 18年7月30日、立憲民主党は、同性婚の法制化に取り組む方針を発表した。
 大阪市は同性パートナーシップ制度を始めた。

 同性婚に関してはここ10年ほど急速に話題になってきている。古い人種に属する私など頭では理解しようとしているが、その感覚にはなかなかなり得ない。いずれにせよ、同性婚は日本社会においても、早晩問われてくる問題だと思ってはいたがその変化は速い。

 欧米社会では同性婚は法律で認められている。人間にとって自然なことと考えられてきているが、しかしそれもここ10年のことである。それ以前は、異性婚が主流だった。1組の男女が一緒になる、それが結婚の伝統的な在り方であった。人間の権利として同性間の生活、婚姻などの在り方を認めるべき時がきたということなのだろう。

 婚姻関係についてはその権利や義務が憲法や法律で定められている。しかしながら、自らの良心と憲法や法律が一致しない時、時代の流れだと言って法を破ることは許されるのか?あるいは、憲法や法律の方が間違っていたのだろうか。

 人間の基本的な倫理やあり方が、時代とともに変わるものなのか?結婚という人間にとって大きな問題が、時の流れによって、そのあり方が変わるものなのだろうか?

 私は、現実の変化の方が正しいのだろうと思う。
 LGBTは急に出現したのではなく、昔からあったのだ。だからこそ社会の形成のおり、表出しないように制度として無理やり押し殺していたのだ、と考えたい。

 社会の秩序を守る為に憲法や法律が作られたのであろうが、それは人間社会の確立のために正しい行き方だったのであろう。私は、LGBTの存在こそが正しいのであって、その生き方を制限してきた憲法や法律の方に問題があったのだ、という考えに至りつつある。

 日本国憲法を参考に考えてみる。 

 憲法24条に婚姻は、「両性の合意のみで成立する」と定められている。しかし、それは一組の男女のことを指しているのではない、と憲法学者は解釈している。
 旧憲法・民法の下では、婚姻の成立に「戸主」の同意が必要とされていた。また、女性に対する婚姻強要も多かった。GHQ案はこの状況を憂え、男女の当事者の婚姻意思を尊重し日本側も受け入れた、とされている。

 だから、同条が禁じているのは同性婚ではなく、当事者、特に女性の意思に反する婚姻を禁じているのだ、と憲法学の通説もそう解釈する。
 憲法24条は「婚姻」は異性婚を指しているが、同性婚も違憲とは言えないとする。
 政府解釈も、「憲法24条に同性カップルによる婚姻の成立を認めることは想定されていない」としている。これは、憲法24条の「婚姻」は異性婚の意昧だとする通説を前提に、「同性間では異性婚の成立は想定できないことから、同条は同性婚の否定には及ぱない」としたものと解される。

 たしかに、男女の不平等が存在しえない同性カッブルでは、憲法24条を適用する必要もない。

 私は憲法24条の両性とは異性婚のことを指していると思ってきた。憲法学者たちの解釈はそうではないことを知ったが、違和感がある。
 GHQが日本国憲法を起草した今から70年前に同性婚のことを意識してこの文面を作り、男女の不平等が当たり前だった日本の政府が、当事者たちの平等な婚姻意思を尊重して受け入れた、とするのは後付け解釈によるものと考える。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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