2017年7月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
7/31(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
0:30 起床。文献処理他録音データ整理。7:20徒歩飯川病院着、9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡。14:00-18:20勤務、19:20プリウスにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9293Km。Blu-ray Discなし。
日本経済新聞を購読し始めた
今月初めから日本経済新聞を購読し始めた。
昨年5月に一紙定期購読を中止したばかりであったが、これで再び購読紙が地方紙2紙を含めて4紙となった。
今回は、若干経済のことを勉強し、若干の理解力が増し、興味も感じるようになったのたで経済関係の新聞としてみた。
前から時折、新幹線での長時間移動時などに日本経済新聞を購入したことがあり、内容的に気に入り始めていたからであった。
新潟大学医学部医進過程で、初歩的な「政治・社会・経済学」を学んだ。この中では自分が数字に弱いこともあって、経済への興味が乏しかった。実際、社会に出て収入を得るようになっても給与袋の見方も知らず、税金の仕組みも知らず、経済関係は最も縁遠いものとなっていた。
あれから半世紀、似たようなレベルで過ごしてきたが、現役を引退したのを機会に経済を学び直してみようと考え、少しずつ準備を続けてきた。結果的に、日本経済の状況、世界経済の動きを知ることによって近代日本の歴史を経済の面からも徐々に理解できるようになった。これは自分にとっては大きな進歩だと思う。
新聞には全国紙、地方紙、ブロック紙、地域紙、業界紙などさまざまあり、多様な言論活動を行っている。
全国紙は狭義では読売、朝日、毎日の3紙、さらに、日経、産経を加えて捉えられているようだ。
そのうち、私は毎日新聞を30年ほど購読してきた。内容的に不満であったが、身障者を多く雇用しているという実績を評価して継続していた。SARSに関して私が提供した情報を捻じ曲げて掲載され、ちょっとした事件になったのを機会に社の報道姿勢に疑問を感じ2003年6月購読をやめた。
次に購読したのは読売新聞であったが、1年後に購読料支払いについて地元の業者との間にトラブルがあり、2004年2月購読をやめた。紙面は気に入っていたので残念であった。
次いで、購読したのは朝日新聞で現在まで14年ほど購読している。歴史的にもいろいろ問題を醸してきた新聞であり、中でも2014年の慰安婦問題の記事取り消し事件には呆れはて、購読中止も考えたが、あえて中止せず現在まで継続している。最近の紙面構成に不満はないわけではない。
日本経済新聞は主張がクリアである。
特に経済面からの視点、主張は読みがいがあり、とても勉強になる。連載される特集記事にも読みがいがある。全てに渡って満足というわけではない。それは当然と受け入れる。政治欄、国際舞台、文化欄、社会欄の記述は詳しくはないが視点がはっきりしていて参考になる。
活字のサイズが他紙に比較して一回り小さい。これは他誌の方が改善してきたからであるが、多分、購読者層が他紙よりは若いためだろう。私には記事を能率よく読めて嬉しい限りである。
日本経済新聞の購読を機会に私のスクラップ記事が著増した。時間的に苦しいが、情報収集という意味では嬉しい悩みである。
7/30(日)快晴・猛暑
1:00起床、書類、読書などいつもの如く。撒水、野菜収穫。午前は新聞チェック、データ整理、本読みなど。NHKのど自慢ご微睡、15:00伐採枝裁断。16:00講演会出席の家内迎え、花徳経由で帰宅、18:30まで外仕事継続、19:00夕食、20:45就寝。Blu-ray Disc視聴なし。徒歩積算16117歩。
秋田市中央図書館明徳館のボイラーは景観を損ねていない!!
秋田市の中央図書館明徳館は私の通勤路にあることもあって、また、パソコン等の小型家電の廃棄コーナーもあって、私にとって親しみを覚える施設である。
私は施設脇にボイラー設備が新設されたことは気づいていたが、利用者の一人としてそれほどの違和感を覚えていなかった。
今月7月21日の秋田さきがけ新聞に、この明徳館の建物に隣接されたボイラーが周囲の景観を損ねていると「市民から改善を求める声が上がっている」、との記事が掲載され、注目した。
記事の骨子は
■明徳館の玄関横に異様な存在感を放つ設備がある。
■空調用のペレットボイラーで大きさは幅19x奥行き6.6x高さ5.6m。
■周辺は新文化施設の整備を含め、環境に配慮した都市づくりを目指す、市の「あきたスマートシティプロジェクト」のエリアである。
■温暖化対策や市の誘致企業が製造するペレットの活用のために導入されたが、老朽化した旧灯油ボイラーに比べて大型で、屋外に設置された。
■当初、建物裏側に設置されたが、近隣住民から騒音への苦情などがあり、15年夏に今の場所に移された。
■最初の設置場所や現在地は広葉樹が茂る庭園で、いずれも設置に伴い庭木が伐採された。■ボイラーの導入費は約7千万円、移設費は約1700万円。
■市環境総務課は「景観に配慮する必要性は認識している」と説明。本年3月に周りに苗木20本を植えた他、今後目隠し用に「緑のカーテン」を整備する。
この記事にはこの庭園の愛好市民一名と、秋田公立美術大某准教授の批判的意見、が添えられている。
図書館の空調は資料の保管のためにも重要である。また利用する立場からも必要と考えた。地球環境のことも考えてのペレットボイラーの設置とのことで、私は違和感を覚えなかった。しかし、この記事で初めて市民から具体的に改善を求める声が上っていると知った。
たしかに、今は自由に意見を述べる時代でもあるから、そのような意見もありうるかと思う。しかし、「市民から改善を求める声が上がっている」との記事の記載はどの程度のことを示しているのか?この記事からは伺うことはできない。市民一人の意見では不十分である。記事にするにあたってその辺のことを報じなければ問題提起にも値しない、と思う。まさかそんなことはないと思うが、捏造記事?とも取れないことはない。
記事掲載の後、通勤時に私が見たボイラーの一葉である。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c7/95ef01c72c70c0e572c0a62a3f166283.jpg" border="0">
確かに、ない方がいいと思うが、受け入れていっていいレベルだと思う。
7/29(土)快晴猛暑
0:30起床、新聞や文献読み。データ整理。5:00収穫、本日も暑予想。午前は暑くて外作業困難、机上作業、読書中心、自宅の不具合など修理。包丁+ハサミ研ぎ数丁、切れ味戻ったと好評。微睡、15:00早めに外に出て庭木の伐採、裁断など。汗びっしょり。19:30夕食、21:00就寝。我が家から一歩も出ず、なのに徒歩積算19820歩に。Blu-ray Disc試聴なし。本日はダイエット失敗。
コーヒー:珍しい「コピ・ルアクコーヒー」を楽しんでいる
私は夜半から早朝の活動を好む。0:00-1:30頃に起き出す。
私は真っ暗な中、やや暗めのスポットライトで照らされたの机に向かう。読書、情報収集、蓄積データ整理などが中心である。
4:00にコーヒータイムをとる。ゆったりと楽しむ。これもまた、私の至福のひとときである。5:00以降に始まる慌ただしい時間に向かう気持ちをコーヒーがゆっくり静めてくれる。
コーヒータイムが終われば、ネコども7匹分の居室やトイレ掃除、給餌、給水、曜日によっては可燃ゴミ・資源ごみ廃棄、夏場は野菜の収穫、ダリヤなどへの散水、畑の作業、降雪機には雪かきなど、始める。
自分も軽食を摂る。6:20には病院に向かう。悪天候の場合は6:47分バスにする。朝のこの時間帯、とても忙しい。
私はコーヒーが大好きであるが、味音痴で違いがわからない。むかし、「違いがわかる・・・」といったネスカフェのコマーシャルがあったが、私にはわからない。ドリップかインスタントかの違いも分からなかったこともあった。
? 嗜好品は、一般的に趣味性が強い。静かに一人楽しめば良いのにウンチクをたれる方などもおられ、私にとっては全て迷惑でこのような方には近づかない。
私の嗜好品はお茶とコーヒーくらいだろうか。酒もタバコも一切やらず、人付き合いもない私が比較的お金をかけている分野である。ただ、私は質や価格や内容に関しては興味もなく、何も分からない。すべて家内や家人が選んでくれたもので楽しむ。飲みたいときにコーヒーがあり、緑茶があればそれで満足する。
コーヒーに関していえば、銘柄、産地などはいろいろ知識はあるが、いま何を飲んでいるのか、全く区別出来ない。
そういう私が、いま、「コピ・ルアク」という耳慣れないコーヒーを楽しんでいる。
「コピ・ルアク」とは、ジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のこと。
インドネシアのコーヒー園ではコーヒーの実がジャコウネコに狙われる。現地の農民はその糞を探して中からコーヒー豆を取り出し商品化している。ネコの消化酵素や腸内細菌による発酵のおかげで、コーヒーに独特の香味が加わるという。
世界で最も高価なコーヒーとして知られているが、希少価値のためであり、コーヒーとしての味が優れているからというわけではないらしい。
私は、つい先日、知人から「コピ・ルアク」を一袋いただいた。知人はコーヒーをあまり好まず、家族も嫌がるために飲む人がおらず処分に困っていたという。たまたま私がコーヒー好きであることを知ったらしく送ってきた。
パックに色々書いてあるがインドネシア語??なのか解読できない。ついてきたメモには150g八千円だったらしい。細かく追求はしないが一般的な「コピ・ルアク」より安いようだ。15%のブレンド品だからか??
(パックにジャコウネコの絵がついている 15%とあるのはブレンド比か 右上の尻尾はプチ)
私も家族たちに勧めたが誰も飲んでくれないので、毎朝一人でドリップして楽しんでいる。
コーヒーとしての味が優れているか否かは・・・、濃厚で苦いが、その価値はやはり分からない。
ただ、私はこれを飲みながらコーヒーについて若干勉強してみたいという気になった。今までは惰性で飲んでいたに過ぎない。なんで、そんなに美味いわけではないのにコーヒーが世界中で好まれているのか、まずその付近からのスタートである。
書籍や文献を集め始めた。
7/28(金)小雨のち晴れ 大曲中通病院外来
0:30起床,文献・新聞チェックその他。5;00可燃ゴミ集積所に、7:35新幹線が明日まで運休のために家人の車で大曲に、9:00-12:00大曲中通病院外来。業務用スーパーなど立ち寄り14:00自宅に直帰。机上作業後16:00庭仕事。19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc視聴なし、徒歩積算8676歩。
災害列島(8) 秋田の豪雨被害(2) 佐竹さん、何でまた
佐竹知事の危機管理の甘さはに関しては、知事の立場を考えると問題はあったと思うが、ゴルフを含めて決定的な問題ではない。
情報チェックに問題はあったが、全て後付けで分かってきたことで、翌日渋滞に巻き込まれて連絡会議に出席できなかったことは状況から見てやむを得なかった、と私は思う。知事には反省していただかねばならない。
ただ、この件に関して知事が同行したメンバーに関して虚偽の報告をしたのには驚いた。
私は、かつては病院業務や医師会業務を通じて知事と結構頻回に接する機会があって、いろいろ会話もし、知事の人となりを評価していた。それは今も変わりない。だから、「佐竹さん、どうして見え透いた嘘をついたのか・・・」というのが最初の感想であった。しかも内容的にちょっと調べれば分かる内容だったし、部下をかばうためという予想外のちゃちなレベルでなおさら驚いた。
知事として、それほど隠すべきと思えない軽い内容のことを虚偽の説明をしたことは、危機管理の甘さとは全く別次元の「重大な」問題である。「虚偽の説明」をしたこと自体が問題であって、内容問題ではない。
おごりの意識なのか、年齢に伴う判断力の欠如なのかはわからないが、最近、予想外な発言も見られる。「人口減を気にしているのはマスコミだけ」、「県がみんなやっちゃうと市町村はサボる」、「自分の時間が欲しくなってきた・・」などの発言である。今回の災害対応と併せ、知事として緩みがないのだろうか。
今回の虚偽説明を見れば、あまりにもくだらなく、これでは、知事の発言や説明をどこまで信じたらいいのか分からない。知事は県民の信任を得て三選と果たしたばかりであるが、3期目のスタート早々に大きく損なわれた県民の信頼は、簡単に挽回できるものではない。
佐竹知事はもともと県職員であった。秋田市長を経て知事になったが、県庁は古巣であり、県庁職員にとっても都合の良い知事である。友人や知人、後輩も多い。知事として8年、周りのスタッフをイエスマンで固め、結果的に苦言を呈したり、物が言いにくい状況になっているのではないか?
私は秋田県政には問題点が山積みなのに、県にも知事にも過度の安定を感じ取っていたので今回の知事選には投票しなかった。
知事、県庁の組織や政策に緩みが出ていると思う。
それが今回ひょんなことから具現した。残念なことである。
7/27(木)快晴 外来 飯川病院 循環器科受診
0:30起床、新聞・文献など。データ整理。いつものパターン。7:20徒歩飯川病院着、8:40-13:20中通病院外来。途中で循環器科受診、問題なし。14:30飯川病院、勤務、19:30帰宅・夕食。20:30就寝。Blu-ray ながらDisc:「ワカコ酒:Season3 2本」,「ぶらぶら美術館:(1)国立科学博物館、(2)熊本城」。歩数計15243歩。
災害列島(7) 秋田の豪雨被害(1) 佐竹知事と県の担当部署の危機管理の甘さ
22日からの大雨で、県内は大きな被害を受けた。県や市町村は国と連携して被災者支援や復旧に全力を挙げるべきである。
そうした中、22日に佐竹知事が、宮城県にゴルフに出掛け、23日の連絡会議に出席できなかった、と言う。
知事は記者会見で、「一連の行動は軽率であって深く悔いており、県民の皆さんに謝りたい」と述べた。
私がメディアから得た情報では、知事の説明は以下のごとくであった。
――――――――――――――――――――――――――――
■出掛ける前に気象について詳細に確認せず。
■22日午前6時半ごろ、誰にも知らせず、県庁OBの友人3人と知事の私用車で出発。10時半ごろから16時ごろまでプレーし予定通りホテルに1泊した。
■プレー中に携帯電話に県危機管理監から自治体の避難情報などについてメールが送られ、知事は時々確認したが、全部を確認しなかった。この間、県庁から電話はなく、自分で問い合わせもしていない。
■県内の大雨被害の重大さに気付いたのは19時ごろという。
■翌朝、県庁で災害連絡会議を開くよう指示したが、自身は渋滞のため会議に間に合わなかった。
■知事は当初、同行者3人は「昔の仲間」と説明。実際には県の産業労働部長と観光文化スポーツ部長が含まれ、人数も6人で、車2台に分乗して出掛けた。
■知事は現職2人に責任が及ぶのを心配し、うそをついたと認めた。
■同行した部長2人は知事に一度もプレー中止や帰庁について進言しなかった。「帰るとは言えない状況」であった、と述べた。
――――――――――――――――――――――――――――
知事の危機管理意識の甘さには驚いた。私ですら週間天気予報、一両日中の天候は調べて徒歩通勤や園芸畑などの週間予測を立てて行動している。
担当部署はメールを送ったきりで次の対応を取っていない。メールなど読まれているかすらわからない。電話連絡をすべきであった。災害担当部署の危機管理意識の低さにも驚かされる。
今回の件について、知事の判断の甘さが次々と報道されたが、その結果いかなる悪しき結果が出たのか、その判断と報道が欲しかった。知事が会議に出れなかったため、県としての災害対策機能は果たされたのか否か。私はこちらの方が重大だと思う。副知事だっているし、災害担当部長もいるはずだ。
知事の危機管理姿勢、県の担当部署の意識には問題があった。これを機に発想の転換すればいい。災害対応の改善点を後日県民に説明してもらいたい。
知事が意図的にうそをついた事実は、危機管理の欠如とは全く別次元の重大な問題である。
7/26(水)快晴暑い 午後飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞・文献・本読み。午前日差し強く家の整理など、ネコ室扇風機修理ほか。14:15要請あり急遽レガシー飯川病院着、ボランティア。院長患者搬送のため。16:30帰宅。本読み。庭仕事、伐採中心。19:30夕食、20:50就眠。Blu-ray Discながら視聴:「林修関連2本」。歩数計15514歩。
就活あれこれ2017(5) 家族の死を語るとき
日野原氏が18日にお亡くなりになった。105歳であった。ご冥福をお祈りしたい。
いま、ここで私は尊敬の気持ちを込めて「お亡くなりになった」と記述した。
最近、死去された身内の方を語る際にも「亡くなった○○」と表現する方が少なくないが、これはきになる。
最近は多死社会である。メディアにも「死」を語る記事、放送が多い。
その際、身内の方も登場し思い出などを語る場面が多い。特に私が愛聴しているラジオ深夜便の100am、4:00amからは「母を語る」、「わが心の人」などの故人を語るコーナーががほぼ定期的に取り上げられる。
その際、死亡した家族のことを伝える際に「亡くなった母が・・」などと言うのをよく聞くが、私は違和感があり、用いない。「亡くなった」という言葉には尊敬語のニュアンスがあるからで「死んだ」、「死去した」・・・を用いている。
この徒然日記にもプロフィルの一部に「母を語る」、「兄を語る」、「父を語る」があるが母に関しては「この世を去った」、父と兄は「死去した」と表現してある。
「亡くなる」は講談社の日本語大辞典には「人が死ぬこと婉曲にいう言葉」とある。自分自身については使わないだろうが、身内なら誤用とは言えないかもしれない。しかし、違和感がある。
人が死ぬことを示す表現は、死を迎えた際の状況、生前の立場などのを鑑みて「亡くなる」、「永眠する」、「あの世に行く」、「息が絶える」、「往生する」、「お隠れになる」、「帰らぬ人となる」、「逝去する」、「天に召される」など用いられる。
なぜこんな表現があるのかといえば、「死」は「忌み嫌われる」もので、その言葉が持つ感情を避けるため、「死」を意味する間接表現を次々生み出してきた。新聞記事では「死亡する」、「死去する」を使用することが多い。
私は医療関係者の一人として、患者の死に際しては慎重に言葉を選んできた。私自身は「死」は「死」そのものであり、特別な感情はないが、患者の家族に対しては過剰なほど気を使ったものである。家族の多くは身内の死に臨んでとてもナーバスになっており、特別な配慮を要するからである。こんな配慮が不要な状況にならないか、とずっと望んでいたがそんな時代はまだまだ遠い。
他人が用いることには問題を感じない。身内が身内の死を「亡くなる」と言うことについて、「死」の直接的な表現を避けるため、とすれば許容できるであろうが、私はやはり使えない。
私は自分の就活の一つとして自分には「亡くなったと表現しないで欲しい」、と言っておく。「死にました」でいい。
尤も、飼いネコに「ご飯をあげる・・」と表現する人も少なくない。これも問題であるが目くじら立てないでおく。私はネコ以下でいい。
7/25(火)晴れ 外来 飯川病院
1:00起床、文献読みなど。5:00収穫、他。5:15可燃ゴミ収集所に、7:10体調考慮しバスにて通町、徒歩にて飯川病院着。新聞チェック、微睡他。8:45-13:00中通病院外来、体調改善傾向。13:00飯川病院、微睡。14:00-18:15勤務、入院患者対応。歩数計11185歩。19:10帰宅、夕食、20:30就眠。Blu-ray Discながら視聴:「すごいですね日本:大相撲、出雲大社、トマト」観る。
災害列島(6) 地球温暖化(2) かつての温暖化懐疑論
温暖化懐疑論は今でこそ消滅したに等しいが、かつては結構隆盛を持地大論争をきたしていた。30年ほど前、私は気候、温暖化について興味を持って勉強したが、当時は温暖化への懐疑論者は多数いて、文献も多かった。
温暖化の懐疑論は
(1)学術的知見そのものに対する懐疑論。
(2)気温上昇、氷河融解、海面上昇、動植物の生態系変化、気象の異常等の現象が温暖化に起因しているとの知見に対する懐疑論。
(3)石油業界関係の学会が最後まで人為説に批判。
以下は代表的温暖化の懐疑論の骨子である。
■気温は上昇していない、もしくは、そのデータの信頼性に疑問がある。
■一部の観測地点の変化と平均気温のデータに高い相関が見られるから、陸上の気温が過大に見積もられている。
■2009年〜2010年の冬が寒かったのは、地球温暖化の停止を示す。
■現代気象学における温暖化論には物理学的な裏づけがない。
■世界の平均気温上昇は1998年以降停止している。また、太陽活動の低下により今後地球は寒冷化する可能性がある。
■温暖化は二酸化炭素を主とした温室効果ガスの濃度増加に因るとの学術的知見は根拠が乏しく懐疑的にならざるを得ない。
■太陽活動の影響、宇宙線の影響、地球内部の活動、磁気圏の活動などが原因である。
■近年の温暖化は人為的な温室効果ガスの増加に因らず、自然要因の影響がはるかに大きい。
■二酸化炭素よりも、水蒸気の方が影響が大きい。
■二酸化炭素ではなく太陽活動が原因である。
■可視光より変動の大きい紫外線や太陽磁場が気候変動に少なからず影響している。
■小氷期からの回復過程に過ぎない。
■現在の温暖化は、過去にもあった自然の気候変動の繰り返しの一部である。過去にも中世の温暖期などがあった。
■中世に現在と同程度に温暖であった地域は限定的で、地球全体での平均気温は現在よりも寒冷であった。
■既に地球放射エネルギーのうち95%は吸収されて飽和状態に近く、今後二酸化炭素が増加しても、それほど気候に変化は起きない。
■主因は温暖化ガスの増加ではなく、エネルギーの使用による放熱による。
■・・・・・・・。
なかなか面白い論旨が見られた。
これらは現在ではほとんど通用しない。
未だに難癖つけて主張しているのはトランプ氏くらいだろうか。
7/24(月)曇りのち晴 健康クリニックドック 飯川病院 心臓エコー
1:30起床、新聞、文献収集その他いつものごとく。7:20徒歩飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック14名結果説明2名。11:15術前検査として心臓エコー、心電図。12:00飯川病院、微睡。14:00-18:50病院勤務。入院患者対応。散水せず。19:15帰宅、夕食、20:45就寝。Blu-ray Discながら視聴:「陸上自衛隊2回目」、観る。歩数計14074歩。
災害列島(5) 地球温暖化(1) 地球の最大かつ最後の危機になりうる事態
ここ数年は特に全世界規模で異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。
わが国でも今月初旬の九州北部の集中豪雨、22日は秋田で集中豪雨があり、秋田気象台観の記録を塗り替えた。
地球は数100億年という長い歴史を経つつ、環境が徐々に変化をとげた。48億年ほど前に命が誕生し、各動植物が共生しながら、自浄作用の範囲で一定の環境を成立させた。
地球にとってヒトの誕生は、地球を蝕むガン細胞のようなものと思う。
? ヒトは食料を生産する知恵を得たときから、人口が急増し、更に産業革命などに代表されるエネルギー革命がこれに拍車をかけた。産業革命以降の活動は温室効果ガスの排出を伴うものであった。さらに化石燃料の時代を迎え、温室効果ガスの排出量は著しく増加した。
そして、迎えた結果は、必然的に、温暖化ガスの蓄積である。
温室効果ガスは地球の温度を上昇させる。
気象庁のシミュレーションでは、もし温室効果ガスの対策が取られなかった場合、東京の気温は21世紀末には20世紀末に比較して+4.5度C上昇するとされている。この状況の中で人類の生活環境は危機的状況を迎えることになるだろう。
大気温度の上昇は人類を滅ぼす。冬もあったかくなった、雪が降らなくなった・・・などと喜んではいられないのだ。
温暖化が進んだ。人口はさらに増加する。エネルギー消費も倍増していく。
したがって、対策なしでは地球環境は悪化するのみ。
温室効果ガスはCO2等の温暖化ガスの蓄積である。それにはCO2、メタンガスがある。
大気中のCO2はわずか0.04%に過ぎないが、温暖化ガスの7割をしめる。しかも寿命は300-500年ほどで一度時発生するとなかなかなくならない。原発事故の放射線、同位元素は誰でも恐ろしいと思うだろうが、CO2も同じようなものである。
海洋、森林、土壌にもCO2吸収能力はあるが、現在の発生量はそれを凌駕している。したがって増加の一方である。
メタンガスは温暖化ガスの16%をしめる。わずかではあるが温室効果はCO2の25倍とされる。メタンガスの3割が牛や羊のゲップだと言われる。ただメタンガスは寿命が12.4年と短い。メタンガスの温室効果効果はCO2よりは軽微であるが、その削減に向けて出来る対策は行う必要がある。
温暖化がもたらす影響はざっと挙げて以下のごとくである。このどれを取っても人類の生存に大きな問題を孕む重大な項目である。
■食料や水の枯渇リスクが高まる
■気象を介した地球の反乱が頻発する
■地球の砂漠化・干ばつ化が進む
■海水温の上昇
■海面の上昇で陸地の水没
■生態系の変化
■疾病構造の変化 感染症・熱中症など
7/23(日)降雨午後から晴れ 当直明け
1:30飯川病院起床。読書、宗教、歴史関連勉強。データ整理他。微睡。7:00検食。
9:00通町薬局経由レガシー帰宅。午前は座学中心、データ整理など。のど自慢楽しみ微睡。ネコ室掃除、庭の作業、ダリア咲き始めた。トマトの枝まとめと固定、収穫。Blu-ray Disc視聴なし。19:00夕食、20:30就寝。Σ15110歩、外の作業で動き回った。
災害列島(4) 秋田もついに猛烈な降雨に見舞われた
地球温暖化を背景にした異常気象が頻発している。今まで私が学んできた常識が通用しない現象が続いている。
今月初旬、梅雨前線が活発化した北陸や、台風3号の直撃を受けた福岡・大分両県では記録的な豪雨となった。福岡県朝倉市では、6日に24時間で542mmの雨を記録した。これは、秋田市の7月の平年降水量Σ188mmの3倍近い雨が、わずか1日で降ったことになる。
遅まきながら私も気象について学び直さなければならない・・・・と考え準備中であるが、その矢先に秋田県でも「これまでに経験したことのない猛烈な降雨」と形容される豪雨が発生した。これを機会に急がねばなるまい。
秋田県では昨日22日から本日にかけて記録的な大雨となった。梅雨前線が停滞し、気圧の谷の影響で前線が活発化したため、という。
雄物川をはじめ県内各地で河川が氾濫して多くの家屋が浸水し、農地が冠水したほか、道路の損壊が相次ぐなど大きな被害が出ている。秋田新幹線は線路下の土砂の流出があり大曲〜秋田駅間で運休している。
私は昨日22日は飯川病院の日当直であった。時折屋上に叩きつける雨音を聞きながら過ごしていた。翌朝、道路が冠水して帰宅できないスタッフが何人かいたようである。
見舞いと安否の問い合わせメールが数人からあった。私の周辺は何ら問題がなかった。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げたい。
降水量が最も多かったのは秋田空港近辺で、348.5mmに達した。秋田市で最も雨が多い7月の平年降水量Σ188mmの2倍の雨がわずか1日余りで降ったことになる。24時間降水量は県内11地点で観測史上最大となった。福岡では3倍であった。
県総合防災課によると、大仙市、仙北市、由利本荘市、美郷町の4市町約9700世帯に避難指示が、秋田市など9市町の約3万8700世帯に避難勧告が出された。大仙市神宮寺の特別養護老人ホームでは、入所者が近くの中学校に避難して無事だったという。
県内では幸い人的な被害はない模様である(上記数値は秋田魁新報を参照した)。
こんな激しい降雨では従来の排水治水のシステムでは処理できない。一般的に1時間あたり50mmの降水を前提に都市計画が作られている。
南から暖かく湿った空気が流れ、北からの冷たい空気とぶつかると積乱雲が次々と発生、「線状降水帯」となり、これが長時間停滞して記録的豪雨となる。一般的に西日本の方が線状降水帯ができやすい。秋田県でも発生する可能性があるといい、油断は禁物である。
やはり気候は異常である。
背景には地球温暖化があるのは明らかだ。
7/22(土)終日雨 飯川病院日当直
1:00 起床。文献・新聞チェック他、貴重な週末を楽しむ。雨天が残念。12:00大雨レガシー飯川病院、日直当直に就く。昼検食、新聞チェック、微睡、蓄積データバックアップ作業。読書:花房観音小品集。18:00検食。微睡。20:00就寝。積算11659歩。
Blu-ray ながらDisc:「陸上自衛隊その力(上)(下)」。
社会保障環境2017年(16) オプチーボは高価格だからといって特別な扱いはできない
オプチーボは高い治療効果を有する画期的な薬剤として登場した。
オプチーボの効果について要点のみをあげてみた。実際には、ほかの抗がん剤に比較して優位性はあるが、それほど画期的というほどの有効率はない、とおもう。
―――――――――――――――――――――――――-
■悪性黒色腫
悪性黒色腫患者の5年生存率は16.6%から35%に上昇。腫瘍を小さくする奏功率は既存の抗がん剤が約7〜12%であるが、オプジーボは約23%であった。また、米製薬会社の治験結果によると、進行黒色腫患者の5年生存率は16.6%、オプジーボは35%だった。
■肺がん
手術などができなくなった末期の肺がんでは、患者の2割に効果があった。米国の試験では、オプジーボを使った1年生存率が42%、2年生存率が23%。全生存期間の中央値は9.2か月。
■腎癌
欧州委員会の治療歴を有する進行期腎細胞がんの治療についてエベロリムス群と比較した結果では、全生存期間中央値は、オプジーボ群で25カ月、エベロリムス群で19.6カ月であった。
■ホジキンリンパ腫
日本で実施された再発または難治性の古典的ホジキンリンパ腫を対象とした第2相臨床試験において、中央判定による奏効率が75.0%だった。
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オプジーボは、人が本来持つ免疫力を利用してがんを退治する新薬。がん細胞が免疫なら逃れようとするのを阻止して、がん細胞への攻撃にアクセルを踏む。
オプジーボのような薬は「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれ、手術、放射線、化学療法に次ぐ「第4の治療法」として期待されている。有効例では、効果持続期間が長く、他のがんへの適応拡大も期待されている。超高額だが、多くのガンで一定の効果が得られている。
ただ、そうは言っても患者数が多い肺がんでも2割程度に効果が認められるだけ。ずいぶん奏功率が低いように感じられるが、既存の他の抗がん剤も似たようなものである。オプジーボそれよりは優位性があると認められたので保険適応になった。
問題は薬価である。半額になる前の計算では一人当たり年間3500万円となる。だから、ある程度の有効性が認められ一年間治療を続けた患者が100名いれば35億円、となる。実際には8割り方の患者は数ケ月間の治療を受けた後、無効のため中止となる。だから、無効の場合は一人当たり500−1500万円程度で済む。無効の判定までにこれほど経費がかかる。かなり無駄である。
高額な薬剤は医療費も押し上げている。2000年以降は高額医療費は他の医療費に比して大幅に伸びている。薬剤費は年間約40兆円の医療費の2割弱を占めており、2015年度は前年同時期を9.0%上回るなど大幅に増加傾向にある。これが医療保険財政を圧迫している。本年3月からオプジーボの価格が半分に削られたので上記の数字は約半分になったが、適応患者が増えていくためにやはり影響は小さくない。
患者の生存期間を数ケ月から1年程度伸ばすために、国が、国民がこれだけのコストをかけることがいいのか否か、私はにわかには答えられない。
ただ、オプジーボ以外の抗がん剤の保険適応の過程に照らして、オプジーボが高額だからといって例外扱いはできない。
オプジーボが効くか否かがあらかじめ判断できるようになれば、かなり空振りは減っていくのだが・・・・。
7/21(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:00 起床。文献など読む.録音データ整理。5:00可燃ゴミ廃棄、キウリナスはピーク過ぎた。トマト始まる。7:35Taxi、飯川にて靴替え携帯持ち、8:10こまち、9:10大曲中通病院外来。往徒歩。3回分の休業申し出了承受く。14:00飯川病院ボランティア。微睡、文献読み、新聞チェック。19:00プリウス帰宅・夕食。20:00就寝。Blu-ray Discなし。:Σ14338歩。
社会保障環境2017年(15) 高価格抗がん剤オプチーボの意義
抗がん剤オプチーボは、保険適用時の対象疾患は当初は黒色腫のみであったが、その後切除不能の肺がんにも適応が広げられた。その時点での薬品の価格は厚労省資料より見ると150.200円/20mgで、100mgワンボトルで73万円。
もし、肺がん患者に1年間使うと一人あたり3500万円。適応になる肺がん患者は約5万人だから医療費が1兆7500億円増えるとの試算が公表された。驚異的数字であった。これからも、従来にない高価格薬であることがわかる。
2015年度概算国民医療費が41.5兆円で、これでもなかなか厳しい現実と考えているが抗がん剤一剤の適応で1.75兆円も増えるなんて!!! これは異常である。
尤も、3500万円を、患者が支払うわけではない。
厚労省が保険適用を認可しているクスリには高額療養費制度が適用されるので、患者は自己負担限度額を超える分は払う必要がない。自己負担額は収入によっても異なるが、平均的には月15万円を超えることはまずない。
したがって、患者負担分を除く3000万円超は国民の健康保険料から出る。
私はこのような高額の薬品が保険診療に導入されることは患者にとっては朗報とは思うが、国民皆保険制度がどうなるのか、と疑問と不安を持ってた。今後も類似の高価薬が次々と開発され、発売準備中である。現状ではまるで青天井である。何か別の方法を考えなければならないだろう、と思う。
さすがに、この価格には政府も驚き、特例として価格を本年3月から薬価を1/2に下げた。それでも一人あたり1800万円/年かかることになる。適応疾患が広まったこともあるが、薬価が半額にされても製薬会社がそれほど打撃を受けた様子は見られない。これが製薬業界の不思議なところである。それどころか適応疾患が腎細胞癌、ホジキンリンパ腫、頭頸部癌にまで広げられた。未確認情報であるが、末期の胃がん患者にも適応がひろげられそうである。こうなると、やはり青天井となる。
一人1800万円の薬を1万人に投与しただけで、兆単位になる。これでは国民皆保険制度は持たない。
オプジーボは保険診療適応にふさわしいほどの効果があるのか??
私は文献や治療成績のデータは、参考にするがほとんど信じていない。始めから疑って読んでいる。特に薬の開発に直接関与している方々、および関連している、と思われる方々の論文はそのままは受け取らない。
今回、オプジーボの治療効果の文献を探した。画期的抗がん剤登場と評価されているが、治療効果はそれほど芳しくはない、と思う。
7/20(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献等。4:30資源ごみ大量廃棄、6:47バスにて通町、徒歩、飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。13:20飯川病院に、微睡、14:00-18:30勤務。19:10プリウス帰宅・夕食。20:20就寝。Blu-ray Discながら視聴:知恵泉「F・コレマツ」、「昭和の選択:濱口雄幸」。歩数計11999歩。
四季2017(8)桜は観てよし、食べてもよし
秋田市の菓子の老舗榮太棲に季節限定の桜ゼリーがある。
桜色のゼリーの中に綺麗に開かれた八重桜が一つ入れられている。ほのかな桜の香りが素晴らしい。季節感を味わうのにうってつけの菓子で、私は大好きな一品である。桜は神奈川県西部の丹沢山麓で栽培された「関山」という品種の、濃紅色の八重桜を使用し、一つづつ手で広げて埋め込んでいる。だから二つと同じ形はない。今年はもう完売したようで、次回発売予定は2018/1頃と言う。
今回ひょんな事から桜を食べる文化について調べて見る機会があった。
桜の葉を応用した菓子として有名なのは何と言っても「桜餅」である。生まれて約300年、東京に元祖とされる店があり、今も桜餅だけを販売しているという。桜餅は当初は醤油漬けの葉っぱで餅を包んだとされるが、途中で塩漬けになった。塩漬けにしたことで桜の香りが強まり名物になったという。塩漬けで葉の細胞壁が壊され、糖分が分解されてクマリンという成分が生成される。このクマリンが独特の香りを放つ。
桜の花の食用に関しては記録はなくはっきりしないが、塩と梅酢につけた花を湯に浮かべる「桜湯」は、200年ほど前、天保年間からめでたい席などで振る舞われたとの記録がある。おめでたい席では茶は「お茶を濁す」として嫌われ、縁起を担いだらしい。
「桜湯」は、宴会料理の魚の匂い消しや、酒の悪酔いを防ぐ作用もあったとされた。
あんパンやこの季節のお饅頭にも使われている。明治8年に明治天皇にあんぱんを献上するのに桜で変化をつけたが、明治天皇は殊の外喜ばれた、と言う。
桜を食するのは日本だけらしい。現在は桜スイーツが徐々に広がっている。
京都の高級懐石料理では桜が用いられているし、もち米と一緒に炊くいた「桜ご飯」も美味いらしい。蕾の塩漬けを配した和菓子、洋菓子、アイスクリームも出てきている。現在、和洋菓子、和洋食でで150種ほどのレシピが考えられている、と言う。
江戸時代は多様な桜が育てられた。本来は食文化として発展しうる可能性を秘めていたが、現在は桜といえばソメイヨシノ一色で、そのために桜の食文化に結びつく機会が摘まれている。桜の名所である弘前では桜餅がほとんど売られていない、と言うのも面白い。
桜の種類は500種類もあるとされる。互いに重複している名称もあり、現在遺伝子解析等で整理されつつあり、200−300にまとまるらしい。一気に開花するソメイヨシノもいいが、各々の品種が多様な雰囲気を醸し出す。
桜の花、樹木は人を幸せにする。桜の木は花が散った後も、翌年春の期待を込めて見つめられている。日本独特の文化である。
それだけではない。味・匂いも同様に人を幸せにする。
食としての桜ももっと普及してほしいものである。
7/19(水)快晴 飯川病院ボランティア
1:00起床、いつものごとく。8:30金属集配所に提出。9:30-11:30収穫、追肥、ダリア、枝豆の世話以降は文献チェック、13:47飯川病院ボランティア、外来患者対応ほか。
18:00DIY店経由18:30帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計9190Km。Blu-ray Discながら視聴:「ヒストリア:伊勢/鎌倉/富士山」、「昭和は輝いていた:チャプリン」、「地球大紀行:ギアナ高地」、「サイエンスゼロ:ウエラブルセンサー」。歩数計17160歩
社会保障環境2017年(14) C型肝炎治療薬(ハーボニー、ソバルディ)の意義
2015年9月、C型肝炎治療薬の抗ウイルス薬、「ハーボニー」錠が発売された。タイプ1のC型慢性肝炎患者が対象で、1日1錠を12週間経口投与する。治療効果は高く、HCV陰性化は100%と驚くべき有効率である。タイプ2への治療薬には「ソバルディ」がある。
両者はC型肝炎の治療上画期的効果があった。
「ハーボニー」の薬価は1錠8万171.30円。これを12週間連用する。薬剤費だけで約640万円、3割負担患者の自己負担額は200万円であるが、厚労省は「ソバルディ」、「ハーボニー」も医療助成の対象に加えることを決定し、患者の自己負担は5-6万円となった。
要するに約640万円以上要するC型肝炎は自己負担が約1%で受けられる。
これが分厚い補償を誇る日本の国民健康保険制度である。
日本のHCVの推定持続感染者数は190万〜230万人で、うちタイプ1は約7割、タイプ2は約3割を占める。
「ハーボニー」と「ソバルディ」が使用可能になったことはC型治療上画期的なことであった。そのために2015年下半期以降、一気に多数の患者に使用された。
厚労省は15年度医療費の特徴として、薬剤費が前年度比9.4%の大幅増となったが、「ハーボ二ー」、「ソバルディ」の影響が大きく、医療費を1%程度押しあげたとみている。
ざっと考えて、ほとんど公費負担で治療されているが、そこまで補助す意義は何なのか、を考えた場合、背景にはC型肝炎感染伝播に医療行為が関わってきたこと、効果の面から費用をかける意義が認められる点である。C型肝炎訴訟では、一部に国の責任が認められたことも背景にある。
我が国では輸血を受けた人の半数程度に肝炎が頻発し、非A非B型肝炎と呼ばれていたが、1988年に米国でC型肝炎ウイルスが発見されたことで診断が可能になった。輸血後あるいは血液製剤投与後肝炎のほぽ100%がC型肝炎と考えられている。
また、戦後から1970年代にかけて、医療行為として汚染された注射器の連続使用などが行われ、感染が拡大したと考えられる。現在は注射器のディスボーザブル化でほぼ感染はない。
C型肝炎は無治療だと20-50年かけて、肝硬変、さらには肝臓がんになる可能性が高いといわれているがそれらの発症を抗ウイルス薬は予防する。そのために患者の健康維持のためにも有用で患者の不安は大きく改善し、医療費軽減効果も大きいとされている。
薬剤の価格の決定の仕組みはわからないが、高すぎるような気がする。
まとめとして、私は以下のように理解している。
■ C型肝炎患者は190万〜230万人あるいはそれ以上とされる。
■ 感染ルートに医療行為が関与した。
■ 無治療だとC型肝炎は20-50年かけて、肝硬変、さらには肝臓がんに進展する。
■ 「ハーボニー」、「ソバルディ」治療は有効率が高く、患者の健康不安を大幅に軽減する。
■ 肝硬変、肝臓がんに進行した際の医療費を考慮すれば、費用対効果の面からの意義はあると評価されている。
■ 保険診療、医療補助の対象として国が認めたのは納得できる。
7/18(火)小雨のち快晴暑い 外来 飯川病院
1:00起床、データ整理、本読みなど。5:00可燃ゴミ収集所に。キウリ収穫。7:47バス通町徒歩飯川病院、コイにパン。8:45-12:10中通病院外来、12:45飯川病院、微睡。
14:00-19:00勤務、19:30帰宅夕食、21:00就眠。Blu-ray Discながら視聴:「コズミックフロント:奇跡の隕石」、「博物館展:大映自然史博物館」。歩数計11577歩。
社会保障環境2017年(13) 国民皆保険制度は持続できるのか?
今後の医療界はどうなるのだろうか。医療費・社会補償費は経費の抑制が中心になるだろう。しかし、先が読めない。
私も医師・患者の双方の立場で言いたいことは少なくない。
私ども医療関係者は、ほぼ全て国民皆保険を堅持すべきだ、と考えていると思う。同時にこのままでは制度は破綻するだろうとも思っているだろう。私はそう思っている。
ならば、国民皆保険を堅持する方向で現実的方向に向けてシフトしていかなければならない。それが政治経済の世界だけでなく、医療界がそう考えるべきであるが、私にはそれが見えない。特に、国民皆保険堅持を金科玉条のごとくに主張している日本医師会はどう考えているのだろうか。
わが国の国民皆保険制度は、1961年に相互扶助による保険制度として確立された。当時の人口は約9,500万人、高齢化率5.7%であった。
現在、人口は約1.3億人、高齢化率26%で人口構成も疾病構造変わった。
かつては感染症中心の時代、回復するか死亡するかがはっきりしていた。医療を受ける期間は少なかった。
現代は自覚症状もないのに生活習慣病予防と称して、医療を受け始め、死ぬ瞬間まで医療が続く。生活習慣の是正より医療に走る。
ここまで医療の状況や社会的要因が異なってきたのに、医療政策を過去の良き時代の発展型として伸ばして来たが、もう限界が見えてきた。
昨年話題になった超高価薬オプジーボは一人当たり治療費として年間3500万円もかかる。
オプジーボは発売当初は対象患者は悪性黒色腫で患者数が数百人だけだったが、その後肺がんにも適応が拡大し対象患者は数万人以上となった。
さすがに医療界からのも疑義の声が上がった。オプジーボ亡国論である。国はオプジーボを特例として薬価を半額に減じた。それでもこの問題は解決するどころか、悪性リンパ腫、泌尿器科領域の悪性腫瘍にも適応が広げられた。さらに、末期の胃がんにも適応が広げられるよう申請が出ている。これでは、オプジーボ亡国論は解決していない。
厚労省は2016年9月、2015年度概算医療費が前年度比3、8%増の41.5兆円となり、13年連続で過去最高となったことを公表した。
調剤医療費は9.4%の増。C型肝炎治療薬「ハーボニー」、「ソバルディ」の薬価収載で、調剤医療費が約3000億円膨らんだ。
後発医薬品の普及促進など医療費適正化に向けた施策で過去3年間の医療費は1.7%、2.2%、1.8%増と低位に推移してきた。しかし、15年度は3.8%増となり、2008年以降で最も大きな伸びを示した。
C型肝炎治療薬 「ハーボニー」、「ソバルディ」が医療費を1%押し上げ、調剤医療費はこのC型肝炎治療薬の影響で9.4%増となった。
「ハーボニー」、「ソバルディ」の治療上の意義はどうだったのか、一方、オプジーボはどうなのか?
考えて見たい。
7/17(月)海の日休日 曇り後晴 飯川病院日直
1:15起床、新聞、文献収集その他。録音データ整理。回送バスに惑わされ8:38のバス乗り損ね、送られて飯川病院。9:00-17:00飯川病院日直。患者は平穏。微睡、新聞ファイル化、文献検索その他。Blu-ray Discながら視聴:「100分で名著:三木清・人生論ノート(4)」、「知恵泉:高杉晋作」、「昭和偉人伝:相田みつお」。17:40バス帰宅19:00夕食、20:00就寝。歩数計9583歩。
社会保障環境2017年(12) 増える国民医療費どうする 2015年は41.5兆円に
ほとんどリタイヤした身とはいえ、まだ医療関係者の一員として働いている。
2015年度概算国民医療費が3.8%増の41.5兆円になったが、なかなか厳しい現実、と考えている。これは異常な伸びである。
わが国の医療を支えているのは国民皆保険制度であることは疑問の余地がない。しかしこのままでは制度自体が破綻しかねない。私は危惧している。
国は保険診療の破綻を防ぐというより国家財政健全化のためにいろいろ対策を打ち出してくるだろう。
昨年はオプジーボ問題があった。このような超高価薬を次々と保険診療として承認していては国民皆保険制度はこのままの形で存続するとは考え難い。
2011 年度以降の医療費、調剤医療費、その伸び率を以下に示した。
医療費の中で調剤医療費が異様な動きをしていることに気づく。
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
年度 2011 12 13 14 15
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
■医療費 37.8 38.4 39.3 40.0 41、5
伸び率 3.1% 1.7% 2.2% 1.8% 3.8%
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
■調剤医療費 6.6 6.6 7.0 7.2 7.9
伸び率 7.9% 1.3% 5.9% 2.3% 9.4%
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
国家予算は収入の税収は増えていないのに年々膨張している。国防費も医療費も伸びている。国家予算の膨張は国力の維持のためにやむを得ない点はあるが、問題は国債の発行で借金を重ね続けていることである。
誰が国の財政をコントロールしているのか?
安倍一強に物申す空気が著しく欠ける最近の自民党、その奢りは閣僚たちのあるいは総理自身の発言からも明らかである。アベノミクスを名指しして批判することは無いようだ。
安倍政権と日本銀行による経済運営は一見日本の景気は維持できているようであるが、財政は継続的に危うくしている。
日本の財政その危機意識はたしかに広がっている。なのに、私にはそれを止めようとする力がどこからも働らいていないように見える。
かつてなら、何らかの反対方向のベクトルが働いたのではないか。
自民党税調にはうるさ型のベテラン議員たちがいたし、官僚たちが健全財政をかかげて食い下がった。日本銀行は政権からの圧力で結果的に金融緩和をのまされたことはあったが、常に金融政策の担い手としての自負はもち、時に政権に抵抗を試みた歴史がある。
かつては、自民党は誰が総理をやっても大差ない、と言われて時期もあった。国家運営にはいろんな役割を担う人がいる。そこをうまく利用してバランスをとっていた、と思われるが、今は安倍一強である。財政健全化についても財務相すらも何も言えないものらしい。
安倍総理の確固たる政治理念はなんなのか?経済政策は代案が出てこないほどの政策なのだろうか。党の経済通は?学者たちの意見はどうなのか?
国家運営ではどうしても不人気政策をとらざるをえないこともある。
特に高騰する医療費、社会保障については小手先の対応は見られるが、5年後、10年後のビジョンを示していない。国民に我慢を強いざるを得ないが、その説明もない。
最近の政治は大衆迎合に流されやすい。首相みずからその方向にある。
7/16(日)夜半から激しい雨 雨読雨聴に徹す 新炊飯器届く
1:00起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。4:00頃から間欠的に激しい降雨、一回当たり10分から15分程度と短い。ラジオは県内各所に竜巻警報、大雨洪水警報、土砂災害警報を出している。それが終日続いたが、秋田は夕方から雨は止んだ。昼に南部鉄器仕様の新電気釜届く。夕方畑収穫。19:00夕食、新電気釜の美味さに驚く。20:00就寝。Blu-ray Disc:「N響定期:フェドセーエフ指揮、ボロディン交響曲No2、チャイコ交響曲No4」視聴。歩数計室内動きだけで11836歩。
生命保険(2) 民間医療保険の考え方
最近は国の長期間の低金利のために保険会社が自己資金の有用な活用ができず厳しい状況にあることが伺える。私も経済を勉強し、その辺のことが若干理解できるようになった。
生命保険各社は保険料を改める準備をしているようである。
■「死亡保険」相当の保険料は下がる。
■「長生きリスク」の部分の保険料は病気・介護のリスクが高まり、値上げになる。
一般人は、収入が増えることはないのに長生きするほどリスクが高まり、支出も増えていくという現実は厳しい。残金ゼロの漂流老人が増えてくる。数年ごとに発表される国民の生命表は、その現実を改めて数値で突きつける。
一般中高年サラリーマンの収入には1つの峰と5つの崖がある。これを意識して長生きした時の対策を立てておかねばならない。これでも恵まれている方なのだが。
■役職定年 55歳頃、多くの企業で75%程度に給与減額
■定年 60歳頃、退職金が入る 浪費せずに長生き時のリスク補填のために用いよう
■再雇用 定年時の50?80%の収入に
■年金生活 65歳頃から 夫婦二人の年金では5万円/月程度の赤字になる
■企業年金終了 70歳頃に さらに厳しくなる
■配偶者死去 年金が50%程度に減額になる
■本人死去 「私の人生って一体何だったのか??」、今さらその虚しさに気づいても遅いのだ
長命時代の生命保険の利用法を考えよう
生命保険にはさまざまな活用法がある。
「死亡保険」は高齢になるとその意義は小さくなる。家族関係も希薄になったから子供・孫達へ資産を残す意味は乏しい。そんな発想はやめよう。それよりも自分が生きながらえた時のリスクを考えるべきである。
高齢者は、もし利用するなら、「医療保険」を中心に考えればいい。「死亡保険」は解約して振り替えてもいい。
年齢が高くなると病気やけがのリスクも高まる。医療費の負担も増える。「医療保険に」と考える人も多い。しかし、無駄なように思う。
■公的医療保険
我が国では公的医療保険が充実している。だから、無理して民間保険に加入することはない。公的な医療保険には、年金生活者や自営業者などが加入する「国民健康保険」、会社員が加入する「健康保険」、75歳以上が加入する「後期高齢者医療制度」などがある。医療費の自己負担率は所得などによって異なるが、最高で3割となっている。
さらに、健康保険には患者の医療費負担を軽減する「高額療養費制度」があり、年齢や年収などで異なるが、1ケ月の自己負担に上限を設けている。
仮定として、60代の人が総額で100万円の医療を受けた場合、ざっと計算すれば病院の窓口では3割の30万円支払うが、高額療養費制度の適用により自己負担は57600円となり、差額の24万円が戻る。
100万円の医療費に対して自己負担は5万円代と、これがわが国が誇る国民皆保険の姿であるが、いずれ国民皆保険制度は立ち行かなくなる。病気するなら早めがいい。これは冗談。
だから、高い掛け金を払って「民間の医療保険」に加入するよりも医療費用に一定額を寄せておく方がいい場合もある。あとは考え方。日本人は保険好きな国民だから民間保険を選ぶだろうね。
ちなみに、私は入っていない。
■民間保険の場合
人気が高いのは「がん保険」。「診断給付金」や「手術給付金」「入院給付金」が主な保障内容となっている。この給付バランスを考える必要がある。がん保険の費用もバカにならない。
がん保険に入っても「早期発見・早期治療」のための「がん検診」を継続して受診することの方が価値が高い。
ちなみに、私はがん保険などには入っていない。
7/15(土)晴れ 飯川病院午前外来
0:30起床、録音データ他整理。5:00キウリ収穫。8:10クロスバイク飯川病院に。9:00-12:30午前外来、大学循環器医不在のため。14:30帰宅、伐採した樹木の枝整理。根掘り切断作業。19:00夕食、21:00就寝。Blu-ray Discなし。歩数計7641歩。
生命保険(1) 万が一の「死亡保険」から、万が一の「長生き保険」に
私は生命保険は好まず最低限のレベルで維持してきた。私にとってメリットがあるのか疑問だったからである。
生命保険は、初めから名称が正しくない、怪しげな業界と疑問に思ってきた。今はそう思っていないが。
第一、生命保険加入はかなり真面目な判断を伴うのに契約交渉を「勧誘」というのだろうか?「勧誘」は怪しげなニュアンスの言葉である。
第二に、契約交渉の際に「万が一の死去の際」に保険金が支払われる、のに何で「死亡保険」と言わず、「生命保険」と言うのだろうか?
第三に、「万が一の死亡の際に備えて加入をお勧めする」とセールスするのか??これでは日々の生活に追われ、死ぬことなど考えていない若い年代に対して説得力はない。「人は必ず死ぬ。いつだか分からないだけ。だから用意を」・・と言えばいいのに、あまりに遠慮っぽい加入交渉であった。
さらに、最近は改善されてが、加入者の障害や死去の際に加入時の告知等に難癖とつけて支払い額が減じられたり支払われない事例も多かった。医療者として診断書を記載したものの、結果として支払わなかった事例も少なくなかった。このことは社会問題化して改善が求められた。
ところが、最近、生命保険への考え方が変わってきた。「死亡保険」から本当に「生命保険」と言うべき状況になってきている。
生命保険協会によれば2016年度の医療保険の新規加入契約数は355万件で「死亡保険」351万件とほぼ同数だった。「死亡保険」は5年間で11%減だったが、「がん保険」は33%も伸びた。契約者側も長期生存のリスクに偏える商品に軸足が変わり始めている。
今や人生80年とも90年ともいわれる長寿社会となった。「死ぬリスク」より「長生きするリスク」が大きくなってきている。「死ぬリスク」は、残される家族などのことを考えての加入だろうが、死んでしまえば死ぬ本人にとってあとのことなど一切わからない。ところが、「長生きするリスク」の方は自分自身が負わなければならないリスクで、しかも、長生きすればするほど医療介護費増や生活困窮のリスクが高まっていく。
だから、長寿化、高齢化社会においては「長生きするリスク」の方がはるかに(?)意義が大きい。
平均余命が延ぴ、高度先進医療の導入もあって、高齢者の医療費は急増している。
厚労省によると国民一人当たりの生涯医療費は2014年度2200万であったが、16年度は2600万円になった。
厚労省によると35-44歳の男性の死亡率は1.48人/1000人。働けなくなるほどの障害発生率は35-44歳の男性で死亡率の8割程度とされている。
生命保険会社は加入者の数から見て支払い数は少なく、かなり得な立場であるように見えた。それでも、この業界は合併や外資系への吸収などが頻繁なような気がする。なぜだろうか?疑問である。
私が加入していた某保険会社は破綻して外資系の会社に変わり、それとともに契約額が7割程度に減額された。
契約者の立場は小さい。
7/14(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック他。5:00可燃ゴミ提出。キウリ収穫最盛期??食べきれない!! ネコ世話、7:30Taxi、8:10こまち。暑さ負け病院間往復Taxi。9:10-12:15大曲中通病院外来。14:00徒歩飯川病院ボランティア、散水など。19:10Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「100分で名著:三木清・人生論ノート(1)(2)(3)」、歩数計7913歩。
徒歩通勤2017(8) 鹿児島県を通過し宮崎県に
平成13年3月から徒歩通勤を始めた。先日、鹿児島県を通過し宮崎県に到着した。
歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始して本年7月13日に1550日、歩行距離がΣ12000Km、歩数がΣ1500万歩に達した。これまでのデータでは一日7.5Km、歩行していることになる。
鹿児島に入ったのが3月28日、鹿児島県海岸線796Kmのデータでは1日あたり7.4Km、9680歩となる。
積算開始当初、1日平均12.000歩以上、または10.0Kmを目標にしていた。
当時は夕方の勤務はなく、往復徒歩も可能で1日16.000-2万歩とハイペースであった。この4年余の間に勤務形態が変わり、往復徒歩通勤は困難となった。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。マアいいか、と妥協の日々である。
歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。
鹿児島県は日本臨床血液学会で一度訪問した。学会のこと、そのほかほとんど記憶にない。私は地方に行く機会はほとんど学会関連で、しかも、ホテルと学会場を往復するだけで観光なし、土地のうまいものを食べる機会もなし、と今から見れば実にもったいないことを積み重ねてきた。
薩摩半島の知覧平和公園などは行って見たいと思うが、機会はもないだろう。
大分県までの海岸線は370Kmである。1け月で歩派したいと思う。
7/13(木)曇りのち晴れ 外来 飯川病院
0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00微睡、6:00ネコ対応など。6:30 5人目の孫誕生。家内に同乗8:15飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック14名処理。飯川病院、微睡、14:00-18:45飯川病院。患者対応、15:00住友生命スタッフ来訪、生存確認のため。中通病院に見舞い、次男宅経由20:00帰宅、夕食、21:00就寝。Blu-ray Discながら視聴:「林先生:初耳学」、「ワカコ酒」観る。Σ7419歩。
家庭菜園・園芸2017(3) キウリ収穫たけなわで、追われる日々
2011年から小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。週末と水曜、早朝に世話している。
畑はご近所の畑の隣を2け所借りている。だから、立場上手抜きはできない。かなり頑張っているがそれでも私のコーナーは草ぼうぼうである。週末には草刈りと草むしりに追われる。
私の園芸は子供の頃の経験をもとに全て自己流である。人の意見は聞いたふりするが原則として取り入れない。
今年は連休中は腰痛に悩んでたこともあり、5月17日にトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギ、さらに枝豆を植えた。
6月25日からキウリが収穫できた。昨年より10日遅かった。
今年は冷夏で成長が遅い??と思っていたが、7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。トマトはまだ青い。キウリナス共に昨年より本数を減らし、かつ時間差もつけたて植えたが、毎日収穫量が増え追われるようになってきた。
私はキウリ料理が好きである。生で食べるもよし、浅漬けもよし、キウリ揉みよし、味噌汁にしてもよしであるが、家族はあまり好まないために私が一気に引き受ける。しかし、とても食べきれない。
(本日の私の夕食。キウリアラカルト。ダイエットを兼ねて。鮭の皮が美味しかった)
さりとて他所に差し上げるのも押し付けがましく気がひける。
私は、適宜飯川病院に届けている。病院の検食にキウリ料理が出てくると、これは私の作品かな?とほくそ笑む。スタッフも朝どりキウリを適宜持ち帰ってくれる。しばらく嬉しい悩みが続く。
(今朝これだけ収穫した)
ところで、このような植物を育てていると、植物には本当に知能や意識がないのか??と疑問に思う。
キウリの場合、20cmほどに成長するとツルが伸びてきて頼るべき支柱を探し始める。この時の姿を見ていると実に真剣である。支柱を立てると、喜び勇んで一両日中にしっかりと巻きつく。さらに成長すれば高く高く支柱を求める。植え主の私へ懇願している様子である。私は喜んで対応する。キウリもそれに嬉々として応える。
こんな気持ちで育てているから、私は野菜作りのガイドブックにはいい実を得るために剪定や間引きをせよと書かれていても、かわいそう、と思い、なかなかできない。結果として私の畑のキウリは、ご近所の畑のそれに比較して明らかに繁茂しすぎている。
もう一つ本当に不思議だと思うのは、キウリが自分の葉で上手に実を隠して実を成長させる、ということである。だから、忙しい朝にざっと見回っても簡単には実を確認できない。「うまく隠したな・・・」、と思いながら、ちょっと成長しすぎたキウリを毎朝収穫している。
7/12(水)早朝に降雨、午前から快晴 暑い
0:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。5:00ペットボトル集積所に出す。早朝に降雨、午前から快晴となったが畑庭木が乾くまで午前は座学中心、録音データ収集分類など。昼の微睡ご、畑の草取り、庭の草刈り、灌木ほりなど。キウリ茄子の収穫最盛期に。昨年はトマト色づき、ダリア二本開花したが今年は遅れている。洗濯屋、日曜大工店にて園芸用品購入。Blu-ray Discなし。19:10夕食、20:15就眠。歩数計21345歩に達した。
共謀罪テロ等準備罪(2) 金田法相の答弁は残念であった
共謀罪は、私は必要な法と思っているが、運用にあたってはいろいろ歯止めをかける必要がある危ない法律である、とも思う。
準備行為で、すなわち共謀罪の適応を受けてしまうと、未遂のうちから処罰をすることから、憲法に違反する可能性もある。わが国では憲法31条で「法の侵害がなければ処罰してはならない」とされているが、これに抵触する可能性がある。したがって処罰する範囲を大幅に限定しなければ憲法違反になる。
実行がより明白になった状態のみの処罰に限定すべきであろう。共謀罪に関しては、裁判所の判断に対しても抑制的に解釈されるよう、国民が、メディアを含めて監視する必要がある。
共謀罪では証拠が乏しい状況から捜査が開始される。したがって、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めるなど、被疑者を守る機構が必要である。
政府は共謀罪は国際的バランスをとるためにも必要と強調してきた。
指摘としては、国際的テロに関連した日本人が外国で拘束された時に、日本では共謀罪がないために罰せられない、というアンバランスがあるために送還を受けても処罰できないことも挙げられていた。
逆の場合もありうる。国際的解釈として、送還先国でアンバランスな処罰を受ける可能性が予想された時には、被疑者を送還しない方針とする国がある。その場合の問題点は日本における死刑の存在である。OECD加盟国の中で死刑があるのは、米国・韓国・日本のみである。したがって、共謀罪を作ったからといって国際バランスが取れたわけではない。
安倍政権下で審議不十分なまま採決を強行することが常態化しているが、与党一強だからである。共謀罪法案は参院法務委員会で審議中だったにもかかわらず、与党は「中間報告」という異例の手続きを取り、委員会採決を省略して本会議採決を強行した。
安倍内閣の行動をコントロールするには、世論による暴走の指摘、非難しかない。都議選を前に支持率が急速に落ち、都議の議席を大幅に減らした、のはいい前例となった。
共謀罪の審議で私がとても残念に思ったのは金田法務大臣である。
金田氏は秋田県出身で元大蔵官僚、参議2期・衆議3期歴任し、昨年8月の内閣改造で法相に就任した。
金田氏2011年脳出血を患ったが、病前は眼光鋭い、シャープな議員であった。私は医師会の役員としての役得で3-4度ほど氏と会食しながら日本の、秋田の医療情勢について意見を交わした。氏の医療情勢の理解の十分で、私は感心した。
今回の共謀罪審議をめぐっては金田氏は法相として十分な働きができなかった。金田氏が答弁に立つ機会をラジオの実況で何度も聞いたが、私の耳でもポイントがずれていて、かつての金田氏の印象とは100%異なっていた。不信任案も出された。私は病気のなせる技だと思った。そういった意味では、就任前から予想されていたことであり、首相の任命に問題があった、と思う。次の内閣改造では交代になるだろう。
共謀罪については目を離せない。
7/11(火)快晴 外来 飯川病院
0:00起床,暑い夜。新聞、文献読み、その他いつものごとく。4:30可燃ゴミ。徒歩7:30飯川病院。8:45-13:00中通外来。飯川病院へ、微睡、14:00-18:45飯川病院。Blu-ray Disc:「海上自衛隊の威力(1)(2)」、19:10帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ14078歩。
共謀罪テロ等準備罪(1) 暴走に国民の監視が必要な法
「共謀罪」法が本日7月11日から施行される。
政府は、国連の組織犯罪防止条約に加盟し、テロを封じ込めるには、この法律が不可欠と主張したが、当の国連の専門家から疑義が寄せられるなど、不透明である。「共謀罪」関連法がないのは日本だけと強調されていたが、国連の疑義とは何なのか、諸外国の法はどんなものだろうか。
共謀罪は、かつて捜査当局が密かに重ねてきた、国民の基本的人権を侵害するような行為の追認を含む。
例えば、
■捜査当局が犯罪と関係のない環境保護団体やイスラム教徒の動向を見張っていた、
■野党の機関紙を配布した人を尾行した、
■選挙時に労働団体が入る建物の前に監視カメラを設置したなど、ここ数年問題になった行為などである。
捜査や摘発の前倒しをねらう共謀罪法は、こうした警察の不当・違法な動きを助長することになりかねない。
法は適用犯罪を277上げ、処罰対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」と規定している。2人以上で犯行を計画し、1人以上が現場の下見や資金調達などの「準備行為」をすれば全員が処罰される。
犯行後の処罰を原則としてきた、わが国の刑法が変容する。
準備だけで罪が問われるならやってしまえ、と逆に犯行を助長する可能性がある。だから、軽い内容は処罰の対象から外してもいい。
審議では「組織的犯罪集団」の定義が曖昧だという指摘が相次ぎ、警察の恣意的捜査により「一般人も処罰対象になる恐れがある」、「内心の自由やプライバシーが侵害されかねない」と野党が強く反対した。政府は、処罰対象が組織的犯罪集団に限定されるため「一般人は対象にならない」と強調してきたが、法相は答弁で別解釈示した。実際はどうなのか?
かつて、PC遠隔操作事件では4人が誤認逮捕された。被疑者になった方々の説明がないから真相はわからないが、証拠がない状態で誘導尋問が行われたのではないか、との疑惑がある。
共謀罪では証拠が乏しい状況で捜査が行われ、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めることなどが必要である。
共謀罪は法の暴走を防ぐために市民が監視して行かなければならない法である。
7/10(月)快晴暑い 健康クリニックドック 飯川病院 腹部CT
0:30起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、7:20徒歩飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、14名。11:00腹部CT造影剤あり。副作用なし。11:30飯川病院で文献読みなど、微睡。倦怠感強度。14:00-18:45業務。Blu-ray Disc視聴なし。深夜便「河野裕子」聴す。Σ12646歩。19:10帰宅夕食、20:30就眠。
災害列島(3) 温室効果ガスの蓄積は人類を滅ぼす
ここ数年は特に全世界規模で、わが国でも異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。先日の九州北部の集中豪雨は過去の常識、記録を塗り替えた。
かけがえのない地球、ここは完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で営まれて来た。?? 完全閉鎖空間の例。
金魚の水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランスが成立し、金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌を与えればかなり長い間、特に手を加えずとも水は汚染されることなく保持される。これが身近で経験できる閉鎖系のモデルである。
水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、まず酸素、食料が不足し金魚は弱る。食料を増やすと排泄物も増え閉鎖系の自浄作用では維持できない。
外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。
今、地球環境はこれに近い状況に陥りつつある。
? 数100億年という長い歴史を経つつ、環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、各動植物が共生しながら、自浄作用のある一定の環境を成立させた。
? 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのではなかろうか。
地球にとってヒトの誕生は、地球を蝕むガン細胞に似たようなものと、つくずく思う。
? ヒトは食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に産業革命などに代表される文明の発達がこれに拍車をかけることになる。
そして、迎えた結果は、必然的に、温暖化ガスの蓄積である。
NASAの観測で大気温度は2015年に比し2016年度は0.12度高かったと公表している。
気象庁のシミュレーションでは、もし温室効果ガスの対策が取られなかった場合、東京の気温は21世紀末には20世紀末に比較して+4.5度C上昇するとされている。この状況の中で人類の生活環境は危機的状況を迎えることになるだろう。
大気温度の上昇は人類を滅ぼす。
7/9(日)雲ひとつない快晴 今年最高の暑さ
O:10飯川病院で起床、新聞、文献チェック。録音データ整理。微睡。Blu-ray ながらDisc視聴:「そこまで言って委員会:世界の指導者に設問」。7:00検食、散水。見事な快晴で朝陽が目に、心にも。しみる。9:30クロスバイク帰宅。午前・午後とも外仕事やりたいことは多数あったが、強烈な日差しの中では危険、座学とした。のど自慢観た後微睡、暑い中、扇風機の風を受けながらの休息は、汗まみれにはなるが快適。ネコどもは暑さに負けて側で喘いでいる。17:00花畑に散水。19:00夕食。20:45就眠。歩数計8889歩。
災害列島(2) 人間の欲望に因する地球環境破壊が異常気象のもとに
1950年以降、数年に一回程度、世界的にも極端な異常気象が増えている。
産業革命以降の急速に発展した経済活動は温室効果ガスの排出を伴うものであった。さらに化石燃料の時代、温室効果ガスの排出量は著しく増加した。
その温暖化によって異常気象の世紀を迎えた。気象災害が世界各地で頻発している。それには台風やハリケーン等の巨大化もあるが、温暖化によって地球の砂漠化、農地の荒廃、海面上昇による国土の消失等が生じて来ている。さらに疾病構造も変わりつつある。
結果的に、間も無く人類の生命維持のための水と農作物、海産物にも深刻な影響が及んでくる可能性がある。
21世紀はより希望に満ちた世紀になるはずであった。?
しかしながら、初頭から目を覆いたくなるような惨劇が続いた。
2001年、米国で9.11同時多発テロが生じ、以降、微妙なバランスで保たれていた世界の秩序は狂い始め、米国の衰退、その隙間を狙っての中国の台頭などの変動が生じている。
わが国でも「北朝鮮問題」しかりである。全て人間社会の為せる業・・・と言うのは簡単であるが、先行きは実に不透明なものになっている。
? 更に加えて、今年は予想を超える「集中豪雨」が北九州地方で生じた。昨年は太平洋側に台風が上陸するなどなど異常気象が続く中で、大きな地殻変動まで重なった。「熊本の大地震」である。
数年遡れば広島の土砂崩れ、東日本大震災、続く原発事故が改めて浮上してくる。?? 地球に今、一体何が起こっているのか?、人間社会はどうなっていくのか?、今後どうなるのか? 現実は実に波乱含み、先が読めない。
ガガーリンは「地球は青かった・・・!!」と言った。今だって、丸い地球の遠景を写真で見ればつくづく当時の感動を思い出し、その包容力の大きさに心が安らぐ。
しかし、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。
何千億年という長い長い時間、歴史を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れて僅か300万年程度の歴史しかない人間という新種の動物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられている。
7/8(土)快晴暑い 飯川病院日直・当直
0:15起床、新聞文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。8:30キウリ・ナス収穫、散水。「いちい」の根掘り出し切断で疲弊。10:30台所、ネコ室の内装改良。12:00クロスバイク飯川病院に。日直・当直に就く。検食後、新聞チェック大量、微睡。Blu-rayながら視聴:「池上:ニュース解説」。18:00検食。20;00就眠。歩数計9898歩。
災害列島(1) 異常気象時代が現実に
地球温暖化を背景にした異常気象の世紀を迎えた。今まで私が学んできた常識が通用しない異常な現象が頻発している。
遅まきながら私も気象について学び直さなければならない。
近年、「これまでに経験したことのない猛烈な降雨」と形容されるような豪雨が頻発している。
先週来、梅雨前線が活発化した北陸や、台風3号の直撃を受けた九州などで豪雨に見舞われた。
新潟県や熊本県などでは、「避難準備・高齢者等避難開始」が出された。
福岡・大分両県では記録的な豪雨となった。福岡県朝倉市では、6日に24時間で542mmの雨を記録した。これは、秋田市で一年のうち最も雨が多い7月の平年降水量188mmの3倍近い雨が、わずか1日で降ったことになる。現実に考えることすら困難な異常事態である。
死者・行方不明者が出ているほか、孤立する地域が相次ぎ、自衛隊や消防、警察などが懸命の救助活動に当たっている。
こんな状況では従来の排水治水のシステムではなんともならない。一般的に1時間あたり50mmの降水を前提に都市計画が作られている。
今回は、南から暖かく湿った空気が流れ、北からの冷たい空気とぶつかって積乱雲が次々と発生、「線状降水帯」となり、長時間にわたって停滞し、記録的豪雨となった。
一般的に西日本の方が線状降水帯ができやすい。ただし、台風が近づいている場合などには、秋田県でも発生する可能性があるといい、油断は禁物である。
豪雨災害は事前予想が可能な場合があり、「日本型事前行動計画(タイムライン)」の策定が進んでいる。行政や警察、消防、民生委員、住民らが「事前にすべきこと」を共有する。従来はばらつきがあった組織が連携して対応する。
地方自治体が住民の避難手順の「事前行動計画」を作成することになっている。
県内でも、大雨への備えは欠かせない。川のそばや低い場所、斜面などに注意し、冠水などを想定して避難経路を見直すことが重要である。
想像するのさえ難しい量だが、全国どこでも、秋田でも、時としてこうした豪雨になるということを認識しておきたい。
やはり気候は異常である。
背景には地球温暖化があるのは明らかだ。
人間の欲望とエゴ (?)がついに地球の健康を害してきた。大気・水質汚染は尿毒症に、温暖化は発熱に、異常気象は喘息に例えられよう。自然破壊で共存生物を絶滅に追いやっている。早急な治療が必要である。
7/7(金)快晴 七夕 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。録音データ整理、5:00可燃ごみ集配所に。7:30Taxi駅に。8:10こまち、病院徒歩、橋の欄干に七夕飾り。9:10-12:15大曲外来。13:30検食、祝膳そうめん。飯川病院ボランティア。15:00岩銀スタッフ来訪、歓談病。 BR disk視聴なし。18:00バス、18:30帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計12011歩。
今年の七夕 昼の検食の祝膳が良かった
本日は七夕である。七夕といえば、織姫・彦星の伝説や、七夕飾りが思い浮かぶ。
東北の七夕まつりは児童施設などではやはりこの7月7日が中心となる。子どもの頃、地域の子供会が中心になって七夕飾りを作り、短冊に願い事を書いてつるした懐かしい思い出がある。子育ての時には我が家でも笹竹を買って毎年七夕飾りを作ったものである。あの当時は夢があった。
七夕が長く親しまれて来たのは、天の川を渡って恋人が年に一度だけ会うという、ロマンチックな伝説が多くの人の心に刻まれているからだろう。
4人いる孫たちはそれぞれ七夕飾りを作ってもらったのだろうか?自宅では? 学校や保育所でやってくれたのかな・・・??
本日は大曲中通病院の診療応援の日であった。駅から病院までは約20分歩く。その中間ほどに丸子橋がある。そこの欄干に七夕飾りが飾ってあった。昨年以前のことは記憶にない。私は昨年から意識して見ている。七夕の歌にある「五色の短冊」は本来、陰陽五行説に基づく、青、赤、黄、白、黒の五色を指すのだそうだが、飾られてある短冊はピンクあり水色あり、柄付あり、と多彩である。
今年の丸子橋の七夕飾りは昨年よりちょっと小ぶりであった。竹の幹には作った幼稚園の名札がついていた。
業務が多少早く終了したので早めに新幹線で飯川病院に戻った。駅から病院まで晴天で日差しがギラギラ、久々汗をかいた。
病院に着くと机上に本日の昼の検食用食事が置いてあった。
祝膳のカードも目を惹いた。
祝膳として、ソーメン、天ぷら、キウリと鶏肉の和え物、フルーツポンチであった。星型のソーセージなど、遊び心も嬉しかった。
私の検食は体重コントロールのために主食なしである。本日は主食共々美味しくいただいた。いつもと違う雰囲気を楽しんだ。
私は星空を見上げ、清らかな気持ちで願いごとをした子供の頃には戻れない。高齢に達した今となっては個人的な願い事も特別ない。だた、孫たちの顔を思い浮かべながら、この世代の世界中の子供達に、幸多かれ、と願うだけである。
7/6(木)小雨のち曇り 外来 飯川病院
0:30起床。新聞チェックし文献、歴史書を読む。6:47小雨でバス、通り街まで。徒歩、千秋公園ハト・コイに餌、飯川病院着、8:40-13:30外来。微睡、14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。BR diskながら視聴:「歴史に残る空中戦:2本」、「映画:八甲田山完全版」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計12011歩。
残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖い
近年、言葉の野蛮化、下品化、尖鋭化が進んでいることを示す事例は枚挙にいとまがない。
この背景にはワープロ化、パソコン化もあると考える。自筆だとなかなか書き難い文章も、悪態も、パソコンならさらさらかける。私はパソコンは憎悪増幅装置とも捉えている。また、ブログ、SNS、Tuitterなどの普及があり、個人の意見として発信し易くなっている。しかも、匿名で。
「保育園落ちた、日本 死ね!!」などの表現は私にとっては耐え難い。ヘイトスピーチにも通じる文体である。
「アホノミクス」は教育者から、「カネを積まれても使いたくない日本語」はシナリオライターによって発せられた。ともに影響力は小さくない。
この「保育園落ちた、日本 死ね!!」は子育て中の母親から発せられただろう、と思う。
表現したい内容は私にも理解できる。保育園問題の本質は正しく、深い。緊急性もある。
就業を予定していた母親が子供を保育園に入れられなかったことで生活設定の予定がくるい、困ったのだろう。その時の心情の吐露であろる。
言葉の先鋭化、と捉えたくないが、やはり鋭い。これが子育て最中の若い母親から発せられたのは驚きである。一時的な怒りの表現ならなんとか許容してもいいが、この心情が日常的にあるならば子育に影響しないか、が心配である。
現世代の子育ては核家族の中の、閉鎖的に近い環境で行われるから、親の心情とかから子供は影響を受けやすい。この投稿者の子育てが、その後より平穏で順調であることを望む。
「保育園落ちた、日本死ね。何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ、私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして・・・・」のブログは、何でこれほど注目されたのか。
このブログを野党が国会で取り上げた。安倍首相は当初消極的答弁を繰り返していたが、結果的に待機児童問題の改善をアピールせざるをえなくなる。政治の無策をネット世諭がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。
保育園待機問題ついては、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきたが、今回のブログほど反響を呼んだのはまれである。
この文体は、異様なほどの、破壊的パワーを持つ。
だから、私は危惧する。
問題提起が正しくともおとなしい表現ではアピールできない、通用し難い、として、このような表現が、当たり前のように蔓延していかないか?さらに注目を惹くために一層エスカレートしていかないか? さらに、注目を惹くために反社会的な行動としてエスカレートしていかないか?・・・などなどである。
ブログ、SNS、Tuitter、Lineなどで交わされる言葉はきついのが散見される。言葉の尖鋭化が、いじめ、暴力的言葉の応酬に進まないよう、私は願っている。
7/5(水)降雨のち晴れ
0:30起床。文献・新聞チェックなど。収穫、降雨にて外仕事なし。座学中心。12:00フィット、クリーニング店、珈琲店経由飯川病院へ届ける。13:00枝豆本植え、庭木伐採、草刈り一部。14:30新聞データ化など。文献・新聞チェック、19:00夕食、20:20就眠。BR disk視聴:「N響定期:スメタナ我が祖国全曲」。歩数計12949歩。
残念な日本語(1) 代表的3つを例に
最近、エキセントリックな表現や言葉が流行している。私はとても残念に思っている。
浜矩子同志社大学大学院教授の著作「アホノミクスの完全崩壊に備えよ」、シナリオ作家・評論家の内館牧子氏の著作「カネを積まれても使いたくない日本語」、匿名の母のツイッター投稿「保育所落ちた、日本 死ね!!」などはどうかと思う。その3つを例に考える。
前二者は何も著名人の著作である。そのために面だって批判した評者はいなかった。
しかし、有名になった「日本 死ね!!」は匿名であったためか、ちょっと謎っぽいところもあって各所で評論家達も取り上げ、便乗して政府の無策を指摘していたが、この日本語表現をネガティヴにとらえた論評は少なかった。私は最悪の日本語の代表にあげたい。にもかかわらず2016年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた。日本の言語文化がここまで来たか・・とさえ思う。
今の時代、私は「攻撃的本音」をむやみに出す危険な時代と掟えている。トランプ氏は正しくその一役を担っている。
本音を噴出させると言うことは、建前や知性そして理性の後退を意味する。それは、人間が持っている本能、欲望をむき出しに前面に押し出すことに他ならない。こうした本音を出して拡張しようとする動きは、社会の形成の根幹を否定するもので残念である。
人々が本音をはびこらせていく先にあるのは「社会の野蛮化」である。「社会の野蛮化」が行き着く先は金と力、富と権力が大っびらに支配する社会に行き着く。そこでは、富と権力をいかに守り広げるかがすべてとなる。
浜矩子同志社大学大学院教授は教育者である。経済論理からアベノミクスを支持していないのはわかるが、相容れない論理に対しても、その論者に対しても敬意が必要である。教育者として下品である。資質に問題ないのか??大体、アベノミクスがあるからこそ氏の論理の存在価値があるのではないか??それをパロディ風に言い換えるなど教育者としては如何なものか?多分、題名に惹かれて著作は売れたのだろう、似た内容の本を出し続けている。アベノミクス様様でないのか? 私も資料として購入した。氏の主張も取るべきところは多いが、総じて正しいのか?今の所、私は判断できない。
内館牧子氏は作家として日本語の乱れを看過できないのであろう。著作「カネを積まれても使いたくない日本語」はその題名自体が、私から見れば題名そのものが下品で、そのままで日本語の乱れを表している、と思う。私は購入して参考にしているが、内容的には氏の視点に共感できる点は少なくない。この本の存在価値は十分ある。
7/4(火)午前小雨午後晴れ 外来 飯川病院
1:00 起床。文献など読む.蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し,ネコ世話、7:10雨にて歩行不可、バスにて飯川病院。8:45-13:30中通病院外来、面倒な処置多かった。13:45飯川病院、14:00-18:00勤務。秋銀スタッフ来訪、BR disk視聴:「航空自衛隊の戦力(2):N.アームストロング」,「知恵泉:島津義久、杉原千畝」,「団塊スタイル:森山良子」。19:00車帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7103歩。
終活あれこれ(4) 「かぜさそう 花よりなほ・・」余談
■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩
江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件で即日切腹となった長矩の無念の一首で、私が心惹かれる句である。
この句を発端として外来患者とのコミュニケーションが一気に拓けたことがある。
半年ほど前のこと、主治医が出張のためにある患者が私の担当外来に回ってきた。心因要素が強い、対応がむずかしい、と看護師が私を指定した。そうであればこそ常勤医が診るべき、と思ったが、口には出さなかった。嘱託医の立場は小さい。
風変わりな様相の中年男性、診察室に入ってきても挨拶以外ろくに質問にも答えない。長い間通院し、全身状態もいい。投薬数は10種類近く、初回、2回目は会話少ないまま希望に沿って処方箋を発行した。この間の印象は良くなかった。
3回目は、状況不明のままではこれ以上処方箋は出せない。「・・・、ここは動物病院でない、質問に答えて欲しい」、と呼びかけた。患者も少しその気になったらしく、2-3のやりとりの後、私は患者の生活環境等について質問した。未婚でアパートに独居、ほとんど誰とも接することなく引きこもり状態だという。
引きこもりは私自身がそうであって得意分野である。話が合いそうである。
「職業、日常の拠り所、趣味などは?」と問うたところ、小さな声で「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・の心境です」と返事があった。一句そのままでなく前半だけであったので、私が間髪を入れず「春の名残をいかにとやせん」と続きを合わせた。
患者は一瞬驚いた表情をし、「この歌のような心境で暮らしています」とのこと。その後、急に会話が弾んだ。好きな文学作品のこと、仏教のこと、歴史上の人物の辞世の句など、広範な趣味と知識を持った方で、最初の印象との乖離が大きかった。
「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・」の心境とは、自分を受け入れてくれない周囲の人々、社会、医療関係者などへの無念の気持ちをこの歌に込めてます、とのこと。若い時に僧職の修行していたがいじめ等で挫折、婚約者の自死などもあって人生がくるった、と言う。
予約外来なので通常は時間を取れないが、あえて時間をかけ、この程度のことを把握した。まだまだ話したい、と思ったがここまで、とした。これ以上の詳述も問題だろう。
長く診ていた主治医が間も無く戻ってくるので、おそらくもう私の外来を受診する機会はないだろう。
変な先入観念を抱いて人物を評価してはならない、と言われる。全くその通り、と反省した。
同時に、私の趣味、終活準備が患者との対話のきっかけになった、と言う、稀であろう幸運を味わった。
7/3(月)小雨 健康クリニックドック 飯川病院 外科外来受診
0:30起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。8:40雨にて家内の車に便乗、飯川病院着、9:00-10:30健康クリニックドック診察14名。11:00飯川病院に移動、微睡、12:00外科受診、鼠径ヘルニアの検査等スケジュール打ち合わせ。13:00飯川病院、微睡、14:00-18:45勤務、19:00帰宅・夕食、20:30就眠。BR diskながら視聴:「航空自衛隊の戦力(1)」内容に驚く。歩数計Σ9033歩。
終活あれこれ(3) 辞世の句・言葉を楽しむ心境 これも終活の一つ
就活とは一般的には持ち物の整理を示すことが多いが、死を迎える心境に一歩一歩近づいて行くのも終活の一つ、と考える。
私は最近、和歌や短歌の世界、人生最後の言葉等にも収集のジャンルを広げている。
論語の一節に、「鳥のまさに死なんとするや、その鳴くこと哀し。人のまさに死なんとするや、その言ふこと善し。(泰伯第八)」とある。
自分の死に臨んでの人生の回顧や新たな心境の発見が最後の言葉となっている。死という極限の状況の中でどのように生と対峙し、それをどう表現したかが、残されたそのことばから感じ取れる。
辞世の句は7世紀頃に死を迎えた人によって作られるようになった、とされる。江戸時代にもその伝統は継承されて、特に刑に臨んだ際の詩は辞世の句の主流をしめてきた。そこには無念の境地、時には諦観が込められている。
明治維新前夜に捕縛さて落命した志士達が獄中で多くの句を読んだ。いま、遅まきながら、司馬遼太郎の長編「竜馬がゆく」を読み始めた。この作品では数多くの幕末の士が登場するが、辞世の歌をも紹介されているはずであり、それらを読むのを楽しみにしている。
戦没学徒の遺書を所収した「きけわだつみのこえ」は若い時に読んだ。死に臨んでの叫びが記録されており、当時も深い感動を得たが,当時はざっと読み終えた、に近い。最近、再度手に取って読み直している。若くして前途を絶たれた彼らの心中は、いかばかりであったことか。私は高齢まで生きて結果的に終活を考えねばならない歳になったが、今はより深く、彼らの心情を感取れる様になっている。
心から搾り出た句に優劣はつけたくないが、私が最も感じっている辞世の句は、以下である。
■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩
江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件は1701年3月に起きた。時に長矩35歳だった。
俗説がいっぱいあるから真実との区別は私にはつかないが、浅野による度重なるいじめを受けた長矩が怒り心頭に達し吉良を斬りつけ、即日切腹となった。長矩は無念の遺言すらできず「ふしぎに存ずべく候」とだけ言った、と言う。お上側の対応が通常例とひどく違っていたのだろう。無念の思いは一入だったにちがいない。
無念の思いを託した一首、なかなかである。風に吹かれて散る花も名残おしいだろうが、それよりなお無念を感じる私は、一体どうしたらいいのか??美しい辞世である。長矩は刀を抜いた時点で死を意識しただろうが、一方的になされた突然の切腹の裁断にも納得できなかったのだろう。死を数時間後に迎えた人間がこのような形で心境を吐露できたなど、信じ難い。
歌人の永田和宏氏は「短歌はその短さゆえに、ある瞬間の心の動きを言葉で定着するという点において、他の文芸の追随を詐さない」(一部改変)、と述べている。その通りだと思う。
7/2(日)小雨、午後より一時日差しあり
1:00起床。本読み、文献読み、整理。7:00園芸若干、雨で不可。以降はデータチェックなど。午後はNHKのど自慢見たのち外仕事。「いちい」処理一旦終了、微睡。BR disk視聴なし。17:00庭木伐採、草刈り再度。運悪く再度降雨に。BR disk視聴ないが、秋田県女医会での特別講演「追憶、秋田女子医専」の録音をきいて感じ入った。19:00夕食。20:00就眠。 歩数計Σ14580歩。
私はなぜ徒然日記を書くか?(4) 著名な方の含蓄ある言葉に共感する
私にとって毎日の小文作成は息抜きの時間である。また、時には苦痛の時間でもある。
この徒然日記とミニ随想は「愚痴の記録」であり、「学習ノート」であり、「備忘録」でもある。
先日正月を迎えたかと思ったらもう7月である。時間の経過は驚くほど速い。
私の過去の多くは記憶としてほとんど残っていない。忘れてしまえば私が存在しなかったのに等しくなる。今いることは継続的に存在したことの証であるが、過去がそれだけのことしかないとすれば悲しいことである。
その点では、この徒然の記録を呼び出すと、毎日生きていた事がわかる。そんな効能もあるから記録し続けることに意味を感じている。
思索をするのにもっとも簡単で確実な方法は「書く」ことだ、と思う。さらにいえば「読む」と「書く」を繰り返すことである。私は書くことを通じて今までの蓄積をその日の段階でおぼろげなイメージから文章化と言う形で定着する。
などなど、考えながら徒然を続けている。自己満足の世界であるが、1日一つ、その時々に浮かんだ項目をまとめる作業は実に楽しい。
今は嘱託医としての生活だか、気軽な文章を書き続けて感じるのは、書くことでしかたどリ着けない領域があり、書くことが世界を広げてくれる、と言うこと。
早朝、一人パソコンに向かい、文献を参照しながら書き進めるうちに新しい情報と過去の経験が溶け合う不思議な感覚、考えているだけでは到底至ることのできない領域に近づけたという実感を幾度も体験した。
だから、結果を求めずに、2001年からコツコツと、淡々と書き続けている。
これが、今の私のささやかな楽しみである。
幼くして英国に移住し、世界的作家となったカズオ・イシグロ(石黒 一雄)氏は「創作のきっかけは、自分の中にあった大切な日本の記憶が消え去ってしまう焦燥感。なんとかそれを定着しておきたいという願いからだ」、時間の記憶は、「死に対する部分的な勝利だ」と述べている。私も似たようなことを感じているが、この言葉をどこかの小文で見つけてはっとした、ことがある。
歌人の永田和宏氏は著名な生物学者でもあり、歌人の河野裕子氏の夫でもある。研究、創作双方に発見の楽しみ、喜びがある,と折につけて表現してきたが、氏は著書「もうすぐ夏至だ」の中で、「短歌はその短さゆえに、事実を正確に記録するという点においては日記や小説に及ぶべくもないが、逆に、ある瞬間の心の動きを敏感にキャッチし、短い言葉で定着するという早業においては他の文芸の追随を詐さない」と述べている。
さらに、「なんら関係のない二つのことを同じ重さでやってきたというスタンスと、その時間の堆積が、ようやく最近になって、自分のなかでかけがえのないものであったと思えるようになってきた」、と述べている。
また、著者の娘で歌人の永田紅氏は、20歳の頃、「歌を作るということは、自分の時に錘をつけることのような気がする」と表現したとされるが、これも同感できる言葉である。
7月を迎えて時間の早さに驚く日々であるが、著名な方の、時間の「定着」に関する考え方に触れ、深く共感した。
7/1(土)終日小雨 飯川病院午前外来 日直医業務一部補助 レセプト点検
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。8:38バス飯川病院、9:00~12:00午前外来。13:00-15:00外来レセプト点検。16:00-19:00当直医業務代行。BR disk視聴なし。19:00帰宅。キウリ、春巻き中心の夕食ちょっと過食、反省。20;40就眠。 歩数計Σ8772歩。
新年を迎えてから6ヶ月経過?!! 今年の夏至について
本日7月1日。新年を迎えてからもう6ヶ月も経った。
年とともに「時間が過ぎるのが早い!!」と感じる。
私は、年寄りは身体的活動、脳活動が鈍くなって行動も思考も時間がかかるが、それを本人が自覚しないが、気づいた時に時間の経過の早さとして感じるためだ、と思っている。
毎年、私は夏至の日を感慨深く迎えるが、今年は失念していた。多分、秋田は毎日寒かったからだと思う。
夏至は年によっては20日または22日になることもあるが、2017年(平成29年)の夏至は「6月21日(水)」であった。
夏至は日照時間が最も長い日である。
夏至を詠んだ名句は「夏至の日を 草木となりて 山の人」(宇佐美魚目)がある。
この日以降は一日ごとに日が短くなる。だからこれ以降の日々は私はあまり好きでない。しかしながら、何と思っていても確実に一日ごとに日が短くなる。私が秋を実感する8月14日にはまだ余裕はあるが、やはり気持ちの上ではちょっと嫌いである。
この夏至を、この日以降の日が短くなる日々の心境を、見事に表現した方がいる。
歌人の永田和宏氏である。氏の著書「もうすぐ夏至だ」(白水社)に「冬至の日はうれしい。これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ真冬だというのに心が明るむ。夏至は嫌だ。あとは明るい時間がどんどん短くなってゆくばかり」。
永田氏の妻は歌人の河野裕子氏。
裕子氏に乳癌の転移が見つかったのが、昨年の7月。手術後8年を経過して、やっと家族が安心し始めたばかりのころ。2010年(平成22)8月、裕子氏死去、享年64歳であった。
永田氏の詠に、「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」、がある。どんな気持ちで妻の病状を見つめていたのか、私など想像もできない。
裕子氏の辞世の詠は、短歌に詳しくない私の涙腺をも緩ませた。
「手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」。
ご夫婦で迎えた最後の夏、お二人の心境を考えれば、これに便乗して私の気持ちなど語れない。
夏至を失念して7月を迎え、夏至を振り返る中で、かつて読んだ永田夫妻のについての小文を思い出し、読み返した。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |