徒然日記
2016年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


12/31(土)年始休暇三日目 曇り 
 2:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。夜間の降雪2~3cm除雪不要。午前はオーディオ・電気関連の部品や電線の整理と廃棄処分。BRながら視聴:「NHKso1458回定期:協奏曲、ドヴォルザークVc協奏曲、チャイコSyNo6悲壮」、「NHKso音楽祭:ハイドンSy101ロンドン、武満作品、ブラSyNo2」、NHKso定期演奏会半年文リスト作成。本年分の蓄積データの更新作業。16:00書店、寿司店、おせちなど入手。19:00寿司中心に夕食。紅白最初だけ見る。21:00就寝。Σ5515歩、10550Km。

2016年大晦日 小雪ちらほら、寒い いつもと同じく「感謝」 で締めたい
 時間の経過は実に早い。2016年も大晦日を迎えた。

 私は先に勤務していた病院の嘱託医として外来診療を細々と続けている以外は外との接触・交流・対話は一切なくなった。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に過ごしている。

 年毎の蓄積データの更新など。読書三昧、文献整理その他、文献チェックなど。今朝も除雪不要。新聞雑誌、文献等の活字体、録画映像、ラジオ番組の録音を通じていろいろ情報を仕入れ勉強した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を知った。

 昨年の年末は感染症のためか約一月体調不調であったが、今年は殆どなかった。2回ほど転倒したが、共に事なきを得た。最近転びやすい、要注意である。

 家族達は元気に過ごしている。孫4人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。
 
 爺婆世代の話題といえばどうしても健康問題が生じてくる。
 私も間もなく72歳になる。右下腹部の腹壁ヘルニアが徐々に大きくなりつつあり、時に疼痛を発する。何れ、手術が必要になるだろうができるだけ回避したい。
 最近、体力・気力の衰えを自覚している。
 家内は元気である。もともとマイペース人間であまりストレスがないのか、労働意欲は保たれているようで一安心である。
 私自身はそろそろ引退、あるいは大幅な業務量の縮小を希望するが、家内が働いている間は補助的に手伝わなければならないだろう。

 我が家はこの2年でネコ屋敷になった。内ネコは黒の「ユー」と「プチ」の2匹になった。「小さいかた」とその子供達4匹は風除室ネコでとても元気、毎日笑いを提供してくれている。

 私がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 この一年、いつもと同じく「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。
・・・と、言うことで、今年も一年を「良かった良かった・・」で締められるのを無上の喜びとし、を筆を置きたい・・ではなく、キーボードを置くことにする。


12/30(金)年始休暇二日目 夜間降雪・小雪 飯川病院ボランティア
 2:30起床、昨夜の餅つきパーティで多少のアルコール口にしたので遅れた。いつものごとくデータの更新・整理、読書、徒然ほか。夜間の降雪2~3cm除雪不要。5:30今年最後の可燃ゴミ。14:01バスで飯川病院へ、ボランティア。BRながら視聴:「アナザーストーリーズ:山一証券自主廃業」、「昭和偉人伝:猪俣公章」。19:00-21;30知人と会食、22:00就寝。Σ8162歩、10545Km。

2016年の出来事(4) 自身の行動の評価と総括   
 2016年の出来事、というのもおこまがしいか、私は自己満足観を重視し、一人で生活を楽しんでいる。新年に立てた目標の達成状況をざっと自己評価した。
 今年は、体力・気力の一層の減退と限界を強く自覚し、来年からは前向きの、攻めの意識を転換をすることとした。

向上した項目あるいは維持できた項目 ()内は昨年末の評価、一昨年末の評価。
@ 時間を自分のために有効に使えたか-------------(↑)満足度9割(8割、5割)
@ 園芸・野菜作り・除雪その他の作業-------------(↑)満足度8割(7割、7割)
@ ラジオ深夜便 録音聞き直し-------------------(↑)満足度8割(7割、7割)

@ 徒然日記の連日更新------------------ --------(←)達成度10割(10割、7割)
@ 新聞4紙の記事を電子化ファイリング------------(←)達成度10割(10割、10割)
@ 月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る--------(←)達成度10割(10割、10割)
@ 契約上の勤務達成度 --------------------------(←)達成度10割(10割、10割)
@ 録画の映像、音楽映像視聴---------------------(←)満足度8割(8割、8割)
@ 天候不順日をのぞく徒歩通勤-------------------(←)満足度7割(7割、7割)
@ 医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み----------------(←)満足度5割(5割、4割)
@ 終活・身辺整理------------------------------(←)達成度3割(3割、1割)

低下した項目
@ 階段昇降------------------------------------(↓)達成度6割(7割、7割)
@ 健康管理面への配慮、注意、努力---------------(↓)満足度5割(6割、8割)
@ 惰眠をむさぼらなかったか---------------------(↓)満足度3割(5割、7割)
@ 英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ--------(↓)満足度4割(5割、4割)
@ LPレコードに針を通す------------------------(↓)満足度0割(2割、3割)

 上記の判断の尺度は客観性はない。自分の心の中にある良心と邪心を鬩ぎ合わせて適当に判断した。
 
 達成感、満足感は全般に低下傾向にある。私が退行してきていることの表れである。
 最近はやたらに睡魔が襲ってくる。読書や作業を3時間ほど続けると横になって休みたくなる。身体が要求するから無理せずそれには従っている。
 腰を守るという意味もある。
 22:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活を今も続けていることも関係しているのかもしれない。

 簡単な筋トレ・ストレッチが低いのは、右下腹部のヘルニア保護のため。それでも徐々に大きくなってきている。
 音楽関係ではLPレコードの意義は小さくなってきている。演奏家の息吹が聞こえる画像付きの音楽ソースに主役が移った。LPレコードは終活の一環として300枚ほど廃棄した。まだ6-700枚ほど残っている。欲しい方に差し上げたいが・・・。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、中身より継続することの方を重視し、本末転倒だと思うこともある。自己満足度はこんな程度でもマア良かった、と思う。
 ただし、こんな評価は今回を最後にしよう。来年から無計画に生きてみることにする。


12/29(木)降雨寒い 年末休暇初日 午後飯川病院勤務 餅つきパーティ
1:30起床、新聞文献ほか検討。11:00車で飯川病院に、11:15-14:00ボランティア。14:00-18:00勤務、外来・入院患者対応。19:00餅つきパーティ会場の休宝寺に。少量の日本酒に酔い18:45就寝。23:00起床、BRながら視聴:「バクモン:地下鉄訓練センター」、「日本人の3割しか知らないこと」、「サイエンスゼロ:イグノーベル賞」、「知恵泉:高橋是清」見る。Σ9171歩、10534Km。

2016年の出来事(3) 世界の出来事
 この一年間に私が関心を持ってファイリングした世界の事件、出来事の項目は多岐にわたるが、10大ニュース調に項目のみあげてみた。
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1月
@  北朝鮮が初の「水爆実験」実施発表
@  台湾総統選で蔡英文氏が当選
@  米英仏独露中がイラン制裁解除を発表
2月
@  ジカ熱でWHOが緊急事態宣言
@  重力波を初観測。米研究チーム発表
3月
@  オバマ米大統領がキューバ訪問
@  ミャンマー新政権発足。スー・チー氏は国家顧問に就任
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4月
@  「パナマ文書」公開で各国に波紋
@  エクアドルで大地震、死者660人
5月
@  36年ぶりに朝鮮労働党大会
@  エジプト航空機が地中海に墜落
6月
@  ボクシング元王者モハメド・アリ氏死去
@  ペルー大統領選、フジモリ氏敗北
@  米フロリダで銃乱射、49人死亡
@  英国民投票で「EU離脱」過半数
@  トルコの空港で爆弾テロ、44人死亡
@  フィリピン大統領にドゥテルテ氏就任
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7月
@  仲裁裁、南シナ海の中国主権認めず
@  独で銃乱射などテロ相次ぐ
8月
@  コロンビア和平合意、サントス大統領にノーベル平和賞
@  ブラジル・ルセフ大統領が弾劾で失職
9月
@  ニューヨーク中心部の路上で爆発、約30人重軽傷
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10月
@  ノーベル文学賞にボブ・ディラン氏
@  タイのプミポン国王死去
@  韓国・朴大統領、友人女性の国政介入疑惑で窮地に
11月
@  米大統領選でトランプ氏勝利
@  安保理、新たな北朝鮮制裁決議採択
12月
@  朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決、職務停止に


12/28(水)降雪若干のち晴れ 午前フリー 午後飯川病院ボランティア 
 0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。午前一時激しい降雪、のち快晴に。13:10飯川病院ボランティアに。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。BRながら視聴:「未来世紀ジパング:日露問題、北方4島」、「林:今年の10大ニュース」、「空から:秋田男鹿市」見る。Σ9171歩、10534Km。

2016年の出来事(2) 日本の出来事
 この一年間に私が関心を持ってファイリングした国内の事件、出来事の項目は多岐にわたるが、10大ニュース調に項目のみあげてみた。
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1月
@  長野でスキーバス転落、15人死亡
@  甘利経済再生相、現金授受問題で辞任
2月
@  清原容疑者逮捕
@  川崎市の老人施設転落死で元職員逮捕
3月
@  北海道新幹線が開業
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4月
@  熊本地震、死者50人
@  三菱自動車が燃費データ偽装
@  ハンセン病隔離法廷、最高裁が謝罪
5月
@  オバマ米大統領広島訪問
6月
@  消費税率引き上げ延期
@  18歳選挙権施行
@  舛添東京都知事が辞職
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7月
@  相模原市の障害者施設で19人刺殺
@  東京都知事に小池百合子氏。
8月
@  リオ五輪、史上最多のメダル41個
@  天皇陛下、退位のご意向を示唆
@  台風10号、岩手・北海道で死者22人
9月
@  民進党新代表に蓮舫氏
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10月
@  ノーベル生理学・医学賞に大隅氏
@  国勢調査で初の人口減
11月
@  政活費不正受給、富山市議13人辞職
@  電通に強制捜査、労基法違反の疑い
12月
@  安倍首相真珠湾訪問


12/27(火)降雨 外来 飯川病院
 1:00起床、プチ対応、徒然、文献読み。降雨の中5:00可燃ゴミ出し、びしょ濡れ。7:10バス飯川病院。8:45-13:30中通病院外来混雑、書類作成3件、今年は本日で終了。14:00-18:45飯川病院勤務。外来入院対応。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:年末特集」、「世界は今:ドイツ、EUの苦境」観る。横浜長女孫来秋。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Σ8972歩、10527Km。Officeのメール再設定、古いのは戻らず。

2016年の出来事(1) 秋田県は 医療界は
 この一年間に私が関心を持ってファイリングした項目は多岐にわたるが、10大ニュース調に項目のみあげてみた。

秋田県の出来事
2016年秋田県の主な出来事、事件はいろいろあったが、県の活力は乏しかった。
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@  県人口、101万人割る 
@  大森山で鳥インフ発生
@  軽乗用車が逆走、日東道で3人死亡
@  鹿角でクマに襲われ4人死亡
@  本県の3行事が無形遺産登録
@  全国学力テストで9回連続トップ級
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@  金田氏法相に
@  むのたけじさんが死去。享年101歳
@  参院選本県選挙区で石井氏が再選
@  仙北市で無人運転バスの公道実証実験
@  秋田市で食と芸能大祭典開催
@  佐竹知事3選出馬
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医療界は
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@  オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
@  大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
@  全国がん登録がスタート
@  新専門医制度の2018年度開始に
@  診療報酬改定で多剤投与の見直し
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@  国際医療福祉大の医学部設認可
@  HPVワクチン接種を巡る混乱
@  過労死等防止対策白書が初めて公表
@  B型肝炎ワクテンか定期接種化
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@  世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に
@  日医など5団体が無認可施設の新型出生前診断中止を求める共同声明
@  厚労省協議会がアレルギー疾患対策推進で初の基本指針を取りまとめ。
@  障害者施設殺傷事件の厚労省検証チームが最終評価
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@  2017年度予算構成で社会保障関係費の自然増は5000億円に抑制
@  群馬大で腹腔鏡手術後の死亡が相次いだ。第三者委員会が人員確保や指導、手術適応検討の体制が不十分だったと報告
@  40代男性がマダニで死亡。国内感染死亡は初めて
@  喫煙と疾病の因果関係を盛り込んだ報告書を厚労省検討会が取りまとめ
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@  国立がん研究センターが受動喫煙による肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」に引上げ
@  美容医療など医療機関のHPにみらる虚偽・誇大表示への法規の方向で
@  患者申出癩費の第1例目が承認。
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12/26(月)曇り 健康クリニック 飯川病院
 1:30飯川病院起床、徒然、文献読み。7:00検食、9:00-11:00健康クリニック,14名+結果1名。11:15バス飯川病院着、微睡ほか、14:00-18:30飯川病院勤務、入院対応。19:00帰宅。夕食、20:00就寝。BRながら視聴:「世界が驚く日本:秋の味覚」、「ニュースで英会話:大隅さんノーベル賞」観る。Officeのメールがなぜか全て失われ初期化されていた、長年の蓄積失いショック。Σ6378歩、10520Km。

糸魚川で大規模火災(2) 住宅密集地の災害・火災対応が必要
 私は帰宅後TVで糸魚川市の火災の映像を見た。
 住宅人口密集地の被災で炎は強風で煽られていた。
 これは厳しい火災だ、と思った。にもかかわらず、人的被害が最小限に抑えられたのは幸運であった。

 午前出火し、鎮火は夜にまでかかった。強風下という悪条件であったが、鎮火まで随分時間がかかった。普通なら数時間で燃え尽きてもいいような状況であった。鎮火までできなかったが、消防作業が火の回りを抑制し得たのではないかと思われる。住宅街の北の端まで焼けたが、最終的に鎮火に至ったのは消防力が勝ったからではなく焼き尽くされたから、なのではないかと思われる。

 密集地の火災はいろいろ対応が困難である。
 @ 消火活動には道路の確保が大事であるが、違法駐車などで道路が塞がれていなかったのであろうか。
 @ 消火機材、水は十分だったのか。
 @ 次々と燃え広がり、住民は必要最小限のものも持てずに避難せざるをえなかった。
 @ 空き地が少ないようであった。避難住民は身の安全を守れたのか。
 @ 家財道具を運び出す物理的な余裕はなかったのだろう。
 @ 高齢者、障害者などの弱者の救出はどのようになされたのか。

 感じた印象は、例えば暖房器具を用いる冬の夕方に震度6強の地震が起きた時の東京の住宅密集地のシミュレーションに類似した状況であった。今回の糸魚川市の焼け跡を見ると東京の密集地と大差ない。

 視点を東京に移すと、会計検査院による都内の新重点密集市街地は69地区計1038地区で大阪府に次いで2番目に多い、という。
 密集市街地では迷路のように入り組んだ幅の狭い道沿いに住宅が立ち並ぶ。地区内の小学校や公園、神社などが一時避難場所になっている。大規模火災の時の炎は数10mにも達する。その熱も大変なものである。これに強風が加わったら避難場所で犠牲者が増える恐れがある。安全性は不十分だが、地区全体が密集地で代替地がない。さらに、避難する道路が狭い。

 道路整備や住宅の不燃化は多くの命を救う。試算では70%の命を救う可能性がある。都市計画の見直しである。しかし、実現には極めてハードルが高い。 
 道路の整備や不燃化には、住宅の建て替えなどが伴う。最近は高齢者の単身世帯も多く、家の不燃化対策、建て蓄えに二の足を踏む人が多い。

 密集解消には住民の理解が欠かせないが、最近は大規模火災が少なくなっているから危機意識が薄らいでいないだろうか。消防設備も整った昨今、甚大な火災被実はすくないのではという見方もあるが、早計である。
 今回の糸魚川市の大規模火災が対応の無力さを示している。もし途中で風向きが変わっていればこんなレベルの被害では済まされなかった、と思う。

 次の問題はソフト面の充実である。特に町内会等の組織が障害者、高齢者などの対策を作って置かなければならない。

 火災は恐ろしい。命を含めて全てを失う可能性がある。私には60年前に自宅の消失を経験した。その後の生き方も変わった。私は火の始末などに対してはすこぶる神経質である。私は住宅密集地、集合住宅には怖くて住めない。


12/25(日)午前降雪午後曇り 飯川病院当直
1:30起床、本読み、新聞PDF化、徒然、ネコ世話。6:00頃から午前中激しい降雪、べた雪で間も無く溶けた。除雪なし。終日本読み、自室の整理、不用品廃棄など。16:30送られて飯川病院、17:00当直業務につく。院内患者の状況は安定。BRながら視聴:「N響定期:ベートーヴェンP協奏曲No3、新世界」、「ウイーフィル来日公演:メータ・フィガロ序曲、小澤・未完成」、「プロファイラー:楊貴妃」、「ガイア:日本の味」、「コズミックフロント:銀河鉄道からのメッセージ」。18:00検食。20:00就寝。Σ4592歩、10514Km。

糸魚川で大規模火災(1) 150棟消失し、強風下の住宅密集地の消防対応に問題提起
 私は帰宅後TVで糸魚川市の火災の映像を見た。
 火の手は離れた場所で転々と燃え続けていた。飛び火して屋根から出火したのだろう。屋根瓦の木造家屋の場合、軒下から燃え始め、瓦の下の屋根板が及ぶと、放水による消火は困難という。
 私は小学1年の時に自宅が消失し、火災に関してはトラウマがある。火事と聞くと遠方であろうと黙ってはおれない。胸が騒ぐ。

 新潟県糸魚川市で22日午前10時28分に119番通報があり、7分後には消防車が到着、当初は6台で消火にあたった。
 火元の火の勢いを抑えようとしたが、狭い道も多く、住宅密集地でもあるため、放水作業ができる箇所か限られ、消火作業が追いつかなかった。火災は火元から風に煽られ海の方角に沿って北へ約300m、東西約250mにわたって燃え広がった。消失家屋は150棟にのぼる。

 当時、日本海の低気圧に向かって強い南風が吹いていた。気象庁によると、糸魚川市では午前10時過ぎに14.2mの最大風速を記録し、最大瞬間風速は正午すぎに24.2mに達した。この強風は「フェーン現象」のため、と気象庁はみる。山を越えた風が日本海側に吹き下ろす際、空気が乾いて気温が上がる現象で、糸魚川市では正午頃20度近くまで気温が上昇、隣の上越市では湿度が40%台と乾燥していた。

 現場は古くから繁華街として栄え、木造の建物の密集していたことも被害を広げた。商業地域に指定され、建ぺい率や容積率が一般の住宅地より緩かったことも、建物が密集する要因になっていた。昭和初期の建物も残っていた。

 同消防本部は通報から1時間半後の正午に近隣消防に支援を求め、県内と富山県の計18の消防本部が応援に加わったが、火勢は夜まで衰えなかった。消火活動が長引いて放水する水が不足し、企業の生コン車や国土交通省の散水車も集めて水を補給した。

 火災の規模の割に死者はなく、けが人が10人と少なかった点については昼間の火災だったことある。寝静まった夜だったら人的被害も大きかったと思われる。

 新潟県警糸魚川署は翌23日、出火場所はラーメン店と発表した。火をつけたまま厨房を離れ、ナベが空焚き状態になったことが原因と特定している。

 市消防本部の消防長は「この火災に対しては絶対的な消防力が不足していた」と謙虚な姿勢を示したが、最近は大規模火災が減少していることから備えをどれだけ準備しておくか、問題が投げられた。

 2000年以降の主な大規模火災は、新聞のデータによると以下のごとくで、意外と少ない。
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@ 02年6月・稚内市の繁華街で商店など計23棟
@ 04年5月・広島県因島市で木造集合住宅13棟、1人死亡
@ 09年3月・尼崎市の商店街で約40棟の店舗兼住宅が消失
@ 09年3月・尼崎市の商店街で2日後に40店舗以上消失
@ 10年1月・大分県別府市でアパートから出火、27棟が全焼
@ 14年3月・大阪市の阪急十三駅近くにある横丁で約40店舗消失
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12/24(土)曇り寒い 飯川病院花壇雪対策  
 1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。午前はセルフ式の給油所体験、11:00飯川病院、花壇雪対策、ツツジの冬囲い。12:20バス帰宅、昼食、微睡など。BRながら視聴:「チェリビダッケ&カラヤン:新世界から」、 「ゲルギエフ:マーラー復活」。19:00夕食、20:30就眠。Σ8824歩、10510Km。

佐竹知事3選出馬(2) 知事には国政に乗り出す気概と若さが欲しい
 佐竹敬久氏は秋田県庁職員、秋田市長、秋田県知事のコースを辿っている秋田ゆかりの佐竹家の末裔である。
 2009年の選挙で自民などの支持を得て当選、2013年無投票での再選され、今回3期目を目指すという。

 佐竹氏は政治家としてエリート過ぎる、と思う。
 もともと県庁職員であったから、県庁職員にも受けがいい。前知事の寺田氏は秋田県庁の食料費問題を争点にして当選したから県庁内での評価は今一つであったし、非主流であったから県議会対応で苦労し、常に緊張関係にあった。その時代、県政は活気があったように思える。

 佐竹県政になってからは議会と対立することも少なく、波風が立たなくなった。県民の評価もすこぶるいいと思う。2期目は秋田県政はじまって以来の投票当選を果たしたことがそれを物語っている。
 佐竹氏を取り巻く環境は、私から見ても異常なほど安定している。その中で、佐竹氏は県政を無難にこなしている、様に見える。佐竹氏のもとでは波風は立たないだろう。取り巻きの方々にとっては安定である。多分、佐竹氏はそれほど苦労なく3選を果たすだろうが、佐竹氏自身が自らの立場を自省すべきである。

 私の印象では、県政には独自性も勿論あるが、国政を遂行する実務機関としての位置付けが大きい様に思われる。国は地方に政策を丸投げしてくる。地方創生策がそのいい例である。国はアドバルーンをあげるだけで何ら方策を持っておらず金をばら撒くだけ。結局県が具体策を考えなければならないが、国がイメージする創世策はすでに県が模索し尽くしている内容である。秋田の地に根を張っている文化の延長線上でなければどんな創世策も付け焼き刃的である。県庁は、県政は、常に国からの通達に右往左往させられ、恐々としている、と思う。

 県知事をやっていると国政に対して批判、不満が高じてくるだろうと思う。知事として怒りが高じてこなければ困る。

 私はこれからの知事には1-3期勤めたあとは国政に乗り出して欲しいと思う。少なくともそういう気概がなければならない、と思う。したがって、知事にはもっと若い方々の力を期待したい。
 同じことは県政に関係している自称政治家、県議会議員にも期待している。次の知事は自分だ、という気概がないのだろうか。一度でも県知事になりたい、国会議員になりたいという意識も持たず、現状に満足し、当選回数を誇っている様な議員は不要である。

 秋田県は多くの面で低迷している。私は佐竹氏の責任だと思っていないが、県民も、知事も、議員も、一見安定している現状について考えるべきだろう。


12/23(金)寒波・強風 天皇誕生日 
0:30起床、徒然、文献読み。5:00可燃ごみ提出。9:00玄関のドアフォン設置・配線。午後は室内の清掃、整理整頓中心。19:20夕食、20:30就寝。BRながら視聴:なし。積雪ゼロ。歩数計Σ10503Km、9477歩。

佐竹知事3選出馬(1) 県関連の政治家(??)の皆さんはこれでいいと思っているのか
 佐竹知事が12月の県議会で、来年4月の知事選に3選を目指して立候補することを正式に表明した。

 うーん、これで良いのだろうか。

 佐竹氏はいい方である。私は現役の時に医師会員の立場で県の委員会などに多数関連してきた。特に、新型インフルエンザ流行期には知事を本部長とする感染症危機管理対策委員会にも参加し、医師として、医師会として色々助言してきた。知事とともに緊急記者会見にも何度か同席させていただいた。そのほか、県が主催または協賛しているような会合などでは何度か開会式や祝賀会などのひな壇に並んだこともある。
 その際、ちょっとした時間ではあるが、県の医療政策の進め方について会話したことも少なくない。

 佐竹氏は冗談も通じる気さくな方で、物静かで、血筋の良さ、育ちの良さを感じ取れる良い雰囲気を備えている。私はとても気に入っている。そんなこともあって佐竹県政には関心を寄せてきた。

 佐竹氏は2013年、本県知事選では史上初の無投票で再選された。最も力が発揮できる2期目は人口減対策、雇用創出や子育て環境の整備などを重点目標に掲げて取り組んできた。

 佐竹氏はこれまでの県政運営に「一定の成果が表れつつあり、県の発展に向けた流れをさらに拡大していくために3期目に挑戦する」と述べた。多分ご自身の総括はこのようなものだろうと思う。

 佐竹氏の2期8年の間に、秋田県は県勢は何かの点で発揚が出来たのか??
 この点に関しては私は佐竹県政は可もなく不可もなく無難に政策を進めてきた、と私は評価している。

 しかしながら、人口減少に歯止めはかからず、県人口は来年前半に100万人を割るだろう、出生率は全国最低。県民所得は全国で下位のまま、である。
 厚生労働省が発表した2015年の人口動態統計でこれらがさらに裏付けられた。すなわち以下の項目で全国ワーストであった。私はワーストという位置付けには関心はない。
 @ 出生率、    @ 婚姻率、    @ 死亡率、
 @ 人口自然増減、 @ 死因別死亡率のがん、 @ 脳血管疾患、 @ 自殺率。

 県政運営の指針の15年度の取り組みに対して、県が政策毎の数値目標について「おおむね達成」と自己評価したのに対し、県民意識調査では政策課題への「取り組みが十分」と感じている県民は平均で1割に満たなかった。中でも県政の最重要課題である人口減対策や地域活性化策を盛り込んだ「地域力創造」の分野では、評価する県民が3.2%にとどまった。

 このような実態をあげても佐竹氏が「一定の成果が表れつつあり・・」と、評価するだろう。私はそれで良いと思う。

 しかし、私が疑問に感じるのは県関連の政治家(??)、県議会議員の皆さん方はこれでいいと思っているのか、ということである。
 もっと何とかしなければ、秋田はダメになる!!!と、考えないのだろうか。


12/22(木)曇りのち雨 外来 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。7:10バス病院着。8:45-13:30外来+ドック総括15名分。14:00-18:30飯川病院、入院・外来患者対応、他にサンタ役で全患者にティッシュペーパー配る。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「アナザーストーリー:知られざるS・ジョブス」、「英雄らの選択:徳川慶勝」。歩数計Σ10496Km、8761歩。糸魚川市で大火、150棟消失。

LED照明(3) 白熱球の寿命は意図的に短くされている??
 なぜ電球の寿命が約1000時間なのか?
 私は、白熱電球は高熱を発することで光るという、過酷な状況の中で機能を発揮していることを考えれば、よくこれほど長寿命なのか?すごいことだ、と私は疑問にも思っていなかったし、むしろ賞賛の気持ちでいた。

 しかし、LED電球と白熱電球の耐久性を調べていく中で、「電球の寿命は1000時間にしよう」という国際的なカルテルが1925年にジュネーブで関係者の間で結ばれ、寿命は人工的に調節されているのだ、ということを知って愕然とした。

 電球を発明したのはT・エジソンで、約130年前の1881年。人間が夜間に活動できるという新しい文明を開いた画期的発明である。今の生活は電球の発明なしにはあり得なかった。

 電球が発明された直後は200時間程度と短かった寿命を長くする研究が盛んに行われ、1920年頃には連続点灯が2500時間に達し、その後10万時間という優れものさえ出現した。カリフォルニアの某消防署には1901年から100年以上に亘って切れずに点いている電球があらしい。
 このカルテルは、電球が長寿命であれば売れなくて困るから、1000時間で切れるようにして買い蓄えを促進しようという目的でなされている。こういうやり方を「計画的廃品化」、または「意図的老朽化」というが、電球だけではない、いまでは多くの製品の分野で行われている。

 私は故障しても、修理にお金をかけても手に馴染んだ製品を長く使い続けることに強いこだわりがある。結果的に買い換えるよりは修理費、維持費の方が高くつく。

 メーカーの姿勢は修理を高額にすることで、また保守期間を限定することで新製品への買い換えを進めていく。一般的修理部品の保守期間は8年とされているが、これは義務ではない。ただ、通常の家電の場合は10年程度を目安に、故障した場合には買い替えを考える方がいい場合もある。部品の劣化よる火災等の危険もあるからである。私が使っている品に関しては、納得できる寿命が来るまで使い続ける。

 また、パソコンの場合、ヘビーユーザは年々新しくなるソフトに対応するため買い換えが必要となる。このばあい、寿命も来ていないプリンター等の周辺機器も買い換える必要が出てくる。パソコンに関しては、恥ずかしながら私も機能低下した場合には完動品でも廃棄することがある。半年前、3機種廃棄した。
小型家電のリサイクル(2) ノートパソコン3台廃棄予定 その前に欲しい方に

 大量生産、大量消費の経済構造の中では、需要を作り出さなければメーカーは行き詰まってしまう。これは嫌で、情けないことであるが、この経済の仕組みの中ではやむを得ない、と納得するしかない。

 白熱電球はどうやって寿命を短縮しているのだろうか。極めて単純な作りだから、おそらくはフィラメントの質を落としているのだろう。
 LED照明は白熱球に比較して消費電力が少ないことと、寿命が長いことの2点が長所とされているが、後者に関しては大差はない長寿命の白熱灯も作れると言うことだから人為的操作である。そうは言っても、省エネが求められている現在、前者のメリットは大きい。

 LEDの寿命が4万時間とされているが、これは信用していいのだろうか??こんな寿命の製品を作って結果的にメーカーとして自らの首を絞めることにならないか??業界内カルテルはないのか??長寿命ということで販売価格が何倍かに設定されているのではないか??・・・・・。
 今回いだいた疑問である。


12/21(水)冬至 晴れ寒波緩む ドアフォン設置に難渋 飯川病院ボランティア
 1:00起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。午前は届いたTVモニター付きドアフォン設置に難渋、サッシの一部カッティングなど。8;47バス飯川病院へ、ボランティアで外来代行など。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「NHKsp:ロッキード事件(2)(3)」、「サイエンスゼロ:大隅氏」。浴室に柚子のいい香り。カボチャあずきは明後日に予定した。歩数計Σ8487歩。飯川花壇雪対策用道具運搬。

四季2016(19) 冬至:寒くなるが、日ごとに明るくなる期待
 本日は冬至。
 帰宅しても、夕食のテーブルには「カボチャとあずき」がなかった。家内が準備する時間がなかったためである。明後日作ると言っている。

 冬至を意識した柚子風呂にしろ、「カボチャとあずき」にしても、約40年にわたり賄いをお願いしてきた石井さんが全部用意してくれていたが、彼女は本年8月末をもって北海道に帰った。
 40年ぶりに我が家のことは全部われわれがやらなければならなくなった。いろいろ不便している。その留守番役の一助として、本日TVモニターと録画装置付きのドアフォンを設置した。留守がちで来客の方々に迷惑をかけているから、とせめてもの配慮である。

 本日、夕食後に浴槽に入れる柚子を剥いた。早朝に入浴する準備である。
 一昨年、私は柚子風呂の効能は主に皮の油脂部分にあるのだから、と主張し皮だけが浮かべ、果肉はジュースにした。香りは強烈で、酸味がきつくて飲用には適さないことがわかった。柚子風呂は皮だけで十分であった。

 今年は剥いた柚子を直接食べてみた。一昨年の果肉ジュースに匹敵する強い酸味で身体がよじれるほどであった。生の果肉も食用に適さないことがわかった。
 柚子は香料としていろいろの製品に添加されている。もし、直接食べるとするなら砂糖漬けにするなどの工夫が必要であろう。

 冬至は1年で日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日とされているが、実際には半月ほど前にその時期が過ぎているのだ、という。私は天文学・暦学についてはよくわからないが、確かに最近若干朝が明るくなったような気がする。

 私の活動時間は深夜から朝にかけてがメインである。出勤時間は6:30am、帰宅は19:00以降となっている。市のごみ収集所へは5:00am頃に出すのであるが、10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業である。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元・足下を照らさないと危ない。朝の出勤時は多少明るくなっているが、まだ日の出前である。

 秋田では冬至は通常は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。だから、冬至を迎えた喜びは大きい。今年の秋田市の初雪は11月9日初雪が観測された。平年より4日、昨年に比べ19日早かった。その後、冠雪状態は一度あったが、自宅の除雪機を出すほどの雪は降っていない。

 まだまだ寒いし、これからが本格的な雪の季節である。しかしながら、これから一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に早くなっていく。春を待つ私の心の拠り所になるスタート日である。「冬至」を迎え、とても嬉しい。


12/20(火) 曇り比較的温暖 外来 飯川病院
 1:00起床、ネコ対応。文献チェックなど。降雪なし。5:00可燃ごみ処理、7:10バス飯川病院。8:45-12:30外来。12:45飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。
19:00帰宅、夕食、20:00就寝。BRながら視聴:『そこまで言って委員会:映画、宗教』、「今世界は:大統領弾劾後の韓国の現状」、歩数計Σ10482Km、8481歩。昨年電動のこぎり入手。

LED照明(2) 寿命が長すぎて嫌いだ
 私は、LEDを二つの点で嫌いである。
 第一に光の量感、質感への不満。
 第二には寿命が長すぎるから、面白く無い。

 私は、はかない寿命の小道具が好きである。
 身近なものをあげれば、乾電池、ボールペン、白熱灯・蛍光灯、プリンターのインクカートリッジ、万年筆のインクカートリッジ、などなどである。私のもとで機能を果たし尽くし寿命を迎えた、と言うミニ感動である。

 その中でも、筆記用具には私はこだわる。
 今はパソコンで文章を書くから使用頻度は大幅に減っているが、だからこそ、筆記用具は手に馴染んだものを使いたい。
 いろいろ紆余曲折したが、現在はボールペンはパーカーのボディに汗による指の滑りを防止するためにゴムキャップを巻き、替芯は三菱のSXR-80-07に若干手を加えて用いている。とても滑りが良く他の替芯は使う気にならない。替芯は30本ばかり手元にある。
 万年筆は丸善社製の、30年以上前に頂いた製品。インクカートリッジはパイロット製が流用できる。両者とも常にペンケースにいれて持ち運んでおり、いつも同じものを用いる。

 ボールペン、万年筆とも書いている途中でインクがかすれてくる。その瞬間、「やった・・」ととても良い気分になる。実にくだらないミニ感動であるが、私自身の手で使い切ったという満足感である。


(私を時折喜ばせてくれる筆記用具 インクが切れる瞬間がいい)

 乾電池、プリンターのインクカートリッジも似たような感覚であるが、感動は薄い。

 蛍光灯は切れることはまず無い。黒ずんで点灯し難くなり交換時期がわかるので、私は嬉々として交換する。その後の明るさに感動する。
 白熱灯は寿命が約1.000時間とされているが、切れるのが直前までわからない。切れる直前に一瞬パッと明るくなる。それで一巻の終わり。この刹那さ、潔さが良い。私と共に生きた、と言う気持ちになる。

 数年前から、点灯時間が長い箇所から徐々にLEDに置き換えているが、寿命は4万時間とされている。それがかえって面白くない。私が死んでもまだこの電球はついているんだと恩うと、白熱灯のような親しみが湧かず、何だか不思議な気分になる。


12/19 (月)温暖快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、降雪なし。ネコ対応、新聞チェック、そのほか文献読み。PDF化書類。7:30久々徒歩飯川病院へ。9:00-11:00健康クリニックドック業務、15名。11:15飯川病院、微睡など、本読み、14:00-18:30飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。BRながら視聴:「林:初耳学」、「世界一受けたい授業」、「バクモン:ジェット機整備工場」。歩数計Σ歩数計Σ15255歩、10475Km。

LED照明(1) さっぱり明るくないから私は嫌いだ   
 もう忘れていたが、2012年は7月2日から9月9日まで全国で電力使用制限が敷かれた。2012年5月にわが国は稼働原発がゼロとなった。それでも電力がなんとか間に合って来たことも驚きであるが、火力発電がフル稼働して綱渡り状態で対応している。最近原発が再稼働する方向にあるが、日本全体として節電が必要である。

 家庭における節電対策としては、■照明■エアコン■機器の待機電力■パソコン■洗濯・掃除・炊飯など■冷蔵庫■TV輝度変更■・・などを対象に工夫して取り組めばいい。

 わが家はもともと省エネ状態にある。例えば、私が一人の場合は天井灯はつけず照明は手元の28Wの蛍光灯スタンド一つだけである。

 我が家では東日本大震災以降、LED化、冷蔵庫運用の工夫、パソコンなどの省電力化、トイレのヒーターのスイッチオフ程度は実行している。

 2011年から政府の提言もあり、白熱電球の殆どをセンサー付きのLEDに変えた。白熱球なら100円で買えるのが2000円以上もした。かなりの投資になったが、月あたりの消費電力で見る限り、我が家の省エネ効果は明らかではない。 他の家電の機能向上は消費電力の増加を伴っているからである。

 ところで私は、LEDを二つの点で嫌いである。
 
 第一に光の量感、質感である。
 LEDの光は暖かくない、むしろ寒い印象である。昼光系の製品を選んでいるがそれでも不満。確かに消費電力は少ないが、光エネルギーのデータと個人的な印象から見て、もっと明るくて良いはずであるが、照明としてさっぱり満足感が得られない。

 光の色が目や生体生理に与える影響という観点でも多少問題がありそうである。
 光環境が健康に及ぼす影響についての研究は、夜間に光を多く浴びると、肥満.糖尿病.資質異常症、高血圧,睡眠障害、うつ症状など多くの病態と関連するとされて来た。
 2002年に新しい光感受性を持つ網膜神経節細胞が発見されたが、この細胞は短波長、いわゆるブルーライトに強い感受性を有しているとされている。LEDの照明にはこの短波長の光が白色光よりも多く含まれるから、長期的に見て生休への影響は小さくない、かもしれない。

 ところで、視覚の感受性の異常として、1980年代にH・アーレンによって明らかにされた光刺激過敏症がある。
 一般的には、健常な人は明るい方が色の識別能は上昇するが、過敏症の人は逆に識別能が低下する。明るさに苦痛を惑じたりする。過敏症の割合は日本人では6-8%いると言われる。私もその一人なのだろうか?
 LEDを促進する日本の方針は、省エネから見れぱ正しい判断と言えるが、過敏症の人には辛いものらしい。

 最近はこのブルーライトを少なくなるようなメガネも発売され、主にコンピュータを多用する人達に普及しつつある。

 まあ、私にとってLEDは満足感が少ない、近代的な光であることは確かである。


12/18(日)曇り一時晴れ 寒波ゆるむ  
 1:30起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。午前はデータ整理など中心。午後はNHKのど自慢総集編見たのち、バラの雪対策、ガレージ整理、雪かき等準備等外仕事。19:00夕食、20:30就眠。BRながら視聴:「サンフランシスコso:ブルックナーSyNo7ほか」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック」。歩数計Σ歩数計Σ10890歩、10463Km。

高齢者の交通事故2016(6)  車前部にブレーキランプを(2) 
 私の経験を少々。

 @1 通勤時、私は天徳寺前を通るが、ここのT字路交差点は時差式信号がある。対向車側の信号が赤に変わったにもかかわらず止まらず直進してくる車がマレにある。赤を見落としているのではなく、私の進行方向がまだ青であることを見越してのゆうゆう突破である。このような車は交差点近くでも減速しないから予想が付くが、とても危険である。これは普段からこの道を利用しているドライバーだからこそ出来る知恵でとても危ない。  
 時差式信号には対向車の信号が赤に変わったことを何らかの方法で知らせる必要がある。

 @2 数年前、帰宅時青信号で通過した交差点で、左側から赤信号を見落とした車と接触した。この時も減速しない車を見て危険を察知しアクセルを踏んで逃れようとしたが接触した。相手が接触直前にブレーキをかけたので人的被害はなく車が凹んだ程度で済んだ。
 @3 交差点では右左折車が思いがけなく急発進して身の危険を感じた事は稀でない。
 @4 稀にスマフォ運転のふらふら車が見られる。
 @5 自転車、徒歩通勤の際、車の運転状況が判断出来れば、と思ったことが少なくない。駐車場に入ろうとしている車も注意散漫になるのか、危険である。

 私の経験の範囲からも、対向車や右折車がブレーキを踏んでいるのか否か分かれば安全性はかなり高まる、と思う。

 2015年に起きた全国の交通事故の死者は4.117人で、15年ぶりに増加した。1970年は16.000人も死亡していたことから見ると最近はその1/4程度。政府の交通安全基本計画で、年間の交通事故死者数を15年までに3.000人以下とする目標を掲げたが達成できなかった。16年から始まった次期計画案は2020年までに2.000人以下としている。

 道路も整備され、道路交通法の運転の禁止事項も徹底され、酒酔い運転などの運転者のマナーも向上している。さらにシートベルト、チャイルドシートの義務化なども交通事故死の減少に寄与している。近年は、さらに自動ブレーキ装置なども実用化されている。

 しかしながら、最近は高齢化などによって事故が減りにくい状況にある。65歳以上の高齢者が事故死者全体に占める割合は54.6%で1967年以降で最も多い。
 
 私は比較的簡単に交通事故を減少させる方法はあると思う。それがフロントのブレーキランプである。
 車同士の事故はもとより、交通弱者を巻き込んだ事故のほとんどはフロント部で生じる。私はかねてからフロントにもブレーキランプをつけるべきだと思ってきた。1992年に当時の運輸省に提言したが無視された。単純に考えればランプと配線だけ済む問題である。

 フロントのブレーキランプは歩行者や自転車、バイクなどの交通弱者を守るために、また、交差点での右左折時の衝突事故を避けるために必要だと考えている。面識もない者同士、相手の性格や運転能力も分からないまま、あうんの呼吸で、紙一心の判断で安全がなんとか保持されているなんて恐ろしい。

 高齢者の交通事故を防ぐ方法として、以下のことも考えている。
@ 高齢者自身に
 歩行時、自転車走行時には目立ちやすい明るい服装 夜間はライトは必須 反射板装着
 運転する歩行者には、運転技能チェック 認知症チェック 講習会で技能再訓練 免許証返納 限定免許証の発行
@ 高齢運転者高齢の車に欲しい装備
 ドライブレコーダー、自動ブレーキ装置、前部のブレーキランプ
@ 道路等インフラ
 標識の視認性向上 通行帯の線をもっと太く描く
@ 高速道路等インフラ
 逆走検知装置と光と音による警告


12/17(土)曇り時々晴 寒波若干 飯川病院午前外来+午後日直
2:00起床、本読み、医学文献読みなど。8:38バス飯川病院。9:00-12:30外来、続いて18:45まで日直勤務。文献整理など入力。BRながら視聴:「昭和は輝いていた:特別編歌の数々 師匠と歌手」、「団塊スタイル:親の暮らしの整理(上)」、「ヒストリア:明治標準語」、「NHKsp未解決事件:ロッキード事件(1)」、「池上ニュース解説:世界の犯罪取り締まり」。19:00迎えあり帰宅、19:40夕食。20:55就寝。歩数計Σ10274歩、10454Km。

高齢者の交通事故2016(5)  車前部にブレーキランプを(1) 
 国土交通省は2002年にRVや乗用車後部に視認性を高め、追突事故防止のためにリヤの高い部分にブレーキランプの設置を義務化した。
 近い将来、車の走行音が歩行者に聞こえるようにする対策、走行中の消灯不能前照灯の装備と早期自動点灯などの対策も義務化するらしい。

 しかし、車のフロント部分にブレーキランプをつけるアイデアは全然出てこない。全世界的にもその動きはなさそうである。私はとても不思議なことと持っている。

 確かに、走行音をあえて出す対策、前照灯対策も重要である。しかし、車のフロント部分にブレーキランプをつけるアイデアはこれらに先行して考えられていい。何しろ、重大な事故のほとんどは車のフロント部分で生じるのだから。

 車は勝手な走行が可能な便利な道具である以上、それを人間が運転する限り、衝突・追突はゼロにはならない。しかし、交通弱者を巻き込む事故は何としても少なくせねばならない。自動運転機能などは将来的には有用であろうが、20~30万円またはそれ以上の価格の上乗になり、高齢運転者への大幅な普及は考えられない。

 私は時には車を運転するが、交通に関しては、歩行や自転車、バイクなどの交通弱者の立場を長く続けてきたし、今でも続けている。
 今まで何度も怖い思いを経験してきた。
 交通弱者を守るために、また、車同士の事故を防ぐためにもフロントにブレーキランプが必要だと考えており,「車よ傲る無かれ」を書いたときに当時の運輸省に提言したこともあるが返事すら来なかった。

 この件については、未だにずっとそう思い続けている。この小文にも何度か登場している。

 最も防ぐべきは、交通弱者と車との間で生じる事故である。傷害を受けるのは常に弱者の方である。これらの事故を防ぐためには、ドライバーの運転状況が交通弱者に、対向車に分かるようにするのが最も手軽で、確実な対策法である。

 フロントにブレーキランプがあれば、ドライバーの操作状況が分かり、自分を認識して対応してくれているか否かを勘に頼らずに判断できる。歩行者がいる細い路地をブレーキもかけず高速で走る車は危険な車と認識できる。
 最近の車はフロントガラスがきつく傾斜しており、反射のためにドライバーの表情が見えがたい。ドライバーが自分を認識しているのか、減速のための操作を開始しているのか否か、判断は困難である。


12/16(金)降雪 冠雪数cm除雪なし 大曲中通外来 飯川病院ボラ+忘年会
1:00起床、本読み他いつもの如く、5:30家庭ゴミ処理、提出なし。
Mac2機種のOSを10.12.2に更新。7:25Taxi駅に。8:10こまち、間に合わず。9:50ー12:15大曲中通病院外来。往復Taxi。14:15-17:40飯川病院ボランティア。18:00飯川病院忘年会、大昌園。初出席。21:00車帰宅、21:30就寝。BRながら視聴:「プロファイラー:空海」,「偉人達の選択:岡倉天心」、歩数計Σ10285歩。

四季2016(18) 柿の楽しみ(2) 我が家の樹木たちも共に終活中
 現在のわが家は昭和54年に、現地に新築した。敷地に余裕があったので、桜、しだれ桜、かえでなどの苗木を植え、秋の収穫を楽しみにクリと柿も植えた。
 数年後から結実し、クリはたき込みご飯に、柿は焼酎で晒したり、干し柿にして秋の味覚を満喫してきた。

 しかし、40年も経ち、柿の木を含む我が家の木々が大きくなり過ぎ、枝が隣家の方まで伸びた。それで、私の終活を兼ねて今秋庭師にお願いして八重桜を始め何本かの樹木を根元から切断し、かえでなどの一部は大幅に枝葉を落とした。

 40年ぶりに我が家の周りは見通しが良くなり、すっきりした。本当は私は木々が鬱蒼とした環境が好きなのであるが、そうするには狭過ぎ、隣家が近過ぎた。

 楽しみをいっぱい与えてくれたわか家の柿の木、栗の木など、高さや枝ぶり半分以下になった。来年からどうなるのか? ちょっと心配している。


 真っ赤に熟れた柿の風景は田舎の秋の風物詩である。「柿くへぱ 鐘が鳴るなり 法隆寺」は子規の代表旬であるが、子供達にも知られていた。柿を食するたびに話題にして騒いだものである。ただ、まともな句としてでなく、「柿くえ バカね が鳴るなり 法隆寺」とおかしく捩ったものを話題にした。

 この句が作られたのは明治28年の秋。
 「現代日本文学大系」10巻に子規の随想「くだもの」が掲載されている。それによると、東大寺前の宿で子規はどんぶり鉢に盛った柿を一度に七つか八つ食べるのが常であった。この時の情景を詠んだのであるが、最初は「・・・東大寺」だった。しかし、何か引っかかるものがあったのであろう、本人自ら法隆寺を訪ね、状況が成り立つとして法隆寺に置き換えた。これによって、鐘の音が余韻と共に広く遠く響く、詠むものに実際に鐘の音が聞こえてくる名句になった。

 ちなみに、10月26日は全国果樹研究連合会が「柿の日」と決めている。上記の歌に関連しているのであるが、この日に詠んだのかどうかは記述がなく、本人が知るのみである。


(今年の我が家の柿。焼酎に晒して渋を抜いた柿と室内干しした干し柿。前者はパリパリと固く美味しい。後者は皮が硬いが実はゼリー状でとても甘い。)


12/15(木)降雪数cm 外来 飯川病院 
1:00起床、徒然。今年の文献・録音データの整理・処理など。5:00資源ごみ大量廃棄。7:10バス飯川病院に。8:40-13:00外来+人間ドック判定、13:20飯川病院、14:00勤務、新聞、文献読みなど。BRながら視聴:「アメトーク:家電」。18:30バス帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ11290歩、10438Km。

四季2016(17) 柿の楽しみ(1) 
 秋の果物は数々あれど、柿は秋を代表する果物の一つではないかと思う。本当はりんご、なし、みかん・・・と、もっと列挙したいのであるが、到底挙げきれない。一つ一つが特徴があり、十把一絡げには論じられない。

 柿は奈良時代に中国から渡来したという説が有力だ。それ以来、柿は日本人の日常生活と深い関わりを持ってきた。家の周りには柿の木か必ず植えられていた。
 柿は食料としても、家具材としても、実、ヘタ、葉は薬としても用いられてきた。今でも頑固なしゃっくりを止めるのに柿のヘタを煎じて飲ませる方法は民間療法の中で生きている。

 柿の渋は防水剤、防腐剤になることを経験的に知られていたことから、和紙に渋を塗って防水紙とした。ビニール製品がない時代には重宝されたのだろう、そんな記録が残っている。水回りに用いられる木製品には塗料のようにして用いられた。
 渋柿は渋抜によって一段と甘さを増すが、これも各地でさまざまな方法が見られる。私は焼酎に晒す方法を用いている。
 正月儀礼に欠かせない鏡餅に添えられるのは、今はみかんが主であるが、従来は串柿であった。

 私が育った盛岡郊外の家には大きな柿の木があり、落葉樹が葉を落としつつある晩秋に、赤い数百個の柿の実が見事な美しさを醸し出した。

 柿は我が家にとっても、貴重な果物でもあった。私は大好きである。
 子供の頃から大人たちに混じって摘み取った。柿の木は脆い。突然折れることがあり、柿の木から落ちると死ぬ、などの言い伝えもあり、枝に直接体重をかけることは絶対にしてはならないときつく教えられた。
 長い杉の丸太数本を組みそれに梯子をかけて登った。だから効率が悪く、作業には数日もかかった。それでも全部取るのは無理で、半分程度は取り残した。鳥たちが、柔らかくなった実を選び、丁寧に食べていく。熟れて柔らかくなった実が多数雪の上に落ちた。とても美味しかった。凍りついた実はかじかんだ手のひらで溶かして食べたが、未だに思い出す美味さであった。


12/14(水)曇り 飯川病院ボランティア
1:30起床、文献読み。蓄積データ処理。5:00ペットボトル集積所に。午前データ整理、ダリヤ球根室内にて保存準備、台所の扉のストッパーなど対応。13:30家人の車で飯川病院に。ボランティア、入院患者対応。BRながら視聴:「ここまで委員会:日本の防衛」、「世界は今:日露領土交渉の行方」。家内は明和会年末交流会。19:00プリにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ10169歩、10429Km。昨年水曜外来最終日であった。

高齢者の交通事故2016(4)  運転免許返納が困難なら限定免許にしては
 車に過度に依存する社会から、車を運転しなくてもある程度生活が保てるような地域づくりを進めなければならない。新たな地域作りに、公共交通の維持を位置付ける必要があろう。
 言うは簡単だが、各々の方々が満足する方法をとることは難しい。地方自治体は過疎化で税金が減っているほか、介護や雪かきなど経費が掛かり増しになって余裕がない。地域のバスですら維持が困難となっているのが実情である。

 わが国は高度成長期以降、モータリゼーションの発達を前提にした地域づくりを推奨してきた。地域の居住性は車によって高まり、地域の発展が得られてきた。その後、事情が変わった。地域に残るのは老人だけで、若者は殆どが都会に出て行った。現在の経済状況では若者は生まれ育った故郷では生きていけない。これは政治の失敗ではないだろうか。

 地域は人口が減り過疎化し、地域の生活機能は低下した。交通手段がなければ、田舎では生活が不便になる。手段を持たない高齢者は生活できなくなるし、高齢者の引きこもりや孤独死のリスクは高まる。運転免許証の自主返納は、地域の交通施策と連動してこそ成り立つ。

 だから、移動手段が乏しい地域では免許証自主返納は根本的な解決にはならない。なんとか現状を維持していかなければなるまい。

 私は限定免許証にするもの一方法か、と思う。
 私の免許証にはメガネ着用とあるがこれは運転時の条件設定である。
 これと同じ様に、限定免許証はどうだろうか。

 高齢者の行動範囲はそれほど広くはないはずだから、例えば、運転地域限定、家族の同乗の義務付け、日没後の運転禁止、家族以外の同乗禁止、高速道路走行禁止などなどである。
 機能限定であっても高齢者は嫌がるだろうが、これで運転機能の延長を図ってはどうだろう。

 本日、運転免許返納を巡って岡山県で殺人未遂事件が生じた。詳細は不明であるが、同居する母親(79)の免許返納を巡って口論となり、息子(54)が母親の首を絞めて殺害しようとした、という。

 私が担当する外来でも、家族が鍵を隠したりして家族内のトラブルのもとになった例が数件ある。高齢者の免許証自主返納はいうほど簡単ではない。地域の交通施策と連動してこそ成り立つ施策であるが、その実現は困難と考える。限定免許証は一つの方法と考える。


12/13(火)小雪寒波のち晴れ 外来  飯川病院
 1:00起床、読書、データ処理。5:oo可燃ごみ処理、7:10バス飯川病院へ。8:45-13:10外来。13:30飯川病院,14:00-17:50勤務に。18:30バス帰宅、19:00サイド鮭なかぼね缶にて夕食。20:30就寝。BRながら視聴:「プロファイラー:空海」。歩数計Σ10810歩、10421Km。

高齢者の交通事故2016(3)  運転免許返納の困難さ 
 高齢ドライバーによる死亡事故が後を絶たない。
 75歳以上が当事者となった事故は昨年458件。この10年で75歳以上の割合は7.4%から12.8%に上昇した。
 横浜市で10月28日、集団登校の児童の列に軽トラが突っ込み、6歳男児が死亡、6人が負傷した。11月10日、栃木県の病院玄関に車が突っ込み1人死亡、2人が負傷。同12日、立川市の病院敷地内で2人が、暴走車にはねられて死亡。
 いずれも運転者は80代。本県では10月21日、由利本荘市の日本海東北自動車道で、76歳男性の軽乗用車が逆走して大型トラックと正面衝突し、男女3人が死亡した。

 警察庁のデータによると、昨年の免許保有者10万人当たりの死亡事故件数は4.36件。これを年齢層別で見ると、75?79歳が6.99件、80?85歳が11.53件、85歳以上が18.17件と、年齢の上昇とともに増加する。

 75歳以上の運転免許保有者は昨年末時点で約478万人に上り、前年より約30万人増えた。今後さらに増えていく。高齢者は脳機能のがあり正しい判断ができ難い。さらに加えて五感の衰えもある。

 総じて高齢者の運転は危険が高くなる。
 自ら限界を感じて免許証の自主返納は理想であろうがソウ簡単ではない。
 「自分はまだ大丈夫」、と思っているのが高齢者に共通する心理である。だから、運転免許証の自主返納はなかなか進まない。

 警察庁による全国統計では、昨年、75歳以上の運転免許証の自主返納は12万3913人。06年の8076人と比べ約15倍となり、高齢者層に理解が広がってはいるようだ。この間に高齢者の数も増えているから実態はどうなのか?

 運転免許自主返納は高齢者の居住区の移動手段のレベルに関連し、高齢者の生き方にも直接影響を及ぼす。だから、秋田などではなかなか進まない。

 高齢者からは以下の意見が聞かれる。
@ 車の運転そのものを生き甲斐だと考えている人も多い。
@ 通院手段、地域のコミュニティへの参加などにも用いている。
@ 運転を止めると人と自分の能力を否定されたようで、自分が変わってしまう。
@ 判断力は落ちると言われるが、自分は自信がある
@ 大切な足、生活のためにも絶対に手放せない。
@ バス、乗合タクシーもあるが不便。そこまで行くのがひざ痛などで辛い。
@ ・・・・などなど。

 私は事故歴はないが、家族の評判はすこぶる悪い。私はそれほどの自覚はないが家族だから言ってくるだろう。確かに高齢者運転の講習会の客観的評価も低かった。謙虚に捉え、できるだけ運転の機会を減らしている。
 まだそれほど現実的ではないが、免許自主返納は私自身の問題でもある。無関心ではいられない。


12/12(月)曇り小雪寒波 健康クリドック 午後飯川病院 
耕陽命日。1:00起床、文献・新聞チェック、読書。7:10バスにて飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。11:20飯川病院に移動、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者対応。 19:00帰宅、夕食、20:30就寝。出勤時歩数計忘れ9:00から計測。歩数計Σ8446歩、10412Km。BRながら視聴:「昭和偉人伝:岩谷時子」、「林講座:神手術」、「プロファイラー:植村直巳」。

流行語大賞2016 私の推薦:なんかいも死のうと思った、でもぼくはいきるときめた
 今年の世相を映した言葉を選ぶ「2016新語・流行語大賞」が1日発表された。年間大賞には「神ってる」が選ばれた。トップ10には「トランプ現象」、「ゲス不倫」、「保育園落ちた日本しね」なども。私にはよくわからない言葉が並んだ。
 「保育園落ちた日本しね」は見るのも嫌な言葉である。

 この対象がどの様なプロセスで決まるのか、どんな意義があるのかは全くわからない。報道によると選考委員として姜尚中氏も加わっているという。

 私は、果たしてこの場に推薦して良いのかわからないが、今年最も感動した言葉は、「なんかいも死のうと思った、でもぼくはいきるときめた」、である。私はこれをを推したい。
 これは小学2年の時に福島から横浜に避難転校したがいじめのために不登校になった男子生徒の手記である。150万円ほどのお金もせびられていた、と言う。
―――――――――――――――――――――
『3人から・・・お金をもってこいと言われた。
○○○からはメールでも言われた。人目がきにならないとこでもってこいと言われた。
お金もってこいと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけどていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった。
ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい。
○○○、○○にはいつもけられたり、なぐられたりランドセルふりまわされる、かいだんではおされたりしていつもどこでおわるかわかんなかったのでこわかった。
ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった。
いままでいろんなはなしをしてきたけど(学校は)しんようしてくれなかった。なんかいもせんせいに言おうとするとむしされてた。』
―――――――――――――――――――――
 子を持つ親として、孫を持つジジとして涙なしには読めない手記である。
 私は上記の言葉を推薦する。

 両親は何もしてくれない担任や学校、教育委員会の姿勢を横浜市長に訴え、一年近くかかって調査した専門家は「学校や教育委員会は何もせず教育を放り出した」と強く批判した。

 ところで、職務怠慢の担任や学校、教育委員会に対し、横浜市はどのような姿勢で臨むのだろうか。また、いじめ問題では加害者側に対する対応がいつも明らかにされていないが、この件はどうなるのだろうか。保護者の責任はどう問うのだろうか??


12/11(日)寒波積雪數cm
 1:00起床、寝不足感あり。新聞チェック、読書、徒然などいつもと同じ。午前は破壊された車の充電器の修理。NHK-TVニュース、「NHKのど自慢」見る。微睡。植木鉢一部2Fに移動。16:30-19:00飯川病院へ、BRながら視聴:「そこまで言って委員会:高齢者交通事故、給食費未払い問題」、「世界は今:トランプ組閣など」。19:00夕食、20:00就寝。 歩数計Σ8108歩、10405Km。

缶詰2016(3) 鮭の中骨缶(2) ホロホロとくずれる不思議な食感
 早速、鮭の骨缶のひとつを開けてみた。「鮭のなかぼね水煮」である。
 缶は缶切り器で開けるものだと思っていたが、もうそんな時代ではないらしくプルトップ式の缶であった。昔食べたサンマやイワシ、鮭缶は缶切りでキコキコと開けたものである。それだけ私は缶詰から縁遠くなっていた。缶詰に対する考えを改めなければなるまい。いろいろ多彩な食材もあり、総じて料理法も簡単そうである。

 中身は思っていたような、オール中骨!!! というイメージではない。結構肉が多くピンク一色である。白い背骨があらわに見えるわけではない。もちろん鮭の背骨はその中で中心をなしでいて、皿に盛ると全ての肉片の中心には數cmの長さの白い鮭の背骨であることがわかる。

 これが憧れの鮭の背骨か!!! 恐るおそる背骨を口に含むとホロホロとくずれるように柔らかい。こんな食感は缶詰以外ではまずあり得ないだろう。

 とにかく骨がたっぷり入っているし、その周りの肉も思った以上に残っていて、かつて盛岡近郊の田舎で食べた鮭缶の雰囲気も持ち合わせている。50年も前のことである。懐かしい思いを味わった。

 最初に開けた缶は、普通の鮭缶と比べると、なんとなく味が濃い様に思った。それでも十分に美味しかった。

 次いで、石巻・木の屋「鮭の中骨・水煮缶」を開けた。

 (缶を開けても中骨は見えず、あたかも鮭缶そのもの。皿に盛ると中骨が多数。おろし醤油で美味)

 東日本大震災の復興のためにも、と思って購入したものである。缶も一回り大きく、身たっぷりの中骨でうれしくなる。宮城県産の刺身用銀鮭から、中落ちたっぷりの中骨のみをとった、という。こちらの味はより薄味だった。これも嬉しい。鮭の中骨、あんなに太い骨がポロポロと口の中で崩れていく。大根おろしを脇に置いて、少しの醤油を垂らして食べる。至福のひとときであった。

 魚の缶詰を作る際には、圧力鍋で加熱調理するという。こうすることで骨の主成分であるリン酸カルシウムとコラーゲンが離れるから柔らかくなる、という。だから、この缶詰は残すところなく全てを食することができる。栄養的にも優れている、という。
 確かに、缶詰の魚を頬張り、口をもぐもぐさせて骨を除いていく食べ方など、イメージに合わない。

 東海林さだお氏の一冊の随想が「鮭の中骨缶」の存在を私に教えてくれた。これだけでなく缶詰全体についての印象が変わった。感謝である。


12/10(土)小雪時々晴れ寒波 
1:00起床、文献検索、徒然他何時もと同じ。午前は外仕事に向かない天候。データ整理中心。なぜか完全放電していたレガシー充電など若干、午後は庭の落ち葉、鉢植えの花の整理と片付け、ガレージの整頓、フィットタイヤ交換など。データ整理、各種雑誌類電子化。19:30夕食、20:30就寝。BRながら視聴なし。歩数計Σ10837歩、10399Km。

缶詰2016(2) 鮭の中骨缶(1) その存在を初めて知った
 最近、多少食品に関しての随想などを読んでいる。

 ここ数週間かかって、沈没船、あるいは難破船をめぐる救助に命をかけるサルバー達の活躍を扱った漫画「我が名は海師」全15巻を読み終え、すっかり迫力に圧倒されて疲れてしまい、しばらく漫画から離れることとした。

 選んだ食品関係の随想は1987年から始まった東海林さだお氏の「丸かじりシリーズ」である。私が普段あまり関心を寄せない食品、食事に関する随想集で、軽快な文章、ウイットに富むので私は好きであった。現在まで40巻を発行している様だ。
 我が家には文庫で購入した30巻ほどあり、購入当時もざっと読んだはずだが、中身については100%忘れている。最近は電子化したのをiPadで読み直している。

 ここ2週間ほどで数冊読み直したが、いま手にしているのは1993年発行の「駅弁の丸かじり」であるが、その中の一節に「あるまいことか骨だけ缶」という項目に目が惹かれた。

 骨だけの「鮭の中骨水煮」についての記述である。

 思い出してみると、子どもの頃時に食卓に鮭缶がのぼったが、ちょっと贅沢な味わいがあって私は大好きであった。それには輪切りになった鮭が詰められ、中骨が1つだけ入っていて、サクサクほろほろ、ととても美味しく、母親にねだって回してもらっていたことを思い出した。
 私は18歳で郷里を離れてからは本日まで鮭缶は一つも食しておらず、その存在すら忘れていた。

 作者の東海林さだお氏は食品に関しては驚くべき知識をお持ちであるが、このシリーズの、この項を書くまで「鮭中骨缶」があることをご存知なかった様で、感激とともに小文を認めている。当時東海林氏は55歳頃である。

 多分、私は発売当時もこのシリーズ、この項を読んだはずであるが、魚料理としては中毒と言って良いほど鮭を好む私であるが、缶詰に関しては読み流していたのであろう。今回この項を読み直して初めて「鮭の中骨水煮」缶の存在を知った。東海林氏も55歳まで知らなかった様であるが、私は71歳の昨日まで知らなかった。

 早速、スーパーに出かけて食品売り場を探索した。食品売り場に足を踏み入れたのは久々である。ありました。2種類の「鮭の中骨水煮」缶が。私は大きな期待とともにこの2缶を購入した。


(後で追加購入した3缶を加えて)

 


12/9(金)小雨小雪 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献検索、6:00家庭ゴミ収集所に、防寒靴今季初使用。7:30Taxi駅、8:10こまち。9:00-1210大曲中通病院外来。13:30-18:40飯川病院ボランティア。19:10帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計Σ5508歩、10391Km。BRながら視聴:『アリエへん世界:でぶ他一部』、『ジパング:イギリスの現状、EU離脱など』、『サイエンスゼロ:折り紙大進化』。

缶詰2016(1) ツナ缶にゴキブリ ツナ缶がマグロと初めて知った
 本年10月山梨県内で販売されたツナ缶に1.5センチほどのゴキブリとみられる虫が混入していたと製造元のはごろもフーズが公表した。自主回収をしない方針。
???買った50代女性がスーパーに届け、はごろもフーズが調べ、製造過程で混入した可能性が高いと分かった。
???はごろもフーズは女性には謝罪したが、公表や自主回収はしなかった。

 メディアに報じられたのち社は公表に踏み切ったが、公表が遅れ、自主回収もないことについてネット上では非難の意見が飛び交った。社は以下のように説明した。
 「混入商品の製造日から1年10か月が経っていますが、ほかのお客さまから同様な申し出がなく、混入は偶発的なもので連続性がないと判断しました。このことから公表も自主回収もしませんでしたが、27日夕方にニュースが流れたため、心配になるお客さまもおられると考え、公表はすることにしました。」、混入した原因については、「従業員がお昼休みにラインを止めて外に出ますが、この間に虫が缶の中に入ってしまった可能性があります。」

 食品への異物混入に関しては昨年1月に「ペヤング」などの件で大きな話題となったがしばらく途絶えていた。私は自主回収しなかったのは妥当と思う。公表するか否かも賛否が分かれるであろうが、保健所への報告はしたのであろうか?

―――――――――――――――――――――――――――――

 ところで、ツナ缶を使った料理は有名で、ツナマヨネーズ、ツナサラダなど、私も一部名前だけは知っているが、ほとんど食べたことがない。ツナ缶は手にしたこともなく、原料がビンナガマグロ、キハダマグロなどのマグロ類から作る缶詰であることを今回初めて知った。最近はカツオで代用した製品もあるという。「シーチキン」もよく聞くが、これはごろもフーズの登録商標である。

 現在わが国では国民1人あたり33缶(1缶=250g 換算)の缶詰を消費していることになる。ツナ缶の消費量は米国が世界一、ついで我が国と考えられる。平成27年のツナ缶の生産量は3万6624トンで前年比5.1%増だった(日本缶詰びん詰レトルト食品協会協)。

 無知であった。
 世界中のマグロの1/5がわが国が消費している、という。私は刺身など生鮮食品としてのみ消費されている、と思っていたから信じ難かった。ツナ缶としての大量の消費を考えると国民的食材??と言ってもいいようである。マグロの立場を初めて理解した。
 私は、刺身としてもツナ缶としてもほとんど食べないので、マグロ漁獲量減少について深刻に考えていなかったが、そうも言っていられない様である。


12/8(木)寒波緩む晴れ 外来 飯川病院
0:10起床、新聞。文献読み。労働問題の文献読む。4:00家内出勤、7:20プリウス飯川病院。8:45-13:45外来+人間ドックデータ整理一部。14:00-19:00飯川病院、入院・外来対応、19:30帰宅。夕食、20:20就眠。BRながら視聴:「空から見よう:秋田」、「林:初耳学」、「旅猫ロマン#5#6」、「慢勉:高橋ツトム」、「日本視察団:マグロ」、「笑点10/2」。歩数計Σ8986歩、10386Km。

師走2016(3) 人生もたそがれ 何もしない時間を味わうのもいい
 師走である。かつては常に時間に追われている感覚がつきまとっていた。師と名のつく状態で「心を亡くしていた」と思う。最近はかなり自分を取り戻している。そうなると見えてくる分野も広くなる。

 最近、私の時間に対する考え方が変わった。
 人には心の解放が必要である。濃密でない時間がたまにはあってもいい。とりたてて目的のない時間に自分を置く、そんな贅沢もたまにはいい。ほっとするし、すがすがしい感性が湧いて来て、結果的に私を刺激する。そんなふうに考えるようになった。
 
 もう私は十分に歳をとった。これからは時間を大切に、とすることよりも、お金で買えない豊かな時間を浪費していくことの方が贅沢、貴重なことに思えて来た。

 私は体を動かす作業も好きであるが、本読み、文献・資料読み、さらに電子化などの作業を最も好む。特に、1:00am前後からの静かな時間帯は貴重である。

 好きな作業と言えども、最近は視力も落ちてきているし、集中力も落ちてきた。3時間ほど作業に集中した後、ちょっと疲れた、とひとり心の中でつぶやくき、休息をとる。疲れはためずに早めに解消するに限る。

 時には一人用ドリップでコーヒーをいれ、椅子にもたれてぼんやりとする。一人でだらだらと過ごすのは最高の贅沢かもしれない。倦怠が、いつのまにか心と体を支配している。そんな時などはストーブの前に横になり短時間休む。最近はつい自分を甘やかしてしまう。5分もたたないうちに眠っている。30分ほどで目覚る。

 若い時のには自分を追い込むのに快感を覚えていた。今は追い込みたくない。そうなのだ、気付いていたけど、これこそが私が到達した高齢者の気持ち、人生の黄昏の心境なのだ。
 若いはそれなりに素晴らしかった。でも、不幸な面もあった。そんな頃に戻りたいとは一切思わない。若い頃の気持ちとはとっくに決別した。私は71年かかってやっとここまでの心境に到達したのだ。 

 いろんなことがある。いいことも、悪いことも。特になにもなかった日は、いい日に入れている。
 世は師走の喧騒にあふれている。私は静かに日々を過ごしたい。


12/7(水)初冠雪 
 0:30起床、寒い、外を見ると積雪数cm。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。午前は読書、文献読み中心。小雪あり寒く外仕事はなし。微睡、家中の片付け。19:00夕食,20:15就眠。BRながら視聴:「NHKのど自慢:大牟田市」。歩数計Σ9060歩、10379Km。

過労自殺2016(3) 残業100時間で過労死するのは情けない!!
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」、「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」、とするコメントを武蔵野大学の某教授がネットのニュースサイトに投稿した。これに対し、批判が「炎上」し、大学は10日、公式ホームページで学長名で謝罪し、教授の処分を検討している、と言う。
 この教授は東芝とかニトリで実務経験があるらしい。

 不謹慎な投稿をしたものである。私はこの記事を見て、舌足らずの文章の投稿はいかに思いがけない読まれかたをするのか、を示しているものだと思う。この投稿は時間に、100時間にこだわり過ぎた。
 この投稿は、意見の一つとしては見るべき点も無いわけではないだろうが、十分に表現されていない。

 気軽な意見表明方法としてツイッターがネット上で飛び交っているが、140字と言う制限があるので意見は明らかに舌足らずであって、それだけに刃のごとく読む者の心に突き刺さる。私はこの字数の中では何も表現できないので見ることもない。意見表明には起承転結が必要である。この投稿はそれに近い。

 私は、過労死の背景には長時間労働があり、これはあってはならないことで是正されなければならない。その視点に立つ。しかし、決して時間だけの問題ではない、とも言いうる。だから、時間だけに矮小化してはならない、と思う。

 もっと人間味のある上司がいれば、職場にチームワークがあれば、仕事に対する評価があれば、100時間は決して限界ではなかったのではなかろうか。
 私はこのケースの情報を見るたびに、新人に対するパワハラ、女性蔑視・セクハラを背景とした「いじめ自殺事件」の因子が強い、と思う。個人の尊厳を踏みにじられたことが死の真相だと思う。

 さらに、わが国の、周辺のストレスに耐え抜き、滅私奉公するのが「理想の企業戦士」・・と称えられた古き良き時代の生き残りの存在が社風に影響を与えている。電通では25年前にも過労自殺を出している。今回は昨年12月に生じた事件であるが、「取り組んだら放すな、殺されても放すな」の一節が入っている「鬼十則」が未だに残っていることは電通の社風そのものを示している。
 経験不足の新人にも経験を積む時間も与えず、直ちに成果と責任を求めている最近の企業の風潮に、当該の女子は深く苦しんだのだろう。その意味では電通はブラック企業の一つと評して良いのではないか。


12/6(火)雨のち晴れ 外来 飯川病院
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。
7:10バス飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。13:10飯川病院、味よしにて外食、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。19:00車帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ12322歩、10371Km。BR視聴:「ヒトラー暗殺計画」、「昭和は輝いていた:あの年のあの出来事」。

過労自殺2016(2) 命より大事な仕事はあるのか??
 今回の電通の過労自殺事件は世間の耳目を集めた。新聞紙上で過労自殺が報じられることは多いが、これほど集中的に放じられる例はない。

 電通は25年前も過労自殺者を出した。しかも、その後に繰り返し是正勧告を受けていたが行政指導では何も変わらなかった。その背景もあって、厚労省は電通の家宅捜査をきっかけに、長時間労働の見直しを迫る働き方改革に弾みをつようだ。通常ならば、1年以上かかるような事件であるが、検察も捜査態勢の準備を急ピッチで進めている。

 労働局は検察との協議を重ね、最終的には労基法違反容疑での幹部社員と法人としての書類送検につなげたい、これまでの労働基準法違反事件に終わらせない、そんな意気込みが感じられる。

 今まで報じられた内容から今回の自殺した女性社員の経過を見ると以下のごとくの様だ。
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 当該の女性社員は23歳、東大卒。2015年4月電通入社、インターネット広告などを担当、10月に本採用となったが、部署の人員が14人から6人に減らされ業務が激化、11月上旬、うつ病を発症したと思われるが、受診歴はない。
 12月25日、母と電話で話した後、社宅から飛び降り自殺。電通は労務管理上の問題を認めず遺族が提訴、労働基準監督暑が1ケ月間の残業時間が105時間であったことを認め、16年9月30日労災認定した。10月14日に東京労働局が本社を立ち入り調査を開始した。
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 遺族代理人の川人博弁護士は労基暑の判定より残業時間が多く130時間であったことを示し「取り組んだら放すな、殺されても」と説き、「徹夜労働、長時間労働は当然」とする精神主義が自殺の要因だと断じた。
 そのほかに、
@ 顧客との打ち合わせ、企画制作、実施、結果分析が頻回。
@ 10月のある週の3日間は時間外労働が47時間以上であった。
@ 疲労から、一部業務で請求を間違ったこともあった。
@ 恒常的人手不足状態を役員が認めた。
@ 上司のパワハラ・セクハラ発言があった。
@ 28年度版「過労死等防止対策白書」によると昨年の業務関連自殺は20代437人、30代518人であった。
@ 過労死の予納対策には、例えば、EUのごとく業務終了から次の業務開始までの間に9時間を置く「インターバル規制」が必要。        
               (川人弁護士の項、文春2016年12月を参照した)

 入社後それほど経っていない彼女にとって、「命より大切な仕事だったのか??電通からなぜ離れられなかったのか??」、と第三者が論じるのは簡単であるが、これに冷静に答えを出せない状況にまで追い込まれたことこそが、問題の根底である。


12/5(月)雨のち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、文献読み,読書。19:10帰宅夕食、20:15就寝。歩数計Σ10028歩。BRながら視聴:「ヒトラー我が闘争:封印解かれた禁断の書」2回目視聴、「団塊スタイル:頭と足を鍛えて転倒防止」、「ガイア:自動運転」。

労自殺2016(1) 長時間労働問題に矮小化してはならない
 過労死等の防止対策の推進をうたう「過労死等防止対策推知法」が平成26年に成立した。過労死防止を「国の責務」とし、過労死を根絶するためさまざまな対策を求めをている。
 にもかかわらず、電通で過労自殺事件が発生した。

 過労死とは何だろうか、法案では「業務における過重な負荷による脳・心臓疾患や精神障害を原因とする死亡や自殺」と定義した。しかし、具体的にどんな病態の疾患をさすのか、わからない。ストレス蓄積による高血圧性脳梗塞や冠動脈疾患を示すのだろうか。私は精神疾患あるいは類似状態こそが問題と考える。

 2012年度に労災認定された死者は全国で123人。このほかうつ病などの精神疾患による過労自殺も過去最高の93人に上った。私の印象では、特に後者はもっと多い思う。
 
 過労死を根絶するには、長時問労働をなくする必要があるが、長時間労働は一つの因子にすぎない。過労死となっているが、背景には女性蔑視、セクハラ・マタハラ、パワハラを含め、正規労働者か否か、身分、収入に関わる問題も関連していると思う。

 だから、労働時間にこだわって対応すれば解決するものも解決しなくなる。

 電通の新人社員が長時間労働の末、昨年12月に過労自殺した問題で、労働局が強制捜査に警手してから1カ月経過した。この間、本社、関西、中部、京都の各支社へ家宅捜索に入った。これだけの捜索は異例のことである。
 同社は過去にも過労自殺者を出しており、違法な残業がその後も常態化していた企業体質を裏付けるため、7千人にも及ぶ社員の自己申告と、会社の出退社記録を突き合わせていく作業、勤務時間の過少申告に対する組織的関与の裏付け捜査が行われているようだ。
 幹部社員らの立件はまだまだ出来ない、と考えられている。

 電通では本年10月に22:00に全館消灯が始まった。石井社長は11月の家宅捜索直後、社員に向かって「新しい電通をつくり上げよう]と呼び掛け、「取り組んだら放すな、殺されても放すな」の一節が入っている社是「鬼十則」を社員手帳から削除する方針、と言うが、なんかまだるっこい。こんなことは問題が明らかになった時点で迅速に行うべき、と思う。それが企業の対社会的責任の一つだと思う。

 「過労死等防止対策推知法」が施行されたが、厚労省のチェック機能はどうなっていたのかも検討して欲しいものである。


12/4(日)快晴夕方曇り、寒波  飯川病院日直 レセプト点検
1:40起床、新聞・文献チェック、PDF化。昨年防寒靴、スキーウエアを初着用、今年はまだ。8:38バス飯川病院。9:00-17:00日直勤務。入院患者対応、レセプト点検。18;10帰宅、夕食、19:30就寝。BRながら視聴:「孤独のグルメ:真夏の東北」、「100分で名著:苦界浄土(3)(4)」、「昭和偉人伝:梶原一騎」、「ヒトラー我が闘争:封印解かれた禁断の書」。歩数計Σ10353Km、9830歩。

転倒2016(2) 予測できない転倒は怖い
 転倒は二本足歩行する人間にとって避けられない、宿命の一つだと思って、日常から深く注意している。

 私は積雪状態の道路では年に何度か転倒している。
 冬道の転倒は、しかしながら、それほど怖いものと思っていない。かなり路面の滑りを予想できるからであり、歩く姿勢に注意することで転倒をかなり防ぐこともできる。私は昨季から防寒靴につける着脱式のスパイクアタッチメントを用いていおり、転倒の危険性はかなり減少した。

 私は時に歩行時に軽いふらつき感を覚えることはあるが、そのために転倒した経験はまだない。
 最も怖いのは道路や階段での前触れもない転倒である。全て予想外の突然の転倒で防御姿勢など取る余裕もないから極めて危ない。歩行時の転倒は早足で歩いている時が多い。多くは両足を取られた状態になるから一瞬体が浮き上がり、背面から落下する。防御する余裕もない。考えただけでゾッとする様な状況である。

 今回記載した飯川病院内での転倒以外にも数件の経験はあるが、今のところ重大な外傷は受けていない。しかし、これはたまたま頭を直接打つような硬い突起物がなかった幸運と、突然の後方への転倒は背中に背負ったディバッグがクッション代りとなって私を打撲や外傷から守ってくれたからである。私のディバッグにはスクラップ化するための新聞が4紙、そのほかにも書籍が入っているが、これの衝撃緩衝力は無視できない。

 今回の病院玄関でも背を打った。トイレでの転倒時は背面から落ちたが、双方の場合も背負ったディバッグが衝撃を緩衝してくれた。

 今回の転倒は私の不注意もあることは明らかであるが、どうして玄関先とかトイレの床面により滑りやすい材質のタイルを用いるのか、私は常々疑問に思ってきた。多くの建物のエントランスがそのような表面がすべすべした材質の床材からできている。そのために出入り口には絨毯様の敷物を敷いて転倒を防いでいる。しかし、これでは十分とは言えない。

 建物の外にも滑りやすい危険物が多数用いられている。
 その主なるものはマンホールの蓋である。側溝のカバーに用いられている細かい格子状の金属の蓋も危険。横断歩道に厚く塗られた白線なども滑りやすい。さらに、道路の至る所に段差がある。これらは濡れていなくても滑りやすい。雨で濡れれば更に危険となり、降雪期には怖い存在となる。

 私は今のところ何ともないが、これほど頻回に転倒することから、私の人生は転倒に関連して終えるのではないか・・とも思っている。健康保持のために歩行し、そのために転倒して健康を害するなんて、本末転倒である。何とか防がなければ、と思う。


12/3(土) 快晴、飯川病院午前外来 午後庭掃除など
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。8:38バス飯川病院に、9:00-12:15午前外来勤務。13:30帰宅、、落ち葉掃除、植木鉢を今年はガレージ内に移す。15:30過ぎると外仕事は厳しくなる。19:00夕食、20:30就眠。BRながら視聴:「浦沢直樹慢勉:ニュースそうだったのか」、「日曜美術館:国芳」、「サイエンスゼロ:池上遼一、三宅乱丈」、「旅猫ロマン:パリの猫」、「林:初耳シリーズ9/11」。Σ10346Km、12894歩。

転倒2016(1) またまた転倒した 濡れた床面、濡れたシューズの底面は危ない
 私は転倒に縁が深いようだ。この小文にも何度か転倒のことを記載した。
 先日、11月28日、29日と二日続けて転倒した。この時は雨と関連して足元が滑ったものと考えられた。

 この季節、高齢の外来患者には転ばない様に声をかけている。転倒がその後の人生を決める事もあるからである。その声かけしている自分が転んでいてはしょうがない。反省しきりである。


 @ 11月28日8:55頃
 飯川病院から中通健康クリニックに向かおうとしてして、雨で濡れた玄関先の床面に進んだところで右足が滑って右側背部を下に転倒、右上下肢を強く打ち、右側頭部を紫陽花の大きな植木鉢に強打した。かなりの衝撃で、一瞬まずいことになりそうと思ったが、予想に反して出血はなく、右大腿骨部も痛みだけで、すぐに立ち上がることができ、四肢も通常に動いた。そのまま、健康クリニックに向かった。その後左側頭部に皮下出血、すなわちコブができた。まだ圧痛がある。

 原因は濡れた玄関先のタイル面に私が不用意に足をかけたことによるが、履いていたスリッパにも問題があった。数ヶ月前に購入したものであったが、底面をみたらかなりすり減っていて濡れた面では滑るのも当然かと思った。

 一瞬のことで防御体制なども取れず何ともしようがなかった。右背部を下に転倒したのはディバッグの他に右肩に健康クリニックのドックの判定資料が入った大柄の手提げ袋を抱えていたからである。これはドック14名分のレントゲン写真、資料が入っておりかなりの重さである。
 また、紫陽花の鉢の20cm脇には花壇のブロックの縁があった。これに頭を打っていたらただでは済まなかったと思う。今回も運がよかったと思う。帰路、スリッパを新調した。また、外出時はウオーキングシューズを履くこととした。

 @ 翌11月29日7:10頃
 寒くて雨模様だったのでバスにて飯川病院に向かった。7:10頃に玄関脇にある外来のトイレに立ち寄った。トイレの床面には段差解消用のスロープがある。それから一歩足を踏み出した途端左足を取られて左背部を下に激しく転倒した。一瞬のことで防御姿勢など全く取れなかった。 
 背部の衝撃は背負っていたディバッグが受け止めてくれたのだろう、左肘に疼痛を感じたが外傷はなく、通常に勤務できた。まだ4日目であるが、左肘に痛みと左上肢の挙上制限があるが徐々に改善している。

 この時履いていたのは通勤時のいつものウオーキングシューズであった。また床面はタイル張りで綺麗に掃除されており濡れていなかった。しかし、バスを降りてから10分ほど濡れた路面を歩いて来たばかりで、シューズの底面の濡れが滑った原因かと思われる。
 材質の異なる床面に踏み出す際には滑る可能性があり、慎重に足を進めなければならない、特に雨の日は危ない、と反省した。


12/2(金)暴風雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:30起床、本読み、医学文献チェック。5:00家庭ゴミ集積所に。暴風雨雪。7:30Taxi。8:10こまち。9:10ー12:15大曲外来。約40分遅れでの新幹線で帰秋。14:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、20:20就眠。Σ10335Km。12888歩。BRながら視聴::「池上:ニュースそうだったのか」、「日曜美術館:国芳」、「サイエンスゼロ:プロキシ惑星」。

師走2016(2) 師走 常に追われている感覚からの離脱・解放
 師走である。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行うため、師が東西に走り回る、と言ったような、年の暮れの人事往来の慌ただしさも絡めて、陽暦12月の異称としても親しまれている。しかし、私はあまり好きでない。慌ただし過ぎるからである。

 私は今はあまり感じていないのだが、かつては常に何かに、常に時間に追われている感覚がつきまとっていた。毎日口にはそれほど出さなかったが、心の中では「忙しい」、「忙しい」と思いながら過ごしていた。何時になったらこの状態から解放されるのか??と考えていた。実際に、現役の時のスケジュール表を見ると今の私からは信じられないほどの業務をこなしていた。

 「忙しい」と言うことは「自分の心を亡くすこと」だ、と言われる。「忙」と言う漢字の由来がそれを示している。私は現役を退くまで「忙しい」環境にどっぷりと浸かり、自覚はしていなかったが「心を亡くしていた」、と今から見れはそう思う。その時は、視野も狭くなっていた。
 それが、ここ数年、まだ時間に追われてはいるが、かなり自分を取り戻している。そうなると見えてくる分野も広くなる。

 師走になる前からそうなのだが、師走を迎えるとやはり世の中が喧騒になってくる。通勤路にはイルミネーション、街に出れば商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。早過ぎるのでないかと思っていたら早期割引で今なら10%引きなどと世の中を煽っている。新聞ひらけば折り込み広告でうるさい。ラジオ、TVも同様、これからますます酷くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」「第九」の広告である。

 なんか、猿まわしの猿のごとく、ハムスターが必死に車輪を回しているがごとく、世の中が見えない力で踊らされているようだ。しかし、この消費社会の中、私のような下向きの考えのもとでは日本が成り立っていかない。

 加えて、今を生きる若者は、とにかく何かをしていないと気が済まないらしい。
 通勤のバス、待っている間も、乗った後も、既に座っている人も、高校生以上の乗客は大概スマホを出してしきりに操作をしている。耳にはイヤフォンである。実際にスマホで何をしているのか、ゲームなのか、友人とのコミュニケーションなのか、ネットサーフィンなのか知ることはできないが、見ているとただ「しきりに」としか言いようない、「とりつかれた」ようにスマホをいじっている。その姿は私には脅迫的行動?にしか思えてならない。
 
 人には心の解放が必要なのであるが、現代人のふるまいは何とも気ぜわしい。時間に穴が開くことを恐れているかのようだ。私は何時でもスマホを離せないを若者文化を「現代の二宮金次郎」と揶揄している。

 かつては、交通機関では文庫本を読んでいたか、あるいは寝ていたものだ。それがスマホに代わっただけなのだか、車窓の景色を見ている人はほとんどいない。

 そう言う私はどうしているのかと言うと、iPad miniまたはちょっと大型画面のiPadで小説を読む。時々は車窓から外を見る。毎日見慣れた景色だからこそ、日々の自然の営みのわずかな変化が見えて面白い。

 人間には、濃密でない時間がたまにはあってもいい。とりたてて目的のない時間に自分を置く、そんな贅沢もたまにはいい。ほっとするし、すがすがしい感性が湧いて来て、私を刺激する。
 
 もう私は十分に歳をとった。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない豊かな時間を浪費していくことが最高の贅沢に思えて来た。
 年寄りの時間感覚は「ジャネの法則」のごとくに短くなったのではなく、意外と豊かになったのだ。私はそう考えたい。

 今年の師走を迎えての感想である。


12/1(木)雨暴風 外来 飯川病院 
1:00起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。7:15バス飯川病院着。8:45-13:00外来。14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、肺炎ワクチン接種。BRながら視聴:「昭和は輝いていた:歌声喫茶」、「実録:ロッキード事件」、「池上:ニュース解説」。18:02バスにて帰宅、夕食、20:00就寝、21:00宅配便に起こされる。歩行計11.673歩、Σ10,325。

師走2016(1) 加齢とともに時間が早く感じる、は本当か??
 本日から12月である。月めくりのカレンダーはついに最後のページになった。早いものである。「もう新年を迎えてから11ケ月も過ぎたか」、と自覚する日である。多分多くの方がそう思ったことであろう。

 「このごろ時間が過ぎるのが早い」と嘆くのは、われわれ高齢者の常である。歳ととともに徐々に時間が過ぎるのが早くなる、と多くの高齢者が言う。「光陰矢のごとし」の感覚はここから生まれている。しかし、そうだろうか??

 何故、私たちは齢を重ねるにつれて、時間の流れを早く感じるのか?
 私は時間感覚の変化をどう考えるべきかについていろいろ考えて来たが、現時点での結論は「自分の時間感覚が鈍くなってきているから・・」、なのだと考えている。

 心理的時間感覚の法則を打ち立てたポール・ジャネ氏は、「心理的な時間の長さは、生きてきた年数の逆数に比例する、と難しくまとめている。すなわち、同じ1年でも、70歳の人が感じる時間の長さは20歳の頃に感じた時間と比べると、70分の1対20分の1で、3.5倍も短く感じられる、すなわち時間が短く感じられる、としている。これが「ポール・ジャネの法則」として知られているが、その計算の根拠はなかなか理解できない。

 脳も、身体も鈍くなっているのだから、高齢者の思考や行動は若い時のそれよりもはるかに時間がかかっている。歩く速さ一つ取っても遅くなっている。私はそれを強く自覚する。だから、時間は若い頃より、もっとゆっくり流れてもよさそうに思う。実際はゆっくりと流れている、と思うのだが、その感覚を自覚できていないだけである。
 それを「不変の時間推移」と比較して、初めて自分が遅れている、と感じるのだろう。これが真実か・・と思う。

 ようするに、高齢者の時間感覚は体感上では若い時とではそれほど変わっていないのだが、現実的には遅くなっている。時計を見て、あるいは暦を見てその絶対的時間とのずれに歴然とする、ということである。

 私は時間をの推移を考える時、いつも浦島太郎の物語を思う。
 太郎は竜宮城で数日を過したのであるが、竜宮城の時間の推移は地上の時間の推移とは全く異なっており、ゆったりと流れていた。そのことをその環境にどっぷりと浸かった太郎は知る由はなかった。太郎は数日後に、一人残してきた母親などが気になって早々に辞した、・・・つもりであったが、何と、その間に地上では750年もの時間が経っていた、というものである。太郎が玉手箱を開けた時に、真の時間の経過を知ったと言うことで、私は時間の感覚的感覚と物理的時間との差を取り入れた素晴らしい物語設定と、感心するばかりである。
 浦島太郎がいつ作られたのか、定かではないが、原型は8世紀の日本書紀にあると言う。当時の時間感覚については知る由も無いが、私には興味深い物語である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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