徒然日記
2013年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(火)曇り・寒波 年末休暇 重症患者回診・対応 飯川病院当直
 1:30徒然、文献読み。午前は大掃除の手伝い。しめ飾り等、新年を迎える準備若干、13:00蕎麦による昼食。私が当直勤務のため繰り上げた。15:45車で中通病院へ。重症患者対応。17:00飯川病院当直勤務に。院内の患者は平穏な様である。読書三昧で過ごせそう。18:00検食。20:00就寝。これで私の一年は静かに終了した。歩数計Σ2422Km。

この一年 いつもと同じく「感謝」 で締めたい 
 時間の経過は実に早い。2013年も大晦日を迎えた。

 私は本来の内向きな性格にもどりつつある。先に勤務していた病院の嘱託医として外来診療を細々と続けている以外は外との接触は殆ど無くなった。全て自己満足の世界で過ごしているが、時間を無為に過ごさぬよう、大事に過ごしたい。

 今年の最後の夜は飯川病院の当直があたった。いま19:00過ぎである。NHKニュースをラジルラジルで聴きながら今年最後の徒然を書いている。短く締めくくる事とした。

 そうは言っても、私がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 この一年、いつもと同じく「感謝」 で締めたい。


12/30(月)曇り・寒波 降雪積雪なし 年末休暇 重症患者対応 知人と会食
 1:30起床、徒然、文献読み。午前は適宜孫の相手。午後孫たち男鹿に。iPad mini息子から入手。きわめて便利。15:30-16:00 重症患者回診と対応。17:00-18:30遠来の知人と会食 19:00帰宅。20:15就寝。

この一年 わが家の動きを振り返ってみる。

 ■長女の年齢からみても妊娠する可能性が少ないと私は半ば諦めていたのであるが、無事に子供を授かった。高齢初産で、周産期にいくつかの困難があったが 中通総合病院の産科スタッフの緻密な対応があって3月下旬に無事女児が誕生した。その後も時々秋田に来るがすくすくと育っている。孫が振りまく笑顔は家中 を和ませてくれる。
 

 ■盛岡の孫二人も順調に・・というか個性豊かに成長している。年に何回かジジババに接する機会を作ってくれている。今回も昨日から犬の「あんず」を伴い 来訪、一泊して午後に男鹿に向かった。孫たちは会うたびに活動性が増し、言葉も、話す内容も豊かになってきてその成長ぶりに驚かされる。
 私は孫たちが来ると自室に避難し、適宜出て行っては相手し、また避難の繰り返しである。これが私にとっての精一杯の歓迎である。女の気持ちは私にははかり知れないが、 制御の効き難い孫二人と犬を毎日毎日見守りながら育てている嫁さんの姿にはほとほと感心してしまう。

 ■その他では、家内が4月頃一時体調を崩したが、無事復帰した。私も昨年の暮れは大病したが、今年は大きな健康上のエピソードは特別生じなかった。12 月初旬に定期的に行っている上部消化管内視鏡検査で小さな胃潰瘍が見つかったが、なんとか無事過ごせるようである。復帰してきた賄いの石井さんも元気に過 ごしている。飼い猫の「ユー」、外猫の2匹も元気である。

 と、言うことで、今年一年を「良かった良かった」で締められるのがうれしい。


12/29(日)年末休暇 風雪若干 重症患者対応
1:30飯川病院で起床、本読み、新聞PDF化、徒然。室内レイアウト変更、整頓。早朝から何度か重症患者対応、院長と相談中通の救急に。7:00検食、9:30中通総合病院へ、重症患者・家族対応。11:10帰宅。ドラマ「こうのとりのゆりかご〜赤ちゃんポストの6年間と救われた92の命の未来〜』他観る。18:00息子嫁孫来訪、19:00夕食、20:00就寝。 Σ2412Km。

2013年 私の自己満足的行動計画とその総括   
 新年に立てた、あるいは途中から開始した目標の達成程度を自己評価した。

■時間を自分のために有効に使えたか?-------------------満足度8割。
■惰眠をむさぼらなかったか----------------------------満足度9割。
■契約上の勤務------ 一日も休まず --------------------10割達成。

■契約上の勤務時間外の就業回避できたか------------------満足度9割。
■天候不順日をのぞく徒歩通勤---------------------------満足度9割。8か月間で2400Km歩行。
■簡単な筋トレ・ストレッチ----------------------------運動を歩行に任せたので満足度4割。

■重い荷物運搬時以外の院内は階段昇降-------------------10割達成。
■昨シーズンの路地の除雪------------------------------9割程度達成。
■英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ----------------成果は別にすれば9割程度。

■医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み------------------------満足度4割程度か。
■自室のミニシアターで録画の映画、ドラマ、音楽映像を視聴------6割達成。
■新聞4紙の記事を電子化ファイリング---------------------10割達成。

■録りためた歌謡曲7000曲ほどインデックス作成 -------------9割程度達成。
■録りためたラジオ深夜便「明日への言葉」聞き直し-----------9割程度達成。
■LPレコード1.000枚ほど全てに針を通す--------------------他のソース視聴したので1割程度。

■月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る------------------10割達成。
■徒然日記の連日更新-----------------------------------10割達成。
■健康管理面への配慮、注意など--------------------------満足度9割、ただし体重減ならず。
■対外的活動--------自分をリセットしたので寄付以外はほぼ0%、今期から賀状も失礼させていただいた。満足度は100%。

 今年も惰眠をむさぼらず、時間はまず有効に利用した、と総括する。いい年であった。


12/28(土)年末休暇 風・降雪数cm、重症患者対応 飯川病院日当直 
 1:00 起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。11:00車病院、重症患者対応と家族に病状説明1時間、12:30飯川病院へ、日当直。検食、患者対応3件。院長室に新規パソコンiMac27インチ導入、条件設定に難渋。18:00検食。20:30就眠。 Σ2408Km。

今年昇天し交換した家電;居間のTVと洗濯機
 今年、年末近くになってから二つの家電製品が昇天し、交換した。

■居間のHITACHI製TV(UT32-WP770B)
 居間のTVはまだ5年目であったが故障した。この機種はモニター部分と録画ハードディスク付きのテューナーが外付けとなっているタイプであった。結構気に入っていたのであるが、外付けの部分が故障した。数万円はかけるのであれば修理も不可能では無いとの事であった。
 私の別の録画システムはPanasonic製のBuru-rayを中心に組んでいるが、HITACHI製TVの録画機能間に互換性がなくこの面ではかなり不便していた。TVはモニターとしては問題なく機能するので私が書斎でパソコン用のモニターとして用いれば無駄にはならないからこの際買い替えることとした。

 今回はパナソニック製の液晶テレビを注文した。パナソニックはこの11月にプラズマTV業界から撤退した。もう一つ有機EL-TVも実用化困難としてSONYとの技術提携を解消した。大型TVはプラズマでしかつくれないとされ、有機EL-TVは高画質で期待され、巨額の設備投資をしたものの開発継続は困難と判断した、とのこと。今回のTV買い替えるにあたっては録画規格を統一することと、プラズマTV、有機EL-TVに夢をかけ多額の投資をしたパナソニックの技術力をたたえたいと思った。

 今回購入したTV(TH-L42FT60)はNet-TVと言っていい。インターネットにも簡単にアクセス出来る。私にはTVと思われないほどの高機能で、操作はそれなりに複雑である。私はまだTVのon off、NHK011チャンネルの選択しかできない。

 故障してくれたおかげで書斎のパソコンは23インチのモニターと33インチTVのダブル画面となった。TVのモニターの方は解像度に不満があるが、大画面上で操作できる魅力はそれを凌駕する。また、私のミニシアターのモニターにもなっているので暫時切り替えて蓄積してある録画データを視聴している。

■HITACHI製洗濯機(NW-7P5)
 我が家の洗濯機はHITACHI製で10年ほど前の製品である。風呂の残り湯などを吸い上げる機能があり、とても便利であった。
 洗濯の進行状況は液晶で提示されるが、一月ほど前に液晶の一部が見えなくなった。古いので部品なく修理不能だろうと諦めたが、運良く部品が見つかっり交換した。費用は7000円であった。

 液晶の交換から1週間、交換したばかりの液晶にバッチリと「意味不明のエラーコード」が提示され、ウントモスンとも言わなくなった。なじみの家電店に相談したところ、修理困難で、安全のためにも交換する方がいいとのことであった。家電の「長期使用製品安全表示制度」では洗濯機の標準使用期間は7年間で、補修用性能部品の保有義務の期間は製造完了後6年間となっている。ならばやむなし、と諦めた。ドラム式も考えたが高機能すぎて30万円ほどと高価すぎたので我が家には向かない。全自動洗濯機BW-9SVにした。費用はドラム式の1/3程度ですんだ。

 液晶の交換はいま振り返ってみれば「意味不明のエラーコード」を表示するためだけに交換したようなものであった。どうせなら一緒にだめになれば良かったのに、と思った。


12/27(金)曇り小雪 重症患者回診・対応 大曲外来 一応御用納め
1:30 起床、徒然、文献読み。6:45Taxi病院に。 重症患者回診・対応 他、徒歩駅に。8:06こまち、往路は徒歩。8:30-15:00大曲中通病院外来。16:50Taxi自宅着。ドラマ「こうのとりのゆりかご〜赤ちゃんポストの6年間』一部観る、各種データ整理、19:00夕食。20:30就寝。今晩から荒れ模様。

プリウスのスタッドレスタイヤを交換 タイヤノイズ大幅に減
 私のプリウスは初登録が平成17年11月である。だから、満7年である。日常、積雪期意外はたまに乗るだけだからメカニズムは殆ど異状なく走っている。特に困っている点はない。

 2年前の年末、家族が盛岡郊外にある鶯宿温泉に向かったときにホテル近隣の坂道を上れなかったらしい。他の車は上っていたと言う。その場はホテルの方の援助でなんとか切り抜けたと、当直で病院に残っていた私にメールで連絡があった。タイヤの所為だろう、と言われたらしい。そろそろ買い替えは必要とは思っていたが、私は何ら問題を感じていかった。何れ交換だ、と今年は夏も引き続いて使用した。

 11月に業務上でタイヤメーカーの一つであるブリヂストンの関係者と話す機会があり、冬用のタイヤについて相談してみた。メーカーによって若干差があるが、たとえすり減っていなくとも5年以上経過したタイヤは制動能力が大きく落ちており、交換の時期でしょうとの事で、私の近隣にある販売所を紹介された。

 数日後その販売店を訪れ、タイヤのチェックを受けた。溝は殆ど減っていないが、材質のゴムがかなり硬化しているために交換時期、と言う事であった。

 タイヤはメーカーによってそれぞれ特徴がある。量販店等で扱っている廉価のものは勧められない、メーカーによる機能差は明らか、かつ同じメーカーでもグレードによって機能にかなり差がある、との事であった。説明は専門的なデータでなく、iPadを用いて制動距離、コーナリングについて動画で説明された。私のプリウスのタイヤの機能はかなり劣化していると評価された。

 私は専門的知識は無いが、ここまで詳細な説明を受ければもう後には引けない。ブリヂストンタイヤは材質に発砲ゴムを用いており高価である。私の運転ならそれほど高級品はいらない。上から2番目のグレード品で交換した。交換費用を含め8万円であった。

 交換した直後、感じたのは路面からのタイヤノイズが1/3程度に軽減した事で、ノイズを嫌う私にとっては予想外の嬉しい変化であった。多分、タイヤが軟らかいからだと思う。12月11日に秋田でまとまった降雪があった。このときブレーキの効き具合をいろいろ確かめたが、体感上は制動機能はとてもいいように感じられた。

 冬季間、特に雪道での運転はより危険である。車自体に問題が無ければタイヤの機能が重要と分かってはいるが、ケチな私は劣化が明らかでなければ買い替えは消極的になる。今回、いろいろ多角的に評価され、納得して購入出来た。
 今期の雪事情はどうなるのだろうか。わからないが、タイヤを交換した事で心配の種が一つ減ったのは明らかである。


12/26(木)曇り 外来 映画「永遠のゼロ」 安倍首相靖国参拝
1:00起床、新聞、文献自炊、徒然ほか。7:00車病院。8:45-13:00外来。14:20−17:15東宝シネマズ、話題の映画「永遠の0」観る。ウイークデイにも関わらず駐車場満杯で驚いた。イオンの中で迷ってウロウロ。18:00帰宅。安倍首相靖国参拝を知った。新聞チェック、19:00夕食、20:30就寝。Σ2392Km。

映画「永遠の0」: 妻との約束「必ず戻ってきます・・」が全編のキーワード



 12月26日東宝シネマにて話題の映画「永遠のゼロ」観た。
 新年以降は私の勤務形態が変わるために午後の時間が自由にならなくなる。本日がウイークデイ午後に出かけられる最終の機会であった。

 『永遠の0』は百田尚樹の小説。原作は2006年に発表され、09年に文庫化された。その後、徐々に話題を呼び今でもベストセラーの上位を占めている。12年須本壮一作画で漫画版が発行された。本年12月21日より映画が公開された。
 ストーリーは、ある姉弟二人が自分の祖母の葬儀の際、母から「今の祖父は、亡くなった祖母にとっては二度目の夫で、自分の父である最初の夫は終戦間際に特攻で戦死した。今のおじいさんとは血がつながっていない・・」と告げられた。二人は実の祖父・宮部久蔵のことを調べ始めた。海軍従軍者達を訪ね歩くが、宮部久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」、「何よりも命を惜しんだ男」と言う蔑みの評価と、信念を曲げなかった勇敢な男であったと全く別の評価もありその人物像は調べるほど謎に包まれていった。
 零戦乗りとして凄腕の操縦術を身につけていた宮部久蔵は、卑怯者と誹られても、「娘に会うまでは死なない」と妻との約束を守り続けていた。上司からの評判は非常に悪く、「臆病者」と呼ばれていた。やがて、宮部久蔵は精神的に異常を来す。そんな宮部が終戦間際になって何故か特攻に志願し、卓越した操縦技術で砲撃をかわして米空母タイコンデロガに突入した、と言う。その出撃の際、後輩の一人に「私の妻を救って欲しい」と依頼した。
 この辺の主人公の発想はちょっと理解しがたい。

 この映画は2013年12月21日から全国430スクリーンで公開され、2日間の観客動員数約43万人だったと言う。
 撮影にあたり、零戦の原寸大模型を制作し、エンジン音は実存する零戦から収録された、と言う。これをもとにCG映像を作ったようだ。歴史の勉強過程で零戦関連の映画を多数見たがベストの画像となっている。

 主役の宮部久蔵役は岡田准一と言う俳優がつとめた。初めて観たが、実にふさわしいキャスティングだと思った。脇役にも夏八木勲を中心に、橋爪功、山本學、平幹二朗が出演し花を添えている。
 私は最近精力的に映画を観ているが、映像に関してはドキュメンタリー的部分には興味を感じるが、ドラマ部分にはまだ乗り切れないものがある。また、多くの戦争映画で上官が兵士を殴る場面が登場するが、私はそんな場面に嫌悪を感じる。これらの折檻、ビンタの場面が取り上げられなくなる時、静かに歴史を語れる映画になるのではないか?私はそう思う。

 私は漫画『永遠の0』から入り、折よく完成した映画を観、いま百田尚樹の小説の半分ほど読んでいる所である。これら3作品は作画、映画、小説が表現しきれなかった部分を見事に補い合っていると思う。


12/25(水)降雪3−4cm 外来
 1:00起床、徒然ほか。7:00車病院。回診、8:45−13:30外来。15:15車帰宅。新聞、文献チェック。映画「男たちの大和」、17:30夕食、20:30就寝。Σ2376Km。昨年既に7回目、今年はまだ1回と楽。

マスクの効能(2)マスク美人、目元美人  知らない人ほどきれいに見える
 病院の新築を機会に診療システム変更があり事務員が何人か外来に配置となった。彼女らは必ずマスクをしているから顔全体はよくわからない。多分私にとって初対面の人たちである。

 彼女らはいい目の表情をしている。総じて美人に見えるから不思議である。実際には目とか髪型、制服をまとったスタイルしか見えないから、本来は目元だけきれいと言うべきなのだろうが、全身的にとても素敵に見える、あるいは、きれいに感じるから不思議である。

 この方々のマスクを外した表情は見た事はない。まさか、「マスクをとって顔見せて・・」とは言えない。「セクハラ・・」、「エロジジイ・・」とか言われそうである。本当はいつか「エロジジイ・・」と言われてみたいのだがちょっと恐い。彼女らの顔はいつの日か見れるだろう、と楽しみにしている。

 この目元美人効果はマスクの効能の大きな一つである。
 ただ、このマスク美人効果は一部の人にしか現れない。もともと顔を知っているスタッフの方々には当てはまらない。これらの方ではマスクで顔を半分隠しても何ら変わらない。

 マスク効果は乏しい情報だから成り立つ、想像・妄想による美女像である。だから、女性は出来るだけすべてをさらけ出さないで見るものの妄想に任せている方が良いだろう。そのために身体にまとう衣装がある。私は素肌をさらす様な、スタイルをそのまま反映する様なファッションは一部の方々にしか似合わない、と思っている。想像・妄想も沸かない。その点、和服の効果は絶大である。

 イスラム教徒の女性はヴェール状の衣服を着用する。そのうちブルカは全身を完全に覆い、ニカブは目の部分だけは開いている。預言者ムハンマドが女性の美しさを隠すように求めたことから始まった習慣と言う。映画とかドキュメンタリーでこれらの服装をまとった女性を見る事が出来るが、目元がきれいは女性が多く、総じて美人に思えるから不思議である。ムハンマドはイスラム圏の男性どもに夢を与えたのかもしれない。

 なお、これは私の個人的な感覚である。


12/24(火) 曇り積雪1-2cm 外来
 1:00起床、文献チェックなど。7:00病院着、8:45-14:00外来、本年最終週の外来で混雑し大変。患者も大変。15:30帰宅、本読み他、新聞、映画「男たちの大和」、19:00夕食。20:00就寝。Σ2372Km。

マスクの効能(1)私も癖になって手放せない
 最近医療スタッフはほとんどがサージカルマスクをかけている。患者に直接コンタクトする事のない事務職員までかけている。しかも年間を通じてかけている。これはもう感染と関連無い一つの習慣になっている。何かメリットはあるのだろうか。化粧を減らすとか・・。病院の経費も相当な額になるが、感染予防の面から負担せざるを得ない。

 かつてのマスクはメーカーによってフィルター効果はバラバラであったが最近のはかなり改良されている。しかし、いかに良いマスクであってもよほどしっかりと顔面にフィットさせなければ疾患の予防効果はない。面白いのは、町中で歩行中の人、ジョッギングの人もかけていることである。これなど殆ど意味がない。多くの方の着用の状態はゆるくて不完全で、マスクを通さない空気で呼吸している。顔面にマスクが付いてあるだけ、である。

 マスクの効用は第一には咳を伴う呼吸器系感染症の時に飛沫を飛ばして病気を人にうつさないためで、基本的には「咳エチケット」と言われるがこの効果は結構大きい。一方、インフルエンザ等の感染症の予防にはあまり役に立たない。

 そういう私も院内では必ず装着しているが、その目的はいろいろである。少なくとも「咳エチケット」の意味は私には殆どない。

■診察時に患者のつば等を浴びて不快な思いをするのを防げる。間接的に感染予防には若干役立っているだろう。耳の遠いお年寄りの診療時には必須である。
■かつて爪楊枝をかみながら診療して先輩医師に注意された事がある。爪楊枝は私には気を鎮める効果がある。マスクのおかげでまた悪い癖がでた。誰も気づかない。
■髪はボサボサ、ヒゲは伸び放題だから、そんな顔面を患者にさらさないで済む。
■表情も若干隠せる。
■冬場は暖かい、などなど・・・

 私にとってはマスクの良い事ばかりである。私は3−4枚のマスクを毎日取り替えて使っている。殆ど補充の要はない。消毒を兼ねて完全に乾燥させている。汚れれば取り替えるが一枚のマスクは数ヶ月持つ。だから、病院に負担にもなっていないはずである。

 サングラス、ノイズキャンセリングヘッドフォン、マスクは今の私にとっては手放せないアイテムであるが、これを一度に全部つけると変質者に見えるらしいから控えている。


12/23 (月)天皇誕生日休日 曇り寒波 休寳寺法要
 1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。午前は風除湿整理、廃棄物のまとめなど。11:00-14:00休寳寺法要、午睡若干、本読み中心。19:00夕食、20:30就眠。Σ2366Km。

歌謡曲の魅力2013(12)島倉千代子死去 私にとってひばりと双璧だった 歌手の島倉千代子死去した
 私は子どもの時から歌謡曲が大好きである。 今年の6月下旬から数年来録りためたラジオ深夜便の歌謡曲にインデックスを付けるために集中的に聴き直している。多分6000曲は聴いている。島倉千代子の歌も頻回に特集が組まれ、楽しんでいた。
 そんな中、11月8日に夕方に亡くなったとのニュースを聞いた 享年75歳。

 島倉は1955年16歳で「この世の花」で歌手デビューした。当時私は10代でよくわからないが、島倉の歌は好きだった。さわやかな済んだ細めの声、語りかけるような優しげな日本調の歌、母親のような優しさのあるイメージで、その歌唱はずっと今まで私を魅了した。好きな女性歌手をリストしてみて、と問われれば数番目には挙げるだろう。考えようによっては美空ひばりと両雄ならぬ両雌であった、と言っていい。ただ、ここ10年ほどは「かつてのヒット曲」を歌う島倉の姿、歌は私にはとても痛々しく感じていた。

 私が聴きなじんだ島倉のヒット曲は枚挙にいとまが無い。「この世の花」、「からたち日記」、「襟裳岬」、「本気かしら」、「愛のさざ波」、「隅田川」、「りんどう峠」、「鳳仙花」、「この世の花」、「夢飾り」、「人生いろいろ」、「くちべに挽歌」「・・・」と幾らでも挙げられる。

 新聞紙上はどの紙もほぼ共通で「波瀾万丈の私生活」との記述があったが詳細は不明。ただ人が良く騙されやすい性格だったらしい。子供のときにうけた怪我で輸血、C型肝炎を患い、3年前からは肝がんの治療を受けながらの歌手生活だった。「人生いろいろ」を地で行ったとの評価もあった。

 驚くのは死の3日前に自宅で「からたちの小径」をレコーディングしたと言う。死の瞬間まで歌手であり続けた。私の理解の域を超えている。
 正岡子規は死の10数時間前まで短歌を詠んでいる。ドイツの作曲家ウエーバーは喀血をしながらも五線譜に向かい、譜面は血だらけだったと言う。島倉の最後のレコーディングの話を聞いてこの二人の事が頭をよぎった。
 芸名なので敬称は付けなかった。遅まきながら心からご冥福を祈りたい。


12/22(日)冬至 夜間に3−4cm降雪 飯川病院日直
 1:30起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。7:30病院、重症患者回診、8:20-17:00飯川病院日直。17:30帰宅。読書、データ整理など。19:00夕食、20:30就眠。

四季2013(3)冬至:これから日ごとに明るくなって行く 
 本日は日曜日、飯川病院の日直であった。日直医には検食として昼食がでる。本日のメビューに小豆カボチャがでた。そろそろだと思っていたがこれで本日が冬至なのだと気づいた。

 帰宅後、夕食前に入浴したが湯船の中に柚子が2ヶ浮いていて、ほのかな良い香りが漂った。わが家の夕食にも小豆カボチャがでた。
 我が家の食事を含め家事の大部分は、約40年にわたり賄いの石井さんにお願いしてきた。高齢となって昨年夏一旦退職して北海道に戻ったが、長女の出産を機に春から復帰し我が家で同居している。昔ほどの働きは期待出来ないが、家事、留守の一部でも担ってくれて有り難い。

 彼女は古い女である。年中の、あるいは季節毎の行事を大切にしてくれる。我ら夫婦だけの生活であれば、恐らく一切を無視した淡々とした生活になっているだろうと思う。  
 我が国の風習として、古くからこの日は各家庭で「冬至かぼちゃ」を食べて金運を祈り、「ゆず湯」に入って無病息災を祈願する習慣が伝わってきた。なかなかいい習慣である。

 昨年の石井さんの退職を機会に、家の掃除・家中の整理・ゴミの搬出、コンポストの管理、花壇・畠などのメインテナンスは私の担当となった。結構マメにやっている。粘着テープのコロコロは身近に4ヶ吊るしてあり、適宜床面を掃除する。見た目はそれほどでなくとも毎回驚くほどゴミが付着する。だから楽しい。

 私の活動時間は深夜から朝にかけてがメインである。 週3−4回の秋田市のゴミ集積所への搬入は規則では6:00am以降となっているが、5:20amから搬入しでいる。出勤時間が早いためと近隣の方々に会いたくないからである。11月末から12月末までは真っ暗な中での作業となる。ちょっとした距離であるが、足下が悪い時には懐中電灯が必要である。
 夕方は16:30頃から暗くなる。歩いて帰宅する時は懐中電灯で足下を照らさないと危ないし、背部のリュックには点滅する自転車用のテールランプをつけて歩く。

 本日以降、日脚は徐々にのびていく。一週間単位くらいで見れば夜が明けるのが早くなっていくのを実感できる。冬至を迎えたといえども、気温・降雪などまだまだ厳しい季節が続く。今年の降雪はどうなるのだろうか心配である。

 それでも本日、少しずつ夜明けが早まっていく端境の日をを迎えたのが嬉しい。


12/21(土)曇り一時晴 新旧除雪機整備
1:40起床、内容的には同じであるが、3連休で時間的に余裕。じっくり本読み、医学文献読みなど。午前は主にデスクワーク.午後は新旧除雪機整備を中心にガレージ、物置整理。 来週廃棄予定の大型の廃棄物選択。一昨年は本日除雪機初稼働、昨年は既に5回除雪、今年は一週間前に一回のみ。マウンテンバイク小屋の2階に。映画「探偵物語」終了。新聞など。19:00夕食。20:15就寝。Σ2355Km。

アベノミクスと農業2013(5)拙速な減反政策は危険でないか
 いま変革をしようとしている減反廃止を伴う農政改革は持続可能な成長戦略と言うもののTPPとリンクしている事は明らかである。
 TPPは年内の妥結には至らなかった。コメなどの重要5品目の関税維持を求めるわが国と米国との交渉は難航した。わが国は農産物の関税維持を国会で決議してTPPに臨んだ。安倍首相の国民に対する約束もある。現時点迄の交渉状態を見ても関税維持のハードルは高い。もし、我が国が条件をかたくなに要求し続ければTPPから外される可能性もあるし、撤退しすれば食料の輸入は困難になる。米国の要求をのめば、安倍首相は国民に嘘をつく事になる。どっちに転んでも結果は厳しい。

 日本の農業分野の改革は成長戦略ととらえても、TPPへの対応と考えても避けては通れない問題である。

 減反政策は平成18年をめどに無くなる。大規模化を目指す生産者に生産枠を大きく配分出来る。生産数量目標の配分を廃止し、減反参加農家への補助金を半減し、18年度からゼロにする。一方、飼料米などの転作には補助金を増額する。米価の価格下落に伴う収入源には収入保険を導入すると言う。内容的には門外漢には理解困難な部分もある。農家の方々はなんと考えているのだろうか。

 減反政策には問題がいろいろある。とても重要であるが、市場原理を重視した政策を直ちに持ち込む政策は、国際的な競争力を強化するどころか破壊する危険性を孕む。

 減反政策で我が国のコメの価格は高く維持されている。減反の補助金で5000億円、消費者はのコスト負担が5000億円、その他コメの価格維持のために国民は1.8兆円ほど負担している。
 これらのセフティネットが乏しくなって行く状況は農家を不安にさせ萎縮させる。農地を集約して規模拡大が必要とわかっていても土地購入や機械の購入などの新たな負担に耐えられないのではないか。コメ離れに加えて、安いコメを購入する低所得層が増え、購買力低下し、ブランド米は残りつつある。

 減反廃止政策で農家は収入のいいコメを増産するだろう。結果的にコメの価格は下がることになる。しかも、供給過剰となり農家の競争は激化する。TPPによる自由化はさらにこれに拍車をかける。

 農家のもう一つの選択として、価格がコメの1割程度であるが大幅な補助金によってコメと同程度の収入が得られる飼料米への転作をはかる道もある。これでコメは価格を維持出来るが、飼料米が増産されれば補助金は膨大なものとなる。畜産農家にとって飼料米は人気がない。だから、飼料米も余る可能性が出てくる。
 さらに、美味しいコメの生産、安全なコメの生産にいそしんで来た農家は、生活のためとはいえ飼料米の生産に意欲的に取り組むだろうか。

 減反廃止等の政策に対し、農業の将来について現場の方々はどう考えておられるのだろうか。声が小さいような気がする。


12/20(金)曇り時に降雪 大曲中通病院外来
1:00起床、本読み他いつもの如く、5:30家庭ゴミ集積所に。7:40Taxi駅に、8:06こまち、大曲に。8:50ー15:00大曲中通病院外来、混雑。15:17こまち、16:30Taxi帰宅、映画「探偵物語」、新聞等、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2346Km。

ベネズエラの音楽教育(2)児童教育に参考になる
 ベネズエラでは1975年から「エル・システマ」と称される音楽教育が国家プロジェクトとして行われ、全土で約50万人の子供たちが参加している。
 対象児童は主に貧困層の子たちで、音楽教育を通じて貧困層の子どもたちの成長をサポートする。ストリート・チルドンレンたち(麻薬密売や強盗の経験者も多数)を含む子供たちに対し、無償で楽器提供や音楽指導を行い、集団での音楽体験をはじめ様々な教育的サポートを通じて、非行や犯罪から守るという画期的な試みだ。

 ベネズエラのエル・システマの持つ意味は、音楽を経済的発展を背景とした、より贅沢な趣味としてとらえるのではなく、人間が持つ普遍的な活動を展開するのための文化的活動としてとらえているところにある。
 
 この音楽教育法はいささか乱暴である。まず理屈抜きに楽器を与え、未熟なうちからすぐにオーケトラにも参加させる。ここでは少し進んだ子供が下の子供を教え、ともに技術を高めながら演奏すると言う方式をとっている。そこでは対話が生まれ、共に価値観を共有しながら演奏すると言う人間関係が生まれる。成果主義を求めるエリート教育ではないために落ちこぼれも無い。音楽と言う分野で価値観を共有しているからいじめも無い、と言う。

 今ではあらゆる階層の人々によって音楽が共有され、生きるための共通の糧として役立っている。

 2008年、エル・システマに属するオーケストラから選抜された奏者で構成される「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」が、初の日本公演を開催、ユース・オケとは思えない優れた演奏能力、音楽性が大きな話題となった。
 本年10月、「シモン・ボリバル」の1世代下にあたる14歳から22歳までの計175名の若者たちで構成された「エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス」の初来日が実現し、「世界的平和を希求する」活動として広島公演も行われた。

 ベネズエラは南米コロンビアの隣にある国。日本の2.4倍の面積を持ち、人口は3000万人。貧困問題を背景に政治的混乱があり、貧富の差も大きい。貧困層の子供たちにまで麻薬が浸透し教育も十分なされていなかった。1999年貧困層の圧倒的支持を得てチャベス政権が誕生、新憲法制定を始めとする抜本的な政治改革を実行し改善が図られた。鉱業(石油、鉄鉱、ボーキサイト)、石油化学、製鉄、アルミ製錬 が主たる産業で失業率は8.0%程度である。

 駐日大使の石川氏は「惨めな状態とは貧しさだけを言うのではない。社会において孤立している事が一番の問題。子供たちが時間をどう過ごすかが重要で、ゲームや麻薬は孤立を意味するが、オーケストラの一員になれば200人のチームワークが生まれます。」と述べている。

 「音楽を通して他者とふれあう事、対話する事」を目的とするこの貧しい国の教育方針は、成果主義を重視し、子供たちを萎縮させ、孤立させがちな、豊かな国日本の教育関係者が参考にすべきだろう、と思われる。
 参考文献として「世界で一番貧しくて美しいオーケストラ」 トリシア・タンストール著 原賀真紀子訳 東洋経済新報社 1800円が出版されている。


12/19(木)曇りのち晴れ 外来
1:00起床、徒然。今年の文献・録音データの整理・処理など。5:30資源ゴミ集積所に廃棄。7:00車病院に。回診、8:40-13:00外来、混雑、疲弊。15:20車帰宅、明日御所野に出す大型の廃棄物用意。新聞、文献読みなど。19:00夕食。20:00就寝。

ベネズエラの音楽教育(1)オーケストラがザルツブルク音楽祭に登場
 私は午後の一時間ほどDVDやブルーレイディスクに録画して蓄積しておいたを映画やドキュメンタリ−、音楽番組を楽しんでいる。音楽分野はいまのところ N響定期演奏会中心に聴いている。

 先日、 NHKプレミアム・シアターという番組で、 2013年7月24日ザルツブルク祝祭大劇場で収録された演奏記録を見た。N響は今年初めてこの音楽祭に招聘され、シャルル・デュトワ指揮でベルリーズの幻想交響曲、武満のノヴェンバーステップス他を演奏した。

 N響の演奏も楽しめたが、私が驚いたのは引き続き放送されたベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団(旧シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ)がG・ドゥダメルの指揮でマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」の演奏である。
 
 正直、なんで?ザルツブルグ音楽祭に南米の小国ベネズエラの交響楽団が??しかも、いきなりマーラーか、というのが聴く前の私の感想であった。聴いた結果、ちょっとバカにしていた事を恥じた。無知であった。

 ベネズエラでは1975年からエル・システマと称される音楽教育が国を挙げて行われている。何かの本で読んでいた。この交響楽団は1999年に設立された、若いオーケストラである。ドゥダメルは1986年生まれ、エル・システマによる教育を受け、めきめき頭角を現し、2009年からはロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督になっている逸材である。

 「千人の交響曲」は祝祭劇場の広い舞台に、合唱団、オーケストラ、声楽ソリストたちが所狭した並んだ。演奏の内容については私はコメント出来ないが、最後の盛り上がりは凄まじく、凄いスケールだった。

 「エル・システマ」はベネズエラ全土で約50万人が参加し、450のオーケストラが作られている。対象児童は主に貧困層の子たちで、楽器も受講料も無料で先住民の小さな集落、刑務所や病院、障害者施設にも大小さまざまなオーケストラが作られている、と言う。

 ベネズエラのエル・システマの持つ意味は、孤立させないよう、人間同士の会話を通じた人間教育にあると言う。我が国の教育にも参考にすべき点があるように思う。


12/18(水)曇り 外来 
1:10 起床、文献読み。蓄積データ処理。7:00車病院着、回診。8:40-13:00外来、混雑した。15:00帰宅、新聞文献読み、録画で今年のザルツブルグ音楽祭の記録を観る。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2332Km。


今年の漢字(4) 詐欺罪なのに誤表示と済ます当事者、それを見逃す社会
 日本漢字能力検定協会が発表した「今年の漢字」が「輪」に決まった。私は「偽」が良かったと思う。

 2007年は偽装、偽表示、隠蔽等の「偽」が発覚した年で「今年の漢字」は「偽」であった。同じ漢字が2度選ばれたのは過去にもあるから不自然ではない。2000年にはシドニー五輪の日本選手団の活躍、朝鮮統一に向けた金ー金会談、金環日食などで「金」、2012年にはロンドン五輪で史上最多のメダル獲得などがあって「金」が選ばれている。

 私のスクラップ集のうち2013年分に「誤表示、偽装、隠蔽、発覚」をキーワードに検索をかけてみた。以下の事件・事象がピックアップされてきた。多すぎて詳細は上げられない。

■芸能人二人謝罪会見 みの&板東、■日展不正審査問題、■徳洲会 選挙違反、■特養 虐待、■いじめ・体罰・自殺関連、学校教育委員会が事実隠蔽、■高血圧関連薬剤薬効偽装、 ノバルティス社の提供資金4736億円、■患者金づるに・過剰診療、■税と社会保障の一体改革は一体どこへ? ■特養 虐待死 3年後に逮捕 ■汚染水タンクずさん管理■ストーカー被害者の訴え無視、■高速増殖炉もんじゅ安全点検漏れ発覚、■安愚楽牧場 詐欺事件、■バス運転手飲酒検知検査で不正発覚 ■秋田書店の景品発送の水増し発覚 ■質屋偽装で高齢者から不当融資強要、多数の被害発覚、■飛ぶ野球ボール、コミッショナー公表隠蔽 ■柔道会体罰関連不祥事 ■JR北海道、線路幅のデータ改ざん隠蔽、■クール宅急便クールでなかった、ヤマト1522拠点で違反発覚、■カネボウ化粧品の副反応隠蔽で被害拡大、 ■東電の原子力発電所の定期検査偽装、下請け作業員数偽装、■楽天市場でのイーグルス優勝セールでの不当表示・偽装、■猪瀬知事5000万円不正授受、強弁のうえ辞任、■その他多数・・・・・

 今年は誤表示、偽表示,虚偽表示が随分話題になった。圧巻は猪瀬知事の何だか分からない借金問題。多分これは収賄罪に発展していくと思われる。

 ただ、私のデータから見ると今年が特に多かった訳ではない。私のスクラップブックは2000年以降分はスキャナーで電子的に蓄積している。内容は全く個人的好みによって項目を選んでいるが、「偽装、隠蔽」関連の記事は興味を持って蓄積して来た。どうして人は組織に属すると個人の時と価値判断が異なるのか、その辺の事が興味があるからである。

 試しに期間を設定せずに上記の検索をかけたら13年間で1000件以上と表示された。要するに項目は異なるが類似の事件は珍しい事ではない。

 食品表示についてみると「誤表示」って何なんだ、と思う。今年の流行語にしても良いくらいである。なぜ「偽表示」、「表示詐欺」、「表示偽装」でないのか?「誤表示」は善悪を覆い隠す、責任の有無も覆い隠す絶妙な表現である。「誤表示」と表現することで事実を隠し、かつ事を曖昧にしようとする「二重の隠蔽意思」がうかがわれる。社会もそれを受け入れているのが不思議である。脂注入肉、粘着剤入りのローストビーフ、マグロの赤身をトロ化する等は詐欺行為、犯罪行為である事は明らかである。

 当該企業を法では追求できないらしい。各企業は「誤表示」で儲けた分自己申告して復興資金とかに寄付すれば良い。その時点で今回の問題はチャラにして良いと思う。
 私自身にも「誤表示」的に事を無難に乗り切った事はゼロではない。それどころか数多くある。懺悔の気持ちを持って私は退職後収入の2割を岩手の復興費用に寄付している。


12/17(火)寒波緩む 曇り降雨 外来
 1:20 起床、読書、文献チェックなど。7:00病院着、回診。8:45-13:00外来。事務処理若干、16:00帰宅、金属類廃棄準備。本読み、室内自転車。19:00夕食、20:45就寝。

今年の漢字(3)「輪」 今年も2007年に引き続き『偽』にして欲しかった
 その年の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」が「輪」に決まった。 日本漢字能力検定協会が発表し、清水寺の森清範貫主が縦1.5m、横1.3mの和紙に特大の筆で「輪」と書き上げた。この行事は阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件などがあった1995年から始められている。 

 候補の漢字は公募された。協会によると、17万290通の応募がありで、トッブの「輪」は9518票だった。以下「楽」>「倍」>「東」>「風」>「決」>「今」>「偽」だったという。
  2013 年は、日本中が「輪」になって歓喜にわいた年ということで、東京五輪招致決定、楽天優勝などをあげた票が多かった、と言う(日本漢字能力検定協会)。

 で、私は「輪」も悪くはないが、あまり良い選択だったとは思えない。公募の結果で恣意的選択ではないからやむを得ないが、私は8番目の「偽」が良かったと思う。尤も、「偽」は2007年に既に一度選ばれている。この年も今年と同様、身近な食品から政界、スポーツ選手に次々と偽装、偽表示、隠蔽等の「偽」が発覚した年であった。

 当時のことを思い出す為に、私のスクラップ集のうち2007年分に検索をかけてみた。以下の事件・事象がピックアップされてきた。

■年金加入記録不明5000万件発覚、
■滋賀原発臨界事故隠蔽、
■中国食品甘味料に有毒物質使用、
■食肉偽装、豚肉等混入を100%牛肉と偽装表示、
■安倍首相理由明かさず突然辞意表明、
■時津風部屋力士死亡は虐待暴行死、
■五輪金メダルのジョーンズ、薬物使用でメダル返上、
■製菓の不二家、期限切れ材料使用発覚
■白い恋人、賞味期限改ざん問題、
■伊勢の赤福もち、原料再利用発覚、
■秋田比内地鶏偽装表示販売、
■・・・。

 これだけまとめてみると,2007年に「偽」が選ばれたことは納得できる。

 ところで,今年であるが,誤表示、偽表示,虚偽表示が随分話題になり,かつ猪瀬知事の何だか分からない借金問題、これは偽証にあたると思うが、これらが明らかになってきているのに「偽」のランクが8位であったことの方が驚きである。
 私の感覚では「偽」より上位に入った漢字は世相を表していない訳ではないが、「今年の漢字」に相応しいとは思えないものばかりである。日本人は怒り,憤りを感じない国民になってしまったのかとさえ思う。


12/16 (月)曇り・寒波 外来 
 1:00飯川病院にて起床、文献・新聞チェック、読書。7:00検食兼朝食。8:15病院へ移動。8:45-13:00外来、年末に向かって混雑し始めた。疲弊した。回診、関連書類作成。15:00帰宅、15年使用の洗濯機昇天す。購入検討。録画で時事問題討論会、映画「余命一月の花嫁」前半見る。読書、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2318Km。

私は3種の湯たんぽを用いている。

湯たんぽ、湯湯婆(3) 冷える日は胸に一つ、足下に一つ、布団に一つ
 秋田の冬は寒い。冷えた部屋で布団にはいるにはちょっと勇気がいる。対策として電気敷布や電気毛布を用いたことがあるが、私は湯たんぽを好む。
 10数年はもっぱら子供達が用いたキティちゃんなどのキャラクター入りのプラスティック製の湯たんぽを用いていた。2007年に陶器製の「湯たんぽ」を買った。子供の頃に用いてたのと同じでとても懐かしい。

 「湯たんぽ」は中国で唐の時代から使われ、陶器製で「湯婆子」や「湯婆」と呼ばれていた。日本に伝えられたのは室町時代とされている。よく知られている波形のブリキ製のものは意外と新しく、昭和初期以降に造られ、軽量・丈夫・安価なことから普及した。安価ならぬアンカ(行火、足炬燵)はルーツはわからないが、ちょっと大型で熱源として木炭や豆炭が用いられていた。最近は電気式、蓄熱式などがある。アンカを更に小型化したものが携帯用のカイロである。それもホッカイロに替わった。時代は流れる。

 古いデータであるが、湯たんぽの出荷数は2004年までは年間100万ヶ程度であったが、可愛いデザインのプラ製のがヒットし08年度で890万ヶまで増え、いまも結構売れているという(安全協会)。 湯たんぽは時代を超えて生きている。

 私が書斎として用いている部屋は北側に面しているために冬期間はよく冷える。昨年まではリンゴや米などの食料庫代わりにされ、物置になっていたが、今春からは帰宅時間が早まったこともあって書斎として用いている。デスクワーク、読書、音楽・映画鑑賞、運動、楽器練習などに用いている。
 問題は寒さ対策である。11月からは湯たんぽを足袋に一つ、腹に一つ抱える。そうすることによって小さな温風ヒーターの設定温度は14−15℃でも何とかなる。

 一長一短がある。陶器製のは割れやすいのが難点。今のは3個目。一つは落として割った。二つ目はガスレンジで温めたら割れた。もっぱら寝るときに用いる。ブリキ製のは直火で暖められるのでとても便利、足用である。プラ製は軽くて胸や腹を暖めるのにとてもいい。

 湯たんぽを用いると50年も前に飼っていたネコの温かさを思い出される。
 


12/15(日)降雨曇り 重症患者回診 飯川病院当直
 1:00起床、新聞チェック、読書、徒然などいつもと同じ。11:00大久保医師法人との合同葬(欠)。16:00重症患者回診、17:00飯川病院当直に就く。18:00検食兼夕食、19:30就寝。初めてエアコンを暖房として数時間用いた。快適であった。

アベノミクスと農業2013(4)政権再交代から一年 今度はTPPとリンクした減反政策 
 昨年の日曜日の16日に第46回衆院選が行われ自民党が単独で過半数を大きく上回り、政権奪還を果たした。民主党は公示前は230議席であったが60議席で、3年3カ月で政権の座を降りることになった。 26日に自民党の安倍総裁を首相に任命された。

 劇的な結果をもたらした選挙であった。政治史に刻まれるであろう。しかし、私にとってもうあの日の事はそれほど記憶に残っていない。その後の首相の動きが目立つからである。
 あえて記憶を引っ張りだすと、政権与党であった民主党は230議席から60議席に、菅前首相は小選挙区で落選、落選すれば戦後初の珍事となり得たが比例でやっとのこと当選した。現職閣僚のうち、田中文科相他8人が落選した。

 昨年9月に自民党総裁になってからの安倍氏の言動は随分目立った。すっかり自民党の顔になった。強い日本、領土問題での強硬姿勢を述べていた。経済対策ではデフレ脱却を主張してきた。時には言い過ぎではないのか、勇み足でないのかとさえ感じた。
 本年7月の参議院選挙で自民党の大勝をもたらし、6年前に自ら招いた「ねじれ国会」に終止符を打った。その後はやりたい放題?かなと思う強権である。ねじれ解消は国民が判断したこと。安倍首相の政権運営は間違いではない。野党、国民も遠吠えするだけの観がある。もう少し聞く耳を持って欲しいし、説明を尽くすべきだと思う。

 この10月には来年4月からの消費税増税8%を表明、12月上旬には秘密保護法の強行採決した。その直後の支持率は若干低下気味であるが、それでも首相の勢いは止まらないだろう。今度は農業問題である。

 消費税増税と社会保障改革はリンクしている。だから、やらないわけにはいかなかった。秘密保護法は同盟国である米国との情報共有を促進するための日本版国家安全保障会議(NSC)とリンクしている。だから、やらないわけにはいかなかった。

 いま大きな変革をしようとしている減反廃止を伴う農政改革はTPPとリンクしている。
 TPPは年内の妥結には至らなかった。コメや麦、牛・豚肉、乳製品、甘味資源作物の重要5品目の関税維持を求めるわが国に対し、全品目の関税撤廃を要求する米国との交渉は最後迄溝が埋まらなかった。ニュージーランドやカナダとの2国間協議でも関税撤廃要求は強かった。なかなか大変な状況にある。わが国は農産物の関税維持を国会で決議している。安倍首相の約束もある。現時点迄の交渉状態を見ても関税維持のハードルは高いままである。

 ここ迄くればTPP参加を見送ると言う選択もある。
 TPPはまだ行き先不透明である。もし、TPPから撤退するとすれば食料の輸入は困難になっていく。どちらにしても今後の日本の食料事情を見れば、農業分野の改革は避けては通れない問題である。


12/14(土)曇天寒波 雪対策
1:00起床、何時もと同じ。文献検索、徒然他。午前はやり残した庭の除雪、車、植木など雪対策。ガレージほか掃除。自転車しまう。午後は外猫の防寒対策など。録画でN響定期公演数回分聴く。19:30夕食、20:30就眠。

アベノミクスと農業2013(3)八郎潟干拓事業に見る農政の変遷
 戦後日本の農政を振り返ると、GHQによる農地解放により農地が分散した。その事で多数の小規模農家が生まれた。当時としては大改革であった。結果として、日本のコメ作りは小規模農家の働きに依存してきた。農業問題が論じられるようになってから約50年間、農業行政は小規模兼業農家問題を中心に論じられてきた。

 小規模農家では機械化の進展、肥料の購入量の増加などから収入が少なくなり、兼業でなければやって行けなくなった。 一方、農作業の機械化は小規模農家が抱えていた潜在労働力であった息子・三男達は大都市に出て日本の高度経済成長の、マンパワーの供給の一翼を担った。

 工業分野を中心とする高度経済成長によって日本は経済大国化したが、相対的に農家の収入は減少した。時の流れは皮肉なものである。
 貿易収支の黒字化は、その代償としての農産物の輸入自由化が求められた。多彩な輸入食材の普及もあって食文化が大幅に変化し、消費者のコメ離れにつながり、コメ余り現象が顕在化した。生産調整の名のもとに、1970年以降、減反政策が推し進められた。

 日本の農業政策、コメ政策の変遷は秋田の地で行われた国家的プロジェクトである八郎潟干拓事業に見る事が出来る。その足跡に日本の農業政策の縮図があるように思える。  
 
 第二次世界大戦後、日本は深刻な食糧不足となった。政府は農地を拡大し、食糧を増産する計画を立て、全国各地で開拓や干拓を行った。その一つが八郎潟の干拓事業である。琵琶湖に次ぐ国内第2の湖を干拓し、1戸あたり数ヘクラールの大区画農場、ヘリコプターや大型コンバインを利用した大規模な機械化農業を目指し、日本の近代化農業のモデルとなる事業であった。建設計画は1952年から、巨大工事が始まったのは1957年、干拓事業が終了したのが1977年、実に20年におよぶ大事業であった。

 しかし、この20年間に日本は高度成長を遂げた。結果として食糧事情は変わった。工事を進めている一方で、1970年以降、減反政策が推し進められた。八郎潟干拓は50数年経った現在から見ても、コメの増産計画、農業の大規模化を視野に入れた当初の目的は妥当だったと思う。だた、問題点は、当時、時代の流れを読み切れなかったところにあるのではないだろうか。

 TPP問題に関わらず、コメ以外も含めた農業が一つの産業として成り立っていくうえでは、大規模化、法人化などの万向性が必要であることは間違いない。八郎潟干拓事業はそのモデルであった。TPPは日本の農政にとって大きなきっかけとなる。


12/13(金)降雪積雪15cm 除雪機初稼働 大曲外来 上部消化管内視鏡検査
1:00 起床。夜半ずっと降雪続く。文献検索、徒然他。5:00−6:00除雪、6:00家庭ゴミ収集所に。その後も積雪続く。7:00Taxi来るもスリップして困難。7:40駅着8:06こまち。8:50大曲中通病院。上部消化管内視鏡検査、胃潰瘍があった。9:15-15:00大曲中通病院外来。17:00帰宅、秋田市の積雪は35cm。道路と我が家の雪が近所の方が寄せてくれたとの事。読書、新聞PDF化。19:30夕食。20:30就寝。

四季2013(2)ついに、私にとっての冬が訪れた 
ついに、私にとって冬が訪れた。私にとっての四季は暦上のそれとは異なる。勝手に以下のように分類している。
■春 除雪が不要になる時期から桜が散るまで(約2か月)。
■夏 桜が散った時期から8月13日まで(約3か月)
■秋 8月14日から降雪時期まで(約4か月)
■冬 除雪が必要になる時から不要になるまで(約3か月)

 今年は本日12月13日が私にとっての冬の始まりとなった。11月下旬以降2−3回路上に1−3cm程度の冠雪があったが除雪する必要がなかった。だから、寒かったがまだ秋であった。

 今朝は昨夜から降雪、強風、雷鳴などあり5:00の段階で15cmほどの積雪となった。除雪が必要であった。だから、本日から冬である。今朝は5:00-6:00までの除雪を行った。いつもより早くて近所迷惑だと思ったが初回だから機械の調子も分からないから早めに始めた。途中雷鳴がひどく恐怖を感じた。今朝の降雪は結構厳しく、最初に除雪した区域にはもう数cm新雪がつもった。

 私が好きな季節を順に並べれば、夏>春>冬>秋である。
 私は炎天の快晴が続く真夏から残暑が続く間の気候が最も好きである。この時期と除雪を通じて雪と格闘する季節を中心に一年が回る。

 秋も深くなると毎日右肩下がりに気温は下がり、山々の木々は美しく紅葉し冬に近づいていく。木々には果樹が実り、市場には豊かに果物が並ぶ。良い季節である。それでも嫌である。 私は身体的に寒くて、辛くて秋が嫌なのではない。 今年はどんな冬になるのか、雪が多いのか少ないのか、期待と不安がウジウジと錯綜する毎日である。だから、あまり好きでない、と言う事である。

 除雪が必要なほどの雪が積もってしまうと、もう迷いは無い。早朝から心は外に、雪に向かい、除雪を何としようかと考える。気力も充実してくる。

 何で私が秋を、冬を、雪を、除雪をこんなに意識するかと言うと、私の住居は細い路地の突き当たりにあるからで、自発的に約50mほどの路地を除雪するからである。除雪機は新雪には良いのだが踏み固められた雪は得意ではない。だから、車がまだ通らない早い時間帯を選んで開始する。今朝は5時に開始した。

 さあ、冬が来た。今年は降雪はどうなのか。来年3月上旬迄、私は雪と戦い、戯れる。


12/12(木)降雪数cm寒波 外来 祖父命日
0:10起床、新聞。文献読み。農業問題の文献読む。 降雪7cmほどで歩行難。7:45バス利用にて病院着,今までで一番混雑。回診他。8:45-13:30外来、人間ドックデータ整理、15:15車、宅。映画「太平洋の翼」後半見る、新聞他PDF。19:00夕食、20:20就眠。昨年の今日 除雪機(旧)使用一回目、北朝鮮ミサイル打ち上げ。

エアコンの暖房機能について(3)ヒートポンプ式冷暖房が実用になっていた
 つい先日エアコンの暖房機能について学ぶ機会を得た。それまではエアコンの中に熱源が仕組まれていて、基本的には壁掛けの電気ストーブだと思っていた。だから暖房機能は弱く不経済、部屋全体を暖める事など出来ないと思っていた。それが、エアコンを暖房として用いる時は電気を熱源としてでなく動力として用い、冷媒を循環させて室外にあるヒートポンプを介して、外気の熱を吸収し室内に放出するメカニズムである事を知った。

 秋から春にかけて秋田は寒い。冬の厳寒期には氷点下5−6℃にもなる。こんな低い気温の中でも外気中の熱を利用して暖房に用いるなど、ホント、私は予想さえ出来なかった。この方式では熱効率は製品と外気温によって異なるが電気を熱源として用いた際の3−4倍の熱を得る事が出来る、と言う。最近の灯油の値段から見てコスト的に有利と言う事になる。

 だとすれば、エアコンレベルでなくもっと大型の冷暖房設備もあり得るはずだ、と一週間ほど前に東北電力のショールームに行ってみた。ありました。主に高断熱・高機密新築住宅向きであるが、全館暖房を基本した、ヒートポンプ冷暖房システムがありました。最近の製品は外気温がー30℃でも十分実用になると言う。

 熱源は空気熱を使用するタイプ、地中熱を利用するタイプがある。


(東北電力パンフレットから)

 初期投資・ランニングコストはバリエーションがいろいろあるために計算は困難であるが、42畳程度の暖房でC社の製品の場合200−300万円程度、ランニングコストは月1−2万円らしい。決して安くはないが、他の熱源でこれをまかなう場合、電気式の1/3、ガス式の1/2でとの事である。

 脱原発推進の中、電気を使用するシステムはちょっとビビる所があるが、灯油式、ガス式よりも効率がいい。原油もガスもわが国では輸入に頼らざるを得ないから、より効率が良い方法を用いる事によってエネルギーの輸入量を減らす事に繋がる。ヒートポンプ式暖房は穏やかで瞬発力が乏しいから24時間運転が基本になっているが、生活パターンによっては補助的に他の暖房を併用するなどで間欠使用も不可能ではないだろう。

 将来的には燃料電池システムで電気を家庭で作る時代が来る。また、太陽光発電等でエネルギーの地産地消に近づいていく。これらの組み合わせにエネルギー事情は変わっていく。寒冷地では暖房が欠かせない。その中でヒートポンプ式暖房は高能率と言いうる。一層の普及が期待される。 


12/11(水)曇り・降雪若干 外来
 23:45起床、医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。 7:10フィットにて病院。回診その他入院業務。8:45-13:00外来。15:00レガシーで帰宅、新聞読み、映画「がんばっていきまっしょい」中断、「太平洋の翼」一部、19:00夕食,20:15就眠。歩数計Σ2286Km。病院の忘年会。

アベノミクスと農業2013(2)減反政策廃止、農業の集約、効率化、国際競争力など
 アベノミクスは海外でも関心が高い。米国でアベノミクスへのシンポジウムも開かれるほどである。ただ、農業に関しては期待し難いのでは、と思われている。米国におけるアベノミクスの関心の高さの原因は分からない。金融緩和等の経済対策は一定程度評価されているが、再三の矢としての成長戦略に関してはあまり評価は高くない、と言う。

 その中で、長い間改革困難だった農業問題を安倍総理が今回本当に改革出来るのか??と言う事が関心を呼んでいる。確かに、2009年にも減反政策が議論されたが、自民党の農林族が猛反対して立ち消えになっている。

 安倍政権は農業を成長戦略の中枢の一つに位置付けている。減反を廃止し、農地の集約化を推進し、大規模化を図リながらコメの競争力をつけ、農業所得を倍増させる、としている。

 確かに、日本の農業は小規模非能率的経営であり、加えて担い手の高齢化、過疎化、後継者不足等の問題点を抱えている。コメ生産農家の全国の作付け面積は平均1ヘクタールでそのうち専業農家は4割に満たない。

 これに加えてのTPP問題がある。TPPに参加すると安い外国産のコメが市場に出回る。減反政策で税金を投入してコメの価格を維持して来た日本のコメ作りはTPPのもとでは通用しなくなる。だから、これからの日本農業のあり方を具体的に考え、形成していくことは重要である。

 その過程ではこれまでの農政を振り返りながら幾つかの問題点を論じていかなければならない。
 戦後日本の農政を振り返ると、GHQによる農地解放により農地が分散した。その事で多数の小規模農家が生まれた。大改革であった。農業問題が論じられるようになってから約50年間、農業行政は小規模兼業農家問題を中心に論じられてきた。

 私の祖父は岩手の田舎の開業医であったが、先祖から受け継いだ田畑を人任せにして運用していた。作ってくれる方々とgive & takeの関係で共存しているとの意識だったらしいが、これがGHQの目に止まり解放の対象となった。祖父母にとってはかなりショックだったらしく、時折話題に出た。私が小学生の頃に補償金が国から支払われたようであるが小額でガックリきていた。この辺のことを朧げに覚えている。

 私が農業問題に多少関心があるのはこの頃の話題にルーツがあるからだ、と思う。


12/10(火)降雪若干、後降雨  外来
 1:00起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。5:30家庭ゴミ集積所に。7:40バス利用病院着。回診、8:45-13:00外来。15:20バス利用帰宅、明朝廃棄のペットボトル準備。文献読み・新聞などPDF化、読書。録画にて「日米開戦」関連映像観る。19:00夕食。20:00就寝。歩数計Σ2277Km。

アベノミクスと農業2013(1)「農林水産業・地域の活力創造プラン」決定 
 安倍首相が就任してから約1年経つ。
 昨年12月の衆院選、今年7月の参院選は、ともに自民・公明の与党が圧勝して国会の「ねじれ」は解消した。野党の力不足、足並みの乱れから棚ぼた式に自公が票を獲得したと言う側面もある。

 ねじれの解消は自民党総裁としての大きな業績となろう。ただ、危惧したように、最近は数の論理で総理の横暴が目立つ。先日の特別機密保持法の成立のプロセスを見ても猪突猛進型である。今後、懸案事項として「近隣国をめぐる外交」、「改憲」、「集団的自衛権」の重要な問題が目白押しであるが、ちょっと不安になる。

 安倍首相は農業政策も協力に押し進めようとしている。アベノミクスの第三の矢の一つとしての農業政策を挙げている。TPPとの関連でも農業政策の改革が喫緊の課題ととらえている。その中ではコメ問題が中心で、大規模化、生産性向上、減反政策廃止、国際競争力の向上・・・などを挙げている。

 本日、政府は「農林水産業・地域の活力創造プラン」を決定した。その骨子は以下の如くである。
■コメの生産調整、減反政策は18年度をめどに廃止、
■農業農村の所得を10年で倍増、
■今後10年で全農地の8割を大規模農家に集約、
■ 農林水産物の輸出を2020年までに1兆円に倍増、 ■農地をまとめて貸し出す「農地中観管理機構」を設置
■・・・

 秋田は食料自給率117%の農業県である。コメに関して言えばブランド米「あきたこまち」がある。減反問題を含む農政は秋田県民にとっても重要課題である。県のありようにも影響を与える。

 秋田に住む者の一人として農政の大改革に対して無関心ではいられない。農業について、農政について私は門外漢であるがそんな事は言っていられない。この辺についても少しずつ勉強しようと思う。


12/9(月)曇り 健康クリニックドック 患者家族面談
1:10 起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:40徒歩車病院着。回診、オーダー入力。9:00-11:20健康クリニックドック、入院患者書類記入、被爆者検診結果票記入、12:45-13:45患者家族面談。16:00バス利用帰宅、文献読み,読書。「戦国自衛隊」観るも中断。19:00夕食、20:15就寝。歩数計Σ2268Km。

徒歩通勤(25) 滑って激しく転倒した
 12月3日7:20頃、徒歩で病院に向かっている途中、千秋公園下の、板敷きの歩道で滑って左臀部と背部を強打した。

 両足が同時に滑ったために身体が後ろ方向に浮き、臀部と背部から落下した。背負っていたリュックには昼休みに記事を切り取るための日刊紙が3紙、途中で用いるかもしれないと用意した手袋、襟巻き等の防寒具を入れてあり、これらが衝撃をかなり緩衝してくれ、頭部は打たずに済んだ。四肢は痛みもなく通常に動いた。左臀部が若干痛かったが、病院迄歩くのも、9階病棟への階段昇降も通常に出来た。

 しかし、外来終了間際になって左臀部、背部、頸部に疼痛が増悪した。左臀部、背部は打撲で、頸部は頭を守るために筋が一瞬過緊張したためと考えられた。15:30通町まで歩いたところで気力が尽き、バスを利用し帰宅した。全身痛、熱感もありそのまま就寝した。
 翌朝1:00起床したが疼痛はかなり改善していた。今回も大事にならないで済んだ。

 今回転倒したのは千秋公園北側にある湿地に、おそらく秋田市公園課が設置した木製の歩道の上である。油断していた。滑った原因が濡れた木製の路面にあるが、衝撃が少なく怪我もせずに済んだのも木のお陰である。

 この季節、高齢の外来患者には診察終了時に転ばない様に声をかけている。転倒が場合によってはその後の人生を決める事もあるからである。その声かけしている自分が転んでいてはしょうがない。反省しきりである。

 徒歩通勤していると足下が滑る場所は沢山ある。特に濡れた路面はそれだけでも危ない。更に、濡れた落ち葉、マンホールの蓋、橋の上などである。雪の季節、凍結した路上などは言うまでもなく、連日冷や汗ものである。

 かなり注意して歩いているつもりであるが、今回滑って転倒したのは木製の歩道である。落ち葉も無かった。ただ、早朝迄雨が降っており濡れていた。更に、この木製の歩道は湿地の上に作られており普段から若干は湿っている。だから、木の表面にカビとかコケの様なものが付いていて滑りやすくなっていたと思われる。

 あれから一週間経った。左の臀部痛だけまだ残っている。


12/8(日)降雪冠雪1−2cm、寒波 飯川病院日直
2:00起床、新聞文献チェック、PDF化。7:40徒歩病院着、重症患者回診、次週の治療検討。8:40飯川病院に移動、日直に。17:45迎えあり帰宅。19:00夕食、20:30就寝。 歩数計Σ2256Km。新しい防寒ブーツで靴擦れあり。

高齢化社会の医療・福祉は2013(8) 社会保障制度改革国民会議の提言
 社会保障改革国民会議の提言は以下の如くである(政府資料・・一部省略し表現変更した)。

<<総論・・骨子>>
■「病院完結型医療」から「地域完結型」へ転換
■「いつでも」から「必要な時に必要な医療にアクセスできる」に
■ フリーアクセスを守るため、「かかりつけ医」の普及を目指す
■ 地域ごとに病床の機能分化を進める

<<医療・介護サービスの提供体制>>
■ 病床機能報告制度を導入する
■ 地域医療ビジョンを2018年度まで都道府県が策定
■ 国保の運営主体を都道府県へ広域化する
■ 医療・介護サービスのネットワーク化を図るため、医療法人や社会福祉法人の再編・統合を容易にする
■ 全国一律の診療報酬・介護報酬に加え、別の財政支援の手法を検討する

<<医療保険制度>>
■ 2015年度から後期高齢者支援金の負担方法を全面総報酬割にする
■ 紹介状のない患者の大病院の外来受診に初・再診料の定額自己負担を求める
■ 70〜74歳の医療費自己負担割合を2割に戻す
■ 高額療養費制度における所得区分を細分化し、よリ細やかな応分負担とする
■ 難病と小児慢性疾患について、対象疾患の拡大や都道府県の超過負担解消を図る

 この提言内容をみると、基本は高齢者と金持ちの負担を増やすことで、なんとかして当面の皆保険制度の破綻を防ぎたい、と言う、いつもの繰り返しにしか見えない。これを国民の側から見れば消費税増税に加え、高齢者医療を中心に負担増があり、かつ、医療サービスがうけ難くなる、というトリプルパンチ的な印象しかうけない、と思う。

 皆保険制度の将来的安定を目指した改革について、こう言った場当たり的な改善、しかも実行までに時間がかかるようなの方策だけで果たして良いのだろうか、と思う。ただ、言える事は、国民皆保険の維持に、社会保障制度の維持に、新たな、抜本策に近い発想が導入されるとすれば、国民にとっては激震というべき深刻な問題になるだろう。よく言われるように「社会保障制度の抜本的改革」など、簡単に提起出来るものではない。

 「社会保障と税の一体改革」をうたって消費税増税がなされた。「国民会議」と言う名称の有識者会議を開いた。この機会は、我が国に持続可能な安心出来る社会保障政策を打ち立てる良い機会だったのに、結局は財務省の方針を踏襲した、喫緊の収支対策に終わったように思えてならない。
 
 日本の未来の姿を論じるためには国民会議のメンバーが年寄りすぎる。これからの日本を担う若い世代のメンバーで論議してほしい。高齢化社会は人口構成だけの問題だけではない。機能的にも高齢化していることが問題なのだ。年寄りは去るべし、自分の生き方を含めて、私の実感である。 


12/7(土)小雪・寒波 
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。午前から主に書斎の片付けなどに多忙に過ごす。14:00横浜在住の長女一家来訪。3番目の孫は5か月振り。よく笑う子だ。19:00夕食、3:00就寝。歩数計Σ2240Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(7) 社会保障が後退する
 「社会保障と税の一体改革」についての議論は、消費税増税前には喧しかったが、消費税増税が決まった途端、具体的内容が国民の前に提示されることは少なくなった。国民の多くは消費税が増税がされるのだから社会保障も良くなっていくと思い込んでいる・・様だ。

 昨年12月の時点で政府が具体的に考えていた社会保障政策は以下のごとくであった。
■70歳から74歳までの医療費、窓口負担1割から2割へ ■外来通院患者数5%減 ■入院日数の短縮 ■要介護認定者5%減 ■年金の支給開始を65歳から68-70歳に延長 ■外来受診時定額負担導入の再検討。

 社会保障の具体的な見直しについては「社会保障制度改革国民会議」なる委員会に委ねられた。「国民会議」の人選は自公民で決められた。15人のメンバーを見ると、政府の思惑が濃厚に反映された結論になるだろうと私は予測した。

 この中で私が講演とかを通じて直接お話を聞いたことがある方は、清家罵氏(慶応大学学長)、大鳥伸一氏(国立長寿医療センター総長)、永井良三氏(自治医科大学長)、増田寛也氏(元総務相)4人で、後の11人の方も経済学関連の教授職あるいはそれに準じる方々である。

 こういうトップの方だけ15人を集めて「国民会議」と称するのもどうかと思う。「有識者会議」とすれば良かった。政治家や利害関係のある医師会などの団体の代表は入っていないことは評価出来るが、この方々は研究者だから我が国の社会保障保障制度の問題点を実感としてご存じないのではと危惧する。

 昨年夏に消費増税法が成立した時、国の経済を安定させ社会保障を改革することが増税の大義名分だった。「国民会議」はその命を受けて11月末に初会合を開き検討を続けてきた、という。

 報告書の内容は、社会保障の将来像、医療、介護、年金、少子化対策の具体策について言及している。見るべきものもあるが、期待はずれ、と言えよう。


12/6(金)曇り・氷雨 大曲中通病院外来 深夜に特定秘密保護法案成立
 1:30起床、本読み、医学文献チェック。5:30家庭ゴミ集積所に。7:45Taxi車。8:06こまち、8:45ー15:00大曲外来。4:30Taxi帰宅.日露戦争について学ぶ。19:00夕食、20:20就眠。Σ2240Km。賄いの石井さん復職。深夜に特定秘密保護法案が参議院成立。

中通総合病院新病院完成(2) 階段が増えてうれしい
 中通総合病院新病院が完成し今週月曜から外来診療も始まった。外来診療のソフト、ハード両面で変更あり私もまだ多少の戸惑いがあるが、何とか業務を勧めている。

 旧棟のうちまだしばらくは利用する西棟の改修工事が進みつつあるが、これが完成するまで私の医局がある東棟は解体されない。医局は東棟の6階にある。新病院で私が入院患者を受け持つのは原則的に9階病棟である。旧棟と新病院の渡り廊下は現在の所一階または二階である。

 新病院9階迄の階段を数えてみたら185段、旧棟が77段である。
 私は原則的にエレベーターには乗らない。■待つのが嫌、■閉塞感が嫌、■さらに誰かと一緒だと嫌、と言うのがその主たる理由である。新病院でも階段昇降を続けたいと思っている。入院患者の回診は外来が始まる前と帰宅前の2回、状態に応じてはそれ以外にも何度も訪れるし、外来中でも時間があれば医局に戻るから、最低でも一日500段は昇降する事になる。

 この一週間階段昇降を続けてみたが、さすがに9階に着く頃には息切れする。スタッフや患者と直後にはまともに話せないほどである。体力が無くなったものだと自覚する。

 私は毎日、通勤時に15.000歩を目標に歩いているがルートは平坦地である。段差も欲しいのであるが、外来と6階の医局との数回の往復、帰路時折立ち寄る千秋公園も坂道は短く、階段も100段程度で不満であった。それも、天候によってはたち寄れない。だから、新病院に出来た階段は全天候型で大いに魅了的である。

 新病院に移転した日から早速歩いている。早足で6Kmほど平地を歩いただけで足は結構疲れを感じる。時にそのまま9階に上る事もあるが、意外と足の疲労はそれほど感じない。要するに、平坦歩行に用いられる筋肉と階段昇降時に用いられる筋肉とは互いに分担が異なっているからではないかと思われる。

 これからの季節、積雪によって徒歩通勤の機会は減ってくるだろう。特に朝に除雪をする様になると時間の関係で徒歩通勤はできない。そんな中、病院内で9階1階6階と何度か歩ける事はありがたい。
 中通総合病院の新病院は私には体を動かす機会を与えてくれた。


12/5(木)曇り・雨 外来
0:00起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。5:30資源ゴミ集積所に。7:40徒歩病院着。回診他。8:45−13:00外来。15:00バス利用帰宅、体調屋や不良、体熱感と上唇にヘルペス。1.5時間ほど午睡。読書他、19:00夕食、20:20就眠。 歩行計Σ2240Km。

特定秘密保護法案(2)「個人情報保護法」は法とは別次元で社会に影響した
 特定秘密保護法案とは異なるが、「個人情報保護法」は個人情報が不用意に流出しない様に保護するという観点から作られている。法自体には個人情報保護の基本的義務内容しか記述されていない。 一言で言えば、「体系的に整理された個人情報を5000件以上保有する企業( 個人情報取扱事業者)」がこの法律の対象になるものであった。

 折しも、この法が話題になり審議されている頃、国民の間に個人情報についての関心が高まった。個人情報と言う言葉は流行語にもなったほどである。確かに、その前には個人情報が詰まったパソコンの紛失、フラッシュメモリーなどの紛失が問題になっていたこともある。ただ、その事で実害を受けたと言う例は私が知る限りにおいては無かったような気がする。だいたい不特定多数の個人情報などは一般的にそれほど有用性は無い。

 結果的にその後、「個人情報」、「個人情報保護」という言葉が一人歩きを始めた。

 学校の名簿、町内会などにも影響が出た。そのために会員名簿などの作成が困難な状況にもなった。病院の受付でも「親戚がこの病院に入院したはずだが、病室は?・・」という問い合わせに対して「入院しているか否かはお答え出来ません。ご家族から確かめてください・・」などとのやり取りが聴かれるようになった。

 ちょっと行き過ぎなのでは? 個人情報保護のレベルを超えて個人情報隠蔽?と言うべきではないか? と感じる事もある。
 実害も生じている、東日本大震災、原発事故でも多くの方々が宣告に避難されたが、自治体で実態を把握しようとしても個人情報だとして協力してもらえず、探し出すのに苦労しいる。未だに避難先がわからない住民もいるようだ。このような事象は決して少なくないようである。

 「個人情報」、「個人情報保護」と言う意識が広がった事は良い意味で評価すべきだろうと思う。ただ、このような社会になった以上、時には自分の方から必要な最小限の情報をしかるべき場所、人に提供しておかないと享受出来る社会的な機会、チャンスなどを失う事もあり得る。

 特定秘密保護法案は国とかの権力側に拡大解釈される危険がある。逆に、個人情報保護法は法の目的とか理念とは別次元の意味で社会に大きな影響を与えた。

 特定秘密保護法案の問題に戻すと、名称も良くない。「特定」などの何を示すかわからないような名称を冠するから国民に漠然とした不安を与える。多くの団体、個人が反対声明などを出しているが、一部は過剰に反応しているのでは、と思う。法の名称を「国の安全保障に関する秘密保護法案」とでもすれば、印象はかなり異なってくるのだが。


12/4(水)快晴 外来 
 12:00起床、ゆっくり休んだので全身通はかなり良くなった。文献新聞チェックPDF化など。7:40徒歩病院着。回診,8:45-12:30外来。14:30通町の書店を目指して歩いている途中に病棟から連絡あり、患者の疼痛が激しく診察希望と言う。Taxiにて帰院し対応する。16:00バス利用帰宅、新聞チェック、録画でドラマ、映画「麗しのサブリナ」観る、19:00夕食、22:00就眠。歩行計Σ2227Km。

特定秘密保護法案(1)芋づる式に拡大解釈される危険を孕む
 特定機密保護法案が十分な審議を経ずに衆議院を通過し、参議院の委員会で審議されているが、明日12月5日に委員会で採決されそうにな状況である。参議院委員会を通過すると本会議で採決、成立と言う事になる。

 私は「国の安全保障に関する外交面での機密など」に限定した範囲の国家機密は保護する必要があるとは思うが、現段階ではその機密の範囲は曖昧である。「国の安全保障」に沿った機密としても、その機密を守るために周辺の情報も隠さざるを得なくなる。何故なら外堀から崩されて当該の機密が推定されてしまう可能性があるからである。だから、何重にも拡大解釈されて、芋づる式に特定機密案件が次々と乱造されて来る。

 また、機密指定の期間の上限が60年というのも長過ぎる。この時代の流れが速い現代60年もたって開示されたとしても重要な生き証人は居なくなっている可能性が高い。要するに、為政者達の保護法案、責任逃れのための隠蔽法とも言いうるのではなかろうか。

 機密法案の審議がいかに不十分かは担当大臣である森雅子特定秘密保護法案担当相の答弁を聴いているとよくわかる。朝令暮改に例えたいほどである。要するに法案の骨子が煮詰まっていない。こんなあやふやな状況で提案され衆議院を通過したのかと呆れてしまう。

 特定秘密保護法は罰則もきつい。解釈・運用の仕方によっては、過去のもの言えなかった時代の日本に、あるいは現在の某隣国の言論統制がはびこる国と同じになる危険を孕む。

 特定秘密保護法は重要な案件だと思う。現時点では廃案にして改めて再提案するのがベストであろう。

 上記の法案と対比したいのは2005年4月1日に全面施行された個人情報保護法案である。これは大量の個人情報を取扱う「国及び地方公共団体」、「事業者」に対して安全な個人情報の取り扱い法を定めた法律である。 事業所の対象範囲は5000件以上の個人情報を扱う事業所である。

 私はこの法律が成立した頃に医師会の役員を務めていたが、病院・診療所など大概の医療機関は対象事業所に含まれる。そのために県内の医療機関に安全な個人情報の利用法、保護の方法などを紹介した。各医療機関は十分な対応が出来たと思っている。その後も県内の医療機関から個人情報が漏洩したと言う話を聞かない。


12/3(火)曇・寒・快晴  外来 滑って激しく転倒
 1:30起床、文献新聞チェックPDF化など。7:40徒歩病院着、途中千秋公園下の歩道で滑って背部から落下し転倒。リュックが衝撃を緩衝してくれ助かった。回診・患者対応。8:45-12:30外来。この頃から全身痛増悪。15:30バス利用帰宅。全身痛にて直に就寝。18:30夕食、そのまま就寝。

iPhone修理体験(2) 修理部門は今後一大産業になる
 ■Appleサービスセンターの対応。1時間に及ぶ指示・指導

 サービスセンターにTELしバックアップ出来ない旨伝えた。
 ここからが実に大変な作業で、電話による指示をうけて私が対応するのは知識が乏しく到底不可能であった。次にとった方法は、私のパソコンの画面をサービスセンターの画面と共用する方法で、先方の指示に沿って複雑な過程をクリアしてデスクトップ画面が共有できた。これ以降は先方が動かすポインターの指示に従って操作し、比較的スムーズに進める事が出来た。この間約1時間以上、なんとかiPhoneのバックアップが可能になった。 

 私のパソコンの画面を共有する操作はこちらからの承認がないと出来ないらしいが、画面の共有が遠隔地間で出来るなど考えも及ばなかった。便利であるが恐ろしい機能でもある。

 ■バックアップ 自宅で同型品と交換

 約一時間かかってiPhoneのバックアップが済んだ。この時点でヤマト運輸にきてもらい玄関先で壊れたiPhoneと新品同様の同型品と交換になった。パソコンにバックアップしたデータを戻す作業はスムーズに進んだ。機能は100%復元できた。

 交換した機種は新品と同等品というが、傷一つない品であった。電池の持ちも良くなった。
 修理のために何日かはかかる事を覚悟し、その間代替機をどうしようかなど考えていた。途中バックアップで問題が生じ回り道したが、数時間で機能が元に戻った。自分では動く事もなく、短時間で交換できた。興味深いシステムだと思う。

 ■後日談(1) 4400円の請求

 翌日、今回の対応を担当したAppleサービスセンターのスタッフから、その後の状況を確認する電話があった。実に親切な対応であった。
 数日後に請求書が届いたが、予定通り4400円であった。

 ■後日談(2) Apple careの修理の価格は最近改訂された

 Apple careの修理サービスは購入時の保証期間もあわせれば3年間であるが、サービス価格が最近改訂されたようである。私が経験したような内容の機種交換は4400円から7800円になった。私の修理は、サービスセンターの担当者が延べ2人、延べ1時間半私と電話でやり取りした。さらに後日状況確認の電話もあった。私のはホンの一例なので何とも言えないが、人件費、電話費用、運送会社の経費などを見ても到底ペイしているとは思い難い。

 最近までiPhoneの修理は部品の原価をもとに価格が設定されていたが、赤字部門だったと言う。多分そうだろう。iPhoneの普及率は日本が60%超、米国が50%超でダントツに高いが世界的には30%程度である。世界中でどれだけの数のiPhoneが使われているのかはわからないが、修理も頻繁に発生しているであろう。修理部門だけでも一大ビジネスを形成出来る。Appleはこの辺の事に注目したのであろう。

 ■後日談(3)
 何故、iPhoneにはストラップを取り付けるアナがないのだろうか。だから不用意に落とす事も多いだろう。改善してほしい。また、安価に交換してもらえるこのシステムを悪用し、保証が切れる頃にワザと落として交換する輩も出て来ないのだろうか。実は、私も、今回の交換に気を良くして、ついそう考えてしまった。 


12/2(月)曇り時に小雨 新病院外来診療開始 外来
 1:30 起床、文献・新聞など。7:40徒歩病院着。回診他対応、8:45-13:00外来,新病院の外来初日。ハードもソフトにもかなりの変更あり入力が大変であった。15:00バス、天徳寺から徒歩帰宅、新聞チェックPDF化、コンピューター関連本読む。19:00夕食、20:15就寝。歩行計Σ2201Km。

iPhone修理体験(1) 濃厚な対応していただいた
11月18日夕方、帰宅時に自宅の玄関にiPhoneを落とし破損した。左上の角から扇形にガラスが細く割れた。機能的には問題はなかったが使っていると割れたガラスがこぼれ落ちた。

 この日この時間帯に、病院から電話が来る事が予想されていたために普段ポーチに入れてあるiPhone手に持っていた。それも不用意にストラップに手を通さずに。玄関先の郵便受けには新聞、ダイレクトメールなど10通ほどがたまっており、iPhoneに重ねて持った。扉を開けて玄関に一歩踏み入れた途端にiPhoneが手から滑り落ちた。しかも運が悪く玄関の敷物からわずか5cmほど外れて硬い床面に落ちた。

 iPhoneの左上側の角から扇形にガラスが細く割れた。しかも購入後1年と10日目で保証は切れている。

 機能が何ともなかったので、粘着テープとかを利用して自分で修理する事も考えたが購入時にApple careに加入していたのを思い出した。通常は保証期間延長などの付帯は考えないのであるが今回は何故か加入していた。購入時に担当してくれたauの販売員の説明がチンプンカンプンで、勧めに応じてなりゆきで書類にチェックしたらしい。
 早速、サービスセンターにTELし修理を申し込んだ。 

 ■Appleの修理法:基本は機種交換とのこと。

 係員から破損内容を聞かれた。内容的に新品同等品との交換になる、との事。明日ヤマト便が現物を持ってくるのでその前にパソコンにデータをバックアップを取っておく様にとの指示であった。費用は故障したのがセンターに届き状況を確認するまで分からないが、一般的には4.400円だとの事。車に轢かれたとかで損傷がひどい時は本体交換となり27800円になるというが、これは例外的だという。なお、iPhoneの新規購入価格は契約内容によって異なるが70000円以上である。割賦契約が浸透して月々に分割されるので本体価格を意識する事は少ないが、高いもんだと思う。

 ■データをバックアップが出来ない。

 通常はiPhoneのデータのバックアップは簡単である。送られてきたマニュアルに沿ってまず購入アプリのバックアップを取った。次いでiPhone自体のバックアップを試みたがデータが壊れているので不可、との表示。こうなると私レベルでは何ともならない。サービスセンターにTELしバックアップ出来ない旨伝えた。


12/1(日)快晴、久々 重症患者回診対応
 2:00飯川病院で起床、新聞文献チェックPDF化。録音文献データ整理。9:00-10:00新病院病棟に重症患者回診、対応他。10:15車帰宅、久々の快晴で庭掃除、整理中心。ハス用に深く掘った穴を埋める。午後も同様。盛岡の孫たち立ち寄る。19:00夕食、20:15就寝。歩行計Σ2180Km。

祝:中通総合病院新病院完成 大事業を成し遂げた全職員の方々に心から敬意を表したい
 昨年3月から工事を進めていた中通総合病院新病院が先月25日に完成、明日から外来も新病院で診療を開始する。
 今朝、飯川病院の当直明けに重症患者を回診したが、既に病棟は29日に移転し、整然と整理され機能していた。出会う職員の方々も晴れ晴れとした表情であった。

 立案から引っ越し作業に至る迄尽力され、見事に大事業を成し遂げた全職員の方々に心から敬意を表したい。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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