徒然日記
2013年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


5/31(金)晴 大曲外来 
0:30 起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。Taxiにて駅に。8:02こまち、8:45-15:00大曲中通病院外来。17:30駅から徒歩帰宅。新聞チェック。19:00夕食、20:15就寝。 伊能歩行計557Km。

ツメが甘い私の打ち合わせ、を反省
 嘱託生活になってから、まれに他の医療機関から臨時の手伝い、講演などの依頼がくる。院長就任の件も2件あった。実際にはウイークデイは中通総合病院と嘱託契約があるためにお断りせざるを得ない。というか、私自身残り時間を自分のために用いたいと思っているので、緊急的な臨時の話以外は最初から引き受ける気はない。

 今年度からから業務は午前中心になったから、昨年度までよりは多少自由時間がふえた。ただ、最近、近隣の飯川病院の院長が不在とのことで午後の診療応援を引き受けた。本日でそれも終わる。明日からの時間配分をなんと使用かと楽しみにしている。

 前はあまり気にしなかったが、最近少し気になることがある。
 それは、診療応援、講演とかの話があるときに、ざっとアウトラインのみ提示して了解を取り付けようとするのが一般的な交渉の姿で、なんかおかしい、ということである。

 講演の場合は場所と日時の確認だけ、講演内容は「お任せします」が多い。報酬がいくらなどか、聴衆の数や年齢層など説明がないことが多い。診療応援でも同様であった。仕事内容は大方予想がつくが来院予定の患者の数や質などは説明なかった。

 私は日本の文化しか知らないが、本や文献で読む欧米の依頼の仕方とは異なっているように思う。細部の、最も重要な部分も直接提示しないで、日本的な「あ、うん」の呼吸で話が進められる。勿論、厳しいビジネスの世界はこんな事ではないと思うが、少なくとも私に関してはこんな状況である。

 この背景は私も甘いためである。自分から確かめもしないで進めてしまうから、どっちもどっちなのだと思う。現場に行ってからこんなはずではなかったと思った事も少なくはない。打ち合わせの時は「ホスピスについて」の講演演題であったが正式文書では「食事と健康」にかわっていて焦った事もある。この依頼書には振込先の銀行名をを教えてほしいとあったが、額については記載なかった。

 これからも多少は講演とか診療応援の依頼があると思う。今後は予め詳細を確認してから引き受けるか否かの判断をしようと思う。それが依頼主への礼儀でもあるのだ。


5/30(木)晴れ 外来 飯川病院
1:00起床.文献等資料チェック、7:55徒歩病院着、回診など、8;40-13:30外来、新入院があり時間がかかった。14:00-17:00飯川病院。院長不在でこの一月の間、月曜にから木曜午後診療応援していたが、来秋から復帰するというので本日が最後となる。18:15徒歩帰宅、最近連日向かい風で辛い。新聞処理、パソコンデータ整理など。19:00夕食、 20:20就寝。伊能歩行計546Km。

安倍政権の経済政策(5)アベノミクス(3)世界的不況の中、独り日本だけが回復できる?
 世界から見た我が国の経済指標は改善傾向にあり、国も日銀も景気は回復期にある、と言う。私も若干世の中が明るくなった気がしたが、これはマスコミの報道姿勢の影響であろう。景気は回復期にあるなんて実感はどこにもない。景気回復と騒いでいるのは業績の良く、内部留保も多く、実力も活動性も高い企業のみである。アベノミクスで景気が良くなるのを待っているような企業は通用しない様だ。

 安倍首相の安全保障問題、憲法改正論議、慰安婦発言など右傾化していると、日本を見る世界の目は厳しい。徐々に孤立化に向かっていないだろうか。
 アベノミクスはあまりにドラスティックであり、円安誘導策は各国に懸念をもたれている。米国の通過レポートは日本の成長戦略は輸出を高めるための操作ではないか?という見方をしている。だから、早晩、国策の見直しが求められるかもしれない。

 世界的に景気が良かった時ですら日本は経済的活力を失ってきたが、世界的に不景気の中で、少なくなったパイを奪いあう状況の中、日本が一人突出して景気はよくなるのだろうか。絶対的に右片上がりの時代ならともかく、一国だけが抜きん出得ていくことは困難である、というか不可能である。アベノミクスが期待を寄せるTPPは実質日米間自由貿易協定と言われるが、今のところ米国は全く譲歩していない。このままでは日本は窮地に陥りかねない。

 財政の根本的見直しが必要である。国債を次々に発行して経済規模を膨らませ、増税 を繰り返していくだけでは、永遠に逃れられない。殆どの原発が停止し、ガス、石炭、原油などのエネルギーの輸入が拡大して貿易収支がの赤字が拡大している。国の財政再建のためには輸入を減少させ、国産品を有効に用いなければならない。内需を高めて地産地消しかない。食料品についても同様である。
 工業的には我が国は多売安売り競争には勝てない。技術品質の追求しかない。創造性、 革新性だけが世界的不況の突破につながる。

 政治も、経済も、国民生活も今までの発想と違った着地点を探さねばならないと思う。


5/29(水)雨後晴れ 外来 飯川病院 
 1:00起床。文献・本読み他、いつもの如し。7:30降雨、車で病院へ向かうもラッシュで8:20着。8:45-13:00外来。14:00-19:00飯川病院。午後に快晴、18:00徒歩帰宅、新聞他データの整理。19:00夕食、20:00就眠。 伊能歩行計541Km。

安倍政権の経済政策(4)アベノミクス(2)乱高下する市場 一般人は何ができる?
 安倍政権の経済政策、アベノミクスという政策は一見好調なスタートを切っているように見えた。
 
 IMFやOECDは我が国の今年の経済の見通しを上方に修正した。政治的に作られた円安で日本は円安メリットを享受している。しかし、これは経済の改善を伴っていない。作られた円安は近隣諸国、韓国や中国の景気を落としているから、やがては回り回って我が国も低迷してくる可能性が高い。

 東京株式市場はアベノミクスの後に急速に改善、一時16,000円台をうかがうまでに上昇してきたが、先週一気に1,100円、一昨日は700円も急落し、世界的に不安が走っている。なんでこんな現象が生じるのか、主に海外投資家の売り買いで株価が上下しているのであって健全な株価の上下ではない。コンピューター管理下で自動的に行われる人工的操作の産物である。

 一方、金利をあげないと言って就任した黒田日銀総裁の就任後、すぐに金利が跳ね上がった。中期長期金利も、である。一般的に、株価あがれば金利は下がるものであるが、この辺の経済の動きも一般的常識に反している。何でだろうか。

 国も日銀も景気は回復期にあると言う。
 本当に回復期にあるのなら、金利あがらず、物価も上がらず、銀行融資が増えて、生産量・購入額が増えて企業の利益が出始め、賃金も上昇する。ここに至って国民は足下から景気が良くなった、と実感できる。
 ところが、アベノミクスによっていきなり円安になったので、企業が輸入する資材が高騰、更に1月から復興税増税が始まった。更に、銀行は融資を増やしていない。このこともあって景気回復にブレーキとなっている。

 要するに、世界から見ても我が国の経済指標は改善傾向にあるが、改善実態を伴っていないからとても脆いし、少し先も読めない状況にある。批判すら挙ってきている。

 この辺のことまで何とか理解できたが、一般庶民として何ができるのか?それが全く分からないのだ。私は利殖とかには全く興味がなく、そのようなアクションは一切していない。全く無力で、ただ世界の、我が国の経済状況の推移を見ているだけしかないようである。


5/28 (火)晴れ 外来 飯川病院
0:45起床、文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。7:55徒歩病院着。回診他。8:40-12:55外来。14:00-17:00飯川病院。18:00徒歩帰宅。新聞処理、19:30夕食、20:00就眠。 伊能歩行計530Km。

植物から学ぶ(3) 花が美しい 花はなんで美しく、匂いも良いのか
 春から初夏にかけての新緑は萌え出るエネルギー、汚れのないイメージでとても素晴らしい。次々と咲き誇る花々も美しい。私が通勤の帰路に時々立ち寄る千秋公園はいまツツジ、フジの花がきれいである。ライトアップはいっそう美しくする。

 花屋さんの店先も所狭しと多数の花が飾られている。

 しかし、何で花は美しいのか、と思う。花を美しいからと愛でているのは人間であるが、花が美しいのは、少なくとも人を喜ばせるためでないことは明らかであろう。目的は子孫の維持である。植物の子孫繁栄は受粉で、雄しべも雌しべも近いところにあるが基本的に自家受粉はしない。

 自家受粉の場合、遺伝上、問題がある子孫ができる。今年は気温の上昇が悪くリンゴの花が咲いても受粉を介在してくれる昆虫が少なかったために横手地方のリンゴ農家等は柔らかいブラシ状の道具で自家受粉の作業をしている。自家受粉は最後の手段であろう。果実を取る目的ならば良いのかな?

 授粉の方法は大量の風に飛ばす方法、昆虫等に媒介させる方法が一般的である。前者の代表は杉である。この場合は花など美しくなくてもいい。その代わり大量の花粉が必要となる。人間まで花粉を吸ってアレルギー疾患を生じている。

 昆虫に介在してもらうには目立たなければならない。視覚的に、嗅覚的にである。だから、花は明るい色調が良いし、良い匂いでなければならない。だから、葉っぱと同じような色調である緑の花は一般的にはない。濃紺、黒い花も珍しい。受粉のために役に立たないからである。

 人間に取ってとても美しい花は昆虫に取ってどう見えるのかと言う事が重要である。昆虫は美しいから集まってくるわけではない。徐々に分かってきた事は昆虫たちの一部は紫外線領域の光まで認識出来ているらしい事である。と言う事は、私どもが見ている花の色と昆虫が見ている色調が異なっているだろうと言う事である。私どもに取って区別出来ないモンシロチョウの雌雄も紫外線を当てれば区別が容易になると言う。

 私どもも昆虫も光源としては太陽光であるからそれほど大差がないだろうと思われるが、昆虫たちに取って花がどのように見えているのだろうか。聞いてみたいものだ。

 などなど、植物について考えるのも面白い。


5/27(月)晴れ暑い27℃ 健康クリニックドック担当 飯川病院 
 1:00起床、新聞チェック他。徒然。8:00徒歩病院着。回診他。健康クリニックドック担当。秋田銀行スタッフ来院。総括、紹介状、カルテ整理などこなす。14:00-17:00飯川病院。18:00帰宅。新聞その他チェック、本読み。19:00夕食、20:30就眠。伊能歩行計503Km。

慰安婦問題(3) 安倍首相と橋下発言 各国の反応
 1993年の河野談話がでた。

 1997年に橋本内閣の時代「強制連行を示す資料はなかった」という国会答弁を閣議決定している。閣議決定の方が談話より重要な決定であるが、対外的には知られていない。この閣議決定は「直接的証拠は見つからないが、証言聴取などを参考に総合的に判断して強制性を認めざるを得ない」と言うニュアンスだったと言う。私もまだ勉強不足であるが、現時点では橋本内閣のこの考え方の方が理解しやすい。

 2007年安倍首相は「強制連行を示す資料はなかったが、河野談話は継承する」と閣議決定した。本年5月24日にも再度「談話の継承」を閣議決定したという。安倍内閣の姿勢は矛盾を抱えている。「河野談話の継承」を採る限り「強制連行」という誤解は消えない。だから、今後も慰安婦問題についてバッシングは続くだろう。

 安倍首相は就任数ヶ月間は「私ども自民党は・・」「私どもの内閣は・・」、とソフトに述べていたが、アベノミクスが好調な滑り出しを見せた頃から「私が・・」に変わった。そしてどんどんと強気になってきた。国会答弁を聴いていても「TPPに参加するか否か、私が責任を持って決断します」などと強い表現に変わった。しかし、核心に近くなると事をうやむやにする傾向がある。靖国問題しかり、慰安婦問題、官房長官談話、改憲論議しかりである。数日前の暴落した株価についてもコメントもしなかった。よくわからないが、政治、外交問題というのはこういった対応がことを和らげる様に思うが、懸案が先送りになる。

 一方、維新共同代表の橋下氏の表現はより直接的で歯に衣を着せない。ところで、今回なんで橋下氏が慰安婦問題で前面に出てきたのだろうか。彼の論点は必ずしも間違っていないが、意見の発表方法と彼の表現がよくない。話題が第二次世界大戦に関連した問題に及ぶと問題を感情的に荒げてしまう。

 橋下共同代表の発言に対して各国の反応は以下のごとくであるが手厳しい。
■韓国「度を超した妄言」「日本が一層右翼化した」「歴史認識と女性の人権尊重意識に重大な欠陥」
■中国「人類の良識と歴史の正義に公的に挑戦」「驚きと強い遺憾の意を表する」「日本が過去にいかに対処するかは日本が未来に向かってどう進むかを決める」「日本の帝国主義が第二次世界大戦中に犯した重大な犯罪で、被害者の尊厳に関わる人権問題だ」
■インドネシア「看過できない、謝罪すべき」「完全に誤った発言だ。どんな理由があろうと慰安婦問題は正当化できない」「侮辱的言葉で国は抗議声明を出すべき」
■米国「近隣諸国の怒りを買う」「首相の歴史認識に通じる保守系議員」「アジアの安定に悪影響」

 橋下氏がどのように収拾を図るか、市長としても共同代表としても厳しい状態に追い込まれている。


5/26(日)快晴 患者死去  主に外仕事
0:20起床、本読み、文献チェック、新聞処理、微睡みなど。7:00病棟より連絡、車で病院に、7:18死亡確認。回診、9:20帰宅、眠くてダウン1時間睡眠とる。畠仕事。PDF化したデータ再構築。13:00造園業スタッフ来訪、庭の土壌の入れ替え工事について打ち合わせ。午後は草刈り。畑仕事。19:00夕食、20:00就眠。伊能歩行計487Km。

慰安婦問題(2) 第二次安倍内閣発足前後の慰安婦問題と橋下発言
 第二次安倍内閣成立前後の慰安婦問題のいくつかを私の新聞スクラップから並べてみると、以下のような項目が挙げられる。

■2011年8月慰安婦問題に関して韓国政府に不作為・怠慢の違法判決
■2012年8月韓国国会委員会が日本に公式謝罪を要求
■2012年11月日本の識者が米紙に強制性否定の意見広告。安倍首相が名を連ねる
■2012年7月李大統領 法的でなく人道的解決を
■2012年9月橋下大阪市長強制制度否定発言
■2013年1月米NY州議会、人道に体する決議案提出
■2013年2月安倍首相河野談話見直しを封印
■2013年5月13日橋下共同代表が慰安婦は必要だった、当時慰安婦制度は何処の国にもあった、沖縄海兵隊は風俗業を活用しては?などと発言。国内外から非難・反発招く。
■5月16日橋下共同代表、風俗業を活用に関し不適切であったと撤回。
■5月24日安倍内閣が河野談話継承を再度閣議決定

 日本軍に慰安婦がいたことは否定できない事実であろう。他国でも慰安婦制度があったと言う橋下氏の意見は間違っていない。しかし、この問題において各国からわが国が一方的にバッシングを受けている。日本は東京裁判で敗戦国として一方的に裁かれたが、慰安婦問題も似たような経過を辿っているように見える。

 対日決議案、各国からのバッシングなどが拠り所としているのが、1993年の河野官房長官談話である。そこに「官憲等が直接加担した」など「強制連行」があったと受け止めかねない記述がある。韓国側の圧力をかわすための官房長官談話が誤解の源になっている。

 例えば、従軍慰安婦をめぐる2007年の米国下院に提出した日本政府に公式謝罪を求める決議案は誤解の上に立つ。決議案は日本政府に対し「日本軍が若い女性を強制的に性的奴隷化した。慰安婦制度は20世紀最大の人身売買事案の一つ」と表現している。米議会で採択される決議は法的拘束力はないとされているが、無視すれば誤った歴史を独り歩きさせる。

 戦前、生活困窮状況の中、自らの意思に反して慰安婦にさせられた、あるいはならざるを得なかった女性たちは少なくなかったと思われる。しかし、これと軍による「日本軍が女性を強制的に性的奴隷化した」は混同してはならない。後者に関する資料は、これまでの調査で一切見つかっていない。この点は明確にしておかなければならない。

 韓国司法が韓国政府に不作為・怠慢の違法判決をした。これは韓国の国内問題である。これを受けて2012年8月韓国国会委員会が日本に公式謝罪を要求してきた。しかし、日本は1965年の国交正常化時に韓国と交わした請求権協定で解決済みとしている。


5/25(土)快晴 飯川病院日直
0:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理など。午前中は畠仕事中心、大豆を蒔き、蓮の世話など。11:40半コース徒歩飯川日直。18:00帰宅、夕食、20:00就眠。伊能歩行計484Km。

慰安婦問題(1) 国家による強制はなかったと言うが、信じ難い 
韓国中央日報のコラムに、日本が原爆を受けたのは日本の悪行の結果であり、自業自得と原爆投下を正当化する記事が掲載された。

 安倍首相は07年のの就任時から、また、12年の第二次内閣の総理就任後にも歯切れよく歴史問題を述べるから最近再び慰安婦問題が国際的にも話題になり非難されている。加えて本年5月中旬以降の橋下維新共同代表の発言が火に油を注いでいる。上記のコラムの背景にも安倍総理、橋下氏の慰安婦問題発言が含まれているだろう。

 私の新聞切り抜きを並べて見ても、2006年9月の第一次安倍首相は慰安婦問題と対峙しなければならない状態を作ってきた。

 2006-7年前後の動きを経時的に並べてみた。
■2006年9月米国下院委員会で日本政府に責任を求める決議、
■2007年1月米国下院に日本政府に公式謝罪を求める決議、
■3月安倍総理は強制性を裏付ける証拠なしと河野談話否定、
■4月強制性なしを閣議決定、
■4月米国大使は安倍氏の発言は米国内に壊滅的影響を及ぼす、と表明、
■4月中韓外相、オーストラリアハワード首相、シンガポールのリー首相からも抗議、
■4月日米首脳会談でブッシュにおわび表明、
■6月日本の識者が米紙に強制性否定の意見広告、これに対し米で非難わき上がる、
■9月総理体調不良で辞任。

 私はその実態を知らないが、記述した文献は多数ある。元兵士は多くを語らないし、元慰安婦たちはひっそりと生きてきたから実態の把握は困難であるが、実際にはかなりの数の慰安婦がいたのであろう。国際的に言われている強制性というのは単に強権的に集められたか否かでなく、軍の施設でくり返された人権侵害的行為までを含むとされているが、安倍総理の論点は慰安婦を国が強制的に集められたのではなかった、という点のみであった。

 終戦を迎えたときに大陸に残された人々は日本兵にも見捨てられた。そんな中で最大の恐怖はソビエト兵、中国兵らによる婦女子への陵辱行為であった。拒否したり抵抗したために一家皆殺しにあった例もあるなど、多くの悲劇的状況が生じている。
 戦時下、終戦後の混乱期に婦女子がおかれた状況は厳しかった。


5/24(金)雨のち快晴 大曲外来
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。7:30Taxi、8:02こまち、8:45-15:00大曲中通病院内科外来、18:20徒歩帰宅。新聞・文献・雑誌読み、レクイエム。19:00夕食、20:15就眠。伊能歩行計470Km。


原爆投下問題(2) 他国は上空から語り、日本人は地べたから語る
 またもや米国による原爆投下を正当化する意見が掲載された。韓国の代表紙の一つ韓国中央日報のコラムに、である。日本が2発の原爆を受けたのは日本の悪行の結果であり、神も許していない、自業自得と正当化する記事を掲載した。

 またか、と思う。かつて、中国の人民日報も「侵略戦争の当然の報い」と論評したことがあるが、投下した側の米国の世論を始め、このような見方は方々で見られる。

 被爆国の我が国でだってそうだ。2007年、当時の久間防衛相は原爆投下を「戦争を終結させるためにはしょうがなかった」と発言し辞任した。1997年木島長崎元市長が「戦争を仕掛けたのは日本。日本の最重要軍事基地が最大の爆弾攻撃を受けたのは当然・・」とのべた。1995年には当時の村山首相が「誤った国策により・・結果的に原爆投下をもたらした」などと述べている。1945年当時、鈴木貫太郎首相がポツダム宣言を黙殺したことが原爆投下を招いた、とする意見・論評は多い。

 米国は原爆投下に対して、トルーマン大統領の「このままでは失うことになったであろう100万人の米兵の命を救った」とし英雄扱いである。今でも米国の世論はこの見解を支持しているがこれは国民を欺くための作り話とされている。米兵の大戦を通じての死者は約40万人とされているが、戦争末期には日本側には殆ど攻撃力がなく米軍のなすがままの状態であり、硫黄島、沖縄戦などの死者は2万人程度とされている。従って、トルーマンの意見は自らを擁護するために作られたものである。

 さらに、トルーマンは原爆投下と言う未曾有の人体実験をするために日本の降伏を引き延ばし、その間に原爆投下の準備を進めていたと言う事実もあるようだ。その背景には一発の爆弾で壊滅的被害を与えうることをソビエトに示すと言う目的があった。トルーマンにとっては何としてでもこの新型爆弾をソビエトが参戦してくる8月8日以前に日本の都市に落とさなければならなかった。そこで選ばれたのが8月6日であり、天候の関係で広島が選ばれた。
 日本に降伏の決断をさせたのは頼りにしていたソビエトにからの宣戦布告であって原爆ではなかった。

 若干勉強して原爆投下に関連する背景を知ったが、原爆でいかなる犠牲が生じるかなどは殆ど考慮されていない。ここで感じたのは他国関係者は原爆投下に関して上空から語っるだけであり、日本人は被害者の立場から悲惨な状況を地べたから語っている、と言う現実である。日本の為政者たちは上空からも、地べたからも語っていない。広島長崎で犠牲になった方々、今でも後遺症に悩む方々の姿は地元住民の努力でかなり伝承されているが、日本の歴史の総括がない。

 原爆は人類史上で行われた最大の無差別殺戮である。その歴史認識、米国による犯罪行為を明らかにすべきだが、米をはじめ他国には期待できない。その責を担うのは我が国である。是非進めてほしい。

 今回の韓国中央日報の記事掲載を機会に多少考えてみた。


5/23(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。8:00徒歩病院着、回診他。8:45-13:00外来。新入院対応。14:45-17:00飯川病院。18:15徒歩帰宅、レクイエム、新聞ほか、19:00夕食、20:40就眠。伊能歩行計458Km。

原爆投下問題(1) 韓国中央日報のコラム欄で原爆投下を正当化
 米国軍、というかトルーマン大統領の原爆投下の決断と実行は国際法的に見ても人道的立場から見ても明らかな違反行為である。それには疑問を挟む余地はない。

 最近、安倍首相が語る侵略問題、靖国問題、慰安婦問題等についての歴史認識に関しても米中韓、ロシアすらも疑問を呈する発言、非難が続いている。

 私はまだ勉強中であるが、現時点では第二次世界大戦は米国を中心とする日本包囲網が招いた戦争であると思うし、敗戦国のみを裁いたニュルンベルク裁判、東京裁判そのものの存在すらも疑問である。原爆投下についても、東京など各都市の空爆は非戦闘員の大領殺戮を目的としていた点で国際法上も許せない。米国が罪を問われないのは理解できない。ただ、これらについて我が国の公式な見解がないために、未だに諸外国から勝手なことを言われ続けている。

 本日、またもや米国による原爆投下を正当化する意見が掲載された。それも韓国の代表紙の一つ韓国中央日報のコラムにである。記事は今月20日付けで、「原爆は神の懲罰」と題し、安倍首相らの歴史認識を批判しなから、広島と長崎への原爆投下を「神の懲罰」と主張し「日本への仕置きがまだ足りないと判断するのも神の自由だ」などと非戦闘員の大量殺戮を正当化する記事を掲載した。
 その中で、安倍首相が航空自衛隊松島基地で操縦席に座った練習機の機体番号が、細菌兵器の人体実験を行ったとされる旧関東軍の部隊名と同じ「731」だったことを取り上げ、原爆投下は人体実験の犠牲者らの復讐で、神の懲罰でもある」と論じた。

 在韓日本大使館は直ちに同紙に抗議した。これに対し、同紙は「コラムは論説委員が執筆。安倍氏や橋下敵大阪市長の発盾への反発が暴走した形だか、社の意見ではない」と弁解したという。 
 菅官房長官は「誠に不見識。断じて許せない」と批判。広島市の松井市長も「神を持ち出す論理展開で、読むに堪えない』と厳しく批判、長崎市の田上市長も「非論理的な感情の産物」と述べた。当然である。
 署名も入れずに掲載していながら、 一論説委員の意見であり、社としての見解でないと弁解するのは一体どういうことだろうか。新聞として自殺行為である。

 安倍首相は最近パフォーマンスが過剰である。戦闘機に乗り、強い農業の演出のためにトラクターに乗り、国民栄誉賞を後楽園で行う、などなど、人気取りのための無駄な行動が目立つ。政治家が短時間そんなことして何になる。選挙対策である。TV,新聞も大騒ぎである。マスコミはこんなのをどう判断しているのだろうか。


5/22(水)晴れ ネコのナンナン2周忌 外来 飯川病院
0:10起床。文献チェックほか。8:00徒歩病院着、回診他。8:45-12:50外来、14:45-17:00飯川病院。一昨日から半袖に。18:15帰宅、レクイエム聴きつつ新聞、文献読み他。19:00夕食、20:15就眠。伊能歩行計443Km。

植物から学ぶ(2) 緑の植物は、実は緑の光が大嫌い
植物は光合成でエネルギーを産生する。人類は古くから太陽光を熱源としては用いていたが、光からエネルギーを生み出すことができる様になったのはたかだかこの一世紀にすぎない。植物は地球の始まりの頃から太陽光発電をしているようなものである。植物はエネルギー不足に悩む現代人にとって学ぶべき大先輩である。

 植物の葉は紅葉などをのぞくと殆どが緑系の色調である。だから、植物のイメージは緑色である。森の清浄な雰囲気はイコール緑である。ここまでくると植物が何らかの意味を持って緑であるのだと思い込んでいる。航空機から大地を見ると、白い雲、雪の白、海の青、砂漠の黄色、森林の緑からなるが、特に我が国上空からの眺めでは日本は緑の大地と言って良い。

 だから、植物=緑である。日本では四季の移ろいが明らかだから、その移ろいを感じさせてくれるものが植物の姿とともに緑である。特に春から初夏にかけての新緑は萌え出るエネルギー、汚れのないイメージである。女の子の名前に「みどり」が多い。この場合、漢字の「緑」,「翠」よりは平仮名表記が良い。

 しかし、植物たちは何でそんなに画一的に緑を好んでいるのだろうか?
 いや、実は植物が最も嫌いな色は緑なのであろう。だから植物は緑なのだ。殆どの物体には色彩がある。ところが、物体の色彩は物体そのものの色ではなく、太陽光のうちで反射する色、吸収する色の割合によって決まっている。だから、緑の植物は緑色を嫌って反射しているから色調が緑なのだ。

 光合成は葉に含まれる葉緑体で行われるが、そこで主役を果たしているのは緑色の葉緑素でクロロフィルとも呼ばれる。葉緑素は抽出してみると確かに緑である。だからこの名前がついた。葉緑素はマグネシウムをもつポルフィリンで、構造の一部が異なる4種があると言われているが、赤および青紫色の波長の光線を吸収して光合成に重要な役割を果たしている。ここでは緑の波長の光線は一切役に立っていない。

 ならば、なぜ葉緑素は緑なのか。それは透過して来た緑の波長の光線をその場でも反射排除して有効に光合成を行うためであろう。
 などなど、植物について考えるのも面白いものだ。


5/21(火) 晴れ、曇り 外来 飯川病院
0:00起床。文献他PDF化、徒然、通勤途中今年初めてコイに餌。まだ食欲不十分。ハトは旺盛。8:45-12:50外来と回診。14:00-1
7:00飯川病院。18:15徒歩帰宅。チマローザ・レクイエムと新聞、文献読み。19:00夕食、20:00就眠。本日は2万歩。師からは無理するなの助言。

植物から学ぶ(1) 生きていく仕組みに驚く
 ここ数年家内の趣味の一つである家庭園芸・菜園に私も労働力として刈り出されるようになった。

 今年もハスとかバラとか、野菜栽培とかいろいろ計画しているようである。庭の土が気に入らないから入れ替えしたいなどと言っているが、かなり大ごとになりそうである。家内が何かを始めると周りの人が、というか私がモロに影響を被る。園芸・菜園も例外でない。家内はプランナーで私が作業員であるが、対外的には家内が作っていることになっている。

 私は田舎の開業医の孫として育った。園芸・菜園・造園・果実栽培は近所の農家の方々に委託していたが、手伝いをよくやっていたから標準的なものは一応出来るし、土いじりはそう嫌いではない。しかし、まだ時間が豊かにあると言うわけでないから、やりくりが大変である。

 今年は気温が低かったことと家内の都合でスタートが遅れた。先週からやっと緒に就いたばかりである。

 園芸とかやり始めると、名のない草花を含め、植物全体に対してとても愛おしい気持ちになる。特にその生きる姿勢、仕組みについては知れば知るほど驚嘆する。通勤路路傍にも多彩な植物が強く生きている。道路脇の家々のよく手入れされた庭の木々、花々も美しい。こんなことが味わえるのも徒歩通勤の魅力の一つである。

 植物も動物も植物も生きていくのにエネルギーが必要であるが、動物は自分ではエネルギーを産生できない。体外からエネルギーのもとを摂取し消化し吸収してはじめてエネルギーに転換する。本当は自活できない不完全な生物である。その摂食行動にそれぞれ特徴があり、各動物ごとに特別な能力を備えている。もてる機能は長い時間をかけて進化という形で表現される。だから、多彩だし、注目されやすい。

 これに対して植物は自分で大地から養分を吸収し、水と炭酸ガスのもと光合成によってエネルギーを産生して生きるより完全型の生物と言えよう。動くこともできず感情ももたないから対極にある人間からは軽視される傾向があるが、人間の方がある意味では不完全である。植物は動物に備わっていない高度の機能を備え、人間が汚した地球環境を守ってくれている。

 最近は植物に関する勉強もし始めた。草花、樹木がいかにして自身の生命を維持し、子孫に繋いでいるか・・・学ぶほどに尊敬の念がわいてくる。


5/20(月)小雨 外来 飯川病院 茄子植え付け。
1:10起床、文献、新聞他処理。途中倦怠強度、1時間休む。8:00霧雨の中徒歩病院着。8:45-12:00外来、13:45-17:00飯川病院、18:15徒歩帰宅。茄子8本植え付け。新聞スクラップ他。19:00夕食、20:20就眠。伊能歩行計412Km。

徒歩通勤(11) 歩行者と自転車(3)、秋田県イヤフォン、携帯禁止ザル条例
 秋田県の自転車運転者の遵守事項としてイヤフォン、携帯を含む禁止条例は以下の様になっている。歩行者の安全を守るために本気になって改訂したのか疑問である。
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 公安委員会が必要と認めて定める事項は、次に掲げるものとする。

 道路において、携帯電話用装置を通話若しくは操作のため使用し、同装置の画像を注視し、傘をさし、若しくは物を持つ等安定を失うおそれのある方法又はヘッドホン若しくはイヤホンを使用して両耳をふさぐ等周囲の音が十分に聞こえないような状態で自転車を運転しないこと。
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 要するに、自転車走行時には、■携帯電話による通話、操作、注視 ■傘さし ■安定を失う荷物など ■ヘッドホン/イヤホンを使用して周囲の音が聞こえないような状態は禁である。


 この県の条例の改定にあたって平成20年7月にホームページ上で案を公開し、県民から意見を募集した。10件近くの意見が寄せられたという。その一部を引用したが、警察側の返事が面白い(一部省略し、表現は若干変えた)。
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(1)携帯電話を操作しながら自転車走行している高校生がが多く見られるが指導が必要でないか。■学校に対しては交通安全教室や通学路等において安全指導を実施しており、また文書で自転車安全利用の指導の徹底についても依頼しています。
(2)ヘッドホンの使用などについて
 ■ヘッドホンやイヤホンを使用して両耳をふさぐなど、周囲の音が聞こえないような状態で自転車を運転することを禁止します。この改正は、ヘッドホンやイヤホンの使用を禁止するのではなく、音量を大きくして周囲の音が聞こえないような状態で自転車を運転することを禁止します。

(3)ヘッドホン・イヤホンを装着して起きた事故の具体的な件数は?■自転車利用時のヘッドホン等使用中の交通事故は、昨年まで届出はありませんでしたが、本年は7月末現在で3件発生しています。
(4)車の携帯電話違反も取締りしてほしい。■携帯電話使用違反は、昨年1年間で約 9,000 件を検挙しています。
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 最近、パトカーを見ることが多い。しかし、歩道に携帯とかヘッドホン・イヤホンを使用している自転車乗りがいるのに実際に取り締まっているのを見たことはない。高校生に対して通学路等において安全指導を実施していると言うが、取り締まっている姿が見えない。高校の指導が行われているようにも見えない。20−30%が手に持って自転車に乗っている。

 だいたいこの条例の改定内容は変である。こんなザル条例はない。携帯を持っていても「いえ、チラッと見てるだけです」、ヘッドホン・イヤホンをしていても「いえ、周囲の音は聞こえてます」、「小さな音で聴いてます・・」「英語です・・」、などと言われかねない。だから、取り締まりの腰が引けているのだろう。

 もし本気に歩行者を守ろうとするなら、携帯は手に持っているだけで、ヘッドホンはつけているだけで取り締まれるようにすべきである。


5/19(日)晴れ・夕方雨 ゾンタクラブバザー オーディオアンプ入れ替え 畠仕事
0:30起床、いつもの如し。本読み、文献読みほか。9:00秋田ゾンタクラブバザーに荷物搬入、9:30病院にて回診、11:00帰宅、一月ほど不調であったプリアンプを総合アンプに交換。数時間かかった。17:30畠にキウリ、トマト、ニガウリ植え付け。文献整理など。19:30夕食、21:00就眠。伊能歩行計399Km。

徒歩通勤(10) 歩行者と自転車(2)、イヤフォン、携帯は徹底して禁止を(1)
 昨日帰路、歩道を歩行中にイヤフォン、かつ携帯を使用しながら対向してきた高校生と軽く接触した。高校生は大きくバランスを崩した。車道側に転んだりしたら大変なことにもなり得た。彼は謝りもせずに立ち去った。

 こんな状況を目の前にすると、20年ほど前に男鹿街道で狭い歩道を自転車ですれ違う際に高校生同士が接触し、女子高校生が車道側に転倒、後方から走っていたダンプに頭部を轢かれて即死したおぞましい事故を思い出す。当時は小型カセットプレーヤーが流行っていた。女子高校生はイヤフォンを使用していたという。

 当時わが家の子どもたち3人も自転車で通学していたこともあって、また交通事故に関心もあってこの事故は無関心ではいられなかった。1ヶ月ほど経ってから現場に行ってみた。車道も細く、8:00前後だったから車も多くダンプは歩道側に寄って走っていたと考えられる。また、歩道と車道はブロックひとつほどの高さで区分されていたが、狭くて自転車で交差するにはどちらかが譲らなければならない幅であった。

 そのとき感じたのは、イヤフォン使用は状況判断を困難にした、自転車双方が不注意であった、ダンプのドライバーも歩道の状況を確認し安全に走行すべきであった・・などなどであった。これ以上の詳細は私にはわからない。

 自転車は車両であり道都交通法でルールが定められているが、免許や許可制でもないために、あまり守られていない。また、ろくに取り締まりもされていない。

 自転車走行時の禁止事項(一部はマナー)は以下のごとくである。
■蛇行走行、■無灯火(罰金5万円以下)、■傘さし(罰金5万円以下)、■携帯(罰金5万円以下)、■飲酒(罰金100万円以下、5年以下懲役)、■標識遵守、■走行は指定の場所、車道は左側・歩道走行時は車道側徐行、■歩行者に迷惑かけない走行、■一時停止遵守、■二人乗り禁止(例外あり)、■並列進行、■ ヘッドフォン・イヤフォンで音楽を聴きながらの走行(都道府県で異なる)、・・・など。

 私は優良自転車乗りといえた。ほぼ全項目当てはまらない。私のヘッドホン使用は県の条例に照らせば違反でない。ただ、条例を知ってからは使用をやめた。


5/18(土)快晴 菜園仕事 納戸の改変
0:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。9:40家庭菜園。書斎、書庫整理、不要品廃棄準備、週末パパ来週。午睡若干、データ整理他、19:00夕食、20:00就眠。伊能歩行計395Km。

徒歩通勤(10) 歩行者の立場、バスの乗客としてみた自転車(1)
 今春から自転車をやめて徒歩で通勤している。

 私は、かつては時々、ここ2年間は集中的に自転車通勤していた。いわゆるママチャリも用いたことはあるが、初年度はマウンテンバイクを使用、昨年一年はクロスバイクと分類されるスポ−ツタイプの自転車に乗っていた。後者は、スピードは出るが、重心が高いために低速では不安定で、かつ止まるときに足がつかない、運転姿勢が特殊で細かい動きは不得意である。
 浮かれて走っているときには気がつかなかったが、かなり注意して乗らねばならない特殊な乗り物だと思っている。私のクロスバイクは今は自宅の居間で運動用に用いている。

 多くの自転車乗りは歩道を走っている。車道走行はまれ中のまれである。私はこれを苦々しく見ている。

 自転車は道路交通法上、「車両」とされているので、歩道と車道の区別があるところでは車道を通行するのが原則である。ただし、例外として、以下の場合は、自転車が歩道を通行できることになっている。これは完全に誤解され、自転車乗りは歩道を通るべきだ、と思っているのか、我が物顔で歩道を通っている。

 しかし、自転車が歩道を走行していいのは以下の場合だけである。
(1)道路標識や道路標示で歩道走行が指定されている場合
(2)運転者が13歳未満、70歳以上、 身体に障害を持つ方
(3)車道や交通の状況からみてやむを得ない場合
(4)自転車レーンがある道路では、そこを通行しなければならない

 私は自転車に乗る時は(3)の場合をのぞき大部分車道を走っていた。歩行者に迷惑・危険をかけるべきでないからである。その点では私は優良自転車乗りであった。
 それが今はすっかり交通弱者になって、歩道を走る自転車からいろいろと迷惑を被る立場になった。

 本日夕方、両耳にイヤフォンを入れ、かつ携帯を見ながら自転車で対向してきた高校生と軽く接触した。私には実害はなかったが高校生は大きくバランスを崩した。車道側に転んだりしたら大変なことになる状況であった。


5/17(金)快晴 大曲中通病院外来
0:30起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:50家庭ゴミ。8:00ハト給餌後Taxi秋田駅着。8:02こまち大曲に。徒歩病院に、9:45-14:45大曲中通病院外来。徒歩駅15:16こまち,秋田駅自宅間徒歩、17:30帰宅。玄米30Kg精米、新聞など。19:30夕食、20:30就眠。伊能歩行計387Km。

心房細動(2)脳塞栓より実際には心臓突然死が多い
 心房細動の臨床研究に心房細動患者18.113名を2年間追跡した「RE-LYレジストリ」と言うのがある。とても有名な臨床研究である。
 今回の国際脳卒中学会で報告されたのは死亡例の分析である。

 この検討期間中に死亡したのは1.371例であったが、そのうちの842例(61.4%)が心血管系の原因での死亡であった。その内訳は心臓突然死と心不全死をあわせて37.4%で、さらにその内訳を見ると前者が22.3%、後者が15.1%であった。一方、脳を含む全身性の塞栓症死は死亡の7%、出血死は2.9%だった。あとの30%ほどはこれ以外の原因による死亡である。

 要するに抗凝固療法中の心房細動患者の死因を私の目で並べてみると、心臓血管系の病気(61.4%)>種々の全身疾患(約30%)>全身性塞栓症(7%)>出血死(2%)となる。心臓血管系の病気のなかでは、突然死・心不全以外の死亡>突然死>心不全死と言うことだろう。

 だから私も突然死の可能性は高い。
 心房細動は長い間不治の病であった。ところがここ10年ばかり新しい治療法が登場してきた。それがカテーテルアブレーションで、電気的に原因となっている部位に熱を加えてそれによって根治を目指す治療である。

 心房細動の症状、合併症をコントロールしながら長くつきあっていくのか、私は現状ではこの方針のもとで治療を続けているが、正直なところこのままで良いのか迷っている。

 「塩酸ピルジカイニド」開始して約1年、頻度は減ったように思うが相変わらず発作性心房細動は続いている。「 ダビガトラン」の服用を開始して6ヶ月となる。多少の胃部不快感があるほか塞栓症再発等の大きなエピドードはないが、前からある右の鼠蹊ヘルニアが徐々に育ってきていて時に痛みを感じるようになってきたから何れは手術が必要になる。その際には抗凝固薬の使用がないことが望ましい。これも根治療法に関心を持ち始めたことに関連している。


5/16(木)快晴 外来 飯川病院
0:30起床、文献読み、新聞チェック他。8:00徒歩病院着.患者関連書類他。8:45-13:20外来、疲弊。14:00-17:00飯川病院。18:30徒歩帰宅、夕食、20:15就眠。伊能歩行計372Km。

心房細動(1)抗凝固薬の恩恵は明らかだが、心臓死は多い   
私はいま発作性心房細動で治療中である。
 自身の不整脈は2000年頃からだったと記憶している。寝不足と心的ストレスは私にとって明らかに誘発因子であた。引退後も寝不足は改善できていないが、心的ストレスは積極的に排除している。しかし、不整脈に効果はなかった。
 
 年2回の健康診断の記録では心電図異常が初めて出たのは2008年で上室性期外収縮であった。その後も不整脈は続いていたが検診上では異常なく、2011年2月、9月に2度続けて上室性期外収縮が、2012年2月に初めて心房細動が記録された。
 心房細動は高頻度に脳塞栓症の原因になり得るから軽視すべきでない。循環器科の評価を受け抗不整脈剤の「塩酸ピルジカイニド」50mgを一日3回服用、2012年11月に脳梗塞を発症してからは血液凝固阻止剤の「ダビガトラン」75mgを一日2回服用している。

 本年2月にハワイで国際脳卒中学会が行われた。
 通常こんな学会の抄録など読むことは滅多にないが、文献に目を通していたところたまたま目に止まった。心房細動は脳塞栓症発症の高リスク因子の一つで脳卒中学会でも注目されている。私もご多分に漏れず脳塞栓を発症したが、この中の報告を読むと心臓死についても結構厳しいデータが示されている。

 心房細動について ダビガトラン とワーファリン療法の効果の優劣を明らかにした臨床研究に「RE-LYレジストリ」と言うのがある。この研究では危険因子を有する心房細動患者18.113名を2年間追跡した。

 その中で明らかにされたのが ダビガトラン の優位性であり、この結果で本剤は一気に普及した。しかし、2011年3月の発売当初5ヶ月の間に ダビガトラン と因果関係が否定できない死亡例が5例発生した。ワーファリンより優位性が示され、使い易い薬剤と言えど、経験の乏しい臨床医が安易に使うのは危険である。

 今回報告されたのは死亡例の分析である。


5/15(水)晴れ一時雨  外来 飯川病院
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。8:00徒歩病院着。書類他。8:45-12:30外来、ドック処理6名分。14:00-17:00飯川病院。18:20徒歩帰宅。19:00夕食、22:15就寝。 歩行計360Km。

徒歩通勤(9) 偉人伊能忠敬(4) 千葉県を半分通過 現在勝浦市付近
 
私はこの4月7日に伊能忠敬に弟子入りした。
 師の指導を受けながら、師が歩いたルートを辿って歩き始めた。最初の2週間ほどは下肢の筋肉痛がつらかったが、いまは殆どない。徒歩通勤してから460Km、弟子入りしてから360Kmほど歩行した。データが蓄積されていくのがうれしい。

 東京を出るまでは約60Kmと短いが、千葉県は海岸線がとても長い。550Kmもある。現在、千葉県勝浦市付近を歩いていることになる。千葉県でいままで通過した地区で私が知っていたのは、房総半島、地名としては浦安、船橋、千葉、木更津、袖ヶ浦、野島崎、おせんころがし、勝浦程度であるが、いままでは県の中で何処にあるのか、位置関係など全く知らなかった。若干知っていたのは木更津で羽田に向かう秋田便が高度を下げて東京湾にさしかかる時に真下に見えるのが木更津市街であることくらいであった。

 最近は数日ごとに日本地図で通過点を確認して、Wikipediaで地域の産業や文化について読んでみる。千葉市が東京に近いのを始めて知った。ずいぶんと広い県であるが房総半島は山岳丘陵地帯が多く、海岸線に市町村が点在している。 おせんころがしは陸上を通過するのに難所中の難所と追われている。私は簡単に通過したが、当時、測量をしながら歩いた伊能忠敬の苦労が忍ばれる。

 私は地理については殆ど勉強したことがない。それが、この年になって改めて地域の勉強ができるようになった。つい先日までは思ってもいなかったことである。何処まで行けるか分からないが楽しみが増えた。


5/14(火) 朝小雨・夕快晴 68回目の感謝の日  外来 飯川病院  
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。8;10病院着、雨のため徒歩は半コースのみ。 8:45-14:10外来。大混雑、疲弊。そのまま飯川病院に移動。18:30徒歩帰宅。19:00夕食、20;15就眠。歩行計346Km。

68回目の感謝の日 レクイエムを聴く日々 
今年もなんとか5/14を迎えられた。感慨深い。数人の方から祝いのメールがあった。昨晩は蕎麦とミニケーキの祝い膳が出た。この質素さが良い。

 昨年は自分の不注意からであったが、自転車による転倒、それに関連して腸閉塞、さらに引き続き脳梗塞を発症した。右片麻痺、失語症、意識障害を経験した。 その後は脳梗塞発症予防薬を服用していて再発の兆しはないが、いつ爆弾を抱えたことは確かである。いまも目覚めたときに先ず四肢の動きは良いか、声は出るか、確かめる。

 私はいま、自分の性格に相応しい生活を求めている。まだ業務が多くて十分とはいえないがその方向上にある。可能な範囲でさらに求めていく。
 そのコンセプトは、昨年と同じだが、
■自由に、ホンネで生きる。
■やりたいことをやる。やりたくないことは受けない。
■移動機能を維持する、
■診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。
■死に支度、かな。

 この中では「やりたくないことはやらない」が不十分である。だから、まだ忙しい。寝る時間も惜しい。最近は起床時間が一層早くなった。かつては午前1時半以降の起床であったが最近は0時過ぎには起きる。

 そんな時間から起きだして何しているのか?と問われることがある。静かな環境で音楽、ラジオ深夜便を聴きながら、主に活字を追う毎日である。そして歩く。ウイークデイは6時間ほど診療に就く、4月下旬から5月一杯は事情があって8時間診療となっている。また歩く。休日は晴耕雨聴読的生活である。読の分野では太宰に取り組んでいる。

 聴の分野では宗教音楽に取り組んでいる。
 昭和53年母ハナが死去した。十分ケアできず私に遺恨を残した。この時期、反省と心を落ち着かせるために宗教音楽を買い集め集中的に聴いた。本年4月以降それらをかき集め再度聴き始めた。35年振りにとりだしたレコードであるが、遜色なくいい音でなっている。いまはこれらを自分のために聴いている。レクイエム、ミサ曲など、作曲家自身が迫り来る死を意識して作曲した曲である。時代や文化が異なっていても人間はそれほど変わっていないことが理解できる。

 68回目の感謝の日を無事迎えられてとてもうれしい。明日からの毎日毎日は私に残された人生の初日である。大切にしたいものだ。 

 多くの、お世話いただいた方々に、心から感謝いたします。


5/13 (月) 快晴 健康クリニック 午後飯川病院
1:30飯川病院で起床,文献チェック、随想読みほか.8;40徒歩病院着。9;00健康クリニックへ。10:20外来ドック終了。以降は医局で書類処理。13:45-17:00飯川病院、18:30徒歩帰宅。19:00夕食、20;15就眠。歩行計338Km。

四季2013(1)好きな夏が到来

(秋田貨物駅脇の歩行者道路から)

 今年の桜、なんか変だったがまず桜の季節は終了した。我が家のしだれ桜も散った。八重桜はこれからであるが、私の春は終わった。
 私にとっての四季は暦上のそれとは異なる。勝手に以下のように分類している。

■春 除雪が不要になる時期から桜が散るまで。
■夏 桜が散った時期から8月13日まで。
■秋 8月14日から降雪時期まで
■冬 除雪が必要になる時から不要になるまで

 雪が消え春になるとともに、というか日照時間が長くなるとともに私の気分は高揚し、日照時間が短くなると徐々に落ち込みに向かう。いま、4:00am、もううっすらと夜があけてくる。静かな夜明けである。

 季節を好きな順に並べれば、夏>春>冬>秋である。
 私にとっての春は除雪から解放されることとともに訪れる。それだけ除雪が負担になっていることでもある。春と言ってもまだまだ寒いし降雪もある。今年の春は格別に寒かった。例年より1-2℃は低かったようだ。それでも、季節は逆戻りはしない。確実に暖かくなっていく。私は熱い炎天で動き回るのが好きだ。右肩上がりに暖かくなっていくこの季節、どんな夏になるのだろうか、期待している。

 もう心は外に、自然に向かい、気力も充実してくる。

 今年は道路に若干雪が残っていた時期から徒歩通勤を始めた。大地を覆った雪が少しずつ消褪していくさまを毎日楽しむ。雪が消え現れた大地は、しばらくの間一見何も変化していないように見えるが、徐々に強くなる日差しを浴びて少しずつ変化を見せる。やまやまの木々も若芽が徐々に大きくなって行く。路傍には一斉にツクシンボが顔を出し、胞子を振りまいているな、思ったらもうスギナが密集し始めた。毎日のこの変化を味わうのが楽しい。

 「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」、この心境に一歩近づいたのかな、と思う。これは名声を求めず、心豊かに歌や書の風雅の世界に生きた江戸時代の歌人橘曙覧(たちばなのあけみ)の作であるが、1994年に天皇・皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が挨拶の中に引用した一首である。

 夏の太陽が織りなす変化も楽しみである。
 今日の夕方、青空と時折雲にかくされる太陽がとても美しかった。


5/12(日)晴れ 飯川病院当直
1:30起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。食卓のいす修理、宗教関連のレコード30枚ほどピックアップ、しばらく聴き込む予定。ハト用の餌石臼で粉砕し準備。16:00徒歩にて飯川病院へ、17:05当直に。18:00検食、新聞文献整理など。19:30就眠。歩行計326Km。

デジタル時計 vs アナログ時計(2) 時計に時計以上の価値を求める不思議
 (続)今朝、1:30ころiPhoneにH系の迷惑メールが入った。削除の過程で昨夕の近隣の病院からの電話着信記録がPHSと同じ17:01であることに気づいた。PHS・iPhoneも同時刻に鳴ったのではなくiPhoneが後で、PHSと数分ないし10分くらいの時間差があった。この時点でPHS・iPhoneの表示時間が10分ほど違うこと、PHSの方が10分進んでいたことに気づいた。死亡時間は家族のいう17:03が正しかった。翌朝、訂正した診断書に丁寧な詫び状をつけて発行した。H系の迷惑メールに感謝。

 非は私の方にあった。何のために時間の訂正を申し出たのか理解できなかったが、分かってみると当然の申し出であった。

 業務上のPHSは操作するごとに時間が表示されるが、業務では詳細な時間を必要とすることは殆どない。だから、10分間のくるいについて年余にわたって気づいていなかった。気づかなかったのは私の不注意によるが、私自身は最近のデジタル時計に対して「時計として信頼できる」と言う前提に立っていて疑ったことがなかったからである。安物でくるうのを見たことがあるが、比較的最近の製品である医療用PHSに組み込まれた時計を疑ったこともない。この件から、何でも一度は疑ってかかるべしとの教訓を得た。 
 
 私は腕時計を購入したことはない。第一邪魔である。私にとっては時計は時間を知る道具であってそれ以上でもそれ以下でもない。我が家の家族たちも、それぞれそれなりの付加価値がついた時計を使用している。まあ、多少意見はあるが身の丈にあった品の範囲なら良いとしよう。

 私はもし購入するとしても正確に時間を刻めばそれで十分である。せいぜい数千円ので良い。この価格帯でもデザインも秀逸で、電波時計あり、かつ太陽光発電で高機能のが揃っていて驚く。

 時計・宝石見本市の一つに「バーゼルワールド」がある。ここでは最近作の時計が発表されるが、今年はダイヤをちりばめた2億3千万円の時計をから、新機構を取り入れた3千万円クラスの製品が目白押して、1千万円−数100万円クラスのは超お買い得品!!!に見えるのだそうだ。ケチな私には何たる世界!!!と驚くばかりである。
 面白いことに、このような超高級品にはデジタル式のは殆ど見られない。大部分が昔ながらの機械式と言う。確かに、時計用のクオーツ式のムーヴメントはかなりの品でも数千円から数万円で、これを高級時計に仕立てたら私に金箔でできた十二単を着せて市場に出すようなもので最高にアンバランスで夢も感じられない。一方、機械式時計はいまでも改良され発展を遂げていると言うことで、そのデザイン性、進化のロマンや物語性に加え、落ち難い資産価値も評価されての価格だと言うことで、それなりの方々には広く支持されているらしい。
 不思議な世界があるものだ。


5/11(土)小雨 港北診療所 
0:10起床。読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理。8:45Taxi港北診療所へ。9:00-12:30外来、雨で歩行できず迎えの車にて帰宅。侑奈の週末パパ空路来訪。午睡、電気スタンド修理。自炊データ処理など。19:00夕食、20:00就寝、歩行計322Km。

デジタル時計 vs アナログ時計(1) 最近の時計は常に正確・・ではなかった
 私はデジタル時計が嫌いである。見た瞬間の時間は明確に分かるが、それだけである。一方、アナログ時計は時間が分かる他に、12時間あるいは24時間単位の時間的イメージが瞬時にわいてくる。例えば、夕食後に就寝するまでの間に何をしようか、どの本を読もうか、などをアナログの文字盤を見て考えることができる。デジタル時計では今後の時間の流れを知るには時間の計算をしなければならない。私は数値にからきし弱いからデジタルが示す時間をアナログの文字盤に置き換えて時間的イメージを感じ取る。デジタル時計は私には向いていない。

 私は自分で時計を買うなら絶対にアナログと決めているのだが、買う機会が一度もなく今に至っている。
 昭和35年頃から10年ほどは兄からもらったSEIKO製のゼンマイ式時計を用いていた。1分/日ほどの誤差が出たが巻き上げるときに習慣として確認し修正した。リューズが抜け易くなったのを機会に使用をやめた。だましだまし使おうと思えばいまでも使用可能である。この時の経験からはアナログは若干はくるうものだと刷り込まれている。

 その後は小型の計算機等にはデジタル時計がついているのでもっぱらそれで代用、さらに携帯電話時代になった。これで時計を買う機会は無くなった。時計はアナ・デジともにクオーツ時代となり誤差は数秒/年レベルに、さらに定期的に標準時間に自動修正される時代となっている。最近は時間の確認はiPhoneですることが多い。

 先日、デジタル時計を過信して失敗した。
 先週、主治医として受け持っていた患者が死亡した。高齢で多臓器に不全があり意識もなく、静かに見守っていくことにしていた方である。私が業務についている時だけ使用する医療用PHSに病棟から患者の状況について報告が入ったのは17:01で、近隣の病院の午後診療を手伝っていた。そのまま見守るよう指示して病棟に駆けつた。形の如く死亡を確認し、PHSで時刻をみて死亡時間を17:13と告げた。この直前に近隣の病院からも患者不調との連絡が入ったが、こちらの方は若干余裕がある状況だったので、死亡診断書を記載してから近隣の病院に戻り対応した。こちらの患者は間もなく落ち着いた。

 徒歩で家に向かっていたが19:30頃に病棟から連絡あり、診断書の死亡時間が17:03ではないか?家族から修正してほしいと申し出があった、とのことで明朝対応することにした。私はこの時点ではPHSの着信記録は17:01であり、17:03は路上を移動中であったはずだから家族の方が時間を見間違えたのだ・・と考え、朝に家族に説明しようと考えていた。

 それが、実際には私の方が間違っていた。


5/10(金)快晴 大曲中通病院外来 家内帰宅
0:30起床、文献読み。7:00Taxiにて旧県立美術館前で鳩にえさ後病院へ。患者見舞い後飯川病院に立ち寄り死亡診断書記載後駅に、8:02こまち、徒歩で病院、9:00-14:45大曲外来。病院→大曲駅、秋田駅→自宅徒歩。17:30帰宅。家内が無事帰っていた。19:00夕食、20:30就寝。 歩行計318Km。

桜 2013年(2)野鳥の「ウソ」の食害で花勢が悪かった? ウソでしょう 
 待ちに待った桜の季節は開花、満開、花吹雪もなく、いつの間にか終わってしまった。私はそれほど桜が好きと言う訳ではないが、いや、嫌いではないが、個人的は春から夏の切り替えの節目にしているからである。桜が散ると私は大好きな夏を迎える。

 今年の桜はちょっと変であった。開花が遅れただけでなく、花勢がいつもより乏しいという印象である。これは秋田だけでなく新聞によると大館でも、岩手でも同様だったらしい。関係者は花芽が野鳥の「ウソ」によって食べられたためと指摘しているようであるが、新聞はきちんと裏を取って報道しているのだろうか。
 私はそれはウソでしょう、と思う。

 私は小さい頃から我が家の庭に現れる「ウソ」が好きであった。スズメよりやや大きく、雄の頬は淡桃色で比較的ずんぐりし、雄の頬部は淡桃色で美しくいつも眺めていたものである。私にとってはスズメに次いで親しみを持っている小鳥である。「ウソ」は木の実や芽、時にはサクラ、ウメなどの花やつぼみ、昆虫などを食べることから一般的にはあまり好まれている鳥とは言えない。秋田に来てからほとんど見ることはかった。

 今年は「ウソ」が若干話題になっていて懐かしい思いがする。今年の桜の花勢が今ひとつであったが、その理由に「ウソ」による食害が挙げられている。私は今春から徒歩通勤していこともあって草木や鳥たちを観察している。双眼鏡も携帯している。私は大好きな「ウソ」を見かけたら見逃さないはずであるが、まだ一羽にも遭遇していない。花芽を食べられたためとすればかなりの数の「ウソ」を見かけたはずであるし、食害には地域差もあろう。「ウソ」が悪者になっているのが気の毒に思えてならない。野鳥「ウソ」はウソをつかないが人間がウソをついている。

 今年の桜の花に勢いがなかった理由は野鳥「ウソ」のせいでもなく、天候のせいでもないと思う。今年の4月以降の秋田の気温は2度ほど低かったと言う。春の寒暖の差が開花のスイッチを入れるとされているから、開花が遅れたのはこのためであろう。

 私は、知識も証拠も持っている訳ではないが、昨秋の厳しい残暑が今春の花勢に関連しているのではないかと思っている。桜は秋のうちに来期の開花のための準備を整えてから冬を迎える。だから、他の木々と異なり桜の開花には葉による光合成は不要である。このことが桜の美しさの背景である。この開花のための準備が昨秋、高温のためにうまく行かなかったのでは?と推論する。これもウソかな?


5/9(木)曇り 外来 午後飯川病院 竹下夢二展覧会
0:30起床。文献等若干処理。画像収集処理。7:50徒歩病院着。患者みまい、回診他病棟関連業務。8:45-13:15外来、混雑し疲弊。17:15家内の車を中通病院に移動。にぎわい館の竹下夢二展覧会を観る。19:00通町書店経由徒歩帰宅.夕食。20:00就寝。歩行計304Km。

桜 2013年(1)秋田市の桜 今年の花はなんだか変だ 
 待ちに待った桜の季節はいつの間にか終わってしまった。
 今年の桜は変である。関東まで順調に北上してきた桜前線は東北の手前で寒波が続いたために停滞しなかなか咲かなかった。

 例年なら秋田は四月下旬に一気に咲く。私の例年のメモによれば今年は一週間ほど開花が遅れ、しかも、だらだらと足並みもそろわず咲き始めた。通勤路の桜が3分咲きとなったのは4月25日で、27-28日にかけて満開に、5月6日には散り始め、枝には葉が目立ち始めた。

 今年は帰路に千秋公園をほぼ毎日横断し桜を観察した。千秋公園の桜は平地にある桜よりも開花が遅い。4月18日から桜祭りが始まって提灯が吊り下げられ、夜間の照明器具も準備されたが、桜は殆ど咲いておらず出店も出足が遅かった。22日には千秋公園はつぼみがやや膨らんだ程度であったが出店がほぼ出そろったように見えた。観桜客はまばらで店のスタッフが手持ち無沙汰に客を待っていた。

 満開の時には大勢の人出があるものと期待していたであろうが、実際にはそうはならなかった。千秋公園の本丸の桜はまだ8分咲きでこれからだというのに桜祭りは予定通り30日に会期を終了した。夜間のライトアップも終了、照明はいつもの街灯だけとなった。電気の供給も外されたのでこの日を持って所狭しと並んだ屋台も撤退し一気に寂しくなった。だから今年の桜祭り期間の来場者は20万人程度と昨年に比較して2/3程度だったらしい。

 私は千秋公園の桜はあまり美しいとは思っていない。枝振りも乏しいし、満開状態であっても花の密度は粗だからである。染井吉野が老齢化したためかと思っているが、今年はいつもに比べて花に勢いがなかった。私が最も気に入っている天徳寺ガード脇の桜も同様に花勢が今ひとつであった。いつもなら密に咲き誇り、散り始めると時折の風に花びらが舞い上がり、車が花びらを巻き上げる。そんな、何とも言われぬ素晴らしい光景が2-3日は続く。しかし、今年は散り際もクリアでなかった。いつの間にか葉桜になってしまった、という感じである。

 この花勢がいつもより乏しいというのは秋田だけでなく大館でも、岩手でも同様であったとそれぞれの地元紙は伝えていた。公園を管理する市町村では花芽が野鳥のウソによって食べられたためと指摘している。


5/8(水)晴れ 外来 午後飯川病院 患者家族面談 
0:30起床、文献チェック他。7:50徒歩病院着、重症患者回診他。8:45-13:10外来、疲弊。14:30-17:00飯川病院、中通病院重症患者死去。家族面談。17:30飯川病院患者も急変、再度戻り対応、家族面談。なんとか落ち着き徒歩とバスにて帰宅、19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩行計287Km。

徒歩通勤(8) 帰路、時にバスに乗る バスの快適さ、心地よさ再認識
 今年は自転車通勤を止め、歩いている。3月19日に徒歩通勤を始め、400Kmほど歩いたが、伊能忠敬入門後に開始したメーターは287Kmを示している。

 現役の頃は片道1時間を徒歩通勤に費やすのが惜しくて車、バイク、自転車にしていた。バイク、自転車は便利であるがある事情からもう乗るつもりは無い。今春から主に徒歩通勤にしている。歩行用のナビゲーターで測定すると自宅から病院間は5.7Kmであった。往路は久保田新橋でコイに、旧県立美術館前の道路でハトに餌を与えてから病院に向かう。これが朝の楽しみである。往路の所要時間は55分である。

 帰路も基本的には徒歩帰宅であるが、体力と時間に余裕があると遠回りしたり、通ったことの無い路地に入ってみる。桜の開花から散りはじめまでは連日千秋公演を通って桜を観察した。帰路の距離はいろいろで6-9Kmほどとなる。

 歩いて帰る気力が残っていないとき、雨天のときなどはバスを利用して帰る。私が利用できる路線バスは1時間2本である。病院から最短のバス停は木内デパート前で歩いて12-3分である。しかし、そこから乗ることは滅多に無く、時計を見ながらバスルートに沿って歩き、最も待ち時間の少ないと思われる停留所でバスを待つ。降車は斎場前で、家まで歩いて12-3分である。

 バスを利用し始めて再認識したのは、バスの快適さ、心地よさである。マイカー、バイク、自転車では味わえない安心感、開放感がある。

 自分が利用しているときはそれほど気にしていなかったが、歩く立場になってみると市街地を走るバイク、自転車は随分危険な乗り物と思う。私も随分と気を使って走っていたものと改めて思う。
 車も同じである。バスの中から見ると乗用車も大変に見える。私も運転しているときは意識していなかったが、対歩行者、車間距離、追い越し、レーン選び、信号待ち・・・などなど、運転中は四方八方に注意しながら走っている。運転嫌いの私にとっていかにストレスになっているのか、これも歩行やバスに乗る様になってから改めて気づいたことである。

 バスは大型だから空間も広くゆったりしている。座れないこともあるが私が乗る路線はラッシュ時でもそう混まない。何れはシートは空く。自分で運転しなくて良いからすべてにおいて気楽で、快適さにつながる。この気分の良さは運転お任せのタクシーでも得られない心地よさである。


5/7(火)曇り 外来 午後飯川病院
0:30起床、文献検討他。新聞チェック。8:05徒歩病院着。回診他、患者見舞い。 8:40-13:00外来、14:00-17:00飯川病院。再度病院により、18:15徒歩とバスで帰宅、新聞、文献他。夕食、20:20就眠。歩行計276Km。

わが家のゴールデンウイーク2013   
今年のゴールデンウイーク(GW)は第一線を退いて2回目のGWである。
 今年は、間に平日業務日が3日間あって、4月27日-29日、5月3日-6日と、土曜含め7日間業務フリーであった。実際には病棟に重症患者がいて連日回診に行った。近隣の飯川病院の日当直1回、日直1回で時間的にはやや窮屈であった。なおこの間、家内は所用でこの間ずっと家を空けていたので主役が抜けた、ちょっと変なGWであった。

 3月下旬に長女に孫が生まれ,いま我が家で暮らしている。孫のパパも来秋し我が家で過ごした。一方、何時ものごとく息子一家4人+一匹も帰省したので手が回りきれず、北海道から賄いの石井さんの手伝いも得た。11人集まった日もあった。

■4/27(土)休日 重症患者対応 ベビーシート買にトイザラスに
■4/28(日) 休日 重症患者対応 息子一家来訪 3Fの物置の整理清掃
■4/29(月)休日 重症患者対応 飯川病院日直 息子一家離秋
■4/30(火)(通常診療日) 午前外来 午後飯川病院 重症患者対応
■5/1  (水) (通常診療日) 午前外来 午後飯川病院 重症患者対応
■5/2 (木) (通常診療日) 午前外来 午後飯川病院 重症患者対応
■5/3 (金) 休日 重症患者対応 自室整理。
■5/4 (土) 休日 息子一家来訪 録音データ整理。宗教音楽に集中。
■5/5 (日) 休日  飯川病院日当直  重症患者回診
■5/6 (月) 休日  重症患者対応 プリウスにチャイルドシートを取り付け。

 中休みはあったが3歳半と1歳半の孫の対応は大変。とにかく成長が早い。私とはテンポが違いすぎて長時間の相手は無理。早々に自室に引っ込み、時々見に出る程度。子育ては実に大変である。こんな中、日直、日当直に就くのも悪くない。

 このGWは孫中心で、喧噪で落ち着かない日々になったが、時間をほぼ自分のために、家族のために使えたと思う。この間、天候に恵まれず寒い日々であったので庭仕事などの外仕事や掃除など殆どできなかったのが残念であった。それでもよく歩いた。

 我が家の主役である家内が不在だったが、次次世代をになう孫たち3人の成長を実感しながら、大勢で和気あいあいと過ごしたから良いGWであった、と評価しよう。


5/6(月)振替休日 曇りのち降雨 桜は散り始めた
0:00飯川病院で起床。徒然、録音データ整理など。9:00中通病院に、重症患者回診、患者見舞い。10:30徒歩帰宅。若干孫たちを相手し、自室にこもる。また出てきて、すぐ飽きてこもるの繰り返し。午後、プリウスにチャイルドシートを取り付け。15:30息子一家離秋、しばらく空虚な時間が流れた。夕方から何時ものペースに戻る。19:00夕食、20:45就寝。歩行計261Km。

レコード、CDで楽しむ(2)廃棄処分:CDは捨てられるが、レコードは捨てられない
 私は1971年以降1985年にかけて年に数10−数100枚もLPレコードを購入していた。だから正確には分からないが1000枚以上所持していることになる。1985年頃からCDが普及し始め、ノイズのない、より音質の良い夢のメディアとして短期間にレコードに取って代わった。この後もしばらくレコードとCDが併存していたが、この時を機会に私はレコードの購入をやめた。

 一方、CDは私にとっては物珍しさからの試し買いであった。CDは取り扱いに便利であるが、自宅の書斎で中音量で聞く範囲では必ずしもレコードより音がいいと思っていない。私が購入したCDは100枚足らずである。我が家ではCDも1000枚ほどあるが、大部分は長男が買い求めたもので、適宜それらを私も聴いている。

 家内も含め子供たちはレコードに興味も示さない。私のレコードはレアものはなくそんなに価値があるとは思えない。私が楽しめなくなったら自分で廃棄する。だから、今、あえてレコードで曲を楽しみたい。
 いま私は自分の所持品を次々と処分している。最も重くスペースを取っていたのは書籍で、書庫にした部屋、廊下は足の踏み場もないほどであったし、地震でもあれば床が抜けるかもしれない。そんなこともあって書籍を電子化して廃棄している。まだ進行形であるがこれでかなり部屋が広くなった。本は好きだし背表紙を見ているだけでも楽しいが、発想を変えた。電子化後に本を廃棄することにもう抵抗はない。

 先日、長男が段ボールにCDを100枚ほど詰めて私の書斎に置いていった。ラックのスペースを空けるために廃棄したいと言う。それらの中には勿体ないと思う盤もあったが既に電子化していると言うので、小分けにして市のゴミ集配所に出した。
 一方、私のレコードは次の廃棄の候補であるが、実際にはレコードは捨てられない。私自身は中学のときに買って、すり減ってしまったレコードを含め、まだ一枚も捨てていない。

 このCDとレコードの差は何なんだろうかと思う。

 レコードは当時は結構高価であった。だから、大切に扱ってきた。盤をじっくり眺める。曲の切れ目、楽章の終わり、ffの場所、ppの場所もわかる。曲さえわかる場合もある。指紋を付けないよう扱い、湿らせたクリーナーでホコリを取り、針先も一枚ごとに掃除した。収納はジャケット、うち袋に入れて曲がらないようほぼ垂直に立てた。腫れ物に触るがごとくである。いまでもほぼ変わりなく扱っている。一見面倒くさそうだがこのプロセスは全然苦ににならない。これが愛着と言うものだろう。

 CDはそう安いとは思わないが、当時の貨幣価値を考えればレコードの1/3から1/4程度ではなかろうか。盤は美しい光沢であるが、見てても楽しくない。便利なだけに私の扱いは雑になる。録音された音楽ソースはパソコンに取り込んでしまえば、CD盤自体はプラスチック円盤にすぎなくなる。CDに戻そうと思えば不可能ではない。今後は我が家のCDはどんどん減っていくと思う。


5/5(日)こどもの日 雨のち曇り、飯川病院日当直
0:30起床。文献チェック、本読み。8:00徒歩病院に、重症患者回診と患者見舞い。8:20飯川病院。持参の新聞文献対応。重症者回診と患者の治療オーダー。12;00、18;00検食、19:30就寝。夕方長女のご亭主離秋。歩行計252Km。

レコード、CDで楽しむ(1)10数年ぶり音楽CD購入:「いきものがかり」のバラー丼
 今回、数年ぶりに音楽CDを購入した。多分10年以上自分ではCDを購入していなかったと思う。
 音源としてのCDの価値は決して減じていない。通常のCDより音質が良いSACDと言うのもある。

 しかし、最近音楽CDの売れゆきは最盛期に比較して半分以下になったと言われている。日本レコード協会によればCDなどの音楽ソフトの売り上げは1998年の6075億円から昨年は2856億円と半分以下、インターネットを通じた音楽配信は2009年に900億円に成長してきたが、こちらも予想に反して昨年は頭打ちになっているという。

 本年2月19日朝日新聞に興味深いアンケート結果が載っていた。beモニターを対象に調査し、回答者数4492人だったという。
■昨年CDを購入したか? □購入した49% □購入しなかった51%
■購入したのは? □1枚427人 □10枚以下1537人 □50枚以下193人
■購入しなかった理由は? □聴くことが減った1100人、□TV、ラジオ等で十分 463人、□インターネットで聴く □ダウンロードする・・・と続く。

 母集団の構成も教示していない大雑把なアンケート結果で、大した結果は導きだすことは出来ない。ただ、CDを購入したのは半数の人で、購入した人も大部分が年間10枚以下であることと、CD販売減少の背景には、音楽を聴く機会が減っているらしいこと、さらに、CDを買わなくとも音楽を入手する手段がふえてきたことの両者があると思われる。若い人たちは趣味や遊びも多彩になって、音楽を聴く機会が減ったのであろう。

 私もCD販売減少に貢献してきたが、先日「いきものがかり」のバラー丼と言うCDを購入した。横浜アリーナでの公演の実況を見て「風が吹いている」、「歩いていこう」などの曲にいたく興味を感じ、喧噪でないオリジナルの音源で聴いてみたかったからである。まだじっくり聴き込んではいないが、数回聴いた範囲ではなかなか良い。私が知らない曲を含めしばらく楽しめる。

 この購入したCDの行き先は今後どうなるのか?しばらくは直接楽しむだろうが、いずれはコンピューターに取り込んでMP3に変換し、iPodでヘッドフォンを通じてきき、CDは書庫に死蔵されることになろう。

 CDはレコード以上に悲しい運命を辿りそうである。デジタル音源だから容易にデータ化することが出来るが、この先進性がCD販売減少の背景の一つになっていると思う。


5/4(土)みどりの日 降雨・曇り・寒い 
0:40起床。文献整理,新聞チェックなど。4月分の録音データパソコン上で整理。宗教音楽のレコード取り出す。14:00長女の友人来訪。16:30息子夫婦来訪、17:30検食、20:00就寝。 降雨・寒いことで外出はスーパーの買い物のみ。歩行計240.5Km。

太宰 治を読み返す(4) 共感できる世界がある
 私は活字を追うことに大きな喜びを感じる。最も集中的に読んだのは大学入学後である。ひたすら乱読であったから、達成感は得たが各作品をじっくり味わったとは言えない。だからずっと再読の機会を持ちたいと思って本を処分しないでいたが、やっとそれが出来る機会が得られた。

 まず、太宰を選んだ。私の時間が何時終わるかわからないので、今回は晩年の作品から遡って読むこととした。
 今「人間失格」、「津軽」を読み直している。最初に読んだ時の印象は「変人・奇人」の独りよがりの作品として「勝手なことを主張している作品」と記憶していたが、読み返すとなかなかである。初回と同じ文庫本を読んでいるから何も変わっていない。私の感受性が変わったためである。再読の楽しみはここにある。

 考えてみれば、とるに足らない雑作品は別として芸術家が魂を込めて作り得た作品群は、音楽であれ、絵画であれ、映画であれ、文学作品であれ、要するに何であれ、繰り返して楽しむべき価値がある。繰り返して接するたびに得られる感動が必ずあるからである。私が最も親しんできたのは音楽の分野であるが、中には半世紀以上にわたって聴き続けているレコード盤もあるが、未だに聴く度ごとに新しい喜びを感じ取っている。

 繰り返し・・はあらゆる芸術の分野を鑑賞するのに重要であるが、とりわけ文字による文学作品はそう簡単に再読できない。時間が必要であり、集中力も必要だからである。再読は、読み手の人生経験、置かれている環境等によって感じ方は大きく異なってくる。だから初めて読んだ時より味わい深い。

 太宰は39歳で自ら命を断ったが、初回に読んだときは人生の一人の先輩の作品として、私の未知な人生の機微までを含め、どちらかと言うと批判めいた立場で読んでいた、と記憶している。
 いま、太宰より30年近くも長く生きた一人の読者として、早逝した天才が駆け足で通り過ぎた人生の足跡を味わい返している。そこには批判すべき点など些少で、殆どが理解でき、納得でき、共感できる世界がある。


5/3(金)憲法記念日 雨・曇り・寒い 
1:00起床、文献検索そのほか。 6:00家庭ゴミ集積所に。午前は録音データをiTune上で整理、自室整理。14:00息子一家来訪、昼食とり1時間ほどで男鹿に。自室の照明、家具関連の整備。16:00−18:15車病院へ。重症患者診察、患者見舞い、片道徒歩帰宅。19:30夕食、21:00就寝。2日間寒い。釧路で除雪車出動、息子の話では仙岩峠も降雪があったと。歩行計240.5Km。

なかいち広場のマスコットのひげ破損問題:折れて当たり前、騒ぎ過ぎだよ 
 私は徒歩で通勤途中、旧県立美術館前の路上でハトに餌を与え、エリアなかいち広場のを通って病院に向かう。広場の端に4月中旬にキツネの石像が設置された。ところが今月になって石像のひげが4度折られ、新聞、TVで報道された。4月30日までに4人がひげを折ったとして名乗り出たと言う。

 この像は人に姿を変えて秋田藩主に仕えたキツネ伝説に基づいた高さ150cmの御影石製で与次郎像と言うのだそうだ。これには樹脂製の6本のひげが差し込まれているがそのうちの4本が折られたと言う。
  反響の大きさに驚いて4人が秋田市や県警に名乗り出た。女子高生は記念写真を撮ろうとして抱きついたところ折れたと言うし、別の男性はいじっているうちに折れたと言う。

 私は徒歩出勤のときにこの像の脇をほぼ毎日通るが、残ったヒゲを見ると太めの線香のような柔軟性が乏しい樹脂製である。私は折った人が気の毒でならない。抱きついたり、いじったりするのにちょうど良いサイズの像である。名前からしてよじ上ったり、いじるのに丁度いい。親しみある扱いをしてほしくてこの場所に設置したのではなかったのだろうか。だとすれば、御影石製の像に折れやすい樹脂製のヒゲをつけるほうがおかしい。固い石像に折れやすい材質のヒゲがついているなど通常考えも及ばない。材質に差がありすぎる。これは製作者の側に問題がある。県警は悪意がないことから立件しないと言うが、この構造では器物破損罪を誘発する。

 ヒゲを柔軟性のある材質で作るなら細い鋼鉄製のバネにすればいいと私は思う。これなら180度曲げても折れることなく復元する。私のFMラジオのロッドアンテナは孫に折られたのでこの材質に替えた。今度はどんなに曲げても折れないので孫の方が驚いていた。

 いま石像はマスクをかけている。実に不自然である。さらに足下には「生え変わるまで待ってね」などと書いたプレートが設置してあった。いずれ再々修理するするのだそうだ。折れたままにしとけば良い。新聞はこの「ミニ事件」を何度か報道している。扱いが過剰である。

 エリアなかいちは秋田市中央域ににぎわいを創設すると言うことで鳴り物入りで作られたが、私から見て目的を達しているとは思えない。集客のための催しも企画も少ない。そのなか、この与次郎のヒゲ騒動である。久々話題になってなかいちのためには良かったかもしれない。


5/2(木)小雨 外来 飯川病院 
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他。6:00資源ゴミ集配所に。大量廃棄。7:00-8-00徒歩病院。8:45-13:00外来。14:30−17:00飯川病院、重症患者対応. 18:15徒歩帰宅。新聞処理。19:30夕食、20:30就寝。歩行計232.5Km。

3人めの孫誕生(6) 激しく揺れ動く娘の心情を思い、私は人知れず涙した(2)
 昨年3月、娘から喜びにあふれたメールが入った。「私にも赤ちゃんが出来ました」とあった。
 最小限の短文の中に娘の溢れんばかりの喜びが込められていた。これまでの苦労を考えれば当然である。私はこのメールを見た瞬間、娘の喜びがあまり大きいためにかえって心配になり落ち込んだ。妊娠反応が陽性に出たことは確かであろうが、その後胎児が順調に成長を続けるか、高齢妊娠だけに一抹の不安があったからである。そんなことは私以上に本人の方が知っていたはずだが、あまりにも屈託がない文面だったからである。

 それからも何度か連絡があったが、2週間ほどして胎児の成長が止まった、との報告があった。娘の落胆は読み取れたが、意外にもしっかりしていたので安堵した。

 昨年のゴールデンウイーク、夫婦で来秋し、5月4日裏庭の一角に埋葬し、土崎の休宝寺で家族中心で法要の会を持った。住職から「いのちはつながって行く・・」旨の挨拶をいただき感じ入った。ちょうど一年前のことである。

 この過程を通じて、妊娠が成立する可能性が示されたから不妊治療の継続の意義を確信した。最初の胎児は成長できなかったが、私どもに希望と光を与えてくれた大きな存在である。初夏、2度目の妊娠成立の報告がきた。今回はほぼ順調に育っている様子まで含めた落ち着いた文面であった。それ以降の経過はほぼ順調であった。満員電車での通勤にも耐え無事産休までたどり着いた時は本当に安堵した。間もなく里帰りし出産に備えた。

 高齢初産なので母子共々心配であった。いろいろあったが、さいわい○○は五体満足で成長も順調である。
 高齢初産には高齢パパも誕生した。○○のパパは多忙なビジネスマンで今のところは週末及び連休パパである。私はまだ10分程度しか触っていないがその数100倍は抱っこしている。かなりの子煩悩パパになりそうである。

 昨年のいま頃は埋葬と法要であった。わずか一年、我が家は新しいいのちの誕生と、会うたびに成長著しい二人の孫が揃って、喜びに溢れている。私ども夫婦も健康に注意しつつ三人の孫の成長を見守っていきたい。


5/1(水) 雨のち曇り 外来 飯川病院
1:30起床。文献チェックその他いつもの如し。8:00徒歩病院。見舞い、回診。書。8:45-13:30外来、14:00-17:00飯川病院。18:15徒歩帰宅途中降雨、桜町からバスに。新聞処理。19:30夕食、20:30就寝。歩行計219.5Km。

3人めの孫誕生(5) 激しく揺れ動く娘の心情を思い、私は人知れず涙した(1)
 4月26日長女夫婦に待望の赤ちゃんが生まれた。私どもにとって3人めの孫である。10年ほどに及ぶ不妊治療が実っての、おそらく最後のチャンスで得られた幸運な妊娠・出産であった。
 結果として高齢初産となり帝王切開で娩出したが、術後に子宮収縮不全で大出血を来した。いま我が家で一緒に過ごしているが、幸いその後の経過は母子ともに健やかで、時間ごとにホギャホギャ・・と元気に泣いている。

 健康に育った娘だったから結婚したての数年間は私どもは「子供なんていずれ出来るさ・・」と気楽に考えていたが、本人は徐々に焦り始めていたらしい。娘は帰巣本能が高く、暦上で休日が続いた際など頻回に帰省していた。寂しさを紛らわすためでもあっただろう。秋田にくれば、ほぼ同年代の従兄弟たちが次々と赤ちゃんを産むのを知ることになるが、そのことはかなり辛かったらしい。ある年の正月に子連れて訪れた従兄弟たちが帰った後で突然「もう、こんなに人が集まる時期には帰省したくない、子供や赤ちゃんを見るのが辛い・・」と堰を切った様に泣き出し、私はそのとき初めて娘の深い悩みに触れた。数年前の話で、当時既に不妊治療を受けていたが妊娠の兆は無かった時期である。

 若い夫婦は、「赤ちゃんは?お子さんは?・・」と、さほど親しくない方々から聞かれることが少なくない。親しければこんなことを聞くわけもない。聞く側は「いい天気ですね」とか「どちらまで』と言った通り一遍の挨拶の意味しか無いのだが、当の本人はその言葉にはかなり傷つくようだ。私自身はそっとして置きたくて直接触れたことは無いが、家内は女の立場で深く気にし、対話もしていた様である。

 その後、2−3年して「もう諦めました。心の整理がついたので心配しないでほしい」旨の連絡があって私自身は娘の心情を思い悲喜交々であった。しかし、息子に二人の子供が出来たこと、また、自分より高齢の人たちが出産できた体験談等に接して再度の挑戦となったようである。心の揺れ動きの中に娘の悲しみと執念を感じ取ったが、それもまた不憫であった。

 が、子供を産みたいという願望はもっとも私的で根本的な願いだから、親といえどもとやかく言える問題ではないから見守るしか無かった。そうは言っても私の心は娘の心情とともに揺れ動いていた。一部ではあるが娘と共感できていた、と思っている。父娘関係において、ないよりはあってよかった、先の見えないつらい体験であった。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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