徒然日記
2013年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(日)曇り・晴れ 年度最終日
 0:30起床、Mac関連本読み、文献・録音データその他の整理で過ごす。9:45車病院往復,入院患者回診、重症患者のオーダーなど追加。天候は略良好で午後は庭のプランターの整理、コンポスト準備、庭掃除など。17:00新聞チェックほか、19:00夕食。20:30就眠。

秋田新幹線(5) スーパーこまちに乗った
 3月16日からJR東日本のダイヤ改正があり、秋田新幹線に新型のスーパーこまちが4往復投入された。東北新幹線上では300km/h、在来線上は従来通り最高130km/hで走行する。順次こまちに置き換え、2014年春以降は東北新幹線上ではやぶさと連結して最高320km/hで走行する予定となっている。。

 私は1年前から週一回新幹線にて大曲に通勤している。大曲中通病院の外来の手伝いである。改正前は8:01発のこまち26号、帰路は15:24発の15号または16:27発こまち35号である。帰路のこまち15号は3月2日(土)に雪のために徐行運転中に脱線した号である。一日前に私も乗っていた。

 私はいつもダイヤ改正などあっても、どうせ大幅に変わっていないだろうと高をくくっていて時間表など見たこともない。3月22日に上りが一分遅くなったのには気づいたが、帰路のがどうなったのか確認もしなかった。

 3月22日は快晴で暖かかった。陽気に誘われて帰りは駅まで歩いた。かつての経験から駅までは歩いて23分である。14:58分に病院を出て、ホームで待ったが数分で来るはずの列車が来ない。若干遅れいているのかと思ったが来ない。この時点で改札口に戻り、15号はスーパーこまちで大曲駅15:16発に変更になっていたことに気づいた。やむなし、16:27発こまち35号で秋田に向かった。

 3月29日の帰路は無事スーパーこまちに乗れた。ホームに近づいてくると真紅の頭部のでかさがすごい。龍の頭部を思わせる。客車は灰色、ドア付近の小野小町をイメージしたロゴマークも新鮮である。普通車はいすが黄色系で背が高く、圧迫感がある。細かい変更はありそうだが、客車に収まってしまうとスーパーこまちに乗ったという実感がわかない。
 JR東海の新幹線を製造過程を追ったルポルタージュ「新幹線を作る」を読めばわかるが、安全に速度アップできるよう、見えないところではかなり改良されているのであろう。

 在来線上を試運転していたスーパーこまちを見たことがあるが、スタイルと速度がアンバランスで何となく気恥ずかしい感じがした。新幹線路を疾走するスーパーこまちは多分かなり格好いいのではないかと思った。


3/30(土)快晴 飯川病院日直 
 0:30起床、新聞・文献・徒然ほか。MP3の録音データ整理。早朝病院往復。午前は庭掃除など春の準備。積み重なった雪のために庭木のダメージが大きい。12:00半コース徒歩にて飯川病院へ、17:00まで日直、家内の車で帰宅、19:30夕食、20:30就眠。 徒歩Σ58Km。

看護師国家試験(2) EPA来日外国人の介護福祉士試験合格率は39.8%
 私はかつて法人立の看護師養成所の講師を10年以上もやっていたが、看護師に内科学の知識を無理矢理詰めむ教育に失望し、早々に退いた。ここ3年ほど臨時で講義していた。その度ごとに看護師教育の問題点を強く感じてきた。
 私に与えられた講義は、ほとんど基礎知識のない1年生に対して、広範な血液免疫の分野を3回、270分で講義、判定試験の割当は18分間であった。こんな講義は看護師にとって通過儀礼にすぎない。私にとっても何のための講義か意義を感じ取れず、苦痛のみであった。
 その割には看護師国家試験の合格率は高いが、これは教育内容を理解してというよりは試験対策の結果だと思う。

 一方、介護福祉士の場合、EPAで来日した外国人128人が国家試験に合格した。合格率は39.8%であったが、全体の合格率64.4%には及ばなかった。

 EPAに基づきインドネシアやフィリピンから来日した介護福祉士、看護師候補者は1500人に上っている。日本で働き続けるには看護師は3年以内、介護福祉士は原則4年以内に国家試験に合格しなければならない。

 看護師、介護福祉士ともに過剰な知識を詰め込もうとするカリキュラムと試験のあり方を見直すべきである。また、基礎知識を日本語の筆記試験で問う必要はない。母国語でうけさせればいい。我が国の大学入試においても外国語は英語だけでなくフランス語、ドイツ語でも受けられるではないか。もちろん現場では、日本語で働くことになるから問題はない。

 高齢化で日本の介護・福祉の現場は深刻な人手不足状態にある。厚労省は2025年に介護職が90万人以上不足すると推定している。看護職同様、介護・福祉の従事者を日本人だけで担うのは不可能である。

 厚労省は今回の試験から外国人候補者の試験時間を延長し、問題の漢字すべてに振り仮名をつける特例措置を導入した。だが、外国人候補者の合格率を見る限り、介護福祉士の場合は微増、看護師は前年より低下しており、効果があまりなかったと言わざるをえない。

 向学心があって来日した人材を追い返すような制度にしていては、候補者を送り出しているインドネシアやフィリピンをはじめ、国際社会からもそっぽを向かれる。意欲ある人材を受け入れる制度に早く見直さなければ、高齢化が進むほかの国々との人材の争奪戦に勝つこともできない。

 看護師・介護士教育のカリキュラム、国家試験の改善は我が国の国民生活の立場から見て重要な課題である。(介護福祉士に関しては日本経済新聞の記事を参考にさせていただいた)


3/29(金)晴れ 大曲中通病院外来 孫誕生
1:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。7:30Taxiにて駅に、8:02こまち、駅から病院へ徒歩、23分。8:45ー14:50大曲中通病院外来、徒歩にて駅へ。15:16発のスーパーこまち。初めて乗った。病院まで徒歩、回診他、17:45家族の車で帰宅。19:00夕食、20:30就寝。徒歩Σ52Km。

看護師国家試験(1) EPA来日外国人の合格者30人、合格率9.6% 
 国はEPA関連で外国人看護師候補者を5年前から受け入れている。
 第102回看護師国家試験の結果は先日公表されたが、EPA来日外国人の合格者30人、合格率9.6%であった。全体の合格率は90%であるのに比べると、極めて低水準である。昨年は47人が合格、一昨年の16人から見れば大きく増えた。しかし、今年は再度減少に転じた。

 EPAで来日した外国人候補者は3年以内に合格できないと帰国しなけれならない。しかし、2年前に特例で在留期間が1年延長され、試験時間も延長、難しい日本語にかなを付けるなどの配慮も行われた。しかし、その効果は表れなかった。
 私はそんな姑息的対応ではダメだと思っている。看護師の教育と、現実の労働実態と、国家試験の内容に大きな乖離があるからである。勿論、言葉の問題もある。

 日本は世界一の少子・高齢化社会を迎え、看護現場に多くの手が必要となる。10年ほど前、日本医師会は将来の看護師数を満たすには女子高校生の6人に一人が看護師の道に進む必要がある、と試算したことがある。看護師を含む医療関係者養成に関する委員会委員を努めていたときの記憶だから定かではないが、非現実的数値がはじき出された。だから、外国人人材にも門戸を開き、大いに力になって貰わなければならない。EPAはその一つの解決方法である。

 ところが、外国人看護師養成がうまく進んでいない。
 EPAで来日する看護師は本国で一定以上の経験を積んだ看護師であり、向学心が旺盛な人達である。にもかかわらず、これだけ合格率が低いことは看護師の教育と、現実の労働実態と、国家試験の内容に大きな乖離があることを示す。勿論、言葉の問題もある。言葉の問題はことさら大きく取り上げられているが、私は看護師の教育内容全体にかかわる問題だ、と考えている。


3/28(木)曇り・小雨 外来  
1:45起床、新聞文献、雑誌チェックとPDF化。6:31バス、7:00病院着。回診ほか、8:45-13:00外来。微熱他若干体調不
良。退院総括2編他。16:45車、半コース徒歩帰宅。新聞チェック、18:00自転車・DVD、19:00夕食、20:30就眠。徒歩Σ43Km。

徒歩通勤(2)今年からバスも併用する
 バスについての私の記憶には学生時代の新潟交通バスのことが鮮明である。市内と近郊は一律料金で、六花寮があった金衛町から新潟駅まで20円でいけた。1971年まで利用した。当時、郷里の盛岡の岩手中央バスに比較して随分安い運賃だ、と感心して利用していた。

 かつて秋田市には赤系統の塗装の秋田市交通局バスと、青系統の秋田中央交通が走っていた。秋田市は路面電車とバス事業を行っていたが、前者は1966年3月に廃止、バス事業は2006年3月に秋田中央交通へ移管が行われた。利用者の減少や市の財政難などが理由であった。秋田市内で私の初回の転居は将軍野であったが、この付近にはかつて市電が走っており近くの小路は電車通り、と呼ばれ市民には親しまれていた。 いまは電車通りと呼ぶ人もいなくなった。

 私の歩行による通勤のルートはバスルートとは異なり、後者の方が2Kmほど遠回りになる。天候、体調も良く時間的余裕があるときは通常の通勤ルートを歩き、ちょっと不安なときはバスルートを歩き、バスに追いつかれた時点でバスに乗る、あるいは適宜バスから降りて歩く、そんな計画を立てた。まだこれからだが準備を整えつつある。

 片道1時間余通勤にかかることになるが、この時間は録りだめていたラジオ深夜便の録音データを聴く時間に充てる。音楽プレーヤーのiPod nanoを2ヶノイズキャンセリングヘッドフォンにセットした。これには歩数計も付いているからその機能も用いることとした。目標は一日一万歩であるが、ここ数日のデータは8-9千歩/dayとなっている。私のヘッドフォンに関しては、自動車運転時もダメ、自転車もダメと言われていたが、やっとどうどうと使える状況になった。

 私は何か計画を立てたとき、何かを始めた時には家族や病院のスタッフ等に前もって宣伝する。その方が自分の中だけで計画しているときよりも実行性が高くなる。先にしゃべった以上ウソはつけない、と思うからである。
 ある看護師の弁、「先生は100円で乗れるから安くて良いですね・・・」と。実際は高齢者バスは満70歳以上であり、実際はあと2年もある。そんなに老けて見えるのか?


3/27(水)快晴温暖 外来 
1:00起床、文献整理関連ほか。6:15斎場前まで徒歩、6:31バス、7:00病院着。7:30回診ほか、8:45-13:00外来。14:00銀行スタッフ来訪。 退院総括他。16:45徒歩帰宅。新聞整理、自転車DVD。19:00夕食、20:00就眠。 徒歩Σ43Km。

徒歩通勤(1)35年ぶりにバスに乗った
 今年は自転車通勤を止め、歩くことにした。歩道の雪も融けたから3月19日徒歩通勤を始めている。往復で12Km、だから運動のためにも適当な距離と言える。

 今まで数10回徒歩通勤したが、現役の頃は片道1時間を徒歩通勤に使うのは惜しくて大部分バイクや自転車にしていた。勿論、冬期極寒降雪期は車である。私の時間帯だと片道10-15分で着いてしまうから、時間という意味では貴重であった。
 今春からメインは徒歩にする。本日の段階ではまだ歩き始めたばかりで、通勤時だけでΣ43Kmである。

 移動時間は速ければ速いほど便利だが、失うものも多い。車はあまり好きでないが、バイク、自転車は風を感じ取り、周辺を観察する余裕も若干ある。しかし、走れるルートも限られているから徒歩にはかなわない。ゆっくりと市井の生活、路傍の石、草花草木、 住宅、庭先等、時に写真など撮り、楽しみながら歩こうと思う。

 全コースを連日歩くと決めてしまうと、これもまた心理的な負荷になる。だから、今年からは一つの方法として、適宜バスも併用することとした。どのように利用できるかを考えるために一昨日から乗ってみている。

 秋田に来て40年、当初の住居は土崎港中央一丁目でJR土崎駅にもバスルートにも近かく、かつ開設当初の秋田大学付属病院は県立中央病院で秋田駅に近かったから、1ー2年ほどは車の他に両者も適宜利用した。やがて私も引っ越したし、大学病院も現在地に移転したから、それ以降はバスは一切利用したことはなかった。だから35年振りの利用となる。

 現在利用出来るバスルートは自宅からも病院からも歩いて15分ほど離れていてそんなに便利ではない。しかし、これも考えようである。往復バスに乗ったとしても最低限30分は歩くことになり、これもまたちょうど良い。

 秋田市斎場前から秋田駅近くのなかいち前までで290円!!もした。35年前はいくらだったか忘れたが、知らないでいる間にこんなに運賃が高くなっていたのか、と驚いた。


3/26(火)曇り晴れと不安定、外来
1:30起床、いつもの如し。6:55荒れるという予報、車病院着。回診ほか、8:45-13:10外来。16:00帰宅。新聞・文献。自転車こぎとDVD映画。19:00夕食、20:30就眠。

医師と患者関係(11)老老介護の悲惨さを改善するには(2) 
 老老介護の現場は荒れている。殺人までにいたる例はほんの一部だろう。厚労省は高齢者への虐待件数も把握している。それはホームページで見ることが出来る。

 それによると、2011年度の家族や親族による高齢者への虐待件数は1万6599件だった。地方自治体への相談・通報はこれより多く、2万5636件であったが、自治体の担当者が自宅訪問するなどして虐待と判断した件数をまとめたもので、10年度よりは0.4%少なくなっている。
 虐待の内容は重複があるが、撲る、蹴る等の「身体的虐侍」64.5%、暴言等の「心理的虐待」37.4%、貯金を勝手に使うなどの「経済的虐待が25.0%、「介護放棄」24.8%であった。

 発覚の機会は、ケアマネジャーらからの通報が42.4%と最も多かった。一方、家族や親族からの通報が12.2%、虐待を受けている本人からが11.1%、虐待している本人らの通報も1.5%あった。
 被害者の76.5%が女性。被害者のうち、認知症の割合が48.0%。虐待する側は、「息子」40.7%、「夫」17.5%、「娘」16.5%などで、厚労省は、自治体が介護の負担の高い家庭を把握して、援助して欲しいとしている。

 介護施設職員による虐待の状況は151件で、10年度より57.3%増。施設別では寝たきりや認知症の高齢者が多い特別費贋老人ホームが30.0%、認知症に対応したグループホームが24.0%、有料老人ホームが12.0%でした。厚労省は虐待への認識が施設や家族に深まったため、早い段階で相談・通報するケースが増えたこためとしている。認知症高齢者の中には、職員の介護を理解できずに拒否したり、暴れたりする人もいて、それに感情的に対応してしまうことが虐待につながる例もある。

 この様なケースをまとめていると、女子柔道の体罰関連の事例も次から次と出てきた様に、多分、実態はもっともっと多いものだと思われる。
 人間社会では、幼児虐待から始まり、いじめ、体罰、セクハラ、パワハラ、高齢者虐待など、弱いものいじめが横行しているものだと思う。
 悲惨な老老介護の現場の状況を示す、「介護・看病疲れ殺人」が2011年には54件もあった。2011年度の家族や親族による高齢者への虐待件数は1万6599件も把握されている。

 殺人に至っては直接の加害者が断罪されている。しかし、真に断罪されるべきはこの様な状況を放置している厚労省、政府でなかろうか。政府、厚労省関係者は介護現場の実態を見ることなく介護を在宅に仕向けようとしている。

 問題である。医療福祉関係者はもっと声を上げる必要がある。


3/25(月)曇り、比較的寒い 外来 
 1:30起床、いつもと同じパターン。データ整理。半コース徒歩6:55病院着、回診ほか。8:45-13:30外来。新規入院1名。16:30バスにて帰宅。新聞、文献読み中心、19:00夕食、 20:30就眠。徒歩Σ35Km。

医師と患者関係(11)老老介護の悲惨さ(1) 
 悲惨な老老介護の現場、「介護・看病疲れ」が動機となった殺人事件は07年が30件、以降10年が57件、11年が54件と減少傾向はない。介護保険制度が発足してから13年、国は施設ケアから在宅ケアに移行させようと目論んでいる。在宅ケアの厳しい実態がこれらの事件から浮き上がってくる。

 ■2012年2月、寝たきりの84才の夫を83才の妻が刺殺した。夫は2010年から介護を要する状態に、2011年から完全な寝たきり状態で、更に進行した腎がんが見つかった。自宅に引き取ったが、昼夜を問わず、2時間ごとのおむつ交換。ほとんど夜も眠れない生活で、妻は心身ともに極度の疲労状態に至った。しかし、妻は周囲に助けを求めず、弱音を吐くこともなかった。近くに住む長男夫婦は、平気な顔で介護にあたる様子を見て大丈夫、と思っていたという。 大阪地裁は裁判員裁判の判決公判で、懲役3年、執行猶予5年の温情判決を言い渡した。

 ■奈良県大和郡で2013年2月に生じた殺人事件は、認知症の「要介護5」の妻91歳を、「要介護2」の96歳の夫が殺めた。2011年から妻は寝たきり状態にあった。「自分が先に死ねば妻が困る、から・・」、と考えて妻を殺め、自分も自殺を図ったが未遂に終わっている。事件直前に訪問介護の回数を2回から3回に増やしたばかりだったという。3人の子ども達とは数十年連絡は取ってなかったらしい。裁判はまだ開かれていない。
 
 ■2012年1月85歳の母親は、生後から脳性麻痺で重度の身体障害があり、10年ほど前からほぼ寝たきり状態になっていた62歳の長女の首を絞めた。40年以上も夫婦のみで介護、夫死亡後は妻が一人で、誰にも頼らずに介護し続けてきた、と言う。奈良地裁は母親に懲役3年、執行猶予5年の猶予判決を言い渡した。

 これら3例は長年連れ添った夫婦間の、あるいは母娘間の悲惨な事件である。

 寝たきりの病人の食事の世話、清潔保持など多済むことの出来ない介護が延々と続く。その中でも、おむつを交換は2−3時間毎だと言う。拘縮しかかった足を持ち上げておむつ交換の体位を維持し、交換後も清潔を維持するケアが必要で、専門の教育を受けた看護師、介護職員であっても大変な作業である。これを高齢の家族が一人で行うとすると1回で30分、時には1時間ほどかかる。介護する側は不眠に悩み、時に鬱状態に陥る。

 私の外来には老老介護を続けている患者が数人受診してくる。ヘルパーが来てくれている日の時間を利用しての受診である。家では老老介護、私の外来では老老診療である。


3/24(日)曇りのち降雪 飯川病院日直

1:00起床、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。そのほかいつもの如く。7:30徒歩で飯川病院へ。8:30−17:00日直勤務。入院患者診察若干。帰路も徒歩。寒くて大変であった。18:00帰宅、ゴミ処理準備他、19:00夕食、20:00就寝。徒歩Σ30Km。

私の映画観賞その後 DVDで楽しんでいる 
 もう3月も末である。昨年は自転車と週一度映画鑑賞を楽しんでいた。しかし、今年は両者ともやっていない。

 今年から自転車には原則的に乗らないこととした。抗凝固剤を服用中なので、スポーツタイプで車道走行だと危険だから、である。今年はその代わりに出来るだけ歩くこととした。自転車で走り回りたい意欲はまだまだあるのに、実に残念である。道で自転車とすれ違うとつい目がいってしまう。

 自転車は居間で室内用のトレーナーを装着して毎日30分ほどペダルを踏んでいる。室内で30分ペダルを踏むのは刺激がないために結構辛い。ヘッドフォンで音楽を聴いていても寂しい。だから、ハンドル部分に小型のDVD装置を付けて、映画を観ながら踏んでいる。

 私の映画歴は2011年8月に突然始まった。たまたま、新聞で作曲家「マーラー」についての映画が秋田市のシアタープレイタウンで上映されることを
り、それを観たのが切っ掛けである。秋田在住40年で映画館に入ったのは2回目であった。ここで初めて映画の魅力を知った。それで、同劇場で上映される映画を全部観ようと計画した。途中で10本ほど欠けたが50本近くは見たのではないか、と思う。それが、残念なことに劇場が閉鎖されることで頓挫することになった。実に残念であった。

 映画館で観る映画の情報量、観るものに対する制作者達の主張は、画面がでかい、暗い、音もでかい・・・などの条件もあって否応なく迫ってくる。主張を感じ取れない作品もあったが、私の感受性の問題だったと思う。私のDVD器は僅か8インチほどの小画面で、映画にはかなり物足りないが背に腹は代えられない。3−5日で一本、と言うペースで観ている。

 DVDのソースは今のところ家族が所持している作品の中から選んでいるが、今後は更に県立図書館等のライブラリーを利用してみたいと思っている。先に市立図書館のソースを探したが、良い作品はあったが残念ながらVHSであった。DVD化を望みたい。

 最近観た作品は、宮崎 駿監督の10作品ほど。フラガール、壬生義士伝、雲のない空、おっぱいバレー、スイングガールズ、ローマの休日、・・などである。

 オーディオ関連機器はまず揃っているし、日中でも真っ暗に出来る。液晶投影機があればいいだけだから、私の部屋をホームシアター化するか、とつらつら考えている。


3/23(土)雨午後曇り 桂文治襲名披露公演
 1:30起床、文献検討、徒然など昼前まで、この頃起きると時間が豊富である。13:30秋田市文化会館に。14:30-17:00 桂文治襲名披露公演、帰路は寒さで歩行には厳しい。迎え乞う。17:20帰宅。19:20夕食。20:30就寝。徒歩Σ20Km。

Mac関連2013(4)最新のOSを主要な3台に入れた
 


私は1993年5月からパソコンを使用して来たものの、当初はワープロ代わりの文章書きが主であってあった。徐々に通信とかに進展し、HP開設にまで進んだ。更に、スクラップブックの電子化、 紙書類の電子化に等に進展し、ここ2−3年は書籍の電子化をも進めている。さらに、NHKラジオ深夜便を中心に音声データも電子的に蓄積している。
 要するに、私のマックは単なる文房具から通信機器になり、更に私の個人的な資料館に変化を遂げてきた。

 私にとっての初期、中期のパソコンはマックであればそれほどの機能は不要であったが、資料の電子化が多くなると、処理スピードとかに何かと不都合なところが出てきていた。私のパソコンは適宜リニューアルしてきたが、基本的に他の医師からの頂き物、次男からの型遅れ品、あるいは自分で購入した型遅れ品であった。それでも私の能力以上の機能があって最近までそれほど不便はしていなかった。

 今年の春になって蓄積データが膨大な量になったことから、バックアップを新たに考えなくてはならなくなった。比較的新しいデータはDropboxで全機種間でデータを同期し、各機種から別々にハードディスクに蓄積してきた。それでもまだ不安である。

 一昨年ほどからマックはiCloudと言う、データを預かるシステムを提供し始めている。よく分からないが、イメージから見てiCloudは雲の上にデータを保持する雰囲気で、iPhone等でもデータを見ることが出来る、とある。これに興味があって何とか利用したいと考えたが、調べてみると私のマックのOSは全機種が型遅れになっていて対応していない。いままでは最新のOSなど全く必要がなかったし興味もなかったのに、今回は思い立って最新のOS10.83を購入し、3台の機種にインストールした。

 ちょっと難解でまだ十分にはOS10.83そのメリットを利用できていないが、この最新のOSを入れたことが切っ掛けになって、私の方が大きく変わってしまった。突然Macの機能の広さと深さに驚き、興味をかき立てられてしまった。


3/22(金)快晴 大曲中通病院外来 
1:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。7:50Taxiにて駅に、8:02こまち、8:45ー14:50大曲中通病院外来、時間を見計らって徒歩にて駅へ。15:24発のいつものこまちは15:16発に変わっており、乗り遅れ。16:27こまちにて秋田に。車中県医師会長と歓談。天徳寺付近までTaxi、以後徒歩。17:30帰宅。19:00夕食、20:30就寝。徒歩Σ15Km。

TPP(11) 日本にとって参加交渉は茨の道
 TPPの交渉参加のタイミングとしてはやや遅すぎたと思われるが、政権交代とかがあって時間を失なった。新規加盟国への手続きは煩雑であり、7月または9月の最終回の交渉に間に合うかというギリギリの時期、という。

 関わる時間は限られるから、わが国の参加についての年内決着は無理ではないかとの意見もある。一方、TPPの条件が設定されてからの参加は、全てを呑むことが求められる、とされる。そうなれば自民党の公約に反するから、わが国はTPP参加は始めから不可能と言うことになる。

 だから、最小限TPP条件の妥結前に交渉参加を決めたと言うことは評価できるだろう。ただ、条件が合わないからと言って離脱できるのか?出来るだろうが、それは、今後の日本の交易に、特に米国を始めとするTPP加盟国の信用を失墜することになろう。どちらにせよわが国は厳しい条件下におかれている。

 ところで、安倍首相は「聖域問題」のみ前面に出しているが、自民党の総選挙時のTPPに関する公約には6つの原則があった。■聖域のない関税撤廃が前提である限り交渉参加に反対する、■工業製品数値目標は受け入れない、■国民皆保険堅持、■食の安全・安心を守る、■国の主権を損なうISD条項には合意しない、■政府調達・金融サービス等はわが国の特性を踏まえる、の項目である。

 安部・オバマ会談後、TPPの論点は「聖域問題」のみになった。オバマから譲歩が勝ち取られたかの如くのはしゃぎようであるが、最終的にオバマはこれらの条件について言及したのだろうか。また、TPPの条件の認定は米国議会であるから、その前にオバマが同意するとは考えがたい。だから、彼は条件についての約束は出来ない。「交渉の余地はゼロではない・・」と言う程度ではなかっただろうか。

 交渉参加には各国の了解が必要である。自民党は、■コメ、■麦、■牛肉、■豚肉、■乳製品、■サトウキビなど甘味資源作物など、重要5品目を、関税撤廃の例外とするよう求めるとしている。
 しかし、TPP参加の11ヶ国は、「ギリギリに参加表明してきたくせにいろいろ条件を付けて来るなどあまりにも身勝手・・」と思うに違いない。だから、交渉参加自体拒否される可能性がある。

 TPP交渉参加は決めたが、その先の道は厳しい。


3/21(木)寒波で風強い 外来 
1:30飯川病院にて起床,文献多数検討など。録音データ整理など。8:00徒歩にて病院へ移動。回診。8:45-14:00外来、混雑、疲弊した。迎えあり16:00帰宅。新聞・文献チェック、19;00夕食、20;30就寝。

TPP(10) 日本にとって実際どうなのか
 総理が16日に交渉参加表明してからいろいろいろ資料を読んでみているが、よく分からない。

 従来、日本の貿易は全方位的であった。だから、ギリシャ沖のマグロ等が冷凍で日本に届くし、アラブの石油も手に入る、ロシアからガスも輸入している・・等々、それなりのバランス取れているように思われる。今まで日本の交易方針は間違っていた、と言うのであろうか。

 TPPに参加すると言うことは、11ヶ国からなるTPP参加国の交易ルールの枠組みに入る事、おそらくは米国のルールに沿うことであり、それに参加しない国々とは別枠で貿易することになる、と言うこと。わが国は、11ヶ国とばかり貿易しているわけではない。これからアジア諸国との交易が一層重要になっていく。
 だから、TPPによって貿易の自由度は低下することにならないのだろうか。TPP参加が本当に総理が言うように国益にかなうのだろうか。

 国際的な貿易ルールは、WTOすなわちWorld Trade Organization世界貿易機関の原則がある。ここでの交易の原則は、■自由(関税の低減、数量制限の原則禁止)、■無差別、■多角的通商体制、となっている。とすればTPPはWTOの原則に背くことになるのではないか。わが国はこのWTOのルールの中で貿易をやっていけないのだろうか。その辺のことも分からない。

 東アジアには米国に依存しない独自の共同体を作ろうという動きがある。米国の経済的威力に陰りが生じてきたことを背景にした動きである。経済に悩むオバマが貿易黒字を2倍にするという方針を立て、アジアに乗り出そうとしている。だから、東アジア共同体が新たに発足することを極度に嫌がっている。その前にTPPを発足させ、わが国を取り込み国際貿易を牛耳ろうとしている。わが国の国益と言うより米国の国益が大きいと思う。

 TPPに参加することになったらわが国はアジア諸国とどう付き合っていくのか。アジアの中でも日本の位置づけが重要であることは論を待たないが、TPPに参加するとすれば東アジア共同体として日本の存在は影が薄くなっていく。これからの日本にとってTPPに参加しない中国との関係は重要である。二国間の関係にも影響がないはずはない。

 貿易上の他の枠組み、EPAやFTAもるが、これらの枠組みとTPPを同時的に進めていくのは困難にならないか? 相手によって態度を変えざるを得ず、結果的に動きが取れなくならないのだろうか。
 などなど、私自身はまだTPPをよく分かっていないことが分かった。


3/19(火) 小雪寒波のち晴 記念日  外来 徒歩通勤開始
1:00起床、新聞・文献チェック。7:00車病院着、回診他。8:30−14:30外来、休日前で大混雑疲弊した。紹介状など作成。陽気が良いので徒歩にて帰宅65分。疲れた,微睡、自転車若干、19:00夕食、資料整理若干。夕食、20:30就眠。その後数回こむら返り。芍薬甘草湯服用。急に歩いたからだろう。

中国との話題2013年(3) 射撃レーダー照射を軍が認める
 尖閣諸島北方の東シナ海の公海上で、1月30日に中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦に数分間にわたって射撃の照準を合わせるためのレーダーを照射した。日本政府は2月5日に一連の経緯を公表し、中国側に厳重に抗議した。中国側は照射は一般的な監視レーダーだと主張し、日本の主張を捏造と非難してきた。

 この事件に関して、中国軍の複数の最高幹部は3月17日に共同通信の取材に対して、艦どうしの接近に危険を感じた艦長の緊急判断で攻撃用レーダーの照射をしたことを認めた、と言う。これでも、おそらく中国政府は公式には認めないだろう。

 この事件はどうせこんな事だろうと思っていたが、またまた、同じ事の繰り返しである。今回は現場の関係者が認めただけ進歩があったか、と思う。

 中国とわが国との関係では古くから広い分野ですれ違いが続いている。中でも南京大虐殺事件は比較的記述が揃い始めた時代の出来事であるが、それでも事実認定を始め歴史認識にも大きな開きがある。

 私など中国の対日対応にいつも違和感を覚えるが、これは互いの国民性の違い、教育の違い、思想の違い、政治形態の違いなどを考えても解決できない、日本人の目から到底理解できない違いが根底にあるのだと思う。そう片付けるしかない、と現時点では私は理解している。こう考えざるを得ない状況がまだまだ続くだろう。

 ここ何年か中国のスポークスマン、ウーマンとしてちょっと理知的な良い表情の男女が担当している。彼ら発表は日本を非難する言葉で締めくくられることが多いが、その表情には曇りがない。彼らは真実を述べ、真の気持ちを述べているためであろう。それから見ればわが国の官房長官の発表時の表情は、時に苦悩に満ち、多彩である。


3/18(月)降雨 外来なし Delsor動かす 
 0:00 起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。7:00Delsorにて病院に。3ヶ月間雪に埋もれていたが問題無し。4月から勤務が変わるので書類処理等の時間として認められていた外来が無いフリーの日としては最後となる。患者関連書類、総括2編、紹介状5編記載整。16:00帰宅。今の掃除など、19;00夕食、20:00就寝。

確定申告(4) 今年から申告書をMacで作成
 今年になって突然Macの機能の広さに興味を覚えた。今いろいろ勉強中である。

 昨年までMacで確定申告をする方法と書式を見つけることができなかった。Macはパソコンの普及度が10数%程度と低く,実社会では何かと冷遇されている。まだMacでは作成不可能かと諦めていたが、今年はやっとその方法を見つけた。国税局のホームページの申告者作成コーナーを何度か見て、かなり奥に進まなければMacで可能か否かの判断も出来ない。10数回も試行錯誤しながらアプローチして何とかたどり着いた。

 国税局のホームページは初めてパソコンで申告書を作成しようとする者にとっては不親切だと思う。尤も、パソコン関係のマニュアルの記述は私にとっては難解であり、国税局に限ってはいない。

 私が入力すべき項目は退職後大幅に少なくなって、給与、収入、年金、生命保険、損害保険、寄付控除程度であるが、給与と収入はどんな違いがあるの未だに理解できない状態である。何とかマニュアルに沿って50項目ほどの必要項目を入力できた。特に寄付控除は年月日、寄付額、寄付先など15回分も入力しなければならなかった。

 ここまでは何度か進めたが,最期の難関は入力データの保存の部分であった。マニュアルに沿って入力し終わり保存にまで進んだが、そのデーターを何としても呼び出すことが出来なかった。「データが破壊され呼び出すことが出来ません」と表示されてしまう。保存データを呼び出せなければそれまでの努力がすべて無駄になる。私の操作がまずいためと反省しつつ全項目を3回入力したが,全てがパーとなった。

 4回目に,ほぼ諦めかけたが、Macの機能拡張を次々と開けて行ったところ、Finderの機能拡張のダウンロードコーナーに3回分のデータがそっくり保存されていた。4回目のデータを一度保存、再読込して無事最終コーナーまで進めることが出来た。同じように家内の申告書も作成したが,こちらの方は医療費控除の入力が100項目以上あって難渋したが、後はさらさらと作成できた。これで3月14日はほぼ徹夜した。

 保存は通常のデータと異なってダウンロードデータとして深いところに保存されていたが、この辺のところはマニュアルに一切記載がなかった。パソコンに詳しい方々にとってはこんな事は当たり前の知識なのだろう。

 締め切り日時が迫っていた中で随分時間をかけた。義務を果たせたと言う満足感は大きいが,この作業を通じての本音は、通常のマニュアルとは別に初心者用に「ネコにも分かる」程度のガイドが欲しい,と言うことである。


3/17(日)晴れ・寒波緩む Delsor整備充電 
1:30起床、新聞チェック。関連文献検討ほかいつもの如く。9:00Delsor整備充電。花壇に積み上げた雪を崩す。雪かきなど冬用品を回収、物置にしまう。
家中の廃棄物等荷造り。本読みなど。19:00夕食、20 :00就眠。

確定申告(3) 申告の時期になると落ち込む
 私は40年間年度末に秋田市の北税務署で確定申告してきた。納めるべき税金は全て納めたいと思っているが、申告はとても難しい。
 今まで何度も小さな失敗はあった。大きいのは2回申告漏れの指摘を受けたこと、一度は倍近く過剰に納めるところであった。

 ■20年ほど前であるが、盛岡市の古い自宅を親戚に提供し、家賃として1万円/月程度を受け取っていたが、これについては少額と考え申告していなかったが、貸借関係が生じてから数年目に申告漏れの通告が来た。
 指定された日時に税務署に行ったが、30歳ほどの若手職員に犯罪者まがいの扱いを受けた。さんざんイヤミを言われて追徴金は6万円ほどとのこと。イヤミへの忍耐料として半額にしてくれても良いものを・・・と思ったほどで、極めて不快であった。税金納入自体には文句はないが、税務署に対していたく印象を悪くした。

 ■2回目は生命保険解約関連の申告漏れで、追徴金を含め50万円、加えて延滞金として2万円ほどが追加された。通告に対して即座に対応したのに延滞金とは何事かと思ったが,何を言っても通用しないだろうと即支払った。税務署に対して更に印象を悪くした。

 ■平成15年以降、家内が申告書を作成した。ある年、計算上98万円の追加納税が必要と出た。後に決定通知書が届いたが、額は家内の計算通りであった。いつもより高額過ぎるので再計算をお願いしたら38万円に減額となった。税金を多く支払うのは納税者の自己申告だから自由であるとの説明を受けた。税務署に対して一層印象を悪くした。

 こんな事が生じるのも私の無知のためである。ケチなくせに金銭感覚に欠けているからで、納税等の必要なことについても最小限の知識もなく勉強不足であった。税務署のスタッフの対応は別として、計算の間違いの原因は私にある。
 数年前にパソコンで申告書を作成し郵送する方法があることを知った。必要な項目を入力すると税額が自動計算される。それなら何とかなりそうである。しかし,ガイドブックを見てもMacでの作成方法が見つからず諦め,昨年は息子がWindowsで作成した。


3/16(土)曇天 雨 スーパーこまち運行開始
1:00起床、新聞・文献・資料検討。10:00隣家の電気引き込み線に近い木の枝払い検討。14:00台所リニューアル、居間のじゅうたん張り替えの打ち合わせ。かなり大規模な計画となりそう。その後は資料整理他、19:00夕食、20:10就寝。

秋田新幹線(4)こまち脱線の原因は? 三線軌だから起きた特異な事故だろう
 
秋田新幹線こまちは3月2日(土)の大雪の夕方に大仙市で脱線した。悪天候で低速走行していたために先頭車の脱線で済み死傷者はいなかった。幸いであった。

 1997年3月の開業以来初の脱線事故で、関係者に衝撃を与えている。事故原因は運輸安全委員会で調べている。調査官は「雪の可能性否定されたわけではないが、当然他の原因もあり得る。報告がまとまるまでは1年ほどかかる」という。私はそんなバカな・・、何でそんなに悠長なことを、と思う。

 報道された事故の内容、調べた情報を元に脱線事故の原因を私なりに考えてみた。
 ■通常脱線することのない直線区間で起きた、■秋田新幹線独自の狭軌と標準軌の三本のレール敷設区間だった、■こまちが1時間前に異常なく通過、6分前に内側の線路を在来線列車が異常なく通過、■線路の除雪は5日前で当日は風雪が強かった、■車両の下部には巻き込み雪、レールには傷があった、■除雪し復旧後、現場を支障なく走行可能であった。

 要するに、三本のレール敷設区間で、おりからの雪が線路に積もり、6分前に通過した在来線列車のスノープラウが外側に排除した雪がこまちのレール上に厚く積み重なり、それに乗り上げたものと思われる。

 運輸安全委員会でも雪のためとの結論を得ていると思う。でなければ復旧後通常に走らせるはずがない。更に慎重に検討し1年後をメドに結論を出すと言うが、その間にスーパーこまちを含め一日往復で30本、年間200万人もの乗客を運ぶ幹線ルートである。結論を保留にしておくことは無責任なことと思う。

 今回の事故では乗客対応の面でも問題点が指摘されている。乗客は6時間も車内に閉じ込められた。徒歩で約150mのところに市道があって代行バスを用意できたことを考えれば疑問である。脱線車両は簡単には元に戻せない。電気・暖房が確保されていたことは救いであった。

 私がこの事故に関心を持ったのは、毎週金曜日に大曲の帰路に利用する列車であること、しかも事故は翌日に生じた。3月4日に長女が新幹線で帰省する予定にしていて、もし復旧しなかった際には大曲まで迎えに行こうと計画していたからである。

 スーパーこまちは本日から運行を開始した。
 秋田新幹線は田沢湖線、奥羽本線は地上を走行する。また、一部三本軌区間がある。このための特殊な事故だったと思う。雪対策、除雪についても見直しが行われたとのことで、そうであれば同じ事故は2度と生じないだろう。関係した方々にはお気の毒であったが、先々のことを考えれば一層安全対策を高める切っ掛けになったと思う


3/15(金)快晴・寒波 大曲中通病院外来
0:30起床。文献、徒然他情報収集、データ処理。今回は初めて直接駅に。8:01こまち、8:45-15:00大曲中通病院外来。17:00帰宅。新聞等データ化、室内自転車、19:00夕食、20:00就寝。

書評:「新幹線を作る」 早田 森著 メディアファクトリー新書 762円 
秋田新幹線は3月2日(土)の大雪の夕方に大仙市で脱線した。また、明日3月16日からスーパーこまちの運行が始まる。その乗車券は発売時僅か15秒で完売したという。一方、3月16日開業まもなくから走り続けてきた上越新幹線の200系車両も退役する。東北新幹線「E5系はやぶさ」はフランスのTGVと同じ時速320キロで走行し、東京−新青森が2時間59分で結ぶこととなった。

 などなど、最近は新幹線に関する話題が時折見られる。この本は2月28日発売のほやほやの新刊書である。8日の大曲出張時の帰路、たまたま大曲駅の売店で見つけた。新幹線に対する関心も高くなっていたから迷わず購入した。

 この本は東海道新幹線に新たに投入されたN700Aの製造を追ったルポルタージュである。
 東海道新幹線は1964年の開業以来、故障や不具合による重大な事故、死亡事故を起こしていない。と同時に定期列車だけでも一日に323本の列車が東京・大阪間の515Kmを高密度に行き来している。1300人以上の乗客を乗せた16編成、全長400mもの列車が、ラッシュ時には僅かに3−4分間隔で、しかも最高時速270Kmと言う猛スピードで疾走している。加えて11年度の実績で年間12000本の列車が運行されたが、1列車あたりの平均遅延時間は0.6分・・・(前書きより)。

 この前書きを見ただけでも筆者が如何に東海道新幹線を愛し、誇りに思っているかが分かる。筆者は2011年02月28日に同じ出版社から 『新幹線を運転する』を上梓している。その立場から、開業以来殆ど不具合を生じたことにないハード面へのアプローチも絶対的に必要だ、と感じたとのことであった。

 この本の構成は、設計から最終工程に至るまで数多くのセクションがあるが、その部門の責任者に直接インタビューして、しかる後に客観資料を提示する方法をとっている。だからとても読みやすい。

 東海新幹線は、1964年の0系、85年の100系、92年の300系、99年の700系、2007年のN700系と進化してきたが、その歴代の新幹線のコンセプトは、当たり前のことであるが、「安全」、「スピード」、「居住性」であったという。一つの系はその時点での完成された発想で作られているから次の新型を開発するには乗り越えるべきハードルはとても高い。
 しかし、読んでみて驚いたのは、「新幹線には最先端の技術は使わない」という点であった。その理由として「新幹線には高いレベルの安全性が求められるから、新しい設計は自信を持って安全性が確立してから採用する。その間に、技術としてはもう最新でなくなっている」と言うことであった。こういうコンセプトがあるから運航中の新幹線には安全面で破綻を来すような事故は生じたことがないのであろう。そのほか、設計から最終段階までの行程の中で興味ある記述が多く認められる。

 私は日常的に新幹線を利用している。天候等によって時に遅れることはあっても、先日の脱線事故以外に事故らしい事故はなく、実にさりげなく走っている。この本は東海道新幹線についてのルポであるが、このさり気ない走りの陰に開発設計陣の英知が詰まっていると思う。秋田新幹線は明日より「スーパーこまち」の運行が始まる。本書にあるような苦労を経て開発されたのだろう、と思う。

 この本を読んで、私は新幹線が一層好きになった。 


3/14(木)曇り・快晴 外来 確定申告終了
0:20起床。文献新聞など、確定申告に集中。コンピューター上での処理が最終コースでうまく行かず呻吟す。7:00病院着。回診、机上書類処理。8:45-13:20外来。16:00帰宅、確定申告突然解決、郵送済み。今週は講演と申告で緊張の連続であったが解放された。午睡、19:00夕食、20:30就眠。

日銀総裁(2)白川総裁 失意の退任
 現在の白川総裁については、就任時のゴタゴタ劇を通じて、また近年の円安円高問題、市場への介入のニュースで名前だけは知っていたが、総裁の職務の重要性については最近知った。

 日銀の役割は通貨価値の安定を守る番人と言うことであるが、更に求められるのは、実体経済と金融機関の動きが社会に与える影響を分析し、金融システム全体を安定させるという広い視点での役割である。この点は白川総裁の仕事ぶりは見えなかった、と言われている。

 安倍総理の登場で、経済政策で政府と日銀の関係がクローズアップされ、政府側が上位に立った。政治と日銀は互いに独立しているとは言え、借金が膨らんで方策がつきている政治家が日銀に圧力をかけるのは不思議ではない。 

 日銀白川総裁に対する風当たりはとても厳しかった。
 2008年の総裁就任以来、日本経済はリーマンショック等を影響を受け低迷し始め、円は急騰し、輸出業界を中心に大きな打撃となった。白川総裁はこれに対し終始ちびりちびりとしか円安対策を行わなかったために十分な効果を上げられなかった。 白川総裁の就任後全期間に投じた合計額は史上最高になっている。要するに、日本は持てる財力を小出しにして韓国や中国等の諸外国に奉仕してしまった。経済界の評価は実に厳しい。

 安倍総理との会談の結果、総裁は従来の1%から2%の物価上昇を政府に約束したが、総裁としては自身の信念が否定され、嫌々ながら同意したという印象が拭えない。多分そうだったのだろう、総裁は4月8日の任期満了を待たずに3月19日に退任することとなった。罷免は出来ないらしいから、本人が自ら、もっと早く辞任すれば良かったと思う。

 安倍氏の総裁選にを機に大胆な経済政策が話題になった。そのあおりで新聞等のメディアは白川総裁をすっかり無能者扱いにした。冷静な評価を下した論評もあるが、罵詈雑言と言って良い様な評論を加えた記事も、TV番組もある。白川総裁は専門の知見や論理的な説明力で、国際金融世界では高い評価を得ていた。半面、市場との対話は欧米の総裁に比べて精彩を欠くとの批判がつきまとった。

 私はその業績や経済理論を知らないためか、総裁への最近の論評は読んでいて不快である。


3/13(水)雨→曇り 外来 
1:30 起床、文献など。7:00病院、回診・病棟業務。8:45-13:30外来。16:10帰宅。申告関連に集中。パソコン処理がうまくいかず深刻。午睡若干。19:00夕食、19:30-22:30申告関連作業再度。22:45就眠。

日銀総裁(1)通貨の番人として白川総裁へのかぜあたりは強い 
 私は経済を少しずつながら勉強している。遅々として進まない。

 日本銀行とは何をするべきところなのか、恥ずかしながら数年前まで知らなかった。お札を印刷し管理しているところくらいの認識しかなかった。だから、何で秋田に日銀支店があるのか疑問に思っていた。秋田県内における経済状況の把握をしているとのことであった。
 日銀総裁の前任がどなたであったか、私には全く記憶にない。この頃は経済問題に興味を持っていなかった。現在の白川総裁については、就任時のゴタゴタ劇を通じて名前だけは知ったが、総裁の職務については最近知ったばかりである。

 日銀の役割は金融政策の担い手で、通貨価値の安定を守る番人と言うことである。一方、財政関連、経済政策は政治が担う。簡単に言えばこんなところだろうか。 
 いま、日本の財政は火の車で、政府が下手な政策を打つと国の赤字が増える。だから金融政策の方に、すなわち、日本銀行に社会の、経済界の、政治家の期待が集まっている。日本銀行が乗り出さなければならないと言うことは、わが国の経済が厳しい状態と言うことであるが、この状況は日本だけではない。だから、頻回に中央銀行の国際会議が開催されている。

 政府と日本銀行の関係は互いに独立とされている。独立性の重要さについては、もし、日銀が政府の言いなりになって資金を出せば、経済の健全性が簡単に損なわれる危険があるからである。それが高じれば政府による統制経済となり、最終的には民主主義が脅かされることにつながる。現に、独裁政治が行われている国々では中央銀行は無きに等しい。

 アベノミクスにおいて日銀白川総裁はは2%の物価上昇を約束したが、これにはいろいろな意見もある。強力に動いていながら安倍総理は国会答弁の中であくまでも日銀の責任で、と強調している。

 日本銀行がいま置かれている立場は極めて困難な立場である。だからといって政府が日銀がやるべきところまで踏み込むのは許されない。守るべき一線は守りながら上手に協力していくべきである。
 白川総裁に対する風当たりはここ数ヶ月とても厳しかった。総裁は4月8日の任期満了を待たずに、失意の退任となった。


3/12(火)晴れ 外来 秋田県食品衛生協会講演 
0:20起床、文献・新聞関連など。申告関連、講演準備。7:00車病院、回診・病棟業務。8:45-13:30外来混雑し疲弊。16:00-17:15秋田県食品衛生協会講演「食と健康」。懇親会に出席、19:45帰宅、8:20就寝。

Mac関連2013(3)かつてはMac、OSのリニューアルに不満であったが・・・
 私は1993年5月からパソコンを使用して来た。ずっとMacで数機種を身近に置いてあった。主に作文用でそれほどの機能をが無くとも不便しなかったし、またそれほどMacに深い興味を持っていたわけでなく、型遅れの機種でそれほど不便せずに間に合っていた。私にとっては機種毎の機能よりも何所でも使えることの方が重要で最も多いときは8台ほど機能させていた。

 世の中はコンピューターも限らず、何でも最新のものを求めていく傾向にあって、私自信はそんな風潮を苦々しく思っていた。私は自らが長く使い込んだ道具の方が好きである。MacのOSの頻回のリニューアルにも特に感心がなかったが、2006年に私のMacOSでは通用しないソフトが出て業務に支障を来した。介護保険の主治医意見書関連ソフトである。

 2000年の制度発足時から私は日本医師会版の「 医見書Ver1.0」を用いて来た。これで蓄積した患者のデータは優に300人を超え、意見書の更新時期などにはとても重宝していた。
 ところが、2006年度の介護保険制度改正に伴い主治医意見書も「医見書Ver2.5」とリニューアルしたが、それの動作環境は「MacOS X 10.3.4以上、PowerPC G5推奨」となっていて、当時私が用いていたMac機種では全く使えなくなった。
 私は日医に掛け合い、今回の改訂は会員軽視であり、「OS9」動作版の「医見書Ver2.5」も作ってもらいたいと申し出たが、無視された。
 コンピューターに詳しい知人に対応を相談したところ、「コンピューターの世界では決して後ろ向きの対応はしない。ユーザーの方で付いていくべき。あなたの考え方は間違っている・・」と予想外の返事であった。私はこの後発想を変え「OS10.4」を購入し、「医見書Ver2.5」に対応した。

 それ以前は、新型Macの発売、OSのバージョンアップは単に処理スピードアップやハードディスクの容量改善の為と考えていたが 、改良の度に次々と機能がアップしていることに気付き、Macを徐々に入れ替えてきた。それと共に私もMacでやれることが徐々に広がって、今ではコンピューター無しの環境で長時間過ごすのは辛い。

 亡くなったApple社のS.ジョブスはMacの機能を高めると共に、Macを中心とした情報の伝達や共有、iCloudを用いたデータの保存・共有、iPhoneやiPad 、iPod等との連携を含め壮大なネットワークの構築を進めてきたが、その意義を遅ればせながら最近やっと分かり始めてきたような気がする。


3/11(月)東日本大震災2周年 降雪3cmほど 寒波 曇り  外来 
 0:30起床。新聞・文献チェック。震災関係部分は除いた。家内の確定申告のまとめ作業。7:00車病院着、回診、8:45-13:10外来、混雑無し。国税庁の申告関連の手続きに上手く進めず呻吟。16:30クリーニング立ちより帰宅、確定申告関連でパソコンと格闘、何とか進めた。19:00夕食、20:30就寝。

東日本大震災からまる2年 復興復旧は遅々としている
 本日、東日本大震災はまる2年を迎えた。
 各地で追悼他の関連行事が行われている。
 2013年3月11日現在の警察庁の統計では、死者・行方不明者数は、死者 15882人、行方不明者 2668人。2月15日時点の避難・転居者数は31万5,196人となっている。

 復興は遅々としている。
 地震、津波、更に原発災害の被害に遭われ、今なお不自由な生活を強いられている方々の心情などは、遠くで平穏な日々を送っている私などには到底推し量ることは出来ない。多分、時間の経過と共に辛い思いが一層募っておられることだろう.

 私自身の気持ちを表現する言葉も見つからない。本日は安易な言葉は慎むこととする。


3/10(日)降雪・曇り強風 
1:30 起床、新聞・文献チェック、本読み。午前は主に明後日の講演準備。午後は微睡はさみ蓄積データの整理、コンピューター関連、美術関連の本読みなど殆どパソコン上で作業。室内自転車こぎ、19:00夕食、20:30就眠。 明日は3.11で新聞、ラジヲ、TV共に東日本大震災関連特集が組まれており、見るのも聴くのも辛い。

Mac関連2013(2)Macで書籍、音楽データを整理、書庫がガラガラに 
私は1993年5月あたりにワープロからパソコンに乗り換えた。
 それ以降、個人的にはずっとMacを用いてきた。ウインドウズ関連機器は家族が使用しているが、一度も手に取ったこともない。ただ、職場のオーダリングの基本OSはウインドウズで、キーボードのタッチを含め、私にとってはとても使い難い。

 Macは初期はもっぱら筆記用具として用いて来たが、徐々にメールやネットにつないで資料集め、業務関連の連絡に用いて来た。
 2000年からは省スペースのためにMacを活用し始めた。
 まず、従来紙ベースで作成していた新聞や雑誌をスキャナーで取り込んでPDF化して現在にいたっている。これで本棚の数段を占めていた紙ベースのスクラップブックは消失した。もう10数年に渡って蓄積されているから膨大な資料、私の宝物となっている。

 私はラジオ派である。音楽番組やラジオ深夜便などなど、カセットやMD・CDに録音して蓄積てきた。これらの音声データもかなりのスペースを取ってきたので、2008年にオリンパス製のラジオサーバーPJ-10を購入しMP3化を進めた。これで、書棚2ヶほど占めていた音声データも一つのハードディスクに収納された。これらの音声データは携帯電話のiPhone、数ヶのiPodを通じて聴いている。

 2011年からは書籍の自炊をし始めた。自炊は書籍のスキャナーによる電子化で、基本的にはスクラップと同じである。同時に電子化に価しないような古い文献、書籍を大量に廃棄しているので書棚は半分ほどになった。結果として床に置いてあった書籍も消失し、床面積が広くなった。

 Macを利用した電子化で私の書棚は広くなった。これら電子化は省スペースになるだけでなくコンピューターの最も得意な機能の一つである検索機能によって一瞬に、あるいは短時間で呼び出して利用することが出来る。だから、蓄積したまま埋もれて触れることのなかった資料を活用することが出来ようになった。これは私にとって嬉しい見返りである。

 コンピューターを用いた資料の電子化は省スペース化したい方にはお勧めしたい作業の一つである。
 ただし、スクラップ等の取り込んだデータは分類、名称付けを行わなければ呼び戻すことは出来ないから連日の作業となる。私はこれを10数年間コツコツと進めて来た。

 私は部屋に一人こもってこんな作業に没頭している時間がとても好きである。「継続は力である」と実感している。


3/9(土)曇り 孫来る
1:00起床、文献新聞チェック。講演準備、コンピューター関連の勉強、本読みなど昼頃まで。午後に次男の嫁さんと孫と犬一匹来訪。孫はかなり会話が成り立つようになってきたが、きちんと対応せざるをえず気も抜けない。18:00孫達は男鹿に、短時間であったが疲弊した。19:00客人迎え夕食、20:30就寝。

TPPへの参加(9)遺伝子非組み換え大豆、トウモロコシは入手難で価格高騰
 日本では食品の原料の由来表示を義務づけている。
 それがJAS法であるが、全体のうち多い方から3番目までの原料は表示しなければならない。また、含有量5%以下の場合は表示の必要なしとされている。だから、JAS法はザル法とも言いうる。私たちは遺伝子組み換え作物を既に口にしているのかも知れない。この辺のデータも欲しい所である。

 遺伝子組み替え作物は値段が下がっているが、わが国が輸入しようとしている非組み替え穀物は品不足のために値段が高騰している。米国の非組み替えトウモロコシの生産高は数年前までは70%もあったが、現在は12%にまでに減した。生産者にとって作業効率が高く、収穫量が多い等の利点があれば有利な品種に流れるのは自然のことである。

 結果として13年度版の遺伝子非組み替え食材の輸入は、大豆は3割高、トウモロコシは2割高になり、最高レベルまでに達すると予想されている。それ以上に、日本の商社は調達困難の壁に対峙している。わが国の国民はこの輸入食材の高騰に耐えられるだろうか。 

 EUは遺伝子組み換え農産物に厳しい表示義務を課しているが、米国では表示は任意である。日本は上期のJAS法である。どちらにせよ、この様な各国毎の事情を見ると、日本独自の方針を貫き通すには食料の過度な他国依存は危険、と言わざるをえない。

 この遺伝子組み換え食品一つをとっても、特に米国とわが国の取り決めや事情をどう調整するかが問題となる。安倍総理はTPPは協議可能だといい、オバマは秋には住めて決定すると意気込んでいる。こんな短期間に調整できるのだろうか?わが国の主張が通る可能性は少ないのではないだろうか、と危惧している。


3/8(金)晴れ 大曲中通病院外来
2:00 起床、新聞、徒然。7:00車病院着、回診他。 8:01こまち、8:45-15:00大曲中通病院外来。大曲15:24発のこまち25号は先週脱線した列車であるが、脱線場所である刈和野付近を何事もなく通過した。やはり原因は雪なのであろう。17:20帰宅。19:00夕食、20:00就寝。

TPPへの参加(8)食の安全は守られるのか 
 遺伝子組み換え農産物 遺伝子組換え作物とは遺伝子組換え技術を用いて品種改良を行なった作物のこと。
 組み替えでえられる利点として、例えば除草剤や病害虫への耐性強化、干ばつに強い品種の作成、収穫率の向上、農薬散布減少等を通じた栽培作業効率化、輸送時・貯蔵時の劣化が少ない品種への改良、等があるという。
 更に、食物の味を変えたり、栄養価を高めたり、有害物質を減少させる技術も実用化されている。

 全世界的に見て遺伝子組換え作物の栽培国と作付面積は年々増加している。
 2012年現在、米国6950万ヘクタールの農地で栽培されており、それに伴って非組み換作物は減少している。大豆は全世界の作付け面積の81%が、トウモロコシは35%が組み替え作物となっている。ブラジル、インド、中国等の途上国での生産が全体の52%と、先進国の生産量を上回った。要するに途上国の組み換え作物の作付け面積が急増していると言うことである。

 わが国が輸入する農作物は、好むか否かは別として、すっかり遺伝子組み換え食品で包囲されている。

 遺伝子組換え作物については賛否両論がある。生態系への影響、倫理面、安全性などである。しかしながら、世界の食糧事情は組み換え作物によって改善することも期待されている。

 わが国では、過去に残留農薬問題、使用禁止農薬の問題、食品添加物、BSEなど、何度かの食品に関するトラブルがあって、特に遺伝子組み替え作物に対してとても神経質である。過去の不幸な事件の記憶が現在まで食品に対する不信感を生み出している一方、根拠のない不信感のために「食品が置かれている現実」が見えなくなっている。

 日本人の遺伝子組み換え食品に対する抵抗感は根強いものがあるが、安全性についての審査はわが国では十分になされているのだろうか。情報提供が少なく、国民の納得を得るには不十分のような気がする。

 私自身は早く遺伝子組み換え食品の利点を正当に評価し、問題点を明らかにすることが必要と思う。TPPによって遺伝子組み換え食品が押しつけられる可能性がある。


3/7(木)晴れ 外来 
1:20起床。新聞他、文献読み、PDF化。来週の講演準備。5:45資源ゴミ満載のプリウスが路地でスタック。スノーヘルパーを取りに戻り何とか脱出。この間車が来なかったので助かった。やはり4駆が必要。7:00車病院着、回診。8:45-13:30外来、中等度。16:15帰宅。文献他対応。室内で自転車。19:30夕食、牛肉の炊き込みご飯、初体験。20:30就眠。

秋田の雪(8)除雪機 プリウス修理 新幹線
 秋田市の降雪量の累計は2月25日現在368cmと平年の1.2倍だという。積雪は61cmと平年の5倍になっている(魁新聞)。実感として、そんな程度だろうかと思う。少なくとも降雪は2倍くらいはあるのでは・・と思う。

 わが家は今期除雪機をリニューアルした。30年近く使ったのと同規模の小形であるが、 は機能が大きく異なった。除雪する距離と面積を考えれば、もう一回りほど大きめのを買えば良かったかと反省もしたが、サイズに応じて重量も増し取扱も難しくなる。ともあれ、この新型のお陰で助かった。早朝に100m近い路地も除雪するのであるが、道路が狭く積み上げ場所が乏しくなったが、路地に接した家々の許可を得て敷地内にも雪を飛ばさせて頂き、ホントに助かった。
 更に、ご近所の方が2週間毎に路地とわが家の雪をブルトーザーで寄せていただいた。この3点があって例年よりも道路の状況は良く維持出来た、と思う。感謝である。

 秋田県内での雪関係の事故は、3月1日現在214人、そのうち死亡者は16人という。事故別原因では種からの転落が最も多い117人となっている。豪雪地帯では高齢化も進んでいる。屋根に取り付けられる簡易型融雪装置の普及が望まれる。

 今年の死亡事故では家庭用小型除雪機関連の死亡事故が3件あった。いずれも回転するブレードに巻き込まれたためと言う。私も注意してはいるが先進・後退のシフトを間違えて壁に押しつけられたり転倒したことが何度かあった。注意しなければならない。

 今期の雪関連の大きな事故としては秋田新幹線の脱線事故があった。3月3日の秋田行きこまち25号が大曲を発車して間もなく刈和野付近で脱線した。スピードを抑えていたこともあって人身事故には至らなかったが乗客は約6時間車内で過ごさねばならなかったという。詳細は分からないがちょっと対応が遅かったような気がする。ただ、現場の事情が分からないので何とも言えない。この下りの25号は私も毎週金曜日に大曲から利用している列車である。人ごととは思えなかった。秋田・大曲間は翌日運休となった。4日には長女が帰省する予定で、場合によっては大曲まで迎えに行く準備をしていたが、さいわい4日には復旧した。

 私関連のミニ事故は、飯川病院の日直の際、プリウスをガレージに入れる際に雪でスリップ、左フェンダーを壁に擦った。壁は何ともなかったが、車の修理に10万円かかった。また、今朝は廃棄する資源ゴミ満載の状態で路地でスリップし走行できなくなった。何とか脱出できたが、北国用に4駆動のプリウスが欲しい。 いろいろあったが、今期の雪は終わりだろう。遅まきながら私の冬のストレスは一段落である。


3/6(水)晴れ 寒気緩む  外来
 1:00 起床。文献・新聞チェック。7:00車病院着。回診他。8:45-13:00外来、今週は比較的混む。16:00帰宅、明日の資源ゴミまとめる、本・文献中心に200Kgはありそう。文献読み。19:30夕食、20:30就眠。

秋田の雪(7)3月になって雪は一段落 もう大丈夫だろう
 昨年12月から寒波襲来、結構積雪が多かった。私も12月12日以降、連日自宅や路地の除雪に追われた。

 昨年も降雪量は多かったが、本格的に降り始めたのは1月10日過ぎからで、今年は一ヶ月ほど早かった。当初はこんなに豪雪になるとは思っていなかった。私の除雪はこの2月25日に28回目の除雪で終了した。多分、もう今期は除雪は不要だろう。やっと一段落である。私の除雪機使用は少ないときはシーズンを通して少ないときは5-6回ということもあったが、20回に及ぶ事はなかったから今期はダントツに多い。

 秋田市は除雪費用がかさみ3度追加補正を行い、過去最多の36億円に達した。平成18年豪雪の33.4億円の記録を上回った。本日、市長は管義偉官房長官を訪れ、国に財政支援を求める要望書を提出した、と言う。管義偉官房長官は本県の豪雪地帯である湯沢出身とのことで積雪に関しては理解が得られることが期待される。

 一昨年は2月10日に15cmの降雪をもってピタッと降らなくなった。昨年は2月18日に、今年は2月25日に同程度の降雪があったから、今期はいつもより一月半ほど降雪期が長かった。

 一昨年の寒波大雪は北極圏の気圧が高いために偏西風がより南下し、北極の寒気団も南下したから、とのことであった。昨年は太平洋北部に「居座り高気圧」があり、偏西風に押されて東に移動するハズの低気圧が、高気圧に行き先を阻まれて動きがゆっくりになったためという。今冬の降雪はインド付近に高気圧が居座り、偏西風が北に押し上げられ、日本付近で急に南下するために寒気が流れ込む状態が続いている為とされている。毎年、寒波、降雪の機序は異なるようだ。不思議である。

 ここ数日は比較的温暖である。幹線道路の路面には雪がないが、路地などはまだわだちが深い。市民も自宅近くにうずたかく積まれた雪を砕き始めている。わが家でも積み上げられた雪が低くなってきている。
 12月から雪の下に埋もれていたHONDA CR-X Delsorも半分姿を現した。ルーフには何層にも雪が積もっている。重量も大変だろう。週末には雪を下ろして身軽にしてやりたいと思っている。

     (雪山の下から姿を現したHONDA CR-X Delsor)


3/5(火)降雪→曇り→晴れ 外来 
2:00 起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:50病院着、回診+病棟業務、8:45-13:00外来、秋銀来訪、16:00帰宅、睡魔に負け微睡、新聞チェック 、資源ゴミ整頓、病院用に注文したApple無線キーボード届く。19:30夕食、20;30就眠。

長命・長寿(2):寿命の比較より「しあわせ度」調査を
 人類、特にわが国の国民は平均寿命から見てもう既に十分長命化した。

 平均寿命は自分に関連した数値として話題になるが、実際には自分に関連した数値ではない。平均寿命は「0歳児が平均何年生きられるか」を示した数であって、話題にしている自分にとっての数値ではない。成人が、あるいは高齢者が今後どれだけ生きられるかを示す値は平均余命で、「自分があと平均何年生きられるか」を示した数である。それほの大きな違いはないが、こちらの数値を用いるべきである。この表から知りうることは、私の場合は平均余命は15年と言うことになる。

 更に参考すべき重要な数値は健康寿命である。「健康寿命」とは、介護を受けたり寝たきりになったりせずに、制限なく健康な日常生活を送れる期間のことで、平均寿命との差は女で約12.7歳、男が9.1歳となっている。私の場合は健康な生活を送れる期間はあと平均で5年ということになる。

 年齢を重ねるということは厳しい現実に立ち向かっていくことである。
 もう何年も前から家庭機能が崩壊したために高齢者の生活環境は大きく様変わりした。 2010年のデータでは65歳以上の高齢夫婦の単独所帯は20.9%、独居高齢者は24.2%となっている。寂しい現実を迎えている。日本の高齢者は豊かである、とされているが高齢者一人あたりの年間平均所得は198万円となっている。
 高齢夫婦の単独所帯、独居高齢者の生活は厳しい。体調だって年々悪化していく。「痛い」、「苦しい」、「寂しい」、「余裕がない」、「やる気が出ない」などなど、私が担当する外来でよく聞かれる訴えである。更に厳しいのは「老老介護」の現実である。
 厳しいわが国の高齢者の生活環境を見て、平均寿命世界第何位とか、各県別平均寿命のランキングなどの比較は一体何の意味があるのだ、と感じている。もちろん、平均寿命延長には多くの因子があるから、生活環境の改善に結びつけられればいいのだが、現実はどうだろうか。
 作者のお名前を忘れたが、私が良く健康講和で引用するある川柳は、「寝た切りを 増やして 今年も世界一」、「人生は おしめに始まり おしめで終わる」がある。
 問われるべきは平均寿命の長さではない。高齢者の「生活の質」、「幸せ度」でないだろうか。こういう視点の調査をやればいい。


3/4(月)曇り後晴れ 書類処理 
1:30 起床、文献、徒然、その他。7:00車病院着。回診。外来なし、入院一名、書類処理に集中。16:00帰宅。新聞、データ整理、19:00帰省の長女迎えてそのまま外食、20:50帰宅、就寝。

長命・長寿:寿命の各国、各県の比較にどんな意味がある?
 2011年の日本人の平均寿命は、男性が79.44歳、女性が85.90歳と驚くような数字である。しかし、数値を見る限り香港は男性が80.5歳、女性が86.7歳で、男女ともに香港が世界一の長寿国となった。

 人類は既に十分長命化した。
 不老不死の薬を求めながら果たせなかった秦の始皇帝(前200年)の時代に比べ平均寿命で見ると10倍以上も長生きしている。わが国の今の生活環境の中では多くの高齢者は実際には80才前後で限界になるのだが、希に100才以上まで生きる方が出てきて時折メディアにも顔を出す。この方々は長命の素因があり、生活の中でいろいろ努力もあったかもしてないが、老人中の超エリート老人であって他人がうらやんでも何ともならない。しかし、高齢に差しかかった方々は何となく自分達もまだまだ長生き出来る様な、かつ幸せな老後が待っているような幻想を抱いている。

 私から見て、若い年代の方々と違って、高齢者はこれ以上長生きして何をする?と言う意識で生きていなければならない、と思う。

 個々人が寿命延長の試みをしても効果は無い。積極的に寿命は延ばせない。個人的にはせいぜい人生を短くしないような工夫が出来る位である。
 寿命を伸ばす方法は恐らく唯一カロリー制限のみだろう、と私も健康講話でずっと話してきた。そのデータは人間で得られたのではなく、マウス等の小動物のデータから推定されたものである。マウスなどの小さな動物は自由摂取よりも3分の1ほどのカロリー制限をすれば寿命が延びることがわかっていた。しかし、2012年8月に英科学誌ネイチャーに報告されたデータからは、寿命のより長いアカゲザルの研究からはカロリー制限に寿命延長効果は認められていない。唯一と想われていた寿命延長策も否定されてしまった。

 人は個人的に努力しなくとも、その時代の生活環境、文化で長命化する。それを決めるのは自分以外の要因である。
 長命化の因子としては 、■平和、■母子保健充実、■衣食住確保、■生活環境衛生改善、■労働関連死減少、■伝染病死減少、■患者にとって世界一の保険制度(別名・勤務医殺し制度)、■医療医学の発達・・・を私は挙げている。

 最近は日本の各県毎の平均寿命の比較、国別の比較が統計資料として発表されるが、厳しいわが国の高齢者の生活環境を見てこんな比較は何の意味があるのだ、と感じている。短くとも各人の生活の質が問われなければならない。


3/3(日)曇り・晴れ 寒気緩む ひな祭り 飯川病院日直
 1:30 起床、文献関連、新聞チェック。録音データ、雑誌や本の整理。8:00飯川病院へ。8:30-17:00日直。17:30帰宅、新聞PDF化、19:00ひな祭りの手巻き寿司で夕食、20:30就眠。

馬子にも衣装とは(10)雛祭り 雛人形をセットしながら考えた 
 今、わが家では二組の雛人形がピアノと棚の上に鎮座している。
 昨年までは賄いのおばさんがセットしてしてくれていたが、今年ははじめて私がセットした。いろんなパーツを組み立てた。小さなセットであるが重量はかなりある。ずっと飾っていても良いのだが、風習上明日は仕舞わなければならない、のだという。何でかなァ、折角出したのに勿体ない。

 わが家の雛人形は内裏雛だけであるが、新旧2セットある。古いセットは長女に用意したから30年以上にもなる。目線より上に飾ると高貴な感じなのでピアノの上に鎮座している。もう一つは2007年に家内が自分用に購入した。この女雛の衣装は末広がりに後方に伸びているので、目線より低いところに置き、上から見て楽しむのが良い。前者の女雛はふくよか、後者のは清楚な顔立ちである。

 雛人形を見て思うのは顔立ちと衣装の素晴らしさである。その衣装をまとった姿そのものが雛の姿そのものである。衣装から出ている部分というと、うなじから上の顔の部分と両手だけである。これだけなのに誰もが衣装の下に隠れた身体の部分を想って見る人は居ない、と思う。実際に底の方からカバーを剥がしてみると雛の衣装の下には殆ど人体の形などない。張りぼてと形を支えるための木の柱、針金と接着剤による固定が成されているだけである。要するに、ひな人形の全体像は着用している衣装そのものがひな人形の外見、即ち、形を表している。ひな人形は真の人型の形はそこになく、衣装そのものが雛の外見、即ち、皮膚の役目を代行している。

 私は装いの最大の目的は、自らの裸体、スタイルを衣服と言う人工的な新しい皮膚によって代理させていることにあるのだ、と思う。要するに衣服を纏うことによって変身していることになる。自らのスタイルを誇れるような人はその素晴らしい(?)スタイルを、あるいは、誇れるパーツを強調するような衣装を纏えばいい。一方、そうでない人は衣装の力を借りて別な方向に変身すればいい。

 こう考えれば、殆どの方々は衣服に無限の可能性を求めることが出来るし、求めることになる。ファッションの世界は外見の問題だけに、食住以上に強い欲求の対象になり得る。ファッションの世界の可能性は無限である。

 ひな人形を並べ、その造作の見事さに感心した。衣装の下は何にもなくてもそんなことに関係なく美しい人形である。こんな事を考えていても一文の得にならない。最終的には「雛よりダンゴ」である。本日の夕食はひな祭りを祝って手巻き寿司を心置きなく楽しんだ。


3/2(土)暴風・寒波再来 降雪 秋田新幹線脱線
1:30起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。微睡。11:00来客あり。キッチン改修関連打ち合わせ。書庫の整理、医学関連書籍大量廃棄他。途中で不調に、午睡。夕方から新聞本読み、19:00帰宅。19:00ひな祭りの寿司で夕食、20:30就眠。

食事は健康維持の要(5) 私の食習慣の反省(2) 外食は大嫌い
 一般的には外食は楽しいのだろうか?私は外食が嫌でたまらない、苦痛である。

 家族での外食の場合には、■わざわざ出かけるのが嫌、■レストラン等の慣れない環境が嫌、■メニューから選ぶのが嫌、■食事が出てくるまでの待ち時間が嫌、■近く人の話し声が嫌、■知人に会うのが嫌、■出てくる料理の多くは私の口に合わない・・・と理由はいくらでも出てくる。

 要するに、私は自分が構築した生活環境の中で淡々と生活するのが一番に向いている。だから休日などにどこかに出かけることも嫌である。それでも、家内の誘いや家族が揃った際などでの外食には出来るだけ付き合っている。家族間で果たすべき義務の一つと思っている。

 家内は外食でいろいろ味わうのが好きなのであるが、この面に関しての私への評価は「ホントに、つまらない人ネ・・・」である。家内は私を誘うのを早々に諦め、時には一人で、時には知人を誘って外食しているようだ。その支払いの一部は私が管理しているカード決済だから後日私に回ってくる。私にとってはそれで済むならそれも良い。

 勿論、食事を用意する立場にある主婦業の方々にとってはその支度や片付けから解放されるから、当然でもある。そこは理解出来る。だから適宜、頃合いを見計らって付き合っている。

 上に挙げた理由のうちで最も嫌なのは食事に時間がかかることである。最近は多少改善しつつあると言え私は「犬食い」である。一揃い用意された食事をスピーディに食べ終える。特にレストランでのコースメニューの場合、なんでこんなに時間をかけさせられるのか、理解出来ない。私の本心は一度に全部を揃えて出して欲しいと言うことである。中華系のレストランでは最初の1-2品で腹一杯になってしまうからその後の料理と時間は私にとってはほぼムダとなる。
 食事にアルコールを楽しまないことも一因かもしれない。だから時間が持たない。

 時には美味しいと思うこともある。だから、絶対に嫌というわけではないが、出来るだけ避けたい。

 自分でも寂しい食習慣だと思う。本で,TVで美味しそうな料理を見ると感心はするが特に食べたいとも思わない。料理や食事を取り上げたTV番組の大部分は不快である。私にとっての外食はラーメン屋が一番良い。小さいころからの習慣である。


3/1(金)曇り・晴れ 寒波緩む 大曲中通病院外来
1:10起床。文献・データ整理。7:00病院着、回診と病棟関連業務。8:01こまち、8:45-15:00大曲中通病院外来、余裕若干。17:00帰宅、新聞、本読み。室内自転車、19:15夕食、20:15就寝。

クロスバイク(26) 昨年は自転車通勤開始、今年は歩くこととした
 もう3月である。昨年は自転車通勤を始めた日である。それでも一昨年にくらべて3週間も遅かった。今年はまだ寒いし、車道は両側に積み上げられた雪で道幅は狭くなっていることと、路地はまだ走行は困難、歩道はまだ雪が厚い、などなど、スポーツタイプの自転車の路上走行はまだ無理である。

 そんな道路事情で迎えた3月であるが、今年は自転車には原則乗らないこととした。

 その理由は昨秋から発作性心房細動に伴う脳梗塞予防のために血液凝固阻害剤であるタビガドランを服用をしているので、外傷の際に不測の出血を来す可能性があることと、右下腹部に術後の腹壁ヘルニアが出来て時に痛む様になってきたことである。
 自転車で走り回りたい意欲はまだまだあるのに、実に残念である。
 
 私は自転車では基本的には車道を走る。だから、車と接触する可能性がある。そのために発作性心房細動に対して抗凝固剤の服薬を避けていたのであるが、結果的に事故の方でなく脳梗塞の方を起こしてしまった。自己責任の下で選択した結果である。
 脳梗塞発症時の症状は結構きつく、右半身不随、言語障害が残るかと覚悟したのであるが、さいわい数日で後遺症もなく改善した。この千に一つの幸運をムダにはすべきではない。そんな事情で残念ながらクロスバイクは諦めた。

 クロスバイク購入後一昨年は2ヶ月で約1.800Km走行した。昨年は4000Kmまで達したところで病のために頓挫した。だから、実質走行は5800Kmに止まった。
 クロスバイクは秋以降、室内用のトレーナーに設置して居間でDVDで映画を観ながらが連日30分ほどペダルを踏んでいる。

 もう既に気持ちは歩行に移っている。まだ歩道は歩ける状況にない。雪が消えたら始めようと思う。
 来年度の嘱託医としての契約はまだ決まっていないが、現時点では外来診療を中心に半分ほどになる予定である。だから、職場との往復を中心に歩くことが出来るだろう。
 歩行は自転車の自由度にはかなわないが速度が遅いだけにゆっくりと周辺を味わうことが出来る。どうやって楽しむかを考えているところである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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