徒然日記
2012年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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9/30(日)雨のち晴れ 花巻新渡戸稲造記念館 千葉家住宅見学    
 2;00渡り温泉の『楓』で起床。6:00までの間入浴5回、大浴場一人だけで快適。本読み、新聞など。朝食後家内のために用意された径30cmほどの巨大バースデイケーキを持っては帰られない、と4人で平らげた。甘党の私は十分堪能したが、しばらく体調が変だった。10:30-15:00花巻新渡戸稲造記念館と遠野市の千葉家住宅を見学、盛岡駅近隣で遅めの昼食後解散、16:21こまちにて帰秋。19:00帰宅、夕食なし、20:00就眠。

トヨタ・アクアの燃費の良さに驚く 140Km走って350円、何と、50Km/L
 昨日29日から息子一家と共に花巻を訪問、渡り温泉の『楓』に宿泊した。孫と同名なので選んだという。

 家内の立案であったが、私は飯川病院の日直だったため家内が朝にこまちで先に発った。盛岡で息子一家と合流し、花巻温泉のバラ園、ぶどう園を訪れた、と言う。後者では新鮮なブドウをたらふく食べたらしい。私は日直終了と共に飛び出し、途中走って17:09のこまちに乗り、盛岡で普通列車に乗り換えた。花巻駅に降りたのは学生の時以来だから50年ぶりである。駅舎も新しく、食堂を兼ねた待合室では20人ほどの高校生が熱心に勉強していて、驚いた。

 渡り温泉『楓』で幼児2人を含む6人となった。人数的に車が一台足りないので、本日30日はトヨタ・アクアをレンタルして2台で移動した。アクアは初めて。エンジンは私のプリウスと同じ1.5Lで無段変速のCVT。内装は価格を抑えるために簡素になっているが別に問題ない。メーター類はハイブリッドらしく表示項目は多数。プリウスより一回り小形で軽いイメージ。私は車はあまり乗らないから、基本的機能さえしっかりして、AMラジオが付いていればいい。その目から見て十二分である。

 息子とで交代しながら運転したが、機能的にも問題を感じなかった。
 歳を取ると車は小型の方が良い。私はルーチェ、レガシー、プリウスと中古車を乗り継いでいるが、サイズは徐々に小さくなった。今後はアクア程度で十分である。

 で、本日は花巻・新渡戸稲造記念館を見学し、遠野市にある千葉家の古住宅を訪問して盛岡駅でアクアを返却した。走行距離140Km で、満タン返しで直前に給油したが、2.2Lで380円、何と、50Km/L以上と驚異的な数値を示した。
 確かにアクアは燃費では最高とされる。プリウスは公称値30km/L台だが、アクアは40km/Lをわずかに下回る程度で、10.15モードと新しい条件下の計測では40km/Lを上回る。私のプリウスは最高で21Km/Lだから、どうせアクアもカタログ値と大差あるだろうと思っていたが、むしろ良い。驚いた。信じ難い数値であった。

 一度の体験だから何とも言えない。間違いである可能性も否定は出来ない。盛岡での給油の満タンのレベルが甘かったのかも知れない。何れにしろ、カタログ値と実燃費の大きな差は問題だと思っている私も、今日はアクアのデータで驚いてしまった。


9/29(土)曇り晴れ時折雨 台風17号日本縦断  飯川病院日直 花巻へ、渡り温泉泊
1:30起床、新聞、本読み。8:00こまちにて花巻に発つ家内送り駅往復。文献・データ検討、居間後片付け他、12:00飯川病院日直へ、検食。患者関連では呼ばれず。データ整理と講演準備多少。17:00秋田駅に。こまちで花巻に向かう。20:00渡り温泉『楓』着。家内・息子夫婦一家と合流。夕食、孫の活力に負けてダウン、21:00就寝。

書評:昭和のことば 山折哲雄監修・槇野 修著 2012  PHP文庫 629円 
 いま、私は近代日本の歴史を勉強中である。資料は豊かであるがそれだけ煩雑、複雑、で、読むもの、見るもの、触れるものが私の中でなかなか一体化せずに、進行は遅々としている。そのためにも歴史的遺産、人物、記念館など機会があれば訪れて体系化の一助にしている。9月30日には花巻新渡戸記念館や遠野市にある千葉家住宅など訪れたい。

 史実は年月日やそこに至る過程など調べることによってかなり明瞭になっていく。作家の水上勉氏の言葉の中に「人は歴史的な日などを生きるものではない。人は、いつも怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる。」と言うのがあって、うろ覚えながら心に引っかかっていた。何かで読んだか、あるいはラジオ深夜便で聞いたのかもしれない。勿論、上記「・・」内に記載したほど思えていたわけでないが、この本に収録されていて再会出来た。

 水上氏の言葉は真実だと思う。いくら史実を振り返ってもその頃の人は何を考えていたのか、なかなか知ることは出来ない。そんな中、副読本的に求めたのがこの本である。

 山折氏の監修というのも目にとまった。私は宗教についても関心があり、宗教学者・哲学者である氏の講演を2回聴き、何冊かの著作も読んでちょっと身近に感じている方である。講演の一度目は学会の講演で京都で、二度目はわざわざ上京して拝聴した。この時は宮沢賢治の生涯を通しての宗教観についてであった。

 ■第一章は、スポーツ・芸能ジャンルから、
 ■第二章は、多くの名作が生まれた昭和時代を、芥川、西條八十氏らの作品などを通じて。
 ■第三章は、世相を表す様々な事件や出来事から。ノーベル賞受賞の湯川氏の日記、ラジオ・TV放送でのアナウンサー達の名実況や奮闘など、活躍の裏に秘められたエピソード等が50編紹介されている。

 あとがきに司馬遼太郎氏の風塵抄より「その生涯は、渾身でもって憲法の人でした」として昭和天皇について述べられているので、正確には51選である。この芝氏の言葉を著者が解説しているが、天皇の戦争責任について学ぶべき視点がまた一つ増えた。

 私は昭和20年生まれで2/3は、昭和の世代を過ごしてきた。懐古的な気持ちは乏しいが、問題意識が乏しいまま忙しさに身を任せ通過してしまった昭和の時代を、いま反省を込めて触れ直している。 
 この本は部分的には三度四度と読み返した。それがこの本に対する私の評価である。


9/28(金)快晴 大曲中通病院外来
1:00起床、若干風邪気味?新聞チェック・文献読み・徒然など。コイ・ハト、7:00病院、重症者回診他。8:01こまち、8:45-15:00大曲中通病院外来、環境、システム、カルテ、患者層が異なり対応難。帰院後回診他、18:00帰宅。夕食、20:00就寝。

「先生に代行入力者をつけましょうか?」 
本日、嘱託医として働いている病院のカルテの電子化を進めている担当者が私のところに来た。「先生に代行入力者をつけましょうか?」という内容であった。

 外来診療では医師はパソコンを操作しながら診察するのであるが、「代行入力」というのは傍らに入力補助者をつけ、医師が診療に集中出来る様にするものである。パソコンが不慣れな医師や患者数が多い診療科の一部、他の医療機関から応援してくれる医師、ではそのようにされているらしい。

 私は確かに入力ミスが少なくない。医事課職員等に迷惑をかけていることは自認している。その修正作業も大変である。しかし、代行者をつける話しが私に来ることなど予想していなかったので驚いた。
 私はこの申し出があったときにはその意味が分からずに,「私は何ら不便していないから不要・・」と断った。

 ただ、何で唐突に代行入力の話しが来たのかと考えてみた。
 ■私の入力ミスが少なくない・・,のレベルでなくかなりひどいと問題になっている。知らぬが本人ばかり。
 ■医事課職員等がかなり迷惑を被っていて、何とかして欲しいと上申があった。
 ■代行案の打診が来た。
 こんなところかな。私の入力が知らぬところで話題になっているかもしれない,と考えれば些かショックである。

 私は外来の診療補助の看護師や助手が側についているのも嫌で呼ぶまで離れているよう指示している。適宜鐘を鳴らして呼ぶ。なのに代行入力者につかれたら仕事にならない。だから、外来の入力に関しては何とかミスを減らすよう注意しながらやっていかなければならない。

 私にはもっと大きな問題が控えている。入院カルテの電子化である。
 入院患者は数人と少ないが電子化に対応せざるを得ない。今のところ最小限の入力をしているが、徐々に複雑化する様である。悩みのタネである。いつ限界が来るか、の状況にある。


9/27(木)晴れ 外来 
1:00起床、ここ数日風邪気味続く。新聞・文献・徒然など。コイ・ハト後、7:00自転車病院着、寒い。8:45-14:30外来。大混雑、複雑な対応を要す院内紹介患者等で疲弊。嘱託に何でこんなに負荷かける?入院患者も不調に。17:00ほぼ最短距離で帰宅。データ整理他、夕食、20:00就眠。

自民党総裁に安倍元首相 驚いた 中国のデモと同じ主張
 自民党総裁に安倍元首相が選出された。私はいずれ再登場の機会はあろうが、今回は出馬しないと思っていたし、出馬に賛成でなかった。立候補する以上、最悪でも次点を確保出来ないと二度と機会はないだろうと思っていたが、結果的にトップだったとは・・・。

 安倍氏についてはリーダーとしてのイメージより、5年前に突然政権を投げ出した悪しき印象の方が強い。一度貼られた悪しきレッテルを拭い去るのは大変である。前回は、最若年の首相として人気先行で首相になったが、政治的経験不足からストレス過剰で心身症になった?と私は思っているが、この5年間なめた苦渋がどう反映されるか。どちらにせよ、今回の党運営で評価されるだろう。ダメなら次はない。どちらに出るのか楽しみである。

 近いうちに解散があると考えられている。党や政策に見るべき魅力はないが、ダメ民主のあおりで自民党が再び政権を担う可能性はある。そうなると首相となる。前回の政権交代はダメ自民党が自壊して政権を手放したが、その後も自民党には大きな変容はない。このままではダメ政党間の政権たらい回しになる。

 今回の自民党選挙の主張を聞いていると、石破氏、安倍氏はほぼ共通して強い日本、領土問題での強硬路線を述べていた。折しも、尖閣問題で中国側の過大な反応と抗議活動を目の当たりにしての演説である、聞いている者の共感を得やすい状況にあった。誰だって今回の国の対応はにはふがいなさを感じているはず。尖閣は「国家管理をさらに進める」と明言している。ご両人とも歯切れ、威勢がとても良かった。溜飲をおろした人もいるはず。

 しかし、このような姿勢は危い面もある。野党の総裁選挙レベルだからまだ良い。与党のやり方に明確に対抗姿勢を打ち出すのも必要だろう。しかし、今後の安倍氏の立場を考えると強硬姿勢一辺倒でいいはずがない。対話を軸に日中両国にとって現実的な解決策を模索すべきだ。外交は軟鋼バランスが必要。特に隣国とは良好な関係が不可欠である。

 総裁になったからには頑張って欲しい。特に、震災復興、社会保障制度改革などでは与党に対して政策として優れたプランを打ち立てて欲しい。それに、次の政権を担うならば過去の自民の古い体質が日本の活力を失なわせ、政治不信を招いたことを反省し、党の内部を改革しなければならない。

 いま、選挙になったら国民は誰に投票したらいいのか分からない。維新の会?私はまだ理解できていない。


9/26(水)晴、外来
1:30起床。文献若干,新聞読む。コイ・ハト後6:50自転車病院着。回診等病棟関連業務。8:45-13:30外来。16:50泉・保戸野クリニック外観見つつ帰宅。夕食、20:45就寝。昨年は数日前から上下ともテニス用ウインドブレーカー,手袋着用。今年はまだ上だけ。

稲川淳二の「怪談ナイト」 良く聴き取れなかったのが残念
 9/17(月)敬老の日に16:00から秋田市文化会館で開催された稲川淳二氏の「怪談ナイト」を聴いた。

 二ヶ月ほど前に何かのコンサートに行った際に貰ったパンフレットの中に全体に黒っぽくて何だか分からない一枚があった。『怪談』と言う言葉だけが記憶に残っていて、当日たまたま思い出して急遽見に行った。 私は機会があれば何でも見てみよう、聴いてみよう、と考えているがその一環である。

 出演の稲川淳治氏については私は全く知らなかったが、家族や病院のスタッフ数人に聴いた範囲では殆どが知っていた。かなり有名な方らしい。ロビーには老若男女が大勢いて熱気を感じたが、実際の座席は6割程度の入りであった。

 舞台には妖怪でも出そうな田舎の民家が一軒しつらえてあって照明効果もあって怪談話に相応しいような雰囲気は出ていた。
 この舞台上でこれから一体どんな演出で何が起こるのか、ロクロ首の美女が登場するのか鬼太郎か、と心待ちにしていたら、中年の一見さえない男が一人出てきた。会場からの盛大な拍手で、前座ではなく稲川氏本人と知った。

 彼は淡々と語りを始めた。いつまで経っても場の展開はない。そのうち私も彼の独特の語り口についつい引き込まれた。数ヶのネタについて語ったが、囁くような小声から数分かけてクレッシェンドし、絶叫にいたる話し口、語りのテクニックは確かに技術的にも優れており鬼気迫るものがあって、時に息を呑んだ。ただ、技能に感心したのであって、怖いとか不気味だと言うイメージは無かった。

 最後の30分ほどは、これは恒例になっているらしいが、稲川氏が所有している写真、ファンから送られてきた数々の心霊写真を紹介し解説したが、私はちょっと白けた。無くても良い企画と思うが、もし入れるなら中間に入れて、最後は怪談の語りで締めて欲しかったと思う。 2時間もの間の、原稿もないのに些かのよどみもなく一人で語り終えた話術には感嘆した。この様な芸の世界があることを教えて貰った。

 会場の音響のことであるが、稲川氏が早口であったことと、低音部が協調された音響設定と相まって言葉がとても聞き取り難かった。これと同じ事が県民会館、アトリオンホールでも経験した。多目的ホールの問題点と思う。私だけの問題では無いと思うが、今後はこの様な回の場合、ノイズキャンセリングヘッドフォン持参で低音をカットして聴く事とする。これだとクリアに聴き取れるはずである。


9/25(火)快晴 外来  
1:30起床。新聞・医学論文チェック他。5:45ゴミ出し他、コイハトにエサ後6:50自転車病院着.冷えて今期初めてウインドブレーカー着用、回診・病棟業務。8:45-13:50外来、混雑。16:10町内会のゴミ収集所の掃除当番に当たっていたので最短距離で帰宅。その後、読書、新聞、文献など、20:00夕食、20:30就寝。

日本の医療の現状と課題(16)不適切な医療で生計を立てている自分
 私はかつては総合病院の内科外来を担当していて、一日50人以上の患者の診療で毎日疲弊していた。今も嘱託医として継続している。

 私が担当する外来はこれ程の患者を扱っているのだからかなり病院の経営に寄与しているはずだ、と長年思っていたが、私の外来の部門別収支を試算したところ、何と赤字であった。要するに、私の外来は病院にとって不採算部門で、これを知った時に私の医師としてのモチベーションが一挙に萎えた。

 その第一の理由は私が診療している患者は高血圧症、高脂血症、老年症候群を中心としたほぼ安定した患者であり、2-8週毎の再診と年一回程度の最小限の検査だけである。その割りには神経質で不安が強く一人あたりの診察時間は比較的長い。それを受け入れている私にも問題がある。多くの患者は再診料と処方箋料だけで、一回受診あたりの請求額は3.000円程度で、わが国の外来診療の平均の半分程度であった。こんな程度では、人件費、光熱費その他の経費を賄い切れない。

 ここまでデータを示されて赤字だと言われると居直るしかない。
 こんな外来でも外来診療を通じて少なくとも住民の健康維持には寄与しているだろう、患者のプールとして病院にも役立っているはず、と割り切っている。
 確かに、一日数人の血液・免疫領域の疾患を持つ患者以外は必ずしも私が担当する必要がない。いや、わざわざ遠方から総合病院の外来に通院するまでもない患者である。いや、医療が必要でない患者も混じっている。だから不適切外来である。私が担当する外来の内容はこんなものである。少しづつ地域のクリニックに紹介しているが、なかなか患者が納得しない。

 間もなく病院の外来カルテは電子化される予定で着々と準備が進んでいる。
 電子化すると一回の外来あたり20人でも対応困難になると思われるから、もっと徹底して患者を減らさなければならない。これを通じてあるべき外来に変えていかねばない。それよりも、問題点は私が電子化に対応できるか否かである。対応不可なら去るしかない。病院にとっては時代の標準的機能を使いこなせない高齢の医師が消えるのは診療機能の適正化にもなる。

 上記の外来の様子はあくまでも私が担当する外来のことである。私以外の外来診療はより高度であり専門性も高い。だから必要性も、医療費も高いから一括して論じられない。

 言いたいことは、総合病院は外来診療で病院が忙しく、医師を疲弊させている。総合病院では外来機能を高度化すると共に縮小し、安定した患者は地域のクリニックへ通院を進めればいい。それによって医師を始めとして人件費を減らせるし、効率的医療が展開する。
 どう考えても私は適切な医療をやっていると思えないが、その不適切さをうやむやにして自分の生活を維持しているから歯切れが悪くなる。


9/24(月)雨、曇り 外来 
1:00起床。医学論文・新聞他いつもの如し。ひと月ぶり車6:40病院着。回診、患者の術前準備他、8:45-13:40外来、患者で溢れかえり疲弊した。16:00車最短距離帰宅、文献読み他、18:30-20:30家内の誕生祝い、北州亭。夕食、21:00就寝。

日本の医療の現状と課題(16)受診を適正にコントロールすべき
 わが国の医療の大きな特徴の一つに、患者はいつでも自由に医療機関を受診できることを上げねばならない。これはフリーアクセスと呼ばれるが、私も素晴らしい制度だと思う。この様な制度を敷いている国はそれほどないはずである。

 ただし、日本の医療の中でフリーアクセスを野放し状態にしてきたことを大きな問題点として上げなければならない。患者の判断・思惑だけで受診が可能なのであるが、実態は私共医療者から見て呆れるような状況になっている。

 一例は、秋田市で経験されたエピソードと言うが、救急車で病院に搬送される途中、患者が「コンビニでちょっと止めて、買い物してから行くから・・」と言うのを紹介しておく。極端な一例であるが笑えない。
 私の経験では、「子供が泣き止まず辛い」、「転んでちょっと擦りいた」、『先ほどA総合病院で診て貰って検査も受けたが不安で・・」、「くしゃみが3回出ました」、『疲れてますから点滴を」、「友人から顔色が悪いと指摘されて・・」、「友人が脳梗塞でMRIで分かったので私も・・」、「TVで見た病気が不安で」、などなど、枚挙にいとまがない。

 結果的に、わが国は先進国の中で、否、全世界で最も受診頻度の高い国と言えよう。このフリーアクセスについては患者の立場では最高であろうが、問題はとても大きい。医療資源のムダが生じ、結果として医療従事者の疲弊を招きく。それに、医療費の浪費が生じる。

 外来診療に関して、2000年頃の些か古いデータであるが、日本の国民一人あたりの年間平均受診回数は21回で、米英仏の平均5回とダントツの差がある。一回受診あたりの医療費は平均7.000円程度で、 米英仏の2.6ー6.2万円と大きな格差がある。日本の医師数はOECD health data 2010によると2.1人/人口千人で、OECD加盟国の中では27番目である。だから、結果的に一人の医師が外来診療で担当している患者数は極めて多い。しかも、しかも、患者一人あたりの単価が安いために労力の割りに収入が少ない。

 フリーアクセスは患者教育があって初めて生きてくる制度である。いま病院に行くべき状態なのか機会ある毎に患者を教育していかなければならない。本来これは国がやるべきことである。医療機関も、実はこの様な患者の受診を断れない事情がある。持ちつ持たれつの関係はどこかで絶ち切らねばならない。

 私の感覚で言えば、患者の受診頻度は大幅に減らせる。それがわが国の皆保険制度を維持するために必要事項の一つだと思う。


9/23(日)曇りのち雨 重症患者対応+家族面談 
1:00飯川病院で起床、持参の電子データチェック、本読みなど十二分に楽しめた。7:00朝検食。8:00遠回り自宅に向かう。9:00-13:00入院患者不調にて対応。13:45帰宅、以降はデータ整理と本読み、19:30夕食、20:30就寝。

千秋公演のハトにエサ 見知らぬ方から写真の提供を受けた
 (提供受けた写真。私の画像処理が下手で黒ずんでしまった。カラスでなくハトです)

 昨年の今頃は朝6時過ぎに自転車で家を出て、久保田新橋でコイにエサをやった後、大きく遠回りして出勤した。今年は家内が毎朝緑茶を煎れてくれるし、賄いのおばさんが退職したのでゴミ出し、軽い掃除など、朝にいろいろやるべきことが増えた。だから、若干遅くなり6時半前後に家を出る。コイにエサやった後は遠回りする時間的余裕がない。千秋公園前を通って最短距離で病院に向かう。

 本年6月9日に腹を空かしている様子のハトが20羽ほどたむろしていたので残ったコイの餌を与えてみた。嬉々としてついばんだがその様子を見ていて、伝書鳩を飼育していた頃のことを思い出した。ハトたちがあまり喜ぶものだから、その時から病み付きになってほぼ毎朝、出勤しない土日の朝も7時前にコイとハトにエサを与えている。私はやはり根っからのハト好きだ、と再確認した。コイへの餌撒きも続けているが、主役がコイからハトに移ってしまった。

 私は小学4年から高校3年まで伝書鳩を飼った。活発で、優雅な身のこなし、飼い主に親しみの表情で近寄ってくる鳩達に心を動かされたものである。鳩を飼っている人は鳩バカと呼ばれるほど熱中する。私も自称鳩バカの一人で、私はハトを介していろいろな経験が出来た。

 ハトは利口である。自転車で近づくとサッと周囲に集まってくる。遠方からも、上空を飛んでいたハトも急降下し寄ってくる。警戒心は強いがスローモーション的に動く事がハトの警戒感を解くコツである。ハトは格別私を怖がる様子は無く、自転車や腕にとまり、手から餌を直接ついばむ。

 8月いっぱいは千秋公演の堀のハスが見事である。この間、カメラマンも連日数人いる。そのうちの中年(?)女性の方から「撮って良いですか?」と声をかけられた。数日後、その方から写真の提供を受けた。上掲の写真であるが、現物ははるかに綺麗で鮮明である。鮮明すぎるのであえてこのままにした。写真有難うございました。


9/22(土)秋田曇り快晴、時に雨 飯川病院日直・当直
1:30 起床、いつもと同じ、蓄積資料整理。8:00自転車飯川病院に。患者対応要請なく終日本読み、文献読みなど出来て満足。ただ、無風の快晴で自転車ポタに最適な一日を拘束されているのは辛い。病院の窓から結婚式の帰りと思われる着飾った若者が多数見え、華やいだ気持ちになる。ただ、終日家を空けるのは体調不良の家内が多少心配。12:00、18:00検食、20:30就寝。

日本の医療の現状と課題(15)皆保険制度を守るためにどうすればいいのか?

 わが国の皆保険制度は、医療関係者の一人である私から見れば言われていたような理想的な仕組みではない。しかし、国民や患者の立場からみれば良い制度であり、WHOの評価や昨年掲載されたLancet誌の記事だと世界的に見ても評価が高い。

 WHOは医療機関へのかかり安さ、平等性、対費用効果等の面で高い評価を与えている。Lancet誌は、官民の連携、公衆衛生アプローチ、医療サービス、アクセスの保障、世界一の長寿達成、低価格で高品質な医療、公平な医療提供体制を維持・・と前向きに評価している。

 国民皆保険制度は主として経済的な面から危機に瀕している。
 この制度は何とか維持し続けなければならないと思う。国民も医療機関も、医療関係者もこの制度の恩恵を大きく受けている。一方では国は財政の悪化を理由に低医療費政策を続けてきた。その様な中、日本医師会、各地の医師会も国民皆保険制度の堅持を国に訴え続け、制度破綻につながり兼ねない混合診療の解禁、医療分野への株式会社の参入問題等の施策には断固として反対し成果を上げてきた。

 しかし、現実をみれば年間一兆円ほど国民医療費は増大している。その主因が少子高齢化だから今後も経費増大は10数年間続く事になる。しかも、国家予算は上限があるために医療費の増大は全ての分野に影響を与える。また、その頃の日本の経済状態は分からない。しかし、決してバラ色ではなかろう。
 だから、国に対して低医療費政策をやめて国民皆保険制度を維持せよ、と要望書や決議文を出すだけでは解決しない。医療関係者も皆保険制度を守るために発想の転換をしなければならない。

 皆保険制度を守るためにどうすればいいのか?
 国が潤沢にお金があるなら起こらない問題だと考えれば、ことは単純である。今の医療がわが国の現状の、将来の経済状態に相応しい内容で効率的に提供されているのかについて科学的、論理的な分析が行われなければならない。結果として国、国民、医療機関が具体的にどうすればいいのか見えてくるだろう。


9/21(金)曇り・小雨 大曲中通病院外来
 1:30起床、新聞チェック、本読み、講演準備開始など。コイハトにエサ後6:50自転車病院、重症患者回診そのほか。小雨で病院前のタクシープール空、20分以上待つ。8:01こまちに間に合わず、1時間遅れで到着。9:30-15:00大曲中通病院外来、混雑でストレス。小雨の中19:45帰宅、新聞読み他、19:00夕食、20:00就寝。

書評: 総理の器量 - 政治記者が見たリーダー秘話 (中公新書ラクレ) 777円 2012年7月
 著者の橋本氏は秋田県出身で高校で家内の同級生でもある。著作を送って戴いたこともあり、言葉を交わしたこともある。そんなことで親しみを感じている方である。
 9月21日は大曲中通病院外来担当で8時01分のこまちに乗るのであるが降雨のためかタクシーがおらず遅れてしまった。時間が出来たので久々デパートに入り書店で数冊の本を購入したが、この本は移動中と外来の合間に一気に読んでしまった。

 橋本氏は読売新聞の政治記者として歴代の総理大臣を間近で見てきた方で、秋田で講演を私は4回聴講している。講演の中で番記者や論説委員の立場でしか知り得ない総理大臣達の公私にわたるエピソードが紹介され興味深く聴いたが、これはその内容に沿った著作である。

 著者は自分が直接接した三木から小泉総理まで、以下のごとくの一言をつけてそれぞれの性格,政治手法,長所と短所を分析している。 私が抱いているイメージ通りのも、全く考えもしなかったのもある。

■中曽根:「王道の政治」■福田赳夫:「清貧の政治」■大平:「韜晦(とうかい)の政治」■三木:「説得の政治」■竹下:「無限包容の政治」■宮沢:「知性の政治」 ■橋本:「正眼の政治」■小渕:「謙譲の政治」■小泉:「無借金の政治」

 総理大臣という重責を担った各人の器量と品格と魅力について述べながら、総理に必要な資質とは何なのかを教えてくれる。自民党時代の総理は重要なポストを何度も経験する中で鍛えあげられ、政治理念、哲学を持った人で、政権交代以後に登場した経験不足の総理たちとは一線を画する存在であった。

 折しも、野田首相が本日の民主党代表選で再選された。党の中枢にもいなかった人物で、菅内閣で財務相で前面に出てくるようになったが、昨年の代表選挙までは地味な存在であった。地位は人を作るとも言われるが、私はよくやっていると思う。橋本氏ならどう評価するのか聞いてみたいものである。

参考:最近読んだ同類の書籍
   ■「総理の辞め方」 本田雅俊著 2008年7月 PHP新書  

   ■「宰相の資格」 櫻井よしこ著 2011年2月 産経新聞出版 


9/20(木)終日小雨 外来 
1:00起床。文献検索、新聞チェック、5:45本・雑誌・新聞・一般紙など20Kgほどゴミ収集所に運ぶ。コイ・ハトにエサ、7:00自転車病院、昨年は冷えてウインドブレーカー着たが、今年はまだ不要。回診、病棟業務。外来8:45-13:00。小雨の保戸野地区のクリニックの外観見つつ17:00帰宅。レコードでマーラー楽しみつつ資料整理など、夕食、20:50就寝。

日本の医療の現状と課題(14)消費増税10%だけでは国民医療は破綻する

 消費増税法案が成立した。
 マニフェストとの関連、増税までに至手続きについては評価が分かれるが、私は歴代政権がタブーにして来た消費税増税を成し遂げた野田首相の功績は評価したい。

 野田首相は財政再建のために避けては通れない、と説明してきたから多くの方は10%への増税によってわが国の財政事情が一段落するだろう、加えて社会保障が充実する、と思っているのではないだろうか。実態は違うと思う。
 国家予算の支出面に手を付けなければ10%への消費税増税は、焼け石に水であり、増税のマイナス面が前面に出てくる可能性がある。「社会保障と税と一体改革」というのは「消費税を増税し、社会保障を充実する」のではなく「増税し、社会保障を見直す」と言う意味での一体改革と思う。

 野田首相は説明不足だ。野党からは「一体改革」論議の中で増税が先行し、社会保障制度の改革は不透明だ、とか、消費税増税前に「行・財政改革、デフレ脱却、社会保障改革などを先行させるべき」という声が上がったが、理想論でしかない。中期予算枠組みが決まっている中で国民医療費が増え続ければ、他の分野の予算を削減せざるを得なくなる。

 私は野田政権の「一体改革」は社会保障予算を増やして充実させる案ではないと思う。野田氏は「現状ではジリ貧だが消費税を上げれば、その先に展望が開ける・・」と、強調してきたが、現実は「消費税10%」だけで持続可能な社会保障制度はつくれない。10%への増税が生む13兆円の財源では、毎年度の財政赤字の半分も充填出来ないどころか、毎年増え続ける国民医療費をこのままにすれは10年で不足し、元の木阿弥になってしまう。その時点でまた増税するのか?

 だから、増税と同時に増え続ける医療・福祉サーピスについて考えなければならない。現状のままのサービスを提供するなら税率を最低限20%にする必要がある。30%なら若干余裕が出来てサービスを充実していく事も可能になる。消費税は満身創痍状態で10%に決まったが、一息もつけない。将来的にも10%で維持していくのであれば、社会保障費を大胆に削る必要がある。否、国家予算を適材適所へ傾斜配分して国を維持しなければならない。

 私は野田首相は説明不足だったと思う。国民に消費税増税の意味が正確に伝わっていない。国民が抱いた「10%負担することで国の財政はよくなり、社会保障は充実する」と言った誤解を放っておけば、次にもっと辛い選択が迫られた時に大変なことになり得る。

 医療関係者も、日本医師会も、全分野で右肩上がりの発展は望めない、そういう時代になったのだ、と真剣に考えないと自らのクビを締めることになる。


9/19(水)終日雨 台風16号の影響 外来 
1:00起床。文献検索、新聞チェック、本読み他。7:00自転車病院着。7:20回診、病棟業務。 8:45-14:00外来。小雨の中山王地区周辺クリニックの外観見つつ17:00帰宅。医学文献チェックと電子化、歴史本など。夕食、19:50就寝。

日本の医療の現状と課題(13) 2011年度国民医療費は前年比1.2兆円の増
 厚労省は毎年8月下旬に前年度の「概算医療費」を発表している。これは公的医療保険・公費から払われた額と患者の窓口負担を合計した概算値で、医療費の動向をいち早く把握するための速報値である。

 2010年度「国民医療費の動向」の概算は36.6兆円であったが、本年8月24日発表した 2011年度の医療費は前年度より3.1%多い約37.8兆円で、9年連続で最高を更新した。
 
 70歳以上の高齢者にかかった医療費は17.0兆円で前年度比4・4%増で、全体の44.9%を占めた。
 診療の種類別では「医科の入院」が最も多く15.2兆円で全体の40.3%を占めた。「医科の入院外」は13.3兆円で35.1%、調剤費用を含む薬剤費用は6.6兆円で17.4%、「歯科」は2,7兆円で7.0%増であった。
 患者が医療機関を利用した延べ日数はほぽ横ばいだったが、1日当たりの医療費は3.2%増えた。要するに医療密度が濃厚になった、と言うこと。医療機関を利用しなかった人も含む国民1人当たりの医療費は29.6万円に相当している。これを高齢者と若年者に分けると、70歳未満の若年者は17.9万円だったのに対し、70歳以上の高齢者は80.6万円と4倍以上の開きがある。

 厚労省は、医療技術が高度化していることで医療費が押し上げられたと分析しているが、誰が考えても同じである。ならばどうすべきなのかを含むもう少しまともなコメントが欲しい。

 ところで、政府は今後3年間の予算の大枠を国家戦略会議に提出した。歳出は71兆円、国債発行は44兆円以下にする。この予算の大枠を「中期財政フレーム」という。これは今後3年間の国の予算の大枠をあらかじめ決め、財政悪化に歯止めをかける仕組みで、毎年夏に内容を改定する。この歳出71兆円、国債発行44兆円は、政権交代直後の鳩山内閣の予算を元に決めたもので内容はそのまま維持されている。だから、このまま行くとすれば2010-15年間の6年間の予算の総枠は同じと言うことになる。

 国は6年間も同じ予算の枠組みの中で国を運営しなければならないが、毎年1兆円規模で右肩上がりに増え続ける社会保障関連の歳出が他の分野の予算を浸食していく。一方では成長戦略などの費用も必要になるから実に厳しい。

 野田政権はこの増大する社会保障費とまかなうために消費増税を成し遂げたが、費用の削減方策を同時に進めなければ数年で元の木阿弥になり得る。その検討は透明で論理的でなければならないが、最終的には血の通った暖かいものでなければならない。


9/18(火)台風16号関連で終日雨 外来  
 1:30起床。文献・新聞チェック。コイとハト後6:45病院着。8:45-13:30外来、比較的少なかったが時間はかかった。17:00駅周辺クリニックの外観見つつ帰宅。医学論文、歴史など。19:30夕食、20:30就寝。

領土問題(4)尖閣をめぐる反日デモ 中国側は損害は賠償せよ 
 中国外務省の報道局長は17日の定例記者会見で、沖縄県・尖閣諸島の国有化に抗議する中国の反日デモで日系企業などが襲撃され、多大な被害が出たことについて「その責任は日本か負うべき」と述べた、更に、今後、事態が深刻化するかどうかは日本側の態度にかかっている、と語った。暴徒の襲撃に関して中国側の責任を認めず、反日デモを容認する姿勢を示した。一方、中国は法治国家なので、国民に示威運動は合法的に行うよう求ている。日本は「誤りを早急に正して協議による解決を目指すべき」、と求めた。
 要するに国有化を撤回しなければ糸口はない、と強行である。

 領土問題は一旦トラブルになると話し合いによる妥協を見つけるのは実に困難である。中国側から伝わってくる政府や国民の意向は上記の如く一方的である。領土問題は互いに緊張感を持ちながら現状で維持し、目立った動きをしないのが無難な選択である。従来から尖閣はそのような位置づけであった。しかし、この行き方は何時かは破綻し、紛争の種になる。中国は1970年以降、一方的に自国の領土と宣言し、数々の示威行為を仕掛けて来たが、両国間でその時期を迎えていたと言うべきであるが、尖閣問題の責を負うべきは中国であることは論を待たない。

 都知事が尖閣購入を表明し、国があわてて国有化したが、基本的にはわが国の内政の問題で、中国が口を挟む問題ではない。
 ただ、日本人なら当然と考える国有化は中国にとっては全く別の感覚でとらえていると思われる。デモに集結しているのは総じて若い年代で、これらの人たちは尖閣は中国領土と教わってきているだろう。日本が突然国有化に踏み切ったことはどううつるのだろうか。日本によって占拠、侵略、略奪、攻撃されたのに等しいのではなかろうか。
 だから、今までの靖国問題とかとは同義にとらえられない

 そういう見方をしても、デモの暴徒化は許されないし、それをコントロールできない中国は法治国家といえない。ただ、日本人が直接被害を受けたニュースには接していないが、幸いなことである。今回の関係悪化は領土問題だけに長期化すると思われる。日系企業は長期的な不買運動や重要物資の輸出入規制に結びつかないかを心配している。

 一方、日本政府は大使館の損傷、日系企業に対する損害賠償も中国が負うべき、と強調する一方で、企業から日本政府に支援の要請があれは最大限支援していく、とのことである。そんなことの前に、政府は中国に賠償を強力に働きかけるべきである。それが国の行き方である。


9/17(月)敬老の日 晴れ、台風の影響風強い 稲川淳二「怪談ナイト」
1:00起床。新聞、文献、本読み等で過ごす。6:00-7:00コイ・ハト給餌の後、今朝も病院から冷凍米飯持ち帰宅、天日で乾燥ハトエサ作り三日目。16回目のパンクで修理。12:15外食、カレー専門店初体験。15:30文化会館へ、稲川淳二「怪談ナイト」を聴く。18:30帰宅。19:30夕食、20:15就寝。

領土問題(3)尖閣をめぐる反日デモ 暴徒に対して厳しい対応を求めるべき
 沖縄県の尖閣諸島をめぐり、日中間の緊張が一気に高まってきた。石原知事が尖閣を都で購入したいと表明した時からある程度の不安は持っていたが、その後ばたばたと事が進んで9月10日政府は閣議で国有化した。この前後から中国の若い人達を中心にしたデモが各所で行われて一部が暴徒化し、投石等で日本のデパートや料理店や日本車のガラスが割られ、かなりの略奪行為も行われた。損害額は億単位に上るとされている。

 共産党の一党支配の中国では従来デモは激しく規制されているが、政府報道官は愛国のための行動として今回の対日抗議活動は容認していると述べている。

 デモと暴力行為は全く次元の異なる行為である。中国政府は国民に対して自制を求めるべきだし、暴徒化した際には厳しく取り締まり、生じた被害に対しては補償すべきである。

 中国もわが国も指導部交代や代表選挙の真っ最中である。この時期、両国の指導者達は互いに弱腰ととられてはならないとの思いがあるのは間違いない。野田政権も任期終了を間近にしていたためか珍しく事を進めたな、と言う印象はある。わざわざ選んだわけではなかろうが、後述のことも含め時期が悪かったかもしれない。

 1931年9月18日に柳条湖事件が起きた。中国軍が南満州鉄道を爆破したとして攻撃を開始した日である。国際連盟のリットン調査団は日本軍の自作自演と報告、日本は連盟を脱退する事になったが、中国ではこの日を「国恥の日」としていて、毎年のように抗日運動がわき上がる。明日がその記念日に当たるために、さらに多くの都市でデモが行われる予定である。
 
 参加者が暴徒化する可能性があるが中国政府は抗議デモ参加者に自制を求めるべきである。しかし、あまり強く抑制すると対日弱腰外交として国民の抗議活動の矛先が反日から自国の体制批判に向かう可能性があり、微妙である。しかし、暴徒を鎮圧できないとすれば国家としての安全管理が稚拙であることを内外に示すこととなる。ましてや、抗議の矛先が外国で、それらが暴徒化することは重大である。

 抗議デモに参加している群衆は総じて若い。彼らは領土問題をどこまで理解しているのか疑問である。反日というだけで盛り上がっている様に思えてならない。一般的に情報が不足して理解が乏しい状態であればあるほど群衆は暴徒化しやすい傾向があるように私には見える。
 デモの扱いは中国自体の問題であるが、暴徒化して他国の企業や財産に被害を与える状況、大使の車を襲うなどはもはや国内問題とは言えない。それこそ「国恥」と思うべき行動である。中国政府は毅然と対応すべきである。
 わが国は中国政府にデモの暴徒化の制圧を強く求めるべきである。


9/16(日)快晴猛暑 男鹿北浦他下見 
 1:30 起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如し。6:00-7:00コイ・ハト給餌の後、病院から冷凍米飯持ち帰宅、天日で乾燥ハトエサ作り二日目。息子一家男鹿に。12:30-17:00北浦他下見に。運転がますます下手になったようで、途中交代。19:00夕食、20:30就眠。

秋田の良いとこ、足らぬとこ2012(5) 宿泊客著減したがホントに風評被害なの?
 観光庁の宿泊旅行統計によると、県内の延べ宿泊者は本年4-6月の3ヶ月間は85万6790人で、東日本大震災前年の2010年同期より24.6%少なかった。
 
 減少率は東北で最も大きく、全国比較では奈良県に次ぎ2番目の減少率であった。奈良県は2年前は特別な行事があって特に観光客が増え、その影響で今年の減少率が大きかったと評価されている。秋田県ではそのような事情はなかったことを考えると、実質的な減少率は全国一と言って良さそうである。宿泊者のうち外国人を見ると、本県の宿泊者は5750人で69.4%の減少、福島県の減少率78.7%に次いで減少率は2番目に大きい。

 東北各県の状況をみると、東日本大震災で大きな被害を被った各県は震災復與に携わる業者らの宿泊需要があり、岩手県は10年よりも10.6%増、宮城県2.2%増、福島県は6.1%増であった。上記3県は現在復興中という特別な状況にあり、比較の対象にならない。
 大震災の被害に関して似たような状況にある残り3県は、山形県は13.8%減、青森県は7.1%減だった。だから、秋田県の24.6%減は突出していることになる。人の動向でも秋田は完全に取り残されている(数字は魁新聞を参照した)。

 大震災後、宿泊業は大きな打撃を受けているが、この減少を関係者は原発の風評被害だと評価しているようであるが、本当にそうだろうか?私はそうは思わない。国内事情をよく分かっていない外国からの観光客が風評で大きく減少したことは認めざるを得ないが、宿泊者の内で外国人が占める割合は1%にも満たないから影響は少ない。

 秋田の宿泊業が、東北で最も打撃を愛けたのは何故なのだろうか。真剣に考えないとならない。私は県の観光施策の問題が大きいと思う。東日本大震災の後、県は何らかの観光客誘致運動をしたのだろうか?
 県は本年度「観光文化スポーツ部」を新設し民間から部長も就任した。しかし、まだ活動は見えない。また、サービス業としての地元の業界の努力はどうなっているのだろうか。関係者は、JR東日本のプレディスティネーションキャンペーンという何だか分からない横文字の企画に期待を寄せるが、人任せにし過ぎないか?    

 観光業は総合的産業の代表である。地域の文化やコミュニティ、交通機関、宣伝など、どこが欠けても成り立たない。
 現在の落ち込みを風評だ!!! 等と何かのせいにしているようでは改善は望めない、と思う。


9/15(土)晴天 家周辺の草刈 息子夫婦・孫来る
1:20 起床。いつもと同じ。6:00自転車ポタ。コイ・ハトに餌の後、病院から冷凍米飯持ち帰宅。天日で乾燥。7:30ー12:00家周辺、畠の草刈。13:00息子夫婦・孫来る。19:00外で焼き肉など。少量のビールで泥酔、21:30就眠。

 日本フィルハーモニー交響楽団演奏会 楽団が迎えている厳しい現状
 9月13日(木)18:30から秋田県民会館で日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)の演奏会があった。指揮・小林研一郎氏、独奏は秋田出身の佐藤卓史氏。主催は『佐藤卓史さんと小林研一郎氏のコンサートを成功させる会」で、秋田朝日放送は開局20周年記念の企画として特別協賛なのだそうだ。

 日フィルは1956年創設の在京楽団。途中で分かれた新日フィルと区別が明快ではないところもあるが、私は数回聴いていると思う。しかし、具体的な記録も記憶もない。

 演奏会は最初に佐藤卓史氏の独奏。ショパンの幻想即興曲嬰ハ短調作品66、前奏曲第15番変ニ長調、作品28-15「雨だれ」、次いでショパンのピアノ協奏曲第一番、休憩後にドヴォルザーク交響曲第9番『新世界」であった。共に好きな曲で十二分に楽しめたし、聴く度に新発見がある。小林研一郎氏は今回も各パートを立たせて労をねぎらったが、しつこい。第二楽章で見事なソロを聴かせたイングリッシュホルン奏者だけで良い。 今回も鎮魂曲として「ダニーボーイ」を静かに演奏した。この曲の後、私は早々に会場を後にした。

 演奏そのもの云々する力は私にはないが、ショパンのピアノ協奏曲の導入部の10秒間程度音響が変に聞こえた。私の耳の問題か?

 私が興味を引かれたのは、日本フィルは存続出来るか否かの重大な事態に直面している、と言う切実な内容のパンフレットであった。
 政府の「公益法人改革」で存続するためには、2013年までに「公益財団法人」の認可が必要であるが、楽団にとってもっとも大変なのは現状の約2億円の債務超過の解消に加えて300万円の基本財産の保有が必要、という。一時、3.5億円もあった債務を平成9年には約5千万円にまで減らしたが、リ一マンショック、事業仕分け後の政府補助金の打ち切り、東日本大震災によるマイナス要因で再び非常に困難な状況に直面し、差し迫った申請期限を前に限界を迎えている、と言う。暖かい支援を、と郵便振替用紙が入っていた。

 1972年、日フィルはフジTVと文化放送が契約の打ち切ったのを機会に「新日フィル」と分裂し危機を迎えたが乗り切ってきたが再度大きな壁に突き当たっている。一方の「新日フィル」は本年4月に「公益法人」の認可を受けている。
 この法人への認可は税の優遇に結びつくことから同楽団にとって必須事項であり、存続出来るか否かのキーとなっている。

 同じ立場にあると思われる楽団が法人認可を受けているのに日フィルがどうして危機を迎えているのか?東京に10楽団もある現状が問題なのか?・・等々複雑な背景はあると思われるが、今回充実した演奏を聴かせてくれたこの楽団の危機を知った以上黙ってはいられない。
 法人認可のために些少ではあるが私も協力することとした。


9/14(金)快晴 大曲中通病院外来
2:30起床、文献新聞徒然他、コイ・ハト給餌後6:45自転車病院。入院患者対応他、8:01こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。17:00帰宅、庭掃除。19:30夕食。20:30就眠。

大仙市大曲(2)駅を突然嫌いになった 新幹線発車前の大音量の民謡
 大仙市大曲は、私にとって県内では秋田市に次いで親しみを感じる街である。8月24日にはこの欄で大曲について持ち上げたばかりであったが、本日は一転、大曲が嫌になった。いや、大曲が嫌になったのではなく、巨大な拡声音を流す大曲駅の無神経さについてである。
 
 4月から15年振りほどになるだろうか、大曲中通病院の外来診療を週一回手伝っている。秋田大曲間は距離60Kmほど。秋田道が通っているから多くの診療応援医師は車で移動しているようである。尤も、実態は不明。私は車で通う気持ちは全くゼロ。運転している時間が勿体ないし、いねむり運転の危険が高い。

 8:01発の秋田新幹線こまちにて通っている。35分ほどで着く。私は後方の車両に乗るので降車した後改札口までの間の距離が長い。降りるのはせいぜい2-3名なのでホームをゆっくり歩く。すると柱のスピーカーから突然大音量の民謡が鳴り出す。ほんの数秒間だけで、その後に「東京行きこまちが発車します。ご注意下さい・・」と女性の声のアナウンスがある。

 数週前に気付いたが、最初は何かの間違いかと思っていたが毎週なので間違いではない。私は頭に来た。誰に聞かせるためか?ホームにいる私にか?列車内の乗客になら、列車内で鳴らせばいい。

 私は新幹線に乗るときには走行騒音を減弱するためにノイズキャンセリングヘッドフォンを用いているが、それでも頭に響く音量である。しかも、音楽を鳴らすのに最も不適当と思われる柱のスピーカーからで、ひどい音質、雑音である。僅か数秒だけだから何の曲だか分からない。これはサービスなのだろうか?少なくとも私にとっては苦痛の押しつけでしかない。

 私は音に関しては人一倍敏感で、かねてから嫌音権を主張している。 電話口で鳴らされるメロディー、スキー場のスピーカーからの雑音.車のクラクション、換気扇、ヒーター、クーラーなどの運転持続音、窓を開放したときの街の喧騒、椅子のギシギシ音、タクシー無線・・と切りがなく挙げられる。

 生活上、何らかの音が生じるのはやむないが、嫌なのは音を発していることへの自覚が欠如している当事者である。

 先日、一人の大曲駅員に上記の気持ちを訴えた。驚いたことに「自分たちも同感であるが、上からの押しつけで何ともしようがない。大仙市からの強い要請があった。乗客の皆さん方からのクレームが欲しい・・・」と言う思いがけない返事であった。

 一刻も早く止めて欲しい。


9/13(木)快晴 外来 日本フィルハーモニー交響楽団演奏会 外食
1:00起床,医学文献、新聞他、6:55自転車病院着。コイは増水で見えず、ハトも一羽もおらず。2年前はテニス用トランクスでの自転車通勤は寒くて終了、今年はまだまだ可能。7:00回診ほか。8:45-13:30外来。17:00近隣の医療機関を見ながら帰宅。庭掃除。18:00県民会館に、18:30-20:45日本フィルハーモニー交響楽団演奏会、Castleで外食。22:15自転車帰宅、本日は35Km走行。22:45就寝。

春夏秋冬(10) ついに秋が来た 秋は嫌だなあ
 秋田は日中まだ残暑があって私にとっては嬉しいが、早朝はかなり冷え始めた。これからの季節、私はやや落ち込む。通常は8月中旬、お盆の頃から落ち込むのであるが、今年は厳しい残暑のためにここ1ヶ月ほど延びた。

 季節に関してはいろいろ風情があるから好みにそれほどの違いがないが、私にとっては、夏>春>冬>秋である。夏の熱暑の毎日、最高である。冬を嫌いだという人は多いが、秋を嫌う人はそれほどいない様である。

 私も秋の良さは認めるが好き嫌いとは別である。
 7月中旬せっかく熱暑の夏が来てほっとするまでもなく、8月中旬から早朝にはもう涼風が立ち初め、秋になってしまう。私はまたやってくる厳しい冬を涼風の中に、積乱雲に予感する。そして、日を重ねるごとに確実に冬に向かう。だから落ち込む。
 なのに、世間では秋の到来をよろこび、実りの秋がどうした、松茸がどうした、観光だ、紅葉狩りだ、スポーツは・・とメディア、旅行社などは大はしゃぎ大騒ぎである。確かに秋は実りの秋で活力を感じるし、暮らしには快適な季節なのだが、私はそれ以上に冬の予感を感じ取ってしまう。

 私は寒いのが苦手であるが、冬は秋よりも好きである。実際に北国にとって冬は厳しい季節なのだが、冬になってしまえば理屈抜きに寒さと雪と不便さに戦うしかない。特に私の住まいは除雪を欠かせない。好きだ嫌いだと言っている余裕など無い。闘いである。一方、冬は家に閉じこめられる機会が多いから、本を読む、音楽を聴く、蓄積したデータを整理する楽しみを満喫できる。これも嬉しい。

 春は秋よりは良い。夏の訪れはまだまだ遠いのであるが、続く寒さの中でも確実に夏に向かうからである。春の不思議は暦上の季節が実際より遙かに先行することである。1月からから初春だ、春だと言われながら実際には寒さ、雪はまだ序盤戦である。2月には立春が来る。立春は厳寒期でもある。どこが立春なんだと思う。沖縄か。3月は啓蟄と言われる。この時期に出てきた虫は寒くて死んでしまわないか。秋田は4月下旬にサクラが咲くが、それでも寒い。私が気温の上でほっと肩の荷を下ろすのは5月下旬である。

 マア、いろいろだが四季の移ろいには味がある。それを毎日体感出来る生活であることに喜びを感じる。一方、季節にあった準備も必要である。冬を乗り切る準備として、2週間前に新しい除雪機を予約した。


9/12(水)曇り・快晴 外来 
2:00起床。文献・新聞。7:00自転車病院着。回診他。8:45-14:00外来+患者家族面談。17:00帰宅、本日27Km。歴史他。夕食、20:30就寝。


東日本大震災(40) 陸前高田の「奇跡の一本松」保存 何でここまでやるの?
 東日本大震災から1年半たった。この節目の翌日にあたる12日、陸前高田市の「奇跡の一本松」と呼ばれる木が保存処置のために切り倒された。 約7万本もあった松の中で、一本だけ残ったと言うのは本当に奇跡的と言うしかないが、何故残り得たのだろうか。

 松原は住民にとって故郷の誇りであり、心のオアシスであったことが地方紙に掲載される住民の方々の意見等から読み取れる。それが根こそぎ流出し、ホントにホントに一本だけ残った松に特別な感情を抱くのは自然の流れであろう。地元の多くの人々は一本松に希望を見ているという。

 この一本松の周囲の土壌は地盤沈下して海水がしみ込み、生育状態が徐々に悪化した。樹木医も参加して根元に活性剤を撒いたり、こも巻きなどの種々の試みが行われたが結果的に枯れてしまった 。海水で根腐れが生じたためと言う。
 生きているならいざ知らず、枯れた今でもこの松に対する気持ちは変わらないらしい。地元の松原保存会ではこれを一度切断して内部に防腐処理を施しつつ金属製の心棒を通すという形で保存することにした。一方、守る会は震災前に拾った松ぼっくりから松の苗木600本を育てていると言うし、一本松の2世も森林総研林木育種センター東北育種場で育っている、とのことである。

 一本松は芯をくりぬき防腐処理などを行い、炭素繊維強化樹脂の心棒を入れ、枝や葉はプラスチックでレプリカを作成して再接合して来年2月までに現地に戻される。要するに松の剥製であるが、野ざらしにすると多分数年ほどしか持たないと思われる。費用は1.5億円。寄付で賄うこととして募っているが、9月10日時点で2.688万円しか集まっていないという。

 私は、申し訳ないが被災された方々の気持ちにはなり得ない。その私から見ればこの松は今は一本の枯れ木に過ぎない。だから、理解出来ない。メディアもこぞって支持し、取り上げ、持ち上げている。メディアはどれだけ寄付した?話題として利用しただけでないのか?

 この枯れ木は「奇跡の一本松」、「復興のシンボル」、「希望の一本松」・・などと呼ばれている。わが国ではいろいろなものを「○○のシンボル」などとして大切にする、崇める気持ちがあるが、私は理解出来ない。「一本松」は画像とか、あるいは一部を標本として保存する程度で良いとおもう。

 寄付金が思うように集まらないのは一般の方の保存に対する評価の表れでないのか?今後のことは分からないが、残りの1.3億円もの不足金を保存会ではどうされるのか?心配である。
 私は東日本大震災を人ごとだと思っていない。だから、今も岩手の地方紙を通じて被災者の立場を少しでも理解しようとしているし、収入の20%を岩手県に復興のために寄付し続けている。そんな立場でも、この松の問題はやはり、私の理解を超えている。


9/11(火)雨のち曇り 外来 飯川病院補助
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。若干降雨、殆ど濡れずに7:00自転車病院着、回診。 8:45-13:10外来。14:00-16:00院長この間不在というので飯川病院補助。17:50帰宅。新聞、文献チェックPDF化、19:00夕食、20:00就寝。


なんか変だが,まあいいか(12)嘱託の私には業務が重すぎる
 他の方々の気持ちは分かるわけもないが、自分自身を評価して見れば年齢と共に医療への考え方、疾患への考え方、患者への対応について徐々に変化している。年齢と共にパワーが落ちて来た。他の方も同様でないだろうか、と推定するが確かめたこともない。高齢の医師が引退する事は若手にとても組織にとっても良いことである。少なくとも私はそう思っている。

 私は能力的に降り坂にある。新しい医療の技術、知識も欠けている。外来診療は5時間程度であるが、途中で疲れ果て1-2回5分程度の微睡み時間をとる。現役の医師達は休憩も取らない。元気である。廊下では若手スタッフにどんどん追い越されて行く。

 医師の仕事は質的にも量的にも多岐にわたる。地域の中核病院、あるいはその一角を担う大規模の総合病院の場合には緊張度の高い急性期の医療が行われるから、そこの医師には体力、気力のほか最新の知識、技術が求められる。

 私が勤務していた法人のは雇用契約満了は医師は65歳である。「この年齢に達したあなたは、もう私共には必要ありません」の宣告である。この制度はとても有り難い。自分はこの雇用契約満了にて退職するのをひたすら楽しみにしてきた。人生の中途でまだまだいろんな可能性が残っているうちに診療契約が満了することの意義は大きい。

 そんなことを言いながら、私はまだ嘱託医として働いている。私と法人との間に低いレベルで利害が一致して成り立った契約である。「もう必要ない」と宣告されているから今後のことは分からない。しかし、業務量はその割りに多い。私はもう自分の立場と対価の範囲で仕事をすればいい。

 病院の方針で外来患者を減らす必要があるから、高齢の患者には地域の医療機関への転院を勧め、より若い患者、きめ細やかな治療や経過観察を要する患者に対しては若手医師の外来への通院を勧めている。なかなか業務量が減らずバテ気味である。ホンネではこれはちょっと変だ、と思う。まあいいかと言う気持ちで中和している。

 これは私独自の感覚である。各人毎に考え方、とらえ方に違いがあって当然である。自分でクリニックをやられている同年代あるいは上の方々の仕事に対する意欲は、まだまだ十分のように見えて驚く。


9/10(月)降雨 外来 飯川病院補助
0:50起床。新聞・文献チェック。データ整理、歴史本読み等。7:00自転車病院着、途中降雨で最短距離5.1Km。8:45-13:45外来。14:45-16:00飯川病院に。院長一時不在となるための補助。これで4日連続。17:25雨の隙間をぬって帰宅、庭掃除、新聞チェック、読書他、19:30夕食、20:00就寝。

野田首相(9)民主党代表選―民主党の再構築に有用な選挙
 国会が閉幕した。これから民主、自民とも党代表選が行われる。本日一歩先だって民主党の党首選挙が告示された。野田首相、赤松元農水相、原口元総務相、鹿野前農水相の4氏が立候補した。本日、この候補4人による意見交換の場が持たれ、私はNHKラジオの中継を聴きながら過ごした。

 首相は党の分裂、70余名の離脱者を出したことへの責任を問われているが、首相の優位は恐らく動かないとみられる。それでも立候補者が3名名乗り出たと言うことは党を何とか立て直さなければ、と言う現状への危機感だろう。もし、野田首相が無投票当選でもしていたら民主党はの結束はあり得ない。ここで一度同じ土俵の上で意見を戦わせる必要がある。

 昨年の選挙は政治そっちのけで小沢vs反小沢で闘われ、民主党の内輪もめが前面に出てしらけた選挙であったが、結果的には後者の候補、野田氏が代表の座に着いた。今は小沢は去ったから昨年の党首選とは印象が大きく異なる。民主党は昨年よりはまとまりつつあるように見える。しかし、なおまだ複雑である。

 マニフェストにない消費税増税にあくまでも反対した小沢氏の離党はマニフェストを作りあげた立場で筋を通したと言えよう。他の大量の若手議員団は小沢チルドレンで、政治的立場はよく分からない。しがらみで離れられないのだろう。

 一体改革法を成立させたことは野田政権の最大の成果である。09年総選挙で『コンクリートから人間へ」と高福祉路線にもとづく公約を掲げたが、政権に就くや財源の壁にぶつかって次々と取り下げた。結果的に自民党との差が不明確になった。マニフェストを絶対と取るか相対と取るかの問題であるが、今、民主党に残っている方々は政治家として国民を騙した党の一員と言う、心に傷を負った集団と言うことになる。だからか、4氏の口から今後の民主党を、日本をどう再構築していくのかに関して力強い意見が聞かれなかった。

 本日の放送は聞き流していたので理解出来たことは少ないが、消費増税をふくむ社会保障と税の一体改革に関しては原口氏だけが異を唱えた。赤松、鹿野両氏は3党合意は継承する、という意見のようである。原発に関しては、4氏に違いはないようであった。野田首相の政治に関していろいろ異議を唱えたが、お三方は進める過程で十分意見を述べたのだろうか。

 一方、自民の谷垣総裁が突然立候補を断念した。驚いたが、やむを得なかったと思う。
 政権を失って茫然自失の中、誰も引き受け手がない時に谷垣氏が手を挙げた。私はその業績を高く評価している。対鳩山、対菅政権に対しては論理的追求姿勢は見えた。ただ、対野田氏には「消費税増税はマニフェスト違反だから解散して国民の信を問え」「解散」「解散」この言葉だけしか私の印象に残っていない。谷垣氏はもう一歩まで追い込んだと思っているようであったが、解散に関しては首相の専権事項であり、野田氏にはその気が無いようである。

 民主党の低迷で救われているが、自民党も混迷している。今回は若手の総裁が誕生するだろう。
 安倍元首相には過去の人との自覚が欲しい。


9/9(日)降雨 飯川病院日直 
1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。文献整理。8:30若干遠回りして飯川病院。歴史関連本読む。病棟は落ち着いている。18:00横山金足線経由帰宅、庭掃除、19:30夕食。20:00就寝。

映画(56):「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」
 

 山本五十六(山本)の実像の映画化したとされる作品。監督は成島出。 出演は役所広司、板東三津五郎、ほか。朝日新聞提供の映写会で、希望したところ無料の入場券が送られてきた。9月2日秋田市児童開館で観た。

 山本は、1968年「連合艦隊司令長官山本五十六」や1970年「トラ・トラ・トラ」その他で繰り返し描かれてきた。軍人としての山本は、太平洋戦争における日本のヒーローとして半ば神格化されている。

 私は日米開戦後のことよりも開戦に至る昭和の激動期の、近代日本の歴史に興味があって書籍を紐解いているが、まだまだ理解は断片的である。

 1939年(昭和14年)、日本は「日独伊三国同盟」締結をめぐって大きく揺れていた。強硬に締結を主張する陸軍、マスコミ、そして扇動される国民。しかし、海軍次官山本五十六、海軍大臣米内光政らは、結果として同盟締結は米国を敵に回すことになる、などとして敢然と異を唱えた。彼らの反対で、三国同盟問題は立ち消えとなり、山本五十六は聯合艦隊司令長官として旗艦「長門」に着任するが、同時に欧州でドイツの快進撃が始まり、同盟締結の声は再びわき上がり、1940年(昭和15年)9月、ついに同盟は締結された。
 結果として開戦に至る。同盟締結から一年後、太平洋上の空母から飛び立った日本海軍350機の大攻撃隊が真珠湾に停泊していた米国太平洋艦隊に襲いかかった。

 この作戦は戦争に勝つためではなく、一刻も早く講和を結び、その後は外交に委ねるため、山本の苦渋に満ちた作戦だった。しかし、真珠湾には目指す空母はおらず戦果は不十分、かつ宣戦布告が攻撃後30分に届くなど、思いがけない誤算が重なり講和の機会は失われた。
 
 山本の無念の気持ちを通して、破滅へと向かって行ったわが国の実像が描かれている。 山本の個人的な魅力、いつも沈着冷静な態度は強調されている。私は山本を殆ど知らないのだが、かなり良い点だけが強調されているように思われた。

 私は他の作品は見ていないから分からないが映画的スケール感が不足している印象は受けた。戦闘シーンの多くがCGによっているためと思われるが、私のこの映画を観る目的からは十分であった。山本の視点からの展開が主であるため彼が直接出会っていない米軍などは登場しない。また、国民が逃げ惑う姿、疲弊した様子も登場しない。

 メディアの戦争責任についてはかなり踏み込んでいる。三国同盟締結、開戦へ向けて新聞が煽りたて、大衆が舞い上がり、それが世論となって政権を左右する状況が良く描かれていた。今のメディアも、社会も大差ないことをやっている。

 この映画は第二次世界大戦、山本像に関して無限と言えるほどあるだろう視点の一つの映像化であろうが、私の今後の歴史勉強のためには役に立った。その点では良い作品だ、と思う。


9/8(土)晴・残暑 飯川病院午前日直・外来
1:00飯川病院で起床、本読み、文献チェック。7:00検食、8:30当直終了し午前日直へ、外来患者7名。12:00検食。12:30自転車北インター経由20Km13;30帰宅。疲れと暑さで午睡。庭掃除。19:30夕食、21:00就寝。

東日本大震災(39) 釜石の奇跡(2):南海トラフ関連災害への指針となる
 9/1(土)の「NHKスペシャル-釜石の奇跡」も見た。「釜石の奇跡」は片田教授が「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先して避難せよ」の3原則を徹底して子どもたちに覚え込ませる実践教育の成果である。番組で流れたある子供の発言、「釜石の奇跡ではなく、釜石の実績と言って欲しい・・・」は心に残った。確かに奇跡的に助かったのではなく、助かるべくして助かったと言える。これは教育実践の具体的実績なのだ、と思う。確かな、的を得た発言である。

 ここでやはり疑問が残る。
■沿岸にはかなりの小中学校があって共通して危険に対峙している筈なのに なぜ、釜石だけが特別な教育体制を敷き得たのか?
■釜石の教育実践は各県の教育委員会とかに報告があったと思われるが、このような教育の必要性を認めていなかったのだろうか。釜石だけの試み、として受け流していたのだろうか。
■生き残った方々への調査で40%超の方は避難しなかった、と答えている。釜石でも多分同様だったと思われる。子供達への教育が地域の教育にまでなっていなかったのが悔やまれる。
■住民にとって初めて体験する地震だった筈である。かつて、津波の被害を何度も受けた三陸の方々の津波に対する認識が鈍っていた、と思わざるを得ない。その背景は何なのだろうか。安全対策のメリット面だけを強調し、限界を知らせていなかったのでは?

 私は片田教授の3原則に加えて、「家族も逃げているはず。戻るな、助かってから探せ」を加えればいい、と思う。そのためには平時から家庭や地域で避難対策を話し合って各人がバラバラに逃げるべき事を納得・徹底しておく必要がある。そのことが地域全体の防災教育になる。

 内閣府は「南海トラフ大地震と津波」に伴う死者数は、最大で約38万人に上るという被害想定を発表した。想定外の災害と言われないように過剰に見積もったのではないか?と言う印象はぬぐえないが、大地震に伴う家屋倒壊・火災・津波などへの防災対策の備えとして、学童を含む地域ぐるみの防災教育を充実し、訓練等を通じて徹底することが望まれる。

 釜石の実績がその必要性と成果を明らかにした。
 ただ、自分で避難できない障害者、虚弱者対策についても指針を示し、対策を実践しておいて欲しい、と思う。


9/7(金)曇りのち晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院当直
1:30 起床、新聞・文献他.旭川は昨夜の雨で増水、コイへの給餌は不適、公園前にハトは居なかった。7:00自転車病院着、回診。8:01こまち、9:45-15:00大曲中通病院外来、比較的少なかった。16:00帰院若干事務処理、17:00飯川病院へ。体調不良の当直医の代理。持参の新聞処理、本読み。19:00検食、19:45就寝。

東日本大震災(38)釜石の奇跡(1):奇跡でなく、実績なのです・・・
 8月18日墓参りを兼ねた小旅行で釜石まで足を伸ばした。

 釜石市街は東日本大震災で壊滅的被害を受けた。復興も遅れているようであった。津波の3ヶ月後の被害データは、死者は862人、不明者434人で、岩手県としては陸前高田市に次ぐ被害であった。

 小高い丘陵にある鉄の記念館を訪れた。いろいろ学んだが、この館で最も衝撃的だったのはロビーにあった一枚の写真であった。つい目前まで津波が迫っている状況での学童達の避難の緊迫した状況が読み取れる写真であった。
 このことに関する印象を本欄に掲載したが、ある方から『子供達のことは「釜石の奇跡」として各所で取り上げられております。また、9/1(土)に「NHKスペシャル」で特集されます』とコメントがあった。

 私は大震災後、岩手日報も購読している。岩手出身なので郷土に興味があるほかに、岩手県の被災状況は他紙からは読み取れないためである。釜石市が取り組んできた防災教育手法に関しても日報を通じて概略は知っていたが、この度集中的に読み返して、改めて危機管理についての先見性を全国に広めていく必要があると痛感した。

 釜石市は群馬大学の片田教授の指導を受け、児蓋、生徒の津波防災教育に取り組んできた。大震災ではこの成果か生きた。某中学校では生徒たちが自主的に避難を開始。それを見た隣接の小字校の児童たちも後を追い避難したという。釜石市内では約3千人の小、中学生のほとんどが無事だったことが「釜石の奇跡」として、津波防災教育の取り組みが全国的に高く評価されさている。あの写真の子供達も助かったのだ、と知って安堵した。

 9/1(土)の「NHKスペシャル」も見た。さいわい津波のシーンは最小限で,その放送直前には「この後○分間,津波の映像が映ります」と警告があった。津波の映像を見たくない,と考える被災者は少なくないと思うが、その方々への配慮が見て取れた。私も見たくない方の一人である。漫画化した画像やCGに適宜学童を登場させ良い番組に仕上がっていた。

 私はある子供の発言、「釜石の奇跡ではなく、釜石の実績と言って欲しい・・・」が深く心に残った。


9/6(木)快晴後激しい降雨 外来  
2:00起床。新聞・文献など。コイ・ハト餌後7:00病院着、回診ほか。8:45-13:30外来。16:00横山金足途上で激しい降雨でびしょ濡れ帰宅。新聞・文献処理、19:00夕食、20:00就寝。

医師と患者関係(6)和顔愛語なら、私にも出来るが・・・
 医療の中で重要なのは始めから分かり合える筈のない患者・医師関係の調整でなく、患者・疾病関係にある、と思う。少なくとも他人のことなど分かるわけはないという前提に立つ私はそう思う。

 医師は患者と疾患との間に立って、患者の闘病意欲を高め、良き方向になるよう治療し,良き生活が出来るよう手を貸していく立場である。医師が治せる病気,機会は,特に私も担当する内科領域ではそう多くはない。

 医療現場において一番大切なのは患者・疾病関係であるのだが,何故か近代医療においては患者・医師関係にすり換えられている。
 患者が心配すべき対象はあくまでも自分の病気に対してであり、自身の人生、時には死そのものである。なのに、患者の気持ちは医師との関係に転嫁される。「治してくれない」,「治らない,効かない・・」、「親切でない・・」が一例である。患者は事を誤解しているばかりではなく医師に対して甘ったれの態度である。「治してくれない」,「治らない,効かない・・」のは医師の治療によるのではなく疾病そのもののためである事が多い。逆に,急性疾患が治癒するのは大部分が自然治癒である。
 「親切でない・・」の発言の背景は医療と医師に対する誤解と、弱者の甘ったれの精神である。私は聞きたくもない。

 色紙や掛軸などでよく「和顔愛語」の四文字を見かける。これは仏典「無量寿経」の経典に出てくる言葉で、意味は漢字熟語そのものである。 
 これは人に接する際の礼儀の問題で、特に医療関係者にとっても大切なことだとされている。確かに,不安に駆られて訪れてくる患者が,医師から怒ったような表情できつい言葉を投げかけられれば心を閉ざしてしまうだろう。これは当然であってこんなダメ医師は淘汰されていけばいい。特別に医療関係者に「親切な対応」を求めること自体がおかしい。この不機嫌な社会の中で,マンパワー不足で呻吟している医療関係者だけに「親切な対応」は求められないが「親切そうな対応」は技術として身につけることが出来る。患者対応で苦情が出る様な医師はマクドナルドとかで訓練すればいい。

 最近は病院の外来カルテも電子化され、情報の入力や検査値と画像のテェックのため、医師はパリコンの画面に向かったまま患者と会話をする頓向がある。やはり、目と目を合わせ相手の表情を汲み収りながら対話することが大切であろう。医師も悩んでいる。入力作業と和顔愛語が両立できる環境、自転車操業をしなくとも成り立つ医療環境が必要である。

 私は外来診療で多くの患者に接するが,特別興味深く,意義を感じてやっているわけではない。不調な患者なら別であるが,安定した慢性疾患の患者に関しては早く話を切り上げて欲しいと願っている。ただ、私には「偽和顔愛語」が身についているらしい。私は虚しさで一杯の外来業務であるが,悲しいことに患者達の多くは私を誤解している。 


9/5(水)快晴 外来 
1:30 起床、文献検討、新聞チェック。天候は急変しそうで不穏である。コイは通常通り30匹ほどか。千秋公園にハト一羽もおらず、空振り。7:00病院着。回診他。8:45-13:00外来。比較的余裕。16:40秋田33観音霊場23番目の秋田市三内補陀寺を見学して帰宅。刈った笹だけ袋詰め終了。体調若干不良、カゼか?19:00夕食、20:00就寝。

医師と患者関係(5)病気を診ずして人を診よ・・私には出来ない
 医師と患者関係が様変わりして医師は病気しか診てくれなくなった。このようなことが言われるようになったのはいつ頃からなのだろうか。

 患者は病をかかえる一人の人間である。だから、医師は病気を診るだけでは不足であり,病に罹患して困っている人間そのもの、また、病の背景とか患者の現在の置かれている立場,先のことも含めてそっくり診るべきだ、と言われている。全人的医療・・というような言葉もある。一見、理想の医療のように思える。多分、よりよい医療の在り方として正しい行き方なのであろうが、私には受け入れられないし、出来ない。

 私は,上記のような項目の一部は医療に包含された当たり前の事であって、取り立てて言うべき事ではないと思う。診ると言うことは見ると言うことではない。自分は今までその様に対処して来た。しかし、講演会などで,あるいは文献等で取り上げられる高名な医師の方々が述べるような全人的医療は大きく異なるようだ。それらを私が求められるならば、私には出来ないと言うしかない。大体、本人が考えるべき領域であって、医師が担うべき領域ではない,と思う。当然アドバイスはする。

 私は医師であるが、「医師といえども自分は患者とは他人同士,わかり合える筈はない。病気に関連した範囲なら多少は分かるだけ」,を前提にして診療を行っている。

 出典は忘れたが、以下のエピソードを私はよく思い出し,納得している。
 ある老齢の僧が炎天のもとで粗末な身なりで寺院の庭を掃いていると、尋ねてきた若い僧が、「師のような高僧がどうしてこのような暑い時に、自分で掃除などなさっているのですか?若手に任せてはいかがでしょう」と言った時に、「人、これ我に非ず。時、我を待たず・・」と答えたという。とてもいい言葉である。

 私は「人、これ我に非ず」であって、生まれ落ちた後は親兄弟といえども独立した個人で,血縁で切っても切れない関係にある事に加えて、生活を通じて価値観や利害を共有しているだけ,と思う。ましてや患者とは他人同士であって、たまたま病気を介在に医師と患者という狭い範囲の契約関係が出来た仲というだけである。それも,別に私でなくとも医師ならいくらでも居る。偶然私が担当することになっただけである。診療契約は医師の責任は大きく、求められれば対応が必要であるが患者側には責務はない、という変な関係で成り立っている。患者である限り医師として関心は持たざるを得ないが,基本的に患者個人には殆ど興味がない。出来ればよりよい医師を見つけて勝手に私から離れていって欲しいと思う。
 
 こんな私だから、全人的医療などはじめから無理である。この辺、私は誤解されている。


9/4(火)快晴夕方降雨 外来 護国神社に
1:30 起床、文献検討、新聞チェック。コイ・ハトに餌、7:00車病院着、回診他。8:45-13:20外来。内容的には比較的余裕。17:00護国神社経由帰宅、笹ダケ袋詰め。その後若干降雨、19:20夕食、20:30就寝。

書評: 青木謙知著「ボーイング787 vs エアバス380」 (2) 講談社ブルーバックス 2011年11月 880円
 

図解・ボーイング787 vs. エアバスA380―新世代旅客機

中型機の787を開発したボーイングは747で大型航空機市場を独占して来たが、次世代機の主流を中型機種に置いた。一方、中型が主力であったエアバス社が超大型機に進出した背景は、将来の航空市場の予測が両社で異なっていたからであるが、その考え方の対比も面白い。
 両社とも航空市場は今後も伸び続けるという点では一致しているが、スピードと経済性が両立しなければならないとし、ボーイングは効率性重視、エアバス社はより快適な大量輸送に重きを置いた。どちらが主流になるのかと言うことより両社のコンセプトは十分両立していけると思われる。

 787は多くの新素材を用い、多国でパーツを生産してシアトルに運び、合体して製作している。日本は機体の35%を担当しているという。また、軽量化とキャビン内のアメニティの改善のために炭素繊維強化プラスチックを多く採用した。因みにこの新素材は747では僅か1%、777では11%、787は50%である。そのために製造開発過程で多くのトラブルが発生して設計し直し等が余儀なくされ,開発は困難の連続であった。最も早く納入された全日空機は当初の予定より3年ほど遅れた。それほど問題が大きかったと言うことは逆に設計上の弱点が予め明らかになったということでもある。だから、安全性が高まったと言えるだろう。787に比較するとA380は引き渡しが1.5年遅れたが、機体が史上で最大であるにもかかわらず開発から実用化の過程は比較的順調であったように思われた。

 機体のカットモデルを見ると787は上半分と下半分は異なるサイズの円の合体で,上半分が大きい。丁度だるまを逆さにしたイメージである。A380は縦長の楕円形。777は真円である。真円の方が構造的に単純で丈夫そうに見えるが、客席の上下に無駄なスペースが生じて非効率なのだという。従来の航空機の機内は湿度がほぼ0%であるが、新素材多用のために錆の危険が少ないことでキャビン内を加湿する事が出来るようになったし、機内圧も高く維持できる様になった。エコノミークラス症候群の発生頻度も減少するかも知れない。A380では機内のスペースを生かして個室やシャワー室、ラウンジも備えているタイプもあるという。そこまで必要か?とも思うのだが・・・。

 この本の記述は多岐にわたっていて読み進むにつれて驚くばかりである。両機については生産が進み、運行の実績が増えると別の視点からの書籍が発刊されると思う。それも楽しみであるが本書は現時点でとても有用な位置づけを持つ本である。


9/3(月)晴れ 書類処理日  
0:45 起床。文献チェックその他。コイ・ハト給餌、7:00病院。回診他病棟業務。紹介状、退院総括他に集中。17:00横山金足線経由帰宅。笹ダケ処理ほか居間掃除。19:30夕食、20:15就寝。

書評: 青木謙知著「ボーイング787 vs エアバス380」 (1) 講談社ブルーバックス 2011年11月 880円

図解・ボーイング787 vs. エアバスA380―新世代旅客機

 私は航空機が好きである。機体そのものに機能美があるから。また、塗装のデザインも多彩で美しい。離陸より着陸態勢にある航空機は美しい、と思う。

 いつも羽田空港の進入路近くのどこかで一日空を見上げていたいものだ、と思っていたが果たしていない。それに近い満足感を得たのは学会で福岡に出かけたときで、国際空港の屋上に2時間ほど陣取って離着陸機を眺めていたことがある。この空港は市内から10分ほどで行けるほか、ターミナルビルのすぐ脇が滑走路でよく見えるし、離着陸の機数も多く、しかも各国の航空機を見ることが出来る。他の空港も随分見たがこれほどの条件を持つところはなかった。2年ほど前までは月に数回と随分乗ったが、実は乗るのはあまり好きでない。

 私は1952年に開発され金属疲労のために空中分解したコメット機を始めとして数々の話題を提供してきた航空機、及び、安全運行のための巨大システムに興味を持っていて、航空機関連の書籍の購入も少なくない。
 先日、この「ボーイング787 vs エアバスA380」を購入した。この両旅客機はわたしが空港を利用しなくなってから実用化されたので実際には見たこともない。多分、今後も載ることは無いかも知れない。だから興味を持っていたが、格好の書籍は発刊されたと思う。内容は詳細で資料としても価値が高い。

 この本は書名にあるごとく、ボーイング787とエアバスA380を対比させながら論じている。これらの2機種はそれまで生産されていた777やA300型やA340型とはハード面ソフト面で全く異なっており、他機種と一緒に論じることにそれほどの意味がない事がよく分かる。それにしても航空機生産で中心的シェアを占める米・欧で、異なったコンセプトの新型機種が時を同じにして開発されたのはその経緯を含めて興味深い。

 内容は,■両機の開発過程、■両機の機体・機能の比較、がイラストを多用して詳細に述べられている。更に、現在開発中の■ボーイング747-8とエアバスA350XWBについても言及している。

 ボーイング787 は250席ほどの中型機で、エアバスA380は総二階建てで標準は555席程度であるが、実際には運行航空会社の仕様により400-530席となっている。ジャンボとして親しまれた一部二階建てのボーイング747は、日本航空と全日空のみが導入した短距離用の747-400D型では約550席の客席を設けることが可能であったが、標準仕様は412席だからA380が如何に大きいか分かる。


9/2(日)快晴・強風 映画「山本五十六」
飯川病院で0:30起床、文献・新聞チェック。7:00検食、8:30横山金足栓経由帰宅。炎天下で笹ダケ処理その他。14:00ー16:00県児童会館。朝日新聞提供鑑賞会「山本五十六」。 炎天下で笹ダケ処理他の作業。19:20夕食、20:00就眠。

クロスバイク(21) 車道の白線は誤解されている 自転車のためにあるのではない
 昨年の夏過ぎに話題になった自転車関連の諸問題はその後どうなったのか?
 自転車は例外的に歩道走行も可能であるが、原則として車道走行であること、そのためには自転車レーンの設置が必要等々が話題になった。自転車にとってやっと良い時代が来ると期待していたが、その後に具体的な動きは見えてこない。一体何だったのか?と思う。

 自転車は歩行者からは疎まれ、自動車運転者からは邪魔者扱いされて小さい立場にある。だから両者から独立した自転車レーンの設置は三者のための最良の解決策である。
 しかし、しかしである。わが国の狭い道路事情、歩道設置さえ不完全、不十分で歩行者は危険にさらされていることを勘案すると自転車レーンの設置はいくら叫んでも実現は困難であろう。

 ならば、道路を歩行者、自転車、車と上手にシェアして利用していくことしかない。自転車を本来の車道通行に徹底すれば、歩行者との関係は解決し、問題は自転車と車の関係になる。独立したレーンがないならば双方に互いを尊重する運転を求めるしかない。

 私は原則的に左側の車道の外側、白線の内側を走る。法的にそうなっているほか、歩道の路面が凸凹で、決して自転車に向いていない。車道の条件は格段に良い。しかし、心ないドライバーにいつも悩まされている。
 ドライバーのかなりの方々は車道の左側に引かれている白線の内側が車用で、自転車はその外側を走るべき、と誤解している節がある。狭い道路では歩道と白線との間が20cmほどしかないところもある。こんなところは自転車では走行困難であるから自転車用でないことは考えれば分かるはずだ。

 道路の左側の白線は道路の状況によって以下のように意味が異なる。意外と知られていない。
■歩道が設けられた道路においては、道路交通法上の道路標示ではなく、せいぜい路肩を示す程度のものに過ぎないので、自転車は車道外側線の外側を走る必要はない。
■歩道が設けられていない道路の場合は、歩行者用の通路としての意味を兼ねることとなり、自転車は原則として路側帯を通るべきではない。

 心ないドライバーは右側に余裕があっても寄らずに自転車すれすれに追い越していく。悪意を感じることもあるし、左側の白線の意味を誤解していているのではないかと思うことも頻繁である。


9/1(土)快晴・暑い ヘルスチャレンジ2012スタート 飯川病院当直 
1:30起床、新聞、文献、本読み他。6:30-7:00コイとハトに餌やりと自転車散歩若干、強風で走行難。午前は強い日差しを楽しみながら外仕事、畠もそろそろ終了。さすがにちょっとバテた。午睡、航空関連書籍読み、コイとハト餌を乾燥。17:00飯川病院当直に。18:00検食、19:30就寝。

映画「道ー白磁の人」 日韓の歴史を理解する一助になった
 日韓関係は竹島問題で険悪後がましている。ここ一ヶ月ほどの李明博大統領の発言や行動は国家間の外交の常識を越えたもので、なかなか理解出来ない。これで低迷していた大統領の支持率は一気に70%台にまで上昇した、と言うから、国内の政治的事情が関連している可能性が高い。韓国では「反日」と叫ぶだけで気持ちを高揚させる効果があるようで、日韓併合時代に味わった苦痛の怨念と言うべきか。

 私は不勉強にして韓国に付いて知識は乏しい。反日感情の根深さを感じとることは出来るし、その背景も幾ばくかは理解しているつもりである。表面的な知識しかない。1910年8月に大日本帝国は大韓帝国を併合し朝鮮半島を領有し支配した。1945年9月2日降伏文書調印によって朝鮮半島領有は終了した。
 日本では併合の評価に賛否双方あるが、韓国側では否定的にな見方が多数で、日本による統治を肯定する言論は社会的に容認されない。

 折しも『映画「道ー白磁の人」を上映する秋田の会』主催で8月27日に市文化会館小ホールで映写会が開かれた。いつもなら見逃していただろうパンフレットに目が止まったのは、日韓の関係について興味と心配があったからであろう。

 原作は 江宮 隆之著、小説「白磁の人」 (河出文庫)である。
 浅川兄弟の弟、浅川巧(1891-1931)は日韓の教科書にも載っていると言う実在の日本人。日本統治下の朝鮮半島で植林事業に勤しみ、信念を貫いて生きた青年の半生を描いたドラマ。監督は高橋伴明。浅川役は吉沢悠。

 浅川伯教、浅川巧の兄弟は山梨県北杜市出身、共に朝鮮半島に渡り朝鮮工芸の美に魅せられ、研究した。
 伯教は700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査した。弟の浅川巧は朝鮮半島で林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走するかたわら、兄とともに朝鮮陶磁の研究に心酔し、「朝鮮陶磁名考」を書き残した。巧は日本の軍人から厳しい扱いをされながらも現地の人々に分け隔てなく接し、朝鮮語を話し、その地の風俗や文化を愛したが、40歳の若さで病死した。ソウル市にある墓は、今も彼を慕う韓国の人々によって守られ続けていると言う。

 2001年に浅川兄弟の人と業績を紹介する資料館が北杜市高根町に設立されている。そんな重要な働きをした浅川兄弟について恥ずかしながらこの映画を観るまで知らなかった。

 この映画では、韓国併合時代に行われた数々の圧政、蛮行については一部垣間見ることが出来るがそれほど深くは取り上げていない。その面ではちょっと物足りなかったが、私にとって日韓関係の歴史の一部に触れることが出来たのは今後の理解のためにも役立つだろうから、大きな喜びとなった。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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