徒然日記
2011年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


9/30(金)雨 外来無く書類処理に集中
2:00起床、若干風邪気味。新聞チェック・文献読み・徒然など。7:00車病院、不自然に身体ひねって腰痛再発。今週は連日混雑し疲弊したが本日はフリー、溜まっていた書類処理に充てた。15:30帰宅。息子夫婦・孫・犬来訪。やや晴れ加減になったので自転車で病院近くまで走り、書籍とヘルメット購入、夕食、20:00就眠。

クロスバイク(3)徐々に上手くなってきたが危ない
   注文していたクロスバイクが9月5日に届いた。最初の印象はとても危ない自転車だと言うことで、とても緊張した。それが,500Kmほど走った今でも変わらない。

 今まではいわゆるママチャリに近いタイプの中でちょっと軽く作られている軽快車といわれる2種、マウンテンバイクの2種しか乗ったことがなかったが,今回は突然のスポーツタイプである。  ドロップハンドルで、経験したことのない前傾姿勢で乗る。サドルに座ったままでは足が地面に届かない。従って、止まり方、降り方も今迄とは全然違う。ブレーキレバーの場所も効き方も違い、変速も従来の方式と全く異なる。当初はうまく切り替えられなかった。購入した日は通い慣れた道,主に自転車道路をそろそろと自宅に向かったが、危なくて冷や汗ものであった。

 その日の夕方から数日間は自宅の庭や近所の広場で、発進方法、跨りかた,止まり方、降り方などを何10回も練習し、徐々に慣れてきた。少し慣れると確かに今までに経験したことのないほど軽く走れる。別世界と言って良い。だから、通常の通勤は往復で約12Kmであるが、この自転車にしてから帰路はルートを適宜をふくらませて一日20-30Km程度走っている。  自転車、特にこの様なタイプの自転車は基本的には歩道を走るべきではない。だから、危険が少ないと考えられる道路は左側の車道を走り、バックミラーで確かめて車に追い越されそうな時は左に寄っている。

 ところが、車道は自動車のもので、自転車は歩道を走るべきだと誤解しているドライバーが結構多いらしい。多くのドライバーは若干右によって追い越してくれるのであるが、明らかに自転車を邪魔者扱いし,右側に余裕があるのにスレスレに追い越していく車もある。この点は同じ二輪車でも、ハーレーでは滅多に経験しなかったことである。  私は自転車に替えてから、交通弱者から交通弱弱者になってしまった。自分で出来る限り身を守るしかない。


9/29(木)晴れ 外来 
2:00起床、ここ数日風邪気味続く。新聞・文献・徒然など。7:00自転車病院着、8:45-14:10外来。今週は連日混雑し疲弊した。15:30-17:00中央インター→太平方面経由で帰宅。やや不調で午睡、夕食、20:00就眠。

鯉とスズメ、カラス(7)台風15号の大雨 旭川も増水 鯉達はどうなるのか?
 先日の台風15号は北上スピードがとても遅かったほかに、南の海上で進路が一回転するなどいじけた台風であった。典型的な雨台風で大型、台風から伸びた雨雲は細長く関西地方と日本海を覆った。そのために全国的に大雨に襲われた。特に南紀地方はそれに先立つ台風による豪雨があり,各所で崩壊した土砂などで川がせき止められていたが,それが今回の雨で崩壊する危険があることから注目された。幸い、崩壊はまぬがれた様である。

 一方、9月20-21日には台風がゆっくり北上し始め、台風から細長く縦に延びた巨大な雨雲が日本海を覆い,秋田県の上で本土と交差していた。 その影響で秋田も終日降雨であり、秋田県中央部に洪水警報が発せられた。NHKラジオの全国放送版の気象情報では新城川がはん濫の恐れありと何度も何度も報じられた。用事で側を通った家内の話でははん濫直前状態のように見えたと言う。しかし、そこまでで、雨がやむと共に増水が止まった様子ではん濫のニュースは流れなかった。

 出勤時には私は旭川の脇を通る。 市の中心部の川で護岸工事もしっかり行われ、清流がさわやかに流れ、色とりどりの鯉が泳いでいる。私は 数年前から秋田北高校脇の久保田新橋の上から厳寒期をのぞきほぼ毎日鯉に餌をやっている。毎回数10匹の鯉が集まってくる。

 台風15号の接近で二日間雨が降って旭川は黄色の濁流となり、水位も2-3mは高くなった。気になるのは鯉たちである。自然の川であれば増水しても地形に応じて、あるいは川底の様子から必ず淀む場所がある。魚たちは増水の際には淀みの場所に集まって水が引くのを待つとされているが、旭川は完全に護岸工事されているので集まるべき淀みの場所が無いように思える。

 私はいろいろ心配した。■鯉たちはこの増水の中、下流に流されなかったのか?■海まで流されたらどうなる?■流れに逆らって必死に泳ぎ続けているのか?さぞや疲れ果てるだろうな?腹はへらないのか?■睡眠不足にならないか? ■無事水が退いた後にはこの場所に戻って来れるのか?・・・等々。

 24日の朝に覗いたら水が引き始めていた。鯉が数匹集まってきた。無事だった様で、私は安心して三陸に向かった。26日の朝からまた餌やりを再開した。鯉が数10匹、いつもの如く集まった。
 私の心配は全く杞憂だったようである。


9/28(水)晴、外来
1:30起床。文献若干,新聞読む。7:05自転車病院着。回診等病棟関連業務。8:45-14:00外来、混雑。13:30-16:50自転車,北インター、セリオン経由で帰宅、31Km。夕食、20:45就寝。朝はかなり冷える。数日前から上下ともテニス用ウインドブレーカー,手袋着用。帰路はまだ半袖Yシャツとトランクス姿。

三陸訪問(4)  広範な被害の山田町―逃げられる街をつくるには
 今回の三陸訪問の二日目は山田町で、午前に宮古から山田町に向かった。

 山田町は宮古在住の2年間に何度か訪れた町である。県立山田病院の外来手伝いも何度かしたことがある。当時の山田町は国道沿いにびっしりと商店が並び活気のある町であった。あれからかなり経ち,恐らくは高齢化少子化で様相は変わっていた,と推定できる。

 小高い丘陵にある国道を通過すると町並が見えてくる・・はずであったが、見えたのは海岸から山側までの平坦地に建造物は僅かしか見られず、残されたコンクリートの土台だけが見えた。どういう津波の力加減であったのか,所々に建物が残っていたが、いずれも無残な様相を呈していた。町営住宅かアパートか,ビルは2階まで,一部は3階まで激流が襲ったことが見て取れた。被災された方々にとってはどちらであっても同じであろうが、印象では宮古は地区別に差が大きく、山田町は平地はほぼ均等に総なめにされたというイメージであった。

 宮古には 川に沿って市街地には防潮堤はあった否か、定かな記憶はない。少なくとも浄土ヶ浜近辺にはなかった。山田町は奥深い湾に沿って発展した町で、湾内でいろいろな養殖漁業も盛んであったが高い防潮堤があったのだろうか。実際には、宮古で8.5m、山田では6.5mの防潮堤があったとされているが、実際にこれか、と見たことはなかった様な気がする。一方、宮古の北部にある田老地区は防波堤のために景観が大きく損なわれていたが、今回は被害は軽度であった。津波の波高は宮古で11.6m、山田で10.9mだったとされる。あれほどの巨大地震、津波を想定していなかった、と言うことだろう。宮古から50Kmほど北部にある普代村は、過去の災害を生かして15.5mの水門・防潮堤を備えており,推定20mの津波が襲ったが、行方不明者1人、死者は出ていない。

 この度、地震・津波対策を見直す国の中央防災会議に設けられた専門調査会が、提言をまとめた。
 その主な内容は、■歴史を調べて考えられる最大級の津波に備える■大きな揺れなら迷わず高い所に逃げる「津波てんでんこ」が基本■津波避難ビルの指定■浸水の恐れが大きい土地の利用規制などで、5分程度で避難できる町づくりを求めている。

 宮古や山田の被災地を前にしての印象では、基本は防潮堤と避難ビルだろう,と思う。その上で、「まず逃げる」事を基本にして訓練を積む必要がある。実際には、海辺から高台まで距離があり逃げることが困難であったことが伺われる。車での避難は危険と言っても、走って逃げられない人もいる。そうした人の安全をどう確保するか。車を使わざるを得ない方もいるだろう。

 「5分で避難」できる場所を複数作るしかない。避難が困難な虚弱な方々が多い病院とか福祉施設は立地や、構造を見直して地域の避難ビルを兼ねたものにする、などが必要であろう。
 今回の三陸訪問で見た海は、波も少なく静かで美しかった。これが半年前に牙をむいた海だとは思い難かった。


9/27(火)快晴 外来  
1:30起床。新聞・医学論文チェック他。7:05自転車病院着.回診・病棟業務。 8:45-13:50外来、混雑。15:30-17:00遠回り帰宅、31.06Km。読書、夕食、20:30就寝。

映画「四つのいのち」 人間、羊、木、炭をテーマに描かれた「いのち」の連鎖
 ミケランジェロ・フランマルティーノ監督による映画で88分。4時間の大作「ルートイッヒ」と同日上映であったために、二日間に分けて鑑賞。

 台詞なし、音楽なし。場所はイタリアのどこかの片田舎。不思議な映画だった。「4つのいのち」として取り上げられたのは、「山羊飼いの老人」、「山羊」、「樅の大木」と「焼かれた炭」。
 辺境の山岳地。。炭焼きの煙、山羊の群れと見張りの犬、咳き込む老人からスタートする。山羊と犬の声、老人の咳以外の音はない。多数の山羊の表情が見事に描写される。そこには人為的な操作は無い。それだけ迫力がある。老人は間もなく死ぬ。演ずる役者の死に至る迄の葛藤、表情の変化、特に死の直後の顔の表情は見事であった。田舎の葬儀の様子も印象的。

 画面は子山羊の誕生シーンに切り替わり、子山羊が誕生直後に必死に立ち上がり、乳を飲むシーン、子山羊同士で戯れている生態をとらえる。のどかで自由闊達な山羊たちが描かれる。集団で移動中の群れから子山羊が離れ、山中をさまよい、陽が暮れる。子山羊は大きな樅の木の下で眠る。その子山羊はどうなったのだろうか。直接は描かれていないが、他の3つの「いのち」は死を迎えていることから、一晩の寒さのために子山羊は死んだ、ということだろう。山羊に,子山羊に演技は仕込めないだろうと思う。それだけに山羊の扱いは絶妙である。

 次はと、その樅の大木に主たるシーンはうつる。大木は村祭りの主役に仕立てられ,切り倒され広場に運ばれる。辺境の山岳地の村の祭りの情景も良い。その後、その大木は炭焼き業者に買われ,細断され焼かれて木炭となる。炭焼きは古来からのやり方とのことで、炭焼き窯は使われず、木材を小山のように積み上げ、干し草をかぶせ、さらに土でおおって大きな山にし、じっくり時間をかけて炭にする。小山のあちこちから煙が立ち昇るが、その穴をふさぐために土をパンパンとたたく作業も面白い。横手のかまくら作りとか, 雪祭りの雪像を造るときの雰囲気である。私共が知っている炭焼き法とはまったくことなる。

 村では暖房と煮炊きに「炭」は貴重である。映画は炭焼きの煙から始まり、最後にまた炭焼きに戻る。主役,主題を次々に変えて展開する。この中で言いたいことは、この世界は人間は中心ではなく、他の「いのち」もあり、それらとの関わりによって生かされている,と言うことだろうか。

 台詞もBGMもない、ほぼ沈黙の画面に私は集中した。他の作品の場合、私にとって館の中の音量は大きすぎる。だからノイズキャンセリングヘッドフォンを通して音量を落として鑑賞している。


9/26(月)快晴 外来 
2:00起床。医学論文・新聞他いつもの如し。7:00自転車病院着。回診、8:45-14:20外来、患者で溢れかえり疲弊。15:30遠回り帰宅、文献読み他、夕食、21:00就寝。

三陸訪問(3)  他県から支援に来ている若者の屈強な姿に感心した
 9月24日から1泊二日で三陸の宮古と山田町を訪問した。

 街中で青森、秋田、大阪府のパトカーと何度もすれ違った。街中はがれきも撤去されて落ち着きを取り戻していた様に見えたのであるが、恐らくは宮古・山田管内で多数の警察官やパトカーが失われたのであろう、治安の維持などを目的に車もスタッフも駐在してくれているのではないかと想像された。

 宿泊先の浄土ヶ浜パークホテルはこの方々、大阪府警の宿泊所になっているらしく、ホテル内で大阪府警察と大きく描かれた制服を着た若い警察官とすれ違った。ホテル内で大勢の制服着用者と会うのは気分が良いものではない。しかし、時期が時期だけにソンなことは言っては居れない。  18:30頃ホテル内の大浴場に入った。脱衣所は下足数から見て20人以上入っていると思われた。一瞬逡巡したがそのまま入浴することとした。浴場には20-30歳代と思われる若者が30名近くが入浴しており、そのうちの10名ほどが風呂の脇に立って洗い場が空くのを待っていた。通常これだけの同年代の若者が揃うと喧噪なはずであるが、実に静かで、私はホッとした。業務上の上下関係による押しつけ的静けさではなさそうである。和気藹々としているが、煩くない。これは彼らの良識に依っているのであろう。喧噪を嫌う私は感心した。

 私は浴槽に浸かりながら側に立っている若者たちや、坐位で体を洗っている若者たちの体をじっくりと見させて貰った。通常の観光地の大浴場でも男たちの裸を見ることはあるが、それとは全然違う。その場合、自身を含めて言うのだが、ちょっとオーバー言うと「醜体」なのであるが、この若者達はほぼ全員の体は良く締まっており、スタイルは良く、腹部、四肢の筋肉は十二分に発達している。体毛、陰毛も黒々く見事であった。 もうここまで来ると「美しい」と言うしかない。私はしばしうっとりと眺めていた。
 私は、人間の身体はとても美しい、と思う。父親に連れられて入浴してくる、小学生頃の男女の側面の容姿は脊椎が描く見事な曲線が実に素晴らしい。また、芸術作品を通じてしか知れないが、女性達の身体、曲線は美しい。特に、妊婦の姿は本当に美しい。

 如何に美しい肢体を持った若者達とは言え夕食の場での同席は困る・・,と思いつつ夕食の場に行ったが,幸い彼らは別の場所らしくホッとした。

 翌朝、7:00過ぎ頃から彼らはロビーに集合し,整然と散って行った。各人どれだけの期間の派遣なのであろうか、ご苦労様である


9/25(日)岩手・秋田晴れ 三陸訪問
3:00浄土ヶ浜パークホテルで起床、持参の新聞チェック、本読みなど。5:20閉伊崎から見事な朝陽が昇った。40年振り。8:00葉っぱとコーヒーで朝食。9:30-11:30宮古周辺の被災地を見ながら山田町に向かう。津波の被害に驚く。宮古に戻りお目当ての昼食。息子家族は花巻方向に。途中江岸寺に立ち寄り墓参。15:50盛岡駅にて長女送り、秋田に。18:15帰宅、夕食、21:00就寝。Priusで580Km、22Km/Lであった。

宮古市、山田町の津波被災の跡地に驚く 被災地の住民の冷たい視線が痛かった
 9月24日から三陸の宮古と山田町を訪問している。

 主目的は、山田町に開設されたゾンタハウスに、家内がお米を届けたいということであったが、私は2年,家内は1年お世話になったし、長女が誕生した地域であることもあって家族で訪問することとしたものである。  実際には、早朝に担当している患者が敗血症か、不調となり対応したことなどで出発が大幅に遅れ、夕方宮古に着いた。暗くなり始めた市街地を宿泊先に向かった。

 宮古市は私どもが居住していた地域、旧県立宮古病院付近は特に被害には遭遇していない模様であったが、市役所付近にあるビルとかは1-2階付近はすべて海水につかったのであろう、残った小さな住宅や建造物は廃墟と化していた。大型のビルは1-2階の窓はベニヤ板で打ち付けられた状態で、垣間見えた建物の内部には何も無い状態であった。

 更に海岸に近づくとそこは殆ど建造物が無く、土台だけ残されていた。がれきは大部分取り払われ、壊れた自動車だけが山積みになっていた。一部の住宅、店舗、コンビニなど、修理されたり、新築され点在していた。水害の直撃を受けた地域の様子はとても言葉では表現出来ないし、軽々しく言い表すべきでないと思った。  大きく破壊された建造物、流出したであろう建物に大きなショックを受けたが、私にとっての一番のショックは、道路端で立ち話をしていた中年の女性数人の中の一人と目が合った瞬間であった。異様に冷たい眼差しが私に投げかけられた。恐らく、秋田ナンバーの車の中から大人たち4人がキョロキョロと、物見遊山的に被災地を見て回っている様に映ったのであろう。確かに、そう思われても仕方がない状況であった。

 確かに、被災地のことを語るとき、あるいは報道するときにややもすればハード面の被害に重きを置き、地域の住民の心情を軽視していないのだろうか? 災害から時間が経つにつれて被災者の心は大きく変化していっていると思う。その意味では「がんばろう東北」「がんばれ日本」などのワンパターンの呼びかけは被災者にとっては全く別の意味に聞こえているかもしれない事にまで思いを馳せなければならないと思う。恐らく空虚な思いで聞いているのではないかと思う

 宮古に居住したものにとって宮古市の被災は決して人ごとではないと私は感じている。だから今回被災地を訪問することにした。とても大きなショックを受けた。来て良かった、と思っている。だが、恐らくはどんなに言葉を労しても心情を伝えることは出来ないであろう、と思った。だから、金銭的な支援を続ける事の意義は一層大きくなった。


9/24(土)秋田雨・盛岡宮古曇り 三陸訪問
1:30 起床、いつもと同じ。 6:00病棟より患者転倒の連絡。雨の合間に6:40自転車病院着。重症患者対応、8:30帰宅。その後降雨。10:00三陸へ向かう,盛岡息子宅経由18:00 浄土ヶ浜パークホテルへ。途中宮古の被災地を見て驚く。19:30息子一家到着、夕食20:30就寝。

郷里の岩手山の勇姿を見て亡き同級生を思う
9月24日から三陸の宮古を訪問している。

 山田町に今月から開設された被災した子どもに学習場所を提供するゾンタハウスに、家内がお米を届けたいということから訪問を計画したのであるが、家内の主導で徐々にエスカレートし、家族で東日本大震災の被災地を訪問することにした。
 仙岩峠を過ぎると勇壮な岩手山が見えてくる。雫石を通過しつつ少しずつ姿が変わる岩手山を楽しみながら、中学の同級生で画家の道に進んだ佐々木賢光君のことを思い出した。彼は見事な岩手山を描いた作品を残していた。機会があれば多くの方々に見て欲しいと思っていたので、この機会に紹介したいと思う。

 彼は私の中学の同級生である。卒業した乙部中学校は,乙部、手代森、大ヶ生の小学校3校から生徒が進学する。私は乙部小学校卒28人のうちの一人であるが、2年間は盛岡中学に進学し,3年生の一年だけ乙部中学校に編入した。佐々木君は手代森小学校出身だから私とは一年の付き合いでしか無く、それほど親しいわけではなかった。彼は同中学校卒業生74名中、大学に進んだ二人のうちの一人と言うことで私の記憶に残っていた。どこかの美大に進んだらしいことは聞いていたが,その後の消息は全く知らなかった。
 それが、ひょんなツテで別の同級生から聞こえてきた。数年前に亡くなっていたと聞いて驚いたばかりである。早速、ネットで彼の作品を調べてみたが,代表作なのだろうか、2枚の作品を見ることが出来た。

 私は見事な作だと思う。私共は毎日毎日勇壮な岩手山を見て育った。大人になってそれぞれの道に進み,郷里を後にした後も恐らく岩手山の勇姿を時折想っていただろうと重う。少なくとも私はそうである。秋田から鳥海山を見る度に、美しい山と想いつつも「それでもやっぱり岩手山・・」がホンネである。
 佐々木賢光君は良い作品を残してくれたと想う。時折見ては彼を偲び、岩手山を思っている。


9/23(金)秋分の日 濃霧・晴れ 県医師会設立64周年記念医学大会(欠) 
1:30起床、体調やや改善、新聞チェック、本読みなど。6:00-6:40自転車手形山散歩12Km、12:00-14:00重症患者回診そのほか。Prius夏タイヤに交換。16:00-17:00下新城萬吉橋探訪、本日42Km走破。県医師会設立64周年記念医学大会は欠とした。19:00外食、21:45就寝。23:00前後病棟より電話数回。

日本の医療の現状と課題(11)皆保険制度(10)ランセット日本特集号記念シンポジウム
 日本の皆保険制度は創設以来半世紀が経過した。創設当初の評価はどうであったか分からないが、今日的に見れば決して理想的なものではない。それどころか、現状のままでは存続が不可能だと私は考えている。  本年9月1日、英国の医学雑誌「ランセット」は、日本の「国民皆保険制度達成50年記念」の日本待集号を発刊した。同誌は1823年創刊の、歴史のある、また権威のある医学雑誌である。同誌で先進国についての特集号は今回が初で、世界中の注目を集めている。

 同誌は3年前から特集号の準備を進め、昨年9月に論文草稿の査読会議を持ったが、その後に東日本大震災が起きたので、大震災が日本の医療に与えた影響についても考察を加えた。英文版で76ページ、日本語版で112ページからなる特集号は、6本の総説と8本のコメントからなる。執筆には渋谷健司氏(東大大学院国際保健政策学教授)、池上直己氏(慶応大医療政策・管理学教授)など、約50人の日本の研究者が皆保険制度の変遷や医療費抑制策などを分析した論文を寄稿している。

 米ワシントン大のC・マレー保健指標評価研究所長は誌面で「経済停滞、政治の混乱、高齢化、不十分なたばこ規制という状況の中なのに、皆保険維持のために効果的に対応しているようには見えない」とわが国の行き方に厳しく指摘し警鐘を鳴らしている。

   その日本特集号出版記念シンポジウム「医療構造改革の課題と展望−3月11日の大災害を超えて」が雑誌発売同日の9月1日東京都渋谷区の国連大学国際会議場で開催された。  本シンポジウムには、前原民主党政策調査会長、原中日医会長を含む政府・医療従事者、学者、行政官、大使館関係者、企業関係者、NGO/NPO関係者、ジャーナリスト、学生など330名が参加した。「ランセット」で皆保険の維持のためには抜本的改革が求められる、と指摘されてのシンポジウムに、前原氏、原中日医会長がどのようなお話をされたのか興味深い。

 ランセットによれば、日本は、
■地域における健康を改善するための官民の連携が良い
■減塩運動のような公衆衛生アプローチが良い
■国民皆保険制度下での降圧剤処方などの医療サービス、アクセスの保障などを通じて、世界一の長寿を達成した
■社会の様々な変化に合わせ漸進的に改革を進め、低価格で高品質な医療及び公平な提供体制を維持してきた
・・と前向きに評価している。

 本シンポジウムでは、
■わが国の経験を世界と共有すべき
■今回の災害で医師・病院不足、施設に偏重した介護の問題点が顕在化した
■医療に関わる国と都道府県、市町村の権限のあり方の問題点
■専門医に偏重した医師養成の問題点
■経済停滞や不十分なたばこ規制などのため「長寿世界一」から転落する可能性・・・等、抜本的改革を必要とする諸課題が指摘され、医療体制の構造改革の方向性について議論がなされた。  さらにこうした経験や教訓に基づき、健康な世界の実現に向けて日本が果たすべき役割についても議論された。その中では「低い経済成長と不安定な政治状況が構造改革を困難にしている」と分析。国から都道府県への権限移譲、保健・医療分野での国際交流の活発化など四つの改革が提案された。

 このシンポジウムの詳細はまだまとめられてはいないようである。わが国では国民皆保険制度は世界一とほめられ、自讃もしているが抜本的改革論議はモタモタしている。欧米の研究者によって指摘されている提言に耳を傾ける必要がある。


9/22(木)終日小雨 台風15号太平洋沖に 外来 
2:00起床。文献検索、新聞チェック、本読み他。7:00自転車病院、冷えてウインドブレーカー着る。回診、病棟業務。外来14:00終了。16:30自転車手形山経由帰宅、19Km。17:00長女迎えに駅。寒気あり。午睡、夕食、20:50就寝。

映画『ルートヴィヒ』 4時間画面を見つめ,満足した
 映画『ルートヴィヒ』は、ヴィスコンティ監督による1972年作の映画。バイエルン国王ルートヴィヒ2世の生涯を史実に沿って描いた作品である。
 4時間もの作品になったが、上演の都合から3時間版、約140分版の短縮版もあるとされる。私が観たのはオリジナル版なのだろう、途中の休憩を入れて、約4時間。

 筋書きはいろいろ語り継がれている通り。
 19歳の若さで国王となったルードヴィヒ2世は、作曲家ワグナーに心酔し国費をつぎこむ。その庇護のもと、歴史に残る大作「ニューベリングの指輪」が完成した。王は徐々に国政に興味を失い,城の建立と音楽等の夢想・空想の世界にのめり込む。ワーグナーの音楽,城の建立は、ヨーロッパの覇権争いに巻き込まれたルートヴィヒの現実逃避の姿だった。ほろびゆく権力者は、何故か巨大な構造物をつくりたがる。これは何処の国にもあることで、人間に共通の心理の一つなのかもしれない。
 王は 歴史に残る名城ノイシュヴァンシュタイン城を始めとする3つの城を作る。1866年にオーストリアとの戦いに敗れ、ワグナーにも裏切られたルードヴィヒは、失意のどん底に突き落とされ,次第に判断力も失っていく。王はノイシュヴァンシュタイン城が完成してからは、首都のミュンヘンには戻らず、この城で生活をするようになる。思い余った家臣たちは摂政を立て王をシュタルンベルク城に幽閉するが、その翌日、王は主治医と湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。この映画では主治医を殺害し自死したと扱われている。

 主人公役はヘルムート・バーガーと言う俳優。勿論私は初耳。17才の凛々しく、気高く若々しい表情から、精神に破綻を来した後の肥満の雰囲気、黒く汚れた歯、既に凛々しかった王の面影はみられない。 この空虚な表情の40才代までの変化を見事に演じきっている。
 共演する美しい男女とその衣装、当時の貴族生活の生活の一端を観ることが出来た。実際に撮影が行われたノイシュヴァンシュタイン城の調度品、美術品等が重厚に撮影されており,美術的な意義も素晴らしかった。
 私はまだ評価できないが、記録映画として見てもレベル・価値・存在感はとても高いし、凄い。映画史に残る名作なのであろう。

 私にとってのこの映画の魅力は、19世紀後半のヨーロッパの歴史 絵画や文化に触れられたことにもあった。それと王とワーグナーがどのように描かれているのか、バックにはどのように音楽がつかわれているのか,と言う点であった。楽劇「タンホイザー」から「夕星の歌」などが使われていた。

 ミュンヘンはドナウ川の支流イザール川沿いに開けたドイツ第3の都市である。私は今から27年前に訪れた。ミュンヘン国立歌劇場は19世紀に国王によって造られ、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の初演が行われたところである。ミュンヘンは音楽好き、ワーグナーを好むものにとって特別の街である。ミュンヘン国立歌劇場では2晩オペラを聴くことが出来た。
 その時のことを思い出しながら4時間画面を見つめ,満足した。


9/21(水)終日雨 台風15号で首都圏混乱 外来 
1:00起床。文献検索、新聞チェック、本読み他。7:00車病院着。7:20回診、病棟業務。 8:45-14:00外来。16:00帰宅。医学文献チェックと電子化、歴史本など。夕食、20:50就寝。

日本の医療の現状と課題(10)皆保険制度(9)国民医療費の実態
 厚労省が先月発表した平成22年度「国民医療費の動向」概算を見ると36.6兆円で、前年比1.3兆円の増加、8年連続最高額を更新している。8年も連続していることの背景は医療の高度化、高齢化が主であるから、抜本的対策をしなければ今後もこのまま続く。日本の経済が成長路線にあるのならそれでも良いが、状況は逆でマイナス要因が大きい。だから医療提供体制、皆保険制度の質的改善は喫緊の課題である。
 まだ平成22年度医療費の詳細は発表されていない。前年とそう変わるはずもない。前年度のデータを簡単にまとめてみた。

 ■平成21年度の概算医療は35.3兆円で、前年度から約1.2兆円(3,5%〕増加した。
 ■平成13年度以降では最大の伸び率であった。
 ■一日当たりの医療費は対前年度比で4.1%増加。理由は高齢化・医療の高度化と、受診抑制効果が不十分であったためと考えられる。
 ■医療費の内訳は入院14兆円(3.1%増)、入院外12.7兆円(2.8%増)、歯科2.5兆円(0・7%増)、薬剤5.0兆円(7.0%増)。
 ■調剤を含む外来医療費は全体の52.8%。
 ■受診抑制効果減の原因は介護療養病床減で退院患者減も一因。
 ■生活保護受給者が増え、医療費が対前年比5%増の1.7兆円。
 ■70歳未満は18.1兆円で2.2%増、70歳以上は15.5兆円で4.6%増、75歳以上の後期高齢者は12.0兆円で5.5%増と倍以上の伸びた。
 ■施設別えは大学病院5.6%増、公的病院4・6%増、診療所は1.7%増。
 ■診療所の科別では、内科、外科、整形外科で伸ぴ、小児科、皮膚科、産婦人科、耳鼻科で減少。

 要するに、医療費増加と直結する因子は、■医療の質的高度化■高齢化に伴う医療の量的増加、の二点に集約される。
 国民皆保険制度はスタート時からこの半世紀コンセプトは変わっていない。時代は変わった。何もかも、と言って良いほど変わった。経済力、マンパワーは今後も右肩下がりになると予想されている現在、皆保険制度の持続を困難にする要因がここまで明らかになっているのに、8年間も手をこまねいていて良いのだろうか。

 政府、国民、医療関係者とも現状の仕組みの中で医療・福祉の一層の充実を叫んでいては先細りである。三方一両損の考え方の導入が必要となろう。


9/20(火)台風15号関連で終日雨 外来   
1:30起床。文献・新聞チェック。7:00車病院着。8:45-13:55外来、比較的少なかったが時間はかかった。16:00車帰宅。医学論文、歴史など。19:30夕食、20:30就寝。

「敬老の日」雑感 無縁・無援社会にしてはならない
 9月19日は高齢者を敬い、長寿を祝う「敬老の日」である。あらためて高齢者に感謝し、高齢者の置かれた状況を見直す日にしたいものである。

 ところで、私が購読している6紙と読売と毎日を加えた8紙をめくってみたが、社説で「敬老の日」を取り上げたのは3紙のみであった。例年ならどうであったか分からないが、ちょっと寂しい気がした。 社会の目は「敬老から軽老」に向かっていないだろうか。  さらに、外来で各年代の患者の10人ほどに19日は何の祝日か?と問うてみたところぱっと答えたのは3人ほど、考えてやっとこさ答えた4人、3人は何でしたっけ程度しか答えられなかった。祝日による休日を意識しない人はいないと思うが、何の祝日なのか?まであまり考えない方もいる。これは「敬老の日」に限らない。壁掛けの暦などで祝日は例外なく赤で示され一目で分かるが、何の日かは下の方に小さく書かれているだけ。  私は暦の祝日の表記は何の日であるかを大きく朱書するよう提案したい。数字などはなくてもほぼ分かる。これは教育的効果もあるはずだ。  医療の現場にいると高齢化の問題は頭から離れない。

 高齢化を数字的に見れば、日本の高齢化率は年々高まって来ている。総人口に占める 65歳以上の高齢者の割合は23%に達した。10年後には約30%になる。私ども夫婦も高齢者に入ってしまった。これからの日本の運営に進む高齢化は医療・福祉、その他の面で避けることは出来ない。年金の減額、皆保険の維持、国としての活力の維持をどうするのか・・。問題は山積している。

 高齢化を質的に見てみる。内閣府の調査では高齢者の約6人に1人、460万人が独居で、この10年で150万人以上増えている。これが10年後には630万人を超えると見積もられている。また、単身高齢者の男性の2割、女性の1割近くが「頼れる人がいない」と答えている(読売新聞)。無縁社会である。無煙、無塩、無鉛なら良いが、高齢者の孤独は重大である。高齢者は孤独な環境ではうつ状態に陥り易く、引きこもるし、運動不足になり、孤独死する可能性もある。数日前には石巻市内の仮設住宅で死後一週間ほどたった60代男性が見つかっている。警察の事情聴取に近くに住む方々はこの方について何も知らず、何も答えられなかったという。高齢化は防ぎようがないが、無援、無縁社会であっては困る。社会の仕組みを考えていかなければならない。私自身はもし生きながらえれば「孤老」に陥る有力候補者の一人である。何とかしなければ,と思っている。

 今年は東北3県では大変な状況を迎えている高齢者も多い。大震災で多くの高齢者が犠牲になったし、被災地でやりきれない喪失感を抱える高齢者は少なくないだろう。被災地の80歳以上の方々は、1933年の三陸大津波、60年のチリ地震津波を経験している筈であるが、その知恵、経験が今回の大震災ではあまり生きていないように見えてならない。  高齢者の方々は自然災害のみならず、戦前・戦後の苦労を経験した人達である。これらの経験が次世代,次次世代に言葉で直接語り継がれていく機会はとても少なくなってきたが,実に勿体ないことである。


9/19(月)敬老の日 雨夕方一時曇り 映画「四つの命」
2:00起床。新聞、文献、本読み等で過ごす。12:15映画「四つの命」観る。15:30自宅のFM受信環境再点検、調整。16:00-17:30自転車、13Km。手形山を往復登り満足した。19:00夕食、20:30就寝。

ラジオ NHK「らじる★らじる」が始まった(2)私のFM受信機より音が良い
 NHKで本年9月1日からNHKのラジオ第1・第2・FM番組をインターネットを通じて番組を提供している。「らじる★らじる」という妙な名前である。
 早速PCで聞いてみた。NHKの上記ラジオ番組を殆どノイズのない音で聞ける。これは革命的ですらある。AMはモノであるがFM放送はステレオで、これまた殆どノイズがない、驚いた。

 私はかつてはオーディオにかなり関心を持っていてFM放送からオープンやカセットなどに音楽を録っていたのであるが、ノイズ除去では満足したことはない。それなりの機能を持つFMテューナーを用意し、アンテナも3-5素子のをいろいろ試したがチュルチュル音を消すことが出来ず不満足な結果で終わっていた。 
   
 2008年11月からNHKのラジオ深夜便をオリンパスVP-10で連日2時間MP3で自動録音している。ノイズは出来るだけ押さえたい、とDXアンテナ製のブースター内蔵デジタル室内アンテナUS100Aを用いていてそれなりに満足してきた。しかし、半年ほど前からステレオ放送時のチュルチュル音が明らかに目立つようになった。我が家の無線LANとかWOWOとかの機器,家具の配置の影響かと半ば諦めていたのであるが、「らじる★らじる」でFM番組を聴いたところ殆どノイズ無しの放送に改めて刺激を受けた。

 こんなにノイズが少ないFMが聴けるのであれば、今までの装置を何とかしなければ、と本日午後にブースターを追加繋してみたが改善せず、結局アンテナを屋外に設置した。屋外と言っても風除室の中であるが、何とかスイートポイントを見つけ、受信状態はとても良くなった。ここまで改善すれば家では「ラジルラジル」に頼らないで済む。「ラジルラジル」が私を奮い立たせてくれた、と言うことである。

 「らじる★らじる」によって私のラジオ環境が既存の機器を含め一層改善した。とても満足している。次の希望は「らじる★らじる」を聴ける機能、MP3などで自動録音を持つラジオが市場に出ないか,と言うことである。AM放送にも録音しておきたい番組が少なくないからである。
 所で、TVの地上デジタル化のメリットは何だろうか。具体的に体感してみたいと思う。


9/18(日)台風15号の影響で降雨 重症患者対応  
1:30 起床、若干風邪気味。新聞チェックほかいつもの如し。13:00-16:30DVDにて「沈まぬ太陽」観る。その後一時降雨止んだ機会に手形山経由病院に。重症患者回診その他。19:00途中降雨に遭う、夕食、20:30就眠。

ラジオ NHK「らじる★らじる」が始まった(1) AMの音質極めて良好で満足 
 私はTVよりラジオ派である。わが家は私以外は親TV的である。

 TVは最近大々的宣伝のもと地上デジタルに移行した。アナログでは考えられ無いメリットがあるはずであるが、私はまだそのメリットを実感できていない。私は未だにTVは「on off」と「NHK総合」を選ぶことしかできない。

 一方、ラジオに関してはFM放送が開始された昭和45年頃以降今日迄大きなが変化はなかった様に思う。それが,久々の大ニュースである。
 本年9月1日からNHKのラジオ第1・第2・FM番組をインターネットを通じてほぼ同時に番組を提供するサービスが始まった。
 本放送ではなく平成25年度末までの試行でその効果を検証すると言う。目的として山間部など電波の入り難い地域、夜間の電波混信、鉄筋の建築物や住宅の普及などでラジオ放送が聴取し難い状況の改善のためと言うが、そんなことはない、ラジオ好き人間すべての人に朗報だと思う。

 早速PCで聞いてみた。NHKラジオ番組を殆どノイズのない音で聞ける。これは革命的ですらある。FM放送はステレオで、これまた殆どノイズがない。AM放送の場合、自宅はともかく職場などでは窓際にアンテナを這わせたり、ラジオを置いたりいろいろ工夫して聞いていたが決して満足すべき状態にはならなかった。自宅では比較的低ノイズで聞けていたが、音域が狭く低域寄りで満足できていなかった。これは受信機器の問題ではなく、AM波そのものの限界と諦めていたが、これからはパソコンを通じていい音で楽しめるのが嬉しい。

 ここまで来ると残念なのはラジオ第1・第2放送はモノラル放送だという事である。出来れば全部とは言わないが可能な限りステレオで放送して欲しい。AMにも音楽番組もあるし、曲が流されることは少なくない。現に、1:00-5:00amのラジオ深夜便はAMとFM放送は同じ内容であるが前者はモノラル、後者はステレオである。
 NHKにとっては番組作成上は何ら問題ないはずである。是非とも改善を望みたい。


9/17(土)曇天後雨それもかなり 歯治療 映画 「ルートイッヒ」観る
2:20 起床。いつもと同じ。7:00鯉に餌の後、秋高脇から手形山登坂試みるも3/4でダウン。手形山→外旭川13Km。11:30-12:00歯治療。14:30-18:40映画 「ルートイッヒ」観る。19:30車帰宅,夕食。20:30就眠。

映画(15)「プッチーニの愛人」 よく分からない作品であった
 ある映画館の上映作品は全部観る,と言う目標を立てた。
 映画「プッチーニの愛人」を観た。またも音楽関係の作品である。期待を持って観たが,終わったときには「???・・」で何が何だか分からず、殆ど楽しめなかった。

 私にとっての作曲家プッチーニはオペラ分野ではヴェルディに次ぐが、間には相当の距離がある。作品は「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥランドット」程度と、代表的アリアを数10曲しか楽しめていない。ブルックナーとマーラーとの関係も同じであったが,先月観た「マーラー・愛のアダージョ」はマーラーの曲を集中的に聴く意欲の源になって,お陰でマーラーの作品がグッと身近になった。

 今回もその効果を狙って観たが結果はそうはならない様である。プッチーニなる作曲家にはこんな一面もあったのか?知らなかったね,と言う程度になりそう。

 観る前に作品に関してある程度は調べて行く。1909年にプッチーニの家で働いていたメイド、ドーリアが自ら命を絶ったが、ドリーアの遺族は彼女に辛く当たったプッチーニの妻エルヴィラを告発し、スキャンダルへと発展した。これは「ドーリア・マンフレーディ事件」としてクラッシック愛好家にはよく知られている、とのことである。 が,私は全く知らなかった。美しいトスカーナの風景と名曲の調べが素晴らしい。音楽映画の傑作・・・と言う評もあった。

 女性の存在が大きな意味を持ったと思われる音楽家,作曲家は少なくない。ベートーヴェン、チャイコフスキー,ショパン・・、と挙げるのに事欠かないが、容姿端麗であったプッチーニの女性遍歴は群を抜いてたらしい。彼の奥さんがまたとても嫉妬深かったらしい。妻と愛人達との葛藤が彼の創造のもとになり、作品に色を添えたのではなかろうか。そう言えば,私は聴き取れないのであるが、プッチーニのオペラは微妙な女心の表現が素晴らしい、と高く評価されている。

 確かにトスカーナ地方の名勝地トッレ・デル・ラーゴの風景は美しかったが、名曲の調べは殆ど聴き取れなかった。
 私にとってはプッチーニの作品はまだまだ彼方にある。


9/16(金)快晴 ふき検診代診
1:30起床、文献新聞徒然他、7:00自転車病院。患者家族面談、入院患者対応他、13:00-15:00ふき検診代診。15:30-17:00帰宅、本日27Km。医学論文数編検討。夕食。20:30就眠。

日本の医療の現状と課題(10)皆保険制度(9)次の改訂はどういう発想で成される?
 政権交代後の診療報酬改定は本体でプラス1.55%であった。医療の現場を担っている立場から見て、決して満足すべき値ではなかったが、不景気、借金財政の中、評価すべきだろうと私は思っている。来年4月は診療報酬の改定時期に当たる。いま水面下でいろいろ進んでいるはずである。
 これがどういう発想で行われるかがこれからの日本のありようを示すだろう。

 本年2011年度の65歳以上の高齢者人口は前年比24万人増の2.980万人となり,人口比では23.3%となった。今後もこの傾向は続いていく。
 こんな状況の中だからこそ、医療・福祉サービスを拡充することは国民の望みであろう。しかし、現実は時の流れ共に困難に向かっている。わが国の医療保険制度の仕組みをみると、国民皆保険制度である。建前上は無保険の人はいないはずである。しかし、国保税を払えずに無保険者となっている国民が出てきている。

 皆保険は二大別すると国民健康保険と組合健保に分けられる。
 前者は退職者や自営業者が多く、加入者に高齢者が多い。患者の増加による財源不足は、そのまま保険料や国庫負担に転嫁される。一方、後者は企業が運営する保険で、加入者は若くて健康な方が多いので運用状態は国保よりは良い。増大していく医療費に合わせて徴収される保険料は国保のほうが高くなり、同じ皆保険の中にあっても格差が生じている。これを埋めるために後者は前者に保険料を援助している。

 皆保険が成り立つためには、■ピラミッド型人口構成■右肩上がり経済■患者が少ない、の条件が必要である。このどれもいまの日本は欠いている。更に、■被保険者が平等に医療を受けられる,と言う条件も加わってくる。なのに何時までも抜本的対策をしないのか?と思うが,結局は選挙に帰結する。

 保険料は自分や家族の健康危機管理と納得して保険料を払っているが、実際には自分達でなく多くが高齢者がつかっている。だから、基本的に不公平な制度である。更に、保険料はほぼ一律に徴収されているが、これが住んでいる土地とかの事情に応じて不公平が拡大していく。医療崩壊を来している地域に住んでいる方は負担金だけ取られて十分な医療が受けられない。医療・福祉、年金を含めた社会保障の費用は国民がもっと平等に負担するのが相応しいということになる。そうなると消費税が浮上してくる。

 税と社会保障の一体改革で民主党は消費税率アップを含む方向性を明らかにしたが,大事な財源論に関してはまたもやぼかして先送りにしてしまった。消費税に関しては方向性を明確にして国を挙げて議論を開始すべきである。私は他に良い方法があれば消費税でなくとも良いと思う。しかし、現時点では他の方法は思いつかない。仮に消費税アップで財政面で多少改善するにしても、いまの健康保険制度の医療給付をそのままにしてはやはり成り立たない,と思う。消費税20%ならば何とかなるらしい。しかし、10%以上をかかげれば選挙は戦えない。
 だから、先送り、が続く。国の経済は一層成り立たなくなる。


9/15(木)快晴 患者家族面談 外来 
1:00起床,医学文献、新聞他、6:55自転車病院着。一昨年はテニス用トランクス通勤は寒くて終了。7:00入院患者家族面談。8:45-14:30外来。15:30-16:45自転車帰宅、27Km。歴史少々勉強、夕食、20:45就寝。

映画(14)「ダンシング・チャップリン」  何だかよく分からないがとにかく観てみよう、と思った映画であるが、とても良かった。
   これは周防(すおう)監督の新作。珍しい名前の方で初耳では全く読めない。結構有名な方だという。登場人物は、バレエダンサーとして引退を表明した草刈民代氏(45)、仏の著名なバレエ振付師ローラン・プティ氏(87)、バレエダンサーのルイジ・ボニーノ氏(61)そのほかの方々のダンスをおさめた映画。この人たちのことは草刈氏を含めて今回の映画を観るまで全く知らなかった。周防氏と草刈民代氏はご夫婦だとのこと。

 ローラン・プティ氏は本年7月に死去された。草刈氏はバレリーナとして国際的にも著名な方であったらしいが昨年引退、ルイジ・ボニーノ氏も高齢で今後踊るにしても技能的には落ちていくだろうから、この映画はこの界で頂点に上り詰めた芸術家の貴重な映像になっている。勿論、偉大なるチャップリンの業績も挙げなければ片手落ちになる。

 映画の前半はバレエ演目「ダンシング・チャップリン」の公演までの準備状態を記録したドキュメントでいわゆるメーキング、と言われるもの。バレー界のことを全く知らなかった私にとって第1部はとても面白かった。トップダンサーの舞台裏での姿、表情、厳しい練習の一面を知ることが出来た。草刈氏のシューズの締め付けの強さにも驚かされた。

 5分間のインターミッションを挟んで後半が舞台のバレエ劇となっている。大体一本の映画の中に休みが入るというのも面白い。2人のバレエを追う第2部も見事だが、妻の草刈氏をカメラ追い続けた監督の執念を知る事が出来た。バレリーナとしての草刈氏を心から讃え、敬意をはらっていたのであろう。 ダンサーがバレエを作り上げる過程を撮った1部があるからこそ、2部の見事さがよく分かった様な気がする。

 この映画にはチャプリンの名作「ライムライト」、「街の灯」、「黄金狂時代」、「キッド」、「モダン・タイムス」、「犬の生活」などから着想されたとされているが、その辺のことは私には全く分からなかった。  この映画を通じてチャプリンのオリジナルの映画も観たいと思った。


9/14(水)曇り・快晴 外来 
2:00起床。文献・新聞。7:00自転車病院着。回診他。8:45-14:00外来+患者家族面談。17:00帰宅、本日27Km。歴史他。夕食、20:30就寝。

嘱託医生活(15)もう一つの目標 しばらく映画にひたってみよう
 私は常設の映画館で観た映画はまだ10本程度でしかない。
 盛岡で小学生の頃観たディズニー「ファンタジア」、仙台・新潟・宮古はゼロ。秋田では多分、30年近く前の「アマデウス」,昨年夏の「オーケストラ」,先月の「マーラー・君に捧げるアダージョ」今月の「ダンシング・チャプリン」、「プッチーニの愛人」だけと思う。映画館での観賞は振り返ってみれば、今回まですべて音楽映画である。
 他に上映する会など主催の映写会で「アンダンテ」「ふたたび」など、音楽関連中心に数本観た。アフガンの現状を撮した問題作「カンダハル」も観た。あとは、LDでの「東京オリンピック」、DVDで「おくり人」「シンドラーのリスト」程度である。

 ここ何年か、ラジオ深夜便で映画監督の話を聴く機会が何度かあり、映画への関心は高まっていたが、先月の「マーラー・・」を見て映画の持つ意義の一部が分かった様な気がした。本を読むのと同じ様な価値がありそうである。作品ごとに主張がありいろいろ考えさせてくれる。
 それに、私にとってはとても重要なのが、館の中がガラガラで、関係者には申し訳ないけれども、人混みストレスを感じないで済むことである。先週の「プッチーニの愛人」は客席の両端に二人だけであった。

 大画面と暗さ、画面に集中するか寝るかしかない環境だから集中することになる。だから得られるものが大きい。自宅でTV画面で見るのとは大違いである。
 私が通い始めた映画館の上映予定表を見ると週末だけであった。更に、年明けの2ヶ月は休館すると言う。多分観客が少ないためと思う。
 で、私は映画については経験不足で何とも評価できないから、休館前に上映される作品を全部観ることとした。今まで映画の意義に気付かず軽視してきた事への反省もあり、館の運営へもちょっぴり協力したい。その上で改めて映画について考えてみよう、と思う。


9/13(火)雨 外来 
2:00 起床、医学文献・新聞ほか。7:00車病院着、回診。 8:45-14:10外来。16:00帰宅、雨が止んだので手形山を秋田方向に登る。歴史勉強、夕食、20:45就寝。

野田首相(3)鉢呂経産相問題 失言閣僚=辞任を是とする社会の方がはるかに問題だ
 鉢呂経産相が東電福島第1原発の周辺市町村を視察した後、「残念ながら市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と表現し、更に非公式な場で、取材記者に向かって「放射能をうつす」という趣旨の発言をした。
 彼はメディアの派手な宣伝、世論のバッシングを受け、辞任を申し出て了承された。就任から僅か9日間での辞任である。前内閣で松本復興対策相が不適切な発言して引責辞任してから僅か2カ月目。

 私は直接聞いていないから何とも言えない。誇張した記事などから得た感想になるかもしれないが、この発言が何が問題なのだろうか?
 私は軽率でも何でもないと思う。松本氏のあの発言・態度とは一緒にすべきでない。「死の町」と同じ言葉に「ゴーストタウン」がある。現実にはそう表現するに相応しい状況下にある。メディアでは使われている。カタカナなら良いのか?私は「死の町」化した現状を広く伝え、強力に対策すべきだと思うし、住民感情を大事にするのは良いが腫れ物に触るような表現を是としない。放射能が移る?あり得ない事なのに。

 メディアが取り上げた意見・反響の一部である。こんな意見だけを並び立てて扇動している。逆の意見はなかったのだろうか?
■政治家としてというより一人の人間として疑問・失格■閣僚として、当事者意識の欠如 ■不穏当な発言だ■謝罪して訂正を■失言と子どもじみた振る舞いで被災民の感情を逆なでした■前内閣の失敗から何も学んでいない■失言の質、及ぼす影響などを考えれば引責は当然■「死」という表現は地元民を絶望の淵に突き落とす、うかつな発言■原発事故を所管する閣僚の重大な差別発言■軽率で情けない■避難者は大きく傷ついた■ この国の政治家たちは何をしているの■悪ふざけにも程がある・・・と枚挙に暇がない。

 野党はこの発言に対し嬉々として対応している。野田政権が低姿勢でスタートし、批判の声を大きく上げられなかった野党は、鉢呂氏をはけ口に口汚く非難している。野党は今後の国会審議で首相の任命責任を追及する構えだが、こんな下らん論争、足の引っ張り合いは国益を損なうばかり。野党は批判する能しかないのか?まるで遠吠えである。またまた、国会審議に無駄な時間が費やされる。

 私は閣僚に就任した後の半年ほどは助走期間として勉強してもらう時期にすべきだと思う。地位が人を作るし、不用意な発言はバッシングされる度に良い糧となる。? 
 似たような発言に、一川防衛相が「安全保障は素人」、小宮山厚労相が「たばこ1箱700円」説などもある。閣僚としてはメディア対応に不慣れなようで不甲斐ないが、三人とも実に正直である。こんな下らん発言を大きく取りあげるメディア側の方に問題がある。昭和初期の軍部による言論統制と本質的に変わらないことをメディアが現代では代行している。
 この件に関して冷静な対応を望みたい。


9/12(月)降雨 外来 
 0:30起床。新聞・文献チェック。歴史本。7:00自転車病院着、10Km。8:45-13:45外来。患者数少なかったが時間はかかった。15:30-16:25雨の隙間をぬって自転車帰宅、読書他、夕食、20:45就寝。

9.11から10年、3.11から半年(2)3.11の苦悩は綿々と続いている 
 東日本大震災から半年経過した。  不明者は全国で4086人、死者は15.781人、行方不明者は4.861人に上っている。福島県民は約6万人が避難生活をしている。  直接的に、間接的に被害に遭われた方々の気持ち、苦悩は到底知るよしもない。被災された方々はむしろ時間と共に不安や葛藤が増しているのだろうと思う。それに、放射線の影響で避難を余儀なくされたり、農畜漁業の方々への影響も甚大なものになっている。「お気持ちはよく分かります・・」などと絶対に言うべきでない。

 私は盆以後、新聞を3紙新たに取り始めた。河北新報、福島民報、岩手日報の3紙である。要するに、大震災、それに続く放射能汚染で最も大きな被害を受けた3県の地元紙を加えた、と言うこと。その理由は、盆の墓参りの際に宿で岩手日報を読み、従来から購読してきた3紙にはない、地元密着型の記事が豊富だったからである。勿論、従来からの3紙にも東日本大震災関連の記事が豊富に掲載されているが、隔靴掻痒の感があった。地元発の、オリジナル記事は味わい深い。何か明らかに異なる。大震災,原発関連の情報量も多いし地元の方々の切実な意見が読める。

 福島民報は郵便で二日遅れで、岩手日報は一日遅れで着く。これら6紙に毎日目を通すのは大変であるが、地方紙4紙の政治、経済,文化面等の記事は共同通信社からの配信を受けているためにほぼ共通で、記事を取捨選択して読めばそれほどの負荷にはならない。これらの記事を通じて被災地のことがより鮮明になった。  これらの記事から力を得ながら、私は復興支援金を岩手県に送り続けている。

 最近、私は近代日本の歴史をかじり始めているが、関東大震災の頃の日本と東日本大震災の背景がとても似ていて驚く。

 第一次世界大戦がもたらした好景気は長くは続かず、輸出が急激に減り、株価は暴落し、倒産する企業が増えていた。この状況下で1923年9月1日正午近くに、伊豆・大島付近を震源とするM7.9の大地震が襲った。死者・行方不明者10万6.000人、そのときの被害額は現在のお金に換算すると15兆円にも上るとされる。在日朝鮮人が暴動を起こす等の風評もあり、朝鮮人が多数虐殺された。復興に巨額の費用がかかり、日本の慢性的不景気は徐々に深刻になった。数々の政策の結果、日本の経済が立ち直りそうになった時に、1929年10月ニューヨークのウォール街で株の大暴落があり世界恐慌が生じ,わが国の経済は長い低迷期に入った。  なんか似過ぎているような気がしてならない。


9/11(日)晴 飯川病院日直 
2:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。8:30遠回りして飯川病院。歴史関連本読む。病棟は落ち着いている。古書店寄り、手形山経由18:00帰宅、夕食。20:00就寝。日直は動くことも出来ず大変であった。

9.11から10年、3.11から半年(1)9.11へ,9.11からも歴史は綿々と続いている
 9.11は世界にとって忘れられない歴史的な日である。  当時のブッシュ大統領は「21世紀の真珠湾・・」と日記に記したとされる。彼は国際世論に反してイラクとアフガニスタンでの戦争を仕掛けたが、ブッシュの方針に小泉首相はいち早く賛同し、自衛隊海外派遣を行うなど、我が国への影響も甚大なものがあった。

 オバマ時代になっても状況は殆ど変わっていない。5月、米国はパキスタンの潜伏していたビンラディンを探しだし殺害し,一応の一線は引かれたように見えるがむなしい戦いの終焉であった。オバマはアルカイダとの戦いは続けつつもイラク、アフガニスタンでの戦争行為は終結させていく意向のようである。  ここ数年前は米国に起因する大きな経済問題が生じた。全世界の全ての人々が影響を受けた。リーマン・ショックは住宅関連金融の破綻であったが,その背景には膨大な軍事費の支出に関連している。そして、8月、やっと回復しつつある世界経済は米国国債の格下げがあって国際的信用を失い、ドル安・円高の波がわが国を襲っている。

 いろいろな考えがある。ブッシュ時代のある高官は対テロ戦争で米軍兵士6.000人以上が犠牲になるなど多くの犠牲者を出し、1.3兆ドルもの軍事費を遣いながらも、本土へのテロ行為を含め、何10かの国際テロを防止しした,とその正当性を強調した。  私はこの記事を誌上で見て、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下に対する「投下は正当であった。これによって多くの命が救われた」とする米国高官の発言、世論と共通していると感じている。

 原爆投下は完全に国際法違反であるが,国際的な評価、制裁を一切受けていない。それだけでなく、第二次世界大戦は正当な総括が何処でも行われていない。ニュルンベルク裁判、東京裁判は全くそれに値しない異常な裁判である。このことが、結果としてビンラディン,アルカイダを産んだ。更に、米国の対テロ戦争へ踏み出しを許し、結果として多大な犠牲者を生じ、世界経済を混乱させることとなった。  今回こそ、国際第三者機関にて総括すべきであろう。

 米国、NATO加盟国で追悼式典が行われている。犠牲になった方々への哀悼の気持ちは万人に共通である。


9/10(土)曇り 映画:「プッチーニの愛人」鑑賞
2:00起床、新聞、文献チェック。6:20自転車鯉に餌やり10Km走行。午前は室内の整頓中心。歴史本は古代から近代までの入門シリーズ終了し、次のシリーズに入った。これは日本の近代史から着手。17:00映画「プッチーニの愛人」鑑賞。よく分からない作品であった。観客は二人のみ。19:30夕食、20:30就寝。

クロスバイク(2)注文したが、3週間待ち 最初は恐かった
 スポーティな自転車として、ショップが勧めてくれた国産のAnchorブランドのC9と言うクロスバイクに決め、注文の電話を入れた。返ってきたのは「入荷までに約1月かかります・・」という,機先を削ぐような答えであった。たかが自転車、と思っていたのでガックリ来た。自転車の購入はこんなにも面倒なものなのか。まあやむなし、待つことにも意義があろう、と届くまでの間、いま用いているマウンテンバイクでいろいろ下準備しておく事とした。

 サイクルコンピューターの積算が約100Kmほどになった9月5日の夜、ショップからC9の準備が出来た旨の電話があった。1週間ほど早めに届いたという。翌、6日受け取りに行き、身体計測の後、私に最も良い条件にテューニングしてくれた。最も重要なセッティングはクランクの下死点で膝が伸び切ることなのだそうだが、それじゃどうやって乗降するのか,このセッティングで大丈夫かな?と不安になった。あとでサドルを下ろそうか、とまで一時考えた。

 受け取って走り始めたが,とにかく乗車位置が高い。ふらつくし、変速のタイミングが分からない、ブレーキの位置が今までのと全く異なる、止まったときに足は付かない。そんな状態で何とか無事自宅まで走った。一言で言えば恐かった。オーバーな表現すれば,あたかもサーカスでピエロが乗る、背の高い自転車に乗った様なイメージであった。

 まず、練習である。サドルに座ったまま停止するのは無理で、足がつかずこけてしまう。停止前にスッと立ち上がり、停止時に前の方に降り立つ方法が私にとって良いようである。自宅の庭で停止、降車、乗車、発進を2-30回繰り返し、何とか出来るようになった。次いで自転車走路に出て変速機とブレーキのかけ方を練習、日暮れまでに、曲がりなりにも乗れるようになった。

 走り始めると別世界であった。ギヤは前3段、後ろ7段で27段階で,これらを上手く切り替えて走るととても軽く前に進む。多少の坂道もOKである。今まで使った、ママチャリ、いわゆる軽快車、マウンテンバイクとは別世界の走り心地であった。乗り始めてから本日まで5日間、通勤時のルートを往復とも若干膨らまして経験を積んでいる。メーターはこの自転車にしてから100Km,ヘルスチャレンジエントリー後としては200Kmを示している。


9/9(金)晴れ 入院患者対応 秋銀スタッフ来訪 歯治療
1:30 起床、新聞・文献他.7:00自転車病院着、回診、事務処理他。10:00秋銀スタッフ来訪。入院患者対応他。14:30年休1時間、歯治療。再度自転車、本日走行距離33Km。夕食、20:45就寝。

日本の医療の現状と課題(9)皆保険制度(8)再び、三方一両損の考えを 
 我が国の医療制度、特に国民皆保険制度についてはとても評価が高いが、この評価は大事な点を抜かしての評価であった。私も医療を受ける側にとって最高の制度だと思っている。
 しかし、国民皆保険制度は経済的側面から眼界に来ている。皆保険制度が敷かれたのは1961年(昭和36年)から半世紀、当時とは医療技術も疾病構造も大きく異なってしまった。
 
 より複雑化、高度化、高価化する医療のなかで皆保険制度が成立する条件は、

  1. 人口構成がピラミッド型であること
  2. 日本の経済が右肩上がりであること
  3. 受療者が相対的に少ないこと

・・の条件が必要である。 だから、単純に考えて、もう発足当初と同じ発想での維持は困難だろう。

1.人口構成については、最近出生率が2005年に最低の1.26迄落ち込んでいたが、2009年には若干増加に転じ1.37になった、と喜ばれた。一方、秋田県の高校生数を見ると1971年がピークで62.227人、それが最近の調査では3万人を割った。小中学生も減少を続けているから更に減少する。要するに、将来子供を産むであろう女性の数がほぼ半減した事を考えればこの程度の出生率の回復では人口構成の回復には結びつかない。

 2.日本の経済が右肩上がりになることは、恐らく将来的にも望めない、と思う。自由経済は格差を背景になり立っているのだから格差が縮み、競争力が失われると先進国の成長は停滞する。現にわが国はその最中にある。国家の収入が乏しくなって国民からの借金でまかなっている。その中で野田内閣は経済の立て直しを求められているが、この悪循環をどう断ち切るのか、私は注目している。

 3.上記を背景にしつつ、10年度概算で国民医療費を見ると36.6兆円で、8年連続最高を更新している。8年も連続していると言うことは抜本的対策をしなければ今後もこのまま続くと言うことである。

 この状況下で国民皆保険は持続可能なのだろうか? 私は国も、国民も医療関係者も患者も国民皆保険の維持のためにはかなりの痛みを分かち合わなければならないのだ、と思う。ここで小泉首相が掲げた三方一両損の考え方が思い出される。小泉首相の時は患者と医療機関の二方損で終わり、医療は荒廃したが医療の経済状態は何ら改善しなかった。

 皆保険維持のためには診療報酬を下げ、患者負担を増やすようなつじつま合わせの対策では解決できない。
 何か良い方法はあるのだろうか。


9/8(木)快晴 外来 +患者家族面談  
2:00起床。新聞・文献など。コイ餌→北高脇→秋田大学→明田経由で7:00病院着、回診ほか。8:45-14:00外来。15:35-16:30遠回り帰宅。文献。歴史読む。夕食、20:30就寝。

クロスバイク(1)簡易型サイクルコンピューター装着
 買うならスポーティな自転車が欲しい。  ところが、ショップでのやり取りから感じたのは乗り方も特殊だし、その特長を生かすにはかなりの体力も必要そう、と言うことであった。確かに、日常的にパルスオキシメーターで測る私の動脈血酸素飽和度は96-97%と低く、時には測定値が出ないほどの不整脈もある。身体も硬く,筋力も弱い。そんな私が果たして乗りこなせるのだろうか。

 不安になったので、自転車用簡易型のサイクルコンピューターCC-VL810なるものを現用のマウンテンバイクに取り付け、いろいろな状況を設定して自身の健康状態を評価してみることとした。高級品にはハートモニター付きのもあるが7-8万円もする。ここまで出費しなくとも自分の心臓の状態は自分で判断できるだろう。

 購入した製品は安価で最も基本的なデータしか出ない。時計、走行時間、全走行距離、部分走行距離速度、最高速度、消費カロリーだけである。いろいろな条件下、平地を出来るだけ高速を維持して,と言っても平均27Kmほどであるが、我慢できなくなるまで走ったり、途中で歩かなければならない様な長い坂登も何度か試みた。不整脈はむしろ軽減し,呼吸困難感もそれほどひどくはならなかった。これだと何とかなりそうである。

 それ以上に、このコンピューターは自転車の走行記録計にもなる。自分の走行が数値化されるのは面白い。病院往復は車で測定した距離より若干短く11.4Kmであった。運動のために帰路に遠回りして大学病院前を通り更に迂回すると15Kmほど加わる。加算されていくのが嬉しくて遠回りして帰る。ちなみに9月1日から本日の迄の走行の積算が140Kmを示している。

 で、体力的には何とかなるだろう,と見込みを付けた。競技用に近いのはロードバイクというのだがさすがにコレは私には無理だろうと考え,マウンテンバイクとの中間に位置するクロスバイクとし、機種は国産のAnchorブランドのC9と言うモデルにした。


9/7(水)降雨 外来 レガシー車検+マフラー交換修了
1:30 起床、文献検討、新聞チェック。激しい雨で7:00車病院着、回診他。8:45-14:00外来。内容的には比較的余裕。16:00帰宅、自転車北インター+α強風で辛い。レガシーワゴン車検+マフラー交換終了。家内迎え往復、夕食、20:30就寝。

野田首相(2)支持率60%超 こんな時に調査してどうする 支持と期待とは別もの
 共同通信社が9月2日-3日にかけて行った電話による調査で、内閣支持率は62.8%に上ったという。

 調査する方も,それに協力する方もちょっとおかしいのではないか,と思う。野田内閣はまだ始動したばかりで何も実績がない。実績は組閣人事のみでしかない。なのにどうして支持など出来るのか?
 私が調査の対象になったら、支持と言う言葉の定義から確認したい。私は世論調査の意義は無視は出来ないが、ことさら大きく取りあげ、世論誘導を行うメディアのやり方を不快に思っている。
 それに、最近、言葉が乱れているように思えてならない。私の場合,絶対に支持したくないが評価できる人間,あるいは期待している人間は少なからずいる。私にとって支持と,評価と,期待は別ものである。期待率調査ならより納得できる。

 記事によれば、1998年の小渕内閣以降の9政権中4番目に当たるという。8月末の菅内閣末期の支持率は15.8%だったから急回復と論じている。支持する理由としては「首相を信頼する」が歴代首相の中では最も高かったという(河北新報9月4日)。

 こんなあやふやな調査の数字を比較することの意義を共同通信社は何と考えているのだろうか。それともこんな事を取りあげる私がバカなのだろうか。大体、前首相が悪ければ新首相への期待は高まるのは当然である。調査しなくとも推定できる。

 首相の穏和そうな風貌と話し口、党内融和に配慮した人事、与野党協議等の呼びかけなどが国民にちょっとだけ良い印象を与え、評価されたのであろう、と思う。自らをドジョウに例えたのも面白い。タダ、総理のお陰で突然降ってわいたように話題を集めているが、ドジョウにとっては食べられる機会が増えると言うことになり、気の毒でもある。ドジョウたちは泥の中で、俺たちは今迄平穏に暮らしてきたのに突然こんな事になって、実に困った・・と悩んでいるかもしれない。

 私は野田首相の働きに期待している。


9/6(月)曇り後晴れ 書類処理日 自転車納入 
0:45 起床。文献チェックその他。7:00自転車病院へ。強風まだあり。7:30回診他病棟業務。10:00-11:00外来一部担当。16:00自転車帰宅。16:45サイクルショップに注文品取りに。別世界の乗り物であった。かなり練習しなければ危ない。18:00自転車練習帰宅、夕食、20:45就寝。

自転車(22)スポーツタイプの自転車に興味を持った
  私の退職に際し、子供たちが私に「長い間、ご苦労さん」と感謝と慰労の意味を含めて何かをプレゼントする様な話が出ていたらしい。「通販で買った超安物のマウンテンバイクに乗っているが、この際、自転車が良いのでは・・」とも、そんな話があることは私にもさりげなく聞こえてきてはいた。  私にとっては加齢による労働契約満了退職は昔から分かっていたことで、別にたいした事でもないし、次の生活のためには良い節目だと割り切っていたいたし、この年になって物品が増えていくのも嫌だし、「別に何にも要らんよ・・」と軽く聞き流していた。

 今夏、墓参りに盛岡に向かう車中で軽い渋滞にも巻き込まれたが、その際、車の閉塞感に対する嫌悪感やエネルギー消費のことなど、改めていろいろ感じるところがあった。この移動の中で、すれ違う大型バイクの楽しげな様子を見て、車検が切れてガレージの中に鎮座しているハーレーを誰かにあげてしまおうと決心した。退職したらハーレーを駆って四国巡礼にでも行きたい答えていたのだが、週5日間の勤務になったために諦めていた。来年ならば、と言う気持ちもないわけではなかったがそれも不確定である。  同時に、自分自身の力で移動することの爽快さをもっと追求したいと考え、急に自転車への興味が沸いてきた。

 自転車はいろいろ種類があるが、もうラストチャンスだろう、だからどうせ乗り替えるならこの際、思い切ってスポーツ車と言われるタイプが良いと考えた。あのタイヤが極細で、ドロップハンドル仕様でサドルがハンドルより高い位置にあって、ヘルメットを被って乗っている、競技用に近いタイプの自転車である。  それから文献を見たり、ショップを見たりし始めたが、読めば読むほど別世界のものらしい、果たしてこの歳で乗れるものなのだろうか、となかなか決め難かった。8月下旬にサイクルショップを訪れた。このとき何となくスポーツ車が良い、と考えていた私は、カルチャーショックを受けた。


9/4(日)快晴・強風 家内三陸に 映画「ダンシングチャップリン」
暑さで寝苦しくて 1:30起床、文献・新聞チェック。6:30三陸に向かう家内駅に送り病院、回診し帰宅。8:00-9:00自転車で斎場→天徳寺→外旭川。15:00-16:30自転車病院、重症者回診対応。16:30ー19:00映画「ダンシングチャップリン」観賞。19:20帰宅、夕食、21:00就眠,23:00家内帰宅。

嘱託医生活(14)「ヘルスチャレンジ2011」多項目達成を目指す
 9月1日は法人共済会主催の「ヘルスチャレンジ2011」と称する2ヶ月間のキャンペーンのスタート日である。
 「ヘ・チャ2011」は共催会員の健康管理と健康増進を兼ね,一人一人が目標を立てて楽しみながらチャンレンジするもの。項目は全部で14項目あって,「ジョギング100Km」、「休肝日二日以上」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目であ る。達成者には項目毎に図書券1.000円分、抽選で10名には10.000円のギフト券がつく。自己申告であるのが甘くて問題であるが、誤魔化すと心に傷を負うだろう。

 私は今回は「サイクリング200Km」、「週5日以上、腕立て伏せと腹筋運動、背筋運動を各20回以上行う」の2項目にエントリーしたが、自分にとってはこの2項目とも習慣としては簡単過ぎるので、「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」,「腹囲5cm以上、または、体脂肪率5%以上減らす」も目標にすることとし、更に、サイクリングは「500Km」を目標に設定した。
 折角環境が変わったのだからそれを生かさない手はない。だから、上記全項目を目指す。そのためにある種の投資を考えている。ただし、歳だから腕立て伏せは30度ほどの傾斜面を利用して行う。その代わり回数を30回以上とした。腹筋運動は通常に,背筋は薬研を転がして行っている。

 「ヘ・チャ2007」は「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目にエントリーし、 2.000円分の図書券を獲得した。「ヘ・チャ2008」は忘れた。「ヘ・チャ2009」は「ウオーキング60万歩」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目。ウオーキングは早々と脱落、1.000円分の券を獲得。「ヘ・チャ2010」は「サイクリング200Km」、「スリム3Kg作戦」の2項目であったが、後者は諸般の事情で失敗した。

 今回の正式エントリーの2項目は多分達成できるだろう。2.000円獲得を目標に頑張る。自己設定の4項目は、私の精神的、身体的緊張感の後押しをしてくれるものと期待している。

 次回から,・・と言っても私がエントリーできるとは限らないが何項目でもチャレンジできるようにしてもらえないだろうか。


9/3(土)大風12号接近で強風とフェーン現象で暑い  
 1:30起床、新聞、文献他。11:30ー13:00自転車散歩、強風で走行難。航空関連書籍自炊と廃棄他、18:00飯川病院にTV+ブルーレイ機器届ける。夕食、なでしこ苦戦中なるも 21:30に就寝。

日本の医療の現状と課題(8)皆保険制度(7) 英医学誌「ランセット」で取り上げられた
  日本の皆保険制度は患者側には優れたものと思うが、総合的に見れば、今日的には決して理想的なものではないし,現状のあり方のままでは存続が困難、いや不可能だと私は考えている。  この9月1日、英国の著名な医学雑誌「ランセット」は、日本の「国民皆保険制度達成50を記念」の日本待集号を発刊した、と岩手日報で報じられ、その記事を私は興味を持って読んだ。  新聞の紹介記事には、低医療費で世界一の長命を達成した日本の医療制度を高く評価している一方で、 国内では「医療崩壊」が叫ばれ、急速な高齢化や財政難、改革の先送りで、国民皆保険制度の持続性が危ぶまれている、と指摘しているそうである。

 記事によると、2008年時点でわが国の医療費は、GDP比でみるとOECD加盟国中20位でありながら、最良の結果を達成している、と指摘し、世界に教訓を提供できる、と評価している。しかし、医療分野の人材不足など現行制度の課題が浮き彫りになり、東日本大震災もあって、「低い経済成長と不安定な政治状況が、医療保険制度の改革を困難にしている」と分析している。  また、国から都道府県への権限移譲、保健医療分野での国際交流の活発化など四つの改革を提案している、とのことである。

 同誌のR・ホートン編集長は「医療サービスに格差が生じるなど、保険の質が悪化する危険な兆候が見え始めている。皆保険制度は改革の必要性は高まっており、政治はリーダーシップを発揮してほしい」と話している、とのことである。

   私はこの「ランセット」をまだ直接読んではいないが、注目すべき内容だと思う。これがどのような研究者によって記載されているか興味が持たれるが、わが国の医療関係者、為政者がもっと真摯に考えなければならない事項である。わが国の医療は外の目にどのように映っているかを知る良い機会になりそうである。

 一般的に スリランカやキューパの如く社会主義的制度の国では経済状態の割には高い保険医療が提供されている。一方で、医療制度がより市場原理化している国では、最新のの医療が提供されているのにもかかわらず、国民の満足感はさほどではない。わが国は医療の財政制度が社会主義的で、国公立の医療機関・公的病院は公的保護が受けられる。一方、地域医療の維持に大きく貢献している私的医療機関は市場主義的立場に置かれているという、不可解で不思議な構造になっている。  この辺のことも含めてどう評価されているのだろうか。この論文を早く入手したいものである。


9/2(金)曇り小雨午後晴れ 書類処理 歯科受診
1:30起床、新聞処理他。7:00自転車病院着。回診+病棟業務、退院総括他書類処理。1時間年休を取り、15:30自宅着。16:00-17:00歯科医院にて治療。処置受けている間に微睡んだ。歴史勉強、夕食、21:15就眠。

嘱託医生活(13)4ヶ月目に  週40時間労働を味わっている(2)
 15:30、患者が落ち着いていれば仕事を閉じてソソクサと帰る。みんなが働いている時間帯に一人帰るのにちょっと気まずい様な気もするが、このケジメを最大限大事にしている。今までがルーズ過ぎた。
 これから夕食までの間にいろいろやりたい項目を入れる。書店や古本屋でゆっくり時間と費やすこともあるし、講演会やコンサートにも足を向ける。

 最近ちょっと太ってきた。帰路を利用して自転車で運動することとした。当面の走行距離の目標は20Km/dayにした。今利用しているルートは横山金足線→大学病院脇のから太平方向に→自転車道路を添川に→再度横山金足線・・で自宅に向かう。大体これで1時間、20Kmで、朝の6Km加えるとちょうど良い距離になる。

 帰宅後、クールダウンして17:00頃から自分の部屋で机に向かう。今、歴史関連の書籍を中心にいろいろ読みふけっている。医学書、医学論文も読む。徒然の続きを書く事もある。この時間帯は同時に音楽を聴く時間でもある。私のソースは未だに殆どがレコードで、この3ヶ月で150枚ほど聴いたかな。購入はしていたもののあまり聴く機会の無かった曲、全集を取り出して聴く。初めてかけたレコードもある。殆どが1960年代の録音であるが、実にいい音である。

 19:00居間に移動、NHKニュース、雑誌等を見ながら家内の帰りを待ち、夕食となる。アルコールは飲まない。夕食が終わる頃には眠くなる。明朝,明日一日のために寝る。これが、標準的なウイークデイの生活パターンである。

 業務8時間、本読みと音楽、睡眠そのほかも各々8時間ほど、と今のところ夢のような、良いバランスで過ごしている。


9/1(木)雨 外来 嘱託医4ヶ月目に ヘルスチャレンジ2011 
1:30 起床。新聞・文献・航空関連書籍等。6:45雨で車、病院着。回診他、8:45-14:00外来。 15:30書店経由で帰宅。16:20-17:10小雨の中自転車で北インター往復、10Km。 歴史関連書籍他。夕食。21:30就寝。

嘱託医生活(12)4ヶ月目に  週40時間労働を味わっている(1)
 今朝、嘱託医生活4ヶ月を迎えた。感想を一言で言えば「こんな人生もあったのか!!」と言うところである。驚いているし、楽しんでいるし、苦しんでいる。

 今は週5日間、40時間労働である。かつては週休0日、業務は100時間超、寝ても覚めても業務から解放されることがなかったから夢の如くである。自分の時間が多くなったが、それ以上にやりたいことがあって時間が足りない。折角得られたこの貴重な時間、何時まであるか分からないから、もっともっと何か有意義なことが出来ないか、呻吟もしている。

 私の今のスケジュールは月から金曜日までの勤務で完全週休二日制。祭日も含め週末は基本的に自由である。例外は受け持ち入院患者が不調なときで、可能な限り電話で済ますが患者が苦しんでいる様な時、病棟スタッフが困っている様な時は病院に行くこともある。

 一日のスケジュールは、起床は1:00-2:00で、現役の時より早くなった。帰宅時間が早くなり夕食が1時間以上も早くなり、就寝時間もその分早くなった。平均20:45で、睡眠時間も若干伸びたような気がする。
 起床するとまず新聞と格闘する。最近は、朝日、赤旗、 魁、 河北、岩手日報、福島民報と6紙に目を通す。後者の4紙は共通の記事もあるが、量も多くて大変である。 読むだけでなく、興味あるところをPDF化する。 時間が余れば書斎に移動し、バロック中心のレコードをかけて医学論文を読む。これも良いところはPDF化する。徒然も書き始めるが、時間切れとなり、終わらない。

 6:00頃から出かける準備に入る。何度目かの朝風呂、次いで鯉の餌作りをする。家内が時々軽食を作り茶を入れるが、断らない。茶は魔法瓶に詰めて午後まで飲む。6:40自転車で、時には車で出勤する。途中、旭川の鯉に餌をやる。これがまた楽しい。

 7:00病院着、私の始業時間でもある。以降帰宅時間までの8時間、業務の密度は前より遙かに濃密になり、息抜きする時間は全くない。かつては在院時間が10数時間だったから、息抜きに読書や音楽を聴いていたが、今の部屋には何もない。無くても一切困っていない。息抜きする時間がないのだ。
 15:30、患者が落ち着いていればオーダリングを閉じ、ソソクサと帰る。ここのケジメを私は気持ちの切り替えのために最大限大事にしている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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