徒然日記
2011年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


1/31(月)曇り・降雪 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議 
12:00起床、ドック総括x1。新聞チェック、徒然。7:20病院着。7:45-8:35管理会議、8:45-14:00外来。14:00患者検査ほか。16:00療養判定会議(欠)、17:00-18:50長副会議。20:15帰宅、夕食、21:00就寝。

テュニジア、エジプトのデモ(2)ネット普及が若手に民主化の機運をもたらした
 中東の国家は王制、共和制と仕組みは違っていても強権的長期政権が多い。ベンアリ前チュニジア大統領は23年、ムバラク大統領29年、イエメンのサレハ 大統領20年、リビアのカダフィ大佐は41年も在位し極端に長い。これほどの長期政権は非民主的な手法によらなければ通常維持出来ない。ここでは軍を掌握 して国民の自由を大幅に制限しながらも、近隣諸国や欧米とは良好な関係を維持して国際的安定を図ってきているなど、共通の姿があるようだ。自由を尊ぶ米国 にとってはエジプトの民主化は是とせざるを得ないだろうが、対中東政策では現政権はとても都合がいい存在であるなど、中東各国の政権の安定は立場によって 複雑な意味を持っている様である。

 ムバラク大統領は息子への権力継承を目論んでいたとされる。長く権力を行使したトップが共通に陥る危険な選択一つが親族、特に子孫への権力委譲である。 過去の歴史の中ではこのことはそれほど不自然ではなかったであろうが、インターネット等で情報が飛び交い、若者達を中心にグローバル化の意欲や知識が浸透 しつつある現代、国民は不当な搾取と息苦しさに目覚めつつある。だから到底納得しないだろう。ムバラク大統領は息子への委譲を諦め、穏健対話派をされるス レイマン氏を副大統に指名したが国民は納得していない。近々100万人規模のデモがインターネットを通じて計画されていると言う。

 チュニジアの政変がエジプトに飛び火した背景に、両国のIT技術推進政策があり、インターネットが普及していたことが大きいとされている。ITの手法や インターネットを用いれば国民は距離的に離れている国のニュースを直ぐに見ることが出来るし、情報収集も出来る。集会を持たずとも互いの意思疎通、合意形 成が可能となる。国家がこれをすべて監視することは不可能である。

 イラン革命では力セットテープが、東欧革命では衛星放送が大きな役割を果したとされている。今は携帯電話、インターネットが重要な役割を果たしている。 情報収集手段の発達が民主化を促進している。その意味では隣国の中国、北朝鮮の民主化の動きは鈍いように思えてならない。前者ではインターネットは若者に 普及しているが、国が情報を操作しているとされるし、後者ではネットの存在自体がどうなっているか分からない。多分無いのだろう。世襲が3代も続く国では 国外の情報は国民に一切与えられていないかもしれない。


1/30(日)曇り・降雪 病棟拘束
0:30 起床、本読み、文献・新聞チェック。録音データ整理。7:30-8:30除雪9回目、9:00病院、9:30入院患者家族面談、回診他。12:30帰宅、 13:30-14:30除雪10回目と道路の狭い部分の排雪、数年ぶり。午睡若干、17:00長女帰秋、19:40夕食、20:15就寝。

テュニジア、エジプトのデモ(1)中東アラブ諸国に次々と飛び火するのか
 1月中旬にテュニジアで政変が起こった。中東アラブ諸国のことについては私は殆ど知識がない。
 テュニジアについては当院の非常勤医師の一人が年に一回医療支援で出かけていることで、若干興味を感じているだけであった。今回の政変で医療援助は中止になったが、報道を見て初めてテュニジアの政治、国民の置かれている状況を知った。医療的には国際援助が必要であるなど遅れた部分はあると言え援助の医師団を受け入れていることなどから報道にあるような圧政がなされていることなど全く知らなかった。報道で見る限り23年も政権を握ったベンアリ氏は政権の維持が不可能になったとして国外脱出し、サウジアラビアに亡命したと考えられている。

 崩壊した権力のトップの多くは民衆に抵抗し、事態が一層悪化していくが、ベンアリ氏の場合は比較的短時間で腹を決めた様に見える。恐らく、民衆の力の高揚を察知し限界を感じ始めていたのだろう。ベンアリ氏の逃亡後も民衆は一層の改革を求めてデモを続けており、一方では治安が悪化し略奪などもあって、まだ非常事態宣言は解除されていないようである。

 一週間ほど前から、今度はエジプトで大規模なデモが続いている。私のエジプトに対する知識は、恥ずかしながら地図上での位置と、遺跡を中心とした観光大国であると言うことくらいであった。有名な観光地ルクソールで過去に大規模なテロ事件が生じた時に何故エジプトで?と違和感を覚えたほどであった。その時はエジプトの圧政、国民が置かれている状況については考えが及ばなかった。 

 今回のデモに関する報道で、ムバラク大統領は在任29年という長期政権で、実態は自由のない強権政治とのことである。この非民主的な強権支配に、民衆の怒りが一気に噴き出した。切っ掛けはチュニジアの政変とされているが、それは引き金であって国民のエネルギーが蓄積していたということであろう。ムバラク大統領は閣僚を全員入れ替えるなどで生き残りを図っているようであるが、先週末にデモ隊と治安部隊の衝突が激化し、警察の銃撃などで100人もの死者が出ているとの報道がある。 むしろ事態は悪化しているようである。ムバラク氏は恐らく退陣に追い込まれると思われるが、経済的利権や政治的支配構造が複雑なエジプトでは強権的なトップが交代することで国の機構が一気に崩壊する可能性も指摘されている。

 中東アラブはテュニジア、エジプトと類似した政治形態の国が多い。似通った問題も抱えているようだ。だから、1989年に東欧で見られたような民主化の波が次々と伝播していく可能性がある。


1/29(土)降雪寒波 病棟拘束  
2:00 起床、家内はしばらく不在となる。ドック判定x2、新聞チェックなど。積雪5-6cmで6:00-6:45除雪9回目。 7:05病院着。回診など病棟業務。書類処理。10:00-11:30某診療所医師来訪、歓談す。16:00次男一家帰省。18:45帰宅、19:30夕食。21:30就眠。

石亀協子さんヴァイオリンリサイタル 素晴らしい一夜であった
 1月21日夜、秋田市のアトリオンホールで秋田出身のヴァイオリニスト石亀協子さんのリサイタルがあった。「大樹の雫」と銘打った初のCDの発売記念とのことである。

 ピアノは中川賢一氏で、演奏曲は■ストラビンスキー「イタリア組曲」■ブラームス「ソナタ第一番」 ■ケージ「ノクターン」 ■クライスラー「愛の喜び」「美しきロスマリン」 ■ラヴェル「チガーヌ」「ソナタ第一番」 、で他にアンコールとして「浜辺の歌変奏曲」ほかを演奏した。

 石亀さんは中学生頃まで秋田に住んでおられ、我が家の次男と加藤道子先生のヴァイオリン教室の同門生で、小学生の時から知っていた。そんな背景もあって数ヶ月前から楽しみにしていた会であった。
 当夜、石亀さんは上記の難曲を安定した技術で、豊かに弾ききった。実に素晴らしい会であった。私は終始固唾を呑んで聴き入ってしまった。何度も聴き慣れた曲であったが、彼女の表現の中に新発見がいくつもあった。会場で家内がCD「大樹の雫」を購入した。これも素晴らしい録音である。当日演奏された曲が収録されているので当日聴けなかった方にお勧めである。

 石亀さんは小学生の時から技術、表現力ともダントツで、年に一回の教室の発表会では難曲を引きこなし、将来が嘱望されていた。中学の頃に東京に移り、浜離宮朝日ホールにてデビューリサイタルを行い、桐朋女子高音楽部、ウィーン国立音楽大学、リューベック国立音大学へ進み、研鑽を積んだとのことで、現在はフリーで世界各地の音楽祭から国内のコンサートまで幅広く参加して演奏と後進指導を行っている。 仙台フィル、東京フィル、東京シティ・フィル他のオーケストラと共演したとのことである。

 秋田ではソロリサイタルは今回が初めてと思うが、アトリオンオーケストラ演奏会には時折賛助出演をされていたし、秋田大学の創立記念祝賀会等でも演奏していた。2008年8月31日にはアトリオンオーケストラ第29回定期公演「秋田から世界へ 郷土が生んだ若き音楽家たちによる協奏曲の祭典(1)」で、松尾葉子指揮の下でモーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調「トルコ風」を演奏した。この時、石亀さんは特に緩徐楽章を美しく演奏したことを思い出す。
 これを機会に、今後も定期的に秋田で演奏会を催されることを望みたい。


1/28(金)晴れ後降雪  福祉施設スタッフ来訪打ち合わせ 法人理事会 新築関連打ち合わせ会議
2:00 起床、ドック処理、文献チェック他。積雪7-8cmで6:00-6:45除雪8回目。7:10病院着。回診、11:00福祉施設スタッフ来訪打ち合わせ。文献整理他、新規入院重症患者対応。退院総括、紹介状など。途中でオーダリング不調に。17:30-18:10法人理事会。 18:15-19:28新築関連打ち合わせ会議。 20:50帰宅、21:30就寝。

寄付文化の育成はこれからの国の運営を左右する
 タイガーマスクの善意、これには多少の問題があると思うが、これを考える中でわが国の寄付の実態はどうなっているか?と興味を持った。

 わが国には寄付文化が育っていないと言われる。米国などの主要先進国では民間機関がそれぞれの国の寄付のレポートを公表し寄付への感心や意欲の高揚などで有益な働きをしてきた。しかし、日本ではそのような集計はなく、日本社会の寄付の全体像や変化が見えず、統計的にも不明であった。

 そのような背景もあって、この度「日本ファンドレイジング協会」なるところが昨年「寄付白書 2010」を発行した。インターネットを利用した調査で5.000人ほどから回答を得たという。それによると2009年の個人・法人の寄付額は、日本は1 兆395億円で個人が53%、その他が47%と個人よりも法人が多い。米国は25兆4196億円で個人が83%、英国は2006年のデータであるが1兆 9386億円で個人が71%となっている。
 わが国は総額も小さいが個人の寄付の割合が小さい。個人の寄付の内訳は、共同募金約20%、災害支援約10%、日赤7%、国際協力6%等であった。この個人寄付の額を国内総生産GDP比率で見ると米国1.4%、英国0.68%、日本は0.12%と経済力の割合にはとても小さいことが分かった。また、一年間で寄付をしたことのある家庭の割合は、米国66%、英国54%であるのに対して日本は34%と低い。寄付した方の一人あたりの額は1.5万円ほどだと言う。

 日本人には、税金を納めているのだからこれ以上寄付する必要はない、との考えがあるようだ。また、日本で寄付が広がらない理由の一つに「寄付の使途が不明確」という声がある。だから、受げ取った寄付の使い方が分かるような惰報の公開は必要である。

 わが国の経済は厳しい状況にある。歴史的にわが国では多くの事業を行政や私企業が担ってきたが、これらだけでは手の届かない社会問題はが増加し、まかないきれなくなりつつある。国の負担を広げるには増税が問題になる。わが国の政府は経済的には既に破綻していて国の借金は900兆円ほどになるが、一方では個人金融資産は1.500兆円、企業の手元流動資金は200兆円もあるとされているので、民間や企業からの寄付は今後の国の運営にとても重要である。
 わが国にも寄付文化が育っていくこと、育てることが重要と言うことになる。私は比較的ケチな方であるが、日本人全体はそんなにケチな国民ではないはずだ、と思っている。


1/27(木)晴れ・降雪 外来  研修管理委員会 療養病棟診療部会議 
2:30起床、文献チェック他、7:00病院着、回診。8:45-13:50外来+ドック説明。16:00-16:50研修管理委員会、17:00-17:45療養病棟診療部会議。20:30帰宅、夕食21:30就寝。

匿名化、顔の見えない社会はまずい(12)匿名は責任の放棄

 全国で児童養護施設などに匿名でお金や物が届けられた。善意は善意として大いに支持するが、マスコミに大きく頻回に取りあげられることで次々と連鎖した面も否定出来ない。その面ではマスコミが果たした意義も小さくない。

 ただ、マスコミは何故こぞって今回の件を取りあげたのだろうか?
 朝日新聞の12月中旬頃の社説には「施設はこれまでも、様々な善意に支えられてきた。地域の飲食店が食事をふるまったり、篤志家がスポーツ観戦に招待したり。そうした営みはとりたてて光が当てられることもない。・・・」と述べているが、マスコミが自身の報道姿勢を示していてとても面白い。私は、本来この様な地味な、かつ継続的な活動ほど注目されるべきだと思っているのであるが、マスコミはハチの眼と同じで動きの乏しい対象は視野に入らないらしい。

 わが家ではほぼ定期的に各所に寄付をさせていただいている。ユニセフ、あしなが育英会、国境のない医師団、自然保護団体、音楽関連団体などであるが、自然災害への義援にもそれなりに対応している。私は少額であってもしっかりと記名して送っている。時折、家内宛に見知らぬ所から領収書と感謝の手紙が来ることもある。

 匿名というのは格好が良いが、例え善意であっても無責任な行為である。物事には必ず表と裏がある。寄付や贈り物が全て結果が良いと限らない。特に物品の場合は事後に問題が生じることもあろう。ランドセルが、数の関係で当たらない子どもが出たらどうするのだろうか。余ったらどうするのか。衣服が大量に送られた施設では善意に感謝しつつも費用をかけて処分せざるを得なかった、と言うところもあったと聞く。寄付する場合にはこの様な結果についても責任を負わなければならない。匿名は責任の放棄であり、何ともしようがない。

 寄付行為は貴重である。社会の全てにわたって行政が、税金でカバーするのは不可能である。これからの日本は特にそうだろうと思う。わが国は経済的に豊かな他の国に比べて寄付と言う面では貧しい国と言われている。寄付行為が文化になっていない。とある国では、これは米国のことであるが、経済格差の大きい米国では社会のために「身の丈にあった寄付をする」ことが一つのステイタスになっているのだそうだ。わが国でも徐々にこの様な考え方が広まってくれば良い、と思う。

 朝日は社説の中で更に、「景気も厳しい冬だ。タイガーマスクが灯したのは、子どもたちに加え、日々を忙しくやり過ごしている普通の市民の気持ちだったのでは・・・。だとしたら、善意を効果的に届けるには、寄付文化を根づかせるには、どうしたらよいか。照れや気負いの覆面を外し、考えるきっかけにしたい。」と述べ、結んでいる。

 腰の据わった寄付文化を育てるためには、まず匿名という、一見格好の良い、無償の善意、等と評されるような暖かい善意のレベルから一歩超えて陽の当たらない領域を自分も参加して支えるのだという意識が求められる。


1/26(水)晴れ・寒波若干緩む 外来 設計会社スタッフと打ち合わせ 秋田大学関連病院協議会 
2:30起床。新聞・資料チェック、徒然。6:20Taxi病院着、6:45回診他。8:45-13:10外来。15:00-16:15設計会社スタッフと事務局との打ち合わせ。18:00-17:00秋田大学関連病院会議、中座。20:00帰宅、21:00就寝。

匿名化、顔の見えない社会はまずい(11)募金も寄付も匿名でない方が良い
 昨年暮れ、前橋市の児童相談所に人気漫画であった「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」の名前入りの手紙が添えられたランドセル10個が届けられた。その後、全国で児童養護施設などにお金や物を届けるという現象が同時多発的に起きた。このことをめぐってマスコミも一斉に取りあげていろいろ論じている。

 私は「伊達直人」を知らなかった。てっきり「菅 直人」をもじった名前と思ったのであるが違っていた。伊達直人は約40年前の人気漫画アニメの主人公の名前とのことで、覆面レスラーの彼は出身の孤児院にファイトマネーを贈り続けた、と言う。そのことを知っている方がその名前を借用したのであろう。「伊達直人」からの贈り物はその後も各地で次々と報じられた。数10件はあったようである。男鹿市観光協会にもなまはげ関連で使って欲しいと現金10万円が届けられたという。

 善意のお金や物品を受け取った施設はどこでも歓迎しているようだし、マスコミの論調も、投稿欄に取りあげられた読者や有識者の意見も総じて大歓迎としている。中には「日本的な善意」と表現して新しい寄付文化を醸成する機会になればいいと評論している。  
 確かに、自己の損得とは無関係に寄付や支援を行う「粋」で美しい行為と言うべきであろう。昔からわが国では罵志家と言われる方々からの寄付、あるいは募金活動にお金を入れるといった「草の根の寄付」が良い意味で支持されてきたが、最近は両者ともすたれつつあるという。

 貴重な善意であるから、反対意見などある筈もない、と言いたいところであるが、私は「善意」は大いに支持するが「匿名での行為」は是としたくない。それは、匿名による他人に対する中傷や悪意が許されないとのと同じで、例え善意であっても「匿名を是とする考え方」、「匿名で出来る」という風潮に共通の問題点を感じるからである。送り主は何故、匿名にしたのだろうか。


1/25(火)曇り 外来 常務会  県健康作り審議会感染症部会エイズ部会 医局カンファ(欠)共済会ボーリング大会
2:30 起床、ドック判定総括、文献チェック。7:15病院着、回診、紹介状等。8:45-14:10外来+ドック結果説明。14:45-16:00常務会。 16:45-18:00県健康作り審議会感染症部会エイズ部会。18:10共済会ボーリング大会。メンバーと懇談、22:00Taxi帰宅、22:15就 眠。

4年振りのボーリング
 3週間ほど前に共済会ボーリング大会の案内が来た。事務処理に追われていたから気分転換兼ね久々参加しようと思った。療養病棟のスタッフを誘い、2チーム8人で参加した。

 申し込みの時点では運動不足の家内も誘って帰宅前に練習し、200点を目標にしたのであるがスケジュールが合わず、かつ家内が思いがけず体調を崩したことで一度も練習出来ないまま本日を迎えた。
 ボーリングは4年振りだろうか。前回もこの大会だった。会場は同じであったが、ボーリング場そのものの名前が変わっていた。経営者が変わったのであろ う。前はボーリング以外にも卓球とかのいろいろな施設もあったように思うし2階にもボーリング施設があったような気がしたが今回は3階のみ。靴借用のチ ケットが300円もした。私の記憶では未だに50円のままだから些か驚いた。

 かつては15-16ポンド?のボールを使ったが、本日は体力を考慮、13ポンドと軽いのを選んだ。自分は2ゲームで300点と不満足の結果であった。回 転をかけずに投げたのでこんなものだろう。チームは高年齢の4人で、看護師3人は途中でバテたので私が代行した。勿論、ルール違反だから記録は番外とな る。結局、私は6ゲーム分も投げたことになる。後半は足腰が疲れてまともに投げられなかったがいい運動になった。終了後、反省会をかねて全員で夕食を摂り ながら懇談したが、気分が高揚していたからかいろいろ話が弾んだ。

 楽しく過ごしたが、私にとっては過剰な運動量となった。タクシーに倒れ込む様に乗り込み、自宅の雪に足を取られながらふらふらと帰宅した。夜半には予想 していた通り左下肢に激しいこむら返りが生じ芍薬甘草湯の世話になった。いつもの如く早朝起き出しているがもう全身の筋肉痛が始まっている。これから数 日、歩行、特に階段を降りるのが辛くなるだろう。楽あれば苦あり、である。


1/24(月)降雪・曇り 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床。ドック判定、新聞・文献チェック他。5:45-6:45降雪約10cmで除雪7回目。7:10病院着,路面は雪で狭まい。 7:45-8:30管理会議。病棟対応他。10:00-11:00安全管理者・事務長との打ち合わせ。16:00-16:40療養病棟判定会議。 17:00-19:30長副会議。20:30帰宅、夕食、21:15就寝。

医師の事務作業時間は平均2時間57分(2)私は連日事務作業に追われている
 私は比較的病状が落ち着いた慢性期の患者が入院する療養病棟の患者を受け持っている。一時は受け持ち患者が30名ほどであったが最近は20数名ほどとやや少なめであるが、一般病棟にも7-10名ほどいるので患者の受け持ち数としては院内でも多い方である。

 療養病棟の患者は高齢だから、徐々に弱って死亡される方、急変し死亡する方もおられるし、施設や慢性期病院への転院、いわゆる居宅系とされる施設のショートステイ、グループホームへの退院のほか、自宅に退院し、医師、訪問看護師、ヘルパーなどの援助のもとで在宅療養する患者もいる。
 患者の入退院時、主治医として用意すべき書類はとても多い。「紹介状」や「介護保健の主治医意見書」、「訪問看護の指示書」、「身体障害者申請」などで私は何時も看護師、病診連携室、ケースワーカー達から催促されている。更に、診療記録管理委員会からは退院総括が遅い、と指摘されている。要するに、患者関連の書類に追われる日々である。

 本日、血液疾患患者のお一人が輸血目的に入院してきた。輸血の副作用で外来輸血は危険なので二日間だけの入院で輸血が順調ならば明日退院予定である。
 この患者に本日と明日私が用意する書類や入力手続き項目は以下の如くである。

 ■入院予約と食事等の決定■輸血前検査を含む入院時検査予約■簡単に病歴聴取と入院カルテ記載■輸血用血液確保手配■輸血伝票作成■入院時診療計画書作成■栄養管理計画書作成■DPC入力■輸血治療経過観察表チェック■退院登録■退院時処方■退院時カルテ記載■退院総括書作成
 この方は病状が落ち着いており定期的入院だから面談や診察時間は10分ほど。各々の書類はほぼワンパターンなので書類作成の時間は少なくて済む。それでもゆうに2時間はかかる。この患者は当院に通院するので紹介状や返事、福祉関連の書類は不要なのでこの程度で済んでいる。それにしても実に多い。

 各種の書類の中でも最も時間がかかって大変なのは退院患者の総括書である。
 年末年始休暇も、その後の休祭日も出てきてかなり処理したが、本日午前にやっと2010年11月分の退院時総括を終了した。実に大変な作業であった。年末までのデータでは私が主治医であった患者が210人退院して190人分総括を仕上げた。小児科、産婦人科領域では更に患者回転が速いから総括書も多いはずだが、そう苦労しているようには見えない。大したものである。

 医師に診療外業務を担わせるのは無駄である。外来、入院共に患者数が多いと診療に時間が取られて疲弊する上に、追っかけてくる事務処理も多くダブルパンチである。私の場合は他に一泊ドックの診察、判定総括、結果説明もある。長期間こんな状態にあるからだろう、私の仕事に対するモチベーションは年と共に萎えて来た。というか、体力的に持たなくなった。

 他の医師のことはよく分からないから私の場合を例にした。私の場合は一般的とは言えないだろうが、分かることは医師の業務のかなりの部分が事務処理で、こんな状態を放置したままで医師不足を論じても意味がない、と言うことである。
 医師の医療外業務を軽減することは喫緊の問題である。 


1/23(日)快晴 病棟拘束  
2:30起床。ドック総括x5、新聞・文献チェック。近所の方に大型機械で道路、庭先の除雪して頂き一安心した。14:00病院へ、重症患者回診、退院総括、19:30帰宅。ドック総括x1。20:00夕食、20:45就寝。

医師の事務作業時間は平均2時間57分(1)更に更に減らすべき時間だ 
 医師不足が叫ばれている中、医師の診療外業務が一層増えている。医師をもっと診療に直結した業務で働かせないと勿体ない。人的資源の浪費である。医師不足は直ぐには解消しない。だから、何とかしなければならない問題である。
 国でもその事情が分かっていて医療秘書員の配置を診療報酬の中で認めている。私が勤務する病院でも医療秘書課が充実しつつあり、私の業務の周辺でも「保 険会社様式の診断書の作成」、介護保険関連の「主治医意見書」、「訪問看護指示書」等の下書きの作成を担っていて、私がチェックし必要部分を加筆して最終 的に仕上げている。私の負担はこれでかなり軽減され、これらに関しては重圧・ストレスから完全に解放された、と言って良い。

 医師がどれだけ診療外業務に従事しているかの評価は重要である。しかし、評価に足るデータがなかった。
 この度、新医療施設開発振興財団助成「医師と医療関係職種の役割分担を推進するためのオーダリングシステムのアーキテクチャ再構築研究班」、と言う呆れるほど長い名前の研究班の調査結果が報告された。
 研究班は、徳島県が緊急雇用対策事業の一環として行っている「医師事務作業補助者導入推進事業」の実施7病院に勤務する医師187人にアンケート調査を実施し、63人から回答があった。回収率は33.7%。

 その調査によると、 医師の事務作業時間は平均2時間57分で、医師が最も負担だと感じている作業が「保険会社様式の診断書の作成」や「紹介状の返書の作成」であった。 医師の事務作業の主たるものは「外来カルテの記載、23.2分」、「退院総括の作成、20.1分」、「紹介状、19.5分」、「紹介状の返書、17.7 分」、「保険会社様式の診断書、12.6分」であった。
 また、医師事務作業補助者に委譲したい事務作業として、医事課経験者には「レセプトに添付の症状詳記の作成」、病疎・外来クラーク経験者には「外来カル テの作成」、未経験者には「カルテ・画像検査結果などの物的整理」などを委譲したいとの声が多かった。研究班は調査結果について「医師にとって事務作業が 大きな負担になっており、その軽減が急務であることを顕著に示している」としている。(上記の資料部分は2010年12月14日のメディファックスを参照 し、一部表現を改変した。)

 この調査の回収率は33.7%と低かったのは残念である。医師を対象にした調査は一般に回収率が低い。いろいろ事情があるだろうが、情報発信の機会であるだけにもっと積極的に対応して欲しいと思う。
 また、医師の事務作業時間は平均2時間57分と言うが、週5日間の平均なのか、土日祭日を含めた平均なのか紹介されていないのが残念である。多分、前者 であろう。いずれにせよ、平均2時間57分に対して私はたったこれだけ??と思う一方で、ゼロにはならないだろうが更に更に減らすべき時間だと思う。


1/22 (土)寒波・曇り 病棟拘束 患者家族面談 来客 
3:00 起床。ドック判定総括他、いつもの如く。積雪7-8cm、5:45-6:45除雪7回目。道路の細い部分積み上げが困難になった。7:15病院着、回診その他病棟業務。総括、入院証明書ほか懸案事項処理。16:00帰宅、家内の旧知の看護師4人来訪歓談、夕食。17:30−20:00就寝。ドック関連業務他、23:00就寝。

人は何故笑う(3)動物も笑う、らしい
 考えても何の得にもならないが、人は何故芙うのだろうか?とフト思った。
 その際、多分、動物は笑うことはないだろう、笑うことは人と動物の決定的違いの一つで、この違いに著しく大きな意味がないはずはないと考えた。

 その後「動物も笑う」という内容を紹介するメールをいただいた。
 内容は脳学者の茂木健一郎氏の著書「笑う脳」の内容の紹介であった。氏によると「動物も笑う」と言う仮説はチャールズ・ダーウィンが「偽の警告仮説」と言われる重要な仮説を打ち立てている、と紹介しているそうだ。外敵を発見した一匹が仲間に危険を知らせる警告の叫びを上げた後、外敵が去ったり、間違いだとわかった瞬間にニヤッと顔の筋肉を弛緩させた表情を見せ仲間の緊張を解く。つまり、一瞬にして仲間たちの緊張と不安を和らげるサイン、それが笑いの起源なのだ、との説である。

 笑いとは、仲間たちを安心させるための行為にほかならず、死や緊張・不安・恐怖といった感情と切り離すことのできない感情で、生来、笑いと死の恐怖は表裏一体の関係なのだ・・・と茂木氏が、付け加えているとのこと。

 上記の如くのアクションが動物にあることは知っていたがそれを「笑い」と同質ととらえていることは知らなかった。茂木氏の著書「笑う脳」は書店でよく見ることが出来る本である。氏の著作は多い。多作である。そのこともあって今まで手に取ったことはなかったが、動物の笑いについても言及しているのであれば読まないわけにはいかない。
 読むべき本がまた一冊増えた。楽しみでもある。


1/21(金)曇り晴れ 患者家族面談 石亀協子recital 
2:00起床。人間ドック判定他。7:10i病院着、回診他、10:00入院患者家族面談。書類処理。19:00-18:45石亀協子recital。21:50帰宅、22:30就眠。

表情を隠すためのマスク着用(2)匿名化、匿顔化共にまずい風潮だ
 中学生、高校生中心にマスクで自分の素顔の一部を隠す目的で年中マスクを手放さない子たちが徐々に増えつつあるらしい。理由は、顔を隠すことで安息が得られるから、と言う。その効果は確かにある。現に私自身もそう感じている。

 顔は重要な個性の現れだから顔が出ていれば、その表情を頼りに何らかの方法で個人識別される可能性がある。だから顔は個性であると言う一方、経歴と同様、あるいはそれ以上に重要な個人情報だと言うことになる。
 最近個人情報保護が重視されているが、私は行き過ぎだと思う。匿名化が高じて個人の情報を提示しなくなると、次にとる行動は匿顔化、こんな言葉があるのか知らないが、と言うことになる。究極は透明人間願望なのだろうと思うが、これは実現性のない空想の世界である。
 顔を隠す手っ取り早いのはサングラスであり,深々とした帽子であり,更に覆面である。また、成形手術という方法もある。かつて英人教師を殺害した犯人は個性的な顔貌していたが逮捕時全く別人の顔をしていた、ことを思い出す。
 イスラム教徒の女性はコーランの教えに従い人前で顔を隠す。その中でレベルに応じて頭からすっぽりかぶり顔全体を覆い尽くすブルカ、目のところが開いたニカブ、顔だけ出すチャドル、髪だけ覆うヘジャブというのもある。英仏独伊・ベルギーなどでは社会の安全対策のために公共の場で身元を隠す様な衣装を着けないよう求めている。

 これら顔を隠す小道具や服装は、隠すつもりが寧ろ目立ってしまうし、日本の社会ではどちらかというと否定的にとらえられる傾向がある。その点、マスクは顔を隠す効果は乏しいものの着用そのものが問題にならない。むしろ、咳エチケットとして着用を推奨されているし、花粉症対策として手放せない人もいるから認知されている小道具である。着用理由を問われても何ら臆することなく答えられる。たまに咳でもしてみせればまず容認されるだろう。

 問題は、社会の中で、例え一部分であれ顔を隠すという考えが当たり前になっていくことである。匿名化がまかり通りつつあると言う、困った風潮と発想は共通である。挨拶、笑顔は人間関係の中で「自分はあなたに敵意を抱いていません」という大事な意思表示でもある。だから、一部分であれ顔を隠すという発想は社会を殺伐とする。暴力沙汰、いさかいが増える可能性がある。

 私はいろんな理由で病院ではマスクを着けていることが多い。部屋で一人で書類処理している時も大抵着けている。ものぐさでいちいち外すのが面倒だからである。こんな私でも訪問者、来客と会う際にはマスクを外す。あるいは無精髭が酷いときなどは、着用のままの非礼をわびてから面談する。それが、礼儀だと思っているからである。


1/20(木)降雪、寒波 外来 エーザイKKスタッフ来訪 保険事業団スタッフ来訪
2:00 起床、昨日新幹線でも十分寝たが眠い。ドック判定総括他、5:50-6:45除雪6回目、給油。今年は秋田も多い。7:20病院着、回診。 8:45-14:30外来+人間ドック結果説明。 15:00 エーザイKKスタッフ来訪、薬剤情報を得る。 16:00県保険事業団スタッフ来訪、打ち合わせ。20:30帰宅、夕食、21:30就寝。

表情を隠すためのマスク着用(1) まずい風潮だ
 新型インフの流行でマスク着用の人が増えた。私も感染予防に、咳エチケットとしてマスク着用を推奨しているし、一昨年秋以降は外来・病棟回診に出るときは必ず着用している。

 私自身、最近マスクを離すことが出き難くなってきている。
 その理由の第一は感染防御・蔓延防止であることは論を待たない。加えて、最近は高齢の患者で耳が遠い方が多いために、診察時に会話する際にどうしても接近しなければならない。会話の途中でつばが飛んでくることも希ではないし、私が飛ばしているかもしれない。臭いも気になることがある。これも多分お互い様である。このようなことで人間関係の中でのエチケットの一つとして私はマスクを利用するようになった。
 その他、私はひげを剃るのが嫌なので無精ヒゲ隠しには重宝している。喜怒哀楽の表情隠しの効能も否定は出きない。少なくとも、診療の場では医療者側も患者側もマスクをつけていることにそれほどの違和感はない。

 ただ、最近気になる風潮が出始めているようである。数日前の朝日新聞の記述にあったのであるが、中学生、高校生中心にマスクで自分の素顔の一部を隠すことで安息が得られる、との考えから年中マスクを手放さない子たちが徐々に増えつつあるらしい。ある高校生は「完全に外すのは飯、風呂、寝る時だけ」という。素顔でないと「先生に怒られている時、マスクをしていると、聞き流したり反抗したり出来る」という効果も述べているようである。

 顔を隠すことで安息を得る事が出来ると言う心理効果は確かにあると思う。私自身もそう感じることもある。
 バイクに乗るときにフルフェイスのヘルメットを被るとホッとするものがある。個人の特定がし難くなることと、表情が読まれ難いと言うことによるのだが、だから乱暴な運転、非常識な行動を取るわけではない。特に、人との対話の時、例えバイクへの給油などの際でも私はヘルメットを外すし、書店などに立ち寄る場合も当然で、互いの顔を見ながら対話することは社会人としての最低限の礼儀である。


1/19(水)秋田曇り・仙台快晴  院内感染症対策委員会(欠) 東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議
2:00起床、文献チェック他、7:00病院着、回診他。10:30病院発、こまちで仙台。14:15-16:30東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議、17:38こまち帰秋、20:15病院。16:00院内感染対策委員会は欠。23:00帰宅、就寝。

今年は真冬日が続き、雪が多い 日本海側のハンディは大
 本日は東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議で仙台に出張した。同じ東北でも気象の差に唖然とさせられた。
 出発は11時近くのこまちだったが、病院裏口でタクシーに乗るまでの僅か10数mの間も新雪があり、転倒しないかと気遣いした。ここ毎日が転倒を意識した生活である。今年は新雪の下に氷の層があるために本当によく滑る。転倒して骨折し搬送される患者も例年以上に多い。

 こまちが県境の山岳地のトンネルを抜けた途端にそれまで曇っていた空が雲一つ無い快晴に変わった。内容は全く逆だが「国境のトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。・・・」で始まる作品の情景を思い出した。
 盛岡は若干の積雪があったが秋田より少ない。北上を過ぎると平地には殆ど雪がなくなった。仙台市内は雲一つ無い快晴、温暖で自転車やバイクが車に混じって行き交っていた。羨ましい限りであった。
 今年はいつもよりも寒い。しかも、秋田でも真冬日が長期にわたって続いている。北極圏の気圧が高いために偏西風がいつもより南下し、北極の寒気団も南下しているとのこと。この逆の場合暖冬になる。この動きを北極振動というのだそうだ。原因はよく分かっていないとのことであるが、平成18年豪雪の際にも同様の現象が見られていたという。
 今年は県南を中心に大雪である。県内の7市町村で豪雪対策本部などを設置したとのことで平成18年豪雪以来らしい。湯沢市では民家屋根の一部が雪の重みにより壊れたほか、国道108号では一時通行止めとなった。屋根の一部が壊れた民家は80代夫婦の二人暮らし。この様に県内各地では高齢者の所帯が雪の被害をもろに受けている。高齢者の雪下ろし関連の事故も多発している。医療過疎も大変であるがこの広大な秋田県では高齢化も相まって問題は大きい。冬の高齢所帯対策が改めて必要となる。場合によっては集団避難も考えなければならない。
 県内では出張の前日は18日、故障や強風などでJR各線と空の便に運休や遅れが出ており、本日の仙台出張も順調に行けるか危ぶまれたが、少なくとも私が利用したこまちは往復とも時間通りに運行された。
 わが家のヘソの緒付き胎盤状の道路、敷地も除雪が大変である。毎朝、時々窓から外を眺めては除雪するか否かを決めている。やるとなれば今年は5:30からで約1時間かかる。除雪機は今期もう5回活躍している。購入後25年経つ古い機種でそろそろ息切れしている。ここ数年、せめて今期だけは動いてくれ、と祈るような気持ちで、感謝しつつ大切に扱っている。


1/18(火)曇り 外来  法人常務会  新築関連打ち合わせ会議 医局新年会
2:00起床、ドックなど処理。7:10病院着、回診他、8:45-14:15外来、14:45-16:10常務会+ 新築関連打ち合わせ会議。18:30医局新年会。20:40酔って中座、21:00帰宅、21:30就寝。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(5)期待権
 わが国は心情を大事にする文化、国民性の土壌がある。
 医師に関して言えば、「医師の応召義務」、「医は仁術」、「医師・医療関係者はかくあるべし」といった行動上の期待が大きく存在している。医師は特別の存在なのだ、と言う前提が根強くある。これは有り難いことであるが、それに相応しい対応があってのことである。しかし、ひとたびトラブルが生じると増幅因子となる。

 私は、医師を志す人たちは大学進学の前からも、医学教育の中でも、また、医師になってからの臨床研修の中で、病める人たちの状況を理解し、自らいかに行動すべきかを学びとり、医師としての心得を身につけている、と思っている。そうは言っても、医師も、患者も、社会の構成員も同じ人間であり、たまたま医師になれただけであって、医師だからと言って選ばれた特別の人間ではない。医師としての行動規範は学び取って身につく。だから「医師は特別の存在なのだ」という勝手な位置づけをされては困る。
 求めるならばそれに見合った対応が用意されなければならない。

 医療は基本的に危険行為である。しかも、不確実性がある。医師免許を持っていない人が同じことをやったら傷害罪に問われる。だから、医療行為によって患者に有害事象が生じることも少なくない。だから医療行為の前には必ずそのメリット、デメリット両面からその意義を説明し、同意を得ることが必須である。それでも、時には損害賠償責任が発生する事態になる。その要件として、従来は、■ 診療に過失があった、■患者に不利益が発生した、■過失と生じた不利益間に因果関係が明らか、の3点であった。

 ところが、 昭和50年以降は患者に不利益が発生した場合に、過失との因果関係が立証されない場合であっても、「患者は、過失などのない、標準的で安全な医療を受けることを期待するのが当然である」という立場から「患者の期待権」という、新たな概念が導入される様になった。
 これで医療側は一層厳しい状況に押しやられてしまったが、この「期待権の侵害」は相当に明らかな場合にのみ認めるべきとの判断を最高裁は示している。今後の判例の蓄積が待たれるところである。

 この 、医師は特別の存在なのだ、と言う前提と受ける医療に対する期待権なるものがあるために「一連のプロセスは理解は出来るが、その過程や関係者の態度に納得は出来ない」という事態が生じうる。その際、医師の診療姿勢や態度、服装や顔の表情、説明内容にまで及ぶ。


1/17(月)曇り・降雪若干 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議 
 2:10 起床。文献検討.ドック、徒然。7:15病院、積雪5cm、7:45-8:30管理会議、8:45-14:30外来,混雑。16:00療養判定会議、17:00-19:10長副会議。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

インフルエンザ2010-11年(8)AH3亜型からAH1pdmに置き換わりつつある
 昨年の今頃は新型インフルエンザの流行が落ち着き、全国的受診者数も明らかに減少して来ていた。今期、2010-11年のインフは流行開始が遅かったが、現在急速に増加しつつある。

 例年、インフルエンザは12月から1月にかけて流行期に入っていた。 遅かった2006年でさえ12月中にパラパラと検出されていた。今期は流行そのものは2006年に類似した様相を呈しているが、途中でウイルスが変わりつつあると言う特異な状況にある。
 昨年11月の段階ではAH3亜型(A香港型)が中心で、鷹巣病院の感染もA香港型であった。年末12月6-12日の週以降は次第にAH1pdm(新型インフH1N1)が増加し、直近の5週間は検出検体584件中AH1pdmが半数以上と最多で、次いでAH3亜型(A香港型)、B型の順となっている。
 先週私共の病院に入院した例は気がかりな検査値を呈したためにPCR検査をお願いしたが結果はAH1pdmであった。県の環境衛生センターの非公式な回答では検討した数例は全てAH1pdmであったという。14日の新聞報道では県内の定点医療機関では3.95人、最も多いのは秋田市保健所菅内の8.55 人であったという。この時AH1pdmが1例となっているからその後急速に増えたのかもしれない。私も感染症評価委員として若干関与している秋田県感染症発生情報<週報>の一部を図に示した。

 疫学的に見て新たなインフルエンザ発生により、それまであった流行が頓挫したことは過去に何度かあった。現に2009-10年は新型インフの流行で国内外共にAソ連型、A香港型は殆ど出ていなかった。今期は途中で置き換わりつつある。何故だろうか。ウイルスの問題か、罹患する人間側の抵抗力の問題なのだろうか。よく分からない。

 昨年の流行から分かったことは、AH1pdmは AH3亜型より若い年代が罹りやすく、しかも重症化例は小児に、死亡例は働き盛りの年代に多かった。だから、これからの流行に関しては昨年罹患が少なかった20-40代と5歳未満はより危険である、と言う視点に立たなければならない。
 この年代の方々はインフワクチン接種を受けることにあまり積極的ではないし、あまり勧奨されている様には見えないが、罹患予防にワクチン接種は大事である。これからでも受けて欲しい、と思う。


1/16(日)曇り 病棟拘束 
23:30早すぎるが起床、やや体調不良。ドック判定総括その他、新聞チェック、文献・録音データ整理。午前若干微睡む。13:10ユニセフ関連の活動に参加の家内を送り病院。総括・書類処理など。18:30帰宅。20:00夕食、20:30就寝。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(4)理解と納得の狭間(1)

 患者や家族の方からいろいろな意見が届く。対応出来る内容の際は早急にことを進めるが、私共の病院では到底対応が出来ない内容もある。どちらにせよ御意見を戴くのはとても有り難いことだと思っている。

 ただ、深刻な内容もある。即ち、後に紛争に発展する可能性のある、「医療内容や対応、結果に納得がいかない」との申し出も頻回に来る。この「納得がいかない」と言う内容のが最も対応が難しい。 
 「納得」は定義もあいまいだから、私共はこの言葉がどのような意味で用いられているのか分からず困惑する。同じ「納得できない」であっても「理解出来ない」と同義で使われることもあり、「一連のプロセスは理解は出来るが、自分たちの立場では納得出来ない」という様にも使われる。「理解」は法律用語であるが、「納得」はそうではない。この様に「理解」と「納得」は似てはいるが非なる言葉であり、概念である。

 何らかのトラブルが発生した際に、あるいは予想される場合には、私共は両者を区別して事に当たることになる。私が最近受け持った、90数歳で、かつ全身状態も相当に悪化したある患者のご家族は「病気の状態、全身状態の説明はよく分かりました。でも、更に重症化したり亡くなる等ということは、到底納得出来ません・・」と言われた。その後も家族の気持ちをくんで十分に説明したが最後まで納得いただけなかった。最近、この様に身内の死を受け入れることが出来ない家族が増えてきているような気がしてならない。

 「納得」はより心情的な言葉であ理情緒的要素が大きい。医療そのもの、医療者の対応、説明には理屈として、知的には「理解は出来る」が、結果・過程には心情的には納得がいかない、と言う意味であろう。
 医療事故、医事紛争を予防するために、あるいは生じた際にも客観的な内容を中心に患者・家族が理解するに足る説明を質的に、量的にも繰り返して行わなければならない。ただ、心情的な部分の「納得」に関しては入り込む余地はないし、法的にも心情的部分に関してまで説明を尽くす義務はないとされている。

 私どもはあくまでも誠心誠意対応していくしかない。


1/15(土)曇り・降雪 病棟拘束 ドック結果説明 患者家族面談 
2:10起床。ドック関連x1、新聞・文献チェックほか。積雪10cm、5:45-6:30除雪。7:00病院着、9:00ドック結果説明。10:00患者家族面談。15:00帰宅、午睡他、ドックなど。19:00夕食、20:00就眠。

秋田ゾンタクラブ(3) 新年チャリティパーティ 演奏:三咲順子氏ほか 
 1月12日夕、秋田の某Hotelにおいて秋田ゾンタクラブの新年チャリティパーティが行
われた。
 要するにディナーショーと言うべきもので演目は三咲順子氏の一人語りと秋田大学付属小学枝四年生男子による独唱であった。副会長である家内への手前もあったが、本音は三咲氏の語りを聴きたかったから出かけてみた。200名ほどの出席で9割以上がそれほど若くない女性で占められていた。席は舞台の間近の正面で、最も良い席であった。

 三咲順子氏は11月6日(土)Viewホテルで開催された「ヒューマンクラブ創立40周年記念---講演と音楽で充実のひとときを」という催しで一度お聴きしたことがある。その時は何か場違いの所に迷入した感じで、舞台から離れた末席で聴いた。この時は、何も知らないモンだから、さわりを聴いたら中座しようと予定していたのであるが、三咲氏の演奏に引き込まれて最後まで聴いてしまった。ピアノを弾きながらの一人語りで、演目は「白いジャンパー」。機会があれば、もう一度聴きたいと思いながら会場を後にしたのだが、この時出席されていた秋田ゾンタクラブの会員?から希望があってこの新年チャリティパーティに再度登場願ったとのことで私にとっては幸いであった。
 三咲氏は国立音楽大学教育音楽学科卒。ピアノ、声楽、テナーサックスを学んだとのことで、前回初めて聴いたのであるが、結構有名な方らしい。国立音楽大学教育音楽学科卒で、「一人語りの朗読シリーズ」は好評で全国で開催され、病院や老人ホームでも演奏しているとのこと。今回も翌日には秋田市内のある病院でも演奏が予定されているらしい。また、1992年度「東京きもの女王」、「東日本きもの女王」に選出されたという。
 確かに、間近で見るとスタイル、表情ともとても洗練された方であった。演目は『いつもレモンを買う女」。街の商店の老夫婦と若い女性のやりとりが中心の演目で、見事に弾き語った。その後、「ビリーブ」他2曲をピアノを弾きながら美しく独唱した。今回は良い席で氏の表情を含めて技能を十二分に楽しめた。

 秋田大学付属小学枝四年生男子による独唱であった。全国レベルの大会で上位入賞したとのこと。まもなく変声期を迎えるであろうがその前に機会を得て多くの方々に聴いて頂きたいという趣旨なのだそうだ。かなり緊張していたようであるが、☆子鹿のバンピ、☆おお、プレネリ、☆森の水車、☆フニクリフニクラ、を綺麗なボーイソプラノで歌った。会場には驚嘆の声が上がったが、予想していた以上の、と言うことであろう。まもなく変声期を迎えるだろう様子が時にうかがわれた。
 私も小学校低学年まで田舎のイベント、学校の行事の際に何度か舞台に立ったことを懐かしく思い出した。

 驚いたことが一つ。舞台上には小型のグランドピアノが設置されていたのであるが、黒の側面、脚には運んだときに付いたのであろう、手アカ?と言うか、手の模様が一面に付いていた。最初気付いたときにはにわかには信じられず、何かの模様か??と思ったのであるが近づいてみると明らかに触った跡であった。スタッフの方にそれとなく注意しておいた。某Hotelにおいて、としたのはそのためである。


1/14(金)曇り・寒波続く 県感染症分科会 法人理事会(欠)
2:00起床。寒波が続く。ドック判定総括x2、文献検討。7:15病院着、回診他病棟対応。15:00ー17:30県感染症部会と記者への説明。法人理事会は欠席。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

元鷹巣町長岩川氏(3)懲役1年求刑された 秋田魁新聞記事の見出しは問題
 一昨年4月の北秋田市長選をめぐり、 元鷹巣町長岩川氏が買収・事前運動の公職選挙補法違反で逮捕された。
 昨年7 月15日に一年振り保釈されたとのニュースには驚いた。
 私はこの事件についての詳細は分からないし、岩川氏を支持しているわけではない。シロか否かも分からない。氏と県医師会の応接室で一度お会いしたこともある。あまり話は弾ま無かったことを覚えている。

 一年もの長期間の拘留の理由は黙秘権行使をしたためだろう。憲法で被疑者は不利益な供述を強要されない、公判廷でも質問に対し供述を拒むことができる、と謳われている。いわゆる黙秘権である。供述調書に納得出来なければ署名捺印をしなくて良いことになっている。被疑者にいろいろ権利は認められているのだが、最近の検察関連の不祥事を見ると事実はどうなのか、と疑問に思う。

 黙秘権の行使に対し不利益を与えることは出来ないが、検察側が悪しくとることは否めない。そのような中、1年間も黙秘し続けた岩川氏はかなり強靱な方と思われた。
 で、1月13日の秋田魁新聞に検察側が岩川氏に対して懲役1年を求刑したことが報じられた。私はこの記事を見て、特に見出しの扱いに報道機関としての矩を超えていると思った。

 見出しと記事の内容は、以下の如くである。見出しは『北秋田市公選法違反事件 岩川被告に1年求刑 検察側「悪質で反省ない」』。記事内容は「2009 年4月の北秋田市長選をめぐり、公選法違反の罪に問われた元鷹巣町長岩川徹被告の第9回公判が12日、秋田地裁であった。検察側は論告で「金銭的困窮につけ込んで買収しており悪質。反省の態度はみじんもない」などとして、懲役1年を求刑した。来月9日に弁護側が最終弁論を行い結審する(以下省略)」。

 記事は恐らく記者が公判を傍聴して記述したものだろう。検察が述べた内容に準じていて誇張はないだろうが、「悪質」、「反省の態度はみじんもない」言葉を本当に使ったのだろうか。使ったとしたらどのような文脈の中で、どのようなニュアンスでに使われたのだろうか。それについて聴いていない立場では何とも言えない。

 ただ、私は記事の見出しの3行目は相応しくないと思う。無い方が良かった。検察側が「悪質で反省ない」と言う観点から述べただろうから嘘ではないとしても、新聞記事の見出しとしてこの表現が用いられたことで、読者が受けるインパクトは極めて大きいと思う。岩川氏はまだ有罪になったわけではないのに、この記事で「悪質で反省ない」悪しき人間であるとのレッテルが貼られてしまう。しかも、検察側の一方的な意見である。もし出すのであれば弁護側の意見も見出しに並べるべきである。

 氏は裁判で法に照らして有罪か無罪が決まる。それまでの間は『推定無罪」である。なのに、新聞記事が予断を持って一方の意見を採り上げた事で社会的に裁断した事になる。私はこのような扱いに関して読者の側でも意見を発信しなければならないと思う。未決の内容に関して報道機関は淡々と事実を記載すればいいのだ。
 なお、最近記名記事が多くなりとても良いと思っているが、この記事は何故か無記名であった。


1/13(木)曇り・寒波続く 外来 ドック診察結果説明  新築計画説明会
14:05起床。ドック判定総括x2。文献他処理。6:15除雪、吹きだまりは10cm以上の積雪、風強く除雪困難。7:10病院着、回診+病棟業務、8:45-14:30外来。総括など。17:30-19:20新築説明会。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

秋田ゾンタクラブ(2)今年の新年チャリティパーティ 演奏:三咲順子氏ほか 
 1月12日夕、秋田の某Hotelにおいて秋田ゾンタクラブの新年チャリティパーティが行われた。
 秋田ゾンタクラブは創立20周年目とのこと。現在会員数は18名で家内が副会長をしている。今までは県医師会の新年宴会と重なるのでホテルの隣の会場に居たものの出席は出来なかった。今年はフリーになったので時間はとれる。立場上、協力せざるを得ないことと、プログラムにある演奏内容に惹かれて出席した。

 「ゾンタ(ZONTA)」という名称はアメリカ先住民スー族の言葉に由来し「正直で信頼」という意味とのこと。いかなる党派や宗派にも属さない、女性の地位向上を目的とし、各種のプロジェクトへの参加、奉仕活動をしている団体である。国際ゾンタクラブは当日のパンフレットによると1919年アメリカ・パッファロー市で誕生、女性の地位向上、杜会奉仕、国際理解を深めることによって世界の平和に貢献する国際奉仕団体で、68ヶ国に約1,200クラブ、会員数は33,000人とのこと。ユニセフ、ユニフェム、UNHCR等の国連関連の活動とも直結し、種々の活助を行っている。

 ゾンタの国際奉仕は国連との協力関係のもと国際経済社会奉仕会の総顧問ので会議への参加や提言を行い、国連女性の地位委員会でも活躍している。国連との連携事業としては、■ルワンダにおけるHIVの母子感染予防、■リベリアにおける母子健康促進とケア、■スリランカの農村女性への技術指導、■ニジェールのHIV感染女性のための融資と保健指導、その他。ゾンタの奨学金制度としては、■アメリア・イアハート奨学金(航空関連の料学や技術を専攻する女性に授与〕、■J.M.クローズマンマン奨学金(事業化を目指す若い女性に授与〕■YWPA奨学金(奉仕活動で活躍する高校生に授与)など。その他、女性と少女に対する暴力を防止するための戦略として活動資金を提供したり啓発活動を行っている。
 秋田ゾンタクラブは会員が小さな団体である。ロータリークラブ、ライオンズクラブ、ソロプチミストなどに比較して知名度は少ない。小さいながらも地域奉仕にも力を入れ、チャリティ・コンサート、ギフトフェアなどの収益による寄附支援、災害支援、ゾンタ賞、健康セミナ一、子宮頸ガン予防の啓蒙運動その他を行っている。
「秋田ゾンタクラブでは会員も募集中です。ご賛同頂ける方がいらっしゃいましたら声をお掛け下さい」とのこと。これは家内からの伝言である。

 新年チャリティパーティは端的に言えばディナーショー。本日のプログラムは、■秋田すぎっちファンドへのチャリティ寄付贈呈、■ピアノと歌とひとり語り一三咲順子の世界「いつもレモンを質う女」、■秋田市内の小学校四年男子の独唱と言うことで興味を持った。


1/12 (水)快晴・曇り・寒波 外来 患者家族面談 秋田ゾンタクラブ新年チャリティパーティ
1:45起床。ドックなど。7:00病院着。回診+病棟業務、。 8:45-14:45外来-ドック診察+ドック結果説明。15:00患者家族面談2件、18:00-20:45秋田ゾンタクラブ新年チャリティパーティ参加、22:00帰宅、22:30就寝。

菅首相(23) 問責決議と内閣改造  国民軽視の醜い権力闘争
 菅直人首相が小規模な内閣改造を決意したらしい。昨年の臨時国会で参院の問責決議を受けた仙谷官房長官と馬淵国土交通相の処遇も固まりつつある。驚いたことに、立ち上がれの与謝野氏が離党し民主党に参加する、とのニュースも飛び込んできた。入れ替える閣僚の数の上では小規模だろうが大きな改造である。

 私は分からないが、参院の首相や閣僚に対する問責決議は政治責任を問う意思表示であるから軽視してはいけないが、問責決議に法的拘束力はない。問責決議を受けたからと言って野党側がそれを盾に辞任を求めたり、国会審議を拒否するなど、駆け引きの一つであることは認めるがどうかしている。
 与党は情けない状況にあると言えるが、野党はもっとひどい。小沢氏問題を含め互いに権力抗争を繰り返し足を引きずりあっているだけにしか見えない。こんな重大な時期にあるというのに、国民軽視である。日本の政治は一体どうなっているのか。

 問責決議は野党にとって強い武器となるらしい。決議に反して閣僚を交代させない場合、審議を拒否することで政権を窮地に立たせることができるとのことである。法的根拠がないはずなのにそんなことが認められているのだろうか。よく分からない。例えそれが認められていることとしても与野党が均衡している今の日本で、野党が審議ボイコットという戦術を取るのはあまりにも幼稚である。審議拒否は国会議員、政党として持てる義務の放棄である。尤も、過去に民主も同じ手法をとって自民党の閣僚を辞任に追い込んだことがある。だから問責の応酬である。バカな事を・・と思う。

 馬淵氏についてはよく知らないが、仙石氏の問責の原因は自衛隊に対して「暴力・・」と発言したこと、尖閣問題などの采配などの判断に対してとされる。後者について結果的にそれなりの非はあろうが、リアルタイムに決断を求められる厳しい立場にあった仙石氏としてはその時点では妥当な判断したのであろう。その結果が問われるならば仙石氏自身が国会の場で釈明してからの辞任で良い。

 与謝野氏は年末に連立の仲介を担ったとされる。結果としてたちあがれの中での支持を得られなかったことで苦しい立場となった。たちあがれを離党したあと民主党への入党するのだろうか。入閣が取りざたされている。彼の政治手腕は優れているのだろうが、古巣の自民に対してどれだけ切り込んでいけるのか、期待はしているが立場が変わった今の氏はの手腕は未知数である。


1/11(火)快晴・曇り・寒波 管理会議 外来  法人常務会 療養病棟判定会議(欠)医局カンファ 長副会議
2:00 起床。業務若干。文献チェック。7:10病院着、積雪2-3cm。7:45-8:15管理会議、8:45-14:20外来。14:45-16:25常務会。16:00療養判定会議は無理で欠席。 回診、17:30-18:45医局カンファ。18:50-19:40長副会議。新入院対応、21:20帰宅、22:00就寝。

人は何故笑う(2)微笑は奥が深く不可解な笑い
 笑いの中でも大笑い、高笑いは時にはわざとらしさがあることもあるが、多くはあまり作為的ではない、生理的な身体表現の一つで、理解するのも単純である。英語で言えばlaughである。
 一方、微笑は英語ではsmileとされる。英語ではこれら以外の笑いを示す単語はあるのだろうか?私は不勉強にして知らない。微笑とは一般的に良心的な状況における「ほほえみ」を示すが、これを大笑い・高笑い以外の笑いと定義した場合、実に複雑怪奇な種類があり、効能がある。決して良心的な笑いだけではない。むしろ逆の方が多いような気がする。

 喜怒哀楽の表現の際にも微笑あるいはそれに類似した笑いがあり、更にあざけり、ねたみの笑いなど種々の心理状況に於けるいろいろな種類がある。これらを一つ一つ挙げるよりは「笑」が付いた漢字を並べてみる方が現実的である。こういった意味で用いるならば日本語の漢字や熟語は実に意味深な言語だと分かるし、漢字、熟語を作った先人の思いの深さ、感情の鋭さが感じられて面白い。

 白河静氏の漢字物語によれば「笑」という漢字の竹かんむりは竹の事ではなく両手を挙げて踊る巫女さんの手と腕を表しているとの事である。即ち、両手を挙げてほほえみながら踊る若い巫女さんのことで、巫女は神にいろいろなお祈りをして神のご意志をうかがうのであるが、神の気持ちを和らげるためにほほえみながら踊っているのだと解釈されている。含蓄のある説明である。
 
 「笑」が付いた漢字のうち、高笑、大笑、 哄笑、 笑話などは微笑ではないから除いたが、ちょっと挙げて見ても一笑、失笑、苦笑、冷笑、嘲笑、嬌笑、微苦笑・・・等がある。調べるとまだまだ出てくると思う。これらの語句を見ただけで微笑に近い笑いには随分多種類あることが分かる。人間はこのような各種の笑いをかなり意図的に使い分けることができ、微細な感情を表現する。なかなかややこしい。
 笑いは時には、冷やかしや威嚇などの暴力的とも言える表現ともなり得る。また自己を笑いの対象にするものの中には、自嘲の笑い、自虐の笑いなどもある。

 この様に、微笑あるいはそれに類似した、大きなアクションを伴わない静かな笑いは社会的動物と言われる人間にとって実に実効性のある有効な感情表現であり、社会生活における自己表現の一つである。


1/10(月)成人の日 曇り降雪・寒波 病棟拘束 
1:30起床,いつもの如く。6:00病院へ。回診そのほか退院カルテ総括など。10:30帰宅。12:00離秋の長女送り再度病院、回診+事務処理-。 15:00帰宅午睡若干。ドック判定総括、雑誌、録音データその他整理と処分。文献読み。19:30夕食、20:30就寝。

人は何故笑う(1)大笑い
 今年の年始も多忙であったが、プレッシャーになっていた人間ドックの判定、総括チェックもこの成人式関連の連休ですべて終わり、一段落した。病院には未総括カルテが20数部もあり、心は相変わらず重いのであるが、総括は自宅では何とも対応できない。
 本日は開放感と共に、録りだめしてあった各種の録音データを整理し、録音した落語を楽しみ、子ども達が帰省の際に持ち込んだマンガなどを楽しんだ。本日午後は久々のんびり過ごした。落語を聴き、マンガを見て時に一人でニヤニヤし、時に声を出して笑った。

 で、考えても何の得にもならないのだが、人は何故芙うのだろうか?とフト思ってしまった。

 多分、動物には笑うことはないのだと思う。それは笑う切っ掛けとなるセンサー、感情、理解力が欠如し、笑うという行為を具現化する神経的回路、表情筋が必要が無く欠如しているからなのだろう。笑うことは人と動物の決定的違いの一つでもある。これに著しく大きな意味がないはずはない。
 笑いには様々な医学的効能があることは既に明らかになっている。「気分の活性化」「癒し効果」「免疫能の向上」「運動効果」「大脳高次機能向上」などの作用、効果が言われている。だから、笑い治療法があって良いのではないかと思う。最近は音楽療法、アニマルテラピー、アロマテラピーなる治療法も確立されつつあるが、より価値が大きいように思われる。
 笑うには主に顔だけで笑う微笑と声を出し全身的な運動を伴う大笑いの2種類がある。

 後者の場合、かなりの身体の動きを伴うから笑うことがかなりの運動になることも分かる。激しく笑うと腹筋が痛みを感じることさえある。気分を高揚するだけでなく、運動不足の解消にもなるから一石二鳥で、健康に良いだろう。大笑いは、くしゃみや咳などと同じように、何かを発散する、あるいは何かを解決する目的を持つ能動的行為の一つでないだろうか、と思う。くしゃみや咳は自分を守るための防衛反応の一つである。笑いも同様に何らかの防衛反応の一つではないのだろうか。そう考えると、ストレスホルモン関連の何かでないかと結びつく。
 
 私共は恐怖や不安を前にすると怒りと言う感情が生じる。その際、体内にカテコールアミンが増加するとされる。これは急性の変化であって慢性的な身体的・心理的ストレスでも増加していることが考えられる。笑いはこれらストレスホルモンの発散あるいは中和に役立っているのかもしれない。

 大笑い、高笑いは時には豪放に笑ってみせると言った恣意的な笑いもあるが多くはあまり作為的ではない。だからより生理的と言えるだろう。ただ、環境の影響はかなり受けるようである。一人で大笑いすることは少ないが、気のあった集団の中で、リラックスできる状況では大笑いが当たり前になる。落語の名演の記録はCDとかで聴くことが出来るが、その際、観客の笑いが一緒に収録されている実演の録音の方が遙かに面白いし、聴いていて笑いが誘われる。他人の笑いが笑いを呼ぶと言うことだろう。

 笑いは社会的動物と言われる人間にとって有効に働いている集団の中における自己防御反応の一つかもしれない。


1/9 (日)曇り・寒波  病棟拘束  
23:30起床、文献、新聞などチェック。3:00ー5:00微睡。書類整理、ドック総括4人分。文献・新聞チェック、 10:30降雪7-8cmほどで除雪機使用3回目。ホンダデルソルにカバーかけ春を待つ。夕方再度ドック判定総括、録音データ整理等。19:30夕食。20:45就寝。

年賀状(6)本日やっと書き終えた ストレス半分意義半分
 本日午後、今年の年賀状の最後と思われる一枚を投函した。今年もこれで一段落である。
 正確に数えていないが今年も300枚近くの賀状を戴いた。有り難いものである。例年より100枚ほど少ないようだ。業務上の年賀状が減少した。一つは県医師会の役員、日医の代議員を辞したことに関連している。もう一つは製薬企業関連の賀状の減少。これは景気の問題、企業合併の影響もあるのだろう。年末にいただくカレンダーの数もかつての半分以下である。経費削減のためだろう。ただ、これは私だけの感覚なのかもしれない。

 賀状はプロの印刷、自作といろいろであるが、裏表とも手書きというのは殆どなかった。プリントだけの賀状はどんなに良い出来映えでも寂しい。だから、形式な文章であるが私は必ず自筆で一言追記している。いずれ、自筆で表裏とも書く余裕が欲しいものだ、と思っている。

 年末に忌中の知らせは30枚ほど届いた。高齢化の中、年々増えている。私と年賀のやりとりをしている方3名死去された。医師のお一人は私より若い。年賀状の季節は遠い知人の生存確認にもなる。
 大部分の方々は年に一度の賀状の交換だけの、たったの50円のお付き合いの方である。年賀状とは一体何だろうかとふと思うことがある。現時点では、この細々としたお付き合いの中にかけがえのない人と人とのつながりが、自分の人生が、足跡があるのだ、と意義を感じている。こんな細々としたつきあいは割り切って考えれば無くても何も困らない習慣だ。これを虚礼として廃止するのも一つの考え方であろうが、この50円の虚礼が無くなれば完全に音信不通となる。私は賀状に新年を無事迎えられた幸せを互いに喜びあうに止まらない、いろいろな意義があると感じている。

 年賀状のルーツは中国で行われていた年賀の儀式を7世紀に日本に取り入れてからとのことで、平安時代は新春の歌のやりとりの他に定型的な文面も残っているという。その後年始の挨拶回りが習慣となり、明治になって簡素化して門前に名刺などを置くようになり、それが更に簡素化し年賀状になったのだという。ハガキを年賀状として使うようになったのは1873年、1900年に私製ハガキが許可されて多様化して取り扱い数も増えた。1941年の開戦後には賀状を控えるよう通達が出されている。1949年に市民の発想でお年玉付き年賀ハガキが登場した。2004年がピークで44.5億枚、現在は39億枚になっているとのことである(この項は朝日新聞を参照した)。

 年始に賀状を交換する習慣は中国、韓国などの漢字圏に共通する習慣とのことであるが徐々に少なくなっているらしい。メール交換が中心で手紙やハガキが廃れつつある現代、今後、この古来からの習慣はどうなっていくのだろうか。昨年、年賀メールを送ってくださった数人の方からも今年は年賀状が届いた。まだ評価は出来ないが、たまたまか、あるいは古き良き習慣への回帰なのか?


1/8(土)曇り・寒波 病棟拘束 
1:30起床。ドック判定総括、新聞チェックなど、6:45病院着、7:00回診。総括書作成など。12:00患者家族面談、回診再度。15:00帰宅、午睡若干。19:00夕食、20:30帰就寝。

卯年・うさぎ年 私のうさぎの思い出(2)実験用うさぎ  自宅で飼った印象
 ■新潟大学医学部の学生時代、生理学か薬理学の実験でうさぎを用いたことがあった。どんな内容の実験だったの殆ど記憶がないが、グループ6人に1羽の割り当てだったと思う。
 終了後には耳の静脈から空気を注入して心肺停止状態にする。その空気注入の役目を私が担ったが、言われたようには簡単には息絶えず、100cc以上の空気の注入が必要であった。実験用のうさぎは持ち帰って食べても良いとされたが、その気になれず、私共のうさぎは後にまとめて火葬にされた筈である。
 同じ新潟で、かつて空気を身体に注入すると言う殺人未遂事件が起こったことがある。泥酔させた相手の静脈に注射器で20ccの空気を注入して殺そうとしたらしいが、犯人が帰宅したら被害者の方が先に帰っていた、と言う事件である。うさぎですらより大量の空気を必要としたことから20ccではさもあらん、と私の記憶に残っている事件である。
 その後どこかの献血施設でラインの接続を間違って献血車に大量の空気が注入されて死亡するという 不幸な事故が生じたが、これも忘れられない。

 ■子ども達が小学生のことだろうか、強い希望があって我が家でうさぎを飼育したことがある。
 私は動物が好きで飼うこともそれほど抵抗ないし、いろいろ楽しんできたが、このうさぎの飼育に関しては殆ど良い思い出はない。
 水槽で飼った金魚や鯉ですら給餌の時には喜びを表現するし、水替えの時には緊張して過落ち着きがなくなるなどの変化があった。我が家のうさぎに関しては全く慣れず、表情がなく面白くもなかった。うさぎの給餌には殆どかかわらなかったが時折のうさぎ小屋の掃除は私もつきあわざるを得なかったが、ケージから出すときとかに大暴れして大変であった。こんな状態でも飼った以上はいのちに対して無責任なことは出来ないので飼い続けた。数年後に顔面のがんを患って死に、我が家の一角に埋葬された。目は赤かったからジャパニーズホワイト種だと思われる。
 うさぎの飼育に関しては飼っているという看護師と何度か話したことがあるが、返ってきた意見は意外にも、うさぎは飼い主に慣れてコミュニケーションも出来る、しつけも可能・・などなど私の感覚と100%異なっていた。そのような実体験は今に至るまで無く、にわかには信じ難い。
 秋田県県南の畑屋地方では1890年から食用ウサギの飼育が行われ、品種改良の中で大型の畑屋ウサギが誕生したという。 毛は真っ白でつややか、愛くるしい赤い目と長い耳、畑屋ウサギは、均整のとれた美しい姿を備えているとされる。現在、食用としての役目は殆ど無いようで、町内で約170匹が観賞用として飼育されている、と言う(秋田魁新聞)。いつかこの地域を訪れることがあったら私のうさぎに対するイメージを変えるためにも是非見てみたいと思う。

 干支がうさぎのこの一年、良き年であるよう願っている。


1/7(金)晴れ・曇り・寒波  ドック結果説明 患者家族面談 
2:20起床。ドック判定総括 徒然。7:10Taxi病院。回診、重症者対応。9:00ドック結果説明。複雑な診断書を求めてきた外来患者1名診察。12:00患者家族面談、書類処理。 20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

卯年・うさぎ年 私のうさぎの思い出(1)戦争、童謡など・・
 年末年始のプレッシャーの一つに院長の年始の挨拶の準備があるが、もう一つが年賀状である。私が毎年作る年賀状は干支と全く関係がなくワンパターンである。今年どっさり届いた年賀状を見て改めて卯年、うさぎ年、と気づいた次第。良いデザインのウサギのイラストを沢山見ることが出来た。
 私にとってうさぎは幼児の本とか写真とかで見る限り表情は優しく可愛いとは思うが、それほど親しみある動物とは言えない。 野生のうさぎは実に凶暴で、イメージとは随分違っている。

 ■最初の接点は幼少の頃であった。厳寒期に祖母が内側が真っ白な長く柔らかい毛に覆われたジャケット風の上着を出して私に着せてくれた。私にとってはダブダブで、足下まで覆われたような記憶がある。これを着せられると、その瞬間はとても冷たいのであるが徐々にジンワリと暖かくなった。
 祖母はこれをとても大切にしていて、私に着せながら、これはアンゴラと言う毛の長いうさぎの革で作った服で、極寒の満州などの戦地の兵隊が着た貴重な防寒具なのだ、と教えてくれた。このジャケットは私が7歳の時の火災で失った。
 今でもあの感触、暖かさ、毛の白さなどはよく覚えている。だから、うさぎには暖かいイメージも懐く。
 太平洋戦争中、日本はアンゴラウサギの飼育頭数が世界一だったという。当時、食糧の確保及び兵士の防寒着を作るために飼育が奨励されていて、我が家でもかつては飼っていたのだという。戦前からもわが国の食糧事情はうさぎまで必要とするほど逼迫しつつあったと言うことなのだろう。ウサギは1羽、2羽と数え、トリと同じ扱いで食肉としては違和感がなかったと言うことか。

 ■「うさぎ追いしあの山・・」と言う歌がある。小学校の頃は近所の子ども達とよく里山に遊びに行った。ウサギを見ればおもしろ半分追っかけたものだが、色が茶系で周囲との差が乏しく直ぐ見失った。
 雪が降ればそり遊びである。山の斜面、広場では真っ白く変身したうさぎ、見事な羽を持つキジの番などをよく見た。直接姿を見なくともいろいろな小動物、鳥類の足跡を見ることが出来た。
 うさぎはうさぎ道と言われるような一定の通り道を持っていると教わった。雪が降ればこれがはっきり分かる。往復の足跡はこの習性のためである。
 
 うさぎ道に輪にした針金で罠を仕掛けた。簡単な作りであるが、この輪にうさぎが首を突っ込むと閉まるような作りになっていて抜けられない。私は友人達と一緒に仕掛けた罠でうさぎ2羽をこれで捕獲した事がある。1羽は既に息絶えていて友人の家で食べられたはずである。別の一羽はかかったばかりで暖かく、死んでいると思って罠の輪を首から外したが、しばらく後に激しく暴れ出した。友人達と取り押さえようとしたが子どもの手では無理で、逃げられてしまった。  ちょっと大型のネコ程度のサイズだったと思ったが驚くほどの強い力で凶暴、強いキック力でこちらが大怪我する危険もあった。だから、うさぎには恐怖心も持っている。


1/6(木)曇り・降雪・寒波 外来 市医師会喜寿のお祝い+新年親睦会 
1:30 起床。人間ドックx1。7:10病院着、重症者対応。8:40-14:30外来+人間ドック結果説明、混雑。患者関連書類。18:30市医師会喜寿のお祝い+新年親睦会、20:00中座帰宅。軽食。20:30就寝。厳しい寒波の一日。吹雪の中を病院から歩いて親睦会会場に行くまでに芯まで冷えてしまった。

新年の挨拶・所信(2)1月5日の新聞紙上は各界の挨拶・所信多数で読み甲斐あり
 昨日5日の新聞紙上は各界の仕事始めの状況が報じられており、かつ代表者の新年の挨拶、今年の所信などが多数掲載されていて興味深い。また、年明けからの新聞社各社の社説も読み応えがあった。私は新年からしばらくの間続くこの一年の展望を取り上げた論説などを好んで読む。

 その中ではやはり注目すべきは首相の年頭記者会見である。
 その中で首相は、■開国元年、■最小不幸社会を目指す、■不条理を正す政治、の3項目を取り上げた。とても良いキーワードであるが、これらは具体的に何を示しているかというと、開国元年はTPPへの参加、最小不幸社会は消費税増税による医療福祉再編、不条理を正す政治は小沢問題を示しているのではないかと思われる。
 不条理と言えば、首相はかつて沖縄に米軍基地が集中していることが不条理の一つだ、と地元の記者に述べていることから見て、今年は沖縄問題を真摯に正そうとしていることの決意なのだろうか。そうなら評価できる。

 その他、不条理というのであれば、TPPへの参加、消費税すら唐突な政策提起と決断であるならばそれ自身も不条理となる。更に来年度予算案に見られる収入と支出のアンバランス、多額の国債発行、赤字予算に逆行するのではないかと思われる1.5兆円規模の大企業減税、前首相が見直すとした5兆円規模を維持するおもいやり予算なども不条理である。それに小沢・鳩山のカネ問題・・とまだまだある。

 考え様によっては不条理とは民主党政権に内在する問題、考え方、人材そのものでないのか?と思う。是非正して頂きたいものである。
 菅首相は耳あたりの良いキーワードを用いて方向性は示した。しかし、具,体的な方法論や目標、展望は示していない。党内の抗争、ねじれ国会のもとでは示せないのかもしれないが、消費税議論とTPP交渉参加の是非についての方向性は6月をめどに行う、と時期を明快にした。どこで検討するのか、閣議内なのか党内なのかは分からないが、国民への説明や提起はどうするのであろうか。
 まあ、いろいろな感想を持ったが、首相が言うようにわが国の将来のためには不条理を一つずつ是正していただくしかない。その方向性を力強くリードしていただきたい。

 過去を語ることと、今を語ること、将来を語る場合に一番困難なのは今を語ることで、次いで過去を語ることだろうと思う。一番楽なのは将来を語ることなのだ。年末年始の各界の有識者、責任ある立場の方々の論評を読んでそう感じ取ったが、その中でも政治家が先を語る内容が一番軽いような印象である。


1/5(水)曇り・降雪 外来 
1:15起床。ドック判定他いつもの如く。7:10病院、8:40-14:40午前外来、混雑。患者関連書類とか処理、20:00帰宅。夕食、21:00就寝。

子どもが人間関係の壁をとり、隙間を埋める(2)私の業務外のお付き合いの殆どは子どもを介してだった 
 「子はかすがい」という言葉がある。かすがいとは家を建てる時に、柱と梁を結びとめる「コ」の字をした金釘のことで、柱と梁とをしっかり繋ぎとめる役目をする。

 「子はかすがい」というのは「仲がそれほど良くない夫婦をつなぎとめる釘の役目果たしている子ども」という意味で用いられる。ただ、私はもっと広くとらえ「異質なモノ同士をくっつける役目」という風に言葉を用いることがある。頑強にくっつけなくとも緩くても実質的にくっついていれば良い、そんな感じで用いている。
 従来の解釈から見れば間違いになる事は分かっているのだが、感情がある人間をかすがいで堅固にくっつけた状態などあり得ないし、そんな状態には耐えられないはず。結合双生児ですら危険を冒してまで分離を試みることさえあるのはこのためである。

 私がかすがいと言うとき、緩い結合の仲立ちくらいに考えている。私は業務を離れると余所の方々とのお付き合いがとても少ない。業務内の人間関係も含めて実際には殆ど無いと言って良い。これは私のねくら的性格に依っている。私の下手な人付き合いの術では、もし私が長く生きながらえるようなことがあれば、今話題になっている孤立老人になり、のたれ死にする可能性が高い、と覚悟している。

 子ども達が学童期であったときは町内子供会、スポーツ少年団とかクラブ活動の際、練習や種々の催しに送迎を含め親の参加が求められた。 この時期にはこんな私でもわが子に劣等感を懐かせない程度に努めて参加していた。この間20-30人の父兄の方々、町内の方々と緩くではあったが知己となり、運動会や遠足とかの活動を一緒にしていたし、これが縁で町内会の催しにも出ていたこともあった。呑めない酒宴にも参加した。それが、子ども達の高校進学と共に、実にクリアに消滅した。だから、私のこれまでの中での社会との接点は子ども達が仲立ちしてくれた時だけであった、と言える。この様な状況を説明する際にも私は「子はかすがい」なのだ、と使わせて貰っている。今社会がとても殺伐としている。子ども達の姿も殆ど見えない。だから、子ども達が仲介する、あるいは介在する大人達の対話がない。

 昨夜、帰宅したら私は寝不足と24時間振りに摂った夕食の影響ですぐダウンしてしまったが、今夜も孫が大活躍して若者達の絆を深め合ったらしい。人間関係のかすがいの形成、維持に子どもの存在は大きい。
 やはり「子はかすがい」はけだし名言だと思う。


1/4 (火)降雪・曇り 仕事始め 外来  医局会 (院長新年の挨拶・所信)
0:30 起床、ドック総括x1、院長挨拶原稿作成、徒然。7:15病院着、回診、8:45-14:00外来。混雑。新入院患者他対応、定期処方、定期注射処方30 名ほどで大変。レセプト35名分着手。17:30-18:30医局会で院長新年の挨拶。20:00帰宅、犬・孫・嫁・長女揃った。本日初の食事摂り、寝不足で20:45就寝。

新年の挨拶・所信(1)残務処理とこの準備で年末年始は重苦しい日々
 私が勤務する病院の新年最初の医局会は院長の新年の挨拶・所信で始まる。今年は本日がその日であった。

 私が就任したのは平成17年9月だから今回で5回目となる。本日がその日で17:30から医師と運営会議のメンバーの出席のもとで、こんな形の新年の挨拶をしている院長なんてあるのだろうか、と思いつつ約45分間にわたって挨拶、今年の所信をお話した。内容は時間の関係もあって出来るだけ枝葉を出さずに単純化した。いずれ時間を得て私自身の5年間の総括をかねてまとまった形で残したいと思っている。

 先代、先々代の院長はどうされていたのか、定かな記憶としては残っていないが、挨拶と抱負を短時間述べられた様な気がする。私も最初の2回はポイントをメモにして枝葉をつけて話したのであるが、そうなると通り一遍の内容になりかねず、詳細な話は出来ず、挨拶する側の私も実につまらない内容となる。ましてや聞いている方はもっとつまらないだろう、何とかしなければなるまいと考えた。

 で、3回目の平成20年からはスライドを用いて資料を提示しながら話すことにした。そうなるといろいろ話題は展開できるが、どうしても講演形式になるし、時間的にもかなり長くなる。ただ、院長といえども医師の方々、職員の方々を前にまとまった話をする機会はそう多いものではない。特に私の場合は少ない。だから、この日をその機会の一つとしてとらえることとした。だから、もっと時間をかけて準備したかったのであるが、今年は特に時間的余裕が無かった。

 私の毎年の年末年始の休暇はほぼ連日病棟拘束があり、一回日直があたるし、大量の残務処理が待っている。更に院長年頭の挨拶の準備があるものだから年末年始は気の抜けない重苦しい日々となる。今年は新年の勤務開始の初日が医局会にあたっていたために特に余裕を欠き厳しい状況にあった。何故なのかと毎年の徒然の記載を見直してみると、各年ごと初の医局会は2007年が1月9日、2008年が8日、2009年が6日、昨年が5日、本年が4日となっている。だから今年は特に苦しかったのだ。例年であれば勤務始めてから何日か準備期間がありこの間資料を集めることが出来たが今、年はその余裕が一切無くやや準備不足となった。
 何と言うことはない、並べてみて分かったのであるが365日を7日間で分けると52週+1日だから、年が変わる毎に曜日とが一日、うるう年だけは2日後にずれる。固定した曜日で見れば早くなる、と言うこと。だから鬼が笑うだろうが来年は10日になる。

 これだけ並べてみて今回初めて曜日の法則に気がついた。自分のバカさ加減もここまで来ている。


1/3(日)(年始休暇最終日)晴れ曇り降雪 寒波若干緩む 
0:30起床、体調やや改善。ドック処理x1、文献整理その他。8:00日直の家内を送り病院へ。回診、レセプト対応。11:30帰宅。以降は自宅で文献、新聞チェック、新年の挨拶準備。16:00-18:30病院、19:00帰宅、夕食、20:00就寝。

 これで年末年始体制は終了。予定していた患者関連の業務処理は随分を時間をかけたが3-4割、やりたかった私的懸案は2割程度に留まった。 

子どもが人間関係の壁をとり、隙間を埋める(1) 子はかすがい 孫もかすがい 

 年末30日から1日午後まで盛岡在住の次男夫婦が孫連れて帰省し共に過ごした。孫は私にとっては盆以来で、この間の成長ぶりに驚いた。大きくなったし、 あまり不自由なく歩いている。意味ある言葉はまだ無いが顔の表情、声、全身を使っての意思表示が豊かになってきている。喜びや不満の自己主張もしっかりし てきた。
 孫も私に慣れたら座っている私の膝に一生懸命によじ登ろうとする。私の周辺にはパソコン、筆記用具を中心に彼にとっての宝物が沢山あるから、である。とにかく起きているときは目が離せず、実に大変である。また、愚図ったときはもっともっと大変である。

 次男夫婦のジジ・ババに孫を見せ、抱かせ、遊び相手をさせねばならぬ、と言う気持ち、決して義務感では無かろうが、良く伝わってくる。その気持ちは実に有り難い。
 次男、我が息子と言えども社会人となると子どもの頃とは違って親との間に若干の隙間が出来る。ましてや結婚して所帯を持ったとなれば更にその隙間が広く なる。若夫婦揃って私共両親や兄弟達との間の調和をとろうとしてくれる気持ちもよく分かるが、互いに立場が違うから何となくぎこちなさがつきまとってい る。嫁さんの努力は一層大変そうに感じ取れる。性格が良いためなのだろう。わざとらしさがないのがとても良い。だから逆に私の方でもつい気を遣ってしま う。

 しかし、孫が一緒に来る様になってからは一変した。共通の話題が出来たからと言うことか、孫を間にはさんでの会話も増えた。子どもに対する姿を見てこれ まで気付かなかった次男の性格も、嫁さんの性格も知ることも出来た。子育てをしながら彼らも一皮むけたような印象もある。「子を持って初めて知った親の有 り難さ」的な目、表情が時折彼らに垣間見れるのがとてもうれしい。ただ、逆も真なりで、若夫婦もジジ・ババの考え方を観察しているのかもしれない。楽しい 駆け引きだね。

 幼児、赤子が取り持つ縁というのは、血縁とか云々で理屈を超えた部分も当然あろうが、いつもマイペースで、あやしてもすかしても、怒って見せても殆ど通 用しない難しい相手だけに、親やジジババの方で歩み寄りをしなければその場が凌げないところにあって、世代や持っている時代背景、個性など関係なく求めら れる対応が共通だという点もあるような気がする。これこそが幼児、赤子が取り持つ縁なのだろう。今回私も『子はかすがい、孫もかすがい」の理屈を超えた意 味を感じ取ることが出来た。

 元旦の夕方、次男は仕事があって盛岡に、嫁さんは孫と犬を連れて実家に戻った。「孫は帰って良し」、これも実感であった。明日の夜は長女が帰省すること もあって、嫁さんは孫と犬も我が家に一晩泊まってから盛岡に向かうとのこと。この配慮も有り難い。「孫は来て良し」でもある。明日が楽しみである。


1/2(日)(年始休暇二日目) 病棟拘束 日直・午前外来
0:30 起床、ドック、徒然ほか。7:30病院着、8:30救急へ。9:00-13:00救急外来、この間患者全く途切れず。インフルエンザが増えつつある。主治医となる新規入院3名。回診、レセプト対応など。16:00-17:00救急外来補助。18:30帰宅。年賀状追記、ドック判定総括など。19:00夕食、19:30体調不良で就寝。

今後の医療界の展望(1)コンクリートから人間へもかげり
 民主党中心の連立政権が9月16日に発足してもう16ヶ月にならんとしている。
 政権にとって最大の懸案は予算作成である。年末に11年度予算の政府案が出来上がった。今回の予算案は民主党政権がゼロから作り上げた初の予算案である。

 何と、前年度より1.124億円上回って過去最大規模の92.4兆円で,税収入の不足分を国債44兆円発行して乗り切ると言う内容である。この国債発行額は2年続けて税収入見積額よりも多い。アンバランスで危険な内容で、このツケは将来の納税者に回ってくることになる。

 11年度の予算案は一言で言うと前年度と同じ「ばらまき予算」と言うことになる。与野党の攻防、民主党内の抗争、国内外の懸案事項、低支持率に押されて、思い切った、痛みを伴うような政策上の方向性が示すことが出来ず、八方美人的対応にしてしまったと言うことだろう。


 民主党が「マニフェスト」で選ばれたわけではないだろうが、政権を担った以上は「マニフェスト」内容を実行しなければならない。しかし、増税せずとも埋蔵金と税金の無駄遣いを廃することで財源は確保できる、とした判断はもはや通用しなくなった。だから、財源に関しては見込み違いであったと言うことを早急に認め、早く方向転換しなければ財政的には危ないコースに乗ってしまう。

 昨年の同時期、次の11年度の予算は10年度のそれと同じ発想では出来ないだろうし、やるべきでない、と思ったが、結局、今年も同じことをやってしまった。税収を増やすか,それが出来ないときには予算を縮小するかの選択が必要なのだが、その判断をまたも先送りにした。
 それどころか、今回は逆に法人税の引き下げをやってしまった。産業界を活性化することで景気のアップも期待としたと思われるが、その効果が表れる確証はあるのだろうか。法人税軽減分をどうやって賄うのだろうか。私には分からない。

  こんな予算編成が行われる政権のもと、今後の医療行政はどうなるのだろうかが心配となる。
 「マニフェスト」には医療費と医師数の大幅増加の数値目標を挙げていた。素晴らしい内容であった。確かに、今年の医学部入学定員は8.933人と 2007年の7.625人と比べると1308人増となっており評価できる。診療報酬は0.19%のプラス改訂が行われたが、約10年間にわたって累計でマイナス10%ほど診療報酬が下げられてきた医療現場に0.19%のプラスは焼け石に水であった。それを、傾斜配分することで何とかつじつまを合わせたのが昨年の診療報酬改定であった。

 11年度の予算案を見る限り、医療行政の先行きはとても不透明である。「コンクリートから人間へ」を今後も掲げ続けるのか?それに期待したいが、印象的にはもうかげりが見えてきた、と言わざるを得ない。


2011/1/1(土)(年始休暇初日)快晴 
2:00 起床、徒然2010年締め記述。ドック処理x1ほか。4:45病院に。降雪なし。6:00病棟他に新年挨拶Fax、重症者対応数件、10:00帰宅、賀状整理など。16:00次男盛岡に孫と嫁さんは男鹿に。「孫は来て良し、帰って良し」は名言と実感す。20:30就寝。

2011年元旦 つれづれ生活スタート 
 新年は雲一つない快晴でスタートした。私のワンパターン生活の始まりである。2:00起床し、久々5:00前に病院に出かけた。今年の初仕事として年始勤務の職員の労をねぎらう新年のファックスを各部所に送った。

 2011年の初日として変わったことは特にないのだが、孫の成長ぶりに驚いた。昨年の今日、初めて抱き上げその軽さに驚いたが、今はよちよち歩きして、いっぱし自己主張するものだから目が離せない。年賀状を書いたり文章書きしている私の周辺にはパソコン他のいろいろな小道具がある。これらが興味津々でまとわり付く。うれしさ半分、ペースを合わせるのが実に大変であった。「孫は来て良し、帰って良し」は名言と実感した。

 年末年始は開放感があって良いのであるが、私にとっては残務処理の貴重な時間でもある。また、2日が日直で午前外来担当となっている。4日には医局会での新年の挨拶がある。これがなかなか準備が進まず、徐々に気分が重くなる。患者の退院総括も頑張っているが処理数よりも退院患者数が多いから増える一方である。 医事課の方々が年末に頑張った保険診療のレセプトも昨夜のうちに机上に届けられていた。どっさりと厚いい。これも処理しなければならない。人間ドックの総括もたまってしまった。

 年賀状が今朝どっさりと届いた。多くは年に一回の便りの交換でとても懐かしいのであるが、私は年末には予定の1/4ほどしか用意できなかった。私は元旦配達にそれほどこだわっていないが、届いた賀状を前にプレッシャーを感じつつ本日半日かけて用意した。明朝早々に投函する。

 まあ、なんだかんだで始まった新しい年の初日。私の日常はいつもと大差なく始まったが、家内は疲れが溜まったのか微熱と咳、仮声などで年末から伏せっている。日常の寝不足を一気に解消している様にも見える。まもなく良くなるであろう。

 今年一年がいい年になるよう願っているし,そうしたいものだ、と思っている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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