2010年10月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
10/31(日)曇り 病棟拘束 秋田県女医の会講演聴講 あきたぶんかフェスティバル2010に迷入
2:00起床。新聞チェック。資料、ドック総括整理ほか種々こなす。10:30ゾンタクラブへ出席の家内送り病院着。11:30-12:50秋田県女医の会講演「アンチエイジング」聴講。14:00アトリオンホールへ。あきたぶんかフェスティバル2010に迷入、16:00病院、 17:50帰宅、夕食、20:30就寝。
HPが丸9年を迎えた 良く続けたものだね・・、と自分でも思う
当ホームページは、昨日で開設後丸9年を迎えた。本日は10年目のスタートである。
ほぼ連日更新しているが、良くまあここまで続いたものだ・・と改めて思う。
本年3月をもって県医師会の役員を辞したので若干時間的の余裕が出てくるのかと期待したが、実際は逆でとても多忙な日が続いている。時間が豊かになったはずなのに余裕に結びついていないと言うことは、若干ダラダラと過ごすようになったからのような気がする。背景は私自身の体力・気力の低下かな。
今までと変わらず早朝に起き出しているのだが、出勤するまでの間の時間の使い方が粗雑になっていて、ボーっとしていることも少なくない。外来でも小休止の時間、頻度が増えてきた。院長室で微睡む事が増えてきた。その結果、時間を失い、更新する話題を記述する時間確保に四苦八苦する日も多くなってきた。それでも何とか更新できていることは、活力の維持がまだ何とか自分の閾値を超えている、と言うことだろう。いつまで続けることが出来るのだろうか。
この一年も思いがけない方々からコメントを戴いたり、メールを戴いた。匿名の方からの貴重な御意見は参考にさせて戴いているが、返事はしないことにしているのでご了承戴きたい。
丸9年継続したこのHPは、誰かのために役立っていると言うことはないだろう。特に刺激のない月並みな日々だから、記録をつけていないと自分自身が何して過ごして来たのか、何を考えていたのか、全く記憶にさえ残らない。だから、結局は自分の記録のために、それも自己満足のために続けている、ということである。
本日は10年目のスタートであるが,今まで通り続けるつもりである。
10/ 30(土)病棟拘束 患者家族面談
3:00起床、講演準備若干、徒然。6:30車病院着、回診他、7:00患者家族面談。退院総括他書類処理。14:30自転車帰宅、孫が来ていた。午睡若干。外食して散会、20:30帰宅、21:00就寝。
医師不足対策(27)女性医師(7)秋田県医師会、行政の女性医師支援
以下は秋田県医師会、行政の女性医師支援の現状である。
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上記の如く、女性医師問題の解決のために種々の勤務形態も提起されている。女性医師の労働環境は徐々に改善しつつあるようである。
ただ、これを逆手にとる医師側の考え方も生じてきているようである。昨年7月発行の日本医師会女性医師支援センター・シンポジウムの記録集には種々の女性医師対策や考え方が記載されているが、横浜市立大学麻酔科教授の講演によれば、医局員総数は260人超で、30歳代以下の医師では半数が、20歳代では 7割強が女性医師だとのことである。教授は常勤で勤務するのを原則とし、その上でジョブシェアとして一つのポストを二人で担うという考え方と、短縮時間勤務の二本立ての考え方で女性医師問題の対策を進めているとのことであった。
麻酔科医は勤務形態としてパート医とかアルバイト医として比較的やりやすいので、子育て時期とかにはその形態もやむを得ないが、問題は、最近は女性医師のみならず若手の男性医も病院を辞めてパート医とかアルバイト医になりたがっている、との点を挙げている。この様な勤務では時給が常勤医の2倍ほどで、かつ時間外勤務や拘束もなく、年収は驚くほど高額である。使命感を持って時間外の緊急手術等を粛々とこなしている常勤医にとってこの様な勤務形態の医師はストレスのもととなり、モチベーションの低下につながってきている、としている。これはもう医師不足とは別の意味で社会問題化しつつある、とも述べている。
一人前の医師を養成するのに多額の公的資金も費やされていることから、医師は自分として担える範囲で社会的使命を担っていくべきだ、と考えてきたが、そのように考える方が旧いのか、とさえ思ってしまう。
上記の記録は麻酔科の特殊性として述べているが、これは何も麻酔科に限った問題ではない。開業の挨拶状には決まって「微力ながら地域医療の一翼を担っていきたい・・・」との文言が添えられるが、医師会活動とかにを通じて地域の医療活動に参加する医師はとても少ない。
女性医師の支援問題から話題がいつの間にかすっかりそれてしまった。
10/29(金)曇り 港北診療所外来 院内感染制御全体学習会 民医連新築関連意見交換会+情報交換
2:00 起床、ドック判定、新聞チェック他講演準備少々。7:05車病院着、回診他。9:00-12:30港北診療所外来、新入院病棟患者対応、 17:45-18:50院内感染制御全体学習会、19:30-31:50民医連新築関連意見交換会+情報交換。22:30帰宅。23:00就寝。
医師不足対策(26)女性医師(6)行政や医師会の女性医師支援
女性医師の増加は医師不足の主因ではないまでも重要な一因であることは、一般的に認識されてきた。種々の支援対策が考えられて行く中で、男女を問わず医師、特に勤務医の異常なほどの働きすぎが明らかとなり、女性医師支援のみの対策だけでは問題は何ら解決できない、と認識された。
全くその通りである。男性医師優位の状況の中では医師の過剰労働は声を上げても取り上げられず、それほど話題にもならなかった。これほど医師の労務環境が論じられるようになったのは女性医師増加のおかげ、その他の要因も重なって医療崩壊が叫ばれてきたから、とも言いうる。
種々の対策の結果、妊娠・出産・育児などで一度職場を離れた女性医師が挫折感を味わうことなくキャリアを継続できる様になりつつあり、女性医師のモチベーションが上がりつつあるとされる。
今回、女性医師対策の現状についてまとめる機会があった。急いでとりまとめたので不完全なところもあると思うが、調べた範囲では以下の如くであった。
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10/28(木)曇りのち雨 外来
2:15起床。太平山に初雪、居間のメインのストーブ初点火。ドックその他。7:00自転車病院着、心底冷えた。8:45-14:20外来+ドック説明、入院患者対応。書類処理。20:45小雨あり車帰宅、夕食、21:30就寝。
オールド・ボロ・ハーレー(17)秋の訪れでバイクシーズン終了 走行は僅か100Km
秋田では秋の訪れとともに早朝、日没後の気温低下は著しい。家内は2-3週ほど前から小型のガスストーブを補助的に用いていたが、今朝は私も耐え難くてついメインの石油ヒーターに点火した。つい先日まで残暑を楽しんでいたのだが、最近は急速に冷えが進み2-3日前には太平山も冠雪したとのことである。
昨秋から通勤は徒歩、自転車、時に車としていたが、今年は家内が近くの病院に勤務したこともあって私の出勤時間が影響を受けて一人通勤の時より1時間半も遅くなった。そのために自転車通勤の機会が増えた。秋口からは家内も自転車通勤を始めたので危険防止を兼ねてゆっくり伴走している。
早朝と夜の通勤時間には自転車にとって寒くて厳しい条件となって来た。
これがバイクの場合にはスピードがあるだけに風が冷たくて専用のウエアを着込んでも寒さが老骨にしみる。 日中なら降雪さえなければまだ乗れないことはないが、私にはその機会が殆どない。今年はもう私のオールド・ボロ・ハーレー は車庫入りとなる。今シーズンはバイクを車庫から出したのが、6月27日と何時もより一月以上遅れた。かつ、2-3回通勤に使ったきりで7月以降は病院の駐輪場に置かれたままにしていた。時折バッテリーの残りを確かめていたが10月頃からはエンジン始動も困難になっていた。何時までも置いておくわけにはいかない。10月24日夜半に病院に呼ばれたのを機会に充電し、その日バイクで帰宅し、車庫の奥にしまい込んだ。これで今年のバイクは終わりである。
結局、今シーズンはバイクに100Kmほどしか乗れなかったことになる。来年はまた車検を通さなければならない。このバイクは1991年型で19年乗ったが通勤だけだから距離的には大して走っていない。機能的には問題ない。しかし、見てくれはドブネズミ調で完全に世界に一台のマイ・ハーレーである。そろそろ手放しても良いかな?と言う気持ちもないわけではないが、これ程のボロ、差し上げるのも失礼かもしれない。廃車にするよりはまだ所持しておこうか、私に時間的余裕が生じたら初めてのツーリングなるものをしてみようか、などとハーレーの処分に悩み始めている。
プリウスも今年は動かす機会が極端に減って、給油を2月、8月の2回しかしていない。自転車通勤によって今年はかなり省エネになっている。
10/27(水)曇り 外来 中通病院友の会理事会
2:30起床。ドック総括他。7:15自転車病院着。7:30患者家族面談、回診等病棟業務。8:45-13:45外来、14:00-16:00友の会理事会+懇親会。20:45自転車帰宅,夕食、21:30就寝。
インフルエンザ2010-11年(3)Years of Lost Life (YLL)という考え方
従来の季節性インフの死亡例は高齢者が殆どを占め、いわゆる「人生の最後の灯を消す病気」ととらえられてきた。
今回の H1N1新型インフルの超過死亡を検討した報告では、米国の死亡者数の予測は多くても4万人程度と推計されていた。米国では季節性インフルの超過死亡は毎年3万人以上とされているので、死亡者数自体はさほどの増加はない。
しかしながら、問題は死亡例の平均年齢が37歳と、季節性インフルの76歳に比べて、極端に若年層にシフトしていることにある。インフルによる死亡者を単に人数で見るならば今回のH1N1新型インフルのインパクトはそれほど季節性のそれと違いはない事になる。
今回のH1N1新型インフルの社会的影響を考える時には、Viboud.Cらの言うYears of Lost Life (YLL)という考え方で理解するとその問題点が浮き上がってくる。
YLLとは、簡単に言えば死亡例の平均余命の総和である。
今回H1N1新型インフルにおいて米国の死亡例のYLLを計算すると死亡者の平均年齢は37歳なので余命が長いから、YLLは197万3. 000年となり、季節性インフルの死亡者の平均年齢は76歳なのでYLLは33万4.000年で、その差は約6倍にも及ぶ。要するに死亡者数からは差が殆ど出ないがYLL、と言う概念を導入することでH1N1新型インフルの対社会的インパクトの大きさが明らかになる。要するにH1N1新型インフルは社会に大きな損失をもたらしたと言うことになる。
今後、将来的には過去の新型インフが辿った如くに、徐々に感染者が高齢者にシフトしていくものと推定されるが、恐らくここ数年間は高齢者よりも 30-50歳代の青壮年がハイリスク患者であり続けると思われるから、今年以降のH1N1新型インフルはこの年代への対策が重要となる。
その対策の要はワクチンである事は論を待たない。今回のワクチンは3価ワクチンと言ってH1N1新型インフル+A香港H3N2+B型の混合ワクチンだから、今年は従来の如くに高齢者は当然であるが、加えて30-50歳代の青壮年、小中学生に接種を勧奨すべきであるが、国はワクチンに対して指標を示していない。
現状では青壮年、小中学生への接種の重要さがそれほど話題にもなっていない。
今年はワクチンは潤沢にあると考えられる。接種も始まったばかりである。今後、この方面でのキャンペーンが必要である。
10/26(火)小雨 外来 法人常務会 新築関連事務局会議 医局公開メディカルカンファレンス
2:00起床。ドック総括他。6:20車病院着.回診。8:45-13:45外来、14:45-15:30法人常務会、15:40-16:55新築関連事務局会議。18:30公開メディカルカンファレンス、 21:20帰宅、22:10就眠。
菅首相(18) なに!! 鳩山氏は議員辞職しない??許せない元首相の二枚舌
鳩山前首相は10月17日、地元の苫小牧市で開かれた後援会で挨拶し、国益に資する形で自身の身の振り方を考えたい、などと述べ、首相辞任時に不出馬を明言した次期総選挙への出馬に含みを残した。
後援会員からは「引退しないで」「普天間基地の問題に責任を持つべき」などと支援の意見が相次ぎ、前首相も「沖縄の問題も、言いっ放しで『辞めたからおしまい』ではない」と応じた、と報じられた(毎日新聞)。本人も後援会もバカさ加減丸出しである。
ここまで来れば何時表明するか、と思って新聞ニュースを追っていたが、前首相はついにしてはならない発言をしてしまった。前首相の「言葉の軽さ」はもう疑いもない事実だが、自身のの出処進退にかかわる発言まで、あっさり撤回するとは驚くほかない。
昨年9月、自民党のあまりのふがいなさが招いた政権交代、私はマスコミに翻弄された国民がムードで選択した政権交代だから、必ずしも喜べない、と考えていた。そして、たまたまその時に代表であった鳩山代表が第 93代内閣総理大臣に就任することになった。その際に、私は鳩山氏の力量は分からないが、ここまで来ればもう期待するしかない、と考えた。そのルーツは、鳩山氏が「総理大臣を辞めた後は政界に残ってはいけない。自分も基本的にはその様に考えている・・」という「不退転の決意を表明した新総理」だからであった。私はそういったクリアな考えが好きである。
総理大臣を投げ出して以降、本日まで、私は鳩山氏が議員を止める旨を何時正式に表明するのかを楽しみにしていた。政治家として鳩山氏に対する期待はもう一切ないどころか、その存在はネガティブな意義しかない。現に先の民主党代表選では陳腐な役割を演じて、国政の事態を一層悪化させた。興味は人間としての最後の砦である約束を守れる人であるか否か、もはやその一点だけでしかなかった。
それが、一昨日、議員を続ける意向を明らかにした。
「党の状況が思わしくないので、まだ自分に果たしうる役割がある」、というのがその理由であるが、そんなバカなことはない。党にとっても居ない方が良い。鳩山氏は私人として生きていくのは自由であるが、元首相として、議員として存在し続けるのは国民に対する愚弄である。それに、彼の存在は国民が失いかけている政治に対しする期待感、信頼感を一層失わせる源となるから、むしろ悪霊に等しい。そんなことまで分からない坊ちゃんなのか、と呆れてしまう。それは、取り巻きの方々も同様である。取り巻きの方々は鳩山氏の財力を当てにして寄り集まっているなら理解可能だからまだ良い。しかし、政治家として、人間として信頼して取り巻いているなら、考え直すべき良い機会である。
10/25(月)雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 研修医との懇談会+情報交換会
1:30起床、ドック判定ほか文献整理。7:10病院着、7:45-8:30管理会議、8:45-14:30外来、混雑し疲弊した。16:00療養病棟判定会議。17:00-18:20長副会議。18:30-19:50研修医との懇談会+情報交換会。21:10中座し帰宅、21:45就寝。
インフルエンザ2010-11年(2)超過死亡とは
H1N1新型インフでは、何故か高齢者の罹患が少なく、多くは小中学生の年齢層に集中して感染した。それ故、死亡率は各国共に低いレベルにあった。
従来の季節性インフの死亡例は高齢者が殆どを占め、「人生の最後の灯」を消す病気ととらえられてきたが、今回の H1N1新型インフでは 死亡者の平均年齢は各国ともに30代-50代の壮年層が中心で死亡者の平均年齢は大幅に低下した。季節性インフとは明らかに異なったパターンで、これが H1N1新型インフの最大の特徴であり、脅威点である。
ところで、近年インフルエンザ関連死亡の評価によく超過死亡と言う言葉が出てくる。
インフルエンザの流行は毎年多数の死者が出ることから社会に大きな影響を及ぼす。しかし、その評価は実際に困難である。インフルエンザ直接死、合併症死、など個々の人が死に至る要因は、長い人生、合併症、生活環境などが広く影響し一様でない。かつ、疾患の重症度は、環境、患者側などの複数の要因で決定される。従って、死亡者数は罹患者数は単純には比例しない。
疾患の社会への影響度は、実際の患者数、その重症度、毎日の生活への支障、個人的・社会的経済的損失、医療費、精神的な影響などのすべてを包括的に検討して求めるべきであるが、最適な指標が無い。特に、症状病状に個人差が大きいインフルエンザの場合には、罹患の総患者数の把握は事実上困難で、詳細な評価は不可能である。
WHOは、インフルエンザ関連死亡の評価に「超過死亡(excess death, excess mortality)」という概念を提唱した。超過死亡とは、インフルエンザが流行したことによって、関連死亡がどの程度増加したかを示す、推定値である。この値は、直接および間接的インフルエンザ関連死亡であり、仮に治療やワクチンの有効率が100%であるなら、回避できたであろう死亡数を意味する。このグローバルな評価法が社会的影響力をはかるのに一番信頼性が高いというのも変だが単純でとても良い。
現在ではインフルエンザの評価法として国際的に使用されている。
わが国では、国立感染症研究所感染症情報センターがインフルエンザの流行規模の指標として超過死亡の評価を導入し公表している。
10/24(日)曇り 病棟拘束
1:00起床、1:30病棟より電話、病院へ。患者死去、そのまま業務、8:00久々バイクで帰宅。ドックなど持参の新聞チェック、ドック判定総括x1。救急より緊急入院あり、17:30-21:00病院。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。
インフルエンザ2010-11年(1)今期も県の新興感染症部会長に
私は昨期をもって県の医師会の役員を辞した。
それに伴い県医師会から推薦を受けた県の各種の委員会委員の大部分も辞した。任期が中途で半年ほど残っている一部の委員会だけ、個人情報関連委員会、県独立法人評価委員会、身体障害関連、がん対策関連等の委員会、はそのまま持ち越して来たが、これらも間もなく任期終了の時期が来る。
県の担当部署の意向としては次期も私にそのまま継続して欲しいとの意向であるが、県の委員会には個人参加ではなく、県医師会役員としての資格のもとでの参加であったこと、医師の一本釣りはすべきではなく、医師枠はすべて県医師会の推薦を受けるべきであることを述べ、すべてお断りした。
ところが、感染症部会に関しては県医師会から今期も推薦を受け、そのまま継続となった。県医師会としても特例的な判断と思うが、この部門に関しては昨期までの流れもあることで私に継続して担って欲しいとの意向だったとのことであった。県の理事会がそう判断されたのであれば別である。恐れ多いが感染症関連についてはお引き受けすることとした。結局、新興感染症部会は今期も部会長を務めることとなった。それで部会に新しく副部会長の席を設けて頂き、県医師会の感染症等危機管理担当の常任理事に就任をお願いして、私として形を整えた積もりである。
上記のグラフは国立感染症研究所のインフルエンザ様疾患のデータである。
2009年4月にメキシコでH1N1新型インフルエンザが発生、5月以降国内でも散発的に増加したが、30週以降、感染者は急速に増加しパンデミックとなった。昨年の記録を見ると県内の、あるいは秋田市内の医療機関はワクチン接種問題を含め、対策で大変な状況であった。
結果的に年末に急速に感染者が減少した。2010年、今年の感染状況はグラフで赤の太線で記されているが、新年から春に、夏にかけては例年とは大きく異なった感染状況を呈し、国内のH1N1新型インフルエンザ感染は終焉を迎えた。
国際的にも同様の傾向で、冬期を迎えた南半球での感染も少なく、WHOは8月に終息を宣言した。
その後はインフルエンザ関連で大きなニュースはないが、わが国では外国産新型インフルエンザワクチンの輸入契約の一部をキャンセルした。懸案であった医療機関で余った国産ワクチンは先月回収が行われ、これをもって2009-10年のH1N1新型インフルエンザ問題は一段落した、と私は解釈している。
秋口からのインフルエンザ様感染症の発生状況はまだ散発的であるが、インフルエンザ2010-11年問題はこれからである。
昨年までの経験を十分に分析し、今期のインフルエンザ問題に対峙していかなければならない。
10/23(土)快晴 病棟拘束
2:30起床、ドック判定総括x3. 再検査結果報告。6:55自転車病院着。回診他。14:00 自転車帰宅、途中で旭川の鯉に2回目の給餌。自宅でドック、インフルエンザ関連業務、微睡など。19:30夕食、20:00就眠。
講演:三上 満氏「学ぶこと、生きること--生命(いのち)の現場で輝くために」(2)
講演内容は、まず自身が激しい失恋で死の淵から蘇ったが、結果的に得られるものも多かった。「教育者はまず、大きな失恋するのがと良いですね」、と思いがけない言葉から始まった。半世紀以上も前の経験であろうが、話す氏の表情はつい先日のことを話しているが如く生き生きされていた。
次いで、■最近の社会は、強い競争原理によって人を苛む異常な社会である■組織は帰属職員に対し、従順なワンパターン人間になる事を求めている■その中で、民医連は人間的な成長を求める希有な、素晴らしい組織であること■中学の熱血青年教師としての日々、特に悪ガキ達との対応の日々のエピソード■看護学生と共に学んだ日々と、学生達から受けたいろいろな感動■ナイチンゲールの足跡の紹介しつつ、看護は全人間的な、実に素晴らしい仕事であること■人間として成長するには、(1)挑むこと (2) 人に手をさしのべること (3) 自分をみつめること、にある・・・。■自分が育つためのキーワードは「出会い」である。あこがれの人との出会い、みじめな自分との出会い、まんざらでない自分との出会い、自分を求めている人との出会い、等々が成長の糧となる。■誰しもが大好きなことは、自らが目当てを持ち、主体になれること、やった!!という充実感、認められ励まされること■大嫌いなことは、言われたことをやるだけの日常、いやみと皮肉とあらさがし。■「自分好き」になって生きること。■ 相手に対して愛を持つことは、いずれはすべて自分に返ってくる。だから「愛のブーメラン」なのだ・・・、等々、話された。
氏の講演は口からついででてくる言葉だけではなかった。わざわざ用意した言葉などではなく、自らの人生のなかで体験した感動のシーンが自然に溢れてくるが如くに話され、そう大きな動きではなかったが笑顔を含め十分なボディランゲージを伴って表現され、私の心にしみ通った。
その講演内容は言葉や文字にしてまとめることはとても困難である。
最後に会の締めの挨拶に私が立ったが、素晴らしい講演で、もう話すことは何もなかった。が、あえて、氏は教育評論家ではなく真の教育者であること、教育においては自らをさらけ出す体当たり的要素が必要である。それに、指導する側とされる側が共に学びあうと言う姿勢と、豊かな感受性が重要であることを感じ取った旨を述べ、最後に、心から感動した、と結んだ。
聞くところによると、近々秋田にまたおいでになって講演される、と言う。時間と状況が許されれば、また是非ともお聞きしたいものだ、と思っている。
10/22(金)快晴 患者家族面談 法人理事会 全体学習会 スロヴァキアフィル演奏会(欠)
2:00起床、ドック判定総括x3。7:10自転車病院着、重症患者対応、回診他。 10:00患者家族面談 17:30法人理事会 18:00-20:00全体学習会と締めの挨拶。楽しみにしていたスロヴァキアフィル演奏会は両立不可で欠。21:00自転車帰宅夕食。22:00就寝。
講演:三上 満氏「学ぶこと、生きること--生命(いのち)の現場で輝くために」(1)
本日10月22日18:00から当院教育委員会、秋田民医連主催で全職員対象の学習会として教育評論家三上 満氏による講演、「学ぶこと、生きること--生命(いのち)の現場で輝くために」が開催された。
三上氏は1932年東京都生まれだから現在78歳、東大教育学部卒で中学校教師を経て、86年都教職員組合委員長、94全労連議長、99年都知事選に立候補し、石原、明石、舛添、鳩山邦夫らの著名な候補を相手に善戦し66万票獲得。その後、勤医会東葛看護専門学校校長などを務めた。03年には「明日への銀河鉄道-我が心の宮沢賢治」で第18回岩手日報賢治賞を受賞されている。
著書に『眠れぬ夜の教師のために』、『野の教育者・宮沢賢治』、『かぎりなく愛しいもの』、『思春期と非行問題』、『教師への伝言』、「患者さんの笑顔が見たい-看護学生の日々」、「看護大好き人間大好き」、「人間の明日と向き合う」、『歴史のリレーランナーたちへ』などなど。上記は私が興味を持っている教育、賢治、看護教育、歴史などの分野から挙げたものでその他の分野にもまだまだ多数ある。
私は東葛病院に診療応援に行ったこともあり、かつ岩手出身で賢治の研究者である氏にとても親しみを感じながら聴き入った。
氏は実に大変な方である。まず、キャリアから見てもよく私どもの学習会までお出で願えたもの、である。氏が民医連との関わりを持っておられたことを背景に実現したものであろう。78歳という年齢を感じさせないスタイルと表情を保っておられた。講演はハイテンポ、一切よどみなく、無原稿で約105分、満面に笑みを浮かべて私共聴く者の顔を見ながら語りかけた。時には自身の失敗談なども紹介しつつ、終始会場を笑いに包み込んだ。
私も講演の機会が多い方であるが、私など足元にも及ばない、見事な講演のスタイルと内容であった。私は感心し、深く感動した。
10/21(木)快晴 外来+ドック結果説明 法人永年勤続者表彰
2:30起床、ドックなど。7:00自転車病院、回診など。8:45-14:20外来+ドック説明、 17:30-19:50法人永年勤続者表彰+慰労懇談会。20:40自転車帰宅、21:30就寝。
菅首相(18)小沢氏起訴へーー野党は何で何時までも国会喚問等に拘るのか
小沢氏の資金管理団体の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと議決した。「起訴相当」、「不起訴不当」の2回の関門を検察側の「不起訴」の判断で凌いだが、ついに最期の関門は通過できなかった。
この2回の関門は検察によっていとも簡単に退けられたと言う印象で、私は検察が真摯に再検討していなかったのではないかと思っている。最初の結論を深く再検討することなく簡単に踏襲した、と思う。もし、起訴相当との判断を検察が下したら最初の判断は何だったのかと問われることになり、新しい証拠でも挙がってこない限り結論が変わるわけはない。だから、東京第五検察審査会は、検察では何度検討しても結果は同じと、強制起訴の判断をしたに違いない。
今回小沢氏を提訴した検察審査会の議決に強制力を持たせると言う法改正は、公権行使に民意を反映させなければならないという目的で2004年の国会で民主党も賛成して成立した。この時に裁判員制度も決まったが、両者とも趣旨は全く同じである。小沢氏はまさか自分がその最初の適応を受ける様になろうとは想定だにしていなかったのではないだろうか。
何と、小沢氏は逆に検察審査会の議決に対し、審議は不透明だとか、素人の判断だとかと言う理由を挙げて差し止めを求めた。東京地裁は申し立てを却下した。小沢氏はなおも、東京高裁に即時抗告して争うとしている。素人の判断だというなら、急成長した民主党の大部分は素人議員と言うことになるが・・・。
強制起訴をうけ有罪か無罪かを判断するのは裁判所で、小沢氏が起訴されたことに納得がいかなければ、裁判で争えばいいのだ。
ただ、私は国会が何時までも小沢氏にこだわって国会喚問を求めるなどと言って審議を滞らせていることには疑問を感じる。国会議員としての倫理云々はここまで来たら裁判の結果が出てからにすればいい。今は推定無罪である。それまでは野党側が離党せよとか議員辞職をせよというのはおかしい。本人が決めればいい。裁判が終了するまでどのように行動するのかは、本人と民主党、菅首相が決めればいい問題だ。
国会はいま暇なのだろうか?国を立て直すために論じなければならないことは限り無くあるのではないか?
小沢問題は裁判に任せ、国会は本来の仕事をすべきである。
10/20(水)晴れ 患者死去 外来+ドック診察 院内感染症対策委員会
1:30 病棟から連絡Taxi病院に。2:07患者死去、3:45見送り他。そのまま病院で書類処理など。6:30回診など。8:45-13:20外来、 13:30ドック診察、16:00院内感染対策委員会。20:30車帰宅、夕食の途中で病棟より連絡あり再び病院へ。患者死去、見送り。 22:30Taxi帰宅、22:50就寝。
富山に小旅行(5)帰路の富山・羽田間は旧塗装を施したB767-300
羽田空港は明朝から国際化が正式に始まる。3番目の国際線ターミナルは4:00amから利用が開始され、一番機は午前香港からのチャーター便らしい。これから羽田でも各国の航空機を見ることが出来るようになるだろう。
成田や関空、福岡空港等の国際空港を利用した際、各国の塗装を施した航空機を見るのも楽しみをである。今まで羽田ではそれほどのバラエティはなかった。かつてはJASの黒沢明デザインのレインボウ塗装のもあった。 最近は日本航空は特殊塗装を施した機は少ない。余裕がないのだろう。
その中では数はそれほど多くはないが、全日空には特殊塗装を施した機が見られる。鯨の絵を描いた「マリンジャンボ」、花柄ジャンボ、パンダ、スヌーピー、ポケモンシリーズ、ゴールド737機など多種多様である。広告媒体となっているのもある。さらに種々のイベント関連のロゴがワンポイントで付いている機もある。
その中で、現在の全日空塗装の前のバージョンは、機首のデザインがモヒカン髪型に類似しているためにモヒカン塗装と言われていた。1966年に B737-200の導入から制定された塗装で、B727、YS-11、Tri-Star、第一世代のB747等の姿を思い出す。私が出張時等に航空機を使い始めたのは1973年で、当時の全日空機はすべてがこの塗装であった。1967年着陸直前に東京湾に墜落したB727機、1971年雫石上空でB727 機が自衛隊機と衝突して空中分解し、162人と、一機の事故として最大の死者を出した頃の塗装がこれである。尾翼には「ダ・ビンチ・マーク」と呼ばれているダ・ビンチのヘリコプターのイラストが描かれていた。
それが今年、一機だけ20年ぶりに復刻した、と何かのニュースに載っていたが、先日富山・羽田間の搭乗機B767-300はこのモヒカン塗装機であった。富山空港の方が撮影には良い条件であったが撮り損ねた。羽田第二ビルの通路から眺めていたらやはり懐かしくてiPhoneで撮影した。だから余りよく撮れていないが、機首にモヒカンの特徴が十分出ている。
10/19(火)快晴 外来 ドック結果説明 常務会 医局カンファ
2:00 起床。ドック判定総括。6:50自転車病院着。回診他。8:45-14:00外来+ドック結果説明。14:45-15:45法人常務会+打ち合わせ。 17:30-18:20医局カンファ、劇症型溶連菌感染症。20:40自転車帰宅、防寒対策で快適であった。 21:10就寝。
ノーベル賞(7) 米が未臨界核実験 オバマは平和賞を自主返還すべきでないか
米政府が9月15日にネバダ州の核実験場で、未臨界核実験を行っていた。米国での未臨界核実験は1997年以降24回目、4年ぶりでオバマ政権では初めてとのこと。これに対し、広島、長崎両市長らが直ちに抗議した。 今回の実験は残念だとの声が日本の各地でおきた。 広島県原水協と広島県被団協は13日、広島市平和記念公園で抗議の座り込みを行った。参加者は50人ほどだったという。
私はこのニュースを聞いたときには「オバマよお前もか・・、ならばノーベル平和賞を自主的に返還すべき」と考えた。今は実験内容などよく理解できないのでいささかトーンダウンている。
未臨界核実験は核分裂が連続的に起きる臨界点に至らないレベルの条件で行う核兵器実験で新型核兵器や既存核兵器の改良や維持のためにも行われるらしい。爆発を伴わないので包括的核実験禁止条約の対象外とされている。だとすると、今回の実験はオバマ大統領の信義に反するものか、核兵器が現存する限り仕方がない実験なのか、その意義は私には分からない。評価のしようがない。そうは言っても、イメージ的には核軍縮と核兵器廃絶を目指す方向性を明らかにしている指導者として二枚舌という感覚はぬぐい得ない。
米国の国家核安全保障局によると、実験は地下約300mの核実験場で実施され、その目的は「核兵器の安全性、信頼性を維持するのに必要な科学的データを得るため」と実験を正当化している。
今回の実験についていろいろな考えがあるだろう。核廃絶の方向を進めるにせよ現状で多数の核がある以上、一定のメインテナンスのためのデータは必要で、実験はやむを得ないと言う考えは無いわけはないだろうが、なかなか表明されない。殆どが実験に反対する意見、オバマ氏に対する不信、不快感の表明である。
この辺の処は一体どうなのだろうか。専門家の意見を聞きたいものである。
オバマ大統領は、昨年4月のプラハ演説以降、■核廃絶を目標にしている■核兵器がある限り核戦力を維持する■新たな核弾頭の開発はしない■核実験をしないと明言している。未臨界核実験は、その信条には矛盾していない、と言う立場を取っている。未臨界核実験は必要悪であるとの立場ならば、この機会に一層核軍縮を進めてほしい。そうでなければ二枚舌である。
オバマ大統領は昨秋ノーベル平和賞を受賞した。核廃絶に対し全く何にも具体的な実績がないにもかかわらず、全世界の人たちの期待を是非とも実行して欲しいという、願い・期待に対しての授賞であった。
今、米国では中間選挙が始まっている。大統領の支持率も低迷している。まさか4年で・・と言うことはないだろうが、8年の任期の中で核廃絶に何ら実績を残せなかったとすれば、大統領はノーベル平和賞を自主的に返還すべきだろう。
10/18(月)管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
1:30 起床、ドック判定総括x1。7:00車病院。重症者回診他.7:45-8:25管理会議、 10:00-10:40安全管理者と打ち合わせ。16:00-16:50療養病棟判定会議、対象者6名。17:00-19:20長副会議。20:45自転車帰宅、寒い、芯から冷えた。夕食、21:30就寝。
自転車(16)寒くて素手や素足は無理になった 鯉たちはまだ食欲旺盛
あれほど厳しかった残暑も9月26日の台風12号の通過後急速に勢いを失った。
10月に入ってから太陽の傾きが大きくなり、 最近は朝は5:30amを過ぎないと明るくならない。それと共に朝夕はめっきり寒くなってきた。
テニス用のトランクス姿での自転車通勤は流石に辛くなり昨日10月17日で終了とした。昨年の記録を見ると9月17日に半ズボン姿は止めた、とあるから今年は約一月長く持ったことになる。今年が昨年より暖かかったと言うことでもあるが、昨年は今より約1時間以上早く6:00am頃には病院に着いていたから、走る条件もより厳しかった、と言うことでもある。
今、家内は健康状態も良く、6月以降雇われ院長として近隣の小病院に勤務している。朝放っておくといつ起床し、出勤するか保証できない人だから朝の出勤は無理矢理引きずるようにして一緒に家を出る。8月までは家内の車を私が自転車で必死に追いかけていたが、9月以降は天候を見て家内も自転車通勤にしている。この場合トロトロ走るため病院着が徐々に遅くなり最近では大体7:00am過ぎとなった。
今朝はかなり冷え込み、素足、素手ではやや厳しくなって来た。明日から手袋と靴下を着用し、スリッパから運動靴にすることとした。
これからますます寒くなることを考えるとやはり気が重いが、防寒対策をして雪の季節までは何とか自転車通勤を続けたいと思っている。省エネにもなる。今年、いかに車やバイクに乗らなかったかというと、プリウスの給油は2月から8月まで半年間不要であったし、バイクは僅か200Kmしか走っておらず給油は一度もない。
旭川の水も冷え始めているのだろうが、鯉たちは未だに元気で、橋の上から私どもが撒く餌に旺盛に食らいつく。見ていて楽しい。今はすっかり慣れて私が橋の上に立つと数10匹の鯉が集まり口を大きく開けて餌よこせコールである。10羽ほどのカルガモが寄ってくる。カラスも数羽来る。ホントはカラスにも餌をやりたいのだがご近所迷惑になるだろうからやれない。私はほぼ毎日、病院で手が付けられなかった検食のご飯を乾燥させてセッセと餌を作っている。これにわが家の台所から出る果物の皮や野菜くず等を適宜混ぜて撒いている。
今朝、雲一つ無い空、山から顔を出した太陽の美しさは格別であった。また、有り難さも格別であった。
10/17 (日)快晴・降雨 宅地境界線確認 病棟拘束
2:30 起床、ドック判定総括x2、その他書類処理。文献整理。書類処理。8:30隣家との境界線確認作業。13:00患者不調の報告あり自転車病院。途中で降雨あり若干濡れた。外気温低く通勤時トランクス姿は本日で終了とした。患者対応、書類処理他、18:30車帰宅、夕食、20:00就寝。JDDWから家内帰宅。
本県初のプロスポーツチーム、バスケットの秋田ノーザンハピネッツ
最近、地方紙である秋田魁新聞紙面に体格のいい男達の写真が頻回に登場している。ひげ面あり、外国人もいる。本県初のプロスポーツチーム、秋田ノーザンハピネッツ(秋田NH)のメンバー達である。
10−11年の日本プロバスケットボールリーグ戦は16日に開幕した。
ニュースによれば、秋田NHは秋田市の県立体育館でデビューし、初戦は仙台のチームを相手にリードして試合を進めていたが最終クオーターに勢いを失い、 65−76で逆転負けした。第二戦は流れをつかむことができないまま仙台チームに75−94で敗れた。開幕戦、第二戦も3千人を超える観客が詰めかけたという。
残念なスタートであるが、チームとしての熟成はまだまだであろうからやむを得ない結果だろう。来春まで51試合あり、県内でも秋田市だけでなく大館、能代、由利本荘市等でも試合が予定されている。何時、初勝利を挙げられるのか楽しみにしている。
秋田は高校バスケットで能代工高チームが何度も全国制覇するなどしていることなどから、バスケットは県民にとって比較的親しみのあるスポーツである。秋田にプロチームが誕生したことは喜ばしい。バスケットはダラダラしたところのない、終始スピーディに試合が進み、見ている方も気が抜けない。私はどちらかと言えばこういう動きの速いスポーツを好む。どちらが勝つかと言うことも大事であろうが、選手の洗練された動きを見ているだけでも面白い。
これからの寒くなり、多くのスポーツがシーズンを終えるこの季節にプロバスケットの試合が身近で見られるのは良いのではないか。私もいずれは観戦に行きたいと思う。
プロチームは運営がうまく行けるのかが問題となる。プロの有名サッカーチームの運営が破綻しかかっていいるとのニュースが報じられたこともあった。殆どのプロバスケットチームは数年間は赤字経営を余儀なくされるという。この間、如何にして維持していくのだろうか。秋田NHは、平均2億円とされるプロバスケットチームの年間の運営費を1.5億円と少なく見積もっており、約半分をホームゲームの入場料を収入源にいる。1試合平均2.600人の観客でが必要になるという。かなり多くの県民からの支持が必要である。その他の経費は何としているのだろうか、恐らく企業とかのスポンサーからの寄付なのだろう。
秋田NHは特に先月以降、いろいろな地域のイベントに参加したり、県庁への挨拶、学校でバスケット教室などを開催してきており、その活動は地方紙に頻繁に紹介されている。初戦を間もなく迎えるというのにこんなことをしてて良いのかとも思ったが、県民と触れ合い、ひとりでも多く試合に足を運んでもらう努力もプロのチームとして必須の仕事と言うことになる。
チームの発展を願っている。
10/16(土)降雨 病棟拘束 中通高等看護学院戴帽式 入院患者家族面談 秋大第3内科同窓会 新潟大学学士会秋田支部総会(欠)
1:30起床。ドック判定総括、戴帽式祝辞原稿作成。体調何となく不良、風邪気味続く。5:45車病院着、6:30回診。祝辞検討。 10:30-11:30中通看護学院戴帽式。患者家族面談。総括・紹介状など。17:00-20:00秋大第3内科同窓会、病棟にて患者対応。21:10 帰宅、21:30就寝。
5回目の戴帽式 祝辞
本日、晴れてナースキャップを受けられましたみなさん、おめでとうございます。
私は、みなさん方がこれから臨床実習を受けられる、中通総合病院の院長の福田です。
今日は一言お祝いを述べさせていただきます。
私は戴帽式なるものに5回目の出席です。その度毎に、心が洗われてとても敬虔な気持ちになります。
近年、看護師はキャップを被らなくなっております。それに伴い、この戴帽式は恐らくキャップなしで行われる様になり、式の名称も変わっていくと思われますが、式場を暗くし、ナイチンゲール像からローソクにともしびを受け取り、そのほのかな光のもとで誓詞を朗読すると言う形式は変わることはないでしょう。そのルーツはナイチンゲールスピリッツの伝達にあるからです。
ちょっと暗闇について考えてみました。実は、私は暗い環境が好きで、夜を寝て過ごすのをとても勿体ないと思っていますし、日中も一人の時は自宅でも、院長室もカーテンを引き薄暗くして仕事をしています。そう言うちょっとずれている人間なのですが、恐らく皆さん方は夜よりも明るい昼を、暗闇よりもより明るい環境を好まれると思います。それが通常の,健康な人の感覚です。そして、夜にはやすらかに眠り、当たり前の如くに明るい朝を爽やかに迎えます。
ところが、「病に悩む患者」にとっての夜、あるいは暗闇は、病気や生きることに関する不安が何倍にも高じる「恐怖の時間帯」であり、「このまま朝が来ないのではないか」,「病気が治らないのではないか・・」などと言う不安にとりつかれ、眠ることが出来なくなり、そのことがまた一層不安をかき立てる、と言う悪循環に陥っております。
従って、戴帽式の場を暗くすると言うことは、弱いローソクの灯を際立たせるという意味も勿論あるでしょうが、それだけでなく、暗闇は「患者の不安の心」を表しており、皆さんが今戴いた一筋のロウソクの光は患者にとっては「希望の灯」であり、看護師にとっては「看護の心」をあらわしているもの、と私は解釈しております。
更に言えば、「ローソクの火のゆらぎ」は、不安の夜に看護師を迎えて患者が感じる「希望へ心のゆらぎ」であり、同時に、看護師の「共感の心のゆらぎ」を示しているものだろう、と思っております。
先ほど、ローソクの火は消されましたが、皆さん方の心に灯された灯は、生涯消えることなくともされ続けるよう、願っております。
さて、繰り返しになりますが、人は生まれた以上、時には事故に遭遇したりすることもあります。健康を害することも避けられません。やがて、人は老いて数々の障害を抱え、いずれは死を迎えます。その時、人は不安に苛まれ、とても心細くなって、医療関係者に助けを求めます。
このような人達に「声を掛け」、「笑顔と共に手をさしのべる」ことは如何に大切なことか、特に医療関係者の笑顔が大切なことかは言うまでもありません。
私はこのような、病める方々のお世話をする、そう言う職業を選んだことに誇りを感じています。同じ医療人として、看護の分野で勉強を続けている、若いみなさん方を、同じ道を志す仲間として、迎えられることを私はとても嬉しく感じます。
今日の感激を忘れることなく、心の糧にし、今後一層勉強され、将来は良き「看護技術」と「考える力」と「看護の心」を備えた看護師として社会に貢献されることを願っております。
最後になりますが、私から一つお願いがあります。
今、全国的に医師も看護師も不足しています。その中で、みなさん方には、秋田県民の健康は秋田県民である自分たちが守っていくのだという気概を持っていただきたいと思います。
このような美しく、豊かな自然、優しく素朴な人間性、そんな秋田を支えている、秋田を支えてきた秋田県民の健康を、私どもと共に一緒に守っていっていただきたい、と願っております。
以上、お願いと期待の言葉を添えて、お祝いの言葉と致します。
10/15(金)降雨 患者死去 港北診療所代診 北秋田市民病院スタッフ来訪
0:50病棟からの電話で起床、病院、患者死去、3:00帰宅。ドックその他文献チェック。
家内不在で6:00車病院着 6:20回診・病棟業務。8:30港北診療所に。9:00-13:00港北診療所外来+往診1件。13:00-14:30北秋田市民病院スタッフ来訪,歓談。患者関連書類処理、20:40車帰宅、夕食、21:30就寝。
富山に小旅行(4)帰路 満席、富山・羽田とも空港は大混雑
同級会はどんな状態で何時頃終わったのか熟睡した私には全く分からない。翌朝は雲一つ無い快晴で暖かく、朝食後に三々五々解散しメンバーはもう殆ど残っていないようであった。
私どもは遅めに朝食を摂り、野鳥の声や姿を楽しみたいという家内の希望に添って双眼鏡と録音機をもって2時間ほどホテルの周辺を散策した。結果的に野鳥はそれほど多くなく、鳴き声もあまり聞こえなかった。温泉地の特徴なのだろう、側らには比較的水量の多い川が流れており、せせらぎの音が邪魔になって良い録音は録れない。一昨年の秋ノ宮も、今夏の志戸平も、今回の小川温泉郷も同様であった。山の中に入っていく必要がありそうだが、私どもの体力・脚力では危険であり、クマ注意とあるし、諦めた。
10:30頃、ホテルのバスにて泊駅まで、JRにて富山駅に移動、書店でジックリ本を選び、若干の手土産を購入した。富山湾で捕れた新鮮な海産物の土産物が多い。誰でも知っているであろうマス寿司は現地では20種類もあるのだそうだ。ゆでても赤くならない白エビは富山湾だけでしか捕れない珍しいエビというので購入してみた。
15:15発ANAに乗るためにバスにて空港に向かったが、確かに空港は近い。秋田空港のリムジンの1/3程度の距離で、住宅が途切れない郊外と言うって良いようなところに空港があった。富山空港はかなり便利そうである。
空港は昨日と異なり大混雑で、機も満席であった。考えてみると良い季節の連休の最終日である。帰省客が東京に戻る時期である。この程度はあり得ることだろう、と理解した。秋田までの手荷物を預けたが、羽田・秋田間はJALなので羽田で若干の手続きが必要とのことであった。
16:30羽田着、第一ターミナルへ連絡バスで移動したが、驚いたことに出発ロビーは移動するのが困難なほどの大混雑であった。羽田がこんなに混雑したのはニュースでは時折見たが私は経験したことがない。全く予想外で、手荷物関連の受付カウンターの前は特に混雑し、並んでいる乗客の列は優に100m以上も続いており、「最後尾はここです」と旗を持った係員が列に並ぶ客を誘導していた。列は遅々として進まず、最後尾の客は手荷物の預け入れに1時間以上はかかるだろうと予想された。幸い私は富山空港で預けてあるのでチケットにJALの受付印を押してもらうだけである。そのためだけにとても並んでいられない。 VIPカウンターはガラガラだったので私はチャッカリとそこで手続きした。
17:55発JALは機種がAirBusでなく、沖止めのB・MD-90で166席、これも満席であった。
今回の富山への往復は時間的に今までにないほどゆったりしたスケジュールで動いた。殆ど急ぐことなく移動し、各所でものんびり出来た。僅か一日半の行程であったが数日間旅行したような気分がした。帰宅して新聞受けに一日分の新聞しかなかったのでハット現実にもどされた。
日常、時計を見ながら業務に追われてあくせくしていると一日が実に短い。のんびりすると一日ってこんなに長いのか、と改めて気づかされた。時間は使いようである。今後は自分のために良い時間の使い方をしたいものだ。
10/14(木)家内JDDWへ 外来 ドック結果説明 秋大訪問
2:30起床。ドック判定・総括x1、他。JDDWへ出席の家内を駅裏リムジン乗り場に送り6:20病院、回診ほか、8:45-14:00外来とドック説明3名。14:10 -15:00秋大訪問。患者重症化し対応、総括他。20:30車帰宅、夕食、21:30就寝。
富山に小旅行(3)秋田から富山 空路で快適であった
10月11日は恒例の同級会で、最近は迷うことなくどこで開催されても出席することにしている。今回の開催地は富山であった。
富山は遠い。何としていくか、と言うことになるが、かつては青森と大阪間1.000キロ余を約13時間で結んでいた 特急白鳥があったが、2001年3月に廃止になった。関西圏で行われる学会に出席するために秋田・大阪間を何度か乗ったことがあるが、延々10時間ほど、尻が痛かったと言う記憶しかない。廃止直前には通しで乗った乗客は僅か平均4人ほどであったらしく、これでは廃止はやむを得ない。
秋田・新潟間を8;52発特急いなほで、新潟以降を特急北越6号で行く手があるが約7時間の所要時間で大変、と言うことで今回は空路にした。
空路では実質2時間で秋田空港を一便で発つと午前中には着く。7:35発ANAで発ち、8:45に羽田着、機種はB767-300型、後席は30%と乗客は少なく快適であった。前日の天候の影響か出発直後はかなり横揺れした。
この便の機長は実にサービス満点で離陸前からマイクで当日の各所の天候、空からの見所などをガイドしてくれた。表現はとても文学的で、誰かの俳句も引用して説明してくれた。あるいは自作か?とても楽しい内容の機内放送であったが、こんなことをしている暇は果たしてあるのかな、といつもと違うだけに些か違和感を抱いた。「皆さま方に快適に、安全な空の旅をお約束します・・・」と結んで離陸したが、滑走時のエンジンの吹き上げが通常よりソフトでゆっくり、機の加速もよりなだらかであったとの印象を受けた。滑走路は限りあるだけにこれで良いのかな、と軽く疑問に思った。
上空でも飛行状況の説明があり、揺れたあと、着陸態勢に入る直前、など再再度アナウンスがあったがあまり真面目に聞かなかったので分からない。羽田ではボーディングブリッジで子ども達が窓際で盛んに手を振っていて機長も操縦席からそれに応えていた。何か楽しげな雰囲気のフライトであった。
富山便は9:05発ANAで殆ど余裕無い乗り換えとなった。機種は同じくB767-300型で搭乗率は全体的に6−7割と思われたが、何故か後席の方が乗客の密度が高かった。こんなことは今までない。上空では機は殆ど揺れが無く、快適に飛行した。富山空港は市街に近いらしく住宅街の上を低空で飛行し、間もなくスムーズに着地した。空港で書店などでゆっくりしたので乗れなかったが、バスだと市の中心部に20分程度だと言うから富山空港は市街からかなり近い所にある。
10/13(水)快晴 外来 県独立法人評価委員会 外来+ドック診察 感染症評価会議 患者家族面談
2:00 起床。ドック総括。7:00車病院着、回診、8:45-9:45外来。10:00−12:00県独立法人評価委員会。12:30−13:45再度外来+ ドック診察。14:00-15:00県感染症評価会議。入院患者家族面談対応、紹介状返事、主治医意見書など。20:45自転車帰宅、夕食、 21:30就寝。
チリ落盤事故、奇跡の救出劇(2)歴史的な救出劇が進んでいる
チリ北部サンホセ鉱山の落盤事故は8月5日発生。その17日後、坑道に貫通したドリルの先端にくくりつけられたメモが発見され、33名全員が生存していることが判明した。
私はそのニュースが報じられた際、一体坑道内の彼らはどうなるのか、と心配したがその後約2ヶ月、奇跡的とも言える生存と地表からの救出作業とが進み、本日から一人ずつ救出カプセルによって地上につり上げられている。今、この時間の最終の情報では26人目が救出されている。このペースだと間もなく全員の救出作業が終了することになる。
気の遠くなる距離と異空間、私には1970年のアポロ13号の生還、本年6月の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還とオーバーラップしてしまう。気の遠くなるような距離と位置、少ない成功の可能性など、これらはすべて見事に乗り切って結果的には成功したが、そこには常識では考えられない偶然と幸運が折り重なっての成功に見える。
今回の落盤事故の救出の可能性は、どんな方法で推定したのかは分からないがわずか2%と言われていた。それが、本日ほぼ完璧に遂行され、全員が生還しようとしている。
私が新聞等から知ったのはホンの一部であるが、いろんな幸運と偶然、 坑員たちの団結が救出に結びついている。
■落盤で換気用ダクトが無事であった■有毒ガスの発生がなかった■避難所の他、2Km程の坑道があった■3日間分の食料、水があったがこれを等分し摂取していた■事故処理作業の一環として貫通させたドリルに結びつけられた紙片が700m先の地上まで外れずに届き、発見された。これで救出作業に切り替えられた■閉じ込められた坑員が狭い空間で長期間パニックに陥らなかったことは奇跡的。リーダーの強い指導力と坑員たちの団結があった■救出用の穴とは別に、直径15cmほどの細い穴が二つ確保でき、食料他の物資が供給された・・・といろいろ挙げられる。
この中で特筆すべきは、 極限状態にありながら、強いリーダーのもとに坑員たちが団結してパニックに陥らなかったことと、スピーディかつ正確に遂行された救出作業と思う。
前者については今後次々と明らかになっていくだろうが、人の心理を理解するのにとても楽しみである。特に、激しい自己規制とそれと相反して乏しくなっていく他人に対する寛大な許容心、増大する批判心、憎しみなど、これらのバランスを如何に維持したのだろうか。私の理解を超えている。
掘削技術の詳細など、私は不勉強にして分からないが、700mの地下にある坑道、作業所に正確に掘り進んだ技術・能力など、ただただ驚くばかりである。当初4ヶ月もかかるだろうとされた作業が2ヶ月もかからずに遂行されたこともすごい。
この救出は人間のすばらしさを再確認させてくれた。一方では、事故の背景になっているであろう旺盛な経済活動が、末端の労働者に如何に過酷な環境を強いているのか、これらについてもいろいろ考えさせられた。
10/12(火)曇り・雨 管理会議 外来 常務会 医局カンファ
2:00起床、ドック判定総括x1、文献チェック、徒然など。6:20車病院、6:30回診、7:45管理会議。8:45-14:00外来。14:45常務会、17:30医局カンファ、抗生剤の使い方。長副会議なし。回診。20:50車帰宅、21:30就寝。
チリ落盤事故、奇跡の救出劇(1)間もなく歴史的な瞬間を迎える
チリ北部のサンホセ鉱山の落盤事故が発生したのは8月5日。その17日後の8月22日、坑道に貫通したドリルの先端にくくりつけたメモが発見され、地下700mで、わずかな食料を分け合いながら、33人が生き抜いていたことが分かって、国中を熱狂させた。
チリでは半年前のM8.8の大地震が襲い、震源地に近い都市コンセプシオンは、一時商店などへの略薄が横行しさながら戦場のようだった、と言う。無政府状態に陥るなか、軍が出動した。地震は直接の被害の他、政府や隣人への不信と言う重大な後遺症を残していた。そんな中、落盤事故で閉じ込められた坑員を何としてでも救いたい、彼らの救出を成功させることで、地震で傷ついた国民の気持ちをも癒したい、と言う気持ちで全国土が一体となった様子であったとも報じられていた。坑員を蚊うことはチリ人全体を救うことに等しい、とまで言われた。全くそうだろうと思う。
今回の事故はあってはならないことであったが、幸いにも死者は出なかった。地下700mと言う気の遠くなるような所に閉じ込められた坑員の救出作業は当初の予定を大幅に上回るぺースで進められ、間もなく一時間に一人のペースで被災者達が救出される。
具体的に坑員がどのような状態で地上に現れるのか、いろいろな可能性ある、と言われている。途中で健康状態が急に悪化することもあり得るとされている。
もう間もなく救出作業が始まる。地球の裏側のことであるが、私は心静かに見守ることは出来ない心境にある。しかし、静かに待つしかない。次の報道が待たれるところである。
10/11(月)体育の日 富山・秋田快晴 帰秋 夜間病棟拘束
2:50 富山県ホテル小川にて起床。入浴、本読み、微睡みなどゆったり過ごす。8:00朝食、周辺散策。10:30 ホテル発、11:08JR泊駅より富山駅へ、周辺見学若干。14:05バスにて空港、15:15発ANAで羽田に。767−300が満席であった。 17:55発秋田行きJALはDC-9でこれも満席。秋田道経由にて19:20自宅着。夕食、21:00就寝。
富山に小旅行(2)私にとって同級会出席の意義
私は酒をあまり飲めないのでどちらかというと宴会嫌いである。それに人付き合いもそれほど良い方ではない。
だから、最近まで、とは言っても、10年ほど前までであるが、時折開催されていた新潟大学46年卒の同級会には一切出席していなかった。しかし、10年ほど前に意を決して一度出席した。ここ7-8年は各地持ち回りで毎年開催される様になったが、ほぼ皆勤状態である。今まで新潟2回、長岡、東京、犬山、会津、富山と7回出席したことになる。
出席するようになった第一の原因は、毎回一人で出席している家内の不機嫌に耐えかねつつあったこと、私の代わりに同伴しエスコート役をしてくれていた長女の強い提言があったことで、私もついに折れて出席した。この時ばかりは家内も相当いらついて娘にもいろいろ当たることが多かったらしい。娘のためにも、と思って出ることとした。
同窓会の前日にはゴルフもセットされている。出席者の多くはこれにも参加するのも楽しみにしているようであるが、私はゴルフは出来ない。出席者が一堂に介する宴会に出てもすぐに酔って早々に中座して寝てしまう。だから、遠路はるばる時間と旅費をかけて出かけても何のために出席しているか分からないようなものである。しかし、それでも年に一回、同級生と挨拶を交わすだけで十分楽しくそれだけでも十分出席の意義はあると思っている。
ところが、犬山で開催された同級会の後間もなく家内が、しばらく経って私も手術を受けたことなどもあって、夫婦のどちらかが同級生のうちで2番手の物故者になり得る可能性が生じてきただけに、年に一回まだ何とか元気で過ごしていることを示しに行く、と言う目的が加わった。更に、どうせ行くならきつい予定を立てずに、開催場所周辺への小旅行を楽しむ事とした。
ということで今年も富山まで行ってきた。流石に今回の出席者は20数名と少なかったが、みんな老けてきたが、元気で良い表情していた。今年も物故者はいなかった。
私は今回も、数人と若干会話しビールを少々飲んだだけで酔ってしまって早々に中座した。
会の翌日もからりと晴れた最高の天候で空は高く清み渡った。帰りの飛行機まで十分に時間的余裕があったので、ホテルの周辺を散策したり、秋の雰囲気を味わいながらゆっくりと移動、帰途についた。
10/10(日)秋田曇り、富山快晴 新潟大学46卒同級会
1:00 起床。ドック判定x2他。新潟大学46卒同級会の小旅行準備。6:30病院に立ち寄り秋田道経由空港へ。7:35発ANA羽田へ、9:05発ANAで富山に、10:15着。極めて効率良く到着。共に767-300型、座席は6−7割で、富山便は天候良く殆ど揺れず快適。昨夜から風邪気味で体調今ひとつ、タクシーで富山駅に、更にJRにて泊駅へ。宿の迎えあり15:00会場の小川温泉着。18:30新潟大学46卒同級会,数えなかったが20人ほど出席。物故者なし、と言う。20:30酔って中座、そのまま就寝。
富山に小旅行(1)私にとって2回目の富山市
本日は毎年10月10日に開催される新潟大学46卒同級会への出席を兼ね、ほぼ恒例となった夫婦での小旅行である。
今回は富山大学で教授をされている同級生が幹事になって小川温泉「ホテル小川」を会場に開催された。
秋田空港を7:35amに発ち、羽田で乗り換え 10:15には富山空港に到着した。早過ぎる到着であったが、この便でないと富山着が14:00過ぎとなり時間的に苦しくなるのでやむを得ない。高度を下げた機から見えた山々は紅葉が始まり見事な景観であった。機は富山市街の上空を通過して間もなく着陸した。空港は結構近いところにある様だ。
富山は確か昭和41年ころ北陸地区大学オーケストラ演奏会への参加した際に一度訪れたことがある。44年も前のことで、その時の記憶は殆ど残っていないが、モーツアルトの交響曲35番「ハフナー」で私のヴィオラの調弦がくるって第一楽章は十分に弾けなかったこと、どこかの寺の本堂に雑魚寝したこと、橋から神通川を眺めたこと、は若干記憶に残っている。
富山駅近くでは旧式の路面電車が走っているのが見えた。富山の路面電車と言えば、確かセントラムと称する近代的車両を用いた環状電車が昨年開業したと聞いていたが、この旧式車両は別ルートを走る既存路線の便なのかもしれない。
私は初めての土地を訪れた際にはまず地図を購入する。今回もすぐに富山県の地図を購入した。富山県の地図をじっくり見たのは今回が初めてと言っていい。富山については能登半島と新潟県の間にある地域と何となく知っていたが、それ以外のことは殆ど知っていなかった。広大な富山湾に接し平野がありそこには高岡、射水、滑川、魚津、黒部などの、名前だけ知っている土地が並ぶ。特に石川県よりの射水市は高齢者の終末期医療について一石を投じた市民病院があって関心があったが、今回初めてその位置を知ることが出来た。
岐阜、長野に接する山岳地域には立山、黒部、剣岳、白馬などの山々があることも知った。それらに向かうのか分からないが、富山駅付近にはアルピニストと思われる方々も散見された。
地図の上で見ると空港と富山市は6−7Km程度と随分近いところにある。同級会の会場である小川温泉は新潟県境に近いところにあり、北陸本線で約50分ほどの所にある泊駅で下車、そこから更に15Kmほど内陸側にあった。近くには有名な宇奈月温泉郷がある。富山空港に着いてから会場まで約70Kmほどの移動が必要で、何でこの様な場所を会場に選んだのかといぶかりつつ移動したのであるが、時間が十分あることもあって車窓からの富山県の海、山、市井の景観を楽しむことが出来た。
10/9(土)降雨 病棟拘束 患者家族面談3件 代21回秋田県病院大会
2:30 起床。ドック処理x3、本読み、文献チェック他。6:30車病院着、回診,9:00-11:30入院患者家族面談、12:00散髪 、14:30-17:15秋田県病院大会途中から参加,懇親会は18:45過ぎに中座、病院へ。20:00帰宅。一瞬、孫、犬含め家族全員集合、 20:30就寝。
ノーベル平和賞に中国劉暁波氏
今年のノーベル平和賞は誰が受賞するのか、世界から注目を浴びていた。選考委員会は予想通り中国の民主活動家で作家の劉暁波氏を選んだ。昨年はオバマ大統領であった。またまた大きな話題である。今回の受賞は昨年以上にインパクトがある。
劉暁波氏は1989年の天安門民主化運動にかかわり、それ以来ずっと民主化を求めてきた方である。
2008年暮れ、劉氏は共産党独裁の廃止などの民主化を訴える「08憲章」を起草したが、これが「国家政権転覆扇動罪」に問われ懲役11年の判決を受けた。この判決にも国際的に反発があった。 今は東北部の遼寧省で獄中にある。
ノーベル賞委員会は、こうした活動を高く評価したが、今回の受賞は現在の中国の非民主的な人権無視の体制に中立を旨とする選考委員会で批判的判断を下したものであり、恐らく大きな論議を呼ぶことになるだろう。
中国当局は選考委員会に対して受賞させぬよう圧力を加えていたというが、委員会は中国側のこれに屈しなかった。このことは高く評価されるべきだろう。
中国が如何に国民の民主化要求を恐れていることがよく分かる。現段階での急速な民主化は国内に混乱をもたらし、恐らく大混乱を来すことを自らが予想しているのであろう。そのために政府は国際的評価を低めても国内対策を優先し、時にはナショナリズムを利用した政策をとっている。尖閣諸島沖の衝突事件などへの異常なだけの反論は中国が国際的ルール、外交上のルールに従わない国という警戒感を国際社会に与えているが、これは国民の関心を外に向けるための政策の表れだと思う。
ノーベル平和賞を劉暁波氏が受賞したことを中国の報道機関は伝えていないと言うし、関連サイトはクローズさせられていると言う。いずれ、このような異常な政策、情報操作は国民の反発の切っ掛けになると思われる。
劉暁波氏の受賞は中国の政治の歴史に大きな楔を打ち込んだことになる。
10/8(金)患者死去 KKフリール来訪 法人理事会 療養病棟歓送迎会
2:30 起床、7:10自転車病院。回診、患者関連書類処理。13:00秋田市保健所立入検査。16:00-17:15インフワクチン等安定供給対策会議。 17:30-18:20法人理事会。18:30-20:50療養病棟歓送迎会。21:20中座して帰宅。22:00就寝。
ガックリ来る患者の言葉(2) 超多忙の勤務医と暇な患者の対話
ガックリ来るのはもっと軽い、全く悪気のない患者の言葉もある。
それは、高齢者、あるいは定年で退職された年代の方々と私との間で交わされる会話である。ザッと診察を終えると次の受診や検査等の予約を取ることになる。「次の予約の日にちと時間の希望は?」と問うのであるが、「せんせ、私はいつでも良いです。暇です。病院の都合でかまいません・・」と言う言葉である。これは最近結構出てくるのであるが、私はその度ごとにガックリ来る。
患者は恐らく私共に気遣って「細かな配慮は不要です。そちらの都合でどうぞ・・」という好意で言ってくれるものだろうと思う。その配慮はそれで有り難いことであるが、ホントにガックリ来る。
病院勤務医は多忙である。急性期の病気を扱う総合病院に勤務している医師は、急患対応や手術・抗がん剤による化学療法、その他心筋梗塞に対するカテーテル治療などなど、外来では一切出来難いレベルの疾患の診断や治療を担当することに興味を感じ、かつ習熟していて、やりがいを感じているから勤務医を続けている。
少なくとも、私はそう感じて勤務医を続けてきた。だから、病院医師は外来診療はそれほど得意というわけではなく、主たる業務ではない。私は外来診療は患者がいる限り軽視できないし、病院の運営上も大事な仕事ではあると思っているが、決して得意でない。うまく対話しなければならないし、笑顔で患者を迎えなければならない。
で、私は週3−4回、一日平均5時間程度、50名程度の外来診療をしているが、ホンネを言えば実にストレスである。
外来担当はあらかじめスケジュール化されているから体調が悪くとも、徹夜に近い睡眠不足でも休むことは出来ない。年齢のせいか最近は慢性疲労状態にある。このような私が十分睡眠をとって元気な患者に「お大事に・・」と声をかけるのは辛いこともある。こんな時に「私は暇です・・」と言われるのはとてもきつい。
殆ど症状のない安定した状況の患者さんは、是非外来診療の専門家である開業医にお願いしたいのであるが、そう勧めてもなかなか乗ってこない。だから、まだまだこんな状態が続いていく。
「私は暇です・・」と「長生きはしたくないものです・・」は外来で聞きたくない言葉である。
10/7(木)外来 ドック診察+説明
2:30起床、ドック判定x4。徒然など。6:55自転車病院着、回診他業務。8:45-14:20外来+ドック説明。患者関連書類処理に集中。21:00車帰宅、夕食、21:45就眠。
ガックリ来る患者のことば(1) 深刻なのも 軽いのもあります
医師の心ない言葉によって傷つく患者は多い。このことは方々でもう十二分に語られている。確かにそうであろう。私以外のことは分からないが、私自身が相手のちょっとした言葉で傷つき易い性格だから、患者が受けたであろうショックはよく理解できる。
私どもの病院にも患者からいろんな意見が文章や電話、メール等で届けられる。そのうちの80-90%はクレームである。多くが病院のスタッフ、とりわけ事務系、看護師、医師等から心ない言葉を浴びせられたとか、不遜な態度で軽くあしらわれとても不快であった、と言うものである。そのような患者、あるいは家族からの意見、それを担当者がどう解決を図ったのかを含めて総て報告されすべてに目を通している。
それらの意見は確かに傾聴に値するものが多い。だから患者側から貴重な提言を戴いた、ととらえたい。ただ、こう言うことがありました、と言う記載や説明の部分に関しては多分当方の方に非があっただろう、と謙虚に受け取れるが、それに続く意見や抗議の部分となるとその表現は極めて辛辣であって、読んでいてガックリ来る事が多い。
肉筆の手紙や投書等にはそんなのは少ない。厳しいのはメールであり、電話である。メールではこれでもかこれでもかと次々と厳しい言葉が繰り返される。屋根瓦のようである。これはメールの特徴の一つと思う。
電話の場合にはたまたま電話に出た当院のスタッフが一方的に怒鳴られ、まくし立てられ、挙げ句の果てに責任者を出せ、院長を出せ、と話している間に徐々にエスカレートしていく相手の要求にどんな気持ちで対応したのかと考えると、例え当方に非があったにせよ、何でここまで言われねばならぬのか、と思う事もしばしばで私は本当に落ち込んでしまう。
勿論、各事例については実情を調査し必要な場合には機会教育として指導し、再発防止をしている。非が相手にあることが明らかな場合にはスタッフを労うこともある。
こんな深刻でない軽いのもある。それでもガックリ来る事がある。
10/6(水)晴れ 外来 ドック診察 県障害者施策推進協議会 県がん対策推進チームスタッフ来訪
1:50起床。ドック判定総括x1。文献チェック、自転車6:10病院着.6:30回診他病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-13:40 外来+ドック診察。14:00-15:20 県障害者施策推進協議会。15:45帰院。16:00 県がん対策推進チームスタッフ来訪懇談。21:00自転車帰宅、夕食、22:15就寝。
ノーベル賞(5)ノーベル化学賞に鈴木章・北大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授
2008年の今頃は米国の金融破綻のニュースが連日飛び交い、世界恐慌の再来もあり得ると世の中が不安をかき立てられていたが、ノーベル物理学賞を日本人3人が受賞したニュースが報じられて世の中がパッと明るくなった。驚いたことに、その翌日には米国国籍の日本人がノーベル化学賞も授賞した。とても忘れがたい年であった。
あれからもう2年も経っていたのか、と本日改めて感じ入った。またまた朗報である。今年も日本人がノーベル化学賞を授賞することになった。それも2名である。
本日の帰宅時、ヘッドフォンでNHKニュースを聞きつつ自転車で走っていて、鈴木章・北大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授が、今年のノーベル化学賞に決まった事を聴いた。3年前はカーラジオで聴いた事を思い出した。私も相変わらず変わり映えしない生活である。
両氏の関連と研究内容はまだよく分からないが、授賞対象になったのは有機合成化学分野で、
パラジウムを触媒として物質をを反応させてさまざまな物質を作り出す分野だ、とのこと。医薬品からエレクトロニクス材料まで応用分野がとても広いとのことで各分野で応用されている、あるいは応用が期待されているらしい。パラジウムを用いた有機合成は、日本人の化学といわれるほどに、わが国の研究者は業績を上げている分野とのことである。不勉強で私には初耳であった。私には正直なところ、どれだけ価値が高い研究なのかも分からない。
日本人のノーベル賞受賞者は計17人となった。科学分野でのノーベル賞は湯川氏以来15人となった。受賞頻度は加速している。日本の研究水準の高さを示すといって良いだろう。
NHKでは関連する方々の談話も報じていた。 同一分野の研究者の方々、文科相、菅首相も登場したが、私が最も期待した方、蓮舫行政刷新相は登場せず実に残念であった。事業仕分けで「どうして世界一でなければならないのですか・・」と発言した主はこの授賞に対して何とコメントするのか楽しみにしていただけ残念であった。
先進的、かつ実用的な科学技術分野の研究には日本の将来がかかっている。毎年化学賞では期待を持って授賞の知らせを待っているのは、スタチンの研究で国際的に評価されている、秋田出身の遠藤氏である。氏は今年も授賞できなかったが、授賞に最も近い位置にいるとされる。氏には健康管理をしっかりして戴きたい、と思う。
10/4 (火) 晴れ 外来 県障害福祉課スタッフ来訪 常務会 医局会
2:30起床,ドック判定総括x1。そのほか書類処理、徒然、7:10自転車病院着.回診他。8:45-13:25外来、14:00県障害福祉課スタッフ来訪打ち合わせ。14:45-15:30法人常務会。17:30-18:45医局会。レセプト対応。 21:00雨が降り始め車で帰宅、21:45就寝。
日本航空の「MD-81型機」ついに引退
日本航空の「MD-81型機」が9月30日三沢発羽田行きでラストフライトを迎えた。就航から四半世紀の歴史を持つこの機体が飛行する姿はもうわが国では見られなくなった。
私はこの型に随分乗った。 ボーイング767に次いでいる。JALは秋田空港を発着する札幌便、大阪便と羽田便の一部に用いていたからである。県医師会の役員、日医の委員会委員をしていた頃は高頻度で上京した。日帰り出張で9割近くは帰路は羽田18:00発の便を利用したが、殆ど「MD-81型機」でいつも満席で時には座席を確保出来ない事もあり、もっと大型機が就航しないかと思っていた。出張数が大幅に減った昨年あたりからエアバスA300-600Rとなった。これによって出張が一層快適になって喜んだ。それも束の間のことで、今は出張の機会が減少し、年に数回程度となった。
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「MD-81型機」は米ダグラス社が開発。座席数163の狭胴型ジェット旅客機で、1985年に 東亜国内航空(TDA) が導入した。一時は18機が国内で用いられたという。ダグラス社がボーイング社に吸収されてからはボーイング「MD-81」と呼ばれていた。主に国内の地方空港間に就航していた。 JAS と合併した日航は経営が破綻し、燃費が悪く運行効率の悪い旧型機の整理を進めているが、会社更生法適用後初の引退機種となった。実際にはこの後にJALのエアバスA300-600R、ボーイング747-400ジャンボジェットの引退も決まっているようだ。何れも脚光を浴びた機種であったが今はむしろお荷物になっている。時代の流れと言うことか。
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「MD-81型機」はエンジン双発のエンジンが機体優部に配置され、その影響で尾翼がT字形となっている。重いエンジンが後部にあるために重心が全体に後方あるために主翼より前方の胴がとても長い。このことから白鳥のようなイメージという見方があるようだ。主翼にエンジンがないことで主翼の効率が上がるし、エンジンが高い位置にあるために脚を短くできると言った構造上のメリットもあったのではないだろうか。操縦もしやすいというパイロットの意見もある。
しかし何分にも燃費が悪く、騒音もひどいことが問題にされ早々の引退が決まったようである。JALは「MD-81型機」に代わってボーイング737-800型機やエンブラエル170の就航を予定しているらしい。
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乗客として随分利用し、いろんな思い出がある、私にとって親しみ深い機種である。だから、先日新聞の片隅に乗った小さな記事を見つけ、「そうか、お前もついに引退の時期を迎えたか・・・」とちょっとだけ感慨に浸った。
10/4(月)雨 管理会議 剖検 安全管理院内巡視 療養病棟判定会議 長副会議
2:10 起床。ドック判定総括x2。7:10車病院、重症者回診、 7:45-8:30管理会議。患者家族面談。9:30剖検、10:00安全管理院内巡視。新入院対応。16:00療養病棟判定会議。17:00-18:55長副会議。 22:20車帰宅。夕食、23:00就寝。入院があったほか患者5人退院となり紹介状関連で多忙であった。
オペラ、「ラ・ボエーム」(2)十二分に楽しめた
オペラそのもののあらすじとかは他愛のないものが多い。私は結構オペラ好きであるが、台詞など真面目に見たこともないし、だから、あらすじもそんなに知っているわけではない。ただ、長い曲として音楽そのものを楽しんでいるだけである。好みと、レコード等で楽しんでいる頻度を作曲家別に並べるとヴェルディ>R・シュトラウス>モーツアルト>プッチーニ>ワーグナー>・・・の順になる。他の作曲家による作品は他に10曲くらい、とそんなに広くはない。
「ラ・ポエーム」は1830年代のパリを舞台にした若者の恋愛もの。当時の芸術家の卵達の貧乏な環境が良く表現されている物語で、男女がちょっとした切っ掛けで知り合い、一時疎遠になり、その後再会、間もなく女の主人公が病死する、といったことで、ヴェルディの『椿姫」にもよく似ているイメージである。
アトリオンホールは700席+アルファと小規模ないし中規模であるが、舞台装置もオーケストラも小規模でホールにはちょうど相応しい規模であった。規模の異なる何種類もの装置を用意してきていると思えないからこの程度のホールでの演奏を前提にして来日したのであろう。パンフレットによるとこの歌劇場は来日公演255回とある。各地を回るのにちょうど良いサイズなのかもしれない。
演奏そのものは十分楽しめた。小規模オーケストラもちょうど良かった。数人の代表的登場人物はおしなべて見事な声と演技を見せてくれた。20数名ほどの合唱団も脇役としての演技も緻密で自然であった。私はいつもオペラを見る度に脇役の演技に感心させられる。
バーデン市劇場のオペラにおける評価など一切知らないが、バーデン市はウィーンの南25キロにある温泉保養地。「ヨーロッパのオペレッタの首都」とも云われ、6月〜9月は保養を兼ねた音楽ファンが世界中から集まり、バーデン・オペレッタフェスティバルが開かれる、と紹介されているから、かなりのレベルなのだろう。舞台装置の転換は、目の前で10分程度で整然と行われ、舞台の雰囲気はみるみる変わっていく。これも見ていて楽しかった。
私がオペラを実際に観たのはせいぜい30本程度に過ぎない。そのうちの半数以上はウイーン国立歌劇場を初めとするドイツ、オーストリアの有名な劇場であり、次いでNHKホール、東京文化会館で観たスカラ座歌劇場やウイーン国立歌劇場の引っ越し公演である。その時のクライバー、アバド、ドミンゴを初めとする著明な方々の演奏はいずれも忘れがたい。しかし、本当に心から楽しめたのか、と考えた場合には今回の「ラ・ボエーム」が一番だと思う。とても素晴らしい演奏会で満足した。
しかし、終了直後に病棟から患者急変の知らせがあり、良い気分で浸っていた余韻は一気に破られ病院に急いだ。
10/3(日)曇りのち雨 病棟拘束 笑学校in中通総合病院 オペラ「 ラ・ ボエーム」
2;20起床.ドック総括、11:00車病院。回診他。13:00日本笑い学会東北支部秋田県人会による「 笑学校in中通総合病院」、14:00 アトリオンでオペラ「 ラ・ ボエーム」 、16:30病棟より連絡病院へ。20:00車帰宅、夕食、21:00就眠。
オペラ、「ラ・ボエーム」(1)アトリオンホールで初めてらしい
本日10月8日午後2時から秋田市のアトリオン音楽ホールでプッチーニ作曲の歌劇「ラ・ポエーム」が演奏された。オーストリアから「ウィーン一の森Buhneバーデン市劇場」の来日公演で、アトリオンでは初の本格オペラ公演との事であった。
バーデン市はヨーロッパ各地から王侯貴族や芸術家が集まる保獲地として栄えた。バーデン市劇場はフランツ・ヨーゼフー世の則位60周年を記念して 1716年に創立され、数々のオペラやオペレッタが上演され、オーストリアでも名門の一つとされている。 管弦楽はモーツアルティアーデ管弦楽団、指揮はクリスティアン・ポラック氏。
有名なオペラであるから多分満席になるだろうと考えた事と、日曜昼だから恐らく時間的には大丈夫だろうと今回は予めチケットを手に入れていた。満席か?と予想していたが何と2/3ほどの入りでしかないように見えた。これではペイしないだろう、と案じてしまった。
また、アトリオンホールは狭くオーケストラピットはなさそうでであるが一体どのようにステージ、管弦楽団を設置するのかも楽しみにしていた。そう広くもないステージに向かって2/3ほどを舞台として用い、右1/3ほどの間口で奥の方に縦に楽団を配置していた。私は今までオペラは大きな会場でしか見た事がないから、こんなのは初めて見る設定で、このステージに舞台とオーケストラを並べるという配列は実際に見るまで予想もしていなかった。また、歌われるイタリア語に対応し、ステージ両脇に字幕スーパーを設置していてオペラ好きと言ってもろくにストーリーなど知らない私にとってはこれがとても役に立った。
10/2 (土)晴れ 病棟拘束 NPO法人健康かけはしで講演
1:30起床、ドック総括他、本読み。本日の講演準備中心。6:30自転車出勤。回診、9:00ドック結果説明。講演準備、患者関連書類処理。 12:20秋田道・日本海道路を経て本荘に。13:30-15:40 NPO法人健康かけはしで講演。17:00無事帰院、回診再度、19:00自転車帰宅、夕食、20:00就寝。
NPO法人健康かけはし講演 改めて「生きがいとは・・」
本日午後、PM1:30から由利本荘市・市民交流学習センターで講演した。演題は「病気にかからない家庭の心得』副題は「生きがいとライフスタイル」。
健康かけはしは由利本荘市を拠点にした団体で、昨年あたり発足し、本年7 月 21 日 秋田県より?特定非営利活動法人として認証された。別の講演会で私の話をお聞きになった代表の方から講演の依頼があったもので このNPOの最初の事業とのことで、光栄なことであった。
わが国の高齢者福祉政策は福祉先進国と言われる北欧諸国に比肩出来ないレベルで、まだまだ十分とは言えない。改善すべき点はまだまだ少なくないが、私は比較的良い水準にあると考えている。現政府は政策として医療福祉政策に力を入れると表明しているが、今の国の経済状態と今後の人口構成の推移などからみて、将来的にもそれほど大きくは改善はし難いと考えられる。
そのなかで私を含めて高齢者はどのように老いと向き合っていけばいいのか、と言う話題が求められたと思う。その中では健康保持が要であることは論を待たない。それには、過度にへだたったライフスタイルを持たないこと、定期的に検診を受け、疾病の発見と治療を進めること。それに加えて、私が講演の中で強調していることは孤立しないことと、四肢、特に下肢機能の維持の重要性についてである。更に、これからは各人の死生観の確立が大事である、とも強調している。
よく生き甲斐ということが言われる。
「先生の生き甲斐は何ですか」と尋ねられて絶句した経験もある。今回の講演内容の準備は私の生き甲斐はなんだろうか、と考えなおす機会ともなった。
一つの到達点は、生き甲斐探しなど他人に聴いて考えることなどではない、と言うこと。生き甲斐とはどこかに確立されて存在するものではなくて個々人が創り出すもので、そのためには過去、現在、将来の自身の日々の生き方を考えるしかないだろう。
閉じこもって何か求め続けてきたものに集中してみるのも良いであろうし、社会とのかかわりの中で意味のある目標に向けて何らかの形でかかわることができれば、一層豊かになるだろう。生きがいは千差万別、自分流でいいが、あまり直向きに一生懸命頑張らないことも一つの条件になる。
一人ひとりは生まれも育ちも違う、個性的な人生を持っている。だから、自分ひとりが納得できる老い方をつくっていけばいい。ここまで生きながらえてこられたことに感謝の気持ちを持ち、常になにかを学ぶ心を忘れずに生きる、それがすべてかな、と思う。私はルネッサンス以降の人類の文化遺産を出来るだけ味わってみたいと思っている。そのためには体力と時間が必要である。少なくとも今の生活の中では不可能である。
そんなことを述べて帰路についたが、眠かったこと。日本海道路、秋田道をふらふらと帰ってきた。本日は準備時間も乏しく、やむなくJRでなく車にしたが、車の運転は私にとって危険であることも再確認した。
10/1(金)快晴 港北診療所代診 病院評価機構受審準備委員会
2:00起床、ドック判定総括x2。6:50自転車病院着、回診他病棟業務。8:30病院発、9:00-12:00港北診療所外来。16:00-17:00病院評価機構受審準備委員会。20:50自転車帰宅、23:00 就寝。
たばこが大幅に値上げ 厚労省が受動喫煙死年間6.800人と発表
健康志向の高まりや禁煙場所制限の増加で、喫煙率は低下しつつある。たばこが本日から大幅に、と言っても100円前後であるが、値上げされたのでその影響がどのように出るのか興味が持たれるところである。
日本たばこ産業の今年5月の調査では、喫煙率23.9%であった。1996年の時点もっとも売れていたマイルドセブンは200円で、当時の喫煙率は35%だった。15年後の今年は一箱410円になったが、この間喫煙率は10数%低下したことになる。
今回、たばこは咋年の税制改正で、20本入り1箱で70円の増税が決まった。これに収益確保分の値上げ数10円上乗せして値上げした。要するに便乗値上げである。1996年以来4回目の値上げであるがこれまでは30−40円の小幅の値上げであったが、今回が約100円ともっとも値上げ率が大きい。
厚労省はたばこ税をさらに値上げして喫煙率を低下させるべきだとの立場であるが、業界側は激しく反発している、諸外国、特に欧米では1箱1.000円程度も珍しくなく、私もそう考えている。たばこは喫煙者自身が健康を害するだけでなく、受動喫煙によって周りの人が健康を害する毒物である。わが国からたばこが一掃されるのが理想である。
この日の値上げを前に大量にたばこを購入している喫煙者が新聞紙上に紹介されていたが、中には30カートンも購入した人もいるという。喫煙者も大変であるが、喫煙は単なる嗜好とか習慣とかのレベルではなく一種の病気である。その治療のために早めに禁煙外来等への受診し、禁煙すべきであろう。
厚労省も喫煙と健康に関する研究を進めているようで、去る9月28日に受動喫煙で年間6.800人死亡していると発表した。値上げの時期を意識した発表であろう。
それによると、受動喫煙による死亡は女性が約4600人、男性が2.200人で、全体の半数以上の約3600人が職場での受動喫煙によって死亡しているといるとした。
研究班は、2005年に実施された受動喫煙状況に関する調査結果のデータをもとに検討を進めたという。非喫煙成人は約7.600万人で、女性は約 4800万人、男性は約2800万人であるが、 女性の約20%と男性の約80%は職場で受動喫煙にさらされていると推定した。さらに、受動喫煙による疾患罹患の危険牲が1.2-1.3倍に増加するという疫学鯛査結果があるのでこれを用いている。
その結果、年間約18.000人の肺がん死の女性の約8%、49.000人の肺がん死した男性の約1%は受動喫煙が原因であると判断した。同様の方法で虚血性疾患で死亡した患者についても推計した。両疾患をあわせて女性が約4.600人、男性が約2.200人で、併せて6.800人とした。このうち職場での受動喫煙は男女とも約1.800人と推計している。
哩煙者が吸う主流煙よりも、たばこの先端から立ち上る副流煙に、より多くの有害物質が舎まれる。厚生労働省は本年2月、飲食店やホテル、デパートなど多くの人が利用する公共的施股に対し、建物内での全面禁煙実施を求める通知を出したが、その論理的背景にこの推計があったのかもしれない。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |