徒然日記
2010年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(水)曇り 外来 定年退職者感謝状授与式
2:10起床、ドック判定関連ほか。6:30自転車病院着、旭川に鯉が姿あり。7:00回診ほか、8:45-13:00外来。 13:00-14:30定年退職者感謝状授与式。退院総括3部他。20:40自転車帰宅。夕食、21:30就眠。

今期をもって県医師会役員を辞退(4)新旧役員懇親会での挨拶(2)感謝いたします 
 今回,執行部から辞することにした理由はいろいろありますが、あえて整理してあげると、「まだ出来そうだ」と感じたこと,「組織に流れを作る」こと、加えて「私と周辺の事情の変化」で、これらが互いにリンクしています。

 「まだ出来そうだ」と感じたと言うことは自身に積極性を欠き始めた,と言うことです。これにはマンネリ化、気力・体力の減退も関連していると思います。周辺を見回せば、私以上に有能で活動的な方々が並んでおられます。このような状態の中、現状を継続出来るからと言って維持し続けることは私自身望むとことではありませんし、県医師会にとっても良いことではありません。今までもその様に判断して行動して来ましたし,今回も,今後もそうありたいと思っております。

 「組織に流れを作る」ことは組織の活力維持、さらなる発展・維持のために極めて重要なことです。その流れを状況を見て、時期を見て自らつくるのは組織の一員として常に考えていなければならないことだと思っています。今がちょうど良い時期だと考えました。

 「私と周辺の事情の変化」とは、病院の業務が医師としても管理者としてもますます忙しくなる一方で,自身や周辺の健康問題などプライベートにも懸案事項が次々と生じていることもあります。一方では、日々残り少なくなっていく時間を意識しているためか、やりたいことがますます増えていると言う、現実的な問題もこともあります。何かを整理しなければすべて中途半端になります。

 更に加えるならば、これが実際には大きいのですが、「小山田執行部体制」が有能なスタッフのもと十二分な活動体勢を確立しているという満足感と信頼感です。その一翼を担ってきた,と言う喜びと,私自身の役目は終わりつつあるという感覚、10数年にわたり医師会役員であったという拠り所、日医や県等の会内外の職務から離れる寂寥感を同時に味わっております。

 最後に、私自身は本来とても根暗な性格です。光を好まず、雑音を嫌い、アルコールを好まず、人付き合いすらも決して得手ではありません。私が医師会活動をしていなかったなら恐らくここにおられる方々誰一人とも言葉を交わすことは無かったでしょうし、私自身全く別な人生を歩んでいたかもしれません。
 このような私を大きく変えてくれたのは医師会を通じて知り合った方々のお陰であると思っております。本当に心から感謝申し上げ、県医師会の一層のご発展を願って辞任の挨拶とさせていただきます。(3月24日新旧役員懇親会での挨拶に若干加筆した)


3/30(火)降雪若干後晴 外来 法人常務会 医師面談
2:30起床、ドック判定関連。6:30Taxi病院着、7:00回診ほか、8:45-14:00外来+ドック結果説明3名。 14:45-16:00法人常務会。退院総括他。21:00自転車帰宅、芯まで冷えた。夕食、21:30就眠。

今期をもって県医師会役員を辞退(3)新旧役員懇親会での挨拶(1) 
 本日はこの様な会を催していただき大変ありがとうございました。
 私は今期限りで県医師会役員を辞することとし、会長、副会長から了承をいただきました。来期から困難な責務を負う新執行部の方々に心から敬意を表したいと思います。今後は一会員の立場から会員としての責務を果たしたいと考えております。

 私の医師会歴は結構長くなります。会員になったのは秋田大学の時でしたが、どんな経緯で医師会に入会したのかはよく覚えておりません。1985年現病院に赴任し秋田市医師会員に異動、1992年4月から4年間、市医師会の理事を1996年から10年間県医師会の常任理事を、2006年から小山田会長のもとでは2期4年副会長を仰せつかりました。

 医師会活動を通じてとても良い経験をさせていただきました。枚挙に暇が無いのですがそのうちの幾つかを挙げてみたいと思います。
■1993年に県南地区に自治医科大学病院が進出してくるらしい(?)と言う問題が発生、県医師会は反対決議をすると共に自治医大問題検討委員会が設置され、私も委員の一人に選ばれました。この問題は当時の佐々木知事の発案で、現実にはあり得ない構想であるという結論を得て委員会に報告しました。
■その時の働きが評価されたのか否か分かりませんが、1996年4月、故藤原会長の執行部が発足する際に県医師会常任理事となり危機管理部門も担当することになりました。同年7月国内にO-157問題が発生、県医師会内に相談室を設置し担当しました。
■寺田会長時代、1997年県医師会は設立50周年を迎えましたが記念事業の一つとして県医師会史(2)を編纂することとなり、広報・医報を担当していた私が責任者として指名されました。2000年3月に刊行できましたが、持ち前の経済観念ルーズさから予算より300万円も超過し、県医師会に大きな迷惑をかけてしまいました。
■2003年はSARS問題で秋田県担当部署と共に対策を進めましたが、国内発生例はなく事なきを得ました。この準備が新型インフルエンザ対応に役立ちました。同年秋、東北医連の席上、慈恵医大青戸病院事件関連の質問し坪井日医会長を怒らせてしまいました
■2009年、諸事情から役員の最後の一年と思っていたこの年に新型インフルエンザの流行を迎えたことは本当に奇遇でありました。10年以上も強毒型を想定して準備をしてきましたが、幸いなことに別タイプの発生・流行で、何とか乗り切ることが出来ましたが、感染症危機管理上大きな経験が出来ました。 
■2期4年間、小山田会長のもとで副会長を努めさせていただきましたが、私にとって本当に光栄なことでありました。十分なサポートが出来たのか、と自問すれば忸怩たるものがあります。

 この様にならべてみますと、随分長く役員をつとめたものだと改めて思います。ザッと総括すれば、随分頑張って来たと思う一方、やり残した事項の方が多かった様に思います。


3/29(月)曇り、管理会議 外来 療養判定会議(欠) 長副会議 医師国試合格発表+祝賀会
1:30起床、体調かなり改善。ドック判定関連。6:30徒歩病院着、6:45回診ほか、7:45-8:30管理会議、8:45-14:00外来、16:00療養判定会議(欠)対象者7名だった。17:00-19:00長副会議、19:40医師国試10名全員合格で祝賀会。21:30帰宅、 22:00就眠。

メタミドフォス混入中国餃子事件、捜査が進んでいたのか
 最初の被害発生から2年余、メタミドフォス混入中国餃子事件はどうなったのかと思いつつも半ば忘れかけていたのだが、一昨日、突然犯人が検挙されたと言う報道があって驚いた。

 普段から食品を購入している方々、中国との関連を持っている方々は決して忘れ得ない事件だと思う。国としても両国間で解決すべき重点課題の一つに挙げていた。しかし、最近ほとんどニュースとして掲載されることがなく、どうなっていたのかと気になる一方、もしかすれば中国側がうやむやに終わらせるのではとも思っていた。水面下では地道に捜査が進んでいたのか、と驚いたというのが実感である。

 この事件に関して、わが国の報道は大きいが、中国ではずいぶん簡単な報道ぶりだ、という。人民日報は容疑者拘束の記事を掲載さえしなかったらしい。中国が抱える経済的地域格差、貧富の著しい格差など社会のひずみから発生したからだろう、と言われている。
 経済的に恵まれない農民など出稼ぎ労働者を悪条件のなかで労働させていることで、労働者の不満が高じているという。犯行動機がここにあるとすれば、この社会的問題を解決していかなければ同じようなことが次々と生じていく。だから、今回犯人を拘束したことで事件がすべて解決したことにはならない。
 ただ、基本的には国内問題なのだろうが、わが国を始めとして並みいる先進国は中国を新しい市場、安い労働力・安価な製品を大量に提供する都合の良い途上国として扱い、国内の労働環境の悪化や、貧富の拡大問題等に拍車をかけていないのだろうか、と私は心配している。

 それと、事件当初、中国国内での混入を頑なに、ヒステリックに否定し、日本の捜査当局の考え方を激しく批判した中国の捜査関係者の姿勢も印象深く残っている。背景には国威の問題、国民性、二国間にわだかまる感情論等の背景もあると理解しているが、現時点ではこの点にはどう言及しているであろうか。


3/28(日)病棟拘束 来客 終日体調不良(?) 
2:30起床。ドック判定総括、文献検討、本読他持参の業務若干。7:00病院。8:30救急カンファ。11:00帰宅。14:00家内に来客あり、その後体調不良で臥床して過ごす。20:00夕食、20:30再度就寝。

医師の行為規範(6)患者の期待権
 医師には応招義務が課せられており、医師に対して大きな威嚇効果となっている。

 さらに、診療を断る事が出来ないのに、診療中の患者に有害事象が生じた際にはわれわれの側に損害賠償責任が発生する。その条件は■過失ある診療■患者に不利益が発生■両者間に因果関係、の3要件である。ただし、この際、適切な診療がなされていれば患者には不利益が生じなかった、ことを明らかに出来なければ因果関係無しと判断されるから、患者に不利益が生じたとしてもすべてが直ちに医療者側の責任に結びついた、というわけではなかった。そうであっても刑事・民事共に医師にとっては実に大きな負担となっている。

 ところが、昭和50年来、上記の如くでは患者側が不利であると言うことから、■過失ある診療■患者に不利益が発生した、と言う場合に、その因果関係が立証されない場合であっても、患者はその時点での標準的医療、過失などのない安全な医療を受けることが出来る、そう期待を持って当然という立場から患者の期待権という、新たな概念が導入された判断が行われる様になってきた。医師側は一層厳しい状況に押しやられてしまった。ただし、期待に反した結果が相当明らかな場合にのみ、これを認めるとの方向も最高裁は示しているのでわれわれ医療者に何でもかんでも期待権に反したという責任を問われるわけではない様である。今後の判例の蓄積が待たれるところである。

 そうは言えども、医療現場では実際には訴訟とかに至らないまでも、患者として、家族としての期待権が侵害されたというクレームが増えてきているのは現実である。
 私どもはあくまでも誠心誠意対応していくしかない。


3/27(土)曇り雪 病棟拘束 法人管理職会議 秋田県心臓血管外科 疾患セミナー
2:30起床、ドック判定総括、文献検討、徒然など。6:30半コース歩行で病院へ、7:10着、回診他、8:30救急カンファ。紹介状、退院総括患者関 連書類処理。挨拶準備。14:00-16:20法人管理職会議、締めの挨拶。18:10平安閣へ、秋田県心臓血管外科疾患セミナー、特別講演「院内暴力と 医療のあり方」聴講。徒歩にて20:20帰宅、夕食。21:00就寝。

アトリオン室内オーケストラ第32回定期公演『オペラの華・リートの心』
 アトリオン室内オーケストラ第32回定期公演が3月22日14:00からアトリオンホールで行われた。定期で声楽を取り上げるのは2007年8 月のフォーレ・レクイエム以来とのことである。
 先に、チケットの売れ行きが今ひとつとの連絡があったので3人分購入していたが結局誰も都合がつかず私一人で出かけた。それも時間的に苦しかったので前 半で中座するつもりだったのだが、最初の演奏からつい引き込まれて全部聴いてしまった。

 演奏曲目を演奏毎に分類すると以下のごとくである。

◎ アトリオン室内オーケストラ演奏・大島義彰(指揮)■歌劇「椿姫」より''乾杯の歌"(ヴェルディ) ■第3幕への間奏曲(ビゼー) ■カルメン・アラゴネーズ、第3幕への間奏曲(ビゼー)。
◎デュエット■「秋の歌」(シューマン) ■「彼と彼女」(シューマン) ■歌劇「カルメン」より(ビゼー)。
◎ソプラノ・長谷川瑠美子■歌の翼に(メンデルスゾーン) ■私は泣き呻き(ヴィヴァルディ) ■ハバネラ(ビゼー)、■セギディーリア(ビゼー) ■歌劇「トスカ」より''歌に生き、愛に生き"(プッチー二)。
◎バリトン・高橋祐樹■菩提樹(シューベルト) ■愛のよろこび(マルティーニ) ■闘牛士の歌(ビゼー) ■歌劇「椿姫」より"プロヴァンスの海と陸"(ヴェルディ)。

 ソプラノの長谷川留美子氏は東成瀬村出身、バスの高橋祐樹氏は横手市出身で共に何度か聴いている方々である。最初の合奏ではヴィオレッタのソロ部分をコ ンマスのヴァイオリンソロが担当したが特に実に素晴らしく引き込まれた。
 お二人のソロ、デュエットも魅力的で引き込まれたが、最後に長谷川留美子氏が歌った「トスカ」より''歌に生き、愛に生き“のクライマックス部分は圧巻 で、豊かな声量でアトリオンホールに共鳴しつつ響き渡り、演奏後の拍手、歓声も一際であった。

 アンコールとしてモーツアルト歌劇「ドン・ジョバンニ」から二重奏が演奏されるとの紹介があったが、終盤に何度かPHSが振動したので私は中座し、病院 に急いだ。


3/26(金)雨・降雪 夕に積雪3cm 法人理事会 外来定年退職看護師を祝う会
2:30起床、ドック総括x1。6:40病院着。7:20回診、病棟業務。13:30ドック診察、16:00患者急変、対応。 17:30-18:45法人理事会。19:00外来定年退職看護師を祝う会。21:00途中徒歩で帰宅、21:30就寝。途中激しいこむら返り2回、病棟からの電話で熟睡できず。

「日赤跡地の再開発・有効利用計画」はこれで良いのか?(2)現状維持はダメか?
 本当に「美術館」移転、「秋田市にぎわい交流館」建設で街の活性化に創出につながるのか、については私も疑問に思う。

 箱物だけでは一過性の効果しかない。如何に継続的に人を呼べる様な企画を次々と繰り出すことが出来るか、の方が遙かに重要である。そのソフト面でのプランは計画されているのだろうか?それに、新企画実施は現存の施設のままでも不可能ではないと思うが、その動きも見えなかった。私は音楽が好きな方で、出来るだけ足を運ぶが、アトリオン、県民会館、それに文化会館の音楽ホールは自主企画が少なく有効に活用されていると思えない。それに、そもそも30万都市に音楽ホールが4つも要るのか?需要はあるのか?疑問である。建設後は確実に集客出来る企画を繰り出すことが出来るというのだろうか。

 確かにこの土地の有効利用によっては街の活性化に繋がる可能性はあるが、上記のプランでは心許ない。何も急ぐことはない。箱物を立てて効果がなかったでは後戻りできないし、経費が相当かさむだけに目もあてられない。現状のままでは本当にダメなのだろうか、とさえ思う。

 いっそのこと、災害時の市民の避難場所として、また、今まで通り、各種のエベント会場・駐車場とかに臨機応変に利用しながら時期を待つのはどうだろうか。今のままではダメだという大きな理由、焦って進めている様に見えるこの計画の真の背景は何なのだろうか。
 主目的が街の活性化だとしたら・・期待し難い。多目的の空間としての価値は論じられたのだろうか。


3/25(木)降雨降雪 外来 法人評議員会 県健康作り審議会 療養病棟診療部会 医師面談
2:30起床,ドック総括関連。文献検討。6:10Taxi病院着。6:30回診他、8:45-12:00外来、12:30-13:55法人評議員会関連、15:00-17:00県健康づくり審議会。17:15-18:00療養病棟診療部会、18:00医師面談。21:00雨天でTaxi帰宅、 21;30就寝。

「日赤跡地の再開発・有効利用計画」はこれで良いのだろうか?(1)現計画の実効性は?
 秋田市街地は中央地区の人口減少、高齢化、郊外型の大型商店や遊興施設の隆盛のためにここ10年以上も人通りも少なく、閉鎖した商店も多く活力を失っている。市の活性化は喫緊の問題とされ、そのために秋田市中通の日赤・婦人会館跡地の再開発事業が注目されている。私も連日の通勤時にこの場所を通過するので、関心が全くない、と言うわけではない。

 この件については秋田市だけでなく秋田県も濃厚に関与しているらしい。互いの担当分野は異なるのであろうが、県と市が関連しているとすればどちらかの方針で事業が進むとは考えられず計画を進めるには両者の連携が大事であるが、今のところ両者の動きはバラバラでかみ合っていないように見受けられる。
 先の県議会は予算を来年度の予算案を18日に結審する予定であったが、美術館移転を含む計画の審議が不十分という理由で会期を延長して検討を進めることになった。会期の延長など県議会レベルではそうある事でない異常事態らしい。一方、秋田市は24日に定例本会議で「秋田市にぎわい交流館」(仮称)関連予算約30億円を含む2010年度の一般会計予算案を可決した。 
 日赤・婦人会館跡地の再開発事業はいつころからスタートしたのか分からないが随分、5年も前から話題になっているように見える。しかし、端から見ていると堂々巡りでさっぱり進展しているようには見えない。いろいろなプランが出てきては消えしている。
 議会でもまとまらなかった。と言うことは、説得力のあるあるいは実効性のある強力なプランがないと言うことだろう。

 「平野政吉美術館」の再開発区画内への移転は活性化計画の大きな目玉であるらしいが、移転についてはいろいろまだ議論は尽くされていない様に見える。一方ではもう美術館の理事会は移転を承認したというし、既に新美術館の設計が始められているとの報道もある。どうなっているのだろうか。すっきりしない。 
 多目的音楽ホールを持つ「秋田市にぎわい交流館」(仮称)の意義についても賛否両論である。県民会館、アトリオン音楽ホールが近くにあるのに、新しく作っても果たして人が集まるのだろうか、駐車場は有料になりそう・・などなど疑問があげられている。本当に人を呼べる施設になるのだろうか?
「美術館」「にぎわい交流館」共にその面では期待出来そうもない。


3/24(水)降雨 外来 法人評議員会 県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会
2:20起床。ドック判定総括x1。徒然など。5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ。8:45-12:10外来、12:30法人評議員会+昼食会。15:30県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会。中座して病院、残業持参19:50帰宅、20:30就眠。

「リンデンバウム」って何だ??(2)「ローカルコミュニティーエリア」「エイジフレンドリーシティ」とは?
 若手にとってはスッと入ってくるカタカナ語でも高齢者にとってはかなり難しいのだろう。高齢の方々にとっては意味不明のカタカナが並んでいるだけであって、記憶力・記銘力が衰えた状態の方には覚えるのも大変で、気の毒である。

 何年も前の話であるが80歳ほどのご高齢の夫婦が「インデンバング」と言うところに入所の申し込みしたい、と言って健康診断書を持って外来を訪れた。しかし、そんな格好いい名前の施設はない。10分もやりとりして実は私どもの協力施設の「特別養護老人ホーム リンデンバウムいずみ」のことを指していることが分かった。このお二人は最後まで「インデンバング」と言い続けていた。必死になって覚えてきて訂正がきかなくなっていたと思われた。同じ協力施設として傍らに「ケアハウス スプリングヒル」というのもあるが、高齢の方に正確に呼ばれているのだろうか。

 私どもが何とはなしに使っているカタカナ混じりの日本語は、英語を多少とも知っているから意味を含めて理解しやすいのであるが、高齢者には理解も覚えるのも難しいと思うが、最近は県や市の高齢者対策にもカタカナ語が氾濫しているようである。

 2月の県議会での話。高齢者が半数以上で生活維持が困難になりかかっている地域は「限界集落」と呼ばれることもあるが、言葉から受けるイメージが悪いと言うことで県は「小規模高齢化集落」と言い換えたようである。しかし、それではあまり差がないと言うことで、ある議員から「ローカルコミュニティーエリア」と言う言葉が提案されたという。これは話題のレベルで終わって採用されたのではなさそうであるが、私自身は「限界集落」の方が実態を示していて良いと思う。

 一方、秋田市では「エイジフレンドリーシティ構想」が2010年からスタートするらしい。この名前はWHOが2007年に提唱したものらしく、日本語では「優しい街づくり構想」と言うことになる。高齢者にとって住みやすい都市環境、都市機能を高め、自立高齢者、介護を必要とする方々にも配慮するというなかなか良い構想である。この「エイジフレンドリーシティ構想」は全国でも初の試みとされ、秋田市で政策として超高齢化に真剣に対応しようとする意気込みの現れである、と言う。本当に高齢者に「優しい街」をつくろうということであれば、高齢者に優しく、日本語で「優しい街づくり構想」としてはどうだろうか。
 「ローカルコミュニティーエリア」「エイジフレンドリーシティ」に関しては秋田さきがけ新聞のコラム欄を参考にした。


3/23(火)降雪若干・曇り 管理会議 外来 常務会 療養病棟判定会議 医局会 長副会議
2:10起床,ドック総括関連、文献検討など。6:20病院着。6:45回診、病棟処置、7:45-8:25管理会議。8:45-14:00外来、 14:45-16:25常務会、16:00からの判定会議は出席できず。17:30医局会『診療報酬改定について』。18:45-20:25長副会議。 21:30帰宅、22;00就寝。

「黄砂」ならず「黄雨」 わが国は中国大陸の風下で環境の影響をもろに受ける
 21日(日)朝7:00何時もの如く病院に向かった。昨夜からの強風に加えて中等度の雨であった。雨雲のためにいつもより暗いが、視界は何時も程度でそ う悪くない。勿論、ワイパーを動かして走ったのであるが、いつもとはちょっと様子が違った。いつまでもフロントガラスが綺麗にならないし、寄せられる雨水 がうすい泥水様に濁っている。それほどフロントガラスが汚れていたのかと訝ったがそうでもなさそうである。5分以上も走ってこれは一昨日頃のニュースで予 告されていた中国の黄砂の影響だろうと気づいた。

 何年か前に黄砂を経験したときは視界が全体に黄色みを帯びていたのであるが、今回は上空で雨雲の中に溶け込んだので、視界としては比較的影響が少なかっ たのだろう
 ラジオの昼頃のニュースで秋田気象台は県内で黄砂を認めたと述べていた。午前から昼にかけてのことは分からなかったが雨も晴れていたので大気全体が黄砂 の影響を受けたのかもしれない。所によっては見通しが5Kmにまで落ちた所もあるとのことであった。

 地方紙さきがけ新聞の記事によると、県内での黄砂観測は2007年5月下旬以来でほぼ3年ぶりとのことで、黄砂は同日午前6時過ぎに観測され、午前中は 空がどんより黄色くかすんで見えた、とある。雨が降っている間だけのことしか分からないが、少なくとも私はそうとは感じ取れなかった。

 病院で車から降りると白のプリウスが黄色みを帯びて小汚くなっていた。降った雨の中の黄砂は乾燥したあとはこすってもなかなか取れない。私は雨が降らな いと乗らないから何時まで汚れたままになりそうである。そういえば、自分のプリウス中古で購入してから約5年間一度も洗車やワックス掛けしたことはない事 に気づいた。だから特にひどく付着したのかもしれない。

 黄砂は何度か経験あるが、その度毎にわが国は広大な中国大陸の影響をもろに受けるものだと思ってしまう。黄砂の如く自然災害ならまだ納得も出来るが、中 国の高度成長、急成長による大気汚染、モータリゼーションの普及、更に原子力発電の事故などの場合、酸性雨や放射能汚染をわが国は風下なのでモロに被るこ とになる。その意味でも中国とは良い関係を保ちながら環境問題、事故防止などわが国の進んだノウハウを生かして災害を予防して欲しいと思う。

 これは広い意味で、国の安全保障にも関わる重大な問題である。普段はその影響が見えないだけに忘れているが、黄砂が去って綺麗な青空を見ながら、今回も 考えてしまった。


3/22(月)振替休日 曇り アトリオン室内オケ第32回定期演奏会 徒歩と自転車通勤開始
2:00起床、新聞・文献チェック。体調不良のために朝の休日出勤なしに。患者関連書類他。13:00徒歩にてアトリオンに。 14:00-15:45アトリオン室内オケ第32回定期演奏会。二人のソリストは共に見事であった。16:00-19:45病院、重症患者回診、紹介状他。20:20本年初自転車帰宅、夕食、21:00就眠。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(9)顔は個性、下手な直筆も個性(1)
 私は直筆によるサインあるいは文章は最終チェックが自らしたと言うことを明らかにするために、あるいは書簡等に血を通わせる(?)ためにとても重要だと思って結構こだわっている。

 1986年にワープロを購入し文章書きのほとんどをこれでこなすようになり、 1993年からパソコン化した。私は文章を書くのは嫌いではないが、字が下手と言うコンプレックスもあったのでこれらの器機を使えるようになったことは感激物であった。同機種を複数台購入し、職場にも持ち込み処方箋の一部、証明書類にも応用した。書類の発行者のサイン部分は特に指定がなければ印鑑でも良いと言うことになっているが、私は印鑑のみで済ますことはほとんどなく、可能な限り自筆でサインしてきた。下手な字で、あえて丁寧に書かず、個性的に直筆のサインをしてきた。
 今は病院業務も全てオーダリング化して文書の大部分も打ち出しになった。このシステムでは書類作成の記録が残るために作成者は特定できる。だから必要ではないのだが、それでも、書類、処方箋等には直筆サインにこだわっている。

 処方箋については、かつて私が関知しない変更がなされていた経験があるために特にこだわっている。先日診療介助についた看護師数人に処方箋に直筆のサインをしている医師は何人ほどいるのか、と確かめたところ押し並べて私以外いない、と言う。私が勤務する病院の処方箋の大部分を受け付けている薬局の薬剤師に聞いても同じであった。極めて希の様である。80人ほどの医師の中で一人らしい。

 プリントだけの書類でも発行者の名前が印字してあれば真の匿名の情報には当たらない。しかし、実際に誰が最終的にチェックして発行したのか分からない。規則上のあるいは法的な意味で責任者はいるのだが、実質的には匿名と大差ない。それに、とても無機的な感じである。

 このように、朱印、ゴム印が押してあるとは言え、印字だけの書類と何ら代わりがないから、これらが当たり前に通用すること自体が異常である。プリントがなく直筆が当たり前だった頃、最後を捺印で締めくくる意義はそれだけあったと思うが、これからプリントの書簡、書類はますます増えていくだろう。だから、サインの意義は一層大きくなった。日本も早く印鑑に変わってサインが尊重される時代になって欲しい。

 私は下手な字も個性であり、発行書類に対する責任をはっきりさせるためにも直筆の署名にこだわる。顔が見える連携とか関係は大事だと言われる。その通りだと思うが、無機的なプリントの文章、書類等はこれに逆行する。
 直筆のサイン、直筆の書簡は個性的な顔に匹敵するほどの価値を持つと思う。


3/21(日)春分の日黄砂雨 病棟拘束 
2:00起床、新聞チェック。関連文献検討ほか。7:10病院。黄砂で黄色の雨。回診ほか。8:30救急カンファ。11:00帰宅、ドック他患者関連書類。片付け、本読みなど。16:00-18:45病院、重症患者回診、紹介状など。夕食なし、20:00就眠。

クロマグロ問題:世界の胃袋、日本には今後一層厳しい目が向けられる 
 絶滅の恐れがあるとして、大西洋・地中海産クロマグロの国際取引をワシントン条約によって禁止するよう求めていたモナコの提案が条約締約国会議で退けられた。私は採決結果そのものにも、20:68票の予想外の大差にも驚いた。

 日本の市場に出回るクロマグロの量が半分になる事態は、なんとか回避できたが、私はこの騒動に関して繰り広げた、NHKをはじめとし、新聞等メディアの報道の姿勢が理解できなかった。日本人のエゴ丸出しの論理に思えてならない。
 今回の問題はクロマグロ、刺身や寿司のトロの問題に矮小化できない大きな問題を含んでいるからである。
 私はクロマグロが口に入らなくても別に困らない。質はピンからキリまであるらしいが、高級食材でかなり高価らしいがその辺のことは全く知らない。それどころか、金さえ出せば世界中の食品をいつでも食べられることの方に異常性を感じているからで、私は食卓にあっても心から楽しめない。

 今回の採決結果は、日本が発展途上国を中心に各国に特使を派遣するなど地道な努力をしてきたことが実を結んだとの考え方もあるが、私は日本の資源保護に対する考え方が認められたわけではなく、日本の異常と思えるクロマグロ珍重の食文化が容認されたわけではなくいろんな思惑が錯綜している、と思う。
 要するに、発展途上国と先進国間の生活基盤の違い、途上国の先進国に対する感情の他、ほとんど生活に密着していないシーラカンスやジュゴンのような珍種の魚類の保護と同列にワシントン条約の下で漁業の対象魚が規制されるようなことになれば、漁業に大きく依存している途上国にとっては生活基盤を失ってしまう、と言う理由が大きい。科学的に資源管理しながら、利用していくべき、という日本の主張が認められたわけではない。それに、アフリカやアジアの漁業国にとって日本は顧客であるとの立場はあったかもしれない。

 この海域のクロマグロはこれまで同様に、大西洋マグロ類保存国際委員会が漁業資源として管理される。大西洋や地中海のクロマグロが乱獲によって激減しているのは事実であり、漁獲の大部分を日本人が消費している。今回の問題を機会に日本の胃袋に国際社会の厳しい視線が注がれるだろう。

 今回の問題はクロマグロだけの問題ではない。
 全世界的には食糧事情が逼迫しているのに、自国の自給率の低さを放置し、金に任せて食料をかき集めて、過食飽食して生活習慣病にかかり、しかも 20-30%も無駄に廃棄している日本の在り方は批判されてしかるべきだし、食料輸出国が経済的に潤ってくると食料を自国で消費するようになる。

 だから、今後日本が輸入できる食品事情は変わっていくだろう。食べなくとも済まされるクロマグロなどの高級食材だけの問題ではないのだ。


3/20(土)曇天雨 病棟拘束 ドック診察 糖尿病診療のup-to-date  女性医師が働く環境研修会(欠)
2:00起床、人間ドック関連。新聞・文献・資料検討、6:50病院着。7:30回診他。8:30救急カンファ、退院総括他。 15:000-18:00医師会生涯教育講座「糖尿病診療のup-to-date」。同時間に行われた女性医師の環境研修会19:20帰宅、夕食、 21:00就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(8)匿名での発信でも特定され得ることを知るべし
 インターネット上あるいは携帯への活字だけの匿名の書き込みは、活字があまりにも無機的であることから、総てではないにしろ表現が相手を傷つけやすく、時には危険なツールとなる。
 大体、匿名であっても情報を自由に個人または不特定の多数に送りつける事が出来ると言うこと自体が異常である。まず、この視点を明らかにしておくことが重要である。だから、受ける側が立脚点をしっかりしておけば、必ずしも深刻にはならないで済む、と割り切ることもできる。

 発信者を特定できないメール等の情報は無視してもかまわない。いや、無視すべきだろう。そうすればそれほど深刻ではない。私は日に100件以上のメールが来るが、9割以上は見もせず破棄する。後ろめたさはない。むしろ、迷惑と思っている。
 ネットは、誰もが平等に参加し議論ができるという特性がある。それをうまく利用すれば、素晴らしい言論空間として生かすことが可能だが、気軽に書き込んだ言葉が書き手の想像を超えて相手を深く傷つける場合もある。発言には責任が伴う。だから、匿名で情報発信は基本的にすべきでない。

 先日、ネット上の書き込みも、名誉棄損罪が厳しく適用されるとする初の判断を最高裁が示した。他人を傷つける可能性のあるネットでの安易な情報発信に対して示した妥当な判断だ、と思う。ネットといえども実際には野放しではない。発信者が特定されうるのだ。プロバイダー責任制限法(2002年)で、被害者はプロバイダーに発信者の情報開示を求めることができるようになった。この最高裁判決例ではそうして発信者が特定されている。

 私どもの行動は意外なところで記録されているということを自覚すべきである。街中には監視カメラがあふれている。多くのビルやマンションには訪問者が記録されている。携帯電話は通信記録が残っているし、今回のトヨタのクレーム・リコール問題に関連して分かったことは車に搭載されたコンピューターにも運転記録が残されており、アクセルやブレーキの作動状況が後に解析され得ると言うことである。

 個人情報が尊重される時代になったからこれらの情報がむやみに公開されることはないだろうが、ネット上での匿名の情報発信と言え、最終的には個人が特定される可能性もあることを知った上で参加すべきである。


3/19(金)曇り 森京都府医師会長来秋歓談 県障害者施策推進協議会 研修修了証授与式 療養病棟歓送迎会
0:30TELにて病院へ、患者死去。3:00帰宅、微睡4:00起床、、献けんkenn u いさくいいんかい文献、徒然他。7:05病院着、回診ほか。8:00救急カンファ。12:50京都府森会長来秋歓談View12F 、中座し。14:00-16:10県障害者施策推進協議会。16:30研修修了証授与式。18:00-20:10療養病棟歓送迎会。患者不調で中座、病棟へ、患者死去。22:00帰宅、22:30就寝。

医療妨害禁止仮処分など(2)医療側は弱者ではない
 最もクレームが付けられやすい業務、職種は行政、医療機関、教育の現場とされる。この中で医療機関は医療を受ける側への配慮からこれらのクレーマーに対し懇切丁寧に対応して来たが、最近は要求がますますエスカレートする傾向にある。

 医療においては標準的治療が行われても必ずしも患者が期待する結果に至るとは限らない。医療には限界があり、不確実な部分を包含する。しかも、患者の検査や治療に関する理解や協力状態、生活習慣等によっても左右される。だから、この部分に関連する内容のクレームについては医療機関側が一方的に責めを負う必要はない。仮に診療上、わずかながらも問題があったとしても、その点はその点として認める必要があるが、常軌を逸した要求は断固として異議を述べて巨絶するべきである。

 まだ実例としては少ないが、最近、患者クレームの不当性を医師が訴え、医師側が勝訴したという画期的なニュースも見られる。一例として千葉県の例をあげる。耳鼻咽喉科で適切な治療にもかかわらず病気が治りきれず後遺症が残った。67歳の患者は当該医師に約20回、「170万円を支払え」とする文書を送付した。これに対し、医師が男性に200万円の慰謝料を求めた。裁判所は「治療は適切で金銭の請求に正当性はなし」とし、男性に30万円の支払いを命じた。これは患者のクレームに対し医師側に慰謝料が認められた異例の判決として評価されている。

 医師や看護師、事務系職員に暴言を浴びせたり、暴力行為に及ぶ患者も少なくない。病院管理者はスタッフの安全を守る義務があるので、警報ベル設置、さすまたの設置、警察への通報など種々の取り組みを進めている。

 クレーマーのかなりの部分は代償を求めてくる。この場合は、早急に弁護士に相談する必要がある。
 執拗に面談を要請したり、ストーカ一的につきまとう行為に対しては、面談禁止の仮処分などを裁判所に申し立てることも出来るし、被った損害には賠償の請求も可能である。

 徐々に時代は変わりつつある。患者や家族には医療には限界があり、不確実性もあることを理解して戴く事が重要である。
 確かに、患者の期待権という権利、これは本当に権利なのか私には分からないが、必ず治る、死ぬはずがない・・等の期待は心情的には理解できるが、状況はケースバイケースである。医療では何ともし難い状態をいつかは必ず迎える。このことすら理解されておらず、病状を説明しても受容していただけず驚くことも少なくない。何しろ今までに死ななかった人は一人もいないのだし、今いる人も、これから生まれてくる人も必ず死ぬことになっているのに、である。


3/18(木)曇り 外来 医師面談 研修管理委員会 院内感染症対策委員会(欠) 21世紀の医療を守る会
2:20起床。文献新聞など、徒然。7:00病院着。回診、机上書類処理。8:45-14:00外来。途中何となく不調、特技の5分間睡眠を3回で乗り切る。15:00医師面談、16:00-16:45研修管理委員会。18:00-20:20 21世紀の医療を守る会,中座し病院。帰宅。21:20帰宅、夕食、22:00就眠。

医療妨害禁止仮処分など(1)傾聴すべき苦情と、理不尽な要求がある
 かつてはごく一部であったが、病院や診療所に理不尽な要求を執拗に繰り返す患者、クレーマーがここ数年増加している。ひとたびこの様な患者に遭遇すると、解決までに時間がかかり、その間に関連した医師のモチベーションが低下し、精神的な危機に陥ることも少なからずあり、職員に及ぼす影響も小さくないだけに医療機関として深刻な問題である。

 クレームを付けられやすいのは行政が最も多かった。最近は教育界、医療界が多くなってきている。これら三者が代表格となっている。学校に対して理不尽な要求を付きつけてくる父兄が多くなっており、学校側はこのような父兄を「モンスターペァレント」と呼んでいる。父兄とトラブルが原因で鬱状態になり休職や退職にいたる教職員も少なくないという。

 医療機開にもこのようなクレーマーが増加してきている。「モンスターペイシャント」と呼んでいる。従来から医療機関はこれらのクレーマーに対しかなり丁寧に接して来たが、そのことが逆効果となってクレーマーの要求がエスカレートする傾向にある。耳を傾けるべき患者の苦情と、理不尽な要求とをしっかり区別する必要があり、それに応じた対応が必要である。

 医療妨害禁止仮処分と言う聞き慣れない司法判断がある。
 病院が患者やその家族を相手として裁判所に医療妨害の禁止命令を求めて申し立てる仮処分である。平成20年3月にさいたま地方裁判所越谷支部で埼玉県下の公立病院が入院患者家族を相手として申し立てた件が認められたが、この例が全国で初例らしい。詳細は知ることが出来ないが、恐らく、乱暴な言葉や態度で病院職員を畏怖させたり、虚偽の内容をまくしたて病院を誹謗中傷したりで他の患者の病院に対する信頼を損わせること、など、相当深刻な問題があったと想定される。
 この様なケースにおいては病院側はぶれない毅然とした態度で対応する必要があり、一定レベル以上のトラブルに対してはこの様な法的処置を求める必要がある。

 医療機関側も一方的に責めを負うべきではない。医療事故にまつわる多くの判例は患者側が原告になっているが、最近では医療機関側が訴え原告となっている例も見られている。


3/17(水)曇り雨 外来 秋田市新型インフ意見交換会 県医師会常任理事会
2:10起床、文献など。5:45病院、6:30回診・病棟業務。8:45-14:00外来、入院患者家族面談2件。15:00-16:20秋田市保健所新型インフ4病院評価会議。17:30-19:30私にとって最後の医師会常任理事会。20:50帰宅、22:10就眠。

没個性化する何代目○○襲名 個の時代に新しい発想は如何? 
 私は落語が好きである。ここ数ヶ月、知人を介して図書館から落語のCDを借用してもらい、それを個人的に録音して通勤時等に楽しんでいる。落語は他の国にあるのかどうか分からないが、素晴らしい芸術だと思う。

 名人とされる師匠方が残した録音はいずれも素晴らしい。ところが同じ名前の名人が沢山居てさっぱり何が何だか分からない。NHKに蓄積された録音は NHK落語名人選としてCD30巻にまとめられている。その一覧表を見ると10代目金原亭馬生、8代目林家正蔵、3代目金馬、6代目円生、5代目志ん生・・・と総てが何代目かの名人である。落語は小学生の頃から聞いているのでかなりの数の名人を聴いてきたと思うが、名前は分かるものの実際にどんな方だったのか、今となっては殆ど分からない。

 師匠の名を襲名して○代目○○と名乗ることはその道では最高の栄誉なのかもしれない。しかし、趣味の一つとして落語を楽しみとしているレベルの私にとっては意味は理解できるが、それほどの深い意義があるようにはなかなか思えない。むしろ、同じ名の師匠でもそれぞれが個性的だから同じ名前で呼ばれて没個性化するよりは、最も芸が伸びて名が知られる様になったときの名をそのまま用いて活躍する方が良いと思う。襲名して後、現役で活躍しているときはまだ良いのかもしれないが、引退又は死去したあとは各人は忘れ去られることになりやしないか、と心である。

 笑点に出演している三遊亭楽太郎師匠が6代目円楽を襲名するのだそうだが、先代も個性的だったし、楽太郎師匠も別の意味で個性豊かだから、今後同じ名前で呼ぶにはちょっと違和感がある。入門後それほどの時間が経っていない様な若手にはおかしな名前が付けられている場合もある。そんな場合には出世魚の如く途中でより相応しい名前があれば改名するのは良いだろう。
 同じような世界は文楽、歌舞伎、相撲にもある。それぞれ価値ある名前とは思うが私には区別がつかない。参考資料を調べても先代、先々代のことは殆ど思い出せない。
 今は、個性が重視され、個々人の存在が尊重される時代であるから、それぞれが個を保ってその道の歴史に名を残すのはどうだろうか。
 
 直接関係のない、第三者の気軽な感想である。


3/16(火)雨 外来 常務会 県病院協会臨時総会 医局送別会 
2:10起床、文献・新聞・ドック関連など。7:00病院、7:30回診・病棟業務。8:45-14:00外来。14:45-16:20法人常務会。 17:30-19:00県病院協会臨時総会講演会、中医協関連。19:10-20:40医局送別会に合流、中座し帰宅。21:20就寝。

政権後退(3)真の怖さは国民が政治にそっぽを向き誰も投票に行かなくなること
 鳩山内閣は本日発足半年目の節目を迎えた。
 歴史的な政権交代を成し遂げたが、その熱気は冷め、政権後退という言葉の方が相応しい様な状況にまで零落してきた。支持率は危険域と言われる30%に近似してきた。今後の政局の予想を観れば支持率が上昇する様な機会はあると思えない。残念なことであるが、鳩山内閣は短命に終わるかもしれないと思う。ズルズルと延命を図ると徐々に泥沼化していく。

 私自身は新しい民主党政権に対する期待は失っていない。しかし、安心してみておれない。首相の決断力・指導力、トップ二人の献金問題もある。重要閣僚が首相を支えていくという確固たる信念も見えない。バラバラなのが気がかりである。その中で最も気がかりなのは次次年度に向けての党の経済政策の不透明さである。子育て関連、高校教育無償化など、資金が多く必要な政策をマニフェストに沿って進めているのだが、一方で収入を増やす政策はあまり明らかにされていない。

 自民党には不満でもう支持できない。民主党は不安だが今回はやらせてみたい、と言う期待と不安が入り交じった政権交代であったが、その不安が現実のものになりつつある。さりとて、自民党の改革が進んでいない。舛添氏と与謝野氏の動きが目立ち始めた。鳩山氏が離党した。しかし、再生の動きと見え難い。むしろ混迷を深めているイメージである。

 政権後退は単に自民党や民主党と言った政権の問題に矮小化できない。最も恐いのは国民の政治に対する失望である。二大政党化しつつある今、二大政党に失望したらどうなるか。次の参議院選挙では誰も投票に行かなくなるのではないか。これが最大の問題である。

 秋田の政治情勢を振り返ると、参議院選の過去2回は知名度の高いマスコミ関係者が当選して驚いた。政治を考えた選挙と言うより、人気投票で決まった様なものだ。改選期の今回、今度は自民党が元プロ野球選手を公認した。歴史の長い自民党秋田県連関係者の中に中央に送り出したい人材は居ないのか、自ら名乗り出る人はいないのか、と思う。
 秋田では政治的には実績ゼロに近い方々が選ばれてきた。先の衆議院選でも傾向は同じであった。結果として、秋田は中央での発言力を失った状況にある。これでは中央と地域社会の格差は一向に縮まらない。
 このままの混迷状態だと、秋田では次回の参議院選で投票すべき政党を選ぶのも困難、どの候補者に票を入れるべきかの判断も困難、と迷う事になりそうである。



3/15(月)雨曇り 管理会議  外来 港北代診 療養判定会議(欠) 長副会議 
2:30起床。新聞・文献チェック。ドック判定総括。7:00Taxi病院着、回診、7:45-8:15管理会議、8:45-14:10外来。 15:00-16:20港北代診。療養病棟判定会議(欠)、17:00-20:25長副会議。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。

政権後退(2)献金、消費税、支持率急落も
 鳩山内閣は明日発足半年目を迎える。昨日夜のニュースでも内閣支持率が一層下がったことが報じられていた。支持しないがはじめて50%を超えたとのこと。首相の指導力や決断力に国民もそっぽを向け始めたと言うことで、これは政権後退で、由々しき問題である。

 しかし、首相の表情はあまり変化していないのが不思議である。実に不思議である。過去の首相は、小泉氏を除くと就任後表情が悪くなった。記憶がある中で最も顔貌が変わったのは佐藤元総理であったが、非核三原則に反して核持ち込みを隠蔽していたからか。極度のマスコミ嫌いだったから良い表情では報道されなかったのだろう。

 鳩山政権があまり長くないかもしれないと思う理由の第一は普天間問題の処理である。もう調整のための時間がないのであるが、さっぱり進展しているようには見えない。むしろ時間をかけたことで混沌としている。ただ、沖縄問題は国防という国全体の危機管理問題であるが、国内共通の問題になっていない。私も十分理解できておらず忸怩たる思いがある。沖縄問題は相手があるだけにこれ以上延期は出来ない。だから、時間切れで政治決着となる可能性が高い。その場合は首相の地位と引き替えになるだろう。1960年(昭和35年)6月中旬、国中が騒然となった安保条約改定が自然承認となったが、間もなく岸内閣は総辞職した。これ以降、国内は落ち着きを取り戻すことになるが、このような手法は政治の世界では少なくない。私にはそう思えてならない。

 第二は経済問題である。首相は消費税問題でたちゆかなくなる可能性もある。来年度の予算は無駄の排除、多額の国債の発行、埋蔵金で何とか乗り切ったが、次次年度以降マニフェスト政策を実行していくためにはより多額の資金が必要で、現状では到底予算が組めそうもない。間もなく事業仕分けが始まるが、それほどの成果を上げられないだろう。唯一の方法は国債発行であるが、今年以上に多額になるようでは国として破綻のコースに乗る。避けて通れないのが消費税のアップであるが最近、管財務相が消費税の論議を始めざるを得ないと言っているから消費税の論議は喫緊の問題となってきている。ここで首相の今までの言動が問われるだけでなく、首相の下では十分な論議も出来ないのでは?と危惧される。それに、トップの二人は消費税アップに伴う国民の痛みを感じられるのだろうか?

 第三はやはり支持率の急な下落であろう。政権交代のフィーバーがさめてきた事もあるが、自民党には不満、不安があるが民主党と言った構造による選挙の結果不安が現実になって不満に変わりつつある。ここで党の代表格二人が巨額、不透明な献金問題を抱えたことも大きい。この二人は別世界の人である。本当に国民の痛みが分かるのだろうか?

 政権後退は単に自民党や民主党と言った政権の問題に矮小化できないから重大である。そのように首相は考えているのだろうか。表情からは読み取れない。


3/15(日)晴れ・曇り 病棟拘束 東北医連理事代表者会議 地震震度5弱
2:30起床。科内不在、ドック判定総括、新聞・文献チェックなど。4:45病院。患者関連書類処理。8:30救急カンファ。ドック判定総括他、 12:58こまちで仙台。15:30-17:00東北医連理事代表者会議。私にとって最後の会。17:10頃地震、震度5弱ということで新幹線を心配したが15分遅れで運行、20:30帰宅。科内無事帰宅。次男夫婦来訪。22:00就眠。

佐渡のトキ 9羽襲われた(3)子犬のケージからの逃亡、散歩さえも防ぎ得なかった 
 佐渡トキ保護センターでトキ9羽が襲われて死んだ。人の感覚では理解できない処にいろいろ不備が見つかるが、事が起こらないとなかなか気が付かない。野生動物の身になって考えれば欠陥が分かるのだろうが、そんなことは出来るはずもない。

 私が万全と自負していた侵入防止柵の隙間をかいくぐった雄犬がわが家のハスキーを孕ませてしまった。月満ちて何と8匹もの子犬が産まれた。あまりの多さに、先のことを考えて落ち込んだが、健気に育てる母親の姿、成長する子犬たちの姿は何とも感動ものであった。

子犬も一ヶ月も経つと親から離れてケージの中で自由に過ごし、冷えたり空腹になったりすると親元に戻る様になる。私は子犬が外に出ない様に十分にケージの隙間を検分し、考えつく範囲で補強した。
しかし、毎晩の如く物見高い性格の3-4匹がケージの外に逃亡した。逃亡するほどの意識でなく、外の世界に対する好奇心で隙間をかいくぐって外に出た、と言うことだろう。一旦外に出ると今度は戻る術を知らず、冷えたり空腹になってから鳴き叫ぶ事になる。私はその声で何度も起こされた。雪も降らんとする寒い季節だから放っておくと危ないし、外敵に襲われることもあり得る。時には数10mも離れたところでドブに落ちていた。少なくとも3-4回ほど逃げられた。その度毎に寒さに耐えながらケージを補強した。しかし、何度も何度も見事に裏切られた。
そのうち、成長してサイズも大きくなって逃亡する狭い隙間が無くなったのであろう、ケージの外に勝手に出ることはなくなった。雄犬の場合も、子犬の場合も私にとって予想外のすり抜けであった。特に後者は生後一ヶ月強の子犬と私との知恵比べ、イタチごっこであった。

 トキの飼育場は飛ぶ練習もするために随分広い構造をしている。イタチやテンなどの夜行性肉食性の小動物が入れる隙間は設計者や施工者が気が付かないところに意外と沢山あったので無かろうか。


3/13(土)曇り・晴れ 病棟拘束 
2:30起床、家内不在ミニ旅行で不在、文献検索、徒然。4:45病院。新入院患者対応と退院患者書類関連業務、6:30回診他。8:30救急カンファ。文献整理ほか。9:55医師来訪歓談。以降は書類処理。書籍、文献整理廃棄。18:30帰宅、夕食、22:15就眠。

政権後退(1)首相は5月に退陣する気でいる?
 政権交代の話題は25回も重ねてしまった。私は新政権に期待しているが最近の政権の動きはおかしい。支持率も急低下しているが、迷走状態である。
 政権「交代」のつもりで文章を打っていたら政権「後退」と変換されたのでちょうど良い機会である、そのまま用いることとした。

 私は、鳩山首相が5月に「普天間基地問題を、前政権と米国との間で合意した従来の方針に沿った形で政治決着させたあと、退陣する」のではないかと感じているし、心配している。こうなると小泉以降の歴代首相がすべて短命と言うことになり、政治の混迷は泥沼化し、国民の政治への期待感・信頼を一気に失いかねない。

 私の予想のルーツは単なる印象でしかない。論理的背景を持ち合わせていないから、無責任な感覚に過ぎない。
 首相の表情を見ていると、全然深刻さを感じ取れないからである。宇宙人だから?と言われる様な方だから私が誤っているのかもしれないが、米国と、オバマと約束した普天間問題の決着期限があと3ヶ月と近づいてきているというのに、表情にはそれほど深刻さが見られない。腹が据わっているというほど重くはなく、とても軽いのだが、悩んでいる表情は読み取れないからである。

 閣内外から、各政党からもいろんな意見が出されておりそれらの調整は極めて困難だろう。連立解消もあり得るからである。新しい案であれば米国との交渉も困難だろう。ましてや、地元県民の理解を得る事は不可能に近い。

 普天間問題が話題になってからずっと感じてきたのだが、「自分が決断する」と言い続けてきたのに、難題解決に向けての行動が感じられない。私は最終決断、即ち、米国との合意案で決着させる、と始めから決めていた様な気がしてならない。
 首相がルース駐日米大使に、キャンプ・シュワブ沿岸部への移転計画を容認していたというニュースもあるが、これは大きい意味を持っていそうである。

 首相はこれまでずっと、新しい方向性になる可能性をちらつかせて沖縄県民の期待を膨らませてきた。国民を騙した首相はいたのだろうか??いたいた、佐藤総理を始めとして歴代の首相は米軍の核持ち込み問題を知っていながら容認し国民には隠蔽してきた。これは自民党の歴史的汚点になるだろうが、新政権初代の総理も同じか??と思うと、先行きに不安が残る。

 私は政治とは騙し合いであり、民主的手法を用いながらに不公平を助長するものだ、と思っているのでこれらの手法はある程度は理解せざるを得ないが、そのロジックを解明し問題をいくらかでも緩和するのが野党の働きで、与党以上に重要である。


3/12(金)晴れ GSC KK来訪打ち合わせ 患者対応 ドック診察 ノースアジア大学講演会 県健康推進課スタッフ来訪 法人理事会
2:30 起床、家内昨日より小旅行で不在。ドック判定総括、新聞、徒然。5:00病院着、入浴。6:20回診+関連業務他。8:00救急カンファ。患者対応、ドック診察。14:00-16:20ノースアジア大学講演会、16:40県健康推進課スタッフ来訪、難病対策関連打ち合わせ。17:30-19:00法人理事会、20:50帰宅、21:30就寝。

佐渡のトキ 9羽襲われた(2)飼い犬のケージに雄犬が侵入し不測の妊娠 
 佐渡トキ保護センターで国の特別天然記念物のトキ9羽がテンに襲われて死んだ。まだ侵入経路が分かっていないらしい。動物を人間の感覚で飼っているといろいろ不備なことがあることに気が付かず、天敵に襲われることが良くある。まず絶対大丈夫だろうと思っていても対策が抜けていることも多々ある。

 私の鳩が野良猫に襲われたのも私が鳩舎に入るときに用いる足場様のステップを置いた側の金網が破られていた。足場がなければ犬猫などには到底破る事が出来ない作りにしていたのであるが、そのステップに乗ってじっくりと時間をかけて金網を破ったと考えられた。

 今度は犬の話である。具体的期日を忘れたが、10数年前のこと、子供達や家内の希望を入れて、わが家でも犬を飼ったことがある。当時、マンガ「動物のお医者さん」の影響か、シベリアン・ハスキーがかなりブームだった様な気がする。
 劣等感の塊である私が犬に気後れしない様、本音では雑種の中型犬を飼いたかった。子供は親を選ぶことが出来ない。たまたま雑種として生まれた犬が健気に生きていくイメージは私と共感できそうだからである。

 紹介されたブリーダーで生後3ヶ月ほどの同胞犬の中から最も毛が長くて最もハスキーらしくないのを選んだ。ハスキーとしては異端らしく、バッサリと半額であった。大型犬用の金属製の頑丈なケージを購入したが、狭くては気の毒と4セット分購入して庭に広々とした空間を作って飼った。ケージの一端は居間の風除室とつなぎコミュニケーションを楽しんだ。段差が生じた部分は私がいろいろ工夫した。
 犬猫を飼うと余所の犬猫がフラフラと遊びに来る。それも悪くない。飼い始めてから数ヶ月の秋のある早朝、見知らぬ犬がケージの中に入っているのに気づき捕獲しようと出て行ったが見事に逃げられた。段差の部分に補填した木材部分に若干の隙間があったが、私の感覚ではせいぜい猫が出入りする程度と思ったのであるが、実際にはそこを猫の数倍の体格の犬がほぼ自由に出入りしていたことになる。

 それだけ雄犬のDNA継承欲求が強かったと言うことで、私の予想範囲を超えていた。犬の侵入なんてあり得ない、と確信していた私が甘かった。
 やがて、月日が満ちて8匹もの新種の子犬が誕生した。私は子犬の好奇心の強さに翻弄させられる事になった。


3/11(木)曇り 外来 入院患者家族面談 産業保険推進センター協議会 職種間交流集会
2:00起床。ドック他、文献チェック。7:00病院着、回診。8:45-14:10外来。15:00産業保険推進センター協議会。17:45-19:00第5回職種間交流集会、栄養課担当。22:30帰宅。23:30就眠。

佐渡のトキ 9羽襲われた(1)野良猫に鳩を襲われた時の事を思い出した
 佐渡トキ保護センターで国の特別天然記念物のトキ9羽が小動物に襲われて死んだ。1967年のセンター開設以来初めてのこと、とのことである。襲った小動物の侵入経路はまだ分かっていない。
 10日の朝、監視TVにトキが映っていない事を不審に思った飼育係がケージを確認すると、トキが地面あちこちに横たわっていた。首には獣にかまれたような跡があり、1羽は食べられて羽や足などしか残っていなかった。監視モニターには9日夕、テンかイタチと思われる小動物がケージ内に侵入しているのが分かった。

 このニュースは私にとって衝撃的で、今となっては古くなったが三つの経験を思い出させてくれた。
 一つは、私もかつて野良猫に4羽の鳩を襲われた事があること。二つ目は雌である飼い犬のケージに雄犬の侵入を防ぎ切れず、予定外の妊娠をさせたこと、第三は生まれた子犬に何度も何度もケージから逃げられ、翻弄させられた、という経験である。動物の侵入や逃走を阻止することが如何に困難なことか、をこの体験で十分に自覚した。

 野良猫に4羽の鳩を襲われた話は、本HPに掲載してある(エッセイ:ある鳩の思い出)。
 この時、鳩舎の金網の一部が破られ何物かに4羽共殺され床に転がっていた。一羽は食べられていたが、ほかの3羽は背や頚に傷があるだけであった。今回のトキと良く似ていた。野良猫によると予想されたが、自ら生きるために、食べるために殺すのならともかく、無用な殺戮までしたことに強い怒りを感じ、あえて鳩の死体をそのままにして再侵入を待ち、捕らえた猫を・・・惨殺した。
 この経験は、私の心の傷の一つになっているが、この時の反省が私の自制心を養ってくれた、と思っている。今は、この猫や犠牲になった鳩達に感謝している。 

 私はこのトキが殺されたニュースをNHKラジヲで聞いた。その時、インタビューに出た誰か分からないが国の関係者の談話が実に淡々としていたのがとても気になった。それほど大したことと思っていなさそうな印象で、私の感覚と大きくずれていた。


3/10(水)降雪  患者家族面談 外来 県医療審議会法人部会 県医師連盟執行委員会
2:30起床。文献・新聞チェック。7:00病院着。積雪7cmほど。7:15回診他。8:45-13:00外来+患者家族面談。14:00-14:50県医療審議会法人部会。17:00-18:00県医師連盟執行委員会。20:30帰宅、夕食、21:10就眠。

トヨタ車欠陥はトヨタ社の欠陥(2)謝罪の文化の違いが背景なのかな
 私もPriusを使用しているので今回の問題はちょっと関心がある。尤も、旧式なのでクレームの対象外である。

 豊田社長は米議会下院の公聴会に急遽出席し陳謝したが、何について誤ったのだろうか。多分、欠陥の詳細と言うより対応の遅れについて誤ったのだろう。
 今回の安全に関する真実はどこにあるのか、急加速、ブレーキの効きが一瞬遅れるという問題は車載コンピューターのセッティングに問題があるらしい。最近の車は電子制御部品が多く、トヨタはその先端を走っていた。特に、Priusはスイッチを入れると言うよりはコンピューターを起動する、という雰囲気である。
 トヨタの加速減速の部品について欠陥が明らかにあった、と認めた報道にはお目にかかっていないが、ブレーキ関係では実際にリコールを開始しているから、ここに一つの問題があったことは確実なのだろう。

 ただ、最近のニュースでは急加速問題に関してはアメリカで異例の反証実験を行い、急加速に至るトヨタ独自の異常性は認められないと、その可能性を否定している。トヨタ社の欠陥を指摘した某大学の准教授も自然状態では急加速は生じないと認めたとのことで、若干風向きが変わる可能性が見えてきた様である。

 トヨタの対応は拙く、アメリカの対応は異常に見えてならない。しかし、その背景には陳謝することに対しての日米の文化の違いがあるように思える。よく欧米では簡単には謝らない、とされるし、日本では挨拶代わりに、と言っていいほど気軽に謝る傾向がある。本当に、心が伴っていないちょっとした言葉としても陳謝の言葉を気軽に発している。

 一方、多くの事例を知らないが、欧米では重大な問題に対してはトップが見解を迅速に発表しているように思える。日本では最高責任者は奥の奥に控えていて最後の最後に出てくると言った印象である。私にとって最も印象深かったのは日航ジャンボ機墜落に関連したボーイング社の見解の発表であった。肩すかしと思えるほどあっさりと隔壁修理時のミスを認めた。確か、マイクロソフトでも類似の対応があったように思える。

 ホンの印象に過ぎないが、私は今回のトヨタ関連報道を見ていてアメリカの反応の背景にはトヨタのトップの対応に関しての反応なのだ、文化の違いが誘因になっているのだ、と思えてならない。トヨタはそこを見誤ったのではないだろうか。


3/9(火)晴れ 医師面談 外来 常務会 医局カンファ 
2:20起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:20病院着、6:50回診+病棟業務、8:00医師面談。8:45-13:20外来、14:45-16:50常務会、17:30医局カンファ、CPC悪性リンパ腫。20:30帰宅、夕食、21;30就眠。

トヨタ車欠陥はトヨタ社の欠陥(1)アメリカの対応は過剰でヒステリックだ
 トヨタ車の安全に対する疑念と社自体の隠蔽体質に対する批判が逆巻くなか、豊田章男社長が米議会下院の公聴会に急遽出席した。それまではアメリカ社社長で十分と表明していたが、米国議会の要請で方針を変更したものである。

 今回の安全に関する真実はどこにあるのか、急加速、ブレーキの効きが一瞬遅れるという問題は車載コンピューターのセッティングに問題があるらしい。トヨタはすべてを認めたという報道にはお目にかかっていないが、実際にリコールを開始しているから、ここにもあることは確実なのだろう。
 トヨタも世界的な企業とは思えない対応をしてきた。車の命は車自体に安全に関する欠陥がないことである。それが、加速コントロールとブレーキという最も基本的な機能に対するクレームでありながら、ユーザーからのクレームを真摯に受け止めていなかった。今回の社長の公聴会出席も批判を浴びてから決めているが、この点については私ですら拙い対応と思っていた。

 それにしても、重大な欠陥を重要視するとしても、アメリカの対応は異常に見えてならない。メディアも集中的にバッシングしているという。連邦大陪審がトヨタに資料を請求し、刑事事件になる可能性も出てきた。運輸長官は「トヨタ車を運転するな」とまで発言して物議をかもし出している。重要なポストにいる者に相応しくない、バカな発言である。一方、アメリカの対応は異常、との覚めた見方もある。ヨーロッパの車関係業界ではそういう見方もしている、と報道されている。

 公聴会では議員らの質問や追及は、かなり厳しかったらしい。社長は涙を浮かべつつ説明したと言うが、きちんと説明責任を果たしたか否かについての評価を私は知らない。
 ただ、今回のバッシングの特徴は、昔あった日本叩きの様相ではなく、今のところトヨタ叩きである。これはトップの企業に付随する、逃れられない試練という一面でもあって、ちょっとした切っ掛けでこういう事態になりやすい。
 しかし、直接関係はないが、鳩山首相の沖縄問題が約束通りに進まなければ、日本叩きに進展して行く可能性を持っているから油断できない。トヨタ社長は昨日鳩山首相に面会し陳謝し、首相は労い、改善を期待したとのことであるが、お二人は恐らく共感し合ったと思う。政治家と企業人という差はあるが、共に立場は同じ穴のムジナだからである。


3/8(月)晴れ・冷え冷え  管理会議 療養病棟入棟判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック他、文献、徒然。5:10早めに出勤、と家を出たが車がなく50分ほど歩き途中からTaxiで6:10着。6:35回診、 7:45-8:30管理会議。患者関連書類処理、重症者対応。16:00-16:40療養判定会議。17:00-19:20長副会議。20:40帰宅、夕食、21:30就寝。

ブタインフ(44)メディア側も報道理念の一本化、統一性を考えて報道して欲しい(2)
 今回の新インワルエンザの流行は凄まじいものがあって平時とは異なる異常事態であった。このようなときは住民がいたずらに不安に陥らないようにするために広報、情報提供はきわめて重要である。その際、情報源の一本化が重要である。  
 異常事態では、個々人の理性的、抑制的判断、行動が求められる。そうでなければ医療供給体制が破綻するなど、事態は別の要因でさらに悪化していく。

 情報源の一本化、統一性が重要であるが、これがうまくいかなかった。
 一例として、治療薬タミフルの投与の指針は、WHO、小児科学会、感染症学会、厚労省が全く関連無く別々に方針を提示し、医療現場は混乱した。患者は不安に駆られれば最も自分に都合の良い情報に頼ることになる。実際には各医師の判断によって治療が行われ、問題は生じなかったが、患者や家族に対する説明に時間が大幅にとられた。こんな時は総元締めの国が、揺らぐことのない指針をはっきりさせるべきであった。

 私は典型的病状の場合は簡易キットによる診断は必須でなく、医師の判断で十分であること、高熱があっても全身状態が良い場合にはタミフル等も不要で解熱剤等だけで数日中に治るから心配不要という立場を貫いて広報してきた。また、夜間の発症であっても、高熱だけで通常の感冒と大差のない症状なら翌日の受診で良い、とも言ってきた。

 しかし、ある日の某新聞のコラム欄に同社の記者が、「家族が夜間に高熱を発し、救急病院を受診し、簡易検査で新型インフルエンザとされ、タミフルの処方を受けて数日後には治癒した」、といった趣旨の軽い文章を掲載した。良い医療を受けて満足したという雰囲気は良く伝わった。これが一般の方からの投書であれば問題はないのだが、新聞記者が自社のコラム欄に載せたとなれば話は別である。同社の報道記事に貫かれている趣旨と全く異なった内容であった。両方を読むと一般の方は、どうしてもコラム欄の方を注目するだろう。なぜなら、患者の立場で見ればほぼ理想的な対応の姿だからである。こう言う記事が同じ新聞に掲載されたのは報道機関内で報道姿勢に一貫性を欠いているからであろう。

 一般的にメディアの情報は連日のごとく上書きされていて、時系列的に流れを追って利用している視聴者、購読者は少ないだろう。記事の賞味期限というか、有効期限というかはとても短い。新しい情報が出れば過去の記事の内容は簡単に忘れ去られる。

 マスコミ、特に新聞やTVは本来こういう性格を有している。だから観る側、読む側がマスコミ情報の性格を理解しておかなければ知らず知らずに自分にとって都合の良い部分だけが記憶に残って行き、次々と自己の先入観が補強されていく結果となる。
 それを防ぐには、自分で考えることであろう。そのためにはより幅広く情報を集めることと、自分の今までの経験を元に自分で考えること、分からないことは他の人の意見も傾聴することであろう。


3/8(日)快晴・寒い 病棟拘束 
2:30起床、文献関連、新聞チェック。6:30病院に。8:30救急カンファ。10:30帰宅。以降、雑誌や本の整理、一部手製の製本、古い電気スタンド2機種を一部ずつ合体、1機種として再生。午睡若干など、居間の整頓不要雑誌廃棄などで比較的ゆっくり過ごす。19:00夕食、20:30就寝。

ブタインフ(43)メディア側も報道理念の一本化、統一性を考えて報道して欲しかった(1)
 今回の新インワルエンザの流行は凄まじいものがあった。
 昨年4月下旬の発生以降、現在までの全世界の罹患者数は不明であるが、1月末の段階での死者は11.000人ほどとされている。わが国の罹患者数は約 2.000万人とされ、3月3日の時点で入院患者数は17.600人で、これらの年齢別内訳は1-10歳が11.387人、10歳代が3.091人と突出しているが、それ以外の年齢層は400-500人程度である。死亡は195人で秋田県では2名であった。

 わが国の死亡率の低さは国際的にも際立っているが、その理由としてWHOの言う、患者にとって世界一の、医療関係者にとってはとても厳しい、私は『勤務医殺しの』国民皆保険制度と呼ぶことがあるが、この制度により患者が医療機関へかかりやすいためと、全世界的にも改めて注目されている。

 今回、県医師会役員を辞退したが、ここ10日間ほどは県医師会の感染症等危機管理対策委員長としての新型インフルエンザ対策のミニ総括を秋田医報の3月15日号に掲載すべくまとめてきた。

 この間、新聞の切り抜き記事も電子的に取ってあるのでそれを読み返してみるといろいろなことが分かってくる。
 秋田県の新興感染症部会では、マスコミ対応等は情報がぶれないように情報発信者を一本化すべしとしとし、部会長である私が担当し、公開可能な情報は広く公開した。私としてはメディアを積極的に利用し、TVや新聞に登場した回数も数10回に上る。私が会見で述べた際、県民に誤解を与えないよう慎重に記載して欲しい、等とそれ時々にコメントも付けた。結果的に私が情報源となった部分についてはほぼ正確に報道され、県民の不安解消にいささかなりとも役立ったと思われる。その意味ではマスコミにはとても感謝している。

 ただ、新聞社の中で情報の統一性が図られていないと思われ、私どもの主張と正反対のコラム記事などが、散発的に掲載された。その内容はむしろ県民側にとって、患者側にとって都合がよいものだったから、その影響は決して小さくなく、愕然としたものである。


3/6(土)快晴 病棟拘束 患者家族面談 県医師会代議員会
1:30起床。ドック関連、徒然。6:10病院着、6:20回診+病棟業務。8:30救急カンファ、書類処理。10:00-11:00患者家族面談+重症患者対応。 14:50県医師会間へ。15:30-17:20県医師会代議員会+情報交換会。19:00酔って中座、帰宅。20:00就眠。本日の代議員会で次期執行部の全容が決定した。本日は私にとって大きな節目となった。

書評 日本人の知らない日本語(2) 蛇蔵&海野凪子著 メシアファクトリー 2010年 880円
 2-3周ほど前、上記のマンガ本が私のベット脇にあった。1年ほど前に続く第二弾である。子供達の誰かが置いていったのだろう。
 私は文章力や日本語の使い方に劣等感を持っているので、第一巻は興味を持って何度も読んだ。勉強になった。第二巻が出ていることは知らなかった。
 初巻の評判が良く、続巻が出ることは少なくないだろうが、「柳の下のドジョウ」に例えられるごとく、つまらな結果になっている方が多い気がするが、この本は第2巻も内容的は素晴らしい。勉強になる。

 外国人に日本語を教えていく日本語学校の教師が話題を展開していく設定である。学生たちの国の習慣も豊富に紹介されているのもこの本の特徴の一つで、興味深く読める。
 今回の巻は特に敬語の話や文字の話が多く取り上げられている。自分にとって役立つことも多々取り上げられている。

 この本に取り上げられている話題は文化の違う同士の会話から端を発している。
 外国から来て日本語を学ぶ段階でこんなことも疑問に思うのか、という、読む側にとって思いがけない発見が今回も次々と出て来る。日本語教育の現場で発せられるちょっとしたことを無視せずに、質問のルーツや文化的背景とかを求めていけば、まだまだ、新しい話題を展開できるだろう。その意味では今後も期待できるかもしれない。 

 著者も後書きの中で「普段深く考えずにやり過ごしていることもちょっと違った角度から見るようになり、世界が広がったような気がします。」と書いている。レベルが違うが私が徒然の中にいろいろ話題を見つけてミニ随想を綴り続けるモチベーションと喜びと全く同じであったことも、実にうれしい。

 外国人向きの日本語教育の教師は、単に日本語や言葉の使い方を教えることではなく、文化、歴史、生活、社会などの世界を幅広く教えることになることから実に大変と思うが、これは教育界全体に共通のことではないだろうか。

 内容的に面白くて紹介したい話題も多いのであるが、私の言葉では著者の真意を伝えることはできない。「畳化したと思うときの」というコラムも時折挿入されており心を和ませてくれるが、「畳化」って何だろうか。
 もう一つ。この本の題名に対して私が抱いている疑問、「日本人の知らない日本語」でなく「日本人が知らない日本語」でないのだろうか、は未だに解けていない。
 日本語の勉強、外国の文化についてもいろいろ参考になる、一石二鳥のマンガである。


3/5(金)晴 入院患者家族面談 新型インフルエンザ対策会議 ドック診察 県新興感染症部会 医科・歯科連携懇談会
1:10起床、医報巻頭言に呻吟。6:00病院着、6:30回診と病棟関連業務。7:45新型インフルエンザ対策会議救急。入院患者関連対応+家族面談。昼前巻頭言送付。患者関連書類処理。ドック診察。17:30-19:30第9回県新興感染症部会。医科・歯科連携懇談会に遅れて参加、21:20 帰宅。21:45就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(7)盗聴器・盗撮器は透明人間の発想そのもの
 一昨年、東京出張の折り、秋葉原で驚いたのは様々な盗聴器、盗撮器が多数陳列され、品定めしている老若男女がかなり居たことである。

 私には興味も関連もないことなのでその後忘れていたが、先日届いた電子機器のカタログ雑誌を見たら、「盗聴器の電波を探し出す探知機付きレシーバー」が掲載されていた。その説明文には『わが家に盗聴器などあるはずがない、と思われるだろうが、決して他人事でありません。留守中に設置されるのは勿論、工事や点検に紛れて設置された可能性も否定できなません。このレシーバーは盗聴波をサーチする306chを登録済みで、一発で盗聴波を発見できます・・・。』とある。値段は4万円程度で決して安くない。
 こんなものを作る側にもそれなりの設備投資などが必要になるから安易には作れない。要する需要があるから作るのだろう。盗聴する、盗撮するという発想も理解できないが、盗聴器を探し出す器機まで流通している時代になってしまった様である。自分の行動がそこにいない、誰だか分からない某なる人に見られたり記録されたり、会話が聞かれているなんてたまらない話である。

 相手に存在が見えない状態で見ることができ、聞くことができるということは透明人間そのものの発想である。透明人間は存在し得ない、願望の範囲の抽象的存在であるが、電子機器の利用でその願望の一部が実現したと言うことだろう。ただ、これこそ個人情報保護法に抵触する行為である。

 さらに、これに加えて匿名でメール等を送送って個人を誹謗したり、あるいは画像をインターネットで公開するなどの行為によって個人に些かでも被害を与えることがあれば、はっきり言ってもう犯罪行為といって良いと思う。


3/4(木)晴 入院患者家族面談 外来 ライオンズクラブ来訪
1:00起床。徒然送付、医報原稿に呻吟他、5:10病院着。6:15回診、7:00患者家族面談、8:00救急カンファ、8:40-13:50 ドック診察+外来。16:00ライオンズクラブのスタッフ3名来訪、講演の打ち合わせ。カルテ総括他。20:40帰宅、夕食、21:30就眠。

岩手医科大学 眼科元教授 今泉亀徹氏が死去された
 約10日ほど前の朝日新聞の惜別欄に岩手医科大学眼科元教授今泉亀徹氏が昨年12月29日に死去されたことが載っていた。享年102歳であったとのこと。私は驚きと懐かしさを懐きつつこの記事を読んだ。

 今泉元教授は1957年、岩手医科大学大学内に開設した「眼の銀行」の登録者から角膜の提供を受け、少女に移植した方である。
 この、国内初の角膜移植をめぐっては、必ずしも称賛ばかりではなかったらしく当時地元の岩手日報でもいろいろ取り上げられており話題の方であった。記事によると、この移植は「死体損壊罪に触れる恐れがある」と社会的議論を呼んだとのことで、法的な対応を迫られた検察庁は、「法的に問題があるとしても、杜会性に富んだ正当で崇高な行為。道徳的、人道的にみて犯罪の成立は認められない」との判断を下したとのことである。これにより、翌年、角膜移植法が成立、「眼の銀行」はその後のアイバンク運動に引き継がれた。一次は厳しい立場にも追い込まれたらしいが「患者のための医療は最後は勝つ」との信念をお持ちだった、とのことである。今泉氏が違法性を承知しながら患者のために、と貫いた信念が社会を動かした。現在まで視力を取り戻した患者はどれだけの数に及ぶか、予想だにできない。

 なんで今泉氏を知っているかというと、私が17歳で高校1年の時、自転車通学が寒さのために困難となり、盛岡市北山と言うところに下宿した。今泉氏の自宅も近所にあって、休日などはよく二人の娘さんを連れて散歩されていた。下宿のおばさんを介して何かのきっかけで言葉を交わす様になった。当時、角膜移植のことで有名になっておられたが、私が医学部志望とのことをご存じで気さくに話しかけてくださり、医療のことや大学のことなど教えていただいたような気がする。当時は随分肥られており気道系の病気をお持ちだったような、おぼろげな記憶も残っている。


 直接的にはそこまでであるが、県医師会の役員になってから私は秋田県アイバンクの評議員を何年か務めた。既に角膜初移植から半世紀近く経っていてアイバンク事業自体は軌道に乗っていたから、直接今泉元教授のことが話題になることはなかったが、私は常に元教授のことを意識し、業績の深さに畏敬の念さえ抱いて評議員会に出席していた。

 評議員を辞してからは元教授のことを思うことはなかったが、先日の新聞記事である。
 まだお元気であったのか、と今回は氏の長寿について驚いた次第である。102歳でお亡くなりになられたとのことで、100歳の時の自画像の前でのお写真が新聞に掲載されていた。白髪と長い白髭で仙人のごとく、とても矍鑠としておられた印象である。

 「惜別」の記事を機会に、約50年前の盛岡の風景、当時の生活のことを懐かしく思い出してしまった。


3/3(水)晴 外来 ドック診察
2:15起床。文献チェック他。徒然。6:00Taxi病院着。6:15回診他、8:40-13:45外来、以降は明後日締め切りの医報巻頭言に着手、されど病棟からの連絡が頻回で集中できない。20:45帰宅、夕食、 21:45就寝。

中通高等看護学院卒業生に贈る言葉(2)謝恩会では「変身賞」として『金メダル』をあげたい
 (昨日に続く)
 この様な医療情勢ですから、のんびりと仕事ができる病院はありません。これから皆さんを迎える医療の現場、特に地域の中核的大病院は、多くの職種によるチーム医療が行われており、医師・看護師はオーダリング、電子カルテなどを使いこなし、効率的で質の高い医療を提供しなければなりません。 

 しかし、業務の質が如何に変わろうとも病を抱え、不安をかかえる患者の心理や姿は変わるものではありません。

 医療における医師の業務、技術、医療観は漢字で表される「命」を扱うがためにとても重要です。しかし、医師の業務範囲は決して広くはありません。

 患者の立場に立つ全人的医療を提供する上で重要なのは、各職種からなるチーム医療です。その中における看護の重要性は言うまでもありません。
 私は「看護とは、患者のいのち守り、人として生かす職業であり、その技術である」、と定義しています。この場合の「いのち」はひらがなで表現される「いのち」で、患者の人生そのもの質を示します。

 中通高等看護学院は昭和45年の創設以来、1.500名近くの看護師を社会に送り出しております。
 私ども明和会は設立当初から「患者の立場に立つ医療」を追求し、展開して来ました。法人内の各施設の看護師の、「親身でひたむきな仕事振り」、「看護観、看護技術」は、患者、県民から高く評価されております。
 そのルーツは「法人の理念」にあり、「学院の教育方針」にあり、「実習病院」にあり、「若手看護師の育成システム」にある、と思っております。

 いかに時代が変わり医療や看護が様変わりしても、その根幹を流れる医療観、看護観は些かも変える必要はありません。他の医療機関に働く看護師でも、『私は中通高等看護学院の出身です』、と紹介されればそれだけで大事な何かを共有している気が致します。

 皆さん方にはこのように素晴らしい学園で学んだことを一生の誇りとして持ち続けていただきたいと願っております。最後に、看護という仕事を通じて自らの生活を支え、かつ、社会に貢献する人生が希望に満ちた素晴らしいものでありますように心からお祈りしまして、私の祝辞とします。

 本日は本当におめでとうございます。



 今年の卒業生は44名、なぜか何時もより少ない。私は講義を持たないし実習の時間帯には病棟にあがらないから誰一人とも面識はない。式の間、卒業証書を受け取るために登壇する各学生をじっくりと観察した。夜の謝恩会のためである。謝恩会場では男子学生は全員分かったが、見事に、美しく変身した彼女らを識別できたのは僅かに数人だけであった。表情も仕草も数時間前とは全く違う。どっちが真の姿なのか、私には判別できない。
 テーブルスピーチもあたっていたがもう祝辞で十分述べたからもう言うことはない。五輪にあやかって『皆さんの変身の到達点は金メダルに値します』、とだけ述べた。


3/2(火)曇り若干寒い 外来 常務会 医局会 長副会議
2:20起床。ドック判定総括、文献など。6:10病院。6:30回診。8:45-14:00外来、14:45-16:30常務会、17:30 -18:10医局会。18:15 -20:10医局会。21:10帰宅。21:30就寝。時間的に苦しい一日であった。

中通高等看護学院卒業生に贈る言葉(1)式は寒い中で粛々と行われた
 3月1日は県内の高校とかの卒業式が集中している。
 法人立の中通高等看護学院の卒業証書授与式も10時半から行われた。祝辞は法人会長が担当するのであるが、外来があって出席できないという。私も外来担当日なのであるが、この外来は専門性が低いため若手医師に代診をお願いできる、そんなことで私が担当した。
 寒い日であった。会場の体育館に何ヶかのストーブが焚かれていたが、会場は寒かった。約一時間、列席者の多くはスーツ姿で何とかしのげたであろうが、半袖の実習着で式に臨んだ卒業生は大変だったと思う。例年に比し涙の少ない式であったが寒くて涙も出なかったのではないだろうか。

 以下は私の祝辞である。秋田の厳しい医療情勢についてもお話しした。

 本日晴れて卒業式を迎えられた、第28回生の皆さん、おめでとうございます。
 私は中通総合病院の院長です。本日は明和会を代表しまして、一言お祝いを申し上げます。 

 皆さんは3年間の看護の教育課程を終えられ、今日ここに卒業式を迎えられることができました。ご臨席のご父兄の方々もさぞかしお喜びのことと存じます。心からお祝い申し上げます。

 この3年間の学生生活を振り返っていただきますといろいろなことがあったと思います。
 希望に満ちた入学式のあと、多くの疾患について学び、看護学を学び、知識を身に着けました。実習の前に行われました戴帽式では感動と共に、看護学生として決意を新たにされたことでしょう。臨床実習では恐らく緊張のし通しだったと思われますが、受け持った患者さんからは看護学の範囲を超えた、人間としての考え方、在り方なども教わったり、感じ取ったのではないか、と思います。

 時には壁にあたった事も少なくなかったでしょうし、共に涙を流したこともあったでしょうが、同級生と共に学んだこの3年間は、苦しくも、楽しい学園生活だったのではないでしょうか。
 これから皆さん方の多くは、これからは医療従事者の一員として医療の現場に出て行くことになります。

 ここで最近の医療情勢について若干お話しいたします。
 小泉首相の時代を中心に、わが国では広い分野で規制緩和が強行され、その結果、都市部と地方の地域間格差、国民間の社会的格差、経済的格差が急速に拡大しました。
 これに、景気後退も加わり、国民は現状の生活と将来に関して大きく不安を募らせております。

 一方、医療福祉の分野は、皆さん方が生まれる少し前から、国は社会保障費を抑制する政策をとり続けましたが、その結果、全国的に医師や看護師が不足し、いわゆる地域医療の崩壊がじわじわと忍び寄っていおります。

 中でも、特に、秋田県は面積が広大で、過疎化や高齢化が進んでいます。これらを背景に、医療の供給体制の破綻は地域の中核的病院のみならず、中規模病院、診療所にも及び、深刻な事態を迎えております。

 このような厳しい状況下においても、私たち医療人は県民に対して良質で安全な医療を公平に提供する責を負っていることを自覚し、努力しながら改善される時期を待たねばなりません。そのためには多くの人材が必要ですので、私どもは皆さん方を仲間として喜んで迎えたいと考えております。〔続く〕


3/1(月)曇り・小雨・寒い  管理会議 中通高等看護学院卒業証書授与式+謝恩会   
2:50起床。ドック判定総括1名分、徒然。6:20病院着。6:45回診、7:45-8:20管理会議。外来なし、10:30-12:00中通高等看護学院卒業証書授与式。療養判定会議、対象者無し。17:10Viewへ、18:00-21:00謝恩会。21:15帰宅、21:30就眠。

「金」「金」ともっと追求を、一方では騒ぎすぎの「金」もある
 昨年、西松建設問題で民主の小澤氏が降板、代表になった鳩山氏は故人献金、母親からの無言の贈与があった。政権を取った民主党のトップ二人が不明の金銭問題を抱えているのは驚きである。小澤氏自体は不起訴になったし、鳩山氏は贈与税を支払って法的には落着したことになっている。

 法的な判断とは別に国会で二人の「金」問題はもっと追求してもいいのだが、やはり官憲と違って追求する側の資料が乏しい。だから、首相のワンパターンの返答が繰り返されるだけであった。さらなる追求は欲しいが、いつの間にか尻すぼみになったようである。それにしても政治家の金銭感覚はわからない。

 一方、バンクーバー五輪の方は結果的に「金メダル」は取れなかった。それでも前回のトリノはメダルは金1ヶだけだったから、今回の銀3ヶ、銅2ヶ獲得し、入賞選手も多数出たことからいい成績だったと思うし、いろいろ話題もあった。

 フィギアを中心にアジア地域の選手が大活躍した。特に女子では上位5人中にアジア地域の選手が4人である。しかも、金メダルをとった韓国のキム・ヨナ選手は金妍児と書くとのことで、ここにも金がついている。男子フィギュアシングルでは高橋選手が銅、ペアでは中国が金と、銀もとった。一方、スキー関連はやはり北欧系が強かった。

 私はちょっと「金」「金」・・とマスコミは騒ぎすぎでないか、と思う。国境を越えた、人としての到達点を競い合う大会、それでいいじゃないか。

 中国や韓国では国策として選手養成をしていて入賞者には金銭的援助も続けられるという。わが国はどれだけ出費しているのか分からないが、事業仕分けでは厳しい判断をされたように思う。あのときの名言をもじると、「なぜ金でなければだめなんですか? 銀や銅では?」ということになるが、私も実はそう思っている。

 これだけマスコミ先導の期待を背負っての登場では気の毒でもある。戦い終わっての涙の会見の報道もしつこい。通常の心理状態でないときの顔の報道はお涙頂戴的に用いられるべきでなく、個人情報として保護されるべきである。

 競技そのものだけをまとめたダイジェスト番組が欲しい、それなら観たい。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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