2010年1月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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先月の日記 来月の日記
1/31(日)東京快晴・秋田小雨 新型インフ・ワクチンシンポ 病棟拘束
2:30起床、本読み、文献チェック、新聞チェック。7:30葉っぱとコーヒー朝食。10:00-15:00東京プリンスホテルで新型インフ・ワクチンシンポジウム、17:45JAL
AirBusA300-600R、19:40帰宅。夕食、21:00就寝。
今年初の東京出張 雑感(2) 自分の行程におののきを感じた
一昨年日本医師会の委員会を辞め、年間の東京出張の頻度は1/2程と減少した。昨年は7回で最後は10月の日本医師会の代議員会あった。入院患者を受け持った状況で病院を離れる事は結構準備が大変であったが、その面ではぐっと楽になった。来年度からは年1-2度程度になりそうである。
今回は今年初めての出張で私的である。積ん読していた新書2冊ほど持ったが外に出るとどうしても本屋や書籍コーナーに寄りたくなる。空港ビル書籍コーナーでは長編なので今まで手に取る機会がなかった山崎豊子氏の「沈まぬ太陽(3)御巣鷹山編」他を購入した。これがなかなか面白く、ぐいぐい引き込まれ一気に読みきった。
往路は10:40am発ANA
767-300。市内あるいは近郊の医師の姿も10人ほど見かけたが、循環器系の学会とかがあったのかもしれない。前部はほぼ満席であったが、最後部
42C付近はガラガラで快適。私の前の席にはアラブかどこかの雰囲気を持つ2人の子供を伴った若い家族が座った。適宜会話を交わしていたが、言葉は全く解せないから単なる声でしかないが、聞き慣れないイントネーションが耳に心地よく響いた。
いつもなら秋田はこの時期は雪と闘っているのだが、道路脇に高く雪が積まれているものの道路は乾燥し、比較的暖かい。東京は快晴でとても暖かくオーバーは着用不要で荷物になった。従っていつも感じる雪国のハンディを今回はほとんど感じなかった。
30日は「第2回地域に安心を与える医療を考える会」と題されたセミナー、翌日は「新型インフルエンザワクチンシンポジウム」で主催の会社からのご招待であった。何れも有益で良い機会を与えて戴いたと思う。
帰路は17:45発JAL
AirBusA300-600R。指定されていた座席は中央付近であったがいつもの如く最後部に変更、ここも20%程と疎で快適であった。空港のパンフレットに秋田・伊丹間のIBEX便の記載はなかった。いつの間にか搭乗率の低迷で撤退したらしい。
この二日間の自分の行動を振り返ると、おののきというか、恐怖感、申し訳なさを感じてしまう。今までも感じてはいたが,今回は特に強く感じた。私自身の感受性が変わりつつあるからだろう。静かな日々を好む田舎者の私が空港まで車で移動、大型の飛行機にて上京、都内も車で移動、巨大なホテルでのセミナー受講、更に移動して別の大規模なホテルに宿泊、シンポジウム聴講、帰路も再度車、飛行機、車と乗り継いで帰宅した。これらのうち、どれ一つとして私だけのために用意された訳ではなく、大勢の利用者の中の一人として利用しただけであったのだが。
そうは言っても、自分の感覚レベルからみて恐れ多いほどの贅沢な行動で、エネルギー消費の面から顧みてもかなりのもので、ついおののきに似た感覚を味わってしまう。さりとて、私が抜けたからと言ってなんら変わるもので無いし、学ぶ機会も大事にしたいし、と気持ちは複雑である。
1/30(土)曇り 東京晴れ 病棟拘束 地域に安心を与える医療を考える会
2:00起床、ドック判定x2、新聞チェックなど。5:15病院着。6:15回診など病棟業務,出張準備。8:30ドック結果説明。書類処理。
9:30病院発、10:40ANAで東京。14:00-18:00「地域に安心を与える医療を考える会」。今年も良い企画であった。18:45宿泊先のホテルに、19:00長女夫婦を誘って会食。21:30就眠。
今年初の東京出張 雑感(1)喧噪で驚いたホテルのレストラン
本日は久々の宿泊を伴う上京である。横浜在住の長女夫婦を誘って夕食を一緒に摂ることとし,私の宿泊先である東京タワー近隣の某ホテルで合流した。一応、名の通ったホテルで私の感覚では一流ホテルの一つである。
娘は和食が良いという。ご亭主も異論はないらしい。
私は日常から誰かと一緒に行動するときは自分を従たる立場に置いて動く。そのルーツの本音を一言で表現すれば超面倒くさがりだからで、前を歩いてリードするより後ろから付いていく方が楽だからである。極めて消極的な考えではあるが、一方では、その方が自分の器の外にある新しいことを経験できるから,と言う積極的意味もある。
混雑していると入り口で待つことになる。それも嫌なので予め電話で席を予約して出かけた。入った途端、かなりの人声による喧噪さに驚いたが,場所が場所だけにホンの一時的なものだろう,と解釈し案内された席に着いた。
和食レストランとしては広さは十分で,大きな窓は大型の一枚ガラスがはめられ外の日本庭園が豊かなイルミネーションを受けて素晴らしい眺めであった。池には鯉がゆったりと泳いでいる。明るく照明を受けた東京タワーも庭の木々の間から眺められ,中学生の時に1時間半も待って昇った頃の話もビールのおかずになった。タワーの照明は20:00に落とされた。省エネである。
レストランの一隅が軽くパーテーションで分けられており,そこで中年の男女が30名ほどで酒宴を開いていた。これが、また遠慮のない大騒ぎの傍若無人な酒盛り集団であった。一時的な喧噪ではなかったのだ。
こんな状態が延々と続くことが予測できたならば直ぐに立ち去るのであるが、電話で席を予約したこと、一流レストランで、いくら何でも大騒ぎする酒宴の集団と食事の時間を大切にする客と同席するはずがなかろう,従って喧噪は一時的なものだろうと思い込み、食事の注文をしてしまったのが地獄の入り口であった。
結果的に、私どもが食事を終わるまでの約2時間喧噪は衰えることはなかった。娘達の話を聞き取るのも大変であった。一度、中締めらしい雰囲気でこれで救われるかと思ったのも束の間で,本当に中締めであった。
驚いたのはこの集団の態度だけでない。責任者と思われるスーツ姿のスタッフ、和服を着こなしたスタッフ達もこの大騒ぎに特別の感じを抱いている雰囲気はない。これはどうしたことかと戸惑ったくらいで、期待と落差の大きさを考えると最悪の環境下における食事であった。
私は喧噪が続く環境に身を置くのがとても辛く耐え難い。通常はそういうところには近づかないし、一人なら断って出たと思う。一流のホテルなら静かな環境が提供されるはずだ、と何ら疑問を感じずに入り、良き方向に解釈したのが間違いの元で断って出て行くタイミングを失ってしまった。
大衆的酒場ならいざ知らず、ホテル側ではこの様な集団は断るか、別室を用意すべきと思う。ホテルも変わったものだ,時代か?とは思ったが、この一回の経験だけでそうは思いたくはない。次の機会には静かに夕食を楽しみたいものだ。
1/29(金)晴れ
人間ドック診察 打ち合わせ会議
3:00起床、文献チェック他。5:40Taxi病院着。6:30回診、8:00救急カンファ。11:00病棟患者対応。13:30ドック診察x5。文献整理他、重症患者対応。退院総括、紹介状など。20:50帰宅、夕食。21:30就寝。
力のある方は先を語ることは困難ではないだろうが,現実は厳しい
鳩山政権の支持率が40%台にまで急落している。
小澤氏問題、首相の献金問題、普天間問題などなどのほか、党内の自浄能力が乏しいようなイメージも関連している。党内は雑多な考えかたを持っている集団なのだから出てくる意見に多様性がもっとあって良いはずなのに全く見えない。党内の抑圧,小沢周辺からの睨みがあるからなのではなかろうか。それに、成果として、景気対策のアウトプットが見えないことである。
先日の施政方針演説は首相の政治観を十分に盛り込まれていたが,やはり物足りない。夢を十分に語っているが何をどのようにして実現するのか見えてこない。「いのち」と言う言葉は20数回発せられている。とても素晴らしいが,どうやって「いのち」を守るのか,である。
公約がうまく実現していないのは何も日本だけの問題ではない。こうしたジレンマは、日本を含む先進諸国に殆ど共通している。各国のリーダー達はいずれも大胆な成長戦略を描いているが、目立った成果が生まれていない。
同様の傾向はオバマ大統領にも明らかになってきた。先日の教書において「チェンジに確信を持てなくなった人が多くいる」と期待通りに事が進んでいないことを率直に認めた。昨年の今頃、熱狂的な支持を受けて当選したオバマ氏は、世界に何か新しいことをもたらすであろうと期待された。更に、核廃絶の宣言は米国大統領として画期的でありノーベル賞受賞にまで結びついてが、その後、彼の主張が実現されているとは言い難い。それどころか、国内の失業率は10%に達し、支持率は低落している。それでも教書の中で「われわれはあきらめない」と力強く述べた。私はそういうオバマに期待しているし、必死に頑張っている鳩山首相を支持したいと考えている。
各先進国のリーダーの意見・主張,目に触れるのはそれほど多くはないが新聞報道の範囲では何れも力強い論調である。
力のある人たちにとっては夢も目標も大きいはずである。大きなヴィジョンも持っている事が分かるし、資質でなければやっていられないはずである。だから、彼らにとっては将来を語る事はさほど困難でないと思う。だから総じて先を語る内容は見事である。
現実には厳しい結果が付いてきている。オバマ大統領は米国を変え、世界を変えて欲しい。鳩山首相にも日本を変えて欲しい。その期待は変えていない。
1/28(木)晴れ 外来
療養病棟診療部会議
2:30起床、文献チェック他、6:20病院着、6:30回診。8:00救急カンファ。8:45-13:00外来。対外行事無し。書類処理、17:00療養病棟診療部会議、患者回転の速さを確認した。22:30帰宅、23:00就寝。
警察、検察、裁判官には業務上過失が問われないのか(3)足利事件
1990年5月に足利市で父親がパチンコに熱中している間に4歳女児が行方不明になり翌日河川敷で遺体が発見された事件が足利事件である。半年も後の12月に逮捕され、無期懲役で服役中に釈放された菅家氏が先日NHKのラジオ深夜便のインタビューに登場した。
菅家氏は無罪判定となる予想のもと現在再審公判中であるが、先日取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。新聞報道で見る限り身体的な拷問というよりは精神的に追い詰められた様子が見て取れる。かなり厳しい状態に追い込められた状況をラジオでも語っていた。
氏の話を聞いていてかなり誠実な方だとの印象を持ったが、更にご本人は幼少の時からの自らの性格を、身体的にもひ弱であったが、とても気が弱く、周りの強い意見に反論できず黙ったり、納得できなくとも従ってしまう性格であったと述べていたが、聞く限りそのような印象も受けた。事件に関する詳細は私には分からないが、アリバイに関しての情報はどうなっていたのか、私が知っている範囲の情報には無く、分からないが当然アリバイ証明は出来なかったと言うことになる。しかし、半年前のアリバイを証明する事は困難である。私が生活記録を付け続けているルーツは職質の時に味わった恐怖感である。
氏が述べた性格の特徴は私自身のそれとそっくりである。私も職質を3回受けたが、自己の正当性を何所まで主張できるか自信はない。自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる。この事件の判決に大きな役割を演じた当時のDNA鑑定であった。氏を真犯人にするには矛盾点もいくつかあったとされるが、科学的新知見が優先され、それに辻褄を合わせるために疑わしい事実は次々と修飾され、氏を犯人とする事件のストーリーが仕上がっていった、と言うことである。
密室での取り調べが録音されていたことは朗報である。取り調べの「可視化」は重要であるが、捜査当局は一部の可視化には同意しているが全面実施には抵抗が強い。
菅家氏が犯人とされるプロセスには警察、検察、裁判官、鑑定者とかが大勢関与している。冤罪を生むと言うことは真犯人を逃した事でもあり、無実の人の人生を台無しにしたと言うことから業務上の過失を問われてしかるべきである。当時の検事は証人として出廷したが、菅家氏に謝罪はしなかった。国家権力の元で業務をしていた方にとっては個人的見解や感想を述べられないのであろう。
一人の担当検事に責任を負わせるべきではない。関与したすべての関係者が責任を問われるべきであり、場合によっては罪が問われてしかるべきだろうと思う。
私ども医師は判断がリアルタイムに要求され、時には考えるまもなく治療を開始せざるを得なくなることも少なくない。その際、間違いをおかしていることが後日分かった場合には医療過誤として刑事、民事的に罪を問われることになる。同じ国家資格でありながらこの違いは何なのか、私はまだ納得できていない。
1/27(水)降雪のち晴れ・寒波緩む 新型インフ対策会議 外来 秋田大学関連病院協議会 県医師会理事会 報道関係者と懇談会
2:30起床。新聞・資料チェック、徒然。6:20病院着、6:45回診他。7:40新型インフルエンザ対策会議。8:45-13:10外来。
15:00PNH治療薬関連来客。16:00-17:00秋田大学関連病院会議、中座して17:10-18:40県医師会理事会。19:00-21:15
報道関係者との懇談会。21:40帰宅、22:00就寝。
医師の行為規範(5)医師の異常な労務状態(3)過労死
医師の過労死報道記事からの概要の続き。
■2004年12月○○病院の部長医師53歳。1999年自宅で自殺。公携災害認定。99年1-6月までの残業時間は月平均90時間、外来や入院患者の診察や手術も担当。同年7月に不眠などを訴えて1ヵ月休職。復職後、出身大学から医師派遣を断られ翌日に死去。
■2001年8月○○医科大付肩病院の耳鼻咽喉科研修医26歳。1998年自宅で急性心筋梗塞により死亡。地裁は研修医を労働者と判断。死亡前の2ヵ月、午前7時30分から指導医の捕助で連日午後10時頃まで勤務。終日休んだのは6日間のみ。
■1999年4月○○病院産婦人科医師35歳。1996年帰宅車中にて急性心筋梗塞で死亡。死亡直前の1ヵ月は休日が2日、夜間当直勤務は10日、当直明けもそのまま勤務。産婦人科責任者として治療や分娩の合間に事務作業。
■1990年1月○○大学付属病院の小児科女性医師43歳。1907年当直室で倒れクモ膜下出血で死亡。労災認定。死亡直前の最低12日間は休日なしに働き、この間に夜間当直2回、当直明けも夕方まで勤務。
■1997年6月○○病院外科医26歳。1990年自宅風呂場で急性心不全により死去。公携災害認定。死亡直前の1週間は病院の76時間勤務に加え、自宅で約15時間の学会準備作業。
■1992年8月○○病院院長代行61歳。1987年院内で倒れ心不全により死亡。公務災害認定。1月から院長心得となり新病院建設などで多忙を極め、肉体的・精神的な過労が持病在悪化させ、当日の議会答弁準備による精神的ストレスが直接的要因となった。
〔上記報道記事は中居あさこ氏作成 Medical
ASAHI 2007
Juneから引用し内容を簡素にした〕
これらの例の勤務状況は極端であり、異常としか言いようがない。
詳細は不明であるが、病院の管理者はこの様な死に至った医師達の勤務実態を把握していなかったのだろうか?はなはだ疑問である。
2007年3月○○病院の男性小児科医44歳は1999年に病院屋上から身を投じて自殺した。日常業務は8:00am-6:00pm、月平均6回、多いときには8回の当直をこなしていたという。全国の小児科医の平均は3.5回というので明らかに異常状態である。労働基準局は当初労災と認めなかったが裁判で労災認定されている。
労働基準局の判断は月8回の当直があっても仮眠は出来ていたはずだ・・等として認定しなかったと言うが、本来労働者の権利を擁護すべき立場にあるものとしてあまりの非常識さに驚くばかりである。
この医師の遺族は勤務先の病院に対し12.000万円の損害賠償を求めていたが、一昨年10月遺族側の控訴を棄却した。判決では医師の加重状態と死亡との間の因果関係は認定したが、本人が病院に相談しなかったから、病院が健康状態に対する配慮などの注意義務を怠ったとは言えない、と裁判は結論づけている。遺族は上告するとの意向だったとのことであるがその後どうなったのかフォローしていないので不明である。
これらの記録を読むと、医師が社会的にあまりにも不当な扱いを受けている事が分かる。だから、医療崩壊は社会が作り上げた状況である。
古くから権利意識を捨てて社会に貢献してきた医師達、今でも権利意識の乏しい集団を見なされており、そこにも問題があったのだが、権利意識に目覚め始めた時にあまりにも大きな壁に突き当たり、自らの限界を感じて病院から立ち去っていく。そして、病院医療が崩壊していく。それが実態である。
1/26(火)曇り 外来 常務会
県健康作り審議会感染症部会エイズ部会 医局カンファ(欠)
2:30起床、ドック判定総括、文献チェック。5:45病院着、
6:30回診、定期処方、紹介状等。8:45-13:00外来。14:45-16:00常務会。16:45-18:00県健康作り審議会感染症部会エイズ部会。回診等。20:50帰宅、夕食、21:45就眠。
医師の行為規範(4)医師の異常な労務状態(2)過労死
勤務医の勤務状況は厳しい。
厚労省のまとめでは常勤医の勤務時間は週平均70.6時間である。
労働基準法にある法定労働時間週40時間を大幅に上回り、月平均の時間外労働時間は月100時間を超え過労死レベルを超えている。
医療環境は各国の歴史や文化によって異なるので単純比較は出来ないが、ヨーロッパでは週約40時間程度だから約2倍働いている。世界一受診率が高く、数的にも多い受診患者を少ない医師で診療している。わが国の医師は欧米の6-8倍の患者を診療している。
厚生省ではなく、厚生労働省が上記のまとめを発表しながら何ら問題として提起せず、最近まで医師不足すら認めず、医師のエゴによる偏在が医療環境を悪くしていると言ってきた。労働基準法の視点から異常性を認めていながら何ら労務改善もしてこなかったのは犯罪的である。
医師の過労死は10数件報道されている。
以下に概要のみを示すが、何れのケースも大変な環境にあったことが分かる。これらのケースは労災認定とかされている、しかし、裁判等では個々のケースは論じるが、根底に潜む問題点をえぐり出すことはない。だから、同じような不幸なことが繰り返されていく。
死に至らないまでも勤務医の健康は厳しい労務環境の中でむしばまれている。本当は勤務医を続けたいのだがこれ以上の業務は無理、と諦め立ち去る医師は少なくない。すると、残った医師の労務環境は一層悪くなる。これが病院医療の負のスパイラルであり、これが病院医療の崩壊につながっていく。
■2007年4月○○大学医学部付属病院の女性研修医26歳。2006年4月自宅で筋弛緩剤を注射して死亡。労災認定。05年4月から臨床研修。救命救急センターでは多い週で78時間勤務、日当直は月10回。過労からうつ状態に。
■2007年3月○○総合医療センター男性麻酔科医33歳。1996年自宅で急性心不全にて死去。
■2007年3月○○病院の男性小児科医44歳。1999年病院で自殺。労災認定。
■2007年2月○○病院の男性小児科医31歳。自宅にて心原性ショック死。労災認定。月の時間外勤務が平均100時間超、夜間当直が3-4回。院外での待機当番も月20-25日。1晩に5回呼び出された日もあり。
1/25(月)降雪・曇り 管理会議 安全管理者・事務長と打ち合わせ 医療関係団体連絡協議会打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
2:00前に起床。新聞・文献チェック他。5:15病院着,路面は雪と雨でシャーベット状。ドリフト走行。6:30回診。7:45-8:30管理会議。病棟対応他。10:00-11:00安全管理者・事務長との打ち合わせ。13:30県歯科医師会医療関係団体協議会打ち合わせ。
16:00-16:40療養病棟判定会議。18:00-20:30長副会議。21:30帰宅、夕食、22:15就寝。
ブタインフ(42)感染症対策の必需品となった石鹸は歴史が長いが普及は最近
実は私はそれほどではないが、一般的に日本人はとてもきれい好きな国民だといわれている。風呂好きで身体を良く洗うし、洗濯も普及しほぼ毎日怠らない。これは水が豊富だという風土に深く関連している。
今は全自動洗濯機、乾燥機の時代で、人差し指一本で洗濯が出来る。私は、過度のきれい好きがエネルギーを多大に消費し、洗剤による環境汚染の源になっていると考えて実は心安らかではない。
桃太郎等のおとぎ話にもある様に、洗濯は川辺から始まったが当時は実に大変な作業だったのだろう、汚れを落とすのに役立つものをいろいろ模索したと思われる。洗濯には、サイカチの実、灰汁や石灰など、また洗顔や入浴には、油分のある小豆の粉や米ぬかが使われて来た。これはそう古い話でなく、私が子供の頃はサイカチの実を拾いに山に出かけたものだし、また風呂場には小さなぬか袋があってそれで身体をこすった、と記憶している。
実は石鹸は国産石鹸が誕生する300年も前、16世紀半ばに、鉄砲とともに日本に伝来していたが何故か殆ど普及していない。石鹸が一般の人びとにもたらされるのは、明治6年に国産石鹸が製造されてからのことで、生活必需品として定着したのは大正時代とされている。
一方、ヨーロッパでは紀元前3.000年頃に脂と木の灰からつくる洗剤らしい配合が記されている。だから、歴史的にはかなり古い。長い時間をかけてヨーロッパで改良が重ねられ、12世紀ごろには現在の石鹸とも見まがう香料入りの高級品まで作られた。しかし、ヨーロッパは概して水が貴重で、水と石鹸で汚れを洗い流すよりも、安い香水で臭いをごまかす方が安上がりだったと言う。当時の女性はどんな臭いをプンプンさせていたのか、想像するだけで鼻が曲がりそうで具合が悪くなる。
長い歴史を経て、現在、私たちの暮らしに必需品となった石鹸であるが、感染症予防には欠くことが出来ない存在になっている。ただ職場では殆ど固形石鹸は見ることが無くなり、すべてプッシュ式の液体石鹸になってしまったのは些か寂しい。
固形石鹸にはさまざまな個性があって新しく取り出すときなど心ときめくものがあった。
「ミツワ」「牛乳」「エメロン」などの良いにおいがしたブランド品は今どうなっているのだろうか。
1/24(日)曇り・一時晴れ・雪・雨 病棟拘束
2:30起床。ドック総括x1、新聞・文献チェック。8:00病院へ、8:30救急カンファ。回診その他対応、書類処理、11:30帰宅。ドック総括x1、新聞・文献チェックなどとろとろ進める。次男一家と犬来訪。孫5Kg以上でやや重し。20:00夕食、20:45就寝。
患者の入退院が激しく書類処理が間に合わない!! 医療秘書がもっとほしい
医師の診療外業務が増えている。何とかしなければならない問題である。
私は比較的病状が落ち着いた慢性期の患者が入院する療養病棟を受け持っている。そこでの受け持ちは30名ほどで、一般病棟にも5-8名ほどいるので入院患者数は数の上では多い方である。療養病棟の患者は病状が比較的安定していると言え高齢だからいつ何時何が起こるか分からない。死亡する方もおられるし、施設や慢性期病院に転院していく方、いわゆる居宅系とされる施設のデイサービス、グループホームを利用する退院も多いから患者回転は早い。
患者の入退院時、主治医として用意すべき書類はとても多い。紹介状や介護保健の主治医意見書、訪問看護の指示書、身体障害者申請などなどで何時も看護師、病身連携室などから催促される。
中でも最も時間がかかって大変なのは退院時総括書である。
私は木曜午後から日曜午前までのかなりの時間を費やして懸案書類等を処理している。年末年始休暇も出てきてかなり処理したが、本日午前にやっと2009年分の退院時総括を終了した。実に大変な作業であった。
ホッとしたところで、机上の未総括カルテコーナーに置いてある年明け以降に退院した患者の未総括カルテを数えてみたら24人分あった。一日一人のペースである。1月に入ってからは死亡された患者も多かった。小児科とか産婦人科領域では更に患者回転が速いから総括書も多いだろうが、あまりためていないようで大したものだと感心している。
最近、医師不足、勤務医の業務改善のために医療秘書を配置した際の加算が認められ、私どもの病院でも書類の一部を代行入力あるいは記載してもらえるようになった。まだ代行業務はほんの一部でしかないが、僅かであってもとても助かっている。
今年の医学部定員は09年度と比べて360人増の8846人となり、過去の最大募集者数と並んだとされるが、これの効果が出るのは10年以上も後のことでそれまで医師不足は解消されない。
現状で医師に診療外業務を担わせるのは無駄である。医療秘書をもっと増員できる診療報酬上の采配が期待されるところである。医師の診療外業務を軽減し、勤務時間を診療に従事させれば、勤務医のモチベーションは高まるし、医師不足のかなりの部分が解消する。喫緊の問題である。
1/23(土)寒波・曇り 病棟拘束 患者死亡 レジデントフォーラム(欠)
1:00病棟より連絡、病院へ。1:44患者死去。3:00見送り、帰宅。ドック判定総括、他。6:00再度病院着。8:30救急カンファ。「第4回レジデントフォーラム
in
Akita」は当院の当番、体調やや不良で欠席。総括、入院証明書ほか懸案事項とろとろ処理。18:30帰宅、夕食。20:00就寝。
おちち、乳房のイメージ(2)母乳の最大の利点は容れものにある?
母乳が人工栄養に勝る点を挙げれば、栄養学的にも,免疫学的にも、母子の絆という点でも数多くの利点があるのだが、その利点はなかなか見えない。子育て中の女性の立場は到底理解できない。半ば冗談で言えば、私にとって最大の良さはその容れものにある。粉ミルクと違って暖める必要はないし、ねこなどに飲まれる心配はないし、持ち運ぶのも便利、・・といくらでも利点を挙げられる。
それ以上に素晴らしいのはあの二つある半球形の形である。絵画,特に宗教画に描かれる女性の豊かな胸に私はいのちの源を感じ取る。浮世絵に描かれた姿も良い。私がどんなに表現しても言い尽くせない。作曲山口保治・作詞まどみちおの童謡「ふたあつ」
の第3番の歌詞で十分である。
一、ふたあつ ふたあつ なんでしょね お目々が いちに ふたつでしょ お耳も ほらね ふたつでしょ
二、ふたあつ ふたあつ まだあって お手々が いちに ふたつでしょ あんよも ほらね ふたつでしょ
三、まだまだ いいもの なんでしょか まあるい あれよ かあさんの おっぱい ほらね ふたつでしょ
子育て中の女性のイメージは、顔を豊満な乳房にうずめてしゃぷりついている児とそれを優しいまなざしで見つめる母の姿である。これを素材にした名画は数多い。素晴らしい絵画を私は羨望に近い気持ちで眺める。授乳中の母のこころは到底理解できないが、恐らく最高に満ち足りた気持ちなのだろう。
しかし、児にとっては実は大変なことらしい。人間の女性の乳房は形の上では最高であるが、授乳にはかならずしも適していない。乳首は口に含むには確かに小さく短か過ぎる。だから吸いつくと、赤子は鼻が押し潰されて呼吸が大変そうである。私はネコのことしか分からないが、確かに哺乳類の中で人間の乳房の様に豊かな脂肪組織が占めている生物は他には居そうもない。乳牛の巨乳は豊かではあるが、大部分が腺組織という。
何で人間だけこんな特別な乳房を持ったのか?不思議であるが、主たる存在目的が授乳以外になってしまったからなのだろう。いま、人工栄養が可能になったからなおさらである。
この素晴らしい乳房は何のために本来の機能を退化させ、この様な素晴らしい形に進化したのだろうか。芸術のためか?大きく長い乳首と腺組織からだけなる不整形の乳が二つ胸に付いているだけだったとしたらどうだったのだろうか。クレオパトラの鼻の高さと同様に人間社会の歴史が変わったかもしれない。
1/22(金)降雪・曇り 県地方独立法人評価会議 法人理事会
3:00起床。寝不足、人間ドック判定総括に手こずり、睡魔に負けて4:30ダウン。6:10Taxi病院着、6:20回診他、7:00入院患者家族面談。11:00来客、書類処理。13:30-15:30秋田県地方独立法人評価会議。長引いたので中座し帰院。15:45ドック診察。
17:30-18:45法人理事会。20:50帰宅、21:30就眠。
おちち、乳房のイメージ(1)たらちね
小さい頃の何らかの経験がすり込み状況として生涯心の底に残ることがあるようだ。私にもいくつかあって、「ひよわ」「たまご焼き」「おちち」「ねこ」「麻薬」「長崎のザボン売り」・・などをまず挙げることが出来る。これらの単語を文章で見たり放送で聞いたりすると私の目や耳は敏感に反応する。
その一つ一つにはそれなりの理由がある。
「おちち」、乳房が母のイメージそのものであることは言うまでもない。私にとってはあまり強い感覚ではないが、文学や美術の作品、多くの随想などから知る範囲では、古来から,多分、殆ど全ての人にとって母と乳房はほぼイコールの感覚なのだ、と思う。
現代はミルクと言う大きな恩恵があるが、古来母乳は新生児にとって唯一の栄養源、生きる糧であった。だから、母乳が不足したり、母親が出産を機に死に至った時などは、新生児は生きることが出来ない。恵まれた環境に生まれた子供は乳を借りたり、乳母を雇ってもらって乗り切ることが出来た。健康な母と流れ出る乳は新生児にとって生命線そのものであった。わが国には子供を大切にし、村落全体の結束を固めるために、村の婦人たちが代わる代わる新生児に乳を与える習慣を持つ地方も多かったらしい。何かほのぼのと嬉しくなる話である。
私は戦時下の昭和20年5月の生まれである。厳しい環境であったと思うが、母乳がよく出なかったらしい。生まれる環境など私にとって選択の余地は一切ないわけであるが、生まれ落ちた家が医師の家庭であったことは最高に幸運であった。ブドウ糖注射液とか,おも湯とかをはじめとして様々な代替品を用いて育ててくれたらしいが、そのためか私は栄養不足で鳴き声は小さく、いつまでもサルの赤ん坊のような風貌だったらしい。母は息をしていないのではないか?と気になってしょっちゅう覗いていたらしい。乳が出ず苦労したことはよく聞かされていたが、どんな代替方法を用いたのかもっとよく聞いておけばよかった。
結果的に私は「おちち」と言う言葉と、それから連想される「ちぶさ」「母」という言葉、語句にたいし私はとても敏感である。そのうち「たらちね」は大きな乳房から「おちち」が流れ出るイメージで私にとっては理想の姿である。
産休から復帰したスタッフに多分私は必ず「母乳は良くでるか?」と尋ねていると思うが、その背景はこんな処にある。
1/21(木)曇り、夕方から降雪寒波 外来 ドック結果説明3名 外来手術関連の医師面談 患者死去
3:00起床、眠い。ドック判定総括他、6:10病院着、6:30回診。8:45-14:30外来+人間ドック結果説明。正午過ぎ患者急変対応。
16:00医師面談、外来手術関連。19:00患者再度不調に。20:44死去。22:30見送り、残務。23:30帰宅、軽食、0:00就寝。
マスクの効用 ものぐさの私に都合が良い小道具だ
新型インフの流行でマスク着用の人が増えた。かつてのようなガーゼ製のマスクは殆ど姿を消し医療機関で用いられてきた不織布のサージカルマスクが主流となった。一時は不足したが今は供給量も十分で安価になった。私もマスク着用を推奨しているし、秋以降は自分も外来に出るときは着用している。感染防御以外の効能があるからである。自己流で再生しているのでまだ5-6枚しか消費していない。
■ウイルス、花粉,粉塵等の吸引防止
インフルエンザの感染予防に不織布製のマスクは完璧ではない。ウイルスを捕獲すると言う目的ではN95マスクが必要であるが、コスト面でも装着時の息苦しさから見ても非実用的である。それに、たとえ空中に浮遊しているウイルスを吸引したとしても感染が成立する確率は少ないから心配はない。
ただ咳やくしゃみに伴って排出される飛沫中には多数のウイルスが含まれるから問題であるが、この飛沫は大きいから不織布製マスクで捕獲できる確率は高い。だから、きちんと装着していると感染予防効果は大きい。これはウイルスより大きい花粉粒子についても同様であり花粉症対策にも効果的である。
■咳エチケット
咳やクシャミで飛び散る唾液、鼻汁等の飛沫の飛散をしないよう工夫することは他人への配慮として常識的なことである。この面でのマスクの効果は大きい。私もやってみたが、サージカルマスクをした状態ではどうやってもローソクの火を吹き消すことは出来なかった。飛沫飛散防止の効果は大きい。高齢者は耳が遠いから外来診療等では会話の際に顔を近付けなければならないこともある。時に患者の唾液を浴びることもある。この対策にも双方で着用すれば極めて有効である。
■無精ヒゲ隠し
私はとてもものぐさである。ヒゲを剃るのも嫌なのであるが無精ヒゲでとても貧相になるし、来客を迎える際や外の会議等では失礼なので仕方が無い。あわてて剃る。月曜朝は剃るが、その後何も予定がなければ一週間手を付けたくない。4月以降はひげそりの頻度は減るだろう。外来にはマスク着用で出るからヒゲを気にしなくて良い。時節柄、ものぐさ隠しマスクとは思われていない。
■表情隠し テューリップ隠し
マスクは上下に十分広げ、目の下から顎まで覆うので顔が半分以上隠れてしまう。と言うことは、表情も隠れている事にもなり、人と話をする際に表情と言葉の乖離を気づかれないようにする必要がなくなる。一方、相手をじっくりと観察する事も出来る。相手によっては私の鼻の下がグッと延びる事もあるだろうが、マスクを着けていると気にせずに済む。この効用を私は「テューリップ隠し」と称している。
1/20(火)曇り 外来 秋大訪問 院内感染症対策委員会(欠) 県医師会常任理事会 患者お二人死去・剖検
3:00起床、文献チェック他、6:20病院着、回診他。8:45-14:15外来。新入院、15:00秋大訪問。15;40患者死去、剖検施行。16:00院内感染対策委員会は重症患者対応他で欠。17:30-19:15県医師会常任理事会。20:45帰宅、21:10就寝、21:20病棟より電話、再度病院へ。患者死去。見送り他、23:00帰宅、就寝。
今期をもって県医師会役員を辞退 次期会長、副会長が無投票当選された
県医師会の来期の執行部の改選時期を迎えた。
私は熟慮の結果、今期限りで県医師会役員を辞することとし、現会長、副会長から了承をいただいた。次期会長・副会長の選挙は1月16日が立候補締め切りであったが、規定に則って現会長と現副会長、新副会長予定の三人がセットで立候補された。対立候補の届け出が無く、締め切り時間をもって無投票当選が決まった。
重大、かつ、困難な責務を負う道を自ら選ばれた三人の方々には敬意を表すると共に、当選を心からお祝い申し上げたい。今後は新執行部の人選に入ることになるが、新執行部のもと県医師会の一層の発展を願っている。
昨日は選挙後初の常任理事会であった。報告事項として会長から選挙結果が報告され、その中で私は身に余る労いの言葉をいただいた。発言の機会もいただき、常任理事、事務局のスタッフに対し、感謝の意を述べさせていただいた。
私の医師会歴は結構長い。
医師会員になったのは秋田大学の時であった。秋田大学医師会会員という事から始まったが、どんな経緯で医師会に入会したのかはよく覚えていない。助手になったときに自動的に入会したのかもしれな。
1985年、現病院に赴任したがその時から秋田市医師会員に異動となった。1992年4月から1996年3月の4年間、市医師会の理事をつとめた。
1996年4月から県医師会常任理事、2006年4月から2期4年間現会長の元で副会長を拝命し現在に至っている。思えば随分長く役員をつとめたものだと思う。
今回、辞退することになった私の気持ちを今の流行に乗せて漢字一文字で表わしてみれば「流」である。これでかなりの部分が説明出来る。私自身にも「流」が必要な時期を迎えつつある。辞退という形であるが、医師会のために、自身のために、ポジティブな気持ちで選んだ道である。しかし、今は正直なところちょっと虚脱感を感じている。
あと二月余任期がある。この間も県医師会関連の行事、県の会議等の予定が数多く並んでいる。この間、持てる力で任期を全うする。
その後は、一定程度の距離を置きつつ、一医師会員として責務を果たして行きたい。
1/19(火)曇り 患者死去 家族面談 外来 法人常務会
医局歓送迎会
2:00病棟より電話起床、病院へ,患者死去。3:00帰宅。ドックなど処理。5:10病院着、6:20回診他、7:00家族面談。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来、外来中倦怠感あり。14:45-16:10常務会、18:30-20:00県医師会感染症等危機管理対策委員会、新型インフ中心。21:00帰宅、21:30就寝。
iPhone(4) 使用1年 素晴らしさがやっと分かり始めた
一昨年年末、私は間違って携帯電話をiPhoneにしてしまった。所持していた第二世代の携帯電話のサービス終了は本年3月末であったが、誤解して一年先行して購入してしてしまった。
購入当初は従来の電話とかなり異なり何だか物足りない感じがして、自分から電話をかけるときだけスイッチを入る程度の使い方しかしてこなかった。
iPhoneの機能は今の段階で随分広く奥も深いことがわかったが、当時の私にとっては説明書も理解困難で、最小限の電話とiPod機能、メール、メモ帳くらいしか理解出来なかった。
iPod機能は子供達がクラッシック系のCDを100枚ほど入れてくれたのと、自分で入れたラジオ深夜便の1ヶ月分あまりの録音をたまには聞いていたが、そのうちに小さなiPod
shuffleを複数ヶ購入したのでiPhoneの出番が一層減少していた。
あまり使わない機器としてはやや大きく重い。その重さが耐えがたくてこれを持ち運ぶのであれば使わなければ損である、と考えたのが切っ掛けで、ある日突然iPhoneの機能に興味がわいてきた。新聞などの紹介記事を読んでいると基本的にはパソコンのミニ末端として使えるような機能が備わっており、自分のパソコンとデータを次々に同期させることによって発展させていく事が出来る、とある。それならかなり便利な機器と言うことになる、と思い立った。
早速、自分のパソコンで作成して日常用いているスケジュールや各種のデータを次々とメール機能を介してiPhoneに送り込んでみた。勿論、表示範囲は異なるし、基本ソフトも異なるから同じような使い方は出来ないが、結果として私のズボンのポケットからメモ用の手帳と紙のスケジュール表は無くなった。これらは今は100%iPhoneで代用できている。しかも、簡単にリニューアル可能なので毎日更新している。
インターネットを介して簡単に調べ物が出来るのも便利である。
最近、iTune
Storeを介して電子辞書をいくつか購入した。
国語辞書、英語関連辞書、薬剤関連辞書を購入したが、とても便利である。そのため年が明けてからiPhoneは診察机でも、医局の机上でも、会議の席でも大活躍している。座右の書というのがあるが座右のiPhoneである。
端的に言えばiPhoneはユーザーの個性に合わせて進化させることの出来る携帯電話、と言うことになる。iPhoneの機能は知れば知るほど奥が深いようだ。私はまだもてる機能の1-2割ほどしか用いていない。
いま残念に思っているのはメモリの容量の小さい機種を選んだこと。当時はこんなに発展させて利用できる便利な機器とは思っていなかったから安易に安価な方を選んだが、そのことが悔やまれる。私はケチで、何でも低機能のものを選ぶ傾向があるが、iPhoneの使用を通じてパソコンとかの電子機器は機能に余裕を持たせて選ぶべきだ、と学ばせられた。
1/18(月)曇り・降雪若干 管理会議 外来 療養判定会議(欠) 長副会議
1:20
起床。文献検討.医師会委員会関連資料検討。徒然。5:15病院、6:15回診等入院患者処置。7:45-8:10管理会議、8:45-14:30外来,混雑。16:00療養判定会議は欠、8名予約。17:00-20:10長副会議。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。
ブタインフ(42)季節性インフル未だ検出なし どこへ? 何故?
新型インフルエンザの流行が落ち着いてきた。全国的受診者数も明らかに減少している。沖縄県が若干増え始めているのが若干気がかりであるが、まず一段落だろう。
昨年まで県内のマスコミから毎週の如く、取材を受けたが,新年になってからは2つのTV局の取材、2新聞社からの電話取材のみで私にとっても一段落である。その際の話題は、■新学期が始まると流行はどうなるのか? ■季節性インフルエンザの動向であった。
前者に関しては今までの子供達の罹患率,ワクチン、現状の流行状態などから新学期になっても恐らく流行はしないだろう,と述べた。
後者の季節性インフルエンザの動向については、新潟県でB型が検出された他はAソ連型、A香港型の季節性インフルエンザが検出されていないのは事実で,実に不思議な現象でありその理由は不明である。ただし、未だ予断は許さない、と答えた。
流行開始が遅かった2006年でさえ12月中にパラパラと検出されていたし,例年は12月から1月にかけて流行期に入っていた。今年は10月に1件報告されて以降、Aソ連型、A香港型は現在まで全く出ていない。これは日本だけでなく世界的にも同様だという。
疫学的に見て新たなインフルエンザ発生により、それまであった流行が頓挫したことは過去に何度かあった。きわめて興味深いことであるがその機序は全然分かっていない。
自然界においてウイルス同士が干渉しあっている等と言うことは考えられない。ウイルスは生きた細胞内でしか増殖できないからである。新型インフ感染によって季節性インフにも対応する免疫が同時に生じている可能性はゼロではなかろうが、新型インフと季節性インフの罹患年齢が異なることから一見考えがたい。しかし、今回の新型インフが高齢者に罹患が少ないのは,高齢者が何らかの共通抗体を獲得しているとしか考えられないことを見ると,全くあり得ないことではないと考えられる。
約100年前のスペインインフルエンザの時代とは異なる。今回の新型インフを機会に季節性インフルエンザとの関係について何らかの知見が得られるのではないかと期待している。
1/17(日)曇り 病棟拘束
2:30起床、やや体調不調。ドック判定総括その他、新聞チェック、8:10研修出席の家内をAlveに送り病院着。8:30救急カンファ。総括・書類処理など。16:00家内迎え帰宅。16:30体調優れず午睡。20:00夕食、20:30就寝。
昨年はホテルハワイ休業でスタート 今年はイトーヨーカ堂撤退のニュース
昨日の地方紙のニュースによると、東京に本社のある総合スーパーのイトーヨーカ堂は15日、秋田駅前にある秋田店の営業を11月までに終了し、撤退する方針を秋田市に伝えた,とのことである。同店をめぐっては、2005年にも一度撤退問題が浮上したことがあるが、この時は、土地の賃料を引き下げたり、市が公営駐車場料金の支援を行うなどして、撤退方針を変えた経緯がある。今回の撤退については厳しい売り上げの低迷で方針転換の可能性は低い、との事である。
同店は秋田駅正面口と道路を挟んだ,私から見れば最良の場所にある。それが売り上げ減と言うことは事は深刻である。同店が撤退すれば、同市中心部の空洞化が一層進むことが懸念される。
イトーヨーカ堂は1980年(昭和55年)オープンした。その当時の駅前の賑わいは凄かったし、随分華々しくオープンしたと記憶する。あれから30年である。自分にとってのイトーヨーカ堂は,駅前の景観として堂々とした店舗を目にするだけで利用したことは殆どない。最初の5年ほどは随分はやっていたから一度も足を踏み入れたことはなかった。その後、今まで数回は利用したと思うが、何かまとまった物を購入したという記憶はない。だから、私はイトーヨーカ堂には何ら貢献しなかったことになる。
もっとも、基本的に人混みが嫌いだから,他の大型店もほぼ同様で,市内には未だ一度も利用したことがない大型店はたくさんある。最も頻度が高いのは本金西武であろうが、それでも年5-6回程度に過ぎない。
先日,新年の挨拶を作文するために私のメモを調べていたら、昨年は駅前にあるビジネスホテルのホテルハワイが1月3日に突然廃業になったという実に寂しいニュースでスタートした。年末のメモには12月25日に同じく駅前のレストラン、ニュータケヤが44年の歴史を閉じた,とある。そして、今回のニュースである。
秋田の経済の状態は良いとは言えないが30万都市である。市民の、県民の購買力はそれなりにあると思われるが、県都にまで来なくても郊外型の大型店で何でも手に入り事足りる、と言うことなのだろう。
駅周辺の地盤沈下は秋田市の経済のみならず文化にも、そして私どもの病院にとっても看過できない問題である。今、日赤跡地に美術館を中心にすえた新しい交流の場、憩いの場が計画されている。私は詳細は知らないが、十分な求心力を発揮できるような計画であって欲しいものである。
1/16(土)曇り・降雪 病棟拘束 ドック結果説明 患者家族面談
2:10起床。ドック関連x1、新聞・文献チェックほか.5:45-6:30除雪。7:00病院着、8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明。10:00患者家族面談。外来1名対応。19:00消化器内視鏡研修の家内迎えて帰宅、夕食、20:00就眠。
医師の行為規範(3)医師の異常な労務状態 更に罰則まである
わが国の多くの勤務医は一日の通常勤務の後に、夜間の通常勤務と言うべき当直勤務に入り、翌日も疲弊した状態で勤務をしている。ザッと計算すれば当直の16時間と前後二日間の通常勤務、これを一応8時間とすると連続32時間の勤務をこなしている。
臨床研修制度が導入されてから徐々に状況は改善しつつあり、病院によっては当直明けの勤務が免除されているところもあるが、それでも連続24時間勤務である。
こんなバカな事が許されているのが勤務医の労働環境で、その背景は医師不足である。
勤務時間に関しては過労による人身事故の可能性がある運輸業と比較してみれば、医師が如何に異常状態に置かれているか分かってくる。
道路交通法(昭和35年)、旅客自動車運送事業運輸規則(昭和31年)、貨物自動車運送事業輸送安全規則(平成2年)において、過労防止のために運転時間の制限が設けられている。時差を超えて往来する航空機パイロットについても、航空法施行規則(昭和27年)によって搭乗時間の制限が厳しく設けられている。
しかし、医師の場合、勤務時間に上限が設けられていない上、医師法(昭和23
年)において、第19条で応召義務が課しており、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と規定されている。疲労、睡眠不足は理由として認められていない。第19条自体は罰則は無いが、この条例の違反は「医師としての品位を損なう行為に相当する」からこの様なことが反復される場合には医師免許の取り消しまたは停止につながる可能性があるから、ただ事でない。
要するに、医師には礼節が求められていると言うことになる。それはそれで良い。しかし、この医師法が作られて62年経つ。この間、衣食住を含め、労働者の環境も含め、社会の状況は大きく様変わりしている。しかし、医師の労務環境は殆ど改善されてこなかったし、最近の医療崩壊状況では医師の労務状態はむしろ悪化している。
一晩眠れなかった場合の判断力、対応は泥酔状態に匹敵するほど低下するとされている。こんな状態は早く解消されなければならない。
1/15(金)曇り・降雪 除雪機3回目 ドック関連 発熱外来
2:00起床。風雪が続いている。ドック判定総括x1、文献検討、4:50-5:45除雪、場所によっては10-20cm。6:15病院着。
6:50回診他。病棟対応、8:00救急カンファ。病棟対応。13:30ドック診察。17:00-21:00発熱外来担当、診察3名だけ。21:50帰宅、夕食、22:30就寝。
医師の行為規範(2)医師には礼節が求められるが、限界もある
「衣食足りて礼節を知る」は古くから伝えられる言葉で有名である。春秋時代の管仲の言葉の「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」に由来しているという。意味は「米蔵が一杯になってはじめて人は礼儀道徳をわきまえるようになり、衣食が十分に足りて生活が安定すれば、名誉や恥辱を重んずるようになる」という意味である。
いろいろな解釈、引用のされ方があるが、「衣食足りる状況に至った人は次に礼節を身につけなければならない」と古くからわが国において人として、社会人としての行動規範であった。古い時代には確かに衣食住に困難していたであろう。だから、生きるために礼節をわきまえていられない切羽詰まった行動も随分あっただろうと予想出来る。が、しかし、現代はどうだろうか。いろいろあろうが、衣食は一応足りているのではなかろうか。ならば、礼節豊かな社会になっていて良いはずだが、どこに行ったのか?いや、「衣食」を「欲求」に置き換えてみればこの状況は理解できる。
一方、「武士は食わねど高楊枝」なる言葉もある。武士は生活に窮しても不義を行わない、衣食に窮しても礼節をわきまえて則を超えない、と言うことで実に厳しい言葉である。
医療に携わる者は礼節や道徳を身につけていなければ医を担当する資格がない、とはヒポクラテス、貝原益軒も言っているし、日本医師会の綱領にも謳われている。「ひたすら病める患者のことを考え、いたずらに利するようなことがあってはならない」とある。医の道を歩まんとするものは、まずその根底に人間愛を堅持すべきであるという意味である。
医療の根幹をなす社会保障は、国民が幸せになるための医療がどうあるべきかという立場からでなく、財政事情を優先した予算配分の上に構築されている。財政事情によってのみ政策が決められていく現実と、われわれ医療人をより窮地に追いやる社会の仕組みによってモチベーションを失いかけている。それが、医療崩壊の最大のルーツである。
1/14(木)降雪・寒波続く 新型インフルエンザ対策会議 外来
2:05起床。ドック判定総括x1。文献他処理。5:10病院着、吹きだまりで時に10cm以上の積雪、路地は厳しくなったが、風強く除雪無理。
6:30回診+病棟業務、7:45新型インフルエンザ対策会議。8:45-14:30外来。総括など・・。20:30帰宅、夕食、21:30就眠。明朝は路地の除雪が必要。
政権交代(25)マスコミはマイナスのニュースを並べ過ぎる
新年を迎えて2週間になる。良き新年を迎えられた。本当におめでとう、と言いたいと思う。
新政権発足し、年も改まった。わが国は少し落ち着いて、将来の姿を論じなければならない時期に入ったと思う。しかし、新年だというのにマスコミはこぞってマイナスのニュースを集中して流している。不景気、不景気・・、日本航空の破綻など、ちょっとならべ過ぎる。
発足したばかりの新政権にすらマイナスのレッテルを貼り付けようとしているようだ。この、国民が選んだ政権交代は今の日本にとって最大限祝うべき朗報だ、と私は思う。あれだけ閉塞感のあったわが国の社会が新しい発想で営まれようとしているのだ。こんな素晴らしいことはない。勿論、新政権には未知な部分もたくさんある。だがまだ3ヶ月余しか経っていないし、未経験の集団である。アラを探せばいくらでも出てくる。そうは言っても、今更元へなんざ戻れるものではない。今のままで行くしかない。
国民はほぼ100%、新聞、TVが情報源になっている。その新聞、TVがこうもマイナス面の情報だけを流すと国民全体が先を悲観して全体が鬱状態になる。マスコミは世論形成もしているのだという責任感がもっと欲しい。
今ある経済危機は世界的なものである。世界経済は一咋年の金融危機からまだ直っていない。わが国だけ特別に回復すると言ったような幻想を抱くのは一昔前の隆盛の夢を追っかけているようなものだ。あり得ない幻想である。
最近特に目を引いたのは、「中国の成長は目覚ましく、日本はまもなく世界第二の経済大国の地位を中国に明け渡す事になる」というニュースであった。結構インパクトがあったようである。ヒトは得た富や地位を失っていくことに関してはとても敏感であり、恐怖感に似た感覚すら感じるようである。しかし、クールに考えれば当然の予想された経過である。資本主義経済の経過・過程として経済が社会が成熟していくと何れは成長は鈍ってくる、と私は理解している。
中国は今、ヒト、モノ、カネが揃い初めて国民は高揚しているから、成長の条件は整っている。だから10%もの成長率が続いている。これには到底太刀打ちできるのはないだろう。米国ですら到底叶わない勢いである。
私が注目したいのはまだわが国が世界第二の地位を保っている、と言う現実である。まだわが国は経済大国なのだ。だから、方向転換していく余力が十分あると言うことで困難は待ち受けているだろうがまだまだいろんな可能性は大きい。だから、幻想を追うのでなく、最も安全で豊かな国で暮らしている現実を自覚し、味わい、楽しみ、感謝することだろう。
ヒトは生まれるとき親を選べない。生まれてくる環境も、場所も選べない。今いる自分はたまたま偶然の組み合わせでいるだけなのだ。良い国に生まれたものだ、と感謝している。
1/13(水)風雪大荒れ 患者死去 外来 医療の安全委員会 秋田メディカルサービス取締役会 郡市医師会長協議会+理事会+新年会
0:45病棟より電話、病院へ。患者死去。3:10帰宅、ドックなど。5:15病院へ。6:30回診+病棟業務、7:45医師面談。
8:45-14:00外来。15:00医療の安全委員会、15:30秋田メディカルサービス取締役会、16:00郡市医師会長協議会+理事会、17:30
新年会。17:30酔って中座、帰宅、そのまま就寝。
振り込め詐欺(3)最近目立っているが、実は古くからあったのだ
詐欺の予防キャンペーンも被害も共にまだ続いている。実に不思議なことである。最近のニュースでは中国でも起こり始めたらしい。
2008年1-11月までの被害件数は19.419件、264億円で、1日約1億円の被害である。その後はキャンペーンも強力に行われ、若干減少傾向になったものの2009年になってから再び増加している。
詐欺の手口なども新聞やTVで頻回に紹介されよく知られているはずなのに被害者は一向に減らない。第三者から見ればなぜこんなに簡単にお金を送るのだ,と思ってしまうが,それなりの心理的状態のある方々には区別、分別がつかないらしい。ATMの前で警察官が振り込みを止めるよう説得しても聞き入れなかった高齢者もいたという。
何でそれほど確信を持って振り込むのか、その手口が一層複雑化していることにもあるだろうが、高齢者特有の心理的順状況と第三者の意見を受け入れない頑なさと考えられる。それは、孤立感、焦り、持てるものの優越感なのだろうか。私にはまだ理解できない世界である。
朝日新聞はこの様な詐欺は今始まったことでなく、自社の明治・大正期の紙面にも既に掲載されていたと紹介している。
大正14年4月30日の紙面には「どこかおかしい主人の話し方 名士の家に声色を使い図々しい電話詐欺」と「社用で急に出張することになったので車屋に
50円駅まで届けさせろ」と言った2件の電話による詐欺事件を紹介している。何れも家人が声色がおかしいと感じたことで未遂に終わった、とある。
大正15年2月9日には「学生の実家に大ケガという偽電報 治療費詐欺」が掲載されているとのこと。東京に学生を出している高知の実家に電報が届き、この時は家族が信じて50円を電報為替で送った。数日後にもう一度送金を求める電報があって、不審に思った家族が上京して元気な息子に会って詐欺に引っかかった事が判明した。この事例では同郷の少年が検挙された、とのことである。
何時の世でも人間社会では男女のことをはじめとして金銭問題では同じ事の繰り返しが行われている。それが、時代と共に新しい機器が使用され、若干形を変えているに過ぎない。
電報、電話、携帯、メールなど、振り込め詐欺に使われるツールはすべて顔が見えない機器である。大人だって危険なのだから、この顔が見えないコミュニケーションツールが如何に子供達をも毒しているか分かろうというものである。
1/12(火)終日曇 管理会議 外来
秋田朝日放送収録 法人常務会 医局カンファ 長副会議
2:00起床。業務若干。ドック、文献。5:10病院着、2-3cmの積雪。6:30回診、7:45-8:20管理会議、8:45-13:50外来。14:00秋田朝日放送TV収録。14:45-15:50常務会。16:00救急医療関連取材申し込みで関係者来訪。16:00療養判定会議は欠席。
17:30-18:45医局カンファ。18:50-20:00長副会議。21:20帰宅,22:00就寝。
秋田の良いとこ、足らぬとこ(3)世界一短い単語があるぞ 「け」と「く」
高校の頃、友人から世界一長い人名を知っているか?と聞かれたことがある。
これは簡単に分かった。私は即座に「じゅげむ」と答えたが、問うた方の友人が「じゅげむ」のことを知らなかった。私は小学生の頃から自分で組み立てた鉱石ラジオとかで、いつも落語とかを聞いていたからこの辺のミニ知識はあった。この問いに対して友人は何を答えとして持っていたのか、残念ながら失念した。
次いで友人は世界一長い英単語って何だ?とカマをかけてきた。
一生懸命考え、辞書をめくって探したが、どれも大同小異で良い単語を見つけ出せなかった。出題者はニヤニヤして、答えは「smiles」なのだ、と言った。それでも私は直ぐに理解できなかったが「smiles」のSとSの間が1マイルもあるほどとてつもなく長い単語なのだ、と教えたくれた。当時感心したのだが、これは結構有名なジョークらしくその後も何度か触れる機会があった。
さて、こんな感じで見れば、秋田には方言であるが世界一短い?と言って良いような単語がある。それは、「け」と「く」である。
前者は「どうぞ食べて下さい」、後者は「いただきます」という意味である。恐らく「食え」、「食う」がなまったのであろう。一字であることからしてこれは記録的な短い単語なのだと思う。
ただし、これは私が見つけたのではない。県調査統計課の「秋田県の日本一、ベスト3あれこれ」に掲載されているのを新聞で見つけて引用した。その他にもいろいろ参考になる項目が掲載されている。
1/11(月)成人の日 降雪 病棟拘束
1:30病棟より電話で起床,病院へ。患者死去。4:00見送り。そのままドック判定総括、文献チェックなど。10:30帰宅、委員会報告文書等対応、新聞チェックなど。12:00午睡若干。雑誌その他廃棄処分。ドック判定総括、文献読み。19:30夕食、20:30就寝。
2010年元旦、中通病院友の会の皆様に 年頭のご挨拶
明けましておめでとうございます。平成22年の初春を迎えるにあたり、一言ご挨拶を申し上げます。
友の会会員の皆様におかれましては、お健やかに新年を迎えられたことと思います。日ごろから中通総合病院の運営に対しまして、物心両面から厚いご支援と深いご理解を賜り、心より御礼申し上げます。
昨年5月以降、全世界的に新型インフルエンザが猛威をふるっております。今後、状況は徐々に改善していくと考えられます。それでも油断は禁物です。皆様方には感染なさいませんよう、ご留意戴きたいと思います。感染予防にはワクチンも大切ですが、不要な外出を控える、手洗いなどの個人的対策が何よりも大切です。
一昨年のリーマンショックに引き続く世界的不況の中、2月にオバマ大統領が「Change」をキーワードに誕生し、世界的にも何かが変わる、と言う期待感が膨らみました。そして、我が国では経済低迷から抜け出せず、社会不安も続く中、9月にはついに政権交代を迎えました。わが国の国民も耐え難いほどの閉塞感で追い詰められていた事の現れです。
民主党のスローガンは「コンクリートから人間へ」で、長期に続いた自民党政治がもたらした格差社会の解消等に向けて新政権は現在奮闘しています。
民主党のマニフェストには耳にあたりの良い政策や方針が過剰なほど並んでおりました。その中の医療政策に注目した場合、低医療費政策からの転換がうたわれており、医療費と医師数の大幅増加を挙げている点は長い政治の過程の中では画期的と評価出来ます。
ただ、民主党は先々から公的病院偏重の路線を敷いていることが気がかりです。民主党のマニフェストの最大の弱点は、医療費を増大しなければ実現し得ない政策を提示しながら、それに充てる財源の長期的見通しを欠いていることです。本年の診療報酬改定ではプラス改定が期待されておりますが、社会保障費の総枠が増えないなかでの改定となりそうです。
この様な中、今年は新築計画を具現化していく年となります。これからも中通総合病院は地域の医療機関と連携し、皆様方に納得していただける、安全で良質の医療を提供し杜会へ貢献していきます。
皆様方の変わらぬご支援をお願い申し上げるとともに、本年が国民にとって明るい展望が開ける年となりますことを祈念し、新年のご挨拶といたします。
1/10(日)曇り 病棟拘束
2:30起床、文献、新聞などチェック。6:00病院着、積雪4-5cmと言うところか。書類整理、8:30救急カンファ、回診、重症者対応。退院総括、紹介状など。10:30帰宅。ドック判定総括、新聞チェック等。19:30夕食。20:45就寝。
マニュアル重視が求められ、狭められる医師の裁量権
医療に関連する紛争が生じた際に、説明義務を果たしたか否かも問われるが、最終的には行なった医療の正当性が問われることになる。かつての考え方、判断の規準は,その医療行為がその時代の医療水準に照らして大きく逸脱しているか否かにあったと思っていたが,最近の判断は徐々に異なってきている。要するに、医療水準と言うことよりも「行為規範化」というイメージで、マニュアルや通達に沿った医療行為をしていたか否かを判断基準に、その医療行為の責任が問われるようになっている。
私ども医師には専門家としての「医師の裁量権」なる判断規範が認められている、と解釈していたし,その判断基準の基本はその当時の医療水準であることから,医療水準から逸脱しないように勉強してきた。その裁量権が徐々に狭められようとしている。勿論、全くなくなったとは言えないが、大幅に小さくされようとしている。マニュアルに沿っていない,と言うだけで医療過誤との判断がなされようといる。
規範とすべきマニュアルの例として医薬品の添付文書、医学論文、学会の診療ガイライン等の文書が挙げられる。そのうち医薬品の添付文書は何でもかんでも収録されていることから医師は軽視する傾向があるが、注意しなければならないようである。
地方裁判所や簡易裁判所においてはまだ医師の裁量権を尊重した判断がなされる傾向はあるが,それが最高裁によって次々と覆されているとされる。地方裁判所や簡易裁判所ではその地域の医療水準とか医療機関への信頼度なども判断の材料になっている様に見えるが、最高裁まで行くと判断は医療行為の規範と言う点が中心に問われるようである。
規範化というのは一人歩きすると「マニュアルに沿った治療をすべきである」から,「マニュアルに反した治療をしてはならない」に変化して医師の治療行為を強く義務化する危険がある。
こんな時代、私どもが出来る対策,防衛策として結局は文書に帰結しなければならないようである。私は従来から、診療マニュアルは専門でない領域の治療の際には役立ててきたが、自分の専門領域の疾患については自分の判断を優先して来た。しかし、これからは考えをかえなければならいようである。
それと、治療の際には患者や家族にしっかり説明して,文書で同意を取っておくことであろう。
1/9(土)曇り→雪 病棟拘束 秋田ゾンタクラブ新年会 鈴木栃木県医師会理事来訪歓談
2:30起床。ドック判定総括、新聞チェックなど、5:10Taxi病院着、7:00回診。8:30救急カンファ。12:00-14:00秋田ゾンタクラブ新年会,View,雄鹿賢哉氏エレクトーン演奏。病院へ戻り総括書作成など。17:00-21:00鈴木栃木県医師会理事来訪歓談、21:30帰宅、21:30就寝。
年賀状(5)本日やっと書き終えた
本日午後、年賀状の最後の一枚を書き終えて投函した。ホッと一段落である。
今年の年賀状は年末の30-31日に1/3ほど書き、残りは年明けてから毎日10-20枚ほどを書き足した。今年は今までの中で最も遅い投函となった。元旦が日直、4日は運営会議で、5日には医局会で新年の挨拶が予定されていて、その準備に時間が取られたのも理由の一つである。
年賀状は12月中旬から受け付けるらしいが、私はこんな時期に出したことは一度もない。かつては20日頃から一枚ずつ自筆で書いていたが、ここ10年ほどは自分の筆跡を図柄にして印刷している。ただ、一言は自筆で追記しているので結構時間はかかる。元旦配達にこだわると、年賀状書きがストレス源になるので発想を変え、松の内に着けば良かろう、と年末年始休暇になってから手をつけ始めている。ただ、松の内という期間がよく分からない。松の内は門松等の松飾りのある期間のことで、旧来は小正月の15日までを言っていたはずであるが、最近は7日という説もある。7日は早すぎる。私は15日以前に届けば良いだろうと思っている。
今年も正確に数えていないが400枚近くの賀状を戴いた。有り難いものである。
今年の年賀状の特徴は裏表とも手書きのが1枚しかなかったことと、全体がピンク、ブルーの色調の賀状があったことである。実に形式的でクールな賀状もあったし、芸術的出来映えのもあっって感心した。ただ、プリントだけの賀状はどんなに良い出来映えでもちょっと寂しい。身内の方の死去に関連して忌中の知らせは20枚ほど届いたが、私と年賀のやりとりをしている方の中で死去された方が一人もおられなかった。年賀状は遠方にいる知人の生存確認にも役に立つ。
年賀状のルーツは平安時代の新春の歌のやりとりだという。
私は年賀状に、新年を共に迎えられた幸せを互いに喜びあうに止まらないいろいろな意義があると感じている。賀状の交換は割り切って考えれば無くても殆ど困るわけでもない習慣だが、50円で人と人の間をつなぐ極細の蜘蛛の糸を紡ぐのだと考えるとなかなか良い。ただ、私の賀状が相手方に迷惑になっていないのだろうかと若干逡巡する事も無いわけではない。そのようなときにはそっと遠慮させていただいている。
1/8(金)晴れ曇り
ドック診察 患者家族面談
2:20起床。ドック判定総括 徒然。5:10Taxi病院。6:30回診、重症者対応。8:00救急カンファ、外来無し、11:00入院患者家族面談。14:00ドック診察。20:20帰宅、21:00就寝。
ブタインフ(41)呆れた国の方針変更 私の対策は通達を読まないこと されど不便なし
新型インフルエンザは全国的にも秋田でも明らかに下火になりつつあるようでホッとしている。
既に小中学生の30%ほどが罹患した,と言うデータもあり,更に20%ほどの不顕性感染もあるともされる。更に、ワクチンの前倒し接種も始まったから当然である。
ただ、沖縄県で再度増加の傾向にあるのが気になる。これが二波の始まりなのか? また、この間季節性インフルエンザのニュースは乏しかったが、国立感染研は1月5日に新潟県の小児から今期初のB型インフウイルスが検出されたと発表した。今後、季節性インフの動向が気になるところであるが,今のところA型とされた患者の全てがH1N1新型インフと言うことである。
今年春から始まった騒動は、社会的には新型インフ発来と言うことも勿論であるが、現場の医療関係者から言えば感染拡大対策、診療体制,抗インフルエンザ薬の使用基準、サーベイランス体制が次々に変更された。それがワクチン接種が始まる頃から国の指針があまりにもめまぐるしく朝令暮改調で本当にあきれ果てた。
それは新年になっても同様で一昨日も通達が来た。もう2ヶ月以上も続いている。この間私の手元に届けられた通達の印刷物はいつでも取り出せるように経時的に並べて取ってあったが60cmほどのサイズの段ボール箱に入りきれないほどとなった。
初期の頃は真面目に目を通していたがそのうちに題名だけ読んで積ん読にした。現実的には殆ど不便を感じなかった。それに古いのはもはや参考にならない。だから、年末に全部廃棄した。机の足下が広くなった。
この様な通達は確かに大事であるが,現場の裁量の領域が狭められるから,我々は一体何なのだ,と言う空しさが生じることになる。しかし、それを守らなければマスコミとかから叩かれることになる。
これが,通常の診療の中でも同様の傾向にある。何か不都合なことが生じると学会の診療ガイドラインが、薬物療法に関しては添付文書が重視される時代になってきたので我々は常に勉強しなければならない。これも実際には結構大変なことである。
1/7(木)曇り 患者死去 外来 ABS取材
2:30起床。人間ドックx1。4:20病棟からコール、Taxi病院着、4:50患者死去、重症者対応。8:00救急カンファ。8:40-14:30外来、混雑。20:50帰宅。昨年は道路は夕方からの雪で圧雪状態。今期はまだ無雪状態。夕食、21:30就寝。
政権交代(24)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(5)日本の繁栄と鎖国
日本には古くから連帯意識の豊かな社会観が醸成されて来た。恐らく、世界に二つとない素晴らしい特徴だったのかもしれない。
この日本的な連帯感を近年まで日本人が持ち続けていた第一のルーツは鎖国にあり、歴史的に全く価値観の異なる他民族に一も征服されたことはないからだと私は思う。異民族は固有の文化も破壊し、文化をも征服しようとするのが一般的である。我が国はどこからも毒されることなく独自の文化を育て上げる事が出来た、と言うことである。
私は歴史に疎いためにいろいろ論じることは出来ないが、読みかじっている文学作品とかからうかがい知る範囲では、相手方の気持ちを大事にする独特の社会、文化があるように思う。古事記、源氏物語、枕草子、方丈記、徒然などの世界には独特の社会観があり、人間関係があり、諦観がある。敵に塩を贈る文化である。新渡戸の名著「武士道」を読むと古き良き時代の日本的独特な連帯の文化、礼儀、抑制の文化を改めて知ることが出来る。これらの独特の文化、考え方は鎖国によってほぼ純粋に培養されていた、と言いうるだろう。
一方、欧米社会は基本的には階級社会であり、個人主義であり、厳しい競争社会で、敗者はばっさりと切り捨てられる冷たい社会である。欧米ではほぼ共通して宗教は「キリスト教」であるが私には「キリステ教」に思えてならない。
日本に欧米型の異文化が一気に入ってきたのは終戦後である。この時、それまでの価値観が否定され欧米の考え方が一気に導入された。当時、感受性豊かな年代にあった人々は相当にショックを受けたと言うことである。
しかし、当時の食うや食わずの生活の中では生きるためにまず必要であったことは住民間の連帯で、同じような環境の中で互いに寄り添い、助け合って苦境を乗り越えなければ生れなかったために、欧米型の生活を羨みながらも欧米型の社会様式、論理は浸透しなかった。これが、我が国が一気に欧米型の文化にならなかった第二の因子であろう。
一気に欧米化しなかったことは日本の社会にとってとても良かったと思う。国土も狭く、資源もない我が国が戦後に見事な復興を遂げたが、繁栄の背景には欧米の文化にはない独特の生活観、社会意識、連帯感があったためである。
小泉首相は自民党だけでなく、この独特の日本文化をも破壊してしまった。勿論、小泉首相だけの問題では無いが、彼の任期中に、日本の社会は一気に包容力を失ってしまった。
1/6(水)曇り、外来 4病院院長他懇談会
2:15起床。ドック判定他いつもの如く。5:10病院、6:30回診、8:00救急カンファ。8:40-14:40午前外来、混雑。18:30-21:004病院院長懇談会、21:30帰宅。22:00就寝。
秋田の良いとこ、足らぬとこ(2)食糧自給率、174%!!!
秋田県の調査統計課でまとめた「ワースト3集」という統計調査がある。
ここでは8分野、39項目が紹介されている。代表的分野別としては健康・医療と人口・所帯問題が12項目を占めている。この様な集計だけを抜き出して見ればかなり住み難いひどい県だと思ってしまう。
あの豪雪であった2006年の正月明けに放送されたNHK特集「わが国のガン治療の地域格差を解消する」という特集番組が放映されたが、その時のキャスターは秋田のことを、がん治療の面ではとても遅れており住み難いひどい県なんですね、と表現していた。誤解である。個人的見解を全国にばらまかれては困るのだ。
本当にそんなに住みにくい?? そんなことはない。秋田は今のところ経済的には今ひとつ活気がないが、なかなかどうして住み良い県である。
秋田県が誇れる項目を探して順次考えていきたい。
まず第一に挙げなければならないのは食料自給率の高さで、174%と、北海遭の195%に次いで全国2位である〔06年度、農林水産省資斜による〕。米の「あきたこまち」は有名だから勿論豊富であるが、野菜や果物も生産量が多い。山菜や畜産物、日本海の海の幸も、豊富である。きりたんぽ、比内地鶏、しょっつる、いぶりがっこ、稲庭うどんなどの伝統食材も沢山ある。
野菜栽培、畜産も盛んである。最近、牛肉の質の高さが話題になる。それに海の幸。ハタハタは日本一の水揚げを誇る。やはり秋田産のハタハタは姿は良く味も良い。あまり知られていないがふぐも取れる。酒の消費量は一番だが生産量は堂なのだろうか。後で調べてみたい。
一次産業である秋田の農業、漁業、畜産はもっとPRされてしかるべきと思う。他県に行くとさまざまな工夫がされた県産品が並んでいるが、概して秋田の路線は地味なのだと思う。
昨年度は食糧自給率がカロリーベースで1%上昇して40%になった。この上昇の意味が国産食品を積極的に利用したり、生産量の増加がもたらした結果なら大歓迎であるが、外国産の食材が原油高騰等の影響を受けて手に入りづらくなったなど、中国産の食材の評判低下で相対的に国産品が使われた、と言う影響を否定できない小さな変化でしかない。
景気が悪くなって経済が低迷するとどうしても安い食材、輸入食材に走るために食料の生産量、自給率は一層低迷する。いま、国際的に食糧難の時代にありちょっとした切っ掛けで国際的な食料品の奪い合いが始まる可能性がある。食料は自給率の低い日本に対しては武器にもなり得る。だから、食糧自給率の改善は喫緊の課題でもある。
秋田が我が国の食料生産に大きく寄与していることをもっと宣伝すべきだし、秋田人はこのことを大きな誇りして良いのだ。
1/5(火)降雪・曇り 外来 医局会
(院長新年の挨拶・所信) 市医師会喜寿祝賀会+新年会
1:30起床、ドック総括x1、院長挨拶原稿、徒然。5:15病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。
17:30-18:30医局会
院長新年の挨拶。19:30-19:45市医師会喜寿祝賀会+新年会遅れて参加。20:30中座帰宅。21:15就寝。
秋田の良いとこ、足らぬとこ(1)人口減少率全国一
総務省による2008年度の都道府県別の人口動態調査結果によると、秋田、青森をはじめとする40の道府県で前年比で人口が減少していた。これはかなり大変な状況を呈していると考えなければならない。
この人口が減少した道府県の40と言う数は過去最高である。このうち、大阪、福岡、三重以外の37道府県では死亡と出生との関係による「自然減」と、転居などの「社会減」が同時に生じている。人口が増えているのは東京、愛知、滋賀、神奈川、千葉、埼玉、沖縄で、東京は13年連続で増加している。沖縄は高い出生率の関係で人口増になっている唯一の県である。この背景因子は探ってみるかちがあろう。
東京、名古屋、大阪に総人口の半数以上に当たる50.7%を占めていることになる。
目を秋田県に転じてみると、県の調査統計化の発表では2009年6月1日の人口は1.099.351人で110万人を切っている。120万人を切ったのが1999年だから10年間で10万人減少したことになる。1年に1万人の減少、これは大きい。130万人から120万人に減少するのに34年かかったことを考えれば急減少と言うことになる。
結局、県人口は1982年から26年連続で減少し。そのうち重要な「社会的減少」は1951年から続いている。これに加えて1993年以降「自然減」も一緒である。これは、出生率の低下と高齢化率を背景とした死亡例の増加による。
県人口の維持あるいは増加は県の活力の維持に重要であるが、その方策は若者を圏内に止まらせる事しかない。年寄りに子を産め、死ぬなと言っても無理な話である。私など高齢者医療を通じて「自然減」に寄与しているから無関心でいられない。
若者が出て行くのは秋田で暮らせない、生きていくすべが無いと言うことに尽きる。知事は婚姻率、出生率を上げたいと言及しているが、まず、その年代の人たちに生きていける環境を作ることである。若者達へのアンケート調査などでは秋田が好きだ、秋田に住みたい、との答えが多い。彼らはそれでも出て行かざるを得ない。それが今の秋田の厳しい現状である。
今春、医学部を卒業し臨床研修を行う予定の医師は昨年より8人減少して68人となった。受け皿は十分にあるから秋田に残っても暮らせないわけではない。なのにこの状態である。深刻である。何とかしなければならない。
1/4(月)曇り 外来 運営会議で念頭の挨拶 長副会議
1:00起床、本日の新年の挨拶に呻吟、文献整理、徒然など。5:10病院着。6:25回診他。8:45-14:30外来、年始初頭というのに混雑。15:00-15:30運営会議で年頭の挨拶。16:00予定の判定会議は対象者無し。17:00-18:45長副会議。20:45帰宅、夕食。
21:30就寝。
受信料が勿体ない 紅白歌合戦の絢爛豪華な演出、舞台、人海戦術
今回の年末年始は、いつものごとく早朝に病院に出て業務を処理した。私と生活パターンが異なる家族,と言っても3人であるが、揃った時点で連絡をもらい帰宅した。ここ2年ばかりは特に意識して自宅で過ごす時間を確保している。自宅でも適宜ドックとかの業務をこなし、賀状は30日から一気に準備した。元旦配達には恐らく間に合わなかっただろうが、新年を祝う賀状はそれで良い。
レコードを取り出し久々数枚聴いた。やはり未だ自分はレコード派なのだと新ためて思った。針が降りたときから身を包むような何とも言えない雰囲気が醸し出されるのがとても心地よい。音にならない低域の雑音のせいだろうか。音質もそう悪くないし,ダイナミックレンジが狭いのが自宅で聴くにはちょうど良い。音を細かい溝に刻むのもすごいが、針先が振動を細かく拾ってこんなに美しい音に再生すること自体、未だに不思議で驚きである。
録音テープ、MD、CD、DVD、MP3になると機構が見えないし理解できないからかえって不思議でもなくなる。これらの機器は総じて音はレコードよりも良いのだろうが私の耳にはややきつい。決定的に優っているのは便利さである。
「紅白」は今年も前半だけ見て寝てしまった。楽しみにはしていたのだが楽しめなかった。今回も舞台装置はすごかったし、人海戦術には驚いた。演出も豪華絢爛、派手派手で呆れた。見ていて苦しい。「紅白」を年末行事のお祭り騒ぎ,ドンチャン騒ぎの番組と割り切れば納得も出来るが、年々私の感覚からだんだん遠い存在になっていく。それでも、私にとって幼少からのなじみであり、無関心ではいられない。日常、NHKを情報源として活用しているので受信料を勿体ないと思わないが、最近の紅白に関しては些か疑問になる。視聴率は40%ほどというが、この紅白は各家庭の年越しをワンパターン化しているのではないだろうかとも思う。私はひっそりと過ごしたい。寝れば、スイッチを切れば目の前から映像と音は消えるが、消えない疑問である。
「NHKニューイヤーオペラコンサート」は同様に豪華であったが、静かに楽しめた。
「ウイーンフィルニューイヤーコンサート」も良かった。指揮のJ.プレートルはフランスの指揮者で、確か3年ほど前にも登場したことがあるが、昨年のバレンボイムと異なり過剰演出が無くてとても良かった。今回はK.マズア指揮NHK交響楽団の「第九」を聞き漏らしたのが残念であった。
古い映像であったが、クライバー指揮の「バラの騎士」、「ベートーヴェン第7交響曲」は楽しめた。
年末年始に見ながら、聴きながらいだいた感想である。
1/3(日)(年始休暇最終日)曇り 寒波若干緩む 病棟拘束
2:30起床、ドック処理x1、文献整理その他。7:15病院へ。8:30救急カンファ。回診、レセプト対応。11:30帰宅。以降は自宅でドック処理、文献、新聞チェック。新年の挨拶準備。19:30夕食、20:30就寝。これで年末年始体制は終了。予定していた患者関連の業務処理は6割、その他私的にもいろいろやりたいこともあったが1-2割程度に留まった。
政権交代(23)今後の医療界の展望(1)
民主党中心の連立政権が9月16日に発足して3.5ヶ月が経過し、最大の懸案である次年度の予算の政府案が出来上がった。過去最大規模の95兆円で,税収入の不足分を国債44兆円発行して乗り切ると言う。この中で診療報酬改訂は僅か0.19%ではあるが、10年振りにプラス改訂が行われた。今回の予算案は一言で言うと「ばらまき予算」と言うことになる。
有権者は民主党を「マニフェスト」内容で選んだというわけではないと思う。自民党政権に不満があって愛想を尽かした結果である。しかし、政権を担った以上、新政権は「マニフェスト」内容を実行しなければならない使命を負った。
増税せずとも埋蔵金と税金の無駄遣いを廃することで財源は確保できると主張してきており,無駄を廃するために公開で事業仕分けを行ったものの結局は財源不足で、国債発行に頼らざるを得なかった。この発行で国民一人あたりの借金額はトータルで600万円に相当するまでになった、という。
ガソリン税などの税廃止は実質的には中止した。それで何とか税収の減少を幾分かを食い止めたことになろう。私はよく分からない点もあるが、新政権として今回はこの選択もやむを得なかったのだろう,と思う。ただ、その次の予算,次・次年度の予算を作成する際には同じ発想では出来ないだろうし、国民も許さないだろうと思う。税収を増やす方策をとるか,予算を縮小するかの選択が必要になろう。
今後の医療行政はどうなるのだろうか。
民主党の「マニフェスト」には医療費と医師数の大幅増加の数値目標を具体的に挙げているが、これは従来の民主党の姿勢から大きく変化しているから相応に評価しなければならない。しかし、この評価すべき方針の最大の問題点は「医療費財源拡大の長期見通し」がないことで、「税金の無駄使いの根絶と埋蔵金の活用」だけでは、到底実現は困難である。
現に、予算案編成段階で医療再生のために診療報酬の大幅な引き上げを望む厚労省と、3%もの引き下げが必要と主張している財務省は激論を繰り返した,とされる。3%もの引き下げられたら医療は成り立たなくなる。
この応酬を見ていると、医療費と医師数の大幅増加をうたった「マニフェスト」は党内,政府内でコンセンサスを欠いているのではないか?と疑問さえ抱く。
0.19%のプラス改訂では医療機関にとってそれほどの恩恵はない。ましてや医療崩壊からの再生には役立たない。だから、その目的に沿って傾斜配分がなされるだろう。と言うことは恩恵を受ける医療機関と大幅減となる医療機関が出ることとなる。だから、今のところ医療行政の先行きは未だ不透明のままである。
1/2(土曜)(年始休暇二日目)降雪 病棟拘束
2:30起床、外は吹雪。ドック、徒然ほか。6:30病院へ向かおうとしたが積雪20cmほどで吹きだまりは50cm。車は走れない。1時間除雪。修理で治ってきた除雪機に感謝。8:10病院着、8:30救急カンファ、回診、レセプト対応など。11:30帰宅。以降は自宅で年賀状追記、ドック判定総括など。文献チェック、整理、廃棄など。20:00夕食、21:00就寝。
今年の降雪はなんか変だ 2006年新春の豪雪のイメージ 除雪機2度目
例年だと徐々に冷えて,徐々に降雪量が増えてくる。今年は若干イメージが異なる。
12月下旬にいきなり,本当にいきなり、まとまった降雪があった。その雪は殆ど解けたが道路脇に積み上げられた雪は残っていたがまず一段落というところであった。ところが大晦日からまたまた寒気団である。
地方TV局のニュースは元日の県内各地の神社の様子を伝えていた。悪天候にもかかわらず、多くの初詣で客が訪れ、時折強い寒風が吹きつけ雪煙を舞い上げたが、参拝客は境内に設けられたお守りやおみくじの授与所にも長蛇の列を作った,と言う。日本の正月の風物詩である。それだけこの一年に対しての期待が大きいのだろう。
本日朝、病院に向かおうと外に出たら何と防寒靴が埋まるほどの積雪である。12
月30日以降強い冬型の気圧配置の影響なのであろう。風も強いから吹きだまりも方々に出来ている。私のPriusの前は30-40cmにもなっており路地も所々厚く吹きだまっている。これではまともには走れない。急遽予定を変更して除雪することとした。
除雪しながら思い出したのは2006年1月5日の積雪である。夜通し降っていたのに気づいては居たものの4:30amころ外に出てびっくり仰天、膝上までの積雪であった。わが家へのアクセス道路は何とか除雪したが、公道はまだ除雪されておらず、車は無理と諦め病院まで約2時間かけて歩いた,と言うあの日のことである。
勿論あの時の積雪とは違う。除雪後はほぼ通常に車が走れたから予定より送れて病院に着いた。
我が家の除雪機であるが,我が家は除雪すべき道路が長く駐車スペースも広いいから必需品である。12月下旬にクラッチが壊れたが数日後に無事直って帰ってきて居たので本当に助かった。つい先日まで1990年頃の購入と思い込んでいたのであるが思い出してみると1885年であった。だから、約25年も使い込んでいる事になる。余り負荷をかけないよう注意しつつ大事に使わねばならない。
今夕の天気予報によると、これから徐々に低気圧は去っていくというし、今冬の長期予報では例年より幾分暖かく,雪も少ないとの事である。年と共に寒さと雪をストレスに思うことが多くなってきた。長期予報のような冬であることを願っている。
ストーブの前でパソコンに向かって何となく願っているだけではだめか?神社への詣でと若干のお賽銭が必要かな?
2010/1/1(金)(年始休暇初日)寒波・降雪 療養病棟拘束 日直・発熱外来担当
3:00起床、徒然2009年締め記述。ドック処理x1ほか。5:45am頃に病院に。降雪は6-7cmなるも猛吹雪。時折前が全く見えない状況で時に停止・最徐行。7:00病棟他に新年挨拶Fax、重症者対応数件、8:30救急カンファ。9:00-17:00発熱外来、10数名だけ。18:30帰宅、賀状整理など。19:30孫が来た。初めて抱き上げた。21:30。就寝。
2010年元旦 つれづれ生活スタート
新年初日は全国的な寒波の下でのスタートとなった。私のワンパターン生活の始まりである。5:45am過ぎに病院に向かったが,大吹雪で時折眼前はホワイトアウト状態にもなった。全く何も見えず、こんなひどい吹雪は久々である。車をそろそろと走らせた。
早朝、大晦日から勤務しているスタッフの労をねぎらうために病棟他に「新年の挨拶」をファックスを送った。一部病棟から寄せ書き等の楽しい返信あった。私が担当している30数名の患者、うち数人が厳しい状況にあるが、今年も一人も外泊していない。ここ数年盆・暮れの外泊患者が激減している。家庭内の高齢者の立場の変化を表していると思われる。
本日は日直で発熱外来を担当した。全部で20名前後と受診患者は少なかったが半数ほどは各地から帰省者またはその子供達であった。子供は高熱、腹痛、下痢等が主症状であったが重症者はおらず、半数は既に昨年暮れまでにA型インフルエンザに罹患していた。小児の診療は久々であるが、この年代の新型インフの罹患率は相当高い事を実感できた。
帰宅時も朝ほどではないが相当に吹雪いており、駐車スペースは30cmほどの吹きだまりになっていた。これだけの風があるので除雪は困難であり諦めた。明日の天気が気がかりである。
新年の初日として変わったことは特にないのだが、今夕次男夫婦が孫と犬を連れて来たのでたこ焼きを作ったくらいか。私は初めて孫を抱き上げたが実に軽い。
年末年始は流石にいつもにない開放感はあるが、私自身は新年明けに対応すべき懸案事項が少なくなく、日に日に気分が少しずつ重くなる。先月退院分のカルテも未だ総括し切れていない。明日から保険診療のレセプトにも対応しなければならない。人間ドックの総括も。
それとどっさり届いた年賀状、もらって嬉しい、懐かしい方々からの賀状であるが、私は年末には予定の半分ほどしか用意できなかったから、これから対応することになる。これもやや気持ちを重くしているかな。
まあ、なんだかんだで始まった新しい年の初日。今年一年がいい年になるよう願っているし,そうしたいものだ、と思っている。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |