徒然日記
2007年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(土)雨  病棟拘束  友の会総会講演「日本の医療事情と・・・」 秋田県医師会第132回臨時代議員会
2:10起床、講演資料作成準備終了。5:15病院着.事務処理、回診他。総括・書類と格闘。12:30-13:50友の会総会で講演「日本の医療事情と中通総合病院の今後」。15:30-17:45第132回秋田県医師会臨時代議員会。18:00-19:45懇親会。20:00帰宅。20:45就眠。

また偽装 ユーザーへの感謝の念を失った企業は怖い
 北海道の食肉加工販売業者が牛ミンチに豚や鶏を混ぜて出荷し、利潤を上げていたことが発覚した。7-8年も前から社長の指示で行ってきたとのことで、今のところ健康被害の報告はないが、期限切れの食肉の再販売や、質的に劣化した食肉を消毒して混入するなども次々に明るみに出てきている。発覚するはずがない、と長期間消費者をだましてきた罪は重い。

 偽装と言う言葉が最も相応しいのは姉歯元建築士による耐震強度偽装があるが、5月には富山市の設計会社と建築士が耐震強度を偽装した事も発覚した。ユーザーの命を危険にさらし、大きな経済的被害を与えたという意味ではレベルに大きな差があるが、今回の事件もユーザーへの感謝の気持ちを無くし、だまし続けたという点で本質的に変わる者ではない。
 その他にも企業の隠蔽工作など、最近信じ難いニュースが続く。原発をはじめ発電所の事故・トラブル隠し、記録の抹消や改ざんといった偽装も発覚した。

 食品関係に限っても不二家に加え、雪印の集団食中毒や牛肉偽装が記憶に新しい。また中国産の野菜に残留農薬が許容量以上に検出された話題もあった。
 私もそうであるが、我が国の国民は食品に対して潜在的に不安を持っているのではないだろうか。やや神経質過ぎるのでないか、と思うほどの人も少なくない。

 その切っ掛けとなったのは、1955年の森永砒素ミルク事件やメチル水銀垂れ流しによる水俣病、1968年のダイオキシン混入によるカネミ油症事件、神岡鉱山の精錬排水に含まれていたカドミウムが神通川流域の飲料水やコメを汚染して生じたカドミウム中毒によるイタイイタイ病などの悪しき歴史があるからである。これらのことから農薬や食品添加物に漫然とした不安をかかえる事になっているのではないかと思う。

 漫然とした不安があるといえども、私どもは具体的には何も出来ない。食品会社に対する信用と添付してあるラベルだけで、後は国の検査体制とその結果を信じるしかないのだ。国と行っても社会保険庁のこともあるし・・・。その中では、会社のブランドに対する信用は最も大きい。それなのに、不二家、雪印、今度の事件である。これらの本の一握りの会社の隠蔽、偽装工作で加工食品に対する不安が一層強まってしまった。この事に関する罪も決して小さくない。


6/29(金)秋田雨・東京曇り激暑、夕方降雨  日医病院委員会
2:00起床,講演準備、徒然日記など。 5:10病院着、6:15回診他、8:45病院発、9:55JAL、AirBus A320-600。横4列の後部中央座席部分は僅か数人座っているだけで快適。浜松町書店にて数冊購入。13:30-16:00第2回目の日医病院委員会。緊急提案の3頁の一文をめぐっての討論のみで時間切れとなった。18:00JAL MD-90。満席。滑走路脇での待機時間が長くて離陸は遅れたが、実質的飛行時間は45分とのこと。偏西風の影響か?今までの内で最短。19:10秋田着、20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

医師不足対策(9):秋田県の医師確保対策(2) 修学資金貸与には応募者多数 
 秋田県では医師・看護師が不足し、秋田市以外の地区、特に県北、県南地区の医療は崩壊し危機的状況にある。地域医療の維持、確保は県、自治体の仕事である。秋田県では必要な医師数を確保するために昨年度から医師確保総合対策を展開している。

 その骨子は、
●県出身者の医師志望者数を増やす、
●修学資金貸与による県内定着、
●県職員医師採用枠の拡大、
●医師のリクルート関連事業

などであるが、どれが実質的にスタートし、どの項目がどれだけの成果を上げているのだろうか知りたいものである。来月初旬の医療行政懇談会に向けて県医師会からこの点を質問内容として挙げたので、その席で全体像の報告があると思われる。

 機会良く、今朝の秋田さきがけ新聞に修学資金貸与事業の結果の報道があった。それによると、本年度の修学資金への申し込みは定員の3倍あり、県医務薬事課は医師確保対策に弾みが付いたとし、定員を緊急的に更に拡大できないか検討している、とのことである。県によると、募集定員5人に対し昨年度は応募が定員と同数の5人、本年度は15人が応募した、と言う。その理由として県は昨年度の募集は新入生だけに限定していたが、今年度からは各学年に門戸を広げた事が大きい、としている。これは予想していた以上の喜ばしい結果である。

 貸与額は月15万円で、貸与期間の1.5倍の期間、県が指定する「公的医療機関等」に勤務すると返済が免除される。貸与を受けた医師が卒業後に勤務する病院は、県や秋田大、県医師会、公的病院などで組織する「医師配置調整委員会」(仮称)で決めるとのことであるが、その際、勤務出来る病院として私的医療機関の一部も対象になったと聞いてはいるが、未だ私は文書では確認していない。その真偽も医療行政懇談会で確認したい。
 新臨床研修制度で研修医を受け入れている私的医療機関にとってこの問題は白黒をはっきりさせなければならない重要事項だからである。


6/28(木)晴れ 外来 秋田市医師会総会 
2:10起床,ドック判定総括、講演準備若干で時間切れ。5:10病院着。6:15回診他。8:00救急カンファ、8:45-14:50外来。15:30来客、講演準備。19:00からの秋田市医師会総会には45分遅れで出席、直ぐに終了した。21:15帰宅、夕食、22:00就寝。明日は日本医師会病院委員会で東京出張が予定されている。


モンブラン万年筆の修理(3)後日談  修理費用がついに購入価格を超えた
 私は1本の万年筆、モンブランマイスターシュティック149を25年ほど使い続けてきた。ある患者さんにいただいた品で、書き味はそんなに良くはない。この間、何度か修理した。
 それがまたダメになった。昨夏ころから、インクが途切れ字がかすれるようになり、秋にはペン軸に亀裂が入りインクでシャツや手が汚れる様になった。もう十分使ったし、修理費用もかさんだからお蔵入りのつもりで仕舞い込んだ

 しかし、秋に賄いの石井さんがヨーロッパ土産としてFaber Castell製のボールペンを購入してきた。このずっしりと重く太めのボールペンを使う毎に、似たようなフィーリングのモンブランの万年筆への愛着が再び頭をもたげた。
 修理に関して秋田の小売店を通じて得た情報では、「モンブランは体制が変わり、全てドイツに送って修理するようになったので、修理可能か否かの返事と見積もりに2-3ヶ月、修理しなくとも往復の送料と見積もりで2万円ほどかかる。修理は更に3ヶ月ほど、更に修理代金が・・・」、とにわかには納得できない返事であった。これじゃ購入するのと大差ない。こんな品ならもうモンブランを使い続ける必要はない。

 でも何か変だ。ユーザーへのサービスという点からは時代への逆行である。自分でカスタマーセンターを探して確かめた。結果として、通常品なら国内で修理可能、ただし、現在、部品を取り寄せているので、2-3ヶ月はかかる」というもので、そのまま依頼した。
 6月16日に修理終了して返送されてきた。思ったより早かった。ボディとキャップ一式交換となり、ペン先の曲がり修理で、送料込みの費用は16.497円であった。これでこの万年筆はボディ交換2回、キャップ交換3回で、残っているのはペン先部分だけ。今回ので修理費用の総額は購入当時の価格をユウに超してしまった。

 ペン先だけは変わっていない。だから、良くない書き味はそのままである。されど妙な満足感がある。
 これが愛着というものなのだ、としみじみ思う。何でもそうだが、物品に変な愛着を持つとコスト/ベネフィット比は確実に悪くなる。それで更に愛着が深まっていく。自分のバカさ加減にもほとほと呆れるが、こんな自分の性格にも愛着が増してしまう。だから、この悪循環を絶つことはなかなか困難である。


6/27(水)快晴 外来 秋田県病院協会「医学生との懇談会」
2:20起床,ドック判定・総括x1他いつもの如く。5:10バイク病院着、6:10回診他、重症患者対応。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。15:00患者家族面談。18:00-20:30秋田県病院協会「医学生との懇談会」、20:50帰宅、賄いの石井さん風邪でダウン。21:30就寝。

医師不足対策(8)「医学部定員削減」の閣議決定が見直されるか?
 医師不足が深刻化し地方の医療が崩壊していく中、毎日新聞が行った政党に対するアンケートに対し、代表的5党が「医学部定員の削減に取り組む」とした1997年の閣議決定について、「見直すべき」と回答したことが報道された。
 医師数についての認識は「絶対数が不足している」としたのは民主、共産、社民党で、●民主は「OECD(経済協力開発機構)加盟国平均にするには10万人も不足」、●共産が「医師過剰地域はない」、●社民も「このままではOECD最下位になる」としている。一方、●自民は「一定の地方や診療科で不足が顕在化」、●公明も「へき地で医師が不足し、小児科、産科の医師不足は深刻化」と、部分的に不足がみられるとの姿勢を示した。
 1997年の閣議決定について問うた項目に対して、自民以外の5党が「見直すべきだ」としたと言う。その理由としては、●医師不足の実態に即して医学部定員を元に戻す(民主)、●地域医療に従事する医師数を増やし、医療の高度化や集約化に対応する(公明)、●地方に住む人々に安心した医療を提供する(国民新党)、●勤務医の過酷な勤務の改善のため医師数の検討が必要(自民)としており、見直し自体は否定していない。

 詳細は知ることは出来ないが、この短い報道文章からだけでも各党の認識に大きな差があるが、参議院選挙がらみの時期でもあり、どれだけ深く検討した回答なのか知るよしはない。しかしながら、各党がこの様な見解を表現したことで医師数抑制を続けてきた国の医療政策が転換に向かう可能性が少しずつ出てきた。

 我が国の医師数の変遷を見ると、国は医師不足を解決するため1973年から「1県1医大」を推進し、秋田大学はその新設医学部の第一号であった。1983年に「人口10万人当たり医師150人」の目標は達成した。しかし、厚生省の検討会が1984年に「2025年には医師が10%程度過剰になる」との推計値を公表し、医学部の入学定員を削減するよう協力を求め、1997年には定員削減の継続を閣議決定し、現在も我が国の医師政策、医療政策の基本となっている。
 しかし、医療の高度化や人口の高齢化で、OECD加盟国の多くは医師数を増やし、2004年の加盟国平均は10万人あたり310人であるのに日本は200人で、加盟国中最低レベルである。各国毎に医療事情が異なることを勘案してもこの差はとてつもなく大きい。

 大体、医師不足を医師の頭数だけで論じること自体に誤りがあるのだ。あえて頭数で論じるならば日本の医師は10万人あたり310人になっても決して過剰にはならない、と私は思う。
 これだけ少ない医師で、総合的に見て世界最高の医療を提供し続けてきた背景には医療関係者の犠牲的な慢性的過剰労働があった。それの適正な評価と対策してこなかった事が現在の医療崩壊の原因になっている。今の若者気質では自己犠牲を強制されるが如くの旧態依然とした労働環境に対応できない。医療崩壊は当然の結果と言いうる。
 国も、厚労省も各政党も日本医師会も、物言わぬ各医師も、医療の崩壊の進行に荷担してきたと言う認識を示し、反省し、総括した上で新たな見解を出すべきである。国民も未だに医師に自己犠牲を求めている。こういう気風、文化も変えていかねば医療崩壊は更に進んでいく。


6/26(火)晴れ 外来 法人常務会 医局カンファ DPC導入説明会 
2:30起床,ドック判定・総括x1、他.5:15病院着、回診他。定期処方発行。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来。14:45-16:10法人常務会。17:30-18:30医局カンファ「早期胃癌の内視鏡的治療」。18:30-19:45DPC導入説明会。21:00帰宅、21:30就寝。

8月上旬、休暇をとって未体験ゾーンにちょっと旅します
 私自身が約45年近くもかかえてきたある懸案がついに限界を迎えつつある。
 まだまだ、このまま何とか行けるかな、とつい2週間ほど前まで考えていたが、その後いろいろなことが分かってきて、そんな甘い考えは通用しないと判明、状況は急転した。その解決のために8月上旬、2週間ほど休暇を頂く計画を立てている。

 ちょっと未体験ゾーンに足を踏み出してみる、自分としてはそんな雰囲気で軽くとらえ、結果にも期待しているが、業務が立て込んで大変な時期に、全くの個人的理由で一定期間離れるのはとても辛いが、やむを得ない。今回は割り切らせて頂くこととした。

 この間私の業務は同僚の医師の方々お願いしなければならないが、その負荷をより小さくするためには医局のスケジュールの関係で一月以上の準備期間が必要である。だから、これ以上は躊躇出来ない。本日午後、その決断し、しかるべき立場の方々の了解を得た。夕方から早速少しずつ準備を開始した。

 医師会、県の各種の委員会等の調整は明日から始めることとする。 多くの方々にご迷惑をお掛けすることになりそうですが、ご理解の程お願いいたします。


6/25(月)快晴 管理会議 外来 長副会議 液晶TV購入一周年
2:20起床,人間ドック総括など。5:20病院着。回診,書類処理。7:45-8:25管理会議、8:45-14:00外来。17:00-20:00長副会議。21:30帰宅,夕食、22:20就眠。昨年の今日32型の液晶TV納入。緻密な画像で情報量はスゴイ。直ぐに録画できるハードディスク付きであるが、私は未だにスイッチを入れることも、目的の放送を選択することも出来ない。昔のガチャガチャとチャンネルを選ぶ
TVが懐かしい。

シュトゥットガルト室内管弦楽団演奏会
 シュトゥットガルト室内管弦楽団演奏会の演奏会が6月20日秋田市のアトリオン音楽ホールで行われた。秋田でこの楽団を聴ける機会が来たことに驚いたが、予備の県医師会常任理事会が予定されていたために諦めていた。幸い、医師会のスケジュールが変更になり聴くことが出来た。その面では感激ものであった。

 この室内楽団は、1945年に指揮者カール・ミュンヒンガー(1915-1990)が結成した室内管弦楽団で、演奏様式はバロック音楽の規範とされ、ヴィヴァルディの『四季』の世界初録音なども行っている。時代の趨勢と共にこの楽団の性格も変わり、近年はロマン派以降の音楽、20世紀の作品、現代曲も積極的にプログラムに取り上げ、世界有数の室内管弦楽団として、ますますその名声を高めている、とのことである。

 私にとってこの楽団は、大学生の頃に大枚はたいて清水の舞台から飛び降りるが如くの覚悟で購入したレコードの演奏団体であったこともあり、私の脳裏にずっとこびり付いている室内楽団の一つである。当時学生寮で暮らしていたから生活費は安かったが、それでも一月の生活費の1/3ほどの値段、3200円もした。1960年台のレギュラープライスのレコードは実に高価であった。目が飛び出た。ちなみに私が所持しているレコードは半数以上が廉価盤である。プライストラウマを受けたのかも知れない。

 本当にすり減るほど聴いたが、本当にすり減り、音がぼけて雑音だらけになった。だから、この盤がCDで復刻再発売されたときには迷い無く購入した。録音は1958年頃のステレオ黎明期の録音であるが、今でも十分通用する音質で録音されている。

  当夜の演奏曲はオールバッハ作品。ブランデンブルク協奏曲第5番二長調、3台のヴァイオリンのための協奏曲二長調、ゴルトベルク変奏曲ト長調抜粋、G線上のアリア、管弦楽組曲第2番ロ短調が演奏された。はるばるドイツから来てくださった演奏家の方々に感謝しつつ、大部分を微睡みながら、至福の時を味わった。

 最後の組曲2番は実質的にはフルート協奏曲に近い曲であるが、サービス精神、表情豊かな女性フルーティストの演奏が見事であった。アンコールとして演奏された無伴奏フルートソナタの一曲(?)は心にしみ入る素晴らしい演奏であった。聴衆が息を潜めた深い静寂の中、アトリオンのどちらかというと過剰な残響音とマッチしたフルートの快い音色、消え入る様にフレーズを吹き終わるテクニック、メロディの素晴らしさ、表現力・・・。このソロ一曲の存在で私の当夜の演奏会の印象が数段アップした。


6/24(日)快晴 病棟拘束
3:00起床。ドック判定、新聞チェックほか。6:00病院、8:30救急カンファレンス。12:00帰宅、FF tennis中断で時間的には若干余裕が生じた。新聞チェック、業務処理など。16:30-19:30再度病院、回診その他対応。20:00帰宅。外食、お好み焼きなるものを初体験した。21:00帰宅。21:30就眠。

自伝 中通病院(23) 学会活動(1) 
 中通病院赴任後は学会活動に関しては一気に消極的になった。一つは内科の診療自体が診療科としてまとまって何かを追求すると言う姿勢でなく、医師個人単位であったからである。個人単位となると自然と対象症例が限られてくるから、外の学会に提出するほどの機会にはそう多く恵まれるものではない。また、日常の診療が多忙で個人単位ではプロスペクティヴな検討も事実上不可能であり、学会に演題を提出することは基本的に諦めた。

 代わりとして以下の3項目を自分に負荷し、中通病院医報には積極的に投稿した。その目的は私自身が独りよがりの診療をしたり、漫然と多数の患者を診てしまいそうになる可能性があったからである。

1) 積極的に学会、研究会に出席し、自分の医療の軌道修正を行う.
2) 自験例を文章化し、他の医師の批判を受ける。
3) 自分の医療限界を知り、より良質の医療を提供するために多くの医師と連携する。

 1)に関しては日本内科学会総会、日本血液学会総会、日本臨床血液学会総会への出席を柱とした。
 2)の表現の場としては中通病院医報、秋田県医師会雑誌を有効に用いることとし、結果的に中通病院医報には毎号何かを投稿した。記述したいと考えていた項目はリストアップして残してあるが、1990年後半から市医師会、県医師会の業務が増え、医報に投稿する機会が減ってしまったのが残念である。さらに、中通病院医報自体の発行がとぎれがちになってしまった。
 日常診療の中で書き残しておくべき事象は事欠かないはずである。医師は感じたことを積極的に文章として記録に残しておくべき、と私は考えていたし、今でもそう思っている。最近の医師はその意欲が乏しくなっているのではないかと危惧している。


6/23(土)秋田小雨・東京晴れ  病棟拘束(不在時間は代行依頼)  ドック診察   No14Medical  Management研究会
2:30起床,ドック判定・総括x1、院内業務等。5:20バイク病院着、回診他。8:00ドック診察。8:30救急カンファ。10:10病院発、11:10ANA A320満席で窮屈。14:00-18:30武田No14Medical Management研究会。終了後即帰路に、20:00ANA B767-300 後席はガラガラで快適。21:10秋田空港着。22:00帰宅、23:00就眠.

FF tennis 3度目の中断 全てわが家に原因
 ここ20年近く、4月から11月、毎日曜日に4時間続けてきたFF tennisが明日から中断することになった。FF tennisのFFはFukushima/Fukudaの頭文字を並べたもので現秋田市医師会長夫妻とわれわれ夫婦のいわゆるファミリーテニスである。

 私は多忙の中、このテニスの時間だけは万難を排して確保してきた。その理由は、私にとって唯一の運動の機会であり、家内の健康管理のためにも、子供達を含め夫婦の対話時間の確保のためにも必須である、と考え大事にしていたからである。

 この20年間,双方の子供達、親戚の若者ほか、何人か一緒に参加していて、一時は10人以上集まったこともあり、秋田市の職場対抗テニス大会にも出場したこともある。しかし、月日と共に亡くなった方もおられ、一人去り、二人去りでここ数年間は殆ど4人だけでやってきた。

 レベルはハッキリ言って低い。コミックテニスか?と思われる場面もある。最初の頃は私自身が上り調子にあったこと、家内が学生時代からの経験者であったことで、わが家の方が絶対的に優位であったが、ここ5-6年ほどは状況が変わり始め、徐々に私どもが劣勢となり、最近では歯が立たなくなりつつあった。その理由は加齢、家内の肥満その他によってわれわれ側の体力が落ち始めたこと、福島夫人の腕が次第に上がってきたためである。

 毎年、殆ど問題なく11月末までやってきたが、今まで2回中断している。今度で3回目であるが全て原因はわが家の方にあるので実に申し訳ない。
 初回の中断は2003年10月19日に私がこのテニス中にアキレス腱を切断したとき、2回目は2005年9月末に家内の病気によってである。今回は私の不明の発熱が原因である。

 2年ほど前から原因不明の発熱が間欠的に年数回あったが特に対策もせず様子を見ていた。2週間ほど前、ついに観念し現在精査中であるが、結果が判明し対策が終了するまで中止という事になった。私は明日の日曜もやる気満々で、本日の東京出張も若干無理して最終便で帰宅するなど、それなりにスケジュールも組んでいたが先方の暖かい配慮、申し出があったので、抗わずに有り難く受けることにした。ちょっぴり残念である。

 秋口には是非復帰し、FF tennsを再開したい、と思っている。


6/22(金)曇のち晴  地協医療安全推進委員会・講演会  法人理事会
2:30起床,ドック判定・総括x1、徒然など.5:10病院着、6:30回診他、書類と格闘。11:00秋田銀行員来訪、入院患者対応、13:00-16:30地協医療安全推進委員会・講演会。歓迎の挨拶。17:30-19:00法人理事会。20:50帰宅、21:30就眠.

「まるで水彩画のような景色です」 主客転倒でないか?
 先日、NHKのラジオを聴いていたらあるキャスターが、ある田舎の小高い山に建つ古い藁葺き屋根の家々の情景を表現するときに「とても美しいです。まるで水彩画のような景色です」と表現していた。ラジオは映像がないから表現する方はとても難しいだろう。特に風景等の表現は一入だろうと思う。確かに、「水彩画のようです」との一言で、聞いている私はある種の情景のイメージを一瞬に思い浮かべることが出来た。その意味では的確だったとは思う。しかし、ちょっと待てよ、この表現は主客転倒でないか?美しい景色が主役であって水彩画は従たるものであるはずだ。「水彩画にあるような、美しい景色」などが本来の表現ではないのだろうか?と聞いていた私は一瞬思ってしまった。

 活字にするまでもない、どうでも良いような事のように思えるが,これに似たようなことは時折見られて私は日頃から気にしていたからつい感じてしまったと言うことだろう。実際には主客転倒?と思われることがそれほど違和感なく受け入れられている事も少なくない。

 ある音楽愛好の同僚は殆ど音楽会には行かず、レコード、CD、DVD等のオーディオ装置を通じてかなり深く楽しんでいる様である。何故演奏会には行かないのか?と問うたところ、演奏会は低音も響かないし、自分にとっては音量も音質も物足りない。自分の所の音と映像が一番なのです、と言う。ウーン、人は様々、多様性も個性的なのも私は認めるが、ここまで来れば理解を超える。この同僚は決してオーディオマニアではない。実際どんな装置でどんな音を聴いているのか、私は近づかないから分からない。素顔が分からないほど厚化粧した女性を好むタイプのイメージをつい感じてしまう。(例えが悪くてすみません。)

 私は医局で時折コーヒーをいれる、と言ってもコーヒーメーカーで適当にいれるのだが、出来上がったばかりのコーヒーには興味を示さず、傍らでインスタントコーヒーを飲む医師も少なくない。私がいれるコーヒーが不味いから、と言うわけではないようである。私はインスタントコーヒーをコーヒーだと思っていない。便利な代用品の一つの位置づけで、通常は飲まない。家では何10年も飲んだ記憶は無い。だが、逆にとらえている方々も少なくない。これもちょっと理解困難である。

 似たような方に、釣り堀愛好者、盆栽愛好者、オーディオ・ホームシアター愛好者なども挙げられる。○○愛好者というのは逆説的に言えば、主客転倒をスッと受け入れる事が出来る心の広い方々かも知れない。尤も、インスタントコーヒー愛好者という呼び方はされないようであるが。


6/21(木)雨 外来+ドック診察 ホルター心電図体験 DPC学習会(欠) 
2:50起床,ドック判定・総括x1、ほか。5:10病院着。5:30入院患者転倒顔面打撲、対応。6:15回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:45外来、混雑。15:00メルク社員来訪、歓談。ホルター心電図装着、数年来の不整脈に初めて対応することにした。結果や如何に。17:30-18:30 市立病院訪問。DPC学習会は時間無く出席できず。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

医師不足対策(7):秋田県の医師確保対策の進捗状況、成果は?? 

秋田県では医師看護師が不足し、秋田市以外の地区、特に県北、県南地区の医療は崩壊し危機的状況にある。
 去る5月27日、秋田市内で市民団体が主催する「医師・看護師を確保して地域医療を守る県民集会」が開かれ、約1000人が集会に結集し、その成果はマスコミ等を通じて各地に発信された。県民自らが立場の違いを超えて地域医療を守るために県民集会を行ったのは全国でも初めてある。国や県の対策に任せていてはいのち、健康を守っていけないという、住民・医療従事者の悲痛な叫びが背景にある。

 では、秋田県の医師確保対策はどの様になっているのだろうか。
 県では必要な医師数を確保し、医療水準の維持、向上を図るために医師確保総合対策を展開している。その内容は19年度の健康福祉部の事業計画によると以下の七つの事業である(項目の順序は私が入れ替え、説明を簡略化した)。

(1)地域医療従事医師修学資金等貸与事業
 県内の公的医療機関等に医師として勤務しようとする医学生、大学院生及び研修医に対し、修学・研修資金を貸与する。
(2)県職員採用医師派遣事業
 医師を県職員として採用し、公立病院等に派遣する。採用は4年間、うち3年間は病院勤務、1年間は有給研修期間とする。
(3)臨床研修対策支援事業
 研修医の誘導・定着を図るための臨床研修体制の充実強化事業で、合同説明会の開催、指導医講習会の開催、研修医対象の講習会の開催など。
(4)産科医療体制特別対策事集            
 本県の実情に即した産科・小児科医療提供体制を確立するための事業で、助産師の資質向上、産科・小児科医療を考えるフォーラム、女性医師に関するセミナー・再就職研修会など。
(5)夢実現・ドクターセミナー開催事業
 将来医師を目指す高校生を対象に、病院1日体験を開催する。
(6)医師登録紹介・広報事業
 県内の医療機関での勤務を希望する医師に対し、就職先を斡旋・紹介する。
(7)医師リクルート強化緊急事業
 医局員が比較的潤沢で地域医療に積極的に取り組んでいる医科大学等を訪問し、医師派遣を直接依穎する。 

 これら事業の内、対象医師がいれば(2)(6)(7)は即効性が期待できるが、現実はどうなっているのだろうか。(1)は長期的視点が必要だし、(3)(4)(5)は効果の評価が困難な項目である。
 まだ事業は発足して間もないが、実効はどれだけあったのか、感触としてどう評価しているのか、7月上旬に開催される秋田県と県医師会との医療行政懇談会で私から質問と話題を提供し、次のステップの対策について一緒に協議したいと考えている。


6/20(水)快晴夜激しい雨 外来 診療部長面談 シュトウットガルト室内管弦楽団演奏会
2:20起床,ドック判定・総括x1等、他いつもの如く.5:10Taxi病院着、6:10回診他、8:00救急カンファ、8:450-14:40外来、17:30診療部長面談。19:00-21:00シュトウットガルト室内管弦楽団演奏会、外食、22:10帰宅、22:30就寝。

医師不足対策(6):公的医療機関の医師の責務は? 
 全国に146カ所ある国立病院機構は、地方への医師派遣源として想定されているが、実効性は疑問である。昨秋、医師不足が深刻な地方の国立病院に東京などから医師を派遣する制度を導入したが、医師達の反対にあって僅か半年で中止している。国立病院間での異動、マンパワーの共有さえも困難な状況にあるのに、崩壊しかかった地域の医療機関に医師を派遣できるのか。他の職種なら転勤を拒否できないのだろうが、この点、医師は甘やかされていないだろうか?

 済生会系の医療機関の医師充足状況について私は知らない。
 日赤病院も全体的に見て医師不足状態にあるとされる。地方の日赤病院はブランドもあって比較的医師は充足しているとされるが、都市圏の日赤はどちらかというと医師不足状況にあるという。

 日本の医療機関の設立母体は様々であり、各々それなりの目的を持って運営されているはずである。要するに、国公立、公的の医療機関は本来果たすべき公的責務があって、そこに勤務する医師は長の命に従って責務を果たすのは当然である。例えば、国立病院機構の医師は国策医療の推進にあたっては業務命令にしたがう義務を負い、拒否することは認められない、と思う。確認したわけではないが、この辺は就業規則に多分明記されているはずである。だから、これに納得する医師のみを念書を取って採用すればいい。しかし、ここを明確にしたら医師確保が出来ず国立病院の医療自体が先に崩壊するだろう。この辺うやむやにされていないのだろうか。本来、公的病院の医師になるにはそれなりの覚悟が必要なのだ。

 秋田県の県立、自治体立病院の医師は知事や首長の業務命令にしたがう義務を負っていると思うのだが、各医師はそれを自覚して勤務しているのだろうか?もし納得済みで就業しているとすれば、地方の医師不足対策や新型インフルエンザの感染拡大、種々の健康危機管理の場面などで、医療の前線に立つ医師の確保・動員はとても簡単になるのだが・・。


6/20(火)晴れ 外来 法人常務会 統括科長面談 医局カンファ(整形外科) 市内4病院院長会議
 
2:30起床,ドック判定・総括x1等いつもの如く.5:15病院着、回診他。8:00救急カンファ。8:40-13:50外来。14:45-16:30法人常務会,16:50-17:25消化器科統括科長面談、17:30-18:15医局カンファ「大腿骨頭近位部骨折」。19:00-21:25市内4病院院長会議。21:50帰宅、22:30就寝。

医師不足対策(5):政府・与党が緊急医師確保対策 参院選にらみの空論
 医師確保対策に関する政府・与党協議会は5月31日、医師の臨時派遣システムの構築を柱にした「緊急医師確保対策」を決定したと報じられた。

 緊急対策は、●国レベルの「臨時医師派遣システム」の構築●勤務医の過重労働の解消●女性医師らの職場環境の整備●臨床研修病院の定員見直し●医療リスクに対する支援●医師不足地域に勤務する医師の養成の短・中長期的に取り組む、の6項目。

 ここに至ってやっと?それが、実感である。何で今なのか?それはやはり地域医療の崩壊が医療従事者の悲痛な叫びのレベルから、社会問題として目に見えるレベルに達したから、と言うこともある。しかし、参議院選挙をにらんでの緊急つじつま合わせ対策作成という性格が強い。
 大体、国、厚労省は医療をここまで崩壊させたという責任をどう感じているのか?どこにも、何も表現されたことはない。

 これらのプランの内で最優先で取り組むのは「臨時医師派遣システム」の構築で、医療スタッフが充足している都市部の公的病院などの医師を、不足地域に一定期間派遣する制度なのだ、という。その供給源医療機関として、国立病院機構、日赤、済生会などの公的病院のほか、民間病院などにも協力を求めるとのことで、協力した病院に対する支援策も検討する、と言うものである。

 しかし、「臨時医師派遣システム」は医療現場の現実を知らない、政治家、官僚共の机上のプランで、実効性は皆無と思う。

 徴兵制度がある時代ならいざ知らず、これらの医療機関に勤務する医師が国の命令、院長の指示を素直に受けて地方に長期間行くだろうか?期間はどれくらいを想定しているのか?その間は単身赴任か?一週間程度なら学会出張的な感覚で行くこともあり得るだろう。
 第一、そのような医療機関に勤務する医師が地域医療をどれほど担えるのか、多分役立たないだろう。迷惑だよ。地域医療をバカにしてはいけない。医師免許を持っていれば誰でも出来るというわけではない。地域医療の基本は土着の医師によって長期的視点で行われる必要がある。
 長期赴任なんてあり得ないことだろうが、もしそうなら派遣先に魅力がないと難しい。そんな魅力がある地域、医療機関なら医師不足。医療崩壊なんて生じないのだ。

 医師への協力要請では絶対成り立たない計画である。実際に派遣医師が出るとすれば、若手医師全員に断られた各病院の院長が板挟みにあって、仕方なく、トボトボと行くかも知れない。こんなのに来られたら迷惑だ。

 実効性ゼロの机上プラン、徴兵制度ならぬ徴医制度でも作る気なのか、国は・・・と言う印象である。


6/18(月)晴れ 管理会議 院内巡視 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床。ドック総括x1,新聞チェック.5:10病院着。6:10回診他。7:45-8:20管理会議。10:00-10;40安全管理者と打ち合わせ。総括・紹介状・訪問看護指示書など。15:40看護スタッフと面談、16:00-16:40療養病棟判定会議、17:00-20:00長副会議、懸案多数。20:50帰宅。夕食、21:30就眠。

秋田市青少年自然研修センター「まんたらめ」に行ってみた
 今朝が本年の小児喘息サマーキャンプの小冊子用に掲載する実行委員長の挨拶文の締め切りであった。僅か400字程度の文章なのでそれほど困難なく出来上がったが、空想のみで書いた文には力も心もこもっていない。
 せめて会場となる太平山自然学習センター「まんたらめ」を見学し、その付近の自然環境を確かめてから仕上げることとした。昨日昼、病院の帰路、雲一つ無い晴天の中、バイクで市内から20Kmほど山沿いの仁別に向かった。

 施設は太平山リゾート公園の入り口に近い植物園の近くにあった。今までもテニスとかで年に1-2回はこの道を通っていたのであるが、今までこの様な施設があることには全く気づいていなかった。
 ブナや白樺の木々を適当に残して作ったと思われる広い敷地の中に「まんたらめ」の建物がある。第1印象は、ガラス張りの渡り廊下が強調された変なデザインの建物だと思った。ここにテント張りの宿泊所、キャンプファイヤーの設備、キャンプ用の施設が点在している。炊事施設、トイレも各所にある。
 これほどいろいろ整っていれば逆に「自然学習」とはなんなのだ?と疑問を感じてしまう。

 木々の緑、そよぐ風、しっとりとした土の感触、空の青さ、雲の白さ、静寂は実に素晴らしかった。

 実行委員長として歓迎のことばは「きっと良い思い出になるよ」と小題を付けて以下のごとく作った。
 『サマーキャンプに参加のみなさん、こんにちは。
 今年は秋田市にある中通総合病院が当番です。小児科の医師を中心に看護師さん方や多くのスタッフがみんなで相談しながら準備を重ねてきました。
 「まんたらめ」に今日、同じ病気で治療している仲間達が県内からおおぜい集まってきます。みなさん方を心から歓迎いたします。
 「まんたらめ」は緑あふれるいいところにあります。ここの自然も、昆虫や鳥たちも、月や星もみなさん方を大歓迎してくれるでしょう。
 この3日間、いつもと違った環境の中でのびのびと過ごしてください。
 豊かな自然環境の中で体験する集団生活、自然、野外活動などはみなさん方にとってきっと良い思い出になるでしょう。お友達もたくさん出来ます。
 このキャンプを通じて、きっと何か新しい力が湧いてくると思います。』


 私にとってはバイクでの「まんたらめ」往復40Km、久々にいい走りを味わった。


6/17(日)晴れ 父の日 病棟拘束  FF tennis(中止)
2:30起床。ドック総括x1、新聞チェック、院内業務。7:00バイク病院着。回診他業務。8:30救急カンファ、総括他。FF tennis は双方の都合で中止。11:30太平の秋田市青少年研修センター「まんたらめ」見学。13:00帰宅、長男帰っていた。子供達、賄いの石井さんから父の日として花束その他届く、感謝。午睡若干。15:30-19:30栄養テューブ自己抜去患者ほかで再度病院に。20:00インド料理で外食、21:00帰宅。21:30就眠。

自伝 中通病院(22) 法人の看護活動委員会委員となる 
 時期は前後するが、就職して翌年頃からだったと思うが法人の看護活動委員を命じられた。会の目的は看護師の労働環境の改善、資質向上などの他、年一回の秋田民医連看護活動交流集会の計画を作成する、と言うことであった。

 詳細は忘れたが、かなり前から活動していた委員会でいつも医局からも委員が選ばれていたと言う。しかし、医師にとっては関心の薄い委員会で、選出された委員は殆ど出席していなかったようである。そんなところに鴨ネギ的存在として私が回された、と言うことである。
 確かに、辛い委員会であった。ガチガチ頭であんまり話が通じない熟年の看護師の間に男がただ一人、医師の立場で参加していたが、殆ど共通の話題はなく、発言も控えてひたすら会が終了するのを待っていた。特にこの法人、病院のお偉い看護師さん方は頭が硬いのではないか、との印象を抱いた。これが正直な印象である。その後この委員会は自然消滅したのか、私に委員の継続の話もなく、話題になることもなくなった。

 この委員会に私が属していた事が結果的にどの様な意味があったのか、自分自身ではまったく分からない。敢えて自己評価すれば、看護活動交流集会の企画においてはより形式、発表をよりアカデミックな方向に変えたこと、実行委員長の檄文に近い挨拶文をよりマイルドな表現に変えたことくらいかなと思う。

 この委員会で私は看護師の業務の機能性を高めるためにナースキャップの廃止を提案したが、並み居る古い時代感覚の看護師、看護師長から猛烈な反発を食らって簡単に却下された。全く通用しなかった、と言っていい。時代は変わった。数年前にナースキャップの着用は個人に委されたが、それ以降ナースキャップを着けている看護師は居ない。現場では昔から角張ったタイプのナースキャップは邪魔だったはずだ。

 この委員会以来、看護婦問題について私は些か勉強した。その後しばらくして、日本医師会の医療関係者等対策委員会で委員の一人として看護問題、特に准看問題を6年扱った。その間にまとめられた3回の報告書の草案は各委員の意見を私が集約したものがベースになっている。


6/16(土)曇り  病棟拘束 歯科受診  
2:00起床、ドック総括x1他若干のみ。気怠く本調子ではない。5;20バイク病院着。6;20回診その他、書類と格闘。8:00救急カンファ。以降、総括他患者関連書類と格闘。14:00不調患者対応。15:30-16;30歯科治療を受ける。17:00-19;45病院。20:15バイク帰宅。夕食、21:00就眠。

私の年金手帳  昭和46年-60年は空白であった
 いま、社会保険庁の年金の管理が問題になっている。社会保険庁の職員の勤務態度、姿勢が批判の対象になってから久しいが、最近出てくるその仕事振りの杜撰さにはただただ驚くばかりである。ご高齢の誰しもが自分の年金について不安を感じるのは当然である。社会保険局には連日相談者が詰めかけ、電話相談もインターネットでの相談も繋がりにくいらしい。

 そのためもあってか、社会保険庁の解体を含めた法律改正を安倍内閣は急いでいる。しかし、問題の解明、今後の解決方針がハッキリ定まらない中では構造改革は時期尚早と考えられる。今の機構を残して各部署の機能を復活させ、記録を復元させることが先決では無かろうか。

 私個人も実は杜撰であったことを反省しなければならないだろう。
 2年ほど前に還暦を迎えた頃であったか、同年代の方々が年金について話題にしていたのを端で聞き、自分の年金が果たしてどうなっているか?自分でも何か手続きが必要なのかな?とちょっと疑問が頭をもたげたことがある。この頃年金関係の書類が社会保険庁から郵送されたはず、と言われるが全く記憶にすらない。

 その時に調べ始めれば良かったかも知れないが、多忙さに紛れて先日まで失念していた。若い頃からどうせ私はその頃までは生きていないだろうから、天引きになっているとすれば社会奉仕だね、と関心の乏しい世界のことでもあったが、年金を自ら話題にする年まで生きてしまった。本当に老後のことなど全く考えない生活設定をしてきたものと今になって反省しきり、である。

 私の年金手帳を取り出してみたら、今の病院に就職して以降のことしか記載されていない。2年間の岩手県の県立病院、13年間の秋大のうち正職員になって10年は多分年金は天引きされていたはずであるが、これはどうなっているのだろうか?よく解らないが、社会保険庁以前の私の杜撰さに由来しているかも知れない。自分で手続きすべきことだったのではなかろうか。この辺を社会保険局に問い合わせて、どうすればいいのか相談したいのであるが、時期が悪かった。この時期、とても相談にはならないだろう。
 一般の方々の相談が下火になるまで待つか、と言う心境である。


6/15(金)小雨→晴れ、ドック診察  臨時長副会議
2:30起床。ドック総括x1、etc。5:20病院着、回診など。8:00救急カンファ、ドック結果説明。総括,書類・文献整理。14:00紀伊國屋書店担当者来訪。14:30-15:05ドック診察x5。16:00-16:30臨時長副会議。21:30バイク帰宅、夕食、22:00就眠。

第29回秋田県小児喘息サマーキャンプの実行委員長として
 
秋田県小児喘息サマーキャンプは秋田県小児保健会、秋田県学校保健会と当番病院の主催で毎年2-4日間のスケジュールで開かれており,今回が第29回になる。 

 私は今まで病院や医師会を通じてこのサマーキャンプの存在と活動は知っていたが、直接タッチしたことはない。29回も綿々と続いてきたと言うことはこのキャンプの意義や果たしている役割が大きい、と言うことであろう。確かに、同じ病気を治療している仲間の存在を知り、豊かな自然環境の中で宿泊を伴う集団生活の体験、自然体験、野外活動の体験などは子供達の将来にとって大きな意義があるものと思われる。

 今回は私どもの病院が当番となっており、事務局は院内庶務課に置かれ、私が自動的に実行委員長になっている。実際には当院の小児科医師が中心となって院内に準備チームを立ち上げ、院外の実行委員の方々の協力を得て着々と準備が進んでいる。

 本年のキャンプは7月26日(木)から3日間、秋田市太平山自然学習センター「まんたらめ」と言う施設で行われ、初日には私も出席して挨拶も行う予定になっている。それとは別に、案内用の小冊子に掲載する実行委員長の挨拶文の依頼があって今朝からそれで呻吟している。僅か400字程度の小文だから何とでもなりそうであるが、なにしろ、今まで一度も参加したことがない催しだからイメージがわかない。だからといって過去の実行委員長の挨拶文を参考にし過ぎるのも歯がゆい感じがする。

 締め切りは明後日になっている。本日は時間がないが、明日はせめて会場となる太平山自然学習センター「まんたらめ」に行って実際の施設を見学し、その付近の環境を確かめて、それから最後の部分を書きたいと思う。

 立場上、「○○委員長」とかが自動的に回ってくることもあるが、引き受けた以上何の参加もしない、体裁だけの「○○委員長」でありたくないものだ。今回は、秋田県小児喘息サマーキャンプを通じて新しい体験が出来そうで、楽しみである。
 明日は「まんたらめ」なる施設に行ってみる。小さいがこれも新しい体験の一つになる。

参考リンク:秋田県小児喘息サマーキャンプのご案内

参考リンク:秋田市太平山自然学習センター 「まんたらめ」


6/14(木)晴 外来 CT検査日
2:00起床。ドック総括x1etc、いつもの如し。5:10バイク病院着、6:00回診など。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。18:00
CT検査を受ける。一見大きな所見はない。危惧していた造影剤の影響は若干身体が火照っただけと問題なかった。20:50帰宅、夕食、21:30就眠.

オールド・ボロ・ハーレー(9) 8回目の車検で改造車と判定!
 私のボロ・ハーレーが5月末、いつものディーラーを通じて8回目の車検を終了した。車検は通常一ヶ月前から申請でき、有効期限は前の有効期限終了後2年間である。私のは6月末まで残っていたが、戻ってきた車検証の有効期間は2009/5/27となっている。

 これは何か単純な入力ミスであろうとディーラーを通じて陸運局に問い合わせた。結果的に思いがけない返事が返ってきた。「ハンドルがオリジナルと異なっており、違法ではないから問題ないが、改造車扱いになるから車検は認定された日から2年間」とのことである。

 勿論、私のバイクはボロにはなったがこの間ネジ一つ付け替えていない100%オリジナル車であり、今まで7回も何もクレームなく車検を通過した。ディーラー側も過去の記録とかも用意して主張してくれたらしいが、ついに諦めたとの報告であった。自ら関与していないので詳細は不明のままであるが、プロが説明しても通用しないという不可解な結果である。

 何を根拠にハンドル改造車と判断したのかは示されなかった、と言う。時間が出来たら私も秋田陸運局に掛け合ってみたいと思っている。

 直接関連無いが、今回の陸運局の対応はいま社会をにぎわしている社会保険庁の年金のずさんな管理となんか通じるような感覚で受け取ってしまった。権力を持つ御上の言うことには従わなければことが先には進まない、だから一旦は引き下がらざるを得ないが、先方の間違いであることは明らかである。納得のいく説明なんてあり得ないが、一度は説明が欲しい。
 本音は、マア、一ヶ月くらいの短縮ならどうって事のないレベルで、実害もそれほどない。しかも、2年先の私の人生なんてどうなっているかも分からない、とそんな軽い気持ちなのであるが、さりとて御上の言うことに黙って従うのは嫌だから、一度は自分でも問い合わせだけはする、そんな心境である。


6/13(水)晴 外来 院内感染症対策委員会(欠) 県医師会理事会  
2:30起床。
体調比較的良好。人間ドック総括x1など処理。5:10バイク病院着、回診など。8:00救急カンファ。8:45-15:30外来、16:00院内感染症対策委員会(欠)。16:10打ち合わせ、16:30-19:30県医師会理事会。定例代議員会前で議題多し。20:50帰宅.夕食、21:20就眠。

オールド・ボロ・ハーレー(8) 私だけのオールド・ボロ・ハーレー
 私のボロ・ハーレーが5月末、8回目の車検を無事、ではなかったが、何とか終了し、先週から時折通勤に使っている。通勤を車にするかバイクにするか、今のところ天候,体調次第で決めている。自転車も候補なのだが、丹誠込めて調整したオールド・ボロ・マウンテンバイクは昨年病院の駐輪場で乗ってきたその晩に盗まれ、今は無い。

 バイクは平成3年に購入したのでもう16年経つ。この間殆ど磨いていないからハーレー売り物のクロームメッキ部分もすっかり錆びて、ドブネズミ調の無惨な姿をさらしている。鉄の塊と言われるだけあって随分丈夫で、今まで交換したのはタイヤとバッテリー、オイルだけである。

 ハーレーというと誰しもピカピカに磨かれ、更にゴテゴテといろいろな装備品が着いた派手な仕様のバイクを連想する様であるが、私のバイクは無駄な装備品は全くないシンプル仕様のもので、装備品としては自作の雨具入れのサイドバックだけである。

 道具類は使い込んで行くと機能面でも、形の面でも、徐々に自分だけのものと言えるような特徴が出て手に馴染んで来るが、バイクも同様である。古くなるにつれボロボロになりつつあるが、ますます愛着が湧いて来る。

 ピカピカに輝くハーレーなんてハーレー社の製品のコンセプトそのものであってユーザーのものではない。主役は使用する私なのであって、自分が気分良く使えればそれで良いのだ、と思う。バイクの方で私に合わせるべきなのだ。だから購入後のこの16年間、私の手入れは必要最小限である。そう言えば、プリウスもこの1年半洗車もワックスも一度もしていない。

 よく磨かれたバイクや車は私にとっては主客転倒しているように感じられて気恥ずかしいが、週末にはピカピカのハーレー様達が召使いを乗せて路上に繰り出してくる。乗っているのはハーレー様にご奉仕することに無上の喜びを感じておられる自己陶酔型のハーレー族の方々である。
 たまに出会うハーレー群団は異様である。マイクロバスとかに乗って一緒に移動ば車中でビールも飲めるだろうし、会話も出来るだろう。特有の排気音を楽しむなら車中のスピーカーで大音量で流せばいいのだ。私は、人は皆それぞれと多様性を認める立場を取るが、あれは理解できない集団である。
 あの群団には私は近づかない様にしている。


6/12(火)快晴 外来 法人常務会 医局カンファ
1:45起床。ドック総括x1、病院業務他etc。5:05病院着、回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。14:45-16:30法人常務会。17:30-18:15医局カンファ。20:50帰宅.21:30就眠。

外来のストレスを如何に解消するか(3)5分間の熟睡を何度か取る
 私にとって週の前半3-4回の外来は長丁場でとてもストレスである。如何にしてストレスを解消するか、であるが、日に1-2回、希には3回ほど5分間の睡眠時間を取っている。これもストレス解消の一つであるが、その後に処理能率がしばらく維持されるからいまや必要な習慣にもなっている。

 私は必要以上に寝るのは勿体ない、とケチな考えを持つ。さらに良く張ってあれもこれもやりたいと思うからいつも寝不足状態にある。だからフッと気が抜けたときなどに居眠りをする。それも熟睡してしまう。何か能動的状態にあるうちは良いのだが、会議とかで聴き役に回ったときなど抑えがたい睡魔が襲って来る。赤信号待ちの数10秒の間にも寝入る危険がある。新入職員入社式で来賓席の真ん前で寝てしまったこともある。この時は深く反省した。

 外来診療は能動的時間であるはずなのだが、毎日の外来は変化が乏しくどちらかというと単調である。話の内容に変化を持たせて自分に活を入れながら維持しているが、3時間くらい経過して疲れも出て来ると血圧測定時に水銀柱と共に瞼が下がってくる。こうなると患者との対話も単調になるので、待っている方々には悪いが5分間だけ眠らせてもらう。

 別に何も要らない。そのままの姿勢で椅子にもたれ、右手で頬を支えるだけで、ほぼ準備状態にあるから直ぐに入眠する。5分のうち4分以上は熟睡できていると思う。入眠できず貴重な5分を無駄にしたと言う記憶はない。予定の5分を経過すると診療介助のスタッフがPHSで合図を送ってくれる。この時一瞬、スタッフを鬼の如くに無慈悲だと思ってしまう。覚醒直後は手が震えたりして若干アンバランスであるが、その後1時間ほどは頭もさえて能率が上がる。これを日によって何度か繰り返すが、実用面だけでなく休息も取れることで私のストレス解消に大いに役立っている。

 「眠れない」「朝早く目が覚めて困る」・・と訴える方々が高齢者のうち3割ほどいる。「ふんふん、フムフム・・」と職業上の技術を駆使して話を聴いて、アドバイスしているが、実はあんまり共感できていない。私に更年期障害、不眠の相談をするのは間違っている、とホントのところは言いたいが我慢して付き合っている。腰痛、不整脈、肥満、老化あたりなら自分の経験も含めて良い指導が出来るのだが・・。

参考リンク:睡眠・快眠・不眠症情報局 「ナポレオンの短時間睡眠法」


6/11(月)晴 管理会議 外来 一般的検査受く 療養病棟判定会議 長副会議 
1:00起床。新聞チェック他資料整理etc、いつもの如し。体調はかなり改善。されど責任上本日検査を受ける事とした。5:10病院着、6:30回診など。7:45管理会議、8:40-14:30外来、採血・採尿・超音波で予想していた通りの所見を得た。対応の要ありと観念す。今までの無事を喜ぶ心境。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:50長副会議。20:50帰宅.夕食、21:30就眠。

乱暴者黒猫、2歳「結(ユウ)」  私の飼い猫に対するイメージが一新した

ゆう(♀)です。おやぢと てれびをみてるとです・・・ 













なんかわるくちを書かれているような気がするけど
気にしないとです・・・











なぜならボクは、てれびに むちゅう だから

昨日は横浜の路上で長女に拾われた子猫の黒チビが秋田に移送されて、我が家の3匹目のネコとして認知されて2回目の記念日であった。駐車場の車の下で小さくなって震えていたのを見つけられたもので、側には車に轢かれた同胞と思われるネコの亡骸があったと言うから、拾われなければチビも同じ運命をたどっていたのかもしれない。

 手のひらに乗るミニサイズで足腰もまだ定まらず、あどけない表情で臆病者のであったあの黒チビが、この2年間でみるみる成長し、いまや体重5Kg、しっぽをピンと伸ばすとゆうに60cmほどにもなる巨大ネコに成長した。

当初は全身真っ黒であったが、成長と共に若干腹部、手足を中心にチョコレート色に変わってきている。目は真っ黒で遠目には表情は全く分からないが、近くによると精悍な表情をしている。はっきり言ってあまり可愛い、美しい表情とは言えない。床の上に寝ているときの姿は私が脱ぎ捨てた黒いセーターと何ら変わることはない。

 問題はその性格である。どう猛である。撫でようと不用意に手を出すと直ぐに囓りつき、更に四肢の爪でひっかく。甘囓り等というレベルを超え、結構容赦のない強さで、私の方はみみずばれは当然、時には裂創を受け、出血する。本人はこれでも精一杯愛想良く対応しているつもりであろう、逃げもせず平然と構えている。だから、私も家内も手背や腕に傷が絶えない。私も時には頭に来て長い革手袋をして責めあげる。教育のつもりなのだがこの時は素早く逃げてしまう。

 時に、飼い猫にかまれ、爪を立てられて怪我をして救急外来を訪れる患者もいたが、どんなネコを飼っているのかと俄に信じられなかったが、今はお陰で十分に理解できる様になった。救いは顔をひっかくことはないということ。そうなれば身の安全上飼っておけないよ、と常日頃教えている。
 このどう猛さは、恐らく野良の仔として生まれ、人との接触もないまま、親からの教育もろくに受けない状態で生き別れになったためだろう。


 冬の間は結構室内にいたがこの季節家に戻ってくるのは空腹を満たすときだけで殆ど外で過ごしている。何やってるか分からないが、これほど居着かないネコはも初めてである。


 認めるべき良い点はその美声。ほんとに優しく可愛い声でないて私ども気を惹こうとする。まだ望める時期では無かろうが、願わくば、歳と共に徐々に温和しくなっていって欲しいと言うことである。


6/10(日)快晴 病棟拘束  FF tennis体調不良で中止 黒猫到着2年目記念日
2:30に一時起床.病院関連業務若干手を付けるも発熱でダウン、4:00再度就寝。8:00起床、午後のFF tennisは不本意ながら中止とした。家内は畑仕事をするというので私は11:00に病院に。回診、オーダー、総括他処理。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。一昨年の今日、横浜から黒猫到着。掌大で、とても臆病だったのに、こんな巨大な乱暴ネコに育つとは予想だにしていなかった。

自伝 中通病院(21) 大曲中通病院へ長期赴任の打診があった 
 1989年夏、院長室に呼ばれた。
 内容は大曲中通病院への長期赴任の打診であった。まもなく大曲の内科科長が郷里に帰ることになるらしいので、来年あたりからその代わりとして大曲に赴任して欲しい、期限は無期限で、今は明言できないが、いずれ、身分的保障は考えたい、とのことであった。
 本来この様な話は業務命令でおりてきて不思議でないが、当方人では医師に関しては打診の上で同意を得てから決める様である。
 毎年の如く冬期間に回ってくる大曲の短期の単身赴任ですら、私にとってはとても大変な状況であることは医局運営委員会等に意見を上申していたし、赴任時の経済的バックアップも少なく改善すべきという提言を頻回にしていたが、院長はそれをご存じの上で、あえて私への打診しているのだ、とのことであった。

 私は、光栄な話でありますが、プライベートな事情もいろいろありますので数日考えさせて欲しい、と時間を戴いた。
 結果としてお断りした。

 院長に提出したお断りの文章はコピーが手元にあるが、以下の如く記載していた。
 「先日お話がありました大曲中通病院への長期赴任について、誠に申し訳ありませんが辞退させていただきます。その理由として、先生が赴任の一形態として挙げられました秋田からの通勤による赴任は、患者にとっても、職員にとっても、私自身にとっても問題と考えます。
 長期赴任の際には、医師は現地に居住する必要があると考えます。現状の私の環境では単身赴任にならざるを得ず、私自身にとっても家族にとっても本来あるべきでない不自然な生活になります。長期間の単身赴任は何としてでも回避したい、と考えます。
 上記の理由で、今回は受諾できませんが、将来的に子供達が成長し、単身赴任を回避できる環境が整った際に、もし必要とされれば応じることもあり得ると考えてます。」

 返事を読まれた院長はいとも簡単に、私の申し出を了承された。更に強く勧められたらどうしようかと迷いつつ院長の前に座ったが、実にあっけない幕切れであった。
 この一連の経過を見ると、院長ははじめからそれほど深刻な意味で私に打診したのではなく、単に人事的対応を進めるにあたって通すべき一つのプロセスとして、断わってくると言う結果も予測した上での、形式的打診だったのではないかと考えられた。そう考えればお断りしたことにそれほど責任を感じることはないだろう。ガックリ来た一方でドッと肩の荷が下りた。


6/9(土)晴れ  病棟拘束  重症患者対応  発熱で不調   
2:45起床.
発熱で不調である。書類処理若干。5;10病院着。5:30昨日入院の重症者対応。結果的に外科転科となる。以降夕方まで体調に合わせトロトロと休みつつ、回診、机上の書類処理などこなす。総括4冊ほど処理出来た。19:30帰宅,夕食、20:20就寝。

外来のストレスを如何に解消するか(2)データ・処方のコピー切り貼り
 私にとって週の前半3-4回の外来はとてもストレスである。如何にしてストレスを解消するか、が問題である。いろんな方策を考えている。
 その一つが検査データ、グラフ、処方のコピーの切り貼りである。

 外来にオーダリングが導入されてから検査項目のゴム印を押したり、データを転記する必要はなくなったし、処方番号を転記する必要がなくなった。法的にはこれで良いようである。字を書くのが苦手な私にとってとても便利であるが、カルテの機能として大きく後退した。要するに、カルテは患者の訴えと血圧の値と若干の医師のコメントくらいしか記録されない、単なる受診記録のようなもので、パソコンとセットでなければ医療内容が何も分からない事もある。

 私はいちいち画面上で確認しなくても大体のことが分かる用に、カルテのページが変わる毎にデータや処方内容が分かるようにそれらをカルテに切り貼りしている。診療しながらこれらの操作をするので小道具が必要である。

 いま気に入って用いているのはFaber Castell社製のボールペン、ニッケン刃物KK製の全長35cmのエレファント鋏、ドイツ・ゾーリンゲン土産品の鶴形鋏、自作の糊スタンドである。

 Faber Castell社製のボールペンは賄いの石井さんのヨーロッパ土産として戴いたものでストレスなく字が書けるから他のボールペンを用いる気にならないほど気に入って使っている。本来私は万年筆派であるが、外来ではボールペンの方が何かと便利であることが分かった。鋏は2種類、一つは刃渡りが長いもので一操作でカットできるのが便利で、細かい部分は鶴形鋏を用いる。糊のスタンドはヤマトの液状の糊を逆さまに立てておくもので、補充用の大瓶についてくる部品を流用して自作したものであるが、糊が少なくなっても直ぐに塗ることが出来る。

 これらの道具を用いると診療中に患者の前でサッと作業できるから快適でストレス解消になっている。特に検査結果をグラフ化して添付すると一見して長期間の経過が分かる。実に気分が良い作業である。

 この作業はA4版カルテの場合により能率的で効果も大きい。だから次々とA4版にしたいのだが、私のB5からA4版への変換作業はあまり評判が良くない。そのためか、最近A4版カルテ用紙の供給も途絶えがちである。医事課が私への供給を止めているのではないか?と勘ぐることもある。


6/8(金)晴れ ドック診察 法人理事会 No2医療連携セミナー   
2:10起床.ドック判定・総括x1、ほか書類処理、退院患者総括。5;10病院着。6:10病棟回診、机上の書類処理。8:00救急カンファ。入院患者不調。私も発熱で不調に。13:45ドック診察x5、再度回診他。17:30-19:00法人理事会。19:30-21:00No2医療連携セミナー。21:30帰宅,22:00就寝。夜間高熱を生じた。最近変である。病棟から電話何度かあり対応。

外来のストレスを如何に解消するか(1)徐々に患者が増えていく
 私にとって週の前半3-4回の外来はとてもストレスである。毎週のことだから如何にしてストレスを解消するか、が問題である。木曜日の外来が終わると大きな開放感が訪れるが、この後は会議とかやり残した仕事が待っているから、時間的に余裕が生じるわけではない。

 私が担当する外来の患者層は、高齢の高血圧症、高脂血症とかの生活習慣病と言われるものが主で軽症者が多く、連日55-65人ほどである。その中にパラパラと血液疾患・免疫疾患などの重症患者も混じる。これだけでも結構大変なのだが、これに加えて心身症、神経症、鬱状態の患者、性格に難あり患者など、内科と精神科のグレーゾン域にある患者が混じってくる。別に私はその方面のプロではないが、他の医師が対応に苦慮して私の外来に回してくる。看護師レベルで次回は院長に受診してはどうかと勧める場合も少なくないようだ。だから、東京出張とかで若手医師に代診をお願いすると、口では嫌とは言わないが表情がサッと曇る。よほど嫌なのだと推測できる。

 高齢者は話が通じがたいし、起居動作がどうしても遅くて時間がかかる。これをじっと待つのも大変。グレーゾン域患者は大体ゆっくり対話の時間を欲しがるから、終わり近く13:30頃から集中する。要件が終わってもなかなか椅子から立たない。だから、終わり近くになると机上のカルテの名前を見ただけでドッと疲れが出る。

 通常は8:45から開始して14:30-15:00頃までの約6時間を外来業務に費やす。オーダリングで予約制を導入してからは次回受診予約も自分の予約枠に入れざるを得ないから、外来の度に患者数が少しずつ増えていく。他の医師が予告無しに私の予約枠に入れる場合も少なくない。だからだんだん患者数が増えていき、外来診療が重荷になってきている。病院全体としては外来患者数が減少しているというのに私の所は全く逆の現象が見られている。

 15:00頃からは県の会議、法人、院内の会議などが予定されている場合も少なくなく、開始時間が迫って来ると次第に焦ってくる。圧巻は、部門別の収支計算で私の外来は赤字だと言うこと。これを知ったときはさすがにガックリ。私の労働、ストレスは何も成果を生み出していない。これもストレス、疲れの原因である。

 どうやってそのストレスを回避するか、軽減するかであるが、一つはカルテに処方内容やデータを切り貼りして一目で分かるよう工夫すること、もう一つは外来最中の5分間の熟睡で凌いでいる。


6/7(木)曇りのち晴れ  母ハナ命日  外来  
2:00起床.院内書類処理用資料準備、5:10病院着、6:10回診、紹介状x2など、8:00救急カンファ。8;40-15:00外来。午後の予定ないと外来が楽。患者関連書類対応。主治医意見書、退院時総括x2など。21;30帰宅、夕食、22:20就寝。

医師不足(4)安倍首相のコメントの意義は大きい
 安倍首相は5月31日の医師確保対策に関する政府・与党協議会で「国民が地域の医療が確かに改善されたと実感し、もう大丈夫だと安心してもらえるよう全力で取り組む」と決意を表明したと報道された(メディファックス5175号)。

 首相が医師の絶対数不足を認めたのか、医師の偏在の解消のために手を打つのか、真の意味はくみ取れないが、この双方に手を付けることなくして地域医療問題の解決はあり得ないから、大きな意義のある発言である。
 ここ数ヶ月は与野党双方において医師不足問題、地域の医療崩壊問題が取り上げられている。これは参議院選挙をにらんでの作戦の一つでもあろう。今まで医療福祉問題を論じても票にはならないと各政党とも無視し続けてきたのに、豹変である。安易に政争の具に使って欲しくはないが話題の提供、コンセンサスの形成のためにはとても良いことだ。

 我が国の医師の養成計画は平成9年に閣議で「医師数が将来過剰になる」と言う予測をもとに「引き続き医学部定員の削減に取り組む」、との決定がなされた。この閣議決定というのは政治的に見ればかなり大きな意味を持つものらしく、未だに国の基本路線となっている。この場合、何をもって医師過剰になるとの予測をしたのかが問題である。単に医師数だけを問題にしている所に大きな誤りがあった。地域医療の崩壊を目の当たりにして10県に10年間に限定して医学部の定員を10人増やすことを決定したことは小さな意義があるが、国は未だに医師数が不足だとは認めていないし、どこでも述べていない。まず、国は医師数の絶対的不足を認めるべきである。そうすべき根拠はいくつでも挙げられる。

 この地方の医師不足は平成16年から義務付けられた新臨床研修制度が契機となって拍車がかかった事は明らかである。しかし、研修制度が悪いのではない。研修という面では大きな進展である。ただ、研修医数より研修受け入れ数が多いこと、給与が各研修病院で大幅に異なるという2点、はこの制度の最大の問題点である。卒業生の数より受入数が多いと言うことは研修医が研修先を自由に選ぶ事が出来ると言う事であり、医師の偏在の因になることは自明の理であった。

 医師の偏在を問題視するなら、この点の解消なくして偏在の是正はあり得ない。 僻地への赴任を義務化しようと、センター病院に医師を集めてそこから地域に医師を派遣しようとしても、最初の段階で偏在を許容しているようでは良い結果は絶対に出てこない。


6/6(水)雷雨 外来 身体障害者福祉専門分科会  県医師会常任理事会
 
2:00起床。ドック判定総括x1ほか、いつもの如し。5:20病院着。6:20回診。9:00-14:00外来。15:00身体障害者福祉専門分科会。17:30県医師会常任理事会。代議員会前で長時間にわたるが途中で呼び出しあり。19:30病院に。患者面談その他。21:20帰宅、21:50就眠。

医師不足(3)深刻化がもたらした、男鹿市の不可解な医師契約問題
 地方の医師不足の深刻化はただ事ではないが、身近な男鹿市で不可解な非常勤医師との契約問題が発生した。
 当該の医師は防衛大卒の若い女医。まだ自衛官としての義務年限が残っていたこと、報酬が月6回の勤務で100万円と異常に高額である点、副市長が独断で契約をしたこと、コンサルタント料や成功報酬が高額で、契約内容を他に漏らさないと記載されているという点も実に不可解である。

 もっとも理解できない部分は当該の女医が自身の身分や義務年限をどう理解していたのか?と言うことである。本人さえしっかりしていれば今回のことは起こり得なかった。知っていたのなら悪質であるが、知らなかったはずはないと思う。女医自体はとてもいい人だったと言う評価も伝わってくるのも、やはり不可解である。

 副市長の行動にも不可解な点が無いわけではない。責任を取って辞表を提出し受理されたというが、彼も被害者の一人である。これで医師確保が出来そうだという、ただそれだけで突っ走り、契約内容を適正に判断出来なかったのだろう。ただ、独断で進めた事は許されない。女医に支払われた給与は新聞によると院長が自前で支払ったとされるが、これは返還されたらしい。ただ700万円近くの契約料の返還交渉はまだ宙に浮いているらしい。契約内容は分からないが、内容によっては始めから成り立たない契約でなかったのだろうか。

 貴重な税金が不当に支出されようとしている現実を突きつけられた男鹿市民にとっても衝撃だったと思う。
 同じ県で、このような厳しい医師不足が生じているのに実際には何ともしてあげられないのに忸怩たる思いがする。次回の秋田県との医療行政懇談会では私から秋田県の医師不足対策について話題を提供する予定となっている。何か前向きな結果を引き出したいものである。


6/5(火)晴れ 外来 常務会 医局会(欠) 県健康づくり審議会感染症対策部会 Vn+P duo演奏会(失念)
2:40起床,ドック判定総括x1、ほかいつもの如く。5:10バイク病院着。6:10回診+紹介状作成他。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来。14:45-16:00常務会。16:30-19:50県健康づくり審議会感染症対策部会、麻疹対策。終了後の記者発表にも同席。医局カンファは欠。アトリオンでのVn+P duo演奏会はうっかり失念。21:45帰宅。22;20就眠。半ズボン姿で通勤に。

アトリオンホールでの演奏会を失念 すぐ側にいたのに、ガックリ
 本日は秋田市出身の若手ピアニスト佐藤卓史氏と若手ヴァイオリニスト佐藤俊介氏のデュオコンサートで、小品数曲の他、グリーグのヴァイオリンソナタ第1、第3を聴くのを楽しみに、チケットも早々と購入した。

 しかし、すっかり失念してしまった。 夕方から開催された県関連の会議に行く直前まで、終わったらそのままアトリオンホールへ、と思ってチケットも胸のポケットに入れていた。会議場はホールから僅か200m程しか離れていない総合保健センターである。しかし、何故かすっかり失念、アトリオンホールのビルを見ながらそのまま病院に戻ってしまった。業務に手を付けたものの何となく違和感があったが、何も会議などは忘れていなかったはずだ、誰かとの約束もなかったはず、と納得して業務を続けていた。

 21:00を回ったころPHSが鳴った。その瞬間、演奏会を失念した事に気がついた。案の定、演奏会終了後に私を探しても見つからなかったために家内が心配して電話をかけてきたものであった。演奏を聴いてきた家内によると、ほぼ満員でヴァイオリンの音色が素晴らしかったとのこと。 ショックであった。張りつめた気持ちが急速に萎えてしまい、業務の一部を鞄に詰めてバイクで早々に帰宅した。風で身体が冷えてこの面では実に気分爽快であった。

 本日は睡眠不足の上、終日時間に追われてしまい、余裕が全くなかった事が一因であるが、最近これに近いことが頻繁に生じるようになってきている。集中力が乏しくなってきているようで、要注意である。

 もっとも、今日は演奏会に行ったとしても多分すぐに寝込んでしまい殆ど聴けなかったとは思う。だからちょっと残念だったけれど実害はないのだが、直前まで演奏会を意識していてそれでも失念したという、そのことにショックを感じた。日常からこれに近いうっかりミスの事を話題にする高齢の患者は多い。その度に「年取ることはそう言うことですよ、アハハ」と慰めてきたが、今日は自分をその言葉で慰めた。


6/4(月)晴れ 管理会議 院内巡視 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、新聞チェック、ドック判定総括x1。5:10今期初バイク出勤。6:15回診他、入院患者3-4名不調。7:45-8:30管理会議.10:00-10:45安全管理者と打ち合わせ。患者関連書類処理、16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-20:25長副会議。23:00帰宅。夕食、23:40就眠。一昨年は梅雨入り宣言。 

「麻疹(はしか)」は、おそらく秋田ではそれほど流行しない(2)
 関東地域を中心に麻疹で休校になる大学や高校が相次いでいる。秋田県でも健康推進課を中心に行政の立場から対策を進めているし、県医師会でも対策相談室を設置している。
 麻疹の免疫能を維持するにはワクチンを受けることしかない。今年はワクチンの在庫が少なく接種は望み薄だが、まもなく流行は終焉するだろう。流行は今年だけでは済まないはずである。来年以降は自らの身を守るためにワクチン接種を早めに受けるべきである。

 麻疹は根本的治療がない。ワクチン対策も出来ないとすれば発生状況をつぶさに把握して患者の行動を自粛して貰ったり、多数発生するような事態になれば休校とかの処置を迅速に行い蔓延の機会を断つしかない。県の健康推進課では県医師会等の協力の下で麻疹罹患者の全数把握を開始した。妥当な方針である。

 ただ、私は秋田ではそれほどの大流行にならないと思う。麻疹は感染力がとても強い。空気感染、飛沫感染、接触感染のどれもが原因になるが、人混みの中での感染が最も濃厚である。だから、都会の人口の密集は危険因子である。更に、閉鎖空間に多数が集まる様な場所も少なくない。特に同じ年代の人が集う学校,大学等は感染の機会が大きい。東京のマンモス大学は一つの講義室に1000人もが集う。更に危険なのはラッシュ時の大量輸送機関である。

 秋田はのどかである。空は広く空気も良い。人口密度は低い。大量輸送機関は若者達の利用が少ない。若者達は殆どがマイカーである。大学などは空間も豊である。かつ出席率はどうなのだろうか。散発的には発生するだろうが行動自粛等の感染を広げないような対応を講じれば何とかなりそうである。

 今回の麻疹の流行と各所で行われている対策は「新型インフルエンザ」の場合の一つのシミュレーションになる。感染者には気の毒であったが、その面では一定の意義はある。両者とも根本的治療法はないしワクチンもない、感染力は強い・・・等々共通点は多いが、麻疹は大部分が大なり小なり免疫を持っているが、こちらの場合には誰も免疫を持っていないからあらゆる人が感染する。大量輸送機関は最も危険な場所となる。しかも、より重症で死者も出る。休校程度では済まない。あらゆる集会は自粛され、外出の自粛が求められる。それを社会が受け入れる小さな素地になる。


6/3(日)雲一つない快晴  病棟拘束  FF tennis 医師連盟執行委+武見議員激励会
2:30起床、ドック判定・総括,新聞処理。5:30出勤。退院患者紹介状他作成。8:30救急カンファ。10:30帰宅、11:00-15:00梅林園FF tennis、6-3、3-6、3-6、2-6、1セット目は快調だったのだが敗退。15:30バイク車検終了。調子はまずOK。17:10-19:00医師連盟執行委+武見参議院議員激励会。19:30帰宅、軽食、22:30就眠。

自伝 中通病院(20)No16県連学術集談会で「医療現場と喫煙」を取り上げた 
 昭和64年に開催されるとなった県連学術集談会の実行委員長に任命された。丁度カモが居た、と単純に割り振られただけであったであろう。当時、資料を集めて勉強中であったとはいえ、未だ民医連の集会を主催するほどの自信はなかった。
 ちょうどこの年、全日本民医連学術集談会が「働く人々の健康被害と第一線医療の役割?地域で共に闘う医療を--」をテーマに秋田市で開催され、主たるメンバーはそちらの方に集中していたので替わりは見つからないだろうと考え引き受けた。全日本の会を開催した年は県連の会は省略しても良かったと思うが、当時はそのような考えは一切聞かれなかった。

 私が勤務する病院でも紆余曲折を経ながらも2004/4から全館禁煙に、2007/1から敷地内禁煙となった。私は地道な、目立たないレベルの禁煙論者である。やっとここまで来たか、と言う感慨も持つ。敷地内禁煙となってからも時には朝5時頃に玄関先で喫煙している患者を見ることもあり、その度毎に注意してきた。ここ一月ほどは一人もいない。私の通勤時間はほぼ一定しているので時間をずらしたのかもしれない。

 私は常日頃から医療関係者としてこれほど健康に悪影響ある生活習慣を放置しておくべきでない、と考えていたので、良い機会とこのときの県連学術集談会のパネルディスカッションで「医療機関内における禁煙」を計画した。
 実行委員会の中でもこの話題でパネルディスカッションを催すことには否定的意見の方が多かったが、実行委員長の権限で押し切った。それを伝え聞いた民医連秋田県連のある理事は私に対して強行に内容変更を求めてきた。「民医連学術集談会ではこんな小さな話題を取り上げるべきではなく、国や県の医療、民医連医療のあるべき姿を論じるべきだ」との趣旨であった。
 パネルディスカッションの前に全職員に対してアンケート調査を行い、一医療法人の職員の意識調査行い貴重な結果が得られた。その結果は中通病院医報30(1):10-27,1989に掲載されているが、後に「労働の科学」という雑誌から依頼され、再編して投稿した。

 パネルディスカッション自体は盛り上がって良い討論が出来たとは思うが、この試みが当法人内の喫煙にいかなる影響を及ぼしたのかについては、私の感覚では恐らく全くゼロに近かったと思う。フロアから心循環器系に及ぼす悪影響を具体的に説明した循環器科長は「・・・、私は明日から禁煙します」と結んだが、そのまま吸い続けていた。その頃はまだ喫煙に関して社会全体が甘すぎた。私どもの試みは、時代を10数年早取りしていたのだ。患者の立場、喫煙者の立場から発言していただいた60歳代のパネリストのお一人は数年後に肺ガンでお亡くなりになった。

 過去に秋田民医連学術集談会で喫煙問題を大々的に取り上げた事などもう覚えている職員も居ないだろうが、当法人はこの分野でも先進的一歩は踏み出していたのだ。


6/2(土)快晴  病棟拘束  法人管理職会議+懇親会
2:30起床。ドック総括x1。紹介状ほか。5:20病院着、6;30回診他。病棟業務他、8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明。患者関連書類処理。14:00-16:00法人管理職会議、発言者も理路整然、時間を守って整然と進行。5分に制限された締めの挨拶担当。16:30-19:00懇親会。19:00-21:00病院残務、21;20Taxi帰宅、22:00就眠.

「麻疹(はしか)」は、おそらく秋田ではそれほど流行しない(1)
麻疹で休校になる大学や高校が相次いでいる。麻疹は本来乳幼児が罹患する病気だが、今回の流行は15歳以上の患者が多い。だから注目を集めている。

 麻疹は一度免疫ができれば、再び罹患しない疾患の代表的とされてきたが、今回の流行では子どものころに予防接種を受けたのに罹患している例が目立つ。予防接種で十分な免疫が得られなかったり、成長と共に免疫が弱くなったためである。予防接種を受けていなければ論外であり、危険な無防備状態にあることになる。 

 免疫は何でもそうだが、獲得されたあとに時折そのウイルスや細菌に暴露されることで刺激を受けて強まり、維持される。麻疹の場合、むかしは時折自然界の麻疹ウイルスに暴露されて子供も大人も免疫が維持されていた。近年は麻疹そのものの流行が減ったことから曝露の機会はなくなっている。これは結核も同様である。だから、人工的免疫は成長と共に弱くなり、青少年で麻疹も結核も集団感染を生じることになる。

 麻疹の免疫能を維持するにはどうすればいいのか。自然ウイルスに曝露する機会がなくなった近年は再度ワクチンを受けることしかない。感染症の専門家は麻疹の罹患歴がなく、予防接種も受けていない人、とりわけ流行地域の人はすぐに接種を受けるよう呼びかけている。しかし、今年はもう麻疹ワクチンは不足状態にあり希望しても受けられるとは限らない。「麻疹・風疹混合ワクチン」は国内では「麻疹ワクチン」よりはずっと多く在庫があるはずだが、現実には入手困難状況にある。これは若い女性に接種する場合妊娠との関連で多少配慮が必要になる。

 今年はワクチン接種は望み薄だが、恐らく秋田ではそれほどの大流行にならないと思う。県の健康推進課では県医師会等の協力の下で麻疹罹患者の全数把握を開始した。もし感染者が多数発生した際に蔓延防止のために指導や措置を迅速に行うためである。

 流行は今年だけでは済まないはずである。来年以降は自らの身を守るためにワクチン接種を早めに受けるべきである。


6/1(金)晴れ 新患外来 人間ドック診察 秋田県医療審議会医療法人部会
2:00起床。ドック総括他。5:20病院着、院内業務。6:30回診他。8:45救急カンファ、8:45-12:45新患外来、13:45人間ドック診察4名、16:50-17:40県医療審議会医療法人部会。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

最近の医療状勢(5)医療界の新展望(3)
 教授は第3の希望として、安倍政権が前政権が強行した一連の医療・介護・福祉費抑制策の一部を見直したことを取り挙げておられる。項目としては、●リハビリテーション算定日数制限の見直し、●介護予防事業の対象の「特定高齢者」の選定基準の大幅緩和、●軽度者への福祉用具貸与禁止の見直し、●障害者自立支援法での障害者負担の大幅増加を緩和する「特別対策」の実施、●限定的に医学部の定員増が認められたこと、である。
 そして、『根幹が変わったわけではないが、今後の医療改革にわずかであれ希望が見えてきたことを見落とすべきではない。医療者は、「絶望せず、希望を持ちすぎず」に医療費削減政策の弊害を国民・マスコミに粘り強く訴え続け、自己改革を積み重ねていく必要がある。迂遠にみえても、医療崩壊を防ぐ唯一の道だと考えています』、と結んでおられる。

 全くその通りだと思う。特にまとめの「絶望せず、希望を持ちすぎず」情報を発信し続けるべし、は同感である。
 政権が代わり、微々たるものであるがやっと光が見えてきた、という感じである。まだ、実質的な効果はなきに等しく
,まだ2年先、5年先の医療界がどうなっていくのか読めないが、改善の方向性がいま感じられる事の意義は大きい。

 安倍内閣は支持率が低迷して苦しいところにある。官房長官はこれを受けて、政権として最も国民が感心ある部分に政策の重点を移していく、と表明している。国民の最大の関心事の一つが医療福祉政策の先行きである。是非とも重点的に取り上げて欲しいものである。

 国民の、住民の運動も盛り上がりを見せている。中央では5月18日「国民医療を守る全国大会」が開催され、秋田でも5月12日「21世紀の医療を守る会」、つい先日5月27日(日)は「医師看護師を確保して地域医療を守る県民集会」が開催され約1000人がアゴラ広場に集結したという。マスコミも適宜報道している。政治家も参加している。医療崩壊が、医師不足問題が政争の種に使われるのは耐え難いが、確実に社会も動き始めている。
 
 この動きを絶やすことなく発展させ、わが国の医療崩壊を国民、住民と共に防いでいく必要がある。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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