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「第一回 医師と患者の良い関係」
(要約)
講師 中通総合病院 副院長 福田光之氏
(要旨)
「医師と患者の良い関係」という難しいテーマにもかかわらず、多数の方々に参加していただきとても嬉しく思います。
この問題は有史以来まだ十分には解決出来ていません。嫁・姑、若者・お年寄の世代間のギャップと同様に、医師と患者の仲はずっとうまくいきませんでした。最近それがやっと良くなりつつあります。
良くなってきた理由として、@患者の権利が認められてきた、A情報開示の時代になった、B医師の多くは自身をサービス業だと納得して来ている、こと等があげられます。多分、皆さん方は、私もそうですが、いい時代の中で人生を過ごして居られると思います。
時代と共に生じてきた新たなマイナス面としては、人間同志のあり方がホットでなくなってきたことです。このことも含め、医師と患者の関係には、そのほかにも高齢化、疾病構造の変化、日本の医療制度の変遷等もいろいろ影響を与えています。
心無い医師に傷つけられたという意見や投書を時折見かけますが、私は自分の30数年の医師としての経験の中では、心無い医療を行っている医師に出会ったことはありません。しかし、表現力の乏しい、人間関係を上手に築けない医師がいることは確かです。特にそのような医師は先進的な医療を提供している大規模な医療機関に多いような印象です。個々の医師という面では勿論いろいろな医師がいます。
よい医療はよい人間関係を背景にしてしか成立しません。よい人間関係の形成には医師・患者双方の努力が必要です。
よい人間関係はどうしたらいいか。結論は医師と友人関係に近い状態になることでしょう。そのためには、同じ程度の年齢の、近所の医師をかかりつけに持てば大部分の問題が解決すると思います。医師はたとえ専門外であっても大抵の疾患について患者さんに的確なアドバイスすることは出来ます。相談はかかりつけ医にして、専門的な治療が必要になった際にはかかりつけ医から紹介された専門家に任かせれば良いのです。
医師3000人と主婦1000人を対象にしたアンケート調査によると、「医師に誠意がないと感じたことがあるか」という質問に「しばしば」と「時に」を合わせると約3分の2の主婦が「ある」と答えています。その理由は「薬の説明をしてくれない」「病気についても説明がない」「医師の知識や技術に不安」「たいしたことがないと言っていながら薬を多く出す」「態度が冷たくて高慢だ」等です。
私は医療がサービス業であるとしても、医師は必要な時には毅然とした態度をとるべきだと考えています。保険診療の上でも患者の希望をすべて受け入れることは出来ません。患者の希望が強くても医師が認め難いことは沢山あります。卑近な例を挙げれば、「食欲がないから点滴してください」、「注射して早く治して」という患者さんが多いのですが、多くは必要のない医療行為ですし、むしろ危険なこともありますから、このようなときには毅然として拒否する事はあるでしょう。ただ、その際にはしっかりとした説明が必要です。それでも、こちらの意向が十分伝わらず「申し出を冷たく拒否された」という投書が来ることもあります。
アンケートに90%以上の医師は患者とのコミュニケーションは大体うまくいっていると思っている、と答えています。しかし、実際には患者は不満をいっぱい持っている。この解離をどう考えるか、難しい問題です。
評論家の草柳大蔵氏はある学会の講演会で「医者は在日日本人だ」と評しました。一方、よく「医者の常識は社会の非常識」とも言われます。あたかも医師は日本人として共通の価値観を持っていない、と言う如くです。このようなこと医師が言われている内は根本的な解決はないでしょう。
今の医学教育は残念なことですが、医師として必要な人間的な教育という面では不十分な状態です。医師になる前の教育は再検討がなされるべきです。また、医師になった後も、何も言わない同僚も、何も言えない看護師も良くありません。
患者が医師に対して不快感や不満を感じたことを何らかの方法で伝えた人は僅かに5.3%しかいません。その場で医師に直接思いを伝えてほしい。もし難しければ、手紙でもよい。「我慢した」「2度とかからない」「医師を替えた」ではいつまでも問題は直りません。
従来は医療の主役は医師でした。しかし、医療における主役は医療を受ける患者なのです。がん患者に告知をしないのは、患者のため、という面は勿論あります。いろいろ配慮すれば告知はなかなか簡単に出来るものではありませんが、従来は医師にとって告知をした人と一生つきあっていくことのわずらわしさや大変さのために告知しなかった時代もありました。要するに、患者の立場は大きくは尊重されていなかったのです。
1981年世界医師会から「患者の権利宣言」が提起されたとき、日本医師会の委員は投票しませんでしたが、この宣言は日本の医師に発想の切り替えをするきっかけとなりました。現在、ほとんどの医師は患者の権利宣言を受け入れています。
有史以来、医師と患者の関係はうまくいっていなかったことは先人の残した言葉からも明らかです。ヒポクラテス、唐の孫子貌、ゲーテ、モリエール、貝原益軒等が医療や医師の姿勢にいろいろな苦言を呈し、助言も残しています。それらの言葉は、本年3月16日の日本医師会生命倫理懇談会が提言としてまとめたものと基本的に同じ内容でです。山本周五郎「赤ひげ診療譚」を読むと赤ひげの言葉として書かれた医療に対する考え方にも感銘を受けます。
現代医療は、自分で食べることが出来なくなった人を最低限生かす技術はありますが、元気にするまでの技術はありません。医者は患者の生命力にちょっと手助けするだけです。しかし赤ひげの診療態度は超権威的パターナリズムです。皆さんは赤ひげ医師に今同じような扱いをされたらとても耐えられないでしょう。「よろけ養安」についての後援依頼が魁新報社から県医師会にありましたが、私は反対意見を述べました。医師のイメージが「赤ひげ」とか「よろけ養安」の如くに狭くもたれるのには反対だからです。良い医療のためには多様な医師の存在が必要です。
神様は人に対して60歳以上まで健康で生きられる様な丈夫な身体を用意してくれませんでした。60歳以上はいろんな老化現象で障害が始まり、痛い、苦しい、辛い、寂しい人生が待っています。江戸時代の平均寿命は10数歳でした。大部分は成人することなく子どものうちに死んだのです。だから、当時の年寄りはしぶとく生き残った健康上では超エリートと言えます。望んでも長生きなんて出来ませんでした。今は誰でも長生き出来るようになりました。結果的に、虚弱老人として病気や苦しみとともに生きることになっています。高齢者はちょっとしたことですぐに寝たきりになってしまいます。寝たきりにならない様日頃から注意する事が重要です。それでも老化は進みます。老化を止める方法はただひとつ、今日死ぬしかないのです。医者から「年のせいですよ」と言われてもがっくりしないで、そのようになるまで長生きしたのだと感動してほしいとおもいます。「年はとりたくないものだ」と嘆くなんて愚の骨頂でしょう。
医療は人の華々しく発展していますが、人の平均寿命には余り大きく貢献していなません。自然界の動物は餌を捕れる確率が50%、自分が餌になる確率が50%と言われるような厳しい中で生きているわけですが、人間の社会は安全な文化や環境があります。日本の平均寿命は世界一ですが、その原因は第一に平和、次に母子保健、衣食住の確保、風呂、生活環境の改善、国民皆保険制度・・と続きますが、医療の貢献は勿論ありますがそれほど大きくありません。
かつてのバブル期に将来の高齢化社会を見越して福祉施設などを作っておくべきでしたが、当時の政府にはそのような発想はありませんでした。結果的に高齢者の医療・福祉は大幅に後れをとっています。今は施設入所を希望しても県内で3000人待ちとも言われています。やがて成人式の日に養老院を予約しなければならないことになるかもしれません。
医者は診療の中で患者の対応に危機感を持っていると先のアンケートで答えています。「信頼感がなくなった」「権利意識が強くなった」「ちゃちな知識を振りかざすので説明の時間がとられる」「指示を守らない」「ほかの先生はこう言ったと最後に言う」「いくら説明しても納得せず重病だと思い込む」「特別扱いを要求する」「診断書に注文をつける」などをその理由としてあげています。
医者と患者は医療面においては対等の立場で対話することはできません。持っている知識に月とスッポンの違いがあります。しかし、双方で意識のギャップを埋めようとする努力は必要です。立場に違いのある関係では、基本的に「人間的なふれあい」がなければ容易に対立してしまいます。昨秋の秋田沖でのフェリー事故のとき、乗客が騒いだのにはショックを受けました。隣の下手なピアノの音も日頃おつきあいがあれば騒音でなくなります。医師と患者さんの関係も同じでです。
「医師と患者の良い関係」を築くのは大病院ではなかなか困難だと思います。概して多忙すぎて必要最小限の対応しかできないのです。最近、40歳台の若い開業医が増えてきました。患者さんは上手に開業医を選んでかかるとよいと思います。検診のとき、風邪を引いたときなど診療所を変えてみて、自分に合った先生を見つけることです。年齢も近い、近所の診療所がいいと思います。生活圏がいっしょだからこそ親しくなれます。更に、電話で24時間対応してくれ、重病になったら速やかに病院などに紹介してくような医師であればより理想です。
最後に、この「あきたパートナーシップ」の「医師と患者の良い関係」を患者の立場から築いていこうとする取り組みには敬意を表したいと思います。
次回は
医療について話し合おう連続講座 第2回 「生老病死と医療」 --医療に何処まで期待できるか