1994年の彼岸の日,土崎港の休宝寺にて檀家の方々を対象に講話を行う機会があった.2回目の今回は「死ぬこと」をテーマに構成した. 内容は一般向きに構成したが,毎年の新人医師導入研修の際に話している内容と共通のところが少なくない.
★ はじめに
★ 死;変わりつつある最近の風潮
★ 日本人の死生観の変遷を,簡単に
★ 医師は患者の死をいかに考えているか
★ 変わってきた死生観
★ 患者さんに如何に死にたいかを尋ねると
★ 安楽死、尊厳死とは何か
★ 配布資料
★ 参考文献
はじめに
私より高齢の方々や、当寺の住職さんを前に「死について」 話すのは実におこがましいことですが,日頃感じて来たことなどを中心にお話し致します. 昨年のわが国の死亡者数は87万8千人(厚生省)とされています.現在は殆どの死に医療が関わっていますが, 人生の最後の時期を思いもよらなかったほど辛く厳しい状況で過ごし 、亡くなる方々も少なくありません. 死に関して,患者さんや家族の願いと医療人の考えがピタリと一致することはまずないと思います。 少なくとも方向性が一致しない状況ではいい医療は行われないはずですが、両者の死に対する考えがますます乖離してきていると私には感じられます. 死に臨むのはあくまでも患者さん自身ですので、これからは患者さん方から積極的に主治医にいろいろ注文し、いい死を全うしてはどうでしょう.
死;変わりつつある最近の風潮
わが国では死を語ることは不吉なこととされ忌避され,特に,お祝いの席などでは縁起が悪いとして死をにおわす言葉すら絶対的にタブー視されています. 欧米の結婚式では「死ぬ日まで共に生きる」と誓うとされ、わが国と際立って異なっています.また,死や来世について論じることも現実逃避の消極的姿勢、 と評価されてきましたので死についてまじめに語り会うこともありませんでした. ところが最近様相が大きく変わりつつあります.高齢化社会, 脳死,臓器移植,AIDS.などが社会問題として頻繁にマスコミに登場し、死に関する書籍の出版もかつてないほどで,書店によっては死のコーナー を設けているところもあります.「チベット死者の書」,「完全自殺マニュアル」,「いかに死ぬか」,「死に方のコツ」など枚挙にいとまはありません。 永六輔の”大往生”は本年3月発売以降100万部以上売れ,「病院で死ぬこと」は続編を合わせると123万部も売れたといいます. 最近のヒット商品である 「生前給付型保険」は余命6ヶ月と判断されると保険金を受けとれる新しいタイプの生命保険ですし,「ガン保険」に自ら加入する人も増えています. 秋田では未だ保守的なようですが都会の方では葬儀の形態も変わりつつあるようで,東京では遺骨を海にまく自然葬の予約が増えているそうです. ターミナルケアを語る会や尊厳死協会などの活動も進んでいます. これらは社会における死の意識が急速に変化していることを示しています.
日本人の死生観の変遷を,簡単に
わが国の古くからの埋葬形式には,下肢を強く折り曲げて固く縛り、胸に大きな石を乗せる, などの特徴がありました。死亡直後の霊は荒魂や新魂(共にあらたまと読む)と呼ばれ,怨念、未練などを持つ不安定な霊として恐れられ, 迷って甦えることがないように、と言う願いの現れとされています。新魂のもつ怨念などは時間と共に浄化されていき,やがては安らかな霊魂となり 、親族、家族などを庇護してくれるようになる,とされて来ました. 日本人の死生観というと,直ちに江戸時代の武士動的な切腹,殉死,葉隠などの言葉が思い起こされます. 主人,大義名分のためには命を投げ出すことが美徳とされましたが,これはピラミッド型の権力構造を維持し. 戦闘集団から脱落者を出さないために作られた堅固な道義で,それだけ個々人には死の恐怖は大きかったことを示しています. この頃の庶民の死生観は興味のあるところです.当時の一般庶民は常に飢えや病気による死と対峙していたため, 神でも仏でもどちらでも良い,何とか救われて極楽往生したい、と来世に希望を託して厳しい生活、労働に堪え忍んだ、 とされています。日本人は古来から一木一草に神を感じ,山河の姿に仏を感じ,自然の営みの中に輪廻を感じとってきたともされています. 死はとても身近な問題であったのでしょうが,たよるべき心の支えがあり,来世への期待があっただけに精神的に 今よりは寧ろ豊かだったのかもしれません. NHKの1988年の調査では現代人の中に来世を信じている人は僅かに12%だとのことで, 宗教は主に肉親,縁者の霊の鎮魂の手段として割り切って考えている方々が多いようです.私自身も来世を信じているわけではありません。 菩提はそれなりに弔ってはいますが,祖父母・両親の霊を慰めると言うよりは自分自身の中に抱いている,ある種のすまなさ、 懺悔の気持ちが癒されるからです。 昭和期には「国家のために、天皇のために死ぬこと」は価値があることと美化され、激しい抑圧の中、 個人的な意見を述べることさえ困難な,悲惨な時代でした.戦場では傷ついた兵士は足手まといと捕虜になるのを恐れ, 次々に安楽死させたとされ,命は国家権力によって紙のように軽く扱われていたことが知られています。 特攻隊で殉した若い兵士が吐露した本音は”きけわだつみの声”に見ることが出来,涙を誘います. この様に権力側に生殺与奪の権利が移ることは極めて危険きわまりない状況ですが、これから迎える長高齢化社会では社会風潮、 世論が個人の死生観に深く影響を与えることが危惧されます。 戦後は価値観が一転し, 命を軽視してきた近代日本の歴史への反動もあったのでしょう,生命尊重が声高に叫ばれ、 質的内容よりは一秒でも長く存命することが生命倫理にかなうとされました。 その風潮の中、この時代に出版された闘病記を読むと,いかに病気と敢然と闘い, 壮絶に生きたかに焦点が当てられ美化されていますが,悲惨な終末期が示されています.
医師は患者の死をいかに考えているか
医師は多くの人々の死を目の当たりにします。それぞれの患者さんは個性豊かな人生を辿ってきているので,医師は自らも人生経験を積み重ねて、自分なりの人生観・死生観が確立していることが求められます.医師であると言う資格だけでは患者さんの死とまともに向き合うことは到底出来ません。 一方、医療の対象を病をもつ人にでなく病気そのものにすれば、医師でさえあれば誰でもそれなりに治療を行うことも可能です。末期になればなるほど濃厚な治療を行い「最善を尽くした」,と自分自身に言い聞かせ,家族に説明する方が遥かに気が楽です.癌を治療している医師は多いのですが,患者さんに癌であることを伝えた上で、その後のケアも十分にが出来る医師はまだそれ程いません.その理由の一つはここにあります。医師が「患者さんに真実を伝えていないのは患者さんのことを考えればこそ」、と言ってはいますが実際には自己擁護のため、と私は思っています. 自分の人生観、死生観を理解してくれ、患者の希望を真剣に考えてくれる医師に巡り会えないと間もなく死に至るであろう状態の病を持つ患者さんは不幸です.この意味では、より大きな病院に行けば何とかなるだろう、という大病院志向の発想ではなかなか自分にあった医師に巡り会えることは難しいと思います.患者さんを診るのは建物や設備ではなく,医師を中心とした医療スタッフなわけですが、大病院であればあるほど能力も考え方もいろいろな医師が混在していますし,担当の医師を患者さんの方から希望してもかなえられることは希です。 患者もヒト、医師もヒト、だから死に関しては本来医師と患者というほどの違いはなく両者にとって共通の問題であるはずです。だから心から話し合える医師・患者関係の確立はそれほど難しいことではないはず、です.問題はいい出会いがあるか否かです。 ここで日本の医学教育の歴史を振り返ってみます.日本の近代医療はドイツの研究至上主義を手本に取り入れて発達しました。病人と言うより病気を対象に診るという傾向が強まりました。最近,医学・医療はより科学的になって大発展し,従来では救うこともできなかった患者さんの延命も可能になってきました.このことはいくら評価しても仕切れないのですが、病気を科学的により深く研究し克服しようとする立場を重視する医師には病気の悪化による死は空しい敗北であるとうつるらしく、あらゆる手段を導入し,最後まで濃厚な治療がなされます。生身の人間を扱いながら,患者さんに如何に良い死を迎えさせてあげるかなど、の配慮は大病院では例外的にしかありません。 日本では病気を科学的に研究する大学病院の医師の地位がより高く,一般病院の臨床医はレベルが低いとの見方があり,特に開業医は患者からも厳しい見方をされています。日本の医療の大部分を担って来たにもかかわらず一般病院の医師,開業医からの医療についての発言は少なく,声も小さかったのですが,最近,中小病院,診療所のスタッフから発言や出版が増えてきました.これは、中小病院、診療所ではより患者さんの立場に立った医療が追求されていること、より良い医療を求めるには医療制度上に多くの制約があること,今の貧しい医師・患者関係を何とかしなければならない,と切実に感じられ,黙ってはいられなくなったからです。 繰り返しますが、医療の現場は,病気を治療するのでなく病気を持つ患者を対象に治療する所ですので,患者の死についても積極的に語り、良い死を迎えられるよう配慮してあげる必要があります。特に病気が進行してターミナルケアが必要になった状況下では医療が果たすべき分野はほんの少ししかありません.最近,社会が良い死を迎えようとする方向に変わりつつあるのに、特に医療関係者の保守的姿勢が目立ち,私には格差が開いてきている様に思えます. 医師も発想の転換が必要 この様に医療を受ける側の考え方が変わってきている以上,医師側も発想の転換が求められます.即ち,
1)医療においては患者の自己決定権こそが根幹であることを認識し出来るだけそれを尊重する.
2)患者に真実を話し,その上で十分なケアを行う.
3)医学を科学技術の一分野に限定ことなく,生命倫理という大きな枠の中でとらえ,発展させること,
などです. 今、医療にたいし哲学、倫理学、経済学、その他多くの分野から、また、患者さん方からも発言・提言が増えてきました。今後は医師には医療・医学の分野だけからではない,広い視点からの発想が求められてきます. 良き医師であることの困難さは今後ますます増していくと思います。
変わってきた死生観;
権力を得た人間が次に欲するのは「美女」と「不老不死」,「長命」でした.秦の始皇帝の話はとても有名ですが,彼は40歳そこそこで死んでいます.今は誰でも十分に生き延びられる良い時代になってきました。 しかし,最近長命が必ずしも人間としての幸せを示すものではないことを皆が自覚し始め,毎年発表される平均寿命の延びに半ば呆れているのが本音かも知れません。老化に依る体力の衰えを自覚してから,あるいは慢性疾患で半健康状態になってからの長生きが大多数の高齢者の生きる姿です. 幸せな老後を夢見ながら貧しい日本を激しい労働で支え,頑張ってきた今の老人達に健康面の問題以外の現実も厳しいものがあります。社会保障は期待していたほどには発展せず,家族構成も変わり本来家庭が果たしてきた育成・介護の機能は崩壊しました.老人達は若い世代の価値観を理解して居るかの如く振る舞いながらも,実際にはこんなはずではなかったと,寂しい思いと先々の不安と共に生きているのが現状です。 この意味では昭和天皇の闘病生活は国民に,近代医学の成果と共に非情さを同時に教えてくれ,特に高齢者の方々には,ああまでしてまで生きていたくはない,とある種の覚悟を与えてくれた様に思えます.
患者さんに如何に死にたいかを尋ねると・・・・
私は日常の外来で患者と死についてよく話し合います.色々な話をしながら,高齢者の方にはどういう死に方をしたいのかを質問しています.現在高齢に達している世代は戦争を体験し死と身近に対面しつつ生きてきた世代で,生きながらえたとの実感,感謝の念と共に,戦死した人たちに対してうしろめたさの感情もあり,死に対して比較的覚悟がある世代です。 この人達から得られる答えは,
1)末期の苦しみを逃れたい.ぽっくりと逝きたい.安楽死させて欲しい.
2)老醜をさらしたくない、ボケたくない,若い家族達に迷惑はかけたくない,人の世話になりたくない、尊厳死させて欲しい・・
に集約されます. 言葉が適切でないかもしれませんが,この様な考えは時代感覚があって,良識的で,一見良い覚悟が出来ているように見えますが,残念ながら,差別されたくない,恥をかきたくない,と云う日本的考え方に立脚した単なるエゴイズム的発想と言わざるを得ません。 「わが国の精神病患者は病気を背負っているという不幸に加えて日本に生まれたという二重の不幸を持つ(呉)」という言葉があように,日本には特有の差別の文化,それに起因する恥を強烈に意識する文化があって,何れも日本人の心理,ものの考え方に大きな影響を与えているとされています.わが国のAIDS患者はなかなか名乗り出れないでいますが,基本的には同じ発想で老人達は,他人の目を意識して安易に安楽死,尊厳死などの言葉を口に出しています. もっと自己を見つめ、その生き方の総括として尊厳死が口に出るようでなくてはなりません。また老人達にこのような発言をさせる背景の第一の要因は高齢者福祉が不十分なため安心して老いられないと言う現実です.私はよく講話の度に高齢者の方々にゲートボールばかりしていないで社会保障の充実を求めて政治に,選挙に関心を持って欲しいと言うのそのためです.
安楽死、尊厳死とは何か
ここで安楽死と尊厳死が十分理解されていないようなのでこれについて述べてみたいと思います.両者にはっきりした定義はありません.日本語大事典には次のように記載されています. 安楽死;回復の見込みのない病気で心身の苦しみにあえぐ者に対し,苦痛の少ない方法で人為的に死期を早めること. 尊厳死;不治の病気や障害によって意識不明や苦痛ひどい患者に対し延命だけを目的とする治療を止め人間としての名誉を保ちながら死ねるようにすべきだという考え方. 安楽死は人為的に死期を早めるだけに実施者は殺人罪に問われますし,尊厳死の場合,言葉から受けるイメージは崇高なのですが,現実には誰がそれを判断するかが極めて重要で,もし,この判断を権力者側が握った場合,高齢者,障害者などの弱者切り捨てに結びつく危険があります.だから,尊厳死にはあくまで本人の意思表明が必要です. わが国の代表的安楽死事件について簡単にお話しします.昭和24年の母親殺害事件は脳溢血で倒れ心身共に弱り,殺して欲しいと依頼した母親に,息子が青酸カリを飲ませて死にいたらしめたもので,息子は殺人犯として懲役1年執行猶予2年の判決を受けています.この事件を機会に日本安楽死協会設立の動きがあり紆余曲折しながら昭和50年に日本安楽死協会が設立されています. 昭和36年の父親殺害事件は,脳溢血が再発,医師も後1週間ほどの命と判断していた状況の中で,苦しさのあまり患者が殺して欲しい,と息子に懇願し,見かねた息子が有機燐農薬を飲ませたもので,この例では懲役1年執行猶予3年の判決を受けています.この事件が注目されているのは判決に当たって「安楽死の6要件」が示されたことにあります.即ち,
1)患者が不治の病に罹患しており死が目前,
2)患者の苦痛激しく,見るに忍びない状況にある,
3)症状緩和が目的,
4)患者の意識が明瞭で、本人の承諾、委嘱があること,
5)医師によってなされること,
6)方法が妥当であること,とされています.
これは山内判決と呼ばれ国際的にも高い評価を受けていると言います. 平成3年には東海大学付属病院事件が生じています.約1カ月の余命と判断されていた多発性骨髄腫の末期状態で,しかも昏睡状態にある58歳の男性に,早く楽にして欲しいという家族の強い希望を受け,医師団の一人が塩化カリウムを注射し死に至らしめた事件です.前の二つの異なりTVのワイドショウ番組,新聞などでセンセーショナルに取り上げられたので良く知られている事件です.ここでは医師によってはいるものの,殺人として起訴され現在公判中です. 安楽死法案草案起草の動きと安楽死法案を阻止する会 先の例にある如く,患者さんや家族が安楽死を臨んだとしても手を下せば殺人罪で起訴されますので医師に懇願しても実現は不可能です.ところが,これを法律で認めている所があります.カリフォルニアでは1976年に生前の意志によって延命治療の中止を求めることが出来る自然死法が可決され,現在まで40州以上で可決されています.1994年からはオランダでは積極的安楽死法が実施に移されます.詳細は省きますが一定の要件を満たした条件下では患者を安楽死させても医師は罪に問われることはありません. わが国でも山内判決が出たのを機会に1979年に安楽死法案提出の動きがありましたが反対も多く進展しませんでした.即ち,野間宏、水上勉、松田道男らの知識人達は「安楽死法案を阻止する会」を結成して反対しました.法案に反対する理由として,医療現場の意欲の阻害,患者家族の闘病意欲の阻害,生命を尊重する人々の思いを減衰させる,生きたいという願いを全う出来る体制が不備のままでは論外,強者の論理による弱者,障害者,寝たきり老人切り捨てに繋がる,と言う懸念でした. 高齢化社会では尊厳死や安楽死が社会の意志になる危険性がある! 最近,家庭は核家族化し,子供達や若い年代の人たちにとって人間の老化の過程や,死への過程を身近に見ること,高齢者を介護することなどが極端に少なくなってきています.このままの状態では,若い人たちの高齢者に対する意識の変化,とくに高齢者軽視・蔑視の傾向が高じて社会的風潮になってくることが懸念されます.特に30年後に迎えるであろう超高齢化社会では労働者は収入の30-50%も税金として徴収されることになるかもしれません。 この様な高齢者軽視・蔑視の状況のもとでは労働者の不満が老若戦争と言うべき,国家間の戦争よりも恐ろしい事態を引き起こす可能性があります.間接的影響から医療モラルもゆがまないという保証はなく,尊厳死や安楽死が本人の意向によってではなく、家族や社会の意志になる大きな危険性があります。 これを防ぐためには,家庭内での人間教育が第一に必要です.また過去の歴史の中で弱者の命が権力側にどのように扱われてきたのかを学び,安楽死や尊厳死の持つ真の意味を理解しなければなりません. 尊厳死協会会員の宣言書 日本では安楽死は望めませんが,無用な延命を断ることはと言う意志表示をしておくことは可能です.1975年に設立した日本安楽死協会は1983年に日本尊厳死協会と改称しまし1994年現在,会員数は65000人に達しています.会員は必要な際に提示出来るよう,以下の主旨の宣言書を携帯しています.
不治の病で死期が近い時,家族・医療に関わる方々へのお願い.
1)いたずらに死期を延ばす治療はお断りします.
2)苦痛緩和は最大限に.その結果死期が早まっても構いません.
3)数ケ月以上植物状態の時は生命維持装置を外してください.
その他の動きとして,昨年からレットミーデサイド運動(社会医療研究会),今年5月からは日本ホスピスリビングウイル協会が発足し,共に死を迎えるに当たっての希望を表明しています. ただし,わが国の医療の現場では患者さんの治療の主役は医師である,との考えもまだ根強く,たとえリビングウイルとして尊厳死を表明したからといって医療機関側が希望を受け入れてくれるかは解りません。繰り返しになりますが,真剣に死について考え、自らの死生観を確立している医師との出会いの他はないと思います。その意味で普段から何でも言えるようなかかりつけ医師を持つことはとても重要なことだと思います. 病院はあくまでも医療を受けながら良く生きるためにあるのであって,決して死ぬためにある場所ではありません.ガンの患者さんの実に94%は病院で亡くなっていますが,先に述べたように末期状態の患者さんに本当に必要なのはもはや医療ではありません.在宅死に比べ病院での死亡はどうしても悲惨なイメージがつきまといます. 秋田市医師会ではかかりつけ医を持って欲しい,また,家族の介護が期待できる患者さん方は出来るだけ在宅で過ごして欲しい,と考え,かかりつけ医推進運動を進め,老人在宅医療ネットワークシステムを稼働させています.まだまだ未熟で,不十分なところがありますが,今後,家族構成など,ある程度条件が整っている患者さんはかかりつけ医師の往診,看護婦の訪問などの支援を受けつつ自宅で死を迎えることも可能になると考えられます.そのためには日常から家族と良く話し合っておく必要があります. 自分の人生だもの,自分なりのいい死に方を求めよう 私は、もし医師の家で生まれていなければ育たなかった、と言われたほど虚弱で物心つく頃までに何度も死にかけたといいますし。記憶にあるだけでも数回の大病があり,いわゆる臨死体験に類似した経験もあります。 子どもの頃,何時死んでも仕方がないけれど,せめて高校にはいるころまでは生きたい,と思っていましたし,死んだらいつも一緒だったネコと一緒に埋葬されたいと本気で願っていたことなどが思い出されます.医療の過疎な所で,家族や周囲から医師になることを望まれつつ育ちましたが,最終的には自分自身の健康を管理するために医師になろうと決めました.高校卒業の頃,身長174cm,体重51Kgで,モヤシのような華奢な,腺病質の身体でした.幸いにも歳と共に徐々に丈夫になって,ここ10年ほどはスキーやテニスなども楽しめる様にまでなり,ありがたいことと思っています。 私にとって死は決して他人事ではありませんでした.そのことが私にいろいろ考える機会を与えてくれたような気がします. 最後に,時間がなくてお話し出来なかった内容も含め簡単なプリント用意しました。 ご静聴を心から感謝いたします.
(配布資料)
いい日,いい旅立ち-自分らしい死にかたを 中通総合病院内科 福田光之
#死は決して怖くない(・・・と思う.無責任ですが,私はまだ死んでません)
死の間際には脳から快楽物質が出るので苦しくないハズです.
(小学校の頃,死にかけて意識を失ったが,少しも苦しくなく,むしろほっとした感じでした)
怖くはありません。日本では年間100万人も逝ってます。
今元気そうな,周りの人たちも,何れ,死にます.
先に逝って待っている人(私の場合はネコに)に会えるかも
#出来ればガンで死にませんか
ガンは自分の体が変化したもの。いわば子どものようなもの。
真実を知る勇気を持ち,運命を受容しよう.あきらめることとは違います
痛みはほぼ除くことが出来ます
くよくよしている暇はありませんが,やり残したことをやる時間はあります
痴呆になったり、植物状態にはなりません
人の世話になることがあっても,それほど長くは続きしません
#自分なりの死に方を用意しましょう
特に若い世代に自分の死を通じて人生教育をしてから逝きましょう
本当に畳の上で死にたいのか.意志をはっきりしておく
元気なときに死を話題に.周囲にも表明を
逝く準備を。逝った後のことが心配ならきちんと遺言を
お世話になった方々に挨拶状を出しましょう
葬儀についても準備を
#なるべく入院はしないで.
病院に過度の幻想を持たない
自分の病棟で死にたい,と言った看護婦さんは一人も居ませんでした
何でも話せる身近なかかりつけ医を是非持って下さい
転院・退院は自由に希望を。遠慮はいりません
希望どうり畳の上で死ねます.
患者はもっと発言を.これに耳を傾けない医師は選ばない方が身のため
参考文献
福田光之.医師の心得 中通病院医報32;21-26,1991
保坂正康.安楽死と尊厳死 講談社現代新書 講談社 東京 1993
中川米造.素顔の医者 講談社現代新書 講談社 東京 1993
吉田寿三郎.高齢化社会 講談社現代新書 講談社 東京 1993
米本昌平.バイオエシックス 講談社現代新書 講談社 東京 1993
高柳和江.死に方のコツ 飛鳥新社 東京 1994
竹村牧男.良寛 廣済堂 東京 1994
五米 重.日本人の死生観 角川選書 角川書店 東京 1994
山井和則・斉藤弥生.日本の高齢者福祉 岩波新書 岩波書店 東京 1994
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